荒木比奈「最初の一歩が踏み出せなくて」 (35)

・独自解釈
・オリジナルユニット
・新田美波担当Pが不愉快になる恐れのある描写

上記の要素を含みます。ご注意ください


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PM10:00 モバPアパート前廊下

モバP(以下P)(今日は久しぶりに仕事が早く終わったな)テクテク

P(おかげで閉店前のスーパーにも寄れて、安くなった食材も買えたし、久々に料理でもするか)

P「……料理なんて、いつぶりだろ」

P(長野で聖ちゃんをスカウトしてからユニットが本格始動して、随分と忙しくなった)

P(大変だけど、充実した毎日だ)

P「……ん? なんだアレ」

P(誰か……倒れてる……?)

P(緑のジャージを着た、茶髪の……女性、か?)

P「大丈夫ですかー? 声が聞こえますかー?」

「あ……う……」

P「良かった、意識はあるみたいですね。救急車呼びますかー?」

「……お……」

P「お?」

「お腹減った……」


PM11:00 モバP宅

パクパクモグモグ
ゴクゴクプハー

「ごちそうさまでス! 良いお手前で」

P「いえいえ、お口に合ったのなら幸いです」

「いやぁ、お恥ずかしい話でスが、しばらく食うや食わずの作業が続いてたもんで。流石にこれはまずいと外に出たところであの醜態っス。お隣さんが良い人で良かったっスよ」

P「それは大変でしたね。作業って、一体何を……アレ?」

P(……この子、どこかで……?)

「同人……いえ、アマチュアで漫画書かせて貰ってるんスけど、あ、アタシ隣の部屋に住んでる荒木比奈と……どうかしました?」

P「……失礼ですけど、どこかでお会いしたことありましたっけ」

比奈「はい? ……ってああ!」



比奈「い、いつぞやの怪しげなスカウトマン……!」



数ヶ月後
PM3:00 荒木比奈宅

比奈「いやぁ、あの時は人生終わったと思ったっスよ。怪しげなスカウトマンの家に連れ込まれて、食事の世話までして貰って、もうAV出演から泡姫一直線コースかと」

P「ホント、落ち着かせるのに一苦労でしたよ……挙げ句の果てには過呼吸まで起こしそうになるし。はい、ベタ塗り終わりましたよ」

比奈「面目ないっス。けど、お隣さんがPさんでホントに良かったっス。今ではこうして漫画のお手伝いまでして貰って、おまけにデザインのお仕事までちょくちょく回してくれて……頭が上がらないっスよ。あ、これ次の頁っス」

P「仕事に関してはこっちがお礼を言いたいぐらいですよ。デザインの担当者と話をする時、荒木先生の書いたデザイン案があるとないとで大違いですし、シナリオだって僕一人じゃふわふわして支離滅裂なものしか出来ませんから」

