P「伊織と貴音を連れて,食事に行く」 (88)
ドアノブに掛けた手をゆっくりと回して、私は扉をひら――開かないわね? 壊れてるのかしら?
「伊織くん、その扉は手前に引くんだよ」
後ろから、声を掛けられる。
「あ、当たり前じゃない! 言われなくても分かってるわよ!」
慌てた私に引っ張られた扉の、備え付けの鈴がぐわらぐわらと音をたてる。
一瞬、何事かと店内の人々がこちらに目を向けたが、すぐに何事もなかったように視線を戻す。
のっけからとんだ失態を犯してしまった。気恥ずかしさを誤魔化すために、私は店内を見渡した。
落ち着いた明るさの照明、クリーム色を基調とした家具で店内は彩られ、
ポップなBGMが申し訳程度に場を和ましている――いかにも『ファミレス』って感じ。
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でも、問題はこの次。こういったお店は、店員が何処に座るか案内してくれるって言ってたけど――来ない。
ちょっと! 聞いてた話と全然違うじゃないの!!
私が入り口で固まり、店員を呼ぶか向こうからこっちにやって来るのを待つ方がいいのか決めかねていた時だった。
「伊織、プロデューサー。わたくし、窓際のこの席に座りたいと思います」
いつの間に座ったのか。声を掛けられた方へ顔を向けると、貴音が窓際のテーブル席に腰掛けてる。
「そうかい? 僕は座る席にこだわりはないからね。四条君がそういうならそこにしようか」
そう言ってプロデューサーが貴音の向かい側に座る……と、いうか。
案内されない時は、自分で席を決めることも出来たのね。知らなかったわ……。
これ以上入り口で立っているわけにもいかないので、私もプロデューサーの後について行き、貴音の隣に腰掛ける。
「あれ? 伊織くんは僕の横に座らないの?」
目の前のプロデューサーが不思議そうに聞いてきたが、無視。隣では貴音が、既にメニュー表とにらめっこをしていた。
「冷たいね伊織くんは……君と僕との仲じゃないか、遠慮することなんて何にも無いのに……」
しくしくという擬音が聞こえてきそうなワザとらしい泣き真似をするこの男が、私のプロデューサーであるという
事実に反論してやりたかったけど、今日ばかりはそうむげに扱うわけにもいかずに、私は開きかけた口を再び閉じた。
なぜなら――。
「それであなた様。今日は本当にご馳走になっても構わないのですね?」
貴音の問いかけに、もちろん! といった風に胸を張ってプロデューサーが答える。
「愚問だね、四条君。今日は君達二人のお祝いの席なんだから、ジャンジャンやってくれたまえ!」
遠慮は要らないと聞いて、途端に貴音が目を輝かす。
知らないわよそんなこと言って、お財布の中身全部食べつくされても……。
「それにしても、アイドルランク昇格のお祝いがファミレスだなんて」
私も、メニュー表を見ながらつぶやく。パスタやトーストといった軽食と、そこそこのバリエーションがあるケーキ類。
「伊織くん! このお店はファミレスでは無い。『ファミレス風喫茶店』だよ?」
「どう違うのよ……大体喫茶店だって言うなら、ラーメンが当然のようにメニューに載ってるってどうなの?」
「なんと! このお店ではらぁめんも扱っているのですか!?」
私のセリフに、驚愕の表情を浮かべる貴音。あんたは一体、メニュー表の何処を見てたの?
