モバP「舞踏会の帰り道」 (11)

彼女は青いキャリーバックに腰を預け、女子寮を見上げていた。
まだ建てられてさほど時間の経っていない女子寮はほとんど歴史を持っていない。
しかし彼女にとってそこは四年間を過した場所なのだ。多少なりとも思い入れというのがあるのだろう。
一時期は数十人のアイドルが住んでいたここも立ち退きが進み、僅かに残っている人も既に引越し先が
決まっている。もうじきここは誰もいなくなるのだ。

「雪美、待たせたな」

声をかけると、彼女は振り向き、立ち上がった。
腰元まで伸びている黒い髪と膝まであるスカートとはスカウトした時からあまり変わらない。
ただフリルやリボンの付いた可愛らしい服よりかは何も着いていないこざっぱりとした服を着るようには
なった。

「大丈夫……」
「忘れ物はないか?」
「うん……」
「よし、じゃあ駐車場に」
「ねぇ……P……」

今度は俺が振り向く。彼女は駐車場ではなく、プロダクションの正門の方角を指した。

「歩いて……行こ……」
「時間はまだ余裕あるか」
「うん……」
「そうだな。なら、歩くか」

俺は歩みかけていた足を正門に向ける。それにキャスターのガラガラ鳴る音が続いた。

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学生達の夏休みが始まり、少し経つ。あと幾日もすれば八月だ。夏の熱い日差しがコンクリートを
焼きつけ、少し先では陽炎が揺らめいている。天気は快晴。空には雲ひとつなく、今日も真夏日に
なるだろう。かつての俺ならばこんな日でもスーツであったが、今はワイシャツでネクタイもせずに
歩いている。

隣を歩く雪美を見る。彼女は昔から暑いのが苦手だ。コンクリートで照り返しの多い都会では余計に
暑く感じる。バッグを引く彼女の頬を汗が流れる。日陰も少なく、日傘など当然持ち合わせていない。
せめてバッグを代わりに持とうかと考えていると、彼女がこちらの視線に気付き、小さく微笑む。

「大丈夫……。このぐらいなら……」
「そうか? せめてバッグくらい持とうか?」
「平気……」

駅までは彼女の足でも歩いて十五分ほどだ。大した距離があるわけでもないし、彼女自身この道を今まで
何度も歩いてきた。問題はないのだが、こうやって真夏に一緒に歩くということはなかったので
やはり気になってしまう。せめて帽子でもあればと思ったが、ないものはやはりない。もしも次があれば
帽子か日傘を用意するところだが、おそらくそれもないことだ。

「看板……」

彼女が立ち止まり、少し見上げる。前まではアイドルの写った化粧品会社の看板があったが、今は商品
だけが写っている。いつ差し替えられたのかはわからない。

「ああ、あそこも変わっちゃったな」
「みんな……変わっちゃうの……?」
「そうだな……。全部でなくてもほとんどのが変わるだろうな」

かつてこの世界はアイドルという存在に熱狂していた。一つのブームという枠を越え、時代をも
揺り動かすような巨大な流れが存在していた。しかしそれはある日、とある事件をきっかけに唐突に
終わってしまった。白熱したアイドル競争の果てに生まれたその事件は世界をアイドルという夢から
覚ませてしまったのだ。どこにでもいたアイドル達の姿は今となってはほとんど見られない。各地に
あったアイドル事務所は次々と閉鎖し、業界でトップクラスの我がプロダクションでさえ、アイドル
部門は全盛期にに比べれば存在しないに等しいほど縮小した。多くのアイドル、そしてそれに
魅了された者達にかかっていた魔法は雲散霧消してしまったのだ。

「Pは……これからどうするの……?」
「うーん。当面は後処理業務に追われるだろうけどそれが終わったら……クビになるのかな……」
「プロデューサー……やめちゃうの……?」
「アイドルに対してプロデューサー業務してる奴が多すぎるからな。結構な数の元プロデューサーが
 路頭に迷うことになるんじゃないかな」

あのプロダクションは様々な分野に手を広げている。もしかしたら全くの別分野ではあるが雇用される
可能性はある。しかし今回の騒動で失職予定の人間の数は十人やそこらの話ではない。全員に新しい職が
斡旋されるのは難しいだろう。身の振りを考えなければいけない。

今回の決断に対して異を唱え、独立したプロデューサー達もいた。自分の担当していた人気のある、
しかし今回引退になったアイドル達を連れていったようだがあらゆるツテのある大手ですらこうなった
現状、成功はしないだろう。俺にはそんな博打を打てないし、アイドル達にも打たせたくなかった。

「Pは……心残りが……ある……?」
「そりゃあな。トップクラスのアイドルに出来てたら、まだアイドルも続けられていたわけだし」
「私はね……満足してるよ……。この四年間……とっても楽しかった……。Pと……みんなと……
 一緒にいれて……一緒にアイドルが出来て……楽しかった……。だから……満足してる……」
「そうか。ありがとな」

歩きながら雪美は静かに話す。昔と変わらない語り口。相変わらずキャリーバッグはガラガラとうるさい
のに不思議と雪美の声はよく聞こえた。

「Pは……魔法使い……。シンデレラに……ドレスをあげた人……。もしもシンデレラに……
 私がなってたら……魔法は解けて……ガラスの靴を落として……探しに来た王子様と……一緒になる……。
 そうしたら……Pと一緒に……こうして歩けないから……。だから……これでいい……。
 それに……みんながシンデレラだったら……階段は……ガラスの靴だらけ……。帰りも……
 カボチャの馬車で……渋滞しちゃう……。きっと……最初からシンデレラは……ほんの少しだけ……。
 だから……ね?」
「……確かにそうだな。舞踏会の参加者がシンデレラだらけだったら大変なことになるな。
 階段があっという間に新宿駅だ」

