ぬこしこの山(27)

僕の名前は、濡古田(ぬこた)四小太郎(しこたろう)。
昨年大学を卒業し、仕方なくブラック企業で働き始めた今年24歳になるチェリーボーイである。
仕方なくというのは、元々労働なんてクソ食らえだし、実家で生活する手前、親がうるさいからだ。
もし、僕に十分な資産があり一人暮らしをしていたなら、仕事なぞするはずもない。
嫌々ながら通勤し、手当てもつかないのにサービス残業をする日々に、僕はうんざりしていた。
普通、残業手当がつかないなら転職を考えるものだが、僕にとっては、そんな思考すらありえないのだ。
もちろん、こんなブラック企業は今すぐにでもやめたいのであるが、今の会社を辞めて他に就職するなどもってのほか。
今の会社が、僕の最初で最後の職場であり、そこを辞めたらもう二度とフルタイムの仕事なぞする気にはならないのである。
労働とは、あの憎むべきBOW氏と同じくらいに、僕が最も忌み嫌っているものの一つなのだ。
そんなうんざりする日々の中、僕を癒してくれるものは深夜アニメだけである。
クソつまらないアニメの中から、かわいいズリネタを探し、シコシコするのは至上の喜びである。
特に幼い女の子が僕の大好物だ。
ライフークのニコ生で、よくロリコンなどとリスナーに言われて不本意なのであるが、確かに認めざるえまい。
3次元成人ビッチ女など、2次元生娘(きむすめ)美少女には比べるべくもない。
2次元こそが至高であり、そこが僕のパラダイスなのだ。
2次元美少女がこの世界のどこにも存在せず、ただの画像情報だということは目を伏せたまま気にもしない。
そんなことを気にしていては、僕が目指す理想郷にはたどり着けない。
だが、そんなささやかな至福の時間さえ、忌々(いまいま)しい労働が蝕(むしば)み始めている。
出社時間の都合で深夜アニメを見逃すなど、意地でもしたくないのだが、最近はそうも言っておられなくなってきた。
睡眠不足で集中力を欠いていると、ただでさえ不快な労働中に、
上司や同僚から、さらに不快になるような嫌味を言われるからだ。
そんなときは決まって会社のトイレにこもってスマホで2chを荒らすのだ。
この憎たらしい労働は、僕の唯一のやすらぎさえ奪おうというのか。
いい加減我慢の限界である。

そんな折、両親が田舎の本家に帰ろうと言い出した。
せっかくの貴重な休日を侵(おか)す気か?勘弁してくれ、と思ったが、
どうやら、体調思わしくない田舎の爺さんが生前(せいぜん)の財産分与をするらしい。
無論、孫の僕にすぐ関係する話ではないが、僕の両親の取り分が多くなれば、
必然的に僕の相続が増え大勝利もありえる。
仮に一億も相続できれば、質素な生活を心がけている僕の一生はもう安泰だ。
まあ、そこまでの大金を期待しているわけではないが、
相続額によっては今の生き地獄から開放される希望も見えて来る。
親戚に会うのは全く気のすすまないことではあるが、今回はカネのために行くことにした。
僕の本家は人里離れたというほどではないが、四方山に囲まれたかなりの田舎で
コンビニやスーパーに行こうと思ったら、数キロは歩かなければならないほどの
暮らすには自動車必須の不便なところである。
鉄道好きな都会っ子の僕にとっては、場所柄(ばしょがら)からして性(しょう)に合わない。
とはいえ、田舎の空気は意外とおいしく感じるので、安い物件があれば、
こういう田舎でのニート生活も悪くないなと思うのであった。
さてさて肝心な僕の財産はどうなることやら。
残念ながら、僕は調子の悪い爺さんのお見舞いに来ただけという体(てい)なので、
相続に関する話合いからは自然に締め出されてしまった。
まあいっかと思いながら、スマホをいじって2chを荒らしているうちに話し合いが済んだようだ。
父の話によると、すぐ近くの山ひとつが父の相続分になるらしい。
え?山って高くないよな?しかも、こんなド田舎の山は。マツタケでも取れたら別なのかな?
と思いながら、詳しく父に聞いてみると、
どうも資産価値でいえば、200万になるかならないか程度のようで、とんだ期待はずれだった。
ちっくしょう、200万ぽっちじゃ3年ニート生活できねえよ!と心の中で叫び地団太を踏んだ。
この結果にムカムカして、さっさと帰って録画がたまっているアニメでも消化したかったが、
両親はもうしばらくここにいるということで、
車で一緒に来たため、僕だけ帰れるはずもなく、またもや手持ち無沙汰になってしまった。
もう今日はいい加減レスのつかないスレを荒らすのも飽きてきたので、
父に相続されるという山の場所を聞き一人で見に行ってみることにした。

