グリP「先輩と」モバP「先輩」 (95)


アイドルマスターシンデレラガールズ、ミリオンライブのSSです。

地の文アリ。


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01


 私は今、幸せだった。

 アイドルの仕事は楽しいし、同じ事務所の仲間が居る。

 それはとても素晴らしいことで、私はこんな日々を過ごせることに感謝していた。

 私はこの日々に、満足していた。

 満足してしまっていた。

02


桃子「……お兄ちゃん、遅いな」

 仕事が終わって、桃子はお兄ちゃん――プロデューサーのことを待っていた。
 連絡しても繋がらないし……もう一人で帰っちゃおうか、とも思ったけれど、何か連絡があったりしたらダメだから待っておいてあげているのだ。

桃子(遅れるとしても連絡するのが常識なのに……本当、まだまだダメなんだから)

 そう思いながら桃子はお兄ちゃんのことを待っていた。お兄ちゃんに何を言おうかを考えながら待つ時間は、それほど苦痛ではない。もちろん、べつに楽しいわけでもないけれど。

 そうやって桃子が『お兄ちゃんには一から芸能界の、というよりも前に社会の常識について教えてあげなくちゃ』と結論付けた頃、

「今日はありがとうございました。またよろしくお願いします」

桃子「……え?」

 聞き覚えのある声が聞こえた。でも、まさか、あの人が――

 桃子は振り返った。振り返って、その声の主を見た。『あの人』ではないことを確認するために――『あの人』ではないことを、願いながら。

「……桃子、ちゃん?」

桃子(……ああ)

 でも、そんな願いは叶わなかった。桃子の願いを叶えてはくれなかった。やっぱり、桃子の願いなんて、誰も、聞いてはくれなかった。

桃子「……泰葉、さん。お久しぶりです」

泰葉「うん。久しぶり、だね、桃子ちゃん」

 岡崎泰葉。

 普段、『先輩』と呼ばれる桃子の『先輩』。

 昔、桃子が憧れた人。

 そして――桃子の前から、逃げた、人。

03


泰葉「でも、知らなかったな。まさか桃子ちゃんがあの765プロのアイドルなんて」

桃子「……桃子も知りませんでした。泰葉さんもアイドルをやっている、なんて」

 今、桃子たちは近くの喫茶店に入っていた。『プロデューサーを待っているので』と断ろうとしたが、そんな時に限って、お兄ちゃんから『あと15分くらいで着く。遅くなってすまん』とメールが届いた。これがもうちょっと短かったりすれば迷うことなく断れたし、もう少し長ければそもそもお兄ちゃんも『先に帰っていてくれ』などと言ってくれたことだろう。だが、15分。そんな微妙な時間だったから、桃子は泰葉さんの誘いを断ることができなかった。先輩のせっかくのお誘いを理由もなしに断るなんて、できないし。

泰葉「……敬語じゃなくてもいいんだよ? 昔みたいに、普通に喋ってくれたら」

桃子「……いえ。先輩を相手に、そんなことはできません」

 昔……桃子がまだまだ新人で、芸能界のことを何もわかっていなかった頃。

 桃子は泰葉さんのことを『泰葉ちゃん』と呼んで、子どものように懐いていた。
 桃子にとって『泰葉ちゃん』は憧れだったのだ。
 その頃の泰葉さんはまだ子役で、よくテレビに出ていた。 
『泰葉ちゃんみたいになれたら』と思って芸能界に入った子は多いだろうし、桃子にもそんな気持ちがないわけではなかった。
『岡崎泰葉』という成功例を見て、純粋に――そう、今では愚直だと思えるほどに純粋に、桃子は芸能界に憧れていた。

 そして実際に泰葉さんに会うことができて、話すことができて……仲良く、なることができた。
 
 そう、桃子は泰葉さんと本当に仲良くなった。『泰葉ちゃん』『桃子ちゃん』と呼び合うくらいには、仲良くなった。

 あの頃の桃子は泰葉さんを姉のように慕っていたし、泰葉さんも桃子のことを妹のようにかわいがってくれた。

 でも、ある日、泰葉さんは桃子の前から消えた。

 桃子が生きる世界から、逃げたのだ。

泰葉「……桃子ちゃんは、今、楽しい?」

桃子「仕事ですから、楽しいも何もありません」

泰葉「そっか」

 こんなことを聞いて、どうすると言うのだろう。桃子にはわからなかった。今の泰葉さんが何を考えているのか、今の桃子にはまったくわからなかった。

桃子「……泰葉さんは」

 だから、桃子は聞くことにした。

桃子「……泰葉さんは、今、楽しいんですか?」

泰葉「楽しいよ」

 即答だった。

泰葉「今、アイドルのお仕事をしていて、今のプロデューサーさんと会って、今の事務所の仲間が居て……とても、とっても、楽しいよ」

 泰葉さんは言った。言い切った。一切の迷いなく、大切なものを愛おしむような顔をして。

泰葉「……桃子ちゃんも、そうなんでしょう? あの765プロで……アイドルを、やっているのなら」

 桃子を見て、泰葉さんは微笑む。その微笑みに、どんな感情が含まれているのか――知りたくなくて、桃子は泰葉さんの視線から逃げるように顔を背けた。

桃子「……泰葉ちゃんが、何を知ってるの」

泰葉「え?」

 思わず、そう呟いてしまった。先輩に対してなんてことを。桃子は慌てて口を抑えた。でも、泰葉さんには聞こえなかったらしい。何を言ったのかと首を傾げていた。

桃子「……何でもありません。ただ、仕事は仕事です。そこに感情なんて挟む必要はない……ただ、自分にできることを、するべきことをする。……泰葉さんが、教えてくれたことじゃないですか」

泰葉「それは」

 泰葉さんは何か言おうとした。でも、桃子は聞きたくなかった。時計を見るとちょうど時間だ。桃子は立ち上がった。

桃子「……もうそろそろ時間だから、行きますね。泰葉さん、わざわざ桃子に付き合ってくれてありがとうございました。また、会いましょう」

 そう言って、泰葉さんが何か言う前に桃子はその場を立ち去った。

 泰葉さんから、桃子は逃げた。

04


「ここに居たのか」

 頭の上から声が聞こえた。安心する声。Pさんの声だ。

泰葉「はい。よくわかりましたね」

 Pさんの方を見て私は答える。Pさんは微笑みながら私の対面に座り、近くを歩いていたウェイトレスさんにコーヒーを注文した。

モバP「ま、俺も『岡崎泰葉』のプロデューサー、ってことだな」

泰葉「Pさんにとって私はどんな存在なんですか?」

モバP「もちろん俺のアイドルだ。で、何があった?」

 ……やっぱり気付く、か。

泰葉「昔の後輩に、会ったんです」

モバP「昔の?」

泰葉「はい。今は、765プロのアイドルをやっているそうです」

モバP「765プロ……? ってことは、噂のシアター組か。名前は?」

泰葉「周防桃子ちゃんです」

モバP「ま、だろうな。しかし、周防桃子と岡崎泰葉が、ねぇ……そんなに共演したこととかあったか?」

泰葉「いえ、そこまでは。小学校が舞台の作品などでは共演する機会もありますが、それ以外だと、子役が多く居ても仕方ないものがほとんどなので」

モバP「言われてみればそうだな。というか、あの周防桃子と岡崎泰葉だもんな。二人を同時に使うなんて贅沢だ」

泰葉「子役で贅沢も何もないと思いますが」

モバP「謙遜だな。まあ、確かにあの頃の、だとそこまでか」

泰葉「はい。あの頃から桃子ちゃんは凄かったですけどね」

モバP「泰葉がそこまで褒めるか」

泰葉「Pさんも知っているくせに、そんなことを言うんですか」

モバP「俺にとってのいちばんは泰葉で決まってるからな」

泰葉「……もう」

 そんなことを平然と言うからPさんはズルい。これがPさんでなかったら胡散臭いお世辞だと片付けられるのだけれど、本音で話しているだけだとわかるから、もう本当にズルい。言われる方の気持ちも考えて欲しいものだ。

モバP「だが、泰葉を抜きにして考えると、確かに周防桃子は凄かったな。それだけに、色々あったらしいがな。泰葉、お前とは違う意味で、な」

泰葉「……違うかどうかは、わかりませんけどね」

モバP「そうか。……まあ、俺も泰葉のことならなんでも知っているわけではないからな」

泰葉「なんでも知っていたら気持ち悪いですけどね」

モバP「俺は泰葉のことをなんでも知りたいけどな」

泰葉「気持ち悪いです」

モバP「ははは。許せ」

泰葉「許しません」

 ぷいっと私はそっぽを向く。Pさんは「ごめんごめん」と笑っている。もちろん私もそれほど怒っているわけではないし、それほど気持ち悪いとも思っていない。このやり取りはただの冗談に過ぎないのだ。信頼しているからこそできる、ただの、冗談。

モバP「手厳しいな。それで、周防桃子と会って、どうしたんだ?」

泰葉「少し、話しました」

モバP「……話せたか?」

泰葉「っ」

泰葉(……そこまで、わかりますか)

