グッドルーザー球磨川蛇足編 (42)
球磨川禊を動物で例えるならば、蛇であろう。
蛇のごとく執念深く、蛇のごとく忌み嫌われる。彼の毒は人の生を狂わせる。
球磨川禊の痕跡はあらゆる記録から消えており、
この記録もまた「なかったこと」になるのかもしれない。
だが、二本の足を持つ蛇である彼の記憶は残り続けるだろう。
何度倒されても立ち上がり、何度死んでも蘇った彼のように。不死の象徴である蛇のように。
※「めだかボックス」およびその小説版のネタバレを含みます。
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「神葬祭」、安心院さん10年祭という名前の同窓会からさらに2年。
めだかちゃんと俺こと人吉善吉は月球再生(ムーンサルト)計画を完了し、
新たな事業を成功させようと邁進している。
ただ、未だに喉に引っかかった小骨のごとく俺の心に残り続けているのは、
そしておそらくめだかちゃんの心にも残り続けているのは、
杳としてしれない「あの男」の行方だった。
――箱庭学園理事長室――
「めだかちゃん、都城先輩を連れてきたぜ。おっ、それは今回の……」
「ああ、球磨川の行方に関する報告書だ。今回もいつも通り根も葉もない噂だけで、まともな情報はなしだ」
めだかちゃんは穏やかな表情を保ったままだが、俺にはその奥にある感情を読み取ることはできなかった。
落胆しているのか、いつものことだから気にしていないのか。
俺はどうせ探しても見つからないと諦めているというか腹をくくっているが、
めだかちゃんは警察庁に勤める日之影空洞先輩や、
官僚となった虎居砕の力を借りるなどして、いろいろと手を尽くしている。
「余計なお世話だとは分かっている」と前置きした上で、
「球磨川みたいな人間を幸せにすることが、私の役割かもしれないとも思う」と話してくれたこともある。
そしてめだかちゃんは小さな声でこう続けたのだった。
「私と球磨川が手を組めば、二者択一の問題で両方を選択できる、切り捨てられるべき選択肢を拾い上げることができる。私はまだそんな夢を諦めきれないんだよ」
めだかちゃんは報告書をデスクにしまうと、立ち上がり一礼をする。
「申し訳ありません。都城先輩。
今回来ていただいたのは黒神グループの教育事業を世界で展開するにあたって、
世界中を旅してきた先輩の御意見を拝聴したいと思いまして」
かつて、「十三組の十三人(サーティーン・パーティ)」のリーダーとして、
人の心を支配する異常性(アブノーマル)を武器にめだかちゃんと激しく戦った都城王土先輩は、
今はフラスコ計画のエネルギー開発部門で働いている。
「うむ、普通なる俺が協力しよう。しかし、その前に気になったのだが、
その球磨川の行方というのは、あの球磨川くんのことか?」
「球磨川禊。生徒会の副会長だったあの球磨川のことです。何かご存じで?」
「一週間前に学会の発表のために訪れていた中国で会ったよ。
動物園のパンダに向かって『そろそろ白黒はっきりつけなくちゃね』などとつぶやいていたな」
――1週間前、中国――
「君はその……球磨川くんだよな。パンダが好きなのか?」
『……都城くん。僕が昔から人のおめめを白黒させてきたのは、パンダが好きだったからなんだ』
「うむ。よくわからないが元気そうで何よりだ。
最後に会ったのは『キヲテラエ』の全国ツアー『ジャパンジャック』の最終日だから12年ぶりかな。
ライブの終わりにいきなり姿を消したから少し驚いたよ」
都城先輩の言う『キヲテラエ』とはアイドル、声優、ミュージシャンからなるスリーピースバンドだ。
箱庭学園の文化祭が縁で結成されたバンドだから、球磨川も何か思い入れがあるのかもしれない。
『先月はアメリカで赤さんに会ったし、今月は中国で都城くんか。やっぱりそろそろ何かありそうだな』
赤青黄先輩は保健委員長を務めていた才媛で、今は再建された箱庭病院で働いている。
次世代育成プログラム、トレジャーハンティングで無謀にも球磨川相手にいかさま勝負を仕掛けたらしい。
その時に俺が何をしていたかというと……、正直あまり思い出したくない。
『都城くん、あのときはいきなり帰っちゃってごめんね。大切な用があったんだ。
それに謝るのが12年も遅れちゃってごめん。でも「僕は悪くない」』
「いや、いいんだ。責めようという気もないよ。
早朝からデートに呼び出された上に、相手には次の予定が入っていて、
デート場所もその次の予定に合わせたものだったくらいはされないと気にもせんよ」
そういえば、都城先輩はかつてめだかちゃんを早朝6時に時計塔に呼び出した上に、
フラスコ計画に協力するなどと言って、さっさと時計塔の地下に行ってしまったことがあった。
どうやら、あのときのことを反省しているようだ。
ただ、あれをデートだとするなら俺という男連れでデートに行くめだかちゃんもめだかちゃんだ。
「そうだ、球磨川くんはまだ『キヲテラエ』を聞いているかな?
ちょうど来週日本で行われるツアーのチケットが5枚ほど余っているんだ。布教用に買ったものなんだが」
『ありがとう、でも僕ももうチケットは購入済みだ。来週には日本に行くつもりだよ』
「そうかそうか。球磨川くん、このあと時間はあるか? いい機会だから彼女たちの魅力でも語りながらお茶でも――」
「……? 球磨川くん……? またか」
――再び、箱庭学園理事長室――
「……というわけなんだ」
「パンダは白黒だからかわいいのに」
めだかちゃんの動物好きが発動してしまったようだ。都城先輩の話をちゃんと聞いていただろうか?
