モバP「赤いまゆ」 (27)

新しいイベントが始まった。

人はSRを獲得するためふるって競うが、おれの求めるSRはない。

おれはNとRが多くを埋めるアルバムをじっくりと眺めつづける。

こんなにたくさん所有しているのに、嫁のSRが一つもないのはなぜだろう? ……と、何万遍かの疑問を、また繰り返しながら。 

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わけもなくコンビニに行ってみると、そこには時折モバコインカードなんかが売っていて、おれは課金したくなった。

カードは横目でおれの顔をにらみながら、兄弟、課金しようよ。

全くおれも課金したい。

だができないんだ。

おれはカードの兄弟じゃないし、それにまだなぜおれの嫁のSRがないのか納得のゆく理由がつかめないんだ。 

おれは毎日ゲームをプレイしている。

プレイするのは愛でるためだ。

愛でるためには嫁のSRがいる。

そんなら嫁のSRがないわけがないじゃないか。 

ふと思いつく。

もしかするとおれは何か重大な思いちがいをしているのかもしれない。

嫁のSRがないのではなく、単に手に入れるのを忘れてしまっただけなのかもしれない。

そうだ、ありうることだ。

無課金だからといって、手に入らないSRなどあるわけがない。

それなら今から手に入れればいいだけだ。

どのSRなら手に入るのか……勇気をふるって、さあ、聞いてみよう。 

振り返ってこちらを向いた親切そうなちひろの笑顔。

希望の風が心臓の近くに吹き込み、それでおれの心臓は平たくひろがり旗になってひるがえる。

おれも笑って紳士のように会釈した。 

「ちょっとうかがいたいのですが、無課金でも手に入るまゆのSRはあるのでしょうか?」 

ちひろの顔が急にこわばる。

「無課金でも……?」 

おれは説明しようとして、はたと行き詰まる。

なんと説明すべきかわからなくなる。

おれが無課金主義者であること、そんなことはこの際問題ではないのだということを、ちひろにどうやって納得させたらいいだろう?

おれは少しやけ気味になって、 

「ともかく、無課金でも手に入るまゆのSRがあるなら、それを紹介していただきたいのです。」 

「……。」

ちひろの表情が険しくなる。それがおれの不安を掻き立てる。 

「返事がないということは、存在しないということですか。」 

「当たり前でしょう? だって、あなたは課金してないんですから。」 

「それがなんだっていうんです? 無課金だからって、まゆのSRが手に入らないとはかぎらない。そうじゃないですか。」 
 
返事はなく、代わりに般若のようになるちひろの顔を見て、俺は逃げ出した。

ああ、これがちひろの笑顔というやつの正体である。

運営からの刺客、鬼や悪魔と並ぶ外道であるという、巷の風説を確信へと変えるのが、いつものこの変貌である。 

だが、なぜ……なぜすべての嫁のSRが誰かのものであり、おれのものではないのだろうか?

時たまおれは錯覚した。

嫁のRや他のSRが嫁のSRだと。

しかしふと我に帰ると、それらはいずれもどこか違うと思わざるをえなかった。

あるいは、そもそもこれはSRではないと気付かざるをえなかった。 

では、トレードはどうだ。

むろんけっこう。

もしそれが本当にできるのであれば、おれにそれだけの資産があれば……おれはわずかな希望を捨てず探し続けた。

しかし、ちひろは無慈悲に言い放つ。 
 
「あなたなんかじゃどうすることもできませんよ? 課金しましょう、課金。」 




……つまりおれは、頑迷な愚か者であったということか? 


イベントは進む。

おれは眺めつづける。 

嫁……消えうせもせず、変わりもせず、おれの心を掴んで放さないもの。

手に入れるための手段、あるいは上位報酬、あるいは月末ガチャ……。

おれは眺めつづける。

嫁のSRがない理由が吞み込めないので、課金もできない。 

おや、何だ? 

その時おれはなんともいえない違和感を覚えた。

何かがおかしい。

そうこうしているうちに、妙なことが起こった。

しだいに体が傾き、地面と直角に体を支えていられなくなった。

地軸が傾き、引力の方向が変わったのであろうか? 

コトンと靴が、足から離れて地面に落ち、おれは事態を理解した。

地軸がゆがんだのではなく、おれの片足がなくなっているのだった。

時がたつにつれて、おれの足がどんどんなくなっていった。

風に吹かれる灰のように、おれの足が消えつつあるのだった。

細かく分解されたおれの足は、次々と画面に吸い込まれていく。

もうこれ以上、一歩も歩けない。

途方にくれて立ちつくすと、同じく途方にくれたもう片方の足、腰、腹……。

また、腕、肩、胸が次々と細かくなって画面に吸い込まれていった。

残りが頭だけとなっても、容赦など一切なしに吸い込んでいく。

そして、ついにおれは消滅した。 

後に一枚のSRが生まれた。 

ああ、これでやっと愛でられるのだ。

これだけは確実に他の誰でもない、おれのものだ。

だが、嫁のSRが生まれても、今度は愛でるおれがいない。 

画面の中で時がとだえた。

外界は移り変わってゆくが、画面の中はいつまでも変わらず、同じ景色がつづいている。

どのくらいたっただろうか、彼はSRとなったおれを、月末ガチャで引きあてた。

初めは少し落胆したものの、すぐにいいものを手に入れたと思いなおし、満足げに頷いた。

それからしばらくたった後に、心から望む人のもとへとトレードされた。 






「よし、やっと手に入れたぞ」





「……うふ♪」

終わりです。
元ネタは安部公房の「赤い繭」です。

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