 Pさんはまっすぐに私を見ている。でも、それが不快には思わない。だって、それはとても優しい目だったから。糾弾するためではなく、受け入れるための。『何を言っても受け止める』という優しさの目だ。

泰葉「……いえ」

 私は首を振った。話せなかった。話したいことを、話すことができなかった。

泰葉「話す前に……いえ、違いますね。何を言われるのかがこわくて……私は、何も話せなかった」

モバP「そうか」

 そして、Pさんは言った。

モバP「泰葉。また、話したいか?」

泰葉「……え?」

 その言葉の意味がわからず、私は思わずそう返してしまった。Pさんはもう一度言った。

モバP「泰葉。お前はまた、周防桃子と話したいか?」

 Pさんは確かにそう言った。私の聞き間違いではなく、確かに、そう言った。

 Pさんがその言葉を言った意味を、私はまだ理解できていなかった。

 でも。

 それでも。

泰葉「はい」

 桃子ちゃんと、もう一度話したいという気持ちは本物だったから。

 私は、はっきりとうなずいた。

05


 遠くからタッタッタッと小走りする音が聞こえた。その音に顔を上げると、そこにはお兄ちゃんが居た。

グリP「遅くなってすまん。言い訳はしない。だから――」

 そんなことはどうでもよかった。桃子はお兄ちゃんに体当たりした。お兄ちゃんのお腹に、顔を、うずめた。

グリP「桃子……?」

桃子「……お兄ちゃんの、バカ」

 桃子はお兄ちゃんの胸を叩いた。お兄ちゃんのお腹に顔をうずめたまま、何度も、何度も、何度も叩いた。

桃子「バカ、バカ、バカっ。……桃子を一人にしないでよ……桃子のことを、見捨て、ないでよ」

グリP「桃子……」

 桃子、何言ってるんだろう。わからない。でも、お兄ちゃんが悪いんだ。ぜんぶ、お兄ちゃんが悪い。

 お兄ちゃんは桃子が叩いても止めようとはしなかった。桃子の手を掴んだりすることはなかった。

グリP「……本当にごめん、桃子」

 そう言って、お兄ちゃんはしゃがみこみ、桃子のことを抱きしめた。

桃子「……今更、そんなこと、しないでよ」

 そう言って、桃子はお兄ちゃんの肩に顔を押し付けた。お兄ちゃんには、今の桃子の顔を、見られたく、なかったから。

グリP「ごめん。……でも、こうしていたいんだ」

桃子「お兄ちゃんの変態。……でも、いいよ。もう少しだけ、こうしていても」

06


グリP(……寝た、か)

 プロデューサーは桃子を見て思った。何があったのかはわからないが、それだけ疲れたということだろう。張り詰めていた糸が切れるように、桃子は寝息を立てて眠っていた。

グリP(……今回の仕事はいつもお世話になっているスタッフさんだし、桃子が苦手としているような人は居なかったはずだ。その中でも何かがあったという可能性はあるが……)

 と、そうして考えていた時に、そのスタッフの中の一人が通りかかった。プロデューサーは彼女を呼び止め、話を聞いた。
 しかし彼女の答えは「いえ、特に何も……スムーズに進みすぎて、びっくりしたくらいです。さすが桃子ちゃんですね」というものだった。
 朗らかに笑って言っていたことから、これが嘘だとは思えない。
 もしもこれが嘘なら彼女は女優になった方がいい。

グリP(しかし、なら、いつ、どこで?)

 プロデューサーは考える。残りの可能性として考えられるのは、仕事の後。桃子が自分を待つまでの時間。その中で何かあったと考えるべきだろう。これは桃子の言葉からもわかる。自分が予定通りに来ることさえできれば、何も問題はなかったのだ。事情があったとはいえ、プロデューサーはそのことを許せなかった。自分のせいで桃子が……そう考えると、たまらなく自分自身のことが嫌になった。
 しかし、そんなことをしていても桃子の心の傷が癒えたりすることはない。原因を探らなければならない。まずは、今日、ここで仕事をしていた人のことや、何かあったか見かけた人は居ないかを聞き込み――

桃子「……お兄、ちゃん」

 違う。

 今、俺がするべきことはそんなことじゃないだろう。
 今は、何より先に、桃子のことを。

 桃子が安心できる場所へ、桃子を、連れて行かなければ。
 それ以外のことは後でもできる。だから、早く、桃子を、安心できる場所に……。

 プロデューサーは桃子をおんぶして、起こさないように細心の注意を払いながら、車へと向かった。

07


 泰葉ちゃんは桃子の憧れだった。

 桃子よりも早く芸能界に入っていて、活躍していた。子役として一世を風靡していた。『岡崎泰葉』という名前を聞けば、誰もが『あの』と口を揃えた。大人でもその実力を認めざるを得ない子役。それが『岡崎泰葉』という子役だった。

 桃子は泰葉ちゃんみたいになりたかった。桃子には芸能界で泰葉ちゃんがいちばん輝いているように見えた。

 だから、泰葉ちゃんに少しでも追い付くために、桃子は努力した。がんばって、がんばって、がんばって、がんばった。お手本はいつも見上げた先にあった。でも、泰葉ちゃんだけを見ていたわけじゃない。泰葉ちゃんの演技を見て、他の役者さんたちの演技を見て。先生たちから、上手いと思った人たちから色々なことを積極的に聞きに行った。
 その中でわかったのは、やっぱり、泰葉ちゃんがいちばん桃子のお手本になるということだった。桃子の目指す先には、泰葉ちゃんが居る。色んなことを知っていくにつれて、桃子は確信していった。泰葉ちゃんへ抱いていた憧れはどんどん強くなっていって、同時に、泰葉ちゃんは桃子にとっての目標にもなった。

 そして、あるお仕事で、桃子は泰葉ちゃんと共演することになった。泰葉ちゃんはほとんど主役で、桃子は端役でしかなかったけれど、これは桃子にとって、夢の一つが叶った瞬間でもあった。

 ――でも。

監督「君たちはそこに立っているだけでいいから。いいかい? 何も話さず、ただ、立っているだけでいい」

 桃子たちに向かって、監督は言った。そのシーンは、主人公一家の娘役である泰葉ちゃんと、その母親、それとそのママ友役の人たちがメインのシーンで、桃子たちはそのママ友役の人たちの子ども、という設定だった。確かに台本を見ると後に緊迫したシーンもあるのだが、そのカットはただの日常風景のシーンだった。そんなシーンで、『立っているだけ』?
 それは明らかに不自然だった。もちろん、それを目立たせないような演出にするのだろうけれど、それでも、そうするべきではないということくらいはわかった。絶対に、何かしていた方がいい。桃子たち同士で話したり、遊んでいたり。鬼ごっこでもいい。何かしていることが必要だ。設定から考えても、台本の流れでも、それが合っているはずだ。
 だから、桃子は言った。

桃子「それって、変じゃないですか?」

 でも、その時の桃子はまだまだだった。名前なんてまったく売れていない子役。注目すらされていない端役だ。監督の目からすれば、それはもう、ほとんど『普通の子ども』と変わらないことだろう。
 そんな子どもに自分の演出を否定されて、監督は何を考えるか。
 もちろん、それが平常時であれば、その監督が普通の大人の人なら、何も起こりはしなかったのだろう。ただの『子どもの戯言』と片付けて、桃子を適当に丸め込んだことだろう。その場合でも桃子は納得することなんてなかったような気もするけれど、そんな仮定をする意味はない。

 だって、桃子の言葉に、その監督は怒ったのだから。

「子どもが何を言っている」だの「何がわかる」だの「俺の演出にケチを付けるつもりか」など色んなことを言われた。周囲の様子を観察する限り、これはこの監督にとってそれほど珍しいことではないようだった。さすがに桃子は子どもだったから、止めてくれる人も多かったけれど、その中には『呆れ』のような感情が大きく含まれているような気がした。

 監督の言葉に桃子は反論したけれど、それでも監督は桃子の言葉を否定したし、周りの人は桃子をたしなめた。あの監督よりも桃子の方が簡単に折れると思ったのだろう。周りの人はとても困っている様子だったし、苛立っている人も居たように思えた。だから、桃子は仕方なく、折れることに――

泰葉「待って下さい」

 泰葉ちゃんが口を開いた。

泰葉「その子の言う通りにした方が、いいと思います。そうした方がこの作品はよくなるかと」

監督「……はぁ?」

 監督の声のトーンが明らかに下がった。先程までよりも不機嫌な声。

監督「泰葉ちゃーん。いくら君が天才子役でも、大人には大人の演出ってものがあるんだよ。それに、このくらいでそこまで変わらないって。それとも、君、降ろされたいの? 子役なんて誰でも一緒だし……まだ、一話だし。降板させても、いいんだよ?」

 その言葉には周囲が戸惑っていた。みんな、みんなが『それは困る』といった顔をしていた。当然だ。まだ一話だと言っても、もう様々なことが決まっている。今更やり直すなんて、そんなことは難しい。

