オッサン勇者と少女魔族が世界を旅する話 (104)

習作
小説形式

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人々が魔界と呼ぶ地の中央に聳える禍々しくも豪奢な城の最上最奥。その玉座の間の扉が重々しく開く。

『着たか』

『はい。ニンゲンの魔力波導です』

二人、いや二体のヒト型の魔族は何事もない様に会話を交わした。
魔王と呼ばれ魔界を支配し管理する雄型の魔族と、その魔王、唯一の側近である雌型の魔族。
人間としてみれば魔王は壮年の男性、側近は十代の少女に見えるほど幼い印象を受ける。
ヒトとさして差異のない姿をしてるものの、青白い肌や頭部から突出した魔力を帯びた双角は魔族の特徴であり、扉を開いた人間にはない決定的な違いだ。
開かれた扉からは、双手剣を携え明確な敵意と殺気をもった人間が歩を進めているにも関わらず、魔王は泰然と玉座に腰を据え、側近は悠然と傍らに佇んでいた。

『この扉がニンゲンの手によって開けられたのはいつ以来だろうな』

『畏くも申し上げます。主がわたくしをお傍に置いてくださって以来一度もございません』

『ふむ……』

扉を開けた人間の双眸は、今にも目の前の二体を射殺さんとするほど殺意に満ち溢れている。
歩みには優雅さも閑雅な振る舞いもない。その代りにここにいたるまでの過酷な経験を男は身に纏っていた。
顔には古傷が幾つも浮かび、装った鎧は所々が剥げ、内に着用している鎖帷子も砕けており、もはや防御の機能ははたしていない。
無精ひげはそのままに、まるで手入れのされていない黒いざんばら髪、その姿はさながら野盗のそれである。
しかし粗野な風貌とは対照的に清廉な闘気を放ち、それでいて裂帛の気合に男の身体は熱を帯びていた。
魔王はわずかに口角を上げ、歩を進める人間に語りかける。

「よく来た、ニンゲン。褒めて使わす」

「っ!」

突然、聴きなれた言語が耳に飛び込み、男は反射的に歩を止めた。
同時に目の前の魔族たちから漏れ出る魔力波導の異質さに気付く。
ここまで斃してきた魔族とは明らかに違う。どの魔族にも共通していたぬるりと身体にまとわりつく薄気味悪い魔族特有の魔力波導をまるで感じない。
代わりにすべて飲み込まれてしまいそうな深い奈落を覗き込んだような感覚に陥った。
少しでも気を抜けば、この魔力波導にあてられただけで意識を手放すことになるだろう。
わずかに、剣を握り締めた拳が震える。

(恐怖……? は、まさか今更そんなものを感じるとはなァ……)

男は一介の王宮兵士に過ぎなかった。魔法は不得手であったものの、剣の腕には自信があった。
強大な魔族であっても単身で打ち斃す実力もあった。王都を襲った巨大な飛龍を単独で屠った実績もあった。
それでもこの城にたどり着くまでに幾度となく死線を彷徨った。
その都度強くなり、その都度恐怖を克服してきた。
魔族から勝利をあげるたびに無謀と罵声を浴びた行為は勇敢へと変わり、蛮行と謗りを受けた行為は英断へと変わっていった。
そうして愚者と嘲笑われた男はいつしか勇者と呼ばれるようになっていた。

(ヒトらしい感情は全部捨ててきたつもりだったが、まだ俺も人間だってことか)

震える右の拳を左の手で抑え込む。
これで、最後。全ての元凶たる魔王が目の前にいる。
勇者は、他人のために剣を振るわない。勇者は国のために剣を振るわない。勇者は平和のために剣を振るわない。
ただひたすら己がため。己の目的のために剣を振るい、独りでここに辿り着いた。
故に死地へ向かうことに躊躇はなく、自らの決意に迷いはないつもりだった。
しかし対峙しただけで湧き上がった恐怖は勇者の覚悟を一笑に付されたに等しかった。

(……くくっ。なにビビってやがる。死のうが生きようが、これで終いだってのに)

