梓「憂、もう帰ろ?」憂「…………」 (138)

けいおんSSです。

唯憂梓 です。

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-winter side-

ひらひらと花びらみたいに落ちてくる雪が頬に触れた。

止めていた息を一挙に吐き出し、瞼を開く。
しばらく瞳を閉じていたせいか、一瞬光に眩みそうになる。
けれど、だんだんと姿を現すにつれて、空は水糊みたいに濁っていった。

雪はさっきまでと変わらずに降り止む様子はなくて、どんどんと世界を一色に塗りつぶしていく。
ここも、あそこも、そっちも、むこうも、何もかも。あれやこれやの違いは限りなく薄くなっていく。
いまさっき吐き出したわたしの息までも溶けていっちゃう。
この雪が全て溶けてしまったら、この街は海になってしまうのかもしれない。そんなことを思った。


数年ぶりに訪れた母校。
雪化粧をまとった校舎や校庭は、記憶の中のものとまったく違うもののように思える。

校舎に植えられた桜の木って、あんなに大きかったっけ。
枝に積もった雪が、満開の花のように見える。
白く白く、本物の花のように咲いていた。

雪に埋もれたグラウンドの真ん中にただひとり寝そべってみる。
そうしていると、グラウンドの内はもちろん外側にさえ誰もいない。
もう一度目を閉じる。
静かで、冷たい。まるで海の底に沈んでいくような感覚。

ぶぃーん ぶぃーん

コートのポケットからケータイを取り出して、パカッと開けた。
手早く返信すると、もう一度目を閉じて全身を大の字に広げた。


『おぉ~い』

首だけひょいと向きを変え、声がした方を振り向く。こちらに向かって手を振りながら歩いてくる人影が見えた。わたしはむっくりと立ち上がり、全身についた雪をパンパンと振り払った。
それからわたしも同じように軽く手を挙げて、くちびるの端をあげてみる。…たぶんこの距離じゃ、表情なんてわかりはしないだろうけれど。

ぎゅっぎゅっと雪を踏みしめる音が大きくなるにつれて、お互いの顔がはっきりわかるくらい近づくと、あの子がいつものように呆れた表情をしているとわかった。

『なにやってんですか。こんなところで寒い日に雪に埋もれて寝転んでたら、風邪ひきますよっ』

『エヘヘ…いや~桜高に来るのも、こんなに雪が降るも久しぶりだからさ。つい、ね』

『あとで風邪ひいた~なんて言い出しても知りませんからね。ちゃんと自己管理してください。面倒見るのヤですよ、わたし』

への字に結ばれたくちびる。
いつも通りの、憎まれ口。おなじみの、憎まれ口。


『ありがとね、心配してくれて。でも大丈夫。さすがにもう寒いしやめとくよ。
 体調管理にだって気をつけてるんだよ?みかんも毎日食べてるし』

『ならいいんですけど。風邪をバカにしちゃダメですよ。こじらせたら肺炎になることもあるんですから。肺炎をこじらせたら…』

『しんじゃう?』

『…そうならないように自己管理してくださいね、もう大人なんですから。

 わかりましたか?』

『ふぇ~い。あずにゃんの言うこと聞いて体調管理気をつけるッス!』

『ハイハイ…調子いいんだから。ホント気をつけてくださいよ』

そうこう言っている間に少しづつ雪の勢いは弱くなってきていた。
うっすらと陽の光が、校舎を照らし始めている。


『雪、止みそうですね。今のうちに急ぎましょう』

『…雪、積もってるから危なくない?山道でしょ』

『大丈夫です。気をつけて歩けば。それに山道って言ってもそんなに高くまで登るわけじゃないでしょ。
 まごまごしてたらまた降り出すかもしれませんよ』

『…』

『…どうしたんです?』

『…やっぱり行かないとダメ?』

『…』


わたしを見つめるふたつの瞳。
感情は読み取れない。怒っているようにも悲しんでいるようにもとれた。

無言の力に押されて、わたしは頷いた。
背中を向けて歩き出したあずにゃんの後ろをのそのそとついていく。

『…見晴らしのいいところみたいですよ』

わざわざこんな雪の日に山の上まで。
そんなところに足を運んでも、そこには誰もいないよ。

グラウンドにはふたりの足跡。
風が吹いて桜の木が揺れた。枝に積もった雪がどさっと落ちる。

『ふぇ…ふぇ…』




-summer side-

「へくしゅ!」

目覚めて早々の大きなくしゃみで飛び出した鼻水が、四方八方に飛び散って布団を汚した。
渇いた喉がひりひりと痛い。マスクをして寝ればよかったと、憂は後悔する。
カーテンの隙間から差し込む朝の光の中で、部屋の中のほこりがうっすらと踊っていた。
もっとゆっくり寝ていたかったけれど、我慢できないほど喉がカラカラだ。
布団から抜け出すと、部屋を出てリビングに降りた。

とんたんとんたん、音が鳴る。


「おはよう…具合、まだあんまりよくなさそうだね」

自分より早く起きて着替えも済ませている姉を見て、少し申し訳ない気持ちになる。

「………ん。大丈夫だよ。寝たら結構楽になったし。朝ごはん…つくるね」

「ダメだよ無理しちゃ」

「でも…お姉ちゃん朝ごはんは…」

「心配しないでー。自分で作って食べたから。ブイv」

テーブルには丸皿が一枚。食べかけのトースト。蓋の空いたままのジャム瓶、牛乳パック。

「ごめんね。ちゃんとしたものつくれなくて」

「憂は病人なんだから無理しちゃダメ。お熱測ろう。体温計持ってくるね。
 あっ、喉乾いてるよね?飲み物持ってくる!」

「あ、ごめん…」

「いいっていいって。すぐ持ってくるから憂はソファで横になってて」

「……ありがと」

ソファに腰を下ろすと、そのままパタンと身体を横に倒して目を閉じる。
頭の中がぐるぐると回る。憂の頬は火照って真っ赤だった。


「つらそうだね…」

唯が運んできてくれた果汁100%のオレンジジュースと、
カバに似たなんの動物かわからないキャラクターの描かれたガラスのコップ。
いつから家にあったのだろう。きっとこれを買ったのは姉だ。
小さい頃から一緒に育ってきたのだから、姉の好みはよく知っている。

唯はコップにとぽとぽジュースを注ぐ。
ぶくぶくと泡が生まれて浮かび、消えた。

よいしょ、憂は小さく声に出してなんとか身体を起こす。コップを手にとって、一気に飲み干した。
一瞬、生き返った心地になる。

「おいしい。ありがとう」

いつだったか、昔。風邪をひいて寝込んだことがあった。終始心配そうに自分を見つめていた姉。
あのときの表情、記憶の中にある姉と目の前の姉はなにも変わらなかった。
あのとき作ってくれたおかゆの、風邪ひきには少し濃すぎる味付けは今でも忘れられない。


「顔が赤いよ。今日は病院行こうね。車出すから」

「大丈夫。病院ならひとりで行けるから…」

「無理だよ、そんな様子じゃひとりで行けないよ」

「でもお姉ちゃん、今日は出かける用事があるんでしょ」

「問題ないよ。病院に寄るくらい。憂の身体の方が大事でしょ」

唯は笑いながら憂の髪を撫でた。
指と指の間を髪が流れていく。心地のよい撫で方だった。

いまこの瞬間の姉の視線。
やさしい目をしていた。
その瞳は自分だけを見つめてくれている。わたしはそれを独占していられる。
それがしあわせで、たまには風邪をひくのも悪くないなぁと憂は思う。

「…ありがと」

目を閉じて、身体を唯に預けてもたれかかる。


「お昼前にはあずにゃん来るから。そしたら一緒に出かけよう」

「…あ、そっか。梓ちゃん来るんだ」

憂は預けていた身体を起こして唯を見た。
唯の視線は窓の外に向けられていた。
外から吹き込んでくる風に、カーテンがふわりと揺れる。

「うん。ほら、あずにゃんにも一緒に部屋を見てもらいたくて」

「…わたしも付いて行こうか?」

「憂は無理しちゃダメだよ~」

笑って首を振る唯。
それが、憂にはさっきまでと違う表情をして見えた。


唯がパカッとケータイを開き、手早くメールを打ちはじめる。
梓にメールを送っているんだろう。
絵文字や顔文字、いろいろ工夫して可愛くしようとしているうちに、うっかり途中送信してしまう。

「ありゃ?」

電子画面に映った紙飛行機がケータイ電話の奥に消えていく。
まぁいいか。どうせだいたいわかるでしょ、あずにゃんなら。唯はそう思ってあきらめた。

「もう一度寝てくる」

「あ、大丈夫?…わたし、ついていこうか?」

「…いい。大丈夫」

そういうと憂は力なく立ち上がり、よろよろと頼りない足取りでリビングを出ると、
振り返ることなく階段を上っていった。



ぶるぶる。

あずにゃんのカバンの中から、ケータイのバイブ音が響いているのが聞こえた。

『メール来てるよ、あずにゃん』

『あ、はい。ちょっと、すみません』

あずにゃんはおなじみのまっかなケータイをサッと取り出して画面をちらっとだけ見て、またすぐにカバンにしまいこんでしまった。

『大した用じゃないみたいなんで、また後で返信します』

『そう?ならいいけど』


あの後、雪はまた勢いよく降り出して、結局山の上には登れなかった。
登らなかった、かな。

『ほら、雪また降ってきたよ。止めとこうよ。滑って転んだら危ないよ』わたしがそう言うと、あずにゃんは立ち止まった。肩に雪がかかってる。そのまま振り向かずに言った。

『そうですね』

白い息といっしょに一言だけ呟いて、振り向いて反対方向に歩き出した。
どんな顔してたかは、ちょっとよく覚えてない。ついさっきのことなのに。



『雪、マシになってきましたね』

これなら登れましたね、とあずにゃんは言わなかった。

傘は持ってきていない。出発の時には雪、降ってなかったから。
ほら、傘って持って出かけると雨が降りそうな気がしない?これ、本当にそうだよ。
だからわたし達は縁起を担いで、傘を持ってこなかった。
出かけるときに空が晴れてたら、わたし達は傘を持っていかない。
天気予報なんか信じられない。

傘は持って、出かけない。


今日だって、雪は降ったけど、雨は降っていない。

わたし達は、傘を持って出かけない。
だよね?あずにゃん。



『あんな店…あったっけ』

『さぁ…どうだったでしょう』

あずにゃんの小さなくちびるから白い息が漏れて、後ろに流れていって消えた。
ところどころに見覚えない新しい店ができている。えーっと昔はなんのお店が…忘れちゃった。
でもあるいてもあるいても、町中どこも雪だらけだから、
知ってる建物だったかどうなのかもよくわからない。
ふるさとに帰ってきたというよりも、見知らぬ国に来たみたい。

『ここは、変わりませんね』

やっとわたしの方を振り向くと、あずにゃんは頬をゆるめて言った。
そっか。あずにゃんには、そう見えるんだね。


あずにゃんとは今でもよくメールする。
わたしがメールすると、いつでもすぐに返事が来る。
わたしもすぐに返事をする。返事が来る。返事、返事、返事、…。
そうやっていつまでもメールが終わらない。
どちらかが寝落ちしても、朝また返事がくる。送る。

だからわたし達は何年も前からずっとメールを返信し続けている。

あずにゃんとのメールが続いてるから、わたしはさみしいと思ったことがない。


『何鍋にしようか?』

『鍋…っていうのは決定してるんですか…』

『だって。冬は鍋じゃん。やっぱ』

『まぁたしかに。否定はしませんけど。あ、辛いのはダメです』

『キムチ鍋おいしいのにー…あずにゃんはお子様だなぁ』

『ほっとけです。ひとのこと言えないでしょ』

まあね。そうだね。

『ウイスキーは角瓶でぇー、ハイボール作る用に炭酸水も買わなきゃねー。あとオレンジジュース!』

『ハイハイ。好きにしてください』

たどり着いたスーパーの入り口に立つと、扉がうぃーんと自動で左右に開く。
わたし達が一歩足を踏み入れると、来客を知らせる軽快なチャイムが店内に響いた。

キムチ鍋以外なら、豆乳鍋にでもしようかな。
美容にもいいしね。腕によりをかけてつくっちゃうよ。
料理は得意。任せておいて。
家事なら一通りのことは、なんだってひとりでできるんだから。




ピンポーン。

チャイムの音が聞こえた。
布団から出たくない。部屋から出たくない。家から出たくない。
入ってこないで。連れて行かないで。
そんなきもちで掛け布団をかぶるが、しばらくすると暑さに負けて顔を出した。

窓際に目をやると、カーテンが風に揺れていた。でもそんなそよ風は真夏の暑さを和らげてはくれない。
ちりんちりんと涼やかなのは音だけで、風鈴は身体の熱を鎮めてはくれない。

Tシャツが肌に密着している。汗をかきすぎて気持ちがワルイ。でも汗をかいたおかげですこし熱が下がったのかもしれない。
枕元にオレンジジュースの入ったガラスのコップが置いてある。きっと唯が置いてくれたものだろう。
乾きを潤そうと、コップを手に取り一気に飲み干す。

みどり色のケータイを開いて時間を確認する。ちょっと寝すぎたかも。
着信メールが一件。差出人は梓。
ケータイを閉じて起き上がると、憂は手早く着替えを済ませてリビングに降りてきた。


「いらっしゃい、梓ちゃん」

「おはよ。おじゃましてます…憂、具合はどう?」

「うん。二度寝したらマシになったよ。もう大丈夫。病院行かなくても平気かも」

「ホントに?」

「ホントだよ。だからわたしもついて行っていい?」

「はいはい、まずはちゃんとお熱計ろうね」

まるで子供をあやすように唯が言う。
その様子が普段の自分たちとは逆みたいでなんだか変な感じだなぁと憂は思う。
でも本来の姉妹ならこれが自然なんだろう。


唯が差し出した体温計を受け取る。
細くて白くて安っぽい体温計のさきっぽ。
そのさきっぽの銀色が、紺色のポロシャツの胸元から憂の内側に侵入し、間を割って右腋にねじ込まれる。

