千早「みんなと笑って過ごしたくて……か」 (34)

アイマス はるちは 百合 たぶんめちゃ短い


事務所の入り口までの階段は相変わらず暗い。
顔を上げて帽子を取ると、扉の隙間から光が漏れていて、
たぶん小鳥さんかプロデューサーが遅くまで残っているのだろう。
やや重たい瞼を抑えて、一度深呼吸する。
疲れた顔で入って、心配をかけたくはない。

「失礼します」

「あ、お帰りなさい千早ちゃん。春香ちゃん、先に戻ってるわよ」

案の定、小鳥さんが首だけをこちらに伸ばして、ソファに視線を送る。

「春香?」

呼んだ主の返事がなく、小鳥さんも首を傾げた。

「あ、寝てるみたいです」

腰かけていた春香の首がかくんと動く。

「……ふえ、あ、千早ちゃ……ん」

「起こしちゃったわね」

「う、ううん……ごめん、私寝ちゃってたんだね」

「朝早かったんでしょ。まだ、ここで休んでいていいのよ」

「大丈夫……千早ちゃん、お夕飯まだでしょ?」

瞼を擦り、春香がゆっくりと立ち上がる。
微笑みを浮かべて、私に手を差し伸べる。
その手を掴むと、春香はやや遠慮がちに言った。

「話、あるんだよね? どこでしようか……」

「……そうね。屋上でも構わないのだけれど」

春香は少しだけ驚いた表情になった。
それを隠すように、すぐに頷く。

「いいよ。行こう」

彼女は人の心に敏感な人だから。
きっと、気づいていて。
けれど、あえて合わせてくれている。
彼女のペースを保ちながら、周りと一緒に進める人だから。
それに引き換え、私は焦っている。
目の前に実った苺が、誰かに食べられてしまわないか。

平静を装いながら、いつも心配ばかりしている。
誰かのことで一喜一憂している。

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こんなに感情を出せるようになったのも、
皮肉な事に彼女のおかげだった。
でも逆に、彼女は日に日に心を抑えるようになってしまったように思う。
同じ時間を過ごしてきたのに。
彼女にとって、それは我慢だったのだろうか。
彼女の声を全く聞けていなくて、今に至る。
屋上の扉を開くと、湿っぽく生温い風が前髪を揺らす。