歩くこと十数分、その山は資産価値200万程度にしては随分大きく見えた。
へえ、これだけでかくて木が生(お)い茂ってれば、200万以上ってのも、もしかしてあるんじゃないか。
万が一の期待をかけて僕は自分で山の価値を見極めたい興味にかられ、山道の入り口を探した。
ところが、ある程度山を周回してもこれが見当たらない。
らちが明かないので、歩けそうな場所から強引に山に入ってみることにした。
足場はととのっていないが、まあ、登れないこともない。
と、目を山頂の方に向けた、そのとき、木々の合間に白っぽい服を着た人影が見えた。
一瞬ギョッとして立ちすくんでしまったが、目をよくこらすと子供のようだ。
この場所からは後ろ姿しか見えないが、しかも、年端も行かない女の子であると僕の本能は直感した。
ニヤリッ、邪悪な笑みが僕のお世辞にも整っていない顔に浮かぶ。
・・・この山は僕のいずれ相続する場所。
つまりここに勝手に立ち入るってことがどういうことか、
少しお仕置きしてやらなきゃなりませんねえ。ドゥフフ・・・
そう考えるだけ考えたけど、結局犯罪者になりたくない僕はそのまま立ち尽くしていた。
そもそもコミュ障の僕は子供にさえ、自分から話しかけるようなことはできない。
まして脅すなど
そんなことを考えていたのも束の間、その子は林の中にどんどん分け入って進んでいく・・・
え?こんな足場の悪い道もない山を登るのか?ちっとやばいだろ
さすがに直前にしていた不謹慎な妄想に関係なく、
少なくとも危険だと注意すべきだという使命に駆られ、僕はその子の後を追った。
その場で大声で声をかければ済む話なのだが、そんなこと出来りゃコミュ障なんてやってねえよ。
相手がこっちに気づく距離まで近づいて、僕の存在を認知してもらってから始めて声をかけられるんだ・・・

しかし、どうしたことだ。
大人のこの僕が一歩一歩足場を確かめて進まざるえない山道をあの子はなんなく登っていくではないか。
僕が悪い足場に四苦八苦している間に、その子は林の奥へ消えていった。
子供の姿が見えなくなって僕は立ち止まりしばらく考えた。
薄々感じてはいたが、もしかして、いや、もしかしなくても、あの子が人間ではないのではないかという予感。
そういったものに怖いもの見たさで興味はあったが、いざ実際体験してみると背筋に寒いものが走った。
やめるか・・・
そう、僕は実にあきらめのいい面倒くさがりであるという長所もあるのだ。
ニコ生でリスナーからすすめられることを「今度やってみましょうかねえ」とか
「あとで見ておきましょうかねえ」とよく言うがやったためしがないし、やる気もない。
人間じゃなかったら怖いし、人間であってもどこの誰ともわからない子に注意するためだけに、これ以上骨を折るのは割に合わない。
そもそも後姿しか見ていないから、あの子がかわいければいいが、
3次など、ろくでもないのは火を見るより明らかである。
そのろくでもない結末を目(ま)の当たりにしないうちに引き返したほうが、
後姿(うしろすがた)から妄想を膨らませてシコれるというものだ。
帰ろう、そう思って振り返った瞬間、我ながら尋常ではない動揺が全身を駆け抜けた。
山のふもとが見えない?!
この山に入って、たいして歩いた気がしないのに山のふもとの林の切れ目が影も形もない。
何かの勘違いに違いないと思い、急いで悪い足場をもたつきながらも、登ってきたと思われる道なき道を戻った。
つもりで歩いたのだが、果たして僕は自分が山を降りているのかわからなくなった。
降りるつもりで歩いていたが、もはや下に向かって歩いてはいないようだった。
林の奥に見えるのは林、また林。
マジかよ・・・
ここに至って、自分がやっかいなことに足をつっこんでしまったのだとようやく自覚した。
クッソッ、こんなことなら大人しく2chでも荒らしておくんだった、と考え、ハッと気づいた。
そうだよ、スマホがあるんだから、いざとなったら、親に連絡つくし、そんな酷い状況でもないな、
と楽観的に思いなおしポケットからスマホを出して見て絶望した。
バッテリー切れとかありえん・・・

