男「これより……貴様のケツをさわる」女「ほう……」(33)

ガタンゴトン…… ガタンゴトン……

『次の停車駅は“○×市役所前”、“○×市役所前”でございます』



早朝、通勤ラッシュでごった返している電車内でそれは起こった。



男「そこの女」

女「なにか?」

男「これより……貴様のケツをさわる」

女「ほう……」



突然の宣戦布告。

これにより、この電車は交通機関ではなく、戦場と化した。

ざわめく他の乗客たち。

「ヒューッ! 始まりやがったぜ!」

「この緊張感、たまんねえ!」

「みんな、詰めろ! 詰めるんだ! リングを作るんだよォ!」



ワァァァ…… ワァァァ……



満員電車にもかかわらず、乗客たちは我先にとさらに互いを押し合う。

まもなく、車内にはかなりの広さのスペースが出来上がった。

『リング』である。

宣戦布告をしたからには、男は次の駅に到着するまでに女の尻にさわらねばならない。

さもなくば、男の敗北である。

この電車が次の駅にたどり着くまでにかかる時間は、およそ4分。



男「いざ」サッ

女「いつでも」ジリ…



乗客A「いよいよ始まる!」

乗客A「どっちも体勢を低くして、まるでレスリングでも始めるみたいだ!」

乗客B「当然だろうな」

乗客A「!」

乗客B「この揺れ動く、不安定な電車内……」

乗客B「通常のファイティングポーズでは、よろめいてしまう」

乗客B「あのように腰を落とし、重心を低く保つのは理にかなっているといえよう」

乗客A「なるほど……」



男「……」ジリ…

女「……」ジリ…



徐々に、両者の間合いが縮まっていく。

緊張が極限まで高まる。

ギャンッ!!!



男は電車の床を踏み抜く勢いで、猛然と駆け出した。

驚異的な瞬発力で、女の背後へと回り込もうとする。



ギュルンッ!!!



しかし、女もフィギュアスケートを思わせる猛回転で、背後を取らせない。

ギャンッ!!!

ギュルンッ!!!

ギャンッ!!!

ギュルンッ!!!

ギャンッ!!!

ギュルンッ!!!



乗客A「男がものすごい速さで回り込もうとするが、女も回転してそれをさせない!」

乗客B「まるで……地球と、その周囲を回る月、だな」

乗客B「こんな朝っぱらから、天体観測をさせられるとは思わなかった」

ギャンッ!!!

ギュルンッ!!!

ギャンッ!!!

ギュルンッ!!!

ギャンッ!!!

ギュルンッ!!!



乗客A「いったい……いつまで続くんだ?」

乗客A「運動量では男が上だし、男のスタミナが尽きるのが先か!?」

乗客A「それとも回転しまくってる女が目を回すのが先か!?」

乗客B(二人とも、そんな初歩的なミスは犯すまい……)

乗客B(そろそろだ……そろそろ、男が仕掛ける頃だ!)

男(――今だッ!)

男「白蛇の牙(スネークハンド)!!!」



シュルンッ!



乗客A「うおおおおっ! 腕がしなやかに伸びた!」

乗客A「蛇のような動きで、右手が女の尻を目指してく!」

乗客B「そう……今まで激しく動き回っていたのは、このための布石」

乗客A「布石……!」

乗客B「回り込まずとも尻にさわれる、あの技をヒットさせるためだったのだ!」

女「ちいっ!」バババッ

男「ぬぅ!」



オオォォォ……!



男の芸術的な技を、女もかろうじてかわす。歓声が上がる。



男「外したか……」ザッ

女「……危ないところだった」ザッ



乗客A「す、すげえ……!」

乗客B「予想外だったろうが、よくぞかわした。一進一退、だな」

非常に惜しい攻撃ではあったが、“白蛇の牙(スネークハンド)”の代償は大きかった。

女は技を警戒し、回転だけでなく、フットワークを使い始めたのだ。



女「……」バッバッバッ

男「……」バッバッバッ



乗客A「うおおおお! どっちも速い!」

乗客A「この光景はなにかに似ている……。そう、あれだ! カバディだ!」

乗客B「ふむ、インドの国技だな」

乗客B「男はそうたやすくは、間合いに入れなくなったな」

宣戦布告から3分経過――

すなわち次の停車駅までは残り1分!



