このスレの内容は「艦隊これくしょん -艦これ- 」の二次創作になります
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【小さな箱のなかでHere's to you】
鎮守府 中庭
喫煙所 ベンチの上(備考:猛暑)
提督「……セミ共がうるせえ」ミーンミンミンミン
提督「くそ。なんで鎮守府で唯一の喫煙所がこんな場所にあるんだよ。喫煙者を茹でだこにでもする気か」スパー
提督「やっぱ執務室で……。駄目だ、また青葉に叱られちまうよ。俺の携帯灰皿ちゃんはいったいどこに隠れてんだ畜生め」
提督「……」スパー
ワーカホリック
提督「それにしてもひでえ暑さだ。お天道様は働きもんで結構。ただ仕事中毒の疑いあり。提督として夏季休暇を取得することを強く勧める」
提督「……」ミーンミンミンミン
提督(……今日は大抵の者が休暇をとっているはずだ。主力の奴らは先日の新海域制圧に伴う他の鎮守府への出向の疲れが、まだ色濃く残っている)
提督(それ以外のめぼしい奴は万が一の不測の事態に備えて鎮守府待機を命じてあるものの、有り難いことに今のところそういった類の報告はない)
提督「……と、なるとだ」スパー
提督(出撃してるのは遠征任務に従事してる幾人かの軽巡の嬢ちゃんと駆逐艦級のちびっ子たち……。帰還したという報告はまだ届いていない)
提督(今日は今年一番の猛暑日といったって過言じゃねえ。陸の上でこれだ)ミーンミンミンミン
提督「……」スパー
提督(いくら海の上だからってクソ重いドラム缶を引っ張って何時間も炎天下の行軍。そんなの俺だって御免こうむる)
提督(……ま、考えてもどうにもならねえんだけどな。俺もあいつらもそれが仕事なんだから)
提督「……」チラッ
提督「ああ? もうこんな時間かよ。しゃーない、売店でなんか冷たい飲み物でも買って執務室に帰るか」
提督(そういや青葉がなんかの点検整備の業者が来るから立ち会ってくれとかどうとか言ってた気が……)
提督「……ま、いいだろ。なんにせよあいつに聞けばわかるこった」ポリポリ
鎮守府 資材倉庫
シャッター前 (備考:ひとり歩く満潮)
満潮(……うん。回収した資材の受け渡しも無事済んだし、担当の主計科の奴にもちゃんと報告した。後は提督への連絡だけ)トコトコ
満潮(今日の朝、いきなり臨時の嚮導役を押し付けられた時はちょっとだけ焦ったけど、これなら無事に役目を終えられそう……ん?)
満潮「……」スンスン
満潮「……ひどい臭い」
満潮(……当然といえば当然だわ。何時間もこの猛暑の中を遠征任務に行ってきたんだもの)
満潮(海水の飛沫と潮風で髪はギシギシになるし、身体からは硝煙と汗が入り混じった嫌な臭いがする)
満潮「早くお風呂に入りたいところね……」ボソッ
満潮(私を待ってくれてる隊の他の子たちだってきっと同じ思いのはずだわ……。急いで帰りましょう)タッタッタッ
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鎮守府 某所
遠征部隊待機地点 (備考:たたずむ時雨)
時雨「……」ポツーン
満潮(……? 私が指定した場所ってここよね? だってあの子はいるもの。じゃあ他の子達は……?)キョロキョロ
満潮「今帰ったわよ」トコトコ
時雨「……!」クルッ
時雨「お疲れさま。思ってたよりずいぶんと早いご帰還だね、満潮」
満潮「走ってきたのよ。兵は神速を貴ぶっていうでしょ。……姿が見えない他の子たちはどうしたのかしら?」
満潮「もう仕事らしい仕事は残ってないけれど、私はまだ任務の終了を告げた覚えはないわよ」
時雨「そのことなんだけどね、満潮。僕は君に伝えなきゃならないことがあるんだ」
満潮「手短にお願いするわ。いくら私でも今日はいささか疲れてるの。……で、なに?」
時雨「……他の人達は君と僕を残して先に寮に帰ったよ。なんでも一刻も早くお風呂に入りたいらしくてね、僕の制止も振り切って行ってしまった」
満潮「……なにそれ、意味分かんない」
時雨「できれば一度で理解して欲しかったな。僕もこんなことを何度も説明するのは気が滅入るからね」
満潮「どういうこと? ……つまり私はあの子達から置いてけぼりを食らったってわけ?」
時雨「端的に言えば」
満潮「……ふざけんじゃないわよ」ギリッ
時雨「なるほど至極当然の意見だね。僕もそう思う」
時雨「でもね、知ってのとおり今日の遠征任務はとても大変だったんだ。君だって彼女たちの行動をまったく理解できないわけじゃないだろ?」
満潮「っ!」ギロッ
満潮「……へえ。殊勝にも一人で私を待っていたあんたの目的は、あの子たちの肩をもつためってわけ?」
時雨「止してよ、満潮」
時雨「僕は押し付けられた頼まれごとをお義理程度に果たしたまでのことさ。だから、もしこれ以上の言い訳を君が期待しているのなら僕は困ってしまう」
時雨「どうしても物足りないのなら本人たちに直接尋ねてみるといい。きっと僕には真似できない愉快な言い訳をしてくれるはずさ」
満潮「……遠慮しておくわ。別に愉快な気分になりたいわけじゃないの。それにそんな事に時間を割くくらいなら自主訓練でもしてる方がマシよ」
時雨「君と共通する価値観が発見できて嬉しいよ、満潮。……さあ、後は提督への口頭報告と報告書の提出だけだろ? 僕も付き合うから手早く済ませてしまおう」
満潮「そのくらい私ひとりでも問題なく済ませられるわ。バカにしないでくれる? あんたは他の子たちよろしくお風呂にでも浸かりに行ったらいいじゃない」
時雨「その提案をためらいもなく一蹴できたら格好良いけれど、ちょっと難しいかもしれない。なにせ今の僕はこの鎮守府で一番臭う艦娘だろうから」スンスン
時雨「……我ながらこれはひどいな。文明人として落第しかけているよ」
満潮「夏場の任務帰りの艦娘なんてみんな似たようなもんでしょ。あんただけ特別ってわけじゃないわ」
時雨「……もしかして慰めてくれてるの?」
満潮「バカね、事実を言ってるだけのことよ。それにしても、あんたってそういうこと気にするのね。意外……でもないかしら」
満潮(一人称を『僕』とかいってる割に、要所要所ではしっかり女の子やってるもの、この子って……)
満潮「ともかく今日の任務はもう終わりよ。私のことは気にしないでいいから、さっさとお風呂に行きなさい」
時雨「その提案がさっきよりも魅力的に聞こえてならないな。でも満潮はどうするのさ?」
満潮「別にどうもしないわよ。このまま司令官に口頭報告に行ってから報告書の作成に取りかかるわ」
時雨「報告書の作成はカラスみたくシャワーを浴びてからでも遅くないんじゃない? せめて汗と臭いを洗い流してさっぱりすれば、きっと……」
満潮「お生憎様。私は任された仕事をほっぽり出したまま平気でいられるほど無責任じゃないの」
満潮「――――私を、あの子たちと一緒にしないで」ボソッ
時雨「……うん、君の考えはわかった。それじゃあやっぱり僕も君に付きあわせてもらおうかな」
満潮「なによ、今日はやけにしつこいじゃない。うざいわよ」
時雨「しかたないだろう? 君と一緒にお風呂に入らなきゃ君の背中を流してあげられないんだからさ」
満潮「なにそれ。あんたってそういう趣味だったの?」
時雨「まさか。ただ君をいたわってあげたいだけさ。臨時とはいえ嚮導役を務めたんだ。僕はそれくらいあってしかるべきだと思うな」
時雨「それに君の嚮導役はなかなか様になっていたよ。いつもより一段と凛々しくて格好よかった」
満潮「……最後まで付いてきたのがあんた一人きりだっていうのに、よくもまあそんな見え透いたおべっかが使えるわね」
時雨「僕の言葉をどう受け取るかは君の自由さ。だけど君だって最初から全てがうまくいくなんて考えていなかっただろ? 誰もが通る道ってやつだよ」
満潮「はっ。先日初めての嚮導役をそつなくこなして隊内どころか鎮守府中でも評判になったのは、いったいどこの誰だったかしらね?」
時雨「あいにくと僕には心当たりがないな。でも何事にも例外ってやつは存在するものさ。いちいち気にすることじゃないと思うな」
満潮「……あんたってほんと嫌味な子よね」
時雨「君の憎まれ口も相変わらずだよ、満潮。似たもの同士、仲良くいこう」
満潮「……はあ、もう勝手にすればいいわ。私はもう行くからね」トコトコトコ