P「荒木先生のアイディアをそのままの形で採用っていうのが少ないのが申し訳ないですが」

比奈「それは別に良いっスよ。何を言ってもアマチュアですから、プロの手でリファインされるなら望む所っス」


P「締め切り、間に合いそうですか?」ヌリヌリ

比奈「Pさんが手伝ってくれたおかげで、時間に余裕をもって印刷所に持って行けそうっス」カキカキ

P「安心しました。アイドルやりません?」ヌリヌリ

比奈「やらないっス」カキカキ

P「そうですか……」ヌリヌリ

比奈「……そうやって不意打ちで頷かせようとしてもその手には乗らないっスよ。もう何度も引っかかりそうになってるんスから」カキカキ

比奈「っていうかPさんも諦めが悪い人っスね。こんだけ断られてるのにまだ言うなんて」

P「今日はいけるかなぁって思ったんですけど」

比奈「いけないっス」

P「いけないですか」

比奈「いけないっス」


P「いけると思うんだけどなぁ。荒木先生、可愛いし」ヌリヌリ

比奈「それ、いろんな女の子に言ってるっスよね」カキカキ

P「失礼な。基本僕が可愛いと思った子、主に担当の子にしか言ってません」

比奈「そ、それは……嬉しいっスけど、けどやっぱり、アタシにはああいうキラキラした場所は似合わないっスよ。基本、日陰キャラなんで」カキカキ

P「けど、脱オタするとかしないとか言ってたじゃないですか」

比奈「……漫画描きながら脱オタもクソもないっスよ」

P「じゃあ脱オタしないで、オタクアイドル、目指しましょう!」

比奈「なんか光と闇が合わさり最強に見える的な悪魔合体してる!?」

P「さぁ!」

比奈「さぁ!じゃないっス! ああもう、とにかく、アイドルなんてやらないっスから!」


PM9:00 荒木比奈宅

「……ふぅ」

 椅子の背もたれに身体を預け、小さく溜め息を吐く。

『もう一度考えてみてくださいねー!』

 先ほどまで手伝いをしてくれていた男はそう捨て台詞を残して自分の部屋へと帰っていった。

「……アイドル、かぁ」

 ぼんやりと天井を見上げていた比奈は、ふと思い立ち、本棚から1本のDVDを取り出して、再生機に押し込んだ。
 それは2ヶ月前に行われた『C-BLUE』の――Pの担当するアイドルのステージが納められたDVDであった。
 比奈はアイドルのステージがどんなものか、あまり詳しくは知らない。だがそんな比奈でも、『C-BLUE』の公演が他のアイドルのライブとは少々趣が異なっていることは分かった。
 ステージは歌を主軸に物語を進めるミュージカルに近い。歌と歌を繋いで物語を形作り、ダンスでそれを盛り上げる。
 台詞は決して多くない。歌と踊りと舞台演出。その3つで、極めてシンプルな物語を奏でる。
 そのDVDに納められたステージは、『路地裏公演』と呼ばれているもので、バックストリートにある小さな教会を舞台に、その教会で育てられた純真な女の子と、悪戯好きなわんぱく少女、彼女たちを見守るパン屋のお姉さん、そして家出してきた両家の息女の4人の少女の友情を描いた物語だ。

「……まぶしいっスねぇ」

 力強いダンスでメンバーを引っ張る水木聖來、 圧倒的な歌唱力で物語に問答無用の説得力を与える望月聖、バックストリートの少女の奔放さを体現しのびのびと飛び跳ねる吉岡沙紀、そして役がそのまま憑依したかのような見事な演技を見せる新田美波。
 主役を張った彼女たちだけではない。端役のアイドル達もみな、キラキラと輝いていて――

「……住む世界が違うっスよ」

 そう呟いて、DVDの停止ボタンを押した。
 比奈もPに請われ、この公演に少しではあるけれども関わっている。キャラクターの配置とおおまかな粗筋、4人の友情のシンボルのバッジのデザインなど小道具の作成に、外部からの協力者として僅かながら助力している。
 それはとても楽しかったし、比奈にとって誇らしいことでもあった。

「……裏方の方が、身の丈に合ってるっス」

 誰かに言い訳するようなその言葉は、誰にも聞かれることはなかった。


数日後
PM2:00 モバプロ内モバPマイルーム

CoP(Pとちひろの上司)「よーっす」

P「あれ、先輩?」

ちひろ「お疲れ様です」

CoP「おー、Pもちっひもお疲れー。新田ちゃんいる?」

P「美波ちゃんですか?」

新田美波「お呼びですか?」

CoP「おーいたいた。Pと新田ちゃん、ちょっと時間あるか?」

美波「はい、次のスケジュールまでには少し時間ありますけど……」

P「……この2人が呼び出されたってことは」


CoP「そ。新田ちゃんの次の担当プロデューサーが決まったよん」


美波「――っ」ビクッ


翌日
PM1:30 都内

「あれ?」

 多くの人が忙しなく行き交う街で、比奈は見慣れた顔を見つけた。
 人混みの中からひょっこり顔を出すぼさぼさ頭の瓶底眼鏡は、紛れもなくアパートの隣人、モバPのものであった。

「Pさ――」

 声をかけようとして、止める。Pの隣には帽子を目深にかぶってサングラスをかけた女性がいたのだ。

(担当アイドルっスかね)

 2人を目で追っていると、街角のカフェに入っていった。
 ――どうしたものか。
 Pに対し、火急の用事があるわけではない。比奈にしてみれば奇跡的な確率できまぐれを起こし、ちょっと東京の街をぶらついてみようと思い立っただけのことである。
 だから無理に声をかける必要はないのだ。ないのだが――

(――まぁ、予定があるわけでもないし)

 顔を見かけておいて無視というのもなんだか決まりが悪い。
 それに、ああいう小洒落たお店には一度入ってみたいと思っていた。おそらく今後二度と訪れることがない場所であっても、一度くらい経験しておけば今後の創作活動の糧にはなるだろう。
 幸いなことに今日はいつものジャージではなく、それなりに見られる服装をしてきている。

(……み、見られる服装、っスよね?)

