P「聖なれよ、朋花」 (45)

- 赤坂・バー -

高木「何年ぶりかな」

P「二十年ぶりではないでしょうか」

高木「君と天空橋君が失踪してからそれだけ経ってしまったのか」

P「ええ……、光陰矢のごとし、ですね」

高木「彼女は?」

P「未だに行方しれず」

高木「……君の気持ちがわからないとは言わない。私にも若いころ似たようなことがあった」

P「しかし……私のは」

高木「……もう、いいんだ。第一、私は君を裁く立場にない」

P「……」

高木「君が元気で何よりだ」

P「私などに……身に余る言葉です」

高木「しかしだ、私は責任ある立場だったのに、君たちに起こったことを一切知らない。それは不公平だと思わないかね」

P「それはもっともです」

高木「辛いことがあったのは知っている。だが、これも一種のカウンセリングだ、何があったのか詳しく話してもらえないかね」

P「……承知しました。全てを洗いざらい、白状しましょう。もっともどこまで信じて頂けるのかは、疑問ですが……」

P(こうして俺は、朋花との間に起こった出来事を語り始めた。きっと、秋の夜にぴったりな、数奇な運命の話を……)

- 二十年前 -

P(訃報を聞いた。俺の担当していたアイドルだ)

P(彼女は歌がとてもうまくて、周囲には天才と呼ばれていた)

P(しかし、彼女は血の滲むような鍛錬の末に能力を会得した。天才などではなく、ひたすらの、努力の人だった)

P(そんな彼女は喉を潰し、この業界を去っていった。あからさまなオーバーワークだった。俺はコントロールできる立場にあったのに)

P(そして、昨日の知らせ。彼女は絶望し、自ら命を絶ったという。俺は実情を知り、止められる立場にあったというのに)

P「なぜなんだ……、どうしてなんだ……」

P(周囲のステンドグラスからは、色とりどりの光が差し、空間を柔らかに包み込んでいた)

P(気づくと教会にいた。裁きでもいい、赦しでもいい、とにかく自分に対する"審判"が欲しかった)

P「マリア像……」

P(神も仏も信じちゃいなかったが、なんでもいい、誰か……)

?「『初めに言葉ありき』……です」

P(長椅子の影、少女が祈っていた。彼女は立ち上がり、俺を見据える)

?「迷える子羊ちゃん……あなたに話しかけているんです~」

P「俺に?」

?「もちろん……さあ、あなたの罪を告白なさい」

P(柔らかな絹のような肌、細い髪の毛は頭のうえで団子に結ってあり、更に顔の左右に長髪が胸部まで垂れ下がっている)

P(何よりその、脳が溶かされそうな甘い声)

P「俺の、俺の罪は……」

……

?「うふっ、あなたの罪を赦します」

P(白状したい、という願望を彼女は叶えてくれた。赦されるか否かは関係ないとすら思えてしまう)

P「……君は、ここの修道女?」

?「そうともいえますし、違うともいえます~」

P「意味深長だな」

?「簡単なことですよ。私は生きとし生けるもの、全てのマリアなんですから」

P(なんだ、電波系なのかこいつ?そんな奴に、自分の罪悪を白状するなんて……。俺もヤキが回ったもんだ)

?「なにか疑り深い顔をしてますね~?」

P「いや、そんなことはない……また懺悔に来たい」

P(少なくともそれは本心だ。理性とは裏腹に、本能でこの少女に惹きつけられていた)

?「それはきっと叶いません。ここで別れてしまえばきっと、私には一生会えないでしょう」

P「なんでだ。どこか別の場所に行くのか」

?「私は聖母ですから、また別の誰かを救いに行きます~」

P「……いい考えがある。もっと効率の良い方法だ、たくさんの人を救える」

?「それは、一体、どんなものですか?」

P「俺はアイドルのプロデューサーなんだ……ほら名刺」

?「765プロダクション、ですか?」

P「弱小事務所だが……君には才能がある。アイドルは、ある意味崇め奉られる存在だ。ファンは……救いを求めているんだ」

?「……どれぐらいたくさんの?」

P「全ては、君次第だ。だけど……上り詰めれば、100万人はくだらない」

?「それだけ、私に救いを求める子羊ちゃんたち……、もしそうなったら、子豚ちゃんの方が可愛くてお似合いかもしれませんね~」

P「ファンを……子豚ちゃん?」

?「私の愛を受けて、私を愛する者たち……それには可愛い名前が必要です」

P「……まあいいか、キャラ付けとしては」

?「何かいいましたか~?」

P「いやいや、何も言ってない。そうだ、失礼した、君の名前を聞いてない」

?「うふっ……朋花です。天空橋、朋花……」

P「天空橋……かっこいいな。うん、よろしく、朋花。プロデューサーと呼んでくれ」

朋花「プロデューサーさん、これから、お願いしますよ~♪」

- 二カ月後 -

P(朋花は破竹の勢いでファンの数を増やしていった。最早Cランク寸前といったところだ)

