【安達としまむら】そらのかけはし (35)
安達さんもしまむらさんも出てきません。
【安達としまむら】みずいろはなび
【安達としまむら】水色の君 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1438086598/)
↑過去作です。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1467892087
「さーさーのーはー、さーらさらー」
赤、青、緑、黄色。
くしゃっとしたリース作りも、毎年やれば上手になるものである。
テレビには最近売れてきたお笑い芸人。机の上にはクッキー、リモコン。
飲み物のコップは去年、折り紙にじんだいなひがいをもたらしたので机の上には立ち入り禁止だ。
「見てて面白くないですな」
「やってるほうが面白くないよ」
さっきまで食い入るように見つめていたお客さまも、どうやらずっとコレばかりなのはお気に召さなかったみたい。今はもっぱらお菓子に目が釣られている。
チョキチョキ。折り紙を細く切る。
ペタペタ。折り紙の輪っかを繋げていく。
実はわたしはコレにいくらか自信がある。
テキトーに数を作れば良いってもんじゃなくて、色を変えたり、幅を揃えたりしないときれいにはならないのだ。
「どう? ヤチー、きれいでしょ」
「はい、きれいですよ、しょーさんは」
「あ、ぅ」
そんなことヤチーに理解してもらえるなんて思ってはいなかった、けど、そんな切り返しがあるなんてもっと予想できなくて、目をそらしてしまう。恥ずかしい。
はあっと一呼吸ついて前を向くと目の前にヤチーの顔があって、「わぁ」もうなにがなんだかわからない。
「きれいだと思ったら、近くで見たくなりまして」
「ご、ごかってにどーぞ」
できるだけ反応しないようにしながら、輪っか作りを再開する。
いいんだけど。簡単だから気が散ってもいいんだけど。はさみ持ってる時はやめてほしい。ほっぺにちゅーしてくるのは。
でもあぶないなぁ、とは言わない。そこは鍛え抜かれたテクニックの見せどころだ。意地でもギブアップはしない。
「ぺろ」
「ひ、ひゃあ!」
いきなりぬめっとした感触がほっぺを伝って、あやうくはさみを取り落としそうになる。
これなのである。最近のヤチーは放っておくとすぐ調子に乗ってどんどん近くに入り込んできてしまう。テレビで話題のパーソナルスペースなんて、どこ吹く風だ。
一見すれば作り物のような瞳がわたしを覗き込む。瞬間、氷のいっぱいはいったジュースが喉を通り抜けるような、めまいのする涼しさに襲われる。
二十八度設定のクーラーじゃ、とても太刀打ちできないくらいの気持ちよさ。
「まー、こんくらいでいいか」
本当は良くないのだが、わたしの集中力だってカッチカチの氷ってわけじゃない。
そもそも人様に誇れるようなスグレモノでもなかった気がする。
ともかく一メートルくらいの飾りを二本とちょっと作ったという結果だけは確かなので、あとは深く考えないことにした。
「おお、しゃらしゃらー」
「振り回さないでー、きれる、きれる!」
あとはこの飾りが夕方まで無事に生き延びられることを祈るばかりだった。
――
日が傾いてあたりが薄暗くなった頃、わたしはおかーさんと一緒に町内会の七夕祭りに出かけた。もちろんというか、ヤチーもついてきた。
「びゅーん、びゅーん」
「落とさないでよ、かざり」
「落としたって拾えばバレやしねーって」
そんなことがありながらも、七夕飾りは何事もなく町内会のおばさんに引き渡され無事飾られることになりましたとさ。めでたしめでたし。
祭りといっても出店は二軒しかない小さいお祭り。なのに立派な笹の枝がある。根元をビニールっぽい袋で押さえてなければもっとかっこいいのにって毎年思う。
隣には運動会とかでよくあるテーブルに、短冊とペンが置いてある。もうお願いごとを書いてる人もいるみたいだ。こーゆーのいちばん最初にかく人の気がしれない。
わたしとしては自分のが笹の上に飾られる勇姿を見届けたかったけれど、ヤチーが七夕飾り以上にみんなの目線を惹くので、早いうちにそそくさと物陰に退散することになってしまった。
少し湿っぽい公園の草むらは土のにおいがして、小さな屋台の灯りに群がる人たちとこちらは別の世界のようだった。
「おもしろい植物におもしろいかざりをくっつけて、おもしろい人間たちですな」
くっくっ、とヤチーがにひる? に笑う。
とっさに言い返そうとして口を開いたけど、なんで笹なのか、なんであんなかざりなのか……わたしはよく知らなかった。くやしい。
「じゃあ、おもしろいついでに一つ、おもしろい話をしましょう」
おー、ぱちぱち、とヤチーが期待のまなざしをむける。
とりあえずヤチーの知らない話を教えてあげて、一本取ってやらないと気が済まない!
