ありす「聖夜の国のありす」 (20)


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クリスマスはこの世界に魔法の杖を振る。ほら、すべてがより優しく、より美しい。

ノーマン・ビンセント・ピール

「橘」

プロデューサーの一言に、タブレットから顔を上げる。
彼は少し困ったような顔をして頬を掻いた。

「……えっと、本当に泊まってくのか?」

何度も何度も尋ねられた問いに、また頷く。

「はい」

私の答えにプロデューサーは首の後ろを掻いてパソコンに向き直った。
そして再び私はタブレットに目を落とす。
暖かさの欠片もない、無機質な文字列が並んでいた。

始まりは数時間前。
事務所のカレンダーを見た私は、ついにこの日が来たかと少し憂鬱になった。
12月25日、クリスマス。
私の母と父の、結婚記念日。

「……今年もまた、どこかに出かけるんでしょうね」

毎年のことなのだが、二人は結婚記念日には何があってもデートをすると決めている。
去年は父の仕事が忙しく、デートができない危機だと母が騒いでいたが、驚異的な早さで仕事を終え、父は定時で退社し事なきを得た。
だから今年も恐らく私一人で、何ともない平日のようなクリスマスを過ごすのだろう。
私としては両親の仲が良い事は喜ばしいことだと考えているし、デート自体に文句はないのだが……

「……少し、寂しいですね」

自嘲気味に微笑みながらカレンダーを指でなぞる。
慣れたとは言え、割り切ったとは言え、
25日の夜、たまには、家族のような、誰かの温もりに触れたくなるものだ。
そこで、はたと思いつく。

「おはよう橘。どうした?今日はオフのはずだけど……」

ちょうど頭の中に思い描いた人が、事務所のドアを開けてやってきた。
大方、誰かの送迎をしていたのだろう。
黒いマフラーに黒いスーツ、見ようによっては変質者にも見えるプロデューサーは私の後ろに立ってカレンダーを見つめた。

「うん。俺の勘違いじゃないよな」

そう言って一人頷いた彼に振り向いて尋ねる。

「プロデューサー。今夜、何か予定はありますか?」
「へ?今日の夜?」

はい、とプロデューサーの目をじっと見つめる。
すると彼は恥ずかしそうに頬を掻きながらそっぽを向いた。

「いや……ない、けど」
「そう、ですか」

胸を撫で下ろそうとした私はぐっと胸の前で手を握った。
違う、まだ安心するのには早い。

「では―――今日、私がプロデューサーの家に泊まりに行っても、問題はありませんね」
「……え?いやいやいやいや」

さらりと流そうとした私の発言にプロデューサーが突っかかる。
そのまま流してくれたらよかったものを……

「問題しかないだろ。いくらオフとはいえ、お前はアイドルだぞ?」
「それがどうかしましたか」
「どうかしましたか、じゃなくてな……CDデビューもしたばっかりなのに、スキャンダルにでもされたら大変だ」
「ではなぜ、渋谷さんや佐久間さんがプロデューサーの家に立ち入るのは許可されているんですか」

自分でもよくわからないほどムキになって反論してしまう。
案の定その問いに、プロデューサーはばつが悪い顔をして口ごもった。
……本当は彼が悪いわけではなく、なぜか合鍵を持っている彼女らが悪いのだけれども。
それを半ば許容しているため、プロデューサーも反論を紡げないのだろう。

「いやでもな橘」
「でも、も、しかし、もありません。私は今日、プロデューサーの家に泊まります」

意見を曲げない私にプロデューサーは困った顔をしながら言いづらそうに尋ねた。

「……クリスマスに家にいたくない何かがあるのか?」
「今日の夜は両親が共に出かけてしまいまして、家に私一人になってしまうんです」
「なるほどな……じゃあ俺の家じゃなくても別によくないか?女子寮に住んでいる子達のとこに泊めてもらえば」
「男の人がいた方が、母と父も安心かと」
「……余計問題になると思うんだがな」
「それとも、プロデューサーはそういう趣味の人で私に欲情してしまうんですか?」

私のその質問がとどめとなったのか、彼は大きなため息をついて、うつむいたまま両手をあげた。降参、のポーズであろう。
しかしすぐに顔だけ上げて、

「ただし、泊まるのは俺の家じゃなくて事務所。俺も泊まるから、それで勘弁してくれ」

と、真剣な目をして私に告げた。
実は彼の家……というか男性の部屋にも少し興味はあった。
しかし、メインはそこではなく、プロデューサーと一緒にいるという事であるため、

「……仕方ないですね」

しぶしぶ、彼の提案を飲んだのだった。
そして、現在に至る。

まだ仕事が残っているのかPCと向き合って頭を抱えているプロデューサー。
そしてソファでタブレットからニュースサイトを見ている私。
クリスマスなだけあって、ネットの世界は明るいニュースで溢れていた。

暖房がつけてあるので、寒くはない、けれど。
底冷えするような静寂に、私も少し困り果てていた。
これなら一人で家にいた方がマシだったか―――と思った時。

「よし!橘、ちょっと待ってろ!」

そう言ってプロデューサーは勢いよく立ち上がり、事務所の倉庫の方へ急ぎ足で向かっていった。
数分後。

「よいしょっと……」
「……これは?」
「こたつだよ。まだ事務所が出来て間もない頃、節約のために置いてあった時期があってな」

彼はこげ茶っぽい木のテーブルを抱えて、倉庫から戻ってきた。
私の家にもこたつはあるが、それよりも一回り小さめ。
二人入れるかどうかという大きさだった。

「……小さい、ですね」
「まぁ俺と凛、卯月、未央とたまにちひろさんが使ってたぐらいだからこのサイズで十分だったんだ。いつかまた使おうと思って、手入れだけは定期的にしてたんだ」