 でも、この監督もまた結構な権力を持っているみたいだった。どうしてかは桃子にはわからないけれど、こんな監督でも、権力を持っている人は居るのだ。その理由は桃子にはわからなかったけれど、とにかく、そんな監督の言うことだから、周りの人は『困る』とは思っても口に出せないみたいだった。

 このまま泰葉ちゃんが降ろされちゃうの? 桃子のせいで? 桃子は心配になった。嫌だ。そんなのは嫌だ。桃子のせいで、泰葉ちゃんが、なんて……。

 でも、そんな心配は必要なかった。

泰葉「……本当に、いいんですか?」

 泰葉ちゃんは言った。その声には、なにか、力を感じた。

泰葉「この私を、降ろしても」

 それは、ただの子役が言ったのなら、『生意気』だとしか思えなかっただろう。
 実際、その言葉はどれだけ実力があったとしても『生意気』な言葉だった。何様だと思われても仕方ない言葉。

 でも、それでも――泰葉ちゃんのその言葉は、『生意気』だなんて思うことすらできない何かがあった。

監督「……チッ」

 監督は舌打ちをした。そして、桃子の方を見て、溜息を吐いてガシガシと頭を掻いた。

監督「……やるからにはきちんとやる。撮影、ちょっと止めるぞ。考えなおす」

 そうして、監督は引っ込んでいった。周りの人たちはほっと安堵の息を吐いていた。桃子もそうだった。良かった……そう思うとともに、泰葉ちゃんに対する感謝の気持ちが膨らんだ。

桃子(お礼を言わなきゃ)

 そう思って、桃子は泰葉ちゃんの姿を探した。すると、

泰葉「周防……桃子ちゃん、だったっけ?」

桃子「ひゃっ」

 後ろから声をかけられて、桃子は驚いてしまった。振り返るとそこには泰葉ちゃんが居た。

泰葉「あ、ごめんなさい。いきなり声をかけちゃって……」

桃子「い、いえ、そんなことはないです。泰葉ちゃ――さん」

泰葉「……泰葉『ちゃん』でいいよ? 私も桃子ちゃんって呼ぶから」

桃子「そ、そんな、桃子、まだまだ新人なのに」

泰葉「だから、先輩のお願いは聞いてくれる?」

桃子「……はい。泰葉、ちゃん」

泰葉「できれば、敬語も使わないでほしいな」

桃子「……うん。わかったよ、泰葉ちゃん」

泰葉「はい。ありがとう、桃子ちゃん。これからよろしくね」

 そう言って泰葉ちゃんは桃子に手を差し出した。桃子は躊躇いながらもその手をとった。

桃子「……よろしく、お願いします」

 ――これが、桃子と泰葉ちゃんの出会い。

 ただの子役だった桃子と、天才子役と言われた頃の泰葉ちゃんの、出会いだ。

08


桃子「……泰葉、お姉ちゃん」

 桃子が言った。寝言である。
 今、桃子は車の中に居る。助手席で寝息を立てて眠っている。

グリP(ヤスハお姉ちゃん……?)

  プロデューサーは考える。『ヤスハ』。それが桃子がこんな風になっている原因か。だが、それは誰だ? その名前だけでは――

グリP「……岡崎、泰葉?」

 プロデューサーはふと思い浮かんだ名前を呟いた。いや、だが、そんなことが? そう言えば彼女は今、アイドルをやっていると聞いた。でも、それがどうした? そもそも、桃子と岡崎泰葉に何の接点が――

グリP(……あっても、おかしくはない、か)

 岡崎泰葉は元子役。そして、桃子もそうだ。ならば、接点があってもおかしくないではないか。たとえ活躍時期がちょうど『世代交代』するかの如くずれていたとしても、だからこそ、何かあったと考えてもおかしくはない。

グリP(……少し、調べてみるか)

09


「おかえりなさい、泰葉さんっ」

 事務所に入るとそんな声が迎えてくれた。かわいらしい声。悠貴さんの声だ。

泰葉「ただいま、悠貴さん」

悠貴「プロデューサーさんは……」

泰葉「乃々さんの付き添いです」

悠貴「そうなんですかっ。あのですね、泰葉さんっ。私、今日は……」

泰葉「悠貴さん」

悠貴「え?」

泰葉「こんなところで話しているのもなんですし、中に、入りましょう?」

悠貴「……そ、そうですねっ。ごめんなさいっ」

泰葉「いえ、大丈夫ですよ」

 悠貴さんは私の後輩だ。『芸能人』として、というだけではなく、『アイドル』として、そして『モデル』としても後輩にあたる。同じモデルをやっていたということもあってか、以前仕事を一緒にした時から彼女は私を慕ってくれている。

 ――慕われる資格なんてあるの?

泰葉「っ!」

 声が聞こえた。恐ろしい声。聞きたくない声。でも耳を塞いでも意味は無い。その声は私の声だ。それがわかっているから。

悠貴「? 泰葉さんっ、どうかしましたか?」

泰葉「いえ、何もありません」

悠貴「そうですかっ。それで、今日のお仕事の話なんですけど……」

 桃子ちゃんに会ったからだろうか。今、悠貴さんと話していると、心が安らぐとともに、とても、胸が痛くなる。桃子ちゃんのことを思い出して……自分のことが、嫌になって。

 そんな気持ちを抱えていても、私はそれを表に出さない。出さないようにすることができる。その程度の演技力はある。これを察することができる人は事務所でも一握りだろう。Pさんならきっとすぐに見破ってしまうのだろうけれど、少なくとも同年代の人に見破られるとは思えない。

 こんな気持ちで接してしまうことに申し訳なさを感じるが、悠貴さんに関係のないことで心配させることの方がもっとダメだ。

 そう思うから、私は笑顔で悠貴さんと会話する。

 私の『アイドル』としての、『モデル』としての後輩と会話する。

 その姿に、私の『子役』としての後輩のことを重ねながら。

10


 桃子ちゃんとの初対面は衝撃的なものだった。少なくとも、私にとっては。

 私が出演していたあるドラマの現場で、私は桃子ちゃんと出会った。
 そのドラマの監督はとても良い作品を作る人だったのだけれど、先入観にとらわれやすい人だった。そしてそれを指摘されると怒るような人だった。要するに性格に難があったのだけれど、そんなことは大した問題にはならない。

『良い作品をつくれるか否か』。

 この世界ではそれがいちばん大事なのだ。
 もちろん人とのコミュニケーション、コネクションも大事だ。性格が悪い人間は嫌われてなかなか仕事をもらえない……ということもある。

 だが、『性格は良いが成果は出せない人』と『性格は悪いが成果を出す人』であれば後者の方が求められることは確かなのだ。
 能力が同じか大差なければ性格の良い方が選ばれることは当然のことだが、その能力に大きな差があれば有能である方に仕事がいく。

 それがこの業界なのだ。良い顔をしておいて損はないが、能力さえあればどれほどの悪人でも許される。

 もちろん、あまりにも権力を持っている人に嫌われたりすれば干されるし、好かれれば過剰に押されたりはする。そういった関係から能力がないくせに威張っているような人ももちろん居る。

 でも、そういった例外を除けば、この業界は実力こそが優先される。『力』があるかどうか。それこそが大事な世界なのだ。

 その監督には力があった。性格に難はあったが、力がある。少なくともそのドラマの現場ではいちばんの力を持っていた。

 だから、その監督に逆らう人は居なかった。逆らえる人は居なかった、と言ってもいい。機嫌を損ねるわけにはいかない。たとえ納得できないことがあっても、受け入れなければならない……この監督が指揮を執る現場ではいつもそうで、少しの例外を除けば、彼に口を出せる人なんて居なかった。


 でも。

 周防桃子。

 彼女は口を出した。意見を言った。

 予想通り、監督は反論した。機嫌が良い時であれば『子どもの戯言』と片付けたかもしれないが、今日はそうでなかったらしい。子どもの言葉であっても見逃せなかったらしい。そして、彼女が言ったことは私からしても『正論』だと思えるようなものだった。

 もちろん、監督に言い分がないわけではない。どうして監督が子役の人たちに対して『動くな』と言ったのかと言えば、それは監督が『子役』というものを信用していなかったからだろう。正確には『子役にも出来る子は居るがほとんどが素人に毛の生えたレベルでしかない』という認識だったのだろう。
 だから、子どもに難しいことを要求せず、『最低限』のものを要求した。『これなら子どもにもできるだろう』という気持ちで言ったのだ。

 良くとらえれば、監督の言葉は『優しさ』からくるものだったのかもしれない――もちろん、普通にとらえれば『子役』というものの存在意義を真っ向から否定するものであるのだが。

 でも、少なくとも『ここ』に来ているということはある程度の実力を持っているはずだ、と私は思っていた。だから、監督が『本当に欲しいと思っている絵』を形にするためならば、彼女の言う通りにした方がいいだろう、と。
 何度かリテイクをしなければならないかもしれないが――あるいは、それこそが監督の忌避するところだったのかもしれないが――それでも、監督の言っていたものよりは良いものができる。私はそう思っていた。