「むかしむかし、織姫と彦星という恋人たちがいました」
「ほぅほぅ」
「二人はとても仲がよく、真面目に仕事をしていました……」
話を始めてみると案外うろおぼえだったり間違えたりしたけれど、その間ヤチーはじっと真剣な顔で聞いていてくれた。
わたしの動機がちょっと不純だったから申し訳なかったけど、興味を持ってくれたことは少し誇らしかった。
でもなぜか、話が終わりに近づくにつれ、ヤチーの表情がちょっと、かなしそうになっていってる気がする。どうしたのかな。
「こうして、二人は一年に一度だけ、出会うことが出来るようになりましたとさ。おしまい」
「…………」
「……おもしろかった?」
答えはない。少し悲しそうな瞳でわたしを見つめる。
やめて。そんな目で見られたら、わたしまで悲しくなっちゃう。
少しためらいがちに口が開いた。
「わたしも」
「……うん」
「わたしも、仕事をほったらかしてたら、しょーさんと会えなくなってしまうでしょうか……」
「え?」
そんな、おとぎ話なんだからー。
って、軽いノリで流そうとして、わたしがヤチーについて何も知らないことに気づく。本当に、ありえないなんて言い切れるのかな。
突飛で、明るくて、謎だらけで、でも嘘はなさそうで、大好きなともだち。
そんなヤチーの、何を、わたしは知ってるの?
「やですよ……しょーさんと一年に一度だけしか会えないなんて……」
「うん……わたしもやだ、それは」
だけど。
だけどそれは、きっと無責任とか無関心っていうことではなくて、まだ歩み寄っていく、かけ橋の途中だから。
「でも、ヤチーなら」
「……はい、」
「ヤチーなら、天の川なんてひとっ飛びで、いつでも会いに来てくれるよね!」
実に五分ぶり。
五分ぶりくらいに、目の前のやわらかほっぺに、いつもの緩やかな曲線が戻ってきてくれた。
「しょーさんが、まっててくれるなら……えぇ、もちろんです」
「もぉ……それでこそヤチーだよっ」
「えへへ」
「あはは」
さらさら。和やかな空気と、爽やかな夕方の風がわたしたちの間を通り過ぎる。
お互い何も言わない、この瞬間がひどく気まずく思えて、まつげから風にさらわれた水色の一粒を目で追いかける。
はるか遠くに聞こえる綿あめ屋さんの売り子の声、笹の音、小銭の音。その静寂を先に破ったのはヤチーだった。
「誓いのちゅー、しますか?」
「え、ぁ、う?」
「ちゅー」
「い、いやまって、ここ、そと、だしっ」
「えー」
祭りから離れてるとはいえ、壁も仕切りもない、こっちを見られたらばれる。何よりヤチーは目立つ!
冗談じゃない。友達にでも見られたら大変だ。
ヤチーが歩く不思議生物なら、わたしはそのお付き人になってしまう。ご近所のうわさものだ。外を歩くたびにヒソヒソ後ろ指を差されてしまうのは避けたい。
いやそれもあるけど。
こんなこと家族にばれたら大変だし! 恥ずかしい。
いやねーちゃんにはもうばれたけど。
世間的なてーさいというか。社会的なしんよーというか。
あれ? もう何が何だか……。
「そーですかー、そーですかー……」
わたしがもたもたしてる間にヤチーはしょぼくれた顔でうつむいている。まるで一年間の別れかのように。
……あーもう!
