梓「ミッドナイト・エスケープ」 (22)

おはようございます。
けいおん!から憂梓の短編を投下します。
この作品も、vipやpixivに投稿した作品の改訂版となっております。
地の文多め、ちょっと暗めではございますが、バッドエンドではございませんので、良ければお楽しみください。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1427851893

「……あれ……憂は……?」

 5月の終わりの、静かな青い夜だった。
浅い眠りから覚めた私は、隣にあった温もりがどこにもなくて、思わず身震いする。
抱きしめられながら眠りについたはずなのに、今、ベッドの上にあるのはちっぽけな私だけ。
 枕元に置いた携帯電話を手繰り寄せる--午前2時を眩いくらいのディスプレイが寝ぼけ眼の私に知らせてくれた。

(トイレ……なのかな……)

 4月の初めに、唯先輩が大学生になってこの家を出てから、ここは私と憂がふたりぼっちで居られる場所になった。
 元々両親がほとんど家にいない上に、唯先輩の一人暮らし。憂をひとりぼっちにするには、この家は広すぎた。
 私自身、両親が仕事で家をあけることが多い事もあって、唯先輩が大学生になってからというもの、
何かと理由をつけて平沢家に泊まりに行くようになり、今では週の内4日を憂とこの家で過ごすようになっていた。

 身体を起こすと、揺れた髪の毛。憂と、同じ匂いがする。

 私たちは付き合ってるわけではなかった。

 私は憂に対して、友人以上の感情を一目会った時からずっと持っていたのだけれど、
それを今、口にするのは、なんだか憂の傷心に付け入るようで嫌だった。
 強引すぎるくらいに近づいたのは、付け入ってるんじゃないのか?
なんて皮肉が、すぐに押し寄せたりもしたけれど。

 憂はそんな私の心境もわかった上で、敢えて何も言わずに、
けれど自分の心が少しずつ私と両想いになっていく様子を会話の端々に、
態度に、行動に、だんだんと示してくれるようになっていた。

 そして、最愛の姉への想いも、決してなくならないということも。

 憂の唯先輩への愛情は、家族愛に属するものでも、留まるものでもなかった。

 そして何より皮肉なのは、その想いに誰より嫌悪していたのはその憂自身だったのだ。
 憂はその募る想いを吐き出すことも出来ず、自らへの嫌悪を開き直ることも出来ずに。
 やってきた唯先輩の卒業と巣立ちを、あっけなく迎えてしまった。

 憂はこの広すぎる家で、ひとりぼっちになってしまったのだ。

 私たちの今は、いつも学校が終わるとふたりでこの家に帰ってきて、
ふたりで晩ご飯を食べて、一緒にお風呂に入った後、ベッドで抱きしめ合う。
 お互いの体温を混ぜ合わせるように、身体を重ねて、一緒に弾けた後、
おやすみのキスをして、生まれたままの姿で抱きしめ合って眠る。

 私のこの数ヶ月の暮らしは、間違いなく憂と共にあった。

 間違っている、だなんて思いもしなかった。

 寂しさを埋め合わせるだけの、爛れた関係でも、構わないとさえ思えた。
 私から初めてのキスをした夜。憂は戸惑いながらも私を受け入れ、抱きしめてくれた。
 そのまま二人で泣きながら女になり、眠る時、憂は一言「ありがとう」とだけ言った。
 きっとそれ自体も、彼女の中で悩んで悩んで、悩んだ末に出した結論だったのだろう。
 それからほぼ毎晩、私たちは慰めあって温もりを分け合うようになった。
 憂が捨てられない唯先輩への想いに悲しみ、少しずつ大きくなる私への想いに戸惑いながら、
ふたつは激しくせめぎあっていて、苦しみ続けているのは、すぐに分かった。

