勇者「もう、魔王を倒せない」(124)
勇者「君も、そろそろ村に帰ったらどうだ」
寝転んでいる僕の背後、ベッドの側に座っている彼女に言った。
長いこと言葉を発していなかったせいで、少し声がかすれていた。
勇者「王都を経由すれば、馬車で帰れる。 危険は少ない」
椅子が軋む音がした。
彼女は立ち上がって僕の前まで来て、首を横に振った。
勇者「そう」
それ以上何も言う気になれず、僕はまた彼女に背を向けるように、つまりさっきまで彼女が座ってた椅子と向かい合うように寝返りをうった。
外はよく晴れていて、しかし昼過ぎの太陽は高く、室内にはほとんど陽が差し込まない。
比較的大きな街であるので外からは人が行き交う音が流れ込み、それが酷く煩かった。
窓を閉めたかったが、立ち上がるのさえ億劫だった。
彼女は再び椅子に戻ることもせず、後ろでただ立っていて、それが僕を苛立たせた。
彼女は物音一つ立てない。
まるでそこにいないかのようだ。
彼女のことを気にかける余裕がない僕への配慮なのだろう。
だったらいっそ僕のもとを離れてくれたらいい。
彼女の親戚が経営していてタダで泊めてくれているらしいこの宿だって、別にいつ引き払ったって構わない。
そう何度か言ったが、彼女は首を横に振るばかりだった。
毎日そうしているように、また僕は目を閉じて眠ろうとした。
しかし身体を動かしもせず、頭を使いもしないのにたくさん眠れるようには人間は出来ていない。
もっとも、起きていても眠っていても、傍目には大した差はないだろう。
どっちにしたって、どうせ動かない。
板張りの床を革靴が叩く音が響いた。
彼女が僕の肩を叩いた。
すでに空は赤く染まっていた。
最近は時間の感覚がすっかり狂っている。
「ご飯、食べに行こう」
彼女が羊皮紙を広げて見せた。
魔力に反応して発光する特殊な羊皮紙で、つまり魔法使いの彼女が指でなぞればそこが光って字を書ける。
勇者「後で」
「食べなきゃもたない」
勇者「だから後で食べるよ」
「嘘。 食べない」
勇者「……動いてないんだから、食べる必要もないよ」
「食べることは、生きることだよ」
「生きてれば、食べなきゃ」
勇者「……」
なおさら、食べる必要なんてあるのだろうか。
勇者「わかった、起きるよ」
彼女は首を縦に振った。
食堂で食事を受け取り、しかしそこでは食べずに部屋に持って帰った。
彼女も同じようにした。
食欲は全くなかったが、とりあえずスープに口をつけた。
酷く薄かった。
彼女は僕の分までステーキを切り分け、それから僕のパンまで千切ろうとしたので、制した。
彼女から取り戻したパンを丸齧りすると、口にへばり付くようで酷く不快だった。
彼女と向き合うのは、食事のときだけだった。
そのときだけは彼女は明るく、笑顔で、そして美味しそうに食べる。
しかし無理が見え見えで、おそらく彼女の食事も僕と同じく酷く薄く、不味いものなのだろう。
食堂の人たちの笑顔を見る限り、ここの食事は決して悪いものではないはずだ。
でも、今の僕には目の前の肉は歪な泥団子に見える。
スープは牛の小便のようであり、パンは木屑のようだ。
食べるというよりは、袋に詰めるように僕はぎこちなく、ひたすらそれらを口に運んだ。
勇者「ごちそうさま」
彼女は胸の前で掌を合わせて軽く頭を下げた。
食器を返却すると、また僕はベッドに身体を投げ出した。
彼女はまた椅子に座った。
勇者「それ、脱いだらどうなの」
彼女は首を横に振った。
日が落ちたとはいえ今の季節は夜でもまだまだ暑く、しかし彼女はローブを脱がない。
普段からそうなのかと言えば、僕は知らなかった。
宿をとるなら部屋は別だったし、野宿をするなら最低限の装備は外すわけにはいかなかったからだ。
だから、あの日以来僕と同じ部屋で寝るようになってから、僕を監視するようになってから、彼女が寝るときもローブを脱がないことを知った。
眠れそうにない。
腕が、正確に言えば肘辺りが熱くて痛い。
夜になる度に痛む。
そして痛む度に僕はあの日のことを考える。
もう一ヶ月になる。
遠い昔のことのようにも感じるし、昨日のことのようにも感じる。
この国は、国民は、魔王を打ち倒す者を勇者と呼ぶ。
剣を振れなくなった勇者は、どう生きたらいいのだろう。
魔法を使えなくなった魔法使いのことを考える余裕は今の僕にはなかった。
━━
━━━
━━━━
不吉な兆しなど、微塵も無かった。
空には雲ひとつ無く、武具を身につけていなければハイキングをしてるように見えただろう。
僕たちはその日、立ち寄った村が困らされているという魔物の退治に向かっていた。
魔王討伐の使命においては寄り道になるわけだが、こういう場合は必ず、魔法使いが助けなきゃとゴネる。
決して折れないので、しぶしぶ全員が付き合うことになる。
魔法使い「朝ご飯美味しかったねぇー」
勇者「スープが良かったな」
戦士「でも肉が無かった」
魔法使い「スープに入ってたよ」
戦士「ああいうのは肉とは呼ばん」
魔法使い「お弁当まで貰っちゃった」
勇者「楽しみだな」
戦士「そろそろ食べないか」
魔法使い「早すぎるよ!」
もともと緊張感の無い僕達だったが、その日はいつにも増してユルかった。
