一夏「あれ? 太った?」 (28)
それはごく普通の日々の一場面、なんの変哲もない朝食の終わり。
そこで一夏が発した一言から始まった。
一夏「ところで、シャル……最近太ったんじゃないか?」
――体重。
それは常に女性の背後にあって機を伺い、隙あらば襲いかかってくる、恐るべき敵である。
シャル「そ、そそそそそそ、そんなことは、ないんじゃないかな!? た、たぶん! ……きっと」
敬愛する一夏の言葉であるということも忘れ、シャルロット・デュノアはぷるぷると震えながら後ずさって抗弁した。
顔色は血の気の失せた白、額からは滝のように汗が流れている。
一夏「そっか……シャルがそう言うのなら気のせいかもな」
シャル「そ、そうだよぉ! 一夏ったら、もお~! あは、あははははっ!」
笑顔の一夏。シャルロットは引きつって応えることしかできない。
一夏「よかった。俺、太ってる女は嫌いなんだ」
容赦ないその言葉から、一連の騒動は始まった。
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― セシリア 自室 ―
セシリア「そんなっ!!! うそっ!? ありえませんわああああぁ~!」
自室にて、体重計に乗ったまま蒼天に届けとばかりに雄叫びを上げた縦ロールのある長い金髪の彼女は、セシリア・オルコットという。
イギリスの代表候補生。専用ISは「ブルー・ティアーズ」。イギリスの名門貴族のお嬢様である。
セシリアは青ざめた顔で、これでもかと慌てふためいている。
あの時食べたサンドイッチか、それともあの時食べたパスタか、はたまた、あの時食べたステーキか。めまぐるしくセシリアの脳内をかけめぐる。
セシリア「お菓子も我慢しましたのに……こ、ここ、これは……何かの間違いですわっ!」
そう思い、自分の体を見下ろした。
……最近苦しくなった気がする、お腹が見えた。
セシリア「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃ!? い、いつのまに……」
セシリア「確かに、最近、着ていた服が合わなくなったりしましたけど……でも、でも……っ!」
セシリア「(そんなにっ!? そんなにわたくし、太りましたの!?)」
後悔先に立たず。打ちひしがられるセシリアを慰める者は誰もいなかった。
セシリア「はぁ、ダイエットしなければなりませんわね」
――とは、いうもののこの時点ではそう悲観的になってはいない。
身支度を終えて食堂に向かうと丸机の前には、二人の男女が座っていた。
いつも通りの、朝食後の一時を楽しんでいた、一夏とシャルロットである。
愛する一夏を見かけて声をかけようと手をあげた瞬間――。
一夏「――よかった。俺、太った女は嫌いなんだ」
――ピシッ。
手を上げたまま固まるセシリア。
気高く美しい笑顔の一夏の口から紡がれた言葉は、余りに残酷で、タイムリーだった。
― 食堂 午後 ―
セシリア「ということで!」
シャル「痩せるよ!」
そう言って、どんと机を叩くセシリアとシャルロット。
鈴「えー……」
という声が上がる。
丸机の前には、五人の女性が座っていた。午前の授業を終えて、昼食後の一時を楽しんでいた、鈴と箒とラウラも含めるとである。
箒「なぜ、私たちまで……」
ラウラ「うむ。別に私は太ってないぞ。ナノマシーンのお陰だが――」
シャル「そのナノマシンどこで買えるっ!?」
セシリア「お金に糸目はつけませんわ!」
どんと机を叩いてラウラにセシリアとシャルロットが詰め寄る。心なしか、鼻息が荒い。
ラウラ「お、おぉ?」
箒「……落ち着け。ナノマシンが買えるわけないだろう……」
鈴「はぁ、ばっかみたい」
ダイエットとは、一人でやると、長く苦しく果てしない。
だからこそセシリアとシャルロットは、道連れ……もとい、協力者を求めてこの場に集合をかけたのである。
セシリア「り、鈴さんだって、最近太ってきてるんじゃないんですの!? ガタガタブルブル震るのもっ! 明日はわが身ですことよ!」
セシリアがそう言うと、
鈴「いや、私は別に……」
シャルロット「中華って油だよね……」
鈴「うっ」
言って鈴をジト目で見るシャルロット。