P(しかし……朋花のアイドルとしての華が一体何なのか説明がつかなかった)

P(同時期に事務所へ所属した横山や豊川は、その魅力を具体的に言語化することは容易だった)

P(対して朋花は……言葉にできない。でも確かにとてつもない魅力を持っている)

P(そんな朋花の魅力の意味をまざまざと見せつけられる日があった。そうだ、忘れられやしない……)

P「朋花、今日の握手会もあまり時間がとれないぞ」

朋花「それはプロデューサーさん、たるんでいます。子豚ちゃんたちとお話して、元気になってもらうのは私に与えられた使命なんですから」

P「わかった、時間はなるべく延ばす。だが……それにも限界がある」

朋花「そこを工夫するのが、あなたの仕事ですよ~」

P「……そうだ、事前に話したいことを送ってもらおう。朋花は握手会までになるべく目を通して、親身に対応できるように」

朋花「いい考えです……でも、"なるべく"目を通すのではなくて、全部読みます」

P「時間がないが……なんとか頼む。すぐに告知するから」

P(すぐに反応があり、参加者の8割以上から、朋花に話したい内容のメールが来た)

P「俺も軽く目を通さなきゃな」

P(朋花もアイドルだ。活動に支障が出そうなものは弾かないとならない)

P「……長文が多いな。内容も中々重たい……まるで人生相談窓口だ」

P(参加者は老若男女問わず。幅広い世代が、これから朋花と言葉を交わす)

P「現代社会は病みきっているな……いや、俺も朋花に救いを求めたんだから、何も言えんな」

P(不測の事態に備えて、俺が司会を兼ねてステージに立つ)

P「これから天空橋朋花さんの握手会を開催いたします」

P(客層のお陰か、全体的に拍手が上品だ。ファンはアイドルに似るのか……)

P「天空橋さん、開始前に一言いただけますか」

朋花「今日は集まってもらってありがとうございます~。こんなにたくさんの子豚ちゃんの顔を見られて私、幸せです~」

朋花「子豚ちゃんたちは、これから私と握手してお話して、もっと幸せになってもらいますよ~」

P(傍からみりゃ怪しい新興宗教だな……いや、アイドルなんて基本的に宗教か……)

P(朋花の前に長蛇の列ができる。朋花は優しく語りかけ、どこか俯いているファンも話し終わる頃には、にこやかに表情が変わっていくのだった)

P「次の方、どうぞ」

P(そうして声をかけた若い男は、かすれた声で、はいと答え朋花の前へぎこちなく歩いて行く)

朋花「こんにちは~」

ファン「こ、こんにち……」

P(……恐らく緊張して声が出ないんだろう)

ファン「……すいません、言いたいこと忘れちゃいました、いっぱいあるのに」

朋花「……先ほどお手紙くれましたよね~?ご家族の事を書いてくれて」

ファン「それ……それです!な、なんでわかるんですか……」

P(俺も、朋花がメールの主を判断できた理由が皆目見当つかなかった)

P(そして、男は堪えきれなかったのかさめざめと涙を流し始める)

朋花「私は、総ての子豚ちゃんたちの聖母なんですから、そんなのは当たり前です~」

P(朋花の前で涙を流した男の帰り際の晴れやかな表情を思い出す)

P「今日もいいイベントだった」

朋花「子豚ちゃんたちも良い子にしていたので、当然です~」

P(いや……"当然"ではない。朋花の握手会での対応……事前のメールを完璧に把握して、各々に適切な言葉をかけていた)

P「あの男……涙を流していた男……」

朋花「あの迷える子豚ちゃんですね」

P「初めて会ったとき、俺もあんな顔をしていたか?」

朋花「迷える顔は十人十色……でもプロデューサーさんも、あの時は泣いていましたね」

P「……そうだな」

朋花「また、私の胸で泣きたいですか?」

P「本当につらくなったら頼む」

朋花「ふふっ、まだまだだめだめな子豚ちゃんなんですね~」

P(朋花は聖母だった。罪悪を抱えた人間に会うたび、その心の闇を溶かして虜にする……)

P(彼女が聖母である……それは単独ドームライブまである種の比喩や形容であると考えていた)

P(しかし、その考えははずれていた。彼女はまごうことなき聖母だったのだ……)