「風、さっきよりでてきたみたい」

横髪を抑えて、春香が柵へと歩を進める。
手すりを掴んで、背中を反らせて夜景を見つめて。

「春香……」

「うん」

同じ物を見ているのに、
そんな気がしない。

「あの……久しぶり」

「ぷっ……遅いよ、千早ちゃん」

こちらを振り向かない春香。
揺れるリボンに、私は視線を向けていた。

「なかなか、連絡返さなくてごめんなさい……」

頭を下げた。
春香が慌てて振り返ったのが分かった。

「……お仕事忙しかったんだからしょうがないって」

「怒ってないの?」

真っ直ぐにこちらを見つめて、

「怒ってるよ……うん、怒ってる。いつまでも変われない自分に怒ってるの」

後ろ手に腕を組む。
どうして、春香が自責しているか分からなくて、私は続く言葉を待った。

「……この間、美希にも同じこと言われたの。怒ってないの? そんなのおかしいよって」

「美希に?」

「私たち付き合うようになってから、連絡をあまり取らなくなって、二人で会うってなっても千早ちゃんは仕事ですぐ抜けることがほとんどだったでしょ」

「ええ……」

「その話をしたら、美希に寂しくはないの? って聞かれたの」

「……」

「私、考えてみたよ……考えて考えて、寂しいって気持ちは湧かなかったんだ」

「春香……」

「考える時点でおかしかったんだけど……私、千早ちゃんのこと」


「聞きたくないわ……春香」

「ううん、お願い聞いて」

春香の声は震えていた。
彼女も言うのをためらっているのが分かった。
なら、言わなくていい。
言わないで欲しい。

「千早ちゃんのこと……大好きだよ。今、この瞬間も。でも、でもね……それって、どんな好きなんだろうって……」

自分自身へも問いかけるようにして春香は言った。

「この好きは、もしかしたら……みんなと笑って過ごしたいだけの好きなのかな……そう思ったら、本当にそう思えてきたの」

私は我慢ならなくなり、彼女の体を抱きしめた。
陽だまりは掴みどころがなく。
こぼれ落ちていく砂粒をかき集めるようで。

「千早ちゃんは、私の中で特別な存在だったんだ……だんだんと私に心を開いてくれて嬉しかった。ドジな私をいつも見守ってくれてすごく安心した」

「私だって、あなたが……春香が」

「……えへへ、ありがとう」

「いつもあなたのことを考えていたわ……どんなに辛い時でも頑張れたのは、きっとあなたがいたから」

私は、一人では何もできないから。
支えてくれる人が必要だから。
生きていけないから。
ああ。
でも。
あなたは、一人でも答えを出せる臆病な人だった。

「ありがとう……千早ちゃん」

体を少し離す。
彼女は泣いていた。
これは、別離の悲しみではなくて。
きっと、私を一番にすることができない、
天海春香という人間への呆れなのだろう。

「感謝の言葉なんて……いらない」

それが、最後みたいに。
言わないで。

「千早ちゃんなら、もっと素敵な人と出会えるよ」

本気で言っているのか。

「酷いわ……」

「恨んでくれて、かまわないから……」

そんなの、ずっと好きでいろと言っているのと何が違うのだろう。
765プロのみんなが好きな天海春香。
一人はみんなのために。
みんなは一人のために。

あなたは、これからもそうやって生きていくのだろうか。
コンサートホールの端の端まで見つめ、
遠くまで声を届けようとする。
時間は、その間にさえこんなに残酷に過ぎていくのに。
一秒一秒を見過ごしてしまわないだろうか。

あなただけを照らして、
あなただけに歌う。
そんな人がいたって、
いいんじゃないのだろうか。

夜の喧噪を背に、
春香の目に涙がにじんでいた。
いつもいつも迷いながら出す答え。
正しくなければ、きっと誰かが教えてくれる。

「それでも」

と、私は口を開く。

「私は、待つから……」

「千早ちゃん……」

待っても、追いかけても、何度もすれ違うだけだろうとしても。
きっと、片思いとはそう言うことなのだろうけれど。
私から離れてしまうあなたを止められはしないから。

「あなたは信じた通りに進んでちょうだい、春香。みんなと笑って過ごしたくてひたむきに走るあなたの背中が……好きだから」

「……でも、それじゃあ千早ちゃんが」

「ええ、いいの」

強く抱きしめることができなくなっても。
愛しい唇にキスができなくても。
苦しみながら愛されるよりいい。
そんな風に強がって。
それでもあなたが傷つくよりいいと思えるから。

「ごめんね、今日は来てもらって。春香、先に帰って大丈夫だから……」

春香は一瞬何か言いたそうにして、

「うん……」

私の横を通り過ぎ事務所の中へ戻っていった。

「みんなと笑って過ごしたくてか……」

私は春香の足音が無くなってから、
無意識に携帯を取り出して、美希に連絡していた。

「……」

何度か呼び出し音が鳴って、
留守番メッセージに切り替わる。

『おかけになった電話番号は――』

「……っ」

私は何をしているのだろう。
美希と話して、どうなると言うのか。
あの子を傷つけるだけじゃない。
それとも、チャンスができたと喜ぶだろうか。
傷心している春香に近づいて、美希が癒すの!
なんて、想像して笑えてきた。
笑えてきて、
泣けてきた。

「っう……」

鉄柵に背中を預け、
ずるずると地べたへ落ちていく。
携帯が手から滑って、
転がっていった。

「ひっ……く……うぁ……」

唇が震えてきて、先ほどまで喉の下でくすぶっていた感情が芽を出し始めた。
駄目なのだ。
春香じゃないと。
上手くいかないのに。

携帯が鳴動した。
ぼやけた視界に着信相手が映し出される。
美希だった。
手を伸ばして掴んだ。

「美希……」

『あ、千早さん? ごめん、収録中だったの。何の用だったの?』

「……ええ……っ」

『千早さん……泣いてるの?』

言われて、思わず鼻をすすってしまう。

「っ……ごめんなさいっ……」

『美希、今日まだ帰れなくて……明日の朝なら時間が……千早さん?』

「……っ……」

『春香のこと……じゃないの?』

美希の声音が急に優しくなったせいだろうか。
いつもは気を遣わないのに。
こういう時は察しがいいのだから。

『……あ、監督に呼ばれてる……もお、はいはーい。 千早さん、後でまたかけるからっ……一人で、大丈夫?』

「……ええ、大丈夫。ありがとう」

携帯を切る。
何をやってるんだろう。
美希は大事な審査も控えてるのに。
春香だって、ドラマの収録とソロコンサートで疲れてたはずなのに。
私は、自分のことばかりで。

もしかしたら、春香の理想から一番離れているのは私なのじゃないかと怖くなってしまう。
みんなと過ごす楽しさを教えてくれたのは春香で。
けれど、まだそれは理想で。
いつまでも、私の中に一人部屋にこもり、家族を否定し続ける自分が潜んでいる気がして。

