関裕美「その言葉を、胸にしまって」【モバマス】 (55)


10年後のお話です

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雑踏の中を走る。

せわしなく歩くサラリーマンや学生をかき分け、かするようにぶつかってはすいませんと叫んでも、目線だけは遠い遠いあの背中へ。

悠々とこちらを見下す歩行者信号に心底腹が立つ。

あぁ、こいつさえいなければすぐにでも追いつけただろうに! 


『スカウトは新人の仕事だ』


息と一緒にせっぱ詰まった頭で、ふと10年も前、プロデューサーになったばかりで言われた言葉を思い出す。

スカウトには新人のうちにしかない、自分のアイドルを見つけるための、それこそ一目ぼれのような“感性”が必要なのだと。

経験ゼロからのスカウトという、理不尽の塊のような業務を達成したあとに教えられたのは、そんな眉唾のような経験則だった。

いや、そんなこと今はどうでもいい。


そう、どうでもいいんだ。

もうすぐ、もうすぐ、あの人に追いつける。

背格好からしてきっと、20代の半ばだろうか。

顔をしっかり見てもいない、なんら桁違いのオーラをまとっているわけでもない。

後ろ姿も颯爽とはしているが、一度ひとごみに紛れてしまえばもう見分けはつかないだろうし、歩き方だって多少姿勢がきれいに感じるだけだ。


だがそれでも、すれ違った。

あの横断歩道の終わり際、死にたいのかと訴えかける点滅した青の下で。

唯一無二の、俺のアイドルに。

言い知れない運命のようななにかを感じた。


重い革靴にいらいらしながら、大股でさらに3歩前に。

さっき一瞬の自失から復活したときにはもう、道路にさえぎられて車列の壁の向こうに行ってしまっていた。

もう二度と見つけられないかとさえ思った。


そんな俺のアイドルに、もう、声が届く―――

「――そこの! そこのきみ!!」

「……? はい?」


振り向いた! 振り向いてもらえた! 

