京太郎「私は、瑞原はやりです☆」 (607)


・京太郎スレです

・安価はありません

・直接的なエロ、グロの描写はありません

・ほぼ完成していますので、何もなければ1週間程度で投下できると思います

・そこそこ長いです。サラッと読んで2~3時間、しっかり読んで4時間程度だと思います

・以前同じスレを立てました。前半の内容についてはほぼ重複しますが、大小修正した部分もあります




では、少しずつ始めていきます

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1433169185


憧れの人が、アイドルであると知ったとき、私は後でその言葉の意味を調べたことがある

家に置いてあった分厚い英和辞典を取り出して、慣れない手つきでページをめくったものだった

そこには、こう記してあった


【idol】
 1 a.偶像、聖像
  b.偶像神、邪神
 2 偶像視[崇拝]される人[もの] 、崇拝物、アイドル
 語源 ギリシャ語の「形、幻影」の意


余計に分からなくなった。だから、今度は国語辞典を引っ張り出した


【アイドル】
 1 偶像
 2 崇拝される人や物
 3 あこがれの的


「あこがれの的」、これだっ!、みんなを笑顔にできる、素敵なお仕事だ!!

その時の私は、それはもう素直にそう思ったものだった


『人をよろこばせようとするってことは、はやりちゃんにもアイドルの素質があるのかも』


そう、みんなを喜ばせることのできる、みんなを元気にさせてあげることのできる、そんな仕事。それがアイドル

『アイドル』の意味を知ったとき、私はただただ強く単純に「アイドルっていいな」。そう思った

だけど、それと同時に、私にはある考えが頭をよぎったのを覚えている

アイドルっていうのは、喜ばす人がいて、相手がいて初めて成立するお仕事だ

じゃあ、誰からも必要とされなくなったアイドルは、一体どうすればいいんだろうか?、と


なんでこのことを、あの人にちゃんと聞かなかったんだろう

チャンスなら何度もあったはずなのに

あの人なら……私が憧れた彼女なら、この答えを知っていたはずなのに、もう聞くことはできないのに

私は大人になった。こんな子供みたいな質問は、もう誰にもできない

だから、その答えを、私はまだ知らないままでいる


──8月中旬 インターハイ会場



久「それじゃ、須賀くん。頼んだわよ~」

京太郎「へいへい、了解ですよ」

和「私も行きますよ」

京太郎「いいよ、このくらい大丈夫だ」

和「そうですか…?」

優希「そうそう、のどちゃん。人には人の仕事がある、ってどこかの偉い人も言ってたじぇ」

京太郎「なに言ってんだか」

咲「あっ、そうだ京ちゃん。ついでに、ジンギスカンキャラメル買ってきてくれない?、お姉ちゃんが、マジでゲロウマだって」

京太郎「売ってないだろう…」

久「外のアンテナショップに売ってたわよ」

京太郎「マジすか!?」

咲「?」

まこ「悪いがよろしく頼んだぞ。あと、余ったお金で好きなもの買ってきてええからな」

京太郎「うぅ…やっぱり和と染谷先輩だけは天使ですよ。んじゃ、ちゃっちゃと行ってきます!」


インターハイがついに終わった。時間的にはそれから少し経ってからのこと

部長から買い出しを仰せつかったいつもの場面だ

みんな疲れているようだし、それ自体には不満はない。喜んでその任を引き受けようじゃないか


だが、まるで女性のパシリにさせられているかのようなその格好は、男として少し情けないような気もする

俺にも麻雀の実力があって、この全国大会に出場出来ていれば、この状況も多少変わったものになっていたんだろうか?

いや、こんなものこそ情けない男の妄想だ。だけど、在りもしない妄想は継続させてみる


例えば、俺がこのインターハイで大活躍して、麻雀プロになるというのはどうだろう

あらゆる人からの惜しみない拍手と称賛を独り占めにする俺

きっとそれは、例えようもないほど幸せで満ち足りた感覚に違いない

もちろん、奥さんはおもちの豊かな美しい女性がベストだ

家事もできて、料理がうまくて、俺と一緒にLOVEを育むことのできる素敵な人物だと尚良い

そんな人と一緒に人生を過ごすことができたなら、幸せ以外はあり得ないはずだ

子供は3人、一軒家で庭は綺麗な緑の芝かつスプリンクラー付き。休日には家族みんなでピクニック

キャッチボールだってしようじゃないか


京太郎「……」

ああ…虚しくなってきた

スプリンクラーは残念ながらないけど、うちにだって綺麗な緑の芝生はあるじゃないか

俺は、それで我慢しよう。カピだっているし

俺みたいな人間が、何かに成ることができるだなんてありえない

京太郎「さっさと、買い出し済ませるか…」

まあでも、アラサーのよくするような、白馬の王子様の妄想よりかは幾分マシではないだろうか?


さあ、くだらない妄想終わり!、さっさと買い物済ませて、みんなのところに戻ろう


大会が終わったからだろうか、人はまばらだった

今なら、人ごみがすごくて昨日まで使えなかった最短ルートを通って、外のコンビニへ向かうことだってできる

ついでに、少し駆け足になったって、誰も注意しないだろ。ラッキーなことに、警備員さんの姿も見当たらない

『急がば回れ』、『廊下は走らない』。こんなことは、この際無視してしまおう。『臨機応変』だって重要だ

さあ、あの角を曲がって──



???「きゃあ!!」

京太郎「いてっ…!」


ドンッという音と共に、目の前が一瞬真っ暗になった


視界が一転して、世界が回った、いや俺が回ったのか、あるいはその両方か

ラノベの主人公みたいな語りはともかく……誰かにぶつかってしまったみたいだった

京太郎「あたた…すみません、大丈夫ですか?」

???「あはは……大丈夫、大丈夫」


京太郎「ごめんなさい、前見てなかったもんで……ケガとかないですか?」

???「う、うん…とりあえず大丈夫みたい」

京太郎「そうですか…よかった」

手を貸して、身体を起こすのを手伝う

なんだか妙に重く感じるな……この人が重いのか?、いや俺が非力なだけだな。最近運動してないし


起こすついでに、俺は相手の姿をよく見てみた

下はローファーでスラックスを履いている。上は半袖のシャツで、髪は金髪、身長は182cmといったところ

健康だけが売りの男子高校生、といった風で、他には特徴らしい特徴はない

顔は可もなく不可もなく。締まりのないマヌケ面。おそらくは、彼女もいない寂しい高校生活をダラダラと過ごしているはずだ

たぶん、中学生時代はハンドボールをやっていて、今現在は清澄高校麻雀部で雑用に勤しむ情けない日々を送っているのだろう

麻雀は初心者そのもので、県予選でも大した成績は残せなったはずだ

そして、家では世界一可愛いカピバラを飼って、い、て…────あれ?

こんな冴えない感じの男を、俺は知っているような…


京太郎「あーと……」

???「えーと……」

京太郎「一ついいですか?」

???「ごめん、私からもいいかな?」


京太郎「俺だっ!?」

???「私だっ!?」


目の前には俺がいた


俺は俺なんだけど、目の前いる人物もどうやら俺のようだった。日本語がおかしい

俺があんたであんたが俺で?、えーと……こういう場合のもっとも単純な答えは、と

京太郎「とうっ!!」ビシッ

???「なにその変なポーズ…?」

京太郎「…いや、鏡に映った映像を見ているのかと思いまして、その確認を」

???「私達、会話してるよね」

京太郎「うーん…じゃあ幽体離脱で」

???「君、自分の体も見えてるよね?」

京太郎「そうなんすよねぇ…」

???「あはは…」

京太郎「ふーむ、俺が2人いるということは……分かりましたよ!、確か、ドラえもんの秘密道具にこんなのがあったような」

???「フエルミラー!」

京太郎「いえすっ!!」

???「……」

京太郎「そんなわけないっすよねー」


うむ、取り敢えず落ち着いて考えてみよう。まずは、さっきぶつかった相手を見る

うん、間違いなく俺だ。他人から見た俺ってこんな感じなのか…

なんだろう、録音した自分の音声を聞いたときに感じる、あのものすごい違和感に通じるものがある

だけど、相手の口調から、今の俺?はおそらく女性のようだった。なんて気持ち悪い光景なんだ

???「ん?」

その首をかしげる姿、相手には悪いけど気味悪いからやめてもらいたい


いや、まて。まだ自分のことをキチンと確認していないじゃないか

えーと……あれ、スカート?、そういえば、目線もかなり低いな。150cmくらいか、ヘッドフォン…?

胸のあたりの重量が異常だ。おかしい

あれっ…………股間のあたりに、妙な、感覚が、する、というか──しないっ!?

京太郎「ないっ!?」

???「なにが?」

京太郎「俺の股間の、大事な大事なデザートイーグルですよ!!」

???「でりんじゃー?」

京太郎「『で』しか合ってないっ!っていうか、分かって言ったでしょう!?」

???「あはは」


近くにあった、窓ガラスを見る。微かにだが光が反射してくれて、自分の姿が目に入った

京太郎「な、な、なっ……!」

こ、この年甲斐のない、きっつい衣装……低身長ながらの圧倒的存在感のおもち

その他もろもろの絶妙な28歳加減……間違いない、これは!!

京太郎「瑞原、プロ……なのか?」

はやり「あはは……どうやら、そうみたいだね」

身体が、入れ替わっている…?、なんて馬鹿な…


京太郎「じゃ、じゃあ……あなたが──俺の体に入っているのが、瑞原プロなんですか…?」

はやり「そうみたいだね、実感はないけど」

まさか、こんな事が……入れ替わったのもびっくりだけど、その相手が、まさかあの瑞原プロなんて

運がいいのか悪いのか……いやどう考えても悪いだろ!

京太郎「こんな、3世代くらい前の少女漫画に出てきそうな設定……読者がついてきませんよ!」

はやり「えっ、はやりが子供のころは結構あったんだけど?」

京太郎「そんな設定、化石っすよ化石」

はやり「か、化石……がーん」

京太郎「あと、その「はやり」呼び、止めてもらえませんか?、正直、ちょっと…」

京太郎「せめて、「私」でお願いできますか?」

はやり「そ、そうだよね。今、男の子なんだもんね」

まあ、28にもなって「はやり」ってのが、そもそもキツいっすけどね


京太郎「でも、案外落ち着いていられるもんですね。なんだか不思議な気分です」

はやり「現実感がなさ過ぎて、どう反応していいか分からないよ…」

京太郎「ですね」

はやり「いや、でも……案外こういうのも」ボソ

京太郎「はい?」

はやり「んー、なんでもない」

京太郎「はぁ…」


はやり「うーん、状況が分かったのはいいんだけど…どうしよっか?」

京太郎「ど、どうしましょう…かね?」

ちーん、沈黙

はやり「もう一回、ぶつかってみる?」

京太郎「俺はともかく、瑞原プロの身体でそういうことをするってのは、ちょっと気が引けます」

はやり「そう?」

京太郎「できるかどうかも分かりませんし」

はやり「うーん…」


京太郎「あっ!」

はやり「どうしたの?」

京太郎「俺、買い物頼まれてるんだった…」

はやり「そうなの?、じゃあ、とりあえず私が行ってくるよ」

京太郎「いや俺が!……といきたいところですけど、無理っすね」


仕方なく外のコンビニとアンテナショップで買い物を済ませて、みんながいるところに向かった

その途中簡単な打ち合わせをする


京太郎「いいですか。とにかくその女性口調はNGですからね」

はやり「分かってる。任せて」

京太郎「あと、用が済んだら、適当に言い訳してここに戻ってきてくださいね?」

はやり「りょーかい」

京太郎「ともかく、「はい」と「分かりました」と「イエス」と「御意」だけで済ますんです」

はやり「君、かわいそうな青春送ってるんだね……御意ってなにさ」

京太郎「ほっといてください」

はやり「あ、そういえば大事なこと聞き忘れてたよ。君、名前なんて言うの?」

京太郎「ああ、俺ですか」


京太郎「俺は、須賀京太郎です」

京太郎「清澄高校麻雀部所属の高校一年生です」

はやり「須賀京太郎くん、ね。大丈夫、お姉さんに任せて。現役アイドルの演技力をとくとご覧あれ、ってね☆」

そう言って、部長たちにいるところに向かう瑞原プロ

うーん、やっぱり気持ち悪い


久「あら須賀くん、あなたにしては少し遅かったわね」

はやり「いやぁー、途中美しい女性に出くわしてしまいましてね」

まこ「なに言っとるんじゃ…」

はやり「はい、じゃあ頼まれたものです」

久「いつもありがとね」

はやり「いいんすよ、これが俺の仕事ですから」

ちょっと従順過ぎる気もするが、結構うまいな。さすがベテランの感もある現役アイドル

久「じゃあ、買うもの買ったし、そろそろ戻りましょう。さすがに疲れちゃったわ」

和「そうですね」

咲「そういえば、明日の帰りの出発何時でしたっけ?」

まこ「たしか、長野行の新幹線は──」

はやり「はやっ!?」

咲「はや…?」

はやり「あぁー、清澄って長野だったもんね……」ボソボソ

まこ「どうした、そんなに驚いて」

優希「ホームシックか、かわいい奴め。うりうり」

はやり「い、いや、なんでもないぞ……気のせい気のせい…はぁー」

久「そ、そう…?」

はやり「すみません、部長。ちょっと用事思いだしましたので、先に行ってていいっすよ」

久「あら、そう?」

はやり「んじゃ、失礼します」


再びこっちに戻ってくる瑞原プロ

なんだかプンプンしている。うん、気持ち悪い


はやり「長野なんて聞いてないよ!」

京太郎「す、すみません。言い忘れてました」

はやり「まあ、それはもういいや……ほんと、どうしよっか…入れ替わり生活でもする?」

京太郎「さっきの見た限り、瑞原プロの演技は問題ないようでしたから、学生生活はできるかもしれませんけど…」

はやり「けど?」

京太郎「俺、麻雀ヘッタクソなんで、瑞原プロの代わりは絶対無理っす」

はやり「…そっかー」

京太郎「誰かに相談します?」

はやり「私たち入れ替わりました、って?、お医者さん行き、確定だね」

京太郎「ですよね……瑞原プロって所属は大宮でしたっけ?、ということは、住まいは埼玉に?」

はやり「うん」

京太郎「うーん…」


こういう場合って、どうするのが最善なんだろう?

すぐに元に戻れればそれがベストだけど、現実的にはこの状況が長引いたときの場合も考えなくちゃいけない

入れ替わり生活はさっき言った通り無理だ。ほんとうにちょっとした仕事くらいならまだ何とか可能かもしれない

けど、代わりに大会に出場するってのは、どう考えたって不可能だ

ということは、瑞原プロの大会参加は当分無理かもしれない


俺の方はどうだろう。流石に学校には行かなきゃいけないだろう。夏休みもすぐに終わるし

休学するってのも一つの手か……でもなぁ、親になんて説明すりゃあいいんだよ

それに二人がそれぞれ別の地域に暮らすってのも、情報交換とかの面から不安があるし……あー、分からねぇ

はやり「……」

京太郎「はぁ……」

はやり「よしっ、分かったよ。ここは、牌のお姉さんに任せなさい!」

京太郎「?」

はやり「はやりと長野で暮らそっか☆」

京太郎「えーと」



京太郎「……はやっ!?」


──8月中旬 長野



京太郎「ほんとに、こんなの大丈夫なんですかね…」

はやり「だじょーぶ、大丈夫!、牌のおねえさんを信じなさい!」

京太郎「うーん」


咲たちと同じ新幹線に乗り、再び長野まで戻ってきた俺たち

瑞原プロが清澄のみんなと別れてから再び合流し、今自宅に向かっているところだ

ちなみに俺は目立つのを避けて、深めの帽子をかぶり、服装もかなり地味目なものを着用している

まあ、一応有名人だしね

京太郎「でも、やっぱり不安ですよ。ボロ出した時のこと考えると…」

はやり「顔も身体も一緒なんだから、多少変な様子だとしても、それを気にする人はわずかだよ」

京太郎「そうかもしれませんけど…」

はやり「失敗した時のことばかり考えるのは二流のすることなのだよ、須賀京太郎くん」

京太郎「なんか楽しんでません?」

はやり「べっつにー」


瑞原プロの考えはこうだ

まず、俺(というより瑞原プロ)は学校にいかなくてはならない。なので、瑞原プロは長野に住む必要がある

次に俺の方だが、もちろん彼女の代わりに大会に参加することはできないので、埼玉で暮らしていてもあまり意味がない

さらに、二人別々の場所に暮らすというのも、何かあった時に不便だ

ならば、二人とも同じ長野で暮らせばいいじゃん!、とのことらしい……本当にそれでいいの?


ちなみに、瑞原プロはしばらく大会の参加を控える旨を、すでにチームの方に伝えている

あの後すぐに、どこかに連絡を入れて、その段取りを済ませたようだ。というより、俺も少し手伝った

偶然とはいえ、彼女の麻雀プロとしてのキャリアの一部を無駄にさせてしまうことに心が痛んだ


京太郎「でも、わざわざ俺の代わりに学校に行かなくたっていいと思うんですけど…?」

はやり「休学とか?、最悪留年になって、あの咲ちゃんだっけ?、彼女たちの後輩になりたいっていうのなら構わないけどね」

京太郎「……」

ちょっと想像してみる


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咲『ほら、さっさと卓についてよ、1年生京太郎クン。ダメダメな君を、私自ら教育してあげるからさあ』ニヤニヤ

優希『なんだこのタコスは、1年生京太郎!!、この程度の仕事、ちゃんとしてくれなきゃ困るじぇ…チッ』

和『あっ、いたんですか、1年生須賀くん』

まこ『茶でも飲むか、京太郎?』


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京太郎「うっ…」

最悪だあ…

その言葉、半ば脅迫の様にすら聞こえる。いや、そもそも俺に選択肢などほとんどないのだ


ああそれと、肝心の住む場所だが、瑞原プロは俺の自宅に住んでもらい、俺は近くの別の場所に部屋を借りるつもりだ

これもまた、心配の種なんだよなぁ…


京太郎「到着しました」

はやり「ははぁー、ここが須賀くんのお家ってわけだね。いいところみたい」

京太郎「そうすか?」

はやり「これから私が住む場所だからね。ふふっ、楽しみ」」


京太郎「俺は全然楽しみじゃねえっす」

はやり「えー、男の子の憧れの一人暮らしが、もうこんな歳でできるんだよ。嬉しくないの?」

京太郎「そりゃあ、そういうのは確かにありますけど、心配の方が勝ります」

はやり「……須賀くん」

京太郎「?」

はやり「こんな歳になって、今まであり得なかった、他の誰かの、全く別の可能性を試すことができる」

はやり「これって素晴らしいことじゃない?」

京太郎「……」

はやり「さ、私はもう行くよ。新しい住まいが確保できるまで、ホテルで頑張ってね!」

そう言って走り去ろうとすると、はたと立ち止まりこちらを振り向いた

はやり「はやりの身体でエッチな事、しちゃダメだよ☆」

そう言って、瑞原プロは『俺の』家に帰って行った

京太郎「…ほんとにしてやろうか、コノヤロー」ボソ


あっ、俺の宝物の隠し場所をいじらないように注意するのを忘れた

他にも言うべきことがたくさんあったけど、それはまた後日にしよう

あり得ないはずのことが突然起こり過ぎて、さすがに疲れた、休もう

しかし、俺のベッドは駅前のわびしいホテル……ああ、俺の人生どうなっちゃうの


──9月上旬 長野



─須賀京太郎


9月、夏休みも終わり2学期の始まり

あれから、瑞原プロへの演技指導や、俺の新居の確保、親に隠れてひそかに行った私物の移動などもろもろを済ませた

俺は今、須賀家とは少し離れたところに部屋を借りて住んでいる


家事は慣れた。タコス以外の料理もある程度覚えた。洗濯も掃除もスムーズだ

一人暮らしって時間が有り余って、暇で、自由で──なんてのは幻想だったらしい。案外やることがある

とは言っても、学校に行くわけじゃないないから、家事を済ませてしまえば自然と時間はできるもの

勉強?、一応俺の部屋から教科書など一式は持ってきてはいるが…

京太郎「やる気でねぇー」

せっかくこんなおいしいシチュエーションなんだから、もっと他にやるべきことがあるはずだ


京太郎「あっ、片づけ」

瑞原プロのところから、服などの必需品を送ってもらっていたのを忘れていた

二組の下着をローテーションさせる生活も今日で終わりだ!

京太郎「ぐへぇー、さぁ~て、はやりんは普段どんな下着を着用しているのかチェックしましょうねー」

我ながらキモイ。他人と話す機会がほとんどないから、頭がおかしくなっているみたいだ

段ボールを漁ると、出るわ出るわ大量の下着。白、水色、黄緑、薄いピンク、etc、etc…

京太郎「……」

俺に見られる思って、恐らくは男受けの良さそうな、綺麗目なものを一生懸命選んだに違いない

くぅー、アラサー女性の健気な努力……泣けるぜ


いや、しかし。これだけ大量の、しかも(年齢は多少高くとも)容姿の整った豊満な胸部を持った女性の下着を前にしても…

京太郎「なんともないな、これ」

ただの布きれじゃん。ただし、ワイヤー入り

始めの頃は、この生活環境を整えるために四苦八苦していたから、「そういうもの」を楽しむ余裕が無かった

しかし、今ではブラの付け方だって一人前だし、裸でシャワーを浴びる姿を鏡に映しても特になにも感じない

瑞原プロの名誉のために詳しくは説明しないが、シモの管理だって万全だ。男、須賀京太郎、抜かりはない

だがしかし、俺の青春から清らかなる夢がまた一つ、散っていったのかもしれない。女体への飽くなき幻想が

何気なく片方の脂肪を揉んでみる。ただの脂肪だ。かつては夢が詰まっていたんだけどなあ


さてさらに、届いた段ボールを整理していると、油性ペンでドデカく書かれた文字が目に飛び込んできた

京太郎「『暇つぶし』、ね…」

もしかしたら、こんな俺の為に、瑞原プロが時間を潰す道具を用意してくれたのかもしれない

中を開けてみると

京太郎「ブルーレイ、DVD……レーザーディスクぅ!?」

銀河英雄伝説、CCさくら、私をスキーに連れってって、東京ラブストーリー、101回目のプロポーズ、etc、etc…

京太郎「わ、わっかんねー…全てがわかんねー」

ま、まいいや…とりあえず

京太郎「せっかくだから、俺はこの『CCさくら』を選ぶぜ!」


京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「……ほえ~」


─瑞原はやり



はやり「鞄の中身よしっ!、身だしなみよしっ!、笑顔もよしっ!」

母「あんた、朝から元気ねぇ…」

はやり「ほら、母さんも。笑顔、笑顔!」

母「こ、こうかしら」

はやり「チョベリグだね」

父「ちょ、チョベ……しばらくぶりに聞いたぞ、京太郎」

はやり「じゃっ、、行ってきまーす!」


玄関のドアを、勢いよく開けた

照りつける太陽、澄み切った青空、心地よい風、木漏れ日の並木道

世界のすべてが、私の新たな門出を、新たな学生生活を祝ってくれているみたいだった


咲「あっ!、おはよう、京ちゃん」

はやり「おう、おはよう。咲」

この子は宮永咲ちゃん。夏のインターハイでも大活躍だったから印象に残ってる

いずれ、私たちと同じ舞台でやることになるかもしれないほどの逸材だ

咲「んー…京ちゃん。なんだか──」

え、まさか早速バレた!?

咲「少し太った?」

あー、この身体になってから体重あんまり気にしなくなったもんね…

はやり「最近の不摂生が祟ったかなぁ…あはは」


咲ちゃんと適当に話をしながらの登校

須賀くんから、基本的なことは既に大体聞いている。演技には抜かりはない。世間話なんてお茶の子さいさいだ

友人との朝の登校。これぞ青春といった光景。ああ、なんだか懐かしい気分になってくる

あの頃の私は、この一瞬の輝きをずっと持ち続けていたような気がする

何気ない登校風景なのに、そんな気がしてくる。私も歳を取ったのかもしれない


はやり「校門だ…」

咲「なに?、感慨深く浸っちゃって」

はやり「いや、別に」

私の新しい学生生活がここで始まるんだ。緊張しないはずがない


校門をくぐって、使い古されくたびれ気味の下駄箱で上履きに履き替える

教室に向かう。ドアを開ける。皆に「おはよう」の挨拶をする

隣の席の人と昨日見たドラマの話をする。担任の先生が来てホームルームが始まる

この何でもない、ただの作業が妙に懐かしい。ああ、私、今、高校生なんだ。私、今、アイドルじゃないんだ

咲「京ちゃん、どうしたの?」

そう、私は『瑞原はやり』じゃない。『須賀京太郎』なんだ

はやり「大丈夫、俺は須賀京太郎だ」

咲「?」

自分に言い聞かせるように、そう言った


今日は二学期の始めで授業はない。体育館での集会が終わってしまえば、後は部活動だけ

部活動。須賀くんは麻雀部所属。だから、私も麻雀部

私も高校生の頃は同じだった。性別は違くても、これは一緒


咲「んじゃ、そろそろ行こっか?」

はやり「そうだな」

咲ちゃんと連れ立って部室に向かう

咲「こんにちはー」

はやり「ちはー」

まこ「おう、来たな」

優希「咲ちゃん、久しぶりだじぇ」

咲「一昨日会ったばっかりだよ」

優希「あれ、そうだっけ?」

はやり「ははは」

和「……」

咲「和…ちゃん?」

和「!!……ん、ああ…咲さん。来ていたんですか」

咲「さっき、思いっきり挨拶してたじゃん。大丈夫?」

和「ええ、もちろん大丈夫ですよ」

咲「そう…?」

はやり「……」


滞りなく部活動が進んでいく

仲間と集まって何か一つのことに没頭するこの風景は、まるで

はやり「みんな…」

まこ「ん、どうしたんじゃ、ボーっとして?」

はやり「い、いえ。なんでもないっす」

優希「どーせ、夜遅くまでエッチなサイトでも覗いて夜更かししていたに違いないじぇ」

はやり「ば、バッカ。そんなんじゃねーよ。そんなこと言ってると、もうタコス作ってやんねーぞ」

優希「スミマセンデシタ」

はやり「よろしい」

咲「まったく優希ちゃんは……ねえ、和ちゃん」

和「え、ええ…そうですね」

はやり「……」

まこ「おう、もうこんな時間か。今日は二学期の始めじゃし、そろそろ終わりにするかのう」


その時、扉の開く音がした

久「はろー……って少し遅かったみたいね。1回くらい打ってこうと思ってたんだけど」

はやり「残念、もう帰るところですよ」

久「まっ、一緒に帰れるだけでもよしとしようかしら」


和「…すみません、私はお先に失礼させていただきます」


ガチャ


久「あら、あらあら?」

咲「和ちゃん、どうしたんだろう?」

優希「今日はずっと上の空だったじょ」

まこ「そうじゃな」


久「ふー……和も、夏のインターハイで一皮むけたと思っていたんだけどね」

この子は、とても勘のいい子みたい

はやり「どういう意味ですか?」

久「『それ』を知ってしまうとね、人は何度でも『それ』を求めてしまう生き物なのよ。特に彼女は強いから」

久「私はそこまでは行けないだろうから、本当はよく分からないんだけど、ね」

はやり「…そうですね」

咲「?」

久「ふっ、一皮むけた、なんて。須賀くんのプライドを傷つけてしまったかしら?」

はやり「ほほほほほ包茎ちゃうわ!」

咲「ほーけい?」

優希「ホッケの亜種か?」

まこ「……////」


はやり「……」

はやり「すみません、ちょっと用事が出来たんで、先に帰らしてもらいます。ではっ!!」

久「うーん、青春ねぇ…いってらっしゃい」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



久「須賀くんはくすぶっていると思っていたんだけど。案外やるわね」

まこ「わしとしては大歓迎じゃがな」

咲「HO KEY?」

優希「箒?」

まこ「え、ええかげんにせんか!//」


咲「それにしても、京ちゃんの今日の打ち方、少し変じゃありませんでした?」

まこ「そうか?」

優希「京太郎くらい京太郎らしかったじぇ」

咲「そうなんだけど……なんていうか」

久「?」

咲「誰か別の人が、京ちゃんの打ち方を完璧にトレースしているような…」

咲「『京ちゃん』らしすぎる、っていうか。あまりにも完全に、枠の外にはみ出ないように自制しているような…そんな感じ」

優希「ま、まさか誰かと入れ替わったとか!」

まこ「エイリアンの仕業じゃな」

久「私は超能力を推すわ」

優希「クローン説で」

咲「きっと痛い衣装を着たアラフォーの人とぶつかった拍子に、心が入れ替わったんだよ」

久「ははっ、それだけはないわね」

まこ「さっ、バカやってないで帰るとするかのう」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


少し時間を使いすぎた。廊下は走ってはダメって言うけど、この時だけは許してほしい

ただ、やっぱり男の子の体。ちょっとくらい走っても全然疲れないや


いたっ!

はやり「…和っ!!」

和「須賀くん、ですか。どうかしました?」

はやり「え~っと…その」

どうしよう。若い頃の勢いそのまま、みたいに飛び出してきたんだけど、なに言うか考えてなかった

和「?」

いや…いいんだ。私は須賀京太郎。今は男子高校生。少しくらいの失敗と逸脱なら許されるんだ

そんなことしたって誰も気にしないんだ。だって私は、アイドルなんかじゃないんだから

はやり「俺は、須賀京太郎だ」

和「はぁ…?」

はやり「和。お前の気持ちは何となく分かるよ」

和「何を言っているんですか?」

はやり「夏のインターハイで、お前がどんな目標を掲げていたのか、俺にはよく分からない」

和「……」

はやり「でも、お前は見事にそれを達成したはずだ。達成感、満足感、高揚感、祝福と称賛……全部手に入れたはず」

和「なにを馬鹿なことを」

はやり「でも、それは長くは続かない。『成功者は、麻薬中毒者がヘロインを求めるように勝利を求める』」

和「…マシュー・サイドですか」

はやり「『勝利の効果は、麻薬に似てあまりにも短く、選手は表彰台を去るやいなや憂鬱になり、生きる目的を失う』」

和「……」

はやり「今の和の状態は、それに近いんじゃないか?、胃袋だったら食べ物を与えてやればそれで済む。だが、こいつはそうはいかない。だろ?」

和「そんなことありません」

素直じゃないね


はやり「俺は知ってるぞ、その穴の埋め方を」

和「へえ……あなたにですか」

はやり「お前には麻雀の才能がある。実力もある。努力もする。容姿も、スタイルも悪くない」

まっ、私ほどじゃないけどねっ!……ねっ!?

和「セクハラですか」

はやり「俺ならお前に、さらにもう一段階上の世界を見せてあげることができる」

和「……」


はやり「和、アイドルに成ってみないか?」


和「……」

和「……」

和「……」

和「……」

和「……はぁ!?」






なぜ、この時私は、こんなことを言ってしまったのか?

自分でもよく分からなかった


_______

____

__



結局その後、和ちゃんには「なに言ってんだ、こいつは…」みたいな顔されて、帰られてしまった


『アイドルに成ってみないか?』


なぜこんな台詞が自分の口から飛び出したのか

気の迷い、若さゆえの過ち…まあ、なんでもいいけど

でも、今になって冷静に考えてみると、それは案外悪くない案じゃないかと思えてくる

和ちゃんは麻雀もできるし、顔だって可愛いし、胸だってバインバインのビルバインだし、アイドルの素地はあると思う


そうだよ、私なら和ちゃんのプロデューサーさんになれる!

和ちゃんをアイドルマスターに導いてあげることができる!

清澄初のスクールアイドル!、アイドル活動略してアイカツ!、Wake Up, Gir──いや、これはいいや


おお、なんだか学生生活らしくなってきたよ。これぞ青春の一ページだよ!

よーしっ、あの夕日に向かって走るよっ、私っ!!

はやり「とりゃあああぁーー!!!」



「あれ、須賀さん家の子よね…」

「見なかったことにしておきましょう」ニコッ

「そうね」



聞こえてるよ、奥様方!!


そのまま走りながら、須賀くんの所に向かう

その日の用事が済んだら、須賀くんと情報交換する約束になっているから

はやり「須賀くーん、ただい──」


京太郎「はやり、怪獣じゃないもん!!」

はやり「……」

京太郎「ハッ!?」


はやり「ゴハァ…!!」

京太郎「瑞原プローーー!!!」

はやり「黒歴史はね……決して、よみがえらせてはね…ダメなんだよ」

京太郎「瑞原プロ、あなたもかつて……こんなキツいお姿、お見せしてしまって申し訳ないです」

はやり「いいんだよ、須賀くん。かなりダメージ大きかったけど大丈夫……あと私はそんなにキツくないよ、ねっ…?」

京太郎「モチロンデス」


はやり「さて、出鼻くじかれたけど、今日はどうだったかな?」

京太郎「家事して、アニメ見て、ドラマ見て。それだけですね」

はやり「暇な主婦みたい…」ボソ

京太郎「聞こえてますよ」

京太郎「それで、瑞原プロの方はどうでしたか?」

はやり「うん、私の方はね──」


『アイドルに成ってみないか?』


はやり「無難にやり過ごしたよ。みんなも私のこと、変に思ったりはしてなかったと思う」

京太郎「流石瑞原プロ、演技なんか俺より俺らしいっすからね」

こんなことは言わなくてもいいよね。落ち着いたらまた話そう


この後も、色々と学校での出来事を話したりして、情報の共有をした

こうして、私の学校生活の一日目が終了した


──9月中旬 長野



─須賀京太郎


京太郎「暇だ」

そう、暇だ

瑞原プロが送ってくれたアニメやドラマや映画もだいたい見終わってしまったし、今日の家事はほとんど済ませた

暇で暇で仕方ないのだ

ああ、学校って学業だけじゃなくて、暇つぶしの側面もあったんだな。また一つ勉強になった

だけど、迂闊に外をウロウロして、正体がバレるのだけは避けなくてはならない

変装と言う手もあるにはあるが、未だに俺の行動範囲は近所のスーパーまでくらいなもの。正直、俺の変装スキルは高くないと思う

はっきり言って、誰にもにバレないという自信はない


でも、そろそろもう少し移動の幅を広げても良い頃合いなのかもしれない

このままだと、この4畳半×2の神話体系の中で脳が干からびて死んでしまう。退屈死

ウサギは寂しさのあまり死んでしまうという俗説があるが、人間は退屈さのあまり死んでしまうのだ

つまり、今の俺に必要なのは刺激

京太郎「刺激……刺激ねぇ」

確かに、この二つのおもちは刺激的に違いないのだが、残念ながらもう慣れてしまった

長時間椅子に座っていると腰が痛くなってくるから、時々立ってストレッチしなきゃいけないこの体にはもう慣れた


俺は瑞原はやり。年齢は28。体重は49kg(仮)。身長は151cm。ハートビーツ大宮所属のアイドル雀士。出身は島根

和了スピードと守備がすごくて、キツい格好してて、小鍛冶プロとか戒能プロとかとも知り合いで、頭も良いらしくって、それで、それで……?

あれ…?、意外とよく知らねえな

瑞原プロから通り一遍の情報は聞いていたけど、彼女自身のことは全然知らない

プロになったいきさつとか、アイドルになった理由とか、何が好きで何が嫌いかとか、いつもどんなことを考えているのかとか

俺は、瑞原はやりなんだ。だから、俺は彼女のことをもっと知らなくちゃいけない


京太郎「調べてみるか」


早速、ネットでその名前を検索にかけてみる

京太郎「うわ…」

出るわ出るわ、あることないこと、憶測をまるで事実のように語るブロガー、誹謗中傷、下衆なゴシップ記事

その他数えきれないほどの、もはや悪意を通り越した無関心。童心のような残酷な遊び心。心の不感症

もちろん、ファンの声もたくさんあった。だけど、悪意ってのは善意よりもよっぽど目立つ

そしてそれは、本人が意図した以上の効果をあげて、簡単に人の心を傷つける


これを見たのが瑞原プロじゃなくよかったよ

勝手な事言ってくれちゃって、まあ

京太郎「有名人も大変なんだな…」

嫌気がさしたので、仕方なくwekipediaにあたってみる

簡単なプロフィール、経歴、アイドル活動について、麻雀のプレースタイルとその分析

俺が知りたいのは、そんな水の上に浮いた油みたいな、上っ面の情報じゃないんだ

もっとこう、彼女に……いや、今の俺に肉薄できるような、本質的な


京太郎「あぁー、ダメだ」

どうやら、俺の欲しい情報はネットでは拾えそうもなかった

それでも30分くらい粘っていると、興味を引くサイトに行き当たった


『アイドル雀士、瑞原はやり選手を遠くから見守る会』、…公式ファンクラブか


やっぱり、アイドル雀士ともなると、こういうのがあるんだな

さらに詳しく覗いていく。会合…ファン同士の集りなんてのもあるのか。ふむふむ、場所はと…

京太郎「長野、ね」

ふーむ……一週間後。場所もそんなに遠くないし、一日の間に行って帰ってこられる距離だ

暇は有り余っている。お金は有り余ってない


行動範囲を広げるいい機会だし、瑞原はやりという人物について知るための絶好のチャンスでもある

京太郎「いっちょ、行ってみっか」

よーしっ、そうと決まればさっそく会員登録だ!、えーと、名前は……本名はマズいしなあ…

京太郎「……」

京太郎「『内木一大』、と」

ごめん、副会長!、ごめん!!

他の名前が思い浮かばなかったんです!、少し変えたから許してっ!!


よしっ、会員登録完了!、あとは、時が来るのを待つだけだぜ!

ああ、なんだか久しぶりに生きてる感じする。やっぱり自分から何かしないとな

京太郎「あっ!」

そうだ、大事な事を忘れていた。画像検索

京太郎「どれどれ…」

うわぁ…自分の姿が、しかもきっつい格好でネット上にアップされているのを見ると、なんかこう、クるな

京太郎「水着姿まで……うわぁ、別の意味でたまらんなぁ。うわぁ…」

こういうのを見て、三大欲求の一つを鎮めている方々がいらっしゃるのかと思うと……複雑な気分だ

だって、俺の身体だぜ?


京太郎「や、やめよう…」

これ以上見ていると、俺のガラスのハートが壊れかねない

そうして、ブラウザを閉じようとしたとき、ある女性の画像が妙に目に付いた。少し古めの画像だった

京太郎「この、髪飾り…?」

瑞原プロと比べると、意志の強そうな鋭い目をした女性。凛々しい感じの、綺麗な人だった

そして、瑞原プロがいつも着けている。いや、今この机の上に置いてある、この髪飾りと

京太郎「同じ…?」

いや、まさかな……そんな偶然あるわけない、か


さっ、くだらない妄想やめやめ!、やること決まったし、夕飯の用意をしなくちゃな

来週が楽しみだ!


──9月下旬 長野



─須賀京太郎


あれから一週間後。ついに来たぜ、長野駅

帽子は深めのキャスケット。さらにサングラス、マスク。極めつけはサラシ!

まあ、あの爆乳が完全に隠れているかと言えば、そうでもないが、上着をかなり厚くしたのでうまく誤魔化せていると思う

着ぶくれして暑いけど…そこはなんとか我慢しようじゃないか

この季節もあり、若干変質者のような格好になってしまったが、正体がバレるよりはマシだ

髪型は悩みに悩みぬいたあげく、シンプルにサイドのお団子に落ち着いた。女性の髪をあまり弄くるのは、俺のモラルに反する

身長はシークレットで底上げ、全体の色合いは地味地味アンド地味。そしてもちろん、すっぴん(28)!

イケる!!

京太郎「くっくっく……!」


「ママー、あの人ー」

「こら、近づいたらダメよ」


京太郎「……」

言動も気をつけなきゃね


地図を見ながら移動する。お目当ての会場のホテルは

京太郎「これか…………えっ、マジで!、このホテル!?」

で、でかい…つーか、今更だけど、ここ結構有名な高級ホテルだったよな?

俺なんかが入っちゃっても大丈夫?、警備員さんにつまみ出されない?、ポリスメンのお世話にならない!?

いやいやいやいや、男は度胸!、なんでもやってみるもんだ!

いざっ!


怪しまれないように、なるべく堂々と中に入っていく。ドアマン、受付嬢の視線が気になったが加齢に、いや華麗にスルー

上の階のホールを貸切にしているとの話だったので、エレベーターで早速向かう

つーか、アイドルの会合に高級ホテルの大広間を使うのって普通なのか?、この界隈のことはよく分からないけど

そして、到着


受付発見、人が集まっているし間違いないだろう

正直、想像していたより人数は少ない。それになんだか、年配の方が多いような、というより若者の姿が全く見当たらない

なんだろう、もっと若いエネルギー溢れる近付き難い空間を予想していたので、少々肩透かしを喰らった気分だ

まあいいや、受付を済ませよう


受付の人を見る。頭皮が若干寂しくなりつつあるが、どうして中々、社会の荒波に揉まれ尽くした堅牢な雰囲気があった

社会的なヒエラルキーでは上位に位置するであろう、教育者といったところだ

俺の想像が正しければ、おそらく長野県の清澄高校の集会で、よく偉そうな口上を垂れ流している───

京太郎「……」

京太郎「校長っっ!!!?」

校長「うむ、いかにも私は絶好調だが」

京太郎「そっちの好調じゃないっ!?」

校長「まあ、いい。会員番号19937──おおっ、メルセンヌ素数だな!」

知らねーよ

校長「なるほど、最近入会した若い子がいると聞いていたが、君だったか。ええ……名前は、内木一大くん、か……?」

あっ、やべっ

校長「内木、内木……」ブツブツ

やべっ…やべっ…帽子の外から髪の毛出てるし、やべっ…こんなことなら、名前も考慮して男装してくんだった

京太郎「」ダラダラ

校長「副会長」ボソ

京太郎「っ!!」ビクッ

校長「……ふっ、若いな。マスク、サングラス、それに偽名までして」

あ、あれっ…なんかいい具合に勘違いしてくれてる?

校長「しかし、女装まですることはなかったのでは?」

京太郎「え、え~と、そのー……趣味です!」

校長「こりゃたまげた…いや、若い人の趣味に首を突っ込むのは老人の悪い癖か。しかし、君の気持ちも分かるよ」

校長「私も若いころはそうだった。他人の目が気になるあまり、今の君の様にしてこの会合に参加したものだったよ」

知らんがな

校長「さあ、入りたまえ。そして、はやりんを遠くから一緒に応援しようじゃないか」

京太郎「は、はぁ…」

た、助かったのか…?、つーか、「はやりん」とかさすがに気持ち悪いです


危機一髪。どうやら校長は、俺のことを本物の副会長だと思ってくれたみたいだった

変装に力を注いでおいてよかったぜ。あと、なるべく声のトーン落としておいたのが正解だったな。マスク効果もあったかもしれない


中に入ると、テーブルとイスが用意されていた。各自座るようになっているのだろう

会員番号と一致する席に着いて、周りの様子をそれとなく伺った

やはり40~60歳くらいの人が目立つ、というより俺を除けば99%そんな感じだ

仕立ての良いスーツや、一組ウン十万もしそうな革靴を履いた(社会的にはアレの)ナイスミドルの紳士達も混じっていた

試しに右隣の人をマジマジと観察してみた。腕時計は

京太郎「パパパパテック・フィリップゥゥ!?」

「?」

俺のGショックが霞む…歩くとき腕をぶつけないように気をつけよ…



時間だ。そろそろ始まりそうな雰囲気になってきた

校長「おや、君が隣か。奇遇だね」

よりによって、あんたかよ

校長「君、今回が始めてだろう?」

京太郎「は、はぁ」

校長「ならば私が解説してあげよう。先輩ハヤリストとしてね」

ハヤリスト…?、えーと、リアリストとかファンダメンタリストとかの仲間か?


『お集まりいただきありがとうございます。では早速、第59回『瑞原はやり選手を遠くから見守る会』の会合を──』


京太郎「59回目って、結構な数ですね」

校長「年に3回から4回の頻度で開催しているからね、こんなもんだろう」

年に3、4回ということは、このファンクラブは一体いつから?、59÷3はと…………俺は考えるのを止めた

校長「さて、ここで少しは教育者らしい質問をしようか。59、この数字の意味が分かるかな?」

唐突だな

京太郎「えーと、素数…ですか?」

校長「その通りだ。君はなかなかセンスがある」

校長「素数とは孤独な数字だ。1と自分自身以外では割り切ることのできない自然数。そして、素数と素数は決して隣り合うことはない」

校長「もちろん、2と3を除けばだがね。素数とは、決して仲間と一緒になることのできない、孤独な数なのだ」

校長「そして、それゆえに素数とは本当に根本的で"素"な数なんだよ。そういう意味では人間にも似ている」

京太郎「はぁ」

校長「その中にあって、特別な素数の組が存在する。双子素数だ」

京太郎「双子素数、ですか…?」

校長「双子素数とはその差が2となる素数の組をいう。例えば3と5、11と13などだね。つまり最も数の近い素数の組だ」

京太郎「はい」

校長「ちなみに、59と61も双子素数になる」

京太郎「なるほど」

校長「素数と言う孤独な数字にも、双子が存在する。人間で言えば瓜二つの兄弟といったところか」

校長「だが、その双子であってさえも、所詮それは別の数字に過ぎない」

校長「どんなに他人に成りきろうとしても、どんなに同じように振る舞おうとも、結局その人はその人にしか成れないのだ」

京太郎「まあ」

校長「つまりだね」

京太郎「……」ゴクリ

校長「我らがはやりんはオンリーワンということだよ」

真面目に聞いて損したよ


校長の短い講義が終了すると、少しだけ間延びした

何か質問でもしてみようか

京太郎「あー…と、数学がお好きなんですね」

校長「ふふっ……なかなか痛いところを突くな、君は」

京太郎「?」

校長「私はね、数学者に成りたかったのだよ」

京太郎「そう、なんですか」

校長「ああ。子供の頃から、数を使った遊びが得意でね」

校長「ガウス、オイラー、ヒルベルト、リーマン、ラマヌジャン、ノイマン、小平邦彦……憧れたものだった」

京太郎「……」

校長「頭の中には、数字が地図のようにしてマッピングされていてね」

校長「小さい頃は、みんなもそうだと思っていたんだが、後々違うのだと分かったよ」

校長「私は、その地図を使って自由に計算することができた。自慢じゃないがね、私は特別だった。大学ではもちろん数学を専攻した」

試しに大学名を聞いてみると、誰もが知っているあの大学だった


校長「没頭したよ。のめり込んだ。そして、かなりいいところまでいったんだが……でも、色々あってね。ダメになった」

校長「為にならない教訓を教えておこう。世の中には、才能だけではどうしようもないこともある」

校長「しかし、才能が物を言う場合も確かにあってね。ははっ、なかなか難しい」

京太郎「……」

校長「流れに流れて、こうして私は校長という職に就いているのだが…いやはや」

校長「私は何にも成れなかった。成れると思っていた時期もあったのだが」

京太郎「……」

校長「夢に破れて、それでもすがりつくようにして、高校の数学教師になってね」

校長「それから、しばらくしてからのことだった。私がはやりんに出会ったのは」

校長「彼女は、私のアイドルに成ったよ」

その時の校長は、俺には見ることのできない、はるか遠くを眺めていた

そこに、どんなエピソードあったのか、それは説明してくれなかったけど、聞こうとも思えなかった

きっとそれは、校長にとって、とても大切なはずのものだったから



『我がファンクラブの会員数は前年の同じ月に比べて、マイナス3.4%と7か月連続の──』


まるで企業業績の報告のような…

京太郎「会員の数って減っていっているんですね」

校長「そうだね。最盛期には軽く10万以上あったものだが……」

校長「今では脱会した人の数字を繰り上げて、今の君の会員番号付近に落ち着くというわけだね」

京太郎「なるほど」

校長「盛者必衰とはいえ、あの頃を知っている者からすると悲しいものがあるよ」




『それと比較して、咏派の伸び率は依然として堅調、特に戒能派はその数をデビュー以来指数関数的に増やし続けており──』


咏派とか戒能派とかなんだよ。女子麻雀界のファンクラブにおける派閥闘争か

京太郎「そういうのもあるんですね…」

校長「そうだね。彼らの勢いは凄まじいものがあるよ。噂によると、うちを脱会して向こうに改宗した者も多いと聞く」

改宗って、宗教かよ

校長「ハヤリストの風上におけない不届き者たちだ。しかし、これが現実なのだ」

校長「これは、あらゆる競争分野で言えることだが、下からの突き上げは年々キツくなる一方なのだよ」

校長「我々も、その権力と財力と政界へのコネを駆使して、はやりんのPR活動は行ってはいるのだが」

京太郎「そ、そうなんすか…」

校長「最近では、うちの学校を利用して、はやりんの為に何ができるか考えているくらいだよ」

それは止めた方がいい


『我がファンクラブの年齢別の構成を割合にして表すと、この図32-4のようになっており、40代から60代に著しく偏って──』



京太郎「偏り過ぎじゃありません、これ?」

校長「そう思うよ。そして、これこそが我々の組織の問題なのだ」

京太郎「どういう意味ですか?」

校長「若い人がね、全然入ってこんのだよ。君みたいなのは特別だ。いつの間にかここは、ただの年寄りの集いになってしまった」

校長「ライブをしても、ハコが空くのが当たり前に」

校長「握手会をしても、以前のような長蛇の列はもう見られない」

校長「少し前にあった麻雀の大会でも、成績が芳しくなかったしね。はやりんも、今はなぜか活動を自粛しているようだ」

校長「もしかしたら、そろそろ──」

京太郎「……」

校長「いや、私がこんなのではいけないな。それに君みたいな者もまだきっと全国にいるんだ。大丈夫に決まってる」




『本ファンクラブの創始者で、会長と副会長を務める、kapiさんとmegumiさんからお便りを──』



京太郎「なんでそんな人達が、この会に参加してないんでしょう?」

校長「私もお会いしたことがないから詳しくは知らないがね、あくまで「遠くから」はやりんを見守るのがここの趣旨だからだそうだ」

校長「ライブにも行かない、握手会にも参加しない。ただひたすら、はやりんを遠くから応援してきたのが、彼らなのだ」

京太郎「へえ、硬派なんですね」

校長「聞くところによると、会長と副会長は、はやりんが小学生の頃ある麻雀大会で優勝したのも見て、その魅力に憑りつかれたという」

校長「それからすぐに、この会の前身を結成し、二人三脚ではやりんをデビュー前から密かに応援していたそうだ」

京太郎「へ、へえ…」

犯罪者一歩手前だな

校長「ちなみに、妻子持ちだそうだ」

うわぁ…家族の方お気の毒に

校長「御二方とも今は長野に住んでいるとのことだから、もしかしたら今回こそお会いできるかもと思っていたのだが…」

うわぁ…この校長といい長野終わってんな

校長「megumiさんは少しでもはやりんの近くにいたいと、『早く東京に行きたい…』、と以前テレビ電話でぼやいていたものだよ」

京太郎「ま、まあ、家族の意向もあるでしょうしね…」


その後もつつがなく会は進行していき、食事の段になった。そういうのもあるのね

お酒も出た。ただ、いくら成人した女性の身体とは言え、校長の手前、飲むのは無理だった

ちょっとくらい、飲んでみたかったものだけど

お酒も入り、皆さん和気あいあいと談笑している。ただしその内容は、混じりっ気なし100%アイドル雀士のそれだ

お、恐ろしい光景…まっいいや、気を取り直そう。現実は、ほどほどに直視するのが良いときもある


京太郎「あー、そういえば、ちょっと聞いておきたいことがあったんですけど」

校長「なにかね?」

京太郎「この、髪飾りなんですけど…」

校長「ほう、これは……はやりんのものか。よく同じものを」

京太郎「え、え~と、これは…………女装趣味の一環で手作りを」

校長「う、うむ、なるほど……これが何か?」

京太郎「はやりんの画像検索しているとき、たまたま見つけたんですけど、これと同じ髪飾りをしている女性の画像を見つけまして」

校長「んー……そうか」

京太郎「?」

校長「私も詳しくは知らないがね、その女性は春日井真深という人だそうだ」

校長「かつてのアイドルだ。以前の牌のおねえさんだよ。テレビでよく見たものだった。凛々しくて、はつらつとしていて」

校長「はやりんとは少しタイプの違う人だったな。素敵な人だった」

京太郎「そうなんですか」

校長「もちろん、なぜはやりんが彼女と同じ髪飾りをしているのか、ファンの間では噂話が飛んだものだった」

校長「ただの偶然だとか、はやりんが彼女をリスペクトしてのものだとか、あの髪飾り自体は形の似た全くの別物だとか、ね」

校長「私みたいなロマンチストは、はやりんが彼女からそれを受け取ったとみているのだが…どうだろう?」

京太郎「……」

校長「要は、よく分からないということだ。こういうミステリアスな部分も、はやりんの魅力だと思わないかね?」

京太郎「な、なんとも…」


そして、宴もたけなわ、酒の力も借りて気分も雰囲気も最高潮に達したとき


「では、そろそろ、皆でいつもの写真撮影といきますか!」

「ほっほっほ、そうですな」

校長「ほら、君もこっちに来たまえ」

京太郎「お、俺もっすか!?」

校長「あたり前田のクラッカーだよ」

や、やだなー…でも、まっ、仕方ないか

整列しての写真撮影。学校での集合写真を思いだすな


「では、皆さん行きますよー。一足す一はー?」

「「はやっ!」」

何の脈絡もねえ!


フラッシュがたかれた


_______

____

__


京太郎「ふー、疲れたな…」

なんか、凝った変装したり、思いがけない知り合いがいたり、とにかく色々あって予想以上に疲れた

今じゃ、須賀家より居心地の悪いあのアパートの一室が懐かしく感じられる。早く帰って休みたい


何気なしに、空を見てみた

京太郎「満月、か」

日本では、暦を読むことを「月を読む」と書いて月読(ツクヨミ)と言ったそうな──と、文学少女・咲から聞いたことがある

月読ってのはあれだ、よくゲームとか漫画に登場する強そうな神様。日本神話の神様らしいけど、俺はよく知らない

その、漫画とかゲームでお馴染みの神様が、実は元の神話ではほとんど語られていないと知ったのも、例の文学少女の入れ知恵だ

つまり、よく分からない神様なんだな


みんなに広く知られているものに限って、案外よく知られていなかったりするものだし、その多くは語ることができないということか

それが良いことなのか、あるいは悪いことなのか、今の俺にはよく分からないけど


例の髪飾りを、満月にかざしてみる。月の光が、髪飾りの輪郭をなぞる。どちらが本物の月なのか

京太郎「春日井真深さんだったか」

俺はまだ、瑞原はやりという人物が分からないけど、今日でほんの少しだけ何か掴めたような気がする

今まで考えなしに、キツイとか、痛い格好してるとか、いろいろ言って茶化してたけど、それはもうやめよう

そんなことしたって、彼女の輪郭がぼやけるだけだ。本物がどっちなのか分からなくなってしまう

俺は──いや俺だからこそ、彼女をアイドルでもプロ雀士でもない、一人の『瑞原はやり』として見なくちゃいけない

でないと、俺のことも分からなくなるから。そう、俺は瑞原はやりなのだから


京太郎「私は、瑞原はやりだ」


俺は、例の髪飾りを髪に結いつけながらそう言った


──9月下旬 長野



─瑞原はやり


先生「では、先週は2次元のイジング模型を扱ったから、今日は3次元に拡張して考えてみよう。簡単におさらい──」



はやり「うーん」

咲「どうしたの、京ちゃん?」

はやり「どうしても崩せない山があったとして、咲ならどうする?」

咲「う~ん……『リン・シャン・カイ・ホーー!!』、ってポーズキメながら叫べば、花が咲いてみんな笑顔になるよ」

はやり「お前の頭の中がリンシャンカイホ―、だよ」

咲「…うん、私も正直そう思う」


ここで言う山とは、もちろん比喩に過ぎない。そしてその山は、和ちゃんに他ならない

あれ以来、何度となくアプローチをかけてはいるけれど、素っ気なく振られるのがせいぜい。無視だって何度もあった

「こんのぉー、若いからって調子に乗ってぇー」、と2回くらいは思ったものだ

そんなこんなで、さてどうしようかと、頭をひねっているいるところ


咲「京ちゃんがどんな山を想像してるのか知らないよ。けどそういう時は、自分の強みと、相手の弱みを一緒に考えてみるのが一番だよ」

咲「自分の強みでもって、相手の弱みに正面からぶつかることができれば、大抵その山は崩れるものだから」

強みと弱みを一緒に、ね


先生「ハミルトニアンはここに書いたとおりだから、後は各自解いてみてくれ。時間は──」



私の強み。麻雀なら、日本でも上位の実力。歌とかダンスには自信あり。頭の良さは悪くないと思ってる

対して、和ちゃんはどうだろう?

麻雀については、言うまでもなく中々の実力者。容姿は抜群で、胸もスタイルもいい感じ。学校の成績も良いみたい

じゃあ弱みは?

性格がけっこう硬そうだな、と何度か感じたことがある。融通も利かなそう。義理は堅そうだけど

はやり「……」

勝負を吹っかけてみようかな。できればみんなの前での口約束もあった方がいい

なんの勝負にしようかな。はっきり言って、学校のお勉強程度なら負ける気はしない

はやり「テストか」ボソ

いや、テストまでにはまだ期間があるし、そこまで時間はかけられないし、待ってだっていられない

それに、須賀くんの成績を不自然なほど爆上げしてしまうのは、ちょっとどうかと思う

周りに迷惑のかからない、もっと即効性のあるものを

はやり「麻雀だ」ボソ

ふふっ、決まりだね。待っててね、和ちゃん。トッププロの実力を、しかと見せてあげるよ

ああ、放課後が楽しみ。こんな悪巧みみたいなことするの、いつ以来だろう?、ワクワクするな

はやり「くっくっく…」


咲「ちょ、ちょっと京ちゃん」

はやり「ん?」

先生「前出て解いてみようか、須賀くん」ニコリ

はやり「……」

はやり「2次元の場合と同じようにして、シュルツらが用いたように第二量子化の手法をまず活用してみると意外な知見が得られます」

はやり「まず、この行列を──」


先生・咲「はわわ~」


授業は終わった、お昼ご飯はモリモリ食べた、掃除も終わったし、帰りのホームルームだって終わった

後は放課後、部活動だっ!

はやり「よっしゃあ、行くぜぇ、咲ィィ!!」

咲「なに、そのノリ気持ち悪い」

はやり「…行くか」

咲「うん」


部室に向かいながら、和ちゃんとの会話や闘牌についてシミュレーションする

はやり「……」

うんうん、悪くないよこの感じ。久しぶりに頭がフル回転している、この、程よく熱のこもってくる感覚

咲「大丈夫?」

はやり「脳汁がプッシャーってなってる」

咲「やっぱり気持ち悪いね」

はやり「言ってろ」

咲ちゃんにも、手伝ってもらうからね


はやり「こんにちはー」

咲「こんにちはー」


優希「おーす」

まこ「おう」

和「こんにちは、咲さん」チラ

咲「うん」

はやり「……」

和ちゃん、私は無視ですかそうですか。まっ、今はこれでいいよ

むしろ都合がいいかな、この方が

咲「和ちゃん、京ちゃんと喧嘩でもしてるの?」

和「いいえ、喧嘩なんてしていませんよ。ただ最近ちょっとストーキング紛いのことをされているといますか…」チラ

はやり「わーお」

咲「京ちゃん…」ジロ

優希「ついに犯罪者までに成り下がったか…」

まこ「ええと、110番110番」

はやり「冗談でも止めてください、傷つきます」

和「嘘ですよ。軽めのジョークです…ねえ、須賀くん?」ニコリ

はやり「……」

これは、須賀くんの誇りと尊厳のためにも、頑張らないといけない感じみたいだね


いつものように部活動が進んでいく。要は打って、喋って、それだけ。けど、例のことに備えて頭の中はフル回転

時間がどんどん進んでいく。そして、そろそろ終わりが見えてきた頃、頃合いだ

対局の終わった和ちゃんに、アタックする


はやり「なぁなぁ、頼むよ和さん。俺の話を聞いておくれよ」

和「…またですか。あなたも懲りない人ですね」

はやり「しつこさは、時として武器になることもある」キリッ

和「意味が分かりませんよ。自分の行いを正当化しないでください」

はやり「あーあー、せっかく才能あるんだから、試すくらいはいいんじゃないか?」

和「私には向いていませんし、何よりそんなことしたくありません。第一、あなたも私も素人です」

はやり「みんな最初は素人さ。それにまだ、時々ボーっとしてたり、ため息ついてたりするだろ?」

和「あなたの言動で、疲れているだけです」

はやり「なあ、和。みんなが笑顔になって喜んでくれたら、それはとても素敵なことだろう?」

和「それは、まあ、そうなんでしょうけど…ですけど、それは私の仕事ではありませんし」

そういう、突っぱねきれないところは、ちょっと甘いかな


はやり「歌ったり、踊ったり、ときどき手品とかもしてみたり」

はやり「自分がみんなを喜ばすことができたと実感できたとき、それはもう身体全体が満たされて、心が豊かになって」

はやり「すごいんだよ、あれは。他の何かに例えようのないくらい」

はやり「みんなを笑顔にできるってことは、それだけで尊いことなんだよ」

和「なぜ、あなたにそんなことが分かるんです?」

はやり「分かるよ。だって────私は」

和「?」

私は、、、、、、私は、須賀京太郎

だから、瑞原はやりじゃないし、牌のおねえさんでもない。ただの男子高校生


『なぜ、あなたにそんなことが分かるんです?』


頭がくクラクラする。なら、私は、、、一体──

はやり「……」

和「大丈夫、ですか?」


久「いいじゃない、和。須賀くんの頼み、きいてあげれば。何の話か知らないけど」

和「他人事だと思って…って、来ていたんですね」

久「だって、他人事だもーん」

和「……」イラッ

久「…でも、本当にそうなのかしら?、嫌だと感じたら、あなたはもっと強く拒絶するタイプと思っていたんだけどね」

和「…誤解ですね」

久「実はまんざらでもなくて、「須賀くんなら、私の固く凍った心を溶かしてくれるかも、キュン///」、なーんて思ってるんじゃないかしら」

まこ「乙女じゃな」

和「そんなオカルトありえません。あと、その声真似やめてください。不快です」

久「あーらら、怒られちゃった」

和「もう…」

久「それにね、須賀くんは麻雀はヘッタクソだし、ときどき空気になるけど、相手が嫌なことをそんなにするとは思えないのよねー」

和「……」

咲「褒めているのか、けなしてるのか…」

久「まっ、いいわ。そんなに嫌なら、なんか条件出して断わっちゃいなさいよ。それが分かりやすいわ」

和「条件?」

久「ズバリ勝負ね」

まこ「「これに懲りたら、もう私に近づかないでよね、変態っ!」、ってとこじゃな」

久「今の可愛かったわよ、まこ。今度からは、ツンデレキャラとしてもやっていけるわね」

まこ「阿呆め」

優希「うまうま」モグモグ

…いつの間にか、思い通りの展開になっていた。本当は自分でここまで持っていくつもりだったのに

でも、ちょうどいいや

はやり「いいぜ、それで。勝負しよう、和。それでこの話はもう無しだ」

和「…分かりました。では、何で?」

咲「自作小説」

優希「タコス作り」

久「ガールハント」

まこ「二人に任す」

はやり「……」


まあでも、次に和ちゃんが何を言うか、想像はついてる

和ちゃんは、私がどれだけ本気かを試すつもりだ。そしてこの場所、空間。なら、そこから導き出される答えは一つに決まってる

それは

和「麻雀にしましょう。順位でまさった方が勝ちということで」

ほらね、分かりやすい子。打ち方もそうだけど、その機械的なまでの均質さは彼女の弱点でもある

だから、私がわざわざ誘導するまでもなく自動的にこうなる

はやり「いいぜ」

「「えっ!?」」

優希「ほんとにいいのか京太郎?、間違いなく負け戦になるじぇ!、お前が死んだら、誰が私のタコスを作るんだじょ!」

久「アリがクジラに戦いを挑むようなものよ!」

まこ「もうちょい何か、いい案があると思うんじゃが…えーと、ほら…うーんと、ほら、腕相撲とか?」

咲「次回っ、京太郎死す!」

はやり「おいおい、みんな酷くない…いいんだよ、これで」

和「あなたがどれだけ本気なのか、私に見せてください。まあ、それができればの話ですけどね」

はやり「……」

なるほどね、須賀くんを、いや私を見くびっているってわけだ。自分は勝つに違いないと

だけどね、真剣勝負の場ではね、それは命取りになるんだよ

あなたの戦い方は知っている。100回やって、その中で如何にして相手より多く勝つか、これに尽きるから

でもね、和ちゃん。たった一回の真剣勝負において、その考え方がどれだけ危ういことなのか、身をもって教えてあげるよ

はやり「ごめんね、和ちゃん」ポツリ

和「?」

残念だけど、あなたは負ける。だってそこは、私の独擅場なんだから。あなたの入る余地はない

はやり「さあ、席に着いてくれ。和、咲、それと部長もお願いします」

まこ「おんしらはともかく、わしらは本気で打ってもええんかのう」

はやり「ええ、そうしてください」

だって、そっちの方が計算しやすいんだもん。優希ちゃんとか、久ちゃんって、変な打ち方してよく分からないとこあるし



はやり「さあ、行きますよ」

ねえ、和ちゃん。私が教育してあげるよ


_______

____

__


優希「勝った…のか?」

久「ど、どうやら…そうみたいね。ちょっと信じられない展開だわ…」

優希「相変わらずの素人麻雀で、のどちゃんに競り勝つとは…」

久「運が良かったとしかいいようがないわね…」


咲ちゃんが1位、まこちゃんが2位、私が3位、そして──

和「な、な、なっ……」

はやり「4位、和」

須賀くんの打ち方をできるだけ模倣しつつ、咲ちゃんとまこちゃんを利用しながらのギリギリ3位

我ながら、計算されつくしたほぼ完璧な闘牌

ねえ、和ちゃん。弱いなら弱いなりの戦い方っていうのがあるんだよ。強いだけのあなたには、ちょっと分からないかもしれないけどね

咲「……」

まこ「なんか、変な感じのする対局じゃったな、咲」

咲「…ええ」

ちょっと不自然が過ぎたかな。咲ちゃんは麻雀に関してだけは、異様に勘が鋭いから何かを察知したみたい

まっ、それでも姿形が『須賀京太郎』の、私の正体が分かるわけないけど


久「で、どうしよっか?」

まこ「時間も時間じゃし、いつもなら帰る場面なんじゃが…」

優希「のどちゃん放心しちゃってるじょ…」

和「」

はやり「いいですよ。俺が見ときますんで、正気に戻ったら一緒に帰りますから」

まこ「そ、そうか?」

久「そうね、じゃあ後のことは、若い二人にお任せして」

まこ「お見合いか」

優希「ご趣味は?」

咲「読書を少々、麻雀はたしなむ程度に//」

優希「なんと控えめで素敵な女性!、結婚しよう!!」

咲「まっ///」

はやり「…とっとと、帰りやがれ」


和ちゃんと私以外は、それからすぐに部室から姿を消した

今この部室には、私と和ちゃんだけ。しかも、和ちゃんは放心状態


このくらいの年齢の男の子は、女の子と二人っきりになるとすぐ襲っちゃうものだって、物の本に書いてあったような

そして、そこから始まるラブストーリーもあるって、須賀くんの持ってたちょっとエッチな本に書いてあったような

そういえば、東京ラブストーリーの中で、女の子の方からセック──生殖行為を要求する場面があった。今で言う肉食系ってやつ?

