【咲-saki-】和「…浮気者」【京和?】 (778)


—— 誰にだって苦手な人というものはあるでしょう。

例えば、昔から男性の視線を身体の一部分に感じてきた少女にとって、男性というのは苦手な相手になるでしょう。
またあまり人とベタベタするのが好きではない女の子にとって、必要以上に馴れ馴れしい相手には身構えしたくなるはずです。
或いは自分にとって唯一友人といっても良い相手と急速に仲良くなっていく姿を見て、なんとなく嫉妬めいたものを感じるのもあり得ないとは言えません。

—— そして、私にとって須賀京太郎という人はその全てを満たす人物でした。

「あー…終わったぁ…」

そう言って、須賀君は背もたれに大きくもたれかかりながら、大きく息を吐きました。
その顔に浮かぶ疲労感は根強く、彼がそれだけ集中していた事を感じさせます。
しかし、それだけではないのは須賀君が未だ麻雀に対して初心者だからでしょうか。
手探りながらでも、強くなっている実感にその頬を緩めているのが伝わってきます。

「お疲れ様。ほら」
「お、ありがとな」

だからこそでしょう。
一人ネト麻をやっていたゆーきがすぐさま須賀君に対してお茶を差し出しました。
それに一つ感謝の言葉を返しながら、須賀君はそっとそれを呷り、喉を潤していきます。
その様にゆーきが妙に嬉しそうな顔をする姿から私はそっと目を背けました。

—— 須賀君はこの清澄で唯一と言っても良い男子麻雀部員です。

そして同時に唯一の初心者である彼はもうこの部活に馴染んでいました。
まるで最初からそうあるのが当然であったかのように、皆と距離を詰め、親しげに話すようになっていたのです。
唯一の異物と言っても良い立場を感じず、あっという間に馴染んだその様は私にとって理解できないものでした。

—— 勿論…私にだって須賀君が悪い人ではない事くらい分かっています。

その軽口や金色の髪、そして不真面目そうな顔つきからは考えられないくらい真面目である事もまた分かっているのです。
麻雀に対しても真剣で、一局ごとに色んなことを吸収しようとしているのが伝わってきていました。
ですが、それでも…一足飛びに仲良くなっていっている軽々しい彼の様子はどうにも共感出来ません。
あまり友達が多いとは言えない私にとって、それは異物にも映るほどでした。


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「『和』もお疲れ様。やっぱ強いな」
「…ありがとうございます」

私が彼を警戒する大きな理由が、その呼称でした。
今まで父親以外の男性にそんな風に呼ばれた事がない私にとって、それは違和感を感じさせられるものです。
ですが、ゆーきが名前呼びを許している以上、あんまり強く拒絶しても部内の雰囲気を悪くするだけ。
それが分かっているが故にいちいち、口に出しはしませんが…正直、そうやって馴れ馴れしく呼ばれるのは苦手でした。

「俺ももうちょっと勉強しないとな」
「京太郎の頭の出来じゃ幾ら勉強したってのどちゃんには敵わないじぇ」
「なんだと優希!」
「きゃー襲われるぅー」

そんな私からはほど遠いはしゃいだゆーきの姿に私は内心でそっとため息を吐きました。
確かにゆーきは前々からテンションが高く人懐っこい子ではありましたが、こんな風にはしゃいだ所なんて見たことがありません。
お淑やかという訳ではありませんが、その活発さは私が友人としてついていけるレベルに収まっていたのです。
しかし、今のゆーきにはそんな姿がまるで見て取れません。
まるで私の知らない部分を花開かせるような姿に胸に微かな痛みが走りました。

「ほら、はしゃいでないで片付けを手伝って」
「…ほら、優希の所為で怒られたじゃないか」
「今のは誰がどう考えても京太郎が悪いじぇ」
「仲ええなぁお前ら」

そんな二人の様子に先輩二人も微笑ましい視線を向けていました。
私も…そうするべきなのでしょう。
ですが、そう頭の中で分かっていても、私は二人からそっと視線を背け、逃げるように片づけを始めました。


—— 本当は私にだって分かっているのです。

自分が須賀君に感じいているものの殆どは嫉妬なのでしょう。
自分の知らない友人の姿を引き出した彼に…私は嫉妬しているのです。
しかし、そうと分かっていても、自分の胸の内に横たわるようなぐちゃぐちゃした感情はなくなりません。
それに一つため息を吐きながら、私は荷物を纏め終わりました。

「あ、そうだ。どうせですし、親睦会でもやりません?」
「何がどうせなんじゃ?」
「俺の最下位脱出を記念して…なんてどうですかね?」

冗談めかして言う須賀君の顔には若干、誇らしそうなものが混ざっていました。
まるで子どものようなそれは今日初めて三位になれた事がよっぽど嬉しかったのでしょう。
褒めてもらいたそうなオーラを撒き散らすようにして、その笑顔を浮かべていました。

「そうね。そろそろ新入部員も望めない時期だし…いいかもしれないわ」
「よっしゃ」
「でも、最下位脱出記念…なんて情けない事言わずに早く一位になってみなさいよ」
「無茶言わないで下さいよぉ」

情けなさそうに言う須賀君に、部長さんもクスリと微笑みを浮かべます。
からかうように言っているだけで、決して本気という訳ではないのでしょう。
そもそも経験者ばかりの卓で初めて一週間ちょっとの須賀君が最下位を脱出出来ただけでも凄い事なのです。
それでもこうやってからかうのは、そうやってからかっても大丈夫な相手なのだという認識が部長さんの中にあるからでしょう。

「わしも今日は特に用事はないぞ」
「私も大丈夫だじょ。でも、親睦会やるならタコスがある場所が良い!」
「はいはい。後で携帯で探してやるから座っとけ。んで…和は?」
「…私…は…」

気軽にそう訪ねてくる須賀君の言葉に私はそう言い淀みました。
両親が共働きで忙しい私にとって、家に帰った後にやるべき事というのは少なからずあるのです。
しかし、一日くらいそれをサボったところで両親に何も言われたりしないのは目に見えていました。
だからこそ、ここで頷くのは何の問題もなく…私の理性もまたそうするべきだと訴えていたのです。

「…ごめんなさい。今日はやらなきゃいけない用事がありまして…」

しかし、私は思ったよりも感情的な人間であったのでしょう。
頭ではそうするべきだと分かっている事をねじ曲げて‥・そう嘘を吐いてしまいました。
そんな自分に胸の奥底からドロドロとした自己嫌悪が沸き上がってきますが、一度、口にした以上、どうにもなりません。

「そっか。んじゃ、親睦会は今度にしますか」
「そうね。やっぱり全員が揃ってこそのものでしょうし」
「あ…」

そんな私の嘘の所為で、親睦会そのものがなくなってしまう。
それに思わず声をあげましたが、かと言って何か出来る訳でもありません。
「私抜きでやって下さい」なんてあまりにも不自然ですし、私だってそれを望んでいる訳ではないのです。
私だって須賀君さえいなければ、喜んで親睦会に参加した事でしょう。

「…ごめんなさい」
「気にするなって。用事があるなら仕方ないし」

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、須賀君がにこやかにそう返しました。
そこには一片の悪意もなく、私の嘘に気づいた様子もありません。
だからこそ、良心の呵責を感じる私にゆーきが一瞬、気遣うような視線を向けました。
それに私は気づかない振りをしながら、ギュッとカバンを握りしめ、隠すように胸元へと寄せるのです。

「それじゃ和の時間も危ないでしょうし、今日はもう解散しますか」
「うぃっす」

部長さんの言葉に各々が頷きながら、解散する麻雀部。
その中で私とゆーきは途中まで帰り道を同じくしていました。
中学で一緒になってから、そのまま清澄に来た私達の家はそれほど離れていないのです。
方角的にはほぼ同じで、だからこそ、清澄に進学しても私たちの帰宅は常に一緒のままでした。

「…」
「…」

けれど、そこに本来あるべきにこやかな会話というものは一切ありませんでした。
勿論、普段であればゆーきの方から色々な話題を紡ぎ、場を和ませてくれるのです。
しかし、今の彼女からはそのようなアクションはありません。
代わりにゆーきは私の顔をチラリと見て、心配そうな表情を浮かべるのです。


—— 本当は…私から何か言うべきなのでしょう。

しかし、ゆーきとは違い、あまり話題の豊富なタイプではない私に場を和ませるようなネタと言うのは思いつきません。
ましてや、今の私はさっき吐いた嘘への自己嫌悪がまだ止んでいないのです。
未だ思考がグチャグチャになり、気を抜けばため息を漏らしてしまいそうな私に…そのような余裕はありません。
悲しいかな、これまでずっと受け身であった事に対する経験値不足が、こうして土壇場で現れてしまっているのです。

「あの…のどちゃん?」
「…どうしました?」

夕焼けが差し込む春の帰宅路の中、二人で作る沈黙を破ったのはやっぱりゆーきの方でした。
しかし、その声にはいつものような快活さはなく、何処か伺うようなものです。
普段のゆーきからは到底、考えられないそれに私は心の中が強張るのを感じながら、そう返しました。

「のどちゃんは…京太郎の事嫌いか?」
「それは…」

そんな私の確信を突く言葉に、疑問は殆どありませんでした。
まるで確認するようなそれに…私が応えられるはずがありません。
だって、どれだけ私が鈍いと言っても、ゆーきが須賀君と仲が良いのは明白なのですから。
そんなゆーきの前で嫌いとはっきり言ってしまえば、誰よりも彼女の方が困ってしまうでしょう。

「……」

しかし、その一方で私はそれに対して否と応える事が出来ませんでした。
さっきはあんなに簡単に嘘が吐けたはずなのに、今の私の口は閉ざしたまま動きません。
そんな私の顔をゆーきは数秒ほど見つめてから、ゆっくりと口を開きました。

「…京太郎は良い奴だじぇ」
「分かってます…」

これが本当に嫌なだけの人であれば、私はこんなにも思い悩む事はなかったでしょう。
しかし、彼はこうして一週間ちょっとで皆と仲良くなりました。
同じ女であり経験者である私の方が浮いているようにも感じられるその速度は、ゆーきが言う通り、彼の人徳がなすものなのでしょう。
しかし、だからこそ、私は自分とはまったく違う生き方をしてきた彼を認められず、どうしても彼に対して身構えてしまうのです。

「…ああやってのどちゃんに構うのだって、本当は仲良くなりたいからなんだ」
「分かって…ます…」

須賀君はとても良い人です。
それこそ…部活にまだ馴染み切れていない私に対してお節介をするくらいに。
ああやって親睦会と言い出したのも、決して自分が褒めて欲しいからだけではないのでしょう。
勿論、それが一片もなかったとは言いませんが…私が見せるぎこちなさを解消しようというのが主目的だったのは皆の姿からも伝わっていました。


—— だって…部長さんと染谷先輩の都合が合うなんて滅多にないんですから。

部長さんは学生議会議長として忙しいですし、染谷先輩は実家の手伝いがあります。
勿論、お互いに部活の時間は捻出くれていますが、片方がいない日も珍しくはありません。
少なくとも、部活後の余暇が揃って空いている日なんて言うのはこの一週間ちょっとの間には一度もなかったのです。
それなのにたまたま口にした親睦会に出られるか怪しい二人が、たまたま大丈夫だなんて簡単に信じられるはずがありません。

—— 誰がこれを考えたのかは分かりませんが…。

しかし、その目的は私が一方的に須賀くんへと抱いている苦手意識の解消であるのはほぼ間違いありません。
何せ、わざわざ親睦会なんてやらずとも、既にゆーきも須賀君も十分過ぎるくらいに麻雀部に馴染んでいるのですから。
当時は冷静さを失って、そんな事にも気づきませんでしたが…少しは頭も冷えた今ならば、それを察する事も出来ました。

「…それでものどちゃんが京太郎の事が苦手だって言うんなら…私から伝えるじぇ」
「えっ…」

しかし、ゆーきのその言葉は私にとって予想外もいいところでした。
だって、それはゆーきにとってとても辛い言葉なのですから。
仲の良い二人が不仲のまま放置するだなんて根が人懐っこい彼女にとっては到底、耐えられる事ではないでしょう。

「のどちゃんに無理して貰いたくはないし…」
「ゆーき…」

そうやってそっと肩を落とす彼女に…私は今回の仕掛け人が彼女である事に気づきました。
思えば須賀君が三位になった時もゆーきはかなり彼の事を援護していたのです。
普段から集中力を切らして後半から失速する気来がある彼女のミスだと思っていましたが、どうやらそれはキッカケ作りのものだったようです。
それに感謝と共に申し訳なさを感じながら、私はそっと口を開きました。

「…大丈夫…ですよ」
「のどちゃん…」

その言葉は自分でも思った以上に硬いものでした。
まるで無理している事をアピールするようなそれにふと肩を落とします。
しかし、それでも私はもうその言葉を撤回するつもりはありませんでした。
この長野で唯一と言っても言い友人をここまで悲しませて、そのままになんて出来ません。
せめてゆーきが動いてくれた分は…私もまた誠意を見せなければいけないでしょう。

「ちょっとずつになると思いますけれど…でも、頑張りますから」

とは言え、すぐさまその成果が出るなんて私も思っていません。
まだ彼に対する苦手意識がなくなった訳ではありませんし、警戒心も残っているのですから。
やる気になったとは言え、未だ残るそれらを解消していくのに時間が必要なのは目に見えていました。

「…本当?無理してない?」
「無理なんてしてません」

嘘です。
本当はちょっぴり虚勢を張っています。
けれど、それを口にするような情けない真似をゆーきの前で見せたくはありません。
だって、ゆーきはこうやって私に伺うように言うくらい私に心砕いてくれていたのですから。
それに対して何のアクションも取っていない状態で、弱音なんて口にしたくありません。

「でも…ダメだった時はフォローしてくださいね」
「勿論だじぇ!」

私の言葉にゆーきはニコリと笑いながら、握り拳を作りました。
ゆーきらしいその明るい笑みに私もまた釣られて笑みを浮かべてしまいます。
そうやってお互い笑いあった瞬間、私たちは何時もの分かれ道へと着いてしまいました。

「もしセクハラされたら私にすぐ言うんだじぇ!私がコテンパンにしてやるからな!」
「ふふ…ええ。その時はお願いしますね」

シュシュッと自分で口にしながらシャドーボクシングの真似事をするゆーき。
その背中が夕日が照らす道の向こうへと消えるのを見送ってから、私もそっと歩き出します。
その心の中にはさっきまでの自己嫌悪はなく、なんとなく気持ちも晴れやかです。
それを消して私に前へと向く勇気をくれた彼女に心の中で感謝を告げながら、私は夕飯の準備をする為にスーパーへと向かったのでした。

……
…………
………………

—— とは言っても、そう簡単に自分の心を変える事なんて出来ません。

そう思い知ったのはさらに数日後の休日の事でした。
アレから須賀君は私に何度も話しかけてくれていましたが、やっぱりぎこちない反応ばかり返してしまうのです。
勿論、以前からは多少、態度も柔らかくなったと自負していますが、それはきっと私だから分かる事なのでしょう。
実際、私の対応に須賀君はたまに傷付くような反応を見せるようになっていました。

—— 本当…仲良くなるのって大変です…。

気性があまり積極的ではないのと、これまで転校が多かった所為もあって、私には数えるほどしか友人と言えるような人はいません。
しかも、そんな彼女らと知り合えたのは彼女たちの側から積極的に構ってくれていたからでした。
運良く自発的に動かないままかけがえのない友人を作れた私にとって、積極的に誰かと仲良くなるというのは初めての挑戦です。

—— まだ…諦めた訳ではありませんけれど…。

まだ挑戦した回数も少なく、成果が出るような期間、続けた訳ではないので諦めるつもりはありません。
しかし、その一方でこれまで積極的に私へと関わってくれたゆーきたちの凄さを肌で感じる日々でした。
気性の違いという言葉では説明しきれないそれに改めて彼女たちへの感謝を感じるほどです。


—— その一方で…焦りのようなものを感じているのですけれど。

そんな彼女たちとは対照的に、まったく遅々として進まない私と須賀君の関係。
勿論、こういったコミュニケーションの経験値が少ない私が焦っても仕方のない事なのだと分かっています。
しかし、自分の知る彼女たちの堂々とした姿と自分の情けない姿というのはどうにも比較してため息を漏らしてしまうのでした。

「…はぁ」

そうやって私がため息を漏らすのは昼下がりの駅前広場です。
今日も両親は仕事で帰ってこず、一人で食事や家事を済ませなければいけません。
けれど、それをする為に必要なものを幾つか切らしており、こうして買い出しに出てきた訳です。

—— 普段はそんな事ないんですけれどね…。

基本的に日用品の類は切らす前に補充するようにしていました。
しかし、ここ最近は良くも悪くも須賀君との事で頭がいっぱいでろくにチェック出来ていなかったのでしょう。
お陰でこうして切らしていた事にも気づかず、なくなってから買い物に出る羽目になったのです。
勿論、私も女の子なので買い物そのものは嫌いではありませんが、そうやってちょっとした事で余裕をなくしてしまう自分が何とも情けなく思えるのでした。

「ねぇ、そこの君」
「…え?」

そんな私に話しかけてきた声に私は思わず聞き返しながら視線をそちらに向けました。
そこに居たのは何とも怪しいワインレッドのスーツを来た青年です。
恐らくですが、年の頃は20ちょっとといったところでしょう。
その顔はまだ若々しく、顔立ちも爽やかそうな好青年に見えました。

—— …嫌な感じです…。

しかし、それに対して好意的なものを感じないのはそこににやついたものが張り付いていたからでしょう。
まるで下心が滲み出るようなそれを私は決して見間違うはずがありません。
これまでそんな男性の視線や表情に晒され続けていた私には、そういった感情は敏感に伝わってくるのです。
どれだけ爽やかそうな顔に隠したとしても、それは変わりません。

—— だから…男性なんて…嫌いなんです…。

そんな青年の興味が私の一部分 —— 人並み以上に育った胸にあるのは分かっていました。
さっきからその視線はチラチラと私の胸に向けられ、その度に下卑た下心が強くなっていくのを感じるのですから。
そして…それは何もこの人に限った話ではありません。
私の知る男性というのは父親というものを除いて…同じような反応を見せるのですから。
勿論、この人のように露骨な反応は珍しいものの、多かれ少なかれ男性は私の胸をジロジロと見るのです。


「君、綺麗だねー。何処の子?」
「…急いでいますんで」

そんな青年から逃げようと足を早めますが、彼はずっと私の横に付き纏っていました。
それに突き放すような言葉を向けますが、彼は諦める事はありませんでした。
一見、爽やかそうな表情をその顔に貼り付けながら、下卑た視線を私へと向け続けるのです。
そのあまりの不快感に吐き気さえも覚えましたが、青年はまったく構う様子はありません。
馴れ馴れしく様子で私へと話しかけ、私の中の不快感を刺激するのです。

「ねぇ。人助けと思って話だけでも聞いてくれない?」
「お断りします」

勿論、私はこの人の人となりは分かりません。
しかし、その性根が決して褒められたものではないのははっきりと伝わってくるのです。
そんな人の話を進んでいくほど私はお人好しでも世間知らずでもありません。
きっとろくでもない話であるのは分かっているのですから、一刻も早くこの人から開放されたいのが本音でした。

「そう言わずにさー。君ならきっと思いっきり稼げるって」
「〜〜っ!」

瞬間、ぐっと手首を掴まれる感触に私の頭の中は不快感で一杯になりました。
気持ち悪い。汚い。嫌だ。
そんな感情が奥底から沸き上がって、思考が滅茶苦茶になってしまいます。
代わりに不快感に反応した私の感情が、その身体を動かしてその頬を張り倒そうとして… ——

「あっれー?カレンじゃん。こんなところでどうした?」
「え…?」

そんな底抜けに脳天気な声。
聞き覚えのあるそれに身体が硬直し、視線がそちらへと惹きつけられます。
そこにいたのはラフな私服に身を包んだ須賀君でした。
いつも通りの軽い感じで近寄ってくる彼に私は反応できず、私は呆然と須賀君を見つめていました。

—— だって私は…カレンなんて名前ではないのですから。

勿論、人違いなんて事はありません。
私も須賀君もお互いに目立つ容姿をしているので、見間違えるはずがないのですから。
例え、世の中に自分のそっくりさんが複数いると言っても、こんな長野の片田舎で出会う事はまずないでしょう。

「んで…この人誰?なんで俺の恋人の手ぇ握ってる訳?」
「え…あ…」

瞬間、ギロリと睨めつける須賀君の雰囲気は何時もとまったく違いました。
普段は軽そうな容姿の中に熱意と真面目さを混じらせる須賀君からは想像も出来ないくらい荒々しいものだったのです。
まるで本当に性根まで不良になってしまったようなそれに私の身体は強張り、どうして良いか分からなくなってしまいました。

「アンタ何処の人?まさか浮気相手とかじゃないよな」

「いや…俺は…」
「そうじゃないならとっととどっか行ってくれないか?」
「…分かった」

凄むような須賀君の言葉に青年はそっと手を離して去っていきました。
何処かおずおずとしたそれは気圧されていると言うよりは面倒になったのでしょう。
さり際に舌打ちをするその様には反省の色がまったく見えません。
それに一つ胸の奥で怒りが湧き上がるのを感じた瞬間、私の腕はそっと引っ張られました。

「…ついでだし、ちょっとお茶しようぜカレン」
「あ…」

そう行って私の手を握る須賀君の手は、熱いものでした。
微かに手汗が浮かぶそれはきっと緊張していたが故なのでしょう。
格好からして明らかに堅気の人ではなかったのですから…それも当然です。
実際、周囲には人がいたにも関わらず、割り込んできてくれたのは須賀君だけでした。
その上、普通ではない相手を凄んで退散させたとなれば、手汗の一つもかくでしょう。

—— でも…嫌じゃ…ないです…。

これがさっきの青年の手だと思ったら、今すぐ振りほどきたくなります。
しかし…これが私を不器用ながらも助けてくれた人の手だと思ったら、振りほどくのが悪い気がしました。
勿論、ベタつく手汗は不快ですし…男性に手を握られていると思うと居心地が悪くなるのは変わりません。
ですが、どうしても振り解く気にはなれず、私は素直に彼の後ろに着いて行きました。

「ほんっっっっっっっっっとうにごめん!!!!!」
「あ…」

そんな私達が広場から離れ、住宅地へと足を踏み入れた瞬間、須賀君は私の手を離し、がばっと頭を下げました。
今にも土下座しそうなその勢いに私は何を言って良いのか分かりません。
そもそも、未だ状況の困惑から立ち直り切れていない私には須賀君が何に対して謝罪しているのかさえ分からなかったのです。

「な、何で謝るんですか…?」
「勝手に手を繋いだ挙句、恋人呼ばわりしたら…そりゃ怒るだろ」

それを素直に口にする私の前で、須賀君は顔を下げたままそう返しました。
しかし、私はそれに対して怒りも何も持っていません。
幾ら私でもそれが私を助ける為の方便だと言うのは分かっているのです。
それを無視して彼に謝罪を求めるほど私は恥知らずな女ではありません。

「しかも、手汗ベタベタで気持ち悪かっただろ?あぁ…もう…せめてちゃんと拭いときゃよかった…」
「…クスッ」

後悔するようにそう付け加える須賀君の言葉に余裕はまったくありませんでした。
もしかしたら、私以上に今の状況に動揺しているのは須賀君かもしれない。
そう思うと妙に微笑ましくなって私の口から笑みが漏れてしまいます。
まるで…ゆーきの時と変わらないリラックスしたそれに自分で違和感を感じた瞬間、須賀君の顔ががばりと上がりました。

「今、和笑った!?」
「え…?」
「あー…くっそ…見逃したかぁ…」

残念そうに言いながら、須賀君はその頬を僅かに掻きました。
何処か罰が悪そうなそれはまるで悪戯がバレた子どものようです。
まるで大きな子どものようなそれに私が微笑ましいものを感じた瞬間、須賀君が漏らすように口にしました。

「優希の奴が和の笑顔を絶賛するから一度、見てやろうと思ってたんだけどなぁ…」
「…ぜ、絶賛って…」

ゆーきが私の事を必要以上に持ち上げるのは別に今に始まった事じゃありません。
しかし、そうやって他人にまでそれを口にしていると思うと顔に熱が集まるのを感じます。
カァァと羞恥を示す自分を見られるのが嫌でついつい視線を背けますが、須賀君の視線が私から外れる事はありませんでした。

「と、ともかく…別に私は怒ってなんてないですから」
「それなら良いんだけど…でも、悪かったな」

そんな須賀君を誤魔化すように口にする私に彼は再び謝罪の言葉を口にしました。
私は良いと言ったのに再び告げられるそれは彼が本当に気に病んでいるのを感じさせます。
それは恐らく私がこれまで須賀君と碌な信頼関係を構築出来ていない所為なのでしょう。
恐らく…ゆーき相手なら、彼がこれまで気に病む事はない。
そう思うと自分が逃げてきた現実を突きつけられるようで、なんとなく重苦しいものを感じました。

「それで…和は何をするつもりだったんだ?」
「えっと、お買い物に…」

それでも須賀君に応える声は何時もよりもスムーズなものでした。
さっき助けられた事で心を許すようになったのか、或いはまだ自分の心が混乱しているのか。
どちらかは自分にも分からない私の前で、須賀君は申し訳無さそうな表情を浮かべました。

「あー…それじゃ俺も付き合って良いか?荷物持ちくらいならするし」
「え…でも…」
「アイツがまた狙ってきたら面倒だしさ」

そう付け加える須賀君の言葉に私の背筋はブルリと震えました。
胸の底から蘇るような気持ち悪さに恐怖混じりの寒気を覚えるのです。
それに私は反射的に自分の身体を抱きしめますが、それは中々、なくなってはくれません。
もし、あの時に須賀君が現れなければどうなっていたかと考えるだけで…恐ろしくて堪らなくなるのです。

「あ…悪い。怖がらせるつもりはなかったんだ」
「い、いえ…」

そんな私に謝罪の言葉を向ける須賀君に、私は首を振りました。
確かに須賀君の言葉で恐怖が蘇ってきたのは事実ですが、それは私を護る為。
最悪の事態を考えての事なのですから、悪い事はありません。
寧ろ、それをまったく考慮していなかった私の方が油断しすぎと言われるべきでしょう。

「でも…須賀君は良いんですか?」
「あぁ。俺はどうせ暇つぶしにTUT○YAに寄るだけのつもりだったし」

そうあっけらかんと返す須賀君の表情に嘘はありません。
どうやら本当に暇つぶしの為に出かけていたみたいです。
それで丁度、私のピンチを救ってくれたなんてまるで少女漫画か何かみたいで現実感が湧きません。
しかし、今もまだ私の中に残る不快感がさっきの出来事を嘘だと思わせず…私に小さくうなずかせるのです。

「じゃあ、お願いします」
「あぁ。ドーンと任せてくれよ、お姫様」
「お、お姫様って…」

そう返す須賀君の言葉に私の顔は再び朱を混じらせました。
羞恥の色を強くするそれは仕方のない事でしょう。
誰だって突然、男性にお姫様呼ばわりされたら照れるか怒り出すものでしょう。
そして、私に怒るほどの気概なんてなく、こうして羞恥に頬を染めてしまうのでした。

「女の子は誰でもお姫様なんだって幼馴染が言ってた」
「そんな訳ないじゃないですかもう」

キリリと顔を引き締めて自慢げに言う須賀君に呆れるようにそう返しました。
けれど、そこに嫌なものが混じっていないと思うのは…きっと気のせいではないのでしょう。
だって、私の顔は何時もよりもリラックスして…自然に笑みを浮かべられているのですから。
流石にゆーきに対するものほどではなくても…昨日までのように強ばってはいません。

—— このままいけば…少しは改善出来るかもしれません。

不幸中の幸い…なんて言えるほど何かトラブルがあった訳ではありませんが、しかし、今の私の状態は僥倖と言っても良いくらいでした。
強張ってぎこちない返答を返す事はなく、幾分、素直に感情を表す事が出来るのですから。
それが何時まで続くのか分かりませんが、今の間に距離を縮めておくのは悪い事ではないはずです。

飽きたから休憩。

続きは不定期更新。
先に予告しとくと和は病みます。


—— 須賀君は意外と買い物に手馴れていました。

いえ、より正確に言うのであれば、『誰かと買い物に行く事に慣れていた』のです。
ほんの小さな事でも話題を見つけ、話し出してくれるのですから。
基本的に私は頷いたり、須賀君の質問に答えるくらいでしたが、それでも彼の隣に居て退屈はしませんでした。
いえ…一人で手早く済ませるはずの買い物が意外に伸びて、夕方前までズレこんでしまった事を考えれば…私はそれをきっと楽しんでいたのでしょう。

「いやー色々と買ったな」
「…すみません」

そろそろ日も落ちてしまいそうな住宅地で、私はそう謝罪の言葉を紡ぎました。
それは勿論、私が買ったものの殆どを須賀君が持ってくれているからです。
私も幾つか手荷物を持っていますが、それは須賀君の運んでくれている量とは比べ物になりません。
自分の持つ手提げのカバンよりも多少、重い程度なのですから。

「あ、違うんだ。一家まるごとってなるとこれだけ買うもんだなーって思ってな」

それを軽々と運ぶ須賀君の顔は晴れやかでした。
昨日まで私に向けられたものよりも幾分、明るいそれは彼の中の緊張が解けている事を感じさせます。
流石にゆーきに対するそれよりもまだ距離がありますが、以前のように傷ついた様子を見せる事はありません。


—— そして…それは私も同じでした。

ほんの数時間。
たったそれだけの時間を須賀君と過ごしただけで私は以前のような嫌悪感を捨て去っていました。
勿論、男性という事なので完全に警戒心をなくした訳でもありません。
実際、須賀君もたまに私の胸をチラリと見て、すぐさま視線を背けるのですから。
しかし、それに関して呆れながらも「仕方がない」と思う程度には、私は須賀君に心を許し始めていました。

「買い置きを切らしちゃってたので…」
「はは。和もたまにはそういうミスをするんだな」
「ぅ…す、須賀君には言われたくありません。…この前もチョンボしてたじゃないですか」
「うぐ…まぁ、その通りなんだけど…」

とは言え、私はまだ須賀君との距離を測りかねているのが現実でした。
ゆーきに対してはもうちょっと素直になれるのについそうやって意地を張ってしまうのです。
勿論、それはからかうような須賀君の言葉にも、私の負けず嫌いな気性にも原因があるのでしょう。
そうは思いながらも、中々、それを改善する事が出来ませんでした。

—— こんなので…良いんでしょうか…?

今まで生きてきた中で原村和という少女はこんな風に意地を張る少女ではありませんでした。
自分で言うのも何ですが、基本的に感情の起伏は少ない方であり、落ち着いていたはずなのです。
しかし、それがまるで嘘みたいに須賀君の前だと意地を張ってしまう。
まるでゆーきのように自分の違う部分を引き出されるような感覚に違和感と疑問を覚えていました。

「実際、意外だったんだよ。和って何でも完璧なイメージがあったし」
「そう…でしょうか…?」

勿論、私は完璧でも何でもありません。
寧ろ、ドン臭くて色々と失敗も多い方なのですから。
実際、須賀君に対しては失敗ばかりでもう目も当てられないくらいなのです。
さらに、距離と関係を測りかねている事を思えば、完璧なんて程遠い言葉でしょう。

「はは。まぁ、勝手なイメージだったってのは今日の事で良く分かったよ」
「む。それどういう意味ですか?」

しかし、そう思いながらも、からかうような須賀くんの言葉は看過出来ません。
元が負けず嫌いなのもあってついつい強気な言葉を向けてしまうのです。
それに須賀君はクスリと笑いながら、口を開きました。

「何処にでもいる普通で可愛い女の子って事だよ」
「か、可愛いって…」

その外見にそぐわない軽い言葉に私の頬はついつい赤くなってしまいます。
勿論、須賀君がそれを冗談で言っている事くらい私にだって分かっていました。
文脈的にも、そして微かににやけたその表情も、それを示しているのですから。
しかし、それでも私の紅潮はなくならず、ついぷいっと顔を背けてしまうのでした。


「そういう所が可愛く見えるんだよな」
「も、もう!そ、そういう事言わないでください…!」

そんな私を微笑ましそうに見る須賀君に私は強い言葉を放ちました。
しかし、須賀君の視線は私から外れず、赤くなった顔を見られてしまうのです。
それを隠したいという欲求が湧き上がりますが、しかし、私の両手も荷物で塞がっていました。
代わりにこれみよがしに大きなため息を吐きましたが、須賀君の微笑ましそうなそれが強くなるだけでした。

—— あの人に言われても…こんな風にはならなかったのに…。

あの広場で出会ったしつこい青年にも私は可愛いと言われていました。
しかし、それは不快感を煽るだけの言葉でしかなく、気恥ずかしさに繋がる事などなかったのです。
ですが…須賀君に言われると妙に胸の中がムズムズとして居心地が悪くなってしまうのでした。
不快感とはまた違ったその何とも言えない感覚に私は一つ決意しながら、須賀君の方へと向き直るのです。

「私も今日、一つ分かった事があります」
「ん?」
「…須賀君は割りと外見通りの性格をしてるって事です」

仕返しをするように放った言葉は割りと本心でした。
少なくとも軽い性格でなければ、こうも簡単に女の子の事を可愛いだなんて言わないでしょう。
勿論、それを差し引いても真面目で一生懸命な性格をしているとは思いますが、やっぱりその軽さは否定出来ません。
それが嫌であるかはまた別問題ですが、私の中で須賀君はもう『軽い人』にカテゴライズされたのでした。


「可愛い子に可愛いと言って何が悪いのか。いや、ない」
「何やら断言してますけれど…それは決して一般的ではないと思いますよ」

きっぱりと自信満々に言い放つ須賀君に私はジト目と共にそう言いました。
しかし、彼の無意味に自信に溢れた姿は決して揺るぎません。
どうやらこの程度では彼のポリシーは変わらないようです。
別に変わって欲しいなどと分不相応な事を思っていた訳ではありませんが、ここまで意思が硬いといっそ呆れてしまいます。

「でもさ。それなら誰にだったら可愛いって言っても良いんだ?」
「そ、それは…」

純粋に尋ねてくる須賀君に私は思わず言葉を詰まらせました。
確かに可愛いと思った相手に可愛いと言わなければ、誰にだって言えません。
正直が無条件に肯定される訳ではありませんが、さりとて嘘を吐く事が正しい訳ではないでしょう。
そんな私にとって一つだけその言葉を肯定出来る関係が浮かびあがりましたが、それを口にするのは中々に勇気がいる事でした。

「こ、恋人…とか…ふ、夫婦とかです!」
「かーわーいいー」
「う、うぅぅぅ…」

それでも勇気を振り絞って口にした私の前で須賀君はニコニコと笑いながらそう言います。
何処か冗談めかしたそれは、私にとって予想通りなものでした。
これまでの須賀君とのやり取りを考えれば、そうやってからかわれるのは目に見えてたのですから。
しかし、それでも、こうしてからかうように言われるとまた胸の奥底から恥ずかしさが沸き上がってくるのです。


「でも、それなら、恋人になりたい!って思ってる子が居ても、可愛いって言っちゃいけないのか?」
「そ、その辺りは…ふ、二人の親密度によるんじゃないでしょうか…」

そんな私に再び尋ねてくる須賀君の言葉に私は曖昧な言葉でそう誤魔化してしまいました。
そもそも何かはっきりとした目安があって、こんな事を言っている訳ではないのです。
私が口にしているのはあくまで自分の価値観であって、絶対的に正しいものではないのですから。
そんな風に突っ込まれても困る訳ではありませんが、曖昧な答えしか返す事が出来ないのです。

「わざわざ告白なんてしなくても、恋人に近い親密度なら可愛いって言っても良いって事か?」
「え、えぇ。それくらいだったら…まぁ…」

ですが、そんな私の言葉でも、須賀君は一応の納得はしてくれたようです。
特に具体的な何かを示した訳ではない私の言葉に神妙そうに頷いていました。
その姿を見る限り、さっきの言葉は私を虐める為ではなく、単純に疑問を口にしていたのでしょう。
何処か子どもっぽいそれが妙に可愛らしく思えた私はそっとその頬を緩め… ——

「じゃあ、和にとって『可愛い』ってのは告白に近い言葉なんだな」
「ふぇ!?」

瞬間、告げられる須賀君の言葉に私はマヌケな声を返してしまいました。
だって、それは私が須賀君の事を可愛いと思っていた事を見抜いているようなタイミングだったのです。
そんなオカルトなんてあり得ないと分かっていても、ついつい心臓がドキンと跳ね、動悸も激しくなってしまいました。

「和?」
「あ…ぅ…そ、そうです!そういう事です!!」

そんな私を心配そうに尋ねる須賀君に私は強くそう言い放ちました。
それに須賀君が首を傾げるのが視界の端で囚えましたが、そちらを見る事は出来ません。
何せ、今の私の心臓はバクバク鳴って、頭の中も冷静ではないのですから。
ゴチャゴチャになった今の状態で須賀君を見れば、また変な事を言われるかもしれません。

「だ、だから、もう可愛いとか言わないで下さい」
「えー…でもなぁ…」

それを防ぐ為に先手を取るように口にした言葉。
それに須賀君は迷うように言いながら、視線をそっと彷徨わせました。
何処か迷うようなそれは数秒ほど続き、私達の間に微妙な沈黙を流します。

「俺は和ともっと親密になりたいし」
「ふぇ…?」

瞬間、告げられる予想外の言葉に私はそう問い返しながら、須賀君へと視線を向けました。
そこには私と同じくらいに頬を赤く染めながら、視線を真正面に固定する彼の姿があるのです。
さっきまで可愛いと気軽に口にしていた彼と同一人物とは思えないそれに思わず私の胸はトクンと脈打ちました。
自分でも一体、何なのか分からないそれに疑問を感じる間もなく、私の思考は真っ赤に染まってしまいます。

「な、なな…ななななな…っ!」

しかし、そんな私が紡ぎ出そうとする言葉はロクに意味を持ちませんでした。
ただの音の羅列でしかないそれに私自身の混乱と困惑が深まっていきます。
それも…仕方のない事でしょう。
だって、私が今、されたのは遠回しの告白も同然なのですから。
勿論、それそのものでは特に深い意味はないただの独り言です。
しかし…これまでの『可愛い』連呼や、価値観のすり合わせを経た今、告げられるそれは告白以外の何者でもなくって… ——

「ば…っ!ち、違うって!べ、別に恋人になりたいとかそんなんじゃなくってな!」
「だ、だだだ…だって…」

それを須賀君が否定しますが、中々、信じる事は出来ません。
だって、さっき恥ずかしそうに口にしたそれは…私からすれば『可愛い』よりも遥かにハードルの低いものなのですから。
それをどう捉えられるかを知っていなければ、あそこまで逡巡する必要はないでしょう。
少なくとも私の価値観ではそうとしか捉えられず、こうして否定めいた言葉を口にしてしまうのです。

「お、俺はただ…和とも友達になりたいだけだ」

そんな私の前で須賀君が平静を取り戻し始めました。
その言葉にはまだ気恥ずかしさが残っているものの、さっきのような逡巡や困惑はありません。
そして、そんな彼に引っ張られるように私もまた少しずつ冷静に戻り、須賀君の言葉を素直に咀嚼できる余地が生まれるのです。

「友達…?」
「そ。折角、部活が一緒になったんだから、部活仲間ってだけじゃ寂しいだろ」

あっけらかんと口にする須賀君の言葉は私にとって大きな衝撃でした。
それは私にとってはあまり馴染みのない…いえ、もっと言えば、まったくなかった考え方なのです。
勿論、それは部活が一緒になった仲間のことを軽んじているからなどではありません。
私にとって先輩二人も…そして中学の頃の後輩たちもすべからく大事に思っているのですから。

—— …でも、それはあくまで『部活仲間』としての範疇です。

勿論、彼女たちに何かあれば、私も協力するでしょう。
しかし、それが友達かと言えば、私の中では首を傾げざるを得ません。
何かあった時に手を貸すのは吝かではありませんし、率先して動くでしょうが、それは私の中では友達ではありません。
やっぱり『部活仲間』としての括りで纏まっているのです。


—— でも…須賀君は違う…。

いえ、もっと言えば、多分、ゆーきも同じタイプなのでしょう。
人懐っこく社交的な彼女は私以外にもたくさんの友人を持っているのですから。
それはきっとこうやって誰かと仲良くなる事を肯定的に、そして日常的に行えるからでしょう。
そう思うと…とても疎外感めいたものを感じて、妙に寂しくなってしまうのでした。


「まぁ、和は美人だし、下心がないとは言わないけどさ」
「…やっぱりあるんじゃないですか…」
「しょうがないだろ。その辺は男なんだし、可愛い子を見かけたらお近づきになりたいって思うのが普通だって」

まるでそれを隠す事ではないと言わんばかりにカミングアウトする須賀君に私はジト目を向けました。
しかし、彼の調子は変わらず、その表情も当然だと告げるようなものから変わってはいません。
一体、何処の『普通』かは分かりませんが、それは須賀くんにとってごくごく当然の事のようです。
それに一つ理解できないものを感じた瞬間、私の視界に自宅の姿が入って来ました。

「あ、あそこが私の家です」
「そっか。悪いな。ここまで来ちまって」

そう須賀君が謝罪するのは私の家を知ってしまったからなのでしょう。
けれど、今更、その程度を気にするほど、私は須賀君を嫌悪してはいませんでした。
そもそも、彼が私の家を知ったからと言っていかがわしい事を企むような人とは最初から思っていません。
私が須賀君を警戒していたのはそういう事ではなく、もっと根本的なものなのですから。

「いえ…それよりこちらこそ荷物持ちをさせてすみません」
「これくらいお安いご用だって。それに和と仲良くなれるって役得もあったしな」
「もう…軽すぎですよ」

そうは呆れるように言うものの、正直、須賀君の言葉は同感でした。
色々ありましたが、こうして関係が正常化へと進んだのは何よりだと私も思っているのですから。
流石にそれを役得だと称するのはちょっと違う気もしますが、まあ、そう言われて悪い気はしません。
須賀君もまた私と仲良くなろうとしてくれているのが伝わってくるのですから当然でしょう。

「さて…それじゃここまで来たらもう変わらないし、扉の前まで運ぶけど…」
「…折角ですし、お茶を飲んで行きませんか?」
「んー…」

須賀君はここまで荷物を運んでくれただけではなく私のボディーガードも兼ねてくれていたのです。
そもそも最初助けてくれたお礼もまだちゃんとしていませんし、ここはお茶の一杯でもお出しするべきでしょう。
そう思っての言葉は須賀君の迷うような声に打ち消されてしまいました。
てっきり二つ返事でうなずかれると思っていた私はそれに微かな驚きを感じます。

「いや、止めとくよ。親御さんいないのに男あげるのはまずいだろうし」
「でも…」

その風貌からは想像も出来ないくらい真面目な言葉に私は思わずそう返してしまいました。
私だって須賀君の言葉がある意味では正しいという事くらい分かっているのです。
ですが、それでもここで何も返せないまま、須賀くんと別れるのはやっぱり心苦しいものがありました。
今日は私がお世話になりっぱなしだった分、少しくらいはお礼がしたいのです。

「あー…じゃあ、今度一緒に買物に付き合ってくれないか?」
「買い物…ですか?」

そんな私に須賀君から齎された条件は、首を傾げるものでした。
だって、私たちはついさっき一緒に買物に出かけたばかりなのですから。
何か欲しいものがあったのなら、その時に買えば良かったのです。
しかし、それでもこうして日をあらためて口にするのは… —— 

「ま、まさか…で、デート…ですか?」
「そうだって言ったらどうする?」
「ぅ…それは…」

意地悪そうな須賀君の言葉に私はどう応えていいか分からなくなります。
し、正直、まだデートとかそういうのは早いと思いますし…ま、まだ人となりも分かっていません。
いえ…そ、もそもそういう事を理解する為のデートなのかもしれませんが、で、でも、まだ出会って10日ちょっとでそれは…あまりにも早すぎではないでしょうか。
ですが…私の買い物に付き合ってくれたのに…須賀君の買い物に付き合わないて言うのはおかしな話ですし… ——

「はは。冗談だよ」
「え…?」
「幼馴染が新しいブックカバー欲しいって言ってたからそれを和に選んで欲しかっただけだ」
「ぅ…」

瞬間、ようやくからかわれたという事を悟った私の顔が赤く染まっていきます。
けれど、それはさっきとは違い、羞恥と共に悔しさを強く秘めるものでした。
それはきっと今の私の狼狽がさっきとは比べ物にならないほど大きいものだったからなのでしょう。
そう冷静に理解しながらも私の感情は止まらず、ついつい強い力を込めて唇を開いてしまうのでした。

「す、須賀君!!」
「おぉ、怖い。んじゃ、コレ以上、怒られない内に退散するわ」
「あ…」

そう言って須賀君は私の家の前にあるポストにそっとビニール袋をかけました。
そのまま早足でさっさと立ち去っていくその姿に私は何を言えば良いのか分かりません。
怒っていたのに呼び止めるのは変ですし、かと言ってこのまま見送るのも何か違います。
しかし、そうは思いながらもからかわれていた困惑から中々、立ち直る事の出来ない私の口からは中々、言葉が出て来ませんでした。

「あ、ありがとうございました!」

数秒後、私の口から出てきたのは結局、何の変哲もないお礼の言葉でした。
本来であればもっと早くに口にするべきであったそれに須賀君は振り返らずに右手をあげてパタパタと振りました。
何処か格好つけているようにも見えるそれに私の悔しさは萎えていき、クスリと小さな笑みを浮かべます。
それは須賀君の姿が曲がり角の向こうに消えるまで続いていました。

「さて…と…」

そうやって須賀君を見送った後は、荷物を家へと搬入し、片付ける作業が残っています。
しかし、日頃からそれをやっている私にとってそれは決して苦痛ではなく、ごく普通なものでした。
それに今日は色々と嬉しい事もあったので足取りは軽く、しなければいけない家事もするすると進んでいきます。
勿論、それは別に須賀君にデートに誘われたからなどではなく、と言うかそもそもアレはただの買い物で… ——

—— あれ…そう言えば…

そこでふと思い至ったのは須賀君が私を買い物に誘った理由でした。
幼馴染にブックカバーを買うのに…女の子を連れて行く…と言うのは一体、どうしてなのか。
そもそも未だに交流がある幼馴染というくらいならば趣味も把握している事でしょうし、相手の趣味も知らない私を誘うメリットなんてありません。
それでも…こうして私のことを誘ったのは…恐らく…その幼馴染が…須賀君とは違う存在だからなのでしょう。

—— …何を考えているんでしょう、私。

例え…例え、須賀君に女の子の幼馴染が居た所で何の問題もありません。
寧ろ、そうやってプレゼントを送る幼馴染が居る事に微笑ましさを感じるべきなのです。
しかし…私の胸は微かにチクリとした痛みを覚え、どうにもそんな気分にはなれません。
それを家事の忙しさを理由に思考の奥へと押し流しながら、私はその日を無事平穏に過ごしたのでした。

……
…………
………………

—— 須賀君は基本的にその傍に誰かがいる人です。

遠巻きに見ていてもはっきりと分かるくらい須賀君は何かの中心近くにいる人でした。
友人も多く、話題の引き出しも多いタイプなのですから当然でしょう。
流石にクラスみんなの人気者、という程ではありませんが、お調子者で人が良い彼を悪く思っている人はあまりいないようです。

—— …そんな事にも今まで気づかなかったんですね…。

同じクラスになってからもう二週間も経つのに、私はそんな事にさえ気づいていませんでした。
勿論、新しい環境に慣れるので必死だった…というのもありますが、それはあまり言い訳には出来ないでしょう。
それは須賀君も同じであるのに彼はもうクラスに馴染みきっているのですから。
勿論、得手不得手はあるとは言え、そんな様子にさえ気づかなかったのは自分のことで頭が一杯だったと言う理由では補え切れないものでしょう。

「のどちゃん?」
「…はい?」

瞬間、私の耳に届いたゆーきの声に私の意識は現実へと引き戻されました。
昼休みの教室では何人かが机を合わせて歓談しながら食事をしています。
その中には須賀君の姿もあり、男子たちと昨日のドラマの話で盛り上がっていました。

「また京太郎の事見てる?」
「ま、またってなんですかまたって」

ジトーと私に目を向けながら、怪しむように言うゆーきに私はついそう取り繕ってしまいます。
勿論、そうやって取り繕ったところで私がさっきまで須賀君の事をじっと見つめていた事に変わりはありません。
しかし、それでもこうして否定するのは、そんな風に言われるほどジロジロと見ていないからです。

「…最近ののどちゃんは良く京太郎の事をチラ見するじぇ」
「そ、そんな事あり得ません」

須賀君とのわだかまりが大分、解消されてからたまにその姿を視線で追う事があります。
街中でチラリと見えた金髪が須賀君ではないかと考えた事は一度や二度ではありません。
しかし、それはあくまでもたまにというだけで、毎時間やっている訳ではないのです。
精々、休み時間の内、二回に一回くらいの頻度でしょう。

「怪しいなー…」
「べ、別に何もありませんってば」

そうやって怪しむゆーきには広場で須賀君に助けてもらった事は既に告げてあります。
しかし、その終わり際にデートに誘われた事は結局、言えないままでした。
そもそも冷静になって考えれば、アレは冗談であった可能性は決して低くないのですから。
もし、そうだった場合の事を考えると立ち直れなくなりそうで、私は彼女にそれを伝えていないままでした。

「その割には…京太郎とは殆ど話さないしー?」
「ぅ…た、たまたま…です」

そしてそれを確認しようにも私は彼が目の前に立つとついつい逃げてしまうのです。
たまに彼を見る私と視線がぶつかり、私の元へと須賀君が歩いてきてくれる事もありますが、その瞬間、私はそこを離れるのでした。
仲良くなるどころか以前よりも悪化した自分の様子に、内心、ため息が尽きません。
しかし、それでも須賀君に対する態度を改善する事は出来ないままでした。

—— それをゆーきに相談しようにも…原因が原因ですし…。

須賀君の前に立つとデートの約束を思い出すから、逃げてしまうんですけれど、どうしたら良いですか。
今の私の状態を端的に相談しようとすれば、きっとそんな言葉になる事でしょう。
しかし、これをそのまま口にすれば、ゆーきにデートのことを黙っていたことがバレてしまいますし、何より気恥ずかしくて堪りません。

「もしかして京太郎に何かされた?」
「別に…そういう訳じゃないです」

心配そうに尋ねるゆーきに私はそっと首を振りました。
確かにされたと言えばされた訳ですが、それをここまで引きずっているのは私なのです。
今もこうして男子と仲良さそうに話す須賀君はいつも通りですし、私が意識しすぎなのでしょう。
しかし、そうは思っても自分の態度を改善する事は出来ず、部活でもぎこちない様子で彼と接してしまうのでした。

「じゃあ…京太郎の事嫌いになった?」
「そっ…そんな訳ありません」

変に意識してしまっているのは事実ですが、それは決してマイナスのそれではありません。
寧ろ、わだかまりが消えつつある今、彼の良さをちゃんと受け止める事が出来るようになっているのですから。
勿論、その軽さに色々と思うところがない訳ではありませんが、嫌いになったりするはずがありません。

「だったら、ちゃんと話した方が良いじぇ。アレでいてアイツ結構繊細だからな」
「そう…なんですか?」
「そうそう。実はこの前も私に『最近、和から避けられてるんだけど理由知らね?』ってメールで泣きついてきてたしな」
「そ、そうですか…」

しかし、そんな私の態度はまったく逆に受け取られてしまっているようです。
実際…こうしている今は普通にしているものの、ゆーきにメールで聞くほど傷ついているのでしょう。
そう思うと胸の奥は申し訳なさで満たされますが、かと言って自分を抑え込める自信というのはやっぱりありません。
どうしても彼の前に立つと理性が感情を上回り、みっともない姿を晒してしまうのです。

「とりあえず『理由は聞いてない』って素直に返しといたけど…本当に何もないんだな?」
「強いて言えば…私の心の問題なので…須賀君には何の非もありません」
「じゃあ…そうやってメール送るけど…良い?」
「お願いします」

それを認めるのは恥ずかしいですが、かと言って認めないままだと話は進みません。
それに私とて、このまま須賀君に誤解されたままというのは心苦しいのです。
せめてそうやって傷つく事がないように…ゆーきにはフォローしておいて欲しい。
そんな友人任せな自分に自己嫌悪を感じますが、須賀君のアドレスも知らない私にとって彼と連絡を取る手段がありませんでした。

「ほいほいっと…」
「…行儀悪いですよ」

そんな私の前で携帯を取り出してポチポチを打ち始めるゆーき。
しかし、彼女の目の前で広げられているお弁当箱には未だおかずが残っていました。
簡素なお箸をその口に咥えて携帯を使うその様は、決して行儀は良いとはいえません。
そうして私のために素早く動いてくれるのは嬉しいですが、それを咎めないという事は出来ませんでした。

「こういうのは早め早めが一番だじぇ〜」

お箸を咥えながら器用にそう言いながら、ゆーきはそっと携帯をしまいました。
その数秒後、須賀君が携帯を胸元から取り出したところを見るに、どうやらちゃんと送信出来たみたいです。
それに一つ内心で安堵しながら、私はそっと視線をお弁当箱へと戻しました。
須賀君を見ていた所為で普段よりもさらに進んでいない昼食を口へと運んだ瞬間、私の目の前でゆーきが驚いたような表情を浮かべす。

「…あ」
「え?」

その表情に反応した私がゆーきの視線をたどれば、そこには見慣れた男子制服がありました。
まだ新品の匂いを残すパリっとしたその制服はこうして椅子に座った私たちの二倍近くあります。
立っている私よりもさらに二回りほど大きいその人は何処か申し訳なさそうに私の横に立ち、その頬を掻いて… ——

「っ〜〜〜〜〜!!!!」

それを認識した瞬間、私の顔が真っ赤に染まり、椅子を蹴飛ばすように立ち上がります。
そのままだっと駆け出す私の胸には気恥ずかしさしかありませんでした。
あんな話を聞いたのにまったく学習しない自分に自己嫌悪が湧き上がる隙間すらありません。
衝動にも近いその感情に突き動かされ、私は廊下へと飛び出しました。

「和!!」
「ひゃぅ!?」

しかし、そんな私を須賀君が追いかけてくるのです。
今まで逃げたら追いかける事はなかった彼の思いもよらない反応に私は小さく声をあげました。
そのままそっと視線を後ろに向ければ、そこには凄まじい勢いで、私を追いかける彼の姿があります。
元々、私は運動が得意ではなく、また体格的にも劣っている以上、追いつかれるのは時間の問題でしょう。

—— でも、でもでもでもでも…!

