モバP「俺はまゆの望むことならなんだってするよ」 (249)
純愛モノ
地の文メイン
かなり長めになると予想
俺は佐久間まゆを愛している。
まゆ以外のものは何ひとつ見えていない、狂っているとまで罵られたこともあるくらいだ。
職業柄、様々な女と出会ってきたが、ここまで心を鷲掴みにされたのは初めてだった。
マンションの7階から見える景色は、星屑を溶かして流したみたいに光り輝いていて、引越したてでまだダンボールがのこるこの部屋もクリスマスツリーのように飾り付けられたみたいに感じた。
「まゆ、愛しているよ」
大切な、俺の胸で眠る大切な彼女にそっと呟いてみる。
夜の風にすっかり冷やされた彼女の体は、俺の体温を少しずつ奪っていく。
それさえも彼女との繋がりに思えて、愛しい。
彼女の左手の薬指のリングは夜景をいっぱいに吸い込んで煌めいていた。
この指輪も俺が渡したものだ。
ふと、あのときの笑顔を思い出してみる。
すると、思いのほか昔のことだということに気づいた。
今から俺たちは新しいスタートを切ろうとしている。
門出の前に、今までの思い出を振り返ってみることにした。
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彼女との始まりは俺があるアイドルの撮影に、プロデューサーとして同行したときだった。
そのアイドル、名前は思い出せないので仮にAとしよう、Aは撮影をそつなくこなしてしまい、俺はすることが無かったので、周りをぼんやりと見渡していると、俺の視線はある一点で止まった。
1人の少女が座っていた。
ただそれだけなのに強烈に意識を引き寄せられた。
ピンク色のロリータ系の服を着こなし、休憩中なのか大人しく座っていた。
遠目でしか見えなかったのだが、俺の胸は強く打たれた。
まさに一目惚れというやつだった。
こんな歳してあんな少女に一目惚れだなんて、他人に知られたら通報でもされるんじゃないだろうか。
しかし、ここまで心を惹かれる相手はそうそう出会えるものではない。
ここで彼女と知りあわなければ一生出会わないのではないか。
なんとかして彼女を自分のそばに置きたいと思った。
そうだ、アイドルにスカウトしよう。
そうして俺が彼女の担当になればそばにいれるじゃないか。
我ながら名案だと思った。
仕事を言い訳にすれば世間からの冷ややかな目を避けながら彼女のお近づきになれるというわけだ。
彼女と近づくための策を思いついた途端、俺の脚は勝手に動いて彼女のもとれ歩いて行った。
断られる可能性なんてまるで考えもせず、行動にうつしていた。
ましてや今撮影している俺の担当アイドルAのことなんてまるで思考の外にあった。
モバP「あの…すみません、ちょっとよろしいですか?」
まゆ「はい…なんでしょう?」
いきなり話しかけた謎の男である俺にたいして、柔らかな笑顔を向けてきた。
その直後、少しだけ目を見開いて驚いたような表情を浮かべた。
このときは突然話しかけられたことへの驚きだと思っていた。
モバP「えっと、わたくしこういう者でして…」
名刺を差し出すと、彼女は両手でそっと受け取ってくれた。
少し指先が触れた。
自然と唾を飲み込んでしまった。
(こんな少女と手が触れてドキッとするなんて…我ながら情けないぞ)
まゆ「モバP…さん」
彼女は名刺と俺の顔を交互に眺めていた。
モバP「…アイドルに、なってみませんか?」
まゆ「アイドル…」
少し考えている様子の彼女。
俺はその姿を見てようやく断られる可能性を思い出し、少し身構えてしまった。
まゆ「はい、やります」
ニコリとまた柔らかな笑顔を見せて答えた。
モバP「あ、ありがとうございます!」
受け入れられた喜びが湧き上がると共に、緊張感からの解放のせいか少し冷静になり、彼女がすぐにアイドルになる決心をしたのは何故か気になり始めた。
モバP「…い、いや、ちょっと待ってください。いいんですか、そんなにすぐ決めちゃって。もちろん誘ったのはこっちですし、とてもありがたいんですけど」
まゆ「はい、大丈夫です」
モバP「…そ、そうですか」
あまりにもキッパリとした返答だったので、返す言葉が思いつかなかった。
モバP「…で、では、都合のいい日に名刺の電話番号に電話してください。資料をお渡ししたり、契約などの話をしますので」
まゆ「はい…ありがとうございます」
また笑うと彼女はこの場から去っていった。
誘っておいてなんだが、今のモデルの仕事とかは大丈夫なんだろうか。
終わってから罪悪感が押し寄せてきた。
Aのほうも無事撮影が終わったらしく、大して見てなかった俺に不満げな視線を向けてきたがそんなことはどうでもよかった。
その後、なんとその日のうちに、彼女から電話がきた。
あまりにも早くて驚いたのを覚えている。
すぐに事務所に来るということだった。
(…残りの仕事が事務所内でできることでよかった)
本当にいきなりだったので、やけに緊張してしまった。
たしか、Aにも落ち着きがないと指摘されたんじゃなかったか。
あまりにもそわそわしすぎていたよでちひろさんも少し引いた目でみてきたような気がする。
俺は急いで事務所の一室を空け、紙が散りばめられた机から契約書類などをひっぱりだしその部屋に置いた。
彼女はコーヒー、紅茶、どちらが好きだろうか。
わからなかったので両方すぐに入れられるようにした。
ちひろ「コーヒーくらい私がいれるのに…プロデューサーさんったら慌てちゃって」
ちひろさんが苦笑いしながら言ってきた。
たしかに俺は大慌てしていた。
あの子に会える。
だからこそ、しっかりしなければとか、格好良く見せたいとか変に気取ってしまい、慌ててしまっていた。
彼女は一時間もたたぬうちにやってきた。
あまりにも早い。
彼女の行動は常に俺の想像より早く行われるようだった。
モバP「ゴホン…では、ちひろさん、行ってきます」
ちひろ「大袈裟な…緊張して変なミスしないでくださいね」
ちひろさんは茶化すように言ってきた。
モバP「…おはようございます」
まゆ「あ、プロデューサーさん。おはようございます」
彼女はあのとき撮影で着ていた服と少し似ている薄いピンク色をメインとした服を着てきた。
とてもよく似合っていて、またも俺を虜にした。
思わず暫く見つめてしまっていると彼女と目が合い、少し首を傾げてこちらを見つめてきた。
小動物的な可愛さに胸が高鳴った。
モバP「え、えっと…とりあえず会議室に案内しますね」
なんとか緊張を悟られぬよう、しっかりした男だと思われたくて、胸の鼓動をできるだけ抑えるように仕事のほうに意識を向けた。
急ごしらえした一室に案内して、向かい合うソファーの一つに座らせた。
モバP「とりあえず今所属している事務所を辞めないと…」
まゆ「もう辞めました」
これが彼女の行動の中でも最も衝撃的なものだった。
撮影現場に他のモデルと合同ではなく、単独で撮影に来ていたことから察するに、モデルとしての人気もあったはずだ。
それにも関わらず、そのモデルとしての仕事を捨て、こちらに来るだなんて。
いったい何が彼女を突き動かしているのだろうか。
純粋にそれが気になっていたので聞いてみることにした。
モバP「佐久間さんは…なぜアイドルになることを決めたのですか?」
まゆ「それは…運命、ですね」
運命。
そのフレーズを聞いて俺の身体がピクリと動いた。
彼女も俺との出会いになんらかの運命を感じたということだろうか。
それともアイドルになる運命だったと言いたいのだろうか。
どちらかわからなかったが俺との出会いに好印象を持っていると思い、自然と微笑みが溢れてしまった。
まゆ「あ、あと私のことはまゆって呼んでください」
モバP「ま…まゆさん」
下の名前で呼ぶ。
担当アイドルたちには普通にしてきたことだが、彼女の名前となると言うのに少し恥ずかしくなってしまった。
まゆ「もう…呼び捨てでいいんですよぉ。モバPさんの方が年上なんですから…」
モバP「じゃ、じゃあ…よろしく、まゆ」
敬語も辞めるとなると距離が一気に縮まるような気がして、とても嬉しく、そして緊張した。
何よりそれを彼女から提案してきたこと、彼女が俺との距離を縮めようとしているように感じ、より嬉しかった。
まゆ「まゆ…貴方と会えたことは運命だと思ってるんです。だから貴方にプロデュースされにきました」
モバP「えっ」
情けない声が出た。
これは字面通り受け取っていいのだろうかわからず混乱した。
どういう意図で言っているのだろうか。
さっき言ってた運命と言うのはやっぱり俺との出会いのことなのだろうか。
モバP「え、ええと…う、嬉しい限りだ」
もしも、彼女がそういうつもりで言ったのではないとしたら俺が一人で舞い上がって勘違いしたみたいで恥ずかしいので、曖昧な返事で尚且つ好意的なものを選んで返した。
その後は雑談を挟みながらアイドルの活動の説明や契約の内容、寮についてなどの説明をした。
彼女と会うのは今日が初めてで、そして2度目だというのに、驚くほどスムーズに口が回っていた。
まるで今まで仲良く遊んできた2人のように会話は途切れることはなかった。
モバP「いやぁ、今日スカウトしたばっかりでモデルやめて事務所に来るなんて…すごいね」
まゆ「家が仙台にあるので、今日を逃すとまた先の話になっちゃうので…急いで来ちゃいました」
(仙台から通いながらモデルやるなんて…凄いな)
まゆ「お仕事の時は交通費が出るんですけど…それ以外は自分で出すのも大変なので」
モバP「…もしかして、結構有名なモデルさんだったり?」
まゆ「そうですねぇ…自分で言うのも恥ずかしいですけど、そこそこあったと思います」
モバP「…辞めるとき、前の事務所の人になんか言われなかった?」
まゆ「夢が見つかったって言ったら、快諾してくれました」
(すごい良い人だったんだな…事務所間のトラブルにならなそうで良かったが)
彼女との会話を楽しみながら、必要書類などを用意してもらって後日また来るように伝えると、彼女は最後まで愛想よく振る舞い帰っていった。
それを見送り、事務所で作業を始めることにした。
今日はなんだか頑張れそうだ。
ちひろ「いい子そうでしたね。まゆちゃん」
事務所で彼女のことを思い返しながら書類を纏めていると、後ろから声がかかった。
上機嫌に鼻歌まで歌っていたので、少し照れ臭くなりながら答えた。
モバP「そうですね、よく気配りもできてますし…振る舞いもお淑やかで好印象です」
ちひろ「あら、珍しくやけに褒めますね」
モバP「そうですか?」
言われていままでのことを思い返してみると、たしかに珍しいかもしれない。
正直これまでスカウトしてきた女たちには大して個人的興味が湧かなかったからだ。
一般的に考えて人気の出そうな女性はどんなタイプかなど、あくまで大衆受けしそうな女を探していたので、個人的趣向を交えてスカウトする女を決めたことはなかった。
だから自分のタイプの女をスカウトしただとかそういったことは今まで一度もなかった。
しかし今回は違った。
思いっきり個人的理由でスカウトをしてしまったのだ。
モバP「…まあ、言われてみればそうっすね」
図星だったのが少し恥ずかしくて適当に返事をした。
ちひろ「ふふ、手出さないでくださいね」
用心深いのは結構だが、彼女に嫌われるようなことは絶対にしない。
(そもそも手を出そうにも、彼女のような子が俺なんかに振り向いてくれるのだろうか)
ちひろ「あと、デスクももっと綺麗にしたほうがいいんじゃないですか?だらしない人だと思われちゃいますよ」
横目で自分のデスクを見ると、書類やファイルによって桜が散った後の地面のように、灰色だったはずのデスクが白に染まっていた。
モバP「ああ…それもそうですね」
整理整頓は得意ではないが、あの子に少しでも自分を良く見せたいので片付けることにした。
どの書類がどの場所にあるかも覚えているので、正直このままでも良かったのだが。
手に取った書類を眺めると、ふと、これから毎日のように彼女の笑顔を見ることができるんだ、と思い自然と笑みがこぼれた。
ちひろ「何にやにやしてるんですか?」
指摘されて恥ずかしくなり、書類で顔を隠した。
ちひろ「まゆちゃんがお気に入りなのはわかりましたけど…あの子をおざなりにしちゃダメですからね?」
あの子と言われて最初は誰だかわからなかったが、ちひろさんの視線を追うと不機嫌そうなAが見え、ようやくあいつのことだとわかった。
脚を組みながら眉間に皺を寄せ、視線を雑誌と俺に交互に向けてきた。
なぜあいつが不機嫌になっているのかよくわからなかったが、特に興味もないのでそのまま整理整頓をすすめた。
スカウトしたあの日から1ヶ月はたっただろうか。
寮への引越しなどを済ませて、佐久間まゆはうちの事務所の一人として本格的な活動を始めようとしていた。
とはいえ、レッスンを始めた程度でまだ大した仕事はさせないが。
まゆ「ふぅ…」
そっとため息を吐いたまゆ。
その姿はなぜだか艶めかしく、俺の視線を引き寄せた。
モバP「疲れた?」
まゆ「そうですね、少しだけですけど。この事務所広いですね…」
今日はまゆに事務所の案内をしていた。
さすがに1日でこの広い事務所の施設を案内するのは女の子には厳しかったようだ。
とはいえ、何日にも分けて案内するのも面倒であったので、一気に紹介させてもらった。
まゆ「覚えるだけでも大変そうですね」
少し疲れた色を見せながらも、笑っていた。
モバP「…ずっと歩かせちゃってごめんね」
彼女の疲れた顔を見ていると、無理させてしまったことが申し訳なくなった。
まゆ「大丈夫です。それにしても、カフェまで中にあるなんて、素敵な事務所ですね」
申し訳なく思う俺を救うように、笑いながら話を移してくれた。
気を遣わせてしまったのかもしれない。
若い子に気を遣わせている自分が少し情けなく感じたが、彼女の気遣いの上手さを知り、また惹かれた。
壁にかかる時計をちらりと見た。
時間は少しだがまだあったので、ここで彼女との距離を縮めようと思い、幾つか質問を投げかけてみることにした。
モバP「そういえば…寮での一人暮らしも始まったわけだけど、怖かったりしないの?」
まゆ「不安はありますけど、楽しみもいっぱいあるので大丈夫です」
モバP「そっか、凄いな…」
『楽しみ』というのはアイドル活動だろうか。
そんな風に思っていた。
女の子らしい可愛さだけでなく、強さも持ち合わせているみたいだ。
モバP「ずっと前から思ってたけどまゆって結構思い切った行動をするよな」
まゆ「うふふ、自分の気持ちには正直に従っていたいだけですよ」
(自分の気持ちに正直に、か)
まだ世間やらを知らない子供ならではの発想だなと思う反面、少し羨ましく感じた。
俺は特にやりたいこととか、夢とかもなく、ただ漠然と生きてるだけだったからだ。
やりたいことがないから、自分の感情に従ったところで何も成せないんだ。
俺も、まゆの原動力みたいな、何か自分を突き動かすものがあったならどうなっていただろうか。
まゆ「その、話変わっちゃいますけどモバPさんは休日は何されているんですか?」
俺からまた何か質問しようと思っていたところで反撃がきたので、少し驚いた。
モバP「…唐突な質問だな」
まゆ「すみません話の流れを切っちゃって」
モバP「いや、大丈夫だよ」
休日にしていること、と言われて頭の中で普段の休日を振り返ってみたが、特に変わったことはしていないことを再認識した。
趣味をしている、とかなら話のネタにもなるのだが、趣味もなく、休日なんてただ布団に入ってスマートフォンやノートパソコンを弄りながら時間を浪費しているだけだった。
モバP「…やることない時は基本ダラダラしてるな、ほら、ボーッとしているのが好きだから」
ただダラダラしているとだけ言うとくだらない人間だと思われるかと思い、好印象を付けるために一文を加えた。
効果があるかは不明だったが。
まゆ「誰かとお出かけしたりしないんですか?」
誰かとお出かけか。
ここ半年くらいしていない気がした。
何せ自分から連絡するのも面倒で学生時代の仲間とも遊んでいなかったからだ。
何回か誘いが来た時もたまたま仕事で行けなかったりと、ふと思えばここ最近まともな息抜きをしていないことに気づいた。
モバP「…全然ないな、まあ、忙しいし」
まゆ「うふ…それなら、私と今度おでかけしませんか?」
モバP「え?」
思わぬお誘いに心臓は高鳴り、頬の筋肉が上向きに吊られるのを感じた。
(まさかまゆが誘ってくれるなんて…)
モバP「お、お出かけ…?」
まゆ「ええ。まゆ、モバPさんとお休みも一緒に過ごしたいです」
モバP「そ、そっか」
(やばい、にやけた顔を抑えられない)
まゆ「だめ、ですかぁ?」
まゆは少し心配そうに上目づかいでこちらを伺ってきた。
その仕草もまた可愛く、俺の心をくすぐる。
モバP「だめなんかじゃないよ。むしろ誘ってくれて凄い嬉しい!」
思わず感情がこもり、椅子から立ち上がりながら強く言葉を発してしまった。
少し間が空き、周りの視線を集めていることに気づいた。
モバP「あ、あはは、恥ずかしいな」
慌てて椅子に座りなおした。
とても恥ずかしくなり、なにか手持ち無沙汰な感じがして、コーヒーを口に含んでそれを誤魔化した。
まゆ「うふ、モバPさんとのお出かけ楽しみです」
まゆはそんな俺を嘲笑したり、引いたりせず、うっとりと両頬を両手で押さえながら微笑んでいた。
心臓はドラムロールのようにリズムを早めていった。
どこに行くかなどを話し合っていると、あっという間に時が過ぎていった。
子供に戻ったようにワクワクしながら会話を交わしていた。
話し合いの結果、お出かけをするのは今週の日曜日となった。
ただ買い物に行くだけなのだが、とても楽しみだった。
まゆ「あら、もうすぐレッスンの時間ですね」
モバP「あっという間だったね」
なるべく自然になるように伝票を取ってレジへ向かった。
まゆ「うふ、ありがとうございます♪」
まゆはそんな俺を見て、しっかりお礼を言ってくれた。
モバP「さて、いこうか」
会計を済ませてまゆとカフェを去った。
まゆをレッスン場へ送り、部署の部屋まで戻ってきた。
自分のデスクに座り、手帳に日曜日の予定を書き込んだ。
確実ににやけながら書いていただろう。
当日のことを想像するだけで胸が踊った。
早く当日まで時をたたせるために仕事に集中して取り組むことにした。
息抜きをしようと時計を眺めてみるとなんと、もうまゆのレッスン終了の時間になっていた。
いつも通り迎えに行くことにした。
スポーツドリンクを自動販売機で買い、まゆに差し入れることにした。
ついでに自分用の缶コーヒーも買った。
まゆのいるレッスン場の扉を開けると、まゆともう一人、Aもいることに気づいた。
(困ったな、まゆの分のスポーツドリンクしか買ってないんだが)
まゆ「モバPさん、きてくれたんですねぇ」
まゆはすぐこちらに気づくと、てくてくと歩いてきた。
モバP「あ、飲みものも持ってきたんだけどAもいたのか。ごめん、一人分しか買ってきてない」
コーヒーも口を開け、半分ほど飲んでしまっている。
モバP「…買ってくるから、待っててくれ」
近くの自動販売機まで行こうとまゆたちに背を向けると後ろから声がかかった。
まゆ「なら、飲みものはAさんにあげてください」
モバP「いや、遠慮しなくていいぞ。すぐ行ける距離だし」
まゆ「わざわざモバPさんに行かせるのは申し訳ないですから」
また俺を気遣ってくれていた。
その優しさがまた身にしみて、アイスコーヒーで冷えた喉から下が暖まった。
モバP「でもレッスン終わりで喉かわいてるだろう」
まゆ「そうですねぇ。じゃあ、それください」
そう言いながらまゆが指差したのはスポーツドリンクではなく、右手の缶コーヒーだった。
心臓がまた、加速していくのを感じた。
モバP「い、いや…コーヒーだぞ?いまはもっとスッキリしたものの方が良いんじゃないか?」
まゆ「うふふ、大丈夫ですよ」
モバP「お、俺はいいけどさ、もう口つけちゃってるんだが」
まゆ「大丈夫ですよぉ」
(間接キスを気にしないタイプなのか、それとも…)
(俺との間接キスだから?)
なんて少し期待もしてしまったものだから、ますます心臓がうるさくなった。
(い、いい大人が間接キス如きでドキドキするなんてどうかしているぞ)
先ほどのカフェで伝票を取るときと同じように、間接キスごとき気にしない余裕のある男に見えるように、なるべく自然を意識してコーヒーを差し出した。
モバP「…ほら」
まゆ「うふ♪ありがとうございます」
まゆは嬉しそうに両手で受け取って、口をつけて缶コーヒーを含んでいった。
その顔は恍惚としているようにも見えた。
今日はここまでにします
おそらく投下のペース下げます
Aにスポーツドリンクを渡すと少し不機嫌そうに礼を言われた。
どうやらAは自主レッスンをしに来ていたらしい。
一応俺の仕事なので、Aの予定も完璧に把握していたのに、レッスンに来ていることを知らなかったのはそのためだった。
まゆとの間接キスを経験できたのもそのおかげだったかもしれない。
まゆとAを部署まで連れて帰ろうとすると、Aはまだ自主レッスンを続けると冷淡に伝えてきた。
なにかレッスンでうまく行かないところでもあったのだろうか。
とりあえず「がんばれ」と伝えてそのレッスン場を後にした。
まゆと2人で廊下を歩いていると、上目づかいで聞いてきた。
まゆ「ねえ、モバPさん。まゆ頑張ったの、もちろん褒めてくれますよねぇ」
褒美をねだる犬みたいで、普段とはちょっと違った、小動物的な可愛さをもつまゆを見た。
モバP「なんかご褒美でも欲しいのか」
まゆ「いえ、ものなんていりません。それにご褒美ならもう貰ってますよぉ」
俺はいつのまにかご褒美をあげていたらしかった。
なんのことだかさっぱりだったが。
まゆ「ただ、褒めて欲しいの」
立ち止まって上目づかいで褒めてとねだるまゆ。
(ああ、なんて愛くるしいんだこの子は)
今すぐ抱きしめてしまいたい衝動を理性で縛り付けた。
嫌われたくないから、必死に欲と闘った。
まゆが少し顎を引いて、こちらに頭を差し出すような形をとった。
俺はそれを見ると、パズルの最後のピースをはめるみたいに、それが当たり前で、あるべき形かのように、まゆの頭を撫でた。
さらさらの髪が俺の掌をくすぐった。
頭の曲線に合わせて撫でると、まゆがうっとりした表情を浮かべた。
(う、嬉しいのか…?)
まゆ「うふふ、ありがとうございます」
モバP「ど、どういたしまして」
(もしかしてこの子、俺のことを…)
(いや、ないだろ、そんな…)
頭の中で思考が渦巻いていた。
期待して早とちりして、痛い目見るのが嫌だからか、なんとか冷静に、「惚れられているなんてありえない」と思わせようと自己暗示をした。
なんで16歳の女の子に翻弄されているのか、またも情けなくなった。
初恋でもないのに。
いや、ある意味では初恋か。
まゆ「うふ、モバPさん、ずっと撫でてくれるのも嬉しいですけど、お仕事大丈夫なんですか?」
モバP「お、おっと、ごめんね」
まゆ「まゆは一生撫でてもらってても構いませんけど、モバPさんが怒られるのはいやですから」
もう何が何だかわからなくなった。
(まゆは俺のことが好きなのか?)
