【艦これ】水平線の向こうに (125)
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※このスタイル初めてなので、読みにくかったらゴメン
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大きな月だ。
とても大きくて。赤い。
祖国を遠く離れた南方の洋上で、軽巡洋艦娘矢矧はそれを見ていた。
水面に映り、たゆたうその様はまるで。
――あの日、メインマストにはためいていた戦闘旗。
ふっと陰った笑みを浮かべ、水平線の向こうに目を向ける。
「飛行機相手じゃない分、マシか……」
誰ともなく呟いた言葉は波の音にかき消され、誰の耳にも止まることはない。
少しだけ緩んだ口元を引き締める。
煌々と輝く赤い月の下、幾筋かの航跡が水平線の向こうへと連なっていく。
そのどれもが必殺の魚雷を抱えた駆逐艦娘。
突撃の雄叫びもなく、道を照らす灯りもつけず、静かに夜の闇を裂いて忍び寄る暗殺者の群れだ。
「長波より矢矧。湾口視認、前方左五。湾内に動きなし。さらに接近する」
先頭を行く長波から、目標を発見したという知らせが、わずかなノイズとともに無線から響く。
動きがないとなれば、こちらの存在は発覚していない。
つまりは、遠くからこちらの動きを察知できる、電探装備の敵が存在していないということ。
もちろん、罠でなければ、という条件付きだが。
「矢矧了解。各艦、単縦陣で長波に続け」
無線スイッチをカチカチと二回鳴らして、了解の合図が送られてくる。
今回の戦闘は奇襲による雷撃戦でほぼ決まる。主役は駆逐艦に任せて、自分は殿で周囲の警戒。
正直、好きな仕事ではないが、仕方がない。
今度はすべてを護りきる。そう決めたのは自分だと言い聞かせる。
それに、旗艦として艦隊を任せられた以上、事が始まれば指揮に忙殺される。
自分の性格として、戦闘の只中で冷静に指揮をとるのは向いていないと自覚している。
暴れまわる方が性に合っているのだから。
だから、状況を落ち着いて見られるように、一歩引いた位置にいる方がいい。
「長波より矢矧。敵艦種……ワ級六、イ級五、ロ級一。いずれも動きなし。〇五で進入点」
輸送艦に駆逐艦。目標の輸送艦隊で間違いない。
珍しく事前に得ていた情報が正確だった事で、矢矧は不安を一つ頭の隅から追い出せた。
偵察情報の不完全さは、作戦の足を引っ張る。
そして、それは不安要素の一つとして考慮に入れる程度に起きることでもあった。
「矢矧了解。予定通りで行く。複縦陣、左列第一分隊、右列第二分隊」
その合図で単一の縦列だった艦隊が二列の縦隊に変わる。
「第一分隊、ワ級。確実に仕留めて。第二分隊は敵駆逐の牽制――あくまで牽制よ。無理をする必要はないわ」
作戦の主目標はあくまで敵輸送艦の撃沈。それだけは司令部からきつく厳命されている。
目的は敵拠点の設営阻止。
拠点になりつつあるのは、地図でもよほど目を凝らさなければ見落としてしまうような小さな島だ。
そんな島でも拠点を築かれてしまうと、それが戦線への楔となり、東西の戦線が寸断される可能性が高くなる。
そうなれば、それぞれに派遣されている艦隊同士の合流も難しくなり、戦力が低下。
同時に主要な海上輸送航路の危険度は増大、資材等の入手が難しくなる。
結果、戦いそのものの継続が難しくなり――その先にあるのは敗北だ。昔の戦争のように。
だから、駆逐艦をどれだけ食い散らかしても、輸送艦が生き残れば作戦は失敗と同じ扱い。
「長波了解。臨時編成の艦隊になるけど、あたしがこのまま率いていいんだな?」
長波は矢矧の艦隊所属ではない。
いくら矢矧が要望して迎え入れたとは言え、後方に控えている支援艦隊からの助っ人であることに変わりはない。
それゆえの再確認だ。
「もちろん。ルンガ沖の手並み、見せてもらうわね」
「寄せ集め艦隊なら任せなって。おまけに今回はドラム缶もなし。ま、大船に乗ったつもりでいなよ」
小さな体で軽快に大口を叩く。
よりにもよって大船とはよくも言ったものだ。そもそも、その時も長波はドラム缶を積んでいなかったはずだ。
矢矧はこみ上げてきた笑いをようやくのところでこらえる。
第一分隊の他二人からも、同じような気配が伝わって来る。
一人は長波と同じ、助っ人で来た夕雲。
もう一人は矢矧麾下の浜風だ。
「ちょっとぉ、長波姉さん? 先に大きな船になるのは私だからね?」
元気な声が割り込んでくる。
第二分隊、矢矧麾下の清霜。
いつも真顔で将来は戦艦になると言い切る、小柄な駆逐艦娘。
その調子で戦艦や空母に絡むのだから、監督役としては気が気ではない。
なぜかその戦艦たちに気に入られてしまっているのは、彼女たちの器量の大きさゆえなのか、清霜の表裏のない性格ゆえなのか。
どちらにしても、矢矧にとって頭痛のタネであることには変わりがない。
「はいはい。海の平和はお前に任せるよ。その頃にゃ、あたしは宇宙で駆逐艦だ」
数日前に数人の駆逐艦娘達が見ていたアニメをネタに、さらりと切り返す長波。
当の本人が見ていたらなんと言うだろうかと、矢矧は思ったものだが。
兎にも角にも、さすが姉妹艦といったところだろう。それともあらかじめ用意していたのか。
「うん。清霜に任せ――ん? んんっ?」
皆が一斉に吹き出す。
戦闘前の張り詰めすぎた緊張感は一気に消えていく。
適度な緊張感は必要だが、行き過ぎれば頭や体が鈍くなる。
ましてや、作戦の重要性が高ければ高いほど、その傾向は強くなり、致命的なミスにつながってゆく。
一連のやりとりの中で、そういった部分へ長波が配慮してくれたのだと、矢矧は素直に感謝する。
「矢矧、馬鹿話はそろそろお終いにして。間もなく進入点よ」
第二分隊の先導、矢矧麾下の霞が個人通信で割って入る。
当然、霞もそれを解っていて、このタイミングまで待っていたのだろう。
普段は駆逐隊を率いて指揮をとる立場にいるが、今回は矢矧の強い希望もあって、この艦隊の実質的な副官を務めている。
まだ経験の浅い清霜や、矢矧麾下の中でもとりわけ気の強い天津風を上手にあしらいつつ、ここまで先導してきた。
補佐役としても、出過ぎず、引き過ぎずの絶妙な役回りを心得ている。
優秀という言葉だけでは、決して正当な評価にはならないだろう。
少々口が悪いのが玉に瑕ではあるが。
「矢矧より各艦に通達。進入点通過。ここからはできるだけ静かにね」
「一分隊了解」
「二分隊了解」
緩み始めていた緊張感が適度なところまで締まる。
――いける。
成功の二文字が矢矧の手が届く位置にやってきた。
「両舷前進三戦速。この先の突入点通過後、攻撃開始まで無線は隊内用を含めて全封止。以後の行動は各隊の判断に任せる」
突入点を過ぎれば、もはや引き返すことはできない。
どの時点かで必ず発見される。
中途半端に退けば反撃や追撃を受け、大きな損害を出すだけ。
だから、その前に可能な限り相手に近づき、魚雷で強襲する。
そのあとには、追撃、反転再攻撃、撤退――用意された選択肢は少ない。
そのどれを選ぶか。決めるのはその場にいる者に任せるのが最適だ。
離れた場所にいる者が要らぬ口を出して、現場を混乱させてしまうことがどれだけ恐ろしいことか。
それをここにいる誰もが、かつて経験している。
だから、矢矧はこれ以上を踏み込むことはしない。
その必要が無い人選をしたつもりだ。
「私と雪風は湾口外で遊弋しつつ警戒。必要に応じて支援砲撃の弾着観測。空の警戒も怠らないでね」
矢矧艦隊の一人、雪風がぎゅっと双眼鏡を握りしめる。
「はいっ! 頑張りますっ!」
雪風なら大丈夫だ。
さしたる根拠もなく矢矧がそう思えてしまうのは、雪風がいつもどこからか掴んでくる幸運のせいだろう。
「司令部及び、支援艦隊に高速暗号通信。『〇二四七、矢矧隊、突撃ヲ開始ス。天地神明ニ作戦完遂ヲ誓フ』」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
突入点を数分過ぎたところで、湾内がにわかに慌ただしくなる。
それまで何の動きも無かった敵駆逐艦から、光の明滅が繰り返されている。
おそらくは、敵艦発見の符丁なのだろう。
先頭に立った長波は双眼鏡越しにそれを見る。
――思ったより早く気づかれたか。
思わず舌打ちしてしまう。
せめてあと五分気づかずにいてくれれば、良い射点で魚雷を見舞うことができたのに。
しかし、その思いを相手が受け入れるはずも無い。
早々に都合の良い考えは捨てる。
予定通りに作戦が進むことはない。戦場とはそんなものだ。
だからこそ、臨機の才が求められる。
「長波より各艦、無線封止解除。奴らに気づかれた。駆逐艦が動くぞ」
「了解。第二分隊、両舷前進最大戦速。時間には早いけど、打ち合わせ通りやるわよ」
霞が間髪を容れず行動を開始する。
場数を踏んでいるだけあって、さすがに早い。
長波が感心をしている間に、第二分隊はグングンと速度を上げ、縦隊のまま湾口へ向かう。
「第一分隊、敵輸送艦をやるぞ! 雷撃戦用意! 両舷前進最大戦速!」
魚雷発射管が一斉に回転し、発射態勢をとる。
速度が上がり、風を切る音が大きくなっていく。
「湾内は浅い! 深度調定を間違えるな! 下手に早爆させたら二分隊の奴らが化けて出るぞ!」
了解という二人の声を背に、再び双眼鏡で湾内を確認する。
輸送艦の動きはまだない。
火を落として完全停止していたのだろう。
再点火して缶の圧力が上がるまで、タービンは動力を生み出せない。
だから動き出すとしても、もうしばらくかかる。
一方、警戒待機をしていたであろう敵駆逐艦はすでに動き始め、湾口に向かっている。
先行した第二分隊を脅威として認識したようだ。
「霞よ。左二点一斉で敵駆逐を雷撃するわ。もう少し待つ余裕、あるでしょ?」
霞もそれを確認したのだろう。すぐに無線を送ってくる。
進行方向を一斉に左に向けて梯形陣になり、牽制で魚雷を扇状発射するつもりだ。
手に魚雷発射管を持つ朝潮型や、脚部に装着した夕雲型には不要な動きだが、背部に発射管を装着した天津風にはどうしても必要になる。
「長波了解。直後に右三点で突入してくれるか。天津風の尻あたりをこっちのが通るようにする。ただし、合図をくれないと保証はできないぞ」