ゆーきが一体、どんなメールを送ったのかは分かりませんが、きっと須賀君は怒っているのです。
私の勝手な都合で逃げまわり、ろくに話もしない私の事を怒っているのでしょう。
そう思うとどうしても足を止める事が出来ず、私は必死になって走り続けました。
まるで自分にとって最悪な現実から逃げるように…ひたすら手足を動かし続けていたのです。

「くそ…!和!止まってくれ!」

そんな私の後ろで須賀君がそう声をあげますが、私が止まれる訳がありません。
そうしてしまったら最後、私にとってつらい現実が追いついてくるのですから。
折角、仲良くなれて友達になりたいと言ってくれた人に嫌われたという…苦しい現実が。
それから逃げる為であれば普段、苦手な運動でも頑張る気力が湧き上がり、私の身体に力をみなぎらせるのです。

「…くそ!止まらないと最終手段使うからな!!良いんだな!!」

まるで最後通告のような須賀君の言葉を聞いても、私は止まりませんでした。
一体、須賀君が何をするつもりなのかは知りませんが、それはきっと私の後ろに迫る現実よりも辛いという事はないでしょう。
それが自分が逃げ続ける為の言い訳なのか、或いは本能的に何かを察知したのかは私にも分かりません。
事この期に及んでも私の中にあったのは気恥ずかしさと辛さだけだったのですから。

「和は!!!!世界一!!!!可愛い!!!!!!!」
「ふぇええ!?」

しかし、それが瞬間、全て驚きに塗り替えられてしまいました。
それも…当然でしょう。
だって、その瞬間、廊下に響いたその声は私の予想の斜め上を遥かにかっ飛んでいくものだったのですから。
廊下を駆ける私達を怪訝そうに見つめていた生徒たちもポカンとするくらいのそれは私がその場で足を止めるののには十二分過ぎるものでした。

「お淑やかなのに気が強いところも可愛い!意外と家庭的なのも可愛い!恥ずかしがる顔も最高に可愛い!」
「ちょ、ちょっと…す、須賀君!?」

しかし、そんな私を見ても尚、須賀君がその恥ずかしい言葉を止める事はありません。
それに私が後ろを振り返った瞬間、彼の身体はもうすぐそこにありました。
元々、殆ど無いに等しかったリードを一瞬の逡巡で詰められてしまったのでしょう。
そう理解した時には彼の手が私の手首を掴み、逃がすまいと握りしめました。

「よぉおおおやく捕まえたぞ、この不良娘」
「ふ、不良はそっちじゃないですか。ろ、廊下を走って…」
「和がにげなきゃ俺も走らなかったっての」

それに心が怯えながらも私はそう強気に返しました。
しかし、その程度で怯むような須賀君ではありません。
見事に正論で打ち返しながら、小さく肩を落としました。

「とにかく…話を聞いてくれ」
「…でも…」

こうやって捕まえられてしまった以上、私に逃げるつもりはありません。
いくら暴れたところで須賀君から逃げられないのはもう分かっているのですから。
しかし、それが話を聞く気に繋がるかといえば、決してそうではありません。
平静こそ装っているものの、さっきの空恐ろしい感覚はまだ私の中に残っていたのですから。

「…俺の事が嫌いならそう言ってくれ。それならもう二度と付き纏ったりしないから」
「…それ…は・…」

何処か辛そうな響きを混じらせるその言葉に私は思わず言葉を詰まらせてしまいました。
さっきゆーきがメールを送ってくれたと言っても、その不安全てを解消出来た訳ではないのでしょう。
実際、私がこうして逃げ出してしまったのだから、それも当然の事でしょう。
そう思うと驚きに固まった心の奥から良心の呵責が湧き上がり、胸の締め付けるのです。

「…須賀君こそ嫌いにならないんですか?」
「どうして俺が和のことを嫌いになる必要があるんだよ」
「だって…私…こんな風に何回も逃げて…」

私はそうやって逃げる事で須賀君が傷つくと分かりながらも、逃げるような最低の女なのです。
正直、それだけでも嫌われるに足る理由でしょう。
その上、最後通告を聞き入れず、結果的に須賀くんにも大恥を書かせてしまったのですから嫌われない理由がありません。

「それは俺が何かやらかしたからなんだろ?それを謝罪こそすれ嫌いになる必要あるか?」
「え…?」

しかし、須賀君はまるでそんな事考えた事もないとばかりにあっけらかんとそう口にしました。
心からそう思い込んでいるらしいそれに私は思わず呆然とした声を返してしまいます。
ですが、それを見ても須賀君の表情は変わらず、その表情には不思議そうなものさえ混じっていました。
それに私が安堵を感じた瞬間、足元からふっと力が抜け、その場に座り込んでしまいそうになるのです。

「おっと…大丈夫か?」
「え…えぇ…」

そんな私を腕で支えながら聞いてくるその身体は意外と逞しいものでした。
文化系とは言え、やっぱり男性な所為か、女性のものよりも遥かに硬いのです。
それに羞恥とも何とも言えない感情が湧き上がり、顔が赤く染まりました。
しかし、そうやって抱きとめられるのは決して嫌ではなく、ドクドクと鼓動が激しくなる事すら…何処か心地良いもののように思えるのです。

「それで…まぁ…俺が言いたい事は…だ」
「は、はい…」

そんなドキドキの中、気まずそうに告げる須賀君の言葉に私は緊張しながら頷きました。
これまで逃げる私を見送るだけで決して追いかけなかった彼に一体、どんな事を言われるのか。
それを思うと不安が湧き上がり、妙に落ち着かなくなってしまいます。
それでいて…期待めいた何かがあるのは…一体、どういう事なのでしょう。
自分でも分からないその感情に私がそっと胸中で小首を傾げた瞬間、彼の唇がそっと動き出しました。

理由思いつかないから飽きた
ちょっと休憩
またこのスレは

好きだ好きだといわれ続け最初は嫌だったが段々満更でもなくなってきて付き合ってあげても良いかな
と思ったら他の女と付き合い始めて「アンナニスキダッテイッタノニ……」と病んでいく京和SS下さい><

この発言を元に作られています

「心の問題とか言われて…ほっとける訳ないだろ」
「須賀君…」

ポツリと漏らすその言葉は心苦しそうなものでした。
私の不用意な言葉で彼が傷ついているのはほぼ間違いないようです。
そう思うとまた胸の痛みが大きくなりました。
しかし、それだけではない…と思うのはその中に嬉しさが混ざっているからなのでしょう。
須賀君にそうやって気にしてもらえたと思うと妙に胸の辺りが暖かくなってしまうのでした。

「難しいと思うけど…俺に出来る事があったら何でも言ってくれ…って言いたかったんだ」
「あ、ありがとうございます…」

そう付け加える須賀君の言葉に私は赤くなった顔で小さく頷きました。
しかし、それでも彼の行動全てを説明する事は出来ません。
だって、それは全てメールを送れば済むものなのですから。
ゆーき越しに伝えてもらえれば問題ないそれを伝える為にこれだけの大事をしでかしたとはあまり思えないのです。

「…でも、それだけの為にわざわざお友達放っといて近寄ってきた上に…廊下まで追いかけたんですか?」
「だ、だって…昼飯食ってる時だったら逃げないと思ったし…流石に何度も逃げられると腹が立ってさ…」

そう誤魔化すように言う須賀君の言葉は、恐らく本心なのでしょう。
しかし、その一瞬、その瞳が泳いだ事を私は見逃しませんでした。
その言葉は嘘ではないにせよ…須賀君が何か隠している事がある。
それを見て取れるその態度に私が反射的に口を開きましたが、しかし、何を言って良いかわかりませんでした。

「それより…連絡取れないのは困るし、アドレス教えてくれるか?」
「う…はい…」

そうやって逡巡している間に須賀君はそっと胸元から携帯を取り出しました。
そのまま携帯を操作するのはきっと赤外線機能を呼びだそうとしているのでしょう。
それに合わせて私も携帯を取り出しますが、赤外線機能の呼び出し方を完全に忘れていました。
基本的に限られた人ばかりと交流を深める私にとって、そんな機能は滅多に使わないものだったのです。

「和?」
「あ…お、お待たせしました…」

そう須賀君が私に尋ねてくれてからようやく私はその機能の使い方を思い出しました。
そのまま携帯の高さを合わせて数秒。
お互いのプロフィールの送受信が終わった事を知らせる画面に、私は内心、安堵のため息を吐きました。

「よし。んじゃ…これで逃げられても大丈夫だな」
「ぅ…そんな事言わないでくださいよ…」

確かに事実とは言え、そうやってからかわれると顔が恥ずかしさでまた紅潮してしまいます。
勿論、須賀君はそんな私を見たがっていると分かっていても、ついつい私は反応してしまうのでした。
けれど…そんな自分があまり嫌ではない…と思うのは一体、どうしてなのでしょうか。

「悪い。でも、まぁ…もう逃げる様子はないみたいだけど」
「え…?」

そう須賀君に言われてから私はようやく手首が解放されているのに気づきました。
そもそもそうやって解放されていなければ携帯の操作なんて出来ません。
しかし、色々と切羽詰まっていた私はそんな事にさえ気づく余裕がなかったのです。
そう思った瞬間、手首の周りが急にズキリと疼き、反射的にそこを抑えてしまいました。

「あー…悪い。痛かったか?」
「い、いえ…そんな事ありません」

須賀君が私を捕まえるときに手加減してくれていた事なんて最初から分かっているのです。
本気で握りしめられていればきっと私は今頃、痣が出来ていた事でしょう。
しかし、私が見る限り、手首には痣がなく、赤くなってもいません。
最初こそしっかりと握られたのは事実ですが、それは痣を私に残すほどのものではなかったのでしょう。

「それなら良いんだけど…」
「良くないじぇ」
「「えっ…」」

瞬間、割り込んできたその声に私と須賀君は同時に驚きの声をあげました。
聞き慣れた特徴的な語尾に視線をそちらへと向ければ、そこには見慣れたゆーきの姿があったのです。
しかし、その頬は微かに膨らみ、まるで子どものように不機嫌さをアピールしていました。


—— まぁ…それも仕方のない事でしょう。

ある程度、ゆーきには事情を言っているとは言え、一緒に食事をしている友人がいきなり席をたって逃げ出したら良い気はしません。
その上、ようやく探したと思った二人が勝手に仲直りしていたら、面白いはずがありません。
私だって逆の立場だったら、決して拗ねたくもなるでしょう。

「さっきの可愛いとか言うアレは一体、何だったんだじぇ?」
「あ、いや…それは…」

しかし、そう思う私とは裏腹にゆーきの視線は須賀君へと向けられていました。
ジトーと不機嫌さを込めるようなそれに須賀君は申し訳なさそうに口を開きます。
しかし、それから何かしら言葉が出る事はなく、数秒ほど沈黙の帳がその空間を支配しました。

「京太郎の評判が下がるのは良いけど、のどちゃんの評判まで下がったらどうするんだ!この!この!!」
「ぬあぁ!」
「ゆ、ゆーき。そんな風に怒ってあげないでも…」

そんな須賀君の態度に我慢出来なくなったのでしょう。
ゆーきはぴょんと須賀君に飛びつくようにして、その頬を引っ張りました。
勿論、それはゆーきなりに手加減しているものだと分かっているものの、人前でそんな事をするのは流石に可哀想です。
特に今回は逃げた私が一番の原因なのもあって、そうやって須賀君ばかりを責めて欲しくはありません。

「甘いじぇ。のどちゃんはもうちょっと周りを見るべきだ」
「周り…?」

そんなゆーきの言葉に私はここがようやく廊下である事を思い出しました。
瞬間、頭の中がサァと急激に冷え込んでいくのを感じます。
お陰で今までずっと自分と須賀君にしか向いていなかった意識が周りへと向けられました。

「…バカップルめ」
「くそ…もげてしまえ…!」
「リア充爆発しろ…!」
「良いなぁ…」
「まだ始まったばっかりなのに…羨ましい…」

そんな私の耳に届いた声はやっかみ半分、羨ましそうなものが半分でした。
しかし、例えどちらであったとしても、周囲から私たちへと視線を向けられているのは確かです。
勿論、今までのやり取りも…全部、聞かれていたのでしょう。
そう思った瞬間、羞恥心が一気に燃え上がり、私の思考を埋め尽くしました。

「はぅ…」
「ほら!京太郎が馬鹿な事言った所為で思いっきり誤解されてるだろー!」
「わるひゃった。はんしぇーしてる」
「反省で足りるかああああ!」

そんなオーバーヒートする私の横でグイグイとじゃれあうようなやり取りをする二人。
それに羞恥心の奥で羨ましいものを感じながらも、私は動けないままでした。
まるでタスクが処理限界近くにまで溜まったパソコンのように思考の動きも鈍いのです。
そしてまた二人もじゃれあうようなやり取りをするのに必死で、逆に周囲の注目を集めているのに気づいていません。


—— 結局、私たちはそのまま数分ほど周囲の視線に晒され、一年の名物トリオとして一日で名を馳せてしまったのでした。


今度こそ今日は終わり
このスレは京和スレだから安心してほしい
最後はちゃんと和が勝つよ

—— あの日から私の周りはほんの少し変わりました。

「原村さん、お疲れ様ー」
「えぇ、お疲れ様です」

あの日以来、こうして私に話しかけてくれる人というのは増えたのです。
それまでゆーき以外とろくに会話がなかった私にとって、それは微かな驚きでさえありました。
勿論、それはまだほんの数人 —— クラスメイトの中の極一握りでしかありません。
しかし、それでもその変化は嬉しく、私の高校生活をより良いものにしてくれていました。

「原村さんはこれから旦那のお世話?」
「だ、旦那じゃありませんっ」

勿論、そうやってからかわれるのは須賀君の事です。
あの日の可愛い連呼はクラスにまで届いてしまったのでした。
お陰で学年でも公認のカップルになってしまった私たちを彼女たちはからかってくるのです。
それに顔を赤くして反応するのがいけないと思いつつもついついやってしまうのは、そういった冗談になれていない所為なのでしょう。

「ふふ。その割りには最近、随分と仲良さそうだけど」
「アツアツで羨ましいよねー」
「う、うぅ…し、知りませんったら」

からかってくる学友たちにぷいっと顔を背けながら、私は手に持つ箒をロッカーへと入れました。
そんな私の後ろで「かーわーいーいー」なんて声が聞こえてくるのを私は無視します。
一々、そんな言葉に反応していては、今の私の日常生活はままならないのですから。
麻雀を打っている時のような冷静さを常に維持するように心掛ければ、これくらい何ともありません。

「まぁ、後始末はうちらがやるし、早く部活行っといでよ」
「そうそう。旦那さんがきっと首を長くして待ってるからさ」
「ですが…」

お疲れ様とそう言葉を交わしたと言っても、まだ掃除は終わりきってはいません。
細々とした片付けというのはまだ残っているのです。
それが終わらない内に一人だけそそくさと出て行くのはあまり気分の良くないものでした。
例え部活があると言っても、ズルをしたような気になってしまうのです。

「何時も真面目にやってくれてるんだから、ちょっとくらい大丈夫だって」
「普段、数人分働いてるんだしさ」
「そう…ですか?」

とは言え、そこまで言ってくれるクラスメイトの気持ちを無碍にするのもなんとなく気が引けました。
普段から掃除をしている事に対しての慣れがある所為か割り当てられた作業が早く終わってしまうだけなのですが…それでも厚意は厚意です。
下手に謙虚になろうとせず、受け入れるのが良いでしょう。

「分かりました。では、お願いしますね」
「はーい」
「旦那さんによろしくねー」
「だ、だから、違いますって!!」

そんな風に言葉を交わしながら、私はカバンを掴み、教室から出ました。
向かう先はここからほんのすこし離れた旧校舎の屋根裏 —— 麻雀部の部室です。
掃除当番だったので少し遅くなってしまいましたが、きっと今頃はそこにゆーきや須賀君がいる事でしょう。
そう思うとなんとなく足取りも軽く、心の中も浮かれるのが分かりました。


—— 別に…須賀君に会うのが楽しみだとかそういうんじゃありません。

勿論、クラスメイトと言うよりは身近ですし、心を許しているのもあるでしょう。
ですが、それはあくまでゆーきのものとは比べ物にならず、未だ身構える事もあるのでした。
特に旦那だの恋人だのとからかわれるようになってからはあまり人前で話したくはありません。
そんなところを見られれば、また噂になってしまうのが分かっているのですから。
せめて。不特定多数の相手がいる時には話しかけないで欲しいとそう思うのです。

「あれ?和じゃん」
「ぅ…」

しかし、そんな私の願いも虚しく、私はばったりと廊下で須賀君に出会ってしまいました。
その手に小さな袋を持っているのは恐らくゆーきから頼まれたタコスなのでしょう。
人の良い須賀君は良くゆーきに甘えられて、学食へとタコスを買いに走っているのでした。
きっと今もメンツが揃わない所為で暇だと言い出したゆーきに遣わされたのでしょう。


「こんなところで奇遇だな。これから部活か?」
「……」

そんな事を考えている間に須賀君は私の横へと立ち、気軽に話しかけてくれました。
まるで噂の事を気にしていないかのようなその姿に私は何を答えれば良いか分からなくなります。
勿論、普通に考えれば頷くべきですし、肯定の言葉ひとつでも返すべきなのでしょう。
しかし、未だに人通りの残る廊下で会話をしてしまったら、またどんな噂が出来上がるか分かりません。
それを思うとその当然のはずの反応さえ出来ず、私は無視するようにスタスタと歩き続けてしまいました。

—— あ…あわわ…ど、どうしたら…。

恐らく今の私は平静そのものの表情を取り繕う事が出来ているのでしょう。
ピクリともしない表情筋は私の自制心が無意味に強い事を教えてくれました。
しかし、その内心もまた穏やかかと言えば、決してそうではありません。
まったく予想だにしない出会いに狼狽し、返事を返せていない自分に困惑してしまうのです。

—— せ、せめて部室まで行けば…。

部室まで行けば、私と須賀君が話したところでからかう人なんていません。
ゆーきはそんな噂に危機感を覚えている側ですし、先輩二人の耳にまで届くほど大規模なものではないのですから。
ですが、未だ校内という状況で須賀君と話すなんてやっぱり出来ず、私は決して褒められない態度を取り続けてしまいます。

「のーどーかー?」
「…ぅ」

そんな私の態度に須賀君はこっちの顔を伺うようにそう言いました。
その表情には特に傷ついた様子も怒っている様子もありません。
私がこうして頑なな態度を取るのは別にこれが最初ではないのでもう慣れてしまったのでしょう。
実際、メールのやり取りそのものは一日に数回程度ですがやっていますし、以前のように心配させてはいないはずです。

「のどかわいい」
「ひゃぅっ!」

そんな事を考えている間に須賀君は焦れ切ってしまったようです。
訳の分からない新しい言葉を放ちながら、私の横でぐっと握り拳を作りました。
まるで力説しているようなその姿に周囲から視線が集まっていくのが分かります。

「必死になって平静を取り繕う和が可愛い」
「わ、分かりましたから!分かりましたからもう止めて下さい!!」

そんな須賀君の意図を察した私は狼狽を見せながらそう答えます。
恐らくその顔はもう真っ赤になって見れたものではないのでしょう。
さっき平静を取り繕えていた私からは想像も出来ないその姿に内心、自嘲が飛び出します。
しかし、やっぱり横で可愛いと連呼されるのは気恥ずかしく…何とも胸の中がムズムズするのでした。

「まったく…な、何を考えてるんですか」
「俺を無視する和に構ってもらう方法?」
「ぅ…」

遠回しに私の態度の悪さを指摘する須賀君に私は何も言えなくなってしまいます。
そもそもヤリ方はおかしいとは言え、最初に須賀君を蔑ろにしたのは私の方なのですから。
それに対して須賀君が起こしたリアクションに、私は強く打って出る事は出来ません。
そもそも悪いのは最初に無視した私であるのは自分にだって分かっているのです。

「…須賀君は周りの事気にならないんですか?」
「周りって?」
「その…夫婦とか恋人とか言われてるじゃないですか」

そうやってからかわれているのは別に私だけではありません。
須賀君の男友達もまたからかい混じりにそう言っているのです。
それに関して須賀君が不快そうな反応は —— 少なくとも私が見ている中では —— ありません。
勿論、私もそうやってからかわれるのが100%嫌な訳ではありませんが…ま、まぁ、それはさておき。
ともかく…彼もまたそれに嫌がってはいなくとも、そろそろ霹靂しているのではとそう思ったのです。

「別に気にした事ないな。寧ろ、和相手だったら光栄な話だし」
「ふぇ!?」

そんな私に答える須賀君の声はあっけらかんとしていました。
まるでそんな事欠片もないのだと言うようなそれに私の方が驚いてしまいます。
けれど、それ以上に私の胸を支配していたのは、何とも言えない恥ずかしさでした。
言外に私を持ち上げるそれに私の肌が紅潮し、熱を強くするのが分かるほどの。

「それとも本当に付き合うか?」
「ばっ馬鹿な事言わないでください!」

幾ら何でもこのタイミングでのそれは不躾過ぎます。
告白めいたその言葉は明らかにからかっているのが分かるものなのですから。
どうせならもっとロマンちっくなタイミングで言って欲しいと私は…お、思ってません。
まったく思ってませんが、しかし、その…なんというか…凄い悔しかったのです。

「はは。でも、周りに振り回されて生き方変えるのなんて窮屈だろ?」

そんな私の姿を爽やかに笑いながら、須賀君はポツリとそう漏らしました。
何処か実感を伴ったそれは彼がそうやって振り回された事があるのを私に伝えます。
見るからに軽く、こうして女性慣れもしているとは言え、須賀君も苦労していなかった訳ではないのでしょう。
それを思わせる言葉に胸が疼くのを感じながら、私はそっと視線を背けました。

「だ、だからって須賀君は周りのことを気にしなさすぎです」
「俺は和が気にし過ぎだと思うけどな」

真っ向から対立するその意見は価値観の違いからでしょう。
とは言え…私は須賀君の言っている事も正直、分からないでもありませんでした。
少なくとも周りのことを気にして話しかけてくれたクラスメイトを無視するのはあまりにもやりすぎです。
幾ら理由があるとは言え、彼が傷ついてもおかしくはないものなのですから。

「どうせ何やってもからかわれるんだからいつも通りで良いんだって」
「そう…なんでしょうか…?」

ですが、それでも私は須賀くんの言葉に素直な同意を返す事は出来ませんでした。
こういった状況にも慣れているらしい須賀君とは違い、私にとって今の状況は初めてなのですから。
これまで女子校育ちで、ゆーきと一緒に過ごしていた私には異性の噂なんてたった事がありません。
その対処の仕方も知らない私にとって、気安くクラスメイトが話しかけてくれるようになったのは嬉しいですが、どうすれば良いのか分からないのが本音でした。

「まぁ、和が本気で嫌なんだったら距離も置くけどさ」
「それは…」

とは言え、それも正直、頷き難いものでした。
勿論、私の希望を叶える為にはそれが一番である事くらい分かっているのです。
しかし、こうして気軽に私に話しかけてくれる須賀君の姿が見れなくなると思うのは…やっぱり寂しいものでした。
何だかんだ言いつつも、私は普通の部活仲間程度には須賀君に心を許し始めているのでしょう。

「そ、そのままで…良いです…」

そんな私が選びとったのは現状維持の言葉でした。
不慣れな状況と須賀君とのコミュニケーションを天秤に掛け、後者を選んだのです。
しかし、それは私にとって驚きを感じるものでした。
あれほどまでに周囲の様子を気にしていた私が、須賀君に振り回される事を選んだのですから当然でしょう。

「で、でも…これからもあんな風な態度を取るかもしれませんから…」
「分かった。その時はまた可愛いって言うよ」
「ど、どうしてそうなるんですかぁ!?」

キリリと表情を引き締めながらの須賀君の言葉に私は思わずそう返します。
何せ、それはまったく私の意図しないものだったのですから。
例え、それがからかい混じりのものであったとしても、この文脈でどうしてそうなるのかと言いたくなるのです。

「でも、別に可愛いって言ったのは今回だけの話じゃないし」
「ぅ…そ、それは…」

にやついた笑みを浮かべる須賀君に私は言葉を詰まらせました。
確かに須賀君の言う通り、私が可愛いと言われたのは一度や二度ではないのです。
いえ、あの廊下での騒動以来、人前で須賀君を無視するようになった私はほぼ毎日、言われていると言っても過言ではありません。

「それなのに俺を無視するだなんて…実は和は言われたがってるとか?」
「そっそんなオカルトあり得ません!」

からかうような須賀君の言葉に私は大きく口を開きながらそう放ちました。
まるで叫ぶようなそれは廊下に響き、何人かの生徒がこちらに視線を向けます。
それを数秒ほど遅れて自覚した私の頬はぼっと熱くなり、居心地悪そうにそっと肩を縮めさせるのでした。

「なんだ。結構、期待したのにな」
「ぅぅ…またそんな事言って…」
「嫌、コレは割りとマジな話で」

そうあっけらかんと口にする須賀君は本気で言っているようには見えません。
その表情には失望も何もなくごく普通にしているのですから。
しかし、かと言ってからかうようなものはなく、冗談とも思えません。
そんな私の前で須賀君はゆっくりと口を開き、その心を吐露してくれました。

「和も俺と仲良くなりたいって思っててくれるんだってそう思ったからさ」
「そ、それは…」

勿論、私も本心ではそう思っています。
べ、別にそれは異性としての好きとかそういうんじゃありません。
やっぱり部活の雰囲気が悪くなるのは見過ごせませんし、ゆーきの心労だって気になります。
それに…須賀君はクラスメイトですし…仲良くしておくに越した事はないでしょう。
けれど、それらを口にするには私の態度はあまりにもひどく、須賀君には伝わっていないのです。

—— 実際…話しかけて無視して言える話ではないですよね。

ついさっきも見せた私の醜態。
それを見て傷ついた様子はなくとも、彼に誤解を与えてしまった可能性は大いにあるのです。
と言うか…普通に考えれば、誰だって鬱陶しがられていると思う事でしょう。
それでも尚、私へと話しかけてくれる須賀君のタフネスさが異常なのです。


—— でも…それだって何時まで続くか分かりません…。

その須賀くんのタフネスさだって永遠に続くものではないのです。
少なくとも今のような態度を取り続けていれば、きっといつかは見限られてしまうでしょう。
それを思うと妙なもの寂しさが胸を塗り、落ち着きがなくなってしまいます。
恐らく…私は思った以上に、須賀君の事を信頼し始めているのでしょう。

—— それなら…今こそ勇気の出しどころですよ…原村和…!

丁度、こうして話の流れが来たのですから、後はそれを掴むだけ。
そう自分を叱咤しながら、私は拳に力を込めました。
微かに爪が手のひらに食い込むその痛みに、私の心は固まっていきます。
さぁ、今こそ勇気を出して可愛いと言って欲しいと言うべき時… ——

「って…な、何で可愛い言う言わないからそんな話になるんですか!?」
「チッ…もう少しだったのに」

そこでようやく論点がズラされている事に気づいた私の横で須賀君が明らかに舌打ちをしました。
まったく悪びれないその様子に私は、須賀君がからかっていたのに気づきます。
それに直前まで気付けなかった自分への気恥ずかしさと悔しさに顔が赤くなるのを感じながら、私は下手人である彼をきっと睨めつけました。

「すーがーくーんー?」
「テヘペロ」

悔しさ混じりの私の声に須賀君はまったく悪びれずそう言葉を紡ぎました。
それにさえまったく悪びれることなく冗談めかして返す彼に私はそっと肩を落とします。
完全にノセられる直前だっただけに何を言っても自分の中で悔し紛れにしか思えません。
怒れば怒るほど惨めになるという不思議な状況に私は小さくため息を漏らしました。

「まぁ、でも、俺が和と仲良くしたいのは本当なんだぜ?」
「信じられません」

付け加えるように言う須賀君の言葉は多分、本当のものなのでしょう。
そうやって彼が私と仲良くしたいというのは何もこれが初めてのものではないのですから。
とは言え、さっきの悔しさが未だ尾を引く私にはそれを素直に頷いてあげる気にはなれません。
分かっているのについつい意地を張って、ぷいっと顔を背けてしまうのです。

「じゃあ、どうしたら信じてくれる?」
「それは…」

そんな私が追い打ちをかけるような須賀くんの言葉に即答出来ないのもある種、当然の事でしょう。
だって、私は須賀君の言葉を本心では信じているのですから。
それをこうして条件に出されても、どう答えればいいのか分からなくなってしまうのです。

「毎日愛を囁けば良いのか?」
「止めて下さい」

とは言え、流石にそれは全力で遠慮したいです。
別に須賀君の事が嫌いという訳ではありませんが、愛を囁かれるような仲ではないのですから。
決して興味が無いとは言いませんが、毎日、進んで聞きたいとは到底、思えません。

「ちぇー」
「ちぇーじゃありませんよ、もう…」

そんな私の前で子どものように拗ねた声をあげながら、私たちは校舎から外に出ました。
外ではもう運動部が部活を始め、景気のいい掛け声が聞こえてきます。
それをBGMに旧校舎へと向かう私の横で須賀君はクスリと笑い、その表情をあっけらかんとしたものに変えました。

「ま…こうして掛け合いが出来るだけで今は満足しとくさ」
「…今は…ですか?」

まるでその先があるような須賀君の言葉に私はそう聞き返しました。
勿論、私だって今の状況に100%満足しているかと言えば、否です。
アドレスも交換してメールも交わすようになりましたが…私ももうちょっと彼と仲良くなりたいのですから。
ゆーきと同じくらい…とは言えなくても、普通に男友達と言えるくらいに仲を深めたい気持ちはありました。

「とりあえず当面は恋人同士が目標かな?」
「え…?」

瞬間、聞こえてきたその声に私は思わず足を止めて、須賀君の顔を見つめました。
そこは微かに朱色が混ざり、気恥ずかしそうにしている彼の表情があります。
あの日、家へと送ってくれた時と似たようなその顔に私はなんと言えば良いのか分かりません。
何か言わなければいけないのに、けれど、その言葉がまったく出なくて、身体を硬直させてしまうのです。

「は、はは。でも、俺なんかじゃ和の恋人には役者不足かな」
「そ、そんな事…」

そんな私の前で気まずそうに笑う須賀君の言葉を私は反射的に否定しようとしました。
私はそれほど素晴らしい女性という訳でもありませんし、そして須賀君はそうやって卑下するような男性でもないのです。
誰とも仲良くなれるその気質はきっと得がたいものであり、また人のために動く事を苦に思わない優しい人なのですから。
普段、冗談ばかり言っているのは減点ですが、しかし、彼がふざけてばかりいるような人ではないのはこの前、助けられた時に分かっています。
今の私にとって『人情味あふれる暖かな人物』として映る彼が自分に相応しくないとは到底、思えませんでした。

「…わ、私…は…」
「こおおおらああああああ!」

それを口にしようとした瞬間、聞き慣れた声が私の鼓膜を打ちました。
反射的にそちらに目を向ければ、そこにはこちらに全力で走ってくるゆーきの姿があります。
私よりもさらに小柄な身体を精一杯動かすようにして走るそれは普通であれば可愛らしく映るものでしょう。
しかし、その顔は鬼気迫るものが混じり、彼女が平静ではないのを私達へと伝えました。

「またのどちゃんを困らせてたな!!」
「あー…まぁ、そうかもな」

そのまま私達の傍へと到達したゆーきはそのままビシッと須賀君に指を指しながらそう言います。
行儀の悪いそれに、しかし、須賀君は咎めもせずに認めました。
けれど…私は別に困ってなどおらず、大事なことを伝えようとしていただけなのです。

「ほうほう。随分と殊勝な態度じゃないか」
「だろ?だから、お沙汰の方は寛大なものを…」
「だが、断る」
「何…!?」
「この片岡優希の最も好きな事の一つは京太郎にNOと言ってやる事だじぇ!」
「俺限定じゃねぇか畜生!!」

しかし、それを伝える前に二人はじゃれあいのようなやり取りへと移ります。
まるでさっきのそれが嘘のようなそれに私は小さな胸の痛みを覚えました。
それはきっと私が一人この状況に置いてけぼりにされているとそう思ったからなのでしょう。
ですが、そうわかりつつも、仲の良い二人の間に割って入る事は出来ず、オロオロと狼狽するだけでした。

「まったく…京太郎は目を話すとすぐこれだ。まるで発情期の犬だじぇ」
「流石にその表現には異を唱えたい」
「うるさいじぇ、犬」
「くっそ!じゃあ、お前はタコスだな!やーい!タコスー!」
「…タコスかぁ…」
「いや、悩むなよそこで」

少し前はそんなやり取りも微笑ましく見れたのでしょう。
或いは須賀君にストレートに嫉妬するだけで済んだはずです。
しかし、今の私にとって二人は仲の良い相手である所為か、どうにも複雑な気持ちで胸がいっぱいになり整理出来ません。

「っと、のどちゃん!犬に何もされなかったか!?」
「お前、まだそれを引っ張るのか」
「…私は大丈夫ですよ」

そう言葉を返す私の胸に突き刺さったチクリとした感触。
それを取り去ろうとするように胸に手を当てました。
しかし、複雑な感情の中に突き刺さったその痛みはどうしても取り去る事が出来ません。
それに胸中で一つため息を漏らしながら、私はゆーきに向かって口を開きました。

「でも、ゆーきはどうしてここに?」
「京太郎が遅いから心配になってやってきた。でも、のどちゃん口説いてて腹がたった」
「ってゆーき…聞こえてたんですか?」
「え?本気で口説いてたの!?」

そこで驚きの声をあげるゆーきの前で須賀君がそっと目をそらしました。
明らかに気まずそうな彼にゆーきのジト目が突き刺さります。
瞬間、彼は誤魔化すように口笛を吹き始めますが、ゆーきの視線は止みません。
そんな状態のまま数秒ほど見つめた後、ゆーきはそっとため息を吐きました。

「まぁ、その調子じゃ振られたんだろうけれど」
「ぐっ…まさにその通りなだけに言い返せねぇ…」
「いや…あの…」

振られたというか、私が返事をする前にゆーきが来てしまったので有耶無耶になってしまっただけ。
そう言おうとしながらも私の口からそれが言葉として出る事はありませんでした。
何だかんだ言ってそれはもう過去の話題ですし、何よりそうやって有耶無耶になった方が有難いというのも私の中に確かにあったのですから。

「それより早く部活だ!染谷先輩が首を長くして待ってるじぇ」
「っと…こら、引っ張るなって」
「ちゃんと繋いどかないと心配だから仕方ないじぇ!」
「あ…」

そう言いながらゆーきは須賀君の手を繋いでぐいぐいと引っ張ります。
何処か怒っているようなそれに私も須賀君も何も言えません。
そんな沈黙も旧校舎に入れば、なくなりました。
それまで無言で彼を引っ張っていたゆーきから少しずつ言葉が漏れるようになったのです。
彼女はあんまり根に持たないタイプなので少しずつ怒りも削げていったのでしょう。
それに内心、安堵しながら、私たちは雑談を交わしながら、麻雀部へとたどり着きました。

「ただいまだじぇー」
「すみません。遅くなりました」
「遅れてすみません」
「ぉー待っとったぞ」

三者三様の言葉をおおらかに受け止めながら、染谷先輩は私達を卓へと手招きします。
部長さんの姿はまだ見えないので一人で暇していたのでしょう。
そんな先輩の姿に胸中で一つ謝罪しながら、私は全員分のお茶を入れに向かいます。
それから四人揃った卓でいつも通りの麻雀部の活動が始まったのでした。

……
…………
………………

それからの日常は特に大した変化はありませんでした。
須賀君は相変わらず私に可愛いと言ってきますし、クラスメイトたちもそんな私達をからかってくるのです。
けれど、人間はやっぱり慣れる生き物なのでしょう。
しかし…それが少しずつ嫌ではなくなっていました。
流石に須賀君のように軽く返せるような領域には程遠いですが、受け流せるようになってきたのです。

—— それが進歩と言えるかどうかは疑問ですが…。

しかし、そうやって受け流せるようになると須賀君の言っていた意味が少しずつ分かってきました。
確かに一々、そんな事を気にしていて距離を取っていたら、正直、身が持ちません。
クラスメイトたちも私達が本気で付き合っているだなんて誰も思っていないのですから。
精々が仲の良い友人程度であって、放っておけば適当に鎮火するレベルのものだったのでしょう。
だからこそ、今の私にとって問題なのはそんな事ではなく… ——

「…!!」

ここ数日間、下校途中、ゆーきと別れてから私は妙な視線を感じるようになりました。
主に後ろから注がれるそれに振り返っても、誰の姿もありません。
しかし、そのねっとりとした視線は服の上からでもはっきりと分かるくらいに気持ち悪いものでした。
初日こそ気のせいだと思いましたが、こう何日も続くと疑う余地はありません。
私は今、明らかに誰かに見られているのでしょう。


—— …どうしてでしょう…?

それが決して好意的なものではない事くらい私にだって分かっていました。
けれど、それが一体、どうして自分に向けられているのかなんてまったく検討もつきません。
この数日間の間に私は自分の生活を何か改めた訳ではなく、接する人々も同じままなのですから。
交友関係の狭い私にとって、その理由はどうしても分からず、首を傾げるものでした。

—— …早く帰りましょう…。

例え理由が分からなくても、気持ち悪いものは気持ち悪いです。
そう思った私は駆け足気味に足を早め、帰宅を急ぎました。
しかし、それでも妙な視線はずっと私の後ろへと付き続け、不快感を与えてくるのです。
それから逃げるように走りたいのを堪えながら、私は自宅へとたどり着きました。

「…はぁ…」

そのまま自宅前の階段を上がり、扉の内側へと身体を滑りこませながら、私は一つため息を吐きました。
ここ数日間続いているとはいえ、正直、生きた心地がしません。
こうして自宅へと入る時に襲われてしまったらどうしようと思えば、心臓にも悪いくらいです。
しかし、私の監視者はそういった実力行使に出るつもりはないのか、今のところ、私を見るだけでした。


—— やっぱり…ゆーきに相談した方が…。

そう思ったのは決して今日が初めてではありません。
謎の視線に気づいてからほぼ毎日、思っていた事であったのです。
しかし、気が強く、活発な彼女に相談すれば、きっとゆーきは自分で捕まえようと無茶をする事でしょう。
それを思えば、中々、相談する事は出来ず、私は一人でそれを抱え込んでいました。

—— …両親にはさらに言えませんし…。

年度初めの今は色々とトラブルも多く、検事と弁護士の両親は引っ張りだこなのです。
そんな二人に迷惑も心配も掛けたくありませんし、何より顔を合わせる時間さえありませんでした。
最近は帰ってこない日も多く、帰ってくる日も午前様になっているのが殆どなのですから。

—— …せめて家に居てくれれば…。

多少は安心する事は出来るでしょう。
しかし、現実、多忙な両親にそれは難しいのは目に見えていました。
二人だって決して好き好んで仕事に忙殺されている訳ではないのは知っているのですから。
そんな状態で私の不安を伝えたところで、二人の心労を増やすだけでしょう。


—— …本当…どうしましょう…。

これがまだ明らかな悪意があって襲い掛かってくるものであれば、私もすぐさま警察に相談する事が出来たでしょう。
しかし、今現在は監視するだけであって、特にそのようなものを加える様子はありません。
もしかしたら私の自意識過剰かもしれないそれで警察に相談する事なんて出来ませんでした。
結局、どうしようと思いながらも私が選べるのは我慢するという事だけです。

「…はぁ…って…あれ?」

それにため息を吐きながら、玄関内側のポストを開けた瞬間、白い封筒がありました。
宛名も切手もないそれにはただ一言、『原村和へ』とだけ書かれています。
朝に確認した時にはそんなものはなかったので、私が学校へ行っている間に誰かが自分で入れたのでしょう。
しかし、郵便システムが全国的に網羅された今、そんな事をする必要があるとは思えず、私はそれに気味悪さを感じていました。

—— でも…開けない訳には行かないですよね…。

それが急ぎの手紙で郵便局に預ける暇すら惜しいものだという可能性もあるのです。
勿論、携帯がこれだけ普及した今、そんな事はまずないのだと私にも分かっていました。
けれど、可能性がある以上、それを無碍に扱うわけにもいかず、私は玄関に置いてあるレターナイフでそれを慎重に開けていきます。


—— …手紙と…写真?

そのままそっと覗き込めば中には手紙と写真らしきものが見えました。
その内、手紙を引き出して開けばそこには簡潔な文章が書かれています。
まったく何の挨拶もなく、ただ自分の要件だけを告げるそれは… ——

—— 須賀京太郎は君には相応しくない。即刻別れろ。

警告するようなその言葉はパソコンで印字されています。
まるで自分の筆跡を隠そうとするようなそれは私に危機感を与えませんでした。
それは現実感が伴わず、一体、相手が何を言いたいか分からないものだったのです。

—— だからこそ、手紙の奥からそれが出てきた時、私は強い衝撃を受けました。

「ひっ」

思わずそう悲鳴をあげるのは疑問に思った私が傾けた手紙の奥から写真が出てきたからです。
それは恐らく何の変哲もない日常を切り取った一枚の写真だったのでしょう。
しかし、それはもう判別がつかないくらいにバラバラにされており、この手紙の主が彼に強い敵意を持っている事を教えました。
敵意というよりは殺意に近いそれを感じた私は私はそう身体を強張らせます。


—— け、警察に連絡しないと…。

私ではない誰かに凄まじい怨念を向ける手紙の主。
それが私を監視している誰かなのかは私には分かりません。
しかし、ここまでエスカレートした以上、放っておく訳にはいかないのです。
だって、その写真に映っていたのは私ではなく… ——

「須賀君…」

恐らく…元は何時ものあっけらかんとした表情を浮かべていたのであろう写真。
しかし、それはもう無残にバラバラにされ、その面影を感じる事さえ出来ません。
まるで警告に従わなければ須賀君がこうなるのだと教えるようなそれに私はブルリと震えます。
恐怖を強く浮かべるそれにどうすれば良いのか分からなくなって、その場にうずくまってしまいたくなりました。

—— でも…私…!

