モバP「遊佐こずえのプロデュース」 (27)

#1

――おはよう、母さん。

 2階から降りてきた私の呼びかけに母は応えなかった。
 彼女は食卓に顔を埋めたまま、静かに寝息を立てるだけでそれ以上は動かない。
きっと昨晩もずっと咽び泣いていたのだろう。

――もういい、もう泣かなくていいよ母さん。もう今日で俺、プロデューサー辞めるから。

 テーブルに伏した母の身体にタオルをかけてから、自分の支度を済ませる。
それから昨日書いた辞表を鞄に収めると、私は職場へ向け、家を後にした。

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#2

「おはようございます。――やっぱり来ましたね。それで……少しは落ち着きましたか」

 その言葉に何か引っ掛かりを感じたものの、職場の事務員さんの気遣いに、私はなるべく元気に「はい」と答えた。


「それは良かった。でも、その封筒……今しばらくは出すのを控えてもらえないでしょうか」

 辞表の事は何となく悟られているだろうと思ったが、今更引き止める理由などあるのだろうか。こちらの事情は十分承知のはずなのに。

「ちひろさん。もう俺にはアイドルをプロデュースする資格はありません。
 自分の担当アイドルの……いえ、一人の女の子の未来を奪ってしまったんです」

 感情を抑えたつもりで絞り出した声は、自分でもそれと分かるほど震えていた。

 事務員さんから目を逸らしたくて見やった先には写真立てが飾られており、そこにはあの子の眩しいくらいの笑顔が写っていた。
ちょっと生意気な表情ではあるが、その微笑みがとても輝いていたからこそ、今の私に落とされた影は、より濃いものとなっていた。


「分かっています。私はあれは事故だと思いますし、あなたは何も悪いことはしていないと思います。
 それでもあなたは自分のことを、これからも一生責め続けるでしょうね。

――だから、そんなあなたのせめてもの救いになればと思って、一つお願いしたいんです」

「それは一体どういう…」

#3

「ふわぁ…あなたがわたしのぷろでゅーさー…?」

 生暖かいような感触が私の手の中に、いつの間にか滑り込んでいた。
ギョッとして下を見ると、それは小さな女の子の手だった。声の主も彼女である。

 白い肌に白い髪の毛、宝石のような瞳、まるで人形のような女の子だったが、確かに彼女は生きていた。
そして事務員さんは淡々と説明した。

「名前は遊佐こずえ。今日からあなたの担当アイドルです。

――こずえちゃん、こちらPさん。今日からあなたの担当プロデューサーよ」

#4

 あまりにも突然の出来事だったので、私は頭が真っ白になっていた。
しかし、この手に握られた小さな温かみが、私の脳裏にあの悪夢……いや、紛れもない現実を思い出させる。

 私はたまらずこの子の手を振り払った。

「わぁ…ぷろでゅーさー?」

「酷い、あなたは鬼だ……いや悪魔よりも残酷だ。これが救いだって? 俺が欲しいのは気休めなんかじゃありません。
今の俺の気持ちを知っているのなら尚の事……」

「これは、あなたの自分自身に対するけじめでもあります」
事務員さんははっきりとそう言った。

「近々、この子にぴったりのお仕事の、オーディションがあります。

 こずえちゃんの仕事が成功すれば、あとは辞めるも辞めないもあなたの自由ですし、
きっと自分の活動を全うできなかった、あの子への手向けにもなるでしょう」

 事務員さんの言葉に、私はそれ以上反論できなかった。

「こずえとー…ぷろでゅーさーとー…いっしょにおててつなぐぅ。……てがつめたいひとはねぇ……やさしいんだってぇー」

 優しい、そんなわけない。そう思いつつも、私はこずえの小さな手を取って、事務所を後にした。

#5

「ぷろでゅーさーは…どうしていつも…かなしそうなかおをしているの…?」

 仕事の台本を読み終えたこずえが私にそう訊いてきたのは、彼女が私の担当アイドルになってから一週間が過ぎようとしていた時だった。


 こずえは見た目にも言動にも、歳に似合わぬ幼さがあったものの、トレーニングなどの
呑み込みの早さは年上アイドル顔負けで、どんな訓練も音を上げずに黙々こなしていた。

 余計な詮索はされたくなかったが、ひとまずここまで文句を言わずについてきてくれた事には応えないと……
いや、本当は誰かに自分の本当の気持ちを打ち明けたかったからなのかもしれない。

