岡崎泰葉「どんな過去であっても」 (38)


 うちの事務所の看板作品になりつつある『聖靴学園』シリーズ。

 今日はその最新作の撮影初日だった。

 休日に私立の学校を貸し切って、いざ撮影スタート。

 今作では主演を担当する泰葉であったが、流石と言うべきだろうか。

 撮影は滞りなく進んでいき、気が付けばお昼の休憩時間。

 スタッフが準備したお弁当を一緒に食べながら、世間話をしていた時のこと。

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「あ、あのっ!」

 少し緊張したような声に、思わず二人で視線を向ける。

 そこに居たのは、今作にエキストラとして参加している女の子の一人だった。

 と言っても、どこかの事務所に正式所属している子役などといった訳ではない。

 うちの事務所が公式ファンクラブの会員向けに募集した、授業シーンでのクラスメイト役エキストラ。

 彼女は、少なくない応募の中から見事に抽選で選ばれた内の一人だった。


「わ、私……や、泰葉ちゃ……岡崎さんの大ファンで、そのっ……」

 今にも舌を噛みそうなくらいあわあわと緊張した女の子の姿。

 背丈は泰葉より10cmほど高くて年上に見えたけれど、そんな様子を見ていると年下だと分かる。

 彼女を落ち着かせようとするように、泰葉は微笑みと共に優しく声を掛けた。

 その甲斐あって緊張が解れたらしい女の子の話を纏めると――。

 ――実は自分も泰葉と同じで過去にジュニアモデルの経験があり、そして将来は可愛いアイドルになりたい。

 そんな彼女にとって泰葉は憧れの存在であり、ずっと応援しているのだとか。

 だから握手をして欲しい。それからサインと、出来れば写真撮影も。

 つまりはそういうことだった。


「いつも応援ありがとうございます」

 そう言って笑顔で握手した後、泰葉は女の子が用意していた色紙にサインをする。

 それから、ちらりとこちらに視線を向けた。

 間違いなくそれは“写真を撮っても大丈夫ですか”という確認だろう。

 流石は一部で『ミス・プロ意識』なんて呼ばれているだけはあると思う。

 ……本人がそんな二つ名をどう思っているのかは分からないけれど。

 少し考えて、写真に関しては特に問題無いと判断して頷いた。

 念の為に一応注意事項を伝えてみれば、ぶんぶんと首を縦に振りながら「もちろんですっ」と元気な声。

 そこはやはり、ジュニアモデル経験があるからなのだろう。

 そんな女の子からスマートフォンを受け取って、定番の撮影合図の声と共にカシャリ。

 ――ディスプレイには、柔らかい表情の泰葉と、少し緊張を感じさせながらも嬉しそうな女の子。


 とても丁寧にお礼を言って去っていく彼女に、自分の連絡先を渡した。

 何となく、プロデューサーとしての直感。

 彼女の後姿が見えなくなったくらいになって。

「ジュニアモデル、か……」

 それはまさに無意識的にと言うか、泰葉本人も意図せず口から零れた言葉のようだった。

 表情は先程までの明るいものとは打って変わって、どこか陰を感じさせるもので。

 やはり泰葉にとって、その頃の自分は思い出したくない過去なのだろうか。

 どこか重苦しくなった空気を払拭しようと何か話題は無いかと考えて。

 ふと、思い出したことが一つ。


「そういえば、実は俺もエキストラをやったことがあるんだけど」

 その言葉は思いの外、驚きを与えたらしく。

 目をぱちくりとさせて、「へっ?」と間の抜けた声を漏らす泰葉に思わず笑みが零れた。

 すると泰葉は少しキッとした表情で「笑わないで下さい」と口にする。

 けれども恥ずかったのか少し頬は朱に染まっていて、怖いどころか寧ろ微笑ましいくらいで。

 そんなこちらの心境が伝わったのだろう。

 泰葉はますます照れ臭そうになって、やがてそっぽを向く。


「こ、こほん……。それで、プロデューサーにはエキストラ経験があるんですか?」

 暫くして、あからさまな程にわざとらしい咳をして、話題転換を図る泰葉。

 そんなバレバレの態度に関してつっこむことはせずに、過去の記憶へと思考を巡らせる。

 あれは、そう――――。

