藍子「Summer days rhapsody」 (47)


「おっはよーあーちゃん!」

「おはようございます!!!! いい天気ですね! 藍子ちゃん!」

「おはよう。未央ちゃん、茜ちゃん」

 全員が夏休みに入って最初の日。私達は朝から事務所に集まっていた。
 場所は私がいつも居るところと違って、今日は未央ちゃんの部署。

「おう、揃ったか。おはようさん」

「おはよ、ヤーさん!」

「おはようございます!!」

「おはようございます」

 私が来てすぐにドアが開いて、厳つい男性が入ってきた。
 真黒なスーツを着て、スキンヘッドにサングラス。名前は原里司。通称ヤーさん。
 この人が未央ちゃんのプロデューサーにして、CGプロのパッション部門担当だ。

 このあだ名は最初はどうかと思ったけど……原さんは本人曰く「ワイングラス片手に脚組んでるような女と一緒にされてたまるか」という理由で却下。
 名前呼びもモ○スターボ○ルを持っていそうだから駄目らしい。
 他の呼び方に比べたらこっちのほうがマシだからということで、ヤーさん呼びに落ち着いている。

「今日はなにがあるの?」

「ポジパの夏の予定だ」

「えーなにそれ私リーダーなのに聞いてない!」

「大したことじゃねぇからいいんだよ」

「そっかー、んじゃいいや」

 ヤーさんが未央ちゃんとやり取りをしながら、私達の正面のソファにどかっと座り込んだ。

「さて、お前達の夏の予定だが……」

 未央ちゃんと茜ちゃんが身を乗り出して――

「新曲と学園祭。以上」

「「……へ?」」

 簡潔に告げられた内容に、肩透かしを食らったような反応になった。


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「メインユニットでもないし、そう予定を詰め込むわけにもいかんだろ」

 私達『ポジティブパッション』は、パッショングループの中で部署やプロダクションの垣根を越えて結成された最初のユニットだ。
 私にはソロに加えて、卯月ちゃん、美穂ちゃんとのユニット『パステルガールズ』、未央ちゃんにはソロ活動と『ニュージェネレーション』の活動がある。
 茜ちゃんは所属しているプロダクションが違って、そっちの方で『チアフルボンバーズ』で活動がある。
 ポジパはその合間を縫って活動をするイベント事のみの特別ユニットのようなもので、メインの活動に比べたら優先度は低くなる。

「それにな、日野は今年受験生だろ?」

「はい! 頑張って推薦をもらいますよ!」

「まあとにかく、受験生なわけだ」

「そうですね!」

「それでいい」

 微妙に話がかみ合ってない気もするけど、ヤーさんは気にすることなく押し切った。

「せっかくの夏だ。高校生のうちに遊んで、青春しとけ。多少ならスケジュールもこっちで押さえてやる」

「えっ、いいの?」

 未央ちゃんの心底意外そうな声に、ヤーさんが顔を顰める。

「あ? おい本田、オレをどんな風に思ってんだ? それとも朝から朝まで労働漬けの素敵な夏休みが欲し――」

「わーお休み嬉しいなーヤーさん大物ー!」

 言葉を遮って、見事なまでの棒読み。

「さあさあ! というわけで行こっか! 善は急げだよ!」

 誤魔化すように明るく言いながら、私達の手を掴んで立ち上がった。

「え? ちょっと未央ちゃん?」

「ちょっと青春してきます!」

「青春! いいですね!」

「あ、おい、お前ら……仕事の詳細勝手に決めるからな!?」

「任せた!」

「お願いします!」

 ヤーさんの宣言でも、未央ちゃんと茜ちゃんを止めることはできない。
 というか、いつの間にか二人に手を取られて私が引っ張られていた。

「えっと、す、すみませ~ん!」

「後でメール見とけよ!」

 ほとんど怒鳴るような声を背中越しに聞きながら、ドアから廊下に出た。


「もう! 未央ちゃんっ!」

「あはは、ごめんごめん」

 部屋から離れて立ち止まったところで、未央ちゃんに抗議する。
 うん、全然反省してない。

「ヤーさんに任せておけば大丈夫だって」

「そうですよ! ヤーさんはすごいですから!」

 明らかにまだ話し合うことはたくさんあった様子だったのに。
 二人とも、面倒になったんだろうなぁ……
 実際、ヤーさんに任せておけば間違いはないんだけど、それはそれで問題なんじゃないかって未央ちゃんを見ていると思ってしまう。

「後で埋め合わせはするんですよ?」

「わかってるって! それで、これからのことなんだけどさ――」

 こう言ってるんだから、あとは未央ちゃんに任せよう。
 未央ちゃんのプロデューサーなんだし。

「買い物行って、カラオケ行って、お祭り行って、花火をして! 夏休みを満喫するよ!」

「いいですね! 他にはどこに行きましょうか!? 海ですか!? 山ですか!?」

「ちょっとストーップ!」

 慌てて二人の間に割って入った。
 この二人なら全部やりかねない。

「今から行くんだろうけど、ちゃんと計画を立てなきゃ。時間も限られてるんだから」

 本当に、無計画だと大変なことになってしまう。
 時間も、私の体力も。

「じゃああーちゃんに任せた!」

「やっぱり……」

 ここに計画性を持ち込んだら、私の担当になるよね……
 まだ朝だし、まずはある程度やることを決めておかないと。

「最初はどこかで座ってお話ししよっか」

「よーし! では――」

「ゆっくり歩いて。ね?」

「はい……」

 さて、近くにあってある程度騒がしくしてもいいところを考えないと。


「っぷは~!」

 茜ちゃんが紅茶を豪快に飲んで、カップをテーブルに置く。
 最初の行先は、駅の近くにあるチェーン店のカフェにした。
 ここなら、そこまで周りを気にする必要もない。

「ふぅ……」

 未央ちゃんも少しずつストローを吸いながら、気が抜けたような表情をしている。
 一度座らせてしまえば、クールダウンは早かった。

「はい、それじゃあ今後の予定について決めていきたいと思います」

 私の声に、二人の視線がこちらを向く。

「ショッピングとカラオケは今日行けるとして、夏休み中にどこかに遊びに行きたいよね?」

 私が話している最中に、未央ちゃんと茜ちゃんが顔を見合わせて頷いた。

「「海!」」

 声を合わせて元気よく答える。

「遊園地とか、他に行きたいところもあるんじゃないかな?」

「海」

「海!」

「ほら、茜ちゃんは山にも行きたかったよね? ハイキングとかキャンプとか」

「……藍子ちゃんの水着!」

「あーちゃんの水着姿」

 海にこだわる理由はそれかっ!
 このままだと、今日の買い物も着せ替え人形になりそう……

「ご飯つくったり、星空見たり、川に行ったりできるよ?」

「……一日中水着の方」

「……一日中泳げる方!」

 どうやっても意見を曲げる気はないみたいだ。

「……一応聞いておくけど、海がいい人?」

「「はいっ!」」

 勢いよく手が挙がった。
 多数決だからこれで決定だ。

「はぁ……」

 海、かぁ……行くこと自体はいいんだけど……

「ため息つくと幸せが逃げるよ?」

「未央ちゃん幸せを返して」

「それより今日は水着も買いに行かなきゃ」

 あ、これなにを言ってもダメなやつ。
 もう覚悟を決めて行くしかないか。

「その前に、ちょっと遊んで行かない?」

 ちょっとだけ、先延ばしにはするけど。


 様々な電子音が入り混じって耳に入ってくる。

「よし、よし、よし、よし! 来た!」

 隣から未央ちゃんの興奮した声が聞こえた。
 軽いものがたくさん落ちる音も。

「いや~まさかタワーが崩れるとはね」

 しゃがんでお菓子をバッグに詰めていく未央ちゃんから、視線を反対側に移す。

「むむむむ……おりゃ! ああっ!」

 茜ちゃんは上の段に落としてしまったようだ。
 頭を抱えて叫んでいる。
 私も、タイミングをしっかり掴んで――

「あっ……」

 制限時間が過ぎたのか、クレーンですくったお菓子がポロポロと落ちてしまった。

「あ」

 運よく下の段に引っかかったものがあって、戻ってきた上の段に押される。
 だんだん淵に近づいて行って……

「ふぅ」

 端からひとつ、下に落ちた。
 一応取れてよかった。
 取り出し口に手を入れて、小さな箱を手にする。
 パッケージを見ると、普通のミルクチョコレートだった。

「うん、おいしい」

 口の中に甘い味と香りが広がる。
 ひとつだけだし、この場で食べておくことにした。
 せっかく私が自分で取ったんだから。

「ああああなんだか納得いきません! もう一回!」

「ああほら日野っち、私が取ったのをみんなで分けるからさ!」

 また一〇〇円を入れようとする茜ちゃんを未央ちゃんが止める。

「さっきはちょっと慣れてなかっただけですから! 次こそは大漁なはずなんです!」

「えーと……あっちのエアホッケーを一回余分にやった方が長く遊べるよ?」

「次はそれをやりますか!? 負けませんよ!」

 止め、たんだよね……?
 代わりに別の方向に全力で走り出した気しかしないんだけど。

「まずは総当たりからですね!」

「まずは……?」

 もう茜ちゃんはエアホッケーの台の片面に陣取って、マレットを掴んで素振りをしている。
 ゲームセンターで体を動かすものはこれかダンスくらいだから、茜ちゃんが張り切るのもよくわかる。

「おっ? それじゃあ私が相手になろう!」

 未央ちゃんが反対側に飛びついた。
 私は……あまりやったことがないから、まずは見学しておこう。


「準備はいいですか!?」

「どこからでもかかってこい!」

 硬貨を横の投入口に入れた未央ちゃんが構える。
 茜ちゃんの陣地にパックが落ちてきた瞬間、未央ちゃんの手元でガシャッ! と音が鳴った。

「……は?」

 頭上の得点ボードは、茜ちゃんが一ポイントを取ったことを示している。
 大きく振られたマレットに弾かれたパックには、未央ちゃんも私も見えていたけど反応ができなかった。

「どんどん行きますよ!」

 そこから、茜ちゃんのラッシュが始まった。
 エアホッケーを普通に遊んでいたらめったに見れないくらいの速さのはず。
 でも、最初の一撃ほどではなかった。
 たぶん、あれはサーブみたいに十分な余裕がないと打てないんだと思う。