私がテーブルを眺めている間に、プロデューサーは黒の敷布団と赤の掛布団、そして黒い鞄を持ってきて、せっせとこたつのセッティングを始めた。
暖房がついていて、尚且つ節約ももうあまり必要ないのに、どうしてこんなものを……

「よし、できた」

布団をテーブルに挟み終え、コンセントを刺し暖房を消すと、プロデューサーはもそもそとこたつの中に入っていった。

「まだ冷たくないですか」
「まぁまぁ。二人で入ればあったかくなるさ」

彼はそう言って私に手招きをした。
効率的ではないと思ったけれど、私は手招きされるまま、プロデューサーの向かいに座り、こたつの中に足を入れた。
やっぱりまだ冷たい。
冷たい……けど……。

「そんでついでにこれも見つけてきた」

どん、と机の上に置かれた、布団と共にプロデューサーが持ってきた黒い鞄。
それはなんとなく見覚えがあった。

「これは……」
「ダイスDEシンデレラ。去年にエイプリルフール企画として作ってもらったサンプルのやつだ」

ダイスDEシンデレラ。
おもちゃ会社とのコラボ商品と銘打ってエイプリルフールに発表された嘘企画の一つだ。
結局、ファンの後押しが凄くて本当に商品化されたらしい。
当初、企画の信憑性を高めるために、サンプルを一つ作ったと聞いていたけれど、事務所にあったんだ……。

「これ、どうするんですか?」
「やろう。今から」
「……」

鞄を開けて、中身を次々と取り出しながらプロデューサーは言った。
ミミック姿の幸子さん、アルウラネ姿の夕美さん、そして……パティシエ姿の、私。

「……ルール、私は知らないのですけれど」
「大丈夫、ちゃんと説明するよ。……俺もちょっと、あいまいなとこはあるけどさ」

照れくさそうに笑うプロデューサーに釣られて、私もくすりと笑いながら。
私は、自分の駒を、手に取った。
いつの間にか、こたつは、暖房よりも暖かくなっていた。

「ちょっと休憩しようか」

3回目のダイスDEシンデレラを終えたところで、プロデューサーは立ち上がった。
ちなみに彼が1勝で、私は2勝だ。
楽しい時間が過ぎるのは早いというが、18時ぐらいに始めたはずなのにもう20時を回ろうとしていた。

「腹、減ってるか?」
「……はい」

躊躇いなくそういう事を尋ねるプロデューサーに少しむっとしながらも、おなかが減っていたのは事実だったので素直に頷く。

「んじゃ、事務所にあるもので何か作るよ。少し待っててくれ」
「……事務所に野菜とかが常備されているんですか?」
「まぁな。たまにここに泊まる人もいるし、何かしらはあると思う。昨日も確か飲み会かなんかをやってたんだっけな……」

キッチンへ向かうプロデューサーの背中に私も付いていく。

「橘はゆっくりしてていいんだぞ?」
「いえ、二人でやった方が効率的で早くできるでしょうし」
「……まぁ、橘がいいんなら、構わないけれどさ」

冷蔵庫の野菜室を開けると、そこには人参やじゃがいも、玉ねぎと一緒に無造作にシチューのルーの箱が置かれていた。
さらに別の部屋には豚肉が。

「……シチューでいいか?」
「はい。構いません」

好き嫌いはないかと問うプロデューサーに否定を返しながら、私は野菜を一式取り出して水洗いをした。
プロデューサーはそんな私の横で豚肉を一口台に切っていく。
その間にも、最近はどうだ、とか他愛のない世間話を交えながら。

料理を作るとき、隣に誰かがいる事が、こんなにも楽しいとは思わなかった。

『いただきます』

二人揃ってこたつに入ってシチューを食べる。
キッチンにずっと立ていて冷えた体の芯が、じんわりと温まっていく。

「たまには、こんなクリスマスも悪くないな」
「……そうですね」

こちらを見て笑いかけるプロデューサーに肯定で返しながら、ふと窓の外を見る。
すると、黒い空から白い結晶がふわり、ふわりと舞い降りてきた。

「雪……」

今、そう言ったのは彼だったか、それとも私だったか。
白い結晶は次第に数を増し、聖夜の町に降り注いだ。

「綺麗な雪だな―――ありす」

そう言ってやってしまった、と口を手で押さえて私から視線をそらすプロデューサー。
昔、私と出会ったばかりの頃。
彼は私の事をそのように呼んでいた事を思い出す。

そう言えば、あの日も今日のように雪が降っていたっけ―――

昔を思い出して、何故かおかしくて。
私は緩んでしまいそうな頬を必死に取り繕った無愛想な顔で、

「橘、です」

と言って、残ったシチューをスプーンですくって口に運んだ。
これはとある聖夜の国に迷い込んだ、少女のお話。

終わりです。ありがとうございました。

ありすちゃんボイス一周年おめでとう!

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