 自分のセンスに自信がなくなり、心の内で誰にでもなく問いかけながら、カフェの扉を開けた。


「ども」

「荒木先生? こんなところで会うなんて珍しいですね」

 Pと女性は一番奥の人目に付かない席に座っていた。丁度注文を取り終えた店員とすれ違いながら、比奈はにぱっと曖昧な笑顔を浮かべた。

「いやぁ、珍しく外に出てみたらPさんを見かけたんで、ちょっと声をかけておこうかと」

「それはわざわざご丁寧に。良かったらご一緒しますか? よろしければご馳走しますよ」

 Pはそう言うと対面に座った女性に視線を移した。

「美波ちゃんもそれでいい?」

「はい、大丈夫ですよ」

 そこで比奈は、Pの連れていた女性がアイドル新田美波であることに気付いた。
 確かPの直接の担当ではないが、諸般の事情により一時的にP預かりとなっているアイドルだったハズだ。

「初めまして、新田美波です」

「あ、こ、これはどうも。荒木比奈と言いまス」

 爽やかなアイドルスマイルに気圧されながら、比奈はどうにか頭を下げて答えた。



「お噂はかねがね聞いてます。なんでも、C-BLUEを裏から支える方だとか」

「そ、そんな、支えるなんてとんでもないっス。アタシは精々手助けするぐらいで」

「何言ってるんですか。荒木先生がいなかったら僕たちの舞台はとたんに立ち行かなくなりますよ」

 カラカラと脳天気に笑ったPがウェイターを呼び止め、比奈の分のコーヒーとケーキのセットを注文した。

「これからお仕事っスか?」

「ええ。午前中は付き添いだったんですが、午後からは別行動になるんで、その前にちょっと休憩をと思いまして。
 荒木先生は何かご用事ですか?」

「いえ、アタシはふと思い立って街に出てきて、ふらふらっと徘徊してただけっス」



「比奈さんは、アイドルにならないんですか?」

 美波に問いかけられ、比奈は手にしていたコーヒーカップを落としかけた。
 つい先ほどまで3人で談笑していたが、Pは仕事があるからと先に店を出てしまい、今は比奈と美波が残されていた。
 初対面の2人だが、美波は人懐っこい性格であり、比奈もまた人見知りをしない質なので、穏やかな雰囲気で会話を楽しんでいた。

「Pさんよく言ってますよ。荒木先生がアイドルになってくれたら良いのにーって」

「あの人は……本人がいないところで好き勝手言ってくれるっスね」

 一口だけコーヒーを口に含んで、テーブルにカップを置く。温くなったコーヒーからは、もう湯気も上がっていない。

「……アタシには無理っスよ。見ての通り、日陰の人間っスから」

 そう言って比奈は自虐的に笑った。

「比奈さん可愛いし、そんなことないと思いますよ」

「うぅ、お世辞でも面と向かってそう言われるのは照れますね……」

 ぽりぽりと頬を掻いて、

「……でもやっぱり、そんな華やかな場所は似合わないっスよ」

 もしかしたらアイドルに――Pと出会ってからそう考えたことは少なくない。
 ただその度に、頭のどこかから、お前には無理だと言う誰かの声が聞こえてくる。
 そして、美波と話してみて――その想いは一層強くなった。

 ――アタシはこうはなれない。

 アタシはこんなに綺麗じゃない。
 アタシはこんなに溌剌としていない。
 アタシはこんなに輝いてない。
 アタシは――

「社会の片隅で、コッソリ生きていくのが性に合ってるっス」

 ――アタシは、アイドルにはなれない。

   