この手紙の主がどういうつもりなのかは分かりませんが普通の相手ではありません。
それから須賀君を護れるのは私だけであり、怯えている場合ではないのです。
そう自分を叱咤しながら私は携帯を取り出し、警察に連絡を取るのでした。


飽きたから今日はこれまでー
話の進みは遅いし即興速度が足りなくてごめん
一応、こう言ったルートで病ませるってのは考えてるけど、そこに至る肉付けとかは曖昧なんで展開予想とかは実はネタになるんで嬉しい
ただ、血なまぐさい事にはならないし、タコスも悪い子じゃないよ


……
…………
………………

それからの日常は特に大した変化はありませんでした。
須賀君は相変わらず私に可愛いと言ってきますし、クラスメイトたちもそんな私達をからかってくるのです。
けれど、人間はやっぱり慣れる生き物なのでしょう。
そうやって過ごす日常が少しずつ嫌ではなくなっていました。
流石に須賀君のように軽く返せるような領域には程遠いですが、受け流せるようになってきたのです。

—— それが進歩と言えるかどうかは疑問ですが…。

しかし、そうやって受け流せるようになると須賀君の言っていた意味が少しずつ分かってきました。
確かに一々、そんな事を気にしていて距離を取っていたら、正直、身が持ちません。
クラスメイトたちも私達が本気で付き合っているだなんて誰も思っていないのですから。
精々が仲の良い友人程度であって、放っておけば適当に鎮火するレベルのものだったのでしょう。
だからこそ、今の私にとって問題なのはそんな事ではなく… ——

「…!!」

ここ数日間、下校途中、ゆーきと別れてから私は妙な視線を感じるようになりました。
主に後ろから注がれるそれに振り返っても、誰の姿もありません。
しかし、そのねっとりとした視線は服の上からでもはっきりと分かるくらいに気持ち悪いものでした。
初日こそ気のせいだと思いましたが、こう何日も続くと疑う余地はありません。
私は今、明らかに誰かに見られているのでしょう。

—— …どうして…?

それが決して好意的なものではない事くらい私にだって分かっていました。
けれど、それが一体、どうして自分に向けられているのかなんてまったく検討もつきません。
この数日間の間に私は自分の生活を何か改めた訳ではなく、接する人々も同じままなのですから。
交友関係の狭い私にとって、突如として生まれたその変化の原因ははどうしても分からず、首を傾げるものでした。

—— とにかく…早く帰りましょう…。

例え理由が分からなくても、気持ち悪いものは気持ち悪いです。
そう思った私は駆け足気味に足を早め、帰宅を急ぎました。
しかし、それでも妙な視線はずっと私の後ろへと付き続け、不快感を与えてくるのです。
それから逃げるように走りたいのを堪えながら、私は自宅へとたどり着きました。

「…はぁ…」

そのまま自宅前の階段を上がり、扉の内側へと身体を滑りこませながら、私は一つため息を吐きました。
こうした逃亡劇はここ数日間続いているとは言え、正直、生きた心地がしません。
自宅へと入る時に襲われてしまったらどうしよう、という不安は毎回、私の心臓を襲うのですから。
しかし、私の監視者はそういった実力行使に出るつもりはないのか、今のところ、私を見るだけでした。

—— やっぱり…ゆーきに相談した方が…。

そう思ったのは決して今日が初めてではありません。
謎の視線に気づいてからほぼ毎日、思っていた事であったのです。
しかし、気が強く、活発な彼女に相談すれば、きっとゆーきは自分で犯人を捕まえようと無茶をする事でしょう。
それを思えば、中々、相談する事は出来ず、私は一人でそれを抱え込んでいました。

—— …両親にはさらに言えませんし…。

年度初めの今は色々とトラブルも多く、検事と弁護士の両親は引っ張りだこなのです。
最近は帰ってこない日も多く、帰ってくる日も午前様になっているのが殆どでした。
日頃よりもさらに多忙に過ごす両親にこの事を言っても、心配させてしまうだけでしょう。

—— …せめて家に居てくれれば…。

多少は安心する事は出来るでしょう。
しかし、現実、多忙な両親にそれは難しいのは目に見えていました。
二人だって決して好き好んで仕事に忙殺されている訳ではないのは知っているのですから。
だからこそ、私は二人に余計な心配を掛けない為にもそれをそっと自分の胸の内に仕舞い込んでいました。

—— …本当…どうしましょう…。

これがまだ明らかな悪意があって襲い掛かってくるものであれば、私もすぐさま警察に相談する事が出来たでしょう。
しかし、今現在は監視するだけであって、特にそのようなものを加える様子はありません。
もしかしたら私の自意識過剰かもしれないそれで警察に相談する事なんて出来ませんでした。
もし、それが私の思い違いであった場合、醜聞となって襲い掛かるのは私だけではなく、普通よりも責任ある職業に就いている両親もなのですから。
それを思うと、結局、我慢する道が最良に思えてしまうのです。


「…はぁ…って…あれ?」

それにため息を吐きながら、玄関内側のポストを開けた瞬間、白い封筒がありました。
宛名も切手もないそれにはただ一言、『原村和へ』とだけ書かれています。
朝に確認した時にはそんなものはなかったので、私が学校へ行っている間に誰かが自分で入れたのでしょう。
しかし、郵便システムが全国的に網羅された今、そんな事をする必要があるとは思えず、私はそれに気味悪さを感じていました。

—— でも…開けない訳には行かないですよね…。

それが急ぎの手紙で郵便局に預ける暇すら惜しいものだという可能性もあるのです。
勿論、携帯がこれだけ普及した今、そんな事はまずないのだと私にも分かっていました。
けれど、可能性がある以上、それを無碍に扱うわけにもいきません。
そう自分に言い聞かせながら、私は玄関に置いてあるレターナイフを使い。それを慎重に開けていきます。

—— …手紙と…写真?

そのままそっと覗き込めば中には手紙と写真らしきものが見えました。
その内、手紙を引き出して開けばそこには簡潔な文章が書かれています。
まったく何の挨拶もなく、ただ自分の要件だけを告げるそれは… ——

—— 須賀京太郎は君には相応しくない。即刻別れろ。

警告するようなその言葉はパソコンで印字されています。
まるで自分の筆跡を隠そうとするようなそれは私に危機感を与えませんでした。
それは恐らくその無味乾燥な文章に現実感が伴っていないからなのでしょう。
その文章の意味は勿論、理解していましたが、一体、何を言いたいか分からないものだったのです。

—— だからこそ、手紙の奥からそれが出てきた時、私は強い衝撃を受けました。

「ひっ」

思わずそう悲鳴をあげるのは疑問に思った私が傾けた手紙の奥から写真が出てきたからです。
それは恐らく何の変哲もない日常を切り取った一枚の写真だったのでしょう。
しかし、それはもう判別がつかないくらいにバラバラにされており、この手紙の主が被写体に強い敵意を持っている事を教えました。
いえ…それはもう敵意というよりは殺意に近いものなのでしょう。
並の敵意であれば、こんなにも執拗に写真を切り刻んだりしないのですから。

—— け、警察に連絡しないと…。

私ではない人に凄まじい怨念を向ける手紙の主。
それが私を監視している誰かと関係しているのかは私には分かりません。
しかし、ここまでエスカレートした以上、放っておく訳にはいかないのです。
だって、その写真に映っていたのは私ではなく… ——

「須賀君…」

恐らく…元は何時ものあっけらかんとした表情を浮かべていたのであろう写真。
しかし、それはもう無残にバラバラにされ、その面影を感じる事さえ出来ません。
まるで警告に従わなければ須賀君がこうなるのだと教えるようなそれに私はブルリと震えます。
いきなり底知れぬ敵意を知った恐怖に私は完全に怯えていました。
正直、どうすれば良いのか分からず、その場に蹲ってしまいたくなるくらいです。

—— でも…私…!

この手紙の主がどういうつもりなのかは分かりませんが、到底、普通の相手とは言えないでしょう。
そんな誰かの手から須賀君を護れるのは彼が敵意を向けられている事実を知った私だけなのです。
そう思ったら…玄関先で蹲っていられません。
少なくともこの異常な状態を警察に伝えなければいけない。
そう自分を叱咤しながら、私はカバンから携帯を取り出し、警察へと連絡を取るのでした。

後半あまりに酷すぎたのでちょっと書きなおし
集中力切れてたとは言え、ろくな文章じゃなかった
正直、申し訳ない
ただ書きなおしたと言っても、展開的に変わるもんじゃないんで読まなくても大丈夫
後、何かそうした方が面白そうなイベントを思いつかない限りこのスレは咲さんではなく咲ちゃんです

明日は投下出来たとしてもちょびっと
明後日はがっつり投下する(予定)


—— 警察が市民の味方なんて言うのは大嘘なのだと私は昨日、悟りました。

あの手紙から急いで警察へと連絡したのですが、彼らはマトモにとりあってはくれません。
どれだけ必死に訴えても、それだけで捜査したりは出来ないという一点張りでした。
一応、付近のパトロールを強化するとは言ってくれましたが、それで事件が未然に防げるなら世界はもっと平和になっているでしょう。
父が日頃、「警察は事件が起きてからが仕事」」とぼやいていた気持ちが今の私にはよく分かります。

—— 私よりも…危ないのは須賀君の方かもしれないのに…。

勿論、そうやって私を護る為に少しでも動いてくれるのは有難い話です。
しかし、明らかな敵意を向けられているのは私ではなく、須賀君の方なのですから。
その為にも何とか捜査して欲しかったのですが、結局、私にはその言葉を引き出す事は出来ませんでした。

「はぁ…」
「…どうしたんだ?」

それに思わずため息を吐いてしまう私の横でゆーきが心配そうにそう言ってくれました。
放課後になるまでもう何回もため息を吐いている私の様子が変なのはゆーきも気づいてくれているのでしょう。
こうして私の事を心配してくれる言葉も今日何度目かのものでした。


—— いっそ…全てを打ち明けてしまいましょうか…。

警察があてにならない以上、須賀君た自分の身を護る為には自分の手でなんとかしなければいけません。
しかし、それは一人では到底、出来ないものなのです。
私は所詮、つい一ヶ月前高校生になったばかりの子どもに過ぎず、また運動だって得意ではないのですから。
こういった事に対処する知識もない以上、誰かの手を借りるのが一番です。

—— きっとゆーきは…言えば助けてくれる事でしょう。

そんな私にとって一番の友人と言っても良い彼女に話せば、きっと一も二もなく助けてくれるのは分かっていました。
しかし、それはゆーきを事件に巻き込むという選択肢である事を思えば、中々、思い切る事は出来ません。
もし、ゆーきが怪我でもしてしまった日には悔やんでも悔やみきれない事になるのですから。

「…何でもありません」
「そっか…」

結局、私がたどり着いた答えはゆーきの心遣いを無駄にするものでした。
それにゆーきが寂しそうに返事を返すのは私が決してなんでもないような状態ではない事を理解しているからなのでしょう。
けれど、やっぱりゆーきをこの事件に巻き込みたくはありません。
小柄で快活な彼女はそういう事に無縁であって欲しいのです。


—— でも…どうしましょう…。

友人と言える人がゆーき以外に殆どいない私にとってそれは答えの出ないものでした。
一人ではどうにも出来ない以上、誰かの手を借りなければいけないのですが、それを頼めるような相手なんてゆーき以外に思いつきません。
そして、そのゆーきの協力を自分自身で拒んでいる私にとって、その思考は袋小路にも近いものでした。

「あれ?二人ともどうしたんだ?」
「えっ…」

そんな私達に話しかけてきてくれたのは、不思議そうな顔をした須賀君でした。
その手にゴミ袋を持っている辺りから察するにもう掃除当番の仕事は終わらせたのでしょう。
軽そうな外見とは裏腹に真面目な須賀君はちゃっちゃと掃除を終わらせるタイプなのですから。
学食でタコスを注文し、それが焼きあがるのを待っていた私達に追いつくのはそう難しい事ではありません。

「やけに暗い顔してるけど…なんかあったのか?」
「それは…」

気安くそう尋ねる須賀君に私は言葉を詰まらせました。
当事者に近い立場にいる須賀君にはあの脅迫状の事を話しておいた方が良いかもしれないと思ったのです。
しかし、近くにゆーきがいる以上、そんな真似は出来ません。
自分にだけ悩みを打ち明けられず、須賀君にだけ打ち明けるのは仲間はずれにするのも同然なのですから。
例え、仕方ない理由があったとしても、それを納得して受け入れるのは難しいでしょう。

「…何でもないじぇ。それより京太郎はゴミ出しか?」
「あぁ。焼却所は旧校舎に近いし」

かと言って、部活のついでに出して来ると言える人がどれだけいるでしょうか。
例え一日にも満たない間とは言え、30人以上のゴミが入ったその袋はそれなりに重いのです。
それを掃除当番の度に運ぶのは、あんまりやりたくないとは言えません。
しかし、そういう嫌な部分を進んで引き受けられるマメな部分があるからこそ須賀君は人に好かれるのでしょう。

「ま…食べ物の近くにゴミがあるのはいい気分じゃないだろうし先に…」
「あ…ま、待って下さい!」
「ん?」

いつも通りおやつ分のタコスが入った袋を持つゆーきに気を遣ったのでしょう。
須賀君はそう言いながら足を早めて、私達を追い抜こうとしました。
その背中に思わず声を掛けて呼び止めれば、須賀君とゆーきが不思議そうな顔をします。
それに私は自分が普段よりもはるかに強い語気の篭った言葉で須賀君を呼び止めた事を自覚しました。
瞬間、頬が朱を差し、気恥ずかしさが湧き上がっていく中で、私はぼそぼそと口を開くのです。

「あ、あの…話があるので…須賀君と一緒に行っても良いですか?」
「俺は構わないけど…」

そう言って須賀君がチラリとゆーきに視線を向けました。
何処かその表情を伺うようなそれは私達の仲たがいを心配してくれているのでしょう。
基本的にゆーきと一緒にいる私がいきなりそんな事を言い出したのですから当然です。
ましてや、須賀君の言葉を借りれば、二人共暗い顔をしていたのですからなおさらでしょう。

「犬がのどちゃんにセクハラしないか心配だけど…」
「まだそのネタ引っ張るのか、お前は」

そんな須賀君に視線を返すゆーきの表情は明るいものでした。
普段とさほど大差ないそれは、恐らく意識して浮かべているものなのでしょう。
その声の微かなですが、はっきりと上擦っており、彼女の動揺を伝えていたのですから。
それに胸が鈍痛を訴えますが、やっぱりゆーきは巻き込めません。
長野で唯一の友人と言っても良い彼女だからこそ、私はどうしても言えなかったのです。

「ま、ゴミの匂いがタコスに移っちゃうのも嫌だし、私は先に行くじぇ」
「…ごめんなさい」
「気にする必要はないじぇ!あ、でも、京太郎にセクハラされたらすぐに言うんだじょ」
「しねぇよ」

そう言って駆け出すゆーきの背中はすぐさま小さくなって行きました。
そんな背中に心の中で何度も謝罪の言葉を紡ぎますが、それが彼女に届く事なんてありません。
言葉にしたって100%伝えられるか分からないそれを黙っていて理解出来るなんてオカルトありえないのですから。
しかし、それでも疼く胸の痛みには耐えられず、私は何度も胸中で彼女に謝罪を繰り返しました。

「…で、随分と深刻そうだけど…どうしたんだ?」
「それは…」

ゆーきが消えてから私へと向き直る須賀君の表情は心配そうなものに溢れていました。
それはもう仲違いを心配するものではなく、私の状況を案じるものへと変わっています。
恐らく、さっきのゆーきの姿から仲違いしていた訳ではない事を悟ってくれたのでしょう。
そんな須賀君の前で私は大きく深呼吸してから、ゆっくりと家を開きました。

今日は終わり
明日は頑張る

あ、ごめん
口だ…申し訳ない;;

ちょっと腎臓辺りが痛くてまったく集中出来ないから延期させて欲しい
マシになったら明日にでも書く
長期帰って来なかったら入院か何かだと思ってください


「…で、随分と深刻そうだけど…どうしたんだ?」
「それは…」

ゆーきが消えてから私へと向き直る須賀君の表情は心配そうなものに溢れていました。
それはもう仲違いを心配するものではなく、私の状況を案じるものへと変わっています。
恐らく、さっきのゆーきの姿から仲違いしていた訳ではない事を悟ってくれたのでしょう。
そんな須賀君の前で私は大きく深呼吸してから、ゆっくりと口を開きました。

「あの…まずはこの手紙を見てもらえますか?」
「手紙…?」

そう言って私がカバンから出したのは透明な袋に包まれた例の手紙でした。
朧気な知識からそれが証拠になるかもしれないと思った私は出来るだけ指紋がつかないように袋に入れて保存していたのです。
それをこうして学校へと持ってきていたのは、何だかんだでゆーきに頼りたい気持ちがあったからなのでしょう。
その気持ちをもう過ぎたことだと振り払いながら、私は須賀君にそれを手渡しました。

「…なんだこれ?」

それに対する須賀君の反応は呆れに近いものでした。
恐らく彼もまた私と同じように現実感が湧いていないのでしょう。
特に須賀君の場合、視線を感じたりした訳ではないのですから尚更です。

「昨日…その手紙にバラバラになった須賀君の写真が同封されてました」
「え…?」

しかし、それは紛れもなく害になりえるもの。
それを伝える私の声に須賀君は驚いた声をあげました。
そのまま私の顔と手紙を数秒ほど見つめる彼は恐らくまだ信じる事が出来ていないのでしょう。
私も逆の立場であれば、すぐさま鵜呑みにする事なんて出来ません。

「…マジか?」
「本当です。流石に現物は手元にはありませんけれど…」

信じられないように口にする須賀君の前で私は小さく頷きました。
手紙とは違い、事情を説明するのに必要ない写真は家の中に置いてあり、手元にはありません。
しかし、それでも彼は私の荒唐無稽な話を信じてくれたのでしょう。
一つ頷いた彼はさっきよりも強い感情をその目に浮かべながら、口を開きました。

「和は大丈夫なのか?」
「えっ…?」
「だって、これストーカーだろ?」

そう心配そうに尋ねる須賀君は狙われているのが怖くないのでしょうか。
本来ならば、私よりも彼の方が危ない立場なのです。
明確な害意を向けられているのは私ではなく、須賀君の方なのですから。
まず気を配るべきは私の事ではなく、自身の安全のはずです。

「何か周りでおかしな事とかないか?誰かに見られたり、勝手に家の中の配置が変わっていたり…」

しかし、須賀君はそんな私の考えがまったく通用しない相手のようです。
困惑する私の前で真摯に聞いてくるその表情は、とても心配そうなものでした。
まるで自分よりも私の方が大事だと言うようなそれに私の胸が小さく疼き、締め付けるような痛みを覚えます。

「和?」
「あ、いえ…ごめんなさい。最近…変な視線は感じます」
「って事は…ほぼ間違いなくストーカーなんだな」

そう答える私の前で須賀君が小さく頷きながら、ぐっと歯を食いしばります。
その表情は普段の明るく朗らかな彼からは想像も出来ないくらい厳しいものでした。
まるで心の内側から湧き上がる怒りを抑えようとしているようにも感じるその姿に私は思わず…口を開いてしまいます。

「あの…怖くないんですか?」
「え…?何がだ?」
「狙われているのは須賀君の方なんですよ?」

勿論、そうやって私のことを心配したり、私の代わりに怒ってくれるのは嬉しいです。
ですが、私にとってはそれ以上に今現在危機にさらされているかもしれない須賀君の方が心配でした。
嬉しいのは嬉しいのですが、もうちょっと自分の身を顧みて欲しい。
そう思っての言葉に須賀君はキョトンと不思議そうな顔をしました。

「いや、狙われてるのは俺じゃなくて和だろ」
「いえ…でも…」
「勿論、和が嘘を吐いてるなんて思ってねぇよ。ただ…この文面だと俺は最悪、和と距離を取れば逃げられる」

そう冷静に分析するような声は…微かに震えていました。
恐怖ではなく怒りを込めるそれは須賀君が感じているその感情がとても大きなものである事を感じさせます。
今にもそれをぐしゃぐしゃにしたいのを堪えるようなそれを抑えるように須賀君は大きく深呼吸しながら、再び言葉を紡ぎ始めました。

「でも、コイツがストーカーだとしたら、和が逃げるのは難しい。だから、ここで心配するべきは俺じゃなくて和の方だ」

きっぱりとそう告げる言葉は多分、私よりも幾分、冷静なものなのでしょう。
怒りに震えていると言っても、その言葉は私よりも論理的でしっかりとしたものでした。
逆に自分が平静ではなかった事を思い知らされるそれに私は微かな感心を覚えます。
ですが、同時にこの得体のしれない相手から逃げられないという恐怖を突きつけられ、私の肩が小さく震えました。

「っと…悪い…。またデリカシーがなかったな」
「いえ…須賀君の言葉は事実でしたし…」

何より、私はそんな当たり前の事すら気づく事が出来なかったのです。
それを思えば、今ここでそれを教えてくれる須賀君の言葉は有難いものでした。
勿論、怖い事は怖いですが、それを一人の時に思い浮かべるよりも遥かにマシです。
少なくとも目の前に須賀君がいる今、それが後を引く事はないのですから。

「有難うな。後…警察にはもう連絡したのか?」
「はい。でも…これだけで逮捕するとかは難しいみたいで…」
「そうか…。未だ犯罪とは言いがたいもんな…」

そう返す須賀くんの言葉は残念そうなものに満ちていました。
今の時点で警察が動いてくれれば、全てが解決するのですからそれも当然でしょう。
しかし、現実、彼らは動いてはくれず、私たちの身は相変わらず危険に晒されたまま。
それに失望を感じるのは決して私だけではなかったのでしょう。

「この話、優希にはしたのか?」
「いえ…出来るだけゆーきは巻き込みたくなくって…」
「…そうか」

須賀君も私たちの様子が変であった理由に気づき始めたのでしょう。
そう小さく返す言葉は意外そうなものではなく、寧ろ納得に近い感情が滲み出ていました。
それに私がシュンと肩を縮めるのはなんとなく咎められている気がしたからです。
勿論、彼にそんなつもりがないのは私にだって分かっていました。
けれど、そうする方が正しい事もまた理解出来るが故になんとなく居心地が悪いものだったのです。

「でも、ゆーきには話して協力して貰った方が良い」
「ですが…」
「勿論、危ない事には関わらせはしねぇよ」

私の懸念など須賀君にはお見通しだったのでしょう。
否定を返そうとする私の言葉を遮るようにそう言ってくれました。
安心させるような力強いその言葉に私は安堵を感じ、言うべき言葉を見失ってしまいます。

「でも…和。お前、最近、眠れてないんだろ?」
「っ…!」

そんな私に告げられる言葉は疑問言うよりは確認に近いものでした。
それに思わず身を強ばらせてしまった時点で、もう私の負けなのでしょう。
何よりもはっきりと認めるような反応を見せて尚、否定の言葉など紡げません。
どれだけそれらしい言葉を語っても、白々しいだけなのは目に見えていました。

「ストーカー被害にあってるんだから当然だ。何も責めてる訳じゃないって」
「ぅ…」

宥めるように言う須賀君の前で私は顔を赤く染めてしまいます。
恐らく今の私の反応は、彼が思わずフォローをいれてしまいくらいにオーバーなものだったのでしょう。
自分ではまだまだ余裕があるつもりでしたが、思ったより追い詰められている。
それを羞恥と共に嫌というほど教えこまれた私の顔がそっと俯きました。

「親御さんが帰ってこない日だけでも優希に泊まって貰えば和も安心だろ?」
「そう…ですけど…」

確かに須賀君の言う通り、私はここ最近、眠れていません。
眠っている間にあの視線の主が家へと忍び込もうとしているかもしれないと思うと不安でどうにかなってしまいそうなのですから。
それでも二三時間ほどは意識を失うように眠りますが、眼の下に出来るクマは消せません。
母から譲り受けた化粧道具で出来るだけ目立たないようにしてきましたが、もう須賀君の目にも分かるくらいにはっきりとしたものになっていたのでしょう。

—— そしてゆーきが居れば…そんな日にも終止符が打てるのです。

私が眠れないのは夜一人で家にいるからです。
しかし、ゆーきが居れば幾らか安心して眠る事も出来るでしょう。
それは須賀君に言われずとも、ちゃんと理解している事でした。
ですが、そうやって私の家に泊まってもらおうとするとゆーきに少なくない迷惑が掛かってしまうのです。

「もし、迷惑とか考えてるんだとしたらお門違いだぞ」
「えっ…」

そんな私の心に気づいたような須賀君の言葉に私は驚きながら顔をあげました。
そこにあったのは何処か微笑ましそうな優しい笑みです。
さっきの怒りとはまた違った暖かなその表情に固まる私の前で須賀君はゆっくりとその口を開きました。

「アイツは最近、和の様子が変だってずっと心配してたんだからな」
「ゆーきが…」

そんな様子なんて今までありませんでした。
ここ数日のゆーきはいつも通り明るいものだったのですから。
しかし、それはきっと彼女なりの気遣いだったのでしょう。
私が自分から相談するまで待ってくれていたのです。

—— そして…溜まりに溜まったそれは我慢できなくなったのでしょう。

恐らく…今日、何度も私の様子を尋ねてきたのは今までの積み重ねがあったからなのです。
そして、それを無碍にする度に彼女が悲しそうな表情を見せたのはそれだけ我慢を重ねていたからなのでしょう。
そう思うと再び胸の中が申し訳なさで一杯になり、ゆーきに謝罪したくなりました。
けれど、近くに彼女の姿はなく、謝罪したくてもする事は出来ません。

「だから、それくらいは頼っとけ。その方が優希も喜ぶだろうしさ」
「…はい…」

そのもどかしさに俯く私の前で須賀君が軽く言葉を紡ぎます。
まるで言い聞かせるようなそれに抗う感情は、もう私の中にはありませんでした。
勿論、未だ迷惑や危ないかもしれないという感情は私の中に残っています。
しかし、それ以上にゆーきにこれ以上心労を掛けたくないという気持ちの方が強く、私は彼女に頼る事を決めたのでした。

「んで、良ければ俺はその間、和のボディガードを努めようと思うんだけど…」
「えっ…」

しかし、次の瞬間、告げられた須賀君の言葉に私は即答する事が出来ませんでした。
だって、私はこれで須賀君と終わりだと思っていたのです。
例え狙われているのが私であったとしても、その害意は今、彼の方に向いているのですから。
それから身を守る為には事件が解決するまで疎遠になるのが一番でしょう。

「あ、も、勿論、ボディガードつっても家の中まで上がるつもりはないぜ?ただ、学校の送り迎えだけでも男が居たほうが安心だろ?」

そう慌てて付け加える須賀君の表情は焦りが強く現れていました。
恐らく先の申し出が下心が故のものだと思われたと感じたのでしょう。
しかし、私は驚きこそすれ、それが下心だとまったく思いませんでした。
こうして仲良くなる前ならば、そうも思ったかもしれませんが、今の私は彼の優しさを知っています。
それが自身の危険を顧みずに言ってくれている提案だという事はちゃんと伝わっていました。

「それは…そうですけれど…」

けれど、それを受け入れられるかと言えば、決してそうではありません。
何せ、それは須賀君をより危険へと追い立てるものなのですから。
ゆーきに頼る事を決めたところで何の解決にもならず、ただ、私が今よりは安心して眠れるかもしれないというだけ。
そんな状況にもう一つ安心出来る要素があるというのは有難いものですが、それは彼の安全と引き換えにするものなのです。

「元々、俺は狙われてるんだから、一緒にいるくらい問題ないって。それとも…和はこの手紙の言う通り俺と疎遠になる方が良いか?」
「それは…勿論、嫌ですけれど…」

勿論、そんなのは嫌です。
誰とも知らない相手に指図されるのも癪ですし、折角仲良くなった須賀君と疎遠になるのも悲しいのですから。
しかし、かと言って、須賀君を進んで巻き込みたいかと言えばそうではありません。
既に彼は当事者の仲間入りをしているとは言え、このまま私から離れればリスクを避ける事が出来るのですから。

「それなら…ほんの少しだけ俺を頼ってくれないか?そうしたら…後は俺が何とかするからさ」

そう思う私の前で須賀君は優しげな声でそう語りました。
まるでこの状況をどうにか出来るようなその暖かな声音に、私の心は揺れ動きます。
私だって…本当は…今だって不安で不安でしかたがないのですから。
先行きの全く見えない恐怖に怯え、どうしていいか分からないのです。
それを須賀君が何とかしてくれるというのであれば、一も二もなくお願いしたいのが本音でした。

「危ない事は…しませんか?」
「あぁ。しない」
「本当に危険を感じたら…手を引くと約束してくれますか?」
「分かった。約束する」

それでも確認するように言葉を紡ぐ私に須賀君は頷きながらそう答えてくれました。
その力に満ち溢れた表情に、ずっと我慢していた私の心は…折れてしまいます。
一人で耐えなければと、ゆーきすら巻き込んではいけないのだと思っていたそれが粉々に砕け、自分勝手な不安が胸を覆いました。
今にも押しつぶされそうなそれに私の目尻は潤み、そして感情のまま言葉を放ちます。

「…お願いします…助けて下さい…」
「あぁ、任せろ」

力強いその了承の言葉に…私はついに我慢出来なくなってしまいました。
潤んだ目尻から涙を零し、カバンをギュッと握りしめてしまうのです。
まるで子どものように大粒の涙を零す自分の姿が格好悪いという意識は勿論、私の中にもありました。
しかし、今まで一人で抑え込んでいた感情は、今、堰を切って溢れだし、私に涙を流させるのです。

「今まで…良く一人で頑張ったな。でも、もう大丈夫だから」

そう言って須賀君は取り出したハンカチで涙に濡れる私の顔を拭いてくれます。
涙で浮いたファンデーションでハンカチが汚れるのも構わずに…何度も何度も。
その優しくて手慣れた仕草に私の感情は幾らでも呼び起こされ、涙となって流れ出て行きます。
結局、30分近く泣き続けた私に須賀君は根気よく付き合い続け…そのハンカチがぐしゃぐしゃになるまで涙を拭い続けてくれたのでした。

……
…………
………………

それからの私の日常は大きな変化を迎えました。
朝、事情を話して泊まってくれているゆーきを起こし、朝ごはんの準備を。
寝ぼけ眼な彼女をの世話をしながら、学校の準備をした頃には須賀君が迎えに来てくれます。
そのまま三人で登校をする際には色々とからかわれますが、既に夫婦扱いにも慣れ始めていたので特に気にはなりません。

—— それからは須賀君とはまた別々ですけれど…。

しかし、授業が終わり、部活も終わった後はまた一緒に下校するのです。
その際、スーパーへと立ち寄って買い物をするのも忘れません。
ゆーきが傍に居てくれているとは言え、あまり頻繁に外へ出たくはありませんし、須賀君が居てくれる間に色々と済ませておきたいのです。

—— だって…例の視線は今も続いているのですから。

いえ、ここ最近は寧ろより激しくなっていると言っても良いくらいでしょう。
何せ、それは私だけではなく傍にいるゆーきや須賀君にもはっきりと感じられるものなのですから。
勿論、それだけではなく、ここ最近は例の脅迫状も頻繁に投函されるようになっていました。

「またか」
「えぇ…またみたいです」
「凝りない奴だじぇ」

三者三様にそう言いながら、私たちはその手紙を厳重に保管していました。
けれど、そこに書いてあるのは大抵、須賀君への悪意が込められたものです。
最近では警告めいたものでさえなくなり、須賀君への罵詈雑言や殺意が滲み出るような文章に変わっていました。
ここまで来ると脅迫罪になるのではと思いましたが、やっぱり警察はまだ動いてはくれません。
お陰でゆーきは今も尚、私の家へと泊まる生活を繰り返し、須賀君もまた私の家へと送り届けるのが続いているのです。

—— いえ…より正確に言うならば、送り届けるだけでは済んでいません。

「んじゃ…これは何処に置けば良い?」
「いつも通りリビングに運んでおいて下さい」
「あいよ」

ここ最近、須賀君は少しずつ家に気兼ねなくあがってくれるようになりました。
最初は荷物を玄関に置くだけでしたが、私とゆーきが根気よくお茶へと誘ったからでしょう。
最近は抵抗心が薄れたのか、或いは諦めたのか、誘わなくても普通にあがってくれるようになったのです。
そんな彼の変化に自分が順調に須賀くんと仲良くなれている気がして、嬉しく思っているのは私だけの秘密でした。

「それよりのどちゃん、お腹空いたじぇ!」
「もう…さっきタコス食べたばかりじゃないですか」
「タコスは別腹!」
「もう。ゆーきったら」

そんなゆーきの姿にクスリと笑いながら、私はリビングへと足を進めます。
そのままエプロンをそっと着込んだ私は二人に出すお茶の準備を始めました。
電子ケトルにスイッチを入れ、玉露の用意をするそれは自分でも最近、手馴れてきたとおもいます。

「しかし…相変わらず、和のエプロン姿は似合うな」
「も、もう…いきなり何を言うんですか…」

私の前でスーパーの袋から荷物を出しながら、須賀君は冗談めかしてそう言います。
それに顔を赤く染めてしまうのは自分でも恥ずかしいからか嬉しいからか分かりませんでした。
将来の夢が好きな人のお嫁さんである私にとって、エプロン姿を褒められるのは間違いなく嬉しいものです。
しかし、それがゆーきではなく、異性である須賀君に言われたと思うと妙にこそばゆくムズムズとしてしまうのでした。

「おっと、のどちゃんは私の嫁だから手出しは厳禁だじぇ」
「じゃあ、俺、間男で良いや」
「うわ、コイツ最低だ…」
「そこで素に戻るなよ!」
「ふふ…♪」

そんな私のむず痒さもゆーきと須賀君のやり取りを見ていると収まります。
まるでコントか何かのように打てば響くそのやり取りはとても面白いものだったのですから。
思わず赤くなっていた頬を緩ませて、笑みを零してしまうほどに。

—— こうやって三人で過ごすのにも…最近は随分と慣れて来ました。

二人が会話をしてると一人が阻害されるという奇数での関係。
けれど、それが嫌ではないのは二人があまり口が上手ではない私の事を気遣ってくれるからでしょう。
須賀君と会ったばかりの頃とは違い、仲間ハズレにされたようにも嫉妬も感じません。
寧ろ、そうやって掛け合いを繰り返す二人を微笑ましそうに見つめる事が出来るのです。

—— 本当…今は楽しくて…。

両親が殆ど家にいない私にとって、こうして賑やかな家というのは珍しいものでした。
勿論、まったくなかった訳ではありませんが、両親ともに賑やかなタイプではないので、あまり記憶には残っていないのです。
だからこそ、私にとってこうして賑やかな家の中は新鮮で、だからこそ… ——

—— これがずっと続けば良い…なんて思っちゃダメですよね。

私にだってこれがあくまでも緊急避難の一種である事は理解しているのです。
二人が私のことを心配してくれているからこそ、こうして家にいてくれているのは分かっているのでした。
しかし、それでも…こうして楽しい雰囲気がずっと続けば良いと思うのはどうしても否定出来ません。
今まで一人で不安に震えていた反動か、今の私はとても人恋しい状態に陥っていたのです。

「ほら、二人共。お茶が出来ましたよ」
「わーい」
「何時も悪いな」

そんな自分を誤魔化すように湯気立ちのぼるお茶を二人へと出します。
すると、二人は喧嘩のようなやり取りをピタリと止めて、仲良くテーブルへと座りました。
ついさっきのコントのようなやり取りからは想像も出来ないそれは多分、二人が『須賀京太郎』と『片岡優希』であるが故の距離感なのでしょう。
それを微かに羨ましく思いながら、私もまた席へと着きました。

「うん…和のお茶は何時も最高だな」
「そんな…あんまりおだてないで下さい」
「いや、のどちゃんのお茶は本当、美味しいじぇ。京太郎には勿体無いくらいだ」
「サルサソースで舌が麻痺してる奴に言われたくねぇよ」
「何だと!?タコスを馬鹿にするのか!?」
「いえ、ゆーき。怒るところはそっちじゃないと思いますよ」

そんな会話をしながら流れていく穏やかな時間。
買ってきたお茶菓子を適当に摘みながらのそれはとても賑やかでした。
時折、私も混ざりながらのそれはまだ知り合って一ヶ月も経っていない三人組だとは思えません。
三人でいるという関係を長い間掛けて確立した…まるで幼馴染のような掛け合い。
だからこそ…私はそれを手放したくなくなってしまうのです。

「須賀君、今日もご飯、食べて行きませんか?」
「あー…でもなぁ…」

お茶菓子もなくなった頃、私がそう切り出したのは須賀君を帰さない為です。
勿論、ゆーきと二人っきりになっても気まずくも寂しくもありません。
三人でいる事に慣れたと言っても、ゆーきとの仲が悪くなった訳ではないのですから。
寧ろ、二人で同じ部屋に寝るようになって関係そのものは良くなったように思えるのです。
それでも、こうして須賀君を引きとめようとしていたのは、もうちょっとこの関係を楽しんでいたかったのでした。

「こう毎回、夕飯の世話になってると流石に大丈夫かって気もするんだが…」
「須賀君が送り届けてくれてるお陰で、こうして私たちは普通に生活出来ているんですから、夕飯くらい幾らでもご馳走しますよ」

その言葉に嘘はありません。
実際、須賀君が毎日、私たちの送迎をやってくれているからこそ、私たちは安心出来ているのですから。
その御礼として一人分ほど多く食事を作ったところで特に苦ではありません。
寧ろ、二人分より三人分の方がレシピの都合上、作りやすいくらいなのですから。

「のどちゃんがそう言ってるんだし、甘えれば良いじぇ」
「ん…分かった。それじゃ…ちょっと親にメール打つからさ」

ゆーきの言葉に自分の中での折り合いがついたのでしょう。
逡巡を浮かべながらも、携帯をズボンから取り出す須賀君に私は心の中でガッツポーズを取りました。
これで夕飯が終わるまで三人で一緒に居られるのです。
恐らく須賀君の夕飯を用意していた彼のお母さんには悪い気もしますが、私の嬉しさは揺らぐ事はありませんでした。

「それ終わったら一緒に宿題やろうじぇ」
「お前…それが目的かよ」
「だってーのどちゃん写させてくれないんだもん…」
「ゆーきの為になりませんから」

勿論、私だってそれがゆーきの為になるのであれば、幾らでも宿題を写させてあげます。
しかし、彼女はお世辞にも成績が良いとは言えず、麻雀も感覚頼りの打ち方をするのでした。
そんなゆーきに宿題を写させてあげても、まったく彼女の為にはなりません。
アドバイス程度は幾らでもしますが、答えを教えるような真似はこれまで一度もしませんでした。

「須賀君もあんまりゆーきの事を甘やかしちゃダメですよ」

けれど、須賀君はゆーきに対して何だかんだ言って甘い部分があるのです。
時折、喧嘩腰にも近いやり取りをするとは言っても、二人はとても仲良しなのですから。
そして根が優しくて困ってる人を放っておけない彼は、ついついゆーきに乞われるまま答えを教えたりしている姿を良く見せていました。

「はは。今の言葉、まるでお母さんみたいだな」
「おかっ!?」

そんな須賀君の冗談めかした言葉に私は変な声をあげてしまいました。
頬に朱を混じらせてのそれに合わせて羞恥心が胸の中から湧き上がり、困惑が心の中で根を張ります。
誰だっていきなりお母さん呼ばわりされたら、恥ずかしくってどうすれば良いか分からなくなってしまうでしょう。
ましてや…同い年の男の子から同い年の女の子のお母さんと呼ばれたのですから尚更です。

「んで、俺が和の夫…」
「そ、そそそそんなオカルトあり得ません!!」

瞬間、須賀君の言葉に私は強い語気を篭った声を返してしまいました。
声を張り上げるようなそれは、しかし、須賀君の冗談っぽい表情を歪ませるのには足りません。
恐らく私がこうやって反応する事を彼は見越していたのでしょう。
そう思うとちょっと悔しくもありますが、それ以上に胸の中が恥ずかしさで一杯になっていました。

—— わ、私が…す、須賀君と結婚するなんて…。

勿論、私は須賀君がとても優しくて正義感が強く、また人のために動く事を苦に思わない人であると分かっています。
今だって、そんな彼にとても助けられているが故に、こうして普段と変わらない日常生活を送れているのですから。
で、でも、だからと言って、結婚なんてあまりにも飛躍しすぎです。
そ、そういうのはもうちょっと順序を踏まないといけません。
ま、まずは告白からしてくれないと…でも…そ、それっぽいのは既に言われていて…でも…私… ——


「いや、京太郎は私の家庭教師枠が精々だろ」
「おま…夢が壊れるような事言うなよ…」

そうやって私が思考停止をしている間にゆーきがツッコミを入れていました。
それにそっと肩を落とす須賀君は全身で残念そうなものをアピールしています。
しかし、そんな風に感情をアピールするからこそ、それが嘘っぽく思えました。
きっと彼にとって、それはあくまで冗談の一種であり、本気でなんてなかったのでしょう。

「ま、和お母さんの言う通り、ゆーきは甘やかさないからさ。その代わり美味しいご飯頼むぜ」
「し、知りません!」

そう思うと何故か悔しくて、私はそんな可愛げのない言葉を返してしまいます。
そんな自分に内心で、自嘲を向けますが、かと言って面白くない気持ちは変わりません。
怒りほどではなくても…拗ねるような、そんな訳の分からない感情が胸を埋め尽くし、私の身体を振り回していたのです。

—— 私…何をしているんでしょうか…。

そもそもそれが冗談であった事くらい私にだって分かっていた事なのです。
それが的中したくらいでこんなに怒るだなんて大人気がなさ過ぎます。
寧ろ、そういった事に対して免疫がない私は『冗談で良かった』と思うべきなのでしょう。
しかし、私は今、からかわれていた事よりも、完全に意識されていないような彼の反応が気に触って… ——

—— …ま、まさか。そんなはずありません。

その瞬間、ふと浮かんだ自分の思考を私は頭を振るようにして振り払いました。
それこそオカルトめいた考えであり、そんなのあり得るはずないのです。
しかし、言葉にする事さえも馬鹿らしいその考えは私の心に確実に根を張り、消える事はありませんでした。

—— と、とにかく…美味しい料理を作りましょう。

そんな自分から目を背けるように私はそう思考を切り替えました。
丁度、須賀君が美味しいごはんをリクエストしてくれたのもありますし、まずはそちらに全力を尽くすべきです。
その程度でさっきの可愛げのない言葉の償いになるとは思いませんし、そもそも、須賀君は気にしていないでしょう。
しかし、それでも今の私がうちこめるものと言えば、料理しかなかったのです。

—— まぁ…レシピ通りに作るだけなんですけれど。

もう長年、作ってきたが故に頭に染み付いたレシピ。
それを引き出しながら、私の身体は自然と動いていくのです。
家事に長年、携わってきたからこそのそれはどうしても私に思考の余地をもたらすものでした。
結果、私はもう少しのところでお鍋を焦がしてしまいそうになってしまいます。
それに落ち込む私を二人はフォローしながら夕飯を褒めてくれ…そうしてその日も平穏に、一日が過ぎていったのでした。

そろそろ集中力途切れそうなんで今日はこれまで
心配させてマジごめん
今は痛みはないから多分大丈夫だと思う

後、咲ちゃんはストーカー編解決したらちょろっと出る予定

—— そんな風に楽しい日々はずっと続く訳ではありません。

どれだけ楽しくて和やかでも、それは本来のものとは違う歪なものなのです。
勿論、数日程度であれば問題はなくとも、一週間も経てば歪みも生まれ始めるのでした。
そして、それは当事者である私の身にではなく、協力者であるゆーきの身に真っ先に起こったのです。

「…ごめん…」
「いえ…ゆーきは何も悪くありませんよ」

そう謝罪するゆーきに私が返す言葉は本心からのものでした。
そもそも年頃の娘が幾ら理由があると言っても一週間も外泊して親が心配しないはずがないのです。
ゆーきのご両親とは私も面識がありますし、多少の融通もきかせてもらったとは言え、やっぱり心配になるのが当然でしょう。
特に今回はストーカー被害という解決策の見えない事件に協力してもらっているのですから尚更です。

「すぐに親を説得して戻ってくるじぇ。でも…今日は…」
「一人…ですね…」

俯くゆーきにそう返した瞬間、私の胸が薄暗い寒気を湧きあがらせました。
ここ一週間、夜もゆーきが傍に居てくれていたのであまり意識していませんでしたが…やっぱり私は恐れているのでしょう。
顔も名前も知らない相手が、何時、自分に牙を剥くかと思うと怯えが身体に走るのが分かりました。

「…あの…須賀君は…?」
「いや、俺が和の家に泊まるのは流石にまずいだろ」
「ぅ…そう…ですよね…」

私の言葉に今日も荷物運びをしてくれていた須賀君はきっぱりと断りました。
須賀君が私に対して何かをするとは思ってはいませんが、それは彼にとって超えちゃいけないラインなのでしょう。
実際、私もそれは流石に色々とまずい気がして、その提案をすぐさま引っ込めました。

「でも…のどちゃん一人で眠れるか?」
「い、一日くらいなら大丈夫ですよ」

それでもゆーきに対してそう強がってしまうのは、彼女を必要以上に心配させない為です。
ただでさえ、親の要請で家に帰らなければいけなくなったゆーきは自分を責めているのですから。
ここ最近、ゆーきには情けないところを見せっぱなしなのもあって、このままでは彼女が安心して帰れません。
勿論、私の強がり一つでゆーきが心から安心してくれるとは思いませんが、それでも彼女を不安にさせる要素は作りたくありませんでした。

「ぅー…でも…今までが今までだし…心配だ」
「わ、私は大丈夫ですよ!」
「そうじゃなくて…ストーカーの方」

私の言葉に訂正の言葉をくれるゆーきの目はリビングに座る私達ではなく、その後ろの窓に向いていました。
恐らく今の彼女が考えているのは私たちの事ではなく、遮光カーテンの向こうにいるかもしれない『誰か』の事なのでしょう。
今日もまた懲りずに手紙を投函してきた悪意の主は、一週間経って尚、ストーカーを続けているのでした。

「今までのどちゃんの傍に誰かが居たから手出し出来なかったかもしれないとすれば…」
「…ゆーきがいない今日の間に強行手段に出るかもしれないって?」
「うん…」

ゆーきの言葉を補足する須賀君の言葉に私は何も言えませんでした。
そんな事まったく考えていませんでしたが、確かにあり得ない話ではありません。
実際、ここ最近の手紙のエスカレートっぷりを見れば、その可能性は高いとさえ思えるのです。

「…あの…須賀君…」
「分かってる。俺も…確かにそれは心配だ」

その恐ろしい可能性に再び私が須賀君を呼んだ瞬間、彼は力強く頷いてくれました。
瞬間、その顔を思案気に俯かせて、思考に耽るのが分かります。
何とか今の状況を打破する為に色々と考え事をしてくれているのでしょう。
その姿に微かな安堵を感じた瞬間、須賀君はそっとその唇を開きました。

「中学の頃の後輩とかはどうなんだ?一日くらい何とか都合つけて貰えないか?」
「あ…その手があったか!」

確かに中学の頃の後輩たちであれば、何とかなるかもしれません。
勿論、急な話であるので難しいかもしれませんが、ゆーきよりも可能性はあるでしょう。
追い詰められていた所為か、まったく思いつかなかったそのアイデアにゆーきは一つ手を打ちました。
それに私も小さく頷いて、制服から携帯を取り出し、メールを打ち始めます。

「あの…事件の事は…?」
「和さえ良ければ、伝えておいた方が良いかもな。情報があるのとないのとでは本気度も違ってくるし」

尋ねる私の言葉に須賀君は気遣うようにそう言ってくれました。
それは私の世間体などの色々な事を心配しての事なのでしょう。
ストーカー被害を受けているだなんて、人に伝えるのは勇気がいる事なのですから。
しかし、ここまでゆーきや須賀君が手助けしてくれているのに、私だけ日和る訳にはいきません。
恥ずかしいし情けない事ですが、後輩二人にそれを伝える覚悟はもう私の中で固まっていました。

「何より、これからも協力して貰う事になるかもしれないからな」
「ごめん…」
「優希は悪くないって」
「そうですよ。仕方のない事なんですから」

明るく振舞っているとは言え、やっぱりゆーきは自分の事をかなり責めているのでしょう。
須賀君の言葉に再びうつむきながら、謝罪の言葉を放ちました。
普段、快活な彼女からは想像も出来ないその姿に名も顔も知らない誰かに対する憤りが沸き上がってきます。
しかし、それでも私達に今の状況を打開する術はなく、対処療法的なものを繰り返すしかありませんでした。

「とりあえず…具体的なアレコレを決めるのはメールが帰ってきてからだ。その後、方針を決めたら俺は優希を送ってくよ」
「でも…私はターゲットになってないからきっと大丈夫だじぇ」
「良いから甘えとけ。どの道、俺は一回は帰らなきゃいけないんだからそのついでだ」

須賀君がそう言ってゆーきの頭をポンと優しく叩いた瞬間、私は後輩へと送るメールを作り終えます。
それをすぐさま送信してから、私は大きく息を吐きました。
最初は他人を巻き込みたくないと言いながら…ドンドンと人を巻き込みつつある自分に微かな自己嫌悪を感じるのです。