 私は一緒に居られるだけでいいから。

 いつか私がそう言った時、憂は寂しそうな、嬉しそうな、それでいて悲しそうな顔で曖昧に微笑んだ。
 それ以来、そんな想いも言葉にはしなくなったけれど。
 悲しませるくらいなら、私はただ、愛する他にないんだ。
 それさえも憂を苦しめ、悲しませるなら、その時は愛せない事を飲み込むだけだ。
 そんな風に思うくらい、もうどうしようもない程、憂のことを
愛してしまっていたし、ふたりぼっちでいられるなら--私は形式なんて、どうでもよかった。

 唯先輩と同じくらい、そうじゃなくても、少しでも、必要としてくれるなら、それでよかったから。

 私は未だ目覚めきらない思考で、裸のまま憂を探しに
部屋から出ると、彼女も裸のまま、キッチンで水を飲んでいた。

「あれ? 梓ちゃん、ごめん……起こしちゃったかな?」
「ううん、たまたま、目覚めちゃって……そしたら、憂がいなくて……」

 ため息まじりで佇んでいた彼女は、やがてあられもない姿の
私に気がつくと、はっとしてこちらを見つめたのだった。

 その目は少し赤く腫れているように見えた。

 そして寝ぼけ眼で繰り出される私の言葉に、憂はそれまでの申し訳なさそうな、
少しだけ泣きそうな顔から穏やかな笑顔を浮かべて、
「梓ちゃんは……本当に可愛いね」と、私の黒い髪をゆっくりと撫でた。
 
 そうやって、憂はいつもいつも、私のことを「可愛い」と言ってくれた。

 今みたいに髪を撫でながら、抱きしめられながら。
長いキスの後に、頭の中の花火が、散り散りになるその前に。その後に。
 私はそれだけで身体の芯が熱くなって、ひとつになりたくなって、たまらなくなってしまう。
 いつか、そんな私が「私っていやらしい女の子なのかな?」と訊ねると、憂は笑って、
「梓ちゃんがそれだけ私を必要としてくれてるみたいで、嬉しいよ」と、優しく微笑んでくれた。

 その笑顔が、私はこの世界で一番愛おしいと思う。とは、言えなくて……。
私は小さく「ありがとう……」と返すので精一杯だった。

 それから部屋に戻って、再びベッドに潜り込んだ私たちは、抱きしめ合って、静寂に耳をすませていた。
 午前2時20分。夜の帳が下りて、小さな窓から溢れる青い月明かりだけが、私たちへ静かに降り注いでいる。
 今、此処には、私と憂のふたりだけ。聞こえるのは静けさの奥に響き合う、命がふたつだけ。
 眠ってしまうには惜しいくらい、静かで緩やかで、それでいて、
ほんの少し、悲しみや寂しさがさざ波を立てているような時間。

 このまま世界が終わってしまえばいいのになぁ。
 唯先輩には、申し訳ないけれど。

「梓ちゃんは、どうして私と一緒にいてくれるの……?」

 そんな静けさを、憂は壊さないようそっとふれるような透き通る声で、私に問いかけたのは、そんな時だった。

 私を抱きしめる両手が、すこしふるえている。

 それは私や唯先輩--彼女を愛したことのある人じゃなきゃ、
わからないくらい小さく--だけど、思慮深くて優しすぎる憂の精一杯の、怯えだった。

「私はね、梓ちゃん。本当のこと言うと、今だけなら……
ひと時だけの関係なら、このままでも良いって、そう思ってたの……」

「いつかただの友達に戻ってしまう日が来ても、仕方ないから……
それまでは……って私は梓ちゃんに甘えていたの……」

 憂は、ふるえる声で私を抱きしめたまま、話し始めた。
その両腕は、必死にふるえる声を抑えこむように力がこもる。

「憂……」

 私は背を向けて、憂に後ろから抱きしめられるような形になり、両手を憂の両手に重ねる。
 あたたかい。だけど、心まで冷え切ってしまうくらい、ふるえているから。
指の形をなぞるようにして、ゆっくり、ふれあう。

