ありす「あのっ!」 杏「んぁ……?」 (57)
※モバマスSSです
※ありすと杏がメインです
※プロデューサーはあまり出ません
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1473421580
ありす「もうレッスンの時間ですっ。早く行かないと……」
杏「んぅ……杏は寝てるから先行ってていいよー」ゴロン
ありす「ダメですよ! ちょっとっ!」
杏「んー……」
ありす「もうっ! ……なんでこの人が先輩なんだろう」ハァ
杏「そう言われてもねー。ほら、休むことも重要だし」
ありす「今の今までずっと寝てたじゃないですか! 私が来る前から寝てましたよね!」
杏「そうだっけー……?」
ありす「起、き、て、く、だ、さ、い!」グイグイ
杏「う、うぉぉ……」ガシィ
ありす「布団に、しがみつく、なんて、子供、ですかっ!」グググッ
杏「あ、杏は働かないぞ……!」ギューッ
ガチャ
モバP「杏ー、橘さーん。レッスンの時間だぞー」
ありす「あっ、プロデューサーさん! さっきから双葉さんが動かな……あれっ!?」
(空になった布団)
ありす「あ、あれ? さっきまでここにいたはずなのに……」キョロキョロ
モバP「多分その辺りに隠れてるはずだよ」
ありす「その辺りって……あ」
(ソファからはみ出す足)「……」
ありす「……」
モバP「ほら、行くぞ杏」
ソファからはみ出す(ry「……双葉杏はここにはいないよー」
モバP「そうかそうか。ここにはいないのか」
ソファから(ry「そうだよー、いないよー」
モバP「じゃあこれは俺たちで食うか、橘さん」スッ
ありす「えっ、あの……なんですかこれ、“限定キャンディ”?」
ソファ(ry「っ!? まさか!」
モバP「いないならしょうがないなー。前から杏が食べたがってた奴だけど仕方ないなー」
モバP「ほら、橘さんも食べて」
ありす「え、その……」
ソ(ry「待ったー!」ゴソッ
杏「杏いるから! いるからそれをプリーズ!」
モバP「よし出てきたな」ガシッ
杏「あっ」
モバP「ほら、レッスン行くぞ!」ズリズリ
杏「うあー、やめろー!」
モバP「全く、そういう瞬発力を無駄遣いするんじゃない」ズリズリ
杏「くそー、訴えてやるー。虐待だー!」
モバP「真面目にレッスンを受けてから言うんだな!」ズリー
杏「うーっ」
ありす(本当に……)
ありす(なんでこんな人が先輩なんでしょう。しかもこれで人気アイドルだなんて)
ありす(テレビで見ていたのは多少キャラ作りをした姿だと思っていたけれど、現実はそれ以上ですし)
ありす「はぁ……」
モバP「ん? どうしたんだ、橘さん」
ありす「……なんでもありません。早く行きましょう」ツカツカ
杏「あー、そんな焦らなくてもいいのに」
ありす「いいから早く行きますよ!」
杏「うぇーい……」
ありす「まったく……」
………
……
…
~二ヶ月前~
モバP「さて、橘さん。今日は初レッスンの日だけど体調は大丈夫?」
ありす「はい、大丈夫です」
モバP「まあ今回は見学メインでレッスンの空気を掴んでもらうことが目的だから、そこまで固くならなくても大丈夫だよ」
ありす「べっ、別に緊張なんてしていません」
モバP「そう? ならいいけど……あ、ここが今日使うレッスン室。一応もう中でレッスンが行われている、はずだから」
ありす(はず?)
モバP「失礼します、モバPです。今日見学予定の新人の子を連れてきました」ガチャ
ベテトレ「……ああ、プロデューサーか」
モバP「……あの、杏は」
ベテトレ「いつもの通りだ」ハァ
モバP「ほんとすみません。今すぐ連れてきますんでっ!」ダッ
ありす「えっ、あのっ」
ガチャ、バタン!
ありす「……」ポツーン
ベテトレ「……あー、君が新人の子か?」
ありす「は、はいっ。橘ありすです!」
ベテトレ「そうか。私は青木聖。ここのアイドルたちのトレーナーを担当している。プロデューサーから話は聞いているよ。本当なら見学してもらってから、実際にレッスンを受けてもらう予定だったんだが……」
ガラン
ベテトレ「……肝心の見てもらうアイドルがまだレッスンに来ていなくてな。どうだろう、君さえ良ければ軽くレッスンをしてもいいが」
ありす「本当ですか! じゃあ、よろしくお願いします」
ベテトレ「分かった。じゃあまずはストレッチからだ。きちんと体を解さないことにはレッスンもできないからな」
~レッスン中~
ありす「あ――♪」
ベテトレ「……固いな。もう少し力を抜いて」
ありす「はっ、はい!」
ベテトレ「緊張しているのか?」
ありす「う……すみません」
ベテトレ「いや、叱っているわけじゃないんだ。初レッスンなんだから仕方ないさ」
ありす「力を抜く……力を抜く……」ブツブツ
ベテトレ「力を抜くことを意識しすぎると、今度はまたそこに力が入ってしまうぞ」
ありす「あう……」
ベテトレ「課題は柔軟さだろうな。適度にリラックスすることは大切だ。……まあ、“適度”にしておかないと――」
バタン!
モバP「すみません! 杏、連れてきました!」
杏「うぁー……揺られて気持ち悪い……」ブラーン
ベテトレ「……ああなるからな」
ありす「……」ポカーン
ありす(え、なんですかこれ。女の子がプロデューサーの脇に抱えられて)
杏「プロデューサー、ちょっと女の子に対してこの扱いはないんじゃないかな」ブラン
モバP「仕方ないだろ、いつまでたってもお前が歩かないんだ。抱えていくしかないじゃないか」
杏「いや、それにしたってもう少しやり方が……」
モバP「手間がかかる」
杏「薄情者!」
モバP「ほら、ちゃんとレッスン受けろ。というか前にも言っただろ、今日は新人がレッスンの見学に来るって」
杏「杏のレッスンの見学させるとか明らかに人選ミスってると思うんだけど」
モバP「時間が合うのがお前しかいなかったんだ。というか俺が担当をすることになったから、先輩になるんだぞ?」
杏「えぇー……」
モバP「まあ、とりあえずだ。杏にも後輩ができたんだからしっかりしてくれ」
杏「へぇーい……」
ありす(な、なんなんですか、これ。ってこの人、どこかで見たことが……あ)
ありす(そうだ。CGプロに所属しているアイドルで、確か名前は双葉杏さん)
ありす(すごい小柄な人で、身長も私と同じくらい。それなのに五歳も年上)
ありす(ぐうたらアイドルなんて言われているけど……キャラ付けじゃなくて、素の姿ってことですか?)