「それより和、お茶のおかわり貰えるか?」
「図々しい奴め…」
「仕方ないだろ。和のお茶は美味しいんだから」

けれど、そんな後ろ暗い感情も目の前で繰り広げられるいつも通りのやり取りにかき消されてしまいます。
恐らく、二人は私の自己嫌悪を読み取ったからこそ、意図してそんな会話をしてくれているのでしょう。
それを思うとほんのすこしだけ申し訳なくなりますが、それ以上に笑みが零れて仕方ありません。

「仕方ないですね。でも、あんまり飲み過ぎてご飯の分が入らないなんて事にならないように気をつけて下さいね」
「大丈夫。和の料理なら幾らでも食えるからさ」
「も、もう…あんまり煽てても何も出ませんよ?」

キリッと顔を引き締める須賀君の言葉に私の頬は熱くなってしまいます。
手料理を美味しいと須賀君に褒められたのは何度もありますが、そうやって言われるのは初めての経験でした。
それだけであっさりと免疫が働かなくなってしまう私は嬉しさとも気恥ずかしさとも言えない感情で胸を埋めてしまうのです。

「調子の良い奴め…」
「ふふふ…どこぞのタコス娘が和の料理が食べられないからと悔しがっておるわ」
「ぬぐぐ…!」

その感情に髪を落ち着かなく弄る私の前で、須賀君が勝ち誇り、ゆーきが悔しそうに頬を膨らませます。
多少、誇張して表現しているのでしょうが、そんな会話をするくらい美味しく思ってくれるのは嬉しいものでした。
かと言って、二人のストッパーである私がそれを止めない訳にもいかず、私は未だウズウズとした感情が収まらぬまま口を開くのです。

「喧嘩すると今日のご飯は抜きですよ」
「ほら…ゆーきの所為で和お母さんに怒られただろ」
「京太郎兄ちゃんが人のこと挑発するからだ」
「ふーたーりーとーもー?」
「「はい。すみませんでした!!」」

言い寄るような私の言葉に二人は声を合わせて謝罪の言葉を紡ぎます。
異口同音に同じ言葉を返すそれはまるで本当に兄妹のようでとてもほほえましいものでした。
それに思わず頬を緩ませながら、私は須賀君の分のお茶を淹れ始めるのです。

—— って…私がお母さんですか…。

確かに二人のストッパーやツッコミ役になる事が多い私は『お母さん』らしい立ち位置にいるのかもしれません。
しかし、二人の兄妹という関係に対して、それはほんの少し疎外感を感じるものでした。
何より年齢だって同い年なのですから、『お母さん』というのはあまりに失礼です。
それよりは… ——

「お姉ちゃんが良いなぁ…」
「え…?」
「い、いや!何でもないですよ!!」

瞬間、私の口から漏れた言葉に、二人の視線がこちらへと向きました。
まるで信じられないものを見るようなそれに私は顔を赤く染めながら、そう答えます。
それに二人が首を傾げながらも、心配そうな目を向けてくれました。
そうやって心配してくれる二人の姿は嬉しいですが、しかし、さっきの思考をそのまま口にするのはあまりにも恥ずかしすぎるのです。

—— ブルルルルル

「あ、め、メールみたいですね!!」

そんな私にとって救いであったのはその瞬間、机に置いたままであった携帯が震えたからです。
それを手に取って画面を見れば、そこにはメールの着信を伝える文字が浮かんでいました。
わざとらしくそれを伝えながら、私はメールの画面を開き、新着メールを開きます。

「あ…」

そこには私を案ずる言葉と、そして親の許可が降りなかった事に対する謝罪が並び立てられていました。
親に対する怒りさえも滲ませるそのメールに私の胸は申し訳なさで一杯になります。
元々、無用な心配をさせた上に、無茶を言い出したのは私の方なのですから。
その感情をそのままメールの返信へと変えた瞬間、今度はもう一人の子からもメールが帰って来ました。

「何だって?」
「二人共無理みたいです…」

そもそもストーカー被害にあっている家に泊まりに行かせるだなんて、親としては中々、決断出来る事ではありません。
ご両親と多少の付き合いがあるゆーきの家が一週間も外泊許可をくれた事自体が異例の事なのですから。
そう言った家族ぐるみの付き合いをしていない後輩たちに、許可が降りなくても仕方がありません。
ましてや、当日にそんな事を言い出せば、親からすれば怪しく思えてもおかしくはないでしょう。

「って事は…」
「泊まれるのは京太郎しかいないじぇ…」
「そう…ですね」

改めてそう口にされると私の頬が朱を浮かべます。
さっきの気恥ずかしさとはまた違った羞恥の色に私はまた落ち着かなくなってしまいました。
流石にその指で髪の毛をいじり始める程ではありませんが、須賀君の顔が見れなくてついつい視線を背けてしまいます。
まるで彼から逃げ回っていた頃に戻ってしまったかのような自分の反応に私は小さく深呼吸しながら、ゆっくりと口を開きました。

「あ、あの…須賀君…が良ければですけど…一緒に居て…くれませんか?」

勿論、そんな事言うのは恥ずかしくて堪りません。
しかし、そうやって私から意思表示をしなければ、須賀君の方でも覚悟を決める事は出来ないでしょう。
今回は私が完全に助けてもらっている側なのもあって、どれだけ恥ずかしくても私からアプローチしなければいけません。
ですが、それでもやっぱり気恥ずかしいのは否定出来ず、私の顔はゆっくりと俯き、その声はどんどんと尻すぼみになっていくのです。

「俺としてはすげー役得なんだけど…和の方は良いのか?」
「も、勿論です!」

そんな私の視界の端で頬を掻きながら、須賀君はそう確認の言葉をくれました。
それに反射的に頷く私の言葉は思ったより大きなものになってしまいます。
須賀君が変に遠慮しないように力強く答えるつもりだったのですが、どうやら力が入りすぎたようでした。
そんな加減すら出来なくなりつつある自分にさらなる恥ずかしさを感じて、私はあたふたとしてしまいます。

優希の家に泊まればいいんじゃないですかねぇ(困惑)

「あ、も、勿論と言っても、別に須賀君がどうというとかじゃなくてですね!す、須賀君がそういう事しない人だって信頼してると言うか、実は私もちょっぴり楽しみと言うか!」
「の、のどちゃん?」
「はっ」

そこまで言ってから私はようやく自分が言わなくても良い事まで言っていた事に気づきました。
けれど、その具体的な内容までは自分でさえも思い返す事が出来ず、何を言っていたのか分からないのです。
恐らくさっきの私はパニックにも近い状態にあったのでしょう。
そんな自分の失態にさらに顔が赤くなるのを感じた瞬間、私は思考を半ば羞恥心に奪われてしまいました。

「はぅぅ…」
「ま、まぁ…ともあれ、嫌がられていないみたいで安心したよ」

そのまま何も言えず俯く私の前で須賀君はフォローするようにそう言ってくれます。
さっきの私の失態を+へと受け止めてくれるそれは正直、かなり有難いものでした。
けれど、今の私にはそんな須賀君に感謝の言葉すら言えません。
そんな事よりも頭の中が気恥ずかしさで一杯でどうにかなってしまいそうだったのです。

「と、とにかく…これからどうするかは決まったし、まずは優希を送って…んで、それから泊まりの準備して戻ってくるわ」
「お、お願いします…」

それでも何とかそれだけは言う私の前で須賀君はぐいっとお茶を呷ります。
まだ淹れたてで湯気が立ち上るそれを一気に嚥下するようなそれに須賀君の顔も引き締まりました。
さっきの冗談めいたものとは違う覚悟を決めるようなそれは少し…ほんのすこしだけ私の目に格好良く映ります。

「あ、そうそう。和、扉を開けるのはちゃんと相手を確認してからじゃないとダメだからな」
「え…?」

そのまま立ち上がった須賀君は私に念押しするようにそう言いました。
それに私が驚きの声をあげるのは、それが当然の事だったからです。
扉の前に立っているのがストーカーかもしれないのに、軽々しく扉を開けたりはしません。
そんなものは念押しされなくても分かっているが故に、何かの隠語か暗号かと思ったのです。

「強引に押し入ってきたら不法侵入になるし、携帯は常に握りしめてすぐに110番出来るようにな」
「え、えぇ」
「後、俺らが行ったらちゃんとチェーンまで掛けて…念のため全部の戸締りをもう一回チェック…」
「ほらほら、心配なのは分かるけど…そろそろ行かないと帰りが遅くなるじぇ」

それが単に私のことを心配してくれているからだと気づいた頃には須賀君はその腕をゆーきに引っ張られていきました。
小柄なゆーきに大柄な須賀君が引っ張られていくその様は、また兄妹のように見えて微笑ましく思えるのです。
しかし、それだけではないのは、二人が心から私の事を心配し、動いてくれているからなのでしょう。
そうやってコントのようなやり取り一つにも私の事を励まそう、元気づけようとする意図が伝わってくるのですから。

「とにかく…出来るだけ早く帰ってくるからさ。だから、料理でもして待っててくれ」
「えぇ。分かりました」

最後にそう言いながら玄関から出て行く二人を見送りながら、私はそっと玄関にチェーンを掛けました。
ここから先は一人の時間が少し続きますが、こうして厳重に鍵を掛けておけば問題ありません。
幾ら一人であっても、窓が割れる音がすれば気づきますし、すぐさま逃げて警察に連絡するには十分な時間があるのですから。
そもそも、まだ日が落ちきっていない事を考えれば、相手としても強引な手段には出にくいでしょう。

—— でも…この家はこんなに静かだったでしょうか…。

ゆーきと須賀君がいなくなった我が家は家電のブゥンと言う音がなるだけで他に何の音もしないものでした。
無味乾燥と言っても良いそれは私にとって馴染みの深いものであったはずです。
両親が多忙な時期には常にこの沈黙は私の傍にあったのですから。
しかし…この一週間、それをまったく意識する事がなかった所為か、その沈黙がとても重く、また寂しいものに思えるのです。

—— そして…何より…怖いです…。

あの日…須賀君に手を差し伸べられた日、私の心は完全に折れてしまったのでしょう。
大丈夫だと分かっているのに一人でいるということに身体がびくついて、妙に落ち着きません。
二人が残した湯のみを洗っている最中も、どうしても後ろが気になって、チラチラと後ろを振り返ってしまうのです。

—— 落ち着いて…大丈夫…大丈夫だから…。

まだ二人が出て行って十分も経っていないのに、私はもう自分にそう言い聞かせなければいけないようになっていました。
そんな自分に自嘲すら感じるものの、しかし、一度、恐怖を知った心はどうにもなりません。
まだ傍に誰か居てくれる時は平静になれるのに、一人になった途端、どうしようもなくなってしまうのです。

—— 須賀君…早く…早く帰って来て下さい…。

そして、二十分もした頃には私は彼の帰りを心待ちにしていました。
勿論、その間も二人分の夕食を準備し、料理も進めています。
ですが、今の私は料理に集中する事は出来ず、手元もおぼつかない状態でした。
それでも身体に染み込んだ習慣が私に怪我をさせる事はありませんでしたが、味見してもろくに味が分かりません。

—— こんなんじゃ…美味しくなんて出来ません…。

今もこうして骨を折ってくれている須賀君に報いる第一の方法は彼が好きだと言ってくれた私の手料理を振る舞う事です。
しかし、それすらも一人では満足に出来ない自分に、私は強い失望を感じました。
ついほんの一ヶ月前には簡単に出来たはずのそれが…出来ない情けない自分。
それに目尻が潤み、じわりと涙が零れそうになるほど…私は追い詰められていたのです。

—— ピンポーン

「っ!」

瞬間、リビングに鳴り響くインターホンの音。
それに私は弾かれたように足に力を込め、そのまま廊下へと飛び出します。
パンパンとスリッパが音を鳴らすのも構わず乱暴に走り抜け、そのまま玄関の鍵に手をかけようとした瞬間、私は須賀君の忠告を思い出しました。

「す、須賀君…ですか?」
「あぁ。和の愛しい須賀京太郎ですよ」

冗談めかしたその言葉を…私は怒るか呆れるべきだったのでしょう。
しかし、極限状態にも近かった私にとって、彼の帰りは本当に待ち遠しいものでした。
名も知れぬ悪意の主ではなく、須賀君が扉の外にいると思ったらもう我慢出来ません。
嬉しさのままにチェーンを外し、鍵を開いた私は、内側から乱暴に扉を開いてしまうのです。

「うわっ!」

それに驚きの顔を見せる須賀君は大きめのスポーツバックを肩から下げていました。
恐らく着替えなどが入っているであろうそれを揺らしながら引く彼に微かな申し訳なさを感じます。
しかし、それに謝罪を紡ぐよりも先に人恋しさで胸が一杯になった私は、彼の前で涙を浮かべてしまいそうになるのでした。

「和?」
「あ…な、何でもないんです」

けれど、それはそのまま口にするにはあまりにも恥ずかしい事でした。
たった一時間ちょっとの時間でさえ、怖くて堪らなかったなんて小さな子どもみたいなのですから。
勿論、そこまで追い詰められるに足る理由があったとは言え、中々、それを人に話す事など出来ません。
結果、私は心配そうに尋ねてくれる須賀君の前で強がってしまうのでした。

「と、とにかく入って下さい」
「そうだな。お邪魔します」

そう言って招き入れる私に須賀君は一つ断りながら家へと足を踏み入れました。
そのまま後手に鍵を締め、チェーンを掛ける仕草はもう手馴れています。
周囲を警戒する為か、何時も最後に家へと入る彼にとって、それはもう慣れたものなのでしょう。
普段は何とも思わないそれが、しかし、二人っきりの今は妙に気恥ずかしくて、私はまた妙に落ち着かない気分になってしまうのです。

「え、えっと…おかえりなさいませ?」
「はは。ただいま」

そんな私が選んだ言葉に、須賀君は笑いながら、靴を脱ぎ、廊下へと踏み出しました。
数日前とは違い、も来客用のスリッパを履くその様はもう遠慮なんてありません。
まるで仕事から慣れ親しんだ家へと帰ってきたかのようにリラックスしているのです。
恐らくその肩からスポーツバックを下げているのもそうした印象を加速させているのでしょう。
そう冷静に判断しながらも、そんな彼の姿が妙にむず痒く見えてしまい、私はそっと視線を背けてしまうのでした。

「に、荷物はお持ちしますよ」
「いや、そんなに重くないし構わないって」
「いえ…それくらいやらせてください」

そんなむず痒さから逃げる為に私は半ば強引に須賀くんからスポーツバッグを奪います。
その中身は須賀君の言った通りに軽く、私の腕でも軽々と持つ事が出来ました。
恐らく中身は着替えや明日の準備で埋め尽くされているのでしょう。

「やっぱり和は良いお嫁さんになるな」
「えっ…」

瞬間、私の鼓膜を打った言葉に私は思わずそう聞き返してしまいました。
そのまま振り返るように彼の顔を見れば、そこには微笑ましそうな彼の表情があるのです。
何処か冗談めかしたものを混じらせるその表情に、私の思考は疑問を浮かべました。
しかし、それよりも唐突に告げられたその言葉の真意に理解が追いつかず、私は首を傾げたのです。

「こうして荷物を持ってくれるなんて奥さんっぽくて…ちょっとドキッとした」
「〜〜〜っ!」

そんな私からほんの少し視線を逸らす須賀君の頬は明らかに紅潮していました。
恐らく彼としてもそういう事を言うのは恥ずかしさを感じるのでしょう。
しかし、それでも告げられるその言葉に私の胸はむず痒さを強め、どうして良いか分からなくなってしまいました。

—— そ、そんなつもりじゃなかったのに…。

私が強引に須賀君から荷物を奪ったのは至極、自分勝手な理由からなのです。
妙にむず痒い落ち着かなさから逃げる為に、私はそれを奪ったのですから。
それは決して奥さんらしいとは言えず、また褒められるものでもないでしょう。
しかし、私の真意を知らない彼はそれをポジティブに捉え、私の事を褒めてくれるのでした。

「そ、そんな…褒めないで下さい」
「はは。まぁ…ちょっと馴れ馴れしすぎるセリフだったな。悪い」

私はそんな風に褒められるような人じゃない。
そう伝えようとした私の言葉を、須賀君は照れ隠しの一種だと受け取ったようでした。
軽くそう謝罪しながら、その顔から気恥ずかしさを引っ込めます。
そんな彼に何かを言おうとしますが、私の口からは言葉は出てきません。
未ださっきのむず痒さが残る私は、須賀君に何を言うべきなのか分からないのです。

「そういや今日の夕飯は何なんだ?」
「えっと…里芋の煮物とお魚、後、ほうれん草の胡麻和えと大根のお味噌汁です」

そうこうしている内に私たちはリビングへと足を踏み入れました。
それと同時に何気ない会話をくれる須賀君に答えている内にさっきのむず痒さは少しずつ消えていきます。
さざ波を起こすような心が少しずつ落ち着いていくのを感じながら、私はそっと肩を落としました。

「でも…ごめんなさい。まだ出来てなくって…」
「だったら俺も手伝うよ。何すれば良い?」

もう七時も回って日が落ちているので、育ち盛りな彼としてはお腹がペコペコでしょう。
しかし、一時間以上もあってろくに料理が出来ていない私を須賀君は咎めません。
寧ろ、積極的に私の事を手伝うと言いながら、その腕を捲ります。
まるで今から大仕事でもするようなオーバーなリアクション。
それに私は思わず笑みを浮かべながら、そっと口を開きました。

「では…味見をしてもらって良いですか?」
「それくらいだったら幾らでもするぞ。なんだったら全部食べても良いくらいだ」
「もう…あくまで味見なんですからね」

勿論、須賀君がいる以上、私が不安に襲われる事はありません。
恐らく今の私であれば味付けに失敗する事はないでしょう。
しかし、それでも須賀君に味見をお願いしたのはどうせなら彼に合わせた味付けをしたかったからです。
今までも美味しいと言ってくれていましたが、どうせですし彼好みの味付けも覚えるのも悪くはないでしょう。

—— これからも…お世話になる事ですしね。

言い訳のように胸中でそんな言葉を浮かべながら、私は須賀君と共に料理の仕上げを始めます。
けれど、私はよっぽど慌てていたのか、途中まで出来上がった料理の味付けはそれはもう酷いものでした。
薄かったり濃かったりと無茶苦茶なそれは不味いと言われても仕方のないものでしょう。
けれど、須賀君はそんな料理に文句ひとつ言わず、味見を繰り返し、ちゃんとした味付けへと近づけてくれます。
そうやって一緒に作業するのはとても楽しく…また私にとってとても有意義な時間でした。

正直、>>211はまったく考慮してなかった
ま、まぁ、和たちも高校生だし、思いつかなかったって事で勘弁してくだしあ
お腹すいたし今日はこれまで
多分、次は週末になると思う

 
—— そうやって二人で作った食事を一緒に食べるのは楽しい事でした。

普段、一緒に居てくれるゆーきがいないので、話題の数が足りるのか心配ではありましたが、杞憂だったようです。
須賀君が持つ話題の引き出しは多く、私たちの間に気まずい沈黙が降りる事はありませんでした。
それが全て須賀君のお陰であり、私からまったく話題を捻出出来ていないのが少しだけ情けないです。
けれど、それ以上に今の私は楽しくて仕方がなくて、笑みを零しながら須賀君の話に耳を傾けていました。

—— でも…ずっとこのままじゃまずいですよね…。

確かに須賀君の話題に相槌を打ち、適当に返事を返すそれは楽でした。
ですが、そうやって受け身なままで居ては、彼に負担を掛けてしまう事になるのです。
幾ら須賀君の話題が豊富とは言っても、無尽蔵という訳ではありません。
それを思えば、彼の話題が尽きないように、こちらからも話題を振るべきでしょう。

—— な、何より…今日は須賀君も泊まる訳ですし…。

この先、須賀君がどうするのかはまだ決まってはいません。
泊まるという事だけを先に決めただけであり、寝る場所すら考えていないのですから。
勿論、急いでそれを決める必要なんて何処にもありませんが、話題の一つにはなるでしょう。
そう考えた私は須賀君の話が途切れた隙を伺って、口を開くのです。


「そ、そう言えば…須賀君?」
「ん?」
「これから先って…ど、どうしますか?」
「どうって…」

けれど、そうやって私が紡いだ言葉に須賀君は首を傾げました。
焦りすぎた所為か、主語があんまりにも曖昧で、その意味が広く取れすぎるのです。
彼がそうやって不思議そうにするのも無理はなく、私の頬は羞恥で赤くなりました。
勿論、普段はこんな風にわかりにくい言い方なんてしませんが…どうやら今の私はかなりテンパっているようです。

「あ、あの…寝る場所とか決めないと…い、いけないじゃないですか」
「あぁ。そういう事か。すまん」
「い、いえ!私の言い方が悪かったんです!」

私の補足に須賀君は小さく頷きながら、謝罪してくれました。
けれど、さっきのそれは彼が分かりにくかったというよりは私の伝え方が悪かったのです。
それを思えば須賀君を責める気には到底、なれず、寧ろ謝罪してくれた事に申し訳なさを覚えました。

「まぁ、俺は掛け布団さえ貸してくれれば、このリビングで寝るよ」
「でも…」

そんな私の前であっけらかんと言う須賀君に私はそう返しました。
確かにここはソファもあり、人一人程度であれば眠れるようになっています。
でも、ソファはもともと人が座ることを想定したものであり、眠る事などまったく考えられては居ないのです。
その身体を休める事には使えるでしょうが、ベッドよりも遥かに疲れが残る事は目に見えていました。


—— でも、うちには来客用のお部屋なんてなくって…。

転勤を伴う引越しの多い仕事をしている両親にとって、この長野もまた腰掛けに過ぎないのです。
自然、私が住んでいるこの家も借家の一種であり、来客用の部屋もありません。
二階にあるのは父と母の書斎と寝室、そして私の部屋だけなのですから。
ごく普通で一般的なその間取りを考えれば、須賀君の言う通り、ここで寝てもらうのが一番なのかもしれません。

—— でも…それじゃ…あんまりにも悪いです。

勿論、来客用の布団は何組かありますし、それを使ってもらえれば
でも、わざわざ泊まりに来てくれた彼をリビングに一つポツンと残すのは気が引けました。
このリビングは一人で寝るのはあまりにも広すぎて…一人でいるだけで妙な寂しさを覚えるくらいなのですから。

「あの…私の部屋で…」
「流石にそれは却下な」
「あぅ…」

そう思って告げた言葉が最後に届く前に、須賀君はそれを一刀両断にしました。
まったく取り付く島すらないその言葉に、私の肩がそっと落ちるのは分かります。
そんな私の姿を彼はクスリと笑いながら、その唇を開きました。

「俺は男なんだから、優希と同じ感覚でいちゃまずいって」
「それは…そうかもしれませんけど…」

でも、須賀君が私に何か邪な気持ちを抱いてる人とは到底、思えません。
本当に彼が私に邪な気持ちを向けているのだとすれば、その機会は今までに何度もあったのですから。
けれど、彼はその機会を活かすどころか、何度も私を護ってくれる人でした。
そんな彼が同室で寝たからと言って、何かされる事はない。
そう思ったからこそ私は彼を自室に招こうとしたのです。

「ま、寂しいなら夜中までメールでも何でも付き合うからさ」
「べ、別にそんな事はないです!」

からかうように言う須賀君の言葉に私は反射的にそう返しました。
けれど…そう言いながらも、私の心はそれが事実であるという事を半ば認めていたのです。
ついさっき一人っきりになった時に感じた寂しさを私は未だ覚えているのでしょう。
意識せずとも私の背筋を撫でるようなその焦燥感に、突き動かされたのは否定出来ないものでした。

「和はもうちょっと警戒心持ったほうが良いと思うぞ」
「も、持ってます!」

それでもクスリと笑いながら告げる須賀君の言葉には納得がいきませんでした。
そもそも私は見知らぬ誰かにストーカーされてるからこそ、こうして警戒して須賀君に泊まってもらっているのです。
今だって戸締りは完璧で、普通の手段では入る事なんて出来ません。
それに何より…私は須賀君と初めてであった時、警戒心全開だったのです。
それこそ今思い返せば恥ずかしくなるような身構えっぷりを浮かべて警戒心がないとは到底言えないでしょう。

「いや…なんつーか…ある程度、親しくなった相手への警戒心って言うかな」
「え…?」

そんな私にポツリと呟く彼の言葉に私はそう疑問の声を返しました。
それは勿論、須賀君が何を言っているかが分からなかったからではなく、その意味を理解出来なかったからです。
勿論、親しき仲にも礼儀ありという言葉があるように、親しい相手にも分別のある付き合い方をしなければいけないのは私にも分かっています。
でも、それと警戒心というのはどうしても繋がらず、今度は私の方が首を傾げる事になるのでした。

「心のハードル下がり過ぎ。俺以外の男にあんな事言ったら期待させるぞ」
「ぅ…」

須賀君の言葉は、私に言い聞かせるような暖かなものでした。
その指摘は彼が真摯に私のことを思ってくれているが故のものなのが伝わって来ます。
ですが、その言葉そのものはまるで独占欲を滲ませるようなもので…私の頬がそっと朱を指すのでした。
嬉しさと気恥ずかしさが半分半分で混ざるようなその感情に私の顔は俯き、視線を彼の顔から逸らしてしまいます。

「俺だってこんな状況なのにドキッとしたくらいなんだからさ」
「ドキドキ…したんですか?」
「当たり前だろ。和みたいに可愛い子に言われたら、男だったら誰だってそうなるって」

何時も通りの軽くて冗談めかしたその言葉は、お世辞混じりのものなのでしょう。
私はあまり可愛げのある女ではなく、そう言った言葉はゆーきの方が相応しいのですから。
けれど、須賀君にそう言われるだけで私の胸は熱くなり、心臓がドクドクとなり始めるのです。
冗談だと分かっているのに、可愛いという言葉そのものに反応してしまうような自分に私は… —— 

「…和?」
「え…?」
「箸が止まってるけど…体調でも悪いのか?」

そんな事を考えている間に、私の身体は完全に止まっていたのでしょう。
適当に解した焼き魚にも、一緒に味付けしなおした煮物にも箸がついていない状況に、彼は心配そうな表情を見せました。
須賀君の器に入った料理を見れば、それらはもう完食されて、残っていません。
焼き魚のモツが残った苦い部分までしっかりと食べきるそれは、私が呆けている時間がかなりのものであった事を感じさせました。

「だ、だだ…大丈夫です!」
「そうか?でも…無理はすんなよ」

焦り混じりの私の言葉に須賀君は素直に頷きながら、一人席を立ちました。
そのままお皿を流し台へと運んだ彼は、自分の分だけでも水につけてくれているのでしょう。
後で洗いやすいようにというその気遣いを感じながら、私は自分の指を動かし、食事を進めました。
しかし、妙な気恥ずかしさと、嬉しさが私の胸へと張り付いて離れず、その速度は何時もよりも若干、遅いものになっていたのです。

「…」
「…な、何ですか?」

そんな私の姿を正面に座り直した須賀君がじっと見つめます。
何処か微笑ましそうな視線はくすぐったく、落ち着きません。
居心地が悪いというほどではないのですが、なんとなく胸の中がムズムズとしてしまうのです。
その感情に押されるがままに須賀君へと尋ねた私に、彼が綻ぶような笑顔を向けました。

「いや、今までもずっと思ってたけど…和の食べ方は上品だなって思ってさ」
「こ、これくらい普通です」

元々、うちの両親も育ちの良い人であり、食事の躾も厳しいものでした。
流石にマナーがどうのこうのでガチガチに硬かった訳ではありませんが、何度も咎められたのを覚えています。
そうやって形成された自分の食べ方をこうして上品と言われるのは今までにも何度かありました。
でも、そうやって食べ方を褒められるのは妙な壁を感じるものであり、あまり好きではなかったのです。

「優希の奴も和くらい落ち着いて食べたら、食品も報われると思うんだけどなぁ…」
「…クスッ」

けれど、それに壁を感じるよりも先に、ポソリと告げられた須賀君の言葉。
その妙なおかしさに私はつい笑みを浮かべてしまいました。
勿論、そうやって食べ物になったものに対する気持ちを忘れないのは美徳でしょう。
でも、それが全体的に軽い雰囲気を纏う須賀くんから放たれたとは到底、思えず、おかしさを感じてしまうのでした。

「な、なんだよ」
「いえ…ごめんなさい」

そんな私に唇を尖らせる須賀君の反応は当然でしょう。
誰だっていきなり笑われたら、あまりイイ気はしないのですから。
しかし、そうと分かっていても、さっきの須賀君の姿は面白く…そして可愛らしいものだったのです。


—— もしかしたら…須賀君も結構、躾の厳しい家だったのかもしれませんね。

さっき魚をほぼ骨しか残していない食べ方をしていた事からもそれを伺う事が出来るでしょう。
勿論、好き嫌いもあるので一概には言い切れませんが、さっきの言葉を聞いた後だとなんとなくその可能性が高い気がしました。
それに…なんとなく共感を覚えてしまうのは、思い込みもいい所なのでしょう。
しかし、それでも私の勝手な共感は消える事はなく…ついついそれを確かめたくなってしまうのでした。

「そういえば…須賀君のお家って厳しい方なんですか?」
「もし、そうだったら俺は幾ら何でもここには居れないと思うぞ」
「あ…」

そんな私の言葉にクスリと笑いながら告げられる言葉は、まさにその通りでした。
あまりにも自然に須賀君がここに居てくれたので忘れてしまっていましたが、彼は今、ご両親の許可を得手ここに来てくれているのです。
一体、須賀君がどれだけの事情を説明してるかは分かりませんが、それでも躾の厳しい家が高校生で外泊を認めるケースというのは少ないでしょう。
それを彼の言葉で理解した私は自分勝手な思い込みに羞恥心を感じて、再びその頬を赤く染めてしまいました。

「まぁ、食事のことについてなら結構、色々言われたけどな」
「そ…そうですか」

そんな私にフォローするように言う須賀君の言葉に、心が慰撫されるのを感じます。
自分の思い込みがそれほど的外れでもなかったのだというそれに少しだけ心が落ち着きました。
けれど、それで完全に平静に戻れるような切り替えの速さを私が持っているはずがありません。
未だ妙な落ち着きの無さを残す私は逃げるように食事へと没頭し、口に食べ物を突っ込んでいくのです。

「今度うちに挨拶しに来るか?」
「んぐっっ!?」

それは冗談にすぎないという事くらい私にも分かっていました。
けれど、羞恥心がなくなった訳ではない私にとって、それをいなすほどの余裕はなかったのです。
自然、嚥下している最中の食べ物が驚きによって止まり、強い閉塞感を感じました。
息苦しささえ伴うそれを反射的に飲み込んだお茶で流しこんでから、私はその元凶にジト目を向けるのです。

「す、須賀君…っ!」
「はは。悪い。ちょっとからかい過ぎたな」

じっとりと睨めつけるような視線に須賀君はまったく動揺する事はありませんでした。
その口から笑い声すら漏らしながら、飄々とした態度を崩さないのです。
しかし、それでも悪いとは思ってくれているのか、その口からは謝罪の言葉が飛び出しました。
それに拗ねるような気持ちがほんの少しだけ緩んでいくのを感じる私の前で、彼はそっと椅子から立ち上がります。

「んじゃ、俺はあっちで宿題でもしてるからさ。寂しくなったら呼べよ」
「呼びません!」

最後の最後までからかいながら、去っていく須賀君の背中に私は大きくため息を吐きました。
まるで仕方ないなと言うようなそれに…けれど、私の頬は緩んでいたのです。
何だかんだ言って、こうやって須賀君とするやりとりを私は決して嫌なものとしては受け取っていないのでした。


—— 何より…須賀君が私のことを気遣ってくれるのが伝わってくるのですから。

その言葉は冗談めかしたものでありましたが、多分…須賀君はもう気づいているのです。
私がさっきから寂しくて…何とか彼に傍にいてもらおうとしている事を。
元々、彼は人付き合いが上手いだけあって、そういった心の機微には敏感です。
須賀君が帰ってきてくれた時から様子が変だった私の変調を、なんとなくではあれど察してくれているのでしょう。

—— まぁ…だからと言ってからかわれるのは納得がいきませんが。

基本的に私も負けず嫌いな方なのです。
それなのにやられっぱなしなのは、私のことを思ってくれているが故でも受け入れがたいものでした。
けれど、それ以上に嬉しいのは…私が須賀君に心を許し始めているからなのでしょう。
流石にその距離はゆーきほど近くはありませんが、でも、今の私にとって父以外で一番身近な異性は彼以外にはありえません。

—— 男友達って言うのは…こういうものなのでしょうか。

ふと思い浮かんだその言葉に、食事を進める私の頬が緩むのを感じます。
友達へと至るまでのハードルが高いとゆーきに何度も言われた私にとって、それは今までにない感覚でした。
仕事の都合で転校も多く、男性とろくに仲良くなる機会なんてなかったのですから当然でしょう。
ですが、それでも心の中に浮かんだその言葉は決して違和感があるものではなくて、すっきりと受け入れる事が出来るのでした。


—— ま、まぁ…ここまで手伝ってもらっているのに部活仲間…というのも味気ないですし。

一体、誰に言い訳しているのか、胸中でそんな言葉を浮かべた瞬間、私は食事を食べ終わりました。
須賀君の分よりもかなり少なかったはずなのに、ようやく食べ終わった自分に私は一つため息を吐きます。
まるで一息吐くようなその後、残ったお茶を口へと流し込めば、須賀君がソファから私へと振り返っているのが見えました。

「ん…終わったのか?」
「えぇ…ご馳走様でした」

そう手を合わせて感謝の言葉を告げながら、私は須賀君と同じように食器を流し台へと持っていきます。
そのまま須賀君の分まで洗おうとした瞬間、彼がそっと私の横に立ちました。
二人揃って並び立つようなそれに、しかし、私はその理由が分かりません。
使ったフライパンなんかはその都度、須賀君が洗ってくれたので、洗わなければいけないのは実質、二人分の食器だけ。
その程度ならば、誰かの手を借りる事はありませんし、何より何時もは私がやっている事なのです。

「俺が洗い物やるよ」
「え…でも…」
「その代わり、お風呂沸かしてきてくれないか?」

交換条件として須賀君が口にするそれは、確かに私でなければ出来ない事でしょう。
脱衣所と隣接するそこにはあまり見られたくないものもあるのですから。
ゆーきが出しっぱなしで放置している下着なんかがないかをチェックするのは私にしか出来ない事なのです。


「須賀君は宿題をしていてください」

でも、それはあくまで私と須賀君が対等な立場である場合の事。
今の私は須賀君にお願いして、わざわざ泊まりに来てもらっている立場なのです。
それなのにそういった雑事に手をわずらわせたりさせたくありません。
折角、宿題を始めたのですから、まずはそっちに集中してほしいと思うのです。

「ダーメ。作ったのは二人なんだから、片付けるのも二人でないとな」
「ぅ…」

けれど、須賀君は冗談めかして言いながらもその言葉を曲げるつもりはないようです。
それに小さく声をあげるのは、私に選択肢が殆どないからでしょう。
そうやって彼に任せるのは心苦しいですが、かと言って意固地になるようなものでもないのです。
須賀君がそう言ってくれている以上、ここは彼に任せるのが一番。
感情は納得していなくても理性はそう理解しているのでした。

「…じゃあ、申し訳ないですけど、お願いしますね」
「あいよ。それじゃ和にいい所見せますか」

そう言って腕まくりする須賀君に私はクスリと笑いながら脱衣所へと向かいます。
その後ろで鼻歌を歌いながら食器を洗い始める須賀君の上機嫌さが移ったのか、その足取りは妙に軽いものでした。
意外と影響されやすい自分に一つ笑みを浮かべながら、私はスポンジを手にとって、お風呂掃除を始めるのです。

げふ…ちょっと意味通らないんで訂正;



「須賀君は宿題をしていてください」

でも、それはあくまで私と須賀君が対等な立場である場合の事。
今の私は須賀君にお願いして、わざわざ泊まりに来てもらっている立場なのです。
それなのにそういった雑事に手をわずらわせたりさせたくありません。
折角、宿題を始めたのですから、まずはそっちに集中してほしいと思うのです。

「ダーメ。作ったのは和なんだから、片付けるのは俺でないとな」
「ぅ…」

けれど、須賀君は冗談めかして言いながらもその言葉を曲げるつもりはないようです。
それに小さく声をあげるのは、私に選択肢が殆どないからでしょう。
そうやって彼に任せるのは心苦しいですが、かと言って意固地になるようなものでもないのです。
須賀君がそう言ってくれている以上、ここは彼に任せるのが一番。
感情は納得していなくても理性はそう理解しているのでした。

「…じゃあ、申し訳ないですけど、お願いしますね」
「あいよ。それじゃ和にいい所見せますか」

そう言って腕まくりする須賀君に私はクスリと笑いながら脱衣所へと向かいます。
その後ろで鼻歌を歌いながら食器を洗い始める須賀君の上機嫌さが移ったのか、その足取りは妙に軽いものでした。
意外と影響されやすい自分に一つ笑みを浮かべながら、私はスポンジを手にとって、お風呂掃除を始めるのです。


—— とにかく…念入りにしないといけません…っ!

勿論、ゆーきが泊まってくれていた今までも掃除に手抜きをしていた訳ではありません。
しかし、こうして事件が起こる前から何度も家に泊まってくれた彼女には良くも悪くも身構えるものがないのです。
いつも通りの私の姿を知ってくれているゆーきに今更、無理をする必要はありません。

—— で、でも…す、須賀君はそういう訳にはいかないですし…。

だ、だって、彼は今日、初めてこの家にお泊りしてくれるのですから。
幻滅されない程度にはしっかりとしたところを見せたいというのが偽りのない本音でした。
だからこそ、私は普段よりも念入りに浴槽を擦り、そして水垢一つない壁をさらに磨いていくのです。
それは中々に重労働ではありましたが、けれど、それほど苦ではありませんでした。

—— こ、ここに…須賀君が入るんですよね…?

初めて家に泊まる異性の友人。
そんな彼がここに身体を預けたり、触れたりするかと思うと妙な恥ずかしさが胸を埋め尽くすのです。
それから逃避するように掃除を続けるのは、それほど難しい作業ではありません。
結果、数十分後にはいつも以上にお風呂を綺麗にし終えた私は、微かに額に浮かんだ汗をそっと拭うのでした。


—— 大丈夫?…うん。大丈夫。

自分で尋ねる言葉に小さく胸中で小さく頷くのは、私の目の前に汚れ一つなかったからです。
ほんの小さな水垢一つさえも許さないそれに達成感すら感じるくらいでした。
それに足取りをさらに軽くしながら、私は浴槽に栓をし、給湯器のボタンを操作して、給水を始めます。
後、数十分もした頃にはお風呂も湧き上がり、リビングに軽快な音がなる事でしょう。

「よし…っと…」

それを確認してから、私は脱衣所へと戻り、床に敷いたマットで足の水気を拭き取ります。
しっかりと洗った所為で制服にも飛び散った水気もまたハンドタオルで拭い去りながら、私はスリッパを履き直しました。
そのままパタパタという音を鳴らしながらリビングへと戻れば、そこにはソファに座りながら携帯を弄る須賀君の姿があったのです。

「あれ…?もう宿題は終わったんですか?」
「あぁ。今日はそれほど数が多い訳じゃなかったしな」

確かに言われてみれば今日は一つ二つ程度で、それほど宿題があった訳ではありません。
集中してやればきっと誰でも一時間もかからないようなものでしょう。
だからこそ、私は須賀君の言葉に納得しながら、けれど、言わなければいけない一言を口にするのでした。

「英語の予習は終わったんですか?」
「ぅ…」

須賀君がそう唸り声をあげるのは彼が英語という教科が人並み以上に苦手だからです。
この一ヶ月近くクラスメイトである彼のことをそれなりに見て来ましたが、英語だけはまるでからっきしでした。
他の教科は人並み程度にはこなすのに、誤訳も発音もおぼつかない須賀君。
そんな彼がこの短期間で英語の予習まで終えられたとは到底、思えないのです。

「あ、後で和に教えてもらおうかなって…」
「まったく…そんなんじゃゆーきの事笑えませんよ」
「ち、ちゃんと他の教科はやってるし…」

拗ねるように口にする須賀君の中ではゆーきと自分では大差あるものなのかもしれません。
でも、苦手分野を人に頼ろうとしてしまうのは、それほどゆーきと変わらないでしょう。
ただ違うのは須賀君が勉強そのものを不得手としていないのに対して、ゆーきがそうであるというだけ。
勿論、その差は決して少ないものではありませんが、二人に頼られている私からすればそう大差ないように思えるのでした。

—— まぁ…頼られて悪い気はしませんけれど。

何だかんだ言いながらも、私はそうやって人に頼られるのが好きなのでしょう。
ましてや、相手は私が基本的におんぶ抱っこになっているゆーきや須賀君なのです。
普段の恩義を少しでも返す為にも、教えるのも吝かではありません。
特に今日は無理を言って、泊まってもらっているので、今日くらいは…という気持ちがない訳ではありませんでした。

「…まったく。仕方ないですね。…それで何処が分からないんです?」
「全部!」
「…本当、英語に関してはゆーきを笑えませんよ、須賀君」
「い、言うなよ…」

自信満々に全てと応える須賀君にジト目を向けながらも、内心、それは予想していたものでした。
他の教科は基礎からしっかり出来ている彼が、英語だけはからっきしなのですから。
きっと根本の部分から懇切丁寧に教えなければいけないのは目に見えていました。
それでも彼に言葉を向けるのは、さっきからかわれた事を忘れていなからです。
確かに嬉しかったのは嬉しかったですが、それでもやっぱり悔しいのは否定出来ません。
そんな私に訪れた数少ない仕返しの機会を活用しようと思うのはごく普通の事でしょう。

「まぁ、あんまり手を煩わせたりしないように和先生の授業で頑張って理解するよ」
「そっ、そう言うんなら普段の授業でちゃんと理解してください」

瞬間、微かに声が上ずったのはまさかそんな風に言われるとは思っていなかったからです。
小さい頃の夢に先生という項目があった私にとって、その呼び方は一種の憧れでもあったのですから。
それを同年代の男性に言われるというのはむず痒く、そして妙に嬉しいものだったのです。
そんな単純な自分に一つ苦笑めいたものを向けながら、私たちは英語のレッスンを始めました。

「ぐはぁ…」

けれど、その結果は悲しいかな散々なものでした。
自分が理解している事を分かりやすく人に教えるというのはやっぱり難しい事なのでしょう。
中学時代、後輩に教えた経験を出来るだけ活かすようにしたつもりですが、その進みは順調とは言えません。
結果、1ページの訳を作るのに一時間近く掛かった須賀君はそう声をあげながら、ソファに持たれかかるのです。

「ごめんなさい…私がもっと分かりやすく教えられれば…」
「いや、和の所為じゃねぇよ。俺の英語力がダメ過ぎるんだって」

謝罪する私の言葉に須賀君は自嘲混じりにそう答えました。
実際、思った以上に基礎の基礎から教え直さなければいけなかった彼の英語力は高いとは言えません。
ですが、こんなに時間が掛かってしまったのは私の教え方があまり良くなかった所為でしょう。
きっと中学時代の先輩 —— 花田さんならこんな事にはならなかったはずです。
それを思うと申し訳なさが胸を突き、小さくため息を吐いてしまいました。

「これでも昔は幼馴染が教えてくれてたから今よりはマシだったんだけどな…」
「幼馴染…ですか?」

そんな私の前でポツリと呟く須賀君の言葉に、私はついついそう問い返してしまいました。
独り言にも近いそれに突っ込むのは野暮なのだと…頭の何処かでは理解していたのです。
ですが、それでも…内心、ずっと気になっていた相手の情報だからでしょうか。
止めたほうが良いと理解しながらも、私はそう聞いてしまったのです。

「あぁ。宮永咲って言って…何処でもすぐ迷子になるのが特技みたいな奴なんだけどさ。でも、普段、洋書とか読んでる所為か、国語力と英語力だけは抜群でな」
「…そうですか」

それに律儀に応える須賀君の声には微かに自慢気なものが混じっていました。
きっと彼にとってその幼馴染 —— 宮永咲という少女はとても大事な人なのでしょう。
たった一言で思い知らされるその感情に、私は自分でも思った以上のショックを受けていました。
そんな自分に驚きを隠せないながら、返した言葉はとても冷たく乾燥したものになっていたのです。
自分の方から尋ねたというのに、あんまりにもあんまりなその態度に自己嫌悪が湧き上がって来ました。

「でも…昔って事は…?」
「あー…まぁ、中学とかだとさ、仲の良い男女をはやし立てる奴とかいるだろ?」

その自己嫌悪を振り払いながら口にした言葉に、須賀君は自嘲混じりにそう答えました。
その言葉の響きに、私は以前、感じた自分の感想が決して間違いではなかった事に気づいたのです。
以前…私が周囲の反応を恥ずかしいと口にした時…彼が口にした「振り回されて生き方を変える方が窮屈だ」という言葉。
それに実感がこもっていたのはやっぱり… ——

「夫婦とか何だとか言われて…まぁ…気まずくなってちょっと疎遠になってる」

気まずそうにそう視線をそらす須賀君は、やっぱり私の感じたものと同じものを抱いていたのでしょう。
そして、その所為で大事な人と疎遠になっているが故に…彼の言葉には実感がこもっていたのです。
そう思った瞬間…私の胸に強い鈍痛がのしかかるのを感じました。
けれど、それが須賀君へと共感した所為か、或いは、再び滲み出る宮永咲という彼女への大事さなのかは私にも分かりません。
ただただ重苦しい感情が私の胸を支配し、どすれば良いのか分からなくなっていたのです。


「はは。悪いな。重い話しちまって」
「そんな事…ないです」

それでも明るく振る舞うのがはっきりと分かる須賀君の言葉を否定したのは本心からです。
確かに今の渡しは決して本調子とは言えないほどにショックを受けているのは事実でした。
ですが、それを知らないままで居たかったとはこの鈍痛の中でも思えません。
寧ろ、そうやって須賀君の心にまた一歩近づけたのが嬉しく思う気持ちは私の中にもあったのです。

「…有難うな、和」
「お礼を言うのは…私の方です」

だって、そんな状況でも、須賀君は私に手を貸してくれているのですから。
本当ならもっと早く仲直りがしたいでしょうに、私を護ってくれているのです。
そんな彼にお礼を言わなければいけないのは間違いなく私の方でしょう。

—— いえ…本来なら御礼の言葉では全然、足りないんです。

それどころか食事や勉強でさえ、彼の優しさに報いる事にはなりません。
私が彼に報いる為には疎遠になっている幼馴染との橋渡しにならなければいけないでしょう。
しかし、須賀君とは仲良くなって居ても、宮永咲さんの姿も何も分からない私には何も出来ません。
それに…何より…私自身があまりそうしたいとは… —— 

「っと、もうこんな時間か」
「そ、そうですね!」

瞬間、浮かんだ言葉を否定するように、私はそう上ずった声で答えました。
それに須賀君は心配そうな視線を向けますが、私はそれに応える事は出来ません。
何せ、さっきの感情は自分自身でも中々、説明がつかない事だったのです。
いえ、より正確に言えば…それは説明をつけてはいけない言葉であり、永遠に胸の底に沈めておくべきものだったのでした。

「あー…それで…言いそびれてたんだが…悪い。忘れ物したみたいだ」
「え…?」

そんな私の前で後頭部を掻くようにして言葉を紡ぐ須賀君に私は驚きの声を返しました。
けれど、彼は私に構う事はなく、そのまま椅子から立ち上がり、出かける準備を始めます。
そんな姿を呆然と見つめながら、でも、私は何と言って良いのか分かりませんでした。
だって、それは私がまたこの誰もいない家で一人ぼっちになってしまうという事だったのです。
正直に言えば…引き止めたいのが本音でした。

「ちょっと取ってくるから先に宿題か風呂でも入っててくれ」
「そ、それは構いませんけれど…」

ですが、理性はそんな事は出来ないという事を理解していました。
忘れ物が何なのかは分かりませんが、こうして言う以上、大事なものなのでしょう。
夜も更け始め、人通りが激減した時間帯に取りにいかなければいけないものをこの家にあるもので代替出来るとは思えません。
結果、私はどれだけ寂しくても須賀君を見送るしかなかったのです。

今日はこれまで
予定してたところまでまったくいけなくてすまぬ
明日と言うか今日も投下するから、それが終わったらストーカー編は一段落つくはず

後おまえら咲ちゃんの影が見えた瞬間に反応しすぎだろwwww
思わず笑っちゃったじゃないか

「何度でも言うけど…相手が俺だって確認出来るまで開けちゃダメだからな」
「もう…子どもじゃないんですから」

準備を終え、玄関で再びそう念押しする須賀君に私は頬をふくらませるようにしてそう返しました。
そう言いながらも…私は内心、子どもでありたいという気持ちを否定する事が出来ません。
だって、もし、私が自分に素直になれるような子どもであれば、彼を引き止める事が出来るのですから。
ですが、現実の私は須賀くんと同い年で…最低限の分別や体面というものを気にする程度には大人なのでした。

「でも、和は変なところで抜けてるからなぁ」
「う…そ、それは…」

靴を履きながらクスリと笑う須賀君の言葉に私は明確な反論をする事が出来ません。
出会った頃ならいざしらず、彼にはもう恥ずかしいところを沢山見られてしまっているのです。
ついさっきだって失敗した料理の味付けに付きあわせた私が「そんな事ない」と言っても説得力はないでしょう。
それに一つ肩を落とした瞬間、私の目の前で須賀君がそっと振り返りました。

「それと…もし、俺が帰ってくるのが遅かったら…」
「え…?」

瞬間、私がそう問い返したのは、彼の顔がとても真剣なものだったからです。
さっきまでの冗談めいたものは欠片もないその引き締まった表情に、私の胸がトクンと跳ねました。
ですが、それ以上に私にとって驚きであったのは、彼の言葉が最悪を想定しているようなものだったからです。
まるでもうこの家には戻ってこれないようなその言葉に私は… —— 

「いや…良いや。不安になるような事言ってごめんな」
「あ…」

それに思わず胸を抑えた瞬間、須賀君は気まずそうに笑いながら、扉のドアノブに手を掛けました。
その仕草は微かに強張り、全身から緊張めいたものを感じます。
勿論、この辺りは治安も良いので、この時間に外に出る程度でこんなに緊張する必要はありません。
夜も更け始めたと言っても、まだまだ民家から漏れる光は強く、人通りも決してない訳ではないのですから。

「じゃ、行ってくる。くれぐれも気をつけるんだぞ」
「す、須賀君!」

それでも滲み出る彼の緊張に、私は猛烈に嫌な予感を感じました。
それに背を押されるようにして思わず彼に呼びかけましたが、須賀君は立ち止まる事はありません。
スルリとドアを開いて私の視界から消えていくのです。
そんな彼を見送って数秒、ようやく自分がしなければいけない事を思い出した私は扉の鍵を閉めたのでした。

「…須賀君…」

しかし、それでも嫌な予感が収まる事はありません。
さっきのような寂しさとは違ったその落ち着かなさに、私は数分ほど玄関で立ち尽くしていました。
けれど…そんな私に出来る事なんて哀しいかな何もありません。
今から彼を追いかける訳にもいかない私は言われた通り待つ事しか出来ないのでした。


—— 何も出来ないのが…こんなに悔しいなんて…。

その悔しさを握り締めるようにして拳に力を込めましたが、感情の波はまったく収まる事がありませんでした。
寧ろ、そうやって感情を自分へとぶつけるしか出来ない状況により惨めさを感じてしまうのです。
普段よりも遥かにネガティブな方向へ敏感になった自分の思考に一つため息を吐きながら、私はそっと踵を返し、リビングへと戻りました。

—— ゆーきも…こんな気分だったのでしょうか。

勿論、今の私とつい数時間前のゆーきの状況は細かい部分で違います。
ですが、何かしてあげたいのに、自分ではどうにも出来ない壁に阻まれて何も出来ない無力感という意味では一致するでしょう。
今、私の胸に抱いているそれを彼女にも味合わせてしまったと思うと申し訳なさが胸の底から湧き上がって来ました。
しかし、それよりも私の中では、焦燥感にも似た心配が遥かに強かったのです。

—— 須賀君…大丈夫でしょうか…。

あれほど警告されてきたとは言え、須賀君の周辺に何か変化があったとは聞いていません。
手紙の内容こそ苛烈なものになっているとは言え、手を出す度胸はないのでしょう。
これまでも色々な用事で須賀君を返すのが日が落ちてからになった事は幾度かあるのです。
それでも手を出さなかった犯人が、今日この時だけ手を出すとは考えづらいでしょう。

—— でも…嫌な予感が止まりません…。

それはきっとさっきの須賀君の表情が覚悟を決めたものだったからでしょう。
今までに見たどんな表情よりも真剣で力強いその顔に彼が無茶をするのではないかという心配が止みません。
勿論…そんな事をしないと最初に約束しているのですから私は彼を信じるべきなのでしょう。
ですが…それでもやっぱり去り際の表情が私の胸を埋め尽くし、閉塞感に似た息苦しさを呼び起こすのでした。

—— 早く…早く帰ってきてください…。

そう思う気持ちはつい数時間前とはまったく違うものでした。
勿論、こうして一人でいる状況が寂しいのは変わりません。
ですが、思わず涙を浮かべてしまうそれよりも…私は須賀君の事が心配で仕方がなかったのです。
まるでもう二度と元気な彼に出会えなくなってしまいそうなほどの嫌な予感に私は… ——


—— ブルルルルル
「っ!?」

瞬間、リビングへと響き渡った振動音に私はビクンと身体を跳ねさせました。
そのまま周囲を見渡せば、テーブルの上に置きっぱなしになっていた携帯が震えているのに気づきます。
それに安堵の溜息を漏らしながら、私はそっとそちらに近づいて行きました。
そのまま携帯をパカリと開けば、そこにはメールの着信を知らせる文章があったのです。


—— メール…?ゆーきでしょうか?

