綾乃「放課後の生徒会室」 (16)
夕暮れに染まる生徒会室。
十一月も半ばに来れば、陽が落ちたときの気温はもはや冬同前。さっさと仕事を終わらせて、暖かい家に帰らなければ。そう思って書類に改めて向き合った時、目の前の後輩がプリントをとんとんと揃えながら言った。
「先輩、こちらは終わりましたわ」
「えっ、古谷さん早いわね」
「先輩ももう少しで終わりそうですわね。残ってる分私も手伝います」
「ごめんなさいね、作業が遅くて……じゃあこのくらいお願いしようかしら」
「もともと先輩の方が仕事量が多かったんだと思いますわ。先輩のせいじゃありません」
私が数枚のプリントを差し出すと、古谷さんはフォローの言葉と共に受け取ってくれた。今日の仕事量は私も古谷さんもほとんど同じだったはず……それになにより、私は今までこなしてきた仕事の経験量で勝っている先輩なのだから、後輩に後れを取るわけにはいかないのだった。
けれど古谷さんなら少々話は別……私の目から見ても、古谷さんほど何でもそつなくこなす一年生はいない。七森中生徒会期待のバーーーローー年生は、入ってきたときから私たちを圧倒するレベルだった。
器用に仕事をこなし、行き詰った企画に斬新なアイデアを出し、先輩や幼馴染へのフォローも怠らない……心技体の全てが完璧と言ってもいい。彼女は私の優秀すぎる部下なのだ。
彼女を尊敬する。彼女を羨ましくも思う。だからこそ人見知りの私でも、憧れというクッションを使って彼女とは早い段階で仲良くなれた。
私にとって古谷さんは……一年生で一番心の許せる人。
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「もうすぐ終わるから、待っててね」
「はい……それにしても、今日中に終わらせられそうでよかったですわ」
「本当にね……ありがとう古谷さん。たくさん手伝ってもらっちゃって……」
「いえ。生徒会が生んだ不足は生徒会で解決する……会長にも池田先輩にも普段お世話になってますし、今日くらいはお二人の分まで頑張らないと」
「お、大室さんは?」
「あの子は別に……むしろ作業に支障を来しかねないので、今日はいなくて正解だったかもわかりませんわ……」
「あははは……まあそういわないで。大室さんはやるときはやる子だって、もうみんなわかってるわ」
「肝心の “やるとき” が、全然来てくれないんですけどね……」
今日の生徒会活動は、私と古谷さんの二人だけだった。他の三人は揃って所用で欠席……しかしどうしても片付けておかなければいけない仕事があったため、私と古谷さんで協力してこなしているのだ。
大室さんのことを考えて少々肩を落とした古谷さんだったが、すぐに切り替えてまた作業を再開した。
その惚れぼれするくらい素早い作業スピードに目を奪われる……私の中の “憧れ” の想いが、また膨らんだ。
古谷さんは後輩だけど……たまに先輩のように映るときがある。この人に慕われたい、この人に認められたいとさえ思わせるような不思議な魅力。古谷さんの前では「先輩なんだからもっとしっかりしないと」という気持ちよりも、「古谷さんに尊敬してもらえたら嬉しい」という想いが私の原動力となっている気がする。
放課後の夕陽に照らされる古谷さんは、いつもより大人っぽく見えた。
その顔を見て私は……ふと、あることを思い出した。
「あの……この前のことなんだけど……」
「この前……?」
「ほら、ごらく部の人たちと……王様ゲームしたとき」
「!」
古谷さんは作業の手を止めた。
もとより見惚れていて作業に身の入っていない私は、両手で頬杖をついてその顔を見ながら話を続ける。
「そういえば」で思い出したが、それはきちんと彼女に伝えておかなければいけないと思っていたことだった。
「あのとき、古谷さん言ってくれたわよね。私にだったら……キスされても、とか……」
「え、ええ……」
「でね、あの時言いそびれちゃったことがあるっていうか……ちゃんと言わなきゃって思ってたことがあるの」
「っ……?」
こんなことは……恥ずかしすぎて、普通なら言わなかった。けれど古谷さんの顔を見ていると、どうしても言わなければいけないんだという想いが膨らんでいった。
だって……彼女は先に、言ってくれたのだから。
「あのね……私も、古谷さんにだったら、全然よかったのっ」
「……」
「古谷さんはああ言ってくれたけど、私も同じだったのよ……?」
「……」
……あれ?