時雨「ねえ、待ってよ。僕はまださっきの答えを聞かせてもらってない」
時雨「……満潮、僕は君についていってもいいのかな?」
満潮「……」ピタッ
満潮「私は勝手にすればいいって言ったのよ。それをどう受け取るかはあんたの自由」
満潮「――そうでしょ?」クルッ
時雨「……そうだね。うん、そうだった。でも一言言わせてもらえればね、満潮」
満潮「なによ?」
時雨「君の優しさは今も昔もわかりづらい。分厚い取扱説明書が必要なくらいに」
満潮「ひっぱたくわよ」
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鎮守府 本部 一階
旧エレベーター前 (備考:待ちぼうけ)
満潮「……遅い」ボソッ
満潮(飲み物を買ってくるってあの子と別れたけれど、いったいどこまで買いに行ったのかしら)
満潮「…………」イライラ
満潮(こうしてる時間だって惜しいわ。やっぱり私だけ先に……)
満潮「――――だめ」
満潮(……あの子は私を待っていてくれたもの。なのに、私があの子を置き去りにするなんて筋が通らないわ)
満潮「ちゃんと待っていてあげるから、さっさと帰って来なさいよね」
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鎮守府 本部 一階
旧エレベーター前
<タッタッタッタッタ
時雨「はあ……はあ……。ごめん、待たせてしまったね満潮」
満潮「本当ね、まさかこんなに待たされるなんて思わなかったわ。なんでこんなに時間がかかったの? ウチの鎮守府の売店は急に移転でもしてたのかしら?」
時雨「いいや。実は売店には行かなかったんだよ。今の僕が売店に行ったらきっと他のお客さんを不快にさせてしまうから」
満潮「じゃあ何? ずっとむこうの自販機まで行ってきたっていうの? まったく呆れてものも言えないわね」
時雨「自分の手間を惜しまないことで他の人を不快な思いにさせないですむのなら、僕はそれでいいと思うんだよ、満潮」
満潮「ご立派な考えをお持ちなのね。でも何故かしら、その範疇に私を待ちぼうけにさせることは含まれていないみたいなのだけど?」
時雨「君と僕は友達だろ? 友達というのはお互いに迷惑をかけあいながら親しくなっていくものさ。これで君と僕の友情は更に固く結ばれたに違いないよ」
満潮「……ものは言いようね。詭弁じゃない、そんなの」
時雨「誰もが大人になるために学んでいく処世術だよ。君も、きっと例外じゃないと思うな」
満潮「そう、じゃあ覚えておくわ。……私にそんな先があるか知らないけど」
時雨「……満潮、君はとても優秀な艦娘だよ。それにこの鎮守府は前線から少し距離がある。将来のことを考えておくのは決して無駄じゃないと僕は思うな」
満潮「……今、なんて言ったのかしら? 前線から距離がある? ――――ふざけたこと言わないでッ!」
満潮「奴らの、深海棲艦の出現海域が未だ限定されてない以上、海に面してるところは前線か最前線かの違いしかないのよ!」
満潮「……少なくとも私はずっとそう考えてきたわ」
満潮「その私に! その私の耳にっ! そんな腑抜けた言葉聞かせないでっ!!」
時雨「……」
満潮「……」ハァハァ
時雨「……生真面目だね、君は。美点ではあるけれど僕は君が程度を見誤ってる気がしてならないよ」
満潮「ご忠告どうも。でもね、不真面目であることよりずっとマシのはずだわ」
時雨「なるほど。反論が見つからないくらいには正論だ。僕の負けだよ、満潮」スッ
満潮「……何よこれ」
オレンジジュース
時雨「ペットボトルに入った蜜柑果汁。君が僕を言い負かしたことへの賞品」
満潮「へえ? あんたを言い負かすと賞品が出るのね。いいこと知ったわ。でもね、今はそんなこと聞いてるんじゃないの」
満潮「私はこんなもの買ってきてとは頼んでいないわ。なのに、どうしてこんなことしたの。それとも何、私に恩を着せたつもりなわけ?」
時雨「確かに僕は君から頼まれてはいないよ。そして、君が僕に感謝してくれるかもしれないという下心があったのも否定はしない」
時雨「だけど聞いてくれるかい、満潮。お風呂に入るのは後でも構わない。君の好きにしたらいいさ。だけど、水分を摂らないのはいただけないな」
時雨「この猛暑だ。遠征任務で少なからず汗もかいた。こういう時の水分補給はもはや死活問題といったって過言じゃないよ」
時雨「君が熱中症で医務室に担ぎ込まれたいと密かに企んでいるなら話は別だけどね」
満潮「……」
時雨「……」
満潮「……心配性なのね。私達は海の上を縦横無尽に駆けて深海棲艦と戦う艦娘なのよ。……手持ちがないの。後でお金払うわ」スッ
時雨「いらないよ。言っただろ、これは賞品だって。それにくれるなら代金より感謝の言葉の方が嬉しいな」
満潮「そう。安上がりなのね、結構なことだわ」
時雨「……」ジトー
満潮「……なによ? 人の顔をじろじろ見て」
時雨「やれやれ、安上がりと言うのならもっと頻繁に口にしてくれてもいいのに。君が僕にくれた感謝の言葉なんて数えるのに片手で事足りるんだよ?」
時雨「需要に供給がまったく追い付いていない。これは由々しき問題だよ、満潮。僕は株主として君に感謝の言葉の生産体制の見直しを要求するね」
満潮「あんたが何時から私の株なんて持ってるかしらないけど、筆頭株主は私よ。その提案は却下するわ」
時雨「残念だね、少数派はいつだって虐げられる運命なのかな? でも僕は諦めないよ。虎視眈々と君の『お』株を奪う機会を伺ってるからね」
満潮「好きにすれば? ……だけどいつも楽しそうにぽいぽい言ってるあの子にあんたがうざいなんて言ったら、あの子は本気で泣き出すわよ」
時雨「……そんなの費用対効果が釣り合っていないにもほどがある。何か別の方法を考えよう。ともかく夕立を悲しませるのはなしさ」
満潮「そうしなさい。姉妹艦の子は大切にすべきだもの。……そろそろ無駄口は終わり。行くわよ」ポチッ
『エレベーター』
[ Ⅵ ]ウィーン
[ Ⅴ ]カチッ
[ Ⅳ ]カチッ
[ Ⅲ ]カチッ
[ Ⅱ ]カチッ
[ Ⅰ ]ポーン
鎮守府 本部 一階
旧エレベーター内 (備考:上昇中)
満潮「……そういえば、飲み物の好み変わったの?」チラッ
時雨「いいや、そんなことないけど。どうして?」
満潮「だって今あんたが持ってるそれ、スポーツドリンクの類でしょ? あんたっていつもミネラルウォータじゃなかったかしら?」
[ Ⅱ ]カチッ
時雨「……驚いたよ、満潮。まさか君が僕の嗜好を覚えていてくれてたなんて」
満潮「普段から私をどう思ってるか伺える発言ね。バカにしないでくれる?」
時雨「言葉の綾というやつさ。そう邪推しないで」
[ Ⅲ ]カチッ
時雨「……これを飲み始めたのはちょっとした理由があってね」
満潮「理由?」
時雨「うん。……ちょっとした、ね」
[ Ⅳ ]カチッ
満潮「何よ、もったいぶっちゃって」
時雨「最初から話せば少し長くなりそうだけれど、聞いてくれるの?」
満潮「つまんなくっても相槌くらいうってあげるわ」
時雨「やれやれ。満潮、君は人のやる気を焚きつけるのが本当に上手だよ」
[ Ⅴ ]カチッ
時雨「……実は少し前、執務室に出頭するよう僕に通達がきたんだ」
満潮「所属部隊単位じゃなくあんた個人を名指しで? ……なんかひどいヘマでもやらかしたの?」
時雨「僕も真っ先にその可能性を疑ったよ。他の鎮守府じゃどうか知らないけれど、ここじゃ初期艦でもない駆逐艦級の艦娘が」
時雨「個人で提督の執務室になんて……?」
[ ]シーン
時雨「……あれ?」キョロキョロ
満潮「何よ? 蚊でもいたの?」
時雨「いや、そうじゃなくって……」
満潮「……ん?」キョロキョロ
満潮「――――嘘。ねえ、これってまさか……」
時雨「これはもしかすると、もしかするかも……」
通常時証明 [消灯]パッ
非常時用照明 [点灯]ポァ
満潮「……どうやら仮定の話じゃなくなったみたい」
時雨「……嬉しいよ。今日の日誌は後で読み返すのが楽しみになるね」
鎮守府 本部
旧エレベーター内 (備考:停止中)
時雨「どうだい?」
インターホン
満潮「……駄目ね、つながらないわ。どうもこの非常通話装置の向こう側にいる奴は長電話の真っ最中みたいよ」
時雨「きっとその人は後悔するね。だって少しの間とはいえ満潮と仲良くお喋りする機会を棒に振ってしまったのだから」