「んっ」

ひんやりと冷たい感覚が憂の体内を走る。
じっとしていると、憂の体の熱がだんだんと体温計を温めていく。
冷たさはどこか遠くに、ふたつがひとつになっていく。

しばらくして限界を告げるように電子音が鳴り響き、腋からの侵入者は引き抜かれた。
先端の銀色は汗に濡れ、ぬめっとしたてかりを帯びている。


デジタルの表示を見た憂は微笑んだ。その頬がりんごのようにあかい。

「この体温計、壊れてるみたい」

「えっ、ちょっと見せてみて」

憂から手渡された体温計のデジタル画面を見た瞬間、梓の表情が変わる。

「ちょっと憂、全然大丈夫じゃないよ、病院行かないと!」

梓が大きな声を出した。
そんな友人の様子を全く気にしないそぶりで憂は笑う。

「大げさだなぁ。わたしが大丈夫って言ってるんだから大丈夫だよ」

「うーい。メッ!だよ。風邪のときは無理しちゃダメ」

あくまで落ち着いた声のトーンではあるけれど、唯の言葉には有無を言わさない力があった。
姉にこう言われてしまうと、憂としてもこれ以上我が儘を通すわけにもいかない。


「…わかった」

「ん、じゃあ行こうか。保険証は持った?」

「…うん」

「よーしじゃあいくよー」

「あのちょっと。唯先輩」

「なぁに、あずにゃん?」

「一応確認しておきますけど、免許証は持ってますよね」

「…」

「…忘れてたんですね」

ほんの些細なことだった。
姉の行動パターンをわかっているいつもの自分なら真っ先に気がつくことだった。
役立たずの自分がもどかしい。

風邪のせいだ。風邪なんて引いてなければ。
さっきまではたまには風邪をひくのも悪くないなんて思っていた気持ちはどこかに霧散していた。

「いやぁあずにゃんありがとねぇ」

「少しはしっかりしてくださいよ」

たぶん部屋のあそこに…そう言いながら唯はリビングから出て行く。
やれやれという顔で梓は憂の方に顔を向けた。


「ねぇ梓ちゃん。いい部屋は見つかりそう?」

苦笑いする梓に対して、憂は真顔で尋ねる。

「うーん。そうだね。唯先輩、あれで変なこだわりがあるから結構いろんなとこ回って大変だったけど…幾つかよさそうな候補は見つかってるよ。
 あんまり迷ってても仕方ないし、そろそろ決めちゃうかんじかな」

「へぇ。梓ちゃんが付き添ってくれてるとわたしも安心だよ」

「そんなこと…ないけど」

「あるよ。でも意外だったな。梓ちゃんが賛成すると思わなかった」

「え……っと」

「お姉ちゃんが一人になって、梓ちゃんは心配じゃないの?
 わたしは心配。せめて卒業までは家にいてもいいんじゃないかな、って思ってたんだけど」

「あ、うん…心配は心配だけど。でもさ、いい機会なんじゃないかな」

「それ…どういう意味?」

「ほら。ここにいたら唯先輩はいつまでも憂に頼りっぱなしのままでしょ。
 いつかは自立しなきゃいけないんだから、さ」

「わたしのせい?」

「あっ、ご、ごめん。そういう意味じゃ…なくて」


そのまま二人は黙ったまま、憂はソファにもたれて目を瞑る。
頭の中がぐるぐると巡る。
足音が聞こえる。起きなくちゃ。目を開く。
すると梓と目があった。ニコッと微笑む梓。
憂はもう一度目を閉じた。

「おまたせ~あったよ、免許証」

唯が戻ってきて、三人は家をでて車に乗り込む。
運転席に唯、助手席に梓、後部座席に憂。

車がゆったりと発進する。
隣でわぁわぁ梓が唯に声を飛ばしている。
必死の形相で左右に視線を走らせる唯。

ガリガリ、という嫌な音が聞こえた気がしたけれど、
だんだんと意識が遠ざかっていく憂にとってみては、別世界の出来事のように思えた。



あ、いけない。寝ちゃいそうだった。
俯いた頭をあげてしっかり目を開くと、あずにゃんはじっとわたしの方を見てた。
わたしが目を覚ましたのを見て、すっと目を逸らす。

『ふぁ……』

わたしは大きく伸びをして、目をこする。
デジタル時計に視線を向けた。ゾロ目の数字が綺麗に揃ってる。

『眠いんですか』

『…ううん。大丈夫』

グラスに残っていたはずの氷はすっかり溶けてしまって、ロックのウイスキーはすっかり薄まっているようだった。


『帰らないんですか』

やけに遠くの方から、誰かの声が聞こえた。
つけっぱなしだったTVからは、ニュース番組が流されている。

『帰って、欲しいの?』

『…ひさしぶりにご両親と一緒に過ごすのも大事かと思いますが』

グラスのウイスキーをぐいっと飲み干す。
喉が焼けるような味の濃さは、もうない。

『あずにゃんと一緒の方がたのしいから、いいの』

『帰りたくない理由でもあるんですか』

画面の上の方に流れる、白い文字のテロップ。
ここからもう少し北に行ったところでは、大雪警報が出ているらしい。
外出に注意、とアナウンサーがしゃべっている。


『…ま、もう夜遅いですしね。今日は泊まっていってください』

あずにゃんは立ち上がって、空になった缶ビールを片付け始める。
わたしも手伝おうと立ち上がって空き缶を手に取った。

『そういえば明日のことなんですけど』

『あ、うん。どこか行く?』

『純と会う約束してるんですけど、大丈夫ですか』

純ちゃん。
もう何年も会っていない。
連絡もとって…ない。あずにゃんはどうなんだろう。

『うん。大丈夫だよ』

『…ほんとに?』

『だいじょうぶだってばぁ…あ、でも』

『でも?』

『いやぁわたしのこと、覚えてくれてるのかな~って』

『覚えてるに決まってるじゃないですか』

あ、これ中身残ってる。
いくつか目の缶にはまだビールが残っていて、揺らすとちゃぶちゃぷ音がした。


『忘れるわけないでしょう』

『…そっか。そうだよね。ちょっと不安になっちゃってさ。
 だってもう随分会ってないんだよ。会わなくなった人のことは忘れちゃうじゃん。
 みんなそうでしょ?側にいない人のことは忘れちゃうじゃん。
 会えなくなった人のことは忘れちゃうじゃん。だから、さ』

『わたしは…』

わずかに残っていたビールを飲み干す。
気が抜けて生ぬるいビールが喉を通り、体内に流し込まれていった。

『あ、そういえば鍋の〆にラーメン入れるの忘れてた』

『いまさら思い出されても…もうお腹いっぱいです』

『だよね。わたしも』

人間はどうしてもいろんなことを忘れてしまうから、
大事なことは忘れてしまわないように、何度もなんども胸に刻み直す必要があると思うんだ。

『アハハ…そもそも買いすぎでしたね。失敗しました』

でも最初の最初で間違えていたら、覚えてるかどうかは関係ない、のかもね。

『テーブル拭きますね。布巾とってきます』

あずにゃんは空き缶をゴミ袋にまとめると、席を立って流しの方へ歩いて行った。
いつの間にか番組が変わっている。
リビングにはバラエティタレントの乾いた笑いが響いていた。

このゲイノウジン、誰だっけ?
ウーン、思い出せない。




「アハハハハ!」

TVの前に陣取った身体の大きな男性の笑っている声が院内に響き渡る。

「なーに観てるのかねぇ?」

「さぁ、吉本新喜劇でも観てるんじゃないですか」

梓はさして興味もないように言う。
ふぅん、と気の無いように思える返事をしたものの、唯の意識は明らかにあちらの方を向いていた。

病院であんな大声をあげていいものなのか、
そもそも大笑いするほど夢中でTVを見ていたら、呼び出されても気がつかないんじゃないか、
姉ならきっと気がつかないだろうな、などと憂は考えていた。

「ちょ~っとだけ近くで見てくる」

てへへ、と笑いながら唯は立ち上がってTVの方へ歩いて行った。


病院は人で溢れている。
身体のどこかしらを悪くしている人がこんなにいるんだ、と他人事のように思う。


「ねぇ梓ちゃん、わたししんじゃうのかなぁ」

「え?なにバカなこと言ってるの。病院で言っていい冗談じゃないよ」

「大したことないただの風邪だ、って高を括っていたら、どんどん悪くなって肺炎になっちゃって…」

「そうならないようにちゃんとお医者さんに診てもらうんでしょ。
 それで薬もらったら飲んで寝る。それが一番。風邪はひきはじめが肝心なんだから」

「ひきはじめじゃないよ。ホントは2、3日前からしんどかったの。もう遅いよ」

そう言いながらも憂はよく喋った。俯く彼女の鬢がほつれている。
梓はあきれたようにため息をついた。
普段はしっかりしている憂。この子は万能に見えて案外脆いのかもしれない。
いろいろと疲れが溜まっているのかもしれない。

梓は憂の手をぎゅっと握った。

「だいじょうぶ。人間は簡単にしんだりなんかしないよ。だいじょうぶ」


「…ねぇ」

「…なに?」

「梓ちゃんは、お姉ちゃんのこと好きなの?」

「…え」

突然の問いに、梓はどう答えていいかわからない。
向こうから聞こえて来る笑い声に、聞き覚えのある声が混じっている。
唯はTVにかぶりつきになっているようだった。


「ねぇ、どうなの」

「意味わかんないんだけど」

「そのままの意味だよ」

「…そりゃあ。好きだよ、先輩として。お世話になってるし」

自分が世話をしていることも多いんだけど、梓は思う。
けれど自分の知らないところで梓を慮ってくれていることもたくさん知っている。


「そんなことが聞きたいんじゃないの」

「憂、落ち着いて。ヘンだよ」

「落ち着いてるよ。だってわたし、もうすぐしんじゃうかもしれないし。
 だから今聞いておきたいの」

「しぬなんて簡単に言わないで」

「ちょっとちょっと!二人ともどうしたの!」


いつの間にか戻ってきていた唯が二人の間に割って入る。
憂の瞳は血走っていて尋常じゃない色をしていた。
空調の効いた院内のはずなのに、梓は背中に嫌な汗をかいていることに気がついた。

「…なんでもないよ、お姉ちゃん。受付も済んだし、あとはもう大丈夫だから」

憂は唯の方を見上げて、不自然に笑いながらちいさな声で言う。

「え、でもせめて憂が呼ばれるまでは…」

「あの…唯先輩、確かにそろそろ」

腕時計を見ながら梓が答える。デジタル画面にゾロ目が揃っていた。

「え、もうそんな時間?」

「ほら。これから不動産屋さんとこ行く約束してるんでしょ。遅れちゃうよ。
 わたしなら大丈夫だから」


唯と梓が同時に立ち上がった。

「…う、うん、わかった。じゃあ、憂。終わったらメールして。迎えにくるから。ぜったいだよ」

「いいよ。帰りはタクシーで帰るから」

「でも…」

「大丈夫だよ。そうだ、梓ちゃん。せっかくだから帰りにふたりで映画でも観に行って来たら?
 お姉ちゃんも観たいって言ってたアレ…なんだっけ?確かもう公開されてるよ」

「行かないよ。憂を放って映画なんて観に行けるわけないじゃん。
 だから診察終わったらちゃんとメールして。唯先輩にだけでもいいから」

「…わかった。一応メールする」

憂は梓の方を向かずに言葉を返す。

「あっそうだ、ういー。何か欲しいものある?
 果汁ひゃくぱーのジュースとかゼリーとか果物とか、風邪によさそうなもの買ってこようと思って」

「…えっと」

なんでもよかった。
別に欲しいものなんてなかったし。憂は唯の方を向き、笑う。

「そうだ。マンゴー買ってくるよ!」

「それ、唯先輩が食べたいだけでしょ。贅沢ですねぇ…マンゴーって風邪にいいのかな…ま、いいか」




病院の出口で振り返ると、待受のソファにもたれる憂の後ろ姿が見えた。
向こうを見つめる唯と梓の視線には気づくわけもなく、振り向きもしない。
けれど唯は心配そうになんどもなんども振り返って、憂の方を見ていた。

自動扉が開く。むわっとした熱気に触れて梓は思わず顔を顰める。
唯がもう一度後ろを振り向いた。どうしても憂のことが気になるようだった。

それだけ愛されている妹を、梓は羨ましく思う。
今後、自分と唯や憂とどれだけ距離を縮めることができたとしても、血の繋がりを持つことはできない。

梓は後ろを振り向かなかった。

不意にさきほどの憂の問いが頭をよぎる。
梓は唯の横顔に視線を向けた。

梓の視線に気がついた唯がこちらを振り向く。
そしていつものようにニコッと笑って、梓の手を優しく握った。
梓も同じように握り返す。
あたたかい手のひらだった。

蝉しぐれがかしましい。

激しすぎるほど光の溢れる日差しの中、
ひかりがまぶしすぎて、まえがみえなかった。



なつかしいテーブルの上には柔らかい光が降り注いでいて、季節を忘れそうなほどあったかくって、それだけでもう大満足。

『うーん…変わらないね、ここは』

『そうですね、変わりませんよ、ここは』

窓から見える景色は以前とはちょっぴり変わって見えたけれど、
腰を下ろしたときお尻に伝わってくる椅子の堅さに、胸の奥からこみ上げてくるものがある。
なんでもないファーストフードのお店の2階の端のこの席が、まるでタイムマシンみたいだなって思った。

『食品偽装だのなんだのあったけど、潰れなくてよかったよね』

『梓の言い方には夢がないんだよ、夢が』

『うるさいな』

憎まれ口を叩きながらもあずにゃんはどこかたのしそうだけど。
それを見てにしし、と笑う純ちゃん。


高校時代、毎日…とまではいかなくても部室の次に溜まり場にしていたMAXバーガーは、今もなお絶賛営業中。
ところどころ席を陣取っている女子高生たちは、みんな同じようにケータイをいじりながらもお互いたのしく笑いあっている。
あの頃のわたし達もたぶんああいうかんじだったんだろうなぁ。

