梓「暗夜の心中立て」 (16)
「……なんですか、コレっ!!」
バチン!!! と大きな音を立てて、下衆な週刊誌を思いっきり床に叩きつける。
怯えたような顔の唯先輩が、ちらっと視界の端に映った。
「あ、あずにゃん……」
何も言わず、キッと唯先輩のほうを睨む。唯先輩はさらに怯えたような目になった。
「……唯先輩……なんですかその目は。こんなもの、信じているんですか?」
「そ、そんなわけないよ!! でも……」
「でも、なんですか」
「……」
唯先輩の視線が、私がさっき床に叩きつけた雑誌へと落ちる。
思いっきり投げたはずだったのに、憎たらしいぐらいにきれいに、一番見たくないページがちょうど開かれていた。
そのページの見出しには、口に出すのもはばかられるぐらいの、きったない言葉で、こう書いてある。
【“魔性の女”中野梓、HTTメンバーと日替わり絶倫レズSEX】
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私と唯先輩は、放課後ティータイムがデビューしたころから付き合い始めていた。
高校のころから、ことあるごとに抱きついてくる唯先輩。
過剰なぐらいの愛情表現をしてくる先輩に最初は戸惑っていたけど、だんだん慣れていった。
私としては軽くあしらっていたつもりだったんだけど、それが私の心を大きく占めていることに気がついたのは、大学生活も後半にさしかかったころだったかな。
唯先輩自身も、恋愛感情というものには疎かったみたいで。
結果的には両想いだったんだけど、それにお互いに気づくのにすごく時間がかかった。
私が想いを告げても、しばらく唯先輩は自分自身の気持ちを整理するのに苦戦していて、返事はすごく待たされた覚えがある。
それでもめでたく結ばれ、周りからは……特に律先輩からは「やっとかよ」なんて茶化されて。あの頃は、本当に幸せだった。
でも、それから……
「あずにゃん……この記事を全部信じてるわけじゃないよ。でも……前にも何度か話したと思うけど、お泊まりとかは……」
「十分その記事を信じてるじゃないですか。泊まった覚えはありません。家に行ったのは確かですが……どうしてそういう解釈をするんですか」
唯先輩は付き合い始めてからちょっと変わった。
昔は誰かれ構わず抱きついて、「みんな大好き!」な人だったんだけど。
恋愛感情に関してはうぶというか……それを自覚した途端に、私以外の人との距離感に戸惑うようになってしまったらしい。
最近は、他の人に抱きつくこともあまりなくなった。
さらに先輩は、私と他の女性との距離感についても妙に敏感になった。
私が例えば、律先輩とかに誘われて食事に行ったりしただけで、嫉妬してしまう。
嫉妬で攻撃的になって誰かを責めたりはしないんだけど、不安になるらしい。
「と、泊まってなくても……二人きりなんでしょ?」
「先輩……二人きりになることすらダメなら、私、誰とも交流できませんよ?」
多分、生まれてこのかた恋なんてしたことない、天真爛漫な唯先輩のことだから……
20代になって初めて芽生えた感情に混乱してるんじゃないかな。
早く落ち着いてくれないかな……
「で、でも!! 話すだけじゃないんだもん、あずにゃんは……りっちゃんとはいつもイチャイチャしてるし、澪ちゃんにはなでなでされてるし、ムギちゃんには抱きつかれてるし……それに、他にもいろんな人に可愛がられてるじゃん。晶ちゃんたちもそうだし、他にも他にも、ミュージシャンとか芸能人とかたくさん……!」
「あのですね……」
何から説明すればいいやら。
まず、放課後ティータイムの先輩方。先輩方には、唯先輩と同じく、高校時代からたくさんの愛情をいただいた。
一人しかいない後輩の私を、四人で本当に気遣ってくれて。
卒業の日、私のために曲を贈ってくれたことは、今でも私の大切な想い出です。
そんな先輩方のことは大好きですし、尊敬しています。
だから今までもこれからも、大切な先輩、大切な音楽仲間として深く関わっていきたいんです。
