【シュタゲSS】フェイリス「……パパ?」 (74)

2011年夏、シュタインズゲート世界線、フェイリスとオカリンの二つの目線で進みます。
哀心迷図のバベルのネタバレあり。特に漫画版を読んでる人にはより楽しんでいただけるかと。
もちろん、知らなくても楽しんでいただけるよう頑張ります。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1458565096

――Faris Side


今、何処からか、パパの声が聞こえた気がした。
深夜2時にふと目を覚ました私が、トイレに行こうとリビングを通ったときに。

パパ??「あれ、留未穂、まだ起きていたのかい」

その声に、私は驚いて音の方へ顔を向けたけれど、そこには誰もいなかった。
何かがあったわけでもなく、ただ深夜の黒い闇がひっそりと佇んでいた。

留未穂『どうして、今頃パパの幻聴なんて聞いちゃうのかな……』

胸がきゅうっと締め付けられる感覚を覚えた。
いつもは、こんなことないのに。どうしてだろう。

パパは、私が小さい頃に事故で亡くなった。
飛行機の事故で、たった一人の乗客以外は皆無事だった事故で、たった一人、私のパパだけが亡くなった。
それも、私がついた嘘のせいで――。


気付いたら、涙が流れていた。静かに、けれど確かに、一粒、二粒、と零れ落ちていく。

留未穂「あれ……なんで泣いてるんだろう……もう……」

執事の黒木はもうとっくに家に帰した。パパはこの世にはいない。
こんな広い家に、私はたった一人。


フェイリス「今さら寂しくなんて……ないニャ……」

フェイリスの口調で言っても、涙は止まらなかった。
そんなこと気にしなかったかのように私は急いで用を足すと、すぐさま布団へともぐりこみ、瞼を閉じた。

――Okabe SIDE


ダル「ふっ、残念だな、まゆ氏。僕はそんな手には乗らない!」

まゆり「ふえぇ、またリンクカード取られちゃったよう……」

フェイリス「もー、まゆしぃは顔に出過ぎなのニャン」

まゆり「ええー、そうなのぉ? まゆしい知らなかったよー」

ダル「これで僕の勝利は決定的……。あとひとつ……フェイリスたんに勝てば、フェイリスたんの手料理……」

まゆり「まだだよー、まゆしぃはまだ諦めないのです」


何やら賑わっているのは、秋葉家のリビングでのことである。
今日、俺たちは突然フェイリス――もとい秋葉留未穂に、家に来るよう呼び出されたのである。
ここ――シュタインズゲート世界線では、フェイリスの家に遊びに行ったことは、ダルもまゆりも、おそらく俺もないらしく、べらぼうに高いマンションを見上げ、二人して盛り上がっていた。
どうして突然家に呼んだのかを尋ねてもはぐらかされ、結局訊けてはいない。

そうこうしていると、奴らは雷ネットアクセスバトラーズを始めた。
何やら、三人でトーナメントをして、フェイリスを打ち負かせば、フェイリスが手料理を振る舞うらしい。
三人でトーナメントも何もあるかと思ったが、何も突っ込まず俺はただ窓の外を眺めている。
何度か、オカリンもやろうよーとか、凶真も一緒にやるニャンとか言われたりしたが、俺は毅然とした態度でそれを断った。
この窓から秋葉原を見下ろし、悦に浸っているためである――まあ、ルールのよく分からないゲームで負けるのも悔しいという気持ちが、なくもないが。
決してそれだけじゃないぞ。この狂気のマッドサイエンティストである俺は、そんな小さな男ではないぞ。

まゆり「あー、負けちゃったのです」

ダル「よっしゃああああああ。じゃあさっそく、フェイリスたん、勝負だ!」

フェイリス「ダルニャン、やる気満々だニャン! フェイリスは嬉しいのニャー」

ダル「うおおおおおおお、フェイリスたんの上目遣いきたああああああ。でも、勝負は手加減しないのだぜッ」

フェイリス「もちろんだニャン。じゃあ、はーじめーるニャーン!」


どうやら結局まゆりはダルに負けてしまったらしい。
そうかと思えば、すぐに決勝戦をダルは始めてしまった。
よっぽどフェイリスの手料理が食べたいらしいな。

だが、そんなダルの元気も最初だけだった。
初めのうちこそ、ダルは優位に進めていたらしく、いちいち叫びながら自分のしたことを解説したりしていたのだが、次第にそれはなくなっていった。
同時に顔はみるみる暗くなっていき、一方フェイリスは初めからずっと笑みを浮かべたままだった。

フェイリス「ダルニャンどうしたのニャ? ダルニャンの力はその程度なのかニャ?」

ダル「くおおおお、まだ負けん、まだ負けんぞおおおおお! どうしてもフェイリスたんの手料理が食べたいんだあああああ」

岡部「まったく、うるさいぞダル。そもそも、そこにいるのはフェイリスではなく、秋葉留未穂だぞ」

ダル「オカリンうるさい! それにフェイリスたんはフェイリスたんなんだぞ!」

岡部「いやあ、違うなあ。そこにいる猫耳小娘は、紛れもなく秋葉留未穂なのだッ!」

フェイリス「ちょっと凶真ー、何言ってるのニャー! フェイリスは、フェイリスな の ニャ」

なんだか、なのニャの言葉の間に、一々ハートが入っているように聞こえたぞ。
わざわざ上目遣いで言いおって、まったく、けしからん小娘だ。


ダル「そうだそうだー! もーまったく、オカリンのせいで集中力切れちゃうだろ! これで負けたらどうしてくれるんだッ!」

フェイリス「ニャー? ダルニャン、それは違うニャ。凶真による妨害工作――混沌の囁き(カオスウィスパー)がなくても、フェイリスの勝利は決定的なのニャ。
      そんなに凶真の声が気になるニャら、耳栓してもいいのニャよー??」

ダル「くっ……、フェイリスたんに否定されるなんて……感じちゃうッ」

岡部「変態は自重しろ」




そう言いながら、俺はα世界線でのことを思い出していた。
耳栓――。その言葉には、強い思い出があった。

かつて、フェイリスはα世界線において、Dメールを送りパパさんを生き返らせた。
しかし、まゆりを助けるためにそれをなかったことにしなければならなくなった俺は、フェイリスに何とDメールを送ったのか尋ねたが、覚えていなかった。
当然だ。世界線が変われば、記憶を保てていられるのは俺だけ。そう、このリーディング・シュタイナーを持つ俺だけなのだ。

しかしそのせいで困りかけた俺だったが、フェイリスはもしかしたら思い出せるかもしれない、と言った。
俺は思い出してくれっ、と必死に頼んだ。すると、フェイリスは、雷ネットの決勝で勝てたら思い出せるかもしれない、と言ったのだ。
そう、このときフェイリスは、雷ネットの大会において決勝で敗れてしまっていたのだ。
そんなこの決勝で勝つことができれば、思い出すことができるかもしれない。
フェイリスが言ったその言葉を信じ、俺はタイムリープをした。フェイリスから、過去のフェイリスへの伝言を抱えて。

そのときに、過去のフェイリスに持たせるよう言われたのが、サングラスと、そしてこの耳栓だった。
決勝で妨害工作にあったから負けた、これさえあれば絶対に勝てていた、フェイリスはそう言っていたのだ。

結局、色々と問題はあったものの、見事フェイリスは優勝、そこからも色々あって、最終的にはDメールの内容を思い出し、まゆりを救える世界へ少し近づいたのだ。
だが、そのことを今のフェイリスは覚えていない。なかったことになったのだから。あの夜の告白も、涙も、何もかも。

そう思いながらフェイリスの方をみた俺だったが、そこで少し違和感を覚えた。
フェイリスの様子が、少しおかしかったのだ。

フェイリス「みみ……せん……?」

心がここにないような、そんな感じ。数秒間そんな調子だったフェイリスだったが、俺の視線に気づき、ハッとして笑顔を作った。

ダル「フェイリスたん、どうかしたん?」

フェイリス「ニャ、ニャんでもないニャ! ふむう、さっさとフェイリスの劇的勝利を収めるニャン!
      それで……申し訳ないんニャけど……、このあととっても大事な用があるのを忘れてたニャン。
      この勝負が終わったら、今日はお開きにするニャン」

ダル「な、なに!? じゃあ、僕が勝ったら手料理はどうなるのですか!?」

フェイリス「フェイリスは負けないから大丈夫ニャ」

ダル「うぐおっ」

やはり、何かおかしい――。
俺にはそう見えたが、あえて何も言わなかった。あるいは、本当に大事な用があるもかもしれないし。



岡部「ふむ、そうか。では我々は、退散する準備をしておこう」

まゆり「えへへー、フェリスちゃんのお家はとっても楽しいねー。また来たいのです」

フェイリス「もちろん大歓迎だニャン! いつでも遊びに来るニャ」

まゆりが隣で満面の笑みを浮かべ喜んでいる。
さらにその横で、圧倒的絶望感に沈んでいるスーパーハカーが約1名。
やはりフェイリスは相当強いらしいな。まあ、世界大会に呼ばれるくらいなのだから、当然だが。