「思ってたより強いなぁっ!」

 その証拠に、未央ちゃんも今では多少余裕を持ってパックを弾いている。
 その間にも、両方に少しずつポイントが入っていた。

「よし、慣れた。このまま防戦一方ってのも面白くないよ……ねっ!」

「おおっ!?」

 未央ちゃんの打ったパックが壁で二回反射して、茜ちゃんの手をすり抜けた。

「悪いけど、勝たせてもらうよ!」

「そうこなくちゃ! 燃えてきました!」

 そこから、凄まじい打ち合いが始まった。
 二人とも、ガードをするよりもパックを強打して少しでもポイントを取ろうとしている。
 茜ちゃんが相変わらずパワープレイに徹しているのに対して、未央ちゃんはある程度コントロールをして隙を突いていた。
 さっきまでよりも速いペースでポイントが入っていく。

「おりゃああああ!!!!」

 茜ちゃんが大きく腕を振り抜いて、パックがゴールに吸い込まれる。
 得点ボードを残してテーブルのランプが消えた。

「よっしゃ!!」

「えー私の負け?」

 茜ちゃんがガッツポーズをする。
 未央ちゃんは台の上で不満そうな顔で伸びていた。


「次は藍子ちゃんの番ですね! 位置についてください!」

「うん、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします!」

 茜ちゃんと未央ちゃんに比べたら運動は得意じゃないけど、一戦観察できたからなんとかできそうだ。
 反応できなくたって、やりようはある。

「ボンバーーーー!!」

 茜ちゃんが打ったパックは、一直線に私のゴールに向かってきて――

「なにっ!?」

 私が置いたマレットにぶつかって、そのままの速さで茜ちゃんのゴールに入った。
 打てなくたって、どのあたりに来るかがわかっていれば返すことくらいはできる。
 茜ちゃんは狙いがわかりやすいし直線的だから不可能ではなかった。

「おりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃ!!」

 茜ちゃんの猛攻をマレットを左右に少し動かして弾いていく。
 決定打には欠けるけど、ミスをしにくい戦い方だ。
 たまに横を抜かれることもあるけど、それと同じくらい茜ちゃんも取りこぼしている。
 それに――

「ああっ!」

「――っ!」

 茜ちゃんのマレットがかすってゆっくりとこちらの陣地に流れてきたパックを壁を使って打ち込んだ。
 茜ちゃんだって、絶対にミスをしないなんてことはありえない。
 堅実に弾き続けてチャンスは確実に取りに行く。
 私だって負けたくないから、徹底的にカウンターをしよう。

「絶対に崩してみせます!」

「通さないよっ!」

 耐えきれば私の勝ちだ。
 この調子ならきっと大丈夫。


「くううう崩せませんでした!」

「そう簡単にはいかないよ」

 結果は多少余裕を持っての勝利。
 茜ちゃんが焦りだしてからはカウンターが決まりやすくなってじわじわと差が広がっていった。
 それを見てますます大振りになるという悪循環に助けられたところはある。
 真正面からスポーツで茜ちゃんとやり合うなんて、普通だったら無謀でしかないから。

「最期は私とあーちゃんだね! ここで勝たなきゃ私が最下位になるから、全力で勝ちに行かせてもらうよ!」

「そっか、負けても全員引き分け……でも、せっかくだから一番になろうかな?」

 未央ちゃんのやる気は十分。
 茜ちゃんよりパワーはないけど、その分テクニックがあるから注意しておかないと。
 未央ちゃんとも正面からぶつかったら不利だから、冷静にカウンター狙いで。

「先手必勝っ!」

 未央ちゃんが陣地に飛び出してきたパックを身を乗り出して打つ。
 やや横に向かって弾かれたパックは、壁で二回反射して――

「がら空きだよっ!」

 待ち構えていた私のマレットにぶつかった。
 来た方と反対側の壁に一度ぶつかってから、まだステージの中央付近にある未央ちゃんのマレットのはるか遠くを通ってゴールに向かって行って――

 突然現れた壁にぽよんとぶつかって、止まった。

「…………ふふっ、うふふ、うふふふふふふ」

「あ、あはははは…………」

 台の上に突っ伏していた体を素早く戻して、未央ちゃんは引き攣った笑顔を浮かべる。

「未央ちゃん」

「なに?」

「ソレで止めるの、反則だから。私に一ポイントね」

「はい」

 手元をふよふよ漂っていたパックを未央ちゃんが自分のゴールに入れる。
 中央の供給口から、私の方にパックが出てきた。

「未央ちゃんなんて……グラビアばっかり呼ばれちゃえ!」

「理不尽なっ!」


「もー、もー、納得いかないっ」

 結局、冷静さを失った私が未央ちゃんに勝てるはずもなく。
 全員一勝一敗で引き分けという結果になった。

「そんなに鳴いてたら牛になっちゃうぞ~」

「え? なんだって?」

「イエナンデモナイデス」

 未央ちゃんは反省してないのかな?
 やたらと海に行きたがることといい……

「あれ?」

 UFOキャッチャーの中になんだかとても見知ったような服と顔が見えたような。

「見てください! これ! 未央ちゃんですよ!」

「あ、やっぱり」

 どうりで、見覚えのあるピンクのパーカーだと思った。
 Mio Hondaって箱に書いてあるし。
 ただし、全体的にアニメっぽくなっていてちょっとわかりにくい。

「ん? ……あー、あれね! へー、もう出てたんだ」

 当の本人はといえば、ガラスに張り付いて感心したような声を漏らしている。

「へーって、未央ちゃんは知らなかったの?」

「企画は見て撮影はした記憶があるんだけど……グッズはもういちいち貰ってたら家がぐちゃぐちゃになっちゃうし、どんな風になったかまではわからないんだよね」

 なるほど、さすが人気アイドル。
 その分ヤーさんが頑張ってる、とも言うんだろうなぁ。

「にしても、なっにこの美少女! いやぁ、未央ちゃんは二次元に行くとこうなるんだねぇ」

 と思ったら、今度は笑いが止まらない。

「本物と見比べられるって貴重ですよ! かなり似てるものなんですね!」

「やっぱり? 日野っちもそう思う?」

 このままだとどこまでも調子に乗りそうだ。

「よし、じゃあこれ持って帰る」

「え、いや、本気で? こういうのってお願いしたらもらえたりしないの?」

 クレーンゲームって、かなり難しいはず。
 未央ちゃんは得意な方だったと思うけど。

「大丈夫! よーし行くぞー!」

 そういって、硬貨を入れる。
 未央ちゃんの下ろしたクレーンは、箱の中央を捉えて……

「あー……」

 箱を少し動かしただけで、アームが外れてしまった。

「なるほど……」

 未央ちゃんは真剣な目で、少しずつ違ったところにクレーンを下ろしていく。

「よし!」

 何回かの空振りの後で、アームが箱の隙間に刺さった。
 そのまま少し持ち上がって箱が落下して、倒れた拍子に床のないところまで行って、下に落ちてきた。

「「よっしゃあ!」」

 未央ちゃんと茜ちゃんが両手でハイタッチをする。
 大きい箱を落とすところなんて、私は初めて見た。

「未央ちゃんって、もしかしてめっちゃ上手い?」

「うん? 知らなかったの?」

 一緒にいるときには普通のゲームしかしなかったから、知らなくてもしょうがないって。
 未央ちゃんはゲームは上手だし、考えてみればこれも当然かもしれないけど。


「次、あれやろ?」

 未央ちゃんが指さしたのは、太鼓の達人。
 ゲームセンターにあるゲームでは、一番やっているかもしれない。
 これにしても未央ちゃんはやりこんでいるだろうけど、難易度だって選べるし、遊べないことはないはず。
 運動でもないから、茜ちゃんが有利になるということもない。

「ようし!」

 茜ちゃんはもう太鼓の前でバチを構えていた。

「ほら、あーちゃん!」

「え、ええ? 危ないってば! というか、私がやるの?」

 未央ちゃんが投げたバチを慌てて掴む。
 それから茜ちゃんの隣に並んだんだけど……なぜかその間に未央ちゃんが割り込んできた。

「未央ちゃんどうしかんですか!?」

 茜ちゃんの問いかけにもニヤリと笑うだけ。
 そのままもう一組のバチを取り出して、右側の縁を連打する。

「はい、難易度は『むずかしい』ね」

 『おに』が表示される前に太鼓の真ん中を叩いて決定してしまう。
 未央ちゃんはそのまま叩き続けて――

「茜ちゃん、縁、連打!」

「はいっ!」

 カーソルは『TOKIMEKIエスカレート』を通り過ぎてすごい勢いで流れていく。
 正直私も目で追えてないけど、適当でいいや。

「えいっ」

 太鼓の面を叩くと、流れていた画面が止まった。
 『カレ・カノ・カノン』かぁ……これなら大丈夫かな。
 少なくとも、『おに』の『TOKIMEKIエスカレート』よりは。

「ちなみに未央ちゃん。あれは『おに』でクリアできるの?」

「無理!」

 だよね。


「「「いただきます!」」」

 テーブル席に座る三人の声が重なる。
 目の前にあるのは、器に入ったうどん。
 サイズはそれぞれ中、中、大。

 近くにあって、手軽で、暑くてもお昼に食べられるところ。
 ポジパで動くときには、こういう基準で決めることが多い。

「さて、次はいよいよ水着なわけですが!」

 ああ、うどんが冷たくておいしいなぁ……

「お待ちかねの水着ですね!」

 つゆを吸った海老天がおいしい……

「あーちゃん聞いてる?」

「聞いてるよ」

 諦めの境地でね。今の私は何があっても動じない。

「じゃあちょっとマニアックなとこに行ってみようか。この前教えてもらったんだけど、ビキニアーマーとかが売ってる痛たたたたたたた」

「何を言い出すのかなぁこの子は」

「こめかみはやめて! こぼれる! うどんこぼれるから!」

 とりあえず、話せないだろうから手を放してあげた。
 恨みがましい目で見てくるけど、無視。

「そんなこと誰から聞いたの?」

「比奈先生と会ってさ」

 出所はそこか。
 私達の誰とも、事務所も違えば仕事も被らないはずなのに。

「うん、わかった。普通のところに行こう。茜ちゃんもそれでいい?」

「ズル……?」

 うどんをすする音で返事が返ってきた。
 いつの間にか茜ちゃんの前にある大きな器がほぼ空になっている。

「ぷはっ! 私はいろいろ選べるところならどこでもオーケーです!」

 よし、これで二対一。

「うーん、そっか……よし! じゃあこのあたりで一番広い特設コーナーに行こうか。いろいろ、置いてあるだろうし」

 ……これはちょっと逃げるのに失敗したかも。


「というわけで、やって来ました水着コーナー!」

 うどんを食べた後、移動した場所はフロアひとつを使った水着コーナーだ。
 広いだけはあって、好みのデザインのものもたくさんありそうだ。
 視界の端に映った危険なものは見なかったことにしておくとして。

