槙原志保「喫煙席のお客さん」 (28)
ランチタイムが終わって人が少なくなる昼下がり
最近、この時間になると決まってやってくるお客さんがいる。
ドアについたベルがからからとなって、私は出迎えにいく。
やっぱりいつものお客さんだ。
そのお客さんはいつも決まって
「いらっしゃいませ!」
「すみません、喫煙席でお願いします」
喫煙席に座るのです。
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混雑のピークは終わっているけど、ごはんを食べる時間じゃない
「えっと、コーヒー一つ、あと灰皿を。」
「はい!かしこまりました!」
そんな時間に、この人はコーヒーと煙草のためにここへ来るみたい。
コーヒーを冷ましながら飲んで、ぼんやりと外を眺めて、
「…ふぅー…」
ゆったりと吐き出した煙は換気扇に吸い込まれていく。
そうやってゆっくりと時間が流れた頃に帰るのです。
……もしかして、お仕事さぼってるのかな?
・・・・・・・
「ありがとうございましたー!」
「最近あの人よく来るねぇ。サボリに来てるみたいだけど」
「て、店長!そんなこと言っちゃダメですよっ!せっかく来ていただいてるんですから!」
「ま、タバコ吸ってくつろぎたくなる気持ちもわかるけどね。最近本当に吸える場所な減っちゃってさ」
「へぇー……」
どうやら、あのお客さんにとって、このお店は大事なくつろぎの場所みたいです。
自分の働いてる場所が誰かのお気に入りって、嬉しい。
「……ニヤついちゃって」
「えっ!?私いまニヤついてました!?」
私、顔に出るタイプなんだ…… 気を付けよう。
今日もドアのベルがからからと鳴る。
「いらっしゃいませー!」
「喫煙席でお願いします。あ、あとコーヒーと灰皿を。」
「かしこまりました!」
私もお客さんもすっかり慣れた様子で、一連の注文を済ませます。
コーヒーと灰皿を注文通りに出して、少し手が空いてしまいました。お客さんのいない時間はどうしても退屈です。
空席の方が多い時間。ついつい人がいるほうを見てしまいます。
「……ふぅーっ」
悪いものをいっぺんに吐き出したような煙はまっすぐ換気扇に吸い込まれていきます。
手元に置いてあるのはたばことライターとコーヒーだけ。だけど、とても満足そうに過ごしています。
すっかりくつろいでる…… スーツ姿だけど、何のお仕事をしてる人だろう?
忙しいランチタイムが終わるころ。もうそろそろ来る時間かな?
なんて考えているとドアベルが鳴りだした。
「いらっしゃいませー!」
「喫煙席でお願いします」
「はい!いつもありがとうございます!」
やっぱり。予想が当たってちょっと嬉しい。
「あ、どうも… 顔覚えられちゃいましたか」
「常連さんですから!ごゆっくりどうぞ!」
今日もコーヒーの湯気とたばこの煙が換気扇に吸い込まれる。
「いらっしゃいませー!」
「今日もいつもの席でお願いしますね。あと…」
「灰皿とコーヒーですねっ」
「おお… 完璧ですね」
「ふぅー……」
「お待たせしました!コーヒーです!」
「ん、ありがとうございます。……やっぱり仕事の合間にここ来るのいいなぁ…」
あー…やっぱりこの人……
「あのぉ…お仕事は…」
思ったことがつい、ぽろっと口からこぼれてしまった。失礼なことを聞いた、と思う間もなく
「ん!?ごふっごふっ!!」
お客さんはせきこんでしまった。
「ご、ごめんなさい!変なこと聞いちゃって!今拭く物を…」
「だ、大丈夫… あとね、仕事はちゃんとしてるよ!ただ、ちょ~~っと息抜きにだね…?」
「わ、わかりました!わかりましたから!えっと、服にはかかってないみたいですね、よかった…」
どちらにせよ、常連のお客さんとはいえ失礼なことをしちゃった… 何かお詫びしないといけません!