 だから、私は助けに入った。いくら正論でも彼女の言葉では届かない。何の実績もない子どもの言葉は届かない。でも、私の言葉なら届く。

 結果として、撮影は彼女の提案のように進むことになった。子役の人たちの負担は増えたが、その分、良い作品になると思った。

 私は彼女に声をかけた。彼女に興味を持ったからだ。彼女のことを、知りたくなったから。

 どうして、あの監督にあんなことを言えたのか。どうして、大人の人に自分の意見を言うことができたのか。

『子どもだから』という答えならばそれで納得できる。『この業界のことを知らなかったから』という答えならば。
 でも、彼女の反応を見ている限りだと、そうではなかった。この業界のことをある程度理解したその上で、彼女はあんなことを言ったのだ。
 それが、どれだけすごいことか。……少なくとも、私には、絶対にできないことだった。

 だから、私は彼女にあいさつをして、握手をして、言った。

泰葉「でも、すごいね、桃子ちゃん。監督に、あんなことを言えるなんて」

桃子「そ、そんなことないよ。桃子は思ったことを言っただけだもん。そうした方が良い作品ができるって思ったから、言っただけだよ」

 ――すごい。

 私は素直にそう思った。そんなことは、私にはできないと。

桃子「というか、それを言うなら泰葉さんの方がすごいでしょ。あんなことを言えるなんて……本当に、すごいよ」

 違う。

 私はあなたが言うほどすごくない。私には、あなたみたいなことはできない。

 確かに私は監督にあんなことを言った。生意気なことを言った。でも、それは『私自身の意志』ではない。

 私は大人の言うことを聞いただけだ。この撮影が始まる前に、私は言われていたのだ。『彼が暴走したら止めてほしい』と。他の大人の人だと難しいことだから、私が選ばれた。ただそれだけのことなのだ。

桃子「もしかしたら降ろされていたかもしれないのに……それなのに、あんなことを言えるなんて。本当に、すごいよ。かっこよかった」

 降ろされる可能性……それは、ほとんど考える必要がない。

 なぜなら、監督はわかっている。いくら性格に難があるとは言っても、彼は『作品作り』に対しては真摯な人間だ。その時点で、彼は私を降ろすことができない。

 理由は一つ、それは、私が上手いからだ。

 他の子役とは比べられないほどに上手いから、私が降ろされることはない。私を使うのと使わないのとで作品の完成度に大きな違いが出る。それは監督もわかっている。そして、それも私が選ばれた理由の一つだ。他の役者、つまり大人の役者さんであれば、『他』も居ないことはない。だが、『子役』で私ほど上手い人は居なかった。それだけのことだ。

 この業界で生き残るために必要なものは力だと教えてもらった。だから私は力を付けた。演技力を身に付けた。『演技』に必要なものを出来る限り身に付けた。どうすれば演技が上手くなるのか。そうすることで大人の期待に応えられると思った。大人の人たちの言う通りのことができるようになると思った。

 結果として、私は子役としての地位を確立した。大人の人たちの言うことを聞いて、その通りにすることができるようになった。

 私は大人の人の言うことを聞いただけだった。今、それができる力を付けたことすらも、大人の言うことを聞いた結果でしかない。自分の意志でしたことなんて、何も、ない。

 でも、彼女は違う。桃子ちゃんは違う。彼女は自分の意志で言ったのだ。自分の意志で、『この作品をより良いものにしたい』という意志で、桃子ちゃんは監督に口を出した。

 それは決して私にはできないことだった。大人の言うことを聞いているだけの私にはできないことだった。

 ――だから、私は彼女に憧れた。

桃子「どうやったら、泰葉さんみたいになれるんですか?」

 桃子ちゃんは私のことを憧れの目で見ていた。そんな目で見ないで。私は、あなたに憧れられるような立派な人間じゃない……。

泰葉「……力を付ければ、できるよ」

 逃げるように、私は言った。逃げるために、私は言った。桃子ちゃんのその目から、逃げるために。

泰葉「誰にも文句を言われないくらいに上手くなればいいんだよ。私よりも上手くなれば、そうすれば、桃子ちゃんは私なんかよりもずっとすごい人になれるよ」

 桃子ちゃんになくて私にあるもの。それは演技力くらいだ。だから、演技力さえ付ければ私なんかよりもずっとすごい人になる。

桃子「泰葉さんより上手く、なんて」

泰葉「大丈夫。桃子ちゃんなら、なれるよ」

 私と違って、あなたには、意志がある。
 なら、私なんかよりも、あなたは上手くなれる。

 羨望とともに、私は言った。私にはできないからこそ、言うことができた。

 それは、願いを託すようなものだった。

 ――そう、それはまるで、自分には達成できなかった夢を子に押し付ける親のような行為だった。

 押し付けられる側のことなんて考えていない、身勝手な言葉。

 その言葉が相手にとってどれだけの意味を持つかわかっているはずだった私が言ってしまった、呪いの言葉だ。

11


 調べた結果、やはり桃子がああなったのは岡崎泰葉が原因らしいということがわかった。桃子と岡崎泰葉が話していたところを見たという話がいくつかあったのだ。

 それから、桃子と岡崎泰葉の関係についても少し知ることができた。どうやら、桃子と岡崎泰葉は非常に仲が良い関係だったらしい。姉妹のようだった、と言う人すら居たくらいだ。

グリP(だが、それならなぜ桃子は?)

 プロデューサーは考えた。今でも仲が良いのか? それとも、そうではない? 少なくとも桃子の口から岡崎泰葉の名前を聞いたことは今まで一度もなかった。ならば今はその関係が崩れていると考えた方がいいだろう。それはなぜだ?

グリP「……そう言えば、桃子と岡崎泰葉の活動時期は」

 答えが出そうになったその時、プロデューサーの電話が鳴った。出て話してみると、仕事の電話だった。周防桃子の、仕事の依頼。どのような内容か聞くと、それはプロデューサーが驚くものだった。

グリP(どうして、このタイミングで)

 そのプロデューサーが驚いた内容とは、周防桃子とある人物との仕事の話。

 岡崎泰葉と一緒に仕事をしないか、というものだった。

12


モバP「周防桃子との仕事が決まった」

 Pさんは言った。突然のことで私は驚いてしまった。

泰葉「どうして、いきなり」

モバP「泰葉が『もう一度話がしたい』と言ったから、だな」

泰葉「そんなことで……」

モバP「そんなこと、じゃあないさ。自分の担当アイドルが願ったことは出来る限り叶えたいと思うのが普通だろう?」

泰葉「でも、そんな、簡単に……」

モバP「俺は岡崎泰葉のプロデューサーだ。これくらいできなくてどうする」

 Pさんはそう言ったが、もちろんそう簡単にできるものではないはずだ。それが、どうして……。

 そう考え始めたところ、「まあ」とPさんは苦笑した。

モバP「たまたま765さんがOKしてくれただけなんだけどな。もしも断られたら他の方法にする必要があった。だから、これは765さんに感謝、だな」

泰葉(……違う)

 Pさんの言っていたことは本当だろう。だが、そういう意味ではない。重要なことは、『これだけの早さで実行に移した』ということだ。これだけの早さで実行に移すことができたということ。もしも断られたら他の方法に、と言っている時点でその方法もあったということだ。他の方法も実行しようと思っていたということだ。

 でも。

泰葉「……ありがとうございます」

 そんなことを言う必要はない。伝えたいことはそんなことじゃない。私が伝えたいことは、感謝しているということだけだ。

モバP「どういたしまして。……だが、俺にできることはこれくらいだ。あとは、お前が頑張れ」

泰葉「はい、わかっています」

 私は答える。Pさんの気持ちに応えるという意志を込めて。

泰葉「あとは、私が頑張ります」

13


 桃子ちゃんは私のことを慕ってくれた。共演する機会はあまりなかったが、個人的な付き合いは続いていた。
 普通に遊ぶ、といったことは少なかった。一緒にレッスンをしたり、演技の参考になりそうなものを教え合ったり。
 そう考えると私たちの関係はあくまでも『子役』としてのもので、互いの技術向上を目的としたものだった。あるいはそれだからその時のマネージャーさんも私が桃子ちゃんと付き合うのを許してくれていたのかもしれない。

 でも、子役としての付き合いでも私たちの間には確かな絆があったと思う。とても仲良くしていた、と思う。
 ある日、桃子ちゃんは私のことを「泰葉お姉ちゃん」と呼んだ。それは桃子ちゃんにとっても『思わずそう呼んでしまった』ことのようで、それに気付いた桃子ちゃんはすぐに「ごめんなさい」と謝った。
 でも、私は不快ではなかった。それどころか、とても嬉しかった。
 だから私は「いいよ」と言った。「そう呼んでくれたら嬉しいな」と。