わかってた。最初に言われた時点でわかってた! いっぽんみち!
手足の先に散らばった勇気を、からだの真ん中にギュッと固めた。こっちを見ないヤチーに、わたしは二歩踏み出して距離を詰める。顎にそっと手を添えて、くいっと持ち上げる。目が合った瞬間、あたまは――真っ白になる。もう目を開けてる必要なんて、ない。とじる!
「んちゅっ」
「お、おぉ? おぉー」
「ふっ、ふつつかものですがっ、よろしくおねがい、しまし……」
「おねがいしまし」
かんだ! それを軽く返された!
もー。
あーもーうめぼし。
うめぼしみたいな顔してる。今。
やちーはうめぼしってない。顔はあげられないけど。それぐらいはわかる。
だって、大好きだから。
にっこり笑ってるだろうなぁってことも、わかってるんだから。
ぽつり。
「え? ヤチー、よだれたらした?」
「わたしをなんだとおもってますか」
半そでからはみ出した腕につめたいしずくがひとしずく。
ふたつ。見上げたひたいに。みっつ。もういちど右手。
そこから先はぱらぱらという音とともに無数の雨粒がからだにふりそそいできた。
「あめだー」
「わーいわーい」
なぜかはしゃぎだすヤチーをしっかりとつかまえて、にぎやかな灯りのほうへ急ぎ足で戻る。
屋台へ戻るころには町内会の人も子供達も帰り支度を始めていた。雨にはしゃいでいるのはヤチーと三歳くらいの少年二人のみだ。けっこうみょーちくりんな光景だと思う。
笹の上には水を吸ってぼってりとしたわたしの七夕飾りが引っかかっていた。今年は散々なあつかいだ。
「どこほっついてんでぃ、けぇるぞ」
「はーい」
わたしたちも無事合流、ちょっと遅めの帰り道となった。
「ほい濡れないように、ダッシュ、ダッシュ!」
「わーいわーい」
雨の中を走る大人。ダメな大人だ。こーゆー大人にはなっちゃいかんな。
って速い速い! ヤチーも速い!
……完全に置いてかれた。
「歩いて帰ろう」
歩いて帰るとおかーさんが超得意顔で待っていた。「そんなんじゃ世界は狙えねーぞ」うるせーやい。
「ほい、そこの濡れ鼠二匹、タオル持って来てやるから軒先で待ってな」
そう言い残してぺったぺったと廊下を歩いていく。
こうして祭りの途中で雨に降られ、ドアの外で待たされるのは実は毎年のことだったりする。
「そういえば、雨だからまた織姫と彦星会えないねー」
「そうなんですか?」
「そうらしいよー。雨で川のかさが増えて橋が渡れなくなっちゃうんだって」
「なんと」
両腕を真上に伸ばしてのけぞる。『びっくりー』みたいなジェスチャー? それ。
「七夕は雨振ること多いから、実際は一年に一回も会えないんだねー」
「そう、ですかー……」
なにか納得いかないって表情をしてる。
まずい。こういうときのヤチーは何かとんでもないことをやらかす。わたしは経験でそれを知っていた。
「ひとごとじゃないですね」
「え?」
ぼそぼそと何かを呟き続けるヤチー。やがて合点がいったと言わんばかりにこちらを向く。
「では、目をつむりましょうか」
「えっ?」
目をつむる前に後ろからにゅっと手が伸びてきてあたりがまっくらになる。
いきなりなにすんのさー、と手を押しのけようとしても、すごい力でびくともしない。
げぇぇ、とあっけに取られていると耳元で声がして、指の隙間から光が入ってくる。
「はい、どうぞ」
「う……わぁ……」
暗闇から目が慣れるまでの数秒間、その間にすらすでにその非現実的な輝きをイメージとして感じ取ることができた。
しかしそれもピントが合ってゆくにつれて、色あせた一瞬前の残像に過ぎない何かへと変わってしまう。
困惑、不安、期待、そんなもの全部全部吹き飛んでしまう光景が、そこにはあった。
目に飛び込んでくるのは、雲ひとつない、こんぺいとうをくだいたような銀色の星空。
プラネタリウムでも見られないほどの素敵な輝きに、隣のヤチーも間違いなく一役買っていた。