もしかしたら、ここで和ちゃんを襲わないのは、それはそれで典型的男子高校生としては不自然なことなのかもしれない


はやり「えいっ」

試しにほっぺを突っついてみる

はやり「わっ、わわっ!?、すごい弾力…!」

…今度は花瓶の水をちょっと腕に垂らしてみる

はやり「す、すごい…!弾く、弾いてるよ、これ!?」

はやり「……」

はやり「あー…」

なんだか虚しくなってきた。やめよう、こんなことしても何にもならないよね

ごめんね和ちゃん、あなたの身体でちょっと遊んじゃった


和「────はっ!」

あっ、正気に戻った


はやり「あー…と」

和「どうやら…私は負けたみたいですね」

はやり「そうだな」

和「…どうしてなんでしょうか?」

はやり「勝負は時の運。今回ばかりは、運がたまたま俺を味方にしてくれただけさ」

和「そうでしょうか?、私には……いえ、やめましょう。では、約束通りあなたの──」

はやり「本当に嫌だったら、断ってくれていいんだぞ。俺は、そういうことはしたくない」

和「……」

ああ、なんて自分勝手でわがままな台詞。身体だけじゃなく、心まで高校生に戻ってしまったかのような…ごめんね、須賀くん

和「……」

和「私は、あなたの言う通り、夏のインターハイからずっと、どこか変な感じがしていたんです」

和「最初はそれが何なのか、よく分かりませんでした。だから、どうすればいいのか分からなくて、一人で悶々としていたんです」

和「そんな時、須賀くんがいきなり変なことを言いだして、それを聞いた瞬間頭がカーッとなってしまって」

はやり「変なこと、とは失礼な」

和「それからしばらくは、あなたの言った言葉の意味はよく分かりませんでした。というより、実感の方だけが伴わなかったといいますか」

和「けれど、何度も何度も頭の中で反芻していくうちに、やっぱりその通りなんかじゃないかって、最近思えるようになったんです」

和「ねえ、須賀くん。私は、一体どうしたらいいんでしょうか。あなたはその答えを知っているのですか?」


はやり「よく大人は、『子供には無限の可能性がある』とか言うけど、そんなのは嘘っぱちだ」

はやり「そんなものは、何にも成れなかった大人が、過去の自分に対しての幻想を、その子供に押し付けているに過ぎない」

はやり「大抵の人間は、何にも成れないし、何かを成すこともできない、所謂『普通』の大人になっていく」

はやり「別にそれが悪いってんじゃない、ただそれが現実ってだけだ」

和「はい」

はやり「だけど和、お前には才能がある。お前には、この社会の中で、特別な何かに成れる可能性を持っている」

はやり「その可能性が、いずれどのようにして結実するかは分からない。けど、俺はそれを見てみたいとも思ってる」

和「……」

はやり「お前に足りないのは他人だ」

はやり「他の人間をもっと知って、心から憎んで愛し、そして喜ばすことができるようになれば、別の世界が見えてくる」

はやり「その先に、お前の欲しい答えがあるはずだ」

はやり「だから、もう一度だけ聞くぞ。これが多分最後のチャンスだ」

そう、私とあなたの

和「はい」

はやり「和、アイドルに成ってみないか?」



和「はいっ!」



その笑顔は、かつて私が持っていたものをすべて満たしているかのような、そんな笑顔だった


──10月上旬 長野



─須賀京太郎


10月に入った。あれから、もう1ヶ月以上経つ。時間が進むのって早い

またしても特にやることがなく、暇をしていたある休日。俺の生活に、突如変化訪れた


はやり「須賀くんっ!!」

京太郎「ああ、瑞原プロ。こんにちは。どうしたんですか、そんなに慌てて」

はやり「あのね、話しがあるんだけど、その……ごめん、先に謝っておく。ごめん!」

京太郎「えーと……なんのことだかさっぱりで」

はやり「あっ、ごめっ……えと、あのね」

京太郎「まあまあ、とりあえず茶でも用意しますから、上がってください」


テーブルにコーヒーをを用意して、興奮した瑞原プロを落ち着かせ、二人とも席に着いた


京太郎「で、どういったご用件でしょうか?」

はやり「なぜ急にビジネスライクに……あー、でも、それとも関係あるのか」

京太郎「?」

はやり「実はね、須賀くんにやってほしい仕事があるの」

京太郎「…そんなにかしこまった様子だと、『瑞原プロ』としての仕事ってことみたいですね」

京太郎「でも、それなら、俺は麻雀弱いから無理ということで、既にチームには大会の参加は不可だと伝えているはずだったでしょう?」

はやり「そうじゃないの、麻雀の方じゃなくて……アイドルとしての活動をしてもらいたいの」

京太郎「……アイドルぅ!?」


はやり「昨日、ここから出た後のことなんだけど、マネージャさんからメールで連絡があってね」

京太郎「ふむふむ」

はやり「そろそろ活動を再開してもらわなくちゃ困るって、泣きつかれちゃって…」

京太郎「いやいやいや、そんなの断っちゃってくださいよ!」

はやり「須賀くん…」

京太郎「むりっすよ!、俺、ちょっと前まで普通の男子高校生だったんですよ!?、いくら瑞原プロからの頼みとはいえ──」

はやり「須賀くん、アイドル活動ってその人だけのものじゃないの。私が稼がないと、マネージャーとか事務所とかにも影響が出てくるの」

はやり「新作を全く書かない作家に就いている編集者がもしいれば、その人はいずれクビになっちゃうってわけ」

京太郎「いや、でもですね…」

はやり「勝手な頼みってのは分かってる。だけどお願い。難しいことをしろとは言わない」

はやり「私もマネージャーさんに掛け合って、できるだけ負担の少なそうな仕事を選んでもらうから」

はやり「だから、お願い…」ウルウル

うっ、ガタイのいい身長182cmの男子高校生の上目づかい…別の意味で破壊力満点だぜ

京太郎「……」

でも、瑞原プロの頼みか…そういえば、初めてのことかもしれないな、こんなこと

こんな状況に陥ったのは、もちろん偶然のことだけど。今の生活があるのは、もちろん瑞原プロの援助のおかげでもあって

この部屋に住めるのだって、彼女がお金を支払ってくれたから。こんなニートみたいな生活を送れるのは、他でもない彼女のおかけなのだ

こうやって事実を列挙していくと、俺、ヒモみたいだな…


京太郎「……分かりました」

はやり「そ、それってオッケーってこと…?」

京太郎「か弱い女性を悲しませるのは、俺の信条に反します。その頼み、引き受けますよ」

はやり「あ、ありがとうっ…!」ダキッ

京太郎「ちょっ!、痛いっ、痛いっす」

はやり「あっ、ご、ごめん。ちょっと、力強かったみたい」

京太郎「い、いや、大丈夫です…はは、なんとか」

こんなでかい奴に抱きつかれると、身動きすらとれないもんなんだな。体格差があると、これほど違うものなのか

やっぱり、瑞原プロはか弱い女性らしい。世間でどう思われようとも、俺だけはそれを知っている

これは、趣味の悪い優越感か?

はやり「これで気兼ねなく、和ちゃんのアイ──じゃなかった、学園生活を謳歌できるってもんだよ!」

京太郎「アイ…?」

はやり「あ、アイはアイでも、虚数単位のiだから!?、アッアー、明日の数学の時間楽しみだなー」

京太郎「そ、そうすか……学校生活を満喫しているようでなによりです」

はやり「まあね」

京太郎「そんなに楽しいもんですか?」


はやり「うんっ!!」


ただひたすら、楽しいことだけを追い求めているような、純粋さそのままの子供のような満面の笑み

彼女のこんな笑顔、初めて見たかもしれない

そんな顔をされてしまうと、ほんの少しだけ、嫉妬してしまいたくなる


その後、色々と細かい打ち合わせを済ませて、瑞原プロは帰っていった

京太郎「俺が、アイドルねえ…」

1ヶ月ちょっと前の俺に、「未来の君は、アイドル活動をしているんだよ」、と言ったって、誰も信じないだろうな

アイドルというものが何なのか、よく分からないままの突然のアイドル活動

そんなことをしていいものか、俺にその資格はあるのか、そもそもこんなことうまくいくのか…

残念ながら、俺の些細な不安なんか、現実にとってはどうでもいいらしかった

とにかく、俺のアイドル活動は、この小さな部屋から幕を開けたようだ


──10月上旬 東京



─須賀京太郎


京太郎「ふおぉー、緊張してきたー…」

マネ「緊張するなんて珍しいわね、大丈夫?」

京太郎「プロデューサーさん…」

マネ「誰がプロデューサーさんだ、誰が」

この人は、俺の──というより瑞原プロのマネージャーさんだ

キリッとしたスーツ姿の美しい女性

以前なら、間違いなく近くに寄っただけで、下半身の京ちゃんが熱膨張を引き起こしてしまいかねない魅力的な人だ

…まっ、現在はなんともないけど。ま、まさか心の方まで女体化が進行しつつあるなんてことはないよね?


マネ「あんた、十分休んだんだから、今日はビシバシ働いてもらうわよ」

京太郎「はーい」

今日は、俺のアイドル活動第一弾としての、言わば試運転の日になる

所謂、握手会というやつだ。これなら、特段特別なスキルは求められないので、最初にやるにはもってこいの仕事

──なのかもしれない。実はよく知らない

瑞原プロが、このように手配してくれたのだ。正直、かなり助かる


マネ「それにしても、あんたその…大丈夫なの?」

京太郎「はい?」

マネ「はい?、じゃないわよ。その手よ、手。酷い腱鞘炎で、しばらく大会には参加できないっていうから、心配してたのよ」

京太郎「はい?」

マネ「まっ、あんたももう若くないんだし、仕事柄そこらへん酷使するから、そうなっても仕方ないのかもねえ…」

け、腱鞘炎て…まあ、確かに悪くない言い訳かもしれないけど、腱鞘炎て…

マネ「今日は握手するだけだし、重い物持ったりもしないから大丈夫だと思うけど、痛くなったら早く言うのよ?」

京太郎「うん、分かってる。ありがとうね」

なんだか、良い人を騙したような気分になってくる。罪悪感。いや、その分さらに頑張ってやるのが男というものか

京太郎「んじゃ、行ってくるよ」

マネ「んー…ちょっと待ちなさい。表情がちょっと硬いわね」

そういや、瑞原プロも笑顔が一番大事って言ってたな

京太郎「こう?」

マネ「いや、もうちょい口角をさ、イーってな感じで、うん、うん…よしっ、オッケー!、さっ、行ってらっしゃい」

この身体になってから長いこと経つけど、口調はともかく他人の表情一つまねるのすら、結構苦労するもんなんだな

その点、一発で俺になりきってしまう瑞原プロは、やっぱりすごいと素直に思う

京太郎「よしっ、今度こそ行ってきます!」


_______

_____

__



京太郎「うぉー…腰がぁ、腰がぁ…」

マネ「なに言ってんのよ。今日は比較的少ない方だったじゃない」

ま、マジで!?、中途半端な格好で立ちっぱなしだったから、腰バッキバキなんすけど!?

たかが握手会と思って侮っていた。どうやら俺の認識は、モロッコヨーグルのように甘かったみたいだ


瑞原プロの客層?、と言っていいの分からないが、お客さんたちはファンクラブと同様年配の方々が中心だった

その、心のこもった優しい笑顔で、「頑張ってね」と言われる様は、帰省してきた孫を迎えるお爺さんのそれと同じものだった

だからかもしれないが、暴れたり、叫んだり、喧嘩したり、何か変なものを手に付けていたりと

ネットで見られるような、悪い評判の皆さまは、幸運なことにいらっしゃらなかった

そういうのも覚悟していた分、何事もなく無事に終わってくれたことは幸いだった


また、ファンクラブの会合の時に見かけた、熱心なファンの人達も幾人か見かけた

あの時は、ただただ気持ち悪いというか、お近づきになりたくないような、そんな心持ちで彼らを見ていた

しかし、こうやって、いざ自分が応援される立場になってみると、やはり彼らのような存在はとてもありがたいものだった

俺の見識は狭かった。純粋な気持ちでもって、誰かを応援できるということは、意外と悪いことでもないようだ


そして、思いのほか、いやかなり楽しかった。最初はぎこちなさを指摘されてりもしたけど、慣れてくるとなんというか…

多幸感、っていうの?、そんな感情の分類はどうでもいいんだけど、とにもかくにも今まで味わったことのない不思議な感覚だった

今まで誰かから、特別必要とされてきたことのなかった人生だったからか

自分の振る舞いや言葉や表情のひとつで、他の人がほんのちょっとでも嬉しく思ってくれる

自分が笑顔なら、相手も笑顔になってくれる。それで相手が喜んでくれたのなら、こっちだって喜びたくなってくる

こんな、なんでもない些細なことが、大事なことだったんだ

俺は、アイドルを、瑞原はやりをまだまだ捉えることができていなかった。やっぱり彼女はすごい人だったんだ

また、ほんの少し、彼女に近づけたような気がする


マネ「なぁーに黄昏てんのよ、花も恥じらう10代の乙女じゃあるまいし」

京太郎「…アイドルってすごいんだなぁ、って思って」

マネ「自画自賛とは恐れ入るわね」

京太郎「そんなんじゃないよ。はやり、もっと頑張る。もっと、みんなを元気にしてあげるんだ」

マネ「…へえ、ちょっと前までは、何かと落ち込んでいたくせに」



マネ「まあ、ファンの方が減っているのは事実だけど、それでメゲてちゃアイドル失格ってもんよ」

マネ「なにせあんたは、牌のおねえさんなんだから」

京太郎「……」

マネ「さ、やる気を取り戻してもらったところで、次の仕事の話に移りましょう。来週の木曜なんだけど──」

京太郎「う、うん」

そうか、彼女も落ち込むことがあるのか

そうか


──10月中旬 愛媛



─須賀京太郎


俺のアイドル活動が始まって、2週間程経過した

今なら、たくさんのお客さんを目の前にしても、そうそう変なミスをすることは無い

あの握手会から、いくつかの仕事をこなした

小さなイベントに招かれてのほとんど決まりきったようなトークとか、ファッション雑誌のインタビューとか

よくもまあ、不審に思われないもんだなと思ったけど、意外と大丈夫みたいだった

俺がこの経験から学んだことは、堂々としてさえいれば、物事案外うまくいってしまうということだ

いずれにしても、比較的シンプルな仕事だったというのもあるけど。でも、どれも大切な仕事だった


さて、今日はというと、ここ愛媛県にて、子供向けの麻雀教室が開催される。そこに参加する予定だ

協会による麻雀振興の一環らしく、他にも何人かのプロが参加するらしい。楽しみなような、少し恐ろしいような

しかし、この2週間で、アイドル『瑞原はやり』を演じるのは慣れてきた。ま、それでも、いきなりライブをやれとか言われても困るけど

でも、マネージャーさんの話によれば、プロ同士で打つことはないって言ってたから大丈夫だろう

基本的には、子供相手に麻雀の基本的なルールを教える、というだけというものらしい

いくら俺だって、ルールくらいは覚えてるし、それを世のチビッ子諸君に教えるのはやぶさかでない

つまり、今の俺はやる気に満ち溢れていた


そして、控室。いざ、ゆかん!

京太郎「こんにちはー」

さて、誰がいるのやら

健夜「あっ、久しぶりー」

うおっ、本物の小鍛冶プロ。テレビで見るよりちっちぇーなあ、いや俺も今は小さいんだけど

京太郎「久しぶりー」

あと一人いた。スーツ姿の若い女性

良子「どうも。今日はよろしくお願いします」

戒能プロだ。礼儀正しく、会釈までしてくれた

胸は申し分ないくらい大きいし、容姿も整っている。さらに、ちょっとミステリアスな雰囲気を纏いながらのスーツ姿

おもちを如何なく強調するその格好は、まさにベリーグッドでエクセレント!、しかもしかも、ビューティフルときたもんだ!

瑞原プロの話によると、個人的にも仲が良いとのこと。ならば、俺だって仲良くさしてもらっても差し支えなかろう

京太郎「久しぶり、良子ちゃん。元気にしてた?」

良子「ええ、変わりなく」

京太郎「よかった!」


健夜「ねえ、聞いたよ。しばらく大会参加しないんだって。どこか悪いの?」

京太郎「ええと、その……実は、腱鞘炎になっちゃって」

健夜「ああ…なるほど」

良子「Oh…」

健夜「聞いた話だけど…あくまで聞いた話なんだけど。マッサージしたり、氷で冷やしたりするのが大事なんだって」

健夜「だけど、ただ適当にマッサージすればいいって話でもなくて、きちんとお医者さんにやり方を聞いた方がいいんだって」

健夜「あと、やっぱり一番なのは腕をなるべく使わないことに限るよね。まあ、これは聞いた話なんだけど」

京太郎「そ、そう。ありがとうね」

なぜ、同じことを三回も言う

良子「おや、そろそろ時間みたいですね。行きましょうか」

京太郎「そうだね」

健夜「よーし、子供たちに麻雀の厳しさをたっぷりと教えてあげるよ!」

京太郎「厳しさより楽しさを教えてあげようよ…」

良子「小鍛冶さんが本気になったら、子供たちにトラウマを植え付けてしまいますからね」

京太郎「ある意味、一生の思い出になるよ。まったく嬉しくない思い出だけど」

健夜「ゆ、夢ばっかり語るのは悪い大人のすることなんだよ!、私は、良き大人の見本として──」

良子「小鍛冶さん…」

京太郎「教えるのは下手そうだもんね…」

健夜「うぅ~…そんなことないもん」

良子「ふむ…では、あなたの方はどうなのです?」

あなた?、俺のこと?

京太郎「大丈夫だよ、良子ちゃん。はやりはこう見えて、人に教えるのは得意なんだから」

良子「そうなのですか」

京太郎「うん」


会場に向かうと、50人くらいか、それに匹敵する数の小学校低学年くらい子供たちが待ち構えていた

みんな、目をキラキラさせていた。憧れのプロに会えると、ずっと期待していたんだろう。純粋さの塊だった

健夜「若いっていいなー…」ボソ

京太郎「……ソッスネ」

良子「……」


最初は全体で、麻雀の基本的なルールの説明を行った

真剣に耳を傾ける子もいれば、落ち着きのない様子でキョロキョロしながら集中しきれない子もいた

俺たちの解説を聞きながら、うまく理解できなかった他の子に、丁寧に説明してあげてる優しい子もいた

ちょっと騒いで小鍛冶プロの雀圧?に圧倒される子、服装や髪の毛をやたらと気にする子

積極的に質問してくる子、モジモジしている子、ボーっとしている子、理解の速そうな子、いろんな子供たち


一つ一つ見れば、それは些細な可能性だけど、全体を俯瞰したとき、それがまるで無限のものに思えてしまうのは錯覚だろう

瑞原はやりは、アイドルでプロ雀士だ。しかし、彼女がまだ幼いとき、そこには色んな可能性があったはず

彼女は、頭が良かっただろうし、容姿だって優れていただろうし、人当たりだって良かっただろうし、麻雀の才能があっただろうし

つまり彼女は、特別に優秀な人間だった。おそらく、何にだって成れただろう

エリート官僚、弁護士に検察官、研究者、世界を股にかけたバリバリのビジネスウーマン

女優、ニュースキャスター、政治家、世間に偉そうに講釈垂れるコメンテーター

俺みたいな凡人が想像できるものなら、何にだって

誰の目から見ても、目移りしそうなその選択肢の中から、なぜ彼女は敢えてキワモノと言ってもよい牌のおねえさんの道を選んだのか

アイドルとして活動し始めた今の俺でも、未だにその気持ちはよく分からなかった

でも、きっと彼女の人生の中には、決して外には出ることのない大切な何かがあって、それが彼女をここまで導いてきたんだ


……髪飾り


健夜「なにボーっとして。ちゃんと自分の仕事はしなきゃ」

京太郎「う、うん…ごめん」

良子「……」


京太郎「じゃあ、みんな!、ルールは説明したから後はみんなで打ってみようね!」


ルールの説明が終わったら、後は実際に打ってみる。人数分の雀卓も用意されており、準備は万端

「はーい、せんせー分かんないですけどー」

良子「ウェイトウェイト、ちょっと待ってね」

京太郎「いいよー、はやりが行くから」

良子「そうですか?、では、お願いします」

「えー、かいのーせんせーがいいー」

「うんうん」

京太郎「え、えっ…!?、ちょ、ちょっと待って、なんでなのかな?」

「だって…みずはらせんせーってなんか…キツいんだもん」

グサリ

「うちのおかーさんテレビ見ながら言ってたもん、この人見ててイタイタしーわよねー、って」

グサリグサリ


京太郎「……」プルプル

良子「こ、子供の言うことですから」

20歳の若手に気を使われる、ベテラン28歳の図

こんのガキどもがっ、人が気にしてることをヅケヅケと!

尻の穴から手ぇ突っ込んで、直腸に直接カイエンペッパー塗り込んでやろうかぁ、あぁ!!

健夜「んもう~、仕方ないなあ~。ここは、オ・ト・ナのお姉さんに任せなさい。間をとって、私は教えてあげるから」

「……こかじせんせー、こわいから、やっ」

健夜「……」

京太郎「ぷっ」

良子「ちょっと、流石に悪いですよ…ぷっ」

健夜「……ねえ、君たち席に着こうよ」

「「ひっ」」

健夜「大人の女性を怒らせるとどうなってしまうのか。麻雀よりも大事な、思いやりってのを直々に教えてあげるよ」ニコリ

京太郎「やめなさい」

良子「さっ君たち、今のうちにエスケープです」


_______

_____

__



健夜「うぇー……ひっく…たく、さいひんの若いもんは…年上をうやまうとゆー、ことを……ヴぇぇ、はぎそ…」

京太郎「一人で飲み過ぎるからだよ。おー、よしよし」

良子「そろそろ、タクシーが来ると思いますので」

良子「っと、来ましたね」

タクシーの運ちゃんに、乗客を見せるとものすごく嫌な顔をされたが、そこはスルーして小鍛冶プロをなんとか押し込んだ


良子「はい、駅の方まで送っていただければ後は一人でなんとかすると思いますので」

良子「えっ、襲われる心配ですか?、ノーウェイノーウェイ、そんなことは万に一つもありませんので──では、お願いします」

京太郎「何気に酷いよ良子ちゃん…」

京太郎「さて、じゃあついでにはやりも一緒に乗せてもらって──」

良子「もう、行ってしまいましたよ」


タクシー「アデュー」


京太郎「ちょ、ちょっと良子ちゃん、そこは停めておいてもらってよ!?」

良子「ああ…すみません。うっかり忘れてしまいました。うっかり」

京太郎「はぁー、うっかりなら仕方ないかあ……まあ、別にいいけどね。また呼べばいいだけだし」

良子「……なら、次のタクシーが来るまで少し時間がありますね」

京太郎「そーだねー」


麻雀教室が終わってからの打ち上げ

まさか自分がトッププロのお二方と食事を共にすることになろうとは、誰が予想できたというんだ

料理はおいしかったし、雲の上の存在だと思っていた二人の話を聞くことができて貴重な経験になったと思う

お酒は…まあ、その、ね。お付き合い程度はね。でも、お酒が料理とこんなに合うものだったとは…ちょっぴり大人の階段をのぼった気分だ

だけど、何事も程々がよい。酒は飲んでも飲まれるな。俺は今日、人生で最も大事な教訓の一つを学べぶことができた

ある一人の女性の犠牲によって…


京太郎「ふー、今日は疲れたー」

良子「ええ、そうですね。しかし、たまにはこういったことも悪くないと思いますよ」

京太郎「良子ちゃんはまだまだ若いから、そういうことが言えるんだよ」

京太郎「今日だって、さんざんイジられたし」

良子「あれは、彼らなりのコミュニケーションの一種なのだと思いますよ」

京太郎「えー、そーかなー」


良子「ところで」

京太郎「ん?」




良子「あなた、一体誰ですか?」


アナタ、イッタイダレデスカ…?

京太郎「え、えっ…!?」

良子「フー・アー・ユー?」

京太郎「同じ意味だよ!?」

な、なっ…!?、何が起こってるんだ?、俺が瑞原プロでないとバレた?

そんな馬鹿な!?

良子「……」

京太郎「な、なに言ってるのかな、良子ちゃん?、はやりは、はやりだよ…?」

良子「……」

何かを確信している目

いくら仲が良いからって、無理だろそんなこと!?

マネージャーさんにだって、小鍛冶プロにだって正体はバレなかったっていうのに

言動は、そこまで問題なかったはず

細かい動作や、表情だって、この2週間瑞原プロの動画を見たり、直接指導してもらったりでさんざん勉強した

第一、俺はどこからどう見ても瑞原はやりだ。たとえ、微妙な違いがあろうとも

何が、彼女をここまで確信させた。彼女には、何か別のものでも見えているとでも!?


で、でも、こうなったら仕方ない。密かに練習していたアレをやるしかない!

ついに、俺の最終兵器を持ち出すときたようだ!

これをやれば、いくら戒能プロといえども、その疑惑を吹き飛ばさざるえなくなる!!

腹をくくれ、須賀京太郎!、今が人生の大一番なんだぞ!!

よしっ!!

京太郎「わ…」

良子「わ?」


京太郎「私は、瑞原はやりです☆」


良子「……」

良子「……」

良子「87点」

京太郎「合格…?」

良子「不合格」

ダメみたいだ


その後、タクシーに乗せられ30分ほど行ったところで降ろされた。もちろん会話などなく無言

乗車中、頭の中でいろんな事を考えていた

病院送りにされるのか、はたまた研究所に連れていかれて人体実験の被験者にされてしまうのか

あるいは見世物小屋に売り飛ばされて金儲けの道具にされてしまうのか……ふぇ~、怖いよー。助けてスカリーちゃん

良子「モルダー、あなた疲れてるのよ」

京太郎「読まれた!?」

良子「口に出ていましたよ」

京太郎「……」

緊張で、少しおかしくなっているみたいだ


良子「ここです」

京太郎「ここは…?」

見たところ、普通の建物だが

良子「マイホームです」

なるほど

良子「どうぞ、上がってください」

京太郎「し、失礼します」


女性の、それもこんな美人の御宅にお邪魔できるなんて、以前の俺なら卒倒ものなんだが…

正直今は、あまり嬉しくはない

リビングに案内された

良子「コーヒーにしますか、紅茶にしますか?、それとも」

京太郎「それとも?」

良子「ポンジュースでも」

申し訳程度の愛媛県アピール

京太郎「…ポンジュースでお願いします」

良子「ラジャー」


のどを潤すものものも用意され、間をおかずに会話を始めた


良子「さて、先ほどの続きといきましょうか。あなたは、どこのどなたなんでしょうか?」

ここは慎重にいくべきか、なんとか誤魔化すべきか……いや、正直に話そう

たぶん、この人にはそういうのは通用しない

京太郎「私は……いや、俺は須賀京太郎といいます」

良子「須賀さん、ですか。男性の方で?」

京太郎「はい、長野の清澄高校の一年生です。なので、その堅苦しい敬語はもういらないですよ」

良子「なるほど。そうみたいだね」

敬語で話されるのに慣れていたので、彼女のタメ口は新鮮だった


夏のインターハイの会場で俺たちに何があったのか

それから、どのようにしてこんな状況になってしまったのか。手短に説明した

良子「そんなことが……はやりさんも、相談してくれたらよかったのに」

京太郎「それにしても、どうしてこんなことが起きたんでしょうか?、俺たちただぶつかっただけですよ?」

良子「……なんとも言えないけど、たぶん動機が重なったんだと思う」

京太郎「動機、ですか?」

良子「飽きというか、自分自身への限界というか、はたまた理想とでもいうのか」

良子「ともかく、奇跡のような確率で、心と心がぶつかってしまったんだよ」

い、意味が分からない…スピリチュアル業界にだけ通じる特殊言語か…?

京太郎「あの、じゃあもう一つ質問いいですか?」

良子「いいよ」

京太郎「なんで、俺が瑞原プロでないと分かったんでしょうか?」

良子「…それは、秘密にしておこうかな。自分のことをそう易々と話してしまっては、詰まらないと思わない?」

京太郎「は、はぁ…」

良子「女の勘、ってことにしておいてくれるかな」

この人も、咲とかと一緒で向こう側の人間みたいだ。戒能プロ、ますますその存在は謎に包まれていく


良子「事情は分かったよ。それで、元に戻る方法なんだけど」

京太郎「!?、そんなのあるんですか!?」

良子「そりゃあるよ。私ひとりでは無理かもしれないけど、春たちと協力すればまず間違いなく大丈夫だと思う」

春…?たしか、インターハイで竹井先輩と打っていた人の中にそんな名前があったような。永水か

永水といえば、あのおもちの大きい人が揃った、巫女装束姿がイカした学校か。だとすると、この人もそれ関連ということになる

巫女さんってすごい…!

良子「善は急げとも言うし、早めに済ましてしまった方がいいね」

京太郎「ま、まあ、そうなんですけど…」

それはそうだ。そんなのは当たり前だ。元に戻れた方が、良いに決まってる

でも、なんだか胸のあたりに、心なしか引っかかるようなものが。これは一体…

良子「じゃあ、はやりさんとも連絡をとらないとね」

良子「…ああ、なるほど。頑なに電話に出ようとしなかったのはこのためか」

そう言って、瑞原プロ宛てにメールを打ち始める戒能プロ


なんだ、この変な感じは

理性的に考えれば、そりゃもちろん元に戻れた方がいい。俺だって、あの身体が恋しくてたまらないさ

だけど、俺の身体を支配しているであろう心や精神といったものは、猛烈な勢いで焦り、焦燥といった反応を引き出してきている

冷や汗

これは、今すぐ戒能プロの行動を止めろという、肉体からの強烈なメッセージだ

でも、なんで…!?


『そんなに楽しいもんですか?』


『うんっ!!』


京太郎「…瑞原プロに連絡するのは、ちょっと待ってもらえませんか」

良子「なぜ?」

京太郎「それは」

それは、彼女が心の底から楽しそうな顔をしていたから

俺が、今この状況で、その笑顔を守ってあげられる、唯一の人間だと思うから

俺は

京太郎「……」

良子「…まあ、これは当人たちの問題かな」


良子「ごめんね、私も少々急ぎ過ぎてしまったみたい。おそらく、はやりさんも」

京太郎「?、いえ、そんな。すみません、勝手なこと言ってしまって」

良子「何かしらの理由があるんだね。なら、構わないよ」

京太郎「それと、瑞原プロには、このことを言わないでおいてもらえませんか」

良子「私が君の正体に気付いた、ということだね。分かったよ、約束する」

京太郎「ありがとうございます」

戒能「うーん…君は、須賀くんは、優しい子みたいだね」

京太郎「そんなことないですよ。ただの生意気な男子高校生です」

良子「たとえそうでも、そういう謙虚なところは、なかなかナイスだよ」


良子「そうだ、連絡先を教えておこう。この件で困ったことがあったら、すぐに連絡してくれてオーケーだから」

京太郎「あ、ありがとうございます!」

俺のアドレス帳に、新たに戒能プロが加わった。瑞原プロに続いて有名人が二人目。変なの


京太郎「ああ、帰らないといけませんね。では、そろそろ──」

良子「あー…今現在のタイムは?」

京太郎「……夜の11時、ですね」

良子「今から駅に向かっても、もう遅いと思う。だから、今日は泊まっていくといい」

京太郎「ええー…!?、いやいや、さすがに俺みたいな男が、戒能プロと同じ屋根の下で夜を過ごすというのは──」

良子「須賀くんは、今『はやりさん』なんだよね?、それとも、その身体で私に何かするつもりなのかな、ん?」

うっ、その挑発するような不敵な笑み。俺は、たじろぐしかなった

京太郎「滅相もございません」

良子「なら、大丈夫だ」


______

____

__



戒能プロが、この部屋、リビングだけど、に布団を用意してくれた

俺はソファーでも構わなかったけど、身体は瑞原プロのものだから、その厚意に甘えることにした

ホテルとかでもそうだけど、まったく初めての部屋だと、なかなか寝付けないんだよなあ、俺


横になりながら、外の風景を窓から覗いてみた。ああ、夜が更けていく

ミステリアスな美人。それに対するは、身体は女だけど心は男の男女。これじゃ、ラブコメにもならないよ


テーブルの上を見ると、まだそこには先ほどのコップが残っていた

その底には微かにポンジュースが残っていて、今にも解けだしそうな氷と混じり合おうとしていた

果たして、どこまで混じり合ったら、ポンジュースはポンジュースでなくなるのか……うーん、深い


ガチャリと、ドアの開く音がした。戒能プロだった

良子「おや、眠れないみたいだね」

京太郎「なかなか、落ち着けなくて。小心者なんです」

良子「とか、言いながら。はやりさんの演技は堂に入ってたけど」

京太郎「堂々としてさえいれば、案外不審に思われないもんですよ。戒能プロは別ですけどね」

良子「それは褒めてくれているのかな?」

京太郎「どうでしょう……あっ、コップ残したままですけど、そのままでいいんでしょうか?」

良子「面倒だから、また明日にするよ」

京太郎「……あのポンジュースと氷、どこまで混じったら、ポンジュースがポンジュースでなくなると思いますか?」

良子「氷が全部解けて混じったら、もはやそれは、ただの色のついた水だよ」

京太郎「…貴重なご意見ありがとうございます」

良子「須賀くんは、変なことを聞くんだね」

京太郎「この状況の方が、ずっとおかしいですけどね」

良子「ふふっ、違いない」


京太郎「では、おやすみなさい」

良子「うん。グッナイ、須賀くん」



戒能プロが出ていくと、静けさだけがこの部屋に残った。無機質な冷蔵庫の音だけがこだましている

また、机の上を見た


どうやらまだ、氷は解けだしたばかりのようだった

寝ます
では、また


──10月下旬 長野



─須賀京太郎


アイドルとしての活動も一段落し、久々の休日

慣れないアイドル活動の反動か、昨日のうちから今日はひたすらダラダラして過ごすと決めていたのはいいけれど

身体の方は、休まないことに慣れてしまったようで、どうもウズウズしていた


チラッとテレビを見ると、デパートの特集をしていた

京太郎「…たまには、駅まで行ってみっか」

そうだな、それも悪くない。一人ってのがちょっと味気ないかもしれないけど、それは仕方がない

今日は、人前に顔を晒すわけでもないから、化粧は適当でいいな

洗顔して、化粧水で水分補給。クリームで保湿して、念のための日焼け止め

ああ、ファンデとかしなくていいのが、すっごく楽だ。後は、リップだけいいや

服装は…うーん、仕事中は例の格好でスカートだから、今日はパンツルックにしよう

あとは白のシャツに薄手のセーター、少し寒くなってきたから、上から羽織るものも

元が良いから、そんなに気合い入れなくても、映えてしまうのがアイドルというもの

鏡に映った自分を見る。化粧のよし、服装よし、変装だってほぼ万全!

京太郎「イー」

うん、笑顔も悪くない、上出来だ

京太郎「おお…鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しい人は誰?」

鏡「……」

鏡「……」

京太郎「お前だよ」

京太郎「キャー、だと思ったー!」


京太郎「いってきまーす!」


電車を乗り継いで、久しぶりに松本駅までやって来た

松本と言えば、松本山雅FCがJ1に昇格して、一時期話題になったことがあったな

まあ、それはいいとして


ここらへんは、東京と比べりゃあれだけど、やっぱりここまで来るとそこそこ栄えている

さて、どこ行くか…

咲とだったら、図書館とか本屋さんだとか、簡単に行き先が決まってしまうんだけど、今日は一人だし

京太郎「うーん」

いいや、困った時のデパートで。何かしら見つかるだろ


早速、駅からデパートへと向かい、中に入ってみる

1階はお菓子売り場がメイン。あっ、あのケーキおいしそう…いやでも、仕事柄体重が気になるしなぁ

ここは、心を鬼にしてやめよう。なんたって、私はアイドルなんだ

2階は貴金属やアクセサリーの類。さすがに、あんま興味は湧かないな

でもこれ可愛いかも。きっと瑞原プロにも似合うぞ。つまりつまり、俺にだって似合うはずだぞ!

「気になるものございました?、よろしければ、御試着してみてはいかがでしょう?」

京太郎「け、結構です」

すんでのところで、踏み止まる


しかし、女性の姿になれば、デパートって見るところ結構いっぱいあるもんなのな

男だったときは、せいぜい上の階にある本屋さんとかタワレコとか、あるいはトイレくらいしか利用したことがなかったけど

新しい発見もあって、なかなか楽しいな、これ


そして、3階、4階、5階と上がっていき、手芸用品店の前を通りがかったとき

京太郎「ん?」


はやり「うーん……」


ん、えーと、俺がいる。須賀京太郎は今は瑞原はやりだから、あれは瑞原はやりで

つまり、瑞原プロだった

こんなとこで、一体何やってんだ?、今日平日だろう?

いくら瑞原プロといえど、俺の身体で好き勝手やられちゃ困る。ここは毅然とした態度で注意をせねば

くくっ、ついでに驚かしてやろう。ゆーっくり近づいて、と


京太郎「すーがーくんっ!」

はやり「!!?、ぎょえー!!」

ぎょえー、て…

京太郎「こんにちは、俺ですよ俺」

はやり「こんな堂々とオレオレ詐欺をする奴は……って、須賀くんかぁ。なんだびっくりさせないでよ、まったく!」

京太郎「ははは、すみません。ついつい」


京太郎「今日はなんでこんなところに?、平日で学校があるはずだと思うんですけど?」

はやり「ああ、それ?、だったら今日は文化祭の準備の日だから、こうやって買い物に来てるってわけ」

はやり「前にも話したじゃん。ああ…もしかして、私がサボってるとでも思ったのかな?、んー、どうなのどうなの?」

あー、そんなこと言っていたような聞いたような

京太郎「べ、別に忘れてただけですって。でも、こんなとこで何買っていたんですか?」

はやり「ああ、それは和ちゃんのいしょ──」

京太郎「いしょ…?」

はやり「和ちゃんと一緒に来たんだけど、途中ではぐれちゃってね、って言おうとしてたの!」

京太郎「おおう…怒らなくたっていいじゃないですか」

はやり「ご、ごめん」

京太郎「それはいいんですけど、ちょっと目立っちゃいましたね…」

周りを見ると、ヒソヒソ話でなにやら勝手に噂されてしまっていた


「痴話喧嘩かしら?」

「恋人にしては歳が離れすぎてるような。姉弟じゃないかしらね」


歳は関係ないだろう。歳は

京太郎「ちょっと離れましょうか」

はやり「そ、そうだね」


手芸用品店から避難し、通路を歩きながら会話を続ける

京太郎「それにしても、もう文化祭ですか。早いもんですね」

はやり「そうだね。今から、楽しみで楽しみでたまらないよ、ぐっふっふ」

京太郎「そ、そうすか」

気味悪いな

はやり「須賀くんは、どうしてここに?」

京太郎「今日は仕事もないんで、暇なんでブラブラしに」

はやり「ふーん、仕事の方はうまくいってるみたいだね。感心感心。須賀くんにも、アイドルの才能があるのかもね」

「にも」、ってなんだ?

京太郎「んなわけないっすよ。毎日毎日ストレスの連続で大変なもんですよ。この前なんか戒能プロに──」

はやり「良子ちゃんがどうかしたの?」

京太郎「戒能プロの美貌に目を奪われて仕事どころじゃなかった、って話ですよ!」

はやり「大声出さなくたっていいじゃない…」

京太郎「す、すみません」


はやり「じゃあ、須賀くんもいよいよ『プロ』になったってわけだ」

京太郎「いやぁー、まだまだそんなの──」

はやり「誰かから求められて、その報酬としてお金を貰ったんだから、それはもうプロの証だよ」

京太郎「そんなもんすか」

はやり「そんなもんだよ。ねっ、須賀プロ!」

京太郎「俺たちが、瑞原プロとか須賀プロって呼び合ってたんじゃあ、誰のことを言っているのか分からなくなっちゃいますね」

はやり「うーん……じゃあ、こうしようよ」

京太郎「?」

はやり「須賀くんも、もうプロで私と対等なんだから、私のことちゃんと名前で呼んでよ」

京太郎「えーと、瑞原さん…?」

はやり「もー、よそよそしいなあ。愛情を込めて"は・や・り"、って呼んでくれていいのに」

京太郎「はやりさんでお願いします」

はやり「素直が一番だね。じゃあ、私も、真心を込めて"きょうちゃん"って──」

京太郎「京太郎くんでお願いします」

はやり「つれないなあ」

でも、有名人相手に下の名前で呼び合うのって、よく考えなくてもすごいことだよな

週刊誌にスッパ抜かれでもしたら、嫌な話題を世間様に提供してしまいそうだ


はやり「そうだ!、せっかくだし、二人でどこか行かない?」

京太郎「えと、瑞…はやりさんの方は、もう買い物の方は終わったんですか?」

はやり「ああ、それなら大丈夫。足りなくなった生地を、少し買いに来ただけだから」

京太郎「そうなんですか」

俺たちのクラスの出し物って、わざわざ衣装作るようなものだったか?

京太郎「そうですね。なら、どっか行きましょうか」


というわけで、急きょ二人で行動することになった

でも、これって傍から見たら、完璧にデートだよな…本当に週刊誌とかの記者とかいないよな?


はやり「これじゃ、まるでデートみたいだね」

京太郎「ああ、今俺も同じようなこと考えてたんですよ。もしかしたら、どっかに記者でも紛れ込んでるんじゃないかって」

はやり「あはは、それはないよ。京太郎くんの変装もバッチシだしね。お化粧もうまくなったし」

京太郎「やめてくださいよ。なんだかそれ、地味にヘコみます…」

はやり「ふふっ、それに比べて、男の子はほんっと楽だよね!」

はやり「最初の頃、お風呂上りの化粧水の後、美容液塗ってたらさ、須賀くんのお母さんにこの世の終わりのような顔されちゃったよ」

京太郎「なんとっ!」

はやり「なるほど、男の子はこんなことしないんだな、と気付いたよ。あれは、意外な発見だったね」

京太郎「化粧水すら、ほとんどしませんもん、俺。母さんもさぞ驚いたことでしょうよ」

はやり「ふふふっ、京太郎くんにも、お母さんのお顔見せてあげたかったよ」


京太郎「あ、でも俺にだって、毎日結構新しい発見がありますよ」

京太郎「化粧とかもそうですけど、さっきなんか、生まれて初めてマジマジとアクセサリーとか物色しちゃいましたもん」

京太郎「まあ、未だに貴金属との価値は分からんですけど、意外と綺麗なものなんだな、くらいには思いましたね」

はやり「ふふっ、私たちの関係も、一歩一歩より完璧に近づいていってるってわけだね」

京太郎「そうですかねえ…」



京太郎「そういや、さっき和と来たって言ってましたけど、連絡とかしなくて大丈夫なんですか?」

はやり「あ、ああ……そ、それなら大丈夫。和ちゃんもバカじゃないんだし、もう用事済ませて学校に戻ってるよきっと」

京太郎「それならいいですけど」

はやり「んんっ…!、あー、もしかして京太郎くん、和ちゃんのこと気になって気になって、しょうがないんでしょ?」

いたずらっ子のような顔だ

京太郎「ち、違いますよ。俺は、別に和のことなんか」

はやり「んもー、別に嘘つかなくたっていいんだから。和ちゃん、可愛いもんねっ」

京太郎「そりゃあ、そのことを否定する人間なんていませんよ。でも、ほんとにそんなんじゃありませんから。ただ──」

はやり「ただ?」

京太郎「一時期、憧れていたことは、その…ありましたけど//」

はやり「…へえー、ふーん」

京太郎「な、なんすか」

そのニヤニヤした顔、腹立つなあ

はやり「京太郎くんって、そんな顔もするんだ。まるで、恋に恋する乙女みたいだったよ」

京太郎「それこそ、本当に勘弁してくださいよ……俺は、正真正銘の男です」

はやり「私の顔で言われても、説得力皆無だけどねー」


そんな会話しながら、ブラブラする。しかし、行くあては特になく

京太郎「どっか行きたいとこありますか?」

はやり「こういう場面は、男の子がグイグイと引っ張っていくところだと思うんだけど?」

京太郎「私、今は女の子だから」

はやり「あっ、ずるいんだー」

京太郎「女の子はワガママなんですよ」


デパートから出て少し歩くと、はやりさんが何かを指差した

はやり「ねえ、あれって何?」

京太郎「ああ、あれは、『しんとうさん』ですね。四柱神社ですよ」

はやり「よはしら、じんじゃ?」

京太郎「結構いい感じのところですよ、行ってみましょっか?」

はやり「うん」

少し歩くとすぐに到着した。こんなとこ来るの、いつ以来か

平日なので、人はそんなに多くはいなかった。しかし、それでも神社の雰囲気はなかなか乙なもので、静かで落ち着くことができた


はやり「いいところだね」

京太郎「そうっすね。今まで騒がしい場所ばっかで仕事してたんで、余計にそう思います」

二人で散策をしていると、看板が見えた。そこには、神様の名前が記してあった

京太郎「あっ、神社の御祭神が載ってますね」

京太郎「アメノミナカヌシノカミ、タカミムスヒノカミ、カミムスヒノカミ、アマテラスオオミカミ」

下が回らなくなりそうなほどの、長い名前の神様たち

京太郎「何の神様なんでしょう?」

はやり「……うーん、と」

急に考え込むはやりさん。なんだろう?


はやり「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、神産巣日神(カミムスヒノカミ)、は造化三神」

はやり「天照大御神(アマテラスオオミカミ)は月読(ツクヨミ)と須佐之男(スサノヲ)と合わせて、三貴子とも呼ばれる」

京太郎「は、はぁ…」

はやり「『古事記』によると、世界が開けたとき、高天原(たかまがはら)という天上界に現れた最初の神様たちが、その造化三神」

はやり「造化三神、あるいはそこに二柱の神様を加えた『別天つ神(ことあまつかみ)』は、もっとも尊い神様なの」

京太郎「最初に現れた神様なんだから、偉くて当たり前ってことですか」

はやり「そして、言うまでもなく天照(アマテラス)は、伊勢の神宮にも祀られている、高天原を統治する太陽の神で最高神」

京太郎「まあ、それくらいならなんとか」

はやり「つまり、この四柱神社は『古事記』が語る日本神話における、最上級の神様たちを祀った神社、ってことになるんだと思う」

京太郎「随分と良いとこどりした神社ですね。ぼくのつくったさいきょうのぱーてぃ、みたいな」

はやり「そうだね」

京太郎「それにしても、はやりさんって神話とかにも詳しいんですね」


はやり「ふふっ、私こう見えても島根県の出身なんだよ」

京太郎「それとこれとに、一体何の関係が?」

はやり「造化三神が現れた後、有名な伊耶那岐(イザナキ)と伊耶那美(イザナミ)ミが生まれるの」

はやり「そして、その二神が、葦原中国(あしはらのなかつくに)、つまり日本列島を作るわけ」

はやり「そして、その後、『古事記』の中で主人公を張る、須佐之男や大穴牟遅(オオナムヂ)が大活躍する舞台が今の島根県、出雲国」

はやり「つまり私はね、神話の世界で生まれて育ってきたんだ。詳しくならないはずがないよ」

京太郎「なるほど」

はやり「京太郎くんだって、近くに諏訪大社があるじゃない。あそこのことくらいなら知ってるでしょ?」

京太郎「建御名方(タケミナカタ)とかミシャグジ、でしたっけ?」

はやり「そう。ちなみに、建御名方は建御雷(タケミカヅチ)にボコボコにされた神様なんだよ」

京太郎「そんなの、聞きたくなかった!」


はやりさんと一緒に境内を見て回っていると、日が落ちてきた。風も出てきて少し寒くなってくる

京太郎「そろそろ帰ります?、いつまでも学校に帰らないと、さすがに不振に思われるでしょう?、あるいは、サボってるとか」

はやり「そうだね。私の評判は京太郎君の評判だもんね」

京太郎「…ま、でも、あんまりそういうの気にしないでいいっすよ」

はやり「どういう意味?」

京太郎「好き勝手振る舞ってもらって構わない、ってことです」

はやり「なんで?」

京太郎「なんでって、そりゃ…」

はやり「?」

京太郎「はやりさんくらいのすごい人が好き勝手やったら、俺の評判もうなぎ上りですからね」

はやり「……いやー、もう好き勝手やっちゃってるっていうかなんていうか」ボソボソ

京太郎「なんです?」

はやり「ははは…なんでもない、なんでもない」

京太郎「?」


はやり「え、えーと、ほらっ、境内にも明かりがつき始めたね。綺麗ー」

なんだか、話を逸らされた気もするけど、まっいいか

京太郎「そうですね。こういう場所だからか、余計雰囲気出ます」

恋人同士、とかだったらなおさら良いに違いない。それは流石に高望みか


京太郎「そうだ、はやりさんって日本の神話にも詳しんですよね」

京太郎「だったら、好きな神様は何ですか?」

はやり「好きな神様……うーん、特にいないかなあ」

京太郎「なーんだ。ちなみにですね、俺は須佐之男(スサノヲ)が好きですよ」

はやり「…へえ、どうして?」

京太郎「咲から聞いた話なんですけどね、須佐之男って最初は問題児だったていうじゃないですか」

はやり「そうだね」

京太郎「それなのに更生して、矢俣遠呂智(ヤマタノオロチ)を倒したり、他の神様を助けたりと、ヒーローに生まれ変わる」

京太郎「男の子だったら、やっぱりこういうのは憧れますよ」



はやり「…ふーん」

微かに目を細める仕草

京太郎「ん?、どうかしました?」

はやり「いや、なんでもないよ」

そんな風には見えないけど

はやり「あっ、そうそう。私、好きな神様はいないけどね」

京太郎「?」

はやり「嫌いな神様だったらいるよ」


それは、相手を突き放しているような、試しているような、そんな声だった

俺と話す時のはやりさんは、いつもならもっと、はやりさんらしい声を出す。だけど、この声だけは違った

これは、かつて俺が気分を害したときによく聞いた声。そう、これは俺の声だ

余りにもそのまま過ぎて、思わずギョッとした

京太郎「へ、へえ…」

はやり「それはね、建速須佐之男命」

京太郎「えっ」



はやり「スサノヲだよ」


______

____

__



はやり「ばいばーい、京太郎くん!、またねー!」

京太郎「ええ、また明日です…はやりさん」



はやりさんの不機嫌な状態は、あの後すぐに治まった。というか、一瞬で霧散してしまったいうか

あれは、一体何だったんだろう?

いくら、はやりさんが須佐之男(スサノヲ)嫌いの乙女だったとしても、あの反応は少し変だった

たぶん、俺にも分からないような、彼女の内面の深くデリケートな部分を、意図せず触れてしまったんだ

途中まで、結構いい雰囲気だったのに、悪いことしちゃったな。俺ってほんとアホ…

京太郎「…入るか」

あまり深刻に考えたって、しょうもない。今日のことは忘れよう

家の中に入ろうとカバンから鍵を取り出して、ドアに差し込む

すると、後ろから


良子「グッドイーブニン、須賀くん」

京太郎「か、戒能プロ!?、こんなところで何やって…」

良子「君と、それにはやりさんの様子を見に、ちょっとね」

京太郎「そ、それはわざわざどうも」

良子「勝手なこと言って悪いんだけど、寒いから早く中に入れてもらえると嬉しいかな」

京太郎「ああ、すみません。すぐに鍵開けますから」

良子「…しかし、須賀くん。もうお互い下の名前呼び合っているなんて──実は年上キラー?」

京太郎「違いますっ!」


京太郎「先に連絡してもらえれば、もうちょっとマシなおもてなしができましたのに」

良子「より自然な状態を観察したくてね。授業参観では、実際の子供の様子なんて分からないよ」

京太郎「はあ。それで、何か分かりました?」

良子「いや、何も。ただ、仲睦まじくて、軽くジェラシーを感じたくらい」

京太郎「めちゃめちゃ、個人的なだけの意見じゃないすか…」

良子「なんだ、須賀くん。もっと、洞察溢れた超自然的な答えでも望んていたのかな?」

京太郎「そこまででは…」

良子「私は、普通の人間だよ。君だってそうさ、はやりさんだってもちろん」

良子「そういうのは、恐山のイタコにでも聞くといい」

俺にとっちゃ、あなたも十分イタコです


戒能プロは、お茶を飲み終えると、音を出さないようにして静かにテーブルに置く

良子「さて、もう話すことなくなっちゃったね」

京太郎「ほんとに様子を見に来ただけなんですね…」

良子「そうだ、確か君は清澄だったか。インターハイに来ていたってことは、麻雀は打てるのかな?」

京太郎「打てるもなにも、俺部員ですから最低限くらいのことならできますよ」

良子「えっ、須賀くんが?、これはソーリー…マネージャーか何かと…」

京太郎「アハハ…別にいいっすよ。俺なんて、石ころ帽子を被った人間よりも存在感が薄いって評判の人間ですからね…」

良子「Oh…」

京太郎「いいんだ、いいんだ…どーせ俺なんか県予選敗退の、面汚し…清澄が誇る、面目丸潰し男なんだ…」

良子「ほ、ほら、だったらネトマしよう、ネトマ!、私が、少し教えてあげるから、ねっ?」

京太郎「…うぅ、同情が心に沁みる」


_______

____

__


京太郎「ハハ…3位が一回で他が4位…ハハ…ヤッタゼ」

良子「うーん…」

京太郎「どうでした?」

良子「酷いもんだね」

京太郎「あんまりだ…」

良子「しかし」

京太郎「?」

良子「例えば…ここなんだけど、なぜこの牌を切ろうと思ったの?」

京太郎「えーと、そこは正直恥ずかしい話なんですが──勘です」

良子「勘…勘、ねえ……なるほど」

京太郎「ダメでした?」

良子「うんそうだね、ダメダメだね」

京太郎「うわーん」

良子「けど、終わった今になって考えてみると、まるで……いや、偶然?…しかし」

京太郎「はい?」


良子「君は、変な打ち方をするんだね」

京太郎「キュアリアス?」

良子「イエス。キュアリアス」

京太郎「みんなにもよく言われますよ。あんまりにも弱いんで、せめてもの情けって、やつですね。ハハハ…」

良子「ふふっ……確かに高校生ではそうかもね。分からないだろうね、これは」

京太郎「?」

良子「ねえ、須賀くん。今すぐそんな、勘に頼った変な打ち方はやめるんだ」

京太郎「え、えと…」

良子「私が教えてあげるよ。本当の麻雀の打ち方を」

京太郎「えっ」



良子「須賀くん、私の弟子になってみない?」

京太郎「はい!?」

良子「これからは、ぜひ"師匠"と呼んでくれていいよ。なんだったら、"マスター"でも」

京太郎「はい!?」

良子「私も、今から君のことを"京太郎"と呼ぶことにしよう。もしくは、"パダワン"だ」

京太郎「はい!?」

良子「私達の関係も、これでまた一歩完璧に近づいたね」

京太郎「いつから見てたんですかっ!?」


──11月上旬 長野 文化祭前日



─瑞原はやり


はやり「竹井先輩、どうでした?」

久「んー…やっぱりダメだったわ。たった一人のために、体育館の使用許可は与えられない、って」

はやり「…そうですか」

久「ごめんね。まあ、ほぼ決まってたものを取り消すってのはどうかと思うけど、校長の言い分も分からなくはないわ」

はやり「文化祭はみんなのもの、ってことですね」

久「うちの校長頑固だから、たぶん考えは変えないと思うわ」

はやり「なるほど…いや、無理言ってすみませんでした。受験だってあるのに」

久「いいのよ、気にしないで須賀くん。それにまだあなた、諦めてないでしょ」

はやり「あはは、バレましたか」

久「あなたが何をやろうとしてるのか知らないけど、部活の後に、和と一緒にやってることと関係があるのは確かね」

はやり「何のことだか」

久「とぼけちゃって。まっ、楽しみにしてるわ須賀くん。じゃね」

はやり「はい、お疲れ様です」



はやり「うーん、どうしよっか…このままじゃ、プロデューサー失格だよ」

京太郎くんに相談してみようかな


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



─2週間前


はやり「今日のレッスンもよく頑張ったな」

和「いや、私なんてまだまだ。プロデューサーさんに比べたら…」

はやり「俺のようになるには、長い訓練と経験が必要だ」

和「訓練と、経験…?」

はやり「練習だけではダメだ。頭の中で描いた理想を、現実で表現することができて初めて、人を感動させることができる」

和「プロデューサーさん…」

プロデューサーさんってすごい…、みたいな顔してるけど、当たり前のことだからね、これ

チョロ過ぎるよ、和ちゃん

はやり「んんっ…さて、そこでだ」

和「?」

はやり「来たる2週間後、文化祭が待ち構えているのは知っているな」

和「は、はい」

はやり「そこでだ!!、そこで和には、単独ライブを行ってもらう!」

和「…………ええっ!?」

はやり「場所はもうすでに確保した。体育館の演目のトリだ。おいしいだろう?」

和「む、むむむむ無理ですよ!?、歌だってダンスだって、まだまだなのに、いきなりそんな!?」

はやり「無理だから、できないからやらないでは、いつまで経ってもできないままだ」

和「そ、それはその通りですけど…」

はやり「舞い込んだチャンスをモノにする…これもアイドルに必要な資質だ」

和「で、でも」

はやり「そう、そしてそれは麻雀であっても同じこと」

和「!!」

はやり「また一つ強くなるチャンスだ、和。やってみないか?」

和「はい!!」

やっぱりチョロい



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


確かに、あの時点ではきちんと場所を確保できていた

しかし、あれからすぐのこと

体育館のスケジュール表が出来上がったとのことで、実行委員に渡された用紙を見てみると

なんと、私の指定した時間帯は、まったく別の部活動のために割り振られていたのだ

校長先生に直訴しに行ったんだけど…


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校長『ダメだ。文化祭中の体育館のスケジュールは、厳正なルールの元に決められている』

校長『残念ながら、優先順位と言うものが存在するのだよ。うちでは、部活優先と決まっている』

校長『なに?、実行委員との口約束など、この場合無効だ』

校長『それに、君はなにか裏で手を回していたようじゃないか。ネックは時間帯かな?』

校長『まあ、なんでもいいが。しかし、学生生活には公正さというのが必要なのだよ』

校長『さあ、帰りたまえ』


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とかなんとか

まあ……内木くんをマホちゃんの体操服姿の写真で買収してさ、便宜図ってもらったのは確かだし悪かったけどさ…

文化祭実行委員会にスパイ(内木くん)を送り込んで、いろいろ情報を仕入れてもらったりしてたけどさ…

でも、困ったなあ。これじゃあ、和ちゃんの初ライブが台無しになっちゃうよ

久ちゃんには、学生議会にあたってもらったけどダメだった

校長は、結局折れることはなかった

もう、こうなったらゲリラライブをするしか…

いやいやいやいや、和ちゃんみたいな清純派アイドルにそういうイメージはそぐわない

やはり、なんとかして校長を説き伏せるしかない

はやり「京太郎くん…」

もし可能なら、私に知恵を貸して


─須賀京太郎



呼び鈴の音がした。のそりとベッドから起き上がり、ドアを開けに行く

京太郎「はいはい、なんですか勧誘ですかお断りですよ」

はやり「……やっ」

京太郎「はやりさんですか。どうかしました、こんな時間に?」

はやり「京太郎くんにちょっと相談があるの。お願い、聞いてくれる?」

京太郎「そりゃあ…他でもない、はやりさんの頼みなら」

はやり「ありがとうっ」ダキッ

京太郎「はいはい、分かりましたからどいてくださいね」

抱きつかれるのも、だいぶ慣れてきたな


中に招き入れると、会話を始める

京太郎「さて、どんなお願いなんでしょうか?」

はやりさんレベルの人間が、他の人に何かを頼むということは、かなりの難題だぞこれは

はやり「えーと、その…」

珍しく言いにくそうにモジモジしている

はやり「あー…明日、文化祭があるよね」

京太郎「そうですね」

はやり「それで、私、体育館の使用許可を取ろうとしたんだけど──」

事情を要領よく、簡潔に俺に説明してくれるはやりさん

しかし、何のために体育館を使うのか、そこだけはスルスルとかわされてしまった


京太郎「はい、何となく分かりましたけど」

はやり「お願い、私に力を貸して…」

京太郎「……」

いつになく謙虚な態度だった。大切なことのようだった

そりゃ、俺だってはやりさんの力になりたいんだけど、校長ねえ…

あの人頑固って有名だから、たぶん妥協なんかしてくれないと思うぞ

はやり「ちっ、なにか弱みにつけ込むことができさえすれば…」

怖いこと言ってるよ、この人…

校長の弱みなんて、俺──



『我らがはやりんはオンリーワンということだよ』



京太郎「あ」

はやり「あ?」

京太郎「んー…」


いやでもいいの、これ?、確かに、これをネタにすれば、校長を説得(脅迫)できる可能性は高い

しかしもし、はやりさんが校長の正体を知ったなら、たぶん彼女は自分のファンに対して厳しく出られなくなる

そうしたら、校長との交渉も自ら辞退するかもしれない。なぜなら、はやりさんはアイドルなのだから

はやり「どうしたの?」

逆に校長の立場になって考えてみよう

もし、俺が校長だったら、自分の関知しないところで、はやりさんにファンであることを知られたくないと思うだろう

特に、校長は社会的地位もある、分別も理性もある大人なのだ。趣味はアレだけど

そして、校長は瑞原はやりの熱狂的なファンであり、俺のファンなのだ

瑞原はやりだったら、ファンを大切にしなくてはならない

はやり「京太郎くん?」

でも、はやりさんだって、俺にとっては大事な人であって

京太郎「ぬおー…!」

はやり「どうしたの!?」

悩ましい。板挟みとはこのこと


そうだ、瑞原はやりだったら、こういう時どういう風に考える?