落ち着け、落ち着いて腹に力をこめろ。

聞きやすいようにはっきりとした声で、まっすぐ目を見て、さぁ。


「アイドルに……アイドルに興味は……!」

「……あ」


いつもの定型句を、いつもの万倍の気持ちを込めて口にだす。


その顔を見てなお確信する。

くいっときつくひそめられた眉。

こちらを見返す力強い目線。

きっと笑えば誰よりも可憐な口元と頬。

そうだこの人は、この人こそ、俺の――


……あれ? この顔は、まさか―――

「…………もしかして、裕美か?」

「Pさん?」


かたや呆然と、かたや驚きで跳ね上がる語尾の音。

間の抜けた空気のなかで、俺はかつての担当アイドルと二人。

街の合間でポツンと見つめあっていた。




――――――――――

―――――――――



「体が重い……」

ぎしぎしとうなる体の痛みを無視して、事務所へ続く階段を上る。

原因は……筋肉痛だ。

この前の、2日前の全力疾走が今にして、きて、しまった。

……昨日は平気だったから油断してたなぁ。

1日おくれというのが、体だけじゃなく心までいじめに来る。

はっきりいって、つらい……


「せんせぇ! おっはようございまー! ――っよいしょー!」

「お? ……うっしゃあ! こい! 薫! ……ぐふぅ!!」

「え、だ、だいじょうぶ? いま、すっごい声出たよ?」

「お、おおう、大丈夫に決まってるだろ……! おーよしよし! 薫はおっきくなってもかわいいなぁ! よーしよしよしよし!」

「えへへー!」


階段の踊り場で、160cmの無邪気のかたまりがとんできた。

みぞおちにきれいに入ったその頭をかいぐりかいぐりと乱暴に撫でまわす。

……当然、中年の耐久力ではまだ背中とデコの脂汗は引いてくれないが、そんなもんガマンだガマン。

それにしても、あぁ、昔は余裕で受け止められてたのに、この子もでっかくなったなぁ…。

そう、でっかく……でっかくなって……なぁ。


「ぐずっ……」

「あ、せんせぇまた泣いてるのー?」

「あぁ、だって、だって、事務所に来たばかりで、こーんなにちぃちゃかった薫が今じゃ19歳、華の女子大生だもんなぁ。ほんと、大きくなっちゃって……」

「ははは! それ何回目ー? せんせぇ、私が中学あがった時も、高校上がったときも、大学入って何年たっても、ずっとそれ言ってるよね」

「これが言わずにいられるか。ああもう、薫はかわいい! かわいいぞぉ! ほれぐしぐしぐし!」

「うわぁ! 髪の毛ぐしゃぐしゃになるってー!」


つらつらと今日のスケジュールが頭の中を流れていく。

午後のこの子の仕事は、ファッション雑誌の撮影だったか。

その天真爛漫さで、かつてはおじいちゃんおばあちゃんに大人気だった薫も、いまでは最近流行りな元気系女子大学生のファッションリーダーだ。

うすく化粧の乗った頬にのぞく、大きなえくぼがかわいらしい。

からからと笑いながらこちらを見上げる、すっかり大人びた顔。

その顔にまだ幼かった頃のひまわりのような笑顔が重なってみえた。


いかん、また目頭が……


「ああ、まったく、ほんと、本当によくこんなにまっすぐ育ってくれてなぁ」

「あ、ちょ、ちょっとせんせぇ……」

「一時期ぐれちゃったときはマジでへこんだもんなぁ……あのころは……」

「や、やっぱりまたその話! もういいでしょそれは! いつまで覚えてるの! 忘れてよー!」

「だって、なぁ……」

「だってもなにもないよ! うう、14歳の私めぇ……」

あのころは大変だった。

あんなに素直でいい子だった薫が。

わざわざ学校まで迎えに来なくていいから! とか。

レッスンを見るときの目がえっち! とか。

恥ずかしいからプロデューサー近づかないで! とか……

もう目に入れても痛くないくらいかわいがっていた子の思春期に俺は、それはもうぼっこぼこにされたわけだ。

「……まぁ、一年後にはけろっと元に戻ったわけだが。 というか今じゃ逆に昔と変わらな過ぎてびっくりしてるんだが」

「うーん……? 事務所の居心地がいいからかな? あとそれに……」

「それに?」

「せんせぇ相手ならまぁいっかな、って!」

「……ほほう、そうかそうか! まったく愛いやつめ!」

「わー♪」


大人をたぶらかすのがうまいんだからこいつめ。

そんなうれしい悲鳴を上げながら今日も思う存分かわいがる。

とはいえ、いつまでも入口近くでぎゃーぎゃー言ってるわけにもいかない。

人が通れば邪魔になるし、なによりそう。

今日はとても、大切な約束があるのだから。


「あ、そうだせんせぇ!」

「おー? どうした薫!」

「今日ね、裕美ちゃん! 裕美ちゃんが来てるんだよ! すっごい久しぶりに!」

「……あぁ、知ってるよ」

「え? そうなの?」


びっくりさせようと思ったのにー。

薫のニコニコと不満げな声を聴きながら。

俺はきゅっと、ゆるくなったネクタイをしめなおそうとし……

ネクタイピンが引っかかった。

笑うんじゃない。薫。




――――――――

――――――――




「おっす裕美。久しぶり……でもないか」

「久しぶり、でいいんじゃないかな?」

「はは、それもそうか」


応接間の真ん中で、数年ぶりかに会う裕美がソファに座っていた。