 そうして一瞬の静けさの後、憂はまるで私を抱え込むように強く抱きしめ、続けた。

「だけど、私……もう、梓ちゃんと、ふたりでいるの……手放せない……手放したくないよぉ……」

「梓ちゃんはいつも優しくて……可愛くて……温かくて……
もう隠せないよ……! 大好きってもっとたくさん伝えたいよ……!」

「なのに、梓ちゃんを想って、梓ちゃんでいっぱいになっていくほど、
どこかでお姉ちゃんの事を想う気持ちも確かにあって……私、最低だ。
こんなのダメなんだ、って……想っても、消えなくてっ……!」

 涙が、伝う声。
 恐怖と醜さを、隠した弱さを恥じるような。隠せなかった弱さを詫びるような、生まれたての声。
 思い詰め、苦しんで、温もりに甘えて。弱くて、脆くて、それでいて愛おしい体温。

 血が繋がっていたから出逢えた彼女の初恋は、血が繋がってしまっていたから、
決して報われることも、終わることも許されなかった。

 ただ、それだけで。唯、それだけだから。
 
 だけど、だから、唯先輩への想いも、私への想いも。今までよりもずっとずっと強く。確かに、伝わる。

 そうか……憂はこんなにも、こんなにも苦しかったんだ。

 二人分の想いをその胸の内に抱え込んで、どちらも捨てられずに、
どちらからも捨てられずに、そのどちらとも向き合ってきたんだ。

 そばにいる私にも、遠くにいる唯先輩にも。

 そうして遠くにいる唯先輩に隠さなくてもいい隠し事をする事に、
近くにいる私に隠さなくてもいい隠し事をする事に、
疲れてしまうくらい、震えてしまうくらい、苦しくなってしまったんだ。

「私もう……どうしていいかわからなくて……! お姉ちゃんも梓ちゃんも、
どっちも比べられないくらい大切で、もう……もう!
どうしたらいいかわからないんだよぉ……!」

 私は思わず--「このまま、二人で遠くへ逃げようよ」と言ってしまいそうになった。
 その震えた手を握りしめてしまったから、真夜中に、あんな姿で佇んでいるところを見てしまったから。

 だけど、きっとその答えは違う、違うんだ。

 私は、憂を愛してる。だけどそれは、ふたりぼっちでいる
逃げ場所を作ることなんかじゃ、決して無いんだ。無かったんだ。

 もっともっと、憂を、憂が抱えるその想いも、丸ごと愛していたい。

 憂が愛したその人は、私にとっても、意味は違えど、愛しい人だから。
 だから、私が飲み込まないといけないのは、愛せないと
諦める事じゃなくて、どんな事があっても、きっと憂を愛してしまうということ。

 「このままでもいい」なんてそんな、優しさでも、愛でもなかったんだ。
 
「ねぇ、憂……? 私ね、もうどんな憂でもいいんだよ」

 憂の両手にすっぽり収まった身体を跳ねるように私は振り向き、両手で憂の顔を包み込む。
 私の手、冷たいかな? こんな小さな手じゃ、涙は拭いきれないかな?
 ごめんね。だけど、ほら、やっぱり。ぐしゃぐしゃの泣き顔だって、こんなに愛しい。

「憂が唯先輩の事をずっと好きだってことは、百も承知の上で私は憂といる」

「私は申し訳ないくらいだよ、憂の弱みに付け入るみたいなやり方で、憂に近づいたこと」と続けると、
憂は叱られている子どもみたいな顔で顔を歪ませながら泣きじゃくる。

 それでも、ほら、こんな時なのに。この静けさを壊さないくらい
声を殺してる。そんな君でさえ、ほんとに、本当に大好きなんだ。

「梓ちゃんは……いい……の……? こんな私で……こんな、たった一人も決められない私なんかで……!」

「うん、いいよ。もしも憂が憂のこと、許せないなら、私が憂の分まで……許してあげる。
憂が、唯先輩と私、二人分の想いを抱えているのなら……! 私は、
憂と私の二人分、許してあげる……! 許してあげるからぁ……!」