 私はこずえにこの前の事故について、全てを話すことにした。

#6

「こずえの一つ前に、担当していたアイドルがいたんだ。
 こずえとはまた違った魅力を持っていて、でもその子も今のこずえみたいに一生懸命だった。

 だけど、私がこずえと会う少しに交通事故に巻き込まれてね……死んでしまったんだよ」

 こずえは何も言わず、ただ黙って私の言葉に耳を傾けてくれていた。
 彼女が私の話を理解してくれるかどうかなんて、分かりもしなかったが、こう話し出してしまっては最後。
――口は止まらなかった。

「その日予定していた仕事は彼女にとって、とても大きなチャンスで、それはもう張り切っていたんだ。

――でも、その日の朝は台風が近かったのもあって、大雨だった。

 だから本当は、先方には謝ってその仕事を断るべきだったし、
彼女に一生その事で恨まれたって良いから『次があるさ』って諭すべきだったんだ。

 でも、私も彼女の気持ちに応えたくって……いや、もしかしたら私だけが焦っていたんだろうな。
――私があの子を殺したんだ」

私なのか俺なのか

 半月近く経過したが、その時の事だけは、今でも鮮明に覚えている。
――土砂降りの交差点。横転したトラック。歪んだ社用車。

 大粒の雨の中、辛うじて見えるのは赤に塗れた自分の手と、それが伸ばされた先に横たわる彼女の身体。
頬を伝う雫は次第に血と涙の生暖かさに変わり、サイレンの音が大きくなるにつれ、私の意識は遠のいていった。



 それから目が覚めた時には、すべてが済んだ後だった。

 自宅の階段を降りたら、今や当たり前のような光景となった、食卓に突っ伏した母の姿。
人殺しを息子に持って、さぞかし肩身が狭いのだろう。彼女は現在もなお、毎晩そこで泣き続け、毎朝そこで寝ている。

 本当は気になる新聞もテレビも、事実が受け入れられなかったのか、今日この日まで一切目を通していなかった。

#7

「話してくれてありがとう、プロデューサー。もう、自分を責めなくていいんだよ」
 こずえが今までとは全く違う雰囲気でそう喋ったのは、彼女が見事勝ち取った仕事の、本番直前だった。

「こずえ? お前……」

「じゃあ、いってくるね……?」

 口調がまたいつもの調子に戻ったものの、こずえは自信満々でスポットライトの下へと躍り出ていった。
その姿は、あの子とはまた違った、だけど負けないくらい輝いている、まさにアイドルであった。

「ひと月するかしないかのうちに、ここまで輝けるだなんて……彼女の未来は順風満帆……だといいな」

――どうやら、今を以て満たされたらしい。
 私は安堵の溜息をつくと、そのまま舞台裏の壁へともたれかかり、崩れ落ちた。

#8

――プロデューサーさん。全部理解してくれたんですね。
ボクはプロデューサーさんの事、恨んでなんかいませんからね。むしろボクの為に頑張ってくれて……感謝していますから。

――ごめんなさい、ごめんなさい、Pさん。


 気づけば、そこには死んだはずの幸子の姿があった。杖突いて、包帯巻いて……ちょっと痛々しい様だが無事なようで何よりだ。

「おや、幸子じゃないか……おかしいな幽霊かな。いや違う……幽霊が松葉杖なんてつくわけないよな……」

 冗談めいたことを呟きながらも、私の表情はどこから安らかだったと思う。
後ろを見ると、もたれかかっていた壁には赤い軌跡が。そして前を見ると、私の手には徐々に血がにじみ出てきた。

「幸子……泣いているところ悪いけど、ちひろさん呼んでくれないかな。

 こずえの晴れ舞台を観たいんだけど、……身体が言う事聞かなくってさ……

 それが終わったら今度は俺、お前の仕事っぷりも観たいなぁ……」


 そうして意識が途絶える前、事務員さんの声がどこかから聞こえてきたような気がする。
「遊佐こずえちゃんのプロデュース、完了しました」、と。

 しかし今の私にとって、それはもはやどうでもいい事だった。

<了>

HTML化依頼しました。
元ネタはブルース・ウィリス主演のアレです。

>>12
地の文、こずえに対しては「私」
P母、ちひろ、幸子に対しては「俺」で使い分けしてます。

短いお話でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年12月17日 (木) 03:18:21   ID: TTewWUh5

小林の方が生きてたって事だな。

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