 それから桃子ちゃんは私のことを「泰葉お姉ちゃん」と呼ぶようになった。そう呼ばれるようになってからは、より私たちの関係は親密なものになっていったと思う。

 そこで、桃子ちゃんの色んな話を聞いた。桃子ちゃんがここまで頑張っている理由の一つを、聞いたりした。

桃子「桃子はいちばんになりたいの。誰にも、負けたくない。そうすれば……」

 それから先の言葉を桃子ちゃんは言わなかったけれど、その後に続く言葉はそれまで桃子ちゃんと付き合っていればなんとなくわかった。

泰葉「私も負けないよ。桃子ちゃん。私も、誰にも負けたくないから」

 でも、負けたくないという気持ちは私も同じだった。だから私は桃子ちゃんにそう言った。先輩として大人げなかったかもしれないけれど、私たちの間には、そういう気遣いは要らないってわかっていたから。

 桃子ちゃんはなぜだか嬉しそうだった。いや、理由はなんとなくわかっている。私も同じ気持ちだったからだ。『誰にも負けたくない』という気持ち。同じ気持ちを抱いている人が居る。それは、どこか心強いものだったから。

 その頃の私は、まだ、そう思うことができていたから。

 私には桃子ちゃん以外にも後輩が居た。桃子ちゃんは違う事務所だったが、同じ事務所にも後輩は居たのだ。私を慕ってくれる――私に憧れて芸能界に入ったとまで言ってくれるような子も居た。中には桃子ちゃんよりも私に年齢が近い、同年代のような子まで居た。

 その子たちとも仲良くできていたと思う。
 でも、彼女たちは桃子ちゃんとは違った。
 向上心がなかったわけじゃない。努力していなかったわけでもない。
 だけど、すべてが『足りてなかった』。

 オーディションがあった。
 同じ事務所に所属していても同じオーディションを受けることはある。
 その桃子ちゃん以外の後輩たちと同じオーディションを受けて、それで選ばれるのは、いつも私だった。
 私は手を抜けなかった。手を抜いてはいけないと思った。いつも本気で勝負していた。
 事務所の後輩を、私を慕ってくれていた子たちを蹴落として、限られた席に座っていた。

 その結果、彼女たちは芸能界を辞めていった。『自分には才能がない』と言って辞めていった。

 その頃からだろうか。事務所内で、私と同年代の子たちが私の陰口を言うようになった。
 いや、正確には陰口ではないのだろう。『泰葉ちゃんは何か悪いことをやっているんだ』『偉い人に気に入られているだけだ』なんて、そんな陰口はほとんど言われなかった。
 演技力の差は明らかだったから、そんな陰口はなかなか言うことができなかったのだろう。
 なら、彼女たちは何を言っていたのか。
 ……一言で言うならば、彼女たちは私のことを褒めていたのだ。

 それが陰口ではない。そう言われればその通りなのだと思う。でも、私からすれば、それは陰口を言われるのと同じくらい、嫌だった。

『泰葉ちゃんは天才だから』『泰葉ちゃんは私たちとは違うんだ』『私も頑張っているのにどうして』『泰葉ちゃんに勝てるわけない』『泰葉ちゃんが居る限り、私たちは』……。

 そんなことを言う人たちが増えた。辞めていく人たちも増えた。増えて、増えて、増えていった。

『泰葉ちゃんさえ居なければ』

 そんな言葉さえ聞いた。そんな言葉さえ、聞いたのだ。

 それでも、私は仕事を続けた。楽しかったかどうかはわからない。仕事自体は楽しかったと思う。でも、仕事をやっている間に色々なことを考えて……それは、楽しくなかった。

 そんな日々が続いた。もうほとんど何も考えてはいなかった。大人の言うことを聞くだけの日々だった。レッスンを怠ったりすることはなかった。負けるわけにはいかないと思っていたから。彼女たちの代わりに勝ち残った私が負けるわけにはいかないと。

 その頃の私は空っぽだった。人形と言われても仕方のない存在だったと思う。大人の言うことを聞いて、オーディションで勝ち残ることだけを考えて、仕事だけをこなすような存在。
 
 そんなある日のことだった。

「泰葉ちゃん。事務所の意向で子役の仕事は一時的に休業して、モデルの仕事を中心に切り替えていきたいと思う」

 その時のマネージャーさんは言った。幼い頃から、私はモデルの仕事もやっていた。子役としての仕事が増えていくにつれてモデルの仕事をする比率は少なくなっていったが、それでもモデルとしての仕事をしなくなったわけではなかった。
 
 どうして子役の仕事を休業するのか。その頃の私にはその理由がわからなかったが、それでいいと思った。その方がいいんだ、と。

 そして、私は子役を辞めた。

 私を慕ってくれていた人にも、何も、言わないで。

14


グリP(これで良かったのだろうか)

 プロデューサーは考えた。岡崎泰葉との仕事、という話には驚いたが、これほど絶好の機会もないだろう、と思い、引き受けた。だが、桃子と岡崎泰葉との間には、自分が思っている以上の何かがあるかもしれない。こんなことをしても、桃子を傷付けるだけかもしれない。

 そう思いながら、プロデューサーは桃子に仕事の話をした。桃子は言った。

桃子「そうなんだ。わかったよ、お兄ちゃん」

 そうしてあまりにも平然と答えたものだから、プロデューサーは驚いてしまった。

グリP「本当に、いいのか?」

桃子「うん。というか、もう決まっているんでしょ。一度引き受けた仕事を理由もなく断るなんてしたらダメだよ」

グリP「いや……それもそうだが」

 本当に大丈夫なのだろうか。プロデューサーは考えた。するとそれを察したのか、桃子は大きく溜息を吐いた。

桃子「大丈夫だよ、お兄ちゃん。何を心配しているのかわからないけど、桃子は大丈夫。だから、心配しないで」

グリP「だが……」

桃子「お兄ちゃんは桃子を信じられないの? ……桃子を信じて。大丈夫だから」

 桃子はそう言ったが、そう簡単に信じられるものではない。

 だが。

グリP「……わかった」

 俺が信じなくて、誰が信じる。自分の担当アイドルの言葉も信じられなくて、何がプロデューサーだ。

 そう思ったから、プロデューサーは言った。

グリP「桃子を信じる。桃子を信じて、任せるよ」

桃子「うん、任せて。桃子にはそんな仕事、簡単なんだから」

15


 仕事自体は順調に進んだ。泰葉さんの顔を見た時も、桃子は特に何も思わないでいることができた。泰葉さんは何か話したそうにしていたけれど、さすがに仕事中には何も言ってこなかった。
 そうして仕事が終わり、桃子は帰ろうとした。前とは違って、お兄ちゃんはすぐそこに居た。桃子はお兄ちゃんに駆け寄って、その手を引いて、帰ろうとした。

泰葉「桃子ちゃん」

 でも、桃子もわかっていた。

 そう簡単に、帰ることができるわけもないと。

桃子「なんですか、泰葉さん」

泰葉「話したいことがあるの」

 ……うん。だろうね。

桃子「……わかりました。じゃあ、行きましょうか」

16


 泰葉お姉ちゃんはいきなり消えた。桃子は『子役を辞めた』という話だけを聞かされた。

 どうしてだろう、と桃子は思った。泰葉お姉ちゃんはどうして桃子に何も言わずに子役を辞めてしまったのだろう、と。

 でも、桃子のすることは変わらなかった。

 泰葉お姉ちゃんは桃子の前から居なくなってしまった。

 なら、頑張るしかない。

 誰にも負けないで、頑張るんだ。

 そうすれば、また、いつか――

17


桃子「それで、話っていうのはなんですか?」

泰葉「それは……謝りたかった、から」

桃子「謝る? 何をですか?」

泰葉「……あなたに何も言わずに、子役を辞めてしまったことを」

桃子「どうして謝るんですか?」

泰葉「それは」

桃子「そういうこともありますよ。泰葉さんが辞めたことは確かに悲しかったですけど、それだけです。この業界ではよくあること、でしょう?」

泰葉「それはそう、だけど」

桃子「……話はそれだけですか?」

泰葉「……ううん。それだけじゃない。私は……桃子ちゃんが今、どうしているのかを知りたいの。私が、どうしているのかを、知ってほしいの」

桃子「そんなの、桃子にわざわざ聞かなくてもわかるじゃないですか。桃子も知ってますよ。少し、調べたので」

泰葉「そういう意味じゃないの」

桃子「じゃあ、どういう意味ですか?」

泰葉「前も言ったと思うけれど……私は今、仕事が楽しいの。昔も楽しくないわけじゃなかったけれど、今は、本当に楽しい。昔の私は……桃子ちゃんが憧れてくれていた頃の私は、大人の言うことを聞いているだけだった。でも、今の私は、自分から、輝けていると思う」

桃子「……そうですか。桃子にそんなことを言って、どうするんですか?」

泰葉「……私も、桃子ちゃんのことは調べたよ。それで、桃子ちゃんも楽しそうにしていると思った。765プロの人たちと仕事を楽しんでいるみたいだ、って……私は、それを確認したかったの。桃子ちゃんが、どうしているのか。桃子ちゃんは、765プロで、幸せにしているか」

桃子「……なに、それ」

泰葉「え?」

桃子「桃子、わかったよ。泰葉さん。あなたは桃子の知っている泰葉さんじゃない。やっぱり、違う。泰葉さんは、それを桃子に言って何がしたいの? 泰葉さんの言っているそれは、自己満足じゃん。桃子に自分が幸せだって言って、桃子が幸せだって聞きたい? なにそれ。自分勝手過ぎるよ」