「どうです、そらのおうさまもびっくりの星空でしょう」
「地球に住んでる人は、多分見たことないよ、誰も……」
わたしと、ヤチー。たった二人を除いて。
そう思うと、胸の奥が締め付けられるようにあつくなって、すーっと、なみだがひとすじだけ出てきた。ながれた軌跡はヤチーに見られる前にすぐにごまかしてしまった。
「ありがとね、ヤチー」
「……はて?」
「んー……なんというか、ありがとうなの」
「んー、それではなんというか、どういたしましてー」
くすくす。
くすくす。
それからわたしたちはおかーさんが生乾きのハンドタオル二枚を持ってくるまで、何がおかしいわけでもないのにくすくす笑いあっていた。
見上げるといつの間にか星空は消えていて、かわりにしとしとという雨の音がそこにはある。いや、たぶんずっとあったのだ。
それでもあの星空をヤチーと見たことは間違いないし、これからもそれを疑うことはない。
七夕の夜に、満天の星空。
ウソみたいなヤチーの、ウソみたいな一面をまた一つ知れた日だった。
――
今日のしまむらさん
おやケンカか? 珍しいな。第一印象はそれだった。
騒がしいので部屋を覗くとヤシロの隣で妹がうずくまっている。ヤシロ、平謝り。
断片的な会話から推測していくと、ヤシロがどこか噛んでしまったらしい。
ついうっかりだと。ついうっかりで噛みつかれたらたまりませんよ。
間違いなら仕方ない、大丈夫、って優しいな妹よ。わたしならデコピンしちゃうぞ。二回くらいしちゃうかもしれないぞ。
いやどこを噛まれたかにもよる。足、 腕、それとも指? うっかりそんなとこを?
なんて、どうでもいい思考は突然の着信音に遮られ、煮詰まらないまま谷底へと消えていった。
――
ネコ飼いたいなぁ。
って、ネコの番組を見てると毎回口に出してる気がする。
でも本当に飼いたいのだからしょうがないのだ。だって可愛いし、癒されそう。
このことをおかーさんに話すたび、なんの説明のヒマもなく 『NO』なのだ。理由は『世話がめんどい』うむ。まったくもってウチらしい。
ご飯をあげてないことにだれも気づかずそのまま……というストーリーもこの散らかり放題の部屋を見ていると、あながちありえなくもないのだった。
ということで、ひとまず今日のところは部屋のスミでボーっとしてるヤチーで癒されることにしよう。
ダラーっと床に座りながらテレビ見てるわたしには、おネコ様は贅沢というものかもしれない。
「ヤチー、おいでー」
いっしょにテレビ見よう、とポンポンと太ももを叩く。なんでかヤチーも自分の太ももをポンポンと叩いてからこっちへやってくる。
わたしの前に立って、「よいしょ」わたしの膝の上にすわる。ふわっとしてすばやい身のこなしは、いつか見たノラ猫みたいだった。
それにしても、近くで見れば見るほど、量が多くて訳のわからないまとめ方をした髪だ。
くっついたらこの髪の中に埋もれちゃうかも、なんて少し期待をしちゃったけどそんな状況とはほど遠かった。なぜなら。
ヤチーはテレビに背を向けて座ったからである。
「……なんでそうなるの、ヤチー」
「ん?」
わたしの目の前に広がるのは柔らかい髪ではなく、深い水色の瞳だった。その瞳がわたしの向こう側の、答えを探す。
「あ、わたし重かったですか。まってください」
「そうじゃなくて」
ヤチーがあしをわたしの背中の方へ伸ばして身体をささえる。むしろ今までほぼ全体重がかかっていたのにあの軽さだったのが驚きなんだけど。
足を投げ出したことでさらにわたしとヤチーの距離が近くなる。もうちょい太ってたらお腹の部分がくっついちゃいそうだ。ほっとしたような、残念なような。
「ヤチー、一緒にテレビ見ようって話だったと思うんだけど」
「そうでしたっけ? わたしはしょーさんを見てる方が楽しいですが」
えぇ、そんな切り返し方あり?