『久しぶりなのに梓は変わらないねぇ。とくに髪型』

『慣れてるしラクでいいの、この方が。むしろストパーあててる純の方がヘン』

今日のあずにゃんはツインテールの左右を色のちがうシュシュで可愛らしく結んでいる。レモン色とメロン色。

『妬かないの。あんまりわたしがキレイになってるからびっくりしちゃったんでしょ』

『そんなわけありませんー』

そう言ってあずにゃんは両手に持ったストロベリーバニラシェイクをずずーっとすすった。

『あーその両手に持つ飲み方、むかしのまんまだ。つーかそんな甘いもんよく飲むね』

『いいの。今日はお腹空いてるんだから』

理由になってないんじゃないかなー、あずにゃん。

ひさびさの純ちゃんはちっともモコモコしてなくて、向こうがニコニコ笑って声をかけてきても、わたし達は最初純ちゃんだって全然気がつかなかった。

だって目の前に現れたのはさらさらと流れるようなヘアースタイルの、大人っぽい女の人だったんだもん。



いつもはきちんと時間通りに目を覚ますあずにゃんが、今日は珍しくわたしが起きた時にはまだすやすやと眠っていた。
昨日はなんども寝返りを打ってたし、なかなか寝付けなかったせいなんだろう。
待ち合わせは昼過ぎだったし、そのまま寝かせてあげることにした。

あずにゃんの家には相変わらずたくさんのレコードが所狭しと並んでいた。
たぶん名盤と呼ばれるものもたくさんあるのだろうけれど、わたしにはよくわからない。
レコードの方が音がいい。いい音を聴かないといい音は出せない、ってあずにゃんはよく言っていた。

そうなんだろうなぁ。

でも一番は生で聴くことだって。

そうなんだろうなぁ。

生歌には勝てないよね。そりゃあ。

そのうち起きてきたあずにゃんと朝ごはんを食べて、少し早くに家を出た。
雪はまだ残っていて、街は白いまま。
待ち合わせ場所のMAXバーガーにはちょっと早く着いたから、二人でストロベリーバニラシェイクを注文して待つことにした。

約束の時間が少し過ぎても純ちゃんは、どこにも現れない。

あずにゃんが、左手で頬のちょっと下の方をぽりぽりとかきはじめた。
あーこれ、イライラし始めたときのやつだ。たぶんあずにゃん、気付いてないだろうけど。

あずにゃんイライラしてるし、そろそろ純ちゃんに電話しておくか。
そう思ってぱかっとピンク色のケータイを開いて気がついた。

しまった。こっちのケータイには純ちゃんの連絡先が入ってない。

とかなんとかやってるうちに、左手にスマホを持った純ちゃんが階段をあがってやってくるのが見えた。



『でも?いいの?純』

『何がよ』

『唯一の特徴だったくせ毛がなくなったら、キャラが弱くなるよ?』

『わたしの個性そこだけなの!?』

『うん』

『久しぶりに会ってそれかー!』

『アハハ』

昔の友達、って不思議なもので、会えなかった時間は決して短いものじゃなかったはずなのに、会えばたちまちあの頃に戻っちゃうみたい。高校時代のあの頃に。忘れられてなかったし、忘れてたこともすぐに思い出せる。

『…こうして3人で集まるの、久しぶりだよねー』

純ちゃんはブラックコーヒーをすすりながら遠い目をして言った。

『純、さっきから”久しぶり久しぶり”っておばあさんみたいだよ』

『そんな気分にもなるよ。だって卒業以来3人で集まるのは初めてじゃん』

『まぁ、そっか…連絡は取ってたけど会ってなかったもんね』

『ずっと、心配してたんだからね。2人とも思ったより元気そうでなりよりだよ』

『…ありがと』

『…で、これから何か予定あるの?』


純ちゃんはやたらとおっきなハンバーガーをもぐもぐとさせながら聞く。
それ、新商品?わたしの知らないやつだ。

『てか食べるか喋るかどっちかにしなよ…予定、ね。うん。どうしようかな、って今考えてるとこ』

二番目に安かったチーズバーガーは、間に挟まれたハンバーグがやたらとうすっぺらで、お肉を食べている気分にならない。本物の肉じゃないのかな、これ。口の中がぱさぱさする。

『せっかく長期休暇とれたなら海外にでも行けばよかったのに。気晴らしに』

あずにゃんはチキンナゲットとアップルパイ。
それにストロベリーシェイク。おかしな組み合わせだって、純ちゃんは笑ってた。

『梓たちが海外行くっていうなら、オススメのツアー教えてあげたのになー』

純ちゃんは今や旅行代理店の敏腕(自称)OLだ。
仕事はサボらず、無遅刻無欠勤。なんだって。
普通といえば普通だけど、立派といえば立派。

『…ありがと。気持ちだけ受け取っておくね』

力なく、下を向いて答えた。
このところ、あずにゃんはずっと疲れてるように見える。
どこか遠い、ここからずっと離れた、誰も知ってる人もいないようなところに行く気力なんて、なかったんだと思う。


『でもこうして帰ってきてくれて久しぶりに顔が見られてホントによかったよ
 ホントに』

『ん、まぁ…ね』

お店に入って1時間くらい経っただろうか。
常連客が多いせいか、席を立つ人が少なく、お客の入れ替わりがない。

『そうだ。明日とくに予定ないなら…海とか、どうよ。行ってみたら?』

『…遠いよ。ここからじゃ』

『特急に乗ればあっという間だよ』

『冬だから泳げないし。つまんないよ、やることないし』

『泳ぐのが目的じゃないでしょ』

『考えとく』

あずにゃんはチキンナゲットを食べる手を止めて、窓の外を見ながら言った。


『わたしはあずにゃんと一緒ならどこだってたのしいよ』

『”あずにゃん”、かぁ…』

純ちゃんは、ため息を吐くように言った。

『な、なによ…』

『いやー、懐かしいなと思ってね。いつまで続くのかな、その呼び方』

『あずにゃんは昔も今もこれからもあずにゃんだよ~』

『……梓はいいの?これからも”あずにゃん”って呼ばれるの』

『…』


あずにゃんは黙ったままだ。
確かにわたしたち、もう高校生じゃないし、いい歳だけどさ…あずにゃんはいくつになってもあずにゃんじゃん。
できればこの呼び方は変えたくない。
もし変えてしまったら、きっとわたし達の間にあるものが壊れてしまう。決定的に。
そう思えて、こわい。

『慣れちゃってるから。別にいいの。
 それにみんなにそう呼ばれてるわけじゃないし。ひとりだけだし』


ほっ。
あずにゃんはずっとあずにゃんだもんね。

『ひとりだけ、ね。
 でも、ずっとそのあだ名で呼ばれ続けるのはキツイんじゃない?
 精神的に、さ』

純ちゃんは冗談めかして言ったけど、あずにゃんはさっきとは違って怒ったりしなかった。
黙ったまま、もうほとんど残ってないストロベリーバニラシェイクをすすってた。
ずずっ、ずずっ、と音がした。

純ちゃんがわたしの方をチラッと見て、またあずにゃんの方に視線を移す。

『けじめをつけるために帰ってきたんでしょ。違うの?』

あずにゃんは俯いたまま答えなかった。
純ちゃんもそこから何もしゃべらずに、あずにゃんをじっと見てた。
あずにゃんはそろそろと視線をあげていって、ようやく純ちゃんと瞳を合わせると、
こくんと頷いた。

それを見た純ちゃんはおもむろに立ち上がって、ストロベリーシェイクを持つあずにゃんの両手をガシッと掴んでニッと笑った。
あずにゃんは突然のことにびっくりして呆気にとられていたけれど、しばらくすると泣きそうな顔してニッと笑った。


それから純ちゃんはわたしの方に顔を向けて、おんなじようにニッと笑った。
わたしは意味もわからずにニッと笑った。


そのままなんとなく会話が途切れて、三人でぼんやり。

ずずっという音とともに、最後に残ったストロベリーバニラシェイクが、あずにゃんのくちびるに吸い込まれていく。

『ちょっとこれ、甘すぎましたね』

『そお?わたしは好きだけどなー』

向こうのほうの席から、女子高生の子たちのたのしそうな声が聞こえてきた。
それは時間を超えて聞こえてくる、自分たちの声みたいに思えた。




ディズニーのオルゴール曲が静かに流れる空間から窓ひとつ隔てて、外の世界からはアブラゼミの鳴く声が聞こえてくる。

大きな窓から差し込んだ光が、一つの筋になってきらきらと溢れている。
光りの筋をたどった先、そこだけはほんの少し他よりも明るく、まるで秘密の本の隠し場所を教えてくれているみたいだと、憂は思った。

「憂、本当に出歩いて大丈夫なの…?」

「大丈夫だよ。熱下がったんだもん。梓ちゃんにも見せたでしょ」

声のボリュームを幾分と下げ、ひそひそと二人は喋る。

「確かに見たけど…写メだったし」

ありえない単純なウソにはひっかりやすいのに、ヘンなところで疑り深い。
憂が嘘をつくわけがないと思っているけれど、珍しく梓が食い下がる。

そんな梓と憂のやりとりを、半歩後ろの唯が楽しそうに笑いながら見ている。

「あずにゃんや。憂の熱が下がってるのは本当だよ。わたしも確認したし。
 昨日の夜、ちゃーんとお薬飲んだのも知ってるし」

「でも唯先輩だし…ほんとにちゃんと見てたんですか?」

「あ、あずにゃんが信じてくれない…………しどい」グスン

「本当に大丈夫だって、変な梓ちゃん」

そう言って憂が笑う。梓は憂の目を見つめようとした。
ブラインドが降りた窓からまだらに光が漏れている。
珍しく下ろされた髪が肩にかかっている。
梓の側からは憂が逆光気味に暗く映り、表情がよく見えない。


「でも治りかけが肝心だから、今日は家でゆっくりしようねって」

「出かけてるじゃないですか」

「いやだから家で読むための本を借りにね、探してる本もあったし」

「憂じゃなくて自分が読みたいだけじゃないですか。ところでわたし、付き合う必要あります?」

「今日もこの後不動産屋さんに行くんでしょ」

光を背負った憂は棚に視線を向け、本の背表紙を見つめながら言った。

「…ついでといえばついでですが」

憂は視線を動かさず、小さくため息をついた。

駅まで5分、1LDK、駐車場付き、月7万円共益費込み。

「早くしないと他の誰かに取られちゃうよ」

憂が一冊の本を手に取り、パラパラとページをめくる。

「うん、だから今日決めるつもり」

唯はさっきから本棚をぼけっと見ているばかり。

「一人暮らしならワンルームでも十分な気がしますけど」

行き先が図書館だとも知らず連れてこられた梓は、ハナから何かを借りるつもりもない。

「”一人暮らし”ならね」

手に取った本はさして興味を引かなかったのか、憂は本を棚に戻した。


「ほら、”大は小を兼ねる”って」

やっと一冊の本を抜き出した唯は表紙だけ見てすぐに元の場所に戻す。

「唯先輩は広かったらその分汚しそうです」

著者順に並んだ棚の中に、順番の違う著者名の作品を見つけ、梓はあるべき場所に戻そうと抜き出した。

「じゃああずにゃんに掃除してもーらお」

つんつん、と指をさして、あるべき場所を教える唯。

「わたしが掃除に行くよ、お姉ちゃん」

憂はしゃがみ込んで下の棚を見ている。

「それじゃダメでしょ。唯先輩が自分でやってください」

順番通りに並んだ本を見て、梓は満足そうに笑みを浮かべた。

「ぶぅ。あずにゃんのいけずぅ~」

おなじみのやりとりに唯は少し不満げに口を尖らせた。
唇はぷっくりとして瑞々しく、ピンク色がきらめて見える。


「お姉ちゃん、お料理のレパートリーももうちょっと増やさないとね」

しゃがんでいた憂が立ち上がる。

「あずにゃんも一緒に教えてもらおっか」

…。

わ、わたしは料理できますから…。

ふーん、じゃあわたしが梓ちゃんに教えてもらおっかな。

…。

お姉ちゃん、お料理作りに行ってもいいよね?

もっちろん!待ってるよういー!

……そうやって憂が先輩を甘やかすから。

別にそんなつもりはないけどなぁ。わたしが好きでやってるだけだし。

その気はなくても結果的に…。

わたしはいい後輩と妹を持って実にしあわせものだよ…。

「…はいはい。じゃあさっさと選んで帰りましょう。唯先輩冷房苦手なんでしょ。また具合悪くなりますよ」


冷房対策に、と梓でさえ薄手のカーディガンを一枚羽織っているというのに、唯ときたら半袖のポロシャツを一枚着ているだけだ。自己防衛ができてないとしか思えない。

「心配性だなぁあずにゃんは」

少しサイズが合わないのか、タイトな白いポロシャツは唯の身体に密着気味で、ボディラインをくっきりと露わにしている。
高校時代から比べると、随分大人っぽくなったんだなぁ、中身は全然大人っぽくないのに、梓は思う。
短めの袖からははちきれそうなほど健康的な二の腕がのぞいている。
夏の日差しを浴びていないわけないのに、そんなことを微塵も感じさせない少女のように張りのある輝きを帯びていた。
でも、きっと。露出してるんだからそのうち寒いって言い出すに決まってる。

「唯先輩、わたしのこれ、着てください」

後で貸すくらいなら、今のうちに渡したほうがいい。わたしならなんとかなりそうだし。

「待って、梓ちゃん。わたし持ってきてるから。はい、おねえちゃん」

カーディガンを脱ごうとした梓を制止して、憂はカバンから薄手のパーカーを取り出すと、唯に手渡した。

「ふたりとも心配しすぎたよ。ちょっと寒くなったらこうすればほら。防寒になります」

と言って唯はポロシャツの襟を立てて見せた。
今日は珍しく頭の上で一本に髪を結んだ唯の、うなじから後れ毛が何本かほつれている。


「本気で言ってるとしたらどうかと思いますし、」

「冗談だとしたら面白くないよ、お姉ちゃん」

「ういもあずにゃんもきびしいっす…」

「真面目な話、防寒の役割も果たさないでしょ。ふざけてたら風邪ひきますよ」

「さ、おねえちゃん」

憂がパーカーを手渡す。
唯を心配するくせ、肝心の憂は上着を羽織っていない。

「憂は大丈夫なの?寒くない?風邪ぶりかえしちゃうよ」

「わたしは冷房平気だから。寒いのに強いんだ、わたし」

「…ならいいんだけど」

「ほら、お姉ちゃん」

「でも…」

「大丈夫だよ、心配してくれてありがと」

妹の笑顔を見て、唯は安心する。
受け取ったパーカーの袖はするすると唯の腕を通り、綺麗な二の腕はすっかり見えなくなってしまった。

「じゃあさっさと本を選んでください」

「そんなに急かさないでよ。大丈夫だよ、借りる本は決まってるんだから」

「何の本を借りるつもりなの?」

「それは見てのおたのしみ…憂もあずにゃんもついといで」

可愛らしい顔を歪めながらぐふふ…と笑う。
ろくでもないこと考えてるな、と思いながらもとにかくさっさと本を選んでもらおう、そうしよう、と憂と梓は顔を見合わせて頷き、無言の会話を交わした。