熱くなった瞼を擦り上げ、
小鳥さんに呼ばれるまで、
私はずっとそこで遠く及ばない未来を眺めていた。

それから春香とほとんど話さない日が1週間程続いた。
前は、二人が会える日は、いつも夜遅くに事務所で待ち合わせていた。
春香からの着信が何度かあったけれど、それには返事をしなかった。
私は今までと同じように忙しいから仕方がないと納得させていた。

本当は口を開けば、言い争ってしまうんじゃないかとびくびくしていた。
私に迷惑をかけないように話を合わせて、暗い雰囲気をつくらないようにする春香に、
酷い言葉をぶつけて困らせてしまうんじゃないかとも思っていた。

良くも悪くも春香のことを考えて、
生活習慣はいつも以上に最悪のものになっていた。
見かねたプロデューサーが、
自宅で作ってきたチャーハンをライブ終わりに持ってきた時は、
さすがにこのままじゃ不味いのだと判断できた。

その日、たまたま午前はオフだった。
料理をしようにも材料が無くて、
重い腰を上げて近所のスーパーに買い物へ出かけた。

多少気分転換にもなると思ったけれど、
このタイミングで会いたくない人間とはいるもので、
私は顔を隠してやり過ごそうとした。

「千早……」

私と同じような辛気臭い顔をした女性に呼び止められる。

「なに……」

振り返らずに返事をする。

「……ご飯、食べてる? なんだか痩せたんじゃない」

「食べてるわ……大丈夫。気にしないで」

「……そう。あのね、千早……ちょっと話があって」

「ごめんなさい、今は話す時間なくて……」

そう言って、カートを押して離れようとする私の腕を彼女は掴んだ。


買い物を早々に切り上げて、
私は母と近くの公園に来ていた。

「時間ないから、手短に……」

「あの……」

母は言いずらそうに、
ぽつりぽつりと話し始めた。

「家に……最近、変な電話がきてて。千早はいるかって……ファンの人だと思うんだけれど」

「……な」

「1週間くらい前からずっと……千早のことが心配だって、傷ついてるからお母さんが慰めてやってって……心当たりある?」

私は首を振る。

「そうよね……」

「いたずら電話じゃないの……でも、迷惑かけてごめんなさい」

「いいのよ……ただ、千早に何かあったのかなって」

「いたずらだって……話はそれだけ?」

「……ええ」

「じゃあ」

ベンチに母を残して、私は公園を離れた。

マンションに着いて、仕事の服に着替えながら、
母の言っていたことを反芻していた。

ファンの人だとしても、どうして実家の電話を知っているのだろうか。
それに、1週間前からどうしてそんな電話が。母のことも何もなければいいけれど。

その後、プロデューサーが車で迎えに来てくれて、
ラジオの収録現場に向かった。

「千早、今日は……終わったら衣装合わせがあるから……」

「……」

「どうした?」

「え?」

「考え事か? 珍しいなぼんやりして」

「すいません……」

「いや、で、衣装合わせたら春香と二人で」

「春香と……っ?」

つい、声を荒げてしまう。
プロデューサーの体が跳ねる。

「な、なんだ大きな声出して」

「あ、いや、ごめんなさい」

「……最近、大丈夫か?」

「サプリメントも飲んでるので」

「……サプリメントね」

「栄養は足りてます」

「ご飯にサプリメントでもかけてるんじゃ……お前」

「しませんよ、そんなこと」

「本当か」

「プロデューサー……」

「ごめんごめん……。でもさ、春香もここ最近ちょっと様子変なんだよ。何か知ってるか?」

春香が?
だめだ。
期待してしまう。
私を好きなのは知っている。
でも、違うから。
それは、違う。

「いえ、知らないです」

「だよな……と思って夜温泉にでも行ってきたらどうかなっと思ったんだ」

「はい?」

「息抜きにさ。連れて行ってやるから……」

「結構です……」

「遠慮するな。お前ら、いつも頑張ってるからさ、たまにはご褒美もないと」

「それは……仕事ですし」

「仕事か……なんだか、昔のお前が言いそうな台詞だな」

そうだろうか。生きていくために、していることじゃないのか。
生きることは頑張ること、なんてどこかで聞いたような台詞が脳裏に浮かんだ。

「今の私なら、他になんて言いそうですか……?」

「ん? あー、そうだな。ほら、歌が好きだからとか」

「適当に言いましたね、今」

「そんなわけないだろう」

「春香だったら……」

「うん?」

「春香だったらなんて言いますか」

「……うん、春香なら」

プロデューサーは少し間を置いて、

「みんなが好きだから……とか」

「……言いそうですね」

「だろ」

そんなこと分かってる。

ここまで

「プロデューサー……」

「ん?」

「心配しないでください。私も春香も少し疲れてるだけですから」

「そうか……」

頷くプロデューサー。
その後は何も聞いてはこなかった。



その日の夜、半ば無理やり春香と一緒に近所の銭湯へ連れていかれた。
言葉を交わせないまま、女風呂で二人着替える。
春香のリボンがふわりと足元に落ちてきて、私はそれを拾って春香の方を見た。
色白い肌をタオルで隠して、