普段から元気いっぱいな彼女は、その半面、とても気遣いの出来る子なのです。
一人実家に帰っている今の状況を心苦しく思っていてもおかしくはありません。
そう思いながら携帯を操作すれば、そこには須賀君の名前がありました。

「…良かった…」

思わずそう呟いてしまうのは今この時間、彼が無事であるという事がメールの存在そのものから伝わってきたかったです。
少なくともメールすら打てないような危機的状況ではない。
それに一つ安堵の溜息を吐いてから、私はそっと携帯を操作し、メールを開きました。

—— 手が塞がっていてチャイムが押せない。鍵を開けてくれ。

簡潔で短いその文章に、私の頬は思わず緩んでしまいました。
だって、彼は私の心配をよそに無事に帰ってきてくれたのですから。
あんな思わせぶりな事をしての結果に拗ねるような感情が湧き上がらない訳ではありません。
しかし、それ以上に今の私は嬉しく、そして居ても立ってもいられなくなるのでした。


—— 早く開けてあげないと…!

そうして…私は彼に怒るのです。
忘れ物をした事もそうですし…私をこんなに心配させた事にも一言言わなければいけません。
勿論、それをストレートに伝えるのは恥ずかしいですが、今回ばかりはそんな事を言う余裕はないでしょう。
意地とかそういうものがちっぽけに思えるくらいに、私は彼のことを心配したのですから。
少しはその気持ちを受け止めてくれなくてはフェアじゃないでしょう。

—— そして…おかえりなさいを言ってあげるんです。

帰ってきてくれて有難うって…無事で嬉しいって…そう伝えるんです。
そうすれば彼はきっとはにかみながらも、笑ってくれるでしょう。
申し訳なさと気恥ずかしさを混ぜたその表情は、今の私の心を慰撫してくれるはず。

—— 仕方がありませんし…それでチャラにしてあげます。

私も終わった事をゴチャゴチャと言い続けるような面倒くさいタイプではありません。
それに彼が決してこんな時間に出たくて出た訳ではない事くらい私にだって察する事が出来るのです。
ちゃんと反省の色が見えるんなら…それで終わりにして、お菓子の一つでも作ってあげましょう。
そう思いながら、私は玄関の鍵を開け、勢い良く扉を開けば… ——









「や、やぁ。の、和」















「…えっ?」

扉の前にいたのは須賀君ではありませんでした。
彼の鮮やかな金髪はくすんだ黒毛へと変わり、その身長も10cm近く縮んでいるのですから。
その分、肩幅は広く、また…その…一見して分かるくらいに恰幅の良い体型をしていました。
荒れた肌にはニキビが浮かび、引きつった笑みを浮かべるその唇の間から黄ばんだ歯が見えます。
須賀君とは似ても似つかないその姿に、私は困惑と驚きに身体を固めてしまいました。

「だ、誰ですか…?」

その身体に纏っている制服は、須賀君が着ているものとまったく同じです。
恐らくは目の前の男性も私達と同じ清澄高校に通っている生徒なのでしょう。
しかし、私は彼にまったく見覚えがありませんでした。
少なくとも同じクラスには彼のような人はいなかったはずです。

「ひ、酷いな。の、和の恋人に向かって」
「ひっ…」

そう言ってその男性は私へとずいっと迫って来ました。
汗でベタついた制服のまま近寄るその姿に生理的嫌悪を感じた私は一歩後ろへと後ずさってしまいます。
そして…結果から言えば、それがいけなかったのでしょう。
その隙に…私の恋人を名乗るその男性は、家の中へと踏み込んできたのですから。

「ず、ずっと護ってたんだ。和の事…」
「い…何時から…ですか?」

そんな事はありえません。
だって、私のことを護ってくれていたのは須賀君とゆーきなのですから。
こんな見知らぬ誰かに助けを求めた事はなく、また助けられた記憶もありません。
少なくとも、今、こうしてズケズケと家の中に入り込む彼が私を守ろうとしてくれているとは欠片も思えませんでした。

「それなのにあんな不良に媚を売って…の、和は悪い子だ」
「っ!…須賀君の事を悪く言わないでください!!」

だからこそ、後退りながら紡いだ言葉に、けれど、男性はろくに返事をしません。
その代わりに彼がよこしたのは須賀君を不良とレッテル張りする酷い言葉でした。
確かにあの髪の毛や軽い態度で彼がそう見えるのは否定しがたい事実です。
しかし、だからと言って何も知らない人にそう言われて怒らないほど、今の私は冷静ではないのでしょう。
内心の怯えを怒りへと変えて、きっと無法な侵入者を睨めつけました。

「…和は…あ、アイツに騙されてるんだ。アイツは悪い奴なんだから。だ、だって、アイツは俺の和に近寄ったじゃないか」
「っ…!」

それでもまだその言葉が理路整然としたものであれば、私はまだ冷静さを取り戻す事が出来たでしょう。
しかし、それは妄想と言う事さえ憚られるような思い込みによるものだったのです。
やっぱり…相手は普通の精神状態ではない。
もう既に分かりきっていたはずのそれを再確認しながら、私は再び後退を始めます。

「何回も警告したよね?なのに…和はアイツとドンドン仲良くなって…そんなに俺を嫉妬させたいんだな?」
「…勝手な思い込みは止めてください」
「…思い込み?」

にやついた笑みに相応しいねっとりとした言葉。
それに怖気混じりの不快感を感じた私は思わず突き放すような言葉を放ってしまいました。
本来であれば冷静に相手との距離を取らなければいけないところでの…挑発的な言葉に、理性が失敗を悟ります。
けれど、激情を抱いた心はそれではまったく収まる事がありません。
怒りのままに色々と言ってやりたい気持ちで一杯だったのです。

「俺は…和の記事は全部集めてるんだ!あんな奴よりもずっとずっと和の事を知ってる!」
「ひっ…!」

けれど、それが再び恐怖へと転落したのは、いきなり男性が大声をあげはじめたからです。
部屋中に響き渡るようなそれに私は小さく悲鳴をあげてしまいました。
本当は逃げなければいけないはずなのに…竦んでしまった足に私はさっきの自分が張り子の虎もいい所であった事を悟ります。
けれど、それを理解したところで全ては遅く、激昂した男性は私に向かって荒々しい勢いで近づいてくるのでした。

「そんな俺が一緒に清澄に入学出来たのは運命だろ!!それなのに思い込み!?思い込みだと!!?」
「きゃ…!」

そんな彼から逃げようと強引に足を動かそうとしたのがいけなかったのでしょう。
その勢いに気圧されるようにして私はバランスを崩し、腰を強く打ち付けてしまいました。
その痛さに思わず声をあげる私の前で憎しみさえ、その瞳に浮かばせる男性。
けれど、その視線が私の一部へと向けられた瞬間、その感情がゆっくりと変わっていきました。

「ゴクッ…」
「っ…!」

男性が見ていたのはスカートから覗いた私のショーツなのでしょう。
そう思った瞬間に私の胸を気持ち悪さと羞恥心が埋め尽くし、両腕でスカートを直し、露出した下着を隠しました。
けれど、それでも男性の瞳に浮かんだ…気持ち悪い感情は消える事はありません。
どす黒い…けれど興奮に満ちたそれは、恐らく… ——

「お、お仕置きだ…悪い和には…お仕置きしないと…」
「い、嫌ぁっ!」

瞬間、その感情 —— 欲情に我慢出来なくなったように男性が私へと近づいてきます。
その手を私の胸に一直線へと伸ばすその姿は生理的嫌悪を超えて恐怖すら感じるものでした。
それに拒絶の言葉を放っても、男性は止まる事はありません。
寧ろ、その言葉に興奮を覚えるようにして、唇の端を吊り上げ、気持ちの悪い笑みを浮かべるのです。

—— 誰か…っ!誰か助けてください…っ!!

今から自分が何をされるかという事は恐怖で強張る思考でもなんとなく理解する事が出来ました。
しかし、だからこそ…私はそれに強い恐怖を感じて、強張らせてしまうのです。
本当は逃げなければいけないのに、助けを呼ばなければいけないのに、気持ちだけが空回りして何も出来ません。
普段であれば簡単に出来るはずの事さえも出来なくなった私に出来るのは心の中で助けを呼び…そして、現実から逃避するように目を閉じる事だけでした。














「和から離れろ!クソヤロオオオオオオッ!!!!」
















「え…っ」
「がっ!」

瞬間、聞こえてきた強い声に私がそう声をあげて目を見開けば、私の視界に金色の何かが横切りました。
それに今にも私に触れそうだった男性がバランスを崩し、後ろへと倒れていきます。
私と同じように尻餅をついたその男性に、似た服を来た誰かが馬乗りになるのが分かりました。

「あ…あぁぁ…っ」

その瞬間、私はそれが誰であるかをようやく理解しました。
いえ…見間違えるはずなんて最初からなかったのです。
だって、それは自分も辛い状況なのに…私を護ってくれている人なのですから。
私をあんなに心配させて…けれど、今、私のピンチに駆けつけてくれたその人の名前は… ——

「須賀…君…」

その人の名前を呼んだ瞬間、私はもう我慢する事が出来ませんでした。
さっきまでの身の毛がよだつような恐怖を一気に安堵へと変える私の目は潤み…涙をこぼすのです。
ポロポロと際限なく漏れだすそれに私は何度も目尻を拭いました。
けれど、誰よりも心強いその彼の姿に…私の涙は止まらず、その視界が歪んでいくのです。

「和!警察だ!警察を呼べ!」
「離っせええええ!!!」

それでも、馬乗りになった須賀君がぐっと男性を抑えこみ、その下で男性が暴れるのが分かります。
その度に須賀君の身体がガクガクと揺れますが、彼は決して男性を離そうとはしません。
その全身でしがみつくようにしながら、私へと必死に叫ぶのです。
それにようやく自分がしなければいけない事を理解した私がポケットから携帯を取り出しました。
けれど、未だ恐怖が残る指先はしっかりとボタンを押す事が出来ず、110という簡単な番号に掛けるだけでも手間取ってしまうのです。

「誰が離すかよ…!さんざん和を怖がらせやがって…!」
「お前が!お前が居たからだ!全部、お前が悪いんだ!」
「ぐ…っ!確かに俺は悪いよ!でも…元凶のテメェには言われたくねぇ!」

その間に男性がのしかかった須賀君を殴りつけ、蹴りつけていました。
それを受け止める度に須賀君の身体が揺れ、口から苦悶の声が漏れるのです。
しかし、それでも彼は強い意思のこもった言葉で男性に言い返していました。
まるで言い返さなければ気が済まないと言うようなそれは男性に日を注ぐ結果になったのでしょう。
その四肢は滅茶苦茶に暴れ、激しい物音を立てるようになりました。

「何でだよ!何で俺が悪いんだよ!俺は和と愛し合ってるんだぞ!!邪魔なのはお前の方だろ!!」
「そういうのは…誰よりも傍にいて護れるようになってから言えよ!!」
「くそおおおおおお!!!!」

須賀君の言葉にさらに激昂した男性がさらに暴れ始めます。
その四肢が床や壁にぶつかるのもお構いなしに暴れるその姿は人と言うよりはいっそケダモノのようでした。
それに怯えを残す身体がびくついてしまいますが、ようやく私も通報が終わる事が出来たのです。
けれど、まるで大きな駄々っ子のように暴れる男性の近くへと近づく勇気は私にはなく、心の中で須賀君を応援する事しか出来ませんでした。



—— 数分後、付近をパトロールしてくれていた警官が男性を取り押さえ、その手に手錠を掛けてくれました。

それでも尚、暴れようとする男性に、しかし、屈強な警官たちは手慣れた様子で連行していきます。
その頃にはうちの前にパトカーが止まり、周りから野次馬めいた人たちが集まってくるのが分かりました。
まったくこちらの事情も知らない無遠慮なその視線に、けれど、私は怒る気力さえもありませんでした。
それよりも私と須賀君が大事であった事の方が嬉しく…そして涙を漏らしてしまうのです。

「え…?」

けれど、そんな私の視界に映ったのは赤色に染まった金色でした。
床に倒れてぐったりとしたまま動かない彼の顔は…まるで血糊でもかぶってしまったように真っ赤だったのです。
滲んだ視界でもはっきりと分かるその色に私は中々、理解が追いつきません。
私がそれを理解したのは…彼が頭を動かさないように担架に載せられて、運ばれていった後でした。

「あ…あぁぁ…!」

冷静に考えれば…どうして須賀君の携帯が、あの男性の手にあったのか考えれば分かる事だったのです。
途中で彼は襲われ…携帯を奪われてしまったのでしょう。
けれど、須賀君は私の危機を感じて…倒れそうな身体を強引に動かしてくれたのです。
結果、警官が男性を取り押さえた瞬間、彼の緊張の糸が途切れてしまったのでしょう。

「須賀君!須賀君!!」
「落ち着いて!大丈夫!大丈夫だから!」

そんな彼に私が何か出来るとは思えません。
けれど、こうして蹲ったままではいけない事だけが良く分かり、彼へと近づきました。
そんな私を宥めてくれていた婦人警官の人が抑えますが、今の私には邪魔でしかありません。
私が本当に辛い時に何もしてくれなかった警察よりも…私の所為で大怪我をしてしまった彼の方が大事なのは極当然の話でしょう。

「頭からの出血は激しいけれど、命に別状は…」
「そんなの…どうして分かるんですか!!」

勿論、こういった荒事のエキスパートである警察の言葉はきっと正しいのでしょう。
ですが、須賀君のあの傷は明らかに頭部に攻撃を受けたが故のものなのです。
レントゲンには映らないような細かいキズでも脳に残れば、後日、脳梗塞が発症して死んでしまうケースも報告されていました。
そうでなくても後遺症が残るかもしれないのに、この場で大丈夫だなんて言い切る事は出来ないでしょう。

「それより事情聴取に協力してくれた方があの子の為にもなるのよ」
「…っ…!」

言い聞かせるような彼女の言葉に感情は強い反発を覚えていました。
こんな土壇場になるまで協力してくれなかった警察の為に、どうして私の所為で傷ついた須賀君から離されなければいけないのか。
八つ当たりにも近いその感情は私の胸から消える事はなく、強い苛立ちを覚えるのです。

「…はい…」

けれど、その一方で彼女の言葉が正しいと理性は理解していました。
ココで私が須賀くんの傍についていても何の訳にも立てません。
それよりは少しでも事件を立件出来るように警察に協力した方が傷ついた彼も報われるでしょう。
そう言い聞かせながら、私はぐっと歯の根に力を込め、救急車で運ばれていく須賀君を見送りました。

「それじゃ…私達も警察に向かいましょう。ここじゃ少し目立ってしまうから」
「…分かりました」

そう促す婦人警官の後に着いて行く頃には私の涙は収まっていました。
もう感情の波が収まったのか、警察に対する不快感がそれを上回ったのか私自身にさえも分かりません。
けれど、今の私は何処か冷えた気持ちで…詰襟の制服を見つめていました。
一体、それが何なのか自分でも分からないまま、私はパトカーへと乗り込み、警察署へと運ばれていったのです。



……
…………
………………


—— 結局、事情聴取にはかなりの時間を取られてしまいました。

調書を書いていた警察官の方が言うには捕まった男性の証言が滅茶苦茶で裏を取るのに忙しいとの事。
それに被害者である私を付きあわせないで欲しいとは思いましたが、あの男性は決して許せません。
そう思って根気強く同じ事を聞かれる事に付き合っていましたが、解放された時にはもう日付変更間近でした。

—— その後は…迎えに来てくれた両親に泣かれて…。

ストーカー事件という大きなものに巻き込まれた私が心配だったのでしょう。
二人共、忙しいにも関わらず、仕事を切り上げ、私のことを抱きしめてくれました。
久しぶりに感じる両親の暖かさに私もまた涙を流してしまいます。
そんな私の事を心配混じりに「どうして相談してくれなかったんだ」と叱ってくれる両親に…私は愛されている事を実感したのです

—— でも…結果として私は須賀君の付き添いに行けませんでした。

勿論、今から病院に走ったところで須賀君の病室に案内してもらえるはずがありません。
もう病院の受付時間は過ぎており、お見舞いすら出来ないのですから。
しかし、それでも…私は何とか頼み込んででも…彼の傍にいたかったのです。
須賀君が目覚めた時に…一番にお礼を言えるように…その傍についていたかったのでした。


—— ですが…それを両親が許してくれるはずがありません。

ストーカー事件に巻き込まれているのを黙っていた私はただでさえ心配を掛けてしまっているのです。
そんな私が怪我をした人の付き添いに行きたいと言っても素気無く却下されてしまいました。
夜も遅いし、面会時間も終わってるから、また明日、行けばいいじゃないか。
そんな両親の言葉は正論で…だからこそ、私は項垂れながらも頷くしかありませんでした。

—— でも…次の日も私は気が気じゃなくて…。

私がストーカー事件に巻き込まれていたという噂は一夜にして清澄の中に広がっていました。
ゆーきやここ最近少しずつ仲良くなってきたクラスメイトの女の子たちは朝早くから心配し、私の傍にいてくれたのです。
けれど、私はその最中も、須賀君の事が気になって、殆ど上の空に近い状態でした。
そうやって心配してくれる彼女たちには感謝していましたが…今の私にとって最優先事項は須賀君の事だったのです。

—— だからこそ…放課後、部活にも行かずにすぐに病院へと走って…。

その途中でスーパーへと寄った私の手にはお見舞い用の花と桃の缶詰が入ったビニール袋がありました。
病院へと入院している人へのお見舞いなんて行った事がないので、一体、どんなものを差し入れすれば良いのか分かりません。
ドラマなんかの知識から選んだそれらが正しいのか疑問ではありましたが、流石に何も買わないのは味気がなさ過ぎるでしょう。


—— 警察の人から聞いた話によれば…もう須賀君は目が覚めているみたいですし…。

どうやらあの傷は意識不明になるほどのものではなく、食欲も旺盛でピンピンしているとの事でした。
それでも検査の為に数日は入院しなければいけないらしいので、花や缶詰も無駄にはならないでしょう。
彼が目覚めた時に傍に居たかったという欲求をそう言い聞かせる事で誤魔化しながら、私は受付にて彼の病室を聞きました。

—— えっと…312…はここですね。

三階の西側へと位置するその部屋は個室でした。
普通、長期入院の為に空けられているその部屋に須賀君がどうして運ばれているのかは私には分かりません。
そもそも私にとって重要なのは、その扉の向こうに須賀君がいるという事だけ。
とりあえず彼の安否をちゃんと自分の目で確認するまではその他の事は些事に過ぎません。
ふと浮かぶ疑問をそう切り捨てながら、私は大きく深呼吸して、その扉に手をかけようとし… ——

「…え?」

瞬間、中から聞こえてきた声に私は小さく声をあげてしまいました。
だって、中から聞こえてきたそれは…女性の声だったのです。
聞き覚えのないそれは、勿論、ゆーきの声などではないでしょう。
だって、彼女は授業終了と同時に我慢できずに飛び出してしまった私の代わりに先輩たちに事情を説明してくれているはずなのですから。

—— 誰…でしょう。

扉の前でそう疑問を浮かべる私の耳に聞こえるそれは若々しいものでした。
張りのあるその声は恐らく私達とそれほど年の差が開いている訳ではないでしょう。
そう思った瞬間…私の胸に浮かんできたのは…顔も知らない『宮永咲』という女性でした。
須賀君の幼馴染であり、今は疎遠になっているという彼女が…どうして真っ先に浮かんできたのかは分かりません。
しかし、一方的に意識してる彼女の影を感じて冷静でいられるほど…私に余裕はなかったのでしょう。
ついつい扉の前で立ち尽くしながら、中の会話に耳を傾けてしまうのです。

すまん。集中力が途切れ始めたから今日はこれまで。
次回は何時になるか分かんないけど皆大好きあの子が登場するよ(白目)
後、ここからは病む一方だから、そういうの苦手な人は逃げてね
スレタイから分かると思うけど念のため

しかし和両親冷たくね?
男とはいえ仮にも娘の恩人なのに……

>>315
いや、救急車に同乗出来なかった時点で付き添いはほぼ不可能なんだ
今から言っても受付時間が終わってるから見舞いすら出来ない
でも、和はその無茶を何とかねじ曲げても貰えないか頼み込もうとしてた
それをどの道、無理だし、心配だから明日にしなさいって言っただけでお見舞いそのものは否定してない
その辺、俺の文章力不足で伝わりづらくてごめん

打ち所が悪くて入学してからの記憶が…
とかだったら和はどんな顔するんでしょうねぇ

それでも結局は和のことが好きになってる京太郎

>>339から>>340へと繋がるとすごい正統派ギャルゲーっぽいな
でも、このスレはヤンデレスレなので、ストーカー炊きつけて和を排除しようとした咲さんが実力で和を排除しようとする未来しか見えない
あ、勿論、本編は咲ちゃんなのでそんな事ないですよ、ノーウェイノーウェイ

「どうしたんだよ、ずっと黙って」

最初に私の耳に届いたのは須賀君の声でした。
何時も通りの軽い調子な、でも、少しだけ緊張を滲ませる声。
私と最初に会った時でさえ感じさせなかった須賀君の感情に、私は今、彼の前にいる女性がそれだけ気まずい相手である事を悟りました。

「…京ちゃん…私…怒ってるんだからね」

—— き、京ちゃん!?

瞬間、聞こえてきた言葉に、私は驚きに身を竦めてしまいました。
姉弟でも今時しないような親しげな呼び方は年若い女性の声で紡がれたのですから。
正直に言えば信じられない気持ちが強く、何かの聞き間違いでないかと思ってしまうのです。

「またこんな無茶して…京ちゃんってば…もう…本当に馬鹿だよ…」

けれど、そんな私の気持ちを裏切るようにして、再びその親しげな呼び方が私の耳を突くのです。
さっきのそれが決して偽りでもなんでもない事を教えるようなそれに私はギュッと拳を握りしめました。
しかし、それが一体、どういう感情によるものか自分でも分からず、私は定義する事の出来ない感情を持て余していたのです。

「おばさんから怪我して病院に運ばれたって聞いた時…私がどれだけ辛かったか分かる…?」
「…それは…」

責めるような口調に、須賀君は言葉を詰まらせました。
それは相手が辛いと感じるほどに心配を掛けてしまった事をその言葉から感じたからなのでしょう。
実際、扉越しに聞いている私にも…彼女の辛さが伝わってきて…胸が小さく痛みました。


—— でも…それは私も同じです…。

心配していたのは何も彼女だけではありません。
私だって、須賀君の事を心配していましたし…昨夜だってマトモに眠れなかったのです。
正直、早退して病院に駆けつけたいと思ったのは一度や二度ではありません。
そこまで考えた瞬間、どうして自分が名も知らぬ相手と張り合っているのかが分からなくなり、そっと肩を落としました。

「…気まずいまま京ちゃんがいなくなっちゃうかもって思ったら…私…」
「…咲…」
「…っ!」

瞬間、聞こえてきたその言葉に、私は反射的に自分の胸を抑えました。
痛みがズキズキと駆け抜けるそこをかばうようなそれに、けれど、痛みが消える事はありません。
締め付けられるような強い痛みに私は息苦しささえ感じました。
けれど、私はどうしてそんなものを自分が感じているのかまったく理解出来ません。
だって…それは私の予想が当たっていた事を示すだけの言葉に過ぎないのですから。
今、彼の目の前にいるのが『宮永咲』さんであった所で…私に不利益等一切ないはずなのです。

「京ちゃんのバカ…アンポンタン…スケベぇ…」
「…ごめんな」

しかし、そう思う私の心とは裏腹に嗚咽混じりの咲さんの言葉は私の胸を抉ります。
いえ…より正確に言えば、その後に布擦れの音がしたのが…一番の原因なのでしょう。
それと同時に声のトーンが変わった辺り…もしかしたら二人は抱き合っているのかもしれない。
そう思うだけで私の胸はまた痛みを強くして…目尻に熱い感覚を残すのです。


「でも…ほら、俺は元気だからさ」
「そんなのは当然だもん!…元気じゃなかったらこんなものじゃ済まさないんだからぁ!」
「はは…そりゃ怖いな」

張り詰めるような咲さんの言葉に須賀君は気まずそうにそう返しました。
それはきっと本気で怒った彼女の恐ろしさを誰より彼が良く知っているからなのでしょう。
『京ちゃん』『咲』と呼び合う二人の関係が一朝一夕ではない事を感じさせる言葉に私は思わず歯を噛み締めました。
お陰で胸の息苦しさはさらに強くなり…私はぎゅっと制服を握りしめてしまうのです。

「もう心配掛けないからさ。泣き止んでくれよ」
「嫌だもん…また絶対…京ちゃん無茶するの分かってるんだから…」

必死に咲さんを泣き止まそうとする須賀君の言葉に、けれど、咲さんは機嫌を直しません。
時折、しゃっくりを混じらせながら、拗ねるように口にする彼女は、それが護られるはずのない約束である事を知っているからなのでしょう。
でも…逆の立場であった時、私がそれを見抜けるか自信がありませんでした。
最初に約束した事なんてまったく護ってくれなかったにも関わらず…私は多少、機嫌を治していたでしょう。
細やかなその言葉一つにも私と咲さんの間に決定的な違いがあるような気がして…私は無性に惨めな気持ちになったのです。

「俺だって好きで無茶やってる訳じゃないんだけどな」
「後ろから殴られたのに犯人追いかけるなんて無茶以外の何だって言うの!?」

怒声に近い咲さんの言葉は、正直、私も同意出来るものでした。
携帯を奪われるほど傷めつけられたのにも関わらず、犯人を追いかけるなんて無茶にもほどがあるのですから。
警察の人にも呆れられるほどのそれは無茶以外の何物でもないでしょう。
その御蔭で助かった私が言える事ではないのかもしれませんが…しかし、あんな事はもう二度としてほしくないのが本音でした。

「でも、それは俺の所為でのど…いや、友達が危険になったからで仕方なく…」
「分かってる。分かってるよ…そんなの…」

須賀君の言葉に急にトーンを落とすのは、それが仕方のない事だって理解できているのでしょう。
実際、そうやって須賀君が後を追いかけてくれたお陰で、私はあの人に穢される事はなかったのですから。
しかし…それで幼馴染が死んでもおかしくないような無茶をしたという事に納得する事は出来ません。
私だって…ゆーきがそんな無茶をしたら、納得する事が出来ませんし、小言の一つでも言いたくなるのでしょう。

「京ちゃんが…正義感の強い人だって言うのは私も知ってるよ。でも…そんな自分を犠牲にするようなやり方は止めてよ…」
「…何の事だ?」
「とぼけないで。私…おばさんに全部聞いて知ってるんだから」

尋ね返す須賀君に咲さんは強い語気のこもった声でそう返します。
さっきの怒声のように荒上げるものではなく、静かな怒りを込めたそれは迫力さえ感じるものでした。
きっと今の咲さんは、須賀君を強い視線で睨めつけているのでしょう。
しかし…それが一体、どうしてなのか、私の頭では理解が追いつかなかったのです。


「…京ちゃん…わざと犯人挑発していたんでしょう?」

その言葉は強い確信に満ちていました。
まるで証拠が揃っているかのようなそれに、私は内心、首を傾げました。
だって…彼女は事件の全容をまったく知らない部外者なのです。
それなのに…須賀君の母親から聞いただけでこうも確信を得られるでしょうか。
二人のように幼馴染という存在を持たない私にとって、それは強い疑問を感じるものでした。

「…仕方ないだろ。そうしないと事件になんないんだから」
「だからって!死んだらどうするの!!相手はストーカーなんだよ!何するか分からない相手なんだから!」

しかし、その確信混じりの言葉は正しかったのでしょう。
須賀君はそれを認めるようにポツリと言葉を漏らします。
それに再び強い言葉を放つ咲さんに…私はどうして彼女がこれまで追い詰められているかを理解しました。
咲さんは…須賀君が自分から囮になったとそう知っていたからこそ…こんなにも感情を顕にして、さっきまで泣きじゃくっていたのでしょう。

—— でも…どうして…?

勿論…それは私も考えていない訳ではありませんでした。
いえ、忘れ物をしたと言って家を出た時の彼の様子を思い返せば、それは当然の帰結と言えるでしょう。
ですが…それは宮永さんの言う通り、とても危険な行為なのです。
一歩間違えれば帰らぬ人になっていたかもしれないそれを…どうして須賀君がしてくれたのか。
それが私にはどうしても理解出来ず、私はそれを馬鹿な考えだと胸の奥底にしまいこんでいたのです。

「今までずっと警告ばかりで手を出して来ないような奴に人一人を[ピーーー]ような度胸はないって」
「そうかも…しれないけど…」

しかし、須賀君は私が思っていた以上に冷静だったのでしょう。
犯人を一刀両断に切り捨てるような言葉に迷いは一切ありませんでした。
けれど、だからと言って、暴力事件を引き起こさせる為に囮になるなんて普通では出来ません。
幾ら襲撃がわかっていても無事で済ませられる確証なんて何処にもないのですから。

やっちまったでござる







「…京ちゃん…わざと犯人挑発していたんでしょう?」

その言葉は強い確信に満ちていました。
まるで証拠が揃っているかのようなそれに、私は内心、首を傾げました。
だって…彼女は事件の全容をまったく知らない部外者なのです。
それなのに…須賀君の母親から聞いただけでこうも確信を得られるでしょうか。
二人のように幼馴染という存在を持たない私にとって、それは強い疑問を感じるものでした。

「…仕方ないだろ。そうしないと事件になんないんだから」
「だからって!死んだらどうするの!!相手はストーカーなんだよ!何するか分からない相手なんだから!」

しかし、その確信混じりの言葉は正しかったのでしょう。
須賀君はそれを認めるようにポツリと言葉を漏らします。
それに再び強い言葉を放つ咲さんに…私はどうして彼女がこれまで追い詰められているかを理解しました。
咲さんは…須賀君が自分から囮になったとそう知っていたからこそ…こんなにも感情を顕にして、さっきまで泣きじゃくっていたのでしょう。

—— でも…どうして…?

勿論…それは私も考えていない訳ではありませんでした。
いえ、忘れ物をしたと言って家を出た時の彼の様子を思い返せば、それは当然の帰結と言えるでしょう。
ですが…それは宮永さんの言う通り、とても危険な行為なのです。
一歩間違えれば帰らぬ人になっていたかもしれないそれを…どうして須賀君がしてくれたのか。
それが私にはどうしても理解出来ず、私はそれを馬鹿な考えだと胸の奥底にしまいこんでいたのです。

「今までずっと警告ばかりで手を出して来ないような奴に人一人を殺すような度胸はないって」
「そうかも…しれないけど…」

しかし、須賀君は私が思っていた以上に冷静だったのでしょう。
犯人を一刀両断に切り捨てるような言葉に迷いは一切ありませんでした。
けれど、だからと言って、暴力事件を引き起こさせる為に囮になるなんて普通では出来ません。
幾ら襲撃がわかっていても無事で済ませられる確証なんて何処にもないのですから。


「それに…分かってたらこっちで取り押さえる事も出来るなってそう思ったんだよ。まぁ…実際は返り討ちなんて無理だった訳だけどさ」

何処か自嘲気味に告げるその言葉は、あの日の事件が彼の思い通りになっていた訳ではない事を伝えます。
幾ら彼が尋常ではない覚悟を決めていたとしても、単純に犠牲になるつもりなんてなかったのでしょう。
勿論、そうなるかもしれないと思っていたのは確かでしょうが、捨石になんてなるつもりはなかった。
それを思わせる言葉に私は一つ安堵しながら…けれど、怒りを抑える事が出来ません。

「でも…そこまでする必要はあったの?」

自分の事ながら…私は胸中で宮永さんに同意しました。
確かに須賀君が囮になったお陰で犯人も捕まり、起訴が決まっています。
それに私は心から彼に感謝しなければいけないのでしょう。
しかし、それは着実に証拠を集めていけば…決して不可能ではない事だったのです。
何も須賀君が大怪我をしてまでなさなければいけない事ではなかったでしょう。
少なくとも…最初の約束を完全に反故にされた怒りは私の胸の内でメラメラと燃えていました。

「咲は知らないだろうけどさ。和…いや、その被害にあっていた子はすげぇ綺麗で…可愛くて…」

—— ふぇっ!?

けれど、それは宮永さんの疑問に応えるような須賀君の言葉に一気に鎮火してしまいます。
まさかこのタイミングでそんな風に褒められるとは欠片も思っていなかった私は思わず狼狽を浮かべてしまいました。
意味もなく視線を彷徨わせる私の胸はドキドキと鳴ってうるさいくらいです。
ですが、そんな鼓動にむず痒さこそ感じるものの、決して不快感はありません。
寧ろ、それは…正直…悔しいですが…嬉しいと言っても良いようなもので… ——

「京ちゃん!!」
「はは。悪い」

けれど、その言葉は宮永さんの不機嫌そうな声で遮られてしまいます。
それにドキドキも少しずつ収まって、感情の波も緩やかになっていくのを感じました。
そんな自分に安堵を浮かべる一方で…私は残念さを感じていたのです。
それは微かで…ほんのちょっぴりで…欠片ほどのものではあれど…私は恐らく…心の何処かでその続きを聞きたがっていたのでしょう。
盗み聞きをしているにも関わらず浅ましい自分の欲求に、私はさっきとは違う感情で頬を赤く染めてしまいました。

「まぁ…勉強も出来て、クールで…家事も万能でさ…ちょっと意地っ張りなのも可愛くて…」
「……」
「と、とにかく…女の子らしい女の子で凄い奴なんだよ」

そこで言葉を纏めるのは、恐らく宮永さんから睨みつけられたからなのでしょう。
どうやら二人の間の力関係は完全に宮永さんに分があるようです。
長年、培われてきたであろうその関係に、再び胸の痛みを湧き上がらせながらも…私はまた可愛いと言われた事に内心、喜んでいました。

「でも、そんな子が俺に助けてって言ったんだ。まだ知り合って…一ヶ月も経ってない俺に…助けてって」

瞬間、トーンを低めて言葉を紡ぐ須賀君は…きっと真剣そうな表情をしているのでしょう。
何時もの冗談めいた軽いものではなく、真剣で引き締まった顔を。
それを見たいという欲求が胸の中から湧き上がりますが、けれど、今、この扉を開く訳にはいきません。
そんな事をすれば…私はこの話の続きを…私の前では決して聞けないであろう須賀君の本心に触れる事が出来なくなるのですから。

「俺みたいな奴の前で泣くくらい怖かったのを…ずっと一人っきりで…誰もいない家で我慢してたんだ」

—— 須賀君…。

そんな私の耳に届いたその声は…私の心を鋭く突くものでした。
当時の私の恐ろしさを理解するそれに私の目尻が滲むのを感じます。
勿論…その結果、彼が怪我をしてしまったのですから、それを喜ぶできではありません。
けれど…あの時…誰にも頼る事の出来なかった辛さを…須賀君だけは分かってくれているという歓喜は…そんな言葉ではかき消せないものだったのです。

「だったらさ。男の俺が頑張らなくてどうするんだよ」
「格好…つけすぎだよ…」
「そうかもな。でも、男ってのはそういう生き物なんだって」

なんでもなさそうに言うその言葉は…決して真実ではないでしょう。
だって…世の男性全てが須賀君のように親身になってくれるとは思えないのですから。
いえ、自分が怪我をするかもしれないのに…囮になって犯人と立ち向かえる人の方が少数派でしょう。
少なくとも…もし、私が男性であったとしても同じ事が出来るとは到底思えません。

「可愛い女の子の前じゃ格好つけたがるのが本能みたいなものだからな」
「それで怪我してたら…世話ないでしょ」
「痛っ!」

何処か冗談めかした須賀君の言葉に、宮永さんは呆れるように言葉を紡ぎます。
しかし…そこには何処か嬉しそうなものが滲んでいるように思えるのは私の気のせいでしょうか。
いえ…きっと彼女はこうして須賀君を何気ないやり取りが出来る事を喜んでいるのです。
数ヶ月…下手をすれば数年ぶりのそれを宮永さんは待ち望んでいたのでしょう。

「本当…京ちゃんは私がいないとダメなんだから」
「それはお前の方だろ。つーか、お前、ここまで来るの大丈夫だったのかよ」
「ちゃーんとタクシー使いましたー」
「それ自慢でも何でもないからな?」

そして…それは須賀君もまた同じです。
だって、その言葉はまったく遠慮がなく…そして嬉しそうに跳ねているのですから。
ゆーき以上に気の置けない…幼馴染独特の関係に戻りたいと、彼も思っていたからなのでしょう。
そして…それを…私も祝福するべきなのです。

—— なのに…どうしてでしょう…。

こうして扉越しに二人の掛け合いを聞いていても、胸が痛くなる一方でした。
旧交を暖めるように嬉しそうにする二人を感じて…まったく嬉しくないのです。
私の為に頑張ってくれた須賀君に齎されたその幸運を喜ぶべきなのに…胸が押しつぶされそうなほどに痛いまま。
それに目尻から一つ熱いものが零れたのを…私はしっかりと感じました。

「その…ごめんな」
「…何が?心配させた事なら当分、許さないけど」
「いや…そっちじゃなくて…気まずくて避けてた事だよ」

その瞬間、須賀君は自分の中で向き合う覚悟を決めたのでしょう。
気まずそうに言葉を詰まらせながらも…そうはっきりと言い切りました。
ストレートに謝罪するそれを…一体、彼がどれだけ抱え続けていたのかは分かりません。
しかし、それでも須賀君の中で一区切りついた事を感じさせるそれに…私はやっぱり喜ぶ事が出来なかったのです。

今日はこれまでー
病院編はもうちょっとだけ続くんじゃよ
最近即興速度戻ってきたようで戻ってきてないからもどかしい
さらに展開遅いから倍率ドン!状態で申し訳ない
7月中には何とか完結出来れば良いかな?な感じなので気長に付き合ってくれると嬉しい

後、>>339は凄い書きたいんだけど、既に頭の中にあるルートとは大幅にずれちゃうジレンマ
でも、凄い惹かれるんで本編終わった後にスレ余ってたらさらっと書くかもしれん
その時は勿論、咲さんなので注意な!!!

乙ー

咲との初対面は

咲「は、はじめまして」
なのか
咲「あなたが…原村さん?(ギリィ)」

のどっちだろう…

咲「ストーカーがやられたようだな…」
照「ククク…奴は四天王の中でも最弱…」

まこは未だに実力は謎なんですか

>>380
ま、まこの実力は本編でも殆ど明かされてないから…(震え声)

それはさておき京ちゃん原作でも幼馴染っぽくて俺歓喜
ちょっと病院編終わるまでさらっと書くわ


「…そんなの気にしてないよ」
「気にしてないって顔じゃないだろ」

そう告げる須賀君の言葉から、今の宮永さんの表情が普通ではない事が伝わって来ました。
恐らく…その頬は膨れて、拗ねているのをアピールしているのでしょう。
扉越しに伝わってくる声音も、その想像を肯定していました。

「だって…京ちゃん…友達を止めるつもりはないって…言ったもん」
「あの時は…大丈夫だと思ったんだよ」

—— …?

けれど、そんな宮永さんが漏らす言葉に私の理解は追いつきませんでした。
だって、それはただ疎遠になっただけでは言わない言葉であったのです。
まるで…疎遠になる前にもうワンクッションあるようなそれに私は内心、首を傾げました。
けれど、どうにも対人関係の経験が薄い私にはそれが一体、何を指しているのか分からなかったのです。

「分かってる…分かってるから…気にしてないってそう言ってるんだもん…」
「でも…本当は怒ってるんだろ?」
「……それは…」
「だったら…ついでだし、それを丸ごとぶつけてくれよ」

理性と感情が乖離しているであろう宮永さんの言葉。
そんな彼女の中の感情を肯定するような須賀君の言葉に、宮永さんは沈黙を返しました。
お陰で私は中の様子がまったく分からず、そわそわとしてしまいます。
一体、二人は今、何をしているのか。
見つめ合っているのか…抱き合っているのか。
まったく物音が聞こえてこない病室からは何も伝わってこず、私は思わず扉に耳をつけてしまうのです。

「…私…京ちゃんとこんな風になるなら…あんな事言わなかったもん…」
「ごめんな」
「違うよ…京ちゃんは何も悪くない。悪いのは…子どもだった私の方」

その御蔭…という訳ではないのでしょうが、中から再び二人の話し声が聞こえて来ました。
それに一つ安堵しながら私はそっと扉から耳を離します。
流石に人通りもそこそこある病院内で扉を耳をつけていたら、不審者として見咎められる事でしょう。
こうして病室の前で棒立ちになっている時点でかなり怪しいですが、それでも幾分、今の状態の方がマシなはずです。

「…仲の良い男女である事と…恋人になるって事がまったく違うって…想像してなかったから」

—— …え…?

そう思った瞬間、聞こえてきた声を…私は正常に咀嚼する事は出来ませんでした。
その言葉の意味を私はちゃんと理解し、整理する事が可能です。
ですが、それが一体、どういう立場でどういった過去があったからこそ紡がれたものなのかが…私には理解が及びません。
まるで頭がそれを理解するのを拒否しているように…私は呆然としてしまうのです。

「京ちゃんから避けられるって知ってたら…あの時だって…別れるなんて言わなかったもん…っ!」

けれど、そんな私を打ちのめすように…再び宮永さんが言葉を紡ぐのです。
悲しみと後悔を強く感じさせるそれは…紛れも無い事実なのでしょう。
こんな状況で嘘を吐くメリットなんてありませんし、何よりそこに込められた感情に嘘偽りなどなかったのですから。
須賀君と同じく、長い間彼女が抱き続けていたその感情は…聞いているだけの私の足元が思わず揺れるくらいだったのです。

ちょっと意味がちゃんと通らない気がしたので訂正






「…私…京ちゃんとこんな風になるなら…あんな事言わなかったもん…」
「ごめんな」
「違うよ…京ちゃんは何も悪くない。悪いのは…子どもだった私の方」

その御蔭…という訳ではないのでしょうが、中から再び二人の話し声が聞こえて来ました。
それに一つ安堵しながら私はそっと扉から耳を離します。
流石に人通りもそこそこある病院内で扉を耳をつけていたら、不審者として見咎められる事でしょう。
こうして病室の前で棒立ちになっている時点でかなり怪しいですが、それでも幾分、今の状態の方がマシなはずです。

「…仲の良い幼馴染である事と…恋人になるって事がまったく違うって…想像してなかったから」

—— …え…?