「で、それですか」

「うん、これ」

「お姉ちゃん、これ、どんな本か知ってるの?」

「よく知らないけど、すんごい長い本なんでしょ。時間つぶしにもってこいじゃん」

「時間つぶしっていうか。そんな片手間で読める本じゃないです。きっといつまで経っても読み終えられやしませんよ」

「だいじょーぶだよー。学生は時間がたっぷりあるのが特権だからね」

時間だけはたっぷり、か。
時間がたっぷりあってもそれなりに読書家じゃないと、この長い作品を全て読み通すなんてできないと思うけど。どうせ読み切れずに返却することになるに決まってる、と梓はため息をついた。
でも仮に挫折したって、そんな経験は今しかできないことかもしれない。少なくとも働き始めて毎日毎日仕事に追われるような環境になってしまえば、手に取ることすら難しくなる作品だろう。

「よし。じゃあ本も選びましたし。行きましょうか」

「あれっ、憂とあずにゃんはなにか借りていかないの?」

「わたしは先週買った本をまだ読んでるところだから…」

「わたしは別にいま本を読みたい気分じゃないんで」

「せっかくだから借りていけばいいのに~…」

「いーですって。さ、行きますよ」

梓は唯の腕を取ると、ちょっと強引に引っ張っていく。
憂はその後ろをついて、ゆっくりと歩いていった。





「先輩」

帰りの電車を待つ間、憂がお手洗いに行って二人だけの時間。

空高く登った太陽なギンギンギラギラ、世界中を焼け尽くす勢いで光線を放っている。

「暑くないんですか」

「え?」

「ほら、パーカー」

「ああ、着たままだったね」

栗色の髪が、汗で額に張り付いている。

「電車の中は冷房効いてるからちょうどいいと思いますけど。今は暑いでしょ」

「そっかな?ちょっと寒くない?」

「そんなことないですよ。今日はとくに暑いです」

「そお?でももうすぐ電車、来るし。せっかく憂が持ってきてくれたんだし。このまま着ておくよ」

そう言って梓の方を向いてにっこり笑った。

二の腕はパーカーの中に隠されたままだ。

ボタンが二つ開けられたポロシャツの胸元からは、唯の鎖骨が見えている。
そのすぐ下の肉付きのよさとは反対に、そこだけが妙に骨ばっておかしく見えた。

首筋からつーっと滴が垂れてゆく。
それは鎖骨を通り、胸元へ流れていく。ある種の粘性を持って、ゆっくりと。そう、蜜のように。

暑さのせいか日に焼けたせいか、少し蒸気したような桜色の肌。
流れる蜜を存分に吸い込んだポロシャツの白は、さっきよりも濁って見える。
ふたつが混じり合って実る果実。
まだ誰も味わったことはない果実の味なんて知りようのないはずなのに、
間違いなく甘美であることを裏付けるかのように甘い香りを漂わせて、果実はそこに存在している。



「おまたせ。電車、もうそろそろかな」


はっとして梓が声の方を振り向いた。
足音に気がつかなかった。

真夏の日差しを背に、憂の影が伸びている。
逆光気味に太陽を背にした憂の表情は暗くて読み取れない。

その影は長く長く伸びて、
いつの間にか唯と梓はその影の中だった。

唯が立ち上がって憂に駆け寄る。
長く伸びた影がふたつ重なり、大きく黒い塊になった。

『もうすぐ電車、くるよ」

そう言って梓に手を伸ばしたのは、唯だったのか、憂だったのか。

梓にはわからなかった。


やがて電車がホームに入ってくる。
それを一本やり過ごし、三人は次にやってくるはずの快速列車を待つ。

「普通と快速と新快速と特急って…別にどれでもいーじゃん。来た電車に乗ればいいのに」

「早く帰れるほうがいいでしょう」

「じゃあ特急に乗れば」

「そもそもこの駅には止まってくれません」

「乗りたいなあ。特急に乗ったらどこにいけるの?」

「海の方まで行っちゃいます」

線路の先は陽炎がゆらゆら揺れている。
この先に海がある。もっとも随分永い時間、電車に乗っていないといけないけれど。

「いいじゃん。海」

「今から行っちゃう?」

「いいねぇ~!あ、でも水着…」

「海まで行けば近くに売ってるから、心配いらないよ!」

「これから不動産屋行くんでしょ。憂も悪ノリしないの。
 だいたい近々海行く計画立ててるじゃないですか。それまで待てばいいでしょ」

えへへ、と笑う唯。
少し頬があかい。日焼けしたのか。それとも。


「ま、そうだね。じゃあ快速と新快速は何が違うの?」

「ほとんど一緒です。
 ただ新快速だとわたし達の最寄駅には止まってくれません。
 快速はある一定の期間だけ各駅停車になります。
 だからわたし達の駅にも止まってくれるんです」

「似てるけど、違うんだ」

「使う人によっては同じようなものだったりするんですけどね。
 いまのわたしたちにとっては違う存在です」

「んーじゃあ各駅停車は?」

「各停は快速の倍、時間がかかります」

「なるほどでも各駅停車は各駅停車の味があるじゃん。知らない駅で降りてみたり。旅番組みたいにさ」

「それはまた、いつかね」

「いつにしようか。あした?」

「せっかちですねぇ。いつだっていいじゃないですか。時間はたっぷりあるんだし」

「ぶらり旅してみたいなぁ。あと特急にも乗ってみたい。海にも行きたいな」

「また、今度ね」

そう、また今度。


やってきた快速電車の扉が開くと、心地よい冷気が吹き出した。
三人は電車の中に足を踏み入れる。

車内は随分空いていて、7人掛けシートに腰掛けたのは3人だけだった。
憂と梓の間に、挟まれるようにして唯。

座席が空いているけれど、3人はシートの真ん中あたりに距離をつめて座った。

快速列車は速く走るけれど、ときどき大きく揺れるのが難点だ。
唯の身体がグラグラと揺れて、ふざけるようにして梓にぶつかってじゃれる。
ふたりは笑った。

やっぱり1LDKは広すぎるかもしれない、
梓はそんな風に思った。

憂は窓から進行方向をずっと見ていた。
あっちの方には海がある。ここからは見えるはずもないけれど、海がある。

しばらく電車が走っていくつかの駅を過ぎ去った頃、
すっかり寝入った唯の首が、左右にグラグラと揺れはじめた。

ずっと外を見ていた憂が振り返ると、その拍子に揺れていた唯の首がこてん、と傾いて
最後は梓の方の肩にもたれかかった。
やれやれ、という表情を浮かべながらも、梓は唯をそのままにしていた。

ふと唯の首元を見ると、何かが止まっているのが目に入った。


蚊だ。


本人に気付かれることもなく、ちゅうちゅうと蜜を吸っている。


ああ。

襟を立てていたら、吸われることもなかったのかな。
うつらうつらとしながら、梓はぼんやりと考えた。

そういえば、新居は海に近いところだった。
窓を開ければ潮の匂いが漂ってくるんだろうか。

ちいさな駅に電車が止まり、扉が開く。

潮の香りをつれて、ひとりの女性が乗り込んでくる。

麦わら帽子をかぶった女性は、ちらっと三人の方に視線を向けて、
そのまま立ち去った。

電車はふたたびはしりだす。
がたんがたんという規則的なリズムといっしょに、果実がゆらゆら揺れている。



『で、それって結局誰だったのさ』

ゆらゆらと揺れるように、歩く。

トンネルの中で声がわんわんと反響して、前を歩くあずにゃんの声が、後ろからも聞こえてきて、目の前にいるあずにゃんだけじゃなくて、後ろにもあずにゃんがいて、あれ?あずにゃんふたり?じゃあどっちがほんもののあずにゃんなの?もしかしてあずにゃんってふたごだったの?そんな錯覚に陥りそう。

『ブラット・ピット…でもなくて…ジョニー・デップ…でもなくて…うーんとねぇ……』

カッカッ、と響くのは純ちゃんの履いているヒールの音。
トンネルの中には雪が積もっていない。乾いたコンクリートに、靴の音が鳴っている。

『もういいよ。だいたい主演俳優も覚えてないような映画、ホントに面白かったの?』

けっこう暗くなってきたけど、いま何時だっけ?
ケータイを開くと”圏外”の文字が浮かんでいる。あー、そうだった。
こんなみじかいちいさなトンネルなのに、なぜだかここを通るときだけ圏外になる。
この街でここを通るときだけ圏外になる。
まるでこのトンネルの中だけ別の世界みたい。

『いやぁ~面白かった…面白かったよねぇ?ね??』

『ごめん純ちゃん。わたしぜんぜんわかんないや』

『そもそも純の説明がいい加減すぎるんだよ。ちゃんと映画の内容説明してよ』

上の方で電車がガタンガタンと走っている。
純ちゃんは一生懸命映画の内容を説明してくれているけれど、半分も聞こえない。


『…………で、………が、……になって、…で…、……って話』

ぜんぜんわかんない。

『…それって』

あずにゃんには聞こえてたみたい。

『インド映画じゃない?』

あ、聞こえた。
思えば映画なんてずっと観てない。
ハリウッド映画も、邦画も、ましてやインド映画なんて。
そういや、最後に観た映画って、なんだったかな。

『あーそうだったかも。聞きなれない名前だから主演のひとの名前が覚えられなくて…
 マジシャンの双子が主人公だったのは間違いないんだけど』

『双子の役者さんなの?』

『ううん。ひとり二役』

『どうやって撮影したんだろー!ってすごい映像ばっかりでね…マジックも迫力あって圧倒されちゃった。
 DVDじゃなくて映画館で観たかったなー…』

『ふぅん』

あずにゃんって映画好きなんだっけ。
純ちゃんのざっくりとした説明でインド映画だって当てちゃうくらいだから、案外わたしよりは詳しいのかもしれない。
でも、その気の無い返事は、映画への関心のうすさのようにも思える。わかんない。

『……って言ってもCGなんだけどね。ビルを走って駆け下りるとか実際絶対無理だし』

『それはさすがにね』

『ありえない!って思えるものは、たいてい種も仕掛けもあるに決まってるからね』


高架下のトンネルは一日中、いつだって夕方だ。
昼でもなければ夜でもない、夕方。
オレンジ色の古めかしい電灯に照らされたここは一日中いつだって夕方で、昼の世界と夜の世界を繋いでいるんだ。なーんちゃって。みおちゃんみたい?

『あ』

『どうしたの?』

『靴の紐が…』

『あー切れちゃってますね』

『家にあったのテキトーに選んで履いてきたからなぁ。古かったのかな、これ?』

左足片足ケンケン立ちになって、ヒモの切れた靴をひょいとつかんだ。

『いつ買ったのかも、忘れちゃったの?』

『家にある靴をテキトーに履いてきたんだもん、いつ買ったかなんていちいち覚えてないよ』

『ま、それもそうか』

『つーか純。アンタ敬語使いなさいよ』

あずにゃんが持ち前の猫みたいな瞳でギロッと純ちゃんを睨む。

『あ、ごめん。つい、さ。…スミマセン』

『いいよいいよ。だってわたしと純ちゃんの仲じゃない?気を遣わなくてもいいよぉ』

『ほら?』

『ほら、じゃないし。わたしがダメって言ってる間はダメ』


あずにゃんは頑なだ。

あずにゃんとは出会ったときから先輩後輩で、純ちゃんとも先輩後輩で。いまも変わらず先輩後輩で、
それはとっても自然なことだし、心の壁なんてなかったつもりだった。
それにこの”敬語”っていうルールは、出会ったときからのわたし達の関係を繋ぎとめておくために、
欠かすことのできない大事なものだって思ってた。
けれどもしかしたらそれは単なる自分の思い込みで、そのルールをやめちゃったら、わたし達の距離をもっと縮めることができるのかもしれない。

それなら。

『あずにゃんや』

『…なんです』

『タメ口で…話してもいいよ』

『は?』

『ほら。わたし達付き合い長いんだし。先輩後輩だけど、もう敬語じゃなくてもいいかな、って』

『ダメですよ』

『いいよ』

『ダメですって。だって先輩後輩じゃないですか』

『いいってば。ほら。試しにタメ口で喋ってみて』

『…』

『どうぞ!』フンス!