少し呆然(ぼうぜん)としていたが、とりあえず状況を整理するべく冷静になった。
とりあえず、山から出られれば問題はない。
幸いまだ明るい。山のふもとがわかれば、たいして歩いたわけでもないし、すぐ戻れる。
問題は、戻れるべき場所に戻れないこと。
こんなことは本来ありえない、しかし、こうして遭遇してしまった。
認めたくはないが明らかに、超自然的な何かに惑わされている。
やはり、あいつか・・・
人間ではないのかという予感は多少あったが、確信に近づきつつあった。
普通の人ならパニックになってもおかしくないところだが、僕は割りと冷静だった。
過去何度か新小岩駅でグモる自分を想像したことがある。
サビ残続きのブラック企業で働き始めてからは、特によく考えるようになった。
実際に実行はしないが、そう考えるとなぜか気が楽になる自分に気づく。
この先40年間正社員として奴隷生活を送るくらいなら、そっちのがマシだからだ。
確かにまだもう少し生きて、アニメを見て、かわいい女の子を発掘し、シコっていたいという思いもあったが、
同時に、日々の会社勤めから逃れるべく死への誘惑もあり、
殺せるものなら殺してみろ、という自暴自棄な思いが僕の足を動かした。
僕は山のふもとに戻るのをあきらめ、あえて、あの子供が去ったと思われる方向へ歩みを進めた。
人間でないとわかったんだ、やってやる、やってやるぞ、グヘヘ・・・
僕は2次元幼女にいたずらする妄想をするときは、いつも、
あのジョジョの奇妙な冒険第三部で承太郎のスタープラチナが敵を蹴散らすときの掛け声をリスペクトし、
オラ、オラ、なめろ、オラ、股開け、オラ、と妄想の中で、幼女を言葉攻めするのだ。
それをついに実行に移すときが来た。

しばらくの間、悪い足場に悪戦苦闘しながら歩いた。
ふと気がつくと、山頂に続くと思われる道というにはお粗末な獣道が目の前にあるではないか。
僕は少し迷った。
この道を下れば、普通に山のふもとにたどり着けるだろうが、ここまできたら、あいつが何なのか確かめてみたい。
その衝動が僕を歩かせた。ここはもう僕の土地だ。なんであろうと勝手なことはさせんぞ!
とはいえ普段山など登ったことはないので、少し登ってすぐに体力が底をつき息が切れた。
もうやめよう・・・道も見つけたし・・・
再び例のあきらめ癖が顔を出したが、道の先を見ると小さな小屋があり、そこで道は途絶えていた。
もう一息とばかりにブヒーブヒーと息を切らしながら、小屋に近づいてみると、小さな神社のようであったが、
賽銭箱も願掛けの際鳴らす鈴もなく、酷く風化した、神社というにはあまりにも粗末で小さな社(やしろ)がそこにあった。
さらによく見ると社(やしろ)前面の格子戸の前にちょっとした木製の台座があり、
その上に小さな狐の木彫りの置物がちょこんと鎮座していた。
こんなんじゃ強い風が吹いたらすぐ吹っ飛んじゃうだろうけど、台座に固定されてるのか?
と狐の置物を触ってみようと手を伸ばした瞬間・・・

「これ!!触るでない!」

突然背後から甲高(かんだか)い怒鳴り声が聞こえビクッとして振り向くと
そこには年の頃10歳前後と思われる白い着物に赤い袴の
巫女装束を着た金髪おかっぱ少女が眉を吊り上げて僕を見上げ睨みつけていた。
後ろからいきなり怒鳴られて、肝を潰すほど驚いたのはもちろんだが、
僕をしばらくの間放心させたのは、その少女の異様な容姿であった。
髪型はおかっぱであるが、その金色(こんじき)色の側頭部には明らかに獣の耳とおぼしき物体が突き出ており、
また、袴の横から尻尾と思われるものが見え隠れしている。
小さな口からは犬歯がちらちらと光り、つりあがった眉は太く、
その下のくりっとした大きな瞳はらんらんと赤く燃え上がり、
漆黒の瞳孔は縦に細まり、僕を険しく見つめていた。
僕が半ケモナーだからかもしれないが、人間離れした容貌でありながらも、
僕にとってはすばらしく調和されたように見え、神々しくさえあり、
図らずもその小さな怒りの化身に見とれざる得なかった。
ちなみに今期は獣っ子大好きな僕が最も楽しみにしているクソアニメ、Dogdays3期がはじまったのだ。