期待しては、自己暗示をして平静を装う、その繰り返しだった。
そのまま部署へ戻り、仕事を再開した。
あれから30分は経ったというのに、胸の高まりは収まりどころを知らなかった。
心不全を疑いそうなほどだった。
戻ってきてから全く仕事に打ち込めないでいた。
気がつけばソファでお淑やかに座るまゆの方に視線を向けてしまっていた。
時よりまゆと視線がぶつかることもあった。
そうなるとまゆは必ず笑顔を見せてくれた。
(やばいな…これは完全に…)
(俺は16歳の女の子に、仕事に集中できなくなるほどに、恋をしてしまっているらしい。)
なんとか今日やらなくてはいけない仕事をやり終えると、辺りはすっかり夜になっていた。
まゆはまだソファに座ってテレビを眺めていた。
モバP「…事務所の誰かに用事でもあるのか?」
まゆ「いえ、なにもありません。ただ、モバPさんの仕事が終わるのを待っていただけです」
モバP「俺の…?」
まゆ「ええ、一緒に帰ろうと思って」
今日は珍しく、一人寂しく帰らなくて済むらしい。
振り返れば、なんて幸せな1日なんだろうか。
モバP「じゃ、じゃあ…飯でも食いに行くか?」
まゆ「いいんですかぁ?うふ、喜んで行きますよ」
俺たちは他愛もない会話を続けながら、夜ご飯を共にして、まゆを寮へ送ってこの日を終わらせた。
短いけどこのへんで
今までの恋は、いつも受動的だった。
誰かに告白されて、好きな人のいない俺はたいして考えずにその告白を受ける。
デートだとか、キスだとか、恋人風なことを、その時の彼女がしたがることをするだけの中身のない恋愛だった。
しかも俺は相手を本気で愛してなどいない。
そして最後は必ず振られた。
しばらく一緒にいると、俺に愛されてないことに気づくらしい。
つまり、俺はまともな恋なんてしたことないと言ってもいい。
だから、まゆに対して抱くこの感情を、どうアプローチすれば良いのかがよくわからないでいた。
まゆが俺に対してどういう思いを抱いているのかも。
経験があれば予測できたのかもしれない。
予測して、まゆの気持ちを考えて、うまく付き合えるのかもしれない。
だが、俺は本気で恋愛したことがなかった。
だから、とにかく不安だった。
昨日は幸せだったのだが、同時に、まゆを手に入れたい欲がより高まった。
欲が高まれば高まるほど、より恋愛の仕方に悩んだ。
(どうすればまゆと結ばれることができるのだろう)
そんなことばかりぼんやり考えて仕事をし、土曜日になった。
もやもや考えている日々はやけに長く感じて、より疲れが溜まった。
集中力が欠けたせいで仕事のミスが少し増えて、余計な疲れも増した。
だが、今日1日を越えてしまえば、明日はまゆとのデートだ。
(いや、デートと断言していいのかはわからないが)
(明日は、まゆにはもう少し積極的にいってみようか…)
(その反応を伺って、まゆの気持ちを確かめるんだ)
(いや…でも積極的に迫って嫌がられたら…)
(しかしこれしか思いつかないからな…やるしかないんじゃないか)
これがこの数日、迷いながらも考え出した作戦だ。
まゆの気持ちを確かめるなんて俺には難しいとは思った。
だが、これくらいしか今できることはない気がした。
今日はまゆは午後からレッスンだ。
歌とダンスを続けて行うのは初めてだから、もしかしたら疲れるかもしれない。
そんな風にまゆのことばかり考えて仕事を進めていた。
もうすぐまゆのレッスンが終わる時間だ。
いつも通り迎えに行くために席を立とうとすると、Aから声をかけられた。
「屋上にきて」と。
(面倒くさいな。早く話を済ませてもらってまゆのところへ行こう)
そんなことを思い浮かべながら、Aの後ろをついていった。
Aはそれから一切口を開かず、ただ淡々と歩みを進めていた。
その背中は、怒っているようにも、悲しんでるようにも見えた。
(一体なんの話をされるんだか)
どうでも良かったが、担当アイドルを無下にするわけにもいかないので仕方なく聞くことにした。
エレベーターを降りると、辺りは晴れ渡っていて、少し眩しかった。
屋上にきたのなんていつぶりだろうか。
(こんなところに連れてきて…なんのようなんだか)
早く話を済ませたいのだが、Aは中々口を動かそうとしなかった。
目も横に逸らしてこちらを見ようとしていなかった。
顔も心なしか俯いて見えた。
(移動中にまゆのレッスン終了時間を過ぎてしまった…はやく話を済ませるためにこちらから切り出すか)
モバP「…なんかあったのか?」
「あなたが、好きです」
このとき、Aは確か、こう言ったと思う。
明確に覚えているわけではないが、彼女は恐らくそのあと、こう続けた。
「もしよければ、わたしと付き合ってください」
(こいつが俺のことを好きなんて…全く気がつかなかった…)
考えてみれば気がつかないのも当然だ。
なべなら俺はAのことをまるで気にしていなかったからだ。
まゆと出会う前も、こいつはただの仕事だけの関係だった。
だから俺は仕事に関係のないことは気にしていなかった。
(いったいそんな俺のどこに惚れたんだ)
ただ、頭の中である真実が勝手に繋がった。
(ここ最近不機嫌そうだったのは…俺がまゆを気にしていたからか)
俺が昔のまま、受け身だったら、もしかしたらこの告白も受けていたかもしれない。
なにも考えず、この子と付き合い始めていたかもしれない。
だが、今の俺は違った。
俺はまゆが欲しい。
まゆに恋をしていた。
だから、適当な相手と付き合う気には到底なれなかった。
モバP「悪いが、お前とは付き合えない」
素直に胸の内の言葉を放った。
Aは悲しそうに目を潤ませながら見開いて、手を強く握りしめていた。
申し訳ないとは思わなかった。
たださっさとまゆのもとへ行きたい、それだけしか考えていなかった。
「なぜわたしと付き合えないの」とか、「やっぱりあの子が」とか、「わたしだって頑張ってあなたを」とか、色々詰め寄られた。
細かい内容は忘れたが、必死に縋ってきたのが煩わしく、最早適当な理由を出して終わらせたかった。
(そうだ、アイドルとプロデューサーってことを使えばこいつも納得しやすいんじゃあないか?)
モバP「あのな、俺はプロデューサーで、お前はアイドルなんだ。立場的にも付き合っちゃあいけないだろ」
「じゃあ、あなたはアイドルとは付き合えないってこと?」というようなことを、Aは言った。
自分から言いだしたことだと言うのに、まゆのことが脳裏に浮かび、つい黙ってしまった。
(俺は、まゆを欲している。
まゆと付き合いたい。
こいつに対して言ってることとは矛盾していることになる)
(いや、今この場を収める手っ取り早い方法がこれなんだし、嘘つきだとこいつに煽られようがどうだっていいか)
モバP「ああ、俺はアイドルと付き合うつもりはない」
Aは複雑な表情をして、「そう」とだけ呟くと俯きながら屋上から出て行った。
(これでやっとまゆのもとへ行ける)
しかし、レッスン場にまゆの姿はなかった。
トレーナーにまゆの行方を聞くと、レッスンが終わっても俺が現れないので、俺に早く会いたい、と言いレッスン場を早々に出て行ったらしい。
その言葉を聞いてまた胸が暖まった。
まゆも俺に会いたがっている。
それが恋愛的な意味なのかどうかは、俺には断定できないが、会いたいと思われているその事実だけで胸はいっぱいになった。
(レッスン場にいないとなると、事務所に戻ったか)
事務所に走って戻り、ドアを開けた。
まゆはソファに座っていた。
テレビは消えているのに、まゆはぼんやりとその液晶を眺めているようだった。
Aとちひろさんは不在で、俺とまゆの2人の空間となっていた。
(Aは…事務所に戻らなかったのか。おかげでまゆと2人っきりだ)
そんな呑気なことを考えていた俺だが、こちらに気づいて振り向いたまゆの顔を見たとき、脳内の思考は全て消え、頭は真っ白になった。
まゆが涙を流していた。
モバP「どうしたまゆ、なんかあったのか!?」
すぐさままゆの元へ駆け寄り、まゆの肩を抑えた。
まゆ「まゆ…アイドル辞めます」
今日はここまでです
モバP「なに言って…は?」
真っ白になった頭はかき混ぜられ、太陽でドロドロに溶かされたみたいに熱くなった。
まゆ「…」
まゆは涙を流しながら、俯いてしまった。
理由は話そうとしなかった。
モバP「な、なんでだ?なにか嫌なことあったのか?」
レッスンでなにか嫌な思いをしたのか。
他のアイドルになにかされたのか。
ケガでもしたのか。
病気か。
面倒になったか。
ようやく頭が働いたと思ったら、子供がいたずらに地球儀を回したみたいにグルグルと思考が竜巻のように回転していた。
まゆ「まゆは…あることのために、アイドルになりました。でも…それがもう叶わないって…」
(あること…前話していた『アイドルの楽しみ』、まゆの『原動力』となるもののことか…?)
モバP「も、もう少し具体的に言ってくんないとわかんない」
俺はまゆを失う可能性を見て、かなり焦っていた。
だからこそ口調も崩れ、冷たい口調になっていた。
まゆ「…まゆは」
まゆ「あなたのそばに居たくて、アイドルになったの」
モバP「…え?」
予想もしていなかった言葉に、目玉がトビウオみたいにすっ飛んでいくかと思った。
思わず手で瞼を触って、目玉があることを確認しそうになった。
モバP「ど、どういう…」
まゆ「まゆは…モバPさんのこと、好きなんです。一目惚れ、しちゃいました」
モバP「ひ、一目惚れ…?じゃ、じゃあなんで…アイドルやめるなんて…?」
(一目惚れって…俺と一緒じゃないか!)
俺の頭は渦巻きすぎてすっかりオーバーヒートしてしまい、言葉も滞ってしまった。
まゆ「だって…モバPさんが…」
(俺が…なんかしたのか?一体なにしたんだ)
まゆ「モバPさんがアイドルとは付き合わないって…だったら…だったらまゆはもう、アイドルなんて…これ以上…」
(さっきの屋上の話、聞いてたのか)
モバP「…Aとの話、聞いてたんだ」
まゆ「…事務所にモバPさんがいないから、ちひろさんに聞いたら屋上に行ったって言われて…急いで行ったんです。そしたら、Aさんが告白していて…」
適当に話を終わらせるために雑に言い放った言葉が結果的に俺を苦しめることになったわけだ。
(違う、誤解なんだ)
(俺の気持ちを…伝えよう)
まゆは俺が好きだと言った。
もし、ここで俺が自分の気持ちを正直に言えばきっと、両思いなのだから俺たちは結ばれるはずだとわかっていた。
だが、それでも俺の脚は震えていた。
唇を噛み締めざるを得なかった。
初めてだったからだ。
能動的に、恋愛をするのが。
だから、簡単に言葉は出ず、身体は緊張で鉄のように硬くなった。
まるで口が深夜の学校の校門のように硬く閉ざされている気分だった。
いつのまにか重力が増したんじゃないかと思えるほど、身体が硬く重かった。
(言うんだ…言おう…)
両手を思い切り握りしめて、全身に力を巡らせて、思い切り口を開いた。
モバP「俺も、まゆが好きだ。だから…アイドルをやめる必要はないよ」
全身に込めた力は門をこじ開けるので精一杯で、口から出た声はすっかり弱々しいものとなった。
だが、言えた。
まゆは目を見開いて、両手を口に当てて、大粒の涙を流した。
一度口を開いたら、不思議と言葉は自然に流れ出て行った。
モバP「アイドルと付き合わない、っていったのは、その…Aの告白を断る口実だったんだ。俺はずっとまゆが好きだったから、なんとかAを退けるために、適当なことを言っちゃったんだ」
正直に思ったことを話した。
ずる賢い人だと思われるかもしれない、冷たい人だと思われるかもしれない。
だが、能動的な恋愛の経験が皆無な俺には、こんなときどんな嘘をつけばいいのかわからなかったので、心の内をそのままおっ広げにするしか思いつかなかった。
モバP「…そう、出会ったときからまゆが好きだ。俺もまゆに一目惚れしていたんだよ。俺はアイドルとかプロデューサーとかそんな関係大して気にしてない。どんな俺たちだとしても、俺はまゆと付き合いたい」
まゆ「本当に…?」
まゆは膝から崩れおちて、涙を滝のように流しながら、それでもこちらをしっかりと見て、聞いてきた。
(本当だ、これが俺の本心だ)
モバP「うん」
まゆ「まゆも…モバPさんと付き合いたい…あなたをまゆのものにしたい」
モバP「好きだ、まゆ」
俺は心の勢いのまま、まゆの元へ行き、抱きしめた。
まゆの身体は見た目より小さく、柔らかく、暖かく感じた。
まゆは至近距離にいる俺を見て、蕩けた顔をして、俺の頬に両手をあてた。
まゆ「うふ、モバPさん…大好き」
涙でぐちゃぐちゃな笑顔だったが、今まで見てきたまゆの中で、一番魅力的に見えた。
この日からまゆは俺のものに、俺はまゆのものになった。
まゆ「モバPさん…うふ…」
まゆは俺の膝の上に対面する形で座り、俺の首へ腕を回して身体を押し当ててきた。
まゆがアイドルをやめると言い出した時は心臓が止まるかと思うほどに焦ったが、意外とあっけなく問題は解決した。
これも俺とまゆがお互いに一目惚れをしていたからだろう。
モバP「まゆ…」
そのまま唇を近づけた。
触れるか触れないかといったところで、廊下から足音が聞こえてきた。
俺とまゆはそれを聞いて弾けるように離れた。
モバP「危ない危ない…」
(さすがにバレたらシャレにならないぞ…最悪クビかもしれない)
まゆは物足りないといった表情をしていた。
軽く頭を撫でてやると目がうっとりとし、少しは満足したようだ。
その仕草が愛しくてたまらなかった。
ドアノブが回り、ちひろさんが入ってきた。
ちひろ「あら、お二人だけですか?」
モバP「ええ、二人です」
ちひろ「…お二人でなにかしていたんですか?」
モバP「休憩がてら談笑を…」
ちひろ「談笑、ですか」
(ちひろさんに勘付かれたかな?)
ちひろさんはそうですか、とだけ言うと自分のデスクに行き、事務仕事の準備を始めた。
モバP「…俺も仕事しなきゃな」
仕事なんて放り出してまゆと愛し合いたかったが、さすがにそれをしてしまうと社会人としてまずいので、嫌々デスクに戻り仕事を再開した。
(まあアイドルと付き合った時点で社会人としてまずいのだが)
まゆは少し心細そうだったが、笑顔で「頑張ってください」と言ってくれた。
スマホにはまゆから「今日も一緒に帰りましょう」というメッセージが届いていた。
(…可愛い奴め)
仕事を終え、まゆを探して周りを見渡してみると、いつのまにかAも戻ってきていたことに気づいた。
1人ファッション誌を静かに見ていた。
まゆはテレビを眺めていた。
2人の間に会話はなく、空気は静かでひんやりとしていた。
ちひろさんも2人の様子を少し気にかけているようだった。
ちひろ「モバPさん…Aちゃんの様子、ちょっと変じゃないですか」
帰りの支度を始めようとしたところ、ちひろさんに話しかけられた。
モバP「そう、ですかね」
原因は俺が振ったからです、なんて言えるわけもなく、適当に誤魔化そうとした。
Aがどういう様子であろうと、俺はどうするつもりもなかった。
これは仕方のないことだからだ。
人が誰かを好きになるのは当然だ。
当然だからこそ、Aと俺は結ばれない。
Aが俺を好くように俺はまゆを愛している。
だから俺はAを振った。
それでAが傷つくのも仕方のないことだ。
俺にはまゆがいるのだから、俺がAにできることなんてないし、あったとしてもやるつもりもなかった。
俺がちひろさんとの話を切って席を立つと、まゆはこちらに合わせてソファーから立ち、帰る準備を始めた。
Aはそれをみて気にくわないといった表情だった。
とりあえずちひろさんとAに一声かけて事務所を後にした。
まゆも俺の後に続いた。
今日は色々ありすぎて疲れた。
まゆ「うふ、明日が楽しみですね」
モバP「そうだな。まさか明日が交際してからの初デートになるなんてな」
予定を立てたときは、2人はただのプロデューサーとアイドルだったというのに、今は恋人同士だ。
その事実を考えるだけで胸が暖かくなった。
まゆ「…寮も事務所の近くだから、手も繋げませんね」
まゆは残念そうにそう言った。
まゆ「でも、このくらいなら周りからバレませんよねぇ」
俺の袖をさりげなく、優しくキュッと掴んできた。
以前雑誌か何かで、袖を掴まれるとドキッとする、といった内容の記事を読んだことを思い出した。
(想像以上に…くるな)
この仕草の破壊力を実感した。
まゆ「もう、なにか言ってください」
袖の感触とまゆの様子をじっくり味わっているとつい無口になってしまい、まゆに指摘されてしまった。
モバP「…明日が楽しみだなぁ」
まゆ「うふ、その話はさっきしましたよ」
何気ない会話しかしていなかったが、それも楽しくて、あっという間に寮の前に着いていた。
たまらなく、名残惜しさに襲われた。
まゆ「…ついちゃいましたね」
モバP「…うん」
まゆも同じ気持ちのようだった。
まゆ「……モバPさん」
周りをキョロキョロと見渡したあと、俺の名前を呼びながら、こちらへ一歩近づいてきた。
背伸びをして、俺の両頬を柔らかい手のひらで抑えてきた。
まゆの手は春先の夜の気温で冷たくなっていた。
それもまた心地よかった。
そっとまゆは目を閉じて、少しずつ顔を寄せてきた。
吐息がお互いをくすぐるのを感じた。
唇が重なった。
世界が止まったみたいな衝撃を感じた。
心臓はやかましく自己主張を強めていた。
(ああ…まゆ…)
震える手でまゆをそっと抱きしめた。
小さなその身体では受け止めきれないんじゃないかと思えるほど、俺の愛を唇から注いだ。
(まゆ…)
俺の両頬に当てられていたまゆの手も、俺の背中へと向かい、お互いを抱きしめる形になった。
(このままだと…俺は止めらんなくなる)
ずっとこのままでいたかったが、寮の前ということもありあんまり長くもこんなことしていられないので、一度唇を離し、もう一度そっとキスをして、お互いに一歩下がった。
まゆ「うふふ…また明日です、モバPさん」
まゆは顔を真っ赤に、目はうっとりとさせてそう言った。
またすぐに抱き寄せたい衝動に駆られたが、必死に理性で抑えた。
喉をごくりと鳴らして唾と一緒に欲望を飲み込んだ。
モバP「ああ、楽しみにしているよ。あと、一応変装はしておいてくれ」
まゆ「はぁい」
名残惜しさに胸を潰されそうだったが、明日また会えると必死に言い聞かせて、まゆに手を振りながらその場をさった。
今日はここまでにしときます
だいたいここまでで全体の4分の1くらいの長さかなあと思ってます
あと胃がすごく痛い
痔も治らん
今日はとうとう待ちに待ったまゆとの初デートの日だ。
昨日、まゆと初めてのキスを交わしてからというもの、俺は浮かれ放題だった。
今日を早く迎えるためにわざわざ急いで寝る支度までしたくらいだ。
そして今も、あまりにもまゆと早く会いたいので、集合の1時間前に約束の場所へ来てしまった。
こんな時間にきたところでまゆは一時間後にくるわけだから、早く会えるわけではないというのはわかっていたが、何もしないでいるもどかしさに耐えられず外へ飛びててきてしまった。
そして少しだけ、まゆも早めにくるんじゃないかという期待も含めていた。
(まあ、さすがにこんな早くにはこないか)
念入りに周りを見渡してみたものの、まゆの姿はまだなかった。
そんなことを考えていると、突然視界が真っ暗になり、ふわりと女の子特有の柔らかい香りが後ろから舞ってきた。
背中は柔らかくて暖かいものに密着されていた。
「うふふ、だーれだ」
聞くだけで、鼓膜から脳まで蕩けてしまいそうな声が俺を癒した。
視覚を奪われているせいか、より耳が敏感になっていて、その声が身体いっぱいを埋め尽くすような感覚に陥った。
モバP「まゆ…早かったじゃないか」
俺が答えると、うふふと嬉しそうな笑い声と共に視界が解放された。
背中の感触も遠のいていって少し名残惜しかった。
まゆ「はやくモバPさんに会いたかったの」
モバP「おいおい、まだ約束の時間まで一時間もあるぞ」
まゆ「モバPさんだっているじゃないですかぁ」
モバP「俺も…まゆに会いたくてさ」
まゆ「うふふ、同じですね」
まゆは心底嬉しそうに微笑んでいた。
俺もそれを見て心が暖かくなった。
まゆと同じ気持ちだったというのも、また嬉しかった。
モバP「…」
まゆの服装を舐めるような視線で見つめてみた。
普段とは違い大人っぽい服装で、帽子も被っていた。
帽子は変装のためなのだろうが、大人しめの服装にマッチしていて、上品な女性といった雰囲気を醸し出していた。
まゆ「うふ、どうしましたか?そんなに見つめて…」
まゆは見つめられることに嫌悪感などはなく、うっとりとした表情で質問してきた。
モバP「…服、似合ってるね。帽子も。まゆの可愛さをよく引き立ててる」
まゆの服装を褒めようと思ったのだが、どうしても言葉にしようとすると、緊張や恥ずかしさでうまく言葉がでなかった。
まゆ「ありがとうございます」
拙い言葉だったが、まゆはより一層蕩けた顔で喜んでくれた。
まゆ「でも、変装する意味あったんですか?アイドルとしてはまだデビューもしていませんし」
モバP「まあ、そうなんだけど。モデルもやってたし、人気が出たあとで今日の写真を掘り出されたりしたら面倒だからさ」
まゆ「それに、事務所にバレたら大変だから…ですよねえ」
どうやらまゆに心を読まれてしまったようだ。
まだ出会ってそう長いわけでもないというのに、俺のことをよく知ってくれていた。
それが嬉しかった。
モバP「まあ…それも理由の一つだ」
まゆ「…Aちゃんに気を遣ってあげてるんですかぁ?」
(そういやAが告白してきたところ、見られてたんだったな)
勿論全く気にしていない、と言えば嘘になる。
だが気を遣っている、という表現は不適切だ。
Aに俺とまゆが付き合っているのを見られ、あとあと文句を言われたり、トラブルを起こされると面倒だと思ったから、バレないよう変装をさせた。
Aを傷つけることを躊躇って、というわけではないことは自分でもはっきりわかっていた。
モバP「…気を遣ってるわけじゃない。ただ、あとあとトラブルになると嫌だからさ。……俺、冷たいかな?」
もちろん、これは我ながら少し冷酷だと思っていた。
だから、まゆがもしかしたら俺を見限るかもしれないと不安になり、つい質問してしまった。
まゆ「冷たくなんかありません。たとえ、モバPさんが冷たい人だったとしても、あなたがまゆだけを見ていてくればまゆはそれでいいの」
(俺のことをそんなに…)
まゆのこの言葉を聞いて、俺はただただ嬉しかった。
まゆが俺の全てを愛してくれている、そんな気がしてしまった。
モバP「ああ、俺はまゆだけを見るよ」
もとより、まゆ以外なんて眼中にはなかったのだが。
改めて、俺はまゆだけを愛して生きていくと決めた。
モバP「じゃあ、行こうか」
強く握りしめたら壊れてしまいそうなまゆの小さい手をそっと握った。
まゆはニコリと笑ってこっちをみた。
まゆ「うふふ…嬉しい」
(柔らかい手だ…)
モバP「誰かと買い物なんて久しぶりだ」
一人での買い物も食料や消耗品を買う程度だ。
楽しげなショッピングなんて本当にいつぶりなのか、自分のことなのにはっきりと思い出せなかった。
まゆ「うふ、モバPさんの好きなところに連れて行っていいんですよ」
なんだかいやらしい意味に聞こえてしまうのは俺の煩悩のせいだろう。
しかし本当にいやらしいとこへ連れて行ったとしても、まゆなら受け入れてくれるという確信に似たものが俺の中にはあった。
まだ付き合って1日だというのに、お互いをよく理解していた。
とはいえ、そんなところへ連れて行く気はまだなく、無難な提案をすることにした。
モバP「…とりあえず、服でも見るか。まゆのな」
まゆ「まゆのですか?モバPさんのでもいいんですよ」
モバP「俺は買っても着る機会が少ないしな」
今日だって私服を着るのはとても久しぶりだった。
休日に出かけることなんて滅多にないものだから、何を着ればいいのかわからず少し迷いもした。
まゆ「これからはまゆがいるから、着る機会も増えますよ」