羞恥を瞬時に黙殺すると同時に勇者の中にどす黒い炎が猛り、僅かながらに芽生えた恐怖を焼き尽くしていく。

「わざわざヒトの言葉を操る、か。魔族にしちゃァ知能が高いみてェだな」

「ここまで辿り着いたニンゲンへの褒美だ。ニンゲンが魔族の言語を理解できるとは思うておらぬのでな」

魔王は玉座に肩肘をつき不敵な笑みを浮かべる。

「問おう。なぜ貴様はここへ来た――」

魔王の問いが終わるか終らないか、勇者は床石を蹴り魔王へと驀進する。
音を置き去りにする加速と体運びに予備動作はない。動きを予測することは不可能であり完全に不意を突くことに成功した、はずだった。
しかし、次の瞬間。勇者は城内の内壁に強かに背を打ち付けられ、そのまま前のめりに倒れ込んた。

(なにが、起こった……)

否、何が起こったかはわかっていた。
ただ、それを認めたくはなかった。
一閃で仕留めるつもりで上段に振りかぶった剣を魔王に向けて振り下ろす直前、傍らにいたはずの側近が突如眼前に立ちはだかっていた。
そして二つ指を貫手のように立て、易々と勇者の剣を受け止めた後、他方の掌で勇者の身体を弾き飛ばした。
軽く添えられただけのように思えた側近の掌からは、臓腑を深く抉るような重い衝撃が勇者の身体を突き抜け、一撃で戦闘不能に近い損傷を与えられていた。

『我が主よ。まだ、意識があるようです。息の根を止めても?』

『よい。命を摘む必要もあるまい』

『は』

魔王と側近からは追撃もない。それどころか攻撃を仕掛けられてなお、殺意も敵意さえもない。

(ここまで、差があるかよ……)

羽虫を追い払う程度にしか考えていないのだろうと勇者は捉えた。
しかし、魔王と側近の認識と勇者の認識はほんの少しだけ違っていた。
魔王と側近の実感した勇者の実力は、予測より遥かに高みに位置しており、わずかながら動揺を生み出した。

『二本か。強いな。お前にふた指使わせることができるものなぞ上位魔族にも数えるほどしかおらぬ』

『ああ、なんともったいなきお言葉。望外の喜び。私め如き力量をそのように評していただけるとは』

『事実であろう。そのお前が放った技を身に受け、なお心の臓の鼓動が続いている。身もなんと堅きことだ』

『あの威力の魔力波をニンゲンが身に受けて、原形を留めていることは予想外と言わざるを得ません』

『ニンゲンは弱小種族だと思っていたが。少しばかり認識を改めなければならぬ』

『あのニンゲンだけが特殊なのではないでしょうか』

『かもしれぬな。が、しかし。ニンゲンという種に可能性があることも捨て置けぬ』

確かに魔王とその側近は勇者を脅威には感じていない。
それほどまでに、実力がかけ離れている。あのわずかなやり取りだけでまざまざと見せつけられてしまった。
勇者が十年にも及ぶ旅路で得た経験も、積み上げた研鑽も、励んだ練磨も、努めた鍛錬も、苦痛を経た修練も、この二体の魔族の前では無に等しい事実を突き付けられた。
勇者は回復術を唱えつつ、剣を石床に突き立て杖代わりにどうにか立ち上がる。
眼前の敵を見据え、再度剣を構えた。

「これだけの差を見せられてまだ戦う気力があるとはな。この差が分からぬほど弱き者でもあるまい」

「てめェを殺すことだけを目的に生きてきたからなァ……簡単にくたばるわけにはいかねェのよ」

「ほう、それが先の問いへの答えか。余を抹殺することが目的だと。して余を抹殺の後に、なにを望む。
 余が亡き後、魔族の王になるつもりか? それともニンゲンの世で名を馳せたいのか?」