「美波ちゃんは大学生っスよね? どうして、アイドルになろうと思ったんスか?」

 比奈の言葉に、今度は美波の手が止まる番だった。
 その瞳に一瞬、確かに浮かんだ苦悩の色に、比奈は気付いてしまった。

「あ、いや、別に答えたくないなら良いんです。出会ったばかりの人間にいきなりこんなこと聞かれたら、イヤっスよね」

「え? ああ、違うんです。別にイヤだなんて思ってません。ただ――」

 そこまで言ってわずかに口籠もり――意を決したように、言葉を紡ぎ始めた。

「アイドルになろうって思ったのは、ただ、自分の可能性を広げてみたかったんです。
 自分に何が出来るのか分からないから、色々なことをやってみようって」

 そう言えば、と比奈は思い出した。以前流し読みした雑誌に偶々載っていた新田美波の特集記事に、趣味は資格取得とあったハズだ。

「資格を取るみたいに、っスか?」

「はい。実際、アイドルって仕事では他では体験できない経験が色々出来ました。ステージに立って、歌って、踊って、お芝居もしました。
 インタビューを受けて自分の考えを口にする機会も沢山頂きました」

 良い話、に聞こえる。挑戦する機会を求めてアイドルの世界に飛び込んで、求めたものをきっちりと与えられた。何も問題がない、理想的な――

「――今度、所属が変わって、C-BLUEを出て、新しいプロデューサーさんのところに行くことになったんです」

「そうなんスか? あれ? でも確か美波ちゃんって、C-BLUEに来る前はまた別のプロデューサーさんの担当だったとか……あ、その人の所に戻る、とかっスか?」

「……いえ、その人とはもう、二度と会わないです」

「え?」


「……C-BLUEに配属される前、当時の担当だったその人に、その――セクハラ、されそうになって」


 


 当時の担当は――元々、感じの良い男ではなかった。
 口先だけは優しそうだが、どこか傲岸で、根拠のない自信に溢れた人間であった。
 実際、仕事が出来る人間だったというわけではないらしい。美波の人気も、ひとえに彼女自身の営業努力の賜だったと言っても良い。
 だが新田美波のブレイクで気を良くしたプロデューサーが調子に乗って担当を増やし始め、それが彼の転落につながる。
 彼の見込んだ他のアイドル達がことごとく問題児で、まったく成長の兆しが見られなかった。
 ただちやほやされたくてアイドルになった問題児達の後始末に東奔西走するうちに美波のプロデュースがおろそかになり――それでも衰えない美波の人気に、『自分のプロデュースがなくても新田美波は成功した』という事実を思い知り、彼の天狗の鼻は、綺麗に折れてしまったのである。
 心優しい美波はそんな彼を心配し――事件が起こってしまう。
 
『慰めてくれよ、心優しい新田美波さまよぉ!』

 事務所で酔い潰れるプロデューサーに気を遣った美波を、彼は襲った。
 押し倒し、その唇を奪おうとしたところで――騒ぎを聞きつけたアイドルが駆けつけ、なんとか事なきを得た。

 美波はその日以降、当時のプロデューサーの姿を見ていない。
 彼の担当していたアイドル達はそれぞれ別の部署に配属され、今は心を入れ替え頑張ってる者も、挫折して辞めていった者もいる。
 当事者である美波は、その事件以降軽い男性恐怖症になってしまった。
 心配した、優しくした相手に裏切られ、男に対してどう接すれば良いのか分からなくなってしまったのである。
 そして彼女は、一時的にモバP預かりとなった。
 他の部署と比べれば比較的外部露出の少ない部署で、傷を癒やして貰うことになったのだった。

  



数日前 モバPマイルーム

P『……次の担当は大丈夫なんでしょうね。イヤですよ、これ以上美波ちゃんが傷つくの』

CoP『心配すんなって、絵に描いたような真面目野郎だよ。今頃東京湾に沈んでるだろう前任なんかと一緒にしてやんな』

P『しずっ……あの人、沈められたんですか』

CoP『俺も詳しくは知らねぇ。ただウチの社長はヤる時はヤる人で、おまけにセクハラが死ぬほど嫌いだ。ホントに殺しちゃいないだろうが……もう真っ当に生きていくことはできねぇよ』

美波『…………』

CoP『無理強いはしないよ。Pさえ良ければ、ずっとここにいても良い。Pはどうだ?』

P『もちろん、大歓迎ですよ』

美波『……ありがとうございます』

美波『私は――』

  