シャルロット「み、みんなで何かやるなんて親睦にもなるし、い、いいんじゃないかなぁ」
ラウラと箒は机に突っ伏した。
みんなでなにかをやるのはやぶさかではないが、望んでもいないダイエットに付き合わされるというのは堪ったものではない。
箒「私達は関係ないだろう」
ラウラ「そうだな、それにそんな時間があれば嫁といたい」
二人は口を尖らせて抗議した。
― 同時刻 同食堂 ―
簪「うーん」
更識 簪は姉である更識 楯無の依頼にょり織斑 一夏という人間はいかなる者なのか、調査を開始していた。
それとなく学園内での評判を集めることとした。
このようなことをしていると知れたら専用機持ちどもがうるささそうだが、生徒会を運営する上で重要と判断したらしい。
簪「まずは聞いてまわらなくちゃ……」
簪「(こういうの苦手なんだけどな)」
肯定的証言群
「おりむー? もちろんいい人だよー。なにより、おりむーがいると、なんというか、雰囲気がよくなるんだよねー」
「みんな頑張ろうという気になる」
「あの人は、まあ、ちょっとぬけてるとこあるけど、いい人。ぼーっとしてるようにみえるけど、機転はきくっていうか」
「色々やさしく教えてくれるし、あと、やさしい」
否定的(?)証言
「ちょぉっと鈍感なところあるよねー、あははははは」
学園内の人気に関してはかなり人気がある。雰囲気づくりに長けた人々の潤滑剤となりうる人材のようだ。
──今のところ、特に専用機持ちとはその仲はすこぶるよさそうだということだろう。
驚くべきことに、特定の人物を作らず五人で取り合っている。
全て織斑 一夏の恋人でもあるようなのだ。
この点については今後監視を続行する必要があると考えるものである。
簪「(見てるだけなら得意)」
専用機持ちが囲むテーブルをつかずはなれずの距離で聞き耳を立てている者がいるともしらず、五人(主に二人)はダイエットの計画を練っている。
― 同時刻 同食堂 ―
セシリア「――どうして駄目なんですのっ!?」
食堂の喧騒の中、セシリアの叫びがこだました。
セシリア「もうちょっ、と。ふっ、ふっ、よっ! とおっ! はぁっ!」
スパッツの上から箒から借りたパンツに足を通して裾を持ち上げる、そこまでは良い。
だが、チャックを持ち上げようとすると、途端に苦しくなるのである。
そう、心持ち、お腹が……。
セシリア「いやっ! いやいやいやぁっ! 太ってなんかいませんわっ!!」
鈴「(ちょっとあわれね)」
箒「(私のお気に入りのジーパンが……)」
セシリアは大急ぎでパンツを脱ぐと、すぐさまそれを拾い上げて、地面に向けて叩き付けた。
箒「あぁ!?」
セシリア「……わたしが太ったんじゃありませんわっ! きっと縮んだ……服の方が縮んだんですっ!」
セシリア「次の服っ! シャルロットさん!!」
シャル「えぇ!? 僕の!?」
――それでも結果はやはり、完敗だった。
背格好の違う、体格の違う服をきてサイズが合うわけもない。そういった正常な判断ができないところまで精神的に追い詰められていた。
セシリアは肩を落として椅子にうなだれる。
セシリア「このままでは、一夏さんに嫌われてしまいますわ……」
零れる溜息ばかりは抑えようがない。
シャル「い、一夏だって、そこまでは」
セシリア「――シャルロットさん、あなた、忘れましたの?」
一夏『よかった。俺、太ってる女は嫌いなんだ』
シャル「……っ!」
心中に一夏の声が蘇ると、シャルロットは体をぶるりと震わせた。
シャル「(そうだったぁ~。僕も人の心配してる場合じゃないよ~)」
心ばかりは急いていく、だが妙案は浮かばない。そんな繰り返しでただ時間は過ぎていた。
箒「ええい! まどろっこしい!」
箒「まずは鍛錬だ!」
シャル「やっぱり……」
セシリア「そうなりますわよねぇ……」
案の定な流れに、事の成り行きを眺めていた鈴のこめかみが軽くヒクついた。
ラウラ「決まったか、それでは私は嫁のところに――」
そう言って去ろうとするラウラの首根っこを鈴がつかむ。
鈴「あんたも来んのよっ!」
ラウラ「……」
「「「「「はぁ」」」」」
全員で深いため息をつく姿はなんとも滑稽であった。
ここまで!