モバP「さて、橘さん。紹介するよ。こいつは双葉杏。橘さんの先輩になる」
ありす「……橘、ありすです。よろしくお願いします」
杏「ありすちゃんね、よろしく」
ありす「橘です」
杏「んん?」
ありす「苗字で呼んでください。名前で呼ばれるのは……好きではないので」
杏「ん、分かった。よろしく、橘ちゃん」
ありす「……はい」
モバP「自己紹介も済んだところで……聖さん、レッスンお願いします」
ベテトレ「分かった。さて双葉、遅れた分みっちりやるからな」
杏「うへぇー……」
ありす(……もう少しやる気を出したらどうなんですか)
ありす(全く、なんて人)
~レッスン中~
ベテトレ「双葉! 足元を意識しろ、ステップが崩れてきているぞ!」
杏「はーい」タンッタンッ
ありす「……」ジーッ
ありす(見たところレッスンはちゃんと受けてる。不真面目な部分はちらちら見えるけど……)
ありす(でも流石に先輩だけあって、動きは私なんかとは比べ物にならない)
ありす(アイドル……)
ありす(あんなやる気のない人でも出来てしまうものなんでしょうか)フゥ
モバP「……橘さん」
ありす「は、はいっ!?」
モバP「どうかな、杏の様子を見て」
ありす「……あの人が先輩なんですよね」
モバP「そうなる。まあ、言いたいことは分かるよ。もう少し真面目だと思ったってところだろう?」
ありす「それは……」
モバP「ははは、そう思うのも仕方ないさ。俺も常々もう少し真面目にやってくれればと思ってるくらいだし」
ありす「なら、なんで」
モバP「それが杏だから、かな。短所に違いないだろうけど、そこがまた魅力にもなってる。それに」
ありす「それに?」
モバP「あれでもやる時はやる娘なんだよ。橘さんとは方向性が違うだろうけど、あれはあれで参考になると思う」
ありす「そう、なんでしょうか」
モバP「ああ、保証する。きっといい先輩になってくれるさ」
ありす「……」
~現在 レッスン室~
ありす(なんてことをプロデューサーは言っていたけど……)
杏「ふぁ~あ。眠い……」
ありす(いい先輩になる? 参考に? ……ありえません!)
ありす(レッスンはさぼろうとする。参加してもレッスン中に決して全力を出そうとはせずに手を抜く。挙句、私まで巻き込んで逃げようとする。どこがいい先輩なんですか、もう!)
ベテトレ「……さて橘の初ステージが来月に迫ったわけだが、これからの一ヶ月はみっちりレッスンをするつもりだ。勿論、双葉もな」
杏「いやぁ、杏はそんなやらなくてもいいんじゃないかな」
ベテトレ「馬鹿なことを言うんじゃない。そもそもメインは双葉だろう」
ありす(来月に迫った初ステージ。新人である私のデビューは、双葉さんの前座です。ショッピングモールの小さなステージではあるものの、双葉さんの人気からそれなりに人は集まるのでは、と言われています)
ありす(……入ってすぐの新人ですから、前座であることに文句は言いません。下積みに何年、なんてことも聞くような世界です。むしろ、デビューには十分過ぎるほどの舞台だと思います)
ありす(――ですが!)
杏「めんどくさいなぁ……」ポリポリ
ありす(“この人の”前座であることは納得いっていません!)
杏「……ん、どうしたの橘ちゃん」
ありす「なんでもありませんっ」ツイッ
杏「そう?」
ありす(もう少し……そう、お仕事っぽくするべきです)
ありす(仮にも双葉さんは人気アイドルなんだから、もう少しそういったところもちゃんとするべきです!)
ありす(……なぜかファンの皆さんにはそういったところが評判なようですが)
ベテトレ「ほら、二人共準備をしろ。始めるぞ!」
ありす「はいっ!」
杏「は~い」
~レッスン 休憩時間~
ベテトレ「よし、十五分の休憩を取る。汗を拭いて水分補給をしておけ」
ありす「はぁっ……はぁっ……!」
杏「ふぅー、疲れた」
ありす(双葉、さん。全然、疲れた様子が、ない)ハァハァ
ありす(ダンスも、ボーカルも……私より、上手)
ありす(悔しい、けど……やっぱり、すごい)
杏「大丈夫ー? ちゃんと水は飲んどきなよ、脱水症状起こしたりしたら大変だし」
ありす「わかって、ます……!」
杏「そう?」
ありす(もっと、もっと頑張らないと……!)
杏「……」
…
……
………
ベテトレ「よしっ、今日のレッスンはここまで!」
ありす「ありがとうございましたっ!」
杏「ありがとーございましたー。……ふぅ、やっと終わった。疲れたー動きたくないー」ゴロン
ベテトレ「せめて着替えるまでは我慢したらどうなんだ……」ハァ
杏「だってさー」ゴロンゴロン
ありす「……あのっ!」
ベテトレ「ん? どうした橘」
ありす「残って自主レッスンしても、いいですか?」
ベテトレ「それは構わないが……」
ありす「ありがとうございます」
杏「うえ、橘ちゃんまだやんの?」
ありす「……私は、双葉さんみたいに上手にできてませんから」
杏「はー、凄いね」
ベテトレ「……そうか。怪我には十分注意しろよ。それから双葉」
杏「なーに?」
ベテトレ「残って様子を見てやってくれ」
ありす「っ!」
杏「うぇっ! なんで杏が!?」
ベテトレ「小学生を一人残せるわけがないだろう。双葉は未成年ではあるがそれでも年長者だ。このプロダクションの先輩でもある」
杏「いや、それはそうだけど……」
ベテトレ「それに、どうせプロデューサーの仕事が終わるまでは事務所に残っているんだろう。だったらここにいても変わらない。そうじゃないか? それにお前だったら任せられる」
杏「ぐぬぬ……」
ベテトレ「安心しろ。プロデューサーには私から伝えておく。それじゃあよろしく頼むぞ、双葉」ガチャ
杏「あっ、ちょっとっ! ……行っちゃったよ」
杏「まあ、しょうがないかぁ。で、橘ちゃんは……」
ありす「……」モクモク
杏「もう始めてると。……杏、ここでゲームしてるから、何か聞きたいことがあったら言ってね。答えられるかは分からないけど」
ありす「……はい」
杏「……」ジーッ
…
……
………
ありす「はっ……はっ……」
ありす(もう少し、あと少しでコツが掴めそうなのに……)
ありす(ステップが、音程が、呼吸が。揃わない。気持ち悪い)
ありす「くっ……!」
杏「……」ピコピコ
杏「……あのさ」
ありす「なん、ですか?」ハァハァ
杏「できない部分を徹底的にやる、っていうんじゃなくて、一曲流して練習していったほうがいいんじゃないかな」
ありす「え……?」
杏「ステージは流れだから、全体を意識してやらないといけないわけだよ。場合によってはアドリブもね」
杏「できるところとできないところを別々にやってると、そこで繋がりが切れちゃうんだよね。継ぎ接ぎみたいになっちゃうというか、癖がつくんだ」
杏「動きの連続性がなくなってカクカクしているようになるから、見ている側からしても緊張しちゃうの」
杏「だから、一曲通して、できない部分はできないなりに、できる部分と繋げてやってみる」
杏「そうするとさ、できない部分がどうしてできないのか、とか、どうすれば上手く動けるようになるかとかが自然と見えてくるようになるよ」
杏「まあつまり、肩の力を抜いて、手順の確認をするくらいの気持ちでやってみたらどう? ってこと」
ありす「……」
杏「参考程度に考えておいてよ、役に立つ意見かどうかは分からないし」スクッ
杏「それじゃ、こんな時間だから杏はプロデューサー呼んでくるよ。小学生の寮の門限、そろそろでしょ?」
ありす「門限……、っ! もう、こんな時間」
杏「どうせだしプロデューサーに送ってもらいなよ。どうせ杏を送るから外には出るし」ガチャ
バタン……
ありす「アドバイス、されちゃった……」
ありす(どういうつもりなんでしょう)
ありす(気まぐれ? それとも、親切心? あの人が?)