「……怖く、ないんスか?」

 比奈の言葉に、美波は俯き気味だった顔を上げた。

「……その。だって、新しい担当さんが、前みたいな人じゃないって確定してるわけじゃないわけじゃないっスか。
 だったら別に、他の部署にいかなくてもいいじゃないっスか。モバPさんに面倒見て貰えば。
 Pさんなら大丈夫っスよ。アタシの部屋に来てもベタ塗りだけして帰って行く人っス。絶対、美波ちゃんに乱暴したりはしないっス」

 ぐっと握り拳を作って力説する比奈に、美波はくすりと笑って答えた。

「怖くないって言ったら、嘘になるかな。男性恐怖症も大分良くなったけど、今でもふと男の人の視線とか、気になるときがあるし」

「だったら」

「けど、新しいことを始めよう、自分の可能性を広げようって入ってきた世界だから、立ち止まることはしたくないんです。
 もちろん、C-BLUEでは沢山良くしてもらったよ。歌も踊りもお芝居も、今まで経験したことのないものをたくさん勉強できました。Pさんも、ユニットメンバーも、応援してくれる人たちも、皆大好きです。
 だからこそ、立ち止まっちゃいけないんです」



「それが、新田美波というアイドルだから」



PM10:00 荒木比奈宅

 荒木比奈は、昼間のことを思い出す。凜然と語った、美しい少女の姿を。

『……よく、分かんないっス』

『嘘です。比奈さんは、きっと分かってます』

 比奈の呻くような呟きに、美波は穏やかに微笑んだ。

「……アタシは」

 脱オタしようと思った。オタクから足を洗って、真っ当な生き方をしようと思った。 
 出来なかった。明日から本気出す、と口からでまかせを言って問題を先延ばしにして、結局まだお金にもならない漫画を書いてる。

「……ああ、そっか」

『怖く、ないんスか?』

 あれは美波だけに向けた言葉じゃなかった。あれは、比奈の心を象徴する言葉だったのだ。
 比奈は怖いのだ。変わることが怖いのだ。傷つくことが怖いのだ。今日の次に明日ではなく今日があればいいと、半ば本気で思っているのだ。
 だから立ち止まることを拒む美波が理解できなくて、前に進むのは怖くないのか、何故わざわざ苦難の道を進むのか、と、聞いてしまったのだ。

『それが、新田美波というアイドルだから』

 そして、美波にとって前に進むというのはきっと、あるがままの自分であるということだった。
 自分の信じた自分であるために、自分の信じた自分に置き去りにされないために、彼女は恐れながらも足を踏み出すのだ。

 それはきっと、比奈にとっても同じことだ。

「……きっと分かってる、っスか」

 信じた自分に追いつくために、何をするべきなのか
 多分、比奈は答えを知ってる。
 つ、と机の隅に視線を移す。
 そこにあるのは一枚のチケット。

“海洋公演 セーラーマリナーズ”

 行かなければならない。
 内にある答えを、確かめるために――

  



PM4:30 都内 公演会場

 繰り返しになるが、比奈はアイドルについてさほど詳しいわけではない。
 漫画を書く時に付けっぱなしにしているTVで、時折姿を見る程度だ。
 Pとの隣人付き合いが始まり多少詳しくはなったものの、それでも普通の人より多少は知っている、という程度だ。
 だからアイドルが行うライブについても、さいたまスーパーアリーナとか、そういう大きなステージで歌っている姿しか見たことがなかった。

(……あんまり大きくはないっスね)

 収容人数は恐らく、多めに見積もって2000人ほど。それは、アイドル戦国時代と呼ばれ多くのライバルがいる今の時勢を考えれば大きい箱なのか、それともそれだけアイドル文化が隆盛する中アリーナを取れないほど小さいと考えるべきなのか、比奈にはよく分からない。
 ただそれなりにファンが付いている、という話を各所で聞いているので、大きさとしては十分なのかもしれない。
 高い位置からステージを見下ろした比奈はなんとなく、歴史の教科書を思い出した。

(なんて言うんでしたっけ、鍵穴みたいな形の……)