また後日投下!(予定)
ちなみに妊娠ではない!
― 体育館 ―
鈴「どうせ体動かすんなら、IS使っての訓練にすればいいのに……」
そんな間の抜けた鈴のつぶやき声から始まった運動は、箒とラウラ以外の予想を超えて、激しいものとなった。
あるときは激しく太ももを上げ。
箒「一二、一二! その調子だ! ハイ、膝を上げて、上げてー!」
セシリア「ちょ、ちょっと待ってぇ……」
箒「もう一度!」
あるときは寝そべりながら体を捻り。
箒「捻って、捻って、腹筋を使うんだ」
鈴「待って、これ、本当にきつ……」
箒「もう一度!」
あるときは腕を振り回し。
箒「腰を落として腕を水平に振るんだ、一、二、三、四、五……」
シャル「(久しぶりのトレーニングで身体が追いつかないよぉ)やす、やすませ……」
箒「もう一度!」
あるときは左右に竹刀を振り下ろす動きを繰り返した。
箒「素早く腕を前に突き出すんだ! 一二! 一二!」
ラウラ「(竹刀の扱いはよくわからん)」
箒「もう一度! へばるな! 根性を見せろ!」
「「「は、はぁ~~~い」」」
― 繁華街 ―
日が西の空へと沈みかけようとする頃。
まるで新兵訓練の如き激しい運動を終えた五人は、門限までの短い時間ではあるが外出申請を提出して街へと出ていた。
場所は一夏もたまにたむろしている喫茶店である。
鈴「つ……疲れた……体中が、ばらばらになりそう……」
ラウラ「うむ、なかなかに良いトレーニングだった」
シャル「そ、そうだね。これは効いたって実感があるよ……」
セシリア「(しゃ、喋る余裕があまりありませんわ)」
それぞれ運動の感想を述べた。
鈴とラウラは体のあちこちを触りながらも、まだ余裕があるのかお互いにこやかに笑っている。
一方で言いだしっぺのセシリアはというと、日ごろの不摂生の代償というばかりに力尽きて机に倒れ伏したままぴくりとも動かない。
最初の頃はまだ泣き言を言う気力もあったセシリアだったが、半ばを過ぎた当たりから口数も減り、最後の方はまるで喋らなくなり、終わると同時に力尽きて倒れてしまったのだ。
――ちなみに、汚い話、途中で何度か冗談抜きに吐いている。
その後、残ったラウラと鈴が桂花を介抱し、何とか口かきける程度に回復した頃、この店に連れてきたのだ。
箒「まったく、情けない。一夏だって、これぐらいはこなすぞ」
ラウラ「ちょっと軟弱すぎるな」
鈴「なぜ太ったのか、自分でもわかるんじゃないの」
シャル「う、うぅ……」
そう言って非難めいた視線を向ける三人と縮こまるシャルロット。セシリアはそれを聞いてがばりと体を起こすと、力の限り大声で叫んだ。