満潮「そいつが後悔するかどうかは知ったことじゃないけど、私は自分の仕事もしっかり果たせない奴と仲良く喋ってやるつもりなんて小指の爪の先ほどもないわよ」
時雨「何時にも増してつっけんどんじゃないか、満潮。もしかしたらこの非常通話装置の向こう側にいる人は君の運命の相手かもしれないのに」
満潮「……あんたの冗談がつまらないのはいつものことだけど、それにしたってここまでひねりがないのも珍しいわね。バッカみたい」
満潮「だいたいね、女の子の誰もが恋に恋してるわけじゃないのよ。年頃の女の子だってもっと別のものに興味を持ってもいいはずだわ」
時雨「へえ、君がそういった話題に意見を持ってるとは思わなかったな。例えばどんなこと? 小物集めやお菓子作りとかかな?」
満潮「そうね、例えば……」
満潮「例えばいつになったらこの鎮守府で電探が駆逐艦級艦娘の標準装備になるか、とか気にならない? 想像しただけでため息が出ちゃいそうになるわ」ニヤッ
.
時雨「……」ポカーン
時雨「……っく、くくっ、ぁは、あははっ! そうだね、満潮! それに関しては僕も興味津々だよっ!!」
満潮「でしょ? あんただったら分かってくれると思ったわ。どうも他の子にこのことを話しても変な顔される事が多くって。なんでかしら?」
時雨「何に『重』きを置くかは人それぞれだからね。普段からほとんど遠征任務しか任されないこの鎮守府における大多数の駆逐艦級の艦娘たちからすれば」
時雨「深海棲艦の発見に役立つ頼もしい電探より、間宮の優しくて甘い氷菓子のほうが『重』要だって考える人だっている。そういうことさ」
満潮「それにしたっておかしな話だわ。だって電探と氷菓子、電探と氷菓子なのよ? きっと『重』さを測るときに使った天秤が壊れてたに違いないんだから」
テンビン
時雨「どうだろう? その価値観は似通って見えて一つひとつがこの世で唯一無二の代物だからね」
時雨「仮に動作不良を起こしてたとしても修理するのは容易くはないだろうな」
満潮「……十個くらいまとめて高速修理剤ぶちまけても駄目かしら?」
時雨「……その可能性を頭から否定するつもりはないさ、満潮。だけどいくら君のお誘いだからってその実験に僕は付き合えないからね。予め伝えておくよ」
満潮「あら、あんたって友達からのお誘いをそんな簡単に無碍にするの? なんてひどい子なのかしら。信じられないわね」ニヤニヤ
時雨「……僕が言えた義理じゃないけれど君はときどき卑怯な言い回しをするね、満潮。君にかかれば僕はたちまち悪者さ」ハァ
時雨「それにしても、どうして君はそういう面倒事に限って僕を誘おうとするのかなあ」
時雨「これが二人で街に遊びにいくお誘いなら、僕は二つ返事で付いていくのに……」
.
満潮「……こうして二人でだべっていても埒があかないわ。ここからは真剣に今後について話をしましょう」
時雨「僕としては君と二人でずっとお喋りしてるだけで十二分に楽しいけれど?」ニコニコ
満潮「……」ギロッ
時雨「そんなに情熱的に見つめないでよ、満潮。思わず背筋が凍ってしまいそうになる」
満潮「余裕しゃくしゃくじゃない。この現状を打破できる腹案でもあるのかしら?」
時雨「そんな大層なものは思いついちゃいないさ。でも、僕達が今すべきことぐらいは分かってるつもりだよ」
満潮「……聴かせて。この際なんだって構わないわ。ともかく取っ掛かりがほしいの」
時雨「分かった。心して聴いてね満潮。僕たちが今すべきこと。それは……」
時雨「――――待機、だね」
満潮「……はあ。やっぱりそれしかないのかしら」
時雨「もっと意外性のある反応をしてくれてもいいのに。わざわざこんな角ばった言いかたをした僕が馬鹿みたいじゃないか」
満潮「だって現状を鑑みれば、それが選択としてもっともなのは明白なのよ。仕方ないでしょ」
時雨「まあ確かに。エレベーターが止まった理由は可能性の高低を気にしなければ、いくつか考えつくけれど」
時雨「それがすなわち僕たちの行動の選択肢を増やしてくれるわけじゃないからね。余程のことがない限り、ここで救助を待ってるのが最適解なのは変わらないと思うよ」
満潮「分かってはいても、もどかしさは消えてくれないの。……いっそいつかの映画俳優みたいに天井を蹴破って自力で脱出してみない?」
満潮「深海棲艦と戦うのとはまた違ったスリルが味わえること請け合いよ」ニヤッ
時雨「……そのお楽しみは孤立無援でエレベーターに閉じ込められた時のために取っておこうよ、満潮」
時雨「その機会が早く『君』に巡ってくることを僕も祈ってあげるからさ」
満潮「優しいのね。お礼の代わりに『あんた』の分は私が祈っておいてあげるから安心なさい」
時雨「……やれやれ。君の親切が身にしみるなあ」ハァ
・・・・・・・・・・・・・・・・・
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・・
・
時雨「……よっと」ファサー
満潮「何してんのよ、あんた」
時雨「ハンカチを敷いたのさ。ずっと立ったままっていうのは存外疲れるからね。君もおいでよ、少し狭いだろうけど一緒に座ろう?」ペタン
満潮「あのねえ、ハンカチくらい私だって持って……」ゴソゴソ
満潮「って……あれ? 私、いつもここに……」ゴソゴソ
時雨「……君、今日の朝は急に代理の嚮導役を仰せつかって忙しそうにしてたからね。おおかた何処かに出したまま忘れてしまったんじゃないかな?」
満潮「そ、そんなわけっ! ……ぁ」
時雨「その様子じゃあ、なにか思い当たるふしでもあったのかな?」クスクス
満潮「う、うるさいわねえっ! 私にだってこういう時くらいあるわよ!」カァー
時雨「そうだよね。笑ってごめんよ、満潮。お詫びに僕の隣に招待させてもらうからさ」ポンポン
満潮「……明日からは身だしなみチェックに、これまでの倍の時間をかけることにするわ」トコトコ ペタン
時雨「頭のお団子を倍に増やすのかい? 僕は今の髪型のほうがいいと思うな」
満潮「そっちじゃないわよっ! 分かってるくせに! バカっ!」ガー
時雨(かわいい)ニコニコ
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・
満潮「……自分のハンカチを忘れた私が言えたことじゃないけど、こうやって並んで座ってるとちょっと暑くないかしら?」
時雨「恐らく空調も止まっているからね。その影響が出てきたんだと思うよ」
満潮「せっかくだしあんたからもらったジュース、ここでいただこうかしら。……お手洗いのことを考えると心配になるけど」
時雨「一度にたくさん飲むんじゃなくて少しずつ舐めるように飲むぶんには平気じゃないかな。遠征からこれまで、僕たちはたくさんの汗を流しているからね」
満潮「そうよね、それじゃあ……?」ピタッ
時雨「どうかした?」
満潮「……些細なことかもしれないけどちょっと引っかかるの」
満潮「エレベーター内の飲食って、マナー違反じゃないかしら?」
時雨「……言われてみればそうかもしれない。僕もこれまでしっかり考えたことはなかったな。いつもそんな疑問を抱える前にエレベーターから降りていたからね」
時雨「ともあれ今回の場合は緊急避難的措置ってことを免罪符にして飲んでしまってもいいとは思う。少なくとも僕は気にしない」
満潮「いい加減なあんたと違って私は気になるわ。……喉の渇きだってもう絶対に我慢出来ないってほどじゃないのよ」
時雨「あまり神経質に考えないで融通をきかせることも時には必要だよ、満潮。肉体的にも精神の衛生上でもね」
フランス
時雨「それとも、いつぞやの仏蘭西皇帝みたく君の辞書には融通って言葉は載っていなかったりするのかな?」
満潮「さあどうかしら? 昔はあったかもしれないわね。でも今しがた探してみたら見当たらないから、きっと黒い墨の下にでも引っ込んでるんでしょ」
時雨「やれやれ。大本営の検閲がそんなところにまで及んでるなんて僕は寡聞にして知らなかったよ、満潮。これは後で提督を通して抗議しなくちゃいけないな」
満潮「……最果ての泊地に転属になっても元気にやりなさいよ。季節の便りくらいだしてあげるから」
時雨「君からの季節の便りだけを心の拠り所にして深海棲艦と戦う日々、か。案外悪くないかもしれないな」
満潮「……勝手に一人で盛り上がってるんじゃないわよ、バカ」
.