そう言って顔を見合わせ二人で笑った。今まで俺は心の中で後悔をしていた。彼女達をスカウトしたのに
その夢を叶えることが出来ず、中途半端な形で引退させてしまう。俺のせいで彼女達の人生に多大な、
しかも悪い影響を与えてしまったのではないか? そんなことをずっと考えていた。だが今、こうして
彼女と話し、彼女の笑顔を見て、俺の心は少しだけ軽くなったのを感じた。担当していたアイドルがみな
雪美と同じ思いであるかはわからない。だけど一人でもそう思ってくれているのならば、救われた気持ち
になれる。

気付けば目的地の駅のすぐ傍だった。

駅は相変わらず混雑している。俺たちは改札口から少し離れた場所に立って、最後の挨拶をする。
しかし俺は言葉を切り出せずにいた。言葉が見つからないのか、それとも言葉を交わして彼女と別れるのが
嫌なのか。時間だけが少しずつタイムリミットへと迫っていった。

「私……東京の高校に……進学する……」

雪美が少しだけ声を大きくしながら宣言をする。彼女は今十四歳だ。
高校進学というのもそう遠い未来というわけではない。

「そうしたら……Pと一緒に……」
「だめだ」

俺は彼女の言葉を遮る。

「雪美はこの東京で四年間過した。十代の、しかも小学生の頃を含めた四年間というのは雪美が思う以上
 に大きな時間だ。あとの中学校生活は当然として、高校も地元のに進学しなさい。両親が寂しがるぞ」

一般的な事を言えば、親からすると刻一刻と成長する自分の娘の姿をその目で見れないのは寂しいもの
だろう。しかし彼女の場合は少し事情が違う。両親は共働きで家を空けることが多く、クリスマスすら
彼女は一人で過していた。寡黙な彼女は胸中の思いを自分のペットにしか明かさず、後になって俺に
その思いを教えてくれた。

連鎖して彼女との思い出が蘇って行く。風鈴の音に耳を澄ます彼女。メイド服を着て、パフェを必死に
なって運ぶ彼女。一緒に初詣に行く晴れ着を来た彼女。ベンチに座り、ハーモニカを練習する彼女。
サンタにお願いの手紙を書く彼女。みんなを応援するため、大きな声を出そうとする彼女。
アイスを頬張る彼女。魂が繋がっているという彼女。迷わないために手を握ってと約束する彼女。
寂しくないよという彼女。

彼女を帰すのは正しいことなのか?
彼女が東京に進学するのに反対するのは間違いなのではないか?
彼女は地元に戻ったら、またあの寂しそうにしている彼女に戻ってしまうのではないか?
そんな思いが去来する。彼女に寂しい思いをさせたくはない。だが俺に何が出来る。
これから失職するかもしれない俺に何が出来るというんだ。

俺はおくびにも出さず、彼女の説得を続ける。

「それにさ、ペロだって寂しがるぞ」

ペロの名前を出すと難しい顔をしていた彼女の表情が和らいだ。彼女の大切な友人である黒猫のペロは
女子寮には来なかったのでたまに実家に帰ったときにしか会っていない。この名前を出せば彼女も折れる
だろうと思う反面、両親よりもペロのほうが彼女にとって感情を動かすだけの説得材料になることを
悲しく思った。

「大丈夫だよ。離れたって魂は繋がってるだろ?」
「……うん」

最後の言葉が後押しになったのか、彼女は首を縦に振り、表情も明るくなった。彼女からこの言葉を最後に
聞いたのはいつだっただろうか。自分から使うことはないだろうと思っていたが、まさか口から勝手に
出てくるとは思わなかった。これはき自分にも言い聞かせているのだろう。離れても魂は繋がっている。
彼女はきっと寂しくない。

腕時計を見る。丁度良い時間のようだ。

「雪美。元気でな。メールとかいつでもしていいからな」
「うん……毎日百回くらい……する……」
「いや、そこまでしなくていいから」
「冗談……ふふっ」

下らない言い合いをして引き伸ばせる時間はない。名残惜しく思いながら離れて行く彼女を見送る。
しかし少し離れたところで彼女は早足で戻ってきた。

「ゴミ……髪に……」
「ん? ああ、すまない。取ってくれ」

良く気付いたなと思いながら、彼女の目線と同じくらいまで屈む。彼女はキャリーバッグから手を離し、
両手で俺の頭を掴み、顔を近づけてくる。俺が何かを言うよりも早く、頬に柔らかい感触がした。そして
耳元まで静かに囁く。

「魂は……繋がってる……。あなたの思い……私には……わかる……。
 私……待ってるから……寂しくなる前に……連れ戻してね……?」

そう言うと彼女は小さく手を振って、振り返らずそのまま駅の改札口の人ごみへと消えて行った。
雪美からも俺からも別れの言葉を告げることはなかった。呆然としながら彼女が口づけをした頬を撫でる。

かつて膝の上に乗りたがる少女だった佐城雪美もいつの間にか大人になっていたんだ。
そんなことを今更ながら実感した。

以上

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