不登校児と転校生 (26)
まだ夏真っ盛りにもなっていないのにも関わらず、最近の気候は30度を超える猛暑日が続いていた。
そんな矢先、日曜日だというのに学校に引っ張り出されてきた俺は、冷房の当たる職員室の真ん中で髭の生やした男と対面していた。
呼び出されたのには確かな理由があった。それは目の前に座っている担任の言葉が物語っていた。
担任「おい、千葉。お前、クラスに馴染めてないだろ」
千葉「……そんな感じですね」
目の前に座る担任は俺のクラスでの現状を的確に指摘すると、深いため息をついた。
同じくして、俺も溜息をつきたくなったが、担任のいる手前抑えておいた。
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担任「まあ、うちのクラスの雰囲気ってもんもあるだろうけど。なんで若い奴らは転校生ってのに、敏感なのかねえ」
担任は髪をガシガシと掻くと、眼鏡の奥から俺を見据えてくる。
そう、俺は最近転校してきた新参者だった。
二週間ほど前に、高校三年の大事な時期にも関わらず『親の都合』という避けられない障害のために、この学校に来ることになったのだ。
だが、そんな俺を待っていたのは『村八分』だった。
クラスメイトは初めこそ興味のある目で見てきていたが、結局俺を『よそ者』扱いすることに決めると、完全に俺は空気扱いになっていた。
担任「まあ、いつの頃もハブだとか、そういうもんは消えねえのかね」
俺の時もあったしよ、と付け加える担任をもう一度眺める。
こうやって担任とまともに話したのは、転校の手続きをしたとき以来だった。
あの時は親も一緒に来ていたが、今は一人だ。
まばらに教師が介在している職員室は、どこか不思議に感じた。
……なんでかは分からないけど。
担任「で、お前自身はどうなんだ?」
黙っている俺を見かねてか、担任は静かにそうぼやいた。
俺自身、という言葉の意味を考えてみて一つの結論を述べる。
千葉「あんまり、良い気分じゃないですね」
それは本音だった。
実際、何か実害を伴っているわけじゃなかったけれど、前の高校と比べるとやはり周りに誰もいないというのは堪えてくる。
担任「……まあ、そうなるよな」
俺の回答は担任の考えと同じだったようで、椅子をキイと鳴らすと、担任は天井を眺める。
担任「教育者っていう立場から見たら全員仲良くしとけよって思うんだけどな、それが上手くいかないのが学校なんだよな」
千葉「まあ、俺のコミュ力が足りないのかもしれないんですけどね……」
担任「クラスメイト7で千葉が3といったところか」
千葉「割と俺のせいなんですね……」
担任の言葉に反応すると、担任はそこで初めて笑った。
担任「まあ、まだ元気があるだけマシってやつだ。友達なんてのはきっかけが大事だからな」
千葉「きっかけ、ですか」
担任「お前の場合はな」
千葉「俺以外って、なんかあるんですか?」
担任「……まあ、いろいろだよ」
お前は気にすんなと一言添えると、担任は机の上にあった缶を手にする。
担任「さ、今日の話はそれだけだ。ほれ、休日出勤の礼だ。やるよ」
担任は、俺に冷えた炭酸ジュースを渡してきた。それを受け取り適当に礼をすると、席を立ち、職員室を後にした。
部屋を出ると、外はムッと茹だるような暑さで満ちていた。そんな温度に嫌気がさしながらも、俺は炭酸のプルタブを開く。プシュッという音ともに、泡のはじける音が鳴り響くと、俺は廊下を歩き出した。
下駄箱の手前、俺は一人の生徒がいることに気付く。
いつもなら気にしないが、なぜか目に留まってしまったのは、恐らくその生徒が俺の靴が閉まっている下駄箱と同じところに立ち尽くしていたからだろう。
――しかし同じクラスであるはずのその少女に、俺は全く見覚えがなかった。
少女「……」
暫く立ち止まっていると、その少女の目線が俺とかち合っていた。
その大きな瞳に吸い込まれそうになる。しかし、その顔つきは確かに俺を警戒していた。
何も言わない少女に圧倒されつつも、俺は視線を外し下駄箱から外靴を取り出すと、その場から立ち去った。
……なんか変な空気だったな。
俺は、カバンを背負い直すと心の中でそう呟く。
担任からもらった炭酸に口をつけると、俺は自宅への岐路についた。