そんな言われ方したら、無理に座り直させるのも……照れくさい!
でもこのままだとテレビが見えない。ヤチーが上で、わたしは下。今はわたしの方がおちびさんなのだ。おちびさんはわがままなのだ。
「みえない!」
「むぎゅー」
肩をぐっと押してヤチーを丸めて抱き込むと、風船から空気の抜けるような音がした。丸まった背中がネコみたいだ。
身体やららかいなぁ、ヤチーは。なんて考えながらCM明けの番組を見始める。二匹の子ネコが鍋の中でじゃれあうシーンだ。けっこー殺伐としている。おそろしい。
「ふぅー、ふぅー、」アゴの下からもなんだかうらめしげな声がする。怒ったネコみたいだ。今日のヤチーはネコの真似でもしてるのかな。
普通のネコ達は、ヤチーみたいなネコがいてもおっかなびっくりで近づきもしないだろうなー。そん時はわたしの家に来てくれれば飼ってあげるよ。三食昼寝おやつ付き、家賃はタダ。
なんて自由で楽な生活だろうか。わたしもネコになりたい。
丸い背中をさすりながらそんなことを考えていると、「ひゃん!」急に首の下らへんに変な感触が生まれた。ヘンな声を上げてしまう。下を覗くとヤチーがくちびるをさこつにむちゅーってしていた。
「なっ、なにっ、してんのっ!?」
「ふふん、これくらいで音を上げるとは、しょーさんもまだまだですな」
やたらと誇らしげな顔でわたしを見つめる。背中丸まっててかっこ悪いぞ。
何がまだまだなのかよくわからないがよーするに、わたしがテレビを見るのを邪魔したいのだろう。得意げな表情がわたしのとーそーしんを刺激した。受けて立とうじゃないか。まだCMには時間があるので、姿勢を戻してテレビに集中する。むん。
「うぅー」
ヤチーがモゴモゴなんか言ってるけど、気にしない気にしない。世界のお馬鹿なネコちゃんトップテン。ペットボトルに入っちゃったネコちゃん。
ミケネコのはるちゃんはペットボトルで遊ぶのが大好きで「ぐぇっ」なんとヤチーがわたしのお腹に頭突きをしてきた。「ぐぇ」脇の下のたるんだあたりをつねって引っ張る。やめなさい。「ぐぇっ」だからやめろっちゅーの。「ぐへぇ」頭を振るたびに飛び散る光の粒がなんか血ぃ吐いてるみたいだなーとか思った。
ふりこのようにぶつかってくる頭は毎回同じところに当たって地味に痛い。「うぉん、うぉん、うぉん」なんだその掛け声は。
って、痛い痛い、なんかこう、内臓が、えぐられてる。たぶん。おえってなるー。
このままではマズイと思ったわたしはとっさにテレビの中からヒントを見つけ出し、ヤチーの動きを止める。「うぉー……あれ?」首根っこを掴むとネコは抵抗できなくなるらしい。本当に効いた。テレビってすごい。ありがとうネコちゃん。
うぅむうぅむとそれでも頭を振ろうとするが、がっちり首を掴んでるのでわたしには届かない。
「むー」
「ふふん」
顔は見えなくても不満そうな声は聞こえる。次どうしようか探しているみたいで、体がソワソワと動いている。
……あ、なんか、これ、いい。全身になまぬるい満足感が広がっていく。
思い返してみれば、わたしはいっつもヤチーに振り回されっぱなしだった。
ヤチーの行動はいつも突然で、へんてこで、わたしはそういったものに流されやすいからあれよあれよという間にすっかりヤチーのペースに乗せられてしまうのだ。
うちの家族(わたし除く)もなかなかのマイペース力だと思うけど、ヤチーのそれは比べ物にならないほどずば抜けている。「」
しかしそれがどうだ、今は手も足も出ない。文字通り借りてきたネコ状態だ。
上から誰かを見下ろすというのはけっこー気分が良い。それが自分の膝の上にいるのなら、なおさら。悶々とするかわいいヤチーを存分に眺めていられる。
たまにはこんな日もあっていいじゃないか。のんびりとした休日の昼下がりに、いつもと違うやりとり。一歩、大人になった気分。
「むむぅー、えいっ」
「お、おっとと」
頭突き再び、かと思いきやお手手を腰に回して、いわゆる……抱きついてきた。ちょっとバランスを崩して後ろ手を付いちゃう。少しリクライニングな姿勢になってしまった。