ありす(……分からない)
ありす「……はあ。帰る準備しないと」
………
……
…
~車内~
モバP「よし、なんとか門限に間にあいそうだな」
ありす「すいません、プロデューサー。私が時間を確認していなかったばかりに……」
モバP「いや、構わないさ。それだけ一生懸命にレッスンしていたって証拠だよ。全く、杏にも見習って欲しいもんだ」
杏「いやぁ、そういうのは杏のキャラじゃないからさー」
ありす「……」
モバP「橘さんもお疲れさま。ほんとによく頑張ってくれてるよね」
ありす「いえ、私は……」
モバP「でも頑張りすぎないように。それで体壊したりしたら元も子もないんだから」
ありす「……気をつけます」
杏「その通りだよ。だから杏も、もう少しお休みが欲しいなぁ」
モバP「杏はもっと頑張ってから言おうな」
杏「うぇー……」
モバP「お、寮が見えてきたな。時間もばっちり間に合った。あ、寮に駐車場ってあったっけ?」
ありす「いえ、門の前で降ろしていただければそれで構いませんので。今日は送っていただいてありがとうございました」
モバP「そう? まあ、ライブが近くなったらレッスンでこんな風に遅くなる日もあるかもしれないから、そういったときは遠慮しないで言ってね。ちゃんと送っていくから。どうせ杏も毎回送ってるし」
ありす「でも、プロデューサーも忙しいでしょうから迷惑になってしまいます」
杏「いいのいいの。どうせいつものことだし、そもそもプロデューサーはこうして外に出さないといつまでも仕事してるんだから。息抜きだよ息抜き」
モバP「仮に息抜きになっていたとしてもそれはお前が言う台詞ではないな。……まあ、ほんとに気にしないでいいよ。そんな手間じゃないから」
ありす「はあ……」
キキィ
モバP「着いたよ。忘れ物しないようにね」
ありす「大丈夫です。それでは失礼します。プロデューサー、双葉さん」ガチャ
モバP「お疲れさま。また明日事務所で」
杏「お疲れさまー。ちゃんと体休めといたほうがいいよー」
バタン、ブロロロ……
ありす「……また明日から頑張らないと」
………
……
…
ありす(……こうして)
ありす(私の……いえ、私“たち”のレッスン漬けの日々が始まりました)
ありす(あの日以来、門限ギリギリまで自主錬をするのが日課になっています)
ありす(双葉さんもなぜか一緒に残っていますが)
ありす(私の帰りと一緒にプロデューサーに送ってもらうのが目的のようで、レッスン室に残ってゲームをして待っています)
ありす(私が練習している中、双葉さんは端っこでゲームをやっている。それがレッスン場の風景になりました)
ありす(……そんな双葉さんですが、先輩らしいこともしてくれます)
ありす(ただひたすらゲームをやっているように見える双葉さんは、時折アドバイスをくれました)
ありす(意外にも、双葉さんは教えるのが上手です)
ありす(指摘する箇所は具体的で、例えは分かりやすく、それでいて短く簡潔に纏める。……最後のは長々と話すのが面倒臭いとかそういった理由でしょうけれど)
ありす(ゲーム機を操作する音は常に聞こえていますから、私の方をずっと見ているわけではないはずなのですが。本当に細かな箇所まで指摘してきます)
ありす(少しずつではありますが、私のダンスや歌も上手くなってきました。これには多少なりとも双葉さんが影響していることは確かです)
ありす(ありがたいことには違いないのですが、彼女の性格上、こういったことは面倒だと感じるはずです。日々のレッスンですら逃げようとする双葉さんが、他人である私のレッスンを見ている)
ありす(これが理解できません)
ありす(そうしてそんな日々が続き、本番が一週間前に迫った日のことでした)
ありす(今日もまた、レッスン場で自主練です。双葉さんもいます。ですが、今回は少しばかり環境が異なっていました)
ありす(普段使っているレッスン場は他のアイドルの方が使っていますので、プロダクションが契約している別のレッスン場をお借りしています)
ありす(とはいえ劇的に環境が変化しているわけでもなく、いつも通りのメニューを、いつも通りこなしていました)
ありす(そしてそれは、双葉さんのアドバイスも)
ありす(ライブ本番まで残り一週間となった今でも、まだまだ直すべき部分はあります。ですから、こうして夜遅くまでレッスンをしているわけです)
ありす(現在時刻はもう九時を回っています。寮の門限はとうに過ぎていますが、ライブ一週間前ということもあり、事情を説明したところ、送迎と連絡を条件に許可をいただきました)
ありす(……プロデューサーと双葉さんには負担をかけてしまっています)
ありす(お二人に甘えてしまっているのも、私が不出来なのが原因です。もっと精進しなくてはなりません)
ありす(レッスンは厳しいですが……泣き言は言ってられません)
ありす(レッスン場に備え付けられたシャワーを浴びながらそう考えつつ、着替えを終えて双葉さんの待つホールへ向かいます)
ありす(するとそこには、スマートフォンを片手に少し困ったような顔をした双葉さんが立っていました)
杏「……ん、分かった。いや、そこまで心配しなくても一応一人暮らししてるんだからね、こっちは。……確かにきらりには世話になってるけどさ。はいはい。ほら、もう時間ないんでしょ。じゃね」ピッ
ありす「……どうかしたんですか?」
杏「あ、着替え終わった? プロデューサーと電話してたんだよ」
ありす「プロデューサーと?」
杏「迎え来れないって。だから私の家に行くよ」
ありす「は? え?」
杏「ほらもう行こう。杏はもう疲れたよ」スタスタ
ありす「あ、あのっ。一体どういうことなんですか? 全く話が見えません」テテテッ
杏「んー? なんかね、会議が入っちゃったんだって。私たち関連らしくて、プロデューサーは出ないといけないんだと」
杏「んで、代理で迎えに来てくれる人を探してたらしいんだけど、中々見つからないらしくて。だったら杏の家に避難すればいいかって」
ありす「避難って……というか、双葉さんの家!?」
杏「もう時間も遅いしね。小学生一人で帰らせるわけにもいかないでしょ。このレッスンスタジオから寮まで結構遠いんだし」
ありす「それは、でも」
杏「あ、安心して。杏ん家すぐそこだから。寮への連絡もプロデューサーがやっといてくれたそうだし」
ありす「で、ですからぁ……」
杏「晩ご飯どうしよっかな~。インスタントでいいかなぁ」
ありす(て、展開がいきなりすぎて……どういうことなんですかっ!?)