 大好きな人の涙は伝染する。小さな子どもみたいに泣くその姿は、その姿だけで、心が震える。涙が溢れる。
 涙を止めてあげられない情けなさと、小さい命を慈しむような温もりが、綯い交ぜになってこみ上げる。

 愛しい。たまらなく愛おしい。
 だから、私は伝えたい、今こそ、今だからこそ。私のために、君のために。

「憂……! ずっと一緒にいてよぉっ……! 私、憂のこと、本当に本当に愛してるから……!
だから! 死ぬまで、私と一緒に生きていってほしいの……!」

 やっと、言えた。泣きながら、だけど。

 憂の両手を包む私の手のひらまで震えて、やっぱり憂の涙をうまく止めてあげられない。
もどかしくて、苦しくて、その体温が温かくて愛おしくてまた泣けてくる。
 憂は私の言葉に一瞬息を飲んだ後、泣きながら、顔を一層ぐしゃぐしゃに
歪ませながら、私の両手にそれまで私を抱きしめていた両手を重ねる。
 二人揃って深呼吸さえもうまくできないくらい涙を流しながら、
憂は今夜初めて、今までの静けさを打ち破るようにはっきりと、返事を返してくれた。

「……はい……私も……梓ちゃんのこと愛してる……! こんな、こんな私だけど愛してる……!
死ぬまで……死ぬまで……! 梓ちゃんとずっと一緒にいる……!」

「ありがとう……! ありが、とう……! 憂ぃぃ……!」

 こうして、私たちは、恋人になりました。
 それが、今のふたりの精一杯で。
 そして、これからのふたりの始まりで。

 それから、しばらくしてようやく涙の波が引いた後、憂も私も照れくさそうにお互いの涙を拭き合う。
 ふたりとも目も頬も真っ赤で、鼻声だ。
 私たちはベッドに座って向き合うと何故だか笑ってしまって、
今度こそ、この部屋の静けさは、笑顔で打ち破られた。

「ねぇ、憂。唯先輩には、二人で話そうね。私そばにいるから、ふたりで、ちゃんと」

「うん……そうする。ありがとう、梓ちゃん。私うまく……伝えられるかな……」

 憂の表情が曇る。無理もない、だけど平気だよ。私がいる。

「大丈夫、憂。唯先輩ならきっとわかってくれる。
いつも憂の幸せ願ってくれてる人だから、だから、大丈夫」

「ありがとう……梓ちゃん……」

 憂は泣いてはいなかった。少し不安そうにしているけど、きっと、大丈夫。
確かに決心して、前に歩き出そうとしている--そう思える表情だった。

 あと、ひとつだけ伝えたら、今日は眠ろう。そう思った私は
再び隣で横になっている憂の瞳を見つめて切り出した。

「憂、約束してほしいの。これから先、“私なんか”って言うの、絶対禁止ね。
憂は私が選んだ世界で一番の人だから。だから、それだけは、絶対ダメ」

 憂はじっと、私から視線を逸らさないように瞬きも忘れて、私の言葉に耳を傾けてくれた。
 やがて憂はまた涙と笑顔をいっぱいにした表情で、私を見つめる。

「うんっ……! ありがとう……梓ちゃん……!」

 5月の終わりの静かな青い夜。こうしてふたりは微笑み合っては泣いて、
笑うように泣きながら、今、ここにまた生まれた。
 そして、それから、真夜中の海を泳ぎだすように魚になった後、
白み始めた輪郭を抱きしめあって眠りにつく。

 おやすみ、憂。また明日ね。
 そして朝、目覚めたら、ふたりでまたこの家を出て、いつも通りを始めようよ。

 もう私たちは、ふたりでどこへだって行けるのだから。

以上でございます
ういあずはとっても好きなカップリングでございまして、妄想ひろがりんぐ!ってなかんじで書きました
今現在、このSS設定を下地にういあず夏のリゾート編を書いておりますので、
書き上がった暁には、そちらもよろしくお願いします