「くく、ははははっ! 魔族もそんな人間らしい世俗的な考えをもてるのか! こいつは傑作だ!」

「では、重ねて問おう。余を抹殺して何を望む」

剣を握る力を強め、勇者は再び躍り掛かる。

「なァに、わかりやすい話さ! てめェを殺したあとの望みなんてねェよ! ただの復讐だ! 個人的ななァ!」

先ほどよりも疾く駆け、間合いを詰めていく。

「おぉおおぉッ!」

勇者の雄叫びに怯むことなく側近は先ほどと同じように指を二本たて、待ち構えた。
剣と指が交わったとは思えない鈍い音が、剣戟の実態とは遅れて玉座の間に響く。
上下左右、縦横無尽、あらゆる角度から仕掛けるも側近の視線を振り切ることはできない。
勇者の十重二十重に張られた陽動、牽制に目もくれず本命の斬撃だけを側近は的確に防いでくる。
不意を討っても防がれる。フェイントも意味をなさない。
それならば、受けられない攻撃を繰り出せばいい道理であると勇者は結論付けた。

(とっておきを、くれてやるッ!)

剣を諸手に構え、技を放つ。
兜割り、袈裟、逆風、逆袈裟、薙ぎ払い。あらゆる方向から時間差なく銀閃が走る。一太刀一太刀がすべて奥義の領域であり、必殺の威力を持っていた。

『疾い――』

しかしその刹那の時間にも満たない間に繰り出される一瞬二十六斬、神域まで到達した剣閃――それを側近はすべて受けきり、再び勇者の身体に掌を添え、吹飛ばした。

「っがっは!」

口から尋常でない量の血液が飛び散る。

(中身が逝きやがったか……)

激痛に襲われ、声にならない呻き声が腹の底から押し出される。
全身全霊を込めた自身の技が全く通用しない現実を目の当たりにしながらも勇者の頭は至極冷静だった。

(アレを全て見切るかよ……俺の一番の技だったんだがなァ)

回復術が追いつかない。
治癒を施しても激痛は収まらない。むしろ増していくばかりである。
虚ろな意識のまま、勇者は立ち上がる。

(ここで終われねェ……終わるわけにはいかねェ……)

側近は思わず目を瞠る。
まるで全力ではないとはいえ大半の生命体が絶命する威力の魔力波を二度も受け、尚立ち上がる姿に素直に驚嘆していた。

『まさか、お前が片腕のすべてを使って受けるとはな』

『お見苦しいところをお見せいたしました』

『それほど、奴の剣技は見事だったのだろう』

『はい。それに加え、砕けない肉体、折れない精神。奴は本当にニンゲンなのでしょうか』

『奇跡、と呼ぶほかあるまい』

さらに驚愕は続く。
側近の頬から一筋の傷が開き、僅かに血が滲み出る。

『なっ……!』

爪の先ほどのわずかな傷にすぎなかった。
だがその傷は勇者の攻撃が側近の予測を超えたことの証左に他ならない。

『ほう。お前に傷を負わせるか』

『ああ、なんという……! 申し訳ございません! 我が主の前で私の穢らわしい血をお見せするなど』

『構わぬ。しかしやはりニンゲンの評価を改めなければならぬな』

身体は砕けずとも心は折れずとも、魔王と側近の賞賛とは裏腹に勇者の頭の中では既に結論が出ていた。

(勝てねェ。だが……)

勝機はない。それでも背を向けることは元より考えにない。

「もう一度だけ問う。余の抹殺の先に何がある」

「なにがあるかだと? くくく、ははははは! 本当にてめェは何度も笑わせてくれる!」

徐々に言葉は怒気を帯びていく。

「なにもねェさ! 俺の未来はもう全部てめェら魔族に奪われてんだ!」

待ち受ける先が敗北と知りつつも、気力はいささかも衰えず猛然と魔王へと疾駆する。

『これがニンゲン特有の蛮勇……ですか。それだけの能力を持ちながら、愚か者としか言いようがない』

思わず、側近の口からこぼれ出る。

勇ましき者の叫びが城内に響いた。

****

「もう一度言いますけど、私は私の意志でここにいるのではないのですからね」

「うるせェ! 黙って歩け!」

王都の大通りの往来を一組の男女が闊歩する。
男の怒声に人々が振り返る。男はバツが悪そうに赤面をすると早足でその場を立ち去り、女は嘆息しつつ男の後を追った。

男はさっぱりとした短い黒髪に鷹のような鋭い眼を携え、上背のある体躯を揺らしながら歩く。
女は絹のようなたっぷりとした銀髪とくっきりとした目鼻立ちに加え、視る者を魅了する真紅の瞳と左の眦にある蠱惑的なほくろが特徴的だ。
さらには同伴する男ほどではないがスラリと高い身長と他の女性が羨むような豊満な身体を持っており、歩くたびに道行く男たちの視線を釘づけにしていた。