もしこの場所に喜界島がいれば、「媚びたメイクみたい」と再び言っただろうか。
それとも、母親となった彼女の感性は「可愛いもの嫌い」から少しは変わったのだろうか。
みんな少しずつ変わっていく。
「つまり、来週そのコンサートの会場を張っていれば、球磨川に会えるってわけだな」
俺の言葉にめだかちゃんは激しく首を振る。
「それでは遅い。国内全ての空港に人を張りつかせよう。いや、それではダメだ。
この12年間、奴の痕跡はあらゆる記録から途絶えて消えている。
日本に来るとすれば恐らく正規のルートではなく密入国だろう。海岸線を全て見張るのはさすがに難しいか」
「やりすぎだ」
「既に日本に入っている可能性もある。となると主要な道路を監視して……」
明らかに興奮しているめだかちゃんを見て、都城先輩が小さく笑う。
「どうやら、急用ができたみたいだな。普通なる俺はまた今度来るとしよう」
「申し訳ありません。都城先輩」
「12年前の借りがようやく返せるな。
黒神、あのときお前は普通なる俺にこう説教したはずだ。『悪いことしたらごめんなさいだろ』、と」
都城先輩は続ける。
「人に親切にしてもらったときは謝罪ではなく、感謝の言葉を述べるものだろう」
「……ありがとうございます。都城先輩。それではさっそく……」
そう言ってめだかちゃんが立ち上がりかけたときに、一人の男が理事長室に駆け込んできた。
「ちょっと待ってくれ、めだかちゃん。球磨川くんを追うことは許さない」
黒神真黒。めだかちゃんの実兄である。
解析の異常性を持つ一流のトレーナーであり、アナリスト。
黒神グループを世界に冠たる企業として押し上げた立役者で、現在もめだかちゃんの右腕といっていい存在だ。
「真黒くんか。魔法使いにしては珍しい慌てぶりだな」
都城先輩が意外そうに言う。
真黒さんは「十三組の十三人」の一員だった時期があり、
フラスコ計画の統括として都城先輩とともに動いていた。
「都城くん。恥ずかしいところを見られてしまったね。
今はちょっと立て込んでいるけど、また行橋くんと三人でお茶でもしよう」
驚いたことに都城先輩と真黒さんはかなり親しいことが会話からうかがえる。
真黒さんはいつも笑っていて人当たりがいいように思えるが、
めだかちゃんによれば実際は友達が少ないらしい。
「善悪の観念を持たない兄貴と仲良くなれるのは、同じく善悪に無頓着な奴だけだ」
とは、めだかちゃんの言だ。
それが都城先輩であり、白黒どっちつかずの名瀬夭歌であり、
そして善と悪をいっしょくたにして台無しにしてしまうあの男、球磨川禊なのだろう。
「うむ。何やら色々とありそうだが、兄妹喧嘩はほとほどにしておけよ」
都城先輩が去っていくのを見届けると、真黒さんはめだかちゃんのほうに向き直す。
いつもふざけているように見える真黒さんの眼はその時に限っては真剣だった。
「都城くんがめだかちゃんに会うと聞いたときに嫌な予感がしていたんだ。
都城くんが球磨川くんに会ったことは把握していたからね」
「追うことは許さないとはどういうことですか? お兄さま」
めだかちゃんは肩をいからせ、既に戦闘モードに入っているように見えた。
だいぶ丸くなったはずなのだが、どうも兄の前では昔に戻ってしまうらしい。
「そのままの意味だよ。球磨川くんの話は聞かなかったことにして、僕に任せてほしい。
僕はこの12年ずっと球磨川くんの情報を集めていたんだ」
真黒さんは出ていった妹、黒神くじらの消息を執念深く追い続けていた。
妹ではないとはいえ、友人である球磨川の情報を集めていたとしても不思議ではない。
なぜ、俺たちに教えてくれなかったのかは少し疑問があるとはいえ。
「私がそれで納得するとお思いですか? 球磨川を追ってはならない理由を教えてください。
聞いたところで納得できるとは思えませんが」
「まずひとつ目の理由。君が既にスキルを失っていることだよ。めだかちゃん。
それでは『大嘘憑き(オールフィクション)』、
いや今は『虚数大嘘憑き(ノンフィクション)』を有する球磨川くんと戦うのは危険すぎる」
球磨川の持つ恐ろしいスキルが全てを「なかったこと」にする『大嘘憑き』だ。
俺もこの能力に視力を消されたりと散々だった。
『虚数大嘘憑き』は「なかったこと」は「なかったこと」にできなかった取り返しのつかない能力を、
取り返しのつく能力に進化させたものらしい。
「お兄さま、めだかは別に球磨川と争おうなどと思っていません」
「いや、格闘するという意味ではないにせよ確実に戦う。君たちは本質的には敵同士だからね。
雲仙くんと君がいまだに競い続けているように」
雲仙冥利。若干10歳にして風紀委員長を務めた天才児で大の人間嫌い。
人間好きのめだかちゃんとは在学中から衝突を繰り返していた。
現在は民間警備会社を立ち上げ、国防の一角を担っている。
確かに真黒さんの言うように今も友好的とはいえない関係で、
雲仙先輩の警備会社と黒神グループとは、
表では方針の違いから議論が生じることはよくあるし、
裏でもいくつかの小さな衝突を起こしている。
「と、これがひとつ目の理由だが建前でね。
本当の理由はこっちだ。
君は初めて会ったときに安心院さんのことを覚えていなかったこと、
それだけで君は今回の舞台に立つ資格を持っていないも同然だ。
これは僕と球磨川くんと、……そして安心院さんの問題だ。」
「初めて会ったときに覚えていなかった」とは妙な話だが、
聞いたところによると俺やめだかちゃんは中学時代に安心院さんと会っていたらしい。
ちょうど俺とめだかちゃん以外が不知火のことを忘れていたように、
真黒さんと球磨川以外は中学時代の安心院さんのことを忘れていた。