家に帰ると、母親が「おかえりなさい」と声をかけてきた。
適当に返事をすると、部屋に戻る。
ドサリと体をベッドに投げ捨てると、火照った顔に腕を当てる。
千葉「…………」
明日から、また学校が始まる。
月曜日がやってくる。
あのクラスに行かなくてはならない。
教室のあの雰囲気に耐えないといけない。
……あんまり考えすぎないようにしよう。
俺は、考えるのをやめるとそのまま目を閉じた。
――あのときの下駄箱の少女の顔が思い返されたが、すぐにそれは霧散していった。
月曜日。
憂鬱な朝だった。
俺は着替えを済ませ、朝食をとると重い足で玄関をくぐった。
母親はにこにこと俺を見送ってくれたが、どうにもそんな晴れやかな気分にはなれなかった。
校門では体育教師が元気な声で朝の挨拶をしていた。
俺はその脇をすり抜けると、教室へと足早に向かった。
千葉「……」
教室の扉の前、俺は軽く息を吐くと意を決してその扉を開く。
茹だるような暑さをかき消すように、教室は涼やかな空気に包まれていた。
しかし、それはあくまで冷房のおかげだと感じたのは、教室の視線を受けたからに違いなかった。
「…………」
冷ややかな視線は、俺に向けて飛ばされていた。
それは、明らかに『部外者』たる所以であった。俺はいそいそと席につくと、カバンから教科書を取り出し、机の中に入れる。
無心になれ、と心で囁いた。
担任「HR始めんぞ、席に着け」
時間を少し過ぎて担任が入ってくると、みんなぞろぞろと席に着きはじめる。
担任は全員が席に着くのを確認すると、何事もないように連絡事項を伝えていく。
担任「――それで悪いんだけど、明日のLHRで委員会決めるからそのつもりでいてくれ」
どうやら委員を決め忘れていたようで、担任はそれだけ言うと教室から去って行った。
……授業の準備するか。
また騒々しくなった教室を傍目に、俺はいそいそと教科書を取り出した。
授業をぼーっと受けているうちに、気づけば昼休みになっていた。
クラスではグループで固まるようにして、けらけらと笑い声が聞こえだしていた。
ここにいるのは幾分と居心地が悪いと感じると、俺は弁当箱を持ち教室を出ようと席を立つ。
そのとき、クラスの連中の男子がじゃれ合っていたところに、一人が俺にぶつかってきた。
故意ではなかったのだが、俺は予期せぬ突き飛ばしにあうと、そのまま床に体が投げ出される。
「あ、悪い悪い」
あたってきたそいつは適当に謝ると、また輪の中に戻っていった。
俺は何も言わずに、クラスを後にした。
なるべく人目のつかないような場所で俺は弁当を食べていた。
場所は、屋上の踊り場の階段。ここは人が寄り付かなくて素晴らしいわけだ。
千葉「……さて」
と俺は弁当箱を開く。
さっき突き飛ばされたせいか、弁当の中身は軽くぐちゃぐちゃになっていた。
俺はあのときの男の顔を思い出す。
悪いと言いながらも悪びれていないような顔、あれは関心のなさが成せる技だろう。
千葉「あー」
本当は叫び出したいくらいのやるせなさだった。またあの教室に戻らないといけないかと思うと、嫌気がさしてくる。
何がきっかけだよ……、嫌いになるきっかけしか生まれてないぞ。
千葉「あ、ケガしてるし」
さっきの突き飛ばしのせいで手にも傷が付いていた。床に手をついた時になんかささくれに刺さったんだろう。
今日は散々だと思いつつも、俺は弁当をかきこみ、立ち上がる。
千葉「保健室行くか……」
最近、独り言が急激に増えた気がするが、それもこれも現状に問題があるように思えた。
しかし、今はそんなことも言ってられない。
俺は、弁当を片すと保健室へと足を運んだ。
保健室の前の廊下はどこか異質だった。
人気はあまりなく、それでいて冷気が立ち込めていた。
俺は保健室の前に立つと、ゆっくりとその扉を開いた。
千葉「すいません、手をケガしちゃったんですけど」
ツンとした薬品のにおいが立ち込めるとともに、俺は保健室にいるであろう先生に向かって声を出す。しかし、誰もやってこない。俺は不審に思いながら、「失礼します」と小さく声に出して、保健室へと踏み入れた。
保健室は白いベッドが何個か置かれており、薬品が棚に並べられていた。
しかし、そこには誰も見当たらなかった。
誰もいないか……もう勝手に一人でやっていいか?