第一分隊は雷撃後に再び右へ進路を戻しつつ縦隊で突撃。
その背後を魚雷に通過させ、湾内で輸送艦に打撃を与える。
万が一、第二分隊の雷撃に怯まず敵駆逐が突出して湾口付近に到達してしまえば、射線を塞がれ輸送艦への雷撃は難しくなる。
その前に魚雷を通過させてしまおうという考えだ。
ほとんど賭けに近いギリギリの方法だが、霞の指揮下であればそれほど難しいことではない。
「ちょっと! 私に当てないでよ!?」
天津風が驚いて無線に割り込む。
「心配すんなって。初めてにゃデカすぎだろ? そこにだけは当たらないようにしとくから。それに、お前がしっかりと合図を出せばいい話だ」
長波の下品な軽口。
後続の二人も、二分隊もあまりの下品さに苦笑いするしかない。
「もう! 信じられない! 下品すぎ! 帰ったら覚えてなさい!」
ただ一人、言われた当人を除いては。
天津風が手足を振り回しているのが遠目にもわかる。顔はきっと真っ赤に染まっているはずだ。
たが、これで最後の硬さがなくなる。
いけるという自信が確実なものになる。
「二分隊、右舷雷撃戦用意! 合図で左二点一斉回頭……回頭始め!」
霞の合図で先行している二分隊が一斉に左へ進行方向を変え、隊列が斜めの梯形陣へ。
「目標、敵駆逐艦隊! 私から順に二秒間隔で扇状一斉雷撃! 用意……てーっ!」
圧縮空気が解放される音と共に、魚雷が次々と海中へ放たれていく。
合計十二本の槍が、扇状に広がって海中を一直線につき進む。
「右三点逐次回頭! 単縦! 魚雷次発装填忘れないで! それから、天津風! 回頭に入る直前に合図!」
「わかってるわよ!」
先導艦の霞が右に舵を切った地点で、後続の清霜も舵を切る。
位置はピタリと同じ。霞の残した航跡に乗り、突入時と同じ距離を保つ。
戦闘の経験は浅いとはいえ、日頃の演習で艦隊運動はきっちりと仕込まれている。
それを眼前に見ながら長波は指示を出す。
「一分隊、左梯形陣! 魚雷発射用意! 目標、敵輸送艦! あたしから順に連続射!」
夕雲と浜風が少しだけ進路を左にずらし、前方の射線を確保する。
全員が脚部に発射管を装着しているために、それだけで槍衾を作ることができる。
「発射後は右一点逐次回頭! 単縦!」
「こちら天津風! 回頭入るわよ! 当てたら生涯祟ってやるんだからっ!」
「一分隊、雷撃開始! てーっ!」
天津風の脅しを無視して、長波は魚雷の発射を開始する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
赤々と燃え上がる業火が見える。
島の小高い丘までもが、その業火に照らされ浮かび上がる。
湾内ではチカチカと砲炎が瞬く。
連絡はまだ入らないが、矢矧はその光景を見て作戦の成功を確信する。
「矢矧さん! やりましたね!」
少し離れたところで周辺を警戒していた雪風も、同じ手応えを感じたらしい。
「雪風。気を抜いちゃだめよ?」
あれだけ派手な狼煙を上げたのだから、哨戒の網からもれた敵艦隊が集まってこないとも限らない。
夜とはいえ、月明かりもある。
このくらいの明かりであれば、無理をしてでも艦載機を飛ばすのが相手のやり口だ。
それで何度痛い目を見たことか。
「はいっ! 雪風、周辺警戒を厳としますっ!」
考えを察した雪風が警戒任務に集中する。
「長波より矢矧。突入成功。味方の損害ナシ。輸送艦の始末は完了」
長波から待ち望んでいた言葉が届く。
作戦の半分は成功。
あとは、被害を最小限にとどめて撤退をするだけだ。
指示を出そうと口を開きかけたところで違和感。
――待って。輸送艦『は』?
「矢矧より長波。何かトラブル?」
「ああ。敵駆逐――浜風、今だ撃て! くそっ! すばしっこい! すまない。敵の駆逐艦がしつこいんだ」
護衛対象を失って、怒りに任せた捨て身の反撃。
普通ならそう考えるが。
「こいつは……なんかあると思うぜ? 長波サマの勘だけど」
場数を踏んだ艦娘の勘を無視するほど、矢矧も愚かではない。
何よりも自分の中で警報が鳴り始めている。
「……なんだと思う?」
「それを聞かれると困るけど……とっとと、ここから離れたほうがいい」
抱いている危惧はどうやら同じようだ。
このままここで時間を浪費すると、最悪の事態に陥る感じがする。
「長波、退ける?」
難しいとわかっているが確認をしないわけにはいかない。
「このままじゃ無理。湾口へ近づけないんだ。これはもう、時間稼ぎなのは見え見えだな」
「了解。ちょっとだけ耐えて。なんとかするわ」
「霞! 左だ、左! 撃てっ! ――頼む。こっちでも努力はしてみる。以上」
立て続けの砲声と、海面への着弾の音を残して無線は沈黙する。
悲鳴が聞こえなかったのがせめてもの救い。
事態は切迫しているが、この状況下で使えるカードはごく限られている。
支援艦隊から艦載機を出してもらう手もあるが、日の出はまだ二時間も先の話だ。
その頃には湾内の数人がダメージを受けている可能性もある。
そうなれば、敵が待っている何かによって、この海域からの離脱はより困難なものになる。
少し離れた場所で、雪風が不安そうに湾内を見つめている。
現状で使える艦載機は、川内が持っている夜間偵察機のみ。
それでこの状況を直接的に打破出来るわけではない。
「矢矧より榛名。聞こえますか?」
それでも、出さないよりはマシだ。相手が狙っているものが何かはわかる。
少し時間があって、応答が返ってくる。
「榛名です。支援準備は完了しています」
自分の役目を完全に理解している相手だと、こういう状況では話が早い。
おそらく今の状況を無線で聞いていたのもあるだろう。
だが、まだ戦艦の力を借りる段階ではない。
懸念材料が一つある。それを取り除くまでは、榛名も動くことをきっと了承しない。
「お願いがあります。川内の夜偵をこちらに回して、もう一度島の偵察をやらせてください」
近海の哨戒飛行をしている夜間偵察機はその一機のみ。
それを島の上空に回してしまえば、敵艦隊の接近を見逃す可能性もある。
最悪、自分たちだけではなく、支援艦隊をも危険にさらすことになる。
それでも、現状に変化を与えるにはそれがどうしても必要だ。
「矢矧さん。状況は承知しています。今あなたが抱いている懸念を説明してください。でなければ榛名に決断はできません」
榛名は支援艦隊の旗艦だ。
矢矧と同じく、麾下の艦娘たちの命を預かる立場。リスクの増大を招く決断を安易にはできない。
「……おそらく……おそらくですが、島に飛行場か、それに似た機能があるのではと推測しています」
退路を遮断しての時間稼ぎ。
支援の艦隊を待つためとも考えられる。
けれど、ここへ短時間で来援に来られる範囲において、今のところ目撃情報はない。
「もちろん、高速艦を主体とした打撃部隊という可能性も捨て切れません。ですが……」
こちらも命運をかけた作戦に踏み切っているのだから、当然近海での哨戒、索敵はいつもより入念にしている。
稼働可能な潜水艦や駆逐艦をあらかた配置した、その網にかからないわけがない。
だとすれば、切り札はあの島にあるはずだ。
それも、時間稼ぎが必要なものとなれば、航空機だろう。
夜明けまで存在を秘匿することで精度の高い攻撃も期待できる。
そうすることで業を煮やした艦娘たちを近くに引き寄せ、あわよくば支援艦隊も含めての殲滅を謀ることも。
支援艦隊の存在は、日中の数度に渡る彩雲偵察機の飛来でつかんでいるのは間違いない。
矢矧はそう考えている。
言葉では濁したが、ほぼ確信に近い。
だからこそ榛名たち支援艦隊を呼ぶこともできない。
「万が一にそうだとしても、島の上空を一度通って確認するくらいの猶予はある。そういうことですね?」
「ええ」
「わかりました。榛名も同じ考えです。これから夜偵を向かわせます。ただし、リスクを考えると一航過のみです」
それで十分だ。算段はこちらにもある。
「もう一つ、決断していただきたいことがあります」
矢矧の口元がさらに引き締まる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
連続した着弾で、幾つもの水柱が空に向かって吹き上がる。
長波の進路を邪魔する形だ。
大きく左に転舵して続く砲弾を避ける。弾片混じりの海水など浴びるのはごめんだ。
「あぁ、もう! 小賢しい真似ばっかりしてくれるなぁ!」
湾口に向かおうとする度に、敵はその進路を阻む形で砲弾を撃ち込んでくる。
ならばとこちらが敵に挑みかかれば、絶妙な距離を保って攻撃を回避していく。
そんな奇妙な攻防が二十分以上続いていた。
「長波、落ち着きなさいよ。みっともない」
霞の澄ました声が聞こえて来るが、それもまた余計に長波の気持ちを苛立たせる。
「落ち着くもクソもあるか! 押しも引きもできない、こんな気持ち悪い事いつまでもやってられるか!」
もはや、誰の目にも敵が時間稼ぎをしている事は明らかだった。
水上打撃部隊の増援を待つのか、夜明けを待っての航空攻撃か。
どちらであろうが、知った事ではない。
いずれになったとしても、最悪の結果にしかならないのだから。
「あんたが焦れても何の解決にもならないってのよ! 頭冷やしなさい! だらしないったら!」
霞がそう怒鳴りながら敵を砲撃する態勢に入る。先ほど長波の進路に砲撃をした敵だ。砲撃のために少しだけ突出したせいで狙いやすい。
しかし発砲の寸前、霞の視界に飛び込むように、水柱が二本天を衝く。
あわてて霞は砲を引く。発砲しても水柱に遮られ命中など期待できない。
無駄にできるほど、弾薬の手持ちに余裕はない。
「ちっ! やるじゃないの……褒めてあげるわ」
後方から狙い澄ました射撃をしようとしても、炎と月の明かりだけでは正確な照準をつける事ができない。
事実、浜風と夕雲の砲撃はもう一歩の所で敵を取り逃がし続けているし、清霜と天津風も雷撃位置を取れずにいる。
かといって、探照灯など照射すれば、たちまち集中砲火を浴びて大破するのは目に見えている。
この後、後退という行動が必要になる長波達にとって、その選択は端から論外だ。
轟沈前提の自殺行為ならば切り札として使いようもあるが、時間稼ぎを狙っている敵は、絶対に止めをさしてはこない。