律先輩が私のこと気遣って、「飲みいくか?」なんて適当そうな態度を装いながらさりげなく悩み相談してくれたり。
私の憧れでもある澪先輩が、私に技術的な指導をしてくれて、良くできたときは撫でられて褒めてもらったり。
ムギ先輩がわくわくしながら私の音楽の話を聞いてくれて、「すごいわ梓ちゃん!」なんて言いながら抱きついてきたり。
今までだってそうだったし、これからも、先輩方のご厚意をむげにすることなんてできない。
昔の私なら恥ずかしがってたかもしれないけど、今は違う。
先輩達のこと大好きだし、その好意は全力で受け止めたいと思ってるから。
放課後ティータイムの先輩方だけじゃない。
同じバンド仲間の、恩那組やラブクライシスの方々。お仕事で関わることになった、音楽関係の著名な方々。
あるいはテレビ番組等で関わることになった、芸能人やスタッフの方々。
「いろんな人たちと接して、その人たちの魅力を感じて、その人たちからいただいた愛情は受け止めます。そして、音楽……お仕事でその恩を返していきたい、そう思ってるんです。そう思えるようになったのは、唯先輩や、先輩方のおかげなんですよ?」
高校時代からずっと、先輩達四人と後輩一人という状況なので、どうしても溺愛されがちというか……
そうやってたくさんの愛情を受けて育ったからこそ、それに気付くようになったし、それに感謝するようになったし、それに応えたくなった。それだけ。
それだけなのに、それだけなのに。
それを「優しくされれば誰にでも体を許す」だなんて、疑われるのが腹立たしい……。
「わかるけど……でも、わかんなくなっちゃうんだ。本当に、あずにゃんはその、恋愛感情抜きで他の人たちとつきあってるのか……だってあずにゃん、他の人たちにも、恋してるような目で見てるんだもん……」
「それは勘違いです、って何度も言っているでしょう……」
本当によく勘違いされる。どうして?
同性愛だから、偏見でも持たれているんじゃないかと、思ったこともある。同性愛者だからってどの女性にも色目を使ってるわけじゃないのに。
でもそういうわけでもないらしい。男性にも言われたことある、「誘ってんの?」みたいなことを……
私はその男性に尊敬のまなざしを送っていたつもりだったのに、一気に冷めた。
そんな感じで、私のことを「魔性の女」と思う人は結構いるらしくて……
噂は広まり、ついにはマスコミに目をつけられるようになった。これが一番話をややこしくしている。
本当に、あることないこと書いて……いや、ないことないこと書いて。
私が律先輩と二人で飲みに行ったら浮気と書かれ。
「でもあの時りっちゃんに抱きしめられてとろんとした目で見つめてたんでしょ……?」
私が澪先輩に練習を見てもらって撫でられたら三股と書かれ。
「撫でられるどころか手を恋人つなぎしてたって話じゃん……」
私がムギ先輩の家に遊びに行ったら全員と関係を持ったと書かれ。
「お泊まりじゃなかったとしても、あの日私が2時ぐらいに寝るまで帰ってこなかったじゃん……どっちにしろ遅いよ」
「うるさいです!! 唯先輩、どうしてそんなに私を疑うんですか……私は、私は……」
「だって、疑われるようなことするあずにゃんがいけないんだよ!!」
「だから、私は先輩方のご厚意を……って、もう! 何度も同じことを言わせないでください!!」
いつもこうやって堂々巡りになってしまう。私はそんなつもりはないのに、浮気だと思われてしまう。
本当に好きなのは、唯先輩だけなのに……
「うう……だって……みんな、あずにゃんのこと大好きなんだもん。みんながあずにゃんに寄ってきて、可愛がって。昔からそうだよね。しょうがないもん、あずにゃんは可愛いんだもん。でも、あずにゃんと付き合うようになってから、急に胸が苦しくなって……あずにゃんがみんなに向ける笑顔とか、目とかが、いつも本気だから……」
「ですから、その笑顔とか目は本気でも、気持ちは……いや、もういいです。何言っても、わかってくれないんですもん」