モバP「…それもそうだな」
さりげない一言ではあったが、それもまた俺の胸を踊らせるには十分な威力だった。
これから先、まゆとたくさんの時を過ごすことを想像して、嬉しくなって笑ってしまった。
まゆ「うふふ、変なモバPさんですね」
一人笑い出す俺を見て、まゆもまた笑った。
俺たちは手を繋いだままショッピングモールに来た。
お互いに体温を贈り合っている状況が心地よかった。
モバP「…結構広いな。どこから回ればいいのかわからない」
まゆ「二階にメンズの服が売ってますからそこから回りましょう」
構内図を見てみると確かに二階は紳士服のエリアと書かれていた。
モバP「まゆはここ結構くるのか?」
まゆ「最近はここで服を買うことが多いですかねぇ。大きい施設なので見ているだけでも楽しいですし」
モバP「その感覚は男の俺にはわからないかなあ」
まゆ「うふ、興味のあるものが売ってる店だったら見てるだけでも楽しいと思いますよ」
確かに、俺は服には専ら興味がなかった。
だからと言って今日の買い物がつまらなくなりそうだとか、そんなことはもちろん考えてはいなかった。
まゆが隣にいるからだ。
まゆと一緒なら例えどんなところへ行こうが楽しめる気がする。
まゆ「じゃあこのお店から順番に見ていきましょうか」
モバP「…どの服が自分に似合うのかがわからないな」
流行にも疎いものだから、適当に流行りのものを着るといったこともできなかった。
好きなカラーとかも特に無いので、ただただ選択に困っていた。
何気なくシャツを手に取ったりしてみるものの、真剣に選んでるわけではなく、ただ手持ち無沙汰になるのが嫌でぼうっと見ているだけだった。
まゆ「なにかいいものありましたかぁ?」
モバP「いやぁ…どれを着ればいいのかがわからないんだ」
まゆ「そうですねぇ…モバPさんは大人ですから派手すぎず、かといって地味にならないようなものを選びましょう」
さすが元モデルだった。
的確なアドバイスをくれたので、それを指標として何となく周りの服を見直してみることにした。
(……でもやっぱりどれを買うべきか決められない)
モバP「あ、そうだ。せっかくなんだし、まゆが選んでくれよ」
我ながらかなりの名案に思えた。
流行りの服や自分に似合う服がわからない俺からしたらそれが一番間違いない方法なはずだ。
まゆ「まゆが、ですか?」
モバP「うん、まゆはモデルやってたしセンスもいいからさ」
まゆ「うふ、男の人の服は自信がないですけど…わかりました」
それから一時間ほど服選びに熱中していた俺とまゆだった。
モバP「ふう、ちょっと疲れたな」
まゆ「ええ、ずっと歩きっぱなしでしたから…」
モバP「まあでも、良さげな服は買えたし助かったよ」
左手にぶら下げている洋服屋のビニール袋を眺めた。
(結構買ったなぁ)
モバP「ありがとな、まゆ」
手を繋いできた右手を離した。
まゆは物寂しそうな顔で上目遣いをしてきた。
そのまま右手をまゆの頬に持って行って撫でてやった。
すると表情が一変して、飼い主に擦り寄る猫みたいにうっとりとしていた。
まゆ「モバPさん…うふ」
まゆの頬に置いた俺の右手に手を重ねてきた。
そして俺の手を頬に擦り付けるように押し当てられた。
その仕草と、まゆの頬の暖かさに心臓からドロドロにとけてしまいそうな感覚に陥った。
(本当に可愛いな…)
俺たちの時間だけ止まっているように感じたが、それは突如壊された。
俺の腹の虫が鳴ったからだ。
まゆ「うふ…お腹すいたんですか?」
モバP「はは…恥ずかしながら」
まゆ「ご飯、食べに行きましょう?」
そういうとまゆは俺の右手を持ってそのまま繋いだ。
モバP「…なにか食べたいものあるか?」
まゆ「どうしましょう…モバPさんが食べたいもの、ですかね」
モバP「俺もまゆの食べたいものが食べたいんだけど」
同じことを思い合うことに笑った。
まゆ「もう、それじゃあ決められませんよ」
まゆは楽しそうにうふふと笑っていた。
このままじゃあまゆの言うとおり何を食べるか決まらず、飯にありつくことはできなさそうなので、俺たちはとりあえず目に入ったカフェですませることにした。
モバP「…イチゴパスタなんてあるのか」
メニューに写真が記載されているが、桜のようなカラーリングに食欲がすこし減った気がした。
まゆもこの写真を見て苦笑いしていた。
俺とまゆはイチゴではなく普通のパスタを注文した。
まゆ「イチゴパスタ…一口くらいは食べてみたいですけど、あの量は厳しいですね」
モバP「ああ、どんなもんか気にはなるよな」
気にはなるが注文する気には決してならなかった。
近くの席でスタジャンを着た赤い髪の少女が何かに囚われたかのようにムシャムシャとイチゴパスタを食べているのを見て、俺は思考を止めた。
店員「お待たせしました~」
俺とまゆのパスタがきた。
チーズの香りが鼻をくすぐって、より食欲をかきたてた。
モバP「いただきます」
まゆ「いただきます」
フォークで器用にパスタを巻きつけた。
ソースはとろとろとしていてフォークの渦潮に絡みついていた。
一口、放り込んだ。
噛めば噛むほど、チーズの香ばしさ、卵の甘み、コショウのアクセントが口の中を踊った。
(このパスタ、ダンサブルだ)
まゆ「まあ、おいしい」
まゆはお上品に手で口を隠しながらそう言った。
しかし唇の端にはソースか付いていて、そのちょっとした子供っぽさが愛くるしかった。
モバP「ほら、ついてるよ」
優しく指で拭いてやった。
まゆはすこし恥ずかしそうにこちらに視線を送った。
まゆ「はい、あーん」
モバP「…」
まゆは俺に反撃でもするかのようにパスタを巻いたフォークを差し出した。
嬉しそうにニコニコと食べさせようとしているまゆをいつまでも眺めていたい気分だった。
まゆ「もう、早くしないとこぼれますよぉ」
まゆはわざとらしく頬を膨らませた。
そのあとすこし照れ臭そうに笑った。
(自分でやっておいて自分で照れてるのか)
俺の心臓はまゆに握り潰されそうなほどに掌握されていた。
モバP「あーん」
そっと口を開け、食べた。
モバP「おいしいな」
まゆ「うふふ」
まゆは満足げに微笑んだ。
(まあ、俺が注文したのと同じだけどな)
まゆがじっと、こちらを見つめてきた。
皿にはまだパスタがだいぶ残っているようだが、食べるのを止めていた。
(なるほど)
何かを俺に伝えるように目を合わせていた。
まゆが何を考えているのか、一瞬でわかったのだが、少しからかいたくなって何もしないでいた。
モバP「どうした、まゆ」
いたずらっぽく聞いた。
まゆ「もう、わかってるくせに」
まゆはぷいっと顔を横に向けた。
しかし目だけはちらちらとこちらに送ってきた。
待てをされている犬のようにも見えた。
(さっきは猫みたいになったり、今は犬みたいになったり、見てて本当に飽きない子だな)
いつまでも放置するとさすがに可哀想なので、パスタを巻いてフォークを向けた。
モバP「ほら、あーん」
まゆはこちらをパッと向いて恍惚とした顔で口を開けた。
まゆ「あーん」
パスタを口に含むとうっとりと頬を手で押さえながらもぐもぐと食べていた。
モバP「ほんと可愛いなお前は」
つい口に出してしまった。
まゆはすこし照れた顔になってから、ニコリと微笑みをこちらに向けた。
モバP「…いっぱい買っちゃったな」
両手にぶら下がる沢山の紙袋とビニール袋を眺めて呟いた。
自分でもまさかこんなに服を買うなんて思ってもいなかった。
まゆ「うふ、これでまゆと遊ぶ時も洋服に困りませんね」
モバP「まあ、センスがないから組み合わせには困るだろうけどな」
職業柄、女性の流行りの服や着こなしはわかるのだが、男のものは中々知識として入ってこなかった。
まゆ「センスだなんて気にしなくてもいいんですよ。自分の着たいように着るのが一番ですから」
まゆはそう言いながら笑った。
(とはいえ、まゆと並んでも恥ずかしくないようにファッションの勉強しないとな)
まゆは元モデルということもあり、服装はかなりお洒落なものだ。
その隣に歩く男が情けない服装だったら周りからまゆも馬鹿にされてしまうかもしれない。
俺自身は馬鹿にされようが興味はないがまゆがそんな目に晒されることは許されない。
モバP「じゃあ帰ろうか。寮まで送るよ」
つい先程昼食を食べ終えたような気がするのだが、外はすっかり暗くなっていた。
楽しい時間はやはりすぐに過ぎ去ってしまう。
本当は夜ご飯も一緒に食べたいのだが、残念なことにあまりに服を買いすぎたため財布の中身が寂しくなってしまっていた。
(結構余裕もったつもりだったんだけどな)
まゆ「・・・夜ご飯も一緒に食べませんか?」
まゆは寂しそうな目で誘ってきた。
もちろん可能なら俺もそうしたかった。
モバP「その、ごめんな。服買いすぎちゃったからさ、あんまりお金に余裕がないんだ。給料日前だしな」
まゆ「手作りなら、そんなに費用もかかりませんよね?」
一理あった。
確かに手作りならばお店で食べるよりもコストを抑えることができる。
モバP「確かに手作りなら出費も抑えられるな。でも手作りって、どこで食べるんだ?」
まゆ「モバPさんのお家に行きたいです」
モバP「お、俺の家・・・?」
まゆ「だめ・・・ですか?」
まゆは上目遣いで俺に聞いてきた。
だめなはずがなかった。
だが、正直まゆを連れ込んでしまったら我慢ができなくなってしまうのは明白だった。
モバP「いや・・・そのな・・・俺も男だしなぁ」
まゆ「まゆも女ですよぉ」
モバP「うん、まゆが女だからこそな・・・我慢できなくなっちゃうからさ」
まゆ「いいんですよ。女は女でも、まゆは『モバPさんの』女ですから」
胸を射抜かれたような衝撃が襲った。
弓矢で胸を撃ちぬかれたどころではなく、対物ライフルで木っ端微塵にされたのではないかと思えるほどのインパクトであった。
そんなこと言われてしまっては断ることもできなかった。
モバP「えっと・・・入っていいよ」
緊張で汗ばんだ手でドアノブをひねった。
思い切って開けようと腕に力を込めたが、金属音を甲高くたてただけで扉はあかなかった。
まゆ「うふ・・・モバPさん、鍵開け忘れてますよ」
モバP「・・・すまん」
緊張のあまり鍵の存在をすっかり忘れてしまっていた。
恥ずかしさでより掌が汗ばんだ。
かばんの中からすぐさま鍵を取り出し、即座に鍵をあけた。
モバP「い、いらっしゃい」
まゆ「お、お邪魔します」
部屋の中を眺めるとまゆもまた緊張した表情になった。
(お、大人で男の俺がしっかりしなければ・・・)
16歳の少女を前にしてこんなにも緊張している自分が情けなくなった。
(情けなくなるの何度目だよ・・・)
まゆ「まあ、綺麗な部屋ですね」
モバP「置くものが特にないからなぁ」
まゆ「うふ・・・でも整っていて素敵なお部屋だと思います」
そこら辺にいくらでも建っているようなアパートの一室なのだが、まゆは嬉しそうにキョロキョロと眺めていた。
モバP「お腹減ったな、御飯つくろうか」
まゆ「あ、いえまゆが作りますよ」
モバP「まゆはお客さんだろ、ゆっくりしててくれ」
立ち上がろうとするまゆの両肩を優しく押して座らせた。
まゆは俺の両手をとって握ると俺の目を見た。
まゆ「まゆ、モバPさんにご飯つくりたいの」
潤んだ瞳から視線をそらすことができなかった。
モバP「あ、ああ・・・じゃあ、一緒に作るか?」
まゆ「うふ・・・それも夫婦っぽくていいかもしれないですね」
モバP「夫婦か・・・いいな」
夫婦としてキッチンに並ぶ姿を想像して、頷いた。
まゆと協力して料理と食事を済ませ、食器を洗い始めた。
俺は食器を洗い、となりのまゆは濡れた食器を丁寧に拭いていた。
二人で分担してやったためあっという間に終わった。
モバP「よし・・・手伝ってくれてありがとな、まゆ」
タオルで手をさっと拭き、まゆの頭を優しくなでた。
まゆ「いえいえ、当然のことをしただけですよ」
ニコニコと笑いそう答えた。
時計を見るともう夜の8時になっていた。
モバP「もうこんな時間か・・・そろそろ帰ったほうがいいんじゃないか」
まゆ「・・・もうちょっとだけ、一緒にいたいです」
そういうとまゆは俺の手を取り、ソファーに座らせた。
そしてその隣にそっと座ると、腕を組んで俺の肩に頭をそって乗せた。
頭をこすりつけるようにスリスリとするしぐさに思わずツバを飲んだ。
モバP「まゆ・・・仕方ないな」
本当はまゆともっと一緒にいれることが嬉しくてたまらなかったのだが、大人の余裕を見せられるように格好つけてみた。
まゆ「うふ・・・モバPさん、好きです」
まゆはそう言ってこちらに顔を向けると、少し体を起こして唇を向けてきた。
俺はまゆの背中に手を回してこちらに引き寄せ、その唇を奪った。
まゆが口から全身に流れ込んでくるようだった。
もっと深く味わうために、唇に全神経を集中させた。
モバP「俺も、好きだ」
(もっと・・・まゆを味わいたい)
その先を感じたくて、俺は唇から舌を滑らせまゆの口内へ伸ばした。
まゆは少し驚いて肩を浮かした。
至近距離でまゆを見てみると目を瞑って、少しまゆを潜めて精一杯に舌の感触を受け止めていた。
少しずつ舌を動かしていくとまゆも俺の動きに呼応するように舌を動かし始めた。
口を塞いでいるのにまゆは時より声を漏らしていて、それが扇情的で俺の理性を崩していった。
背中に回した腕の力を少し強め、より身体が密着するように引き寄せた。
お互いの暖かさを全身で共有している感覚がたまらなく嬉しかった。
まゆを感じれば感じるほど、もっと先へ、深くまゆを知りたいという欲望が湧き出てきた。
その欲望に抗う術をなくした俺は、いとも簡単にまゆをソファに押し倒した。
一度唇を離して、まゆを見つめた。
まゆは少し震えていた。
モバP「怖い?」
まゆ「ううん・・・嬉しいです」
そう言うとまゆは俺の首へ両手を回した。
今度はまゆのほうから俺を引き寄せた。
お互いの唾液で潤った唇を、再び合わせた。
先ほどとはすこし違った感触でまたも夢中になってしまいそうだった。
モバP「なあ・・・いいか?」
まゆ「・・・」
まゆは目を閉じて小さく頷いた。
(怖がらせないように、優しくしないとな)
緊張はしていたが、それよりもまゆを傷つけないようにという意識が勝っていた。
モバP「好きだよ・・・まゆ」
二人だけの特別ステージを終え、俺とまゆは疲れ果ててベッドの上に服も着ず、毛布も雑にかけ寝転んでいた。
俺は右腕をまゆに差し出し、彼女はその上に頭を乗せていた。
二人の距離は近く、まゆの髪がふわふわと鼻をくすぐった。
お互い汗をかいていたが、まゆからは嫌な臭いは一切せず、嗅いでいるだけでまたも胸が滾ってしまいそうなほどいい香りがした。
(まあ、あれだけしたから流石に下の方は滾らないが)
まゆは左手でお腹をさすっていた。
モバP「・・・まだ痛いか?」
まゆ「いえ、変な感じですけど大丈夫です」
とはいえ、少し無理をしているようにも見て取れた。
シーツに滲む血がそれを裏付けているように感じた。
俺の心配を察知したからか、まゆは笑顔を作ってみせた。
まゆ「うふ・・・モバPさん」
まゆが幸せそうに目を細め、こちらを見た。
その目は艶めかしく芯までとろけていて、俺の視線から心に流し込まれてきそうだった。
モバP「どうした、まゆ」
まゆ「まゆ、モバPさんに会うまで運命の出会いなんて信じてなかったの」
モバP「俺も、まゆに会うまでは信じてなかったよ」
そう答えるとまゆは俺に近づき、犬みたいに頬ずりをしてきた。
まゆのつやつやした肌がたまらなく心地よかった。
まゆ「うふ、神様に謝らなくちゃ・・・ですね」
右手を俺の頬に伸ばし、優しく撫でると唇を重ねてきた。
(付き合ったばかりだというのに、一体何回キスをしただろうか)
軽く音を鳴らして、まゆは俺からそっと唇を離したが、視線は俺の目から離さなかった。
何かを発信するように、少し真剣な表情になってこちらを見つめていた。
(なるほど)
モバP「わかったよ、ほら」
俺はまゆの頭を撫で、唇を少し勢いつけて重ねた。
まゆ「んっ・・・伝わったみたいですね」
モバP「次は俺からキスしろってことだろ?」
まゆ「ええ、さすがまゆのモバPさんです」
まゆは心底嬉しそうに、俺に両手を伸ばしておもいっきり抱きしめてきた。
モバP「まゆのことだからな、わかっちゃうさ」
話の区切り的にはここまでで第一部みたいな感じ
明日あたりにまた投下するんで今日はここまでにします
まゆと結ばれてからから半年ほどは平和な毎日を過ごしていた。
旅行をしたり、星を見たり、海に入ったり、花火を見たり、様々なことをして夏を共に越えた。
誕生日にはケーキとブレスレットを渡し、忘れられない夜をすごした。
どれも一つ一つ思い出して見れば恍惚感に呑まれて呼吸を忘れてしまいそうなものだ。
アイドルとプロデューサーとしての俺達も日々進歩を重ねて行き、まゆも約3ヶ月ほど前にデビューを迎えていた。
モデルとしての経験が実力の土台となり、その上にまゆの俺の期待に応えようとする意思、俺がまゆのために全力で行った努力が実を結んでいき、信じられないほどのスピードで人気を得ていった。
単独ライブも小さなステージではあるが催すこともできた。
驚異的なほど順調だった。
スキー場にあるような、ムービングベルトのように動く歩道の上を走っている感覚すらした。
だが、それもあの日、10月24日までだった。
今思えばこの日に起こった出来事、小さな綻びが、ドミノ倒しの如く俺たちの人生を大きく変化させるきっかけだったのかもしれない。
この日はAをメンバーに含めたアイドルグループのライブが行われる日であった。
Aたちは活動してからのキャリアも多少は積んでいたので、悪くない会場だった。
これはまゆの実力を向上させるいい機会になると思い、ゲストとしてまゆも出演するよう取り決めていた。
メインはA達であったので、1曲のみの披露でが、ステージの経験を積み始めたまゆにはかなり貴重な経験になると予想していた。
ライブの準備も順調に進み、アイドルたちの最終リハーサルも難なく終わっていたように思っていた。
だが、そのリハーサルのあと、Aが俺のもとへ少し哀しそうな顔をして足早にやってきた。
Aのことなんて興味もなかった俺だったが、この時のことは鮮明に思い出すことができた。
恐らくこれが『1つ目のドミノ』だったからだ。
A「その、プロデューサー。私今日、歌えません。声が出ません」
哀しそうな顔、だがそれだけでなく色々な他の感情を練り混ぜたような表情だった。
モバP「声が・・・」
(風邪がなんかか。まあ対策は簡単に打てる)
モバP「よし、じゃあAのマイクは切ってAのパートは録音してある音源を流す」
そう告げると、Aは眉間に皺を作り、目を少し見開いた。
A「く、口パク、ですか?」
モバP「・・・あまり良い手とは言えないし、気が進まないのもわかるが声が出ない以上これが今できる一番のことだと思う」
Aは相変わらず眉間に皺を寄せたままだ。
右手を自分の頬を抑え、左手で右肘を抱き、暫く言葉に詰まっていた。
(面倒くさいが、ミスをされると困るしフォロー入れとくか)
モバP「ああ、ま、体調は自分ではどうにもできないことがたまにあるしな、Aはまあ、悪く無いさ。じゃあ、ちょっと準備してくるから、そっちも気負わずに心構えとかしておきな」
A「・・・はい」
俺はフォローをしたつもりだったが、あまり上手じゃなかったのかAの表情は変わらなかった。
この時はそこまで気にしていなかった。
だが確実にこの時こそがドミノが倒された瞬間だった。
この時から、妙な悪い何かが少しずつ時間をかけて広がり進んでいった。
スタッフに音源を渡し、事情をつげマイクの調整などを大急ぎで済ませた。
結果開演時間が30分遅れる形になってしまったが、とりあえずは問題への対策はすんだ。
(あとはあいつらが上手くやってくれればいいんだが)
間もなく、Aらのステージが始まろうとしていた。
俺と彼女らは舞台袖できたる時間を待っていた。
(・・・妙な空気だ)
緊張、といってもステージ前の胸の高鳴りだとか、失敗への恐怖による萎縮、といったものではなく、何か殺伐としているような雰囲気が彼女たちから漂っているような気がした。
モバP「・・・みんな、リラックスしておけ」
一言、俺が発すると、皆(Aは黙っていたが、)『はい』とこちらを見てしっかりとした返事をしてくれた。
返事をした者たちは表情を変え、ステージに集中をしているように見えた。
ただ、Aだけはまだ、強めの重力を纏ったままだった。
(Aと他のメンバーに何かあったってとこか)
疑問はたくさんあったのだが、もう開演の直前であり、尚且つメンバーの集中を途切れさせたくはなかったので、黙ることにした。
「皆様、大変長らくお待たせしました―――」
開演のアナウンスが流れ、彼女たちはまだライトのつかないステージに立ち、それぞれの位置にスタンバイした。
まずは2曲連続でAたちの曲が披露され、その後MCを挟み、まゆの曲へ移るという流れだった。
(そのスタートダッシュの曲、この曲の出来でまゆのステージの反応も大きく変わるだろう)
胸が煩しくリズムを刻みはじめた。
緊張、していた。
(こいつらのステージでこんな緊張するなんて・・・万全じゃない上まゆのステージも控えてるわけだから無理もないか)
喉の乾きが早くなるのに対し、肌は汗で潤っていった。
自然と呼吸が深くなった。
眉間に力が入った。
モバP「頼むぞ、本当に」
(まゆのためにも)
アナウンスが終わり、曲のイントロが始まった。
客は30分多く待たされた鬱憤を吐き散らすように大声で盛り上がっていた。
(皆、しっかり動けてるな。Aは、少し動きが硬いが・・・このままミスさえしなければ問題はないはずだ)
グループの曲ということで、複数人で歌うパートが多いため、Aだけ口パクということも上手く誤魔化せるはずだった。
Aがソロで歌うパートも客は違和感を感じ取れないほど熱狂していた。
(Aの硬い動きも1曲終えれば多少は慣れて2曲めからはマシになるだろう・・・)
とはいえ何が起こるかわからないので、緊張は一切緩まらなかった。
ひとまず大きな失敗は起きずに1曲めが終わり、そのまま2曲めのイントロへと入った。
遠目でうまくは見えなかったがAはまだ浮かない顔をしているような気がした。
モバP「このまま2曲目もしっかりやってくれ」
思わず祈るように声が出てしまった。
こいつらのライブでここまで感情を発したのは久しぶりだった。
勿論今までこいつらに手を抜いていたわけではなく、仕事もレッスンもまゆと同じように扱っていたつもりだった。
だがそこにあった違いは感情の差だった。
どうしても、感情だけは自分では制御できず、興味のないこいつらのライブや仕事などでは感情が昂ぶらなかった。
どうしても、『仕事』の域を超えなかった。
それが悪いとも思わなかったが。
(今日のライブにこんなに緊張とか応援とかしてんのは・・・まゆが関係するからだろうな)
そんなことを考えていると、もうすぐラストのサビに入ろうとしていた。
一番盛り上がる部分であり、一番踊りや歌に気合を入れなくてはいけない部分であった。
そして、最後の最後にAのソロパートがあった。
(このまま行けば大丈夫だ。しっかりやってくれよな)
だが、Aは自身のソロパートの直前に、自分の脚を絡ませ、転倒してしまった。
マイクは地面に叩きつけられ、ステージ袖へ転がっていった。
マイクを手から失い、尻もちを付いているA。
だがAの歌声はこれでもかと言わんばかりに会場へ響いていた。
客は戸惑いを隠せず、サイリウムの動きも乱れた。
他のメンバーたちはそれでも一心不乱にパフォーマンスを続けていた。
幸い、悪影響を受けてはいなかったようだ。
だが、戸惑いを見せる客は少なくなかった。
口パク自体に戸惑っている、というよりは転んでしまったAを案じている、といったところだろうか。
Aは暫く立てずにいた。
だが無慈悲に曲は流れ続けていた。
(早く動けよ!)