いや、正確にはおとといの勘違いスカウトからだから2日ぶりなんだが。

裕美のお許しがあるなら久しぶりと言い切ったって神様も許してくれるだろう。

よっと、対面に腰掛ける。

このソファはすごい。

大事な商談などで利用する部屋なのに、ふかふかですわり心地が良すぎていつも気がそぞろになる。

正直に言えば苦手なんだが、さすが、あのちひろさんが奮発しただけはある。

「この間はごめんね? 私も急いでたから……」

「いや、こうして遊びに来てくれただけでもうれしいさ」

「うん、私も。 ……あれ? そういえば薫ちゃんは?」

「薫なら、お茶入れてきまー! って給湯室にとんでったよ」

「きまー……ふふ、そっか、薫ちゃんは変わらないね。昔からずっと、元気いっぱいで、かわいいな」

「そうだろう、そうだろう!」

「なんでPさんが自慢げなの?」

「そりゃあ自慢だからな! 俺のアイドルはみんな俺の自慢のアイドルだ! もちろん裕美もな!」

「そっか、ふふふ」

「……ははは」


なんとも上品にわらう裕美。

会うのは彼女の高校卒業、イコールでアイドルの引退の時が最後だから、ひいふうみいと6年ぶり。

うすく引かれたアイラインのせいだろうか。

睨んでいるようだと評判だったその表情が、今日は意思を感じさせながらも柔らかい。

なによりその表情と立ち振る舞いは、どこか余裕のようなものがある。


「Pさんが来るまでに何人かとお話しできたけど、みんな、変わらないね」

「確かにそうかもなぁ、ここに残ってる子たちはみんな、タッパばっかり大きくなっちゃって中身はそのまんまだもんで」

「そういうPさんも、今でもみんなにあまあまみたいだね」

「かわいいアイドルを甘やかして何が悪い! 裕美も久しぶりに甘やかしてやろうか?」

「そう。そういうところね」

「……お、おう」


どうにも調子が狂う。

おどけて見せてもにっこりとかわされて……

昔、裕美と話していたころはこんな風ではなかったはずなんだが…

むしろ自分でスカウトした初めての担当アイドルだった分、ほかの子にも増してでれっでれに甘やかしていたし、裕美も嬉しいとか、恥ずかしいとか、何とは言わず強い反応を返してくれた、はず。

だがなんだこれは。

ふとお茶が飲みたくなって机に手を伸ばすが、ない。

当たり前だ、いま薫が頑張って入れてくれてるのになにやってんだか。


「……え、えー……そうだ! 裕美はどうだ? 変わってないか? もう社会人かまだ学生か? ご家族は? いまでもアクセサリーとか作ってたりするのか? あとは……」

「慌てないで? そんなに一気に聞かれても、困っちゃうよ」

「す、すまん……」

「えっとそれで、最近のことなら、……そう、私、お仕事しながら彫金教室に通い始めてね、このブレスレットとかも――」

「おう、おう……」


やばい、やばいぞ。

なぜか俺が普段通りにいかなくて空回りに次ぐ空回り。

頭の中がぐるぐるで、裕美の言葉が右から左へ素通りしていく。

いっそ、問答無用で今すぐなで回してやろうか? 

いや今の混乱した俺でもさすがにそれはまずいとわかる。

くそう、いっそさっきの薫みたいに、じゃれついてくれれば一発なんだが……

うん、さっきの薫みたいに……

「……えっと、どうしたの? そんな両手広げて」

「え? えー……さぁこい! 俺の胸に飛び込んで来い! 裕美!」

「ぴ、Pさん!? 私そんなことしないよ!」

「そんな……アイドルだった頃は迷わず飛び込んできたのに!」

「思い出をねつ造しちゃだめ」

「くぅ、でも、再開の感動のさなかならもしかたら……!」

「しーまーせーんー」


あ、今のかわいい。

っていやいや、勢いと無意識でいったいなにをしてるんだ俺は…

動揺か? 動揺してるのか? 

ふらふらとどこともなく視線をやると、壁の絵のおっさんと目があった。おい、こっちみんな。

おっさんはあとで燃やしておくとして、そう、相手は裕美だぞ? 

娘すらぶっとばして、それこそ孫のようにかわいがってきた裕美だぞ? 

いくら久しぶりだとはいえ、あのころの気兼ねなさはどこに無くしてしまったんだ。


なんだ? なんでだ? 

原因はどこにある? 

どうしてこんな気持ちになる? 



……だって、そりゃあ―――





「――裕美が、こんなにきれいになったから……」



「え?」

「……あ」

「えっとPさん、今……」

「い、いやすまん! ああえっと、なんだ……その……相変わらず裕美はかわいいなぁ!」

「……うん、ありがとう。 そういってもらえるのは、やっぱりちょっと、うれしいよ」

「……そうか」

「…………」

「…………」

「そ、そういえば! この間いつだったか仕事の合間にな―――!」

「え、え、うん……?」

気まずい。

慌ててとりつくろってはみたものの、ごまかせていないのか、これは……? 

上滑りする空気が身に刺さる。

そもそもいきなり何を口走ったんだ俺は。

仕方ないだろう、いつの間にか口に出していたんだから。

そう自分に言い訳したって、この状況がどうなるでもない。


「―――ってな具合でさ……ははは」

「……ふふ、そっか、みんなも大変だね」

「ああ! あぁ……」

「…………」

「…………っ!」


とにかく無言になるのはまずい、なにかもっと話は、話は……! 