また、こちらに昨日投稿した、
唯「10年後の桜高卒業式」という作品も合わせてよろしくお願いします
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました
また次の作品で、お会いしましょう

おはようございます。お久しぶりです。
今日はこれから、先に投下しました「ミッドナイト・エスケープ」の前日譚である短編を投下したいと思います。

以下注意書き↓
・「ミッドナイト・エスケープ」の前日譚ですが梓は出てきません。
・ほぼ憂の一人語りで話が進行します。
・バッドエンドではありませんが、決してハッピーエンドではありません。

以上を踏まえて、よろしければ、ご覧ください。

タイトルは「それから」です。

「それから」

 私は、お姉ちゃんを愛していました。

 かけがえの無い家族として、たった一人の姉として--そして、一人の女性として。
 この気持ちに気付いたのは私が中学2年の時、同じクラスの男の子に告白されたのがきっかけでした。
 周りの女の子も、恋をして、初めての彼氏ができて、
自分もそうなっていくのかな--そう思っていた頃の事です。
 私に「付き合ってほしい」と告白した男の子がいました。
それは爽やかで顔もかっこいい、サッカー部の男の子でした。
 私はその言葉を受けた時--驚きました。

 何とも思わなかったのです。

 告白されるってことは、もう少しときめいたり、やだなと
思ったり、何かしら心が動くものだと--そう思っていたのに。

 私の心はぴくりとも動きはしませんでした。

 それどころか夕暮れの教室でひとり、「早く家に帰りたいなぁ」とだけ、思っていたのです。
 もちろん、そんな想いを口にしたら悪戯に傷つけてしまうだけなので、
その場で丁寧に「ごめんなさい」と断って--私は家へと急いで帰りました。

 恋を知らない私だから、なんとも思わなかったのかな……?
 誰かを好きになったことがないから、なんとも思わなかったのかな……?

 そんなことを考えながら、私は家路を急ぎました。
 一刻も早く忘れてしまいたいとか、そんな気持ちも、あったのかもしれません。
 だけど何故でしょうか--そんな事より何より、お姉ちゃんに逢いたくて、仕方がなかったのです。

 家に帰った私を、お姉ちゃんはいつも通り出迎えてくれました。

「ういー、おかえり。今日は遅かったね、なんかあったの?」

 「ううん、なんでもないよ」と、その言葉を口に出そうとお姉ちゃんの方へ顔を上げた、その時です--
私の前にいる、いつも通りの柔らかい笑顔で私を見るお姉ちゃんに、突然どくん、と胸が跳ねたのは。

 少し癖のある、栗色の髪。丸くて大きな瞳に柔らかく弾むようなその唇。
 砂糖菓子みたいな甘い声と、小さくて頼りないけれど、温かい手のひら。
 そこに居るのは私によく似ているのに、私とは全く違う--。

 たった一人の、私の“お姉ちゃん”。

 私は、その瞬間。
 その人に--平沢唯に。
 ずっと恋をしていたのだと、気付いてしまったのです。

 それからの日々は、痛みと共にありました。

 同じ“女”で、血の繋がった“姉”。絶対に赦されない--そんな事はすぐに解りました。
 来る日も来る日も、私は姉の何気ない仕草や表情に
ときめく気持ちを必死に堪えて、隠して過ごしました。
 そうして、いつからか家中が寝静まった夜、お姉ちゃんを想ってこっそり自分を
慰めるようになりました--そしてその後は決まって夜が明けるまで泣き明かしました。
 姉を想ってする事への罪悪感と、今まで感じたことのないとてつもない快楽と、虚しさと。
こんな事してはいけないのに、止められない私の弱さと、膨れ上がる姉への想いが、
ひとり絶頂へ達した後、いつもいつも押し寄せるのです。