呆れ顔の私を見て貴音が呟く。
「なんと……面妖な」
「あんた、困ったときにとりあえずそれ言うの、止めなさいよね」
「それじゃ、僕はこのコーヒーとモーニングのセットを……え? 夕方にモーニングはやってない?」
「あんたも何しれっと注文始めてるのよ!」
「わたくしはこの『まかろに☆うぇるだん』なる物をお願いいたします」
「それ絶対焦げてるわよね!? っていうかラーメン頼むんじゃなかったの!」
「伊織くん、君はもう少し落ち着きを持ちたまえ。お店の中で騒がないのは常識だよ?」
「夕方にモーニング頼むような人間に言われたくなんてないわよっ! バカっ!」
それから程なくして注文した料理が運ばれて来た。私は無難にパスタ、貴音は謎のマカロニ料理、
そして問題なのがプロデューサー。
「いやぁ、ここのモーニングは最高だねっ!」
そう言ってもぎゅもぎゅとトーストを頬ぼってる姿は、どこかのハムスターを連想させる。
私の隣に、山盛りのマカロニをもきゅもきゅと食べている貴音がいるから、ハムスターが全部で二匹。
「……あんたの強引さを見せ付けられたら、営業であれだけの量の仕事を取ってくるのも納得できるわね」
あの後、「夕方から仕事を始める人にとっては、今の時間が朝である」という意味不明な主張でモーニングを
要求し続けたプロデューサーは、最終的に店長まで呼び出して抗議。本人は自分の熱い話し合いによって
『特別に』モーニングを提供して貰えるようになったと言ってたけど、あれ、絶対にお店の人がこれ以上
騒がれたくないから折れただけだと思うわよ。
「おや? 遂に伊織くんにもこの僕が有能な人間だったということに気づかれてしまったようだね」
そこで、プロデューサーはコーヒーカップに手をやり。
「才能とは恐ろしいものだ。上手く隠したつもりでも、端から滲み出てしまう……」
ニヤリ、と笑った。格好をつけてるつもりなんだろうけど、口の周りがトーストの粉でべたべたよ……。
「そうそう。隠すって言えばこんな話があったんだけど……」
そう言って、プロデューサーが私を見る。その顔に「聞きたいよね?」って文字がありありと浮かんで見える。
「はぁ……それ、どんな話?」
「ほんとに話て良いのかい? 聞いたことを、後悔するかもしれないよ?」
「あんたが聞けって顔してんでしょっ! さっさと話しなさいよ!」
私の剣幕に「ヒェッ」と変な声を出したプロデューサーだったけど、ワザとらしい咳払いをしてから、ようやく話し始めた。
「この話は、この前僕が残業で遅くなった時の話なんだけど……」
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「その日、僕はどうしても片付けなくてはならない仕事があって、不本意ではあったけども事務所に残って仕事をしていたんだ。
眠たい目を擦りながらもくもくと作業をこなしていって、そろそろ日付も変わりそうになったところで、
僕は休憩を取ることにした。事務所には僕以外もう残っていなかったから、コーヒーなんかも自分で淹れなくちゃあならない」
「給湯室に入って、僕はお腹が空いている事に気が付いた。思い返してみると、その日は朝ごはんしか食べてなかったからね。
冷蔵庫の中をのぞいてみたけど、使いかけの卵とジュース、後はゴーヤぐらいしか入っていなかった――
なんでゴーヤが入っているのかって?――それは事務所の七不思議のひとつだよ」
「仕方が無いから、僕はコンビニに行くことにした。そうそう、最近のコンビニは本当に便利になったよね。
何時までだって開いてるし大抵の物ならなんでもそろう――話を続けるよ? コンビニに着いた僕は、
まっすぐにお弁当コーナーを見に行ったんだけど残念な事に美味しそうなお弁当は残っていなかった」
「ラーメンやパンなんかはいくらかあったみたいだけど、どうもそういった物を食べようという気にはなれなくてね。
ふと視線を移すと、出来合いの惣菜が並んでいるのが目に入ったんだ。そこで僕は思い出した、給湯室には炊飯器があって、
非常用のお米も用意されていたって事をね」
「だから惣菜を買って、ご飯を炊いて食べることに決めたんだけど……炊きたてご飯と一緒に食べるのに、
レンジでチンした惣菜を食べるってのも、味気ないだろう――えっ? 別にどうだって良い?
いやいや、とても大切なことなんだよ伊織くん」
「食事っていうのはね、美味しく食べるためにはそれ相応の『準備』と言う物が必要なの! ご飯を美味しく炊くために
水からカルキを抜いておくとか、ハンバーグの中心に火が通るようにへこみを作っておくとかの下ごしらえも、
食べたときに美味しいと感じやすくするための、大切な『準備』だよ。このひと工夫と手間を惜しまない事によって、
何気ない食事が何倍も美味しい物になるんだ」
ここまで話して、プロデューサーは再びコーヒーカップに手をやった。一口飲んで、再びニヤリと笑う。
「僕は食に関してはうるさいからね。美味しく食べるためのひと工夫なら、無意識のうちに体が動くレベルだから!」
ドヤ顔で語るプロデューサーだけど――そこまで言うなら、
食べる側の『準備』ってヤツにも気を使いなさいよね……口周りにパンくずつけたまんまよ?