「それは球磨川が『大嘘憑き』によって私たちの記憶を消したからでしょう。
不知火のときも私と善吉以外の者の記憶は消えていましたが、
だからといってその者たちが不知火と友人ではなかったということはないはずです」
「そうだね。それはその通り。
だが安心院さんの僕に対する思いが、君たちに対するそれより強かったとはいえるんじゃないか。
妹とはいえ、君には譲れない」
善も悪も悪平等に見る安心院なじみ。
確かに彼女も真黒さんが親しくなれる人物といえるのかもしれない。人物ではなく、人外なのだが。
「どうしてもというなら僕を倒していきなさい。
僕は魔法使いであって戦士ではないが、妹のことなら何でも知り尽くしているよ」
「いいでしょう。お兄さま。めだかもお兄さまの秘密主義には中学時代からうんざりしていたところです。
力ずくになりますが、洗いざらい吐いてもらいましょう」
――3日後、箱庭学園時計塔前――
『安心院さんも人が悪い。いや、人外が悪いというべきか。
散々世界を回らせておいて、最後は箱庭学園だもんなぁ』
12年ぶりの球磨川だ。服装はさすがに水槽学園の制服ではなく黒の地味なスーツだったが、
その外装に包まれた中身は全く変わっていないように見える。
できれば肉体に包まれた中身、心のほうは、少しは変わっていて欲しいのだが。
『水槽学園にいたときもそうだったけど、
安心院さんに唆されて僕と戦う女の子はいっつもひどい目に遭うんだよね』
「……独り言は誰もいないところでつぶやくものですぞ。球磨川禊殿」
一人の少女が夜の闇の中から現れる。
古めかしい言葉遣いだが、まだ年は若く、服装は箱庭学園の生徒会用の黒い制服である。
『話しかけているのに無視されるのは慣れている。善吉ちゃんと戦ったときもそうだったなぁ。
週刊少年ジャンプでは規制されかねないいじめの描写だよ』
どうやら箱庭学園は卒業しても、週刊少年ジャンプはまだ卒業していないらしい。
「これは失敬。吾輩に話しかけているとは思わなんだもので。
吾輩は箱庭学園第113代生徒会長、桃園喪々である」
桃園喪々。めだかちゃんの婚約者のひとりで、人を名札に封じ込めるスタイルを使う。
俺はめだかちゃんを助けにいったにもかかわらず、逆に殺された上で札に閉じ込められてしまった。
このことは忘れたい過去のひとつだ。
めだかちゃんのかつての弱点であった心理戦が桃園の得意分野で、
『消失しりとり(デザートテールトゥノーズ)』で激しい戦いを繰り広げたらしい。
成長してからは箱庭学園に入学。
クーデターで第111代生徒会長になり、現在もその座を維持し続けている。
『初めまして……ではないね。漆黒宴のときの目つきの悪い子だね。
漆黒の花嫁衣装編のラスボスごときが、戦挙編のラスボスであるこの僕に何の用かな?』
「吾輩を挑発しようなどとは片腹痛いわ。用があるのはむしろ汝(なれ)であろう。
我が輩との勝負に勝たねば安心院なじみの元にたどり着けぬのだからの。
今まで勝ったことのない汝には至難の業であろう」
『君は安心院さんの「端末」なのかい?』
「いや、吾輩自身は『端末』ではないし、本来汝を試験する立場でもない。
だが、この箱庭学園を滅茶苦茶にされてはたまらないので代理を買って出たというわけである。
きちんと安心院なじみの許可を得ておるので安心めされよ」
『うん、安心したよ。喪々ちゃんとのゲームなら肉弾戦みたいなことにはならないだろうから。
平和を愛する僕にとっては都合がいいな』
「どうやら、吾輩が知らぬうちに平和の意味が変わったらしい。
球磨川殿、汝は乱世の英雄になれたとしても、治世の能臣には決してなれぬ男よ」
球磨川はしばらく考え込んでいたが、結局何も言い返さないことに決めたらしい。
球磨川もそれなりに口八丁という感じだが、桃園と口喧嘩していてもきりがないだろう。
『それで何で勝負するの? やっぱり言葉遊びかな?』
「もっと単純なものだ。勝負の前にひとつ提案がある。
ここで引き返さぬか? 心優しき吾輩としては苦しむ汝の姿を見たくない。
勝ち負けのある、ルールのある戦いでは勝つことができぬ汝にとって分が悪かろう。
今ならまだ汝お得意の何も『なかったこと』にできる」
『さっきから勝つことができないって言っているけど、
僕だって既に1回勝利を収めているんだよ。
そしてたった1回で満足する僕ではない』
「昔、勝たないことを、馬券が『当たらないこと』を売りにしていた競走馬がいたが、
もしその馬が勝っていたとしたら、
外れた馬券を『当たらない』交通安全のお守りにしていた人々はどう思ったであろうな」
『君が何を言いたいか大体分かるけど続けてごらん』
「たった一度のまぐれ勝ちが汝の価値を半減させたということだ。球磨川禊。
そして奇跡は二度起きない。出でよ、影武者たち。球磨川禊殿におとなしくお帰りいただけ」
「変態1号。潜木怪儡。私が勝った暁には、あなたにはマッサージのために毎晩私の腰で踏み台昇降していただく」
「変態2号。寿蜃気郎。好きな少女はぎりぎり結婚できる16歳です!」
「変態3号。桃園幻実。二.五次元が好き! 二次元と三次元の狭間がいいなあ!」
「変態4号。贄波錯悟。……水に濡れた制服の女の子が好き……だったりして……」
「変態5号。叶野仮輝。眼鏡っ子が好きです! コンタクトレンズっ子も好きです」
「変態0号。杠偽造。お前は今まで食べたパンツの数を覚えているか」
彼らは不知火の里の誇る変態影武者軍団である。
話に聞いた限りではもっと変態だったはずだが、だいぶ角が取れておとなしくなっているようだ。
彼らをただの変態と侮ってはいけない。
安心院さんに600個のスキルの使用を余儀なくさせた強敵だと聞いている。