………
……
…
杏「どうぞー」ガチャ
ありす「お、お邪魔します……」スゴスゴ
杏「てきとーにその辺座ってて。確か昨日あたり掃除してもらったはずだから、そこまで散らかってはいないと思うけど」
ありす「は、はい」
ありす(双葉さんに連れてこられたマンションは結構な大きさをしていました。規模からして、恐らくは家族向けでしょう。未成年の一人暮らしには少し合わないような気がします)
ありす(なんだか落ち着かない感覚で、床の空いている場所に腰を下ろしました。……不躾だとは自覚しつつも、辺りを見回してしまいます)
ありす(置かれているものは様々なゲーム機。据え置きも携帯機もたくさんの種類があります。中にはネットでしか見たことのないようなものも)
ありす(私は一応、ゲームを趣味としています。なので、こうして大量のゲームに囲まれていると、何となくドキドキしてきます)
ありす(初めて見たパッケージの表側からどのようなゲームなのだろうと想像して……やってみたいな、とつい思ってしまいました)
杏「おまたせー。緑茶でよか……どうかした?」
ありす「っ! なんでもありません!」
杏「んん? ……ああ、なるほど。そういうことね」
ありす「な、なんですか?」
杏「まあ、とにかくご飯食べよっか。それでプロデューサーが迎えに来るまで時間があるようだったら、時間潰すのにゲームでもしよう」
ありす「べ、別にゲームがやりたいなんて……あ、あの! 聞いてますかっ!?」
杏「ご飯は何にしようかな~」
ありす「違いますからね! 分かりました!?」
杏「めんどくさいからレトルトで……」ゴソゴソ
ありす「双葉さん!」
………
……
…
ありす「……ごちそうさまでした」
杏「お粗末さまでしたっと。さーて片づけよ」
ありす「お手伝いします」
杏「お、ありがと。じゃー食器の片付けはこっちでやるから、橘ちゃんはゲームの用意しといてよ。プロデューサーから連絡が無いってことは、まだ時間かかるってことだろうから」
ありす「え、でも……」
杏「まあまあいいじゃない。どうせ橘ちゃんもしばらくここにいることになるんだし。なんか適当に好きなゲームでいいから」
ありす(そういうと双葉さんは食器を重ねてシンクに向かっていきました。一人残された私は周囲に視線を向けて、放り出されたままのゲーム類を見ます)
ありす(用意しておいて、とは言われたものの……)
ありす「どうすればいいんでしょう……」
ありす(許可? を貰っているとはいえ、人の物を物色するのは気が引けます。そもそも……私が主にやるのは、携帯ゲーム機です。誰かと一緒にやるようなゲームはあまりやりません)
ありす(なので、どうしたらいいのかよく分かりません。物珍しいゲーム機は見ていて気になりますが……これはネットで見たことがありますね)
ありす(それに最近は全然ゲームができていません。レッスンで忙しいのと、空いた時間があったら反省点を洗い出しているから、殆ど……)
ありす「……」ジロジロ
ありす「……カセットがおっきい」
杏「それやりたいの?」
ありす「っ!」ビクッ
杏「スーファミとはまた渋いところを突くね」
ありす「え、いや、その」
杏「丁度二人プレイできるやつだし、それやろっか」
ありす「……は、はい」
………
……
…
ありす「う、あっ、ああ!」カチャカチャ
杏「ん、また杏の勝ち」
ありす「くっ……!」
ありす「もう一度! もう一度です! ようやくコツが掴めてきたんです! 次こそは勝てます!」
杏「まあ杏はいいけどさ」
~30分後~
ありす「う……うう……」
杏「……橘ちゃんはほら、初めてプレイするゲームだしさ。私は結構このゲームやりこんでるし」
ありす「くっ……納得できません。あんな、意味の分からない操作なんてできるわけありません。人間の動きじゃありませんよ」
杏「そこまで言うかい。っと、プロデューサーからメールだ。……あー」
ありす「これから迎えに来るってメールですか?」
杏「いや、もう多分無理ってメール」
ありす「は?」
杏「なんか色々立て込んじゃってるみたい。寮の方には連絡しといたから今夜はウチに泊まっていってだってさ。明日土曜だしって」
ありす「え? いや……え? どういうことですか? というか双葉さんはそれでいいんですか?」
杏「しょうがないでしょ、こうなったら。タクシー代の立替とかするだけ現金持ってないし」
ありす「えええ……?」
杏「服は……杏の貸せばいいか。体格もそんな変わらないし大丈夫でしょ」
ありす「え、本当にここに泊まるんですか?」
杏「いやだった? でもまあ割り切ってね、もうどうしようもないし」
ありす「いやというわけでは……その、ご迷惑なのでは」
杏「たまにきらり……アイドル仲間とか泊まっていくから慣れてるしね。子供がそんな気にしなくてもいーよ」
ありす(見た目は私とそう変わらないのに……)
杏「布団ないから一緒のベッドでいい? 結構広いから余裕あると思うけど」
ありす「い、一緒のベッド!?」
杏「ああ、安心して。そんなに寝相悪くないから」
ありす「そういう問題ではなくて……」
杏「後はー、まあ何とかなるか。とりあえずゲームの続きしようか。それとも別のソフトやる?」
ありす「え、ええー……?」
ありす(こうして)
ありす(なんやかんやと双葉さんの家に泊まることになってしまいました)
ありす(遅くまで色々なゲームをして、いつのまにか私は双葉さんと一緒のベッドに入っています……)
ありす(……どうしてこうなったんですか?)
