水瀬伊織「ALICE」 (14)

「忙しい、忙しい」

 それが私の白兎の口癖。

「でも、嬉しい悲鳴なんでしょう?」

 そう言って笑う私に、困ったように微笑み返す。

 夢を見ていた。私は、アリスのつもりだったのよ。

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 不思議の国へとやって来て、一番最初に出会ったのが白兎だった。

 普段はおどおど、少しばかり頼りないけれど。

 それでも私がお願いすると、
 どこにいたってすぐに駆けつけてくれるそんな人。

「喉が渇いた」「お腹が空いたわ」
「私の退屈を紛らわすために、何か面白いことでもしなさいよ」

 どんな無茶を言ったって、必ず何とかしてくれる。
 気づけば、私の前にはいつも白兎。


「あら、アンタも気が利くようになったじゃない」

 私はただ、彼の作った道をなぞるだけで良かったの。服も、舞台も、何もかも。

 全ては私のためだけに、特別に用意された物。

 この世界の主役は私で、道案内は白兎。


「アンタも私に、感謝しなさいよね。
 追いかけるのが私じゃなきゃ、こう上手くはいかなかったハズだもの」

 私が祝福と喝采のスポットライトを浴びながら、
 名実ともに最高の輝きを得た時でさえ、彼はまだ遠い道の先にいた。

 そうして後を追う私もまた、いつまでもどこまでも進み続けるの。


 終わりなんてまだ見えない。

 私の方にも、終わらせる気なんてさらさらない。


「忙しい、忙しい」


 前を行く白兎の口は、いつもそうやって動いてた。

===

「だからね、アリス。ボクの考えを言わせてもらうと、白兎は少し働き過ぎだと思うんだ」

「うん、帽子屋の言う通りだよ。白兎さんだって、たまには息抜きぐらいしなくっちゃ」


 ある日呼ばれたお茶会で、帽子屋と三月ウサギが声を揃えてそう言った。

 いつも馬鹿騒ぎばかりしてる二人だったけど、
 この時ばかりは妙に真面目ぶってたことを覚えてる。

「……フン。二人とも、そんなことは大きなお世話」

 だけど私は、出されたお茶も飲まずに鼻で笑うと、

「白兎は、好きで『忙しがってる』だけなんだから。
 それよりもアンタ達こそお茶ばかりしてないで、少しは真面目にやったらどうなのよ」

 ぴしゃり、二人の意見を突っぱねて。
 それは私が年上の二人に向けて、そう言えるだけの力を持ってたからこそ。


 ……その頃の私にはもう、誰も逆らうことなんてできなかったのよ。

 どこまでも伸びる白兎の道に、際限なく大きくなる私の存在。自分が自分でなくなる感覚。

 周囲にいる人間誰も彼もが、私の一挙一動に慌てふためいて、ご機嫌取りに走り回って。

 それはまるで、まるで、そう……。


「こんな仕事、私のイメージには合わないわ」

「何よこれ? もっと私に相応しい役があるんじゃないの?」

「今更小さな仕事なんて、できないの! 
 アンタだって分かってるでしょ? そんなの、誰も望んじゃないことぐらい!」


 どんな時でも傍にいて、どんな無茶でも叶えてくれる白兎。
 私が呼べば、跳んで駆けつけてくれるそんな人。


「忙しい、忙しい」それが彼の口癖。

「忙しい、忙しい」それが彼の口実。

「忙しい、忙しい」それを最後に姿を消した。


 まるでアリスが夢から覚めた時のように、呆気なく訪れた幕引きだったわ。

 周囲から望まれるまま、期待に応え続けた結果。
 限界まで膨らんだ風船が、弾けて消えてなくなるように。

 彼もまた、膨らみ過ぎた風船だったのよ。
 皆が皆、期待をお腹に詰め過ぎたから。


 白兎はその日、弾けて消えてなくなった。

===

 あれから私のところには、次々と新しい白兎がやって来たものだったけど。
 どの白兎も、最初の彼には遠く及ばない。

 みんな足が遅いから、追いかける私にあっという間に捕まって。


「とてもじゃないけど、手に負えない」


 それが奴らの口癖。それが奴らの口実。
 だから私も、遠慮なく首を刎ねていく。

 今なら分かる気がするわ。彼は単に、私から逃げていただけなのね。


 追いかける私はただ、アリスのつもりだったのよ。

 伊織はね、ストイックだから伸ばせば伸ばすだけ伸びる子だと思うの。
 それがPの器量に収まるかどうかはさておいて、ね。

 以上。お読みいただきまして、ありがとうございました。

修正>>7
×「こんな仕事、私のイメージには合わないわ」
○「こんな仕事、今の私のイメージには合わないわ」

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