まゆ「初めまして、佐久間まゆです」 (55)

佐久間まゆ(16)
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うちの事務所は決して大きくはない。

それでもそれなりのコネクションがあり、そこそこの知名度がある子たちがいる。


だから「私も芸能人になりたい」と、応募があることもある。

親御さんから「うちの子をお願いします」だなんてことも、まれにある。

大抵は小さなお子さんで、うちの事務所には若すぎますね、なんてお断りさせていただいている。


……言い方は悪いが、そのレベルまで達していない子も多い。

内面がどう、以前に単純なヴィジュアルが相応しくない、という意味でだ。

我が子はかわいい、などというけれど、これもそういう類なんだろうか。

そういった事情もあり、1次審査というレベルですらない書類審査はほぼ俺が受けている。

人材が豊富なことに越したことはないし、ある程度はおまけで「思い出作り」をさせてもいいとも言われている。

ようするに、各種手続きで現金だけいただき、それなりに小さな小さな活動……らしきもの、をしてもらうということだ。


あまり気分のいいものではないけれど、それも仕事の一環だ。

時折、小さい活動をステップにしてそれなりに売れてくれる子もいる。

地力があるのを見抜ければ、支援をして本格的に活動をさせていくこともあった。


現在はちょうど、売込み中の子が1人いる。

独自の感性を持っていて、次の世代のエースになるのではないか、と見込んでいたりもするのだ。

だから今は新しい子を募集はしてはいない……のだが、応募自体が減ることはない。

面倒ではあるが、逸材が埋もれている可能性も考えて目を通すこと自体はしていた。

パラパラとめくっていく中で、1枚の書類に目が留まる。

佐久間まゆ。15歳。趣味は編み物……同封の写真は、少し恥ずかしそうにはにかむ姿が写っている。

本人が気合いを入れて撮った、というよりも家族が応募してしまった……という体を装うためのものだろうか。

大抵は「その方が素朴さもアピールできる」なんてことを考えているのだろうが逆効果だ。


……と、普段なら断じるところだが今回はなぜか気になった。

おっとりとした印象の、少し垂れた目。可愛い、と素直に感じた。

他の書類も確認するが、今回の『あたり』はおそらくこの子だけだろう。


社長に話をし、許可を得て面接をすることにした。

ここで見込みがなければ落とせばよいし、見込みがあるようならばある程度の思い出を持って帰ってもらおう、と。

俺は少しだけ期待をしていて、ひょっとしたら今売込み中の子に並ぶほどの逸材ではないか、と思っていた。

――


結論から言えば、面接は最悪に近かった。

まさかあの年齢の子に、親がついて来るとは。

いかに我が子可愛いのかを力説する姿は滑稽で、思わず笑いそうになってしまった。


佐久間さんは……親御さんと紛らわしいので、まゆちゃんと言おう。まゆちゃんは困ったように笑っていた。

「もういいでしょう」と親をたしなめ、適当なところで切り上げ、帰っていくときにはこちらに謝っていた始末だ。

これではどちらが保護者かわからない。書類の違和感はそれだったのか。


しかし、そんな強烈な親を見てもまだ彼女に対して惹かれるものがあった。

だからもう一度だけ、親を連れてこないで、ゆっくりと話を。そう帰り際に小さく約束をした。


おそらく芸能界は彼女自身が望んで踏み込もうとしている世界ではないだろう、とわかったうえでだ。

「少しだけ、考えさせてください」といってまた困ったようにまゆちゃんは笑った。


もしも興味があるのならば、3日以内には連絡が来るだろう。

特に眠れないということもなく、仕事に支障を出すこともなく。ほんの少しだけの期待を持って3日を待った。


……どうやら見込みは間違っていたらしく、1週間後に連絡がようやく来た。

諦めかけていたこともあり、一瞬だれからの連絡なのか戸惑ってしまったことは伏せておく。

待ち合わせたのは小さな喫茶店。

社長も、彼女の親もいない。連絡をもらった時の条件としてそれが挙げられたからだ。


「私は、芸能界に向いていると思いますか?」


届いたコーヒーにミルクをいれて、ゆっくりと黒と白の境界が溶ける様子を見ながら、彼女が言った。

こういった場合は、適当な文句でも言って勧誘すればいい。あの親の様子なら、レッスン費等で十分に現金も落としてくれるだろう。

だが、あえてそうすることは避けた。それ以上に、何かを失う可能性があるような気がしたからだ。


「きっと、君次第だ。君のことを知らないまま、向いているとは一概に言えない」

――だから、と続ける。

「もっと君のことを知りたい。そうすればきっと答えも見つかるはずだ」

そうですか、とまた困ったように彼女が笑う。


「私、お母さんにいろいろと言われて育ってきたんです。可愛い子になりなさい、って」


少しだけ遠い目をして、こちらに視線をやると彼女が言った。


「……私のことを可愛いと思ってくださったんですよね?」


