[艦これ]番頭さん (616)

注意書

不定期更新
主人公提督じゃない(オリキャラ)
独自設定
ほのぼの系(ほのぼのとはいっていない)
長編(たぶん)
地の文だったり会話形式だったり



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1433065823

かつて、戦争があった。

といっても、数年前の話だけれど。

国と国。宗教と宗教。人種と人種。

それらが互いに互いを殺し合い、多くの死体の山を築いた。

始まりは些細なことだったと思う。どこかの国で他のどこかの国の人が間違って入ってしまったとか。

本当に些細なことだったけれど、そこから坂を転がるようにどんどん大きく戦火は広がり、やがて世界を巻き込んでいった。

それは僕が住んでいた日本も例外ではなくて、当然のようにその炎へと放り込まれた。

故郷、友達、そして……家族までもがその炎に焼かれていった。

当時、深く敵を憎んだ僕は、学生という身分を捨て、希望する友達たちと志願して軍に入った。

理由はもちろん家族と友達を殺した敵を殺すため。

まぁでも、はじめにやっていたことは主に機械の整備だったけれど。なんだか適正があったらしい。

でもそれも日本が不利になるにつれて副業のようなものになり、手にしていた軽いスパナは重たい銃に変わっていた。

銃を持つ期間より、スパナを持っていた期間のほうがずっと長かったはずだけど、何故か僕は銃を持っていた時期のほうが長かったような感覚がある。

結局、僕は敵を憎んではいたけれど、人を殺したりはしたくなかったのだろうと思う。

実際、本当のところはどっちなのかはもうわからないけれど。

いずれにしても、僕が何人敵を殺したかわからなくなって、敵に対する憎しみが自殺願望に変わるころに戦争は終わった。

そのころには軍に志願した友達たちはみんないなくなっていた。

戦いは何も生まないとか聞いたことがあったけど、本当にその通りで、終わったころには僕にはもう何も残っていなかった。

世界中は戦争に疲弊し、どこかの偉い人が「もう二度と戦争などしない」とか言っていたような気がしたが、もうそんなことどうでもよかった。

やっと自分が敵を殺さなくて済む、そのことのほうが僕にとっては重要だったんだ。

でも、その喜びはすぐにぬか喜びとして変わってしまった。

戦争が終わってからすぐ僕が軍に退役願いを出そうとしたころ。……今からで言うと半年前くらいだろうか。

深海棲艦という未知の生物からの襲来を受けたんだ。

深海棲艦との名の通り、海からその姿を現し、世界に同時攻撃を仕掛けた。

それらに人類は抵抗したものの、戦争に疲弊した世界に抗うすべはなかった。

海路を中心としたアクセスは分断され、補給を受けることのできない島国や、武器を作ることのできない国々は深海棲艦の進行のうちに飲まれ

人類の棲息圏はみるみるうちに収縮し、武器の開発が進んだ先進国を残すのみとなってしまった。

その先進国たちも何とかと深海棲艦の進行を防いできたが、敵の特性、戦争による疲弊、補給路の分断による慢性的な物資、人材の不足に悩まされ均衡を保つのがやっとというもので

現状が続けば、いずれは必ずその均衡は破られるという絶望的な状況だった。

当然そんな状況で僕の軍の退役が認められる訳もなく、軍への残留命令を受けた。

その命令を受け、僕はすぐに前線への配属願いを出した。

理由は、ただ死にたかったから。

戦争になるのならば、いずれにしても命を奪い、奪われる恐怖から逃げられることはできない。

それなら、すぐにでも敵に特攻し、それらの恐怖から逃げようと思ったんだ。

しかし、軍はそれを許可しなかった。

代わりにある部署への配属を通達してきた。

その部署名は『キサラギ』

その名前を聞いて、僕は顔をしかめてしまう。

人間同士の戦争の時からキサラギという部署は存在していたが、当時から嫌な噂しか耳に入ってこなかったからだ。

軍には昔から二つの武器開発の部署があった。

ひとつは有澤、もうひとつが件のキサラギ。

有澤が主に武器開発や製造を担い、キサラギがそのサポートを行う、という立場と公にはそうなっている。

だが実際には、キサラギは有澤のサポートを行わず、全く別のことをやっているという。

その内容は、人体実験や生体兵器の開発。

あくまでそれらは噂だけど、今まで僕が整備を行ってきて、キサラギから部品が送られてくることはなかったし

キサラギに呼び出された同期の女の子は何故かそこから帰ってこず、いつの間にか戦死扱いにされていたりしていたから

余計にその噂が真実味を帯びていた。

そんな嫌な噂ばかりの部署への配属。いい気分はしなかった。

けれども、僕はその配属命令を受諾した。

もう自棄になってしまっていたというのもあったけど、それよりも人体実験で殺してくれるかもしれないという期待があったから。

ただ、人体実験で誰かを殺すのだけは簡便だけど。

ああ、どうか、僕を早く殺してくれますように。

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時は流れ、キサラギからの配属命令を受けて半年、つまり現在。

僕はとある鎮守府に配属の命令を受け、車でそこに向かっていた。

眼前には立ち並ぶ廃墟、大きな海と、明らかに周囲から浮いている大きな基地。

ここが鎮守府。深海棲艦に対抗するための基地だ。

「ここが鎮守府かぁ」

眼前に広がる基地にボソ、と一人ごちる。

結局僕が願ったことは一つも叶うことはなかった。

そう、ひとつも。

それなのに僕はこうしてのうのうと生き延びている。

どうにもままならないものだ。

やがて車は基地への道を塞ぐゲートへたどり着いた。

それと同時に年端も行かない少女が管理室から出てくると、僕の車の運転席のほうへ駆けてきた。

「お、お疲れ様ですっ!所属はどこですか?」

たどたどしく敬礼し尋ねてくる少女に僕も敬礼を返す。

「お疲れ様です。キサラギから配属されました『番頭』です」

それと同時に身分証明書を彼女に渡す。

おっかなびっくりとそれを受け取ると、彼女はそれに目を通す。

「あっ、確かに。ば、番頭さんですねっ!お待ちしておりました」

そう言うと彼女は管理室にとてとてと駆け戻りゲート開閉のボタンを押した。

それに敬礼でお礼を告げると開いていくゲートに車を滑り込ませる。


ここから僕の番頭としての仕事が始まる。

僕はそのスタートを深い、深いため息で受け入れた。

続く



僕が配属された場所は日本の中でも1、2を争う激戦地であり、本土北方の守りを担う青森県八戸市に構える鎮守府だ。

激戦区になっている事には当然理由がある。

海に面しているということはもちろんだけど、それ以上に北海道からの補給線がこの港に通じているという事が第一にある。

北海道は現在の日本の食糧庫兼資材庫。この補給線が分断されれば、たちどころに物資が不足してしまう。

はじめ深海棲艦はこの鎮守府を軽視し威力偵察程度に留めていたけど

補給線であることに気付いてから最重要拠点として認識した様で、激しい攻撃を開始した……とのこと。

「へー……流石最前線」

敷地内を車で走らせているとと、ころどころ着弾の跡があり戦闘の激しさを物語っている。

それを横目に制限速度20kmの指示に従いゆっくりと車を進めていく。

その中でふと気付いた。

「司令室の場所何処だっけ」

一度車を脇に寄せ、もう一度キサラギから貰った案内図に目を通す。

しかし、そこに載っているのは基地の場所だけで、司令室等の場所は書いてなかった。

前々から思っていたがやはりあの組織はいい加減だ。

「まいったな……。さっきの子に聞いておけばよかった」

首に手を当て、どうしたものかと思案していると

ふと、向こうから歩道を歩いてくる女の子たちが目に止まった。

「あの子たちに聞くか」

狭い車の中から体を這いださせると、彼女たちの方へと向かう。

彼女たちもこちらの存在に気付いたようで、立ち止っていぶかしむ視線を向けてきた。

それはそうだ。知らない男が近づいてくるのだから。

「お疲れ様です」

心の中で溜息を吐きながら、敬礼と共に彼女たちに話しかける。

突然の事にうろたえながらも彼女たちもぎこちなく敬礼で返して来てくれた。

「お疲れ様です」

その中でも比較的平気そうな女の子が返事をしてくれる。

その子は黒く綺麗な髪を背中まで流し、大人っぽい雰囲気をした子だった。

よし、あんまり動じていないようだし、この子に聞こうか。

「本日付でこちらに配属となりました番頭です。よろしくお願い致します」

「あっ、貴方が番頭さんなんですね。よろしくお願いいたします」

背筋を正し敬礼をしてくれる。そんなことしなくたっていいのに。

「番頭……?」

後ろにいた明るい髪の眼鏡の女の子が首を傾げる。

「もう、望月さん聞いてなかったんですか?」

望月「聞いてなかった―」

「だめじゃないですか。折角提督さんから直々にお知らせしてくれたのに」

望月「あーごめんごめん、めんどくさくてさー」

「もう!」

望月「そんな怒んないでよー三日月ー」

目の前できゃいきゃいと二人の女の子が騒ぎ始めたことで完全に聞くタイミングを失ってしまった。

まいったな。行く時間が決まっているのだけど……。

「二人とも、番頭さんが困ってますよ?」

首に手を当ててどうしたものかと思案していると、後ろにいたふわっとした雰囲気の女の子が騒ぐ二人に声を掛けた。

三日月「あう……」

望月「ふー」

三日月と呼ばれた子はバツが悪そうに目を反らし、望月と呼ばれていた子は助かったと言わんばかりにふう、と息を吐いた。

これで話しが出来そうだ。

「すみません、番頭さん。二人が騒ぎたててしまって」

「いえ、構いませんよ」

「それで、私たちになにかご用でしょうか?」

にっこりと笑い、可愛らしく小首を傾げる。

うーんあざとい。ちょっとこの子は苦手だ。

まぁそんな個人的なことはどうでもいい。司令室の場所を聞かなくちゃな。

「提督殿にご挨拶に参ろうと思ったのですが……お恥ずかしながら司令室の場所がわからず、困っていたのです。お手を煩わせてすみませんが、教えて頂けませんか?」

「あら……それはお困りでしたね。でも丁度良かった。これから私たちも遠征の報告に行こうと思っていたんです。よければ一緒に行きませんか?」

もう一度目の前の彼女は小首を傾げる。あざとい。

まぁそれはどうでもいいとして……遠征か。わかっていたけどこの子たちも艦娘なんだな……。

ともあれ提案だけど、言葉で案内されるの苦手だしありがたい。ここはお言葉に甘えるとしよう。

「ありがとうございます。それではお願いしてもいいですか?」

「はい。もちろんっ」

「お礼と言ってはなんですが、車にお乗りください。お送りしますよ」

望月「え、車に乗れんの?ラッキー」

三日月「望月さんっ」

「勿論。これぐらいのお礼しかできませんが、よろしければどうぞ」

またきゃいきゃい騒がれてはたまったものではないので、無理に割り込んだ。

そんな僕の内心も知らず望月と呼ばれた……もういいや。望月ちゃんはえへへーと笑う。

望月「ありがとー番頭さん。あんたいい人だねー」

三日月「もうっ!そんな失礼な言葉づかいっ」

「いえいえ。構いませんよ。僕はただの番頭ですし、階級的には皆さんより下になりますので言葉づかいも自由になさってください」

ニッコリ笑って三日月ちゃんに釘を刺す。これできゃいきゃい騒ぐこともないだろう。

望月「やーホントいい人だねー。これからよろしくー」

三日月「ば、番頭さんがそういうなら……」

思った通り真面目そうな三日月ちゃんは階級の事をいうと静かになった。

こういうタイプは上下関係に敏感だからな―。

「すみません。お気遣い頂いて……」

ほほに手を当てて困ったように笑うふわっとちゃん。あざとい。

「いえいえ。それではどうぞお乗りください。少し狭いですが」

望月「わーほんとせまー」

はやっ。もう乗ってる。まぁその方が手っ取り早いしいいか。

「さぁみなさんもどうぞ」

三日月「……すみません。お邪魔します」

「ありがとうございます~」

三日月が車に乗り込み、続いてふわっとちゃんも社内に乗り込……むところで、足を止め、体を僕の方に向けてきた。


「どうかされましたか?」

「いえ~、私、番頭さんに名乗って無かったと思いまして」

なるほど。まぁ僕はふわっとちゃんでいいんだけど。多分もうあんまり関わることもないだろうし。

ふわふわしてるけど、こっちの気も使えるしちゃんとした子だな。苦手だけど。

「そうでしたね。お名前を窺っていませんでした」

「ふふ、すみません。私―――」


「如月といいます。よろしくお願いしますね。番頭さん♪」


そう彼女は、今日1の抜群スマイルで名乗る。


「よろしくお願いします。如月殿」


彼女の笑顔に敬礼で答える。

……それにしても如月か。

苦手なものには苦手なものが重なるもんだなぁ。

まぁとにかく、車に4人乗せたし、やっと出発できるな。

運転席に乗ったし、エンジンを……。

……4人?

思わず後部座席に振り返ると白い髪の子と目が合う。

「……何?」



誰だこの可愛い子。




後で解ったけど菊月と言うらしい。

なんか喋ってよ……。

――――――

如月ちゃん達の案内通りに車を走らせると、やがて小さな平屋の古い建物が見えてきた。

提督の住む場所としてはやや質素な印象を受ける。

如月ちゃんによると、なんでも以前から建ててあった物を利用し、司令室として使っているらしい。

あんまり顕示欲のない人なんだろうか。まぁこんな前線で顕示欲もへったくれもないけど。

ぼんやりとそんな事を思いながら車を建物の前に付け、運転席から降りる。

それに続くように如月ちゃん達も降り、狭い車内から解放された為か、思い思いに体を伸ばしてたりして固まった体をほぐしていた。

望月「んーかえってきたぁー」

日月「あ、望月さん、襟曲がってる……。もう、提督の前に行くんですからちゃんとしないと」

望月「あ。ありがとー三日月ー」

ブツブツ言いながらも三日月ちゃんは望月ちゃんの乱れた服装を直してあげていた。

面倒見いいなー。ちょっと口うるさいけど。

望月「あ、番頭さんありがとねー助かっちゃったー」

三日月「ありがとうございます。助かりました」

如月「ありがとうございます♪」

菊月「……感謝する」

四者四様に礼を言ってくる。

そんな彼女たちに僕は笑顔を作って見せた。

「いえいえ。司令室を教えて頂いたお礼ですから。それでは……」

会話は終わりと彼女たちに背を向けると、入り口の扉にあるインターホンのスイッチを押しこんだ。

……。

なんの音もしない。

三日月「あ、そのインターホン壊れてるんです。以前、基地に直接攻撃を受けた時に焼かれちゃったみたいで」

菊月「……」コクコク

望月「あーあの時かぁ。いやーあの時はめんどくさかったなー」

如月「大変だったね~。提督がいなかったらどうなってたか……」

三日月「ですね。……ちょっとえっちなところさえなければ文句なしなんですけど」

如月「私、それも提督の魅力だと思う♪」

三日月「ええ……?」

望月「いやーホント如月は提督LOVEだねー」

如月「うふふ……♪」


インターホンの話題を皮切りに提督トークが彼女たちの中で始まった。

提督の話をするときの彼女たちの顔はそれぞれだが、時折見せる笑顔が提督への信頼(それ以上の物もあったけど)が垣間見えた。

信頼されてんだな―。なかなか有能みたいだ。

まぁそれはそれとして。

また話が進まなくなってしまった。会話を遮るのは申し訳ないし、メンドクサイけど、もう約束の時間だし、のんびりしてられない。

「なるほど。提督殿は信頼されているようですね。噂には聞いていましたが、やはりその通りのようですね」

提督を褒められてそれぞれ満足そうな顔をする。君たち提督のこと好き過ぎぃ。

「ただ、申し訳ありません。もう少し提督殿の話を聞いていたいのですが、約束の時間が迫っていまして……。どうやって伺ったら良いでしょうか」

望月「あー勝手に入っていいよー。そういうのてーとく気にしないし」

「そうなのですか?」

なんとなく不安になって感所の保護者的なポジションの三日月ちゃんを見る。

視線を向けれらると三日月ちゃんは困った様な顔を見せてきた。

身うちは良いんだけど半分部外者にそんな事させていいのか、って感じかな。真面目だねえ。

「そのようですね」

そんな彼女に責任を押し付けるのもあれだし(面倒だし)勝手に入るとする。

引き戸を二回ノックし声を掛ける。

「キサラギより配属されました、番頭と申します。失礼します」

扉をくぐるとそこは雪国じゃなくて、タイル貼りの玄関でした。

なんだこれ。普通の民家か。

とても司令室棟とは思えない内装に目をやっていると、部屋の中からぱたぱたと走る音が近づいてきた。

そう間もなくすると、和服を着て髪をうしろに一本にまとめた女性が現れた。

「いらっしゃいませ……ってあら?貴女達も?」

望月「ただいまー鳳翔さん」

三日月「ただいま戻りました」

如月「ただいま~」

菊月「……ま」

鳳翔と呼ばれた女の人にそれぞれ挨拶をする。

提督にもよるが、大体の人は秘書艦というものを自分に付けるらしい。彼女がそうなんだろうか。

「ふふ、おかえりなさい。遠征の報告に来たの?」

三日月「はい。それと、番頭さんの案内で」

話を振られたので身仕舞を正し、敬礼を鳳翔さんに向ける。

「本日付でキサラギより配属されました、番頭です。よろしくお願い致します」

「航空母艦、鳳翔と申します。提督の秘書艦も務めさせていただいております。こちらこそ、よろしくお願い致しますね」

膝を付き、頭を下げる。……提督から話は聞いている筈なのに、どうしてこんな態度なんだろうか。

もっと酷い扱いをしてくれて良いのに。

「……鳳翔殿、頭をお上げください。私は貴方より階級が下の扱いです。そんな事されては困ります」

鳳翔「いえ、これから私たちの生命線になって頂ける方ですもの。この位しても罰は当たりませんわ」

「……」

妙な空気が僕たちの中を流れる。まいったな、如月たちもそれを感じてか黙っちゃったし。

この雰囲気をどうしようか考えていると、鳳翔さんはふふ、とほほ笑んだ。

鳳翔「……とはいえ、止めろとおっしゃっていることを続ける程、私は性悪ではありません。お言葉に甘えさせて頂きますね」

知らないうちに困った顔していたのだろう。鳳翔さんは僕の思いを掬い取ってくれたようだ。

「すみません」

鳳翔「いえいえ。それでは、提督の所へご案内致しますね」

鳳翔「貴方達、少し応接室で待ってて貰える?」

「いえ、私のご挨拶は後でも」

如月「私たちは大丈夫ですよ~。ただちょっと報告するだけだし、ね?」

そう言って如月は周りの面々に首を回す。

菊月「……」コクリ

三日月「はい。問題ありませんよ」

望月「大丈夫大丈夫ー。……あ、これに乗じて報告サボれるかも……」

三日月「もうっ!望月さんっ」

望月「冗談、冗談だよー……」

如月「ということですから、番頭さんお先にどうぞ♪」

「……わかりました。ありがとうございます」

報告の方が大事じゃないのだろうかと一瞬思ったが、また譲ったところで譲り合になるだろうから、お言葉に甘えることにした。

鳳翔「それでは、ご案内いたしますね。こちらへどうぞ」

そう言って鳳翔さんは中へ歩き出した。

望月「番頭さん、まったねー」

それに続いて歩き出そうとしたところで、望月ちゃんが手を振ってくれる。それに続き、他の子達も手を振ってくれた。

そんな彼女たちに頭を下げ、僕は鳳翔さんの後を追った。

鳳翔「いい子たちでしょう?」

歩きながら、鳳翔さんが微笑んでくる。その笑顔には如月たちに対する確かな愛情の様なものが感じられた。

「ええ。本当に」

そんな彼女に僕は顔を伏せながら、小さく、小さく答えを返した。


鳳翔「こちらになります」

歩いて数十秒だろうか。司令室にはすぐ辿り着く事が出来た。

鳳翔さんにもう一度お礼を言い、扉の前に立つ。

二回ノック。……返事はない。

鳳翔「あれ?おかしいですね……。番頭さんを待っている筈ですが」

鳳翔さんが首を傾げる。

提督は部屋にいないという事は無いだろう。部屋の中からペンを走らせる音がするのだから。

部屋にいるのに返事をしない。それはこちらを歓迎するつもりはない、ということなんだろうなぁ。

しかし、ただ返事を待って部屋の前でぼーっとするのも時間の無駄だ。

「本日付でキサラギより配属となりました、番頭です。失礼いたします!」

今度は返事を待たず扉のノブを回す。鳳翔さんは少し戸惑っていたが、まぁしょうがないか。

そうして開け放たれたドアの先には、提督と思われる男性が机の上で書類を書きあげていた。

無断に入ってきた僕を睨むように見据える。心の中で小さく溜息を吐いた。

鳳翔「提督、いらしてたんなら返事ぐらいしてください」

鳳翔さんの窘めに提督とよばれた男はからからと笑った。

やはりこの男が提督のようだ。

提督「はははっ、悪い悪い。仕事に集中していてな」

ペンを置くと、提督は椅子から腰を上げ、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。

提督「お前が番頭だな。今日からよろしく頼む」

僕の前まで歩いて来ると、敬礼の態度をとる。

しかし、そんな態度を取る男の瞳の内には親愛の文字は一つもなかった。代わりに映っていた物は

敵意、そのものだった。

「はっ、よろしくお願い致します」

こちらに向けるものが敵意だろうがなんだろうが、これから戦場を共にしなければならない。

僕は彼の敵意を敬礼を返事として行った。

提督「鳳翔、少し席を外してくれ。番頭どのに話しがある」

声を掛けられた鳳翔さんは困惑の表情を浮かべている。

提督がいつもの様子とは違ったように見えるんだろう。

鳳翔「……わかりました。御用があればお呼びください」

提督「ああ。悪い」

提督の言葉に、心配げな表情を受けべながら、鳳翔さんが部屋を後にする。

司令室には提督と僕、二人の男だけが残された。


提督「かけてくれ」

「はっ」

応接用のソファーを指差す。そこに腰を降ろすと、提督は向かい合わせに置いてあるソファーにどか、と腰を降ろした。

提督はズボンのポケットまさぐると、そこから煙草を取り出し、火を付けた。

提督「さて、番頭」

肺に溜めこんだ煙と共に提督は言葉を吐き出す。

煙草吸いたくなるから止めて欲しい。

「はっ」

提督「何が目的だ」

「艦娘、および艦装の修繕、改修。また、入渠装置の管理であります」

提督「そうだな。表向きはな」

勢い良く煙を吸い込むと、溜息を吐くように煙を吐き出す。

提督「しかし、お前はキサラギだ。あの、人外非道のな」

「はっ」

提督「認めるんだな。……まぁいい」

事実だし、否定しようがない。

僕自身キサラギは畜生にも劣るし、どうしようもない汚物だと思っている。

そして、そこに所属する僕自身も。

提督「あのド畜生のキサラギが寄越した人間……俺は何か裏があると思っている」

提督「それを話せ」

「艦娘、ならび深海棲艦のデータ採取、または可能であれば、深海棲艦の捕縛」

「また、提督殿の監視、であります」

提督「……案外あっさり話すんだな」

あまりにもあっさりと裏の目的を吐いた為か、提督は目を丸くしている。

まぁキサラギからも黙っておけとの命令は来てないし、話さない必要もないしなぁ。

黙っておくものが暗黙の了解であるんだろうけど、それを守るほどキサラギに義理だてる必要もない。

「秘匿する必要も命令もありませんので」

提督「ははっ、なるほどな。お前の目的は解った」

打って変わって機嫌よく煙を吐き出す。解りやすい男だ。

今なら僕の話も多少聞いて貰えるだろう。

「提督、発言してもよろしいでしょうか」

提督「いいだろう。なんだ」

「キサラギはサンプルを探しております」

提督「サンプル……か。やはりな」

この一言で大体のことは察したようだ。

この男、艦娘たちの信用を受けるだけあって、やはり頭も切れる。

提督「番頭、お前どうせキサラギに報告書を送るだろう」

「はっ」

提督「送る前に一度俺に見せろ。必要であれば修正を加える。その上で送れ」

「はっ」

提督「それと解っているだろうが、お前の外部提出書類は全て監視する。俺への虚偽の報告書は通用しないと思え」

「はっ」

提督「お前の全ての行動に監視を付ける。妙な動きを見せれば即拘束させる」

「はっ」

提督「それとお前の持ち物は全て調査させて貰う。電子機器関係は全て没収する。やむをえず使用する場合には俺に許可を貰え」

「はっ」

提督「以上、従えないようであれば即刻、キサラギへ送還する」

「はっ。異論ありません」

そこまで言って提督は面白いものを見たように口元に笑みを見せた。

提督「随分素直だな。そこまでされてもばれない自信があるのか?」

「ここまでされては浅慮な私ではどうすることもできません」

提督「そうか」

そういうと、提督は満足げに笑みを見せる。

そして吸っていた煙草を揉み消すと、おもむろに立ち上がった。

提督「立て」

「はっ」

提督「俺の目を見ろ」

「はっ」

その言葉に従って立ち上がり、提督の目を見据える。

彼の眼光はとても鋭く、僕の何かを見透かそうとしているようだった。

提督「お前、キサラギをどう思う」

「軍の一機関です」

提督「違う。個人的にだ」

「畜生にも劣る、クソ以下の存在です」

長い沈黙が訪れる。

その間、僕も提督も目を反らすことは無かった。

やがて提督は満足したのか、満面の笑みを見せる。

提督「わかった。八戸鎮守府へようこそ番頭。お前を歓迎する」

「はっ」

提督「下がって良いぞ。後ほど案内役兼監視役を手配する。応接室で待っていてくれ」

そう言うと提督は自分の椅子へ戻ろうとする。

けれど、今はそうさせる訳にはいかなかった。

彼にどうしても聞きたい事が一つあったから。

「ひとつ、よろしいでしょうか」

提督「なんだ」

「私の目を見て頂けますか」

下官が上官に命令まがいの依頼。

粛清を受けてもしょうがない行為だ。

提督「いいだろう」

それでも彼は承諾してくれた。思った通り器の大きい男だ。

一息つき、再び僕は提督の目を見据える。

「提督、貴方はご自分の事をどう思われていますか」

その言葉に提督の瞳の中に暗い淀みが溢れる。

それでも提督は僕の目から視線を外すことは無かった。

少しの沈黙ののち、提督はこう言い放った。


提督「ド畜生の行為を利用して生き延びている……クソ餓鬼さ」

続く

-------

「失礼致しました」

音を立てず、司令室のドアを閉める。

疲れた……。なかなかの威圧感だったな。さすが提督を名乗ることだけはある。

「番頭さん」

「ああ、鳳翔殿。お話は終わりましたよ」

解放感を噛み締めていると、待機していた鳳翔さんが声を掛けてきた。

その表情にはまだ不安の色が残っている。

鳳翔「あの……大丈夫でしたか?」

「大丈夫、とは?」

まったくピンとこないので思わず首を傾げてしまう。

鳳翔「いえ、あの人……ではなく、提督が失礼なことをしませんでしたか?」

「いえ。特に何もありませんでしたが。挨拶をして、少し業務内容について確認していただけですよ」

鳳翔「そう、ですか?それならばいいのですが……」

嘘は言っていない。挨拶をしてやることを話しただけだ。

「提督殿のこと、ご心配ですか?」

鳳翔「あ、い、いえそういうわけではっ」

両手を顔の前でぶんぶんと振る。

うん、この人も提督同様結構わかりやすい。

「鳳翔殿がご心配なされるようなことはありませんでしたよ。ご安心ください」

安心させるためににっこりと笑顔を作る。

落ち着いていた方が聞きたいこともすんなり聞けるしね。

鳳翔「……はい」

心底安心したように息をつく。

提督さんめちゃくちゃ慕われてますよ。

「すみません鳳翔殿、お聞きしたいことがあるのですが」

鳳翔「は、はい?なんでしょう」

「応接室はどちらにありますか?そちらに提督殿が案内の方を寄越していただけると聞いたものですから」

鳳翔「そうですか。でしたらこちらになります」

「ありがとうございます。……あ、そうだ」

ふと、如月ちゃんたちが遠征の報告があることを思い出した。

せめて話が終わったことぐらいは伝えなきゃな。

鳳翔「はい?」

「如月殿方も今そちらにいらっしゃるのですよね」

鳳翔「そうですが……あ、遠征の報告の事ですか?」

「はい。お話しが終わったことを伝えるに丁度良かったと思いまして」

鳳翔「ふふ、そうですね。すみません、お気遣い頂いて」

「いえ。先を譲っていただいたのですからこれくらいはさせて頂かないと。それに如月殿方は直属ではありませんが、上官でもありますので」

鳳翔「あの子たちが上官、ですか……。ふふ、なんだか考えられませんね」

普段の如月ちゃんたちを思い出しているのか、鳳翔さんは優しく微笑む。

それはまるで娘を見る母親のようだった。

その若い姿でその表情が出せるなんて、なかなかできることじゃないよ。さす鳳!

「普段の如月殿方のお姿は解りませんが……。私にとって艦娘様は上官です」

鳳翔「そう、なのですよね。……うーん」

少し距離をとった言い方に、鳳翔さんは困ったように笑う。

僕はこれがベストだと思うんだけどな。

鳳翔「なんだか今まで上官、下官なんて意識してきませんでしたから、なんだか違和感が……」

それは如月ちゃんや鳳翔さん達の雰囲気から解る。

戦闘中はともかく、それ以外は穏やかに過ごしてきたんだろうなぁ。

鳳翔「番頭さん」

少しの間何かを考えるように頬に手を当てていた鳳翔さんが、意を決したように僕の名前を呼んできた。

何を言おうとしているのか察しはついていたけど、知らない体をしておくことにした。

「はい」

鳳翔「番頭さんが良ければなんですが……普段通りにお話していただけませんか」

やっぱりこうきたか。

鳳翔「その方が私たちも話しやすいですし、番頭さんも皆と仲良くなれるのではないかと思いまして……」

鳳翔「どう、でしょうか?」

不安げに僕の顔を覗き込んでくる。

返す答えは決まっているのだけど……どう返したものかな。

まぁいいや。差し障りない感じで返しておくか。

「……申し訳ありません。お恥ずかしながら私は融通が利かないものでして、職務中に崩した話し方をするのは苦手なのです。ですから……」

「ですが、それが命令であれば従います」

鳳翔「命令、というわけではないですが……」

そう言って鳳翔さんはシュンとしてしまう。

負い目が叫び、良心が痛む。

僕に仲良くなる資格なんかないのになぁ……。

「……いつかは砕けた話し方が出来るよう努力します。下官がお願いするのもおかしいですが、それまで待って頂けないでしょうか」

これは嘘だ。今後砕けた話し方をするつもりもないし、する資格もない。

それでも鳳翔さんは僕の言葉にぱあ、と笑った。

鳳翔「……はいっ!」

「ありがとうございます」

それが余計に僕の良心と負い目が刺激する。

言わなきゃよかったなぁ……。

「……鳳翔殿、そろそろ行かなくては」

鳳翔「あ、そ、そうでしたね。すみません、私ったら」

「いえいえ。構いませんよ。……お気遣い、ありがとうございます」

鳳翔「……ふふ、いえ。それでは行きましょうか」

「はい」

そこでようやく、鳳翔さんは応接室の方へと歩き出す。

しんどい問答だったなぁ。まぁ自分のせいなんだけど。

心の中で溜息を吐いていると、ふと、視線を感じた。

「……ん」

鳳翔「どうかされました?」

「ああ、いえ、なんでもありません」

まぁ新たに入ってきた異物だし、見られていても不思議じゃないか。

それにおそらく見ていたのは艦娘だろうし、危害を加えることもないだろう。

-------

鳳翔さんの後を着いて行くと、すぐに応接室まで着く事が出来た。

そのまま鳳翔さんは扉を二回ノックする。

三日月「はい」

中から三日月ちゃんの声が返ってきた。それに合わせ、鳳翔さんが扉を開く。

鳳翔「みんなお疲れ様。番頭さんの話、終わりましたよ」

望月「あー、終わっちゃったかー」

三日月「もう、またそんな事言って」

如月「まぁまぁ。……あら?番頭さん?」

望月「おー番頭さんまた会ったねー」

三日月「お疲れ様です」

菊月「御苦労」

「お疲れ様です」

さっきと同じようにまた、四者四様に挨拶してくれる。

それに僕は敬礼で返した。

如月「それで番頭さん、提督はどうでした?」

キラキラとした瞳で覗きこんでくる。

好きな提督がどう評価されたのか気になるんだろう。

提督さんめちゃくちゃ慕われてますよ(二回目)

「そうですね。お話しで窺った通り、素晴らしい方だと思いました」

如月「そうですか~。そう言って頂けると嬉しいです♪」

如月ちゃんだけでなく、他の皆も自慢げだ。

提督さんめちゃくちゃ慕われてますよ(三回目)

鳳翔「はいはい皆、番頭さんはお疲れなんですから、休ませて上げてね」

鳳翔「それと、もう皆も提督に報告いかなくちゃ、でしょ?」

「「「はーい」」」(コクリ)

鳳翔さんの一言に皆素直に首を縦に振る。

ホントお母さんみたいだなぁ。

如月「それじゃあ番頭さん、またお会いしましょうね♪」

三日月「失礼します」

菊月「さらばだ」

望月「まったねー。あ、また車乗せてねー」

「ええ。また機会があれば」

そうして、きゃいきゃいと騒ぎながら四人組は応接室を出て行った。

鳳翔「ふふ。それでは番頭さん、ごゆっくり。案内のかたはもうすぐ来ると思いますので、少し待っていてくださいね」

「はい、わかりました」

鳳翔「失礼します」

そう言って鳳翔さんも彼女たちにならう様に応接室を出て行き、そこに僕一人だけが残された。

ようやく一人になれた。

そう一息つくと、周囲を確認する。テーブルの上に灰皿確認。吸えるみたいだな。

空気が籠らないよう窓を開け、テーブルの前のソファーに腰掛かける。

そしてポケットの中にしまっていた愛飲の煙草を取り出した。

もう半分もないな……。ここに同じものが置いてあればいいんだけど。

煙草の箱の底を指で軽くはじき、飛び出してきた一本を飛び出さないように抑える。

抑えた煙草を口に運び、咥え出すと、ライターの火打石をこすって点火し、その先端に火をつけた。

そしてそのまま、煙を吸いだす。

……うん、うまい。

煙草の箱とライターをテーブルの上に置き、深くソファーに腰掛ける。

そうすると、心が落ち着いたのか耳が周囲の音を拾い始めた。

煙草が燻る音。

時計が秒針が刻む音。

開け放った窓から穏やかに吹き込む風の音。

そしてその向こうから聞こえてくる穏やかな波の音。

「落ち着くな」

思わずひとりごとを言ってしまう。まずいなリラックスしすぎだ。

でもまぁそれもしょうがないかもしれない。

聞こえてくる穏やかな音。

吹き込むぬるくもつめたくもない風。

肺を満たす紫煙。

座り心地のいいソファ。

心を弛緩させる要素がこれだけあるのだから。

「こんな所でずっと暮らしたかったな」

叶わないことなんかわかってる。でも、そう口に出してしまう。

もう、どうしようもないところまで来ているというのに。

煙草を灰皿にもみ消し、目を閉じる。

どうせすぐにこの時間は終わる。それなら楽しめるうちに楽しんでおこう。

短い安息の時間を楽しんでいると、扉から小さくノブが動く音がしてきた。

ノックがない。ということは監視役の到着というわけではなさそうだ。

うっすらと目を開け、ドアのほうを確認する。

するとそこには上下に並ぶ、二つの覗き込む瞳があった。

その瞳は好奇心にゆらゆらと揺れている。

二人か。たぶんさっき僕を見ていた子たちだろうな。

ただ見られているだけなら害はないか。放っておこう。

また僕は瞳を閉じ、安息の時間へもどろうとした。

すると扉の向こうからこそこそと話し声が聞こえてくる。

「寝てるぴょん?」

起きてるよ。

「多分~」

起きてるって。

「いまなら近くに行っても大丈夫ぴょん!」

いや大丈夫じゃないよ。そして声デカいよ。

「だ、駄目だよ~起きちゃったら大変だよ~」

よし、がんばれのんびりちゃん。

「大丈夫大丈夫ぴょん!なにかあったらふみちゃんはうーちゃんが守るぴょん!」

なんもしないけどさ。放っておいてください。

「ほんと?」

押されそうにならないでふみちゃん。

「ほんとぴょん!それに今は完全に寝てるから絶対大丈夫ぴょん!」

うーちゃんやめて。ふみちゃん頑張って。

「うーんそれなら大丈夫かな~」

駄目かふみちゃん。押し切られちゃったよふみちゃん。

「もちろんぴょん!それじゃあ突撃~」

「お~」

二人呼吸を合わせ、静かに扉を開けてくる。

ああ、入ってきちゃった……。

いやでも待てよ?このまま寝てるふりをしていれば飽きて出て行ってくれるか?

うっすらと目を開け、入ってきたうーちゃん(仮)とふみちゃん(仮)の姿を確認する。

うーちゃん(仮)は声の通り活発そうな子だな。ふみちゃん(仮)も声のイメージの通りの子だ。

服は如月ちゃん立ちと同じ制服か。同じ部隊の子なんだろうか。

そんなことを考えていると、女の子たちは僕の目の前まで近づいてきた。

「はへ~この人がばんとうさんなのかなぁ?」

「きっとそうぴょんっ。ふふふ、それにしてもうーちゃんの前で寝るなんて、ゆだんたいてき?ぴょん!」

「なにするの~?」

「あ、えーと……」

もしかして考えなしなの?天然さんなのん?

「あ、これっててーとくがいつも口にくわえているやつぴょん!」

あ、やばい煙草見つかった。

でも吸い方は知らないだろうし……大丈夫か?

「あ、ほんとだー」

「てーとくってばうーちゃんにはまだ早いってすわせてくれないぴょん!この際だからいっぽんもらっちゃうぴょん!」

「だ、駄目だよ~そればんとーさんのだよ?それにてーとくだって駄目だって」

「うー、それならちょっとかりたら返すぴょん!」

それ返せるもんじゃないからね。

「でも~」

「いいからいいからっ。たしかてーとくはこれで火をつけて」

……火をつけるところまで知ってるのか。もう潮時だな。

年端もいかない姿をしてるし、煙草なんか吸わせるわけにはいかないだろ。

それに僕の残り少ない嗜好品を取られるのも何だか癪だし。

「……う……ん?」

「うびゃぁ!!」

「ひゃあっ!」

「ん、寝ちゃってたか……。あ、すみません。職務中に眠ってしまい。なにか私にご用ですか?」

我ながら三文芝居だな。まぁばれてないみたいだからいいか。

「あ、な、な、なーんにもないぴょん!」

「うー……」

うーちゃん(仮)が必死に取り繕う中で、ふみちゃん(仮)は怒られるのではとびくびくしている。

そのまま放っておくのも可哀そうだし、助け舟をだしてあげるか。

「ああ、ご挨拶に来て頂いたのですね。このたびキサラギより配属となりました番頭と申します。以後、よろしくお願いします」

「あ、あー!よろしくだぴょんっ!うーちゃんは卯月っていうでっす!」

「卯月殿ですね。よろしくお願いします」

うーちゃん(仮)は卯月ちゃんというらしい。

「はへ?」

ふみちゃん(仮)は突然のことにまだついてこれていないらしい。

ぼんやりしてるもんなぁ。仕方ないか。

「失礼ですが、あなたのお名前もうかがっても?」

目線を合わせて、なるべく優しく話しかける。

「あっ、あ、あたし、文月って……です」

話しかけられたことで現状に気付いたようで、ようやく挨拶してくれた。

そのことににっこりと笑いかける。

「文月殿ですね。よろしくお願いします」

文月「よ、よろしく……です」

卯月「あ、そ、それじゃあうーちゃんたちは挨拶も終わったしかえるぴょん!」

卯月「いくぴょんっ!ふみちゃんっ」

文月「あ、ま、まってぇ~」

そういって二人はパタパタとかけて行ってしまった。

にぎやかな子達だなぁ。

さて、何だか気がそがれてしまったし、どうしたものかな。

首に手を当て思案しようとすると、ちょうど扉が二回叩かれた。

ようやく監視役が来たらしい。

「はい、どうぞ」

僕の声の後に、失礼しますとドアの向こうから返ってくる。

そしてゆっくりとドアが開かれていった。

どんな人がつくんだろうか、静かな人がいいとか色々と扉が開くまで考えていたけれど。

そんな考えも彼女の姿を見てしまった時にすべて吹っ飛んでしまった。

監視役として現れた一人の女性。

その姿に目を奪われてしまったから。


「軽空母、瑞鳳です。この度、あなたの世話役に選ばれました。以後、よろしくお願いしますね」


彼女の名は瑞鳳という。

運命というものは存在するんだと深く、深く思い知らされた。

続く。

言葉が出ない。

挨拶しなければ、何か言わなければと思考は巡るけれど、心の中を巡る激しい感情の奔流に口が言う事を聞いてくれない。

こんな激しい感情に襲われたのは……五回目だ。

一回目は学生時代にとある女の子に一目惚れした時。

二回目は目の前で家族が死んだ時。

三回目は友達が初めて戦死した時。

四回目は

瑞鳳「……どうしました?」

ずっと黙ったままの僕を不審に思ったのか、瑞鳳さんは訝るように声を掛けてきた。

「ああ、いえ……すみません」

内心穏やかではないけど、いつまでもそれに囚われている訳にもいかない。

瑞鳳さんに解らない程度に深呼吸をする。

うん、落ち着いた。……多少。

「瑞鳳殿が私の友人にとても似ていたもので、少し動揺してしまいました」

困ったような笑みを見せてみる。

それを見て瑞鳳さんはクスリ、と悪戯っぽく微笑んだ。

瑞鳳「そうですか。……もしかして、口説いてます?」

「あ、いえ、そういうわけでは……」

瑞鳳「ふふっ、冗談ですっ」

「あはは……」

思わず首に手を当ててしまう。

どうにも調子が狂うな……。まだ気持ちが落ち着いてないのもあるんだろうけど。

思わずため息が出そうになる。

……あ、そう言えば挨拶をしてなかった。

「御挨拶が遅れました。本日付でキサラギより配属となりました番頭です。よろしくお願い致します」

瑞鳳「はい。よろしくお願いします。……ってこれ二回目ですね」

また瑞鳳さんはクスリと笑う。

さっきも見て思ったが、彼女の笑顔はとても……可愛らしい。

それが僕の心を掻き乱す。

「そ、そうですね。あはは……」

その所為でなんとなくぎこちない態度になってしまう。

駄目だな。しっかりしないと。

瑞鳳「さてと。それじゃあ鎮守府の案内、させて貰ってもいいですか?」

「あ、はい。お願い致します」

瑞鳳「わかりました。それじゃあ着いて来てくださいね」

にっこりと笑って彼女は歩き出す。

……なんだか疲れる鎮守府巡りになりそうだなぁ。

――――――――――――

瑞鳳「ここが工廠です」

初めに僕たちは、僕の主な仕事場になる工廠に僕の車で訪れていた。

瑞鳳さんにどこから廻りたいと聞かれたので、仕事場を見ておきたいと言った為だ。

ちなみにその時瑞鳳さんに真面目ですねと微笑まれた。

好意的な笑顔だった……と思う。いや、まぁどうでもいいけど。

「失礼します」

開け放たれている大きなシャッターをくぐり、中へと入る。

まず目に飛び込んできたのは、兵装の山だった。

恐らく使えなくなった物をここに積み上げているんだろうな。

山の中にある物は、それぞれ砲身が焼きついていたり、銃身が変形していたり、損傷は様々だ。

確かにこのままでは使えないけど、少し修理すれば使えそうなものがごろごろある。

まずはこれを直すのが僕の最初の仕事かな。

瑞鳳「直せそうですか?」

兵装の山を眺めていると、瑞鳳さんが下から僕の顔を覗きこんできた。

思わずドキリとする。心臓に悪いから止めて欲しい。

「ええ。メンテナンスさえすればまだまだ使えそうなものが沢山ありますね」

瑞鳳「そうですか?よかった。溜まるばっかりで置き場所に困ってたんですよ」

そっちか。装備を使えるとかそういうのじゃないんだね。

嬉しげに笑う瑞鳳さんに曖昧に笑みを返すと、次に工廠の奥へと視線を移した。、

その先には艦装の修理やメンテナンスに使用する装置が所狭しと配置されていた。

機械はキサラギに設備されていたものと同じもので、遜色なく使えそうだ。

だけど、そのほとんどが埃をかぶっている。

「あまりこちらは利用されないようですね」

瑞鳳「ええ。ちゃんと使える人がいなくて……最低限の設備しか使っていない感じです」

そうだよな。艦娘とはいえ、兵器に関して素人同然の彼女たちに装置を使って直せというのも難しいよな。

兵装の修理よりもまずはこっちの掃除と点検から始めないと、かな。メンテナンスをするにも装置が使えないと出来ないし。

「なるほど」

瑞鳳「はい。……でもこれからは貴方がいるから大丈夫、ですよね?」

そう言って瑞鳳さんはまた微笑んだ。

「……期待に答えられるよう善処します」

また心臓がドキリと跳ねる。

危ない。また言葉が出なくなりそうだった。

瑞鳳「お願いしますね。さ、どうします?もう少し見て行きますか?」

うーん……装置の具合とか見ておきたいけど、それは後でもいいか。

今は案内の名目なんだし、そっちを優先しよう。

「いえ。今は鎮守府のことを知っておきたいので、他の場所の案内をお願いしてもよろしいでしょうか」

瑞鳳「わかりました。それじゃあ次、行きましょうか」

「了解致しました」

そう返事すると、何故か突然瑞鳳さんはじっと僕を見つめてきた。

瞳の色には小さな迷いの色がある。……何か言いたいんだろうか。

「どうかされました?」

瑞鳳「んー……いえ。なんでもないです。行きましょうか」

迷うそぶりを少し見せたけど、瑞鳳さんは視線を僕から外して工廠の外へと歩き出した。

提督から事情を聞いていることもあって色々聞いてみたいのかもしれない。

もし、聞かれる様な事があれば全て話そう。そして遠ざけよう。

僕は艦娘達と仲良くする資格などないのだから。

そう、特に彼女とは。

――――――――――――

瑞鳳「ここが射撃場です」

僕たちが次に訪れたのは、射撃場という名の海水浴場だった。

砂浜が延々と続いて半弧の形を作っており、打ち寄せる光る波が砂を湿し、さらっては寄せている。

沖を見ると標的を置くのに丁度いい岩礁がある。岩礁は演習の砲撃の為か不自然に抉れていた。

昔は多くの人がここに泳ぎに来ていたんだろう。その名残がいくつか見られる。

朽ち果てた海の家や、固定を失って流れ着いた遊泳範囲を示すブイとか。

……ここが本来の意味でつかわれる時は来るんだろうか。

瑞鳳「海、好きなんですか?」

「え?」

瑞鳳「ああいえ、ずっと海を見てたから」

ぼんやりと物思いにふけっていると、瑞鳳さんが首を傾げてきた。

突然の質問にちょっと戸惑ったけど、海か……。山よりはずっといいかな。山にはいい思い出は一つもない。

といっても海にいい思い出があるというわけではないけど。

「山よりは好き……でしょうか」

瑞鳳「そうなんですか?私も海、好きなんです」

そこで一陣の風が僕たちを吹きぬける。

強くもなく、弱くもない。そして程良く涼しい、心地よい風だ。

瑞鳳「いい風……」

目を細め、鳳翔さんは慈しむ様に微笑む。

思わずその表情に目を奪われそうになるけど、ギリギリのところで視線を反らす。

「そう、ですね」

なんとか声を絞り出すけれど、微妙に震えていたかもしれない。

調子狂う。ホントに。

「お?瑞鳳?」

そのまま海を眺めていると突然後ろから声が掛かる。

瑞鳳さんとほぼ同じタイミングで振り返ると、そこには艦装をつけた二人の女の子がいた。

一人は長い髪を一つにまとめ腰まで垂らした大人っぽい子で、もう一人は髪を短く切りそろえ活発そうな印象を受ける子だ。

ちなみに二人ともデカイ。何とは言わないけど。

瑞鳳「摩耶と矢矧じゃない。訓練に来たの?」

「そ。他の奴らはお風呂入っちゃってるからな」

瑞鳳「そっか、頑張ってね。あ、紹介するね。この人が番頭さん」

そう言って瑞鳳さんは僕に手を向けてくれる。

それに合わせ、僕は目の前の二人に向け敬礼を向けた。

「本日付けでキサラギより配属となりました、番頭と申します。よろしくお願い致します」

「おーお前が番頭かぁ!あたしは摩耶様だ。よろしくな!」

「よろしくお願い致します。摩耶殿」

髪の短い子は摩耶ちゃんというみたいだ。声の印象通り活発そうな子だ。

というか様、かぁ。なかなか気の強そうな子だな。

この子が摩耶ちゃんとという事はもう一人が矢矧さんか。

矢矧「私は矢矧。貴方の事は提督から聞いてるわ。これからよろしくね」

「よろしくお願い致します」

うーん大人っぽい。今まで見た艦娘の中で鳳翔さんの次に落ち着いてるんじゃないだろうか。

摩耶「……へえ」

そう言って摩耶ちゃんは僕を値踏みするように下から上まで視線を動かした。

やだ、私体見られてる……。なんて。

「何かありましたか?摩耶殿」

摩耶「いんや、整備屋がくるっていうからさ、どんなもやし野郎が来るのかと思ったけどよ。結構お前良い体してるじゃねーか」

その言い方親父っぼいっすよ。摩耶ちゃん。

「そうでしょうか。私など提督に比べれば大したことは無いかと思いますが」

そう言うと摩耶ちゃんは何故か突然顔を赤らめた。

なんだ?僕変な事言ったか?

矢矧「ふふ、提督の裸思い出しちゃった?」

摩耶ちゃんの姿を見て、矢矧さんはからかうように微笑んだ。

それに摩耶ちゃんは頬を染めていた色を更に濃くする。

というか裸って……。この子と提督ってそういう関係なのん?

摩耶「ち、ちちちちちげーよ!何言ってんだ矢矧っ!ぶっ飛ばすぞ!」

矢矧「あなたいつもはあんな態度だけど……実はかなり初心よね」

摩耶「う、うぶなんかじゃねーよっ!ばーか!ていうか何でそんな事言うんだよ!なめられるだろーが!」

矢矧「だって事実じゃない」

摩耶「ち、ちぎゃ、違うっつーの!このっばか!」

噛んだ。摩耶ちゃん噛んだ。

まぁそれはいいとして、完全に置いてけぼりになってしまった。

二人のやり取りを呆然と見ていると、その様子に気付いたのか矢矧さんが声を掛けてきた。

矢矧「あ、ごめんなさいね番頭さん。この子前に提督が着替えている所偶然見ちゃってね。その時からずっとこうなの」

摩耶「ち、ちがっ!ちがうっ!」

矢矧「見てないの?提督の裸」

摩耶「うぐ……!」

また摩耶ちゃんは顔を赤くする。多分また提督の体を思い出しているんだろう。

なるほど。それにしたって摩耶ちゃん初心すぎない?大事なところを見たならわか……いや、わからん。

瑞鳳「あの時は大変だったよね。摩耶ったらそれで大騒ぎして物壊しちゃたりして」

摩耶「瑞鳳までぇ……勘弁してくれよぉ」

そう言って涙目で摩耶ちゃんは蹲ってしまった。耳まで真っ赤である。

うーんこのガラスハート。かわいい。

矢矧「ふふっごめんごめん。さ、射撃訓練しなきゃ。でしょ?」

摩耶「……うっせぇ」

完全に拗ねてしまっている。摩耶ちゃんマジ乙女。

矢矧「この子は私がどうにかしておくわ。まだ案内の途中なんでしょ?」

瑞鳳「うん。……お願いしていい?」

矢矧「もちろん。仲間は助け合わないと、ね?」

摩耶「……仲間をいじめるなよ……」

ごもっとも。

まぁこういう掛け合いが出来る程仲が良いってことなんだろうけど。

矢矧「ほーら摩耶。いい加減機嫌なおして?あとで間宮さんの甘味、奢ってあげるから」

摩耶「……たりめーだ。それでも足りない位だっつーの」

矢矧「ごめんってば。ほら、行きましょ」

摩耶「はいはい……。っし、やるかぁ」

そう言って気だるげに摩耶ちゃんは立ち上がる。

矢矧「それじゃあ瑞鳳、番頭さん、また会いましょうね」

摩耶「……じゃな」

矢矧さんは手を振り、摩耶ちゃんは恥ずかしさから顔をそむけながらと、それぞれの挨拶の後二人は海へと歩いて行く。

それを瑞鳳さんは手を振って見送った。

瑞鳳「頑張ってねー」

瑞鳳「さて、どうします?もう次の場所に行きます?」

次の場所もどんな場所かは気になるけど、今は彼女たちがどう艦装を扱うのか見ておきたいんだよなぁ。

施設では戦闘している姿はめったに見られなかったし。

「すみません、よければ射撃訓練の様子を見て行きたいのですがよろしいでしょうか?」

瑞鳳「もちろん大丈夫ですよ。……やっぱり番頭さんは真面目、ですね」

「あはは……」

思わず首に手を当てる。ただどんなものか気になっただけなんだけどなぁ……。まぁいいか。

曖昧な笑みを浮かべつつ、視線を矢矧さんと摩耶ちゃんの二人に向けた。

矢矧さんあ一歩づつゆっくりと、摩耶ちゃんは駆けながら海へと向かっていく。

二人の性格がよくわかるなぁ。

やがて摩耶ちゃんが波打ち際へと近づくと、その体を勢い良く海面へと飛び出させる。

それと同時に背中に背負った艦装の下部からアームが飛び出し、彼女の腰から足裏までにかけて伸びた。

そしてアームの節目と先端から更に細かいアームが飛び出すと、彼女の足と太股を掴む。

艦装とアームの下部からエアが噴出され、そこで摩耶ちゃんは海面へと着水した。

人間であればそのまま沈んでいくが、摩耶ちゃんは沈むことなく、その場で浮かんでいた。

摩耶「うっしゃー!いくぜぇ!」

ここまで聞こえる掛け声と共に、摩耶ちゃんは沖へと進んでいく。

それに続くように矢矧さんも海際から沖へと飛び出し、摩耶ちゃんと同じように艦装を展開し、海に乗り出した。

滑るように標的であろう岩礁に二人は近づいていく。

射程距離に入った摩耶ちゃんが、腕を前に出し、両腕についていた二連装砲を標的へと合わせた。

それと同時にマズルフラッシュが起こる。そこから寸瞬遅れ、砲撃音が響いてきた。

それは火薬が破裂し、砲内に籠ったものが漏れ出した、重く、鈍い音。

それは敵を裂き、焼き殺す意思を持った、暗い音。

その音をかき分けるように、ひと際高い音が響く。

打ち出された砲弾が空気と擦れ、風切音をあげているのだ。

その風切音が僕の耳に届いた一瞬ののち、岩礁に爆炎と水しぶきが舞った。

そしてまた瞬寸送れ、僕の耳へつんざくような爆音が届く。

標的にされた岩礁は大きくその形を崩し、煙を挙げていた。

それは半年前までは日常的に聞いて、見ていたモノ。

僕から沢山の物を奪ったモノ。

出来れば、こんなものもう二度と見たくなかった。

出来れば、あの時に、あの炎の中で焼かれてしまいたかった。

それは叶う事は無かったけれど、もうそんなことはどうでもいい。

僕はここでやれることをやるだけだ。やらなければいけない。

響き続ける爆音の中で、僕はそんな事を思いながら彼女たちを見続けた。

海の上を走り、艦砲を扱う彼女たちを。

僕たち人間が作り上げた、人であって人でない、兵器たちを。


瑞鳳「大丈夫……ですか?」

「え?」

瑞鳳「いえ、その……怖い顔、してたので」

知らず、表情が固くなっていたらしい。

いらんとこ見られたなぁ……気まずい。

「申し訳ありません。少し……砲撃の音に竦んでしまっていました」

照れたように笑って見せる。

納得してくれたのか、瑞鳳さんの表情が柔らかくなった。

瑞鳳「ふふっ、これからいっぱい聞くことになりますから、早めに慣れた方がいいですよ」

「あはは……善処します」

確かに早く慣れたほうがよさそうだ。

といっても砲撃音じゃなくて、彼女の笑顔にだけど。

瑞鳳「もう少し、見ていきます?」

「いえ、もう十分です。お時間いただき、有難うございました」

瑞鳳「それじゃあ次、行きましょうか」

「了解いたしました」

また瑞鳳さんが先に行く形で僕たちはその場を離れた。

……それにしても彼女は僕のことについて提督から何も聞いていないのだろうか。

提督には僕の経歴は知られているはず。ならば僕が戦争経験者ということも知っているはずだ。

瑞鳳さんの様子を見るとそのことを知っている様子は見られない。

さっきの僕の砲撃で竦んだという言葉で納得したこと、そして好意的な態度を示してくるのがいい証拠だ。

彼女は僕の監視役だ。監視役に監視対象の情報をなにも話さないなんてあるのだろうか。

そんなことはありえない。監視する理由を教えなければどんな行動に注意を払えばいいのかなんて教えることができない。

それにあの提督がこんなくだらないミスをするか?艦娘たちにあれほどの信頼を受けている彼が。

ともなれば僕が情報をばらさないと確信しているからか?

確かに僕はキサラギに対していい感情を持っていないことは、彼も知っている。

だからと言ってあの少ない時間で僕のことを信用するか?

僕ならしない。特にキサラギなんて外道の集まりの人間なんかに。

じゃあ何故だ?どうして彼女になにも教えない?

それとも既に彼女は僕の事情を知っていて、そのうえで提督は隠すよう指示しているのか?

それはあり得ることだ。だけどそうだとして何故隠す必要がある?

敵意をむき出しにしていたほうが、僕へのプレッシャーになる。そんなことに思い当たらない提督ではないはずだ。

であれば、隙だらけだと油断させて僕を拘束しようとしている?

……この線が一番あり得るかもしれない。

彼にとって僕は憎いキサラギからの回し者、厄介者だ。

早いうちに拘束し、投獄でもしておいたほうが気を揉まなくて済む。

だが、そうだとして、それこそ何故すぐに投獄しない?

こんな案内などしてしまったら、機密を教えて回っているようなものだ。

万が一外部に連絡して情報が漏れてしまえば、意味がない。

それにこんな僻地じゃキサラギの連中がわざわざ来ることはないし、偽造報告書さえ作ってしまえばばれることはない。

……それじゃあ何故こんな対応なんだ?

僕が絶対にキサラギへとまともな報告をしないという確信があるのか?

いや、あるのだろう。

その僕がまともな報告をしないという確信が。

それじゃあそれはなんだ?その要素は……。

「----さん?番頭さんっ」

「へ?」

思考の海から我に返ると、目の前で瑞鳳さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。

だからそれやめてって。心臓に悪いから。

瑞鳳「突然ぼーっとなんかして……本当に大丈夫ですか?」

「……すみません。ちょっと疲れて呆けてしまっていました」

瑞鳳「それだったら言ってください。心配しちゃいますから」

腰に手を当てて、眉をしかめる。まるでそれはいたずらをした子供を窘めるようだった。

思わず苦笑が漏れる。僕のほうが年上の恰好なんだけどなぁ。

「申し訳ありません。以後、気を付けます」

瑞鳳「もう……。……あ」

ひらめいたと言わんばかりに顔をほころばせる。

表情がくるくる変わる。かわいい。

瑞鳳「番頭さん、疲れているんですよね?だったら休むのにちょうどいいところがあるので、そっちに行きませんか?」

それちょっといやらしい響きがすると思うのは多分僕の心が汚れている所為。

「どちらにいかれるのですか?」

瑞鳳「いいところ、ですっ」

いいところか……。

やっぱりなんかいやらしい。

汚い心でしゅみません。

-------------

瑞鳳「ここですっ!」

結論から言うとまったくいやらしいところではなかった。

いや、まぁあたりまえなんだけどね。軍の基地内だし。

瑞鳳さんが案内してくれた先には甘味処と書かれた看板が飾られた和風の喫茶店があった。

「甘味……?」

瑞鳳「はいっ」

思わず漏れだした言葉に、瑞鳳さんはきらきらとした表情で答えてくれた。

うおっまぶしっ。

瑞鳳「疲れた時には甘いものを食べるのが一番ですっ。さっいきましょ!」

そう言って返事を待たず、僕の手を引っ張っていく。

やっぱり……いや結構強引なところあるなぁ。この子。

引っ張りこまれた甘味処は、一言でいえば一昔前の和風喫茶のような雰囲気の店だった。

壁は木で統一され、ところどころ引き戸の窓があり、日めくりカレンダーや古い時計などがかけられている。

床は玄関を除いて畳で敷き詰められていて、その上に等間隔でちゃぶ台が置かれ、それを取り囲むように座布団が敷かれていた。

なんとなく祖父母の家を思い出すなぁ。

瑞鳳「さ、上がって上がってっ。間宮さーん」

履物を脱ぎ、畳に上がると瑞鳳さんは、店の奥のほうへ声をかけた。

僕も彼女に習うように靴を脱ぎ、畳の上にあがる。


「はーい」

それと同じぐらいのタイミングで、瑞鳳さんの声の返事が返ってきた。

「いらっしゃい瑞鳳ちゃん。……あら?」

店の奥から店主らしい女性が顔を出す。

長髪でふわふわとした印象だ。着物の上にエプロンをつけている。

後でかい。麻耶ちゃんと矢矧ちゃんと同じところが。

瑞鳳「こんにちは。間宮さん」

「ふふ、こんにちは。……瑞宝ちゃん、こちらの方は?」

瑞鳳「この人は番頭さん。今日から配属になったの」

「キサラギから配属となりました、番頭と申します。よろしくお願いいたします」

「如月ちゃんから……?」

ちょこんと小首をかしげる。

わかった。この人絶対天然さんだ。

瑞鳳「違うってば。軍にキサラギって部署があって、そこから来たの」

「あらあらまぁまぁ。遠いところからよくいらっしゃいました」

深々と頭を下げる。

やっぱりこの人も何もきいてなさそうだなぁ。いやまぁいいんだけど。

間宮「私、こちらで働かせてもらってます間宮、と申します。以後、よろしくお願いいたしますね」

「よろしくお願いいたします」

改めて間宮さんに敬礼をする。

間宮「あらあらご丁寧に……それでは私も。……びし」

間宮さんも僕に習うように敬礼をする。

そうしてくれるのは有難いんですけど、敬礼する手逆です。逆。

瑞鳳「ふふっ。それじゃあ間宮さん、注文いい?」

間宮「はーいっ。瑞鳳ちゃんはいつものでいい?」

瑞鳳「うんっ」

間宮「番頭さんはどうしますか?」

「ええと……私は」

何を注文するか迷っていると、瑞鳳さんがメニュー表を渡してくれた。

「有難うございます。それでは……羊羹で」

間宮「かしこまりました♪ちょっと待っててくださいね」

そういうと間宮さんはパタパタと厨房へとかけていった。

かわいらしい人だな。天然さんだけど。

瑞鳳「それじゃあ座りましょうか」

「はい」

瑞鳳さんの合図で、近くにあった席に腰を下ろす。

なんとなく周りを見渡す。僕たち以外に客はいないみたいだ。

瑞鳳「ここ、よく来るんです」

瑞鳳さんは今まで以上に上機嫌で、ずっとにこにこしている。

まぶしくて浄化されそうです……。

「そうなんですか?」

瑞鳳「うんっ。……じゃなくてはい」

「……落ち着いた雰囲気で、とても居心地がいい感じがしますしね」

瑞鳳「それだけじゃなくて、間宮さんが作る甘味がとってもおいしいのっ!……じゃなくて、です」

さっきから甘味が食べられる嬉しさから敬語が崩れてる。

それに思わず笑みがこぼれてしまった。

瑞鳳「……ちょっと失敗したからって、笑わなくたっていいじゃないですか」

恥ずかしくなったのか瑞鳳さんは少しむくれてしまった。少し顔が赤い。

本当に表情がころころ変わる子だ。その一つ一つが可愛らしい。

「申し訳ありません。……瑞鳳殿」

瑞鳳「なんですか?」

「私はあなたより階級が下の扱いです。ですからいつも通りの言葉使いで大丈夫ですよ」

「私も、いつも通りの貴女のほうが嬉しいです」

なんとなくほかの子たちよりも柔らかい言い方になってしまった。

まぁこれくらいなら問題ないか。

瑞鳳「……そう、ですか?」

「はい」

少し考えた素振りを見せたあと、瑞鳳さんはふ、と表情を崩した。

これが本来の彼女の顔なんだろう。

瑞鳳「それじゃあ……いつも通りに話させてもらうね」

「はい」

瑞鳳「じゃあさ、番頭さんもいつも通りに話してくれないかな?」

げ。そう来たか。

瑞鳳「私だけいつも通りっていうのもなんだか申し訳ないし……。それになんだか落ち着かないからさ」

そういってくれる彼女には悪いけど……それは出来ない。

僕は彼女たちと距離を取らなければいけない。

鳳翔さんと同じ断り方で断っておこう。

「……申し訳ありません。私は融通が利かないものでして、職務中に言葉を崩すのは苦手なのです。ですから」

瑞鳳「今は休憩中だし、職務中じゃないよね?」

ぐ。確かにそうだ。

だけどここで引くことは出来ない。

「休憩中ですが、規定では現在就業時間中です」

瑞鳳「むー。真面目だなぁ……本当にダメ?」

上目使いで見ても駄目です。

かわいいけど。

しょうがない。命令作戦で行くか。これなら無理強いしているということが伝わって遠慮するはず。

「申し訳ありません。ですがそれが命令というのならば従います」

瑞鳳「じゃあ命令♪」

ダメでした。

そうだこの子は強引だった。墓穴を掘ってしまった。

「……」

瑞鳳「命令だよ?」

「……」

瑞鳳「おーい」

沈黙も駄目か。しょうがない、この手は使いたくなかったけどやるしかないか。

兵器の貴女とは仲良くしたくない、と。もちろん本心ではないけど。

拒絶の言葉を吐こうとしたとき、彼女がふ、と顔を伏せる。

瑞鳳「……そっか。嫌だったんだね。……ごめんね」

その表情は暗く、悲しみの色に満ちている。


『……ごめんね』


重なる。


『無理、言っちゃったね』

瑞鳳『無理、言っちゃったね』


やめろ。


『もう言わないから……。ごめんね」

瑞鳳「もう言わないから……。ごめんね」


やめてくれ。

僕の心を抉らないでくれ。


『だから―――』


痛。……あ、やべ。手に爪が刺さってる。

知らないうちに強く握りすぎていたみたいだ。

改めて瑞鳳さんの顔を見る。

その色は相変わらず、あの時と重ねっている。

「……わかったよ」

瑞鳳「……え?」

「言葉、崩すよ」

瑞鳳さんは信じられないようなものを見るような目で僕を見ている。

ちょっと。今更キモいからやめてとか言わないでね。立ち直れなくなっちゃう。

瑞鳳「いいの?」

「いいよ。負けた」

瑞鳳「いや、でも嫌じゃないの?」

「嫌だけど、瑞鳳さんの悲しい顔を見る方がもっと嫌だ」

あれ?これってかなり恥ずかしいセリフじゃないの?