「ありがとう、千早ちゃん」

微笑んだ。

「ええ……」

「入ろうか」

湯気で真っ白になった扉をカラカラと開く。
お客さんは年配の女性が一人。

「私、銭湯に来るの久しぶり」

「私もよ。滅多に行かないわ」

「最初ね、プロデューサーさんに言われた時は何かと思ってドキっとしちゃった」

「何を考えてるのかしら……本当に」

「ふふ……でも、優しいよね」

お人好しだと思う。そういう人種がいるから、世の中の身勝手な人間は許されているんだろう。

「そうね、その通り……」

「……私たち、みんなに心配かけてるみたい」

「いっそのこと、距離を置いた方がいいかしらね」

するりと、そんな意地悪な言葉が出てしまう。

「千早ちゃんがそうした方がいいなら……」

ほら。
そうやって、
受け入れる。

「それで、春香は気が休まる?」

「え……」

「私の存在が、春香の重荷になるのは嫌……だから」

「そんなことないっ」

私の言葉を遮るように、お風呂場に春香の声が響く。

「あ……千早ちゃん、違うよ。そうじゃない。私、千早ちゃんに傍にいて欲しい」

優しいあなたがそう言うだろうと思った。
それを期待していた。
聞きたかった。
確かめてもしょうがないのに。

「ありがとう」

「千早ちゃんは、何も遠慮することないんだから……」

そうやって、私を喜ばせる。
だから、思い上がってしまうのだ。
春香のせいだ。

「……春香」

「……なあに」

「美希がね、春香に言いたいことがあるって……」

「……うん、聞いた」

「返事は?」

「したよ」

引き締まった口調。
美希と春香の問題。
口を挟むことではない。
きっと、美希は教えてはくれないだろう。

「千早ちゃんとのこと考え直してって」

「……え?」

「どうしたの、そんな驚いた顔して……」

「あ」

まさか、嘘だ。
だって、
美希は、
春香が好きで、
好きで、
好きで、

「ただの女子高生の天海春香になって、考えろだって……」

「美希が……」

「二人のことが好きだから……見えてないことを見つけて欲しいのって」

春香は髪を洗い終えて、シャワーの栓を捻る。

「なんだろうね、それって」

髪から滴り落ちる水滴の合間から、
彼女の真剣な表情が覗く。

「なに、かしらね……」

私は立ち上がり、湯船へと向かう。
はるかも立ち上がって、ちゃぷん、と互いに肩まで漬かった。

「はあ……」

春香が気の抜けた声を出した。

「千早ちゃん」

春香が指の合間からお湯を噴出させる。

「きゃっ……やったわね」

私も、仕返しする。

「わわっ……」

彼女のおでこに命中した。

お風呂ではしゃいで外に出た頃には、
プロデューサーも待ちくたびれた様子だった。

途中まで送ってもらって、
春香を駅まで送っていく途中のこと。

「ここまでで、いいよ」

「わかったわ」

互いに手を振り、離れようとした時だった。
道端の暗闇が動いたような気がした。

「……天海春香」

30代くらいの男性が、ゆらりと近づいてきた。

「よくも千早ちゃんを傷つけたな」

「え」

「春香!」

街頭に照らされ、鈍く光るそれを男が振り下ろした。
ほとんど無意識に春香の前に躍り出て、
彼女を突き飛ばす。

右肩に、焼きゴテでも当てられたような鋭い痛みが走った。

「千早ちゃん!?」

「っ……あっ……つっ」

「ち、千早ちゃんが……違う、僕は」

男は、砂利を蹴って走り出す。

「ま、待って……!」

春香の叫んだ声が聞こえた。


次に眼が覚めると、白い天井と壁、シーツに包まれていた。

「……っ」

右手を支えに起き上がると、右肩に激痛が走った。
どさりと後ろへ倒れこむ。

「千早ちゃんっ」

「……春香?」

「起き上がらなくていいから、そのままで」

「私……」

「ナイフで切られてから、気絶しちゃったの……覚えてる?」

時計を見る。先ほどから三時間程経っていた。
春香の顔が青ざめている。

「怪我は大したことないって……良かった。本当に、良かった」

「……」

春香は私の左手を握って、
自分の額を寄せた。

「ごめんね、私のせいだ……ごめん」

痛みが酷くて、春香になんと言えばいいのか上手く思いつかなかった。