二人とも傷つかない、スペシャルな方法を見つけ出すはず。それは


『では、皆さん行きますよー。一足す一はー?』

『『はやっ!』』


集合写真だ!

京太郎「……」

はやり「ど、どうしたの?、急に立ち上がったりして…」

引き出しの中を探す

あった!、この写真をうまく使いさえすれば

はやりさんには見えないように、厚手の封筒にそれを入れる

京太郎「はやりさん、これを」

はやり「これは?」

京太郎「これを校長に見せれば、俺の見立てではまず間違いなく大丈夫です」

はやり「えぇ…?」

京太郎「ですけど、お願いです。この中身は決して覗いていけません、決して」

はやり「で、でも、中身がなんなのか分からないと、どういう風に交渉すればいいのか分からないよ?」

京太郎「大丈夫です。はやりさんのアドリブ力なら、問題ありません」

はやり「そ、そう?」

京太郎「あと、もう一つ、これは瑞原はやりからのお願いです」

はやり「う…うん」

京太郎「校長先生のこと、嫌いにならないであげて」

はやり「う、うん…京太郎くんがそこまで言うなら」

京太郎「ありがとうございます」

はやり「あー…でも、あの人どっかで見たことあるような気がするんだよね、気のせいかな?」

京太郎「…きっと、気のせいですよ」


──11月上旬 長野 文化祭当日



─須賀京太郎


いよいよ、文化祭当日となった

祭りが始まる前の朝っぱらから、はやりさんに呼び出され、早々久々の清澄高校までやって来ていた

爽やかな秋晴れ。絶好の文化祭日和

身体は違うし、服だって制服ではないけど、慣れ親しんだ通学路を歩いていると、嫉妬にも似た感情が沸いてくる

校門付近までやって来ると、壁に寄りかかるようにして、はやりさんが俺は待ち構えていた


京太郎「はやりさん、おはようございます」

はやり「ああ、京太郎くん。おはよっ!」

京太郎「待っていてくれたんですね。ありがとうございます」

はやり「いいのいいの。今日は、私が案内してあげるんだから」

京太郎「俺の高校ですよ?」

はやり「私の高校でもあるよ?」

京太郎「はっ、言いますね」


京太郎「なんでこんな朝早くから呼び出したりしたんですか?」

はやり「うーんと、ね……今から校長室行くから一緒来てもらいたいかなー、って思ったりみたりして」

京太郎「ええ…まだ済ませてなかったんすか。一人で行ってきてくださいよ」

はやり「お願い、一人じゃ不安なの…」

京太郎「まあ…いいですけど。途中までですからね」

はやり「ありがとう!」


校門をくぐり、校内に入っていく

いつもと違って、手作り感溢れる装飾が施してあったり、立て看板がいくつもあったり、屋台が準備してあったり

ともかく、俺の知っている清澄高校の日常風景とは、明らかに異なっていた

祭りとは異様なものだ。日常とは切り離された非日常

頭がクラクラしてきた


下駄箱にて持ってきたスリッパに履き替え、いよいよ校舎内に入った

空気が乾いているからなのか、スリッパで床を叩く音は、ずっと遠くまでよく響いているようだった

まだ、朝早くだからだろう。人もまだあまりおらず、廊下には俺たち以外には見当たらなかった

学校を独り占めにした気分に浸りそうにもなってしまう。錯覚だった


はやり「着いたね」

京太郎「校長先生って、もう来ているんですか?」

はやり「教頭先生は、昨日そう言っていたけど」

既に、そこまで外堀を埋めていたのか

所々抜けているように見えても、やはりそこははやりさん。抜かりはないようだった

京太郎「じゃあ、俺はここから見ているんで」

はやり「うん、分かった」

京太郎「ああそうそう、これなんですけど」

はやり「?」

京太郎「後で校長に、匿名で渡すつもりだった物なんですけど……はやりさん、ついでにお願いします」

はやり「あげちゃっていいの?」

京太郎「きっと、喜ぶでしょう」

マネージャーさんから、たまたま貰っただけだし

はやり「アフターケアってやつだね。さすが京太郎くん」


はやりさんは、ドアを完全には閉じずに隙間を開け、意気揚々と校長室へと入っていった

俺は、そのわずかな隙間から、二人の様子を覗くことにした


はやり「失礼します」

校長「ん?」

はやり「おはようございます、校長先生。須賀京太郎です」

校長「おお、おはよう。で、こんな朝早くから、何か用かな?」

はやり「要件の方は、変わりありませんよ。体育館の使用許可を頂きに、ね」

校長「君も懲りんな。できないものは、できないのだ」

はやり「へぇ……その強気な態度、いつまで保てますかねえ」

校長「ほう、何か秘策でもあるようだ」

はやり「察しが良いですね。なら、話は早い。これをご覧になってください」

校長「ん…?、なんだね、この封筒は?」

はやり「見れば分かりますよ」

校長「ふんっ、どうせ大したものでは…………って、は、はやあぁっ!?、こっ、この写真は!?」

はやり「写真…?」

校長「どこで、一体これをっ…?」

はやり「さあて、なんのことだか」

校長「くっ……まさか、うちにスパイが?、内木君?……いや、彼にそんな素振りは……」

はやり「?」


校長「ならば、各界から危険視されているという、過激派の仕業かっ!?……無理やり改宗を迫るという、あのっ!?」

はやり「え、えーと…」

こっちを見られても困る、俺だってその界隈のことは詳しくない

はやり「な、なんのことだか分かりませんが、俺はそんなんじゃありませんよ。ただ、あなたと交渉しに来ただけなんですから」

校長「くっ、白々しい!、私は、テロリストなどには屈しないぞ!」

はやり「ほう……ならその写真、ご家族の方にお見せしてしまってもよろしいんですね?」

校長「な、なっ……」

はやり「教頭先生から聞きましたよ。家族仲は大変良好だと」

校長「……っ」

はやり「家族写真も見せてもらいましてねえ……娘さんは、今度大学進学のために東京に行ってしまわれるとか」

校長「おのれぇ…」

はやり「その可愛らしい娘さんに、その写真を見せたら、どんな面白い反応をしてくれるんでしょうねえ」

校長「娘は、娘は関係ないだろうっ!?」

はやり「へえ……」ニヤニヤ

校長「うっ……くぅ……」

はやり「娘さん、とても綺麗な人なんですねえ。父の日には、ネクタイを頂いとか」

校長「教頭ぅぅ……なぜ漏らしたのだ……」

はやり「しかし、来年は貰えないかもしれませんねえ。もしかしたら、東京に行ったっきり、もう帰ってこないかもしれませんねえ」

校長「う、うちの、娘は……そんなことっ…!」

はやり「校長先生だって知っているくせに。些細なことであっても、たとえ家族であったとしても、離れる時は一瞬だってことを」

校長「くぅぅ……」

はやり「さあさあ、早く答えを聞かせてくださいよ」

校長「っ……………な、何が望みだ?」

はやり「ふっ、ははっ……では、体育館の使用許可を。時間は最後でお願いします」


校長「今更、変更はきかんからな…仕方ない、時間を延長してそこに入れるとしよう」

はやり「ありがとうございます」

校長「くっ……私など、校長失格だ」

はやり「あなたはあなたの仕事をし、俺は俺の仕事をしたまでです。たまたま、それが相容れなかったというだけで」


はやり「ああ、そうそう。その写真は好きにしてもらっても構いませんよ」

校長「……」

はやり「それと、これはお礼の品です。受け取ってください」

校長「情けなどむよ……封筒?、中身は──こ、これはっ…!?」

はやり「?」

校長「出版社の都合で、遂に市場に出回ることのなかった言われる、幻のっ……どこでこれをっ!」

はやり「えーと…」

校長「べ、別に嬉しくなんてないんだからねっ!!」

はやり「抱き締めながら言われましても…」

校長「ふおぉぉぉ、帰ったら早速抱き枕を購入せねばっ!、オラ何だかワクワクしてきたぞ!!」

はやり「ええ、と……じゃ、じゃあ、失礼しますね?」


ドアを開け、はやりさんが校長室から出てきた

京太郎「うまくいきましたね」

はやり「うん、そうだね」

ちょっと、卑怯な手段だったかもしれないけど、結果オーライか

はやり「でも、校長先生に何あげたの?、やたら喜んでいたけど」

京太郎「……安眠は、人類の夢なんですよ」

はやり「んんっ…?」

京太郎「校長の睡眠の質は、格段に向上するはずです。それだけは確実です」

はやり「ま、まあ、よく分からないけど……幸せそうならそれでいいのかもね」

京太郎「ええ」

グッバイ、校長。奥さんには見つからないように、お気をつけて


校長とのやり取りを終えると、人の気配が学校中に満ちてきていた

そろそろ、始まるらしかった


京太郎「はやりさんは、午前が自由時間なんでしたっけ?」

はやり「そそ……だ・か・ら、この時間は京太郎くんと一緒にいられるね。嬉しい?」

ニヤついている。どうやら、俺をからかっているみたいだった。なら──


京太郎「ええ、とても嬉しいです」

ズイッと、一歩はやりさんへと迫る

はやり「へ」

京太郎「あなたの近くにいると、胸のあたりがドキドキして、堪らない気持ちになって」

胸の中に飛び込む

はやり「え、ちょ、ちょっ……//」

京太郎「こんな気持ちになるのは、生まれて初めてなの。ううん、もう我慢なんてできない」

抱きつくようにして、腰に腕をまわして

はやり「ま、ま、まって……////」

京太郎「私ね、あなたになら、私の初めて──」

上目づかいになって──


咲「あわわわ……あれが噂の肉食系ってやつなのかな…///」

優希「京太郎、襲われる」

まこ「こ、こここは、校内じゃぞ……/////」

久「あらあらあらあらあら」


はやり「」

京太郎「」


久「どうぞ、続けて?」


はやり「」

京太郎「」


咲「だめだよ京ちゃん、あなたにはハギヨシさんという運命の相手が///」

まこ「そ、そそういうのは、時と場所をわきまえてじゃな……ほ、ほら自宅のベッドとかあるじゃろう……///」

優希「このことを教師陣にばらされたくなかったら、タコスを100個無償で提供するんだじょ」


はやり「」

京太郎「」


________

_____

__


まこ「な、なんじゃ、そうことじゃったか。紛らわしいことしおって…」

はやり「す、すみません」

久「別に、嘘つかなくたっていいのよ?」

はやり「そんなんじゃありませんって、ただの近所のお姉さんですから!」

京太郎「あはは…」

咲「ふふっ、よかったあ。やっぱり京ちゃんには女の人よりも──」

優希「咲ちゃん!、早くこっちに戻ってくるんだじょ!」


久「文化祭を見に来られたんですか?」

京太郎「え、ええ…そうなの。京太郎くんに来ないかって、誘われてね」

久「仲がいいんですね、須賀くんと」

京太郎「い、いやあ、そんなこと…」

はやり「あまり質問攻めしないでくださいよ。困ってるじゃないですか」

久「あらあら、王子様気どりかしら?、かーっこいいー」

はやり「もうっ、竹井先輩はいつもそれなんですから!」

久「まっ、ほんとのことなんてどうでもいいわ。そのうちボロが出るだろうしね」

はやり「むっ…」

久「文化祭の方、楽しんでいってくださいね」

京太郎「うん、ありがとう。久ちゃん」

久「えっ、私、名前なんて言いましたっけ?」

京太郎「うん、さっき言ったじゃない」

久「そ、そうだったかしらねえ…?」


まこ「ほら、久。あまり邪魔すると…」

久「そうね…。では、また。お姉さん」

京太郎「うん、じゃあね。みんな」

久「あと、須賀くん。聞いたわよ、校長先生のこと。学生議会にもさっき連絡があってね」

はやり「さすがにお早い」

久「私たちも行くから楽しみにしているわ、じゃあね」

はやり「ええ、ではまた」



はやり「……」

京太郎「……」

はやり「……」

京太郎「ごめんなさい、ちょっと調子に乗り過ぎました」

はやり「いいよ、私もちょっと油断してたし」


京太郎「みんな、元気そうにしていましたね」

はやり「いつも元気にしてるよ」

京太郎「そうですか」

はやり「じゃあ、そろそろ時間だし行こっか」

京太郎「ええ」


もう、周りには人が溢れようとしていた

文化祭が始まっていた


二人で並んで歩きながら、とりあえずどこに行くかを決めた

あれこれ意見を交わしながら、まずは空いた小腹を満足させるために、外の屋台を回ることにした


はやり「ねえねえ、あれなんかどうどう?、おいしそうだよ」


楽しそうな、はやりさん

ほとんど無邪気に、あれがいい、これもいい、自由に行ったり来たりしていた

俺は、半分いい加減になりながらも、半分高校生に戻ったつもりで、会話を繋げていった


はやり「どう?」

京太郎「んまい!」

はやり「でしょ?」



屋外の出し物をあらかた見終わると、再び校舎内に戻ってきた



はやり「ねえ、どこ行こっか?」

京太郎「うーん、そうですねえ」

はやり「あれなんて、どう?、『大阪弁で見る世界名作劇場』だって」

京太郎「劇ですか。面白そうですね。行ってみましょっか」

はやり「うん!」


________

____

__


はやり「あははっ、いかれこれやわ、だって!」

京太郎「ロミオとジュリエットが傑作でしたね」

はやり「感動的なシーンなのに、「ロミオは~ん!」はないよっ」

はやり「それまで、普通に呼んでたのに……ぷっくく、最後の最後であれは絶対卑怯だよ」

京太郎「…ロミオは~ん」

はやり「ちょ、ちょっとやめてよ!」


そんな風に、先ほどまで見入っていた劇の感想を話し合っていたときだった

後ろから、聞きなれた声で、聞きなれない台詞が飛び込んできた


「プロデューサーさ~ん!」


プロデューサー…?、それは、学校では、まず耳にすることのない言葉のはずだった

しかし、それは、俺達の方に向けて発せられたようにも感じられた

いや、文化祭期間だからな、劇かなにかの練習かもしれない

普通に考えて、誰かにそんな呼び方をさせる変態は、この学校にはいないはずだから

もし、そんな奴が知り合いにいたら、絶対他人の振りをする


はやり「おう、和か」

和「はい!」

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「って、あんたかああぁぁ!?」

和「?」

はやり「あちゃー…」


京太郎「ちょおおっと!、一体全体、どういうことですか、これはっ!?」

はやり「えーと、これには相模湾くらいのふかーい事情があってですね…」

京太郎「相模湾の深さなんか知ったこっちゃないですよ!?」

和「……??」

はやり「ちょ、ちょっと……京太郎くん」ヒソヒソ

京太郎「あっ」

やべっ、思わず大声出しちまったし、和に変に思われてるし

京太郎「……」ダラダラ

和「あの…プロデューサーさん、この方は?」

はやり「えーと、そのー……この人は、近くに住んでるお姉さんでな」

和「うーん…」

まだ、それでも変に思っているようだった


はやり「あっ!!、この人は、和のファン第一号さっ!!」

はやり「今日のことを話したら、ぜひ見に来たいっていうからさ、連れてきたんだよ!」

和「そうなのですか?」

京太郎「そ、そうそう!、インターハイでの活躍を見て、それでね!!」

一応、話を合わせておく。詳しい話は、また後で聞こう

京太郎「あの時の原村さんとっても素敵で、一目でファンになっちゃったの!」

和「はぁ、ありがとうございます」


はやり「こら、「はぁ、ありがとうございます」、じゃないだろ?」

和「ハッ」

はやり「ファンに対して、それじゃダメだ。もっと笑顔で真心を込めて。教えたろ?」

和「うっ、難しいです…」

はやり「まあ、初めはいいさ。次からちゃんとな」

和「はいっ、プロデューサーさん!」

はやり「うむ」

和「えへへ」

なんだこれ…


はやり「それで、なにか用か?」

和「いや、その……特にないんですけど」

はやり「?」

和「先ほど頂いたメールで、体育館でやるとの…」

はやり「おう、そうだな」

和「それが、心配でして…」

はやり「……大丈夫さ。お前なら」

和「そうでしょうか?」

はやり「誰だって最初は緊張するし、ミスだってする」

はやり「でも、それを乗り越えた先に、大事なものがあるから」

和「そう、ですね。私やります、私が──」

京太郎「?」

それは、今までに見たことのない、和の新しい表情だった

はやり「…うん、いい顔するようになったな。なら、大丈夫さ」


和「では、私、そろそろクラスの方に行かなきゃいけませんので」

はやり「おう」

和「では、失礼します」


京太郎「……」

はやり「……」

京太郎「……行きましたね」

はやり「……行ったね」

京太郎「それでは、説明を求めましょうか」

はやり「やっぱ、そうくるよねー…」


_______

____

__


京太郎「へえ、和がアイドルねえ……目の付け所がシャープですね」

はやり「でしょー」

京太郎「褒めてはないです」

はやり「だよねー」

京太郎「まさか、俺の高校生活が、いつの間にかあらぬ方向に…」

はやり「ご、ごめん」

京太郎「…いいですよ。別に怒ってもいませんし」

はやり「そう…?」

京太郎「まあ、黙っていたのはどうかと思いますけど」

はやり「うっ」


しかし、とすれば、はやりさんがあんなにも熱心に体育館の使用許可を求めた理由は

おそらく和のために


京太郎「なんで、和をアイドルにしてみようって思ったんですか?」

はやり「うーん…」

京太郎「?」

はやり「……分かんない」

京太郎「そうすか」


その後も、何ヶ所か出し物を見て回ると、午前の時間が終わってしまった

はやり「じゃあ、私も午後はクラスの方を手伝わなくっちゃいけないから、ここまでだね」

京太郎「ええ、分かりました」

はやり「時間になったら、体育館に来てね。きっといいものが見られるよ」

京太郎「楽しみにしています」


はやりさんは、駆け足になりながら、俺のクラスの方へと行ってしまった

途中、何度もクラスの男子連中と挨拶を交わしていく姿は、まさに男子高校生そのものだった

京太郎「…本当に、俺なんだな」

ちょっとだけ、羨ましくなった


さて、俺の方は、その時間までどうやって過ごそうか

そうやって、暇の潰し方を、頭の中で探しているときだった

近くの喫茶店をやっているクラスに、見知った顔を発見した

それは、俺にとって最も身近な人物の一人だった

京太郎「父、さん……?」

それに加えて、別の中年男性2人も、席を共にしているようだった

二人の人物が誰なのかは、よく分からなかったけど、どこかで見たことがあるような顔立ちでもあった

しかし、それが誰なのかは、一向に思いつかなかった


京太郎「まっ、いっか」


俺は、おじさん連中の会話などに興味がなかったので、その場を後にすることにした


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megumi「おい、お前ら何にする?、店員さん、私はアメリカンでお願いするよ」

kapi「ええと、俺はブレンドでいいかなあ。sakaiは?」

sakai「じゃあ、カフェオレで」

「かしこまりましたー」


kapi「しかし、またこうして3人で集まる日が来ようとな」

megumi「ふんっ、私はそんなのごめんだったがな。特にお前」

sakai「おいおい、ちょいとひでーんじゃねえか、それ」

megumi「貴様の顔など2度と見たくなかったよ」

kapi「まあまあ、2人とも落ち着いて」

megumi「お前もお前だ。そんな、なあなあしてるから、sakaiも増長して結局はああいうことにもなったのだ」

kapi「それは、もう終わった話じゃないか」

megumi「忘れるものか。こいつは家族麻雀で、あろうことか娘から金を巻き上げて、その金をうちの活動費に回してやつなんだぞ!?」

megumi「会員失格どころか、人間失格だぞ、こいつは」

sakai「会員は失格にされたけどな」

kapi「もう昔のことじゃないか。それに、sakaiのやつだって、はやりんの為を思っての行動だったし」

kapi「ただ、やり方を間違えた、ってなだけで」

megumi「因果応報だ。訴えてやろうかと思ったよ」

sakai「お前が言うと、洒落にならねえよ」


kapi「しかし、なんでみんなこんなところに来たんだ?」

sakai「俺は、娘に呼ばれて。今さっき行って、一緒に麻雀打ったらボコボコにされた」

megumi「ざまあ」

sakai「うっせー。じゃあ、堅物のお前はどうしてこんなところに来たんですかねえ?」

sakai「もしかして、女子校生目当てか?」

megumi「実は、私も娘に呼ばれてな。「どうしても見せたいものあるの」、って上目づかいで懇願されたら来ずにはおれんだろう」

sakai「ああ。確かにあんなに可愛い娘さんにそんなこと言われちゃあな。まあ、うちの娘たちの方が可愛いんだけど」

megumi「うちに娘の方が可愛いわボケェ。貴様の目は節穴なのか、んん?」

kapi「煽るなって、megumi」

kapi「ちなみにな、俺は息子に面白いものが観られるからって──」

megumi・sakai「野郎の話はどうでもいい」

kapi「」

sakai「そういや、プロ麻雀せんべいのカードなんだけどさ、はやりんのカードついに100枚到達したんだけど」

megumi「100ぅ~…?、私なんて半年前に4桁の大台に乗ったぞ、この貧乏人め」

kapi「俺、アラフォーのだけダブりまくってるんだけど、お前ら交換してくんない?、もちろん、はやりんのと」

megumi・sakai「しね」

kapi「」


megumi「なあ……突然なんだが、お前ら家族とうまくいってるか?」

kapi「なんだよ急に、悩みでもあるのか?」

sakai「どーせ、お前のことだから、はやりんか娘さんのことだろ」

megumi「なぜか最近、私のことを避けているみたいなんだよ、娘が…」

sakai「彼氏か彼女でもできたんじゃねーか?」

megumi「うちのにに限って、そんなのあるわけないもん!」

sakai「"もん"とかきめえよ、ぶっ飛ばすぞ」

kapi「ああ、もしかしたら、ここに呼んだのも、その彼氏とか彼女を紹介するためだったのかもな」

megumi「やめろ、やめてくれ、いやほんとマジで……胃がキリキリする」

sakai「お前、弁護士のくせに変なところで逆境に弱すぎ」

kapi「でも、お前をわざわざ呼んだってことは、何かしらの目的があってのことだろう?」

megumi「それはそうなのだろうが……一体、体育館で何をやるっていうんだ」


kapi「体育館?、そういや、うちの息子も体育館に来いって言ってたよ」

sakai「おっ、いよいよ『娘の彼氏説』が濃厚になってきたな。しかも、会長と副会長様の子供同士と来たもんだ」

kapi「世も末だな」

sakai「お前が言うなよ」

megumi「そんなオカルトありえん」


kapi「しかし、本当に体育館で何やるつもりなんだろう?」

sakai「まあ、見てのお楽しみだろ。それまで、久々にはやりん談義に花を咲かせようじゃないか」

megumi「そういや、この間はやりんのライブ映像見ながら、久々に振りつけの練習してたら腰やりそうになってなあ」

sakai「ははっ、ばっかでー」

kapi「俺は、今でもはやりんとデュエットできる自信ある」

sakai「まず、その想定がありえねーよ。その役柄は俺に決まってる」

megumi「なあなあ、今日ここ来るときに、なぜかはやりんの香りがしたのは私だけの気のせいだろうか?」

sakai「あるある」

kapi「最近息子の身体から、なぜかはやりんの香りがただよってきてなあ…」

sakai「おいおいマジかよ。今度紹介してくれ。そして嗅がせろ」

mwgumi「その匂いを分析して、はやりんパヒュームの香水を作るのもありかもしれんな」

sakai「おいおい、天才か…」

kapi「うちの会員に、確かフレグランス関連の企業の社長がいたから、彼に頼んで──」




「なに、このおっさん達……ヤバい」

「あっ、もしもし警察ですか。ええ、ええ…そうです。特Aクラスの三人組の怪しい変態中年男性が──」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


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____

__



校内をブラブラ見て回っているうちに、いよいよ時間になった

途中、なぜかパトカーがやってきたりしていたけど、大事には至らなかったようだった

生徒たちが噂しているのを聞いたら、三人組の中年変質者がやってきていたとのこと

世も末だ。よもや、こんな田舎町にも変質者など。誰かの親だったのだろうか?

そんなのが親にいたら、赤っ恥だよまったく

何はともあれ、そんな人達とは決して関わり合いたくないもんだ


俺は、体育館へと向かっていた

これから俺が──いや、ここの生徒や先生が、その保護者や友人たちが、一体そこで何を目の当たりにするのか

なんだかこっちまで緊張してきた

はやりさんや和が、なにを妙な事を企てているのか、その察しはついてはいるけど、こればっかりはどうしようもなさそうだ

俺は今、期待と不安でいっぱいだった。自分のことでもないのに


校舎を出て、体育館に通じるコンクリート製の通路を、俺は興奮を押し殺しながら無表情に渡っていく

途中何度も、何がおかしくて笑っているかのか分からない、うちの生徒達とすれ違った

そして、体育館


入り口付近には、はやりさんが待っていてくれていた

はやり「来たね」

京太郎「来ました。あと、そのサングラス似合ってません」

はやり「そうかな?、ちょっとくらい、プロデューサーらしくしてみたんだけど」

京太郎「それと、その、肩にかけたセーターも正直言ってダサいです」

はやり「ええー、プロデューサーといったら、肩にセーターでプロデューサー巻きと相場が決まっているんだよ?」

京太郎「プ、プロデューサー巻き…?」

はやり「?」

ジェネレーションギャップらしい


京太郎「和に付いていてやらなくていいんですか?」

はやり「もう、私にできることは何もないよ。後のことは、和ちゃんに任したの」

京太郎「意外と突き放すんですね」

はやり「人間は一人じゃ生きてはいけないけど、一人で生きていこうとするくらいの気概はなくっちゃね」

京太郎「しょせん女は一人、ってわけですか」

はやり「結局、最後にやらなくちゃいけないのは自分だから」


はやりさんは、まるで夢と現実を同時に見ているかのようにして、まだ幕の上がらない舞台の方をじっと見つめていた

自問でもしているみたいだった


そんな会話を二人でしていると、後ろから声が掛かってきた


久「やっほー」

まこ「混んどるのう」

咲「あっ、京ちゃん!」

優希「何が始まるんだじぇ?」



はやり「ああ、みんな来てくれたんですか」

久「まっあねー」

はやり「さあさあ、みんな前の方の椅子に座ってください」

はやり「俺は、後ろで立ち見しているんで」

久「そう?」


はやりさんは、このまま後ろで見るつもりなのか

だったら

京太郎「京太郎くんがそうするなら、私もそうするよ。いいよね?」

はやり「別に構いませんが……ここからだと、よく見えないかもしれませんよ?」

京太郎「ううん、いいの。だって、あなたと一緒に見たいから。だめ、かな?」

みんなの手前もあるので、女性らしく、少し首をかしげる仕草をしてみる。我ながら、悪くないと思う

はやり「…っ///」

京太郎「ん、どうかしたの?」

はやり「い、いえ…な、なんでもありません」

変なの



久「これは、もしかしたら、本当にもしかするのかもねえ…」

まこ「ラブロマンス、略してラブロマじゃな」

優希「ラブ、ロマ…?」

咲「今度貸してあげるよ」


咲たちは、はやりさんの提案通り、前に用意してあった椅子の方に並んで座ったようだった


時間だ

照明が落ちてゆく。ひとつ、ふたつ、みっつ

モノとモノとを隔てる明確な明かりがなくなり始め、現実感が薄れ始めた

いよいよらしい

なぜ、人はこうも、閉塞感とともに感じる暗闇というものに対して、どうしようもなく興奮を覚えるのか

謎である


京太郎「なんで、こういう時って照明を落とすんでしょうね」

はやり「うーん…」

京太郎「?」

はやり「それはね、これが一種の神事に他ならないからだよ」

京太郎「神事…ですか?」

はやり「閉鎖空間での集団を、通常とは異なる外的な要因にさらしてみると、面白い反応をすることがある」

はやり「トランス状態ってやつだね。そしてそれは、お祭りや儀式には必要不可欠なもの」

京太郎「はあ…」

はやり「あとはそこに、神職や巫女、所謂シャーマンと呼ばれるものを登場させれば、形としては神事のようなものが出来上がる」

はやり「内容がどうであれ、ね。暗闇ってのはね、そういうのにうってつけのものなの」

京太郎「さながら、この舞台に上がるやつは、場を取り仕切るシャーマンってわけですか」

はやり「ちょっと言い過ぎかな?」

京太郎「アイドル=シャーマン説ですか……流石にないっすね」

はやり「あちゃー」

京太郎「でも、もしそうなら、瑞原はやりな今の俺も神職ってことですね。神社に就職するのもありかもしれません」

はやり「金髪はないんじゃないかなあ」


「さて、お待たせしました。体育館での演目も、これでいよいよ最後になります」

「そして、その大舞台に挑むのは、本日急きょ、トリを務めることになりました!」

「皆さんご存知、我が清澄高校が誇るスーパー雀士にして、大天使、野郎はともかく女性すらも虜にする!!」

「さあ、皆さん驚かないでくださいね!、それは────この人ですっ!!」


司会の合図とともに、照明が舞台の中心に向けられた

幕が上がる

そして、そこにいたのはもちろん──


はやり「来た、私のアイドル」


原村和、その人だった


「「「…………」」」


シーンという音が聞こえそうなほどの圧倒的な沈黙

前方にいるみんなも、身体を硬直させてしまっていた

どう反応していいのか分からないみたいだ

ちなみに、俺も分からない


はやり「ねえ、みてみて。あの衣装、私が作ったんだよ」

はやり「和ちゃんをイメージして、天使っぽい感じにしてみたんだけど、どうどう京太郎くん?」

はやり「くる?、きちゃう?、も~、キュンキュンしちゃうよね?」

自慢げだな、おい……この人だけは、打って変わってはしゃいでいた

お願いですから、後で和のスリーサイズを教えてください


和も緊張している様子だった

俺が、初めて大衆を前にしたときも、あんな感じだったに違いない

それでも和は、意を決したようにして、唾をのみ込む仕草をした。腹をくくったみたいだ


和『あ、あの……私は、原村和といいます』


マイクから聞こえてくる声は、俺とはやりさんくらいにしか分からないくらいには震えていた

だけど、表情や仕草の方は、こっちまで恥ずかしくなってくるほどカチコチだ


和『あの、あのっ…!、これを始める前に、ほんの少しだけ私の話をさせてください』

和『私、誰かさんの口車に乗せられて、こんな衣装を着て、こんな場所に立っているような気がするんですけれど』


はやり「……あはは」


和『けど、その人が、私に言ってくれたんです。私には、何かに成れる可能性があると』

和『別に、その話を心の底から真に受けたわけではありませんでした』

和『けれど、何をどうしていいのか分からなかった私にとって、それはちょっとだけ魅力的な提案でもあったんです』

和『思わず、承諾してしまいました』


はやり「……」


和『あれから、今までまったく知らなかった、少しの興味すらなかったことを、たくさん学びました』

和『どうして私が、こんな他人に媚びるような真似を──、と何度も何度も思いました』


はやり「……」


和『正直に言って、私は彼のことを最初、ちょっと頼りない人だと思っていました』

和『実力はお世辞にもありませんでしたし、そのくせ大して努力しているようにも見えませんでしたし』

和『それなのに、ちゃっかり私の大切な友人たちのすぐそばにいたりもして……これは嫉妬かもしれませんけど』


京太郎「……」


和『私は、彼に負けたんです。傍から見たら、そうは見えなかったかもしれません』

和『それでも、負けたんです。自分より遥かに弱いと思っていた相手に』

和『私の世界は余りにも小さくて、彼のは途方もなく大きかったんですね』

和『私と彼とでは、見ている世界がまったく異なっていたんです』


はやり「……」


和『彼は強くはありませんでした。ただ、私が弱かっただけの話だったんです、結局は』

和『とても、簡単なことだったんです』


はやり『……』


和『私は、彼のことをちょっとだけ、信じてみようと思えるようになりました』

和『今まで、心の底からそんな風に思えた人は、この片方の手のひらに収まるくらいだったのに』

和『でも、そうしてみたら、私の中にあった、あのモヤモヤとした気持ちが、いつもの間にか別のものに変化していたんです』

和『私は、何かに成れるかもしれない、と』


京太郎「……」


和『それが何なのかは、未だによく分かりません』

和『けれど、今日、これからやることを通して、理解できるようになると、私は信じています』

和『私は……私はっ!!』


前奏が掛かった

和が、後に続く言葉を言わないうちに、曲が始まる

しかし、俺には、和が何を言おうとしていたのか、何となく理解できた

和はきっと



和『歌いますっ!!』



_______

____

__


和『さあ!、次の曲は、プロデューサーさんが特別に用意してくれた曲です!』

和『さそり座☆もう三十路 Don't be late !!』

和『私の歌を、聴いてください!!』


「アラサーだけどおおぉぉ!!、三十路じゃないよおおぉぉぉ!!!」

「うおおおおおぉぉぉ、のどっちー!!、うおおおおお!!」

「きゃああ、今私のこと見てくれたよね、よねっ!?」

「のどかちゃーん!、の、のーっ、ノアアーッ!!、ノアーッ!!」


大変なことになっちまった…

京太郎「なんだか、凄いことになっちゃいましたね…」

はやり「我が校の有名人、普段とのギャップ、荒削りながら私が鍛え上げた身のこなしと歌唱のテクニック」

はやり「そして、文化祭という非日常の特別な空間。しかも、祭りの締め」

はやり「当然の結果だね。想像通り。私、プロデュースの才能あるのかも」



校長「これは、はやりんの新たなライバルの登場、かな?」ガシッ

内木「な、なんですかぁ、急にぃ!?」



和『おまかせしなさーい もっとー壊しーて あーげるー、アーゲルー♪』

和『さそり座☆もう三十路 Don't be late ♪』




京太郎「何やってるんですか…?」

はやり「ビデオ撮ってるの」

京太郎「そりゃあ、見れば分かりますが」

はやり「うん?」

京太郎「はやりさんなら、そんなスマフォじゃなくて、もっとマシな機材を用意できたでしょうに」

はやり「分ぁーかってないなあ、京太郎くん」

京太郎「なにがです?」

はやり「和ちゃんに、今必要なのは、ずっと熱心に応援してくれるようなコアなファンだよ」

はやり「だからこそ、このチープな映像がのちのち活きてくる」

京太郎「えーと、何の関係があるんでしょう?」

はやり「この程度のお世辞にも綺麗とはいえない映像をネットにアップロードしても、ほとんど人は素通りするけど」

はやり「けど、中には根気よく最後まで見てくれる人もいて、さらにその中には和ちゃんのファンになってくれる人も必ずいる」

京太郎「なるほど、"自分だけが知っている"という自分だけの──つまりは、独占欲みたいなものを満たしてあげるわけですね」

はやり「そういうこと。まずは確かな基盤を作るわけだよ」

京太郎「きたない、さすが大人は汚いっ!」

はやり「私、男子高校生、略してDKだから、そんなこと言われても痛くも痒くもないもんねー」



校長「こうしちゃおれん!、さあ、内木くん。次のライブに備えて、さっそくコールの練習だぞ!」

内木「な、何なんですかあ!、さっきからっ!?」


和『赦されないのは 偽りの君の年齢(トシ)♪』

和『美貌という名の 儚い奇跡♪』



「偽ってないよおおおおおぉぉぉぉ!!!」

「キャー、のどかちゃーーん!!、ごっぢむいで~~──」

「ノアアーッ!!、んアーッ!!、の、のあ──」



校長「ほらほら、そんなキレのない振りつけじゃ、はやりんを鼓舞することはできないぞ!」

内木「はぁ、はぁ…な、なんでこんなことに……マホちゃん助けて」



咲「和ちゃーん、頑張って―!」

優希「のどちゃーん、のどちゃーん!!」

まこ「これが若さかのう…」

久「若さ、若さってなんだ?」

咲「振り向かないことですね」


なんだかちょっと、直視したくない光景が広がったりもしているけど、みんながみんな、それぞれの楽しみ方をしている

それは、和がみんなを楽しませているということで、それがアイドルということで

スポットライトに照らされたその姿は、はやりさんのライブ映像そのままのようでいて、そう

京太郎「輝いてる」

そうか、和はアイドルに成ろうとしてるのか

はやり「そうだね、輝いてるね」

はやりさんは、そこに何を見ているのだろうか。はたして、俺と同じものを見ているのだろうか


宴は続いてゆく。和を中心にして、天から神様が降ってきたみたいだ

もしかしたら、はやりさんの言っていた通り、アイドルってのは本当にシャーマンなのかもしれない


人が倒れる音がした


「おいっ、megumi!、しっかりしろっ…!」

「megumi……ME・GU・MIーーーーィィ!!!」


これは、大きなことの前触れなのかもしれなかった

けど、そんなことは気にならなかった

俺の予想無視して、いつまでも宴は続いていった

_______

____

__


はやり「わー……綺麗だね」

京太郎「…ええ」

文化祭が終了した

和のライブが終わった後、倒れた中年の男性を乗せるため、救急車が来たりもしたが大事には至らなかったようだ

よほど、和のライブに興奮してしまったのか。あるいは、単に、体調不良が原因だったのか

どちらにしろ、救急隊員からしたら迷惑な話だったろうけど

まっ、それだけ、和のライブ成功したとも言えるのかもしれない


校庭に集まった俺たちは、学生議会が用意したキャンプファイヤーに見入っていた

カップ麺のように即席で作った期間限定のカップルが、人目をはばからずいちゃついていた

文化祭そのままの、女装した男子が、ふざけあって友人と踊っていた

歌を歌うのもいたし、詰まんなそうにポケーっとしている人もいた


俺たちはというと、特に喋るでもなく、体育座りをしながら、遠くからのその風景を眺めていた

そんな風に無心でいると、頭がボーっとしてくる。今日は、いろんなことがあったから、疲れたのかもしれない

まだ、和のライブが続いているような気さえしてくる


音が聞こえてきた

木の焼ける音が、空気を裂くようにして、パチパチ、パチパチ、と

像が歪んでいた。炎が、向こうの方から迫って来るような気がした。錯覚だった

たぶん、本当にそんなことになったら、ひとたまりもないだろう


揺らめく炎の向こう側に、一匹の鼠がいるのが見えた。白い鼠だった

行儀よくちょこん座りながら、俺の方を、その真っ赤な目でもって、真っ直ぐに見つめてきた

鋭い目つきだった

負けた気になるのも嫌だったので、少し意地になって、その目を真正面から見つめ返すことにした

しかし、何か自分の嫌な部分を見透かされたような気分になってきて、思わず目を逸らしそうになった

だけどその時、その鼠がこちらに向かって、口をパクパクとさせて、何かを伝えようとしてきた

なんだろう





「             」





上手く聞こえないな


はやり「どうかした?」

京太郎「!!、あ、ああ……あそこに白い鼠が一匹いてですね」

はやり「鼠……そんなのいないよ?」

再び、キャンプファイヤーの向こうを見てみても、確かに何もいなくなっていた

京太郎「あれー…?、さっきまで、あそこにいたんだけどなあ…」

はやり「大丈夫?」

京太郎「なんともないとは思いますけど…」

気のせいだったのだろうか



はやり「ねえ、京太郎くん。ありがとうね」

京太郎「何がですか?」

はやり「私が好き勝手やっていたことを許してくれて」

はやり「私と、今日一緒に文化祭を回ってくれて」

京太郎「そんなの、別に…」

はやり「私、こうやって男の子と二人っきりで、文化祭を回るのって憧れてたんだ」

京太郎「はやりさんくらいなら、男なんて引く手数多だったんじゃないんですか?」

はやり「高校生の頃の話?、うちは女子高だったし、そんな所の文化祭に来る男の人なんてロクなもんじゃなかったよ」

京太郎「ああ…」

はやり「それに、部活第一だったしね、私」

そう言って、遠くを見つめるはやりさん

京太郎「でも、そういう高校生活ってのも、十分アリだったんじゃないですか」


はやり「……私はね、カッコよくなんかなくてもいい。ただ、素敵だなって思う男の子と一緒に回るのがよかったの」

はやり「別に、恋人とかじゃなくてもね」

はやり「一緒に出し物を見てはしゃいで、何でもない会話をして、友達にからかわれたり、手を繋いだりとか、そういうの」

京太郎「……」

上の三つはしたような気もする

はやり「今どきの少女漫画じゃ扱いもしなさそうな、そんなベタなものに憧れてたんだ、私」

はやり「こんな歳になって、こんなことを言うのは、馬鹿げてるって分かるんだけど」

京太郎「……」

はやり「結局叶わなかったな、と思っていたんだけど。でもね、今日それができたんだよ。あなたのおかげ」

はやり「だから、ありがとうね。京太郎くん」

京太郎「…俺は、女ですけど」

はやり「でも、京太郎くんは素敵だよ?」

京太郎「たとえお世辞でも、そう言われると、悪い気はしませんね」

はやり「そんなことないんだけどな」


京太郎「あー……ですけど、まだ一つだけ、していないことがありますね」

はやり「えっ」

京太郎「さっ、どうぞ」

緊張を悟られないようにして、なるべく自然に立ち上がり、はやりさんの前に立つ

そして、手のひらを上に向け、はやりさんの方に差し出した

はやり「ええと……それって、そういうことー……なの、かな?//、ふ、普通は逆だよね?///」

京太郎「俺なんかじゃ、はやりさんの理想と比べたら、物足りないんでしょうけど……嫌でした?」

はやり「い、いやじゃないよっ!?」

京太郎「?」

はやり「でででっ、でも、咲ちゃんとかに見られるとアレだし、きゅ、急にそんなこと言われても…//」

京太郎「……」

あー…、今分かった

女性がよく、情けない男の人を嫌がるとは聞くけど、今の俺の気持ちがちょうどそれに当たるんだろう


京太郎「咲たちは、今頃部室での出し物の片づけをしていますよ」

京太郎「それに、俺たちのこと気にしているのなんて、ここには誰もいません」

京太郎「たとえ私が、瑞原はやりであっても」

はやり「そうかな…?」

京太郎「そうですよ」

はやり「うん……そうだよね。そうなんだよね」

何か納得してくれたようで、はやりさんが、俺の手を取ってくれた

そのまま、キャンプファイヤーの方に向かう


はやり「京太郎くん、踊れるの?」

京太郎「自慢じゃないですけど、町内会主催の盆踊り大会で、俺よりうまく踊れた奴は、今まで一人もいませんでしたよ」

はやり「本当に、自慢にならないね…」

京太郎「だったら、俺にダンスの仕方を教えてもらえませんか?」

はやり「はぁー…仕方ないなあ。せっかくの良い雰囲気が…」ボソ

京太郎「?」

はやり「まっ、いいよ。まずは、こうやってね──」


はやりさんのレクチャーを受けながら、ぎこちなくも二人でダンスに興じてみる

いざ、炎の目の前にすると、すごい迫力だ。地獄の業火ってのがあったなら、こういうのをいうのだろう

だけど、もしここが本当に地獄であったっとしても、こうやって、はやりさんと二人なら、そう悪いものでもないのかもしれない

そんな、ヒロイックな──いやヒロイニックな妄想に耽っていると

はやり「ありがとうね」

突然、はやりさんはボソッとそんなことを言った

恥ずかしながら、踊ることだけで精一杯だった俺には、その言葉に反応できるほどの余裕はなかった

だから、ほんの少しだけ強く手を握り返すことで、俺はそれに応えることにした


火が灯ったようにして、お互いの手のひらが熱くなるのを感じた


はやり「あっ……//」


これもまた、錯覚だったのだろうか?

寝ます
では、また


──11月下旬 長野



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和「お願いです、私の話を聞いてください!」

恵「だめだ、そんなことは認められない」

和「っ…!、私だって、そんなこと、無謀なことであることくらい分かりますっ…」

和「けれど、私は──」

恵「だめだ、そんなアイドルなんてものは」

和「……」

恵「勘違いしないでくれ。私は別に、そういう職業に対して特に偏見をもっているわけでない」

恵「いや、むしろ、わた──皆に元気を与えられる、素晴らしい仕事だと思っているくらいだ」

恵「私も、よく趣味──じゃなくて、仕事柄そういう映像を見ることがある」

恵「そういう時に、自然と──ではなく、思いもよらず心が躍り、図らずも笑顔になっていることもしばしばだ」

恵「うむ、つまりは、素晴らしい仕事だ!、アイドルというものは!!」

和「だったらっ!」

恵「はや──じゃなかった、あるアイドルが、あるラジオ番組で珍しくぼやいていたよ」

恵「疲れた、と」

恵「もちろん、冗談めかしてはいたのだが、本音でもあったのだと私は思う」

和「……」

恵「私は、できれば、お前にそういう目にはあってほしくない」

恵「できれば、和。お前には辛い現実から、なるべく離れたところにいてもらいたい」

恵「だめか?」

和「……っ」

和「もう、知りません!、この、粗○ん!!」

恵「」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


─瑞原はやり



はやり「どうだった、和」

はやり「そうか、そうか…」

はやり「えっ!?、マジで、そんなこと言っちゃったの!?」

はやり「いや、そりゃあ、ある意味大打撃だろうけどさあ……」

はやり「え、意味?、和は、そんなこと知る必要ありません!」

はやり「了解。うん、うん。なんとかしてみる」

はやり「大丈夫だ、俺を信頼しろって。うん、じゃあな」

通話を切り、ため息を一つ吐いた

はやり「だめだったかー…」

和ちゃんのお父さんは、結構な堅物とは聞いていたけど、やはりそう簡単にはいかなかったみたいだった

はやり「どうしよっか」

孫子も、己を知らば百戦危うからず、って本の中で言ってたし、やっぱり情報戦だよね

和ちゃんのお父さんを知ることができれば、自ずとその答えは見えてくるはず

かと言っても、一人じゃちょっと不安だし

はやり「……きょ、京太郎くん、誘ってみよっかな//」

なんだか、最近頼りっぱなしような気もするけど……嫌じゃないかな?

もし、そうだったら、私もちょっと嫌だな。でも、男の人って、頼られることに対して満足感を覚えるとも言うし

京太郎くんは、どうなんだろう?、知りたいな

はやり「……」


『さっ、どうぞ』


あの手、温かかったな

はやり「……」

はやり「あっ、もしもし京太郎くん──」


──11月下旬 長野



─須賀京太郎


先日、はやりさんから急に電話が掛かってきたと思ったら、なんとストーキングのお誘いだった

俺は、犯罪者の仲間入りするのは御免だったので、さり気なくはやりさんを諭し、即座にお断りしようとした

しかし、すごい勢いで否定され、事の次第を説明されると、またしても和関係らしかった


初ライブの次は、お父さんの説得か……あー、和の親父さんって、かなりの堅物らしいしな

こりゃ大変そうだ


はやり「や、やっほー…!」

京太郎「ああ、おはようございます、はやりさん」

はやり「…ごめんね、急にこんなこと」

京太郎「別に構いませんよ。はやりさんの為なら、火の中水の中ってね」

ちょっとオーバーな身振り手振りを加えて、冗談めかしてそんな台詞を言ってみた

はやり「そう、なんだ…?、あ、ありがとう//」

京太郎「そうですよ。はやりさんのピンチは、回りまわって俺のピンチにもなりますから」

はやり「そ、そうだよねー……」

え、なんでそこで落ち込むの?

京太郎「はやりさん?」

はやり「ううん、なんでもない」

そうは言うが、心なしかシュンとしているし

うーん、男心ってよく分からない


はやり「さあ、和ちゃんによると、そろそろお父さん──恵さんが出てくる時間だから、準備しないと」

京太郎「了解です」

和の家の入り口からは見えないところに、俺たちは待機していた

和のお父さんが出てくるのを待っているというわけだ

理由はもちろん、ストーキングをするため

和がアイドルを目指すのを認めさせるために、弱みを握ってしまおう、というわけだ

なんだか、最近の俺って、汚いことばっかやってるような……これも大人の役目なのかもしれない


はやり「あっ、出てきたみたいだよ」

京太郎「では、気付かれないように行きましょうか」

はやり「尾行ミッションの開始だね!」


なにぶん田舎なもんで、「木を隠すなら森の中」よろしく、人ごみに隠れるということはできない

なので、勘づかれないよう距離をあけつつ、後を追うことにした

幸いなことに田舎なもんで、遮蔽物も少なく、見失うということはまず有り得ない

なので、俺らみたいな素人でも、簡単に追跡することができた


恵「ふふ~ん、ふ~ん、ふ~ん♪、はやっ、はやっ♪」



この積雪の中、恵さんは気分良くスキップしながら、意味の取れないことを口ずさんでいる

しかし、どうやらこの方向は…

京太郎「駅に向かうようですね」

はやり「そうだね。ちゃんと、お金は持ってきた?」

京太郎「モチのロンです。パスモやスイカが使えない、今どきマジでファッキンな駅ですからね」

はやり「こらこら、女の子」


10分ほどして駅に到着すると、和のお父さんが切符を購入するのを遠くから眺める

はやり「520円」

京太郎「はい?、って、双眼鏡ですか…準備がいいことで」

はやり「さあ、ちまちましてないで行くよ」


同じ値段の切符を購入して、駅のホームに移動した

電車の方は、思いの外すぐに到着してくれて、俺たちは恵さんとは違う車両に乗り込んだ

その車両には他には誰もいなかった。擬似的な、二人だけの密室

切符の値段を鑑みると、しばらくの間このままのようだった

これだけ空いているので、はやりさんとは鞄一つ分くらいの距離のあけて悠々と座ることにした


特にすることもなかったので、俺は、好き勝手に移動していく外の風景を眺めることにした

山、田んぼ、山、田んぼ、畑、畑、そしてときどき民家。あっ、イノシシ

雪で真っ白だから、景色の変化が乏しい。泣けてくるほどなんもない。暇過ぎる

東京みたいなゴチャゴチャしたのも、ちょっと考え物だけど、こういうのもどうかと思う

忍者を走らせる妄想も試みてはみたものの、ものの5分で飽きてしまう


京太郎「はー……」

仕方なく、斜め上方向を見ながら、ひたすらボーっとしてみる

そんなことをしていると、布と布がこすれるような、ズリズリとした音が横から微かに聞こえてきているのが分かった

いつの間にか、はやりさんの姿が、視界の隅に見えるようになっていた

京太郎「んっ……あれ?、なんかさっきより俺の方に近づいてません?」

はやり「……ッ!?、き、気のせいだよ、気のせい!」

京太郎「そ、そうすか?」

ババっと、はやりさんは急いでまた元の位置に戻ってしまう

いや、別にそのままでもいいんだけど

なんか、今日のはやりさんは、いつにも増して変な感じだ。不審者のそれ


こんなことを、3回ほど繰り返した後、ようやく隣の車両の恵さんの様子に変化が訪れた

脱いでいたコートを羽織り、降りる支度を始めたのだ

京太郎「さあ、俺たちも準備しましょうか」

はやり「そ、そうだね!」


降りた駅は長野駅。はやりさんのファンクラブの会合に来た時以来の場所だ

人も多くなってきたので、距離を詰めて追うことにした


駅から外に出ると、パラパラと軽く雪が降ってきていた

頬に雪が当たると熱が奪われ、皮膚が赤みを帯びる。冷たい

俺は、はやりさんの身体を、寒さから守るために、鞄の中からマフラーを取り出して、さっそく巻くことにした

しかし、はやりさんはというと、さきほどに引き続き、心ここに在らずといった感じだった

雪が降ってきたことも気付いていないのか、寒さで顔を赤らめながら、ただ俺の後ろに付いてきているだけ

はやり「……//」

京太郎「?」


この雪の中、またしても器用にスキップをする和のお父さん。さすがに距離が開きすぎてきた

この人混みの中、はやりさんと離れ離れになっても困ると考えて、俺は

京太郎「はやりさん」

寒そうにしているその手を握って、はやりさんの身体をグイッとこちらに引き寄せた

はやり「ちょ、ちょっ…!?//」

京太郎「遅れてますよ、少し急ぎましょう」

はやり「う、うん…//」



雪の降る中、背の低めの女性が、身長180センチ超の男の手を引く姿

周りから見たら、ちょっと情けない光景かもしれない

しかし、この状況に慣れきってしまった俺にとっては、もはや違和感のない普通のことに思えた

男も女も関係ない。たとえ、外見がどうだろうと


京太郎「おっ、ホシが急に周りを伺い始めましたよ」

はやり「……」

京太郎「これはもしかしたら、怪しいお店にでも入るパターンかもですね」

京太郎「ふふふっ。お堅い弁護士といえど、しょせんは一匹の雄の狼だったようだ」

京太郎「この勝負、どうやら俺たちの勝ちのようですね。さあ、その一眼レフカメラで決定的な瞬間を──」

はやり「……」

京太郎「はやりさん…?」

はやり「えっ…?、どうかしたの?」

京太郎「うーん……はやりさん。さっきから本当におかしいですよ?」

はやり「そんなことは…」


京太郎「もしかしたら、どこか具合の悪いところでもあるんじゃないですか?」

京太郎「マフラーもしてないですし」

はやり「あ、ああ……忘れちゃって」

京太郎「もう、意外と抜けてるんですから。ほらっ、届かないんでかがんでください」

はやり「こ、こう…?」

京太郎「うん、オッケーです。……うん、こんな感じですかね?、これなら少しはマシでしょう」

はやり「う、うん…///」

はやりさんは、まるで匂いを嗅ぐようにして、巻いてあげたマフラーの中に顔をうずめた

京太郎「もしかして、臭いますか?」

はやり「ううん……落ち着く//」

自分の匂いじゃないか。変なこと言うので、さらに心配になってくる

熱があるのか気になって、竹井先輩に調教され尽くした雑用本能に従って、俺は自然に手のひらをはやりさんの額にくっつけようとした

しかし

はやり「だ、大丈夫だからっ──」

はやりさんは、腕を使って俺を跳ね除け、勢いよく後ずさった

雪国でそんなことしたら危ないですよ、と言おうと思ったら

はやり「きゃ、きゃあ!?」

尻餅をつくとともに、野太い男の叫び声が辺りに響いた


_______

____

__


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


─megumi


megumi「撒いたか…」

誰か知らんが、この私の秘密を暴こうなどと、20年早いわ

何かと危険な世の中だ。用心するに越したことはない


megumi「くっふっふ……ふはは、ふっはっは!」

megumi「……」

megumi「やはり、この部屋は落ち着くな」

壁一面、天井にも、はやりんの写真、ポスター、タペストリー、カレンダー

棚には、はやりん関連の書籍がズラリ

はやりんのグラビア掲載の雑誌、インタビュー記事、新聞の切り抜き、はやりんの名のつくものなら何でもある

防音は完璧、シアタールームも完備。もちろん、機材は最新式だ

はやりんの麻雀カードを納めたスリーブケースは、もうすでに100を超えた

正直いくらかかった分からない。すっかり、独身時代の蓄えが吹き飛んでしまったよ。ハハハッ

さすがに、家にこのコレクションを置くことはできないからな

ここは、私の避難所であり、サンクチュアリでもあるのだ




私の、人生における一番の楽しみは、月に一度、この部屋に訪れることから始まる

megumi「今日は、カロン・セギュールにしようか」

崩れないように、そっとコルクを引き抜き、程よく熟成感の感じられる液体をグラスに注いだ

特大モニターに、はやりんの映像を写して、そちらにグラスを傾ける

megumi「乾杯、はやりん」

こうやってお気に入りの酒を飲みながら、はやりんのライブ映像を見るのが、私にとっての至福なのだ

心が満たされる

最高級の音響機器が、それが生み出す臨場感が、ライブでの一体感を増幅させる

そう、だってほら。目を閉じればそこに、はやりんの息吹が聞こえるじゃないかあ……


私は、はやりんに少しでも近づくために、あらゆる努力と資材を払ってきた

はやりんに関係のある知識は、なんだって吸収した

はやりんの曲なら、すべての歌詞をそらんじられるし、振付けだって完璧だ

ダンスを学ぶために、名のあるトレーナーと共にレッスンに明け暮れたものだった

テレビではやりんが出演したら、必ず録画をして、最低20回は見るようにしているし

ラジオに出演したら、必ず録音して、文字に書き起こして暗記したのち、専用ファイルに保管している


kapiと共にファンクラグを立ち上げた当時の、地道な草の根活動は、今でも記憶に新しい

皆にも、はやりんの魅力が伝わったのか、徐々に人気が出てきた

仲間も増えたし、グッズも増えたし、はやりんの活動も増えた

はやりんの存在が、身近に感じられるようなった


私は、はやりんに近づくために、はやりんを応援するために、人生の半分を捧げてきた

もう半分は、もちろん妻と娘のためにだ

それなのに、なんだ、この空虚感は……

はやりんについて知れば知るほど、彼女との距離が遠ざかっているような気がしてくる

彼女について知るたびに、その情報は相対化され、私の中で還元されるはずではなかったか?

彼女を応援していけば、いずれ、彼女の万物へと降る愛が、全世界に波及するのではなかったか?

それなのに、なぜだ!、なんなのだ、この虚無感はっ!!、私に一体何が足りないというのだっ!!

誰か教えてくれっ!!


私は、一人孤独に思い悩んでいた


グラスに残っていたワインを一気に空ける

megumi「しかし、そんな鬱屈した日々も、今日でおさらばだ」

私は見出した。家族に出張に行くと言い残し、そのまま山籠もりすること2週間、私はついに啓いた

私に必要だったのは、知識でも、献身でも、博愛の心でもなかった

私が、はやりんに対してできる、最後にして最上の手段

それは──


megumi「私自身が、瑞原はやりになる事だ」


スーツケースから、はやりんの衣装を取り出し、纏った

半年に及ぶ月日と、3桁万円の資金を投じて、王室御用達の仕立て屋に作らせた特注品だ

彼の腕は超一流だった

だが、20回目の仕立て直しを申し込みに行った時の、彼の汚物を見るような目を、私は決して忘れない


私は理解した。私が、はやりんに近づくのではない。私自身がはやりんに成るのだと

それが、三位一体。色即是空。もののあはれ……いや、御託はいい


megumi「私が、瑞原はやりだ」


鏡を見る

megumi「おお、おお……!!」

それは、どこからどう見ても、はやりんの姿そのものだった

megumi「kapi、sakai。私は先に行くぞ!、私は、涅槃に辿り着くぞ!!」


ブルーレイディスクを入れ、ライブ映像をオン!

ああ、聞こえる、聴こえるぞ……幾千幾万の観衆の声が

ああ、見える、視えるぞ……期待と羨望の眼差しが、ペンライト揺らめく私を応援する姿が

私がいるのは、はやりんと同じ舞台。スポットライトが私を照らす

曲が始まった


megumi「もう一歩踏み出せる♪ 私待ってたよ♪──」

イケる、イケるぞ、私!