「まこと、プロデューサーの言う事は的を射ておりますよ。伊織」
突然、それまで黙ってマカロニを頬張っていた貴音が会話に加わる。
「わたくしも最高のらぁめんを食べる前には、いめぇじとれぃにんぐによる事前の練習と、
より美味しく食すための作法に、ひと際気を使っております」
「ほら、四条君は僕のこだわりに対して好意的なようだよ! さすがは765プロダクションの誇る食通アイドルだね!」
貴音の言葉に、満足そうに頷くプロデューサー。それを見て、微笑みながらパスタをすする貴音。
いけない、頭が痛くなってきたわ。
「……で? その『準備』が大切な事は分かったから、早く続きを話しなさいよ」
「うん。だからね? 出来合いの惣菜を使うのは味気ないと思った僕は、
食材を買って帰って自分で料理する事にしたんだ――なんて顔で僕を見るんだい伊織くん?
――料理を作れるとは思わなかった? 失敬な、僕だって一人暮らしが長いのだから、最低限の料理ぐらいこなせるよ……
この前は春香ちゃんに驚かれるし、そんなに僕は不器用に見られているのかな?」
「話を戻そう。さっきも言ったけど、最近のコンビニはホントに便利になっていてね。
卵やお肉、野菜なんかも売ってるんだよ!炊きたてご飯と一緒に食べるために、僕はちょっと奮発して食材を買い込んだんだ。
それから事務所に戻ると炊飯器をセットして、すぐに料理にとりかかった」
「お肉を漬け込んで、卵と野菜を一緒に炒めて――えっ? ゴーヤは使わなかったのかって?
僕だってね、アイドルの子達の物かもしれない食品を勝手に使ったりはしないよ!
最初に冷蔵庫を開けてた癖にって……ハイサイ! やめやめ、ゴーヤの話はこれでおしまい!!」
「まったく、余計な茶々を入れるから話がさっぱり進まないじゃないか。
とにかく、ご飯が炊ける頃にはお肉も焼き終わって、僕は晴れて食事にありつけることになったんだ
――なんだい四条君? お肉は美味しかったかって? ああ、もちろん! 柔らかくって最高だった――
四条君、よだれがたれてるたれてるっ! ふぅ、話を戻そう……ところが、だ」
そこまで話すと急に、プロデューサーの声のトーンが下がった。
突然の雰囲気の変化に、自然と私の表情も強張る。静かになった席に、貴音がトーストをかじる音だけが広がる……。
「食事を終えて、後片付けをして……余った残り物を冷蔵庫にしまう時に、おや?っと思ったんだ。
何ともいえない不安が、僕を襲った違和感の正体を探ろうとした。僕は必死に記憶の糸を手繰り寄せ……
そして違和感の正体に気が付いた時には、戦慄したね」
顔を下に向けたまま、上目遣いで覗くように私を見るプロデューサー。
心なしか、その声が遠くから聞こえてくる錯覚に陥る。それに、なんだか肌寒いような……
――な、なによ! もったいぶらないで、さっさと話しなさいよね、ばかプロデューサー……。
「まさか、そんなはずは無いと、僕は辺りを見回したけど……何処にも、見つからなかったんだ――その時は」
そこまで言って、プロデューサーが黙り込む。
沈黙と息苦しさのせいで、変な音まで聞こえてくる気がする……ザクザクと、何かをかじるようなこの音はなんなのよ!
それになんだか肌寒い気もするし……も、もう! このお店、エアコンが壊れてるんじゃないの!?
私、今凄く怯えた表情をしてるんじゃないかしら……自分でも、鳥肌が立っているのがわかるもの。
そんな事を考えていると、プロデューサーが、ぼそり、と呟く。
「……に……は、……し……な……んだ……」
上手く、聞き取れない……。何度かぼそぼそと呟いた後、ブルッと身震いしたプロデューサーが、
吐き出すように言った言葉は――。
「冷蔵庫にはっ! ゴーヤしか残っていなかったんだっ!!」
瞬間、気がつくと私は手近に置いてあったメニュー表でプロデューサーの頭を思いっきり引っぱたいていた。
店内に、小気味良い音が響き渡る。それと同時に――。
「バカッ! この大バカッ! バッカバカバカバカバカバ――――!!」
あらん限りの『バカ』を浴びせながら、プロデューサーの頭を連打する。うぅぅ!! ホントにこいつって奴は~~っ!!
「痛い! 痛いって伊織くんっ! 止めなさい! あいたっ! めっ!」
肩で息をしながら、私は椅子に座りなおすとオレンジジュースを飲んで――って、空だったわ。
さっき飲み干してたかしら? ……ああ、もうっ! バカデューサーのせいで思い出せなくなっちゃったじゃないの!