「ふむ。この身はやたらと注目を集めますね。少々失敗しましたか」

「大体なんでそんな扇情的な格好してんだ。へそを出すな。へそを」

「扇情的な格好をしているわけではありません。衣服の大きさが私に合っていないだけで、一般的な大きさの着衣であると聞いています」

「一般的なものであっても、大きさが違えば一般的の枠から外れることもあんだよ」

「では、私にどうしろと? ここでまた幻身の法を使えというのですか?」

「んなこといってねェ。とりあえず、宿に入る。巻き込まれで好奇の視線に晒されるのも居心地が悪ィんでね」

「もう就床するのですか。十年以上ぶりの王都なのでしょう? もう少し満喫してはいかがですか」

「そういう気分じゃねェよ」

勇者と呼ばれた男が王都から魔王討伐に出立して十三年の時が流れていた。
いまだ人間と魔族の敵対は熾烈を極めていたが、ほんの二年程前から魔族の侵攻が弱まっていた。
二年前。勇者が魔界に繋がると言われる島に最も近しい村で目撃された。
「これから魔界に行く」と王都への言伝を村の長に頼んだ後姿が、人々の知る最後の勇者の姿である。

その一年後。王都は初めて、魔族に簒奪された地を奪還することに成功する。
理由はわからないが、目に見えて魔族の侵攻が鈍り、なによりも侵攻を統括する敵将が弱体化していたのである。
吐き出す火球も、放つ爆破魔法も、氷結魔法も、雷撃魔法も、すべての威力が数段落ちていた。
敵将の弱体化は魔族側にとって大きな誤算であったらしく、後退し敵将は簒奪した地に築いた居城に籠城を決め込んだ。
王都内部は、これを罠とみるか好機とみるか意見は真っ向から対立し割れたものの、軍部の独断行動により敵将を追い詰め、ついには討ち倒すに至る。
この事変を契機に王都は、防衛主眼の方策から積極奪還へと姿勢を翻し、次々と魔族に撃ち滅ぼされた大地を奪い返していった。
その後わずか一年という期間で、奪われた地の半数を取り返し、着実に復興への道を歩み始めた。

魔族との戦いに勝利を重ねるうちに、人々の間で噂が飛び交うようになる。

曰く、魔族が弱体化したのは勇者が魔王を滅ぼしたからではないか。
曰く、魔族の統制が弱まったのは、勇者が内部で暴れているに違いない。
曰く、勇者が今も魔族を討ち滅ぼす戦いをしている。

様々な噂が飛び交ったがその真偽を確かめる術はなかった。
勇者の凱旋を皆待ちわびた。
だが初めて魔族に奪われていた地を奪還したその日から、二年経った後も勇者が戻ってくることはなかった。

故に王都からの正式な声明はなかったものの、民心の大半は「勇者は魔王を斃したが、魔王との戦いで命を落とした」という結論に傾いていた。

そしてさらに一年後。つまり現在、世界最大の大陸の中央を真っ二つに割る形で人間と魔族は睨み合っている。
平和からは程遠いものであるものの、一歩一歩確実に完全勝利へと向かっているという実感に人々は酔いしれ、王都の中心は束の間の安息を享受していた。
おかげで戦場の最前線から程遠くなった王都は、かつて忘れられていた活気というものに溢れていた。
大通りには、祭りごとがあるわけでもないのに露天商も多く店を構え客引きをしている姿が目に入る。
道行く人々も恐怖に彩られた目に染まっているものはみてとれない。
誰もが他愛無いことに喜びを覚えるように、このかけがえのない日常を甘受するように行き交う。
しかし男と女は人通りの多さに辟易していた。