まゆ「どうかしましたか、モバPさん」
後ろから聞き慣れた柔らかな声が聞こえた。
次のMCを終えればまゆの番ということでスタンバイに来ていた。
白とピンクを基調としたドレスに、赤のリボンをポイントにした衣装をこれでもかと言わんばかりに着こなしていた。
見惚れているのもつかの間、まゆを応援しなければいけない気持ちが俺を支配した。
モバP「まゆ・・・ちょっとトラブルがな。まゆは気にしないでいいからな、気を落ち着かせていてくれ」
まゆ「はい」
まゆはニコリと笑った。
Aの失態によるあたりの異様な空気も悪影響を与えず、悪い緊張はしていない様子だった。
(強い子だな)
Aはなんとか曲が終わる前に立ち直した
だがその表情は重く、とてもアイドルとは言えず、クビ宣告を受けたOLさながらの絶望具合だった。
そのまま曲が終わりMCに移った。
周りのメンバーがうまくフォローをし、なんとかAも話せていた。
(さっきはあんな空気だったってのによくあんなフォローができるもんだな)
戸惑う客もまだ居たが、MCの一言一言を熱狂しながら噛み締めている客もたくさんいた。
なんとかMCで先ほどのミスで崩れた雰囲気を少しだけ戻せたようだ。
(状況は少し厳しいが・・・あとはまゆを信じるしかない)
モバP「・・・そろそろ出番だぞ」
まゆ「そうですね、前に立ったどのステージよりも広いので、緊張しちゃいますね」
そうは言うものの、先ほどのグループのような殺伐とした緊張感ではなく、自分があの場へ立つことの高翌揚感を織り交ぜた緊張をしているようだった。
まゆ「・・・モバPさん、まゆ頑張ります」
何かを強請るように上目遣いをするまゆ。
ステージから漏れるライトをいっぱい集めて、いつも以上の輝きを放っていた。
(・・・撫でるくらいなら、大丈夫か)
辺りを軽く見回してから、まゆの頭を撫でた。
『新人アイドルがステージに立つ前に異常に緊張していたので頭をなでて緊張をほぐしてあげました』
そういう言い訳を頭の中に浮かべながら撫でていた。
まゆ「もう、ちゃんとまゆのこと想って、なでてください」
まゆには俺の考えていることを見透かされていたようだ。
モバP「すまんすまん」
(まゆ、愛してる。頑張れよ、見てるからな)
モバP「・・・ほら」
まゆ「うふ、ありがとうございます。頑張ります」
「スタンバイお願いしまーす」
スタッフの人から声が掛かる。
間もなく、まゆのステージが始まる。
まゆを撫でた右手は暖かさを帯びていたが、対象的に左手は凍ったように冷たく、痺れているように感じた。
らしくもなく緊張がしていた。
呼吸が自然と早くなり、足は強く早いリズムで床を叩いた。
左手の痺れを抑えるように腕を組むと、自然と指が腕を叩いてしまう。
俺はとにかく居心地が悪く、落ち着きがなかった。
Aの失敗を間近にし、俺は無意識のうちに焦燥していた。
あの失敗がまゆに悪影響を及ぼすのではないだろうか。
あの失敗が原因でまゆのステージが盛り上がりにかけてしまうのではないだろうか。
考えても仕方のないことばかり脳内をうろつく。
そんな俺を置き去りにするかのように、MCは進行していた。
「次は私達の後輩がゲストに来てくれたので、その子に曲を披露してもらいまーす!」
Aのグループの子の一人は、懸命に場を盛り上げるように明るく声を張り上げた。
「まだまだ新人のかわいーこだから、皆暖かく応援してあげてね~!」
隣の一人もまた、それに続くように陽気に首をかしげながら客に応援を促した。
「じゃあ呼びましょう、まゆちゃ~ん!!」
そして別の一人もまた、まゆを呼び、次のステージへ活気を繋げるよう努めた。
しかしAはいつまでも俯き、自分の足元を執念深く見つめていた。
名前を呼ばれたまゆは、その足をステージに踏み入れた。
客の反応は8割が興味津々、残りが少し不満気といったところだった。
Aのグループと同じ事務所ということで多少まゆのことを知っている人もいるだろう。
ファンが数人いてもおかしくはないはずだ。
とはいえ興味津々な人たちはただ単にライブのテンションで気が大きくなってるだけかもしれない。
不満気な人たちはAらのグループをメインに来ているのにまだ2曲目でこんな余計なことをするな、といった気持ちなのだろうか。
客の反応を伺うと、緊張からより一層心臓が高なるのがわかった。
(2曲終わったあとにまゆを入れるというのは賭けの要素もあった。ライブの序盤でいきなりまゆと変わるのは不満が大きく現れる可能性があるからだ)
(だがその一方で、初めの1~2曲は大きく盛り上がる曲が続き、その流れでまゆへ繋げられれば初めてまゆを見る人もその空気のまま盛り上がれる)
(今回は知名度の獲得と少し大きなステージへの慣れがメインだから、ファンの獲得に関してはほどほどにできればいい)
客からまゆへと視線を戻した。
まゆは柔らかな笑顔で、マイクを優しく両手で握っていた。
まゆ「初めまして、佐久間まゆです。Aさんたちの後輩で、まだデビューしてから3ヶ月くらいしか経ってませんが、みなさんに認めて貰えるよう精一杯歌います」
まゆ「では聞いてください、『エブリデイドリーム』」
曲名が発せられると、一時、証明と巨大なモニターの明かりが消える。
不揃いなサイリウムだけが会場を照らす光源となっていた。
静寂が会場を支配した。
それが俺にはまるで何時間も時が止まったように感じた。
(頼むぞ、まゆ)
イントロが流れるのを今か、今か、と待った。
自然と祈るように両手を胸の前で組んでいた。
そんなふうに身構える俺を拍子抜けさせるように唐突に曲が始まり、証明が灯りを宿した。
大音量の音楽は、先ほどと同じように会場に響いているだけなのに、俺の心臓を強く刺激した。
まだ、祈るようにした両手は解いていない。
ステージを見ていると、いくつかの影がこちらへ歩いてきた。
A達のグループがステージ袖へはけてきたのだ。
先ほどよりもより殺伐とした空気を纏って。
A「ごめんなさい・・・」
モバP「・・・ミスをしたあとに一番大切なのは繰り返さないこと。次に大切なのは引きずらないことだ。客は・・・まあそれほど冷めちゃいないし落ち着いてな」
緊張から頭を真っ白にした俺から、引っかかりながらもひねり出したフォローが飛び出た。
自分では、緊張したなかよくフォローできたと感心した。
だがそのフォローに心ない返事をしたAは飲み物を取りに少し奥へ歩いて行った。
他のメンバーはそのAの背中を睨んでいた。
(・・・)
Aたちの問題はあとにして今はまずまゆのステージだ。
まゆのコンディションは万全だった。
ミスさえ無ければ結果はついてくるはずだ。
まゆの一挙一動を見逃さないように集中。
何か乱れた動きはないだろうか。
歌声に異常は無いだろうか。
たとえそれを見つけたところで今更どうしようもないのだろうが、俺はそれを食い入る様に見て探していた。
もうステージが始まった以上、俺ができることは少ない。
それがわかっていたからこそ、まゆを必死に見つめることに全力を注いでいた。
そんな俺の心配はよそに、まゆは気持ちよさそうに、歌にしっかり感情を載せて客へ届けていた。
踊る姿も華やかで、とても場数の少ないアイドルには思えないほどの出来だった。
(『運命の出会いなんて信じてなかったの』か・・・)
この歌詞は奇跡的といっていいほどにまゆとマッチした内容だった。
だからこそ感情を上手に込められているのだろう。
ますます客はまゆの世界に引きこまれている様子だった。
もともとまゆのことを知っていたファンもいてくれたようで、小さいけれどコールも始まった。
俺もまゆの世界に引きこまれていくうちに、先ほどの無意味な緊張も解けていった。
「まゆちゃんすごいね~」
Aのグループの一人が話しかけてきた。
同業者が認めるほどに、まゆは自身の実力を遺憾なく発揮していた。
モバP「ああ・・・」
あまりにも素晴らしいステージなので、思わず俺も夢見心地になってしまっていた。
まゆがこんなにも力を発揮できるだなんて、本当に無意味な緊張をしていたものだ。
暫くすると、先ほどまでは小さかったコールが、他の客たちも合わせるようにファンに続き、どんどんと音を大きくしていった。
Aたちの曲のときのコールと比べても負けないレベルかもしれない、とまゆに贔屓目な俺はそう感じてしまった。
サイリウムの色も動きも、初めはバラバラだったのに、気づけばまゆの衣装に合わせたみたいで、ピンクと赤と白の三色に統一されていて、振られるリズムも曲に合わせ綺麗な波を描いていた。
まるで光の森が風に揺られて規則的になびいているように見えた。
まゆ(モバPさん、まゆちゃんとできてますよ。もっとまゆを見て。輝いているまゆを感じてください)
圧巻のステージは時の経過を忘れさせ、あっという間に終わってしまった。
自分のファンではない客がたくさんいる中で、これだけやってのけたまゆに敬服の意すら覚えた。
まゆ「ありがとうございました!佐久間まゆでした」
まゆは最後まで笑顔を閉ざすことなくパフォーマンスを終えた。
そのやりきった爽快な表情はまゆの成長を感じさせて、思わず目頭が熱くなった。
客も大いに盛り上がっていて、まゆはしっかり受け入れられた様子だった。
サイリウムを力一杯振りながら大声でまゆを称える姿が、その証拠だった。
まゆは客に丁寧な挨拶をすると、スタスタと舞台袖に、俺のもとに帰ってきた。
少し汗ばんでしっとりとした彼女の姿はより艶っぽくなっていた。
まゆ「モバPさん、まゆやりました。見ててくれましたか?」
いつもより興奮気味に、かわいい目をキラキラ輝かせながら俺の反応を伺ってきた。
息を荒げて肩を必死に上下させていた。
まるで飼い主に教えてもらった芸をこなして褒美を強請る犬のようだった。
モバP「ああ、見てた。本当によく頑張ったな」
ステージ前にやったように頭をなでてやると、まゆは目を細めながら身震いするように喜んだ。
まゆ「うふふ・・・」
そんな姿を見たら、今すぐ抱きしめてしまいそうなほど、愛しい気持ちが溢れてきた。
まゆも同じような気持ちらしく、頬を染めながら上目遣いでこちらを誘うように見つめてきた。
(まあでも流石にここじゃあな・・・)
「お疲れ様!良いステージだったね」
Aのグループメンバーたち(Aは除く)はまゆを称えると、次の曲のためにステージへと入っていった。
彼女たちもまた、まゆに感銘を受けたようでより一層気合の入った表情を浮かべていた。
心なしか、Aの表情もほんの少しだけマシになったように思えた。
その後のライブはそこそこの出来で進行していった。
Aの動きは相変わらず危うさを帯びていたが、大きなミスはなく、プロデューサーの俺からしたら綱渡りのように肝を冷やすライブではあったが、とりあえず無事に終えることができた。
どの客も満足そうな笑顔を沢山浮かべていた。
会場の後始末を終え、関係者達に挨拶をし、反省会を開くことにした。
正直俺は今日反省会を行うのは、先ほどの陰険なA達の様子を思うと気が進まなかったのだが、部長の命令が下ったのでしかたなくアイドルたちを集めた。
反省会を開けと言っておいて、言い出しっぺの部長は参加せずに業界の関係者の元へ話に行ってしまった。
ちひろさんも誘ったのだが、事務員という立場なので出すぎた真似はしないと言うので発言はせず、その場で話を聞くだけとなった。
モバP「・・・それじゃあ、反省会を始めよう」
Aはすっかり枯れたような顔をして、地面ばかり見ていた。
対照的にまゆや他のアイドルたちの顔は晴れ渡っていた。
モバP「前半の2曲で一気に盛り上げようという話だったんだが、どうもイマイチ上手く客を盛り上げられなかった。パフォーマンスに問題があったのは確実だ。各々自分のパフォーマンスを思い返してみてくれ」
(まあ、ほぼAのミスが問題なんだが・・・さすがにこれ以上陰険になっても困る)
そういう訳で俺は敢えてはっきりAを叱らず、内容をぼやかして発言した。
いつも考えることだが、これはAのため、というわけではなくあくまでも面倒事を防ぐためだ。
だが、Aのグループメンバーたちはどうやらそれでは物足りないらしかった。
「それはAのミスのせいだ」といった旨のことを言い出したのだ。
他のメンバーたちもそれに同調した。
「最近Aはレッスンも真剣に取り組んでいない、やる気が以前より明らかに減っている」
「私達とのコミュニケーションもいつからか消極的で冷たくなってる」
ということも続けて主張していた。
(ライブ前も嫌な空気だったのはレッスンとかの問題があったからってことか・・・)
(だが、今ここで攻めたところで面倒なだけだろう)
モバP「まあ、終わったことだ。今後しっかりやってくれればいい」
平坦な声でそう伝えた。
火花が大きな火災を生む前に鎮火しようとAをフォローしたつもりだった。
だがAは暗い表情を一切変えずに俯いたままだった。
他のメンバーもAを責めるここぞといったチャンスを失ったようで、眉をひそめ不満顔を少し浮かべた。
だがそんな醜さを自身で気づいたのか、表情を固く引き締め俺の言葉を待った。
(・・・短いが今日はさっさと切り上げた方がいいな。このままじゃ喧嘩に発展してもおかしくない)
モバP「とりあえず、今日のミスを忘れずに、同じことを繰り返さないようにしてくれ。とはいえ、後半は持ちこたえたわけだし、客も盛り上がっていたから失敗しかなかったわけじゃないことも頭に入れておいいてくれ」
ちひろ「・・・」
モバP「じゃあ、皆今日はよく頑張った。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした!」
A「・・・」
Aとちひろさんは暫く黙っていたが、他のメンバーはそそくさと帰りの支度を始めた。
Aはともかくちひろさんまで何故黙っていたのかは理解できなかった。
俺も帰る支度を始めようとしたところで、ちひろさんが俺の肩を叩いた。
振り向くと、眼光を少しするどく、真剣な表情を浮かべていた。
ちひろ「プロデューサーさん、少しお話いいですか」
いつもよりも低いトーンで話されたので思わず身を引いてしまった。
モバP「・・・ええ、構いませんが」
そう返事をすると、ちひろさんは俺を控室の外へ連れて行った。
その間俺達の間に会話はなかった。
(なんか怒ってんのかな)
俺は呑気にちひろさんにしたことを思い出して、問題行動をしていないか脳内で探った。
人通りが少ない廊下を歩いた。
ちひろさんは俺の二歩ほど前を、静かに何かを心に燃やしながら歩いていた。
彼女がこちらを振り向いて声をかけてくることもなく、俺も雰囲気に飲まれて彼女へ声をかけることはなかった。
静寂を身にまといながら二人歩いた。
1分ほど歩き、少し暗く、人の気配が全くない階段の前へ着くと、ちひろさんはこちらを向き直し、再び真剣な眼差しを俺に向けた。
1度口を開き、何かを言おうとして躊躇い、大きく息を吸い込み覚悟を決めたように俺の目を見据えると、
ちひろ「・・・その、いくらなんでも冷たすぎじゃあありませんか」
長くためを作るように俺の目を凝視し、言葉を放った。
モバP「・・・?」
ちひろさんが何に対して言っているのか理解ができなかったので、返事もできず固まってしまった。
すると、わかっていない俺に対しちひろさんは呆れたように大きなため息を吐き、重そうに口を開いた。
ちひろ「Aちゃんに対してですよ。もっと優しくフォローしてあげてください。先ほどの反省会のあなたの発言、明らかに感情が篭ってない言葉でしたよ」
ちひろさんは一度で伝わらなかったことに対し、少し苛立ちのようなものを見せ、話を続けた。
ちひろさんは俺が冷たいと言った。
自分では冷たくしていたつもりなんて全くなかったのだが。
ただ面倒なトラブルに発展しないために宥めただけだ。
(ってその気持ちのない気持ちがAに伝わってたってことか・・・?)
ちひろさんの発言を受けて、俺が思ったのは『仕方のないことなんじゃないだろうか』だ。
俺はAを慰めてやりたい、元気づけてやりたいなんて考えられないからだ。
先ほどAに対してフォローを送ったのは『このままウダウダされて今後の仕事やメンバーとの関係に支障がでたら面倒だ』と思ったからだ。
今後同じことが起きてもAを元気づけてやろうとか、そういう類の感情をAに向けることは決してできないだろう。
たとえ今からちひろさんに何を言われようとも。
どうしてかって、それは単純にAが心底どうでもいいからだ。
ちひろさんがこの俺の考えを知ったら残酷だと言うかもしれない。
しかし、自分興味の無いものを前にして、他人に『興味を持ちなさい』と命令されたとして、心から興味を持つことなんてできるだろうか。
少なくとも、俺はできない。
俺は他人に誰彼構わず興味を惹かれるような人間じゃない。
そういうふうに俺はできているのだ。
ならばAに対して無関心なのも仕方がないだろう。優しげな感情を向けられないのも仕方のないことだろう。
どう足掻いても俺とアレの関係は仕事相手を超越することはできない。
俺たちは平行線のままだ。
だからこそ、慰めるにしても『仕事に支障を出さないために』ということにばかり意識してしまう。
それをAに悟られ、悲しまれたとしても、俺には為す術がない。
果たしてこれは悪なのだろうか。
否、あくまでもこれは俺の人間性だ。
覆そうもない事柄なのではないだろうか。
そんな議論を脳内で夢中になりながら展開していたので、俺の口からは何も言葉を発することができなかった。
ちひろさんはそんな俺の姿を見て、呆れた(悲しくも見えた)表情で、
ちひろ「まゆちゃん以外のこと、――Aちゃんのこと、何一つ見えてないんですね」
と言い放つと、その場を素早く立ち去っていった。
まゆのことを言及された俺はたじろいで、一歩下がってしまった。
(ちひろさんに、バレてる・・・のか?)
心臓がどんどんと音を強くしていった。
呼吸も荒げていった。
喉から肺が踊り出てくるのではないかと心配になった。
(い、いや――まだそうと決まったわけじゃあないだろう。もしそうだったとしたらとっくに部長やらにお叱りを受けているはずだ)
(それとも、バレた上で、部長に黙ってるのか・・・?まあ、どっちにしろ、今はまだ大丈夫・・・か?)
俺はそう楽観的な考えで騒ぐ胸を無理やり落ち着かせて、重い足取りで控室に戻った。
(ああ、大丈夫、大丈夫なはずだ。何も起きてないんだから)
(気にするな。Aも、ちひろさんも)
(些細なことだ、二人とも)
まゆ「モバPさん」
控室へ戻る途中で、まゆが居た。
どうやら俺を追ってきたらしい。
まゆを見た途端俺の歯切れの悪い感情は気化するように消えたのを感じた。
モバP「まゆ」
先ほどの気持ちからは考えられないくらい穏やかな声が自然と発せられた。
まゆ「こっちきて」
そういって笑顔を見せながらまゆは俺の腕を引いて、備品倉庫と書かれた部屋へ導いた。
なぜこんなところに連れてきたのか、ドアが開けられた瞬間に察した。
モバP「誰もいないな」
まゆ「うふ、さっきこっそり鍵を持ってきちゃいました」
静寂な部屋に、鍵を閉める金属音が響き渡った。
モバP「悪い子だな」
まゆ「あとで、ちゃんと返しますよ」
チャリチャリと鍵を鳴らしながら俺へ迫ってきた。
そしてそっと右腕は俺の背中へ、左腕は腰へ伸ばし距離を縮めた。
モバP「甘えん坊だな」
まゆ「ステージ終わった時から、ずっとこうしたかったの。でもいっぱい人がいたから・・・」
まゆは下から俺を見つめながら甘い声で囁いた。
俺は堪らなくなりまゆの後頭部を抑えながら唇を強く奪った。
まゆ「うふっ・・・モバPさん、まゆ、どうでしたかぁ?」
モバP「最高だった。緊張もものともせずに歌っていたし。感情もしっかり篭ってて、まゆの気持ちがしっかり伝わるいいステージだった」
そう言いながらまゆの頭を優しく撫で続けた。
柔らかな髪の感触が心地よかった。
まゆ「嬉しい・・・」
すっかりとろけきったまゆは俺に何回も唇を要求してきた。
俺はそのすべてに応えた。
繰り広げられる唇の応酬。
静寂に微かに響く水の音が酷く俺の欲望を撫でた。
ここでまゆのすべてを感じたいと思ってしまうほどに。
キスの回数はこの時間だけでも10はゆうに超えるだろう。
これ以上続けていてはいずれ理性の結界も決壊してしまうと判断し、
モバP「・・・あんまり長くいたらマズイし、行くか」
誘惑を断ち切るようにまゆの両肩を優しく押して、距離を少し空けた
名残惜しかったが、そろそろ帰らなくてはいけなかった。
まゆ「そうですね、行きましょう」
そういうとまゆは最後に軽くキスをして、ドアを開けた。
控室に戻ると1人のアイドルだけ残っていて、あとの皆は帰っていた。
ちひろさんの姿もなかった。
(ああ、あの子寮の子か)
今回のライブは俺が車で寮住みの子を送るという話だった。
モバP「ごめんおまたせ、行こうか」
はい、その子は返事をして俺たちのあとへ続いた。
まゆと二人きりじゃあなくなったのは残念だが仕方ないと割りきった。
まゆの顔を見ると、まゆも少し残念そうな顔を浮かべていた。
車へ歩いている途中、まゆたちは楽しげに談笑していた。
俺はそんな楽しげな雰囲気を背中で感じながら、一日を振り返っていた。
今日はAたちのせいで余計に疲れた。
だが、まゆの素晴らしいステージも見れた。
あのステージを見て、ファンになる客も少なくはないはずだ。
振り返って思い浮かぶのはそんなことばかりだった。
その後は特に思い出すような出来事はなく、今日にしては珍しく平和でゆったりとした時間を過ごした。
こうして、1日がようやく幕を閉じていくのだった。
だがこの日生まれた軋轢が、決して消えることなく、むしろ増大していくだなんてこの時は思いもしていなかった。
今日はここまでです
実際のライブに行ったことがないので書いててよくわかんないと思った(小並感)
部長「さて、今日呼び出したのはA君のことなんだが・・・」
本日は日曜日。
昨日のライブもあったため、俺はすっかり枯れたように疲れていたのだが、ライブの後処理を事務所でしなくてはならなかったので、休むことは出来ず、出社していた。
今日はアイドル全員が休みだったはずなので、まゆと共に仕事をすることはできないのだが、まあ代わりにAたちの面倒事にも巻き込まれないだろう。
そんな呑気なことを考えて仕事をしていた俺は、なぜだか部長に呼び出されていた。
なぜだか、と言ったが理由は先程言われた通り、Aについてらしい。
部長「昨日のライブを見て、以前から抱いていた疑惑が確信に近くなった」
『疑惑』というフレーズを聞いて、俺の胸は不安からリズムを早めていった。
俺はまゆとの関係に勘付かれたのではないか、と身構えた。
眉をひそめながら、恐る恐る口を開いた。
震えた声が喉を通った。
モバP「疑惑、といいますと?」
部長「最近、A君のアイドルとしての実力がどうも、低下しているように見えるのだよ」
まゆのことを切りだされたわけではなく、俺は思わず安堵の溜息をつきかけ、すんでのところで止めた。
部長からすればどちらにせよ安堵できる内容ではないだろうからだ。
少し落ち着いた頭を使い、部長の言った内容を吟味する。
Aの実力が低下。
確かに、昨日のライブは酷かったが、それ以前はそこまで大きな失敗をしたことはなかった。
そう考えると、昨日だけたまたま調子が悪かったのではないかと思える。
だが部長は続けて、
部長「ライブ前に何度か私もレッスンや仕事を見させてもらったのだがね、なんと言おうか・・・感情が篭っていないのだよ」
言葉を選ぶように話を進めた。
部長「レッスンも確かに取り組んではいるのだが、成長してやろうとか、必死さがまるで感じられなかった」
そんなこと今まで考えたこともなかった。
いや、考えようもなかった、と言うべきだろう。
部長「以前はもっと気持ちを入れてアイドル活動に取り組んでいたと思うんだがね、何かきっかけでもあったのかねえ」
部長は探るようにこちらを目を細めて見た。
俺はそんな目を見ても身じろぎ一つせず、ただ言葉を聞いていた。
部長「――そして対象的に佐久間君の実力と人気は怒涛の勢いで高まってきている」
モバP「え?」
思いもよらぬ名前がここで出てきて、俺は思わず情けない声を上げてしまった。
まさか部長は俺がまゆに思いっきり肩入れしている、とでも続けるのだろうか。
そんな不安が脳裏をよぎった。
(このタイミング、もしかしてちひろさんが部長に何か言ったか?)