無口で無愛想な武闘家すら、僕達の会話を聞いて少し口角が上がっていた。
そしてそのユルさは、会敵してもなお引かなかった。
勇者「こいつか」
魔法使い「大きい……」
黒い竜が飛んでいた。
なるほど魔物らしく禍々しさに満ちていた。
口からは黒炎がちらちらと漏れている。
戦士「黒い炎ってのは初めて見たな」
魔法使い「私出せるよ」
勇者「え、本当に!」
魔法使い「炎に色つけるくらいわけない」
戦士「飛んでちゃ手が出せないな」
勇者「落とせるか」
魔法使い「少し遠いかな。 大きいし、抵抗されたら落とすまではいかないと思う」
勇者「じゃあ少しあいつのバランスを崩したらいけるか?」
魔法使い「いける」
勇者「よし」
戦士「その後はどうする?」
勇者「僕と戦士で翼を潰して、武闘家には眼を潰してもらう。 そしたら、あとは各々に任せる」
戦士「よしきた」
返事はしなかったが、武闘家も頷いた。
僕は竜に向かって手を伸ばして呪文を唱え、少ない魔力を振り絞って竜の周りに風を起こした。
竜がほんの少し煽られ、羽ばたきをやめてバランスを立て直そうとしている隙に、魔法使いが呪文を唱えた。
背中に大きな岩でも落ちたように竜は急激に高度を下げ、再び羽ばたきだした頃にはもう地面はすぐそこだった。
勇者「行くぞ!」
落ちた竜に向かって、魔法使いを除く三人が走り出した。
左の腰辺りに構えた剣を、右の翼に向かって思いっきり振り上げた。
翼は根本から切断され、黒い血のようなものを吹き出した。
左の翼も上手く斬れたようだ。
これでもう飛ばれることはない。
魔法使い「そろそろ抑えきれない!」
勇者「ああ! 解いていい!」
魔法が解かれると這いつくばっていた竜は頭を起こし、咆哮を上げた。
勇者「両目とも潰せたのか」
武闘家「ああ」
勇者「流石」
戦士「来るぞ!!」
炎の玉を飛ばしてきたり、刺が鋭い尻尾を振り回してきたり、どれもこれも一撃でも当たったら死んでしまうような攻撃を僕達は紙一重で躱しながら、攻め続けた。
僕達は戦闘に慣れすぎていたのかもしれない。
だから、その時も、いつも通りとどめをさしたと思っていた。
勇者「お疲れ」
魔法使い「お疲れ様でしたー!」
戦士「弁当食べないか」
勇者「はいはい」
武闘家が、おい、とこれまで聞いたことがない大声でさけんだ。
何事かと思い顔を上げると、竜の口から黒い炎の玉が射出されていた。
軌道上には、魔法使いがいた。
まずい。
近接戦に慣れていない魔法使いでは避けられない。
瞬間僕は剣を投げ出して駆け出し、魔法使いを突き飛ばした。
右腕が黒炎に飲まれた。
痺れが上ってきた。
痛くはないのに、視界が揺れ、膝が砕けた。
意識が朦朧とし、悲鳴や、怒号が遠く聞こえた。
全身が温かさに包まれ、僕はそれに身を委ねるように、意識を失った。
目が覚めると、目の前にあるのは青空ではなく、蜘蛛の巣が張った板張りの天井だった。
戦士「起きたか」
勇者「……ここは?」
戦士「医者だ」
勇者「あいつは、どうなった?」
戦士「きちんと、とどめをさした」
勇者「そうか。 良かった……」
勇者「喉が渇いた。 水をくれないか」
戦士「……落ち着いて聞いてくれ」
勇者「?」
戦士「……お前の右腕は、失くなった」
勇者「……は?」
何を言っているか、理解が出来なかった。
だって、あまりに唐突だ。
3分ほど黙っていただろうか。
恐る恐る右腕を左手で触ろうとした。
触れなかった。
見ると、袖が潰れていた。
干している服だって、もう少し膨れている。
確認した瞬間、胸の底から激情が、声と共に沸き上がってきた。
今まで発したことがない声が、今まで発したことがない大きさで口から発せられた。
戦士「……おい」
勇者「黙れ!!」
戦士「……」
勇者「なんで、なんで」
勇者「回復魔法! 回復魔法をかけてくれ!」
魔法使い「……」
戦士「……腕が、たとえ切断されてても、残ってれば治ったそうだ」
戦士「でも、腕は焼けて炭になってしまった。 回復魔法では、傷口を塞ぐことしか出来ない」
勇者「……ああああ!」
魔法使い「……」
勇者「近寄るな!!」
僕に駆け寄ろうとした魔法使いを拒絶した。
勇者「僕に触れるな! 何も喋るな!」
勇者「一人にしてくれ……!」
戦士「……ああ」
二つの足音がドアから出ていき、一つの足音がドアの前で止まった。
勇者「早く出てけ!」
顔を見てはいなかったけど、その軽い足音は魔法使いで、僕は怒鳴りつけて追い出した。
右腕を失った。
左手だけで、どうして魔王を討てるだろう。
両手で剣を握って、ようやく刃は魔王に届く。
僕はもう、魔王を倒せないのだ。
何日経っただろう。
恐らく3日ほどだろうが、現実を理解して絶望するには充分だった。
医者の診療も、仲間の見舞いも、何もかも煩わしかった。
自害しようと何度も考えたが、仲間の目をかいくぐる方法を考えるだけの気力もなく、ただ天井を見つめる時間が過ぎ、退院の日が来た。
勇者「……ここは」
戦士「あの村にはろくな医者がいなかったからな」
戦士「そんで、これからのことなんだが」
勇者「……」
戦士「まず、武闘家はパーティーを離れた」
勇者「そうか」
戦士「『私は道を極めなければならない。 これまで世話になった』だそうだ」