「各自気に入ったものを選んでくるってことでいいかな?」

 未央ちゃんがバラバラに見て回ることを提案する。
 いつもならみんなで見ていくけど、今回に限っては私にとって都合がいいと言えなくもない。

「それでいいよ」

「そうしましょうか!」

 茜ちゃんも賛成したことで、方針はこれで決まり。

「解散!」

 未央ちゃんの掛け声で、茜ちゃんが飛び出していく。
 ……競技用の方に。
 茜ちゃんは海に行って何をするつもりなのだろうか。
 後で未央ちゃんと別の候補も選んで渡してみよう。

 そうしているうちに、未央ちゃんも棚の間に消えてしまった。
 私も選びに行こう。


 カラフルな棚の間をゆっくりと歩いて進む。
 ここは比較的大人しいデザインのものが多い。
 大まかに似たタイプでコーナーがまとめられているから、基本的にここから選ぶつもりだ。

 まずは全部を見て、目につくものを見つけるところから始めよう。
 サイズがすべて揃っているわけではないけど、それはそれとして。

「あ、これ未央ちゃんに似合いそう」

 濃いオレンジのビキニで、所々に飾りが入っている。
 派手ではあるけど、活発な未央ちゃんにはよく似合いそうだ。
 ……ちょっと見てみたけど、私には着れないようだ。

「こっちは茜ちゃんかなぁ」

 オレンジがベースの炎のデザイン。
 ビーチでも燃えている姿が簡単に想像できる。

 そうやって時折足を止めながら、コーナーの端まで来た。
 ここから先はたぶん見ても候補には入らないだろう。
 広い分それなりに時間がかかったけど、見て回るのは楽しかった。
 もう一度目を通しながら、来た道を半分ほど戻る。

「これ、かなぁ……?」

 淡いオレンジ色で、フリルがたくさんついていてかわいい。
 腰のあたりが隠れているし、これにさっき見つけた緑のラッシュガードも買えば……

「うん、これはいいかも」

 これ以上に気に入ったものはなかったから、もう決めてしまっていいかな。
 いつもならもっとゆっくりと比べてみたりもしたけど、今日は早めにひとつ確保してしまいたかった。
 アイドルをしている以上サイズの把握は完璧なはずだけど、一応試着はしておくとして。


「あ、い、こ、ちゃん!」

 試着室に入るところで、元気な声と共に肩を叩かれる。
 ……そう、こうやって捕まる前に決めてしまおうとしていた。
 はず、だったんだけど……なぁ……

「あれ? あーちゃんはもう決まったの?」

 振り返ると、手に水着を持った未央ちゃんと茜ちゃんがいた。
 とりあえず何事もなかったかのように靴を脱ぐ。

「うん、もう決めたから、サイズだけ確認して買ってくるね」

 そう言って、カーテンを閉めようとすると――

「ちょっと待った!」

 未央ちゃんにカーテンを握り締められて、閉められなくなる。

「……このままだと着替えられないんだけど?」

 カーテンを握った手に力を込めても、未央ちゃんも対抗してきて全く動かない。

「ほら、ちょっと別のも試着してみてから決めてもいいと思うよ?」

 そう言いながら、反対側の手を突き出す。
 広げてみせたのは、見事なまでの紐だった。
 ここでマイクロビキニを持ってくるのはお約束というか、未央ちゃんならやると思っていたから驚きはないけど。

「絶対嫌だ」

「そこをなんとか!」

「目的が変わってないかな!?」

 普通に海に着ていくものを買いに来たはずなのに、私に恥ずかしい水着を着せることに必死になるのはどう考えてもおかしいって。
 こんなときでも、茜ちゃんならなんとかしてくれるはず。

「茜ちゃんはどれを選んできたの?」

「よくぞ聞いてくれました! これです!」

 取り出したのは、やっぱり競技用。
 全身を覆うタイプで、低抵抗な上に柔軟性が高い……らしい。
 思った以上に本格的だし、これを着て夏の海にいるところを想像すると微妙な気分になる。

「それでなにをするつもりなの?」

「えっ? だって海ですよ? しっかり走って泳ぐためにはこういうところにも気を付けるものですから!」

 おかしいなぁ、海ってトライアスロンの競技場じゃなかったはずなんだけど。

「えっと、なんだかちょっとだけ思ってたのと違ったような……?」

「うーん、スクール水着の方がいいですか? これに比べたら機能はあまりよくないと思いますよ?」

「茜ちゃん、友紀さんが感染ってるよ。戻って来て。あと海には修行に行くんじゃなくて遊びに行くんだからね?」

「そうでしたか? それじゃあ今回はもうちょっとファッション重視でいきましょうか?」

 あの駄目な大人に茜ちゃんの発想が毒されてきてる気がする。
 本人に自覚がないのは救いなのかどうか。

「さあさあ、早く着てしまおう?」

「どうしてもって言うならひとつだけなら着てもいいというか茜ちゃんの方ならいいしそれでいいよね?」

「あっ、ちょ!」

 茜ちゃんから水着を奪い取って、さっとカーテンを閉める。
 残念そうな声が聞こえたけど、あれは悪魔の囁きだ。
 さてと、本命じゃない方から着てしまおうかな。


「ふぅ……」

 なんとか助かった。
 全身を覆うようなものではなにか(未央ちゃんにとって)面白いことが起こるはずもなかった。
 その後に試着した私が選んだ方に文句もなく、それで私の水着は決定だ。

 試着室から出ると、未央ちゃんと茜ちゃんが待ってくれていた。
 最初に茜ちゃんと目を合わせる。

「さーて、私もいいやつ見つけてこよっかなー」

「どこに行くんですか? 次は未央ちゃんの番ですよ?」

 わざとらしく呟いてどこかに行こうとした未央ちゃんの肩を、茜ちゃんが掴んだ。

「ですよねー! じゃなくて、私はパパッと選んじゃうから二人にわざわざ手間かけさせるわけにもね?」

「そんなことは気にしなくていいよ。私達も未央ちゃんのお手伝いをしたくて仕方ないんだから」

「だったら先に日野っちに着せようよ!」

「私も遊ばれるんですか!?」

「あっ」

 未央ちゃんの余計な一言で茜ちゃんが手を放してしまった。

「よし! じゃあ私はこれで――」

「おっと、危ない危ない」

 逃げ出そうとしたところを、両手を掴んで捕まえる。

「……わかった、あーちゃんと同じ数は着るから! 一着だけだからね!」

「うん、それでいいよ」

 言質を取って未央ちゃんを開放する。
 よし、これでやられた分はやり返せる。

「じゃあ茜ちゃん、頑張ろうね!」

「はい! 未央ちゃん、期待していてください!」

「不安しかないよ!」

 大丈夫大丈夫、かわいいのにしておくから。


「未央ちゃん、もう着替え終わりましたか?」

「……終わった、けど。これ本当に見せなきゃダメ?」

 カーテンの中から聞こえる声にはいつもの元気がない。
 未央ちゃんが最初に選んだのに比べたら全く問題ないはずなのに。

「ちょっとカーテン開けて見るだけだから。それならいいよね?」

「……ちょっとだけなら」

 未央ちゃんの許しも出たことだし、早速覗いてみよう。
 カーテンの隙間から、茜ちゃんが下、私が上になって顔を出す。

「おお! これはかわいいですね!」

「とってもよく似合ってるよ」

「……ありがとう」

 未央ちゃんに選んだのはピンク色のベビードール風。
 露出はかなり少なくてお腹回りも隠れている。
 ずいぶん透けているけれど、それは誤差の範囲内のはずだ。

「これでもいいんじゃないですか!?」

「んなわけあるかっ!」

 強く拒否するけど、今の恰好だとかわいいだけだ。

「いいところを攻めたと思うんだけどな……」

「攻めたとか言わない。一人だけこれだと浮くから、普通のにするよ」

「えー、せっかくかわいいのにもったいないですよ!」

「じゃあ三人ともこういうので揃えようか?」

「未央ちゃんに本当に似合ってるのがいいと思うよ」

「もっと動きやすいのにしましょう!」

 この変わり身の早さがなければればやっていられない。
 これもデレパとラジオ越しの殴り合いをして身についた微妙にありがたくないスキルだ。

「この後日野っちのやつも選ばなきゃなぁ」

「やっぱり私にもあるんですね!」

「あ、茜ちゃんの方は普通だから」

「えっ!?」

「というかネタに走ってたら収拾つかなくなりそうだし」

「全力で普通に似合っててかわいいのを選んであげるから安心してね?」

 茜ちゃんもセンスはいいんだけど、それを普通に発揮しないことがあるから問題だ。
 なにか変なものとくっついた結果斜め上に行くこともあるし。

「そのー、私だけなにもないとおいしくないというか……!」

 一門的な思考をする人が増えてきたのはなんでだろうか。
 クールの方はそういう話はあまり聞かないんだけど。

「茜ちゃん、私達はアイドルだからね? それは考えなくていいから」

「えっ?」

 その声に、思わず未央ちゃんをまじまじと見てしまった。
 ……確かに、今の未央ちゃんは否定できないかも。


 今度はゆっくりと他のお店も見て回って、次に来たのはカラオケ。
 ちょうど未央ちゃんが受付をしているところだ。

「じゃあ、時間は二時間として……」

 もう日が傾いて来ているし、ここにはそう長くはいられない。
 その後でごはんを食べたら解散する時間だろう。

「ここで防音が一番しっかりしてる部屋をお願いします」

「防音ですか?」

 店員さんが訝しそうな顔をしている。
 目的が不明だとちょっと怪しいよね。

「日野っち、ちょっとこっち来て」

「お、おう?」

 少し離れたところで待っていた私達のところに来て、茜ちゃんの後ろに回り込むと背中を押して歩き始めた。

「えーと、日野茜です。アイドルの」

 カウンターの前に突き出して、そう紹介する。

「はい! 日野茜です!」

「……わかりました。お部屋は最上階になります」

 茜ちゃんのことを知っていたのか、それとも自己紹介の声で何かを察したのか。
 ともかく、無事に要望は通ったようだ。

「それじゃあ行こっか!」


「さてと、誰から行く?」

「私からでいい?」

 飲み物も用意して、準備は万端。
 だいたい最初になにを歌うかは迷って時間を使うけど、今日はちょっとやってみたいことがあった。

「藍子ちゃんからですか? 珍しいですね!」

「最初だからあんまり上手くできないかもしれないけど」

 手元でリモコンを操作して、最初の曲を入れた。
 転送が完了して、画面に曲名が表示される。

「えっ、本気で!? 大丈夫!?」

「本家直伝だから大丈夫!」

「意外ですけど、これは楽しみです!」

「永住権貰ったから期待してねって最初のセリフ言えなかったぁ……」

 二人と話していたらもう曲が始まっていた。
 立ち上がって、マイクを構える。
 途中からになっちゃったけど――

『それは……アイコでーっす☆』

 反応はないけど、この曲は思いっきりやるのが重要!