時雨「あははっ。……さて、これからどうしようか」
時雨「君の些細な気ががりを解消するために、僕は何とか屁理屈をこねくり回してここでの飲食を正当化すればいいのかな?」
満潮「先に確認を取って正解だったわよ、それ。あんたがそんなこと得意気に語り始めたら、最後の最後に「うざい」の一言をもって切り捨ててやるんだから」
時雨「……」シュン
満潮「何よ? 文句があるなら言えば?」
時雨「……君は僕にひどく手厳しいときがあるよね。正直、さっきの言葉は傷ついたな。これまで君の憎まれ口は親愛の証だと信じてきたけれど……」
時雨「――――それは僕が自分に都合のいい勘違いをしていただけで、君は本当に僕のことが嫌いなの?」ボソッ
満潮「……」ハァ
満潮「あんたねえ、そういういかにも否定しづらい言葉つかって人から無理やり好意的な意見を引きずり出そうとするんじゃないわよ。いやらしいったらないわ」
時雨「……ふふっ」ニコッ
時雨「もう、よしてよ満潮。それじゃあまるで僕が計算尽くでこんなことを言ってるみたいじゃないか」
時雨「誤解もいいところさ。僕はそんなに駆け引きが得意な女の子じゃないよ」ニコニコ
満潮「……」ジー
時雨「……」ニコニコ
.
満潮「ああもう、あんたに付き合ってたらさっきよりずっと喉が乾いてきたじゃない。どうしてくれるのよ」ハァ
時雨「……そのことなんだけどね、満潮。そろそろ変な意地を張るのはやめにしたらどうかな?」
満潮「……何が言いたいわけ?」
時雨「確かに君の規則や規範を尊ぶ精神の高潔さには頭が下がる。だけどそれを優先しずぎて身体を壊したら本末転倒だよ。体調管理も僕たち艦娘の仕事の内さ」
時雨「一人で飲み物に口をつけるに気が引けるなら僕も付き合うからさ。それなら怖くないだろう?」
満潮(……怖い? この私が?)
満潮「あのね、別に私は規則とかそういったものを破るのが怖いってわけじゃないの。……私が気になることは、そういうんじゃないのよ」
満潮(……そう、違う。私が怖がっているのは、そんなことじゃない)
.
満潮「……」
満潮(艦娘候補生時代から実技、筆記ともに優秀な成績を修めてきた自分が希望していた花形とされる前線の鎮守府ではなく)
満潮(他の鎮守府への兵站任務を主とするこの鎮守府への着任を言い渡された時から心の底にこびりついて拭いきれない、そんな不安)
満潮(――――自分は、この程度だと見限られたのか)
満潮(考えないようにどれだけ任務や訓練に明け暮れようと自分のベッドで目をつぶるたび、この疑問が不意に頭のなかに浮かんでくる)
満潮(他の人よりも努力した。他の人よりも我慢をした。他の人よりも結果を出した。それなのにその先にあったのは、こんな場所だった)
バショ
満潮(……平気な顔して任務をほっぽり出すような艦娘たちのいる、こんな鎮守府だった)
満潮(私も、周りからはあの子たちと同じだと思われてるの? 私と時雨を置き去りにした、あの子たちみたいに……)
満潮(しゃあしゃあと仲間を置き去りにする、あの子たちみたいに)
満潮(――――――――私は違うっ!)
満潮(そうよっ! 違うわっ! 私はこんな場所にいていい艦娘なんかじゃない! 私には……私にはもっと別のふさわしい場所が――――」
「ねえ、乾杯しようか?」
満潮「……は?」
時雨「なんだ、聞いてなかったのかい? 乾杯しようっていったのさ、僕は」
満潮「…………は?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・
・・
・
鎮守府 本部
旧エレベーター内 停止中
時雨「だって考えてもみてよ満潮。こんな非日常な場面に遭遇しているのに、ただ飲み物に口をつけるだなんて面白みが足りないって思わないかい?」
時雨「ひどく味気ないよ。特別な時には、特別なことをすべきさ」
満潮「……まだ事態がそこまで切迫してる訳じゃないとはいえ、非常時よ」
満潮「私はそこまで必死にエンターテイメントを追求しようとは思わないわ。なにより不謹慎だもの」
満潮「それとも何? あんたにはここが戦勝記念の『素敵なパーティー』会場にでも見えるわけ?」
満潮「やめてよね、そんなのあんたの姉妹艦の子だけで十分なんだから」
時雨「ふふっ、別に夕立に感化されてこんなこと言ってるわけじゃないんだ。……でも、確かに君がいいたいことも分かるよ」
時雨「ここは綺羅びやかなシャンデリアの照らすパーティー会場じゃない。薄暗い非常用の間接照明が照らす狭いエレベーターの中さ」
時雨「僕たちにしたって可憐に着飾ってるわけでもない。身につけているのだって、いつもの制服」
時雨「しかも任務から帰ってきたばかりで、周りにふりまいてるのは香水の香りじゃなくて汗と潮の臭いだ」
時雨「でもね、満潮。いいかい、よく聴くんだ」
時雨「そんなことは些細なことなんだ。そんなことはひどく些細なことなんだよ、満潮」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ガラス
時雨「何かを願うため、あるいは何かを祝うために硝子の杯を打ち鳴らすのに場所や格好にこだわる必要はないんだ」
時雨「ただ唯一必要なのは自分と向き合って同じように硝子の杯を持ってくれる誰かだけだよ」
満潮「……素敵な考えね。こういう時って拍手が必要なのかしら?」パチパチパチッ
満潮「私が今の話を聞いて率直な感想を述べるなら、やっぱりあんたとの付き合いかたを考えなおした方がよさそうってところね」
.