「ふぅ、ふぅ……まったく、ゴーヤが入ってる冷蔵庫の話をするためだけに、私を怖がらすような真似までして
……ただで済むと思わないでよね! 覚悟してなさいっ!?」
周囲の視線が、再び私達に集まる。当たり前よ、誰だって急に大声でバカバカ聞こえたらびっくりするわ。
そんな私からの睨むような視線を受けてなお、目の前のプロデューサーは悪びれた様子もなく言う。
「ゴーヤがあっただけって……違うよ伊織くん。ゴーヤしか無かった事が、この話の核心なんだよ!」
プロデューサーがやれやれと言った様子で言うが、私にはさっぱり意味が分からない。
「説明してっ!」って私の表情から察したのか、コホンとワザとらしい咳払いをしてから、プロデューサーが話し出す。
「話は始めの方まで戻るんだけど、僕が事務所の冷蔵庫の中身を確かめたとき、何が入っていたか覚えているかい?」
「えっと、確か……」
「卵にゴーヤと、ジュースですよ伊織」
「そう、貴音の言うとおりだ」
咄嗟には思い出せないでいた私に、貴音が助け舟を出してくれる。それにしてもよく覚えていたわね……
食べ物の話だったからかしら?
「でも……だからそれが何だっていうのよ!」
「言ったろう? 事務所には僕以外の人間はいなかった。コンビニに行って戻るまでの間に、事務所に入れた人間もいない
……鍵はきちんと掛けてから出かけたからね。なのに、冷蔵庫からはゴーヤ以外が消えていた……」
「僕も、自分の勘違いを疑った。ゴーヤをジュースと見間違えたんだとも思ったけど……見つけてしまったんだよ。
給湯室のゴミ箱に捨てられた、オレンジジュースの成れの果てを……」
不意に、私は思い出した。数日前、楽しみに取っておいた私のオレンジジュースが、冷蔵庫から忽然とその姿を消した
忌まわしい事件の事を……まさか、プロデューサーが!?
「あんたがジュースを飲んだ事を誤魔化すために、デタラメ言ってるんじゃないでしょうね?」
私はジロリと、疑いの目をプロデューサーに向ける。
「まさかっ! 大体僕が君のオレンジジュースを横取りしたりなんてするわけが無い! 高槻くんに誓ってもいい!!」
「本当に身に覚えが無かったんだ……だからその後、僕は仕事を切り上げてすぐに事務所を後にした……
酷く眠たくなっていたけど、一人で事務所に泊まる気には、とてもじゃないけどなれなかったからね」
そう話すプロデューサーの姿は、確かに嘘をついているようには見えなかった。それに『やよいの誓い』を出す程だもの……。
いくら普段からふざけているプロデューサーでも、この誓いの重さは理解しているはず。
「だとしたら、一体誰が私のジュースを……」
その時、私の脳裏に考えたくない一つの可能性が浮かび上がった。
まさか……いえ、でもあんなに粗末な事務所なんだもの。むしろ今まで何の噂も出なかった事の方が不思議だわ……。
でも、同時に一つの違和感が、私の胸に引っかかった。
外出するので、一旦区切ります
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「……? ちょっと待ちなさいよ」
そう言って私は、隣にすわる銀髪の女性の方を向く。
「貴音は……何とも無いの?」
違和感の正体――それは、事務所でもこの手の話を極端に嫌う貴音が、平然と話を聞いていたこと。
そして、プロデューサーの話が終わった今でも、普段となんら変わらぬ面持ちで、マカロニを頬張っているという事――!!
「はて? 何とも無いとは、どういう意味でしょうか?」
私の問いかけに、心底不思議そうな表情を返す貴音、その反応に私達は動揺を隠せなかった。
「だって、今の話がホントなら、事務所には……その……アレがいるかもって話なのよ!?
それも、オレンジジュースを好物としてるヤツが!」
プロデューサーも、さっきからうろたえた様子でいる。なんで、どうして貴音はこんなにも冷静でいられるのよっ!?
「そうなんだよ、四条君。僕には霊感なんてないけれど……それでもあんな不思議な事が起きてしまっては、今後の事務活動にも支障をきたすというか……なんというか……」
そう、最悪の場合、事務所の移転も考えなくちゃならない問題。そもそも何か『いる』かもしれない場所で、これからも普段通り過ごせる自信なんて、あるわけないじゃない!