『あーちょっと引かないで下さいっ! ユルフワパワーでメルヘンチェーンジ☆ 夢と希望を両耳に引っさげ、アイコ、頑張っちゃいまーす☆』

 未央ちゃんと茜ちゃんが何とも言えないポカンとした表情で固まってしまった。
 なんだか、これはこれで楽しいかもしれない。

『行くよ? ブイッ♪』


『――ウサウサウーサ、ウーサミーン!』

 途中から復帰した二人のコールも入って、ライブみたいな感じになった。
 歌詞は所々変えてあって、菜々さんにも見てもらっている。

「なんというか、うん、すごかったね」

「楽しかったですよ!」

「ありがとう」

 予想外だったけど、悪くはなかったようだ。

「よーし、それじゃあ私もちょっと意外性を出してみようかな」

 話している最中に転送が終わって、荘厳な音が流れ始める。
 未央ちゃんが纏う雰囲気もガラッと変わった。

『渇いた風が 心通り抜ける』

 歌はとてもいい。
 普段の未央ちゃんからは想像できないくらい『こいかぜ』の雰囲気を再現できている。

『溢れる想い 連れ去ってほしい』

 だけど、なぜだろう。
 「お前……消えるのか?」とか、「驚きの清さ」とか、「自己浄化」とか、そんなコメントが右から左に流れていく幻が見えてしまうのは。


 未央ちゃんが歌い終わったところで、静かに拍手をする。
 いつの間にこんな技術を身に着けたのだろうか。
 どちらかと言えばバラードは苦手な方だったはずなのに。

「ついに私の番ですね!」

 茜ちゃんがリモコンを引き寄せて操作する。

「だいたい藍子ちゃんも未央ちゃんも、最初から無理をしすぎなんですよ! あんまり声が出てませんでしたよ?」

「う……」

 それを言われると何も言えない。
 さっきの評価だってライブで披露できるかじゃなくて、遊びでかつアップもなしでという条件下でのことだし。

「こういうのは自分の歌いやすいものを歌って、後で万全になるようにするものです!」

 そう言って、茜ちゃんが入れたのは『チアフルボンバーズ』の――
 あっ、これはマズい。

「茜ちゃん、マイクは無しで。ね?」

「はい? いいですけど……?」

 私がマイクに手を添えてテーブルに下ろすと、不思議そうにしながらも離してくれた。
 茜ちゃんがこういう曲を選ぶのは初めてだから、備えておくに越したことはない。
 いつもみたいに音量調整じゃダメかもしれないから。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!! ボンバーーーーーーーー!!!!!!」

 茜ちゃんが立ち上がって、身体を反らして発した声に、私達が歌ったときよりも部屋が震えた。

「人っ生!! 応!! 援!! 歌ぁーーーー!!!! 第!! 一っ!!!!!!」

 管楽器と打楽器の音が鳴り響き、続いて茜ちゃんが両腕を大きく振りながら動き始める。
 普通の歌よりもこういうのの方が声が出しやすいから、私の予想は正しかった。

「赤きー血しーおのー!!!! 燃ゆーるまーまにー!!!!!!」

 ただ……これは発声じゃなくて本番だと思う……!


「あー、今日は楽しかったぁ……」

 未央ちゃんがテーブルに突っ伏して伸びている。
 カラオケを終えて、日が暮れる前にファミレスで夕食を食べて、今はデザートのアイスクリームをつついているところだ。

「早くしないと溶けちゃうよ?」

「半分溶けたくらいで食べるー」

 それ以前に未央ちゃんが溶けていた。

「茜ちゃんのはもうなくなりそうだし」

「……あっ! でも早くて悪いことはありませんよね!」

 どうやら無意識だったらしい。
 こういうアイスは小さいから、ずっと食べてたらすぐになくなってしまう。

「そろそろ次の予定を決めておこうか? この先時間もないし、早めにスケジュールを押さえておかないといけないだろうから」

「次かぁ……山……」

「今は置いておいて。ひとまず今わかってるスケジュールを突き合わせて候補日を決めない?」

「ええと……どこにしまったんでしたっけ?」

 三人で手帳を取り出して、八月の予定ところを開いた。

「これだと、来週中がいいですね! ここに来て急に仕事が入ることもないでしょうし!」

「うん、大丈夫だと思うよ。今日中にプロデューサーさんに確認を取って、確定させちゃおう」

「ヤーさんには私から言っとくから、ポジパの方は任せておいて」

 これで日程の方は大丈夫なはず。

「それでは! どこの海水浴場に行きますか!?」

「近場」

「人が少ないところがいいな」

 夢が欠片もない希望だった。
 一応、夏真っ盛りで人が多かったら楽しめないかなって思ったんだけど。

「こっちは調べてみないとわからないよね。実際行くまでに決めればいいんだし、後で各自で候補を挙げる……ってのでいいかな?」

「わかりました! いいところを調べておきますね!」

「私があまり詳しくないけど、参考になるように頑張るね」

 さてと、今日はみんなと遊べたし、次の準備もできた。
 今日から始まる夏休みが本当に楽しみだ。


……………
………


「海だーー!」

「茜ちゃん止まって! さすがに恥ずかしいから!」

 着替えて早々に海に向かって叫ぶ茜ちゃんを全力で止める。今にも波打ち際に走り出しそうだ。
 幸い砂浜には人が少なかった。それでも、近くにいる人達の視線を集めている。

 今日私達が来たのは、ちょっとだけ遠くにある海水浴場。
 その距離と、今日が平日ということもあって、それなりに空いている。

「さて、それでさ」

「うん」

「いつまでそのパーカーを着てるつもりなのかな?」

「……脱がないよ?」

 ラッシュガードのポケットに手を入れて、二人に背を向けた。

「まあまあ、まずは準備運動からですよ!」

「そうそう、茜ちゃんの言う通り!」

 茜ちゃんが未央ちゃんを止めてくれた。これには乗っておこう。

「ということで! 準備運動には邪魔ですよね! 脱ぎましょう!」

「どうしてこうなるのかなぁ……」

 訂正。茜ちゃんもただの敵だった。

「日焼けしたら大変だから。ね?」

「日焼け止め塗ったじゃん」

「運動したら暑くなりますよ?」

「日差しを遮れるし、水に濡らせばむしろ涼しいくらいだから……どうせなら、先に濡らしてきてからでも」

「いきなり入るのはいけません!」

「……それにほら、脱いでも置いておくところがないし」

「持っててあげようか?」

「未央ちゃんは黙ってて!」

 大人しくなったと思ったら、所々で口を出して追い込んでくる。
 とりあえず両手を怪しく蠢かせ始めた二人から逃げ切ることを考えなきゃ。
 初動で差を広げられるように、隙を突いて走り出した。

「待てー!」

「待たないー!」

 砂浜で走るには脚力よりも双方が重要だ。
 アスファルトの上と同じように走ると、砂に脚を取られてしまう。
 あとは……二人が慣れて私が捕まる前に諦めてくれるといいんだけど。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、すぅ~~……はぁっ……」

 準備運動と言うには激しすぎる鬼ごっこを終えて、膝に手をついて荒い息を吐く。
 呼吸は乱れているけど、さすがにこれくらいで疲れるような鍛え方はしていない。
 ちなみに、なんとかラッシュガードは死守することができた。

「最後に体操をしましょう!」

 それでも、茜ちゃんにまったく堪えた様子がないのはどうかと思う。
 未央ちゃんも呼吸を整えているのに。

「いーち! にー! さーん! しー!」

 茜ちゃんの掛け声に合わせて、体を伸ばしていく。
 体は十分に温まって、むしろ暑いくらいだ。
 今海に浸かったら気持ちいいだろうなぁ……

「よし! 終わりましたね! それでは突撃ーー!」

 体操を終えるや否や、茜ちゃんが海に向かって突進する。
 波に逆らって浅瀬を進んだ後に、水の中に飛び込んだ。
 そのまま、沖に向かって真っ直ぐに泳いでいく。

 今はあの勢いについていける気がしない。
 未央ちゃんと顔を見合わせた後、ゆっくりと歩き始めた。

「水が冷たくて気持ちいいね未央ひゃっ!?」

「オラオラオラオラ!」

「ストップ! ちょっと待って!」

「へへっ、やだっ!」

 後ろから途切れることなく水をかけられる。
 まだ膝までしか浸かっていないのに、全身がずぶ濡れだ。
 沖の方に逃げて、胸のあたりまで浸かったところでやっと水が飛んで来なくなった。

「そっちがその気なら……」

 余裕の表情でゆっくりと歩いてくる未央ちゃんに、私からも近づく。

「そんなところにいたら動きづらいでしょ? 早くこっちに来たら?」

「……」

 未央ちゃんの声には答えずに、タイミングを計る。
 たしかに動きにくいけど、水で怪我はしないんだからその分掛ければいいだけだ。
 後ろから来た大きい波に合わせて、腕を振り抜く。

「あれ?」

 私の手は波の中で特に抵抗を感じることもなく、あっさりと突き抜けてしまった。

「うわっ、っと、顔はズルいって!」

 手ごたえのなさを残念に思っていると、私がすくった水は散弾になって未央ちゃんを襲っていた。
 これはこれで結果オーライなのかな?