き、きにしない、きにしない。この程度、へっちゃらだ。むしろドンと来いなのだ。
この体勢になると、改めてヤチーの身体のしなやかさに気づく。胸もお腹もピッタリくっついて、顔だってこんなにも近い。女子としてはうらやましい柔らかさだ。どきりとして、少し、目線をそらしてしまう。
「んー……しょーさんの、においー」
「ん?」
「おわわっ」肩のあたりがじんわり熱いと思ったら、いつの間にかヤチーがフガフガ言いながらそこに顔を埋めていた。ネコの次は犬みたいである。
「むっ、むずぐったいっ!」
「ももー? ふもふもふもふももー?」
顔を埋めたまま喋るもんだからそのたび「ひゃああ」なんて情けない声が出てしまう。
とゆーか、さっきから、せなかもくすぐったい気がする……。ひゃっ。
「やっ、やちっ、何っして!?」
「むもー、ももむもふふふもー」
も、もう、わかんないってば!
ヤチーの息が服から肌に染みてって、余計変な気分になってる気がする!
てゆーかせなか! せなかというか腰というかびみょーな位置で手がモゾモゾしてる! これもなんか、なんというか、くすぐっ、むずっ……ぞくぞくって、する!
「や、ヤチー、こうさ、ひゃうっ! こうさん! まけ!ん、んっ、わたしのっ!」
「はふー?」
き、聞こえないフリとか、いいから! そゆの!
「ひゃんっ! ちょっ……もうむりっ!」
ヤチーのこうげきは突っ張った手に送る力すらもわたしから奪って、支えをなくした二人の身体はべちゃりと床に崩れ落ちる。
倒れた拍子にヤチーは猫背を伸ばしてもたれかかってくる。口が肩から離れて妙な熱気も勢いを落とす。
「はむぅ」
「き、ゃー!」
そこくびっ、くび!
「はむはむ」あろうことかそのまま首筋に吸い付いてくる。
本当に、目の前にあるものは何でも口に入れてしまう子供のようだ。
でもヤチーは、ほんとはそこまで子供じゃない。
……多分、ちょーしに乗ってる。
「や、ヤチー、ほんとに、それはダメっ、」
「ちゅー」
「ダメ……だって、ばっ!」
聞き分けのない子には、お仕置きの膝キック!
「おうふ」動きが止まる。その隙にヤチーの下から抜け出す。……ちょっと心配になる。いきてるかー。「だいじょぶ?」
「とおっ」びょんっといきなり立ち上がったので驚いた。「ほほーい」元気さには問題が見当たらない。腕をぐるんぐるん回す。つられてぐるんぐるん回す。
ヤチーがやたらと幼く感じるのは、行動が突飛すぎて何も考えてないように見えるからだと思う。それこそ、もっと小さかった頃のわたしのように。
「……うぁ」
服の右肩あたりがベトっとして気持ち悪い。あと首のあたりも。主犯者をキッと睨んだら何故か変顔を返された。
反省の色無し。れんこーします。
「ヤチー、お風呂はいるよ」
「えぇー、わたしはけっこーですよ」
「いいから来るのっ」
「あーれー」
後ろ襟を掴んでお風呂場まで引っ張ってゆく。
猫の散歩だよこれじゃあ。案の定ヤチーは不機嫌顔。
しかも脱衣所に着いてからもヤチーはわるあがいた。
「やーだーやーだー」
「ほら脱いで、早くっ」
もうまるっきり駄々っ子である。いつもより必死で嫌がるヤチーが自分とどこか重なって見えた。
「じゃあー、しょーさんが脱がせてくださいよ」
「はあ!? ん、なっ……しょーがないなー」
ため息をつきつつもワンピースの紐を解いてあげる。お姉さんらしい振る舞いが少し誇らしくて、不満の欠片はお腹の中でゆるゆると溶けていく。
「……なんでずっと見てんの?」
「よい手際だと思いまして」
「んー、ヒラヒラの服は一人だと脱ぐのメンドイからねー」
「これからも……脱がして、くれますか?」
上目遣いでそんなこと言ってくるもんだから訳わかんないイメージを想像してしまった。
「ほ、ほら、とっとと……入るよっ」
あまりそっちの方は見ないように……してるわけではないけど、なんとなく目をそらしつつ、浴室に入った。
――