俺はキョロキョロと辺りを見回しながら、薬品棚をあさり始める。
消毒液とバンドエイドさえあれば……。
「……なに、してるの?」
そのとき、誰かの声が俺の耳に飛び込んできた。
突然のことで、俺はびくりと肩を震わせる。確かにやっちゃいけないことをしているのは俺なんだけど……、俺はぴたりと漁る手を止める。
千葉「ええと、ケガしちゃいまして……勝手に取り出そうと……」
申し訳なさそうな顔をして、俺は俯き気味に振り返る。
背後にいるのは保健室の先生だとばかり思っていた――しかし、立っていた女の子は制服に身を包んでいた。
少女「先生なら今はいないよ」
やけに澄んだ声は俺の耳によく響いた。
そして、その女の子の顔には見覚えがあった。
彼女は、昨日下駄箱で一人でいた子であった。あの時は私服だったけど、顔つきで分かる。
千葉「あ、えーと。そうなんだ」
俺がたどたどしく応えると、女の子は何の返事もせず保健室の奥へと戻っていった。
……まだびっくりしてるんだけど。
そのとき、ガチャリという音がすると、誰かが部屋に入ってきた。
「あら、あなた何か用事?」
保健室の扉が開かれるのと同時に、俺は再び声をかけられた。
そこに立っていたのは間違いなく保健室の先生であった。
俺は、さっきの女の子の方を気にしつつ、事情を伝える。
先生はそれを聞き入れると、すぐに棚から消毒液を取り出す。
保健室の先生は、椅子に腰かけて笑った。
先生「まあ、男子は騒がしいものね。気を付けないと」
千葉「あー、えーと、ありがとうございます」
俺はしどろもどろになりながら保健室の先生から手当てを受けていた。
先生「それで、どこのクラスの子かしら?」
千葉「あ、3-3です」
終始笑っていた先生の顔つきは、俺の一言で陰った。
先生「ああ、あのクラスね……」
先生は意味ありげに言葉を漏らすと、手当の手を休める。
千葉「あの、何か?」
先生「いや、なんでもないのよ」
少女「君、3組の子?」
先生が手をひらひらと振った矢先、さっきの女の子は顔を出して俺の方を見据えてきた。
そのまなざしは、どこか冷たかった。
先生「秋野さん……」
その少女は秋野と呼ばれていた。
白いシャツを軽く折り曲げる秋野という子は、俺に向けて確かな敵意を露わにしていた。
千葉「そう、だけど」
秋野「…………」
言葉に詰まりながら返事するが、秋野は視線を外さない。
その瞳に吸い込まれそうになった。
先生「秋野さん」
先生の呼びかけに秋野は、はっと我に返ったようにそっちを見る。
秋野「すいません、先生」
秋野は先生に対して謝ると、もう一度俺の方を見てきた。
今度は少し疑うような目つきで。
秋野「見たことない顔だね」
千葉「……この前転校してきたんだ」
秋野「ふーん」
秋野はあからさまに興味なさそうな返事をしていた。
そのとき、昼休みを終えるチャイムが鳴り響いた。
先生「あなた、教室に帰らなくていいの?」
千葉「あー……いや、ちょっと」
先生に促されてみるも、俺は授業中のあのクラスに戻る気にはなれなかった。
千葉「ちょっと、休んでてもいいですか」
どうせ休んだところで誰も俺を気にする奴もいない。
変に目立つくらいなら、こっちから願い下げてやる。
先生「本当はダメなんだけどね……、これから私も用事で席をはずしちゃうし……」
秋野「いいんじゃないですか。私いますし」
それまで黙っていた秋野は先生に向かってそんなことを言ってのけた。
先生は、そんな秋野に心配そうな顔を見せる。
だが、秋野は先生とかなり親しいようで、秋野の言葉に先生はふっと溜息を吐く。
先生「……すぐ戻ってくるから、それまでよろしくね」
そして、先生はさっと立ち上がる。
先生「あなたも、あんまりここで過ごすことに慣れちゃだめよ」
それだけ言い残すと、先生は保健室から出ていった。
……残されたのは、俺と秋野の二人だけだった。
今日はここまでで終わります。
続きはまた後日に書きます。
秋野「…………」
千葉「…………」
当然、取り残された俺たち二人の間に会話が流れるはずもなかった。秋野は、興味なさそうな顔で俺を一瞥すると、そのまま奥の机に向かっていった。
俺も何も言わずそれを眺める。秋野は、カバンから教科書などを取り出すと机に並べて、シャーペンを走らせ始める。
……どうやら、秋野は保健室で勉強をしているようだった。
千葉「…………」
無音が流れる中、秋野のペンの音だけが流れていく。
この状況を分からないほど俺も社会を知らないわけじゃない。
恐らく――秋野という少女は、保健室登校をしている生徒なのだろう。
何も、珍しいわけじゃない。
前の学校でもそういう子がいたということも覚えている。
ニュースなんかでも見たことがある。
特に、最近は学校生活の色々が絡み合って、そうなってしまう子も多いと聞いた。
この秋野という女の子にも、何か原因があってこうやって保健室に来ているのだろうか?
