三船美優「私がアイドルになった理由、ですか?」 (15)

「そういえば美優さんがアイドルになった理由ってなんなんですか?」

 私がアイドルになった理由、ですか?

 そうですね……。

「ちょっと気になっただけなんで、言いたくないなら別に構いませんよ」

 少し長い話になりますけど、いいでしょうか?
 前にお話しした、あの子の話でもあるんです。
 
「ええ、そういえばなんて名前だったんです?」

 え……名前? あの子の、ですか?

「はい、ゴールデンレトリバーだったのは聞きましたけど、他のことも教えてもらっていいですか?」

 いえそれは……まだちょっと言葉にするには大きすぎて……。

「そう、ですか。うん、美優さんが話しやすいように話してください」

 はい、ではあの子で……。


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 初めて会ったときのことは忘れません。

 父の知り合いの方から、ゴールデンレトリバーの仔犬を譲っていただけるという話があったんです。
 それで、どうしても父が犬を飼いたいってきかなくって。
 私は最初反対してたんです。
 当時はとても犬が苦手だったので。
 
 一度、追いかけられたことがあるんです……。
 そんなに大きな犬じゃなかったんですけど。
 それに犬からしてみればきっとじゃれてただけなんです。
 でも、小さかった私にとってはとっても怖くて。

 それでどうしても止めようと仔犬を見にいく父についていったんです。
 きっと私が犬を見て大泣きすればあきらめるだろうと思って。
 父は父で、私が仔犬を見ればきっと考えを変えると思ってたみたいです。
 親子だけあって、意固地なところはそっくりですね。


 そうですねって……納得しないでください。

 そんなに私、意地っ張りですか?

 飼い主さんのところで母犬と一緒にいるところを見ました。
 その中で、とても要領が悪い仔犬がいたんです。
 その子は、他のきょうだいに隅っこに追いやられていました。
 おっぱいを吸うのも一番最後だったというお話でした。
 その仔犬があの子だったんです。

 そんなのを見たら、私がなんとかしないとって思っちゃって。
 気がついたら、私のほうが熱心に、父に飼うのをお願いしてました。

 引き取るのは後日で、その日はおいとましました。
 それからは、あの子が来るのが楽しみで、毎日わくわくしていたのを憶えています。
 母にねだって犬の飼い方の本も買ってもらって、寝る前には欠かさず読んでました。


 かわいらしい子供だったんですね……?

 その言い方だと、なんだか今はかわいくないみたいですね?

 そんなに慌てなくてもわかってますから、大丈夫ですよ。

 二、三ヶ月たったある日、父がキャリーケースを持って帰ってきたんです。
 その日から、あの子が我が家の一員になりました。

 犬との生活は、本を事前に読んでいたとはいえハプニングの連続でした。
 まず、トイレのしつけが大変でした。
 その辺りを所構わずかじるので家具はボロボロになりましたし。
 私もよく噛まれました。
 遊びの甘噛みだったんでしょうけど、結構痛かったです。
 きっとまだ力加減がわからなかったんでしょうね。
 よく泣きながらあの子を叩いていたのを思い出します。

 ようやく外に連れ出せるようになって、それからがまた大変でした。
 こちらのことなんかお構いなしにリードを引っ張るので。
 一度、何かの拍子に転んで引きずられたこともあります。
 泥だらけになって泣きながら帰った私を見て、母は何か事故にでも巻き込まれんじゃないかと思ったみたいです。

 結局、しばらく訓練所に預けることになって、それからは大分お行儀よくなりましたけど。

 その頃は、父の仕事の都合の関係で、転校が多かったです。
 引っ込み思案な性格もあって、新しい学校になかなかなじめませんでした。
 それでやっと仲良くなったと思ったらまた転校です。
 そのせいか、ずっと一番の仲良しはあの子でした。

 だから、あの子にはいろんなことを話しました。
 返事がないのはわかってましたけど、それでもただ聞いてくれるだけでよかったんです。
 学校でその日あったこととか。
 友達ができたりとかの嬉しかったことも。
 悲しいことがあった時には、泣き言もたくさん言いました。
 内緒の話も……。

 母には言えませんでしたけど、初恋の話もしたんですよ。


 え……? 私の初恋のことをもっと詳しく聞きたい?
 
 ダメです……。

 こればっかりはプロデューサーさんにも内緒です。

 そうそう、一緒に家出もしたことがあります。
 高校生のとき、門限にちょっと遅れて家に入れてもらえなかったことがあったんです。
 それで、売り言葉に買い言葉で言い合いになって。

 最後には、お前なんかうちの娘じゃない、敷居も跨がせん、とか父が言い出したんです。
 
 私もむきになって、こんな家出て行きますっ、って飛び出しました。

 飛び出してはみたもののよく考えれば、行く当てなんてありませんでした。
 なんだか心細くなってとりあえず家の前まで帰ったんです。
 玄関の横につないであったあの子のそばでしゃがんでじっとしてました。
 そうしたらあの子、私の握った手をなめだしたんです。
 犬って喋れませんけど、こちらの気持ちを分かって慰めてくれるんですよ。

 急に心強くなって、よし大丈夫って気になりました。

 玄関前でじっとしていてもしょうがないので立ち上がって、あの子のリードを手に取りました。
 一人と一頭のエスケープ、スタートです。
 実際、あの時はちょっとハイになっていました。

 近くのコンビニエンスストアで飲み物食べ物とかドッグフードなんかを買いました。
 もちろんあの子は外につないであります。
 大型犬ということもあっていたずらをする人はいませんでした。
 それにちゃんとおとなしく待ってくれました。