「お待たせしました!新しいおしぼりです!それと…お詫びのケーキです!」
考えた末に出した結論がケーキでした。もちろん代金は受け取りません。うちの店でも人気のショートケーキ、どうかこれで……
「えっ、わ、悪いですよ!コーヒーこぼしたくらいでそんな…!」
「いえ、どうか召し上がってください!本当にすみませんでした!」
コーヒーだけじゃなくて、やっぱりいきなり職業のことを聞いてしまったことがどうしても引っかかります。だからこそちゃんとお詫びをしたい。
「あっ、頭をあげてください!別に怒ってませんから!」
「そ、そうですか…?」
「あーっと、えーっと…じゃ、じゃあこのケーキいただきますね!」
お客さんはそういって慌ててケーキを食べ始めました。
「お、うまい」
「で、でしょう!?そのショートケーキ、オススメなんですよ!!生クリームとイチゴの組み合わせは最高なんです!!私も甘いものが大好きで!」
「そうなのですか。へー… うん、美味しい」
……ハッ!?何を捲し立ててるんですか私は!お詫びになってないじゃないですか!
「と、とにかく!そのケーキのお代は頂かないので!すみませんでしたー!」
遠くからこっそり様子を見ると、新しいたばこに火をつけていました。いつもなら背もたれに体を預けてのんびりとしてるのに、今日は腕を組んで何か考え込むように。
たばこの煙は口元でもわもわと漂っている。さっきのことを気にしているのかな。
はぁ…今日はやっちゃったなぁ…… あの人、もう来ないかも知れないなぁ……
・・・・・・
そんな不安を遠くへ吹き飛ばすようにドアベルがからからと鳴った。
「いらっしゃいませ!」
「いつもの席でお願いしますー。」
次の日、普通に来てくれた。気にし過ぎだったかな……
「先日は本当にすみませんでした!」
「いえいえ!美味しいケーキを食べられたしむしろ感謝してるくらいですよ!」
「そ、そうですか…?」
「ええ!ですから今日も何かおすすめのスイーツを聞こうかなーって思ってましてね」
「おすすめでしたらいーっぱいありますよ!個人的にはチョコパフェもいいけどチーズケーキも美味しいですね…」
どれも私の好きな味。美味しいって言ってもらいたいな。
「んー…よし!チーズケーキで!」
「かしこまりました!」
「…ふぅー」
そして今日もあの人はいつもの席でいつものように煙を漂わせます。
あの人の憩いの場所が私のおすすめでもっといい場所になりますように。
「おまたせしました!チーズケーキです!」
「来た来た。いただきます…… これもうまいなぁ」
「美味しいですか!?よかったぁ…」
私の好きな味がお客さんの好きな味になって、みんなが同じものを好きになる。
好きなものがみんな同じで同じ好きって気持ちをわかりあえたら
「……えへへ!」
自然と笑顔になれます。……やっぱり顔によく出るタイプみたいだけど。
「……!」
その日から、喫煙席のお客さんは
「いらっしゃいませ!」
「いつもの席でー…えっと、今日もおすすめお願いしていいですか?」
「はい!でしたらチョコレートパフェはいかがですか?」
おすすめのお客さんにもなった。
「ふぅー……」
席に案内してたばこを吸っている間に用意して、
「お待たせしました!チョコレートパフェです!」
吸い終わるころに私のおすすめをお出しする。
「お、ありがとうございます。」
お客さんにもっと私の好きなものを好きになって貰って
「うん、おいしい!」
「気に入って貰えてうれしいです!ふふっ!」
みんなが幸せな気持ちになってもらえるように……
・・・・・・
いつもと同じお昼過ぎにいつもと同じようにドアベルがなる。
「いらっしゃいませ!」
だけどいつもと違うことがある。
喫煙席のお客さんはいつもよりきっちりとネクタイをしめて、分厚い封筒を持っていた。