時雨「それは本当かい? 僕は嬉しいよ。これでもう苦労して手に入れたペアのチケットを他の誰かに譲ってあげる優しさは、お役御免だな」
満潮「……周囲の変化がいつも自分にとって好意的なものとは限らないんじゃない? 楽観的なのね」
時雨「海の上に立っていない時はね。艦娘の数少ない特権の一つさ。君は知らなかったのかい、満潮」
満潮「頭の中に余計なものを詰め込んでおくスペースをたっぷり取ってあるあんたと違って、私はそんなことに頭の中の容量を割くつもりはないの」
満潮「あと自分の賢しさひけらかすのならもっと役に立ちそうな知識をお願いするわ。あんたは知らないだろうけど空間も時間も有限なのよ」
時雨「……じゃあ今の君にとって役に立ちそうなことを教えてあげようか? 僕としても出来れば君に早く気がついてほしいんだ」
満潮「……なによそれ。一体どういう――――」
時雨「ゴホゴホッ。 いけない、ここまでしゃべり通していたから喉がひどく乾いてしまったよ。これは一度喉を潤さない限り続きを喋れそうにないな」ニコッ
満潮「……あんたってホントに素敵な性格してるのね」
時雨「君からおべっかをいただけるなんて光栄だな。世の中、悪いことばかりは続かないね」
満潮「……いいわ。他にやるべきこともないんだし、あんたの悪ふざけに付き合ってあげる。だたしちゃんとさっきの言葉のこと説明しなさいよ」
時雨「それはもちろん約束するよ、満潮。折角の機会だ、指切りでもするかい?」
満潮「やらない。針を千本作れるだけの鋼材を何が悲しくて約束を破った子のために使わなきゃいけないのよ。そんなのナンセンスだわ」
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満潮「じゃあ面倒くさいことはさっさと済ませましょう。はい、かんぱーい」スッ
時雨「……やれやれ。君には失望したよ、満潮。まさかそんなおざなりな乾杯で僕が満足すると本気で思ってるのかい」ハァ
満潮「……私、そろそろあんたのほっぺを本気でひっぱたいても許される気がしてきたわ。陪審制なら間違いなく全員一致で無罪ね」
時雨「それは杞憂だよ。僕は君にひっぱたかれたくらいで事を起こすつもりはないさ。むしろ喜んでもう片方のほっぺも君に差し出すよ」
満潮「ちょっとやめなさい。それじゃあ私が怒ったらすぐ手が出る子みたいに聞こえるでしょ。人聞きが悪いわね。だいたい何が気に入らないのよ」
満潮「乾杯なんてどうやろうと同じでしょ?」
時雨「君にしては珍しく考慮に値しない意見だね、満潮。乾杯は前もって何のために硝子杯を打ち鳴らすか明確にすべきさ」
時雨「つまり前口上や気のきいた文句なんかが必須なんだよ」
満潮「…………」シラー
時雨「なんだい、黙りこくって? さしもの君も僕のこの正論の前にはぐうの音も出ないってことでいいのかな?」ドヤァ
満潮「だまんなさい。私はいま胸の内で毒を食らわば皿までって言葉を必死に噛み締めてる最中なのよ……」ハァ
満潮「で、なに? つまり私にもそれを考えろって言いたいわけ?」
時雨「その通りさ、満潮。やっぱり僕たちは以心伝心の間柄だね」
満潮「私が知らない間に以心伝心って言葉もずいぶん安くなったものね。バーゲンセールでも開催してるのかしら?」
時雨「気になるなら今度の休日にふたりで外出許可をとって街に行って確かめてみない? きっと素敵な休日になるよ」
満潮「いけたら行くわ」
時雨「……もう少しくらい言葉の真意が透けないよう努めてほしいな。僕だってたまには油断して被弾することだってあるんだよ?」
満潮「小破だろうが大破だろうが高速修理剤一つで済むんだから、やすい傷心よね」
.
満潮「それはそうとあんた、ちょっと静かにしてなさい。私はあんたの婉曲な会話に付き合いながら難解な問題を並行して考えられるほど器用じゃないの」
満潮「どうしてもお喋りしてたきゃ私じゃなくって『壁』にでも話しかけてなさい。一応返事は帰って来るはずよ。あんたの声が反響してね」
時雨「……僕が『彼女』のお喋りの相手を務めるなんて荷が勝ち過ぎるよ、満潮。だって僕は彼女が笑ってくれそうな冗談を一つだって思いつけないんだ」
満潮「なら黙ってれば? きっと私だってそのほうが早く考えがまとまりそうだし」
時雨「仕方ないね。それじゃあ――」
満潮「でもね。これはあくまで余談として聞いてほしいんだけど」
時雨「……?」
満潮「私は最初から挑戦もせず諦める子が嫌いよ。まるで諦めることが大人になるための通過儀礼であるかのように振る舞うような子は特にね」
時雨「……どのくらい嫌いなの?」
満潮「そうね。一つのテーブルで同じ食器を使って食事をするのを遠慮したくなる程度には、かしら?」ニヤッ
時雨「……今の僕の心の内は、針一本でル級を沈めてこいって任務を命じられた新米の駆逐艦級艦娘じゃなきゃ到底理解できないだろうな」
満潮「その任務、新米の代わりにあんたが立候補したら? 大丈夫よ、あんたならきっと無事任務を全うできるわ。もちろん指切りだってしてあげる」
時雨「やれやれ。任務に失敗して逃げ帰ってきたら今度はその千倍は難しい任務が僕を暖かく迎えてくれるってわけだ。やってられないなあ、まったく……」
時雨「せめて僕のために用意する針は縫い針の類じゃなくて蜂の針にしてくれないかな。もしそうならル級を蜂のように刺せるかもしれないからさ」
満潮「蝶のように舞いながらかしら?」クスクス
満潮「まさか。僕の回避運動はそんなに優雅なものじゃないよ。そういうのは舞風にでも頼んでみればいい。彼女なら実に見事に舞ってくれるさ」
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.
鎮守府 本部
旧エレベーター内 停止中 (備考:考えにふける満潮)
満潮(……考え始めてみるとなかなか決まらないものね)
満潮(いっそ『人類の勝利を願って』とか『駆逐艦級艦娘に栄光を』なんて紋切型の文でお茶を濁すのもアリかしら?)
満潮(でもねえ……)チラッ
時雨「――――、――。――――――――?」
彼女「…………」
時雨「――――――――――――。――、――――――――――――――! ――――」
彼女「…………」
満潮(こんなことさせてる手前、さすがに気がひけるわ。……まさか本当に挑戦するとは私も思ってなかったけど)
満潮(でも、あんな軽口を真に受けるなんて意外に純情なのかしら、この子?)
満潮(………違うわね。うん、それは違う。明確な根拠はないけど確信が持てるわ)ウンウン
満潮(だとしたら、どうしてもやらなきゃいけない理由でもあったのかしら?」
満潮「……あったとしても私にはどうやったって理解できないような奇抜な理由なのは確かね)
時雨「――――――――? ――――――――――――。――――!」
彼女「…………」
満潮(とはいえ、こんな道化じみたことをずっと続けさせるのも気の毒だから、いい加減に何か案を考え出さないと)
満潮(……難しく考え過ぎなのかしら? いっそ景気付けに乾杯でいいんじゃない、こんなの)
満潮「……ふふっ」
満潮(駄目ね。考えるだけで笑っちゃうわ。……自分たちで何をするわけでも何が出来るわけでもない、ただ外からの救助を待ってるだけの今の私達が)
満潮(こんな場所で景気よく乾杯したって、いったいどうしようっていうのよ)
満潮「……」ハァ
エレベーター
満潮(やっぱりこんな場所で乾杯しようとしてるのが根本的におかしいんだわ。だって、ここはこんなにも薄暗くて狭い 『箱』 の中なのよ)
満潮(こんなところで何を祈ろうが何を願おうが、誰にだって届きっこない。聞こえもしない。もしかしたら存在してるかもしれない神様にだってきっと無理)
満潮(だって、いつだって神様は海の上からたくさんの艦娘がお祈りしたって聞き逃してしまうもの)
満潮(……誰か経費で神様に補聴器でもプレゼントしてあげればいいのに)クスクス
満潮「はぁ……。バカみたい」ボソッ
満潮(何をどうやったって無意味なのよ。いくら考えたって一抹の価値すらみいだせないわ。こんなこと言い出すなんて、やっぱりあんたって本当に救いようがないわ)チラッ
時雨「――――――――? ――――――――――――。――――!」
彼女「…………」
.