瑞鳳「い、いきなり何恥ずかしいこと言ってんのっ。もうっ」

やっぱり恥ずかしいセリフでした。てへぺろ。

でも事実だし。しょうがないしょうがない。……うん。

「あー……うん。ごめん」

瑞鳳「もうっ。……でも、ありがと」

「……はい」

瑞鳳「はいじゃないけど」

「うん」

瑞鳳「……ふふっ」

「ははっ」

なんとなしに二人で噴き出す。

久しぶりに本心で笑った気がする。

よくないことだとは分かっている。でも僕には彼女の悲しい顔は耐えられない。

その理由は分かっているけど、言葉にはしたくない。

言葉になど、できない。

続く

瑞鳳「ん~食べた食べた♪」

間宮さんの甘味処を後にした僕達は、瑞鳳さんの案内のもと車で艦娘達のドックへ向かっていた。

「……よくあんなの食べれたね」

あの後、丁度僕たちが注文したものを間宮さんが持ってきたんだけど……瑞鳳さんの『いつもの』のスケールが半端無かった。

丼の大きさほどある器から始まり、順にコーンフレーク、生クリーム、カスタードクリーム、練乳かき氷、アイス5つ、チョコ、クッキースティック、etc……。

それらが文字通り山盛りで出てきた。正直見ているだけで胸やけするような代物だったけど、瑞鳳さんは一度もペースを緩めることなく、ぺろりと平らげた。

それだけでも驚きなのに、瑞鳳さんはそれでもちょっと物足りなさそうな顔をしていたのに更に驚かされた。

瑞鳳「デザートは別腹、だからね♪」

心底上機嫌な様子で微笑む。……別腹といっても限度があるんじゃないでしょうか。え、違う?そう……。

「……そーすか」

瑞鳳「そーです♪あ、敬語」

「いや、いいでしょこれくらい」

瑞鳳「だーめ」

「えぇ……」

瑞鳳「ふふっ、うそうそ。冗談」

瑞鳳さんちょっと上機嫌すぎじゃないですかね……。まぁいいけど。

ちなみに甘味の代金は僕が払った。瑞鳳さんは私が出すって言ってくれたけど、世話になるんだからと押し切った。

でも値段で後悔した。物資不足で高くなっているとはいえ、僕の羊羹の10倍ってどういうことなの……。

瑞鳳「~♪」

……まぁ、これで案内の貸し借り無しってことで、いいか。

どっかでそれ以外も含まれているけど、それは見ない事にする。

「……ん」

車を制限速度に従って走らせていると、ふと埠頭の先に座りこむ一人の少女が目に入った。

制服は如月ちゃんと同じ……同じ部隊の子かな。

ただ違うのは、朗らかな表情な部隊の子たちとは違い、どうにも少し暗い。

僕が他の所に目を向けてるのに気付いたのか、瑞鳳さんが首を傾げて来た。

瑞鳳「どうかした?……あ、弥生ちゃんか」

弥生、という少女を目に収めた瞬間、瑞鳳さんは眉を小さく落とした。

まるで憐れむものを見るような顔だった。

「弥生ちゃん?」

瑞鳳「うん。うちの駆逐隊の一人なんだけど……なんだか最近隊のみんなと上手くいっていないの」

「最近ってことは前はそうでもなかったんだ」

瑞鳳「……うん。弥生ちゃん、前に一度撃沈されちゃったの」

「撃沈って……どうしてここに?」

瑞鳳「それがね、撃沈されたんだけど……。運良くさっきの射撃場に流れつけたんだって」

「人聞きなんだ」

瑞鳳「うん。流れ着いたのを見つけたのは提督だったから」

「……他に流れ着いたところを見た人はいるの?」

瑞鳳「ううん。提督だけ。たまたま一人で散歩しているところで見つけたらしいから」

「……へぇ」

偶々、ね。粋なんだかエグイんだか。

瑞鳳「弥生ちゃんが帰ってきた時は皆喜んだんだ。特に駆逐隊の皆なんかすごく喜んだの。また弥生ちゃんと暮らせるって」

そこで一瞬、瑞鳳さんは口を引き結んだ。そしてその表情を更に暗くさせる。

口ぶりから恐らく、それからの弥生ちゃんを思い出しているんだろう。

瑞鳳「……でもね。弥生ちゃんは帰って来てからなんだか……なんていうか……変わっちゃって」

目を伏せたり、口をまた引き結んだり、どういっていいものかと言葉を選んでいるようだ。

瑞鳳「ううん、違うね。変わってはいないの。ただ……なんだろう、違和感、みたいなのがあって」

「違和感?」

瑞鳳「姿は弥生ちゃんなの。性格だって……。でも弥生ちゃんじゃないっていうか」

「どういうこと?」

瑞鳳「……わかんない。でも、この子は……この子は多分……あの弥生ちゃんじゃないって……なんとなく思ったの」

絞り出すように瑞鳳さんは言葉を吐き出す。表情は悲しみと哀しみに染まっていた。

彼女はとても優しい子なんだろう。他人の為にそんな顔を見せることが出来るんだから。

でも、その表情は見せないで欲しい。僕が一番見たくない顔だから。

瑞鳳「あんまり近しくない私がそう思う位だから……駆逐隊の子たちが感じる違和感は凄かったんだと思う。だから……」

そこで瑞鳳さんは言葉を切る。

だから、彼女は一人ぼっちになってしまった。瑞鳳さんはそう言いたかったのだろう。

瑞鳳「……ごめんね。変な話しちゃった」

「いいよ。気にしてない。……だからそんな顔しないで」

その顔は辛いんだ。色々思い出してしまう。

言われて瑞鳳さんは、バツが悪そうに頬を掻いた。

瑞鳳「……暗くなっちゃってた?」

「少しね」

瑞鳳「……ごめん」

「しょうがないよ。それにそんな顔出来るのは瑞鳳さんが優しいって証拠だ。気にする事じゃない」

言って気付く。

また恥ずかしい事言った。学習しないね僕。

ていうかこんなこと言うつもりなかったのにな。彼女にはつい甘くなってしまう。

瑞鳳「……番頭さんって女たらし?」

案の定ジト目で見られた。

そらこんな短期間でクサイ台詞連発してたらそう思われるよなぁ……。

「違うよ」

瑞鳳「ふふっ、冗談だよ。……でも、ありがと。番頭さんも優しいね」

そう言って瑞鳳さんは優しく微笑んだ。

ゴェェェ(浄化される音)

「……そんなことない」

ふざけても誤魔化しきれずに気恥ずかしくなってしまった。

落ちづかず、思わず首に手を当てる。はぁ……本当に調子狂いっぱなしだ。

お陰で恥ずかし空間が出来てしまった。なにこれ。

「どうする?弥生ちゃんと話していく?」

雰囲気をどうにかしようと弥生ちゃんに話を反らす。

だけど瑞鳳さんは首を小さく振った。

瑞鳳「ううん。行っても多分ぎこちなくなるだけだから……」

そう言って瑞鳳さんは視線を車の外へ向けた。

ちらりと窓に映る瑞鳳さんの表情を盗み見る。その表情は物憂げだ。

口ぶりから顧みるに、以前瑞鳳さんは違和感を感じながらも弥生ちゃんとまた仲良くしようと試みたんだろう。

結果は口ぶりから言わずもがな、か。

瑞鳳「番頭さん」

ゆっくりと瑞鳳さんがこちらへ顔を向けた。その表情は迷いと懇願が混じっている。

それで大体彼女の言いたいことは解った。出来ればそれは聞きたくない。

瑞鳳「出来れば……番頭さんは弥生ちゃんと仲良くしてあげてくれないかな?」

やっぱりそう来るよなぁ。

僕は仲良くする資格なんかないってのに。

瑞鳳「……番頭さん?」

答えあぐねていると、瑞鳳さんが顔を覗き込んできた。

瞳は懇願の色で染まっている。これがおねだりビームってやつかな?違うか。

心で溜息を吐く。

「出来ればね」

これは嘘だ。瑞鳳さんの感情から逃れるための保身の嘘。

暗い表情の瑞鳳さんを見たくないが為の嘘。

瑞鳳「ありがと。……やっぱり優しいね」

僕のその場逃れの嘘に気付かず瑞鳳さんは表情を華やかせる。

それが僕の良心を激しく呵責した。

―――――――――――――――――

それから車を走らせること5分程。僕たちはドックにやって来ていた。

瑞鳳「ここが私たちのドック。ここで艦装の脱着とか装備の換装をやってるよ」

シャッターをくぐり、中をぐるりと見渡す。

ドックは円形の屋根で覆われており、壁にはいくつもの小さなシャッターが設置されていた。

「あのシャッターの中に艦装が?」

瑞鳳「うん。皆にそれぞれ宛がわれてる形になってるよ」

「なるほど」

予想通りシャッターの中が保管場所らしい。

あれだけ破損した兵装があるのだから、艦装もあまり良い状態ではないだろう。

艦装のメンテも急がないとかもしれないな。

・・・・・・どんな状態なのか気になってきた。

「中って勝手に見てもいいのかな」

そう言った瞬間、瑞鳳さんは少し顔をしかめた。

あれ?僕変な事言った?

瑞鳳「だめ。あれは艦装の収納場所だけど、女の子のロッカーみたいなものだから」

「・・・・・・なるほど」

そう言われると合点がいった。さすがに勝手に女の子のロッカーを漁る変態にはなりたくない。

そうなると艦娘たちが持ってくるのを待つしかないみたいだな。


「あーもー直んないぴょんっ!」


そこで女の子の声が、倉庫のひとつから響いてきた。

この声、さっき応接室で聞いた・・・・・・卯月ちゃんか。

瑞鳳「卯月ちゃん?いるの?」

声が響いてきた倉庫にどうしたのと声をかけながら瑞鳳さんは近づいていく。

僕もその後ろについていった。

瑞鳳「卯月ちゃん?」

瑞鳳さんと倉庫を覗き込むと、そこには必死に艦装の修理に格闘する卯月ちゃんと、それをおろおろと見守る文月ちゃんがいた。

そこで卯月ちゃん達はは僕たちに気づいたのがこちらに顔を向けてきた。

文月「あ・・・・・・」

卯月「あ、ずいほーと・・・・・・げっ!」

人の顔を見てげ、とはなんだげ、とは。

その様子を見て瑞鳳さんが首をかしげる。

瑞鳳「あれ?卯月ちゃん番頭さんと会ったことあるの?」

卯月「あ、そ、そうぴょんっ!さっき・・・・・・たまたま・・・・・・ぴょん!ね、ふみちゃんっ」

文月「あ、え、えーと・・・・・・・そのう・・・・・」

卯月ちゃんは必死に誤魔化そうとし、文月ちゃんは突然のことと罪悪感を感じているのかひたすらおろおろとする。

そんなんじゃ私達なにかしましたって言ってるようなもんだから。頑張って。

瑞鳳「なんだかおかしいなぁ・・・・・・。あ、もしかして」

やっぱり駄目でした。二人の様子に瑞鳳さんはなにか感づいたらしい。腰に手を当ててさっき僕に見せたお怒りモードに入る。

それを見て卯月ちゃんは冷や汗を流し、文月ちゃんは体をびく、と震わせた。

悪戯されそうになったし、放っておいてもいいんだけど・・・・・・。可哀想だし助け舟を出すか。

お説教をしている間、暇になってしまうし。

「卯月殿、文月殿。お疲れ様です。先ほどはわざわざご足労頂きありがとうございました」

「「「え?」」」

瑞鳳さんは解るけど、ほかの二人はその反応しちゃ駄目でしょ・・・・・・。

「瑞鳳殿。先ほど卯月殿と文月殿はわざわざ挨拶に来てくれたのです」

瑞鳳「・・・・・・そうなの?」

まだ信じ切れていないのか、瑞鳳さんっは疑いの視線を卯月ちゃんと文月ちゃんに向ける。

卯月「そ、そうぴょんっ!ばんとーさんが来るって言うからふみちゃんと一緒に挨拶に行ったぴょんっ!ねっ?ふみちゃんっ」

文月「う、うん・・・・・・・そうだ・・・・・・よ?」

文月ちゃん首かしげちゃだめだから。それに何で僕を見るの。

それを見て、瑞鳳さんは僕のほうへと問いかけるような視線を向けてきた。僕は小さく首を縦に振る。

ようやく瑞鳳さんは納得してくれたのか、腰から手を下ろし、お怒りモードから元に戻った。

瑞鳳「・・・・・・それならいいけど」

それを見た卯月ちゃんと文月ちゃんはほ、と胸をなでおろしていた。

だからそういうの目の前でやっちゃ駄目だって。

瑞鳳「ところでどうしたの?艦装の故障?」

ここでようやく当初の問題に戻った。

その質問に卯月ちゃんは、はっと気づく。

卯月「そうぴょんっ!明日のえんせーの準備をしようと思ったら急に艦装のちょーしがおかしくなったぴょんっ」

文月「さっきから卯月ちゃんがんばってるけどだめなの」

卯月「ずいほーさんなんとかしてぴょんっ!」

文月「して~」

二人のおねだりに瑞鳳さんはふんすと自慢げに息を吐いた。

瑞鳳「それなら丁度良かった。番頭さんにお願いしよ?番頭さんならすぐに直せちゃうよ?」

卯月「ほんと?ばんとーさん直せるぴょん?」

卯月ちゃんがきらきらと期待の視線を向けてくる。

それは仕事だし別にいいけど・・・・・・・自己紹介してる風を装ってるんだから、そういうの駄目だって。

気づいていないみたいだからいいけど。

「損傷度合いにもよるのでなんとも言えませんが・・・・・・・一度見せてもらっても構いませんか?」

卯月「もちろんぴょんっ!こっちこっちっ」

そういって卯月ちゃんは僕の手を引く。ぷにぷにしてる。いやどうでもいいか。

手を引かれた先には卯月ちゃんの艦装が無造作に床に置かれてあった。その周りには工具が散乱していて、直そうという努力のあとが見られた。

それを見てほほえましい気持ちになる。

さて、肝心の本体の方だけど・・・・・・・見る限りそこまで痛んではなさそうだな。

「これですね。・・・・・・少しお時間いただけますか?」

卯月「はいぴょんっ!」

本人の許可も貰えたし・・・・・・やってみますかね。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

卯月「わぁ……!」

修理を開始して一時間。艦装の修理は完了した。

目の前で卯月ちゃんが直った艦装を装着し、はしゃぎまわっている。

故障の原因は配線の断裂。関係するパーツを交換するとすぐに直すことが出来た。

ほかにも痛んでいるところがあったので、卯月ちゃんがつけた癖を壊さない程度に簡単なメンテナンスもしておいた。

「どうでしょうか」

卯月「すごいぴょんっ!新品みたいぴょんっ!」

艦装が直ったことがよほど嬉しいのか、卯月ちゃんはまるでウサギのように飛び跳ねていた。

それに思わず微笑む。

卯月「ありがとぴょん番頭さんっ!」

「いえいえ。これが僕の仕事ですから」

そこで卯月ちゃんをうらやましそうに見つめる文月ちゃんに気づいた。

驚かせないように、なるべくやさしく話しかける。

「よければ文月殿の艦装も見せていただいても?」

文月「・・・・・・い、いいの?」

「はい。文月殿がよければ、ですが」

文月「うーん・・・・・・じゃ、じゃあお願い、します」

少し迷うそぶりを見せたけど、はしゃぐ卯月ちゃんを見て我慢できなくなったのか、艦装を外し、恐る恐るとお願いしてきた。

それに笑顔で引き受ける。

「わかりました。少々お待ちくださいね」

これも見る限り痛んではなさそうだ。

それどころか卯月ちゃんより丁寧に扱っているためか、遥かに状態は良かった。

これならさっきよりも早く終わるだろうな。

丁寧に扱う文月ちゃんを心の中で褒めながら、僕は再びドライバを握った。

ーーーーーーーーーーー

文月「ふわぁ……」

再び艦装を腰につけた文月ちゃんは感嘆の息を吐いた。

その様子を見ると具合はよさそうだな。

「問題ありませんか?」

文月「うんっ。ありがと~ばんとーさんっ」

えへへと文月ちゃんは微笑む。

その姿にまた笑みがこぼれてしまう。

「いえいえ。お役に立ててよかった」

そこでなぜかはしゃいでいた文月ちゃんの動きがぴたりと止まった。

ぽけーっとしている彼女だけど、それ以上にぽけーっとした表情を僕に向けている。

なんだ?艦装になんか違和感を感じるのかな?

「どうしました?何か艦装に問題でも?」

不思議に思って艦装に手を伸ばす。

文月「はひゃあっ!」

それに文月ちゃん我に返ったのか、体を大きくびくつかせた。

そして見る見る顔が赤くなっていく。

……どうしたんだ?風邪・・・・・・じゃないよな。

「……ええと……文月殿?どうされました?」

文月「な、なんでもっなんでもないっ」

「そう、ですか・・・・・」

卯月「ふみちゃん?」

文月「な、なんでもないったら~」

心配する卯月ちゃんにそう言いながらも、文月ちゃんはちらちらと僕に視線を向けてくる。

・・・・・・いやな予感がする。これ以上は踏み込まないほうが賢明かもしれない。

卯月「ふ~ん?まぁふみちゃんがいいならいいぴょん!それじゃあうーちゃんたちはそろそろ行くぴょんっ!ありがとね、ばんとーさんっ!」

「いえいえ。また修理が必要になりましたら言って下さい」

卯月「うんっまたねぴょんっ!ほら、ふみちゃんいくぴょんっ!」

文月「あ、う、うん~」

また二人はパタパタとどこかに駆けていく……と思いきや、途中で足を文月ちゃんがぴた、と足を止めた。

そして、僕に向かって小さくお辞儀すると、また駆けていった。

文月ちゃんなんだかそれ意味深だからやめなさいね。

「終わったの?」

駆けていく二人を見送っていると後ろから声がかかる。振り返ると瑞鳳さんがマグカップを二つもって立っていた。

マグカップからは湯気が立ち上り、香ばしい香りが漂う。たぶん中身はコーヒーだろう。

ちょっと前から姿が見えないと思っていたら、コーヒーを煎れてきてくれてたみたいだ。

「うん。丁度」

瑞鳳「そっか。……コーヒー入れてきたんだけど、飲む?」

ちょうど何か飲みたかったところだから、彼女の気遣いはとても有難い。……気を使うことなんかないのになぁ。

断るのも勿体ないし、いただくことにする。

「ありがとう。貰うよ」

瑞鳳「うん。どーぞ」

差し出されたマグカップを受け取り、熱いコーヒーに口をつける。

・・・・・・うん。おいしい。

「いい豆使ってる?」

瑞鳳「ううん。普通のインスタントコーヒー」

そう言って瑞鳳さんは僕の隣に腰掛ける。

近くもなく遠くもなく。丁度いい距離だ。

「そっか。それじゃあ煎れ方が上手いのか」

瑞鳳「そんなことないと思うけど・・・・・・でもちょっと煎れ方は変えてる」

そっか、とつぶやきもう一度コーヒーに口をつける。

やっぱり美味しい。

瑞鳳「美味しい?」

そう言ってまた瑞鳳さんは僕の顔を覗き込む。

だから落ち着かなくなるからやめてって。

「・・・・・・・うん。美味いよ」

瑞鳳「そっか、よかった」

上機嫌に瑞鳳さんは微笑む。

それから視線を逸らしつつ、僕はゆっくりとコーヒーを胃に流し込んだ。

瑞鳳「やっぱり修理、上手なんだね」

「あれくらいは整備をやってれば普通だよ」

瑞鳳「そっかぁ。でも私それでも凄いと思うな。自分が出来ないことを出来ちゃう人って凄いって思うから」

またそっか、と呟き、コーヒーに口をつける。

なんだか味がしなくなってきた。

瑞鳳「ね、今度私の艦装も見てもらっていいかな?私のもなんだか調子悪くて」

「いいよ。それが僕の仕事だし」

瑞鳳「ありがと。・・・・・・・ね、さっきのことなんだけど」

「さっき?」

本当になんの事かわからず、首をかしげる。

瑞鳳「卯月ちゃんたちのこと。・・・・・・・本当は挨拶になんか来てないでしょ?」

ばれてーら。

というかなんでばれたのん。

「・・・・・・なんで?」

瑞鳳「二人ともいい子だけど、そういうのにはまだ気が回らないって思ったから」

「……そっか」

普段もあんな感じなんだろうし、そう考えられちゃうよな。

さて、どうするか。来てないっていうのは簡単だけど、一回庇っちゃってるからなぁ。言った事を撤回するのもなんだか癪だ。

しょうがない。今回だけはちゃんと庇うか。

「いや、来てくれたよ。挨拶」

瑞鳳「……ホント?」

「ホント」

いぶかしむ様な視線をぶつけてくる。

心の中で謝りながら、僕は真顔を作り、瑞鳳さんの視線をまっすぐ見返した。

瑞鳳「……番頭さんがそう言うならいいけど」

しぶしぶと言った様子で瑞鳳さんは引き下がってくれた。でも顔には信じてませんとありありと描かれている。

でもまぁこれで瑞鳳さんのお怒りがあの子たちに行くことは無いだろう。

瑞鳳「番頭さん。優しいのはいいけど甘過ぎるのは駄目だよ?為にならないんだから」

しかし飛び火がこっちに来た。腰に手を当ててのお怒りモードだ。

というか優しくしたつもりはないんだけどなぁ。成り行きというかなんというか……。

「よくわからないけど、心に留めとくよ」

話は終わりと、コーヒーに口をつける。

その横で瑞鳳さんはむぅ、と納得がいっていない様子だ。もう、世話焼きさんなんだから。

しばしの沈黙が流れる。少し怒らせたかな。

ちらりと横の瑞鳳さんに視線を向けると、じ、と僕のことを見つめていた。

それに気づくと途端に気まずくなる。だから落ち着かなくなるからやめてっての。

「……何?」

瑞鳳「……んー、なんでもない」

ゆっくりと瑞鳳さんは首を振る。

……監視の一環か?にしたって直接的過ぎる。やっぱりなにか言いたいことがあるんだろうか。さっきの事か、それとも他の何かか。

まぁどちらでもいいけど。聞かれれば答えるだけだ。

瑞鳳「番頭さん」

と思ったら早速来たぁ。

かっこつけて「どっちでもいいがな(キリッ」とやってる場合じゃなかった。

瑞鳳さんの表情を伺う。そこには迷いの色が読み取れた。言いづらいことなんだろうか。

さぁ何を聞かれるか。さっきのことかそれとも

瑞鳳「他の子にも敬語とか……やめてみたら?」

……それか。ちょっと拍子抜けした。

でもまぁ瑞鳳さんに崩すようにしたんだから、言われるかとは思っていたけど……。

「努力するよ」

瑞鳳「……ホント?」

もちろん嘘だ。なんか嘘ついてばっかりだなぁ。

耳たこになるからもう理由は言わないけど。

「ホント。……それで次はどこに?」

この話を続けていると面倒なことになりそうだから、話を逸らす。

瑞鳳「あ、えっと……次は番頭さんの家だよ」

瑞鳳さんは何か言いたげだけど、ここは譲れません。

「そっか。じゃあまたお願いしていい?」

瑞鳳「うん……」

頷きを目に収めると、今度は先んじて僕がドックの出口を向かった。

ごめんね。瑞鳳さん。

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それから車を走らせること20分。僕たちは基地の外れにやってきていた。

日は傾き、あたりは赤く染めることで、夕刻を示す。もうすぐ宵闇の時間がやってくる。

嫌な時間だ。

瑞鳳「着いた。……ここだよ」

車から降りると、目の前に小さなプレハブ小屋が目の前に立っていた。

最初に工廠の近くに来た時に目に入っていたけど、ここが僕の住処だったんだなぁ。

壁もあるし屋根もある。体を休めるには十分すぎるくらいだな。

ただちょっと仕事場から遠いかな……不満はそれくらいか。

瑞鳳「……ごめんね?こんなところで」

与えられた住処に満足していると、瑞鳳さんが申し訳なさそうに声を掛けてきた。

申し訳なさそうにする彼女が解らなくて思わず首を傾げてしまう。

「え?そうかな」

瑞鳳「いや、だって……こんな物置みたいな所だし。本当は私たちが住んでる所に住んでもらえれば良かったんだけど……。ほら、やっぱり男女同士じゃない?いいって言ってくれる子たちもいたんだけど、ほら……ね?」

キサラギからの配属だし、これくらいが妥当だとは思っていたけど……なるほど。男女のこともあったか。

そういう関係になることは無いだろうし、なるつもりもなかったから失念していた。

「そっか。でも僕はこれで十分だよ。屋根もあるし壁もあるし。気にしなくていい」

瑞鳳「……屋根と壁って当たり前じゃないの?」

そう言えばそうか。これより酷いところを住処にしてた時もあったからなぁ……。

間抜けな事を言っていたことに気付き、あははと乾いた笑いがでた。

瑞鳳「ふふっ。番頭さんってやっぱりちょっと変わってるね」

お恥ずかしい限りです。はい。

というかやっぱりって何?そう言う目で見られてたのん?

瑞鳳「でも、もう少し戦況が良くなって、物資も潤沢になってきたらもうちょっと良い家に住めるよ。……多分」

「わかった。期待しないで待ってるよ」

これで十分な訳だし。

瑞鳳「む、なにその言い方……。わかった。絶対良い家に住ませて見せるからねっ」

そのセリフは男のセリフだと思うんだけど……まぁいいか。

それにしても負けず嫌いな面もあるのか。本当にいろんな表情がある子だ。

瑞鳳「よし、とっ。番頭さんのお家も案内したし、鎮守府の案内はこれくらいかな」

「ありがとう。助かったよ」

瑞鳳「いえいえ。折角来て貰ったんだしこれくらいはねっ」

そう言って瑞鳳さんは微笑む。まぶちい。

ここで案内が終わりって言うことは、瑞鳳さんは戻るのかな?どこにって言ったら知らんけど。

「瑞鳳さん、この後は?」

瑞鳳「寮に戻るよ。どうかした?」

「ここから遠い?」

瑞鳳「んー……ちょっと、ね」

そりゃそうだ。こんな基地の外れまで来たんだから。

「送るよ」

瑞鳳「え?」

やだ、なにそのきょとんとした顔。

なにこの人調子乗ってそんなことするの?やだキモイって顔なの?

……まぁふざけるのも大概として。

「案内してくれたお礼。それに瑞鳳さんは上官なんだし、そのまま歩いてなんか帰らせられない」

本当はそのまま返すのが正解なんだろうけど、さすがに気が引ける。

……少し肩入れしすぎか。でもまぁ理由も話しているし、好意を持っているという風にはとらないだろう。

瑞鳳「いいの?番頭さん疲れてるんじゃ」

「そうでもない。嫌って言うならやめるけど」

瑞鳳「あっ、え、えっと、嫌じゃないよっ全然っ」

慌てて瑞鳳さんは手を振る。

嫌って言われてたらちょっと傷ついたかもしれないし傷ついてないかもしれない。いや傷つかないけど。

瑞鳳「じゃあ……お願いしていい?」

「もちろん」

瑞鳳「ありがと。……やっぱり優しいね」

そう言って瑞鳳さんははにかむように微笑む。

眩しすぎる……光を当てるのだけはやめてよ!

「……仕事のうちだよ」

心の中でふざけてもやっぱりなんだか気恥ずかしい。

首に手を当ててつつ、瑞鳳さんの方を見ないようにして僕は車へ向かった。

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そこから車で30分。他愛も無い会話をしつつ、何度目かの瑞鳳さんの案内の下、寮に到着した。

寮は少し田舎にあるようなマンションの様な風体を無していた。外壁は塗装で白く塗られ、傾く夕日を浴び、赤く反射している。

なんとなく、学生時代の実家を思い出す。

ただひとつだけ実家と食い違うのは、アパートの屋上部分が、がっつりと抉られている点だった。

おそらく基地の襲撃を受けたときに流れ弾が直撃したんだろう。

瑞鳳「ありがとね。助かっちゃった」

「どういたしまして」

瑞鳳さんの微笑を横目で見ながら、小さく頭を下げる。

ここで瑞鳳さんともお別れだ。……長い一日だった。

瑞鳳さんも車のドアに手を掛けて、静かに開けて車から出るととそのまま寮のほうへ歩いて

瑞鳳「あ、そうだ。番頭さん、晩御飯ってどうするの?」

行かなかった。

振り返り、首をかしげる。やめてかわいいから。

「家に戻って、適当に何か食べようかと思ってた」

瑞鳳「適当って?」

「カップラーメン……とか」

瑞鳳「やっぱり。そんなの食べてたら体の調子崩しちゃうよ?」

その時、番頭に電流走る。いや走らないけども。

覚えのある雰囲気を瑞鳳さんから感じ取る。これは強引な瑞鳳さんモードだ。

瑞鳳「寮まで来たんだし、せっかくだから食堂でご飯食べていこ?私もこれからご飯だし」

食堂で飯を食べれるというのは有難いけど、ここ艦娘の寮だよな?

艦娘でもなく、さらに男である僕が中に入ってしまってもいいものだろうか。

「いいの?」

瑞鳳「いいのいいの。ほら、早くいこっ」

そう言うと、瑞鳳さんは運的席の方へ回り、ドアを開けると、僕の手を掴んで引っ張った。

やっぱりこの子強引だ……。というか手を握るのやめてって。心臓に悪い。

瑞鳳さんの強引さに戸惑っているうちに、僕は車の外へと引きずり出されていた。(語弊があります)

瑞鳳「ほら、こっちこっちっ」

そのまま僕は寮の中へと引きずられていく。

振り払っても良かったけど、あの悲しい顔をされたらたまったもんじゃない。

僕は結局何もできず、瑞鳳さんのなすがままにされた。

なんだか表現がやらしいNE!

・・・・・・・・・・

瑞鳳さんに引きずられるままに、寮の廊下を進んでいく。

廊下は壁は打ち放しのコンクリート、床は塩ビシートに囲まれ、蛍光灯が明るく照らしていた。

これも実家のマンションとよく似ている。外壁からも察するにおそらく、というかやはり戦前にあったアパートをそのまま利用しているのだろう。

進むうち、僕たちは少し大きめな扉までやってきていた。扉の向こうからはきゃいきゃいとはしゃぐ声が聞こえる。

扉の上を見やると、食堂と書かれた立て札が飾られていた。

瑞鳳「ここが私たちの食堂だよ。朝と夕方に開いてるから、なにか食べたかったからここに来てね」

なるほど。聞く限り好きに来ていいようだ。

でもそれ以上に今の僕には気になることがあった。

「あー……うん、わかった。……けどさ、その」

瑞鳳「うん?なに?」

「手、いつまで?」

そう問いかけると、目を丸くして、瑞鳳さんは慌ててその手を離した。まるで手を繋いでいたことを忘れていたような態度だった。

なんで自分からつないでおいてびっくりしてるのん?

瑞鳳「あっ、ご、ごめんっ!」

「……いや、いいけど」

なんとなく気まずくなって思わず首に手を当てる。

瑞鳳「あ、あはは……」

瑞鳳さんも気まずいのか、曖昧な笑みを浮かべている。

なんだこれ。艦こr

瑞鳳「……はいろっか」

「うん」

よくわからない空気のまま、瑞鳳さんは目の前の扉を開けた。

食堂はかなり広く、入って左手が食事をとる場所、右手が食事の受け渡し兼調理場となっていた。

食事を取る場所には等間隔にテーブルが並べられ、その周りに椅子が配置されている。

テーブルや椅子に統一感は無く、まさに寄せ集めと言った体だった。おそらくこのマンションに以前から置いてあったものを持ってきたのだろう。

そんな食事場に多くの艦娘たちが腰を下ろし、食事を取っていた。中には如月ちゃんや卯月ちゃんなど見知った顔も見える。

瑞鳳「ここは甘味所と違ってお金は必要ないから、安心してね」

食堂の中を眺めていると、そう言って瑞鳳さんは奥へと進んでいく。

なんとなく気後れしつつ、僕も瑞鳳さんの後ろへついて行った。

翔鳳「あら、瑞鳳ちゃん。それに……番頭さん?」

受付まで歩いていくと、カウンターの向こうに翔鳳さんがいた。

向こうにいるって言うことは、調理とかは翔鳳さんがやっているんろう。

というか料理もできるとか本当にお母さんですやん。

瑞鳳「ただいま。翔鳳さんっ」

翔鳳「ふふ、お帰りなさい。番頭さんもお食事?」

「はっ。そうであります」

翔鳳さんへお仕事モードで対応すると、なぜか翔鳳さんは困ったように微笑み、瑞鳳さんはジト目で僕を見てきた。

なに?僕変なことした?

瑞鳳「番頭さん、今、職務時間じゃないよ?」

……あっ。

思わず壁に立てかけられている時計を見やる。

ヒトハチマルマル……職務時間、過ぎてる。

瑞鳳さんに視線を戻すと、してやったりと言った顔をしていた。

……もしかして、嵌められた?

瑞鳳「ふふっ」

よくも……よくも……。

よくもだましたなァァ!騙してくれたァァァァ!

なーんつって。

食事に釣られて時間のこと考えてなかったなぁ……失敗した。

瑞鳳「努力、してよね?……できればでいいけど」

僕が嫌がっていることを知ってか、言葉に遠慮が見られる。

……本当に世話焼きさんだこと。

「……頑張るよ」

努力するといった手前、瑞鳳さんの前ではその姿を見せなくちゃか。

……言わなきゃ良かった。

翔鳳「なんだか一日で随分仲良くなったわね」

そんな僕たちを見て、翔鳳さんは満足気に微笑む。

その言葉に瑞鳳さんはなんだか得意げだ。

瑞鳳「まーねっ」

僕はあんまり仲良くなった覚えは無いけど。

否定して変な空気になるのも面倒だし、黙っておく。

「瑞鳳っ、番頭さんっ」

翔鳳さんと話していると、食堂の奥のほうから僕たちに声が掛かった。

声の方に顔を向けると、矢萩さん手を振っていた。その隣には摩耶ちゃんがげ、と言う顔を浮かべながら座っている。

瑞鳳「矢萩、摩耶っ」

二人の姿にぱぁっと顔を華やかせると瑞鳳さんは矢萩さんと摩耶ちゃんのところへ向かっていった。

着いていこうと思ったが、もうすぐ食事が出てくるようだし、それからでも遅くないと思いそこに留まる。

「……」

しかしそれがいけなかった。

一人になったことで周りに意識が向くようになると、多くの視線がこちらに向いていることに気づいてしまった。

おそらく見知らぬ異物が珍しいんだろう。

……き、気まずい。

翔鳳「瑞鳳ちゃん、どうですか?」

そんな視線たちに耐えていると、茶碗にご飯を注いだ翔鳳さんが声を掛けてきた。

普段どおりにしゃべろうかと思ったけど、瑞鳳さんがいないんだしその必要もないか。

「しっかりした方だと思います。部隊の方達にも信頼されているようですし、素晴らしい方だと思います」

翔鳳「うまくやって行けそうですか?」

性格的には何も問題ない。

ただ、僕の心が持つかどうかだ。

「……はい。問題ありません」

翔鳳「そうですか。……よかった」

心底安心したかのように息を吐く。再び翔鳳さんは厨房の中へ引っ込んだ。

……どうして僕なんかにそんなに気を向けるんだろう。

それにしてもまた一人になってしまった。視線が痛い。

手持ち無沙汰にしていると、食堂の扉がゆっくりと開けられていった。

そのほうに目を向けると、埠頭の先に座り込んでいた女の子、弥生ちゃんが入ってきていた。

変わらずその表情は暗い。

初対面なんだし挨拶ぐらいはしておくか。

「お疲れ様です」

弥生ちゃんは僕の姿を見ると、驚いたように目を丸くしていた。

突然声を掛けたもんだから驚かせちゃったかな。

弥生「お……つかれさまです」

戸惑いながらも弥生ちゃんは小さくお辞儀してくれた。

それを見て僕は佇まいを治し、敬礼を向ける。

「本日付けでキサラギより配属となりました、番頭と申します。よろしくお願い致します」

弥生「よろしく……です」

そう言うと弥生ちゃんはもう一度小さくお辞儀をしてくれた。

そのまま僕の後ろに並ぶものかと思ったら、弥生ちゃんはその場から動こうとしなかった。

「どうかされました?」

弥生「なんでも……ないです」

弥生ちゃんはただ首を振る。

その表情は暗く、なにかに怯えているようにも見える。

……まぁどこの馬とも知らない男がいたら怖いよぁ。

翔鳳「お待たせしました~」

視線やらなんやらの気まずさが最高潮に達したところで、丁度、翔鳳さんが声を掛けてくれた。

ナイスタイミングです。翔鳳さん。

「ありがとうございます。それでは弥生殿、失礼します」

もう一度弥生ちゃんに敬礼をすると、翔鳳さんがトレイの上に用意してくれた食事を瑞鳳さんの分も持って、矢萩さん達のいるテーブルへと向かった。

視界の端で、もう一度弥生ちゃんが小さくお辞儀しているのが見えた。

人見知りなんだろうけど、いい子だな。

そんなことを思いながら好奇の視線の中、瑞鳳さんたちの下へ急いだ。

矢矧「また会ったわね。番頭さん」

摩耶「……うす」

テーブルたどり着くと、矢矧さんは微笑みながら、麻耶ちゃんは気まずそうに迎えてくれた。

というか麻耶ちゃんまだ引きづってるのん?

その中でなぜか瑞鳳さんも気まずそうにしていた。……なんで?

「お疲れ様です。矢矧殿、麻耶殿。……はい、瑞鳳さん」

二人に頭を下げながら、片方の手に持ったトレイを瑞鳳さんの前に置く。

瑞鳳「あ、ご、ごめん。持ってこさせちゃったね」

「いいよ。これくらい」

そう言いながら僕もトレイをテーブルの上に置き、腰を下ろす。

さて、飯だ飯だ。

矢矧「ふーん」

テーブルに備え付けられた箸に手をつけたところで、矢矧さんが興味深いようなものを見たように息を吐いた。

瑞鳳「え、な、なに?」

矢矧「ふふ、いえ、本当に優しいんだなって思って」

からかうように矢矧さんは微笑む。

三人で何話してたんだろうか。私、気になりません!いや気にならないのかよ。

瑞鳳「ちょ、ちょっとっ」

矢矧「瑞鳳が言ったことじゃない。あの人とっても優しいんだって」

瑞鳳「そ、そうだけど……」

瑞鳳さんがからかわれてる。なんか新鮮だな。

ていうか瑞鳳さん何恥ずかしいこといってるの?僕まで恥ずかしくなるから止めてくだちぃ。

矢矧「好みなの?」

瑞鳳「っ!な、なに言ってんの矢矧っ!」

矢矧「だって、あなたって基本仕事の話か甘いものの話しかしないじゃない?それなのに今日は番頭さんの話ばっかり」

摩耶「だな。へへっ、ついに瑞鳳にも春が来たってか?」

瑞鳳「そ、それは二人が番頭さんはどうだったって聞くからっ」

矢矧「別に私はどんな人かって聞いただけよ?それなのに瑞鳳ったら次から次へと番頭さんのいいところを言うんだもん」

摩耶「なら、好きだっていってるようなもんじゃね?」

瑞鳳「違うわよっ!そ、そんなんじゃ……」

矢矧「それじゃどうして?」

矢矧さんの問いかけに瑞鳳さんは顔を赤らめながら、もじもじとしていた。

その態度だめだって。弄られる要素増やしてるだけだって。

瑞鳳「そ、それは……」

摩耶「それは?」

瑞鳳「その……」

矢矧「その?」

また瑞鳳さんは言葉を詰まらせた。ついには顔を伏せてしまう。

摩耶ちゃんと矢矧さんはニヤニヤしながら、瑞鳳さんの言葉待っていた。

これが女子会……。女子会って、怖いですね。

十分な時間がたった所で、瑞鳳さんがつぶやくように小さく言葉を吐き出した。


瑞鳳「……番頭さんの良いところ知ってもらって、二人にも仲良くしてもらいたかったから……」


声自体は小さいけど、それは淀みも無く、偽りもなかった。

おそらく、本心でそう言っているんだろう。

それが二人にも伝わったようで、言葉を失っていた。

矢矧「瑞鳳……あなたって人は……」

摩耶「……瑞鳳……お前……」

瑞鳳「な、なによ……笑えばいいでしょ、もう……」

一人恥ずかしそうにする瑞鳳さん。

いや僕もめちゃくちゃ恥ずかしいですけどね。

矢矧「わかった。仲良くするわ」

摩耶「おう、あたしも仲良くしてやるよ」

瑞鳳「ほ、本当?からかいじゃない?」

矢矧「そんなわけ無いじゃない。ね、摩耶?」

摩耶「ああ。勿論だぜ」

瑞鳳「あ、ありがとう……?」

よくわかっていないのか瑞鳳さんは首をかしげる。

僕も何でこの空間に僕がいるのか首を傾げたいです。

摩耶「つーわけで、よろしくな番頭!お前の面倒はあたしが見てやるよ!」

どんなわけなの?

矢矧「改めてよろしくね。番頭さん」

「よ、よろしくお願いします」

矢矧「あ、敬語」

「え?」

摩耶「瑞鳳から聞いたぜ?瑞鳳とは普通に話してるんだってな」

そこまで話してるのか……。いや出てもおかしくないけどさ。

矢矧「私達の前でも、敬語禁止ね」

摩耶「たりめーだよな。これから仲良くするんだからよ!」

「いや、ですが」

矢矧「決定ね」

摩耶「おう!頼むぜ番頭!」

どうしてこうなった……。いや瑞鳳さんに言葉を崩した時点でいつかはこうなるかと思っていたけど。

どう断ろうかと思案していると、ふと、瑞鳳さんの顔が視界に入ってきた。

その表情は困惑と懇願の色に染まりきっていた。

これが世に聞く困ってるから助けてお願いビームか……。知らんけど。

嫌だと瑞鳳さんにアイコンタクトを送る。だけど瑞鳳さんはその顔に浮かべる色を深めるだけだった。

矢矧「番頭さん?」

摩耶「番頭!」

いや近い近い。こんなに距離つめなくてもいいでしょうよ。

ああ……これは逃げられないな。

「……わかったよ……」

とうとう三人の攻撃に耐えられず、僕は首を縦に振ってしまった。

それを見た途端矢作さんは満足そうに微笑み、麻耶ちゃんはよっしゃとガッツポーズを作っていた。

瑞鳳さんは……駄目だ。今そっちを見たら目が焼かれる!駄目だ!止めろぉ!


(目が焼かれる音)

続く。

多くの誤字申し訳ない。
今回は無い……はず。

--------

矢矧「それでは親睦を深めようということで、番頭さんに色々質問しまーす」

摩耶「いえーい!」


いえ―いじゃないから。うえーいでもないけど。

瑞鳳さんの嬉しいオーラ&微笑みから視力が回復したと思ったらこれだ。


矢矧「と、その前にお酒飲みましょうか?」


なんでやねん。別に酒はいらんでしょうに。


摩耶「いいねぇいいねぇ!鳳翔さんお酒持って来てくれ!」


はーいっ、と厨房のほうから鳳翔さんの穏やかな声が返ってくる。いや無理して持ってこなくてもいいですからね。ホントダヨ?

というか摩耶ちゃん未成年(?)じゃないのか?お酒って大丈夫なのか?


矢矧「番頭さんってお酒強い?」

「……弱いよ」


また嘘をつく。

別に弱くも強くもないが、ここでこう言っとけば今後飲まされることはないだろう。


矢矧「じゃあこの際で強くなっちゃいましょうか♪」


なんてことなかった。すかさず矢矧さんは逃げ道をつぶして来た。

瑞鳳さんも大概だけど、矢矧さんも結構強引だな……。

摩耶「なんだなんだ?お前そんななりして弱いのかよ?」

「ああ、まぁ……」

摩耶「しょうがねぇなぁ!それじゃあ今日はあたしが酒の飲み方ってやつを教えてやっからな!」


そう言うと、摩耶ちゃんは僕の背中をバシバシ叩く。

痛い痛い。僕の業界ではご褒美ではないんでやめてください。


矢矧「あら?摩耶、あなたお酒強かったかしら?」


背中の痛みに耐えていると、矢矧さんが悪戯っぽく笑いながら、わざとらしく摩耶ちゃんに首を傾げた。

その笑みに摩耶ちゃんはギクリ、と言わんばかりに体を跳ねさせる。

なに、摩耶ちゃん酒弱いの?


摩耶「あ、ああ強いぜ!な、なぁ瑞鳳?」


矢矧さんの質問から逃げるように摩耶ちゃんは瑞鳳さんへ話を逸らす。

摩耶ちゃんの視線には何かお願いするような色が混じっていた。

いや、それもう自白してるからね?自爆もしてるよ?


瑞鳳「え?摩耶って弱くなかった?」


あっさりと頼みの綱の瑞鳳さんから否定され、うぐ、と摩耶ちゃんは唸った。

そして見る見るうちに頬が朱に染まっていく。

なんですぐばれるような嘘ついちゃうのこの子は……。嘘はいけませんよ嘘は!(ブーメラン)

矢矧「見栄っ張りなんだから。というか、そんな嘘ついたってこれからお酒飲むんだからすぐばれちゃうでしょ?」」

摩耶「ううっ」


羞恥に呻く摩耶ちゃんを見ながら、くすくすと矢矧さんは笑った。

わかっていながらそういうことするなんて結構Sっ気強いっすね矢矧さん……。


摩耶「だ、だってよぉ……。教えてやるって言った手前弱いなんか言ったらかっこわるいだろ……」


語尾にいくにつれてごにょごにょとなっていく。

摩耶ちゃんも嘗められたくないからってそう言う態度取ってるんだろうけどなぁ。

というか男の裸を恥ずかしがったり、酒弱かったり……。なにこの純情乙女。


矢矧「強いって言っておきながら実際弱かったほうがかっこ悪いわよ?」

摩耶「うぐぅ」


矢矧さんのとどめについに摩耶ちゃんは手を枕に机に蹲ってしまった。

そしてその体勢のまま顔だけ僕のほうに向けると、なぜか涙目で僕をにらみつけてきた。

いやいや、僕のせいじゃないでしょ?可愛いからいいけど。


瑞鳳「ま、まぁまぁ。それよりほら、お酒来たよ?」


摩耶ちゃんのにらみつけに戸惑っているうちに、ちょうど酒が来たようだ。来ちゃったかー。

しかも日本酒か……。車だし飲むわけにはいかないんだよなぁ。

鳳翔「お待たせしました~。矢矧ちゃん、あんまり摩耶ちゃんのこといじめちゃだめよ?」

矢矧「いじめてなんかないわよ。摩耶が困らないように助けてだけ」


そう言って矢矧さんはご機嫌そうに笑った。

助けると書いて遊ぶと読みそう。


瑞鳳「ほ、ほら摩耶、お酒来たよ?一緒に飲も?」

摩耶「……やだ」


鳳翔さんから受け取った酒を摩耶ちゃんはへそを曲げたまま蹲っていた。

摩耶ちゃん相変わらずグラスハートっすね……。


矢矧「ほら、いつまでもへそを曲げてないの」

摩耶「……まげてねーし」


や、曲げてるからね。ぐにょんぐにょんだからね。


瑞鳳「摩耶?まーや?」

摩耶「……」


瑞鳳さんが頭を撫でたり、矢矧さんが目の前におつまみをぶら下げて

「ほーら摩耶の好きなおつまみよ」と言っても摩耶ちゃんの機嫌は一向に直らなかった。

いやそりゃそうだよ。特に矢矧さん。

完全に手詰まりとなったところで、瑞鳳さんが僕の方へ視線をよこして来た。さっきも見たどうにかしてお願いビームだ。

それやったらどうにかしてくれるなんて思ったら大間違いなんだからね!勘違いしないでよね!

というか付き合い長い瑞鳳さんでだめなんだから僕に出来るわけないでしょうが。

無理だと伝えるために、瑞鳳さんから視線を逸らす。

矢矧「……」


が、逸らした先に調度矢矧さんがいて、瑞鳳さんと同じような視線を送ってきていた。

どうやら瑞鳳さんの視線の意味に気づいて、僕がどうするのか見ているようだ。

それにも僕は逃げるように視線を逸らす。その所為か変な沈黙が生まれてしまった。

妙な沈黙と向けられる二つの視線。どうしてこうなった……。

この状況で摩耶ちゃんはどうしているのかとちらりと視線を向けると、落ち着きなく枕にしていた腕を組みなおしていたり、腕から少し顔を出したりして周りを伺っていた。

おそらく変な空気になってしまったのを気にしておろおろしているのだろう。

どうにかしたいとも思いつつ、引っ込みがつかなくなってどうにも出来ないっていう状況だろうか。

……しょうがないか。


「摩耶ちゃん」


心の中でため息をつきつつ、穏やかにと心がけて声をかけた。

それに摩耶ちゃんは体をピクリと動かし、矢矧さんはお、という顔して、瑞鳳さんは体から嬉しいオーラを湧き出させていた。

また視力を失っちゃうだろ!


「摩耶ちゃんは酒が弱いんだよね?」


腕に顔を埋めたまま、摩耶ちゃんは小さく首をたてに振る。

なんだそれ可愛いな。


「でも僕に酒の飲み方を教えてくれるって事は、弱いなりに飲める飲み方を知ってるってことだよね」


それに摩耶ちゃんは何も返さない。

あーうん。分ってた。分ってたよ……。


「出来れば僕にそれを教えて欲しい。僕も弱いなりに酒を飲めるようになりたいし。……頼めないかな」

そう締めくくると、また沈黙が訪れた。

そしてなぜかほかの艦娘たちもいつの間にか静かになっていた。

やだ、私の言葉聞かれてたの?恥ずかしい……。

それはそうと摩耶ちゃんに動きはない。

駄目かと思った時、ゆっくりと摩耶ちゃんは顔を上げた。


摩耶「摩耶」

「へ?」

摩耶「さっきからま、摩耶ちゃん摩耶ちゃんって……はずいんだよ。……摩耶って呼べ」

「え?あ、ああ……うん」

摩耶「と、さっきの酒の飲み方だけどよ……お、お前がどうしてもって言うんだったら教えてやるよ!しょうがねぇな!」

「いや、別にそこまでとは……」

摩耶「ああ!?」

「お願いします」

摩耶「ったくしょうがねぇな!ほら、瑞鳳、矢矧!飲むぞ!」


話を振られた瑞鳳さんと矢矧さんはくすくすと笑っていた。

それにまた摩耶ちゃんは顔真っ赤にして捲くし立てる。


摩耶「な、なに笑ってんだよっ!ほら番頭酒注げよ!」


言われるがままに酒を注ぐと、摩耶ちゃんは一気に酒を呷った。

その飲み方すぐに酔っ払うと思うんだけど……。

摩耶「かーっ!うめぇ!最高だなぁ!」

矢矧「ふふっ。じゃ、私たちも飲みましょっか」

瑞鳳「うんっ」


まぁいいか。妙な空気も元に戻ったし。

これでやっと飯が食えるな。めでたしめでたし。


摩耶「ほら番頭、お前も飲めっ」


じゃなかった。そうか、酒飲まなきゃいけないんだったな……。

僕の心のつぶやきをよそに摩耶ちゃんはグラスに酒をなみなみと注ぐと、僕に寄越してきた。


摩耶「この摩耶様がじっくりおしえてやるからよっ!かくどしちょけ!」


なんだか言葉が怪しい。さっきの一杯でもう酔いが回ったんだろうか。

この人酔ったのと瑞鳳さんと矢矧さんに視線を向ける。

瑞鳳さんは困ったように笑い、矢矧さんは小さく方をすくめた。どうやら本当に酔ったらしい。

いくらなんでも酒弱すぎぃ!


摩耶「ほら~のんでにぇーぞ!のめにょめ!」


そう言いながら摩耶ちゃんはなみなみ注いだグラスを僕の口元まで持ってきた。

いやこぼれてる。こぼれて掛かってるから!

摩耶「にょめ~よっ!」

「んぐっ」


そのままグラスの縁を僕の口の中に突っ込むと、酒を流し込んできた。

むせるからやめてくださいお願いします。

酒が僕の中に入っていくのを見ると、摩耶ちゃんは満足そうにほほを緩ませる。

その表情はいつもの活発で勝気な表情ではなく、どこかあどけないものだった。


摩耶「あははっ!あはははっ!酒をにょむのはたのしいなぁ~にゃあ番頭っ!」

「ソウデスネ」

摩耶「あはっあははっ!じゃああたしものむ~」


何がじゃあなのか解らないけど、摩耶ちゃんにはしゃぎながら自分のグラスに酒を注いだ。

助けてと瑞鳳さんと矢矧さんに視線を送るも、二人は視線を逸らすだけだった。

この薄情者どもめ……。


摩耶「んふふっ、おいしいなぁっ!うふふふっ!」


もう酒の飲み方を教えるどころじゃないと思うんですけど、それは大丈夫なんですかね……。

・・・・・・・・・


摩耶「すー……すー……」

寝ちゃったよ。寝てくれたよこの子。

その後30分ぐらい酒を飲んで暴れていたけど、突然糸が切れたようにテーブルに蹲ると寝息を立て始めた。

大丈夫かと心配したけど、二人が言うには酒を飲むといつもこうなるから心配しないでとのこと。


「疲れた……」

瑞鳳「あはは……お疲れ様」


そう言って瑞鳳さんは水をついでくれた。

散々摩耶ちゃんに無理やり飲まされたから、正直かなりありがたい。

暴れているのを助けてくれたらもっとありがたかったけど、何も言うまい。

僕だってあの暴れていく中に飛び込んでいくのは嫌だ。


「ありがとう」

瑞鳳「どういたしまして」


水を受け取り、一気に呷る。

体が酒以外のものを取り込んで喜んでいるのが解る。どんだけ飲まされたんだ僕は……。

矢矧「それにしても、番頭さん弱いって言ってた割りに、結構飲めるのね」


水を飲み干して一息ついていると、矢矧さんが微笑んできた。

酒を飲んでいるためか若干顔が赤い。矢矧さんもそんなに強くなさそうだな。


「そうかな」

矢矧「うん。あれだけ飲まされたら大体潰れちゃうと思うけど」

「潰れてないだけで今はかなり辛いよ」

瑞鳳「大丈夫?」

「なんとか」


はい、と瑞鳳さんはもう一杯水を渡してくれる。

甲斐甲斐しいねぇ。いいお嫁さんになれるよきっと。

あーしんどい……。できればこのままお開きにしてくれないかな。


矢矧「じゃ、今度は私とお話してもらおうかしら」


そうは行きませんよねー。まだまだ飲みたいって顔してたし。

ていうか遊ぶって何?弄ばれちゃうのん?


瑞鳳「矢矧、番頭さん辛いみたいだし、そろそろ……」


僕の様子を汲んで、瑞鳳さんはそう言ってくれる。

頑張って瑞鳳さん応援してる。

修正

矢矧「じゃ、今度は私とお話してもらおうかしら」×

矢矧「じゃ、今度は私と遊んでもらおうかしら」 ○


矢矧「ちょっとだけだから。お酒は飲まなくていいから」


ね?と小首をかしげる。可愛いからやめてください。


矢矧「瑞鳳もいいでしょ?ね?」


瑞鳳さんにも矢矧さんは首をかしげた。

それにすこしだけなら、と言って瑞鳳さんは引き下がってしまった。もうちょっと頑張ってもらいたかったなぁ。

というか僕の意思は……?


矢矧「番頭さんのこと、知りたいの。……だめかな?」


面倒だし断ろうとした所で、上目遣いで矢矧さんがそう言って来た。

酒の所為か頬が上気して、瞳も潤んでいる。エ○い。いやそれは関係ないけど。

ひとつ、考える。

僕のことを知りたい、か。

僕のことを知れば、僕から離れてくれるだろうか。

いや、離れてくれるだろう。こんな薄汚れた僕のことを知れば、きっと。瑞鳳さんだって。

そう思うと、僕は矢矧さんの提案を受け入れることにした。


「……いいよ。なんでも聞いて」

矢矧「ありがとっ。瑞鳳の言うとおりやっぱり優しいね」

瑞鳳「わ、私のことはいいでしょっ」

矢矧「だって瑞鳳から聞いたんだもーん」


だもーんってなんだ。いつものキャラと違いすぎませんかね。

いや可愛いからいいけど。

瑞鳳「そ、そうだけど……」

矢矧「ほらほらそれより質問質問っ」


瑞鳳さんを抑えると、矢矧さんはじっと僕の目を見つめてきた。

それに目を逸らさずに、じっと見返す。

そこでなぜか矢矧さんはクスリ、と微笑んだ。


矢矧「目、逸らさないんだね」

「え?ああ、うん……なんで?」

矢矧「ううん。なんとなく」


先の見つめてきた態度を一変し、悪戯っぽく微笑んできた。なんだか肩透かしを食らってしまう。

さっきの視線は、僕の何を見てたんだろうか。


矢矧「じゃあ第一問」


そう言って矢矧さんは真剣な表情をつくり、少しの間を作った。

いつにない真面目な表情に、身がまえを正す。瑞鳳さんも友人の作る妙な空気に身がまえを正していた。

十分な間と張り詰めた空気を作った後、矢矧さんは厳かに口を開いた。




矢矧「……瑞鳳のこと好き?」

「……は?」

瑞鳳「……は?」



唐突で作り上げた空気にまったくそぐわない質問に、僕も瑞鳳さんも思わず間抜けな声を出してしまう。

それを見て矢矧さんは愉快そうに微笑んだ。


瑞鳳「……何くだらないこと聞いてるの」

矢矧「だって番頭さん、瑞鳳には特に優しいみたいだし、『何か』あるのかなーって」


何か、という言葉の時、矢矧さんは再びちらりと僕の目を見てきた。

鋭い人だ。

おそらく、何かを感じ取っている。

正体はわかっていないだろうけど、何かがある事は解っている。


瑞鳳「何にもないよ。……ね?番頭さん?」

「……そうだね。何もないよ」

矢矧「そっかー。何かあったら面白かったんだけどなぁ」


矢矧さんはくすくすと笑う。

その笑みにはどんな意味が隠されているんだろうか。


矢矧「じゃあ第二問っ!」



結局その後は当たり障りのないことしか矢矧さんは聞いてこなかった。

食べ物は何が好きだとか。趣味は何だとか。

僕の過去のことには一切触れてこなかった。……むしろ避けたように思える。

なぜ避けたのかは解らない。僕の過去に興味が無かっただけかも知れない。

ただ、どうしてもそうは思えなかった。

彼女は僕の過去を知ることを避けていた。

何の根拠も無いけど、僕はそう確信している。

……もしかしたら、僕の過去を、彼女たちのことを最初に話すのは隣にいる瑞鳳さんではなく

矢矧さんになるかも知れない。

瑞鳳「なんだかごめんね。こんな遅くまで……」

食事を終えた僕たちは、食堂を出て寮の玄関まで戻ってきていた。

結局あの後2時間近くしゃべっていた。ちょっととはなんだったのか……。

矢矧さんとは酔いつぶれた摩耶ちゃんを送ると言って、食堂で別れている。


「いいよ。別に」


ゆっくりと首を振る。

ただ、帰りの道を歩いて帰らなければならないと思うと嫌になりそうだけど。


瑞鳳「……帰り、大丈夫?」


ぴたりと瑞鳳さんは僕の心配していることを言い当てる。

……本当に人の気持ちがわかる、優しい子だ。

なんだか懐かしい思いがして、思わずじっと彼女の顔を見つめてしまう。


瑞鳳「ん?どうかした?」

「いや……なんでもない」


もう一度首を横に振る。

しまったな。こんなことしてはいけない。

「帰りは大丈夫。酔いを醒ましながらゆっくり帰るよ」

瑞鳳「送ってく?」

「いい。一人で帰れる」


送ってもらったら瑞鳳さんをここまで送った意味が無い。

それに帰りを女の子一人にするのも気が引ける。……基地内だから大丈夫だとは思うけど。


瑞鳳「そっか。……気をつけてね」

「ありがとう」


そう言って僕は瑞鳳さんに背を向けて、家へと歩き出した。


瑞鳳「あのっ」


が、2、3歩歩き出したところで瑞鳳さんから声が掛かった。

ゆっくりと彼女のほうへと振り向く。


「……何?」

瑞鳳「おやすみ。……今日は楽しかった」


『おやすみ。……今日は楽しかった』


また、重なった。

あの時と。

あの人と。

瑞鳳「……? えっと……」


「ねぇ、瑞鳳さん」

瑞鳳「……うん?なに?」

「瑞鳳さんは僕のことをどこまで知ってる?」

瑞鳳「番頭さんのこと?……えっと……」





瑞鳳「やさしいひと……ってことぐらいかな」




『やさしいね。――。』




「……そっか。それじゃあ」

瑞鳳「え、う、うん。おやすみ……」



僕はそんなことを知りたかったんじゃない。

彼女が監視対象としての僕のことをどれだけ知っているのかを知りたかったわけでもない。

僕の。

僕の知りたかったことは。

続く。

ーーーーーーーーーーーーー

君が――君だね。

―― はっ。本日よりお世話になります。

よろしく。君の噂は聞いているよ。

―― 噂でありますか。

整備と戦闘、どちらにおいても優秀な戦争人間。直して殺せる軍人。くふ、歌って踊れるアイドルみたいだね。

―― ……。

不服なのかい?てっきり喜ぶかと思っていたけど。初めて人を殺した時の喜びようは凄かったって言うじゃないか。

―― 昔の話です。

そんなことないよ。君は人を殺すことに喜びを見出す人間さ。

―― ……。

そんな君にキサラギの仕事はぴったりだよ。

―― なぜでしょうか。

直して、殺せるからだよ。





人をね。

------------


頭痛い……。頭の痛さで目を覚ますってどんなんだよ……。

完全に二日酔いだ。本当に昨日はどれだけ飲まされたんだ……次の日に酒が残ることはないって言うのに。

瑞鳳さんと別れた後、たっぷり一時間程かけて住処に戻って、隅に置いてあった布団を適当に敷いてすぐに横になった。

酒と気疲れもあったんだろうけど、すぐに眠りに落ちることはできた。


「失敗したな……」


酒を飲まされすぎたこともあるけど、いろんな意味で。

なんで別れ際瑞鳳さんにあんなこと言ってしまったんだ。酒に飲まれていたとしても迂闊過ぎる。

ていうか初対面の人にどこまで自分のことを知ってるなんて完全に変な人やんけ。


「まぁ過ぎたことをうだうだ考えてもしょうがないか」


言ってしまったことはしょうがない。それにそれこそ酒の所為にできるだろう。

気を取り直して敷布団から体を起こし、枕の横に置いておいた腕時計に目をやる。

……5時30分。ちょっと早く起き過ぎたな。

ポケットの中にねじ込んでいた煙草を取り出す。……突っ込んだまま寝ちゃったから潰れてるな。何とか吸えそうだけど。

捻じ曲がった煙草をソフトケースから咥え出し、そのまま立ち上がって引き戸の窓を開けた。

涼しい潮風を部屋が吸い込み、酒の匂いで淀んだ空気を吐き出していく。


「いい天気になりそうだな」


窓サッシに体を寄り掛けて、橙色に染まる海を前に、煙草に火をつけた。

体の中に紫煙と潮風が流れ込む。心地いい。


「あ」


これを毎日の日課にしようとぼんやりと考えたところで、気づいた。

僕って今日何すればいいんだ。

案内されたはいいけど、次の日の動きとか何も聞いていない。もう整備の仕事に移ってしまっていいんだろうか。

提督か瑞鳳さんに確認取っておけば良かったな。

……まぁいいや。朝礼はおそらく8時からだろうし、その前に提督のところに行って確認しよう。

ありがたいことに簡易のシャワーも備え付けてくれているし、とりあえずは身支度か。

そう考えをまとめると、咥えていた煙草を一本吸いきって携帯用の灰皿に煙草を突っ込み、火種をもみ消した。

・・・・・・


「ん」

身支度を終えて朝食のカロリーメイトを齧っていると、外から家に近づいてくる足音に気づいた。

足音の数は一つ。おそらく艦娘の誰かが連絡に来てくれたんだろう。

瑞鳳さんだろうか。……昨日変なこと言っちゃったから顔を合わせ辛いんだよなぁ。

そんなことを考えているうちに、足音は入り口の扉の前まで近づき、止まった。

ちらりと入り口を見る。するとそこには小さく頭だけが見えた。

誰だろうと思っていると、控えめに二回、扉がノックされた。


「はい」

「……弥生……です」


誰かと思えば弥生ちゃんか。背がちっちゃいし、家が地面よりもブロックで高くなっているからああいう見え方がしていたみたいだ。

というかなんで弥生ちゃん?


「おはようございます。弥生殿」

弥生「……おはようございます」


扉を開けると弥生ちゃんがちょこんと所在無さげに立っていた。手には地図らしき紙を持っている。

地図をもらってわざわざ来てくれたのか。

苦労を掛けたことにも対して敬礼をすると、弥生ちゃんも小さく頭を下げてくれた。

密かに表情を伺う。相変わらず僕のことが怖いのか、表情は硬い。

弥生「……提督より連絡、です。マルハチマルマル司令棟前にて朝礼あり。紹介も兼ねるので必ず出席のこと。また電子機器を全て持参すること……です」

「了解いたしました」


朝礼と電子機器提出のお知らせ、ね。

電子機器はいいとして朝礼か……着任したばかりだからやっぱりこういうことがあるかとは思ってたけど、やっぱり面倒くさいな。

まぁ挨拶だけ適当に考えてればいいか。

それにしてもこのことを教えてくれるだけの為に来させちゃったのか。ちょっと申し訳ないな。

車で送ってやれればいいんだけど置いてきちゃってるしな……。

来てくれた弥生ちゃんをどうしたものかと考えていると、弥生ちゃんがその場から動かず控えめに視線を送っているのに気づいた。


「まだ何かありますでしょうか?」


怯えさせないようやさしく声をかける。

すると弥生ちゃんはおずおずと呟く様に答えてくれた。


弥生「……瑞鳳さんからのお願いで……一緒に連れてきてほしいって言われた、ので」


なるほど。どうして弥生ちゃんがここに来させられたのが何となく予想がついた。

おそらく、初めは瑞鳳さんが提督に僕に連絡するように指示を受けたんだろう。

その後、どういった経緯かはわからないけど、弥生ちゃんにお願いしたと。

仲良くしてくれって言ってたもんなぁ……。やっぱ強引だ。あの子。

心で小さくため息をつく。


「了解いたしました。準備のために少しだけ時間を頂いてもよろしいですか?」


と言っても戸締りするだけだけど。


弥生「……はい」


僕の言葉に弥生ちゃんは小さくコクリと首を縦に振る。

出る前に一服しようと思ったけど、待たせるわけにも行かないし止めておくか。

・・・・・・

「……」

弥生「……」


無言。ただひたすらに無言。

家から出て30分くらい経ったけど弥生ちゃんは何もしゃべらない。

顔もどこと無く不機嫌に見える。そんなことは無いのかもしれないけど。

いやまぁ話すことも仲良くするつもりも無いから問題ないけれど。

多分このまま会話はなしかな。


弥生「……あの」


と思ったら話しかけてきた。

ちょっと不意を突かれて驚いたのは内緒だ。


「何でしょうか」


用件を聞いたものの、弥生ちゃんは口を開いたり引き結んだりするだけで、言葉の続きはなかなか来ない。

表情は硬く、怯えの色が濃い。

口を開いたものの、言っていいものかどうか迷っているんだろう。

言うことを躊躇う位の事なのだから、きっと重大なことなのかもしれない。

話してくれるのをゆっくり待つとしよう。

そしてしばらくの沈黙の後、弥生ちゃんは何かを決心したように小さくうなずくと、口を開いた。

弥生「……私って……変、ですか?」


変、か。

弥生ちゃんに変なところはひとつも無い。

ただ、それは『僕にとって』だ。

ほかの子たちにとっては、弥生ちゃんは変、なんだ。

それを弥生ちゃんは感じ取っているんだろう。だからこその質問。

自分のことを変なのかと聞いてきた彼女の気持ちを慮ると、なんともいえない気持ちになる。


「変ではないと思います。弥生殿は普通の艦娘様です」


おそらく、これが弥生ちゃんが欲しがっている言葉だろう。少し僕の線引きも入っているけど。

弥生ちゃんは不安なんだろう。

仲間たちが自分のこと避け、遠ざけている。そのことがたまらなく不安なんだ。

自分が変だと言われているようで。

自分が変なのだと思ってしまいそうで。

だから、自分が悪いから、皆が避けているのだと思ってしまいそうで。


弥生「ホント……?」

「はい。私的な意見で申し訳ありませんが」


安心させる為に言葉を重ねる。

それに弥生ちゃんは小さく、本当に小さくだけど顔を綻ばせた。

弥生「……ありがとう」


そう弥生ちゃんが小さく呟いた。

しっかり聞こえていたけど、聞かなかったことにする。

僕は変ではないと答えただけなんだから。


弥生「……あの」

「はい」

弥生「……い」

「はい?」

弥生「……いい天気、ですね」

「……そうですね」


その後、弥生ちゃんはぽつぽつとだけれど話しかけてきた。海の話だとか、番頭の仕事だとか。

自分を変と思わない相手を見つけて、安心したのかもしれない。……ちょっと失敗したかな。

でもまぁ、そのときの弥生ちゃんの表情は朝よりはずっと明るかったと思う。

少しだけでも彼女の心の重みを取り除けたのかもしれない。


だけどこれは気休めだ。

弥生ちゃんは彼女たちにとって『変』なのだから。


弥生ちゃんはこれからも苦しみ続けるだろう。

僕たち人間のエゴの所為で。

ーーーーーーーーーーーー

その後途中で車を拾うと、弥生ちゃんを乗せて司令棟に向かった。

車に乗っているときの弥生ちゃんはなぜかすっごいきらきらした表情をしていた。車乗るの好きなんだろうか。

そんなこんなで司令棟前に到着すると、すでに提督がその場にいた。

おそらく僕のことを待っていたんだろう。


提督「来たな」


そう言うと、口に咥えた煙草をスタンド式の灰皿に突っ込んだ。


「おはようございます」

弥生「おはよう……ございます」


弥生ちゃんは小さく顔を歪めると、提督に小さく頭を下げる。

え、なに?弥生ちゃん提督のこと嫌いなの?


提督「おはよう弥生。お前が番頭のこと連れてきてくれたのか?」

弥生「……はい」

提督「おおそうかそうか。ご苦労さん」

そう言って提督はがははと笑い、弥生ちゃんの頭をぐりぐりと撫でた。

まるで近所の女の子をかわいがってるおじさんみたいだな。でも弥生ちゃんすっごい嫌そうな顔してますよ。提督。


提督「じゃあせっかくだからもうひとつ頼まれてくれるか。鳳翔を呼んできてくれ。少し聞きたいことがあるんだ」

弥生「……わかりました」

提督「よし。頼んだ……ぞっ!」


ぞっ!の時に提督は弥生ちゃんの尻をやさしく叩いた。

それに弥生ちゃんはそれまで以上に嫌な顔をしていた。いやそりゃあ嫌われますわ……。

満面の笑みの提督と歩いていく弥生ちゃんを見送ると、その場に提督と僕の二人だけが残された。


提督「なぜ弥生と来た」


さっきまでの笑みは完全に消え去り、近所のおじさんは一人の提督と化した。

居住まいを直し、敬礼を向ける。


「瑞鳳殿に依頼されて来たと聞いております」

提督「なるほどな。お節介だな。あいつも」


呆れたように提督は笑ったが、その声音は柔らかい。

瑞鳳さんを責めるつもりは無いみたいだ。

そして、提督も弥生ちゃんがどういう状況に置かれているのか把握しているようだ。


提督「……弥生のこと、どこまで聞いてる」

「一度撃沈し、提督が発見したというお話を伺いました」

提督「事実だと思うか」

「いえ」

提督「やはりはっきり言う奴だな。お前は。……休め。息苦しい」

「はっ」


命令通り直立から休めの体勢に移る。

提督はその間にズボンのポケットから煙草を取り出し、口に咥えていた。


提督「お前がどう思おうと、ここではそれが事実だ」


そう言って提督はジッポーライターを取り出して、煙草の先端に火をつけた。

提督の言葉は、つまりは事実を口外するなと言う意味だ。

もともと言うつもりは無いけど。それを知って得をする奴はどこにもいない。


「はっ」


僕の返事に提督は小さく頷くと、煙草の煙を大きく吸い込み、吐き出す。

その時、提督の瞳に昏いものが過ぎるのを僕は見逃さなかった。

提督「煙草は吸うのか?」

「はっ」

提督「吸っても良いぞ。自由にしろ」

「ありがとうございます。その前にお聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」

提督「何だ」


煙草を吸うことは十分に魅力的だ。

でも、それよりも僕はどうしても気になっていたことがあった。


「なぜ、監視役が瑞鳳殿なのでしょうか」


ずっと気になっていた。

なぜ、監視役が彼女なのか。

僕のことを何も伝えていない、彼女なのか。

よりにもよって、彼女なのか。

提督「不服か」

「いえ。彼女を選んだ理由を知りたいのです」

提督「知ってどうする」

「何も。納得するだけです」


そうか、と呟き、提督は再び煙草の煙を吸い込んだ。

そしてそれを言葉と共にゆっくりと吐き出した。


提督「お前にも知って貰いたいんだ」


遠くを見つめ、彼が何を見ているのかは伺い知れない。

ただ目の前の景色ではなく、もっと遠い何かを見ているようだった。


「……何を、でしょうか」

提督「その内解る。……さぁ、そろそろ朝礼だ。準備しろ」

「……はっ」


結局、僕の知りたいことを知ることは出来なかった。

解ったことは、提督が僕に何かを知って欲しいと言うこと。

そして、あてつけに彼女を僕の監視役に選んではいないと言うことだ。

それが解っただけでも、収穫……かもしれない。

あてつけに選んだとするならば、彼は相当に……エグイ男だ。

続く。

「おはよう」


朝礼を行う広場へ歩いていく提督を見送っていると、横から声を掛けられた。

声を掛けられた方に顔を向けると、瑞鳳さんが手を体の前で小さく手を振りながらこっちへ歩いてきていた。


「……おはよう」


昨日の別れ際を思い出してなんだか気まずい。

自分のやったことだからしょうがないんだけどさ。


瑞鳳「朝、弥生ちゃんきた?」

「来たよ。……瑞鳳さんが寄越したんでしょ?」

瑞鳳「うん。弥生ちゃんから聞いた?」

「うん」

瑞鳳「そっか。……仲良くなれた?」


やっぱりそれが目的だったか。いや予想はついていたけど。

本当に世話焼きというかお節介というか……。いいところではあるんだろうけど。


「どうだろうね」

瑞鳳「えっと……駄目だった、かな」

瑞鳳さんが不安に顔を歪ませる。

多分、その『駄目』はいろんな意味が含まれてるんだろう。

仲良くなることが出来なかったとか、弥生ちゃんを寄越したことだとか。

不安になるならやらなければいいのに。……僕も弥生ちゃんも馴染める様にがんばってくれてるんだろうけど。

瑞鳳さんの不安げな顔を横目で見つつ、心の中でため息をついた。


「……駄目ではないと思うよ。弥生ちゃんから話しかけてくれたし、そのお陰で退屈もしなかったし」


考えられる二つの意味での答えを返す。……瑞鳳さんに甘すぎだなー僕。

瑞鳳さんは驚いたのか一瞬目を丸くした。だけどもすぐにほっとしたかの様に小さく笑う。


瑞鳳「そっか。……よかった」


……その顔も弱いな。

あれ?僕が瑞鳳さんに強いところって一つもないんじゃない?威力4倍くらいの相性の悪さじゃない?