勇者「……」
そりゃそうだ。
全員が、魔王を倒す目的で旅をしているのではない。
というより、魔王を倒す目的で旅をしてるのは、僕一人だけだ。
戦士「……あいつは、本当にお前のことを心配していた」
勇者「……わかってる」
戦士「医者の金を工面したのもあいつだ。 この四日間、ほとんど寝ずに魔物を狩りに出ていた」
勇者「……あぁ。 また会ったら、感謝を伝えておいてくれ」
戦士「……自分で伝えろ」
勇者「……」
戦士「それから、王国は、俺達への援助を打ち切った」
勇者「……僕はもう、勇者じゃないからな」
戦士「……少なくとも、魔王を倒す見込みはないと判断した」
勇者「正しいよ」
戦士「……だから、俺も新しい食い扶持を探さなきゃならん」
勇者「あぁ」
勇者「僕ならもう大丈夫だ。 構わず、行ってくれ」
戦士「そうはいかん」
勇者「は?」
戦士「今のお前を、一人にするわけにはいかん」
勇者「……僕を、心配してるのか?」
理不尽だと頭では分かっていながら、怒りがこみ上げてくる。
勇者「僕が、一人じゃこの街を出ることすら危ないと?」
戦士「そうじゃない」
勇者「僕は片腕だから、その辺の魔物にもやられてしまうと!?」
戦士「そうじゃない! 聞け!」
戦士「お前が、その辺の雑魚にやられるなんて思っちゃいない」
戦士「それどころか、片腕でも魔王以外にはそうそうやられないだろう」
戦士「仮にお前が一般人だとしても、馬車で移動すれば危険は少ないしな」
勇者「……だったら」
戦士「それでも、死なせるわけにはいかんと言ってるんだ」
勇者「……」
戦士「目を離せば、お前死ぬだろ」
勇者「……」
勇者「……じゃあどうするんだ」
戦士「お前の故郷まで、送る」
勇者「嫌だね」
戦士「力ずくでも連れて行く」
勇者「殺すぞ」
戦士「……言っちゃ悪いが、無理だ」
勇者「無理だろうな。 でも、殺しにかかってくる僕を、殺さずに連れてくのも無理だ」
戦士「……」
戦士「……お前に、俺を殺すことなんて出来やしないよ」
勇者「殺されることなら出来る」
僕と戦士の間に、今まで黙っていた魔法使いが割り込んできた。
勇者「どけ」
魔法使い「……」
手を大きく広げて、魔法使いは首を横に振った。
勇者「……君が相手でもいいんだぞ」
勇者「仲間なら、誰だって」
戦士「いや、無理だ」
戦士「魔法使いに、お前は殺せない」
勇者「……そうかもな」
戦士「そうじゃない」
勇者「いや、そうだよ」
戦士「いや無理だ。 甘さに似た優しさを抜いても、単にお前を殺す力がないんだ」
勇者「……?」
言っている意味がわからなかった。
魔法使いの力は本物だ。
殺す気がない僕を殺すことなど造作もないだろう。
戦士「これも、言わなきゃならん」
勇者「?」
戦士「……魔法使いは、声を失った」
勇者「……え」
声を失った?
僕はちゃんと彼女を逃がしたはずだ。
喉を焼かれてはいないはず。
そもそもあの炎に喉を焼かれたなら生きてはいないだろう。
戦士「医者は、ショックによるものだろうと言っていた」
戦士「魔法使いは今、声を出せないし、つまり呪文を唱えられない」
戦士「だから、お前を殺せないんだ」
勇者「……」
ショックとは、自分のせいで僕が腕を失ったというショックだろうか。
彼女は、羊皮紙を戦士に向かって広げた。
戦士「……でも」
魔法使い「……」
戦士「……」
魔法使い「……」
戦士「……」
魔法使いが広げている羊皮紙は今まで何度か見た。
今それで戦士と会話をしているのだろう。
戦士「……わかった」
戦士「お前たち二人を送り届けようと思ってたが、やめた」
勇者「……」
戦士「お前は、魔法使いに任す」
勇者「……は?」
戦士「魔法使いの覚悟を聞いた」
戦士「魔法使いが、お前を見張るそうだ」
勇者「……」
戦士「わかるか? 魔法を使えない魔法使いが、お前を縛ることなんて出来ない。 その気になればお前はいつでも消えることができる」
戦士「それでも、お前を見てるといったんだ」
勇者「……」
戦士「お前が逃げたとき、魔法使いがどうなるかわかるな?」
戦士「それでも尚自害しようとするなら俺はもう知らん」
勇者「……」
戦士「……お前のことも、魔法使いのことも、俺はよく知ってる」
戦士「だから、信じてるぞ」
国民の信頼を裏切ったんだ。
今更戦士一人の信頼を裏切ることなんて。
戦士「じゃ、俺は行くよ。 家族が飢え死にしちまうからな」
勇者「……あぁ」
戦士「また会おう」
勇者「……」
戦士「じゃあな」
勇者「……じゃあ」
勇者「……」
魔法使いが、羊皮紙を見せてきた。
「これからどうする?」
勇者「……どうするかな」
「どうしたい?」
勇者「一人になりたい」
彼女は躊躇いながら、羊皮紙を広げた。
「駄目だよ」
そこで、腕を失って以来初めて彼女の顔を見た。
泣きそうで、笑おうとしていて、どうすればこんな表情が出来るんだと思った。
彼女の心は今僕のことでいっぱいで、しかしそれを受け止めることが出来ない僕は、すぐに目を逸らした。
勇者「じゃあ、何もしたくない」
彼女は泣きそうな笑顔で、羊皮紙を広げた。
「じゃあそうしよう」
勇者「どうするんだ」