 前方後円墳、という単語を思い出したのは、それからしばらく後のことだった。
 会場自体は円形で、座席はドーナツを3分の2に切ったような形に配置されている。残った3分の1と、ぽっかり空いたドーナツの穴の部分を合わせた鍵穴の形にステージが置かれている。
 比奈の席は、どうやら結構良い席のようだ。最前列ど真ん中というわけではないがかなり前の方だし、端に寄っているというわけでもなく中央に近いと言える席だ。

(……買ったら幾らするのかは考えないでおきましょ)

 きっとそこそこ良い値がするんだろうなぁと思いながら席に座って開演を待つ。まばらだった座席はほどなくして埋まり、満員に近い状態になっている。
 一瞬ざわざわと騒がしくなったのでそちらのに目を向ければ、『新田美波』と書かれた法被を着た男達が集団で入ってきたところだった。
 どうやら美波のファンクラブらしい。

『――今度、所属が変わって、C-BLUEを出て、新しいプロデューサーさんのところに行くことになったんです 』

 美波の言葉を思い出す。
 ――そうか、つまり今回の公演が、美波がC-BLUEの正規メンバーとして活動する最後の公演になるのか。

 つまりこれは、美波にとって、旅立ちの――

 ブーッ、と音がして、会場の明かりが落ち――海洋公演セイラーマリナーズは、幕を開けた。






 物語は、船乗りに憧れる少女が、船員が全員女という特別な商船に見習いとして乗船するところから始まる。

 主演である新田美波が演じるのは、港町に生まれながらも船に乗ったことがなかった少女。彼女は慣れない船旅に苦戦しながらも、優秀な2人の先輩――真面目で元気な先輩(演:水木聖來)と、セクシーで悪戯好きな先輩(演:松本沙理奈)――に恵まれ、なんとかかんとか荒波の乗り越えていく。

 その船旅の道中で、人見知りで寂しがりなセイレーン(演:望月聖)や、美術商の娘(演:吉岡沙紀)に出会い、少女は彼女たちとも心を通わせて仲間になる。

 物語のクライマックスは大時化だ。帆が折れ、舵の効かなくなった船で皆の心を折れかかる中、主人公の少女は歌う。歌は伝播し、乗組員に希望が戻り、絶望し怯えきっていたセイレーンもまた光を見いだし歌い始める。

 そしてその歌が天に届き、嵐を抜けたところで――船旅のゴール、生まれ育った故郷に帰ってのである。



 比奈はすっかり魅せられていた。

 ――歌と踊り、そしてスポットライトを用いた演出。ただそれだけで、ここまで物語ることが出来るのか。
 
 物語の粗筋は知っている。Pに乞われてストーリー作成とキャラクターの設定に多少助力したからだ。
 それでも比奈はステージに釘付けになっている。結末を知っている物語に、夢中になっている。

『――海が、怖くなった?』

 仕事を終えた少女が甲板でぼんやりとしていると、水木聖來が演じる先輩はそう問いかけた。
 この歌劇で数少ない、セリフのあるパートである。

『時化に呑まれることは珍しいことじゃないのよ。海賊や海獣に襲われることもある。セイレーンだって、今回みたいに優しい子ばかりじゃない』

 松本沙理奈が演じるもう1人の先輩が言葉を続ける。

『大怪我をするかもしれない』

『生きて帰れないかもしれない』

『死体としてすら、戻って来れないかもしれない』

 投げかけられるのは厳しい言葉。ただその声は優しく、そしてどこか、からかうような音が含まれていた。
 ――それはきっと、彼女の答えが分かりきっているからだ。
 美波は客席を振り返り――比奈の勘違いかもしれないけれど――ちらりと、比奈を見て、

『――けど、海に出なかったら、きっと皆に会えなかった』

 爽やかな笑顔を浮かべた。

『怖くないワケがない。傷つくのも、死ぬのもイヤ』

『だけど困難に遭う度に、皆で乗り越えれば良いんだって、分かったから』

『いろんな事を教えてくれたから。いろんな人と出会う機会をくれたから』


『だから私は――また、旅がしたいです!』


 そして舞台は暗転し、物語はエピローグ。

 一人前になった少女は2人の先輩と共に、再び航海に出るのだった――。

 