身体が軽い!、あたり前田のクラッカー!、私は、瑞原はやりなのだ!!

megumi「New SPARKS! 違う世界へ──」


しかし、上半身を前に突き出そうした時だった

グキッ──嫌な音が、衝撃が伝わってきた


腰が、New SPARKS した



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


はやり「ごめん…」

京太郎「ケガなくてよかったですよ」

はやり「毛が無くてよかったですよ!?」

京太郎「頭の方は、ダメみたいですね」

はやり「嘘です、ごめんなさい」


京太郎「あー……見失っちゃいましたね」

はやり「ごめん…」

京太郎「いいですよ。とりあえず、何飲みます?、持ってきますから」

はやり「んと、あったかいコーヒーで」

京太郎「了解です」


はやりさんにケガがないか確認しているうちに、和のお父さんの姿を見失ってしまった

寒いのもあって、近くの喫茶店に入ることにし、今はこうしていた


京太郎「どうぞ。ショートアイスチョコレートオランジュモカノンモカエクストラホイップエクストラソース、です」

はやり「呪文?」

京太郎「嘘です。はい、ブレンドです」

はやり「ありがとう」

はやりさんは、両手でカップを持ち温まった後、ズズズとコーヒーをすすった

京太郎「しかし、どうしたんですか?、今日のはやりさん、ほんとにちょっと変ですよ」

はやり「そうかも……自分でもそう思う」

うーん…

京太郎「えーと、そのー……俺は、たかが高校生なんで偉そうなことは言えませんが」

はやり「?」

京太郎「悩みがあったら、素直に言ってくれていいんですよ」

京太郎「こんな状況ですし、他の人を頼りにすることだって、なかなかできないですし」

それに、はやりさんって、能力が高いからなのか、本当に肝心な部分では人に頼ることを拒否してそうで

京太郎「はやりさんが、たとえどんなことを考えてたって、俺は理解しようとするのを諦めたりしませんから」

京太郎「だから──」


自慢じゃないけど、俺より瑞原はやりを知っている人物は、この人以外にいないはずだ

上っ面なんかじゃない

アイドルだから、プロだから、みんなの憧れだから

瑞原はやり初心者の俺にだって、それがどういうものなのか、なんとなくは理解できる

この人が、心の奥で、どんな得体の知れないことを考えていようとも、俺だけは絶対に軽蔑しない。侮辱もしない

俺は、この人が──


はやり「っ……////」

京太郎「あれ、どうかしました?」

はやり「手っ…手っっ…///!!」

京太郎「手?……ありゃ」

言われたとおり、手を確認してみる

勢い余って、無意識のうちに強く握りしめていたようだった

京太郎「すみません、痛かったですか?」

はやり「……ううんっっ////」

首を何度も横に振る。痛くはなかったみたいだ、よかった

まあ、今の俺の力じゃ痛いもクソもないか

京太郎「ま、まあ、ともかく。俺になら、何言ってもらったって構わないってことです」

はやり「京太郎くん…」


はやり「……」

はやり「よしっ!……あのね、正直なところ私にも、その…よく分からないの」

やっと、ほんの少しだけ引き出せたみたいだ


はやり「初めての感覚だから、どう名前を付けていいのか」

はやり「もちろん、似たようなものは他でたくさん見てきたわけなんだけど、単純に"そう"だと結びつけちゃうのも…」

言葉を、俺に理解できないよう慎重に選んでいるようで、主語が抜けていてまるっきりさっぱりだ


はやり「私には、変わらなかった部分、変えようとしなかった部分、変えられなかった部分」

はやり「そういうのが、グチャグチャと混ざり合って、色々あって」

はやり「今までは、それを見ないようにしながら、目を逸らしながら生きてきたんだけど」

はやり「だけど、いざ、それに直面してしまうと、結局のところどうすればいいのか分かんなくなっちゃって」

はやり「たぶん、この気持ちもその一つなんだと思う。震源があって、波及してきたというか」

京太郎「……」

はやり「ははっ、ごめんね。分かんないよね、こんなこと言われても」

はやり「要は、経験不足ってことなんだと思う」

はやり「知識だけでは理解できないようなことがあるって、よく知ってたのに」

はやり「今の今になって、ツケが回ってきたみたい」

はやり「…馬鹿」


いつも自信たっぷりな、はやりさんらしからぬ言葉だった

こういうとき、女性はアドバイスなんか求めていないとよく言うけれど

しかし、そんなのが、はやりさんにも当てはまるという理由はない

俺はただ、彼女の心を少しでも軽くしてあげたいって思っているだけなんだから


京太郎「はやりさん」

はやり「?」

京太郎「用もなくなりましたし、今日はもう帰りましょうか?」

はやり「…………え」

京太郎「……」

はやり「京太郎くんは、私と一緒にいるの、嫌……?」

京太郎「……」

はやり「そ、そうだよねっ……私みたいな、年増なんかより、もっと若い子と一緒の方が──」

京太郎「そういうわけなんで、これから二人で遊びにいきましょうよ」

はやり「……へっ、いいの?」

京太郎「あはは、いいもなにも、最初から俺はそのつもりでしたからね」

はやり「……あっ、私のこと騙したんだ!、いけないんだよ、そんなこと!」

京太郎「すみません、はやりさんをからかえる機会なんて、そうそうあるもんじゃないんで、つい」

はやり「も、もうっ…バカ//」


はやり「…ばか///」


_______

____

__


─瑞原はやり


はやり「あー、楽しかったあ」

京太郎「つ、疲れた…無理しすぎたか」

はやり「こんなにはしゃいだの、ほんとに久しぶりかも!」

京太郎「さようで…」

はやり「ありがとね、京太郎くん」

京太郎「はやりさんが楽しそうでなによりです。筋肉痛になった甲斐もあります…いてて」

はやり「それ、私の身体なんだけど…」


地元に帰ってきて、その帰り道。雪はまだ降っていて、朝になかったところにも、積雪が目立っていた

街頭だけが、道を照らしてくれていた

歩くと、雪の軋むような音が聞こえ、私たち二人の足跡を残していった


喫茶店を出た後、一緒にいろんなところをまわった。思いっきり遊んだ。遊べた

お買い物してみたり、ゲーセンとかも行ってみたり、映画を見たり、ボーリングしてみたり

こんなこと、いつ以来だっけ?

アイドルになって、プロとしてデビューして、そこそこ世間でも有名になって

外で、あまり自分をさらけ出すことができなくなっていたことすら、忘れていたみたい

あの頃の真っ直ぐな気持ちを、ほんのちょっとだけ取り戻せたような気がする

胸のあたりが熱くなってきた



たぶん、今日は、京太郎くんが私のことを気遣ってくれたんだろうけど

高校一年生の子に、何やらせてるんだって話で、情けないことなんだけど

でも、それは、私のことをちゃんと見ていてくれたってことでもあって

胸が、締め付けられる。だけど、悪い気分じゃない。初めての気持ち

ドキドキして、苦しくなって、熱くなった。叫び出したくもなった



私は、そんな無遠慮な感情を押し殺すために、別のことを考えることにした

京太郎くんと横に並んで歩きながら、今までの人生の足跡を振り返った



思えば、歳を重ねれば重ねるほど、私のことを知る人はどんどん増えてはいった

だけど、そうすると、力関係とか、しがらみとか、損得勘定とか──そういうのは、もっとすごい勢いで増えていった

社会に出るってことはこういうことなんだって、なんとか自分を慰めてきた


いろいろあったけど、結局私は、あの人と同じ仕事をするようになった

嬉しかった。これから牌のお姉さんとして、みんなを元気にするんだ!

そうやって私は、一人息巻いていた


少し経つと、だんだん応援してくれる人も出てきて、もっと頑張ろうって気持ちになった

結果を積み重ねていくと、周りからチヤホヤされるようなって、どんどんその気になっていった

『トップアイドルで、超一流の麻雀打ち』

その気になった私は、驕りもあったと思うけど、少しでもそれに近づくために、ひたすら邁進するようなった


その思いが叶ったのか、私は、世間に認められるほどのアイドルに、麻雀選手になった

「私は、牌のおねえさんに成れたんだ!」

人生の絶頂だった。子供の頃の夢が、全部叶った気になっていた

「真深さん…」

私はアイドル!、瑞原はやりはアイドル!、瑞原はやりは牌のおねえさんなんだ!!


私は、皆の憧れであることがどういうことなのかを、その時はまだ知らないでいた


私は、決して笑顔を絶やしてはならない。なぜなら、瑞原はやりはアイドルなんだから

瑞原はやりは、常に元気を振りまいていなくてはならない。なぜなら、私は牌のおねえさんなんだから

あの人だってそうだった。みんなの前では、少しも弱みを見せることはなかった

たとえ、死を目の前にしていても


「だからっ…!」


いつの間にか、私の本音を言える人は、どこにもいなくなっていた

大切な大切な友人にでさえ……いや、だからこそ

近しい人に、もしこの気持ちをぶちまけてしまったら、それこそズルズルと崩れ落ちていきそうな気がして


「アイドルだから、プロだから、憧れの的なんだから!」


そうやって自分に言い聞かせて、辛いことも苦しいことも、ぜんぶ笑顔の裏側に押し固めてきた

あの人と出会った頃の、自分でもどうしようもないほどの熱い気持ち。純粋な笑顔

私は、どんどん忘れていっていった


でも、そういうのが私の生き方なんだ、って割り切ってみると、案外平気なものだった

だから、これからもずっと、こういう生き方をしていくんだと、私は思っていた

だって、そんな汚いものは、瑞原はやりにとっては必要であっても、みんなの望む『瑞原はやり』には不要でしょ?

胸のあたりが冷たくなっていった



「これでいいんだ」



そうやって生きていくんだ。私にはそれしかできないんだ。それが『瑞原はやり』なんだ

そう思っていたのに



『さっ、どうぞ』


私の子供みたいな願い、ちゃんと聴いてくれた。応えてくれた


『理解しようとするのを諦めたりしませんから』


ねえ、京太郎くん。もし私が、このドロドロとした気持ちを、あなたにぶつけたとして

それでも、私のそばにいてくれるって、あなたにそう言ってもらえたなら

それだけで、私は──




京太郎「どうかしましたか?」

心配そうに、こちらを見上げてくる

はやり「……っ」

ああ……ダメだ。また、胸のあたりが…

だけど、手をそこに当ててみても、中から溢れてくるものを塞ぐことはできそうになかった

京太郎「?」

頼むから、そんな目で私を見ないでほしい。そんな目で見られると、私は

京太郎くんのそばにいると、私──

はやり「……ダメになる」

京太郎「え?」

はやり「ううん、なんでもない……手、つなごっか?」

京太郎「ええ、喜んで!」


彼のその表情は直視できないほど、眩しかった

雪の降る中、家の前まで、そのまま手を繋ぎながら、帰途についた

寒かったけど、とてもとても温かかった


はやり「ただいま」

母「あら、おかえり。遅かったわね」

父「おう、こんな時間までデートかコノヤロー。ひゅーひゅー!」

はやり「……あれって、デートだったのかな?」ボソ

母・父「?」

はやり「いや、なんでもないよ。疲れたから、ちょっと寝る」

父「あ、あれ……俺なんかマズいこと言っちゃった?」

母「…どうかしらね」



二階に上がり、自室に向かい、ドアを開けると、荷物を置いて、そのままベッドに倒れ込んだ

身体と一緒に、心までもが沈んでいく

枕に顔をうずめていると、今日のことが、次々と頭の中で思い描かれていった


『はやりさん』


ああ……京太郎くん、京太郎くん、京太郎くん京太郎くん京太郎くん京太郎くん──

私って、なんて単純なんだろう…

ちょっと優しくされたくらいで、あっという間にそっちに心を傾けて…

相手は、なんとも思っていないかもしれないのに



…………なんとも思ってないの?



背筋が凍り、ゾッとした


嫌だ…そんなのは絶対に嫌だ……もう独りは嫌だっ……


この気持ちを知ってしまったら。私は……

はやり「う、ぅ……ぁ」

だめ、涙が止まらない

はやり「京太郎くん……っ」

京太郎くんといると、私ダメになる

京太郎くんといると、私、ただの瑞原はやりに戻っちゃう

そんなの絶対ダメなのに……牌のおねえさんはそんなことしちゃいけないのにっ……

ごめんなさい、真深さん……

私、私…

はやり「絶対、恋しちゃってるよ…」



私は、自分の気持ちに気付いた

だけど、どうしていいのか分からなかった

心と身体がバラバラになったような気がした



その日は、お風呂にも入らなかった。泣いていたら、そのまま眠りに落ちてしまっていたから

私は、こうなって初めて、この身体が彼のものであることを、心の底から憎んだ



──11月下旬 長野



─須賀京太郎


京太郎「そもそも、最初からこうすればよかったんじゃないんですか?」

はやり「そそそ、そうだね…!」

京太郎「なんで、はやりさんが緊張してるんですか?」

はやり「な、なんでもないっ!」

京太郎「えぇ…」

はやり「あっ……ごめっ」

京太郎「いえ…ちょっと驚いだだけですから」


俺たちは、再び和の家にまで来ていた

しかし、今日は弱みを握るためではない

正攻法でいくと決めたのだ


呼び鈴を鳴らすと、和が出てきてくれた

和「こんにちは、プロデューサーさん」

はやり「おう」

和「その方が、例の秘密兵器ですか?……って、あれっ?」

京太郎「お久し振り、和ちゃん。文化祭の時以来だね」

和「ああ、あの時の。でも、なぜ、あなたが…?」

京太郎「ふふ、なぜでしょう?、でも大丈夫、まかせて。私が、話をつけてあげるから」

和「はあ、お願いします?」


客用のスリッパに履き替えて、中に入る


はやり「お父さんは?」

和「2階の寝室にいるのですけど…」

はやり「けど?」

和「それが……この間出掛けて、しばらくしたら病院から連絡があって」

はやり「病院!?」

和「幸い、大したことは無かったのですが、腰をやってしまったみたいで、歩くのが困難な状態でして…」

はやり「マジかよ…」

和「しかも、それだけじゃなく、ものすごく気落ちした様子なんです」

和「私は、そっちの方が心配で…」

はやり「理由は?」

和「それが、話してくれなくて。父は、プライドが高い人ですから、弱い所を見せたくないんでしょう…」

和「ここ最近、忙しそうにしていましたし…」

はやり「きっと、家族の為に無理しすぎたんだな」

和「まったく、バカなんですから…」


京太郎「じゃあ、和ちゃんはここで待ってて。私と、京太郎くんで何とかするから」

和「はい」

というか、和に来られると、ちょっとマズイことになりそうだ


和を1階のリビングに残したまま、はやりさんと一緒に2階の寝室へと向かう

ノックをすると、返事が聞こえたので、そのまま入る

京太郎・はやり「失礼します」

和のお父さんは、ベッドにいた


恵「……なんだ、貴様か、須賀京太郎。横の方は……まあ、どうでもいいか……」

恵「腰が、New SPARKS…してしまってな………笑いたければ笑うといい……ははは…」

意味はよく分からないけど、酷いことになったのは確かなようだった

以前見た時よりも、顔がだいぶやつれている。目はうつろだし、クマもすごいことになっている

口調にはまったく覇気がない。完全に自信を失ってしまったかのようだった

はやり「お久しぶりです」

恵「うちに娘をたぶらかしおって……いや、今日はそんなことどうでもいいな……」

恵「疲れたのだ……一人にしてくれ」

それだけ言うと、身体を横向きにして、こちらに背を向けようとした

しかし──

恵「ぐっ、ぐわああぁぁ…!!」

はやり「お父さん…!」

恵「くはは……ざまあないな……敵に、背を向けることすらできないとは……この身体は……」

はやり「……」

恵「ダメだったのだ……私は、完全に敗北した……肉体も精神の在り方も、今や形而上学の彼方だ」

恵「私は…彼女になれない……」

やべぇ、何言ってんのか全然分からねえ


はやり「意味はよく分かりませんが、今日は──今日こそは、あなたを説得しに参りました」

恵「たわ言を……貴様の話など…」

はやり「俺の話ではありません。この人の話を聞いてください」

恵「この人…この人…この人……?……ん、なんだ…このかほりは……?」


帽子をとり、中にしまっていた髪を両手でかきあげる

恵「な、なっ……この髪質は、この髪型は、この髪色はっ……!」

サングラスとる

恵「この、慈愛に満ちた、超銀河団規模の、すべてを優しく包み込むかのような眼差しはっ……!」

そして、マスクを外した

恵「あ、あっ、あっ………」

京太郎「初めまして、原村恵さん」

恵「は、はーっ…ハヤアアーッ!!……ハヤアアァァーッ……!!」


京太郎「私は、瑞原はやりです☆」


恵「ぁ…──」プツン

恵「」

恵「」

京太郎「あれっ?、おーい、聞いてますかー?」

恵「」

はやり「……気を失ったみたい」

京太郎「えぇー…」


その後、和のお父さんとは特に話をすることもなかったのに、なぜか、和のアイドル活動に許可が下りた

再び会いに行こうとすると、「私などが、畏れ多い」と丁重に断られてしまった

はやりさんが聞いた、和の話によると、和のお父さんは次のようなことを言っていたらしい


恵『私は、彼女には成れなかった』

恵『けれど、それで善かった。それで善かったのだ』

恵『なぜなら、私のアイドルは、やはりアイドルだったのだから』


らしい

和のお父さんが言う"彼女"の存在は判然としないけど、納得してくれたのならそれでいい

幸い、浮気とかでもないらしいし

俺、というかはやりさんのことも、特に言及されなかった

何かを察したのか、理由は知らないけど、正直助かる


体調の方も、みるみるうちに回復していったようで、今では、かつてよりも元気にしているそうだ

しかし、俺が帰った後しばらくは、奇行が続いたようだった

俺の使用したスリッパをジップロックに保存したり、床を張り替えて古い方を自室に飾ってみたりと

まあ、正気は取り戻したらしいからよしとしよう

和のアイドル活動も、全面的に協力すると約束してくれたみたいだし、結果オーライか

何が、和のお父さんを変えたのか分からない

俺に分かるのは、世の中は、よく分からないことだらけだというくらいだ


京太郎「うまくいって、よかったですね」

はやり「そ、そうだね…!」

京太郎「はやりさん?」

はやり「ねえ、京太郎くん!」ズイッ

京太郎「な、なんすか?」

はやり「12月の下旬頃、学校が冬休みの間……ひ、暇かな?」

京太郎「あ…ああ、その辺には、仕事入ってなかったはずなんで、今のところ大丈夫だと思いますけど」

はやり「そ、そう…なんだ……や、やたっ!」

京太郎「?」

はやり「だったらさ……その、さ……」モジモジ

京太郎「はい」

はやり「わ、私と一緒に島根に行きませんかっ!?」

京太郎「えーと…………」

はやり「……//」

京太郎「……」

はやり「……///」

京太郎「はい?」


世の中は、分からないことだらけのようだし、先が読めないのは確かなようだった


──12月上旬 愛媛



─須賀京太郎


京太郎「えーと、ここは…………これ、ですか?」

良子「それは、よくないかな」

京太郎「うーん…」

良子「いい、まずこういう場面は手牌の──」

久々の、戒能さんに直に会っての麻雀指導。仕事で愛媛の近くに寄ったので、そのついでだけど

仕事……なんか今、自然にその言葉が出てきてびっくりした



良子「しかし、以前会った時に比べて、ずいぶん上達したみたい」

京太郎「ひたすら、守備守備守備、ですけどね。幸い、時間の方はありますし、優秀な指導者もいますし」

良子「守備さえしっかりしていれば、とりあえず試合は形になるからね」

良子「まあ、勝てるかどうかは、また別の次元の話なんだけど」

京太郎「うへぇ」

良子「野球と一緒だよ。いつかのヤク──あるチームみたいに、いくら打力に優れていようと」

良子「投手陣が炎上していてばかりいては、まともな試合にならないよ」

あるチーム…一体どこのツバメなんだ…?


京太郎「あー……話は変わりますけど、戒能さん」

良子「うん?」

京太郎「はやりさんとは、よく旅行に行ったりしてました?」

良子「うん、まあ、何度か。どうして?」

京太郎「い、いえ……別になんでも」

良子「……」ジー

京太郎「……」

良子「……」ジー

京太郎「……っ//」

良子「……ははーん」ニヤニヤ

京太郎「な、なんですかっ?」

良子「……須佐之男、稲田之宮主、大国主、建御雷。そして鼠、か」ブツブツ

京太郎「はい?」

良子「なるほど、出雲。島根県」

京太郎「げっ!」

良子「ビンゴ」


京太郎「な、なんで分かったんすかっ?」

良子「こう、電磁場的な何かがピピッとね」

人差し指をクルクル回しながらそう言うが、意味が分からない


良子「島根は良い所だよ。霊場も多い。自然も豊かだし、温泉もある」

良子「もしかしたら、君の資質にも好い影響をもたらしてくれるかもしれないよ?」

京太郎「?」

良子「そして、何より島根は、『古事記』などに描かれる日本神話の舞台でもある」

京太郎「『古事記』、ですか?」

良子「『古事記』とは、今から1300年前頃に書かれた、日本最古の書物とされる」

良子「上つ巻(かみつまき)、中つ巻、下つ巻に分かれていて、神話については上つ巻に描かれる」

京太郎「ええと」

良子「神様たちの足跡が、彼の島根の地には残されているんだよ」

良子「そうだ、確かこの辺に──あった!」

良子「はい、現代語訳版の『古事記』。行く前に、一回読んでおくといい」

良子「神話が分かれば、神社に祀られている神様も分かる。縁起も分かる。楽しさ倍増間違いなし」

京太郎「ええー…まあ、ありがたくお借りしますけども」

良子「おやつは1000円以内、お土産は──私は、甘いものが好きなんだ」

んなこと知りません

京太郎「バナナはおやつにはいりますか?」

良子「シュア」

京太郎「Oh…」

良子「はやりさんのこと、しっかり見ていてあげてね」

京太郎「はい」

良子「じゃあ、気を付けてね。エンジョイ。行ってらっしゃい」


──12月下旬 島根 1日目



─須賀京太郎


京太郎「行ってきます…」

はやり「?」

京太郎「ここはどこ?、私は誰?」

はやり「ここは、島根県松江市。君は、須賀京太郎くんだね」

京太郎「マジでほんとに来ちゃったよ……島根」

京太郎「島根と鳥取と福井と佐賀だけには、一生行くことなんてないと思ってたのに…」

はやり「私の地元に喧嘩売ってる?」

京太郎「滅相もありません」

今日のはやりさんは、なんだか普通だな

地元の余裕か?


長野駅から、新幹線を使うこと3本。島根県松江駅

日本海側に面しているにしては、積雪はほとんどない

薄く積もっているといった感じで、足全体が埋まることはないくらい

気温も、そこまで大したことはない。長野の方が、ずっと寒かった


はやり「京太郎くん。その変装、もう解いちゃっていいよ」

京太郎「え、いや、でも」

はやり「せっかく旅行に来たのに、それじゃ疲れちゃうでしょ?」

京太郎「そりゃ、まあ」

はやり「大丈夫、安心して。ここは私のホームグラウンド」

はやり「どーせみんな、「親戚の子とでも遊びに来たのかな?」、くらいにしか思わないから」

そんなもんなのか?、はやりさんがそう言うのなら、そうかもしれないけど

京太郎「うーん……では、遠慮なくそうさせてもらいますね」

サングラスやマスクなど、お馴染みのものを鞄の中にしまう

はやり「さ、いこっ」

京太郎「おおう」

いきなり腕を組まれ、そのまま連れていかれる


京太郎「そういや、聞いてませんでしたけど、移動ってどうするんですか?」

はやり「もちろん車だよ」

京太郎「ですよね。バス乗り場はどこですか?」

はやり「えっ、バス?、違う違う、これこれ」

京太郎「これ?」

はやりさんが指さしたのは、いたって普通の乗用車だった

はやり「レンタカー」


_______

____

__



京太郎「やべえよ…やべえよ……俺、運転しちゃってるよお」

はやり「運転してるのは私だよ?」

そっちの方が、絵的にもっとやばいんですよお…

はやり「ふふーん、ふーん♪、暑くない?、あっ、ラジオかけるね」

なに、これってもしかして道路交通法違反になるの?、無免許運転になっちゃうの?

でも、俺ははやりさんで、はやりさんは俺なんだから、無免許にならなくて…

いやでも、はやりさんが俺で、俺がはやりさんなんだから、無免許になるような…

だめだ、頭がおかしくなりそうだ…

はやり「大丈夫だよ、ちゃんとスタッドレスタイヤだから」

そこじゃねえよお…

いや、たぶんここ島根県では、花形満的なアレがコレでたぶん大丈夫なんだろうな、うん


もういい、こういうのはっ


超法規的措置!!


京太郎「見なかったことにしよう」

ここからしばらくは、少し趣味的になります


はやり「さてさて、本日は瑞原はやり主催の古事記ツアーin島根にご参加ありがとうございます」

ノリノリだよ、この人

はやり「島根といえば?、その質問に答えられる人は全国にもそうはいません」

はやり「旅行に行くなら、東京、大阪、北海道、沖縄などなどが有名です」

はやり「それに比べて、島根県!、島根県には何もないように思われます」

自分で言っちゃったよ

はやり「しかーし!、島根は日本神話の舞台であったのです!」

京太郎「うぇーい!」

はやり「ではでは、本日は神話の舞台を訪れるかたわら、日本神話の奥深さも堪能してもらいましょー」

京太郎「いえーい!」




はやり「じゃあ、『古事記』の話を順に説明していくね」

はやり「『古事記』によれば、天地は初めからあることになっているのね」

はやり「神話にお馴染みの、天地創造について語らないのが、『古事記』の特徴とも言えます」

京太郎「六日で天地を創造して、一日お休みなった的なあれですね」

はやり「その通り」


はやり「『古事記』では、天上世界を高天原(たかまがはら)、地上世界を葦原中国(あしはらのなかつくに)と呼ぶのね」

はやり「ちなみに、所謂あの世は、根之堅州国(ねのかたすくに)あるいは単に根之国、または黄泉国(よもつくに)と呼びます」

京太郎「はーい」

はやり「天地が開けると、天之御中主(アメノミナカヌシ)を筆頭に、自然発生的にポコポコと神様が生まれてくる」

京太郎「ポコポコ、って…」

はやり「その最後に生まれたのが、有名な伊耶那岐(イザナキ)と伊耶那美(イザナミ)の二柱」


話しているうちに、興が乗ってきたのか、話し方にも箔が出てきた

初めの、バスのツアーガイドのような語り口は、影を潜めてくる

俺も、少しは予習してきたので、するすると内容が頭に入ってきた

神話の世界にのめり込んでくる


***

天と地が開けたとき、天上世界の高天原には、天之御中主を筆頭に、五柱(いつはしら)の神々が現れます

この五柱の神々は、別天つ神(ことあまつかみ)と呼び、とてもとても尊い神様たちです


その次に現れたのは、二柱(ふたはしら)の神々と、男女一対にして五組の神々です

これらの神々を総称して、神世七代(かみよななよ)と呼びます

この、神世七代にして、最後に現れた二神は、名を伊耶那岐(イザナキ)と伊耶那美(イザナミ)と呼びます


天つ神の命により、この伊耶那岐と伊耶那美の二神は、地上世界にしっかりとした土地を創りました

これを、オノゴロ島と呼びます

そして、この二神は、オノゴロ島に天降ることになりました


オノゴロ島にて、伊耶那美は問い掛けます

「私には、成り合わぬところが一ヶ所あります」

それに対して、伊耶那岐は返します

「私には、成り余るところが一ヶ所あります」

二神は、お互いの余った部分と足りない部分で穴を塞ぎ、国を生むことにしました


最初と、その次の国生みには失敗してしまいましたが、天つ神の助言もあり、二神は次々と子を生んでゆきます

淡路島、四国、九州、本州、などなどです

***


京太郎「余った部分を足りない部分で塞ぐ……一体なんの暗喩なんだ?」

はやり「合体」

京太郎「合体ですか」

はやり「うん、合体」

はやり「『古事記』に限らず、神話ってけっこう性に関してはおおらかだからね」


***

国を生み終えた伊耶那美は、次に、総じて三十五の神々を生みました

しかし、伊邪那美は、迦具土(カグツチ)の神を生んだとき、女陰(ほと)を焼かれて病んでしまいました

こうしたわけで、火の神・迦具土を生んだことにより、伊耶那美はついにはあの世に行ってしまいました


それを悲しんだ伊耶那岐は、十拳の剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その子・迦具土の首を斬ってしまいます

すると、飛び散った迦具土の血が、岩石に飛び散って、そこから次々と新たな神が生まれていきました

その中には、建御雷(タケミカヅチ)の神もいました

***


日本を生むポテンシャルを持った"アレ"の持ち主の伊耶那美に、火傷を負わせるとは

京太郎「たぶん、ゼットン級の熱さだったんでしょうね…」

はやり「うん……ちなみに、"アレ"の怪我が原因で死に至るケースは、この他にもあるんだよねー…」

京太郎「ヒュン、ってしますね…」

はやり「うん…ヒュン、ってなるよね…」


京太郎「しかし、迦具土ってのは可哀想な神様ですね。母親を[ピーーー]原因を作って、父親に殺されて…」

はやり「そうだね。でもそのおかげで、建御雷(タケミカヅチ)を始め新しい神が生まれていく」

はやり「死と再生は、二つで一つなんだよ」


***

伊耶那岐は、あの世・黄泉国(よもつくに)へ、妻の伊耶那美に会いに行きました

そこで伊耶那岐は妻・伊邪那美に、「私のもとへ帰ってきてほしい」、と伝えました

すると、伊耶那美は「黄泉国の神と交渉してみましょう」、と言いました

「ですから、その間は、私の方を覗き見てはなりません」、とも言いました


しばらく待ちましたが、耐えかねた伊耶那岐は、ついに妻の姿を覗いてしまいました

しかし、そこにいた妻の姿は、蛆虫や雷の神を纏った酷いありさまでした

恐ろしくなった伊耶那岐は黄泉国から逃げ出しましたが、怒った伊耶那美は黄泉国の軍勢を伴って追いかけてきました


伊耶那岐は、命からがら、黄泉比良坂(よもつひらさか)──あの世とこの世の境──に辿り着くことができました

伊耶那岐はそこで、近くに生えていた桃の実をとって投げ、追っ手を迎え撃ちました

伊耶那岐はその隙に黄泉比良坂を、千人で引くような、とても大きな岩で塞いでしまいました


黄泉比良坂は、今、出雲国(いずものくに)の伊腑夜坂(いふやさか)といいます


伊耶那岐と伊耶那美は、結局別れることになりました

そういうわけで、伊耶那美を名付けて黄泉大神(ヨモツオオカミ)と呼びます

黄泉国から逃げ帰った伊耶那岐は、伊耶那岐大神(イザナキノオオカミ)と呼びます

***


はやり「所謂、「見るなのタブー」ってやつだね」

はやり「鶴の恩返しだけじゃなく、オルフェウス神話などにも見られる、類型的なモチーフなんだ」

京太郎「見るなと言われると、見たくなるのが人情ってもんですからねえ」

はやり「そして、結局その約束を破ってしまう」


はやり「さっ、着いたよ、黄泉比良坂(よもつひらさか)」

京太郎「へっ?」

車から降りると、ただの神社みたいだった。少なくとも坂っぽくはない

はやり「黄泉比良坂はどこにあるのか?、諸説あるけど、ここがその一つ、揖屋神社(いやじんじゃ)」

京太郎「えー…確かに雰囲気ある神社ですけど、話しとはちょっと違うような。大きな岩だってありませんし」

はやり「あー……いや、その言葉は正確じゃなかったかもね」

京太郎「?」

はやり「実は、ここから少し歩いたところに、黄泉比良坂であったとされる場所があるんだ」

京太郎「そうだったんですか」

はやり「そういうわけで、早速行ってよー」


7、800メートルくらいだろうか、歩いていくと、あった

なんだか、それっぽい場所が

京太郎「しっかし、だーれもいませんね」

はやり「こんな時期に、こんな場所を訪れるのは『古事記』マニアくらいってね」

はやり「いい、京太郎くん。島根から日本神話を取り除いたら、石見銀山と足立美術館しか残らないんだよ?」

京太郎「いや、さすがにもっとあるでしょうに…」


さらに歩を進めていく。なかなか鬱蒼とした場所で、雰囲気がある

夏だったら、幽霊とかお化けとかが現れてもおかしくないような、そんな土地だった

そして、しばらくすると

京太郎「おお、でかい岩だ。これが伊耶那岐が黄泉比良坂を塞いだという、例の岩ですか?」

はやり「そうだね。なかなか雰囲気あるでしょう?」

京太郎「ここが、あの世とこの世の境界ってことですね」

はやり「そゆこと」


京太郎「しかし、なんで伊耶那岐の投げた桃の実に、黄泉の国の軍隊を追い返す力があったんでしょうか?」

はやり「桃はね、中国の道教思想によれば仙果であるって話は有名で、封神演義では太公望が好物としてたよね?」

京太郎「は、はあ」

待ってましたと言わんばかりに、まくし立ててくる

はやり「つまり、桃には邪を払う効果があったわけなんだけど、それは中国の思想に影響を受けているということでもあってね」

はやり「例えば、黄泉と書いて"よみ"と読むけど、普通はこうは読まないよね?」

はやり「これもね、中国の黄泉(こうせん)という地下にあるという死の世界が、そのもとになっていると考えられるし」

はやり「あとあと、桃太郎はいて梅太郎とかがいない理由も、こういうわけで──」


興味深くはあるけど、興奮した様子でどんどん話していくので理解が追いつかない

すこし、クールダウンしてもらおうと、話し掛けようとした



京太郎「ん?」

ヒョコッと、伊耶那岐が引いたとされる岩と地面の間から、何かが顔を出した

白い鼠だ

赤い目、鋭い目つき

二、三度周りを伺うと、頑張って這い出してきて、後ろ足でゴミを払うような仕草をしてから綺麗に姿勢を整えた

俺の方をじいっと見つめてきた

「……」

京太郎「……」

しかし、興味をなくしたのか、ため息をつくようにして、その鼠はすぐに目を逸らしてしまった

京太郎「ねえ、はやりさん。ほら、鼠が──」




はやり「捜神記にもさ、こういう記述が──、って、どうしたの?」

京太郎「ほらほら、白い鼠が!」

はやり「…いないよ?」

京太郎「え、だってそこに────、いない…」

今度こそ、いたはずなのに

はやり「どこにいたの?」

京太郎「あそこの…岩と地面の間から出てきたように見えたんですけど…」

けど、もうその自信もない


はやり「……ふーん」

京太郎「?」

はやり「まだ説明してないけどね」

京太郎「はあ」

はやり「黄泉比良坂の先にある国は、黄泉国だけではない、らしくてね」

京太郎「ああ…」

そういえば、そんなのあったような

はやり「それは、根之堅州国(ねのかたすくに)──単に、根之国ともいう」

はやり「そしてね、鼠というのは根に棲むと書いて"根棲み"──これを語源とする説もある」

はやり「つまり、鼠はね、根之国の住人なんだよ」

京太郎「……」


はやり「あるいは、京太郎くんの見た鼠は、あの世の根之国から来たモノなのかもしれないね」

京太郎「はは…」

まさか、ね

しかし、この場の雰囲気には、そんな突拍子のないことを納得させるだけの説得力もあって

新雪が、わずかな重みに耐えかねて、微かに埋もれた跡を残していた

鼠の足跡のようにも見えた


***

黄泉国から逃げ帰った伊耶那岐は、死の穢れを祓うために、禊(みそぎ)をすることにしました


身に着けていた物を捨てることによって、新たに生まれた神は十二になります

身体を水ですすぐことによって、新たに生まれた神は十になります


禊の最後、左の目を洗ったときに生まれた神は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)

右の目を洗ったときに生まれた神は、月読命(ツクヨミノミコト)

鼻を洗った時に生まれた神は、建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)


伊耶那岐は、この三神の貴い子を得ることができて、たいそう喜びました

***

黄泉比良坂を後にして、別の場所に向かうため、再び車に乗った


はやり「これにて、主人公の交代が始まるってわけ」

はやり「伊耶那岐・伊邪那美から、須佐之男(スサノヲ)へ。京太郎くんの好きな、ね」

「私は嫌いだけど」、と言っているようにも聞こえた

京太郎「たぶん、日本神話で一番有名な神様たちですよね」

はやり「そうだね。特に、天照は"大御神"の文字から、名前からして別格だね」

はやり「実際、『古事記』で"大御神"と呼称される神様は、天照を含めて三神だけだし」


***

伊耶那岐は、その三神に対してそれぞれ命令します


天照に対しては、「高天原を統治しなさい」

月読に対しては、「夜之食国(よるのをすくに)を統治しなさい」

須佐之男に対しては、「海原を統治しなさい」

と、それぞれ委任しました


天照、月読は伊耶那岐に従って、それぞれの国を治めましたが、須佐之男だけはそうしようとしませんでした

須佐之男はいつまで経っても、泣き喚くのをやめません

その有様は酷いもので、山は枯れ、川と海は干上がってしまうほどでした

***


はやり「天照には天上界、月読には夜の国、須佐之男には海を治めろってことだね」

京太郎「けど、須佐之男だけは、自分に与えられた仕事をこなそうとしなかったわけですね」

はやり「そう」


***

父・伊耶那岐は須佐之男に問い掛けます

「なぜ、国を治めようとしないで、泣いてばかりいるのだ」、と

須佐之男は返します

「私は、母のいる根之堅州国(ねのかたすくに)へ行きたいのです。だから、泣いています」、と

このことに、伊耶那岐はたいそう怒って、須佐之男はついに追放されてしまいました

***


京太郎「この場面、変なところが二つありますよね」

はやり「どんな?」

京太郎「一つは、須佐之男にはそもそも母親いませんってことです」

京太郎「だって、須佐之男は禊のときに生まれた神様なんだから、母親もなにもないでしょうに」

はやり「そうだね。けど、重要なところはそこじゃないと思うんだ」

京太郎「というと?」

はやり「物語上、両親が存在しないような神様もたくさんいるけど、須佐之男だけは、片親であることに疑問を抱くことができた」

はやり「彼にとっては、両親は必要不可欠の存在だった」

はやり「だからこそ、母親に会いたいと泣き喚く。彼は、とても人間臭い神様なんだね」

はやり「そして、それゆえ人気も高い」

なるほど


京太郎「もう一つの疑問は、須佐之男が母親と認識している伊邪那美は、黄泉国の住人になったはず」

京太郎「それなのに、なぜ須佐之男は根之国に行きたいって言ったんでしょう?、明らかに変ですよね?」

はやり「これも確かに謎なところだけどね」

はやり「これにはいくつか説があって、黄泉国ってのは根之国の部分集合なのかもしれないし、あるいは同じ世界なのかもしれないし」

はやり「黄泉比良坂を境にして、別々の世界が広がっているのかもしれないし」

はやり「まあ、そんなの私にとってはどうでもいいんだけど」

はやり「でも、結局のところ、黄泉国も根之国も、"この世"に対する"あの世"であることに変わりないと思うの」

京太郎「だから、そこまで深く考える問題でもないと?」

はやり「まあ、ざっと理解する分にはね」


***

追放されることになった須佐之男は、その前に、姉の天照に挨拶に行こうとしました

しかしその時、山や川がすべて揺れ動いたものですから、天照はたいへん驚きました


天照は思います

「弟・須佐之男が高天原に来るということは、ここを奪い取るつもりに違いない」、と

天照はさっそく戦いに備えるため、髪型を角髪(みずら)にし、そこに勾玉を巻きつけ、鎧と弓と矢を用意しました


待ち受けていた天照に対して、須佐之男は弁明します

「私に、そのような邪心はありません」

しかし、天照はそう簡単には信用できません

そこで天照は、誓約(うけい)と呼ばれる占いをすることによって、その真意を問うことにしました

***


京太郎「この須佐之男の信用されなさ……泣きたくなりますね」

はやり「まあ、ニートみたいなものだし、彼は自分の力を制御できていないふしもあるしね」

はやり「こういうところから、須佐之男は"荒ぶる神"、"暴風神"としてのイメージが来るんだね」

京太郎「暴風ですか…?」

はやり「良子ちゃんだったら、サイクロン、トルネード、ワールウィンド──なんて言うのかな?」

京太郎「Whirlwind?」

はやり「そういえば、昔MITがそんなコンピューター作ってたっけ」

京太郎「?」


はやり「それと、この場面の天照はまさに戦う女神。巫女、シャーマンの姿を彷彿とさせるよね」

はやり「『古事記』には、シャーマニックな風景がところどころに見られるんだ」

京太郎「角髪(みずら)って、どんな髪型なんですか?」

はやり「髪を左右に分ける髪型で、男装だよ」


***

占いが終わると、その結果を見て、須佐之男は自身の勝ちを宣言します


しかし、その勝ちに任せて、喜び余ったのか、須佐之男は好き勝手に暴れまくります

田の畔(あぜ)を断ち切り、水路の溝を埋め、神殿には糞をまき散らしました


天照は詔り(のり)直します

「あの糞は、酒の酔ったためのものでしょう。田んぼを壊したのは、その土地を惜しんだからでしょう」

しかし、これには効果がありませんでした


須佐之男はさらに暴れ回ります

ついには、神衣を作る機織屋(はたおりや)に馬を投げ入れてしまいました

その時、中にいた服織女(はたおりめ)は驚きのあまり、機織具で陰上(ほと)を突いて死んでしまいました


さすがの天照もこれを見て恐れ、天の岩屋に引き籠ってしまいました

***


京太郎「ツッコミ所がありまくる場面ですね…」

はやり「だね…」

京太郎「でも、天照のした"詔り直し"って、何なんですか?」

はやり「須佐之男の悪行を、善意に解釈して、言い直すんだね」

京太郎「?」

はやり「言霊信仰だよ。悪い面に、善い面を見出して、言葉にして言い直す。そして、現実を変えようとする」

はやり「言葉に、呪文としての価値を見出してるんだね」

京太郎「呪文ですか」

はやり「そう。でも、この場面ではそれは意味をなさなかった」

はやり「呪文っていうのは、歌みたいなものなんだよ」

はやり「理解するのが難しいの。そして、それを扱うことも」

京太郎「へえ…」


京太郎「それにしても、またしても女性の"アレ"が被害をこうむるわけですが…」

はやり「腰が引けるね…」

京太郎「腰が引けますね…」

はやり「天照が引き籠るもの、よく分かるよ…」

京太郎「そんなの見たら、一生もんのトラウマですよ…」


***

天照が天の岩屋に引き籠ってしまうと、天も地も真っ暗闇になってしまいました

こうして、夜ばかりが続くと、万物の災いがことごとく起こりました


これでは、他の神々も困ります

神々は、皆で集まって会議を開き、思案することにしました

そこで、天照のいる天の岩屋の前で、祭りを催すことに決めました


様々な神の助けを借りて、祭りの準備を行います

八尺の鏡を作り、八尺の勾玉を作り、骨を灼いて占いを行いました

榊(さかき)の木に、それら八尺の鏡と八尺の勾玉をかけ、楮(こうぞ)の布と麻の布を垂らし下げました

これで、準備は完了です


その、立派な榊の木を捧げものにして、立派な祝詞をあげました

天宇受売(アメノウズメ)は、神がかった状態で、乳房をあらわにし、下衣の紐を陰部まで垂らし踊りました

その踊りは素晴らしいものでした。それを見た八百万の神々は、高天原が揺れ動くほど、どっと笑いました

***


はやり「この状況、何か思い出さない?」

京太郎「はい?」

はやり「暗闇、儀式、祝詞、踊り──」

京太郎「ええと……」


消えた照明、お祭り、歌、ダンス──


京太郎「和の…ライブですか?」

はやり「その通り」


はやり「この場面、今の神事にもつながる、重要な要素をふんだんに含んでいるんだけど」

はやり「けど、それだけじゃない。祭りの、儀式の本質がここにはある」

はやり「準備をして舞台を整え、暗闇の中、歌を歌い、踊りを踊り、みんなを喜ばせる」

はやり「アイドルの本質が、ここには描かれている」

はやり「ライブは神事で、アイドルは、それを取り仕切る神職なんだよ」

京太郎「……」

はやり「まっ、お昼でもライブをやることはあるけど、ね」

以前と、まったく同じことを言っているはずなのに、神話を根拠に語られると、説得力3割増しといった印象にもなる


***

この笑い声を聞いて不思議に思い、天照は天の岩屋の戸を小さく開いてしまいます

「自分が岩屋に籠ったことで、世界は暗闇になってしまったはず。なのに、なぜ皆は楽しそうにしているのか」

これに対して、天宇受売(アメノウズメ)が答えている隙に、他の神が天照の手をグイッと引っ張りました

天照が天の岩屋を出てきたところで、さらに他の神が、天照の後ろに尻久米縄(しりくめなわ)を引き渡しました


こうして、天照が天の岩屋から出てくると、天の高天原と地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)に、再び日が差し込みました

おのずと、世界は照り明るくなりました


八百万の神々は協議を行い、須佐之男にこの事件の罪を償わせることに決めました

多くの財物を支払わせ、ひげと手足の爪とを切り、高天原から追放しました


須佐之男は、葦原中国に降ることになりました

***


京太郎「尻久米縄(しりくめなわ)って何ですか?」

はやり「神社でよく見るしめ縄のことだよ。結界を張って、「ここに入ったらダメですよ」ってことだね」

京太郎「しめ縄って、そんな意味があったんですね」


はやり「これにて、『古事記』における天照の活躍はほとんど終わり。次は、須佐之男の矢俣遠呂智(やまたのおろち)退治」

京太郎「ええー…仮にも天照って最高レベルの神様なんでしょう?、それが、これだけで終わりって寂しいような…」

はやり「そうだね。でも、この岩屋籠りの試練を経ることで、天照は最高神へと成ったとも言えるんだ」

京太郎「というと?」

はやり「これ以降、確かに天照はほとんど登場はしないけど、度々他の神に対して命令はしているんだよね」

京太郎「えーと……もうちょっと分かりやすく」

はやり「自分が動く代わりに、誰かに指図して物事を進めるようになったってこと。現代社会だってそうでしょ?」

京太郎「ああ、なるほど。上から命令をする立場になるくらい、偉くなったってことですね」

はやり「そう。戦う巫女としての天照はもういない。なぜなら、最高神の一柱になったのだから」


はやり「さて、矢俣遠呂智退治の前に、唐突に次にような話が挿入されます」


***

高天原を追われた須佐之男は、大気都比売(おおげつひめ)という神と出会いました

そこで、大気都比売は鼻や口や尻から、様々な美味なものを取り出し調理をし、差し出してきました

しかし、須佐之男は、その様子を覗き見ていたので、穢らわしいものを自分に出したのだと思いました


須佐之男は、大気都比売を殺してしまいました


すると、遺体の中から物が生じました

蚕、稲の種、粟(あわ)、小豆(あずき)、麦、大豆、です

天つ神が、須佐之男にこれを取らせて、それぞれ種としました

***


京太郎「意味が分かりませんね」

はやり「天上界を追放されたと思ったら、あっという間に殺人ならぬ殺神を犯す」

京太郎「マジでこいつ、危険人物ですね。こんなのが好きになる奴なんて、お里が知れるってもんですよ」

はやり「ねえねえ……鏡見てみる?」


はやり「実はこの話、ハイヌヴェレ型の穀物起源神話とほとんど同じ構造をしているの」

京太郎「ハイヌヴェレ神話?」

はやり「インドネシアのある島に伝わる神話で、たいだいこんな感じ」


はやり「ハイヌヴェレという少女は、大便として様々な宝物を生み出せるんだけど」

はやり「それを気味悪がった他の人が、彼女のことを殺してしまう」

はやり「しかし、その遺体からは様々な種類の芋が発生して、やがて人々の主食となりました──とさ」


京太郎「確かに、ほとんど同じですね」

はやり「まあ、大気都比売の話は、たぶんこの話が元になったと思われるんだけど」

京太郎「?」

はやり「けど、もっと重要なのは、ここでもまた『死と再生』が一緒に語られていることだよ」


はやり「迦具土の死は、新たな神々の誕生へと繋がり」

はやり「大気都比売の死は、穀物の起源になった」

はやり「伊耶那岐と伊耶那美は、死を経験することで、"大神"となり成長した」

はやり「天照は、服織女(はたおりめ)の死と、岩屋籠りの試練を経て、最高神へと成った」

京太郎「……」

はやり「死と再生は、二つで一つなんだよ」


***

このようにして、高天原から追い払われた須佐之男は、出雲国(いずものくに)へと降り立ちました

そこで、須佐之男は、泣いている老いた夫婦と、その娘である少女に出会いました

夫婦の名は、足名椎(アシナヅチ)・手名椎(テナヅチ)、娘の名は櫛名田比売(クシナダヒメ)といいます


須佐之男は、「なぜ泣いているのだ」、と問い掛けます

足名椎は、それに答えます

「矢俣遠呂智が毎年やってきて、娘を食べていってしまうのです」

「今、その遠呂智がやってくる時期なのです。そういうわけで、泣いているのです」、と

足名椎は、矢俣遠呂智の姿形を説明します

それによると、八つの頭と八つの尾を持ち、その長さは谷八つ、峰を八つ渡るほどで、腹はいつも血が垂れただれているそうです


そこで、須佐之男は、「お前の娘を、私にくれないか」、と言いました

足名椎は、「それは恐れ多いことです。しかし、まだあなたのお名前を存じません」、と答えます

須佐之男は答えます、「私は天照大御神の弟で、わけあって高天原から降りてきた」、と

これを聞いた、足名椎・手名椎夫婦は、「それは恐れ多いことです。娘を差し上げましょう」、と答えました

***


はやり「いよいよ、須佐之男の活躍の場がやってきたね」

京太郎「姉の威光を利用して、娘を差し出させるとは……汚いっ、須佐之男汚いっ!」

はやり「まあまあ」

京太郎「それにしても、矢俣遠呂智のお腹って、血が垂れてただれているんですね。痛々しー」

はやり「矢俣遠呂智も一種の神なんだろうけど、この場面、その神の姿についてけっこう詳細に語るところが面白いよね」

はやり「本来、神の姿形について語ることは、タブーなはずなのにね」


***

すると、須佐之男は、娘の櫛名田比売(クシナダヒメ)を櫛に変化させ、髪に刺しました

さらに、足名椎・手名椎夫婦に、何度も醸した(かもした)濃い酒を用意するように命じました


このようにして、準備を終わらせて待っていると、矢俣遠呂智がやって来ました

矢俣遠呂智は、桶に頭を突っ込んで、用意した酒を飲んでいきます

そして、ついには酔ってしまって動けなくなり、寝込んでしまいました


そこで、須佐之男は、十拳の剣を引き抜き、矢俣遠呂智をずたずたに切り刻んでしまいました

しかし、尾の部分を切ったときに、刃がこぼれたので、中を覗いてみると、一つの太刀がありました

須佐之男は、この太刀は尋常なものではないと思い、姉の天照にこれを献上しました


これは、草那芸之太刀(くさなぎのたち)です

***


京太郎「なんかちょっと、騙し討ちっぽいですね」

はやり「『古事記』においては、武力を使って敵を倒すより、知略をめぐらせて相手を討つってのが多いんだ」

京太郎「なせです?」

はやり「頭の良いことが、王の条件なんだよ」


***

矢俣遠呂智を退治した須佐之男は、櫛名田比売と結婚することになりました

そこで須佐之男は、二人で住む宮殿を造るべき場所を、出雲国で探すことにしました


そして、須賀という所に行ったところで

「この地は、私の心をすがすがしくさせる」

と言って、その地に宮殿を造って住むことにしました

そういうわけで、その地を、今は須賀といいます


この大神が、初め須賀の宮を造ったとき、その地から雲が立ちのぼりました

それを見て、須佐之男は歌を詠みました


~ 八雲立つ 出雲八重垣(やえがき) 妻籠み(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を ~

***


京太郎「ダジャレかよ」

はやり「神話が、今現在の地名に由来になっている──よくある手法だよ……ダジャレだけどね」


はやり「さあ、着いたよ」

京太郎「ここは?」

車から降りる

辺りを見まわすと、一つおとなしめの社が見えた


はやり「こここそが、島根県雲南市大東町の須賀」

はやり「須佐之男の心が須賀須賀しくなったという、その地」

はやり「そして、この神社が、須佐之男が櫛名田比売と一緒に住むために造ったとされる、須賀の宮」

京太郎「ここが…」

はやり「須我神社にようこそ。須賀くん」


京太郎「大神・須佐之男の住む家にしては、ちょっとこじんまりとしてますね」

はやり「まあ、熊野大社とか出雲大社に比べれば、確かにスケールダウンは否めないかな」

京太郎「ん…、あれ…?、須"賀"神社じゃなくて須"我"神社、なんですね」

はやり「明治の頃に、須賀から須我へ社名が変更されたって話だよ」

京太郎「へえ」

はやり「とりあえず、お参り済ませようよ」

京太郎「そうっすね」

はやり「ここには、京太郎くんと一緒に来たかったんだ」

京太郎「そうなんですか?」

こんな、と言っちゃ失礼だが、この質素な神社に来ることがか?

ずいぶんと可愛らしいお願いだな

京太郎「そんな慎ましい頼みごとくらいだったら、いくらだって叶えてあげますよ」

はやり「ほ、ほんとに…?」

京太郎「?、もちろんです」

はやり「ぁ、…ありがと…///」

京太郎「?」


手水舎で手と口を清めて、拝殿へ向かう

京太郎「あーと…お祈り済ます前に聞いておきたいんですが」

はやり「うん?」

京太郎「ここの御利益って何なんでしょう?、できれば、それと近いものにしときたいんで」

はやり「あー…」

京太郎「ほら、神様だって、自分とは関係ないこと頼まれたら困ってしまうでしょう?」

はやり「え、えーと…ね。そのー……///」

京太郎「はい」

はやり「色々あるらしいんだけどね、その、ね……りょ、良縁成就ってのもあって…///」

京太郎「……」

えーと……良縁が成就するってえと、その、つまり、男女関係がどうのこうのって話が一般的でありまして


『ここには、京太郎くんと一緒に──』


いやいやいや、まてまてまてまてまてまてまて、落ち着つけ須賀京太郎。早とちりするなよー…

はやりさんは、世間でも一目置かれる牌のおねえさんで、対して俺は一般的な高校一年生

オーケー?、主観的に客観的に、どう考えても釣り合うわきゃないよね?

そりゃあ、俺だってはやりさんは世界でも一番くらいには素敵な人だと思っているし、魅力だってたくさん知ってる

しっかりしてるかと思いきや、変な所で弱気な部分もあって、目も離せない

いや、別にはやりさんのこといつも気にしてるってわけじゃないよ?、念のため

手を繋いだのだって、一度きりじゃないし、ちょびっと好い雰囲気の中ぎこちなくも初々しいダンスだってしたよ?

ぶっちゃけちゃうと、好きですよ?、こんだけ魅力的な人と、こんだけ一緒の時間を過ごしたら、そうなるのが天の理だよ?

どっかの妖怪も、「天の理地の自明なり」、とか言っちゃうレベルの話だよ?

たぶん、標準理論よりも、もっとずっとスタンダードな理屈だよ?

しかし、叶わない恋に、恋い焦がれるのが許されるのは、少女漫画とロミオ・アンド・ジュリエットだけだってじっちゃが──


京太郎「いやいやいや………」ブツブツ

はやり「どうしたの?」

あああ゛あ゛、むりむりむり、たとえ俺の顔でも、そう見つめられると

京太郎「俺の顔っ!、俺の顔っ!!」ガンガンッ

はやり「ご乱心っ!?」

京太郎「すみません、今ので少し落ち着きましたから」ヒリヒリ

はやり「おでこ赤くなってるよっ!?」

京太郎「ハハハ、大丈夫ですって」

はやり「もう少し大切に扱ってくれる!?」

京太郎「す、すみません…」

はやり「ま、まあいいけどね……ああ、あとね。それとは別の御利益も、実はその…あってね」

京太郎「まだあるんですか」

はやり「えーと…………あのー……子っ//」

京太郎「こ?」

はやり「こ、ここここここ…コケコッコー……ごめん、やっぱり知らない」フイッ

京太郎「鶏…?」

はやりさんといえど、知らないことくらいあるのか

はやり「たぶん、諸願成就とか防災とかそんなんだよ、きっと」

京太郎「目を逸らしながら言われましても…」


そんなこんなで、適当にお参りを済ませて、車に戻ろうとした時だった


京太郎「ん、んん?、あの石碑…?」

はやり「よくぞ気付きました。『日本初之宮』、だね」

京太郎「ここって、日本最初の神社ってことですか?」

はやり「さあ。ほんとのことなんて分からないけど、『古事記』によればそういうことになるでしょ?」

京太郎「うーむ、確かに」

はやり「ついでに言っておくと、須佐之男が須賀の宮を造ったとき、『八雲立つ──』の和歌を詠んだよね」

京太郎「はい」

はやり「だから、ここ須我神社は、『日本初之宮』であり『和歌発祥の地』でもあるってわけ」

京太郎「へえ、意外と由緒ある神社なんすね、ここ」

はやり「須我神社でよく言われる話は、だいたいそんなところなんだけど、けどここにはもう一つ『日本初』のものがある」

はやり「須賀の宮を造った須佐之男は、妻・櫛名田比売の父・足名椎(アシナヅチ)に対して、この宮の管理を任すの」

京太郎「神社の管理ですか?」

はやり「そう。神の社を管理して、その神を祀る者を、神職という」

はやり「なら、ここは『日本初之宮』であり『和歌発祥の地』であり、そして『神職誕生の地』でもあるはず」

はやり「そして、須佐之男は、神職として任命した足名椎を、新たにこう命名するの」

はやり「稲田之宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬし すがのやつみみのかみ)」

京太郎「え」



はやり「日本最初の神職だよ」

キリが悪いですが、今日はここまでにします
では、また


_______

____

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日も落ちてきて、太陽の光も赤みがかった色に移り変わって来ていた

『古事記』風に言うなら、天照の時間は終わり、月読の支配する時間になってきたってところか

そろそろ、宿に向かわなきゃいけない時間だろうし、次に向かう場所で最後だろう


はやり「うん、ベストタイミングだね」

そこは川だった。何の変哲のない、ただの川

はやりさんは、これを俺に見せたかったのだろうか?


はやり「ちょーっと待ってね。たぶん、もうそろそろだろうから」

そろそろ?、何が?、ここは質問を挟まないで、静かに待つことにした

京太郎「……」

はやり「……」

京太郎「……」

はやり「きた」

太陽が、地平の向こう側にさらに降っていくと、川面が

京太郎「赤い…」


はやり「ここは、斐伊川(ひいがわ))」

はやり「矢俣遠呂智(ヤマタノオロチ)の正体に関しては、さまざまな説があるけどね」

はやり「その中に、斐伊川が矢俣遠呂智のモデルになったとの説もあるの」

はやり「かつてこの川は、砂鉄が多く含まれていて色を赤く染めていたのだとか、氾濫を繰り返したのだとか」

はやり「そういう理由から、自然の脅威を矢俣遠呂智という神に転嫁(てんか)したって話」

はやり「そして、その脅威を鎮めたからこそ、須佐之男は出雲の英雄ってことになるのかもね」

はやり「でも、こうして太陽で灼けた姿を見ると、そんな話にも説得力が増すってもんだよね」

確かに、この斐伊川は、きっちとした一本の川ではなかった

いくつもにも枝分かれしているような格好で、こうも赤に染まった姿はまるで、矢俣遠呂智そのものだった

そしてなにより

京太郎「綺麗だ」

はやり「でしょう?」

はやりさんも、ちょっと自慢げだ

はやり「今日雲ってたから、見られない思ってたんだけど。ラッキーだったね」

京太郎「雪とのコントラストがめっちゃ凄いですよ!」

はやり「そうだね」


はやり「あー……ね、ねえ……手つないでも、いいかな…//」

京太郎「…は、はい!」

ああ、もう……俺の身体でも、俺の勘違いでも、べつにいいや

今は、この瞬間を楽しめれば、それでいいじゃないか。なんて気分になってきた

ボーっとしながら、二人で水面を見つめていると

はやり「あ、あのね…!、私、あなたに、京太郎くんに言おうと──」



京太郎「女の子」

はやり「はい?」

京太郎「声がします」

はやり「え、え?」

京太郎「こっちです」

はやり「ちょ、ちょっと!?」

少し歩くと、いた!、やっぱり小学校低学年くらいの女の子

泣いてはいないけど、寂しそうにしているのがまる分かりだ

京太郎「はは…」

あまりにもベタ過ぎる展開に、少し笑みがこぼれてしまう


京太郎「どうかしたの?」

目線を合わせるように、しゃがみ問い掛ける

「お母さん、いなくなっちゃた」

京太郎「はぐれたんだね」

「たぶん、私のことが嫌いになったの。言うこと聞かないから」

京太郎「ふーん、そうなの?」

「いつも怒られてる」

京太郎「たとえ好きだとしても、怒る時だってあるよ」

「そうなの…?」

京太郎「ああ。だから、大丈夫だよ。お母さん、すぐに来るから」

「なんで?」

京太郎「私は、魔法使いだからね。少し先のことくらいなら、分かるんだ」

「ほんと?」

京太郎「ほんとだよ」

「うそ」

京太郎「ふーん…なかなか言うねえ、お嬢ちゃん」


鞄から、道具を取り出す

京太郎「まあ、見てて。まず、こうやって牌を持ちます」

「?」

京太郎「さあ、じいっと見ていてね」

「う、うん」

京太郎「1、2、3…………あっ!!、あんなところにバイク姿のスティーブ・マックイーンが!!」

「えっ、どこどこ!?」

京太郎「すると、どうでしょう、いつの間にか牌の模様が変わっているではありませんか」

「ずるい、私が見てないときに入れ替えたんだ!」

京太郎「やだなあ、ハンドパワーだよ」

「うそだ、インチキだもん!」

京太郎「どこにそんな証拠があるんですかー?、入れ替えたって、何時何分地球が何回回ったときの話ですかー?」

「そういうのオトナゲナイって言うんだよ……。じゃあ、もっかい見してよ」

京太郎「最近の子供は疑り深いなあ。じゃあ、今度はバレる可能性──じゃなかった、飽きたから別のにしよう」


京太郎「サイドスティィィィィーール!!」

「……見えてる」


京太郎「ダイアゴナルパームシフトォォォ!!」

「……見えてる」


京太郎「燕返しィィィ!!!」

「……それ、麻雀じゃん」


京太郎「……ちっ」

「あっ、今舌打ちしたー!?」

京太郎「シテマセンー」

「このお姉さん、なんだかダメそう…」

京太郎「やめやめ、マジック終了!、じゃあ次は、歌でも歌おっか。さあ、お姉さんに続けて」

「う、うん」

京太郎「ドナドナ♪ ドーナー♪ ドーナー♪」

「どなどな どーなー どーなー……?」

京太郎「って、その歌は流石にマズいでしょ!?、ってツッコミはまだですか、京太ろ──」




はやり「……」ポロポロ


京太郎「!?!??」

はやり「……」ポロポロ

京太郎「え、えっ!?」

はやり「なんで……」

え、えっ、なんで?、それはこっちが聞きたい!、なんで、はやりさんが泣いてるの?

俺、なんかマズいことでもしちゃったの!?

ただ、ちょっと生意気な小学生と戯れていただけなのに


「なんで」ってのは、もしかして俺のあのヘンテコマジックのこと?

あんなの、ある日、本屋で見かけて買ってきた、『モテるマジック!』ってな本を斜め読みしてちょっと練習しただけのもんで

子供だましの、つーか子供すらだませないような類のもんであって

京太郎「あ、えっ、え……とりあえず、このハンカチで」

はやり「なんで…」

京太郎「え、えと…」

はやり「京太郎くん、私…私ね……」

これじゃあどっちが子供なのか分からない

手の甲を使って、溢れる涙を何度も何度も拭うようにして、泣きじゃくっている

ああ……はやりさんのそんな姿見たくなんかないのに、でも、どうしていいのか分かんなくて


「ああー、お兄ちゃん泣かせたー」

京太郎「ああ、もうっ!、この、特別な存在のためのキャンディでも舐めてなさい!」

「ええー、私、落花あめが好きなんだけどなあ」

京太郎「最近の子供は渋いねえ!?」


「えーと……これは一体どういう状況なんでしょうか……?」

「あっ、お母さん!」


この状況では、来てほしくなかったかなー!?