「この街に、親戚が経営してる宿があるの。 そこならタダでいつまでも泊まれる」
勇者「じゃあ、そうさせてもらう」
図々しいと思ったが、もはやどうでもよかった。
それから僕は何もせず、そして彼女も僕の世話以外何もせず、ただただ空虚な日々を過ごした。
少しばかりも慰められることはなく、それどころか僕は彼女が側にいることが辛く、彼女も僕を見ているのは辛いだろう。
彼女を恨む気持ちを、止められなかった。
彼女は何も悪くない。
悪くないのに、僕に尽くして、償おうとしている。
そんな彼女に感謝もしてるし、哀れだとも思う。
何よりも大事な存在だったし、彼女の為に死ぬことだって出来る。
それでも、どこかで、はっきりと恨んでいるのをどうしようもなく自覚していた。
こんなの、誰も救われない。
戦士はやはり間違っている。
━━
━━━
━━━━
ようやく眠れそうな感じがして、ウトウトしていると、彼女が部屋を出ていった。
どこへ行くのだろう。
いつも彼女が寝るのは、僕が寝た後だったから、もしかして、彼女は毎晩僕が寝た後に何かしてるんじゃないか。
耳を澄ますと階段を降りる音がし、なんとなく気になった僕は、彼女を尾けることにした。
音を立てないようにゆっくりとドアを開け、忍び足で階段を降りた。
彼女は、宿の主人と話していた。
といっても話してるのは主人だけで、彼女は羊皮紙を広げているのだけど。
内容は聞き取りにくかったが、主人の方は、いいから、とか気にしないで、とかそんなことを言っている。
彼女は、主人に何か包みを渡していた。
あれは何だろう。
少し考えたが、お金以外にないと思った。
どういうことだ。
タダで泊まれるんじゃなかったのか。
そして、それ以上に気になることがあった。
僕はつかつかと歩み寄り、彼女の肩を掴んだ。
彼女の身体が跳ね、弾かれるように振り向いた。
勇者「それ、何だ」
わかりやすく動揺している。
目が泳ぎ、羊皮紙を落とした。
勇者「宿代か?」
答えに窮して、喋れないのに口をぱくぱくさせている。
いや、或いはもしかすると。
勇者「宿代だな」
主人「あーえーと勇者さん」
勇者「宿代なんだな」
彼女は首を、縦にも横にも振らない。
もう決まりだ。
あの包みの中は金だ。
そうなると、問い詰めないわけにはいかない。
勇者「どうやって、金を稼いだ」
手持ちの金は僕の治療代でほとんどなくなったはずだ。
ひと月の宿代なんて、何かしら稼がないと払えない。
以前は魔物を狩って皮や牙などを売っていたが、今の魔法使いにはそれが出来ないはずだ。
勇者「……まさか、身体を」
彼女は首を横に千切れんばかりに振った。
とりあえずは安心した。
しかし、それなら。
勇者「……君、本当は喋れるんだな」
僕と目を合わせようとしない。
勇者「なんで黙ってた」
主人「あの、彼女は確かに喋れないようで」
勇者「黙っててくれ」
勇者「魔物を狩っていたんだろう?」
僕が寝てからしか動けないんだから、普通の仕事は出来ないだろう。
それしか考えられなかった。
だとすると、魔法を使っていることになる。
勇者「どうなんだ!!」
勇者「呪文を唱えなきゃ魔法を使えない! 君は喋れるんだろ!?」
彼女は逃げ出した。
靴が片方脱げたのもお構いなしに、転びそうになりながらドアを開けて出ていった。
勇者「……どうして」
主人「おい!」
宿の主人が、僕の肩を乱暴に掴んで振り向かせた。
瞬間、急激に視界がブレた。
頬に痛みを感じ、殴られたのだとわかった。
勇者「何するんだ!」
主人「今すぐ彼女を追え!」
勇者「あんたに関係ないだろ!」
主人「これを見ろ!」
主人が包みを広げた。
訝りながらも中を覗くと、金ではなかった。
魔物の皮や牙だ。
勇者「……どうして」
主人「買い取ってくれる店は昼間しかやってないから、そのまま渡すしかなかったらしい」
勇者「そうじゃない!」
勇者「だって、これじゃあまりに」
少ない。
一体分か、もしかしたらそれにも満たない。
主人「少ないとは思っていた。 ただ俺は俺達の為に闘って負傷したあんたらから金をとろうとは思ってなかったから、別に文句は言わなかった」
勇者「……」
主人「あんたの薬とかに金が要るんだと思ってたさ。 だから少ないんだと」
勇者「……薬は、とうに必要なくなってる」
主人「俺ぁ魔法に疎いから何も気にしてなかったが、さっきのあんたの話を聞くと」
勇者「……あぁ」
多分、これが目一杯なんだ。
主人「……魔法使いが魔法無しで魔物を狩るってのは、どれくらい難しいんだ」
勇者「……」
魔法無しでも、確かに常人よりは強い。
それなりに死線をくぐり抜けてきたし、杖術だって修めている。
或いは、致命傷を貰わずに一晩闘えば、一体くらいは仕留められるかもしれなかった。
主人「……あんた、仲間が本当に病んでるかどうかも分からないのか?」
勇者「……」
主人「彼女はあんたにとってどうでもいい存在なんだな」
勇者「……違う」
何よりも、大事だ。
主人「じゃあ、魔王を倒してくれることを期待してたただの一市民が、無責任だが言わせてもらう」
主人「あんた、一体何を守りたくて魔王を倒したいんだ」
勇者「……」
主人「まだまだ説教したいが、早く追え」
僕は、思いっきり地面を蹴った。