「なるほど……事務所に『例のアレ』がいるかもしれないので、お二人は怖がっておられると」
貴音が、持っていたフォークを机の上に置く。あれだけ山盛りだったマカロニも、今や綺麗に平らげられ、
後にはぴかぴかのお皿が置いてあるだけになっていた。
「そして『例のアレ』の話だと言うのに、わたくしが怖がっていない事が、不思議でたまらないと――そう仰りたいのですね?」
「そ、そうよ! 貴音の言うとおり……なのに何で、あんたはそんなにも冷静でいられるのよっ!」
問い詰めるような私の言葉を聞いた貴音は、控えめに髪をかき上げ……そして、私達の予想もしていなかった返答をしたのだ。
「案ずる事はありません。わたくしには、全ての謎が解けております」
そう言って、この銀髪の女性は妖しく微笑んだのだ――。
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「――さて」
貴音が、静かに話し出しす。長い間話していたせいか、窓の外は真っ暗になり、店内の人影もまばらになっていた。
「今回のお話、謎解きとは言ってもなにゆえ情報が少ないものですから。
今からお話する事柄にはわたくしの想像で補った点が多い事を、あらかじめ断っておきますね」
そう前置きすると、貴音は右手を顔の近くまで持ち上げた。人差し指だけを上に立てた、探偵物でよく見るあのポーズ。
「まず、プロデューサーにお聞きいたします。快現象が起きた当時、あなた様は普段おやりにならない残業により、
非常に疲れておられた――間違いありませんね?」
「う、うん。ついでに普段なら眠っている時間だったから、実際は眠気もそうとうな物だった……と思う」
「結構です、あなた様」
プロデューサーの答えに、貴音は満足げに頷く。そして次に視線を私へと移すと、質問を続けた。
「伊織。冷蔵庫の中に何が入っていたか、もう一度よく思い出す事はできますか?」
「えっと、最初に入ってたのがジュースと……ゴーヤでしょ?
それで、プロデューサーがご飯を食べた後には、ゴーヤしか残ってなかったって……」
貴音の問いかけに、答えてから感じる違和感。あれ? 私、何か忘れているような気がするんだけど……?
「人は、案外と忘れっぽいものです。それに、なにか一つの物に捕らわれると、途端に視野が狭くなります」
貴音の言葉に、私は違和感の正体が掴めないもやもやした気持ちで彼女を見つめる。
そんな私に、右手のポーズを取ったままで彼女が微笑み返す。
「プロデューサーが最初に冷蔵庫を開いたときに、中に入っていた物。それは伊織のジュース」
テーブルの上、空になった私のコップを右手で指差す。私も、なんとなくその手の動きを目で追いかける。
「そしてゴーヤ」
今度は、プロデューサーの方……正確に言えば、プロデューサーの頼んだモーニングのセットを指差す。
そして、貴音の指差す先にある物――あっ!
「卵っ! そうよ、卵が入ってたわっ!!」
私は思わず声を上げてしまった。貴音の指差す先――
そこには、モーニングのセットで唯一残されたゆで卵が置かれていた。
そうよ、最初に冷蔵庫を開けたときに入っていたのは、ジュース、ゴーヤ、そして卵の三つ――!
「ですが、食事を終えたプロデューサーが冷蔵庫を開けたときには、ゴーヤしか残されていませんでした」
そう言って、貴音がゆで卵を手に取る。
「初めに入っていた卵も、一体何処へ消えてしまったのでしょうか?」
コツンと、お皿のふちに当てられて、ヒビが入るゆで卵。
「この消えた卵の行方を追うことで、わたくしはある一つの仮説を立てることができました。
恐らく、細部は違えども、大筋はこれから話す仮説で間違いないはずです」
「まず最初に、プロデューサーが中身をを確認した時から
食事を終えて残り物をしまうまでの間、冷蔵庫の中は密室となっておりました」
「ですが一度だけ、この密室の扉が開く時があったのです」
「それってもしかして……」
私もようやく気が付いた……そうだ、一度だけ、たった一度だけ密室が密室でなくなる瞬間があった事に!
「料理を……始める前……!」
私の言葉に、貴音が大きく頷く。
「そうです。プロデューサーのお話の中で、あなた様はご飯が炊けるまでの間に、
こんびにで買って来た野菜と卵を使った料理を一品、お作りになった事がわかっております。
恐らく、めいんでぃっしゅとしたお肉の為、付け合わせとしてお作りになったのでしょう」
そうよ! 料理で使ってしまえば、卵が冷蔵庫に残る事なんてないわ。
「これにより、卵が冷蔵庫からその姿を消すことになります。
そして恐らく、その時にあなた様は伊織のジュースも手に取られたのです!」
貴音の言葉に、プロデューサーが息を呑む。私だって同じだ、なんで? どうしてプロデューサーが!?