フェイリス「ニャー、これでフェイリスの勝ちニャ」

ダル「うおおおお、フェイリスたんつええええええ。全く太刀打ちできないっす」

フェイリス「ふふっ、もっと褒めてもいいのニャ」

ダル「フェイリスたんの上目遣い……今日だけで何回目かお……もう今なら爆死してもいいお」

岡部「馬鹿なこと言ってないで、早く出る準備をしろ、ダル」

俺がそう促すと、ダルは渋々と言った様子で帰り支度を始めた。


フェイリス「本当にゴメンなのニャー。また遊びに来てほしいニャ!」

岡部「気にすることはない。当然だ。また遊びに来る。次に会う時は、俺の偉大さに畏怖を覚えるがいい」

フェイリス「ニャフーン、嬉しいのニャー。フェイリスも、黄昏時にのみ存在する九番目の水路にいるとされるあの仙人の元で、修行を積んで待っているのニャ」

岡部「おおそうか。じゃあまたな」

フェイリス「もー、凶真は冷たいのニャー!」

まゆり「フェリスちゃん、またねー」

ダル「僕はこの聖地に、必ず戻ってくるお! それまで待ってるんだお!」


フェイリスの言葉をスルーするように、俺はさっそうと玄関を出た。
まゆりもダルも別れの挨拶を言いながら、俺に続いた。

その瞬間、少しだけ俺が振り向くと、閉まる扉の隙間から、僅かにフェイリスの姿が見えた。
その顔がどこか悲しそうで、寂しそうに見えたのは、俺の見間違いだろうか。

まゆり「なんか今日のフェリスちゃん、変だったねー」

ダル「うん。なんか突然雰囲気が変わった感じがあったお」

帰り道、二人がそんな会話を始めた。
やはり、そう思っていたのは俺だけではなかったのか。いや、フェイリスが変でないときなど、無いに等しいのだが。そうではなく。

まゆり「オカリンは何か知ってるー?」

岡部「……いや、分からんな」

俺はそう答えたが、本当は全く心当たりがないわけではなかった。いや、正確には、ないと信じたかった。
ただ、ないと断言することはできなかった。


もしもフェイリスに、α世界線の記憶が戻りつつあるとしたら――。


普通、世界線が変われば世界は再構成されるため、前の世界線の記憶を保持することはできない。
それこそ、この俺の持つリーディング・シュタイナーがなければ。
――だが。
α世界線において、フェイリスはDメールを送る前の世界線の記憶を取り戻した。
シュタインズゲート到達後、紅莉栖はα世界線の断片的な記憶をおぼろげに取り戻した。

リーディング・シュタイナーは、僅かながら誰にでも存在する。
それは、これまでの経験から俺が分かったことだ。

もしフェイリスに、α世界線の記憶が戻りつつあるなら、それはとても大変なことだ。
確かに、α世界線においてフェイリスは、10年前に亡くなったはずのパパさんと話をすることで、愛されていたのだという実感を得ることができた。

フェイリスも、Dメールを取り消すメールを送るとき、この世界線の記憶を失くしてしまうことは悲しい、と言っていた。
だから、その記憶を思い出すことは、一見悪いことではないように思える。

だがしかし、それはいないはずのパパさんの記憶も思い出すということ。
なかったはずの10年の記憶が思い出されたとき、フェイリスに残されるのは苦しい感情なのではないか。

まゆり「オカリンどうしたの? 難しい顔してー」

岡部「ん? 何でもないぞ。少し小腹がすいたなあと思っていたのだ」

ダル「お、じゃあ早く帰って、ラボでカップ麺でも食べるお」

まゆり「ジューシーから揚げもあるよーー!!」

岡部「フッ、そうだな」


フェイリスがまたも苦しむ姿を――俺はもうみたくない。
悪いのはすべて俺なのであり、俺だけが罰を受けるべきなのだから。
だから、この想像が、どうか間違っていてくれと俺は祈っていた。

紅莉栖「遅い。ラボで一人私を待たせて何してたんだ」

午後二時ごろ、フェイリス宅を後にした俺たちはラボへ帰ってきた……のだが、そこには何故か仏頂面の助手がいた。
ムスーッと顔をしかめ、俺を睨みつけている。そのくせまゆりには甘い声で返事するのだからたちが悪い。

机にはまゆりの買ってきたであろうバナナと、誰のか分からないヘアゴムが5つと、明らかにダルのであろうエロゲが置いてある。
まゆりは髪はくくってないはずだが……コスプレにでも使うのだろうか。
というかダルよ、なぜ机にエロゲを置きっぱなしにしている。

岡部「だから、朝フェイリス宅に行くがお前も来るか、と尋ねただろ。それなのに『私は良いわ。あんた達で行ってきなさい』とかクールぶってメールしてきたのは、他でもない、お前

だ、助手ぅ」

紅莉栖「だ、だって、朝の六時にメールされても……ほとんど頭回らずに返したわけだが……」

岡部「そんな朝に突然フェイリスから連絡が来たのだから、仕方なかろう。それに、まゆりもダルもちゃーんと来たのだぞ?」

紅莉栖「は、橋田はフェイリスさんだからでしょ? 大体……」

まゆり「まあまあ、オカリン、紅莉栖ちゃんはオカリンに会えなくて寂しかったって言ってるんだから、優しくしてあげなきゃ駄目だよ?」

紅莉栖「ふぇっ!? そ、そんなこと誰も言ってな……」

ダル「じゃあ牧瀬氏は寂しくなかったん?」

紅莉栖「そ、それは……」

ダル「爆発しろ」

まゆり「ほらー、オカリン分かったー?」

あたふたする俺にまゆりが目で訴えかけてくる。こういう時のまゆりは意志が強く、折れてはくれない。
そう分かってはいるのに、俺はどうにも素直になれない。

岡部「だ、大体貴様はいったいいつまで日本にいるのだ! 実験大好きっ娘が研究をおざなりにしていいのかあ?」

紅莉栖「だから、学会の用事で来たって言ってんでしょ!? 大体何よそれ……早く帰れって言うの?」

紅莉栖の口調が、一転厳しくなる。分かっていただろ、岡部倫太郎。
それなのにどうして……素直になれないのだろう。

岡部「お、俺の方から来てくれと頼んだ覚えはないが?」

まゆり「オカリン! そんなこと言っちゃだめだよ。もう素直じゃないんだからあ」

ダル「仲直りしたと思ったらまた喧嘩ですか……もう、手の妬ける子ねえ!」

紅莉栖の方を見ると……案の定目が潤んでいる。ああ、俺は馬鹿だ。一体何をしているんだ。

紅莉栖「……あんたに悪意はないって分かってるけど……、ちょっと出てくる」

まゆり「あ、紅莉栖ちゃん! 待ってー」

まゆりが引き留めようとしたが、紅莉栖はさっと扉の方へと走って、出て行ってしまった。
するとまゆりがこっちへ顔を向けてくる。その表情は明らかに怒っている。


まゆり「もう、オカリン? ちゃんと素直に言わなきゃだめだよ?」

ダル「まあ、この二人の夫婦喧嘩はいつものことですしおすし。どうせすぐ仲直りするっしょ」

岡部「ふ、夫婦喧嘩などでは……」

といいつつも、やはり紅莉栖のことが気にかかっていた。
素直にならなければ、そう思えば思うほど、照れくさくなり、悪態をついてしまう。
きっと、それは紅莉栖も同じなのだろう。そうだと分かっているからこそ、素直になれない自分が嫌になる。

岡部「……俺も少し外へ出てくる」

まゆり「紅莉栖ちゃんに会ったら、ちゃんな謝りなよ?」

まゆりの言葉に頷きながら、俺はラボを後にした。

――Faris Side


みんなが帰ってから数分してから、私は特に用もなく家を出た。
用事を思い出したというのは嘘だ。本当は、一人になりたかった。


耳栓―――――。


ずっとそのワードが、頭にこびりついて離れない。一体なんだっていうの?
凶真に耳栓を渡される記憶――雷ネットの大会に私が出場し始めてから、凶真に耳栓を渡された記憶なんてない。
それなのに、どうしてかそんな風景が思い出されてしまう。一体どうしてなの?

とても気味が悪い。もしかしてそんな夢でも見たのだろうか。
だけどそれは、夢のそれよりもうんと鮮明で、リアルだった。
デジャブというわけでもない。だけど、確かにそんなあるはずのない記憶が、いくつか私の頭に転がっていた。


誰にも会いたくなかった。誰かに会って、いつものフェイリスを演じるのは、今はとてもしんどかったから。
それなのに――あなたがそこにいてしまった。



――Okabe Side




ラボを出たはいいが、俺は特に当てもなくブラブラとしていた。
すると――そこに見覚えのある顔が見えた。

岡部「……フェイリス」

フェイリス「ニャッ? 凶真……」

フェイリスは俺をさも今見つけたような顔をしたが、その前に一度目が合ったような気がしたのだが。気のせいだろうか。
俺が話しかけても、フェイリスはいつものようにハイテンションで絡んできたりはしなかった。
むしろ悲しそうな顔をして、俺の方を見ていた。

岡部「用事があるのでは、なかったのか?」

フェイリス「あ、あれニャ? あれ、フェイリスの勘違いだったのニャー。ニャハハハハ」

明らかにフェイリスの様子はおかしかった。どう考えても取り繕っているように見える。



岡部「フェイリス……先ほどから様子がおかしいが、どうかしたのか?」

すると、フェイリスは数秒間じっと黙ったまま、俯いた。
数秒後、ようやく、か細く消えてしまいそうな声でフェイリスが言葉を紡ぎ出した。

フェイリス「……実は……」

ゴクリ、と唾を飲み込む。フェイリスの神妙な面持ち。やはり――。

フェイリス「明日ファンタズムのライブに行くって言ってた友達に、ドタキャンされちゃったのニャー!。チケットが余っちゃって困ったのニャー!」

すると、さっきの顔から一転、普段のフェイリスのテンションに戻った。もしかして、勘違いだったか?