- 単独ドームライブ後 -

P「朋花、お疲れ様、本当にすごかった。アイドルの頂点だ」

朋花「うふっ、騎士団の皆様も、子豚ちゃんたちも……素敵でした」

P「……これからも、そうやって、皆を幸せにするためにアイドルを続けるのか」

朋花「それはもちろんですよ~。でも、まずは……プロデューサーさん、ステージの前の約束、覚えていますか~?」

P「ああ、覚えてる。美術館に行きたいんだよな。貸し切りにできるよう話をつけておいたから」

朋花「褒めてつかわします。プロデューサーさんと二人だけで、話がしたいですから♪」

P(数年ぶりとの売り文句のダ・ヴィンチ展)

P(貸し切りの館内には二人だけ……足音は、俺と朋花のみ)

P「聞いたこと無かったな……朋花は絵画が好きなのか」

朋花「ええ。過去の聖なる人々が記録されていますから」

朋花「特にこれ……『受胎告知』……」

P(両手を広げた幅ほどのカンバスに二人の人物……天使と女性が描かれている)

P「聖母マリアが身ごもった事を天使から告知されるシーンか」

P(そうだ……"シーン"なんだ、これは。映画みたいなものだと思っていた……あの時は)

朋花「……あら、プロデューサーさん、何か疑いの目でみていませんか~?」

P「そりゃあ、な。処女受胎か。行為がないのに、身重になるなんて……妄想の極みじゃないか」

朋花「うふっ、聖母を信じられないなんて、おしおきが必要かもしれませんね~」

P「こればっかりは、信じることができないさ。実際に目撃でもしないかぎりな」

朋花「そうですか……ではいいことを教えてさし上げます」

P(そう言って朋花は、吐息が直接感じられるほど近く、口を俺の左耳に寄せる。そして、あの蕩けそうな声で、宣告する)

朋花「私……妊娠しています」

P(本当なのか、と問うた)

朋花「はい、もちろんです。私が嘘をつくと思いますか~?」

P(誰の子どもだ、と声を荒げてしまった。少なくとも俺には覚えがなかった)

朋花「わざわざ、この絵の前で一番最初に教えてあげたんですよ。他の誰にも言っていません」

P「意味がわからない。誰のだ」

朋花「うふっ、そんなに私の事が大切ですか?」

P「当たり前だ」

朋花「誰のだ、なんていうのは浅ましい考えですよ」

P「……どういうことなんだ。教えてくれ、朋花」

朋花「この子は……みんなの子です。子豚ちゃんたち、騎士団の皆さん……そして、あなたの」

P(すぐさま朋花の話を信じたわけではなかった。しかし、お腹は日を追うごとにどんどんと膨らんでいく)

P(誤魔化されているとばかり思っていた。すぐにも飛びかかって、誰の子かと酷く問い詰め続けたかった。少なくとも自分ではなかったのだから)

P(しかし、そんなことより喫緊の課題は……)

P「朋花……765プロにはもう居られない」

朋花「わかってます~。敬虔のあまり聖地を追われるかのようですね~」

P(この頃の朋花の笑顔は酷く優しかった。昔のような、サディスティックな意味を含んだ表情が少し懐かしかった)

P「地下でアイドルを続けよう。ファンを導かなきゃならないだろ?」

朋花「その通りです。よくわかってますね~♪」

P(夜逃げ同然で部屋を出て、二人の給料を合わせて活動を細々と続けた)

P(なぜ朋花を見捨てなかったのだろう。朋花と関係を持ったと疑われるのが嫌だったから?)

P(いや、そんなもの検査なりなんなりすれば業界での疑いは晴れるだろう)

P(その後に残される朋花が可哀想だったから?)

P(しかし、こんな自問に意味は無い。選ばなかった選択肢は意味をもたない)

朋花「また集まってくれてありがとうございます~」

P(地下での最初のライブ。どこから嗅ぎつけたのか"騎士団"も"子豚ちゃん"もいつもと同じような面子が集まっていた)

P(朋花のお腹はもう言い訳が効かないほど膨らんでいた。なのになぜ、ファンは、そうまでしてやってくるのか)

P(ライブ後の握手会……また繰り返される光景……)

朋花「うふっ、自分を大事にすることは、私に仕える騎士団としての使命ですからね~」

朋花「泣いても大丈夫ですよ~。あなたのようなだめだめな子豚ちゃんのために私がいるんですからね~」

P(浄化されて帰っていくファンたち……)

P「なあ、朋花、もうそのお腹じゃ限界だろう。朋花の健康に差し支える……」

朋花「いえ、まだ続けますよ。この子はみんなの聖なる子なんですから、まだ大丈夫です~」

P(それから数週間ライブを続け全国を行脚した)

P(ある地方のビジネスホテル。二部屋手配したつもりだったが、ダブルの部屋が一つだけ用意されていた)

P(ホテル側に談判したが、どうしても空きがないという)

P(地下アイドルの資金源は心もとない。他のホテルに行くという選択肢はなかった)

P「朋花、本当にいいのか」

朋花「私なら平気ですよ」

P「そうか、それならいいんだ……」

P(九月の暮れ、季節外れの熱帯夜、今年の残暑は厳しい。エアコンの効きが悪く、汗ばむ)

P(床に敷いた掛け布団から起き上がり、朋花の様子を伺う)

P「安心、しやがって」

P(天使のような寝息……俺を、試しているのか?)