俺が直接戦っているのを見たのは潜木怪儡だけだが実力の全てを見せたという感じではなかった。
「1号の細目の男と、0号の影そのものの姿をした男はかなりの遣い手やな」
後ろからいきなり声をかけられた。この人は鍋島猫美。
「反則王」の異名を持つ柔道部の元部長で、卒業後にオリンピックで金メダルを獲ったすごい人だ。
めだかちゃんに勝った奴は多くいるが、俺でさえそのひとりであるが、
めだかちゃんに負けなかった人はこの人しか知らない。ある意味、球磨川の対極にいる人物だ。
「鍋島先輩、どうしてここに?」
「どうしてって、球磨川くんが日本に帰ってくるって教えてくれたのは人吉くんやないか」
「まさか鍋島先輩が球磨川にわざわざ会いに来るとは思わなくて」
鍋島先輩はおせっかい焼きなところがあって、
俺たちも何度も助けられているが、球磨川とはそこまで親交があったかは疑問だ。
「何か裏があるんじゃないかと疑っている顔やな。
別に『虚数大嘘憑き』でうちの怪我を『なかったこと』にしてもらおうとか思っとるわけやないで」
「わかっていますよ。それくらい」
鍋島先輩はオリンピックの国内選考会で大きな怪我を負い、
結局その怪我が原因で選手を引退することとなった。
現在は箱庭病院でリハビリに励んでいるが、もし、怪我が治れば選手としての再起も夢ではないだろう。
だが、天才嫌いの鍋島先輩は決して「飲むだけで天才になる薬」があっても飲むことがないように、
怪我を「なかったこと」にするのではなく死ぬほど努力して復活する道を選ぶだろう……多分。
でも卑怯だからなあ。この人は。
直通エレベーターを使って待ち構える相手を全てパスしようとするくらいは卑怯だからなあ。
「ここに来たのはついでのついで。ただの気まぐれや。
どっちかっていうと球磨川くんより現生徒会長の桃園ちゃんのほうが興味あるくらいやわ。
かなりの勝利への執念の持ち主だって話やで」
確か桃園は漆黒宴のときはなかなか負けを認めず、口八丁で勝負を引き延ばしていたという。
そのあたりは鍋島先輩に通じるところがあるのかもしれない。
「話しているうちにいつの間にか決着がついてしまったみたいやね」
俺が視線を戻すと既に立っている影はふたつだけになっていた。
『そうそう、提案は引き返さないかだったっけ? 断るよ』
「うむ、そう言うと思っていた。ではふたつ目の提案だ」
何事もなかったように話し続けるふたり。
俺も男の情けで影武者たちの哀れな姿には目をつぶることにした。
「不知火の里に不知火ハンカチというハーフの美少女がいる。
不知火一族きっての天才で、その存在は秘中の秘で誰にも知られていない。
彼女なら安心院なじみを完璧にコピーできると思うが、それで手を打たぬか?」
『イミテーションには興味がないよ。
さっきの当たらない馬券の話ではないけど、偽物ではハンカチというより半分の価値しかないね』
「その美少女が頼めばパンツをいつでも見せてくれると言ってもか?」
『……。パンツは財部ちゃんの縞パンツを始めとして高校時代にたくさん見てきたからね。
むしろ今はパンツを履いていないほうがうれしいくらいだよ。
ただどうしても見て欲しいっていうなら見てあげなくもないかな』
「やはり、この提案もダメか。
もちろん言うまでもないが不知火ハンカチという者は存在せぬぞ。
秘中の秘の存在を吾輩が知っているわけがなかろう。ちょいと汝をからかっただけだ。
むしろ提案を飲まれていたらどうしようかと思っておったところじゃ」
『……ついていい嘘とついちゃいけない嘘があるんだよ。喪々ちゃん』
「さて、提案も終わったことだし、そろそろゲームを始めたいと思うが、その前に汝に聞きたいことがある。
汝は現在の安心院なじみの状況を知っているか?」
『獅子目言彦に無残にも殺されたけど、言彦の不可逆の破壊のスタイルの影響が解けて復活できるようになった。
知っているのはそれくらいかな』
獅子目言彦は五千年前、安心院さんが初めて勝てなかった人間だ。
死後、その存在は不知火の里で保存されていた。
安心院さんは命を懸け、俺たちを言彦から逃がしてくれた。
「ふむ。その獅子目言彦に安心院なじみや黒神めだかのスキルが通じなかった理由はどうだ?」
『確か、獅子目言彦が人間だとしたら僕らは紙の上に書かれた存在にすぎないから、簡単に引き裂くことができる。
要は次元が違うってめだかちゃんは説明していたかな』
「その通り。獅子目言彦が人間だとしたら吾輩たちは『紙の世界の住民』、
吾輩たちが人間だとしたら獅子目言彦は『神の世界の住民』。
漫画のキャラクターの必殺技で読者である吾輩たちが死なないように、
獅子目言彦にはありとあらゆるスキルが通用しない。
そして、現在の安心院なじみはいったん殺されたことをきっかけに『神の世界の住民』になったのだ」
『元々神さまみたいな人だったけどね。少年漫画でいうところの覚醒って奴だね』
「ふむ、覚醒か。そう言えなくもないが、
吾輩は神の子が地上で死んで天に戻ったという逸話に近いものと捉えておるがな。
現在の彼女に通じるのは言葉、すなわちスタイルだけ。
漫画のキャラクターの台詞で読者である吾輩たちの心が動かされるようなものだな。
スキルが効かない今となっては汝が安心院なじみに勝利する確率は0%にも届かない。
善戦する可能性すら0%だろう。それでも神に挑むのか?」
『勝ち目のない勝負、分の悪い賭けは僕が最も好むところだよ。喪々ちゃん。
それに「虚数大嘘憑き」は手品みたいなもので僕の武器というわけではない』
「ふむ。よいだろう。そこまでの覚悟ならば何も言うことはあるまい。後は頼もうぞ、黒神めだか理事長。