岡部「な、なんだそれは。心配して損したではないか」

フェイリス「ニャー! ドタキャンされる苦しみを、凶真は分かってないニャ!」

岡部「ふむ、それはそうとファンタズムというと、あのFESとかいう……」

フェイリス「そうニャ! あの独特で美しい歌声は聴く人の心をハッキングしちゃうんだニャ! まさか凶真も興味があるニャ!?」

先ほどまではどこか作り笑いのように見えていたが、今は幾分それも和らいだ気がする。
だが、子どものころから大人相手に渡り合ってきたフェイリスのことだ。一体本当は何を想っているのか、到底俺には分かってやれない。


岡部「ふむ、まあ人並みにはな」

フェイリス「じゃあ、明日一緒にライブに行くニャ! 駄目かニャ?」

フェイリスが覗き込むような目で俺を見てくる。ええい、そんな目で見るな。

岡部「ま、まあ、余っているというのなら、一緒に行ってやらんでもないぞ。たまたま空いている日だったからな」

そんなフェイリスの本心が分からないからか、俺はフェイリスとライブに行くことを了承していた。
だが俺はライブなど行ったこともないぞ。大丈夫なのか。

フェイリス「やったニャー! じゃあ詳しいことはまた後でメールするニャ! 凶真とデート嬉しいニャー!」

岡部「デ、デートなどと言った浮ついたものではない!」

そう言いながら、フェイリスの元気が少しは出たように思えて、俺はひどく安心していた。
さっきまではどこか変に思えていたが、もしかすると本当に俺の勘違いだったのかもしれない。
まあ明日一日一緒にいれば、勘違いだったかどうかも分かるだろう。
その後数分他愛もない話をした後、俺はフェイリスと別れて、また歩き出した。

――Faris Side



凶真が「どうかしたのか」と尋ねた時、私はすべて言ってしまいたかった。
きっと、凶真は馬鹿になんてしない。いざとなれば、いつもの中二病で流せる。


フェイリス「……実は……」

私がそう口を開くと、凶真の顔はより一層真剣味を帯びた。
そう、凶真はとても優しいのだ。自らの体を犠牲にしてまで、誰かを守ろうとするほど……あれ、それはいつの記憶だっけ?


もう、言ってしまおう。本当はずっと明るいフェイリスでいなければならないのだけど、言ってしまおう。
そう思ったけど、ギリギリのところで私は踏みとどまった――いや、言えなかった。
私の意味不明な記憶に、誰かを巻き込みたくなかったんだ。


フェイリス「明日ファンタズムのライブに行くって言ってた友達に、ドタキャンされちゃったのニャー!。チケットが余っちゃって困ったのニャー!」


チケットが余っているのは嘘ではない。落ちた時のために何枚かチケットを応募したら、二枚当たったのだ。
発券しなければいいと思ったけど、そういうのはあまり気持ちよくないから、発券はした。
誰か一緒に行く人がいれば、と思ったけど――一緒に行く友達なんていないから、一枚余っていたのだ。


岡部「な、なんだそれは。心配して損したではないか」

フェイリス「ニャー! ドタキャンされる苦しみを、凶真は分かってないニャ!」

岡部「ふむ、それはそうとファンタズムというと、あのFESとかいう……」

フェイリス「そうニャ! あの独特で美しい歌声は聴く人の心をハッキングしちゃうんだニャ! まさか凶真も興味があるニャ!?」




凶真がファンタズムへの興味を示した時、私は少し元気が出た。
ほんの少しの間、たくさんの不思議で、悲しい感覚を忘れていた。
私の好きなものに凶真が興味を示してくれると、なんだかとても嬉しかった。
だから――。


岡部「ふむ、まあ人並みにはな」

フェイリス「じゃあ、明日一緒にライブに行くニャ! 駄目かニャ?」



気付けば、私は凶真をライブに誘っていた。



岡部「ま、まあ、余っているというのなら、一緒に行ってやらんでもないぞ。たまたま空いている日だったからな」

フェイリス「やったニャー! じゃあ詳しいことはまた後でメールするニャ! 凶真とデート嬉しいニャー!」

凶真が一緒に来てくれることになった時、私は心底嬉しかった。
気が付くと、いつものフェイリスに、演じなくてもなっていた。
その後数分他愛もない話をした後、私は凶真と別れたけれど、そんな私の心は、思いっきり浮わついていた。

――Okebe Side


岡部「こ、ここがリキッドルームか……」

フェイリス「ニャフフー。始まる前から楽しみなのニャー!」

ライブ当日、待ち合わせ場所で合流した後、俺たちはライブハウスへ来ていた。
ちなみに、いつものメイド服ではないが、しっかり猫耳はつけている。

岡部「し、しかしこんなに早く来る必要はなかったのではないか? 会場は確か17時で……」

現在の時刻は15時前。さすがに早すぎるのではないか?
と思ったのだが……。

フェイリス「何言ってるニャ! そんな時間に来たら先行物販に間に合わないのニャ!」

岡部「ふむ、なるほどな。って、もうこんなに行列が!」

良く見てみると、その先行物販とやらに並んでいる者たちがすでに行列を作っていた。
ええい、この俺の前を行くとは、命知らずな奴らめ。

フェイリス「でもフェイリスは、凶真となら退屈じゃないのニャ!」

岡部「お、おいフェイリス! 抱きつくな!」

フェイリス「ニャフフー、いいのニャいいのニャー♪」

腕に抱きつくようにして頬を摺り寄せてくる。
フェイリスのいい匂いが鼻の方へと運ばれて……って、俺は一体何を考えているんだ!


フェイリス「お目当ての物は全部買えたのニャー!」

岡部「こんなに買いおって、一体誰が持つと……」

フェイリス「凶真は優しいのニャーン!」

岡部「だ、だから抱きつくなと言っているだろうが!」

長い行列と言えど、コミマを思えばこんなもの、子どものチャンバラに過ぎぬ。
この鳳凰院凶真を出し抜こうなど、百年早いのだ!フゥーハハハ!

岡部「それで……会場の時もまたあんな行列になるのか?」

フェイリス「ニャニャッ、入るときはどうせ整理番号順ニャから、そんなに早く来なくていいニャン」

岡部「そうか。それでは少し時間があるな。どこか休めるところに……」

フェイリス「じゃあ、あそこの喫茶店がいいのニャン♪」

岡部「ぐっ、まあよかろう。好きなものを御馳走してやる」

本当はそんな財力は俺にはないのだが……今日くらい仕方あるまい。
チケット代も払わずに観させてもらうわけだしな。

フェイリス「なんか今日の凶真は優しすぎるニャ。はっ、まさか奴らに洗脳……」

岡部「なんだ、フェイリスは奢られたくないのか」

フェイリス「う、嘘ニャ! ありがたく奢っていただくのニャ!」


フェイリス「なんなのニャー、さっきからフェイリスの方ばっかり見てー」

そんなに見ていたつもりはないが、見ていたのだろうか……。
ぐっ、これも機関からの試練か。

岡部「いや、なに、お前のことが心配でな」

フェイリス「ニャッ!? い、いきなり何を言ってるのニャ」

ふふふ、驚いていやがる。
普段中二でしか話さないから、いざ普通に話せば逆にこうなると思ったのだ!
……まあ、心配なのは事実だが。

フェイリス「フェ、フェイリスは標高八千mの修練所で鋼のメンタルを手に入れたから、心配ないのニャ!」

岡部「……フッ、そうか」

この、含みを持たせた、ある種の意味深な笑い。
ハッハッハ、戸惑うがよいフェイリスよ。今こそ我の勝利の時なり!

フェイリス「……でも、ありがとニャ」

岡部「へっ?」

そう言ったきり、黙り込むフェイリス。おい、なんなんだ。なんなんだその意味深な発言は。
認めん、俺は認めんぞ!