杏「大丈夫? 狭くない?」
ありす「え、ええ、大丈夫です……」
杏「そ、ならよかった。ごめんね、なんか遅くまでつき合わせちゃって」
ありす「別に、これくらいの時間まで起きてても、問題ありません」
杏「もしかして結構夜更かしするタイプ? 子供のうちからあんまり遅くまで起きてると身長伸びないよ、私みたいに」
ありす(……説得力がありすぎる)
杏「ふー、今日も疲れたなあ。最近頑張ってるからレッスン休みにならないかなあ」
ありす「……もうライブはすぐなんですよ」
杏「ほら、休みも適度に入れないと。折角の本番で疲れが出ちゃったら大変だし。橘ちゃんだってそうでしょ?」
ありす「私は平気です。まだまだ頑張れます」
杏「すごいねぇ、杏には真似できないよ」
ありす「プロとしてどうなんですか、それ」
杏「まあ、杏みたいなキャラがいいって言ってくれてるファンもいるわけだし、いいんじゃないかな」
ありす「……理解できませんね」
杏「ねえ、橘ちゃん」
ありす「なんですか?」
杏「アイドル、楽しい?」
ありす「……」
杏「まあ、急に言われてもわかんないよねぇ。デビューもまだだし、今のところレッスンだけだし」
ありす「どうしてそんなことを聞くんですか?」
杏「あれだけ必死にレッスンしてるからアイドルに思い入れでもあるのかなって」
ありす「お仕事ですから、真面目にやるのは当然です」
杏「はー」
ありす「……プロデューサーの差し金ですか」
杏「どうしてそう思うの?」
ありす「あの面倒くさがりの双葉さんがこんな風に人に色々聞くとは思えません。頼まれてもするとは思えませんでしたが……仮に誰かの頼みであったとすると、プロデューサー以外にはあり得ませんから」
杏「おお、当たり。よく分かったね」
ありす「双葉さんの性格からしてみればすぐに分かります。人付き合いも面倒だと言いかねませんから」
杏「ずいぶんな評価だなぁ……」
ありす「何度も何度もレッスンをさぼろうとする人ですよ? 当然です」
杏「ははは。でもね、一応杏だって橘ちゃんのこと気にしてたんだよ」
ありす「え?」
杏「あ、そういう反応なんだ……。まあ仕方ないか。杏だって、小学生の後輩に配慮するくらいの気持ちくらいはあるよ。それにあれだけ必死になってレッスンしてるんだから、協力してあげたくもなるさ」
ありす「……そういうものなんですか?」
杏「そういうもんだよ。でさ、橘ちゃん」
ありす「なんですか?」
杏「どうしてあんなに一生懸命なの?」
ありす「どうして……って、仕事なんですから、当然でしょう?」
杏「いや、仕事ってだけで一生懸命なら杏だって一生懸命だよ。そうじゃなくて、何か理由があるのかなって思ってさ」
ありす「理由……」
杏「アイドルになるのが夢だったとか?」
ありす「夢、と言いますか、音楽に携わる仕事がしたいとは思っていました」
杏「へー」
ありす「……なんですか、その気の無い返事は」
杏「いやいや、素直に感心しただけだって。子供の頃から将来のこと考えてるんだなぁ、と」
ありす「これくらいなら当然です。……双葉さんはどうしてアイドルやってるんですか、あんなに嫌そうなのに」
杏「印税生活送れるよってプロデューサーに騙されたから」
ありす「……なんですか、それ」
杏「なにと言われても事実だしなー。なーんにもしないでだらだら過ごすために、がっぽり稼げるよって言われて。最近労力と見合ってないんじゃないかって思うけどね」
ありす「騙されたって言うなら、双葉さんこそなんでアイドルやってるんですか? 辞めたっておかしくなさそうなのに」
杏「あー、んー……。一応、杏にも辞めない理由があるっていうか、ね」
ありす「止めない理由、ですか」
杏「なんていうか、さ。楽しいところもあるんだよ。そりゃ確かにすっごく大変だよ? でも、辞めないくらいの面白さはあるんだよ」
ありす「アイドルの面白さ……」
杏「橘ちゃんはまだ分かんないかな」
ありす「分かり、ません」
杏「しょうがないって。橘ちゃんはまだまだ新人だし、アイドル仲間なんてものもまだいないし、ライブだってしたことないもんね」
ありす「ライブは、楽しいんですか」
杏「……まあまあ楽しい、かな。歌って踊って……疲れるけど、ファンの皆のコールとか歓声とか一体感とか、悪い気分じゃないし」
杏「それにね、橘ちゃん。名前呼んでもらうって、結構嬉しいもんだよ」
ありす「……名前」
杏「橘ちゃんはさ、自分の名前嫌い?」
ありす「嫌いでは、ないです。親がつけてくれた名前ですから。でも……」
杏「なに?」
ありす「ちょっと、子供っぽいかなって、思うことはあります」
杏「子供っぽいかぁ。似合ってていい名前だと思うけどね。ってこういうのが苦手なのかな」
ありす「名前を誉めてもらえるのは、別にいいんですけど、でもやっぱり……」
杏「ちょっと、って感じ?」
ありす「……」コクン
杏「そっか。でもさ、やっぱり橘ちゃんの名前も個性なわけだよ。珍しい名前かもしれなけど、それだけ印象に残りやすいし、橘ちゃんとしっかり紐付けして覚えられる。アイドルとしては強いよ、これ」
ありす「そうなんでしょうか」
杏「そんなもんそんなもん。確かによく知らない人に名前で呼ばれるのは抵抗があるかもね。そこはアイドルって職業柄仕方ないのかもしれないけど」
杏「でも、せっかく自分のものなんだから、好きになれた方がいいよね」
ありす「……双葉さんはすごいですね」
杏「急にどうしたの? ついにデレ期に入った?」
ありす「で、でれ? よく分かりませんが、そう思っただけです」
杏「はー」
ありす「身長だって私とそんなに変わらない……どころか少し低いくらいで、外見だけなら同い年に見えるくらいなのに、やっぱり年上なんだなって」
ありす「レッスンのときだって、色んなことを教えてもらって、助けてもらいました。なんだかんだと理由を付けて逃げたり隠れたりしてレッスンをさぼろうとするけど、しっかりとやっていますし」
ありす「こうしてお話しして、適当なだけじゃないんだなって」
杏「うぐっ……言葉にとげがあるのに、その通りだから言い返せない……。初めて見たときはもっと大人しい後輩だと思ったんだけどなぁ」
ありす「初めて……レッスン場にプロデューサーが双葉さんを運んできたときですか?」
杏「んー、確かに対面はあそこが初めてだけどさ」
ありす「どういう意味です?」
杏「実は履歴書で一度見てるんだよね。プロデューサーの机に置いてあったやつ」
ありす「……そうなんですか?」
杏「まー、そのときはアシスタントのちひろさんに叱られてたからね。個人情報なんですからもっときちんと管理してくださいって。あ、安心して。一応杏以外は誰も見てないから」