「大丈夫よ、気にしないで……」

私の手に春香の温かい涙が何度も流れる。

「春香が無事なら、いいの……」

「間違ってたんだね……」

「え?」

「私の選択が、間違ってたから……こんなことに」

「そんなこと……」

「ううん、千早ちゃん。私がちゃんと話し合って、もっと千早ちゃんの気持ちを理解できてたらこんなことには……それに」

春香の手に力がこもる。

「……私の家に、電話でね……千早ちゃんに謝れって、何度かあったの……それを無視しちゃったから、罰が当たったんだね」

「……嘘……どうして、そんな大事なこと言ってくれなかったの」

「言えないよ……言えない。ごめんなさい……」

春香はその日から、私に甲斐甲斐しく付き添うようになった。
寄りを戻したわけではなかったけれど、春香は退院してからも何かと世話を焼いてくれて、私の家で泊まっていくことが多くなった。

キスをしようとすると、微笑んで受け入れてくれる。
食べたいものを言うと、その通りに作ってくれる。
まるで、奴隷のような状態だった。

なのに、私は、それすらも嬉しかった。
傍にいてくれるなら、どんな形でも良かった。
だから、春香の行動に疑問を抱きつつ、
変えようとはしなかった。

彼女の好きが、そのうち本物になればいいのに。
意地汚い感情を隠さずに、彼女をカゴの鳥にしてしまっていたのだった。



最初にその異変に気が付いたのは、美希だった。
事務所の近くのカフェテラスで、コーヒーを口に含んだ時だった。


「千早さん、春香と最近どうなの?」

「え?」

「二人で過ごす夜が増えてるみたいだけど?」

「あ……別に、春香は私の右腕の代わりにって……色々手伝ってくれているだけよ」

どきりとして、私は美希の視線から逃れるように、またコーヒーカップを持ち上げる。

「ふーん、春香のことだから、付き合っても付き合ってなくても甘々なの」

「……え、ええ」

「でも甘すぎて、どっろどろな感じ」

美希の声が低くなる。

「どういう……」

「なんだか、二人とも焦がした砂糖みたいなの」

カラメルのことだろうか。

「焦がしすぎると真っ黒になるから、気を付けてね」

「……」





美希と別れて、彼女から逃げるようにして家に戻った。

「あ、千早ちゃん……お帰りっ」

「ただいま。遅くなってごめんなさい」

「いいよー。夕食できてるからね」

「いつもありがとう」

「前まで、良く作ってたじゃない。それに、千早ちゃんが前より表情に美味しいって出してくれるから、嬉しいよ」

春香のエプロン姿に眼を奪われつつ、
キッチンへ向かう途中で彼女の背中にしがみつく。

「千早ちゃん?」

「春香……」

ここまで

「お夕飯冷めちゃうよ」

「ええ……少しだけ」

「甘えん坊だ……何か嫌な事でもあった?」

「あったけど、忘れてしまったわ」

「なにそれ……ふふ」

二人立ったまま笑い合う。
春香は柔らかくて、女の子らしい匂いがあって、
抱き締めているだけで穏やかな気持ちになれた。

自分とは正反対。
だから、こうやって甘えることができる。

「千早ちゃん、そう言えば肩だいぶよくなったね」

「……ええ」

「私、もう付き添わなくても……いいのかな」

「は、春香……」

「あ、嫌ってわけじゃなくって、千早ちゃん自分でできるようになってきてるから……」

「い、いやよ……まだ、ここにいて? ね?」

身体を離すと、春香が小さく頷いた。
ほっとして、彼女の手を握る。


眠すぎるのでここまで

「大丈夫、一緒にいるよ……」

「ええ……」

「キッチン、行こうか」

私は無言で頷いた。
不意に、あの夜の男性の顔が思い出された。
こうなったきっかけは彼の行動のせいだったけれど、
私はどこかで春香が私から離れざる負えないような、
そんな状況を期待していたと思う。


ああ、やはりそうなのだ。
自分は、春香の理想から遠い。
一番向こうの観客席にも座れない。

私は扉をゆっくりと閉めた。





おしまい

短くてすまん
お付き合いありがと

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