「わしの母上からさっさと離れよっ!!」

この置物がお母さんなのかという疑問がよぎったが、あまりの剣幕に僕はだいぶ後ずさった。

「なんとか言ったらどうじゃ!口がきけんのか!!」

「・・・す、すいませんでした、はい・・・」

甲高いが、かわいらしい声の怒号に圧倒され、やっとのことで絞り出したのは僕がいつもニコ生で口走っている口癖だった。

「おぬし・・・」

そう言い、幼女は僕の周りを歩きながら、
険しい表情は崩さないままで値踏みをするようにジロジロと僕を観察した。

「・・・気色(きしょく)悪いのお」

この瞬間、僕の体は電流が走ったような感覚に襲われた。
初対面のしかも人外の幼女に、はじめてされた評価がキモいとは・・・
僕は屈辱とも歓喜ともわからない感情に飲まれたまま言葉を失った。

「・・・それで、わしの山に何の用じゃ?
 道に迷ったようじゃったから、帰り道は示したはずじゃが、なぜここまで来たのじゃ」

僕に脅威や害意がないと見てとったのか幼女は若干表情の険を解き尋ねてきた。
しかし僕は《わしの山》という言い回しが聞き捨てならなかった。
ここは僕の山だ!いや、正確にはまだ僕の山ではないが、
いずれ必ず僕の所有物になるはずの山。
そんな僕の土地で偉そうにふんぞり返って大人を怒鳴りつけるなど言語道断。
躾(しつけ)が必要だ!

「こ、ここは僕の山・・・です・・・」

消え入りそうな震え声で言ったのだが、この子は頭の耳をピクッとさせ一瞬呆(ほう)けたような表情をした後、また険しく僕を睨み付けてきた。

「ここはわしがずうっと前から住み暮らしておる山じゃ!何をもってお主の山と言うのか!言うてみよ、こわっぱ!!」

先ほどの怒号に勝るとも劣らない調子で怒鳴りつけられ、僕は「ひぃ~、すいませんでしたぁ」と頭をかかえて座り込んだ。
大(だい)の大人が幼女にすごまれて萎縮している様(さま)は客観的に見ればさぞかし滑稽(こっけい)だろうが、
このとき僕はこのお狐幼女がとても大きく恐ろしい存在に思えていた。
あまりに僕が怯えていたからか、幼女は多少優しげな声で語りかけてきた。

「お主、名はなんという?」

「ぬ、濡古田 四小太郎 です・・・」

「濡古田・・・ そうか!お主、小次郎の子孫か!
 どうりで・・・ いやいや、全然小次郎に似ておらんな
 子孫がこんな気色悪くなるとは、なんぞ悪い呪いでもかかったのかのぉ」

ここまで言われて僕は無償にやりきれない気持ちになり嗚咽を漏らして泣き出してしまった。

「なんじゃ なんじゃ 情けない男じゃのお・・・」

その声からは先ほどの怒りは既に消え去っており、
幼女は僕の隣に座り、はるか遠くを見つめるような目をして懐かしげに語り始めた。
小次郎という僕の先祖らしき人は、幼い頃、山遊びをしている最中に、
この山の深みで足を怪我して動けなくなったということだ。
運悪く捜索し難い場所で、探しに来る人もなく、
段々衰弱していくのを不憫に思い、幼女の母狐が
木の実やら果物を運んであげていたらしい。
ある日、偶然通りかかった猟師が母狐を射抜き、
子狐も仕留めようとしたところ、小次郎が這いながら大声でそれを止めたという。

「わしの母上は小次郎を助けたが、わしも小次郎に助けられた・・・
 その社は小次郎がわしの母上を思い一人で作ったものじゃ
 わしの母上がおらねば、お主も今ここにはおらんかったのじゃ、
 少しは感謝してもばちは当たらんぞ」