確実に、こちらが介錯しようとしても妨害してくるはずだ。
仲間としての感情を前提として利用した、とても悪辣な方法。
悪辣なだけに効果は絶大だ。
それを断ち切るには、半端な方法では無理だ。
ギリギリと、長波の口の中で奥歯が嫌な音を立てる。
「とは言っても、日の出まであと一時間半。このままじゃヤバイわ」
霞も長波と同じ危機感を抱いている。
そして、普段は冷静な霞がそれを口にしてしまうほど、決め手に欠けた戦況に焦れている。
もう、悠長な事はしていられない。
――どうあってもやるしかない。
長波は覚悟を決めた。
「なぁ、霞。今日の下着、見られても平気なやつか?」
「はぁ? 何言ってんのあんた。いよいよトチ狂ったの?」
戦場に似つかわしくない、間の抜けた質問と素っ頓狂な返答。
我ながら、冗談としては最低の出来だと自覚している。
それでも、長波にやめるつもりはない。
「提督に見られても平気な下着かって聞いてんの」
長波達を統率している提督は、いくら普段の行動に少し問題のある人物だとはいえ、中破や大破状態でボロボロになった艦娘を見て鼻の下を伸ばすような人ではない。
それでも女として、見られてしまう事には抵抗がある。
ましてや、多少なりとも憎からず思っている相手ならば、なおのこと。
「……後生だから、その時はあのクズに見られる前に雷撃処分して」
当然、霞のような反応が至極真っ当。
できるならそのまま引き下がってくれと、長波は願う。
「なら、あたしだけでやる。タダで見せるのは癪だけど。あの男なら……まぁ、見られたとしても悪かぁないからね。ついでに、責任とれって指輪でもせびってやっか」
ルンガ沖の後のような中途半端な評価を受けたくはない。
今回は徹底的にやってやる。白と黒がはっきりとしたやつをだ。
色がどっちだって構うもんか。
そんなのは残ったやつらが勝手につけるもんだ。
敵駆逐艦を見つめた長波の顔に、凄絶な笑みが浮かぶ。
修羅場を何度もくぐり抜けてきた霞ですら、一瞬たじろいでしまうほどだ。
「ちょっと……あんた……」
霞はそれを見て、長波が何をしようとしているのか理解した。
間違いなく、損害覚悟の突撃をかけるつもりだと。
当然、戻るつもりもない、と。
拳をぎゅっと握りしめる。
「私、やらないとは言ってないんだけど?」
そんな美味しい役目を一人だけに譲れるほど、霞もお人良しではない。
そもそも、艦隊副官として助っ人だけに危険を冒させるわけにはいかない。
「雷撃処分はしないぜ?」
六人の犠牲を二人に減らせるなら万々歳だとも思う。
相手が時間稼ぎに徹するなら、こっちも同じ事をやり返してやる。
「当たらなきゃいいだけの事よ」
死にたいわけではないけれど。
それでも、やるだけやった後の結果としてなら悪くない。少なくとも中途で落伍した坊ノ岬沖とは違う。
口元に笑みを浮かべた霞。
それを見て長波は霞を巻き込む事を決めた。
どうせ拒否しても付いてくるだろう。
一人よりは二人の方がやりやすいのも確かだ。敵を沈められる可能性も増える。
生き残る可能性も出てくる。
そうならなくても向こうで話し相手ぐらいにはなる。惚れた男なんていう洒落たものではないのが不満ではあるが。
「そうかい。じゃ、せいぜい気張りな――編成を変更する!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「川内さんより入電! 上空まで〇六ですっ!」
湾口から少し離れた場所で、通信の中継を任せた雪風の声が軽快に響く。
対空、対水上、対潜の警戒任務も任せている。
やる事が多くて大変だろうが、健気にこなしてくれている。遺漏もない。
あれだけの戦争で生き残れる艦にはそれなりの理由がきちんとあるのだ。
決して運だけに左右されるものではない。要素の一つではあるけれど。
「矢矧より長波」
湾口に向かって静かに身を進めながら、無線を開く。
少し時間があってから応答。
「長波だ。いい手は見つかったか?」
声に若干の変化を感じる。
肚が据わっている。何かをやるつもりのようだ。
矢矧はそれを感じたが、あえて口にはしない。
「ええ。夜偵を回した。〇六で到着。とりあえず懸念事項解消の一手だけど」
それさえなんとかなれば算段はある。
「そいつはいいね。未来は明るそうだ……で、だ。長波、霞から旗艦矢矧に意見具申」
向こうから切り出してくるのはわかっていた。
通信回線が支援、警戒に当たる全ての艦娘に聞こえる回線に切り替わっている。
その一つの行為で、長波がこれから何をやるつもりか察しはつく。
いや、最初に声を聞いた時点でわかっている。
それでも、無言で先を促す。
言わせてやらなければならない。これを聞いている全ての艦娘のために。
「これから、あたしと霞で肉薄攻撃に移行、状況をちょっとの間、混乱させる」
差し迫った時間の中でできることなど限られている。
自分だって、その立場にいれば同じことを考える。
そうすれば。
「その間に残りの四人を湾の外へ誘導してほしい」
そう。それが使える手札の中では最善。
体勢を立て直して、再突入。そして敵を粉砕、残存の味方を救出する。
それでも問題はその後に再びやってくる。
肉薄攻撃で相当のダメージを負った味方を連れて、日が昇るまでに敵航空勢力圏からの離脱。
成功率を計算するのも馬鹿らしい。
面倒だからと、ゼロをひとつだけ書いたって同じだ。その方が楽でいいと思う。
双眼鏡を覗き込んで監視を続ける雪風の肩が震えているのが、離れた位置にいる矢矧からも見える。
幼い姿をしているとはいえ、雪風にも当然わかっている。
一番分がいいのは。
「その後は……ま、わかってるとは思う。けど、早めに決めてくれ」
二人を残して即時撤退。
いや。おそらく二人はその状況を避け、確実に轟沈するまでやるだろう。
後退する部隊に後ろ髪を引かせないように。
任務としての主目標はすでに達成している。
これ以上、リスクを冒す必要も、被害を増やす必要もない。
本営はそれで納得して、賞賛すらして寄越すだろう。
あの、いたずら好きで、普段はちょっと頼りない提督もきっとわかってくれる。
そのあと、陰で自分を責めるんだ。大事な部下を見捨てた、と現場の人間を責めることなんてせずに。
優しい人だから。
矢矧の脳裏に、あの出撃前の光景が蘇る。
やり場のない憤りを吐き出すための会議。
生への未練を断ち切るべく、ある者は痛飲し、ある者は震える手で遺書をしたためる。
甲板の上で星空を眺める者。遠い故郷の方角を見つめ密やかに涙する者。
戦友と歌い、戯れあい、彼岸の向こうで再会を誓い……。
第二水雷戦隊旗艦、軽巡洋艦矢矧の艦上で繰り広げられた一夜の、あの光景を思い出す。
あの時の矢矧には何もすることができなかった。
けれど、今は違う。
だから。
「……矢矧より長波――いえ、みんなも聞いて」
無線の向こうで全員が息を飲んだ。
矢矧麾下の艦だけではなく、支援任務の艦も。周辺警戒に当たる艦も。
矢矧の決断を受け入れるために。
それぞれが覚悟を決めるために。
紡がれる言葉は、きっと酷薄なものだから。
その決断をする矢矧が一番辛いと知っているから。
決して、矢矧を責めることのないように。
「軽巡洋艦矢矧は突入艦隊旗艦として、長波の意見を議論の余地なしと判断――」
『却下する』
あの日の悲劇を繰り返さないために。
あの絶望を誰も味わうことがないように。
――私は護りきると誓ったんだ。世界も、仲間も、提督の心も……全てだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
聞き間違えかとさえ、長波は思った。
用意できる中で、一番分のいい賭けを提案したはずだ。
敵拠点構築を妨害し、補給艦六隻、駆逐艦二隻を沈めた。この後さらに最低二隻は沈めるつもりでもいた。
損害は駆逐艦二隻。
差し引きしても十分すぎる。つり銭の重さで身動きが取れなくなるくらいに。
「ちょっと、矢矧! あんた、状況がわかってんの!?」
長波が噛み付く前に、霞が口火を切った。
そのおかげで長波は少しだけ冷静さを取り戻す。
「十分に理解してるわ。その上で議論の余地なしと旗艦が決定したの。もう今更だから、副官は黙って」
全てを突き放す、冷めた声で矢矧が言い渡す。
普段であれば、この声だけで気持ちが折れるだろう。
それでも霞は食い下がる。
「副官云々を持ち出すタイミングがおかしいったら! 先に副官の意見を聞くべきでしょう!」
「聞いたわ。あなたが長波と相談した上で出てきた話なんだから、あなたの意見を聞いたのと同じことよね?」
「くっ!」
もはや、取りつく島などない。
矢矧は肚を決めている。
「矢矧……計画はあるんだね? あたしが用意したのより、分のいいのが」
矢矧は会話が記録が残ると知っていて、自分の名前を名乗り提案を却下した。
それだけではなく、海域にいる全員に聞くようにと言った。
「もちろん。全員連れて帰るわ……無事に」
何が起きても、責任は全て自分にあると宣言した。
数々の負け戦をその目で最後まで見てきた矢矧だ。
分の悪い賭けの結末など、嫌という程、なによりも身をもって知っている。
「……あたしは何をすればいい?」
長波は賭けに乗った。
「ちょっと! 長波!?」
霞はまだ納得がいかない様子だ。
けれど、きっと矢矧の話を聞けば納得するだろう。
長波はそれを確信している。そこまで融通の利かない愚か者に隊を一つ任せるなど、あの提督がするはずはないから。
「長波と霞。二人は予定通りに肉薄攻撃に移行」
何も変わらない。
そう言おうとする霞を長波は手で制止する。
「浜風、夕雲は残弾を気にせず、敵に徹底的な砲火を。当たらなくてもいい。とにかく奴らに連携をさせないように」
矢矧の考えは読めてきた。
もはや途中での撤退を考えない、徹底した殲滅戦に移行するつもりだ。
「天津風と清霜は、分断されて孤立した敵を誘引するなり撃沈するなり可能な方を。中央に突っ込む二人に手を出させないで」
しかし、殲滅した後はどうする。
日の出とともに、どこからか航空機が雲霞のごとく押し寄せてくるはず。
時間稼ぎの理由などそれくらいしか思い当たらない。
だから、どんなに素早く敵を片付けたとしても、到底逃げ切れる時間は残らない。
