鷺沢文香「言葉探し」 (33)

文香のSSです。

地の分多め、感想よろしくお願いします。

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 最初に読んだ本のことは今でも覚えています。
 
 小さな男の子が、親しくなった野良ネコから、動物たちにとらわれている、
 りゅうの子どもの話を聞いて、助けにいく物語

 その少年がリュックから取り出す道具の数々、個性的な動物たち 
 非日常な世界は、幼い私の心をくすぐり、私はすっかり本が作り出す世界に魅了されました。

 高校生になった時くらいでしょうか。
 私の読書人生に転機が訪れました。

 私は漱石を読んでいました。
 先生と私の出会いから、先生が自殺するところまでを書いた話なのですが、 
 当時の私には、先生が他人の殉死を受けて、自分も死ぬ決心がついた理由がよくわかりませんでした。

 どうして残された妻のことを考えると死ぬことができなかった人が、
 出会ったこともない人の死を自分の命を絶つきっかけにできるのだろう

 考えてもわからなかったので、
 私はこのもやもやを書店を経営している叔父にぶつけました。

 2,3時間ほど話をしたでしょうか、
 叔父は、高校生の私にもわかるように、丁寧に漱石の思想や立場、時代背景について教えてくれました。
 
 話し終えた後、私は漱石がこの小説に込めた意味をなんとなく理解すると同時に

 本とは一つの現実を空想の中に隠したものだと気づきました。

 たった一つの伝えたいことを伝えるために、より多くの言葉を飾る。
 

 ありふれた言葉で自分の思いを伝えるのではなく、
 自分にしか語れない言葉で自分の思いを伝え、相手の心を動かす。

 
 なぜ、わざわざまわりくどいことを、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
 どうか伝わってくれと、言の葉に自分の思いを込める作者の姿を想像すると、
 私は、なんて情熱的なのだろうと、心が震えるのを感じました。

 
 それ以来、私は本を読むとき
 筆者が本に隠した言葉を探すようになりました。
 私はますます本の虜になりました。

 大学生になり、ひとり暮らしを始めた私は、叔父の書店に頻繁に足を運ぶようになりました。

 授業終わりに叔父の店に行き、講義で気になった箇所を叔父に尋ね、意見を交わす。
 それはとてもゆっくりですが、すごく充実した時間でした。

 大学にいる時間の方が長いはずなのに、
 あの頃の私の記憶は書店での出来事ばかりなのですから、
 この時間を私がいかに大切にしていたか、今更ながら実感します。

 学年が一つ上がった5月のことでした。
 今度は私に人生の転機が訪れました。

 私はいつもように叔父の店で店番をしていました。
 今日は何を読もうかと、本を物色していると、スーツ姿の男性が来店しました。

 その日は、梅雨も訪れていないのに、夏の真ん中のように暑い日でしたので、
 スーツを着崩すことなく、きっちりと着ているその男性に私は目を引かれました。
 その男性は雑誌コーナーで色々な雑誌を、少し手にとっては、棚に戻すを繰り返し、
 熱心に何かを探しているようでした。