「ほーら、あばれな、い、でーっ」
「やー」
水色に染まっていく水に見とれているうちに、無事に髪は洗い終えてしまった。そこまでは良かった。
それが身体を洗い始めたとたんに、また駄々っ子のようにイヤイヤコールを始める。そーされると、わたしもお姉ちゃんモードにならざるを得ないのだ。
「もーう、じっとしててー! うまく、あ、ら、えないっ!」
「ひ、ひゃ、あ、やっ、い、やーんっ」
わしわしわしと肩からお腹に泡を塗り広げていく。ヨゴレをちゃんと落とすように。
背中と腕はもうやったからー。
あとは太ももとー、おしりとー。
「ひゃ、ん、うぅー」
「あっ、逃げない!」
後ずさりするお子様は両腕で丸ごと抱きしめる。
ふふ、これで動けまい!
「う、う、とおーっ」「わっ!?」抜けた! にゅるんと。いや抜けたと言うよりは飛び出したの方が正しい。わしわしと動く指先が空気を掴む。
ともかくヤチーはわたしの腕からジャンプして無事、お湯の中に着水した。ざっぱーんという大量の水しぶきとともに。
言いたいことは色々あるけど、まず。
「も、もうヤチー! 石鹸も流さないでお風呂に入っちゃダメじゃん!」
「う、うぅ、だってしょーさんが……」
顔を沈めて少し申し訳なさそうに言う。ぶくぶく音がかぶって聞こえにくい。というか、わたし?
「どうして、いきなり、手で」
「え? いつものスポンジ無かったし、しょうがないから……」
思い出すなぁ、昔銭湯に行った時ねーちゃんに身体洗ってもらったっけ。いつも使うスポンジがチクチクして痛いから、その頃はねーちゃんに手で洗ってもらう方が好きだった。
何だかヤチーには不評みたいなので少し残念。スポンジには無い柔らかさが、好きな人は好きだと思うのにー。
「……あれ?」
やんちゃな妹を飼いならすお姉ちゃん風に洗ってたけど洗われてたのはヤチーで。さっきのイメージに当てはめればねーちゃんがわたしでわたしがヤチー。
「う、う、うわ?」
やばい。ちがう。やばいちがう。やばちが。顔が熱いのはきっと、お風呂場のせい。
違う違う違う! あれは一心不乱に洗ってて別に柔らかさとか確かめてなかったし! 全く反応なんか気にしてなかったし!
……もったいないことをした。
「あ、あのね、ヤチー」
「さわりたいなら、素直に言ってくださいね?」
「いや違くて、それはカンチガイというか……」
「いくらわたしでも、いきなりあんなことされたらびっくりしちゃいますよ」
うぅう。ホントに無心だったのに。でも返す言葉もございません。
「ちゃんと、みてくださいよー……」
「え、何? ぼそぼそとー」
何か言ったみたいだけど、小さくて聞こえなかった。
わたしの問いかえしも、小さくて聞こえなかったかな。
「ほらほらー、泡ができますよしょーさーん。おもしろいですー」
「もー、ボディーソープまみれで入るからー」
たまたまできてしまった泡風呂をヤチーは気に入ったようだ。おかーさんに見つかったら怒られそうだけど、それはそれ、これはこれ。
ばちゃばちゃと水面を掻いて沢山のシャボン玉を生み出すヤチー。水色の光がその一つ一つに反射して、青い泡風呂ができる。さながら水族館のようだ。
やばい。たのしそう。
「わ、わたしも入るっ」
「いちめいさま、ごあんないですー」
「何それ?」
「はて?」
あっちでばしゃばしゃ、こっちもばしゃばしゃ。
腕を振るたびに厚くなる泡の層を見ていると、疲れてもまた振り上げたくなる。ヤチーは、疲れとかなさそうにばっしゃばっしゃと扇風機のようだ。
「つかれたー、やめっ」
「ぴたっ」
わたしが手を止めるとヤチーも止まった。
そこにあったのはいつもと違う、雲の上のお風呂だった。ヤチーは雲の上の、澄んだ青空の役。
「わたあめみたい」
「わたあめ?」
「ふわふわしたお菓子だよー」
薄く光る水色はお祭り屋台のわたあめを思い出させる。緑とかピンクとかもあるけど、わたしはこのさわやかな色が一番いいと思う。
「ぱくっ」
「あ」
まじまじと見つめて、すくって、食べた!