「ちょっと待って! あーちゃん容赦ない!」

 そんなことを考えながらも、水を飛ばす手は休めない。
 反撃は封じていおかないと、未央ちゃんはなにをするかわからないし。


「じゃあ私はあそこまで行ってくるから! また後でね!」

 波打ち際で未央ちゃんとじゃれた後、未央ちゃんは沖にあるコンクリートの島まで泳ぎに行った。
 けっこう遠いけど、未央ちゃんなら大丈夫だろう。
 茜ちゃんはさっきそこに上陸したのを見たとのこと。

「さて、私も行こうかな」

 未央ちゃんと一旦別れたのは、あそこまで泳いで行く気力がないからだ。
 日陰で休んでおくか、近くで泳いでおくか。
 あとは、こういうところだと道具のレンタルもやっていたはず。

 一度海から離れてお店で値段を確認した後、ロッカーに戻ってお金を取り出す。
 お店でぴったりの金額を払ってゴムボートを借りることができた。
 二人乗りのものしかなかったけど、ゆったりしていて乗り心地はよさそうだ。

 浅いところに浮かべて、乗り込んでみる。
 あとはオールを握って――

「きゃっ!?」

 波に押されて、砂浜に打ち上げられてしまった。
 勢いよく流されたせいでバランスを崩さないようにするので精一杯だ。

「…………」

 何度かオールを漕いで沖に出ようとしたけど、その度に押し戻されてしまう。

「……ちょっと出ないとダメかなぁ」

 ボートについている紐を握って、沖に向かって歩き出す。

 ボートには、肩まで浸かるところまで行ってから無事に乗ることができた。


 波と景色を楽しみながらゆっくりとボートを漕ぎ続けて、私は二人のいる島のすぐ近くまで来ていた。
 コンクリートの上に立っている茜ちゃんの背中が見える。

「おーい! 茜ちゃーん!」

「んん? おお、藍子ちゃん! 来たんですね!」

 声をかけると、振り返って島の端まで寄ってきた。

「ここで泳いだり潜ったりするの、楽しいですよ!」

「うーん……こんなに沖に出るとちょっと怖いかなぁ……」

「それもそうですね!」

 茜ちゃんはずっと遊んでいたのに、まだまだ元気が有り余っているらしい。

「もうお昼過ぎだし、お昼ご飯にしない?」

「もうそんな時間ですか? そう言われると急にお腹が……」

 茜ちゃんのお腹から、大きな音が鳴った。
 遊ぶのに夢中で忘れていたのだろうか。

「だから、未央ちゃんにも声をかけて私と一緒に戻――」

「藍子ちゃん! 行きますよー!」

「――はい?」

 頭上に影が差したのを感じた瞬間、慌ててボートの端に寄った。
 数秒後、空いた側に茜ちゃんが突き刺さり、ボートがくの字に折れ曲がった。

「~~っ!」

 ボートはすぐに元の形に戻って、揺れも少しずつ収まっていく。
 折れたときに浸水していて縁がずいぶん海面と近くなっていること以外は無事だった。

「茜ちゃん! 破れて沈むかと思ったよ!」

「あ、あはは……ごめんなさい!!」

 思った以上にボートが脆かった、といったところだろうか。
 沈没も怪我もなくて本当によかった。


「おーおー、こりゃまた派手にやったねぇ」

 オールを漕いで流された分を戻していると、上から声がかかった。
 いつの間にか、さっきまで茜ちゃんが立っていたところに未央ちゃんが立っている。
 髪からは水が滴っている。たった今海から上がったところのようだ。

「もういい時間みたいですよ! ご飯を食べに行きましょう!」

「いいね! じゃあ日野っちとまとめて送って……冗談だから無言で逃げないで!」

「……これ、二人乗りだよ?」

 本人の言う通り冗談だとは思うけど、牽制はしておく。

「ちょっと休んだら泳いで行くよ。ボートよりは速いだろうし」

「わかりました!」

 私がオールを握っていたらそうなるんだろうけど。

「茜ちゃんは漕いでみない?」

「……今は、お腹が空いて力が……」

「うん、わかった」

 力仕事については完全に戦力外と見てよさそうだ。

「そういうわけで、あとはよろしく高森タクシー!」

「未央ちゃん元気だよね」

「ボートを押して泳いでみますか?」

「いや、本当に勘弁してください……」

 未央ちゃんが一気に疲れた様子になった。そろそろ出発しようかな。

「じゃあ先に行くね」

「遅れないでくださいよ!」

「大丈夫! 追いつくから!」

 ボートを陸に向けて、ゆっくりと動き出す。
 やっぱり、行きよりもボートが重い。

「茜ちゃん、排水お願い」

「任せてください!」

 私は両手が塞がっているから、茜ちゃんに頼むしかない。
 これでマシになっていくはず。


「茜ちゃん、そろそろやめてもいいよ」

 ボートの中に入った水のほとんどは波を起こして外に押し出した。
 今は残った水を手ですくって捨てているところだ。

「まだちょっと残ってますよ?」

「もう集める方が大変だから。これくらいなら残っててもいいんじゃないかな?」

「了解です! あとはのんびりしますね!」

 のんびり……と言いつつ全力な宣言だ。
 足を投げ出して、ボートの縁に腕を回している。
 ずいぶん豪快な休憩になっている。

「さっきあそこで泳いでたら楽しいって言ってたけど、何かあったの?」

「ああ、あれですか? 遠くまで行くと底が砂だけじゃなくて岩とかになってくるんですよ! 海藻が生えてたり、魚が居たりしてまさに海! って感じでした!」

「潜れたら綺麗だろうなぁ」

「深さは数メートルくらいですよ?」

「私はプールの底で精一杯だよ。ダイビングなら楽なのかな?」

「資格や費用が大変だって聞きますけど、やってみますか?」

「無理かも……それくらい浅かったらシュノーケルつけてぷかぷか浮いてても見えそうだよね」

「それでもちゃんと見えますよ! でも、魚と一緒に泳ぐのも楽しいんですよ?」

「うーん……エサを撒いたら寄ってきてくれないかな?」

「漂いながらエサを撒いていくんですか……なんだか力が抜けそうです!」

「あはは、のんびりするのは得意だから。浮き輪じゃなくて筏とかマットみたいなのに乗って、顔だけ海に浸けておくとかね」

「いいですけど、藍子ちゃんだと流されて遭難しそうじゃないですか?」

「…………否定はできない、かも」

「かも、じゃなくてだいたいそうなりますから! 錨とかテトラポッドとかに繋いでおきましょうか! そうしたら安心です!」

「そんな、犬の散歩みたいに……」

「ええと、いえ、だって……」

「ごめんね、茜ちゃんの反応でわかったよ。自覚もしてるから言わなくても」

「だって藍子ちゃんたまに顔を上げて周り見たりしないでずっと海の中眺めてそうじゃないですか!」

「はっきり言われるとけっこうグサッとくるの!」

「藍子ちゃんが心配なだけです!」

「……茜ちゃんも沖に島が見えたら泳いで行きそうだなー」

「うっ!」

「どうしよう、もしかして未央ちゃんが一番まとも……?」

「じゃあ未央ちゃんに監督は任せましょう!」

「もうそれでいっか。私達は好きなことをするってことで」


「やっほうさっきぶり!」

 海面から未央ちゃんが顔を出す。
 茜ちゃんと一緒に座って待っていた場所のすぐ目の前だ。

「未央ちゃんも来たことですし、行きましょうか!」

「あ、ちょっと待って」

 未央ちゃんが全身を震わせる。
 まだ髪は濡れていて外ハネも大人しいけど、今日の天気ならすぐに乾くはず。

 その後は、三人で砂浜をちょっと歩いて。

「なんかいかにもって感じでいいいよね」

 この海岸の海の家を見た未央ちゃんの感想はこれだった。

「メニューも定番みたいだよ」

「そうですね! 海の家と言えば!?」

「焼きそば!」

「カレー!!」

「かき氷!」

 二人からの視線が痛い。

「藍子ちゃん、かき氷はご飯じゃないと思いますけど?」

「じゃあラーメン!」

 夏の海でラーメンも間違ってないはずだよね……?

 それから席を確保して、実際に注文して食べてみたところで。
 私達全員が今更気づいたことが一つ。

「暑い……」

 真夏に日陰とはいえ外で熱いものを食べたらどうなるか。
 最初はそれなりだったペースがどんどん落ちて行って、もうすぐ食べ終わるのになかなか食が進まない。

「未央ちゃんと茜ちゃんはまだいいと思うよ……」

 麺がなくなって、スープだけが残った器を眺めながら呟く。
 焼きそばとカレーは食べている間に冷めていくけど、ラーメンはそれくらいの時間じゃぬるくならない。

「いつまでもこうしてても仕方ないですよ! あむっ……ごちそうさまでした!!」

 最後の一口を食べ終わった茜ちゃんが食器を持って立ち上がる。

「ちょっと冷やしてきます!」

 返却口に返して、そのまま海に一直線。
 たしかにそれが一番よさそう。

「ふぅ……よし」

 覚悟を決めて、スープを一気に飲み干すことにした。
 わかっていたけど、これはとっても暑くなる。
 視界は器に遮られているけど、気配で未央ちゃんが食べ終わって席を立ったのが分かった。

「ぷはっ、もう無理暑い!」

 全部飲み切った代わりに、体温が一気に上がった気がする。
 早く海に入って、冷たい水に浸かりたい。
 食べた分は動けばいいだろうし。

「ごちそうさまでしたっ!」

 器を返却して、海に駆け出す。
 今日一番海に入るのが楽しみかもしれない。


「夕方近くなったら暑さが和らいで砂が暖かくて気持ちいいくらいになったねー」

「今までは歩くのも熱くて大変だったから、これくらいがちょうどいいね」

「こういう昼寝もいいものですね!」

 ご飯の後でまた一通り海で遊んで、三人で砂浜に寝ころんでいた。
 休憩が快適すぎて動きたくなくなるくらい、今の砂浜は気持ちいい。

「ところでさ……なんで二人して私に砂をかけてるの?」

「バレてたみたいだね。どうする? 茜ちゃん?」

「そりゃわかるってば」

「やるしかありませんよね!」

「いや、ここでやめとくって手もあるってこれ準備してたな!?」

 未央ちゃんが起き上がる前に、こっそり積んでおいた砂をどさっと乗せる。
 私が肩を押さえている間に、茜ちゃんが一気に埋めてしまった。

「砂風呂みたいなものだから」

「これ身動き取れないんだけど……」

「じゃあお城でもつくりましょうか!」

「えっ、掘り出してくれるよね?」

 首だけになった未央ちゃんからは、もう私達の姿は見えない。
 まぁすぐ近くに居るんだけど。

「えっと……ファイトっ」

「だと思ったよ!」

 まずは砂で山をつくるところから。
 どんな形にしようかな。

「このっ! ふっ!」

 あ、未央ちゃんが埋まってることろの横の方がちょっと崩れた。


 それなりに整った城が出来た頃には、もうずいぶん日が傾いていた。
 復活した未央ちゃんの分も含めて、小さな山が三つ分。
 ちょっと赤くなった太陽に照らされて、長い影をつくっている。
 その傍で並んで人の少なくなった海を眺める。