PM8:30 会場客席


美波「比奈さん」

比奈「――ああ、美波ちゃんっスか」

美波「見に来て頂いてありがとうございます」

比奈「いやぁ、これまでDVDで見ただけだったんスけど、直接見ると全然違うんスね。なんか、圧倒されたっスよ」

美波「そう言ってもらえると、役者冥利に尽きます。
   けど今回の公演も、比奈さんが粗筋を作ったって聞きましたけど」

比奈「いやぁ、自分のしたことなんて――いや、違うか。そうじゃないっスね」

美波「…………」

  




比奈「美波ちゃんは、また旅に出るんスね」

美波「――はい」

美波「事件があった時、私はひとりぼっちでした。信じられる人も、頼れるアイドル仲間もいなくて。自分じゃどうしようもなくなっちゃって、それが男性恐怖症なんていう形で現れたんです」

美波「だけど、今は違います。PさんやCoPさんみたいに、私のことを本気で心配してくれて、色々と手を回してくれる大人の方々に出会えました。一緒に苦労して、一緒にステージを創り上げていくC-BLUEの皆さんに出会えました」

美波「『困難は皆で乗り越えれば良い』って、教わりました」

美波「だから――怖くても、前に進みます」


美波「それが、新田美波というアイドルだから」



美波「比奈さんと会った時――失礼かもしれないけど、なんとなく、自分に似てるなって思ったんです」

比奈「似てるって、全然タイプ違うじゃないっスか」

美波「そういうことじゃなくて。なんて言うのかな。やりたいことは分かってるのにどうしたら良いのか分からなくて燻ってる感じが、事件があった頃の私に似てるなって」

比奈「やりたいこと……」

パタパタ

P「ああいたいた。美波ちゃん、裏で皆が待ってるよ。主役がいないんじゃ乾杯も出来ないし――ってあれ? 荒木先生来てたんですか」

比奈「……ども」

美波「じゃあ私は戻りますね。Pさん、比奈さんの話、ちゃんと聞いてあげてください」

P「え? ああ、うん。なんかよく分かんないけど分かった。遅れていくから気にせず始めるように伝えといて」

美波「はい!」

比奈「美波ちゃん」

美波「……大丈夫です。比奈さんはもう、答えを知ってますから」

 



比奈「凄かったっス」

P「え?」

比奈「ステージ。アタシはそれこそ漫画とかアニメ、ちょっと背伸びして映画とドラマぐらいしか知らなかったんで、こんな表現があるんだって、圧倒されたっスよ」

比奈「お話は一緒に作りましたけど、こんな風になるなんて想像もしてなかったっス」

P「……そうですね。正直荒木先生の脚本受け取った段階だと、僕も完成品はさっぱり想像できなかったりします」

P「そこからメンバーの意見を汲んで改造していくんで、着地点は誰にも予想できないと思いますよ」

比奈「そんな世界もあるんスねぇ」

 



比奈「アタシ、脱オタしようと思ってた時期があるんスよ」

P「けど、出来なかった」

比奈「……はい。日常の些細な時でもお話のこと考えてて、気付いたらペンを握って、原稿と向き合ってました」

P「それはきっと、荒木先生にとって創作活動が大切なものだからですよ」

比奈「……そう、みたいっスね。恥ずかしい話なんでスけど、今日の公演見て、誇らしい気持ちになっちゃったんスよね。この話はアタシが書いたんだぞーって」

比奈「馬鹿みたいっスよね。小学生でも書ける粗筋書いて、プロの人に手直しされて、別物になってるのに」

P「……卑屈になりすぎです。あのシナリオは間違いなく荒木先生が書いたものです。もちろん手直し修正はしましたけど、それでもこの物語の根幹を作ったのは荒木先生です」

  



比奈「ステージが終わってから、ずっと考えてたんスけど」

P「はい」

比奈「アタシ――もっと、お話が書きたいっス。物語を書いて、それがどんな風に表現されるのか、しっかり見届けたいっス」

P「見届けるだけで良いんですか?」

比奈「…………」

P「キャンパスに筆を走らせるように、荒木先生自身が表現しなくて良いんですか?」

比奈「…………」

P「脱オタしようと思ったのは、陽の当たる場所に行くにはオタクを辞めるしかないと思ったからですよね」

比奈「……はい」

P「脱オタ出来なかったから、日陰に戻るしかないと思ったんですよね」

比奈「はい」

P「もしオタクのまま――創作者のまま陽の当たる場所で活動できる方法があるとしたら?」

比奈「アタシは、アイドルになれるほど可愛くないっスよ」

P「それは嘘です。僕が保証します」

 