やるかなーとは思ってはいたけど。実はちょっと味が気になっていたけど。
「うべぇー、にがーい」
そして出した。
苦いんだ。良かった食べなくて。ほっ。
「にがいー」
「あはは、泡は食べれるわけないって」
ここぞとばかりにお姉ちゃんぶる。わたしかしこいもん。
舌を出しながらきょろきょろ辺りを見回すヤチーが、ふとこっちへ近づいてくる。
「口直しをしょもーしまする」
「わたあめは無いよー。アイス食べたいならあとでー」
「ちがいますよ」
ちゅ、って。
おぉ、おぉ、うおぉ。なんだか目ぇつぶっちゃったよ。
何回やられても、不意打ちというのは、慣れない。ずるい。にがい。
「って、ヤチーの口にがいー、べー」
「むー、あんま変わらないですな」
変わんないってなんだ。もう。わたしのくちびるとっといてぇ。
「むしろ、なんで変わると思ったし」
「……しょーさん、あまいから」
「……ばか」
そういう甘さとはちがう。
「わたしもヤチーはあまいと思うけど、でも、そういうんじゃなくて、口よりもこころがじんわりあまいというか……」
ってなに言ってんだろうわたし。言ってて恥ずかしくなってきた。
「あ、あーもー、とにかくっ、キスじゃ苦いのは消えないよ!」
「そーみたいですな」
「……ん」
「このお風呂はすべりますなー、おっとあぶないあぶない」
ヤチーがいきなり両手をわざとらしく振り回して、そのまま吸い寄せられるようにわたしにしがみつく。
本人はうまく誤魔化せていると思っていそうなあたり、大物である。
「え、えと」
さっきと違って、ヤチーの方から身体を寄せてくる。感触は、もう、なんか、ヤバい。脳みそが、言葉にするのは無理だっていってる。
「ちゅーしましょー」
「だ、だから意味ないって」
「ちゅーしましょー?」
あんまり真っ直ぐ見つめてくるものだから、頭の中のヒソヒソ話まで覗かれてるような気分になる。
やだ、顔を近づけてくるってことは、本当に見られちゃったのかな。
水色の瞳に音も、温度も、身体の主導権すらも吸い取られて、真っ白なわたしはただ待つことしかできない。
口と口が触れ合い、離れる。その刹那に。
「やっぱりしょーさんは」
今がいちばんかわいいですね、なんて言われてしまったら。
唯一残った考えるチカラまでヤチーに奪われてしまって、そのあとは何回キスしたのか、それすらもわからなくなってしまった。
――
今日のヤチー
そよ風が入ってくる。
水色の瞳はただ静かに、小窓の外の青空を見上げている。
その横顔はどこか儚げで、物憂げで、普段の快活さからは想像もつかない大人の色気をたたえていた。
どうしたのと尋ねても返事はなく、姿勢も表情も崩さずに、ただ流し目でこちらを伺うだけ。
ヤチーの大人っぽさポイントがわたしの中でマックスに達したとき、そのくちびるが小さく動いた。
「へぷちっ」
くしゃみだった。
あだしまで一番コミカライズ映えするのはヤチーの中身だと思うんです
次かその次でしょうかね、楽しみです
ご覧頂きありがとうございました。
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