 あまりにも熱心に探しているようでしたので、普段は人見知りな私なのですが、

「あの……何かお探しですか?」
 と、聞こえるかどうかもわからないような小さな声で、その男性に声をかけました。

 声をかけられた男性は私の方をじっくりと見つめ、
 しばらくしてから私の前髪を払いのけました。

「アイドルにならないか」

 私の世界が光り輝き始めました。

 私はアイドルに興味は全くありませんでした。 
 最近の流行の歌にも疎かったですし、運動神経も良い方ではありません。

 ですが、
「アイドルにならないか」
 この一言が私の心にずっと残りました。

 今、思い返すと
「アイドルにならないか」
 は貴方にしか言えない貴方だけの言葉のような気がしますね。
 
 とにかく、私はこの縁を大切にしようと、アイドルを始めることにしました。

 それからの毎日は光のような速さで過ぎていきました。
 
 煌びやかなステージや衣装、一緒にいてくれる仲間、

 まるで子供の頃に読んだ物語の主人公になったようでした。
 あのころ感じた、ドキドキやワクワクが甦ってくるようで、私の心を刺激しました。
 
 私はどんどんアイドルの世界に魅了されていきました。

 私がアイドルの世界に魅了され始めた頃、
 私は貴方に感謝の気持ちで一杯でした。

 この世界に連れてきてありがとうございます
 慣れない私のためにいつも付いてきてくださってありがとうございます

 私の世界は光で満ちていました。


 私がアイドルの世界に完全に魅了された頃、
 私は貴方に違う気持ちを抱くようになりました。

 これからもずっと付いてきてほしい
 これからもずっと付いていきたい

 私の世界は豹変しました。

 この気持ちの名前を私は知っていました。
 知っていたからこそ、私は思いを巡らせました。

 この思いを私はどんな言葉で貴方に伝えましょう

 私の言葉探しが始まりました。

 それから私は恋愛小説をたくさん読み漁るようになりました。

 昔、読んで面白かったものや、名作と言われているもの、最近の流行まで、
 主人公が気持ちを伝えるところに重点を置いて、私は読んでいきました。

「月が綺麗ですね」「死んでもいいわ」「何をしても構わない」

 偉大な先人たちの多くの言葉とその言葉に秘められた思いを、 
 一つ一つ、私は丁寧に拾っていきました。

 どの言葉も素敵で私の心を動かしたのですが、
 私が探している言葉は見つかりませんでした。

 今日も私は言葉探しをしていました。
 帯紙に“永遠の名作“と書かれた、まだ出版されて10年も経っていない本を読んでいると、

「文香、また読書か」
 と声が聞こえました。

 読書中は、周りの音が聞こえなくなる私ですが、この声だけは特別です。

「はい……プロデューサーさんも読みますか?」
「時間がないから、時間がまとまった時に読むよ。ん?また恋愛小説か、最近ずっと読んでいるな」

 こんな一言だけで私は、貴方がちゃんと見てくれている、と嬉しくなります。

「えぇ……その……伝えたいことがあるので、その思いにぴったりの言葉を探しているのです」
「……それは恋か?」

 顔が熱くなるのを感じました。
 貴方にしているとはまだ言えないので、少し返答に困ってしまいました。

 そんな私を見て貴方は

「……ちゃんと相手に伝えたいなら、本の言葉を借りるのではなく、文香自身の言葉で言った方がいいんじゃないか?」
 とまるで、当たり前のことの言っているように、言いました。

「あ、でもアイドルだからばれないようにな」
 
 いたずらをした男の子のような無邪気な笑顔で、そう付け加えて、
 貴方はデスクに向かいました。

 次の日、私は久しぶりの休日でした。

「文香自身の言葉で」
 
 今度はこの言葉が私の心に残りました。

 いつも休日は叔父の書店に顔を出していた私ですが、
 この日は一日中部屋にいることにしました。

 私自身の言葉 
 
 こんなことを考えるのは初めてでした。

 どうしていいか、わからなかったので、本を書く筆者の気持ちになってみようと思い、
 ノートとペンを持って机に向かいました。

 小説のように書き出してみよう

 ノートを開きましたが、ペンが動きませんでした。
 30分ほど頑張りましたが、ノートは白紙のままでした。

 作戦を変えてみよう
 私はそう考え、ノートの左に貴方、右の方に私の名前を書きました。

 右から左へと矢印を書き、その上に好意と
 左から右への矢印の上には?を加えました。

 次に、貴方と私の名前の下に、それぞれの情報を書き始めました。
 性別、年齢、職業、趣味、好きなもの、
 項目を何個か作り、そこの空欄に私は言葉を埋め込んでいきました。



 書き終えてみると、
 私のページは、ほとんど黒くなったのに対して、
 貴方のページは、いくつか白いところが目立ちました。

 白いところを見た私は、まだ貴方のことをこんなにも知らないのだ、と気がつきました。
 ですが悲しい気持ちにはなりませんでした。

 これから知っていけばいい、知りたい 
 そう思えました。そして、

 貴方は私のことをどれだけ知っているのでしょうか
 
 私は貴方に思いを寄せました。

「文香自身の言葉で」

 また貴方の言葉が浮かびました。

 貴方のことをもっと知ったら、貴方への私の言葉が浮かぶのではないか、と思えました。
 合わせて、貴方にも私のことをもっと知ってほしい

 今はまだ、貴方への言葉は浮かばないですが、今日感じたことはそのまま貴方に伝えよう

 いつも読書で夜更かしをしてしまう私でしたが、今日は本を開きませんでした。

「おっ、文香おはよう。……あれ? 今日は本、読んでないんだな」
 いつものようにキッチリとしたスーツ姿で出勤した貴方が、私に声をかけました。

「おはようございます。……昨日はありがとうございました。プロデューサーさん」
「うん?俺、何かしたっけ?」
「はい……自分の言葉で、と言っていただいて……」
「あー、あのことか」
「はい……それでプロデューサーさんに、お願いがあるのですが……」
「なんだ?昨日の事なら、手伝える範囲でなら協力するぞ」

 
 私のこの思いを貴方は探してくれるでしょうか
 今は、届かなくてもいつかは貴方の心に届いてほしい
 
 私は言葉を飾りました。

「私と言葉探ししてくれませんか」











 私の言葉探しは続いていきます。


以上です。 

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