『………本当にいいんですか?』

『もちろん!』

『…梓。もうそろそろ、いいんじゃないの』

『…』

『タメ口で喋ってみなよ』

オレンジの灯りがジジっと点滅して、消えた。
突然、トンネルの中を真夜中が襲った。

















『                   』

















まただ。

電車がトンネルの上を走る音が響き渡る。
真っ暗な空間に電車の音だけが響いて、上から、下から、前から、後ろから、どこからも同じ音が鳴り続ける。
走っているのは、快速列車かな?各駅停車かな?どっちもおんなじだよ。音だけ聞いたら、さ。わたしには違いがわからない。
だけどふたつはちがうんだ。あはは。へんなの。


『…あ』

『スミマセン……やっぱりなんか、しっくりきませんね…アハハ』

あずにゃんの声は届かなかった。なんにも聞こえやしなかった。
電車のせいだ。いや、もしかしてあずにゃんはなにも言わなかったかもしれない。

灯りが再び点灯した。
時計の針がぐるぐると逆を周り、太陽は西から登って、月は沈む。夕方がやってきた。

『エヘヘ……。うん、わたしもやっぱり敬語の方がいいかな?
 なんていうか…こそばゆいっていうか慣れないっていうか…
 わたしとあずにゃんらしくないっていうか…』

『…』

『…』


『…で、どうします?裸足で帰るわけにはいかないですよ』

電車が過ぎた後のトンネルに、純ちゃんの声が響く。
ちりんちりんとベルを鳴らして、チャリンコが走ってきた。
わたしは片足でぴょんぴょん飛びながら、はしっこに避ける。
奥の方から風がびゅうっと吹いて、あずにゃんの髪がふわっと揺れた。
チャリンコは三人の間を縫って走って行った。

『大丈夫だよ。片足ケンケンで帰るから』

『無理しないでください。わたしがオンブしますから』

そう言ってあずにゃんは腰をかがめた。
自転車の姿はもう見えない。

『そっちの方が無理だよ。だってあずにゃんちっちゃいし』

『失礼です、大丈夫ですよ。ここから家くらいまでなら』

『しかたないなーわたしも手伝うよ』

純ちゃんまで一緒になって腰をかがめた。

『あわわ…いいよー悪いよ。ほら、大丈夫だから、さ。立って?二人とも』

『そうだよ、いいよ、純は。今日はヒール履いてるでしょ。無理しないで』

『大丈夫だって、それくらい。久しぶりに会ったんだし、最後まで付き合うよ』

『あずにゃんもいいってばぁ…』

『…わかった。じゃあ最初はわたしがオンブするから、途中で変わって。それでいい?』

『おっけ。ま、ヘバリそうになったらいつでも変わるから。遠慮なく言ってよ』

『ちょっとちょっと、二人とも勝手に…』

『さっさとしてください。でないと日が暮れちゃいますよ…ていうかもう暮れてますね…』


トンネルの向こうは日が落ちていて、すっかり夜だった。
わたしが背中に体重を預けると、あずにゃんは少しよろめいた。
けれどそれは最初だけで、グッと力を入れて踏ん張ると、想像した以上に力強い足取りで歩み始めた。あずにゃん、すっごーい。
わたしが褒めるとあずにゃんは、ライブの度に機材を運んでれば、これくらい鍛えられるんですよ、ってちょっぴりドヤ顔してた。

トンネルの中の小さな夕日は背中に消えていく。
外の世界に出ると、大きなお月さまが空に浮かんでいた。
あれ?月ってこんなに大きかったっけ?

なんだ、パラボラアンテナか…。

『ねぇ、あずにゃん』

『なんですか』

『あした、海に行こっか』

『…』

月は見えない。
でも、数え切れないくらいたくさんの星が夜空にまたたき、夜の道を照らしていた。




「きゃっ」

雷鳴と共に一瞬明かりが消えて、家中が真っ暗になった。
憂が驚いてちいさく可愛らしい悲鳴をあげた。

停電…しかし真っ暗なのはちょっとの間だけで明かりはすぐに復旧する。

ほっと胸をなでおろし、今の内に懐中電灯を手元に置いておこうと決心した。

ガタガタ…

激しい雨と風が雨戸を吹きつけている。
しっかり締めたはずだけど…何があるかわからない。
念には念を入れて、と、憂はなんども家中を確認して回った。

”そっちは台風、大丈夫?”安否を気にする母のメールに返事を済ますと、憂はみどり色のケータイをテーブルに置いて、TVのスイッチを入れた。台風の進路は、勢力はどうなっているだろう。

TV画面では強風と豪雨にさらされながら、アナウンサーが必死に何かを叫んでいる。
家を叩く雨の音が大きいせいで、うまく聞き取ることができない。

あれ?これ、結構近所じゃない?

この夏最大、という触れ込みでやってきた台風15号は勢力を弱めることなく、この街の上を今夜通過するらしい。

TV画面に映っているのは…もしかして近所の山?

憂はリモコンを手に取り、音量を上げた。
この豪雨のせいで山崩れを起こしたようだった。ドロドロと土砂が崩れた様子が映されている。

うわぁ…こわい。大丈夫かな。


「あ、おねえちゃん。起きた?」

「ん……」

強すぎる雨の音のせいで、唯が降りてくる様子に全く気がつかなかった。

ボケーっとしたうつろな表情でふらふらとリビングに入ってくる。
昼寝もいいけれどちょっと寝すぎじゃないの?、夜寝られなくなるんじゃ、と憂は心配になる。

唯はゆらゆらとソファーにたどり着くと、ぽてっと身体を横たえた。

「お姉ちゃん、もしかして具合わるい?」

自分の風邪をうつしてしまったんじゃ、気になった憂は体温計を持って、唯の隣に腰掛ける。

顔があかい。視点が定まっていない。

「お熱、自分で測れる?」

「あー、うん」

憂から体温計を受け取ると、唯はよいしょと身体を起こし、自分でポロシャツのボタンを外して胸元から体温計を腋に差し込んだ。

外の雨風は弱まるどころかドンドンと強くなっている。



ピピッピピッ


しばらくして電子音が聞こえたが、唯はぼーっとしたまま体温計を腋に差したままだった。
頬が赤い。憂はちょっと不安になって声をかけた。

「おねえちゃん、今、音鳴ったよ」

「ん……」

唯は胸元から体温計を抜き出した。

「どうだった?」

「ういー……この体温計………」

うつろな目でデジタル表記を目にしている唯。

「これ……やっぱりこわれてるみt……」

言い終わらないうちに唯がソファに倒れ込んだ。



TV画面の中のアナウンサーは、山崩れのニュースを叫び続けている。



『あっ』

車内が大きく揺れたせいで、バランスを崩してオレンジジュースこぼしちゃった。
オレンジ色の液体が通路に飛び散っている。

あずにゃんの方をちらっと見るけれど、窓の方を見ていてこっちに気づいてなかった。
ほっ。怒られるかと思った。ひとあんしん。

でも誰も通路を歩いていなくてよかった。
体感的にはそれほど早く走っているようには思えないのに、
電車の揺れはけっこう大きい。

さっきお手洗いに行ったときだって、行って帰ってくるだけでも手すりに掴まらないと、歩くこともままならなかった。

『山とか谷とか、複雑な地形のところを走るでしょう。きっとそのせいですよ』

『人生山あり谷あり、ってやつですか』

『…さぁ』

電車は特急というだけあって、普段乗っている電車とは内装も違って、少しだけ豪華だった。
広い窓からは山(っていうか近すぎて全体が見えないから森みたいな景色)がいくつもいくつも続いて、線路の下には川が流れてて、わたしのケータイの電波は圏外になったり繋がったりを繰り返して、通り過ぎていく小さな駅は山賊たちの秘密のアジトみたいで…。

『わくわくするね』

『…そうですね』

海に行くって決めてから、あずにゃんの動きは早かった。
特急使えばそんなに時間かからないみたいですね。まぁ今は冬だから海水浴はできませんけど…近くに温泉もありますし、名所もあるみたいです。

手際よくパパッと宿の予約をとって、電車の時間を調べて…
むかしから段取りや計画を立てるのは好きだったもんね。ありがとね。


『窓際…大丈夫ですか?』

『え…?』

『いえ、そのぅ。ああ、あんまりはしゃぐと疲れちゃうんじゃないかと思って。
 まだもう少し時間がかかりますから眠っていてもいいですよ。近くに来たら起こしてあげますから』

『ううん。せっかくの旅行だもん。ちゃんと景色を焼き付けておきたい』

『そうですか』

せっかくの旅行なのに、今日のあずにゃんはなんだか元気がないように見える。
いや元気がない、というよりもあんまりわたしの方を向いてくれない。目を見てしゃべらない。
いっしょに食べようと思って駅のコンビニで買ったオレオには、まだひとつも手をつけてない。
今さらわたし達二人で旅行することに何を緊張することがあるっていうんだろ。

わからない。

そのくせときどき、ちらっちらっとわたしの様子をうかがってる。
でもわたしが振り向くと、さっと目を逸らしちゃう。
そうして本を読んでるフリなんかしちゃって、でもまたこっそりわたしの方見てるし。

ようやく乗務員さんがやってきて、わたしはジュースをこぼしたことを謝った。
乗務員さんは感じのいい人で、気にしないでくださいね、とニコニコ笑っていうと、すぐにモップを持ってきて、たちまちに通路を綺麗に磨き上げた。

ぴかぴか。ジュースをこぼす前よりきれいになったみたい。

ちょっと安心したせいか、似たような風景ばかりの山の景色にだんだん見飽きてきたせいか、ガタンガタンというリズムに揺られて、意識がぼんやりしてきちゃう。

あずにゃんオレオ好きじゃなかったのかなぁ…リッツにしとけばよかった。む、ベタにポテチにすべきだったかな…いっそのこと今度旅行にいくときは、手作りのおかしでも持ってこよう………
ぼんやりとした頭の中を、ガタンガタンというリズムが頭の中を反復していた。

空の向こうに黒い雲が見えたようにも思ったけど、
頭がぼんやりしてきてもうよく、わかんない。



暗闇と豪雨の中、横断歩道の信号機が、黄色の灯りを点滅させている様子だけがぼんやりと見えた。

激しい雨が頬を打って、流れて流れてとまらない。
歩き慣れた道路が川のようになっている。
雨に濡れたジーパンが重い。
逆方向へ身体を押し返そうとする風にも負けず、憂は走った。

「おねえちゃん!しっかり掴まってて!」

返事はない。

弱々しい吐息だけが耳元に当たる。
レインコートやらなんやらで何重にもくるめられた唯が、両手を頼りなく憂の首元に絡ませている。

台風による山崩れや交通事故の影響で、救急車は出払ってしまっていた。
タクシーを呼ぼうにも、ストップしてしまった公共交通機関の代わりに使うお客が多いせいか、家まで来るのにどれだけかかるかわからない状況だという。

タクシーを待つ?

それとも。

呼びかけても唯は返事をしない。
息が荒く、身体が冷たい。

事態は一刻を争うように思えた。


タクシーはいつやってくるか、わからない。
そんなものはあてにできない。

近くの町医者までなら、歩いても10分もかからない。
雨風の中、唯を背負っていても全力で走ればもっと早く着く。


しまってあった冬物の上着やレインコートを何重にも唯に着せこみ背中に乗せると、役に立たないケータイを投げ捨てて、強風と豪雨の中、憂は飛び出していった。

ひたすらと走った。走り続けた。
走るというより泳ぐようだった。

吹き荒れる雨と風が、世界の音をかき消す中、
憂の耳元に吐息が触れる。
吐息の中に混じる、音にならないほどかすかな声。
憂にしかきこえない声。
唯の声。

憂の名前を呼ぶ声。



次の停車駅を告げるアナウンスが車内中に響いた。

『ああ、起きましたか』

『ん……ここ、どこぉ?』

『もうあとちょっとで着きますよ…』

目をこすりなながらまわりを見回す。ふたりきりの車内に差し込む光が眩しい。目をしぱしぱさせながらあかるい方に振り向いた。

『あおい…』

車窓から見える空は目に入る限りの青色で、空の下にはもっともっと深い青色(群青色、っていうんだろうか)をした海が広く広くどこまでも広がってる。
海の上には宝石が散らばったみたいにきらきらきらきら。きらきら。

『なんでこんなに海はきれいなんだろうね』

『さぁ…なんででしょう』

『わたし達はあそこにいけないのかな』

『もうすぐ行けますよ。あとちょっとですから』

『ダメだよ…』

『…え』

背筋に冷たさを覚えた。指先が震えだす。
ケータイを開こうと手にとったけれど、震えを抑えられずに滑り落ちた。
かしゃん、という音を立てて、ピンク色のケータイが転がった。


『ど、どうしたんですか?!』

『ダメ…ダメ…』

寒い、冷たい、苦しい、息ができない、震えが止まらない。

『…こわい……こわいよ…』

『大丈夫ですから…大丈夫ですから…』

『う……うぅぅ』

あずにゃんがわたしの右手をぎゅっと握った。
わたしもぎゅっと握り返す。それからあずにゃんの腰にぴったり身体をあてて巻きつくように抱きついた。

急に目の前が真っ暗になった。
目の前の真っ暗闇の中でわたし達が入ってる場所が大きく揺れる。
外側から誰かがなんどもなんどもしつこいくらい壁を叩きつけて、
ぐらぐらぐらぐら上に下にと揺らす。
だからもう、内側はひっちゃかめっちゃかだ。

『大丈夫…大丈夫です…』

揺れはどんどん激しさを増していく。
濁流が内側までなだれ込んできてわたし達を飲み込んで、どこかに連れて行こうとする。
わたしはぜったいに離すもんかと、ぎゅっと力強く手を握って、名前を呼ぼうとした。


声が出ない。


泣きたかったのに、叫びたかったのに、声が出ない。
それでもわたしは泣き叫ぼうとした。
ただ泣きたかった。泣いて泣いて泣いて泣いて…たらたらと流れ落ちた涙でこの場所がいっぱいになって息ができなくなってどんどん息がくるしくなって、もう泣くことも叫ぶこともできなくなるまで。

涙の海の中、ぶくぶくとした泡はいつの間にか消えて無くなって、何の音も聞こえなくなって、内と外を隔ててたはずの壁さえも溶けてなくなって、


さいごはなんにもなくなった。


ないよ なんにもない。なにも なぁんにも。そこにあったはずのものぜんぶ。

そんな現実は信じたくなかった。

あずにゃんだって、そうでしょ?

だからわたしは考えた。

現実を、世界をくるっとひっくりかえしちゃう方法、
まるで魔法みたいに。

おかげで全部がもとどおり。
もとどおりだよね?あずにゃん?