セシリア「べ、べつにっ! わたくしは運動を得意としなくてもかまいませんわっ!」
セシリアの声に、店の中から喧噪が退いた。
一瞬の静寂。
しかし、それを破ったのも、やはり箒と鈴だった。
鈴「でもねぇ」
箒「運動をおろそかにして、お腹を浮き輪にしていなかったらこんなことにならなかったろう」
セシリア「う、うきわ……」
その言葉に、セシリアは肩をがくりと落とした。
― 同時刻 喫茶店 路地裏 外 ―
簪「(まだ出てこない……)」
そう思った簪の顔は疲れているように見えた。無理もない、時間にして決して短くない時間を尾行していたのだ。
簪「(そろそろ門限だし……今日は帰ろうかな……)」
ふと、しゃがんで座っているところを、誰かが肩を掴んでいた。
その肩を掴んだ人間を、簪は見上げる格好で振り向いて確認する。
男A「そこのお嬢さん、こんなとこでなにしてるの?」
男B「よかったら俺らと遊びいかない?」
顔を上げ、口をぽかんと開けて掴まれた肩を見ていた簪。
――時間にしておよそ数十秒ぐらいだろうか。
見つめ合った格好のまま簪が我に帰るまで、二人の男たちは、微動だにしなかった。
簪「え……あの、えっと」
突然、聞かれたことに戸惑いの声をあげると、男たちは口角を上げてにやにやと笑いながら簪の目の奥を覗きこむように目線を合わせた。
簪「(ど、どうしよう……)」
簪「あの……そろそろ帰らなきゃいけないので……」
なるべく刺激を与えないようにやんわりと言葉を発した。
簪に拒否をされた男たちは眉を釣り上げた。だが、すぐにまた柔和な表情に戻り、ゆっくりと小さな溜め息を吐き肩をすくめる。
断っても去る気配を見せない男たちの様子に簪は恐怖を覚えはじめる。
気がつけば、簪の掌にじっとりと手汗が滲んでいる。
そんな簪の心の揺れ動きようを知ってか知らずか男たちはさらに詰め寄る。
男A「あのさぁ、黙ってついてきてくんない?」
身震いをしてしまうかのようなゾワっとした悪寒が簪に走る。
端から見れば変化などない男の落ち着いたたたずまいに身の危険を感じた。
簪「いや……え……その」
男B「かまわねぇよ、さらっちまおうぜ」
男に溜め息をつかれ言われた瞬間、弾かれるように立ち上がり逃げようとした。
そこからは、スローモーションを見ている感覚だった。
走り出そうとした腕をつかまれ、口を手で塞がれた。叫び声をあげさせない為であろう。
簪「(ひっ!! いや! 助けて!! 誰かっ!!)」
簪「(――お姉ちゃんっ!!!!)」
「おい、なにしてるんだ?」
涙で視界がにじむ中現れたのは、調査対象である、織斑 一夏。その人であった。
ここまでだ!また後日投下予定!