瑞鳳「でもなんか珍しいね。今の弥生ちゃんから話しかけてくるなんて」


今の……ね。


「そうなの?」

瑞鳳「うん。弥生ちゃん、自分から話しかけてくることなんて仕事の時くらいだから」

「……そっか」

心を少しでも開けば積極的に話しかけてくる子だ……と思う。

そう思うと、僕の想像以上に弥生ちゃんは人間関係で苦労しているんだろう。

それを思うと少し居た堪れなくなる。


瑞鳳「あ、もしかして話しかけてきたのって仕事の話?」

「違うよ。世間話みたいなもの」

瑞鳳「そっか。……どうやったの?」


首をかしげながら顔を覗き込んでくる。

……朝にその仕草は辛いっす。いやいつでも辛いけど。


「……どうも何も。何もしてないよ」

瑞鳳「なんにも、かぁ。凄いね」


心底関心したような瞳を向けてくる。

なんだかむず痒くなってしまって思わず首に手を当ててしまう。


「凄くないよ。別に」

瑞鳳「ううん、凄いよ。あの弥生ちゃんがほとんど初対面で話しかけてくれるんだもん」

いくら否定しても褒めてくる瑞鳳さんに、どうしたものかと考えていると

ふと、一瞬だけ瑞鳳さんの表情が暗くなったような気がした。


「……どうかした?」

瑞鳳「えっ、あっ、ううんっ、なんにもないよ」


慌てて瑞鳳さんは手と首を振る。

……なんとなく表情が暗くなった理由は予想は出来るけど、触れるべきじゃないな。


「おーい、瑞鳳、番頭!なにやってんだ朝礼始まるぞ!」


そこでちょうど広場の方から声が掛かってきた。

そっちのほうに顔を向けると、摩耶ちゃんが僕らに手を振っていた。

後ろには矢矧さんもいて、僕たちの視線がそっちに向くと小さく手を振った。


「行こうか」

瑞鳳「あ、う、うんっ」


これ以上褒められたら溜まったもんじゃなかったから、本当にちょうどいいタイミングで声を掛けてくれた。

摩耶ちゃんに心の中で感謝しつつ、駆け足で僕たちは朝礼を行う広場へと向かった。

・・・・・・・・・


僕たちが朝礼場所に着くと、丁度朝礼が開始された。

朝礼としては、提督の挨拶から始まり、各部隊の今日の予定を提督自ら連絡を行った。

その間に瑞鳳さんは所属する部隊が集まっている所へ戻り、僕は提督の左斜め後ろに付いた。

提督の予定連絡を耳にしながら、目の前の艦娘たちを視線をやる。

思ったよりも多くの艦娘たちが配属されているようだ。

艦娘の数の多さにに感心しつつ、その中に弥生ちゃんたちが所属する駆逐隊を見つけた。

卯月ちゃん、文月ちゃん、如月ちゃんと見知った顔たちがいる中で、知らない顔の子も何人かそこにいた。

まだいたんだなぁ……。結構な大部隊だ。

ぼんやりと駆逐隊を眺めていると、そこでその中にいる卯月ちゃんが僕の視線に気づいたのか、にこっと笑って手を振ってきた。

それを文月ちゃんがあせって止めている。微笑ましいこと。

それに周りの子も僕の視線に気づいて、如月ちゃんと望月ちゃんも手を振ってきた。三日月ちゃんはそんな皆を必死に止めている。苦労人だなぁ……。

心の中で苦笑していると、少し離れた場所で俯いて立っている弥生ちゃんを見つけた。

あれが……彼女たちと弥生ちゃんとの距離なんだろう。

居た堪れない気持ちになる。

じっと弥生ちゃんを見ていると、ふと顔を上げた弥生ちゃんと目が会った。

それに弥生ちゃんは小さく頭を下げた。

手を振っている卯月ちゃん達の返事も兼ねて、僕も小さく頭を下げた。

あの子達にも弥生ちゃんにもそれは伝わったようで、それぞれ小さく笑ったりしていた。

それを見届けると、視線をあの子達からほかの場所に移す。

すると、こちらをじっと見ていた瑞鳳さんと目が合った。

皆さん僕と目会いすぎじゃないですかね。そうでもない?

目が合うと、瑞鳳さんは小さく微笑んだ。どう言う意味っすかねそれ……。

ただそれに気づいた矢矧さんが、悪戯っぽく笑いながら瑞鳳さんに耳打ちする。

途端、瑞鳳さんが慌てだした。モー、すぐからかうんだからー。


提督「今日の予定は以上だ。各自、善処するように!」


そこで丁度提督の連絡が終了した。

視線を提督へと戻す。


「それと今日はもうひとつ連絡事項がある」



そう言うと、チラリと提督が視線を送ってくる。

紹介するから準備しろ、ということだろう。


提督「既に前日話したが、昨日付けで新しい仲間が着任した。そいつを紹介する。前へ出てくれ」


提督の言葉を合図に、一歩前へと進む。

それに合わせ、艦娘たちの視線が一気に僕へと集まる。……結構威圧感あるなぁ。

集まる視線にひるみつつも、ずらりと並ぶ艦娘たちへ視線を敬礼を向けた。


「昨日付けでキサラギより配属されました番頭であります。主な業務は艦娘様の艦装の修繕、改良、また、入渠装置の管理となります。至らぬ点もあるかと思いますが、よろしくお願いいたします!」


艦娘たちから反応はない。

……まぁこんなものだろうな。

そう思いながら、そのまま元いた場所に戻ろうとした。


だけどそのとき、艦娘たちの中からひとつの拍手が響いてきた。

そっちのほうに視線を向けると、瑞鳳さんがその手を鳴らしていた。

その拍手につられるように、徐々に拍手が周囲へと広がっていくと、やがてすべての艦娘たちへと広がった。

ありがたいことだ。

だけど、その拍手が……ただただ辛い。

彼女たちに敬礼で応え、拍手に背を向けて元の場所に戻った。

提督「という事だ。皆、よろしく頼む」


そう言って提督は明るく笑った。

だけどその笑みはすぐに消え、代わりに真に迫った表情になる。


提督「最後に。毎日言っていることだが事の善処の前に、自分の命を、仲間の命を守れ。絶対に死ぬな。死なせるな」

  「その為に最善を尽くせ。俺もお前らの為に最善を尽くす」

  「俺達は生きるために戦っている。お前らの命は断じて任務の為に散らす命ではない。それを常に忘れるな。以上!」


そう言って提督が艦娘たちに向け敬礼を向ける。それに艦娘たちは一斉に敬礼を返した。

やはりこの提督は艦娘たちから相当の信頼を得ているようだ。

艦娘たちの表情は彼への信頼に染まりきっていて、中には心酔と言っていいほどの表情を見せる子もいる。

……恐ろしいくらいのカリスマ性だ。

やがて提督が敬礼の手を降ろし、艦娘達に背を向けると、朝礼は解散となった。艦娘たちもそれぞれその場を離れて行く。

顔にはやる気が満ち溢れ、生き生きとした表情を浮かべている。

前線であんな表情が出来るなんてなぁ……。

艦娘が故なのか、提督のカリスマのお陰なのか。……恐らく後者だろうな。

ぼんやりとそんな事を考えていると、提督が番頭、と声を掛けてきた。


「はっ」

提督「電子機器は持ってきたか?」

「はっ」

提督「じゃあそれを持って俺の部屋に来い」

「はっ」


僕の返事を聞くと提督は踵を返し、司令棟へと向かっていった。

長くならなければいいけど。

――――――――


その後、車に積んでいた電子機器を全て引っ張り出して、司令室まで運んできた。


提督「これで全てか」

「はっ」


その返事に嘘は無い。電子機器は全て提督の机の上に並べられている。

ほとんどはキサラギから寄越された(押しつけられた)通信機器や記録装置だが、中には僕の私物も混ざっている。

電子機器すべて、ということだったから一応ということで。

机に上げられたそれらを提督は椅子に座ったまま目を通していく。

機械の一つ一つに掛ける時間はかなり短い。あまりそれらの内容には興味がないようだ。

このまま一通り目を通して終わり、と思いきや提督はある一つのものに興味を示した。


提督「ずいぶん懐かしいものを持ってるな」


提督が興味を示したのは、折りたたみ式の携帯電話、いわゆるガラケーだった。

懐かしむようにそれを手にとって、屈折部分についている開閉ボタンを押して、開いた。

提督「……使ってないのか?」


そう言ったのは、携帯の画面には圏外と書かれているからだろう。

提督の言うとおり、僕はその携帯を使っていない。


「友人の形見です」


使われていない携帯の正体。それは戦争中、日本が攻撃を受けたときに殺された僕の親友の所有物だったものだ。

殺された彼を、そのときの憎しみを忘れない為にと、当時の僕は取っておいていた。

昔はそれはただの大切な友人の形見だった。今でも大切なことには変わりはない。

けれど、それを見るとどうしても、戦争中を、銃を持っていた時のことを思い出してしまう。

忌々しい、無くしてしまいたい記憶の欠片。けれども無くしたくない彼との思い出の品。

それがその携帯だった。


提督「……そうか」


そう言って、提督は彼の形見を握り締めた。

やさしく、慈しむように。

提督「これはお前が持っていろ」

「よろしいのですか」

提督「使えないようだしな。それに」


言葉を区切り、提督は頭を下げる。

帽子のつばに顔が隠れ、その表情をうかがい知ることは出来ない。


提督「形見であるならば、そいつを大切に思う奴が持っているべきだ」


そう言って立ち上がり、僕に形見を渡してきた。

立ち上がったことで見えた表情は、いつもの彼と変わりないように見えた。

だけど、さっきまでの雰囲気とは明らかに違っていた。なにが、と言われる言葉に出来ないけれど。


提督「死者は忘れてはならない。想い続けることがそいつへの供養になる。……俺はそう思っている」

  「だが、決して想い過ぎるなよ。強すぎる死者への想いは生者の道から足を踏み外させる。……それがお前一人とは限らない」

  「肝に銘じておいてくれ。判っているかもしれんがな」

「……はっ」

力強い言葉、仲間をそしてその命を大事と言う言葉、個人の意思の尊重、そしてそれを理解した上での助言。

そしてそれらを本音と感じさせる雰囲気。

艦娘達から信頼を得ている理由が少しだけ解ったかもしれない。

提督という男の人間性に感心していると、そこで突然提督はふっ、と噴出した。


提督「艦娘でもなく、新参のお前にこんなことを言うとは思わなかったよ」

「私も思いもしませんでした」

提督「まったくだ。……もう下がっていいぞ。整備に移ってくれ。それと今日は一日中瑞鳳は付いていられない。演習があるからな。その間は他のやつを寄こす」


そう言って提督は机の上にあげた電子機器を大雑把に片付け始めた。

そんな適当に投げたりしたら壊れますって。いやもうほとんど使わないだろうからいいんですけどね。

まだ僕には提督に聞きたいことがあった。それを聞くまではここから去るわけには行かない。


「提督殿、その前に一つ伺いたいことがあります」

提督「なんだ」

「瑞鳳殿には私のことをどこまでお話しているのですか」


僕の監視役だと言うのに彼女は監視対象の僕のことを何も知らない様子だ。

その理由を聞いておきたかった。

提督「何も」


やはり。


「何故でしょうか。監視対象のことを知っておくのは監視するうえで大前提のことではないでしょうか」


そこで提督はにやりと笑う。

だがその笑みは悪意のこもった暗い笑みではなくて、からかう様な無邪気さの篭る笑みだった。

そう、矢矧さんが摩耶ちゃんや瑞鳳さんに向けるような……。いや僕提督とそういう関係じゃないですけど。


提督「朝から瑞鳳の事ばかりだな。気に入ったか?」

「そういうわけでは……」

提督「なんだ。嫌なのか」


提督のからかような笑いに、思わず首に手を当てていると、提督の口から好機な質問が飛び出てきた。

しめた。ここで嫌と言って置けば彼女から離れることが出来るかもしれない。


提督「まぁそんなこと知ったことじゃないがな」


と思ったけどそんなことはなかったぜ。

早速僕の答えを潰してきた。抜け目のない男だ。

提督「さっきも言ったな。知って貰いたいことがあると」

「……はっ」

提督「瑞鳳にお前のことを教えなかったのは、それがお前に知って貰うことの邪魔になると思ったからだ」

「……それは重要なことなのでしょうか」

提督「重要だよ。お前にとっても、俺にとってもな」


僕と、提督にとっても?

意味が解らず、提督にその意味を尋ねようと口を開こうとした。

しかし、僕は口を開くことが出来なかった。

目の前の男が、怒りとも、悲しみとも、憎しみとも言える……いや、それらすべてが混ざり合った表情を表情を浮かべていたから。

様々な恐怖を幾度も感じてきた。戦いに向かう恐怖。死の恐怖。人の命を奪う恐怖。

だけど、人の感情に心の底から恐怖を抱いたのは初めてだった。

彼の感情の奔流に慄いているうちに、ゆっくりと彼は口を開く。




提督「逃げられると思うなよ」



何にとは言わなかった。

だけどその意味は解る。

彼も僕が理解していると解っている上で、そう言っている。


彼は知っているのだ。

僕を。

そして、彼女を。

続く。

どうして彼が僕の事を、彼女の事を知っているのか。

どうやってそれを知ったのか。

それを踏まえた上で僕に知ってほしいこととは何か。

彼の感情の奔流の理由は。

……知りたいことは山ほどあった。

それでも、僕の口は動かない。

動かすことができない。

それは彼から発せられる鬼気の所為もある。

だけど、それ以上に『逃げる』という言葉が僕の心を深く抉ったからだ。

僕に逃げるつもりはない。

彼女が、彼女たちが僕の断罪を望むのなら、受け入れる。

そこに躊躇いはない。是非もないことだ。

だけど、そうであっても、どう理由をつけても。

『逃げる』という言葉は僕の心をどうしようもなく……抉らせた。


提督「下がれ」


気づかぬうちに呆然としていたらしい。

提督の言葉でようやく僕は思考の淵から戻ってこれた。


「……はっ。失礼致します」


敬礼を提督に向けた後、背を向け、扉へと向かった。

気分は悪くない。

だけど僕の足はどうにも重かった。

・・・・・・・・・・


「あっ、番頭さん」


司令室を出て、扉を閉めた途端、横から声を掛けられた。

ぎくりとしてそっちの方を向くと、今一番会いたくない人……瑞鳳さんが壁に寄りかかって立っていた。

立っている位置からして……まさか話の内容を聞かれたか?

直接的なことは何一つ言っていないけど、どうにも不安になる。

そんな僕の心のうちを他所に、瑞鳳さんは普段と変わらない様子で話しかけてくる。


瑞鳳「話、終わったんだね」

「……ああ、まぁ」

瑞鳳「何の話してたの?」


この質問が出てくるっていうことは、どうやら聞かれてはいないようだ。

聞いていない風を装っているのかもしれないけど。

だからって追求するのもおかしい。聞いていない風を装っているとしてもいないにしても。

……ああ、駄目だな。変に考えてしまう。どうしたんだ僕は。


「提出資料の打ち合わせだよ。昨日は話してなかったから」

瑞鳳「資料って?」

「報告書。今日は誰の艦装を直したとか、入渠装置の整備状況とか。結構報告することあるんだ」

瑞鳳「ふーん……そっか」

内容を聞いて瑞鳳さんは興味なさそうに返事をした。

その姿に少しほっとする。


「ああ、そうだ」

瑞鳳「うん?何?」

「さっきはありがとう」

瑞鳳「え?」

「拍手。瑞鳳さんからしてくれたらさ」


あの沈黙の中で自分から拍手をするのは結構な勇気が要ったと思う。

それに対して感謝を伝えたかった。拍手を受けるのは辛いものだったけれど。


瑞鳳「あ、あー……それね。あはは……」


顔を少しだけ赤らめ、照れたように瑞鳳さんは笑う。

その表情がとても可愛らしい。


瑞鳳「せっかく来てくれたんだから……ね?それくらいしないとって思って」

「うん。ありがとう」

瑞鳳「い、いいからっ。もう……」


もじもじと落ち着き無く瑞鳳さんは視線を彷徨わせる。

……触れないほうが良かったかな。

やがて恥ずかしさに耐えられなくなったのか、瑞鳳さんはんん、と咳払いをした。

瑞鳳「あ、も、もう工廠のほうに行く?」

「うん。沢山仕事あるしね」

瑞鳳「そっか。じゃあいこっか」


やっぱり一緒に来るよなぁ……。監視役だから当たり前といえば当たり前なんだけど。


「……瑞鳳さん他の仕事はいいの?演習とか」

瑞鳳「今は番頭さんのお世話がお仕事になったから大丈夫。演習はあるけどね」

「何時から?」

瑞鳳「ヒトサンマルマルから。その間はちょっとごめんね」


その時間になったら瑞鳳さんと離れられる、か。

瑞鳳さんは申し訳なさそうにしているけど、僕にとっては好都合だ。


「別にいいよ。気にし」


『逃げられると思うなよ』


瞬間、提督の言葉が過ぎる。

逃げる?逃げているわけじゃない。これは

瑞鳳「番頭さん?」


僕の顔を覗き込んできた瑞鳳さんと目が合う。

顔には心配の色が色濃く浮かんでいる。急に言葉を切った僕を変に思ったんだろう。


「あ、ああ。ごめん」

瑞鳳「どうしたの?大丈夫?」

「……ちょっと頭がね。二日酔いだと思う」


心配を掛けまいと、追求を避けようととっさに嘘をつく。

瑞鳳さんは僕の嘘を信じてくれたようで、安心半分、心配半分の様子でほ、と息をついた。

……僕はこの人に何度嘘を吐くんだろう。こんなにも優しい人に。


瑞鳳「昨日あれだけ飲まされたもんね。仕事出来そう?」

「大丈夫、問題ないよ」


彼女から目を逸らしつつ答える。

心が呵責でざわつく。不快だ。


瑞鳳「無理しないでね。工廠ついたら水持ってきてあげる」

「……ああ、ありがとう」


どうしてこの人はこんなにも優しくしてくれるのだろう。

心が優しいから?

真面目だから?


「行こうか」


なら、その優しさで。

その真面目さで。

僕に優しくしないでくれ。

僕に、僕にだけでいいから。

その優しさを向けないでくれ。

--------------

その後二人で車に乗り込んで、工廠へと向かった。

その間の会話は特に問題はなかったと思う。

昨日のように瑞鳳さんが他愛もない話をし、僕が当たり障り無く返す。昨日と同じだ。

あまり瑞鳳さんと話す気分では無かったけど、それを彼女に押し付けるわけにも行かない。

全て僕の都合なのだから。

やがて工廠の近くまで着くと、入り口のシャッターの所に立つ二人の艦娘が見えた。

摩耶ちゃんと矢矧さんだ。


摩耶「お、来たな」


車から降りると、なぜか摩耶ちゃんが前に腕を組んだ状態で声を掛けてきた。

腕に乗っている。お山が二つ。あ、ここは重要じゃないですね。


矢矧「やっほー。瑞鳳、番頭さん」

瑞鳳「摩耶、矢矧っ。どうしたの?」


瑞鳳さんが二人に駆け寄る。

なんとなく犬っぽく見えるのは気のせいだろうか。

摩耶「ふふふ、まぁなんだ、今日は番頭の整備の腕を見せて貰おうと思ってな」


瑞鳳さんの問いかけに摩耶ちゃんはなぜかその顔を得意げに笑ませた。いわゆるドヤ顔だ。

なぜそのタイミングでドヤ顔なのん?


矢矧「あら?そんなこと言ってかしら?」


摩耶ちゃんの言葉に矢矧さんは悪戯っぽく微笑む。その様子をみて瑞鳳さんも察したのか苦笑いを零していた。

またこの子は見栄張っちゃったのか……。


摩耶「や、矢矧っ、黙ってろっ」

矢矧「はいはい」


顔を赤くして噛み付いていく摩耶ちゃんを、矢矧さんはさらり流す。

摩耶ちゃんの扱い手馴れすぎじゃないですかね……。

手馴れわせちゃった摩耶ちゃんも摩耶ちゃんだけど。


摩耶「と、ともかくっ!番頭っ!あたしの艦装を見ろっ」


焦った様子で摩耶ちゃんは足元に置いてあった艦装をぐいぐいと押し付けつけてくる。

いや熱い熱い。これ絶対日に晒してたでしょ。めっちゃ熱持ってる。

まぁ要は摩耶ちゃんの艦装を直せって言うことらしい。


「……わかった。ちょっと持ってきて貰っていい?」


摩耶ちゃんの押し付けをかわして、シャッターの中に入る。

関係ないけど、押し付けられるならお山のほうがいいです。いや本当関係ないな。

・・・・・・・・・・・・・・

「これよく動いてたね」

摩耶「へ?」


瑞鳳さんからが持ってきた水を飲み干した後、摩耶ちゃんの艦装を見てみた。

正直、彼女の艦装は動いているのが不思議なくらいの代物だった。

駆動系は錆に覆われ、動力部は煤まみれ。装甲は衝撃に、冷却装置は熱で変形している。

正直動かなくなるどころか、いつオーバーヒートや燃料漏れで爆発してもおかしくない。


「これは少し時間がいるね。スペアはある?」

摩耶「あ、あるけど……。そんなにやばいのか?」

「このまま使ってたら爆発する」

摩耶「え”っ」

「冗談抜きで」


さっと摩耶ちゃんの顔が可哀相なくらい青ざめる。

まぁそうなるのも仕方ない。生きるか死ぬかなのだから。


摩耶「な、直るのか?それ」


そう言われてもう一度、艦装の状態を見る。

いろんなところがガタが来てるけど、主要な部分を取り替えれば何とかなるかな。

「多分ね」

摩耶「そ、そっか……。て、ていうかそれ直せるんだな。すごいな」

「多分だよ。完全に直せるかどうかはわからない。正直廃棄して新品を取り寄せたほうが」

摩耶「それは駄目だ!」


そう言う摩耶ちゃんの顔はまさに必死といっても良かった。

どうして兵器にそこまでに必死になるんだろう。

摩耶ちゃんの様子に首を傾げていると、彼女が小さく口を開いた。


摩耶「あのよ……それ、沢山の戦いを一緒に潜り抜けてきた、その、相棒みたいなもんなんだよ。だから……」


ああ。そうか。

摩耶ちゃんが顔を真っ青にした理由が解った。

人間との戦争中、同じようなことを言ってきた人がいた。

「これは俺の相棒なんだ。だからしっかり直してくれ」と。

やっぱり彼女は、彼女たちはどこまで行っても人間なんだな。

例えその体が兵器にされたとしても。


「わかった。絶対直すよ」


摩耶ちゃんがその言葉にぱっと顔を華やかせる。

眩しい……。瑞鳳さんには劣るけど。


摩耶「ホントか!?」


摩耶ちゃんが僕の方を掴み、体を寄せる。

いや近い近い。二つのお山がぶつかっちゃう。


「約束する。大事なものなんだろ」

摩耶「ああ……ああ!サンキューな!番頭!」


そう言って摩耶ちゃんは心底嬉しそうに笑みを浮かべた。

……この喜びをぬか喜びにさせないようにしないとな。


矢矧「摩耶」


そこで矢矧さんが摩耶ちゃんに声を掛けてきた。

その表情にいつもの余裕に満ちた表情はない。


矢矧「番頭さんは初め、直せるかどうか解らないって言ったのよ」

摩耶「そ、そうだけどよ……でも絶対直すって」

矢矧「でも万が一、直せなかったらどうするの?番頭さんのこと、責める?」

摩耶「それは……」

矢矧「だったら素直に新しいものを手配したほうがいいわ。直ったとしても何かしらのトラブルは起きるかもしれない。……それで死んじゃったら元も子も無いのよ?」


いつもの様子と違った矢矧さんに摩耶ちゃんはついに言葉を失ってしまう。

その表情はさっき以上に暗い。

……そんな表情は見たくない。


矢矧「だから、ね?無理は言わないで新しいのを」

「直すよ」


言葉を遮ったことで、矢矧さんの貫くような視線が僕に刺さる。

だからといって怯むわけには行かない。


「新しいものだってトラブルの可能性はある。むしろ最近の物資不足、補給体制を見ればその可能性は高い」

「それなら、ここまでボロボロになってまで動いていたものを直したほうが信頼は出来る」

矢矧「確証はないんでしょう?」

「無い。でも新品だとしても確証は無い。それにこの状況で新品がいつ来るかも解らない」

矢矧「でもそれで摩耶が死んだらどうするの?責任取れるの?」

「取る。なんなら矢矧さんの手で八つ裂きにしてくれても構わない」

矢矧さんの視線がさらに鋭くなる。

僕はその視線を逸らさずに受け止め続けた。

その間、瑞鳳さんと摩耶ちゃんの二人は僕たちの言い合いを止めようとしなかった。

生きるか死ぬかの問題なんだ。喧嘩をしているという理由だけで止められるものではないということを二人は理解しているのかも知れない。


矢矧「……堂々巡りね。もう摩耶に決めて貰いましょ」


矢矧さんがため息を吐いてそう言うと、摩耶ちゃんに全員の視線が集まった。


摩耶「あたしは……」


摩耶ちゃんは顔を伏せ、ぎゅっとこぶしを握り締めた。

彼女は激しい葛藤の中にいるのだと思う。

自分の身を案じる仲間の言葉を取るか。

相棒とともに戦いたいという我を通すか。

そして、十分な時間がたった後、力強く言葉を吐き出した。


摩耶「あたしは相棒と戦いたい。直すって約束してくれた番頭を信じたい!」


力強い言葉は工廠の中で響き、反響していく。

それに矢矧さんは意外にも、ふふ、と微笑んだ。


矢矧「そっか。摩耶がそう言うならしょうがないわね」

瑞鳳「矢矧……?」


瑞鳳さんと摩耶ちゃんの怪訝な視線を受けながら、矢矧さんは僕のほうへと歩いてきた。

やがて僕の近くまで来ると、僕の方にその手をそっと置いた。


矢矧「番頭さん、摩耶の艦装お願いね」


そう言うと、矢矧さんはいきなり僕の耳元へと口を寄せてきて小さく囁いた。


矢矧「ごめんね。意地悪しちゃった」


ぞくりとした感覚が体に走る。

僕耳弱かったのね。


矢矧「それと」


新たな性癖の発見に慄いている内に矢矧さんは言葉を続ける。


矢矧「八つ裂き、忘れないで」

声音にふざけた様子は感じられない。

これは本心の言葉だ。

ならば僕も本心を返さなければならない。


「勿論」


僕の言葉に矢矧さんは満足そうに微笑むとそのまま工廠の外へと歩いて行った。

瑞鳳さんと摩耶ちゃんはその姿を呆然と見送っている。

……おそらく矢矧さんはわざと僕と対立したように見せたんだろう。

僕艦装を治せなかった時に、摩耶ちゃんに責めさせない為に。

そしてただ悪者になるだけじゃなく、信頼を損ねないように仲間のためだと言っている姿を見せている。

その言葉は嘘ではないだろうけど、かなり計算して今回の行動を起こしたんだろうと思う。

そしてこれは多分……僕を試したんだろう。何をとは解らないけれど。

やはり矢矧さんは一筋縄でいかない人だ。


摩耶「あ、あのよ」


そんな矢矧さんに感心しているとおずおずと摩耶ちゃんが話しかけてきた。


摩耶「治してもらって……いいんだよな?」


その質問に思わずずっこけてしまいそうになるけど、まぁ確かにあの変わりようを見ると不安になるのも解る。


「もちろん。摩耶ちゃんと約束したしね」

摩耶「ちゃ、ちゃん付けすんなっていったろっ!」


顔を赤くする摩耶ちゃんを横目に一息吐く。

さぁ、期待にこたえて見せますか。

続く。

「それじゃあ修理始めるよ。さっきも言ったけど、かなり時間掛かると思うから摩耶ちゃんはどこかで時間つぶしてたほうがいいかもしれない」

摩耶「だからちゃん付けすんなってのっ」


さっきからちゃん付けしてるのがお気に召さないみたいだな。まぁ嫌がってたから当たり前といえば当たり前だけど。

でももう直すのも面倒だから直さない。一回呼び方が定着しちゃうとなかなか直すのって大変だし。

というか摩耶ちゃんにはいろいろやられているし、ささやかなお返しって言うことで。

それで麻耶ちゃんはどうするんだろうか。瑞鳳さんは監視役だから僕に付いていないと駄目だろうからここにいることになるだろうけど。

顔を赤くして悪態をつく摩耶ちゃんに、返答を催促するためにじっと見つめる。


摩耶「ったく……。あ?ん、んだよ……。じろじろ見てんじゃねーよっ」


そう言って顔を背けてしまう。

多分顔赤くなってるのを自覚してて、それを見られるのが恥ずかしいのかもしれない。気持ちはわからんでもないけど。

なんやねんこの乙女。可愛い。

でもこれで声を掛けづらくなっちゃったなぁ。どうしたもんか。


瑞鳳「摩耶、それでどうする?出来るまで待ってる?」


どう言った物かと首に手を当てて思案していると、瑞鳳さんが摩耶ちゃんに声を掛けてくれた。

ナイス。瑞鳳さん。

摩耶「あん?あー……。……そりゃ待つよ。あたしの……あ、相棒を頼むんだからな!」


相棒というのが恥ずかしいのか少し言葉が淀んだ。

恥ずかしがるならカッコつけた言い方しなければいいのに。モー、見栄っ張りさんなんだから。

にしても摩耶ちゃんもここに残るって事は、二人に見られながら作業するってことか。やりづれぇ……。


「時間掛かるよ?」


一縷の望みを掛けて再三言ってみる。

しかし摩耶ちゃんは表情を曇らせる訳でなく、何故か得意げな笑みを見せた。え?なんで?


摩耶「わーってるよ。ていうか大変なんだろ?それならこの摩耶様が手伝ってやってもいいぜ?」


なるほど、そういうことか。

でも摩耶ちゃん艦装を見る限りたいしたメンテナンスやってなかったみたいだし、多分知識は全くなさそうなんだよなぁ。


「そう言ってくれるのは有難いけど、基盤とか判る?アークは?」

摩耶「きばん?あーく?」


キョトンとして麻耶ちゃんは首をかしげる。ついでに瑞鳳さんも傾げている。いや瑞鳳さんはいいから。

……これは駄目そうだな。予想はしてたけど。

首を当ててどうやって断ろうかと思案する。

摩耶「や、ちょ、ちょっと待ってくれっ!教えてくれれば解るからっ、なっ?」


僕の仕草を見て断られると思ったのか、焦った様子で詰め寄ってきた。

や、近い近い。顔もお山も近い。


瑞鳳「番頭さん、摩耶もこう言ってる事だし……ね?」


旗色が悪くなったと見たのか、何とかしてお願いビーム実装で瑞鳳さんも参戦してくる。

瑞鳳さん、それ味をしめてないっすかね……。まぁそれに負けてしまう僕も僕なんだけど。

摩耶ちゃんもいつの間にかそれに似たような視線を僕に向けていた。ダブルとかやめて下さいよ蒸発しちゃう。

勘弁してくれと心でため息を吐く。


「教えながらでもいいけど、教える時間の分修理は遅くなるよ」


その言葉に摩耶ちゃんはうぐっ、と息を詰まらせる。

二人にお願いに折れたとしても、どうやったってそれは避けられない。相手がなんの知識もない人なら尚更だ。

これで折れてくれないかなー。


摩耶「……それはしょうがねぇよ。それにスペアもあるし大丈夫だ」


やっぱ駄目だよなー……。

一人でやったほうが集中できるんだけど……しょうがないか。

いいよ、と首を縦に振ろうとした時、摩耶ちゃんはそっと、愛おしい物を触れるように優しく艦装に手を置いた。

摩耶「それによ。やっぱ出来るならさ、自分のものの世話を自分でやってみたいっていうか……さ。……大事なもんだし」


そう言う摩耶ちゃんの表情はひどく真面目で。

そんな顔でそう言われたら、頷くしかないでしょうが。


「……わかった」

摩耶「い、いいのか!?」

「いいよ。ただ僕は人に教えたことないから、多分教えるのが下手だと思う」

摩耶「いいっていいって!教えてくれるだけ御の字だ!ありがとなっ!」


そう言って摩耶ちゃんは満面の笑みを浮かべる。いつもと違う勝気な物ではなくて、もっと純粋なものだった。

その笑みにつられて笑っていると、後ろから肩を優しくたたかれた。

なんだと思い振り返ると、そこに瑞鳳さんが微笑みを浮かべていた。


瑞鳳「ありがとね」


その微笑みは優しくて嬉しげで、思わず心臓がドキリ跳ねる。

……そう言うのは反則だと思う。


「……いいよ。別に」


なんだか照れくさくなって瑞鳳さんから顔を背けてしまう。

ほんっとに弱いな……僕。


摩耶「それじゃあ番頭!まずきばんって奴から教えてくれ!」


ああ……大変になりそうだ。

結果から言うと大変難航いたしました。

摩耶ちゃんはやる気もあっていろいろ頑張ってはくれるんだけど、どうにも不器用だった。

ビスにインパクトを合わせられない、レンチジャッキを逆に回すetc……。


摩耶「だー!むずい!」


オーバーホールの為に半分くらい解体したところで、摩耶ちゃんはインパクトを手に持ったまま仰向けに身を床に投げた。

二つ盛り上がっている。どことは言わないけど。


「大丈夫?」

摩耶「おう……てかやっぱお前すげぇな。こんなこまいことちょちょいとやっちまうし」

「整備やってればね」

摩耶「ふーん……。なぁ、あたしもずっとやってれば番頭みたいに出来っかな?」

「(かなり時間を掛ければ)出来るよ」


そう言うと摩耶ちゃんは嬉しそうに笑った。

本心を隠したことをお許しください。


摩耶「へへっ、そっか。案外整備もおもしれぇし、頑張ってみっかな。頼むぜ番頭っ!」


あれ?これもしかして次回もある?それどころか上達するまでやる系?

さっきまでの摩耶ちゃんを思い出して、思わず乾いた笑いが出そうになる。


摩耶「あれ?そういえば瑞鳳は?どこいった?」


そう言われれば確かに瑞鳳さんの姿が見えない。

お花でも摘みに行ってるのかしら……。


「二人とも、お疲れ様」


失礼なことを考えていると、シャッターのほうから声を掛けられた。

そちらに顔を向けると瑞鳳さんが小さな風呂敷のようなものを持って歩いてきていた。


摩耶「おお、瑞鳳っ!どこ行ってたんだ?」


摩耶ちゃんの問いかけに瑞鳳さんは手に持った風呂敷を掲げて見せた。

あれを取ってきていた、ということだろうか。


摩耶「お、それってもしかして……弁当か?」

瑞鳳「正解っ」

摩耶「瑞鳳の手作りか?」

瑞鳳「え?あー……うん。そ」


何故か瑞鳳さんは照れくさそうに笑った。

それにしても料理も出来るんだな。本当いいお嫁さんになれそうだこと。

摩耶「おおっ!マジか!そしたらあれも当然入ってるよな?」


アレ?


瑞鳳「ふふっ、入ってるよ」

摩耶「やりぃっ!瑞鳳のあれは美味いからなぁ!」


アレってなんだろうなぁ……。摩耶ちゃん。アレアレいってると単語が出てこなくなりますよ。

二人の会話に置いてきぼりになってると、摩耶ちゃんがそれに気づいたのか(そうでもないかもしれないけど)笑顔を向けてきた。


摩耶「番頭、お前運良いなぁ!瑞鳳のやつ偶にしか作ってくれないんだぜ?」

瑞鳳「いつも鳳翔さんがご飯作ってくれるじゃない」


あははと摩耶ちゃんは笑う。

いや結局アレって何なのなの。

僕の内心に摩耶ちゃんは気づかなかったらしい。いやいいけどさ。

摩耶ちゃんを諦めて瑞鳳さんに視線で問いかけてみた。

瑞鳳さんはそれにすぐに気づいてくれると、近くの机に風呂敷を置き、その中身を広げて見せた。

風呂敷から出てきたのは三つの細長い小さな弁当箱だった。

瑞鳳さんはそのひとつを取ると、おずおずと僕に渡してきた。

そわそわとして、何故か落ち着きがない。どうしたんだろうか。


瑞鳳「えっと、その……お、お弁当……作ってきたんだけど」









瑞鳳「食べりゅ?」






……噛んだ。



途端、瑞鳳さんの顔が耳まで真っ赤になる。

いや……まぁあそこで噛んだら恥ずかしくもなるよ。

すっごい可愛かったからいいけどね。むしろグッジョブ。


摩耶「くっふふっ……!りゅっ、りゅってっ……!」


瑞鳳さんの噛みに耐え切れず、摩耶ちゃんは腹を抱えて笑っている。

いやそれは可哀想でしょ……。まぁ僕も友達がりゅなんか言ったら笑わない自信はない。もう友達いないけど。


瑞鳳「ま、摩耶ぁっ!」

摩耶「い、いやっ、だ、だってよぉ……、ふ、ふははっ!」

瑞鳳「も、もう怒ったっ!摩耶なんかにあげないんだから!」

摩耶「いっ!そ、それは勘弁してくれよ!」

瑞鳳「知らないっ」

摩耶「ず、瑞鳳~」


……いやぁ仲のよろしいことで。

騒ぐ二人を遠目に、瑞鳳さんから貰った弁当を開けてみる。

あ、卵焼きだ。

・・・・・・

摩耶「で、なんで照れてたんだよ?」


その後、摩耶ちゃんは瑞鳳さんに謝りに謝り倒して何とか弁当にあり付けていた。

やったね摩耶ちゃん!お腹が膨れるよ!

それはそれと、摩耶ちゃんの質問に瑞鳳さんはもじもじと体をゆすり、時折僕に視線を向けてくる。

いろんな意味で心臓に悪いからやめてください。


瑞鳳「そ、その……やっぱり自分のお弁当渡すのって……なんだか恥ずかしいじゃない?しかもその……会ったばっかり、だし」


男の人に渡すの初めてだし、とボソッと言ったのを聞こえたが聞かなかったことにする。うん。それがいい。

まぁ確かに自分の手作りのものを渡すのは結構恥ずかしいし不安なことだと思う。

気に入ってくれなかったら、喜んでくれなかったらとか。

僕も友達にお気に入りのCDを貸すときに多少恥ずかしかったり、不安になった覚えはある。そういうものなんだろう。


摩耶「そっかぁ?あたしはそうでもないけどな!……てかてっきり瑞鳳が番頭に気があって緊張したもんかと思ってたぜ」

瑞鳳「摩耶?」


にっこりと瑞鳳さんが笑う。

いや、笑っているようで目が笑っていない。おっかねぇ。

摩耶「あ、あー!冗談冗談!そんなわけないよなー!あっはっはっは!」

瑞鳳「しばらく摩耶には作ってあげない」

摩耶「ちょっ!ご、ごめんって!な?瑞鳳?」

瑞鳳「作ってあげない」

摩耶「ず、ずいほぉ……」


いや、そうなるでしょうに。

完全に自業自得だし僕は何にもできん。南無南無。

それにしても弁当か……。あの短時間で作ったのにかなり豪華に見える。

特に卵焼きなんか厚みもあってしっかり焼色も着いていて美味そうだ。

……彼女も何れはこういうものを作れたんだろうか。

そんなありえもしない『もしも』を考えてしまう。

そんなことを考えても意味がないというのに。


瑞鳳「えっと……どうしたの?」

「……え?」

瑞鳳「全然食べてないから、その、どうしたのかなって。……嫌いなものあった?」


瑞鳳さんの表情が不安に染まる。

そんな表情を見たくなくて、させてしまったことが申し訳なくて彼女から顔を背けて弁当に視線を向ける。


「いや、そんなことないよ。ただこんな良いもの作ってもらっちゃって申し訳ないなって思ってた」

瑞鳳「ふふっ。そんなこと気にしなくて良いのに。私たちの我侭に付き合ってもらったし、ほんのお礼だよ」


ほっとしたように瑞鳳さんは笑みを見せる。

それは僕を安堵させると共に、心臓を疼かせた。

瑞鳳「遠慮しないで食べて。ね?」

「……ありがとう。頂きます」


彼女の笑顔から逃げるように箸を取って、弁当に箸をつける。まずはこの美味そうな卵焼きからいくか。

卵焼きに箸をつけた瞬間、瑞鳳さんの雰囲気がすっと変わったような気がした。

ちらりと瑞鳳さんのほうを見てみると、さっきまでの笑顔が消え、真剣な表情で僕が箸をつけた卵焼きを見つめていた。

何故か摩耶ちゃんまでもがドヤ顔でこっちを見つめている。いやなんで摩耶ちゃんがドヤ顔なのん?

二人してなんすか、めっちゃ食いづらいんですけど……。

妙な空気に気まずさを覚えながら、箸でつかんだ卵焼きを口へ運んでいき、一口で口の中に放り込む。


「美味い」


思わず口に出していた。

表面は焼き目が着くほどしっかり焼いているというのに、中は半熟かと思うほどの柔らかさ。

それに加えて味も申し分ない。

一噛みでほんのりと甘みが口の中に広がり、その後しっかりとした旨みが染み出してくる。

やがてそれらが混ざり合い、また一味違った美味しさが口の中に広がる。

こんなに美味しい卵焼きがあるのかと、感動を覚えるほどだった。

瑞鳳「ほ、ほんと?」

「うん。こんな美味しい卵焼き初めて食べた。……凄いね」

瑞鳳「そ、そっか。……ありがと」


ほんのりと瑞鳳さんは頬を赤く染め、照れたように笑った。

その笑顔は今まで見たきたどんな笑顔よりも……可愛らしかった。

心臓が跳ね上がる。多分、この高鳴りは今までのものとはきっと違う。

それがまた……何れ僕を悲しくさせるのだ。きっと。


摩耶「な?瑞鳳の卵焼きは美味いだろ?」


また摩耶ちゃんがドヤ顔を向けてくる。

いやほんと摩耶ちゃん関係ないやん。

でもまぁ……友達でこれだけのものを作れるんだったら、得意気になるのも解る。


「うん。本当に」


そして僕は残ったもう一切れの卵焼きを口の中に放り込んだ。

-ーーーーーーーーー


弁当を食べ終えた僕たちは、二人を車に乗せ、ドックまで来ていた。

ここで演習内容を確認して、演習場に移動するのだという。


瑞鳳「それじゃあ行って来るね」

「うん。気をつけて」

摩耶「番頭!あたしが直す分残しておけよ!」

「解ってるよ」


二人は車を降りると、駆け足でドックへ向かっていった。

それを車の中で見送っていると、瑞鳳さんがドックに入る前にこちらを振り向き、手を振ってきた。

軽く手を上げて答えると、瑞鳳さんはくすりと笑ってドックの中へと消えていった。

そう言うの勘違いしちゃうから止めてほしいなぁ……。

大きくため息をつくと、僕は車を切り返して、工廠への道へ着いた。

もしかしたらもう瑞鳳さんの代わりの人が来ているかもしれない。

あまり待たせるわけにも行かないし、早めに戻るとするか。


・・・・・・・・・

誰もおらんやんけ。

急いで戻ってきたは良いけど、結局そこには誰もいなかった。少し遅れているんだろうか。

まぁそれならそれで良い。自分の仕事に集中できる。

摩耶ちゃんを教えるのに使った時間を取り戻すため、僕は改めてスパナを握った。

・・・


静かだ。僕以外に人間は誰もいない。

さっきは摩耶ちゃんがいたから教えること意外考える暇がなかったけど、こう一人で修理をやっていると整備士としてやっていた時のことをを思い出す。

あの時の僕は前線につけず、整備に着かされていたことにひどく不満を持っていたっけ。

どうして敵を殺したいのに殺せないところにいなくちゃならないんだと。

それが戦争という不幸の中での唯一の幸せだったことも知らずに。

まぁでもある日、僕の整備した兵器を使った友達からこう言われたんだ。

「お前の整備した物のお陰で沢山敵を殺せたよ」と。

お世辞だったのかどうだったのかもう解らないけれど、それを聞いてから僕は整備にのめり込む様になった。

僕がしっかり整備をすればするほど敵を多く殺せるのだと思ったから。

それは間違いではなかったけど、その考え自体が間違いだっと気づいたのは大分後で。

もういろんな物が……取り返しの付かない時まで来ていた時だった。

そんな僕がまた整備の仕事に付いている。でもあの時とは整備をする理由は違う。

相変わらず理由は後ろめたいものだけど。

でも、あのときの僕の理由よりはずっとマシだと僕は思う。

それを、せめて僕の命が尽きるときまで続けらればいい。

それが僕の願い。最後の願い。


「お疲れ様です♪」


僕の後ろから掛かる、聞き覚えのあるおっとりとした声。

僕が苦手なあざといあの子の声だ。

「お疲れ様です」


立ち上がって後ろを向き、敬礼を向ける。

その敬礼の先に立っている一人の少女は。


「如月殿」


僕が唯一苦手と感じた艦娘、如月ちゃんだった。

提督が言っていた代わりの監視役、そしてこのタイミングで彼女が着た理由は。


如月「提督から指示を受け、世話役として参りました。よろしくお願いいたしますね♪」


僕の予想通りだった。

苦手な女の子とすごす時間を思うと、少し、憂鬱になった。

続く。次は多分早め更新

如月ちゃんが監視役か……やっぱりこの子はなんとなく苦手なんだよなぁ。いい子なんだけど。

というかもう如月ちゃんとはもうあまり関わり合いにならないだろうと思ってたんだけどなぁ……当てが外れた。

ともあれまた関わった以上、苦手とはいえぞんざいには扱うわけにはいかない。

……最低限気を使っておけばいいか。


「よろしくお願いします。今日はわざわざお越しいただき申し訳ありません」

如月「いえいえ、お気になさらず♪むしろ今日は来れて良かったです。……その、番頭さんとお話ししたいと思ってましたし」


そう言って如月ちゃんは照れたような笑みを見せる。

え、なんでそんな乙女の顔なの?

……ともあれ話か。話ってなんだろうか。


「お話しですか?艦装の修理の依頼でしょうか」

如月「あ、そうですね。それも今度見てくれると助かります♪」


口ぶりから修理の事ではないみたいだ。

だとしたら何が目的なんだろう。まさかただの雑談……なわけないか。


「修理の件ではないのですか?」

如月「はい。ただ、その……番頭さんのことを知りたかったんです」


顔を少し伏せたあと、如月ちゃんはそのまま上目づかいで僕を見てきた。

何故か頬もほんのり赤く、瞳は小さく揺れている。

なんだこのあざとさと可愛さの塊。

如月ちゃん以外なら多分こういうのいらっとするだろうなぁ……。それを感じさせないのは素直に凄いと思う。


「私の事ですか?」

如月「はい。駄目……ですか?」


そう言って彼女は小さく首を傾げる。妙に視線が熱っぽい。

何なんだろうか。こんな態度をされるようなことしてないと思うんだけど……。

……まぁ少し様子見してみよう。これが勘違いだったら恥ずかしいからね。しょうがないね。


「いえ、構いません。ですが今は艦装の修理を請け負っているのです。作業をしながらでも構いませんか?」

如月「全然大丈夫ですっ!ありがとうございますっ♪」


打って変わってばぁっと満面の笑みを見せる。

……やっぱ苦手だなぁ。

如月「わぁ……すごぉい……初めて見ました」


オーバーホール中の摩耶ちゃんの艦装を見て、感心したようにうっとりと如月ちゃんは呟いた。

誤解される様なニュアンスがある気がするのは僕の心が汚れている所為ですか?あ、どうでもいいですね。はい。


「そちらに腰を降ろせる場所がありますので、ご自由にお休みになっていてください」


瑞鳳さんと摩耶ちゃんとで昼食を取った机を指を差す。

多分やることもないだろうし、ただ立たせるのも申し訳ないから座ってて貰いたい。そこからなら話も出来るだろうし。

正直うろちょろされたくないっていうのもあるけど。


如月「ありがとうございます♪でも大丈夫ですよ。番頭さんのお手伝いしますからっ。なにか出来ることないですか?」

「お気遣いありがとうございます。ですが結構ですよ。昨日の遠征の疲れもあるでしょうし、休んでは如何でしょうか」

如月「いえいえ。番頭さんの世話係を任されたんですから、お手伝いくらいはしませんとっ」


駄目か。でもそりゃそうだよな。気を使える子だし。

にしても手伝いか……摩耶ちゃんみたいに整備を、と言ったらまた時間が掛かるし……そうなると掃除くらいか?

というかその前に僕に話はいいんだろうか。


「有難うございます。ですがお話はよろしいのですか?何かお聞きしたい事があるとのことでしたが」

如月「いえ~、それは後でも大丈夫でも。今はお仕事のほうが大事ですから」


如月ちゃんがそう言うならいいか。

さて、それじゃやってくれるって言うんだから、お手伝い頼みますか。


「そうですか。それではここの清掃をお願いしてもよろしいでしょうか」

如月「清掃……ですか?あまり汚れてはいないようですけど……」

「え?」


そんな馬鹿な。昨日来た時は装置とかに埃が被っていた筈だけど。

如月ちゃんの言葉が信じられなくて周りを見渡す。


「……本当、ですね」


すると、如月ちゃんの言うとおり全ての装置とは言わないが、上に乗っていた埃が綺麗さっぱり無くなっていた。

……そういえば摩耶ちゃんに教えている間、瑞鳳さんが辺りを歩き回っていたっけ。

まさかその時に掃除してくれてた?というかそれしか考えられない。

気配だけで察していたからよく解らなかったけど、そんなことまでやってくれてたんだな……。

その上料理も作ってくれるとか、嫁力高すぎぃ!


如月「ええっと……誰かがやってくれた、とか?」

「恐らく瑞鳳さんですね。私が気づかないうちにやって頂いてたようです」


ここまでやってくれるのは有難いけど、戦闘が主な瑞鳳さんにここまでやってもらったのは少し申し訳ないな。

世話係だからってこんなことまでする事ないだろうに。

どうお返ししたものかとぼんやりと考えていると、突然如月ちゃんがくすりと……いやどちらかというとニヤリ笑った。

なんだか嫌な予感がする。


「……どうかされましたか」

如月「恋ですね?」


なにいきなり素っ頓狂なこと言ってるのこの子は。

でもそう言う如月ちゃんの表情はとても生き生きとして、冗談を言っているようには見えなかった。


如月「瑞鳳さんが話に出たときの、番頭さんの物憂げの表情、優しさに満ちた瞳……。如月には解ります。それは恋です!」


言って如月ちゃんは前に両手を組み、空を仰いで、ああ……♡と喘……ため息をついた。

なんだかヒートアップしてきた。


如月「恋。やっぱり恋っていいわよねぇ。艦娘、いえ、人間にとってなくちゃならないもの……。ああ……提督ぅ♡」


くねくねと体を揺すり惚けたように如月ちゃんは声を口から漏らす。

その股間にくるような声、やめてくれませんかね……。

というか周りに誰もいないし、僕が止めないとアカンやつか。


「きさら……」

如月「それで番頭さん、瑞鳳さんのどこを好きになったのっ?」


駄目だ。完全に暴走している。あのしっかりした如月ちゃんはどこへ……。

ていうか如月ちゃんってこういう子だったのか。すこし、いやかなり意外だ。

ともあれ落ち着かせないと。おちおち仕事もできない。



「……如月殿。確かに私は瑞鳳殿を好ましく思っていますが、それは上官としてです。決して」

如月「恥ずかしがらなくて大丈夫ですよっ。如月には解るの。番頭さんのあの顔は恋している顔だって」




如月「だって如月も恋をしてるから!!!」



「はぁ……」


完全に自分の世界に行ってしまっている。

どうしたらいいんだ僕は……。

教えてくれ誰か、如月ちゃんは何も答えてはくれない……。

・・・・・・・・・・


如月「すみません、ご迷惑をかけてしまって……」


何度も何度も瑞鳳さんに下心を持っていないと説明し、ようやく如月ちゃんは落ち着いてくれた。……わかってくれたのかどうかは解らないけど。

今は椅子に座ってシュンとしてしている。


「いえ、お気になさらず」

如月「すみません……」


そうは言ったものの、如月ちゃんの表情は晴れない。

まぁそれはそうかもしれない。気にするなといって気にしないのもなかなか難しい。

……このまま暗い雰囲気で仕事をするのもなぁ。


「如月殿はたまにああいう風になってしまうのですか?」

如月「ええと、はい……。その、色恋沙汰の話が大好きなんです。だから……すみません」

「いいと思いますよ」

如月「……え?」

「如月殿。あなたは艦娘の前に一人の女の子なのだと思います」

「そしてまだまだ貴女はお若い。仕事のことだけを考えるのは少し、早いことかと思います」

「今は戦時中です。それが甘いという人もいるかもしれません」

「ですが、若い貴女の身で戦争のことだけを考えて生きるのは辛く、寂しいことです。……本当に」

「そんなことができるのは一部の、どこか心が壊れた人だけです」

「だから、少しくらい自分の好きなことに夢中になるのもいいと私は思います」

「その為に、多少の迷惑は掛けてもいいでしょう。貴女は命を掛けて戦っているのですから」

「だから気になさらず、いつも通りの貴女で行きましょう。私もその姿を見るほうが嬉しいです」

僕の本音と沢山の嘘とを練り合わせた歪な慰め。

どの口が言うんだろうか。本当に。

それに如月ちゃんはきょとんとした表情を浮かべている。失敗したかなこれ。

だけどやがて如月ちゃんはくすりと笑みを零した。


如月「ふふっ……提督と殆ど同じこといってます」

「え……?」

如月「提督も昔、言ってくれたんです。お前は艦娘の前に一人の女の子なんだって」


また如月ちゃんはくすりと笑う。

でもその表情はどこか物憂げで、瞳は優しい色に染まっていて……。

そこでさっきの如月ちゃんの言っていたことが理解できた。

これが恋をする人の表情なんだと。

僕もそれに思わず、笑みが零れた。


「そこに惚れたんですか?」

如月「それもありますけど、提督にはもっと魅力的なところがあるんですっ♪だから、番頭さんには惚れませんよ。如月、こう見えて一途なので♪」

「そうですか。それは残念です」


冗談ぽく言った言葉に、如月ちゃんはまたご機嫌そうに笑った。

すっかり持ち直してくれたみたいだな。よかった。


如月「……でも」


ほっと胸を撫で下ろしていると、如月ちゃんはじっと僕の瞳を見つめてきた。


如月「番頭さんは……好きです」


人としてですけどね。と付け加えて如月ちゃんはまた笑った。

男を惚れさせるような甘い笑顔だ。なんとも小悪魔的というかなんと言うか。

……ただまた懐かれてしまったか?学習しないな僕は。

どうにも感情に流されすぎる。どうにかしないと……。

・・・・・・・・

その後、僕は修理を再開しつつ、如月ちゃんから質問の猛攻撃を食らった。

曰く、殿方の喜ぶものを知って、提督に御奉仕したいのだと。

いや御奉仕ってなんだよ。なんだかやらしいやん。

ともかく、僕のことを知りたいというのはそういうことだったらしい。よかったー勘違いで。いやまぁさっきの会話でわかっていたことではあるんだけど。

今は艦装の分解の区切りが付いたので休憩している。

相変わらず如月ちゃんの質問は止まらず、未だに続いていた。

……良くこんな話の種が切れないもんだなぁ。女の子って凄い。僕は改めてそう思った。

その質問の雨の中で、ふと、如月ちゃんの首から提げているロケットペンダントが目に入った。


如月「あ、これですか?」


僕の視線に気づいたのか、如月ちゃんは首からそれを取って見せてくれた。


「これは?」

如月「これ、提督から頂いたものなんです♪女の子なんだからおしゃれぐらいしろって」


そう言う如月ちゃんはとても嬉しげに目を細めたが、すぐに落ち込んだような表情になってしまった。


如月「……部隊の皆にも配ってるんですけどね」

「なるほど」



部隊の皆に、か。そういえば同じようなものを付けていた子たちもいたな。

なかなか粋なことを……ん?そういえば……。


「弥生殿はつけていなかったような」


弥生、と聞いた瞬間、如月ちゃんの表情が一気に硬くなった。

その表情で如月ちゃんが弥生ちゃんをどう思っているのか、なんとなく予想が付いた。


如月「弥生ちゃん、ですか……」


これ以上踏み込んでいいものか。

きっと踏み込むべきではないんだろう。これは弥生ちゃんと如月ちゃんたちの問題だ。

僕のような薄汚れた奴が踏み込む資格なんてない。

……だけど、このままではきっと弥生ちゃんの状況は変わることはないだろう。

これからもあの子は僕たち人間のエゴの所為で苦しんでいく。

果たしてそれでいいのか。しょうがないと言って見捨てていいのか。

僕はそれでいいのか。

弥生ちゃんの寂しげで不安な表情が脳裏によぎる。

僕は―――


「如月殿」

如月「……はい?」



「少し、弥生殿のことを伺ってもいいですか」


踏み込んでしまおう。

知ってしまったのだ。弥生ちゃんの不安を。苦しみを。

どうやってこれからのあの子の状況を良くできるかなんか検討も付かない。

でも、少しでも、あの子の苦しみを和らげたい。

それが僕の、僕たち人間としての

けじめだと思う。

続く。

僕の言葉に如月ちゃんは僕から目を反らし、顔を伏せた。

彼女の長い髪が垂れ、表情を隠す。窺い知ることはできないが、きっと明るい表情ではない。


如月「……どうしてですか?」


おしゃべりな彼女が、質問と言う間を置く。

それはきっと出来るならば答えたくないという事だろう。

普段の僕ならばここで踏みとどまっている。踏み込むべきではないと考えて。

だけどもう踏み込むと、けじめを付けると決めた。もう踏みとどまる訳にはいかない。


「如月殿が……いえ、駆逐隊の皆様が弥生殿をどう思っているのか知りたいからです」

如月「……そうですか。……どうして、知りたいのですか?」

「僭越ながら力になりたいのです。弥生殿の、そして如月殿方、駆逐隊の皆様の」

如月「……知って、いるんですね。弥生ちゃんのこと」

「はい」


やっぱり如月ちゃんは聡い子だ。

力になりたい、その言葉だけで僕の言いたい事を理解したみたいだ。

それでも如月ちゃんは俯けた顔を上げようとはしなかった。少しの間を置き、顔を俯けたまま小さく言葉を続ける。

如月「……どうして?番頭さんと私たちはまだ知り合ったばかりじゃないですか。それなのに……どうして?」

「僕がそうしたいから……では駄目でしょうか」


そこで如月ちゃんは俯けていた顔を小さく上げた。顔を隠していた髪がどかされ、表情を覗かせる。

髪の中から見えた表情は、疑念と怯えが混ざりあったような暗い表情だった。

じっと如月ちゃんは僕の瞳を見つめてくる。僕はそれから目を逸らさずに見つめ返した。

僕の言葉が嘘ではないと、伝わるように。

少しの間の後、如月ちゃんはポツリ、と言葉を漏らした。


如月「お節介、なんですね」

「……ああと」


言葉が詰まる。……確かにそうだ。いくら弥生ちゃんが苦しんでいると言っても、弥生ちゃんが、彼女たちが改善を望んでいるとは限らない。

今の状況で構わないという子もいる筈なんだ。それこそ弥生ちゃんだってそうかもしれない。

それは何かの為。自分の為であったり、ほかの人の為であったり。

その為に敢えて苦しい立場に身をおく。そんな人もいる筈なのに。

僕は人間のけじめの為に彼女を救いたいと思った。もちろんそれだけではないけれど。

でもそれこそ人間の、僕のエゴじゃないのか。

良かれと思ってやったことが結果としてよくないことになってしまう。そんなこと、ままある筈なのに。

どうして僕はこんな簡単なことに気づかなかった?どうしてまた身勝手な正義感に流されてしまった?

戦争に身を投げた時と何も変わっていないじゃないか。何も……。



如月「でも」


暗い思考の海に沈んだ所で、また如月ちゃんが言葉を漏らした。

気づかない内に逸らしていた目を、彼女に戻す。


如月「やっぱり優しい人、ですね」


僕の視界に映った如月ちゃんは優しく、そして嬉しげに微笑んでいた。


「いえ、僕は……」

如月「いいえ。番頭さんは優しい人です。今はっきりと解りました」

「え?」


首を傾げる僕に如月ちゃんは何も言わず、くすくすと笑うだけだった。

それがどうしてか解らず、ますます僕は首を傾げてしまう。


如月「如月が提督に出会う前に貴方に出会っていたら……もしかしたら貴方の事を好きになってたかも」


そして上目遣いでこう言う。……ここまで言ってくれるようなことなんかした覚えはない。

むしろ嫌われてもおかしくないような事をやっていた筈なんだけど……。


どう返していいものかと首に手を当てていると、如月ちゃんはすっと表情を真面目なものに変えた。


如月「弥生ちゃんのこと、お話してもいいですか?……いえ、聞いてもらえませんか。お願いします」


そう言って如月ちゃんは頭を下げた。

……こっちからお願いしておいてどうして僕は頭を下げられてるんだろうか。よく解らない。

でも、あんなに話すのを渋っていたのにそう言ってくれるってことは話してくれる気になってくれたんだろう。

そうなら、僕のとる行動は一つだ。


「如月殿、顔をあげて下さい」


そう言うと如月ちゃんは顔をゆっくりと上げた。

それを見届けると、僕も彼女に深く頭を下げた。


「勿論、聞かせていただきます。そして……ありがとうございます」


これは彼女たちの問題に踏み込ませてくれたお礼、そして僕のエゴを受け入れてくれたお礼だ。

これで僕は彼女たちの為に全力を尽かせなければならなくなった。

彼女が僕の頼みを受け入れてくれたのだから。



如月「……ふふっ」


そこで突然如月ちゃんが吹きだした。

なんだろうと思い顔を上げる。


如月「あ、ごめんなさい。……頭を下げあってなんだかおかしいなって思っちゃったから」

「……そうですね。確かに」

如月「やっぱり優しいですね。番頭さん」


優しくしてるつもりなんかない。それに僕は優しい人間なんかじゃない。

こういうのが優しいって思える人たちのほうがずっと優しい人だと……僕は思う。


如月「あ。お話ですけど……番頭さんがお仕事しながらでも大丈夫ですか?結構お話してましたからそろそろ始めないと」


そういえばそうだ。そろそろ始めないと仕事が進まない。

だからって手に仕事をつけながらも失礼だな。せっかく無理して話してくれるのだから。


「いえ。仕事が終わってからにしましょう。ながらで聞くのは失礼に当たります」

如月「そうですか。……ありがとうございます」

「それは私の台詞ですよ」


そう言ってお互い笑い合う。

こう笑い合って気づいたけど、僕の如月ちゃんに対する苦手意識はすっかり消えていた。

そもそも僕が如月ちゃんを苦手だと思っていたのは、どうにも見せる姿が作り物っぽいと思っていたからだ。

名前も少しあるけれど。

でも如月ちゃんはそんな女の子じゃなくて、自然な姿を見せることが出来る子なんだと解った。

だから、苦手意識が消えたんだろう。

それは僕にとっては良くないことだ。でも、今は素直に嬉しいと思えた。


如月「あ、それと。番頭さんって本当は自分のこと僕って言うんですか?」


あ、と失態に気付く。

……そういえばさっき思わず僕と言っていた。

言ってしまったものは取り返しがつかない。

諦めて素直に認めてしまおう。


「申し訳ありません。思わず出てしまいました。以後気をつけます」

如月「いいんですよ。そのほうがかわいいです♪」


いや可愛いってなんだ。この人生生きてきて初めて言われたぞ。


如月「ねえ番頭さん?」


悪戯っぽく笑いながら如月ちゃんは首を傾げてくる。

嫌な予感がする。もう三回ぐらい経験済みなものが。


如月「私も自分のこと如月、って言ってるんです」

「……はぁ」

如月「私も如月って言うので……番頭さんも僕って言ってくれませんか?それにできればいつもの番頭さんの話し方も聞いてみたいなぁ~って思うんです♪」


ほら来た。


「いえ、私は……」

如月「普段通りに話してくれると如月も話しやすいんだけどなぁ~?弥生ちゃんのこともっ」

「うぐっ」


そう言われると弱い。

だけど、これ以上そういった相手を増やすのは……。


如月「そ・れ・に♪瑞鳳さんたちだけにそういうのはずるいって如月思うの」


ああ……こんなところにも弊害が……。

そもそもあれは瑞鳳さんの視線に負けたからであって、そう話したかったわけではないし。


如月「だから……ね?おねがぁい♪」


甘えたような声を出して、如月ちゃんは首を傾げる。

可愛いからやめて欲しい。

駄目だ駄目だ。こんなことで負けていたらキリがなくなる。


「すみま」、

如月「駄目……?」


瞳を潤ませて、じっと見つめてくる。

その表情はとても悲しげで今にも泣いてしまいそうだった。

……ああ、また負けるのか。

大きくため息を付く。


「……わかったよ」


そう言った途端、如月ちゃんは悲しげな表情を一気に仕舞い込み、ニンマリと笑った。

……やられた。


如月「ほんと?ありがとう番頭さん♪」


さっきまでの悲しげな顔はどこへやら。如月ちゃんは甘ったるい声で笑いかけてくる。

あの表情は演技だったらしい。

……やっぱりこの子は苦手かもしれない……。

・・・


「……今日はここまでかな」


分解した艦装の使えるものとそうでないもの分別は終わり、各パーツのクリーニングを終えたところで一息を付いた。

摩耶ちゃんに教えるためにいくつかは残してある。これくらいなら大した時間は掛からないだろうし、丁度どいいだろう。

そこで僕の声を聞きつけたのか、床の清掃に回っていた如月ちゃんが顔を見せる。


如月「終わったの?」

「一区切りはね」

如月「そっか。お疲れ様♪」


ありがとうと言葉を返し、昼食をとった机に腰掛ける。

すると、如月ちゃんがどこからか持ってきていたタオルを差し出してくれた。

汗も掻いたし煤で汚れたから正直助かる。

またありがとうと言って、それを受け取って顔を拭く。

あっ良い匂い。

いやどうでもいいけど。

でも如月ちゃんはどうでも良くなかったらしい。また悪戯っぽくにんまりと笑ってきた。


如月「如月の匂い、する?」

「何言ってんの」


そう言うとまた如月ちゃんはご機嫌そうに笑った。

完全に遊ばれてません?気のせいですか?気のせいじゃないね。

こんな小さな子に遊ばれるってどうなの……。

まぁそれは置いておいて……本題だな。

「……如月ちゃん、聞かせてもらって良いかな?」

如月「……うん。そうね」


そう言って如月ちゃんは一呼吸置く。

そしてぽつぽつと話してくれた。


如月「番頭さんは弥生ちゃんのこと……どこまで知ってるの?」

「一度敵にやられてしまったけど、運よく提督に見つけられた。けどその後の弥生ちゃんは何か変わってしまったって事まで」

如月「そっか……。そこまで知ってたのね」

  「……帰ってきたときはみんな喜んだの。また弥生ちゃんと一緒に暮らせるって」

  「特にうーちゃんの喜びようは凄かったの。一番仲良くしていたのがあの子だったから……」

  「でも、だからかな。一番最初に弥生ちゃんが変だって気付いたのもあの子だった」

  「ある日ね?『あの子はやよちゃんじゃない』……突然そう言ったの』

  「そんなことあるわけない。最初はそう思ったわ」

  「でもね。しばらく一緒に暮らしてると……うーちゃんの言ってることが解ったの」

  「姿は一緒。声も、仕草も」

  「でも、この鎮守府に来てからの記憶が……全く無かったの」

  「すごした時間は短かったけど、短いなりに作り上げた思い出も、全部」
   
  「提督はやられたショックで一時的な記憶喪失になってるだけだって言ってた」

  「でもそれがうーちゃんは凄くショックだったみたいでね。だから……あんなことを」
   
  「それから段々とみんな弥生ちゃんから離れていった」

  「決して嫌ってるわけじゃないの。みんな弥生ちゃんは大好きよ」

  「でも……今の弥生ちゃんとどうやって付き合っていいかわからなかった。湧き上がる違和感に向き合えなかった」

  「だから……こうなっちゃった」


「そっか。……辛いね」

如月「如月は辛くなんてないわ。一番辛いのは……弥生ちゃんだもの」


そう言って如月ちゃんはまた顔を俯かせる。

おそらく、さっき僕に見せたあの暗い表情を見せているんだろう。


「……どうにかしたいのにどうすることも出来ない。それもとても辛いことだよ」

如月「……如月にはどうにもできたの。もう一度仲良くすることだって出来た。でも、如月は……」


ぐ、と如月ちゃんは膝の上で拳を硬くする。

それはどうすることも出来なかった悔しさか。情けなさか。それとも罪悪感か。

きっといずれもだろう。そんな感情に覚えがある。


「如月ちゃんは、どうしたい?」

如月「え?」

「そう思うなら。弥生ちゃんのことを思うなら。如月ちゃんはどうしたい?」


今度は自分のエゴだけで走らない。

皆の思いを、願いを聞いて、先へ進む。

顔を俯かせていた如月ちゃんはゆっくりと顔を上げ、再び僕の瞳を見つめてきた。


「僕は弥生ちゃんの力になりたい。勿論如月ちゃんの力にも。……如月ちゃんはどうする?」


如月ちゃんの瞳を優しく見つめ返す。

すると、如月ちゃんはしっかりとそして力強くうなずいた。


如月「如月は……弥生ちゃんと仲良くしたい。また、皆と……仲良く過ごしたい」

「わかった」


如月ちゃんの頷きに、僕もまた頷きを返す。

機会の整備に人間関係の修復。

忙しくなりそうだ。

続く。

如月「番頭さん」


これからの事に思考を移そうとした所で、如月ちゃんが声をかけてきた。

どうしたのと口に出そうとしたけど、それは適わなかった。

如月ちゃんが急に机に乗せていた僕の手を取ってきたからだ。

そのまま如月ちゃんは自分の胸の前に持っていく。

急なことで何も言えないままでいると、如月ちゃんはきゅっと僕の手を握り締めた。


如月「ありがとう」


そして上擦った声でそう言い、瞳を潤ませながら笑った。

……そんな顔されたら困る。失敗できないじゃないのさ。するつもりないけど。

それはそうと、本当に如月ちゃんは小悪魔というか、男心が解ってるというか。

こんなことされたら何て言うか……困る。さっきとは違った意味で。


「何してんだ、お二人さん?」


そこでシャッターのほうから喜色に染まった声が飛んできた。

ぎくりとしながら声のほうに顔を向けると、声を出した摩耶ちゃん、そしてその隣に立つ瑞鳳さん、矢矧さんがいた。

摩耶ちゃんと矢矧さんが面白いものを見たかのようににやにやと笑うなか、なぜか瑞鳳さんは困っているようで、怒っているような目をこちらに向けていた。

……やばいもん見られた。

如月ちゃんから握られたとはいえ、ここにいるのは成人の冴えない男と年端も行かない美少女。傍から見れば僕が手を握ったように見えるかもしれない。

摩耶ちゃんと矢矧さんはともかく、瑞鳳さんのあの目、多分そう見ている可能性が高い。

事案発生。おまわりさんこっちです。いやそうはならないと思うけど。……ならないよね?