 一度だけ、そんな私の泣き声を聞いてしまったお姉ちゃんが、夜中に部屋へやってきた事がありました。
 どうしたの? と訊くお姉ちゃんを必死に誤魔化して、私は無理に笑顔を作りましたが、
その優しさに胸が熱くなって、余計に涙が溢れます。
 私の髪を撫でるその手も、私を抱きしめるその身体も、
私が心から欲しているとお姉ちゃんが知ってしまったら……。
 そう思うと申し訳なくて、苦しくて、だけど、どうしようもなく温かくて--
朝まで涙が止まらなかったのを、よく憶えています。
 お姉ちゃんは、何の力にもなれなかったことを悔いてでしょうか、
「ごめんね……ごめんね……」といつからか一緒になって泣きながら抱きしめてくれていました。

 それからです。
 私が声を殺して泣くようになったのは。
 そのくらいに、絶対に気付かれてはいけないくらいに、想いは膨れ上がってしまっていたから。
 私はお姉ちゃんにだけは気付かれないよう、迷惑をかけないよう、声を殺して泣くようになりました。

 そして時間が少し経ち--お姉ちゃんが桜が丘に合格して軽音部に入る頃には、
私は自分の気持ちとうまく付き合うことを考えるようになっていました。
 姉を女として愛してしまった自分が赦せない分、
家族としては精一杯まっすぐ愛していこうと、そう決めたのです。
 お姉ちゃんも楽器を始めて、友達ができて--私の知らないところで世界がどんどん広がっていくのは
少し寂しかったけれど。それ以上に変わっていくお姉ちゃんが
かっこよくて、来る日も来る日もこっそりときめいていました。
 そしてそんな中でも、変わらず私を頼り続けてくれること、甘えてくれること。
そして何よりも近い“家族”でいてくれることがとても嬉しかったのです。
 しかし、いつも嘘をついているような罪悪感と、妹として私を愛してくれているお姉ちゃんを、
どうしようもなく裏切っているような、その気持ちを消し去ることは出来ませんでした。

 それでも、私が、姉を追って桜が丘に入学する頃には、
その痛みを隠して生きていく覚悟さえ、出来ていたのです。

 梓ちゃんと出会ったのは、そんな春の日のことでした。

 お姉ちゃんがいる軽音部が、新入生歓迎ライブで講堂のステージに
立っている時--私の隣で、背伸びをして必死にステージを見ていた可愛い女の子。

 それが彼女--中野梓ちゃんとの出会いでした。

 それから私たちはクラスが同じだったこともあってか、すぐに仲良くなりました。
 同じ中学だった純ちゃんも合わせて3人で、いつも一緒に過ごすように
なるまでそれほど時間はかからなかったと思います。

 梓ちゃんはいろんなことを話してくれました。

 入った軽音部のこと、私の知らないお姉ちゃんのこと、“あずにゃん”というあだ名のこと。
澪さんや律さん、紬さんのこと、さわ子先生のこと。それから梓ちゃん自身のこと。

 梓ちゃんはいろんなことを訊いてくれました。

 家にいる時の私のこと、梓ちゃんの知らないお姉ちゃんのこと、
好きな漫画や音楽のこと、家族のこと。そして私から見た梓ちゃんのこと。

 時々私がひとり泣き明かした次の日は、理由もきかず髪を撫でてくれたり、
私の髪を綺麗だと言ってくれたり、作ったご飯を美味しいと言ってくれたり……。
 そうしたなんでもない事で、梓ちゃんはゆっくり、ゆっくりと
頑なになりかけていた私の心を、解きほぐしていってくれたのです。
 そして、心が解きほぐされた時、私は初めて--お姉ちゃん以外の人に
心を揺り動かされ始めていたことに気付いたのです。