泰葉「っ……かも、しれないね。でもっ」

桃子「そもそも……いちばん理解できないことは、泰葉さん。あなたが今の自分に、満足しているように見えることだよ」

泰葉「……え?」

桃子「泰葉さん。あなたは今、自分が幸せだって思ってる? 今の自分に、満足している?」

泰葉「……そう、だけど。私は今。幸せだし、今の日々に、満足しているつもりだけれど」

桃子「……やっぱり、泰葉さんは変わったね。あの頃とは全然違う」

泰葉「……え?」

桃子「……泰葉さんの事務所では、総選挙、っていうのが開かれるらしいね。それで、泰葉さん、圏外だったらしいね。それなのに、幸せ? 何を言っているの? 桃子には考えられないよ。芸歴がいちばん長いくせに……アイドルとしての後輩にすら、負けていて」

泰葉「それは」

桃子「それなのに、その後輩たちと仲良くしてるんだよね。乙倉悠貴さん……だったっけ? あと、森久保乃々さん? そういった人たちと仲良くしているみたいだけど……自分より人気がある人たちに慕われて、それで、満足? それで、幸せ? ……意味、わからないよ。桃子ならそんなの、耐えられない。幸せだなんて言えないし、満足してるなんて、口が裂けても言えないし、言いたくない。それなのに、泰葉さんは、本心からそんなことを言っている。……あの頃の泰葉さんは、どこに行ったの? 『誰にも負けたくない』って言っていた泰葉さんは、どこに居るの? そんなの……そんなの、おかしいよ」

泰葉「……私は、今でも、負けたくない、って」

桃子「そうは見えないから言ってるんだよ。……ごめんなさい。敬語、使ってなかったですね。でも、今のはぜんぶ、桃子の本心です」

泰葉「……」

桃子「……話はこれで終わりですか? それなら、桃子はもう、帰らせてもらいます」

泰葉「……」

桃子「……終わりみたいですね。お兄ちゃん、帰るよ」

グリP「……ああ」

桃子「それでは、お先に失礼します」

17


モバP「……泰葉」

 その声で私は意識を取り戻した。今までずっと動けなかった。桃子ちゃんの言葉だけが頭の中で反響していた。

泰葉「……Pさん」

モバP「その顔……そうか。何があった?」

 Pさんの顔は私を心配するもので……それを見て、私はハッとした。

泰葉(……もしかして、私はPさんに)

 私は、Pさんに甘えていたのではないだろうか。

 私は思った。私はPさんに甘えすぎていたのではないだろうか、と。

 いつもいつも、Pさんは私のことを考えてくれていた。

 私の望んだことを、私の望んだ道を、Pさんはいつも導いてくれていた。

 私はそれに甘えすぎていたのではないだろうか。今が幸せで……幸せだったから、私は、このままで居ることを選んでいた。Pさんは優しいから、そのままで居ることを許してくれていた。『アイドル』としての……『普通の女の子としての幸せ』に近付いていくことを、許してくれていた。

 ――でも、本当にそれでいいのだろうか。

 桃子ちゃんは言った。

「『誰にも負けたくない』って言っていた泰葉さんは、どこに居るの?」

 
 今でも私は誰にも負けたくないと思っている。思っているつもりだった。でも、本当に? 
 それは、昔ほど強い思いだっただろうか。

 それは、昔の私が抱いている思いより、ずっと小さくはないだろうか。

泰葉「……P、さん」

 不安になって――何も、わからなくなって、私は言った。

泰葉「……私は、このままでいいんでしょうか」

18


「……桃子ちゃん?」

 事務所に居ると、声をかけられた。その声はとても優しいものだったけれど、だからこそ、桃子は気に入らなかった。

桃子「……何? 雪歩さん。桃子、台本を読むのに忙しいんだけど」

雪歩「ご、ごめんね。……でも、ちょっと、気になることがあって」

桃子「……お兄ちゃんに何か言われた?」

雪歩「それは……うん。今日は、そうだね」

桃子「やっぱり……」

 お兄ちゃんはまだ、泰葉さんとのことが引っかかっているらしい。桃子は大丈夫って言っているのに……。

雪歩「話は、その、聞いたよ。ごめんね。聞かれたくなかったかもしれないけど……」

桃子「べつにいいよ。隠すことでもないしね」

雪歩「……ありがとう」

 雪歩さんは微笑み、続ける。

雪歩「あのね、桃子ちゃん。これは私の話なんだけど……私はアイドルをやっていて、あることを知ったの」

桃子「あること?」

雪歩「自分の気持ちに素直になることの、大切さを」

桃子「……ふぅん。素直になるだけじゃ、ダメだと思うけどね」

雪歩「そうかもしれないね。でも、素直になることも大切だってことは、桃子ちゃんも知っているでしょ?」

桃子「……それは、そうだけど」

 今まで、765プロでアイドルをやっていて、それも大切だってことは桃子も知ってる。それを知らないというのは、ただの、嘘だ。

雪歩「……だから、桃子ちゃん。その、岡崎泰葉さんとのことでも、素直になった方がいいと思うよ」

桃子「……雪歩さんは、関係ないでしょ」

雪歩「うん。私は関係ないよ。関係あるのは、桃子ちゃん。……ねぇ、桃子ちゃん。桃子ちゃんは本当に、それでいいの?」

桃子「雪歩さんは、何も知らないでしょ」

雪歩「……うん。プロデューサーに聞いた、ちょっとだけの話しか、私は知らない。だから、勝手なことを言っているんだと思う。でも……でもね、桃子ちゃん。私には、桃子ちゃんが納得しているようには見えないの」

桃子「……そんなの、雪歩さんが勝手に思ってるだけでしょ」

雪歩「かもしれない。ね。……だから、これはただの……私の、独り言だと思って、聞いてほしいの」

桃子「独り言なんて聞いてる暇、桃子にはないんだけど」

雪歩「ごめんね。……でも、少しだけだから」

桃子「……少しだけ、だよ」

雪歩「……ありがとう」

 雪歩さんは笑った。桃子はその顔がまっすぐ見れなくて、顔を背けた。雪歩さんはそんな桃子を見てくすりと笑って、口を開いた。

雪歩「……あのね、桃子ちゃん。確かに私は、何があったのかよく知らないよ。たぶん、プロデューサーも知らないような色々なことが、桃子ちゃんと岡崎さんとの間にはあったんだと思う。……でもね、桃子ちゃん。もし、何があっても、私は……ううん、765プロのみんなは、桃子ちゃんの仲間だよ。桃子ちゃんには頼りないかもしれないけど、私が、私たちが、桃子ちゃんに何をしてあげられるのかもわからないけれど……でも、一緒に居ることはできるから。それだけは、忘れないでいてほしいの」

桃子「……」

雪歩「だから……だからね、桃子ちゃん。……素直になって、いいんだよ。桃子ちゃんが本当に岡崎さんとのことをもういいと言うのなら、私はそれでもいいと思う。……でも、私には、そう見えないんだ。もしかしたら、また、傷付くことがあるのかもしれない。それなのに、そこに向かわせるなんて……私、最低かもしれないね。でも、最低でも、桃子ちゃんが傷付いたとしても……私は、一緒に居られるから。頼りないかもしれないけど……それでも、頼ってほしいな。これでも、私、アイドルとしては桃子ちゃんの先輩、なんだから」

 雪歩さんは言った。優しく、どこか、自信なさげに。でも、その言葉には……

桃子「……どこが独り言なの、雪歩さん。もっと独り言っぽく言わなきゃ。そんな演技、桃子が監督だったら絶対にNGだよ」

雪歩「はぅ……ご、ごめんね」

桃子「……いいよ。桃子が、お手本を見せてあげる」

雪歩「……え?」

 桃子は一度すぅと深呼吸をして、言った。

桃子「雪歩さんがそう言うなら、頑張ろうかな。……ありがとう、雪歩さん。……おしまいっ」

雪歩「桃子ちゃん……」

桃子「ほ、ほら、こうやるんだよ。わかった?」

雪歩「うん……わかった、わかったよ……」

桃子「……なんで泣きそうになってるの?」

雪歩「だって……だって……」

桃子「……呆れた。ここで泣かないでいたら、様になっていたのに。……雪歩さんも、まだまだだね」

19


 あの後、Pさんは「俺はお前をプロデュースするだけだよ。お前が本当にしたいことをする助けをする。それが俺の仕事だからな」と言った。
 それは優しい言葉のように思えるけれど、実際は違った。

『自分で考えろ』。

 それが、Pさんの言葉の意味だ。
 だけど、私にはわからなかった。このままでいいのかどうか、私には、わからない。
 アイドルの仕事は楽しい。事務所の仲間と一緒にする仕事は楽しい。ファンの人たちと交流できるようになったし、ファンの人たちの顔を見ることができるようになったのは、本当に嬉しい。

 でも、桃子ちゃんが言っている言葉の意味もわかる。わかってしまう。
 だから、私は悩んでいた。どうしたらいいのか、わからなくなってしまっていたから。

 選挙で悠貴さんや乃々さんに負けたこと……それはもちろん、悔しい。本当に、悔しいと思っている。

 でも、それでも、私は悠貴さんや乃々さんと一緒に居ることを楽しいとも思っている。それは本心だ。

 いったいどれが本当の私なんだろう。どの気持ちが、私の本当の気持ちなんだろう。

『負けたくない』という気持ち? それとも、『楽しんでいきたい』という気持ち?