「槙原さん、少しお話を聞いていただけませんか?」
まっすぐに向いた、いつもと違う真剣な目線が私に突き刺さる。
「す、少しくらいなら……お客さんも今ちょうどいませんし……」
「では、今日は禁煙席で。」
「か、かしこまりました…」
やっぱり、いつもと違う。何の話をするつもりなんだろう。
席に座ると、お客さんは名刺を出してきました。
そこには、アイドル事務所の名前と役職である「プロデューサー」と書かれていた。
「槙原さん」
いつものお客さん、いいえ、Pさんは話しかけてきます。
「アイドルに興味はありませんか」
突然のことで理解が追いつかない。Pさんは何を言ってるんだろう。私は何を答えればいいんだろう。
「……あいどる?アイドルは当店では取り扱っておりませんが…」
目の前で起きていることが信じられず、冗談のような返答しかできません。
「いえ、あなたをアイドルとしてスカウトしたいと考えております。」
重みのある口調でまっすぐに言葉を投げかけてくる。とても冗談とは思えない。丁寧な言い方だけどなんだかよそよそしくて、少し怖い。
「い、いえ、その…アイドルって、なんで私が…?」
「私たちは魅力を秘めた人材を集めているだけです。私は、あなたにその魅力があると感じてこの話を持ってきました。」
理由になっているようでなっていない。私が聞きたいのはそういうことじゃない。
「そ、そうじゃなくて……」
あまりにも突然で言葉がうまく続かない。どうしてちゃんと言葉が出てこないんだろう。
「……突然のお話で混乱させてしまい申し訳ありません。何も、今日この場でお返事を頂こうと思っているわけではありません。」
「弊社の資料をお渡ししますのでご検討のお願いをしに来た、といったところです。また後日に参りますので、そのときにお返事を頂ければ、と考えております。」
いつもと違う、いやに丁寧な話し方で説明してくるPさん。私はそれに圧倒されてしまい「わかりました」と一言返すので精一杯だった。
その日はコーヒーの湯気もたばこの煙も換気扇は吸い込みませんでした。
・・・・・・
家に帰ってPさんから貰った資料を見てみました。資料には事務所の大きさ、芸能界の華やかさ、レッスン期間のことがびっしりと詰まっています。アイドルという遠い世界に思えていた存在が、一気に現実となって覆いかぶさります。
その実感とともにPさんの言葉が現実の重さをもって、もう一度私の胸にのしかかってきたような気がします。
その反面、アイドルとしてスカウトされたことを前向きに考えている自分もいます。かわいいと思われたのかどうかはわかりませんが、Pさんは「魅力がある」と言ってくれた。それだけで顔が熱くなってきます。
……今のアイドルってどんな子がいるんだろう?もし私が本当にアイドルをするならどんなアイドルになるんだろう?ベッドに寝転んでスマホで動画サイトを開きます。
手のひらに収まる画面にはとても収まりきらないまぶしい世界が映し出されました。
笑顔の可愛い子、クールでかっこいい子、元気いっぱいに盛り上げる子。どの子も魅力いっぱいに輝いています。
そこからはもう夢中でした。ライブ映像、CM、バラエティまでアイドルの動画を探し続けます。アイドルはみんな自分の個性を生かして輝いています。それはファッションだったり、性格だったり、みんな自分の世界を持っています。私はアイドルたちの個性豊かさにとてもわくわくさせられました。
でも、ひとつ気になることができました。私の個性って、私の世界ってなんだろう?
ウェイトレスとして働いていること?それとも甘いもの、とくにパフェが好きなこと?
どれも私の好きなことだけど、アイドルの世界で輝く魅力!と言い切るには物足りないんじゃないかな。
Pさんは、たばこを吸いながら私のどこを見てたんだろう?