フェイリス「いやー、良いライブだったのニャー!」

ライブを見終えると、俺たちはライブハウスを後にした。
フェイリスは興奮気味に、ずっと飛び跳ねながら喋っている。

岡部「うむ、確かに中々良かったな。特になんだったか、あの、蝶は微かな羽ばたきで云々の奴は……」

フェイリス「運命のファルファッラなのニャ! フェイリスもあの歌は大好きなのニャ!!」

岡部「ああ、あの三拍子系独特の雰囲気に、ギターソロのタッピングを用いたフレーズ。非常に良い」

フェイリス「ニャニャッ! 凶真音楽のこと分かるのかニャ? かっこいいニャー」

岡部「ふん、当然の嗜みだ」

まあ、某音楽レビューサイトで見ただけなのだが。
本当はタッピングが何かなんて分かっていない。
というか、あの歌は何処か俺の三週間の世界線漂流を思い出させるのだが、気のせいだろうか……。

岡部「さて、では帰るとするか。送っていこう」

フェイリス「フェイリスは大丈夫ニャ! 一人でだって……」

岡部「送るといっておるのだ。それぐらい俺にさせろ」

フェイリス「……分かったニャ。凶真は優しいのニャー」

岡部「茶化すんじゃない」

今日一日フェイリスと居て、おかしなことはなかった。
あの寂しそうな顔も見ることはなかった。それでも、俺はどこか不安を抱えていた。
元より、フェイリスは小さいころから大人たちと渡り合ってきた人物。
自分の気持ちを隠すなど、造作もないことなのだろうからな。

??「おい、そこの猫娘」

秋葉原に帰ってきてフェイリスの家も近づいてきたころ、突然男に声を掛けられた。
この声……聞き覚えがあるぞ……まさか……。

4℃「てめぇ、チャンピオン気取りのメスネコだな。お前みたいな奴がチャンピオンよりも、俺様の方が似合うってもんだ。なぜなら俺は……」

岡部「やはりお前か……」

フェイリス「ニャッ、凶真も知ってるニャ?」

岡部「も、というと、お前も知っているのか?」

フェイリス「ニャー。雷ネットの大会で見たニャ……でも、何か不正を働いて失格になったとか……」

この世界線でもこいつは雷ネットに参加しているのか。
しかし、やはり汚いやり方は変わってないようだな……。



4℃「おい、てめえら俺様の話を無視すんじゃねえ。このストリートシーンに舞い降りた黒の絶対零度こと4℃様の逆鱗に触れると……」

岡部「その十円ハゲのようになってしまうのか?」

4℃「て、てめえ! なんでそのことを知ってやがる!」

十円ハゲのことを指摘すると、やはり激昂する4℃。
俺の方に近づいたかと思うと、一瞬で腹部にけりを入れてきた。

岡部「ぐはッ」

4℃「おいおい、何倒れてんだ、俺は何もしてねえぜ。ただ、ガイアが囁くのさ。そうそれはまさに……」

フェイリス「凶真! 逃げるニャ!」

4℃「っておい! 待てこのクソピンク!」

4℃はどうやら逆恨みでフェイリスのことを狙っているらしい。
腹部の痛みはまだ引かず、ズキズキと圧迫するように痛みを与えてくるが、俺達は構わず走った。
だが――。




4℃「待ってて言ってんだろーがァ!」

岡部「うぐッ」

4℃「ふん、その猫娘は後でかわいがってやるとして、まずはこの白く穢れた血を、黒の絶対零度で染めてやるぜ」

フェイリスには絶対に手を出させるわけにはいかん。何とか時間を稼ぎ、誰か来るのを待たないと――。
しかし、人通りはかなり少なく、僅かな人たちも、俺を無視するように足早にどこかへ歩いていく。

岡部「な、なにが絶対零度だ。絶対零度は4℃ではなく、-273℃だぞ」

4℃「うるせえ! それに俺は黒の絶対零度。そんじゃそこらの野郎とは訳が違うのさ。ギンヌンガの裂け目はまさしく俺の聖域。分かるか?」

岡部「ぐはッ、うッ」

フェイリス「凶真! 凶真ァ!」

何度も、何度も、何度も、足を腹を、腕を蹴られる。
段々痛みがなくなってきた。よし、これならまだ耐えられる――のか?
ああ、もう分からない。いいんだ、これで。たぶん。

痛みは増しているのか、それともなくなっているのか。
おそらく蹴られ続けているのだろうが、もう俺には分からなかった。
かろうじて、フェイリスの心配する顔が見えて、俺は――。

??「おい岡部! 乗れ!」


4℃「あァン? なんだてめ……」

ブラウン「なんだ、俺に文句あんのか」

軽トラから突然聞こえてきた声で、俺の意識は覚醒した。
車から降り、顔を見せたのは――ミスターブラウンだった。

4℃「え、いや、俺は」

ブラウン「馬鹿が」

ゴスン、というものすごい音が聞こえた後、よんどしーは地面に倒れ込んだ。

ブラウン「てめぇ、次見かけたらぶっ殺すからな」

岡部「ミ、ミスターブラウン、何故ここに……」

痛みをこらえながら、ミスターブラウンに俺は尋ねる。
ミスターブラウンは車に乗り込みながら、答えた。

ブラウン「偶然だよ、偶然。それより、早く乗れ。店でいいか?」

岡部「すまん、助かる……いや、だがラボの方ではなく、こいつの家へ向かってくれ……場所は――」

そういって、俺はフェイリスの家の方へと連れて行ってもらった。
軽トラなので、どう考えても3人は乗れないはずなのだが、小柄なフェイリスが俺の足の隙間に座ることで、何とか無理やり乗車していた。

フェイリスは俺の体の傷に触れぬよう背中を浮かしてくれている。
それでいて、心配そうな顔をしながら、そっと手を当ててくれていた。


フェイリス「凶真……大丈夫かニャ……?」

岡部「俺のことは心配いらん。そ、それにしてもミスターブラウン。偶然とはいえ、良いタイミングだったぞ。れ、礼を言おう」

ブラウン「ふん、ちょっとお得意様のとこへ行って帰る道で喧嘩してる奴がいると思ったら、これだ。ったく、弱いくせに喧嘩してんじゃねえ」

岡部「い、一方的に吹っかけられたのだ」

俺の言葉を聞いているのか、いないのかは分からないが、数秒間後、ミスターブラウンは幾分顔を緩めながら呟いた。

ブラウン「ま、身を挺してでも女の子を守るってのには、ちょっとだけ見直したぜ」

岡部「べ、別にそういう訳ではない。……だがまあ、それなら家賃を下げてくれても」

ブラウン「ばっか野郎。これ以上どう下げるってんだ」

軽口を叩いてはいるが、本当はかなりミスターブラウンには感謝していた。
ミスターブラウンが来てくれなければ、俺は延々と蹴られ、フェイリスはどうされていたか定かではない。

岡部「……ありがとう、ミスターブラウン」

気付けば、俺はものすごく小さい声で、そう呟いてしまっていた。
その声がミスターブラウンに聞こえていたかはわからないが、彼は「フン」と鼻を鳴らし、軽トラを走らせ続けた。


黒木「お嬢様、どうされたのですか」

フェイリス宅に入ると、執事の黒木さんが俺の方を見て、驚いたようにフェイリスに尋ねた。
俺は別に入らずとも、お前を送ったらラボまで帰ると言ったのだが、帰れるわけないでニャ、と一蹴されてしまった。

フェイリス「黒木、はやく手当の準備をして! 私は何もされてない……凶真が庇ってくれたから」

黒木「左様でございますか。では、岡部様、こちらへ」

ソファに寝かされて、俺は黒木さんに手当をしてもらった。
一体この人にできないことなどあるのだろうか。まさにパーフェクト執事だ。

黒木「岡部様、お嬢様は庇っていただいたようで……私からもお礼申し上げます。本当にありがとうございます」

岡部「い、いえ、そんな。俺はそれでも返し消えないほど……フェイリス……留未穂には、借りがありますから」

黒木「今日は泊まっていってください。夕飯、寝床ともにすぐに準備いたします」

その声には、有無を言わせぬ響きがあった。
実際、手当を終えた黒木さんは驚くべき速さで次々と仕事を済ませていった。




夕飯を食べ終えると、黒木さんはどうやら帰っていったらしい。
すなわち、この家には現在、俺とフェイリスの二人きり――はっ、馬鹿なことを考えるのはよせ!

体の痛みは完全に引いてはいないものの、もうほとんど動かせるようになっていた。
黒木さんに案内された部屋のベッドに横たわっていると、小さくノックの音が響いた。

留未穂「……入ってもいい?」

岡部「あ、あぁ……」

俺が返事をすると、フェイリス――いや、留未穂が静かに入ってきた。
いつもの猫耳はなく、“秋葉留未穂”というただの一人の女の子として、存在しているようだった。

留未穂「岡部……さん……」

掠れそうな声でそう呟いたかと思うと、突然、留未穂は飛びついてきて、俺の方へと腕を伸ばした。

岡部「なっ」

横たわる俺の体に、留未穂の腕が絡みつく。
飛びついてきたとはいえ、小柄な留未穂の体は柔らかく、痛みは感じなかった。
突然の出来事に俺は戸惑うが、決して留未穂を避けたりはしなかった。



留未穂「うぅ……怖かったよう……」

留未穂は震えていた。いつも、弱音を吐かないフェイリス。
そんな強くて、ものすごく弱い少女が、泣いていた。

留未穂「黒い感情をぶつけられて……とっても……怖かったの……」

岡部「……あぁ、すまんな」

留未穂「ううん、岡部さんは何も悪くないでしょ? 岡部さんは、私を助けてくれた。……岡部さんはね、私の……、私の……」

そこまで話したところで、留未穂の口が止まった。
一体どうしたのだろうか。

岡部「どうかしたか?」

数秒間、留未穂は何も言わずに俯いた。
ようやく動くと、消え入りそうな声で言った。

留未穂「最近ね、おかしなことばっかり思い浮かぶの……」

俺は、じっと留未穂の瞳を見つめていた。
やはり、まさか――。

留未穂は意を決したように、言葉を紡ぎ出した。


留未穂「馬鹿だって笑うかもしれないけど、今日みたいに黒い感情をぶつけられて……岡部さんが庇ってくれて。
    そしたら、車が来て、助けてくれて。そんなことが、前にもあったような気がするの。そんなはずないのに、なんでだろうね」