少し床を踏み抜いたかも知れない。
ドアを抜けて、辺りを見回した。
探索魔法を使いたい。
しかしそこまで器用な魔法を使えない僕は、ただ脚で探し回るしかないのだ。
何日でも走り回る覚悟を決めた。
が、一瞬で彼女は見つかった。
勇者「……逃げたくせに、こんなとこにいるのか」
彼女は宿の裏、僕たちが泊まっている部屋の下にいた。
あくまで、僕が心配なのだろう。
勇者「すまなかった」
腰を思い切り曲げ、謝った。
勇者「すね過ぎた。 君から逃げた」
勇者「君は、逃げずに僕と一緒にいてくれたのに」
彼女は跪いて僕の顔を覗き込んだ。
あの日以来、初めて彼女の顔をしっかりと見た。
それは酷く哀しい顔で、自分がいかに酷いことをしてきたか分かった。
僕も跪き、彼女の目を真っ直ぐに見た。
今にも逃げ出したかったが、ここで逃げるわけにはいかない。
勇者「腕、見せてみて」
彼女は拒んだが、無理やりローブの袖を捲った。
勇者「……」
傷だらけで、中にはかなり深いものもあり、しかしまともに処置すらされていない。
勇者「……こんなこと、して欲しくなかった」
彼女は俯いた。
勇者「……でも、させてしまったのは僕だ」
彼女はぶんぶんと首を横に振った。
勇者「もう大丈夫。 引きこもるのはやめる」
勇者「死ぬことも、しない」
勇者「だから、君も帰りな」
━━
━━━
━━━━
私は首を横に振った。
勇者「ちゃんと、話そうと思う」
勇者「正直に言うと、心のどこかで君を恨んでる」
そんなこと、分かっている。
勇者「君が大切だ。 またあの瞬間に戻ったとしてもやっぱり腕を捨てて君を救うだろう」
勇者「助けたことを誇りに思うし、君が助かって本当に良かった」
勇者「でも、僕が心のどこかで恨んでる以上、君と僕は一緒にいるべきじゃない」
彼が言わんとしていることがわかった。
彼はやはり気づいていたのだ。
この先は言わせてはいけない。
勇者「僕が腕を失くしたとき、悲鳴が聞こえた」
慌てて羊皮紙を探したが、見つからない。
さっき宿に落としてきたんだ。
勇者「意識が朦朧とする中、回復魔法をかけられた。 そしてこの街まで、転移魔法で飛んだんだろ?」
否定しなくては。
声を出そうとするが、出ない。
口だけは「違う、違う」と動きながら、代わりに涙が出てきた。
勇者「君は、僕が再び目覚めるまではちゃんと喋れたんだ」
首を振ることしかできない。
勇者「僕は、目覚めて、腕を失った事実を知って」
勇者「君を呪ったんだ」
言わせてしまった。
私は馬鹿みたいに何度も何度も首を横に振った。
勇者「ずっと分かってたんだ。 君のことを考えなかったから、罪に向き合うことをしなかったけど」
向き合わなくていい。
私が悪いのだから。
一体私は何をしているのだろう。
これじゃ、償いどころか彼を苦しませる一方だ。
勇者「君と離れれば、そのうち恨みは薄れる」
勇者「そうすれば、自然に呪いは解けるだろう」
嫌だ。
勇者「もう、僕といる理由が無い」
理由ならある。
でも声がどうしても出ない。
羊皮紙も無い。
勇者「だから、お別れだ」
羊皮紙を取りに行けば、その間にも彼は去ってしまう。
ここで別れればもう二度と会えない。
時間がない。
勇者「じゃあな」
彼の首に手を回し、彼の唇に、自分の唇を被せた。
彼は、固まった。
私から仕掛けたのに、私も固まった。
しかし私の方が再び動き出すのが早く、ぽかんと呆けている彼の手を引いて宿に戻り、羊皮紙を拾って部屋に入った。
彼を逃がさないようドアの前にへたり込み、たった今自分が仕出かしたことを思い返した。
私は何をしているのだ。
私は償わなければならない立場であり、自分の好意を伝えていい場面では決してなかった。
言葉が伝えられないからといって、思いを伝えていいわけがない。
ましてや自分のことを恨んでいる相手に、だ。
まだ呆けている彼に、羊皮紙を広げ、「ごめん」と謝った。
勇者「……」
とにかく、羊皮紙を取り戻して、言葉を伝える手段を得たのだ。
気を取り直して、もう一度話さなくては。
だって、彼の問題は未だ何一つ解決されてないのだから。
「君は、これからどうするの?」
勇者「ちょっと待て、さっきのはどういうことだ」
「だって、何も解決してないのに君が一人で行っちゃおうとするから」
勇者「いや、それでも」
「一旦忘れて。 お願い」
自分でも分かるほど、顔が赤い。
「君はこれからどうするの?」
勇者「……何も考えてない」
「私は君の生きがい奪っちゃったんだ。 この先どう生きるのか教えてくれないと、別れるわけにはいかない」
勇者「……魔王討伐は、生きがいなんて立派なもんじゃなかったよ」
勇者「さっきここの主人に言われて気が付いたんだ。 別に、僕は人々を守りたくて魔王を倒したいわけじゃない」
勇者「必要とされたかっただけなんだ」
勇者「たまたま剣の才能に溢れてて、魔法の才能も少し持ってて、だから魔王を倒そうと思った」
勇者「何でもよかったんだ。 料理の才能があればコックになってたし、商才があれば商人になってただろう」
勇者「僕は、所詮勇者の器じゃなかった」
「それは違うよ」
勇者「……」
「五分待って」