杏「んで、そのあとに橘ちゃんをよろしく頼むとか言われたときには、まあ、ゲームが趣味とか書かれてたからそういう風に接すればいいかーと考えてたんだけど……想像よりもお堅い性格だったからどうしようかと思ったよ」
ありす「それは違います。私が堅いんじゃなくて、双葉さんがいい加減なだけです」
杏「いやいや、それだけじゃないって。みんな思うよきっと。……まあ、中身は素直だってすぐに気づいたけどね」
ありす「……それも、違います」
杏「こっちも否定するの?」
ありす「だって……今の今まで双葉さんときちんと話したことはありませんでした。先輩なのに、失礼な態度を取ったりして……」
杏「まあそれは杏にも原因があるし」
ありす「それだけじゃありません。わざわざ居残りレッスンに付き合ってもらっていたのに、お礼も言えてませんでした」
ありす「だから、その。改めて……ありがとうございました」
杏「……やっぱり素直ないい子だねぇ」
ありす「なっ、なんですか。茶化さないでくださいっ」
杏「本心だって。うん、でも色々聞けてよかったよ」
ありす「……あ、あの」
杏「なぁに?」
ありす「双葉さんは、アイドルは名前で呼ばれるものだって言いましたよね」
杏「そうだね」
ありす「私は、その、あまり名前で呼ばれる機会がありません。親類以外には、苗字で呼んでもらうよう、いつも言っていましたから」
ありす「だから……慣れるために、名前で呼んでくれませんか」
杏「いいの?」
ありす「どうせ、避けては通れない道ですから」
杏「そっか……なら、遠慮なく」
ありす「はい」
杏「――ありすちゃん」
ありす「は、はいっ……」
杏「今度のライブ、頑張ろうね」
ありす「っ……はいっ!」
…
……
………
ありす(本番の日は、あっというまにやってきました)
ありす(プロデューサーの運転する車に乗って、会場であるショッピングモールへ。車に乗っている間、杏さんは寝たままでした)
ありす(……あのお泊まりのあと、私と杏さんは名前で呼び合うようになりました。私が名前で呼んで欲しいと言ったのに対して、杏さんも名前でいいと言ったからです)
ありす(まだ名前で呼ばれること、呼ぶことには慣れていませんが……これもアイドルとしてやっていく上で必要なことです)
ありす(現在は控え室で出番を待っている状態です。杏さんは相変わらず寝たまま)
ありす(チクタクと鳴る時計の秒針だけが響いて、そこに集中してしまいます)
ありす(時を刻む音が響く度に本番が近づいてくることを感じて、私は膝の上に乗せた手をぎゅっと握り締めていました)
ありす(一体どれだけの間そうしていたかは分かりませんが、スタッフさんが控え室にやってきて、スタンバイをするよう言いました)
ありす「……あの、杏さん」
杏「んー……?」ゴロン
ありす「そろそろスタンバイお願いしますって、スタッフさんが……」
杏「あーい……ふぁ、眠い」
ありす「……」
杏「あれ。いつもみたいに、しっかりしてください! って言わないんだね」
ありす「……しっかりしてください」
杏「時間差だなぁ。……緊張してる?」
ありす「それは、その」
杏「まあ、初めての舞台だしね。どうだった、ステージを裏から見てみて」
ありす「……観客席から見えるのとは、全然違ってました。人の視線があって、それが、ステージに向けられて」
杏「始まったらもっと増えると思うよ。まあ立ち見だし、どれだけの人がいるかは分からないけどね」
ありす「もっと……」
杏「まー、そこまで緊張しなくても」
ありす「でも、このライブは本来杏さんのものですし、私みたいな新人が出ても、お客さんに不満を持たれるんじゃ……」
杏「大丈夫だよ。だって、杏のファンだし」
ありす「どういう意味ですか?」
杏「杏みたいな怠け者のファンになるような人たちだよ? 広い心の持ち主じゃないとやっていけないよ」
杏「だから心配しなくても大丈夫だって」
ありす「でも……」
杏「ありすちゃんは難しく考えすぎだよ。もう少し肩の力抜いて。ほら、飴。そんくらいの時間はまだあるでしょ」ガサッ
ありす「……ありがとうございます」
ありす「あっ、イチゴ味……」
杏「イチゴ好きなんだ?」
ありす「ええ、その、まあ」
杏「だったら後でここのモールにあるお店行こっか。スイーツが美味しい喫茶店があるんだって、特にパフェ系の評判がいいらしいんだ」
ありす「そんな勝手に決めていいんですか? 終わった後は色々忙しいんじゃ……」
杏「いいのいいの。なんたってありすちゃんのデビューライブなんだから、ご褒美だよ。……っと、そろそろ行こうか」スクッ
ありす「は、はい」
杏「……あのね、ありすちゃん――」
………
……
…
司会『――』
ありす(司会の声が聞こえてくる。でも、何を言っているのかは分かりません)
ありす(心臓の音が大きい。一回一回鳴る毎に、耳が遠くなってこの世界から遠く離れていくような、そんな感覚)
ありす(体に力が入らないのに、なぜか立てている。いや、もう地面に立っているという事実でさえ曖昧に思えてきます)
ありす(両手で握り締めたマイクは少し大きめで、私の手には余ってしまう。そんなサイズが不安を掻き立てて)
ありす(……今ここには、私しかいない。プロデューサーも……杏さんも)
ありす(プロデューサーは、緊張しないでリラックスして頑張れと。杏さんは、レッスンでやった通りにやればいいと。そう言ってくれました)
ありす(大きく息を吸い込んで、口から吐き出す。唇が震えているのを自覚します)
ありす(ついに出る時間がやってきたようで、スタッフさんが目でこちらに促してきました)
ありす(ぎゅっとマイクを握り締めて、顔を上げる)
司会『――橘ありすちゃんです!』
ありす「――!」
ありす(名前が呼ばれ、駆け出す。暗い舞台袖から、光が満ちるステージへ――)
ありす(……そこで見たのは、たくさんの人たち。人気アーティストのように、ドームを埋め尽くすほどの人々、というわけではないけれど)
ありす(それでも、私からすればたくさんの人たち、でした)
ありす「っ……」
ありす(思わず、言葉に詰まってしまう。それが契機となって、何を話すべきなのかを一気に忘れてしまいました)
ありす(出てこない言葉と、徐々に集まる好奇の視線)
ありす(焦りと不安、それがどっと押し寄せて、頭の中が真っ白になりかけたとき、杏さんのアドバイスを思い出した)
杏『あのね、ありすちゃん。自信を持っていこう』
杏『ありすちゃんは十分アイドルとしてやっていける素質があるし、そのためのレッスンもやってきた』
杏『正直、これくらいのステージなら楽々こなせると思うよ』
杏『それでもし、ステージに上がって緊張しちゃったときにはさ――』
ありす(そのアドバイスだけが頭に残っている状態で、私はそれに縋りました)
ありす「ありす――橘ありすですっ。今日はっ、よろしくお願いします!」