「失礼しまー! お茶とお菓子もってきたよー!」

「きゃっ」

「うお! か、かおる! ?」

「あ、あれ? もしかして大事なお話してた……?」

「だ、大丈夫! 大丈夫だ! いやぁちょうどのどが渇いてきたんだ! ありがとうな、薫!」

「え? そ、そう? えへへー♪」

「あ、この羊羹、キラキラしてきれいだね」

「そーでしょー! お客さん用のやつ開けちゃった! 栗とね、あと金箔だって!」

「ふふ、そうなんだ。 ありがとう薫ちゃん」

「どういたしまして!」


……助かった! 

なにからかはわからないが、とにかく助かった! 

妙に手が震える。いまさらになって襲ってきた焦りのせいだ。

落ち着くために出されたお菓子をほうばるけれど、味がわからん。

これ俺も見たことないし、もしかしてちひろさんの秘蔵の品じゃないか? 

絶対高いやつだぞ、もったいない。


「あ! 裕美ちゃん、やっぱりちゃんとかわいく笑えてるね!」

「か、かおるちゃん!?」

「ん? なんの話だ?」

「えっとね、さっきまで裕美ちゃん、プロデューサー睨んじゃったりしないかな、ちゃんと笑顔であいさつできるかなって……」

「わ、わー! わーわーー!!」

「裕美……お前……」

「う、うぅ……」


裕美が顔を手で覆ってうつむく。

つい今の今までまさに優雅ぁ!といった風だったのに。

確かに顔は隠れてるが、それじゃあ真っ赤でキュートなおでこが丸見えだ。

まるで昔、衣装あわせでふりふりなドレスを褒め殺したときのよう。

地団太を踏み損ねたのか、ぽふぽふと鳴るソファになんとも和まされる。


……なんだ、変わってないじゃないか

「そうか……そうか! まったく裕美は。 笑顔の練習は欠かしていなかったんだな! くくく、プロデューサーは感心だ!」

「ちょ、ちょっとPさん! からかわないでよ、もう……」

「からかってなんかいないぞ! 裕美は笑顔が一番だと教えたのは、世界に広めたのは、誰だと思ってるんだ! 何を隠そう、この俺だぞ! はっはっは!」

「はぁ、そうやってすぐよいしょして……ふふっ」

「そうだ! その笑顔だ!」

「や、やめてって……!」


恥ずかしさではなく照れ。

さっきとはまた別の理由で赤くなった彼女の顔をみて、かつての光景がよみがえる。

照れろ照れろ。

でもって褒められることに慣れろ。

もっと自信をもて。

俺はそう、いい続けたんだ。

そうやってアイドル業界を二人で駆け抜けたんだ。


「Pさんは、もう……」

「まぁそういうなって! な?」

「な? じゃない!」

「ははは、わるいわるい」

「もう……知らない」


このすね方は覚えがある。

俺一人ではもう、なかなか許してもらえないやつだ。

裕美にとっては、俺が必死にご機嫌をとってるのがちょっと心苦しいけど内心うれしいとか思うのだろう、そんなすね方。

これがまたかわいい。

とはいえ、まぁ今日はここには薫もいるわけで。

「あ! ねえねえ裕美ちゃん! 私、裕美ちゃんがアイドルだった時のこと、もっと教えてほしいな!」

「わ、私がアイドルだった時のこと?」

「うん! えっと、たとえばね、どんなレッスンしてたとか、ライブの思い出とか、お友達とかライバルとか……」

「う、うん、うん。私の話でよければ……」


なんだか、なつかしいなと前において、裕美がいろいろな質問に答えていく。

俺はそれに、さりげなく細かいことを補足したり、あいづちをうったり。

若干蚊帳の外だが、薫にとってもいい勉強になるし、裕美も戸惑ってこそいるがキラキラした目で見詰められてまんざらでもなさそうだ。

初ライブ

懐かしいな、緊張している裕美に度胸を付けるために、とにかく全力で褒め続けたっけ。

サイン

一緒に考えてと頼まれたんだが、俺にはセンスがなくてなぁ。

レッスン

不器用な笑顔の写真、鏡だけじゃ物足りないっていっぱい撮ったやつ、今でも残ってるぞ。

友達

千鶴にほたるに乃々に……中心でこそなくても、いつも人の輪の中にいたな。

趣味の小物

実はもらったアクセサリー、まだ大切にとってあるんだ。


きゃいきゃいと移り変わる問いかけと、湧き上がるいろいろな思い出。

話題として言葉に乗せれば、どれだけ時間があっても尽きることはないと思える。

俺が社会に出てすぐのころの、あっという間の数年間。

裕美と共にいられたのはそれだけだ。

だけど、俺の人生で何よりも素晴らしい時間だった。

「じゃあね、じゃあね、あとは……恋の話とか!」

「え?」


お? 