・・・


瑞鳳「……なるほど」


あの後、如月ちゃんの自分から握ったという言葉もあってか、どうにか三人は解ってくれたらしい。

まぁでも、幼い少女の手を握る変態のロリコン野郎だと誤解してくれた方が良かったかもしれない。

それでこの三人が離れて行ってくれたかもしれないから。


瑞鳳「でも如月ちゃん、そういうことしちゃ駄目だよ?如月ちゃんは女の子なんだから」

如月「うふふ、ごめんなさい。思わず……ね?」


ちらりと如月ちゃんは僕に視線を飛ばしてくる。

どういう意図があるんですかねぇ……。ボクワカンナイ。


矢矧「でもどうして如月ちゃんは番頭さんの手を握ったの?」


そう言って矢矧さんは首を傾げる。

瞳の奥に何か悪戯な光が灯っている。また玩具探してるもんこの人。

ともあれ握った原因か。如月ちゃんはそれを言うつもりはあるんだろうか。

それを確かめるために如月ちゃんに視線を向ける。

すると如月ちゃんも僕のほうに瞳を向けていて、かちり、と目が合った。

それがおかしかったのか解らないけど、如月ちゃんはくすり、と笑った後、小さく頷いた。

言うつもりなのか。

だけど事情を話すと、彼女達三人を問題に巻き込むという可能性を生み出してしまう。

もちろんそれに巻き込まれるかどうか選ぶのは当人の自由だけど。

……でも摩耶ちゃんと矢矧さんはともかく、この話を聞いたら瑞鳳さんも乗ってくるだろうなぁ。

「巻き込むの?」


僕の言葉に如月ちゃんは見せていた笑みを引っ込め、変わりに瞳に迷いの色を滲ませた。

その態度を見せるってことは解ってなかったって事か。

でも迷うって事は面倒事に巻き込みたくないっていう気持ちがあるって事だ。

やっぱり如月ちゃんは優しい子だ。僕なんかよりずっと。


摩耶「巻き込むってどういうことだよ?」


僕にはそれに答えられない。

この問題は如月ちゃん達の問題だ。口外する権利は僕にはない。

如月ちゃんに視線を向ける。

しかし如月ちゃんは瞳に迷いを滲ませたままだ。

彼女達に面倒を掛けまいとするべきか。

面倒を掛けてまで、助けを請うべきか。

おそらく、如月ちゃんはこのどちらにするか迷っている。


摩耶「番頭、聞いてんのかよ?」

「少し待ってくれ」

摩耶「な、なんだよ……」

待ち切れかねた摩耶ちゃんを抑えじっと如月ちゃんの答えを待つ。

大人しかった僕がいきなりそんな事いうものだから、摩耶ちゃんは少し戸惑っているようだ。

摩耶ちゃんには悪いけど、僕には如月ちゃんの答えを待つしかできない。

若い彼女に決定の全てを委ねるのは酷かもしれない。出来れば口を出してあげたい。

でもそれは出来ない。主役はあくまで如月ちゃんなのだから。


瑞鳳「……如月ちゃん」


このまま沈黙が続くかと思われたが、そんな中、瑞鳳さんが座る如月ちゃんの前にしゃがみ込み、声を掛けた。

ここで如月ちゃんに話しかけるって言うことは、僕の視線に気づいてたんだろう。

完全ではないだろうけど、多分、その意図まで。……よく見てること。


瑞鳳「話してみて?」

如月「でも……」

瑞鳳「いいの。大丈夫」


そう言って瑞鳳さんは笑った。

その笑顔はとても優しくて、とても綺麗で。

言いようもない既視感が、僕の心を抉った。

・・・


如月ちゃんが瑞鳳さんの笑顔に頷くと、僕の手を握った事情、つまり、僕が駆逐隊の人間関係の改善に協力する事になった経緯を如月ちゃんは話し始めた。

如月ちゃんが暴走して慰めたところから、それはもう詳しく。もちろん僕が如月ちゃんに言ったこと一言漏らさず。

いや結構恥ずかしいこと言ったんだけど。しかもそれに対する感想を言うの止めてくれない?嬉しかっただとか、優しいだとか。

というか、そんな風に思ってたんだなぁ。お節介とか言われたときとか絶対嫌な感情向けてたと思ったけど。

そうして如月ちゃんが話し終えるとまた沈黙が訪れた。さっきの重いものとは違うけどどうにも声が出しづらいような気まずい雰囲気だ。

そして更には僕以外の全員の視線が僕に向いていることで気まずさを加速させている。

というか、なにこの公開処刑。


瑞鳳「……そっか。そういうことだったんだね」


この雰囲気をどうにか出来ないかと考えていると、瑞鳳さんが感心したように言葉を漏らす。

そのお陰で、部屋を覆っていた妙な雰囲気が緩む。


瑞鳳「ねぇ、如月ちゃん」

如月「……はい」

瑞鳳「私も、それに協力していいかな?」


やっぱりそう来たか。

こうなるだろうからあんまり言ってほしくなかったんだけど……あんな笑顔見せられたらしょうがないか。

瑞鳳さんの言葉に、如月ちゃんは膝に両手を祈るように合わせて置き、小さく顔を伏せる。

如月「……いいんですか?」

瑞鳳「勿論。私も如月ちゃんたちを見てきて、どうにかしたいって思ってたから……」

如月「でも、これは私達の問題で、瑞鳳さん達には迷惑を……」

瑞鳳「いいの。それに迷惑掛けたっていいじゃない」

如月「え?」


きょとんとする如月ちゃんの両手を、瑞鳳さんは優しく自分の手で包む。


瑞鳳「だって、私達は仲間なんだから」


そして瑞鳳さんはまた優しく笑った。


瑞鳳「ね?摩耶、矢矧」


そこで話を振られた摩耶ちゃんと矢矧さんの二人もそれぞれ朗らかに笑った。


摩耶「そうだな。如月、仲間は助け合うもんだぜ!」

矢矧「死ぬわけじゃないもの。これくらい迷惑にもならないわ」


思ってもみない返事だったからか、如月ちゃんは目を丸くする。

そして、瑞鳳さん達をゆっくりと見わした後、深く頭を下げた。


如月「皆さん……ありがとう、ございます……!」

瑞鳳「いいの。……今まで何も出来ないで……ううん。しないで、ごめんね」


もう一度瑞鳳さんは声を上擦らせる如月ちゃんの手を強く握る。

それに如月ちゃんはううん、と首を何度も振っていた。

謝ることなんかないのに、と思う。

こうなった原因は瑞鳳さんでもなく、如月ちゃんでもない。

元は僕たち人間の傲慢の所為なのだから。

矢矧「それで、協力するのはいいけどどうするかは見当ついてるの?」


如月ちゃんが落ち着いたところで、矢矧さんが前に腕を組み、首を傾げる。

問題に当たるにあたって当たり前のことだけど、痛いところを突かれた。

協力してくれる人に見栄張ってもしょうがないし、素直に言うしかないか。


「……まだ何も」

矢矧「見当もついてないのに協力するって言ったの?」

「……まぁ、うん」


言い出しっぺがこれでは呆れられてしまうな。

そう思ったけど、矢矧さんは何故かくすくすと笑うだけだった。

その笑みの色は温かく、僕の無計画さを笑っているようではなさそうだ。


瑞鳳「矢矧?」

矢矧「ふふっ、ごめんなさい。つい」


首を傾げる瑞鳳さんに、矢矧さんは小さく頭を下げる。


矢矧「もっと理性的っていうか、冷静な人だと思ってたから。結構感情的な人なんだなって思って」


自分で言うのもあれだけど、理性的なんて僕からもっとも遠い言葉の様な気がする。

理性的だったら、復讐の為に戦争に身を投げたりしない。

矢矧「でも、嫌いじゃないわ。そういう人」


人間としてね、と付け加えてまた矢矧さんは笑った。

また恥ずかしいこと言われてますね。恥の多い人生を送ってきました。これからも送っていきます。


摩耶「いやぁモテモテだねぇ、番頭さんよっ」


ニヤニヤ笑いながら摩耶ちゃんが僕の背中を叩いてきた。いてぇ。

しかし、そこで何故か矢矧さんが目を薄く細め、にやりと笑った。

あっ、玩具を見つけた顔だ。


矢矧「あら?摩耶は番頭さんのこと嫌いなの?」

摩耶「……は?え、いや、ん、んなことねぇけど」


急に話を振られると、摩耶ちゃんは体をギクリと動かした。

アカンてそういう反応しちゃ。トラの前に肉をぶら下げたようなもんだから。

案の定それをトラ……じゃなくて矢矧さんが見逃すはずもなく、更に笑みを深める。うーん嗜虐的な笑みってこういう事をいうんだNE!


矢矧「じゃあ、摩耶も番頭さんのこと好きなのね」

摩耶「す、好きってなんだよっ!嫌いじゃないっていう話だろっ」

矢矧「え?だって嫌いじゃないってことは好きって事でしょ?」

摩耶「そ、そういうことじゃねーだろ!ば、馬鹿か!」

矢矧「じゃあ嫌いなの?」

摩耶「き、嫌いじゃねーって言ってんだろ!」

矢矧「じゃあ好きなのね」

摩耶「だ、だからぁ!」

以下略。

多分矢矧さんが飽きるまであれは続くだろうなぁ。南無南無。

そんな中、瑞鳳さんは諦めたように二人を見守っていた。

止めようとしたら矢矧さんの槍玉にあげられる事を解ってるんだろう。あれに巻き込まれるのは僕だって嫌だ。

如月ちゃんもそんな瑞鳳さんの態度を見て、矢矧さん達に声を掛けようとしない。世渡り上手ねこの子……。


矢矧「それじゃあ摩耶は番頭さんが大好きっていうことで決定ね」

摩耶「な、何でそうなるんだよぉ!」


しかしヤハギ、意外にもこれをスルー。いや、意外もなにも飽きたんだろうなぁ。

摩耶ちゃんはまだ顔を赤くして矢矧さんを睨み付けているが、噛み付いていかない。

また弄られたら堪ったもんじゃないしなぁ。いい判断です。


矢矧「さて、どうしましょうか。案も何もない状態で何かするって言ってもどうしようもないでしょうし」


面目ない。

でも矢矧さんの言う通りだ。何の案のない状態では何もすることは出来ない。

どうしたもんか。協力すると言い出した手前、何か案は出さないと……。


瑞鳳「それじゃあ一度食堂で話し合わない?もう晩御飯の時間だし」

瑞鳳さんの提案は僕をはっとさせた。

皆で考える。そういう手もあったのかと。

それは至極当たり前のことで、最初に行き着いてもいい様な事だ。

でも僕はその提案が出すことが出来なかった。

つまり、そんなことが出来ない僕は寂しくて、協力してくれるという瑞鳳さんたちの温情を無下にできる薄情な人間なのだ。

やっぱり優しいなんて言葉は僕には似合わないな。

……まぁ思ったところで今更か。


瑞鳳「番頭さん?」

「え?」


思考の淵から立ち返ってみると瑞鳳さんと僕以外の人がシャッターの近くに立っていた。

思ったよりも長く考え込んでいたみたいだ。


瑞鳳「……どうしたの?」

「……なんでもない。ごめんね」


そう言って不安げに僕を見つめる瑞鳳さんに笑ってみせる。

瑞鳳さんの不安な表情は取れないままだけど、それを見ない振りをしてシャッターの方に歩き出す。


「食堂で話し合い、だよね」

瑞鳳「う、うん……」


後ろから瑞鳳さんがついてくる音を聞きながら歩を進める。

本当に、ごめん。

……さぁ、話し合いだな。何か案を出さないと。

--------

夏だから日が高いとはいえ、彼女達の寮に着いた時にはもうすっかり日が落ちていた。

そのせいもあって食堂にいる艦娘達も疎らで、好きに席を選ぶことが出来た。


矢矧「それじゃあ、始めましょうか」


矢矧さんが音頭をとる事で、場の空気が締まり、会議特有の厳かな雰囲気を作り出す。。

ここに来てから矢矧さんを見てきたけど、やっぱり仕切ることが上手いな。

おそらく戦闘でもリーダー的な役割を担っているんだろう。

瑞鳳さんはともかく勝気な摩耶ちゃんが従っているのがいい証拠だ。

何か言って弄られるのがいやなだけかもしれないけど。


矢矧「まず、何が問題か。もう皆わかってるけどね」


何が問題か。


「駆逐隊を主とした全部隊含めた弥生ちゃんの孤立」


矢矧「じゃあその原因は?」


如月「弥生ちゃんの違和感……です」


矢矧「その違和感の理由は?」


如月「撃沈する前と後での弥生ちゃんの記憶がないこと」


それが第一なんだろう。

……有る訳がないんだけどね。

そんなことを考えていると一瞬僕のほうに矢矧さんの視線が向けられたような気がした。

矢矧さんは変わらず話を続けようとしている。やっぱり気のせいか……。

矢矧「そうね。それじゃあ記憶を戻すことが出来れば問題は解決するわね」

瑞鳳「でもそれはちょっと現実的じゃないかも……」

矢矧「どうやったら記憶を戻すことが出来るかなんか判らないものね」

摩耶「ぶったたけば戻るんじゃねーか?ほらショック療法って奴だ」


摩耶ちゃんに冷たい視線が集まる。

うぐ、と呻いて摩耶ちゃんは体を小さく縮こまらせた。


摩耶「じょ、冗談だよ……」

瑞鳳「でも万が一っていうこともあるかも。何か記憶喪失の改善のことが乗ってる資料を探して、やってみるのもいいかもしれないね」

矢矧「そうね。探すのは手が空いた人がやるとして、誰がやるかだけど」


矢矧さんは視線を移し、如月ちゃんに向ける。


矢矧「それは如月ちゃんにやってもらいたいの」

如月「きさら……私、ですか?」


戸惑う如月ちゃんに、矢矧さんはええ、と首を縦に振る。


矢矧「この中で弥生ちゃんと一番近いのは同じ部隊の如月ちゃんだもの。どういったものが記憶を戻すのに関わるか判らないけど、近しい人がやるのが自然よね」

如月「それは……確かにそうですね」

矢矧「それにね。それの目的は記憶を戻すことだけじゃないの。もうひとつの目的のほうが主題といってもいいわ」

瑞鳳「え?」

矢矧「如月ちゃんが孤立している原因は他にもある。他、というより、私たち、といったほうがいいかしら」

その言葉に如月ちゃんははっとして、顔を伏せた。

つまり矢矧さんは違和感を理由にして、艦娘達が如月ちゃんを遠ざけていることが原因と言っているんだ。


「避けていること、だね」

矢矧「そう。いくら弥生ちゃんに違和感を感じるとしても、遠ざけているのは私たちよね。これも立派な孤立の原因だわ」


場の空気が一気に暗くなる。

その空気を感じ取ったのか摩耶ちゃんが口を開く。


摩耶「んで?記憶を戻す以外に如月がやる他の目的ってなんだよ?」

矢矧「コミュニケーションをとる事」

瑞鳳「……なるほどね」

摩耶「へ?」


これだけ言われたら判りそうなもんだけど……。

でもまぁ摩耶ちゃんだからね。しょうがないね。


矢矧「記憶を戻す処方を行うためには、その人に近づかなければならない。その為にはコミュニケーション、つまり話すことが必要になるわよね?」

瑞鳳「それで私たちが避けるという問題を無くす、だよね?」

矢矧「そう。やっぱり瑞鳳は優秀ね。えらいえらい」

瑞鳳「……ばかにしてない?」


ジト目で瑞鳳さんは矢矧さんを見つめたけど、当の矢矧さんは気にせず続ける。

矢矧「記憶を戻すなんて不確定なことに頼るよりも、私たちが努力して近づいていくほうがよほど現実的だわ」

如月「……でも、また上手く話せる自信、ないです……」


それはそうだ。

今まで一番近くにいて、何度もコミュニケーションを取ってきた如月ちゃんが上手くいかずに離れてしまったのだから。

でもだからって他に対処法が思いつかない。


矢矧「それじゃあ弥生ちゃんの記憶が戻るようにずっと祈り続ける?」

如月「それは……」

矢矧「自分が変えたいと願ったなら、自分から行動していくしかないわ」


願うだけじゃ願いは叶わない。

何もせずに叶うこともあるだろうけど、そんなことはごく稀だ。

行動するからこそ願いは、思いは叶う。


矢矧「……もちろん私たちも手伝うわ。資料探しももちろん、話の場のセッティングもやるし、必要であれば一緒に弥生ちゃんと話すわ。もちろん私も積極的に弥生ちゃんと話す。協力するって言ったものね」

如月「矢矧さん……」

摩耶「もちろんあたし達だってやるぜ!なぁ瑞鳳、番頭!」

瑞鳳「うん!勿論!」

「ああ」

如月「……ありがとうございます。皆さん……」


感極まった様子で、如月ちゃんは頭を下げる。


矢矧「どう?やってくれる?」

如月「はい!如月、やってみせます!」

ふんすと息を噴きながら如月ちゃんは意気込む。

これでやることは決まったな。……結局僕何もしてないや。情けない。

でもこんなにすぐに解決方法を見つけるなんて。やっぱり矢矧さんは侮れない人だ。


矢矧「それじゃ方向性も決まったことだし……」


間を置いて矢矧さんは真剣な表情を作る。

それに場の空気がまた引き締まった。張り詰めるような雰囲気が場を支配する。

どんな重要な言葉が矢矧さんの口から出されるのかと、皆の視線が彼女に集まる。

そして満を期して矢矧さん口が開かれた。






矢矧「お酒いれましょっか♪」







       ヽ(・ω・)/   ズコー
      \(.\ ノ
    、ハ,,、 

まさにそんな感じだった。どんな感じだといわれてもそんな感じなのだからしょうがない。

瑞鳳さんは困ったように頭を抱え、摩耶ちゃんは腹を抱えて笑った。

如月ちゃんにいたっては着いていけずぽかんとした表情を浮かべていた。

お気持ちお察ししますわ。


瑞鳳「矢矧……」

矢矧「いいじゃない。だってもう大体のことは決まったんだから、後は細かいことを決めていくだけでしょ?」

瑞鳳「それはそうだけど……」

矢矧「それにお酒を入れた方がリラックスできて色んな案が出るかもしれないじゃない?」

瑞鳳「……そうかなぁ」

矢矧「そうなの。鳳翔さーん、お酒持ってきてー!」


そうして無事に(?)瑞鳳さんは丸め込まれ、酒盛りが開始された。

勘弁してくださいよ。また大変なことになっちゃう。

摩耶ちゃんは嬉しそうにがばがば酒を飲んでいる。

あかんなぁこれ……。略してかんこ

-------------


「気持ち悪……」


3時間に及ぶ酒盛りに開放された僕は、寮の外の階段に座って吐き気と戦っていた。

結局酔った摩耶ちゃんに絡まるに絡まられ、浴びるほどの酒を飲まされた。

本当に何とかしてくださいよあの子……。

ちなみに如月ちゃんは早めに非難させた。摩耶ちゃんと矢矧さんに絡まれたら堪ったもんじゃないと思ったからだ。

でもなんだかんだ案は出たな……記憶を戻す処置以外にも弥生ちゃんとコミュニケーションを取る方法はちゃんと出すことが出来た。

それだけはよかったように思える。


「大丈夫?」


声を掛けられた方に顔を向けると、瑞鳳さんがコップに水を持って歩いてきていた。

そういえば昨日も水くれたな。毎回申し訳ないな。


瑞鳳「水持ってきたよ。どうぞ」

「ありがとう」


水を受け取ると一気に煽る。

最近水のありがたさが文字通り身に染みるよ……。

水の美味さに感動していると、瑞鳳さんが隣に腰掛けた。


瑞鳳「あの……ね」

「うん?」

瑞鳳「ありがと」


どうして瑞鳳さんがいきなりそんなこと言うのか判らず、思わず首を傾げてしまう。

あ、揺らすと気持ち悪い。


「……なにが?」

瑞鳳「……弥生ちゃんのこと」


そう言う瑞鳳さんの頬はどことなく赤く見えた。たぶん酒の所為だと思うけど。

でもその顔はとても可愛らしくて……そんな顔を見せられても、その、困る。


「……僕は何もしてないよ。さっきだって矢矧さんがほとんどやっちゃったし」

瑞鳳「でも、番頭さんが如月ちゃんに協力するって言ってくれなかったらこうはならなかったよ」

「……そんなこと」

瑞鳳「あるよ」


僕の言葉を遮って、まっすぐに瑞鳳さんは僕の瞳を見つめてきた。

隣に座っていることもあって距離が近い。

落ち着かない。とても。すごく。


瑞鳳「だから……ありがと」


そして頬を赤く染めたまま、瑞鳳さんは優しく微笑んだ。

また心臓が高鳴る。自分でも信じられないほどに。

多分僕の顔は真っ赤だろう。思わず瑞鳳さんから顔を背けてしまう。


「……お礼は、解決してからのほうがいい」

瑞鳳「……うん。わかった」

なんとも頓珍漢なことを言っている。

自分で礼を言われることなんかしてないって言っておきながらお礼は後で、なんて。

結局僕達はそれから言葉を交わさなかった。

ただ、潮風がそよぐ音を聞きながら座っているだけ。

それでも、それだけでも僕は十分だった。

満たされた。彼女が隣に座っているだけで。


決して、許されることではないというのに。

続く。

「戻るよ」


十分に時間が経って、酔いも高揚感も引いてきたところでそう瑞鳳さんに告げて立ち上がった。

もういいの?と言う心配そうな表情のままの瑞鳳さんに首をうん、と頷かせる。


瑞鳳「着いていく?」


その提案に小さく首を振る。


「いいよ。もう時間も遅いし。それに瑞鳳さんだってお酒入ってるんだから」

瑞鳳「……私は別に大丈夫、だけど」


少し顔を俯かせて瑞鳳さんは呟いた。

心配してくれるのは有難いけど、それだけで夜道を歩かせるのは申し訳ない。帰りは一人になるわけだし。


「ありがとう。でも遠い距離を歩かせるのも悪いし、それにいくら夏でも夜は冷える。風邪を引いたら大変だ」

瑞鳳「私……艦娘だよ?」


艦娘、という意味。

たぶん、艦娘なんだから多少は無茶じゃないという意味なのかもしれない。

確かに艦娘なら、遠い距離を歩くことも大変ではないだろうし、風邪を引くことなんかもないだろう。

それでも。


「関係ないよ。瑞鳳さんは艦娘の前に女の子なんだから」


言ってから気づく。また恥ずかしいこと言った。僕は恥ずかしい言葉製造機か何かかな?

相変わらず瑞放さんは俯いたままでその表情は見えない。

それどころか何の返事もしてくれない。……引かれたかな?黒歴史作っちゃったかな?


瑞鳳「……やっぱり変わってる、ね」


そう言って、瑞鳳さんは完全に僕から顔を背けてしまった。

あ、引かれました。黒歴史確定です。おめでとうございます。

……でもいくら恥ずかしいことでも、黒歴史でも、僕はそう思うんだ。それが間違っているとも思わない。

「そうかな。……それじゃ。瑞鳳さんも早く休んだほうがいいよ」


座ったままの瑞鳳さんと微かな名残惜しさを背にゆっくりと歩き出す。

名残惜しい、か。……何を考えてるんだか。


瑞鳳「あ、あのっ!」


少し歩を進めたところで、急に声を掛けられた。

振り返ってみると、座っていた瑞鳳さんは立ち上がり、僕のほうを向いていた。

玄関の蛍光灯の光を背に受け、影を作っていて、その表情を窺うことは出来ない。


瑞鳳「……おやすみ」


少しだけの間のあと、瑞鳳さんはそう告げた。

それは蚊の鳴くような小さな声だったけど、僕の耳にはハッキリと届いた。


「おやすみ」


少しだけ笑って、僕は改めて瑞鳳さんに背を向ける。

寮の玄関の扉の音は、蛍光灯の光が豆粒の大きさになるまで響くことはなかった。

ーーーーーーーーーーー

「はぁ」


帰路に着いてから何度目のため息だろうか。

この鎮守府に付いてからたった二日だ。

それなのにこんなにも彼女達に情を抱いてしまっている。別れるのが名残惜しいと思うほどに。

彼女たちが気のいい性格だということもある。

自分が意外に情に脆かったと言う事もあるだろう。

そして、何よりもあの子達の『事情』を知っていることが一番なのかもしれない。

だから情を向ける。だから自分の感情を抑えることが出来ない。

それが間違っていると気づいているのに。

本当なら情なんて持ちたくない。仕事をこなす義務感だけで良かった。


「……戦争してるんだぞ……」


情を持っていいことなんか一つも無い。

いくら情をかけたとしても、一発の銃弾が頭を、心臓を貫いたらそれでお終いだ。いくら彼女たちが艦娘と言えども。

だから、僕は今まで仲間に情を掛けてこなかった。

掛けてもすぐに死んでしまうから。

作り上げたものが跡形も無く崩れ去ってしまうから。

相手にも同じような気持ちを抱かせてしまうかも知れないから。

だから、極力避けてきたというのに。

「……控えよう」


そうだ。控えよう。控えればいいんだ。

情を掛けた相手がいつ居なくなってもいいように。

僕がいつ居なくなってもいいように。

そもそも薄汚れた僕には情を受ける権利などない。


「……だけど」


だけど、それが出来るだろうか。

『彼女』にそっくりな『彼女』が居るというのに。

『彼女』は『彼女』じゃないことなんか解っている。

でも、そうだとしても、どうしても『彼女』がちらついてしまう。

あの顔で、あの声で、あの仕草で。

絶対に逃がさない。絶対に忘れるなと僕に突きつけるように。


『逃げられると思うなよ』


提督の言葉が頭を掠める。

逃げるつもりなんか無い。

つもりなんて、無いんだ……。

・・・・・・


結局、考えたことが何も纏められずに、住処に着いてしまった。

ふと、無性に煙草が吸いたくなった。そういえば朝の一服から吸っていなかった。

吸わない彼女たちに遠慮していたのもあったけど、なぜか吸う気が起きなかった。

そんな僕に心で首を傾げながら、作業着のズボンからケースを引っ張り出して、その内の一本を加えだした。

そしてそのまま家の近くの岩礁に腰掛ける。

なんとなしに空を見上げる。空は薄い雲が疎らに散在して、黄色い月に薄いベールを纏わせていた。


「満月か」


雲にモザイクを掛けられていたが、丸い光の輪郭にその形を察することができた。

それをぼんやりと見上げながら、煙草に火をつける。

嗜好品は一瞬だけ先端を強く燃え上がらせたあと、灰を纏った赤い円柱を作り上げた。

僕の呼吸に合わせて、円柱は強く赤く光り、僕の灰に煙を送り込む。

朝ぶりに吸い込む煙はとても美味しく感じられた。

「……ん」


煙草が半分ほどの長さになった所で、月が纏わせていたベールが解かれた。

強い光があたりを照らす。

強い光といっても顔を背けるほどじゃない。でも今の僕にはとても眩しく感じられて、月から眼前の海へと目を逸らしてしまった。


「……!」


そこで僕は思わず息を呑んだ。

落とした視線の先に人の形をした『異形』が佇んでいたから。

月の強い光は、目の前の異形の姿を存分に照らしてくれた。

生気の無い青白い肌。不気味に蠢く艦装らしき外套。歪に醜く変形した顔のような何か。


「棲……姫……?」

深海棲艦には様々な姿形があり、魚類のようなものから人間の姿をしたものから幅広く存在する。

そして、人型に近づけば近づくほど、その固体の持つ力は強くなる。

人間は畏怖を持って、それを深海棲姫と呼んだ。

そして目の前の異形は、姿形は歪ではあるが、人の形を取っていた。

生身の人間の僕が深海棲艦、ましてや棲姫に抵抗できるはずが無い。

普通に考えれば、目の前の異形から与えられる死を待つしかない状況だった。

しかし。何故か死の恐怖は感じなかった。

確かに僕はいつ死んでもいいと思っている。それで死の恐怖は感じないというのも在るかもしれない。

でも今はそうじゃない。

直感が叫んでいるんだ。僕は今死なないと。

そしてその叫びの通り、目の前の異形は一向に銃口を向けてこなかった。

それどころか、僕を恐れるかのようにその場から一歩後ずさった。

何故だ?どうして僕は死なないと思っている?どうして攻撃しない?どうして棲姫ともあろうモノが下がる?

頭に湧きでた疑問を巡らせている内に、目の前の異形の目らしきものと目が会った。

「------------!!!」


途端、異形は生物出すものとは思えない、オゾマシイ呻き声を上げた。

何をするかと身構えたが、異形はこちらに何をするわけでもなかった。

ただ、僕に背を向けて逃げ出したのだ。


「……え」


僕はその背中をただ見送った。

どうしてここに棲姫がいたのか。どうやってここまで来たのか。

そもそもあれは棲姫だったのか。

疑問は際限なく沸きあがったが、それ以上にある一つのことが僕の興味を惹いていた。

異形が逃げ出す瞬間に見えた、歪んだ頭部と胴体をつなぐ部位から提げた装飾品。

それが、如月ちゃんがつけていたロケットペンダントと酷似していたからだ。


「……まさか」


海の上に立つものは艦娘と深海棲艦の他にもうひとつ存在する。

艦娘にも深海棲艦にも属さない、似て非なるもの。

キサラギに居たころ、ある人は『モドキ』と呼んだ。

ある人は『ナリソコナイ』と呼んだ。



そうであるならば、なんて神様は残酷なんだろう。

どうしてこんなにも無慈悲なのだろう。


「弥生、ちゃん……?」


僕は神様の残酷さを、知らず、呟いていた。


続く。

----------

――これは、なんだ?こんな、こんなことが……。


詰まらないかネ?君には刺激が足りなかったかナ?


―― ……。


何故そんな顔をするんだイ?喜々として人を殺した君には打って付けじゃないカ。


―― こんなこと、許されるはずが……。


……ふぅ。あまり君は人の話を聞かないようダ。許されているヨ。国からのお墨付きダ。


―― ……何故、ですか。


人権どうのこうの言っている余裕が無いんだヨ。この国には。まぁ当然かもしれないネ。国がこれから存亡するかしないかなのだからネ。


―― それと目の前の光景に何の関係が!?こんなことして何になると!?


新人類の作成だヨ。


―― 新、人類?


人より生み出されし、人を超えた存在だヨ。

弾丸をその身に受けても立ち上がり、自らその傷を癒し、与えられた環境に即座に適用すル。

人以上の能力を有する、人よりも大きく進化した存在。

深海棲艦に対抗する唯一の手段。


―― それが。


そう。それが新人類ダ。



私たちは『艦娘』と呼んでいるがネ。


-------------


暁の空に紫煙が揺らめく。

それをぼんやりと見つめながら、僕は漂う煙を吸い込むように空気を吸い込んだ。

肺に煙草の重い煙と、朝の冷たい空気が染み込んで行く。

何本も吸っていることもあってか、煙が美味く感じることはなかった。

結局それからあの異形は現れることは無く、海は沈黙を保ったままだった。

報告は誰にもしていない。

本来なら、鎮守府のすぐ傍に敵対勢力と思われる存在を発見した時点で、即刻報告しなければならない。

だというのに僕は報告を出来ずにいた。

それはある一つの可能性が、僕の頭を擡げていたからだ。

一つの可能性。

それは目の前に現れた異形が、『弥生ちゃん』であるかもしれないということ。

そう思うに至ったのは異形の胸で光っていた、あのロケットペンダントだ。

確かにあれは如月ちゃんが持っていたものと酷似していた。

如月ちゃんが言うには、あれは提督が部隊の子に女の子なんだからと渡したものだという。

だけど、だからといって本当にあの異形が身に着けていたものがそうなのだとは限らない。

弥生ちゃんが撃沈して手放したものを偶々あの異形が見つけ、身に着けただけなのかもしれない。



「……だけど」


人の文化に大きく離れているであろうモノが、そんなものを身に着けるだろうか。

人間の蹂躙を目的とする深海棲艦が、身に着けるだろうか。

装飾なんて、人間の文化に触れて、理解できるものだけがする事だ。

あの異形が深海棲艦だとするならば、身に着けることなどしないだろう。

そうであるならば、あの異形は。


「……早計だな」


そうだ。早計なのだ。

いくら如月ちゃんのものと酷似しているものを持っているとしても、それが弥生ちゃんだとは限らない。

あの異形が『モドキ』だと決まったわけでもない。

ペンダントだって、本当に偶々身につけただけかもしれない。

提督が配ったものとも限らない。

何一つ、確証なんて得られていないんだ。

はっきりと判る事なんて、一つも無い。


だけど、あの異形を見たときから僕の直感は叫び続けている。

あの異形が、弥生ちゃんなのだと。

僕の直感はよく当たる。

その結果が悪ければ悪い程に。

気づくと咥えていた煙草の火は口元まで迫ってきていた。

煙草を腰掛けていた岩に擦り付け、火をもみ消す。

叫び続ける直感も、こんな風にもみ消せればいいのに。


「番頭さん?」


そこで不意に後ろから声を掛けられた。

驚いて振り返ってみると、瑞鳳さんが不思議そうな顔で立っていた。

だけどその表情も僕の顔を見るや否や、不安げなものに変わっていく。

まずいな。嫌な感情が顔に出ていたみたいだ。


「おはよう。瑞鳳さん」


妙な勘繰りをされたくなくて、明るく笑ってみせる。

だけど瑞鳳さんの表情は晴れないままだ。


瑞鳳「……どうしたの?」

「どうもしないよ。ただ朝の空気を吸ってただけ。それより瑞鳳さんこそこんなに早くどうしたの?」


僕の質問の途端、何故かいきなり瑞鳳さんはそわそわし始めた。

え?なんかまずい質問だった?


瑞鳳「……えっと、その……昨日から、弥生ちゃん、遠征行ってるでしょ?だから、その……お迎え?」


言われてみれば昨日の朝から弥生ちゃんの姿が見えなかった。

偶々顔を合わせなかっただけだと思ってたけど、遠征行ってたのか。そりゃ姿も見えないわけだ。

ところで何で瑞鳳さんはそわそわしてるんだろうか?それに迎えって言ってもちょっと早い気がする。


「何かあったの?」

瑞鳳「にゃっ、……何かって?」


あ、噛んだ。

まぁそれは置いといて……。


「あ、いや、迎えにしては早いからなにかあったのかと思って」

瑞鳳「え、そ、そんなに早かった?」


あせった様子できょろきょろと見渡す。

その様子を見ると、意図して早く来たわけじゃないみたいだ。


瑞鳳「ご、ごめん。早く来すぎちゃった」


申し訳なさそうに瑞鳳さんは瞳を伏せる。

別に僕はいいんだけどね。眠れなくて時間を持て余してたし。

「いいよ。大丈夫」

瑞鳳「でも……」

「それより瑞鳳さんは?」

瑞鳳「え、わ、私?」

「昨日遅くまで付き合ってもらったから、あんまり寝れてないんじゃないかと思って」


そう言うと瑞鳳さんは少しだけ呆けた表情をしたあと、顔を伏せた。

まだ空が白んできたばかりなこともあって、彼女の表情を伺うことが出来ない。


瑞鳳「……しいのよ……」


そしてぽそっと何かを呟く。

声が小さすぎて少ししか聞き取ることが出来なかった。

……しいのよ?

まさか『うっとうしいのよ』のしいのよ?

黒歴史を作りすぎた反動かな?

……でも本当にそうかもしれない。昨日から少し踏み込んだ事を言い過ぎている気がする。

恥ずかしい台詞とも言うけど。

知らないうちに不快にさせていたのかもしれない。

……まぁいいか。このほうがいいんだから。


瑞鳳「わっ!」


瑞鳳さんの心情をなんとなくに想像していると、急に瑞鳳さんが大きな声を出した。ちょっとびっくりしたのは内緒です。

瑞鳳さんも思った以上の声が出て驚いたのか、ますます顔を深く伏せさせた。


瑞鳳「……私は、大丈夫」


そして、少しの間のあと小さく呟いた。

無理して答えなくてもいいのに。


「そっか。でも、無理、しないでね」

瑞鳳「無理なんか、してない……」


多分これ、僕も、私も、見たいな堂々巡りパターンになるやつだな。

そうなるのも面倒だし聞かなかったことにしておこう。


「そうだ。悪いけど、少し待ってて。まだシャワー浴びてないんだ」

瑞鳳「え?」

「すぐ上がる」


流石に体を洗わないまま工廠には行けないし、汚れた体で瑞鳳さんと一緒に歩くのは申し訳なくて気が引ける。

待っててもらう場所は……部屋しかないか。近しくも無い男の体を洗う音を聞かせるのは忍びないけど、外に立たせておくよりはマシか。


「部屋で適当に待ってて」

瑞鳳「あ、え、ちょ、ちょっと待っ」


瑞鳳さんが何か言ってたけど、それを聞かずに住処に戻る。

多分外で待ってるとか言ってずっと立たせて置くことになっちゃいそうだし。


・・・


瑞鳳「……」


……気まずい。

急いで風呂から上がって用意して出発したのは良いものの、あれから瑞鳳さんは何もしゃべらない。

そんなに僕のサービスシーン(入浴)が嫌だったんだろうか。

あ、サービスシーンじゃないですね。罰ゲームですね。そりゃ嫌だわ。


瑞鳳「……あの、さ」


どうしたもんかと首に手を当てて考えていると、瑞鳳さんがポツリと言葉をこぼした。


「うん?」

瑞鳳「……どうして、あんな顔してたの?」


生まれつきです。なんておふざけは置いておいて。

瑞鳳さんの言う、あんな顔、っていうのは、多分今日最初に顔を合わせたときのことだろう。

気に掛けさせてしまっていたみたいだ。


僕が感情を発露させた理由。

それを彼女に言ってしまっても良いんだろうか。

それは異形の存在を、『モドキ』の存在を彼女に明かすということだ。

異形が存在すると明かした時点でその正体が何であれ、瑞鳳さんは皆に報告し、探索、もしくは最悪掃討作戦が始まるだろう。

味方ではない何かが、この鎮守府領海に侵入してきたのだから。

あの異形が深海棲艦ならば何も問題はない。

でも、もし僕の直感が叫んでいるとおり、あの異形が『弥生ちゃん』なら?

もし、後者であるならば、それはかつての味方をその手で沈めるということ。つまりは仲間殺しをするということだ。

そんな……そんな惨いことをさせていいはずが無い。

それを防ぐためにあの異形が『モドキ』かもしれないといって良いのか?

瑞鳳さんは『モドキ』の存在を知っているのか?

そしてそれが生まれる理由も。

知っているなら問題は無い。

でもそれらを知らないとしたら?

彼女も、彼女たちもああなってしまう可能性を示唆するということだ。

艦娘とかけ離れた異形の姿になってしまうかもしれないということを。

それが彼女たちに何らかの影響も与えないと言い切れるか?


そして『モドキ』の事を伝えるということは、あれが『モドキ』だと推測した理由も伝えなければならない。

それは今の弥生ちゃんが昔の弥生ちゃんとは別の存在だという事実を突きつけるということだ。

そうなれば今の弥生ちゃんはどうなる?

ただでさえ昔の弥生ちゃんとは違うと言われて孤立しているのに、その事実を突きつければ、今の弥生ちゃんは完全に孤立してしまうだろう。

完全に別の存在なのだから。

そしてそのことは自分と姿かたちがまったく同じなものが存在するということを教えてしまうようなものだ。

それを彼女たちは知っているのか?

知らないのならば、それに彼女たちは耐えられるのか?

自分と同じ存在がほかに存在しているという事に。

僕なら耐えられない。まったく同じ存在がこの世に存在しているということに。

そして自分は何なのかと苦しむだろう。

そんなことを突然突きつけて良いのか?受け止められるか?


瑞鳳「……番頭さん?」


長いこと考え込んでいたらしい。

瑞鳳さんがまた、心配げな表情で僕の顔を覗き込んでいる。

……探り、入れるか。



「……瑞鳳さん」

瑞鳳「……何?」

「もしも、自分とまったく同じ存在が、この世に沢山いるとしたらどう思う?」


そんな突然の僕の質問に瑞鳳さんはぽかんとした表情を浮かべたあと、くすくすと笑みをこぼした。


瑞鳳「なんだか怖い顔してたと思ったら、そんなこと考えてたの?」

「……まぁ、うん。そうだね」


また瑞鳳さんはくすくす笑う。でもその笑みには冷たい感情の色はない。

……いや、まぁそれはいいんだけど。

十分に笑ったあと、瑞鳳さんはすっと目を細め、物憂げにどこか遠くに視線を飛ばした。


瑞鳳「……怖い、かな」


そしてポツリ、と小さく呟く。

その言葉で、彼女が自分という存在は自分だけだと思っていることに気づいた。

気づいてしまった。



瑞鳳「だって、自分と同じ顔が沢山あるなんて信じられないもん」

「……そう、だね」

瑞鳳「どうしてこんなこと聞いたの?」

「……どうして、だろうね」

瑞鳳「ふふっ。なにそれ」


瑞鳳さんは朗らかに笑ってみせる。

それにつられるように見せかけて僕も笑った。

とても笑える心境じゃないのに。


本当に、笑えない。

続く。
次回更新は多分早め


さて、どうしたものか。

探りからして瑞鳳さんは艦娘の『事実』についてよく知らないようだ。

そしてそれについても怖い、とも。

であるならば伝えてしまうのは酷だ。当然それに伴って、僕のあの異形についての推測を伝えるわけにはいかない。

それなら、あの異形を深海棲艦だとして報告するしかない。

だけど、そうしてしまうならあの異形は深海棲艦として排除されるしかなくなってしまう。

本来ならばそれが正解なんだろう。

未知という脅威を排除することに関しても、事実を隠すことに関しても。

そもそもあれが弥生ちゃんだと決まったわけではないのだから。

それにもしあの異形が弥生ちゃんだったとしても、彼女たちは仲間殺しという事実を知らずに終わる。

彼女たちの心の平穏は保たれるのだ。

でもそれでいいのか。

自分たちの為だといって、見たくない可能性から目を瞑って楽な道に進んでしまっていいのか。

もし、あの異形が弥生ちゃんだったとしたら、仲間に銃を向けさせていいのか。

撃沈という苦痛の上に、更なる苦痛を与えていいのか。

艦隊のための犠牲を年端もいかぬ少女に強いていいのか。

……結論は、まだ早い。

まだ何もわかっていないんだ。あの異形が敵かそうでないのかさえ。

でも猶予はないだろう。あれが敵で、損害を被ってからでは遅すぎる。

ならば、時間を作ろう。作ってもらおう。

この鎮守府の最高責任者に。


瑞鳳「……さっきから本当にどうしたの?」


思考の海から立ち返ったと同時にまた瑞鳳さんが顔を覗き込んできた。

それにまた笑ってみせる。


「少し考え事」

瑞鳳「……考え事って?」

「さっきの考えの続き」


当然話すわけにもいかないので、適当にはぐらかす。


瑞鳳「……本当に?」


ここで会話は終わりと思っていたのに、瑞鳳さんは引き下がらなかった。

今までならここで引いてくれたのに、どうしたんだろうか。


「うん。……ちょっと恥ずかしいけど、僕って偶にさっきみたいなこと考えたりするんだ。だから、大丈夫だよ」


照れたように笑って見せて、言葉に真実味を持たせる。

これで大丈夫だろう。


瑞鳳「……そっか」


首をうなずかせた割には、瑞鳳さんは納得の行っていない表情をしていた。

だからといって釈明するのも変だし、何も言わないことにする。

……次からは他の手段を考えないとだめかな。

さて、それじゃあ最高責任者のところに向かうとするか。


「瑞鳳さん」

瑞鳳「……うん?何?」

「今日はちょっと最初に司令室に行きたいんだ」

-------


司令室に行きたいと言った時に瑞鳳さんは訝しんだようだけど、適当に入渠装置の整備についての打ち合わせをしたいと誤魔化した。

そして今は僕たちは司令棟の扉の前にいる。


鳳翔「おはようございます。お二人とも」


声を掛けて司令棟の中に入ると、奥から鳳翔さんが小走りしてきて、挨拶をしてくれた。

それにあわせて僕と瑞鳳さんも頭を下げる。


瑞鳳「おはようございます、鳳翔さん。朝早くにすみません」


言おうと思っていたこと先に言われてしまった。

だからと言って何もしないわけにいかないし、僕もすみませんと続く。


鳳翔「いいのよ。ちょうどあの人……じゃなくて、提督の洗濯が終わったところだったから」


提督の服の洗濯までしてるのか……。鳳翔さんマジお母さん。


鳳翔「それよりどうしたの?提督にご用事?」


僕の方を向いて鳳翔さんは小首をかしげた。


「はい。少し提督殿にお話がありまして」

鳳翔「そうですか。では案内しますので、付いてきてください」


そう言って鳳翔さんは奥のほうへと歩き始めた。

それに伴うようにして靴を脱いで玄関に上がった。

ちらりと瑞鳳さんの様子を伺う。当然だけど、彼女も付いてくるようだった。

これからする話は瑞鳳さんに聞かせたくない。というか聞かせられない。

「瑞鳳さん」

瑞鳳「うん?どうしたの?」

「少し時間がかかると思うから、瑞鳳さんは応接室で休んでて」

瑞鳳「少し、でしょ?それくらいなら大丈夫だよ」

「多分立って話すことになると思うし、それに朝遠い距離歩いてきてくれたんだから、悪いよ」

瑞鳳「大丈夫だってば。昨日も言ったけど私、艦娘なんだからそれくらいなんともないよ」

「……昨日も言ったけど、艦娘とか関係ないよ。瑞鳳さんは女の子なんだから」


そう言うと、瑞鳳さんは目を丸くしたあと、僕から顔を逸らした。

若干顔が赤い気がする。あ、また恥ずかしいこと言いましたね。すみません。


瑞鳳「……いいじゃない。それに、番頭さんがどんな事するのか、気に、なるし……」


拗ねた様に瑞鳳さんは小さく呟いた。

勘違いしそうになるからやめてくださいよ。ほんとに。


鳳翔「瑞鳳ちゃん」


どうしたもんかと首を当てて考えていると、横から鳳翔さんが声を掛けてきた。


鳳翔「これからごはんの準備するの。よかったら手伝ってくれない?」


そう言って鳳翔さんはちらりと僕に目配せする。

おそらく、僕たちの言い合いを見かねてくれたのか、助け舟をだしてくれたようだ。



鳳翔「今日は長期遠征の子達が帰ってくるから、沢山作らなきゃいけないの。手伝ってくれたら助かるんだけど……」

瑞鳳「あ、は、はい。大丈夫、です」


そう言いながらも瑞鳳さんは名残惜しげに僕に視線を送ってくる。

気づかないふり気づかないふり……。


鳳翔「ありがとう、助かるわ。それじゃあちょっと応接室で待ってて。番頭さんを送ったらすぐ戻るから」

瑞鳳「……わかりました」

鳳翔「それじゃあ番頭さん、行きましょうか」


鳳翔さんはそう言って微笑むと、奥のほうへと歩き出した。

ありがとうございます。鳳翔さん。


「それじゃあ、また」


瑞鳳さんに別れを告げて、僕も鳳翔さんに続く。

ごめんね。


瑞鳳「うん、また……」


背中から聞こえる声は、なぜか寂しげだった。

・・・・・・


「ありがとうございます」


提督の元への道の途中、鳳翔さんに声を掛ける。

それに鳳翔さんは小さく微笑んだ。


鳳翔「ふふ、私は瑞鳳さんに手伝って、と言っただけですよ」

「……そうですね」


何もしていない、という風な態度に鳳翔さんの気遣いが感じられる。

本当に出来た人だ。


鳳翔「聞かれたくない話、なんですね。多分、私にも」


鳳翔さんの人間性に感心していたところで、不意に図星を突かれた。

思わず心臓が跳ねる。……あのやり取りでそこまで察したのか。

多分、嘘を言っても通用しないだろう。というよりもここまでしてくれて嘘を吐くのは失礼だな。


「はい。……申し訳あませんが、今は」


鳳翔さんはそれにゆっくりと首を振る。


鳳翔「いいんですよ。それより後で瑞鳳ちゃんのフォロー、お願いしますね」

「……はい」


フォローと言っても何をしたらいいのか解らないけど……。

ここまでしてくれた鳳翔さんに言われたらやるしかないな。


鳳翔「さ、つきましたよ」


そうは言うものの、案内された先は司令室ではなくて、畳張りの居間だった。

どうしてここに、と頭をひねっていると鳳翔さんはそのまま居間を通り過ぎ、居間に隣接する縁側へと歩いていった。

鳳翔さんの歩いていく先を見ると、提督が庭で竹刀を振っていた。

竹刀を振る姿勢にブレはない。太刀筋も鋭く、美しいといってもいいほどだった。

一目でその力量が凄まじいものだと解る。


鳳翔「提督、番頭さんがお見えです」


鳳翔さんの声に提督は竹刀を置くと、鳳翔さんにその顔を向けた。


提督「番頭が?どうした」

鳳翔「提督にお話があるそうです」

提督「……そうか」


提督の視線が僕に向く。

それに合わせて敬礼の態度を取った。


「おはようございます。提督殿。朝早くに申し訳ありません」

提督「いい。敬礼もやめろ。堅苦しい。座れ」


鳳翔さんがいつの間にか渡していたタオルで汗を拭きながら、提督は居間へと上がってきた。そしてそのまま居間の座布団の上に腰掛けた。

僕も提督の言葉に甘えて、畳の上に正座をする。


提督「それよりどうした」


さぁ、一戦の始まりだ。

鳳翔さんはいつの間にか居なくなっていて、存分に話すことができる。

……これで負ければ、時間は作ってもらえない。

出来るだけいい可能性を僕は選びたい。

そのためにも、負けられない。


「報告があります」

提督「報告?」

「本日未明、自宅付近で『モドキ』と思われる未確認体、一を発見いたしました」


提督の瞳が途端に鋭くなった。表情に怒りの炎が灯る。

だが、それに怯んでいられない。


提督「何故今になって報告した」

「奴を私が『モドキ』と推測したためです」

提督「だからといって報告が遅れたのを許されると思うか」

「それは私の不手際でした。申し訳ありません」


自分の前に手を着き、深々と頭を下げる。

いわゆる土下座という体制だ。


提督「もういい。下がれ」


そう言って提督は荒々しく立ち上がろうとした。

だけど、そうさせるわけには行かない。


「お待ちください」

提督「何を待てと言うつもりだ」

「その未確認体の撃滅命令です」

提督「待つ理由があると思うか?下がれ」


僕の言葉を無視して提督は歩き出そうとする。

ここまでは想定済み……だけどこの先はわからない。提督の人情にかかっている。

ここからが勝負だ。


「弥生殿を殺すおつもりですか」

提督「……何……?」


改めて提督の顔に視線を向ける。

提督は表面には出さないものの、瞳の奥の怒りの炎は荒れ狂っていた。


「弥生殿を殺すつもりですか、と言いました」


だけどそれに怯むことなく、もう一度言い放つ。

提督は立ち上がったまま、僕を見下ろし続ける。


提督「何故『弥生』と言った」

「昨日、如月殿より部隊の皆様に提督殿は装飾品をお送りになったを拝聴しました。それと酷似したものを身に着けていたためです」


若干だが、提督の瞳が揺れた。

思い当たる節があるんだろう。


提督「……そいつはどうした」

「私の姿を確認したと思われた後、逃亡いたしました。まるで、私を……いえ、私の視線を恐れるように」


提督の怒りの炎が少しだが収まってきたように思える。代わりに他の感情が混じってきた。

ここがチャンスだろう。


「奴は人間の姿をしていました。顔はひどく変形して人の顔とは言えませんでしたが……。人の形を取っているのならば棲姫でありましょう。棲姫ともあろうものが人間ごときの視線に恐れるはずがありません」

「そして奴は一体でした。一体で奇襲を仕掛けるのは異常ですし、偵察にしても一体でくるのは異常です。さらには偵察如きで棲姫が動くでしょうか」

「そして棲姫であるならば高い知性を持っているはずです。万が一偵察で来たとして目撃者を野放しにしておくでしょうか」
 
「そして今に至っても攻撃は開始されていません。それらを含めて私が奴を『モドキ』……いえ、『弥生殿』と推測した理由でもあります」


僕の畳み掛けの間、提督はじっと耳を傾けていた。

やがて話終えると、提督は真直ぐに僕の瞳を視線で射抜いてきた。


提督「……それで終わりか」

「はい。以上です」

提督「確かに、その話を聞けばその未確認体が敵とは考えにくい」


光明が見えた。提督は落ち着きを取り戻しつつある。このまま押し切れるか。



提督「だが、それはお前の推測に過ぎない。部隊の長として、推測と言うもので皆を危険に晒す訳にはいかないんだ」

「だから、不確定事項は取り除くと」

提督「ああ、そうだ」


やっぱり一筋縄ではいかないか。あまりやりたくないんだけど……一か八かだ。


「それは、本当に皆の為ですか」

提督「……何……?」


再び提督の瞳に怒りの炎が灯る。


「提督、貴方は事実を知られたくないだけではないのですか。知られて、今の信頼を失いたくないから言っているのではありませんか」

提督「……貴様……」


怒りを通り越して、殺意に代わった。

背筋が凍り、肌が泡立つ。だけど怯めない。怯むわけには行かない。


提督「奴が『モドキ』かもしれないという希望に縋り、結果違ったらどうする?お前の判断で仲間がが沈んだらどうする?どう責任を取るというんだ!?」

「首でもなんでも撥ねてください。十分に苦しめて殺してくれたって構いません」

提督「貴様の命一つで足りると思うのか!」

「……だからと言って、僕は可能性を捨てたくない。あの子達に仲間殺しをさせたくない!」

提督「そんな理想論が通じると思うのか!!」

「可能性はゼロじゃないんです!夢を語っているわけじゃない!救いたいんですよ!彼女を!弥生ちゃんを!……あなただって、そうじゃないんですか!」

僕の言葉に提督の目が泳ぐ。

途中で興奮しすぎてしまって僕も何を言ったか半分覚えていない。

でも事態は好転してきているみたいだ。


「……僕の挑発に怒ったのが証拠じゃないですか。貴方は自分の為に動く人じゃない。人の為に動く人だ」

提督「だからこそ、俺は……」

「……チャンスを下さい。奴が弥生ちゃんかどうか確かめさせてください」

提督「……確かめたところで、どうする。『モドキ』から戻せるのか」

「僕……私には出来ません。キサラギの力を借ります」

提督「キサラギ……そうか」

「はい。癪ではありますが……」

提督「戻したところで、どうするんだ?ここにはもう弥生がいる。戻すことはできないぞ」

「鎮守府は一つではありません。弥生ち、殿のいないところに行って頂きましょう。身勝手、極まりないですが……」

提督「……ああ。そうだな」

「……では」

提督「……ああ。許可……いいや。依頼しよう。未確認体の調査、頼まれて欲しい」

「ありがとうございます。提督」

提督「ああ。……責任は俺が取る。好きにやれ」

「ですが……」

提督「元々、こうなった原因は俺にある。弥生を帰らせられず、代わりを用意した俺の、な……」

「……何故、貴方は弥生殿を?」

提督「……悲しんでいる皆を見たくなかった。それだけだ……。元通りになんぞならなかったがな。はっ、誰よりもあいつの死を受け入れられなかったのは俺だったって訳だ」


そう言って提督は自嘲的に笑った。

僕が提督の立場だったらどうしただろう。

悲しみに暮れる皆を前にしてどう思っただろう。

解決する手段があるとしたなら、どうしただろう。

死んだ家族を、友達を前にして、戻ってきてくれたらと何度も思った。

そう叫んでいる人々を何人も見てきた。

今でも、戻ってきてくれるなら、僕は……。


提督「番頭。何故、お前はそこまで必死になれる?弥生もお前にとっては赤の他人のようなものだろう」

「……そうですね。確かに」

提督「ならば何故だ?」



赤の他人の弥生ちゃんを救いたいと思う理由。

それと艦娘の整備をやっている理由はほとんど同じだと思う。



「償いと約束、です」



理由を付けて犯した罪への償い。

そして『彼女』との約束。

そのために、僕は動いている。

そのために、僕は生きている。

続く。


腕を前に組み、提督はそうか、と頷き、何かを考えるように目を瞑った。

償いと約束、という言葉が出た理由を聞いてこないという事はある程度、もしくは殆どその理由を把握しているのかも知れない。

逃げられると思うな、と言っていたくらいだ。把握、そして理解していてもおかしくないだろう。

では提督は何を考えているんだろうか。僕の言葉の真意について考えているのか。

そして十分に考えた素振を見せた後、提督は重々しく口を開いた。


提督「俺とお前は他人だ。本来なら口出しすべきじゃないんだろう。まして故人と思っていた奴に固執していた俺には」


提督の視線が僕の瞳を射抜く。


提督「生きる理由としては良いだろう。償いも、約束も、立派な生きる理由だ」


  「だが、他人への行動の理由としては……不適だ」


何故。そんな言葉が僕の頭を巡る。

償いは、人の為に行うことだ。

約束もそうだ。他人の為に果たす事柄だ。

だというのに提督がそんなことを言い出す理由が、本当に解らなかった。

「……何故、ですか」

提督「それは俺が言っても意味がない。というよりもお前自身がそれに気づかなくては、理解してなくては意味がない」


そう言われては、僕はもう何も言えなかった。

重ねて問いかけても、提督はきっと答えてくれないだろう。

……そういうことにして置きたい。その理由を聞くのが何故か嫌だった。


提督「まぁいい、この話は終わりだ。それよりもこれからの事だ。番頭、お前はこれから調査をどうするつもりだ?」


その言葉に、内心ほっとした。

今更何を言われてもどうしようないのに、何を恐れているんだろうか、僕は……。

……それより今は『弥生ちゃん』の調査をどうするかだな。


「そのことで、提督にお聞きしたいことがあります。……艦娘達は『モドキ』のことについて知っているのでしょうか」

提督「いや、知っている者はいないだろう。ここに来る前に話を聞いているなら別だが。そこはお前の方が詳しいんじゃないか?」

「艦娘の教育について私は関与していなかったので、詳しくは……」

提督「ならば、知らないと前提して進めたほうが良いだろう。……奴を『モドキ』として艦娘による捕縛をするつもりか」


今の質問ひとつで僕のやろうとしたことを見抜いたようだ。

やはりこの男は切れる。


「ですが、知らないとなればこの作戦は実行できませんね」

提督「ああ。知らないならな」


知らない、という言葉をわざとらしく強調して提督は言った。

まさか、と提督の顔を見る。

僕の視線に提督はにやりと笑った。……教えるつもりか。


「艦娘たちにお教えになるつもりですか」

提督「ああ」

「……それは問題では?『モドキ』を教えてしまえば自分たち『モドキ』のような姿になってしまう事を彼女たちに示唆することになってしまいます。それをショックに受ける可能性も……」

提督「そうだな。その姿から治せないのであれば問題だろう。……だが、今はお前がいる」
  

そうか。『モドキ』の姿になってしまうことは問題だが、今は戻す手立てがある。あまり取りたくない手ではあるが……もしそうなっても戻れるとなれば、いらぬ恐怖を抱くことは無くなる。

知らないうちにピンと来た顔をしていたらしい。そんな僕の顔を見て提督は笑みを深めた。



提督「お前という存在は『モドキ』の姿になっても戻ることができるという希望になる。そして同時にこの鎮守府はそんな希望を与えることが出来るという物となる。それがどういう意味を持つか解るか?」


元に戻ることが出来るという安心感、そしてそれを与えてくれる鎮守府。

そこから与えられる意味は。


「……士気の向上、でしょうか」


僕の答えに提督は満足げに頷いた。


提督「そうだ。この鎮守府はどんな姿になったとしても自分たちを見捨てない。助けてくれる。という信頼が出来る。そして信頼は士気へと繋がる」

「デメリットだけではない、ということですね」

提督「むしろメリットしかない、といっても良いだろう」


成る程。確かにデメリットはひとつも無い。

デメリットをメリットに変える。この力が艦娘たちからの信頼を得ている一因なんだろう。


「それでは皆に『モドキ』について伝える、と」

提督「ああ。ちょうど朝礼もある。その時に俺が伝える」

「提督殿が……ですか?一任された私が説明するべきでは?余計な手間をかけさせてしまうわけには……」

提督「いい。これも一つの責任の取り方だ。それにお前も解っていると思うが繊細な問題だ。これは俺が言うべきことだろう」

口下手な僕だ。確かに上手く説明できる自身は無い。でも僕が言いだしっぺなのそれでいいんだろうか。

そんな僕の内心を見抜いたのか、提督はまた僕に笑みを向けてきた。


提督「ちゃんとお前にも手伝ってもらう。頼んだぞ。番頭」

「……はっ」

提督「さて、方向性は話がついたな。次は飯の時間まで捕縛作戦について打ち合わせするぞ」


……僕が勝手に言い出したことなのに、どうしてここまでやってくれるんだろうか。

理由はどうあれ、礼ぐらいは言っておかないとな。


「はっ。……提督、ありがとうございます」


僕の礼に提督は驚いたのか目を丸くしている。


提督「どうした。急に」

「いえ。調査を許可していただいた上に、それ以上のことまでやって頂いていますから、せめてお礼をと」

提督「気にするな。部下の面倒を見る。それが上司だ」

「……ありがとうございます」


それから僕たちは捕縛作戦の詳細について話し合った。

結果として、艦娘たちには不明体の調査および捕縛を作戦の目的と言う名目で伝えることとした。

内容は発砲は不明体が敵対行動を見せるまで無し。

可能であればコミュニケーションをとり、その上で基地に連行させること。

不可能であれば、拘束し、その上で基地に連行。

部隊は棲姫の可能性も考慮して5人での行動を基本とする。

この四つを基本として、基地周辺を哨戒してもらうことになった。

話し合いは提督が進めてくれたこともあり、すぐに終えることが出来た。

この作戦であるならばあの不明体が『弥生ちゃん』であれば、鎮守府へとスムーズに連れて行くことが出来る。

深海棲艦であるなら、5人チームの一斉放火で沈めることが出来る。

これで問題はないはず。

だが、提督との打ち合わせの際に、以前聞いた『モドキ』についてのことを思い出していた。

『モドキ』には個体差があるようだが『モドキ』になってからの時間が長ければ長いほど、その体に何らかの支障をきたすという。

それは身体的なものに留まらず、精神的なものにも及ぶ、とか。

それがどんなものか解らないが、そのことがわずかに僕の心に引っかかっていた。

何も無ければいい。そう願わずにはいられないほどに。

ちょっと短いけど、今日はここまで
続く。


提督「こんなところか。他に何かあるか」


作戦についてはこれ以上はない。

ただ『モドキ』については引っかかっていることがまだある。……一応伝えておこうか。


「作戦についてはこれ以上はありません。ただ、一つ気がかりなことが」

提督「なんだ」

「『モドキ』なのですが、身体的な変化に加え、精神的な変調も起こすことがあるという事を以前施設にいる時に聞きました。それがどんなものかは解りませんが……」」


僕の言葉にそうか、と頷くと提督は何かを考えるように腕を組んだ。

恐らく精神的な変調について考えているんだろう。そしてその最悪の結果も。


提督「……捕縛部隊には十分注意するように伝えておこう。ただ『モドキ』が精神的な変調を来す、とは伝えられんな。そこは伏せておく」


確かに万が一自分が成ってしまう可能性があるものに、自分がおかしくなるかも知れないなんて伝えられない。

伝えたところで悪戯に不安を煽るだけだ。

提督の言うとおりその事を伏せて、不明体の動向に注意をさせるしかないか。

提督「他にもあるか」

「いえ、以上です」


そうかと提督が言うと、ふ、と部屋を覆っていた張り詰めた空気が霧散した。

開け放たれていた障子の外から、小鳥の囀りが聞こえてくる。

ずっと聞こえていたのだろうけど、それに気づかないほど僕は緊張していたのか、それとも提督の発する空気が凄まじかったのか。


提督「それじゃあ飯だな。着替えるから少し待っていろ」


そう言って提督は和室を出て行った。


「……はぁ」


重い空気にようやく開放されたことに思わずため息が漏れる。

そこで正座で足が痺れていることに気づいた。こんなことにも気づかないくらいに緊張していたらしい。


「……やっぱこういうのは苦手だ」


足を崩して弱音を吐く。できればもう二度とやりたくない。

でもそのお陰で選べる選択肢が増えた。それも皆の安全を守った上で、弥生ちゃんを救うことが出来るかもしれないより良い選択肢を。

十分やった甲斐はあっただろう。

後はそれを選びとれればいい。……引っかかりは残るが。

今後の事に思いを馳せていると、部屋の外から提督の声が掛かった。着替えが終わったらしい。

その声に小さくため息をついて、僕は痺れた膝をゆっくりと立たせた。

ーーーーーーーー


「ばんとうさーん!」


朝食を取る為に着替えた提督と外に出ると、遠くから声が掛かった。

声の掛かってきた方を見ると、卯月ちゃんが手を振りながらこっちへ走ってきていて、その後ろに文月ちゃんが必死に付いて来ていた。

ちなみに艦装を付けたまま走っているのでガシャガシャうるさい。

そんなにぱたぱた走ってるとスカートの中身が見えちゃいますよ。……あ、見えた。

そんな二人の姿を提督は微笑みながら見つめていた。娘が走りよってくるようで可愛らしく感じているのだろうか。


提督「見えたな」


と思ったけどそんなことはなかった。

あんた何見てるんですか。いや僕も見たけどさ。

提督に心の中で突っ込んでいるうちに、卯月ちゃんたちがすぐ近くまで駆け寄ってきていた。

というかなんであんなに嬉しそうなんだろうか。なにかあっt


「ほぐぅぁ!!」

文月「う、うーちゃんっ!?」


理由を考え付かないうちに突然腹に強い衝撃が走り、僕は仰向けに倒された。

それもその筈、走ってきた卯月ちゃんが僕にいきなりタックル……もとい抱きついてきたからだ。……いやなんで?

地面に叩きつけられた衝撃やら卯月ちゃんの行動やらに目を白黒させていると、僕の体に覆いかぶさるようになっていた卯月ちゃんが顔上げ、満面の笑みを浮かべながら捲し立てた。


卯月「すごいぴょんばんとーさん!ばんとーさんがなおしてくれたかんそーがすごかったぴょん!狙ったらぎゅーんってなって、ばきゅーんってなって、そしたらまっすぐびゅーんってなって、どーんってなったぴょん!!だからうーちゃんたくさんのてきをどーんってできたぴょん!」


殆ど擬音語で何言ってるかいまいち解らなかったけど、要するに僕が直した艦装の調子が良くて、活躍できたってことらしい。

だからって腹に突っ込まなくてもいいでしょうに。ちょっと戻しそうになったやん。今も戻しそうだけど。


卯月「それでそれでね!ふみちゃんたちも守れてだから、えーっと!えーっと!」

「……お役に立てたようですね。良かったです。ですが、そろそろどいて下さると助かります」

卯月「あっ」


興奮して言葉を纏められない姿を微笑ましくは思うけど、そろそろどいて欲しい。

押し倒されてる姿を少し羨ましげな提督とおどおどする文月ちゃんに見られ続けるのはちょっと居た堪れない。

……それに発展途上の薄くて低いお山が当たっているのもなかなか落ち着かないし。

というか提督なに羨ましがってるんすか。


卯月「えへへ……ご、ごめんなさいぴょん。つい……」


申し訳なさそうに卯月ちゃんは頭を掻いた。

ころころと表情を変える卯月ちゃんがなんだか可愛らしく思えて、そしてこんなことで振り回されたことがなんだか可笑しくて思わず笑みがこぼれてしまう。


卯月「……ばんとーさん?」


起こっていると思った僕が突然笑ったのが不思議だったのか卯月ちゃんはきょとんとしていた。

それになんでもないと首をふる。


「気にしないでください。抱きついてきたことも、ね。さ、そろそろいいですか」

卯月「あ、は、はいぴょん!」


焦った様子で卯月ちゃんは僕から飛びのく。

ようやく重さと柔らかさから開放された。嬉しいような名残惜しいような。


文月「だ、大丈夫、ですか……?」


そこで文月ちゃんがおずおずと心配した様子で声を掛けてきた。

それに微笑んで頷いてみせて、ゆっくりと立ち上がる。

「はい。なんともありませんよ」

文月「そ、そっかぁ。よかったぁ」


心底安心したように文月ちゃんは息を吐いた。

……あんまりこの子と必要以上に関わりたくないんだよなぁ。嫌な予感がびんびん丸だから。


提督「……それで、二人ともどうした?報告か?」


羨ましげに見ていた提督が二人に笑顔で声を掛ける。

若干まだ羨ましさを引きずっているのか微妙に笑顔が引きつっている。いや怖いっすそれ。


卯月「あっ!そうぴょん!てーとくに報告にきたぴょん!」

提督「そうか。ご苦労さん。しかしその様子だと無事に終わったみたいだな」

卯月「はいぴょん!うーちゃんたちちゃーんとできました!はい!」


卯月ちゃんの元気のいい返事に提督はそうかそうか、とガハハと笑った。

提督の纏う空気は提督のそれではなく、年頃の娘を持つようなやさしい男のそれだった。

こうして見ると親父とその娘みたいだな。いい信頼関係を結べているみたいだ。

提督「よく出来たな。えらいぞ。卯月、文月」


そう言って提督は卯月ちゃんと文月ちゃんの頭を豪快に撫でた。

それに二人はそれぞれ嬉しそうに笑っている。

あ、と、撫でられているうちに思い出したのか、卯月ちゃんは声を上げた。それに提督は優しく首をかしげる。


提督「うん?どうした?」

卯月「そうぴょん!まだ報告があったぴょん!」

提督「そうなのか?」

卯月「はいぴょん!あのね、帰ってくるとちゅーにね」





「人の姿の敵を見つけたぴょん!」


その言葉に全身に嫌な予感が走った。

それも提督も同様だったのか、纏う空気を一変させていた。


卯月「……てーとく?」


卯月ちゃんと文月ちゃんもそれを感じ取ったのか、卯月ちゃんは不思議そうな表情を、文月ちゃんは怯えの表情を浮かべていた。

それに提督は優しい笑顔を作る。


提督「なんでもない。それよりその人型の敵はどうしたんだ?」

卯月「うんと……敵だと思って攻撃したぴょん」

提督「……倒せたのか?」

卯月「ううん。たまが無くなって逃がしちゃった。あてたのに……ぜったいたおしてやるって思ってうーちゃん追いかけたのに……絶対に……」


その時のことを思い出しているのか、卯月ちゃんの表情が大きく変わった。

その表情は敵を逃がしたことの悔しさでも、申し訳ないという沈んだ表情でもない。

彼女の浮かべた表情は、どうしようもないくらいに強い憎しみだった。



提督「それは気にするな。それより卯月たちが無事で良かった」

卯月「えへへ。ありがとぴょん、てーとく」


一転して可愛らしい笑みに変わる。

その可愛らしい笑顔の裏にどれだけの憎しみを秘めているのだろうか。

卯月「でも変な敵だったぴょん。うーちゃんたちに攻撃するかと思ったら、ただ近づいてきただけだったぴょん」

提督「なにもしなかったのか?」

卯月「うん。しかもうーちゃんが攻撃したらすぐににげちゃったぴょん」

提督「……そうか。そいつはどんな奴だった?」

卯月「うーんとね。人の形をしてるんだけど」


卯月「顔がつぶれてるよーなめちゃくちゃなやつだったぴょん!」


その言葉で確信した。

そいつは僕が昨日見た未確認体だ。

提督が僕のほうに視線をやってきた。それに小さく頷いて見せる。


提督「そうか。報告は以上か?」

卯月「はいぴょん!」

提督「わかった。二人とも、ご苦労さん。入渠してこい。疲れてるだろう」

卯月「はいぴょん!ふみちゃん、いこ?」


卯月ちゃんは文月ちゃんに一緒に行こうと手を伸ばす。

でも文月ちゃんはその手を取ることはなかった。

卯月「ふみちゃん?」

文月「えっと……あのぅ」


卯月ちゃんがどうしたのかと首をかしげているうちに、文月ちゃんはおずおずと口を開いた。


文月「てーとく、どうしてこわい顔したの?」


よく見ている。

ぼやっとしているだけの子かと思っていたけど、思った以上に勘の鋭い子なのかもしれない。


提督「なんでもない。それより早く行きなさい」

文月「……うん」


提督は笑顔を見せる。だが声音はとても笑顔のものでは無かった。

それに文月ちゃんは困惑しながらようやく卯月ちゃんの手を取った。

そして漸く二人は入渠場所へと駆けていった。

提督「……最悪だな」


その場に二人だけになると、提督ははき捨てるように呟いた。

発砲したとなると、不明体はこちらに警戒を示すようになるだろう。

それはコミュニケーションを取るにしても、捕縛をするにしても大きな障害になる。

そして何よりも。


提督「よりにもよって、卯月か」


もし、あの不明体が『モドキ』で『弥生ちゃん』だとしたならば。

一番仲の良かった友に、銃を向けられたことになる。


そして卯月ちゃんの証言によれば、不明体は卯月ちゃんに近づいてきたとのことだ。

それは一番仲の良かった友達に助けを求めた結果なのかもしれない。

だというのに、自分は銃を向けられた。

恐らく先ほど見せた、憎しみに染まる顔で。

それがどれだけ彼女を傷つかせたのか、想像出来ない。

想像なんか、したくない。

続く。
卯月、文月は司令官呼びなのに提督呼びしていることをお許しください。


現状、あの不明体の正体が判明していない以上、今回の結果をいくら憂いても仕方がない事ではある。

この結果がどう転ぶか不安ではあるけど。

でもそれ以上に今の僕には気になっていることがあった。


「……提督、ひとつお聞きしたいことが」

提督「どうした」

「卯月殿の先ほど見せた表情のことです」


卯月ちゃんが不明体の話をした時に、無邪気な彼女がどうしてあそこまで憎しみに顔を歪めたのか。

その理由が気になっていた。


提督「表情……ああ、そうか」


おそらく提督にも引っ掛かりがあったのだろう。

表情という言葉に合点がいったように頷いた。


提督「あいつは『弥生』が殺されたと思っている」


「弥生殿がいる、というのにですか」


ああ、と頷き。提督は言葉を続ける。


提督「あいつは今の弥生を『弥生』だと思っていはいない。……というよりも認められていない」


実際のところそうではないがな。と自責するように言葉を吐き出し、提督は遠くに視線を飛ばす。

提督の視線を追うと、その先には卯月ちゃんたちが掛けていく姿があった。


「今の弥生殿は『弥生殿』ではない、ですか」

提督「……聞いていたか。ならばそう思う経緯も聞いているか」


その質問にはい、と頷いてみせる。


提督「なら話は早い。弥生が変わったときから……いや。俺がもう一人の弥生を呼んだ時から、卯月は敵を深く憎むようになった」

「撃沈された時からではないのですか」

提督「ああ。弥生が殺された直後は、卯月はただ泣いていた。来る日も来る日もただ……泣いていた」


提督の瞳は変わらず卯月ちゃんたちに向けられている。

しかし、おそらく見ている先は今の卯月ちゃん達ではない。

提督「それから俺は新たに弥生を呼んだ。卯月の、皆の為を……」


何かを言いかけたところで、なんでもないと提督は首をゆっくりと振った。


提督「……初めは笑ってくれた。戻ってきたのだと。また仲良くできるのだと。……だが、それもすぐに無くなった。その代わりに出てきたのがあの憎しみだ」

  「それからあいつは哨戒、遠征、護衛……戦闘に関するものならなんでも積極的に参加するようになった。そして敵を発見しようものなら先陣を切って突っ込んだ。一人でも多くの敵を殺すために」


敵に、仲間と家族を殺したものに深い憎しみを持つ。

よくある話だ。嫌と言うほど身に覚えがあるまでに。

でもどうして僕と違って、『弥生ちゃん』が殺された直後にそれは発露しなかったんだろうか。


「なぜ、そうなってしまったのでしょうか」

提督「……心境の変化の理由はわからん。ただあいつは『弥生を取られた。だから取ったやつを殺す」と言っていたよ。……弥生はそこにいる何度もと言った。だがその度にあいつは弥生ではないと言うだけだ」

「だから、卯月殿は弥生殿を『弥生殿』と思っていないと」

提督「ああ。そうだ」


最も仲良くしていた友を急に失ったが、戻ってきた。だけど戻ってきた友は別人のようだった。

ある意味、それは同じ大切な人を二度も失ったようなものだ。過ぎる殺意を持つには十分すぎるほどだと思う。

でも、どうして卯月ちゃんは頑ななまでに弥生ちゃんを『弥生ちゃん』と認めないんだろうか。

如月ちゃんが行っていた通り、今までの記憶がないからなのかもしれない。

だけど、それだけで提督の聞くとおりの頑なさを持つだろうか。……何か、もっと他の理由があるのかもしれない。

機会があれば聞いておいたほうが良いだろうか。

ーーーーーーーーーーーーー


食堂にやってくると、摩耶ちゃんと矢矧さんの二人が丁度やってきた。


摩耶「お、番頭……とて、提督!?」

矢矧「あら、お二人ともおはよう」


矢矧さんはいつも通りだけど、摩耶ちゃんは提督を見るなりうろたえ始めた。

もしかしてまだ提督の裸の件を引き摺っているんだろうか……。生娘もいいところなんですがそれは。


提督「よう、二人とも。おはよう。今日も相変らずいい体してんな!」


ナチュラルにセクハラ発言して提督はがははと笑う。

いやそれ言っちゃうのか……。僕もそう思ってるけどさ。


矢矧「うふふ、ありがとうございます。提督」

摩耶「ばっ、なに言ってんだこのばかっ!」


矢矧さんは笑って流しているが、摩耶ちゃんは案の定うろたえを深くさせている。

多分摩耶ちゃんがこうなるって解ってやってるんだろうな。その証拠に提督は豪快な笑みを意地の悪いものに変えている。

なんかどっかで見たような……。


矢矧「うふふ」


あっ。


矢矧「そう言う提督も今日もいいお体されてますね。ね、摩耶?」

摩耶「な、なんであたしに振るんだよっ!」

矢矧「だって二人ともに褒められたんですもの。だったら二人でお返ししないと失礼じゃない」

摩耶「だ、だからってなぁ!」


からかわれて赤くなった摩耶ちゃんの顔がさらに赤くなり、ちらちらと提督の体に視線を向けたりそらしたりし始めた。完璧に手のひらの上ですやん。

そしてそんな摩耶ちゃんを提督が見逃すはずがなかった。


提督「ん、摩耶は褒めてくれないのか?」

摩耶「や、だ、だって……」

提督「ああ、そうか。服の上からじゃわかりにくいか。直接見たら褒めてくれるか。摩耶」


提督は制服のボタンに手を伸ばし、見せ付けるようにひとつずつ外していく。


摩耶「や、ちょ、ちょっとま、まてよぉ!」

そう言いながらも摩耶ちゃんはその場から離れようとしなかった。

それどころか食い入るように提督の姿を見つめ始める。

案外摩耶ちゃんってむっつりさん?