いつもの明るいフェイリスではない、素の姿。
それは本当にただの女の子で、悲しいくらいに儚げだった。


留未穂「それだけじゃない。最近ね……約10年前に亡くなった、パパのことが、つい最近までいたような気がするの。
    まるでつい最近までパパと過ごしていたような、そんな思い出が流れ込んでくるの。
    そんなわけないのに、どうしてか頭から離れないの。だから、とっても苦しくて……馬鹿みたいだね」

泣きそうに――いや、きっと涙を隠しながら、留未穂は言った。
俺はそっと留未穂の背中に手を回すと、少し力を込めて、抱き締めた。

岡部「……すまない」

留未穂「どうして岡部さんが謝るの? ふふっ、さっきから謝ってばっかりだね」

岡部「……違うんだ」

――リーディングシュタイナー。
それは、誰もが少しは持っている力。
中でもフェイリスは、まだその力が強い傾向にあったように思えた。
このままその記憶に苦しめられるくらいならば――。

俺は、覚悟を決めた。
あのα世界線でのことは、紅莉栖以外には話していない。
しかし、留未穂は覚悟を持って、俺にこのことを話してくれた。
ならば、俺もそれに応える必要があるのだ。

岡部「……留未穂、聞いてくれるか?」

俺はベッドに座り直すと、留未穂も隣に腰を下ろした。

留未穂「えっ?」

岡部「実は……」

そして、俺は話せる限りのすべてを話した。
α世界線で行ったDメール実験のこと、それによってまゆりの死が確定してしまったこと。
だから、それを避けるために、フェイリス含む数々の願いや想いを、すべて犠牲にしてきたこと。
そしてここは、紅莉栖も死なず、まゆりも死なない、奇跡の世界線で、ようやく俺はそこに辿り着けたこと――。

赦してほしかったわけじゃない。ただ、俺は仮に手段があるとしても、フェイリスのパパさんを助けるわけにはいかない。
もう一度タイムマシンを使うことなど、できないから。

留未穂は、じっと俺の瞳を見つめながら、黙って話を聞いてくれた。
その表情は真剣そのもので、話が進むにつれて、悲しげな表情に変わっていった。

そして、α世界線であったフェイリスとの出来事を話した時、一瞬留未穂の目がカッと開いた。
どうかしたかと聞いたが、そのときは留未穂は答えず、ただ俺の話を聞いてくれた。

話し終えたとき、留未穂は俺の方に近づき、頭を俺に委ねながら、呟いた。

留未穂「……全部……、思い出したよ」



岡部「な、なに! 本当か?」

留未穂「うん……覚えてる……全部……最後に送ったメールも、全部……」

岡部「すまん……」

反射的に俺は謝っていた。
すると留未穂は、俺の方を見て首を傾げながら問うた。

留未穂「ねえ、岡部さん。その世界では、私は最後に、『パパ愛してる』ってメールを過去に送ったんだよね。
    それは、今この世界ではどうなのかな。そのメールは、パパに送られたことになってるのかな」

おそらく――なってないだろう、と思った。
あれから世界は何度も変わった。何度も世界線を漂流し、ようやくここにたどり着いた。
だが、何と答えればいいのだろう、と思っていると、それを察知してか、留未穂は言った。

留未穂「ふふ、そっか、やっぱ届いてないよね。もう、岡部さん、すぐ気を遣うんだから……優しいね」

岡部「い、いや、そういう訳では……」

やはり、この女の前では嘘は吐けない。
すべてを見透かされてしまう――悲しいほどに。

留未穂「ねえ、岡部さん。ありがとう。前も言ったように、私は全然岡部さんに怒ったり、してないよ」

岡部「しかし、俺は……」

留未穂「ううん、いいの。でも……、思ってたより、ちょっとだけ、ちょっとだけ、悲しいね」

そう言うと、留未穂はまた、俺の背中へと手を伸ばした。
前よりも今の方が悲しいのは、当然だろう。

あのときは、まゆりの命と天秤にかけることで、仕方ないんだと思うことができた。
それに、実際にパパさんがいなくなった世界、すなわち元に戻った世界(フェイリスが再度Dメールを送った後の世界)では、そのこと自体を覚えていないから、悲しくはならなかった。

しかし、今はどうだ。
すべてを思い出したうえで、失った10年間の想い出だけが無数に漂う中、そんな失われた現実の中、留未穂は一人取り残されているのだ。

留未穂「ねえ、岡部さん……」

岡部「……なんだ、留未穂」

留未穂「ふふっ、また名前で呼んでくれた」

岡部「それで喜ぶなら、いくらでも呼んでやる。留未穂」

悲しそうな、留未穂の顔。
どこまでも悲しみが広がっているような、圧倒的な儚さ。

留未穂「……誰も悪くないけど、きっとここが幸せな世界だけど……」

留未穂の顔が、俺の胸に沈む。
薄いシャツを通して伝わる水分が、留未穂が泣いていることを伝えていた。

留未穂「ちょっとだけ、今だけは、泣いてもいいかな……」

岡部「……あぁ」

留未穂の泣き声が、部屋中に響き渡った。
それはまるで、美しすぎるピアノの演奏のように、切なかった。

次の日も、俺は頭の中はフェイリスのことでいっぱいだった。
きっとフェイリスは、苦しくてもまた、何も言わずひたすら一人で抱え続けるだろう。
俺に……、何かできることはないのだろうか。

紅莉栖「あ、岡部」

ラボのドアを開けると、すでに紅莉栖が来ているようだった。

紅莉栖「き、昨日は……その……いきなり怒って、悪かったわ」

岡部「え、あぁ。うん」

何かを話してきたのは分かったが、フェイリスのことで頭がいっぱいな俺は紅莉栖との会話に集中できなかった。
結果、生返事になってしまったが、それでも俺は紅莉栖の方を見ようとはしなかった。

紅莉栖「……ちょっと、聞いてるの?」

岡部「え、あぁ。えっと、うん」

紅莉栖「ねえ、岡部。謝ってるんだから聞きなさいよ!」

岡部「あぁ。そうだな」

そこまで返事してた時に、俺はようやくハッとして紅莉栖の方を見た。
が、すでに遅かった。紅莉栖は肩を震わせて俺の方を睨んでいた。

紅莉栖「なによ……もう知らないっ」

すると、俺の横を抜けて紅莉栖はラボの入口へと走った。
そのときちょうど来たらしいまゆりとすれ違ったが、紅莉栖はまゆりの方を一度も見ようとはしなかった。


まゆり「あ、紅莉栖ちゃん、トゥットゥル……あれ?」

走り去る紅莉栖の背中を不思議そうに見た後、ラボの方を覗き込んだまゆりは、俺の姿を見つけてなるほどといったように頬を膨らませた。

まゆり「ちょっとオカリン! また紅莉栖ちゃんに……」

だがそこまで言いかけて、俺の顔を見た後まゆりは言葉を止めた。
何故か悲しそうに眉を下げて、口を開く。

まゆり「オカリン、何かあったの?」

岡部「え、どうしてだ? 別に俺は……」

まゆり「オカリン……、今、とっても悲しそうな顔してるよ?」

岡部「えっ?」

まゆりは案外鋭いところがある。
とはいえ、俺はそんなに悲しそうな顔をしていたのだろうか?

岡部「……すまんな、少し出てくる」

まゆり「あ、ちょっと、オカリン!」

俺はまたここにいるのがどうしても嫌になり、ラボを出た。
行くところもなく、その日一日ひたすらに歩き続けた。


そして、夜になった。
もう帰ろうか――と思ったはずなのに、気付けば俺はメイクイーンに向かっていた。
時間的に、フェイリスが帰ろうとする時間だろうか。
無意識に俺はそれまで待っていたのだろうか。

フェイリス「あれ、凶真?」

メイクイーンから出てきたフェイリスが俺の姿を認める。
俺はゆっくりとフェイリスに近づきながら、どんな口調で話せばいいのだろう、と思った。

岡部「お、おう、奇遇だなあ。まさかこんなところで会うなんて」

フェイリスは数秒間俺の瞳を見つめた後、フフッ、と笑った。

フェイリス「そうだニャ。凶真とは前世から約束された運命、ここで会うのも必然だったのニャ!」

昨日のことなんてなかったかのように、フェイリスは元気に振る舞っていた。
だが、俺には分かる。フェイリスは、無理をしている。


岡部「そ、そうだな。ついでだし、家まで送ってやろう」

フェイリス「えっ、そ、それは大丈夫ニャ! そんなに凶真にばっかり……」

岡部「昨日の奴にまた絡まれたらどうする。人が心配しているのだから、ありがたく受け取れ」

フェイリス「……分かったニャ」

そう言うと、突然フェイリスが腕に抱きついてくる。

岡部「お、おい! それとこれとは話が……」

フェイリス「いいのニャいいのニャー♪」

振り払うこともできず、結局そのままフェイリスの家まで歩いた。
昨日の奴は見かけなかった。ひとまず安心だ。

フェイリス「凶真……ありがとニャ」

家に着くと、フェイリスが笑顔で俺に言った。
だがその笑顔に、少し無理している様子が感じ取れる。

岡部「ふん、礼には及ばん」

フェイリス「それと……、心配かけて、ごめんニャ」

すると一瞬、フェイリスが笑顔という仮面を下した姿が見えた。
苦しんでいて、本当は助けてって言いたくて、だけど言えない顔。

岡部「何も謝らなくていい。お前は何も悪くないのだから。悪いのは……」

フェイリス「凶真……」

フェイリスと別れた後、歩きながら俺は正しいのだろうか、と自問自答を繰り返した。
どうすることが正解なのだろう。どうすることが間違いなのだろう。

――Faris Side


岡部さんがすべて話してくれてから、3日が過ぎた。
あれから岡部さんは、毎日私の家まで送ってくれる。
それはとても嬉しいのだけど……いいのかな、って思う。

岡部さんにとって、牧瀬さんはとても大切な人。
それと同じくらい、牧瀬さんにとって岡部さんは、とても大切な人。

そこに私と言う異物が入り込んで、岡部さんと牧瀬さんを苦しんでる。
それなのに、岡部さんと一緒に入れる時間を楽しいと思ってしまう……なんて私は醜いのだろう。

岡部さんは、知っている。私が“本当に岡部さんと一緒にいていいのかな”と思っていることを。
そして、パパのこととこのことで二重に苦しませていると思って、余計に苦しんでいる。