そう思った瞬間、聞こえてきた声を…私は正常に咀嚼する事は出来ませんでした。
その言葉の意味を私はちゃんと理解し、整理する事が可能です。
ですが、それが一体、どういう立場でどういった過去があったからこそ紡がれたものなのかが…私には理解が及びません。
まるで頭がそれを理解するのを拒否しているように…私は呆然としてしまうのです。

「京ちゃんから避けられるって知ってたら…あの時だって…別れるなんて言わなかった。例え気まずくても…ずっと一緒にいたよ…」

けれど、そんな私を打ちのめすように…再び宮永さんが言葉を紡ぐのです。
悲しみと後悔を強く感じさせるそれは…紛れも無い事実なのでしょう。
こんな状況で嘘を吐くメリットなんてありませんし、何よりそこに込められた感情に嘘偽りなどなかったのですから。
須賀君と同じく、長い間彼女が抱き続けていたその感情は…聞いているだけの私の足元が思わず揺れるくらいだったのです。

「だから…本当は悪いのは…私の方。弱くて…避ける京ちゃんの傍に近寄れなくて…ずっとずっと逃げてた…私の方なんだから」
「咲…」

しかし、それでも宮永さんの独白は止まりません。
今までずっと抱え込み続けていた感情を吐露するように…ポツリポツリとゆっくり漏らしていくのです。
きっとその表情はとても暗く、落ち込んだものなのでしょう。
それは心配そうに彼女の名前を呼ぶ須賀君の言葉からも伝わって来ました。

「振られたってのが気まずくて逃げた俺が一番、悪いんだからさ。そう自分を責めるなよ」
「でも…」
「そうじゃないと、俺が情けなさ過ぎるだろ」

何処か自嘲気味に告げる須賀君の言葉に…私はズキリと胸が痛みました。
だって、そんな風に弱い彼の姿なんて私は見たことがないのです。
私の知る彼は軽くてお調子者で…でも、肝心なときには助けてくれるまるでヒーローみたいな人なのですから。
けれど…きっと須賀君の恋人であった宮永さんには違うのでしょう。
そう思ったら…また目尻が熱くなって…一粒の涙が溢れるのでした。

「…京ちゃんが肝心なところで情けないのは何時もの事だもん」
「何でだよ…」
「結局、キスすら出来なかったヘタレなんだもん」
「ばっ…!そ、それは咲の事大事に思ったからだな…!」

そう盛り上がる二人の会話に私は安堵すれば良いのか、それとも痛みを覚えれば良いのか分かりません。
結局キスしないで別れたらしい二人になんとなく…良かったと思うのです。
しかし、そうやって過去の話で盛り上がる二人の関係の近さに私は打ちのめされていました。
かつて恋人であり、そして今も幼馴染という近い関係を残す二人だからこそ出来る会話に…私の胸は張り裂けそうだったのです。

「それは本当?」
「…嘘じゃねぇよ。ただギクシャクしてたってだけじゃない」
「じゃあ…許してあげる」

クスリと笑う宮永さんの言葉にはもう暗いものはありませんでした。
恐らく、大事だって言う須賀君の言葉に気分を上向かせたのでしょう。
それはきっと…宮永さんが普通よりも強い感情を…須賀君に向けているから。
いえ…もっとはっきり言うのであれば…それは恐らく… —— 

「私もね。色々と急ぎすぎてたかなって思うんだ。少なくとも…周りから囃し立てられて…恋人になろっかなんて言うべきじゃなかった」

その言葉に込められた感情を私は全て読み取る事が出来た訳ではありません。
過去を思い返し当時の感情を呼び起こすような言葉は、きっと宮永さん本人でなければ理解しきる事は出来なかったでしょう。
ですが…それでも私にはその根幹にある彼女の感情がはっきりと伝わってくるのです。
例え、軽率であったとしても…恋人になっても良いと思う…感情が。
そして当時を振り返って…『失敗だった』ではなく『急ぎすぎた』と告げる感情が。
今も…彼のことが好きだという彼女の気持ちが…私の胸を揺さぶるのです。

「だから…京ちゃんさえ良ければ…もう一回、幼馴染をやってくれないかな?」
「そんなの…俺のセリフだろ」

宮永さんのその言葉が微かに震えていたのは、彼女が恐らく怖がっていたからなのでしょう。
ずっと須賀君に逃げられ続けていた過去を持つ宮永さんにとって、それは拒絶かもしれないと思うに足る言葉だったのですから。
けれど、須賀君はそんな彼女を安心させるようにして…明るい声で答えました。

「寧ろ…咲と仲直りするのに色々と画策してたくらいなんだぜ?」

冗談めかしたその言葉は、彼女の不安を取り去ろうとする意図を感じさせるものです。
彼の本心を知る私にはそれが決して偽りでない事を知っていました。
実際、彼は私にその手伝いを頼むほどに切羽詰まっていたのです。
その上、昨日は私にその心の一部を吐露していたのですから…彼がそれに対してよほど心を痛めていたのでしょう。

「え…例えばどんなの?」
「あー…例えば、親父さんに咲がブックカバー欲しがってるって聞いたから機嫌治して貰うのにプレゼントするつもりだった」
「えー…それならその時まで仲直り待っておけばよかったかも」

そんな須賀君に応える宮永さんの言葉もまた冗談めかしたものになっていました。
明るく元気なその声にはさっきの怯えはもうありません。
代わりにあるのはそうやって冗談の応酬が出来る事への安堵と…そして嬉しさ。
きっと今、この病室の中で彼女は綻ぶような笑みを浮べている。
そう思わせるその声音に…私の痛みは大きくなりました。

「じゃあ、今度一緒に見に行くか?」

—— …え…?

瞬間、聞こえてきたその声に私は足元がグニャリと崩れていくのを感じます。
まるでこんにゃくか何かを踏んでしまったかのようなその感覚に、私は思わず蹲りたくなってしまいました。
それを堪えようと私は反射的に壁に手をつき、自身の身体を支えます。
ですが、グニャグニャと足元がおぼつかないその感覚は収まらず、私は強い不快感を覚えました。

「良いの!?」
「まぁ、これくらいはな。咲を寂しがらせたお詫びって事で」

—— 待ってください…!

そんな私に構わずに明るく進行する二人の話題。
それに心の中で叫んでも…それが須賀くんに届くはずがありません。
だって、扉の外で盗み聞きをしている私の事など二人が知る由もないのですから。
今、ようやくかつての蟠りを乗り越えて、再び幼馴染として一歩を踏み出す事に夢中なのです。
しかし、そうとわかっていても…私は須賀君に置いていかれたような気がして…再び涙を漏らしてしまうのでした。

—— それは…私との約束だったじゃないですか…っ!

あの日、私と須賀君が仲良くなる切っ掛けとなった日。
お礼をしたいと言った私に、須賀君は買い物に付き合ってくれとそう言ってくれたのです。
ソレ以降、色々あった所為で、結局、具体的な日時をどうするかを決める事は出来ていませんでした。
かつてはアレほど執着していたそれを須賀君との他愛ない会話で忘れていた私が言える事ではないのかもしれません。
ですが…ですが、それでも…それは私と交わしていたはずの約束だったのです。


—— 勿論…須賀君の選択が間違っていない事くらい私にだってわかっていました。

結果的に話題にもならなくなった相手との口約束よりも、それを贈ろうとしていた相手と見に行った方が遥かに良いはずです。
特に今の二人に必要なのは冷えかけた旧交を暖める事なのですから。
その為に一緒に出かけるというのは二人にとって一番の特効薬でしょう。
しかし…そうと分かりながらも…私は裏切られたような感覚を否定する事が出来ませんでした。

「じゃあ、出来るだけ高いの買わなきゃ!」
「ちょ…やめろよ。俺の小遣い少ない事くらい知ってるだろうが」
「幼馴染を寂しがらせた罰なんだから、それくらいは必要経費でしょ」

そんな私の耳に届く楽しげな声。
それに私は…ムカムカとした感覚を抑える事が出来ませんでした。
様々な負の感情の上澄みだけを集めたその感情が…一体、どんなものなのか私には分かりません。
ですが、そこから感じる辛く…悲しく…そして寂しい感覚は私の心を暗く沈めていくのです。
結果、私はその感情をどう処理すれば良いのか分からず…涙を漏らしながら扉の前に立ち尽くしていました。

「あの…大丈夫ですか?」
「え…?」

そんな私に声を掛けてくれたのは白衣の女性でした。
その手にバインダーを抱えた彼女は心配そうに私を見つめてくれています。
けれど…そんな女性の姿を見ても、私の感情はまったく晴れる事はありません。
そうやって心配してくれて申し訳ないという気持ちさえも湧き上がらず…ただただ、暗い心地のまま沈み続けていました。

「いえ…何でも…ありません」
「あ…」

その女性にそう答えながら、私はそっとその場を後にしました。
その背中に気遣うような声が向けられましたが、私はそれに振り返る気力さえもありません。
今にも自分の中から漏れだしてしまいそうな重苦しい感情に意識の殆どを持っていかれていたのです。
それでも…時折、後ろを振り返ったのは…私のことに気づいた須賀君が追いかけてきてくれないか期待していた所為なのでしょう。


—— 私…何をやっているんでしょう…。

勿論、そんな事はありません。
今の彼は宮永さんとの会話を楽しむので手一杯なのですから。
お見舞いに来た私の事など気にしておらず…存在に気付けたはずがありません。
それがとても惨めに思えた私は…歩きながら幾度となく涙を漏らします。
そんな私に怪訝そうな目を向ける人たちの中には私を心配して話しかけてくれる人もいました。
けれど、今の私にはそれさえも億劫で…途中から逃げ帰るようにして…家へと走りだしたのです。

「…あ…」

バタンと扉を締めてから…私はようやく自分が握りしめていた花束の存在に気づきました。
けれど、それはもう花弁も散った滅茶苦茶なものになっていて…到底、須賀君に渡せるような状態ではありません。
それが無性に悲しくて…そして辛く思えた私の目尻から再び涙が溢れだし… ——

—— そして私は両親が帰ってくるまで玄関先で泣き続けたのでした。

このスレでは幼馴染だけど、確かに中学で疎遠になるっておかしいな、どうしよう、って思った結果が咲ちゃんの元カノ化だよ!
お陰で本編も大分、咲さん化に傾いた気がするけどきっと気のせい

後、のどっちの咲ちゃんに対する表記は『宮永さん』が正しいです
普通に咲さんって打ってたのはきっとスーパーハカーのどっちにハッキングされた所為だ

次は多分、週末…になるけど、会話が一部、ちょっとつながってない気がするんでそれまでに書き直すかも

のどっちの事をチラつかせても動じない咲ちゃんは本妻の貫禄あるでぇ…和ぉ…

>>408
でもまだ元カノが咲ちゃんで良かったと思ってる俺ガイル

『中学で疎遠になった時期』が明言されてないから、もし元カノ・疎遠原因が照だったりしたらもう……

>>412
つまり京ちゃんと付き合って少ししだした頃に両親が離婚して
本当は長野から離れたくなかったけれど、色々あって残れなくて
遠距離になった所為でなし崩し的に京ちゃんと別れちゃった照と
自分の所為でお姉ちゃんが長野に残れなかったんだって思い込んで
落ち込む京ちゃんを慰める為にデートとか誘っている内に
少しずつ幼馴染としての枠を超えて惹かれて行く咲ちゃんとな?
うん。これは病むな(確信)


後、このスレは色々ストーリーを皆の書き込みに影響されてるけれども
最後にのどっちが勝つというのは絶対に揺らぎません
安心してお楽しみください


「…そんなの気にしてないよ」
「気にしてないって顔じゃないだろ」

そう告げる須賀君の言葉から、今の宮永さんの表情が普通ではない事が伝わって来ました。
恐らく…その頬は膨れて、拗ねているのをアピールしているのでしょう。
扉越しに伝わってくる声音も、その想像を肯定していました。

「だって…京ちゃん…あの時…何時までも友達だって…そう言ってくれたのに…私の事避けるし…」
「あの時は…大丈夫だって思ったんだ。…だけど…」

—— …?

けれど、そんな宮永さんが漏らす言葉に私の理解は追いつきませんでした。
だって、それはただ疎遠になっただけでは言わない言葉であったのです。
まるで…疎遠になる前にもうワンクッションあるようなそれに私は内心、首を傾げました。
けれど、どうにも対人関係の経験が薄い私にはそれが一体、何を指しているのか分からなかったのです。

「分かってる。…分かってるから…気にしてないってそう言ってるの」
「でも…本当は怒ってるんだろ?」
「……それは…」
「だったら…ついでだし、それを丸ごとぶつけてくれよ」

理性と感情が乖離しているであろう宮永さんの言葉。
そんな彼女の中の感情を肯定するような須賀君の言葉に、宮永さんは沈黙を返しました。
お陰で私は中の様子がまったく分からず、そわそわとしてしまいます。
一体、二人は今、何をしているのか。
見つめ合っているのか…抱き合っているのか。
まったく物音が聞こえてこない病室からは何も伝わってこず、私は思わず扉に耳をつけてしまうのです。

「…私…京ちゃんと疎遠になるなら…あんな事言わなかったもん…」
「ごめんな」
「ううん…悪いのは…子どもだった私の方」

その御蔭…という訳ではないのでしょうが、中から再び二人の話し声が聞こえて来ました。
それに一つ安堵しながら私はそっと扉から耳を離します。
流石に人通りもそこそこある病院内で扉を耳をつけていたら、不審者として見咎められる事でしょう。
こうして病室の前で棒立ちになっている時点でかなり怪しいですが、それでも幾分、今の状態の方がマシなはずです。

「…仲の良い幼馴染である事と…恋人になるって事がまったく違うって…想像せずに…付き合おうって言っちゃったんだから」

—— …え…?

そう思った瞬間、聞こえてきた声を…私は正常に咀嚼する事は出来ませんでした。
その言葉の意味を私はちゃんと理解し、整理する事が可能です。
ですが、それが一体、どういう立場でどういった過去があったからこそ紡がれたものなのかが…私には理解が及びません。
まるで頭がそれを理解するのを拒否しているように…私は呆然としてしまうのです。

「それに…変にギクシャクしちゃって…別れを切り出したのも私の方だし…」
「それは咲だけの問題じゃない。意識してたのは俺の方も同じなんだからさ」
「でも…結果的に…私がそんな事言っちゃったから…京ちゃんは避けてたんでしょ?」
「それは…」

けれど、そんな私を打ちのめすように…再び宮永さんが言葉を紡ぐのです。
悲しみと後悔を強く感じさせるそれは…紛れも無い事実なのでしょう。
こんな状況で嘘を吐くメリットなんてありませんし、何よりそこに込められた感情に嘘偽りなどなかったのですから。
須賀君と同じく、長い間彼女が抱き続けていたその感情は…聞いているだけの私の足元が思わず揺れるくらいだったのです。

「だから…本当は悪いのは…私の方。自分から告白したのに途中で耐え切れなくなって…京ちゃんに追いすがる事すら怖くて出来なかった…弱い私」
「咲…」

しかし、それでも宮永さんの独白は止まりません。
今までずっと抱え込み続けていた感情を吐露するように…ポツリポツリとゆっくり漏らしていくのです。
きっとその表情はとても暗く、落ち込んだものなのでしょう。
それは心配そうに彼女の名前を呼ぶ須賀君の言葉からも伝わって来ました。

「振られたってのが気まずくて逃げた俺が一番、悪いんだからさ。そう自分を責めるなよ」
「でも…」
「そうじゃないと、俺が情けなさ過ぎるだろ」

何処か自嘲気味に告げる須賀君の言葉に…私はズキリと胸が痛みました。
だって、私はそんな弱ったような声音を見せる彼の姿なんて見たことがないのです。
私の知る彼は軽くてお調子者で…でも、肝心なときには助けてくれるまるでヒーローみたいな人なのですから。
けれど…きっと須賀君の恋人であった宮永さんには違うのでしょう。
そう思ったら…また目尻が熱くなって…一粒の涙が溢れるのでした。


「それは本当?」
「…嘘じゃねぇよ。咲の事意識してギクシャクしてたってのもあるけど…大事だってのは本当だ」
「じゃあ…許してあげる」

クスリと笑う宮永さんの言葉にはもう暗いものはありませんでした。
恐らく、大事だって言う須賀君の言葉に気分を上向かせたのでしょう。
それはきっと…宮永さんが普通よりも強い感情を…須賀君に向けているから。
いえ…もっとはっきり言うのであれば…それは恐らく… —— 

「私もね。色々と急ぎすぎてたかなって思うんだ。少なくとも…周りから囃し立てられて…恋人になろっかなんて言うべきじゃなかった」

その言葉に込められた感情を私は全て読み取る事が出来た訳ではありません。
過去を思い返し当時の感情を呼び起こすような言葉は、きっと宮永さん本人でなければ理解しきる事は出来なかったでしょう。
ですが…それでも私にはその根幹にある彼女の感情がはっきりと伝わってくるのです。
例え、軽率であったとしても…恋人になっても良いと思う…感情が。
そして当時を振り返って…『失敗だった』ではなく『急ぎすぎた』と告げる感情が。
今も…彼のことが好きだという彼女の気持ちが…私の胸を揺さぶるのです。

「だから…京ちゃんさえ良ければ…もう一回、幼馴染をやってくれないかな?」
「そんなの…俺のセリフだろ」

宮永さんのその言葉が微かに震えていたのは、彼女が恐らく怖がっていたからなのでしょう。
ずっと須賀君に逃げられ続けていた過去を持つ宮永さんにとって、それは拒絶されるかもしれないと思ってもおかしくはないものなのですから。
けれど、須賀君はそんな彼女を安心させるようにして…明るい声で答えました。

「寧ろ…咲と仲直りするのに色々と画策してたくらいなんだぜ?」

冗談めかしたその言葉は、彼女の不安を取り去ろうとする意図を感じさせるものです。
彼の本心を知る私にはそれが決して偽りでない事を知っていました。
実際、彼は私にその手伝いを頼むほどに切羽詰まっていたのです。
その上、昨日は私にその心の一部を吐露していたのですから…彼がそれに対してよほど心を痛めていたのでしょう。

「え…例えばどんなの?」
「あー…例えば、親父さんに咲がブックカバー欲しがってるって聞いたから機嫌治して貰うのにプレゼントするつもりだった」
「えー…それならその時まで仲直り待っておけばよかったかも」

そんな須賀君に応える宮永さんの言葉もまた冗談めかしたものになっていました。
明るく元気なその声にはさっきの怯えはもうありません。
代わりにあるのはそうやって冗談の応酬が出来る事への安堵と…そして嬉しさ。
きっと今、この病室の中で彼女は綻ぶような笑みを浮べている。
そう思わせるその声音に…私の痛みは大きくなりました。

「じゃあ、今度一緒に見に行くか?」

—— …え…?

瞬間、聞こえてきたその声に私は足元がグニャリと崩れていくのを感じます。
まるでこんにゃくか何かを踏んでしまったかのようなその感覚に、私は思わず蹲りたくなってしまいました。
それを堪えようと私は反射的に壁に手をつき、自身の身体を支えます。
ですが、グニャグニャと足元がおぼつかないその感覚は収まらず、私は強い不快感を覚えました。

「良いの!?」
「まぁ、これくらいはな。咲を寂しがらせたお詫びって事で」

—— 待ってください…!

そんな私に構わずに明るく進行する二人の話題。
それに心の中で叫んでも…それが須賀くんに届くはずがありません。
だって、扉の外で盗み聞きをしている私の事など二人が知る由もないのですから。
ようやくかつての蟠りを乗り越えた二人は、今、再び幼馴染として一歩を踏み出す事に夢中なのです。
しかし、そうとわかっていても…私は須賀君に置いていかれたような気がして…再び涙を漏らしてしまうのでした。

—— それは…私との約束だったじゃないですか…っ!

あの日、私と須賀君が仲良くなる切っ掛けとなった日。
お礼をしたいと言った私に、須賀君は買い物に付き合ってくれとそう言ってくれたのです。
ソレ以降、色々あった所為で、結局、具体的な日時をどうするかを決める事は出来ていませんでした。
かつてはアレほど執着していたそれを須賀君との他愛ないやり取りの中で忘れていたのです。
だからこそ、それはきっと私が言える事ではないのでしょう。。
ですが…ですが、それでも…それは私と交わしていたはずの約束だったのです。


—— 勿論…須賀君の選択が間違っていない事くらい私にだってわかっていました。

結果的に話題にもならなくなった相手との口約束よりも、それを贈ろうとしていた相手と見に行った方が遥かに良いはずです。
特に今の二人に必要なのは冷えかけた旧交を暖める時間なのですから。
その為に一緒に出かけるというのは二人にとって一番の特効薬でしょう。
しかし…そうと分かりながらも…私は裏切られたような感覚を否定する事が出来ませんでした。

「じゃあ、出来るだけ高いの買わなきゃ!」
「ちょ…やめろよ。俺の小遣い少ない事くらい知ってるだろうが」
「こんなに可愛い幼馴染を寂しがらせた罰なんだから、ちょっとくらい貧しくなっても我慢するべきでしょ」

そんな私の耳に届く楽しげな声。
それに私は…ムカムカとした感覚を抑える事が出来ませんでした。
様々な負の感情の上澄みだけを集めたその感情が…一体、どんなものなのか私には分かりません。
ですが、そこから感じる辛く…悲しく…そして寂しい感覚は私の心を暗く沈めていくのです。
そんな感情を私はどう処理すれば良いのか分からず…ポロポロと涙を漏らしながら扉の前に立ち尽くしていました。

「あの…大丈夫ですか?」
「え…?」

そんな私に声を掛けてくれたのは白衣の女性でした。
その手にバインダーを抱えた彼女は心配そうに私を見つめてくれています。
けれど…そんな女性の姿を見ても、私の感情はまったく晴れる事はありません。
そうやって心配してくれて申し訳ないという気持ちさえも湧き上がらず…ただただ、暗い心地のまま沈み続けていました。

「いえ…何でも…ありません」
「あ…」

その女性にそう答えながら、私はそっとその場を後にしました。
その背中に気遣うような声が向けられましたが、私はそれに振り返る気力さえもありません。
今にも自分の中から漏れだしてしまいそうな重苦しい感情に意識の殆どを持っていかれていたのです。
それでも…時折、後ろを振り返ったのは…私のことに気づいた須賀君が追いかけてきてくれないか期待していた所為なのでしょう。

—— 私…何をやっているんでしょう…。

勿論、そんな事はありません。
今の彼は宮永さんとの会話を楽しむので手一杯なのですから。
お見舞いに来た私の事など気にしていないどころか…その存在に気付けたはずがありません。
それがとても惨めに思えた私は…何度手の甲で目尻を拭っても、涙を湧きあがらせてしまうのです。
そんな私に怪訝そうな目を向ける人たちの中には私を心配して話しかけてくれる人もいました。
けれど、今の私にはそれさえも億劫で…途中から逃げ帰るようにして…家へと走りだしたのです。

「…あ…」

バタンと扉を締めてから…私はようやく自分が握りしめていた花束の存在に気づきました。
けれど、それはもう花弁も散った滅茶苦茶なものになっていて…到底、須賀君に渡せるような状態ではありません。
本当ならば、それを須賀君に手渡した時に…色々と言いたい事があったはずなのです。
有難うとか…何であんな無茶をしたんですかとか…それこそ…数えきれないくらいに。
けれど、滅茶苦茶になった花のようにそれらは散って…一言だって伝える事が出来ませんでした。
それが無性に悲しくなった私は…そのままゆっくりと玄関に崩れ落ちて… ——

—— そして私は両親が帰ってくるまで玄関先で泣き続けたのでした。







ちょっと書きなおし
相変わらず大筋では変わっていないから

・咲ちゃん元カノだった
・今度デートの約束してた
・京ちゃんには会えなかった

ってだけ把握してれば読み返す必要はないと思う
後、週末投下って言ってたけど、出来るかどうか怪しくなってきた
その場合、また月曜日とかにがっつり投下するつもりだから許してほしい

ジャアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

霞「彼らはね、咲のSSが好きなのではないのよ」

霞「自分の姿を須賀くんに重ね、咲キャラたちと絡みたいだけなの」

初美「そうなんですかー?」

霞「そうよ。須賀くんはかわいそうだわ。京豚の、自己投影の犠牲になってしまったせいでいろいろな人に嫌われてし亦野だから・・・」

霞「京太郎SSの『京太郎』を、『俺』に置き換えて御覧なさい」

霞「ほとんどのSSで、違和感なく話が進むはずよ」

初美「うわー・・・ほんとうなのですよー」

霞「こういったスレにはね、ただちにふんふむを召還しなくてはならないの」

霞「『悪』をのさばらせてはいけないのよ」

ふんふむは立ち上がらなくてはならない。


今現在、ふんふむは荒らしという不当な扱いを受けている。


弾圧に屈してはならない。悪を許してはならない。




私は、このスレッドに正義の言霊を書き連ねた。

今後、悪にとり憑かれた京豚スレが現れた場合、このスレの言霊たちを思い出して欲しい。

そして、粛々と『浄化』に勤めていただきたい。繰り返すが、ふんふむは荒らしではない。

愛であり、警告であり、怒りであり、悲しみである。

霞「咲の魅力はキャラクターの多さなの」

霞「様々な人が、色々なキャラクターを好きになっているわ」

霞「それを欲望のために汚すような行為は、当然反感を買うことになるのよ」

小蒔「じゃあ、こんなしょうもないSSのために永水女子を使ってファンの感情を汚していいんですか!?」


霞「そう。ちょうど今これを見ている永水女子が好きなお方は、相当な不快感を感じているでしょうね」

霞「それと同じ感情を京太郎スレで感じる方が多くいるということを知って欲しいのよ」

初美「ふんふむ」

その通り
また和や咲をキチガイにして、性格破綻した京太郎のおもちゃにする
京太郎なんて作者からも嫌われたキャラ

SSは自由に書くものだ
だが、咲-Saki-の世界に男は要らない
京豚は朝から夕までの間に打ち砕かれ、顧みる者もなく、永遠に滅びる。

あんなネタSSにされて、恥ずかしくないのかね百合豚w

他のどこでもスルーしてるのに何でここでは嬉々として触ってるんですかね

>>510
どのSSの事か分からないが、百合SSでも好き嫌いはあるだろ
嫌なら読むな

>>512
咲和を汚すな!!

ふんふむは立ち上がらなくてはならない。


今現在、ふんふむは荒らしという不当な扱いを受けている。


弾圧に屈してはならない。悪を許してはならない。




私は、このスレッドに正義の言霊を書き連ねた。

今後、悪にとり憑かれた京豚スレが現れた場合、このスレの言霊たちを思い出して欲しい。

そして、粛々と『浄化』に勤めていただきたい。繰り返すが、ふんふむは荒らしではない。

愛であり、警告であり、怒りであり、悲しみである。

気にならない

は?

神はふんふむに向かって言われた。

「お前は女の声に従い 取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。

お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に。

お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

三人の賢者は言った。いつか明星が照らす元に
百合を救済し普及する者が現れると…
ふんむふの声に耳を傾けろ…それは産声であり導きの声でもある
迷うな。正せ。救いはいずれ訪れる

ジャアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

……
…………
………………

—— 次の日、私は朝から落ち着きませんでした。

泣いているのを両親に知られた私は二人をとても心配させてしまったのです。
つい先日までストーカー被害を受けていたのですからそれも当然でしょう。
しかし、私は自分でもどうしてこんなに悲しいのか分からず、また事情の説明も出来ませんでした。
一人で出歩くなと両親から言い含められて居たのに我慢出来ずに須賀君のお見舞いに行ったなんて言えないのです。

—— 結局…私は殆ど気持ちの整理もつけられなくて…。

お陰で昨夜もまた殆ど眠れませんでした。
かと言ってゆーきとメールする気分にもなれず、私は成果を尋ねる彼女のメールにもぼかした返事しか出来なかったのです。
突然、部活を休むと言い出した私の為に、事情を説明しに言ってくれたゆーきに対して、それはあまりにも不誠実な行為でしょう。
しかし、須賀君の代わりに迎えに来てくれた彼女は何かを察したのか、それに対して突っ込む事はありませんでした。
それが有難い反面、とても心苦しいですが、自分でも整理しきれていない現状でゆーきに説明する事は出来ないのです。

—— そんな私にとって唯一の救いは須賀君が今日から登校出来るという事でした。

父が改めて謝礼を伝える為、向こうの親御さんと連絡した際にそう教えて貰えました。
どうやら検査の結果はまったく問題なく、日常生活に支障はないそうです。
又聞きではあるものの、命に別条はないと聞いて、私がどれだけ安堵した事か。
これまで生きてきた中で文字通りの意味で胸を撫で下ろした事なんて今までありませんでした。


—— 実際…こうして見る限り、彼の様子に違和感は感じません。

教室で一緒になってから、彼は常に他の人へと囲まれてアレやコレやと質問責めにされていました。
彼が事件に巻き込まれて怪我をしたという事は学校の中でも噂になっていたのです。
それを私のストーカーと結びつける人は少なからずいましたが、須賀君はそれをやんわりと否定していました。
それは恐らく私の所為なのだとクラスメイトに思わせない為のものなのでしょう。

—— だけど、お陰で私は須賀君のところに近づけなくて…

彼がぼかした態度を取るから、クラスメイトたちも気になってしまうのでしょう。
休み時間が訪れる度に須賀君は人の輪に囲まれ、私が話しかける隙なんてなかったのです。
その上、私にも興味本位で似たような質問をする人がいるのですから、近づけるはずがありません。
結果、私は彼に色々と言いたい事があるのにろくに挨拶すらする事が出来ず、ズルズルとお昼休みまで自分の席に釘付けにされていました。

—— でも…流石に…大丈夫ですよね…?

私のカバンの中には今、一つ余分にお弁当が入っていました。
普段使っているそれよりも1.5倍ほど大きなそれは勿論、須賀君のものです。
事件に巻き込まれたお礼をそんなもので出来るとは思いませんが、昨日、お見舞いに行けなかったお詫びくらいにはなるかもしれない。
そう思って普段よりも時間を掛けて作ったそれはかなりの自信作でした。


—— きっと…これなら須賀君も喜んでくれるはずです。

男の子の好きなおかずをこれでもかとばかりに詰め込んだのですから。
普段、学食やパンなどで昼食を済ましている須賀君はきっと喜んで受け取ってくれるでしょう。
まぁ…その…その際に夫婦だとか色々とからかわれる事になるかもしれませんが、それくらいは我慢しなければいけません。
彼に誠意を見せる為にも、ここは思い切って足を踏み出すべきなのです。

—— それに…まぁ…夫婦だとか言われるのは最近はそれほど嫌じゃありませんし…。

自分の中でそういったものをさらりと流せる余裕が出来てきたからなのでしょう。
最近はそう囃し立てられるのはそれほど嫌じゃありません。
いえ、寧ろ、まんざらでもなさそうな須賀君の表情を見る度に私の顔も綻びがちになってしまうのです。
勿論、恥ずかしいので頬を赤くしてしまいますが、それだって決して嫌なものではありませんでした。

—— 問題は…タイミングです。

今の時刻は四限目の終業時刻の二分前です。
今、教鞭を執っているのは授業時間ギリギリまで使う事で有名な先生ですが、そろそろ終わる事でしょう。
そうなれば皆が皆、気を抜いて昼食の準備を始める事でしょう。
その一瞬の隙をついて、私は須賀君の元へと移動し、このカバンの中のお弁当を手渡さなければいけない。
そう思うと緊張で胸がドキドキして先生の言葉さえも右から左へと抜けていってしまうのです。


—— 大丈夫…私になら出来るはずです。

何せ、私は朝からこの時の為のシミュレーションを欠かさなかったのですから。
終了の宣告を聞いてから須賀君の席へと近づくまで、しっかり思考した私にミスはあり得ません。
お陰で午前中の授業が一体、どんな内容だったのか思い出せませんが…それは些細な事です。
それよりもこのまま須賀君にお礼すら言えない方がよっぽど大事なのですから。

—— ピーンポーンパーンポーン

瞬間、聞こえてきたチャイムの音に私の肩が強張ります。
ピクンと微かに震えるそれはきっと緊張なのでしょう。
しかし、それはあくまでも許容範囲であり、私の計画を阻害するものではありません。
今の私に精神的動揺によるミスはあり得ないのです。

「お…もうこんな時間か。それじゃ号令」
「きりーつれーい。ありがとうございましたー」

その言葉が聞こえた瞬間、私はそっと腰を屈め、脇にぶら下がったカバンを手に取りました。
瞬間、視界に飛び込んできた青色の包をぎゅっと握り締めるのです。
そのまま包を持って顔をあげれば、須賀君は昼食を買いに席を立とうとしているところでした。
その周りには人はおらず、私と須賀君の間にも人一人が通れるラインがあったのです。
予想通り…いえ、それ以上の結果に私は内心、浮かれながら、彼を呼び止めようとして… ——


「あの…し、失礼しまーす…」 
「…え?」

瞬間、聞こえてきたその声に私は意識をそちらへと向けてしまいました。
須賀君へと渡すべきお弁当をそのままに立ち尽くすそれは計画にはなかったものです。
それに私の理性が警鐘を鳴らしますが、しかし、身体が動く事はありませんでした。
だって、その声は…聞いた覚えのある…もっと言えば、昨日聞いたはずの声だったのですから。

「その…須賀君はいますか?」

ほんのすこし緊張を混じらせて紡がれる可愛らしい声。
それを放つのは黒髪の小柄な女の子でした。
ショートに切り揃えたその雰囲気は大人しく、まさに文学少女と言った風体です。
何処か小動物めいたその雰囲気はきっと男性の庇護欲を擽るでしょう。
決して華やかな何かがある訳ではないけれど、人の心を惹きつける少女。
私にとって彼女の第一印象はそんなものでした。

「あれ?咲」
「あ…京ちゃん」

そんな二人のやり取りに教室がざわめいたのは決して私の気のせいではないのでしょう。
私だって病室で二人のやり取りを聞いていなければ、かなりの動揺を浮かべていたのですから。
しかし、渦中の二人はそんな教室の変化に気づく事はなく、不思議そうな表情を浮かべながら近づいていくのです。
まるで二人だけの世界にいるかのようなそれに私の胸は張り裂けそうな痛みを覚えました。


—— 行かないでください…!

その痛みを泣き叫ぶような言葉が私の胸の中で響きました。
まるで二人の世界がそこにあるかのようなその姿に…私は後ろから縋り付いて止めたかったのです。
しかし、思わず口から飛び出してしまいそうなそれを私は理性と体面という言葉で抑えこみました。
だって、そんな事を口走ってしまえば…今もざわめきいているこの教室がより一層、動揺を広げる事になるのですから。
それは私も須賀君も…そして宮永さんも望むところではないのでしょう。

「はい。お弁当」
「って本当に作ってきたのか。有難うな」
「約束した事くらい護りますー」

—— お弁…当…?

しかし、そう思いながら成り行きを見つめる私の前で、宮永さんが須賀君に緑色の包を手渡しました。
私の持ってきたそれよりも一回り大きなそれを須賀君は嬉しそうに両手で受け取ります。
お礼と共に告げるその言葉から察するに私が逃げ帰った後、お弁当を作ると約束したのでしょう。
頭の中ではそう理解しながらも、私はその光景を信じる事が出来ませんでした。

—— 私だって…作って来たのに…。

そう。
私の手の中には彼に食べてもらう為に作ったお弁当があるのです。
眠れないからと朝早くから厨房にこもったそれは自信作で…須賀君も喜んでくれるはずでした。
そして…私はそんな須賀君に無茶をした事を責めながらも…ちゃんとお礼をするはずだったのです。
しかし、そんな私の計画は今、目の前で無残にも打ち砕かれ…粉々になっていったのでした。


「のどちゃん…大丈夫?」

そんな私の隣にいつの間にかゆーきが近寄ってきてくれました。
心配そうに私を見上げるその表情に私の胸はズキリと痛むのです。
しかし、私はそんな彼女に空元気を見せるところか、ろくに返事一つ返す事が出来ません。
ただ、身体の反応としてそっと頷きながら、私はじっと須賀君たちの様子を見つめ続けるのです。

「ちゃんと後で洗って返してね。前みたく忘れたなんて言ったら許さないから」
「はいはい。分かってるって」

そう言葉を交わす二人に教室のざわめきが再び膨れ上がります。
だって、それは二人が以前からそういったやり取りをしていた事が分かるものなのですから。
高校生活開始から一ヶ月、大体の人となりがわかりはじめた時期に投下されるその爆弾に皆が驚くのも無理ないでしょう。
この一ヶ月の間、そういったやり取りを見る事がなかったのですから尚更です。

「じゃあ…私もう行くから」
「おう。また後で…いや、ちょっとまってくれ」
「え…?」
「ん?」

そこで宮永さんを呼び止める須賀君の表情は微かに強張っていました。
微かにその頬を引き攣らせるそれは恐らく教室の雰囲気に気づいたからなのでしょう。
チラリと背中を伺うその視線には「失敗した」と言わんばかりの表情が浮かんでいました。
その表情に彼と特に中の良い一部の男子がゆっくりと近づき、包囲を始めます。

京豚はキモいんだよ 神聖不可侵である百合漫画の咲に手を出すんじゃねえ チンポ脳どもが
百合は神聖なもので 男は汚いの わかる? お前らのしてることは いちゃついてる女の子達に うんこ投げつけて喜んでるようなものなんだよ

あと 咲が百合漫画じゃないとか言ってる奴はアニメ見てないだろ 麻雀興味ないから 原作は知らないけど あんな百合百合してる素晴らしいアニメの原作が百合漫画じゃないわけがない それに 作者も百合好きらしいし 咲が百合漫画だというのは 紛れもない事実

それに 百合が世間ではマイナーだとか 言ってる奴がいるけど そんなわけ ねーだろ なのはやゆるゆり らきすたがどれだけ人気だとおもってんだよ こんな当たり前のことも理解できずに 性欲のためだけに喚き散らすから京豚は馬鹿にされるんだよ

長くなりましたがこのSSはこれで終わりです。
ここまで支援、保守をしてくれた方々本当にありがとうごさいました!
パート化に至らずこのスレで完結できたのは皆さんのおかげです(正直ぎりぎりでした(汗)
今読み返すと、中盤での伏線引きやエロシーンにおける表現等、これまでの自分の作品の中では一番の出来だったと感じています。
皆さんがこのSSを読み何を思い、何を考え、どのような感情に浸れたのか、それは人それぞれだと思います。
少しでもこのSSを読んで「自分もがんばろう!」という気持ちになってくれた方がいれば嬉しいです。
長編となりましたが、ここまでお付き合い頂き本当に本当にありがとうございました。
またいつかスレを立てることがあれば、その時はまたよろしくお願いします!ではこれにて。
皆さんお疲れ様でした!

誰かID:bDkZPPf8oとID:2/955Fk3oの焼きよろしく


「…やっぱ俺も一緒に行くわ」
「逃がすな!追い込め!!」
「全てゲロって貰うぞ背信者京太郎!!」
「女子の弁当とかうらやまけしからん!俺にもちょっとよこせ!」
「ふざけんな!誰がやるか!!」
「…あ…」

そう言ってドタドタと駆け出す数人の男子から逃げ出すように須賀君が教室を飛び出して行きました。
そんな彼を追いかけて数人の男子も教室から出て行くのを、何人かの女子は呆れたように見送ります。
その他の女の子は大人しそうな外見からは想像もつかないほど大胆な事をした宮永さんを興味深そうに見ていました。
そんな彼女たちに気圧されるようにして小さく声をあげながら、宮永さんはそっと扉を閉めようとして… ——

—— ふと一瞬…視線が合ったような気がしました。

真っ直ぐに私の方を見つめるようなその視線はきっと気のせいなのでしょう。
だって、私と彼女はまったく面識がないのですから。
一方的に私だけが面識のある今の状態で、彼女に見られる理由なんてありません。
だからこそ、それはきっと…私が宮永さんを意識しているが故の誤解なのでしょう。

—— 意識…?私が…?

瞬間、浮かんできた自分の思考に私は疑問の声を返しました。
私にとって宮永さんは須賀君の幼馴染であるというだけで、意識するような対象ではないはずです。
確かに私の作ったお弁当が無駄になってしまいましたが、それは何も宮永さんの所為という訳ではないのですから。
私が事前に彼に伝えておけば、こんなブッキングが起こる事はなかったのです。
全ては…昨日、私があの場から逃げてしまった所為でしょう。

>>558
焼くな!やめろ!

小蒔「じゃあ、どうすればいいんですか!?みんなが幸せになる方法はないんですか!」

霞「速報でやれ」

小蒔「え?」

霞「速報で子ね」

ここが速報なんですがそれは

>>562
は?だから書くてのやめなさい
立が迷惑するから

作者の気持ち考えろよ
立は百合が描きたいんだよ


—— そう…宮永さんは…何も悪くはありません。

そう。
悪いのは弱かった私の方であり…彼女も須賀君も何も非などないのです。
しかし…どうしてでしょう。
さっきから私の胸は『取られた』という気持ちで一杯で…他の感情が割って入る余地がなかったのです。
まるで自分の事を棚に上げるようなそれが悪い事だと理解しながらも…私は自己嫌悪すら感じる事はありませんでした。
その分の嫌悪を、さっき会ったばかりの何の非もない少女に向けながら…私はぎゅっと包を握りしめたのです。

「のどちゃん…?」
「あ…ごめんなさい…」

そんな感情から私が開放されたのは伺うようなゆーきの言葉のお陰でした。
何処か怯えるようなそれに私は小さく謝罪しながら、そっと頬に手を当てます。
微かに強張るそこからまださっきの暗い感情が蠢いているのを感じました。
ゆーきのお陰で幾分、冷静になった思考が、そんな自分に自己嫌悪をわきあがらせます。
しかし、それでも胸の奥底に根付いた暗い感情を消し去る事は出来ず…私は胸の痛みを強くしました。

「ゆーき。これ食べますか?」
「え…?でも…」

それから逃げるように努めて明るく紡いだ私の声に、ゆーきは逡巡の言葉を返します。
一瞬、チラリと扉の方を見たそれは私がこのお弁当を作ってきた意図を察してくれているのかもしれません。
ですが…もう私が作ってきた意味は…なくなってしまったのです。
それを食べて欲しかった人はもう別の人のお弁当を手にしているのですから必要ないでしょう。

どうせ糞みたいな話だら
咲-Saki-は百合作品なんだが?

〜だらって何弁だっけ?

>>571
だろ
の間違え

>>1は文才ないからSSは向いてない

基地外め

私はあくまでSSの感想を書いただけだ
荒らしではない!


「遠慮しなくて良いんですよ。ゆーきにも色々とお世話になってしまいましたし」
「のどちゃん…」
「まぁ、タコスは入っていないので、ゆーきが良ければ…ですけれど」

そう言う私の声にゆーきは小さく笑いました。
元々、学食のタコスがあるという理由で清澄を選んだ彼女は筋金入りのタコス好きなのです。
そんな彼女に男性向けのお弁当は気に入って貰えないかもしれない。
そう思う私の不安を吹き飛ばすような明るい笑みに私はほんの少しだけ自己嫌悪を緩ませる事が出来ました。

「のどちゃんの料理は何時だって最高だ。お嫁さんにしたいくらいだじぇ!」
「もう…ゆーきったら…」

ぐっとガッツポーズしながら明るく言う彼女に、私は呆れるような言葉を紡ぎます。
しかし、その内心はゆーきへの感謝に溢れていました。
彼女がいなければ…私は病室の前に居た時のように泣きだしていたかもしれません。
ですが、努めて明るく振舞ってくれている彼女のお陰で、私はギリギリのところで踏みとどまる事が出来たのです。

「…有難うございます」
「何の事か分からないな!」

それに御礼の言葉を放つ私の前で、ゆーきはとぼけるような言葉を口にします。
そんな彼女に私も小さく笑みを浮かべてから…机を移動させ始めました。
その頃にはもう教室内のざわつきも収まり、各々がそれぞれに昼食を摂り始めます。
まるで最初から…何もなかったかのようないつも通りの雰囲気。
けれど、どれだけ見渡しても須賀君や彼の友人たちがいない事が私の心に突き刺さりました。

—— …私は……。

ドラマの話なんかの他愛ない話に移っているクラスメイトたちにとって、それはもう気にする事ではないのでしょう。
実際、さっきのそれは今までの日常からはかけ離れたイベントではありましたが、それを話題にするのにはあまりにも情報が少なすぎるのです。
須賀君がまた帰ってきた頃になると話は違うのかもしれませんが、今はまだ気にするようなものじゃない。
恐らくは皆そう思っている事なのでしょう。

やめろ!