_______

____

__


「ご迷惑をおかけしました。娘のこと、ありがとうございました」

京太郎「いえいえ、お母さんが来るまで、二人で遊んでいただけですから」

「ほら、あんたもお礼しなさい」

「……お母さん、まだ、アレある?」

「アレ?、ああ、あるわよ。でもどうして…?」

「じゃあ、いっこもらうね」

「え、ええ」

「はい、お姉さん。これあげる」

女の子が、何かを差し出してきた

京太郎「落花あめ?」

「……退屈はしなかった。じゃあ、ね//!」

そんな台詞を残して、小走りに先の方に行ってしまった

「まったく、あの子は…」

京太郎「…頭のいい子ですね。もっとしっかり、彼女のこと見てあげてくださいね」

「そうします。あなたのこと、いつもテレビで見ています。お仕事の方頑張ってくださいね」

京太郎「…はい!」


笑顔で、親子を見送った


京太郎「…落ち着きました?」

はやり「…ん」

京太郎「あ、あの…俺、何かマズイことでもしちゃいましたか?」

はやり「そんなこと、ない……ただ」

ただ…?

はやり「……」

どうやら、その先の言葉は言わないつもりらしい

京太郎「あの」

はやり「うん」

京太郎「俺、はやりさんのこと、まだまだよく分からないんですけど」

京太郎「けど、もっとあなたのこと、知りたいとも思ってます」

はやり「……」

京太郎「俺、はやりさんの為なら、何でもしたいと思ってます」

京太郎「そりゃあ、○ねとか、駅前で裸踊りをしろとか、そんなこと言われたら困っちゃいますけどね」

はやり「ふふ…そんなこと言わないよ」


京太郎「じゃあ、そろそろ宿の方に向かいましょうか」

はやり「うん」


─温泉宿



京太郎「こ、これはまた、お高そうなとこですね…」

はやり「そんなことないよ。さっ、いこいこ」

島根には、温泉がいくつか存在する。タマツクレ──てはなく、玉造温泉とかね

ここも、その一つだった

それはそれで結構な話なんだけど、しかし、いささかこの宿の高級感は、俺のような高校生には釣り合わない

しかし、アイドルと同伴するのが、一介の男子高校生であることは、世間的に大丈夫なんだろうか?

ワイドショーで世間を賑わしてしまわない?、でも、はやりさん曰く大丈夫らしかった

話しでも通してあるのだろうか?


入り口を通り、受付を済ませて、部屋に案内された

京太郎「あんな大人数で、「お待ちしておりました」とか言われたの、初めてっすよ…」

はやり「ふふ、そうだね。でも、今日は移動が多かったから疲れたよ」

京太郎「温泉入って、スッキリしたい気分です」

はやり「そ、そうだね…//」

京太郎「?…こんな所なんだから、さぞすごい設備が整ってるんでしょうね。今から楽しみです!」

はやり「そ、そうだね……ここ、温泉が売りらしいから///」


京太郎「そうなんですか?、なら、準備して早く行きましょうよ」

はやり「う、うん…///」

京太郎「さっきから、どうしたんですか?、モジモジとして」

はやり「ここ、さ……大浴場もあるらしいんだけど、その……備え付けのも、そこにあるんだよね////」

ちょんちょんと指さしたその先は、この部屋の外を示しているようだった

うん、お風呂がある。露天風呂付きの客室だなんて、あらステキ


はやり「二人で……入ろっか/////」

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「……」

それは、いささか、かなり、よっぽど、めっぽう、マズイのではなかろうか

男の裸なぞ、見たくはないと思いつつ、いやでも『はやりさん』の裸なら見てみたいぞという青少年の淡い情熱もたぎりかけ

はやり「いや、かな…?」

はやりさんのお願いを断れる人間がいたなら、その人物にそのコツとやらをご教授願いたい気持ちでいっぱいである

京太郎「イヤナワケアリマセン」

はやり「や、やった///」

可愛い、けど俺だ



この状況、色んな意味で、マジでヤバイ


先に服を脱がせてもらい、お湯で身体を洗い流して、湯につかる

鏡で確認したけど……へ、変なところないよな?

大事な髪の毛は、湯につからないようにしっかりと結ったし、化粧もちゃんと落とした

貴金属だって外したし、ここに来る前日にその他諸々の準備をしてきたさ

いや、準備の方はどうでもいいんだ。この状況の方ががヤバいんだから

ヤバい、さっきからヤバいヤバい言い過ぎぃ!、俺の語彙が枯渇してるぅ!?

あれ?、あり得なくない?、この状況…?


はやり「そろそろ、入っても大丈夫かな?」

京太郎「ははははは、ハヒィ…!」

声がうわずってしまう

ガラガラと戸を引く音がした。湯けむりでよく見えないうちに顔を思いっきり脇へとそらす

男の、つーか自分の身体をマジマジと見るのは流石に抵抗があったってのは確かだった

しかしそれ以上に、『はやりさんの身体』を見てしまうことに、ものすごい抵抗感を覚えた


身体を洗い流す音が聞こえてくる。思いっきり唾を飲み込んだ

──あれは須賀京太郎、あれは須賀京太郎、あれは須賀京太郎

心の中で三回唱えてみてみるものの、効果はあがらず

すかさず、はやりさんが湯につかる音が聞こえてきた


はやり「ねえ、どこ向いてるの?」

京太郎「い、いいい今さっきっ、寝違えてしまいまして…!」

はやり「はは、なにそれ」

ふふ、っと笑うようにして冗談めかしてそんなこと言う

なんだこの余裕は。これが大人の貫録なのか…?



はやり「そっち、行ってもいいかな?」

京太郎「どどどどっ、どうぞっ…!」

ヤバいヤバいヤバいヤバヤバいヤバい、マジでほんとに、近づいてきたぁぁぁ

肩と肩とがピタリとくっつく

俺のより、彼女の肩の位置の方がどうしても高くきてしまうので、嫌というほど自分が女であることを認識させられる

少しゴツゴツした感じも、一層そいつに拍車をかける

はやり「なに、緊張してるの」ボソ

京太郎「っ……///」

首すじがゾクリとし、鳥肌が立った。俺の声とは思えないほどの艶っぽさ。囁くような、そんな声

身体が火照るのが分かった

はやり「ふふっ…」

もう一回、唾を飲み込んでしまった


ああ…男の声のはずなのに、『はやりさんの声』でもあることが、奇妙なほど俺を惑わしてくる

姿を見ないということが、俺の求めるものとは別の効果を上げているようだった

思いなしか、いつもよりも声の調子が、どこか女性らしかった。本当に、これは俺の声なのか?

雪のせいか、湯船のせいか、湯けむりのせいか、かけ流しせいか

これは心の緊張なのか、あるいは身体が興奮しているだけなのか

それが分からないほど、おかしくなっている


はやり「ねえ、外見て。雪化粧してて、とても綺麗だよ」

はやりさんの方を見ないようにしながら、そちらを向く

京太郎「た、確かに綺麗ですね」


しばらく、その雪景色を眺めていると、ほんの少しだけ余裕ができてきた

だから、思い切って質問することにする

京太郎「なんで、はやりさんは俺と一緒に島根に来ようと思ったんですか?」

少し思い切り過ぎか

はやり「……久しぶりに、ゆっくり地元に帰って来たかったっていうのもあるけど」

はやり「でもそれ以上に、私のことをもっと知ってもらいたかったの」

京太郎「……」

さすがに、「なぜ?」とは聞けない

はやり「私がどういうところで育ったのか。私が、どういう町並みとか文化の中で、どういうことを考えてきたのか」

はやり「私が、本当はどういう人間なのか、あなたに知ってほしかったの」

はやり「今は、それを言う勇気はないけど、いつかあなたにこの気持ちを伝えたいと思ってる」

はやり「軽蔑するかもしれないし、たぶんきっと失望する。これは、私のわがままかな?」

京太郎「……」


はやり「私にはね、憧れていた人がいたんだ。とても素敵な人だった」

はやり「今日、車で試運転を兼ねて、市内をちょっと回ったでしょ?」

京太郎「はい」

はやり「あの時、病院を横切ったのを覚えてるかな?」

京太郎「なんとなく」

はやり「あそこでね、初めて出会ったの。今でもよく覚えてる。小学生の頃の話」

横目でチラッと覗いてみると、普段あまりしないような顔をしていた

何かを懐かしんでいるような、けどそれはもう手に入らないものなんだと諦めてしまっているような、そんな表情だった

はやり「悲しそうにしていた私を、励ましてくれたんだ。さっきの京太郎くんみたいにね」

はやり「私が最初に覚えたマジックの技術は、どうやって相手に見えないように牌をパームするかだったよ」

はやり「ふふっ、それこそ夜更かししてね」


はやり「彼女はアイドルだったの。ま、最初は分からなかったんだけどね」

はやり「私って子供の頃はほんとに子供で、アイドルなんてものは『カッコワルイ』ものと決めつけていたんだ」

はやり「だって、変な衣装着てさ、歌って踊って元気を振りまいて。いい大人が、キャピキャピしてさ」

はやり「どうしたって、カッコよくなんか思えなかった」

はやり「子供だった」


はやり「でも、子供ってのは単純で、一目いいところを見ちゃうと、評価がガラリを変わるもんなんだね」

はやり「彼女は、私のアイドルに成ったの」

はやり「私の目標になった」

京太郎「それから、アイドルを目指すようになったってことですか?」

はやり「うーん、と……まあ、そうなんだけど、ね」

京太郎「?」

はやり「京太郎くんは、私の人生がいつも順風満帆で、常に輝いていたと思っていた?」

京太郎「……」

はやり「そんなことはなかったよ」

はやり「何かを掴めたような気になったときもあるし、とてもとても悲しいこともあった」

はやり「まったく別の方向に、人生の舵を切ろうとしたことも」

京太郎「……」

はやり「けど、いろいろあったけど、結局私はアイドルに、牌のおねえさんに成った」

はやり「嬉しかった。とても……言葉では言えないくらい、とても」

水の滴る音が聴こえた


はやり「こう見えて、私、けっこう色んなことできるんだよ」

はやり「勉強なら、ほとんど誰にも負けたことなかったし」

はやり「マジックだって、スライハンドの技術なら、プロにだってそう劣ってないと思ってる」

はやり「歌とか踊りとかもそう。麻雀だって、いつも島根県の代表選手でね」

はやり「何でもできると思ったことはないけど、大抵のことなら一人でできてしまったの」

はやり「それがよくなかったのかもね」

京太郎「……」


はやり「私は、彼女に憧れるあまり、彼女のように成ろうとするあまり」

はやり「責任感と憧憬は矛盾するの。だけど、人間はその二つを同時に持つことができてしまう」

はやり「彼女もそうだった」

はやり「私は──」

京太郎「……」

はやり「……ごめん、長くなりすぎたみたい。のぼせちゃった」

はやり「余計なこと言っちゃった。先に上がるね」

京太郎「あっ…」

湯船から上がると、すぐさまドアの閉まる音がした


京太郎「はぁ…」

なにか気の利いたことでも言おうと思ったけど、肝心の言葉がどうしても思いつかなかった

京太郎「…俺の馬鹿」


_______

____

__


お風呂から上がり、浴衣に着替えた

火照った体を冷ましているうちに、美味しそうな夕食が運ばれてきて、食事をとることになった

いや、実際美味しい。雰囲気かどうか分からないけど、ただのオレンジジュースだって美味に感じてしまう


京太郎「明日は、どこ行くつもりなんですか?」

はやり「とりあえず、足立美術館かなー。庭園が有名なんだけど、雪化粧したのもこれまた乙でね──」

まるで、さっきまでのことがなかったかのような話し振り

けれど、ほんの少しだけ余所余所しさを感じる

若干、はやりさんの顔が赤いような……恥ずかしがっている?、まさか

はやり「ささっ、京太郎くん。どんどん飲んじゃって」

いいのか……うん、まあいっか

京太郎「んぐ、んぐっ──ッカーー!、んまい!!」

はやり「よっ、いい飲みっぷり!」


俺が何を飲んでいるのかは想像にお任せするが、このうまさ。最近の仕事の疲れが吹き飛ぶ

まあ、肉体の年齢は二十歳を過ぎているし、何の問題もないだろう

身体が再び火照っていくのが分かる。たぶん、顔もほんのり赤いはずだ

しかし、飲み過ぎはよくない

小鍛冶プロの惨状を既に目の当たりにしていた俺は、限度を見極めつつ、そいつを嗜むことにした

京太郎「あー…」

でもちょっと、ボーっとしてきたかも…


美味しい食事も、食べてしまえば終わってしまう

仲居さんに食器類を片づけてもらい、余韻に浸っていると、再び仲居さんがやってきた

「もう、用はないと思うんだけど」、と思っていると、「どうぞ」と何かを手渡された

酔っていたのもあって、素直に「はい」と受け取ってしまった


京太郎「はやりさん、これなんです?」

はやり「ジャパニーズ・サケ」

京太郎「鮭?」

はやり「ノーノー、Sake」

京太郎「酒?」

はやり「イエス!」

京太郎「はやりさんが?」

はやり「せっかくだから、二人で飲もうよ」

京太郎「えーと……」

なんだか、頭がグルグルするぞ…

ヤバいな、ちょっとはやりさんが何を言ってるのか分かんない……酔ってるのか、まさか?

確か、はやりさんは成人しているはずだからお酒を飲んでも問題ないはずだよな?、うん、これは間違いない

いや、でも、身体は俺だから飲んだらマズいような

いや、でも、大人だから飲んでもいいような

身体は子供、心は大人。大人は子供、心は身体

京太郎「うーん、と……」

いいようなマズいようないいようなマズいようないいようなまずいようなあなあなあええと──

京太郎「……」

こういう時は


超法規的措置!!


京太郎「よく分かんないですし、飲みましょっか!」

なんか、大丈夫な気がしてきた

はやり「いえい!」


_______

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__



一杯、二杯、三杯……くらいまでは覚えてるんだけど、それ以上がよく思い出せない

まあ、四捨五入すれば、たぶん切り捨てることになるだろうから、どうでもいいな

はやりさんの方はというと、少なくとも俺より飲んでいるのは確実で、そのペースは衰えをしらなかった

ほら、空になった容器に、また透明な液体を注いでいる

それを手に持って軽く傾けるながら、こんなことすらのたまう

はやり「大丈夫だよ、京太郎くん」

はやり「お酒の9割以上は水でできているんだから、四捨五入すればそれはただの水になるんだよ」

京太郎「なるほど」

酒は飲んでも飲まれるな。俺はともかく、はやりさんが飲まれている側の人間であるこに間違いなかった

はやりさんは、もっと節度ある大人で、こんな人ではなかったと思うんだけど


アルコールのせいか、いつもとは違う話ばかりをした

学校のこととか、和とのレッスンの日々とか、テスト、麻雀、大会、授業、先生

仕事の方はどうなっているか。マネージャーさんとはうまくいっているか。嬉しかったこと、楽しかったこと

ああ、そうそう、今度大会に出るみたいだ。あまり大きな大会ではないけど、男女不問の団体戦だってさ

はやりさんが本気を出したら、他の奴なんかケチョンケチョンだろう


はやり「ねえねえ、京太郎くん」

京太郎「なんすか?」

先ほどの、温泉での状況と同じように、いつの間にか隣り合うようにして話し合っていた

対面する形で飲んでいたはずなのに、気付いたらそんな形になっていた

肩と肩が触れ合うほど近い。でも、今度はさほど緊張することはなかった。アルコールのせいか

ものすごく近いので、はやりさんは俺の耳元で囁くようにして話を続けていった


はやり「私さ、京太郎くんとのお友達とも、よくお話しするんだ。男の子だよ?」

京太郎「まあ、そりゃそうでしょうね」

はやり「私ね、男の子のこと、いっぱいお勉強したんだよ?」

京太郎「はやりさんは、真面目ですからね」

はやり「ずうーっと、周りが女の子ばかりの中で生活してきたから、最初は苦労したんだ」

京太郎「は、はあ…」

はやり「と・く・に…………"えっち"なこととか、ね」

京太郎「」

京太郎「」

はやり「京太郎くんが、そういうの全部持っていっちゃったから、自分で集めたりしてさ」

京太郎「」

はやり「あれくらいの男の子って、いっつも"そういうこと"、考えてるんだね」

京太郎「ナ、ナンノコトデショウ…」ダラダラ


はやり「人気なのは、やっぱり和ちゃんだよね。圧倒的に一番人気」

はやり「胸も大きいし、スタイルも良いし、綺麗だし、ね」

はやり「ちょっとツンツンしてるところも、容姿とのギャップがあっていいよね」

京太郎「ハハハ…」

はやり「優希ちゃんも結構人気あるんだね。あの元気なところとか、魅力的だもんね」

はやり「デートに行ったら絶対楽しよね。退屈してる暇なんて、ないくらい」

京太郎「カ、カモシレマセンネー…」

はやり「咲ちゃんだって、一部の男の子にはストライクみたい」

はやり「一人で読書している姿とか、小動物みたいな仕草とか、守ってあげたくなるのかな?」

京太郎「ド、ドウデスカネ…」

はやり「京太郎くんは、いつもあんな可愛い子たちと一緒にいられて、幸せ者だよね」

京太郎「い、いやぁー……みんな友達ですからねえ…」

はやり「ねえ、京太郎くんは、三人の内だったら誰が好みの女の子なのかな?」

京太郎「いや、好みとかは特に──」

はやり「私、知ってるんだよ。京太郎くんが、胸の大きな子のこと好きなこと」

あ、あいつら…人の性癖教えやがったな

はやり「だったら、和ちゃんかな?、それとも、馴染みのある咲ちゃん?、優希ちゃんとは、仲が良いみたいだね?」




はやり「ねえ………私も、胸、けっこう大きいよ?」ボソ


京太郎「っ……//」

はやり「ふふっ、知ってるよね?」

や、ヤバい……今のはちょっとゾクッときた。思わず、生唾を飲み込んでしまうほどに

しかし、はやりさんの方はそんなことお構いなしに、追い打ちをかけていく


はやり「男の子って、えっちな事に関して、おおらかなんだなってよく思うんだ」

はやり「誰だれで"ヌいた"とか、いつも誰だれのこと想像しながら"シテる"とか、そういうの」

はやり「京太郎くんも、"そういうこと"、してるのかな?」

京太郎「あ、えと…俺は、その、ですね…っ」

どう答えろって言うんだ?



はやり「私はね……シタこと、あるよ」



京太郎「っ…///」

い、いくら酒が入ってるからといって……さすがに、この流れは──

はやり「この身体になってからのことだよ?」

はやり「最初はそんなに気にならなかったんだ」

はやり「けどね、最近京太郎くんのこと思うと、そんな気持ちになっちゃってね」

や、ヤバイ、ちょっと、これは、倒錯的過ぎ──

はやり「一回シタくらいじゃ治まらないの……だって、これって京太郎くんのこと、イジメてるっことになるでしょ?」

はやり「そう考えるとね、自分でもどうしようもならなくなってね、何度も何度も──」

あれ、いつの間にか、肩口を押さえつけられるような格好になって──

る、と思ったら


京太郎「あっ…!」


押し倒された


もう、完全に酔いは醒めた

脳みそに直接メントールを塗り込んだかのようにスッキリし過ぎて、この状況のヤバさが鮮明になってくる

ドクン、ドクン、と心臓は爆発しそうになっていた

京太郎「ちょ…冗談は、この辺で──」

はやり「冗談じゃないよ」

すかさず腕を動かそうとするが、両の手首をガッチリと掴まれてしまってビクともしない

本当に、まったく動かない。力の差があり過ぎる

京太郎「これは、酔っているからで──」

はやり「酔っていなかったら、よかったの?」

京太郎「そんなことっ…」

足で突き上げようと思っても、相手の身体が大きすぎて、そのスペースすら見つからない

密着して、足が入らない

はやり「ねえ、京太郎くん。私のこと、理解してくれるって、言ってたよね?」

ど、どうしようもない……「初めての相手は自分でした」、とか洒落にならない

たぶん、人類初の試みになること間違いなし!、けど全然嬉しくない!!

はやり「あれね、私、とても嬉しかったんだ」

須賀京太郎選手!、人生の9回の裏、処女喪失っ!!

処女と童貞を同時に喪失するなんてことになろうとは…!?

いや、なぜ俺がはやりさんが処女であることを知っているのかというと、この際その話は脇に置いておきまして──

はやり「身体で一つになれば、私のこと、もっと分かるかもしれないよ?」

はやり「ねえ、京太郎くん…」

据え膳くわぬは女の恥、とはばっちゃが言ってたけど、こんなのは…!


顔が近づいてくる。ダメだ…

目をつむって、顔を背けるくらいの抵抗しかできない

はやり「お願い、私のこと、嫌いにならないで」

京太郎「っ……」

嫌いになるなんて、そんなことは──




……あれ?、そもそもなんで俺は、こんなにも嫌がってるんだ?

これは、はやりさんが望んだことだろ?

それに、俺だって彼女のことは好きだ

なら、それでいいじゃないか

役割が交換しただけ

エクスチェンジ

やべ、戒能さんの口癖が移っている


たぶん、天井の染みの数を数えているうちに終わるよ

ちょっと痛いかもしれない

けど女性なら、仕方ない

初めて同士だから、きっとぎこちない

けど最初はみんな、こうなはず

いいじゃん、念願の初体験

しかも、好きな人と

サイコーじゃん




『壊れるよ』


はあ…!?

何が壊れるんだよ?

むしろ始まる感じだろうが、この展開

レ○プから始まる恋なんて、エロ漫画だったら王道中の王道で、読者がついてこないくらいじゃないか!


本当にそうか?


こんなことして、今までと同じような関係でいられる?

はやりさんは、責任感の強い人だ

酔っていたとはいえ、酷いことをしたと分かったら、絶対に傷つくだろうな


『京太郎くん』


……それは、確かにヤダな。うん、嫌だ

もちろん、初めての相手が俺なのも嫌だけど、彼女が傷ついたり、辛い思いをさせてしまうことはもっと嫌だ


私は──……いや、俺は──


仕方ない。もうこうなったら、隙をついて俺の京ちゃんを一発蹴りあげるくらいの覚悟をもって──


京太郎「って、あれ…?」

そろそろ、事が始まってもおかしくないはずなんだけど…

つむっていた目を開いて、状況を確認する

はやり「……」

京太郎「ん?」

はやり「すぅ…すぅ…」

京太郎「……」

寝てんのかよ

京太郎「はぁー…」

今回は、ほんとにヤバかった。この出来事、人生で最も崖っぷちに立たされたのは間違いない

一気に、身体中の力が抜けた


それから、はやりさんの身体を何とか押しのけて、とりあえず一息入れた

京太郎「さて…」

俺の身体を立ったまま見つめ、思案する

こんなことされたんだから、このまま放置してやろうかとも意地悪な考えにも至ったが

だからといっても、このままでは良くない。いくら暖房が効いているとはいえ真冬だし、移動させなきゃいけない

仕方なく、用意してあった布団に運ぶため、両足を脇に挟んで引きずりながら運ぶことにした

ズリズリと畳とこすれる音がする。我ながら、なんて情けない格好

はやり「う…う~ん……」

京太郎「我慢してください」

俺の後頭部が若干心配だけど、この場合は仕様がない

枕に頭を乗せて、布団をかけて、熟睡状態の男子高校生の出来上がりだ

京太郎「ふぅ…」



さっきの、はやりさんの振る舞いが本心なのかどうかは、いまいちはっきり分からない

酒の酔いと、若気の至りがなせた業なのかもしれないし、真っ当な真実である可能性もある

もしあれが、彼女の本当の気持ちだったしたら、もちろん飛び上りたくなるほど嬉しい

ただし、レ○プはNGだ

しかし、そうであったなら、はやりさんは、はやりさんなりの悩みを抱えているというわけでもあって…

自分のことだってよく分からないのに、果たして、他人のことなんて理解することができるんだろうか?


先ほどまで、杯を交わしてた机の上を見た

そこには、飲みかけのオレンジジュースが入ったコップが、まだそこに残されていた


どうやら既に、氷は解けてしまっていたようだった


──12月下旬 島根 2日目



─須賀京太郎


はやり「……ふわ~……、おはよ~」

京太郎「!!、お、おはようございますですっ、ハイ!」

はやり「……なんで、バリケードなんか作って離れて寝てるの?」

京太郎「昨夜、強姦未遂事件があったとかで、なんやかんやでございます!」

はやり「?…変なの」

あれ?

京太郎「あのー…」

はやり「なに?」

京太郎「昨日のことは、その…」

はやり「昨日?……………お酒、無理やり、レ○プ、うっ頭が…」

京太郎「……」

やはり、アルコールの力は偉大だった。良くも悪くも、だけど




この日の観光は、はやりさんに気を使いっぱなしで、正直それを楽しむどころじゃなかった

あんなことがあった次の日に、平然としていられる女子がどこにいよう?

もうお酒なんか絶対に飲んでやるもんか!、と固く心に誓いながら、今日という日を過ごす羽目になった


──12月下旬 島根 3日目



─須賀京太郎


島根滞在3日目。今日が最終日ということになっている

どう取り繕うが、やはり島根は都会とは言えないけれど、その良さはなんとなく分かってきた

短い滞在だったけど、はやりさんがどのような土地で生まれ育ったのか、少しだけ理解できた

……と思う

この辺を歩いていると分かるけど、はやりさんから聞かされた『古事記』の話の断片が至る所にあることが分かる

神社とか、土地の名前をつぶさに見ていくと、その名残が見て取れる

ここには、今も神話が息づいている

伊邪那美が伊耶那岐が、須佐之男が、矢俣遠呂智が、確かにそこにいたのだと感じさせてくれる

島根は、出雲は──人間臭い神様たちが、好んで住んだ場所なんだ


ちょっとだけ名残惜しい気もするけど、島根旅行最終日、楽しんでいこうと思う



はやり「さてさて、昨日はちょっと気分がすぐれなかったみたいだけど、今日は大丈夫みたいだね」

京太郎「バッチリです」

はやり「うん、よろしい!、では、古事記ツアーin島根、第二弾にご招待といきましょうか」


はやり「前回までの、あらすじ!」

はやり「須佐之男が、天上世界・高天原(たかまがはら)を追放されました!」

はやり「地上世界・葦原中国(あしはらのなかつくに)に降り立つと、矢俣遠呂智を倒して、結婚しました!」

はやり「終わり!」

適当だなあ、おい


はやり「さて、とりあえず須佐之男の話はこれで終わりを迎えます」

はやり「次の主人公は、須佐之男の子孫にあたる、大穴牟遅(オオナムヂ)になります」

はやり「大穴牟遅には他にも沢山名前があって」

はやり「大国主(オオクニヌシ)、葦原色許男(アシハラノシコヲ)とか、まあ色々あるんだけど」

はやり「最初の方は、大穴牟遅だけでいくから安心して」

京太郎「了解です」

はやり「では、早速始めます」


***

話は、須佐之男から、須佐之男の子孫である大穴牟遅(オオナムヂ)に移ります


大穴牟遅には、八十神(やそかみ)という大勢の兄弟神がいました

そのめいめいが、稲羽の八上比売(ヤカミヒメ)と結婚したいと思い、皆で一緒に稲羽に行くことにしました

そこで八十神は、大穴牟遅には荷物を持たせて、従者として連れて行きました


こうして、気多の岬に着いたとき、可哀想に気を毟り取られた裸の兎に出会いました

八十神たちは、その兎に嘘の治療方法を教え、その兎はその教えに従いました

しかし、当然それは嘘なので、兎の怪我はもっと酷いものとなってしまいました


兎が、その痛みに泣き伏していたところ、一番遅れてやってきた大穴牟遅に出会いました

大穴牟遅は、兎に事の経緯を聞き、今度こそ正しい治療方法を教えることにしました

そこで、その教えに従うと、兎の身体は元通りに治りました


これが、稲羽の素兎(しろうさぎ)です

今では、兎神といっています

***


はやり「有名な、稲羽の素兎(しろうさぎ)のお話だね。イワンの馬鹿型の説話」

はやり「一番のダメ男が、高貴なお姫様と結婚して、やがて王へと成長していく」

はやり「その話の始まりだね」


はやり「また、ここには、大穴牟遅が王へと成っていくための伏線も散りばめられているの」

はやり「兎とキチンとコミュニケーションを取れること。傷を癒す方法を知っていたこと」

はやり「彼は、霊的な力と知識を、シャーマンとしての資質を持っていたの」


***

その兎が、大穴牟遅(オオナムヂ)に言いました

「八十神たちは、きっと八上比売(ヤカミヒメ)を得ることはできません」

「荷物を背負ってはいても、あなたが獲得することでしょう」

こう、予言しました


その通りに、八上比売は八十神の求婚に答えて

「私は、あなた方の求婚は受けません。大穴牟遅と結婚します」

このように、言いました

***


京太郎「ざまあみろ、って感じですね」

はやり「でも、そうは問屋がおろさない」

はやり「怒り狂った兄弟の八十神たちは、大穴牟遅を殺そうとするんだね」

京太郎「男の嫉妬は醜いですねえ…」


***

このようにして、八十神たちは怒り、大穴牟遅(オオナムヂ)を殺そうと相談しました

そこで、伯岐国(ほうきのくに)の山の麓(ふもと)に、大穴牟遅を連れていき、こう命令しました

「赤い猪がこの山にいる。我々がそいつを追い下ろすから、お前は下で待ち構えていろ」

「もし、そいつを受けとらなければ、お前を殺すだろう」


八十神たちは、猪に似た大きな岩を火で焼いて、山の上から転がし落としました

大穴牟遅は、命令の通りその岩を受けとめましたが、岩に焼かれて死んでしまいました


これを悲しんだ大穴牟遅の母神は、高天原(たかまがはら)の天つ神に助けを求めることにしました

天つ神はこれに応じて、二柱の神を遣わすと大穴牟遅は見事に生き返りました

これに伴って、大穴牟遅は麗しき壮夫(ヲトコ)に成りました

***


京太郎「死んだと思ったら、あっという間に生き返りましたよこの神様」

京太郎「とんでもねえ展開スピード……いつまで経っても話の進まない漫画家の皆様も見習ってほしいですね」

はやり「こらこら」

京太郎「しかし、「麗しきヲトコ」、ってのは何ですか?」

はやり「まあ、立派な男に成りました、ってことだと思うけど」

京太郎「生き返ったら、イケメンになっていましたってことですね。羨ましい野郎です」

はやり「死と再生を繰り返すことで、成長していくって話だよ」

京太郎「……」


『死と再生は二つで一つ』


京太郎「なるほど」


***

八十神(やそかみ)たちは、この様子を見ていたので、またしても大穴牟遅を殺してしまいました

この時もまた、母神は泣いて探し出して、大穴牟遅を蘇生させました


再び生き返った大穴牟遅に、母神は告げます

「お前がここにいると、いつか八十神に殺されてしまう」

このようにして、紀伊国(きいのくに)の神のもとに、大穴牟遅を人目を避けて行かせました


しかし、そこにも、八十神たちは探し求め追いついてきて、大穴牟遅を差し出すように要求してきました

紀伊国の神は、大穴牟遅を逃がそうとして、こう言いました

「須佐之男(スサノヲ)のいらっしゃる根之堅州国(ねのかたすくに)へ向かいなさい」

「きっと、その大神が取り計らってくれるでしょう」


大穴牟遅は、その言葉通りにして、須佐之男のいるという根之国に向かうことにしました

***


京太郎「須佐之男、再び登場ですね」

はやり「そうだね」

京太郎「でも、須佐之男って出雲に須我神社造って、そこで嫁さんと一緒に住んでいたはずでは…?」

はやり「そこんところは『古事記』にも一切説明がないから、よく分からないんだけど」

はやり「結局、須佐之男は子供の頃の念願である、母親のいる根之国行くことができたってことだよ」

はやり「きっと、それは、彼自身が選んだことなんだよ」

京太郎「……」


***

言われた通り、大穴牟遅が根之国に到着すると、須佐之男の娘である須勢理毘売(スセリビメ)と出会いました

大穴牟遅と須勢理毘売は、目と目を合わせただけで心を通わし、結婚を言い交しました


須勢理毘売は父の須佐之男に言います

「たいそう立派な神が来ています」

須佐之男が出てくると、それに対してこう答えました

「こいつは、葦原色許男(アシハラノシコヲ)という神だ」

***


京太郎「出会ってすぐですかっ?、これまたすごいですね」

はやり「たぶん、現代のラブコメに見る、いつまでも続いていくドロドロの恋愛劇に対するアンチテーゼなんだよ」

京太郎「しかも、須佐之男なんか、いきなり変な名前を付けますし。展開が早すぎます」

はやり「はは、まあね」


はやり「須佐之男はそんな大穴牟遅を認めたくないのか、彼に対して数々の試練を与えていくんだね」

はやり「次は、それを説明していくね」


***

須佐之男は、やって来た大穴牟遅を呼び入れて、蛇のいる部屋に寝かせました

そこで、須勢理毘売(スセリビメ)は大穴牟遅に、蛇を払う力をもった領巾(ひれ)を渡しました

そのおかげにより、蛇は自然と静まって、大穴牟遅は無事に寝ることができました


また、次に日の夜には、大穴牟遅は、蜈蚣(むかで)と蜂のいる部屋に寝かされました

しかし、大穴牟遅はこの日も須勢理毘売から領巾を貰っていたので、無事に寝ることができました

***


京太郎「なんか、大穴牟遅って神様は、女性の助けを借りてばかりのような…」

はやり「イケメンだからね、仕方がないよね」

京太郎「腹立つなあ…」

はやり「しかし、次の試練はそう簡単にはいきません。あわや焼き殺されるピンチに陥ります」

はやり「そこで、大穴牟遅を救ってくれるのは、他でもない──」


***

次に、須佐之男は野原に鏑矢(かぶらや)を射込んで、これを大穴牟遅に取ってくるよう命じました

しかし、大穴牟遅がその野に入ったときに、須佐之男はその周りから火を放ちました


それで、どうしようかと大穴牟遅が困っていた時、一匹の鼠がやってきました

鼠は、大穴牟遅に向かってこう言います





「内はほらほら、外はすぶすぶ」





そこで、大穴牟遅はその場所を踏んだところ、落ちて隠れるころができました

その間に、火は通り過ぎいき、なんとかやり過ごすことができました

さらに、その鼠は大穴牟遅に例の鏑矢を持ってきてくれました


須勢理毘売は、大穴牟遅が死んでしまったと思い、葬儀の道具を持ってきて泣きながら、その野に来ました

須佐之男も、大穴牟遅が死んだと思い、その野にやって来ました


しかしそこへ、大穴牟遅が例の鏑矢を持って、やって来たのです

***


京太郎「鼠…ですか?」

はやり「そう、鼠!、でも、なぜこの場面で鼠なのか?」

はやり「前にも説明したよね。鼠とは"根棲み"で、根之国の住人っていう話があるんだって」

はやり「だから、鼠なんだよ!」

はやり「昔話の『鼠浄土』、つまり『おむすびころりん』にもあるように」

はやり「鼠とは、あの世において、人間の復活を司る聖なる生き物なの!」


はやり「そして、白の色は聖なるものの現れ」

はやり「京太郎くんの見たという鼠は、白の毛並みだった」

はやり「『鼠浄土』の鼠も、『遠野物語』の鹿も、伊吹山の猪も──みんな白かった」

はやり「ガンダルフも、アナキンとルーク親子の服装の変化も──」

はやり「白の色とは、無垢なるもの、聖なるもののイメージそのものなんだよ!」


京太郎「じゃ、じゃあ……「内(うち)はほらほら、外(と)はすぶすぶ」、ってのは?」

はやり「「内側はぽっかり空いていて、外側はきゅっとすぼまっている」、っていう意味」

京太郎「意味が分かりません」

はやり「意味なんて、ない。これは、ただのヒントに過ぎない。呪文なの」

はやり「でも、大穴牟遅は、この無意味な呪文に意味を持たせて理解し、危機を脱することができた」

はやり「彼は、神職としての、シャーマンとしての資質を持っていたの。古代の、王としての資質」

京太郎「…神職に必要な資質って、何ですか?」



はやり「あらゆるモノの声を、聴き取る力があること」


***

大穴牟遅が、須佐之男の命じたとおり、見事鏑矢(かぶらや)を取って来たので、家に帰ることにしました


須佐之男は、大穴牟遅を大きな部屋に呼び入れて、頭の虱(しらみ)を取らせるように命じました

しかし、大穴牟遅が須佐之男の頭を見ると、なんと蜈蚣(むかで)がウヨウヨいました


すると、須勢理毘売(スセリビメ)がむくの実と赤土持ってきて、大穴牟遅に与えました

大穴牟遅は、その実を噛み砕いて、一緒に赤土を口に含んで吐き出しました

これを見た須佐之男は、蜈蚣(むかで)を齧り砕いて吐き出しているものと勘違いし、安心しました

「可愛い奴め」、と思っていると、ついに須佐之男は眠りに落ちてしましました


ここで、大穴牟遅は、須佐之男の髪の毛を垂木に結わい付けて、さらに部屋の入り口を大きな岩で塞いでしまいました

この間に、須佐之男の生太刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)、天の沼琴(あめのぬごと)を持ち去りました

大穴牟遅は、須勢理毘売(スセリビメ)を背負って葦原中国へ向かって逃げました


身動きができなかった須佐之男は、苦労の末ようやく、黄泉比良坂(よもつひらさか)にて二人を見つけました

須佐之男は、遥か坂の上を見上げて、大穴牟遅に向かってこう言いました


「その、お前が持っている生太刀と生弓矢で、お前の兄弟神どもを追い払え!」

「お前が大国主神(オオクニヌシノカミ)となり、宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)となれ!」

「そして、わが娘・須勢理毘売を妻とし、宇迦(うか)の山の麓(ふもと)に宮殿を建てて住め。こいつめ!」


このようにして、大穴牟遅は八十神(やそかみ)たちを退け、初めて国を作りました


ちなみに、稲羽の八上比売(ヤカミヒメ)については、約束通りに大穴牟遅と結婚することになりました

しかし、正妻の須勢理毘売を恐れて、八上比売は自分の国に帰ってしまいました

***


京太郎「そういや、稲羽のお姫様を完全に忘れてました」

はやり「ちなみに、大穴牟遅=大国主(オオクニヌシ)はこの後、高志国(こしのくに)の沼河比売(ヌカワヒメ)に夢中になります」

京太郎「」

はやり「ちなみに、大国主の妻は最終的に5人になります」

京太郎「」

はやり「イケメンだからね、仕方がないね」

京太郎「…いくら重婚が認められていたとはいえ」

まったく、羨ましいぜ

はやり「まあ、これについては政略結婚というか、地方を征服していく過程とも捉えられるけどね」


はやり「大国主の子供の中で、最も重要な神様は迦毛大御神(カモノオオミカミ)だね」

京太郎「鴨?」

はやり「高鴨神社の祭神で、天照・伊耶那岐とともに、"大御神"と名付く三神の一柱」

京太郎「へえ、偉い神様なんですね。天照大御神、伊耶那岐大御神、迦毛大御神」

はやり「まあ、小ネタだね」


はやり「こうして、根之国から帰った大国主は兄弟神たちを退け」

はやり「そして、地上世界・葦原中国(あしはらのなかつくに)にて、国作りを完成するわけだけど、またしても波乱が起こります」

はやり「これにて、私の話は終わりとします」


はやり「国譲り」


***

そのころ、高天原(たかまがはら)では天照の仰せ言がありました

「葦原中国は、我が御子の統治する国である」

このように、宣言しました


そして、他の神々と相談したところ、地上に使者を遣わすことに決めました


初めに派遣された神は、大国主に媚びへつらい、三年経っても何の報告もしてきませんでした

次に派遣された神は、大国主の娘と結婚してしまい、命令を裏切ってしまいました


二番目の神でも、うまくいかなかったので、天つ神々は思案しました

結局、最終的に選ばれたのは、建御雷(タケミカヅチ)の神でした

***


はやり「この場面、とても唐突なんだけど、いきなり天照は地上世界は私の子供のもんだと宣言するんだね」

京太郎「大国主が頑張って作った国なのに……いくらなんでも、かわいそうですね」

はやり「でも、派遣された神々は次々を命令に背いていってしまう」

京太郎「大国主の人間力の高さが成せるわざですね」

はやり「イケメンだからね、仕方がないね」

京太郎「女たらしでもあり、人間たらしでもあるんですね。ここまでくると、嫉妬すらわきません」


はやり「そして、天つ神々に最後の使者として選ばれたのが、建御雷」

はやり「最初の方で、迦具土が殺されたことによって生まれた神様」


***

建御雷は、出雲の伊耶佐(いざさ)の小浜に降り立ちました

建御雷は、剣を引き抜き、それを逆さまにして浪(なみ)の穂に刺し立てて、剣の切っ先に胡坐(あぐら)をかいて座りました


このようにして、建御雷は、大国主に対して問いただします

「私は、天つ神の命により、そなたに問うべく使者として遣わされた者だ」

「そなたの治めるこの葦原中国は、天照の御子(みこ)が統治すべき国であるとご委任になった」

「そなたの心はどうか」

大国主はこれに答えます

「私は申しますまい。我が子・八重事代主(ヤヘコトシロヌシ)が代わりに返事をするでしょう」

そこで、建御雷は、息子の八重事代主を呼び寄せ、問うことにしました

八重事代主はこれに答えます

「恐れ多きことです。この国は、天つ神の御子に献上致しましょう」

***


京太郎「剣先に胡坐って……なんともすごい神様ですね」

はやり「そう、建御雷は、とても恐ろしい神様なの……とてもとても、ね」

京太郎「?」

はやり「細かい戦術なんて使わない、というより使う必要のない」

はやり「力でもって、他を圧倒する神様、それが建御雷神」


***

八重事代主(ヤヘコトシロヌシ)の答えを聞き、建御雷は大国主に再び尋ねます

「今、そなたの子・事代主はこのように申した。他に問うべき子はいるか」

大国主は答えます

「もう一人、建御名方(タケミナカタ)がおります。この他にはおりません」


こうしている間に、建御名方が千人で引くような岩を手先で持ち上げたままやって来ました

「我が国に来て、ひそひそ物を言っているのは誰か!」

「さあ、力比べしようではないか。まずは私が、あなたの手を取るぞ!」

このように、建御名方は建御雷に戦いを挑みました


そこで、建御雷が建御名方に手を握らせるやいなや、その手を氷柱に変え、また刃に変えました

建御名方は、これにおののき後ずさりしました

今度は、建御雷が建御名方の手を取ると、あたかも若い葦(あし)の如く、建御名方を投げ飛ばしてしまいました

建御名方は逃げ去りましたが、建御雷は追ってきます

信濃国(しなののくに)の諏訪(すわ)で、ついに殺そうとしたところ、建御名方は言いました

「恐ろしいお方。どうか私を殺さないでください」

「私は、この土地以外の場所には行きません。父の言葉にも背くことはしません」

「事代主の言葉にも背きません。この葦原中国は、天つ神の御子に献上致します」

***


京太郎「ああ、なるほど!、だから、うちの地元の諏訪神社には、建御名方が祀られてるんですね!」

はやり「そういうこと。神話が分かると、神社のことも分かるんだよ」

京太郎「おお、ちょっと感動しました!」


はやり「でもね、力自慢の建御名方でさえ、建御雷にはまるで敵わなかった」


***

建御雷は、再び出雲へと戻ってきて、大国主に問いました

「そなたの子らはいずれも、天つ神の命に違背しないと申した」

「では、そなたの心はどうか」

大国主は答えます

「我が子の言った通り、私は違背致しません。この国は、献上致します」

「ただし、私の住処については、天照の御子たちが代々継承していく、立派な宮殿のように」

「大地に巨大な柱を立てて、天に届くほどの千木(ちぎ)を高く上げた神殿を造ってくださるならば」

「私は、多くの道の曲がりの果ての遠くの隅に、隠れておりましょう」

「また、他の多くの神々は、八重事代主が統率することで、背く者はありますまい」



こうして大国主は、この宮殿に鎮座することになりました

建御雷は、天へと返り、天つ神のもとへと参上し、葦原中国を平定するに至った有様を報告しました

***



はやり「こうして、建御雷によって地上世界・葦原中国は平定されることになりました」


はやり「そして、高千穂に天照の孫・邇邇芸(ニニギ)が天降り、出雲の物語、神々の物語──神代が終わりを迎えていく」

はやり「『天孫降臨』っていう焼酎もあって、これがその元ネタなんだ」

京太郎「……」

はやり「はい!、これにて、出雲の神話は終わり。長かったね、お疲れ様」

はやり「これで、私の話はおしまいだよ」


京太郎「なんだか寂しいもんですね。苦労してつくり上げた国が、武力によって簡単に奪われることになるなんて」

はやり「…そうだね。結局、圧倒的な力の前には、どうしようもないってことなのかな?」

京太郎「……」

はやり「建御雷と建御名方の戦いは、『古事記』ではほんんど唯一と言ってもいいくらいの、まともな戦闘描写なの」

はやり「一対一の、力と力のぶつかり合い」

はやり「前にも言ったけど、他の神々の戦いは、騙し討ちとか知略を用いたものばかりだから、なおさらそれが目立つ」


はやり「建御雷は、『古事記』が描写する中での、おそらく最強の神」

はやり「そして、天から遣わされた最後の使者で、地上の平定者──グランド・マスター」

Grandmaster?

はやり「それが、建御雷神」

京太郎「…建御雷は、今どこに祀られているんでしょう?」

はやり「建御雷が祀られている場所として、最も有名なのは──今の茨城県、常陸国一宮(ひたちのくに いちのみや)・鹿島神宮」

京太郎「じゃあ、須佐之男は?」

はやり「須佐之男が祀られている場所として、最も有名なのは、恐らく…」

京太郎「?」

はやり「今の埼玉県の大宮市、武蔵国一宮(むさしのくに いちのみや)・氷川神社」



はやり「私の第二の地元だよ」


_______

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はやり「さあさあ、やって参りました」

はやり「ここが、出雲国一宮・出雲大社でございます!」

京太郎「わーい!」

はやり「正しくは、"たいしゃ"じゃなくて、"おおやしろ"、って読むんだよ?」

京太郎「へえ」


はやり「そして、こここそが、大国主が鎮まったとされる場所なんだね。天に届くほどの宮殿」

京太郎「さすがにそれは言い過ぎでは?」

はやり「うーん、と……それはそうなんだけど」

京太郎「?」

はやり「昔はあったんだよ、とっても高いのが。でも、もう消失しちゃってね、柱がちょっと残ってるだけなの」

京太郎「ああ!、それなんか、昔テレビのドキュメンタリーかなんか見たことありますよ」

京太郎「柱の根本部分だけ発見されたんですよね!」

はやり「そう、それ。今じゃ、推測に基づいた復元模型を見られるだけ」

京太郎「見たかったなあ…」

はやり「うん、そうだね」


はやり「でも、それだけじゃないよ、出雲大社の魅力は」

はやり「『古事記』を理解した今の京太郎くんなら、表面上だけじゃない、ここの良さがきっと分かるはず」


さっそく、正面の大鳥居をくぐっていく

さすが出雲国一宮、この寒さのなかでもたくさんの参拝客がいる

はやりさんの解説を聞きながら、たんたんと進んでいく


はやり「京太郎くん。旧暦の10月は、なんて言うか知ってる?」

京太郎「神無月、ですね」

はやり「そのとおり。でも、ここ出雲では違う。ここでは、旧暦の10月を神在月(かみありつき)って言うんだ」

京太郎「神在、ですか?」

はやり「旧暦の10月10日、ここ出雲大社には、全国の神々が集結するの。神迎祭、ってのがあってね」

はやり「だから、神在月って言うんだよ」

京太郎「なるほど。でも、偉い神様たちが集まって、わざわざ何してるんでしょう?」

はやり「神事(かみごと)、つまり私たち人間には図ることのできない諸々の事を、話し合って決めてるって話だよ」

京太郎「へえ、ご苦労様ですね」

はやり「えーと……//」モジモジ

京太郎「?」

はやり「ち、ちなみに……男女の縁も、そこで決めてるらしくてね…//」

京太郎「あ、ああ……そ、そうなんですか//」

はやり「わ、私たちにことも…その、話し合ったのかもしれないねっ…///」

京太郎「ははは…どうでしょう///」


京太郎「でも、もし本当にそうなら、俺たち麻雀やってなければ、出合うこともなかったんですね」

はやり「そうだね」

京太郎「俺みたいなただの一高校生が、はやりさんみたいな人と知り合いになる場面が思いつきませんもん」

京太郎「あの日、あの会場で、巡り合わせてくれた麻雀の大会運営の神さまには感謝しなくちゃですね」

はやり「さすがに、そんなニッチな神様はいないんじゃないかなあ…」


そんな話をしながら、松の参道を通り過ぎていくと、再び鳥居が見えてきた

はやりさん曰く、銅鳥居と言うらしい

そこをくぐろうとした時だった。はやりさんの方から声を掛けてきた

はやり「京太郎くん。ちょっと待って」

京太郎「はい?」

はやり「この長い参道を歩いてきて、お参りをするためには、普通はこの銅鳥居をくぐるの」

京太郎「まあ、そりゃ、よほどひねくれていなけりゃ、くぐるんでしょうけど」

はやり「でも、その多くの人が……いや、たぶん地元の人だってほとんど知らない秘密が、ここにはあってね」

京太郎「というと?」


はやり「この鳥居は、1666年に寄贈されたものと言われてるんだけど」

はやり「銅鳥居の柱の、ここのところ、文字が刻まれてるでしょ?、読めるかな?」

京太郎「えーと…………漢字ばっかで読めません」

はやり「ふふっ。なら、私が意味の取れるように、ちょっと読み下してあげる」


***

それ扶桑(日本)開闢(かいびゃく)してよりこのかた

陰陽両神を尊信して伊弉諾(イザナキ)・伊弉冉(イザナミ)尊といふ

此の神三神を生む

一を日神といい、二を月神といい、三を素戔嗚(スサノヲ)をいうなり

日神とは地神五代の祖天照大神これなり

月神とは月読尊これなり

素戔嗚は雲陽の大社の神なり

***


はやり「まっ、だいたいこんな感じかな?」

京太郎「解説プリーズ」

はやり「まず、名前の漢字が異なるのは、『古事記』や『日本書紀』などの本によって、その表記も違うから」

はやり「ちなみに、これは『日本書紀』風の漢字の当て方だね」


はやり「次に、内容なんだけど、日本の起源を語ってるの」

京太郎「日本が開闢(かいびゃく)して、ってところですね」

はやり「でも、注目するべきところは、そこじゃない。最後の一文の意味分かる?」

京太郎「『スサノヲは雲陽の大社の神なり』、そのまんまなんじゃないんですか?」

はやり「ちなみにね、"雲陽の大社"っていうのは、ここ出雲大社のことだよ」

京太郎「えーと…………あれ?」

はやり「では、ここで質問です。出雲大社の主祭神はなんでしょう?」

京太郎「大穴牟遅、大国主…ですよね?」

はやり「そうだね」

京太郎「掘る名前、間違えちゃった?」

はやり「なかなかデンジャラスな発想だけど、違うと思うよ」


はやり「確かにね、ここ出雲大社にも須佐之男は祀られているの」

京太郎「だったら──」

はやり「でも、それは巨大な本殿に比べたら、遥かに小さな末社に過ぎない」

はやり「だから、わざわざここに書くようなことじゃない、と考えるのが自然だね」

京太郎「うーん……謎ですね。じゃあ、その答えは?」

はやり「謎を解くのは過程から、と相場が決まっているんだよ」


はやり「京太郎くんは、中世神話って知ってるかな?」

京太郎「中世神話ですか…?、さっぱりですね」

はやり「中世神話とは中世日本記とも呼ばれるけど、それはその名の通り、中世に書かれた神話のことなの」

京太郎「うーんと…ちょっとタイムです。その時代って、武士とか仏教とか、そんな感じの時代ですよね?」

京太郎「神話といったら、普通はもっと昔の話でしょう?」

はやり「まったくもって、普通な感覚だと思うよ、それ」


はやり「簡単に言うとね、中世神話ってのは、『古事記』とか『日本書紀』のパロディなんだよ。二次創作」

京太郎「神話のパロディって……かなりアナーキーな雰囲気ですね」

はやり「ふふっ、まあそうだね。実際、そういうの読んでみると面白いんだよ」

はやり「ヒルコって神が龍神に育てられて、エビス神に成ってたり」

はやり「天照が、大日如来と一体化して、第六天魔王と対決したり」

はやり「須佐之男なんかも、牛頭天王に成ったり、金比羅神に成ったり、他にもいろいろ」

はやり「とにかく、好き放題」

はやり「だから、昔は、そんなの学問の対象にするのは値しない、ってな人もいたくらいで」

京太郎「それが普通なんじゃ」

はやり「でもね、そんなことないんだよ」

京太郎「ええ……でも所詮はパロディなんですよね?」

アキバとかで売られている、エッチな同人二次創作と何が違うっていうんだ?


はやり「さっきも言ったけど、ここの主祭神は大国主だよね?」

京太郎「ええ」

はやり「でもね、出雲大社ができてから、今の今までずーっと、その主祭神が大国主だったわけでもないの」

京太郎「……えっ?」

はやり「もちろん、最初はね、主祭神は大国主だったの」

はやり「でも、中世の頃になると、さっき言った中世神話がとても流行ってね」

はやり「だけど、中世神話の世界においては、なぜか須佐之男がここの主祭神になってしまったらしくて」

京太郎「設定まで変えるとは……恐るべし、中世神話…」

はやり「例えばね、『諸神本懐集』って本の中にも、「須佐之男が出雲の祭神ですよ」と、はっきり書かれたりする」

京太郎「ほわぁー」

はやり「他にも色々と事情があってね、その頃になると、出雲大社の主祭神が、大国主から須佐之男に代わっていってしまったの」

はやり「須佐之男が大国主を圧倒してしまったんだよ」

京太郎「でも、今はこうして元に戻っています」

はやり「そうだね」

京太郎「なんで、そんなことになったんでしょうか?」


はやり「須佐之男はね、たぶん…」

京太郎「……」

はやり「みんなの声を聴いているうちに、みんなの求める自分というものを叶えようとするあまりに」

はやり「本当の自分が誰なのか、分からなくなっちゃったんだよ。大国主を駆逐してしまうほどに」

京太郎「そんなもんすかね」

はやり「…そんなもんだよ」


_______

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その後、お参りも済ませ、出雲大社を後にした

二人で、宍道湖(しんじこ)と中心にして、いろいろと回った


ここが、はやりさんの生まれたところ。ここが、はやりさんの育ったところ

確かに、何もない。そこは、俺の地元と一緒だ

しかし、それでも、俺のいた長野とは、また違った魅力がここにはあった

ここで、彼女は生まれ育ったんだ

俺は、彼女のことを、また少し理解できるようになったんだろうか?



実は、俺には一つ、はやりさんの神話の解説について、今でも疑問に思っているところがある

俺には、須佐之男の気持ちがよく分からない

あんだけ好き勝手やったくせに、色んな神社に祀られて、みんなからヒーロー扱いされて

俺は最初、須佐之男が好きだと言ったけど、それは訂正しよう

俺は、はやりさんの話を聞いて、彼のことをあまり好きではなくなってしまっていた


俺が理解できないのは、なぜ須佐之男は最後、根之国に行ったのか

そして、俺が疑問に思うのは、娘をとられて、果たしてそのままそこに住み続けたのだろうかということだ

須佐之男は、最後はどこに行ったのだろうか?

それは、俺にとっては素朴な疑問だった

京太郎「ねえ、はやりさん」

はやり「ん、なに?」

京太郎「……いえ、なんでも」

はやり「?」

なんとなく、聞く気にはなれなかった


─瑞原はやり



出雲大社の後は、宍道湖周辺を散策して、そのまま松江市内に戻って来ていた

そろそろ、新幹線の時間。帰る時間

だから、松江駅までやって来た


でもその前に、行かなきゃいけないところがあった

はやり「ごめん、京太郎くん。ここで、しばらく待っていてくれる?、たぶん、そんなに時間はかからないから」

京太郎「ええ。構いませんが」

はやり「ありがとう」

京太郎「どこか行くんですか?」

はやり「ちょっと、お花を摘みにね」

京太郎「……ええ、行ってらっしゃい」

はやり「うん」

京太郎くん、また一歩大人っぽくになったのかもね


駅を離れて、馴染みの道を歩いていく

ところどころ、風景が変わっていた。変わっていないところも


一段ずつ上るしかできなかったこの階段も、今ならこの通り。ほらっ、二段抜かし!

ここを通り過ぎていると、あの日の、昔の出来事が、自然と思い出されていく


小学二年生の頃、彼女と出会ったこと。彼女に元気づけられたこと、助けられたこと、憧れたこと

一人で横浜のライブを見に行った。お母さんがお金を出してくれて、初めての一人旅

ふふっ、後で聞いたけど、ほんとは一人じゃなかったんだけどね


彼女は病気だった

あんなに凛々しくてカッコイイ大人の女性が、私みたいな子供の前で、それこそ泣いてしまうほどの

牌のおねえさんだって、人間なんだ。私が励まさなきゃ、ってそう思った

たとえ遠くにいたとしても、私の声が彼女に聞こえるようにして


中学、高校もここで過ごした

ああ、懐かしい。みんなとの、楽しい思い出

辛かったことももちろんあったけど、そんなのは水面の泡みたく、もうどこにも残っていなかった

あの頃は、ほんとに楽しかった

部室で麻雀に明け暮れて、みんなで頑張って東京に行くんだって張り切って

みんな、純粋で真っ直ぐだった。もちろん、私だって


でも


はやり「真深さん……」


ここにくると、そんな思い出が蘇ってきてしまって、嬉しくもあり、悲しくもあった

私には、なぜ須佐之男が、須賀の地を離れ、母親のいる根之国に行ったのかよく分かる

彼にとってのその場所は、居心地が良すぎたんだ

心地よさってのは、ほんの少し量を誤れば、劇薬にもなり得る

私にはよく分かる



ああ、着いちゃった

看板を見上げてみる。何も変わってない。そう、ここだけは、何も

ドアを開けた

「いらっしゃいませ~」

はやり「……」

「どうかなさいました?」

はやり「いえ……なんでもないです」

感情を悟られないように、なるべく平坦に応答する

「ふーむ。だったら、この焼き菓子なんて、どうかしら?」

"菓子"と"かし"

はやり「…変わらないなあ」

「?」

でも、商品を差し出したその手は、幾分小さくなったようにも見える

いや、この手が大きいだけかな


はやり「このポスター…」

私の、ライブのポスター。送ったの、貼ってくれてたんだ

「あらー、気付いちゃった、気付いちゃった!」

嬉しそう

「これね、私の娘なの!」

はやり「……そう」

「ありゃー…最近の男の子は知らないのかな。瑞原はやり、私の娘なの。可愛いでしょう?」

可愛いなんて、もうそんな歳じゃないよ。親バカ

ポスターの方に手をかざし、身体全体を使って大げさに説明してくれた

はやり「…そうかな」

「そうよ、なんたって私の娘なんだから!」

はやり「……」

「あなたは、あまりアイドルとか牌のおねえさんは好きじゃない?」

はやり「…分かりません。そんな気持ち、もう忘れたみたいで」

「ふむ…あなた、なんだかカサカサしてるわね」

はやり「カサカサ?」

「お菓子にはね、お砂糖と脂肪分がたぁーっぷり入ってるから、食べると心と身体が潤うの」

「お菓子は心の栄養なのよ」

はやり「…そうかもしれませんね」

お菓子か。昔はよく作ったりしてたな

はやり「…このポスターのライブ、もう終わっちゃってますよ」

「あら!、あらあら、ほんとね。後で別のに貼り替えておかなくちゃ」


はやり「あの…勝手に選んでるんで、しばらく一人にしてもらえませんか?」

「そう?、なら、決まったら呼んでね」

ちょっと、ぶっきらぼうだったかもしれない。ダメだな、私

何か、作業が残っていたのか、カウンターの奥に引っ込んでしまった

独りになった


甘い香りがする。私の、家のにおいだ

子供の頃、他の友達にそういうことをよく言われた。私から、甘い匂いがするって

ケーキ、クッキー、焦がしたキャラメル。発酵バターの香りが懐かしい

今、オーブンで焼いているのは、フィナンシュかな?

私もよく作った。彼女も、美味しそうに食べてくれた


甘い香りに釣られるようにして懐古していると、ドスンという重量感のある塊を落としたような音が聞こえた

カウンターの中を覗いてみる

はやり「どうかしました?」

「あたたた……一気に2個持とうとしたのがいけなかったわね」

手首のあたりを押えるようにして、一方の手で庇うような仕草をしていた

小麦粉だろうか、粉末の入った袋の一つが床に落ちていた。袋の形が少し変形しているけど、散乱はしていなかった

はやり「手伝いますよ。力ならあるんで」

「いやいや、お客さんにそんなことさせるには──」

はやり「いいんですよ。ほらっ、こんくらい軽い!、あの台に載せておけばいいんですね?」

「男の子は、力持ちねー」

はやり「他にも、何かありますか。ついでにやっちゃいますよ」

「あら、助かるわ。なら、このお砂糖の袋と──」


なんか、思いがけずに手伝うことになってしまったけど、これでいいんだよね?

重い物を運び終わったら、お礼と言われて紅茶を出された


「悪いわね、手伝ってもらっちゃって。やっぱり、男の子がいると楽チンだわ。年取ると、ダメだわ」

はやり「いや、そんな…」

さすがに、「あなたも十分若いですよ」と、軽口は叩けない

「娘にも、昔はよくこうやってお手伝いしてもらってたの」

「とってもいい子なんだから。娘のことを知ったら、あなたもきっと好きになるわ」

はやり「ははは…」

だといいんだけど

はやり「その…お茶はありがたいんですけど、他のお客さんに悪いんじゃないでしょうか?」

「いいの、いいの。この時間帯はお客さんあんまり来ないし」

「最近じゃ、この店舗より、通販の売上の方が多いくらいでね」

「特に、長野にはお得意様が何人もいてね。毎週のように買ってくれるのよ」

はやり「それなら、将来は通販一本でやっていくのもありかもしれませんね」

「そうはいかないわ。今でもちゃんと、来てくれるお客さんがいるしね。あなたみたいな」


二人でこうやって何でもない会話をしていると、本当に子供の頃に戻ってしまったような気分になってくる

あの頃の、母親に守られていれば、たったそれだけのことで安心することができた、幸せな時間を

でも、今はあの頃とは違う


私は、会話をしながらも、彼女の身体をつぶさに眺めていた

身体が、縮んでしまったようにさえ思えた

さっきみたいに、重いものは持つのはもう大変になってきているみだった

筋力の衰え。腕が細くなった

前に、帰省した時よりも、白髪が増えた。染めてるんだろうけど、それでも分かった

目じりにも、皺が目立つようになってきていた

身体だけじゃない、心までもが縮んでいって、最後にはこのまま消えていなくなってしまうんじゃないか

そんな妄想すら付き纏った

そう、歳をとったんだ

あんなに綺麗な人だったのに。私の自慢の…


でも、そんなのは当たり前

だって、私はもう28歳。もう少しすれば、30歳になってしまうんだから

時間は止まってはくれない

そんなことは、分かりきった当然のこと。子供でも分かる理屈

私はもう、人生の道のりの3分の1を、既に通り過ぎてしまっていた

そして、この人はもっとさらに


果たして、あと何回、こうやってこの人に会うことができる?