矢矧は何を考えているのか。
それとも、敵艦隊の所在をつかんだのか。
だとすれば支援艦隊がこの話や作戦に介入することもなく、静かなままなのも頷けるが。
「私と雪風も湾内に突入。雪風は天津風、清霜の援護をしつつ湾口の確保。私は星弾を二斉射後、残敵の掃討に入ります」
そういうことか。
長波は矢矧の考えをようやく理解した。
「なお、この作戦は夜偵の報告後、二度目の星弾斉射をもって発動の合図とします」
矢矧は敵の切り札が、間違いなくこの島にあると考えている。
星弾を放って、敵駆逐への射撃を容易にするのと同時に、敵施設の発見も容易にする。
滑走路ならば、航空機が離陸できず、復旧までにそこそこの時間がかかる程度に叩くことは、自分たちにもできる。
あとはその間に後退して、支援艦隊と合流。再攻撃で壊滅に持ち込む。
簡単な話だ。
施設の所在さえつかむことができれば。
たった一機の小さな夜偵に、艦娘たちの命運が託される。
――頼んだぞ。
長波は色の変わり始めた空を見上げる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「主砲全門、星弾装填! 交互打方用意!」
矢矧は湾口を目指して静かに微速航行していた。
後ろには、雪風が目元を袖で拭いながら続いている。
「目標、丘上空一五〇〇! 開角三! 合図で発射! ……てーっ!」
矢矧の主砲から時間差をつけて放たれた六発の砲弾は、放物線を描いて飛翔し、丘の上空一五〇〇メートルで炸裂。
光を放ちながら、ゆっくりと落ちてくる。
昼の明るさとまではいかないが、月がもう一つ増えたかのような明るさになる。
島全体が煌々と照らされ、その全体が浮かび上がる。
その上をゆっくりと偵察機が通過していくのが見える。
「お願いだから、何か見つけて……」
この明るさなら、偵察機も地上を視認しやすいはずだ。
せっかく闇に慣らした目を潰してしまうのは申し訳ないけれど、今回ばかりは見落としがあっては困る。
どの道、夜偵の出番はそろそろ終わりだからと、川内も了承してくれている。
それに、一回しか通過できないのだから、その一回で最大の効果を発揮してもらわなければならない。
「こちら川内。夜偵から入電。良いのが二つ、悪いのが一つ。どれから聞く?」
支援艦隊の川内が夜偵からの情報を中継して伝達してくる。
切羽詰まった状況にもかかわらず焦らしを入れてくるのは、きっと夜戦に参加できない憂さ晴らしだろう。
「おすすめコースで良いから、急いで」
「じゃあ、良い方から。一つ目は矢矧の推測が大当たり。二つ目はそれが未完成状態ってこと。特に砲台なんかはね」
一つ目の知らせは、決して良い知らせではないだろうと矢矧は言いたくなった。
敵は航空戦力を保有しているということだから。
この後が相当厳しいものになるかもしれないと、肚をくくる。
二つ目の知らせで、これまでの戦闘で砲撃支援がなかった理由が解決した。
その手段がまだなかっただけのことだ。
それでもこれは、間違いなく良い知らせだ。この後の戦闘でも、それが直接絡んでくることはないのだから。
「続いて悪い知らせ。最悪の部類ね――」
『その施設……飛行場姫らしい』
一瞬、その海域の全ての空気が凍りついた。
しばらく前に一度、艦娘達は飛行場姫と呼ばれる敵と交戦したことがある。
矢矧自身はその当時、まだ基礎訓練の途上で鎮守府にすら配属されていない。
戦闘に参加することはなかったが、戦闘詳報には目を通していた。
陸上に配置され、遠距離から砲撃を加えて足止めをしつつ、大量の航空機でとどめを刺しにくる厄介な相手。
それでも、その時は戦艦による三式弾の攻撃が有効に働いたおかげで戦闘を優位に進められた。
しかし。
今回のような駆逐主体で水上戦闘を主眼にした戦力に、三式弾などあるわけがない。
あったところで、小口径砲では効果など微々たるものだろう。
そもそも、一度は完全に破壊したはずの飛行場姫がそこにいるという事実が極めて重い。
再建される、もしくは再生する可能性があるということだから。
とても、逃げきれるだけの時間的猶予を作れるとは思えない。
だからと言って支援艦隊を動かしたところで、それは敵の思う壺。
敵は夜間航空攻撃を仕掛けられても、こちらは制空隊すら出せずに、敵の攻撃を一方的に受け壊滅的な被害を被るだけだ。
――どうすればいい。何ができる。
矢矧が事前に組み立てた計画では、それほどの敵が現れることを想定していない。
榛名とも、もう一度打ち合わせをする必要がある。榛名も同じことを考えているはずだ。
残されたわずかな時間で新たな選択肢を増やさなければならない。
矢矧の放った星弾の明かりが消える。
まるで、希望の火が消えていくように静かに。
「長波より矢矧。考えてる暇なんかないぜ? 向こうが先に動いてきた」
絶望的な状況に、さらに追い討ちをかける長波の報告。
もはや選択の余地すらもなくなった。
「くそっ! 星弾射撃、湾上空一五〇〇、開角五、交互打方始め!」
なり振りなど構っていられない。
とりあえず今は短期で決着をつけて、迅速に後方に下がる以外にない。
「両舷前進四戦速!」
島の上空に再び光が溢れる。
今度は希望の火ではない。
決戦開始の狼煙だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
矢矧の砲声が聞こえると同時に、長波達は行動を開始した。
浜風と夕雲が連続した砲撃を敵の中央部に集中。
水柱が連続して立ち上り、敵の視界を遮る。
矢矧の放った星弾のおかげで、距離があっても的確な砲撃ができる。
前進を始めていた敵はその砲撃を避けるために散開するが、今度は左右両翼に天津風と清霜の狙い澄ました砲弾が降り注ぐ。
それを避けようと、敵はさらに間隔を広げていく。
「突撃開始だ! 両舷前進最大戦速、主砲連続射撃! 撃ちまくれ!」
長波と霞が敵中央部の二隻に向かってまっすぐに突っ込む。
後方の二人と自分達で作る水柱が煙幕代わり。
敵からの至近弾も稀にあるが、気にも止めず突き進む。
「清霜出ます! あんまり遅いと戦艦になれないよ、天津風!」
少し遅れて天津風と清霜も、分断された敵両翼への肉薄を開始する。
分断された敵に肉薄攻撃の意図をちらつかせることで、連携の維持を困難にさせる。
「私は駆逐艦で結構よ!」
そう言いながら、天津風も全速力で進行方向に欺瞞を交えつつ接近していく。
もはや敵駆逐隊の連携は完全に破綻した。
「そろそろ、本気で行きましょうか、浜風さん」
「これだけじゃ、つまらないしね」
夕雲と浜風も砲撃を続けながら前進を始める。
全員がやるべきことを理解していた。
速戦で敵勢力を排除する。生き残るためにできるのはそれだけだ。
「霞! 左を抑えろ! 右はあたしが頂く!」
中央部に突入した長波は、敵味方入り乱れた砲撃の水柱を躱しながら、一気に敵の懐に入り込む。
敵駆逐には腕がない。
懐に入り込んでしまえば、攻撃手段の大半を封じてしまえる。
開いた口から砲撃が二度、三度とあるが、全速で突っ込む長波の後方に水柱が上がるだけだ。
「今までの礼だ! とっときな!」
飛び込んできた長波に食らいつこうと、大きな口を開き飛びかかるイ級。
その口の中に、餌だとでも言わんばかりに投射機から取り外した爆雷を放り入れる。
「釣りはいらないよ!」
すれ違いざま。
閉じられた口に向かって、主砲を斉射。
至近距離から放たれた砲弾は口蓋を貫いて炸裂する。
もちろん、爆雷の誘爆を引き起こして。
鈍い音とともにイ級の頭部が粉々になって消し飛び、残った胴体はそのままの勢いで海面に落ち、沈んでいく。
「はっはあ! 痛快だねぇ!」
そのまま右へ舵を切る。次は清霜の援護だ。
中央左側で孤立したイ級には霞が接近戦を仕掛けている。
敵の放った砲弾が霞のすぐ脇で炸裂。
水柱でバランスを崩した霞にさらなる砲撃が待ち構える。
「ちっ!」
直撃を覚悟して身構えた霞だが、その直前に砲弾がイ級に命中する。
大きなダメージにはならなかったが、その一撃でバランスを崩したイ級も、霞へ直撃させる機会を失った。
けれど、発射命令の出ていたイ級の砲はそのままの状態で火を噴き、霞とイ級の間に着弾。大きな水柱を吹き上げる。
「うわっ!」
大量に降り注ぐ海水の真っ只中に、霞は突っ込んでしまう。
通り抜ける頃には全身がずぶ濡れだ。
「お疲れでしたら、脇にどけてください。そいつは私がいただきます」
浜風だ。
余計なおせっかいを焼いてくれる。
「なんて砲撃してんのよ! ずぶ濡れじゃない! 後で覚えておきないよ!?」
不条理極まりない怒りを浜風に向けて放つ。
霞ははっきりと心に誓った。
――帰ったら、浜風には洗濯当番をさせてやる。
「ったく、みじめったらないわ!」
横に回り込んで主砲を斉射。
側面からの直撃弾に、再びイ級が大きくバランスを崩す。
「沈みなさい!」
左腕の魚雷発射管から、四本の魚雷が一斉に放たれる。
イ級を目指してまっすぐに。
その行方を見る事もなく、霞は左へ舵を切る。
「浜風、いくわよ! 天津風の獲物も食ってやるわ!」
「次は私が頂きます!」
その後ろで大きな爆発が四度起きた。
長波のいる方向から、大きな爆音が轟いた。爆雷の炸裂だ。
天津風はそちらに一瞬気を取られ、視線を向けてしまう。
爆雷によって自沈処分された過去から考えると、仕方のないことかもしれない。
けれど、そのわずかな隙を相手は見逃してはくれなかった。
「あっ!」
砲声を耳にして我に返った天津風の周囲に、幾つもの砲弾が水柱をあげて着弾する。
沸き立つ海面に足を取られ、盛大にバランスを崩してしまう。
そこへ新たな砲弾を送り込もうとイ級の砲身が動く。
「待って、待って! 待ちなさいってば!」
無論、戦場に紳士淑女の協定など存在しない。騎士道や武士道の精神を問おうにも、相手が悪い。
イ級は容赦なく連続発砲。
「きゃっ!」
新たな水柱が幾つも吹き上がり、天津風の悲鳴と姿がかき消される。
「あのバカ! 見てらんないったら!」
「天津風!」
霞が主砲を撃ちながら、敵へ突撃を敢行。浜風も支援砲撃を開始する。
敵駆逐はその勢いに押され、じりじりと後退を始める。
「天津風! 無事ですか!?」