球磨川禊。ゲームのクリア条件は黒神めだかを倒すこと。それができれば安心院なじみの下に案内しよう」
時計塔の外壁を駆け下りながらめだかちゃんが姿を見せる。
顔には満面の笑みが張り付いている。
「久しぶりだな。球磨川。本当は裸エプロンで出迎えたかったのだが、ぼろぼろのスーツ姿で悪いな。
お兄さまとの特訓が長引いてしまったのでね。桃園生徒会長に時間稼ぎを頼んでおいたわけだ」
めだかちゃんはここ数日、時計塔の中で真黒さんとトレーニングを積んでいた。
場所が時計塔であることから分かるように、フラスコ計画の研究成果も惜しみなく投入されている。
『久しぶり、めだかちゃん。会いたかったぜ。「君は悪くない」。ぼろぼろのめだかちゃんもとてもかわいいよ』
「それは重畳。話したいことは山ほどあるが、まずは拳(これ)で語ろうか。
最終関門・めだ関門と言ったらまたお前は笑うかな?」
そう言って、笑うめだかちゃんに対して、球磨川は容赦ない先制攻撃を繰り出す。
『「虚数大嘘憑き」。黒神めだかをなかったことにした』
驚くべき蛮行。戦闘がまだ始まるか始まっていないかの段階で、めだかちゃんが消されてしまった。
『ごめんね。めだかちゃん。安心院さんと会ったあとで「なかったこと」を「なかったこと」にしてあげるからね。
喪々ちゃん、安心院さんのもとに案内してもら……ぐはっ』
球磨川は体を折り、そしてせき込む。
「『黒神ファントムちゃんとした版』。
久々に使ったのでちょっと行きすぎて戻ってくるのに時間がかかってしまったか」
『その目にも映らぬ光速移動は……。
アメリカで赤さんと裸白衣を賭けて対戦したときに、
めだかちゃんはスキルを失ったと聞いたんだけど、だまされたのかな』
安心院さんがスキルと呼んでいた魔法のような力を、俺たちの大半は成人になる頃に失ってしまった。
名瀬夭歌や不知火半袖のような例外もいるが……。そして球磨川もその例外に当たるようだった。
「ああ、失っていったが、三日間にもわたるお兄さまとのトレーニングで一時的に取り戻したんだ。
今の私は全盛期とほぼ変わらないと思っていただこう」
俺は球磨川の発言のいかがわしい内容について詳しく聞きたかったが、
めだかちゃんはどうやらその部分は無視することに決めたようだ。
『真黒くんとめだかちゃん。最後まで僕の前に立ちはだかるのは君たちだったね』
「本当はお兄さま本人が来ようとしたんだがね。
トレーナーであるお兄さまの作品としての私が相手をすると説得したんだ」
その「説得」がかなりの力任せだったことは言うまでもない。
『もうひとつ疑問があるんだけど、なんで「虚数大嘘憑き」が効かないんだい?
あれは手を触れなくても効果があるはずなんだけど。まさか君まで「神の世界の住民」になったとか?』
「その答えも貴様は既に知っているはずだ。『完成(ジエンド)』。
これで貴様の『虚数大嘘憑き』を完成し、貴様の『虚数大嘘憑き』を『なかったこと』にした」
『僕の「大嘘憑き」は、過負荷(マイナス)をなかったことにできなかったはずだけど……』
「当然、過負荷ですらなかったことにできるよう『完成』した」
『ひどいや。これで僕に残された武器は「却本作り(ブックメーカー)」のみ。
これではめだかちゃんに勝てないことは戦挙編で分かっているからね』
『却本作り』は球磨川禊の始まりのスキル。
ねじに刺された人間を球磨川禊と同じステータスにするという恐ろしいスキルだ。
だが、戦挙編ではこれを駆使しても球磨川はめだかちゃんに及ばなかった。
戦う前から分かっていたことだが、これで球磨川に勝ち目はない。
「どうかな? 何事もやってみなくては分からないぞ。ただ私が一度見た技は二度とは通用しないかもしれないぞ」
恐らく冗談なのだろうが、めだかちゃんなら嘘だとは言い切れない。あふれんばかりの主人公体質なのだ。
「さあ、戦うぞ球磨川。殴るぞ球磨川。歯をくいしばれ」
『うん、やってちょうだい』
ふたりは激しく戦い始める。
「あれは全盛期を超えとるんやないか? 移動するだけで地面に穴があくなんてなんちゅう脚力をしとるんや」
鍋島先輩の言葉に俺はうなずく。眼下にはさながら月のクレーターのようにめだかちゃんの足跡が広がっている。
めだかちゃんはだいぶおとなしくなった、いや大人になっていたはずなのだが、
まだ高校生の頃のめだかちゃんも奥底に隠れていたのだろう。
「いえいえ、地面に穴があいているのは力をうまく制御しきれていない証拠。まだまだ未熟です」
とても話し声が聞こえる距離ではないはずなのだが、めだかちゃんがこちらを見ながら話しかける。
恐らく聴力も全盛期並みなのだろう。
「そろそろウチが勝てるかと思ったけど、まだみたいやな。勝負は次まで預けておくで。めだかちゃん」
「もしかして、隙あらばめだかちゃんに勝とうと思ってここに来たんですか? 鍋島先輩」
鍋島先輩は笑って答えなかったけれど、
桃園を見に来たというよりは、めだかちゃんを倒しに来たというほうが鍋島先輩らしいかもしれない。
5分間、それは一方的な戦いであった。
始めは健闘していた球磨川だったが、どんどんと地力でまさるめだかちゃんが優勢になっていった。
何度立ち上がってもめだかちゃんに叩きのめされる球磨川。
その精神力は認めざるを得ないが、そろそろ肉体が限界だろう。
校舎の屋上にようやく人数が集まってきた。
神葬祭に遅れそうになった俺が言えることではないが、時間にルーズな奴があまりにも多い。
しかし、何とか間に合ったようだ。俺の、いや俺たちの出番だろう。
「殴られるのを格好悪いと思う過負荷はいねえ。
大将、あんたの勝つ格好いい姿を黒神めだかの心の傷(トラウマ)にしてしまえ」