「あー、楽しかった!」

「今日も終わりだ―! って感じがしますよね!」

「本当は夕日も見て行きたかったけど……」

「風邪引きますよ?」

「だよね」

 夏とはいえ、いつまでも水着でいるわけにもいかない。
 帰るのにも時間がかかるし、そろそろ着替えないといけない。

「あとは海ですることと言えば……」

 そう言って、未央ちゃんが大きく息を吸った。

「バカヤローー!」

「えええええええ」

 いつの時代なんだろうか。
 というか、人が少なくなったといってもまだ居ることは居るし、朝と違って行動がアレだから余計に注目されている。

「なんかやっておかないと損じゃん?」

「そういうものかなぁ……」

「ボンバーーーーーー!!!!!!」

 茜ちゃんまで海に向かって叫ぶ。

「ほら」

「ほらほら!」

 これは私もやらないといけないんだろうか。
 二人して見つめられると……もうっ。

「た、楽しかったーー! 恥ずかしい……」

 よくやったとでも言うように肩を叩いてくる二人が恨めしい。

「これで今日やりたいことは全部出来た! いや、ほんとにさ、海来てよかったね!」

「それは……うん、そうだねっ」

 本当に楽しかった。
 でも、まだ夏休みは始まったばかり。
 次はお仕事の準備もしないと。


……………
………


 八月も終わりが近づいた週末。
 今日はこの夏休みに入っているポジパ唯一の仕事、学園祭のライブがある日だ。
 ライブと言っても三〇分だけだし、ゲストということで主役でもないから気楽なものだ。

 というわけで、私達は朝から会場となるキャンパスに来ていた。

「とっても広いね」

 入り口で足を止めて、中を眺める。
 屋台がずっと並んでいて、まだ始まったばかりなのにたくさんの人がいた。

「で、ヤーさん。時間まで遊んでていいんだよね?」

「荷物を置いてからならな。オラ、さっさと行くぞ」

「はーい」

 おっと、その前に。

「すみません。パンフレットを四冊もらえますか?」

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 入り口にある案内所のテントに寄って、パンフレットを確保しておく。
 ちょっと先を歩く三人に追いつくために、小走りになった。

「パンフレット、取って来ましたよ」

「おう、すまんな」

「ありがとうございます!」

「先にどこ行くか決めておかないとね……うわー本当に広いなぁここ」

 パンフレットを開いてみて、最初に思うことは同じみたい。
 高校の文化祭とは展示の数も敷地の広さも違っている。

「まずはそれぞれ行きたいところに印をつけて、回りながら考えよっか」

「それでいいんじゃない? ……じゃあここと、ここと……」

「んー? んんー……?」

「お前等、前見て歩け。ぶつかっても知らんぞ」

「ヤーさんの後ろを付いてくから大丈夫」

「そうじゃないだろうが。後で見ろ」

「そんなー!」

 完全に下を向いていた未央ちゃんがパンフレットを没収された。
 私と茜ちゃんはすぐに目を離したからセーフ。

「じゃあすぐ行こう急いで行こう!」

 それがちゃんと効いてるかは疑問だけど。


「さてまず行くところは!」

 荷物を置いて、ヤーさんとも別れて。
 扉の前で、未央ちゃん復活。

「ここでいい?」

 未央ちゃんが指さしたのはちょっと離れたところにある倉庫。

「『ものつくりサークル』?」

「なんかいろいろ面白そうなもの展示してるんだって」

 飛行機とかロボットとかロケットとか、いろいろなサークルが集まっているらしい。

「茜ちゃんはここでいい?」

「まだ決めてないのでいいですよ! 私はもうちょっとパンフレットを見てから決めます!」

「ってことで、決定だね」

 私が行きたいところは写真部の展示とかだし、減るものでもないからいつでも構わない。
 未央ちゃんの行きたいところは人がたくさん来るかもしれないし、早めに行っておく方がいいかも。

 少し歩いて付いた展示場は、まだ人がまばらだった。
 機械がたくさんあるけど、その中でも一番大きくて目を引くのは奥の方にある山のような鉄の塊だ。

「なんだろ? あれ」

「あれ! あれですよね!」

「言いたいことはわかるよ。名前が出てこないよね」

 ボールが上から下に、レールで出来た迷路を通って落ちていくやつ。
 近づいてみると、思っていたよりも更に大きかった。
 私達の身長の倍はありそうだ。

「あの、これってつくったんですか?」

「そうですよ。材料は全部買ったり拾ったりして、数年かかりました」

 装置の隣に立っていたツナギを着ている人に訊ねてみると、そう答えが返ってきた。

「へぇ……」

 これをつくるってすごいなぁ。
 ちょっと見ただけだけど、ルートは二つか三つほどありそうだ。

 こういうものは出掛けた先で何度か見たことはあるけど、それと比べても負けていない。
 座って休んでいるときに近くに置いてあったら、それを眺めて時間を潰している。
 見ていて飽きないからけっこう好きだ。

「あーちゃん、他のも見に行く?」

「もうちょっとここに居る」

 ボールが一周したくらいで、未央ちゃんが声をかけてきた。
 でも、あと何周かは見ておきたい。

「じゃあ後で迎えに来ますね! それで、未央ちゃん! 隣のやつが気になります! ほら、こっち!」

「あれってラジコンの戦車?」

「そうです! 今なら二人で対戦ができますよ! 履帯装備、コイルガンを使って実際に弾も撃てますし、当たったらセンサーで判定して白旗が上がる――」


「あった、ここだね」

 講義棟の一室が私の目的地、写真部の展示スペースだ。
 部屋の中は衝立で仕切られていて、そこに写真が並べられている。

「あっ、これってうちの近くじゃない?」

 入ってすぐの場所にあった写真を見て、未央ちゃんが声を上げた。
 そこにあったのは、事務所の近くの街並みを撮った写真だ。

「本当だ。なんだかいつも見てる景色と違うみたい」

「写真に撮るだけでこんなに変わるんですね! 藍子ちゃんもこういう写真ってあるんですか?」

「私のはただ撮ってるだけだからこんなに上手じゃないよ」

「そんなものですか。そういえば、カメラマンっておっきいカメラを持ってますよね?」

「レンズもたくさん持ってて取り替えたりね。ただ思い出を残しておくだけなら小さなデジカメで十分かな」

「持ち歩くのが大変そうですからね」

「うん、肩が凝っちゃいそう」

 展示されている写真は、機材にこだわったようなものもあればちょっと粗いものもあった。
 それでも一年間で最高の一枚を持ち寄ったのか、どれも見ていて楽しい。

「なんか気に入った写真に投票できるみたいだよ。やってく?」

「やります!」

「やろうかな。それならもう決まってるから」

 コンテストもやってるらしい。
 一枚気に入った写真があったから、それにしようかな。
 海に沈む夕日を砂浜から写した写真で、砂浜に文字が書いてあったり足跡が残っていたり、それが波打ち際に立っている人の影に重なっていたり。
 ポスターに使われていそうな綺麗な写真だ。

 日常でちょっとしたことを撮っている私の写真とは方向が違うからこそ、こういうのもあるんだってことで。


「なにか聞こえませんか?」

 一階の廊下を歩いていると、茜ちゃんが足を止めた。

「これって……ゴスペルかな?」

 窓越しに聴こえてくるのはキーボードとコーラス。
 中庭のサブステージでやっているようだ。

「せっかくだし聴いてく?」

「出口は、離れたところにしかないのかな」

「ちょっと急ぎましょうか!」

 外に出てステージの近くに行くと、次の曲を歌っている途中だった。

「『Oh Happy Day』だね」

 屋外でマイクがないのにちゃんと聴こえて、声も重なっている。
 手拍子をしながら聴いていると、自然に体も左右に揺れる。
 こういう歌は楽しくていいなぁ。

 私達が来た頃には後半に入っていたようで、すぐに曲が終わった。
 そのままMCを挟まず次の曲に入った。
 時間を見ると、これが最後かな。
 最後のあたりではみんなが知っていて、テンポのいいものを選んだようだ。
 『Joyful Joyful』ならこういうときにぴったりだ。


「いやー楽しかったねー」

「あれだけ動けばね」

 後ろの方で大きく動いていた未央ちゃんはとっても満足した顔をしている。

「次は奇術部のステージって書いてありますよ! 奇術部ってなにをするんでしょうか?」

「たぶん手品とか大道芸とか、そんな感じじゃないかな?」

 私の言葉通り、ゴスペルサークルがはけた後にはいろいろな道具が運び込まれていく。
 その中から、燕尾服を着てシルクハットを被った人が前に出てきた。
 クルクルとステッキを回して、花とシャボン玉とへご野……鳥のおもちゃを次々と出していく。
 間の抜けた鳴き声を上げながら脇に投げ捨てられたところで、笑いが上がった。
 今度は帽子を外してそこから鳩を取り出して――

「ぁっ」

 肩に乗せたところで、どこかに飛び去ってしまった。
 平然と手品の続きをしているけど、あの反応を見るに本当は逃がしちゃいけなかったんじゃないかな……?