「あ、あずにゃん?」
「先輩……私だって、苦しいんですよ? こんなにも先輩のこと想っているのに、その本人からその気持ちを疑われて……
どれだけ傷ついてると思ってるんですか!」
くだらない雑誌が何を書いていようと、別にいい。いちいちそんなものに心を乱されていたら、満足に仕事もできない。
だからこういうのは無視、無視。
でも、でも……唯先輩に疑われるのだけは、つらかった。
「あずにゃん……」
まだ唯先輩は戸惑っているだけ。そんな先輩の態度が、私をさらにいらいらさせる。
「……わかりました。こうなったら、意地でもわからせてやります。私がどれだけ唯先輩のことが好きなのかを」
「え?」
すっ、と前に出て、唯先輩の目の前に迫る。
じっ……と見つめてやる。唯先輩いわく、恋しているような目で。
ううん、そんなもんじゃない。本気の、愛情をこめて……
唯先輩が私に釘付けになって、動かなくなった。
「唯先輩。私が好きなのはあなただけです。本気ですよ? 出会ってから今まで、私の中は唯先輩でいっぱいなんです。いっつもいっつも、抱きついてきて……最初は本当に恥ずかしかったんですからね。私が恋愛感情に気づく前から、私の心は唯先輩に少しずつ占められていったんです。毎日毎日、抱きつかれて、優しい言葉をかけられて。頼りないところを見せられて、私の母性本能をくすぐったり。何の気もなく、キスしようとしてきたり。卒業旅行のときなんか、あずにゃんLOVEなんて書いて私を勘違いさせたり。そうやってちょっとずつちょっとずつ、私の中での唯先輩の存在を大きくしていって。気付いた時には、先輩なしでは生きていけなくなってたんです。先輩がいないと、心がぽかんと開いてしまうような感覚です。これだけ、私の心の奥底まで入り込んでおきながら……これだけ、あなた無しでは生きられない体にしておきながら……! どうしてあなたに、この想いを疑われなきゃいけないんですか……!! あんまりです、こんなに好きなのに……!!」
想いのたけをぶちまけたら、涙が出てきた。
そう、これが本心。私が本気で愛しているのは唯(たった)一人だけ。
どうしてこう、うまくいかないんだろう。
「あずにゃん、ごめんね。あずにゃんの気持ち、分かってあげられなくて」
抱きしめられた。今度こそ、想いは伝わったのかな……?
「あずにゃんの気持ち、すごく伝わってきたよ。でもね、それでも不安になっちゃうんだ。誰に対しても、そう言ってるんじゃないかって……」
「……なっ……!」
「今まで、疑っちゃうようなことが多すぎたから……あずにゃんのこと、信じられなくなっちゃったのかもしれない……ごめんね、ごめんね……信じたいのに、どうしてもこわくなっちゃうんだ」
他の人にも、さっきみたいに想いをぶちまけることがあるか、だなんて……あるわけない。
さっき、それこそ命を投げ出す想いで気持ちを伝えたのに、それすら軽はずみとかヤケだと思われてるんだろうか。
どうして? 私、そこまで信用されてないんだ……さすがに、ショックだ。
愛する人に信じてもらえない絶望感。
でも、その絶望の中から、今度はどろどろとした想いが湧き上がってくる。
なんとしてでも……この人の心を、こっちに向けさせたい。
「唯先輩っ……バカぁ……っ!!」
「きゃ!?」
気が付いたら、思いっきり唯先輩を押し倒していた。
「唯先輩のバカ!! 私が、私がこんなことするのは、唯先輩だけなんですからねっ!!」
激しい感情が噴き出てくる。
怒り、愛、憎しみ、焦り。裏切られたような絶望感。
相手を支配したい欲望。いろんな感情がごちゃまぜになって、止められない。
そのどろどろの感情に任せて、唯先輩に思いっきりキスをした。
「あむぅ……!? あ、あず、ふぅ……っ!! あ、い、いた、いたいよっ」
「んぐ……ゆい、先輩っ……ふぅ……バカ……はむっ……!!」
唇を塞ぎながら、思いっきり抱きしめる。