― 喫茶店 路地裏 外 ―
今日は、春の訪れを感じる陽気に包まれてぽかぽかとした過ごしやすい日だった。
幼馴染の弾との遊びを満喫した後の帰り道。
偶然見かけた同じ制服が路地裏で立っているのを目にして、なんとなく興味を引かれ視線で追いかけた。
――ただ、それだけのはずだった。
そう、視線の先で、女生徒が男たちに話しかけられるまでは。
薄暗くなりはじめた路地裏で相対する二人の陰険な雰囲気に呑まれながら、一夏は心の中でつぶやいていた。
一夏「(えーと、これってけっこうやばいんじゃ?)」
かたやポケットからメリケンサックを取り出し装備しだした男A。かたや両手でか弱い女性徒を羽交い絞めにしている男B。
男A「なんだテメェ?」
男Aの眼がすっと細まりつかつかと歩み寄り一夏の襟元を掴む。
一夏「警察、呼びますよ」
言った途端、殴りかかられた。さすがに予想していたので、一発目の拳は避けられたが、次いで放たれたアッパー気味の一撃は避けきれなかった。
一夏の顎に衝撃が走り、意識が一瞬飛びかける。
なんとかたてなおし、たたらを踏んで首をふると、男Aが余裕の笑みを浮かべているのがわかった。
一夏「いっつ~……」
男A「なんだ? もう終わりか?」
一夏「いや、ちょっと油断したんだ。でも、そっちがそのつもりなら――」
予備動作無しで繰り出された一夏の膝蹴りがすぐに男Aの顎をとらえる。
それと同時に、尻もちをついた男Aの背後にまわりこみ腕を掴むと、関節技を見事に決めていた。
男A「いっ!?」
男が状況を飲み込めないままに流れるように首を掴み、ぎりぎりと締めあげる。
悲鳴すら漏らせないのは、完全に体をとられて身動きがとれないからだろう。
男Aの顔が赤から青に変わり、ついに白くなっていく。
一夏「どうする? あんたがその子を解放してくれるなら、こっちも離してやる」
一夏は微妙な力加減でゆるめることなく男Bの動向を観察する。
男B「生意気な野郎だ……。お前、素人じゃないな」
一夏「ただの学園生さ」
男B「なるほど。ということは、お前が“男で唯一ISを使える”といわれている――」
合点がいったという時、男の表情は明らかに変わった。
男B「織斑 一夏、か」
男は、ふん、と鼻でわらうと、物を見つめるように羽交い絞めている簪を一瞥する。
男B「いいだろう、先に離せ」
一夏「……だめだ、先にそっちが離せ」
しばらく、利害損失を計算しているような間があった。
下卑た笑みを浮かべて男は頷いた。
男B「ほら、行け」
簪「あっ……」
一夏と男Bとの間にピリピリとした緊張感が募る中、自由になった簪は一夏へと駆け寄り背に隠れる。
簪「あの……ありがとう……」
一夏「(――おかしい、さっきまでと明らかに雰囲気が違う)」
お礼の言葉に笑みでしか返す余裕がなく、そう直感してしまうほど、居心地の悪さを感じる。
もしかしたら、この男は、単なるチンピラの類ではないのかもしれないと思わせるただならぬ気配を一夏は感じはじめていた。
一夏は瞳を正面から見据えて対峙する構えで、いつ飛びかかられてもいいように膝を曲げる。
簪「誰か……呼んできます」
簪が走り去るのを待ってから男Aの首を掴んでいる力をゆるめた。ぱくぱくと陸に打ち上げられた魚のように口を動かして呼吸している。
男B「やれやれ、何を警戒しているか知らないが、俺はそいつを連れて帰りたいだけだぜ?」
一夏「……そうですか、それなら、俺もこのまま立ち去ります」
そこに、いささか憮然とした物が含まれていたとしても警戒色の消えない一夏には、しかたの無いことだろう。
生唾をゴクリと、喉を鳴らし神妙な面持ちに表情を変えていた一夏は怪訝そうな表情を浮かべてその場を後にした。
くぅー疲!今日はここまで!また後日!