あと何時間、一緒にいられる?、あと何文字、言葉を──気持ちを交わすことができる?

「大丈夫?」

はやり「っ……」

ごめんね、お母さん…ごめんなさいっ…

はやり「あっ…──」

「?」

はやり「あ────」



あのねっ、私ね、初めて好きな人ができたの

私の半分くらいの歳の子なんだけど、とても素敵な男の子

いつも周りのことを見てくれていて、私のことを理解してくれるって

彼になら、私ね──

今度は、こんなんじゃない、もっとちゃんとした形でお母さんに紹介するよ

きっと、お母さんだって気に入るよ。ううん、絶対に

そうだ、今度みんなで一緒にお菓子作りしようよ

彼、変なところで器用だから、すぐに上達するかもしれない

まだまだ、行っていないところもたくさんある。彼と一緒に、ここの良いところ教えてあげようよ

一緒に過ごせば、彼のよさだって分かるはず

彼だって、ここの生活を気に入ると思うよ。だって島根は良いところなんだから

なんなら、このお店を継いだっていい

お母さん、私ね……私ねっ……──


はやり「っ……」

「?」

ダメだよ。言えないよ、こんなこと…!

出てこない。言おうと思っても、突っかかってしまって……唇を噛みしめるしかないなかった

だから、別の言葉を出すしかない。私は、瑞原はやりじゃないんだ…


はやり「……あの、一人で寂しくないですか?」

「んー…、まあそうね。そう思うことも、あったりなかったり」

「最近は、娘もめっきり電話してこないしね。メールとかばかりで、何やっているのかしら」

はやり「…ごめん」

「なんであなたが謝るの?」


「でもね、それでいいの。便りがないのは元気にしている証拠」

はやり「でも」

「どこで何をしていたって構わない。ふふっ、もちろん迷惑なことはダメだけど」

はやり「……」

「なんなら、ずっと帰ってこなくてもいいとさえ思ってる」

はやり「そんなのは…」

「私は娘のことを信じているし、愛しているし、だぶん向こうだって同じはず」

「これって、素敵なことじゃないかしら?」

はやり「……」


「私の人生と、娘の人生は違うわ。だから、交わらないことだってあるはず」

「私は、それを嬉しく思う」

はやり「なんで…?」

「なぜ?、だって、そうでしょ?」

「どこにいようが、なにをしようが、立派なアイドルで、みんなの牌のおねえさんであったとしても」

「瑞原はやりは、瑞原はやりなんだもの」

「私にはね、それで十分なの」

はやり「……」


その時、焼き上がりを告げる、無機質な電子音が鳴り響いた

「あら、焼きあがったみたいね」

はやり「そうみたいですね」

「何にするか決まったかしら?」

はやり「…いえ、まだちょっと」

「うん、ゆっくり考えていってね」


_______

____

__


─須賀京太郎



はやりさんがどこかに行っている間、暇だったので売店でお土産を購入した

とはいえ、戒能さんとマネージャーさんのだけなんだけど


時間にして、1時間くらいだろうか。はやりさんが帰って来た

なんとも形容しがたいんだけど、喜び半分悲しさ半分みたいな表情をしつつ、お菓子を渡された

はやりさんが、お菓子作りが得意なのは知っていたけど、まさか自分で作ったものではないだろうし

でも、素直に「美味しい」と言ったら、喜んでくれたのでよしとしよう


そして、そのまま新幹線に乗り込み、島根を後にすることにした



京太郎「なんだか、長かったような、あっという間だったような」

京太郎「色々とあった気はするんですが、時間的にはほんとにすぐに感じて」

はやり「楽しい時間はすぐに過ぎるものなんだね」

京太郎「身の危険を感じることもありましたしね…」

はやり「?」

京太郎「いーえ、なんでも」

彼女の本心を聞いてみたくもなったけど、今はやめておくことにした


代わりに、別の質問をしてみることにする


京太郎「一つ、気になっていたことがあるんですけど、いいですか?」

はやり「うん」

京太郎「また、神話の話に戻りますけど」

京太郎「結局、須佐之男は最後にはどこに落ち着いたと思いますか?」

はやり「根之国じゃないのかな?」

京太郎「そうでしょうか?」

はやり「なんで?」


京太郎「母親のいる根之国に行きたいと泣き喚いて、父親の伊耶那岐に勘当されて、姉の天照に迷惑かけて追放されて」

京太郎「一人で地上に降り立って、矢俣遠呂智を倒して、櫛名田比売(クシナダヒメ)と結婚して」

京太郎「須我神社という住まいを建てたと思ったら、大国主の時代には、根之国の大神になっている」

はやり「子供の頃の念願が叶って、母親のいる根之国に行くことができた。なら、それでいいんじゃないのかな」

はやり「確かに、現代的には、それはマザコンとかになるのかもしれないけど」

はやり「けど、須佐之男が、彼自身がそれを幸せと思ったのなら、それが最も良いことなんだと思うよ」

はやり「彼には、あの場所が、少しだけ住み心地が良すぎたんだよ」

はやり「矢俣遠呂智を倒した出雲のヒーロー……それは彼には、荷が重すぎたの」


京太郎「本当にそうでしょうか?」

はやり「なら、京太郎くんの考えは?」

京太郎「たぶん須佐之男は、最後は結局、須賀の地に戻ったんじゃないかと思うんですよ」

はやり「根拠は?」

京太郎「うーん、と。ここからは、俺の想像力たくましい部分なんですが」

京太郎「少し長くなりますけど、聞いてもらえますか?」

はやり「うん」


京太郎「まず、須佐之男が、なぜ須賀の地から根之国へ行くことになったのか考えてみます」

京太郎「疑問に思いません?、なんの説明もなしに、須佐之男が根之国にいた理由」

はやり「まあ、それは…」

京太郎「しかも、根之国で大国主に試練を課す場面、妻の櫛名田比売がまったく登場しないのも不思議なことです」

京太郎「なぜ、須佐之男は根之国行くことになったのか?、櫛名田比売は、あの時どこにいたのか…?」

はやり「さ、さあ」

京太郎「この疑問に対する、最も合理的かつ説得力のある答えは──…おそらく、二人は」

はやり「……」ゴクリ



京太郎「別居していたんです」


はやり「」

京太郎「須佐之男と櫛名田比売は、そりゃあ神様ですから大層長生きなんでしょう。たぶん、不老です」

京太郎「人間の結婚なんてものは、結構な数で離婚に至るといいますし」

京太郎「それこそ、神様なんてのは、ずぅーっと結婚生活しているわけですからね」

京太郎「いざこざの一つや二つ、いやいや数百個はあったはず」

京太郎「新婚ほやほやの、のろけ状態なんてものは、そう長くは続きませんよ」

はやり「」

京太郎「もちろん、人間の理屈を、神様に押し付けてしまうことについては、本来慎重にならなければいけないんでしょうけど」

京太郎「けれど、はやりさんの話を聞いた限り、日本の神様たちも、ある部分では同じように思い悩んでいたりしているようですし」

京太郎「この推測にも、一定程度の信憑性があると考えます」

京太郎「だから、彼らの仲にも、別居に至るようなものが、その長い夫婦生活の中にあってもおかしくないと思うんです」

京太郎「そして、大国主の時代には、ついに別居するまでの夫婦関係になってしまっていた、というわけですね」


須佐之男『もう、お前とはやっとられん!、娘を連れて、ママのいる根之国に行ってやるもんねー!!』

櫛名田比売『勝手にしろ、このマザコン野郎っ!、お前の母ちゃん、でーべそー!!』


京太郎「まあ、こんな感じでしょうね」

はやり「」


京太郎「そうやって、娘と二人で根之国に赴く須佐之男」

京太郎「そこでは、娘と一緒と幸せに暮らしていたことでしょう。母親も、近くの黄泉国にいたでしょうしね」

京太郎「だけど、そんなのは長くは続かない。ある時、女たらしの超絶イケメン・大国主が現れます」

京太郎「しかも、出会ってすぐに、娘と結婚の約束をしてしまったではありませんか」

京太郎「これには流石にムカついて、いろんな試練を課したものの、娘には邪魔されるし、なかなかうまくいきませんし、踏んだり蹴ったりです」

京太郎「ついには、大切な宝物を盗まれて、可愛い娘まで連れていかれて……一人ぼっちになってしまった」

京太郎「さぞ、寂しかったでしょうね。孤独です」

はやり「……」

京太郎「鬼嫁から逃げるようにして、意気揚々と、娘と一緒に根之国に来たものの、結局一人になってしまった」

京太郎「新しい居場所だったはずの場所には、もはや価値なんて…」

はやり「幸せってのは、脆いの。だって、ついつい人は、自分以外の何かに、それを求めてしまうものだから」

京太郎「……かもしれません」


京太郎「でも、そんな時、頭に浮かんできたのは、他でもないあの土地だったはずなんです」

京太郎「だから、娘のいなくなった後、しぶしぶかもしれませんけど、妻のいる須賀の地に戻ったと思うんですよ」

京太郎「居場所なんてもんは、そうそうあるもんじゃないですし、偉い神様だってたぶんそうです」

京太郎「須佐之男は、須賀の地に戻ったんです」

京太郎「だって、そこが、一番心地よくて、須賀須賀しい場所だったんですから」

はやり「……」

京太郎「どうです、俺の須佐之男終焉の地仮説は?、なかなか、よくできてるでしょう?」

はやり「……」

京太郎「?」

はやり「ふふふっ……あははっ!、京太郎くんって、もしかしてエスパー?」

京太郎「えと……何の話でしょう?」

はやり「こんなバカげた説、初めて聞いたよ……あー、おかしっ!、これ自分で考えたの?」

京太郎「バカげたって……はやりさん、酷いなあ」

はやり「いや、違うの。ううん、確かにバカげてるけど、馬鹿にしてるわけじゃないの、ごめんね」

はやり「こんな風に、自由な、勝手な解釈する人って、初めてだったから……私の頭が固かっただけかもしれない」

京太郎「?」

はやり「あー……やっぱり、あなたとここに来て正解だったよ」

京太郎「まあ、そう言ってもらえるなら、いいんですけど…」

はやり「ありがとうね。本当にありがとう」


_______

____

__


新幹線を乗り継いで、ようやく長野に戻って来た

クタクタになりながら、鞄の中から鍵を取り出して、鍵穴に差し込んだ時だった


良子「ハロー」

またこの展開か。なんという神出鬼没

京太郎「…もう夜です」

良子「あら、そうだった」

京太郎「疲れてるんで……とにかく中に入りますね」


荷物はとりあえず廊下に置くことにして、そのまま部屋へと直行した

良子「何かない?」

京太郎「え…?」

良子「私は、甘いものが好きなんだ」

京太郎「……」

良子「おっみやげ、おっみやげ」

京太郎「……」

良子「おっみやげ、おっみやげ」

京太郎「…ちょっと待ってください」

なんてわがままな師匠なんだ


良子「うん、うん……ナイスセレクト。ベリーグッド」

京太郎「それはよかったです」

ここで食べるのかよ

良子「あっ、そうそう。用があってここに来たんだった」

口の周りに、食べカスが付いてますよ…

京太郎「用ですか?、今日じゃなきゃダメなんですか?」

正直疲れた。早く眠りにつきたい

良子「いや、別に」

京太郎「……で、要件はなんです?」

もういいや

良子「仕事用のメールは見た?」

京太郎「あー……そういや、この3日間確認してないですね」

良子「なら、見てごらん」


言われるがままに、仕事で使っているアドレスを覗いてみると

京太郎「『写真撮影』、『イベントの参加日程』…」

これは、いつものだな

京太郎「『主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました』……、これは迷惑メールか」

良子「もう1個下」

京太郎「えーと、ハートビーツ大宮から……大会について」

良子「……」

京太郎「大会について……」

良子「……」

京太郎「えっ、大会?、俺が!?」


良子「イエス」

京太郎「まさか、参加しろって!?」

良子「イエス」

京太郎「いやいやいや、むりむりむりむりっすよ!?」

良子「ノープロブレム」

京太郎「こういうのは、はやりさんに許可取らないと!?」

京太郎「そりゃあ、俺だってたくさん練習してきましたし、着実に実力はついてきてると思ってますよ」

京太郎「けど、プロの方々と対等にやれるなんて、まったく思いません」

京太郎「もちろん、大会には出てみたいです。けど、それとこれとは話が──」

良子「この大会の規模は小さいよ。ランキングには影響ないし、トップランカー、トップチームはまず参加しない」

良子「野球で言うなら、オープン戦みたいな感じ」

良子「シーズンの成績には反映されないけど、アピールやテストの場になるような」

京太郎「そういう意味ではなくてですね!?」

良子「はやりさんは、そこまで固いことは言わないんじゃないかな。たぶんだけど」

京太郎「で、でも…」

良子「なぜ、私がこのことをあらかじめ知っていたかというと」

良子「実は、この大会の解説を頼まれていてね。私も見るんだ。しかも間近でね」


良子「良い腕試しになるよ。プロの世界を、一度肌で感じてみるといい。勉強にもなる」

京太郎「しかしですね…」

良子「個人戦は、話にならないと思うから。団体戦だね」

良子「適当に理由をつけて、個人戦には参加しないように」

京太郎「んな、勝手な…」

良子「ハートビーツは強いよ。はやりさんは大将だから、京太郎が打つときには、かなりの余裕ができているはず」

良子「大量リードの時は、野球でもサッカーでも、新人に経験を積ませる絶好の場になる」

良子「こんなチャンスは滅多にない。だから、やるべき」

京太郎「……」

戒能さんの表情は、その言葉とは裏腹に、真面目そのものだった

いつかの日と同じようにして、何かを確信しているようだった

そして、宣告した


良子「既に、舞台は整った──京太郎」

京太郎「はい」

良子「いよいよ、最後の使者がやってくる」

良子「クライマックスだ」


何かが終わるのか、あるいは始まるのか……彼女にはそれが見えているようだった

だけど、少なくとも、俺にとっての──俺たちにとっての正念場は、すぐそこに来ているらしかった


クライマックス……か


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



健夜「は…はっ……ぶえぇぇぇくしゅっっ!!」

健夜「ハッ!、これはイケメンハリウッド俳優が私の噂をしているに違いない!!」

恒子「……だといいね」ニコリ

健夜「冗談だよ!?、そんなぎこちない笑顔されると、こっちも傷つくよ!」

恒子「すこやんが言うと、冗談に聞こえなくて」

健夜「うぅ……いいもんいいもん。どーせ私なんて……」

恒子「あちゃー…。すいませーん、店員さーん!、この鬼(アラサー)殺しってのください」

「はーい。かしこまりました」


健夜「最近さー、はやりちゃん、付き合い悪いんだよねー」

恒子「そうなの?」

健夜「前までは、二人で夜遅くまで、妄想デートについて熱く語ったものなんだけど」

恒子「……いいご趣味ですね」

健夜「……きっと、男が出来たんだよ」

健夜「……きっと今頃、ハラジュクとかシブヤとかオダイバとかウグイスダニとかで、イチャイチャデートしてるんだよ」

恒子「鶯谷はないんじゃないかなあ……アハハ」


健夜「もういい!、今日はとことん飲んじゃうよー!」

恒子「気になるなら、聞いてみればいいのに」

健夜「もし……もしもだよ?、「いるよ」、なんて返事が来た日には、私は……」

恒子「どす黒い目をしてらっしゃる」


恒子「大丈夫だよ、すこやん。瑞原さん、最近戒能さんと一緒にいることが多いって噂に聞いたから」

健夜「ほんと…?」

恒子「ほんとにほんと。確かな情報筋だよ」

恒子「そりゃあもう、師弟関係のようだった、ってさ。誰かとデートしてる暇なんてないよ」

健夜「なら安心だね」ニコリ

恒子「…この足の引っ張り合いよ」

健夜「今度、大会で一緒になるから、ちょっと心配だったんだ」

恒子「おー、こわ」

健夜「久し振りに、ちゃんとした大会ではやりちゃんと打てるかもしれないんだ。楽しみ!」

恒子「すこやんと対等にやれる人って、結構限られてるもんね」


恒子「どこでやるの?」

健夜「来月の終わり、東京でね」

恒子「ふーん、大将だっけ?」

健夜「そうそう」

恒子「じゃあ、すこやん打たないで敗退ってのもあるんだね」

健夜「……まあ、お世辞にもうちは強くはないからね」

健夜「でも、いいんだ。私が先鋒で出ちゃうと、あとが楽になり過ぎちゃうから」

健夜「ちゃんと緊張感を持ったまま打って、みんなには成長していってほしい」

恒子「くわぁーっこいいー」

健夜「そ、そんなんじゃないよ//」

恒子「まっ、ハートビーツと当たるまで、頑張って欲しいもんだね」

健夜「そうだね。そうなったらいいな」



健夜「あー、楽しみ」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

寝ます
では、また

書き忘れてました
もう神話関連の話は終わりです

では、みなさん、おやすみなさい

> 京太郎「『主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました』……、これは迷惑メールか」
> 健夜「前までは、二人で夜遅くまで、妄想デートについて熱く語ったものなんだけど」
すばらな話で見入ってたらギャグで吹いたww
乙です


──1月上旬 長野



─瑞原はやり


今日は、京太郎くんと初詣に行ってきた

京太郎くんと初詣……あー、なんかいいかもこの響き

しかも、二人っきり!、手も繋いだ!、ちょっといい雰囲気になったりもした!

はやり「……///」

こ、これは、間違いなく、確実に、一歩一歩、二人の関係が進展していることの現れ!

も、もしかしたら、この流れのまま……こっ、告っ…!──なんてことにっ!?

はやり「……」

いやいやまてまて落ち着け、瑞原はやり。ここは慎重に、クールにいこうじゃない

だ、第一、その…こ、告白だなんてっ、学生じゃあるまいしっ!

で、でも、今日の京太郎くん、なんだかいつも以上に真剣な表情をしたりもしているし

その可能性も無きにしも非ず、って感じじゃないのかな…!?

ねえ、ねえ!、どうなの、どうなの京太郎くん!?


京太郎「あの、はやりさん。お話があるんですが」

はやり「えっ」

こ、こ……これはまさか、ほんとに私の妄想が現実へと昇華され

京太郎「あの、お仕事についての話なんですけど…」

はやり「……」

はやり「……」

はやり「あ、そう」

京太郎「?」

まっ、現実なんてそんなもんだよね…


でも、こんなにあらたまって仕事の相談するなんて、なんの仕事だろう?

大きな仕事は来ないようにしているはず。かといって、京太郎くんだってだいぶこの仕事にも慣れてきたはず

なんだろう?

京太郎「実は、その……麻雀の大会に参加するように、チームの方から連絡がありまして」

はやり「麻雀?」

ああ、そうか。なるほどね

はやり「うん、分かったよ。それについては、私の方から断って──」

京太郎「違うんです!」

はやり「?」

京太郎「あ、ごめんなさい。けど、それとは逆なんです。俺、その大会に参加してみたいと思ってるんです」

はやり「え」

京太郎くんが、大会に?、プロが参加するような?

お世辞にも、京太郎くんの実力は…

京太郎「……」

はやり「冗談……ではないみたいだね」

京太郎「ええ。1月の終わりにある、東京での大会なんなんですけど」

はやり「!?……へ、へえ」

京太郎「?」

1月の終わりの東京というと……あの大会か。私も、調整ために何度か出場したことがある

ランキングには影響なく、世間での注目度も低い大会

経験上、私が心配するような、"そこまで"の相手は出てこないはず

京太郎くんが、麻雀を嫌いなったりさえしなければ、私はそれだけでいい

だって


はやり「なんで、急に?」

京太郎「俺、戒──自分なりに麻雀の勉強を続けてきました」

京太郎「俺だって、いつまでも弱いままじゃ嫌だって思ってきました」

京太郎「はやりさん、あなたのように強く、あなたのように成りたいって」

はやり「……」

京太郎「これ、チャンスだと思うんです」

京太郎「個人戦には参加しません。団体戦なら余裕もあるはずです」

京太郎「あなたの顔に、泥を塗ることになるかもしれません」

京太郎「けど、俺はそれでも──」

はやり「ん、いいよ」

京太郎「え?」

はやり「いいよ。参加して」

京太郎「いいんですか…?、そんなあっさりと」

はやり「うん」

京太郎「なぜです?」

はやり「京太郎くんが、ちょっと大人っぽくなってきたからそのご褒美」

京太郎「?」


京太郎くんは、もしかして自分の才能に気付いているのかもしれない

でなきゃ、プロの大会に参加しようとなんて思わないはず

最初、京太郎くんの麻雀の実力がどんなものか見たとき、私は気付いた

この子には、和ちゃんにも引けを取らないくらいの才能"は"あるって

まあ、開花するかどうかも曖昧なものなんだけど


けど、才能なんてものは、プロになるような人なら誰でも持っている

問題は、如何にしてその資質を現実に反映させられるかどうか

団体戦なら、京太郎くんの言う通り、確かに余裕がある

うちのチームは強い。この程度の規模の大会で、遅れをとるなんてことはまずあり得ない

おそらく京太郎くんは、そこで自分に何ができるのか知りたいんだ

強くなりたいんだ。ふふっ、男の子だ


それなりに現実も見えてるし、自分なりに先に進もうとしている

なんだか、ちょっとだけ置いていかれた気分

でも、そんな京太郎くんを応援したいって気持ちにも確かになって……だから、承諾することにした

ま、まあ…惚れた者の弱みと言いますか。でもほんとは、もう一つ理由があって……

プロの厳しさを知っていながら……私も、甘いのかもね


はやり「でも、プロの世界は厳しいよ」

京太郎「嫌というほど、分かってます…」

なんか、すごいゲッソリしてるけど……なんで?

はやり「?、ま、まあ、なら私が直々に教えて──」

京太郎「あ、いえ、それは……その、間に合ってます」

はやり「私に教わるのが嫌なの!?」

京太郎「いえいえっ…!、そういうわけでは──」


なぜか、その理由は教えてもらえなかったけど、そのままはぐらかされてしまった

彼にも、なにか秘密があるみたいだ

けど、悪いことを企んでいるようには見えなかったので、見逃すことにした

なぜなら、私にも、秘密があったから


1月終わりの東京に、実は私も行くことになっている

同じ時、同じ会場、同じ大会。プロの他に学生の部があることを知らないみたい

清澄高校は、そこに参加することになっている

はやり「ふふっ」

京太郎「?」

運命なんてのは信じてないけど、私はそこに運命を感じた

何かが起こりそうな予感を


──1月下旬 東京 大会1日目



─瑞原はやり


久「ほら、さっさと行くわよ須賀くん」

はやり「はいはい、ちょっと待ってくださいね、まったく…」

咲「今更ですけど、なんで竹井先輩来てるんですか?」

久「咲……受験が終わるとね、学生は暇になるのよ。そして、暇は人をダメにするの」

久「私は理解した。このままじゃ、いけないって。だからこうして、あなたたちのサポートに──」

和「荷物、思いっきり持たせてるじゃありませんか」

まこ「遊びに来たかっただけじゃろう、どーせ」

咲「今回は、京ちゃんも参加するんだから、自分のものは自分で持ってくださいよ」

優希「ほら、さっさとタコスを用意するんだじぇ」

久「……」

久「……」

久「そうよ!、確かに、私は遊びに来ただけ!、それが悪くって!?」

久「進路の決まった学生なんて、分かってる!、でも、暇なの!、暇過ぎるの!」

久「でも、ちょっと立ち止まって聞いてほしい、そんな女の戯言を!」

久「あれは、鬱屈とした夜、満月だけが私を照らしてくれていた。街灯揺らめく繁華街を彷徨う人々の中、私はふと──」


まこ「ホテルはこっちじゃったか」

和「そうみたいですね。あっ、プロデューサーさん。荷物持ちますよ」


久「……わーい」


久々に東京に来た。もちろん、大会に参加するため

学生の部は、さらにさまざまな部門に分かれているけど、私は男女不問の団体戦に出場する予定だ

久ちゃんが引退した穴を埋めるようにして、私を団体戦に参加させるために、まこちゃんが取り計らってくれた

しかも、大将戦

……まあ、これは私の実力──というか京太郎くんの実力を考慮してのことだけど

要は、私に回ってくる前に、試合を終わらせておくか、あるいは余裕を持たせて打ってもらいたいという気遣い

みんな、そこそこ強いから、たぶんそんな展開にはなってるんだろうけど


ははっ、なんだか京太郎くんとまったく同じ立場になっちゃてる、私

こんなにもまったく異なる人間が、偶然にも同じような状況で麻雀をすることになるだなんて

もしかしたら、京太郎くんが前に言っていたみたいに、本当に麻雀の大会運営の神さまなんてものがいて

私達のことを繋ぐようにしてくれているのかもしれない

はやり「……」

はやり「……」

はやり「//////」

あぁ……こんなこと、今どき女子中学生でも考えないよ!、バカバカっ!!

咲「なに、ニヤニヤしてるの?、気持ち悪いよ?」

はやり「ぅ、うっせ、言ってろ」

えっ、私、そんな顔してた!?、お、落ち着け、私!

咲「?」


ああ……そろそろ、京太郎くんもこっちに到着した頃かな

私がいるって気付いたら、きっとびっくりするだろうな

驚いてくれるだけじゃない、喜んでもらえたらもっと嬉しい

そしたら、麻雀だってなんだって頑張るよ

でも、頑張り過ぎたら京太郎くんが困ったことになっちゃうかな?


ああ、早く会いたいな

訂正

>>307 諏訪神社→諏訪大社

>>336 その言葉とは裏腹に→その飄々とした口調とは裏腹に


─須賀京太郎



良子「来たね、パダワン」

京太郎「それ、めっちゃ恥ずかしいんで、外でやらないでもらえませんか?」

良子「…サノバビッチ」

京太郎「戒能さんのイメージがどんどん崩れていく…」


良子「さて、ここで一つクエスチョン。これからの予定は?」

京太郎「ホテルに荷物を置いてから、そのまま会場へ行き、チームの方々と合流」

良子「その後は?」

京太郎「団体戦では、うちのチームは第1シードなんで、2回戦からです」

京太郎「うまく勝ち進めば、今日は2回戦と3回戦の2試合を戦うことになります」

京太郎「2日目の明日は、準々決勝と準決勝」

京太郎「そして、最後の3日目に、決勝となっています」

京太郎「団体戦に出場するだけなんで、俺の予定はこれだけになります」

良子「よろしい。日程の把握はちゃんとできているようだね」

京太郎「こういう細かいとこからちゃんとしておかないと」

良子「うん、いい心構え」


良子「時間が押している。付きっきりとうわけにもいかないし、そろそろ行かないと」

良子「試合前に、何か聞いておきたいことは?」

京太郎「……勝つために必要なことは何ですか?」

良子「そんなものがあるのなら、私にも教えてほしいくらいだね」

京太郎「ははっ」

良子「練習したことを思い出して、しっかりね。まあ、これが一番難しいことなんだけど」

京太郎「はい!」

良子「グッバイ」

京太郎「はい、試合会場で。また」


京太郎「……行くか」


ここは、東京。他でもない、俺は試合を、麻雀をやりに来た

以前、そう、はやりさんと入れ替わったあの時、俺は清澄高校のただの付き添いの雑用だった

みんなの手前、内心平気な素振りはしていたけど、そりゃあ当時、その立場を快くは思っていなかった

だってそうだろ?、ただの付き添いだぞ、付き添い

それに比べて、優希とか和とか、特に咲なんか超が付くほどの大活躍。そりゃ嫉妬したさ


でも、今は違う

偶然によって与えられた立場とはいえ、俺は再び戦うためにここに来ることができた

このチャンス、絶対に逃さない!

プロ相手に勝てるとなんて、これっぽちも思っちゃいないが、ただで負けるつもりもない

いくら彼女に了承されたとはいえ、牌のおねえさんに無様な戦いは決して許されない

私は、瑞原はやりなんだ!


戒能さんと別れたあと、そのままの足で、用意されたホテルへと向かった

荷物を整理してから、すぐに会場へ直行する


ホテルから外へ出ると、人はまばらだった

俺はこの時間帯の大都会ってのが、結構好きだ

朝とか昼とか夜とか、そういった時は人が溢れているけど、この時間帯は違う

かつての人ごみに思いを馳せながら、一人優越感に浸ることができる



『それだけ?』



ふんふんと、鼻歌を交じりに歩いていくと、いよいよ会場が見えてきた

無機質な人口建造物。大きい。圧倒された

心臓の鼓動が、ほんの少し早くなったような気がした

既に歓声が、どこからともなく聞こえてきていた

入り口を入ったすぐの所には、大画面のモニターがあって、対局の模様が映し出されていた

京太郎「俺も、あそこでやるのか……」

今度は、身震いがした


コンコンと足音を鳴らしながら、関係者専用の通路に入っていき、控室に直行する

訂正

>>359 人口建造物→人工建造物


京太郎「おはようございます!」


挨拶を済ませて、メンバーと合流

しばらく椅子に座って待っていると、監督がやってきて、ミーティングが始まった

相手選手の特徴、対局の進め方、その他いろいろ

今なら細かい戦略や、多少専門的な戦術だって理解できる

もちろん、それを実行する実力があるかどうかは、また別の問題だけど

監督が説明をし終えると、手をパンっと一回だけ叩いて気合を入れ、ミーティングが終了した

また一つ、鼓動が速度を増していた


私服からいつもの仕事着──例のメイド服のようなフリフリの服に着替える

さらに、ヘッドホンを掛けて、髪飾りをしっかりと付けさえすれば、俺はもう瑞原はやりだ

準備を終えて、そうこうしていうちに、試合は始まっていた

椅子に座りながら待っていると、時計の針の音が、妙に耳にこびり付いてきた。離れなかった

チクタクチクタク……チクはまだ分かるが、タクってなんだよ

その音を延々と追いながら、戒能さんに教えられてきたことを、頭の中でひたすら反復していた




「大丈夫ですか?」




京太郎「へ?」

我ながら、情けない声が出たと思う。だらしなく口だけが反応して、最初何を言われたのか理解できなかったから

緊張している……俺が?

視線を足元に向けると、自分でも気づかないうちに、貧乏ゆすりをしていた

京太郎「…ダメかもしれないから、私の分も点取ってきてね」

「もうっ、何言ってるんですか!」

一つ、冗談を言うくらいの気力は、まだ残っているようだった


さらに、時間が経過していく

自分の出番が近づいていくと、心臓の鼓動がその大きさを増していった

なんで、いつも通りにしなくちゃいけない時に限って、身体ってのはこうも思い通りにならないのか

こんなのは、遺伝子の欠陥じゃないのか?

意味のない悪態をついているうちに、さらに時計が進んでいく

次鋒、中堅、そして副将

次だ、次……次

たまらなくって、飲み物を口に含もうとする

けど、ペットボトルを持つ手が震えしまって、両手で持つ始末。しかも、ちょっとこぼしてしまった

京太郎「あっ」

ははっ……ヤバいかもな、これ



この会場に到着する前は、いつも通りのはずだったのに、今じゃこの有様

絶対に、練習通りになんか行きっこない

知識としては、戒能さんから教わったことはキチンと覚えてはいる

なんなら、暗唱だってしたっていい

しかし、それを試合の中で、ほんとうに使えるのかどうか、どうしようもなく不安になってくる

俺がリードを守りきれなければ、チームの、みんなの努力が無駄になってしまうんだ

周りのメンバーが訝しんでいるのは気付いてはいたけど、そんな些末なことに気を払う余裕すら、今の俺にはなかった


最初の大会でも、もちろん緊張はした。でも、これはその比じゃなかった

プロってのは、こんな緊張感の中、いつも打ってるっていうのか?

しかも、世の中には、もっと大きな大会とか、それこそタイトルのかかった試合とかもあるらしいし

まったく別の世界の出来事にさえ思えてくる。すごいな、トッププロの方々

小鍛冶プロなんか、たぶん鉄の女。いや、鋼か。超合金なんたらZ。尊敬するね

プロスポーツのアスリートで、試合前に戻してしまったりする人がいるって聞いたとき、「そんな馬鹿な」と思ったさ

だけど、いまならその気持ち、よく分かる

軽い食事で済ませてきて、ほんとによかった

逆流しそうになって、無理やり水を押し込む


他のみんなは、備え付けのモニターで、試合映像を見ている

でも、俺はというと、そんなの見ている余裕なんかなくって

呼吸が荒くなってくる。汗が止まらない。暑いわけでもないのに




京太郎「あ…」

歓声が上がった。たぶん、副将戦が終わったんだろう

次だ、次……次、次、次


「──原さん」


京太郎「……」


「瑞原さん!」



京太郎「!!、あ、ああ……どう、したの?」

「どうしたのじゃないですよ。終わりましたよ」

京太郎「ああ、そう……じゃあ、行かなきゃ…ね」

身体が重い。牌すら持てるか怪しかった。手の震えで、点棒さえ落としそう

「えと、何言ってるんですか?、だから、終わったんですって」

京太郎「…はい?」

そうして、指差した方向を眺めてみると

京太郎「……飛び、終了?」

「そうです。うちの勝ちです。まあ、2回戦なら、こんなもんでしょう」

京太郎「ハハハ……そう、だね」

「大丈夫ですか?」

京太郎「大丈夫、大丈夫…」


どっと、疲れた。まだ、何もやっていないっていうのに

大きく息を吐き出して深呼吸すると、汗を拭って、だらしなく身体を椅子に預けるしかなかった

疲れた。想像以上なんてもんじゃない。舐めてたつもりはないけど、やはり予想とのギャップが凄かった

あのままやってたら、確実に負けていた自信がある


でも、それすらどうでもよくなっていた

出場しなくていいんだと分かって、俺は心底安堵してしまっていた


─瑞原はやり



まこ「お疲れ様。みんな、よう頑張ったのう」

優希「この犬め!、私のもぎ取った点数を見事パーにしてしまうとは!」

はやり「勝てば官軍、って言葉があるだろ?」

咲「まあまあ、勝ったんだからいいじゃない、優希ちゃん」

優希「うっ…まあ咲ちゃんがそう言うなら」

和「……」


早々に、3回戦まで終わってしまった

この調子なら、明日も問題ないと思う。決勝にも行けると思う

久ちゃんがいなくなったとはいえ、やはり清澄高校

全国的に見ても、層は皆無とはいえ、頭一つ抜けた実力を持った高校だ


咲「竹井先輩が、いつの間にか見えないですけど?」

優希「インターハイで知り合った、東京の高校の人たちと観光に行くっていってたじぇ」

まこ「なにしに来たんじゃ…」

和「竹井先輩はどうでもいいとして。これから、どうしましょうか?」


はやり「あの、すいません」

まこ「ん、なんじゃ?」

はやり「俺、ちょっと他の試合を見に行きたいんですけど、いいですか?」

優希「おお、感心感心!、行って来い、そして強くなって帰ってくるんだじょ」

はやり「お前に言われるまでもねえよ」

まこ「まあ、ええじゃろ」

はやり「ありがとうございます。んじゃ、ちょっと行ってきますね」


勢いよく部屋から出る

最初は、自制を効かせて早歩きくらいだったけど、しまいには駆け足になってしまっていた

ああ、もう待ちきれないっ!、京太郎くんに会えるんだっ!

時間通りなら、そろそろ3回戦が始まっている頃合いだ

2回戦の結果はどうだったんだろう?

もしかして、緊張のあまり、ちゃんと打つことが出来なかったのかもしれない

京太郎くん、責任感が強いから、みんなの為にって無駄に多くを背負い込んじゃっているかも

アドバイスしてあげたいし、励ましてもあげたい


だけど、私にできるのは、せめて応援することだけ

早く、行かなきゃ!


─須賀京太郎



3回戦が始まった

もちろん、ほんの数時間で、何かが劇的に変化するでもなく

正直、誰かに泣き言を言いたいくらいの気分だった

だけど、言ったところで平常心に戻れるわけでもない

戒能さんにアドバイスを求めようかとも思ったけど、止めた

これは、俺が何とかしないといけない問題なんだ

一つのアドバイスでどうにかなるほど、簡単なものでもない

そんなのがもしあったなら、どんなアスリートだってメンタルトレーニングをする必要がなくなるはず


きっかけ──それが欲しかった


俺の出番は、間違いなく着々と近づいていっている

もう、そろそろだ……もう、そろそろ

大量リードはあるものの、点数を見る限り、今度こそ俺に回ってくるのは間違いなかった

ちょっとマズい。みんなに迷惑掛けちまう。そんなのは、絶対に嫌だ

俺は、瑞原はやりなんだ。だから、うまくやらなくちゃいけないんだ

無様な戦いだけは、見せられない

私は、瑞原はやりなんだ



観客の拍手をする音が聞こえてきた。副将戦が終わったようだ

京太郎「…行ってきます」

重い腰を上げ、その台詞を言うのが精一杯だった


部屋を出て、通路を進み、試合会場へと向かう

とにかく、身体が重い。足取りが重い。心配ばかりで、頭が回らない

こんなんじゃダメだと思いながらも、歩だけは進めていくしかない

ルールに従って麻雀を打つだけの機械にでもなりたい気分だ


京太郎「ここか…」

対戦相手は、既に到着していた

皆穏やかだけど、臨戦態勢に入っているよう

そこに至っていないのは俺だけ


負ける


このままじゃ、確実に負ける。敗北

俺の負けは、チームの負けに直結している

俺の負けは、はやりさんの負けでもある

さらに、身体が強張ってきた。手が震える


試合が始まった


_______

____

__


「瑞原さん…」

「本当に、どうしちゃたんですか…?」、ってな感じで心配してくる

「いつもなら、こんなの余裕のよっちゃんなのに…」、ってな感じで

いや、最近の若い子はそんなの知らないか。俺だって、知らなかった



京太郎「はぁ……」

やはり、ダメだった

前半戦が終わって、控室に戻ってきたのはいいものの…

2位と5万点差近くがあったが、今ではその差は2万しかない

咲だったら、「そんなの楽勝じゃん」とか「麻雀を楽しもうよ」とか、怖い笑顔でそんなこと言うんだろうな…

楽しむ余裕なんかねえよ、まったく…

今の俺にとっては、2万点差はほとんどゼロにも等しい

2位まで勝ち抜けとはいえ、余裕なんかまったくない

負けが、もうそこまで近づいてきている


負ける?、俺が?、まだ何もしてないってのに?


『そんなの、よくある話じゃない』


今までの努力は?、戒能さんと、練習してきてた成果は?


『努力を語れるのは、成功した人だけってね』


ちくしょうめ


仕方なく、モニターの方を見てみる

今は、小休止の時間なので、対戦会場は映し出されていなかった

代わりに、観客の様子が映し出されていた


おっさんとか、学生とか、様々な人種の人々がいた

子供もいた。髪を紫に染めたおばちゃん、スマフォいじりながらニヤニヤしてる若者

人が四苦八苦してるっつーのに、画面の向こうのあちら側は、いたって平静そのものだった

意味もなく、腹立たしくなってくる

ああ、アホ面した金髪の学生服の男もいるじゃないか

あれは、たぶん清澄高校の制服だ

そして、たぶん麻雀部の部員だ

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「俺だっ!!」

「「……俺?」」


えっ…!?、ちょっとまってくれ……

あれが俺だとすれば、それはつまり、はやりさんであるということだ

はやりさんが応援しに来ている!?、まさかっ!?

そんな話、聞いてないぞ!?


いや……でも待てよ。そういや、島根に旅行に行ったとき、なんかそんな話を聞いたような気が

東京で、麻雀の大会があるとかなんとか

京太郎「ははは…」

なんだ、そういうことか。はやりさん、知ってたのか、このこと

なんだ、ちくしょう、言ってくれればよかったのに

こんなことだったら、もうちっとマシな試合を──


…………はっ?


マシな試合…?、何言ってんの、俺?

ちょっと考えてみろよ。俺って、今まで麻雀で、誰もが目を見張るような凄い試合でもしたことでもあんのか?

接待プレイなしの咲には、いつもボコボコにされてたし

優希は手加減なんてもんを知らないし、和はそもそも俺のことなんか眼中に無しだし

戒能さんは親切だけど、教えてくれる時は容赦なんかしてくれなかったし

最近はともかく、初めの頃はネトマでいつもボコボコにされてたし。最初の大会だって、ダメダメだったし

京太郎「……」

なんだ、俺ってダメじゃん。何考えてんだ、俺

マシとかマトモとか、まだまだもっと先の話だろう、俺にとっては


再び、モニターに目を向けた

すると


『おらー、いい歳こいて、そんな試合しかできないのかー!!』

『この年増ー!!、おらっ、そこのアラサーだよっ!』

『しっかりしろ、このマヌケッ!!、少しは、良いところ見せてみろってんだ!!』


京太郎「……」

金髪の学生が、一人暴れていた

はやりさん…あれで発破かけてるつもりか?

京太郎「ははは…」

「先輩っ、あんなの気にしなくていいですよ」

京太郎「いや、いいの。大丈夫、ちょっと勇気が湧いてきたかも」

「え?」

あんなヤジで心が軽くなるなんて、ちょっと歪んでるのかもな

それが、可笑しくてたまらなくなる


『えっ、いや…違うんです。そんなつもりは……電話使えないから、しょうがなくこうやって、ね──』

『えとですね……これは、自己を否定することによって、自己を肯定するという逆説的な──』

『ちょっ!?、ちょっと警備さん……お願いですから外に出すのだけは……えっ、ダメって?』


ダメならダメなりに、その中で何とかする

それが、今の俺にできる唯一のことじゃないか


後半が始まる

京太郎「行ってきます」

会場へ向かう足取りは、さっきまでより、幾分軽やかになっていた


─戒能良子



「先ほどまでとは打って変わって、守備を固めることできていますね」

「どこが、違うんでしょう?」

良子「ええ、それはですね──」

ふふっ、心配していれば、こんなに早く立て直すとは

正直、予想外。この試合、落としたとも思ったけど

まったく…

良子「グッド」ボソ

「はい?」

良子「いえ、なんでもありません」

「はあ…?」

先ほど、京太郎の──はやりさんの姿がモニターに映ったけど、彼女も来ているのか…

彼も、それを見たのかもしれない

もしかしたら、これこそが、愛の力なのかもしれない

あるいは……


後は、私の教えたとおりにしていれば、そうそう3位になったりはしないはず

「あーっと!、ここに来て瑞原選手、痛い!、振り込んでしまいました!!」

良子「……」

試合が終わったら、もう一度厳しい指導が必要かも


_______

____

__


─須賀京太郎


良子「いい?、あの場面だけど──」

京太郎「はい、はい、まったくもってその通りでございます──」

3回戦が終わってすぐ、戒能さんの指導が真っ先に入っている

まあ、あの体たらくを見た後じゃあ、何か言いたくなるのも、よく分かる


良子「うん、それでも、初めての試合にしては、よくやったと思う」

良子「さすが、私の弟子」

京太郎「戒能さん!」

良子「準々決勝進出おめでとう。明日は、最初から平常心で挑むように。できるね?」

京太郎「はい!」

良子「ただ一つ、心配事があるとすれば……いや、それは杞憂に終わる可能性の方が遥かに」ボソボソ

京太郎「?」

良子「ソーリー、何でもないよ」

京太郎「?」

良子「ああ、そうそう。清澄高校──はやりさんも来ているみたいだね」

京太郎「そうみたいですね」


良子「知らなかった?」

京太郎「たぶん、驚かすつもりだったんでしょう」

良子「デスティニー?」

京太郎「偶然でしょうね」

良子「これから会うんだ?」

京太郎「ま、まあ……そんな感じです//」

良子「ふーん…じゃあ、邪魔者はさっさと退散しようかな」

京太郎「もう、行っちゃうんですか?」

良子「残念なことに、明日も朝から試合の解説をしなくちゃならなくてね」

京太郎「そうですか。では、また明日ですね」

良子「うん。また明日」


そう言って、別れようとした時だった。

突然、戒能さんは人差し指の側面を唇に添えて、悩むような仕草をした

まるでキスでもするかのように、ぷっくりとした唇に指を押し当てる様は、ちょっとだけ官能的だった

良子「うーん……声が聴こえた?」

京太郎「え?」

良子「そうか……うん、なるほど。ごめんね、変なこと聞いて」

良子「グッバイ」

京太郎「は、はい。グッバイです」

しかし、出てきた言葉は、俺には理解できない類ものだった


戒能さんと別れた後、夕食を適当に済ませて、近くの駅前まで来た

10分くらいしてからだろうか、待っていた人がやって来た


はやり「京太郎くーん!」

京太郎「あっ、はやりさん!」

はやり「たはは、久しぶり」

京太郎「「久しぶり」、じゃないですよ。来ていたんなら、行ってくださいよ!」

はやり「う…ごめん。京太郎くん、驚くかなーって思って」

京太郎「そりゃあもう、驚きましたよ。いきなり、俺の姿が映ってたんですから」

はやり「ああ、やっぱりあれ見てたんだ…」

京太郎「なんすか、あのヤジは……しまいに追い出されてましたし」

はやり「うぅ……だって、電話掛けられないし、かといって京太郎くんのところに行くわけにもいかなかったし」

はやり「ああすれば、京太郎くんにも、私の声、届くかなって思って、それで…」

京太郎「……」

はやり「ダメだった…?」

京太郎「…ダメじゃないです。正直、ものすごく助かりました」

はやり「そう…?、なら、よかった//」

京太郎「でも、もうあんなのやめてくださいね。出入り禁止にでもなったら大変です」

はやり「肝に銘じておきます…」


京太郎「ここへは、大会に?」

はやり「うん、そう。私たちも、ちゃんと勝ち上がったよ」

京太郎「さすがです」


それからも、今日の試合の話だとか、明日の対戦相手の話だとか

今日あったことを、互いに話し合った

さすがに、はやりさんを応援しに行くほどの余裕はないけど

それでも明日は、清澄の方がどうなっているのかも、しっかり確認したい



大会一日目が終わった

予想通りの展開とはいかなかったけど、万事がうまくいくなんてことは稀なはず

キチンと明日の試合へと進めたことで、結果オーライだろう

はやり「ねえ、京太郎くん」

京太郎「なんですか?」

はやり「先勝祝いに、お酒でも飲みに行く?」

京太郎「やめてください、社会的に死んでしまいます」

はやり「ふふっ、冗談だよ」

京太郎「はあ…」

明日も、頑張るか













...

.......

............


健夜「ん、あれって、はやりちゃん、だよね…?、隣にいるのは…?」

健夜「男の子…?、ははっ、まさかね…まさかね……」

健夜「これは目の錯覚……うん、きっとそう…あはは…はは……ハハ……ハハハハ──」


──1月下旬 東京 大会2日目



─須賀京太郎


京太郎「ツモです!」

大会2日目、準々決勝が終わって、準決勝

思いのほか、ここまでうまくいっている

やはり、予想通りの展開で、圧倒的なリードでの大将戦

それは変わらないけど、俺の心持ちは昨日とはまるで違う

大量リードが、ちゃんと大量リードに思える

体のダルさも、手の震えも、吐き気も、さほど気にならない

もちろん、それが全くなくなったというわけではないけど、もはやそれはコントローできるものに変化していた

それで、こんだけの点差があれば、相手が化け物クラスでもなければ、俺だって十分戦える

戦える、戦えるんだ!、俺が!!


「あっ、ツモです」

京太郎「……」

まあ、それでもプラス収支には程遠いけど

しかし、それでもいいさ。だって俺、戒能さんから、守備くらいしかまだ習ってないんだもんね!

よしっ!


─瑞原はやり



準決勝が終わった。もちろん勝った。何の問題もない。順調そのものだった

これで、この大会での私の仕事は、明日の団体決勝だけということになった

取り敢えず一段落したので、私たちは、外で遅めの昼食をとっていた


優希「むむむ……タコベルめ、なかなか侮れない存在だじぇ。しかし、値段がネックか」

はやり「そりゃあ、人件費ほぼ無料のタコスを、いつも食べてるお前からしたらそうだろうよ…」

まこ「こんなのどこの店でも同じようなもんじゃろう」

優希「いやいや部長。ほら、この生地見てください。日本人向けにアレンジされた──」

和「優希、恥ずかしいので、お店の中でそういう話しないでください」

咲「京ちゃん、今日はよくやったじゃん。守るのはもう慣れた?」

はやり「んー、まあ、そんな感じ」

むしろ、得意分野だけどね

和「当たり前です、咲さん。なんたって、私のプロデューサーさんなんですから」

咲「出たっ!、和ちゃんの、「私のプロデューサーさんなんですから」」

和「も、もう、咲さん…!、からかわないでください……//」

優希「かーわいいー」

まこ「かーわいいー」

和「も、もうっ///」


まこ「じゃが、その和のその呼び方も、だいぶ慣れてしまったのう」

咲「最初は、違和感がすごかったですもんねえ」

久「まったくそうねえ」


「「……」」


久「なによ、その反応…」

まこ「いつの間に、ここに来たんじゃ?」

久「やっ、今だけど……あっ、店員さーん!、これとこれと、あとコーヒー冷たいのくださーい」

まこ「この、自由人め」

はやり「今日はどこへ?、朝から姿が見えませんでしたけど」

久「高尾山で御来光を眺めた後、東京(千葉)のディズニーなランドに行ってきてね。その後は──」

はやり「東京(千葉)とか、よく分かんねえなこれ」

優希「元気すぎるじょ…」

和「ニートは、普段が暇なので、体力が有り余っているといいますし」

まこ「そうじゃな」

久「……」


久「ふーん、みんなそういうこと言っちゃうんだ…」

「「……??」」

久「あーあ……せっかくみんなに、この鼠の王国のお土産を買ってきてあげたってのになあー……」


「「ッッ!!!!」」


久「勿体ないから、学生議会のみんなに全部あげちゃおうかなー」チラチラ

はやり「…先輩、肩凝ってません?」

優希「私が、あーんってしてあげるじょ」

咲「普段から先輩のこと凄い人だなーって思ってたんですよ。あっ、これ図書カードです」

まこ「おおっと、こんなところに地元の商店街で使える商品券があるのう」

和「…みなさん、最低です」

久「さすが、我が校のアイドルは釣られなかったか」

和「アイドル見習いです」

久「鼠は偉大よ」

和「どこがですか…」

久「これよ、これ」

和「なんです?、指で丸作って…」

久「金よ」

和「夢も希望もありませんね」

久「夢と希望の半分は、お金でできているのよ」

和「バファリンみたいに言わないでください」


咲「わあー、これ可愛いですね!」

まこ「おっ、わしはこれにしようかのう」

優希「私は実をとる!、このクッキーにするじぇ!、缶が気に入った!」

はやり「ま、まあ、こういうのあまり興味ないんだけど、これにしますかね。あまり興味はないんだけど」


和・久「……」



和「…私は今日、人間の醜さを見ました」

久「あなたは綺麗だもんね」

和「そんなことはありません。けれど、綺麗であろうとはしています」

久「それが、アイドルに必要なこと?」

和「武器は多い方がいいと、プロデューサーさんから言われました」

久「アイドル活動は面白い?」

和「どうでしょう?…しかし、今までにない充実感はあると思います」

久「世界が広がった?」

和「心の在り方で、実際的な大きさは変わったりしません」

久「でも、以前よりも笑うようになったわよね。誰かを喜ばそうとしているの?」

和「分かりません。しかし、そう在りたいと思っています」

久「ふふっ、あなた変わったもんね」

和「分かりません」

久「もしかして、須賀くんのこと好きなの?」


「「…………」」


和「それだけは、あり得ませんね」

久「あらー…、ごめんね、須賀くん」

はやり「いや、別にいいっすけど…」

優希「やーい、振られてやんのー」

咲「こらこら、優希ちゃん……やーい、振られてやんのー」

はやり「おい」

咲「ごめんごめん。ちょっと、言ってみたかっただけだから」


まこ「京太郎は、好きな人とかおらんのか?」

はやり「え、いや、そんな人──」

咲「あっ、そういえば前、文化祭に雰囲気のいい感じなお姉さん連れて来てたよね?」

まこ「おお、そんな人もおったのう」

はやり「あの人は、別に──」

優希「私みたいな美少女と、これだけ一緒にいて襲わないのは、そういうことだったのか」

はやり「そんなんじゃねえよ」

久「じゃあ、好きな人いないの?、いるでしょ、一人くらい。年頃の男の子なら当然のことだわ」

まこ「バイセクシャル……いや、同性しか愛せないという可能性も…」

咲「……京ちゃん、今から池袋に行こう。なんだったら、秋葉原でも構わない」

咲「……初心者には、この、『フラワー・オブ・ライフ』ってのがオススメだよ。主人公金髪で、少し京ちゃんに似てるし」

咲「ごめんね、今まで気付けなくて。辛かったよね。でも、もう大丈夫。後は、全て私に任してもらえれば薔薇色の人生が──」

京太郎「ひぃー……」ダラダラ

ヤバい、咲ちゃんの目、どんどんどす黒くなっていってるよー……

咲「京ちゃん、今日の夜は時間空けておいてね。とりあえず、上野公園にレッツゴーだよ」

咲「大丈夫だよ、京ちゃん。痛いのは最初だけ。後はそこから熱を帯びるようにしてジワジワト快楽がやってくるって──」



はやり「──ああ、分かった!、いますよ、います!、好きな人!!」


久「男の子?」

はやり「女性ですよ!」

咲「……ちっ」

まこ「告白はしたんか?」

はやり「いやいやいやいや、そんなのできませんって!」

優希「ヘタレ」

はやり「お前に言われたかねえよ」

和「私たちが知っている方ですか?」

はやり「知っているもなにも……」

よくご存じだと思いますけど…

久「どんな人なの?」

はやり「ええと、ですね」

久「うん…?」

はやり「うーん、と……」

どんな人、か……


はやり「特に、何か凄いことができるってわけじゃないんですけど」

はやり「話をよく聞いてくれて、理解してくれようとしてくれて」

はやり「とにかく、よく気遣ってもらえて」

はやり「最初は、まったく気にしていなかったんですよ。その人のこと」

はやり「ただ、楽しくて都合の良い状況に浸っていたというか」

久「ふーん。初めは興味なんてなかった、と」


はやり「でも、一緒にいるうちに、だんだんとボロが出てきて、いつの間にか、内面を晒してしまっていたんです」

はやり「今までずっと、頑なにと言いますか、ちょっと押えてきた部分があったんですけど」

はやり「それが、あの人のそばにいると、なんだか…」

久「弱みを見せてしまった?」

はやり「そうかもしれません」

久「それは、よくないことだった?」

はやり「分かりません。けど」

牌のおねえさんとしては、失格だったのかもしれない。でも

はやり「嬉しかったんです」

久「ふーん」

久ちゃんは、淡々と質問を続けていたけど、この時だけは一旦間をおいて、柔らかく微笑んだ

なんだか、それに釣られてしまって、言うつもりのなかった言葉まで言う気になってしまった


はやり「好きなんだって気付いたのは、ほんとに一瞬で、正直戸惑いました」

はやり「今まで、そんな気持ちになったのは初めてでしたから」

久「初恋?」

はやり「そうだと思います」

久「中学生みたいな恋ね」

はやり「…ダメでしょうか?」

久「いいんじゃない?、私は、そういうの結構好きよ」


久「須賀くんは、その人とどうなりたいの?」

はやり「…分かりません」

久「関係が壊れるのが嫌?」

はやり「どれほど接近したように見えても、ちょっとしたことで、人と人は簡単に離れていきます」

久「うーん、そうなのよねえ……まったく、困っちゃうわ」

はやり「物事が、悪い方へ転がってしまうのが、堪らなく怖いんです」

久「相手を、思い通りにしたいっていう感情が、裏にあるのね」

はやり「そうかもしれません」

久「そんなの無理よ、無理」

はやり「分かっています」

久「初めてだから、尚更大事にしたい?」

はやり「もう、こんな人は現れないかもしれません」

久「そのタコス、食べないんだったら、私にくれない?」

はやり「嫌です」

久「あらー」



そろそろ、京太郎くんの方も終わった頃かな

勝ってるといいな。これ食べたら、会いにいこう


_______

____

__


─須賀京太郎



準々決勝に続いて、準決勝もなんとか無事に終わった

しかも、なんと1位通過!、みんなが作ってくれたリードを守りきれたんだ、俺!

なんか、ちょっと自信っていうのも付いてきたかもしれない

すごい、ドキドキしてる。でも、これは昨日のような悪い感じのじゃない。高揚していた


ま、まさかこのまま優勝なんてことも……いやいやいや、ないないない。そんなの考えちゃいけない

それに、肝心の、反対側のブロックの対戦相手がまだ決まっていなんだ

一体どこと当たることになるんだろうか。今から楽しみだ


はやり「京太郎くん!」

京太郎「はやりさん!、試合の方どうでした?」

はやり「ふふん、もちろん勝ったよ。そっちは?」

京太郎「聞いて驚かないでくださいね。さっきの準決なんですけど……」

はやり「うん」

京太郎「──見事1位でした!、どうです、なかなかのもんでしょう?」

はやり「やるじゃん!」

京太郎「でしょでしょ?、まあ、個人の収支は未だマイナスですけど…」

はやり「いや、いいんだよ、それで」

京太郎「?」

はやり「京太郎くんは、京太郎くんのできることをやって、それで勝ちをもぎ取ったんだから」

はやり「それに、これは団体戦。チームが勝てば、それで万事オッケーってね」

京太郎「はやりさんにそう言ってもらえるなら…嬉しいもんですね」

はやり「どういたしまして」


京太郎「はやりさんは、明日どこと当たるんですか?」」

はやり「京太郎くんの知ってそうなところはねー……永水くらいかな」

京太郎「永水というと…」

はやり「ほら、インターハイで清澄ともあたった鹿児島の」

京太郎「ああっ、あの鹿児島で巫女服でバインバイン(一部を除く)な高校ですよねっ!?」

はやり「……へぇ」

京太郎「あ」

はやり「……ふーん」

京太郎「あははー……こりゃまいったなー……」

はやり「…京太郎くん、おっきい子、大好きだもんね」

京太郎「いやー、何の事だかさっぱりで…」

はやり「いいよ、別に怒ってもないし、怒る理由もないしね」

はやり「だ・か・ら!、京太郎くんは、そこに付いてるので我慢しておいてね」ニコリ

京太郎「あはは……十分過ぎるほどで」


京太郎「あっ、そうだ!、一緒に、もう一つの準決勝見に行きません?」

京太郎「今、ちょうどやってますし」

はやり「逸らした…」

京太郎「そ、そんなんじゃないですよ。明日のためにも、どういう相手なのか実際に目で見て確認しておきたいですし」

はやり「ふふっ…うん、いいよ。じゃあ、行ってみよっか」

京太郎「はい!」


少し歩いて、別の会場へと向かう

なんだか、妙に観客の数が多いような、気のせいか…?

観客席のある部屋にたどり着いてみると、準決勝の副将戦が今終わったところのようだった

席が埋まりそうだったので、急いで二人分の場所を確保する

京太郎「なんか、すごい混んできましたね」

はやり「そうだね。普段は、こんな大会じゃないはずなんだけど…」

第一シードのハートビーツの試合にだって、これほどのお客さんは入っていなかったと思う

それほど、この試合に注目が集まっているということか

なんでだろう?


耳を澄ましていると、周囲の声が聞こえてきた

「おいおい、聞いたか?、このままいくと、大宮と当たるってよ、つくば」

つくばっていうと…

「いや、でもこの点差だろ?、さすがに、ここで終わりじゃないか」

「頑張ったよ、実際……前評判では、3回戦止まりがせいぜいだったし」

画面を見てみると、確かにすごい点差がある。普通なら、諦める点差。1位と8万は離れている

「いやいや、あの人なら分からないぜ。いくら差があろうと」

いくら差があろうと?

「あの人は──」

あの人?



『──小鍛冶健夜選手の入場です!』



会場が沸いた

それは、小鍛冶プロだった


はやり「……」


モニターの中の小鍛冶プロは、諦めていなかった

いや、そうじゃない。勝つ気でいた。そうあるのが当然のようにして

そして、この会場にいる全員が、それを予想し、期待し、確信していた


ああ、そうか、なるほどね

みんなが期待してやまないもの。それは決勝での──

はやり「私との対戦」

京太郎「……」


対局が始まった


_______

____

__



京太郎「ははは……なんだか、すごいの見ちゃいましたね」

はやり「……」

小鍛冶プロの対局を見終わった俺たちは、会場を後にして帰途に着いていた


その道すがら、俺は、はやりさんに何と話し掛けていいかよく分からなくなっていた

あれを見てから、はやりさんの様子がどこかおかしかったのだ

だから、無難に、先ほどの対局の話を振ってみた


京太郎「もう、どんどん差を詰めていって、あっという間に追いついちゃいましたからね」

はやり「…そうだね」

京太郎「役満ぶち当てたときなんか、大盛り上がりで凄かったですもん」

はやり「…うん」

京太郎「さすが、元世界ランク2位ですね。同じ人間とは思えません」

はやり「…そうだね」


さっきから、「うん」と「そうだね」しか言ってないよ、はやりさん…

京太郎「えーと…俺、何かしちゃいました?」

はやり「……」

京太郎「小鍛冶プロの対局見てから、何だか元気ないですけど」

はやり「そう?」

そう、って…


はやり「……ねえ、京太郎くん。あの対局を見て、どう思った?」

京太郎「え、と……そりゃあ、強すぎるとしか」

はやり「そうだね、彼女は強い。ランキングはともかく、今でも間違いなく国内ナンバーワンの打ち手」

はやり「笑っちゃうくらい、強いよね」

俺は、笑うことすらできなかったけど


はやり「京太郎くんは、彼女と戦いたい?」

京太郎「うーん……それは少し難しい質問ですね」

はやり「なんで?」

京太郎「実際に打ってみて、彼女の実力がどんなもんなのか肌で感じてみたいってのもありますけど」

京太郎「それ以上に──」

はやり「負けるのが、怖いんだ?」

京太郎「……」


はやり「それは、別に恥ずかしいことじゃないよ」

はやり「本来的に動物は、自分よりも強い生き物との戦いを避けるようにできている」

はやり「命の危険がなくたって、そう」

京太郎「……」

はやり「人間は、今まで積み上げてきたものが崩れてしまうことに、どうしようもなく恐怖を覚える」

はやり「穴を掘って、それをまた埋め直す。その作業を延々と繰り返すことのできる人間がいたら、それはマトモじゃない」

京太郎「…何が言いたいんです?」

はやり「京太郎くん、明日の決勝、棄権して」

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「……はい?」

それは、いくらなんでも突拍子がなさ過ぎる気が

はやり「……」

でも、目はマジみたいだった

京太郎「そうはいきません」

京太郎「大宮が勝ち進んで、つくばも勝ち進んだ。なら、戦うの自然です」

はやり「このことを聞きつけて、明日はマスコミが、観客や野次馬が、わんさかやってくるよ」

はやり「意味、分かる?」

京太郎「分かりません」

はやり「……馬鹿」

この声は


京太郎「…どういう意味ですか?」

はやり「そのままの意味だよ」

京太郎「俺が、馬鹿って?」

はやり「そう」

京太郎「…あなたに比べたら、俺の頭は良くはないでしょう」

京太郎「でも俺だって、真正面からそう言われたら、カチンときますよ」

京太郎「たとえ、あなたから言われたとしても」

はやり「……」

京太郎「そんなの、はやりさんらしくありません」

はやり「私らしい、ってなに?」

京太郎「誤魔化さないでください」

はやり「誤魔化してるのは、そっちだよ」

京太郎「なぜそうしなければならないのか、理由を教えてください」

はやり「それは……言いたくない」

京太郎「それこそ、意味が分かりません」

はやり「……」


京太郎「確かに、この立場はあなたの厚意で頂いたものです」

京太郎「けど、調整のための大会で、たとえチームのおかげであっても、ここまで戦ってきたのは俺です」

京太郎「あなたじゃない」

はやり「……」

京太郎「俺は、戦います」

京太郎「たとえ、あなたに何を言われようとも」

京太郎「いえ、あなたがそう言ったからこそ、俺は」

京太郎「わがままと思ってもらって結構です。ですが、この戦いは、最初から俺のわがままでしたから」

京太郎「だから、このまま、やらしてもらいます」

はやり「…………馬鹿」





『          』





京太郎「……すみません。明日の試合の準備があるので、今日はこのままホテルに帰ります」

京太郎「はやりさん、明日の試合、俺はあなたを応援します」

京太郎「できれば、あなたにも、同じようにそうしてほしかった」

京太郎「…では」

はやり「……ぅ」


確認するまでもなく、はやりさんは泣いていた


気まずくもあって、はやりさんとはすぐさま離れ、小走りでホテルへと向かった


道中、はやりさんのことを考えていた

なぜ、思慮深いはずのはやりさんが、あんな言葉を使ったのか?