「好きな人とか、憧れの人とかいなかったの? アイドルと両立とか!」

「それは、その……一応、いた、かな?」

「ほんとに!」

「うん。 まぁ、ね」

「お、なんだなんだ? アイドルの恋愛だと?」


俺はそんなもん許さないぞ、と。

薫のかわいい非難の声を楽しみながら、にやにやと冗談めかして言ってみる。

そりゃあ現役で、ともなれば、カウンセリングなりアイドル業への姿勢の確認なりすることは山ほどあるが。

いまさら過去のことに目くじらを立てるのも野暮ってもんだ。

ただ、そんなそぶりを見せたことはなかったから、内心めちゃくちゃ驚いてるしショックを受けているのはもちろん内緒だ。

さて、いったいどこの馬の骨が飛び出るやら。

「えー! だれだれ? 俳優さん? 学校のお友達?」

「お、それなら怪しいのがいるぞ。確かそう、ドラマでコンビ組んだイケメンがいたな。 いやまて、学校でラブレターもらったとかも言ってたし……」

「すごーい! もてもて!」

「ちょっとPさん! ……薫ちゃん、違うからね?」

「くくくっ……」

「笑わないの! ……もう」

「ね、正解はー?」

「えっと、それは、ね――」

ただのたわいのない会話の中のはずだった。


その瞬間。

すっと。

まっすぐに見つめられて。



「―――Pさん、なんだ」



だれかの心臓の跳ねる音を聞く。

…………あ? 


「えーー! せんせぇ!?」

「うん……ふふふ」

「お、おおう?」


完全に気を抜いていた。

ありていにいえば予想外だった。

理解が追いつく。

首から上がゆだる。

目元を隠して、うつむく。

「え? ほんとに? ほんとに?」

「ほんとだよ? ……幼いなりに、憧れ、だったのかな」

「ははは、そんな風に思ってくれてたとか知らんかったわ……感動で泣いちまうだろうが……ったくぅ」


うそだ、感動の涙を隠すなんて、殊勝な理由ではない。

ただ顔を隠す理由がほしかった。

ただ裕美の顔を見ていられなかった。


「でもなんでPさん?」

「それは……忘れちゃった」

「えー?」

「……ひっでぇなぁ」


実のない言葉ばかり口からもれる。

顔が熱い。

興奮だ興奮してる。

孫のような子の言葉に。

なぜかひたすらにうかれていた。

なぜか舞い上がったようだった。

「それじゃあ、今は? 今も憧れの人?」

「え? えっとね……」

「…………」


壁掛けの振り子時計の音がやけに大きく聞こえる。

全神経を耳に。

次の言葉を聞き逃さないように。

なぜ? どうしてそんなにも気にする? 

孫娘のライクに過敏に反応する? 

そんなことは知らん。

「今は、昔とは違うかな?」

「なんだぁ」

「………………ひっでぇなぁ」


……どんぞこに、落とされたようだった。

意図をもって落としていたはずの頭が、肩が、自力で上がりそうにない。

焦点の定まらない視線がネクタイピンから外れない。

それでも、それでも不審に思われたくはなかったから。

根性で顔を上げよう。

この理由のない失意を吹き飛ばそう。

理由なんかない、失意を、吹き飛ばそう。

またかつてのような関係に戻るために。

「でも、あの頃の気持ちとは違うけど……」

「けど?」


その時、総動員した根性を笑うような、気になる言葉に思わず目をやって。



「……ううん、やっぱりないしょかな。えへへ♪」



はにかむような、照れるような。

見たことのない笑顔に、見とれた。

ふふふ、なんて。

改めて笑った裕美もやっぱりきれいで。

けれどさっきの一瞬だけの笑顔がこびりついて離れなくて。

このわきあがる衝動は。

この気持ちは。

そうだ……!


「裕美」

「え?」

「もう一度やらないか」

「お前がもう一度、アイドルに」

「…………」

「前は、かわいい女の子だった」

「そして今、裕美はかわいくて綺麗な女性になった」

「アイドル関裕美はもう一度、関裕美になれる」

「14歳で、24歳の関裕美に」

「それを、俺にプロデュースさせてほしい」


内から上るなにかにまかせて言葉を紡ぐ。

心に訴えかけるなら簡潔に。

この十年で学んだ経験の一つ。

しかし足らない、こんなものではない。

俺の気持ちは、俺の意思は、こんな言葉では表し切れていない。

あともう一言だけ、もうひと息だけ……! 伝えるならば……! 