ここ最近、私はラボに行かず岡部さんとまゆしぃくらいとしか話をしていない。
岡部さんも、ラボにはあんまり行ってなくて、牧瀬さんとも喧嘩をしているらしい。

私のせいだ――。


私なんていなければ良かったのに。一度決心したはずなのに、またパパのことで悲しんで、大切な人を傷つけてしまう私なんて――。

岡部さんは、なんども私を抱き締めてくれた。
私は、何度もその優しさに甘えた。駄目だって、分かってるのに。


また、私のせいだ。また、また、また――――。

――Okabe Side


ここ何日か、ほとんどラボに行っていないせいか、ダルや紅莉栖、まゆりからメールが次々と来ている。
そのほとんどに俺は返信をせず、ただ意味のない日々を送っていた。

昨夜のフェイリスが頭に浮かびあがる。
夜、街灯の下、腕の中にはフェイリス。

フェイリス「……凶真、クーニャンに怒られちゃうニャ……」

岡部「……そうだな」

そう言いながら、俺は腕を離せなかった。
フェイリスも、俺の背中から腕を離さなかった。

好きだとか、好きじゃないとか、そういう次元の話じゃない。
いや、仮にそういう次元を含んでいるとしても、もっと本質的な……、いや、やめよう、言い訳の言葉を探すのは。


俺にとって、紅莉栖は誰よりも大切な人間だ。
俺は……、紅莉栖が好きだ。

だが、だからフェイリスを放っておけるのか?
優しくしないのが優しさだとしたら、傷付いているフェイリスを無視してもいいのか?

俺には、そんなことはできなかった。
それが、正しいのか間違っているのかは、今でも分からない。




と、考えていると、突然携帯が鳴った。
どうやらダルからメールが来たらしい。
最近はあまり返信もできていなかったが……そろそろ見るべきか、と思い、俺は携帯を開けた。

岡部「なになに……『今日もラボで待ってるから、来るんだお』か……」

文面には有無を言わせない響きがあった。
あまり人に会いたくないのでラボにはいっていなかったのだが……仕方ない。

岡部「ラボに行くとするか……」

時刻はまだ昼前。
紅莉栖がラボにはいるかもしれない。

一体、紅莉栖は、どんな顔をしているのだろう。
紅莉栖に会うのが、今一番苦しかった。

まゆり「あ、オカリン」

ラボにはいると、まずまゆりが俺の名前を呼んだ。
開口一番にまゆりに叱られると思っていた俺は、またあの悲しそうな顔をして俺の方をじっと見てきたのが意外だった。

ダル「……オカリン」

いつもとは違う雰囲気を漂わせて、ダルが俺の方を見た。
何があったのかを問いただすような、鋭い眼。

机の上には相変わらずバナナが置いてあるが、おそらく前とは違うものだろう。
前回のものは食べてしまって、新たに購入した分に違いない。
ヘアゴムは同じように3つほど、机に置かれたままだった。

あのエロゲはさすがにどこかへ行ったようだ。
というか本当は、神聖なラボでそんなことをされると困るのだが……。

岡部「ク、クリスティーナはいないようだな」

まゆり「クリスちゃんは、さっきラボを出ていったのです……」

も、もしかして俺は避けられているのか?
だが、俺が紅莉栖をはじめに避けたのだから……どう思われても、仕方あるまい。

岡部「最近、来れていなくてすまんな。この俺がいなければ寂しかったか?」

ダル「オカリン、何があったんだお」

岡部「何って……別に、何もないぞ。ちょっと実家が忙しくてな、はは」

まゆり「オカリンのお父さんもお母さんも、分からないって言ってたのです」

こいつ、家にも聞いていたのか!?
くそ、何と答える……。

ダル「オカリン、牧瀬氏がどんな顔してたか、知ってるん?」

俺は黙り込んだ。
そう、紅莉栖は一体どんな顔をしていたのだろうか。
考えるだけで、胸が苦しくなる。

岡部「……すまん」

ダル「それは、僕じゃなくて牧瀬氏に言うべき言葉だろ常考」

岡部「あ、あぁ、そうだな」

ダル「それで……フェイリスたんと、何があったん?」

岡部「えっ?」

どうしてフェイリスと何かあったと知っているのだ?
……と思ったが、フェイリスも最近ラボには顔を見せていないようだし、分かってもおかしくはないか。

岡部「それは……だな……」

だが、俺には言えなかった。
俺の世界線漂流の話を、シュタインズゲート世界線の皆に言う必要はない。
だってそれは、存在しない記憶達なのだから。

ダル「なあ、一体何を隠してるんだお? オカリンが何を抱えてるのかは知らんけどさ、牧瀬氏は……」

岡部「分かってる。紅莉栖にはすまないと……」

ダル「じゃあどうして牧瀬氏に……」

岡部「牧瀬氏牧瀬氏うるさい! 紅莉栖さえいれば……フェイリスなんてどうなってもいいのかよ!」

ダル「はぁ? 誰もそんなこと言ってないだろ!」

気付けば――俺は怒声を上げてしまっていた。




岡部「だって、だってそうじゃないか! じゃあ一体、どうしたらいいんだよ!?」

俺は涙が零れそうになるのをこらえながら、訴えた。
一体どうすれば、どうすればみんな幸せになるんだよ。
一体どうすれば、誰も悲しまないんだよ。
フェイリスは、パパさんの記憶を抱えて、笑っていけるんだよ。

まゆり「だからね、それを考えるためにね、まゆしぃは教えてほしいのです」

岡部「え、あ……」

まゆりの優しい声が、心に染み込んでくる。
まるで俺の意思なんてないように、だけれど、それは心地よくて――。

ダル「それにさ、オカリン、僕たちラボメンなんだろ。ラボメンは、困った時には助けあうんじゃなかったかお?」

まゆり「そうだよ、オカリン。しんどいよーって、言っていいんだよ?」

岡部「あ……、あ……」

何も、何一つ解決していないのに、涙が零れ落ちるのを俺は止められなかった。
そうだ、俺達は――ラボメンなんだ。
俺もラボメンの一人で合い、誰かを助け、そして困ったときは、助けてもらわねばならんのだ――。

岡部「……すまん……すまん……」

ダル「ふん、そういうときは、ありがとうって言うんだぜ」

岡部「はは……ソースはエロゲか?」

ダル「当たり前だろ常考!」

そこで俺は、ようやく笑った。
電話レンジを改良した時よりも、SERNにハッキングをしたときよりも、ダルが輝いて見えた。

岡部「……ありがとう」

ダル「うはっ、オカリンのデレとか誰得!」

まゆり「まゆしぃは嬉しいので、良かったのです♪」

ラボに、三つの笑い声が響いた。
あぁ、初めからこうすればよかったのか、と思った。

――Faris Side


今日は仕事が入っていないから、一日いるつもりだった。
そんな私に、牧瀬紅莉栖という方がお見えです、と黒木から連絡が入ったのは、もう少しで昼になろうか、という時だった。
初めは、いないと言って、と黒木に言おうとした。

だけど、牧瀬さんが一人で来るなんてよほどの用事があるのかもしれないし、何より牧瀬さんだと考えたら、居留守なんて使えなくなった。
部屋に通して、と黒木に伝えると、私はベッドに座って考えた。

牧瀬さんが、一体どうしたのだろう。
一番考えられるのは、やはり、“うちの岡部に何してんのよ”だろうか。

先日もラボで牧瀬さんをからかうような話をしていたばかりだ。
それなのに先日から岡部さんと……、そう思い出すと、自分が自分で嫌になった。

もうすぐ牧瀬さんが来る……そう分かっているのに、涙が止まらなくなった。
だめ、止まって、お願い、そう思ってるのに――。

紅莉栖「はろー、入っていいかしら」

フェイリス「え、あ、うん。いいよ……いいニャ」

フェイリスを忘れそうになって、あわてて付け足す。
何とか涙を見せまいと、俯きながら必死に目をこすり続けた。

フェイリス「ご、ごめんニャ。ちょっと目にゴミが入ってて……それにしても、一体どうしたのニャ?」

私はまだ顔を上げれずに、ずっと下を向いて目をこすりながら、牧瀬さんに話しかけた。
いつもの私なら絶対にしないことだが……、フェイリスをつくれるまで少し待ってほしい。

紅莉栖「橋田が“オカリンに説教してやるー”っていったら、まゆりが“じゃあまゆしぃがフェリスちゃんに話聞いてくるねー”って言うから、じゃあ私に行かせて、って言ったのよ」