世の中のひと達は笑って言う。”魔法なんてない。あるわけない。”

おとうさんもおかあさんも、ともだちもせんせいも。みんなみんな。そう言う。
なんて可哀想なひと達。

魔法は、あるんだよ?
信じたひとだけを救ってくれるの。

でもね。それはタダじゃない。等価交換、ってのが必要なんだ。
しかたないよね。世界を救うためなんだから。そう、これは世界を救うための魔法。
世界を救うためなら、わたしなんてどうなったっていい。
あずにゃんもちからをかして。いっしょに世界を救おうよ。

こうして世界はふたたび、かがやきをとりもどす。

だからおねがい、この手を離さないで。

魔法が解けちゃいそうでこわいから。
魔法が解けてしまったら、せかいがおわってしまうから。



手のひらから伝わってる温かい感触に気がついて瞼を開くと、憂の目の前には真っ白な天井が広がっていた。

「…憂?」

「…ん……あずさ…ちゃん?」

ゆっくり頭を横に倒すと、ベッドの隣で梓が梨を剥いていた。
花瓶には綺麗な白い花。
誰かが手を握ってくれていたような気がしたのは気のせいだったのだろうか。
憂の目が覚めたことに気がつくと、梓は手を止めて体の向きを変える。

「おねえちゃんは…」

「大丈夫。よく寝てるよ」

「そっか」

「姉妹揃って入院、なんて仲がいいにもほどがあるね」

冗談を言う梓の様子からすると、どうやら姉の容体もさほど悪くはないらしい。

「大したことがないみたいで安心したよ。2、3日で退院できるって」

唯を背負って町医者に飛び込んだ夜、憂は激しい雨に打たれたせいで風邪をぶり返し、
病院に着くやいなや倒れこんだ。
そのまま姉妹揃ってベッドに寝かされ治療を受け、入院することになった。

幸いなことにふたりともただの夏風邪だった。
こじらせて肺炎にでもなったりしたら…。

「しんじゃう?」

「そんなに簡単にひとはしなないよ」

梓は笑って言った。

「憂は家にいると働きすぎるんだよ。
 たまにはゆっくり休んだらいいよ」

「わたしは動いてる方が楽だから」

「でも風邪ひいたでしょ。神様が休め、って言ってるんだよ」

「…だって、あとちょっとだもん。お姉ちゃんと暮らせるの。
 だからできるだけいつも通りにできることはしておきたいの」

梓は答えなかった。


病院の大部屋には他に患者もおらず、入院しているのは唯と憂のふたりだけだった。
窓の外はギラギラと夏らしい光に満ちている。
空調がほどよく効いていて心地よい病室とはまるで別世界だ。

部屋の外では、忙しそうに廊下を行き来する足音が絶えない。

「ねぇ、梓ちゃん。この前の答え、聞いてなかったんだけど」

隣のベッドで唯がごろりと寝返りを打った。

切られた梨の大きさはまちまちで、いびつな形のものもある。
梓はその中でも比較的きれいな形のものを選んで爪楊枝で刺すと、憂に手渡そうとした。
憂は笑わずに首を振る。

「好きなんでしょ」

行き場の失った梨を、梓は自分の口に運ぶ。
しゃくっ、と小気味良い音を立てて梨が弾けた。
ほどよい酸味と甘みが口の中に広がる。

「わたしは好きだよ。お姉ちゃんのことが好き」

しゃりしゃり。
梨を咀嚼する。
ちょっと酸味が勝っているだろうか。もう少し熟成した方が甘くなるんだろうか。

唯はどんな味の梨が好きなんだろう。

品種は?
産地は?
サイズは?
甘いの?
すっぱいの?
ほどよいの?
梨ならなんでも?

知らないことはいっぱいある。
それはこれから知っていけることかもしれない。
知っていけばいいかもしれない。

でも今、この瞬間、唯が喜ぶ選択はなんなのか。
最善を選ぶことができるという確信が、梓の中にはなかった。

すぅすぅと気持ちよさそうな寝息の合間に、ごくんと唾を飲み込む音が聞こえた。

憂は続ける。

「家族って…姉妹って、残酷だよ。
 生まれたときからずっと一緒だったのに、いつかは離れ離れになっちゃうんだよ。
 それが当たり前、ってことになってるんだよ。
 すきなのに。だいすきなのに。ずっと一緒にいたいのに。
 お姉ちゃんの気持ちとかわたしの気持ちとか全然関係なくて、みんなそれが当たり前だって思ってる。
 お母さんもお父さんも。 

 梓ちゃんもでしょ?」

「………ごめん」

「謝らないでよ。そんな言葉が聞きたいわけじゃないよ」

「ごめん…」

ツクツクボウシが鳴き出した。
梓の指先が冷たくなっている。
ちょっと空調効きすぎかも。
枕元に置かれた花瓶には白い花。なんていう花なんだろう。
梓には名前がわからない。

鼻をすする音とともに憂の瞳が潤んで、雫が頬を伝って流れていった。


「梓ちゃん、ごめん。謝らないといけないのはわたしの方。
 わがままばっかり言って困らせてごめんね。わかってる。わがままだってわかってるんだ。
 
 でも…でもね。いつか離れ離れになっちゃうってわかってるから、
 あとちょっと…あとちょっとだけでいいからお姉ちゃんと一緒にいたいの。
 お願い、ダメかな?」

憂が右手で目元を拭う。
梓は首を縦にも横にも動かすことはなく、ただその手をやさしく握った。


しばらくして隣でゴソゴソと音がすると、唯がむっくり起き上がった。
左目をこすりながらぼやけた表情で笑う。

「ういー、あずにゃん、おはよー」

もう太陽が傾き始める時間になっていた。
間の抜けた唯の顔を見て、憂と梓は顔を合わせて笑いあう。
それを見て、唯も微笑む。

病室にくすくすと小さな笑い声。

照りつける太陽の向こうには黒い雲の影が見え隠れして、
縦に横に稲光が走っている。




雨粒がいくつもいくつもとめどなく、激しく窓ガラスを打ちつけている音が聞こえる。

『ん……』

『気がつきましたか』

『ここ…どこ』

『ビジネスホテルです。ホントは別に宿を取ってたんですけど…駅からいちばん近いところに変えました』

部屋は必要最低限、といったサイズ。
寝て起きて出掛ける、それだけのためならこの程度で十分。
わたしたちの世界の広さなんて、広いように思えてこんなものかもね。
これで十分、たのしく生きていけちゃったり。


ケータイを開いてメールの受信欄を確認する。
差出人は、ずらっと並んだ”あずにゃん”の五文字。

『ごめん…』

『いいですよ。わたしにも責任ありますから』

あずにゃんは小さな声で言った。

立ち上がって窓際まで進む。カーテンを開くとその先には何も見えなかった。

『建物の陰に隠れてますからね。見えませんよ』

『そう』

あずにゃんも立ち上がってわたしのそばにやってくると、
何にも見えない窓の向こうをしばらく見つめてから、カーテンを閉めた。


『近いんですけどね』

『そう』

『明日は朝一番の電車で帰りましょう』

『…』

『駅からは微妙に距離あるんですよ。だからそこまでの道からは見えません』

秒針の音が部屋中にかしましく響き渡っている。
雨は…

『ねぇあずにゃん。いま、なんじ?』

『えっと…一時ですね。昼の』

うそ。

『…すみませんうそです。夜の一時です』

そりゃ、夜でしょ。

『なんでそんな、つまんないうそついたの?』

『理由なくうそついちゃ、ダメですか』

『理由があってもうそは…』

…。

『うそは…?』

…。

『ダメですよね…』

…うそじゃないもん。

『…』

…あずにゃんはもう、信じてないの?

…。

『外、行ってみません?』

…雨。

『…降ってませんよ』

うそ。

『うそじゃないですって。ほら』

あずにゃんがさっき閉じたばかりのカーテンを開いた。
相変わらず窓の向こうは静かで真っ暗で、なんにも見えやしない。
雨は…。


『降ってないでしょ』

見えない。なんにも見えないよ。
真っ暗な闇の中に、雨さえも吸い込まれてしまったみたいに、もう全部が真っ暗だ。

『こう真っ暗だと降ってるかどうかもわかりにくいですけどね。やんでます』

もしかしたらまだ降ってるかも。

『でもいつかはやみますよ。そうじゃなきゃ世界は海に沈んじゃいます』

いいんじゃない、それも。てゆーかとっくに沈んでるし。

『…行かないんですか』

…。

『わかりました。無理にとは言いません。わたし、ちょっと出かけてきますから。寝ててください。朝までには戻ります』

うそ。このまま帰ってこないつもりでしょ。

『帰ってきますって』

うそだ。

『うそじゃないです』

うそだよ。

『うそじゃないです。必ず帰ります。わたしは必ず帰ってきます』

…うそ。

…。

…。

『わたしも行く』

わたしはケータイを掴んでジーパンのポケットに突っ込むと、あずにゃんの方に手を差し出した。

あずにゃんは頷きもせず、笑いもせず、泣きも怒りもせずにただわたしの手をぎゅっと握った。

あずにゃんの手のひらはひんやりしてた。

ずっとずっと世界中で一番深いところをさまよって泳ぎ続けている魚は、
きっとこんなかんじなのかなって、そう思った。

魚はいったいどこに、帰るんだろう。



今日の昼前には帰るって言ったじゃないですかっ、
両眉を八の字に寄せ上げて、梓が言う。

「なんていうかそのさぁ…ここで寝るのも今日が最後、って思うとぐっすり寝れちゃって…」

「…いやそんな思い入れが生まれるほど長くいたわけじゃないでしょ」

「なに話してるの?」

花瓶の水を入れ替えに行った憂が部屋に戻ってくるなりふたりに聞いた。
すっかり風邪の治った憂は動いていないと落ち着かないのか、
花の手入れをしたり梨をむいたり、何かと動き回って看護師に注意されていた。

「憂もなんで起こさなk……まぁいいか。準備は明日にしますか」

予定通りに事が運ばないのは今に始まったわけじゃない。
梓は小さくため息をつく。

「あ、旅行のこと?大丈夫だよ、準備ならわたしもてつd……ううん。
 お姉ちゃん、準備頑張ってね」

「えっ?憂、手伝ってくれないの?」

「なに言ってるんですか!自分が旅行に行くんだから自分で準備するくらい当たり前です!」

「で、でもわたしが一人で準備すると忘れ物しそうだし…」

「お姉ちゃん、もうすぐ一人暮らしするんだからその練習だと思って…」

「そうですよ。これを機に唯先輩は自立すべきです!」

「そんなぁ~…」

憂がベッドのすぐそばに花瓶を置く。
ピンク色の鮮やかなガーベラの花だった。


「風邪、治ったっていっても病み上がりなんだから、旅先でははしゃぎすぎないでくださいよ」

「旅行に行って旅先ではしゃがなかったら、どこではしゃぐのさ…」

「なにか言いましたか?」

「…なにも」ブゥ

昔からそのままの、肩にかかるくらいのセミロングが寝癖でぼっさりしている。
多分この人はずっとこういう感じなんだろうなぁと、梓は思う。

もっとしっかりしてほしい。でもこのままでいてもほしい。

「傘と薬は特に忘れないように気をつけてくださいね」

「かさぁ~?いらないよぉ」

「雨降ったらどうするんです」

「買えばいいじゃん。あっちで」

「勿体ないじゃないですか」

「なんていうかさー。かえって傘を持っていくと雨が降りそうな気がするじゃん」

「だから雨が降りそうな気がするから万が一のために持っていくんじゃないですか」

「荷物になるし」

「折りたたみなら嵩張らないよ、お姉ちゃん」

「まぁそうだけど…あずにゃんと憂がそんなに言うなら持って行こう…かなぁ」

そう言って唯は上半身をベッドに倒した。瞳は宙を泳ぐ。


「ねぇ…あずにゃぁん」

甘えた声で唯が梓を呼んだ。

梨を剥き始めた憂の手が一瞬止まる。目線は梨を見つめたまま。
梨は、憂に言われて梓が買ってきたものだ。
品種、価格、サイズ、手触り、色目、どういうものがおいしいか、丁寧に伝えて。

「はい、なんでしょう」

梓が答える。

憂は鼻から吸った息を口からほそくながく吐いて、また梨を剥き出す。
慣れた手つきで手際よく。スピーディーに。

「やっぱりあずにゃん来れないの?」

「…すみません。どうしても無理なんです」

「あれ?梓ちゃんは行かないの?」

憂がもう一度手を止め、今度は顔を上げた。

「うん…ゼミ旅行の日程が急に変わって旅行とかぶっちゃって…どうしても無理になっちゃった…」

「どうしても?」

「どうしてもです。すみません…」

「あぅ~…ひさしぶりにあずにゃんの水着姿を拝めるはずだったのにぃぃ…


 ピンクのやつ」

「何バカ言ってんですか…!」

「だってぇ…たのしみも半減だよぅ…」

頭のむきをくるりと反転させると、唯は枕に顔をうずめてかぶりを振った。
自分がいないだけで他の先輩たちはみんないるというのに。
いっしょに旅行に行けないのはすごく残念だったけれど、
自分がいないことを寂しがる唯の姿が、梓にはうれしかった。

頭まですっぽりと布団をかぶりながら、ちょろっとだけあらわになった瞳が拗ねて見えて、せつなかった。

「ホントすみません…みなさんで楽しんできてください」

「ちぇっ」


窓のすぐそばには樹齢何年になるのかわからないくらい立派な欅が立っている。
濃厚な緑の茂る大きく広げられた枝が、風に吹かれてゆったりと揺れた。

「あ、そうだ。
 ういー。あの本っていつまでに返せばいいんだっけ?こないだ図書館で借りた…」

「え…っとたしか、2週間くらいは大丈夫だったと思うよ」

「だいたいあんな長い小説、読む時間あるんですか?
 週末には旅行だっていうのに。あっという間に返却日来ちゃいますよ」

「…旅行にも持ってくし。読みきれなかったら帰ってから読むし」

「旅先で無くさないでくださいよ。
 それに帰ってきたら引越しの準備もあるんですからね。そんな時間ないでしょう」

「あー…そのことなんだけど」

「はい、梨むけたよー」

梨に反応した唯が上体を起こした。

ほぼ均等に、丁寧に切られた梨。
憂はそのひとつをぷすりと爪楊枝にさし、唯の口元に持っていく。
唯はがぶりとかぶりついた。

「どうかしました?」

「ふぃっくぉふぃ…モグモグ…ふぁふぇひょーかモグ…とおもょって…」

膨んだり萎んだりする桃色の唯の頬が果実のように見えた。

「…あー食べ終わってからでいいです。なに言ってるかまったくわかりません」

「梓ちゃんもはい。食べてねー」

「あ、ありがと」

差し出した梨を受け取り、口に入れる。

しゃりっ。

熟れた梨の甘みが口の中いっぱいに広がる。
梓はゆっくりと咀嚼を繰り返し、果実の甘みを覚えるようにかみしめた。





「引越し、やめようとおもって」





梓の口の動きが止まった。

「…延期する、ってこと?」

口の前まで運んだ梨を止めて憂が尋ねる。

「ううん。一人暮らし自体やめようかなって。卒業までは家にいようかなって」

「…おねえちゃん。…お部屋決まったんでしょ?」

「…うん。でもね。もうちょっとだけ憂と一緒にいたいな、って思ったの。
 なんだか急にさみしくなってきちゃって…。
 あのさ、今までずっと一緒だったから離れることが想像できなかったの。
 でも。改めて考えてみたら、ね。我慢、できなくなっちゃった…ごめん」