思いもかけない話にいつの間にか僕の涙は別のものに変わっていた。
僕は自分の命をあまりありがたく思ってはいなかった。
高校時代はずっとぼっちでトイレにこもって2chを荒らす日々。
大学に入ってもさして親しい人もできず、楽しみといったら深夜アニメだけ。
気楽な学生時代が終わると、今度は労働の義務が僕を苦しめはじめた。
自殺を考えるほど追い詰められてはいなかったが、
どこか自暴自棄にこんな人生いつ終わってもかまわないという思いがあった。
それが今少しだけ変わった気がした。

「狐には名前なんぞ必要ないがの。
 小次郎はわしのことをコンと呼んでおったぞ。
 それがわしの名じゃ。濡古田 四小太郎、ぬこしこよ
 わしの母上はお主の命の恩狐なのじゃから、
 わしのことはコン様と呼んでもくるしゅうないぞ」

そう冗談ぽく言って微笑んだ人外の少女は例えようもなくかわいく僕の目に映った。

・・・気づくと僕は雑木林の中に立っており、
あたりを見回すと、そこが山に入ってすぐの場所であるとわかった。
どういうことだ?僕の妄想が暴走し、白昼夢を見せていたのであろうか。
しかし、コンの笑顔はまだ強烈に目に焼きついている。
それに日はだいぶ落ちているため、ここに来てから随分時間が経っているようだ。
もう一度確かめに行こうか少し迷って僕はやめた。
そういえば今日はBSであのクソアニメDogdaysの特番があったのだ。
はやく帰ろう。
僕はきびすを返した。

Dogdaysの特番がクソだったことや今期のラノベアニメが
どれもこれも見るに耐えないものだったこともあるが、
それからの一週間は何をしていても、あの山で体験したことが頭から離れなかった。
次の土曜日、僕はあの体験が夢か妄想か確かめるため、また山に行くことにした。
自慢ではないが、僕は車の免許を持っている。
あの尊敬すべきF氏さえ途中で断念した試験を見事合格したのである。
そんなわけで、親に行き先は内緒で一人出発した。
車を走らせること、約1時間半、不思議と短く感じられた。
あのF氏も派遣仕事を最近始め通勤時間が片道1時間半らしいが、こんなものなのだろうか。
田舎であるので、平気で人気のなさそうな目的地の側に路中し、歩いて山に向かう。
爺さんの家が近くにあるが、挨拶になどいくわけもない。
僕の目的はお狐幼女なのだ。
果たしてあれは幻だったのか、それを確かめに来た。

僕は以前見つけられなかった山道の入り口を再度見つけてみようと山のふもとを周回してみた。
すると、前は見覚えのない獣道らしきものがすんなりと見つけられた。
もしかしたら本当に?自然と鼓動が高まる。
あせる気持ちを抑え、その獣道の先へゆっくりと歩みを進めた。
しばらく山を登ったが、疲労をしているはずが、興奮のせいか全く気にならなかった。
そう、ここは見覚えがある。
この少し先には・・・「あった・・・!」
思わず声を出してしまった。
そこにはあの寂れた社があの幻の体験のときと同じようにたたずんでいた。

「なんじゃ、また来たのか」

僕がその存在を認めるのより早く、かわいらしい声でそう僕に呼びかけたのは
まぎれもない、あの天使、僕の狐耳幼女であった。
社の狭い縁側に座り袴から少し生足を出しながら、プラプラする姿は
僕のお出迎えのポーズとしては100点満点である。
しかも今度は最初に出会ったころと違い、その表情は非常に穏やかだ。
こいつあ、たまんねえぜ!

「お主・・・相変わらず気色悪いのお」

そう少々引き気味に幼女に言われ気づいたのだが、どうやら僕はにやけていたようだ。

「す、すいませんでした、はい・・・」

幼女の遠慮のない物言いに、少し興奮したが、
またしてもニコ生の口癖を口走ってしまった。

「それで、また何の用じゃ?」

「コ、コン様
 この前のお詫びにお供えものを持って参りました」

幻が現実だったときのため、妄想でシミュレーションし
あらかじめ用意していた台詞をどもりながらも言うことに成功した。

「ほうほう、良い心がけじゃ、くるしゅうないぞ」

コン様と言われたことが余程嬉しいのか、
幼女は見るからに機嫌を良くしニコニコしながら近づいてきた。

「して、どんな供え物じゃ?」

キラキラと目を輝かせて聞いてくる幼女に
僕は少し意地悪をしてもったいつけてやりたかったが、
また怒鳴られてはかなわないので、急いでリュックを明け、
ここに来る道すがらコンビニで買った、いなり寿司のパックを取り出した。