― 夜 学園内 職員室 ―
一夏「千冬姉(ちふゆねえ)っ!」
名を呼ばれて座ったまま見上げる形で視線を向けると、血相を変えて走ってきた弟の姿があった。
一夏の姉で、彼のクラスの担任でもある織斑 千冬は小さく溜息をつき、眉根を寄せてやれやれと肩をすくめてみせた。
そのあとで、険しい顔つきになった千冬が一夏に向けて
千冬「何度言えばわかる、学園内では織斑先生と呼べ」
と、厳しく命じていた。
一夏「あ、すみません。織斑先生」
少しの沈黙の後、息を切らせている様子に緊急の用件だと察したのか、小言を飲み込んで先を促す。
一夏「――ということがあったんだ」
千冬「そうか」
一夏「そうかって……え、それだけ?」
路地裏での出来事をただ事ではないと報告してきた一夏に千冬はただ冷静沈着に短くぼそりと呟いてお茶をすする。
千冬「そうだが?」
一夏はぽかんと口を開けていたまま、すぐには状況が飲みこめないでいた。
学園の生徒が襲われたという認識と、千冬が対処してくれるであろうと思っていた展望がガラガラと音を立てて崩れていく。
興奮冷めない一夏にとっては、千冬の対応に温度差がありすぎたのだ。
明らかに狼狽している一夏へ向けて、呆れ顔で千冬は続けた。
千冬「話はわかった。襲われたという案件に関しては然るべき機関にきちんと連絡を通しておく」
一夏「は、はい。わかりました」
千冬「……しかしな、織斑」
千冬「お前は少し落ち着きを持て。動だけではなく静の心を持って冷静に周囲を見ろ」
一夏「うぅ……はい」
千冬「女生徒を助けたのはお手柄だったな」
千冬「怪我はなかったか」
落ち着きを取り戻した一夏はなんでもない、とばつが悪そうに笑った。
それを見て釣られるように千冬も苦笑した。元々整った顔立ちである為、笑うと、かなりの好人物であるような印象になる。
千冬「山田先生!」
――ゴンッ!
机に頭を盛大にぶつけた音が響く。
一夏のクラスの副担任である山田 真耶は、目をしばたいた。
山田「あうひゃ!? あ、はい!?」
どうやら居眠りをしかけてしまっていたらしい。慌てて口元から顎にかけて涎の後をつけているのをこする。
千冬「織斑、山田先生にも報告してやれ」
一夏「わかった、じゃなくてわかりました」
一夏「実は――」
――
―
山田「――あー」
一夏が説明を終えると悩ましげな吐息をはく。
山田「一度生徒全員に連絡する必要がありますかねー……」
一夏「あの、他にも今日みたいなことがあったんですか?」
まだぼんやりとした声で、山田はそう説明する。ようやく目を開いたが、まだ半分閉じたような感じだ。
山田「まだ実害はないですけどー。チラホラと報告は受けていますよー」
一夏「あの襲ってきた人達はいったい……?」
山田「強引なナンパ、というのは女性がISを使えるようになって社会地位が逆転してからは減りましたし」
山田「というか、ありえませんね」
教えるべきか迷っているような表情を見せたが、一夏のほうに目をやってから、不承不承といった感じで応えた。
山田「おそらくは、その“女性がISを使える”ということに不満を持っている一部の反社会的な人達ではないかとー」
一夏「そんな人達がいるんですか?」
山田「ISができてからの歴史は浅いですから。その変化を受け入れられないって人達は必ずいるものなんですよ」
千冬「表立って行動しているものは、一部の中でも極一部だろうがな」
コーヒーの入ったステンレスのマグカップを手にとり、一口、飲む。
千冬の言葉に山田がそうですね、と頷くと、一夏が顎に手をあてて考え込んでいた。
一夏「なんだか、複雑なんですね」
表向きは平穏に見えても、裏にまわれば多くの人たちが不満を抱えている。
政治的な背景のせいもあるのかもしれないのかな、と一夏は漠然に思う。
一夏「俺なんか、そんなことが不満だなんて思ったことないけどな……」
そんな一夏のつぶやきに対して、二人の教師は薄く笑みを浮かべていた。
― 学園内 一夏 自室 ―
部屋に帰り、シャワーを浴びてくつろいでいたとき、一夏はキィという小さなもの音を耳にした。
気になった一夏がそちらを見てみると、いつ入って来たのか、部屋の中に一人の人間が、立っていた。
力なく脱力した体躯は小柄。
顔は……俯いているために影でよく見えない。
体からは陰の気というか、息苦しくなるような何かを発している。
そして何より、手には輝く抜き身の剣。
…………ん?