杏『自分の名前を言ってごらん』
杏『私の名前はこうだ、って胸を張ってね。きっとそれがアイドルの第一歩だよ』
杏『アイドル橘ありすのデビュー。頑張ってね』
ありす(――瞬間。視界が開けたような感覚がありました)
ありす(喉が詰まっていたような感覚も消え去って、今ではしっかりと言葉を発することもできそうです)
ありす(曲のイントロが流れ出す。レッスン中に何度も聞いた曲。杏さんに何度もアドバイスをもらった曲)
ありす「――♪」
ありす(後はもう、流れるまま。歌詞は自然と口から出て、ステップは練習通りに)
ありす(観客の人たちを見る余裕さえあって。でもそれが夢見心地で、本当にあったことなのか分からなくて)
ありす(歌い終わると、待っていたのは歓声と拍手。これが自分に向けられたものだということが、にわかには信じがたい光景です)
ありす(もう、無我夢中で全てをやった、という感じです。問題なく終わったのが嘘に思えるくらいに)
ありす(正気に戻ったのは、全てを終えてステージ裏に戻ってからでした。マイクを手放した途端にどっと疲れが出てきて、その場にへたり込んでしまいそうになります)
ありす(乱れた息を整えていると、杏さんがこちらに歩いてきているのが見えました)
杏「お疲れさま。いいステージだったよ」
ありす「あ……ありがとう、ございます」
杏「あんだけ胸を張って、堂々とできたんだから凄いって。初舞台とは思えないくらい」
ありす「い、言いすぎですよ」
杏「いやいや、ほんとに。これじゃあ杏も頑張らないといけないじゃん」
ありす「え?」
杏「後輩にかっこわるいところ見せられないからね。それじゃ、行ってくるよ」スタスタ
ありす「……あのっ!」
杏「ん?」
ありす「あの……頑張って、ください。応援、してますから」
杏「……ん。ありがと」
ありす(杏さんを見送って少しすると、プロデューサーがやってきました)
モバP「ああ、橘さん。お疲れさま、いいステージだったよ」
ありす「プロデューサー。はい、ありがとうございます」
モバP「これから杏の出番だな……」
ありす「……はい」
モバP「よし。橘さん、ちょっとこっちにおいで」
ありす「はい?」
モバP「疲れてるだろうし、もう少し落ち着ける場所に移動しよう。あ、これ飲み物ね」
ありす「あ、ありがとうございます」
モバP「杏のステージはさ。きっと今後の参考になると思う。橘さんの方向性とは違うかもしれないけど」
ありす「……はい、行きましょう」
モバP「うん、こっちだよ。あそこには椅子もあるし、ここよりは舞台の様子も観客の様子も見やすい」
ありす(移動した先で、私は杏さんを見ていました)
ありす(さっきまで立っていたステージと違って、どちらかと言えば観客に近い距離、立ち位置で)
司会『――』
杏『――』
ありす(杏さんは私と違って、とてもスムーズに進行を続けています)
ありす(いつもの怠惰さは確かに見えるものの、どこかメリハリのようなものがあるように思えます)
モバP「杏は、自分のキャラをよく分かっているんだ。杏の生来のものであるぐうたらな性格を、本人は直すつもりがない」
ありす「面倒だから、ですか?」
モバP「その通り。でも、アイドルとしてやっていく以上、それだけじゃあやっていけない。だから、最低限の修正を加えることにしたんだ。いやあ、うまいよ。普段の自分を[ピーーー]ことなく、アイドルの個性として成立させてる」
ありす「……すごい、ですね」
モバP「ああ、あいつはすごい。なんだかんだ言いながらきちんとやるからね。……だから、今回のことも杏に任せて正解だった」
ありす「ミニライブのことですか?」
モバP「いいや、橘さんのことだよ」
ありす「私の?」
モバP「最近、橘さんと杏の仲が急によくなっただろう? 名前で呼び合うようになったくらい」
ありす「それは、その……」
モバP「最初は、あんまり仲がよくなるとは思っていなかったんだ。性格はどちらかといえば両極端だし、年齢も結構離れてるし」
モバP「でも、杏が自発的に橘さんのレッスンに付き合うなんて言い出してびっくりしたよ」
ありす「自発的に? 杏さんが? プロデューサーに言われたからではなく?」
モバP「あれ、もしかしてそんな風に言ってたの?」
ありす「はい……」
モバP「あんにゃろめ、勝手に人の仕業にして……。あー、それは多分、あいつの照れ隠しだな」
ありす「照れ隠し、ですか」
モバP「あいつさ、多分橘さんが想像してる以上に、橘さんのこと気にしてるんだよ。杏が橘さんの履歴書を見たとき……あ、ごめん。橘さんの履歴書、杏に見られてるんだ。ごめん」
ありす「いえ、それはいいです。杏さんから聞きましたから」
モバP「そう? ……そんでね、橘さんがどういう子か色々聞いてきてね。あいつにしては珍しいなぁと思ってたんだ。でもまあ、年長者だし、結構面倒見もいい性格だからそういうのもあり得るのかなって」
モバP「あとはまあ、橘さんが杏をどう思うかって話だったんだけど……心配なかったかな?」
ありす「そう、ですね……」
ありす(ステージに視線を戻すと、杏さんたちの話題は切り替わって、私の話になっていました)
杏『ありすちゃんはこの間入ってきたばかりの子なんだよね。趣味がミステリー小説を読むこととゲームで、この間も一緒にゲームしたんだよ』
司会『へー! ありすちゃんの年頃だと、最新のゲーム機とかですか?』
杏『それがねぇ、杏の家にあったレトロハードが珍しかったみたいで、それをやったんだ。名前とか姿は知ってたみたいだけど、実際に見たのは初めてみたい。――ってゲームなんだけど』
司会『あっ……そっか、最近の子は知らないんですよね……。なんだか思わぬところで時の流れを実感してしまいましたが』
杏『ありすちゃん、見た目はクールに見えるけど、案外表情がころころ変わるの。勝負に負けたときは悔しそうにするし、勝つと嬉しそうにするし』
司会『意外ですねぇ』
ありす「あ、あの人はそんなことまで……!」
モバP「ま、まあまあ、別にイメージダウンに繋がることじゃないし、むしろいい方向に転がるって……」
杏『――そんな素直な子だからさ、ついつい応援したくなるんだよね。みんなはどうだったかな』
観客A『かわいかったよー!』
観客B『CD買います!』
杏『ありがとー。あ、CD買うなら杏のもよろしくね。杏が印税生活を送るためにも』
観客C『引退させないためにもCD買うのやめます!』
杏『こらこら』
ありす(……杏さんらしいというか、なんというか)
モバP「さて……そろそろかな?」
ありす「はい?」
司会『それじゃあ、そろそろ曲の方お願いできますか?』
杏『はいはーい。じゃあ、みんな、聞いていってね。杏の新曲』
ワァァァァ!