私と彼の生まれた村は結構な田舎で、そういう所では未だ古い考えが残っていたりする。
魔法使いが迫害されていたのはずっと昔のことだ。
信仰を重ねてようやく奇跡を起こす僧侶と違い、魔法使いのそれは悪しきものだとされていたようだ。
とはいえ世間一般ではもう魔法使いは悪ではないし、迫害するどころか大いに役立つ力として、立派に社会の輪に組み込まれている。
私達の故郷でもそんな大人はほとんどいなかった。
つまり、全くいなかったわけではない。
その時代を知っていて、かつ良識のない老人がまだ、私達の村にはいた。
良識がないとは私の主観で、あの老人達も、もしかしたら当時様々な出来事を経て魔法使いは良くないものとして排除しようとしていたのかもしれない。
当時の世の中がそうだったから、流されてしまっただけの普通の人だったのかもしれない。
それでも、私には怖くてたまらなかった。
子供というのは視線に敏感で、時折向けられる侮蔑や憎悪の眼を感じるたび、何かいけないことをしたのだろうかと不安になった。
視線の主に謝りに行くと無視をされるか唾を吐かれた。
すれ違った老人に杖で首を突かれたこともある。
周りの大人が気付けば庇ってくれるが、彼らは文字通り老獪で、それが表に出ることはほとんどなかった。
幼かった私には、庇ってくれる大人と私を嫌う老人と、どちらが正しいのかわからなかった。
教えてくれる人がいなかったからだ。
私は、勇者も、孤児だった。
私達が住んでいた小さな孤児院にはほとんど大人がおらず、「先生」と呼ばれる人は一人いたが、ほとんど院にはいなかった。
つまり孤児院とは名ばかりで、私達は勉強することも出来ず、頼れる大人もいなかった。
だから、私は未熟な頭で考える他なかった。
今思えば庇ってくれる大人が正しかったのだけど、小さい私は、老人も敵に回すわけにはいかなかった。
ある日、一人の老人が孤児院にやってきた。
私達に昔話を聞かせにやってきたのだと言う。
滅多にない来訪者に私達は喜び、採ってきた木の実や栽培している野菜などで彼をもてなした。
どれもこれもニコニコと受け取った老人は、本当に良い人に見えた。
しかし、私のトマトは受け取ってくれなかった。
老人が聞かせた昔話は、とんでもないものだった。
神への信仰無しに不思議な力を使い、残虐の限りをつくす、魔法使いの話だった。
良識ある大人が聞けば、殴ってでも止めるような内容だろう。
ありもしない魔法使いの非道の数々をまるで見てきたかのように語り、しまいには魔法使いは未だこの世に蔓延り、排除しなければならないとまで言った。
途中から友達が、少なくともそのときまで友達だった子たちが、私を見てきた。
老人が話した魔法使いの力は、私が普段使っているそれと同じだった。
手を触れずに物を動かしたり、道具を使わずに火を起こしたり。
今まで皆の役にたって自慢だったその力が、私を孤立させた。
質が悪いことに、ホラ話を始める前に、その老人は皆の信用を掴みきっていた。
教育を受けていなかった子どもたちは、何でも知っている、尊敬すべき老人のことを信じた。
始めこそ今まで仲良くしていた私を虐めることはしなかったが、そのときから明らかに避けられるようになり、ご飯を少なく盛られ、服を隠され、石を投げられ、少しずつエスカレートしていった。
孤児院という閉じられた世界で孤立することは、とんでもなく怖かった。
それはこの世に誰も味方がいなくなるということだ。
彼にとってもそれは同じだったハズだ。
とうとう周りの子達は直接私に暴力を振るった。
年長者も混ざっており、大げさではなく、私はこのまま死ぬんじゃないかと思った。
そのとき、味方が現れた。
勇者だ。
木の棒を震える手で握りながら、彼らの前に立ちはだかった。
お前らおかしいんじゃねぇの、と声を張り上げ、彼らに立ち向かった。
多勢に無勢、勝てるわけもなく私達は二人まとめてリンチされた。
そのとき、彼に力はまだなかったのだ。
私が「なんで私の味方をしてくれたの」と聞くと「君の味方をしなきゃと思ったから」と返ってきた。
皆あのジジイの言うことを真に受けて、今まで仲間だった君を虐めるのがおかしいと思った、と彼は言った。
程なく王国の監査が入り、私達の孤児院は潰された。
それぞれちゃんとした孤児院に移され、そこで彼と別れた。
孤児にとって、誰かに必要とされるのは、何より大事なことだった。
しかし彼がしたことは、全く逆のことだ。
孤立し、誰にも必要とされないどころか、皆から迫害されることを、彼は選んだのだ。
強大な力を前にしても弱い物の味方になる。
これを勇者と呼ばずに何と呼ぶのか。
勇者「君は、あのときのあの子だったのか」
覚えてたんだ。
私はいつもの羊皮紙を広げた。
「うん」
「魔王を打ち倒す勇者が現れた、って聞いてね、何の根拠もないけどきっと君だろうと思った」
「すぐに王都に行って魔法で君を見つけた。 で、酒場で待ち伏せしてたんだよ」
勇者「……」
勇者「……あぁ」
「というわけでリハビリがてら」
勇者「?」
「これ、やってみない?」
荷物の中から、街で貰ったビラを出して彼に見せた。
勇者「……猫?」
「依頼主は、今きっとすごく不安で夜も寝られないと思う」
「だから、この猫を私達で見つけよう!」