 目的地はありませんがとりあえず歩いていきました。
 そのとき読んでいた小説の主人公にちょっと自分を重ねあわせたりなんかもしたりして。
 似ていたのは夜中に歩いているという所だけですけど。

 休み休み歩きながらとはいえ、女子高校生の体力です。
 すぐに限界が来ました。
 バス停のベンチが見つかったのでそこに座って、あの子にもたれかかってウトウトしました。

 こんなことができたのは、気候がよかったというのもあります。
 冬でしたらとても無理でした。
 それに犬を連れていたとはいえ、結構危ないことをしていたと今更ながらに思います。
 
 最終的には、明け方にお巡りさんに補導されて、家に帰ることになりましたけど。

 それでまた父にお説教されましたが、今度は素直に謝れました。
 心配してくれたのがわかったのと、心細かったんでしょうね……。


 ふふ……イメージとはちょっと違いましたか?

 私、意外とアクティブなんですよ。

 そういえばこんなこともあったんですよ。

 フリスビーが好きだったのに、うまくキャッチできないんです。

 こう私が投げたフリスビーをあの子が追いかけます。
 でも、いつもキャッチしないで、身体をぶつけちゃうんです。
 取りやすいように、かなり緩く投げてもそうなんですよ。

 表が上を向いて地面に落ちたら、こう手で……たしったしってやって裏返すんです。
 それで、裏返ったフリスビーをくわえて、それから私の所に持ってくるんです。


 やっぱり、おバカな犬です……よね?

 ……そうやって取るのが正解だと思っていた?

 うーん、そうだったのかな……?

 私の生活には、いつもあの子がいました。
 けれど学校を卒業して、就職するようになって。
 そうやって、だんだん一緒に過ごせる時間が少なくなって。

 私がずっと行ってた散歩も母に代わってもらうことが多くなりました。
 なかなか大変ね、なんて言われたりもしました。

 構ってやれなくて邪険にすることも多かったです。
 そのくせ仕事の愚痴なんかはこぼしていました。
 本当、自分勝手ですよね。

 それでも、あの子はいつも変わらずに私を待っていてくれました。

 ううん、私が変わってほしくないと思っただけで……。

 変わらないものなんて……あるはずないんですけどね。

 あの子はどんどん年を取っていきました、あたりまえのことですけど。
 そのうち大きな病気もして手術を何回もしました。

 だんだんあの子は弱っていきました。
 足腰も弱って、散歩に行くこともなくなりました。
 散歩には行きたがるんです。
 でもすぐにしゃがみ込んで動かなくなるからどうしようもなかったんです。
 外に出しておくのもかわいそうだって、リビングにスペースをつくりました。

 獣医さんに連れて行きましたが、これは老衰だから手の施しようがないって言われました。

 そうしてあの日が来ました。

 仕事中に母から電話がかかってきて、あの子がもうダメかもしれないって。
 でも仕事は投げ出せません。

 ようやく仕事を一区切りつけて、上司に許可をもらって会社を出ました。
 駅まで走って、急いで列車に乗り込みました。


 すみません……。

 ちょっと、待っててもらって構いませんか?

 いえ……大丈夫です。

 お待たせしました……続けます。


 なんとか持ちこたえてくれてるよ、駅まで迎えにきてくれた父が言いました。
 会話はそれだけで、家に着くまではお互い無言でした。

 久しぶりの玄関のドアを開けてリビングに向かいます。
 毛布にくるまれて横たわったあの子がいました。

 私に気づいたのか、毛布の隙間から鼻先を覗かせます。
 尻尾も小さく振りました。

 ただいま、元気にしてた、いつもみたいに言ったつもりなんですけど、きっと声は震得てたと思います。
 手をそっと鼻先に伸ばします。

 あの子は、私のことを確かめるみたいに、匂いをかいで。

 そして……。

 いつか、私を元気づけてくれたみたいに……。

 私の手をなめてくれました。

 それが最後でした。

 あの子の身体から力が抜けていきました。

 あんまり悲しいと人は泣けないって、本当かもしれませんね。
 感情の針が振り切れてしまって。
 鼻の奥がつんと痛くて、どうしようもなくて。
 けれど……泣けないんです。

 結局あの子のお葬式のときも泣けませんでした。

 それからのことは夢だった、そんな気が今でもしています。
 こう、今いる自分を上から眺めて、それで操作してる。
 自分の身体がまるで自分じゃない。
 そんな感じなんです。

 しばらくして、仕事も辞めて、ずっと実家に引きこもってました。

 父も母もそんな私を気遣ってくれました。

 でも私は別世界にいるみたいに自分の殻にこもっていて。
 そんな日々が続いていました。

 初めて会った日のことを憶えてます?

「ええ、あれはちょっと忘れられないですね」

 実はあの日ってあの子のお墓参りの帰りだったんです。

 最初声を掛けられた時は、何事かと思いました。
 それからすぐ、この不躾な人はなんですかって。

「こっちはこっちで必死だったんですけどね」

 私がこんなに苦しい思いをしてるのに、どうしてこの人はこんなに無神経なんだろうって。
 けれどそんなの他の人にはわからないし、自分勝手なわがままですよね。

 そうやって一人で腹を立てていたんです。
 しばらくすると自然と涙があふれてきました。
 実は、あの子がいなくなってから泣いたのは、あの日がはじめてだったんです。

「あの時は本当にどうしようかと思いましたよ」

 すみません……。

「美優さんは急に泣き出すし、周囲からは勘違いされるし」

 でも無神経なプロデューサーさんも悪いんですよ。

「おかげさまで、あれからはスカウトには一層気を使うようになりましたよ」

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