 季節はゆっくりと、確実に流れました。

 お姉ちゃんは高校3年生の文化祭の後、他の軽音部の皆さんと
同じ大学を受験し、家を出ることを決めました。
 それからのお姉ちゃんは、私も驚くくらい勉強に励んでいたのを憶えています。
 私には少し、その姿が家を早く出たがってるように見えて寂しくなりましたが、
変わっていくお姉ちゃんが今までよりもっと輝いて見えて、言葉を飲み込みました。
 そして努力の末、お姉ちゃんは軽音部の皆さんと同じ第一志望の大学に合格しました。
 だけど合格発表の後に私が「おめでとう! やったねお姉ちゃん」と伝えると、
ほんの少しだけ、寂しそうに笑ったのが、不思議でした。
 卒業式の後、久しぶりに揃った家族でお祝いをしている時も、お姉ちゃんはどこか悲しそうにしていました。
 私は結局お姉ちゃんの本心がつかめないまま、残り少ない日々が過ごしていったのです。

 そしてお姉ちゃんがこの家を出て大学の寮へ出発する前の日の夜。
お姉ちゃんは私の部屋へ「一緒に寝てもいい?」とやってきました。
 私はどくん、と跳ねた心と最後の夜だという寂しさを抑えて、
「いいよ、入って?」というので精一杯でした。

 迎え入れた一つのベッドの中で、私たちはいろんな話をしました。
 小さい頃のこと、小学校の時のこと、中学校の時のこと、そして、桜高でのこの3年間のこと。
軽音部の皆さんのこと、梓ちゃんのこと。ギー太のこと、音楽のこと、それから、私のこと。

 たくさんたくさん、ありがとうを言ってくれました。

 「憂が妹でよかった、憂と一緒にいられてよかった」と、
最近よく見せる寂しそうで、それでいてどこか悲しそうな笑顔で何度も言ってくれました。
 それからもいつもは早寝のお姉ちゃんが、まだ寝たくないと、
駄々をこねるようにたくさんたくさん、話してくれていました。
 私はもう、その気持ちや言葉に嬉しいような、寂しいような気持ちになってしまって、
そしてそれと同じくらい、お姉ちゃんに恋をしてしまったことが申し訳なくて……涙ぐんでいました。
そんな様子を気付かれないよう、欠伸をかみ殺すふりをしてみたり、鼻をかんでみたり。
 ちゃんと誤魔化せているかな、とお姉ちゃんの様子を見ると--
なんとお姉ちゃんも同じように、涙ぐんでいるのを必死に誤魔化しています。
 その後言葉は途切れて、涙を堪えるような声だけが、静かな部屋の中を支配していました。

 そうして、しばらくした後--。

「似た者姉妹だね……私たち……っ」

 そう、涙声のお姉ちゃんは同じような私と目が合うと、鼻をすすりながら言いました。
そして涙が溢れるのを、顔を歪ませながら堪えて、続けます。

「なんで……っ! わたしたち……姉妹で生まれちゃったのかなぁ……っ!」

「お、ねえちゃん……!」

 そうか……お姉ちゃんも、“同じ”だったんだ。

 私が一人で声を殺して泣いている時も、想いをひた隠しにしている時も。
 お姉ちゃんだって、妹の私に赦されない想いを抱いて。
同じように、隠して、声を殺して、傷ついていたんだ……。

 そして、私の想いにも、とっくに気付いていたんだ。

 お姉ちゃんは知っていながら隠して、私は知られないよう隠した。
 私が“お姉ちゃんにだけは気付かれないよう”想っていたのと同じように、
お姉ちゃんは“私にだけは悟られないよう”想ってくれていたんだ。

 なんて、優しくて愛おしいんだろう……。

 そんな事を思っていると、目の前のお姉ちゃんはもう誤魔化しきれないくらいに、涙を流し始めました。

 私とよく似た泣き顔をして、同じような、素振りをして。

 私たちは、この何年かを、きっとほとんど同じ気持ちで過ごしていたのです。
 そしてそんな日々をお姉ちゃんは軽音部の皆さんに救われ、私は梓ちゃんと純ちゃんに救われた。