P「朋花」

P(返事はない。朋花に子どもが宿るまえに、俺が手を出しておけばよかったのか)

P「……朋花」

P(一度は押し込めた感情が再び噴き出してきていた)

P「脱がすからな」

P(フリルのあしらわれたネグリジェの前ボタンを一つづつはずす)

P(朋花のナイトブラが現れ、呼吸の度に肺と身ごもった腹部が膨張し、萎み……)

P「ナイトブラ……騎士のブラ……いかいんいかん」

P(焦っている。朋花の許可なくこんな事をしているんだ。誰に対してだってマズイのだろうが、特に朋花だけには)

P「帰りたいなあ、昔の日々に……」

P(だが決意を固め、ネグリジェを完全にはだけさせる。下半身に目を向け、ショーツを確認し、手をかける)

P(神聖な領域……でも、処女雪にはもうきっと足跡が……)

P(ゆっくりと下ろす、下ろす。腰骨、臀部、産毛のような微かな陰毛……そして)

P「……なんだ、これは」

P(そこには、"何も"なかった)

朋花「……プロデューサーさん、見てしまったんですね~」

P「……」

朋花「私には子どもを産む穴なんて無いんです」

P(朋花に気づかれたことに構うことなんてできない)

P「……穴がないどころか、何もない」

P(穴が無くすべすべの肌だけがある、というのでもない)

P「空間が……無い」

朋花「うふっ、それはプロデューサーさんが認識できないだけかもしれませんよ~」

P(……確かにそうだ。空間が無いことを認識なんてできるはずがない。ということは、無い、という風に無理矢理認識させられているということだ)

P「朋花、じゃあ、お腹の中の子どもは……」

朋花「やっぱり信じてなかったんですね。私は、聖母なんですよ~」

P「……まだ、意味がわからない」

朋花「解かる必要なんてないんですよ~。プロデューサーさんが、私を……聖母を受け入れるだけで十分です~」

P「受け入れられないとしたら?」

朋花「……お別れです」

P「受け入れるためには?」

朋花「私の手を握って……心から、願ってください、私をただ受け入れてください」

P「……わかった」

P(その手を優しく握ると、より強く握り返されて、朋花が俺を抱きしめる)

P「強く……」

P(二人の身体が浮き上がる、お互いの体温が、肌と肌の境界で等しくなる。呼吸が同期する)

P(境界が失せる……)

青白い金属のように溶融する。

とにかく、安らかだ。額が涼しい。

額はどこだ?額はここですよ~

なでられる。互いの血が均等に混ざる。

回帰する。リフレイン、リバース。

……

久遠にも等しい時間……それでもまた朝日は昇る。

……

P「秘密を知った朝、朋花の姿はありませんでした」

高木「……そうか」

P「信じていただけませんでしたか」

高木「きっとストーリーテラーにでもなれるよ……と突き放すこともできるが」

P「信じていただけると?」

高木「そうはいってない。ただ、あの年代の女の子は不思議だ。神様に近いような気もする」

P「それは……同感です」

高木「もしかして、それでロザリオを首に?」

P「そう言われてみれば、そうかもしれません。ただ、これは朋花に貰ったんです」

高木「ずっと……つけている?」

P「ええ、つけない理由もありません」

高木「信じる者が、救われると良いな……」

P(社長と朝になるまで飲み明かした。アイドルの話、それから色々な話……)

P(しかしもう会うこともないだろう。一夜話しただけで、きっと通じた。だからそれで良い)

P(また明日から馬車馬のように働かなければならない。芸能界はそういうところだ)

久々に飲んだからか、酷く視界が定まらなかった。

なんとか家までたどり着き、毎日の習慣となっていたマリア像への祈念を今日も行う。

ふと気づく。そのマリア像の顔が朋花に瓜二つだった。

唇を動かし、その像に語りかけると、

あの天使のような、はたまた悪魔のような朋花の声が聞こえる。

この歳になっても、まだ彼女に魅入られていることがなんとも腑に落ちて、

その日は持病の不眠症も、ころりと鳴りを潜めるのであった。

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