 私にはそれがわからなくなった。わからなくなって、わからなくなって……。

 そして、数日が経って。

モバP「泰葉、ちょっと、付き合ってくれないか?」

 Pさんは言った。

20


泰葉「ここは……」

モバP「プラネタリウム、だな」

 私が連れられて来たのはプラネタリウムだった。そして、前にPさんとプラネタリウムに行ったことを思い出して……あれも、ダメだったな、と思う。アイドルとして、プロ意識に欠けていたことだった、と。

泰葉「……Pさん、私は」

モバP「これも仕事に必要なことだよ、泰葉」

 今の私にはここに来る資格なんてない。そう思って私はPさんにここへ入ることを断ろうとした。でも、それよりも先にPさんは言った。『逃がさない』。そんな思いが見えた。

泰葉「……わかりました。本当に、仕事に必要なことなら」

 そう答えておきながら、私の心は少しばかり躍っていた。同時に、その躍っている心に私は嫌悪感を覚えていた。そんな気持ちを抱いていていいのか、と。

 プラネタリウムの中に人は誰も居なかった。私たちだけの、プラネタリウム。まるで、この星空が私たちだけのものになったよう……そんなことを考えてしまって、ダメだ、と思う。こんなことを考えるなんて、いけないことだ、と。

モバP「……泰葉。お前、しょうもないことで悩んでいそうだな」

 Pさんは言った。星座を解説するお姉さんの声に紛れるような声だった。

モバP「……たぶん、答えはもうお前の中にあるよ」

泰葉「私の、中に……?」

モバP「ああ。……泰葉、お前は今、楽しいか?」

泰葉「……はい。楽しいです。でも……でも、これでいいのかな、って」

モバP「周防桃子に言われたこと、か」

泰葉「はい。……桃子ちゃんの言う通りです。確かに私は、今の日々に満足してしまっていて……それじゃあ、ダメなんじゃないか、って。負けたくない、って。そういう気持ちが、弱くなってしまっているんじゃないか、って。……そんなの、ダメ、ですよね」

モバP「ああ。ダメだ」

泰葉「……えっ」

 Pさんの言葉に、私は驚いてしまった。優しいPさんのことだから、どこかで――

 そこで私は気付いた、これこそが甘えだと。これこそが、私の甘えだ。今、私はPさんに『ダメじゃない』と言われることを期待していた。それこそが、私の甘えなんだ……。

 でも、そんなことを考えている私に『違う』と言うように、Pさんは続ける。

モバP「でもな、泰葉。本当にお前の『負けたくない』って気持ちは、弱くなっているか? ……お前はただ、忘れているだけじゃないのか? 周防桃子と話して、見失っているだけじゃないのか? ……お前自身の、本当の気持ちに」

泰葉「……私自身の、本当の、気持ち?」

モバP「ああ。……泰葉。俺の力が足りず、お前は総選挙で圏外という結果になった。それでもお前は他のアイドルの……悠貴や乃々の結果を、よろこんでいたよな」

泰葉「……はい。私は、よろこんでしまって」

モバP「それは悪くない。……勘違いするな、泰葉。仲間が活躍することをよろこぶ。それは何も悪いことじゃない。むしろ素晴らしいことだと思うよ」

泰葉「でも」

モバP「悔しいとも、思っているだろう?」

泰葉「……え?」

モバP「圏外という結果に、悔しいと。……思っていないとは言わせないぞ? 岡崎泰葉。あんなことを言ったお前が、悔しいと思わないわけがない。……泰葉。『悔しい』という気持ちは、決して悪い気持ちじゃないんだ。仲間であっても、『悔しい』と思っていいんだよ。『悔しい』と、『負けたくない』と思っても、それでも仲間で居られるんだ。……仲間であることと競争相手であることは、決して、矛盾しないんだよ」

 Pさんは言った。

モバP「泰葉。……汚い気持ちも、出していいんだ。それでも、俺たちはお前から離れないし、放さない。お前が本当に望むことを、そのままにやればいいんだよ」

 その言葉を聞いた瞬間、世界が広がった気がした。

 プラネタリウムの星々のすべてが、一気に見えたような気がした。

 ――ああ、ここには、こんなにも、多くの星があるんだ……。

 星は輝いている。

 一つ一つの星は、思い思いに輝いている。

 でも、それが他の星の光を妨げたりすることはない。むしろ、色んな星が思い思いに輝くからこそ、この星空は、こんなにも美しく見えるのだ。

泰葉「……Pさん」

モバP「なんだ?」

泰葉「……私、忘れていました。私は、ずっと、ずっと……誰にも負けたくなかった。負けたくないって思い続けていました。それは悠貴さんや乃々さんに慕われた今でも、消えてなかった……Pさんの言う通り、ただ、忘れてしまっていただけだったんです」

モバP「……ああ」

泰葉「だけど、今、思い出しました。……Pさん、昔、私はここで、プラネタリウムの中で、言いましたよね。プロデューサーと、一番の星を目指したい、って。……その気持ちは、今も消えていません」

モバP「……ああ」

泰葉「選挙の結果は悔しかった。でも、悠貴さんや乃々さんの結果は嬉しかったんです。……確かに、事務所のみんなも競争する相手です。トップアイドルを目指し合う、ライバル。……でも、それは『敵』っていう意味じゃない。……いえ、もしかしたら、『敵』なのかもしれません。でも、それだけじゃない。それだけじゃ、ないんですよね」

モバP「……ああ」

泰葉「Pさん。私は、Pさんに甘えていたと思います。きっと、これからも、甘えていくんだと思います。でも、この気持ちも本当なんです。Pさんと一緒に一番の星を目指すこと。この空で一番輝く星になること。それが、私の夢だから」

モバP「……ああ」

泰葉「……Pさん。私、もう一度、桃子ちゃんと会いたいです。今なら、桃子ちゃんの言葉に、応えられると思うから。昔とは違う……でも、本当の私として」

モバP「……わかった。なんとかするよ。絶対に」

21


桃子「……泰葉さん」

泰葉「……桃子ちゃん」

 桃子は泰葉さんと向かい合っていた。お兄ちゃんのおかげで、もう一度話すことができるようになったのだ。でも、互いになかなか口を開けなかった。二人とも、何から言えばいいのかを迷っているみたいだった。でも、このままじゃいけない。桃子は、素直になりに来たんだ。
 意を決して、桃子は言おうと思っていたことを言おうとして、口を開いて……でも、やっぱりこわくなって、口を、閉じ――


 ぎゅっ、と手に温かい感触があった。

 見ると、お兄ちゃんが、桃子の手を握っていた。目を上げて、お兄ちゃんの顔を見る。お兄ちゃんは桃子を見ていた。見ていてくれた。

 ……うん。

桃子「……この前は、ごめんなさい」

 桃子は言って、頭を下げた。前に言ったことは、言い過ぎだった。昔のことで苛立っていて、思わず、言ってしまったことだったから。

泰葉「謝らないで、桃子ちゃん」

 でも、泰葉さんは微笑んで、言った。

泰葉「桃子ちゃんの言葉は、正しかったよ。桃子ちゃんの言う通りだった。今に満足している、なんて、そんなことを言っちゃいけなかった。……ごめんね、桃子ちゃん」

桃子「な、なんで泰葉さんが謝るんですか」

 意味がわからなかった。あれは完全に桃子が悪い。先輩に向かってあそこまで失礼なことを言ったのだ。確かに本心だったけど、そういうアイドルの形があるということも知っている。だから、悪いのは桃子で……泰葉さんが謝る必要なんて、ないはずだ。

 でも、泰葉さんは首を振る。私にも謝る理由がある、と。

泰葉「私は桃子ちゃんの言う通り、悠貴さんや乃々さんと仲良くしているよ。でも、悔しいと思っていないわけじゃないし、負けたくないと思っていないわけでもないの。私は誰にも負けたくない……その気持ちは、今も同じ。だけど、だけどね……ライバルだけど、でも、それだけじゃないの。今、幸せだっていう気持ちも嘘じゃなくて……負けたくないと思っていても、今、Pさんと……プロデューサーと一緒にアイドルをやっていて、私は、とても幸せ。……これが、今の私の、答えだよ。昔の私とは違う、今の、私の」

 泰葉さんは言った。はっきりと、意志が込められた目を向けて。

桃子「……桃子も」

 そんな泰葉さんの言葉に、桃子は、思わず口が動いた。

桃子「桃子も、アイドルをやっていて、楽しいよ。まだ、泰葉ちゃんほどは言えないけど……でも、事務所の仲間が居て……それは、とっても、楽しいよ。今でも桃子は仕事に感情なんて必要ないって思ってるけど……あってもいい、って思うよ。アイドルの仕事を楽しんでもいいって思う。素直になってもいい、って。桃子は、それを教わったから」