憂は黙ったままきゅっとくちびるを結び、
溢れ出そうになる感情をせき止めていた。

「ごめんねあずにゃん。さんざん部屋探しに付き合ってもらったのに。わがまま言ってゴメン。
 わたし、今日これから不動産屋さんのところ行って謝ってくる」

梓の方に向き直った唯がぺこりと頭を下げた。
梓は大きく息を吐きながら応える。

「…。

 ま、よく考えたら今のままの唯先輩じゃ、一人暮らしなんてできっこないですものね。
 憂に教えてもらって卒業までには一通り家事ができるようになってくださいよ」

「あずにゃん…」

「梓ちゃん…ごめんね」

「なんで憂が謝るのさ。悪いのは急に気が変わった唯先輩でしょ。
 あ、言っときますけど、不動産屋さんに謝りに行くのには付き合いませんからね。
 一人で怒られてきてください」

「えぇ~…いっしょにきてよぉ~…」

「ダメです。憂もついてっちゃダメだからね」

「うん。わかったよ」

「そ、そんなぁ~…」

そのままベッドに突っ伏した唯を見ながら、ふたりは顔を見合わせて笑いあった。


病室に降り注ぐ木漏れ日。
窓の外に立つ大きな欅の緑が天然のカーテンになり、真夏の光線を和らげてくれている。
欅に集まった大勢のセミたち。
一様に羽根を震わせ、声を大にして夏を歌う。

欅の先には溢れるほどの太陽が輝いていて、
これから病院を出て帰ることを考えるのが憂鬱になるような、夏の日だった。

とても暑い日だった。
この日はその夏一番の暑さで、
立っているだけで目眩がしそうな、
そんな暑い日だった。

眩しすぎて直視できない。
真っ白なひかりの先になにがあるのかなんて、きっと誰にもわからない。




瞳に映るその暗闇は、次第に目が慣れるにつれて一色だけじゃないってわかってきた。
闇の中にも濃淡があるし、明暗もあるし、鮮やかな黒もあればぼやけた黒もある。

風に揺られて隣の黒い束がふたつ、なびくのがわかった。

『あれ以来、初めてなんですよ、海。

 あんまり久しぶりだったから不思議なかんじがします。
 海ってこんなでしたっけ?記憶の中の海とは随分違う気がして』

足元を蹴り上げると、雨に濡れた砂の重さがじっとり右足の甲にのしかかった。
傘は持ってきていない。

『夜、だからじゃない』

『ま。そうですよね』

月も星も見えないし、電灯は道路を挟んで遠く向こう側にあるだけ。
遥か先にくるくると灯台の光が回っているけれど、とてもじゃないけれどわたし達のところまで届きそうにない。

『灯台なんて意味あるのかな』

『あるんじゃないですか…でも肝心なときに役立たずでしたね』

波は行ったり来たりを繰り返しながら、果たしてどこへ行くんだろう。

満ち潮かな?引き潮かな?
わかんない。

月のない夜に、潮の満ち引きがあるのが不思議に思えた。
姿が見えなくたって、月は世界に影響を与えて続けている。


『最近、笑うことが増えたんです』

ほんの少し、強い波がやってきて、靴の先っぽが水に濡れた。
同じように靴が濡れているあずにゃんは、気づいているのかいないのか、
避けることもせずに、独り言のように喋り続けた。

『夜も結構寝れちゃうんですよ』

わたしも波を避けようとせず、濡れるままに任せた。
もし満ち潮なら、潮に任せてふたり、海の向こうにさらわれるのもいいかもね。

『気がついたら一日に一度も思い出さなかった、なんて日もあるくらいなんです』

けれども波は少しずつ引いていっているみたいで、ちょっと残念に思えた。
空は未だに真っ暗だったけれど、少しは目が慣れたせいか、ぼんやりとだけ浮かび上がり始めた砂浜を眺めた。
どこかに手紙の入ったガラスのビンが落ちてたりしないかな。ボトルメール…っていうんだっけ。

『あの頃とは大違いですね…』

わたしはあずにゃんから離れて一人歩き始めた。
波打ち際はどこまで続いているのかなぁ。行けるところまで行ってみよう。

『きっとこれからも、』

どこかにボトルメールが落ちてるかもしれない。
未来から?過去から?ここじゃないどっか別の世界からやってくる、なにか。

『大事だったはずのいろんなこと、ちょっとづつちょっとづつ忘れていっちゃうと思うんです。
 沈めていっちゃうと…思います』

わたし達がいまいるとこが既に海底じゃん。なに言ってるの?これ以上奥底があるっていうの?

わたしにつれて、あずにゃんがうしろをついてくる。
ガラスの瓶なんて落ちているわけなくて、引いては寄せる波と砂浜だけがそこにあった。

『つめたいな、って自分でも思います。
 でも…そうしなかったらわたし…、』

もしも月が出ていたら、きいろい明かりに照らされて、海の上にはひとすじの道。
月の光に導かれて、ふたりで月に渡ろうか。

『………………ごめんなさい』

ただゆらゆらと海面が揺れてるだけだった。
きっと月明かりが差していたとしても、海の底までは届かないだろうな。


『…けじめ、つけようと思ってあの街に帰ってきたんです』

わたしはポケットからケータイを取り出すと、ぱかっと広げて夜空にかざした。
月の明かりにはとても及ばないケータイの明かり。
せいぜい半径10センチメートルを明るく照らす程度の明かり。

『それなのに無理だった。だから海に来よう、って思ったんです』

わたしは灯台のマネをしようと、明かりを手に持ってくるくる回ってみた。

『本当は海なんて来たくなかった。死ぬまで一生。大嫌いだから』

みて、あずにゃん。明るいでしょ。月が無くたって。

『あの街だって嫌い。何もかも、たのしかった頃のままだから。
 いちばんしあわせだった頃のこと、嫌でも思い出すから』

小さな光が世界を照らした。
わたしが救った世界。

『でもこのままじゃダメなんですよ、わたしたち。きっと。
 わかってくれてたから、一緒に来てくれたんでしょ?違いますか?』

魔法がかかっている間はまだ、世界は救われてるんだよ。大丈夫だよ、あずにゃん。
でもその小さな光は、あまりにも弱すぎてあずにゃんのところまで届かない。
あずにゃんの顔が見えない。あずにゃんの姿が見えない。



『 』



あずにゃんがわたしの名前を呼んだ気がした。
でもなぜだろう。なんにも音が、聞こえない。

なにも見えない。見えないよ。

見上げると空がゆらりと揺れて見えた。
さっきまで真っ暗だと思い込んでいた空はところどころ白く煌めいていて、
きいろい明かりは縦に横に大きさを変えながらうごめいている。


『わたし達、変わらないとダメだよ。だからさ』


ケータイの明かりが消えた。
ニセモノの、ツクリモノの明かりが消えた。





















































『…だから憂、帰ってきて。お願い』





























「あと一周したら、帰ろうか」

最初に口を開いたのは憂の方だった。


それまでふたりは、ずっと無言だった。

わずかに軋む音だけがせまい空間に響いて、
前後左右に空間が揺れる。

椅子が固くてお尻が痛い。
長く座っているのは辛いな、と梓は思う。

窓の外の風景がだんだんと変わっていく。

ゆっくりと、目をつむれば気がつかないくらいのスピードで、
観覧車は上へ上へと登っていく。


「あっちの方かなぁ?」

憂が顔を横に向けて言った。

「どっち?」

「あっち」

太陽を背にした憂が左の方を見て、指を差す。
右手に持ったオレンジジュースのペットボトルは、半分以上残ったままだ。

「見えないね、海」

「さすがにここからじゃね、遠いよ」

「いちばん上まで行ったら見えるかな?」

「うーん、どうだろ」

「見たくもないけどね」

観覧車はゆっくりゆっくり動く。

ぶぃーん ぶぃーん

梓の赤いケータイが震えた。


ぱかっ

「………」

「…どうしたの?」

「…………なんでもない」

ぶぃーん ぶぃーん

「メールだよ」

「知ってる」

ぱかっ

「…………」

「…」

「…………」

「…」

「…………」

「…誰から?」

「…………」

「…おねえちゃんから、だったりして」

梓は大きく目を開いて、憂を見た。


「…なんて?」

「…『観覧車、今度は一緒に乗ろうね』って…」

「…」

「なんだろ、これ。メールサーバーに溜まってたのかな。でも…それにしたって…」

「…」ププッ

「え?」

「…ごめん梓ちゃん。それ、わたし」

憂がカバンの中からピンク色のケータイを取り出した。


「…………」

「あ、怒った?お姉ちゃん、ケータイ忘れていっちゃったから」

「……やっていいこととわるいことがあるでしょ」

「いいじゃん、本当にお姉ちゃんからメールきたみたいでしょ」

「……。人のケータイ勝手に触っちゃ…」

「受信メールは読んでないよ。”あずにゃん”宛にメール送っただけ」

「その呼び方やめてよ…」

「えへへ…お姉ちゃん以外のひとからそう呼ばれるの、イヤ?」

「唯先輩は……その、慣れちゃっただけだから」

梓は顔を背けながら言った。
観覧車はもうすぐ頂点に届こうとしている。


「本当は”すきだよ”って送ってみようと思ったんだけど、
 さすがにそれはやめといたほうがいいかなって」

「本気で怒るよ」

「ごめんごめん。だってロマンチックじゃない?観覧車のてっぺんで告白、なんて」

「冗談でも言っていいこととわるいことがあるんだからねっ」

「でも…」

さっきまでニコニコとしていた憂の表情が急に真顔に戻って、
梓をじっと見つめて言う。

「もし…」

「もし?」

「もし本当にお姉ちゃんにそう言われたら、梓ちゃんはどうするの」

「あるわけないじゃん。もうありえないんだよ。そんなこと」

「あるよ。そんなこと」

「ないって。ありえない」

「じゃああったと仮定して考えてみて」

「…想像もできない」

「仮定でいいの」

「……」

「シミュレーションしてみよっか。わたしをお姉ちゃんだと思って」

「無理だよ」

「いくよ…」


憂はリボンに手をかけて結び目をするするとほどく。
髪の毛がパサっと広がり、肩にかかった。
背中の向こうにはオレンジ色の光。
逆光の夕日が憂を照らしてシルエットだけが浮かび上がり、
輪郭が光をまとってきらきらと輝いた。







「すきだよ、あずにゃん。だいすき。」







観覧車がぐらりと揺れた。
憂が身体ごと梓の方によりかかって、顔が間近に、息がかかるほど近くに迫っている。





「すき。」



よく似てる。この姉妹は本当によく似てる。昔からずっと、今、この瞬間も。

そういえば高校生の頃、唯のフリをしてギターを弾く憂にちっとも気がつかなかったことを思い出した。
今ならどうだろう。
よく似てはいるけれど、憂は憂だし、唯先輩は唯先輩。

えっといま、わたしの目の前にいるのは……。


憂が、右手で梓の瞳を隠した。
目の前が暗くなる。

何も見えない。

少し荒い呼吸の音、香る汗の匂い。栗色の髪が頬にさらりと触れる。




あ、





最初は撫でるように。
しだいに押し付けるように。


すこし甘い。
これは薄められたオレンジジュース。
人口甘味料の味。

ガタン ゴトン


ガタ

どれだけ時間が経っただろう。

ごとん。
観覧車がもう一度おおきく揺れた。

いつの間にかつむっていた目を開いて、
梓は大きく息を吐いた。


反対の席に、もたれかかるようにして彼女が座っている。

目と目が合うと、彼女はニコッと笑った。

どこの誰とも知らない顔だった。

その顔は、長年の付き合いがある友人の笑顔には見えない。
目の前にいるのは本当に憂なんだろうか。
目をつむっている間に、誰か別の人間に入れ替わったんじゃないか。
梓にはそんな風に思える。