勇者「……あぁ、やってみるか」
彼が、ほんの少しだけど、笑った。
途端、私は泣いてしまった。
勇者「泣くなよ」
再生の兆しが見えた喜びと、図々しくも少しだけ救われた安堵と、どちらによる涙なのかはわからなかったけど、後から後から涙が出てくる。
勇者「……ごめんな。 本当に、心配かけた」
謝らなくちゃいけないのは私だ。
しかし涙と鼻水だらけの手で羊皮紙に触るわけにはいかない。
私は何度も、何度も頭を下げた。
勇者「落ち着いた?」
彼がくれた手拭きで手と顔を拭った。
「うん」
勇者「……まだ、喋れない?」
「?」
試しに声を出そうとしてみたが、やはり駄目だった。
「駄目みたい」
勇者「……多分、僕はもう君を恨んでないと思うんだけど」
……駄目だよ。
私はまだ、君に許してもらうだけのことをしてない。
勇者「……明日からも、一緒にいてくれるか?」
彼はもう一人でも立ち直れるだろう。
私が側にいる必要はなくなったのだ。
それでも、一緒にいていいのだろうか。
「いいの?」
勇者「頼む」
「じゃあ、もう遅いから今日は寝て、明日猫探しやろう」
勇者「あぁ」
「おやすみ」
勇者「おやすみ」
私達は灯りを消して、同じ部屋の、別々のベッドに潜り込んだ。
しばらくすると彼は寝息を立て始めた。
しかし私は、身体は疲れているのに、こんなに安心できる夜は久しぶりなのに、寝付けなかった。
それどころか、昂ぶっている。
理由はわかっている。
さっきの口づけだ。
こんな浮ついた気持ちになるということは、やはり私はさっきの彼の言葉で罪悪感が薄れてしまったのだろう。
彼は寝ているのに、暗闇なのに、私は恐らく真っ赤であろう顔を隠すために彼に背を向けた。
寝なければ。
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━━━
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あれから一ヶ月経った。
僕達は猫探しに始まり、お年寄りの買い物の代行、風邪をひいた子供の世話、喧嘩の仲裁など、人助けと呼ぶにはあまりに小さいことを、それでも沢山こなした。
僕はそれはもう生き生きしていたように見えただろう。
実際楽しくって仕方がなかった。
良い人を気取ってるみたいで恥ずかしいけど、彼女の言うとおり、僕は人助けが好きなのだろう。
一つ弁解すると、僕が人助けをしたいのは善意からではなく、つまりは自分の欲を満たすためだ。
「照れなくていいのに」
彼女はそう言った。
そのとき、僕の顔は真っ赤だったように思う。
ムキになったことが恥ずかしかったのか、そのときの彼女の表情にドキッとしたのか、或いはその両方か。
今では彼女を救ったことを人生で一番誇りに思っているし、心の底から救えて良かったと思っている。
恨みなんて毛ほども残っていなかった。
それでも、彼女は喋れない。
いや、喋らないと言った方が近いかもしれない。
呪いは、いつでも解けるはずだ。
そうしないのは、いや、出来ないのは、罪悪感のせいだろう。
自分を縛っているのか、それとも縛られているのか。
……違う、僕が縛ったんだ。
やはり、彼女は喋れない、が正しい。
そんなふうにグルグル、この一ヶ月どれだけ考えただろう。
どうすれば、彼女を救えるだろう。
言葉は尽くしたつもりだ。
もう恨んでないこと、感謝してること、失った腕以上に大事なものを得たこと、罪悪感なんて必要ないこと、今度は僕が助けたいと思ってること。
そのどれもこれも彼女には響かず、寂しく微笑むだけだった。
でも、絶対になんとかしてみせる。
彼女に比べれば、僕はずっと楽だ。
彼女は動くし、泣くし、笑う。
動きもせず、泣きもせず、笑いもしなかった僕に付きっきりだった彼女を、今度は僕が救わなければ。
勇者「ここの飯、美味いね」
「ほんとだね! このスープなんて絶品!」
勇者「あぁごめん、返事しなくていいから食べて」
彼女はこくりと頷くと、再び夢中で料理を食べ始めた。
少し遅めの夕食をとっているこの店はなかなか瀟洒で、周りは夫婦や恋人だらけだ。
ふと、まだ一つ言っていなかった言葉があるな、と思った。
彼女の救いになるかはわからないが、とにかく試せることは全部試すべきだ。
……いや、違う。
これは、僕が単に伝えたいだけだ。
雰囲気に流されて自分勝手に口走るだけだ。
「美味しかったね!」
勇者「うん」
食事を終えて羊皮紙を広げている彼女に、言った。
勇者「君を愛してる」
彼女は目を丸くして羊皮紙を落とした。
勇者「君が、何よりも大事だ」
彼女は、みるみる顔を赤くした。
眼が潤んでいる。
彼女がおたおたと羊皮紙を拾おうとした瞬間、銃声が街に響いた。
誰かが「盗賊だ!」と叫んだ。
勇者「ごめん、行ってくる」
彼女は僕の手を掴んだ。
勇者「……行かないと。 大丈夫、絶対負けない」
彼女は不安そうだ。
勇者「魔王じゃないんだから、大丈夫」
ただの人間など、片腕でも僕の相手ではない。
そのことは彼女もわかっているだろうが、それでも尚不安そうにしている。
彼女が、僕に何かを握らせた。
勇者「これを持っていけばいいの?」
彼女は首を縦に振った。