女「……」バッバッバッ

男「……」バッバッバッ



乗客A「そろそろ、次の駅につくけど……このまま決まっちまうか!?」

乗客B(いや……この区間には次の駅につく直前で、大きく揺れる地点がある)

乗客B(男がそこで仕掛けるのは間違いないだろう)

乗客B(だが、女もそれは承知のはず!)

残り30秒――

運命の刻(とき)は来た。





ガッタンッ! グラッ……!





男「痴ィッ!!!」ギュオッ





乗客A「仕掛けたァァァ!」

乗客B「今までで最大のスピードッ! これをかわすのは至難ッ!」

女「ハッ!!!」ヒュオッ



ガシィッ!



乗客A「うおおっ! 上にかわしたァ!」

乗客B「なるほど、吊り革につかまったか!」

乗客B(縦と横だけでなく高さを生かした立体的回避! 女の勝利、か!)

女(あとは着地して到着を待つだけ――)パッ

女「!?」



ギュアッ!!!



着地寸前である女の背後に、男が回り込んでいた。



男「吊り革から手を放し、着地するまでの……ほんのコンマ数秒」

男「ここにこそ、真の勝機があった!」

男「空中では自在には動けまい! ケツががら空きだァ!」

男「白蛇の毒牙(ネオ・スネークハンド)!!!」ニュルッ



ジャキーン!!!



ついに、男の右手が女の尻に触れた。男の勝利である。

女「私の……負けだ」

男「貴様こそ、なかなかだったよ」



ワァァァ……! パチパチパチ……



観戦者である乗客たちからも、惜しみない歓声と拍手が送られる。



乗客A「出勤前にこんな名勝負を見られるなんて、俺はなんてツイてるんだ!」

乗客A「くぅ……涙が出てきちまった……」グスッ…

乗客B「さて、と。仕事をせねばな」

乗客A「え?」

乗客B「お二人とも、いい勝負だった。どちらが勝ってもおかしくなかったよ」

乗客B「さて、そちらの君」

男「はい」

乗客B「私は刑事でね、現行犯逮捕させてもらう」サッ

懐から取り出されたのは、警察手帳と手錠。

男「……分かっております」



ザワッ……

乗客A「そんな! なぜ!? あなただって今の勝負には感動したはずだ!」

乗客B「それはそれ、これはこれ、というものだよ」

乗客B「“罪には罰を”だ」

乗客B「この原則が破られたら、法治国家は成り立たないのだよ」

男「そのとおりです」

男「覚悟の上でやったこと、悔いはありません」



ザワザワ…… ドヨドヨ……

名勝負に水を差されたとでもいうべき結末に、困惑する乗客たち。

しかし、異論を唱えられる者はいなかった。

たとえどんな名勝負を演じようが、男が痴漢であることは紛れもない事実なのだ。

乗客B「さ、手錠をかけるぞ」

男「はい」















女「――待ったァ!!!」

女「罪には罰を? いいや、ちがう!」

乗客B「ほう、では君の答えを聞かせてもらおうか」

女「そんなもの、もちろん決まっている」

女「“罪には蜜を”だ」チュッ

男「!」

女「結婚しよう……。いいえ、結婚しましょう!」

男「……ああ!」



ガシィッ!



人目もはばからず、抱き合う二人。

ワアァァァ……! パチパチパチパチ……!



乗客A「おめでとう! おめでとぉう!」パチパチ…

乗客B「フッ……夫婦になるのであれば問題あるまい」パチパチ…



こうしてこの日、一組のカップルが誕生した。



『まもなく、“○×市役所前駅”に到着いたします』

『ご結婚なさる方は、こちらで婚姻届を提出するのがよろしいでしょう』







おわり

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