だが、実際にそんな疑惑を向けられても俺は否定できるはずだ。
確かに俺はまゆを愛しているし、気持ち的には肩入れをしている。
しかし、だからと言って仕事で圧倒的な差がつくほど特別扱いなどしていないからだ。
周りに怪しまれたり、スキャンダルな香りを醸しださないようになるべくAもまゆも同じように仕事を回した。
仕事中の態度は違ってしまっているのは自覚はしているが、別にAの仕事を取らないとか、まゆの仕事だけ優先するとかそういうことをしたつもりは一切ない。
などと、俺は脳内で激流のような勢いで言い訳を陳列していた。
実際、気持ちの入り方はまゆとAで大きく違っているのは頷けてしまうのを自覚していたので、その自覚を隠すように言い訳で埋め尽くしていた。
部長「佐久間君はデビューしてそこまで経ってないわけで、より丁寧にプロデュースする必要がある。君は優秀で、それを理解しているからこそ、佐久間君に比重を置きすぎているのではないだろうかと思ってね」
部長は俺を吟味するように見つめ、自身のひげの蓄えた顎をいじりながら話を続けた。
部長「勿論そういうつもりなど一切なく、A君が実力を失っているのも彼女自身の力不足なのかもしれないが」
俺はその通りだ、と叫びたい気持ちになった。
実際同じように仕事を回して、Aには相応しいライブ、イベントなどもやらせているのに実力が低下するとかレッスンを真面目にやってないからだろう。
Aのことだから気持ちを失って、レッスンに没頭できてないんだろう。
そんな風に脳内でAを卑下し、自分に非があることを忘れるように努めた。
部長「ただ、君が佐久間君を優先してしまっている可能性も無いとは言えないので注意させてもらった。今後はより、A君に対しても一生懸命やれるよう意識しなさい」
モバP「わかりました」
俺は部長の指示に即答した。
俺が逃げきれるのはここだ、そう判断して、早く話を終わらせようと思ったからだ。
部長はそんな俺の魂胆など見透かせていないようで、
部長「君はA君をデビュー当時から今までよく育ててくれた。A君だけでなく佐久間君の成長も今後も期待しているよ」
俺を信頼したように柔らかな目を向けて、言葉で俺の背中を押した。
俺は礼を言い、丁寧な応答をしてその場を去ろうとした。
そんな俺の背中に部長は言葉を投げかけた。
部長「ああそれから、A君にも私から軽く話をしてみるから」
モバP「わざわざありがとうございます。お手を煩わさせてすみません」
内心どうでもいいことだったが、丁寧に返事をした。
部長はそんな俺の返事を満足そうに受け取った。
部屋を出たあと、Aが部長に変なこと言わないだろうか、と不安がよぎった。
かといって今からAと話すのをやめてくれなんておかしな事も言えないので、不安を掻き消すように仕事場へ早足で戻った。
(まあ、何か言われても表面上は対等に扱えてるし、言い訳も通るだろ。付き合ってるのもバレてないだろうしな)
そんなふうに自分を落ち着かせるように呑気な理由を脳内で述べて言った。
モバP「・・・そろそろ切り上げるか」
時刻は夕方の5時。
あたりは薄暗く、夕焼けが窓から流れ込んできて、仕事をし続けた身に染みこんでいくような感覚がした。
不思議と感傷的に気持ちになってしまい、脳裏にはまゆの姿が浮かんだ。
(今日は日曜日・・・だったら)
スマホを取り出し、まゆへ連絡を取ることにした。
大量にやり取りしたメッセージ軽く読みなおして、上に流していき、新しく文字を打っていく。
モバP「さて・・・」
メッセージをまゆへ送り終え、スマホをしまい、同じ空間で仕事をしていたちひろさんを横目で見た。
無心でパソコンのディスプレイを眺めていた。
お互い無言で仕事に取り組んでいたため、集中は出来たと思う。
事務仕事で無言になるのはいつものことなのだが、今日は空気が重苦しく感じた。
恐らくは昨日のことが原因だろう。
モバP「・・・今日はこのくらいで切り上げます。お疲れ様でした」
先ほどまで横目で眺めていたのに、いざ口を開くと何故か彼女の方を見ることができず、首を抑えながら彼女の後ろの窓を見ながら喉を震わせた。
ちひろさんは静かに、抑揚のない声で「お疲れ様でした」とだけ平坦に言い放つと、キーボードを叩き始めた。
俺は溜息を一息吐き、部屋をあとにした。
部屋を出るとほぼ同時に、スマホが振動しポケット越しに太ももをくすぐった。
取り出して画面を見ると、まゆからの返信が届いていた。
先ほど、『今からデートしようぜ』といったような内容のメッセージを送ったところ、二つ返事で承諾がきた。
ハートの絵文字で可愛らしく彩られたメッセージを見て、ふと頬が緩んだ。
集合場所、時間を指定するメッセージを送り、スマホを再びポケットへしまいこんだ。
エレベーターへ乗り、1階のボタンを押す。
日曜ということで誰一人乗ってこないエレベーターは静寂を保っていて、一仕事終えた余韻だけが胸の中を響いていた。
待ち合わせの場所へたどり着くと、まゆはすでにそこに立っていて、辺りをぐるりと見回していた。
落ち着いた雰囲気の服を着て、帽子を被り、その下におさげが首の動きに合わせて揺れていた。
まゆと初めてデートしたときと似た服装だった。
こちらにまだ気づいていない様子のまゆを見ると、少し悪い考えが顔を出した。
(こっそり近づいて驚かしてやろう)
そんな子供じみた考えを思いつくと、思わずにやりと唇が綻んでしまった。
一人ニヤニヤする怪しい男であることを自覚して、首を振り、意識して表情を無に戻した。
まゆに早く会いたくて走ってきたために乱れた息を落ち着かせて殺し、まゆの死角を読むように回りこみ、足音を無くして距離を縮めて行った。
距離が近づくにつれ心臓は高揚していき、心臓音で俺の存在に気づいてしまうんじゃないかと阿呆らしい考えがよぎった。
しかしそんな俺の考えとは裏腹にまゆは一向に俺に気づかず、ぼんやりと街を眺めていた。
つま先で歩くようにして、より足音を消すように近づいた。
息がかかりそうな距離にたどり着いた。
ふと一息すい、まゆの両目を後ろから覆った。
(初デートのときの仕返し、だな)
モバP「だーれだ」
俺がお茶目をすると、まゆは肩をピクリとあげ、
まゆ「モバPさん」
いつもより少し高めの声で答えた。
そして、まゆの目を覆う俺の両手へ、まゆの両手を重ねてきた。
昨日会ったばかりだというのに、関係なくたまらなく愛しい気持ちになった。
モバP「待たせてごめんな」
意識せずとも穏やかな声が出た。
まゆ「いえ、まゆも来たばかりですから気にしないでください」
まゆは俺の両手を優しく握り、そっとまゆの身体の前方へ引っ張り、必然的に俺はまゆを後ろから覆う姿勢になった。
暖かさがまゆの背中から俺の胸へ通ってきた。
鼻先をくすぐる髪は、艶めかしい香りを漂わせ、鼻から胸へと流し込まれていった。
まゆ「お仕事お疲れ様です」
まゆは首を軽くこちらへ回し、穏やかな視線を下から向けてきた。
モバP「ありがとう」
俺も穏やかな視線を返すと、ニコリと無垢な笑顔を送ってきた。
仕事の疲れも一瞬で吹き飛ばされ、胸と頭の中はまゆで一杯に埋め尽くされた。
そのままゆったりと流れる時間を堪能したい気分でいたのだが、どこからか強烈な視線を感じた気がして、あわてて抱擁を解いた。
辺りは薄暗いとはいえ、まだ時刻は18時前というわけで辺りからはまだ、まばらな気配を感じた。。
(さすがにちょっと恥ずかしいな)
普段はそこまで周りの目を気にしない俺ですら億劫になるほどの強烈な視線を感じた。
近くにいた主婦グループを横目で見ると、口元を抑えながらこちらを見て会話に耽っていた。
だがまゆはそんな視線など気にしないようで、抱擁を解いたことに大げさに頬を膨らませてささやかに不満を訴えてきた。
その可愛らしく、歳相応といった仕草に胸を打たれ、視線を強烈に受けながらもまゆの頭を撫でてしまった。
(・・・そんな熱心に見なくたっていいだろ)
逆ギレとも取れるような自己中心的な考えが頭に浮かんだ。
まゆ「こうして二人でショッピングするのも、もう何度目でしょうね」
今日は夜からのデートということで、無難にショッピングをすることにしていた。
まゆがこぼした言葉からは、『何度もショッピングして飽きた』といったような否定的な意は一切含まれておらず、むしろ幾度も繰り返したことを誇るように笑顔で話していた。
モバP「そうだな。でも、毎回いろんなまゆが知れて楽しいよ」
まゆ「いずれまゆのすべてを知り尽くしたら、もう楽しくなくなっちゃうんですか?」
そう意地悪に右目をつむりながら上目遣いで聞くまゆ。
口元は笑っていて、俺の答えなど聞かずとも知っている様子だった。
だが、まゆは敢えて俺の口から言わせたいらしく、じっとこちらを見つめるばかりだった。
モバP「まったく・・・そんなわけないだろ。まゆのすべてを知り尽くすことができたら、それ自体が幸せなんだし。むしろ楽しさも増すさ」
なんて少し臭いセリフを放ち、我ながら若干の気恥ずかしさを感じ、思わずまゆから少し視線をずらしてしまった。
(こういうことにも慣れてきたつもりだったんだが・・・変に周りの視線を意識しちゃってるからか余計に恥ずかしいな)
まゆ「うふ、そうですかぁ」
まゆは聞きたかったことが聞けて満足したようで、ニコニコと上機嫌な笑顔を見せた。
中途半端だけどここまでにします
正直デートシーンが書くの一番キツイっす
まゆにチラと目で歩き始める合図をして、集合場所だったショッピングモールの入り口から手を繋いで入っていった。
モバP「まゆの服を見た時から思ってたけど、なんか初デートを思い出すな」
まゆ「ええ、そうですね。付き合ったばかりで、ずっとドキドキしていた覚えがあります」
まゆは少し照れくさそうに、俺と手を繋いでいない右手で自分の頬に触れた。
そんな可愛らしい仕草にあてられて、思わず少し手を引いてまゆとの距離をより近づけた。
するとまゆは一度手を解いて、腕を組むようにして、その先で手を繋いできた。
より密着度が上がる形となって、より俺の体温が上がるのがわかった。
それから俺たちは色んな服屋をなんの目的もなしに回っていった。
いくつもの店に入っていってはまゆが俺に似合う服を持ってきて、俺が試着すると満足そうに笑うまゆを見る。
そんなことの繰り返しだった。
逆に俺がまゆへ服を持って行くと、俺が選んだ服なら、とまゆはすぐに買おうとするので闇雲にお金を使わせるのを止めるのが大変だった。
本当は買ってやりたかったのだが、俺のちょっとした野望のためにお金を貯めておきたかったので我慢した。
物を贈る側の俺が『我慢した』というのも不思議な話だが。
まゆ「ジュエリーショップもあるんですね」
不意にまゆが止まったので、気付かず歩いていた俺は腕を引き寄せられた。
モバP「へえ・・・見てくか」
まゆ「見るだけ、ですけど」
まゆはそう言うと笑ってみせた。
その店の雰囲気はどこか厳かな感じがして、店員の一人一人が背筋を綺麗に伸ばし落ち着いた佇まいでいた。
こちらを見ると静かだが通った声で『いらっしゃいませ』と一言告げた。
(まゆには少し早い・・・か)
店に入って思った感想はこれだった。
勿論まゆは子供っぽいわけではなく、歳の割には落ち着いた大人のような振る舞いをしているとは思った。
それでもまだ時より歳相応の反応を見せたり、見た目もまだ成長途中なところもあった。
そんな俺の考えと反して、まゆは光を放つジュエリーの一つ一つに目を惹かれているようで、ゆっくりと展示品を見渡していた。
(まあ、女の子は憧れるもんだよな)
女性と多く対面する仕事をやっていても女心はちっとも身につかない俺ではあるが、それくらいは流石に理解できた。
女心が身につかないのは自身の他人への向き合い方が1つの要因ではないかと怪訝な声が脳内に流れたが頭の片隅に置いておいた。
モバP「いい感じのあった?」
まゆ「いえ、大丈夫です」
(『大丈夫』か・・・)
俺が聞くとまゆはまた笑ってみせた。
まゆ「次の店に行きましょうか」
まゆは俺に心中を悟られまいとしてか、次の店へ急いだ。
俺はまゆに腕を引かれながら脳内で通帳を記憶の限り展開した。
その後は夕食を済ませ、少し歩いて海が一望できるような公園へ来ていた。
時刻はとっくに21時を回っていて、人影が微かに見えたが辺りは静寂に包まれていた。
まゆ「ショッピングをするのも楽しいですけど、こうして二人でゆっくりするのもいいですね」
まゆは俺と繋いだ手を軽く見て、もう一度俺の目に視線を戻しながらそう言った。
まゆ「ショッピングといっても何も買いませんでしたけど」
まゆは苦笑しながら言った。
俺は心のなかで『まゆはな』と突っ込みを入れた。
自分のバッグの中にあるものを思い出して、心臓がエンジンをかけるように高鳴り始めた。
(俺こういうの絶対向いてないと思うんだけどな)
心の中で弱音を漏らし、額に浮かんだ汗をまゆと繋いでいない手で吹いた。
(さり気なく・・・さり気なくだ)
そう自分に言い聞かせていたが余計に意識して緊張に拍車がかかるのを感じて、自分の不器用さに少し苦笑した。
何も考えず、ありのまま渡すのが一番かもしれない。
まゆ「まゆの顔をじっと見て・・・どうかしましたか?」
まゆはニコリと笑ってそう言った。
俺はその目を見て、覚悟を決めた。
無言でバッグを開けて、一番上に置いていたそれを左手に取り、右手でまゆの手の甲を掴んで、掌が上を向くように回した。
その上に、お洒落に包装された小箱を優しく置いた。
まゆ「これって・・・?」
まゆは不思議そうに小箱を見つめていた。
モバP「これは、プレゼント」
緊張していた割に上手に震えた喉は、ハッキリと俺の伝えたい情報を発した。
多少はこういう行為にも慣れてきた、といったところだろうか。
少しぶっきらぼうになってしまったのは愛嬌ということで。
まゆ「あ、開けてもいいですか?」
まゆは恐る恐る小箱に触れて、そう言った。
モバP「もちろんだ」
慎重に、小箱の開封を始めるまゆ。
少しずつ開いていくと、まゆの表情は驚きと喜びを混ぜたような顔に変わっていった。
まゆ「これ・・・」
まゆは感動を言葉にできないといった風で、必死に顔を俺に向けてきた。
だから、俺が代わりに言葉にした。
モバP「それ、ほしそうに見てた指輪だよ」
まゆは目を、この夜を照らしてしまうんじゃないかと思えるほど輝かせて、もう一度指輪を見た。
まゆ「で、でもこれ・・・結構しましたよね」
俺を気遣うように恐る恐る上目遣いでこちらを見た。
確かに、ある程度の値段はした。
しかも自分の分も買ったので、簡単に割り切れる値段とはいえない。
実際俺の野望のための貯金を軽くひっぱってきたので、今後はもっと頑張らなくてはな、と思った。
だが、ジュエリーショップで一際目を輝かせてこの指輪を見るまゆに気づいたとき、どうしても買ってやりたいと思ってしまった。
俺に気を遣って『欲しい』と思っていることを悟られないようにすぐに店を出ようとしたところを見て、なおさら気持ちは固まった。
モバP「・・・ほら、手を」
俺はまゆの言葉には答えず、まゆの手の平の上の小箱を一度俺の手に収めて、まゆの左手をとった。
小箱の中から指輪をそって取り、薬指へ滑らせるようにはめた。
まゆは右手で自分の口を隠すようにしながら、目を潤ませて喜びを表していた。
指輪をはめ終わると、まゆは勢い良く俺の胸に飛び込んできた。
この姿を、喜ぶまゆを見て、本当に良い買い物をしたものだな、と満足そうに口を緩ませた。
まゆ「うふ・・・ありがとうございます」
俺の胸に頬をこすりつけるように抱擁をするまゆはそう言った。
まゆ「よくまゆが欲しい指輪がわかりましたね」
モバP「ああ、当然だろ」
モバP「俺はまゆの考えてること、わかるからな」
偉そうに言った。
だが、事実俺はまゆの考えてることだとか、ほしいものだとかはわかるようになっていた。
もちろん完璧に思考が読めるというわけではないが。
一緒にいる時間が長いから、まゆのしたいこととかもなんとなくわかってしまう。
(逆にまゆも俺の考えてること、わかるのかもな)
そうしたら、この指輪のプレゼントもサプライズじゃなくなってしまう。
それはそれでまた困ったものだと思い、また苦笑した。
まゆ「じゃあ、いままゆがしてほしいこと、わかりますよね」
まゆは艶めかしく笑った。
(ああ、わかるさ)
俺はそっとまゆの頬に手を当てながら、優しくとろけるような口づけをした。
部長「・・・これは」
翌日、部長はAと対面していた。
昨日のように部長がAを呼んだわけではなく、Aが『話がある』とのことで自主的に部長の元へ来たのであった。
部長の手には数枚の写真が握られていた。
そこに映るのは一組の男女だった。
大人っぽい服装と、おさげの見え隠れする帽子を被った女性と、大した特徴のないスーツの男性が笑っていた。
部長「モバPくんと・・・」
A「佐久間さんです」
部長は変装したまゆに気づかず怪訝な表情を浮かべていたところを、Aが言葉を次ぐように言った。
部長はこの写真が意味することを察して、静かに唾を飲み込んだ。
次ちょっとA視点入ります
あんまりAに重点を置きたくないんですが都合上
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
10月25日、日曜日。時刻は16時半頃。
本来仕事はなく一日休みだったはずだったのだけれど、私は事務所に来ていた。
部長に呼び出されたから。
何もやる気がまるで沸かなかったから、ぼーっと何もない一日を過ごしていたかったのに。
なんでこんな夕方に呼び出したのか。
午前からずっと家に篭っていたため部屋を出るのが億劫だった。
もちろん、家に篭っていたことだけが原因ではないのだろうけど。
呼びだされた理由はどうせ昨日のライブのことだろう。
あんな風に醜態を晒した私を叱るつもりなんだろう。
そんなことを考えていると、自然と足取りは重くなり、心臓は鼓動を早めた。
・・・また、昨日のことを思い出してしまう。
考えたくないのに、忘れたいのに、脳が勝手にあの嫌な映像の再生を始める。
*
自分の2つの脚を絡ませ、転倒。
強く握っていたはずのマイクは私の元を去るように勢い良く手から滑り落ちた。
音を大きくするはずのマイクは地面との衝撃音を会場へ木霊させることはなかった。
機能させてなかったから。
コロコロと転がるマイク。
私の口元からとうに離されてるのに、会場には私の歌がこれでもかと響き渡っている。
時が止まったように感じた。
(え・・・・嘘っ・・・)
頭の中で、どうにかしなきゃと考えても、身体が神経を切られたかのように動いてくれない。
空いた口を閉じることすらできなかった。
停滞した思考の中でも、視線は痛いほど感じた。
観客、目の前にいる、たくさんの。
後ろ、横に立つアイドルたちの。
舞台袖にいる、彼の。
皆の視線を欲しがって、アイドルを始めたのに。
今はこんなものいらなかった。
(一生懸命やってきたのに・・・なんで私がこんな・・・)
*
「なんで私ばっかりこんな・・・」
ひとたび回想を終え、とっさに胸を抑えた。
肋骨を砕くんじゃないかと思うほどに暴れる心臓を落ち着かせたくて。
冷えた汗が額から顎先へ垂れていく。
目が余計な水分を出して、視界をかすませる。
袖で軽く拭って、より重くなった足を進めた。
壁に手を当てて、おもすぎる身体を支えながら歩き、時間をかけながらも、部長がいる部屋の前についた。
今の私に何を言うつもりなのだろうか。
これ以上責められてしまうのだろうか。
私は十分苦しんだのではないのでしょうか。
憂鬱な思考で頭を重くしながら、ドアにノックをし、ドアノブに手を掛けた。
手汗で滑って、5センチ程度だけドアが空いてしまった。
掌を拭ってもう一度開け直す。
「しつれいします・・・」
掠れた声が空気を伝った。
歌を仕事にしているものとは思えないほど、荒んだ声だと自分でも感じた。
それを聞いた部長は酷く険しい表情で座っているように見えた。
「怒られる」と思った先入観のせいでそう見えただけかもしれないが。
部長「日曜日だというのによく来てくれたね」
部長は姿勢を変えずに口だけを動かしてそう言った。
私は何も言えずに、頷きだけで返した。
態度悪く反応したようにみえるのだろうが意図してそうしたわけではなく、状況に怯えて声がうまく出せなかった。
部長「本日呼び出した理由は、君のアイドル活動について話したかった。ライブという小さな区切りを終えて気持ち新たに明日からまた仕事に励むわけだが、より君が成長できるように助言をしたくてね」
部長は穏やかな口調ではあるものの、表情は張り付いたように変わらなかった。
「アイドル活動について・・・」
ゆるやかに回る頭は部長の言葉の真意を捉えかねて、オウム返しをすることしかできなかった。
部長「君が気づいているかいまいかわからないが、私は以前からよく君たちアイドルのレッスンや仕事ぶりを密かに見学させてもらっていた」
少し、心臓の音が和らいだ。
昨日をことを言及されるわけではないのではないか、という希望的な疑念が浮かんだからだろうか。
部長「これは先程、モバP君とも話したことなんだが・・・最近、君は少しやる気がないというか、仕事やレッスンに身が入っていないんじゃあないか?」
和らいだ心臓の音はまた忙しい音を上げ始めた。
頭に血がのぼっていくのがわかった。
視界が少し暗くなる。
両手は無意識に握りこんでいた。
掌の肉が爪の間に食い込んでしまうのではないかと思えるほどに。
(やる気がないって・・・)
(私がどんな気持ちで――)
(私の気持ちもわからないくせに偉そうに―!)
「なんで、ゎたしばっかり――」
蝿の羽音にすらかき消されそうな声で、怒りは私の口からこぼれた。
部長「少し前までの君は、もっと目に光が宿っていた。アイドルとして輝くものが確かにあって、中でも踊りは、まだまだ詰めるところはあったものの、確かな実力を秘めていたと思う」
部長の言葉が、酷く耳の中で打ち鳴らされる。
キンキンと響き渡って耳障りだ。
部長「だが、最近の君はどこか目が虚ろで、以前の様な力強さを感じない。君に何があったのかは計り知れないが、明らかに気力が減っている」
(――私が悪いの?)
力を込めすぎた手が震える。
唇を噛む。
怒りが暴れだすのを必死でこらえる。
部長「もしも、何か悩みがあるなら――」
悩みならたくさんあります。
部長「――彼に相談するといい」
でも、相談できる相手なんて――
部長「彼はきっと、君の力になってくれるだろう」
(彼って・・・?)