やがて提督の制服のボタンが、最後のひとつになった。

あけられたボタンの隙間から提督のブイネックのシャツと、筋肉質の厚い胸が覗いている。全く嬉しくない。

ついに提督が最後のボタンを外し、上着を脱ぎ去った。


摩耶「------!!」


露になった提督の体を目にした途端、声にならない叫びを上げて摩耶ちゃんはどこかへ逃げ出した。

それを見て提督と矢矧さんはそれぞれ笑っている。なんだこの鬼畜コンビ。


矢矧「それで、二人で朝食なの?いつも一人でくるのに珍しいわね。提督」


ひとしきり笑うと矢矧さんは僕と提督が共にいることに首をかしげてきた。

そんなに珍しいんだろうか。

提督「ああ。少し打ち合わせがあってそれでな」

矢矧「打ち合わせって?」

提督「それは朝礼のときに説明する。重要な話だ。しっかり聞いてくれ」


わかりました、と矢矧さんは頷く。

いつもはラフな印象な矢矧さんだけど、今は提督の前だからか若干だけど身を正している。

二日やそこらの付き合いだけど、なんだか新鮮だ。


矢矧「それで朝食だけど、私もご一緒していい?」

提督「ああ。かまわんぞ」

矢矧「ありがと。提督」


矢矧さんもかーいじられないといいなーなんて考えていると、突然矢矧さんが僕の顔を覗き込んできた。


矢矧「番頭さんも。いい?」


そう言って可愛らしく小首を傾げる。

なんだかそう言うイメージがないからギャップを感じる。もちろんいい意味で。


「私も構いません」


提督の前だし、言葉を崩すのもどうかと思い敬語で話す。

だけど矢矧さんは、聞こえないとばかりに薄く笑って首を傾げた。声、小さくないはずなんだけどな。


「私も構いません」

矢矧「私?」


……ああ、そういうことか。

矢矧さんは敬語を使うなと言外に言ってるんだ。

ちらりと提督の方を見て、提督の存在でしゃべれないということを伝えたが、矢矧さんは薄い笑みを浮かべたままだ。ちょっと怖いっす。

そんなの関係ない、言葉を崩せと。そういうことなんだろう。

提督もどうしたのかと僕達の様子を見ている。でも大した事ではないというのを解っているのか矢矧さんを諌めない。その証拠に若干笑っている。

もうやだこの鬼畜コンビ。


「……大丈夫だよ」

矢矧「うん♪ありがと。番頭さん」


観念して言葉を崩すと、矢矧さんは満足気に笑って頷いた。

その笑みはいつもの悪戯っぽい笑みでなくて、なんというか、無邪気なものだった。

矢矧「それじゃあ行きましょうか」


こういう表情も出来るのかと感心しているうちに、矢矧さんは先に食堂に入っていってしまった。

もしかしてそんなに僕を言うことを聞かせられたのが嬉しいかったのかと考えていると、提督がほう、と言葉を漏らした。

なんだろうと提督を見ると、それに気づいた提督が満面の笑みで僕の肩に手を置いた。


提督「手が早いな」

「違います」


反射的に否定するが、提督はガハハと笑うだけだった。

なんだか変な勘違いをされた気がする。というかあれだけで勘違いも何もないかもしれないけど。

・・・・・・


食堂の扉をくぐると、矢矧さんが受け取り口で誰かと話していた。

聞こえてくる声からして瑞鳳さんのようだ。


矢矧「あ。二人の分、頼んでおいたから」


入ってきた僕達に気づくと、そう言って矢矧さんは笑いかけてきた。

そのために先に入ってくれたんだろうか。そうだとしたらなんだか悪いな。


提督「悪いな」

「ありがとう。矢矧さん」


いえいえと矢矧さんは上機嫌に笑う。

そこで瑞鳳さんが受け取り口から顔を出してきた。


瑞鳳「あ、二人とも。終わったんだ」

「うん」

提督「……終わった?」


その言葉聞いた途端、提督の纏う空気が一変した。僕達の話を聞かれたと思っているのかもしれない。

……瑞鳳さんと一緒に来ていたこといい忘れた。当然入渠装置の打ち合わせってことにしたことも。


瑞鳳「どうしたの?入渠装置のメンテナンスの打ち合わせでしょ?」


提督の視線が僕に向いた。それに小さく頷いて見せる。

途端、提督の纏っていた空気が霧散し、いつもの彼に戻り、困ったように笑った。というよりも笑って見せてるんだろう。


提督「あー、そうだそうだ。年を取ると忘れっぽくなっちまっていかんな」

瑞鳳「ふふ、もーそんな年じゃないでしょ」


それもそうだな、と提督はガハハと笑い、瑞鳳さんも釣られて笑っていた。

どうにか誤魔化せたみたいだな。……ただ一人を除いて。

提督と瑞鳳さんの笑いの中で、矢矧さんだけが笑うことはなかった。

ただ面白くなくて笑わなかったのかもしれない。

でもその提督に向ける瞳が僕にはそうは思わせなかった。

続く。


提督「メンテナンスの時間については朝食の時に通達する。頭に止めておいてくれ」


さっきのやり取りの笑いを引きずったまま瑞鳳さんははーい、と間延びして頷くとそのまま厨房へと消えていった。

提督はそれを見送ると僕をジロリと責める様に目配せしてきた。

まぁそうなるよな。提督に報告しておかなかった僕のミスだ。わずかに会釈して謝意を示しておく。

慣れないことをしてテンパっていたとはいえ、失敗したな……。

視線を矢矧さんに移し、様子を伺ってみる。

矢矧さんはもう提督にいぶかしむような視線はもう送っておらず、いつもの様子に戻っていた。

……さっきの視線の意味を勘繰りすぎだろうか。本当に話が面白くなかっただけかもしれないし。

そう思って矢矧さんから目を逸らそうとしたところで、彼女が僕の視線に気づいた。

まずい。これじゃあ何かあったといっているような物じゃないか。

そんな僕の内心をよそに、矢矧さんは何故かにこりと微笑んだ。

え?なんで笑ったの?もしかして僕の顔がそんなに面白い?

おふざけは置いておいて矢矧さんがなぜ笑ったか本当にわからず首を傾げさせた。

それをみて矢矧さんはますます笑みを深めさせる。

何を考えているかよくわからない人だとは思っていたけど、本当によくわからないな……。



提督「仲良いな。お前ら」


そこで提督が面白いようなものを見たようにニヤニヤと笑いかけてきた。


「そんなんじゃ」

矢矧「それはそうよ。だってお友達ですもの」


とっさに否定しようとしたところで、矢矧さんが言葉を重ねてきた。

言葉を崩してはいるけど友達になった覚えはないんだけど……。


矢矧「ね?番頭さん」


そんな僕の思いを見透かしたかのように矢矧さんは僕に首を傾げてきた。


「そ」

矢矧「ね?」


そうでもないと言おうとしたところで矢矧さんに潰される。

何なんだと矢矧さんに視線を移すと、矢矧さんは変わらず笑っていた。

けれどその笑顔は先ほどまでの笑顔とは違い、どこか薄ら寒さを感じさせた。笑っているけど笑っていない。まるで笑顔を顔に貼り付けているような。おっかねぇ。

……まぁいいか。言葉だけなら。

決して矢矧さんの雰囲気に負けたとかそういうのではない。すみません負けました。


「……そうですね」


しぶしぶと言葉を吐き出す。

それを聞いて矢矧さんは満足げに笑った。やっぱSですやんこの人……。

提督はそうかそうかとガハハと笑いながらも、若干の哀れみの視線を向けてきた。

やめてくださいなんか惨めです。


瑞鳳「お待たせ~。用意できたよ」


ちょうどいいタイミングで瑞鳳さんから声が掛かる。助かった。ほんとに。

二人の視線から逃げるようにして受け取り口へ向かう。


「……四つ?」


瑞鳳さんが用意した朝食は四つだった。

どうして四つなんだ?今は三人しかいないのに。


瑞鳳「え?摩耶ももうすぐくるんでしょ?」


でも摩耶ちゃんはさっき鬼畜の攻撃に逃げてしまった。

あの状態ですぐに戻ってくるとは思えないんだけど。


矢矧「大丈夫。あの子なら……戻ってくるわ」


なんでちょっとシリアス調の顔なの?というか元はといえばあんたが原因じゃないすか。

胡乱気に矢矧さんに見つめると、真面目な顔を一転して崩し、小さく微笑んだ。

その微笑みは今まで見たことのない、慈しむような優しい、綺麗な笑顔だった。


矢矧「だってお腹すいてるもの」


そんな笑顔から飛び出す言葉はとても似つかわしくない言葉だった。

なんとなく肩透かしをくらう。……やっぱり名に考えているかよくわからない。

ただ、いぢっただけでは終わらせない優しさがある人ではあるんだろう。

じゃあはじめから優しくしてくださいよ。


「……ん」


矢矧さんの優しさ(?)について考えていると、後ろから扉が開く音がした。


摩耶「……」


振り返ってみると、そこに所在無さげに扉から顔を出す摩耶ちゃんがいた。

本当に戻ってきちゃったよ……。


矢矧「頼んでおいたわよ」


その声に摩耶ちゃんはぱぁっと顔を綻ばせた。

それでいいのか……摩耶ちゃん……。


瑞鳳「いつものことだから」


諦め半分、慈しみ半分といった様子で瑞鳳さんは笑う。

いつもなのか……と摩耶ちゃんを不憫に思っていると、ふと思いつく。


「そういえば瑞鳳さんは?」

瑞鳳「え?」

「朝飯。食べたの?」


少し目を丸くしたあと、瑞鳳さんはどことなくうれしそうに微笑む。

……なんか喜ばせるようなこと言っただろうか。


瑞鳳「ううん、まだ。もうちょっとしたら食べるよ。……ありがと」

「え、あー……うん」


何がありがとうなのかわからないけど。

とりあえず頷いて見せておく。……やっぱり瑞鳳さんの笑顔が一番苦手だ。

------------

朝食をとった僕たちは、朝食の支度を終えた瑞鳳さんと一緒に朝礼場所へと向かった。

朝礼場所に着き、所定の位置に瑞鳳さんたちが移動するのを見計らって提督に声をかけた。


「提督。手伝ってもらうと提督は仰っていましたが、具体的に私は何をすればいいのでしょうか」

提督「とりあえずは俺の横に立っていればいい。時間が着たらお前に話を振る。その時にお前の気持ちをぶつけてくれ」


気持ちとはどういうことだろうか。

漠然とし過ぎてさっぱりだ。


「……気持ち、と言いますと」

提督「俺の話を聞いて思ったことを話せば良い。もちろん余計なことを伏せてな」


説明を重ねられても、結局具体的なことは何もわからなかった。

困惑が顔に出ていたのか、僕の顔を見て提督は豪快に笑う。


提督「聞いていればわかる。……そろそろ時間だ。行くぞ」

「はっ」


……返事をしたは良いものの、どうしたものか。

聞く限りだと大勢の艦娘の前で話すことは間違いなさそうだ。……苦手なんだよなぁ。

でもやるしかないか。僕が言い出したことだ。義務を果たさなければならない。


・・・・・・・・・


提督「皆、おはよう。今日の予定を話す前に一つ、重要な話がある。心して聞いてくれ」


壇上に立つと、提督は高らかにそう告げた。

いつもと違う提督とその言葉に艦娘達は正していた姿勢を更に正す。

昨日見た引き締まりつつもどこか緩んでいた空気は霧散し、厳かな空気が彼女達を包んだ。


提督「本日未明、鎮守府近海に所属不明体が現れた」


その言葉に艦娘達の目の色が戦いの色に変わる。

彼女達の瞳の色には見覚えがあった。士気が高かった頃の仲間達の瞳の色だ。……もっともそれはすぐに無くなってしまったが。

それにしても驚いた。自分達の基地の近くに敵対勢力かもしれない存在があることを知らされたにも関わらずざわつき一つ起こさない。

それだけ自分達に自信があるということか。それともそれを補うほどの安心感を与える存在がいるからか。それともそのどちらもか。


提督「それを番頭が見つけ、今に至る。おそらくお前らは何故発見してすぐに連絡がなかったのかと疑問に思っている事と思う。勿論、それには理由がある」

  「その不明体が『モドキ』の可能性がある為だ」

  「モドキとは何か。それは艦娘が戦闘により負傷し入渠による修復を得られず、自らの持つ再生機能が暴走し、身体的変異を兆した者を指す」

  「兆した身体的変異は深海棲艦、とりわけ棲姫と酷似する。そのため彼女達は『モドキ』と呼ばれている」


流石に『モドキ』の説明は衝撃的だったようで、所々で小さなざわつきが起きている。

それも当然かもしれない。自分が『モドキ』になってしまう可能性があることを示唆されたのだから。

それから提督はすぐに連絡しなかった理由を僕と卯月ちゃんの報告を交えて話していった。

話の中でざわめきは徐々に小さくなっていっていったが、それでも完全には収まることはなかった。

やがて理由を話し終えると、提督は改めて艦娘達を力強く、まっすぐに見つめた。


提督「不明体は『モドキ』の可能性がある。つまり同胞の変わり果てた姿である可能性があるということだ。だとすれば俺は確認もせず討ちたくない。……もし、お前らがそうなった時に討ちたくないからだ」


途端、よどめいていたざわつきがピタリと止んだ。

言葉一つでこれだけの人数を黙らせる。提督のもつカリスマ性は恐ろしいものがある。


提督「以上を鑑み、不明体の捕縛作戦を行いたい。『モドキ』ならば良し。もし棲姫であるならば撃滅を行う」

  「捕縛したところでどうするのか。それは同胞であるならば救う為だ」

  「救う方法はある。それを番頭。説明してくれ」


ここか。僕の気持ちを話すところは。

救う方法を話して、その上で僕の気持ちを話す。……意味があるのだろうか。

ともあれやるしかない。ここまで説明、お膳立てしてくれたんだ。答えないわけには行かない。


壇上に立ち、あたりを見渡す。

艦娘達の中には、いまだに不安げな表情を見せる子達もいる。……そんな顔なんかさせたくない。

深呼吸をして気合を入れ……口を開く。


「番頭です。……『モドキ』となった艦娘様ですが、救うこと、つまりもとの姿に戻すことは可能です」

「当施設ではそれは不可能でありますが、私の所属しているキサラギの本部であるならば可能です」

「捕縛していただいた『モドキ』……いえ、仲間は、可及的速やかに本部に送り、然るべき処置をした上で元の姿に戻ることができます」

「おそらく、提督殿のお話を聞いて自分もそうなってしまう可能性がある、と考えられた方もいるでしょう」

「ですが、戻ってきてさえいただければ、私が本部へ連絡し、元の姿へ戻るよう手続きを致します」

「本当に戻れるのか、と不安になる方もおられるでしょう。ですが、ご安心ください。私が見た不明体以上のひどい姿の方も元に戻ることができました」


……もっとも、その艦娘は『モドキ』にさせられたのだけど。


「ですから、何があっても、どんな姿になってもここに帰ってきてください。私が、キサラギが必ず、あなた達を治します」


その言葉で、不安な色を浮かべていた子達の表情が一気に明るくなった。

自分達は大丈夫。そう思ってくれたのだろう。

もう一度ぐるりと彼女達を見渡す。

……このまま、僕の報告が遅れた事を黙っていて良いのだろうか。

このままでは、全て提督の責任となってしまう。

責任を取るとは言ってくれた。だけど。


「皆様。私からもう一つご報告があります」


横に立っていた提督の眉が動く。

恐らく、予測していなかった事をやっているからだろう。


「不明体を発見、そして生き延びたにも関わらず、私はすぐに提督殿に報告いたしませんでした」

「理由は先ほど提督が仰った理由と、『モドキ』であるならば救いたかった。それだけです。その為に私は皆様を危険に不安にさらしました」

「提督殿には何一つ責任はありません。全て私が原因です。……許せない、というのであれば私をお裁きください。……以上です」


一礼し、壇上を降りる。これで良い。これで提督は何一つ責任は負わず、僕だけが悪者になる。

提督が入れ替わるようにこっちに歩いてくる。そしてそのまま……。


「ぐっ!」


僕の襟首を掴み上げた。

予想外の行動をしたことに怒りを感じているんだろうか。それでも、僕は……。


提督「確かにお前はすぐに報告しなかった。だけどな。ここで皆に言うと決めたのは俺だ。作戦をお前に一任したのも俺だ!」
  
  「それに俺はお前に責任は俺が持つと言ったよな。それなのに……勝手なこと言ってんじゃねぇよ馬鹿野郎!」



「提、督……」


呆然とした。

提督を庇うつもりが、結果僕の行動は、提督の気持ちを踏みにじることになってしまった。


鳳翔「提督!」

瑞鳳「番頭さん!」


瑞鳳さんと鳳翔さんが駆け寄ってくる。

それを見たのか提督は僕の襟首を放し、壇上に向かった。


瑞鳳「だ、大丈夫!?」

「ああ、なんともない、よ……それより」


壇上に上がった提督に視線を向ける。

提督は改めて艦娘達に向き直ると、頭を下げた。


提督「すまない。見苦しいところを見せた。聞いてのとおりだ。報告が遅くなったのは番頭が原因でもある」

  「だが、ここで言うと決めたのは俺だ。捕縛作戦を組み立てたのも俺だ。俺に責任はある」
 
  「……ここまでやっておいて皆に頼むのもおこがましいが……助けたいんだ。『モドキ』を。同胞を」

  「番頭も同じ思いだ。だから報告をせず、救う方法を探していた」

  「我侭なのはわかっている。だが……協力してくれないか。頼む」


そう言って、提督は深く頭を下げた。

それを見て僕の体が反射的に動く。


「お願いです。どうか、ご協力をお願いします。……助けたいんです。死なせたくないんです!殺させたくないんです!だから……お願いします!」


重い沈黙が辺りを包む。

駄目、なのか……。

諦めかけた瞬間、僕のすぐ横から拍手が聞こえてきた。

僕の隣にいたのは……言うまでもなく瑞鳳さんで。

やがて瑞鳳さんの拍手は鳳翔さん、摩耶ちゃん、矢矧さんと広がり、やがて、全員の拍手となった。


提督「皆……ありがとう」

「ありがとう……ございます」


提督とともに深く頭を下げる。

ありがたいことだ。本当に……本当に。


その後提督が捕縛隊のメンバーを選出し、朝礼は解散となった。

捕縛隊は日々変わり、手が空いている物が担当することになっている。

今日のメンバーは那智、五十鈴、長良、三日月、望月の5人となった。

作戦の詳細は僕が伝えることになっている。三日月ちゃんと望月ちゃんはともかく、他は知らない人だなとぼんやりと考えた。


「提督」


艦娘たちがそれぞれ持ち場に戻っていく中、同じく戻ろうとする提督の背中に声をかけた。

勝手なことをした責を咎められるだろうことは解っていた。それでも一言ぐらいは謝っておかなければと思ったからだ。


提督「どうした」


提督は怒りの表情を浮かべているかと思ったが、振り返った提督の顔は普段と変わらない様子だった。

それが僕に若干の困惑を呼ぶ。


「……いえ、先程は申し訳ありませんでした」


困惑を振り払いつつ、腰を深く曲げて謝意を示す。

平手の一発でも飛んでくるかと思ったが、そんなことはなく、代わりに帰ってきたのは呆れは入っているが温かみのある笑いだった。

困惑を振り払いつつ、腰を深く曲げて謝意を示す。

平手の一発でも飛んでくるかと思ったが、そんなことはなく、代わりに帰ってきたのは呆れは入っているが温かみのある笑いだった。


提督「いい。過ぎたことだ。気にするな」

「ですが……」

提督「……俺を思っての行動なんだろう?それに責めはもうさっきやった。これ以上お前を責める必要はない」


頭を下げ続ける僕に提督はその手を僕の方に置く。


提督「それに何度もいっているが、これは元は俺が招いた事だ。お前が謝る必要もない。……それでも気がすまないなら、行動で返してくれ」


罰を受けるべきことをしたというのに、提督は気にするなと言ってくれる。

提督の器の大きさに感心と感謝を感じつつ、僕はもう一度頭を下げた。


「はっ。……ありがとうございます」

提督「……ったく。行け。説明あんだろ」


提督はそう言って僕の肩から手を離す。


頭を上げて、失礼します、と告げその場から離れようとした。


提督「ああ、そうだ」


背を向けたそのとき、思い出したように提督は言葉を吐く。

どうしたのかと振り向くと提督は意地の悪い笑みを浮かべていた。


提督「那智はおっかねぇぞ」

「……それは、どういう」

提督「言葉のままだ。気を張っていけ」


そう言ってがははと笑うと、僕がどういうことかと聞く前に、提督は背を向けて指令棟へ向かっていった。

おっかない……気難しい人なんだろうか。

そうぼんやりと考えていると、後ろから誰かが駆け寄ってくる気配がした。


摩耶「番頭!やるじゃ……っとぉっ!?」


一歩横にズレると、さっきまで立っていた場所に摩耶ちゃんが突っ込んできた。

手を上げて空ぶったところを見るとどうやら僕の背中を叩こうとしたらしい。

摩耶ちゃんは空ぶった勢いが殺しきれず、バランスを崩し……。


摩耶「たっ……っとっ……きゃっ!」


可愛らしい悲鳴を上げて尻餅を着いた。

ていうかきゃって……そんな声だせるんだな(偏見)。

摩耶ちゃんも思わず可愛い声を出してしまったようで、恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にしている。


摩耶「よ、避けんなっ!」


照れ隠しに叫ぶ。そんなこと言われましても……。

どうしたもんかと思ったけどとりあえず立ち上がらせるために手を出してみた。


「……大丈夫?」

摩耶「……い、いいっての。た、ったくよぉ」


摩耶ちゃんは僕の手を取らず、顔を背けながら立ち上がった。

なんだか摩耶ちゃんこんなのばっかりだなぁ。最初はもっと……いや、最初からこんな感じだったか。

どんな顔をしたらいいかわからず、曖昧に笑っていると、摩耶ちゃんが走ってきた方向から瑞鳳さんと矢矧さんが歩いてきた。

……やばいな。

二人ともとても機嫌のいい顔と呼べるものではない。それはそうだ。重要なことを隠していたのだから。

特に瑞鳳さんは嘘を吐いていたことがバレたんだから尚更だろう。


矢矧「言いたいこと、解ってるわよね」


責めるような視線で僕を射抜き、低い声を掛ける。

矢矧さん達の様子を見るに相当怒っているようだ。

……これでこの子達の関係も終わりか。


「わかってる。……君達を危険に晒したのは僕だ。好きにしてくれて構わない」


三人に頭を下げ、罰を乞う。

命に関わる事を黙っていたんだ。何をされたとしても文句は言えない。


矢矧「……解ってないじゃない」

瑞鳳「うん」


二人がそう言う理由がわからず呆けた顔をしていると、瑞鳳さんが怒ったような、悲しいような顔で、静かに口を開いた。


瑞鳳「……どうして言ってくれなかったの?」

……どうして、か。

それは瑞鳳さん達に言えば、すぐに提督に話が行き、僕が話をする前に不明体の排除が行なわれると思ったからだ。

討った後では遅い。何も解らないうちに、悲惨な結果を迎えたくなかった。

悲しい結果を彼女達に与えたくなかったからだ。

確かに理由はそうだ。だけど、それは言い訳に過ぎない。危険に晒しているのは事実。すぐに報告しなかったのは僕の怠慢だ。


「……怠慢だよ。僕の」

瑞鳳「違うよ。そうじゃない。それに番頭さんはそんな人じゃない」

「評価し過ぎだよ。僕は……」

瑞鳳「だから違うっていってるでしょ!」


僕の言葉を遮って瑞鳳さんは叫ぶ。


瑞鳳「違う、違うの。黙ってたことを責めたいんじゃない。黙ってた理由もわかるの。助けたいって気持ち、私にもよくわかる。でも、でも……それをどうして言ってくれなかったの?」

「それは……」

瑞鳳「言ってくれれば、気持ちを、やりたいことを、言ってくれれば協力できたのに、したのに……どうして?」


そんな個人的なこと、言う必要がないと思った。

僕の気持ちを言ったところで、不明体は不明体のまま。敵か味方かも解らない。

言えば、不明体は即刻排除される。そんな不安が心にあった。


瑞鳳「……そんなに私達が信用できないの?」


そうだ。つまりは僕は彼女達を信用していなかったのだ。

彼女達は僕の意思は無視し、物事を進めてしまう。

そんな気持ちが僕にはあったのだ。


瑞鳳「私達、確かに会ってからそんなに時間は経ってないよ。たった三日だもん。でも、でも……!」


拳をわななくほどに硬く握り締め、悔しさからか声は震えている。顔は伏せられていて表情を窺い知る事はできないが、きっと悲しい顔をしている。

……ああ、どうして僕はこうすることしか出来ないんだろう。

どうして人を傷つけることしか出来ないんだろう。あの時だって。どうして、僕は、こんなにも……。


瑞鳳「……信用、してよ……!」


顔を上げて、涙を貯めた瞳で、僕の目を射抜く。

……やめてくれ。


瑞鳳「……!」


瑞鳳さんの悲しい視線から、僕は逃げるように視線をそらした。

辛かった。瑞鳳さんのそんな姿を見るのも、向けられる感情も、瑞鳳さんにこんなことをさせてしまう僕の存在も、全てが。


矢矧「そこまで。もうやめましょう」


瑞鳳さんの肩を抱き、矢矧さんが止めに入る。

瑞鳳さんに視線を戻すと、彼女はまた顔を伏せてしまっていた。

……ごめん。


矢矧「摩耶。ちょっと瑞鳳をお願い」

摩耶「……おう」


頼まれた摩耶ちゃんが顔を伏せる瑞鳳さんの手を取る。

そしてそのままどこかへいくかと思いきや、摩耶ちゃんが僕に向き直った。


摩耶「お前が言いたくない気持ちもわからねーでもないけどよ。それぐらい言ってくれよ。……仲間だろ。あたし達」

「……ごめん」

摩耶「ったく。さっきは提督をかばったのはなかなか格好良かったのによぉ」

「……え、あ、ああ」


やるじゃ……とか言っていたのはそういうことだったらしい。

突拍子のない褒めに困惑しているうちに、ほんじゃなーと言いたいことを言って摩耶ちゃんは瑞鳳さんを連れてどこかに行ってしまった。

残されたのは僕と矢矧さんだけだ。



矢矧「ごめんなさい。瑞鳳が無茶言ったわ。……ちょっと、ショック受けてたみたいだから」

「……いや、僕が言っていれば良かったんだ。僕の所為だよ」


重たい沈黙が僕達を包む。

いつまでも続くかと思われたけど、先にそれを破ったのは矢矧さんだった。


矢矧「……でも、瑞鳳の気持ちも解るわ。寂しいけど、番頭さんの気持ちも」

「……ごめん」

矢矧「いいのよ。私だって会って三日そこらの人に自分の気持ちを言うなんて……怖いもの」


怖い、か。

信用できないっていう気持ちの底には理解してもらえないかもしれない、という恐怖があったのかもしれないな。

そう思ったところでもう、どうしようもないけれど。

でも矢矧さんから怖い、という言葉が出たのは意外だ。そんなイメージの人でないと思っていたから。


矢矧「……意外?」


知らず思いが顔に出ていたのか、矢矧さんに首を傾げられた。

……最近顔に出すぎだな。


矢矧「案外繊細なの。私」


そう言って矢矧さんは愉快そうにくすくす笑った。


矢矧「だから番頭さんが黙ってたことも結構傷ついてます」

「……ごめん」


僕の反応が面白いのか、矢矧さんはまたくすくす笑う。

でもすぐにその笑みはなりを潜め、見たことのない寂しげな表情になった。


矢矧「いつか、話してくれるようになってくれるといいな。……私も、瑞鳳も、摩耶も。そのほうが嬉しいわ」


それじゃ、と言って矢矧さんは背を向けて歩き出す。

それを僕は呆然と見送った。

……そのいつかがくる時は、来るんだろうか。


「終わったか」


矢矧さんの姿を見送っていると、後ろから声を掛けられた。

振り返ってみると、サイドに長い髪を纏めた……所謂サイドテールの気の強そうな女の人が立っていた。

その後ろにはツインテールの少女と、ショートカットの女の子、そして三日月ちゃんと望月ちゃんが立っている。

サイドテールの女性は射抜くように僕を睨み付け、ツインテールの少女は胡乱下に僕を観察し、ショートカットの少女は興味深げに僕を見つめている。

三日月ちゃんは敬礼を向けてくれていて、望月ちゃんはやっほーと言わんばかりに手を振っている。

その面子をみて、漸く捕縛部隊のメンバーだと理解する。……三日月ちゃんと望月ちゃんは兎も角、他は誰が誰だかわからないな。

取りあえずは声を掛けてきたサイドテールの女性に声を掛けてみるか。


「あなたは……」

那智「那智だ。今回の捕縛部隊の隊長を勤めさせて頂く」

「那智殿、ですね。私が番頭です。よろしくお願いいたします」


敬礼を向け、挨拶をする。

だが、睨みを利かせた瞳は柔らかくなる事はなかった。


五十鈴「五十鈴よ。よろしく」

長良「長良です!よろしくお願いします!」


ツインテールの子が五十鈴、ショートカットの子が長良、というらしい。

それぞれに敬礼を向け、挨拶とする。


三日月「ど、どうも……」


後ろにいた三日月ちゃんはなぜか気まずそうにおどおどと挨拶してきた。

先輩達がたくさんいて緊張しているんだろうか。


望月「しゅらば~?」


望月ちゃんの言葉で三日月ちゃんがなんとなく気まずそうにしている理由が解った。

さっきのやり取りを見られていたんだろう。

……ということは那智さんたちにも見られていたことになる。恥ずかしい。


那智「いい御身分だな」


那智さんの言葉が僕を貫く。

ぐ……。でも確かに軍にいるというのにさっきのやり取りはそう言われても仕方がないかもしれない。


「申し訳ありません。那智殿。私の不徳が致すところです」

那智「そうだな。ではその不徳、償ってもらおうか」


どういうことだろう、と考えたところで、那智さんの殺気が膨れ上がり、視界の端で那智さんの腕が大きく動くのが見えた。

……そういうことか。


那智さんがやろうとしていることを理解した直後、僕の腹部に大きな衝撃が走った。

続く。


「ぐっ……!」


那智さんの腕が僕の腹に減り込み、不自然に口から空気が漏れ、うめき声に変わる。

急所を正確に突いた打撃。

激しい痛みと嘔吐感に襲われながら、意味もなく那智さんが持つ高い技量について感心した。


長良「な、那智さん!そんな……」


那智さんの急な暴力に焦ったのか、長良ちゃんがとっさに諌めようと声を掛けた。

後ろにいた三日月ちゃんと望月ちゃんもおろおろとしながらも、非難めいた視線を那智さんに送っていた。


長良「……あ、そ、その……」


だけど、長良ちゃんに向けられた那智さんの強い威圧感を持った冷たい視線に、三人ともにしどろもどろとなってしまう。

そりゃそうだ。あんな目を向けられたら普通の子は黙ってしまうだろう。

それにそれでいい。僕なんかを庇う必要はない。然るべき罰を僕は受けている。


那智「本来ならこれでも足りないくらいだ。こいつがやったことを考えればな」

那智さんの言葉に、五十鈴ちゃんも小さくうなずく。

返す言葉もない。

どんな理由があろうと結果は結果だ。当人の思惑なんて関係ない。

彼女たちにとっての僕の行動の結果は、僕の勝手が自分たちの身に危険を及ばしている。それだけだ。

説明が終わった時に多くの拍手を受けたが、少なからず那智さんや五十鈴ちゃんが思っているようなことを考えている子はいると思っていた。

というよりもほとんどがそうだと思っていた。

理解を示してくれる瑞鳳さん達の方が特殊なんだと、そう思っていた。……いや、今もそう思っている。

……どうして、そう思えるんだろう。思って、くれるんだろう。


那智「お前の思惑など知ったことではないが、二度とこういった真似はするな。提督が噛んでいるようだからこの程度で済ませたが……次は無いと思え」


気づかず思考の海に溺れているうちに那智さんの言葉が降ってくる。

お陰で思考の海から立ち直ることができた。


「はっ。肝に銘じておきます。申し訳有馬せんでした」


直立し、那智さんに敬礼を向ける。

腹はまだ痛むし嘔吐感も引いてないけどこれくらい問題はない。

だけど那智さん達は僕が何事も無かったように身を直したように見えたようで、目を丸くしたり、ぎょっとしたりとそれぞれ驚きの感情を示していた。


那智「ふん……口からブチ撒けるくらいのものはくれてやったのにな。大した物だ」


腹に銃弾よりはよっぽどましだし。痛いことには変わりないけど。

僕の内心をよそに忌々しいものを見たかのように那智さんは鼻息を荒らく噴出す。


那智「……説明しろ」


まだ那智さんは不満気だが、作戦についての説明を促してきた。

僕の行動に不満を持ちつつも、協力の態度を示してくれる。

そんな那智さんの行動に、ありがたみと好意を感じていた。

好意って?

(人間として)好きってことさ。


・・・・・・


那智「了解した。いくぞ。お前ら」


提督と打ち合わせをした作戦を一通り伝えると、那智さんはそう言って身を翻していった。

それに五十鈴ちゃん達も続いていく……と思ったけど、長良ちゃんと三日月ちゃんと望月ちゃんが残った。

……なにか作戦でわからないことでもあったのかな。


「どうかされましたか」

長良「あっ、いえ!その……」

望月「お腹大丈夫~?」


長良ちゃんがおどおどとしている間に、割って望月ちゃんが間延びした声で身を案じてくれた。

多分長良ちゃんも同じように心配してくれたんだろう。


「お気遣いありがとうございます。少し痛みますが問題ありません」


少しどころじゃないけど。今はまだ大丈夫だけどボディブローはあとあと響いてくるからなぁ……。

大丈夫だとは言ったものの、三人の心配に曇った表情は晴れない。それはそうだ。殴られたとき結構鈍い音したからなぁ。


三日月「でも……」

「本当に大丈夫です。少し鍛えていますので。それに那智さんもああいっていましたが、手加減してくれたようですから」


急所は突いてきたけど。

いつまでも僕なんかに心配させるのも忍びない。それにいつまでも僕の傍にいたら那智さんに何を言われるか判ったもんじゃない。

曇った顔を晴らせる為と、怒られる前に那智さんのところに行ってもらう為に、笑顔を作って見せる。


三日月「そう……ですか。それなら良かったです」

望月「ほんとほんと。なっちゃんにぶたれたときは大丈夫かなーって柄にも無く心配しちゃったよー」

三日月「一言多いですよ……いつも心配してないように聞こえるじゃないですか」

望月「え?そう?にゃははー」


望月ちゃんの軽口にいつものように三日月ちゃんはあきれた様子を見せていて、その二人の姿をみて長良ちゃんは笑っている。

僕の嘘と演技もあって、三人の表情は柔らかくなってくれた。

やっぱりいつもの様子でいてくれた方がいい。


「長良、三日月、望月!!なにやってる!!早く来い!!」


遠くで那智さんが、いつまでも来ない三人に怒りに眉をひそめて声を荒げていて、隣の五十鈴ちゃんも苛立っているように見える。

……遅かったか。


望月「あーやっべー。なっちゃん怒っちゃった。……ほんじゃいきますかー。めんどーだけど」

三日月「もう!またそういう事言う!あ、そ、それでは番頭さん。お腹、お大事にしてくださいね」


それぞれそう言って二人は那智さんのところへと掛けていった。

掛けていく背中に二人もお気をつけてと声を掛けて見送る。

これで残ったのは長良ちゃんだけだ。……なんで残っているんだろう。


「長良殿、そろそろ行かなくては」

長良「はい。……えっと、その前に……」


僕の言葉に頷いてくれたものの、何か言いたげに僕の事を遠慮がちに視線を送ってくる。

このままぐずぐずしていたら今度こそ那智さんからお咎めがあるかもしれない。

那智さんが艦娘たちにどういう態度で接しているかは判らないけど、あまりひどい目には合わせたくない。


長良「那智さん、ああいう人ですけど誰よりも仲間思いなんです。五十鈴も。だから……」


だから。仲間を守りたいから厳しくした。多分、長良ちゃんはそう言いたいんだろう。

五十鈴ちゃんはともかく、那智さんはなんとなくそうではないかと感じていた。

規律を乱したこと、それか自らの危険に強く反応したのかもしれないが、そうであるならば先程の一撃の時にほかに何か言っていたはずだ。でも那智さんは何も言わなかった。

そして何より那智さんの怒りの目の色。それが僕が不明体の存在を提督に報告したときの彼の瞳の色とまったく同じだった。

仲間に対して危険が迫ったときに見せた強い意思の光。それが提督と同様に那智さんの瞳の中にあった。

自分のことや規律のことしか考えていない奴は淀んでいたり、神経質な色をしている。

それらが彼女には全く無かったのだ。


「判っています。長良殿も負けず、仲間思いですね」

長良「あ、え、えっと……」

「それよりも、ほら、行って下さい。那智殿がお待ちですよ」


僕の言葉に長良ちゃんは焦った様子を見せたが、今はそれを考えている場合じゃない。

早く那智さんのところへ行って貰わないと。現に那智さんは今にもこっちに飛び掛って来そうな雰囲気だ。

それを長良さんも察したようで、顔を真っ青にしている。


長良「あ、そ、そうですね!それじゃあ!お腹お大事に!」


さっきとは違う焦った様子で長良ちゃんは那智さんのところへ駆けていく。

それを三日月ちゃんたちと同様に声を掛けながら見送った。


「……ぐ……」


張っていた気が緩んだ所為か、我慢していた腹の痛みがジワリと襲ってきた。

この重い拳の痛みが、那智さんの思いの強さなんだろうかと、ぼんやりと考えた。

ふと、那智さんたちに視線を向けてみる。

那智さんたちに合流した長良さんは特にお咎めは無かったようだ。一言二言言われていたみたいだけど、それ以外は特になさそうだ。

そのことに安堵しながら、僕は工廠へと足を向けた。

……今日は瑞鳳さんがいるのか。

さっきのやり取りを思い出す。……気まずいなぁ。

自然と僕の足取りは重くなっていた。

----------



工廠までたどり着くと、工廠のシャッターの前で一人佇む件の少女、弥生ちゃんがいた。

誰かを待っているのか、弥生ちゃんはその場から動かず、じっと自分の足元を見つめていた。

下を向いているためあまり表情は見えないけど、やっぱりあまり明るい顔はしていない。


「弥生殿」


近づいて声を掛ける。

すると弥生ちゃんはぱっと顔を上げて、僕の顔を見つめてきた。

顔はいつもの無表情に見えるけど、心なしか緩んでいるように見えた。


弥生「あ……お疲れ様……です」

「お疲れ様です。どうかされましたか?」


そう言うと、弥生ちゃんは何故か驚いたようにすこし眼を見開いた後、なにかを考えるように目線を逸らした。


「……弥生殿?」


声を掛けてみるも視線を逸らしたまま何も答えてくれない。

それどころか、何故かそわそわとし始めた。

……何か言いづらいことなんだろうか。



「どうされました?」


腰を折って話しやすいように弥生殿の視線と僕の視線の高さを合わせて、なるたけやさしく声を掛ける。

そこからしばらくして弥生ちゃんは漸く口を開いてくれた。


弥生「……か」

「……か?」

弥生「か、艦装……みてもらおうと、思って」


弥生ちゃんはそうは言ったものの、視線を逸らしたままだ。

用件を聞かれて考えている様子、言いづらそうにもじもじとする姿、そして今の視線。

きっと弥生ちゃんの今言っている事は嘘だ。

……きっと弥生ちゃんはただ僕に会いに来たんだろう。

自分を異物扱いしない人のところへ。


「……判りました。それでは見せてもらっていいですか」


やさしく笑って頷いてみせる。

すると、弥生ちゃんが嘘をつく為に見せていた困ったような表情が一気に晴れる。

そして小さく弥生ちゃんは微笑んだ。

弥生ちゃんがこうして笑ってくれるのは喜ばしい事だ。


だけど、これではいけない。

僕だけが、この子の居場所になってしまっていいはずがない。

これは甘えだ。甘えはいずれ依存と成り果てる。

だけど、だからと言って彼女の懇願とも言える願いを跳ね除けるわけには行かない。

この子はいつか、皆という居場所に入っていく事ができるんだろうか。

短いですが続く。


今さらだけど艤装じゃなくて艦装なのか

>>358
艤装でしたね。すみません。
でももう散々艦装と使っているので艦装で統一しようと思います。

----------

弥生「あの……」

「はい?」

弥生「あ、え、えっと……。い、いい、天気……ですね」


そうですね。と笑って答える。

……やりずらい。

あの後二人でドックに来て、弥生ちゃんの艦装を見始めてからずっとこんな感じだ。

作業を進めようにも弥生ちゃんがこう言った話をちょこちょこしてきてなかなか作業に集中できない。

多分、まともに話が出来る相手がいることが嬉しくて、話す内容を考えるよりも先に口が出ているんだろう。

その姿を可愛らしくは思う。でもそれと同時に少し憐憫を感じてしまう。

こうなってしまうほど、弥生ちゃんは追い詰められていたのだと考えると、素直に可愛いとだけ思うことは出来ない。

そう思ってしまうと作業に集中したいのでと言って、弥生ちゃんの口を閉じさせるのも憚られた。


弥生「……あの」

「はい?」


次はなんだろう。朝飯の話はもうやったし、海が穏やかだって話もしたし。

そろそろ話が尽きてもいいような気もしないでもないけど……。

弥生「番頭さんは……音楽って、好き……ですか?」

「……音楽、ですか」


十分の間のあと、初めて世間話(?)以外の話題が来た。しかも僕……というか相手に関することだ。

それに少し驚きながらも、ふむ、と考える。

音楽か。音楽は嫌いじゃない。というか好きなほうだ。

その好きが高じて学生の頃、趣味で音楽をやっていた。……といっても金がなくてハーモニカぐらいだったけど。

部隊に居た頃も一緒に部隊に入った友人にせがまれて偶にやっていたっけ。


弥生「……あの……」


昔のことを懐かしんでいると、心配した表情で弥生ちゃんに声をかけられる。

思った以上に思い込んでいたようだ。


「ああ、すみません。……そうですね。音楽は好きですよ」


言うと、弥生ちゃんの顔がぱぁっと華やぐ。

弥生ちゃんも音楽が好きなんだろうか。

「弥生殿も音楽が好きなんですか?」

弥生「……はいっ。大、すきです」


弥生ちゃんは同じ趣味の人が見つけられたのが嬉しいのか、すこしだけ顔を赤くして満面に笑みを浮かべていた。

こんな表情が……いや、もともとこんな表情の子なんだろう。

意外な弥生ちゃんの笑顔。素直で影のない笑顔。

初めて弥生ちゃんの笑顔に素直に可愛いと思うことが出来た。その笑顔でずっといてほしいとも。


「何か演奏できたりするんですか?」

弥生「演奏は……出来ない、ですけど……聞くのが好きです」

「どういったものをお聞きになるんですか?」

弥生「何でも……です。ポップスもロックも、クラシックも……」

「趣味がお広いんですね。なにかお勧めの曲とかありますか?」

弥生「えっと……ポップスは―――」


それから弥生ちゃんは音楽について語り始めた。

あの曲が明るくなれる。この曲は優しい気持ちになれると、聴いたときの気持ちをたどたどしくも、嬉しげに。

それが『弥生ちゃん』が好きだったのかそうなのかはわからないけど、こう嬉しそうに話すのが弥生ちゃんの本来の姿なんだ。そんな姿を見ていると、やはり嬉しくなる。

いつもうつむいて、奇異の視線や態度に怯える彼女はここには居ない。本当の姿で笑って居てくれる。それがとても嬉しかった。

そのお陰と音楽の話もあって自然と僕の口も饒舌になり、会話が弾んだ。

会話の中で、やがて弥生ちゃんはひとつの曲名を口にする。

思い出が深すぎるほどに深い、ひとつの曲を。


弥生「素敵な曲は……たくさんありますけど……やっぱり一番好きなのはアメイジング・グレイス……です」

「……アメイジング・グレイス……ですか」


その曲名に僕は思わず視線を落としてしまった。

学生のときはその歌が何より好きだった。でも、今は……。


弥生「……番頭……さん?」


声をかけられて視線を弥生ちゃんに戻すと、彼女は心配に顔を歪めていた。

多分、僕は知らず暗い表情をしていたからだろう。

今日は思い込むことが多いな。寝てないから疲れているんだろうか。

そんなことよりフォローしないと。せっかく楽しそうに話してくれているんだから。


「ああと……すみません。昔、吹いていたなと思って」


言ってから気づく。しまった、焦って余計なことを口走ってしまった。

案の定それを聞いた弥生ちゃんは驚きに目を丸くしていた。


弥生「吹ける……んですか?」

「あぁ、いや吹けるといっても少しですよ。それに昔の話で、上手くもないですし」


弁解したものの、弥生ちゃんの瞳の驚きの色は期待の色に変わるだけで、大した意味を成さなかった。

弥生ちゃんの期待の色は本当に強く、頭にわくわくという文字が見えるようだった。

まいったなぁ。本当に余計なことを言ってしまった。



弥生「でも……聞いてみたい……です」


ハーモニカも持ってきてはいる。嫌になるほど吹いてきたのだから吹き方も忘れるはずがない。

そんな期待に満ちた表情で言われたら頷くしかないんだけど。


「……いつか機会があれば」


それでも僕は頷けなかった。頷きたくなかった。

この曲は思い出したくない思い出が多すぎる。


弥生「……はいっ」


それでも弥生ちゃんは僕のその気がないいつかという言葉を信じて、朗らかに笑う。

それが酷く僕の罪悪感を刺激した。


・・・・・・


弥生「……わ」


メンテナンスが終わった艦装を身につけると、弥生ちゃんは感嘆に声を漏らした。

様子を見る限り、問題はなさそうだ。……というかもとも殆ど問題はなかったんだけど。


「問題なさそうですね」

弥生「はい、あ」

「あー!!」


ありがとう、と言い切る前に弥生ちゃんの言葉は聞き知った女の子の叫び声にかき消される。

叫び声が聞こえて来た方を見るとそこには文月ちゃんがいて。


卯月「ばんとーさ……」


声の主であろう卯月ちゃんが、今は言葉を失って立っていた。

彼女の目線の先には艦装をつけた僕のそばに立つ弥生ちゃんがあった。



弥生「……あ……」


卯月ちゃんと文月ちゃんの姿を見た途端、弥生ちゃんはさっきまで浮かべていた明るい表情はなりを潜め、いつもの奇異の視線と態度に恐れる少女へ戻ってしまった。

そんな彼女を見て卯月ちゃんは見たくないものを見たかのように目を逸らす。


「卯月殿……」

卯月「なんで弥生はそこにいるぴょん?」


僕の声を遮って、卯月ちゃんは弥生ちゃんに言葉をぶつける。

本人にそのつもりは無いんだろうけど、どこか言い方に棘があった。

弥生ちゃんはそれを感じ取り、怯えているのか体を強張らせる。


弥生「その……艦装、を……」 

卯月「……ふーん」


ドックに重い空気が立ち込める。

卯月ちゃんが弥生ちゃんを避けているとは聞いていたが、こうして見ると想像以上だった。

卯月ちゃんはなるべく弥生ちゃんを視界に入れないように顔を背け、弥生ちゃんはそんな卯月ちゃんを恐れている。

どうすればこの子達が仲良くできるかなんて検討も付かなかった。

でもこのままの状況で黙っているわけにもいかない。とりあえずは卯月ちゃん達の用向きだけでも聞いておかなければ。



「卯月殿、どうかされましたか」

卯月「ずいほーさんに頼まれたぴょん。ばんとーさんを探してきて欲しいって」


なるほど、そういう理由か。大方仕事場に居ないからどうしたのかと探そうと思ったんだろう。そしておそらく偶然卯月ちゃんたちが工廠についたと。


卯月「……それじゃあうーちゃん達はいくぴょん」

文月「え、でもばんとーさん連れて行くって~」

卯月「いいの!ほらいくぴょん!ふみちゃん!」


文月ちゃんの手を強く握ると、卯月ちゃんは文月ちゃんを引っ張るようにしてドックの外へと出て行った。

残されたのは、僕と未だに怯え続ける弥生ちゃんだけだった。

続く。
来週は投下できない、かも

初めて二人が話すところを見たが、やはり卯月ちゃんが弥生ちゃんに対して持つ思いは相当悪いものみたいだ。

でもそんな思いを持ってしまうのも仕方のないものなのかもしれない。

卯月ちゃんにとって、今の弥生ちゃんは親友の皮を被った未知の存在。

そんな存在が『弥生ちゃん』としてここにいて振舞っている。それが堪らなく不快なんだろう。


弥生「ごめん……なさい」


怯えに強張った体のまま、弥生ちゃんは俯いてそう呟いた。

それは何に対しての謝罪なのか。

さっきまで穏やかだった空気を卯月ちゃんと自分のやり取りで壊してしまったことに対するものなのか。

それとももっと他のなにかに対するものなのか。

今の僕に弥生ちゃんがどうして謝ったのか。その理由は分からない。


「……謝る必要なんてありませんよ。弥生殿はなにも悪くないのですから」


でも、確か言えることは弥生ちゃんは何も悪くないということだ。そう、何も。


僕の様子を伺うように、恐る恐ると弥生ちゃんは俯かせていた顔を上げ、僕に瞳を向けた。

瞳は不安と恐怖に揺れていて、どうしたらいいのか分からないと、そう僕に告げていた。


弥生「でも……弥生がいるから、うーちゃんは、皆は……」


……そうなのだ。酷だけど、現状、弥生ちゃんの存在が今の状況を作り出している。

でも、そうなってしまったのは彼女の所為ではない。元を辿ればきっと僕達人間の所為なのだ。

艦娘達を作り出した、僕達の。

だからこそ、彼女達には出来るだけのことをしてあげなければならない。

弥生ちゃんの問題を解決することも、その一つだ。


「……弥生殿。辛いかも知れませんが、いろいろと教えて頂けませんか。力になりたいんです」


視線を合わせたまましゃがみ込んで、優しく、それでいて力強く声を掛ける。

瞳の色に不安と恐怖の他に迷いの色が入った。そしてそれと同時に小さな希望の光が。


弥生「……でも……」


それでも弥生ちゃんはその希望の光に縋ることに迷った。

それは僕を面倒に巻き込んでしまうという弥生ちゃんの優しさなのかもしれない。

でもそれは僕にとって面倒でもなんでもない。

彼女の現状をどうにかできるなら、艦娘のために出来る事があるなら、彼女との約束を果たせるのなら、これ以上のことはないのだから。


「構いませんよ。私にとって艦娘様の、弥生殿の力になることは面倒などにはなりません。……ですが迷惑ならば断ってしまって構いません」

弥生「め、迷惑なんか……!」


焦った様子で首を振る弥生ちゃんに、小さく笑いかけた。

そして自分が本気だと思ってもらえるように、敬語という建前を捨てて、頭を下げる。


「……それなら、力にならせて欲しい。お願いだ」


弥生ちゃんの瞳が大きく開かれた後、その中にじわりと涙が滲む。

そしてくしゃりとその顔を歪め、弥生ちゃんは小さなか細い声で、嗚咽を漏らし始めた。

僕の言葉が弥生ちゃんの心に届いたのだと……そう、信じたい。

そっと弥生ちゃんの頭に手を伸ばし、優しく撫でる。

はらはらと涙を流す弥生ちゃんが落ち着くまで、僕は弥生ちゃんの頭を撫で続けた。

笑い、怒り、悲しみ、悩む。

やはり艦娘はどこまでいっても人間なんだと、僕は改めてそう、思った。


・・・・・・


弥生「……もう、大丈夫……です」


弥生ちゃんはようやくしてから泣き止むと、涙の所為で顔を赤くしたまま恥ずかしげに呟いた。


「そうですか。……よかった」


弥生ちゃんの言葉で僕もやっと安堵に一息つくことができた。

その安堵に流されるまま、僕は弥生ちゃんの頭から手を離す。


弥生「……あっ」


その瞬間弥生ちゃんが息を漏らす。

……なにかあったんだろうか。


「どうかされましたか?」

弥生「あ、い、いえ……なんでも……」


そう言って弥生ちゃんはまた顔を逸らしてしまう。

……さっきは思わず撫でてしまったけど、もしかしたら頭を撫でられるのが嫌だったのかもしれない。

というか嫌だよなぁ。ほとんど見ず知らずの男に頭を撫でられるなんて。悪いことをしてしまったな。

「……勝手に撫でてしまい申し訳ありませんでした」

弥生「い、いえっ!全然っ……そんな……こと……」

「そう……ですか」


焦ったように弥生ちゃんは勢いよく首を振ったが、その勢いも言葉のように尻窄んでいく。

なんだか嫌な予感がする。文月ちゃんと同じ類の嫌な予感が。

……まぁそんなことはないとは思うけど。というか思いたい。

今はそれよりも弥生ちゃんの話だな。


「それではお話、伺ってもいいですか」

弥生「……はい」


身を正して弥生ちゃんに向き直る。

僕の一変した雰囲気を感じ取ったのか、恥ずかしさからか気まずそうにしていた弥生ちゃんも真面目な表情に変わった。


弥生「……あの」


だけど、すぐに弥生ちゃんは僕から顔を逸らして俯き、つぶやくように声を発した。

その声音には迷いの色がある。

「はい?」

弥生「……ほんとうに……いいん、ですか」


本当にこの問題に関わってしまっていいのか。関わらせてしまっていいのか。

僕へ、そして恐らく、彼女自身への問い掛け。

たぶん、弥生ちゃんの言葉にはその二つの意味が込められているのだと思う。

それは彼女の優しさと不安と自信のなさから来るものなんだろう。

だから、僕に関わるか、『僕』に関わらせるか否かの答えを委ねようとしている。

弥生ちゃんはどうしたらいいのか解らず、迷っている。だけど、僕の言葉で弥生ちゃんは涙を流した。

それはきっと、自分を助けてほしいという心の表れだと、僕は思う。


「勿論です」


だからこそ僕は頷ずく。

彼女の迷いを僕が引き受ける。

それは全ての結果の責任を引き受けると言うことだけど、力になりたいと弥生ちゃんに言ったときから覚悟していることだ。


弥生「……あり、がとう」


また少し涙を滲ませて、弥生ちゃんは頭を下げる。

……ここまでさせて置いて力になれなかった、なんて言えないな。


さて、それじゃあ纏まったところで話を聞くか。

瑞鳳さんと如月ちゃんとの話によると、今の弥生ちゃんはこの鎮守府にきてからの記憶を失っているという話だけど……弥生ちゃんはそれをどう認識しているんだろうか。


「弥生殿は、こちらの鎮守府に来てからの記憶が全くないというお話を伺いました。それは本当なのですか?」

弥生「……そう、ですね。『学校』を出てからが……よく、思い出せなくて……」


学校?学校なんて施設、キサラギにいた頃あっただろうか。

艦娘が生まれたその後については担当していた部署が違うからなんとも言えないが、教育を施す場所、つまり艦娘達にとっての『学校』なのかもしれない。

少し、深く聞いてみようか。


「すみません。『学校』とはなんでしょうか」

弥生「え?……えっと……私達が艦娘になるための勉強をするところ……です。人がいっぱい集まって……勉強をするんです」


学校ってしらないのかな、と言わんばかりに不思議そうに首を傾けつつ弥生ちゃんは答えてくれた。

通っていた身だ。学校のことを知らないなんてことはない。でもやはり、『学校』という艦娘に教育を施す場所があるようだ。

でもそこで一つの疑問が生まれた。

先日、瑞鳳さんと話した時、自分以外の人間がいたら怖いといっていた。

それはつまり自分と同じ存在がいることを知らないことを示している。

弥生ちゃんはそこに人が沢山集まると言った。……言い方は良くないが、弥生ちゃんは代替が効く存在、つまり量産されている存在だ。

そんな存在をまとめて教育を行わないことなんてあるだろうか。

『学校』にいたときのことを聞きながら、少し探ってみるか。



「なるほど。……卯月殿とは学校からのご関係なんですか?」


僕の質問に弥生ちゃんの顔が歪む。

やっぱり卯月ちゃんの話題が出るのが辛いのかもしれない。


弥生「……はい。今の部隊にいるみんなもそうです」

「その頃から皆様と一緒に行動されてたのですか?」

弥生「はい。みんな、仲、よくて……」


言葉を詰まらせて弥生ちゃんは俯く。

恐らく、記憶の自分と今の自分との境遇の乖離をつらく思っているんだろう。


「……大丈夫ですか?」

弥生「……はい。大丈夫、です」


この質問は弥生ちゃんにとって辛い物かもしれない。

でも、昔のことを知ることで何か弥生ちゃんと卯月ちゃんの関係を改善する手がかりを得ることが出来るかもしれない。

それに『学校』についてもまだ判然としていない。

申し訳ないけど、もう少しだけ我慢してもらおう。


「それでは『学校』に居た頃は卯月殿とも仲が良かったんですね」

弥生「……はい。とくに仲、良くて……いつもうーちゃんが私を引っ張ってくれて、色んな所に連れて行ってくれて……」


色んな所?特に施設の周りは戦争の時にまともに爆撃を受けてほとんど更地だった。そんな状態で行くところなんてあっただろうか。

それに施設に居た艦娘が外出したという話は聞いたこと無かったし、鎮守府以外に一時的にせよ送られたという話はなかった筈だ。


「色んな所、ですか?……辛いかもしれませんが、教えて頂けませんか」

弥生「……はい。街中で、お買い物、とか……遊園地、とか……」


思い出を語る弥生ちゃんの顔は辛いものだったが、その中でもどこか懐かしむような色があった。

現状はどうあれ、その時の記憶は幸せなものだったんだろう。

……でも、話の中で出てきた施設は当然キサラギの施設の中にも、周辺にも無かった。聞けば聞くほど、弥生ちゃんの記憶と僕の記憶とに齟齬が生じる。

無かったものを有ったと言う。記憶の中だけの存在。つまり、それは。


「……あぁ、そうか」

弥生「……番頭、さん?」

「あぁ、いえ、何でもありませんよ。良ければもっとどんなところに行ったかとか思い出を聞かせて貰えませんか」

弥生「……はい。他、には―――」


それから弥生ちゃんは辛そうにしていた表情を笑顔に変えて、様々な思い出を語ってくれた。

キサラギによって植えつけたれた、偽りの記憶を。

なぜキサラギはそんなことをしたか。恐らく記憶の共有による結束を図ったんだろう。

記憶の共有は仲間意識に繋がる。仲間意識は結束につながり、戦闘を有利にする。そして時には機械では到底出すことの出来ない、創造を超えた力を出すことが出来る。

実際それは確かな事だ。友達と共に戦場でた僕にも覚えがある。

そしてなぜ複数存在しているはずの弥生ちゃんが、他の自分の存在を知らないのかも、記憶の植え付けという点で説明がつく。

記憶が作られているのだ。余計なことを知るはずも無い。

結束の為の記憶の植え付け。戦争の為だけの記憶の植え付け。

そんな記憶を嬉しそうに語る弥生ちゃんが、ひどく、ひどく……可哀想に思えた。

でも、記憶を植えつけたからこそ、彼女たち艦娘は自分たちを人間だと思えるんだろう。

それが幸せなことなのかどうなのかは解らない。戦争が終わった後、同じ記憶を持った彼女たちの行く末はどうなってしまうのかも解らない。

ただ、今は、記憶を語る弥生ちゃんは、ただただ……幸せそうに見えた。


弥生「楽しかったなぁ……」


一通り思い出を語り終えると、弥生ちゃんは息をついてそう言葉を零した。


弥生「あ、でも……これを聞いて、どう、するんですか……?」


『学校』のことについて聞きたいということもあったけど、僕にはもうひとつ目的があった。

そして記憶の植え付けという点で、その目的の内容が利用できると確信した。


「……酷なことを言いますが、卯月殿は、記憶のない今の弥生殿を、以前の弥生殿と別の方と見なしています」


弥生ちゃんの表情が辛いものに変わる。

それでも聞いて貰わないといけない。聞いた上で弥生ちゃんには進んで貰わないといけない。


「ですが、貴女は弥生殿です。紛れも無い、本物の。……貴女の話してくれた記憶がその証拠です」

弥生「証拠……?」

「はい。少し前の記憶はなくとも、『学校』の記憶はあるんです。それは貴女と共に同じ時を過ごした卯月殿も同じです」


それが植えつけられた偽りの記憶であったとしても。


卯月ちゃんに弥生ちゃんと共に過ごした記憶がないとも言い切れないが、弥生ちゃんが共に過ごしたという記憶をもっている以上

卯月ちゃんにも同様の記憶が植えつけられていない可能性は薄い。でなければ齟齬が生じてしまう。


「それを卯月殿に訴えてみましょう。互いにしか知りえない記憶、それが卯月殿の認識を改めさせる鍵になる筈です」

弥生「……でも、それでも、駄目、だったら……」


弥生ちゃんの不安の表情は晴れない。あれだけ冷たい態度をされているんだ。自信を持てない気持ちも解る。

でも、やらなければ、進まなければ何も変わらない。


「まずはやってみましょう。駄目でしたら……他の手を探しましょう。他の手が駄目ならもっと他の手を。仲直り出来るまで、何度でも。その時まで、僕はずっと弥生殿の傍に居ます」


表情が驚きの色に変わった後、弥生ちゃんは少し顔を赤くして伏せてしまった。

……少し、恥ずかしいことを言ってしまった。そりゃあそんな顔にもなるか。しかも思わず僕っていっちゃったし。


弥生「……ありがとう」


顔を伏せたまま黙ってしまった弥生ちゃんにどうしたものかと思っているうちに、弥生ちゃんは不意にそう呟いた。

答えてくれた安堵と喜びに、思わず笑みが零れる。


「こちらこそ、ありがとうございます」


そう言うと、弥生ちゃんは赤い顔のまま、にこ、と微笑んだ。

弥生ちゃんの話を聞けたお陰で、少しだけ光明が見えた。

この小さな光明が開けて大きな光となってくれることを、ただ、願いたい。

―――――

その後、いつ卯月ちゃんと話すかを大まかに話し合った後、二人でドックから出て、工廠へと向かった。

その間、なんとなく弥生ちゃんの距離がドックへ向かった時よりも近い気がした。

ていうか間違いなく近い。僕の手が弥生ちゃんの肩に触れそうな距離だ。

一緒に歩いている以上、僕のペースで歩いて行くわけにも行かないし……。

しかも朝と違って何も喋らない所為で余計気まずい。

懐くとは違う類の気持ちを向けられているかもしれない。

これから瑞鳳さんが居るであろう工廠に行くというのに、なんだか色々気が重くなってしまう。

……というか弥生ちゃんはいつまでついて来るんだろうか。


「弥生殿?」

弥生「……はい?」


話しかけられると、弥生ちゃんはどこかキラキラした表情で僕の顔を見上げてきた。

マブチィ……。


「ああと……何か工廠に用事ですか?」


その質問に弥生ちゃんはじっと僕の顔を見つめてきた。

……え?何?僕?