なぜ、はやりさんは、俺に棄権しろと言ったのか?

俺に、何か悪い部分があったのか?

いくら考えても分からなかった


俺は、この身体になってから、ずっとはやりさんのことばかり考えて生活してきた

仕事の時は、いつもは彼女らしくあろうと、そうやって振る舞ってきた

ミスだって沢山したし、恥ずかしい思いも、緊張した場面も、何度も味わってきた

俺は、そういう経験を通して、彼女のことを分かったような気になっていたのかもしれない

そんなのは、ただの俺の妄想だったのだろうか?

分からない

でも




『声が聴こえたんだ?』




ただ一つ、俺がしなくてはならないことは、俺がこの勝負を逃げることだけは、決してしてはならないってことだけだ

なら、明日のために、今の俺ができることは既に決まっている


そのまま、急いでホテルに向かい自室へと走った

時間はない。もう、明日の試合まで、24時間を切っている

それまでに、なんとか──


早速、電話を掛ける

京太郎「もしもし、戒能さんですか?、京太郎です」

京太郎「──ええ、ええ、そうです。相変らず、察しが良くて助かりますよ」

京太郎「すぐに、そちらに向かいます。できれば、そのまま泊まりたいんですが…」

京太郎「すみません、わがまま言って……ありがとうございます」

京太郎「では、後ほど」


京太郎「よしっ!」

今日は、もうここへは戻っては来ないだろう

必要な荷物を、大きめの鞄にまとめて突っ込んでいく

替えの下着、靴下、いつもの衣装、ヘッドホン、化粧品一式、タオルは向こうにあるはず


……髪飾り


京太郎「……」

これだけは、大切にポケットにしまうことにした


一階へと降り、受付に今日はもう戻らないことを告げる

「えっ、もう戻らないのですか?」

京太郎「ええ、戻りません」


鍵を預けて、ホテルを出る

タクシーを捕まえて、行き先を伝えると、少しだけ眠りにつくことにした

今日は、眠ることはできなさそうだったから


時間にして15分くらいだったろうか、タクシーの運ちゃんに起こされると、既に目的地に到着していた

横に置いてあった荷物を軽く持ち上げて、お礼を言い、料金を支払った

ホテルの中に入ると、早速、言われた通りの部屋へと向うことにした


エレベーターのボタンを押すが、一向に来ない

足で時間を計るようにして、コンコンと地面を踏み鳴らす

だけど、それを10回まで数えた瞬間には、もう我慢ならなくなって、階段を使う決心をしていた


すぐ横にあった、階段を利用する

ちまちま一段づつのぼるのが、たまらなく遅い

一段抜かし!、これも遅い!

二段抜かしっ!!

京太郎「ははっ!」

なんだ、この身体でだって、できるじゃなか!


身体が軽い

息だって、ほとんど乱れていない

間もなく、目的地に到着した

ノックする

ドア越しに声が掛かる


良子「…どなたですか?」

俺は、即答した

京太郎「俺は、須賀京太郎です」

良子「……ベリーグッド」

_______

____

__


良子「いやはや、しかし……悪い予感ってのはよく当たる」

京太郎「……」

この人は、こうなることをあらかじめ見越していたんじゃないか、とさえ思えてくる

だから、俺を弟子なんかにして

良子「決勝の相手が、まさか小鍛冶さんのいる、つくばとなるとは。しかも、大将戦で当たると来た」

京太郎「それまでに、試合終了とならなければの話ですけどね」

良子「そうだといいんだけどね」

まるで、そうならないみたいな言い草だ


良子「さて、以上を踏まえて、どういう要件かな?」

京太郎「彼女との戦い方を、教えてもらいに来ました」

良子「まさか、勝つ気?」

京太郎「……」

良子「無理だよ。京太郎では、絶対に彼女に勝つことなんてできない」

良子「インポッシブル。明日も、太陽が東から昇り西へと沈むように、それはこの世の道理」

良子「建御雷に戦いを挑んだ建御名方のように、無様に負けるのがオチ」

京太郎「……」


良子「彼女は強い」

京太郎「…強いって、何ですか?」

良子「近付けたと思ったら、あっという間にそうではなくなってしまう、何か」

京太郎「なぞなぞですか?」

良子「そんなとこ」

京太郎「……」

良子「しかし、彼女は限りなくそれに近い場所にいることは確か」

良子「正直、私にもよく分からない」

良子「そして、よく分からないから、倒し方もよく分からない。小細工が通用しない」

良子「私でも、はやりさんでも、勝つことができない相手。それが、彼女」

良子「つまり、京太郎では話にすらならない。残念だけどね」

京太郎「……」


良子「と、まあ、こんな風に屁理屈をこねくり回して、諦めてしまうのも一つの手なんだけど」

良子「それでは、私の師匠としての価値もなくなってしまうかな?」

京太郎「!!」

良子「京太郎、化け物退治の準備をしよう」

京太郎「戒能さん!!」



良子「ふふふっ、これからは、私のことを"マスター"と呼ぶように」

京太郎「遠慮させていただきます」

良子「オー、シット」

京太郎「放送禁止用語ですよ、それ…」


良子「さて、やることは決まった。だけど、真冬の夜は長い。栄養補給は重要」

良子「飲み物は何する?」

京太郎「うーん、と……」


俺は何にするかを考えながら、あの日の夜を思い出していた

そういえばあの日も、戒能さんと一緒の部屋で、長い時間を共に過ごした

あの日は確か、小鍛冶プロと戒能さんと一緒に、麻雀教室をやったときのことだったか

俺が、『瑞原はやり』をやり始めた頃のことだった

戒能さんに俺の正体がバレて、それをはやりさんに秘密にするように頼んで


初めは、去年の夏のインターハイだった。ぶつかったら、身体が入れ替わっていた

ブラの付け方から学び、化粧の仕方をマスターしていった

俺は、『瑞原はやり』に成ろうと努力した

少しでも、彼女のことを知ろうと、ファンクラブにも参加した。校長がいた

はやりさんから、アイドル活動をするように頼まれた

挨拶の仕方、握手の仕方、衣裳の着こなし方、喋り方から仕草まで、俺は教わり学んだ

はやりさんとデートをした。戒能さんに弟子入りさせられた

文化祭に行った。和がいつの間にかアイドルに成ろうとしていた

はやりさんは、『須賀京太郎』に成っていた

和のお父さんをストーキングした。この頃から、はやりさんの様子がおかしくなっていった

島根に旅行に行った。『古事記』なんてもんを学んだ。襲われそうになった

そして、大会の話が舞い込んできて……


なんだ、そうか、麻雀か

最初に麻雀があって、最後にまた麻雀がやってくる

俺たちを二人を繋ぐもの、それが麻雀だったんだ

これが無ければ、俺たちは二人は──



思えばあの日も、同じようにして、戒能さんが飲み物を何にするかを尋ねてきた

戒能さんは何と言ったか、俺は何と答えたか


『コーヒーにしますか、紅茶にしますか?、それとも』


……ああ、そうだったな

京太郎「ポンジュースでお願いします」

良子「ラジャー」


さあ、あの日の夜の続きをしよう

だけど、今度は戦うために


さあ、クライマックスだ

寝ます
次で終わりの予定です
土曜、夜10時半くらいには投下を始めたいと思っています
では、また


校長の言葉を思い出す

訂正が出たので書く
>>189 孫子も、己を知らば百戦危うからず、
恵さん相手だから「敵を知り己を知らば~」だと思った

>>383 京太郎「ひぃー……」ダラダラ
ここは はやり では

次回楽しみ

>>411
訂正ありがとうございます
まったくもって、その通りだと思います
とても、助かります

訂正

>>189
己を知らば→敵を知り己を知らば

>>383
京太郎「ひぃー……」→はやり「ひぃー……」


──1月下旬 東京 大会3日目・最終日



─須賀京太郎


京太郎「ぅ……」

不快な電子音がした。目覚まし時計の音

京太郎「そおいっ!」

京太郎「…ふっ、目覚まし時計、敗れたり」


時計を見ると、午前10時

決勝は昼過ぎ、こんなもんだろう

時間にして、だいたい2時間程度は寝ることができた。というか、寝落ちしただけ

戒能さんなんか、机に突っ伏したまま、意識を失っている

こんな美人さんに無理をさせてしまったことを、申し訳なく思う

京太郎「…ありがとうございました」


お姫様抱っこを試みると、案外軽かったので、そのままベッドまで運ぶことにした

布団を掛けて、解説の仕事に間に合うように目覚ましをセットする

京太郎「これで、よし」

窓から外を見てみると、雲が厚く張っていて、いつ雨が降ってきてもおかしくない状態だった

テレビをつけ、天気予報を見てみる


「本日は、大気の状態が非常に不安定で、ところにより雷、暴風が──」


雷雨が、風と共にやってくる


臭いが気になったので、お風呂場を借りることにした

シャワーを浴び終えると、持ってきていた私服に着替える

鏡で自分の姿を確認すると、大事な何かが欠けていた


『髪飾りさ』


鞄の中を漁るも、なかなかそれは見付からない

京太郎「あっ」

そうだ、忘れてた。肌身離さず持っていようと、ポケットに入れっぱなしだったんだ

さっきまで着ていた服から、大切にそれを取り出す

京太郎「……やめた」

俺は、それを髪に留めるのを止め、丁寧にポケットの中にしまうことにした


身支度を終えると、散乱していたゴミをまとめて捨て、移動させていた机や椅子を元の場所に戻すことにした

ここまでやると、いよいよやることがなくなったので、出発する準備をする

そして、靴を履いて、ドアノブに手を掛けて、部屋を出ようとした時だった


『ほらっ、あっち』


ふと、机の上を見た

そこには、ガラス製の透明なコップに入った、ポンジュースの残りが置いてあった

氷は完全に解けて、既にその形をなくしてしまっていた

しかし、それは、ポンジュースとは完全には混ざり合っていなかった

境界付近では、綺麗なグラデーションを成しながらも、決定的な部分では、水は水で、ポンジュースはポンジュースに成っていた


京太郎「ははっ……」

やっぱり俺には、哲学なんてもんは合わないか

ドアノブから手を離し、机の方まで行くと、俺はそいつを一気に飲み干した

京太郎「うん、まずい」

今度こそ、俺はその部屋を出ることにした

京太郎「行ってきます」



『行ってらっしゃい』




ホテルから出た

朝の爽やかさはもうなくなっていたが、深呼吸を一つし気持ちを整える

比較的、閑散とした道路を徒歩で進んでいく


奇妙な気分だった

眠気はあった。疲れもあった。倦怠感も

しかし、いつもとなにか、決定的に違う何かが……何かが

街路樹が、風によって揺れていた。軋む音がした

アスファルトと靴の擦れる音がした。遠くでは、既に雨が降っているようだった。雷も

周りには、誰もいなかった。声がした



この、お昼前の時間帯というのは、少し不思議な時間帯だ

この東京は、もちろん世界屈指の都市であり、人の数だって膨大だ。長野なんかとは、比べものにならない

去年の夏のインターハイ、朝の街並みを歩いたとき、なんのお祭りかと思ったもんだ

駅から流れ出ていって、そして流れ入っていくその光景は、初めはちょっと異様に映ったもんだった

大通りを、まるで規律を重んじる軍隊の様に闊歩するその様は、餌を運ぶ蟻のようだった

お昼時もなかなか凄かった

財布を片手に、巣から這い出てくるようにして高層ビルから飛び出すと、人気の飯屋に突撃をかますのだ

突撃は言い過ぎか。しかし、どこの飯屋も人で溢れる

人、人、人、人、人────……


しかし、この時間帯の趣は、多少異なる

この時間帯は、人が少ない。朝、あんなにいた人間は、一体どこに行ってしまったんだ?

もちろん、オフィスビルとか、駅の中とか、大学の校舎だとか、そんなところにいるんだろう

みんなが、あんな狭い所であくせくしているとき、俺は外にいる

そう思うと、優越感に浸れる

俺は、この時間帯の大都市が好きだ

なぜなら──




『声が聴こえるんだ?』




こんな時間に、悠々と外を練り歩くことができるのは、暇なお年寄りか、サボりの学生か

まあ、そんなとこ

だけど、そんな人たちは、俺のことなんか気にしない


『おはようと、こんにちはで、おはこんにちは』


瑞原はやりのことなんて、気に掛けない


『今日も可愛いね。どこ行くの?』


俺は、もう変装なんてもんはしない


『ねえねえ、髪の毛はねてるよ?』


俺は、そのまま歩いていく


しばらくし、会場の入り口付近まで到着した

体内時間と対外時間のズレ。あっという間だった

眠気は確かにあったのに、意識は完全に覚醒していた


そこには、はやりさんいた


俺は、それを既に知っていた


─瑞原はやり



はやり「京太郎くん…」

京太郎「おはようございます。んー…もうお昼近いのか」

京太郎「なら、おはようと、こんにちはで、おはこんにちは──ってとこですね」

はやり「……髪の毛、はねてるよ?」

京太郎「知ってます」


はやり「私が、なんでここに来たのか、分かるよね…?」

京太郎「ええ、分かります」

はやり「お願い、京太郎くん。今からでも遅くない。棄権して」

京太郎「理由は、教えてくれないんですよね?」

はやり「…言いたくない」

京太郎「俺は、ここに戦いに来たんです」

京太郎「はやりさんは、違うんですか?」

はやり「…分からない」

京太郎「そうですか」


京太郎くんの表情はいつもと違ったように見えた

諦めているようにも、自暴自棄にようにも、悟っているようにも、楽しんでいるようにも

それは本来矛盾するはずなのに、奇跡的なバランスでかみ合っていた

理解できなかった

訂正

>>420
自暴自棄にようにも→自暴自棄のようにも


はやり「京太郎くん、負けるよ…?」

京太郎「たぶん、そうなるでしょうね」

はやり「あなたは、プロの厳しさをまだ知らない」

京太郎「でしょうね」

はやり「……」


はやり「ねえ……須賀くんは野球は見るかな?」

京太郎「これまた唐突ですね。まあ、見ますけど」

はやり「所謂『甲子園』、ってあるよね。あれの予選の高校数、知ってるかな?」

京太郎「知りません」

はやり「大体だけど、4000校くらいらしいよ。じゃあ、実際に甲子園まで行ける高校は何校だと思う?」

京太郎「……」

はやり「たったの49校。それだけ」


はやり「私達が、テレビで見る高校球児たちは、エリートなんだよ」

はやり「たぶん、子供の頃からプロに憧れて、たくさん練習して、たくさん失敗して──ようやく、あの舞台に立てたんだと思う」

はやり「京太郎くんが小学生の時、一人くらいいなかった?、他の子と明らかに違うような子が」

はやり「地元なんかじゃ、神童だ、天才だ、って噂されるくらいの才能の持ち主たち。それが、彼らなの」

はやり「つまり、私たちの見る『甲子園』っていうのは、まさに高校野球の上澄みってわけ」

京太郎「……」


はやり「では、また質問。この全国4000校の3年生の中から、一体何人がプロになることができるのかな?」

京太郎「……」

はやり「ドラフト会議によって──育成も含めてだけど、毎年80人前後が指名されて、入団するんだって」

はやり「ここには、大学生とか社会人とかも含まれるから、高3の子は大体半分くらいかな?」

はやり「私もよく知らないけど、そんなに間違った推測でもないと思うよ」

はやり「つまり、プロになれるのは、上澄みのさらに上澄みってわけ」

はやり「ここから先は、才能なんかあって当たり前の世界」

京太郎「……」


はやり「でも、ちょっと待って。1軍で、しかも試合に出ることができるのって、何人?」

はやり「毎年毎年、出場しているメンバーって、そんなに変わらないよね?」

はやり「むしろ、一気にガラッと変わったりするのは稀。ほぼ、去年通り」

はやり「新しく入って来るのは、一体何人だろうね?、その中に、今年入団したばかりの人は入っているのかな?」

京太郎「……」

はやり「辞めていく人が何十人、入って来る人が何十人。一軍あって、二軍があって、外国人選手もいて……」

はやり「つまり、私たちがテレビ見るプロ野球ってのは、上澄みの上澄みの上澄みの上澄みの上澄み──たぶん、これくらい」

京太郎「……」


はやり「みんな才能を持っている。大変な努力もする。ケガをしないように身体には気を遣う」

はやり「新しいスポーツ科学を取り入れるし、技術の向上と共に、学ぶことの多さは比例する」

はやり「差をつけられるなら、どんな些細なことでもする」

はやり「いや、しなくてはならないの。並み程度の才能持ち主なら、特に」

はやり「なぜなら、そうでもしないと、あっという間に周りに置いて行かれてしまうから」

京太郎「……」


はやり「じゃあさ、そんな中にあって、トップレベルのプロってのは、一体何なんだろうね?」

はやり「一時期の間、活躍する選手は結構いる。でも、ずっと活躍し続けることのできる選手は、そうはいない」

はやり「けど、それでも、彼らは確実に何人か存在している」

はやり「そんな彼らを、どうやって形容すればいい?、想像を遥かに超えていない?」

はやり「そういうのも才能なんだと言ってしまえば、それまでなのかもしれないけど、それでは何も言っていないのと一緒だよ」

京太郎「……」


はやり「さて、本題に入るよ。これをそのまま、麻雀に置き換えてみるね」

はやり「私が見た感じだと、夏のインターハイに出場していた3年生の子たちの中で」

はやり「実際にプロに成れるのは、2~30人くらいだと思う」

はやり「さらにその中で、将来的にチームのレギュラーに成れるのは、経験的によくて5分の1くらい」

はやり「さらにさらに、その中から、トッププロに仲間入りできるのは──1人いたらラッキーだね」

京太郎「宮永照さん」

はやり「そう」



はやり「京太郎くん。プロってのは、そういう世界なの」

はやり「そして、あなたが戦いおうとしている相手──小鍛冶健夜という人は」

はやり「その異次元のトッププロの中にあって、他を圧倒して頂点にい続けている」

はやり「余人をもって代えがたい。天才と言う他ない」

京太郎「……」


はやり「私も、世間では一応トッププロっていう肩書きだけど、彼女とは100回やっても1回勝てるかどうか」

はやり「確かにね、あなたは悪くないものを持っている。和ちゃんにも、引けを取らないくらいの」

はやり「だけど、経験も努力も敗北も、まだまだ全然あなたには足りていない」

はやり「特に、彼女の前ではそんな才能無意味」

京太郎「……」


はやり「……私は、今まで色んな人を見てきた」

はやり「将来を期待されてプロ入りしたものの、なかなか芽が出ず辞めていった人」

はやり「メディアからのバッシングに晒されて、まともに打てなくなってしまった人」

はやり「途方もない才能を持ちながら、家のこと、家族のこと、病気のことで夢を諦めざる得なかった人」

はやり「今では全く別の仕事に就いている人。麻雀を嫌いになった人。何にも成れなかった人──」

京太郎「……」

はやり「私には、テレビに映る、華やかな対局の裏側に、山積みになった屍が見える」


はやり「今日は、大勢のお客さんがやって来る。マスコミが、大勢押し寄せてくる」

はやり「あの観衆の中、あの緊張感の中、あの期待の中……彼女にボロボロにされたらあなたは」

はやり「……私は、そんなの見たくない」


きっと、マスコミは、あなたのことを無遠慮に書き立てる

ネットを見れば、あなたのこと罵倒する人が現れる

死ね、辞めちまえ、ヤル気あんのか、時間返せ、ゴミ、使えないヤツ、etc、etc……


京太郎くん、覚えてる?、私とあなたがどこで出会ったのかを

あれが無ければ、私とあなたの人生が、交じり合うことなんて永遠になかったはず

私は、あなたに麻雀を嫌いになってほしくない

だって、麻雀だけが、私とあなたを繋ぐ唯一の──


たとえ、どんなに深く繋がった関係も、たった一つの出来事で、砂の山を崩すようにして簡単に崩れ去ってしまうことを、私は知っている

あなたは、麻雀を嫌いになる

あなたは、私を嫌いにならないかもしれない

けど、それでも、人と人は、些細なことで、いとも簡単に離れ離れになってしまうものだから


あなただけは、ずっと私の側にいてほしい

お願いだよ、京太郎くん…


はやり「だから、棄権して」


京太郎「……それは、聞けない注文ですね」

はやり「なんで…?」


なんで、そんなこと言うの?

私の言っていること、分からない?

私、もうダメなの

もう、誰も私のことなんか期待していない。求めていない

みんな離れていく

分かってる

私は、もう、牌のおねえさん失格なんだ

私は、知っていた

誰からも必要とされなくなったアイドルは、自ら辞めるしかない

みんなの頭の隅から、ひっそりと消えていくしかないんだってことを


ねえ、京太郎くん、知ってる?、アイドルの語源を

ギリシャ語の"幻影"だってさ

私は、最初から幻だったの。私は、見えないものをを必死なって追い求めていた

私は、馬鹿だった。いつか消えないといけないのに、必死にそれを繋ぎとめて。在りもしないものとも知らずに…



私、もう、アイドルなんか……麻雀なんか──



京太郎「だって、俺はあなたに、麻雀を嫌いになってほしくないから」

はやり「……っ」

京太郎「たぶん、俺は、あなたを理解することができません」

京太郎「やっぱり、須賀京太郎は、どこまでいっても須賀京太郎みたいです」

京太郎「だから、これは、はやりさんにお返しします」

京太郎くんは、大事そうにポケットから何かを取り出すと、私に手渡してきた

はやり「これは…」

私の、真深さんの、髪飾り…


京太郎くんは、2回だけ首を横に振ると、満足そうにニコリと笑って、私の元を去っていった

私は、髪飾りを握りしめながら、その場にただただ佇むしかなかった


─須賀京太郎



会場へ到着すると、はやりさんの言う通り、大勢の人だかりができていた

はやりさんと小鍛冶プロは、高校のインターハイの決勝で、同じ卓にいたらしい

そういう話題性もあるんだろう

そこには、異様な一集団がいた

みな、同じような格好をして、同じような掛け声を掛け──はやりさんのファンクラブの皆さんだった


京太郎「みなさん、ありがとう」

でも、今日は、俺はあなた達のために戦いわないと決めた

だから、ごめんなさい


俺は、関係者専用の入り口から、中に入ることにした

控室に向かう

今日は、昨日、一昨日とはまた違った雰囲気だった

ここにいる全員が、ピリピリしているのが伝わってきた


控室に到着し、ドアを開ける

京太郎「おはよう、みんな」


「「おはようございます!」」


「あれ、先輩?、今日はいつもの髪飾り、していないんですね?」

京太郎「うん。あれは、私にはもう必要のないものだから。だからいいの」

「…今日の先輩、なんだかちょっと、変な感じです」

京太郎「そう?」

「でも、いつも通りに可愛いですよ」

京太郎「うん、知ってる」

「?」


そんな話をしていると、監督がやってきて、ミーティングが始まった

いよいよ、試合が始まる

「先輩、ちゃんと話、聞いてますか?」

京太郎「うん、大丈夫」

「?」


京太郎「ちゃんと聴こえてるよ」


─瑞原はやり



決勝戦が始まった

私には、京太郎くんを止めることができなかった

何の因果か、私たちの決勝戦も、全く同じ時刻に行われている

試合になんか、集中できるはずもなかった

でも、そんな姿を他のみんなに見せてしまうのは躊躇われた

かといって、ハートビーツの試合を見る気にもなれなかった

だから私は、控室から少し離れた、ひと気のない休憩所で、小さく縮こまるしかなかった



嫌われたくなんかないのに、喧嘩なんかしたくないのに

でも、結局してしまった。もうダメだと思った。終わったと思った。この関係も

自業自得だと思った。なぜなら、私は私のことしか考えていなかったから

そんなこと知っていたし、それを承知して、彼に会って止めようとした

けど、ダメだった

この髪飾りは、彼なりの、私に対する拒絶の意思表示だったのかもしれない

でも、彼は笑ってた


ねえ、京太郎くん。私には、あなたのことが分からないよ…


昔読んだ絵本の中に、『星の王子さま』っていうのがあった

それによると、本当に大切なものは、目には見えないらしい

大切なものは目に見えないから、だからそれだけ大事にしろってことなんだと、当時の私は理解した

それなら、目に見える大事なものは、どう扱えばいい?


私は、彼と一緒にいられるなら、どんなことだってする

例えそれが、小さな……ほんとに小さな可能性であっても、彼が私の元を去るイメージが浮かんだら

私は、全力でそれを排除する


目の前にある大事なものが、自分の前からいなくなろうとしたとき、引き止めない人間なんていない

しかし、その行為自身が、離別の過程に自動的に内包されてしまっている

ジレンマ

はやり「アプリボワゼ…」

こんな言葉、意味なんてないのに。呪文なんだ。私には使えない

私は──








咲「京ちゃんも、ついに文学に興味を持つようになったのかな?」

はやり「咲…」

咲「緊張してるの?」

はやり「いや…」

咲「?」

はやり「違うんだ……」

咲「なら、何?」

はやり「喧嘩をした。大切な人と」

咲「私も、お姉ちゃんと喧嘩したりするよ?」

はやり「…昨日、俺に好きな人がいるって話したろ。その人とだ」

咲「あら」

はやり「それも、決定的な亀裂入るような、そんな」

咲「……そう」


はやり「大事な人と、離れ離れになってしまうのって、どんな感じだ?」

咲「うーん、と……そうだね」

はやり「……」

咲「辛いよ。辛かった」

はやり「…そうか」

咲「大事な人だからこそ、必要以上に大事にし過ぎてしまうの」

咲「それが、好くない結果を生むこともある」

はやり「……」


はやり「咲は、好きな人っているか?」

咲「さあ、どうだろうね」

はやり「なんだそれ」

咲「少なくとも、京ちゃんじゃないってことは確かだね」

はやり「…けっ」

咲「でもね、京ちゃんには、結構感謝してるんだよ」

はやり「……」


咲「私さ、今はこうやって友達もいて、麻雀部っていう居場所もあって、お姉ちゃんとも仲直りできて」

咲「まー、はっきり言って、幸せなんだと思うんだ」

はやり「……」

咲「でも、中学生の頃とかはさ、お世辞にもそんなものとは無縁の学校生活送ってたでしょ、私」

咲「でも、京ちゃんだけは、寂しそうにしていた私を、私の声を、いつも聴いてくれた」

はやり「……」

咲「何も言わなくたって、そう。京ちゃんって、無駄にそういうスキル高いよね、無駄に」

はやり「…二度も言わんでいい」


咲「私ね、いつも通りにしてればいいと思うんだ」

咲「京ちゃんなら、絶対に聴いてくれるって信じてる。助けてくれるって信じてる」

はやり「……」

咲「少し喧嘩したくらいじゃ、大丈夫」

咲「その人が、あなたのことを心の底から思うなら、声が聴こえてくるはず」

はやり「……」

咲「不格好でも不器用でも、たとえカッコ悪くても。それでも京ちゃんは、最後には必ずやって来てくれた」

咲「応えてくれた」

はやり「……」

咲「だから、大丈夫」

はやり「本当に…?」

咲「うん」


その表情は、理屈に依ってはいなかった

確信に満ちていた


─須賀京太郎



「先輩、頑張ってください!」

京太郎「うん」

副将戦が終わり、いよいよ大将戦が始まろうとしていた

この時点で、1位は大宮、4位はつくば

点差は、約3万。正直、つくばがかなり頑張っている

果たして、この3万点差。誰にどう映るか

「「……」」

みんなは、少し神妙そうな面持ちをしている

無理もない。今までの、俺の対局を見てきて、どこか違うことに気付いている

負けてしまうかもしれない。そう思ってる

俺はというと、その予想には大方賛成するけど、だからと言って、負けるつもりはサラサラない


京太郎「じゃ、行ってきます」


控室のドアを開け、廊下を進んでいく

窓から外を見た

雨が降っていた。どしゃ降りに近い

遠くの方から、こちらの方へと、雷がどんどんと近づいて来ている

風は、まだない

京太郎「……」


到着した

もう既に、他の人は集まっていた

「「よろしくお願いします」」

京太郎「よろしくお願いします」

皆に言ったようでも、俺は小鍛冶プロだけにその言葉を投げ掛けたつもりになっていた


椅子に座ろうとすると、対面する小鍛冶プロのさらに奥に、もう一つ椅子が見えた

その椅子は、壁にくっつけるようにして置いてあって、まるで誰かがそこに座りながら、俺の方を見つめるような格好になっていた

しかし、誰もその椅子には気に掛けるつもりはないようで、俺もその通りにした


対局が始まった


─瑞原はやり



「それです」

はやり「あっ…」

またやっちゃった。いつもなら、こんな初歩的な間違い、絶対にしないのに…

今のは、演技でもなんでもないのに


霞「大丈夫?、なんだか、顔色が悪いけど」

はやり「い、いえ。大丈夫です」

霞「そう?」

だめだ、しっかりしなきゃ

これは、私だけの対局じゃないんだから


でも、そうは言っても、京太郎くんのころが気になって仕方がない

京太郎くんの方も、そろそろ大将戦が始まっていてもおかしくない時刻だ

相手は、あの『小鍛冶健夜』だ

彼女は、私を相手に決して手は抜かない

いくら点差があろうと、京太郎くんに彼女を抑え込むことができるとは、到底思えない

京太郎くん、それでもあなたは一体何のために戦うの……?


─戒能良子



「さて、いよいよ始まりましたね」

「本大会、最高のカードと言っても過言ではないでしょう」

良子「そうですね」

「本日は、異例とも言えるような、マスコミの大群が押し寄せています」

良子「観客の数も凄かったですからね」

「世間での注目度の高さが伺えます」

できれば、そんな夾雑物は無かった方が、京太郎にとっては良かったのだろうけど


「戒能さん。この対局の展開をどう予想しますか?」

良子「まずは、様子見となるでしょう。小鍛冶選手、瑞原選手ともに久々の対戦となっていますしね」

「小鍛冶選手はともかく、本大会での瑞原選手はなんだかパッとしませんよね?」

「なにか原因があるんでしょうか?」

良子「さあ、私にも分かりませんが、しばらくの間、大会には参加していませんでしたからね」

良子「その影響もあるのでしょう」

「なるほど、そうかもしれませんねえ……おっと、ここは流局です」

良子「ええ」

京太郎、しっかり


─須賀京太郎



「ノーテン」

「聴牌」

健夜「聴牌」

京太郎「ノーテン」


静かな出だし。どんな狙いがあるのか、互いに様子を伺っているようだった

だけど、俺にとっては、うってつけの展開だった

できれば、こんな時間が長く続いてほしいものだ


どの牌を切るか逡巡しながらも、俺は昨夜から今朝にかけての、戒能プロとの会話を思い出していた



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


良子「いい?、小鍛冶さんは間違いなく、京太郎の打ち方がいつものものとは異なることに、すぐに気付く」

良子「この大会での、対戦相手のデータも分析しているだろうし、それ以上に京太郎の様子を敏感に感じ取るだろうから」

良子「彼女の勘は……いや、勘とも言えなような、彼女の野生生物のような超感覚は、常軌を逸している」

京太郎「……」

良子「しかし、その敏感さ、慎重さは、この場合京太郎にとってはプラスに働く」

京太郎「どうしてですか?」

良子「しばらく、彼女は様子を見るよ。絶対に」

良子「"違う"ということが、彼女の特別な注意を向けることに繋がる」

良子「だから、この間はおとなしくして、対局が進んでいくのを静かに眺めていればいい」

京太郎「要は、時間稼ぎですか?」

良子「イグザクトリー」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


小鍛冶プロの様子を伺ってみる

普段の、以前一緒に麻雀教室を開いたときとは違う、全くの無表情

何を考えている?

疑問があるか、確信はないか、どうするか迷っているか、攻めるか、守るか──


健夜「ロン、2000」

「は、はい…」


小鍛冶プロらしからぬ、打点の低い安物手

まだ見るつもりか

しかし、これも──


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


良子「だけど、それも長くは続かない」

良子「何もしてこないと分かったなら、彼女は打ち方を切り替える」

京太郎「…すると、どうなるんですか?」

良子「いつも通りの打ち方をするだけだよ」

良子「ただただ、相手を蹂躙するのさ」

京太郎「うっ……じゃあ、そうなったらどうすれば?」

良子「そうなったら、いよいよ私が教えてきたことの出番だよ」

京太郎「?」

良子「ディフェンス」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


─小鍛冶健夜



なんだろう、はやりちゃん。一体何を考えてるの?

なんで、なにもしてこないの?

いつもなら、もっと積極的に攻めてくるはず

もしかして、たったの3万点差で、私から逃げ切れるとでも思っているの?

守備だけに専念していれば、それだけで勝てるつもりにでもなってるの?

そんな生ぬるい考え、麻雀を覚えたての小学生だってしないよ?


私は、そんな児戯をやりに、わざわざここまで来たんじゃない

私は、あなたと戦いに来たのに


健夜「……」


分かった、そっちがそのつもりなら、私だって好き勝手にさせてもらうよ

私が、あなたの目を覚まさせてあげる

まあでも……多少、痛みが伴うかもしれないけどね




雷が、鳴った


─須賀京太郎



健夜「ロン、6400」



健夜「ツモ、4000オール」



ついに、来たか

速い、高い、うまい、隙が無い、その他諸々……なんだよまったく、DHCだってもうちょい自重するぞ

もうほとんど、差がなくなっちまったじぇねえか

俺はともかく、他の二人は本物のプロだ。リスクを恐れず、小鍛冶プロにも果敢に攻めていく。でなきゃやられるから

それなのに、まるで彼女の手のひらに存在するかの如く、好き勝手にコロコロ扱われてしまう

分かってはいたけど、どうしようもないくらい、強い


咲は、牌が見えると言った

大阪には、未来視のようなこともできる人がいると聞いた

世の中には、神様を降ろして戦う人がいるとも聞いた

しかし、この人は、そのどれとも違うように思える

勘、予測、超感覚、超能力──それが何なのか分からない


理解不能


そうとしか言いようがない


記述不可能


ただひたすら強い。強すぎる

ただ強いだけの人間に対して、人はどうしたらいいんだ?


健夜「ロン、3000・8000」



京太郎「っ……」

おいおい、マジかよっ…

頭を抱えるしかない

しかし、それだけは決してしてはならない

俺の内面を見透かされてしまっては、勝負にすらならなくなってしまう


凄い圧力を感じる

咲とも、咲のお姉さんとも。いや、戒能さんともはやりさんとも、一つ二つ、桁が違う

手が、進まない。どの牌を切っても、彼女の思惑の範囲のような気がしてくる

だんだんと、絡めとられてしまってるかのような気分になってくる。身動きができない

呼吸が荒い。身体が重い。頭が硬直してくる




『大丈夫だよ』




──いや、これは、単なる、主観的なプレッシャーに過ぎない

身体は動こうとしなくても、心まではまだまだ止まっちゃいない

心が動くなら、脳みそだって動くはずだ。なら、身体にだって命令が行くはず


膝の上に置いた手で、グーとバーを繰り返す

なんだ、ちゃんと動くじゃないか、俺の手。はやりさんの手

腕さえ動けば、麻雀はできる

なら、戦える


戒能さんが教えてくれたことを、よく思い出すんだ

切り替えるぞ、俺!、少しでも油断してみろ、一瞬でやられるぞ!

ここは、ひたすら耐えるんだ!!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


京太郎「でも……守るばっかじゃ、後退していくだけですよ」

良子「その通りだね」

京太郎「だったらっ…!」

良子「とにかく、しばらくは守ることだけを考えて」

良子「無理して、役を作ろうとしなくてもいい」

良子「スピード勝負を挑んでも、すぐに彼女はそれを上回ってくるだろうしね」

良子「最低限、振り込まないこと」

京太郎「ま、まあ……そんくらいなら」

良子「しかし。上らないということこそが、この先の伏線に繋がる」

京太郎「伏線?」

良子「一瞬の隙だよ」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


─戒能良子



「ええと……瑞原選手、安い手で何度か上って以降、一向に攻めていきませんが」

良子「そうですね」

「これは、一体どういう意図があってのことでしょうか?」

良子「ふふっ、さあ分かりません」

「もう既に、点数の上では追い抜かれています」

「このまま、なにもしないでは、負けてしまいますよ?」

良子「でしょうね」

「まだ、前半戦とはいえ、このまま差をつけられてしまっては、試合が決まってしまいかねません」

良子「……」


小鍛冶さんは、ひたすら強い

だから、弱点らしい弱点がない

シンプルであることは、単純であると同時に、その対応の難しさを表している


強いという状態が、どういうものなのか、京太郎に言った通り私にも分からない

高校生時代、部活時間中、暇つぶしを兼ねて麻雀雑誌をめくっていたことがあった

その真ん中ほどに、10ページほどを割いて、小鍛冶さんの強さは何か、それについての特集記事が載せられていた

さすが、この手の雑誌のライターだけあってか、統計や確率を駆使して、巧みな分析が行われていた

数学だけに囚われているわけでもなく、所謂オカルトにも話は及んでいた

私がこれを読んだ後、率直に思ったのは、「これで小鍛冶さんの強さに肉薄できたのだろうか?」、という疑問だった


様々な分野で、あらゆる方向から、薄皮を一枚一枚剥いでいくようにして、強さの核心に迫っていく

しかし、強さというものは、その中心になにか本質的なものがあって、そこに存在しているわけでもない

強さとは、それ自身について言及しようとするとき、自ずとパラドックスになるように、自らの真理値を絶えず変化させている

近付けたと思ったら、いつの間にか離れている

理解不能。そう言うしかない


凡人が、天才を──弱者が、強者を、語る

滑稽に思える

どれだけ、完全な論理や綺麗な言葉で取り繕うと、そこには絶対に辿り着くことなんてできないのに


しかし──それでも、この領域で強さを体現し続けている、そんな存在を私は知っている


小鍛冶健夜


彼女は、間違いなくそこにいる

そして、圧倒的な強さの前には、詰まらない戦術や小細工は意味をなさないということも


では、そんな存在に対して、人はどう対処したらいいか

私には、たった二つの方法しか見いだせなかった


一つの解決策は、彼女に真っ向から力比べを挑むこと

しかし、これではダメ。彼女と同等程度の実力がない限り、この戦法は得策ではない

京太郎の場合は、簡単に踏みつぶされてしまう


なら、もう一つの解決策は?

目には目を、歯には歯を

彼女の強さが理解不能で、記述不可能であるのなら

ならば、こちらも理解不能な力でもって対抗する他ない


そして、京太郎にはその力が──



─須賀京太郎



良子『君は、変な打ち方をするんだね』

京太郎『キュアリアス?』

良子『イエス。キュアリアス』


俺が、初めて戒能さんに対局を見てもらった時の、彼女の感想だ

今でも覚えている

あの時は、冗談だと思った。せめてもの情けだとも

しかし、今だけは、その可能性に賭けるしかない


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


京太郎「これじゃあ、ただの負け戦です。消耗戦です」

良子「……兵法の常套手段に、最後の最後まで切れるカードは残しておく、というものがある」

京太郎「はぁ…」

良子「小鍛冶さんと京太郎、この両者を比較したとき、京太郎が勝っている部分は?」

京太郎「む…胸の大きさなら」

良子「…確かに」


良子「しかし、能力と言う点では、小鍛冶さんが天と地ほどの差で圧倒しているはず」

京太郎「……」


良子「では、今度は見方を変えてみよう。京太郎は、小鍛冶さんのことを知っているね」

京太郎「はい。小鍛冶プロの対局は、映像で何度も見たことがあります」

京太郎「正直なところ、勝てるだなんて思えたことは、今まで一度もありません」

良子「ふむ……なら、小鍛冶さんの方はどうかな」

京太郎「へ?」

良子「彼女の方は、京太郎のことをどれだけ知っている?」

京太郎「はやりさんとは、何度も打っているはず……」

良子「君は、須賀京太郎だろう?、小鍛冶さんは、君のことを全く知らないはず」

京太郎「…そうか、なるほど」

良子「唯一、この点において、京太郎は小鍛冶さんを付け入ることができる」


良子「どんな名プレイヤーといえど、それがたとえ小鍛冶さんであっても、それは結局人間でしかない」

良子「長い対局の間、その全てに対して、集中力のピークを持ってくるのは不可能」

良子「必ず、どこかでムラができる」


良子「自分以外の誰も、まともに相手にならない。肝心の瑞原はやりは、反撃のそぶりすら見せない」

良子「彼女は、まるで練習の時のようにして、さぞ気持ちよく打つことができるはず」

良子「どんどん乗ってくる。調子が上向いてくる。卓を完全に支配した感覚にさえなる」

良子「だけど、それによって……油断とも言えないような、微かな心の隙が」

良子「縫い針に開けられたような小さな穴が、必ず生まれる」

良子「それが、京太郎にとっての、最初で最後のチャンスになる」

京太郎「そんなタイミング、分かるわけ──」
 
良子「分かるさ。君になら」

京太郎「……」


良子「私が、初めて君の対局を見たとき、なんとアドバイスしたか覚えてる?」

京太郎「そんな勘に頼った打ち方はやめろ、と」

良子「京太郎。小鍛冶さんが、ほんの少しでも君に油断を見せたら、そんな教えはすべて忘れるんだ」

京太郎「はい!?」

良子「いくら小鍛冶さんでも、急に別人のように、しかも自分でも気付かないような気の弛みがあるときに」

良子「あんな、変な打ち方をされてしまっては……いい?、京太郎」

良子「あれに対処することはできない」

京太郎「んな、無茶な!?」

良子「あれは、未だにその全容は見えないけど、とても大きな可能性を秘めている…………と思う」

京太郎「最後自信なさそうですよ!?」

良子「けど、あんな未完成の、形になるかどうかすら分からないものでは、彼女と同じ土俵に立つことは決してできない」

良子「しかし、それでも、ほんの一瞬でも、彼女をその頂から引きずり降ろすことくらいならできるかもしれない」

京太郎「……」


良子「京太郎、小鍛冶さんの驚く顔を、私に見せてほしい」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


まったく……なんとも無茶な作戦を用意してくださる。俺の師匠は

しかし、ここまで来たなら、弟子の俺がそいつを実行するしかない


健夜「ロン──」


健夜「ツモ──」



マジで止まらないのな、この人

勝利を確信してもなお、手を緩めることはない

これを大舞台でやられたら、トラウマを植え付けられる人も出てくるだろうよ


「ノーテン」

「ノーテン」

京太郎「ノーテン」

健夜「聴牌」


いよいよ、聴牌することすら困難になってきた

そういや、龍門渕の天江衣とかいう人は、場を支配するとかなんとか

場を、支配!?

何を馬鹿な!!、そんなオカルトありえません!

俺も、これを聞いたとき、そんな気分になった

でも、今ならそいつを、半分くらいなら信じてやってもいい

何しろ、手が進まないのだ。理屈じゃない

見ることのできない、感じることも困難な力の存在


x-yの二次元平面でしか動けない・知覚することのできない、仮想的な人間がいたとしよう

もし、そいつが、もう一つの次元、z軸方向から攻撃を受けたとする

もう、そうなったら、その人物はお手上げだ

だって、どうしようもないんだから




『なんだ          …』




小鍛冶健夜という人は、まさに"そこ"から攻撃を仕掛けて来ているのだ

どうしようもなかった

他の二人も、同じような感想を抱いてるだろう

俺だって…


小鍛冶プロの顔を伺った

そこからは、相変らず、なにも読み取ることはできなかった

しかし──




『なんだ。もう、終わりか…』




京太郎「……」



声は聴こえた



雷が、止んだ


─戒能良子



「またしても、流局。しかし、聴牌は小鍛冶選手のみ!」

良子「……」

「いやあ、しかし……これは一方的な展開になってしまいましたね」

良子「そうですね」

「反撃が全く及びません。多少速度で上回ったとしても、あっという間に小鍛冶選手がそれを追い抜いていきます」

「実況をしている私も、なんだか…」

良子「ええ、気持ちは分かります。どうしようもありません」



良子「ああ……そういえば、雷が止んでいますね」

「えっ…!?、ええ、ああ……そういえばそうですね……?」

良子「そろそろかもしれません」

「ええ…と、どういった話でしょう?」

良子「反撃するには今です」


─瑞原はやり



咲「前半戦、お疲れ様。京ちゃん」

はやり「あ、ああ…」

和「……」

まこ「後半戦に期待じゃな」
 
はやり「…すまん、ちょっと中継見てもいいか?」

咲「う、うん。他の試合?」

はやり「ああ」


まこ「おお、瑞原プロと小鍛冶プロの対戦じゃな」

和「一方的ですね」

はやり「……」

ああ…だから言ったのに。京太郎くん

あなたもそれを、知っていたでしょう?


咲「…いや、分からないよ」

優希「どうしてだじぇ?」

咲「…なんか、変な感じがする」


─戒能良子



良子「見てください。瑞原選手を」

「おお、これは跳満も狙えそうな感じですね!」

良子「どうでしょうか」

「……えっ、これをわざわざ崩しますか…よく分かりませんねえ……」

良子「ふふっ、そうですね。よく分かりませんね」

「うーん、なにを考えているのでしょうか、瑞原選手」

「いったい、何の役、えっ……作ろうとしているのでしょうか……?」

「いや……しかし、これは……」

良子「理解できませんか?」

「理解するも何も……これは、まるで素人の……いやルールを知らない子供のような…いえ、それとも違うような」

「ね、狙いが分かりません。役を作ろうとしているようにも……これでは……」

良子「……」

「いえ……あれ?、滅茶苦茶かと思いきや、これは」

良子「できてきましたね」

「き、気味が悪いです。その…正直、実況しようにも、これは……」

「確率的に考えて、明らかにダメそうであったとしても……なぜか、役だけは完成していきます」

良子「理解不能ですね」

「そうですね…」


「まるで、先読みでもしているかのような……勝手に牌が集まって来ているかのような……それとも違うような」

「形容するべき言葉が見当たりません……今までの、瑞原選手の打ち方とは、明らかに異なります。それだけは、確かです」

「戒能さんは、どのように思われますか?」

良子「というと?」

「これが、オカルトとでも言うべきものなのでしょうか?」

良子「能力があるとでも?」

「時折、そういうものがあると聞きますが…?」

良子「そうですね。あえて言うなら……彼は、ただ共感しているだけなのかもしれません」

「えっ…彼…?、共感…?」

良子「彼にとって、モノの声を聴くということは、他の人にただ共感しようとすることの延長上のように思われます」

「えと…モノとは?」

良子「『物』、『者』、『mono─』」

「ええと……」

良子「相手のことを、もっと知りたい。近付きたい。支えてあげたい」

良子「それが、声を聴くという形になっただけで」

「どのような意味ですか…?」

良子「強いとか、弱いとか……そのようなところに、彼はいないのです」

良子「彼は、ただ相手を思いやれるだけの、普通の人間なんですから」


─須賀京太郎



今までになく、調子がいい

聴牌手前まで、一気に到達した

たぶん、小鍛冶プロよりも一寸速い

だけど……


『…………………』


しかし、肝心の──声が止んでしまった

ダメだ。完全に止んだ。どうしていいのか分からない

京太郎「……」

まあ、いいさ。例えばここで、ない頭使ってみるのも構わない

でも、そんなことすれば、それこそ小鍛冶プロの思うつぼだ

戒能さんは、一か八かに賭けて、そんな考えは捨てろと言ったんだ。だけど……八方塞がっちまった

ここまでなのか…?


どうしようもなくなって、天を仰いではみるものの、照明がパチパチと点滅を繰り返しているだけだった

交換した方がいいんじゃないか、これ?、余計なことが、頭をよぎる


壁に掛けられた時計を見てみる

1、、2、、、、3、、、、、、、、、、4………秒針が進むのが遅くなっていく。1秒が1秒になっていなかった


そういえば、子供の頃にも、同じようなことがあった

風邪を引いて、学校を休んだときのことだった

自室で、ゲームの続きをやっていると、母さんに「寝てなさい!」と怒られた

仕方なく、ベッドに横になっていると、何もすることがなくって、時計を眺めるしかなかった

秒針を、じっと見つめていると、その早さがどんどん遅くなっていって、遂には止まってしまうんだ

しかし、それでも思考は継続している

意識が加速しているのか、無意識が啓いのか

俺は、なんだかそれが妙に面白くなってしまって、飽きもせず、ずっとそうしていた

後日、母さんにそのことを話すと、「なに言ってるの?」、そんな顔をされた

それ以来、そんな経験をすることはなくなっていった



再び、時計を見た

完全に静止していた


俺だって、本気で勝てると思って、ここにいるわけじゃない

そんなのは分かってる


でも


声が聴こえたんだ

はやりさんの声だった

はやりさんは、俺に助けを求めていた

はやりさんは、泣いていた



『私を独りにしないで』



そんなこと、するはずないのに。そんな心配、してほしくないのに


俺がここで逃げ出すことは、はやりさんが逃げ出すのと同じことだ

だけど、どうやったって、俺は瑞原はやりには成れない。いや、成れなかった

そんなのは、分かってる!


瑞原はやりは、「逃げて」と言った

瑞原はやりは、逃げることを選択した

俺は、勝つためにここにいるわけじゃない

ましてや、負けるために、ここにいるでもない

瑞原はやりは、「逃げて」と言ったんだ!


だったら、俺が!


彼女の代わりに戦わなきゃいけないだろうがっ!!


照明が、一つ、落ちた

暗闇が、一つ、近くなった


『トランス状態ってやつだね』


俺は、自分自身を失くした

これは、死か?


『死と再生は、二つで一つ』


俺は、一回死んだんだ

なら、再生は?

俺は、何に成ればいい?


『稲田之宮主須賀之八耳神』


そんなのは、俺じゃない


『日本最初の神職だよ』


モノの声が


『あらゆる声を、聴き取る力』


前を向いた

小鍛冶プロの、さらに向こう側に、椅子が見えた

椅子だ

そこには、白い──


『白の色とは、無垢なるもの、聖なるもの』


鼠がいた


『根之国の住人』


行儀よく、ちょこんと座っている

まるで、ずっとそこに座って、俺を見守ってくれていたようだった

白の毛並み、真紅の目──神々しい、あの世の生き物


『鼠とは、あの世において、人間の復活を司る聖なる生き物』


その鼠が、こちらを向いた


『無意味な呪文に意味を持たせて理解し』


笑っていた

何かを、俺に伝えようとしてきた

口を開いた






「内はほらほら、外はすぶすぶ」






目を閉じ、再び開ける

カチリ──秒針の進む音がした

みたび、時計を見た。既に、動き出していた


演繹と帰納が真実に同着し、場の完全性が不可解な世界の構造を補い合っていた

俺は、この一瞬を理解した



京太郎「リーチ」


タン

タン

タン

タン

タン

タン



京太郎「それです」


健夜「……えっ」


京太郎「ロン」


俺は、弱い


健夜「な、んで……?」


けど、俺たちは弱くはない


京太郎「18000です」


俺には、声が聴こえる


京太郎「……」

健夜「……」

京太郎「……」

健夜「うふふ……あはは……なーんだ、こういうこと……」

京太郎「……」

健夜「うん、うん……こんなの、狙ってたんだ……こんなこともできるんだね……はやりちゃんは」

健夜「くふふ……あはっ…久しぶりに、びっくりしちゃったよ……私」

健夜「これで、イーブンになっちゃったね……ふふふ…」

京太郎「……」ダラダラ

ヤバい、うまく行き過ぎたかもしれない


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


京太郎「えーと……仮に、ここまで言ってきたことが完璧に成功したとして、この後はどうするんです?」

良子「……」

京太郎「?」

良子「最初で最後のチャンスと言ったろう?」

京太郎「えーと…」

良子「小鍛冶さんは、すぐに君の打ち方に対応してくるよ」

京太郎「それって…」

良子「しかも、予想外の一撃を喰らったことで、彼女は本気になる」

良子「今までも、本気だったに違いないよ。でも、本気のつもりと、実際に本気になるのとでは、また意味が違ってくる」

京太郎「あわわわ……」

良子「京太郎。痛みってのは、度を超えなければ、人は快感にもすることができるという」

良子「……グッドラック」ニコリ

京太郎「この、人でなし―!!」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


気付くと、雷が再び鳴りはじめていた


そういや、咲の奴が昔、ドヤ顔しながら雷の語源を俺に話してきたことがあった

曰く、"神"が"鳴る"と書いて"神鳴り"、らしい


どうやら、俺は、怒らせちゃならないものを、怒らせてしまったようだった

健夜「さあ、続きをやろうか」

京太郎「……」


父さん、母さん、ごめん

どうやら、俺、ここまでみたいなんだ

この試合が終わったら、目のハイライトが無くなってたり、牌を見るとカタカタしてしまったりするかもしれない

その時は、俺の世話、頼んだよ


さあ、いざっ──

京太郎「っ……!!」


しかし、その時だった

顔をそむけたその先には、またしても白い鼠がいた

その鼠は、黒い物体を咥えていた。ケーブルのようだった

京太郎「あ」

そして、してやったりと、ニヤリと笑うと──


健夜「なっ……電気が…!?」


暗闇が、辺りを支配した


声が聴こえた


俺は、駆け出していた


─瑞原はやり



久「みんな、こういう時は、落ち着くのよ!クール、クール、クールよ!!」

咲「先輩、いつの間に来てたんですか!?」

久「さっきよ!!」

まこ「クール言い過ぎて、逆に熱くなっとるじゃろうが…」

和「非常用の電源があるでしょう」

優希「おっ、ついた」

まこ「これじゃあ、さすがに暗いのう。みんな、放送があるまで、ここにおるんじゃ」

久「私は嫌よ!、殺人犯と同じ部屋で寝るだなんて!!」

咲「どこにそんなのがいるんですか…」


『     』


はやり「……」

信じられなかった。京太郎くんが、まさか彼女から…

京太郎くんは、戦っていた。間違いなくそう


じゃあ、私は?

私は、ただただ逃げていた。みんなにも迷惑を掛けて

私って、なに?

京太郎くんは戦っていた。私は逃げていた


はやり「そうか」


京太郎くんは、私の代わりに戦っていたんだ

本当は、私がしないといけないはずのことだったのに

私、私っ……


『     』


はやり「え?」

咲「ん?」

はやり「咲、今なにか言ったか?」

咲「いや、何も?」


『はやりさん』


はやり「……京太郎くん?」

和「……」


聴こえた


はやり「すみません、部長。ちょっと外の様子を見てきます!!」

まこ「はあ!?、なに言っておるんじゃ、試合だって、まだ──って、おおいっ!」


そんなことは気にせず、控室から駆け出した

後ろから、部長の声がした

まこ「すぐに、戻ってくるんじゃぞ、まったく!!」

はやり「すみません、もう戻りませんっ!!」

まこ「はあ!?」


常夜灯程度の明るさの廊下を駆け抜けていく

分かる、どこに行けばいいのか、何をすればいいのか、分かる

声が聴こえる。京太郎くんの声が聴こえる!


咲ちゃんの言った通りだった!

京太郎くんには声が聴こえたんだ。ずっと、私の声が聴こえてたんだ!

だから、私は、あなたのことを──


京太郎くん!、京太郎くん!!、京太郎くん!!!



和「プロデューサーさん…!!」

はやり「和…」

後ろから、和ちゃんの声がした

和「ちょっと待ってください!、どこに行くつもりですか!?」

どこ?

和「あなたの試合だって、まだ後半戦があるんですよっ!?」

はやり「俺の試合は──」

もう


『アイドルに成ってみないか?』


何の前触れもなかった

全てが、完全に整合する音が聞こえた

何を言えばいいのか、私は理解した


はやり「和。俺は、お前のプロデューサーを辞める」

和「………………え」

はやり「もう、アイドルごっこはおしまいだ」

和「こ、こんな時に、一体なに言ってるんですか?、そういう話じゃないでしょう!」

はやり「……」

和「くっ……!!、なんですか、"ごっこ"って!、馬鹿にしないでください!!」

はやり「……」

和「私は、本気でアイドルを……っ!」

そうなんだね。和ちゃんはもう、怒れるようになったんだね


和「第一、あなたですよ!、この道に私を引きずり込んだのはっ!!」

はやり「……」

和「あなたは…最後まで、私と、一緒に……」

はやり「……」

和「来てくれると思っていたのに……なんで、そんなこと言うんですかっ!!」


和「……ねえ、あなたを驚かせようと思って、私、黙っていたことがあるんですよ?」

和「地方の、小さなテレビ局なんですけど、そこの番組に出演してみないかって、オファーがあったんですよ、私に」

和「この大会が、終わったら、私あなたに言おうと…褒めてもらおうと……」

はやり「……」

和「私、まだまだあなたに教わっていないことが、たくさんあります」

和「歌も、ダンスも、振る舞いも…いえ、笑顔の一つだって」

和「だから、私に……だから、そんなこと、言わないで…くださいよっ!」



はやり「和ちゃん」

和「え」

はやり「あなたは、見も知らぬ人の幸せを願って、笑えるようになった」

はやり「あなたは、自分でも友人でもない、ただの他人を喜ばそうと、努力できるようになった」

はやり「あなたは、あなたの世界は、もう学校とか部活とか麻雀とか、それだけじゃなくなった」

はやり「私には、あなたが、アイドルに見える」

和「……」

はやり「私は、あなたのことが、羨ましかった」

はやり「私が、失くしてしまったものを、あなたは全て持っているように見えたから」

はやり「私は、ただあなたの後ろ姿に、自分自身を投影していただけだったのかもしれない」

和「……」


はやり「もう、あなたに教えることは何もない」

はやり「あとは、あなたが自分で経験して考えて、その中で自分自身の答えを出していかなきゃいけないの」

はやり「だから、私の仕事はもう終わり。この、居心地の好い生活も」

はやり「あなたに対して、私ができることは、もう何もない」

はやり「あなたとの、みんなとの学校生活、とても楽しかった。ありがとう、和ちゃん」

和「……」

はやり「でも、もう行かなきゃ」


和「……あなたは、何のために、こんなことを?」

何のために?

はやり「それは、私が──」



『瑞原はやりは、瑞原はやりなんだもの』


『私の人世と、娘の人世は違うわ』


『私は、何かに成れるかもしれない、と』


『プロデューサーさん』


『単独ライブを行ってもらう!』


『大抵の人間は、何にも成れないし、何かを成すこともできない』


『歌ったり、踊ったり、ときどき手品とかもしてみたり』


『和、アイドルに成ってみないか?』



走馬灯のようにして、今までのことが一気に流れ込んできた


そうか、、そういうことだったんだ

京太郎くんと出会ったことも、入れ替わったことも、和ちゃんとのアイドル活動も、

全部、この時のために


そういうことだったんだ

なーんだ、そうだったんだよ

こんな簡単なことに、今の今まで気付かなかっただなんて


『人をよろこばせようとするってことは、はやりちゃんにもアイドルの素質があるのかも』


真深さん。分かったよ、私

はやり「ふふっ」

和「?」

なら、私にもできるかな

はやり「最後にこれ、受け取ってもらえるかな?」

和「この、髪飾りは…」

そうだ、これでいいんだ

和「あなたは…?」

ねえ、私にもできたよ。私にもできたんだよ、真深さん

はやり「私は、あなたのファン第一号だよ」

私にも、繋ぐこと


私は、3回だけ首を横に振り、満足そうにニコリと笑うと、和ちゃんの元から立ち去った


はやり「さようなら、私のアイドル」


私はもう、振り返らなかった


_______

____

__


会場の一画、ひと気のない場所

まるで最初からそうなるであったかのように、自然と必要な人物が必要な時に集まっていた


良子「よくやった、パダワン」

京太郎「だからそれ、めっちゃ恥ずかしいんで、外でやらないでもらえません?」

春「なぜ、私がこんなこと…」ポリポリ


良子ちゃん、あなただったんだ。京太郎くんのことを見てくれていたのは

どんどん、大人っぽくなっていくはずだよ

良子「お久しぶりです、はやりさん」

はやり「お久しぶり、良子ちゃん」

はやり「京太郎くんのこと、ありがとうね」

良子「いえ、これは私の酔狂でもありまして。見たでしょう、彼の戦いぶりを」

はやり「うん、凄かった」

良子「なかなか、こういうのも面白かったですよ」


はやり「京太郎くん」

京太郎「はやりさん」

はやり「私、あなたの声、聴こえたよ」

京太郎「ええ、俺にも、あなたの声が聴こえました」

はやり「私も、戦うよ」

京太郎「ええ」

はやり「戻るんだね」

京太郎「戻りましょう」

はやり「でも、どうすればいいんだろう?」

京太郎「さ、さあ…?」

良子「キッスでもすればいいんじゃないでしょうか?」

春「黒糖一年分で、50%。黒糖3年分で、90%……この確率でいける」

京太郎「適当過ぎません…」

良子「ちょっとした、ジョーク。さあ、時間がない。始めよう、春」

春「仕方がない…」


京太郎「ああ、最後に」

はやり「?」

京太郎「この身体、妙に肩が凝って疲れるんですよ。清々します」

はやり「ふーん…じゃあ、私からも」

京太郎「?」

はやり「この身体だと、部活で雑用ばっかり押し付けられて、辟易してたんだ。清々するよ」

京太郎「はっ、違いありません」

はやり「まったくね」



良子「さて御二方、準備はいいですね──いきます!!」


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____

__


─瑞原はやり


健夜「…どこ行ってたの?」

はやり「ちょっと、お花を摘みにね」

健夜「逃げ出したのかと思ったよ」

はやり「今日こそ、あなたに勝つ」

健夜「あれだけ、やられていたのに?」

はやり「よくも、私の京太郎くんをイジメてくれたね」

健夜「ん……意味はよく分からないけど、あの子、京太郎くんって言うんだ」

はやり「知ってるの?」

健夜「ちょっと、外でね。恋なんかに現を抜かしてたからかな?、今日のザマは」

はやり「くふふ………あはは……」

はやり「最後に愛は勝つって、そんな歌もあったよね?」

健夜「ふふふ……あはっ!……座りなよ」

はやり「もちろん、そのつもり」

「「ひぃぃぃ……」」


雷が、再び鳴りだした

風も、吹き始めたようだった


─須賀京太郎



京太郎「ただいまです」

咲「京ちゃん…!」

優希「戻らないとか言うから、心配したんだじょ!」

まったく、そんなこと言ってたのか、あの人は

京太郎「すまんな」

まこ「おかえり」

京太郎「ええ」

久「須賀くん…あなたっ…!?」

京太郎「な、なんすか?」

久「好きな人とは、仲直りできたのかしら?」

京太郎「……はい?」

咲「ごめん、京ちゃん。変な様子だったから、つい言っちゃった…」

なんか知らんが、この部活内には、俺のプライベートはないらしい

京太郎「…ええ、仲直りしてきました」

久「そう」


和「須賀くん……」

京太郎「ん、なんだ?」


和「その、締まりのない顔……やはり」

京太郎「おいおいおいおい、和さん、酷くはありませんか?」

和「あなたには、分かりません」

京太郎「そうだな……今まで、ありがとうな」

和「感謝するのは、私の方ですよ」

京太郎「そっか」




咲「さっ、京ちゃん。後半戦、始まるよ!」

京太郎「おう」

和「須賀くん」

京太郎「ん?」

和「負けたら、承知しませんから」

京太郎「望むところだ!」


勢いよく、控室から飛び出した

軽やかだ

あの身体も、決して悪くはなかったけど、やっぱりこいつが俺には似合う

馴染む。これに尽きる

肩も凝らない。高い所にある物だって、簡単に取ることができる

一歩一歩に距離がある。歩幅が広かった

京太郎「ははっ…」

おかえり、俺の身体


ドアを開けた

霞「あら、遅かったわね」

京太郎「ちょっと、お花を摘みに行っていまして」

霞「ふふふ、そんなこと言う男の子、初めて見たわ」

京太郎「でしょうね」

霞「さあさあ、座りましょう。そろそろ時間だわ」

京太郎「ええ」

言われた通り、永水の石戸霞さんと対面する

京太郎「ふふっ…」

霞「どうかした?」

京太郎「…いえ」

石戸さんには悪いかもしれないけど、小鍛冶プロと比べたら、その雰囲気には雲泥の差がある

勝てると思わないけど、負けるつもりも全然しなかった

いつの間にか、俺は成長していた


霞「んーと…」

京太郎「?」

霞「ところで」

京太郎「はい?」


霞「あなた、一体誰かしら?」


アナタ、イッタイダレカシラ……?