部長「モバP君は優秀なプロデューサーだからね。」
―――いない。
部長は自分の言ったことに何一つ疑問を覚えていないようで、私の目を真っ直ぐ見つめてくる。
何故、アイツは部長からこんなにも信頼を得ているのか。
これまで私が上げた功績はすべて彼のものなのでしょうか。
もちろん、すべて私一人のちからで得たとは言いません。
でも、なぜこんなにも――。
何故、私がやる気がないなどと言われなくてはいけないのでしょうか。
私は一生懸命やっているんじゃないでしょうか。
やる気が減ったっていうならそれは彼のせいでしょう。
私がどうこう言われる筋合いなんてないんじゃないでしょうか。
彼が私を見てくれないからこんな――。
彼が私を・・・。
(・・・)
「私――」
口が、勝手に動く。
彼が評価されていることに腸が煮えくり返りそうで、その怒りに支配されてしまったんだと思う。
「モバP、アイツ、あの人は――まゆばっかり見てっわたしなんて―――まゆが、あの人がまゆを特別扱いするからわたしは――」
しかし、ぐちゃぐちゃに沸騰した脳は言葉をうまく紡んでくれない。
部長「佐久間君は今が大事な時期だ。彼はそれをわかっている故の行動をとっている。君もわかってやってくれ」
(ちがう)
(彼は、まゆを愛しているから、まゆを特別扱いしているんだわ)
(私は、愛してくれないから、私を見てくれない)
(彼にとって私は、ただの知り合いAでしかない)
ぐらぐらと揺らされた脳は言葉を生成しようにもおぼろげで、私の気持ちは部長には全くとどいてくれませんでした。
(なんで)
「――ぅぅううっ!」
頭をぐしゃぐしゃにかいて、そのまま抱える私。
声にならない声が喉を突き破る。
頬を溶かすように熱いしずくが目から流れる。
(ああもうなんでなんでわかってもらえないの)
部長「落ち着くんだ、A君」
部長が私の肩を抑えようと歩み寄る。
なにも理解してくれないくせに、私に歩み寄る気でいるそれが酷く不愉快で、気づけば私はその部屋を走りででいた。
(ムカつくムカつく)
「ふぅ――ふっ」
荒れる呼吸は収まらず、あふれる涙も枯れず。
日曜ということも相まって人通りの少ない通路で私は膝を抱えていた。
「なんで部長はアイツばっかりアイツばっかり、私のことも見てよ考えてよなんでなんで私があんな言われなきゃいけないのアイツが一番悪いでしょどう考えても私は・・・」
「レッスンだって・・・そんなつもりないし、頑張ってるつもりだし」
『つもり』だった。
本当に仕事に打ち込んでいる、と断言できない自分もまた、憎かった。
それはきっと、やる気の出せない自分も確かに存在することを確かに認めてしまっていたからだ。
自分にも非があるのは怒りはあるものの理解はできた。
だがモバPに非がないと言わんばかりの扱いに果てしない怒りを感じていたのだ。
モバPは明らかに、私とまゆに対して扱いを変えているのだ。
私と話すときの彼は、視線は私の目を見ているようでいて、私を見てない。
まるで私を透かして背後の光景でも見ているようだ。
感情のこもらない笑顔、適当に取り繕われた褒め言葉。
私に与えられるのはそんなものばかりだった。
対してまゆには無償の愛、心からの賛美。
仕事も本気。
(これって嫉妬してるの?私がアイツに)
(いや、それはないでしょ。私はとっくにアイツのことなんか・・・)
(じゃあなんでこんなにイラつくのよ)
自分の感情の細部が自分でもわからないことが、より怒りの炎を強くする。
このわかりやすいようでわけのわからない怒りをぶつけたい。
(でも、どうやって・・・)
「まゆとの関係を暴いちゃえばきっと・・・でも付き合ってる証拠もないし・・・でも、絶対付き合ってると思う」
「証拠もない・・・」
「なら、証拠があれば・・・」
怒りの炎は圧縮され、一本のろうそくのように静かに燃えている。
だがその火は決して消えることはない。
やるべきことを見つけた私の脳は、どす黒い感情を保ったまま機敏に回転を始めた。
(さっき部長は「先程モバPと話した」って言っていたはず・・・なら、今日もアイツは来ているはず)
羽のように軽くなった足取りで、私はいつもの事務室へ向かった。
必ず彼に痛い目を見させてやる、そういう考えが私の全身を支配していた。
――――――――――――――――――――――――――――――
そうして彼らの幸せなデートを尾行して、撮影した写真が今部長の手に握られている。
さすがに証拠を出されては部長も彼を擁護することなどできないだろう。
彼の今後受けるであろう悲劇を想像すると胸が踊る。
部長「しかし・・・これは本当に佐久間くんなのか?」
部長は信じられない、という顔だった。
どこまで甘ちゃんなのだと思った。
「ええ、そうです。背格好も全く同じです」
私の中では確信していた。
だから自信満々にそう語った。
部長「・・・化粧の仕方も違うし、服装も普段の彼女よりおとなしめだし、帽子で髪型もわかりにくい・・・顔も鮮明に見えない」
部長は自分で不安要素を掻き消すように言い聞かせている。
部長「にわかにも信じられない・・・」
何を言っているのだか。
僅かに見える髪色も同じではないか。
お前の目は節穴か、とまくし立てたくなる気持ちを抑える。
部長「だが、これが佐久間君である可能性を100%否定することはできない」
部長は苦虫を噛むような表情でそう言った。
私はその言葉を聞いて、山にかかった霧が一気に払われるようなそんな気持ちだった。
続きが早く聞きたい気持ちを抑えて、何も言わず部長の次の言葉を待った。
部長「・・・情報、感謝する。対応はこちらで行うから、君はこのことは頭から追いやるように」
部長は今後の指針はくれず、部長一人で対応を決め執り行うようだ。
当然なのだがそれでも彼がどういう扱いになるのかが知れずむず痒いような気持ちになった。
だが、今の部長の返答からして良い扱いを受ける可能性はほぼないと言っていいだろう。
私は緩みそうになる頬を必死に隠して、神妙な面持ちをするように努力した。
いかにも、『モバPさんがあんな人だったなんて!』と言いたげに見える様な表情を意識した。
役者としての経験の積み重ねはまだ少ないが、演技には多少自信があった。
部長はそれから口を開くことはなく、私は続きを聞くのを諦めてこの部屋を出た。
その時の私の表情は、酷く歪んでいて、アイドルとはとても言えないものだったことだろう。
A視点終了です
思ったより長くなってしまいましたが次からモバP視点に戻ります
まゆとのデートの翌々日、俺は再び部長に呼び出された。
こうして頻繁に呼び出されると、こちらとしては心臓に非常に悪いので辛かった。
なにせ、心当たりがありすぎるからだ。
重い足取りで廊下を歩いていた。
何を言われるのか不安だ。
目前に迫りつつある恐怖から今すぐ引き返してまゆにハグでもしたかった。
だがそうは言っても部長は上司だ。
呼び出しを無視するわけにもいかなかった。
自分が被告人として裁判へ赴くような気持ちであった。
そんなことを考えていると、重い足取りだったにも関わらずあっという間に目的地へとついてしまった。
一息吐き、神妙な面持ちで部長の部屋の扉を叩いた。
扉の中からの返事を聞き、覚悟を決めて中へと入った。
部長「忙しい中、そして疲れているであろう中呼び出してすまない」
いつものように座る部長はどこか陰のある顔で、俺を出迎えた。
その顔を見た時、嫌な予感が脳を走った。
部長「―――単刀直入に言おう。これに、見覚え、というよりも・・・心当たりはないだろうか」
身構える俺に向けられたのは、数枚の写真だった。
耳鳴りが頭の中で頭蓋骨を叩き鳴らすように響いた。
これは見てはいけない、そう俺に警笛を鳴らすようだった。
震える手を伸ばして写真を取った。
恐る恐る目を向けてみると、そこには昨日の俺とまゆが写っていた。
一番上にある一枚を見つめる。
撮影者は隠れて撮ったのであろう、顔は見づらく僅かにボヤけて写っているが、手を繋ぎながら幸せそうに微笑んでいるのはわかった。
(は・・・?なんでこんなのが)
一枚、めくった。
次に眼に入るのも幸せそうに微笑む二人。
もう一枚、もう一枚。
頭の中を空っぽにして、ただ機械のように写真をめくった。
これ以上見たくはなかった。
だが、思考を取り戻せないでいた頭は無意識にただ写真を確認する作業をとり続けていた。
暫く無心に写真を眺めていると、少しずつ思考が帰ってきた。
そして同時に、世界が凍りついたような寒気を感じた。
寒気、悪寒だ。
ここから、俺の人生の何かが変わる、そういう確信があった。
部長「・・・君と佐久間くんは恋愛関係にあるのだろうか」
少し間を開けて、部長はそう俺に問う。
(どうする・・・どう答えれば・・・)
もう、どうしようもないとはわかっていたが、素直に認めることはできなかった。
まだ何か手はないか。
必死で頭を回す。
(ていうかあの写真はどうやって・・・)
(いや、今はそんなことよりと、とにかく否定するんだ・・・一回落ち着け・・・)
モバP「い、いえ。決してそんなことは・・・そ、それに・・・この写真はまゆじゃあ・・・」
『まゆじゃあない』と言おうとしたが、口が動かなかった。
くだらないことに、まゆであることを否定したくなかった。
それは彼女に対して真摯な向き合い方と言えないような気がして。
そんな呆れた恋愛観が自分を苦しめるのは明白だったのだが、それでも、それがわかっていても俺は言い切ることができなかった。
部長「・・・この女性は、佐久間君ではないと?」
部長はそんな俺の言葉を継ぐようにそう言った。
俺はそれに対して、無言を返すことしか出来なかった。
部長「たしかに、佐久間君とは別人のようにも見える。化粧の仕方も、髪型も、服装の種類も全く違う」
その言葉を聞いて、俺は期待に目を見開き部長を見た。
部長「だが、佐久間君ではないと完全に否定できる材料には足らない」
自分の眼の色が、希望から絶望へ変わるのを感じた。
部長「・・・佐久間君が変装している、と言われればそう見えるのだよ。背格好も、わずかに見える髪色も同じだ」
シークレットブーツでも履かせておくべきだったか、と場違いな後悔をした。
掌が汗でどんどん蒸されていった。
部長「それに、千川くんにも君たちの様子を聞いてみたんだが・・・まあ、こちらも良い事は言っていなかった」
めまいがしているように、視界が眩む。
不意に重力が強まったのではないかと思えるほど身体は重くなった。
そして船の上で波に揺らされるような感覚がした。
部長「・・・君を疑っているわけでは・・・疑いたくはないんだ。だが私には材料が足りない。佐久間君と君が恋人関係にあるということを否定する材料が」
部長はつらそうに眉間を抑えた。
その仕草を俺はまるでくだらない3流芸人でも見ているかのように呆然と視界に入れていた。
部長「ともかく、私は問題が起こるのを避けたい。スキャンダルなどが発覚してからでは遅いのだ。だから、君に命じる」
自分を抑えこむように一度強く咳払いをして、こちらに真剣な眼差しを向けてきた。
俺はまだ、呆然と立ち尽くしていた。
立ち尽くすことしかできなかった。
部長「佐久間君の担当から外れなさい」
言葉の意味がわからなかった。
俺の意識が世界を置き去りにしたかのように、時間が停滞したように感じた。
部長は表情を変えずに固まっていた。
本当に時間が停止しているのではないだろうか。
(いや、そんなことじゃなくて・・・)
(は・・・?)
世界が俺の意識に追いすがってくるにつれ、今言われた言葉の意味を理解してきた。
自分の首から上から血がどんどん引いていくのがわかった。
視界は白黒と点滅している。
平衡感覚がなくなったように自分がまっすぐ立てているのかもわからなくなった。
(まゆのたんとうからはずれる――?)
モバP「・・・待っ」
何か言おうとした俺は部長との距離が机を挟んだだけの位置にまで近づいていたことにようやく気づいた。
俺は無意識に足を動かし、部長のもとへ歩み寄っていたのだ。
自分の行動に意思が追いつかなくて、パニックになった。
それでもなにか、なんとかしなくてはとだけ頭の中でグルグル踊っている。
モバP「ま、まゆは・・・今大事な時期にあります!先日のライブなどを通して成長を、その・・・実力をつける時期にあります。世間の知名度もあがってきているし、間違いなく今、今が重要な時期だ。お、俺はまゆの信頼を得てます。いきなりプロデューサーを変えられてしまってはまゆは大きく戸惑うはずです!混乱は免れない。だから・・・」
白熱した頭はただ闇雲に舌を回した。
自分でもほとんど何を言っているのか認識していなかった。
身振り手振りも自然と激しくなっていき、しまいには部長の机を叩きかねないほどにヒートアップしていた。
そして俺はそれにも気づく余裕もなかった。
部長「百も承知だ。多少の混乱はあったとしても、下手に問題のたねを残すよりもマシだと私は考える」
火に油を注いだように熱くなる俺に反して、部長は冷静の一言だった。
俺の熱を冷ますように冷たい視線を浴びせてきた。
モバP「し、しかしっ」
部長「・・・そこまで執着することなのかね」
その一言は俺に氷水を振りかけるような威力だった。
俺は口を大きく開いて停止してしまった。
自分のとった行動の意味を悟った。
(こんなに熱くなったら・・・逆効果に決まってるじゃないか。まゆとの関係を強く疑われるだけだろうが)
もはや為す術なんてなかった。
俺にできることはなるべくこちらの被害が小さいうちに退くことだったのだ。
部長の命令は間違ってはいない。
アイドルにスキャンダルはご法度だ。
そういう問題を事前に避けるために、疑わしきは罰するべきなのだ。
それに、まゆをプロデュースするのは俺でなければいけない理由もなかった。
俺は特別な能力を持っているわけでもない。
経験豊富とも言えない。
ようするに凡夫な、代わりのきく、うちの事務所に男人も存在する中堅プロデューサーの一人でしかなかった。
部長からすれば、まゆとの関係を100%否定できない俺はさっさと担当を変えて、代わりに同レベルのプロデューサーをまゆにつければいいだけの話だった。
まゆは逸材だ。
業界関係者の誰から見ても、明白だ。
逸材だからこそ、常識のある中堅クラスのプロデューサーなら担当者が誰であれ力を伸ばせるはずだ。
一級品の宝石は誰の手にあっても輝き続ける、そういうものだ。
もちろん、管理の仕方もわからない無知の初心者の元にあっては、輝きもくすんでしまうかもしれないが。
部長から見れば、以上のようにまゆは誰が担当しても大丈夫なのだろう。
だが、俺は決してそうは思えない。
まゆは宝石ではなく、一人の人間だ。
感情がある。
まゆは俺が担当から外れることを嫌がってなんらかの抵抗を見せるかもしれない。
仕事に熱が入らなくなってしまうかもしれない。
いや、間違いなくまゆのコンディションは悪くなるだろう。
俺にはわかりきったことだった。
だが、そんなことを言ったところで状況が悪化するだけだ。
『まゆは俺のことを愛している』と言っているようなものだ。
下手を打てば俺はクビになり、まゆとの今後の生活に悪影響を及ぼすだろう。
それに収入源を失えば俺の密かな計画も崩れてしまう。
ここはただ引き下がるしかなかった。
モバP「―――っわか、りました」
部長「もちろん君の言い分もわかる。急な変更は混乱を招く上、担当となるプロデューサーもそうすぐには用意できまい。だから数日から数週間は君が担当のままだ。詳細はまたのちほど伝える」
もはや部長の言うことは禄に頭に入ってこなかった。
ただ今はまゆにどう伝えればいいのか、まゆはどんな反応をするのか、まゆの悲しむ顔を見たくない、でも悲しんでは欲しい。
そんな風にまゆのことばかり考えていた。
部長「それから・・・A君も、担当を変える。どうも様子が変でね。君とは合わないのかも知れない」
部長は俺にお構い無く言葉を続けた。
当然だ。
部長はもう俺のことを見ておらず、じっと下を見つめていた。
その表情はどこか悔しげにも、悲しげにも見えた。
(なんで部長がそんな顔をしているんだ)
以前言っていた、俺に『期待している』というのは本当だったのだろうか。
俺はただ母のコネで入社して、漠然と仕事をしていただけだ。
確かに淡々と仕事はこなしていたと自分でも思うし、下手な失敗もしたことはなかった。
だが俺はこの仕事に熱意など一切なかった。
ただ、日常で趣味もなく、時間を持て余した俺はこの仕事しかやることがなかっただけだ。
そんな俺を本当に信頼してくれていたとでも言うのだろうか。
(・・・)
俺は彼を裏切ったことになるのだろうか。
漠然とそんな思考が頭をよぎった。
だがそんなことどうでもよくて、またまゆのことを考える俺だった。
デレステの方でランキグ報酬にままゆ来ましたね
壁ドンされてるままゆ最高に可愛いです
部長との話を終えた俺は呆然と事務室へ足を進めた。
まゆへどう伝えるかに頭を抱えた。
どう伝えてもまゆが悲しむのは決して避けられないのは明白だった。
だがそれでもどうにかしてまゆの悲しみを少しでも減らす方法を考えた。
もちろん、そんな名案めいたものは浮かばなかったのだが。
(待て・・・)
エレベーターに乗り、到着を待っているとふと疑問が浮かんだ。
(あの写真、一体誰が撮った・・・?)
さっきまで白熱したり急激に冷めたり忙しかった脳内は、少し落ち着いたからかようやく出てきて当たり前の疑問を浮かばせた。
もしもそこらのパパラッチだとしたらまず部長の手に写真は渡らないはずだ。
そんなことせずに雑誌に載せるのが当然だ。
部長の手に渡ったことからまずこの事務所の関係者が撮影したということは確実だ。
そこでやはりあの人物の顔が浮かんでしまうのは俺の性格が悪いからだろうか。
(Aが俺に、俺たちに嫌がらせでやった・・・とかか?)
今思えばデート中、視線を強く感じることがあった。
ただ堂々とイチャイチャしていたせいで暇な主婦達の視線を買っただけかと思っていたが、それはカメラを持った何者かの視線だったのか。
(クソッ、注意が足りなかったんだ)
左手で乱暴に頭を掻いている俺をなだめるようにエレベーターがベルを鳴らし、事務室のある階へ着いたことを知らせた。
事務室へ戻るとこちらに気づいたまゆが歩みよってきた。
胸元にはネックレスのチェーンがぶら下がっており、その先は服の下に隠れていた。
先日まゆに買ったペアリングだが、流石に堂々とつけるわけにもいかず、チェーンを通してネックレスにすることで身に着けていた。
俺も同じようにネックレスにしているが、無論ワイシャツのの下に隠れているので、まゆとお揃いであることも露見せず他人に怪しまれることは無い。
まゆ「おかえりなさい。その・・・部長とのお話、どうでしたか?」
まゆは心配そうにこちらを上目遣いで見てきた。
先ほど俺が部長に呼び出された時は不安そうにしていたので、きっと話し合いの最中も落ち着かなかったことだろう。
(どう伝えるべきか・・・)
結局考えてもわからなかったので、そのまま伝えることにした。
身が削れるような思いで、重い口を開いた。
モバP「その・・・驚かないで聞いてくれ。俺は、まゆの担当から外されることに・・・なった」
まゆは目を見開いて、両手を口に当てて驚いていた。
まゆ「そんな・・・ど、どうして?」
モバP「・・・大きい声じゃ言えないけど・・・この前のデート、事務所の誰かに見られてたみたいだ」
部屋の奥にいるであろうちひろさんやAに聞かれないよう小声で耳打ちした。
するとまゆはますます驚いていた。
まゆ「でも、変装もしていたのに・・・」
モバP「・・・それでも、まゆに見えなくもないから・・・不安の種は取り除いておく、という話らしい」
声のトーンを落としていくまゆに釣られるように俺も声を重くした。
自然と拳を強く握ってしまった。
まゆは呆然とした様子で下を向いていた。
(こんな悲しそうな顔・・・させたくなかった)
普段は俺といる時はいつも楽しそうな顔で、こちらに笑顔を向けてくれる。
どんなときも、俺のそばにいる時は笑顔だった。
それがこのザマだ。
(俺がもっと・・・気をつけていればこんな・・・まゆが悲しむことはなかったのに)
自己嫌悪の感情が胸の奥から湧き出てきた。
自分をどうにかして殴り飛ばしたい気持ちでいっぱいになった。
二人で沈んでいると、カツカツと奥から足音が聞こえてきた。
ちひろ「プロデューサーさん。戻ってきていたんですか」
緑の事務員がこちらを見て言った。
その声は平坦で、まさに事務的なものだった。
ちひろさんの態度は例のライブの日からずっと辛辣なままだ。
全く辛くないといえば嘘にはなるが、気にしないようにしていた。
だが、俺もAにこのような態度をとっていたのだろうか、と少し考えてしまった。
(ちひろさんとAにも、伝えなきゃな・・・)
モバP「その、お話があります。Aも呼んでもらえますか」
モバP「一言でいうと、俺は、まゆとAの担当から外れることになりました」
Aとちひろさん、まゆと事務室のテーブルを囲み、そう切り出した。
まゆは悲しげに俺を見つめていた。
Aはただただ俺の話を聞いているだけで、そこに感情の変化は読み取れなかった。
ちひろさんはどこか寂しそうな顔をした。
彼女の感情の変化を見たのが久しぶりのような気がした。
モバP「色々と事情があって・・・詳しくは話せないんだが、部長の意向でそうなりました。次の担当が見つかるまでは俺が担当するけど・・・多分長くても2週間後には確実に変わってると思います」
なるべく何も考えずに、ただ淡々と伝えることを意識した。
自分の言っていることを意識したら、また頭が熱くなりそうで。
モバP「・・・質問は、ありますか」
その俺の問いかけは事務室を虚しく響いただけで、誰も問を発さなかった。
そしてそのまま静かに俺の報告は終わり、各々が私事へ戻った。
ふと窓の外を眺めると、季節外れの大雨が地面を窓を叩いていた。
事務室の空気はその後もずっと重圧感を強めたままだった。
それはもちろん、先ほどの報告のせいもあるが、それ以上にその後の出来事が一番の原因だと言える。
俺が皆に担当変更の報告を告げたすぐあとのことだ。
Aが珍しく俺の顔をまっすぐ見て、活き活きとした声でこちらに声をかけてきたのだ。
『まゆちゃんの担当から外れちゃって、残念でしたね』
俺は数秒間動くことができなかった。
肉体的にも精神的にも。
一瞬おいて目の前の女が発した言葉と感情を理解した。
俺を嘲笑っている。
俺が苦汁を舐める様を見て喜んでいる。
見下したような目をこちらに向けている。
勝ち誇った表情で、いやらしく。
ハッキリと感じた。
あの写真を撮ったのはコイツだ。
コイツが俺を陥れるためにやったのだ。
モバP「お前ッ!」
視界が真っ赤に点滅した。
意識が自分以外に乗っ取られるような感覚がした。
気づけば俺は怒鳴りをあげながら一歩ずつAの元へ迫っていた。
Aの表情は先程の嘲たものから一変して、凍土のように凍りついたものになっていた。
驚きで凍りついたわけではなく、心底冷えきった表情だ。
そのこちらの怒りを逆撫でするような表情にますます俺の血液は温度を上げた。
横目で自分の右腕が振り上がっているのが見えた。
このまま、これでAの顔面を――。
ちひろ「ちょ、ちょっとプロデューサーさん!何しようとしてるんですか!?」
甲高い声が頭を割った。
一瞬で血の気が引いていくのがわかった。
すんでのところで右腕の力を抜くことができた。