弥生「……特に……ないです」


そう言って弥生ちゃんは顔を逸らす。若干赤い。


「そう、ですか……」


首に手を当てて苦笑する。

……どうしよ。

・・・・・・


摩耶「おせぇぞ。たっくよぉ」


工廠に入った僕たちを待っていたのは瑞鳳さんじゃなく、摩耶ちゃんだった。

そうか、昨日の修理の続きに来てたのか。待たせちゃったな。

……瑞鳳さんはどこ行ったんだろうか。


摩耶「あれ?お前瑞鳳は?っていうか弥生じゃん!」


急に名前を呼ばれたのに吃驚したのか、弥生ちゃんはビクッと体を震わせ、僕の影に隠れてしまった。

いくら驚いたからってきゅっと僕の作業服のすそをつかむのはやめてほしい。


摩耶「おいおい、とって食ったりしねぇってのっ」


摩耶ちゃんはそう言うものの、弥生ちゃんは僕の影から顔を出すだけだった。

その姿をみて摩耶ちゃんは頭をガシガシと書いて、大きくため息を吐く。


摩耶「……まぁいいけどよ。てーか、お前らちょっとみねぇうちに随分仲良くなったんだな!」

「……まぁちょっとね」

摩耶「有言実行ってやつか。やるじゃん」



感心したように大きくうんうんと摩耶ちゃんは頷く。

というか感心されるほどのものじゃない気がするけど……というか弥生ちゃんと僕って仲良くなったんだろうか。


摩耶「番頭がやったんならあたしもやんねーとな!負けてらねぇ!」


勝ち負けとかあるんだろうか。いや弥生ちゃんと仲良くしてくれるのは良い事なんだけど。


摩耶「弥生!」


また弥生ちゃんはビクッと体を震わせる。そういうの駄目だって。


弥生「は、はい」

摩耶「あたしと友達になれ!」


ド直球ストレート(150km/h)

というか直球過ぎるでしょうが。弥生ちゃんも突然過ぎてえっ、えっとオドオドしている。


「……それより摩耶ちゃん、瑞鳳さんはって言ってたけど」


あんまりにも見ていられなくて、話を逸らす。

瑞鳳さんがどこに行ったかも気になるし。

摩耶「あ?あー。お前のことを探しにいったんだよ。いつまで経っても来ないから心配してよ」


……そうか。卯月ちゃん達に頼んだだけじゃなくて、自分も探しに行ったのか。

弥生ちゃんとの話で仕方なかったとはいえ、少し申し訳ないな。


摩耶「でももうすぐ帰ってくると思うぜ。行くとこもそんなにねーしな」


卯月ちゃんたちが来たドックを除いたらさらに少なくなる。

確かにすぐに戻ってきそうだ。……ほっとするようなそうでないような。


摩耶「それでさっきの」

「……番頭さん?」


摩耶ちゃんがまた間違いを繰り返しそうになったところで、僕の後ろから聞き覚えのある声が掛かる。

振り返ってみると、やはりと言うか声の主は瑞鳳さんだった。


摩耶「おー戻ってきたか」

瑞鳳「うん。……番頭さんも、戻って、たんだね」

「……うん」


酷い気まずさを覚える。瑞鳳さんも同じなのか、どこかぎこちない。

妙な沈黙が僕達を包む。摩耶ちゃんはあーあと頭を抱え、弥生ちゃんは固唾を呑んで見守っている。


瑞鳳「その……ちょっと、話、いい?」


その沈黙を先に破ったのは瑞鳳さんだった。


「え?……ああ、うん」


僕の返事を受けて、瑞鳳さんは工廠の外へ歩いていく。

背中に張り付いた弥生ちゃんを剥がし、僕もその後についていこうとした所で、摩耶ちゃんの手が肩に掛けられた。


摩耶「任せたぜ」

「……うん」


さっき瑞鳳さんを連れて行った摩耶ちゃんだ。大体の話の予想は着いてるんだろう。

摩耶ちゃんの依頼に頷いて、僕は歩を進め始めた。

続く。


瑞鳳「ごめんね。呼び出しちゃって」


工廠の裏に着くと、前を歩いていた瑞鳳さんが振り向きざまにそう言った。

僕はいや、と首を振って答える。

それで僕たちの会話は途切れ、重い沈黙が僕たちを包む。

……気まずい。二人きりになって余計にそれが増している。

瑞鳳さんもそうなのか、僕に一向に目を合わせようとしない。

喧嘩のようなものをした後だ。僕が一方的に悪かったのだ。喧嘩とも呼べるのかも怪しいけど。

僕も瑞鳳さんもこうなってしまうのも仕方ない……か。


瑞鳳「……あの」


しばらくの間のあと、重たい沈黙を破り、瑞鳳さんが口を開いた。

気まずさに逸らしていた目を、彼女に戻す。

口を開いた彼女だったが、その顔には不安と怯えの色が濃く出ていた。

……また、そんな顔をさせてしまうのか。

そんな顔なんてさせたくないが、彼女が何を言いたいかわからない以上、僕からは何も言うことは出来ない。

彼女の言葉を待つことしか出来ないんだ。

さて、どんな言葉がくるのか。雰囲気から察して抑え目の注意か、それとも別離の宣言か。

どんな言葉だろうと僕は受け入れることしか出来ない。

僕は瑞鳳さんの言葉を諦めに似た気持ちで、じっと待った。


瑞鳳「さっきは……ごめんなさい」


僕の予想に反して、瑞鳳さんの口から飛び出した言葉は謝罪だった。

もしかして取り乱したことを申し訳なく思っているんだろうか。……そんなこと思う必要、ないのに。


「いや、あれは僕の所為だよ。先に瑞鳳さんに言っていれば良かったんだ。だから……」

瑞鳳「ううん。番頭さんが言いたくないって気持ち、解ってたのに、それなのに私、自分の気持ちばっかりで……」

「……僕は瑞鳳さんに嘘を吐いたんだ。裏切ったんだよ。それに瑞鳳さんが怒ることは何もおかしくない」

瑞鳳「でも!……でもそれは全部仲間を助けるためでしょ?助けるために黙って、悩んで、嘘まで吐いて……それなのに私は番頭さんに、あんなこと……」


どうして瑞鳳さんはそこまで自分を悪者にしたがるんだろう。

黙ったのも、嘘を吐いたのも、全部僕の勝手だ。

僕を悪者にさえしてしまえば、僕なんかのことでここまで辛い思いをすることなんか無いのに。

……それなら、悪者と思わせてしまえばいい。


「瑞鳳さんはあの時、信用できないの、って聞いたよね」


僕の言葉に瑞鳳さんは小さく頷く。

これから続ける言葉は瑞鳳さんをもっと傷つけることになるだろう。

でも、これで僕のことを悪者だと思ってもらえば、僕から離れて貰えば、これから僕のことなんかで傷つくことはなくなる。

それが一番だと思う。だから、僕は。


「その通りだ。僕は、瑞鳳さんの事を信用していなかった」


瑞鳳さんの顔が悲しみに歪む。

ああ、僕なんかの為にそんな顔をしないでくれ。

でも、それももうすぐ……終わる。


「会ってすぐの君を信用なんか出来なかった。言ってしまえば、モドキはすぐに討たれてしまうと思った。だから君に嘘を吐いた。皆を危険に晒すと知っていながら、自分の目的を果たすためだけに」


瑞鳳さんは顔を伏せ、胸の前にコブシを作る。

表情は解らないが、きっと僕が碌でもない人間と知って、怒りに震えているんだろう。

でも、それでいい。


「自分の目的の為に平気で嘘を吐き、危険に晒す。……そんな冷たい人間なんだよ。僕は。だから」

瑞鳳「違う!!」


僕の声を遮って、瑞鳳さんは顔を上げる。

その瞳にはまた、うっすらと涙が溜まっていた。

彼女のそんな表情に僕は言葉を続けられなくなってしまう。


瑞鳳「……どうして、そんな悲しいこと言うの?」


理由なんていえるはずも無い。

勝手なお節介だ。言ったところで、どうだって……いうんだ。



瑞鳳「貴方はそんな人じゃない!もっと暖かくて、優しい人で……もっと……!」


言葉を詰まらせ、体を震わせながら、瑞鳳さんは言葉を紡ぐ。


瑞鳳「どうして……どうして自分を傷つけるこというの……」


……どうして?

傷つけたくないんだ。君たちを。だから僕は。


瑞鳳「朝礼の時だって、今だって、どうして……」


事実なんだ。どんな理由だって、僕のやったことは、全部。だから。


瑞鳳「辛いよ。悲しいよ。苦しいよ。そんな姿、みたくないよ」


だから、見せたくないから、僕は。


瑞鳳「信用して貰えるようにかんばるから、嘘吐いてもらえないようにがんばるから」


瑞鳳さんの瞳から、涙が零れる。


瑞鳳「お願いだから……自分を、傷つけないで……!」


しゃがみ込んで、瑞鳳さんは蹲る。見えない顔からは、すすり泣く声が響く。

ああ……どうして、こんなにも、彼女は……。



「……ありがとう」


瑞鳳さんと同じようにしゃがんで、そっと、震える彼女の手を取る。

暖かい。……『彼女』の手もこんな風に暖かかったな。


「嘘吐いて、ごめん。黙ってて、ごめん。相談しなくて、ごめん。信用できなくて、ごめん」


瑞鳳さんは何も答えない。

でも、僕の言葉は届いていると、思う。


「僕も、頑張るよ。瑞鳳さんを信用できるように。瑞鳳さんに嘘を吐かないように」

瑞鳳「……うん」


瑞鳳さんがゆっくりと顔を上げる。

顔は涙で濡れていたけど、とても、とても……綺麗に見えた。


「ありがとう」


もう一度、僕はありがとうと伝える。

謝罪よりもなによりも、僕が今一番伝えたいことだったから。


瑞鳳「ありが……とう」


小さく微笑んで、瑞鳳さんも、そう小さく言葉にした。

自分を傷つけないで、か。

『彼女』もそんなことを言っていたな。

やっぱり彼女は『彼女』なんだと、頭の片隅で、そう、思った。


瑞鳳「あの……」


物思いに耽っていると、瑞鳳さんがおずおずと話しかけてきた。

涙の所為か顔が赤い。


「うん?」

瑞鳳「あの、手……」


そういえば手を握ったままだった。

思わず握ってしまったけど、これは不味かったかもしれない。


「あ、ご、ごめん」

瑞鳳「……い、いけど」


さっと瑞鳳さんから手を離す。

……赤くなってたのは涙の所為だけじゃないかもしれない。と思うのは傲慢だろうか。

瑞鳳さんの顔はしばらく赤いままだった。

ーーーーーーーー


摩耶「なぁ……友達なろうやぁ……」

弥生「あ、ああああの……」


瑞鳳さんが落ち着くのを待って、工廠へ戻ると、奇怪な光景がその中で広がっていた。

摩耶ちゃんが弥生ちゃんを大きな機材の壁まで追い詰めている。

摩耶ちゃんは謎のねっとりボイスを出していて、弥生ちゃんはそんな摩耶ちゃんに怯えている。


瑞鳳「……なにやってんの。摩耶」

摩耶「お、終わったか」


瑞鳳さんの呆れた声に摩耶ちゃんは振り返り、笑顔を見せる。

いや、笑顔見せる状況じゃないからね。


弥生「あっ」


摩耶ちゃんの注意が逸れるや否や安堵した表情を見せたと思ったら、僕の姿を見つけて、弥生ちゃんはばぁっと顔を綻ばせた。……気がする。

弥生ちゃんは表情が乏しいから少し解りづらい。


摩耶「で?上手くいったのか?」

瑞鳳「え?あ、ええと……」


瑞鳳さんの視線を感じて彼女に視線を移す。

目が合った途端、また顔を赤くして顔を背けてしまった。

……なんだこの嬉し恥ずかし空間。

それを見て摩耶ちゃんはにやにやと笑う。


摩耶「上手くいったみたいだな。想像以上に」

瑞鳳「ど、どういうことよ!」

摩耶「どういうもこういうも……なぁ?それは瑞鳳が一番解ってるんじゃねぇの?」

瑞鳳「し、知らない!」


瑞鳳さんの姿に摩耶ちゃんはけらけらと笑い、瑞鳳さんはそれに顔を真っ赤にしている。

瑞鳳さんをからかう摩耶ちゃんだけど、その垣間に見えた安堵の表情に、瑞鳳さんのことを心配していたことを伺えた。

なんだかんだ抜けているけど、仲間を思う気持ちは人一番強いんだろうなと、ぼんやりと考えた。


「ん」


摩耶ちゃんのことを考えている内に背中に何か違和感を感じた。

振り返ってみると、また弥生ちゃんが背中に張り付いていて、摩耶ちゃんと壁を作るようにしている。

摩耶ちゃんの注意が逸れた後移動していたのは見たけど、このために移動してたのか。

胡乱下に弥生ちゃんを見ていると、偶然なのか顔を上げた弥生ちゃんと目が会う。

弥生ちゃんの全身からは助けてオーラが放たれ、目からはお願いビームが発射されている。

こんな顔されたらまた剥がすことなんて出来なかった。……ちょっと弥生ちゃんには甘すぎる気がするけど。

しょうがないと小さくため息をついて、弥生ちゃんの好きなようにさせることにする。

それを感じ取ったのか、弥生ちゃんは僕の作業服のすそを少し強めに握り、体を寄せた。

弥生ちゃんの重さを背中に感じる。……これが毎日続いたら作業服のすそビロンビロンになるなぁ……。


摩耶「んじゃあたしは弥生と……ってあれ?」


ようやく弥生ちゃんがいなくなったことに気づいた摩耶ちゃんが素っ頓狂な声を上げて回りを見渡す。

摩耶ちゃんの口から弥生ちゃんの名前が出た途端、後ろでびくっと震える感覚があった。……えらい苦手に思われてますよ、摩耶ちゃん。



瑞鳳「というか摩耶、さっきなにしてたの?」

摩耶「ん?いや、弥生と友達になろうと思ってよ。お、いたいた……ってまたそこかよ」


僕の背中に張り付いている弥生ちゃんを見つけて、摩耶ちゃんはげんなりとした声を上げた。

というかあれ、友達になろうとしてんだね。てっきりセクハラか何かかと思ってた。


摩耶「さっきも友達になろうとしたら番頭の背中に隠れやがってよぉ……酷くね?瑞鳳?……瑞鳳?」


摩耶ちゃんが妙なものを見たような声を出したのが気になって、原因の瑞鳳さんに視線を移してみる。

すると、瑞鳳さんは驚いているような、怒っているような良く解らない表情で黙って僕を見ていた。……いや、なんか怖いっす。


摩耶「瑞鳳?どうした?」

瑞鳳「……え?あ!ご、ごめん!なに?」

摩耶「なにって、弥生の話だろ?ちゃんと聞いとけよー」


拗ねた様に口を尖らせる摩耶ちゃんにごめんごめんと、瑞鳳さんは苦笑していた。

あの表情はなんだったんだろうか。弥生ちゃんが僕になついていたのがそんなに吃驚したんだろうか。

……それだけじゃないような気もするけど。


瑞鳳「……そっか。仲良くなったんだ。すごいね」


摩耶ちゃんのざっくりとした説明を受け、瑞鳳さんは感心して頷いた。

だから感心されるようなことじゃないと思うんだけど……まぁいいか。


瑞鳳「どうやって仲良くなったの?」


どうやって、か。話していいものか。

背中にいる弥生ちゃんにちらりと視線を送り、話してもいいかと伝えてみる。

それが伝わったのか、弥生ちゃんは瑞鳳さんと僕とを何度も視線を行き来させた後、悩むそぶりを見せた。

個人的な話だ。聞かれるのが恥ずかしいというのもあるだろう。

だけど、瑞鳳さんたちと一緒に弥生ちゃんの人間関係を良くしていこうと約束した身だ。

このままだと僕と卯月ちゃんとだけ仲良くなることになりかねない。そしてそれはきっと弥生ちゃんの為にならない。

それに、もう、出来るだけ瑞鳳さんには隠し事は……したくない。


「弥生殿」


背中に張り付いていた弥生ちゃんを一度剥がし、しゃがんで彼女に向き直る。

弥生ちゃんは不安げな表情をしている。それを解いてあげなければ。


「瑞鳳殿と摩耶殿は私と同じように、弥生殿の力になりたいと思っている方たちなのです」


僕の言葉に信じられないと弥生ちゃんは眼ぱちくりと瞬かせた。


「弥生殿の今の人間関係を心配に思い、仲良くなりたい、そしてほかの皆とも仲良くなって欲しいと思っていられるんです」

弥生「本当……ですか?」

「はい。ですから先ほどから摩耶殿も友達になりたいと言われているのです。少しわかりずらかったかもしれませんが」


弥生ちゃんは摩耶ちゃんに視線を移す。

それに摩耶ちゃんはニカッと笑みを見せた。ちょっと弥生ちゃんは体を震わせた。完全に苦手に思われてるますやん。

まぁそれはそれとして。


「力になる方が多いことに越したことはありません。力になる方に弥生殿の目的を話しておいて協力を仰ぐのもいいと私は思います。ですから……どうでしょうか」


また弥生ちゃんは考えるそぶりを見せる。

まだ説得には足りないようだ。


瑞鳳「弥生ちゃん」


どうしたものかと考えていると、僕と同じように、僕の隣に瑞鳳さんがしゃがみ込んだ。


瑞鳳「まず……いままでごめんね。弥生ちゃんが困ってるのに、私、何もしてあげられなかった」


弥生ちゃんは顔を伏せる。今までのことを思い出しているのだろうか。

そんな彼女にためらう様子を見せたが、瑞鳳さんは意を決したように頷く。


瑞鳳「実を言うとね。少し、弥生ちゃんが怖かったの。記憶が無い弥生ちゃんが別の人に思えちゃって……戦いとかを理由にして逃げちゃってた」

  「でも、弥生ちゃんは弥生ちゃんなんだよね。記憶はなくたって、どんな姿だって」

  「いまさら調子のいい事を言ってるとは思う。でもまた仲良くなりたいの。力になりたいの」

  「お願い……出来ないかな」


そっと弥生ちゃんの手に触れ、瑞鳳さんは頭を下げる。

それに弥生ちゃんは戸惑う様子を見せた。


弥生「……でも」


このでも、は僕のときと同じ意味だろう。

巻き込んでいいのかという迷い。

それを知ってか、瑞鳳さんは力強く頷く。


瑞鳳「大丈夫。もう、弥生ちゃんからは逃げない。だから……お願い」


また瑞鳳さんは頭を下げる。

見ていられなかったのか、摩耶ちゃんも瑞鳳さんにならうようにしゃがみ込む。


摩耶「もちろんあたしもだぜ。あたしもお前と仲良くなりてぇし、力になりてぇんだ。だから、頼む」


大人の二人に頭を下げられ、初めはどうしていいかわからないといった様子だったけど、二人の気持ちが伝わったのか、弥生ちゃんはちいさく頷いた。


弥生「ありがとう……ございます」


弥生ちゃんの頷きに、瑞鳳さんと摩耶ちゃんはそれぞれ喜びの笑みを浮かべた。

これで弥生ちゃんは新しく二人の協力者を得た。

きっと二人は僕以上に弥生ちゃんの力になってくれる。

彼女たちが喜び合う姿を見ながら、安堵に笑みがこぼれた。

続く。


瑞鳳「……敵襲!?」


三人の姿に安堵したのも束の間、僕たちの耳に劈く様なサイレンの音が鳴り響いた。

戦時中、脳裏にこびり付くほどに聞いた敵の襲来を知らせる暗い音だ。

最前線と言うのにこの三日間戦闘がなかったことに安堵を感じながらも拍子抜けしていたが、遂にその時が来たという事か。

劈くサイレンの音を聞きながら、目の前の三人がただの女の子から艦娘と言う戦闘兵器の目に変わるのを目に収めた。


摩耶「チッ、来やがったか。良いところだったってのによぉ」


舌打ちをして悪態を着く摩耶ちゃんだったが、その目はこれから来るであろう交戦の期待に爛々と輝かせていた。

戦い好きの性分なんだろう。戦争中の部隊にもそんな奴がいた。尤もそいつは早々に死んでしまったけど。

でも摩耶ちゃんとそいつは何処か違っていた。何処、と言われれば性別から何やらから全てだけど、決定的に違うものがあった。

そいつには自信があった。自分一人でも何万という敵を殺すことのできる自信が。でもその自信は何にも根拠のない手前勝手な思い込みと呼べるものだったけど。

そいつはその妄想とも呼べる思いに囚われたまま、あっさりと四肢を引き裂かれて死んだ。ただ一人の敵を殺すことも出来ずに。

摩耶ちゃんにはそれを感じられない。何かに裏付けられた根拠のある自信。それが感じられた。

その裏付けが何かは解らないけれど、彼女に纏われた自信は、例えるなら幾多の戦いを潜り抜けたベテランの兵士纏うものとよく似ていた。

当時の僕の上官がまさにそれを持っていた。それを持つ人間は簡単に死ぬことは無い。

上官は僕と一緒に無事に戦争を生き抜いた。でもその後はどうしているのかは解らないけど。



瑞鳳「番頭さんはここで待ってて。私たちは提督のところに行ってくるから」


真剣な表情で瑞鳳さんは僕にそう告げる。

彼女の真剣な表情には、摩耶ちゃんと違って不安の色が滲んでいた。

今までの彼女の姿で予想は着いていたけど、あまり好戦的ではないみたいだ。

その姿に微かな安堵を覚えつつ、僕は彼女に頷いた。


「わかった。……皆気をつけて」

瑞鳳「番頭さんも。危なくなったら逃げてね」


瑞鳳さんにもう一度頷くと、それを合図に彼女たちは工廠の外へと駆けて行った。

無事に帰ってきて欲しい。そう思いながら、僕は彼女たちを見送る。

戦う事に対して何も出来ないことに歯噛みするが、人間の銃を持ったところで深海棲艦には何の意味もない。

僕が出来ることは、ここで彼女たちの無事を祈ることと、整備を進めることだけだ。

ならば、せめてそれに専念しよう。

彼女達のこれからの為にも。


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提督「状況を説明する」


司令棟の前に集められた艦娘達に提督は軽い労いの言葉を掛けた後、短くそう告げた。

提督の言葉に艦娘たちに一気と緊張が走る。


提督「現在、本鎮守府に向かう函館からの食料を携えた輸送艦が深海棲艦による襲撃を受けている。北海道からの護衛、そしてこちらから護衛に派遣した部隊が対応しているが、敵の数が多く、苦戦している状況だ」


北海道の部隊が苦戦。その言葉だけで、酷な状況であることが読みとれた。

北海道は日本の食糧備蓄庫、つまりは最重要拠点の一つである。落とされる訳にはいかない場所だ。

当然陥落を防ぐ為に、北海道には精鋭と呼ばれる艦娘たちが配備されている。

その彼女たちが苦戦しているのだ。お世辞にも良い状況とは言えなかった。


提督「我々は急を持ってこの援護に向かう。先に不明艦の探索を行っていた那智率いる捕縛隊に向かわせている。お前らは彼女達に続いて向かってもらう」

  「だが全員ではない。当鎮守府の半数の勢力を持って援護に向かう」


提督が部隊の半分という勢力を向かわせる理由、それは先に述べた通り、精鋭が苦戦しているという事もあったが、そのほかにも四つの理由があった。

まず一つ目、北海道の部隊が護衛しているのは食糧輸送艦だ。これが落とされてしまえば、本州に残る国民が飢餓に飢えることになる。なんとしてもその事態は避けなければならない。

二つ目、輸送艦を襲う戦力が未知数の為。半端な数の護衛を送り、結果守り切れなければ一つ目に述べた理由が現実のものとなってしまう。

三つ目、この鎮守府を手空きにするのを防ぎ、受け入れ先を確保する為。輸送艦を死守する為に全戦力を送ってしまえば、その間この鎮守府がもし襲撃を受けた際対応できる者が居なくなる。結果落ちてしまえば目も当てられない結果になってしまう。

四つ目、随伴する当鎮守府の艦娘の保護。これが提督にとっての一番の目的でもある。

自分の仲間を、家族を救いたい。彼にとってそれが輸送艦よりも国民よりも、なにより大事なことであった。


提督「隊は足が速い隊とそうでないものと二つに分ける。足が速い隊は接敵次第、俺に状況を連絡しろ。指示を出す。それから援護に入れ。足の遅い隊は合流次第、先に接敵したものに状況を確認し、戦闘に入れ」


そう作戦を簡潔に伝えると、提督は出撃する者の名前を上げ始めた。

次々と上げられる艦娘の名前。その名前の中に、瑞鳳、摩耶、矢矧の名前があった。

名前を上げられ、瑞鳳は緊張に息を呑み、摩耶は心の中に闘争の炎を燃え上がらせ、矢矧はただ小さく溜息を吐いた。

三者三様の反応ではあったが、彼女たちの心には同じくして戦闘への気構えが出来上がっていた。


提督「先遣の部隊長だが……矢矧、頼む」


提督の指示に矢矧はさもありなんとはいと短く首肯した。

一見いささか傲慢ともとれる態度だが、それもそのはず、矢矧はこれより何度も部隊長として隊を率いた経験があった。

矢矧の持つ冷静で合理的な判断力、一瞬の機会を逃さない観察眼とそれを怯まず選び取る豪胆さを提督は買っていた。だからこその幾度の、そして今作戦の部隊長への矢矧の選任であった。

それは部隊の艦娘も理解しており、彼女の選任に不満を漏らす者はいなかった。

彼女の判断や指示に助けられた艦娘も多い。彼女の友人である摩耶もその一人だ。

矢矧の普段の態度に怒りはするものの、摩耶がそれ以上の悪感情を抱かないのもそれに起因している節がある。

しかしそれ以上に摩耶にとっては、矢矧が友人である、といった要素の方が大きいのだが。

「ちょ、ちょっと待つぴょん!」


提督が後続の部隊長の名前を上げたところで、割り込むように声が上がった。

提督が声が上がった方向に視線を向ける。その先には、鬼気迫った表情で彼を見つめる卯月の姿があった。


卯月「うーちゃんは?うーちゃんの名前が呼ばれてないぴょん!!」


提督は内心溜息を吐く。噛みついてくるとは思っていたが、実際に来るとやはり手間と感じてしまっていた。

提督の内心を映し出すかのように、卯月の周りにいる艦娘達もまたか、とげんなりした様子で卯月に視線を向けていた。

だが、それを諌めるものは誰もいない。卯月の深海棲艦に対する憎しみを知っていたが為だ。


提督「卯月、お前は遠征から帰ってきたばかりだろう。今回は待機だ」

卯月「だいじょーぶぴょん!さっき入渠してきたし!うーちゃんもいかせてぴょん!」


卯月は言葉の通り、自分は大丈夫だと訴えるように明るい笑顔を見せた。

だが、その笑顔に薄められた目の中に、強い憎しみの炎が燃え滾っているのを提督は見逃さなかった。


提督「駄目だ。お前は待機だ」

卯月「ど、どーしてぴょん!ほっかいどーのゆそーかんなんでしょ!?それならながちゃんがいるぴょん!助けにいかせてぴょん!」


卯月の言うながちゃんとは、卯月の部隊と所属を同じくする長月という艦娘の事を指している。長月は前回八戸より出る件の輸送艦にこちらからの護衛として同伴していた。

卯月は必死と助けたいと訴えるが、提督は彼女の目的がそれだけではないと見抜いていた。

彼女のもう一つの目的。それはその目に映る憎しみの炎で敵を焼き尽くしたいという復讐であった。

提督「弥生がどうして一度沈んだか、忘れたのか」

卯月「……そ、れは……」


提督の力強くも、底冷えのする言葉に卯月は言葉を詰まらせる。

『弥生』が沈んだ日、それも今の卯月の状況と同じように、遠征から帰ってきてから、そして友人のいる部隊の危機が迫ったものであった。

遠征から弥生が返ってきてから直ぐに、鎮守府近海で哨戒班が敵の襲撃を受けた。

哨戒班には卯月がおり、だからこそと『弥生』は彼女を救う為に提督の制止を無視して部隊の援護に向かってしまった。

その結果、『弥生』は遠征の疲労もあってか、敵の砲撃をまともに受け、沈んだ。

『弥生』が沈む姿を卯月はその目に収めている。そして彼女が援護に駆け付けた理由もその後知った。だからこそ卯月は言葉を詰まらせた。


卯月「でも、でもっ!ながちゃんが、皆が!」


それでもと、卯月はなおも提督に噛みつく。

卯月には仮に自分が沈んだとしても、敵を討ち、仲間を、長月を助けたいという思いがあった。だからこそ卯月は引き下がらなかった。


「うーちゃん」


そこで、如月が後ろから卯月の肩を優しく抱いた。如月の声音は穏やかながらも、悲しみの色が滲んでいた。


卯月「きぃ、ちゃん……」

如月「如月……もう、あの時みたいな思いはしたくない。うーちゃんだってそうなったら同じなんだよ?如月だけじゃなくて、皆も、提督も……」


呆然と如月のあだ名を呟く卯月に、如月は更に言葉を重ねる。

いつの間にか卯月の周りに集まっていた弥生を除いた彼女の所属する駆逐隊も、各々に首を縦に振った。


提督「……俺も、皆も、お前を失いたくない。あの時のような思いは二度としたくないんだ。……解ってくれ」


沈痛な面持ちで、提督は卯月にそう告げる。

卯月は提督と仲間の気持ちを慮りながら、悔しさに歯噛みして引き下がった。


提督「以上でブリーフィングは終了だ。最後に……絶対に死ぬな。必ず生きて帰ってこい」


卯月が下がったの見止めると、そう言葉を切り、提督は艦娘たちに敬礼を向けた。

それに対して彼女達は一斉に提督に敬礼を返す。

戦いの、殺し合いの舞台へ導く提督の言葉。

彼女達艦娘は、信頼と言う感情の元、それをゆっくりと飲み込んだ。

――――――――


瑞鳳「……戦い、だね」


ドックにて援護に向かう艦娘たちが出撃の準備をする中、瑞鳳が隣の矢矧に呟くように声を掛けた。

瑞鳳の面持ちの緊張の色は番頭に見せた時以上に濃くなっていた。


矢矧「そうね。……まだ怖い?」

瑞鳳「……うん。やっぱり何度出ても慣れないよ」


不安がる瑞鳳を横目で見やりながら、矢矧は内心どうしたものかと考えた。

瑞鳳はこの鎮守府に来てから日が浅く、戦闘経験も少なかった。故に彼女が戦い対して不安に思う事は当然と言えば当然であった。

戦いに挑む上で、瑞鳳の経験不足は不安要素だ。だが、矢矧はそれに対して心配に思う事は無かった。

その理由は、不安要素を持って補う、配備が最近の故の最新の艦装を持っていること。そしてそれを持ち腐らせない高い戦闘センスを持っていたからだ。

更には彼女は仲間の危険に対して彼女の持つスペック以上の能力を発揮する。瑞鳳が参加した戦闘でそれは幾度も発揮されていた。


矢矧「大丈夫。そのうち慣れるわ。それに瑞鳳は戦いが上手いからすぐよ」


優しく微笑んで矢矧は世辞抜きで瑞鳳を励ます。

しかし瑞鳳はその言葉に暗い表情を晴らすことは無かった。


瑞鳳「ありがと。……でも、戦いなんか上手くなりたくないよ」

矢矧「私もそうよ。でも、生きる為なんだから」


不承不承に瑞鳳は頷く。

瑞鳳の気持ちを矢矧は解らないこともなかったが、甘いとも感じていた。

彼女の甘さは優しさからくるものではあったが、いつかその優しさが艦装を、戦闘センスを、引き出されるスペックを、そして仲間を殺してしまうのではないか。

それが矢矧が瑞鳳に持つ唯一の、そして決定的な不安要素であった。


「よっ、準備できたか?」


そこで準備を終えた摩耶が二人に声を掛けてきた。

摩耶はやる気に漲り、今か今かと戦闘の期待に燃えていた。

今の様子から解るように、摩耶は好戦的な性格だ。加えて矢矧と共にこの鎮守府に最初期で配備されたメンバーであり、戦闘経験は豊富だった。

更に彼女の持つ戦闘センスはずば抜けており、射撃、戦いの立ち周りは部隊のトップクラスと言っても差し支えないものを持っている。

ただ戦闘に熱中するあまり冷静さを欠く一面があり、その為に幾度も危機に晒されている。初期は矢矧、瑞鳳が加わってからは二人にフォローに廻られている。

矢矧は摩耶を全般的に信頼はしていたが、摩耶の持つ猪突猛進さが悩みの種であった。

それさえなければいいのに、と矢矧は何度も心に思い、口に出したが摩耶がそれを直す様子は見られなかった。

最近ではそれも彼女かと半ば諦めの体で矢矧は摩耶を見ていた。

彼女が危険に晒されるのであれば、自分が、瑞鳳がフォローに回ればいいと矢矧はそう考えている。


瑞鳳「うん。ちょうど」

摩耶「そかそか。気張っていけよ」


ニカ、と明るく笑って摩耶は瑞鳳に親指を立てる。それに瑞鳳は暗い表情を少しだけ明るくさせた。

摩耶のこの天性とも言える明るさ、プレッシャーの強さに救われた艦娘も多い。新米の瑞鳳もその一人であり、ベテランの矢矧でさえそうだ。

高い戦闘センスもそうだが、この明るい性格が周囲の艦娘の信頼を得る要因となっている。


矢矧「貴女もね、摩耶」

摩耶「あぁん?誰にモノ言ってんだ?天下無敵の摩耶さまだぜ?抜かるわけねーっての!」


そう言って摩耶は豪快に笑う。

矢矧ははいはいと簡単に流したが、内心彼女の様子に安堵を覚えていた。


矢矧「……それじゃ、そろそろ行きましょうか」


二人に合図を送り、同じ先遣隊の瑞鳳が頷くのを見ると、矢矧は率いる隊の元へ向かおうとする。


摩耶「ぜってぇ後から行く。だからそれまで沈むなよ」


そこでいつになく真剣な表情で摩耶は二人に声を掛けた。

後続隊である摩耶が、共に戦闘に入れないが為の言葉だった。


矢矧「ええ。わかってるわ」

瑞鳳「頑張る。摩耶もだよ?」

摩耶「わーってるっての!」


それぞれの言葉を合図に三人は二人と一人に別れ、それぞれの場所へ向かっていった。

戦争が、始まる。


―――――――――

「なんてことだ……」


矢矧率いる先遣隊が鎮守府を発った頃、輸送艦の護衛についていた駆逐艦長月は、目の前に広がる凄惨たる現状に思わず絶望の言葉を漏らしていた。

空には敵が飛ばす飛行体とこちらの航空機が入り乱れ、目の前の海上には無数の敵艦が犇めいていた。

耳を劈くのは水や鉄を爆ぜ飛ばす爆音、そしてその合間を縫って、弾が空気を切り裂く風切り音と敵と味方の飛行隊の羽音が混じり出す不気味な音だけだった。

戦況は劣勢も劣勢。輸送艦は既に包囲されており、その包囲網の内を更に円作るように防衛網を展開し場当たり的な対応を繰り返している。

こちらの被害は激しく、無傷の者は誰もいない。輸送艦は度重なる砲撃を受け、船体のあちこちから黒い煙を吐き出していた。

ここまで撃沈艦が出ず、防衛網が破られていないのが奇跡であった。だが、度重なる攻撃にこの奇跡は長くは続かないだろう。

防衛網が一か所でも破れてしまえば、たちどころに輸送艦は沈み、次いで部隊も全滅してしまうだろう。

救援が間に合えば挽回できる可能性もあろうが、いつ来るかもわからず、それまでに陣を保てるかも不明だ。


長月「……クソが」


絶望的な状況に長月は悪態を吐く。

そんな事をしてもどうにもならないが、そうせざるを得ないほどに部隊は、長月は追い込まれていた。

ここで終わりか。そんな言葉が彼女の脳裏を過る。

深海棲艦との戦争の終結も見届けられず、如月達の、提督の元にも戻れず、こんな所で死ぬのか。

そんなのは嫌だと長月は心で叫ぶ。叫びのままに目の前の敵艦を討つ。

しかし、いくら沈めても目の前の敵艦の数は減らず、戦況は変わらない。


長月「がっ……!」


諦めの感情が心に芽生えかけた時、長月の横で敵の放った砲弾が炸裂した。直撃はしなかったものの、爆風が彼女の体と傷を焼き、激痛を走らせた。

それだけならばまだ良かったが、近距離の爆音に長月の聴覚が奪われてしまった。聴覚が失われたことにより平衡感覚が失われ、体が思うように動かせられなくなる。

予期せぬ体の不調は、精神的に追い詰められているという燃料に火を付け、長月をパニックに陥れた。


長月「あ、ああああああああああああああ!!!」


長月は狂乱に叫んだ。

彼女の頭に死にたくないという文字が埋め尽くされていく。

だが、そんな必死な願いとも呼べる思いは叶わない。現実は残酷だった。


長月「あ、ああ……」


敵の一つが、動けなくなった長月に狙いを定めた。

彼女は運悪く、その姿を目に収めてしまう。それが彼女に更なる混乱を呼ぶ。


長月「い、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!!」


嫌だと叫ぶ。懇願する。神に祈る。

だが、それに答えるものは誰もいない。


長月「死にたくない!死にたく、死にたくない!!助けて、誰か、誰か、提と」







彼女の言葉は続かず、爆音に消えた。




続く。次回は早め……かも

―――――――――――


瑞鳳さん達が工廠を出て行ってから半刻程経ち、山のように積んであった艦装の一つを引っ張り出して分解し、使えない部品の分別が終えたところで一端息を吐いた。

ちなみに摩耶ちゃんの艦装は彼女がいない為、昨日の状態で残してある。最も、今日の戦闘如何で、自分で直したがっていた摩耶ちゃんには申し訳ないけど直さなければいけないが。

彼女は今スペアで戦いに出ている。それが使えなくなってしまえば、今後の戦いがどうしようもなくなってしまうからだ。……そうなったら、今日は徹夜かな。


「……あの、ばんとーさん」


続けてクリーニングに入ろうとしたところで、後ろから声が掛かった。

戦闘で出払っている筈なのにどうしたんだろうと振り返ると、もじもじとした様子の文月ちゃんと浮かない顔をして俯いた卯月ちゃんが立っていた。

戦いに出た筈じゃないのか?それにいつもなら卯月ちゃんが声を掛けてくるのにどうしたんだろうか。元気もないみたいだし……。

色々と気になる事はあるけど、とりあえずどうしたのか聞いておかなければ。


「卯月殿、文月殿……どうされました?」

文月「てーとくにばんとーさんの手伝いして上げろって言われたから~……で、です」


何か緊急事態なのかと思ったけどそんなことは無いみたいだ。要するに文月ちゃんたちは瑞鳳さんの代わりに来たんだろう。

……仮にも世話役と言う名の監視役なのに、この子たち見たいな子供に任せていいんだろうか。それもこんな戦闘中に。

いやまぁ何かするわけでもないし、いいと言えばいいんだけど……。まだ3日なのになんというかもう監視役という名目は無くなっている気がする。


「なるほど。わざわざお越しいただきありがとうございます」

文月「やぁ~、えへへ~」


笑って礼を伝えると、文月ちゃんは照れたようにほわっと笑った。やっぱりふわふわした子だなぁ、この子は。


それにしても卯月ちゃんの反応がない。ちらりと彼女を見てみたが、俯いたままでこちらの会話に入ってこようとしない。

卯月ちゃんの事をよく知ってるわけではないし、こういう時もあるのかもしれないが……やはり様子がおかしいと感じる。


文月「そ、それじゃあ~なにかお手伝いすることある……ますか?」


僕の内心を余所に文月ちゃんが、キラキラとした表情で声を掛けてきた。

さっきから敬語を使い慣れていないのか、とって付けたように彼女は話す。それが可愛らしくもあるけど。


文月「あ、あの、ばんとーさん?あ、あたし変な事いった……ますか?」


焦った様子で文月ちゃんは小首を傾げる。彼女のその様子をみてから気付いたけど、どうやら知らずに僕は彼女の可愛らしさに頬を緩ませていたようだ。

少し、失礼なことをしてしまったかな。


「いえ、何も変な事は仰っていませんよ」

文月「じゃ、じゃあどうして……です?」


突っ込んでくるか……どう言ったものかな。嫌な予感がする文月ちゃんに素直に可愛かったからと言うわけにもいかないしなぁ。

思い出し笑い、は駄目か。文月ちゃんの顔で思い出し笑いってかなり失礼だ。

それにしてもこうして話していて解ったが、文月ちゃんはどこか妹に似ている。顔とかは全然違うんだけどのほほんとした雰囲気がそう感じさせる。

あの子も大きくなっていたら文月ちゃんよりも少し大きいくらいだろうか。もう知る由もないけれど。

ん、妹……そうか。この手があったか。こういうことくらいであの子を出したくはないけど、しょうがないか。


「……その、少し、文月殿が妹に似ていたものですから。思い出してしまいまして」


これなら文月ちゃんへの『嫌な予感』を刺激することはないだろう。


文月「……いもうと……」


……と思ったけど、文月ちゃんはなんだか夢心地でぽーっとしている。

どうやら僕の暗に言いたい事が伝わらなかったみたいだ。文月ちゃんがまだまだ幼いということを考えていなかった。

……でもまぁいいか。とりあえずは収まったことだし。

にしても手伝いか。手伝いと言っても物を持って来て貰うくらいしかできないんだけど……。


卯月「ばんとーさん」


そこで今まで黙っていた卯月ちゃんが俯かせていた顔を上げ、急に声を掛けてきた。

声にいつもの様な張りは無く、どこか縋る様で、迷う色が感じられる。


「どうしました?」


いつもと違い過ぎる声に少し驚いたけれど、すぐに取り直してなるべく優しく答える。

卯月ちゃんの様子からして、なにか悩んでいることは間違いない。ならば聞くぐらいのことはしてあげたい。


卯月「うーちゃんがばんとーさんが直した艦装をつかうとばんとーさんうれしい?」


ぽつりと零すような卯月ちゃんの言葉に頭の中にハテナが浮かぶ。口に出すには唐突すぎるし、悩んだ様子で言うセリフでも場面でもない筈だ。

卯月ちゃんがそのセリフを口にした理由は解らない。ともかく理由はどうあれ、彼女の質問の答えは決まっている。


「嬉しくありませんよ」


卯月ちゃんが驚きに目を見開いた後、悲しげに顔を歪めた。

敵が人間で、深く憎んでいた頃であれば、僕は嬉しいと答えただろう。

あの頃の僕は、整備した装備で敵を殺してくれれば殺してくれる程喜びを覚えていたから。

でも今は違う。何の喜びも覚えない。

むしろ敵を殺す事よりも、艦装を使わず、敵を殺さずに日々を終えてくれた方がよっぽど嬉しい。

本当なら艦装なんて武器を身に付けて欲しくもない。その武器で敵をいくら殺したところで、その手に残るものは何もないのだから。


卯月「じゃあ、じゃあどうしてばんとーさんは機械をなおすぴょん?使ってもらってうれしくないなら、どうして……」


使って貰って喜びを覚えず、それでも尚、整備を続ける理由。

それは『彼女』との約束の為。でも、それ以上に……。


「生きて帰ってきて欲しいから、です」


戦争をしている今、敵を殺さずにいて欲しいなんてくだらない戯言だ。いくら吐いても意味がない。

それなら、彼女たちが戦いに行って、少しでも生きて帰ってくる確率を上げたい。出来るなら怪我もなく無事に帰ってきて欲しい。だから僕は再びスパナを握っている。


僕の答えに卯月ちゃんはガクリと頭をうなだれさせ、呆然としている。まるで何か拒絶され、ショックを受けているかのように。

その様子が気になるけど、今は卯月ちゃんに質問する方が先だ。そうすれば今の彼女の思いも解るはずだろうから。


「何故、嬉しいかなんて聞いたんですか?」


卯月ちゃんの体がぴくりと跳ねさせ、黙ったまま俯かせた顔をあらぬ方向に顔を反らす。

まるで怒られるのを怖がる子供の様だ。

益々訳が解らない。僕は卯月ちゃんの嬉しいかという質問にいいえと答えただけだ。

そもそもなぜ卯月ちゃんは僕に嬉しいかと聞いたのか。そしてなぜ嬉しくないと答えたらショックを受けた様な様子になったのか。

それらを合わせると、彼女は恐らく僕に嬉しいと言って欲しかったんだろう。

嬉しいと答えることで何か意味があったのか?

ちらりと文月ちゃんの様子を窺う。彼女は卯月ちゃんのことを焦った様子でおろおろと見ている。

変だ。今のやり取りで心配することは無い筈だ。文月ちゃんが優しいから彼女の今の落ち込んだ様子に心配しているだけなのかもしれない。

だけどこうも唐突なやり取りで心配の感情を相手に向けるか?のほほんとした彼女ならなおさら。本来ならぽかんとした表情を浮かべる筈だ。

だというのに文月ちゃんは卯月ちゃんに様子に焦った姿を見せている。……つまり卯月ちゃんが今の様子になっている事情を知っている可能性が高い。


「卯月殿」


だけど、あえて卯月ちゃんに問いかける。怒るつもりはないと、なるたけ声を穏やかにさせて。

何か知っているであろう文月ちゃんに聞けば、卯月ちゃんの今の様子の理由を知ることが出来るかもしれない。

だけど、言いづらいことであるならばそれは卯月ちゃんにとって酷だ。他人の口から言わせることなんて恥以外の何物でもない。

彼女の口から聞く。それが彼女にとって一番だと僕は思う。


僕の呼びかけに卯月ちゃんは恐る恐ると顔を上げ、不安に揺れる瞳で僕を見た。

それに答えるように僕は優しく微笑んで見せる。

すると彼女はぽつりと、絞らせる様な声で呟いた。


卯月「……出撃、できるとおもったから……」

「え?」

卯月「ば、ばんとーさんが嬉しいっていってくれたら、出撃できるとおもったから!助けに行けるとおもったから!てーとくもわかってくれるって、おもった、から……」


懺悔するような声で卯月ちゃんは叫ぶ。

……そうか。言い方は悪いが、つまり卯月ちゃんは僕を利用しようとしたのだ。もちろん彼女にそんなつもりはないだろうけど。

嬉しいという言質を取り、出撃を禁止した提督に訴えることで今朝のサイレンの戦いに出る許可を得ようとしたんだろう。

禁止した理由は卯月ちゃんは今日遠征から帰って来たばかりで疲労しているからだろう。文月ちゃんもここにいるのも恐らく同じ理由だ。

これで彼女たちが戦闘に出ていない疑問が解決した。そして提督が子供の彼女たちを僕の所に監視役として寄越した疑問も。

いや、監視役は僕か。要するに提督は卯月ちゃんの監視役を僕に任せたのだ。

彼女は敵に対して深い憎しみを持っている。そしてその憎しみが暴走して勝手な行動をさせないよう監視しろということだろう。

そしてもちろん彼女達が僕の監視(世話)役することも兼ねている。提督は今の現状に二つの意味を持たせたようだ。

にしても……なんというか、拙い。見た目相応の年齢と思いつめた、いや、追い込まれた様子から見ればそんな行動を取ってしまうのも仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが。

僕に戦闘に関する出撃を決める権限は持っていない。僕の言質を取ったところでどうしようもないのに。

そこまでして卯月ちゃんは、敵を殺したいのだろうか。もちろんそれもあるだろう。でも今回はそれだけじゃないかもしれない。

彼女は助けに行きたいと言った。つまり危機に陥っている仲間がいるということだ。


「助けに行きたい方がいらっしゃるのですね」


僕の言葉に卯月ちゃんは拳を握りしめて小さく頷き、ぽつりと言葉を零した。


卯月「ながちゃんが、ながちゃんが危ないから、守りたいから、友達、もう、なくしたくないから、うーちゃんは、卯月は……」


やはりそうか。仲間を助けたい、守りたいという気持ちは痛いほど解る。

親友である弥生ちゃんを亡くしたと思っている卯月ちゃんなら尚更だろう。……でも、僕にはどうしようもない。


「……卯月殿の気持ちは解ります。ですが私には貴女の出撃の可否を決める権限がなく……どうしようも出来ません」

卯月「……で、でも!てーとくに言えば……」

「進言する事は出来ます。ですが、提督は絶対に縦に首を振らないでしょう。……そして私も進言するつもりはありません」

卯月「卯月が遠征に行ったから?でも卯月は元気だよ?疲れなんかなくて、だから……」


卯月ちゃんは必死と食い下がってくるが、それでも僕は首を横に振る。

提督に監視を任されたのだ。縦に振るわけにはいかない。


「卯月殿、何故貴女が出撃を許されなかったかの理由は聞きましたか」


僕から目を反らし、卯月ちゃんは気まずそうな顔を作る。どうやら理由は言われたようだ。

説明されたにも関わらずまだ諦められないか。敵を憎む気持ちも仲間を守りたい気持も解る。だけど、どうしてここまで執着する?


「恐らく、疲労のほかに提督より貴女を失いたくないという様な理由を聞いた筈です。それは私も同じです。だから提督に進言する事はありません。……ここまで言われて、何故なのですか?」


僕の質問に卯月ちゃんはまさに鬼気迫った表情で僕の顔を見返してきた。


卯月「嫌だもん!もう、もう友達がいなくなるのは嫌だもん!助けたいの!もう目の前で何も出来ないのは嫌なの!」


提督の、いや、仲間たちの気持ちを踏み躙ってでも助けたいと彼女は言う。

そう思うのも仕方ないのかもしれない。彼女は目の前で何も出来ない、友達を失いたくないと言った。

友達というのは『弥生ちゃん』の事だろう。そして目の前というのは恐らく討たれた姿を目撃している。

相当のトラウマになってもおかしくない。だからこそのこの執念なんだろう。

この執念は恐らく彼女の身を滅ぼすまで続く。運がよければ僕の様に生き残るかもしれないが、そんなの奇跡の様な確率だ。実際僕と同じような執念を持った友人達はもう一人もいなくなってしまった。

そんな目に彼女を合わせたくない。合わせるわけにはいかない。でも原因のトラウマを払拭しない限り、彼女に取り憑いた執念は消えることは無いだろう。

だが、卯月ちゃんに至っては執念の原因を取り除くことは可能だ。なぜなら今、弥生ちゃんがいるのだから。

彼女は卯月ちゃんの思う『弥生ちゃん』ではない。だが、弥生ちゃんという存在ではある。卯月ちゃんが彼女を『弥生ちゃん』だと受け入れて貰えばトラウマを払拭できる。

……今やろう。いややるしかない。このまま放っておけばいずれ彼女は身を滅ぼす。そんな結果は見たくない。

心を決め、口を開く。



「友達、とは?」

卯月「……や、よちゃん……」

「弥生殿はいらっしゃるじゃないですか」

卯月「ち……がう。あいつは、あいつはやよちゃんじゃない!」


絞り出すような声で卯月ちゃんは答える。やはりどうしても今の弥生ちゃんを『弥生』ちゃんと認められないみたいだ。

でも、それではいけない。彼女には提督が作り出し、僕が磨き上げる嘘を信じて貰わなければならない。

それは酷く歪んだことだと思う。だけど、もう口から出した嘘は戻せない。後戻りはできない。

彼女には信じてもらうしかない。仲間たちの為にも、弥生ちゃんの為にも、そして、卯月ちゃんの為にも。

付けいる隙はある。卯月ちゃんは今、酷く苦しげな顔をしている。それは恐らく、酷い事を言っているという意識があるからだ。

それはつまり認めていないではなく、認めたいのに認められないと思っている。そしてそれを苦しく、申し訳なく思っているという事だ。

本当に別物だと思っているなら、こんな苦しい顔なんかしない。

彼女を揺らすその良心に、付けこむ。



文月「う、うーちゃん!」


卯月ちゃんを止めようとする文月ちゃんに掌を向け、任せてくれと目で伝える。

それが彼女に伝わった様で、すこし迷うそぶりを見せたが、小さく首を縦に振ってくれた。

さて、これからだ。

「どうして……そう思うのですか」

卯月「だ、だって!あいつ、思い出、ないもん!卯月たちとここで過ごした思い出ないもん!それにてーとくから貰ったペンダントだって!」

「それだけで、そう思うんですか」


卯月ちゃんの瞳に怒りの炎が灯る。それだけこの鎮守府での思い出と提督に貰ったペンダントが重要だったということか。

でもそれでいい。怒るということは感情がむき出しになるという事だ。剥きだされた感情は刺激に脆い。それが負い目を感じている事ならなおさら。


卯月「それだけって……ばんとーさんにはわかんないよっ!大事な、大事なことだったのに!」

「それなのに、現に弥生殿はいるのに、大事な事を共有した人を手放してしまうのですか」

卯月「違うっていってるでしょ!あいつなんにも、なんにもないからっ!それなのに、でも、だから、だから……!」

「だから遠ざけ、傷つけるのですか。……貴女の親友を」

卯月「……っ!」


言葉を詰まらせ、僕から、見たくない現実から目を反らす。

恐らく今彼女の心には弥生ちゃんの怯え、傷ついた顔が映っている筈だ。

表情からも察せるが、彼女の心は罪悪感に一杯になっているだろう。……そこを突く。


「……それが貴女の本当にしたかったことなんですか」

卯月「ち、違う。こんなこと、それにあいつは……」

「弥生殿は弥生殿でないから、ですか」


卯月ちゃんは僕の質問に答えない。この沈黙は肯定と否定、どちらの意味も持っているだろう。

彼女は弥生ちゃんを違う人間だという建前と、弥生ちゃんは弥生ちゃん本人だという本心を持っている。

建前は肯定を、本心は否定を答えとする。相反する矛盾とも言える答え。

それは人として心に生まれる当たり前のことだ。でも同時に酷く歪なもので、その歪が本人を傷つける。


「……本当は、違うんですよね。……怖いんだ。今の弥生殿を認めてしまう事で、二人の思い出がなくなってしまうことが」

卯月「ち、ちが……」

「そして、今まで遠ざけて傷つけたのに、今更仲良くすることなんてできない。そんな資格なんてないとも思っている」

卯月「ちがう!ちがうちがうちがう!卯月は、卯月は……!」


卯月ちゃんの体が震え始め、瞳に涙に滲む。

彼女は苦しんでいる。今の弥生ちゃんと昔の弥生ちゃんの乖離に、それを認められない自分自身に、酷い事をしていると思っていても止められない自分に。

そんな彼女を嘘で騙す。嘘を受け入れて貰う。それはとても、とても惨い事に思えた。でも、やるしかない。


「それでは卯月殿。一つ、聞かせて下さい。……貴女はこれから弥生殿とどうなりたいですか」

卯月「どう……って……」

「今まで通り、傷付け合う関係であり続けますか。常に遠ざけ、孤独に泣こうが、貴女に助けを求めようが、知らぬ顔で負い目を感じながらずっと。……今度こそ彼女が一人水底に沈む時まで」

卯月「……沈、む……」


青ざめた表情で卯月ちゃんは声を震わせる。きっとその姿を想像している、あるいは反芻しているのだろう。

彼女は一度弥生ちゃんを失くしているのだから。……そんな絶望的な光景に希望の糸を垂らす。


「それとも、もう一度昔の様な関係に戻りたいですか。共に笑い合えていた頃のように」

卯月「……でも……」

「弥生殿も、それを望んでいます」


ずっと傷つけられながらも、弥生ちゃんは今でも卯月ちゃんと仲良くすることを望んでいる。それは事実だ。

そしてその事実は卯月ちゃんにとって希望の糸でもある。

卯月ちゃんが信じられないという表情で僕を見る。それに答える為に、僕はゆっくりと首を縦に振った。

……後は詰めだ。



「……もう一度聞きます。卯月殿、貴女はどうしたいのですか。どうするべきではなく、貴女がやりたい事を教えて下さい」

卯月「……卯月は……卯月、は……」


顔を伏せ、卯月ちゃんは唇を固く引き結ぶ。

自分の心を守る為の弥生ちゃんが別人として扱う建前。

本人と認め再び昔のように戻りたいという本心。

その二つに卯月ちゃんは揺れている。……卯月ちゃんは本心を選んでくれるだろう。これ見よがしに希望の糸を垂らしたのだから。

それを掴みとってくれなければ、卯月ちゃんと弥生ちゃんの別離は決定的なものになってしまうかもしれない。

このやり取りは自分の気持ちの確認だ。さまざまな質問を通して僕は彼女に意思の確認をさせた。それでいて尚、別離の路を選ぶとしたならば、それはかなり強固な意志となってしまうだろう。

そして恐らく、それはよっぽどのことがない限り、覆すことは無い。そうなってしまっては打つ手は限りなく少なくなる。

祈るように僕は、卯月ちゃんが自分の本心を取ってくれることを願い、待った。

しばらくの間の後、卯月ちゃんは声を震わせながらも、ハッキリと言い放つ。


卯月「また、またやよちゃんと……仲良く、したい」


……言った。言ってくれた。

彼女の本当にやりたい事を、彼女の本心を。

その事について安堵を覚えると共に嬉しく思う。卯月ちゃんが苦しみから解放されることが出来たのだから。

……だけどこれで彼女は僕たちの嘘を受け入れることになった。

自分でやってしまった事だ。何を言う資格なんかないけれど、やはり……悲しい。

そんな感情を胸に押し込め、僕は卯月ちゃんに笑いかける。


「解りました。……今まで、辛かったですね」


僕の言葉に卯月ちゃんは目を大きく見開いた後、ゆっくりと顔を俯かせると、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。


卯月「……辛くなんか、なかったよ。辛いなんて……」

「友達に酷い事をして辛く思わない人なんていませんよ。その人が大事な人なら尚更です。それに……」


彼女の頬に触れ、いつの間にか溢れだしていた涙を拭う。


「……辛くない人が、泣いたりなんかしません」


そこで初めて彼女は自分が泣いている事に気付いたようで、呆然と立ち尽くした。


卯月「……え……なん、で……?」


堰を切ったように彼女はその瞳から涙を溢れださせた。


卯月「違う、こんな、卯月は泣いちゃ、泣いちゃ駄目なのに……」


彼女は溢れだす涙を止めようと袖で拭う。でも一向にそれが止まる気配はなかった。

ずっと彼女は我慢していたのだ。弥生ちゃんを傷つけていた事の罪悪感に。認めることができない自分の情けなさに。

……涙はそれらの結晶なのだろう。それを今やっと溢れださせている。

そんな卯月ちゃんの頭を優しく撫でる。


「……君は優しい子だ。だから自分のやってしまっていることを辛く、悲しく思う」

卯月「ち、ちがう、卯月は、そんな……」

「そんなことない。優しくない人がこんなに悩むことなんてないんだから」

卯月「……う、う……」

「辛かったね。苦しかったね。ずっと、ずっと……。でも……もういいんだ。もう……」


彼女は大声をあげて泣いた。

ごめんなさい、ごめんなさいと何度も繰り返しながら大粒の涙を零す。

僕は卯月ちゃんが泣きやむまで、彼女の頭を撫で続けた。


・・・・・・・


「大丈夫、ですか」


卯月ちゃんが泣きやんだところで、手を放して優しく声を掛けた。

それに卯月ちゃんは小さく頷いた。


「良かった。……少し、お話ししませんか」

卯月「……うん……」


彼女がもう一度頷いたのを見て、僕は彼女の手を引き、近くの椅子に腰かけさせた。


「文月殿も」

文月「う、ぐすっ、うん……」


見ていないところで文月ちゃんも泣いていたようだ。

きっと今まで卯月ちゃんが苦しんで来たところを見てきたんだろう。辛く苦しんでいる友達を見ているのも辛いものだ。

それでも涙を流すということまではなかなか出来ない。……優しい子だ。

それはさておき……さて、次の段階だ。



「卯月殿、辛いかもしれませんが、どうして弥生殿を弥生殿として認められなかったのかもう一度教えて貰えませんか」


理由はもう解っている。これは彼女にもう一度なにが問題かをしっかりと理解して、どうすればいいのか考えて貰う為にやるのだ。

卯月ちゃんはまた少し顔を俯かせたが、口を開いてくれた。


卯月「……やよちゃんの記憶がないことと、ペンダントがない、から……」

「記憶、というのはこの鎮守府で過ごした間の事、なんですよね」

卯月「……うん」

「それ以前の……『学校』のことについて詳しく聞きましたか?」


卯月ちゃんは小さく首を振る。

行ける。『学校』の事も記憶にあるようだしここを攻めよう。


「弥生殿ともお話ししましたが、『学校』についての記憶はあるとのことでした。二人の思い出もあるとも。そのことについて少し弥生殿とお話ししてはどうでしょう」


卯月ちゃんは少しだけ目を丸くして、僕を見つめる。


「少し前の記憶は無くとも、『学校』で共に作り上げた記憶はあるんです。それを話せば弥生殿が弥生殿であるという確信はとれるのではないでしょうか」


迷った様子を見せながらも、卯月ちゃんはゆっくりと確かに頷いてくれた。

よし、これで彼女に話すことの意思を作ることが出来た。大きい前進だ。

……でもなぜ『学校』にいた時の事について聞かなかったんだろうか。それを聞けば本人の確認は取れたはずなのに。

それだけ鎮守府にいた間の思い出が重要だったという事か。でもそれにしか目が行かなくなるほどの理由とはなんなんだろうか。



「……鎮守府にいた時の思い出は、やはり大切なものでしたか」


彼女は僕の質問に酷く顔を歪めたが、ポツポツと理由を語ってくれた。

何気ない会話をしていたこと。

一緒に提督に悪戯をしたこと。

悪戯をいろんな人に一緒に怒られたこと。

共に何度も戦いをくぐりぬけ、助けあったこと。

戦いが終わった時の夢を語り合ったことなど。

どれも『学校』にいた時の記憶よりもハッキリしていて大切な事だったという。

やはり植えつけられた記憶よりも、実際に体験したもの方が強く残っているみたいだ。

それでも彼女にはそれを捨てて、僕たちの用意した嘘を呑みこんで貰わなければいけない。……惨いことだ。

やがて卯月ちゃんは、話しの中でペンダントの事について語ってくれた。


卯月「――それでね、卯月とやよちゃんはこーかんしたんだ」

「交換、ですか?」


うん、と卯月ちゃんは頷き胸に掛けていたペンダントを見せてくれた。

如月ちゃんをはじめとした駆逐隊の子たちはそれぞれイメージ通りの物を身に付けていたが、卯月ちゃんの身に付けていた物は四角い形をした何の装飾もされていないシンプルな銀色のものだった。

どこかイメージと外れているとは思っていたが、交換していたのなら納得がいった。



卯月「うん。やっぱりどーしてもはなれちゃう時があるから、それならこーかんして、おまもりにしようって。それでね、戦いがおわったら、またこうかんしようって言ってたんだ」


そこで卯月ちゃんはペンダントを開け、中身を見せてくれた。

中には提督と弥生ちゃんが映った写真が入っていた。


卯月「……もう、できなくなっちゃった、けど」


ペンダントを閉じ、呟く。

その声には濃い悲しみの色がにじんでいた。


「……弥生殿は恐らく、一度沈んだ時に無くしてしまったのでしょうね」

卯月「……うん。そうだって思ったんだけどね、でも……」


ギュッと彼女はペンダントを握りしめる。握りしめる手は小さく、震えていた。

絶対の友情の証であり、互いを守りあうと誓ったお守り。恐らくそれが弥生ちゃんを『弥生ちゃん』と決定づけたものなのだろう。

それを今の弥生ちゃんは持っていなかった。だから、認めることが出来なかった。

でもなぜ、提督は同じものを用意しなかったのだろう。用意することはできた筈だ。

いや、出来なかったんだ。中には写真が入っていた。それがどう言ったもので、どう入っていたかまでなんて解らなかったんだ。

なにが入っていたかなんて解る人はいない。卯月ちゃんが知っているかもしれないが、それを聞くことなんておかしい話だし、失った時の彼女の状態を考えれば難しかったんだろう。

だから提督は用意しなかった。それに新しいものを用意すれば沈んだというのに全く傷がないものになる。

それはある意味代わりを用意したと言っている様なものだ。ならば沈んだ時になくした、と言った方が自然だろう。


これで卯月ちゃんが認められなかった理由は解った。この問題とは別件だが、僕にはまだ聞きたい事があった。


「出来ればでいいのですが、弥生殿と交換したペンダントの形を教えてもらえませんか」

卯月「え?……どーして」

「気になったものですから。出来ればでいいので」

卯月「……うんとね。ダイヤの形でぎんいろで、ごつごつしてるやつ」


卯月ちゃんの答えたペンダントの形は、要するにダイヤの形をして装飾の乗ったシルバーの物だという。


「……そうですか。ありがとうございます」


僕の礼に卯月ちゃんは小さくえへへと笑ったが、すぐに真面目な顔になった。


卯月「……あの、ばんとーさん」


首を傾げてどうしましたと答えたが、だけど卯月ちゃんはもじもじとし始め、その続きをなかなか言わなかった。

本当にどうしたんだろうと彼女の言葉を待っていると、小さく彼女は呟いた。


卯月「ごめんなさい。それと……ありがと……ぴょん」


そしてまた、照れたように卯月ちゃんは小さく笑った。

……どちらも僕が言われる資格なんてない。彼女を騙しているのだから。

そんなこと言える筈もなく、僕は曖昧に笑うしかなかった。


卯月「あ、それとね?さっきみたいにふつーにはなしてほしーぴょん!」

「え?」

卯月「ふつーぴょん!さっきのー「辛かったね。苦しかったね。ずっと、ずっと……。でも……もういいんだ。もう……」ってやつ!」

「ちょっ」


真剣な顔してさっきの僕の声真似をする卯月ちゃん。

普通、とは敬語を抜いた言葉のことらしい。知らずに崩していたみたいだ……ってか恥ずかし!


「いや、それはちょっと」

卯月「えー?じゃあみんなにこんなふーに口説かれたっていいふらしてやろーっと!「そんなことない。優しくない人がこんなに悩むことなんてないんだから」って!」

「う、卯月殿!」


手を伸ばして止めようとするが、卯月ちゃんはするりと交わして、僕から距離を取った。

こ、この……!