フェイリス「え、どうしてニャ?」

ようやく涙は止まってきた。もう少しでちゃんと顔を上げて、フェイリスができそうだ。

紅莉栖「そんなことより……いつまでも泣いてないで、顔上げなさいよ」

フェイリス「えっ?」

いつもの牧瀬さんより、幾分も優しい声が聞こえて、思わず私は顔を上げてしまった。
そこにいたのは――。

紅莉栖「ね、留未穂ちゃん」

私と同じようにツインテールに髪をくくった、牧瀬さんだった。
それを見た時、遠くなっていた一つの記憶が思い出された。

留未穂「……クリスちゃん」


昔、まだパパが生きていた頃、ある女の子と出会った。
パパのお友達の娘さんだというその女の子は、私より年上だけど、ものすごく恥ずかしがり屋さんだった。

髪の短いその女の子を無理やり鏡の方へと連れて行って、私と同じツインテールにした。
女の子は似合わないからと嫌がっていたが、私は無理やり彼女の髪を結んでやった。

すると、私はとっても可愛いと思ったのだが、女の子は嫌がって、すぐにゴムをとってしまった。


紅莉栖「初めはね、岡部は私を避けるし、『最近フェリスちゃんがおかしいんだー』、ってまゆりが言うから、これは何かあるな、って思ったのよ」

紅莉栖「それで、正直ちょっとだけイラッといたんだけど、いつもあんなに元気なフェイリスさんは何に悩んでるんだろう、ってふと考えたらね」

紅莉栖「……どうしてか、浮かんだのよ。部屋の隅で、『私が悪いの』って頭を押さえて泣きながら、叫んでいるフェイリスさんが」

そう、それは少し経ってからのこと。
お仕事が忙しくて中々構ってくれないパパに誕生日は何が欲しいかと尋ねられ、私はパパと一緒にいたい、と答えた。
初め、パパは一緒にいてくれると言っていたが、急に仕事が入って、一緒に過ごせないことになってしまった。
仕方ない――そう頭では分かっていても、感情はコントロールできなかった。

留未穂(幼)「パパなんか死んじゃえばいいんだッ!」

気付けば、私はそう叫んでいた。



そして、私の誕生日――私は家出をした。
パパを困らせたかった。パパに心配してもらいたかった。
黒木から私がいなくなったのを聞いたパパは、急いで飛行機をとり、帰って来ようとした。
だけど――そのままパパは帰らぬ人となった。
着陸に失敗した飛行機の、唯一の死者になってしまったのだ。

そして、パパのお葬式で、私はずっと泣いていた。
私のせいだったから。私が悪かったから。
大人が慰める声も、何も聞こえなかった。聞きたくなかった。そんなときに――。


紅莉栖「そこで、やっと思い出したの……私は留未穂ちゃん――留未穂と、ずっと前に出会っていたんだって」

クリスちゃんが、手を差し伸べてくれたのだ。
優しい笑顔を浮かべて。あんなに嫌がっていたツインテールにして。

そして、私はそれに救われたのだ。
ツインテールにしたクリスちゃんが、「一人じゃないよ」って言ってくれているような気がして。


紅莉栖「驚いたわ、そして、ずっと忘れていた私がとても嫌になった。でも、仕方ないのかもね。あれからお互いに、色々あっただろうから」

確かに、そうかもしれない。
クリスちゃんはそこから飛び級で海外の賢い大学へ行くほどの天才として歩み、私はパパの代わりに会合に出て話し合いをするようになったのだから。

紅莉栖「でもね、そのことを思い出して、ああ助けてあげなきゃ、って思ったの」

紅莉栖「何があったのかは分からないけど、迷い猫を、あの時のように救ってあげなきゃ、って」

紅莉栖ちゃんはそう言って、ニッコリと笑った。
私は、涙が止まらなかった。泣き止もうとしても、もう制御できなかった。

留未穂「紅莉栖ちゃん……紅莉栖ちゃぁん!」

私は、紅莉栖ちゃんの胸へ飛び込むと、大声を上げて泣いた。
こんなに思いっきり泣くのは、いつ振りだろうか。
と思って、最近岡部さんの前で泣いたのを思い出して、少し恥ずかしくなった。

紅莉栖「もう、よしよし、頑張ったんだよね」

留未穂「ひっぐ……うっ……うぅ……」

紅莉栖ちゃんは、優しく私の頭をなでてくれた。
私が泣き止むまでずっと、その手を止めないでいてくれた。


留未穂「でも、本当ビックリだなぁ、紅莉栖ちゃんと出会っていたなんて」

紅莉栖「それも、こんな風に再開するんだから、ほんと運命のイタズラよね」

紅莉栖「それにしてもね、おかしいと思ったのよ。初めて……じゃないけど、メイクイーンであなたに会った時のこと覚えてる?」

留未穂「岡部さん達に連れてこられたときのこと?」

紅莉栖「そうそう。あのとき、私は留未穂が差し出した手を、ものすごく穏やかな気持ちで握った。そんなこといつもなかったから、なんでだろうって思ってたの」

留未穂「昔のことを、どこかで覚えていたのかもね。それとも、もしかしたら、別の世界で私たちは……」

紅莉栖「もう、留未穂ったら」

私が泣き止むと、紅莉栖ちゃんと並んで座って、少し話をしていた。
一体何に私が苦しんでいるのかは、紅莉栖ちゃんからは聞いてこなかった。それが、きっと彼女の優しさだろう。
紅莉栖ちゃんの顔からは、昔の恥ずかしがっている面影はなかったが、昔のような優しさは十分に感じることができた。

留未穂「私……紅莉栖ちゃんに助けてもらってばっかりだな」

紅莉栖「ふふっ、いいのよ。また困ったことがあったら、留未穂に頼るから」

あのころはまるで年下のように思えた女の子が、今ではまるでお姉さんのように感じる。
もし私にお姉さんがいたら、きっとこんな温もりなんだろうな。



紅莉栖「それじゃ、そろそろラボに行きましょうか。たぶん岡部達が……」

紅莉栖ちゃんがそう言いかけた時、突然ノックの音が聞こえた。

黒木「お嬢様、少し宜しいでしょうか」

黒木はこういう時に、空気を読まずにこんな真似する人間ではない。
ということは、きっと何かよほどの用があるに違いない。

留未穂「どうしたの?」

私が尋ねると、黒木は開けます、と言ってから扉を開き、紅莉栖ちゃんの方へ歩いた。

黒木「牧瀬……紅莉栖様でございますね?」

紅莉栖「え、あ、はい、そうですけど……」

紅莉栖ちゃんは戸惑いを隠せないで私の方をチラチラと見る。
だけど、私だって何が何だか分からない。

黒木「こちらを……お受け取りください」

そう言って差し出したのは、ボロボロになっている箱だった。

紅莉栖「こ、これは?」

受け取りながら黒木に尋ねるが、黒木はそれには答えず、さらに何かを取り出した。

黒木「それは、こちらをお聞きいただければ、分かります」

そう言って黒木が取り出したのは、カセットプレイヤーと、一つのカセットテープだった。

留未穂「あ、それは!」

それを見て、私は思い出した。
それは若い時、パパと中鉢さんがタイムマシンを作るために会議をしている様子を録音したテープ。
そうか、ここには紅莉栖ちゃんのパパの声が……。