あやうく、本当に取り返しの付かないことをしそうになっていた。
ちひろ「今・・・何を」
モバP「すみません・・・ちょっと、熱くなっちゃって。ホント、すみません。少し、頭冷やしてきます」
自分が怖くなった。
まさかAに挑発されただけでここまで正気を失うとは思わなかった。
もしあのまま右腕を振り下ろしていたらどうなっていただろうか。
まゆとの日々はボロボロに崩れ落ちるだろう。
犯罪者として警察に届けられてしまうに違いない。
すんでのところでちひろさんから声がかかって助かった。
素直にそう思った。
(落ち着け・・・これ以上悪い方向に行くことだけは避けなきゃなんないんだ・・・状況が悪くなるのをここでくい止めるんだ)
頭をかきながら事務室を出た。
AはモバPの後ろ姿をいびつな笑顔で見つめていた。
*
ちひろ「・・・一体プロデューサーさんに何言ったんですか」
モバPが退室したため、部屋には女三人が残った。
ちひろはいつもより一層真剣な表情で、Aにそう聞いた。
暗く静寂で、いつもより空気の思い部屋にちひろの声がこだました。
Aは凍てついた表情のまま、ただ担当変更が残念だと伝えただけだ、と答えた。
まゆはいつまでも下を向いたままで、二人のやり取りも一切目に入っていなかった。
Aとちひろのやり取りも途切れ、言葉もなく、人々の動きもなく、息が詰まるような陰湿な空気だけがその場を漂っていた。
*
モバP「クソッ・・・また間違えた」
頭を冷やすと行って一度退室した俺は10分ほど休憩をとって、仕事を再開していた。
戻ってきたころにはAは仕事に、まゆはレッスンに行ったようで重力の増した空間にはちひろさんだけが残っていた。
言葉数も少なく仕事を再開したのだが、作業の手はいつもより遅く、ミスの連発だった。
明らかに心の揺れが仕事に影響を与えていた。
頭を冷やしたつもりだったが、まだまだ平静には程遠かった。
(せめてこれ以上は・・・悪化させちゃだめなんだ・・・)
その一心で自分を奮い立たせていた。
だが、それでも落ち着くための時間が圧倒的に足りない。
そのことに自分自身では気付けていないのであった。
ちひろ「――もう、見てらんないですね・・・」
ちひろ「あのですね・・・担当から外れたからって別に一生会えなくなるわけじゃないんですから・・・そんなウジウジウジウジしないでくださいよ」
書類が吹き飛ぶような大きな溜息をついたあと、少し苛ついたようにちひろさんはそう言った。
俺は鳩が豆鉄砲を食らった心境になった。
(・・・励ましてくれている、のだろうか)
激励されているのかどうかで悩んだところで、別の疑問が俺の脳を叩いた。
モバP「・・・俺を責めないんですか?」
ちひろ「なんでですか?」
モバP「・・・その・・・さっきの言い方だど、俺とまゆが付き合っているの知ってる風だったじゃないですか」
ちひろさんはまた深く溜息をついて、口を開いた。
ちひろ「まあ、私達もなんやかんや長い期間一緒に働いているわけですから。なんとなく察するもんですよ」
呆れたような声で、そう続けた。
ちひろ「それで、さっきのはカマかけてみただけですよ。確信を得たくて。そしたら案の定デキてたんですね」
いつもより少し早口で俺にそう言った。
俺はまんまと引っかかって自爆したらしい。
モバP「それで・・・どう思ってるんですか、ちひろさんは」
ちひろ「珍しいですね、まゆちゃん以外の人の気持ちを気にするなんて。いつも狂ってるほどにまゆちゃんのことしか考えてないのに」
ちひろさんは何かに吹っ切れたように言いたい放題だった。
俺は少し驚いたが、なんとなく先ほどより気持ちが軽くなっていくような気がした。
モバP「・・・」
無言で答えを促した。
ちひろ「ダメですよ・・・あの子はアイドルですから」
モバP「・・・」
(今更ダメと言われてもな)
どういう感想が出るのか身構えた結果これだから少し拍子抜けだった。
ちひろ「でも、仕方ないのかなって、私は思います」
一度目を閉じて、もう一度開いて、まっすぐな眼光で俺を貫いた。
表情はどこか安らかで、嵐のさったあとの晴れ模様の窓からさす後光と相まって聖母のようにも見えた。
ちひろ「さっきも言ったとおり、私達も一緒に働いて長いじゃないですか。Aちゃんがスカウトされたときからずっと一緒に働いてますからね」
確かに冷静に考えるとそこそこやってるな、と感じた。
もう2年近くにはなるだろうか。
ちひろ「まゆちゃんと出会う前のあなたって、時折死んだような表情してましたよ。生きる意味なんてない、みたいな雰囲気でした」
酷い言われようだと思ったが否定できなかった。
まゆと出会う前の俺はなんとなく生きていて、コネで入社したここでなんとなく働いていて。
生きる意味なんて確かになかったと思う。
そんな生きる意味のない俺が自殺しなかった理由があるとすれば、『死ぬ意味もない』からだったのだろう。
生きるも死ぬも大した意味も、境目もない、(正確な意味は違うけれども)半死半生とでも言ったところか。
ちひろ「でも、まゆちゃんをスカウトしたあの日から、なんだか急に目に生気が宿って・・・珍しくやる気だしたと思ったら今度は緊張した面持ちで仕事をするもんだから可笑しかったですよ」
ちひろさんは思い出し笑いをしながらそう言った。
俺に生気が宿ったことを嬉しそうに話していた。
ちひろ「それで、1、2ヶ月したらすっかり緊張も解けた様子でまゆちゃんと和やかに話すもんですから・・・まあその時から少し怪しいなあとは思ってましたよ」
相槌もせずに聞く俺を気にせず、ちひろさんは淡々と話し続けていた。
ちひろ「それからは毎日活き活きとしてるもんですから・・・嬉しかったですよ」
モバP「・・・嬉しい、ですか?」
ちひろ「だって死んだように生きてたあなたが楽しそうに仕事をするんですよ?仲間として、嬉しくなっちゃいますよ」
仲間。
その言葉は妙に重く、俺の頭にのしかかった。
今まで、『それ』を意識してこなかったからだ。
まゆしか見てなかったからだ。
だが、ちひろさんは俺を仲間だと言った。
ちひろさんは俺を見ていた。
ちひろ「・・・だから、まあ付き合ってたとしても、あなたが生きる意味を見つけられたならいいかなって思ってましたよ。最初は」
モバP「最初は・・・ですか?」
ちひろ「ええ。あなたが露骨にAちゃんに対して適当になるもんですから、流石に良い目では見られなくなりましたね」
当然の結果だった。
ただ、一つ疑問に思えたことがあった。
俺は確かにAに対しては適当だったかもしれない。
だがそれはまゆと付き合う前からだったと自分では考えている。
それはただ、自覚なくAへの態度が悪化していたということの現れだった。
ちひろ「もしも、あなたが生きる意味を見つけて・・・それでAちゃんたちにも一生懸命になってたらきっと、あなたの恋愛も認めてたと思います」
モバP「認めるって・・・ちひろさんの許可がいるんですか?」
なぜか自然と軽口のようなものが出た。
俺は自分で驚いて、口を抑えてしまった。
ちひろ「そんなこと言っていいですか?言質が取れたって部長に報告しちゃいますよ?」
俺の仕草には触れず、ニヤニヤと悪そうな笑顔を左手を口に当てて隠すちひろさんだった。
俺はそれを見て、乾いていない笑いが飛び出た。
モバP「・・・あのライブの日から・・・今まで冷たかったのに、なんで急にこんな話をしてくれたんですか?」
ちひろ「・・・せっかく生き返った人が、また死んだような表情してましたからついおせっかいを」
千川ちひろ、彼女は親切すぎる。
彼女との会話を通してそう感じた。
ライブの時、俺に怒りをいだいて、それからずっと陰険な空気で仕事していたのに俺が凹んだらこれだ。
なぜこんなにもお人好しになれるのか全く理解できなかった。
今後はもっと周りと向きあうべきなのだろうか、そういう気持ちが不思議と湧いてきた。
今までこんなこと思ったこともなかったのに、なぜだろうか。
それに、今回のAのような厄介事を避けるためにもコミュニケーションはなるべくとっておくべきなのだろう。
今回の原因はAに対する対応の雑さだとしたら、この過ちを繰り返さぬようにするべきだ。
だから、今後は興味のない相手に対してもなるべくちゃんと向き合う努力をしなければならないのかもしれない。
興味を持とうとしても持てないのはきっと変わらないのだろうけど、せめて興味を持ってるような体裁を保てるように努力しなければならい。
きっとこのままじゃあ、また良くないことが起きる。
そんな、らしくもないことを考えながら、俺は仕事をまた再開した。
なぜだかわからないが、頭はさっきよりも冴えていて、ミスも少なく効率的にこなすことができた。
モバP「・・・今日も疲れたな」
仕事の1日を終え、大きく溜息を吐いたところで携帯が震えた。
ズボンから取り出し、光る画面を疲れた目で虚ろに見てみると、まゆからのメッセージが届いていた。
(『話したいことがあります』か・・・)
案の定担当変更についてだろう。
先ほどちひろさんが言ったように、担当が変わっても会えなくなるわけではない。
だがそれでも会う頻度、時間は必ず減る。
そのことがどれだけまゆに影響を与えるのか計り知れなかった。
なので、一体何を言われるのか少し不安になった。
不安な胸を抑えながら早足で集合場所へ向かった。
まゆ「お疲れ様です、モバPさん」
集合場所は事務所から少し離れた公園だった。
そこへ歩いて行くと、まゆが黄昏れた公園の中でぼんやりと立っていた。
俺が顔を見せると、微笑んでみせた。
その笑顔がどこか陰を帯びているようあ気がして、気持ちが重くなった。
モバP「おつかれ。その・・・話ってなんだ?」
まゆ「・・・モバPさん、まゆの担当じゃなくなっちゃうんですね」
雨上がりの公園に残る水たまりを忌々しく見つめながら、まゆは呟いた。
モバP「・・・ああ、すまない」
まゆ「モバPさんは悪く無いです。謝らないでください」
まゆは健気に笑いながら俺をフォローしてくれた。
まゆも辛いはずなのに、俺は気を遣われてしまった。
まゆ「それで・・・その・・・」
珍しく歯切れの悪い口調で、まゆはつぶやくように俺に話した。
その姿はどこか緊張しているように見えて、その緊張が流れこむように俺も背すじを伸ばした。
まゆ「まゆたち、同棲・・・しませんか?」
とりあえず今日はここまでです
意外すぎる提案に目が点になってしまった。
まゆの目を見つめる。
彼女はどうやら本気で言っているらしい。
まゆ「いや、ですか?」
黙っている俺を見て、まゆは不安げにそう言った。
(わかってるくせにな)
モバP「・・・いやだと思うか?」
まゆ「ふふ、どうなんですか?」
モバP「嫌じゃないよ。俺も同棲したいと思ってる」
実は同棲については以前からこっそり考えていた。
かつて意味もなく貯金していた金にまゆと同棲するという意味を与えた。
まゆ「嬉しい・・・」
ただ、同棲する、と言ったもののことはそう簡単にはいかない。
大きな問題はまゆの年齢と、事務所への対応だ。
まゆの年齢はまだ16歳だ。
彼女の両親の許可なしに勝手なことはできまい。
(ここまで付き合っておいて今更なきもするが・・・)
果たしてまゆの両親は同棲の許可をくれるのだろうか。
モデルや、アイドルに成る時はそれほどまゆの気持ちを尊重してくれたようで、反対はそれほどされなかったらしい。
だが、それとは話が違いすぎる。
そして、事務所への対応。
これはもう事務所を辞めるしかないだろう。
アイドルに恋愛はご法度だ。
同棲すると言い出せば間違いなく処分される。
ならばあらかじめ事務所をやめておくのが最善だろう。
モバP「でも、いいのかまゆ。同棲したらもうアイドルは・・・」
まゆ「ええ、構いません。もともと、あなたといるためにアイドルになったんですから」
まゆは飾らない仕草でそう言った。
その自然な言い方が心から思っていることを表していて、俺は胸があたたかくなった。
モバP「といっても物件探しとかやんなきゃいけない準備もまだまだたくさんあるし・・・暫くは事務所には黙って、アイドルは続けよう」
まゆ「そう・・・ですね。モバPさんの担当から外れちゃったので寂しいですけど・・・がんばってガマンしなきゃ」
モバP「・・・なるべく早く同棲を始められるようにしような」
寂しそうにこちらを見つめるまゆの頭を軽く撫でた。
さらさらとした髪の毛が抵抗なく指と指の間を通って気持ちがいい。
(って、こんなことしてるとまた・・・)
自分のとった行為の危うさを悟ってすぐに手を降ろした。
まゆは寂しそうな顔をしたが、俺の考えていることを理解したようで何も言ってこなかった。
モバP「そうだな・・・2、3ヶ月後には引っ越し開始できるように計画しよう」
まゆ「それまでの辛抱、ですね」
寂しげな顔で目を1度閉じて、ゆっくりと開きながらこちらを見た。
まゆ「まゆのこと、おろそかにしちゃだめですよ」
モバP「うん」
まゆ「寂しくしないでくださいね」
モバP「そりゃあ今よりは会う時間が少なくなるけど・・・それでも寂しくならないくらい愛するから」
まゆ「絶対、ですよ」
モバP「任せろ」
まゆ「それから、新しい担当になる娘と浮気しちゃったらダメ、ですよ」
いたずらっぽく笑ってまゆはそう言った。
(何を馬鹿なことをいっているんだか)
俺は軽く笑って、口を開いた。
モバP「俺はまゆだけを愛してるし、これからも愛し続けるよ」
この日は同棲の細かい計画を練って、まゆを寮へと送った。
その日から1周間ほど経った日、俺はまゆの担当から外された。
俺が今までの事務室から異動し、新しい部屋へと移ることになった。
同じような形と色なのに妙に見慣れない扉を前にして、寂しい気持ちになった。
だが、今後の目的をしっかり思い出して、両頬を叩き気合を入れた。
(部長から、新人アイドルの担当をさせられると聞いたけれど・・・どんな子なんだろう)
(なにがともあれ・・・同棲のためにも頑張らないとな)
モバP「失礼します」
ドアを開けると、小柄なまゆよりもさらに小さな少女が堂々としたポーズでこちらを見た。
「遅いですね!ボクを待たせるなんて・・・全く、このカワイイボクのプロデューサーとしての自覚が足りませんね!」
少女は見下すような目でこちらを見てそう甲高い声をあげていたのだが、身長のせいで全くもって威圧感が足りなかった。
そんな明らかに残念そうな少女を見て、これからの苦労を悟った。
短いけどここまでで
森久保とかよしのんとか好きなキャラにどんどんボイスついてきて嬉しいなあ
「ボクの名前は輿水幸子です!ご存知の通り一番カワイイアイドルです!」
(一番可愛いのはまゆだが)
こじんまりとした少女が胸を張りながら得意げな顔をして自己紹介をしてきた。
モバP「・・・アイドルって・・・まだデビューしてないですよね・・・」
幸子「そ、それはそうですけど。アイドルとしてオーディションで合格したのでボクは立派なアイドルですよ!」
モバP「そう、ですか・・・」
自信満々な彼女の仕草に、俺は終始困惑していた。
困惑と同時に、ただならぬ絶望も感じた。
(こんな子と仕事をしなきゃいけないのか・・・)
幸子「む、聞いてますか?」
モバP「え?あ、ああ。なんだ?」
(いや、駄目だ。適当に接してたらまたAの二の舞いになりかねない。ここは耐えてちゃんとこの子と向き合わなければ)
Aのように恨みを持たれて俺とまゆの人生を荒らされては困る。
そう考えて俺はこの苦行を乗り越え、せめてこの子を担当している間は頑張って向きあおうと思った。
幸子「だから、名前ですよ名前!プロデューサーさんの名前はなんて言うんですか?」
大げさに叫びながらこちらを下から指差す彼女。
モバP「ああ・・・モバPって言います。まあ、さっきみたいに『プロデューサーさん』って呼んでくれれば構わないですよ」
幸子「そう、ですか」
彼女は先程までの大声と一変して、呟くように言った。
その落差に俺は何かヘマをしたのかと焦った。
モバP「ど、どうかしましたか?」
幸子「いえ、その・・・プロデューサーさんはボクより年上なんですから敬語を使わないでください!なんだかやりにくいです!」
(そ、そんなことか・・・)
モバP「え、ああ・・・そうか、そうだな」
幸子「ふふーん!まあカワイイボクを敬いたくなる気持ちはわかりますけどね!」
モバP「うん、まあ・・・そうだな、わかる」
先ほど、頑張って向き合っていこうと決心してすぐだが、心が折れそうになった。
溜息をふとついて、彼女の方を見た。
モバP「えっと、これからもよろしく。輿水さん」
幸子「む、他人行儀ですね。ボクがカワイイからってそんなに緊張しなくてもいいんですよ!」
呼吸をするように自分を褒めている。
よくもまあそこまで自分に自信を持てるな、と素直に感心すらしてしまう。
幸子「まあともあれ、よろしくお願いします」
モバP「はぁ・・・」
輿水に事務所の案内をして、レッスンの説明だとか色々アイドルを始める以前の話をしていたら、いつの間にか1日の終わりが近づいていた。
溜息がでた。
本日何度目だろうか。
彼女は悪い子ではないのだが、どうも我が強いというか、自分を持ちすぎているというか。
とにかく厄介な子だと思った。
(やたらと自分のカワイさを主張するが、その辺なにか特別な思いでもあるのだろうか・・・)
ぼんやりと窓から外を眺めていると、ガラスから自分の憂鬱な顔が反射して見えた。
まゆに会いたい。
まゆの新しいプロデューサーはどんな人物なんだろうか。
女性だということと、名前だけは知っているけれど、直接あって話したことはない。
優秀な人なんだろうか。
案外俺から離れたほうが人気でたりするのだろうか。
なんて色々と考えてしまう。
(・・・あとで会って色々聞いてみるか)
ズボンのポケットからスマホを取り出してまゆに連絡を送った。
このあと会えないか、と。
昨日までは担当として、そして彼氏として一緒に過ごせていたのに今日は一度も顔を見ていない。
今まで一緒にいすぎた反動か、とてつもなく寂しく感じた。
モバP「はあ・・・」
幸子「む、どうしたんですか溜息なんかついて」
(まだいたのか)
どうやらソファーにずっと座っていたらしい。
自分のデスクから席を立ち、輿水のほうを見ると、テーブルにノートを並べていた。
モバP「いや・・・ちょっとな。ていうかまだいたんだ」
幸子「なんだかボクがいて嫌みたいな言い方ですね・・・ちょっとノートの清書でもしようと思いまして」
モバP「えらいな・・・でも家でやったら?もうすぐ暗くなるぞ」
先ほどまで窓からオレンジ色の光を入れていた景色は、少しずつ暗くなってきていた。
まだ中学生ということもあり、あまり遅くまでここにいさせるのも良くはないだろう。
幸子「・・・家、この時間だと誰もいないですし、帰っても・・・」
モバP「誰も居ないんなら集中できるんじゃ?」
幸子「・・・そうですね、帰ります」
自信満々な笑顔の裏に何かを見せ隠ししながら輿水はそう言った。
複雑な家庭事情でもあるのだろうか。
(・・・アイドル活動に支障がでるようなら、考えないとな)
まだデビューもしていないが、問題は早いうちにとりかかったほうがいいだろう。
俺はスマホを再び取り出し、まゆにメッセージを送った。
しっかり送信できたことを確認して、ポケットに放りこんだ。
モバP「じゃあ、家まで送っていくよ」
幸子「は、初めまして。ボクは輿水幸子といいます!」
自信満々だった面構えとは一変して緊張した面持ちで挨拶をする輿水。
挨拶された相手はにっこりと、おっとりとした笑顔を浮かべていた。
その視線はどこか品定めをするようにも見える。
モバP「この子が、俺の新しい担当だよ。まゆ」
まゆ「うふ。可愛らしい子ですね」
俺は事務所の門のそばでまゆと集合していた。
輿水を家に送って、そこで家族と軽く顔を合わせようと思うのだが、まゆとどこかおでかけもしたかった。
そう思った俺はまゆも一緒に車に乗せて、輿水を送ったあとそのままでかけようという策に出た。
(・・・輿水におれたちの関係を疑われたりしなければいいんだが・・・まあいくらでも誤魔化せるだろう)
モバP「まあ、さっき連絡したとおりこの子を家まで送っていくから」
まゆ「そうですかあ。大事にしてますね」
どこか笑顔に陰がかかっているように見える。
嫉妬しているのだろうか。
仕事だから、なんて言い訳したい気持ちを抑え、まゆに耳打ちする。
モバP「なんか家庭がアレっぽいからちょっと確認しにいくんだ。アイドル活動に支障でて面倒になったらいやだし」
本音だった。
まゆはそれを聞いて少し笑顔に彩りを戻したように見えた。
幸子「その、ボクを置いてけぼりにしないでくれますか?ていうか、プロデューサーさんと佐久間さんはどういう関係で?」
放ったらかしにされた輿水は少しむくれてそう言った。
(どういう関係と言われても・・・ただの元プロデューサーとか言ったらまゆ怒るだろうし。俺もあんまりそう言いたくないしなあ)
まゆ「ふふ、どう思います?」
まゆはニッコリと輿水に問いかけた。
幸子「え、えっと・・・ど、どうでしょうね、元担当プロデューサーとかですか?」
目を少し逸らしながら輿水はそう答えた。
なぜだかまゆ相手に何かしらの緊張を抱いているようだ。
まゆ「うふ・・・」
幸子「こ、答えてはくれないんですか・・・」
モバP「・・・さっきっからなんでそんな緊張してるんだ」
幸子「い、いえ。初めて会う先輩アイドルですし・・・テレビで少し見たことありますしなんだか恐れ多くてですね」
幸子(あと視線が怖いです)
以外と小心者なのだろうか。
モバP「と、いつまでもここで立ち話しててもしかたないし早く帰ろうか」
車に乗り込むと、まゆと輿水は後部座席に乗った。
まゆは助手席に座るものだと思っていたので少し意外だった。
きっと輿水へ配慮したのだろう。
助手席にまゆが来たら輿水が後ろで一人になってしまうのを避けたのだ。
よく出来た子だ。
後ろの二人がシートベルトをしっかり閉めたのを確認して車を発進した。
モバP「輿水の家、どこかわからないから案内してもらっていいか?」
幸子「えっと・・・あそこのスーパーのところを右に曲がって、暫くはまっすぐですね」
モバP「あ、カーナビに住所入力したから大丈夫」
幸子「なんで案内頼んだんですか」
モバP「いや、カーナビ使えばいいってこと忘れてて・・・」
すっかり暗くなった辺りを見て、安全運転を一層意識した。
都会ということもあり街灯がやけに多く配置されているが、それでも油断はできまい。
幸子「ところで、佐久間さんも今から帰るんですか?」
まゆ「まゆでいいですよ」
幸子「じゃ、じゃあ、まゆさん・・・まゆさんも帰りですか?」
まゆ「うふ。まあ、そうですね」
幸子「なんだかさっきっから返答が曖昧ですね」
(・・・曖昧に答えすぎたせいで怪しまれてないか?)
少し不安になりチラチラとミラー越しにまゆの顔を見る。
まゆもこちらを時折見ているようでたまに目があった。
まゆはその度にニコリと笑顔を向けてきた。
モバP「ついたな」
輿水、と書かれた表札のついた家の前で車を停めた。
やけに大きな家で、門の中には庭もある。
この辺にしては珍しい立派な一軒家だ。
だが、どの窓からも光は漏れていなかった。
どうやら家に誰も居ないらしい。
(あわよくば両親と顔を合わせられればと思ったけど・・・)
まあ、時刻は7時半程だ。
共働きならば家にいなくとも仕方はないのだろうか。
(でも、ご飯とかどうするんだろう。輿水が自分で作るのか?)