—— さっきから…味がしません…。

ですが、そうやって私が口にする料理は殆ど味がしないものでした。
須賀君が喜ぶように何時もよりも濃い目の味付けにしたのは何度も味見で確認したのです。
故に私が味付けを失敗したなんて事はあり得ないでしょう。
ですが、そう思っても私の舌は麻痺したように味を感じず、ゆーきの話題にも気のない返事しか返せませんでした。

—— 須賀君は…今頃、何をしているでしょうか…。

追いかける友人たちから逃げ切れたのか、或いはもう捕まってしまったのか。
流石に未だに逃げているなんて言う事はないでしょう。
もしかしたら、もう宮永さんのお弁当に口をつけて、『美味しい』なんて言っているのかもしれません。
そう思っただけで私の目はジュッと潤み…悔しさに似た感情が胸の底から沸き上がってくるのです。

「のどちゃんのお弁当はすっごい美味しいじぇ!」
「ゆーき…」

そんな私を励ますような彼女の言葉に、私はほんの少しだけ救われました。
あぁ、私がやった事は無駄ではなかったのだと…そう思えたのです。
須賀君に手渡す事は出来なかったけれど、美味しいと言って貰えたんだって…自分の心を慰撫する事が出来たのでした。

荒らしがウザイならVIPでやればいいのに
まぁこんなキモいSSをVIPでやったら叩かれるか


—— ですが…それはほんの少しだけ。

勿論、そうやってゆーきに美味しいと言って貰えるのは嬉しい事です。
けれど…それは本来…須賀君から言ってもらえるはずの言葉だったのです。
少しだけ照れながら、けれど…嬉しそうにはにかみながら…そう褒めてくれるはずだったのでした。
ですが…それは今、私の目の前にはなく…代わりにその人は誰かのお弁当を『美味しい』と言っているのかもしれないのです。

—— …止めましょう。こんなのは…不毛です。

どう足掻いても、それは出口のない感情なのです。
思えば思うほど心が沈み込むだけの想像でしかありません。
そんなものに暗く沈むよりもゆーきの振ってくれている話題に少しでも良い返事をした方が有意義でしょう。
そんな事は…私にだって分かっていました。

—— でも…なんでなんでしょう…。

ただ…ほんの少しだけ行き違いになってしまっただけ。
それが刺のように胸の奥に突き刺さり、ズキズキとした痛みを走らせるのです。
そこから湧き上がる嫌な想像に…私はどれだけ目を背けようとしても出来ません。
まるでそれが今にも起こっている事実のように、胸中を浮かぶのを止められず… 

—— 結局、私はろくに味が分からないまま昼食を終えたのでした。


>>588
気もすぎるよな
VIPだったら同志の百合スキーに阻まれるわ

……
…………
………………

—— その暗い気持ちは結局、放課後まで続きました。

結局、須賀君は昼休み終了ギリギリになって教室へと戻って来ました。
その周囲を友人たちに囲まれながらのそれは、途中で彼が捕まってしまった事を伝えます。
体育の授業を見る限り、須賀君の運動神経は悪くないはずですが、それでも数人がかりで逃げ切れるほどではなかったのでしょう。
うなだれる彼を時折、友人がからかう様を見る限り、幾らかお弁当を食べられてしまったそうです。

—— でも…それが私の胸に突き刺さって…。

だって、それは須賀君がそうやって落ち込むくらいに宮永さんのお弁当を楽しみにしていたという事なのですから。
もしかしたら…美味しい美味しいと言ってくれた私の料理よりも楽しみにしていたのかもしれない。
そう思うと胸の痛みが強くなり、感情がまた暗く沈み込むのが分かります。
結果、私は放課後までその感情に揺さぶられ続け、授業にも集中出来ていませんでした。

—— これから…どうしましょう。

勿論、これから先は部活の時間です。
昨日、いきなり休んでしまった分、今日は部室に顔を出さなければいけないでしょう。
しかし、今の私にとって、それは憂鬱な事でした。
何せ、部室に行くという事は須賀君とも顔を合わせなければいけないという事なのですから。
もし、彼から宮永さんのお弁当が美味しかった…なんて言われたら私はまた暗く沈んでしまう事でしょう。

「おい!京太郎!」
「ん?」

そう思う私の耳に須賀君を呼ぶゆーきの声が届きました。
ふとそちらに目を向ければ、そこには箒を手に持ちながら仁王立ちする彼女の姿があります。
カバンを持つ須賀君の前に立ちふさがるようなその姿は迫力に満ちていました。
まるでここから先は通さないと言わんばかりのゆーきはそのまま須賀君に指を向け、力強く唇を開きます。

「私、今日掃除当番だから、ちゃんとのどちゃんを部室までエスコートするんだじぇ」
「そうだな。昨日の今日じゃ不安だし」
「えっ!?」

そんな二人のやり取りに私は驚きの声を漏らしました。
私の知らないところで勝手に決まるそれに理解が追いつかないのです。
しかし、カバンを持った須賀君はそんな私にはお構いなしというようにこちらへと近づいてくれました。

「それじゃ…行こうぜ」
「あ…」

そうやって私に向けられる言葉は…一体、何時ぶりのものでしょう。
いえ、私にだって…それが2日ぶりだと言う事くらい理解できているのです。
しかし、その言葉に喜ぶ心の震えは、到底、2日ぶりとは思えません。
まるで一ヶ月ぶりにそうやって言葉を交わしたように…胸の中が喜びに溢れているのです。


—— 存外…単純なものですね。

そうやって声を掛けられただけで、あっさりと喜んでしまう自分に胸中で自嘲の言葉を浮かべます。
しかし、そうやって自嘲気味に言葉を漏らしても、私の感情は揺らぎません。
勿論、その奥底に暗い感情が横たわっているのは変わりませんが、今はまったく気にならないのです。
さっきまで重苦しくて仕方がなかったそれかた開放された所為でしょうか。
須賀君に並び立つ私の足はここ数日で一番、軽いものになっていました。

「……」
「……」

けれど、そうやって並び立って教室を出ても、私達の間には沈黙が降りていました。
お互いに距離を測っているようなそれに、けれど、私はあまり気まずさを感じません。
そうやって須賀君が宮永さんではなく…私の傍に居てくれるのが嬉しいからでしょうか。
こうして並んで歩いているだけで私の心は喜び…暗い感情から解き放たれるのです。

—— でも…何時までもそうしてはいられません。

私の方は今でも十分、満足出来ているとは言え、須賀君の方はとても気まずそうにしているのです。
まるで何か言いたいような、けれど、どうにもそのきっかけを掴みかねているような様子をさっきから見せ続けているのですから。
普段は頻繁に話題を振ってくれている彼とは思えないその姿に、私はここが恩返しする場面だとそう心に決めたのです。


—— でも…何を話しましょうか…。

勿論、言いたい事は沢山ありました。
聞きたい事だって一杯一杯あったのです。
しかし、こうして須賀君の傍にいるだけでそれらは揺らぎ、思考の向こうへと消え去ってしまいました。
まるで彼の傍にいるだけで満足してしまっているような自分の奥底を私は必死に探ります。
ですが、何が言いたかったのかをどうしても思い出せない私は少しずつ狼狽を覚え始めました。

「その…ごめんな」
「え…?」

そんな私の耳に届いたのは須賀君からの謝罪の言葉でした。
ポツリと、けれどはっきりと紡がれるそれに私は思わず彼の顔を見返してしまいます。
そこにあったのは気まずそうな、そして、恥ずかしそうなものでした。
けれど、一体、それがどうしてなのかまで理解が追いつかず、私はそのままじっと彼の顔を見つめてしまうのです。

「ちょっと調子に乗ってた。心配させてごめん」
「そんな…」

そう漏らす言葉に、私はようやくその謝罪が自分が囮になった事だと言う事を理解しました。
あの病室での様子から察するに彼は確信犯であったものの、私に心配かけた事を申し訳なく思ってくれているのでしょう。
ですが、それは全て事件を早期に解決する為のものだったのです。
勿論、それに対して言いたい事はありますが…謝って欲しかった訳ではありません。
寧ろ…それに関しては私の方が彼に謝らなければいけない事が沢山あるのです。

「私の方こそ…ごめんなさい。須賀君の言う事を聞かなかった所為であんな…」
「それこそ俺が調子に乗って携帯取られた所為なんだから。謝るのは俺の方だ」

そう思って紡いだ私の言葉を須賀君は首を振りながら答えます。
どうやら彼の中ではもう自分が悪いという事で確定しているようでした。
首を振る彼の表情は固く、申し訳なさに染まっています。
私がどれだけ自分の非を並べ立てても、それを変える事は出来ないでしょう。
ならば、ここで私がするべきは自分の非を訴える事ではなく… ——

今日は終わりー
ちゃんとここから巻き返せるルートは考えてあるから大丈夫
血なまぐさい事にはならないから安心して胃を痛くしてください

「ありがとう…ございました」
「えっ」

そう謝礼を述べる私に須賀君は信じられないような表情を見せました。
まるでそう言われるのを欠片も想像していなかったようなその表情に私は小さく笑ってしまいます。
きっと彼はそうやってお礼を言われるような事をしたとは思ってはいなかったのでしょう。
あの気まずそうな様子から察するに、きっと些細な失敗で自分の事を責め続けていたのです。

「須賀君のお陰で、私は凄い助かりました」
「でも、俺は…」
「…そう自分を責めないでください。須賀君は…何度も私を助けてくれたじゃないですか」

初にストーカーのことを打ち明けてから今日までの間、彼は数えきれないほど私を助け、そして支えになってくれたのです。
それをこの場で忘れてしまうほど私は恩知らずではありません。
寧ろ、重視されるべきはあの事件が起こった日よりもそれまでに彼が積み重ねてくれたものでしょう。
幼馴染と仲直りしたいという自分の都合を曲げてまで私の事を支え続けたその献身性にこそ私は強い感謝を感じるのでした。

「百歩譲って須賀君が失敗したとしても…私は須賀君に…感謝しています」

勿論、それはあの日の彼の行動を悪いと思っている訳ではありません。
彼があの日に行動してくれなければ、もしかしたら私はあの人にひどい目に合わされていたのかも知れないのですから。
それは仮定の話ではありますが、決してあり得ないものではなかったのでしょう。
実際、ああやって事件になるまでの間に警察は何もしてくれず、警告はエスカレートしていくばかりだったのですから。

「有難うございます。私は…須賀君に救われました」
「和…」

そう言いながら頭を下げる私に須賀君はポツリと言葉を漏らしました。
それが一体、どんな感情によるものなのか私は判別する事が出来ません。
しかし、そこにはさっきまでの自責の色はあまり感じられませんでした。
恐らくは…私の言葉は彼が自分を許す為の材料になれたのでしょう。
そう思うと少しだけ誇らしくなり、胸を張りたい気分になったのです。

—— 彼を勇気づけたのは…宮永さんではなく、私なんですから。

そう対抗心を抱くそれはきっと情けないものなのでしょう。
私が一人で勝手に…意識しているだけなのですから。
しかし、頭をあげた瞬間に彼が見せた安堵するような表情は…私の…私だけの手柄なのです。
そう思うと少しだけ『取り返せた』ような気がして…私はつい笑みを浮かべてしまうのでした。

「…はは。ホント、格好悪いな。こういう時…洒落た言葉の一つも出てこないや」
「いいえ。須賀君は…何時だって…格好良いです」

いえ、須賀君が格好悪かった時なんて殆どありません。
私の傍に居てくれる彼は…何時だって頼もしいものだったのですから。
あの時、意識が朦朧としながらもストーカーを抑えてくれた姿だって…最高に格好良いものだったのです。
そんな私にとって気恥ずかしそうに、けれど、何処か嬉しそうにその頬を掻く須賀君の姿は可愛らしく思えても格好悪くは映りません。
いえ、寧ろ、そうやって視線をそらす姿さえも何処か愛嬌のある魅力的な仕草に見えるのです。

「…え?」
「あっ…」

けれど、それはそう簡単に口にして良い言葉ではない。
それに気づいたのは私の目の前で須賀君が驚いたように私を見つめるからです。
まるで信じられないような言葉を聞いたかのようなそれに私の頬は一気に紅潮していくのが分かりました。

「ご、ごご…誤解しないで下さいね!そ、そういう意味じゃなく…お、お世辞!お世辞なんですから!」
「お、おう…」

それと共に湧き上がる羞恥心に私はついついそうやって可愛げのない言葉を放ってしまいます。
格好良いと思った事全てをまるごと否定するようなそれに須賀君は気圧されるようにそう頷きました。
恥ずかしすぎてその顔をはっきりと見る事はできませんが、もしかしたら変な女だと思われているのかもしれません。

—— わ、わわ…私ったら…な、なんて事を…!

本来ならお礼を言わなければいけない相手に、向けるその言葉は最低も良い所でしょう。
自分で口走っておいて、お世辞だと誤魔化したのですから。
正直、そうやって取り繕うよりはウソじゃないと言っていた方が幾らかマシだったでしょう。
けれど、時間はもう戻りはせず…その機会も失われて… ——


—— いえ…そういうのがいけないんです。

そう引っ込み思案に陥りそうな思考を、私はそう叱咤しました。
そうやってすぐさま内側へと閉じこもってしまうからこそ、対人関係をちゃんと構築出来ていないのです。
悪いと思ったならば、或いは間違っていると思ったならば、機会云々なんて言わず…ちゃんと訂正すべきでしょう。
少なくとも…友達だと思っている相手にはそんな不義理をしたままにはしたくありません。

「あの…でも…私を助けてくれた時の須賀君は…ちょ、ちょっぴり…格好良かったです…」
「そ、そっか…」

そう思いながら紡いだ言葉に、須賀君は再び明後日の方向に視線を飛ばしました。
チラリとその顔に目を向ければ、そこには私に負けないくらいの紅潮が朱となって現れています。
視覚的に訴えてくるほどの恥ずかしさに、言った私の方も恥ずかしくなるくらいでした。
結果、私達の間にはまた沈黙がそっとその手を差し込み、何とも落ち着かない雰囲気になってしまうのです。

「で、でも…須賀君は私との約束破りましたよね?」
「う…それは…」

それを何とか打開しようとする私の脳裏に浮かんできたのは『危ない事はしない』という須賀君の約束でした。
私の信頼の根拠であり前提であったそれをあっさりと破られた事を私は決して忘れてはいません。
幾ら、格好良かったとは言っても、そのことについて一言くらい言ってやらないと気が済まないのです。


「私…アレだけ言ったのに…」
「いや…アレは不可抗力で…」
「…それを今更、信じられるとそう思っているんですか?」

気まずそうに言葉を紡ぐ須賀君に、もしかしたら私は騙されていたかもしれません。
しかし、彼は知らない事ですが、私は病室での二人のやり取りを聞いてしまっているのです。
彼自身が語った言葉を盗み聞きした私がそれを鵜呑みにするはずがありません。
寧ろ、そうやって誤魔化そうとする彼についついジト目を向けてしまうのです。

「い、いや…本当だって!俺もまさか襲われるなんて思ってなくてさ」
「……じゃあ…忘れものってなんだったんですか?」

そんな私に言い訳じみた言葉を並べる須賀君に私は冷たくそう言い放ちます。
実際、私は警察署で事情聴取の一環として、須賀君の荷物をチェックするのにも付き合わされているのです。
その中にはパジャマから制服から一式が揃えられ、忘れ物らしいものは見当たりませんでした。
少なくともあの場でわざわざ取りに戻らなければいけないようなものなんて一つも思いつかないくらいしっかりと準備されていたのです。

「枕だよ。俺、実は枕が変わると眠れなくてさ」
「それ…須賀君のお母様に聞いて良いですか?」
「う…」

それでも誤魔化そうとする須賀君に私は携帯を取り出します。
勿論、それはただのブラフでしかありません。
事件が起こった後、須賀君の両親とも連絡先を交換していますが、それは両親だけなのです。
私にまでそのデータが回ってくる事はなく、携帯の電話帳は一つたりとも増えていません。
しかし、それでも須賀君を追い詰める効果はあったようで、その表情を苦しそうに歪ませました。


「…どうしてですか?」
「…いや…その…」
「…どうして…私にそこまでしてくれるんですか?」

そんな須賀君に尋ねる言葉は、詰問するような強いものになっていました。
どうやら私は自分でも思っていた以上にその事について怒っていたみたいです。
一歩間違えれば私の所為で友人が…しかも、始めて出来た男友達が死んでしまっていたかもしれないのですから。
しかし、折角、私を護ってくれた人に…そうやって問い詰めるべきではありません。

「…女の子が怖がっているってのに男の俺が何かしない訳にもいかないだろ」
「だからって…何も自分から危険に飛び込むような真似をしなくても良いでしょう!」

そう言い聞かせながらも、次の言葉は大声になってしまいました。
心の中に押し込めていた苛立ちをそのまま声にするようなそれに下校途中の生徒の何人かがこちらを振り返ります。
それに気恥ずかしさを感じながらも、しかし、ようやく蓋が開いた感情は収まりません。
昨日、病室でぶつけられなかったそれが私の胸の中を埋め尽くし、胸を苦しくさせるのです。

「そうやって須賀君を犠牲にしたやり方で助かっても…私…全然、嬉しくないです…」

その言葉に浮かぶ一番の感情は恐ろしさでした。
もし…須賀君が私の所為で死んでいたら私はきっと自分のことを一生、許す事が出来なかったでしょう。
間接的にではありますが…須賀君が死ぬ原因を作ったのは私なのですから。
結果、今回のように事件となって犯人が逮捕されても喜ぶ事なんて出来ません。
寧ろ、失った物の大きさに打ちのめされ、私はトラウマを抱えていた事でしょう。


「私の事を助けてくれるって言うのなら…ちゃんと…最後まで面倒見てください…」
「…ごめんな」

そこまで言った時にはもう私の声は震え…目尻には濡れたものが浮かび始めていました。
それを反射的に手で拭い去ろうとする私の視界にハンカチが映ります。
そのままゆっくりと目尻を拭ってくれるそれは優しく、そして暖かなものでした。
それに須賀君が生きてここに居てくれる事を遅ばせながら、ようやく理解した私から…ポロポロと大粒の涙がこぼれ始めます。

「…もうあんな真似はしない。約束する」
「約束したのに破ったじゃないですか…っ」

そんな私の顔を飽きずに何度も拭い去ってくれる須賀君の言葉を私は信じる事が出来ません。
何せ、あの病室でのやり取りを聞くに彼がこうした無茶をしたのは何も今回が始めてではないのですから。
流石に日常的にとは言わなくても、前科は一回や二回ではないのでしょう。
それを思うと彼の言葉をどうしても信じる事が出来ず、涙に濡れた目できっと睨んでしまうのでした。

「いや…もう絶対にそんな真似はしないって」
「どうして…そう言い切れるんですか…?」

しかし、須賀君はそんな私に怯むような様子は見せず、淡々と顔を拭いてくれるのです。
そうしながら絶対と断言するそれに私はそう尋ねました。
もし、特に根拠のないものだったら思いっきり泣いて困らせてやろう。
そんな前向きに後ろ向きな事を考えながら、彼を見つめる私の前で、須賀君はゆっくりと口を開くのです。


「そもそも…俺はそうホイホイ自分を囮に出来るようなヤツじゃない。本当は小心者で臆病者なんだ」
「そんな事…」

何処か自嘲気味に口にするその言葉を一体、誰が信じる事が出来るでしょう。
彼がやった方法というのはとても愚かではありますが、けれど、効果的で…勇気がなければ決して出来ない事だったのですから。
そもそも、彼が自分で言う通り小心者で臆病者だとすれば、私に関わらず距離を置いていた事でしょう。
それなのにこうして自分が怪我をするのも厭わずに助けてくれた彼がそうだとは到底思えません。

「いや、マジだって。実際、直前まで俺は実行に移すか迷ってたからな」

そう自嘲気味に笑う須賀君の言葉は当然のものでしょう。
誰だって怪我をするかもしれないと思えば、二の足を踏んでしまうものなのです。
それを気にせずに突っ切ってしまえるような人は、危険や怪我に慣れすぎて頭の中が麻痺しているだけでしょう。
安全な場所で生きていれば極自然なその反応に臆病だとは言えないはずです。

—— 何より…須賀君はそれでも実行に移してくれたのです。

そうやって迷って苦しんでいるのを表に出さず、最後まで私を気遣ってくれた彼。
それを臆病だと言う人がいるのだとすれば、それはきっとその人の方が間違っているのです。
普通の人の領域にありながら、誰かの為に傷つく事を厭わないその精神は寧ろ、優しいと称されるべきでしょう。
その行為そのものを私は心から喜ぶ事は出来ませんが、さりとて、迷いながら決断を下した彼を悪く言われるのは我慢出来ません。
それをして良いのは…世界でただ一人、彼に助けてもらった私だけのはずなのですから。


「何より…俺は誰相手にでもこんな事するほど酔狂じゃねぇよ」
「え…?」

ポツリと呟かれるその言葉に私は思わずそう聞き返してしまいました。
だって、その言葉はまるで私が特別だと思ってくれているように聞こえるのですから。
勿論、そんな事はあり得ません。
私はあまり可愛げのない女で…ついこの間まで須賀君ともギクシャクしていた間柄なのですから。
仲の良さで言えば、恐らく彼の友人の誰一人 —— それこそ宮永さんどころかゆーきにさえ勝てないであろう私が、特別だなんてあり得ないでしょう。

「その…凄いエゴなんだけどさ。和は…どうしても俺の手で護ってやりたかったんだ」

けれど、そう言い聞かせても…須賀君のその言葉にドキドキするのは否めませんでした。
理性よりも自分の一時の感情を優先するようなそれは…私にある言葉を彷彿とさせるのですから。
彼の価値観を感じさせるそれを…私が忘れるはずがありません。

「…誰よりも傍で…ですか?」
「お、覚えてたのかよ…」

あの修羅場と言っても良いような騒動の中、はっきりと聞こえたその言葉。
それを口にする私に須賀君が気まずそうに視線を背けました。
その頬に再び朱色を混ぜるその姿はまるで拗ねた子どものようです。
それが可愛らしく映りますが…けれど、私にはそれに笑みを浮かべる余裕はありませんでした。
それよりも彼が次に何を言うかにその意識の全てを傾け、注視していたのです。


「まぁ…その…何て言うか…」
「……」
「そう…言う…事…なんだよな」

ポツリと、けれど、はっきりと口にする須賀君の言葉は愛の告白も同然でしょう。
だって、彼はあの騒動の中で、『愛しているなんて誰よりも傍で護れるようになってから言え』とそうはっきり口にしていたのですから。
勿論、それはあの騒動の中で犯人の敵意を自分に向ける為の言葉に過ぎなかったのかもしれません。
しかし、その漏らすその顔には…余裕めいたものなんてありませんでした。
まるで本当に告白してくれたようなそれに…私はトクンと胸を沸き立たせてしまうのです。

—— わ、わわ…私は…。

けれど、私はその言葉に答える事が出来ませんでした。
だって、私はそうやって告白された事なんて始めての危険だったのですから。
小中と女子校で育った私にとって異性とは程遠い存在だったのです。
勿論、須賀君にはこれまで告白めいた言葉を何度も聞かされていますし、身近なところだのあの犯人に愛を囁かれていますが、それはカウントに入らないでしょう。
少なくとも彼は私を『可愛い』という時にこんな表情をした事はないのですから。

—— ど、どどどどどどどうしましょう!?

結果、私にもたらされたのは困惑に近い狼狽でした。
まさか須賀君にそんな風に思われているとは欠片も思っていなかった私にとって、それは予想外もいいところだったのです。
正直、呆然と須賀君を見つめる胸中には夢ではないかとさえ思っている私がいるくらいなのですから。
寝耳に水と言う言葉が相応しいそれに、私はどうすれば良いのか分からなって完全にその思考を固めてしまいました。

誤字酷すぎるのでちょっと訂正






「まぁ…その…何て言うか…」
「……」
「そう…言う…事…なんだよな」

ポツリと、けれど、はっきりと口にする須賀君の言葉は愛の告白も同然でしょう。
だって、彼はあの騒動の中で、『愛しているなんて誰よりも傍で護れるようになってから言え』とそうはっきり口にしていたのですから。
勿論、それはあの騒動の中で犯人の敵意を自分に向ける為の言葉に過ぎなかったのかもしれません。
しかし、その漏らすその顔には…余裕めいたものなんてありませんでした。
まるで本当に告白してくれたようなそれに…私はトクンと胸を沸き立たせてしまうのです。

—— わ、わわ…私は…。

けれど、私はその言葉に答える事が出来ませんでした。
だって、私はそうやって告白された事なんて初めての経験だったのですから。
小中と女子校で育った私にとって異性とは程遠い存在だったのです。
勿論、最近だとあの犯人に愛を囁かれていますし、須賀君にはこれまで告白めいた言葉を何度も聞かされていますが、それはカウントに入らないでしょう。
犯人のアレは愛とは程遠いものでしたし、また彼も私を『可愛い』という時にこんな表情をした事はないのですから。

—— ど、どどどどどどどうしましょう!?

結果、私にもたらされたのは困惑に近い狼狽でした。
まさか須賀君にそんな風に思われているとは欠片も思っていなかった私にとって、それは予想外もいいところだったのです。
正直、呆然と須賀君を見つめる胸中には夢ではないかとさえ思っている私がいるくらいなのですから。
寝耳に水と言う言葉が相応しいそれに、私はどうすれば良いのか分からなって完全にその思考を固めてしまいました。


—— でも…少なくとも…嫌じゃない…です…。

それでもゆっくりと自分を振り返るその思考に私は胸中で小さく頷きました。
確かに驚きこそしましたが、今の私には厭うものなんて何もないのです。
困惑に満たされているはずの胸もさっきからトクントクンと脈打って全身に喜びを広げるのですから。
それが始めて告白された所為か、或いは須賀君に告白された所為なのかは…私にはまだ分かりません。
けれど、気まずそうな顔をしている彼にせめてそれだけは伝えなければと口を開き… ——

「わ、私は…」
「あ、いや、返事は良いんだ。あの事件の後でまだまだそういう事考えられない状態だって言うのは分かってるし」

そんな私の言葉を遮るように言いながら須賀君はそっと首を振りました。
まるで私の返事を拒絶するようなそれにほんの少しだけ私は悲しくなってしまいます。
けれど、今の私は困惑が強く、返事を今すぐ求めらていないというのは正直、幸いではありました。
さっきの言葉はあまりにも予想外過ぎて自分の中でろくに結論は出ていないのですから。
何をするにしてもまずは自分と向き合って答えを出す時間が必要でしょう。

「ただ、俺は和が思っているような立派なヤツじゃないって事を説明したかっただけなんだけど…あー…どうしてこうなるかなぁ…」

そう言いながらそっと肩を落とす須賀君に、私は何を言ってあげれば良いのかわかりません。
有難うというのは何処かズレている気がするし、ゴメンナサイだと誤解を招きかねないのですから。
しかし、私が変に突っ込んでしまった所為で、まるで事故のような告白が起こってしまったのは事実でしょう。
そう思うと申し訳なさが胸をつき、私の肩もそっと落ちるのです。


「…あ」

そうやって気まずい沈黙を交わす私達に部室の扉が現れました。
どうやらそうやって私がためらっている間にかなりの時間が過ぎていたみたいです。
それに安堵とも落胆とも言えない感情を抱く私の前で須賀君がそっと扉に手を伸ばしました。
恐らくその向こうには先輩方がいて…扉を開いたら最後…もういまみたいに二人っきりで話す事は出来ないでしょう。

「あの…須賀君」
「ん?」

そう思った瞬間、私の口は自然と開いていました。
まるでこの時間をまだ終わらせたくはないと言うように…はっきりと言葉を放ったのです。
しかし、その後に続く言葉なんて私が考えているはずがありません。
ついさっきの告白から未だ立ち直りきれていない私にとって自分で話題を探すというのはハードルが高い事だったのです。

—— で、でも…な、何か言わないと…須賀君が…!

そんな私に振り返る彼の表情はとても複雑なものでした。
期待しているような、それでいて不安が溢れそうな…矛盾したものだったのです。
私の言葉ひとつでどちらにも転びそうなその表情は、さっき私に告白したが故のものなのでしょう。
きっと彼は私から返事が貰えるのかもしれないと…そう内心、思っているのです。


—— …でも…私は勿論、そんな事出来なくて…。

少しは頭も回るようになりましたが、それは結局、問題の先送りをしているが故のものでしかないのです。
今の私は須賀君の告白に答えられる状態ではなく、そのつもりもありませんでした。
それなのに期待をもたせるだけもたせて、こうして黙っているのはあまりにも不誠実な状態でしょう。
けれど、ただ、彼と二人きりの時間がもう少しだけ欲しかっただけの私には…話題なんて… ——

「あ、あの…っ!今度…一緒に出かけませんか…?」
「え…?」

そう思った瞬間、私の口は勝手に動き出していました。
まるで須賀君と一緒にいたいという気持ちをそのまま顕にするそれに彼は驚いたように私を見つめます。
微かに目を見開いたそれに私は自分が口走ってしまった事の重要さを自覚しました。
だって…それは…半ば告白を受け入れるも同然の言葉なのですから。
告白されて…返事は良いと言ってくれた人に対して…デートに出かけるなんて…OKだと受け取られても仕方のないものでしょう。

「ち、違いますよ!こ、今回のお礼に色々としてあげなくちゃって思って…そ、それに…約束破ったお詫びだってしてもらわなきゃいけませんし!」
「そ、そうか。そうだよな…」

瞬間、耐え切れなくなった私の口からそんな言葉が漏れだしました。
必死になって須賀君の期待を打ち砕こうとする自分の言葉に内心、嫌気が沸き上がってきます。
しかし、気づいた頃にはもう遅く、須賀君は気落ちした様子でシュンと肩を落としました。
まるで希望が打ち砕かれたその様子に、私の胸は痛みますが、けれど、勢いのまま口にしてしまった言葉をどう取り繕えば良いのか私には分かりません。
下手をすればさっきよりも傷つけてしまったであろう彼にどうフォローすれば良いのかなんてまったく思いつかないのです。

「あ…あの…」
「まぁ…それならそれで俺なりに頑張るだけだけどな」
「…え?」

それでも何とか彼を励まそうと声をかける私の前で彼はそっと顔をあげました。
その顔はまさにケロリとしたと言うものが相応しく、私は呆然としてしまいます。
一体、さっきまでの気落ちしていた姿は一体、何だったのか。
思わずそう思うほどのそのギャップに困惑で滞った私の理解は追いつかなかったのです。

「デートコースしっかり考えてくるからな!」
「で、デートありませんってば!」

それでもぐっと握り拳を作る須賀君に言い放つのは、半ば反射的なものでした。
私にだってそれがデートという意識くらいはあるのですから、ウソもいい所なのです。
しかし、長年、染み付いた可愛げのない性格がそうやって意地を張り、須賀君の言葉を否定しました。
けれど、彼はニヤニヤとその頬を緩めて、私のことを見返してくるだけなのです。

「もう…心配して損しました…!」

そんな彼に言い聞かせるように言いながらも、私は内心、胸を撫で下ろしていました。
だって、彼の様子は私の言葉にまったく傷ついていない事を知らせるものだったのですから。
いつも通りの冗談めいた明るいその仕草に頬を膨らませながらも、ついつい嬉しく思ってしまうのです。


—— 何より…関係が変わらないのが…嬉しかったです。

何だかんだ言いながらも、こういうやり取りを嫌ってはいないのでしょう。
だからこそ、告白しても関係そのものは変わらないんだと告げるようなその様子に、私は嬉しく思うのでした。
これなら…きっと…関係がどう転んでも大丈夫。
そう思いながら、私は浮かれる須賀君の代わりにそっと扉を開き、久しぶりの『日常』を謳歌したのでした。


……
…………
………………

今から思えば…全ての歯車はここから狂っていたのでしょう。
私がここでちゃんと自分と向き合っていれば…或いは彼が必要以上に明るかった事をちゃんと考えていれば…後のすれ違いはなかったはずなのです。
けれど…当時の私にとって状況に流され過ぎないようにするのが精一杯で、他の事を考える余裕なんてありませんでした。
この当時に私にとって、後に大きな破滅が待っている事なんてまったく想像もしておらず…ようやく帰ってきたその『日常』が永遠に続くと思っていたのです。

















—— 永遠に続く関係なんて…決してないと…分かっていたはずなのに。









……
…………
………………

そろそろ集中力きれそうだから今日はこれまでー
次回からは本格的に病んでいく予定

霞「彼らはね、咲のSSが好きなのではないのよ」

霞「自分の姿を須賀くんに重ね、咲キャラたちと絡みたいだけなの」

初美「そうなんですかー?」

霞「そうよ。須賀くんはかわいそうだわ。京豚の、自己投影の犠牲になってしまったせいでいろいろな人に嫌われてし亦野だから・・・」

霞「京太郎SSの『京太郎』を、『俺』に置き換えて御覧なさい」

霞「ほとんどのSSで、違和感なく話が進むはずよ」

初美「うわー・・・ほんとうなのですよー」

霞「こういったスレにはね、ただちにふんふむを召還しなくてはならないの」

霞「『悪』をのさばらせてはいけないのよ」


—— 誰だって初めてというのは緊張するものです。

『未知』というものは誰にでも立ち塞がる壁なのですから。
それが大きいか小さいかは人によるでしょうが、その時の私にとってそれは決して小さくありませんでした。
何せ…それは私にとって物語の中にしかないものに近く…今まで自分が経験するだなんて想像もしていないものだったのですから。

—— だ、大丈夫です。だって…こ、これは別にデートでもなんでもないんですから。

そう私が言い聞かせるのは駅前の広場でした。
大きな柱時計に背を向けるようにして立つ私は、さっきからそう何度も自分に言い聞かせていたのです。
しかし、私の心はまったく落ち着かず、手足もそわそわとしてしまいました。
無意味に自分の髪の毛を弄った回数はもう数えきれません。
しかし、それでも待ち人 —— 私と出かける約束をした須賀君は未だ現れませんでした。

—— 流石に…一時間前に来るのは早すぎたでしょうか…。

そうは思うものの、私にはデートをした経験なんてないのです。
一体、待ち合わせの何分前に着いておくのがマナーなのかも勿論、分からず、こうして先走ってしまったのでした。
とは言え…もし、須賀くんを待たせてしまったら心苦しいですし、これはコレで良かったのかもしれません。


—— それに…こうして待つのは嫌な気分ではありませんし。

勿論、私は今も落ち着かなく、視線を彷徨わせていました。
その視界の端に須賀君らしき人が映る度についついそっちに顔を向けてしまうくらいです。
そんな風に落ち着きをなくした自分を感じるのは…正直、そうあるものではありません。
けれど、それが決して嫌なものかと言えば、決して違うのです。

—— さっきから…胸の中がドキドキして…。

髪を弄っていた手をそっと胸元に当てれば、そこにはトクントクンと規則正しく脈打つ心臓がありました。
けれど、その脈動は普段のものよりも力強く、そして何処か暖かく感じられるのです。
こうして身体が強張りそうな緊張の中で湧き上がるそれは私が決して今の状態を嫌がっていない証なのでしょう。
そうやって落ち着きをなくした自分ごと…今の私は受け入れる事が出来ているのです。

—— 不思議な…気分ですね。

自分で身体をちゃんと制御しきれないくらいに緊張しているのに、それがイヤではない自分。
それにクスリと笑みを漏らしながらも…私はそれがある意味で当然であると認めていました。
何だかんだ言いながらも…私は、今日こうして須賀君とデートするのを楽しみにしていたのでしょう。


—— も、勿論!それは須賀君の事が好きとかそういうんじゃないですけれど!!

ただ…そう、ただ…私は須賀君と一緒にいるのが…それほど嫌いではないのです。
他愛ない話をして…からかわれて…拗ねて…たまに反撃して…。
そんななんでもないやり取りを内心、望んでいたのです。
ここ最近、色々あった所為で出来なかったそれを取り戻そうと…心の中でそう決めていたのでした。

—— だから…今日は絶好の…機会なんです。

今日のデート…いえ、お出かけにはゆーきも誘ってはいません。
文字通り須賀君と私の二人っきりなのです。
それにまるでゆーきを仲間外れにしたような気がして申し訳なくなりますが…けれど、彼女にはどうしても言えませんでした。
そうやってゆーきがいると…どういても会話の中心は須賀君と彼女の方になってしまうのですから。
そんな二人を見るのは好きですが…やっぱり今日という日の主役を譲りたくはなかったのです。

—— それに…その…ゆーきにはこの服の事も知られていますし…。

そう思うのは私が着ている服が原因でした。
普段着ているものよりもフリル多めのそれは所謂『よそ行き用』という奴です。
白地のワンピースからフリルが漏れるそれはまるでお姫様の着るドレスみたいで一目で気に入ったものでした。
しかし、買った後で着てみると思いの外、恥ずかしく、結局、今まで着る機会は一度もなかったのです。
そんなとっておきの服をゆーきも知っているので…私がどれだけ今日という日を楽しみにしていたかも彼女に伝わってしまう事でしょう。


—— 須賀君は…可愛いって言ってくれるでしょうか…?

普段から可愛げのない私にだって…そう言った期待はあるのです。
昨日からずっと悩みに悩んで選んだ服を…似合ってるって…可愛いって言ってほしいという期待が。
勿論…気遣いの上手な彼はきっと私を褒めてくれる事でしょう。
そう思いながらも私は不安混じりの期待を抑える事は出来ず、モジモジとしてしまいました。

—— 言ってくれなかったら…お昼は抜きですね。

そう思う私の手には小麦色のバスケットがぶら下がっていました。
その中には勿論、今日のお昼の為に頑張って作った二人分のお弁当が入っています。
昨日から仕込みを始めたそれは以前よりも遥かに手間が掛かっている自信作でした。
きっとこれなら間違い無く須賀君は美味しいと言ってくれる。
そう思えるほどの会心の出来に、私は一人キッチンでガッツポーズを取ったくらいなのですから。

—— これなら…きっと…宮永さんにも負けないはずです。

勿論、宮永さんがどれくらい美味しいお弁当を作るのかは分かりません。
もしかしたら私以上に彼の味覚を熟知しているのかもしれないのです。
しかし、それでも、私はこのお弁当なら引けをとるとは思えませんでした。
私の人生を振り返っても、これほどの出来は一度たりともなかったくらいなのですから。


—— その代わり…ちょっと作りすぎてしまいましたけど…多分、大丈夫ですよね。

大きめのバスケットの中にはぎゅうぎゅうに詰め込まれるようにお弁当が入っているのです。
正直、こうして手に下げているだけでも重いくらいのそれに少しだけ不安を感じました。
しかし…須賀君は食べ盛りの男の子なのです。
普段、彼が食べている量の二倍くらいありますが、きっと食べきってくれる事でしょう。

—— まぁ…何処で食べるかって言う問題はありますが…。

しかし、前回の反省を活かした私は、既にお弁当を作ってくることを彼に伝えているのです。
それに須賀君も了承してくれたのですから、ちゃんとその為のデートコースを考えてくれているでしょう。
まぁ…考えてくれていなかった場合は、ジュースの一本でも奢ってもらえばそれで済む話です。
須賀君もあんまりこうしてデートした経験もないらしいので、ちょっとした失敗くらいは大目に見てあげるべきでしょう。

—— でも…一体、何処に行くんでしょう…?

これまでメールで打ち合わせをしてきましたが、結局、何処に行くつもりなのか須賀君は教えてくれませんでした。
服装や靴の指定を聞いてみましたがなんでも良いと言われたので、何かしら運動したり遠出するような事はないのでしょう。
そうなるとこの辺りでは映画館かショッピングくらいが主な選択肢になるのですが… ——


—— そ、そう言えば…劇場版エトペンが2週間前から封切りでしたっけ…。

エトピリカになりたかったペンギン —— 通称エトペンは私の大好きな本のキャラクターです。
そのぬいぐるみを抱きしめないと眠れないほど熱心なファンである私にはその映画がとても気になっていました。
新年度や事件に巻き込まれたのもあって見に行けませんでしたが…正直、私が今見たい映画と言えばそれだったのです。

—— 須賀君に言うべきでしょうか…いえ、でも…子どもっぽいと思われるのはイヤですし…。

とは言え、それをストレートに彼に言う事が出来るかと言えば、やっぱり否です。
最近は須賀君が居ても部室で寝るようになったので、彼も私の趣味をなんとなく察してくれている事でしょう。
ですが、須賀君はこれまでそんな私に突っ込んだりせず、エトペンの事もスルーしてくれていました。
そんな彼に自分の趣味を告げるのはやっぱりかなりの勇気がいる事だったのです。

—— な、何はともあれ…須賀君が来てからですね。

そうやって悩むのは別に今日に始まった事ではありません。
お出かけが決まってからほぼ毎日、ベッドの中で悶々としていた事だったのです。
そんなものが当日になったところで答えが出るはずがなく、考えるだけ無駄な事でしょう。
そう思考を打ち切りながら、私はそっと時計を見あげれば、そこにはほんの1/4ほど進んだ分針がありました。



—— 後…45分…ですか。

こうやって悶々としている間に15分ほど進んだ時計。
それを早いと見るか遅いと見るかは人それぞれでしょう。
しかし、私は正直…それを遅いと感じていました。
こうして悶々とするのはそれほど嫌なものではありませんが、やっぱり楽しみな気持ちはそれよりも遥かに大きいのです。
早く須賀君に会って…いろんな話がしたい。
そう思う気持ちはもう抑えられず、私は再びそわそわとしていました。

—— ピリリリ

「…あれ?」

そんな私の耳に届いた着信音は思ったよりも近いものでした。
まるで私が手に下げるバスケットから鳴っているようなそれに私はそっと中を覗き込みます。
そんな私の視界に飛び込んできたのはエトペンのストラップがついた自分の携帯と…その画面に表示されている須賀君の名前でした。

—— どうかしたんでしょうか…。

まだ待ち合わせの時間まで45分もあるのです。
そんな時間に届いた待ち人からの着信に私は嫌な予感がしました。
正直なことを言えば…それをとるのを拒否したいくらいです。
ですが、もし、それが大事な要件であれば、彼に迷惑を掛けてしまう事でしょう。
そう思うと出ない訳にもいかず…私はおずおずと携帯を取り出し、通話ボタンを押したのです。

「…もしもし?」
「あ、和か?」

瞬間、私の耳に届いたのは聞き慣れた須賀君の声でした。
それに一つ安堵するのは彼が事故にあったという最悪の予想から免れたからです。
とは言え、それはあくまでも最悪のもの。
未だ私の中の嫌な予感はなくならず、胸の中に焦燥感が滲み始めました。

「はい。どうかしたんですか?」
「…悪い。今日、ちょっと行けなくなった」
「…え?」

まるすぐ後ろに嫌なものが迫ってきているような嫌な予感。
それに突き動かされた私の耳に届いたのは信じられない言葉でした。


「…何かあったんですか」

途中送信泣きたい…








「…もしもし?」
「あ、和か?」

瞬間、私の耳に届いたのは聞き慣れた須賀君の声でした。
それに一つ安堵するのは彼が事故にあったという最悪の予想から免れたからです。
とは言え、それはあくまでも最悪のもの。
未だ私の中の嫌な予感はなくならず、胸の中に焦燥感が滲み始めました。

「はい。どうかしたんですか?」
「…悪い。今日、ちょっと行けなくなった」
「…え?」

まるすぐ後ろに嫌なものが迫ってきているような嫌な予感。
それに突き動かされた私の耳に届いたのは信じられない言葉でした。
だって、彼もまた私とのお出かけを楽しみにしてくれていたはずなのです。
デートコースだって言いながら、私と出かける場所を色々と考えてくれていたのですから。
そんな彼が当日のギリギリになってキャンセルするだなんて…よっぽどの事がなければありえないでしょう。
こうして電話しているものの…もしかしたら彼の身に何かあったのかもしれない。
そう思うと居ても立っても居られなくなりますが、ここで私が出来る事は悲しいかななにもないのです。
まずは…落ち着いて事情を聞くのが先決でしょう。

「…何かあったんですか?」
「ちょっと咲…いや、幼馴染が熱を出してさ」
「っ…!」

瞬間、聞こえてきたその言葉に私は思わず息を飲みました。
まるで沸き上がってくる自分の感情を必死になって押し込めようとしているようなそれに…けれど、心は止まりません。
苛立ちのような…悲しみのようなドロドロとした感情を底から沸き立たせ、私の胸を埋め尽くしていくのです。

「幼馴染の親も俺の親も今日は出かけてて…看病してやれるの俺しかいないんだ」

そんな私に気づかずに、須賀君は申し訳なさそうにそう言います。
その声音に悲しそうなものも混ざっているのは…彼もまた私とのお出かけを楽しみにしてくれていたからなのでしょう。
しかし…それは今の私にとって何の救いにもなりませんでした。
今の私にとって何よりも大きかったのは…『須賀君が宮永さんの所為で来れなくなった』という事なのです。

「そう…ですか…」

それでも振り絞ったその声は微かに震えていました。
まるで自分の感情を吐露しようとするようなそれを私は拳を握って押しとどめます。
一番、苦しいのは私ではなく、こうやってキャンセルの連絡をいれなければいけない須賀君の方なのですから。
私が幾ら彼に感情をぶつけたところで…須賀君が困ってしまうだけなのです。

—— 須賀君は困っている友人を見捨てるような人じゃないんですから。

ここで宮永さんを見捨てて私に会いに来るような人なら、私はここまで心を許しはしなかったでしょう。
きっと内心で距離を取りながら当たり障りなく接していただけのはずです。
だから…須賀君がそうして私ではなく宮永さんを優先するのは…しごく当然で当たり前の事なのです。
けれど…そうと分かりながらも…私は自分の胸の痛みを否定する事が出来ませんでした。


—— また…『また』なんですか…!!

こうして須賀君を宮永さんにとられるのは…別に今回が初めてではありません。
いえ…ここ最近は殆どずっとと言っても良いくらいなのです。
デートの約束をした日から宮永さんは頻繁に須賀君に会いに来るようになったのですから。
お陰で教室で須賀君と話す事は出来ず、部室でもゆーきが彼にべったりであまり機会がありません。
だからこそ、今日こそはそれを楽しもうと思っていたのに…それをまた目の前で奪い取られてしまったのです。

「あの…和?」
「いえ…すみません。それなら仕方ないですね」

そう答える声は思った以上に平坦なものになっていました。
自分でも驚くほどに冷たいそれに須賀君が電話口の向こうで怯むのが分かります。
それに胸が申し訳無さで痛みながらも…けれど、私にはどうする事も出来ませんでした。
だって…今の私の内側にはそれよりももっと醜い感情が荒れ狂い…轟々と唸っていたのですから。

「その…本当にごめん。今度、埋め合わせはするから…」
「気にしないでください。仕方のない事だって理解していますから」

えぇ。
私にだって…理解は出来ているのです。
須賀君がやっている事は決して間違ってはいません。
間違っているのはそれを許容出来ない私の方なのです。
けれど…けれど…どうしても…私は自分の感情を抑える事が出来ません。
自分勝手で…無茶苦茶な理屈だと分かっていても…私のことを一番に優先して欲しかったのです。


—— …苦しくて…息が詰まりそうです…。

きっと今の私は表面上はとても平静を装えているのでしょう。
理性の全てを総動員して作り上げた仮面は、強固なものだったのですから。
しかし、その奥底で感情に翻弄される私の胸は…今にも張り裂けてしまいそうでした。
須賀君が私ではなく…宮永さんの看病を選んだというだけで…私は今、死にそうなほどに苦しんでいたのです。

「京ちゃん…あの…」
「バカ。大人しく寝てろって」

そんな私の耳に届いたのは熱っぽい宮永さんの声でした。
こうして電話口からでもはっきりと分かるそれは彼女がとても苦しんでいる事が伝わってくるのです。
しかし…それでも…私はコールタールのような暗く淀んだ感情を捨て去る事が出来ません。
こうして私にも聞こえるくらいに…須賀君の傍にいる彼女に…私は今、間違いなく嫉妬していたのです。

—— そこは…私の場所であったはずなのに…!

今日の私は…そこにいたはずなのです。
今日の須賀君は…私の傍にいてくれるはずだったのですから。
しかし…その居場所は彼女に奪われ…私は一人ぽつんと…立っているだけ。
その虚しさとやりきれなさに目元が赤くなり、目尻がそっと濡れるのを感じました。


「でも…」
「良いから。普段、色々やってくれてるんだからたまにはお姫様気分味わっとけ」
「っ…!」

そんな私にトドメを刺したのは須賀君の言葉でした。
恐らく彼にとって…それは何の毛ない普通のものだったのでしょう。
冗談めかした彼らしい言葉だったのですから。
しかし…それを内心、期待していた私にとって…それはもう耐え切れるものではありませんでした。
もうコレ以上…聞いていられなくなって…私は反射的に通話を切ってしまったのです。

「あ…」

その事に気づいた時にはもう全てが遅かったのです。
携帯の画面は元へと戻り、既にそれが須賀君へと繋がっていない事を私に知らしめました。
勝手に途中で切ってしまうだなんて最悪なことをしてしまった自分に…私は強い自己嫌悪を感じます。
けれど、私はそれを再び繋ぎ直す気にはなれず、その場で呆然としていました。

—— もし…またあんなやり取りが聞こえてきたら…私…。

今でさえも…私の胸は苦しくて…今にも押しつぶされてしまいそうだったのです。
自分では到底、制御出来ない感情に振り回され、もうどうしていいか分かりません。
そんな私の耳にまた宮永さんとのやり取りが聞こえてしまったら…私は苦しさでどうにかなってしまうかもしれません。
今だって…私は…苦しくて…悲しくて…おかしくなってしまいそうだったのですから。


—— …お弁当も服も…全部…無駄になっちゃいました…。

それは本来…須賀君に食べて貰う為のものであり、須賀君に褒めてもらうう為のものだったのですから。
しかし、彼は宮永さんの看病をする為にここには来てくれず、全て無駄になってしまったのです。
いえ…それだけじゃありません。
私がさっきまで…考えていた色々な事も…全部が全部無に帰して…こぼれ落ちていってしまったのです。

—— 私が…一体…何をやったって言うんですか…。

私は…何も悪い事をしていません。
ただ…須賀君と二人っきりになれる機会を楽しみにしていただけなのです。
それなのに…私の手から楽しみにしていたものはこぼれ落ち…手の中には何一つとして残りません。
その空虚さに胸がズキズキと痛みますが、不思議と涙は出ませんでした。
私の作った理性の仮面はあまりにも強固だったのか、顔も固まったままろくに動かないのです。

—— …須賀君…。

そんな私にも…一つだけ希望がありました。
それは…さっきあんな失礼な切り方をしてしまったという事です。
もしかしたら…彼は心配してこっちに来てくれるかもしれない。
宮永さんの看病よりも…私とのおでかけを優先してくれるかもしれない。
そんな…ありえないはずの希望が…私の心を支える唯一のものだったのです。


—— でも…一時間待っても…二時間待っても…彼は来てくれませんでした。

勿論、来てくれるはずがありません。
須賀君は宮永さんの看病を放り出すような人ではないのですから。
そんなものは…私にだって分かってるのです。
しかし、それでも…私はその場を離れられませんでした。
もしかしたら…もしかしたらと待ち続け…立ち尽くし続けたのです。

—— そんな私が諦めたのは日が落ちてからでした。

結局…待ち合わせから半日経っても彼は現れてくれませんでした。
携帯を見ても…そこには一件の電話もメールも入ってはいません。
それを確認した瞬間、私は自嘲に曇った笑みを浮かべながら、駅前のベンチから立ち上がり、そっと帰路につきました。

—— その途中で今日の夕飯の為のお買い物をして…。

今日のお出かけを知って夕飯を作らなくても良いと両親は言ってくれていましたが、折角、余暇が出来たのです。
日頃から頑張ってくれている二人の為に夕食くらいは作るべきでしょう。
とは言っても、今からではあんまり手の込んだものを作る事は出来ません。
特に下準備もなく焼いたり混ぜたりと言った程度のものでしょう。


「…ただいま」

そんな私が帰ってきた時にはまだ家に光が灯されていませんでした。
やっぱり今日も両親は忙しく、まだ帰ってくるには時間が掛かるのでしょう。
或いは今日は私が友達と出かけると言っていたのを聞いて、二人で食事にでも出かけているのかもしれません。
そう思いながらリビングに入りましたが…テーブルには書き置き一つありませんでした。
何かあればちゃんと連絡をよこす几帳面な両親の事ですから…きっとまだ帰ってきていないのでしょう。

「さて…」

そんな誰も居ないリビングで私が真っ先に手にとったのは買い物袋ではありませんでした。
ずっとその手に抱えていたバスケットだったのです。
それを両手で抱えながら私はキッチンへと入り、ゆっくりと生ゴミ用のゴミ箱を開けました。
そこに会心の出来だと思った料理を放り込むのは…もうそれが食べられたものではないからです。
梅雨入り近くのじりっとした暑さを見せた今日、半日も常温で放置していたら…中身が腐っていてもおかしくないのですから。

—— だから…仕方のない事なんです。

本当にそれを無駄にしたくなかったのであれば、私はすぐさま家へと帰るべきだったのです。
そうすればきっと両親と一緒にそれを食べ、二人に褒めて貰う事が出来たでしょう。
しかし、私は一縷の…いえ、一縷すらない望みに賭けて…それを無駄にしてしまいました。
どうしても須賀君に食べて…褒めてほしいって…思った所為で…食べられないものにしてしまったのです。

「ひっく…っ」

そう思った瞬間…私はもう自分の感情を止められませんでした。
これまで平静を装っていた仮面がバキバキと砕け、奥から涙と嗚咽が溢れるのです。
それに…とっておきだったはずの服が汚れてしまうのを見ながら…けれど、私はそれを止める事が出来ません。
まるで今日一日の事を全て洗い流そうとするように泣き続け…けれど、収まらない感情に…私は…… ——


集中力的にはまだいける感じなんだけど、ちょっと書いてる俺が色々とやばくなってきたんで今日はもうヤメさせてください…
週末は今回も無理かちょろっとだけになりそう
次回からは多分、皆お待ちかねの一話の内容に入れると思う


とりあえず京太郎のドタキャンの仕方は最悪の部類だと思った

>>690
あー…ごめん
一応、京太郎も悪くないように書いてたつもりなんだけど悪く見えたか…
参考と言うか後で書きなおすかもしれないから、どういったところが悪く見えたか教えてもらって良いだろうか?