「おおー!おおー!それはいなりではないか!おおー!
 なんじゃ、それをわしに・・・いや、母上にか、もって参ったのか?
 おおー!なんとこれはいなりではないか!おおー!」

単に稲荷神社っぽかったから、安直にいなり寿司を持ってきたのだが、
幼女の異常な食いつきようと興奮に僕はおどろいてしまった。
正直言うと個人的にはいなり寿司が好きではないので、
これほどの反応をする人がいるなど予想だにできなかった。
僕は早速パックを明け、いなり寿司のトレーを幼女に差し出す。

「な、なんじゃ、食うてよいのか?!わしが?これを?」

「は、はい」

「お、おおお~、いなりなど食うのは何百年ぶりじゃろうのお!!」

幼女はいなり寿司を持ったまましばらく感慨にふけっていたが、
意を決したようにぱくっと口に運んだ。

「う~ま~い~の~じゃ~!」

幼女は「うまいのう、うまいのう」と涙ぐみながら、
あっという間にいなり寿司三つ入パックの二つをたいらげてしまった。
その様子がとてもかわいらしく僕は見とれてしまったが、
幼女は三つ目に手を伸ばし、ハッと気づいたように手を止めた。

「お主、これを母上にも持ってきたんだったかの?
 ならば、これ以上食らうわけにはいかんの・・・
 いや、3つあったのだから、お主の分もあったのだな
 悪いことをしてしまったのう・・・」

幼女は声を落とし、しょんぼりした感じでうなだれてしまった。

「え、えーと、ここにもうひとつあるので・・・
 それに僕は食べないので大丈夫です」

僕はもう一つのいなり寿司パックをリュックから取り出した。

「おおー!なんということじゃ、今日は祭りか?祭りじゃな!」

幼女は小躍りして喜んだ。
僕は会社の昼に百円のパンを買うのさえ、躊躇するほどのケチであるが、
ここまで幼女に喜ばれると数百円の出費などなんでもなかった。
むしろ、また、もっと持ってきてあげようかと思うのだった。

「ぬこしこよ、お主顔に似合わず気がきくではないか。
 なんぞ望みがあれば聞いてやってもよいぞ」

幼女はいなり寿司を1パック平らげ満足気に僕に聞いた。
望みだって?いきなりそんなことを言われて僕はあっけにとられた。
この幼女が僕の願いをドラゴンボールみたいにかなえてくれるというのか?
何でも?願いといえば一生働かなくていいくらいの大金が欲しいってことだが、
そんなことをこの幼女がかなえられるとは思えない。
となるとだ・・・
この場でこの子がすぐにかなえられる願いなど一つしかないよなあ・・・グヘヘ・・・
そんなことを考えトリップして一人悦に浸っていたが、
気づくと幼女はじっと目を細めて僕を見つめていた。

「・・・お主、今不埒なことを考えておったな?」

図星をつかれ、僕は酷く動揺した。
この子、まさか、心が読めるのか?!
僕が慌てふためくのを無視し、幼女は続けた。

「たとえばじゃ、お主に思い人がおれば、その思い人との縁を成就させることが
 ・・・できるかもしれぬ」

年齢イコール彼女なし、絶賛DT進行中、
心は二次元に住んでいる僕にリアルの思い人などいるはずもない。
思い人といわれて僕が思い浮かぶのは
デート・ア・ライブの夜刀神十香ちゃんや
棺のチャイカのフレドリカちゃんや
天体のメソッドのノエルちゃん、その他もろもろだ。
それが成就するならぜひかなえてもらいたいものが。
しかし、そんなことがかなうはずもない・・・

「・・・思い人はいませんが・・・み、耳を触らせてくれませんか?」

僕は思い切ってそう言った。
いや、これは決していやらしい気持ちではなくて、
前々から、獣耳(けもみみ)少女の耳の仕組みがどうなっているのか
という学術的な興味があってですね、
獣耳少女は必ず左右の髪で人間の耳がある部分が隠れているからして、
人間の耳の場所にも耳がある二重耳なのか、
獣耳だけで人間の耳がない、人間から見れば不自然な頭部をしているのか、
知りたいという純粋な探究心からくる疑問の解決をだな・・・
と心の中でごちゃごちゃと言い訳をしていたが、