幸子「ありがとうございました」
モバP「両親、共働きなのか?」
幸子「ええ・・・仕事が大好きみたいで」
どこか寂しそうな横顔を見せてきた。
まだ中学生だし、家に一人というのは少し辛いのだろうか。
俺が中学生だったころは家に帰って誰もいないと不思議とテンションがあがったのだが。
(毎日いない、となると話は別・・・なのかな)
モバP「・・・」
幸子「お疲れ様でした、まゆさんもさようなら」
かける言葉がわからなくて黙りこくっていると、幸子がいつもの調子で別れの挨拶をした。
モバP「ああ・・・お疲れ様」
まゆ「お疲れ様です」
門の中へ一人入っていく背中は実際の身長よりも更に小さく見えた。
幸子が家へ入っていくのを暫く見届けて、車に乗った。
まゆはこんどこそ助手席へ乗ってきた。
まゆ「うふ、モバPさん。幸子ちゃんは丁寧にプロデュースするんですね」
モバP「まあ・・・アレみたいに変にこじらせたくないからな・・・」
やはり嫉妬しているのだろうか。
いやにねっとりとした言い方だった気がする。
まあ、そんなところも可愛いのだが。
モバP「やっぱ、嫌か?」
まゆ「・・・いやです。けど・・・まゆ、ガマンします」
モバP「えらいな」
まゆ「・・・モバPさんを困らせたくありませんから。でも、まゆの目の前で見せつけられると、怒っちゃうかも」
なんて小悪魔っぽく俺の頬に指を当てながら言った。
モバP「怒ったまゆもちょっと見てみたいけど・・・悲しませたくないから気をつけるよ」
左手を伸ばして優しくなでてやった。
エンジンをかけ、車を発進した。
目的地も目的も特にないが、まゆと二人、それだけで俺は良い時間になることを確信していた。
モバP「・・・輿水のこと、どう思う?」
聞くかどうかかなり悩んだ質問だが、他人の意見も聞きたいので、しかたなく放った。
まゆ「・・・どう、といいますと?」
モバP「なんか、家庭がアレなのかなと」
まゆ「あまりそういう印象は受けませんでしたけど・・・何か気になることがあったんですか?」
もしかして怒るかな、と思いながら質問したのだが、まゆは特に感情に波紋を広げることなく答えてくれた。
モバP「・・・なんか、変わった性格してるし、両親いなかったし」
まゆ「そんな不思議な人でしたか?」
モバP「自分のことカワイイって自信満々に何度も何度も言っててな。まゆといる時は緊張してたからかそんな様子もなかったけど」
今日だけでも30回は言ってるんじゃあないだろうか。
その自信はどこからくるのだろうか。
確かに整った顔をしているとは思う。
だがどうしてアレほどまでに堂々と自分を褒め称えることができるのだろうか。
そこに何かコンプレックスのような『陰』を感じてしまう。
俺の考えすぎだろうか。
まゆ「・・・どうでしょう、まだ1度しか会ってませんしなんとも言えませんね」
モバP「だよな」
まゆ「少し、考えすぎじゃないですか?Aちゃんの二の舞いになることを恐すぎて、気を入れすぎなんじゃ・・・?」
図星のような気がする。
実際のところなぜこんなにも輿水のことを気にしているのか自分でも疑問に思っていたところだ。
恐らくまゆの言うとおりなんだと思う。
また、あの時みたいに失敗したくない。
また、まゆと俺との時間に悪影響を及ぼしたくない。
そう強く願っているからこそ、輿水のプロデュースをちゃんと向きあおうと思っているし、気を入れ込み過ぎているのだろう。
モバP「・・・まゆの言うとおりだな。もう少し落ち着いて考えてみるよ」
まゆ「ええ・・・あまり無理しすぎないでくださいね」
まゆは心配そうに眉毛を垂れさせてそう言った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
幸子「ただいま・・・」
家に帰ってきて、挨拶するけど、いつもの様に誰も返事をくれません。
ボクの声と、手から離されて閉じたドアの音だけが響きました。
幸子「まったく、カワイイボクが帰ってきたのにおもてなしがたりませんね」
なんて呟いてみる。
無意味なことだとはわかってますけど、寂しさを誤魔化したくて。
リビングまで歩いて行くと、いつものようにラップのかけられたご飯がテーブルに並べられていました。
書き置きも近くにおいてあって、手にとって読んで見ると、『今日も遅くなります。温めて食べてね。母より』だそうです。
いかにも真面目な母さんらしいキレイな字で書かれていました。
書き置きをテーブルにおいて、テレビをつけました。
いつも家に帰るとまずテレビをつけます。
誰もいない家は静かすぎて嫌だからです。
テレビからバラエティ番組特有の騒音がリビングを包みます。
別段バラエティが好きってわけではないんですが、無音よりは落ち着きます。
そのまま数秒テレビを見てみると、一人のアイドルの子が映りました。
幸子「この人、この前もテレビ出てましたね・・・人気なんでしょうか」
ボクも早く人気アイドルになりたいです。
まあ、アイドル自信に興味があるわけではありませんけど。
人気がでたらきっとこの家にいる時間も少なくなるのでしょう。
幸子「・・・ご飯、食べますか」
終わらせ方がわからなくなってきた
―――――――――――――――――――――――――――――――
モバP「・・・まあ、最初は仕方ないさ」
汗だくで干からびたように座りこむ幸子を眺めた。
初めてのレッスンで慣れないダンスをした結果だ。
自動販売機で買ったスポーツドリンクを差し出す。
幸子「・・・あ、ありがとうございます」
息を落ち着かせようと深呼吸し、喉にスポーツドリンクをながしている。
時折ゴホゴホと咳をしながら。
モバP「・・・大丈夫か?」
幸子「・・・え、ええ。この程度どうということもありません」
またいつもの様に自信有りげな笑顔を無理やり作ってそう言った。
強がりなところもあるらしい。
モバP「今日はこのあと軽く歌のレッスンもやっておこうと思うんだけど・・・大丈夫か」
床にへたり込んでいる輿水を見る。
一瞬の間が空いて、自信満々な表情を取り戻してこう言い放った。
幸子「カワイイボクになら余裕でしょう!大丈夫です!」
空元気だ、というのは付き合いの浅い俺でも余裕でわかる。
モバP「・・・無理しなくてもいいんだぞ」
幸子「無理なんかしてません。・・・でも、少し休憩を頂けると助かります」
すこしドヤ顔で言い放った建前からか少し気まずそうに目を逸らしながら休憩をねだられた。
もちろん最初から休憩時間は考慮してあったのだが。
モバP「一応30分くらい休憩時間はとってあるけど、もっと時間ほしいか?」
幸子「いえ、大丈夫です」
輿水の顔を再び見る。
(コイツは強がりっぽいから・・・すぐ見栄をはって無理をしそうだから注意深く体調管理しないとな)
モバP「・・・とりあえずじゃあ、30分後にボーカルのレッスン場で。場所はわかるな?」
幸子「あ、はい。わかります」
モバP「じゃあ、なんかあったら連絡してくれ」
事務室へ戻って次のレッスンまでにできる仕事をこなしておこうと思い、出口へ踵を返す。
いざ歩き出したところで後ろから声がかかった。
幸子「あ、あの・・・プロデューサーさんはこれからどこへ?」
モバP「事務室へ戻って仕事をするつもりだ」
なぜそんなことを聞くのか疑問に思っていると、輿水は少し考えたように間を空け、再び口を開いた。
幸子「ボ、ボクもそこで休憩とっていいですか?」
というわけで輿水と二人で事務室へ戻ってきた。
道中輿水は疲労のせいか無言だった。
幸子「ふう、やっとつきましたか」
モバP「・・・休憩室で休んだほうが良かったんじゃないか?レッスン場からすぐのところにあったぞ」
レッスン場からこの部屋まではフロアも違うので中々に移動に時間がかかる。
それに対してアイドル用の休憩室はレッスン場と同じフロアにあるのであっという間だ。
そこで休むのが一番効率的に疲れを癒せると、Aだとか大抵のアイドルはそうしていた。
まあ、まゆは俺が事務室にいる時はこっちにきていたが。
幸子「いいじゃないですか。なんだか一人でいるのもアレですし!」
(休憩って一人でいるのが一番いいんじゃ・・・)
と言いかけたが輿水にもそれなりの考えがあってついてきたのだろうか、と思いやめた。
案外寂しがりやで一人じゃまともに身体を休められないとかだったりして。
モバP「ついてきたのはいいんだけど、さっきも言ったとおり俺は事務仕事やるから相手しないぞ」
幸子「それはもちろんわかってます。プロデューサーさんもカワイイボクを見ながら仕事ができるなんて幸せものですね!」
モバP「そうだな」
モバP「・・・そうだ。輿水の両親が家にいる時間帯っていつだ?」
仕事に取り掛かろうとしたところで、聞かなくてはいけない大事なことを思い出した。
幸子「ええと・・・そうですね、日曜日の夜くらいなら・・・」
輿水は少し歯切れ悪く返答した。
その様子からもやはり家族となにかあるような予感を漂わせているような気がした。
昨日考えすぎだ、とまゆに言われたばかりではあったのだが。
モバP「じゃあ、今週の日曜日両親に挨拶できるか?正式に担当することが決まったわけだから」
幸子「え、ええ。構いませんけど・・・ふたりとも忙しいので今日か明日に両親に話してみますね」
モバP「俺から電話してみたほうがいいんじゃないか?」
幸子「いえ、仕事できっと帰りが遅くなると思いますので、ボクが話したほうがいいと思いますよ」
それにしても、先ほどの輿水の言い分からすると日曜日も両親は仕事してる可能性があるということだろう。
単純な疑問が浮かぶ。
モバP「・・・輿水の両親ってどんな仕事してるんだ?」
幸子「母さんはファッション関係のデザイナーで、父さんは建築関係の仕事をしています」
モバP「へえ・・・その・・・結構、仕事忙しいんだな」
デリケートな部分に触れかねない話だ。
少し緊張する。
幸子「そう、ですね。日曜日も2週間に1回は仕事に行ってるみたいで」
モバP「・・・寂しくはないのか?」
幸子「・・・わがままばかり言ってられません。ボクは良く出来た子ですから」
なんてサラッと言われてしまった。
しかし、ハッキリと『寂しくない』と否定しなかったことが妙に引っかかった。
両親の話をしたので、ふと昨日の輿水家の様子を思い出した。
モバP「昨日家に誰もいないみたいだったけどああいう時ってご飯とかどうしてるんだ?」
幸子「基本お母さんが作り置きをしてくれてるのでそれを温めてますね。作りおきが無いときはボクが作ってます。カワイイ上に料理もできるなんてボクは本当にボクですね!」
いつものように自分を褒め称えているその姿が、何故か寂しく見えた。
いや、実際に表情が少し暗かった。
話の流れが途切れてしまったので、俺は仕方なく仕事を始めた。
それからは仕事に専念していたので会話はなく、輿水はソファーでぼーっとしているようだった。
休憩明けのボーカルレッスンは、初めての割には卒なくこなし、特に問題なく一日を終えた。
日曜日、俺は輿水の家へ来ていた。
輿水と両親へ挨拶に行く話はトントン拍子に進んでいき、見事この日、約束を取り付けることができた。
かなり緊張している。
実は今までアイドルの両親と直接会ったことは無いのだ。
Aが担当の時はそんなこと考えてすらいなかったし、まゆの両親とも会っていない。
それにまゆの実家は仙台にあるということで中々行く機会がなかったというのも事実だ。
一度まゆと仙台付近で仕事をした時についでに挨拶を行くべきか迷ったことがあったが、その時まゆが『モバPさんと親を会わせるのは恋人としてちゃんと報告できるときがいい』と言われたのを鮮明に覚えている。
そういうわけでアイドルの両親と会うのは輿水が初めてだ。
一昨日、まゆに輿水家を訪問することを話したら瞳からハイライトが消えていて初めてまゆに恐怖を感じた。
同棲前に必ずまゆの両親にも会って付き合っていることをちゃんと報告する、という約束を取り付けることでようやくまゆの目に光が戻ったのだった。
モバP「さて・・・さっさと入るか」
時刻は20時。
辺りはすっかり暗くなっていた。
こんな中一人の女子中学生が住んでいる家の前で立ち往生していたら警察に通報モノだろう。
早く入って用を済ませてしまおう。
そう思いながらインターホンを鳴らした。
モバP「初めまして、輿水幸子さんをプロデュースさせて頂いておりますモバPと申します」
営業のときよりもより丁寧な姿勢を心がけて挨拶をした。
輿水の両親の性格などは一切知らないので、どんな人が来るのかと心臓が高なった。もちろん悪い意味で。
もしも怖い人だったら面倒だな、優しい人ならいいんだが、なんて考えながらカメラのついたインターホンに向かってお辞儀をした。
『ああ、話は幸子から聞いております。上がってください。』
おそらく父親であろう人の声が聞こえた。
声色から考えるに優しそうな人だと思い、緊張が少し解けた。
(しかし、この程度で緊張していたらまゆの両親と対峙したとき心臓破裂しちゃうんじゃ・・・)
なんて今後のことが不安になった。
リビングに案内されて、両親と対面する形でソファーに座った。
輿水は俺の隣しか空いてなかったのでそこへ座った。
輿水の父親は声から想像したとおり優しそうないいおじさんといったところだろうか。
母親は堂々とした振る舞いでありながら礼儀正しく、格好いい大人の女性といった印象をうけた。
この二人の見た目や立ち振舞からはとても家庭に問題はなさそうに見受けられる。
そもそも家庭に何かある、というのもあくまでも俺の悪い想像でしかないのだが。
ただ、仕事で家をあけることが多いのは輿水の話から確実だ。
その辺の話を聞ければいいのだが。
名刺交換等あらかた挨拶を済ませたころ、父親の方から話を振ってきた。
幸子父「それで、娘はちゃんとやってますでしょうか」
モバP「ええ、何事にも一生懸命で、しっかりと自分を持って取り組んでおります」
幸子「ボ、ボクは偉いですから!」
心から心配そうに問う父親。
俺も真剣に答えた。
横で輿水は俺の返答に緊張しながらも胸を張っている。
幸子父「そうですか。うちの子はあまり他人とのコミュニケーションが苦手なようですが他の方とも上手くやっていけてますかね」
その後も父親の心配そうな質問攻めに会い続けた。
正直段々とうんざりしてきたが挨拶にこようと言い出したのは俺なのでガマンして聞き続けた。
流石に朦朧としそうになったところで母親が止めてくれてなんとか救われた。
しかし、この様子からして両親ともに輿水のことはとても大事にしているようだ。
もしかしたら両親が輿水をよく思ってないのかも、なんて最悪のことも想定していたがどうやら杞憂に終わったらしい。
この様子なら問題はないように思える。
しいて言うならば両親が家を開ける時間が多すぎることが疑問だが。
幸子父「いやあ、私も妻も仕事で家にいないことが多くてですな・・・あまり娘のことを見れないことが気がかりでつい質問攻めにしてしまいました」
そんなことを考えているとまさに俺の思考にドンピシャな話題が振られた。
モバP「えっと・・・お子さんも言ってましたけど・・・おふたりともお忙しいみたいですね」
幸子父「・・・娘には本当に申し訳ないとは思っています」
空気が重くなる。
覚悟していたことだがやはり居心地が悪い。
正直彼の懺悔のような言葉になんて言えばいいのかわからない。
だから黙ってしまっていた。
両親は仕事で忙しい。
だが、それを自覚して、申し訳ないと思っている。
つまるところ、問題は―――
結局のところその後は会話も少なく、これ以上話は聞けないと思い俺は輿水家を立ち去った。
今回の訪問は輿水家になにか問題があるんじゃないかと疑って来たわけだが、両親達がしっかり輿水をおもっていることがわかり、大きな問題があるとすれば輿水自身だと感じた。
これは俺の予想だが、多分輿水は寂しがり屋なのだろう。
だから両親の話をするときだとかにたまに暗い顔を見せるのだ。
カワイイカワイイ言ってるのもそのへんで捻くれてしまったのではないだろうか。
まあまだ担当して日が浅いので深いところは何もわからないのだが。
・・・思い返してみれば大した問題ではなかったのかもしれない。
まゆの言ったとおり、俺が重く考えすぎて、空回りしてしまったのかもしれない。
だけど、そう判断する前に一度、Aの起こした事態を思い出す。
あの時みたいにならないように、早め早めにアイドルの悩みに手を打っておくとするならば、俺がやるべきことは・・・
モバP「ということでまゆ、輿水と仲良くやってくれ」
まゆ「はい?」
考えた結果がこれだ。
そう、まゆと輿水を仲良しこよしにする。
つまり、寂しくないように友達を作ってやろうということだ。
俺が仲良くしてやるということも一瞬思いついたのだが色々恐ろしいし正直面倒くさいのでやめた。
なんともおこがましい作戦ではあるが、正直これくらいしか俺にできそうなことは思いつかなかった。
まゆ「その・・・幸子ちゃんと仲良くなるのは全然構わないし事情もわかったんですが」
モバP「なんだ」
まゆ「いえ、なんかモバPさん、幸子ちゃんに一生懸命すぎませんか?」
少し膨れた顔で腕を組みながらそういうまゆ。
前も思ったが嫉妬した姿も可愛い。
だが、まゆの言い分は思いっきり誤解だ。
俺は輿水に対して一生懸命なんてことは断じてない。
ただあの時のような失敗は二度としたくないと思って行動しているだけだ。
モバP「いや、別に一生懸命なんかじゃないぞ。あの時みたいな面倒事になるのが嫌なんだよ。なんかあったときまゆにも被害が及ぶかもしれないしさ」
俺の行動の基はすべてまゆだ。
まゆ「でも・・・モバPさんの担当から外れて寂しいまゆに幸子ちゃんのプロデュースの話をして、挙句まゆにその幸子ちゃんと仲良くなってくれなんて・・・虫がよすぎませんかぁ?」
話していくのにつれてどんどんと声のトーンが下がっていくまゆ。
空気の体感温度も比例して下がってきている。
まゆの表情は笑っているのに目はどこか冷たい。
この前、輿水の両親を訪問すると言ったときも、こうして冷たい笑みを向けられた。
間が開く。
沈黙が場を支配した。
思わず唾を飲み込んだ。
まゆ「もう、酷い人です・・・でも、わかりました。まゆはモバPさんの力になります」
しかしまゆは一度目を瞑って、今度は暖かい笑顔で俺を見た。
まゆは嫉妬や寂しさを感じていながら、それでもガマンして俺に協力してくれる、と言ったのだ。
本当にいい子だ。
モバP「・・・ありがとう」
気持ちのままに抱きしめてしまった。
ちなみにここは俺の家なので周りの視線を気にする必要は一切ない。
やりたいほうだいであった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
幸子母「行ってきます。いつもごめんね」
幸子「いってらっしゃい。ボクはカワイイので大丈夫です」
幸子母「ふふ、そうね。今日もカワイイわよ」
お母さんは今日も仕事です。
今日は日曜日ですけどお母さんには関係ないみたいです。
お父さんも今頃起きだしておいていそいそとスーツに着替えています。
この様子だとお父さんも仕事に行くみたいですね。
また家で一人ですか。
幸子父「父さんもいってくるよ。幸子はカワイイから、お留守番も大丈夫だろ?」
幸子「子供扱いしないでください!もう中学生なんだから、そんなの聞かなくてもいいです!」
幸子父「そうか、もう中学生だもんなぁ・・・じゃあいってきます」
お父さんもあっという間に準備を済ませて仕事に行ってしまいました。
大きな一軒家にボクだけがポツンと取り残されてしまいました。
幸子「こんな大きな家も買えるくらいなのに、なんでそんなに働くんでしょう・・・」
ボクにはサッパリわかりません。
以前、二人共仕事が生きがいだとか、やりたいことをやっているからだとか言ってました。
仕事ってそんなに楽しいものなんですかね。
誰からも遊びのお誘いが着てないので、やることもなくボンヤリとベッドでゴロゴロしています。
学校の友達はどこか他人行儀な人ばかりで、あまり仲良くありません。
きっとボクがカワイすぎて一緒にいるだけで緊張してしまうんでしょう。
・・・暇ですね。
と考えていると、ボクのスマートフォンが電話を受信したみたいです。
画面に知らない番号を表示させながら、一生懸命震えています。
誰でしょう・・・
知らない人からの電話にでるのは怖いですね。
無視しましょうか。
・・・でも、もし誰か友達からの電話だったら――
思わずスクリーンに書かれた通話という文字を押してしまいました。
幸子「・・・・・・もしもし」
今日は全然人と会話していないので少し掠れた声になってしまいました。
ちょっと恥ずかしいですね。
『もしもし、幸子ちゃん?』
あまり聞き覚えのない女の人の声が聞こえてきました。
誰でしょう?
相手の方はボクのこと知ってるみたいですけど・・・
幸子「えっと・・・どなたですか?」
少し警戒しながら聞いてみました。
すると電話の主はこういいました。
『佐久間まゆです。今からどこか遊びにいきませんか?』
デレステ一周年ですね
大天使チヒロエルから貰った石で10連引いたら限定ふみふみでました
どすけべドレスと舐めまわしたくなる脇と絶対領域がたまらねえぜ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今からどこか遊びに行きませんか?
なんていきなり誘っちゃいました。
ちょっと変だったかな。
知らない番号から電話したし、まゆと幸子ちゃんってそこまで話したことあるわけじゃないですし。
一応遊ぶ約束はできましたけど・・・大丈夫かな。
それにしてもモバPさんも勝手です。
まゆがこんなに寂しがってるのに、せっかくの休日にデートもしないでこんなことになるなんて。
もちろん幸子ちゃんと遊ぶのは全然いやじゃないですけど。
せっかくの休みなんだからモバPさんと過ごしたいのに。
なんだか最近のモバPさんはちょっと変わってしまいました。
前はずっとまゆのことばっかり見てくれて、まゆのために何でもしてくれて・・・
でも今はまゆにこんなことさせたり、幸子ちゃんのプロデュースに夢中になってたり・・・
学校の友達に相談してみたんですけど(もちろんモバPさんのことは隠しながら)、それが普通だなんて言われてしまいました。
贅沢な悩みなんでしょうか。
たとえそうだとしても今までできていたことができなくなるのは本当につらいものです。
まゆはいつだってモバPさんのことを見てるのに。
昨日のデートでも格好いいところをたくさん見つけられました。
遊園地に久々に連れて行ってくれて、色んな乗り物に一緒に乗って・・・
ああ、モバPさんに会いたいです。
でも、モバPさんには迷惑かけたくないですし、力になりたいので文句を言いながらもこうして結局は協力してしまうまゆでした。
幸子「ま、まゆさん、こんにちは」
モバPさんのことを思い出していると幸子ちゃんが来ました。
集合時間の10分前にくるなんて、律儀な子です。
まゆ「幸子ちゃん、こんにちは。いきなり誘っちゃってすみません」
幸子「いえ、嬉しかったです」
どこか緊張気味な幸子ちゃん。
意外と人見知りだったりするんでしょうか。
幸子「その、今日はどこへ行くんですか?」
まゆ「うふ。幸子ちゃん、ショッピングは好き?」
幸子「ええ、好きですけど・・・いきなりですね」
まゆ「今からショッピングに行きましょう」
幸子「本当にいきなりですね!」
流石に勢いで誘いすぎたかしら。
少し幸子ちゃんもびっくりしてるみたいです。
幸子「い、いいですけど・・・なんでボクを急に誘ったんですか?」
まゆ「幸子ちゃん、まだ事務所に入ったばかりで慣れてなさそうですし、遊びがてら先輩として相談に乗れたらなって思いまして」
幸子「ま、まゆさん」
感動した様子でまゆを見てます。
う、嘘は言ってません。
実際なにか私にもできることないかと思ってました。
それがたまたまモバPさんに頼み事をされたタイミングと重なっただけです。
まゆ「どうです、似合いますか?」
幸子「うーん確かに似合いますけどカワイイボクが着たほうがいいと思います!」
幸子ちゃんとショッピングを始めてから3時間ほどが経ちました。
最初は緊張していましたけど幸子ちゃんもすっかり打ち解けてくれたみたいで、モバPさんが言っていた通りの自信満々な女の子になりました。
モバPさんはその自信満々すぎる様子に『陰』を感じると言ってましたけどまゆはよくわかりません。
モバPさんならではの人を見る力・・・といったところでしょうか。
幸子「まゆさん!こっちの服とあっちの服、どっちのほうがカワイイボクに着て欲しがってますか?」
まゆ「うふ、こっちの大人しめなほうです」
ときどきよくわからないことを言うけど、幸子ちゃんは良い子です。
そして自分でも言っている通りカワイイです。
私も小さい方ですけど、幸子ちゃんはもっと小さくて、妹みたいです。
幸子「じゃあ買ってきますね!」
洋服を持ってレジまであっという間に行っちゃいました。
大人びた服装や、丁寧な敬語を使ってはいますけど、ああいうところは歳相応ですね。
なんて、自然と笑みがでちゃいました。
幸子「色々買っちゃいましたね」
ファミレスのソファーが少し窮屈になっちゃうくらい買い物をしすぎちゃいました。
ずっと買い物を続けてましたが少し幸子ちゃんが歩き疲れた様子だったので休憩中です。
モバPさんに頼まれて急に遊ぶことになったけど、まゆもとても楽しいショッピングでした。
最近モバPさんとしか遊んでなかったので、少し新鮮で。
とは言え、休日はなるべく一緒に過ごしたかったんですけど。
と一人でむくれてしまいます。
幸子ちゃんは少し不思議そうに私を眺めています。
幸子「どうかしましたか?」
まゆ「いえ、少し考え事をしてました」
まゆ「ところで、アイドル活動の方はどうですか?」
幸子「ボクにかかれば余裕です!いずれボクもまゆさんのようになりますよ!」
私のように、って私もまだ人気アイドルと言えるほどじゃあないんですけど。
でも慕ってくれるのは素直に嬉しいです。
まゆ「うふ、幸子ちゃんなら本当になれそう」
幸子「・・・まあ、レッスンとかは中々慣れなくて大変ではありますが」
まゆ「最初は誰でもそうですよぉ」
ダンスレッスンなんかは私も最初は相当苦労しました。
慣れない動きばかりで。
まゆ「そういえば、幸子ちゃんはどうしてアイドルになったんですか?」
幸子「え?・・・それは・・・」
少し言いづらそうにする幸子ちゃんを見て焦りました。
まゆ「あ、いえ、答えたくなかったら答えなくてもいいんですよ」
幸子「いえ、その・・・家に一人でいる時間を減らしたくて・・・何か新しいことはじめようって考えたんですけど」
やっぱり寂しがり屋なんでしょうか。
ずっと家に一人、まだ14歳の彼女には厳しいものがあるのでしょう。
幸子「それで、何か始めるとしたらカワイイボクにはアイドルが相応しいかと!」
うふ、急に元気に戻りました。
寂しがり屋だけど、強い子なんですね。
幸子「逆にまゆさんはどうしてアイドルに?」
まゆ「それは・・・内緒です」
幸子「あ、ズルいですよボクにだけ言わせておいて」
むっとふくれる幸子ちゃん。
でもさすがにモバPさんに一目惚れしたから・・・なんて言ったらダメですよね?
まゆは全然言ってもいいんですけど、あとでモバPさんに怒られそうです。
そういえば、モバPさんとはどんな感じなんでしょう。
もやもやしたものが胸にかかってきました。
モバPさんがまゆの担当から外れてからこういう感覚になることが多いです。
一人でもやもやしていても仕方ありませんし、実際に聞いてみましょう。
まゆ「その、幸子ちゃん。モバPさんとはどうですか?」
幸子「どうと言われましても・・・なんというか、プロデューサーさんは何かを気にしている感じがしますね」
まゆ「何か?」
幸子「こう、ボクを見ているようで、ボクを見ていないといいますか。何か地雷を踏まないように歩くような慎重さが感じられます」
幸子ちゃんの言い方から察するにモバPさんは問題が起きないように気をつけながらプロデュースしている、と言う感じでしょうか。
モバPさんらしいといえばらしいですね。
よっぽどAちゃんのことが重くのしかかってしまっているのでしょう。
―――肝心のAちゃんとはここ最近全く会っていません。
モバPさんがまゆのプロデューサーから外れなきゃいけない、という報告を受けた次の日から、体調を崩したと言って事務所にあらわれなくなり、そのまま担当変更になってしまいました。
AちゃんもモバPさんの担当から外れたので、今あの子が事務所に通っているのかどうか全くわかりません。
正直、もうあまり関わりたくもないので、知ろうともしませんが。
幸子「まゆさん?む、カワイイボクが話しているのに、無反応ですね」
まゆ「あ、ごめんなさい。ぼーっとしちゃってました」
幸子「疲れちゃいましたか?そろそろ帰ります?」
よっぽど考え事に熱中していたみたい。
外はなんだか雨が降りそうな天気ですし、幸子ちゃんの提案通り今日はお開きにしたほうがよさそうです。
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モバP「・・・初めまして、モバPともうします」
緊張で全身が震えている。
声も。
異常なほど寒さを感じて、今すぐにでも身体をこすって暖めたいのに、なぜか妙に汗が大量に吹き出る。
どうにかなってしまいそうだ。
俺が震源地となって大地震でも起こしてしまいそうだ。
なぜ俺はこんなことになっているのか。
こんなに緊張したのはいつぶりだろう。
俺、いまどこにいるんだっけ?
まゆ父「・・・」
目の前に広がる光景が、俺の心臓を暴走させる。
そう、思い出した。
俺は・・・まゆの両親の元へ挨拶にきていた。
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