日向「こぼれ落ちる言葉」 (12)


 濃緑色に塗られた胴を白い布巾で磨くとそれは重厚感のある鈍い光沢を放った。

 瑞雲。空戦も急降下爆撃も可能とした万能型飛行機。多くの戦場で空を舞ってきた私の相棒。

 瑞雲――お前には何度も助けられたな。私が提督の艦隊にもたらす戦果はお前があってこそだと思う。感謝している。

 時に瑞雲、知っているか? 艦娘である私がお前にこうやって語りかけている様に人もまた犬や猫といったペットに他愛ない話をするそうだ。

 不思議なものだよ。犬も猫も……そしてお前も私たち艦娘と違い人と同じ言葉を扱うわけではない。

 ましてやお前は犬とも猫とも違う物言わぬ艦載機だ。なのに、こうして語りかけてしまう。よくよく考えればおかしいものだ。会話が成り立たないのだからな。

 だが、私には何となくわかる気がするんだ。私の話をただただ聞いてくれる存在。それはとても貴重であり癒しでもあるのだと。きっとペットに話をする飼い主もそうなのだろう。

 …………ん? ペット扱いは嫌いか。まあ、そうなるな。すまない。以前、提督から私がお前を拭いている時はとても優しい顔をしていると言われたのを思い出してね。なに言葉の綾のようなものだ、気にするな。

 なだめるように無骨な鋼の装甲を拭けば瑞雲は輝きを放って応える。どうやら機嫌を直してくれたみたいだな。



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 瑞雲……早くお前も次の戦場で大空を舞いたいのか?

 焦るなあせるな。お前の活躍する機会はすぐにでもやって来るさ。

 …………なに? 少しでも多く提督に恩返しをしたい?

 それもそうか。提督が私を改装しなければ私とお前はこうしてめぐり合うことは無かったのだからな。

 なるほど……おまえにとって提督は恩人のようなものか。その忠義……見習いたいものだな。

 お前は私と同じだな。

 ………………………………同じ?

 不意に相棒を撫でる手が止まってしまった。

 ああ、そうか……私も同じなのか。お前が提督の力になりたいように、私もそうなのか。

 なあ、瑞雲……彼はけして特別優秀という訳ではないのだ。

 世の中にはひとたび指揮を執れば瞬く間に勝利を引き寄せてしまう素晴らしい軍略家がいるとも聞く。

 だが、彼にはそういった才覚はないのだ。

 彼に才覚があるとすれば、そうだな……何と言ったら良いのか難しいな……あえて言葉にするなら「徳」ではないかな?

 つまり人間的な魅力というヤツだ。

 彼は不思議な男でね。何故か彼には心を開いてしまうのだ。彼の力になりたいとさへ思える。だから彼の周りには多くの人が集まるんだ。

 まあ、単純に彼が見ていて危なっかしいから……というのもあるがな。これを伝えると提督はへこむだろうから内密にな。 


 そうだ……いつだったか私が大破した時があっただろう。

 幸いお前の活躍もあって戦場で命を散らすことはなかったが黒煙を噴く艤装を背に帰還した時、私はどこかで死を覚悟していたのさ。

 いつ艤装に積まれた火薬に引火するかも分からなかったからな。

 引火して、そこから誘爆のリスクを考えた私は、他の艦隊のメンバーとは別の隔離された無人のドックでひとり消化作業を受けようとすると提督は誰よりも早く血相を変えた顔で駆け寄ってきたんだ。

 そして提督はおもむろに私の体を抱くようにして艤装から引き剥がしてくれたのだ。

 酔狂な男だと思わないか。艤装を外すことなど機械に任せておけばいいのに……だ。そもそも、これでは私が別のドックに入った意味がないではないか。

 もちろん提督が艤装を扱う「本体」である私のことを考えての行動というのも分かっているつもりだ。どれだけ艤装が傷つき破壊されたとしても、扱う私たちが無事ならば修理を待てばいいだけなのだからな。

 しかし、仮にも艦隊を預かる身だというのに余りにも軽率だ。

 上官が部下のために命を賭ける。美談と言えば美談だが、それは互いに無事であったからという結論にすぎない。

 もしも、それで提督の身に何かあったのなら私は上からの言葉を待つまでもなくこの腰に携えた刀で躊躇なく自分の首を刎ねていただろうさ。

 私を艤装から引き剥がそうとする時の必死な表情。今でもこの脳裏に焼き付いて離れない…………本当に危なかっしい人だよ。


 ………………………………だがな、瑞雲。

 提督は自分の命を省みない程に私の事を救おうとした、ということだ。

 その気概にこの日向、少し胸に来るものがあったぞ……いや――今は私とお前の二人だけ。相棒の前で言葉を飾る必要はないな。

 どうせ私の胸の内はお前しか聞いていないのだから。

 ああ、そうだ……私は嬉しかったよ…………とても。

 私は提督のためにより一層に力を尽くそうと思ったよ。彼と出会う以前の私なら考えられなかったことだ。私をこのように変えさせてしまうのは、やはり彼の才覚たる徳によるものなのだろうか?