その隙に浜風が天津風の元に接近する。
少なくとも一発は至近弾。
どこかしらに被害があってもおかしくはない。
この後の後退戦に関わる機関へのダメージであれば、状況として最悪。
「……完全にあったま来た!」
しかし、霧散した海水の向こうから現れたのは、ほぼ無傷の天津風。
被害といえば、ずぶ濡れになったことと、お気に入りの吹流し型の髪飾りが少し破れていること。
弾片のせいで若干の切り傷もあるが、戦闘や航行に支障はないようだ。
「浜風、そこどいて。あいつに思い知らせてやるんだから!」
言うが早いか、機関出力を最大にして突撃を始める。
――典型的な、気の強い跳ねっ返りお嬢様。
浜風は提督による天津風の人物評を思い出す。
全くその通りだ。
「世話の焼ける姉ですね……普通は立場が逆だと思うんですが」
一直線に加速した天津風は、敵に追撃をかける霞を追い越す。
霞はそれを見て右へ進路をとる。イ級の左舷側から再度突入の構えだ。
続いて、浜風が敵の退路を遮断する砲撃を開始。天津風の頭を超えて、敵の後方に次々と盛大な水柱を作る。
左からは霞が高速で突撃をしかけ、前方からは怒髪天をついた天津風。
残された逃げ道は右しかない。
イ級は急速回頭をかけて進路を右に変える。
「この、待ちなさい! 連装砲くん、行って!」
天津風は腰のあたりで連結されていた、まるで玩具のような、主砲だけが目立つ駆逐艦を切り離し海面に放り投げる。
着水すると、それはそのまま海面を滑るように進み、砲撃でイ級を追い立てる。
天津風は左八点の急速回頭。進路を変えたイ級と同航する。
イ級はその天津風の姿を見て一際高く吠える。武装がないと見たようだ。
頭を天津風に向け、口を開く。その中には忌々しい砲口が見える。
「バカね!」
天津風はさらに進路を左に変える。イ級に見せつけたその背中には、四連装の魚雷発射管。駆逐艦にとって必殺の武器だ。
「逃さないって、言ったでしょ?」
圧縮空気が解放され、必殺の槍がイ級へと吸い込まれていく。
いかに装甲や武装が強化されたロ級とはいえ、単艦で複数の相手をするなど無理があった。
夕雲と清霜の連携でじりじりと追い詰められていく。
そこに、湾内へ突入してきた矢矧と、すでに一隻を屠った長波が加わる。
もう少し時間が経てば、霞に浜風、天津風も合流してくる。
ロ級にとって唯一生き残る道は湾外への脱出しかない。
獣じみた咆哮をあげ、湾外への最短経路を取るロ級。ぐんぐんと加速していく。
「誰が逃がすかってんだ!」
長波が砲撃を開始する。
今までのお返しとばかりに、ロ級の進路上に砲弾を撃ち込み逃走を阻止する。
たまらずロ級は進路を変更するが、夕雲の砲弾がそこに降ってくる。
「うふふ。しっかり逃げないと当たってしまいますよ」
右に左にと回避を続け、ようやく見つけたスペースに飛び込む。
しかし、その先には砲口を向けた矢矧が待ち構えている。
覚悟を決めたのか、ロ級はさらにもう一度大きく吠え、そのまま矢矧に向かって突っ込む。
「悪あがきにしては上出来です。が――ここまでです」
振り上げた腕をサッと振り下ろす矢矧。六門の十五センチ砲が一斉に火を吹く。
二発がロ級の左舷への至近弾。
その爆圧でロ級が大きく傾き、そこへさらに二発が前方に着弾。水柱がロ級を大きく持ち上げ、艦首が右へ大きく振られる。
そして、最後の二発が無防備にさらされた左舷の喫水線下へ突き刺さる。
一瞬の間をおいて炸裂。
ロ級の内部を破壊した爆風が砲弾の射入口から一気に外へと放たれ、そこからロ級を二つに分断する。
「ああはなりたくないな……」
真っ二つになって沈んでいくその姿を見ながら、長波がつぶやいた。
「そう思うなら、早く撤退するべきね」
近づいてきた霞が、白み始めた東の空を見て言う。
あと一時間もすれば、朝日が水平線から顔をのぞかせるだろう。
そのあと、八人を待っているのは地獄――飛行場姫から放たれた、無数の航空機による徹底した追撃だ。
被害を最小限に留めるためには、できる限りここから離れるしかない。
その分だけ、敵の追撃の時間を短くできる。
「そうね。できるだけ急いで撤退しましょう」
いつもなら、新しい一日を迎えることができた感謝を込めて、その到来を喜んでいたはずの朝日が、今日は死神を連れてやってくる忌々しい存在に思える。
矢矧は自分の身勝手さに少しだけ苦笑いをしながら、東の空を見ていた。
※しばし休憩。
回線状態あんまりよろしくないのが辛いところ……。
※再開
ところどころ改行漏れあって申し訳ない……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
湾口を出てすぐに、矢矧は艦隊の陣形を組み直した。
練度の低い清霜と天津風を中心にした輪形陣だ。
艦隊を先導するのは長波。左右には夕雲と浜風を配置。後方左右を霞と雪風が固めている。
そして、最後尾を航行するのは旗艦である矢矧だ。
異例中の異例とも言える配置。
当然、霞や長波、それに普段はおとなしい浜風と雪風も激しく抗議してきた。
艦隊旗艦が一番先に狙われる位置にいるのはおかしいという具合にだ。
霞や浜風、雪風には別の思いもあるだろう。
矢矧自身がそうであるように、艦娘の誰もが過去と綺麗に決別できているわけではない。
むしろそれを糧にしているからこそ、こうして再び戦場に立てるのだから。
「やっぱり、この配置はおかしいわよ」
「ええ。私もそう思います」
霞が再び蒸し返し、浜風もすぐに同調する。
あの時の無念の思いがひときわ強いからだろう。
「もう決めたことよ。理由はさっきも言ったでしょう?」
嗜めるように矢矧が言う。
対空火力、耐久力、電探装備。すべての面で駆逐艦より性能が上の自分が、最初に接敵するであろう最後尾を守ることで、全体への被害を軽減できる可能性が高い。
それに加え、戦闘に参加していない分、弾薬にも充分な余裕がある。
納得しない四人に、矢矧はそう道理を説いて渋々ながらの了承を得た。
「頭ではわかってるのよ。矢矧にだってわかるでしょう?」
霞の言いたいことは痛いほどわかる。
もし、他の誰かが同じことをしていたら、自分も霞と同じことを言って食い下がるだろう。
「もちろん。でもね、だからこそ私はここに立つの。悪いけど、これは旗艦の特権。否定しないから、あとで好きなだけ文句を言っていいわよ」
バッサリと、身も蓋もない言い方で切り捨てる。
いくら議論をしても、根本が感情に関わっているのだから解決などしない。
今やるべきことは、これから訪れる地獄のような攻撃をいかにして切り抜けるかを考えることだ。
「……そうさせてもらうわ。初霜と朝霜、磯風も連れてきて一晩中やってやるから」
霞もそれは理解している。それ以上、食い下がることはしない。
最後にただ一言。
「だから、沈まないで」
それだけを言ってきた。
もちろん、沈むつもりも、誰かを沈ませるつもりも矢矧にはない。
そのための方法を考える時間が欲しい。
けれど。
「榛名から矢矧隊」
榛名の声が無線越しに聞こえてきた。
普段の陽気な声とは違って、何か悲壮な覚悟のようなものを感じさせるそれに、誰もが嫌なものを感じる。
「矢矧です。続けてください」
ただ一人、矢矧だけは感情を動かすこともなく、普段と変わらぬ様子で先を促す。
「これから榛名は、みなさんに悪い知らせをお伝えした後、とても残酷なお願いをしなければなりません……どうか許してください」
全員が息を飲んで、榛名の声に耳を傾ける。
榛名の震える声だけが響いていく。
「先ほど、先行している偵察隊の電探が、島を離陸する敵の大編隊を捉えました。計三波、三〇〇機ほどの大編隊が矢矧さんたちに向かっています」
ハッとした顔で雪風が電探のスクリーンと島の方を交互に見やる。
「いました! 方位一六三、距離三万六千!」
雪風の声に、それぞれが対空戦闘の用意を始めていく。
主砲や対空機銃が稼働する音に、榛名の暗い声が重なる。
「おそらく攻撃は激しい物になるでしょう……それを分かった上で言います」
一呼吸、二呼吸と沈黙が続き、やがて意を決した榛名が、決然とした口調で命令を下す。
「矢矧隊は針路を二六〇に変針。敵機を可能な限り誘致し、攻略主隊の攻勢を補助せよ」
誰もが言葉を失う。
指定された針路は、今抜け出してきた島へ徐々に接近するものだ。
命令は矢矧たちに、損害を覚悟で囮になれと言っている。
あからさまに言えば『死ね』ということだ。
榛名は苦渋に満ちた声でさらに続ける。
「なお、本命令は本営の決定に基づき、艦隊総旗艦榛名が発令する。同時に今次作戦参加の艦艇は、敵施設破壊を最優先任務とし、その全力を持ってこれにあたる」
鎮守府で矢矧たちの帰りを待つ提督が、そんな命令を承服しないということも見越し、上部の指揮系統からの直接命令という念の入れようだ。
「相変わらず、やり方が汚いわね……」
霞が怒りをにじませ、震える声で言う。
命令に対して従順な榛名を総旗艦に任命したのも計算のうちだろう。
もしかすると、榛名が抱いている提督への感情すら利用しているのかもしれない。
そして、その推測はおそらく正しいのだろう。
この通信が、本営への通信に使われる回線を使用して行われているのだから。
霞の言葉はそれをすべて察した上でのものだ。
「レイテ――エンガノ岬の焼き直しを我々にやれと、そういうことですか?」
浜風が怒気をはらんだ強い口調で問いただす。
敵航空戦力を囮艦隊で引きつけ、無防備になった敵を主力が叩く。
多少の状況の違いはあれど、やろうとしていることは全く同じだ。
おそらく、囮艦隊の壊滅と言う結果も。
軽巡一隻、駆逐艦七隻。
それが、得られる結果と引き換えならば安い物だと、本営は判断したらしい。
「嫌になるねぇ。これが提督の言ってた『政治』ってヤツだろ。なぁ?」
長波は達観した口調で、聞き耳を立てている誰かに向けて、皮肉めいた問いかけをする。
きっと、幾度かの秘書艦経験で様々な物を見てきたのだろう。
そんな長波の言葉に、帰ってくる返事などあるはずもない。
もとより、誰もそんなことは期待していないが。
「いつものように、こちらに泥をかぶせて高みの見物ですよ」
普段は温厚な夕雲でさえ怒りを隠そうともしない。