「あなた様はお話の中で話されましたね。食事を美味しく食べるためには、それ相応の『準備』が必要であると」
「そして、こうも仰られておりました――『美味しく食べるためのひと工夫なら、無意識のうちに体が動くレベル』だとも!!」
貴音が言葉を発するごとに、プロデューサーの動揺が大きくなっていく。
「わたくし、こういった話を聞いたことがあります。お肉を柔らかくする方法の一つに、果物を使った物があるという事を」
「調理前のお肉を果物と一緒につけておいたり、果物の果汁が入ったジュースを使っても同様の効果を得られると聞いております」
果物……果汁……そうよ、だって私の大好きなジュースは――。
「果汁100%の……オレンジジュース……」
私の呟きに、プロデューサーの顔に驚愕の表情があらわれ、そしてすぐに落胆へと変わった。
どうして……どうしてプロデューサーがそんな事を……。
「ここから先はわたくしの推測となりますが……恐らくプロデューサーは、
無意識のうちに伊織のジュースを使ってしまったのだと思われます」
「慣れない夜勤による判断力の低下と、無意識レベルで体が動くと豪語する程の食へのこだわり……」
「料理経験者であることも、良くなかったのかもしれません。つい、習慣的に下ごしらえを――「もういいっ!!」
それまで、ただ話を聞いていただけだったプロデューサーが、貴音の話を遮った。
「もういい……もう、止めてください……」
「そう……伊織くんのジュースを使って――――お肉を柔らかくした犯人は、僕です……!」
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長い沈黙が、私達のテーブルを包み込んだ。どれくらいたったのだろう――。
「――どうして?」
「――どうしてこんなバカな事をしでかしたのっ!?」
とうとう堪え切れなくなって、私はプロデューサーに問いかけた。その問いかけに、プロデューサーが顔を伏せる。
「誘惑に――逆らえなかったんです」
プロデューサーが、重い口を開く。
「奮発して買った牛肉……深夜の変なテンション……食事への拘りが、このお肉をただ焼くだけではダメだと言っていました……」
「そしてたまたま卵をとるために冷蔵庫を開けた時に……伊織くんのオレンジジュースが、私の目に飛び込んできたのです」
「――悪魔の囁きでした。これがあれば、僕はこのお肉をもっと美味しく食べる事が出来る……と!」
「気が付いたときには、全身を果汁で浸された牛肉が、そこにありました。そしてそのまま、ながれるように調理して――」
「焦ったのは、食事を終えた後です。あれ程アイドル達が冷蔵庫にしまっている食品には手をつけないと言っていたのに」
「そこからは、余り覚えていません。調理場を掃除し、ジュースのゴミを処分して……逃げるように事務所を出たのですから」
そこまで話すと、プロデューサーはがっくりと肩を落とした。その様子を見ていた貴音が、諭すように言う。
「ゴーヤでは――駄目だったのですか?」
その言葉に、一瞬、ほんの一瞬だけプロデューサーが「その手もあったか」というような顔になったけど、
すぐにまた元の表情に戻って呟く。
「ゴーヤでは……お肉を柔らかくする事はできないんですよ……」
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「――バカ」
私の言葉に、プロデューサーの体がぴくりと反応する。
「ほんっとにあんたってバカっ! たかがジュース一つで、『やよいの誓い』まで持ち出しちゃって――」
「そうですね……本当に、僕はバカなプロデューサーです」
プロデューサーが、まっすぐに私との目線を合わせる。
「僕は……貴女の大切な物を台無しにしてしまった……」
「それに、卑怯でもある。正直に謝る事もせず、こんな『例のアレ』を使った作り話で誤魔化そうとまでして――」
「――本当に、申し訳ありませんでした」
そう言って、頭を下げるプロデューサー。
「だから、そういうところがバカだって言ってるのよ……」
「――え?」
私の言葉に、不思議そうに返事をする。
「だぁかぁらぁ! ジュースの一つでそんなに真剣に悩むなんて、さいっっこうの大バカ野朗だって言ってるの!」
「良い事? あんたが私達のために普段から一生懸命頑張ってる事なんて、みぃんなが知ってるんだから!