 お前はどう思う、瑞雲…………そうか……まあ、そうなるな。

 酔狂な男につく私もまた酔狂な艦娘だな。ここはひとつ自分の酔狂さを呪うことで諦めるとしよう。これでは提督を慕う艦娘たちのことを笑えんな。

 …………だからといってお前が笑うな、瑞雲。自分でも分かっていることだ。


 だが酔狂さという意味では私よりも提督の方がずっと上だ。それは断言できるぞ。

 どうしてか、だと? そうか……お前は知らないのだ。いいさ、お前には特別に明かしてやろう。

 私が改装を受ける前……つまりお前と出会う前だったかな。私はふと提督に何のために戦っていると聞いたことあるんだ。

 提督はこの戦いを終わらせるため、とありきたりな答えをしたよ。だが私が求めていた答えではなかった。だから、少し言葉を変えて「この戦いが終わったらどうするんだい?」と聞いたんだ。

 そしたら提督はなんと言ったと思う? 提督はしばらく悩んだ顔をした後にこう答えたのさ。

「そうだな……艦隊の指揮をすることもなくなるなら、次はもっと大きなものの指揮を執るのもいいかもな。例えば……国とか。この戦いを勝利へと導き、世界の海と国防の要たる艦娘を率いた英雄。政治の世界に飛び込むには中々の肩書きだろう?」

 さしもの私もこの時ばかりは言葉を失ったよ。まあ、この国のトップに立ちたいなんて言い出せば当然か。しかも物を知らない子供ではなく大人の男性が、だ。

 まったく…………酔狂もあそこまで極まったらむしろ清々しさすら感じたよ。大きな夢を持っている、というのは中々素敵なものだと思うが。

 秘書艦から秘書官に転職か………………まあ、悪くない。

 おっと聞かれてしまったか。瑞雲、今の言葉は忘れてくれ。それは無理な相談………………ちっ。

 参ったな……どうにも提督の事となると饒舌になってしまう。飲んでもいないのにな。
 


 少し夜風にでも当たろう。

 外に出ると冷たい風が心地よかった。よく晴れている。見上げた先には煌々と輝く月があった。こんな夜に瑞雲を飛ばしたらさぞ気分がいいのだろう。

 その時、私たち艦娘がいる宿舎からそう遠くない位置にある鎮守府の執務室から灯りが漏れているのを見つけたんだ。

 提督は既に今日の仕事を終えて、自宅に帰ったと思ったがまだいるのか?

 ………………行ってみるか。心なしか足早で鎮守府に向かい、執務室まで行くと扉を小さく開いていた。

 提督は小さな寝息を立てて、執務室のソファーで横になっていた。上から毛布を1枚羽織ってね。脱いだ帽子と軍服の上着はソファーの前にあるテーブルに置いてあった。

 提督の元へ寄ると提督の腕があらわになっている。太く力強い男の腕だ。そうか……この腕に私は抱かれたのか。


 提督はぐっすりと安らかな寝顔を見ていて、私の心は一瞬、不安に駆られてしまった。なんだか提督が死んでしまっているような気がしてな。

 そっと頬に触れてみた。温かい。血が通っている。生きている。それがこの触れた手で理解できた途端、心の中の陰りは消えていった。

「………………私は君を失いたくないのだろな」

 こぼれ落ちる言葉は提督には聞こえてない…………いや、本当は聞こえているのかもしれない。

 もし聞かれていたら? まあ、その時はその時さ。

 確かめたくなった私は隙だらけな提督に顔を近づけて、耳元でそっと優しく囁いてやった。

「提督…………一緒に寝てやろうか?」

 顔を動かしてしまえば、すぐそこには提督の唇があって……重なりそうな程に近づけても提督は規則正しい寝息を立てていたんだ。

 ………………私はそこで終わりにして「おやすみ」と静かに告げて執務室を後にした。

 部屋に戻った私はまた相棒を磨きながら語りかける。

「なあ、瑞雲……私は存外、臆病者らしい」


fin

行ってきます
帰ってきたらHTML依頼しときます

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