見れば、秋野の横顔は整っているように思えた。
……いじめ、とかあるんだろうか。
秋野とは、ほとんど会話していないけど、なんだか気が強そうだし、どこかそっけない。
女子はそういう子を毛嫌いする傾向にあるというし……なくはなさそうな予感がするな。
秋野「……なに?」
俺がじっと見ていたことに気付くと、秋野は不機嫌そうな顔でこちらを睨みつけてきた。
……なんか、すごい怒ってるぞ。
千葉「いや、なにも」
秋野「だったら、じろじろ見るのやめてもらない?」
うざったいから、とは言わなかったが、秋野の言葉の先にはそういうニュアンスが含まれていた。俺は、「悪い」と一言漏らすと、秋野から視線を外した。
今日は空が凄い青かった。入道雲も高く昇っているし、グラウンドでは体育で生徒が皆走ってて……。
授業を受けていないという時間がこんなにも暇なものだとは思いもしなかった。
とにかくやることがない。かといってベッドで寝るわけにもいかない。
なんとも手持ち無沙汰な時間を過ごしているとき、秋野がこっちを眺めていることに気付く。
千葉「ええ……と」
言葉に詰まる。なんでこっちを見てるのかは計り知れない。
知れないからこそ、なんだか肩のあたりがむず痒い。
秋野「……3組ってどんな感じ?」
千葉「……どんな、っていうのは」
秋野「君、ハブられそうな性格してるから」
そして、のどに何かがつっかえた様な感覚に陥る。
いや、確かにそうなんだけどさ。
もうちょっと言い方だとか、口調だとかそんなところに気を付けてほしいだとかなんとか。
秋野「へえ、図星なんだ」
突き刺さるような言い方で秋野は言った。しかし、依然としてその表情は変わらない。なんにも興味がなさそうにただ淡々と語っている。
千葉「……まあ、そうなんだけどさ」
改めて言われると、すごい惨めに思える。
秋野「……私と同じだね」
千葉「え……?」
秋野は、それまで進めていたペンを机に置くと、初めて俺の顔を見てきた。
その瞳は、どこか淀んでいて、そして俺の心の中までを見つめられているかのようだった。
秋野「私も、3-3のはみで者だから」
それは自嘲するでもなく、事実を告げるかのような口調だった。
淡々と事実だけを述べる、無機質な機械のように。
それに、3-3ということは秋野は同じクラス……?
たしか、クラスにはいつも席が一つ空いてたし――もしかするとそれが……。
秋野「やっぱり、学校なんてろくでもないところだよね」
千葉「……どうだかな」
秋野「少なくとも私は何にも楽しくないよ」
それだけ言うと、秋野はまた机に向かった。
何にも楽しくない、秋野はそう言った。また無機質な顔で、ペンを走らせる彼女は、どこか生きた人間ではないように思えた。
なんとも言えないが、何とか言おうとすれば――秋野という子は寂しいように思えた。
とりあえず、俺が言える感想はそんなものだろう。
そのあと、先生が帰ってくると俺はそのまま教室へと戻っていった。
秋野は、まだ保健室でペンを走らせていた。
後日、また更新します。
遅くてすいません。
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