比奈「……正直、怖いんス。ずっと日陰を歩くナメクジみたいな人生だったから、ひなたに出るのが凄く怖いっス」

比奈「だけどこないだ美波ちゃんに言われて、思ったんでス」

――『それが、アイドル新田美波だから』

比奈「荒木比奈って人間はどうしようもなく創作活動とか表現活動が好きな人間で、それを嘘には出来ないなって」

比奈「きっとそれが、荒木比奈だから」

比奈「そして今日の公演を見て、思ったんでス」

――『困難は皆で乗り越えれば良い 』

比奈「自慢じゃないけど根性無しなんで、すぐ挫折する自信があります」

比奈「そんなアタシっスけど、Pさんは、アタシが困った時――助けてくれまスか?」

比奈「怯えて動けなくなった時、手を引いてくれまスか?」

比奈「荒木比奈の筆が折れないように、荒木比奈の創作活動を、手助けしてくれまスか?」

P「もちろんです。創作者である荒木比奈の、そしてアイドルである荒木比奈の一番のファンとして、お力になることを約束します」





比奈「……そこまで言われちゃ、無碍には出来ないっスね」

P「じゃあ!」

比奈「あ、でも、今描いてる32ページを終わらせてからっス。〆切間近で、お祭りの入稿に間に合わなくなるんで、とりあえずそっちのお手伝いお願いしまスね」

P「それでも良いですよ! ばんざーい、ついに荒木先生が……ってええぇぇ!? こ、こないだ楽に間に合うって……!」

比奈「いやぁ、ここ数日このことで頭がいっぱいで全然筆が進まなかったんで。さぁPさん、アイドル荒木比奈の最初の手伝いはいつものベタ塗りっスよ!」

P「そんなー」



 



   ◇



PM21:15 舞台裏 打ち上げ会場


P「と、言うわけで、C-BLUE幻の4人目こと荒木比奈先生が正式に我がユニットに加入することになりました!」

オオオオオー パチパチパチ 

聖來「比奈ちゃんよろしくね!」

沙紀「ついに比奈センセの加入っすか……胸が熱くなるっすね! あ、アタシでよければまた漫画のお手伝いするっすよ!」

聖「よろしく……おねがいします……」

比奈「いやぁ、散々ダダこねて今更感は拭えないっすけど……あと沙紀ちゃん、気持ちは嬉しいっすけど手伝う時はアメコミっぽくするのは控えめにしてくれると嬉しいっス」

エーカッコイイノニー イヤイヤフンイキガ

P「……美波ちゃんも、ありがとね。なんか色々説得してくれたみたいで」

美波「いえ、私は比奈さんの背中をちょっと押しただけですよ」

P「……新しいプロデューサー、もう会ったんでしょ? どうだった?」

美波「人柄まではまだ分かりませんけど……木訥な感じのする、良い人でした。きっと、うまくやっていけると思います」

P「そっか。けど辛くなったらいつでも言ってくれて良いからね。出来る限り力になるよ」

美波「はい!」

ワーワーギャーギャー

P「ん?」

比奈「い、い、いきなり何するんスか!」

松本沙理奈(外部協力)「えー? 折角だから、先輩アイドルとして魅せ方を教えてあげようとしただ、け♥」

比奈「し、新人アイドルは先輩に乳を揉まれるんすか……! 芸能界……恐ろしいところっス……!」

沙紀「いやぁ、違うと思うっす」

聖來「もう沙理奈! あんまり比奈ちゃんをからかったらダメ!」

ギャーギャーワーワー

美波「……騒がしくなりそうですね」クスッ

P「ああ、楽しくなりそうだよ」



                                    糸冬
                                ---------------



沙紀ちゃんと聖ちゃんのデレステ実装を正座で待つ会


お付き合い頂きありがとうございました。

乙乙
ほんと最初の一歩が大事なんだよ比奈は

先生の眼鏡外した垂れ目大好きっす


よかった

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