「人。いくらなんでも多すぎだ。祭事でもねェってのによ。王都が魔族に脅かされなくなったからって人が集まりすぎだろう」

「ニンゲン界がこのようなことになっていようとは。我が主も驚かれるかもしれません」

「ヤツがこんなことで驚く玉かよ」

「それもそうですね。全知全能たる我が主がこのような事態を予測していないはずがありませんから」

歩く二人は憮然とした表情で正面を向いたまま言葉を交わしており、どうみても恋仲同士の会話ではない。
では、兄妹であるかと問われれば、これまた二人の容姿は似ても似つかないし、年齢もかなり離れているように思える。
男は二十後半から三十前半、女は大人びている容姿ではあるもののどことなくあどけなさが残っているせいか十代半ばから後半程度に見えた。
女の見目形に目を奪われ、声をかけようかと逡巡する男たちが幾人もいたが、横の男との関係性を邪推して思いとどまる。
その結果騒ごうが騒ぐまいが結局好奇の視線を集めていた。
注がれる視線に気づいていたものの、二人は気にする様子もなく歩を進める。

「前々から思っていたが、アイツのことちっとばかし過剰に評価しすぎじゃねェか?」

「私は事実のみを評します」

「全知全能はどうかと思うが。まァ、優秀だってことは認めてやる」

「我が主に向かって不遜な口のきき方ですね。ここで始末してもいいのですよ」

「おーう。上等だ。二年前の決着今つけてやらァ」

「どの口が言うのやら。手も足も出ずに叩きのめされたくせに」

びしりと音を立てるかのように男の額に青筋が走る。
俄かに殺気立つ二人であったが、その周囲に殺気を気取られるほど未熟ではない。
ただ険悪な二人に見えたことは確かであったが。
その険悪な二人を、喧嘩をする恋人同士とみてとったのか、露天商が声をかけてきた。

「おやおや、お若いお二人さん。せっかくの休日に喧嘩たぁ、しまりませんねぇ!」

「あァ?」

「旦那も怖い顔しなさんなって。喧嘩しているお二人にいいモノご紹介しますぜ?」

露天商はあまりにも胡散臭いものいいで、目の前に広げてあるアクセサリーから銀色の指輪を二つ取り上げる。
なんの変哲もない指輪をさも神聖そうに取り上げる様子をみて、女はつい聞き返してしまう。

「指輪、ですか? なにも感じませんが」

「へへ、これは今王都で一等流行ってるものでして」

男はため息をつきつつ、また始まったかとこぼした。
女にも露天商にも聞こえていたであろうが、二人は話を続ける。

「どうして、こんな変哲もないものが? 確かに細工はそれなりに麗しいですが」

「いやいや。なんでもない、なんてとんでもない! これはちょっとしたまじないがかかってましてね」

「まじない、ですか」

女は露天商の手のひらから指輪を取り上げるとまじまじと見つめる。
やはり何の魔法の痕跡も残滓も感じない。

「この指輪を番ではめた恋人たちは必ず結ばれる、そんなまじないでさぁ! 恋愛の女神さまのご加護ってわけ!
 お二人の喧嘩なんざたちどころに収まっちまいます!」

「ほう。私が知らない、それになにも感じさせずそのようなチカラを付加する魔法以外の技術があるとは。
 我が主の見立て通りニンゲンもなかなか捨て置けませんね」

人間? と露天商は疑問符を浮かべたが気にせず商い口を続ける。

「それで、この二対の指輪を互いの指にはめ込む、ってのが相場さぁ。それだけで喧嘩なんかたちどころに収まっちまう!
 しかもたったの銀貨五枚! それも今だけ! 明日にはもう値あがっちまってこんな格安で買えるのもう来ない!」

いかがです? と露天商は女の顔を覗き込む。
女は相変わらず興味深そうに指輪を眺めている。
どこにそんな力が隠されているのか真剣に悩んでいる様子だ。
バカらしくなり、男は女に声をかける。