うぬぼれているようなセリフだが、こちらが彼女を呼んだ意味を考えれば当然だ。

そのトーンは、何かを確かめるような雰囲気で。小さく頷いて肯定を意を返した。


「まだ、わからないんです。お母さんのいう可愛いを、私が続けていていいのかって。夢中になれるものもないから」

「だったら、見つければいい。きっと、君のしたいことを見つけられるはずだ」

ありがちなセリフだと自分でも思う。それでも、引き留めないといけないような気がした。

彼女にとって夢中になれるものが見つかるか、ではなく彼女を引き留められるかだけで話を続けていた。


「……そう、ですね。ありがとうございます」


説得を続けて、ほんの少しだけ明かりが見えた気がした。

いまだに迷っている様子ではあるが、きっと才能はある。根拠のない自信が俺にはあった。

親御さんについては、どうにか口出しを多くしないようにしてもらいたいけれど。


「改めまして、佐久間まゆです。よろしくお願いします」


ゆっくりとお辞儀をする彼女に、契約関係の書類を持たせて返す。

社長にはここへ来る旨は話してある。これで晴れて、佐久間まゆは当社のモデルとなった。

――

翌日親御さんが乗り込んできたのには流石に苦笑したが、それ以外は順調だ。

彼女は確かに才能があって、求められたことには大抵応えられる。

この若さでは珍しいとも考えたが、親御さんのことを思えば当然とも思えた。


モデルは、読者に対してある程度親しみを持ってもらえるほうが売りやすい。

そういった意味で、触れがたいほどの雰囲気を出さない彼女はやりやすかった。

少なくとも、もろもろの経費を取って使い捨て……というのを惜しく思う程度には人気も出てきていた。


事務所のエース、とまではいかないまでも仕事を作れるのは、やはり大きい。

編み物についてのコラム。女の子らしさについてのお話。恋をすることのお話。

彼女はたいていのことはそつなくこなしてくれて、話をまとめる力にも長けていた。


きっといろいろな指示を受けているうちに身に着けたものなのだろうと思うと複雑な気分にもなったが。

それを武器に転じられるのならば自信にもつながるはずだと信じて。

活動を初めて早くも半年が過ぎて、彼女は小さなコラムを自分のものにしていた。

そこに載っている文章は、始めたてのころに比べれば少しだけ自由で内面に触れられそうだと思える内容だった。

最初のころはあまりにそつがない文章に面白みがないとまで言われたのだが、今ではなかなかに好評だ。


「今回のコラムもよかったよ。それで、いくつか仕事があるんだけれど――」

服のモデル。うちの事務所が一番強い方面であり、武器だ。

そこに写っているのは真っ赤で可愛らしいリボンをあしらった、ピンクの衣装。

普段使い、なんてものではないけれど。こういったものも需要があるらしい。


我が事務所のエースには少々可愛らしすぎるだろう、と苦笑していたのを見てならばとまゆを推したのは他でもなく俺だ。

きっと似合うだろう。イメージ的にも、ぴったりだ。まゆは「嬉しいです」と言うと、深々と頭を下げた。


「いつも、ありがとうございます。私が何がしたいのかなんて、私にもわかっていないのに」

「気にすることじゃない。最近は向こうから依頼が来るぐらいなんだから」


多少の誇張はあれど、悪くないというのは事実だ。

これならば、テレビにだって映る日は遠くないだろう。本気でそう思い、俺は誇らしくなった。

まゆはまた少しだけ、困ったように笑っていた。

――

撮影自体は問題なく終わった。

カメラマンさんからも好評で、また是非とまで言ってもらえたほどだ。

彼女自身も気に入ったようで、また同じような仕事がしたいという希望をしていた。


今回は様々な事務所からモデルを集めていたが、間違いなくまゆが一番だった。

まだまだ売れていない新人アイドルなどもいる中で、彼女は間違いなくモデルとしての条件を完璧に満たしていた。

衣装に飲まれることなく、衣装を飲むこともなく。ヴィジュアルでの売り込みはあまり強くしてこなかったが、もっと増やしてもいいかもしれない。


報告をしたら、社長も上機嫌で「もちろん」と約束をしてくれた。

まゆも喜ぶだろうか。そんな事ばかり気になってしまっていたが、これで二人三脚頑張っていくための階段が見えたような気がしていた。

どうやら、予想は的中したらしい。

まゆは様々な衣装を見事に着こなして、自らの活動の場を増やしていた。

ヴィジュアル面でのモデルは、ともすればこれまでの層と喧嘩するのではないかとも思ったが嫌味にならないのはひとえに彼女の魅力だろう。


ねぎらいの言葉を投げて、差し入れをして。

彼女のやりたいことの輪郭が見えてきているような気がして嬉しかった。

親御さんも、このころにはこちらを信頼してくれたらしくまゆにもそれほど口うるさくは言わなくなったらしい。

やっと、ついに。彼女の夢のスタートが見えたんだ。彼女が望むのなら、どんな仕事も見つけてみせる。そう誓った。


モデル、コラム、次は声を武器にできるようにラジオやテレビを目指そうか。