卯月「ぷっぷくぷー!やーだぴょん!」

文月「あ、うーちゃんだけずるい~あたしも~」

「ああもう……」


その後10分程彼女達を説得(という名の追いかけっこ)をしたが聞く耳を持って貰えず、結局僕が折れる形で終了した。

卯月ちゃんを騙しているという負い目もあったことだし、これくらいはしょうがないか。

ともかく、これで卯月ちゃんと弥生ちゃんとの関係は少し前進してくれるだろう。いい事だ。

それに今の卯月ちゃんのやり取りで確信できることが一つ増えた。

彼女から聞いたロケットペンダントの形状。それはあの夜見た『モドキ』が身に付けていた物と、全く一緒だったのだ。

つまり『モドキ』が『弥生ちゃん』であるという可能性が一気に高まった事を示す。確信を覚えることができるまでに。

それはそれでいいが、戦闘に出た瑞鳳さん達は大丈夫だろうか。何事もなければいいが……。

続く。

==========

芳しくない。

それが戦場に到着した捕縛隊率いる那智が第一に抱いた感想だった。

提督から敵の数が多く苦戦していると彼女は聞いていたが、想像以上だった。

敵は雑魚ばかりだが、その数は圧倒的。輸送艦はその数の暴力とも言える戦力に囲まれ、立ち往生している。

だが那智は芳しくないと思うと同時によくここまで持ちこたえられたものだとも感心した。

これほどまでの戦力に囲まれたならば、普通なら既に押し切られているだろう。だというのに海上は防衛陣形を保ち、空中は未だに制空権を掛け争っている。


那智「流石精鋭と言ったところか」


思わず漏らした那智の関心の言葉に、部隊の皆は一様に頷いた。

現在捕縛隊は戦場から少し離れた場所で様子を窺っていた。

理由は先に述べた通り、敵の戦力が多い為だ。無暗に援護に入ったところで焼け石に水になる。

ならばと那智は戦場の『穴』を探していた。圧倒的不利な状況でも必ず『穴』――突破口があるはずなのだ。



五十鈴「……少し、様子がおかしいわね」


那智と同じく状況を見ていた五十鈴が、戦場に目を凝らしながら不意に呟いた。

彼女の言葉に那智は頷く。彼女らが思う通り、目の前の敵はいつも彼女達が相対する物とは様子が違っていた。

深海棲艦は基本的に知性が低い。故に攻撃も単調で対象に突撃し、砲撃、或いは咀嚼するのみだ。そこに陣形と言う概念は無い。

だが目の前の敵は明らかに包囲網という陣形を作っていた。艦娘の攻撃によって開けられたとしても、その穴をすぐに塞ぎ形を保っている。

通常の襲撃ではこのような状況はあり得ない。つまり通常ではない例外を起こす者がいると言う事だ。


那智「棲姫が指揮している可能性が高いな」


ええ、と五十鈴は頷いた。棲姫という言葉に部隊に緊張が走る。

深海棲姫――深海棲艦に属し、彼らの上位に立つ存在。一見身目麗しい女性の姿だが、その姿に似合わず高い戦闘力を有している。

一体いれば苦戦は必至、二体いれば犠牲を払い、三体いれば絶望を見る。それほどまでに厄介な存在である。

厄介と呼ばれる理由はその高い戦闘力だけではない。同時に高い知性を併せ持っている為でもある。

彼女らはその高い知性を活かし、下位の存在たちを操り、使役する。特に知性が高いものは操るだけではなく、陣を成して牙を剥く。

能力に個体差もあるが、陣を成す程知性が高いものは稀な棲姫達のなかでも更に稀だ。

しかし、目の前の戦場は稀の存在を示している。確信とも言える嫌な予感が那智の体を貫いた。

苦戦は必須。だが彼女達はここでただ手を拱いて見ている訳にはいかなかった。


那智「三日月、望月。二手に分かれて敵の空母の種類、数、位置、加えて戦艦級の味方の位置を探れ。可能であれば棲姫の位置もだ。……今は混戦していて見つからんと思うが、くれぐれも慎重にな。見つかったらすぐに戻るか、場合によっては参戦しろ」

三日月「……了解しました」

望月「はいはーい。……めんどくさいけど、やるっきゃないよねー」


名前を呼ばれた二人は各々に頷いたものの、その身に襲う緊張と恐怖は隠しきれていなかった。三日月は顔を引きつらせ、望月は軽口を叩いたがその声音は暗かった。

いくら混戦して見つかりづらい状況とはいえ、一度見つかれば集中攻撃を受ける可能性は高い。そうなれば軽装の彼女らではひとたまりもない。

見つかった場合の対処を那智は口にはしたが、実際には応戦も逃走も難しいだろう。つまり見つかれば死が待っているという事を意味する。

だからと言ってここで動かないという選択肢はない。それら全てを理解しての二人の頷きだった。

彼女達は二手に分かれ、包囲網を遠巻きに囲むような動きで駆けて行った。


長良「空母を叩くんですね」


駆けて行く三日月と望月を見つめながら長良は那智に問うた。それにああ、と那智は頷く。

那智は空戦が拮抗状態にある点に目を付けた。この戦力差で押し切られていないという事は航空隊を操る艦娘は相当の手練れということだ。

敵の空母を一隻でも落とす事が出来れば空の戦況は優位に傾き、制空権を奪う事は易くなる。空母を落とす数が多ければ多いほどそのスピードも速くなるだろう。

制空権を完全にこちらのものにしてしまえれば、空の戦力を海へ向けることが出来、劣勢の状況を少しでも巻き返せると那智は考えた。

やがて後続でこちらの援護部隊も到着する。それまで持ちこたえることができれば劣勢の状況は一気にひっくり返すことが出来るだろう。

故に那智は足が早く、軽装で目立たない三日月と望月を使い、敵の空母の位置を把握しようとした。

空の制空権の奪取。それが那智が考えたこの戦場の『穴』――突破口である。


五十鈴「上手くいければいいわね」


だが当然不安要素もある。深海棲姫の存在だ。

どのような能力を持っているか未知数な上、包囲網を仕掛けてくる高い知性を持った敵だ。どう動くか解らない。


那智「祈るしかないさ」


しかし現状いくら警戒しようともこちらが取れる手はない。

那智の言葉通り、今は成功を祈る事しか出来ないのだ。


―――――――――――――――


司令棟で待機する提督に那智より連絡が入った。

現在の戦場の状況、それに対応する彼女達の作戦を聞き、提督はふむ、と考えた。

空母を叩くのはいい。数が少ない彼女達で打てる手で最善の手だ。

だが、偵察から戻った三日月と望月によると存在していると思われた棲姫の姿が何処にもないという。


那智『……包囲網は偶然、でしょうか』

提督「……いや……」


そう那智は口に出したものの、声には懐疑的な色が見える。

提督もそれには同意見だった。組織的な行動をしている以上棲姫が絡んでいるのは間違いない。

だというのになぜ棲姫がいないのか。彼はそのことに強い違和感を覚えた。

遠方で指示を飛ばしている可能性もある。だがそれならば偵察を行った二人も感知されてもおかしくない。だというのに彼女達は無事に帰ってきた。

駆逐艦二隻程度、取るに足りないと判断されたのか。……そんな筈はないと提督は自分の考えを否定する。

包囲網を敷くほど知性の高い棲姫だ。小さなものでも障害は障害。排除しようとする筈だ。

という事はやはり偵察した二人は感知されなかったという事になる。

なぜ偵察隊は感知されなかったか。偶然感知されなかったか、或いは感知できる所に棲姫が居なかったかのどちらかだ。

だが、どちらにせよ判断できる材料は今は彼らに無い。



提督「まぁいい、今は援護が優先だ。……那智、敵の空母級は幾つだ?」

那智「4隻です」

提督「位置とそれぞれの距離は」

那智「輸送艦を中心として2時、4時、8時、10時の方向。それぞれ1km程度の間隔に位置しています。護衛はありません」

提督「お前らは今どこにいる」

那智「6時の方向。4時、8時の空母より2km程度遠方です」

提督「わかった。であれば、提案された作戦通り空母を潰す。五十鈴と望月、長良と三日月に部隊を分け、五十鈴と望月は4時、長良と三日月は8時を片付けろ。片付けたら可能であれば一端五十鈴に俺に連絡させろ」

那智「連絡、ですか?」


那智の声に疑問の色が滲む。

提督は彼女の疑問にニヤリと笑った。棲姫の存在を判断できる材料がないなら、自ら作り出せばいい。


提督「ああ。この連絡で棲姫がいるかどうか確認できる」

那智「……了解」


那智は提督の思惑を理解できてはいなかったが、それ以上は聞かなかった。

時間がないというのももちろんあるが、提督に任せれば問題は無いという信頼が彼女にあったからだ。


提督「五十鈴の連絡ののち、可能であれば引き続き2時、10時の空母を潰せ。その後最も近い味方に合流し援護に入れ。那智、お前は一番派手にやっている所に援護に入り、注意を引け」

那智「了解」

提督「それでは頼んだ。……無事を祈る」


那智の了解だ、という返事を聞いて提督は通信を切る。

そしてすぐさま近くに待機していた鳳翔に声を掛けた。


提督「鳳翔、至急ここに残っている奴らに戦闘準備をさせろ」


提督の言葉に鳳翔に緊張の糸が張る。

それと同時に彼女に何故、という疑問が湧いた。


鳳翔「……出撃ですか?」

提督「ああ。……棲姫が存在する筈の戦場に当の棲姫がいないそうだ」


その一言と提督の表情だけで鳳翔は提督の考える事態を把握した。

提督も彼女の様子から理解したことを察し、その通りだと首を縦に振る。


鳳翔「わかりました。至急用意をして貰います」

提督「頼む。それと榛名に繋いでくれ」


提督の言う榛名とは、輸送艦に向う援護部隊の後続隊を率いる艦娘である。

鳳翔ははい、と頷くと無線の周波数を榛名の持つもののに合わせ、繋げた。



『こちら榛名。提督、どうされました』


すぐさま無線から穏やかで嫋やかな声が入る。榛名の声だ。

榛名の声は気を張った物だったが、どこか歓喜の色が入ったものだった。

その色が提督と話せて嬉しい為に入っているのを彼は知っていた。可愛い奴めと内心彼は笑う。


提督「やはりいつ聞いても良い声だな。榛名」

榛名『に、任務中ですよ?今はその、こ、困ります……」


榛名の反応に提督はガハハと笑う。提督は度々榛名でこうやって遊ぶ、もとい可愛がっている。

無線の向こうから気を取り直すような咳払いが聞こえる。


榛名『そ、それでどうなされたんですか』

提督「榛名。部隊を半分に分けて、分けた部隊をその場で待機させろ。待機させる部隊長は足柄だ。機が熟し次第連絡する」


突然の指令に何故でしょうか、と戸惑い、いぶかしむ声が無線から返ってきた。

それに提督はニヤリと笑う。


提督「恐らくここに奇襲部隊が来る。……挟撃を狙うぞ」

――――――――


那智「作戦は理解したか」


提督に告げられた作戦を一通り説明すると、那智は部隊の皆にそう告げた。

各々は迷いなく首を縦に振る。


那智「では作戦行動に移る。皆、成功と無事を祈る」


那智の敬礼に合わせて、彼女の部下たちも一様に敬礼を返す。それを合図にと彼女達はそれぞれの場所へと向かっていった。

那智の向かう先は輸送艦より3時の方向。提督が指示した最も戦闘が激しい場所であり、同時に友軍の戦艦級の艦娘がいる位置だった。

そこに援護に入って派手に動くことで陽動を行い、敵の注意を引きつけることで部下の敵空母への攻撃をスムーズに行わせることが彼女の目的だった。

単純な戦闘行動。しかし捕縛隊の作戦の中で最も重要で危険なものだ。

十分に注意を引き付けられなければ、敵の矛先が彼女の部下たちに向き、空母の撃破を阻害される可能性が高まる。

更には軽装の彼女達には多数の敵に対抗できる術は無い。一度狙われてしまえば一たまりもない。那智の動きに彼女達の命運が掛かっている。

そして彼女が向かう先は激戦区だ。当然敵の数も多く攻撃も激しい。戦艦級の味方がいるとはいえ突撃は単騎、加えて味方の位置は敵の群れの向こうだ。

挟撃を狙う手もあるが那智一人では火力も足りず、派手な騒ぎを起こすのも難しい。であるなら大量の敵を掻い潜って合流するしか手は無い。

掻い潜る策がないわけではない。だが、大量の敵の攻撃に落とされるかもしれぬという不安を拭う事は出来なかった。



那智「だが……やるしかない」


ひとりごち、彼女は自らに気合を入れる。

やがて方向を同じくした五十鈴と望月は空母を落とす位置に着く為に彼女と別の路に向かった。

五十鈴が那智に向けて激励の敬礼を向ける。那智は彼女に心配をかけぬようにと不敵に笑って敬礼を返した。

二人の姿が遠くなり、敵の群れが近づく。砲身に弾を込めながら、軍の共通の無線回線の周波に自分のものを合わせた。


那智「こちら八戸所属、那智以下五名。これより貴軍の援護に入る。方向は輸送艦より三時方向。以上」


そう述べて返事を待たず那智は無線を切る。敵との距離は100m余り。

そこで那智の接近に気付いた敵の航空機が彼女へ矛先を向けた。


那智「……南無三!」


覚悟を決め、身に付けた全ての砲塔を敵の群れに向け、撃ち放った。

複数の砲弾が空気を切り裂き、群がる敵部隊の背後に向かい……爆ぜる。

激しい爆音と炎が広がり、敵の体を爆ぜ飛ばす。斃したのはたったの4つ。それでも奇襲を受けた敵に大きな混乱を呼ぶことに成功した。隊列が乱れ、ギィ、ギィ、と敵は不快な鳴き声を発す。

それとほぼ同時に敵の航空機、6機の機銃の雨が降り注ぐ。弾は肉を抉り取ろうと甲高い風切音を唸らせて彼女へと襲いかかった。

那智は足のホバーをふかしながら前後左右になんとかと避ける。

那智「忌々しい……!」


頭上を通り過ぎて行く敵を睨みつけながら那智は悪態を吐く。

航空機に発見された以上攻撃を受けると覚悟をしていたが、実際に来るとやはりうっとうしい。


那智「……ん」


これから幾度も妨害を受けることを考え、どうしたものかと思案している内に味方の航空機二機が那智の援護に入った。

那智に集中していた敵は援護に入った味方航空機に意表を突かれ、あっさりと二機落ちた。

奇襲を掛けられた形となった敵航空機は散り散りとなり、右往左往と空を飛びまわる。

それを見逃す味方機ではなく、機銃をばら撒いて混乱する敵を追い回していた。


那智「流石」


鮮やかな手際に那智は思わず感嘆の息を漏らす。

その手際は那智の接近による敵航空機の異変に、航空機を操る艦娘が直ぐに察知した結果だった。

援護を出す手の早さも那智を感心させた一因だが、そのほかにもあった。

頭上の味方は最初の二機から敵を一向に落とさないのだ。それどろかワザと隙を見せて攻撃をさせている。

混乱した敵を落とすことなど容易い。だが、全て落としてしまえば、確実をもって敵を落とさんと、敵は最初に向かわせた以上の数を持って那智の妨害に回る。

それを見越してのあの立ち回り。益々として那智は味方の空母に感心を向けた。


那智「……次!」


次弾が装填されるガチン、という金属音を耳に受けた後、彼女は再びを砲撃を開始する。


弾は敵の部隊のしんがりを越え、中心辺りに着弾した。再び爆炎が広がり、犇めいていたいくつかの敵を消し飛ばす。

那智にはその砲弾でいくつ沈めたのかは知る由もなかったが、そんなことは今の彼女には重要ではなかった。しんがりの敵が怯んでいる内に彼女は砲撃を重ねる。

やがて彼女の思惑通り、敵の群れの背後に襲わせた混乱は爆炎に飛ばされるようにその中心に伝播し、遂には先端まで到達した。伝播したものに先の敵は攻撃を緩め、背後へと注意を飛ばす。

そろそろ頃会いか、と再び那智は軍の共通の無線に繋ぐ。


那智「こちら那智。これより輸送艦3時方向、敵群の中に煙幕を張る。その後敵中を突破し貴軍へ合流する。煙幕内への発砲は合流まで中止願う」


そう無線に告げ、那智は腰に携えていた小型の榴弾砲を敵の群れに向け、引金を引いた。

銃身から蓋の着いた筒を開けるような間抜けな空気音が出ると同時に内包されていた弾が発射される。

弾は投擲の線を描いて飛んでいくと、敵に着弾し、その中から大量の紫色の煙を噴き出させた。見る見るうちに煙は広がり、敵の部隊を呑みこんでいく。

那智はそれを確認しながら、もう一発、二発と打ちこんでいく。やがて敵の群れは完全に飲み込まれた。

那智の奇襲、そして阻まれた視界に敵の群れは更なる混乱に包まれる。今なら突破は攻撃開始時よりもずっと容易いだろう。

だが、混乱に我を失い、当てずっぽうに発砲し始めている敵もいる。流れ弾が直撃する可能性はあった。

だからといってぐずぐずはしていられない。突破の最上のチャンスはこの煙幕が広がっているこの時だけだ。

那智は両小腿に付けていた装置を展開する。展開した装置から一本の鉄芯が海へと伸びて行き、水の中へとその身を埋めた。

それと同時に彼女の煙に覆われた視界に敵の姿がぼんやりと浮かび上がる。

彼女が展開した装置はいわゆるソナーであった。ソナーが拾った情報を視界にフィードバックし、その形、そして距離を反映させる代物。

敵の姿を確認したのち、彼女は意を決して足のホバーの出力を上げ、煙幕の中へ身を投じた。

視界は完全に煙に覆われてしまったが、ソナーのお陰で敵の位置は手に取るように分かり、簡単にすり抜けられる。

ときたま通り過ぎた際に起きた音に反応して敵が砲撃や体当たりをしようと試みる事はあったが、那智に直撃することは無かった。

それどころか、敵の行った攻撃は同士撃ちを引き起こし、その数を減らす結果となっている。

こんな方法で煙幕やソナーを使ったのは那智にとって初めてだったが、存外上手く行き、彼女は胸をなでおろす。


順調に歩を進め、もうすぐ煙を抜け、敵の群れを突破できる。その時だった。

捉えていた敵の内一体が忽然と姿を消した。


那智「……が……ァあ!」


どうしたと思考を回したその寸瞬後、那智の右腕に鋭い痛みと熱が襲う。

彼女が視線をそこに向けると、鮫程の大きさの敵が腕に齧り付いていた。

敵が忽然と姿を消したのは海上から飛び上がった為にソナーが捉えられなく為に起こった事だった。しかし敵はこれを狙ったわけではなく、極まった混乱に我を忘れたに過ぎた無かった。

彼女は咄嗟に腕を振りまして振り払おうとするが、その口は一向に離れない。それどころかその腕を引き千切らんと歯を腕の肉に食い込ませた。

ブチブチと肉と肉が千切れる音が腕を伝い、歯が食い込んだ肉から温かい液体が溢れだす。このままでは腕を持っていかれてしまうの待つばかりだ。

振り払っても敵は離れない。だとするならば。


那智「邪魔だァ!!」


那智は食い付いた敵を肩の砲塔まで持っていき、噛みつく為に開かせた口に無理やり砲身を突っ込ませ、砲撃を行った。

砲弾は敵の奥まで届くと同時に炸裂。その体は爆炎に千千に弾け飛んだ。

敵は斃せたが、その代償は大きかった。砲撃の炎に焼かれたこと咀嚼による裂傷が激痛を呼び、碌に動かすことはできなくってしまった。

だが那智はそれでも満足だった。結果として右腕は使えなくなってしまったが、敵に腕に取られるよりよっぽどマシだったからだ。

最後の敵を抜け、同時に煙を抜ける。煙を抜けてきた那智を見た戦艦級の艦娘は驚きを隠せていなかった。


「良く越えて来れましたね。那智さん」

那智「ええ。何とか。久しいですね、霧島殿」


戦艦霧島。北海道の鎮守府に所属する主力の一人。そして那智と見知った仲であった。

彼女は体中に損傷はあったが、問題の無い程度に抑えている。流石だと那智は感心する。


霧島「……腕、大丈夫ですか」


視線を那智の腕に向け、霧島は痛々しい表情を向ける。

那智は問題ないと首を横に振る。


那智「それより今は」

霧島「そうですね」


互いに頷き合い、二人は煙幕の中へと砲塔を向ける。

そして、ほぼ同時にその中へと砲弾を撃ち込んだ。

続く。
戦闘描写って難しい。解りにくかったらごめんなさい

―――――――

那智の奇襲より少し前、輸送艦より4時方向、2km地点にある岩礁。那智と路を別にした五十鈴と望月はそこで機が熟すのを待っていた。

告げられた作戦では合図があるまで此処で待機し、その後攻撃を開始するという手筈だった。


望月「大丈夫かな~なっちゃん」


待機に持てあました望月が誰へともなく呟く。

彼女の口調はのんびりとしたものではあったが、その声音には心配の色がにじみ出ていた。

何かと自分本位の発言が多い彼女ではあるが、他人を思う気持ちは人一倍持っていた。


五十鈴「大丈夫よ。那智だもの」


戦場に目をやりながら、望月の問に五十鈴は自信を持って答える。

その自信は幾度も那智の下に付き、共に戦闘をくぐり抜けてきたからこそ言う事が出来る那智への全般の信頼から来るものであった。

だが全く心配していないというわけでもなかった。戦場は何があるか解らない。戦場を知り、潜り抜ける術を持った者でも足を掬われ、命を落とすことはままあるのだ。

しかし自分たちが幾らここで那智の身を案じていても結果は変わらない。離れてしまった以上祈る事しか出来ないと五十鈴は考えていた。



五十鈴「……来た」



待つこと数分、紫色の煙が輸送艦の方から立ち上り始めた。

五十鈴は長良の通信機の周波数に合わせ、繋げた。


長良『こちら長良。……来たね』


繋がった先から、長良の緊張の吐息が漏れる。彼女も合図の紫煙を確認したようだった。


五十鈴「準備は?」

長良『出来てる』


長良の即答に、五十鈴はよし、と頷く。


五十鈴「それじゃあ行きましょうか。……無事で」

長良『五十鈴達もね。それじゃ』


通信機から姉の声が途切れる。

それを聞き届けると、隣の望月に手を上げて出撃の合図を送った。

望月は了解、と首を縦に振る。それを合図に二人は脚部のホバーをゆっくりと吹かし、岩礁の陰から身を踊りださせた。


敵空母の背後を取る形で、気付かれないようにと音を極力抑え、ゆっくりと近づいていく。

やがて彼女らの射程より遠く、しかし敵空母の姿がハッキリと視認できる位置まで二人は移動した。

望月達の報告通り、敵の種類は軽母ヌ級。クラゲの様な形状をしており、本体は黒く分厚い装甲に覆われ、そこに寄せ集めたかの様に砲塔が付けられている。足の部分には人間の手足のようなものが生えた不気味な様相をしていた。

ヌ級は艦載機を飛ばす敵の中でスタンダードなものだ。一体の脅威はそれほどでもないが、複数集まれば十分な脅威と化す。

目標は近づく二人に気付いた様子は無い。自分の航空機が苦戦していることに加え、那智の張った煙幕に完全に気を取られているようだった。

殺れる。五十鈴の心の内にそんな確信が芽生えた。

その心のまま、彼女は敵を見据えつつ、左腕を横に広げ、散開の合図を望月に送る。

望月は指示に従い、五十鈴から距離を取り、その彼女から10時の方向、目標から8時の方向に歩を向けた。

五十鈴はそれを横目で確認すると、彼女から2時の方向、目標より4時の方向へと歩を向ける。

歩を進め、やがて二人は目標を中心に逆Vの字の配置に付いた。望月が配置に付いた事を手で合図すると、五十鈴も了解と合図を返す。

そこから二人はまた目標へと接近を開始した。

既に気付かれておかしくない距離だが、敵はいまだ気付いた様子は無い。完全に意識は戦場の方に逸れているようだった。

提督、そして那智が立てた作戦だ。間違いないとは思っていたが、ここまで作戦がうまく行くとは。五十鈴は内心ほくそ笑む。

だが、それと同時に上手く事が運び過ぎる、とどこか引っかかりを覚えていた。

作戦がうまく行くことは喜ばしいこと。だというのにどうしようもない違和感が五十鈴に纏わりついていた。

しかし、何を考えようと目標を落とさないという選択肢は無い。彼女は纏わりつく違和感を無視して、歩を進める。

射程まで100m、50m、10m……射程距離。

五十鈴は腕に持つ大型の榴弾砲を敵に向け、撃鉄を起こしサイトを合わせる。

動かない敵、明瞭な視界、追い風、状態の良い艦装、そして砲身の射角も……合った。


五十鈴「吹き飛べ」


呟いて五十鈴は引き金を引いた。

弾は銃声と共に勢い良く砲身を飛び出し放物線を描く。

彼女が想定した弾道をずれることなく進み……着弾。

直撃によって背後の装甲が爆ぜ飛び、剥きだされた肉を爆炎が焦がした。

奇襲による混乱と激痛がヌ級を襲う。悲痛とも言える鳴き声を喚き散らし、身悶える。

敵の様子を見てやはり落としきれなかったか、と五十鈴は心で呟く。自身の装備は軽装であったし、この結果は想定済みだった。

すかさず彼女は望月に攻撃の指示を出す。望月はそれを受け取ると直ぐに砲撃を放った。

望月の放った砲弾は再び直撃。体にぶら下がっていた左手を吹き飛ばした。

初撃の方向に相対しようとしていたヌ級は別方向から飛んできた望月の弾に更なる混乱を強いられた。

混乱に我を忘れたヌ級は反撃を忘れたかのようにバタバタと残った手足を振るい、痛みにもがく。

そんな隙を見逃す五十鈴ではない。装填済みの次弾をもう一度敵に放つ。

パニックに陥った敵に回避する事など出来ず……三度の直撃。

五十鈴の放った弾は装甲が剥ぎ取られた部分に直撃。むき出しの肉を爆ぜ飛ばして、爆炎は装甲と肉との間を焼き尽くす。

三度の直撃に耐えられる筈もなく、ヌ級は爆炎に焼かれながら、断末魔の叫び声を上げて海に沈んでいった。

その姿を見届けた後、郵送艦の上を飛び回っていた敵艦載機が、コントロールしていた主を失っていくつか落ちて行くのを五十鈴は目にした。、

これで戦場は有利に傾くだろう。五十鈴は安堵に息を吐く。


長良『五十鈴?』


そこで丁度長良から連絡が入る。彼女達の部隊も無事敵空母を落としたという。

だが、それだというのに長良の声は晴れなかった。


五十鈴「……やっぱりおかしいわね」


無線の先の姉からも同意の声が返ってくる。

彼女達が感じる違和感。それは艦載機の数が減ったというのに、敵は何の反応も示していないということだ。

海上の部隊であれば、目先の輸送艦の目標に集中していて気付かないということもあるかもしれない。

だが、空の敵は自分の仲間が減って形勢が不利に傾いたというのに、退くことも周囲に注意を向けることもせず、変わらず味方の艦載機と戦闘を繰り広げているのだ。


五十鈴「まるでそれだけやればいいと言われているよう……」


誰へともなく呟いた言葉に、長良からも同意の声が上がる。

こちらの空の戦況が有利へと転じ、次々に敵艦載機が落とされていく。それでも敵は変わらない。


長良『このことも含めて提督に連絡してみたらどうかな?」

五十鈴「……そうね。これからの指示を仰ぐから、お互い今の場所から離れて少し待機しましょうか」


了解、という肯定が入った後、無線から長良の声が途切れる。

五十鈴は先程から感じていた違和感が膨れ上がっていくのを感じていた。

―――――――――


提督「そうか。やはりな」


五十鈴の報告を受け、提督は一人執務室で得心したかのように頷いた。


五十鈴『やはりってどういうこと?』


無線の先から疑問の声が上がる。

戦場の違う五十鈴に説明する必要はない。が、心に疑問と言うしこりを残したままでは戦闘に影響が出るか、と提督は考えた。

既に奇襲への準備はできている。更に空の戦況が有利に傾いている以上、五十鈴達を急がせる必要はない。そして彼の予想通りであれば敵は輸送艦をまだ沈めることは無い。であれば説明すべきか、と提督は口を開く。


提督「五十鈴と同様、俺もおかしいと思っていた。統率のとれた部隊、不在の棲姫、沈んでいない輸送艦、そして、多すぎる敵」

五十鈴『え?ちょっと待って?敵の行動と棲姫がいないって言う事がおかしいのは解るわよ?でも、輸送艦が沈んでないのは北が頑張ってたからで、敵が多いのは確実に落とす為にたくさん連れてきたってだけじゃないの?』

提督「違うな」

五十鈴『え?』

提督「那智の報告で大方の数は聞いた。本来であればその半分以下で輸送艦は落とせた筈だ。だがそれなのに輸送艦は落ちていない。……どういうことか解るか?」

五十鈴『……ええっと……ワザと落とさなかったってこと?でもそれに何の意味が?」

提督「お前たちが来ただろう」


そこで五十鈴は合点がいったのか、はっと息をのんだ。


五十鈴『……輸送艦の襲撃は囮ってこと?』

提督「そうだ」

五十鈴『私たちが囮に誘き寄せられたってことは……まさか、目的って!?」


そう、此処だ。と提督は頷く。

以前はこういった質問は直ぐに解らないと癇癪を起していたが、成長したものだと提督は喜びを感じていた。


提督「囮の輸送艦襲撃、誘き寄せられた俺達、手空きになった鎮守府、そして不在の棲姫。……誰がどこに来るか、教えて貰っている様なものだ」


敵の目的を提督は嘲りを込めて鼻で笑う。

だがそんな彼の内心を知らず、五十鈴は驚愕と心配が混じりあった声を上げた。


五十鈴『そんな!それじゃあ鎮守府が!大丈夫なの!?』


普段はツンツンとして素直でない彼女だが、こういった仲間が危機に陥ったときは一転して素直になる。

可愛いものだと提督は内心微笑ましく思った。


提督「半数の仲間を残してあるだろう?心配はいらない」

五十鈴『でも……』


そう言ったものの、五十鈴の不安は拭い切れてはいなかった。

普段からこの調子ならもっと可愛げもあろうにな、と提督は笑う。

そんな彼女に悪戯心が彼に生まれてしまうのも、ある意味当然なのかもしれない。


提督「そんなに俺が心配か?五十鈴?」

五十鈴『な、ななななな……何言ってんの馬鹿!違うわよ馬鹿っ!』


取り乱した様子でギャンギャンと騒ぐ五十鈴に、提督はガハハと笑う。

心配した様子の五十鈴も悪くないなと思う提督だったが、やはり彼にとって今の五十鈴がしっくり来ていた。

まだ無線の向こうでぶつぶつと言っている五十鈴に彼は自信に満ちつつも、落ち着いた調子で声を掛ける。


提督「まぁ心配するな。既に手は打ってある」

五十鈴「……そりゃそうよね。これだけ解っててアンタがなにもしないわけないもんね」


提督の口調のお陰でいつもの調子を取り戻す五十鈴。

そこで丁度提督の無線に他の連絡を告げる電子音が鳴り響いた。


提督「……来たか。悪いな五十鈴。切るぞ」

五十鈴『うん。……気をつけて』

提督「解っている。お前もな。無事で帰ってこいよ」


解ってる、という言葉を最後に五十鈴からの連絡が途切れる。

それを確認し、提督は直ぐ様繋いできた無線を繋げた。


提督「来たか、番頭」


無線からはっ、と肯定の言葉が返る。

無線を繋げてきた正体、それは先程まで工廠で整備を続けていた番頭であった。


===========


卯月「ばんとーさん!言われたものもってきたぴょん!」

文月「きたよー」

「ありがとう。そこに置いといてくれるかな」


僕のお願いにはーい、と卯月ちゃんと文月ちゃんの二人は元気よく返事する。

二人のお願いに折れてから、彼女達は僕の手伝いをしたいと部品を持ってきてくれたりと色々な事をしてくれている。

というかやらせてくれと押し切られた。始めは断ろうとしたんだけど……いやぁ失言って怖いですね。


卯月「置いたぴょん!ねね、次は何すればいいぴょん?」


張り切ってるなぁ……。さっきの落ち込み具合が嘘みたいだ。

それだけ自分の心にしこりを作っていたってことなんだろう。まだ解決はしてないにせよ、それが取り払われたんだ。無意識にはしゃいでしまうんだろうな。

さて、ともあれやってもらうことか……。今の所必要な部品は取ってきて貰ったし二人にやってもらうことはないんだよなぁ。


卯月「ね~ね~」

文月「ね、ねぇー」


座っている僕の右肩を元気よく卯月ちゃんに、左肩を文月ちゃん控えめに掴まれ、前後左右に振り回せられる。

……なんだかずいぶん懐かれたなぁ。文月ちゃんにはともかく、卯月ちゃんには結構きついこと言った筈なんだけど。

弥生ちゃんもそうだけど、小さい子ばっかりで事案にならないかしら。


「……サイレン?」

文月「ま、また?」



肩を揺さぶられつつどうしたもんかと考えている内に、再び鎮守府にサイレンが鳴り響いた。

続いて工廠に取り付けられた拡声器から提督の声が響く。


『各員へ。至急ドックへと集合せよ。詳細はその時に話す』


また戦闘か、心の中で溜息を吐く。しかしいくら嫌だと言っても来るものは来るんだ。どうこう考えても意味は無い。

ちらりと背中の二人に視線を向ける。

文月ちゃんは不安なのか顔を伏せ、卯月ちゃんは……曖昧な顔をしていた。

今まで卯月ちゃんは『弥生ちゃん』の復讐の為に銃を握ってきた。自ら進んで敵を討ってきた。

だけど彼女は今の弥生ちゃんを『弥生ちゃん』と認め、向き合う事を決めた。……決めさせた。

もう彼女が進んで銃を持つ理由がなくなったのだ。

今まで自分を突き動かしてきた衝動の消失。その理由を自覚しているのか解らないが、きっとその喪失感とも言える違和感に彼女は襲われている。

だからこその曖昧な表情なんだろう。


『それと……番頭。お前もドックへ来い。以上だ」

文月「……ばんとーさんも?」


文月ちゃんは僕の名前が呼ばれたことに不思議がっている。

僕も文月ちゃんに同意見だ。僕は非戦闘員、呼ばれたところで戦闘は出来ないんだけど……。

まぁ呼ばれた以上は行くしかない。特攻でもしろと言うなら喜んでやってやろう。まぁそんなことは無いだろうけど。


「行こうか」


使っていた工具を簡単に纏めて二人に声を掛けた。

文月ちゃんは未だに不思議がりながらゆっくりと首を縦に振る。


卯月「あ、う、うん……ぴょん」


卯月ちゃんは声を掛けられたことでは、と我に返った。やっぱり思う所はあったみたいで、考え込んでいたんだろう。

騙した僕が何を言える立場でもないし、そっとしておくのが正解か。

すっくと立ち上がり、ドックへと駆けだした。その後ろを卯月ちゃんと文月ちゃんの二人が付いて来る。


卯月「……ねぇ、ばんとーさん」


駆けながら卯月ちゃんが横に並び声を掛けてくる。

その声音には不安の色があった。どうしたのかと優しく聞いてみる。


卯月「……ばんとーさんも戦いにいっちゃうのかな」

「それはわからないな。多分ないとは思うけど」


今の所はどうとも言えない。行けと言われれば行くけど。

僕の答えに卯月ちゃんは少しだけ顔を明るくしてくれた。その表情に安堵の色が見え隠れする。



卯月「そうぴょんよね!ばんとーさんが行くわけないぴょん!」


あははと卯月ちゃんは笑った。僕も彼女に合わせて笑みを作る。

でも、と直ぐに彼女は笑顔を消し、真面目な顔で僕を見てきた。


卯月「もしばんとーさんが戦うんだったら、うーちゃんが守ってあげるぴょん」


彼女の言葉には確固たる意志を感じられた。

卯月ちゃんは少し前に友達を助けたいんだと言っていた。

彼女が僕にそう言ってくれたということは、きっと僕をそういった近しいものとして思ってくれたんだと思う。

だから彼女は守ってあげると言った。

そう言ってくれることがとても、とても……悲しかった。

兵器の身とはいえ、こんな小さな女の子を戦わせる人間と言う自分が。言われる資格なんてない自分にこんなことを言う彼女が。

今の気持ちを口に出せる筈もなく。笑ってありがとうと口にした。

卯月ちゃんはただ、僕の言葉に嬉しそうに笑った。


―――――――


僕たちがドックに付く頃には既に殆どの艦娘たちが集合していた。

早いなと口の中で呟く。士気も高く、提督の統率力もあってのことだからなんだろうなと予想する。

どこで待機しようかと考えつつ、卯月ちゃんと文月ちゃんの二人の為に同じ部隊の子を探す。

するとそこで、艦娘たちが集まっている所から少し離れたところで、弥生ちゃんが一人ポツンと立っていた。

瑞鳳さんと摩耶ちゃんが傍にいると言ってくれたものの、二人は今恐らく戦闘に出ている。弥生ちゃんがああなってしまうのも仕方ないか。

こっちだと呼ぼうかと思ったが今は卯月ちゃんが隣にいる。呼んだところではたして来てくれるだろうか。


文月「あ、う、うーちゃんどこいくの~」


そんな事を考えている内に隣にいた卯月ちゃんが走り出していた。

駆けて行く先は僕が向けていた目線の先。つまり弥生ちゃんの所だ。

今の彼女を受け入れると決心した卯月ちゃんだけど、やっぱりまだ心配だ。少し近づいて様子を見よう。

僕の意図を読み取ったのか、ただ僕が移動したからか解らないが、文月ちゃんもとことこ後ろを着いて来る。

ちらりと文月ちゃんを見ると不安そうに僕を見ていた。やっぱりさっきのは前者だな。勘の鋭くて優しい子だ。

大丈夫と頷いて、歩を進める。話しが聞こえるであろう所まで近づいたけど、まだ何も話していなかった。

二人ともどうしたらいいのか解らないと言った様子だ。

今まで傷つけてきた大事な人、自分遠ざけてきた、けれども大事な人が互いの目の前にいる。

どちらも言葉を出せないのも仕方ないのかもしれない。


文月「あ、てーとく……」


提督が司令棟の方から向かってくるのが見える。


卯月「あ、あのねっ」


このままでは指令が始まってしまうと思ううちに、卯月ちゃんが口火を切った。

弥生ちゃんはぴく、と震えた後、ゆっくりと頷く。


卯月「こ、この戦いが終わったら、弥生……ううん。やよちゃんに言いたい事があるぴょん!」

弥生「……え……?」


突然の事に弥生ちゃんは困惑して目を瞬かせるばかり。

そんな彼女に卯月ちゃんの言葉は続かず、ああ、うーと呻きながら言葉を探している。

そんなことをしている内に提督は……あれ?こっちに来た。


提督「来たか。……すまんな」


すまんな、の前にちらりと卯月ちゃんに視線を向けた。

恐らく勝手に任せてすまない、ということだろう。まぁ色々と都合が良かったから良いと言えばいいんだけど。

いえ、と首を振り、気にしないで欲しいと暗に伝えた。


提督「……二人はどうしたんだ」


再び提督は卯月ちゃんの方に視線を向ける。

仲がうまく行っていないと思っている彼にとってはどうして二人が向き合っているのか解らないのだろう。

だからと言ってあれは二人の問題だ。僕が勝手に言えることではないし……曖昧に答えておくか。


「私は何も……」


そう言う僕の目を提督はじっと見据える。結構な威圧感だ。

提督は僕の目を通して何を見ているのだろうか。

やがて提督はふ、と笑うと僕の目を見据えるのを止めた。


提督「そうか。……手間掛けたな」

「……え?」


手間を掛けたって……まさか見抜いたのか?目を見ただけで?

いや、そんなことがある筈ない。極力感情は顔に出さないようにしたはずだ。


提督「まぁいい。……お前ら!ブリーフィングだ!」


驚きに囚われている内に、提督そう言って整列する艦娘たちの前へと歩いて行ってしまった。

彼の声に卯月ちゃんと弥生ちゃんは飛び上がり、彼女達を包んでいた空気が霧散した。

……本当に底の見えない人だ。



卯月「い、いま行くぴょん!……それじゃあ行くぴょん。……やよ、ちゃん」

弥生「……う、うん」


そう言って二人はぎこちないながらも一緒に歩を進めて行く。

今の弥生ちゃんが来てから卯月ちゃんが二人の間に積み上げてきてしまったものは、相当高いものになっている。

でも、お互いが歩み寄りたいと思うのなら、それはきっと直ぐに瓦解してくれるだろう。……そう信じたい。

そんなことを思いながら彼女達を見ていると、くいくいと服の袖を引かれた。

そっちの方を見てみると、文月ちゃんがその手で裾を引いていた。


文月「い、いこ?ばんとー……さん」


もじもじとしながらも文月ちゃんが声を掛けてくれる。

それとほぼ同じタイミングで卯月ちゃんが着いて来ていない僕たちを早く来てと呼んだ。

彼女の隣の弥生ちゃんもこくり、と頷いている。


「……行こうか」


文月ちゃんに笑いかけ、僕も歩きはじめる。

この子たちが昔のようにまた笑い合える仲に戻ってくればばいいと、ただ願った。


・・・・・


それから提督によるブリーフィングが始まった。

彼の話した内容によると、もうすぐ此処に敵の奇襲があり、更には棲姫付きの可能性もあるかもしれないとのことだ。先行した部隊からの報告で解ったらしい。

よって僕たち残存する部隊は敵を迎え撃つ為、急を持って出撃準備を行い、襲撃に備えるとのことだ。


提督「敵の棲姫はかなりの知性を持っている可能性が高い。戦列を作り、ただ待ち構えては相手は作戦が失敗したことを悟り、退却をするだろう。……相手は棲姫。戦う事において大きな脅威だが、潰してしまえば敵の戦力を大きく削ぐことが出来る。出来る事ならば排除しておきたい」


確かに棲姫を討つことは相手に大きな痛手を与えることが出来、更には棲姫を落とすことで艦娘たちの士気の向上も見込めるだろう。提督はそれが狙いか。

相手の手の内が見えている今、勝利を手にできる可能性は高い。こんな機会は滅多にない。逃してしまうのは惜しい。

提督はそこでだ、と言葉を切り、提督は艦娘たちを見まわす。


提督「敵の接近を確認したうえで、出撃を行う。知性の高い敵の事だ。恐らく敵は真っ先にドックを潰す。よって今回はドック以外の予め敵の見えない位置にお前らを配置し、襲撃に備える。配置場所はそれぞれ既に決めているのでそこに行ってくれ」


提督の作戦ならば、相手の不意を完全に突けるだろう。ドックを潰したというのに、次から次に敵が出てくるのだから。

だが、どうやって敵の接近を察知する?艦載機を飛ばしてもいいだろうが察知されては彼の言った通り逃げられてしまう可能性がある。

かといって少数の味方を哨戒に出しても同じことだ。



提督「恐らくお前らの中にはどうやって敵の接近を察知するのか、と疑問にもっている奴もいるだろう。……そこでだ、番頭。お前に哨戒を行ってもらう」


そこで提督は僕に視線を向け、名前を呼んだ。

意外な名前が出たことに僕含め艦娘全員が驚き、彼女達の何人かは提督と同じように僕に視線を向けた。


提督「哨戒に関してはお前が一番の経験があるだろう。そして今回の作戦では一人でも多くの戦力が欲しい。緊急事態の今、戦力は全て戦闘に回したい。非戦闘員だが、頼まれてくれ」


提督含め全員の視線が集まる。

確かに経験はある。周囲が見渡せそうな所にも心当たりがある。

もし敵に艦載機がいて、そいつに見つかってしまえば命の危険はある。……だけど一度は戦場で命を捨てようとした身だ。彼女達の助けになるのならどうということはない。

僕は了承の意味を込め、提督へ敬礼を返した。

彼は重々しく頷くと、艦娘達に襲撃を迎える配置場所を伝え始めた。


卯月「ばんとーさん……」


その中で、卯月ちゃんが声を掛けてきた。

声音は不安で滲み、顔には僕を心配する表情を浮かべている。

こちらを見ていた弥生ちゃんと文月ちゃんも同じような表情だ。


「大丈夫」


そんな彼女達を安心させる為、微笑んで見せる。言葉にはなんの根拠もないけれど。

でも、少しでも彼女達の為に出来ることがあるのなら、やれることはやりたい。それが心からの思いだった。


続く。

==========


那智「く……キリがないな」

霧島「……全くです」


思わず漏れた那智の呟きに、次弾を装填しつつ霧島は頷く。

那智という戦力が加わったものの、霧島を取り巻く苦しい状況に変わりは無かった。

煙幕内への砲撃で大きく数は減らしたものの、大きな騒ぎと煙幕に周囲にいた敵が大量に寄ってきた。

更には大くの敵を殺した為に死骸があちこちに浮いて回避に制限を掛けられ、そして悪いことにその死骸が敵の砲撃の誘爆を誘うのだ。

だが、それでも多くの敵の戦力を引き付けた甲斐もあり、周囲の仲間の負担は大きく減っていた。

更には五十鈴、長良率いる部隊が空母の数を減らしたこともあり、完全に制空権は味方の物になっている。確実に戦況は優位に傾いて来ていた。

それを二人が知る由もなく、那智と霧島は味方の勝利を信じ、必死に敵に食らいつく。

数十発の砲弾を敵の群れに撃ち込み、至近距離の砲弾の炸裂による熱風に身を焼かれ、吹き飛んできた海水を浴びる。それでも彼女達は耐えた。


霧島「くっ!?」

那智「霧島殿!?」


だがそんな状況にいつまでも耐えられる筈もなく、遂に霧島に一発の砲弾が直撃してしまう。


咄嗟に腕でかばったものの着弾の衝撃にあらぬ方向に折れ曲り、爆風を受けた艦装も度重なる負担が祟って主砲の何門かがイカれてしまった。

だがそれ以上に不味いのは彼女が直撃に怯んでしまい、足を止めてしまった事だった。

先にも述べたが、深海棲艦の攻撃は単純だ。しかし単純という事は動物的習性を持つということでもある。

動物、とりわけ肉食動物は弱った生き物を狙う。敵はその習性に従順だった。

怯んだ霧島に一斉に狙いを付け、その四肢をバラバラに引き千切らんとする。


那智「……霧島ァ!」


それを察知した那智は舌を打ちつつ、全門の砲塔を敵から霧島の方へ向けた。

霧島は自分の名を呼ぶ叫びに反射的に目を那智にずらし、砲塔を自分の方に向ける姿を見止め、大きく頷いた。



撃て、と。



那智は彼女が頷くか頷かないかの内に、引金を引いた。

火薬の炸裂に砲身から吐き出された弾は加速を付けて霧島に向かい……炸裂。

彼女のいた場所に水柱と立ち、爆炎が広がった。

それと同時に敵の集中砲撃が霧島に集まる。更に爆炎は大きく膨れ上がり、大量の水柱が立つ。

遂に霧島の姿は完全に見えなくなってしまった。


敵の視界にはもう那智しか映っていない。彼女に敵の殺意と銃口が集まるのは当然のことだった。

だが、那智はそんな絶望的な状況であっても動じず、ただ、ニヤリと笑った。

動物である敵は、彼女の様子が何処かおかしいと思うことなく、淡々と弾を込め、彼女の命を奪う準備をする。

これから来るであろう死をただ座して待つ那智ではない。彼女も次弾を砲塔に込め、敵へ向けた。

しかし、彼女が撃つよりも先に敵の集中砲火が開始され、砲弾の雨と爆風が彼女を襲う。それでも那智は怯まず、敵に向けた砲身から弾を放つ。

霧島を包んだ炎から放たれた弾と共に。

炎を突きぬけた弾は複数の敵に直撃。思わぬ方向から飛来する弾に敵は回避することなど出来なかった。

不意を突かれた前衛の敵は那智の砲撃と相まって全滅を余儀なくされた。


那智「上手く行きましたね」


敵に目を向けながら、那智は誰へともなく声を掛ける。


霧島「死ぬかと思いましたけどね」


その声に答えるのは、先の砲撃の雨の中心にいた霧島であった。

那智は霧島を撃ってはいなかった。彼女の少し前方に浮いていた敵の死骸に砲撃を行ったのだ。

死骸に直撃した那智の砲弾は激しい爆風を引き起こし、霧島を後方へ吹き飛ばした。

彼女を爆風で焼くことになってしまったが、結果として敵の砲弾の直撃は避けられ、霧島の命は救われた。


何故那智はともすれば沈んでしまう様な危険な真似をしたのか。

彼女が思いついた霧島を救う術は三つあった。

一つは急を持って彼女の元に向かい、自ら敵の射線からずらすという手。

だがこの手は敵が既に攻撃態勢になっている状況では遅すぎた。向かったところで手遅れになっていた可能性が高い。

たとい間に合ったとしても、敵の射線に那智も入ってしまい、二人揃って沈んでしまっていただろう。悪手も悪手、この手段を選ぶことは那智にとってあり得なかった。

二つは砲先を向ける敵に攻撃を仕掛け、阻止するという手。

これは敵の数が多すぎた。敵の攻撃を阻止したとしても一人抑えられる数はほんの一部。残りの敵の攻撃が霧島に殺到し彼女は落ちていただろう。よってこの手もあり得ない。

そして最後が実際に取った手。

この手であれば霧島を負傷させる可能性は出てくるが、那智の少ない手数でも足り、彼女自身に危険が及ぶこともなく、敵の攻撃を受けずに彼女を救う事が出来た。

確実に成功するという保証は無かったが、先の二つの選択肢よりはずっと可能性があった。故に那智はこの手を取ったのだった。


霧島「……ですが……」


霧島の命は助かり、戦列に戻ることはできた。

しかし、彼女達を取り巻く状況は何も変わっていない。それどころか悪くなっている。

霧島は艦装の破損により火力が落ちている。更には那智の砲撃による負傷も加わり、満足にその体を動かせなくなっていた。

そして彼女らの残された弾も少ない。継戦してきた霧島も元より、捕縛隊として海に出てきていた那智もそう多くは弾を積んで来てはいなかった。

二人の奇襲とも言える攻撃を受け崩壊した敵の前衛も、既に次を築き上げようとしていた。

このままでは救援が来るまで持つかどうかわからない。万事休すか。

だが、それでも諦めるわけにはいかない。此処で諦めては国民を飢餓に陥らさせ、自分達の命も、提督の名誉も、全てが終わってしまう。

諦めるものか、と歯を食いしばり、炎に焼けた体に鞭を入れて那智は砲塔を敵の群れに向けた。


那智「……な……ア?」


しかし、突然にぐらりと那智の視界が歪む。続けて全身から汗が吹き出し、大きく震え始めた。

突然の体の不調、そして敵を目の前にしての焦りが彼女の理性を刈り取ろうとする。

那智は必死と耐える。ここで理性を失うことは命をも失うことを意味するからだ。

なぜ。こんなところで。耐えろ。敵を倒せ。無理だ。死ぬ。生きたい。死にたくない。考えるな。戦え。諦めろ。逃げたい。逃げるな。会いたい。

頭に様々な言葉が巡る。抑制と暴走のせめぎ合いが更に彼女を追いこむ。



那智「……うデ、かァ……!」


そんな最中、突如として彼女の中に残っていた微かな理性が今の状態に追いやった正体をはじき出す。

毒だ。

煙を抜ける際に受けた敵の咀嚼による毒が、彼女の体を襲っていたのだ。

だが、原因が解ったところで状況は好転しない。

それどころか、皮肉にもそのことが彼女を絶望に叩き落とした。

毒に対処する手段も時間もない。つまり、もうどうする事も出来ないという結果を突き付けたのだ。

視界が真っ暗になる。毒の所為か、逃れられない死への絶望か。それともその両方か。

もう何もかも彼女には解らない。霧島が必死と彼女の身を案じる言葉を投げかけているが、それももう耳に届かない。

死。

あんなにも頭を巡っていた様々な言葉の一切が消えてなくなり、死と言う単語だけが彼女の脳を埋め尽くす。

自分は死ぬ。もう避けることはできない。

ならば。


霧島「那智さん!?何を!?」


那智は毒に震える手で背中の艦装へ手を伸ばす。

……自爆装置を起動させる為に。

このままでは自分はただ殺されて終わる。ならば敵に特攻を掛け、一匹でも多くの敵を地獄に引き摺りこんでやろうと考えた。

艦装のカバーを開け、隠されたレバーを引く。途端に那智の艦装が低い唸りを上げ始めた。


霧島「駄目です!そんな、那智さ、くっ!」


察した霧島が那智の行動を止めようとするが、態勢を整えた敵の攻撃が始まってしまった。

激しい攻撃に霧島は動くことが出来ない。

そうこうするうちに那智の艦装から放たれる低いうなりが、甲高いものに変わっていく。

そしてとうとう那智は足のホバーを吹かし始めてしまった。


霧島「那智さん!!!」


必死と叫ぶ霧島だが、砲撃音と那智の心にかき消されてしまう。

そして遂に突撃の為に足に溜めたエネルギーが充填されてしまった。

那智は突撃を開始する。


霧島「駄目ぇ!!」



だがその時だった。目の前の敵の群れに大量の砲弾と機銃が襲った。

突如とした激しい攻撃に敵は慌てふためき、何も出来ずにその数を減らしていく。


『こちら八戸所属部隊。これより貴軍の援護に入ります』


まさか、と霧島が思ううちに無線より矢矧の声が響く。

八戸の援護部隊が到着したのだ。

安堵を覚える霧島だったが、グズグズはしていられない。目の前には暴走した艦装を背負った仲間がいるのだ。

幸い那智は突然の味方の砲撃に呆気を取られ、その場で立ち尽くしていた。


霧島「那智さん!」


今は味方の攻撃により敵の砲撃は止んでいる。

自由になった状況を活かし、霧島は立ち尽くす那智へと近づき、暴走した艦装に手を伸ばす。


霧島「あッ……あァ!!」


触れた瞬間高熱が霧島の手を襲う。しかし怯んでは居られない。彼女は必死と耐え、力任せに艦装を剥ぎ取った。

ぐら、と倒れる那智を支え、そのまま彼女のそれを敵の群れへと投げ飛ばす。飛ばされた艦装は放物線を描き、群れの中の一匹に直撃。

その直後、大量の敵を巻き込んで凄まじい爆発を巻き起こした。

猛烈な爆風が霧島達を襲う。だが、これくらいどうという事は無い。

命を繋ぐことが出来たのだから。


霧島「那智さん……生き、残れましたよ」


霧島の言葉に那智は答えない。

しかし、遠のく意識の中で彼女はしっかりとその言葉を耳に収めていた。


―――――――――――――――


矢矧「……やられた?」


愕然とした様子で矢矧は呟く。

彼女含め、援護を開始した部隊は突如として起こった激しい爆発に面喰っていた。

これほど大きな爆発は通常あり得ない。考えられるとすれば、輸送艦か或いは艦娘の艦装の爆発だった。

部隊に緊張と不安が走る。


瑞鳳「……ううん。爆発したのは艦装だけだね。霧島さんが那智さんのものを投げつけただけみたい」


艦載機により彼女達の動きを見ていた瑞鳳が安心した様子で隣の矢矧に報告した。

瑞鳳は複数の小型の戦闘機を一度に操り、そしてその各々から情報を得ることが出来るという特殊な能力を持っていた。

その能力により、彼女は那智と霧島の状況を知ることが出来ていたのだ。

彼女の能力を知り、信頼している部隊は彼女の報告により覆っていた緊張を解く。


矢矧「……そう。二人は無事?」

瑞鳳「沈んではいないけど危険な状態……だと思う」


再びそう、と矢矧は頷く。

何故艦装を放棄したかは気にはなったが、今は二人の安全の確保が優先だと矢矧は考えた。



矢矧「作戦通り敵の逃げ道は確保しておいて。逃げる敵は放置。今は那智、霧島両名の救出を優先としましょう」


矢矧の指令に部隊の艦娘たちは砲撃を再び開始する。

現在彼女の率いていた部隊は二手に分かれ、輸送艦より矢矧と瑞鳳のいる3時と8時方向より敵に攻撃を仕掛けていた。

作戦としては先の二方向から攻撃を仕掛け、敢えて9時~2時までの方角に敵の逃げ道を作り、そこから敵を追い出すというもの。

それでも敵が残るようであれば、後続隊が到着次第、二手に分かれた部隊は10時から2時に展開し、挟撃を掛けて殲滅する。という二段構えの物であった。

矢矧は敵は撤退せず、二段構えの作戦が遂行されるだろうと考えていた。

なぜなら瑞鳳が先に出していた艦載機の偵察により、既に輸送艦を取り巻く状況を把握していた為だ。

棲姫が近海におらず、組織的な行動を取る、多すぎる敵。

彼女は自分たちが囮に誘き寄せられたと直感していた。

だがそれは誰にも伝えていない。囮だろうがなんだろうが、自分たちは仲間を救わなければならないし、恐らく先行した那智が既に提督に状況を報告し、彼はその対策しているだろうと予測していからだ。

今その情報は自分たちにとって不要なものだ。不要な情報は部隊に混乱を呼ぶ。

矢矧はただ、部隊に言葉を、敵に砲弾を放つ。

予想する鎮守府への奇襲の不安も感じていなかったし、目の前の仲間を掬う事が、今の自分にとって出来る最善だと信じていた。

鎮守府には自分たちの提督がいるのだから。

……ただ。

ただ、基地に残っている人間の友人の安否だけが、気に掛かっていた。

続く。多分次回で戦闘描写終わりです。

=========


双眼鏡と無線を提督から受け取り、鎮守府から南へ海沿いに車を走らせること5分程。

恐らく人間の戦争の際に爆撃で荒れたであろう路を越え、僕は周囲を見渡せるなだらかな丘のふもとに来ていた。


「神社……か」


遠目では解らなかったが、どうやら此処は元は神社だったようだ。

丘を登る為の石段が設けられ、その上に黒く焦げ、爆撃にへし折られたであろう鳥居が倒れている。

車を降り、失礼しますよと心で呟きながら倒れた鳥居を跨ぎ、石段を登っていく。

やがて石段を登りきると、神社の本殿……だったものが見えた。

爆撃をもろに受けた為だろうか。既にそこには本殿は無く、それを形成していた焼け焦げた木材がうず高く盛られ、その上にかろうじて姿を残していた瓦屋根が乗っていた。

当然ながら人は誰もいない。代わりに俺達がここの主だと言わんばかりに大量のウミネコ達がミャアミャアと鳴きながら、敷地を占領していた。

建物が残っていればその中から海を見張れたが……まぁいいか。瓦礫とウミネコが相まってカムフラージュになるだろう。

爆風に散らばった木材を避けながら歩を進め、瓦屋根の乗った瓦礫を登る。

海とは反対側の斜辺に身をうつ伏せに倒し、屋根の棟木にいたウミネコを追い払った後、、そこから顔を出す。

倒した体に屋根にこびり付いたウミネコの糞が付き、更にはその匂いと木材が焦げた匂いが混じりあった悪臭が嗅覚を襲う。

不快ではあったが、仲間の死体に紛れていた時よりはずっとマシだと思い、気を反らす。

衛生的には悪いが、此処は瓦礫の山が身を隠して隠してくれる上、十分に周囲を見渡せる。鎮守府近海を見張るにおいてこれ以上の場所は無いだろう。


さて、後は敵を待つだけだ。……本当は来て欲しくなんかないけれど。

鎮守府近海であることから、多くの敵を引きつれてくることはない筈。敵は恐らく少数、加えて精鋭で来るだろう。


「……集中しろ」


ひとりごち、自分に発破をかける。

発見が遅れる時間が遅くなれば遅くなるほどそれだけ鎮守府の損害は増す。見逃したなんて失敗は許されない。

失敗を防ぐためにある程度敵の行動を予測しておいた方がいいだろう。

敵はどこから来る。どこから攻めた方が効果的だ。敵の立場になって考えろ。

輸送艦の援護に向かった味方は北へ行った。はち合わせる可能性が高い以上、北からの襲撃はまずあり得ない。

なれば地理的に敵は鎮守府から北東から南東の方角から来る可能性が高い。

しかし南東は岩手の部隊がある。防衛網が貼られている以上そこを通ってくる可能性は低い。

そして敵は輸送艦を襲った以上、北に棲息する部隊が襲ってきたものだろう。

以上の事を考えると敵は北東から東の方角から来る可能性が高い。……そこらを重点的に見ておいた方がいいだろうか。

僕は首に下げていた双眼鏡を通して、海を覗き込んだ。

・・・・・・・

「来た」


待ち始めて15分程。僕の予想通り、敵は東の方角から来た。

双眼鏡の倍率を上げ、改めて敵の様子を窺う。

敵は5体。矢の陣形を取りこちらに接近している。恐らく先頭の資料で見たことのない奴が棲姫だろう。

提督の予想通り……だが。


「……全員人型、か」


棲姫は元より、その護衛も全て人型だった。棲姫を筆頭に、戦艦ル級2、重巡リ級2という構成。

深海棲艦は人型に近づく程戦闘力が増すというの資料で読んだ。ル級もリ級も

その人の形を取っているのが5体もこちらに向かっている。焦りとも、不安とも言える悪寒が僕の体を走った。

棲姫は元より、深海棲艦というものを初めて見たが……一目で恐ろしいものだと直感できる。

敵意と殺意と威圧感の塊……それが深海棲艦。

今回は特殊なのかもしれないが、あの子たちはあんなものといつも戦っているのかと、艦娘たちに畏敬と憐憫の念を抱いた。


……バレた?

ゾクリ、と悪寒が走り、直感が警鐘を鳴らす。

今すぐ此処を離れろ、と。

しかしそれに従い、ここで逃げては味方に状況を伝えられなくなってしまう。

僕の命などどうでもいい。任務を優先させるべきだ。

それにまだバレたと決まったわけじゃない。バレたとしても十分な距離だ。射程からは遠い筈。もう少し様子を……。


提督「……どうした。何かあったのか」


一向に無線を切ろうとしない僕に提督はいぶかしむ声を掛けてくる。

まだ決まったわけではないけど、一応は報告を


「……なっ」


敵の方向から砲撃音が響く。

まさか、と思ううちに赤と青と白と黒の色が僕の視界を廻るように横切った。

いや、違う。これは……。


===============


提督「番頭!番頭どうした!返事をしろ!」


番頭と繋がった提督の無線機から激しい爆音が響いた後、彼の声が途絶えてしまった。

何度も提督は無線に呼びかけるが、一向に返事は返って来ない。

何故彼からの返事が途絶えたか。そんなことを考える必要はない。

彼は――番頭は敵の砲撃を受けたのだ。

しかし、と提督は考える。

何故番頭は敵に見つかったのか。十分な距離があり、加えて身を隠すカムフラージュもある。そう簡単には見つからない筈……だった。

しかし結果として彼は見つかり砲撃を受けた。生身の人間であることを考えて、恐らく無事ではいないだろう。

ではなぜ見つかったのか。提督に考えれる原因は二つあった。

一つは、敵の『目』が異常に良く、偶然敵の視界に入ってしまった。

二つは、予めこちらの動きが予見されており、相手が見張りを警戒していたところに番頭が来てしまった。

相手は棲姫。強大な戦力を持ち、更には未知の部分が多い。一つ目の原因は十二分に考えられた。

二つ目の原因としても、知性の高い棲姫がいる以上、可能性はある。


しかし、どちらにせよ哨戒が見つかった以上、敵は待ち伏せを悟り撤退するだろう。

提督の作戦は失敗に終わったのだ。

結果は棲姫を倒すことも出来ず、番頭と言う仲間を失ってしまっただけ。

提督は自らの失態を悔み、歯噛みした。

しかし、いつまでも失敗に囚われているわけにはいかない。せめて、彼の遺体だけでも回収しなければ、と考えたその時。


『……提……督……聞こえ、ますか……』


もう返事が無いとと思われた無線から、番頭の声が流れてきた。

負傷している所為なのか、彼の声は弱々しかった。


提督「番頭!?無事か!?」


必死と提督は声を返すが番頭の反応は鈍い。

かなりのダメージを受けている事を提督は容易に想像できた。

『胸を、打ち……はぁ、喋りずらいだけで……無事、です。……それより……敵、ですが……』

提督「撤退したのだろう?もういい喋るな。今人を」


いえ、と提督の言葉を切って番頭は弱々しく否定した。


『敵は……依、然として……鎮守府に……進行中……戦闘、準備、を……』


そこで番頭の言葉は切れ、無線に静寂が訪れた。

再び提督は無線に強く呼びかけるが、彼からの返事は無い。

事切れてしまったのか、と提督に嫌な考えが擡げたが、よく無線に耳を凝らすと、一定のリズムを刻む風の音――恐らく呼吸の音が響いている。

彼の詳細の状態は解らないが、生きてはいるようだった。

提督はそのことに安堵する。……が、直ぐに疑問が湧きあがった。

何故、敵は変わらず進軍を続けているのか。

侵攻を知られたとしても、問題ないと考えているのか。

番頭から聞いた情報では、棲姫がいたとしても多量の敵に挑むほど、十分な戦力を持っているわけではない。

多量の敵に相対することができるほど棲姫の戦力が高いのか。


だとしても、と提督は疑問を深める。

輸送艦に過多とも言えるほどの敵を寄越し、囮として使うほどの周到な敵が、自らの身を危険に晒すリスクを冒すだろうか。

増援が来る、という事も考えたが、周囲に他に敵はおらず、足の遅い戦艦級を二隻も棲姫が引きつれている時点で、増援が来る可能性は薄い。

仮に増援があるとしても、先を持って棲姫が仕掛けるだろうか。

しかし、現状として提督には相手が自分の実力に自信があるという事しか推測出来ないし、迎え撃つ以外に選択肢はない。

無線の周波数を部隊共通の物に変え、繋げる。


提督「提督だ。来るぞ。3時の方向より5。内、棲姫一、戦艦級二、重巡二。敵の砲撃を合図に作戦を開始しろ。……以上だが、他に何か仕掛けてくるかもしれん。周囲に警戒を怠るな」


そう告げると提督は無線を切った。今の所彼女達の指示はこれでいい、と提督は頷く。あとは敵が来次第指示を下すだけだった。

しかし彼は直ぐ様、ある所に無線を繋げる。


『はいー、間宮です。珍しいですね。提督』


無線から返ってくる間延びした声。それは甘味処に務める間宮の声だった。


提督「間宮、頼みがある」

『はい?なんでしょう?』

提督「助けて欲しい奴がいる」


ーーーーーーーーー


提督の開戦を告げる声が無線から途絶える。

周囲に響く音は甲高く鳴くウミネコの声と、打ちよせる波の音だけ。

卯月は海から身を隠し、それを動揺に心を揺らしながら聞いていた。

彼女が動揺した原因。それは一発の爆発音――番頭に向けられた砲弾の着弾音だった。

彼女達艦娘にその砲弾の行方を知る由もなかったが、ある程度の予想は着けることが出来ていた。

身を潜めている艦娘たちが提督の許可なく砲撃をする筈がないし、鎮守府には敵の攻撃による損害は無い。

であるなら辿り着く予想は一つ、哨戒への攻撃。つまり番頭への砲撃だ。

しかし、それに心を揺らす艦娘は少なかった。

元々番頭との関わりは薄い。更には彼女達には鎮守府を守るという使命があり、皆の家を、提督を守りたいという想いがあった。

関心を向けるには、着任したての彼の存在は薄すぎたのだ。……先に述べた卯月、そして彼を想う弥生、文月を除いて。


卯月「助けに……いかなきゃ……!」


一度親友を失ったというトラウマを持つ彼女にとって、友人である番頭を失うかもしれないという想像は、正常な判断を出来なくさせるには十分だった。

トラウマに心を乱されるまま、卯月は配置を離れ、番頭の元へ向かおうとする。

手掛かりは砲撃音が響いてきた方向だけ。それでも彼女は動かずには居られなかった。


弥生「だ、駄目っ!」


しかしその足は、弥生が彼女の腕を掴むことで止められた。

卯月の内に怒りにも似た感情が燃え盛る。


卯月「なんで!?ばんとーさん、死んじゃうかもしれないんだよ!?助けに、助けに行かなきゃ!」


卯月は腕に力を込め、弥生の手を振り払おうとする。

しかし、弥生はその手を放そうとはしない。絶対に放さないと言わんばかりに、その腕を更に握りしめる。


卯月「やよちゃん!!」


解ってくれ、放してくれと卯月は弥生の名を呼ぶが、弥生は必死と首を振る。

しかし、弥生はただ首を振るだけだった。


文月「う、うーちゃん……駄目、だよ……いまいったら、見つかっちゃったら……危ない、よ……」


文月もおずおずと卯月を戒める。

彼女も番頭を憎からず思っている以上、彼の身を心配している。それも気が気でないほどに。故に卯月が取り乱す気持ちも十分に理解していた。

しかし、彼女は今の卯月の行動が間違っているということは解っている。だからこそ今彼女は自分を抑えていた。

感情と理性のせめぎ合い。それが今の彼女のおずおずとした態度に表れていた。


卯月「でも!!」


それでもと卯月は叫ぶ。

過去のトラウマ、友人の長月を、そして番頭を案ずる気持が混ぜこぜとなり、完全に自分が抑えられなくなってしまっていた。

だがその時、パチン、と空気が弾けるような音が鳴り響いた。


卯月「……え……あ……」


空気が弾ける様な音の正体、それは弥生が卯月の頬を張った音だった。張られた頬に卯月は呆然と手を当てる。

そんな彼女を弥生は涙でうるませた瞳で見据えていた。


弥生「弥生、だって……弥生だって行きたい……でも……今は……行ったら台無しに、なっちゃう……」


卯月を張った手を握りしめ、彼女は顔を伏せる。

彼女も卯月、文月同様か、それ以上に彼の身を案じていた。

それでも弥生が彼の元へと足を向けない理由、それは。


弥生「それに……番頭さん、大丈夫、って言ってた」


彼の大丈夫、という一言。それをただ一途に信じていたからだ。

彼は自分の言った言葉を守る男だと弥生は信じている。

彼は弥生に協力すると言った。

その言葉通り、彼は瑞鳳と摩耶という信頼できる仲間を引き寄せて居場所を作り、更には関係を取り戻したいと思っていた卯月を彼女の傍に近づけた。

後者において番頭がやったという確信を得ていた訳ではなかったが、今ままで避けていた卯月が番頭と共に表れた後に自分に歩み寄って来たことから、彼の仕業ではないかと予想していた。

まだ完全に良くなった訳ではないが、確実に状況は好転してきている。それもこんな短期間に。

だからこそ弥生は彼の言葉を、彼自身を信じている。



文月「そうだよっ!ばんとーさん言ってたよっ、だから……だから、危ないこと、しないで……」


弥生の言葉に加勢するように文月は言葉を重ねる。

彼女の言葉は卯月だけでなく、自分にも向けていた。

あの人なら大丈夫、心配ない、と言い聞かせる為に。


弥生「だから……だから、弥生達は弥生達の事をしよう?……うー、ちゃん」


卯月の腕を握っていた手を、そのまま彼女の手に動かし、静かに握りしめる。

卯月は弥生の願いに何も言わず顔を伏せた。そして繋がれた弥生の手を放す。

解ってくれないのか、そんな思いが弥生と文月の二人に過った。


卯月「……うるさくして……ごめん」


しかし、そう一言だけ呟き、身を隠していた倉庫の壁に寄りかかった。

彼女の言葉に思いが伝わったのだろうと弥生と卯月は安堵に胸をなで下ろす。



弥生「こっちこそ叩いて……ごめん」

卯月「ううん、いいの……だってこれは卯月が……うーちゃんが悪い、ぴょん」


えへへ、と卯月は笑う。

しかしその笑みに力は無かった。


文月「うー、ちゃん?」

卯月「どうしてうーちゃんはこうなっちゃうだろーね?こんなこと、ばっかり……」


文月の呼びかけに、卯月はポツリと自嘲の言葉を吐いた。その様子に文月は言い様のない不安に襲われる。

彼女がどうしたのかと、様子のおかしい卯月に手を伸ばそうとした時、一発の爆音が響いた。

続けて無線から提督の声が響く。


『お出ましだ』


戦闘の開始を告げる二つの音に、卯月は体を動かし、文月の手は空を切る。


卯月「それじゃあ……行くぴょん!二人とも!」


彼女の声に合わせたかのように、周囲に隠れていた艦娘たちも海へ躍り出る。

卯月はそれにならうように同様に物陰から出て行った。


弥生「……行こう、ふみ、ちゃん」


そう文月に呼びかけ、弥生も物陰から出て行く。

その時の表情は、文月同様、様子のおかしい卯月への心配に染まっていた。

一人残された文月は空を切った手を見つめる。

そこに自分が囚われた不安の理由が書いてある気がしたから。……しかし、そんなものは当然どこにも書いていない。

文月は不安を振り払うように首を被り振り、物陰から身を乗り出した。

続く。戦闘描写の終わりはあと二、三回の更新になりそうです。

―――――――

提督「お出ましだ」


敵の着弾に合わせ、提督は艦娘達に出撃の指示を下した後、司令棟の二階、周囲を見渡せる位置に立つ。

彼の眼前には、隠れていた艦娘たちが物陰から身を乗り出し、展開していく様子が広がっていた。


提督「鳳翔、艦載機展開に加えて周囲の哨戒。比叡率いる重巡は作戦通り敵の正面に張り付いて砲撃して釘づけにしろ。軽巡、駆逐部隊は敵を中心に五時~八時、十時~一時に展開次第砲撃を開始しろ」