「すみません……榛名が不甲斐ないばかりに……ごめんなさい」
榛名が消え入りそうな声で、何度も詫びを繰り返す。
きっと泣いているのだろう。
雪風は榛名に対する居た堪れない気持ちと、理不尽に対する憤りの両方で複雑な顔をしているし、配属されてから日の浅い清霜と天津風は、事態が飲み込めずに不安げな顔をして互いを見ている。
「榛名。やれることはすべて、やってくれたんでしょう?」
矢矧の言葉に無線の向こうで榛名がわずかに動揺する雰囲気があった。
わずかばかりの間をおいて。
「はい。それだけは信じてください……ですが、その結果がこれでは、恨まれても仕方がありません」
榛名がどれだけ最善の代替案を提示しても、本営は一切を受け入れなかったのだろう。
本営が何を考えているのか、大体の察しはつく。
「……もう一つ。私たちはどれだけ粘ればいいのか教えて」
「第一波。それを耐えていただければ、他の編隊もそちらへ向かうはずです。そうなれば確実に作戦を遂行できます」
矢矧は静かに目を閉じ、瞑目する。
自分の中から一切の負の感情を追い払うために。
それは、死地に向かうには重すぎる荷物だ。
ギリギリの判断を連続で繰り返し、一秒でも長く生き残るためには、余計な重荷は捨てるに限る。
「矢矧隊、委細承知――」
ギュッと白い手袋をはめ直し、敵機の群れがいる空を睨みつける。
あの時の空のように、低く垂れ込める雲はない。澄み切った空がどこまでも続いている。
きっとあの、暁に染まる水平線の向こうにも。
「全艦左回頭、針路二六〇。両舷前進最大戦速」
矢矧隊は無言のまま、凄惨を極めるであろう戦場に向かって舵を切っていく。
まるで葬列のようなそれを見送るものは、誰もいない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
転舵から間もなく。
矢矧たちの左上空から、空を覆い尽くさんばかりの敵機の群れが襲い掛かった。
「対空戦闘始め! 全兵装使用自由!」
矢矧の号令一下、全員が放火を開く。
主砲、高角砲、対空機銃――あらゆる火砲がここぞとばかりに火を噴く。
「低空域を警戒! 雷撃機だけは見逃さないで!」
急降下爆撃は相手が降下に入った瞬間を見極めれば、かわすことはそれほど難しくはない。
一度降下に入ってしまえば、爆撃コースの変更は容易ではないからだ。
怖いのは、低空域を高速で突っ切った雷撃機が魚雷で作る槍衾。
矢矧は最後の戦いでそれを身をもって知った。
相手は一撃必殺を狙わず、矢矧たちの移動可能な範囲を覆うように、物量に任せた攻撃をしてくる。
左右両舷から同時攻撃などされたら、神仏に奇跡を願う以外やれることはない。
「雪風です! 一〇時方向低空域に雷撃機編隊三つ! 後続は左舷側に集結中の模様! 今のところ右舷側への展開はありません!」
直前での針路変更は思いがけない効果をもたらしたようだった。
本来であれば、後方から接近した敵雷撃隊は左右へ散開することで、致命的な雷撃を同時に敢行することができた。
けれど、矢矧たちがほぼ側面を見せる形で転舵したことにより、右への回り込みは時間がかかかる。同時攻撃が行えなければ、各個撃破されていくだけだ。
たとえ予定通りに展開して一方が正面から攻撃したところで、そこは火力が最も集中する上に回避されやすい。
現状で一番効果的な方法を選択するならば、側面の一方向から集中して厚みのある攻撃をすることだ。
「左舷へ砲火を集中! 爆撃は意地でかわせ!」
調整していた攻撃タイミングがずらされたことで、今はまだそれぞれの攻撃が散発的になっている。
相手は一撃必殺を狙わず、矢矧たちの移動可能な範囲を覆うように、物量に任せた攻撃をしてくる。
左右両舷から同時攻撃などされたら、神仏に奇跡を願う以外やれることはない。
「雪風です! 一〇時方向低空域に雷撃機編隊三つ! 後続は左舷側に集結中の模様! 今のところ右舷側への展開はありません!」
直前での針路変更は思いがけない効果をもたらしたようだった。
本来であれば、後方から接近した敵雷撃隊は左右へ散開することで、致命的な雷撃を同時に敢行することができた。
けれど、矢矧たちがほぼ側面を見せる形で転舵したことにより、右への回り込みは時間がかかかる。同時攻撃が行えなければ、各個撃破されていくだけだ。
たとえ予定通りに展開して一方が正面から攻撃したところで、そこは火力が最も集中する上に回避されやすい。
現状で一番効果的な方法を選択するならば、側面の一方向から集中して厚みのある攻撃をすることだ。
「左舷へ砲火を集中! 爆撃は意地でかわせ!」
調整していた攻撃タイミングがずらされたことで、今はまだそれぞれの攻撃が散発的になっている。
ならばと、一番厄介な雷撃隊への攻撃を優先する。
少しでも数を減らせれば、この後も楽になる。
「そいつはいいね! 最高の命令だ!」
矢矧の無茶な命令に、長波が不敵な笑みで叫び返す。
左の低い空に集中した火線は、まるで空と海を切り離すような激しいものになる。
そのあまりの激しさに、大半の敵機は魚雷を投棄して退避するしかない。
強引に突っ込んでくるものは、砲弾や銃弾の直撃を喰らうか、吹き上げる水柱に捕まり、海面に四散していく。
「撃て撃て! 撃ちまくれ! 弾なんざ向こうに持っていっても、使い道なんかないぞ!」
長波の怒声が、弾薬の浪費を抑えようと狙いをつけた射撃を続ける清霜と天津風の尻を叩く。
「あんたね! オルモックの時にすっからかんになって、ただの的になったの忘れたの!?」
※ああっ! やっちまった!
読みにくくしてゴメン!
改行なしで被ってる文は無視して!
天津風も負けじと、昔の話を持ち出して言い返す。
「知るか! つーか、どのみち始まる前から的だろう!」
「……それもそうね」
あまりといえばあまりな長波の言い草ではあったが、天津風はそれを聞いて納得した様子で、猛然と射撃を始める。
「敵雷撃隊第一波壊滅! すぐに残りがきます!」
雪風は艦隊の全周囲に注意を払っていた。
敵の侵入方向からは一番遠い位置にいることで、そうする余裕もある。
見上げた空の高い位置に、敵機の姿が見えた。
「矢矧さん! 敵機直上! 新手の艦爆隊です!」
即座に放たれた雪風の警告を受けて、矢矧は空を見上げる。
まっすぐに高い位置を飛来してきた敵機が、くるりと機体を捻って急降下の態勢に入る。
登り始めた朝日が敵機に反射して、その挙動がよくわかる。
「各艦回避運動開始! 砲は左舷の雷撃機を待ちかまえろ!」
矢矧の命に従って、旋回や装填が速い小口径の火器だけが空をめがけて火網を形成する。
反転降下を始める直前や、反転の直後に四散する機体がいくつも見える。
「投弾コースに乗った敵は構うな! その前の敵を狙え!」
降下を始める敵機の動きを見極め、急転舵で自身の進路を変えていく。
雷撃隊を早い段階に撃退できたことで、雷撃の心配をする必要がない分、自由に動くことができる。
一方で急降下を始めた爆撃機は、左右へ大きく移動することもできず、重い爆弾を投下しなければ機体を引き起こすこともできない。
ろくに狙いをつけられないまま放たれた爆弾は、次々に何もない海へと吸い込まれ、大きな水柱を屹立させる。
けれど、そのすべてを綺麗にかわすことなど不可能だ。
かわされることを考え、爆撃隊は一斉に投弾することで広い範囲をカバーしてくる。
いくつもの至近弾が矢矧たちを傷つけ、損害が次々に報告されてくる。
「雷撃機視認! 八時方向!」
夕雲の声。
いよいよ敵は攻撃のタイミングを調整してきた。
全員、ここが正念場だと腹をくくる。
「全艦左回頭! 敵雷撃機に正対! 雷撃位置につかせるな!」
正対することで、相手の判断を迷わせる。
左右に分離して雷撃位置につくか、それともまとまって一方向から攻撃を仕掛けるか。
悩んでくれればくれるほど、時間は稼げる。
その分、生き残る確率も増えて行くはずだ。
「雪風! 残敵はどのくらい!?」
「第一波はこれが最後です! 第二波は距離三万、方位一七〇! 第三波もその後方に集結中です!」
背筋を冷たいものが走る。
予想外の反撃に業を煮やしたのだろう。敵は一気に畳み掛けて勝負を決めるつもりだ。
ほぼ間違いなく第一波との戦闘中に、背後から第二波の攻撃を受けることになる。
矢矧たちに余力はほとんどない。
浜風は主砲塔一基大破、修復不能。
夕雲と長波は中破。機関損傷のために速力が低下。
霞と清霜は主砲弾が底をつき、天津風と雪風も無傷ではない。
そして矢矧自身も三番砲塔と対空機銃の一部を失っていた。
おそらくこれが限界だろう。
「矢矧より榛名。敵航空戦力の誘致に成功。ですが、弾薬が尽きた艦もあります。損害の大きな艦とともに避退させる許可を」
榛名からの返答はしばらく時間が空いた。
おそらく本営からなんらかの指示が出されているのだろう。
「敵雷撃隊、右二〇より接近中! 機数二四! まとまって突っ込んできます!」
雪風が叫ぶ。
全員がありったけの火力を雷撃機に集中させる。
遠くの空で爆散していく多数の敵機が花火のように見える。
まるで、花火大会の締めくくりにある大掛かりなあれだ。
「榛名より矢矧。これより主攻隊の突入を開始。戦艦六隻と正規空母六隻分の火力で撃滅にあたります。矢矧隊はそのまま敵を引きつけつつ、針路〇二〇で後退。誘致を確実なものにするため、航空機誘導用電波の発信もお願いします」
どうあっても、最後まで矢矧たちを囮にするつもりらしい。
誘導用電波を出すことで、こちらが航空隊を呼び寄せていると錯覚させ、島上空の直掩戦闘機も釣り上げられる。
確かに島への攻撃は容易になるだろう。
――違う。
敵はすでに主攻隊への攻撃が即座にはできない地点まで進出している。
この上さらに敵を引きつけるなど無意味なことだ。
直掩機だって、正規空母六隻の戦闘機がいれば問題になどならない。
だから。
矢矧たちに沈んでもらいたいのだ。
より大きな存在になりつつある、一人の提督の力を少しでも殺ぐために。
長波の言った通り、これが政治というやつなのだろう。
「全艦、針路〇二〇! 複縦陣をとれ! 長波と夕雲を援護しつつ後退する!」
ならば、それに徹底して抗ってやる。
「先頭は霞と清霜! 浜風と天津風は中破した二人を守れ! 最後尾は私と雪風!」