「断るッ!」

獣耳少女の返答は明白だった。

「・・・お主、よこしまな心が漏れ出ておるし、気色悪いのじゃ。
 なんとかせんとおなごが寄り付かんぞ」

ばっさりとやられ、僕は悲しくも悔しく、いっそすがすがしい気分になった。
僕は少し吹っ切れて、このクソ生意気な幼女に愚痴をぶちまけてやることにした。

「じゃあ、僕の話を聞いてください」

「お安い御用じゃ、なんなりと言うてみい」

幼女に促され、社の縁側に座るが否や堰(せき)を切ったように
僕は今の日本の社会がいかに歪んでいるか、
正社員信仰がいかに愚かなのかをマシンガンのように語りはじめた。
正社員のことをディスらせてたら、僕に右に出る者はいないのだ。
この幼女が理解できようとできまいとそんなことは関係ない。
これが僕を侮辱したささやかな復讐なのだ。

「つまり、なんじゃ、お主は働くのが嫌いなのじゃな?」

「いや、確かにそうなんですが、そういうことではなくて、
 こんな、人間を40年間も奴隷のように酷使するのが当たり前な
 社会的風潮が許せないわけですよ。
 人はもっと自由に時間を使って生きるべきじゃないですか」

「じゃが、お主はその大嫌いな正社員なわけじゃろう?
 よくわからんのお。
 なんで、みずからそんな大嫌いな生き方を選ぶのじゃ。
 嫌ならばやめればよかろうに」

「やめたら家から追い出されちゃうじゃないですか。
 働きもしないゴクつぶしを僕の親は許さないんですよ」

ここまで聞いて幼女は目を閉じ「ふぅ・・・」とため息をついた。

「働かぬくらいでお主の親はお主を追い出さんと思うぞ。
 人の世のことはわからぬが・・・
 お主の言っていることはわしには随分小さいことに思えるのお。
 銭が欲しければ、働けばよいし、いらなければ、働かなくともよいじゃろう。
 食いものにも住む家にも困らぬと、人はつまらぬことに思い悩むのじゃな・・・」

思わぬ言葉に僕は押し黙ってしまった。
小さいことと言えば確かにそうなのかもしれない。
ニコ生のリスナーにも考え方が幼稚だとよく煽られたものだ。
明日食べるものに困っているわけでもなければ、
住む場所もとりあえずはある。
家にお金を入れず、ケチくさい生活をしているおかげで
貯金ももうすぐ400万たまる。
僕のこの社会に対する不満は単なる贅沢なのだろうか。

「もっと気楽に生きるがよいぞ。
 この世にせねばならんことなぞ何もない。
 好きに生き、好きに死ぬことじゃ」

人間社会のことなど何も知らない、
生きているか死んでいるかもわからない妖怪(あやかし)がよく言うものだ。
僕はなんだかおかしくなって少し笑ってしまった。

「なんぞ、おかしかったかの?」
幼女は不思議そうに首をかしげ僕を見つめた。

「帰ります・・・」
見つめられることに慣れていない僕は、その視線に耐えられず荷物を持って立ち上がった。

「なんじゃ、もう帰るのか?」
幼女は少し寂しげなそぶりを見せ、僕はクラッときたが、
今日はクソアニメDogdaysの放送日、録画はしてきたが、
万が一にも生視聴を見逃すわけにはいかない。

「また、来ます」

「そうか、待っておるぞ。
 土産も忘れずにな」

と言い、幼女は満面の笑顔で僕を見送った。
正直帰るのがおしいほどかわいかったが、
3次幼女とDogdays、どう考えてもDogdaysの方が上である。
僕は社を後にした。