泰葉「……うん」

桃子「だから、だからね、泰葉ちゃん。……素直に、ちょっとだけ、素直になるね。言いたかったことを、言うね」

泰葉「……うん」

 一度、目蓋を閉じて、深呼吸をする。言いたいことを、素直に……。

桃子「……泰葉ちゃん」

泰葉「うん」

桃子「どうして、桃子から離れて行っちゃったの? 何も言わずに、どうして、子役を辞めちゃったの? ……どうして、桃子の前から居なくなってしまったの?」

泰葉「それは、会社の……ううん、違うね。それは、私が子役の仕事を続けられなくなったから……続けてはいけない、って、判断されたからだと思う。それで、桃子ちゃんに何も言えなかったのは……その頃の私には。まったく余裕がなかったから、かな」

桃子「……そうなんだ。何があったのかはわからないけど、なんとなく、わかるよ」

泰葉「……うん」

桃子「でも……でもね、泰葉ちゃん。それでも桃子は、教えてほしかった。……桃子の前からだけは、居なくならないでほしかった」

泰葉「……ごめんね、でも」

桃子「うん。だから……これからは、勝手に居なくならないでね」

泰葉「……うんっ」

22


桃子「……お兄ちゃん」

グリP「なんだ?」

桃子「その……ありがとう、ね。桃子、もっと、頑張るから」

グリP「……ああ。一緒に、な」

桃子「……うん」

23


泰葉「Pさん」

モバP「なんだ」

泰葉「これからも、よろしくお願いします」

モバP「ああ」

【後日談】


桃子「……ここが、泰葉さんの」

泰葉「うん、ここが、私の事務所だよ」

 あれから、私と桃子ちゃんは以前のように――いや、あるいは以前よりもよく会うようになった。前とは違って、演技のためとかそういうことはなく、普通に会うようになった。(それでも、桃子ちゃんは『勉強のためだから』なんて言っていたけれど)。

桃子「……なんか、騒がしいね。ウチの事務所みたい。アイドル事務所って、どこもこんなに騒がしいの?」

泰葉「どうだろう。私も、あんまり知らないから……」

 確かに私もここに初めて来た時は驚いた。他の事務所……たとえば961プロなんかだとここまで騒がしいという印象はないけれど、876プロや315プロだとこれくらい騒がしいような気もする。

悠貴「あれ? 泰葉さん?」

 そうしていると、悠貴さんの声がかかった。桃子ちゃんはビクッと肩を跳ねさせて、私の後ろに隠れた。……人見知りなところは、変わってないんだね。

悠貴「それと……あっ! もしかして、周防桃子ちゃんじゃないですかっ!?」

桃子「」ビクッ

悠貴「泰葉さんっ。桃子ちゃんとお知り合いだったんですかっ」

泰葉「はい。子役をやっていた頃の後輩で……」

悠貴「そうなんですかっ」

 悠貴さんは目をキラキラさせて桃子ちゃんを見ていた。桃子ちゃんは気まずそうに目を背けている。……そういえば、桃子ちゃん、私に対して色々言っていた時、悠貴さんの名前を出していたっけ。そういう関係もあって、より気まずくなっているのだろう。

 でも。

桃子「わっ」

 私は桃子ちゃんの背中を押して、悠貴さんと対面させる。桃子ちゃんは私の方を恨めしそうに見るけれど、私は微笑みで返す。「……もう」と桃子ちゃんは言って、

桃子「初めまして、乙倉悠貴さん。周防桃子です。泰葉さんには昔からお世話になっています」

悠貴「初めましてっ。私も、泰葉さんにはとってもお世話になってますっ」

桃子「そう、ですか……まあ、桃子の方がお世話になっていると思いますけどね」

悠貴「いえ……私、まだまだなので……きっと、桃子ちゃんよりずっと迷惑をかけてしまっていると思いますっ」

桃子「へ、へぇ……で、でも、桃子もすごいですよ? 本当に、すっごく迷惑をかけちゃったので」

 ……桃子ちゃん、何を張り合っているんだろう。私はそう思ったが、悠貴さんの受け取り方は違ったようで、

悠貴「桃子ちゃん……そんなに言ってくれるなんて、桃子ちゃんって、優しいですねっ」

桃子「やさっ……!?」

 桃子ちゃんは驚きの表情を浮かべていた。悠貴さんらしい答えだと思ったが、桃子ちゃんには予想できなかったらしい。

悠貴「泰葉さんっ、桃子ちゃんって、良い子ですねっ」

泰葉「……ええ、そうですね」

 実際、桃子ちゃんは良い子だし、そう答えるしかないのだけれど……なんだか、複雑だ。

桃子「……なんか、調子、狂う」

 桃子ちゃんは肩を落として言った。……その気持ち、わからないでもないよ。

――

泰葉「ここが、765プロ……」

桃子「うん、そうだよ」

泰葉「そう、なんだ……」

 なんというか……思っていたよりも、小さい。

 あれだけすごいアイドルが居るのにこの事務所の規模、というのは、さすがに……。

桃子「じゃ、入ろっか」

泰葉「う、うん……」

 桃子ちゃんに連れられて、私は765プロに入る。

泰葉「……騒がしいね」

桃子「でしょ? ……まあ、これでもマシな方だけどね。今日はまだ静かな方だよ」

泰葉「これで……?」

 狭いから、ということもあるのかもしれないが、ここの雰囲気は私の事務所よりもさらにアットホームな雰囲気だ。アイドルたちは騒がしくて、思い思いに楽しんでいる声が聞こえる。

雪歩「……あれ? 桃子ちゃんと……お、岡崎泰葉ちゃん!?」

 そんな声が聞こえた。さすがにわかる。萩原雪歩さんの声だ。

桃子「うん、そうだよ。……雪歩さん、どうしたの?」

雪歩「そ、その……だって、泰葉ちゃんだよ? 私なんかが……」

桃子「……仮にもトップクラスの人気を誇るアイドルが何を言ってるの。そもそも、アイドルとしては泰葉さんの方が後輩なんだから、そんなに気にする必要はないよ」

雪歩「で、でも、芸歴としては私の方がずっと短いし……」

桃子「……はぁ。あの時はあんなにかっこよかったのに、どうしてこうなるんですか。……雪歩さん。そうやって怯えている方が失礼だよ。もっとシャキッとして。桃子が恥ずかしいじゃん」

雪歩「そ、それもそうだね。……は、萩原、雪歩です。や、泰葉ちゃん! ず、ずっと前からファンでした!」

泰葉「えっ」

桃子「雪歩さん!」

雪歩「えっ……あっ! そ、そうだよね。そういう意味じゃないよね……あの、改めまして、萩原雪歩です。こんな私ですけど、アイドルとしては、桃子ちゃんの先輩をやっています」

泰葉「えっと……岡崎泰葉です。今は、アイドルをやっています」

 ……萩原さん。思っていたより、面白い人かもしれない。

 桃子ちゃんを見ていると、彼女は萩原さんのことを呆れた目で見ていた。でも、それは決して厳しい目ではなくて、むしろ優しい目だった。……信頼、しているんだね。

 そう思うと、私はなんだか嬉しくなって、くすりと笑ってしまった。
 すると、それをどう受け取ったのか、萩原さんは「わ、私、笑われました!?」と慌てて、桃子ちゃんが「……当然だよ。ごめんなさい、泰葉さん。見苦しいところをお見せして……」と謝って、それに萩原さんが「そうだよね、私なんか見苦しいよね……穴掘って、埋まってますぅ!」と言ってどこからともなくスコップを取り出し、桃子ちゃんが「ちょっと、雪歩さん!?」と慌ててそれを止めようとしていた。
 
泰葉(……本当に、楽しそう)

 そんな桃子ちゃんたちを見ていると、やっぱり私も楽しくなってきて、私はくすくすと笑った。
 それを桃子ちゃんに見られてしまって、桃子ちゃんは「泰葉お姉ちゃん! 笑ってないで、一緒に雪歩さんを止めて!」と叫んだ。
 すると雪歩さんは「泰葉お姉ちゃん……?」と穴を掘ろうとする手を止めて、首を傾げた。
 そうしたら桃子ちゃんの顔が赤くなっていって……。


 終

これにて完結です。

岡崎泰葉さん、誕生日おめでとうございます。

ここまで読んで下さってありがとうございました。



>>3
周防桃子(11) Vi
http://i.imgur.com/R9ow57d.jpg
http://i.imgur.com/4L3ahF2.jpg

>>4
岡崎泰葉(16) Co
http://i.imgur.com/aYVj5E4.jpg
http://i.imgur.com/S356pTp.jpg

>>27
乙倉悠貴(13) Cu
http://i.imgur.com/tuTAZp6.jpg
http://i.imgur.com/AfY4mFP.jpg

>>61
萩原雪歩(17) Vi
http://i.imgur.com/W1zRI2v.jpg
http://i.imgur.com/hyOARuY.jpg

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