一夏「ん? え? 剣?」
一夏は何か恐ろしいものに飲み込まれて、引きつったような返事しか返せない。
近づいてくるその姿は明らかに鈴なのだが、あまりに普段と違い過ぎる。
一夏が固まっていると、それがゆっくりと、ゆらりゆらりと物音一つ立てずにこちらに近づいてきた。
一歩、また一歩。
その光景を見て、一夏は昔見た井戸の中から出てくる女のホラー映画の一場面を思い出した。
蛇に睨まれた蛙のように動けない一夏の前に、静かに鈴が立った。
――そして、見せつけるようにゆっくりとその手の中の剣を振り上げる。
鈴「いぃぃぃちぃぃぃかぁぁぁぁ~~~~っ」
問答無用の白刃一閃。振り下ろしの斬撃が一夏を襲った。
一夏「うわぁ!?」
自分の悲鳴と同時、ビュッという恐ろしい音が目の前を走り、ベットに刺さる瞬間を一夏は見た。
一夏「い、いきなりどうしたんだよ!? 鈴っ!」
明らかに殺す気の一撃を、一夏は何とか避けた。
それは織斑一夏個人以前の、男の本能が事前に一夏に急を告げていたからに他ならない。
鈴「あんたって男は……!」
一夏「……男は?」
鈴「何人の女を弄べば気が済むのよおおおおお」
一夏「だからどういうことだよ!?」
やたらめったら剣を振り回す鈴。
必死に逃げ回る一刀。
勿論部屋の中は滅茶苦茶になっていくのだが、そんなことより今は自分の命が惜しい一夏であった。
鈴「追い詰めたわよ……この女の敵っ!」
逃げ回ること数分。その言葉の通り、一夏は部屋の隅に追い込まれてしまっていた。
鈴「安心なさい。あんたを殺して私も死んであげるから」
うふふふふと、じりじりとすり足で距離を詰めてくる鈴に対して、一夏に逃げ道はない。
――正に危機一髪、今にも鈴が斬りかかってくるというタイミングで、一夏にとっての救世主が現れた
簪「はぁはぁ、待って! 誤解なんです!」
眠い!後日!
鈴は一夏と小学五年生からの付き合いであり、それから中学二年生の終わり、両親の離婚のため、中国に帰国するまで一夏と時間を共にした。
本当に気付けばいつの間にか、ほぼ毎日遊ぶような仲の良さになっていた。
それが今の学園に編入してISの専用機持ちとして再会をしたのである。
鈴「……へ? 勘違い?」
一夏は鈴に対して何か悪いことをした覚えはないし、機嫌を損ねた覚えも無かった。
一夏「」コクコクッ
鈴が一夏に視線を命の危機を感じて血の気が引いている一夏は懸命に首を縦にふる。
簪「ご……ごめんなさい……」
状況が理解できず、まじまじと見つめてみるとしょんぼりとしている簪。
そこでふと考える。
鈴は一夏が女の子を強引にナンパした挙句、羽交い絞めにしたと聞いていた。
……いや、冷静に考えるとおかしい。
聞いた瞬間に沸点が臨界点を通り越して部屋にまで乗り込んでしまったが、少なくともそんなことをするやつじゃない。
それは私は一番よくわかってる。
鈴「(あれ? これって私の早合点?)」
今の状況はひょっとして『また突っ走ってしまった』に該当するんじゃないかと鈴は思う。
鈴「あ、あはは~」
罰の悪い笑顔を浮かべて、ゴホン、と一つ咳をして剣を引いた。
一夏「勘弁してくれよ」
素でそんな言葉を口にする。
鈴「……ごめん」
簪「……すみません」
一夏にしてみればしかたのない反応だった。
なにしろ身に覚えのないことで斬りかかられたのである。
一夏「まぁ、鈴がこうなのはいつものことだしな」
鈴「な、なによそれ」
たとえ親しい間柄でも普通なら怒る。しかし、一夏はしょうがないかと言って笑っていた。
なぜなら、一夏はこういった場面にことごとく〝慣れていた〟。
――どうしてこうなるのか一夏自身分からないことがあっても、どんなに理不尽なことでも一言で済ませる。
類まれな精神力を自然と身につけていたのである。
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