――それがなによ、たまに美味しい物を食べたくって魔がさしましたなんて……」
「私なんか、あんたなんかじゃとても手が出せないレベルのお肉を、普段から食べてるっていうの!
それに、ジュースだって欲しけりゃいくらでも手に入るわよ!!」
「大体……あのジュースが無くなってショックだったのは、ジュースが飲めなかった事よりも、その、
あんたに買って貰った物だったから……って」
「あぁぁーもうっ! と、とにかく! あんたも反省して謝ってもいるみたいだし、今回ばかりは特別に
許してあげようかなって思ったりしたわけ!」
あぁ、もう、イライラする! なんでこいつは、こんなにも物分りが悪いのかしらっ!!
「――伊織は、あなた様の事を許してくださるようですよ?」
貴音のフォローで、ようやく自体を飲み込んだのか、プロデューサーが泣きそうな顔になる。
「あ……ありがとうございます……伊織くん……!」
だから、泣くんじゃないわよ……口のまわりにパンくずつけたままで、みっともない――。
「大人なんだから、これくらいの事で泣かないでよね、恥ずかしいでしょ……シャキっとしなさいよ、シャキっと!!」
「……シャキ……」
「口で言ってるだけじゃないっ! ――まったくもう、こんなんじゃ何時までたっても頼りに出来ないじゃないの!」
「――へっ?」
また、不思議そうな顔で私を、見る。はぁ、ホント大丈夫なのかしら、こいつで?
「今回の件で私に悪いと思うのなら、これからのあんたの活躍で償いなさいよ! だって――」
――だって、私のプロデューサーは――――あんたしかいないって、決めてるんだから!
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「――あー、お腹減っちゃた!」
泣き止んだプロデューサーを見て安心したのか、私は今になってようやく自分がお腹を空かせている事に気がついた。
そういえば、パスタを頼んでいたんだっけ? もうすっかり冷めちゃっただろうけど、この際お腹に入ればなんだって――。
そこで、ハタと気づく。今日だけで何度も感じた違和感。私の前に置かれた皿には、一本のパスタも残っていなかった。
もちろん、食べた記憶は無い。
「――おかしいわね?」
そして思い出す。そう、いつだって違和感の始まりは、私の隣に座る銀髪の――。
「では、お腹も膨れ、謎も解けた所でそろそろ帰る事にいたしましょうか。皆様」
いつの間にか、私の隣に貴音が立っていた。『ほんとうにいつの間に』彼女は私の隣に移動したっていうの?
彼女の座っていた窓際の席から今立ってる通路に出るためには、間に座る私がどかない限り移動することなんて出来ないはずなのに?
それに、不可解な点は他にもある。飲んだ覚えの無い、空になったグラス。
目の前から忽然と消失した手付かずのパスタ。
向かいに座るプロデューサーも、どうやら同じ疑問を抱えているようで、
しきりに空になったモーニングセットを見ては首を捻っている。
「――もしかしてだけど、貴音、あんた――」
私が見上げると、彼女は右手の人差し指を口の前に持っていき。
「ふふっ、とっぷしぃくれっとですよ。伊織」
そう言って、いたずらっ子のような微笑をたたえた銀髪の彼女は、優雅な身のこなしで出口の扉を開けると一言――。
「ごっそさん!」
彼女なりの『こだわり』を見せた後、そのまま夜の闇に溶けるようにして去っていった――
どうやら、この謎については永遠に謎のままにしておくつもりらしい。
私とプロデューサーはお互いに顔を見合わせると、どちらとも無く笑い出した。そして、笑い終わると改めてオーダーを頼む。
注文するのはもちろん――。
「オレンジジュースをお願い――もちろん、果汁100%でね? にひひっ♪」
おしまい
とりあえず今回の話はこれでおしまいです。
以下、思いついたままに書いたおまけとなります。
===============
「松田亜利沙16歳! トップアイドルめざして、頑張っちゃいますよ~!!」
『時はアイドル戦国時代!』
「ありさ、アイドルちゃんが大好きなんです!」
『数多のアイドルが頂点を目指す乱世、乱世!』
「ふむ、今時アイドルが好きだなんて、変わったヤツだな」
『――ではなく?』
「私の名前は池袋晶葉。実験に付き合ってくれる助手を探していてな」
「――世界を変える世紀の大実験に、参加してみる気はないか?」
『アイドルブームが既に過去の物となった時代――』