唯先輩の背中に、爪が食い込むぐらい。痛がってるみたいだけど、知らない。
私の心は、それぐらい……いや、もっと痛いんです。
「ぷはっ! あ、あずにゃん、やめてよ! ヤケにならないで!!」
「ヤケなんかじゃないもん!! 本気なんですからっ!!」
唯先輩は、いつもみたいに抱きしめ返してこない。それがさらに私をいらだたせる。
私は上半身を起こして、馬乗りの体勢になり唯先輩を見下ろす。先輩はまた、不安そうな目に戻ってしまった。
さっき、一瞬、私に釘付けになったのに。
「こんなに好きなのに、こんなに想っているのに……確かに、私は他の方々にも魅力を感じて、尊敬して、好意的に思っていますけど! でも、そんな方々との噂ばかりが先に立って、一番好きな人に疑われて……この気持ちがわかりますか!!」
出会った頃にあなたから受けていた愛情。付き合い始めてからあなたにもらったたくさんの愛。
それが、ここ最近はめっきり……。
唯(たった)一度だけでもいいから……私にその心を向けてください。
私を抱いてください。私の心をめちゃくちゃにしてください。
「あずにゃん、あのね……むぐぅ!?」
唯先輩が何か言いかけた気がするけど、構わず、また唇を塞いだ。
両腕できつく抱きしめ、両脚を絡ませ、腰を押しつけ、全身で、唯先輩の全身を感じる。
それでも、まだ唯先輩の反応はない。スイッチが、入ってくれない。
つらい。こんなにつらいなんて……
「あず、にゃん……は、ウソついてないって……信じるよ」
「ウソとか、本当とか、そんなのもう、どうでもいいです。私の気持ち、感じてくれないんですか……!」
「感じるよ。あずにゃんから、こんなに激しく求めてくれたの、初めてだよ……それなのに、私が応えられなくて、ごめんね。あの、もうちょっと、時間を……」
私の気持ちはわかってくれたのかもしれないけど、それでも、唯先輩はまだ私のことを愛してくれない。
それは多分、疑いが晴れていないから?
ウソついてないって信じるって、口では言っていたけれど。やっぱり心の奥底では、不安に思ってるから……
「そんなに疑わしいなら、今ここで約束しましょう。私は唯先輩しか愛しません。浮気なんか絶対しません。約束を破ったら、針千本でもなんでも飲ませてください。本当に飲ませてもらって構いません」
唯先輩の手をつかみ、無理やり指切り拳万をする。
唯先輩の表情は変わらない。
「あ、こんな口約束じゃダメですよね。だったら、何か痕が残るような契りでも……それこそ、本当に指を切って誓いを立てるぐらいの覚悟はありますよ?」
「あずにゃん、こわいよ……」
小指を離されてしまった。
もう、修復できないのかな。
私が先輩への愛を語るほど、先輩の心はどんどん離れていく気がする。
もう私の心はぼろぼろだ。
何をやっているんだろう。どうしてこうなってしまったんだろう。
唯先輩に振り向いてもらえない。愛する人に愛してもらえない。それだけで、私の心は引き千切られる。
本当に、もろくて……弱いな……
思えば、唯先輩も同じ気持ちなのかもしれない。
愛する人に愛してもらえないと、思っているのかもしれない。
うまくいかないな。
「私は唯先輩がいないと生きていけません……」
「私も、あずにゃんがいないと……ダメなのかも」
「……なら、私を生かしてください。私も唯先輩を……」
「……そうしたいけど、でも」
すれ違っちゃったのかな。
私の命の炎を点してくれる人は、いなくなってしまった。
じゃあ、どうしたら? それは……
激しい感情が一気に冷めていく。
冷たい目で、唯先輩を見たら目が合った。
すごく久しぶりな気がする。ほんの数分ぶりのことなのに。
ううん、唯先輩がおびえずにこっちをまっすぐと見てくれるのは、本当に久しぶりだ。
そっか。やっと、同じ想いになれましたね、唯先輩……
おわり
終わりです。
元ネタは石川さゆり「暗夜の心中立て」
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なんなんだよこれ