「あなたを応援する役目だけは誰にも押しつけられませんね」
志布志飛沫と蝶ヶ崎蛾々丸。-13組の一員として戦挙に参加した球磨川の盟友だ。
ふたりとも音信不通だったので探し出すのには苦労した。
「禊ちゃん! 頑張って」
「球磨川さん……」
喜界島もがなと阿久根高貴は生徒会のメンバーだ。
喜界島は俺とめだかちゃんが争っていたときに球磨川が味方をしてくれたことを今でも感謝している。
阿久根先輩は球磨川とは中学時代から浅からぬ因縁がある。
何事も卒なくこなすこの男にしては珍しく、球磨川への応援は言葉に詰まりうまくできないようだ。
「球磨川さん、あなたのおかげできれいな花を咲かせることができるようになりました」
「「「「「裸エプロン先輩、頑張ってください」」」」」
江迎怒江、そして財部依真を始めとする生徒会見習いメンバー。
球磨川は昔から後輩女子にはなつかれることが多かった。
めだかちゃんももしかしたらそのひとりだったのかもしれないとも思う。
「なかなかの応援団じゃないか。球磨川。
高貴ももがなちゃんも今回は私の応援じゃなくて貴様の応援のようだな。羨ましいぞ」
めだかちゃんはにやりと笑う。
めだかちゃんは孤独なときは孤独なときで、仲間がいるときとは異なる強さを発揮する。
というより単純な強さだけでいえば、ひとりのときのほうが強いのではないかとも思う。
もちろん、めだかちゃんも、そして俺を始めとする周りも、そのあたりの折り合いをつけられるようにはなっている。
「球磨川くん、君にはまだ返していない借りがある。だから殺す」
「死んでなければ傷はなんとか私が治してあげるから、さっさと勝ってらっしゃい」
「私は小物だから、私に『却本作り』を刺したことは許してないのだ。
黒神めだかに勝ったら次は私と勝負なのだ」
宗像形先輩、赤青黄先輩、潜木もぐらなどなど球磨川のかつて敵が、
そして現在の応援団が続々と時計塔に集結する。
どうだ球磨川、味方だけではなく敵に応援される気分っていうのは。
かくいう俺もめだかちゃんの味方でありお前の敵だが、
真黒さんに事情を聞いた今回だけはお前の応援に回ってやる。
「球磨川、いつまでも俺のめだかちゃんといちゃいちゃしているんじゃねぇ。
さっさとめだかちゃんを倒してそこを離れろ」
『みんな、無茶言うね。僕はもう立ち上がることすらできないよ』
球磨川の目に光が戻ってきたように見える。といっても校舎の屋上からではよく見えないし、ただの錯覚かもしれない。
「あなたが嫌と言っても無理やり立たせてやりますよ。勝たせてやりますよ」
口に物をいっぱいに頬張りながら話すのは俺の親友、不知火半袖。
見た目は昔のままだが、今では立派な社会人だ。
不知火の里を忍者村として公開し、がっぽり稼いでいるらしい。
巻き込まれると危ないから校舎の屋上から応援するという約束だったにもかかわらず、
ひとり戦いの舞台へと行ってしまったみたいだ。
『不知火ちゃん……』
「無理やり勝たされるなんて屈辱、嫌われ者のあなたにぴったりですね。喰い改めろ、『正喰者(リアルイーター)』」
不知火のスキル『正喰者』は人のスキルを変更するスキル、
日之影先輩の強すぎて見えないスキル『知られざる英雄(ミスターアンノウン)』を
速すぎて見えないスキル『光化静翔(テーマソング)』に、
あるいは俺の他人の視界を覗くスキル『欲視力(パラサイトシーイング)』を
己の限界を覗くスキル『善吉モデル』に変えてくれたことがある。
ただ、いくら不知火とはいえ、果たしてこの状況を逆転するスキルを創ることができるのだろうか。
「周囲を球磨川禊(不運)にする最凶(さいきょう)のスキル『却本作り』を、
自分自身を幸運にする最幸(さいこう)のスキル『闇月(グッドルーザー・グッドラック)』に。
ツキが欠けていたあなたに、勝利という『月』をもたらすスキルです」
『それはなんとも僕に似合わないスキルだね。週刊少年ジャンプでいえば、ラッキーマンのようなスキルなのかな?』
「全くもって似合いませんね。だから日之影先輩の『光化静翔』のようにすぐに消えてしまうでしょう。
でもたった1回勝つには十分です」
不知火はさっと球磨川から離れる。
「病みつきになる勝利の味をあなたに」
ゆっくりと立ち上がりなら球磨川が言う。
『さて、最後にもう一勝負といこうか。めだかちゃん』
「最後と言わず、何度でもかかってこい。禊」
『「闇月」。嘘のような幸運で勝ちをつかみ取ってみせる』
「『虚数大嘘憑き』。貴様のスキルをなかったことにした。
どんな強力なスキルであれ、消されてしまっては効果があるまい。
そして『黒神ファントムちゃんとした版』……えっ?」
めだかちゃんがずるりと滑ってこける。
地面にあいた穴に足をとられたのだろうか。スーツが破れてパンツが見えている。
「あひゃひゃ。ダメだよ。めだかちゃん。
『闇月』は一度発動したら何があっても勝っちゃうくらいの幸運をもたらすスキルだからね。
たかがスキルが消えるくらいのアクシデントじゃ球磨川先輩の勝利は揺るがない」
「不知火。ここにバナナの皮を捨てたのはお前かっ」
転んでいるめだかちゃんに球磨川がねじを突きつける。寸止めだ。めだかちゃんが両手を上げる。
「私の負けだ。球磨川。安心院さんに会いにいくといい。場所は黒神宇宙センターだ」
めだかちゃんの降参宣言にギャラリーは沸き上がる。
なんとも間抜けな結末だが、球磨川の勝ちは勝ちだ。俺もいつの間にかガッツポーズをしていた。
当の球磨川本人は、自分の勝利が信じられないのか、ぽかんとしていた。
『……なんで「虚数大嘘憑き」だけでなく、僕の「却本作り」も「なかったこと」にしなかったんだい?