一人でも多く生かして帰す。
そうすることで、愚かな連中の計画を少しでも狂わせてやる。
絶望的な状況で、矢矧の顔に不敵な笑みが浮かぶ。
群がる艦爆の攻撃を右に左にと舵を切ってかわしながら、砲火を右舷から接近する一つ一つの雷撃機編隊に集中していく。
次々に海面へ落ちていく敵機。
けれど、矢矧たちだけが無傷でいられるはずがない。
「浜風被弾!」
長波の悲鳴にも似た声が響く。
機関部への直撃を受けた浜風は、速力が出せずに矢矧の方へ下がってくる。
当然、そんな状態の浜風には敵の攻撃が集中し始める。
「浜風! 回避だ! 回避しろ!」
矢矧の声に反応して、残りの全てをぶちまけるように猛烈な砲撃を始める浜風。
数発の至近弾を受けながらも、驚異的な精度で周辺の敵をなぎ払っていく。
回避行動を止めた分だけ、敵の動きも読みやすく命中率が上がっているせいだ。
おかげで後続している矢矧と雪風も敵機を落としていくことができる。
気がつけば、浜風の周囲にはぽっかりと敵のいない空間が出来上がっていた。
「雪風! 長波と夕雲を任せます!」
浜風のその声にはじかれるように雪風は増速、たった今浜風が切り開いたわずかな隙間を縫って、前方の二人の援護に入る。
後退してきた浜風の腕を矢矧が捕まえ、引きずるようにして進む。
「すみません、勝手に命令してしまって」
「いいわ、同じことを言うつもりだったから」
第一波最後の雷撃機を雪風が撃墜し、静寂が戻ってくる。
矢矧の予想に反して、敵は連続した攻撃をかけてくることはなかった。
強烈な反撃と大きな被害を見て、やり方を変えたようだ。
「敵第二波、後方三万で変わらず。電探の調子が悪いのでよくわかりませんが、第三波と合流しているものと思われます」
電探のスコープを覗く雪風の報告がそれを裏付けてくれる。
けれど、その電探も被害を受け、探知距離は通常の半分以下と報告があった。
わずかな時間を使って、全員が兵装のチェックを始めていく。
天津風は、霞と長波の間を往復して弾薬の受け渡しを仲介している。
はるか後方から、かすかに砲声が聞こえる。
島影を伝って接近した榛名たち主力が攻撃を始めたようだ。
「矢矧より榛名。敵第一波撃退するも我が方被害甚大。敵第二、第三波は集結し、一斉攻撃を企図しているものと思われる。針路〇二〇、一八ノットで航行を続ける。以上」
おそらく最後になるであろう報告を入れて後方を振り返る。
水平線上に立ち上る幾筋かの黒煙が見えた。
戦艦六隻の砲撃と正規空母六隻の攻撃隊が相手では、たとえ飛行場姫であっても時間の問題だろう。
「悪いわね、今回もこんなことに付き合わせて」
申し訳なさそうな顔の矢矧。
「いえ。再びお供できて光栄ですよ」
浜風はそう言ってから、ニヤリと笑ってみせる。
「とは言ってもタダでとはいきません……機銃弾を分けてもらえますか?」
「吉備団子なんて言われなくてよかったわ」
そう言いながら、艤装の弾薬庫を開き、機銃弾が詰まったカートリッジを引き抜いて、残弾を確認していく。
「犬、猿、雉。浜風は一体どの役回りなんでしょう」
「私達全員が雉かしらね――猟師に追い回される方の、ごく普通のだけど」
対空機銃の半分ほどを失った矢矧には使い切れない量が残っていた。
浜風はそこから半分ほどを受け取り、自分の弾薬庫の中に放り込む。
「これは、もう不要ですね」
ついでにと言うように、魚雷発射管から魚雷を抜き取って放り投げる。
航空機相手に魚雷など使い道はない。誘爆の可能性を考えると、むしろ邪魔なだけだ。
矢矧も同じように魚雷を投棄していく。
「動き出しました。三方に分離、一隊は後方より直進。残りは左右からです」
雪風が静かに敵の襲来を告げる。
どう転んでもこれが最後の戦いだろう。
一人でも多く生き残るための最善の方法。
矢矧は生き残る者、そうならない者、双方にとって残酷なそれを告げる。
「長波、夕雲は魚雷を投棄の上、私と浜風とともに敵を反転迎撃する。霞は残りを連れて全速力で離脱――反論は一切受け付けないから、さっさと動いて」
霞が口を開く前に、それを一切封じてしまう。
それを聞いている時間などないのだから。
長波と夕雲がスッと護衛の二人のそばを離れ、一八〇度回頭する。
天津風と雪風は、その二人を一瞥することなく、まっすぐに霞たちの元へ向かっていく。
二人が合流すると、霞は一度だけ後ろを振りかえる。
矢矧が敬礼を送ろうと腕を上げたところで――
「ねぇ。感動のシーンのところ申し訳ないけど」
天津風が割って入る。
「航空機視認、前方一万五千。数えるのも馬鹿らしい……簡単には逃げられそうにないわね」
現実などそんなものだ。
映画のようにはいかない。
雪風の電探は完全に死んでいた。
一万五千などという、肉眼でも捉えられる位置にまで迫った敵編隊を捉えることができなかったのだから。
使い物にならないレーダースコープを放り投げると、お守り代わりとも言える大きな双眼鏡を手に、遠くの空を覗き込む。
双眼鏡越しでも、まだそれが何かは判別できない。
米粒ほどの大きさの黒い点が、空を覆い尽くしているように見えるだけだ。
後方の敵機――おそらく第三波が大きく迂回してきた。
敵機の機銃によるダメージで覆域が大幅に狭まってしまった電探では、その動きを捉えることができなかっただけだろう。
ここまで来て、とんでもない不幸に巡り合ったと思う。
むしろ、今までの幸運のツケかもしれない。
ただ、今度こそ仲間と沈めるのなら、それはそれで幸運なのかもしれない。
喜ばしい結末とは言えないけれど。
雪風は遠くを見つめ続ける。
それならせめて、その結末を届けるのがなんなのか、その目ではっきり見ておきたかったから。
黒い点は少しづつ大きくなるにつれ、その姿が明瞭になっていく。
「各艦、対空戦闘用意! 前方の敵編隊を割って血路を開く! 無理やりにでも通って生き残れ!」
矢矧が命令を下した。
それぞれが最後の力を振り絞り、持てる限りの火力を前方の一点に向けるために、照準を調整していく。
ただ一人、雪風だけは双眼鏡を覗き込み、敵の動きを監視し続けている。
その雪風が、くるりと矢矧の方を振り向いた。
「矢矧さん……矢矧さん! 前方の編隊は味方です! 味方の戦闘機隊です!」
歓喜の叫びをあげる。
「味方って、どこから……」
空母航空隊は今頃、はるか後方で敵施設に猛攻を仕掛けているはずだ。
もちろんそこには護衛の戦闘機隊も随伴しているのが当たり前の話だ。
「識別帯は白二本! 瑞鶴さんの――」
『ええっ! うちの子達、そこにいるの!?』
雪風が報告を終える前に、この場に似合わぬほど陽気な声が割り込んでくる。
『もう、瑞鶴。あなたが絶対大丈夫だって言うから、先導を任せたのよ?』
『あーごめん、翔鶴姉。見事に航法に失敗しちゃったみたい』
失敗を詰問するセリフと、それを謝罪するセリフ。双方がいやに白々しい。
翔鶴と瑞鶴の姉妹には役者は向いていない。
矢矧はそんなことを思った。
『それで済ます気ですか、五航戦』
さらに加賀の声が割って入ってくる。
『あなたたちのおかげで、こちらの攻撃隊は丸裸同然です。矢矧隊が敵機の大半を引き連れていってくれたからいいようなものの……』
言っている事の割には、声は安堵に満ちたそれだ。
『なによ、一航戦。もとはと言えば、あんたらがこっちの攻撃隊を全部持っていったからでしょうが』
だからなのか、いつもなら険悪なムードになる二人のやりとりも、まったくそうは感じられない。
ただ、矢矧の横で浜風が気の抜けた顔をして、ぼそりと『犬と猿、いましたね』と言ったのは、聞こえなかった事にしておいたほうがいいだろう。
『瑞鶴。あなたには航法の演習が必要ね。帰ったら覚悟しておきなさい』
『冗談。そもそも薄明出撃なんて無茶やらせるからこうなんの。あんたこそ作戦の立て方を提督さんに仕込んでもらいなさいよ』
加賀と瑞鶴のやりとりで、矢矧は一切を悟る。
この海域に存在する艦娘の中で、一番の役者は間違いなく――
『榛名です。お二人ともそこまで。急いで迷子の戦闘機隊をこちらに向かわせてください』
いつもの陽気な声が、さらにだめ押しの芝居を打つ。
もはや、誰が聞いてもあからさまなものではあるけれど、こんな気持ちのいい芝居もない。
盗み聞きしている連中は今頃、ほぞを噛んでいることだろう。
『あー、瑞鶴了解。でも、目の前に敵攻撃隊が二百機くらいいるみたい。無視すると後が面倒なのよね』
『そうですか。では、速やかに最善の対処をしてください。榛名からのお願いです』
それからの戦闘は、あえて語るほどのこともない一方的なものだった。
島への航空攻撃を察知した敵は、攻撃隊を護衛する戦闘機の大半を反転させていた。
丸裸となった敵攻撃隊へ、翔鶴と瑞鶴が放った戦闘機隊が一気に襲いかかる。
混乱した敵は、攻撃隊を守るために戦闘機隊の半数が再反転するという、戦力分散の愚を犯した。
結果として、島の上空に戻った戦闘機隊は主力艦隊が有する戦闘機隊に壊滅させられ、護衛として再反転した戦闘機隊も、その護衛対象とともに海面へと堕ちていった。
もちろん、戦闘機の攻撃をかいくぐって矢矧たちに向かってきたものもいるが、それはごく少数に過ぎず、矢矧たちの対空砲火によって同じ末路をたどっていった。
飛行場姫がどうなったか、それも言う必要はないだろう。
作戦成功。その四文字が全てを物語るのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翔鶴、瑞鶴の機動部隊と合流した矢矧たちは、一路北に向けて航行していた。
完全に姿を見せた朝日が、波間に乱反射してキラキラと輝いている。
その中を進む矢矧たちはボロボロの姿。
けれど、煤や血、海水、そういったもので汚れた顔は、彼女たちの頭上に広がる空よりもすっきりと晴れやかだ。
ただ一人、難しい顔をしている長波を除いては。
「つーかさ、いったいどういうカラクリだったわけだ?」
清霜の肩を借りて航行してはいるが、ダメージは思ったほどではないようだ。
制服のあちこちが裂け、肌のあちこちに切り傷やすり傷で血も滲んでいたし、表と裏で色の違う、いつも手入れをかかさない長い髪も乱れていたけれど。