 また講義棟に戻って、いくつかの展示ブースを回った。

「そろそろお昼にする?」

 時計を見ると、もういい時間だ。

「外の屋台でだよね? どんなお店があるの?」

「ええと……いっぱいです! 歩いてみて気になったものを買えばいいのでは?」

「よし、じゃあそれ採用で」

 というわけで、屋台が一番集まっている場所にやってきた。

「こうして見てみると、意外とご飯になりそうなものってないね」

「がっつり食べられるものは見当たりませんね! 近くにコンビニもありますけど、どうしますか?」

「まあまあ、まだ全部は見てないから……ね?」

 足が鈍っていく二人の背中を押しながら歩く。
 見てきた屋台はほとんどがお菓子やおやつのようなものだった。
 お祭りの屋台が一番近いだろうか。

「からあげとフランクフルトとサーターアンダギーと、ってたくさん食べるわけにもいかないし」

「それはちょっと、もたれそうだね」

「となると、候補は焼きそばと……お好み焼きですか?」

 焼きそばは最近食べたし、お好み焼きかな。
 茜ちゃんが指差す先を見ると、お好み焼きの屋台があった。

 二台、並んで。

 片方には鯉や神社や鹿や紅葉や戦艦と一緒に広島名物の文字。
 もう片方には虎や蟹や城やタワーや走ったり太鼓をたたいている人と、大阪名物の文字。
 屋台の前からは威勢のいい呼び込みの声が聞こえてくる。

「これ、どうする?」

 やっぱり売り上げを競っているのだろうか。
 片方に行こうとするともう片方からの勧誘がすごい。
 正直、近寄りづらい雰囲気を出している。
 今も買っている人はいなかった。

「二個ずつ買えばいいんじゃないの?」

 そう言って、屋台の前に歩いていく。
 やっぱりあれは争ってると思うんだけど、それでいいのかな。


 お好み焼きを食べた後は、控室に戻って衣装に着替えた。
 出番は午後からだから、少し早めに準備をしておく。
 前日にも別のところで場所を借りてリハーサルをしたから、本番当日のリハーサルはない。
 学園祭をしている最中で、できる場所もないし。

 今回のバンドのメンバーは、ここの大学の学生だ。
 なるべく手軽に出演できるように、呼ぶのは私達だけということにしたようだ。
 サークルから募集をかけたらすぐに決まったらしい。

 そんな経緯で決まったメンバーだけど、ヤーさん曰く「この三曲だけならライブハウスに出しても上位」らしい。
 実際リハーサルでもしっかりと合わせてくれていたし、ヤーさんからも予想していたよし遥かに上手かったと褒められていた。

 これからするのは、本番前の最後のミーティングだ。
 ずいぶん早くにするとは思うけど、もし急な変更点があったら困るから仕方ないのかな。
 ともかく、ヤーさんに行ってくるよう言われたからには必要なのだろう。

 指定された部屋のドアを開けると――

「……あははははは! いや、何してんの!?」

「なんと!」

「これはさすがに予想外だったかな……」

 緑の法被のキーボード、オレンジの法被のギターとベースに、赤い法被のドラム。
 そこには、バンドメンバー(ただのファン)が揃っていた。

「よう、ドッキリ大成功じゃねぇか」

 後ろから入ってきたヤーさんが私達を追い越してメンバーと拳を突き合わせる。

「どういう状況なんですか、これ?」

 ヤーさんに問いかける。
 ここまで私達を知っている素振りすらなかったのに、どういうことなのだろうか。

「こいつらずっとこれは仕事だからって自重してっからよ。昨日のやつ見てもまぁ金取っても悪かぁねぇくらいだし、役得があってもいいんじゃねぇかってな」

 それで、その結果がこれと。
 これから一緒にライブをするメンバーが私達のファンだったというのは純粋に嬉しいことだ。
 どうせならみんなで仲良くやりたいし、これで微妙にあった壁もなくなるはず。

 ただしこの法被、伝統なのか描かれているのは写真じゃなくて、かなり美化したような絵だ。
 例えば、あの緑色の法被の背中には白いドレスを着た……私が、描かれている。
 うん、なるべくそこは見ないようにしよう。

「せっかくの機会だ。写真でもサインでも好きにファンサービスしてやれや」

「なんでもOK?」

「おう」

「了解」

 それを聞いて未央ちゃんがギターとベース、茜ちゃんがドラムの元へ。
 私もキーボードのお姉さんの前まで歩いて行った。


 改めて見ると、昨日までと髪型も違うし、眼鏡も掛けていない。化粧もガラッと変わっている。
 というか、普通に見覚えが……

「……よく来てくれてますよね? なんで気づかなかったんだろう」

「私だって頑張って本気で全力で変装しましたから!」

「変わりすぎですよ。別に最初からそうしていてもよかったのに」

「いえ、それはファンとしてのプライドが許しません。今日はプロデューサーさんから頼まれたからなので」

「そ、そういうものですか」

 こういうところは、だからこそ信頼出来ていいことなんだけど。
 もっとすごいところだと、鉄の掟や国法とかもあるくらいだし。

「そういうものです」

 胸を張って言い切る姿は、どこかかっこよくすら思える。

「だから……とりあえず色紙とキーボードにサインと、それから写真を――」

「さっきと言ってること違いませんか!?」

「だってぇ……」

 泣きそうな顔で見つめられると罪悪感が……

「大丈夫です。気持ちはわかりますから。でも、落ち着いてひとつずつですよ。ね?」

「はい!」

 そこからは、それぞれサインをしたり、二人で写真を撮ったり、ちょっとだけ歌ったりして。
 みんなで写真を撮ったところで、最期に調整があるということで一旦解散になった。

「ところでヤーさん、今時間はありますか?」

「少しならあるが……どうした日野?」

 パンフレットを広げながら、茜ちゃんがヤーさんに近づく。

「ドネルケバブをやってるお店があるので、食べに行きたいなぁと。ちょっと足りなかったので!」

 そう言って指差したのは、かなり遠くにある屋台だ。

「往復する時間くらいはあるが、遅刻しないだろうな?」

「藍子ちゃんと未央ちゃんがいますから!」

「へ? あ、はい。大丈夫ですよ」

 地図を見ていたところで突然名前を呼ばれて、気の抜けた返事になってしまった。
 遠いし道順も複雑だ。はぐれてしまうと時間がかかりそう。

「保護者付きならいいか、衣装は汚すな。気を付けろよ」

「はい! 行ってきます!」


 行きは特に何事もなく、屋台の前に出来ている列に並ぶことができた。
 お肉の焼けるいい匂いが辺りに漂っている。
 焼いたお肉の塊を包丁で削ぎ落としていくところも見れて、待っている間も飽きることはなかった。

「うまい! 来てよかったです!」

 量はそこまででもないけど、衣装を汚さないように注意していると少しずつしか食べられない。
 そんな中、茜ちゃんはガツガツと食べ進めていた。
 しれでうて綺麗に食べているのはさすがだ。

 このままだと食べ終わるのにちょっと時間がかかるかもって――

「んむーー!!」

 食べている間に具が後ろの方にたまっていたのか、茜ちゃんがかぶりついたときに横からボトボトとこぼれてしまった。
 ソースもついていて、そのまま衣装に付いたら大惨事だったけど、その前に左手に持っていた紙で受け止めることに成功していた。

「……ごくん! いやー、危なかったです! ちょっとゴミを捨ててきますね!」

 最後の一口を急いで詰め込むと、紙を丸めてゴミ箱の方に向かう。

「日野っちは心臓を止める気かな? 本気で焦ったよ」

「紙を持ってて本当に助かったよね」

 未央ちゃんと顔を見合わせて、ほっと息を吐く。
 茜ちゃんが髪を持ってなかったり、とっさに受け止めていなかったりしていたらと思うと……あれ? 紙……?

「ねぇ、これって」

「あーちゃんマズいよ」

 二人で茜ちゃんの方を向く。

「茜ちゃん待った!」

「日野っちストップ!」

「はい?」

 茜ちゃんはちょうど、とてもとても小さくぐしゃぐしゃに丸めた紙をゴミ箱に投げ込んだところだった。

「日野っちそれパンフレットだから!」

「えっ? あっ! ああーーっ!!」

 茜ちゃんが頭を抱えて崩れ落ちる。
 ……ケバブは残り少ないし、先に食べきってしまおう。

「どーする? これ」

「近くで新しいのをもらえばいいかな?ここは地図を見ないで歩きたくはないから」

 屋台で訊くのが一番いいかな。

「よし!」

 未央ちゃんと相談していると、茜ちゃんが手を叩いて立ち上がった。

「あっちの方に向かえば行けるはずです! 何とかしますから!」

 そう言って、走り出す。

「未央ちゃん!」

「追うよ!」

 どうやってその結論になったかはわからないけど、暴走してしまったようだ。
 来た方向はそっちだけど、途中で何度か曲がっているから茜ちゃんが向かったのはステージの方向と逆だ。
 財布以外何も持ってきていないから、ここではぐれてしまうと非常にマズい。

「茜ちゃーん!」

「日野っちー!」

 走りながら叫んでも、茜ちゃんのところまで届かない。
 最初にあった差も人込みをかき分けながらではなかなか縮まらない。
 見失わないようにするので精一杯だ。


「あれ? ここはどこですか?」

 裏門のところで、やっと茜ちゃんが止まった。

「えーと、たぶんあっちですね!」

 と思ったら、すぐに走り出す。
 それでも、ずいぶん差は縮まった。

「すみません! 一部もらいます!」

「は、はぁ……」

 門の近くにあったテントを通り過ぎるときに、パンフレットを一冊取っていく。
 走りながら地図を開いた。

「どーするあーちゃんもう時間ないよ!?」

「このまま走って行った方がいいね。今は……ここだから……」

 思ったよりステージから離れていないし、道もわかりやすい。

「茜ちゃんそこ右!」

「おおっ!? はい!」

 茜ちゃんが直角に右に曲がった。
 この調子で誘導していけば辿り着けそうだ。

「あーちゃんなんか私達の後をたくさん人がついてきてるんだけど!」

 未央ちゃんが後ろを振り返ってそう言ってくる。

「ごめん今余裕ない! 茜ちゃん左!」

「はいはいはい!」

「ねぇ! 今もどんどん増えてるんだけどてかヤバいペース上げよ!」

「そんなに……ってええええーー!?」

 一瞬だけ振り返ると、通路一杯に人が並んで走っているのが見えた。

「あっ、そこ右!」

 追いつかれたら轢かれてしまいそうだ。
 もう少し速くしよう。

 そうしてしばらく走って。

「見えた!」

 ステージ前にはもうたくさんの人が詰めかけていた。
 そこに、茜ちゃんを先頭に私達が駆け込んだ。
 その後ろからは、またたくさんの人がなだれ込む。

 ステージの下では、ヤーさんが待ち構えていた。

「遅せぇ!」

「ごめん!」

「準備運動は!?」

「バッチリです!!!!」

「声は出せるな!?」

「はいっ!」

「んじゃ行って来い!」

「行ってきます! プロデューサー!」

 近づいたところで、ヤーさんがマイクを投げてきた。
 それをキャッチして、次々とステージに飛び乗る。
 マイクと同時に私達が投げた財布は、ヤーさんが全部受け取っていた。


 私達がステージに立ったのを確認して、ヤーさんが右手をさっと上げる。
 それに合わせて、『Orange Sapphire』のイントロが流れ出した。

「最初から飛ばそう! 日野っちセンターよろしく! バンドは……OKね! ミスってもいいから全開で! よし、行くよ!」

『「「「1,2,3,ハイ!」」」』

『「「「イェイ!」」」』

『「「「I LOVE YOU!」」」』

『「「「WAO!」」」』

 茜ちゃんをセンターにしたときは、とにかく全力で弾けるとき。
 バンドのメンバーも言われなくてもわかってたみたい。

「恋の島みつけられたら キラキラ☆大ハッピー!!」

「思いっきりはしゃいじゃうよ」

『「「「せーので!パパ☆パラダイス」」」』

 『Orange Sapphire』は有名なだけはあって、みんなどこかで聞いたことはあるようだ。
 大閃光のオレンジを折っている人も居れば素手の人も、オレンジのタオルを振っている人もいるけど、みんな楽しそうにしている。