そうされていればさすがに勝ち目はなかったはずなんだけど』
「特に深い理由はないよ。
強いて理由を探すのなら、また『却本作り』を食らって戦挙のときみたいにお前と殴り合いたかったのかな」
『……。ありがとう、めだかちゃん愛してるぜ』
「私もだ。球磨川禊。私に勝ったのだから堂々と胸を張って安心院さんに会いにいけ。
もう『大嘘憑き』はないんだから正直に自分の思いを伝えてこい」
ふたりが握手しようとしたその時、耳をつんざく爆音が空から降ってきた。
「おっしゃー時間ぴったり。
球磨川の旦那、兄ちゃんから借りたこのヘリコプターで黒神宇宙センターに送っていくぜ。乗っていけ」
突如舞台に現れた黒神くじらはめだかちゃんの姉で、真黒さんの妹だ。
俺の師匠であり、大魔王さまだ。
どっちつかずで誰の味方をしているのかいつもよく分からないが、
とりあえず今はフラスコ計画の統括としてめだかちゃんや俺たちの味方をしてくれているらしい。
12年ぶりの生涯2勝目の余韻にひたる間もなく球磨川を乗せたヘリコプターは飛び立つとあっという間に見えなくなった。
頑張れ、球磨川禊。幸せになれ。
――黒神宇宙センター――
やあ、球磨川くん。まさか、安心院さんがめだかちゃんたちの作った新たな月にいるとはね。
無理難題を課して月に行っちゃうなんてまるでかぐや姫だね。
求婚した貴族たちも、さすがに月までは追いかけていかなかったけどね。
いや、僕は君とゲームをするつもりはないよ。僕はただ君を見送りに来ただけさ。
万が一、めだかちゃんに君が負けたら代わりに月に行こうと思っていなかったけど、
問題なく勝ったようだしね。
万が一、勝ったのは君のほうだって? それは違うと思うよ。
善吉くんはめだかちゃんのことを「ここ一番、勝つべきときは必ず勝つ」と評価しているけど、
「負けるべきときに負けられる」のがめだかちゃんの素敵なところなんだよ。
善吉くんがめだかちゃんに求婚してきたときも……おっと、話がそれたね。
球磨川くん。安心院さんに勝つスキルは見つかったかな?
彼女の「できない」ことを見つけることはできたかな?
できない探しだったり封印されたり殺されたりを楽しんでいるけど、
もはや彼女にこの世界でできないことなどない。
『神の世界の住民』になった今なら言彦だってめだかちゃんだって倒せるだろう。
つまり、めだかちゃんですら彼女の『できない』になることは不可能だし、
彼女は直に再び生きることが劇的でないことに気づいてしまうんだよ。
……どうやら打つ手がないのに乗りこんでいこうとしているみたいだね。
逆境を愛する君らしい選択ではあるけれど、何も考えがないなら僕の昔話を聞いていかないかい?