それを確認しつつ、彼は手に持った無線機に指示を下した。

艦娘たちは戸惑うことなく指示通りの位置に付いていく。


提督「さぁ、お前らの実力を見せてやれ」


彼の言葉を皮切りに、比叡率いる主力が砲撃を開始する。

彼女達の放った砲撃は重い音を立てながら、棲姫の元へ向かって行った。


・・・・・・


提督「にしても……妙だな」


提督は目の前で繰り広げられる状況にそう呟いた。

圧倒的数の優位もあり、戦況はこちらが優勢。陣形も崩れることなく、敵に集中砲撃を浴びせられている。

今のところの損害も埠頭に受けた数発のみ。艦娘は全員無傷。

普通であればなにも疑わず、喜ばしく思う状況である。

提督も戦況が優位であることは認識している。問題なく勝利出来るであろうことも。

だが、そのこと自体が彼に違和感を感じさせていた。

敵は哨戒である番頭に発見されたにも関わらず、この鎮守府に乗り込んできた。

当然提督は、敵が待ち伏せを承知の上で、それを覆せる切り札か何かを持っていると踏んでいた。

しかし敵は、初手はドックとは全く関係ない場所に砲撃し、挙句、物陰から出てきた艦娘に攻撃を躊躇うまでの動揺するそぶりを見せていた。

そして今に至っても未だに劣勢を覆す切り札を出すことなく、かと言って撤退することもなく、今の状況を甘んじている。


提督「……お粗末なモンだ」


棲姫も反撃を行っているが、艦娘たちの砲撃に碌に狙いを突けることが出来ず、当てずっぽうに砲撃を行うだけ。

着弾する水しぶきの大きさから相当の火力を持っていることが推測され、更には降り注ぐ砲撃の雨に未だに耐えうる装甲を持っている。

戦況が戦況であるなら棲姫自身が切り札になりえたであろう。だが、現状全くそれが活きていない。

火中に飛び込む虫がごとく、敵は此処に死にに来たとしか提督には思えなかった。

とても知性が高いものとは思えない在り様。拍子抜けするとともに、その事が違和感を感じる原因だった。

ふむ、と顎に手を当て、もう一度、敵が此処に仕掛けてきた様子を思い出す。

こちらが出てきた時の、全く想定して居なかったとでも言わんばかりの動揺した姿。

その様子に提督自身、覚えがあった。

敵の策にはめられた時、そして……味方から得た情報が全く違っていた時。


提督「……まさかな……」


とても知性が高いとは思えない目の前の敵。しかしそれに反して囮を使い、更にはそれに規律を発生させるほどの知性の高い行動。

ここで提督はある二つの推測に達する。

一つはあの棲姫に「後ろ」がいるのではないかという事。

そして二つ目は、あの棲姫を嵌めたのはこちらではなく、その「後ろ」に嵌められたのでは無いかという事だった。


――――――――


降り注ぐ砲弾の雨に戦艦級の敵が沈む。残りは棲姫と戦艦級一つのみ。周囲に増援の敵影が見られたという連絡もない。

それに対してこちらの損害はほぼゼロ。余力も十分に残っている。

間違いなく勝てる。

敵の正面に立って砲弾を打ち続ける比叡は、そんな高揚に心を震わせていた。

彼女は棲姫と此処で相対するのは初めてではなかった。以前にも一度襲撃され、相見えたことがある。

その時は相手が多勢であった事に加え、多くの艦娘たちが出払っておりかなりの苦戦を強いられた。

辛くも勝利したものの、比叡はその時の事を自身に根深く、憤りとして燻り続けさせていた。

この完全な勝利を持って、ようやく晴らすことが出来る。

そんな思いが、彼女の高揚を増長させていた。


鳳翔『ル級、脚部負傷。移動不能です』


空を支配している鳳翔が、敵の状況を報告する。

瑞鳳と同じ能力を持つ彼女は艦載機で空からの攻撃に加え、敵の行動・状態を逐一として味方に連絡していた。

敵の武装の状態、損害状況、標的……その他細かい情報まで。

此処まで損害が抑えられ、効果的な攻撃を行えたのは、彼女がいたからに他ならない。


比叡「ここで……決めます!」


鳳翔の報告を受け、ここが好機と比叡は背負う大型の主砲で、残る戦艦ル級を捉える。

彼女の眼に映りこんだ敵は、情報の通り、脚部を損傷しているようだった。

素早く、それでいて正確に狙いを付ける。身動きが取れない相手にとってそれは容易過ぎた。


比叡「いけぇぇッ!!」


照準を付けたと同時に掛け声を放ち、砲塔から轟音が響かせる。それと同時に後部排煙口から、火薬の炸裂した炎と黒煙が勢い良く顔を出した。

打ちだされた軽巡や重巡の物とは比べ物にならない威力を持った複数の弾は、唸りを上げながら敵へ向かっていく。

やがてその一発がル級の頭部に直撃し、激しい爆炎と共にそれを千切り飛ばした。

頭部と言うコントロール機関を失い、完全に動きが停止した死骸に容赦なく味方の弾の雨が降り注ぐ。

寸瞬と持たないうちにル級だったものは只の肉塊と化し、暗い海の底へと沈んでいった。


鳳翔『戦艦級、重巡級共に撃破。あとは棲姫のみです。各自、気を抜かないようお願いします』


鳳翔の撃破報告が無線から響く。彼女達艦娘にとってそれは勝利宣言と等しいものであり、棲姫にとっての死刑宣告であった。

防衛陣を張る全ての砲塔が一人の棲姫に狙いを定められ、弾が豪雨となって降り注ぐ。


鳳翔『……棲姫、三時の方向へ戦場を離脱する模様です』


しかしそれを甘んじて受け入れる敵ではなかった。

多少の被弾を受けつつも、必死となって艦娘たちに背を向ける。

……その姿はただただ、無様であった。

意気揚々と乗り込んで来たにも関わらず、碌な損害をこちらに与えることも出来ず、戦艦と重巡という主力級を四人も失い、挙句情けなく敵に背を向ける。

無様以外に呼びようがなかった。


提督『比叡、鈴谷、熊野。加えて四時~八時に展開した者は追跡部隊として編成する。そのまま棲姫を追え。残りは此処で待機しろ」


鳳翔の報告を得て、そこで提督は続けて指示を下す。

逃がすか、と息巻いた比叡にとって彼の指示は絶好の物だった。


提督『追跡部隊は鶴翼の陣を展開し、北に誘導しろ。現在輸送艦の増援部隊がこちらに向かわせている。そこで鉢合わせさせ、挟み打ちで仕留めるぞ』


そこで提督からの無線が途切れる。



比叡「それじゃ行きますよ!鈴谷!熊野!」

鈴谷「はいはーい」

熊野「了解ですわ」


それと同時に比叡は両隣りに位置していた鈴谷と熊野に声を掛け、歩を進める。

彼女の言葉に二人はそれぞれに返事をし、その後に続いた。


熊野「それにしてもこんなにあっさり行くとは思いませんでしたわ」

鈴谷「だねー。でもま、こんなもんじゃん?提督もいるんだしさ」


その中で熊野と鈴谷が気が抜けた様子で言葉を交わす。

彼女達はすっかり戦勝ムードであった。


比叡「何かあるか解らないんだから、そんな話は倒してから!無駄話は後です!」


彼女の注意に鈴谷はしぶしぶはーいと、熊野は畏まった様子ですみませんと返す。

彼女達の気持ちも解らないでもなかったが、今はまだ戦闘中。追跡隊を率いる比叡にとって、彼女達の空気を許す訳にはいかなかった。


比叡「……大丈夫だとは思いますけどね」


ちらりと比叡は追跡部隊の一人に目を向ける。彼女の視線の先、そこには卯月の姿があった。

敵の戦力に対して不安に思う事はなかった。

しかし、普段の敵に相対する卯月の姿に、暴走してしまわないかと、どうにも不安をぬぐい切らせることが出来なかった。


――――――――――


棲姫が自分たちに背を向けて逃げて行く。

追跡隊として編成された卯月は、心に怒りを秘めたまま、敵の姿を追っていた。

今回の襲撃の、そして番頭を攻撃した敵の頭。彼女にとって仇とも言える存在であり、そんなものを目の前にして怒りを覚えずには居られなかった。

陣形を無視し、ひとり突出してでも敵を自らの手で殺したい。

しかし、彼女は湧きあがるそんな思いを必死として抑えつける。

今までのように感情に流され、皆の迷惑になる存在になりたくないという思いがあり、

そして何より頬を張ってまで自分の暴走を止めてくれた弥生、そして心配する言葉を掛けてくれた文月を裏切りたくないという思いがあったからだ。


『敵が東に進路を取ろうとしています。右翼に展開する味方は、砲撃を進路に集中させ、進行を制御してください』


無線から空から敵を見張る鳳翔の指示が響く。

右翼とは、鶴翼の陣の右方を担う部隊であり、卯月、弥生、文月がいる部隊でもあった。


指示を受け、卯月を含んだ部隊は敵の進路に照準を向けて……砲撃。

砲弾は狙い通り進路へ集中、敵は東への進行を妨げられ、北へと進路を取りなおした。

よし、と卯月は拳を握りしめる。このままいけば敵を追い詰められる。

そう、確信した時だった。

進路を狙ったうちの一発が逸れ、棲姫の背中に直撃した。

ギラリ、と敵の怒りと憎しみが籠もった瞳が右翼の部隊に向く。そして運悪く……本当に運悪く、その瞳が卯月を捉えてしまった。

ゾクリとした恐怖が卯月に走る。

怖い。

彼女は初めて身を震わせる程の恐怖を感じてしまった。

しかし敵はそんなことを構うことなく、その身を北へ走らせながら体の向きを反転。そして左手を上げて卯月に対して狙いを付けた。


『砲撃、来ます!』


鳳翔の警告が耳を卯月の耳を劈く。

このままではまずいと彼女の頭は反芻するが、恐怖に囚われた卯月はまともに身動きがとることが出来なくなってしまっていた。

瞬間、敵が眩く光る。それは火薬が炸裂した際に出るマズルフラッシュであり、殺意が込められた死をもたらす光でもあった。


卯月「……あ……」


意味のない言葉を卯月は呆然と呟く。

人には捉えることは敵わない、秒速1,800mの砲弾。

彼女は何故かそれがゆっくりと、そして確実に自分に近づいてくるように見えていた。

直撃すればただでは済まない。それでも彼女は身を襲う恐怖に、その体を動かすことが出来なかった。

死ぬ。

そんな思いが体を過った時、目の前に弥生がゆっくりと踊り出してくるのが見えた。

駄目、と声帯が言葉を作ろうとする。

だが、それが口から飛び出す前に、敵の砲弾は彼女を庇った少女に直撃し




炸裂した。


激しい光が卯月を包み、寸瞬遅れて爆風と高熱、そして重たい『何か』が彼女の身にぶつかった。

その衝撃に溜まらず卯月は後方へ飛ばされ、海の中へと放り込まれた。

呼吸器に押し寄せる多量の海水、そして無防備に海へ打ちだされたことによる天地の不明に卯月は混乱に叩き落とされる。

だが、直ぐにそれも落ち着かされることになった。

眼前に弥生が力なく漂う姿を見つけたから。

やよちゃん、と弥生のあだ名を心で叫びながら、もがくように彼女に卯月は近づいて行く。

その身に近づくと。海上に引き上げようとその腕を掴もうとした。

だが、卯月は掴むことは出来なかった。


卯月「……!」


……掴むべき腕が、もうそこになかったから。

あまりの衝撃に叫びたくなる。だが海の中ではそれも叶わない。

歯を食いしばり、気が狂いそうな衝動の中、彼女は弥生の体を抱えて海上を目指した。


卯月「ゲホッ!ゲホッ!……っ!」


海上に上がった卯月だったが、そこで待っていたのは弥生の燦々たる状態だった。

失った左腕に加え、右腕は衝撃に折れ曲がり、直撃したであろう背中は爆風に抉り取られていた。


卯月「やよ、ゲホッ!やよちゃん!」


卯月は気管に入った水を吐きながら、彼女の状態を受け止められない卯月は、必死に弥生に呼びかける。

しかし、いくら呼びかけても弥生の返事はない。ただ、海の波に身を任せるだけ。


卯月「いやぁ、嫌だよ!やよ、やよちゃん!」


目を覚ましてくれ、起きてくれと、体を何度も揺する。それでも彼女は答えない。


卯月「なんで、せっかく、せっかくまたなかよく、いや、いやぁ、やよちゃん、やよちゃん……」


彼女の瞳からぽろぽろと涙が溢れだした。

どうして、という言葉が彼女の頭を埋め尽くす。

またやり直せると、仲良くできると思ったのに。

いつもの日々が取り戻せると思ったのに。

どうして。どうして。どうして。


卯月「いやだよぉ!やよちゃぁん!!」


変り果てた弥生を抱きしめ、虚空に叫ぶ。

だが、それに答える者は誰もいない。

続く。



文月「うーちゃん!ふみちゃ……っ!」


戦線を離れ、彼女達の元へ駆けつけた文月だったが、二人の姿に思わず声を失ってしまう。

四肢の一部を失い、力なく海に身を任せる弥生と、そんな彼女を抱きしめながら声を上げてなく卯月。

そんな光景に言葉を失う他なかった。


文月「嘘、うそ、そんな……」


信じられない、信じたくないと言葉を呟くが彼女の目に突き刺さる現実は変わらない。

仲間を、それも二度も失った悲しみ。

そのことに卯月の様に泣きさけびたかったが、自分までそうなってしまっては収拾がつかなくなってしまう。

そう必死に自分に言い聞かせ、感情の奔流を抑えつける。


文月「う、うーちゃ……ん」


そっと卯月の肩に手を寄せる。

だが彼女は弥生の肩に顔を寄せたまま泣き続け、反応を返さなかった。


一時は距離を置いてしまったが、文月自身も弥生とは近しい仲だった。

卯月もそれは同様。しかしそれ以上に弥生に向ける気持ちは彼女の方が大きかった。

更にはもう一度やり直せると思えた手前、今の状態の弥生が卯月に与える衝撃は想像に耐えないものだ。

文月もそれを承知している。だからこそ、卯月に押し寄せる感情の波の高さを理解できる。

それでも卯月は、自分たちは立ち上がって、歩かなければならない。

自分の身に襲う悲しみも、卯月、弥生に対する憐憫も押し殺して、文月は卯月の腕を掴む。


『文月、聞こえるか』


そこで彼女の無線機に提督からの声が入った。

どうしてこのタイミングで連絡が入ったのか見当もつかなかった。

しかし、彼の声を聞き、提督ならば何とかしてくれるかもしれない。そんな思いが巡った。

縋るようにして彼女は無線機を取る。


文月「て、提督っ、やよちゃんが、うーちゃんが……っ!」

提督『状況は鳳翔から聞いている。……弥生はどうだ』


そっと目を弥生に向ける。

素人目の彼女から見ても、弥生の状態は絶望的であった。


文月「やよちゃんは……やよ、ちゃんは……」


状況を伝えようにしても、言葉が纏まらない。言葉がでない。

冷静に努めようとした文月であったが、それでも目の前の現実はどうしようもなく彼女の心をかき乱すことを抑えることが出来なくしていた。


提督『……そうか、解った。ひとまず戻ってこい。……もちろん弥生も連れてな』


提督はそれ以上の説明を求めなかった。文月の様子で大方の事を察したからだ。


文月「……でも、でも敵が……」

提督『撤退の許可は比叡から貰ってある。それに今し方増援部隊と接敵した。問題はない」


文月は比叡に許可を取らずに此処へ来ていた。

与えられた命令よりも、二人の身を案じた事を優先した結果である。

だが、どんな理由があろうと命令違反には変わりはない。文月はその事に対し負い目を感じていた。


提督『だから戻ってこい。……いや、戻ってきてくれ。頼む』


それでも提督は優しい言葉を送る。

その事に感謝の念をを覚えつつ、彼女は負い目を振り払い、戻る事を決めた。

わかった、と返し、無線を切ろうとする。


『文月ちゃん!至急そこを離れて下さい!敵が接近しています!!』


しかし、割り込んできた鳳翔の叫びに、それは適わなかった。


文月「え……?」


呆然と呟き、文月は顔を上げる。

彼女の視線の先には、こちらに向かってくる敵の影が揺らめいていた。

――――――――――


提督「なんだと!?何故だ!?」


司令室で提督は一人怒号を上げる。

棲姫が嵌められたという推測から、敵がそれを囮して使う事は予想出来ていた。

だからこそ彼は追跡隊に残戦力をつぎ込むことなく、隊を分けていた。


提督「……利用してきたか……!」


そこで提督は敵が卯月達に戦力を向けた思惑に思い当たる。

負傷した友軍が敵襲を受ける以上、救援に人員を割く必要がある。

当然救援を出すのはこの鎮守府だ。

つまり敵は文月達の救援という囮を使い、鎮守府から味方をあぶり出そうとしているのだ。


提督「鳳翔!文月達に向かう敵の種類は何だ!?」

『駆逐級二と……戦艦リ級です」


クソ、と提督は歯噛みする。

棲姫ほどではないが厄介な相手であり、更には負傷者がいる以上、間違いなく苦戦を強いられる。

中途半端な戦力を送っては返り討ちにあう可能性が高い。

太刀打ちできる戦力を向かわせることは出来るが、そうなってはここの守りが薄くなる。

更にこちらに向かっているであろう戦力が解らない以上、無暗に援軍を出しては、鎮守府が落とされる可能性が出てくる。


提督「番頭を潰したのはこれが狙いか……!」


そこで漸く提督は敵が番頭へ攻撃させた真の目的を思い知る。

敵の真の目的、それは本命の奇襲隊の動きをこちらに悟らせない事であった。

哨戒が居なくなっては、こちらへ来る本命がどこから、そしてどれほどの戦力を持っているかを知ることは出来ない。

そして更に、追跡隊に負傷者を出し、救援に向かわせる人員を割かせることによって対策を立て辛くしている。

故に敵はこちらに接近を悟られる危険を冒してまで、番頭を潰させたのであった。

番頭が動けない以上、現状索敵のできる鳳翔に探させるしかない。

しかし、時間がない。

鳳翔が敵を見つける時間がどれほど掛かるか解らない。見つけたとしても隊員を選出、派遣の時間が掛かってしまう。

その間に卯月達は沈められてしまうだろう。

更に航空機の多数を遠方の追跡隊に回していることもあり手持ちの数も少なく、当然本命の奇襲隊を探索する数も少なくなる。

加えて現在、彼女は卯月達の支援にも航空機を回している。

そこにもう一つ増やすとなると、三つの戦場を見ることとなる。

当然鳳翔が受ける情報量、それに比例する指示の量も増え、処理しきれない可能性も出てくる。

挟撃に成功した部隊から艦載機を下げ、情報量を抑えることも出来るだろうが、数が足りなくることは変わりはない。

時間の制限、手数の少なさ、そして鳳翔自身の負担。

この三つが、鳳翔による探索を含めた作戦の難易度を上げてしまっている。


……ならば。

ならば、どちらかを捨てねばならない。

鎮守府か、卯月達か。

しかし、この基地を預かっている身として、提督に鎮守府を捨てるという選択の余地は無かった。

大の為に、時には小を切り捨てなければならない。

それは隊を率いる者として尚更の事。

彼は大きな悔恨と、無力感という猛火に胸を焦がす。

やがて心を燃やす猛火は身の内から溢れ出し、提督は強く拳を机に叩きつけた。


提督「……済まない……」


猛火が諦めと贖罪という気持ちに変わる。

だが、そんな時、無線から無機質な電子音が鳴り響いた。


『提督……聞こえ、ますか?』


無線から響くのは気を失っていた筈の番頭の声。

そして、戦況を一変させる声でもあった。


================


不思議な光景が目の前に広がっていた。……いや、懐かしいと言うべきだろうか。

目の前に、かつての実家があった。

家族たちと幸せな記憶を作っていた場所。人間との戦争で燃やされた場所。家族を失った場所。

それが昔の通りの姿で目の前にあった。

窓からは光が漏れ出し、その中リビングには父さんと母さんと、そして妹がいた。


「おい。――――」


急に横から声を掛けられる。

そちらの方を向くと、学生服を来た、かつての学友であり、戦争で死んだはずの親友がいた。


「どうした?急にぼーっとして?今日はお前んちで飯食うんだろ?」


そうだったろうか。

……いや、そんな筈はない。だってお前は……。


「そうそう。早く入ろうぜ」


今度は逆から声をかけられる。

そちらに顔を向けると、同じくかつての友人達がいた。


「もう腹ペコペコだぜ!なぁ?」

「そそっ!だから早く、な?」


そう言いながら友人達は幸せそうに笑いあっている。

ああ、懐かしい。昔の僕はこんなやり取りをしていた筈だ。

……いや、昔なのか?懐かしいのか?

家族が死んだことも、友達達が死んだことも全部夢だったんじゃないのか?

……いや、そうだ。そうに違いない。あんなこと、現実に起きる筈はない。

そこで家の中の妹が僕たちに気付いた。

彼女は満面の笑みを僕に浮かべ、リビングから玄関の方に駆けだした。


「お兄ちゃん!お帰り!」


すると直ぐに玄関の扉が開き、妹が顔を出す。


「ほら妹ちゃんもお迎えに来てんだし、早く入ろうぜ」


親友が僕の肩に手をかけ、笑みを見せる。

肩に掛けられた手は、どうしようもなく温かかった。


「ったく、先は入ってんぞ」

「腹減ったぁー!」


続いて友人達が我先にと玄関に向かっていく。

そんな光景に僕は笑みが零れていた。


「ったくお前はどんくせぇんだからよ……」


そう言いながら、親友も僕の家に向かう。

玄関の前に着くと、振り返って僕に手を伸ばした。


「ほら」


差し伸べさせられる親友の手。

笑顔を向ける妹、そして友人達。

僕の心は、幸福に包まれていた。

どうしようもなく、親友の手を取りたくなる。

だけど、その手を取ってしまったら戻れなくなる気がしていた。



「……良いじゃないか。戻れなくたって」


……そうだ。戻れなくたっていい。

あんな冷たく、苦しみしかない夢に戻って何になる。

戻ったってただ苦しむだけだ。

それなら、この温かい現実に溺れてしまった方が良いじゃないか。


「ああ、今行くよ」


そう声に出して、一歩踏み出す。

二歩、三歩、四歩。

親友の手に手が届く位置。

だらりと下げていた手を……ゆっくりと上げ、ただいまと口を開こうとする。


『――――』


だがその時、後ろから僕名前を呼ぶ声が聞こえた。


温かい現実に背を向け、振り返ってみると、そこには『彼女』がいた。

冷たい夢の心の在処。

かけがえのない存在。

どうしようもなく僕が傷つけた人。

生きる希望、そして……冷たい夢に僕を縛り付ける呪い。

そんな『彼女』がそこにいた。

『彼女』が浮かべる表情は僕の心を抉る程痛々しくて……見て、居られなかった。


『行かないで』


僕に手を伸ばし、悲しみに染まった表情でそう『彼女』は呟いた。

……そうだ。僕には、まだ……。

その瞬間、背中に感じていた温かさが消えた。

振り返ってみると、そこには家も、親友も、友人達も、妹も居なくっていた。

しかし、ただ僕の傍には彼女だけは存在した。存在してくれていた。存在してしまっていた。


「……ごめん」


『彼女』の元に向かい。そう呟く。

『彼女』は許してくれた。悲しい笑みを浮かべながら。

どうしてそんな顔するのか解らなかった。君の望み通りにしたと言うのに。

それでも『彼女』は変わらず手を差し伸べ続けてくれている。

手を取れば、その悲しい笑みを無くしてくれるかもしれない。僕はゆっくりと、そして確かに『彼女』の手を取る。

触れた彼女の手は……ただ、冷たかった。


『ごめんね』


耳に『彼女』の声が響く。

その瞬間、僕の視界は暗闇に包まれた。


―――――――――


「……さ……!……とう……んっ!」


遠くから声が聞こえる。

間延びしているけど、温かみのある女の人の声。

『彼女』の物ではない声。

ああ……あの人の声が聞きたい。


「番頭さん!」


近づいてきた声に目を開けると、目の前に間宮さんの顔があった。


間宮「よかったぁ……起きてくれた……」

「間宮……殿?どうして、ここに?」


安堵のため息を吐く間宮さんに疑問をぶつける。

彼女は甘味処に勤めている人であり、戦闘時にどうしてここにいるのか見当がつかなかった。


間宮「提督に助けに行ってくれって言われたんです。……動けますか?」


なるほど。どうやら提督は連絡が途絶えた僕を心配して彼女を送ってくれたらしい。

体の様子は胸が痛いくらいと、少し耳が遠くなっているくらいか。近くで砲撃を食らって少しおかしくなっているんだろう。

それ以外は……大丈夫か。どこも骨折はしていないようだし。動くこと位なら出来そうだ。

それより、鎮守府はどうなっただろうか。敵が向かっているのを報告したまでは覚えているんだけど……。


「私は問題ありません。それより鎮守府は……」

間宮「さっき皆さんが敵を追い払ってくれたので、だいじょーぶです!」

「そう、ですか……」


間宮さんの報告に安堵の息を吐く。……何とかなったようだ。

でもなぜだろう。まだ終わっていない。そう、僕の直感が叫んでいる。


間宮「それよりも今は番頭さんの体です!一度服を脱いで下さい。出血してたら大変ですから!」

「……ありがとうございます。ですがその前に、もう一度あの丘に登りたいんです」


視線をさっきまで哨戒していた神社の合った丘に向ける。

間宮さんの申し出はありがたいが、今はこの叫んでいる直感の正体を知っておきたい。


間宮「え、どうして……ですか?」

「少し……気になることがあるんです」


ふらつく体を抑え、どうにか立ち上がろうとする。

しかし、クラクラとした感覚が身を襲い、身を崩してしまう。


間宮「あっ!……もう。やっぱり駄目ですよ」


すかさず間宮さんは崩れ落ちそうになる僕の体を支えてくれた。

申し訳ない事してるな……でも今、行かなくては。

今行かなければ、取り返しのつかないことになってしまう様な気がしたから。


「すみ、ません……。ですが、お願いです。行かせて……下さい」


倒れそうになって尚、食い下がる僕の姿に間宮さんは困惑を浮かべていたが、やがて観念したように溜息を吐いた。

そっと僕に肩を貸してくれる。


間宮「あの丘に行ったら、手当、ですよ?」

「……ありがとう、ございます」


ふふ、と間宮さんは笑う。

僕はその笑顔に感謝しつつ、彼女と共にゆっくりと歩を進め始めた。


・・・


歩を進め、石段を登りきるとそこには先程までとはまるで一変していた。

散在していた木材は砲撃の爆炎によって炎を上げ、身を倒していた屋根は跡形もなかった。

良くこれで生きていたなと、自らに感心する。

さて、ここまで間宮さんに付いて来て貰ったけど、これ以上はもう危険だな。


「危ないのでここで待っていて下さい。すぐ……戻ります」


そう間宮さんに告げ、彼女の肩から身を外す。

だが、襲い続けるクラクラとした感覚に身を崩しそうになってしまう。


「く……」


様子がおかしい。胸の痛さは相変わらずだが、それ以上にバランスが取れない。


間宮「だ、ダメですよっ危ないですっ!……もう――しょ――う?」


再び身を崩した僕を間宮さんはまた支えてくれる。

それにしても間宮さんの声……というか音が聞きとり辛い。いや、聞き取り辛いと言うより、これは……。


……いや、今は自分の身よりも目的が先だ。

間宮さんの制止の声を無視して、歩を進める。……が、また直ぐによろけて転びそうになってしまった。情けない。


間宮「もう……。見――すぐ、戻りま――らね?」


再び間宮さんは僕の肩を支えてくれる。あまり聞き取れなかったが、一緒に付いてきてくれるようだ。

危ないからと断りたかったが……間宮さんが居なければ満足に移動することも出来ない。

それに断ったとしてもこの人は多分付いて来るだろう。……甘えてしまうおうか。


「……すみません。それと……ありがとうございます」

間宮「いえいえっ。それじゃ……行きますよぉ!」


気合いを入れたようにふんすと鼻息を吹かすと、歩を進めてくれる。

申し訳なさと感謝を覚えながら、再び間宮さんと歩を共にした。


・・・


「はぁ……はぁ……」


煙が喉と肺を燻し、燃焼の為に薄くなった空気が呼吸を困難にさせる。

苦しみに喘ぎながらも何とか歩を進め、煙も炎もなく、辺りが見渡せる所まで来た。


間宮「だ、大丈夫ですか?」


思わず座り込んだ僕に間宮さんは心配気な表情を向ける。

間宮さんは何ともないようだ。給仕を専門としているが、やはり彼女も艦娘と言うこと何だろう。


「大……丈夫です。……ありがとうございます。こんなところまで」

間宮「いいえ~全然大丈夫ですっ。それより早く事を済ませましょう!」


すみませんと頭を下げる。

……今度はちゃんと彼女の声が聞ききとることが出来るな。恐らく位置が良いんだろう。


それよりも今は状況を確認しなければ。直感……悪寒とも言うけれど、その正体をハッキリさせる為に。

焦る気持ちを抑え、首に下げていたゴーグルを手に覗き込む。

まずは鎮守府。……確かに戦闘をしている様子はない。疑っていたわけではないが、間宮さんの行っていることは本当だったようだ。

安堵を覚えつつ、ぐるりと周囲を見渡す。

岩礁、穏やかな波、遠い水平線。移りこむ景色は平和そのものに見えた。

ただ一つの異物を除いて。


「……っ!」


僕を襲った直感は当たっていた。

ここから2km程だろうか。

穏やかな海の上に、三つの異形の姿を確認した。


=======


提督「……なるほど。すまない、助かった」


気を失っていると思われた番頭の連絡に提督は驚きながらも確信に強く頷いた。

敵の数は3、種類は重巡級。

これならば現在残る戦力で対策を打つことが出来、卯月達に救援を送ることが出来る。

それにしても、と提督は考える。

輸送艦、棲姫、戦艦級と敵は三つの囮を使い、こちらを揺さぶってきた。

戦艦級の囮については偶然かどうか不明だが、その機会を逃さず使ってくる柔軟性を敵は持っているようだった。

侮りがたい奴がいる。その事実を彼はこれらの出来事から認識することができた。


提督「さて……番頭、負傷しているところ済まないが、継続して索敵を続けてくれ」

『了解しました』


迷いのない言葉が無線から返ってくる。

負傷し、気を失ったにも関わらず、こう返してくる人間はなかなかいない。

提督は彼の胆力に密かに感心していた。



提督「また危険を感じたならば直ぐに逃げろ。生き延びて、機会を窺え」


だが、その胆力を、その胆力で彼を殺してしまうわけにはいかない。隊の為にも、彼自身の為にも。

提督はそんな思いを力強く言葉に込めた。


『……了解しました』


若干の間。しかしそれは番頭が言葉の意味を汲み取ることに費やした時間だった。

提督はその事に満足げに頷くと、番頭からの無線を切った。

そして直ぐ様に卯月の救出隊の編成にとりかかろうとした。


鳳翔『提督!!至急卯月ちゃん達に支援を寄越してください!!』


だがその時、再び鳳翔からの緊急連絡が無線から響いた。


提督「どうした?」

鳳翔『卯月ちゃんが……敵に突撃を!』

提督「なんだと!?」


彼女からの連絡は一度晴らされたかに思われた鎮守府に覆っていた黒雲を、再び呼びよせた。

続く。

>>531 修正

× 『駆逐級二と……戦艦リ級です』

○ 『駆逐級二と……戦艦ル級です』


申し訳ありません。

―――――――――――

迫りくる三つの影。

それらにもたらせられるであろう脅威に、恐怖と焦りと共に文月は息を呑んだ。

今すぐにでもここから逃げ出さなければならない。でなければここで全滅してしまう。


文月「う、うーちゃんっ!逃げよう、敵がきてるよぉっ!」


必死と文月は言葉をぶつけるが、卯月は弥生を抱いたまま動くことはなかった。

しかし、今までの彼女が嘘のように、ぴたりと上げていた泣き声を止めた。


文月「う―……ちゃん……?」


彼女の得体のしれない様子に文月は驚き戸惑う。おずおずと声をかけたが、それにも卯月は答えない。

やがて卯月は弥生を抱えたまま、ゆらりと立ち上がる。


文月「うーちゃ……」


共に逃げてくれるのか、と文月は期待に満ちた目で卯月の顔を見る。


文月「ひっ……!」


しかし、彼女の顔に、文月の期待する答えは無かった。


憎悪。

殺意。

憤怒。

それらが、文月の期待への答えだった。

突き付けられた答えに思わず悲鳴を上げた文月を構うことなく、何も言わずに卯月は、その腕の中の弥生を優しく文月に差し出した。

負の感情に溺れた彼女がこれから何をするつもりかなど解っている。


文月「な……にを……する、つもり……なの……?」


しかし、敢えて文月は質問をする。

これから彼女が行うであろうことをさせたくなかった。させるわけにはいかなかったからだ。

もし彼女の行動を許せば彼女は間違いなく命を落とす。それが解っていたから。

だからこそ、文月は彼女を止めようと、思いを込めた言葉を掛けた。


卯月「殺すの」


しかし、彼女には文月の思いは伝わる事はなかった。


憤怒と殺意と憎悪。それらに歪められた彼女の表情と、口から発せられた感情の無い言葉がそれを物語っていた。


文月「ダメ、だめだよ、そんなことしたら」


首を振り、必死と文月は卯月を止めようとするが、卯月はそれを無視して、今度は差し出す形ではなく文月に押し付けた。

卯月の弥生を支える力は既に失われ、文月が支えなければ弥生は海に沈んでしまう。

そんな状況に、文月は託された弥生をその腕に抱く事しか出来なかった。


文月「駄目ぇ!!うーちゃん!!」


その間に卯月は敵の元へと駆けだす。

文月の制止の言葉とそれに込められた思いは、遂に彼女に届くことは無かった。

・・・

海を駆ける卯月の前に敵の姿が迫る。

殺す。殺す。殺してやる。

呪詛の様に彼女は何度も呟く。弥生を文月に預けた今、彼女の頭にはもう既にその言葉しかなかった。

際限なく大量に湧き上がる憎悪、怒り、殺意に抵抗することなくその身を投げ、溺れて行く。

番頭と言う友人の命を脅かし、二度も親友を奪った者達。そんな者を目の前にして自分を抑えられよう筈もなかったのだ。


鳳翔『卯月ちゃん!下がって!下がりなさい!!」


鳳翔が必死と制止を掛けるが、卯月の耳には届かない。

負の感情に支配されたまま彼女は更に歩を進め、敵を討つべく一直線に距離を詰めていく。

しかし、既に卯月達を捉えていた敵がその動きに気付かない筈もなく、彼女を迎え撃つべく戦闘態勢を取った。

駆逐級二体は標的である卯月へと加速を掛け、後方に控えるリ級も携える砲塔を彼女に向ける。

圧倒的に戦力差があり、奇跡でも起きない限り勝ち得ない絶望的な状況であることは素人目にも瞭然であった。

しかし今の卯月には理解する事が出来なかった。理解するつもりもなかった。

復讐という感情に呑まれ、自身を喪失した彼女にとって些細なことだったからだ。


突撃する卯月がル級の射程距離に入る。その途端にル級から眩い光と砲弾が放たれた。

明確な殺意の塊が彼女に向かう。

しかし卯月は敵の砲撃を読んでいたかのように、先を持って左足のホバーの出力を上げ、右へ飛んだ。

瞬間、彼女が元いた進行上に、放たれた弾が風切り音を上げて通り過ぎた。目標を失ったそれはそのまま海へとその身を埋め、炸裂する。


卯月「……殺してやる……」


前からル級の砲撃音を、後方から砲弾の炸裂音を聞きながら卯月は呟く。


卯月「……殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!!」


敵の姿が迫るにつれて比例するかの様に肥大する殺意が、身の内に抑えきれずに無自覚に口から溢れていく。

自覚しない言葉は知らず自らの耳を打ち、殺意の増長に拍車を掛けた。

卯月の眼前に敵の駆逐級が迫る。そして、お互いの射程距離に入った。


卯月「死んじゃえよぉおおおおおお!!!」」


既に砲撃態勢を取っているという敵のアドバンテージを越え、卯月は先手を取った。


体内で膨れ上がった炎はその勢いのまま敵を弾け飛ばし、その体をただの肉片と化させた。

それに怯むことなく、残された駆逐級も砲撃を放つ。

卯月に飛来する砲弾は直撃コース。敵との距離も重なり回避は不可能に見えた。

しかし彼女はその身をよじりることで弾道からずらし、まさに間一髪という距離で回避を行った。

通り過ぎる音速を越えた空気の刃が体を切り裂くが、彼女は構うことなく砲撃態勢に移ろうとする。

しかしそれをル級が許そうとはしなかった。

次弾を装填し、卯月を狙う。

だが、突如とした空中からの機銃の雨に、砲撃することを防がれた。

ル級の動きを察知していた鳳翔が艦載機による妨害を行ったのだ。


鳳翔『私がル級を引き付けます!だから逃げて!早く!!』


再び鳳翔は卯月に叫ぶが、変わらず卯月の耳には届かない。

鳳翔が生んだ隙を活かし再び砲撃体制を整える。


卯月「ああああああああああああああ!!!」


絶叫とも言える掛け声を放ちながら卯月は砲撃を放つ。


砲弾は敵の砲塔に直撃。装填中の弾が誘爆を引き起こし、砲塔もろとも周囲の表皮と肉を吹き飛ばした。

激痛に藻掻く敵。それを目撃した卯月に快感をもたらすほどの反共感を抱いた。

これがお前らが弥生に与えた痛みだ、と、嗜虐の感情に表情を歪める。

その感情に流されるまま、卯月はもう一度砲塔に弾を装填し……躊躇いなく撃ち放った。

再びの直撃。初手の砲撃により剥きだされた肉は、爆風に更に抉られ、包んでいた内臓を晒す。

間髪入れずに卯月による三度の砲撃、そして着弾。

重要な機関を守る表皮と肉という鎧を失った今の敵には、弾の炸裂によってもたらされる猛火と衝撃に耐えうる事は出来なかった。

物言わぬ肉塊と変わり、海へと沈んでいく敵を見て卯月は口角をつり上げた。

そしてそのまま殺意の標的をリ級へと定め、足のホバーを吹かす。


鳳翔『止めて……止めなさい!卯月!!』


鳳翔による三度の制止がかかる。普段の彼女からは考えらない語気の強さに流石と卯月の耳に入ったが、本人はただそれを煩わしいと思うだけだった。

遂に卯月は無線の電源を切る。

それと同時に、不幸にも鳳翔の操る艦載機がリ級の攻撃を受けて火を噴き、海に落ちた。


完全な一対一。しかしル級の持つ戦闘力に、通常であれば卯月の勝利の分は全く無い。

それでも彼女は暴走する感情に突き動かされるまま、敵へとその身を投げた。

艦載機という邪魔な存在を消したリ級が、卯月へと再び狙いを付ける。それに気付いた卯月は、未だ彼女の射程距離外だったが砲撃の準備を整えた。

その寸瞬の後、ル級は砲撃を放つ。弾道は先ほどとは違って回避行動を取ること無かった為に寸分違うことなく卯月の進行ラインへ。直撃は必須だった。

音速を超える、とても人が捉える事が叶わぬもの。……しかし卯月はそれをその目で捉えた。

砲塔の仰角を敵の弾道に合わせ、砲撃。秒速1800mの砲弾を自らの砲弾で撃ち落として見せた。

衝突した互いの弾は空中で大きく爆ぜ、爆炎と煙の壁を作り出す。その為にリ級は卯月の姿を見失った。

予測しない事態がル級を混乱させる。人型であり、多少の知性がある故の障害であった。

どこから卯月が来るかと思考を巡らせる。しかしその思考が大きな隙を生んだ。


卯月「ああああああああああ!!」


爆炎を突っ切り、卯月が姿を現した。この事態はル級の巡らせた思考に無く、更なる混乱を呼びこんだ。

完全に無防備となったル級に卯月は砲撃を叩きこむ。放たれた弾は頭部に直撃し、左目を抉り取った。


痛みにル級は叫びを上げ、怯みを作り出す。これが好機と卯月は連続で砲撃を放った。

いくつもの砲弾が敵を襲う。……が、初撃により敵が防御態勢に入ってしまった事で、それらは厚い装甲で防がれてしまう。

火力の低い卯月では厚い装甲を穿つことは敵わなかった。

やがて敵は態勢を立て直し、卯月へと向き直る。その表情は激しい怒りに染まっていた。

怖気が立つほどの殺意が放たれる。しかし卯月は怯むことはなかった。

敵が卯月に狙いを付け、砲弾を放つ。

しかしその瞬間再び卯月がそれを自らの弾で撃ち落とすことで防がれた。

ル級の直前で爆炎が上がり、膨れ上がった猛火はその体を焼く。

敵の姿は爆炎に視認できなくなってしまったが、それでも卯月は正確に敵の体へ砲撃を放つ。

二度目のあり得ない事態と止むことのない砲撃に、ル級は再び混乱に叩きこまれた。

燃え盛る怒りの炎は姿を変え、得体のしれない敵への恐怖に変わっていく。

やがて広がった煙が消え、ル級は卯月の姿を視認する。……そこでリ級の怒りの炎は完全に恐怖へと成り果てた。

砲弾同士の衝突の衝撃を受けて身にうつけた服と皮膚を焦がし、腹から大量の血を流しているにも関わらず、怯む事無く殺意に顔を歪めている。

その姿は恐怖を与える存在そのものだった。


ル級が卯月の姿に慄く中、左手に持つ砲塔の内一基が炸裂した。卯月が砲口へと弾を撃ち込んだのだ。

砲台の爆発に連鎖的に連なる砲台も誘爆を引き起こし、左手諸共吹き飛ばす。

圧倒している。

駆逐級、それもたった一人が圧倒的な力を持つ戦艦級を。

このままでは殺される。人型といえども深海棲艦が持つ動物的本能がそう告げていた。

本来ならば全く逆の立場。あり得ない筈の卯月にとって奇跡とも言える状況。

信じ難い事にも関わらず、現実に目の前に存在していた。

だが、奇跡は奇跡。いずれもそれは儚く消えるものである。


卯月「あ……れ……?」


残る右門の砲台に砲口に狙いを付けようとした時、卯月にとてつもない脱力感が襲った。


卯月「な、なん……で?なんでっ?」


彼女に襲った症状は想像を絶していた。

腕を動かすことはもちろん、立っていることすらままならない。

突然すぎる体の不調は卯月に焦りと混乱を呼び込んだ。


卯月「動いて……うごいて……よぉ……!」


彼女の思いとは裏腹に、その身に襲う脱力は増していく。

体を襲う脱力感は、遂にその体を海へと投げ出させてしまう。

投げ出された体は海に漂い、正に無防備と言う姿となる。……それを敵が見逃す筈がなかった。

敵の様子を窺おうと動かした卯月の瞳に、異常を察した敵が好機とこちらを狙う姿が映る。


卯月「うう……そんな……そんなの……!」


このままでは死ぬ。

ゾクリとした感覚が走ると共に、彼女はそう直感した。

何とか抗おうと必死と体を動かそうとするが一向に言う事を聞かない。


そんな中、敵の姿が一際眩い光に包まれる。



次の瞬間、無情にも卯月の体は空中へと舞い上げられた。


続く。次回は早め(だと思います)

>>557の前

砲塔から放たれた砲弾は、敵の内一体の開かれた狭い口内に入り込み、炸裂。


済みません、抜けてました。

――――――――

提督「……馬鹿娘が……!」


鳳翔の艦載機が落とされるまでの報告を受け、提督は一人焦り、憤る。

既に救助隊は編成、派遣していたが、戦力差を考えれば間に合う確率は無いに等しい。

もし、卯月が逃げるという選択をしていれば助けられる可能性は大きく上がっていたが、既に後の祭りである。

だが、可能性が限りなくゼロだとしても、戦力的に余裕があり、僅かでも可能性がある現状、卯月を切り捨てるという選択肢は彼には無かった。

それほどまでに彼は卯月を、艦娘を愛していた。

彼を憤らせる感情も、その裏に隠れる心配の情も、その愛に起因している。


提督「鳳翔」

鳳翔『既に私も、比叡さんの部隊からも数人ですが救援に向かわせてくれています。……ただ……』


歯切れ無く鳳翔の言葉が沈む。

彼女の持つ思いも提督と同様であり、それ故に続きが躊躇わられた。


提督「解っている。……それでもだ」


わかりました、という返事と共に、鳳翔からの連絡が途切れた。


それからすぐに二つの連絡が彼の元へ舞い込んだ。

一つは比叡から。もう一つは少し遅れて矢矧。

棲姫は無事撃破、損害は弥生を除いて無し。

輸送艦についても敵の殲滅は完了。損害については判明している範囲で那智のみ。しかし一刻を争う重症で既に鎮守府に向かわせている。

護衛部隊、輸送艦の損害・状態については調査中との事であった。


矢矧『それで、そっちは大丈夫だったの?』


報告を終えた後、そう矢矧が切りだした。

その一言で提督は彼女が鎮守府への襲撃を予測して居た事を察した。


提督「ああ、なんとかな。……気付いていたか」

矢矧『そうね。少し敵がワザとらし過ぎたもの』


何となしと言った体であっさりとそう言い放つ矢矧に、改めて提督は感心する。

彼女の状況分析、それによる推察力はやはり目を見張るものがある。


提督「そうか。流石だな、矢矧」

矢矧『ふふ、どーも。それで?』


ちらりと窓の外の海に目を向ける。

その時丁度彼の目に、戦闘を繰り広げていた敵が残り一体になるのが映り込んだ。


重巡級三体の襲撃は番頭の情報により十分な戦力で迎撃する事を可能にしていたこともあり、問題はなかった。

このまま何もなければここでの戦闘は数分で終わる。その結果は揺ぎ無いだろうと彼は確信していた。


提督「ここは問題はない」

矢矧『……そう』


『ここ』という限定した言葉に、矢矧は何らかの問題が発生してる事を察した。

気には掛かったが提督が詳細を話さない以上、今の自分には必要ない情報なのだとも察し、敢えて追求することはしなかった。

そんな彼女の心情を彼も察し、その判断に感心していた。


提督「戻ったら説明する。引き続き調査に当たってくれ」


了解、と矢矧は無線を切った。

いくつかの大きな憂慮が片付いた事に提督はいくらか溜飲を晴らす。

しかし、まだ大きなものが残っている。


提督「間に合ってくれよ……」


窓際まで歩き、再び海に目を向ける。

最後に残った敵の重巡が沈むのを目の端に収めながら、彼は卯月達の無事を祈った。

―――――――――

卯月「か……あ……!」


空中に舞い上げられた卯月は、その勢いのまま海に叩きつけられた。

敵の砲撃は彼女に直撃していなかった。

外しようもない距離ではあったが、卯月が敵の左目を抉り取ったことにより、運よく狙いが逸れていた。

しかし敵は戦艦級。放たれる砲撃の威力は凄まじく、卯月の体は軽々と吹き飛ばされた。

叩きつけられた衝撃に口から空気とうめき声が絞り出され、海水が口の中へと侵入する。


卯月「う、ぐっ!」


息つく間もなく第二射が卯月を襲う。

再び狙いが逸れたが、またも彼女は吹き飛ばされ、海へと叩きつけられた。

ゴキリ、と嫌な音が叩きつけられた右肩から響く。激痛が彼女を襲ったがそれに構っていられる余裕はなかった。

二射とも運よく直撃を免れているが、敵がいつまでも誤差を修正しない筈もない。

一刻も早く動かなければらないが、反撃しようにも逃げようにも脱力する体がそれを許さなかった。

時間も打つ手もない。

彼女はもう、敵から与えられる死を待つ事しか出来なかった。


卯月「あぐっ!!」


続けて第三射。またも弾は彼女を逸れたが、第二射よりもずっと近い。

至近距離の弾の炸裂による炎は更に強く卯月を焼き、吹きとばした。

敵は徐々に修正を掛け、確実に卯月へ当てに来ていた。次弾には直撃してもおかしくない。

四肢がバラバラになる様な痛み、そして煉獄に焼かれる様な熱さを受けながら、彼女は三度宙を舞った。

強い衝撃に意識が飛びそうになるが、全身を襲う激しい痛みがそれを許さない。

どうしてこんなことになってしまったのか。

流転する世界の中、痛みに喘ぎながら卯月はぼんやりと考える。

再び親友を失い、怒りに我を失って仲間の好意を踏み躙って、その上仇もとれずに嬲り殺される。

何一つ成し得ることができない自分に彼女は絶望してしまった。

この戦いに出る前に、そんな自分を卑下し、繰り返さないようにと戒めた筈なのに。

どうしようもない無力感。そしてそんな自分への嫌悪。

それらは次第に生への執着を薄くしていく。


卯月「……もう、いいや……」


重力が海へ引きずり込もうとする中、彼女は心の諦観に溺れるまま、死を願った。

仲間を守れず、裏切り、あまつさえ何も出来ない自分など死んでしまえばいい。

それに……もうなにも失いたくない。

親友も、仲間も、信頼も、自分の僅かに残ったプライドも。

自分が死んでしまえば、失うものはもう、何もない。


卯月「……あ……」


全てを諦めた瞬間、彼女の視界に変化が起こる。

なにもかもが遅く、色褪せて見えた。

近づいて行く海、自分へと狙いを付ける敵、そして照りつける太陽の光さえも、全てが。

そんな世界の中、卯月は下へと堕ちた。

褪せた海は彼女を呑みこみ、鈍く激しい痛み与える。

そんな痛みさえも、ゆっくりと彼女を伝っていくのを感じた。

だが、そんな事はもう、どうでも良かった。それよりももっと先が欲しかった。


海の浮力が彼女を持ち上げ、灰色の世界へと顔を出させる。

顔を出した視線の先。そこには彼女に砲弾を放とうとする敵の姿があった。

彼女の目に映る砲塔の先は今度は寸分違わず自分へと向いている。

全ての終わり。

それを自覚した瞬間、全ての記憶が走馬灯のように駆け巡った。

自覚しない偽りの記憶、そして自らが刻みつけた本当の記憶。

次々に人の顔が浮かんでいく。

『親』、『学校』の先生、仲間たち、番頭、提督。

そして、弥生。誰よりも大切だった人。


卯月「……ごめんね……」


卯月は記憶に映る弥生に、そう呟く。

記憶の彼女は何も答えない。

しかし、卯月はそれで良かった。無力な自分に声を掛けられる価値もないと思っていた。

独りよがりだと、自分勝手だと解っている。それでも口に出さずには居られなかった。

やがて卯月は全てを受け入れて、目を閉じる。

死を、受け入れる為に。




だが、その時だった。

突如として一発の砲弾がル級を襲った。

砲弾は卯月によって引きちぎられた左腕の切断部に着弾し、晒された肉を焼く。

襲う激痛に悶えながら、砲撃を受けた方向へ敵は振り返る。

するとそこには、番頭が目撃した『モドキ』の姿があった。

人の顔をしない頭部。しかし、そこからは確かに怒りの感情が溢れだしていた。


卯月「……え……?」


突発した異変に驚いた卯月は閉じていた瞳を開け、驚愕に呆然と呟いた。

自分のである者たちが、同士撃ちを始めたのだから。

それも片方は今朝自分が追いかけ回した相手。彼女が驚かない筈もなかった。


「――――――!!!!」


卯月が混乱する中、呻く様な叫び声を上げ、『モドキ』はル級へ肉迫する。

そんな『彼女』にル級は右手の砲塔を向け、砲撃を応戦とする。


だが、左腕の痛みと引きちぎられた視界に射線を合わせる事が出来ず、弾はかすりもせずに逸れて行く。

逸れる砲撃の合間を縫い、『モドキ』は変形し、自らの体の一部となった艦装から砲撃を放ちつつ接近し続ける。

『彼女』から放たれた砲弾の一発は敵の頭部に直撃、残された右目を含め、顔を焼き尽くした。

潰された顔に想像を絶する痛みが走り、相対する『モドキ』の事も忘れ、残された右手で顔を覆う。

そんな無防備な姿を『彼女』は見逃す筈がなかった。

更にル級に接近し、そのまま敵へと飛びかかり、海へと押し倒す。

もがく敵の首を左手で抑えつけ、そのまま艦装を付けた右手で激しく殴打。

一発、二発、三発と更に回数を重ねて行った。

焼かれた肌が裂け、涎と血らしき体液を頭部から撒き散らしながら、ル級は苦悶の叫び声を上げ続ける。


卯月「……何……これ……」


目の前の異常な光景に怖れと共に卯月は小さく呟く。

突然表れた敵が自らの仲間を攻撃し、今は一方的に虐げている。

理の敵わない状況に理解が追い付く筈もなく、悪戯に恐怖が煽られた。


やがて、ゴキリ、と鈍い音が海上に響く。

それと同時にもがいていたル級の動きがピタリと止まり、力なく手足を投げ出した。

しかしそれでも『モドキ』は殴打の手を止めない。

鈍い音が濡れた柔らかい物を叩く音に変わっていく。


「ルォおオオおおおおおおおおオオ!!!」


一際大きな唸り声を上げる。

そして思い切り腕を振り上げ……振り下ろした。

ゴシャリ、と何かが割れる様な音響くと同時に、赤いものが飛び散って『モドキ』の体を濡らす。

そして漸く『モドキ』は暴虐の限りを尽くした。

支える物が無くなった首を体ごと放り投げ、海へと投げ棄てる。

ル級だったものは周囲を赤く染めながら、暗い底へと堕ちて行った。

それを目にも留めずに、『モドキ』は卯月へと振り返る。


卯月「……!」


赤い固形と液体をしたたらせるその姿は、恐ろしい化け物としか言い様がなかった。

次は自分か、と卯月は恐怖と共に呑む。自分もル級の様に殺されるのかと思うとその身が自然と震えた。

だが、どんなに恐ろしかろうと卯月はそれで良かった。死を望んでいたのだから。

そんな彼女の思惑に答えるかのように、『モドキ』はゆっくりと海を浮かぶ彼女へと近づいて行く。

そして手が届く所まで近づくと、またゆっくりとその手を伸ばした。



「うーちゃん!!」


その手が卯月に触れるかという時、彼女が聞き慣れる一つの声が響いた。

それと同時に『モドキ』の外套が炸裂する。

一体何がと声の方に卯月が顔を向けると、そこには砲塔をこちらに向ける文月がいた。

その姿には弥生の姿はどこにもない。


文月「は、離れて……離れてよぉ!!」


再び文月は『モドキ』に砲撃を放つ。

今朝は敵として相対し、姿を説明で聞いていなかった文月にとって目の前の『モドキ』は敵でしかなかった。

放たれた弾は再び『モドキ』と卯月の元へ。

しかし『モドキ』は避けることはせず、卯月を守るかのように射線に立った。


卯月「なん……」


再び炸裂。卯月の疑問の声は爆音にかき消された。

『モドキ』は文月の砲撃を受け負傷を負ったが、そのまま駆けだして遠くへと消えて行った。


卯月「なんで……」


何度目かの呆然とした呟き。

しかし、それに答える者は誰もいなかった。

続く。戦闘描写はこれで終わりです。

>>番頭要素ゼロ
そ、そのうち出します……。
最初は入渠装置の管理をする人のほのぼの系の話を書こうと思ってたのにどうしてこうなった。


文月「うーちゃん!!」


『モドキ』が去ると同時に文月は一目散に駆け寄り、力なく漂う卯月の体を抱く。

文月の表情は卯月が死んだかもしれないという不安に曇らせ、瞳に涙を溜めていた。

彼女にそんな表情をさせてしまった事に卯月は改めて悔い、そしてそんな自分を恥じた。


卯月「ふみ……ちゃん……」


絞り出すような声で卯月は呟く。

すると文月は顔を染めていた不安を晴らし、安堵に瞳に溜めた涙を流した。


文月「うーちゃん……よかった……生きてた……!うーちゃん……!」


一際強く卯月を抱きしめ、文月は小さな嗚咽を漏らす。

自分を抱く腕が傷に響いたが、文月が抱いた『痛み』を思うと卯月は何も言う事が出来なかった。


卯月「ごめんね……ふみ、ちゃん……」


か細く卯月は謝罪の言葉を吐く。

謝って済む事ではないということは卯月自身も解っている。しかし、それでも口に出さずには居られなかった。

文月はそんな彼女に、涙で顔を濡らしながら小さく横に首を振る。


文月「ううん、いいの……うーちゃんが生きててくれただけで……」


ああ、と卯月は心で嘆息する。

こんなにも自分を想ってくれる人がいるのだと思うと同時に、こんなにも優しい仲間を自分は裏切ってしまったのだと思うと、呵責に心が握りつぶされる思いがした。

そしてその痛みはどうしてこんな自分が生き残ってしまったのだろうと彼女に思わせるには十分過ぎた。


卯月「……やよ、ちゃんは……?」


しかし、まだ彼女は自傷の思いに溺れてしまう訳にはいかなかった。

弥生の行方も安否も判明して居ないのだ。それを放り出して自らを優先するなど出来なかった。


文月「やよちゃんは……あっ」


文月が卯月の問に答えようとした時、彼女は近づいて来る二つの音に振り返った。

視線の先には弥生を腕に抱いた熊野と、随伴艦のショートカットの髪型にカチューシャを付けた艦娘、名取がこちらに向かって来ている姿があった。

卯月が何故熊野が弥生を抱いているのかと思ううちに、文月がぽつぽつと語り出す。


文月「やよちゃんはね、あたしが熊野さんにみててってお願いしたの。……ほんとはあたしがみてなきゃダメだったんだけどね、その……うーちゃんが、心配、で……」


文月は卯月が敵に突撃を仕掛けた後、棲姫追撃隊の後を追っていた。

卯月を見捨ててしまうのかという葛藤が彼女の中にあったが、弥生も見捨てる訳にはいかないという思い、卯月の弥生を頼むという言葉、そして自分たちの戦力、それらを総合的に考え、彼女は救援を呼ぶと同時に弥生を任せ、自らも卯月の救援に向かうという選択を取った。

運よく追跡隊から派遣された熊野達に合流することが出来たが、追跡、或いは戦闘中の追撃隊に負担を掛ける発想はあまりに稚拙ではあった。

しかし、冷静さを欠いた彼女にはその考えに至るほどの余裕はなかったのだ。

彼女の言葉の歯切れの悪さから、卯月は弥生を半ば押しつけるように来たのだと推測した。

卯月にそれを責めるつもりは全く無かった。むしろそこまでさせて助けに来てくれた事に酷い罪悪感を感じていた。


熊野「敵は……どこにいますの?」


そこで救援の二人が卯月達の元に到着した。

警戒して熊野はあたりを見渡しつつも、その表情は腑に落ちないと言った様子であった。

彼女が受けた報告では、駆逐級を落としつつも戦艦級が残っているという話だった。しかしその姿が何処にも見当たらない。彼女が不審がるのも当然であった。

熊野は文月に目をやり、説明を求める。


文月「えと……あたしが追い払い、ました……」

熊野「貴女が戦艦級を?」

文月「う、ううん。朝にみた敵……です」

熊野「朝……?」


益々報告と食い違う不可解な状況に、熊野は何故、と頭を捻る。

それに加えて朝の敵、という言葉に引っかかりを覚え、同時に嫌な予感が彼女を巡った。

詳細について言及したかったが、今したところで意味はない、それよりも優先させることがあると考え、抱えた疑念を振り払った。


熊野「……今は良しとしましょう。卯月さんは大丈夫ですの?」

文月「ううん……けががひどい……です」


そうですか、と熊野は重く頷く。

酷い怪我を負ったものの卯月が生きている事に安堵を覚えたが、それと同時に駆逐艦が戦艦級他と相対し、良く生きていた物だと驚き、益々疑問を深めた。


熊野「でしたら急いで戻りましょう。一刻も早く休ませませんと。名取さん、卯月さんの事お願いできますか」

名取「は、はいっ!」


再び疑問に気をひかれたが、もう一度振り払う。

熊野の指示に名取は卯月を抱え上げようと彼女に近づいた。


文月「だ、だいじょうぶ、です。うーちゃんはあたしがつれて行きます」


しかし文月はそう言って近づく名取を抑え、卯月の艦装を取り外しにかかった。

文月には卯月をこうなるまで何もすることが出来なかったという罪悪感に似た思いがあった。

故に、ならばせめて償いの為にと、怪我をした彼女を自らの手で鎮守府に運びたいと思っていたのだ。


熊野「……出来ますか?」


駆逐艦である非力な彼女が同じ体格の卯月を運ぶのは無理があったが、熊野はそんな思いを汲み取り、疑問を投げかける。

それに文月ははい、と勢い良く頷いた。


熊野「そうですか。ではお願い致しますね」


そう言って熊野は改めて腕の中の弥生を強く抱き、鎮守府へと歩を向けた。

それに名取も続き、文月も卯月の艦装を取り外し、その腕に彼女をしっかりと抱く。

そして、弥生を連れ、熊野達と合流してきた時と同様、文月は重さにふらつきながらも必死と彼女達に続いた。


名取「だ、大丈夫?」


そんな姿に思わず近づいて名取は声を掛けるが、文月は大丈夫だと首を縦に振った。



卯月「ごめん……ね……」

文月「ううん、これくらいしないとだめだから……」


ポツリポツリと言葉を交わす二人を目の端で収めながらも、知らぬ顔で熊野は歩を進め続ける。

傷ついた大切な仲間の為に何かしてあげたいという気持ちは熊野にも覚えがあり、それを尊重してやりたいという思いがあったからだ。

でも、と彼女は考える。

鎮守府に帰った彼女達に待っているのは提督や仲間たちによる激しい叱責であろう。

無事ではないが生きて帰れたものの、何度も命令無視を繰り返したのだ。それは避けられない。

自業自得ではあるが、それを思うと熊野は同情の気持ちに掬われた。

上官である自分にも一言言う義務はあろう。しかし今の彼女達への既視感と、腕の中にある卯月の親友が彼女に与えた心情を慮ると熊野は義務を果たすことが出来なかった。


熊野「提督?こちら熊野ですわ」


その代わりにと、提督への報告に彼女は口を開いた。


提督「……そうか」


熊野の報告に、提督は安堵と落胆の息を吐いた。

卯月達が無事だったことはいい。しかし、文月の口から出た『朝の敵』という言葉が問題だった。

『朝の敵』というのは今朝の卯月の報告から『モドキ』だという事が解っている。

そしてその『モドキ』は文月が追い払ったという。

つまり、再び『モドキ』――『弥生』であろう存在に攻撃を仕掛けてしまったという事だ。

戦艦級が文月が来た時には存在して居なかった事、そして卯月が身動きが取れない状況だった事を考えると『モドキ』が撃退、もしくは撃沈させた事が推測できる。

仲間を助けたというのに攻撃されてしまった『モドキ』の感情を思うと彼は居た堪れない感情に襲われた。

しかし、この結果は説明を怠った自分に責任がある。そう考えた彼には文月を責任を負わせることなど出来なかった。


提督「……弥生の様子はどうだ?」

熊野『弥生さん……ですか』


彼女がそう言ってから少しの間が入る。

恐らく卯月達に聞かれない位置に移動しているのだろうと提督には推測できた。そして自分の質問の答えさえも。


熊野『外見の判断だけによりますが、左腕損失、右腕複雑骨折、そして背中から首に掛けて大きく欠損しています。そして……息も、していません』


再びそうか、と重く息を吐く。

自分の想像通りの答えに彼は落胆せざるを得なかった。

彼は弥生に苦しみしか与えることが出来なかった。

孤独に日々を過ごさせ、親友との溝を作り、挙句、何も得させることすら出来ず、命を落とさせる。

自らの非力さ、罪悪感、そして彼女を失った悲しみに彼は固く拳を握りしめた。

戦争をしている以上、部下を失う事は当然のこと。だがそれを当然のこととして彼は受けれることが出来ない。

指揮官として失格なのは彼自身理解している。それでも自らの気持ちを切り捨てることが出来ないでいた。


熊野『……気を落とされないで』


無線越しに伝わる彼の感情に、熊野は穏やかに口を開いた。



熊野『私たちは皆、いつかこうなってしまう事を覚悟しています。戦争をしているんですもの。それが今……弥生さんの番が回ってきただけですわ』

提督「覚悟していても、そうさせないのが俺の仕事だ」

熊野『提督……』

提督「俺の事はいい。それよりも弥生達の事を頼んだぞ。まだ残党が居るかもしれんからな。警戒は厳にしておいてくれ」


何か言葉を探すような間。

しかし結局熊野は何も言わず、やがて躊躇うようにはい、答えると無線が切れた。

静寂が司令室を包む。


提督「……済まない……」


そんな中、ひとり提督は呟く。

一瞬、再び『代わり』の事が頭を過る。

だが、再び過ちを繰り返すわけにはいかない。過ちを犯したところで、得られるものは何もなかったのだから。

そこで一本の連絡が提督の無線に入る。変え難い気持ちを何とか切り替え、素早く彼は無線機を取った。


『……こちら矢矧。被害状況の調査結果が出たわ』


連絡の主は矢矧であった。

しかし、どうにもその声音は重い。この連絡が吉報出ないことは明らかだった。


矢矧『輸送艦は航行不能。私たちが鎮守府まで牽引して行くわ』

提督「……護衛隊の被害は」

矢矧『大破三、中破二、小破多数……撃沈と思われる行方不明一』

提督『……誰だ』


矢矧『……長月よ』


こうしてまた、八戸は一人の仲間を失った。

続く。次は急ぎたい……。

===========


棲姫に続いた奇襲隊が全滅してから寸刻。

更なる襲撃を警戒し間宮さんと共に周囲の哨戒を続けている中、一本の通信が入った。


『俺だ。その後の様子はどうだ』

「接近する敵影無し。異常ありません」


無線の主は名乗りはしなかったものの、声から提督だと解る。

彼の質問に対しありのままを答えた。現状接近する敵はいないが、二度の奇襲を行った敵だ。三度目がないとは限らない以上警戒を緩めるわけにはいかなかった。

当然彼も自分と同じ考えと予想し、引き続き哨戒の命令を下されるかと思っていたが、その答えは僕の予想と反していた。


提督『そうか。では戻れ』

「え、いや、ですが……」


困惑する僕に提督は淡々と話を続ける。

だけどどこか彼の声音に小さな違和感を感じた。何が、と聞かれれば言葉にする事は出来ない。それほどに小さな違和感だった。


提督『既に哨戒は残った奴らに引き継がせている。それよりお前にはやって貰わなければならない事がある』


何故違和感を感じるかと思考を巡らせようとするうちに、次の指示が下る。

やって貰わなければならない事。言い換えれば僕にしか出来ない事、という事だ。

僕の役目は整備だ。それは艦娘自体も含まれる。そして今は戦闘後だ。


「艦娘様の治療、ですか」


僕の推測に、そうだ、という答えが返る。

一般的には整備よりも目先の危機を察知する哨戒の方が優先される。

奇襲隊が全滅したとはいえ、未だ第二種戦闘配置の今の状況で、治療が優先されることはまずあり得ない。

そして基本的には艦娘は入渠装置に入ってしまえば大抵は事足りる。治療に人の手が入る事はまずない。

鎮守府の責任者であり、戦闘指揮官の彼がそれらの知識を持っていない筈がない。

だが、それらを踏まえても尚、提督は艦娘の治療を優先した。

それはつまり、人の、僕の手を加えなければいけないほどの危機的状況にある者がいると言う事だ。


「治療される艦娘様の容体は」


重症の患者がいるならば、ある程度の用意をしておかなければならない。その為に容体を聞く事は重要だった。

提督によれば負傷した艦娘は函館の所属を含め、複数いると言う。

その中には那智さんもいた。右腕に重度の噛傷、火傷を負っているとの事。

それに加え、大量の汗を全身から噴出させ、痙攣を起こしているという。

症状から鑑みるに、恐らく那智さんは毒を受けたのだろう。腕にある裂傷。そこから侵入したのだと考えられる。

確かに僕が行かなければならないことだと一人納得する。火傷や裂傷といった傷であれば入渠装置でどうにかなるが、毒を取り除く事は出来ない。

深海棲艦には個体によるが、毒を持っている者も存在する事が研究や報告で判明している。

だがそれは逆を言えば、判明している範囲であれば対策を立てることが出来ると言う事だ。

車にある程度の解毒剤は積んで来ているし、埃をかぶっているが工廠にもある事を確認している。

何とかなる。……いや、何とかしなければならない。それが僕の存在意義なのだから。

頭の中で治療の段取りを立て始めた時、続けて提督の口から、ひとりの少女の名が出された。


「……卯月殿も……ですか」


思わずその少女の名前を口に出してしまう。

それほどまでに僕に与えた衝撃は大きかったのだろう。

仲良くなってしまった……いや、こんな僕と仲良くなってくれた少女。贔屓するつもりは無いけれど……出来る事ならその名前は聞きたくなかった。

全身に火傷、腹部に裂傷を負った上、酷い倦怠感に体を動かせない状況であるという。


「倦怠感……ですか?」


体を動かせないほどの酷い倦怠感という症状にひっかかりを覚える。

火傷や裂傷、多少の倦怠感ならば解る。だが、体を動かせない程とはどういう事だろうか。


提督『……ああ。それは俺も違和感を感じていた。今までで多少の疲労感を訴える者はいたが、ここまでになる者は居なかった。……何か心当たりはあるか?』

「……ある、と言えばあります。卯月殿の戦闘状況を教えて貰ってよろしいでしょうか」


・・・・・・


「……なる、ほど……」


提督から卯月ちゃんの状況の説明を受け、得心がいった。

裂傷による毒かと思ったが、そうではなく多少安堵する。……が、また一つ聞き難い事を聞いてしまった。

弥生ちゃんが、卯月ちゃんを庇って亡くなったというのだ。

恐らく、隠そうとして隠しきれなかった感情の残滓。先程提督に感じた違和感の原因はこれだろう。

にわかには信じられなかった。信じたくなかった。

……いや。そもそも信じる必要なんかないんじゃないのか。


提督「どう言う事だ。説明してくれ」


考えに耽る僕に提督が言葉を重ねる。

そうだ、今は考えを巡らせている状況じゃない。


「恐らく、リミッターの解除かと思われます」

提督「リミッター?」

「はい。人間で言う、火事場の馬鹿力、というものです」


人間は、危機的状況に瀕すると限界を超える力を発揮することがある。

意図的なものかそうでないかは解らないが、それと同じものが艦娘にも搭載されているという情報、そして実際の報告を耳にした事がある。

リミッターを解除される条件は詳しくは解っていないが、驚異的な力を発揮する時は、いずれも自らの命、又は仲間が危機に瀕した時だという。

弥生ちゃんが目の前で撃たれ、激昂した卯月ちゃんが無意識にリミッターを解除したという事は十分に考えられた。

そして限界を超えた力を発揮した艦娘たちは、いずれも唐突に激しい脱力感に襲われている。

卯月ちゃんに見舞われた状況は僕が見聞きしたものとほとんど一致している。まず確定的と言っていいだろう。

それらを提督に説明すると、得心が言ったように言葉を漏らした。


提督『……なるほどな。感謝する。……ではお前はドックに』

「提督。一つ進言したい事があります」


無線を切ろうとする提督の言葉を遮り、口を挟む。

どうした、といぶかしむ彼に、僕は抱えていた推測……。いや、確信を口に出す。


「恐らく弥生殿はまだ、亡くなってなどいません」

提督『……なんだと?』


信じられないと言った様子の提督に僕は言葉を重ねる。


「彼女を救う為にも……容体を詳しく、教えて頂けませんか」

・・・・・・


提督とのやり取りを終え、一息ついていると間宮さんが声を掛けてきた。


間宮「……なんだか大変な事になってるみたいですね……」


僕の口から出た不穏な言葉を聞きとったのか、神妙な顔を向けてくる。

そうですね、と返す。間宮さんの言った通り、大変な事になっている。隠しても意味がない以上、嘘は付けなかった。


「それでは戻りましょうか。……先程から振り回してしまって申し訳ありません」

間宮「いえいえっ!結果的に皆さんのお役に立てましたし、大丈夫ですっ」


本当に気にしていない、と言わんばかりの彼女の微笑みに胸をなで下ろしたが、それでもこんな危険な場所に給糧艦である彼女を引きつれた罪悪感を拭う事は出来なかった。

そんな感情に尾を引かれながらも、ゆっくりと立ち上がる。……が、眩暈にまたバランスを崩してしまう。

倒れそうになる僕の体を、すかさず間宮さんが支えてくれた。


間宮「だ、大丈夫ですか?もう……立ち上がるなら言ってくれなきゃ、めっ、ですよ?」

「……申し訳ありません」


先に支えてくれた時と変わらずに微笑んでくれる彼女に、僕は感謝を覚えつつ、謝る事しか出来なかった。

再び肩を貸して貰いつつ、丘を下りる。

こんな状態で治療など出来るのかとも思ったが……今はやるしかない。やらなければ掛替えの無い命が潰えてしまう。

仲間を失う気持ちは痛いほど解る。それを彼女達に味あわせたくなどない。

それに、そうなってしまえば『彼女』との約束を違える事に繋がる。それは絶対に避けなければならない。

そう思えば、自分の体の事などに構っている事など出来なかった。


―――――――

丘からドックに戻り、間宮さんと共に治療の準備を整える。

ドックに戻った時点で間宮さんには甘味処に戻るように言ったが、こんな状態の僕を放っておいて居られないと手伝いを申し出てくれた。

一度は断ったが、どうしてもと聞かず、結局手伝いをお願いした。

仲間の命が聞きに陥っているのに何もしないのは耐えられないという言葉に、折れてしまったのだ。

救助に来てくれた事と言い、肩を貸してくれた事と言い、世話になりっぱなしで申し訳ない気持ちになる。

しかし、彼女が居てくれたことで準備は順調に進んでいる。

本当に彼女が居てくれなかったらどうなっていたか解らないな……。


「ばんとーさん!!」


艦娘たちを受け入れる体制が整った丁度その時、ドックに弥生ちゃんを抱えた文月ちゃんが入ってきて、直ぐに続けて弥生ちゃんを抱いた見知らぬ艦娘たちが二人入ってきた。

提督から文月ちゃんの他に二人の艦娘が卯月ちゃんたちを連れて戻ってきていると聞いていた。

恐らく、淡い髪の色をしたポニーテールの艦娘が熊野さん、カチューシャをした女の子が名取ちゃんだろう。

帰還した五人を間宮さんと共に敬礼で迎える。


熊野「提督からお話は聞きました。弥生さんを」

文月「ばんとーさん、やよちゃんを……やよちゃんたすけてっ!!!」


熊野さんの言葉を遮り、文月ちゃんが縋り付くように僕に迫る。

瞳は赤く充血し、頬に涙の痕がある。恐らく、見たくない沢山のものを見てきたんだろう。


「大丈夫。……助けて見せるよ」


そんな彼女をこれ以上悲しませたくない。そんな思いに駆られるまま優しく言葉を掛け、自らに発破をかける。

これで失敗する事は出来なくなった。だけど、それでいい。これくらいの方が自分を追い込める。


卯月「ほん……とう……?」


ぱっと表情を明るくする文月ちゃんの背中で頭を彼女の方に預けていた卯月ちゃんが、ゆっくりと頭を上げた。


見えた表情に強い衝撃と、どうしようもない既視感を覚える。

いつもの彼女とは想像できないほどに、目は虚ろに沈み、表情に力は無く、隠しきれない絶望がにじみ出ていた。

……まるで、昔の僕を見ているようだった。

恐らく、この表情はリミッターを解除したことによる倦怠感によるものではない。

心に深く、深く傷を負わなければこうはならない。


文月「う、うーちゃんっ、しゃべっちゃ……」

卯月「ねぇ……ばんとーさん……ばんとー、さぁ……ん……!」


制止する文月ちゃんを無視して、卯月ちゃんは言葉を重ね、僕に向けて震える手を向ける。

言葉尻は強く震え、涙色に濡れている。腕は倦怠感に上げることすら辛いだろう。その姿はまるで深い闇の中、必死と希望の光に縋り付こうとするようだった。

何が彼女をここまで追い詰めたかは解らない。

でも、今は解らなくたっていい。差し出された絶望に震える手を握らない訳にはいかなかった。


「本当だよ。……絶対に助ける」


途端、さ、と卯月ちゃんの瞳から涙が溢れだした。

握る掌は弱々しい。だけど、彼女の手から伝わる思いは、溢れ出る感情よりも強かった。


文月「……っ、うーちゃん!?どうしたの、うーちゃん!!」


それから突如として卯月ちゃんの頭が弥生ちゃんの肩へ、力なく預けられた。

文月ちゃんが最悪の事態と勘違いしたのか、軽いパニックを起こしてしまう。


「……大丈夫、気を失っただけだよ。多分、気が抜けちゃったんだろうね」


卯月ちゃんの首筋に手を当てて状態を確認してから、優しく文月ちゃんに声を掛ける。

そう言ったものの信じられないのか、彼女が僕に弱々しい瞳を向ける。

それにゆっくりと、だけどハッキリ頷いて見せる。


「……それじゃ、始めようか」


そう呟き、帰還した5人を迎える。

弥生ちゃんが助かるかどうかは、正直言って彼女次第だ。

彼女が戻りたいと思わなければ戻っては来れないだろう。

だけど、きっと彼女は戻って来てくれる。

僕はそれを信じている。

続く。遅くなって申し訳ありません。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年11月29日 (日) 15:08:35   ID: XQ_QdZNL

映画化してくれ

2 :  SS好きの774さん   2016年01月13日 (水) 21:24:38   ID: wduUtzDV

くぅスレタイで敬遠してた。。
続きが楽しみで仕方ない

3 :  SS好きの774さん   2016年02月07日 (日) 03:37:37   ID: 3nCo2Yqg

ssでこんな本職レベルの作品が読めるとは思わんかった。

4 :  SS好きの774さん   2016年02月07日 (日) 13:30:51   ID: GSuu7zVN

完結タグ付けんなカス

5 :  SS好きの774さん   2016年02月27日 (土) 15:34:24   ID: g2JYm-l4

一気読みしてしまった・・・・
続き頑張って下さいo(*⌒―⌒*)o

6 :  SS好きの774さん   2016年02月28日 (日) 11:10:49   ID: T9FdYcBa

鳥肌がやばいっす

7 :  SS好きの774さん   2017年08月03日 (木) 15:32:08   ID: fOmLGbK2

車30分の距離を歩くって尋常じゃねーぞ

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