P「僕の千早は胸がある」 (36)
※ このssにはオリジナル設定やキャラ崩壊が含まれます。
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早速で悪いが、一つばかり訂正せねばならないことがある。
如月千早には確かに胸があったが、彼女自身は別に僕の所有物でもなんでもない。
なので、「僕の千早」というのは、誤りだ。ここに訂正を宣言する。
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「ふふっ、見てください……可愛いですね」
透明なビニールの中は水で満たされ、その小さな世界を、二匹の金魚が悠々自適に泳いでいた。
それを見る千早は、丸い。
そう、胸が大きくなってからというもの、なんだか千早が丸っこい。
優しいのだ、ほんわかしているのだ、余裕ができたと言うべきか。
胸の大きさが母性の大きさを象徴すると言っていたのは
どこのロリコンだっただろうか。少なくとも、僕ではない。
折りしも、夏祭りの夜である。
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「なんだか、人生の半分を損していたような気がします」
いつもの長髪を二つに結わえて、着物姿の彼女が笑う。
屋台に吊り下げられた提灯や、街灯の安っぽい明かりを受けて、深蒼色の着物が妖しくその色を変えていく。
角のとれた微笑で綿飴を口の端につける彼女を見れば、その言葉にも妙な説得力を感じるのだから面白い。
それはまな板と揶揄されて、小さな胸を締め付けるように伏せていた頃からは、考えられないほどの丸さだった。
川のほとり、花火を待つ人の群れにまぎれて、千早が言う。
「……怒ってますか?」
「なにが」
「胸を、大きくしたことです」
「それで千早が良いのなら、僕に言えることは何も無いよ」
そうして僕は思い出す。
あの日、いつものように事務所にやって来た彼女の胸には、隠しきれない存在感を放つ乳房がついていた。
一体全体、どこの魔女と契約を交わしてきたのか、良い塩梅の代物と引き換えに、彼女が対価として支払った物。
それが「歌」だ。
彼女は自分の「歌声」と引き換えに、その丸い母性を手に入れていたのである。
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「歌」という物は、それまでの千早にとっての全てであった。
歌うために生きており、歌のために生かされている。
彼女は、自らの歌声に自分を混ぜて歌っていた。だからこそ、彼女の歌は人を打つ。
だが、それは同時に千早自身を曖昧にしていく。
歌に溶け出した千早に残るのは、空っぽの身体だけ。
どこかのカナリアが歌うことを忘れたように、誰かが、そこに千早を注ぎ足す必要があった。
そしてそれは、他でもない、千早自身の役割だったのだ。
どん、と。川面を震わせて花火が鳴った。
四散した火の粉が、夜空にぽんと死んでいく。
「うわぁ……綺麗……」
隣に立つ千早が、およそ千早らしからぬ表情で見上げている。
僕の知る彼女はいつも不機嫌で、無愛想で、他人との距離を明確に取っている、そんな女性である。
それがどうだ、ここにいるのはまるで幼い……あぁ、なるほど。そういうことか。
「千早」
「なぁにー?」
「祭りは、楽しいかい?」
「うん! 楽しいっ!」
どうかしていたのは、どうやら僕の方だったらしい。
苦笑する僕の顔を、隣に立つ幼い少女が笑顔で見上げていた。
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丸はとても居心地の良い物だが、得てしてそういう場所には何かしらの裏があるものだ。
千早の居座るその場所も、つまりはそういう場所の一つであった。
花火が終わり、祭りも終わる。
あれほど人で溢れていた川沿いに、今は寂しい夜風が吹く。
僕と千早はそんなところで、ぼぉっと川面に映る提灯の明かりを眺めていた。
「そろそろ、帰ろうか」
「……やだ」
「風も冷たい。このままじゃ、風邪を引いてしまう」
「平気、寒くないもん」
「千早」
「嫌っ! やだったらヤダっ!!」
幼い千早は丸に抱かれ、涙目で僕に訴えかける。つまるところ、丸は卵なのだ。
卵の中は居心地が良い。それはある意味、母性の塊。
空っぽになってしまった千早にとって、そこはとても良いところなのだ。
打つ手なし。
僕に出来るのは、自然と卵が孵るのを待つことだけで……いや、待てよ?
ふんふんふふん、ふんふふん。
夜風によって音程の飛ばされた僕の鼻歌が、夜の空気に吸い込まれ。
あの曲、この曲、そんな曲。
思いつく限り、うろ覚えのメロディがふらふらゆらゆら流れていく。
それは本当に酷いもので、どれも元の曲とはかけ離れていたのだが。
へたくそなメロディはしかし、彼女の耳にも届いたようだ。
突然、すぅっと通るような音がした。
音は次第に歌になり、夜風に乗った歌声は、どこまでも空を飛んでいくようだった。
たっぷりと一曲分、歌った彼女が僕を睨む。
「……担ぎましたね」
「人聞きが悪いな。僕はただ、退屈を紛らわせただけだよ」
こつんこつんと、彼女が内側から丸を叩く。とはいえ、今の今まで丸かったのだ。
「手伝おうか?」
「……お願いします」
僕はどこからともなくスコップを取り出すと、彼女を覆う丸にかつん、とその先端を突き立てた。
ぴしりと、小さなヒビが生まれ、そうしてそこを中心にして、ぱらぱらと形を失くす丸。
後に残るのは、着物を着た如月千早そのものである。
「お帰り」
「はぁ……短い、夢でした」
「でも、楽しかっただろう?」
「それは、まぁ、否定はしませんけど」
いつものように、彼女が素っ気無く言い放つ。
その胸は小さく萎み、どうやら悪い呪いは解けたようだった。
「それじゃ、今度こそ帰ろうか」
「嫌です」
月明かりに照らされて、千早がふっ、と息を吐く。
「もう一曲、歌わせてください」
歌の中のカナリアは、結局歌を思い出したのだろうか。
川沿いに、久しぶりに聞く彼女の歌声が響く。
それはとても、人を打つ歌だった。
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以上。お読みいただき、ありがとうございました。
こちらちなみに、前作となります。よろしければ、ご一緒にどうぞ。
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