ロケット発射までにはもう少し時間があるから、それまでの暇潰しも兼ねてね。
どこから話し始めるべきだろうか。そうだな、君がめだかちゃんに敗れて箱庭中学を追放された後からにしよう。
君がめだかちゃんに負けた後、安心院さんに勝てるスキルを探しに全国を転々としているときに、
僕はまったく別のアプローチを考えていたんだ。
というより、あの安心院さんの「できない」を探そうということなんて思いつきもしなかったんだ。
何か弱点がないかを探そうという発想は、弱さに精通する君ならではの発想だよ。
僕の発想は安心院さんに友達を、自殺を思い留まらせるような親友を作ろうというものだったんだよ。
安心院さんの唯一の同志である不知火半纏さんは「ただそこにいるだけ」で、
安心院さんにとっては壁に向かって話しているようなものだっただろう。
安心院さんの「端末」は安心院さん自身なのだから、ちょっと高度な独り言のようなものだ。
もっとも、ただの人間では安心院さんと親友になることなんてできやしない。
彼女にとって、人間なんて消しゴムとたいして変わらないのだからね。
そこで僕は人間を安心院なじみに近づけることを考えた。
自分で言うのもなんだけど、どんなキャラでもレベル99にしないと気が済まない、僕らしい発想だったと思うよ。
消しゴムと親友になる人間はいなくても、ペットの犬と親友になる人間はいるからね。
フラスコ計画に参加したのは、くじらちゃんを捜すことが主目的だったけど、
不知火理事長を唆したのは完全な人間を作るため、安心院なじみにとっての犬を作るためさ。
おかげで宗像くんからは「誰よりも異常」だなんて罵られてしまったけどね。ははは。
僕のこの試みは客観的に、そして分析的に見て、そこそこの成功を収めたんじゃないかな。
例えば、第一回オリエンテーショントレジャーハンティングにおいて
安心院さんはめだかちゃんに友達になることを提案したようだしね。もちろん半分は冗談だったのだろうけど。
安心院さんがめだかちゃんの言葉で自殺を思い留まったのは、
「だまされてあげた」のは、ふたりの間に友情が成立していたからだと言えるかもしれないね。
そして、誰とでも友達になる男、善吉くん。
彼が安心院さんと接触したときどうなるかも楽しみだった。
彼は能力的にはめだかちゃんほど安心院さんに近くはないけど、それでも僕としては彼に期待するところがあった。
もちろん善吉くんに協力したいという気持ちに嘘はないけど、
彼ならばもしかすれば人外とも友達になれるのではないかという思いから
安心院さんの計画に乗ったということも否定できないね。
実際、安心院さんは彼を鍛えているうちに少し愛着がわいたようだったね。自殺をやめるまでには至らなかったとしてもね。
ただ彼らの存在だけではまだ足りない。ここまで言えば、僕が君に何を提案したいかわかるだろう球磨川くん。
安心院さんの弱点は人間関係だ。いや、人外関係というべきなのかな。
なんだか悟りきったようなことを言っているが、
同類や端末はいても友人はほとんどいないし、恋愛に関してはずぶの素人。
恋に恋する女子高生となんら変わりはないんだ。
この点はめだかちゃんの言った「たとえ垓年生きていようと貴様は私たちと同じタダのガキ」というのが正しいね。
だから君は彼女と恋人になればいい。
ラブコメのような余計な勘違いやトラブルは要らない。三角関係なんてもってのほかだ。
ただ退屈でつまらない、それでいて刺激的で楽しい毎日を送ればいいんだ。
それで最期に、いずれ来るであろう球磨川禊の死ぬその時に
『楽しい人生をありがとう。僕のことは早く忘れて新しい恋を始めるんだ』
と格好つけて言い残せばいいんだ。
彼女なら君のことを決して忘れず、君のことを覚えているために生き続けるだろうさ。
そろそろ時間だ。
球磨川くん、これはずっと安心院さんを追い続けてきた君にしかできない役割だ。
君は安心院さんに「弟のように可愛かった」と言われたって?
それがどうした。不知火ちゃんの言葉を借りれば、
「何兆年も生きているわりには案外分かってない」のが安心院さんだぜ。
恋愛に関しては「女子なら小学生でも知っていること」を知らないんだぜ。
姉弟のような感情から恋愛感情に変わるなんてよくあることだ。
数々の恋愛シミュレーションゲームでプレイヤーの能力をカウンターストップまで育て上げてきた僕の言うことだ。信じていい。
僕? 僕には無理だよ。僕の愛は妹ふたりで手いっぱいだよ。それに善吉くんというかわいい義理の弟もできたことだしね。
いや、「大嘘憑き」なんてもらえないよ。そんな手品みたいなスキルはいらないよ。
僕はマジシャンと言っても手品師ではなく魔法使いのほうだからね。
いやいや、大嘘つきという称号もいらない。
僕は本当のことを言わないことは多々あるけれど、嘘をつくことはほとんどないからね。
僕は君のことは嫌いだし、
安心院さんに興味はあるがそれは僕のスキルでも彼女については解析不能なことがその理由だ。嘘ではないさ。
どうしても不安だというなら、
安心院さんが君に惚れるよう恋の魔法をかけてあげることもできるけど、そんな格好悪いことは君には不要だろう。
僕は君が安心院さんの恋人になることに賭ける。
ほら、球磨川くん、空を見てごらん。
今夜は満月だ。欠けることない、いい月だよ。
<完>
乙
久しぶりに漫画読み直してみるかな
よく読み込んでるとは思うが、めだかちゃんに理由なく開幕大嘘憑きはらしくないのと、話の流れ的にもなくて良かったと思う。
あと、闇月は投げやり感がある。球磨川にこそ『ちゃんと負けて』安心院さんに会いに行く展開を見たかった。
最後に真黒くんがそう言った上で、球磨川は全然違うことをするんだろうなと思ってたらそんなことはなかったぜ。
乙
>>36
私もこの前に読み直して、
真黒さんが何かの黒幕だと匂わせるような意味深長な描写が幾度かあったのが気になって(名前も真黒ですしね)
そのあたりを考察した上で蛇足編を書いてみました
ただ>>37さんご指摘の通り、タイトルになっている球磨川のほうの描写がらしくなくなってしまったのは反省点です
>>37
正鵠を射るご指摘ありがとうございます
「ツキ」をテーマにしていたのと、1度目の勝利はめだかとの再会のため、2度目の勝利は安心院さんとの再会のためと、
安易に考えてしまいましたが、確かに勝つにせよ負けるにせよもうひとひねり必要でした
おっしゃる通り、全体的に球磨川がお膳立てに乗りすぎていて、らしさを欠いていましたね
ぱっとは思いつきませんが、何もかも台無しにしつつ真黒の提案を超える球磨川らしい答えも必要でした
何か思いついたら蛇足の蛇足で……
乙ー
たしかに球磨川らしさが少し薄い気もしたけど面白かった
良かったけど、満足出来なかったなら気が向いた時にでも書き直してよ
乙
このSSまとめへのコメント
最終的にあの作品で一番の勝ち組だったよねこいつって…