しかしそちら方面には強いコネもない。それでも彼女がやりたいことを見つけられるなら惜しくないと思っていた。



「――マネージャーさん。私、やりたいことが見つかったかもしれません」

「本当か!? よかった、それっていったいどんなことなんだ?」


まゆがそう言ってくれた時。本当に嬉しかった。

彼女が見つけたいと言っていたもの。2人でやってきたことの先が開けた気がした。


「私。アイドルになりたいんです」


なるほど。だったら、なおさらラジオやテレビを目指さなければならない。

歌やダンスの方面には、うちの事務所は明るくない。だが、問題ないはずだ。

具体的な未来が見えればやる気だって沸いて来る。社長を説得して、展開を広げてみせる。


「だから、移籍します」

「……え?」

「……移籍? 冗談きついぞ、まゆ」

「本気です。私は、アイドルになりたいんです」


その目は冗談を言っているようには見えなくって、思わず後ずさりしそうになった。

なるほど、確かに具体的な夢が見えたのならうちの事務所はハンディなのかもしれない。

それでも、ここまでいっしょに頑張ってきたのにあまりにも焦りすぎている気がした。


「そんなに、焦らなくてもいいじゃないか。大丈夫だ、うちの事務所からだって――」

「それじゃダメなの」

遮るようにまゆが言う。普段の穏やかさが嘘のようだった。

何かのっぴきならない事情があるのではないか。そう感じさせるほどに強く、彼女が続ける。


「お願いします。これまでずっと、お願いを聞いてきたんですから。一度だけ」

「一度だけ、って……移籍したら全部変わっちゃうじゃないか。だって、いっしょに頑張ろうって約束しただろう?」

「……約束?」


本気でわからないように、まゆが首を傾げた。

俺は覚えている。まゆが夢中になれるものを見つける約束だ。


「所属した時に、言ったじゃないか。夢中になれるものを見つけるって」

「……ああ、はい。確かに言いました……私が夢中になれるものを見つけましょうって」

――だからと続けて、まゆが言う。

「いいですよね。見つけられたんですから……応援、してくれますよね?」


そんな意味じゃない。そう言いたかったはずなのに。

彼女の見たことのない表情を前にして、「考えさせてほしい」としか言えなかった。

正直、わけが分からない。


親御さんへと連絡をして、彼女の焦りに心当たりがないかを聞いてみることにした。

例えば、身内の病気で、だとか。彼女の仕事の賃金へ不満、だとか。

帰って来たのは「一切心当たりがない」ということだけだった。


確かに、アイドルらしいアイドルは難しいかもしれない。それでも、不可能ではないはずだ。

事務所にとってもそれなりに育ってきた弾だ。社長だって反対するだろう。

そう思って、社長にも問い合わせるがどうも歯切れの悪い言葉しか返ってこなかった。

詳しく問い詰めると、まゆ自身が持ってきた移籍についての案件があまりにも条件がいいため首を縦に振るつもりらしい。

先ほど親へ連絡した時に、そのあたりの話は一切なかった。なら、自力ですべて行ったとでもいうのか? ふざけている。

「いいんですか? まゆは今、売り出し中なんですよ!」


惜しくないのか。これからが、彼女にとっての飛躍の場に違いないのに。

そう言う俺を竦めると、社長は彼女が持ち出した移籍案件を見せた。


「彼女はいいモデルだ。だが、アイドルにできるとお前は本気で思ってるのか?」

「……できます。きっと、才能もあります」

「うちの事務所で、なれるのか?」


我が事務所はそれなりの規模だ。

ファッションモデルや、コラム。テレビ露出も時折。

その程度のレベルであり、新しい展開……特に歌やダンスの方面に力はない。

「なら……彼女のためにも諦めていいんじゃないか?」


確かに、彼女を止められる理由はない。

約束したのは彼女がしたいことを見つける、ということ。

それが我が事務所で不可能なら、移籍は妥当だ。

むしろ彼女のための決断でもあるだろう。条件だって、悪くない。


「……わかり、ました。まゆのためにも」

「ああ。それに最近は希望者も増えているんだろう? 良いことじゃないか」


確かに、書類の数は少々増えた。

エースの仕事も増えているし、順調この上ない。だからこそ、まゆを失うのが悲しいことこの上なかった。

――

翌日、まゆを呼び出して話を始めた。

これまでしてきた仕事のこと。コラムでの自分の出し方。

積み重ねてきたものを確かめるように、ひとつずつ。まゆはただ静かに聞いていた。


「これまで、まゆはうちの事務所でいろんな経験をしてきたと思う。それが活かせることを祈ってる」

「……それって」

「おそらく、社長は首を縦に振るよ。うちの事務所はまゆをアイドルにできないから」

「そうですか……ありがとうございました」


淡々と、まゆが言う。別に泣いて惜しんで欲しいのではない。

それでもなんだか悔しかった。自分がしてきたことはなんだったのだろうと。


「……どうしてだ」

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