その髪を提督に褒められてから、手入れが余計に念入りになったらしいという噂を矢矧は思い出す。
「旗艦はいきなり無茶を始める、囮にはされる……もうダメかと思ったら、都合よく瑞鶴のやつだ。どうなってるのか説明してくれ」
ワシワシと頭をかきむしる。
その姿を見る限り、手入れが余計に念入りというのは怪しい気もするが。
「夜偵を回してもらう時に、もう一つお願いをしたのよ――」
矢矧はカラクリの説明を始める。
「敵航空戦力を誘致しつつ後退するから、機動部隊の一部を分離して待機させて欲しいって」
「ああ、なるほどね。そうすれば敵はこっちの主力を見つけたと考え、次々に攻撃隊を繰り出し、基地は空になる」
霞が納得の表情で、清霜の額に絆創膏を貼っていく。
至近弾の水しぶきを避けようとして、右手でかばった時に主砲をぶつけたらしい。
最後に額を軽く叩かれた清霜は涙目になって抗議しているが、霞は無視して次の絆創膏を探している。
「そう。我々が航空戦力をすり潰している間に、主力が突入する計画だったの」
「飛行場姫が出てくるまではね」
そういいながら瑞鶴がスルスルと近付いてきて、絆創膏の入った箱を霞に手渡す。
「あの段階で私が考えた計画は白紙になったと思ったんだけど?」
矢矧の言葉に何度も大きく頷く瑞鶴。
「そうそう、それが普通の考え方よ。向こうは最新鋭機ひっさげてくるわけだしさ……」
そこで瑞鶴は一度言葉を区切り、勿体つけるように大きくため息をつく。
「あたしがね、榛名が怖いって思ったのはこっから先よ」
まるで怪談でも始めるような、大げさな身振り手振りを交えて瑞鶴が話し始める。
敵攻撃隊の漸減であれば、艦攻や艦爆といった攻撃機戦力は不要という加賀の意見を取り入れ、榛名は一航戦所属の戦闘機隊と、五航戦所属攻撃機の入れ替えを指示していた。
矢矧たちと五航戦が敵航空戦力を誘致するのであれば、護衛戦闘機は二航戦が保持する数で足りると言う判断だ。
そうして、主力艦隊から分離した五航戦は予定会合地点へ向けて移動を開始。
島影を伝い、極力発見されることを避けながら航行しているところへ、飛行場姫発見の報が入った。
五航戦の即時反転を求める加賀に対し、榛名は発見のリスクが上がることと、時間的猶予がないことを理由にこれを却下。
もちろん加賀も全てを承知した上でやっている。
それをそのまま総司令部に伝え、五航戦の後方避退の了承を取り付けた。
制空隊を出撃させる必要があればアウトレンジ出撃させ、燃料に余裕のある攻撃隊を五航戦が、戦闘機隊を一航戦が引き受けることで、対応は可能だと説き伏せてもいる。
それを行なった場合、その経路の近くに矢矧達がいるということは地図を見ればすぐに気づくことだからと、あえて言わなかったようだが。
その一連のやりとりを聞いていた翔鶴と瑞鶴は、榛名の意図を察知して戦闘機隊を発進、矢矧隊を救援するタイミングを狙っていた。
矢矧達の位置を掴むために、誘導用電波を使わせたのは榛名の入れ知恵。
これで敵を完全に誘致できると、何も知らない本営は大喜びで榛名の提案に賛成したという。
尾ひれどころか、背びれに胸びれまで付いてくる瑞鶴の話から要点を抜き出すと、そういうことだろうと矢矧は結論づける。
「全部わかってて、あの悲壮感漂わせる台詞……とんでもない役者よ、榛名は」
「榛名はみなさんに残酷なお願いをしなければなりません……ってな」
長波と瑞鶴が榛名の真似を始め、周囲が囃し立てる。
笑いの渦が広がって、無線の向こうからも聞こえてくる。
それまで沈黙を保っていた榛名が、たまらず割り込む。
『瑞鶴さん、長波さん! あれは演技じゃなくて本気です! 矢矧さんたちが怪我するのは避けられないし、申し訳なくて……』
「うっそだぁ!」
『ほんとですって!』
長波と榛名が堂々巡りの舌戦を繰り広げ、笑いはさらに大きくなっていく。
真実はどちらでも構わない。矢矧はそう思う。
とにかく、そのおかげで自分たちは救われたのだから。
あの時点で、榛名に対してなにかの圧力があったのは間違いない。
それを榛名が口にする事はないだろう。
その重圧の中、相手の作戦を逆手に取り、自分たちに有利な方向へ展開していくことなど、中途半端な度胸ではできない。
「矢矧」
いつの間にか瑞鶴が横にやってきていた。
「瑞鶴さん……今更ですが、救援ありがとうございました」
頭を下げようとする矢矧。瑞鶴はそれを手で制した。
「なに言ってんのよ。私も榛名も、あんたが描いた画を修復しただけ。自分を褒めときゃいいのよ。それで不満なら、あの子達に言ったら?」
戯れあう駆逐艦娘達を瑞鶴は見つめる。
目を細めているのは陽の光のせいではないだろう。
矢矧も同じ方向を見る。
「あんたの無茶を信じて、必死に戦って生き残ったのはあの子達の力。ま、無茶を言い出した当人が最後の最後でそれを放棄しかけたのは減点かしらね」
「しかし、あの状況では……」
「わかってるわよ。それに関しては提督さんから言伝があるわ――落とし前はきっちりつけさせる。一切手出し無用――だそうよ。荒事がからっきしなくせに、なにカッコつけてんだか」
言葉の割には、まんざらでもない風にカラカラと笑う瑞鶴。
「落とし前、ですか」
「うん。私も長いことあの人の下にいるけど、ちょっと怖いくらいだったわね……。おそらくこれを利用して、私たちがさらに動きやすいようにするつもりでしょうけど」
「それではまた同じようなことが起きるのでは?」
矢矧の言葉に、ふむ、と瑞鶴は一瞬考えるそぶりを見せる。
「たぶん、織り込み済み。ったく底が見えないというかなんというか……頭のキレだけはとんでもないわ。付き合わされるこっちとしては、たまったもんじゃないけどさ」
それにね、と瑞鶴は矢矧の方を向き直る。
「私たちは艦娘……ただの兵器じゃない。血も流すし、痛みも感じる。人の姿をして、人の在り方の真似事もできるし、それに喜びも感じる。人ではないかもしれないけれど、今確実にここに生きている存在――」
『そんな私たちが、生きることに必死になって何が悪い』
「――それだけのことよ?」
そう言って笑ってみせる瑞鶴。
けれど、その目には暗い影がある。それはおそらく矢矧も同じだ。
自らの命を使って、何かを守ろうとした人々。
そんな彼らに対して、何もすることができなかった罪悪感のようなものが、まだどこかに残っている。
たぶん、それが消えることはない。
この姿を貰い、真似事とはいえ人と同じ生き方をしているのだから。
喜びを感じ、時には苦悩する。
人としての在り方でなければ、彼らの本当の想いを知ることはできない。
彼らが捨てたはずのものを自分たちが得ている。それもまた罪の意識となる。
この命は、誰もがあの悲劇を味わうこともなく、誰もがあんな想いをすることがない、そんな日々を作るために与えられたものでもあるはずだ。
きっとそれが、あの戦争で散っていった多くの人々の願いだから。
そうすることで、いつか許される日が来ると思うから。
罪を贖うために新たな罪を背負い、矢矧達はここにいる。
だから、昔のように簡単には沈めない。沈ませることはできない。
だから、たとえ障害がなんであろうと、どこまでも抗い続け、生き残って、何度でもあの水平線の向こうに帰る。
その先にあるのは、責め苦のような毎日だけれど。
「なぁ瑞鶴、帰港する前にどっか近くの泊地に寄って行くんだろ?」
「まぁ、さすがに補給と簡単な修理はね。何か急ぎの用事?」
「別に何も。そっかそっか……」
一安心といった顔で頷く長波。
「長波はそのまま母港へ向かっていいわよ。副官が許可します……というか命令でもいいわ」
霞がニヤニヤとしながら近づいていく。
「なんでだよ。あたしだってお腹空いたぞ?」
「だって、提督のとこ行くんでしょ? 今日の下着なら見られていいし、ついでに指輪せびるって言ってたの誰かしらね?」
霞の言葉に長波の顔が信号機のように、赤くなり青くなり……。
「え、なに。そういうことなの? っていうか、見られていい下着ってどんな? 見せなさいよ!」
瑞鶴が新しいおもちゃを見つけた子供のように、猛然と長波へ向かい加速していく。
「うわっ! ばか、やめろって!」
「いいから見せなさいって! ついでに、その生意気な胸を少し分けなさいよ」
体に巻かれた毛布を引っ張る瑞鶴と、させまいと抵抗する長波。
周りはそれを見てさらに爆笑する。
「分けられるか! つーか、余計なもの着いたら発着艦の邪魔だろ!」
「うっさい! ここは飛行甲板じゃない!」
浜風と夕雲がすっとその輪を離れ、矢矧の後ろに隠れた。
「不毛な争いに巻き込まれるのは、ごめんです」
「ええ。本当ね」
くすくすと笑う三人だったが。
「でかいのはあたしだけじゃない! あそこの三人にも言え!」
長波が指をさし、瑞鶴はその先に新たな獲物を見つけて、狩りの態勢。
そして舌なめずり一つ。
目をギラつかせ、まるで猟犬のように一直線に突っ込んでくる。
「ちょっと――ああ、もう! 逃げるわよ二人とも!」
矢矧の号令一下、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの方向へ逃げ始める。
「矢矧さん! どこへ逃げればいいんですか!?」
瑞鶴の猛追をかわしながら、浜風が必死の形相で叫ぶ。
戦闘中でもしない顔だ。
矢矧はそれを見て、大声で笑いながら。
「そうね――」
たとえ毎日が責め苦でも。
こんなささやかでも平和な日常がどこかにあるなら。
それを一時でも楽しめるなら、今はそれでいい。
だから、白波を蹴立てて真っ直ぐに突き進む。
いつか、毎日が責め苦で無くなる日のために。
それを信じて、ひたすらに。
両舷前進最大戦速――
「水平線の向こうまで!」
※長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。
地の文入れて書くスタイルは初めてということもあり、読みにくい点、稚拙な表現などあるかと思います。
さらに一部ミスなど、お見苦しい点もありましたが、何卒ご容赦くださいませ。
しばらくしたら、HTML化依頼出しておきます。
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