「んなチカラあるわけねェだろ」

「ないのですか?」

「あたりまえだ。お前も俺も魔力を感じてねェんだから、そんなデタラメの口上に付き合うな。時間の無駄だ」

「では、この者は私を欺こうとしたわけですか?」

露天商は突如得体のしれない怖気に襲われ、ビクリと身を竦ませた。

今までに感じたことのない、奇妙な感覚。それでいてはっきりとわかる不吉の予兆。

「へ、へへ……なにを仰っているのか」

「なにを笑っているのですか?」

その怖気の元が、女から叩き付けられている殺気であると気付くのに時間はかからなかった。

「なぜ、騙そうとしたのですか?」

女の声は平坦なものであったが、露天商は明確に死を意識した。

「ひ、ひっ……!」

ゆっくりと女の手が露天商に伸びていく。
逃げ出したい。数歩後ろに下がれば簡単に逃れられる。なのに身体が動かない。露天商の思考は死に染められていた。

「なにやってんだ、早くいくぞ」

「わっ」

ぐい、と襟元を引かれ、女は体制を崩しながら二、三歩後ずさる。

「わりィな。兄ちゃん。コイツどうにも冗談が通じなくてよ」

「へ、へ? いや、その」

露天商は、いきなり極度の緊張から解放されたせいか、何が起こっているのかわからない様子だった。
女は不満げに言葉を漏らす。

「この者は、私を欺こうとしたのですよ。罰を与えてなにが悪いのですか」

「いーから黙っとけ。こっちにきていきなり問題を起こそうとすんな」

男に諌められ、得心いかないと思いつつも女は引き下がる。

「兄ちゃん、ビビらせた詫びだ」

男が親指でピンと何かを弾いた。
緩やかな放物線を描いて、露天商の下に飛んでいく。
あわてて両手で受け取ったものは一枚の金貨であった。

「え、え!?」

露天商は突然手元に現れた大金に再度混乱に陥る。
理由を質そうと顔を上げた先に、男女の姿はもう人ごみに紛れて見えなくなっていた。

大通りを離れた裏路地を先ほどの男女が早足に進んでいく。

「お前、なんにも考えてねェだろ」

「そんなことありません」

「騙されたことに怒る気持ちはわかるがよ」

「魔族である私を謀ろうとするなど、許せるものではありません」

「向こうは、ただの人間だと思ってんの。お前だってそう思わせるために魔法つかってるんだろが」

先ほどのやり取りにやはり納得がいっていないように、女はむくれた顔をする。

「それは、そうですが。ニンゲンがニンゲンを騙すことも悪なのではないのですか?」

「そりゃわりィことに違ェねェがよ」

女からの思わぬ正論に、思わず男は口ごもる。

「まァ。これもお前の使命の一環だろ。勉強になったじゃねェか」

誤魔化すように、女に顔を向け、諭すように語りかける。
この街に来て女は初めて男の顔を意識的に見つめた。

「……ええ。ニンゲンはすぐに騙そうとするいやしい生き物であるということを学ばせて頂きました」

「その口の悪さ、どうにかできねェもんかね……」

女の据わった視線を受け流しながら、男は一軒の宿の前で歩みを止めた。

「一つだけ言っておくぞ。お前の使命なんざ、俺はどうでもいいがな。騒ぎを起こせばお前たちの目的達成は困難になることだけは覚えておけ。
 人間界ってのは、良くも悪くも他人との繋がりを重視する。すぐに噂は広まって、穏便に済まなくなるからな」

「わかりました。肝に銘じておきます」

女は平常を取り戻し、落ち着き払った様子で返答した。

「ですが。あのニンゲンのおかげで我が主からの命である『人間を知り、生命を知り、世界を知れ』という一助は得られた気がします」

「そうかい。そりゃよかったな」

男は、興味なさげに宿屋のドアに手を掛ける。
ドアベル代わりに木製のドアが軋む音共に一組の男女は宿屋に姿を消した。

かつて勇者と呼ばれた男と魔王と呼ばれた者の腹心である女魔族。
勇者が舞い戻ったことも、厄災級の大魔族が侵入したことも、まだ、王都の誰も知らない。

こんな感じで続けていきます。
よろしければお付き合い下さい。

>>11
>二年前。勇者が魔界に繋がると言われる島に最も近しい村で目撃された。

三年前の、間違い

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