満潮「…………ああ、でも」ボソッ
満潮(…………でも)
満潮(でも、私の隣にいるこの子には聞こえるのね……。この子に他人の願いや祈りを叶える能力も権能もないけれど、確かに私の声は届く)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
満潮(……いいじゃない。しゃくだけどそれで決まり)
満潮(私はこの子のためになら硝子の杯を打ち合わせる理由を見つけられる。今だけは不満も不安も鎮守府のことも深海棲艦のことも忘れて――)
満潮(――――あんたのためだけに願ってあげるわ、時雨)
~~~~
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.
鎮守府 本部
旧エレベーター内 停止中 (備考:語りかける時雨)
時雨「乾杯の起源には諸説あるんだけど、その一つにこういう話があるんだ」
ブドウ
時雨「遠い昔、一人の男が神の命に応じて大地に葡萄の木を植えた。葡萄の木はやがて実をつけ、男はその実から葡萄酒をつくった」
時雨「神の命によってつくられた葡萄を元にしたそれは、同じく聖なるものとされた」
時雨「だけど、どんなものにだって完全なんてことはない。光があれば影が生まれるように葡萄酒の半分には邪悪なものが宿っていた」
時雨「そのまま葡萄酒に口をつければ、邪悪なものまで一緒に飲んでしまうことになる」
時雨「それを避けるために人々は葡萄酒の入った杯を打ち合わせるようになったのさ。邪悪なものをその音で驚かせて葡萄酒から追い払うためにね」
時雨「……どうかな? 僕は少しでも君の退屈を邪魔することができた?」
時雨「君はどうも冗談を好まないみたいだから、こういう雑学じみた話のほうがいいかと思ってね」
彼女「…………」
時雨「やれやれ。まただんまりかい? 拙いながらも話をした僕としてはぜひ君の所感を拝聴したいと――――」
満潮「……ずいぶんと舌の回りがいいじゃない」
時雨「――――っ!? き、君の声が聴こえる! 聴こえるよっ! やっと僕に心を開いてくれたんだね!」キラキラ
満潮「どこ見て喋ってんのよ! 私はこっちよ!」ガー
時雨「……ああ、なんだ。満潮か」クルッ
時雨「君もずいぶん紛らわしいことをしてくれたね。いったい僕はこの置き場のない歓喜をどうしたらいいのさ」ハァ
満潮「……それは悪いことをしたわ、ごめんなさいね。代わりに頭をなでて慰めてあげるからこっちに頭をだしない」
時雨「本当かい? でも、ならどうして僕の頭を撫でるはずの手でげんこつをつくっているのか説明してくれないかな、満潮」
満潮「……可愛げのない子」チッ
時雨「ともあれ君が僕に話しかけたということは乾杯のための気のきいた文句のひとつでも思いついた、と解釈していいの?」
満潮「まあ、そういうこと。あんたには悪いけど、そっちの子を話すのは私との用事を済ませてからにしなさい」
時雨「構わないよ。君とのそれが先約というやつだからね。彼女も分かってくれるさ」
満潮「……誰と仲良くなるかはあんたの勝手だけど、人前でその子の事を話すのはよしたほうがいいと思うわ」
満潮「白露たちに泣きつかれたって、私はそっちの病院にいいツテはないのよ」
時雨「……壁を相手に嫉妬してるの?」
満潮「なんでそうなるのよ! バカッ!」
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・
.
満潮「それにしてもずいぶん遠回りをした気がするわ。私はただオレンジジュースを飲みたかっただけなのに」プシュッ クルクルクル
時雨「我慢した分だけ喜びもひとしおというやつさ、満潮。君の持ってるそれは今ならどんな一級品にだって負けないくらい美味しいはずだよ」プシュッ クルクルクル
満潮「……いいわね」
時雨「……いつでも」
満潮「いつかあんたが、誰でもとびきりの笑顔にできる冗談を思いつけますように」スッ
時雨「……へぇ」
時雨「いつか、君の優しさが他の誰の救いになりますように」スッ
「「乾杯」」ボンッ
満潮「気の抜けた音。でも、こんな間抜けなことやってる私達にはお似合いかもね」クイッ
時雨「乾杯の音なんて気にしなくていいのさ。なにせ僕たちが飲むのは葡萄酒じゃないんだから」クイッ
.
満潮(……美味しい。これが五臓六腑にしみわたるってやつなのかしら)
時雨「満潮、さっきも言ったけどあまり飲み過ぎないようにね」
満潮「もちろん承知してるわ。同じことを二度言われなきゃ出来ないような子みたく扱わないでくれる?」
満潮「だいたい忘れてないでしょうねえ。こうして私があんたの酔狂に付き合ってあげた以上、さっきの意味深な台詞についてちゃんと説明してもらうわよ」
時雨「……なんのことかな?」コテン
満潮「……そんなふうに可愛げに首かしげたって私は誤魔化されないんだから。ちゃんと約束したでしょ?」
時雨「いいや。あの時、君は僕と指切りするのを拒んだ。つまりあの約束は成立していないという……」
満潮「は?」ギロッ
時雨「――なんて屁理屈は通用しないよね、やっぱり。……うーん、どうしようかな。正直、いまさら言葉にして説明するのはひどく野暮だと思うのだけど」
満潮「海の上でなら往生際が悪い子は嫌いじゃないわ。深海棲艦が相手ならなおさら」
満潮「でも、この私を相手取ってそういう面白いことをしようものなら倍返しよ。覚悟しておきなさい」
時雨「待ってよ、満潮。間違っても僕は君を謀ろうってわけじゃないんだ。ただ、意味がなくなってしまったんだよ。僕がやるべきことじゃなくなったのさ」
満潮「……どういうこと?」
時雨「君自身が自分で見つけてしまったんだ。問題を理解するためのきっかけを得る過程としては他人に教わるよりそちらほうが好ましいのさ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
満潮「……だとしても釈然としないわね。あんたはもう大丈夫って言うけれど、私にはそれ確かめるすべがないんだもの。こんな不公平ってないわ」
時雨「やれやれ。不公平とまで言われるなら、ちゃんと説明したほうがいいのかもしれないな。……ちょっと長くなるけど構わない?」
満潮「言ったでしょ。つまんなくっても相槌くらい打ってあげるわ」
時雨「反応があるだけ、さっきの彼女よりは話しやすいね」
時雨「――――そうだな。例えるなら騙し絵みたいなものなんだよ。この世界は騙し絵に溢れてるんだ、満潮」
.
時雨「これは風景画だ、これは並んで立っている二本の木なんだ。そう思ってるうちはそういう風にしか見えない」
時雨「人は自分にとって理解しやすいように世界を解釈しがちな生き物だからね」
時雨「だけどほんの些細なきっかけでその風景画の中に仏蘭西の皇帝を見つけられるのも、また人なのさ」
時雨「そして一度だってそれに気がつけば、それがただの風景画だなんて考えなくなる」
時雨「それが果たして風景画なのか、仏蘭西皇帝の絵なのかはそれを見た個人が好きに決めればいい。この時、本当に着目すべき点は他にあるのさ」
満潮「前置きはもういいわ。……で?」
時雨「つまりそれは新しい価値を見つけられたということ。一つの価値からではなくて二つの価値から選び取れるということ」
満潮「まあ言わんとしてることはなんとなくわかるわ……」
時雨「いいかい、満潮。覚えておく事柄は一つきりだ。それより多くても少なくてもいけない。一つなんだ。それは――――」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~
時雨「――――――――――――――――――――――――ということさ。これだけは忘れないでほしい」
.