わざわざ答えて貰ってすまん

1はもう本当に申し訳ない。俺の組み立てた展開の都合としか言い様がないんだ。
あまりにも咲ちゃんが危なそうだったから焦ってたって事にしてください…。

2は咲ちゃんから離れてたけど咲ちゃんが不安になって京太郎を追いかけた所為。
これはマジで描写不足だった。すまん。

3はあの後、咲ちゃん倒れて病院付き添いとかあったから出来なかった。後日それに関してちゃんとメールが来た。
次回冒頭で入れる予定だったんだけど、そんなの見えない読者からすれば腹立つよな。
変なところでギブアップして切り上げた弊害で申し訳ない…。

いや、気にしないでくれ
悪いのは勢いで書いてる俺だ
ただ、3は後でフォロー効くけど2は無理だからなー
ちょっと週末の間にまた書きなおしてみるわ
変にぐだついて申し訳ない

お断りの電話はなるべく早い方がいい
咲の看病しなくちゃいけないと決まった段階ですぐ電話しないと無駄に時間使わせちゃってより京太郎が悪く見える

(なんで親がいないから看病って話が京ちゃんに行ったんだ…?)
(親御さん無防備すぎるだろ…大事な娘の看病を幼馴染とは言え年頃男にさせるとか普通有り得ないだろ…?)
(そもそも高校生が風邪ひいたくらいで看病いるか…? インフルレベルならともかく、高校生なら自分で病院行くかね照化するだろ…?)
(まさかこれは咲さんの策略…いや止しておこう、俺の予想だけで皆を混乱させたくない…)

>>714
ちょっとその辺修正に組み込めるかどうか分からないから先に説明しとくと
京太郎が電話貰った時、既にぶっ倒れるレベルで咲ちゃんがやばかったので急いでそっちに向かった感じです
とりあえず枕元にアクエリや薬なんかを準備した後、和に連絡しなきゃいけない事に気づいたって流れを想定してる
その辺、色々と思うところはあるかもしれないけど所詮、京太郎も高1になったばかりだって事で大目に見てあげてください

>>717
そもそも咲ちゃんが起きた時点で親父さん仕事で出かけてた
でも咲ちゃん風邪でろくに動けなくて体温計すら取りにいけないから枕元にあった携帯で京太郎に助けを求めた感じです
その後、薬も聞いてきて少しマシになったからって電話してる京太郎探してぶっ倒れたりするんだけど…どうあがいても描写挟む余地がありません
なので申し訳ないけれどミストさんはアトリームにお帰りください


修正は明日頑張る…おやすみ


—— 誰だって初めてというのは緊張するものです。

『未知』というものは誰にでも立ち塞がる壁なのですから。
それが大きいか小さいかは人によるでしょうが、その時の私にとってそれは決して小さくありませんでした。
何せ…それは私にとって物語の中にしかないものに近く…今まで自分が経験するだなんて想像もしていないものだったのですから。

—— だ、大丈夫です。だって…こ、これは別にデートでもなんでもないんですから。

そう私が言い聞かせるのは駅前の広場でした。
大きな柱時計に背を向けるようにして立つ私は、さっきからそう何度も自分に言い聞かせていたのです。
しかし、何度そうやっても私の心はまったく落ち着かず、手足もそわそわとしてしまいました。
無意味に自分の髪の毛を弄った回数はもう数えきれません。
しかし、それでも待ち人 —— 私と出かける約束をした須賀君は未だ現れませんでした。

—— 流石に…一時間前に来るのは早すぎたでしょうか…。

そうは思うものの、私にはデートをした経験なんてないのです。
一体、待ち合わせの何分前に着いておくのがマナーなのかも勿論、分からず、こうして先走ってしまったのでした。
結果、一時間前に着いてしまったのは自分でもやりすぎな気がしなくもないです。
とは言え…もし、須賀くんを待たせてしまったら心苦しいですし、これはコレで良かったのかもしれません。

—— それに…こうして待つのは嫌な気分ではありませんし。

勿論、私は今も落ち着きがなく、視線を彷徨わせていました。
その視界の端に須賀君らしき人が映る度についついそっちに顔を向けてしまうくらいです。
そんな風に落ち着きをなくした自分を感じるのは…正直、そうあるものではありません。
けれど、それが決して嫌なものかと言えば、決して違うのです。

—— さっきから…胸の中がドキドキして…。

髪を弄っていた手をそっと胸元に当てれば、そこにはトクントクンと規則正しく脈打つ心臓がありました。
けれど、その脈動は普段のものよりも力強く、そして何処か暖かく感じられるのです。
こうして身体が強張りそうな緊張の中で湧き上がるそれは私が決して今の状態を嫌がっていない証なのでしょう。
そうやって落ち着きをなくした自分ごと…今の私は受け入れる事が出来ているのです。

—— 不思議な…気分ですね。

自分で身体をちゃんと制御しきれないくらいに緊張しているのに、決してイヤではない自分。
それにクスリと笑みを漏らしながらも…私はそれがある意味で当然であると認めていました。
何だかんだ言いながらも…私は、今日こうして須賀君とお出かけするのを楽しみにしていたのでしょう。

—— も、勿論!それは須賀君の事が好きとかそういうんじゃないですけれど!!

ただ…そう、ただ…私は須賀君と一緒にいるのが…それほど嫌いではないのです。
他愛ない話をして…からかわれて…拗ねて…たまに反撃して…。
そんななんでもないやり取りを…私は内心、望んでいたのです。
ここ最近、色々あった所為で出来なかったそれを取り戻そうと…心の中でそう決めていたのでした。

—— だから…今日は絶好の…機会なんです。

今日のデート…いえ、お出かけにはゆーきも誘ってはいません。
文字通り須賀君と私だけの…二人っきりお出かけなのです。
それにまるでゆーきを仲間外れにしたような気がしますが…けれど、彼女にはどうしても言えませんでした。
須賀君の傍にゆーきがいると…どうしても会話の中心が二人の方になってしまうのですから。
そんな二人を見るのは好きですが…やっぱり今日という日の主役を譲りたくはなかったのです。

—— それに…その…ゆーきにはこの服の事も知られていますし…。

そう思うのは私が着ている服が原因でした。
普段着ているものよりもフリル多めのそれは所謂『よそ行き用』という奴です。
白地のワンピースからフリルが漏れるそれはまるでお姫様の着るドレスみたいで一目で気に入ったものでした。
しかし、買った後で着てみると思いの外、恥ずかしく、結局、今まで着る機会は一度もなかったのです。
それがとっておきだと言う事もゆーきは知っているので…私がどれだけ今日という日を楽しみにしていたか彼女に丸わかりになるでしょう。


—— 須賀君は…可愛いって言ってくれるでしょうか…?

自分でもあんまり可愛げがないって思う私にだって…そう言った期待はあるのです。
昨日からずっと悩みに悩んで選んだ服を…似合ってるって…可愛いって言ってほしいという期待が。
勿論…気遣いの上手な彼はきっと私を褒めてくれる事でしょう。
そう思いながらも私は不安混じりの期待を抑える事は出来ず、モジモジとしてしまいました。

—— 言ってくれなかったら…お昼は抜きですね。

そう思う私の手には小麦色のバスケットがぶら下がっていました。
その中には勿論、今日の為に頑張って作った二人分のお弁当が入っています。
昨日から仕込みを始めたそれは以前よりも遥かに手間が掛かっている自信作でした。
きっとこれなら間違い無く須賀君は美味しいと言ってくれる。
そう思えるほどの会心の出来に、私は一人キッチンでガッツポーズを取ったくらいなのですから。

—— これなら…きっと…宮永さんにも負けないはずです。

勿論、宮永さんがどれくらい美味しいお弁当を作るのかは分かりません。
もしかしたら私以上に彼の味覚を熟知しているのかもしれないのです。
しかし、それでも、私はこのお弁当なら引けをとるとは思えませんでした。
私の人生を振り返っても、これほどの出来は一度たりともなかったくらいなのですから。

—— その代わり…ちょっと作りすぎてしまいましたけど…多分、大丈夫ですよね。

大きめのバスケットの中にはぎゅうぎゅうに詰め込まれるようにお弁当が入っているのです。
正直、こうして手に下げているだけでも重いくらいのそれに少しだけ不安を感じました。
しかし…須賀君は食べ盛りの男の子なのです。
普段、彼が食べている量の二倍くらいありますが、きっと食べきってくれる事でしょう。

—— まぁ…何処で食べるかって言う問題はありますが…。

しかし、前回の反省を活かした私は、既にお弁当を作ってくることを彼に伝えているのです。
それに須賀君も了承してくれたのですから、ちゃんとその為のデートコースを考えてくれているでしょう。
まぁ…考えてくれていなかった場合は、ジュースの一本でも奢ってもらえばそれで済む話です。
須賀君もあんまりこうしてデートした経験もないらしいので、ちょっとした失敗くらいは大目に見てあげるべきでしょう。

—— でも…一体、何処に行くんでしょう…?

これまでメールで打ち合わせをしてきましたが、結局、何処に行くつもりなのか須賀君は教えてくれませんでした。
服装や靴の指定を聞いてみましたがなんでも良いと言われたので、何かしら運動したり遠出するような事はないのでしょう。
そうなるとこの辺りでは映画館かショッピングくらいが主な選択肢になるのですが… ——

—— そ、そう言えば…劇場版エトペンが2週間前から封切りでしたっけ…。

エトピリカになりたかったペンギン —— 通称エトペンは私の大好きな本のキャラクターです。
そのぬいぐるみを抱きしめないと眠れないほど熱心なファンである私にはその映画がとても気になっていました。
新年度や事件に巻き込まれたのもあって見に行けませんでしたが…正直、私が今見たい映画と言えばそれだったのです。

—— 須賀君に言うべきでしょうか…いえ、でも…子どもっぽいと思われるのはイヤですし…。

とは言え、それをストレートに彼に言う事が出来るかと言えば、やっぱり否です。
最近は須賀君が居ても部室で寝るようになったので、彼も私の趣味をなんとなく察してくれている事でしょう。
ですが、須賀君はこれまでそんな私に突っ込んだりせず、エトペンの事もスルーしてくれていました。
そんな彼に自分の趣味を告げるのはやっぱりかなりの勇気がいる事だったのです。

—— な、何はともあれ…須賀君が来てからですね。

そうやって悩むのは別に今日に始まった事ではありません。
お出かけが決まってからほぼ毎日、ベッドの中で悶々としていた事だったのです。
そんなものが当日になったところで答えが出るはずがなく、考えるだけ無駄な事でしょう。
そう思考を打ち切りながら、私はそっと時計を見あげれば、そこにはほんの1/4ほど進んだ分針がありました。

—— 後…45分…ですか。

こうやって悶々としている間に15分ほど進んだ時計。
それを早いと見るか遅いと見るかは人それぞれでしょう。
しかし、私は正直…それを遅いと感じていました。
こうして悶々とするのは決して嫌なものではありませんが、やっぱり楽しみな気持ちはそれよりも遥かに大きいのです。
早く須賀君に会って…いろんな話がしたい。
そう思う気持ちはもう抑えられず、私は再びそわそわとしていました。

—— ピリリリ

「…あれ?」

そんな私の耳に届いた着信音は思ったよりも近いものでした。
まるで私が手に下げるバスケットから鳴っているようなそれに私はそっと中を覗き込みます。
そんな私の視界に飛び込んできたのはエトペンのストラップがついた自分の携帯と…その画面に表示されている須賀君の名前でした


—— どうかしたんでしょうか…。

まだ待ち合わせの時間まで45分もあるのです。
そんな時間に届いた待ち人からの着信に私は嫌な予感がしました。
正直なことを言えば…それをとるのを拒否したいくらいです。
ですが、もし、それが大事な要件であれば、彼に迷惑を掛けてしまう事でしょう。
そう思うと出ない訳にもいかず…私はおずおずと携帯を取り出し、通話ボタンを押したのです。

「…もしもし?」
「あ、和か?」

瞬間、私の耳に届いたのは聞き慣れた須賀君の声でした。
それに一つ安堵するのは彼が事故にあったという最悪の予想から免れたからです。
とは言え、それはあくまでも最悪のもの。
未だ私の中の嫌な予感はなくならず、胸の中に焦燥感が滲み始めました。

「はい。どうかしたんですか?」
「えっと…すまん。さっきちょっと電話があって…」

そう言葉を切り出す彼の声には焦燥が浮かんでいました。
まるで目の前で誰かが危ない目に遇っているようなそれは、少なくとも平静とは思えません。
瞬間、まるですぐ後ろに嫌なものが迫ってきているような嫌な予感が胸を突きました。
ジクジクと心の中に染みこむようなそれにさらに焦燥感を強めた瞬間、私の耳に須賀君の声が届きます。

「…悪い。今日、ちょっと行けなくなった」
「…え?」

それは正直、信じられない言葉でした。
だって、彼もまた私とのお出かけを楽しみにしてくれていたはずなのです。
デートコースだって言いながら、私と出かける場所を色々と考えてくれていたのですから。
そんな彼が当日のギリギリになってキャンセルするだなんて…よっぽどの事がなければありえないでしょう。
それをねじ曲げるほどの電話というのはただ事ではありません。
そう思うと再び須賀君の事が心配になりますが、今は…落ち着いて事情を聞くのが先決でしょう。

「…何かあったんですか?」
「ちょっと咲…いや、幼馴染が熱でやばいみたいでさ」
「っ…!」

瞬間、聞こえてきたその言葉に私は思わず息を飲みました。
まるで沸き上がってくる自分の感情を必死になって押し込めようとしているようなそれに…けれど、心は止まりません。
苛立ちのような…悲しみのようなドロドロとした感情を底から沸き立たせ、私の胸を埋め尽くしていくのです。

「親も仕事でもうとっくに出かけてるけど…熱でベッドから起きれないって聞いて…ほっとけなくて…」

そんな私に気づかずに、須賀君は申し訳なさそうにそう言います。
その声音に悲しそうなものも混ざっているのは…彼もまた私とのお出かけを楽しみにしてくれていたからなのでしょう。
しかし…それは今の私にとって何の救いにもなりませんでした。
今の私にとって何よりも大きかったのは…『須賀君が宮永さんの所為で来れなくなった』という事なのです。

「そう…ですか…」

それでも振り絞ったその声は微かに震えていました。
まるで自分の感情を吐露しようとするようなそれを私は拳を握って押しとどめます。
一番、苦しいのは私ではなく、こうやってキャンセルの連絡をいれなければいけない須賀君の方なのですから。
私が幾ら彼に感情をぶつけたところで…須賀君が困ってしまうだけなのです。

—— 須賀君は困っている友人を見捨てるような人じゃないんですから。

ここで宮永さんを見捨てて私に会いに来るような人なら、私はきっとここまで心を許しはしなかったでしょう。
きっと内心で距離を取りながら当たり障りなく接していただけのはずです。
だから…須賀君がそうして私ではなく宮永さんを優先するのは…至極、当然で当たり前の事なのです。
けれど…そうと分かりながらも…私は自分の胸の痛みを否定する事が出来ませんでした。

—— また…『また』なんですか…!!

こうして須賀君を宮永さんにとられるのは…別に今回が初めてではありません。
いえ…ここ最近は殆どずっとと言っても良いくらいなのです。
デートの約束をした日から宮永さんは頻繁に須賀君に会いに来るようになったのですから。
お陰で教室で須賀君と話す事は出来ず、部室でもゆーきが彼にべったりであまり機会がありません。
だからこそ、今日こそはそれを楽しもうと思っていたのに…それをまた目の前で奪い取られてしまったのです。

「あの…和?」
「いえ…すみません。それなら仕方ないですね」

そう答える声は思った以上に平坦なものになっていました。
自分でも驚くほどに冷たいそれに須賀君が電話口の向こうで怯むのが分かります。
それに胸が申し訳無さで痛みながらも…けれど、私にはどうする事も出来ませんでした。
だって…今の私の内側にはそれよりももっと醜い感情が荒れ狂い…轟々と唸っていたのですから。
一端、口に出してしまったらもう止まらないであろうその感情を押さえ込むには、そうやって言葉を冷たくする他なかったのです


「その…本当にごめん。今度、埋め合わせはするから…」
「気にしないでください。仕方のない事だって理解していますから」

えぇ。
私にだって…理解は出来ているのです。
須賀君がやっている事は決して間違ってはいません。
間違っているのはそれを仕方ないんだって…人として当然の事なんだって、許容出来ない私の方なのです。
けれど…けれど…どうしても…私は自分の感情を抑える事が出来ません。
自分勝手で…無茶苦茶な理屈だと分かっていても…私のことを一番に優先して欲しかったのです。

—— …苦しくて…息が詰まりそうです…。

きっと今の私は表面上はとても平静を装えているのでしょう。
理性の全てを総動員して作り上げた仮面は、強固なものだったのですから。
しかし、その奥底で感情に翻弄される私の胸は…今にも張り裂けてしまいそうでした。
須賀君が私ではなく…宮永さんの看病を選んだというだけで…私は今、死にそうなほどに苦しんでいたのです。

「京ちゃん…京ちゃん…何処…?」
「ちょ…咲!?」

そんな私の耳に届いたのは熱っぽい宮永さんの声でした。
こうして電話口からでもはっきりと分かるそれは彼女がとても苦しんでいる事が伝わってくるのです。
しかし…それでも…私はコールタールのような暗く淀んだ感情を捨て去る事が出来ません。
こうして私にも聞こえるくらいに…須賀君の傍にいる彼女に…私は今、間違いなく嫉妬していたのです。

—— そこは…私の場所であったはずなのに…!

今日の私は…そこにいたはずなのです。
今日の須賀君は…私の傍にいてくれるはずだったのですから。
しかし…その居場所は彼女に奪われ…私は一人ぽつんと…立っているだけ。
その虚しさとやりきれなさに目元が赤くなり、目尻がそっと濡れるのを感じました。

「バカ…!ちゃんと部屋で寝てろって言っただろ!」
「ごめんなさい…でも…」

心配そうに声を荒上げる須賀君の言葉に宮永さんは小さく謝罪の言葉を返しました。
それは彼の言いつけを破ってベッドから抜け出したからでしょう。
しかし、それでも宮永さんがその場を離れる気配はありませんでした。
助けを呼ばなければどうにもならないほどの熱を出している彼女にとって、頼れるのは須賀君だけなのです。
その姿が見えないというのは無性に寂しくなるものなのでしょう。

「…」ギリッ

しかし、それが私にとってはあてつけに思えて仕方がありませんでした。
須賀君は…自分を選んだんだって…私ではなく…自分の傍にいるんだって…そう言われているように思えるのです。
勿論、そんなものは私の錯覚であり…考えすぎなのでしょう。
ですが、今まで須賀君を彼女に取られ続けた私にとって…それは決して振り払えないイメージだったのでした。

「あー…もうほら…そんなフラフラになって…ほら、手ぇ貸せよ」
「本当にごめんね…」
「気にすんな。これくらいの我侭くらい可愛いもんだ。それに普段、俺の為に色々やってくれてるんだからたまにはお姫様気分味わっとけ」
「っ…!」

そんな私にトドメを刺したのは須賀君の言葉でした。
恐らく彼にとって…それは何の毛ない普通のものだったのでしょう。
冗談めかした彼らしい言葉だったのですから。
しかし…それを内心、期待していた私にとって…それはもう耐え切れるものではありませんでした。
もうコレ以上…聞いていられなくなって…私は反射的に通話を切ってしまったのです。

「あ…」

その事に気づいた時にはもう全てが遅かったのです。
携帯の画面は元へと戻り、既にそれが須賀君へと繋がっていない事を私に知らしめました。
勝手に途中で切ってしまうだなんて最悪なことをしてしまった自分に…私は強い自己嫌悪を感じます。
けれど、私はそれを再び繋ぎ直す気にはなれず、その場で呆然としていました。

—— もし…またあんなやり取りが聞こえてきたら…私…。

今でさえも…私の胸は苦しくて…今にも押しつぶされてしまいそうだったのです。
自分では到底、制御出来ない感情に振り回され、もうどうしていいか分かりません。
そんな私の耳にまた宮永さんとのやり取りが聞こえてしまったら…私は苦しさでどうにかなってしまうかもしれません。
今だって…私は…苦しくて…悲しくて…おかしくなってしまいそうだったのですから。

—— …お弁当も服も…全部…無駄になっちゃいました…。

それは本来…須賀君に食べて貰う為のものであり、須賀君に褒めてもらうう為のものだったのですから。
しかし、彼は宮永さんの看病をする為にここには来てくれず、全て無駄になってしまったのです。
いえ…それだけじゃありません。
私がさっきまで…考えていた色々な事も…全部が全部無に帰して…こぼれ落ちていってしまったのです。


—— 私が…一体…何をやったって言うんですか…。

私は…何も悪い事をしていません。
ただ…須賀君と二人っきりになれる機会を楽しみにしていただけなのです。
それなのに…私の手から楽しみにしていたものはこぼれ落ち…手の中には何一つとして残りません。
その空虚さに胸がズキズキと痛みますが、不思議と濡れた目尻から涙は出ませんでした。
私の作った理性の仮面はあまりにも強固だったのか、顔も固まったままろくに動かないのです。

—— …須賀君…。

そんな私にも…一つだけ希望がありました。
それは…さっきあんな失礼な切り方をしてしまったという事です。
もしかしたら…彼は心配してこっちに来てくれるかもしれない。
宮永さんの看病よりも…私とのデートを…お出かけを優先してくれるかもしれない。
そんな…ありえないはずの希望が…私の心を支える唯一のものだったのです。

—— でも…一時間待っても…二時間待っても…彼は来てくれませんでした。

勿論、来てくれるはずがありません。
須賀君は宮永さんの看病を放り出すような人ではないのですから。
そんなものは…私にだって分かってるのです。
しかし、それでも…私はその場を離れられませんでした。
もしかしたら…もしかしたらと待ち続け…立ち尽くし続けたのです。

—— そんな私が諦めたのは日が落ちてからでした。

結局…待ち合わせから半日経っても彼は現れてくれませんでした。
携帯を見ても…そこには一件の電話もメールも入ってはいません。
それを確認した瞬間、私は自嘲に曇った笑みを浮かべてしまいました。
きっと…途中で電話を切ってしまった私のことを…須賀君は呆れてしまったのでしょう。
自分勝手で…我侭な私に…付き合えないって…きっとそう思われたのです。

——…帰り…ましょうか…。

何処か空虚な言葉を胸中で浮かばせながらも、私はすぐさま立ち上がる事が出来ませんでした。
その腰はベンチに腰掛けたまま微動だにせず、身体は虚しさと無力感に満ちていたのです。
それでも数分後、身体に鞭を打つようにしてそっと立ち上がり、私はゆっくりと帰路につきました。

—— その途中で今日の夕飯の為のお買い物をして…。

今日のお出かけを知って夕飯を作らなくても良いと両親は言ってくれていましたが、折角、余暇が出来たのです。
日頃から頑張ってくれている二人の為に夕食くらいは作るべきでしょう。
とは言っても、今からではあんまり手の込んだものを作る事は出来ません。
特に下準備もなく焼いたり混ぜたりと言った程度のものでしょう。

「…ただいま」

そんな私が帰ってきた時にはまだ家に光が灯されていませんでした。
やっぱり今日も両親は忙しく、まだ帰ってくるには時間が掛かるのでしょう。
或いは私が友達と出かけると言っていたのを聞いて、二人で食事にでも出かけているのかもしれません。
そう思いながらリビングに入りましたが…テーブルには書き置き一つありませんでした。
何かあればちゃんと連絡をよこす几帳面な両親の事ですから…きっとまだ帰ってきていないのでしょう。

「さて…」

そんな誰も居ないリビングで私が真っ先に手にとったのは買い物袋ではありませんでした。
ずっとその手に抱えていたバスケットだったのです。
それを両手で抱えながら私はキッチンへと入り、ゆっくりと生ゴミ用のゴミ箱を開けました。
そこに会心の出来だと思った料理を放り込むのは…もうそれが食べられたものではないからです。
梅雨入り間近のじりっとした暑さを見せた今日、半日も常温で放置していたら…中身が腐っていてもおかしくないのですから。

—— だから…仕方のない事なんです。

本当にそれを無駄にしたくなかったのであれば、私はすぐさま家へと帰るべきだったのです。
そうすればきっと両親と一緒にそれを食べ、二人に褒めて貰う事が出来たでしょう。
しかし、私は一縷の…いえ、一縷すらない望みに賭けて…それを無駄にしてしまいました。
どうしても須賀君に食べて…褒めてほしいって…思った所為で…食べられないものにしてしまったのです。

「ひっく…ぐす…っ」

そう思った瞬間…私はもう自分の感情を止められませんでした。
これまで平静を装っていた仮面がバキバキと砕け、奥から涙と嗚咽が溢れるのです。
それに…とっておきだったはずの服が汚れてしまうのを見ながら…けれど、私はそれを止める事が出来ません。
まるで今日一日の事を全て洗い流そうとするように泣き続け…けれど、収まらない感情に…私は…… ——



……
…………
………………

修正やら追加やら終わった版
一応、これで突っ込まれたところは大体、補正してある…はず
後、明日はちょっと投下無理かも
明後日から頑張る


—— 次の日、私の携帯に須賀君からのメールが届きました。

そこにはアレから宮永さんが倒れて病院に付き添っていた旨が書かれてありました。
結果、私に連絡出来なかった事とドタキャンになった事を詫びるその文面に私は一つ安堵したのです。
そうやってメールをくれたという事はあんな電話の切り方をした所為で嫌われた訳ではなかったのでしょう。
少なくとも最悪の予想が外れた事に私は安堵を感じながらも…しかし、心穏やかではいられませんでした。

—— それくらいあの日の事は私の中で大きかったのです。

仕方がなかったとは言え、須賀君が私ではなく…宮永さんを選んだ事に…私は思った以上にショックを受けていました。
それはベッドに逃げ込むようにして眠った後にも尾を引いていたのです。
ふと気を抜いた時にあの日の出来事が脳裏に浮かび、胸が締め付けられるのですから。

—— それはきっと…さらに頻繁にクラスに顔を出すようになった宮永さんに関係しているのでしょう。

これまで彼女は来る日と来ない日がありました。
しかし、ここ最近は、ほぼ毎日、クラスに顔を出し、須賀君と話していくのです。
恐らくあの日の看病で完全に蟠りを消し去る事が出来たのでしょう。
それを思わせる関係はとても微笑ましく…それでいて私の胸を疼かせるものでした。


—— だって…そうやって二人が仲直りしている後ろで…私が犠牲になっているのですから。

あの病室で二人が仲直りを始めた時も…私は須賀君にお見舞いが出来ませんでした。
そして今回も…私は須賀君にお出かけをドタキャンされてしまったのです。
宮永さんが須賀君と仲直りして彼と接近する度に…結果的に私が損をしているのでした。
勿論、それは結果的にであり、二人が私に意地悪しようとしているからではありません。
しかし、そう分かっていても…彼女に対して蟠りを捨てきれるほど私は清い女性ではなかったのでしょう。

—— そして何より…今も私は宮永さんに『奪われて』いるのです…。

そうやって急接近する二人の関係をクラスの皆も好意的に見ているのでしょう。
からかいやすい須賀君の雰囲気も相まってか、最近は二人を『夫婦』と揶揄する声も増えていました。
けれど…それは元々…私に向けられたものだったのです。
あの日…須賀君が私を追いかけてくれた日から…私と須賀君に与えられた言葉だったのです。
それさえも…後から現れて奪っていく彼女の事を…私はどうしても好きになる事が出来ませんでした。

「…はぁ…」

そしてそうやって宮永さんの事を嫌いになればなるほど…私は自分に嫌気が差すのです。
自分の惨めさと矮小さに自己嫌悪が止まりません。
いえ、それどころか日増しに強くなっていくのを感じて…私はついついため息を吐いてしまったのです。


「どうかしたの?」
「あ…」

そんな私の耳に届いたのは心配するような部長の声でした。
それにここが部室である事をようやく思い出した私は小さく声をあげてしまいます。
しかし、さっきまで物思いに耽っていた私にそれを取り繕う言葉が出て来ません。
頭の中も妙にぼんやりとして…はっきりしないのです。

「最近、ちょっと変よ」
「…すみません…」

自分でも今の状態がおかしい事くらい理解していました。
頭の中は須賀君と宮永さんの事で一杯で…ろくに集中出来ていないのです。
お陰でここ最近は麻雀でもミスが多く、集中力のきれたゆーきにまくられる事だってありました。
恐らくインターミドルの頃よりも今の私は弱くなっているでしょう。
そうは思いながらも…頭の中に浮かぶもやもやは晴れず、集中することが出来ませんでした。

—— 私が人に誇れるものなんて…麻雀しかないのに…。

インターミドルチャンプ。
その称号は私にとっても誇らしいものでした。
そこに至るまでに色々な人に助けてもらい、自分でも努力したのですから当然でしょう。
麻雀が好きだからこそ、そして麻雀を通して出会った人々が素晴らしかったからこそ到達出来たそれは私の人生の中でもひときわ輝くものです。
それ以外が精々が人より優れている程度でしかない私にとって、麻雀は唯一、他人に誇れるものでした。


「私で良ければ相談に乗るけど…」
「それは…」

そう言ってくれる部長の心遣いはありがたいものでした。
けれど…それに甘えられるかと言えば答えは否です。
何せ、それは私の心の中でも最も醜い部分に踏み込む問題なのですから。
ゆーき相手にさえ漏らす事の出来ない自分を…部長に相談する事なんて出来ません。

「そっか。まぁ、私は何時でも窓口空いてるから。頼りたくなったら何時でもおいで」
「…ありがとうございます」

そんな私の感情に気づいてくれたのでしょう。
小さく笑いながら男らしい言葉をくれる部長に私は感謝の言葉を返しました。
けれど…その内心で、私は謝罪の言葉を浮かべていたのです。
本質的な部分では…私は未だ部長に心を許しておらず、頼る事はきっとないのですから。
そうやって踏み込むことを私が許しているのは…この清澄の中でもたった二人だけなのでしょう。

「それじゃ私は疲れたし…ちょっと寝るわね」
「はい」

そう言いながら部長は小さくあくびをして部室の奥へと引っ込みました。
そこには何時から運び込まれたのか小さなベッドが一つあり、仮眠を取る事が出来るのです。
受験間近の三年生、それも学生議会長として多忙な日々を送っている部長は良くそれを利用していました。
きっと今日もギリギリまで各所で打ち合わせをしてきたのでしょう。
さっきも椅子に座りながら、束になった書類に目を通していたのですから。


—— …それでもこうして来てくれるのは、この麻雀部が部員不足だからでしょう。

麻雀とは基本的に四人でやる競技です。
しかし、この麻雀部には男女合わせて五人しかおらず、またその内二人は色々な事情があって多忙なのでした。
結果、毎日集まれるのは一年生三人になるのですが…それでは普通の麻雀は出来ません。
勿論、三人用の麻雀ルールもあると言えばあるのですが、未だ初心者の域を出ない須賀君がいるのに特殊なルールを彼のために良くないでしょう。
だからこそ、人数を四人に揃える為にこうして横になるほど疲れているのに部長は部室へと顔を出してくれるのです。

—— そんな部長に…何とか報いてあげたいんですけれど…。

今の清澄麻雀部の女子は四人…つまり、後一人誰か入ってくれれば団体戦へ出る事も視野に入るのです。
長年、染谷先輩と一緒に二人で麻雀部を守ってきた部長に報いるには、そうやって部員皆で公式戦に出られるようにするのが一番でしょう。
しかし、誰かもう一人麻雀部に入ってくれそうな宛なんて私にはありませんでした。
元々、私は交友関係も広くなく、あまり積極的でもないのですから。
勿論、ここ最近はそんな自分を改善しようとして、ゆーき以外にも話すクラスメイトは増えました。
しかし、彼女たちに麻雀の事を切り出せるような勇気はまだ持てなかったのです。

—— バーン!

「カモつれてきたぞーっ」
「…え?」

そんな不甲斐ない自分にため息を吐きそうになった瞬間、部室の扉が勢い良く開かれました。
驚きながらそちらに目を向ければ…そこには見慣れた須賀君の姿があったのです。
けれど、須賀君はその顔に嬉しくて堪らないと言わんばかりの笑みを浮かばせていました。
まるで長年の悩みがひとつ解決したような清々しいその笑みに私は首を傾げて… ——


「っ…!」

瞬間、その後ろにいた女性の姿に私の目は惹きつけられます。
須賀君の背中に隠れるようなその人を…私が見間違うはずがありません。
ここ最近、クラスでも頻繁に見かけるようになったその人は…私が勝手に対抗心を抱いている宮永さんその人でした。

「お客様…?」

瞬間、湧き上がる様々な感情は…決して良いものでありませんでした。
彼女を自分勝手な理由で嫌っている私は、また何か私から奪いに来たのかもしれないと身構えてしまうのです。
しかし、それを表層に出す訳にはいかず、私は溢れ出る感情を奥へと押し込みました。
それと同時に平静の仮面を被る私の言葉は、普段通りのものだったのでしょう。
私と向かい合う二人には表情の変化は見えず…それに私は胸中で一つ安堵したのです。

「さっきの…」
「え、おまえ和のコト知ってんの?」
「先ほど橋のところで本を読んでいた方ですね…」
「ぅひ…見られてたんですか」

そんな私にポツリと漏らす宮永さんの言葉に、私は部室に来る前に橋のところですれ違ったのを思い出しました。
けれど、私が彼女のことを知っているのは決して、さっきのすれ違ったからではありません。
私は普段、歩いている時に他人の事をそれほど注視するタイプではないのですから。
これが宮永さん以外の… —— いいえ…私からいろんなものを奪った彼女以外であれば、きっと私は即答する事は出来なかったでしょう。


「和は去年の全国中学校大会の優勝者なんだぜ」

そう誇らしげに言ってくれる須賀君に私はほんの少し救われた気がしました。
一体、彼が宮永さんをどうして麻雀部に案内しているのかは分かりません。
正直、また須賀君と宮永さんが私を放っておいて二人っきりでいたんだと思うと胸が痛むくらいです。
しかし、我が事のように言ってくれる彼の言葉に、私の痛みは収まっていきました。
まるで彼の言葉が特効薬だったかのようなその素早い効き目と嬉しさに頬を私はついつい頬を赤く染めてうつむいてしまいます。

「それはすごいの?」
「っ…!」

そんな彼に呆れるようにして返す宮永さんの言葉に私はぐっと歯を噛み締めました。
そうしなければ…私は彼女に対してひどい言葉を放ってしまいそうだったのです。
勿論…何も知らない彼女にとって、それは価値の分からないものだったのでしょう。
その言葉そのものにきっと他意はないはずです。
しかし、それでも…私の中でひときわ輝く誇らしいものをバカにされたような気がして…小さな苛立ちを感じるのでした。

「すごいじょ!」
「…え?」

瞬間、聞こえてきたゆーきの声に視線をそちらに向ければ、彼女は大声をあげて宮永さんを驚かせているところでした。
その手に学食の袋を持っているのは、学食でタコスを買ってきた帰りだからでしょう。
タコスが大好物である彼女は部活の前にも良くそれを食べるのです。
お陰で常日頃から金欠に泣いているのですが…まぁ、それは余談という奴でしょう。

「学食でタコス買ってきたじぇー」
「またタコスか」
「ふふ…お茶入れますね…」

嬉しそうにその袋を見せびらかすゆーきに須賀君は呆れながらそう言いました。
けれど、彼女のお陰で沈んだ気分が浮き上がった私にとって、それはとても有難い事だったのです。
勿論、ゆーきも意識してやった訳ではないのでしょうが…彼女は普段からムードメーカーに近い役割を無意識的にこなしてくれるのでした。
中学時代から今日までその明るさに助けられた事は数えきれません。
だからこそ、私はそんな彼女に報いようと部室の隅へと移動したのです。

「〜〜〜っ」
「〜〜」

そんな私の後ろで三人が話し始めるのを聞きながら、私は小さくため息を吐きました。
ゆーきの参入のお陰で随分と気が楽になりましたが、宮永さんが須賀君と話しているというだけで私の胸は痛むのです。
ズキズキと鈍痛走らせるそれは日常的なものだと言っても差し支えありません。
ですが、それに慣れるかと言えばまた別問題で…私はついついお茶を蒸らし過ぎそうになってしまうのです。

「部長は?」
「奥で寝てます…」

それでも何とか人数分淹れたお茶を卓へと運ぶ私に、須賀君がそう尋ねてくれました。
それに小さく答えるのは、部長を起こしてしまったら可哀想だからです。
部長は基本的に寝付きの悪い人ではないようですが、あまり騒がしいと起きてしまうでしょう。
普段から忙しくしていて疲れているのですから、ゆっくり休ませてあげたいのが本音でした。


「じゃ、うちらだけでやりますか」
「え」

そんな私の意図に気づいてくれたのでしょう。
須賀君は声を低く抑えながら、そう言います。
それに宮永さんが驚いた声をあげますが、彼はそれを完全にスルーしていました。
一体、どういう経緯で宮永さんがここに来たのかは分かりませんが、須賀君は多少強引でも彼女を麻雀卓へとつけようとしているのです。

「そうですね…」

正直…それに対して色々と言いたい事はありました。
聞きたい事だって…山ほどあったのです。
しかし、それを口にするのは私の心には邪魔なものが多すぎるのでした。
羞恥心や見栄…体面などの下らないものが私をがんじがらめにして…彼へと踏み込む事を禁じているのです。
そんな自分に一つため息を漏らしながら、私は自動卓の準備を始めるのです。

「25000点持ちの30000点返しでウマはなし」
「はい」
「…うん」
「タコスうまー」
「お前なー」
「仕方ないですよ。ゆーきですから」

準備が終わり、最後にルール確認をする私達。
そんな中で一人マイペースにタコスをかじるゆーきに須賀君は呆れたような声を漏らします。
けれど、今更、そんな事を言っても、彼女の態度は変わりません。
中学時代からずっと私も注意してきましたが、ゆーきのタコス好きは収まる事はなかったのですから。
最早、私は彼女にそれを注意する事を諦めて、ゆーきの個性だと受け止める事にしたのです。


「ふふん。そんな事言うのどちゃんにはタコスを分けてあげないじぇ」
「…要りませんよ」

私はゆーきと違って、食べても太らない体質ではないのです。
食べれば食べるだけ…その一部が大きくなってなるのに暴飲暴食は出来ません。
さっき昼食も食べた訳ですし、欲望に負ける訳にはいかないのです。
幾らゆーきがタコスを美味しそうに食べたとしても、何時もの事なのだと受け流すべきでしょう。

「んじゃ、俺にはくれるのか?」
「良いじぇ。ただし、金額は二倍な」
「ぼったくり過ぎるだろ…」

そう言いながらも、ゆーきが袋からタコスを取り出しながら須賀君へと手渡します。
その瞬間、全員に手牌が行き渡り、全員が無言へと変わりました。
麻雀が始まったのを感じさせるその独特の緊張感に私の表情も引き締まります。

—— 一体…どういうつもりかは知りませんが…。

ですが、こうして麻雀卓に着いた以上、宮永さんも一人の雀士です。
例え、役も知らないような素人であろうと手加減するつもりは毛頭ありません。
中学までがそうであったように…自分の麻雀を続け…そして勝つ。
さっき宮永さんがバカにした自分の力で…勝利したいと…心からそう思っていたのです。


—— お陰で…久しぶりに頭の中がクリアになっています…。

今まで自分の頭の中を支配していた雑念をぶつける先を見つけたからでしょう。
今の私は久しぶりに麻雀と向き合い、そして集中する事が出来ていました。
勿論…それは普通であれば非難されるべきことなのでしょう。
八つ当たりに近い感情を発散する為に…麻雀を使うだなんて間違っているのです。
しかし、私のようやくその捌け口を見つけたどす黒い感情は…制御出来ませんでした。

「ローン。2000。混一」

そんな感情に支配されながら始めた一局目。
それに和了ったのは宮永さんからの放銃を受けたゆーきでした。
天才肌のゆーきは後半まで集中力がもたない事が多いですが、前半の彼女を抑えるのは私でも至難の業なのです。
一局目に彼女が和了るのはそう珍しい事ではありません。

—— ですが…何かが…おかしいです。

宮永さんの牌を打つ仕草や並べ方。
それらはかなり熟練したものであり、決して彼女が素人ではない事を私に伝えていました。
もしかしたら私以上に熟練しているかもしれないそれは少なくとも…三回も鳴いた見え見えの混一色に振り込むような打ち手とは思えません。


—— わざと振り込んだ…?でも…そんな事…。

するメリットなんてありません。
まだ麻雀は始まったばかりでありわざわざ振り込んで親を流すような時間ではないのですから。
半荘と言う短い期間ですし、ここは一回でも多く和了るのを優先する場面でしょう。

—— …嫌な…感じです。

これまでも自分が理解出来ない打ち手と出会った事は少なからずありました。
けれど、私が今、彼女から感じているそれはそれとはまったく異なるものだったのです。
まるでやっているルールが違うようなその異質さに…肌がピリリとしたものを感じました。
ですが、どうしてそんな風に感じるのか私は理解出来ないまま、結局、オーラスまで回ったのです。

「リーチっ!」
「ごめん。それロン」
「なんですとォ!」

結局、オーラスに和了ったのは宮永さんでした。
少しでも点数を稼ぐ為、リーチに賭けた須賀君を狙い撃ちにした形です。
お陰で元々最下位だった彼はさらに転げ落ち、-25という成績になったのでした。
それが悔しいのか、宮永さんの頬をグリグリと突き回す彼の姿に私はまた鈍痛を覚えたのです。

「ごめ」
「素人にもほどがあるよっ」
「……」

そう言って宮永さんの頬を弄ぶ彼に、彼女は抵抗しませんでした。
無防備に身体を預け、されるがままになっているのです。
まるで須賀君なら何をされても良いと言うようなその仕草に私は卓の下で拳を微かに震わせました。

—— 私だって…それくらい…。

も、勿論…そうやってされるのは恥ずかしいですし…屈辱的ではあります。
でも、須賀君がしたいなら私だって身を任せる事は…その…吝かじゃありません。
二人っきりだったら…私だって…同じ事は出来るのです。
だから…私は全然、悔しくも、悲しくもなくって… ——

「…のどちゃん?」
「あ…」

瞬間、聞こえてきたゆーきの声に私は意識を現実へと戻しました。
そうやって私が胸中で思い悩んでいる間に、皆は牌を自動卓に片付けていたのです。
そんな中、一人呆然としていた私の事をゆーきは心配してくれていたのでしょう。
その視線には私を気遣うようなものが強く現れていました。


「おかげさまで私がトップですね…」

そう言ったのは…自分でもどうしてなのか分かりません。
仲睦まじい二人の様子を意識していた自分を取り繕いたかったのか、或いは、三位という結果に落ち着いた宮永さんに勝ち誇りたかったのか。
けれど…そうやって放った言葉が決して良い感情から生み出されたものではない事だけは確かなのでしょう。
何せ…そんな私の言葉に何ら反応を見せない宮永さんに…私の心は苛立ちを感じていたのですから。

—— どうして…なんですか…?

先の私の言葉は決して行儀の良いものではありませんでした。
下手をすれば人の気分を損ねてもおかしくはないものだったのです。
しかし、宮永さんはそれをまったく意識しておらず、また三位という結果に悔しそうな様子一つ見せません。
いえ…それどころか…最後の一局…彼女は進んで三位という結果に落ち着いたのです。
ゆーきから直撃を取れば、二位に浮かぶ事も出来たのに…宮永さんはそれを選びませんでした。

「ロン」
「ひぃっ」

しかし、宮永さんの真意を図りかねないまま次の半荘も進んでいきます。
その最中、須賀君から幾つか直撃を取れるように狙ったのは別にさっきの事を怒っている訳ではありません。
確かに目の前でイチャつくような真似をされてムカムカきてたのは確かですが、それとこれとは話が別です。
須賀君を狙い撃ちにした方が確実だとそう判断しただけで、別に仕返しでもなんでもないのですから。


「しかし、咲の麻雀はぱっとしませんなー」
「点数計算は出来るみたいだけどねい」
「……」

半荘とは言え、三回もすれば流石に集中力も切れてきます。
淹れなおしたお茶を飲みながら、須賀君たちは雑談を始めていました。
それでも麻雀そのものは続けていますが、そろそろ休憩を入れるべきでしょう。
しかし、そう思いながらも…私は妙に釈然としない気持ちで一杯でした。
まるでこのまま終わってしまったら後で酷く後悔してしまいそうな…そんな予感を感じていたのです。

—— ゴロゴロ

「雷!」
「夕立きましたね」

瞬間、鳴った雲の唸り声に真っ先に反応したのは須賀君でした。
そんな彼の声に視線を窓へと向ければ、ざああという雨の音が聞こえてきます。
部室に来る前までは綺麗に晴れていたので、それはきっと夕立なのでしょう。
予報では降水確率0%だったとは言え、天気が不安定な初夏に入っているのです。
折りたたみ傘は毎日、持ってきている私にとって、それは恐れるものでありませんでした。

「うそっ。傘もってきてないわ!」

しかし、部長にとってはそうでなかったのでしょう。
激しい雨の音に起きたのか、或いは最初から眠れていなかったのか。
ガバッと勢い良くベッドから起き上がり、ベッド脇にそろえてあった靴を履き直します。
そのまま立ち上がる部長に宮永さんが驚いたような視線を向けるのはきっと学生議会長が麻雀部所属だと知らなかったからでしょう。

「麻雀部のキャプテンなんですよ」
「おはー」
「おはよっす」

そんな宮永さんに補足する私の隣でゆーきと須賀君が軽い挨拶の言葉を放ちます。
それに手で軽く答える様は何とも様になっていました。
その何とも言えない格好良さは、女生徒を中心にファンが多いのも納得です。
もし、部長が女子校に進学していたら、きっと今以上に人気者だったでしょう。

「なんで麻雀部に…」
「……」

瞬間、聞こえてきた宮永さんの言葉に私は再び苛立ちを湧きあがらせました。
なんで麻雀部『なんか』に、と言いたそうなそれは真面目に麻雀をやっている人にとっては冒涜もいい所です。
宮永さんが一体、麻雀に対してどんな感情を抱いているのか知りませんが、正直、聞いていて面白くはありません。
流石に食って掛かったりしませんが、またひとつ宮永さんの事が嫌いになる理由が私の中で生まれたのです。

「麻雀が好きだからに決まっているでしょ」

けれど、それを言われた部長はそれをあっさりと受け流しました。
それが当然だと言うようなその切り返しは苛立ちを抑えきれない私には凄く大人っぽく見えるのです。
いえ…多分、私が宮永さんの言葉を一つ一つ悪く受け取りすぎなのでしょう。
部長の反応が当然で、それが大人に見えてしまうくらいに私が子どもっぽ過ぎるだけなのです。
しかし、そうと分かっていても、どうしても宮永さんを好意的に見る事は出来ず…私の中で渦巻く自己嫌悪がさらに強くなっていくのでした。

今日はこれまでー
話進まなさすぎてめげそう
後、本筋とズレて来ているというか、もっと病まさなきゃダメなんだけど描写がブレてるというか
その辺、何か自分でも納得がいかないから、とりあえず1話の分終わってからまた書きなおすかも
最近、書き直し多くて本当、ごめん

霞「彼らはね、咲のSSが好きなのではないのよ」

霞「自分の姿を須賀くんに重ね、咲キャラたちと絡みたいだけなの」

初美「そうなんですかー?」

霞「そうよ。須賀くんはかわいそうだわ。京豚の、自己投影の犠牲になってしまったせいでいろいろな人に嫌われてし亦野だから・・・」

霞「京太郎SSの『京太郎』を、『俺』に置き換えて御覧なさい」

霞「ほとんどのSSで、違和感なく話が進むはずよ」

初美「うわー・・・ほんとうなのですよー」

霞「こういったスレにはね、ただちにふんふむを召還しなくてはならないの」

霞「『悪』をのさばらせてはいけないのよ」

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