「昔は魅力的なアイドルちゃん達が大勢いんですけど……」
「ありさの時代じゃ、彼女達の活躍は映像にしか残ってません」
『アイドルに憧れる普通の? 少女と――』
「私の発明はまさに! 人類の革新に役立つ大発明となるのだ!!」
「さぁ、用意はいいな? 出来ていなくても出発するぞー!!」
『人並み外れた天才少女が――』
「ふぇぇ……ありさ達、ほんとに来ちゃったんですね……」
「うむ、新聞の日付も間違い無い……実験は成功したぞ」
「我々が今いるこの場所は――紛れも無く『過去』だ!!」
『歴史を変えるっ!?』
「ティンと来た! キミィ、アイドルのプロデューサーに興味はあるかな!?」
『過去の世界で――』
「始めましてプロデューサーさん。私アイドルやってる秋月律子っていいます」
「ふぉぉぉ!! 本物の! あ、あ、秋月律子ちゃんです~ッ!!」
『アイドルをプロデュース!』
「ありさ達と一緒にトップアイドルになって、世の中にアイドル旋風を巻き起こすんですよ!」
「えぇ~、嫌だよ面倒臭い……」
「杏は働きたくないんだってば~」
『弱小プロダクションから――』
「呼ばれてないけどじゃんじゃじゃ~んっ! あっかねちゃんだよぅ!!」
『世界を目指せ!!』
「ふん! 貴様ら弱小プロダクションの三下アイドル達が、この私に何の用だ?」
『妨害も!』
「わたしの不幸が、周りを不幸にするんです……きっとこの事務所も……」
『障害も!』
「どんな時でもアイドルちゃんは笑顔ですよ! 笑顔!」
「そんなこと誰が言ってたのさぁ~」
「これは、ありさの心の師! ぴにゃこら太Pのお言葉です!」
『仲間となら乗り越えられる――!!』
「――結論から言おう」
「このまま過去に残り続けた場合、助手――」
「――君の存在が、消滅する」
『動き出した運命――』
「――プロデューサー殿はっ! 嘘つきですッ……!!」
『どこかでずれた歯車――』
「ここでありさが帰っちゃったら、せっかく頑張ってきたアイドルちゃん達の頑張りも無かった事になっちゃうんですよ!?」
「そんなの――絶対に嫌です!」
『残された時間、二人の少女が選ぶそれぞれの運命は?』
「なら、助手よ、君との関係もここまでだ」
「短い間だったが、お互いに有意義な時間が過ごせたと思う」
「さよならだ――亜利沙」
『二人の少女が選ぶ、それぞれのゴールとは――?』
「どんな時にも笑顔だって杏に教えてくれたのは、プロデューサーでしょ!?」
「それは、アニメの中の話で……ありさには、最初から無理だったんです……」
『期待の新人アイドル達と――』
「折角、世界レベルで戦える相手が見つかったと思ったのに残念ね」
「――でもこれも、世界レベルの業というものなのかしら?」
『世界<ワールド>クラスのアイドル達の夢の競演!』
「――このステージの先に、どんな未来が待っていようとも」
「ここにいるアイドルちゃん達の力を合わせれば、どんな困難も乗り越えていけるはずです!!」
『今、アイドル映画界に新たな伝説を刻む物語』
「――博士……ちゃん?」
「――随分待たせてしまったな……助手よ」
『ザ☆アイドルトラベラーズ(仮題)』
「良いこと? 腕を上げて、背筋をのばして……そうそう……いくわよっ!」
「――ヘーイッ!」
「「「へ、ヘーイ!」」」
「まだまだ世界レベルじゃないわね! もう一度、ヘーイッ!」
「「「ヘーイッ!」」」
「――なぁ助手よ」
「? どうしました博士ちゃん?」
「あの特訓に効果はあるのか?」
「何をいってるんですか! あの世界レベルのパフォーマンスの素晴らしさが分からないだなんて!!」
「まったく、アイドルの事に関しては博士ちゃんもまだまだですね!」
「やはり――アイドルと言う物は度し難いな」
『全国の劇場で、近日公開予定!!』
さて、以上でホントにおしまいとなります。
最初はファミレスにやって来た伊織の知ったかぶりをいじっていく話を書こうと思っていたのに
気がついたらお姫ちんが謎解きをする話になっていました。まぁ、謎と言うほどの物ではないのですが。
おまけの『嘘予告』はここの雑談スレを見ていたとき、晶葉と亜利沙の名前が並んでいるところから
勢いだけで書いた物です。なんとなくそれっぽく感じて頂ければ幸いかと。
それでは、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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