せっかくとっておきの大事な気持ちを伝えたのに、古谷さんは固まってしまって目をぱちくりさせている。
もしかして、私の言っている意味が伝わっていないのだろうか。夕焼けのムードに心もとろけて少々浮かれていた自分だったが、気恥ずかしさと緊張ですぐにかちこちになってしまった。
「ほっ、ほらっ、あの時って……古谷さんは私に言ってくれたのに私は何も言えなかったでしょ!?」
「はぁ……」
「だからっ、もし嫌々キスしようとしてたなんて思われたらどうしようって、不安で……そんなことは全然なかったって言いたかったの! ……ほ、本当よ?」
「……ふっ、ふふふ……」
「え……?」
身振り手振りも交えて必死に説明をしていると、古谷さんはまるで我慢の限界が来たかのように震えながら笑い始めた。そのリアクションの意味が分からず、今度は私が面くらってしまう。
「うふふ……いえ、すみません。ありがとうございます……」
「へ、変な風に思ってなかった……?」
「思うわけありませんわ。杉浦先輩はそんな人じゃないってわかってましたもの」
「そう……! よかったぁ……」
「そんなに心配してくださってたなんて……はぁ、すみません。やっぱり杉浦先輩って可愛い人ですわ」
「か、可愛い!?」
「すみません、年下の私がこんなこと……でもやっぱりそう見えてしまう時があるんですわ。普段しっかりものの先輩なだけに」
「そうなの……? じ、自分じゃよくわからないけど……」
「先輩はきっとわかりませんわ。そこがまた可愛いんですけど」
「あ、あんまり可愛いって言われると困るわ……そういうの慣れてないから……」
「はい。このくらいにしておきますわ」
さっきまでは私が頬杖をついて古谷さんを眺めていたのに、今度は古谷さんが両手で頬杖をついて、「可愛い」の応酬に赤くなってしまった私の顔を見てきた。
二人しかいない空間でこれは気まずすぎる。私は必死になって目の前の書類作業に打ち込もうとした。
「杉浦先輩は……とてもいい人ですね」
「そんなっ、私なんか……古谷さんには敵わないわ」
「いいえ。先輩は……他の誰にもないくらいの、特別綺麗な心をお持ちです」
「え……」
「先輩にだったら……私は……」
古谷さんのまっすぐな目と自分の目が合ってしまう。
何を言われるのかわからなかった。しかし何かを、大事な何かを言われてしまう気がして、私の意識は彼女の言葉に無意識に集中した。
薄い唇が小さく動く。
私の耳は、部活の喧騒も何もかもをシャットアウトして……古谷さんのその声だけを捉えようとした。
「私は……」
「っ……」
「……いえ、やっぱり何でもありません」
「……っええええ!? 言わないの!?」
「ごめんなさい、ちょっとこれは……言えなくて」
(な、なによ……言ってくれていいのに……!)
具体的にはわからないが、きっと私が嬉しくなってしまうようなことを古谷さんは言ってくれると思っていた。なぜその言葉を言ってくれないのか……それは彼女が珍しく見せるいたずらっぽい笑顔から、なんとなく察した。
「もう……古谷さんには負けるわね」
「負ける? 何がですか?」
「何もかもをよ。全部」
「そんなことありませんわ。私は先輩をすごいといつも思ってますもの」
「そうやって私を持ち上げてくれるところにも、古谷さんの大きさを感じちゃうわ」
「あら、持ち上げるだなんてとんでもない。私は心からそう思ってます」
「もう、だから……」
押しても押しても跳ね返ってくる古谷さんとのやりとり。
彼女に受け取ってもらいたい感謝の想いは、また感謝を上乗せされて帰ってきてしまう。これは彼女にずっと持っていてほしいものなのに、こっちが受け取ってあげなければ終わらない。
それはつまり……
「……私たちは、同じくらい……ってことなのかしらね」
「!」
古谷さんはゆっくり背筋を伸ばした。
頬についていた両手を胸の前で合わせ、可愛らしげに微笑んだ。
「……ええ。ぴったり一緒くらいだと思いますわ」
「一緒……そうね。本当に」
一体何がぴったり一緒なのか。自分でも具体的に思い描けるわけではなかったが、私と古谷さんはきちんと同じものをイメージできていると思った。
「一緒くらいが、きっと一番嬉しいものですわ」
「……ええ、私もそう思う」
しばし流れる静寂。目のやり場に困ってしまった私たちは、同時に書類作業に手を戻した。彼女と同時に動き出せたことがなんとなく嬉しい……彼女ももしかしたらそう思ってるかもしれない……目の前にいる相手と、しばし無言のやり取りを交わした。
「……よし、と。こっちは終わったわ」
「あ、私もちょうど終わりました。お疲れ様です」
「ありがとうね。手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ。これからもどんどん後輩をこきつかってください」
古谷さんは膝にかけていたタオルケットを折りたたむ。二人のプリントを合わせてまとめ、私も帰り支度を整えた。
「途中までだけど、一緒に帰りましょ?」
「はい」
昇降口まで向かう廊下で、古谷さんは隣り合っていながらも私の少し後ろを歩いた。
私はすぐに歩幅を縮めて、彼女の隣を歩く。
ちらりと目に入った彼女の横顔は……あの時と同じくらい、可愛く思えた。
ありがとうございました。
短くてすみません。
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