禁煙席のPさんは教えてくれませんでした。それなら……
・・・・・・
数日後。
からんからんとドアベルが鳴って今日もお昼過ぎに来てくれました。
「いらっしゃいませ!」
「今日は、スカウトのお返事を頂きたくて参りました。なので禁煙席で…」
今日のPさんも丁寧だけどどこかよそよそしい。これじゃ前の日と同じになっちゃう。
「いえ!」
だから私は
「えっ?」
「今日は、喫煙席でお話しませんか?もちろん、吸っていいですよ!」
喫煙席に座るPさんとお話したい。
「……よし、わかりました。なら喫煙席でお願いします。それとコーヒーを。」
「はい!かしこまりました!」
コーヒーを用意している間にPさんはたばこをくわえて煙を吹いていた。
「ふぅー…」
一息ついた頃を見計らってコーヒーを持って行く。おすすめを聞く前の本当に初めて来た頃のように。
「お待たせしました!コーヒーです!」
「おっと、ありがとうございます。それじゃ早速だけど、お返事を聞かせて頂けますか?」
向かいの椅子に座って、本題に入りました。よそよそしさがなくなってリラックスしてるときのPさんの雰囲気で、やっぱりこっちのPさんのほうがいいかな。
「まだ答えを出せません。その前に、聴かなきゃいけないことがあります。」
「何ですか?何でも聞いてくださいよ。」
今のPさんならきっと答えてくれる。間違いない。
「どうして、私をアイドルにしようと思ったんですか?」
「その前に、どうして喫煙席なのか理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「理由、というほど大したことじゃないんですけど… 禁煙席にいるときのPさんはとっても丁寧で、お仕事に真面目な人なんです。」
「それならなおさら禁煙席の方がいいのでは?」
「いえ!私は、いつも私と接していた喫煙席のお客さんとしてのPさんとお話したいんです!」
「あー…… この間のときが固すぎた、ということですね。」
「だから、もう一度聞いてみたいんです。Pさんは、私をアイドルにしたいんですよね。私にはその魅力があるとも言ってくれました!」
喫煙席で普段私を見ていたPさんに、一番大事なことを問いかけます。
「Pさんは、私の魅力って何だと思ったんですか?」
「Pさんは、私の魅力って何だと思ったんですか?」
「……わかりました。確かにもっと早く話さなきゃいけないことでしたね……」
Pさんは煙とともに話し始めました。
「この店に初めて来たときは、アイドルとしてスカウトする気はなかったんですよ。可愛い子がいるけど何か、何かもうひと押し欲しいと思ってました。」
「ですが、おすすめのスイーツを注文したとき、あなたはとても楽しそうに話していました。それに、美味しいと言うと、本当にうれしそうに笑うんです。」
「……それだけ、ですか?」
思っていたよりもずいぶんと簡単な理由でした。それともアイドルのスカウトって案外こんな理由でいいのかな。
「スカウトしよう、と思わせるには十分すぎるものです。あなたにはそれだけの魅力があります。」
「だ、だけど…私はただのウェイトレスで、アイドルのみなさんみたいに生かせる個性も、せいぜい甘いものが好きってくらいで……」
「まさに、それです。」
「えっ、どういうことですか?」
「あなたは自分の好きなものをおすすめとして教えてくれます。自分の好きなものを誰かと共有したい、一緒に好きになってもらいたいという気持ちで動くことができる人です。」
「そして誰かが同じものを好きになってくれたとき、あなたの世界が広がった瞬間のあなたは最高に輝けるのです。」
「甘いものが好き、それだけで十分な個性で、個性はそのまま自分の世界となります。好きなことを共有することに喜び、笑顔になれる。それはもうアイドルの才能と言うほかありません。」
残り少ないコーヒーはとっくに冷めきっていて
「だから槙原さん」
たばこの火は消えて煙は換気扇が吸いきってしまいました
「あなたを、アイドルとしてオーダーしたいのです。」
そして、私は━━━
・・・・・・
「フランメ・ルージュ、揃ってるな!」
「アタシもみんなも、もう準備万端だぜ!」
「ん?……Pさん、タバコ臭いよ!またサボってタバコ吸ってた?」
「い、いや!サボってたわけじゃないぞ!ちょっと息抜きにだね…!」
「Pさん!ご注文は?」
「ん?じゃー、おすすめを!」
「はいっ!」
甘―いスマイル、届けてきますっ♪
おしまい
槙原さんはいいぞってことを考えてたらこうなりました。
お付き合いありがとうございました。
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