「あずにゃんって…」

「その呼び方やめて」

「浮気っぽいんだね」

「…」

「浮気はダメだよ~あずにゃん」

「…」

「…あ、でもいまのわたしはお姉ちゃんだから」

「………」

「浮気じゃ、ないのかな」

梓は否定も肯定も、しなかった。


彼女が席を立って、梓の隣に腰掛ける。
観覧車がまた、おおきく揺れた。
片方の座席に密着して、二人。

「あずにゃんもさ。わたしのこと”唯先輩”って呼んでみてよ」

「…無理だよ」

「いいじゃん。ちょっとくらい。いいじゃん。呼んでみてよ」

「悪ふざけはやめて。憂」

「わたし、唯だよ。憂じゃないよ。何言ってるの?まちがえちゃヤダよ、あずにゃん」

「……やめて」

「ねぇあずにゃん。わたしのこと、すき?」

「……」

「わたしはすきだよ、あずにゃんのこと。だいすき」

「……」

「憂よりわたしの方が、すき、でしょ?」

「やめて……」

「憂よりもわたしといっしょにいたいでしょ?」

「やめて……そんなこと」

「そんなこと?
 わたしがあずにゃんの立場なら、きっとそう思うよ。
 だから…ちっともおかしいことじゃ、ないんだよ」

あたたかい身体が梓を包む。
逆らえない。

「わたしたちずっと、いっしょだよ。」

そう言ってもう一度、彼女は梓にキスをした。



自分でも気がつかないうちに、梓の瞳から涙が流れていた。
堰を切ったようにとどまるところを知らず、流れ続けていた。

目の前の彼女は、そのことに気付いていたのだろうか。

ガタン

観覧車が揺れる。

彼女の身体は梓を離れ、いつの間にか対面にが座りなおして空を眺めていた。


それからふたりはずっと無言だった。

わずかに軋む音だけがせまい空間に響いて、
前後左右に空間が揺れる。

椅子が固くてお尻が痛い。
長く座っているのは辛いな、と梓は思う。

窓の外の風景がだんだんと変わっていく。

ゆっくりと、目をつむれば気がつかないくらいのスピードで、
観覧車は下へ下へと降っていく。



台風の多い夏だった。

大きな台風がいくつも日本列島を襲った。

この夏最大、という言葉をいったい何回聞いたことだろう。

いくつか目に来た台風は予定の進路を大幅に変えて、列島を避けるようにして海に流れていった。

台風は海に流れていった。

台風は、海に。

海に、流れていった。

海に。

海。

…。





TV画面にはいくどもいくども、荒れ狂う海の様子が流された。

そんな夏だった。

もう、帰ろう。

どうしてもその一言が言えないまま、梓はずっと窓の外を眺めていた。
地面がどんどん近づいて、景色が見慣れたものに変わっていく。

言わなくちゃ。

「もう、帰る?」

自分から言いだそうと思っていた一言が相手の口から出たことに、
戸惑いながらも梓は彼女を向き直った。

「それとももう一周、する?」

彼女が聞くと、梓は頷くような頷かないような、笑うような泣くような様子をみせた。


「もう一周、しよっか」


ふたりはそのまま、観覧車を降りなかった。

もう何周、回ったんだろう。
梓にも彼女にも、わからない。

夕日に照らされた観覧車は、ゆっくりゆっくりおなじところを回り続けていた。

ガタン ゴトン




帰らないと、ダメ?
帰りたくないよ。

真夜中の海辺に、潮騒だけが静かに響いている。
わたし達ふたりは、砂浜に腰を下ろして海の方を見ていた。

『わたしも帰りたくなかったよ』

じゃあ、帰らなきゃいいじゃん。

『そういうわけにはいかないの』

あずにゃんはひとりで帰るの?

『ひとりじゃ帰らない。ひとりじゃ』

それなら一緒にいよう。いつまでも。このままずっと。

『一緒だよ。でも逃げるのは無理。…もう無理』

よかった。一緒にいてくれるんだ。
そう思ったけれど、この言葉は口に出さなかった。


『わたしも…帰りたくなかった。
 ずっと同じところを回り続けていたかったよ。
 そうしなきゃ生きていけなかった。
 そうしなきゃ耐えられなかった』

つむっても開けてもおなじ暗闇が広がっているんだから、目を開けてる意味なんかない。
そう思ってすっと瞳を閉じた。

『だって、ずっと一緒だったんだもん。
 ずっと一緒だって思ってたんだもん。
 わたしを置いて行っちゃうわけないって…。
 あのひとがいなくなるわけないって…。
 もう、あの人なしに生きていけそうになくて…
 だから…』

両手には砂の感触は、ジメッと湿り気を帯びている。
強く握ると手のひらからこぼれていって、落ちて消えた。

『でも、もうムリ。
 逃げ続けるのも回り続けるのもムリ。
 つらいの。
 あの人の思い出にしがみ続けるのはもうムリなの。

 きっとわたしはあの人のことを今よりずっと深いところに沈めちゃう。
 ごめんね、今更こんなこと言い出すなんて。許して。


 ごめん…』

震えながら、声にならないくらいのかすかな声で、あずにゃんは言った。


目を閉じていても、わずかに触れてる肩を通して、身体から震えが伝わってくる。
わたしは目を開いた。

暗闇の中に、ぶるぶると全身を震わせながらそのまま膝を崩して前のめりに倒れこんでいる。
倒れても震えは止まらない、声はころしているけれど、泣いているんだとわかった。





思い出した。
あのときに見た大粒の涙。




潮はいつの間にか随分と引いて遠く離れてしまっている。
暗闇に潮の香りが鼻をついて、いま自分が海辺にいることを思い出させた。
少しだけ星が姿をあらわにしている。


なんで…泣いてるの。
わかんないよ。


…ここにいるよ。わたしはここにいるのに。
むかしも、いまも、これからも。ずっと。

だって、そう約束したじゃん。


思い出…いっぱいつくったじゃん。
すっごくたくさん。それはもう、数え切れないくらい。


海風がつめたい。海底よりも海の上がもっと寒いよ。
それならずっと、海の底にいようよ。

泣かせるつもりなんて、これっぽっちもなかった。
ふたりで笑って生きていくためにしたことだった。
自分が生きていくためにはこうするしかなかった。
そうしたら、わたしたち、しあわせなままで居られると思った。



わたしはずっと追いかけていた。

追いかけて追いかけて、

ちいさいころから大好きで、
追いつきたくていつでも背中を追いかけて、
喜ぶ顔を見るのがなによりのしあわせで。
どれだけのたのしいをもらったんだろう。
いっぱいのたのしい。
お返しできないくらいたくさん。

毎日毎日思い出して思い出して、忘れないように胸に刻んだ。

忘れたくなかった。

どこにも行かないって約束したのに。
もう少しいっしょにいられると思ったのに。
あのひとが約束をやぶるわけない。やぶったとしたらそれはわたし。
姿を消したのは、わたし。
消えていなくなっちゃうなら、わたしの方がいい。
いくらでも代わりになるよ。

ほら。
身体を起こして。
目を開けてみて。

ちゃんといるよ。
わたしはここにいる。
どこにも行かないよ。
いつだって、そばにいるよ。
いっしょに逃げよう。
どこまでも逃げよう。







うそつき。






水面に浮かんだ波の泡が、消えた。


こんなに泣かせちゃうなんて、思わなかった。
よろこんでくれてるって、
支えになってるって、
そう思ってた。思い込んでた。

うそ。
ううん。わかってた。
ぜんぶわかって、やってたの。
確信犯。
だってわたしも耐えられなかったから。

だからずっとうそついてた。
自分を救うためにはこうするしかなかったから。
どうしようもなかったから。
けれど、まわりは誰もわかってなんてくれなかった。

誰もがみんな、わたしのことを可哀想な子だと思って相手にしてくれなかった。
おとうさんやおかあさんでさえ。

でも、ひとりだけは違った。
わたしを信じようとしてくれた。

だからわたしは、わたしを信じてくれるたった一人の友達を巻き込んで、うそをほんとうにしようとした。

どこまでいっしょに、いつまでもいっしょに、ずっといっしょに、逃げ続けていたかった。

うまくいってると思ってた。そんなわけないのに。

わたしのせいでどれだけこの子を追い詰めて、くるしめてしまったんだろう。



『 』


顔を上げて、瞳をじっと見つめてわたしの名前を呼んだ。

『ごめん…わたし最低だよね。
 今まで何も言わなかったくせに、 に甘えてばっかりで思い出にすがってばっかりなくせに。
 それなのに今さらこんなこと言い出して。

 だけどわたし、もう一度ちゃんと向き合いたい。そうしないともうどこにも行けない。
 だから 、会いたいの。戻ってきて。お願い』


ちがうよ。最低なのはわたしだよ。
ごめんね。ほんとうにごめん。
ずっと側にいてくれたのに、ずっと助けてくれてたのに、わたし、自分のことしか考えてなかった。


海の向こうの向こう。水平線の向こう。灯台の光の向こう。光が届かない向こうを見つめた。

雲のすきまから月が見えて、すぐ隠れた。
現れては消え、現れては消え、を繰り返すおつきさま。

電池、切れかけなんじゃない?
ちゃんと入れ替えたほうが、いいんじゃない?
乾電池、買ってこようか?

いらないよね。
本物のお月さまだもん。偽物じゃない、本物の。

また雲が、月も星も何もかもを隠す。

わたしは立ち上がった。


わたしは立っている。砂の上に立っている。
今いる場所は海の底じゃない。
いまわたし達がいるのは浜辺なんだ。
たとえ真っ暗でも、目の前には海と空が広がっていて、どこまでも続いているんだ。

右手でぎゅうっとケータイを握りしめて大きく振りかぶると、
全力で右腕を振った。

手から離れたピンク色のケータイは大きく大きく放物線を描いて、
なにも見えない、すべてを吸い込んでしまったまっくらの、
その先の先のほうに消えてった。
なにも見えない、すべてを吸い込んでしまったまっくらの、
その先の先のほうに消えてった。
夜の闇と海の向こうに、消えていった。



とぽん、と遠くでちいさく音が聴こえた。



右手でヘアピンを抜き取って、波打ち際に放り投げた。
波がそれをさらっていく。
少しだけ風が吹いて前髪がなびいた。





『梓ちゃん』





わたしは小さな声で梓ちゃんの名前を呼んだ。
あだ名じゃなくて、昔どおりに、ちゃんと名前で。

梓ちゃんは黙ったままわたしを抱きしめた。
わたしは力いっぱい梓ちゃんを抱きしめ返して、
梓ちゃんもそれに負けないくらいの力でわたしを抱きしめて、



ふたりで声をあげて泣いた。




夜の海は変わらずしんと穏やかで、潮騒だけが絶え間なく夜に響き続けていた。




-spring side-

鳥の鳴き声が絶えず響いている。

枝先の方はまだ膨らみかけの蕾のままだった。

視線を移すと、幹に近い部分は完全開ききって鮮やかに咲き誇っている。

昼前までしとしとと降りつづけた雨のせいか、
根元にはいくらか散ってしまった花びら。

空を見上げると、流れていく雲の合間から時折薄く日が射している。
漏れてくる何条もの光が二人を照らす。

風に吹かれて、黒髪がさらさらと揺れた。



「雨、やんでよかったね」

さっきからずっと、しゃがんだまま黙って目をつむっていた憂が、
ようやく口を開いた。

「傘、持ってきてなかったからね」

雨上がりに土の道を歩いたせいで、梓のスニーカーは黒く汚れている。

「ちょっと、寒いけどね」

「もう、四月なのにね」

梓が肩を寄せて少し震えてみせた。

「だってここ、山の上だもん」

「見晴らしのいい、ところでしょ」

梓が遠くに視線を向ける。
ああ、ここからはこの街が全部、見通せるんだ。

「海、見える?」

左手をかざして遠くの方に視線を向ける。

「見えないよ。ここからじゃ」

「そっか」

「そうだよ」

海は見えない。
海はここから、この街からずっと遠く。ずっとずっと向こうの離れたところにある。



憂はしゃがんだまま、ふたたび目を閉じた。

なにを思っているのだろう。
なにを祈っているのだろう。
でもたくさん伝えたいことがあるんだろうな。

「梓ちゃん」

「なに」

「わたし、桜ってちょっと苦手なの」

憂は目をつむったまま、話しつづけた。

「桜が咲き始めると、不安になるじゃない。
 ほら、雨が降ると心配になるし、
 散り始めると、今年も桜はおしまいだなーって、なんだか寂しい気持ちになるし、

 だからちょっと、苦手」

「どうせ散るなら、咲かない方かいい?」

「…ううん。そうは思わないけど。綺麗だしね、さくら。好きだよ」

街の桜はほとんど散りかけて、枝々は淡いピンクの花とみどりの葉色が混じり合った様子を見せていた。
木々から落ちた花びらはこの街の道という道を覆いつくし、世界を淡い花色に染めていた。


「でも仕方ないよ。桜は散るものなんだから」

「…うん。わかってる」

「それに葉桜も悪くないもんだよ」

「…地味じゃない?」

鳥の鳴き声に混じって、風に揺れる葉擦れの音。

「…まあ、ね。桜の花には勝てないね」

山の上から見渡す淡い花化粧に彩られた街は美しかった。
今まで見たことのある、どんな景色にも負けないくらい美しかった。
きっとこれ以上に美しい街は、世界中探したってどこにもない。

けれど街が花色に変わるのは、限られた時間にすぎない。

一瞬の出来事。

終わってしまえばあっという間。

わたしも桜、苦手かも。梓はそう思った。


遠くの方の空が暗い。
だんだんと黒い雲が集まって、ここも陰りだした。

「雨…、また降るかな」

「……」

「憂」

「……」

「ねぇ憂。そろそろ帰ろっか」

「……」

「やっぱりもうちょっとだけ、ここにいよっか」

憂は答えなかった。
黙ったまま。しゃがんだまま。目をつむったまま。

梓は頬に冷たさを覚えて空を見上げた。

雨。

…。

…。


「…いつにする?」

「え?」

「葉桜見物」

「行くの?」

「行くよ。行こうよ。ふたりで。わたしと梓ちゃんのふたりで。
 そうだ。純ちゃんも誘ってみようか」

憂は座ったまま、梓の方を振り向いた。
憂の頬が、雨の滴で濡れている。

「うん。そうだね。そうしようか」

頷く梓の頬も、雨の滴で濡れていた。
雨が降って、また桜が散る。枝に残った桜の花も散っていく。
花がすべて落ちた後は、葉が茂る。そうして、夏がやって来る。

「…帰ろっか」

「…いいの?」

「いいよ。だって雨、降ってきちゃったし。風邪ひいちゃうよ?」

「そうだね。気をつけなきゃね」


ごめん梓ちゃん、ちょっとだけ待って。
憂はそう言ってカバンをあけ中をゴソゴソと漁ると、
リボンを取り出して口にくわえた。
それから頭の上で髪をひとつに集めて、リボンでしばり上げる。

「おまたせ」

梓の目の前にいるのは憂だった。
彼女は間違いなく、憂だった。

梓が伸ばした右手を、憂が左手で掴む。

雨に濡れて湿ってはいたけれど、
それはあたたかい手のひらだった。

ゆるやかに風が吹く。

ひらひらと花びらが宙を舞い、
憂の頬に触れた。


おしまい


以上です。

長々とすみませんでした。
本当は2月22日の憂ちゃんの誕生日に投稿するつもりだったのですが、結局間に合わずその後もなんだかんだ直しまくってうちにひと月以上遅れてしまいました…。
憂ちゃんごめんなさい。

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