満潮「……理屈は分かるのよ。理屈わね」
満潮「……一つ教えて頂戴。あんたが今の言葉を私にとって有益だと考えたのは、何か明確な根拠があってのこと?」
満潮「それとも万人向けのありがたいお説教を頭の中から適当に抜粋しただけ? ――どっちなの?」
時雨「前者だよ。そんなこと訊かなくっても本当はわかってるんだろう?」
満潮「……」
時雨「僕にも覚えがあるのさ。君の抱えてる厄介な自尊心にね」
満潮「……なによ、偉そうなこと言っておいてご同類ってわけ?」
時雨「頭に元って付けられる程度には。だから今の君を見ていられなかったんだ」
満潮「思い出したくもない自分の過去を見てるみたいで耐えられないってとことかしら」
時雨「実はその通り。痛いとこをつかれてしまったね。君へ親切な助言をしようと思ったのは利己的な側面もあるよ。否定はしないさ」
満潮「むしろ利己的な部分のほうが主な理由なんじゃなくて? あんたに親切な人のふりなんて似合わないわよ」
時雨「そのあたりの解釈は君の好きにしたらいいんじゃないかな? 親切なのか、お節介なのかなんて単なる表現の問題でしかないんだから」
満潮「……ふん、まあいいわよ。さっきの言葉、頭の片隅に留めておいてあげるわ。感謝なさい」
時雨「それで十分だよ。その言葉を聞けただけでも、君に鬱陶しく思われてでも言ったかいがあるってものさ」
満潮「……勘違いしてないといいけど、別に私はあんたの言葉に感銘を受けて自分の考えを改めたってわけじゃないわよ」
時雨「今はそれで構わないよ。いつか君にも今の言葉が本当に理解できる日が来るはずだから」
満潮「……知ったような口を利くのね。あんたは万人に理解される主張なんてないことを思い出すべきじゃない?」
時雨「至極まっとうな意見だね。返す言葉も見つからない。だから安心して貰っても構わないよ。僕はこれ以上の野暮ことを言うつもりはないからね」
満潮「……ずいぶん中途半端で投げ出すのね。説明するんならする、説明しないんならしない。はっきりしなさいよ、ったく……」
時雨「あははっ、耳が痛いことこの上ないな」
時雨「……でも、やっぱり君に他人から与えられるものだけで生かされている子供の役は似合わないと思うんだよ」
時雨「事実、君は僕がお節介を始める前に自分で気がついた。君自身の力だけで。一人でも前に進んでいけるたくましさが君には既に備わってるのさ」
満潮「別にそうなろうとしたわけじゃないわ。ただ周りに過剰な期待をするのを止めただけよ」
満潮行きたい場所があるなら、わき目もふらず自分一人で走ったほうがずっと早いって気がついたの」
満潮「……たったそれだけのことよ。それだけのこと」
時雨「僕は君が孤独であることを望まないよ。だけど君がもっとも綺麗に輝く瞬間は、海の上でひとり暁の水平線を睨みつけているときなのは否定できないな」
満潮「……あんたが私をどう美化するのかは勝手だけど、せめて空想のなかだけで留めておきなさい。私はあんたの理想まで背負えるほど艤装の空きはないのよ」
満潮「それに……」
満潮「それに私だって、理想が理想でしかないことくらいは承知してるわ。私が生きてるのは現実なんだもの」
満潮「どれだけ叫んでも一人じゃ変えられないことはある。知ってるわよ……」
時雨「それじゃあ……」
時雨「それじゃあ僕も一緒に叫んであげようか?」
時雨「それでなにが変わるわけでもないだろうけど、少なくとも提督に夜戦を要求してる時の川内の声くらいなら上回れるんじゃないかな」
満潮「……はっ。なによそれ? 私を哀れんでるつもりなの? 僕がお手てつないであげるからもう大丈夫だとでも言いたいのかしら」
満潮「お優しいことね、吐き気がするくらい」
.
時雨「いいや。勘違いしないでほしいね。そんな甘すぎる優しさ、僕は手元においてないよ。それに君の手を握ってあげるつもりもないな」
時雨「そんなことをすれば被弾率が跳ね上がる。曳航目的以外なら勘弁してもらいたいね。それにきっと僕の手は12,7cm連装砲を握ってるから空いていないだろうし」
満潮「……私の理想は別に戦場でしか果たせないってわけじゃないわ。あんまりいい加減に喋ってると、的はずれなことを言って恥をかくのはあんたよ」
時雨「じゃあ君は自分の理想が戦いもせずに勝ち取れると本気で思ってるの?」
満潮「――――っ!」
時雨「揚げ足を取られたくらいでそんな怖い顔をしちゃ嫌だな、満潮。どんな時だって僕は君の味方さ。それはいつまでも変わらない事実だ」
満潮「……そうかしら? 今の言葉、明らかに悪意が込められていた気がしたけど。あんたって味方にも平気でそれを向けるのね」
時雨「向けるだけさ。本当に撃ったりはしないよ。僕の悪意にきちんと敵味方識別装置は搭載されているんだ。援護のつもりが味方を誤射してしまうことなんて万が一にもないさ」
満潮「……次に嚮導役を任されたら単縦陣の時における各員の配置場所を考えなおしたほうが良さそうね」
時雨「ごめん。さっきのは素直に謝るからそれだけは許してもらえないかな。僕は今の位置が、君のすぐ後ろの位置がいたく気に入っているんだ」
時雨「――何かと都合がいいから」
満潮「都合がいい? ……あんた、まさか良からぬことでも考えてるんじゃないでしょうね?」ジトー
時雨「ひどい誤解だよ。僕が君に対して迷惑になることなんてするはずないじゃないか」
満潮「白々しい。じゃあ私の後ろにいるのがどう都合がいいって言うのよ。やましいことがないなら答えられるはずだわ」
時雨「やれやれ。今日の君はとことん野暮なことを僕に言わせたいみたいだね。そんなの」
.
時雨「――――君の背中を守るためだよ。決まってるじゃないか」
満潮「……仲間の背中を守るのは当然ね。でもそれは目の前のそれに限定されないと思うわ」
時雨「もちろんさ。だけどやっぱり君の後ろは譲れないな。君は勇敢な艦娘だからね。勇敢な艦娘ほど戦場では孤立しやすいものさ」
満潮「勇敢なほど孤立しやすい、ね……」
時雨「うん。そして戦場から生きて帰って来られなければ勇敢ですらなくなってしまう。ただ周りが見えてなかった蛮勇の凡例にされてしまう」
時雨「僕は君にそうなってほしくない。僕がきみをそうさせない。だからね……」
時雨「僕は君の背中を精一杯守るんだ」
満潮「……なんだか政治家の決意表明みたいね」
時雨「その一言で僕のこれまでの言葉が途端に胡散臭くなった気がしてならない。遺憾だね」ハァ
満潮「安心なさい。元からよ、それ」クスクス
満潮「……背中を守ってくれるのはありがたいわ。一歩引いて全体を見渡す視野だって大切だもの。でも、時々無性に私の隣で戦ってくれる仲間がほしくなることがあるの」
満潮「背中を守ってくれるのもありがたいけど、どうせなら隣で戦ってくれる気はないの? もちろん、手なんか繋がなくっても構わないから」
時雨「条件が揃えば」
満潮「……何よ、条件って?」
時雨「敵が潜水艦隊だったらってところかな。そうすれば陣形が単縦陣から単横陣に変更するだろうから、僕は君の隣にいけるよ」
満潮「……ふふっ。そうね、潜水艦隊が相手なら単横陣が一番効率がいいのは明白だもの。艦娘として妥当な考えだわ」
時雨「だろう? 複縦陣でも君の隣に行けるだろうけど、何時だか君は複縦陣はどっちつかずの印象があってあまり好きじゃないって言っていたから」
.
満潮「そうね、言っていたかもしれないわ。でも、今ならそのいつかの前言を撤回してもいいかもしれない」
時雨「……その理由を僕に教えてくれる?」ワクワク
満潮「駄目よ、教えてあげない。例え同性にだって明かさない秘密を持ったほうが女の子は早く大人になれるはずよ」
満潮「あいにく、あんたなんかじゃ私は足踏みなんてしてあげないんだから」
時雨「やれやれ。将来のことを考えておいたほうがいいって言ったのは僕だけれど、そんなに急ぐ必要なんてないだろうに」
時雨「ただでさえ僕たちは普通の女の子からいささか逸脱しているんだ」
時雨「子供から大人にはなれるけれど大人から子供には決して戻れない。大人になったら、大人のままなんだよ?」
時雨「なにより一番身近な大人である提督を見てる限り、大人ってそんなに楽しいものでもないと思うな」
満潮「知ってるわよ、そんなの。でもやっぱり早く大人になりたいって思ったの。そう思えたのよ」
満潮「――――――今日、ひとつ理由が出来たから」
.