京太郎「ははっ…」

そうか、この人も、そういう人なのか

この世の中には、俺の想像を遥かに超える現実が、存在しているらしい

再び、あの日の夜を思い出した

あの時の俺は──



『私は、瑞原はやりです☆』



京太郎「ぷっ!」

霞「?」

こみ上げてくる笑いを抑えるようにしながら、俺は彼女の質問に答えることにした


京太郎「初めまして、石戸霞さん」

京太郎「俺は、長野県の清澄高校麻雀部所属」

京太郎「普段は、皆の代わりに雑用に明け暮れる、しがない男子高校生です!」

霞「あら、まあ」

京太郎「私は──いや俺はっ…!」



京太郎「俺は、須賀京太郎です!!」


_______

____

__


─瑞原はやり



健夜「馬鹿な、そんな…あり得ない」

健夜「この私が、恋愛脳に支配されてしまったはやりちゃんに……負けるなんて…」

健夜「これだけ…追い詰めながら……私が」



「おめでとうございます、瑞原選手!、ついに、やりましたね!!」

はやり「ありがとうございます☆」


「「うおおおおぉぉぉー!!」」


はやり「でもでも、個人の収支では負けてしまったので、小鍛冶さんとはイーブンかなと思っています」

「後半は、近年稀に見る熱戦でしたね。どこが、ポイントだったとお考えですか?」

はやり「そうですね。はやり的に言うとですね──…」

はやり「……」

「??、どうかされましたか?」

はやり「あの、この場を借りて、二つ、大事なご報告をしたいんですけど、よろしいでしょうか?」

「は、はぁ…」

心を落ち着けるため、深呼吸を一つした




はやり「はやりは──、いえ、私は、本日を持ちまして」




はやり「牌のおねえさんを、引退します!!」


「「…………………え」」


「そ、それは、どういった意味で…?」

はやり「そのままの意味です。私は、牌のお姉さんを引退します」

「あ、あの……」

健夜「は、はやりちゃん…」


はやり「あと、もう一つだけ、報告したいことがあります」

「は、はあ」

はやり「いつになるかは、分かりません」

はやり「私には、大切な人ができました」

はやり「ですから、そう遠くはない未来、近い将来」

はやり「私は、瑞原はやりは──」





はやり「結婚しますっ!!!!」





「「…………」」


「「…………」」


「「…………」」


「「ええええ゛え゛ええええぇぇぇぇえぇええ゛ええぇぇえ゛ぇえぇぇーーーーーーーー!!?!!??!??!!?」」



健夜「あっ、もしもし、恒子ちゃん、私」

健夜「一升瓶?、違う違う、樽ごと買い付けてね、うん」

健夜「え、用事?、だめだめ、今日から1週間は仕事休みだからね。水分補給はお酒のみ──」


騒乱が、この会場を駆け抜けた


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



校長「」


久「あら……校長先生がなんでこんなところに…?」

まこ「気を失っておうのう…」


恵「」


和「お、お父さん!?、なぜ、この場所に……!?」

優希「のどちゃんの応援をしにきたんじゃ」

咲「でも、なんで気を失ってるんだろう…」


界「」


咲「って、うちのお父さんまで!?」

まこ「おいおい、一体何があったんじゃ…」


久「なんか、もう一人倒れてるわね…?」

優希「さあ…」

咲「……あっ、たしか京ちゃんの──」

和「とにかく、救急車を呼びましょう…」



久「…そういや、須賀くんは、どこ行ったのかしらね?」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


─須賀京太郎



京太郎「大丈夫ですか?」

はやり「職員さんに頼んで、裏口からなんとか、ね」

京太郎「阿鼻叫喚の地獄でしたからね、あそこは…」


会場を後にした俺たちは、雨が止み、静かになった並木道を歩いていた

京太郎「その…でも……よかったんですか、あれで?」

はやり「あれ?」

京太郎「引退のことです。もうちょっと、別の方法とか、何かあったような気がして…」

はやり「ううん、いいのあれで。いつまでも、ズルズルとしてると、それこそタイミングを逃しちゃうから」

京太郎「そう、ですか」

はやり「悲しい顔しないで。あれでよかったの。むしろ、出来すぎなくらい」

はやり「託せるものは託したし。あの時点で、牌のおねえさんとして仕事は終わったの」

京太郎「…そうですか」


はやり「あーあ、あの生活も、もう終わりかあ」

京太郎「約半年ですか。色んなこと、ありましたね」

はやり「うん」

京太郎「あらためて、どうでした?」

はやり「夢を見ているみたいだった。楽しかったよ」

京太郎「覚めちゃいましたけどね」

はやり「そうだね」


京太郎「俺なんか、半年近く、まともに勉強してないんですけど…」

はやり「大丈夫だよ、そのくらいなら、私が教えてあげられるから」

京太郎「そいつは、心強いですね」


京太郎「…はやりさんは、麻雀も辞めちゃうつもりなんですか?」

はやり「ううん、麻雀は、続けるつもり」

京太郎「……」

はやり「アイドルは、どうしたってそんなに長くは続けられないけど」

はやり「麻雀だけは、まだまだやれると思うから」

はやり「京太郎くんだって、私にまだまだやってほしいと思ってたんでしょ?」

京太郎「俺はいつでも、はやりさんの意見を尊重しますよ」

はやり「私とあなたを繋ぐもの、それが麻雀だった。京太郎くんだって、そう思ってたくせに」

京太郎「今は、違います」

はやり「そうだね」

俺たちは手を繋いでいた


京太郎「ねえ、はやりさん」

はやり「なに?」

京太郎「あの、最後のあれですけど…」

はやり「?」

京太郎「そのー……結婚ってのは、相手の承諾がないとできないっていうのが、法律で決まっていましてね…」

はやり「京太郎くんは、嫌なの?」

京太郎「うっ……い、嫌じゃ…ないです///」

はやり「ならいいんだね」

京太郎「は、はぃ…//」

しばらく、この人には敵いそうになかった



嵐は去り、月が出ていた。満月だった

かつて、例の髪飾りを、この月にかざしたことがあった

あの髪飾りは、もう俺の手元にも、はやりさんの手元にもなかった


天照は、天の世界をを支配した。月読は、夜の世界を支配した。須佐之男は……よく分からない


京太郎「帰りましょっか」

はやり「うん」


俺たちは、須賀のうちに帰ることにした


──5年後 東京



─須賀京太郎


和「みんなー!!、ありがとうございますっ!!」


「きゃあー、和ちゃーん!」

「のどっちー、のどっちー!!」

「今日のライブ、よかったぞー!!」

megumi「のどかあああ!!、のどかあああああ!!!、のどっ、のどっ…NO・DO・KAAAAAAA!!!!」



京太郎「ありがとうー!!」


syu-1「うおおおぉ、京太郎ー、わしじゃああ!!」

○nnpo「老いぼれは、すっこんでろ、禿があ!!」

syu-1「うっさいんじゃあ、ぼけぇ!!、京太郎は、わしの孫になるんじゃあ!!」

○nnpo「京太郎は、うちの孫と結婚して、わしと一緒に暮らすことになっとるんじゃあ、禿ぇ!!」

1ta「京太郎くーん、京太郎くぅーん!!、マホちゃんもいいけど、やっぱり僕には君が──」

hagi「京太郎くーん、今日もよかったですよおおぉぉぉ!!、んっふ、今度、私と一緒にタコス作りでも──」


kapi「京太郎―!!、今日のライブ、和ちゃんよりも目立ってたぞー!!!」

megumi「んなわけあるか、目ん玉腐ってんじゃねえか、てめえ!!」

kapi「うっせー、この世ではやりんの次に可愛いのは京太郎って、相場決まってんだよ、このボケナスっ!!」

megumi「はいぃぃぃ!?、はやりんの次に美しいのは、うちの娘に──」


京太郎「……」

相変らず、酷え光景

良子「きょーたろー、きょーたろー」

いつも通りのスーツ姿で、見に来てくれた戒能さん。斜めにずれたハチマキが可愛らしかった

彼女だけが、ライブ時の俺の、心のオアシスになりつつある


界「今日も、二人とも輝いてたな」

咲「うん!」

界「久しぶりに、照も誘って飯でも食いに行くか」

咲「そうだね」


_______

____

__



京太郎「お疲れさま、和」

和「ええ、お疲れ様です、京太郎くん」

京太郎「今日も、盛り上がったなー」

和「ええ、しかし…」

あっ、やべっ…

和「最後のあれは、なんですか?、タイミングがワンテンポはおろか、ツーテンポは遅れていましたよ?」

和「し・か・も、2曲目の出だしは歌詞を間違えますし……まあ、あれはまだよしとしましょう」

和「いちいち数え上げていると、切りがありませんから。あなたのファンに、一部熱狂的な方々いるのはわかります」

和「しかし、彼らに甘えて、いつまでも適当なパフォーマンスをしていては──」

京太郎「すみませんすみませんすみませんすみませすみませんすみませんすみません──」

和「もうっ、いつもそれなんですから…!」

和「あの人だったら、もっと…」

京太郎「あの人?」

和「知りません!」

京太郎「…うん」


マネ「和ちゃん、お疲れさま」

和「ええ、お疲れさまです」

マネ「早速で悪いんだけど、さっき新しい仕事の依頼があってね」

和「そうですか。では、別の場所で──」


京太郎「んじゃ、俺は先に帰りますよ」

マネ「ええ、京太郎くん帰っちゃうの?、お茶でも飲んでこうよ」

京太郎「ごめんなさい。、待ち合わせている人がいるんで」

マネ「あらー…仲がよろしくて結構なことで」

和「よろしくと、お伝えしておいてください」

京太郎「おう!」

マネ「じゃあ、私もついでによろしく」

京太郎「了解です」


荷物を持ち、その場を去ろうとしたとき、和の髪が照明で一瞬煌めいたのが見えた

京太郎「和。その髪飾り、似合ってるぞ」

和「…そういう台詞は、奥様に言ってあげた方が良いと思いますけど」

京太郎「言ってるよ」

和「良い心掛けです」

京太郎「ああ。じゃあな」

和「ええ、また」

うん、やっぱり俺より似合ってる


衣裳から普段着に変えたことに加えて、さらに軽く変装を施した

まあ、和ならともかく、俺のことを気にする輩は、そう多くはないが、念のため


ライブ場所から徒歩で駅へと向かい、電車に乗車した

電車を降り、そのまま出口に向かおうとするが、売店が掲げた文字が目に入り、しばしマジマジと眺めた

京太郎「おばちゃん、これ一部ちょうだい」

「はいよ!」

俺は、暇つぶしを兼ねて、週刊誌を一つだけ購入し、今度こそ駅の出口に向かった


人ごみをかき分けるようにして、改札を通る

これだけの数の人がいるというのに、誰も俺のことなんか気にしない

寂しくもあり、嬉しくもあり。複雑な心境ってやつだ


時は、新緑の季節

桜の花が散って、緑の葉なんか、もうニョキニョキ映えてきている

夏が近いんだ

アスファルトで舗装された道路を歩いていると、汗が滴り落ちてくる

服の袖でその汗を拭うようにして腕をあげると、その隙間から日光が差し込んできた

木漏れ日が、優しかった


待ち合わせの公園までやって来た

俺は、適当に選んだベンチに座り、先ほど購入したばかりの週刊誌を取り出した


『週刊末代』


俺は、この本を比較的よく購入する

なぜ俺が、こんなゴシップ紛いの、低俗と言ってもよいくらいの週刊誌なんかを読むのかというと


『特集!! 牌のおねえさんと、おにいさん 一体どこで差がついた 慢心、環境の違い…』

『清澄高校で、今何が!? 校長への独占インタビュー! 《私の第二の人生》スクールアイドル育成の秘訣とは!?』

『お馴染み! 牌のおにいさん語り部屋 今回のゲストはハギヨシこと──』


京太郎「……」

理由はよく分からないが、毎度毎度飽きもせず、俺のことを書いてくれるからだ

たとえ、中傷がほとんどであっても、書かれていれば読んでしまう。それが、人間のサガ

京太郎「よくもまあ、これだけ嫌味たらしいことを、ペラペラと…」


確かに、和の人気は凄いものがある

彗星のごとく、突如現れた新星!、一気にスターダムへと駆け上がった、桃色の妖精!

容姿、スタイル、歌唱力、人気、雀力、頭の良さ、すべてを兼ね備えたスーパーアイドル

時々発する天然気味の、辛辣な毒舌がささやかなチャームポイントだ

それが、牌のおねえさん、原村和なのだ


対して俺は、男ばっかに人気がある、色物牌のおにいさん

麻雀の実力は……まあ、察してほしい

頭は普通。顔は自分じゃよく分からん。ガタイはなかなかだと思う──えっ、それだけ!?

こんなのが、なんでアイドルになんかなってしまったのか……今でも不思議でたまらない


和に対して、嫉妬がないといえば嘘にはなるけど、それでも応援していくれる人がいることを嬉しく思う

たとえそれが、男ばっかりであったとしても


中身をさらに覗いていく


『秋一郎の! どんと来い、姓名判断!!』

『初めての方は、初めまして。そうでない方は、こんにちは』

『牌のおにいさん、こと須賀京太郎くんを孫にする予定の、大沼秋一郎です』

『一時は引退を考えたものの、私は彼がアイドルであり続ける限り、現役であり続ける!』

『秋一郎です』

『さて、さっそく、今回の姓名判断はと……光宙、くん…?』

『えっ、ピカチュウ…!?』

『ファックッ!!、もっと、将来のこととか、子供の気持ちを考えなくちゃあいかん!』

『代わりに、私が一つ名前を授けようじゃないか』

『秋一郎の"秋"、京太郎の"太郎"。この二つの名前を合わせて、秋太郎なんてどうじゃ──』



京太郎「……次、いってみっか」


『恒子と健夜の! 全部見せます! 麻雀業界の裏側!!』

『さあさあ、やって参りました、このコーナー!!』

『今週も、麻雀業界のドロドロのドロヘドロな裏側を、ガツンと見せちゃいますよー!』

『お、おー!』

『さて、本日のお便りはこちら』

『「じょしプロのかたがたって、ケッコンしてないひとがおおいですけど、なぜですか?」(長野県 Mさん・3歳)』

『さあ、どうなのすこやん!?』

『私が知りたいぐらいです…(泣)。誰か教えてください…(泣)』

『ちなみに、藤田プロはこの間、サラッと結婚したようです』

『私、聞いてない…(泣)!?』

『だって、すこやん、そういう話題だすとすぐにさ、なんかドヨーンってな感じになるじゃん』

『式には呼んでね!、雀卓も用意して!!』

『ちなみに、式は既に挙げました。私は、行きました』

『ちっ…』



『さて、本日は、なんとすこやん直々に、麻雀業界の裏側を、自ら暴露してもらいます!』

『えっ、そんなの聞いてない!?』

『さあ!、さあ!!』

『え、ええと…………あっ、この前見たんだけど、須賀選手と戒能選手が仲良くホテルから出てくるという光景を──』

『二人の師弟関係は、比較的有名な話だと思うんだけど』

『えっ、そうなの!?』

『第一、あんな素敵な奥さんがいて、不倫なんかするわけないじゃない、すこやん』

『う、嘘だ!、男はみんなケダモノだって、昔読んだ少女漫画に書いてあったもん!』

『漫画は参考文献に含まれませんので、ご了承ください』


『じゃ、じゃあ……とっておきの見せちゃうよ、今回は!』

『へえ。ではどうぞ』

『これは、聞いた話なんだけどね……5年前のことらしいよ』

『それでね…な、なんと、あの須賀選手がはやりちゃんを助手席に乗せて、無免許運転を行っていたとの情報が!!』

『しかも、しかも!……瑞原選手と一緒に飲酒をしていたとの情報も!!』

『えー……嘘っぽーい。第一、瑞原さんもいるのに、なんでわざわざ須賀くんに運転させるのさ』

『えっ…知らない』

『あんな、お堅い子が、そんなことするわけないじゃん。すこやんには、ガッカリだよ』

『そ、そんな~……』

『まっ、所詮すこやんはすこやんだったってことで』

『ひどいっ!?』

『さて、紙面の都合ってのががやってまいりました。来週は、「すこやんVSツチブタ」の内容でお送りする予定です』

『聞いてないよっ!?』

『さよなら~』



京太郎「週刊誌も、意外と馬鹿になんねえな……」


それから10分くらい、気になる記事に目を通していた

しかし、いよいよ読むことがなくなってくると、週刊誌を閉じて鞄にしまい、ベンチの背もたれに身体を預けた

京太郎「はー……」

息をはく。風が心地よい

生い茂った木々が、ちょうど良い塩梅で日影を作ってくれている

前方には、雲が見えた。夏の雲だ。遥か彼方の地平から、モクモクと大きく立ち昇っていた

京太郎「……八雲立つ、出雲八重垣、妻籠みに、八重垣作る、その八重垣を」

京太郎「……」

京太郎「ここは、東京か」

疲れた、眠い。ライブもあってか、環境の穏やかさか、軽い睡魔が襲ってくる

少し、目を閉じることにした



いつになく調子がいい。声が聴こえてきた

それは、歌だった。木々のざわめきで、肌を撫でる風で、鳥の羽ばたきで、虫が葉を食む音で、砂利の擦れる音で

そう、意味なんてなかった

穏やかで、笑い声のようでいて、会話のようでいて、楽しくもあり、虚しくもあり


『また、和ちゃんに怒られてらー』


はいはい


そんな声に交じって、また別の声が聞こえてきた


「なんで、仲間はずれにするの…?」

「おんなと一緒に遊べるかよっ!」

「お前と遊んでも、楽しくなんかないんだもん!」

「おい、あっち行こうぜ」



京太郎「……まったく」

昼のライブで疲れ切った身体を持ち上げて、鞄を持ってベンチから立ち上がった

声のした方を向かうと、そこには女の子がいた

小学3、4年生くらいだろうか。男がませてくるような、そんなお年頃

昔の自分を思い出し、ちょっと恥ずかしい気分にもなった


京太郎「どうしたの?」

「おまえとは、遊びたくないって…」

京太郎「ふーん。まっいい。ほら、とにかくこいつで鼻水かみな。せっかくの可愛い顔が台無しだ」

「おにいちゃん…"ろりこん"なの?」

京太郎「……ホワッツ!?」

「そういうこと言うのは、"ろりこん"で"ぺどふぃりあ"で、人格障害でシリアルキラーのサイコパスだって、テレビで…」

京太郎「ないない、ノーウェイノーウェイ……お嬢ちゃん、むつかしい言葉知ってるんだね」

「じゃあ、誰なの…?」

京太郎「うーん、と。そうだな……通りすがりのマジシャンってことで」

「マジシャン…?」

京太郎「おお、そうそう」

京太郎「まあ、見てな。少し準備するから」

「?」


京太郎「じゃん!」

「なにそれ?」

京太郎「輪っか。リンキングリングとも言う」

「リンキン…?」

京太郎「この輪っか、種も仕掛けもございますが、まあ見ていてください」

「あるんじゃん…」

京太郎「ほっ、ほっ!」

「すごい…くっついた」

京太郎「どうだ!」

「今度は離れた!」

京太郎「そして、とうっ!」

「!!」

京太郎「ヤコブの梯子だ。どうだ、なかなかのもんだろう?」

「すごい!!」

京太郎「おいおい、あんまり褒めるなよ。照れるぜ」

「褒めてはない」

京太郎「あ、はい」

「ぷっ」

京太郎「…どうだ、嬢ちゃんもやってみっか?」

「え~…でも、難しそう」

京太郎「人を喜ばすには、それなりに努力をしなくっちゃな」

「じゃあ、やってみる!」

京太郎「おう!、じゃあ、まずこうしてな──」




「あっ、もしもし警察ですか?、たった今、怪しい金髪の男が女の子に──」




京太郎「奥さんっ、やめてええええええぇぇぇ!!!!」


_______

____

__



京太郎「ちっ、ポリスメンに事情を説明してたら時間食っちまったぜ」

京太郎「世知辛い世の中よのう…」

「大丈夫…?」

京太郎「ちょっと傷ついた」

「……」

京太郎「…それ、持ってっていいぞ」

「いいの…?」

京太郎「基本的なことは教えたし、後はお嬢ちゃんに任せるよ」

京太郎「どう使おうが、君の自由だ」

「あ、ありがとう!」

京太郎「どういたしまして」


京太郎「あと、ついでに飴ころもやろう。好きなの言ってみな」

「うーん…」

どうした、さあ、言ってみるんだ?

ヴェルタース・オリジナル、落花あめ、塩飴、黒飴、カンロ飴……なんだったら、ハジキことサクマドロップスだってあるぞ

こんなこともあろうかと、俺はいつでも飴をポケットに忍ばせているのだ

こういう場面で、カッコよくお望み通りの飴を取り出す。イカシ過ぎるだろ、俺!!

俺は、以前と同じ失敗は、決して犯さないのだ



「じゃ、じゃあ…………ミルクの国」



ミ ル ク の 国 !?


京太郎「君は、春日井製菓の回し者なのかい?」

「なに言ってるの?」

京太郎「完敗だよ。全部持っていきな」

「いいの?、やったー!」

京太郎「ああ、じゃあな」

「うん、じゃあね!」

駆け足で去っていくと、その姿はすぐに見えなくなってしまった


京太郎「……マネージャーさんに、新しいの買ってもらわなきゃな」

京太郎「とほほ……なんて言い訳しよ」

再び、先ほど座っていたベンチへと戻り、座ることにした



すると、間髪置かずに、ドカッと、俺の右隣に一人の女性が腰を降ろしてきた

すぐに、足を組んで、両の腕は背もたれの上に乗っけるような格好をする

パンツルックで、上は白いブラウスを着用していた

枝毛一つなさそうな、綺麗な髪の毛は、長く美しかった

意志の強そうな目は、なかなか強烈で、目を逸らしたくもなった

凛とした

そんな言葉が似合いそうな人だった


「うまいもんだね」

京太郎「ああ、さっきのですか?」

「うん」

京太郎「いつまでも、素人マジックだと、和にどやされますから」

「厳しいんだ」

京太郎「和の奴なんか、仕事のことになると、鬼の如くってな感じですよ……普段は天使なのに」

京太郎「いつの間にか、マジックが一番上達してしまっている始末で。俺、アイドルなのに……」

「アイドルってのは、なかなか大変な仕事だからね」

京太郎「そうですね」


「なんで、リンキングリングを選んだの?、例の、牌をパームする奴でもよかったのに」

京太郎「リンキングリングは動作が単純で、子供受けがいいですから」

「繋がったり、離れてしまったり?」

京太郎「まあ、そういうのは、いくら望んでも、なかなかうまくいくもんでもないですから」

京太郎「輪っか一つ繋げるのも、最初は苦労したもんです」

「でも、君は結局離れなかった」

京太郎「あれは、半分はあなたのおかげだったような気もしますけど。違いますか?」

「どうだろうね」


「牌のおにいさんとしての活動は、どう?、順調かな?」

京太郎「うーん、そうですね。楽しいと思う事が1割、ヤダなと思う事が9割って感じですか」

「辞めたくなる時がある?」

京太郎「そう思ったのは一度や二度じゃありません」

京太郎「ファンの方々はいますけど、アイドルとしてはまだまだ未熟ですし」

「麻雀は?」

京太郎「…察してくれるとありがたいです」

「そんなものには、成りたくなかった?」

京太郎「いえ、そう言われますと、そういうわけでもなくてですね」

「うん」

京太郎「辛いことの方が多いのは確かなんですけど、それでも楽しさとか嬉しさを感じることもあって」

「他の可能性もあったかもしれないと思うことは?」

京太郎「俺は、はやりさんほど多才な人間ではありませんでしたから」

京太郎「それでも、時折そう思うことはあります」

「そう」

京太郎「でも、もし人生をやり直すことができたとしても、俺はまた同じ選択をすると思います」

「満足してるの?」

京太郎「完璧な満足なんてものがあったとしたら、それは不満にしかなりませんよ」

「そうかもね」

京太郎「俺は、彼女を理解することができませんでした。自分に対しても同様です」

京太郎「要は、よく分からないんですね」

「ふふっ、だよねー。私も、そうだったよ」



京太郎「あらら、そうだったんですか?」

「そうだったのよ」

「私はさ、まあ若い時は身体のこともあったし。「ああ、失敗したかなー」、って何度も思ったよ」

「もっと楽な仕事に就いてたら、無理しなくても済んだのにってさ」

京太郎「でも辞めなかった」

「そう。でも、そんな私でも、いっぱしにやれていたんだから、君も大丈夫だよ、きっと」

京太郎「偉大な先人にそう言われますと、少しだけ勇気が湧いてきますね」

「少しだけ?」

京太郎「少しだけ」

「あらら」


彼女は、遠くの方を眺めいた

俺も、それに倣うようにしてそちらを眺めることにした

そこには、空があって、雲があった

「雲が、立ち昇ってるね」

京太郎「ええ、綺麗です」

「須佐之男も、きっとこれを見て歌を詠んだんだね」

京太郎「でしょうね。その気持ちも分かります。けど…」


「『古事記』はお気に召さない?」

京太郎「いくら、共通点があって、似ているように見えても、それは全くの別物です」

京太郎「そこに、何かの価値を見出そうとしたって、何にもなりません」

「それが、君の答えかな?」

京太郎「ええ。俺は、ただの須賀京太郎ですから」

「そう…よかったよ。やはり、君は優しい子だった。本当に、君でよかった」

「彼女が、君を愛するのと同じように。運命もまた、君を愛するように、私は願っている」

京太郎「……」



「君に会えて、ほんとによかったよ」

京太郎「そんな…」

「うん。さて、私はそろそろ行かなくちゃいけないみたいだ」

京太郎「あっ、ちょっと待ってください」

「安心しなさい、大丈夫」

京太郎「俺、まだあなたに──」

「私は、私たちは、いつも君のそばにいる。君たちを見守っている」

京太郎「言っていないことが──」

「辛いことがあったら、私たちの声に耳を傾けてみるのもいい。でも、それはもう必要ないのかもね」

京太郎「えっ」

「だって、ほら」




「待ち人が来たみたいだよ」


そう言って、指差した先には



はやり「京太郎くん~!!」



京太郎「はやり、さん…」

はやり「どうしたの?」

振り返っても、もうそこには、何も

京太郎「いない、か」

はやり「なにが?」

京太郎「…いえ、なんでもないんです」

はやり「?」

京太郎「ただ、さっきまで、ここに素敵な鼠が来ていまして」

はやり「…変なの」



京太郎「はやりさん、今日の大会どうでした?」

はやり「いやぁー、もうバリバリだよ」

京太郎「小鍛冶さんとでしたっけ?」

はやり「今日は、あとちょっとのところで負けちゃったけどね。次は、頑張るよー!」

京太郎「ははは…」


はやり「これから、どうしよっか?」

京太郎「うちの親は、はやりさんのお義母さんとで、旅行に行くんでしたっけ?」

はやり「そうそう。うちの子も預かってくれるっていうし」

京太郎「父さん、はやりさんと一緒にいるんだって、うるさかったですもんね」

京太郎「母さんが一睨みしたら、言うこと聞きましたけど」

はやり「引退したってのに、嬉しいね」

京太郎「ああいうのは、身内の恥って言うんですよ…」


はやり「ねえ…それで、さ」

京太郎「?」

はやり「久しぶりに、家で二人きりになるわけなんだけど…///」

京太郎「ああ…そういや、そうだったような」

はやり「そろそろ、二人目欲しいかなーって、思ってみたりして…/////」

京太郎「……」

京太郎「ウナギでも食べて帰りましょっか?」

はやり「うん!」


京太郎「ねえ、はやりさん。幸せですね」

はやり「うん、そうだね」

京太郎「俺には、声が聴こえるんですよ」

はやり「うん」

京太郎「でも、俺は助けてもらうばっかりで、今までそれに応えることはしてこなかったんです」

はやり「どういう意味?」

京太郎「お礼を言い忘れてました」


手を繋ぎながら、二人で道を歩んでいく

須佐之男が、最後はどこにいったのか?、それはよく分からない

けど、はやりさんは、俺たちの家に帰る

それでいい。俺にはそれだけで十分だった


天気は晴れ。雲は立ち昇り、周りには祝福の声


俺は、後ろを振り返った

そこには、白い鼠が一匹いた

行儀よく座っている。優しい顔をしている。俺たちのことを見守ってくれている

俺は、彼女に言えなかった言葉を、代わりにその鼠に言うことにした



京太郎「ありがとう!!」



その鼠は、ほほ笑んだ

終わりです

乙です。
久が出ないで霞さんが出るとか気になるところもありましたが数日の楽しみでした。

はやりん京太郎と年齢差のあるカップリングだけどこの場合どっちが責められるんだ?w
すこやんにはアラフィフの呪いでもかかっているのだろうか……

乙、いい話でした。
余裕があればだけど、後日談あると嬉しいな。と。

おつおつー面白かった


>健夜「ロン、3000・8000」
>京太郎「っ……」
>おいおい、マジかよっ…

でちょっと笑った

>>523
確かに、霞さんってどうなの?、とは思いましたが
巫女服で試合出ちゃうような高校ですから、大丈夫かなーと勝手に緩く解釈しました
違和感を与えてしまって、申し訳ないです

>>536
あれは、単なるミスです
ですが、笑ってくださる人もいるみたいなので、あえて訂正はしなくていいのかもしれませんね
気付いた方は、心の中で、書き換えておいてください

>>524
申し訳ありません。後日談は、書くつもりはありません
しかし、思った以上にスレに余裕ができたので、何か別のものを少し投下するかもしれません

戒能プロとオカルト的な何かおきても本人が解決しちゃうか


330くらいの話だけど
スサノヲも最低でも二人は奥さん居たから根の国行ったり須賀に行ったり忙しかったのかもね

>>549
かもしれません
須佐之男のもう一人の奥さんは、正妻(?)・櫛名田比売の叔母に当たる神大市比売(カムオオイチヒメ)ですし
現代だったら、昼ドラのような、愛憎劇があってもおかしくない設定ですしね
こういうところも、昔の価値観が反映されていて、興味深いです

何か別のものを投下すると書きましたが、
この他に書いていたものを、さわりの部分だけ投下しようと思っています
(というのも、完成させるかどうか極めて曖昧なものなので)

週末あたりに、また来ます
では、また


京太郎「マヨヒガ」





頭がボーっとする

視界は、曇りガラスを目の前にかざしたかのように曖昧だった

周りが暗いことだけはかろうじて分かる

視点が定まらない。痛い。頭がズキズキする。思考が散漫だ

身体が、ダルイ……重い、のか?

えーと…ここは?

???「ぅ……ぁっ…」

声が出ない。いや、というより、口全体に麻酔をかけられたかのような感覚で、動かし方がよく分からない

ただ、口をパクパクさせていることだけは分かった


目の前に何か見える。看板?、霞んで詳しくは分からないが、地名のようなものが……村境か

石塔。境界だ

境界。夢、現実?、こっち側とあっち側のちょうど境にでも、俺はいるんだろうか?

分からない。確かめようがない。生きているのか?、死んでいるのか?

???「……ぁ」

そうだ、誰かに聞いて確かめればいいじゃないか。なんだ、簡単なことじゃないか


石塔のすぐ側に、何やらいる。人か、神か、物の怪か

いや、とにかく聞けばいい。いなくなられても困る。走ろう

???「ぁ……ぁ……っ!!」

あ、あの…ここは……俺はいったい……!




えーと…あれ、何を尋ねればいいんだ?

考えあぐねてしていると、何かが飛んでくるような、そんな感じがして……

意識がプツリと途切れ──……














…………………

…………

……


「大丈夫…?」


それは、触ると解けてしまいそうなほど、白く、儚げで、美しかった



──9月上旬 岩手



─小瀬川白望


「ねぇねぇ小瀬川さん、今日お昼どうする?」

「今日は学食も休みだし、たまには私たちと教室で食べようよ」

お昼の時間。やっと午前の授業が終わった。あぁ、ダルい…

ご飯を口に運ぶのがダルイ…用意するのもダルイ……

けど、ご飯を食べないと、午後はもっとダルくなるしなあ…

白望「……いいけど、ちょっと待って」

「なんで?」

白望「たぶんそろそろ来る」

「えっ?」


予想通りのタイミングで、ドアの開く音がした


???「お、お邪魔しまーす…と」

ほら、時間通り。やっぱり来てくれた

このスカスカの教室で見つからない、ということはないとは思うけど、念のため手を挙げておく

白望「こっち」

???「あっ、いましたね。はい、お弁当です」

白望「ご苦労」

???「ずいぶんとまた、偉そうですね。女子高にお弁当を届けるという、精神的に過酷なミッションを完遂したというのに」

白望「冗談だから」

???「分かってますって」


「えーと…どなた?」

「はじめて見る顔だけど」


白望「ああ、これは──」


─???



???「あっちー」

9月上旬の岩手県遠野市宮守町。とはいえ今日の気温は中々高く、外を歩いていると少し汗ばむくらいだった

釜石線宮守駅から徒歩15分ほどか、やっと目的地らしきものが見えてきた

???「あれか」

今まで民家以外見ることがなかったから余計に目立つ。大きなコンクリート製の建物。宮守女子高校だ

???「うげぇ…」

ああ、やだなー…帰りたいなぁ

白望さんのお母さんの頼みとはいえ……

『マリみて』によると、女子高とは「ごきげんよう、お姉さま」がデフォルトの、蝶よ花よと育てられてきた、気品高い淑女が通う学び舎

俺の脳みそに微かに残っている知識ではそうなっていた。しかし、どうやらネットの情報によると、それは大きな間違いらしかった

俺みたいにピュアでナウでヤングな男の子には到底直視することのできない、魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)する魔窟であるらしい。女子高とは

怖い怖い…


学校の敷地内に侵入する。幸い授業中ということもあってか人は見当たらなかった

こんな所をに無断でうろつくのは不審者だけなので、早速事務室に向かう

受付のおばちゃんを発見し、声を掛ける

???「あのー、届け物がありまして来たんですけど」

「あら、そうなの?、じゃあ、ここにお名前と住所を──」

名前……か

???「あーと……その…」

ペンを動かせない。嫌な汗が出てくる。こういう時は、どうしたものか

???「……」

「どうかしたの……んーと……あー!、あなた、最近来た子ね!、小瀬川さん家のとこの!」

???「そ、そうですそうです!」

「ということは、彼女に用があるのね。ならこんなの書かなくていいわよ」

「あっ、でもこの許可証だけはぶら下げておいてちょうだいな。最近うるさいから」

???「あ、ありがとうございます!」


事務室のおばちゃんのナイスプレーもあり、なんとか難所を超えることができた

早速、白望さんのいる教室へと向かう

???「ここか…」

うーむ、緊張するぞ。だが、男は度胸とも言うし、腹をくくる

だから、思い切ってドアを開けた


???「お、お邪魔しまーす…と」

あっ、よかった…ナプキンは目の届く所にはなかったし、「ギャハハ」とか言いそうな女性もどうやらいなさそうだ

ただし、一斉に女性たちの視線が突き刺さったのは仕方なし、か

白望「こっち」

彼女らしい面倒くささ全開のだらしなさではあったが、白望さんが手を挙げてくれていた

???「あっ、いましたね。はい、お弁当です」

白望「ご苦労」

???「ずいぶんとまた、偉そうですね。女子高にお弁当を届けるという、精神的に過酷なミッションを完遂したというのに」

白望「冗談だから」

???「分かってますって」


「えーと…どなた?」

「はじめて見る顔だけど」


白望「ああ、これは──」


「ちょっと待って、なんだか分かりそう!」

「えーと……うーんと…似てるね」

「あ、確かに言われてみればっ。髪の色も一緒だし。似てる似てる!」

「分かった、弟さんだ!」

白望「いや、ちが──」

「確かに、ほんとそっくり!」

「ねー!」

???「違いますって、俺は──」

白望「あー…………そう、これは私の弟」

「やっぱり!」

白望さん、さては説明がめんどくさくなったな……まあいい、乗ってやろうじゃないか

「ねえ、君あれやってよ、あれ」

???「あれ…ですか?」

うーん、あれ、アレ、在れ?……あ、分かった

???「ダルい」

「いやぁー、なんか違うなー。どこだろ?」

「眉毛だ!」

「いえすっ!」

注文多いなあ、今どきの女子高生

???「はぁー…ダルい…」

「「キャー、そっくりー!!」」


塞「いやいやいやいや、シロあんた弟さんなんていなかったでしょ!?」

えーと、この人はたぶん臼沢さんだな

腰から臀部にかけてのラインが、すば──ゲフンゲフン

白望「一週間前に生まれた」

塞「どんだけ成長早いのよ!?」

白望「小瀬川家の男は……皆総じて成長性Aだから」

塞「スタンドじゃないんだから…」


さらに、ドアの開く音がした


豊音「話は聞かせてもらったよ。シロの弟さんが来てるんだって!」

エイスリン「ワーオ」

胡桃「いや、それはないと思うけど」

話しだけには聞いていた、麻雀部のメンツと思われる人たちもさらに加わり、辺りが騒がしくなってきた

ていうか、姉帯さんって俺よりでけぇのな…

しかし、困ったぞ

???「えーと、ですね…」

白望「はぁー……ダルイ…けど、仕方ないから説明する」

白望「あれは1週間前の出来事であった…」

塞「なんで語り部調なのよ」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



白望「ただいま」

母「おかえりなさい」

父「おかえり」

母「あら、それは?」

白望「落ちてたから、ダルイけど拾ってきた」

母「あらー」

父「そうか……ところで母さん、今日の夕食なんだけど、オムライスがいいな」

母「じゃあ、そうするわね。白望もそれでいい?」

白望「…うん」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



塞「え、意味が分からないんだけど」

白望「拾ったのがこの子」

塞「夕食の話、してる場合じゃないでしょう!?」

白望「それで今日までうちに住み着いているという……」

???「ははは…」

塞「ははは、じゃないよ!、自分の家に帰らないとダメじゃない!」

白望「……」

???「……」

塞「え、なに。どうしたの?、二人して」

???「あの……俺、白望さんに拾われたのまではいいんですけど」

塞「けど?」

???「記憶がないんです」

塞「え…っと」




「「えっ?」」


─清澄高校



咲「こんにちは…」

久「こんにちは。って、新学期早々なのに元気ないわね、咲」

咲「いや…そんなこと」

優希「咲ちゃんも年頃の女の子。悩みの一つや二つくらいあるはずだじぇ」

まこ「どうかしたんか?」

和「私達でよければ、話くらい聞きますよ」

久「幸い須賀君は今いないし、女だけなんだから色々とぶっちゃけちゃっていいわよ」

咲「……っ!!」

まこ「??」

久「あちゃー…思いがけず触れてはいけないものに触れてしまったみたいね」

咲「そんなことは…………いえ、やっぱり言います。京ちゃんが──」

和「はい」

咲「……行方不明になってしまったんです」



「「はいっ!?」」



久「詳しく聞いてもいいかしら?」

咲「はい」


咲「あれは2週間前の出来事であった…」

まこ「なんで語り部調なんじゃ?」

咲「インターハイが終わって少し経ってから、京ちゃんと一緒に川に鯉(コイ)を釣りに行った時のことことでした」

優希「し、渋い」

まこ「カープじゃな、カープ」

久「あら、鯉は長野の特産品なのよ?」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


咲「なかなか釣れないねー」

京太郎「釣りの基本は我慢だ、咲。イチローも我慢が大事って言ってたし」

咲「野球関係ないじゃん……グランダー武蔵のようにはいかないもんだね」

京太郎「釣り吉三平のようにはいかないもんだ」

咲「古いよ」

京太郎「お前だって」


咲「ん、なんだろあれ?」

京太郎「あれ?……蕗(ふき)だな」

咲「あれが蕗なんだ。私初めて見たかも」

京太郎「蕗のシーズンじゃないんだけどなぁ。珍しい」

咲「ふーん」

京太郎「そうだっ!、鯉釣りはとりあえず止めにして、蕗狩りにシフトチェンジしようぜ」

咲「えぇー…」

京太郎「えぇー、じゃない!、蕗とタケノコの煮物、めっちゃうまいだろうが」

咲「あ、それ私も好き。じゃあ、れっつごー!」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


咲「そうやって、蕗(ふき)狩りに変更した私たちは、川をどんどん上って行ったんです」

和「なるほど」

咲「そして、蕗探しに夢中になっていた私たちは、気付くと山の奥深くまで来ていました」

咲「そこで事件が起きたんです」

久「事件…」ゴクリ


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


京太郎「だいぶ深くまで来たな。ちょっと休憩するか」

咲「そうだね」

京太郎「なんか腹減ったなあ」

咲「そーだねー……あっ!、あれ見て京ちゃん。梨の木の下にカラフルでおいしそうなキノコが生えてるよ!」

京太郎「ワオっ、なんてカラフルでおいしそうなキノコなんだ!、こりゃあ食べるっきゃないぜ!」

咲「だねだね」

京太郎「こんなこともあろうかと、炭火焼きセットを持ってきておいてよかったぜ!」

咲「こんなこともあろうかと、醤油を持ってきておいて正解だったよ!」


京太郎「さて、こんなもんかな」

咲「ベリーグッドな焼き加減だね。そこに、ちょっとこいつをたらして、と」

京太郎「うーん、実にナイスなスメル。やはり、焼いたキノコにはソイソースがベストだぜ!」


「「いただきまーす!」」


咲「うまい、うまいよ!、これ!」

京太郎「あひょひょひょいえぇ、マジだこれ、うめへへへえ!!」

咲「あふっへえはあ、うまうまウマうま馬宇摩──…」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


咲「覚えているのはそれだけなんです」

久「えっ…と」

咲「その後、私は県道で倒れているのを発見されたらしくって」

久「咲……毒キノコってご存知?」

咲「でも、京ちゃんだけは、いくら探しても見つからなくて」

和「そんな…」

咲「この一週間、警察の人たちと、京ちゃんの居そうな場所を探してたんですけど…」

優希「京太郎…」

まこ「そんなことが…」

咲「くっ……どうしてこんなことにっ!」

久「いや、それはあなた達が変なキノコ食べるから──」

和「大丈夫ですよ、咲さん。須賀くんは、身体の丈夫さだけが取り柄なんですから」

優希「そうだじぇ、咲ちゃん。いつかひょっこり帰ってくるに決まってるじぇ」

まこ「そうじゃな、咲が心配したってどうにもならん。こういうのは、警察に任せるのがベストじゃ」

久「ねえ、なんでみんな無視するの?、私だって、そういうことされちゃうと泣いちゃうのよ?」


和「今日は、部活動は止めにしませんか?」

まこ「そうじゃな。京太郎の家に行って、親御さんに話を聞いてみるとするかのう…」

咲「そう、ですね…」

和「あれ、咲さん?、なんだかこの辺の髪の毛が、少し脱色しているような…」

咲「うん、そうなの。ストレス……なのかな?」

優希「咲ちゃん…」

久「ああ、もういいわ。私、ロッカーに入っちゃうから」

久「ふぅ……どうして、こう狭い所って落ち着くのかしらねえ」


まこ「よし、みんな準備はできたか?」

和「はい、行きましょう」


バタン


久「ほんとに行っちゃいましたよ、彼女たち」

久「……」

久「……」

久「はぁー……仕方ないわね……」

久「ああ、もしもし。龍門渕さん?、わたしわたし」

久「あなた、詐欺にすぐ引っかかりそうね……いや、今はそれはよくってね」

久「うちにの部員がちょっと行方不明になっちゃってね……ええ、ええ」

久「うん、そうらしいの。うん、うん」

久「そんなに遠くに行っているとも思えないから、もし見かけることがあった警察に」

久「うん、ありがとうね。じゃあ」

久「……まったく、引退したってのに……世話の掛かる部員よ」

久「他にも、近くの知り合いに連絡入れておこうかしらね」


久「今、何やっているのかねえ……彼」

また夜に来ます


─???



塞「記憶、喪失…?」

???「ええ、健忘症とかなんとか言われました」

塞「大丈夫なの?」

???「身体の方は、最初は結構衰弱していたんですけど、今はこの通りです」

白望「私のおかげ」

塞「ほんとになんも覚えてないの?」

???「いえ、全部というわけでもないんです。言葉とか常識とか、そういうのは覚えてるんですが…」

塞「そういうの以外はない、と」

???「ええ」

エイスリン「ナマエハ?」

???「分からないんです。持ち物もなくって、身元が特定できるような物はなにも」

エイスリン「ソウ…」

豊音「でも、名前ないと呼び難いね」

塞「シロは、普段なんて呼んでるの?」

白望「…………あなたとか、おまえとか」

塞「嘘つけ、夫婦か!」








胡桃「京太郎!」


塞「へっ、なんで?」

胡桃「今、私が読んでいる本が、西村京太郎のだから」

塞「適当過ぎない!?」

豊音「いいんじゃないかな?、京太郎、京太郎、京太郎。ほら、いい感じ」

白望「…悪くはない」

エイスリン「コセガワ・キョウタロウ」

塞「小瀬川京太郎…………確かに、案外悪くはないわね」

胡桃「ミステリー小説の、探偵役にいそう」

豊音「犯人は、お前だ!」

塞「なんで私を指差すのよ…」

豊音「一回、この台詞言ってみたかったんだー」

塞「はいはい」

白望「……」

白望「ダルけど……弟よ、名を授けよう」

???「いつから、弟になったんすか…」

白望「今から君は、小瀬川京太郎。小瀬川家の次男とする」

京太郎「ありがとう、ございます?」


小瀬川京太郎かあ、確かに悪くはないのかも

塞「あんたが決めることじゃないでしょうに…」

京太郎「いえ、俺も、なんかしらの名前は欲しかったんです」

京太郎「仮の名前でも、その名前、気に入りました」

塞「まあ、あなたがそういうなら、それで構わないんだけど…」


豊音「でも、なんでシロの家に住んでるの?」

白望「行くあてがなかったから、うちに住んでもらうことになった」

塞「随分適当ねえ…」

京太郎「いえ、市の方でも預かってもらえたみたいなんですけど、白望さんのご両親のご厚意で」

塞「あら、すごいわね」

京太郎「それと、役所に行って、行方不明者の名簿とかあたってもらったんですけど…」

胡桃「何も思い出せないんじゃ…」

京太郎「そうなんですよね。写真とか見ても、それらしい人はいなかったそうで」

京太郎「しかも行方不明者の数って実はかなり膨大で、探すのも苦労するみたいらしくって」


「「……」」


塞「しっかし、あなたたち、本当に似てるわね…」

胡桃「実は、生き別れの姉弟とか?」

豊音「わわっ、昼ドラみたい!」

エイスリン「ヒルドラ?」

白望「…虎の一種」

塞「嘘、教えなさんな」

胡桃「髪型、髪色」

塞「背も、二人とも高めだしね」

豊音「小瀬川京太郎、爆誕だね!」

白望「弟……悪くないかも」

京太郎「えぇ…」

あっ、ミスですね
次男→長男、ということで


豊音「ねえねえ、京太郎くん。一緒にお昼ご飯食べてこうよ」

京太郎「いや、それはちょっとマズいんじゃ…」

胡桃「許可証があるから大丈夫」

京太郎「そうは言いましても…」

塞「いいんじゃないかしら。減るもんでもないし」

エイスリン「Hellmon…?」

白望「ヘルモンスターの略」

塞「だから、変な事教えんのやめなさいって」


こんな女性のだらけの中、食事を摂るのは、いささかストレスが増えそうではあるが

「はい!、他の教室回っておかずかき集めてきたら、弁当一つ完成したよ!」

「褒めて遣わす」

「男の子って、このくらいで足りるのかな?」

「さあ、ちょうどいいんじゃない?」

京太郎「……」

逃げ道は、塞がれてしまったみたいだ

豊音「よかったね、京太郎くん!」

うぅ…眩しすぎるぜ、その笑顔!、俺には、それを断ることなんて…

京太郎「お…お供させていただきます」

女子校生パワー、恐るべし…


_______

____

__


「へえ……大変だったんだねえ」

京太郎「ええ。なんか、殴られたような跡もあったとかで……まあ、今は消えてしまってますが」

「もしかしたら、それが原因で記憶喪失になっちゃったのかもねー」

エイスリン「マンガミタイ」

豊音「酷いことをする人もいるもんだね」

塞「そんなことをする人が、いるなんてねえ……まったく、許せない!」

胡桃「世も末」

「健忘症だっけ?、それって、治らないものなの?」

京太郎「お医者さんの話曰く、時間が経つと思い出していくらしいですけど」

「ふーん、つまりはよく分からないと」

京太郎「そんな感じかもしれません」


その時だった、一人の人物がこの教室に入って来た


白望「…先生」

トシ「ん……おや、君は」

熊倉トシさん、麻雀部の顧問。白望さんの話通りの、若いころはさぞ綺麗だったであろう人だった

俺は、一礼した

トシ「なるほど、君が、最近ここにやって来たっていう男の子だね。シロのところに居候してるっていう」

京太郎「よくご存知ですね」

トシ「ここらじゃ、君はもう有名人さ。うーん、と…」

京太郎「名前は、先ほど決まりまして、小瀬川京太郎ということになりました」

トシ「ふふっ…そうかい。いい名前だ」

京太郎「そうですね」


塞「先生、どうしたんですか?」

トシ「いやねえ、ご飯食べちゃったら、やることなくってねえ。少し、早く教室にね」

豊音「先生も、こっちに来ませんか?」

トシ「いいよ、ここで」

熊倉さんは、教卓に椅子を持っていくと、そこに突っ伏すようにしていた

トシ「そうだ。ついでに授業でも受けていくかい、京太郎くん?」

京太郎「いや、それは流石に──」

トシ「ふふっ、冗談だよ」

京太郎「ほっ…」

トシ「しかし、若い人が、家で何もしないってのは辛いだろう?」

京太郎「いや、そんな──」

トシ「だから、今日は授業受けていきなさい。私が許す」

京太郎「えぇー…」


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白望「どうだった?」

京太郎「さっぱりでした」

塞「勉強関連の記憶もないの?」

京太郎「いえ、あるにはあるんですけど……少なくとも、さっき聞いたのは全く知らないことでした」

塞「ということは、3年生である可能性は低い、と」

京太郎「かもしれません」

白望「やっぱり、弟だった」

塞「あんた、意外と面倒見いいもんねえ」

白望「…そんなことはない」


京太郎「皆さんは、もう帰るんですか?」

塞「いや、今日は部室にでも行こうかなーって」

京太郎「麻雀──部活動、ですか?」

塞「いやー、もう引退はしてるんだけど、たまには、ね」

白望「…後輩もいないから」

京太郎「田舎の宿命なのかもしれません」


部室に到着すると、姉帯さん、エイスリンさん、鹿倉さんがそれぞれ来ていた

豊音「あっ、京太郎くん!、部活にも来てくれたんだ」

京太郎「まあ、ここまで来たら、最後まで付き合いますよ」

胡桃「別に、無理しなくてもいいいのに」

エイスリン「オシエテアゲル!」

豊音「さあさあ、座って」

白望「三つずつが基本」

京太郎「……」

塞「どうしたの?」

京太郎「い、いえ…」

なんか、こんなのを、以前にも、どこかで…

京太郎「なんだか、できそうな気がします」

塞「へっ」

エイスリン「ルール、ワカルノ?」

京太郎「ええ……何となく、ですけど」

豊音「なら、一緒に楽しめるね!」


『きゅふふ、麻雀を楽しもうよ』


京太郎「カン、カン、もいっこカン、嶺上開花、御無礼、うっ……頭が」


白望「大丈夫…?」

京太郎「ええ、なんとか…」

塞「麻雀ができるのかあ」

胡桃「昔、そんな話題があったような」

豊音「ピアノマン!」

塞「ピアノマンならぬ、麻雀マンね」

京太郎「むしろ、キン肉マンよりですね、それ」

エイスリン「キンニクバスター?」

塞「意外とよく知ってるのね…」

エイスリン「ベンキョウシタカラ!」

白望「私が教えた」

塞「もうちと、マトモな教材を使いなさい」

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京太郎「……」

白望「……」

塞「……」

豊音「……」

エイスリン「……」

胡桃「……」

塞「気を遣われるのと、ハッキリ言われるのと、どっちが好み?」

京太郎「…ハッキリで」

白望「弱い」

豊音「弱い、かなー…」

エイスリン「ザコ」

胡桃「ウ○コ製造機以下」

エイスリン「ヒリョウニモナラナイ」

塞「言い方ってもんがあるでしょうよ…」

京太郎「……うぅ」

白望「……よしよし」

京太郎「しろねえ…」

豊音「よしよし」

京太郎「とよねえ…」

エイスリン「ナキガオ、タマラナイ」

胡桃「うん!」

塞「いい笑顔だな、おい」


トシ「ん……?、おや、ここに来てたのかい」

豊音「あっ、先生」

塞「先生も手伝ってくださいよ。ツッコミ不足です、ここは」

トシ「麻雀、できるのかい?」

京太郎「ボッコボコにされましたけどね」

トシ「……ふーん」

京太郎「?」

トシ「他には?」

塞「どういう意味ですか?」

トシ「京太郎くんの、手掛かり」

白望「高校三年生ではない」

塞「麻雀のルールを知っている」

胡桃「でも、弱い」

トシ「さっぱりだね」

京太郎「ええ、我ながら…」


「「…………」」




みんなが沈黙していると、エイスリンさんが俺の袖をチョイチョイ引っ張ってきた

京太郎「なんですか?」

エイスリン「ハイ!」

京太郎「千円札…?」

エイスリン「カフェオレ」

京太郎「へ?」

トシ「じゃあ、私は缶コーヒー、甘くないの」

白望「緑茶」

豊音「ミルクティーがいいなー」

胡桃「オレンジジュース」

塞「あんたら……ほうじ茶で」

京太郎「味方がいないっ!?」


「「…………」」


京太郎「分かりましたよ!、行けばいいんでしょ、行けば!?」

エイスリン「アマッタノデ、スキナノカッテイイカラ」

京太郎「えっ、そんなことしていいんですか!?」

エイスリン「アメ・アンド・ムチ」

京太郎「うぅ……たったこれだけのことなのに、ものすごく嬉しく感じちゃう!」

塞「ろくな扱い受けてなかったのかもねえ…」

京太郎「じゃあ俺、行ってきます!」


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部活帰り──ではないけど、みんなとの帰り道

胡桃「エイちゃん、いつになく嬉しそう」

エイスリン「コーハイ、ホシカッタ」

塞「半分、パシリだったけどね」

エイスリン「??、コーハイハ、センパイニ、絶対服従、ッテキイタ」

エイスリン「生殺与奪ノケンリ、ニギッテルッテ」

塞「変なところで、妙に発音いいわね……って、そんなの教えたのはあんたでしょ」

白望「…そんなの知らない。いくつか漫画を貸しただけ」

塞「それよ」

エイスリン「ワタシ、マチガエタ…?」

塞「文化を学ぶのって、なかなか難しいわねえ…」

豊音「せいさつよだつ…?」

エイスリン「ゴメンナサイ、キョウタロウ……」

京太郎「いいですよ、あれくらい。それになんか、ああいうことしてると……」

胡桃「?」

京太郎「なんだか、妙に懐かしい気分になってきて……」

塞「嫌な哀愁の感じ方ね…」


十数分くらい皆と会話をしていると、駅に到着した

さらに、そこから少し電車に揺られること十数分すると、また一人、また一人と電車から降りて行った

塞「じゃあねー」

京太郎「ええ、臼沢さん。またです」

白望「ん…」

白望さんは、手を上げるだけだった



みんなとも別れると、白望さんと二人きりになる

たった二両編成の電車に揺られながら、何も言わずに二人で夜景を眺めることになった

街灯が、ほとんどなかった

ときどき、ポツンと光が見られるだけで、そのほとんどは暗闇が支配していた

白望「……」

京太郎「……」

ガタンゴトン、と電車がだけが動いているようだった

でも、こういうのも悪くない

虫にでもなった気分だった。光を求めて、そちらに視線を向ける

奇妙な気分だ。電車が停止すると、外の草むらから、虫の鳴き声が聞こえてきた

虫は、光に集まってくる。群れを作る。しかし、それは人間のように、心の繋がりを形成しているわけはない

たまたま、その光に集まって来ただけ。家族とか、友人とか、恋人とか、そういうのではない


慣れない人達と、慣れない行動をしたせいか、疲れた

そのせいか、ただの田舎の風景が、何ものにも代えがたい価値を持っているような気さえした

電車の音しかしなかった。ただ、夜景が流れていくだけ

気分は、『千と千尋』の電車のシーンだった

京太郎「……」

白望「どうだった?」

白望さんは、わずかに顔をこちらに向けて、そう尋ねてきた

彼女なりに、気を遣っているんだろう。だから、素直に応えることにした

京太郎「疲れました」

白望「…そう」

京太郎「けど、みんないい人たちでした」

白望「そう」

ほんの少しだけ、誇らしげなような気がした


目的の駅に到着し、少し歩くと『家』へと到着した

白望「ただいま」

京太郎「ただいまです」

母「あらー、今日は遅かったわねえ」

父「心配したんだぞ」

白望「ちょっと、麻雀打ってきた」

京太郎「お風呂上がりのコーヒー牛乳を飲みながら言われましたも、説得力皆無ですよ…」


帰宅すると、二人が既に待っていてくれた

俺には、父親も母親もいないから、この人達が唯一の頼れる人

この人達を見ていると、なぜ白望さんがこういう風に育ったのかよく分かる

家族そろって、おっとりマイペース。ほんとうに、分かりやすい


しかし、俺はというと、どちらかといえば活動的な性格であるようだった

そのことは、俺がこの家族の一員ではないと納得させるには十分な証拠だった

白望「……よしよし」

京太郎「…なんでもないっすよ」

白望「そう」


夕食を食べ終え、お風呂に入り、寝支度をする

自分にあてがわれた部屋に入り、布団を敷いて横になった


まだ、この部屋にはほとんど何もなかった

机も椅子も、本棚も、タンスも。中央に、布団が敷いてあるだけの部屋

月の光が差し込んできていた。何とも、もの悲しい光景だった


さっきの夕食での会話

父『そうか……まだ家具が全然ないんだな』

母「そうだったわねえ」

京太郎『い、いいですよ、そんなの別に。なんとでもなりますし』

母『服も、いつまでもお父さんの使ってたんじゃ、あんまりだわ』

父『加齢臭が、移ってしまうかもしれないしな』

母『お父さん、カレー食べながらそんなこと言ったら』

父『ふふふっ、そうだったな』

母『もうっ、お父さんったら』

京太郎『聞いてねえ……』

父『そうだな、では、今度の日曜は久々に盛岡にでも行って、いろいろ買ってくるとするか』

母「あら、それいいわねえ。おめかし、しちゃおうかしら?」

白望『京太郎』

京太郎『ん、なんですか?』

白望『おかわり』

京太郎『ほんっとに、マイペースですねっ!?』


ここが、俺の家になるんだろうか?

今までの、俺の家はどうなっているんだろうか?

俺を知る人は、元気にしているだろうか?、心配しているんだろうか?

俺は誰?、小瀬川京太郎?、何もわからない。本当のことは、全部俺の頭の中にあるはずなのに

それが、どうしてももどかしく、雑念を振り払うようにして、俺は明日をどう過ごすか考えながら眠りにつくことにした


とりあえず、このお話はここまでしか書いていませんので、ここでこのスレを終わりにしたいと思います

このスレの内容を書きながら、他に京太郎SSを3本、一般小説風のオリジナルの話を2本を同時期に書いていて
内容の方も、いずれも大体できてはいるんですが、いったん止めにしたいと思います

そろそろ就職しないと、大好きなお酒とか専門書とかも買えなくなってしまいそうなので

運が良ければ、また
悪ければ、さようなら

ラガヴーリン飲み終わったら寝ます
皆さん、おやすみなさい

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2017年01月09日 (月) 14:00:12   ID: ZeV7ZIyo

これは名作。次々と伏線が回収されていき、すこやん戦での跳満直撃は鳥肌がたった。

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