ありす(歓声と共に曲が流れ出しました。そしてすぐに、私とは違うと感じました)
ありす(一体感、というんでしょうか。ステージに立って歌っている杏さんと、ファンの方々。そして……どちらにも共通した、まばゆい笑顔)
ありす(歌がうまいだとか、ダンスがすごいだとか、そういうことではなく、「楽しい」という感情が溢れてくるような、そんなステージ)
ありす(気が付けば私はリズムを取っていました。小刻みに体を揺らしながら、杏さんを見つめて)
ありす(これが、アイドル)
ありす(私の目指すべき道)
………
……
…
ありす(ライブの後にはCDの手売りがありました)
ありす(このライブに来たお客さんたちは基本的に杏さんが目当てなのでそちらのCDを買っていかれましたが、私のCDも買ってくださる方も中にはいました)
ありす(……よかったよ、って。これからも応援します、って。そう、言ってくれて)
ありす(嬉しくて、嬉しくて……お礼を言うときに、ついはしゃいだような声になってしまいました)
ありす(隣にいた杏さんには、いい笑顔だよと言ってもらえましたが、子供っぽいところを見せてしまったようで恥ずかしかったです)
ありす(そして、全ての行程が終わってモール内の控え室に戻ると……)
杏「あ~、疲れた~」ボフッ
ありす(杏さんはいつもの杏さんに戻ってしまいました)
ありす「杏さん! 衣装のままソファに横にならないでください! 皺がついちゃいます!」
杏「脱ぐのめんどい……」
ありす「もうっ!」
ありす(ライブ中に感じた感動や尊敬はどこにいってしまったのか。文句の一つも言いたい気分です)
ありす「ほらっ、寝るにしても着替えてメイク落とさないと」
杏「んんー……」ゴロン
杏「……ねえ、ありすちゃん」
ありす「なんですか。着替えならそこにありますよ」
杏「そうじゃなくてね。ライブ、楽しかった?」
ありす「それは……」
ありす(そう問われて思い浮かんだのは、笑顔、歓声、そして応援の言葉。どれもが鮮明に記憶に焼きついています)
ありす(今でも、胸の奥がかっと熱くなるような熱が残っていました)
ありす「……楽しかった、です。すごく」
杏「そっか」
ありす(私がそう言うと、にっこりと杏さんが微笑みました)
杏「そんじゃ、着替えて行こうか」ムクッ
ありす「え、ああ、そうですね。早く撤収しないとスタッフの皆さんのご迷惑に……」
杏「違う違う。ライブが始まる前に約束したじゃん」
ありす「約束? いったいなんの……あっ」
ありす(言いかけて気づきました。私の反応を見て、杏さんはやれやれと肩を落としています)
杏「よっぽどライブに集中してたのかな?」
ありす「う……」
杏「あはは、まあしょうがないか。それとも疲れてる? また今度にしようか?」
ありす「いえ、行きます。せっかくですから」
杏「そ、じゃあ着替えて、プロデューサーに声かけて行こう。はー、疲れたから甘いものが欲しい」
杏「あ、そうだ。言い忘れてた」
ありす「はい?」
杏「デビューライブ、お疲れさま。いいステージだったよ」
ありす「――はいっ」
~後日 事務所~
モバP「さて、改めて……昨日はお疲れさま」
ありす「お疲れさまです」
杏「お疲れー」
モバP「ライブは盛況だったし、CDも予想枚数を遥かに上回った販売数だったよ。評判も上々だ。特に橘さんの話題が多い」
杏「へえ、よかったじゃん」
ありす「あ、ありがとうございます」
モバP「それで、ライブ後に回収したアンケート用紙とネットで昨日ライブの感想を調べたんだが……」
モバP「こっちがアンケートで、こっちがネットの方ね」バサ
ありす「わ、こんなに……?」
杏「おお、多いじゃん」
ありす「ええと……」スッ
杏「どれどれ」ペラペラ
『すごく良かったです。新人らしい初々しいありすちゃんと、それをフォローする杏ちゃんは見ていて微笑ましかったです』
『杏ちゃんがありすちゃん相手にお姉さんらしく振舞っているのを見て、新しい一面を知ることができました!』
『二人が並んでいるとなんだか姉妹みたいだなぁと感じました』
ありす「なんだか、アンケートの方も……」
『なんていうか、今回のライブ良かったよな』
『ああ。杏ちゃんってあんだけ小さいから忘れがちだけど17歳なんだよな。ありすちゃんに対する態度で思い出したわ』
『二人共キャラ的には正反対なのに仲よさげだったし。ありすちゃんも趣味がゲームらしいから、そこらへんで仲よくなったのかな』
杏「ネットの方も……それぞれ別々じゃなくて二人まとめての感想が多いね」
モバP「だろ? それでだ。こんな企画を持ってきた」
ありす「これって……ユニット? 私と杏さんのですか?」
モバP「そうそう。元々考えてはいたんだけど、今回の件で正式に通そうと思って」
杏「はー。ユニットねえ」
モバP「そういう声も多かったんだ。二人組みの活動をもっとみたい、とか、ユニットでの曲が欲しい、とか」
モバP「二人の仲も悪くないみたいだし、どうだろう」
ありす「わ、私は杏さんがいいならいいですけど……」
杏「仕事が増えるのは面倒くさい……ああもう、冗談だって。そんな寂しそうな目で見ないでよ」
ありす「べっ、別に見てません!」
杏「全くツンデレだなぁ。いいよ、分かった。杏もやる」
モバP「お、そうか。実はもう二人揃っての仕事を入れてあるんだ。今から詳細を持ってくるから、ちょっと待ってて」スタスタ
杏「気が早いな、プロデューサー」
ありす「……ユニット、かぁ」
杏「そうだね。なんやかんやで長い付き合いになりそうだ」
ありす「そう、ですね」
杏「まあ、これからもよろしくってことで。ゆるーくやっていこうよ」
ありす「だめです。やる以上で全力でやりますよ」
杏「うえぇ……やだなぁ」
ありす「……でも」
杏「うん?」
ありす「……たまには、ゲームするくらい、いいです、よ?」
杏「……今度また、オフの日にウチでゲームしよっか」
ありす「っ! はい!」
ありす(こうして、私の初ライブは成功を収め、さらには杏さんとのユニット「ストロベリィキャンディ」が結成されました)
ありす(急な展開に戸惑いもしましたが、努力を認められたような気がして嬉しかったです)
ありす(……それもこれも、仕事を取ってきてくれたプロデューサーと、レッスンをみてくれた杏さんのおかげです)
ありす(恩返しのためにも、これからもっと頑張らないといけません)
ありす(特に、一緒にユニットを組んでいる杏さん。杏さんは先輩アイドルで、既に多くのファンを得ています)
ありす(足を引っ張らないよう、精一杯仕事に、レッスンに、励まないといけません)
ありす(いけない……はずなんですが……)
ありす「杏さん! もうレッスンの時間ですよ! 早くいかないと!」
杏「……杏はほら、まだ寝てるからありすちゃん一人で行ってきていいよ」
ありす「ユニットでの曲のレッスンなんですから、杏さんもいないとだめですよ!」
ありす「ほら、早く布団から出て……くっ、抵抗をっ」グイーッ
杏「お、おおお……後輩による先輩いびりだ、ユニット内での不和の元凶だ……」ググッ
ありす「何言ってるんですか! もうっ、先輩なら先輩らしくしてください!」
杏「ほら、どっしり構えるのも先輩らしいかなって……」
ありす「これはどっしり構えるとは言いません! ただのさぼりです!」
ありす「もうっ! 少しは見直したと思ったのに!」
杏「杏は自分を曲げないよ!」
ありす「それは他の人の持ちネタです!」
ありす(……こうして、先行き不安なユニット活動は始まりました)
ありす(怠け者で、でも頼りがいもある先輩とのアイドル活動は、ちょっぴり楽しみで)
ありす(きっとこれから、大変なこともたくさんあるだろうけれど、楽しいこともたくさんあるんだろうと思えます)
ありす(そして私の予想通りこの後も色々なことがあったりもするのですが……それはまた別のお話)
終わり
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