「「「もうすこし シンデレラパワー 信じていたいから」」」

「「「Oh Like a」」」

『「「Orange Sapphire☆」」』「せーの!」

『「「「passion!!!」」」』

 サビに入ってからは未央ちゃんが外れて煽り出した。

「ミラクル呼び込んで!」

 でも、自分のパートはいつも通りやってくれている。
 特に合図もないし、このまま普通にかな。

「あなたに届けたい」

「「「とびきりの時間を」」」

『「「「ハイ!」」」』

『「「Orange Sapphire☆」」』「行くよ!」

『「「「passion!!!」」」』

「キラキラきらめいて!!」

「その笑顔を」

「「「ずっと見ていたいMr. boy friend.」」」

『「「「Oh Oh」」」』

『「「「YEAH!」」」』

『「「「I LOVE YOU!」」」』


 『Orange Sapphire』が終わって、会場はこれ以上ないほどに暖まっている。
 一曲終ったところで、未央ちゃんと茜ちゃんが場所を交換して、未央ちゃんが真ん中に戻った。

「みなさん楽しんでますかー!!??」

『おおおおお!!』

「『Orange Sapphire』知ってましたかー?」

『はーーい!』

「みんな! さっきは楽しかった!?」

『おおおおおおおおおおお!!!!』

「ありがとう! こうやってすっごく反応返してくれて嬉しいよ! さて、改めまして、私達!」

「「「『ポジティブパッション』です!」」」

「あ、これだけ先に言っておくけど。遅刻してないよ!」

「最初に言うことがそれなの!?」

「ギリギリ間に合いましたから!」

 たぶんこんなこと言っても、私達以外はわかってないと思う。

「それがね、さっき衣装に着替えてから遠くにあるケバブの屋台まで行ったら地図をなくして構内を彷徨う破目になったりって語るも涙聞くも涙の……」

「だいたい自業自得なので気にしないでください! それにしても、ここってとっても広くてたくさんお店や展示がありますよね」

「私達もさっきまであちこち行って来ましたよ! おっ? あのツナギには見覚えがありますね!」

「というわけで、私達もとっても楽しませてもらったよ! 短い時間だけど、その分ここで私達も盛り上げるからね!」

「さっきの曲は『Orange Sapphire』でした。未央ちゃんと茜ちゃんがCDでは歌っているけど、みなさんだいたい知ってたみたいですね」

「夏らしくていいですよね! 燃えますよね!!」

「本当に、こんな夏休みだったら楽しいよね! 今年はもう海には行ったから、後は花火かな?」

「予定は後で立てるとして。未央ちゃん、告知」

「えっと、次は私達の新曲です!」

「こっちも夏にピッタリです! 爽やかでテンポのいい曲ですよ!」

「あっ、最後にあーちゃんセンターで『絶対特権』やるからあーちゃんのファンのみんなは楽しみにしててね!」

「それは今言わなくても……」

「おっと、そうだった。これから歌う新曲のCDはステージ横で販売してるから、気に入ったら見てみてください!」

「これで大丈夫かな? さて、そろそろ次の曲に行きましょう」

「それでは、聴いてください!!」

「「「『Summer days rhapsody』!」」」


「輝く飛沫浴びてーー!」

「今飛びー! 出っ! そう!!」

「晴れわたる空へ――――」


……………
………


 ポジパの夏休みのお仕事は、大成功だった。
 出演料自体はそこまででもなかったけど、ステージ横でCDが売れに売れて、ヤーさんの「ククク……」という笑いが止まらなかったくらいだ。
 こういうお仕事の割にはかなりいい儲けだったらしい。

 今年の夏休みも長いようで短くて、それでいていろいろなことがあった。
 あれから一週間が経ち、明日からは学校が始まる。
 夏休みの最終日、最後の思い出づくりにお祭りにやって来た。

「ひゃっほおおおおう!」

 未央ちゃんがまた射的でお菓子を落とした。
 ここに来るまでに屋台を回って、もう両手は塞がっている。

 浴衣を着て、頭にはお面をつけて、手には水風船のヨーヨー。
 金魚すくいだけは後々のことを考えると手が出しづらいけど、それ以外は全力でお祭りを楽しんでいた。

「おまたせ!」

 未央ちゃんが景品を貰って戻ってきた。
 お菓子の箱を何個か抱えている。

「もうだいたい屋台は回ったよね? 次はなにしよっか?」

「まだかき氷とリンゴ飴を食べてませんし、わたあめもまだですよ!」

「じゃあ次はそのどれかにするとして、買ったら一旦どこかでゆっくりできないかなぁ」

「と言っても座る場所なんてなかなかないよ? ……もう一回型抜きに行くって手もあるけど」

「やめましょうよ! あれは苦手なんです!」

「茜ちゃんには……そうだよね」

 型抜きみたいに地道に少しずつ削っていくのは明らかに向いていない。

「えー、おいしいのにー」

「そうだろうけど、時間かかり過ぎだよ」

「はーい」

 未央ちゃんはひとつ成功して、お金を増やしていた。
 ただ、最低でも三〇分はかかるから、今から行くのはちょっと……

「花火の始まる時間も近づいてきたから……わたあめを食べながら花火の最中に食べるものを買って、座れるところを探そう?」

「異議なし! 私も座って見たいし」

「わたあめはあそこですよね!」

 私達のいるところから一番近いのがわたあめの屋台だった。
 他の探している屋台は見えないけど、ちょっと歩けば見つかるはず。


「藍子ちゃん」

 わたあめを頼んで出来上がるのを待っていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「あれ? 藍子ちゃんに未央ちゃんに茜ちゃん! 偶然ですね♪」

 そこに居たのは、美穂ちゃんと卯月ちゃんと、プロデューサーさん。
 今日は二人ともお仕事だったから、終わった後にそのままこっちに来たのだろう。
 二人とも普段着で、プロデューサーさんはワイシャツを着ていた。

「こんばんは、しまむー。みほちーも奇遇だねー」

「うん、まさか会えるとは思ってなかったよー。びっくりー」

 ああ、この二人が連絡を取り合って合流したのか。
 卯月ちゃんと茜ちゃんはなにもわかっていないみたいだし、プロデューサーさんは言わずもがな。

「せっかくだから、一緒に花火を見ませんか? もう場所は見つけてあるんです♪」

「そうしたいけど……三人も増えて大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。かなり広かったから」

 美穂ちゃんが即答した。
 未央ちゃんと話してたならこうなることはわかっていたし、準備はしていたようだ。

「私もしまむー達と見るのに賛成。日野っちは?」

「私もオーケーです! 空いてるとこを探さなくてよくなって助かりました! ありがとうございます!!」

「それじゃあえーと、藍子ちゃんたちはなにかやり残したことはある?」

 やり残したことと言えば……

「まだリンゴ飴を買ってないのと」

「かき氷も欲しいです!」

「あとは移動しながら適当に目についたものを買っておきたいくらいだね」


「美穂ちゃん、私達もついでに買っておく?」

「そうだね。それで――」

 美穂ちゃん達がプロデューサーさんの方に振り返った。

「今日私達、頑張りましたよね?」

「…………わかったわかった。なんでも好きなもの買え」

「あれ? 意外とあっさり……」

「祭りなんだからこれくらいいいだろ? まぁ日頃の分も含めてのご褒美だよ。独身貴族にはこのくらい痛くも痒くもないし」

 美穂ちゃん達はプロデューサーさんに奢ってもらうことになっていた。
 最後にちょっと悲しいことも言ってたけど。

「藍子。それから本田さんと日野さんも。好きなもの買っていいぞ」

「私達もいいんですか?」

「もうここまで来たら二人も五人も変わらないからな。あっ、でも常識の範囲内にしてくれよ」

 注意は慌てたように付け足した。

「どーしよっかなー」

「未央ちゃん?」

「わかってるって! 普通にするから!」

 ここに一人、ギリギリを攻める人がいるから。
 今日に限ってはさっき撃ち落としたお菓子で手がふさがってて、実際には何もできないだろうけど。

「さて、早めに行ってしまおう。空いてるうちに動いて待ってるくらいがいいだろ」


 美穂ちゃん達が確保していた場所は、六人で座っても少し余裕があった。
 下の方が建物で隠れるからか、他の場所に比べたらぎゅうぎゅう詰めというわけでもない。

 かき氷をつついて、リンゴ飴を少しずつ舐めていたところで花火が打ち上げられた。

「おお~!」

 茜ちゃんの驚く声が聞こえた。
 最初の一発はとても大きい。首を限界まで反らしてやっと全体を見ることができた。
 それが終わると、花火が絶え間なく打ち上げられては開いて重なっていく。

「わぁ……」

 最後は大音量のスピーカーの前に居るような音が響いて、金色の光が空を埋め尽くしてぱっと消えた。
 数秒、暗闇が広がっていた空に大きな花が開く。

「お、しだれ柳だ」

「これが好きなんですか?」

 ぱっと開いた後は、金色の星が長い尾を引いてゆっくりと落ちていく。
 柳みたいに大きくて綺麗な花火だ。

「そうそう。これが一番好きなんだけどなかなか上がらないからさ」

「たしかに、あまり見ませんね」

「最後にジュッ、って光るのもない方がいいんだけど、最近はそればっかり……って言っても仕方ないな。藍子はどんなやつが好きなんだ?」

「普通のやつが一番ですよ。菊って名前でしたか?」

「たしかな」

「あとは、動物の花火とかもかわいくていいです」

「あれなぁ。ちゃんと絵に見えるのはすごいよな」

「毎年進化してますよね」

 新しい絵柄にチャレンジしているのか、見たことのない花火が必ずある。
 たまに失敗して潰れてしまったりもするけど、二発は上がるから次は大丈夫かって期待と不安でどきどきする。

「本当に……花火、綺麗ですよね」

「……」

 どうしたんだろう? こっちを見て。

「どうしたんですか、プロデューサーさん?」

「いや、別に」

以上です。お付き合いいただきありがとうございました。
ゆるふわラジオも二つ用意してるけど規制入ったので後程。
藍子誕生日おめでとう!


Summer days rhapsody
https://youtu.be/y2udwBcRe1E

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