「怪物は誰かと友達になりたかった」 (20)

怪物はひどく醜い格好をしていた。
誰からも忌み嫌われる事なんか分かっていたし、世の中の誰からも必要とされていないことも理解できていた。
水に写る自分は地獄からの使者。腕は枯れ木のようで、大事なものが抜け落ちたように窪んだ瞳には、何も煌めいてはいなかった。

怪物は聡明である。
他人を襲う事もしなければ何物をも殺めることを良しとしなかった。
朝早くに起き出して水を汲み、生きるのに要る分だけ木の実を取って食べる毎日。
そうして誰にも見られないようにひっそりと死んでいくのだろうと半ば諦めていた。

言葉は知っていた。
でもここ何年も、ただの一言すら話さない日々が続いていた。
自分が発する声は地鳴りのように重く響いて、聞けば鳥すら逃げていく。
結局誰にも届かないので全部独り言。
朝にさえずる鳥の歌を邪魔しないように、怪物は毎日必死に息だけで泣いていた。

怪物は聡明である。
『誰か』の居る連中よりもずっと怪物は聡明である。
子どもの作り方も空の蒼さの秘密も鶏と卵はどちらが先かも通りゃんせの行き着く先すら知っていたが、誰とも共有できない知識のなんと虚しいことか。
本をめくるたび、怪物の頭の中には嫌なことが増えた。


孤独だった。
もう物理法則でもヘドロでもビニール袋でも、何でもいいから友達が欲しかった。

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寂しくて寂しくてどうしようもなくなっても、死ぬ事は出来なかった。
もしかすると期待なのかもしれない。
半ば諦めていたのは本当だが、残りの半分ではまだ、誰にも気づいてもらえないSOSを出し続けているのだ。

今ただの一人でも友達が居て、手を握りながら傍にいてくれたら、それだけで何回[ピーーー]るか分からない。
怪物は両手をもみながら、友達が握ってくれたらどんな感じだろうと想像した。

小説は何度となく読んだが、他人の温もりがどうとか言う場面はいつも飛ばしていた。
そうでなくても読むのに辛いシーンは多い。

怪物は聡明である。
誰からも忌み嫌われる事なんて痛いほどによく知っていたが、それでいいと思ったことはただの一度もなかった。

湖に水を汲みにいくと、魚は蜘蛛の子を散らすように逃げる。
今更そんな事で悲しみはしないが、どうしても水面には自分の姿が写ってしまう。
ああ、こんなにも神さまが諦めなさいと言って下さっている。
見るたびに思うのに、どうしても半分だけは諦めきれないのだった。

「いっそ地中に手足を縛って沈めてください。どんなに望んでも何も出来ないように、そしてそのまま窒息させて失意のままに死なせてください。いっそ太陽にすら照らされる権利のない透明にしてください。触れたいと思って伸ばした手で誰かが穢されないように、そしてそのまま誰にも気づかれないよう、森の木陰でそっと存在を消してください」

或る日怪物は窓から差し込む日差しに向かって膝をついた。
こんなお願いも聞き入れてもらえないとなると、とうとう神さまですら愛想をつかしてしまったか。はたまた、最初から神に見向きもされなかったからこんな姿に生まれたのか。

後者が正解だろうなと思うと、怪物はいよいよ悲しくなった。

いっそ似つかわしく悪さをやらかして、魔王とか言われながら勇者に討たれてやろうか。
世の自称不細工自称ブスを片っ端から襲って、自分達がどれほど愛されているのか教えに行くのも面白い。
現実から逃げている奴らに、無限に広がる可能性を見せてやろうか。

ダメだろうなあ、どうせできやしない。
醜い自分の中に住む『悪魔』の小ささに、怪物はふと笑った。

何万滴目の涙を拭いてふと外を見ると、家の傍にある湖にいつもと違うものが見えた。
さらさらと流れる金色の髪と、真っ白な肌。

人間の女の子?

それは細い足を湖に浸して、時々思いつめたようにかき混ぜていた。
時々小さく口を動かすのは、歌っているからだろうか。

雲間から溢れてきた太陽光が彼女を包む。
ひとひらの花びらが舞い降りて、そっと髪に色を差した。

鳥は指に止まって楽しげに歌う。
足元には魚が寄ってきて水面が沸いた。

ああ――――


バッ、と反射的に怪物は窓の下に隠れた。
美しかった。美しかった。

あんなに美しいものは見たことがない。
自分以外の全てが美しく見えてしまう世界なのに、多分今なら宝石もじゃがいもと同じ位に見えてしまうだろう。
えーとえーと彼女みたいな人を何と呼ぶんだっけか。
怪物は初めて知識を繰った。