それから一週間というもの、僕は普段は反吐を吐くほど嫌いなサビ残も、さして苦もなくやりすごし生活できた。
週末、またお狐幼女に会いに行こうという思いが支えになっていたのだろうか。
しかし、運命はそう都合よくいかず、翌土曜日上司から休日出社を命じられた。
これだッ!これだからクソ社畜は嫌なんだ!
僕はバックレたくて仕方なかったが、なんだかんだ言いながら圧力に弱い僕は従わざる得なかった。
さらに翌週末僕はインフルエンザにかかって寝込んだ。
クッソ、どうせインフルにかかるなら平日にかからせろや、と毒づきながらも、僕は寝込んでいるしかなかった。
気のせいか寝込んでいるとき見た夢にまでコンが出てきて後ろ髪が引かれるような思いになった。

そして、次の土曜日再びあの山へ向かう。
あの子が大好きないなり寿司を持って・・・

しかし、現場について僕は愕然とした。
山がない!
正確には草木のほとんどすべてが消え去っており、大量の土砂のみが山だったときの名残を残していた。
急いで駆け上がり、社を探してみたが、その木片の一つさえみつけることはできなかった。

「コン様ー!コン様ー!」

柄にもなく大声で呼びかけてみたが、声は空しく響くばかり。

僕はその場で父に電話をかけた。

「山がッ!山がないよ!どうなってんの?!」

「・・・四小太郎、なんだいきなり。山がないって何のことだ」

「相続するはずの山がなくなってるんだよ!」

「相続・・・ああ、爺さんのか。
 あれなら国が公共事業で欲しいっていうんで売ることになったぞ。
 相場よりだいぶ高く買い上げてもらったし、
 固定資産税も払わなくてよくなって万々歳だ。
 それより、四小太郎、なんでそこにいる。
 この前行ったとき忘れ物でもしたか?」

僕は携帯を落とし、呆然としてしまった。
じゃあ、コンは・・・僕のお狐幼女はどうなってしまったというんだ・・・

「・・・四小太郎・・・おい・・・」

しばらく放心していたが、落とした携帯から父の声が聞こえてくるのに我を取り戻し、応えた。

「・・・ああ、落とし物したんだ。
 けど、この状態じゃもう見つからないな。
 たいしたものじゃないから諦めることにするよ・・・」

その後もしばらくあたりをあさってみたが、やはり社は影も形もなく、
僕のお狐幼女様は夢と消えてしまったことを思い知らされた。

帰ってDogdaysを見たが、なんでこんなクソアニメに夢中になっていたんだと不思議になり、
アニメの女の子のことなどどうでもよくなってしまった。
それからの僕はもう何の気力もなくなり、ニコ生もやめ、
会社の無断欠勤を続け、当然のように会社をクビになった。
働かなくなってからは部屋に引きこもり、
寝てばかりいるようになり、食事も細くなって、いつしか衰弱していった。

そして、ある夜気がつくと、指一本すら動かせなくなっていることに気づいた。

隣の部屋から僕の両親の話声が聞こえる・・・
僕はニコ生をするときは親の気配を感じただけで放送を中段するほど警戒していた。
僕の部屋と親の部屋はそれほど壁が薄いのだ。

「・・・どうなんだ、あいつは・・・」

「・・・だいぶ脈が弱くなってる・・・今夜あたりね・・・」

「・・・本当に証拠は残らないんだろうな・・・」

「・・・ええ、解剖されても大丈夫だと思う・・・」

「・・・思うじゃ困るぞ・・・」

「・・・心配しすぎでしょ・・・」

「・・・用心するに越したことはない、
 あいつのために手が後ろに回るのは御免だ・・・」

「・・・全くね、でもこれで少しは元が取れるかしら・・・」

何だ、この会話は・・・一体何のことを・・・
すぐに僕は恐ろしい考えに思い至った。
僕の親は、僕を生命保険に入れていたのだ。
以前からそれは知っていたが、まさかこんなことを実行に移すとは思いもしなかった。
指一つ動かないのは食事に何か盛られていたのだろうか・・・
今やもう呼吸さえ思うままにできない・・・
僕の両親は働きもしない僕を非情にも切り捨てることを選んだようだ。

コンは僕が働かないくらいで家から追い出さないと言ってたけど、
人生から追い出されてしまったよ・・・
こんなことならコンにエロいことをしておくんだったな・・・
最後に心に浮かんだ後悔は、なんとも下賤なものであったが、僕らしいと言えば僕らしい・・・

(・・・まったく・・・死ぬ間際まで気色悪い奴じゃのお・・・)

薄れゆく意識の中で、僕はあのお狐幼女の、そんな声を聞いた気がした・・・

ぬこしこの山 -完-

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