「似た者姉妹」

 その言葉が、たぶん、私たちのすべてだったのです。

 そんなお姉ちゃんを抱きしめていると、私も涙でぐしゃぐしゃになっていました。

「ほんとだね……似た者姉妹っ……だね」

 それだけをやっとの思いで言うと、二人で顔を見合わせて、笑いました。
 泣きながら、たくさん笑いました。
 そうしていると、やがて解り始めたのです。

 今、この瞬間が。この夜が。

 私たち姉妹の--卒業式なんだということに。

 しばらくして流した涙が赤い痕になって残り始めた頃--
私の胸に抱きしめられていたお姉ちゃんは、もう涙声を隠さないで意を決したように、言いました。

「ねぇ、憂……キスしたことある?」

 私は一瞬、戸惑いましたが--「ううん、ないよ。お姉ちゃんは?」
とだけ返しました。真意はすぐに、わかりました。
 お姉ちゃんは、それから、いつもの柔らかい声ではない、強い意志を持った声で話し始めました。

「私もしたことないよ。だからね、憂に、私の初めてを……あげたいの。
私たち……姉妹だから、ここから先には、もう行けないけど……だけど! 
私の初めては……初めてだけは、もらってほしい……」

 その言葉で、途切れていた涙がまた溢れ出しました。

 聴いていた私も、話したお姉ちゃんも--とめどなく溢れて、
思わず抱きしめていた両手に、ぎゅっと強く力がこもりました。

「うん……いいよ……っ、お姉ちゃん。私もっ……
私の初めても……っ。お姉ちゃんに、もらってほしい……!」

 その言葉をきっかけに、私の胸元にいたお姉ちゃんは私の眼前にやって来て、
涙でぐしゃぐしゃになりながらにっこり、笑います。
 つられて私も、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、にっこり、笑いました。

「同じ顔で……へんなの……っ!」

 そう言って、お姉ちゃんは両手で私の頬を挟み込みます。
その手は震えて、今にも崩れ落ちそうでした。

 それじゃ、いくよ--そう言って、私たちは最初で最後のキスをしました。

 そのひと時に、私たちの想いは駆け巡ります。ふたりが恋し合った一瞬を、
これから訪れる姉妹としての永遠に託すかのように。

 溢れる涙でしょっぱい、哀しくて、優しい--それが私たちのファーストキスでした。

 窓の外には、もう朝が、待っていました。

 それからしばらくして、私が浅い眠りから目覚めると、そこにお姉ちゃんはいませんでした。

 なんとなく、そんな気がしていたのは、やっぱり私たちが
どうしようもなく「似た者姉妹」だからなのでしょうか。
 ベッドから起き上がって、立ち上がると、姿見に自分の顔が映ります。
 一晩中泣き腫らして、酷い顔--きっとお姉ちゃんも、
おんなじような顔で、ふたりで暮らしたこの家を出て行ったのでしょう。

 私とお姉ちゃんは、最後の夜になってようやく、お互いの隠していた顔を見せ合ったのです。

 酷くて、醜くて、赦されない想いを。

 部屋を出ようとした時です。
 ふと見ると、私の机の上に走り書きのようなメモがあるのに気づきました。

 【行ってきます。唯】とだけ書かれた、涙で滲んで震えた文字。

 きっと、眠ってる私を起こさないように、声を殺して泣きながら書いたのでしょう。

 やっぱりお姉ちゃんは--いつも、いつまでも、私のお姉ちゃんなのです。

 そしてそれが、私たちの、昨日までの私たちからの卒業証書で--私がそれを見つけたたった今、
私たちの卒業式は終わったのだという事に、気づきました。

「行ってらっしゃい……お姉ちゃん」

 メモに滲んだ涙の跡に--溢れた涙が、重なりました。

以上でございます。
平沢姉妹は、互いを想い合う優しい姉妹だからこそ、愛に走れなかった、
そんな過去があるのかもしれないと思い、この話を書きました。
如何だったでしょうか。
次回は「ういあず、夏のリゾート編!」を予定しております。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

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