【きよやか・きよらか】清く美しいさま。
【きよら】垢抜けして美しいさま。《第一流の気品ある美》
【きよげ】美しいさま。見た目にきれいなさま。《表面上の美、第二流の美》
【きよけく】くもりや汚れのないこと。
【きよし】くもりや汚れがなく、余計なものがないこと。《きたなしの対》
【きら】美しい衣服。美しさ。華やかさ。
【きらきら】光り輝くさま。
【きらぎらし】容姿が整って美しい。光り輝いている。《立派で輝くばかりである》
【きらびやか】輝かしく美しいさま。
【きらめき】きらきらと光る。
【きららか・きらやか】輝くばかりに美しいさま。まばゆく派手なさま。
【きれい】きらびやかで美しいこと。清潔・清浄。
【あだ(婀娜)】女の容姿のたおやかに美しいさま。色っぽくなまめかしいさま。
【あだくらべ(婀娜競べ)】互いに美しさ、なまめかしさを競うこと。《徒競べの「徒」を「婀娜」の意味に用いた》
【あだめき(婀娜めき)】あでやかに振舞う。
【あて(貴)】身分が高いこと。上品。《いやしの対。高い血筋にふさわしい上品さ》
【あてやか(貴やか)】上品な感じ。《「あて」といってもいい品の良さ》
【あてはか(貴はか)】品がよいさま。《一見「あて」だが、本当の「あて」よりは度合いが低い上品さ》
【あてばみ(貴ばみ)】上品で美しい様子。
【なまめき】何気なく振る舞いながら気持ちをほのめかす。しっとりと控えめな人柄・態度。《「なま」は未熟・不十分の意味。あらわに現されず不十分に見えるが、実は成熟しているさま》
【なまめかし】華やかさ・派手さがなく、しっとりとして美しい。優雅で魅力的。
【なよび】衣服や紙などがしなやか。性質が弱弱しくものやわらか。
【なよびか】芯に力がなく、しなやかなさま。人柄がものやわらかで優しいさま。
【なよよか・なよらか】衣服などやわらかな感じのするさま。態度が弱弱しくものやわらか。
【はな】花のような美しさ。表現の美しさ。あだあだしいさま。
【はなにほひ】花に美しく映えること。花のように美しく映えること。
【はなばなし】はなやかな様子。
【はなやか】花のように美しいさま。目を奪うようであるさま。
【しなやか】上品なさま。
【しなひ】豊かな曲線の美をなす。春の山、美人の姿などにいう。
【しなだれ】媚び甘えて人に寄り添う、寄りかかる。
【しなもの(品者)】柔和で嗜みの深い上品な女。
【しなつけ(品付け)】表面を取り繕う。体裁を整える。
【しなじなし(品品し)】品格がある。上品。
【うらぐはし(心細し)】心にしみて美しく感じられる。多く風景に使う。
【うるはし】立派だ。端麗だ。きちんと整っている。礼儀正しい。
【うつくし】かわいく思う。いとしい。見た目にきれい。

全部違った。
彼女はそんな人じゃない。

もう一度見て確かめなくては。
この窪んだ闇みたいな目に彼女を反射させてみたい。
それすらも罪深い事のように思えてしまうが、長年無欲だった怪物は久々の衝動に胸が高鳴った。
窓の下からそっと顔を覗かせる。

水辺にたたずむ美しい姿は、物憂げに髪を耳にかける。
ああ、彼女こそ神のお気に入りだ。
きっと八百万の神々が寧入りに一週間くらいかけて創ったのだろう。

【    】極限に美しいさま。また、彼女の事。

くそう役立たずの世界辞典め。燃やしてやる。
怪物の心臓は、今まで生きてきた中で一番健康に悪い鳴り方をしていた。
もっと近くで見たい。
もっと近くで。


ガシャッ。

しまっ――――

花瓶を倒した音で彼女は振り向いてしまった。
どうしてもこの姿は見せたくなかったが、などと冗談を言う隙もない。

目が合った。
満月の瞳が大きく見開かれる。

「**** ** ***** **?」

彼女はパッと立ち上がってこっちに向かってくる。
止めてくれ世界一位と世界最下位の対面が実現してしまう。

願望よりも畏怖が勝るので何としても避けたい事態であった。
硬直した身体で無理に窓の傍を離れると、這う這うの体でベッドの中に転がり込んだ。

そのまま真っ暗な世界で必死に手で顔を覆い隠して自分を守る。
何だかわからない鳥肌と震えが身体中を襲っていた。
随分と長い間人を見ていない反動だろうか。

出来るだけ四肢を折り曲げて小さくなりながら、情けない殻を作った。

表でドアを叩く音がした。

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