留未穂「あの会話を、聞かせてあげるってことだね」

でも、あの会話の中に、このボロボロの箱が何かを指すような会話はあったかな?
そう考えていると、黒木はゆっくりと首を横に振った。


黒木「いえ、そうではありません。2003年7月25日、牧瀬様は秋葉家を訪れ、苦しげな顔をされまま、このテープのB面に録音なされていました」

留未穂「えっ?」

それは初めて知ることだった。
驚きの表情を浮かべる私以上に、驚いていたのは紅莉栖ちゃんだった。

紅莉栖「それって、私がパパと……」

黒木「牧瀬章一様は、幸高様とタイムマシン研究に励んでおりました」

黒木「そんな中、幸高様を亡くし、最愛の娘にまで突き放すようなことを言ってしまった後の牧瀬様の本当の想いが、そこにはあるのではないでしょうか」

紅莉栖「……パパの……本当の想い……」

紅莉栖ちゃんは驚きと、期待と、そして不安を抱えているようだった。
どこか怯えるような表情で、黒木を見ている。

黒木「出過ぎた真似をして、申し訳ありません。しかし、これは間違いなく、牧瀬紅莉栖様が、持って帰るべき忘れ物なのです」

そう言い残すと、黒木は静かに部屋を出ていった。
紅莉栖ちゃんはやはり怖いのか、置かれたカセットテープを再生せずに、ただ眺めている。

そんな紅莉栖ちゃんの肩に、私は手を乗せる。

留未穂「大丈夫だよ、紅莉栖ちゃん。一人じゃないよ」

今度は、私が助ける番だ。
こんな小さなことしかできなくて申し訳ないけど――それでも、私が助ける番なんだ。

紅莉栖「えっ……あっ……」

その言葉が紅莉栖ちゃんの力になった――のかは分からないけど、その数秒後、覚悟を決めたのか、紅莉栖ちゃんは再生ボタンを押した。


中鉢『第……えー、第何回目だったかな、とにかく、相対性理論……超越委員会』

中鉢さんの声が聞こえると、紅莉栖ちゃんが一瞬ビクッとなる。
私はずっと紅莉栖ちゃんの肩に手を置いたまま、聞いた。

中鉢『もう、幸高はいなくなってしまった。亡くなってしまった』

中鉢『あのころの私たちは、タイムマシンを作るという夢に、溢れていたのにな……』

中鉢『それに、最近おかしなことを想うんだ。相対性理論超越委員会には、もう一人いたんだって』

中鉢『おかしいよな。これは私と幸高で始めたものなのに。もう一人、年上の女性がいたような気がするんだ……とても……寂しくなるんだ』

中鉢『あのころに……戻りたいよ。そうしたら、今度こそ絶対にタイムマシンを作ってみせる。娘に論破されないような、完璧なタイムマシンを』

紅莉栖ちゃんはお父さんと仲が良くない、と聞いたことがある。
それは、この娘に論破された、ということと、何か関係があるのかな。

中鉢『……なあ、幸高……それでな……』

中鉢『私は……俺はっ、タイムマシンを使ってやりたいことがあるんだ……』

先ほどから、紅莉栖ちゃんの目を涙ぐんでいる。
その涙は、一体どんな気持ちが引き連れてきたものなのだろうか。

中鉢『今日、娘に、ひどいことを言ってしまった』

紅莉栖ちゃんの顔が、急に上がる。
そしてより一層声に耳を澄ませるかのように、静止した。

中鉢『あの瞬間に戻って、自分に言ってやるんだ。娘を……紅莉栖を……』

中鉢『傷付けるなと』

中鉢『感情に身を任せて、家族の絆を壊すな、と……』

中鉢『俺はあんなこと……』

中鉢『言いたくなかったんだッ!』

さっきの私のように、滝のように涙を流しながら、紅莉栖ちゃんはボロボロの箱を開ける。
そこから出てきたのは、とってもきれいなフォークだった。

紅莉栖「ねえ、留未穂……」

留未穂「なあに、紅莉栖ちゃん……」

紅莉栖ちゃんの涙に釣られて、いつのまにか私も泣いていた。
きっと悲しいわけじゃなくて、泣いていた。

紅莉栖「私達……ここにいていいんだね……」

留未穂「……うん……うん……」

――Okabe Side


ダルとまゆりに大切なことを気付かされてから、俺はラボメンにすべてを話す決心をした。
α世界線でのこと、β世界線でのこと、そして、いまシュタインズゲート世界線にいるということ。

ラボメンを緊急招集すると、まだ生まれていない鈴羽以外のメンバーは、ちゃんと集まってくれた。
一番最後にやってきたフェイリスと紅莉栖は、以前よりもものすごく近い距離感になっているような気がする。

岡部「今日は、集まってくれてすまない。……少し、話しておきたいことがあるのだ」

ダルやまゆりには話したことはなかったのだろうか、覚えていないが、少なくともルカ子や萌郁には、初めての話だろう。
俺は、すべてを話した。

α世界線で、俺達はタイムマシンを――正確には、過去にメールを送れる装置とタイムリープマシーンをつくったということ。
それを利用して、色んな人の願いを無責任に叶えたこと。

その結果、ある組織に狙われ、まゆりが何度も死んでしまったこと。
SERNのことは、萌郁がいる場で言うと問題になると面倒なので、名前はぼかすことにした。

そして、世界を戻すため、皆の願いをなかったことにしたこと。
鈴羽の邂逅を消し、フェイリスの願いをなくし、ルカ子を男に戻した。

フェイリスについての話は、少し詳しめに話した。フェイリスを元気にするというのが、最終目標だからだ。

逆に、ルカ子の話や萌郁の話などは短く終わらせた。
ルカ子の抱いていた俺への想いをこんな場で俺から言われたらルカ子は嫌だろうし、萌郁について深く話すと、またSERNに目をつけられかねないと思ったのだ。

逆に言えば、タイムマシンを作ったなどと言っていても、この世界線では存在しない以上、少しくらい話しても、萌郁も下手に干渉して来ないだろう、と踏んだ。


また、未来のことも言わなかった。鈴羽がダルの娘である、などと言ってしまって、未来が変わってしまうことが怖かったのだ。
そして、まゆりを助けられると思ったら、今度は紅莉栖を犠牲にしなければならなかったことも話した。

……紅莉栖と交わした口づけについては皆には話していないが、それはいらないと判断したからであって、恥ずかしいわけじゃないぞ!

そして、β世界線に戻ってくると、第三次世界大戦を防ぐため、また過去を変えなければならなかったこと。
それに一度失敗して、俺は紅莉栖を殺してしまったこと。

しかし最終的に、紅莉栖を助け、このシュタインズゲート世界線に辿り着けたのだということを、すべて話した。

話し終えた後は、皆ポカーンとしていた。
以前に話していた紅莉栖や、フェイリスは悲しそうな顔で、俺の方を見ていた。


最初に口を開いたのは、まゆりだった。

まゆり「ううっ……オカリンは……ずっと頑張っててくれてたんだね……」

ルカ「僕が女の子だったなんて……信じられません……でも……」

萌郁「……私の話……短い……」

ダル「オカリン……オカリンになら、掘られてもいいお」

岡部「だが断る」


皆、俺の話を信じてくれたようだった。
本当、お人よしばっかりだな、こんな話を信じてくれるなんて……。
……本当に、良い仲間を持ったものだ。


ダル「さーて、じゃあ今日はピザでも頼むかお」

まゆり「あー、いいねえ。まゆしぃはから揚げが食べたいなあ」

萌郁「……私……ケバブ……」

岡部「お、おい、一体何の話だ」

俺がそう聞くと、普段の3倍(ただし元は0)のイケメン度でダルが答えた。

ダル「もちろん、フェイリスたんを元気づけるパーティに決まってるだろ、常考!」

ルカ「あ、それなら、お料理手伝いますね」

紅莉栖「私も手伝うわ、漆原さん」

岡部「っておい! 勝手に決めるな! いや、駄目ではない……というかありがたいが……って助手! お前だけはキッチンに立たせんぞ!」

紅莉栖「はあ? それどういうことよ」

岡部「……ラボは戦場ではない。破壊活動を行いたいなら他所で……」

紅莉栖「誰が破壊活動するって言った! まったく、私だって料理くらい……それに、留未穂のためなんだからなッ」

いや、お前は……。
まあ、ルカ子が一緒ならば、何とかしてくれるだろうか。
というか、紅莉栖はいつの間にフェイリスの真名で呼ぶようになったのだ?

岡部「というか助手よ、一体いつからフェイリスのことを真名で呼ぶようになったのだ」

そのまま聞いた。
何のひねりもなくて悪かったな。

紅莉栖「あら、つい留未穂って呼んでしまってたかしら? 危ない危ない、気を付けないと」

岡部「おい、だから一体いつから……」

紅莉栖「二人だけのの秘密よ、ヒ・ミ・ツ。岡部なんかには教えてあげないわ」

まゆし「まゆしぃも気になるなー、一体何があったのかなー?」

紅莉栖「まゆりには後で話すわね。あ、もしよかったら他のみんなも……」

漆原「え、いいんですか?」

萌郁「……聞きたい」

紅莉栖「もちろん、留未穂……じゃなくて、フェイリスがオッケーしたらだけどね」

岡部「おいそこ! 態度が全然違うではないか!」

橋田「ウハッ! みんなって僕も入ってるんですか! ついに僕にもモテ期が……」

紅莉栖「あ、岡部と橋田以外ね」

橋田「ウオーッ、冷たい目! だがそれがいい! ごちそうさまです!」

いつにも増して騒がしい奴らだ。
ダルにいたってはさっきからかっこよさが半減しているぞ(ただし元は0)。


ふとフェイリスを見ると、フェイリスは少し俯いて固まっていた。

岡部「フェイリス、どうかしたのか?」

フェイリス「……ううん。そうじゃなくて、ただ……」

岡部「ただ?」

俺がそう聞くと、フェイリスは数秒経ってから、いつか振りの笑顔で、答えた。

フェイリス「とっても、嬉しいのニャ!」

その目には少し涙が溜まっていて、それでいて、光に満ち溢れた笑顔だった。


――Faris Side


パパに死んじゃえって言ってしまったことを、忘れた日なんてなかった。
悲しみは薄れても、ふとした瞬間に悲しくなることは、どうしてもある。
それに加え、パパが生きていた世界のことを思い出すと、記憶がこんがらがって、本当に混乱した。苦しかった。

……だけど、私は一人じゃないんだ。
岡部さんも、橋田さんも、マユシィも、紅莉栖ちゃんも、漆原さんも、萌郁さんも。
ううん。
凶真も、ダルニャンも、マユシィも、クーニャンも、ルカニャンも、モエニャンも。

みんな大切な仲間なんだ。
かけがえのない、私の仲間なんだ。私は……、一人で苦しまなくたっていいんだ。


ねぇ、きっと、どこかから見てるよね?
私が成長していくのを。仲間ができるのを。いつか結婚して、家族ができて、私の人生を生きていくのを。


ほら、また、皆が呼んでる。
私の名前を呼んでる。とても楽しそうな声で――。


私はとても小さく、皆には聞こえない声で呟く。


フェイリス「ねえ、ほら、私の大切な仲間の声が聞こえる……パパ?」




というわけで、完結です。
お読みいただいていた方、おられましたら、ありがとうございました。
次は、もっと軽いのを書きたいですねえ……。
笑えるSS書きたいですが、才覚がないようで……。

何はともあれ、今回はありがとうございました。
また機会があれば。

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