時雨「……どうせ僕が訊いても理由は教えてくれないんだろう?」ジトー
満潮「雨の振る日は天気が悪いとはよくいったものね」
時雨「……そのことわざを考えた人は情緒が貧困だったのさ。僕は声を大にして言いたいよ」
満潮「あら? 他人の感性をむやみに否定するのはどうかと思うわ。柔軟性に欠けるのね」
時雨「こんな僕にだって譲れないものはあるのさ。しかし他でもない君からの苦言だ。今後はお風呂あがりの柔軟体操を怠らないことにするよ」
時雨「ともあれ君がその理由を教えてくれないのなら自分で考えてみようかな。分からないことを分からないままにしておくのは、どんなことであれ好みじゃないんだ」
満潮「ヒントは必要かしら?」
時雨「くれるの!?」キラキラ
満潮「あげない」ニコッ
時雨「……上げてから落とされると、こんな些細な事でも落ち込むね」ズーン
満潮「ふふっ。せいぜい頑張んなさい」クスクス
時雨「…………」ブツブツ
満潮(……この子は果たして正解にたどり着くかしら? もしかしたら、やってのけるかもしれないわね)
満潮(だって最初はこの子が言い出したんだもの)
満潮(君の背中を精一杯守る、か……)
満潮(今思うと、小っ恥ずかしい台詞ねこれ。まあ、こういうことを平然と言えるのがこの子の持ち味なんでしょうけど)チラッ
時雨「…………」ブツブツ
満潮(……時雨は私の背中を後ろから来る砲弾から守ってくれる。さっきこの子がそういった)
満潮(だけど海の上じゃ砲弾はあっちこっちから飛んでくる。きっと前からだって飛んでくるわ。この子をめがけて前からだって飛んでくる)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
満潮(――――――――私が守るの)
.
満潮(この子が進む航路の先には私がいるわ。私がいてみせる。だから早く大人になりたいと思った)
満潮(もっと勉強して、もっと訓練して、もっと身体が大きくなれば――――)
満潮(この子に向かう砲弾なんて、みんな私が防いでみせる。そのためならにぎり拳ひとつで砲弾だって叩き落としてあげるんだから)
満潮(……訂正。拳で砲弾を叩き落とすのは無理ね、さすがに)ポリポリ
満潮(でも、そうね……)
バショ
満潮(いつかそんな無茶が実現出来たら、私がこの鎮守府に来た意味があったって胸を張れる気がするの)
満潮(味方を守るなんて当たり前のことだし、ここじゃ私達が参加できる戦闘なんてたかが知れてる。けれど……)
満潮(やっと私が目指す場所が見つかった。そんな気がしてならない)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
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・・・・・
・・
・
時雨「――なるほど。そういうことだったのか」ピコーン
満潮「……ああ、あんたまだ考えてたのね。で、どう? 答えは見つかった?」
時雨「うん。……残念ながら確証はないんだけど」
満潮「細かいことはいいから言ってみなさい。聞いてあげるから」
時雨「そうかい? じゃあありがたく。満潮、君は……」
時雨「いや、君も……っ!」
満潮(……も? 勘がいいとは思っていたけど、この子まさか本当に……?)
時雨「……早く一人前のレディとして扱って欲しかったのかい?」コテン
満潮「誰も暁の話なんてしてないでしょ! もうバカッ!」ガー
時雨(かわいい)ニコニコ
非常時用照明 [消灯]パッ
通常時証明 [点灯]ポァ
.
鎮守府 本部
旧エレベーター内 (備考:再起動)
時雨「……やれやれ。どうやら復旧したみたいだね。僕としてはもう少しくらいゆっくりしていても良かったのだけれど」スクッ
満潮「後に予定がつかえてるのよ。新しいお友達とのおしゃべりは次の機会になさい」スクッ
時雨「残念だな。もうちょっとで彼女と分かり合えたはずのに。……にしても提督への報告はいくぶん長引きそうだね」
時雨「恐らくこの件についても聞かれるだろうから」ヒョイッ
満潮「そうとは限らないんじゃない?」
時雨「なぜ?」
満潮「遠征任務の報告だけならいざ知らず、こんな普段起きそうもないことがあったら青葉がくび突っ込んでくるでしょ。秘書艦権限振り回して」
時雨「なるほど。職権の灰色な活用で事情聴取という名で堂々の独占取材か。なんてことはない。慣れ親しんだ彼女の常套手段だね」クスクス
満潮「司令官だって青葉の扱いはもう承知してるはず。青葉が突撃してきたら必要最低限のことだけ済まして後のことはあの子に任せるわよ」
時雨「独占取材、もとい事情聴取は秘書艦室で、かな?」
満潮「どうかしら? あんただって何度か鎮守府の中で見たことあるでしょ? 青葉はペンと手帳さえあればところかまわずってやつよ」
時雨「ちなみに君は青葉のやつぎ早な質問を処理しながら遠征任務の報告書をきちんと正しく書けると思う?」
満潮「……試したことはないけど、できれば遠慮したいわね。どっちも半端な仕事になりそうだもの」
満潮「特に理由がないのなら事情聴取を済ませてから報告書の作成に取り掛かるのが最善のはずよ」
満潮「いざって時にはあんたに青葉をまかせて私は報告書の作成しに行くからね」
時雨「ここまで君に付いてきたんだ。最後の最後で引き剥がされるのはつまらないな。それに青葉が僕一人の取材で満足するとは限らないよ」
満潮「でも効率を考えるならこれが最善じゃないかしら? それとも他に案があるの?」
時雨「そうだなあ……」
時雨「……ねえ、知ってるかい満潮。青葉の取材道具一式ってすべてが防水仕様の特別製なんだ」
満潮「それは初耳だけど考えてみれば当然よね。青葉だって海に出る機会には事欠かないんだから。で、それが?」
時雨「ここで特筆すべきなのは彼女のそれは海以外でも十分に使用可能ということさ」
時雨「ちなみに僕は以前彼女がお風呂場で取材をしてるのを見たことがあってだね」ニコッ
満潮「? ……ああ、そういうこと。だからあんただけ先にお風呂に行きなさいって言ったのに。諦めの悪い子ね、ほんと」ハァ
時雨「吉報を待っていてね、満潮。青葉との交渉はなんとしても僕が成功させてみせるから」
満潮「はいはい。ま、期待しないで待ってるわ」
<ゥゥウウウイイイイイイイイィィィィィィィンンン………
満潮「……事情聴取の件だけど」
時雨「うん?」
満潮「もちろん、一からちゃんと報告するつもり。それが義務だもの」
時雨「そうだね。僕もそう思う」
満潮「でもね、そこに過度な脚色は必要ないと思うの。報告はシンプルであるべきよ」
満潮「だからあんたも、その、わざわざ笑われるようなこと言いふらさないでよね……」
時雨「笑われるようなことだって? 僕には心当りがないな」
満潮「ほら、あれよ……。乾杯のこと」
時雨「……ああ、なるほど。確かに一般的ではないね。でもそんなことで笑えるほどここの艦娘は娯楽に飢えてはいないと思うな」
満潮「……なによ、文句あるわけ?」
時雨「いいや。君が秘密にしてくれというならそうするまでさ。僕だって二人だけの秘密は大歓迎だ」
時雨「知ってるかい? 秘密の共有っていうのは人と人との距離を容易に縮めてくれるんだよ。そう思うとなんかこう、期待しちゃうじゃないか」
満潮「なっ……!」カァー
満潮「バカっ! 私はそんなつもりで言ったんじゃないんだから!」
時雨「あははっ……」
満潮「ちょっと聞いてんのあんた! 私がそんなこと考えてるなんて勘違いしないでよね!」
時雨「うんうん」クスクス
満潮「いつまでニヤけてるのよ! うざいわねっ! その緩みきったほっぺたねじり切るわよ!」
時雨「――――」
満潮「――――――――!」
時雨「――――――――、――――?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・
・・
・
[ Ⅵ ]ポーン
~おしまい~
以上で投下を終了します。
満潮と時雨のほどよい距離感の会話を少しでも楽しんでもらえたのなら幸いです。
二人の会話を書くのが楽しくて少し長くなってしまいました。
少し休んだ後でHTML化を依頼してきます。
お疲れ様でした。それでは
このSSまとめへのコメント
いつ海