「お前に惚れた。だから、もう一度、俺と一緒になってくれないか」



ついさっきまで笑い声の響いていた部屋が、痛いほどの無音に沈む。

薫はあんぐりと驚いた口のまま動かない。

裕美とひたすらに目を合わせる。

俺の言葉で見開かれていた裕美の目が、次第にじぃっと細くなる。

眉尻がじりじりと軋んだように上がる。


「……Pさんはひどいね」

「…………」

「私ね、一生懸命だったんだ」

「ああ」

「つらいことも、苦しいことも、いっぱいあったけど、アイドルだった私は、私の人生で最高の私だった。そう、胸を張って言える」

「そうか」

「今日はそれを、思い出して楽しもうとしてたのに……思い出にしようとしてたのに……」

「…………」


裕美の顔が、目が、一瞬だけ伏せられて、すぐに跳ねるように上がる。

窓から入った燃えるような日の光が、その顔を真正面から照らしていて。


「あの私を超えるのは、難しいよ?」

「……そうかもな」

「誰よりも怖いライバルが、私をかき消しちゃうかもしれないよ?」

「……そんなことはないさ」


その真剣な目、眉がよって薄くなったまぶたで。

ともすれば隠れてしまいそうな瞳の奥に映っているのは。


「私の笑顔でまた、みんなを笑顔に……」

「してやれるさ。俺が保証する」


裕美が真剣に考えていてくれている証の。

険しいけど怖くなんてない、そんな顔に浮かんでいるのは。

「いっぱいいっぱい努力して、楽しむ気持ち……」

「全力で思い出させてやる」


不安なのか、戸惑いなのか、緊張なのか、ためらいなのか。

わからないけれど。


「これ以上はないんじゃないかってくらいの、幸せ……」

「これからだっていくらでも見つけられるさ、お前となら」


期待なのか、嬉しさなのか、安堵なのか、希望なのか。

わからないけれど。


「……ふふ、すごい自信だね」

「あぁ」

「……うん、うんわかった。ねぇプロデューサーさん。決めたよ、私ね―――」



きっとまた、何よりも得がたいものになる。

させて、みせる。




―――――――――――

――――――――――



つい5分前まではうだうだと文句を言ってたんだ。

まだなんも教わってない新人にとりあえず街でアイドルスカウトしてこいとか、マジで何考えてんだバカじゃないのかって。


いや、そんなこと今はどうでもいい


そう、どうでもいいんだ。

もうすぐ、もうすぐ、あの子に追いつける。

正直もう仕事とかプロデューサーとしての義務感とか関係ない。

見つけてしまった瞬間、追いかけることしか考えられなかった。

俺の“感性”があの子をアイドルにしたいって訴えていた。


履きなれない革靴にいらいらしながら、大股でさらに3歩前へ。

俺の一生でスカウトできる子は、もうあの子以外にいないとさえ思った。

そんな俺のアイドルに、もう、声が届く―――


「―――そこの! そこのきみ!!」

「……? え?」


振り向いた! 振り向いてもらえた! 

落ち着け、落ち着いて腹に力をこめろ。

聞きやすいようにはっきりとした声で、まっすぐ目を見て、さぁ。


「アイドルに、興味はありませんか……!」


初めて口にだして、そう言った。


おわり!

関ちゃんはきっと美人さんになる。そんな話。

読んでいただいてありがとうございます。
好き勝手やりましたが、私は満足です。

ちょっと過去作の一部も置いておきます。
よかったらどうぞ。


真面目なの
工藤忍「まっくろこげのハート」

ほのぼの
千川ちひろ「ライブカメラを設置しました!」

まゆ「乃々ちゃんたすけて……!」 etcerc......


ではでは

1の中で今までの自信作ってどれ?

>>50

今回のと似た雰囲気でなら
>>47
工藤忍「まっくろこげのハート」ですね


別方向でもっとくわえるなら
千川ちひろ「ライブカメラを設置しました!」
輿水幸子「天使たるボクの素晴らしき日々」 
千川ちひろ「我が名はチヒロ。邪神が一柱なり」

とか書いてます

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