勇者「わかった。 じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
店のドアに手をかけて出ていこうとした瞬間だった。
「待って!!」
それは僕の耳に飛び込んできた。
目にではない。
はっきりと、僕を呼び止める声がしたのだ。
声の主は、わかりきっていた。
僕がそれを聞き間違えるはずがない。
魔法使い「やっぱり、私も行く!!」
勇者「……!」
肩で息をしながら、彼女は声を張り上げていた。
勇者「……声が!」
魔法使い「早く行かなきゃ!」
勇者「……そうだな!」
魔法が使える彼女を置いていく理由はない。
僕らは一緒に店を出た。
久しぶりの、本当に久しぶりの共闘だ。
彼女の防御呪文は銃弾など通さず、しかしそれを僕にかけることはしない。
僕の剣が届かなくなってしまうからだ。
といっても相手は盗賊とはいえ人だ。
剣で急所を突くことはしない。
彼女も出来るだけ力を抑えて、器用に魔法を駆使し、盗賊を無力化してゆく。
同じ過ちは冒さない。
僕も彼女も油断は微塵もなく、しかし僕は踊るように、彼女は歌うように闘った。
不謹慎だが、僕は喜びに溢れていた。
あっという間に盗賊を殲滅し、僕は彼女に向き合った。
勇者「喋れるようになったんだな!」
魔法使い「うん!」
途端、歓声が沸き起こった。
街の住人が押し寄せ、僕達はもみくちゃにされた。
感謝の言葉を皆口々に放つが、もはや一つ一つが聞き取れない。
そのまま僕達は街の広いホールに押し込まれ、宴会の主賓にされた。
皆に讃えられ、感謝され、隣の彼女と目を合わせて、苦笑いをした。
酒を振る舞われ、僕と彼女は本当に久しぶりにそれを口にした。
なんて美味いのだろうか。
彼女も、うっとりと麦酒の入ったグラスを眺めていた。
酒が美味いと感じるなら、僕達はもう大丈夫だ。
そのまま深夜まで、僕達はどんちゃん騒ぎをした。
ようやく落ち着いてきて、僕は彼女と二人で話すことが出来た。
勇者「お祝いだ」
魔法使い「うん」
ワインの入った二つのグラスを、コツンとぶつけた。
勇者「なんで喋れるようになったんだ」
魔法使い「……」
勇者「ま、大体予想はつく」
勇者「僕を一人で闘わせるのが不安で、自分もついていかなきゃと思ったんだろ」
魔法使い「……」
勇者「でも、魔法を使えないのなら行っても足手まといになるだけだ」
勇者「魔法を使いたい! そう本気で思ったから君は呪いを解くことが出来たんだ」
魔法使い「うーん……」
勇者「違う?」
魔法使い「違うと思う」
勇者「えっ」
魔法使い「そうだったらまだ格好がつくんだけど……」
勇者「え、じゃあなんなの」
魔法使い「……恥ずかしいことにね」
勇者「うん」
魔法使い「……君の、愛の言葉で、私は救われちゃったんだ」
勇者「え……」
彼女の顔がさっき食べたトマトの影響じゃないかと思うくらい真っ赤になった。
僕は、さっき食べた茹でダコのように赤いかもしれない。
僕たちは顔を見合わせ、ゲラゲラと笑った。
なんのことはない。
僕も、彼女も、結局はお互いの愛で救われたのだ。
僕達を襲った悲劇に比べて、結末はなんて陳腐なんだろう。
呆れて、可笑しくって僕達は笑い転げだ。
勇者「僕と、一生を添い遂げてくれない?」
魔法使い「いいよー!」
風情の欠片もない。
ひとしきり笑った後、そういえばと僕は聞いた。
勇者「店で渡してくれたあの石はなんだったの?」
魔法使い「あーあれはね」
魔法使い「君がピンチになると、私に向かって飛んでくる、そういう石」
勇者「へぇー……」
魔法使い「ただの石に魔力を込めるだけだから、喋れなくても作れるんだ」
勇者「……閃いた!」
勇者「それ、量産できる?」
魔法使い「できるけど」
勇者「有効な距離はどれくらい?」
魔法使い「込める魔力次第」
勇者「それ、いろんな街や村に配って回ろう!」
魔法使い「……あ、なるほど!」
勇者「そんで、知らせがあれば君の魔法で飛んでいく!」
魔法使い「……やろう!」
勇者「魔王を倒す者にはなれなかったけど」
魔法使い「……うん」
勇者「魔王から、人々を守る者にはなれそうだ」
魔法使い「……うん!」
勇者「僕は、何も失っちゃいなかった」
魔法使い「……」
勇者「明日から、また一緒に旅をしよう」
魔法使い「うん!」
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僕が腕を失った半年後に、新たな勇者が現れた。
ちらっと見てきたが、あの才覚なら魔王を討伐するのも時間の問題だろう。
その間僕達は、魔王の侵攻を防ぐ。
魔王を倒せない僕を、国は勇者と呼ばないけれど、国民は勇者と呼んでくれた。
そして、彼女も僕を勇者と呼ぶ。
半分冗談めかして、半分本気でだ。
そんな彼女と、他の全人類を天秤にかけると、彼女の方が遥かに重い。
つくづく、僕は勇者の器ではない。
青い石が飛んできた。
魔法使い「呼ばれたよ!」
勇者「すぐ行こう」
僕らの前に、不吉な兆しなど、何一つない。
今度こそ、本当に。
fin
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