「子供の頃、当然まだ東京に出てくる前のことなんだけど。実家の近くで撮影があってさ」

 とても都会とは言えない、どちらかと言えば田舎という言葉が似合う故郷。


「そんなの滅多にあることじゃないから、舞い上がった母親に無理矢理連れて行かれて……」

 さほど気の進まなかった自分を、半ば強引に引っ張っていく母の姿を思い出す。

 連れて行かれた先には既に見物客が集まっていて、その中には自分の見知った近所の人もちらほらと。

「まあ、でも……いざ現場に着いたら、興味津々にきょろきょろ見回したりして」

 物々しい機材に、多くのスタッフ。その中心に居る、『芸能人』と呼ばれる人達。

 特にピンとくる顔は居なかったけれど、子供ながらにどこかキラキラした印象を受けて。

 嫌々連れてこられたはずが、目の前の光景にすっかり心奪われていた。

「傍目にもよっぽど、その時の俺は楽しそうにしていたんだろうな。撮影の合間に監督が……」


 そこまで話して、ふと思う。

 ジュニアモデルと、子供時代のエキストラ経験。

 余り、話が変わっていない気がしなくもない。これは失敗じゃないだろうか?

 そんなことを思っていると……。


「……監督が?」

 泰葉が続きを促すように俺の言葉を繰り返す。

 その声の響きがどこか楽しげに聞こえて、俺は泰葉の顔を見た。

 視線の意味に気付いたのだろう。泰葉はくすっと少し笑みを零す。

「いえ、楽しそうにはしゃぐ子供のプロデューサーを想像したら、つい……」

 そう言ってまた、くすくすと小さく笑う。


「今の俺が『わぁ、すごい……』なんて目を輝かせてきょろきょろしてたらおかしいけど」

 仕事柄、今の自分にとっては撮影現場なんて最早珍しい訳でも何でもない。

 けれども、その時はもちろん生まれて初めて見る光景で。

「まあ、当時は好奇心旺盛な子供だったから、な」

 ――はしゃぐのも無理はなかったと言えるだろう。

 そんなことを思って言ってみれば、何故か泰葉は我慢出来ないとばかりに笑い声を漏らしていた。

「……え? 何か笑うところがあったか?」

 思わずそう問い掛ける。

「す、すみません……。ふふっ、さっきのプロデューサーの例え話を、頭の中でイメージしちゃって……」

 泰葉が笑う。それはそれは、とても楽しそうに。


 それはつまり、あれだろうか。

 ――子供のようなきらきらした瞳で撮影現場を眺めて、楽しそうにはしゃぐ大人になった今の自分。

 尚も笑う泰葉の頭の中に浮かんでいるだろう、そんな愉快な想像を打ち消そうと口を開く。

「あー、それでだな、監督が掛けてきた言葉だけど……」

 我ながら話題転換が下手すぎて、これでは泰葉のことを言えない。そんな風に思いながら。

「確か……」

 まるで頭の中の記憶を辿ろうとするかのように、虚空を見上げて話し始める。


「『坊や、そんなに興味があるなら君も出てみるかい?』」

 そんな感じだったはずだ。

 人の良さそうな年配の監督が、膝を曲げて子供の俺に視線を合わせるように。

 流石にその言葉を聞いた瞬間は呆然となるしかなかった。

 けれども、げに恐ろしきは子供の好奇心で。

 結果的には、俺はその申し出に元気に頷いていた。


 勿論、何か台詞があったりする訳でもなければ、物語に絡む訳でもない。

 文字通りのエキストラ。先程の女の子と一緒で、あくまでも背景として存在するだけ。

 ただでさえ活発な男の子。下手すれば退屈さを感じてもおかしくないけれど、それすら楽しかった。

 きっと子供ながらに、自分が何か滅多に出来ない特別な体験をしているのは分かっていたから。

 撮影終了後には出演者やスタッフの方達と一緒に記念写真を取らせて貰って、母と二人で帰路に就く。

 そんな、懐かしい記憶。


「もしかして――」

 話を聞き終えた泰葉は、ふと何かを思いついたような顔をする。

「それがきっかけだったりするんですか? プロデューサーがこちらの世界を仕事に選んだのは」

 言われて、苦笑する。

 もしもそうであったなら、それは中々に良いエピソードだった。

 子供の頃のふとした非日常的な体験が、将来進むべき道を決めた、なんて。

「いや、残念ながらそういう訳じゃない」

 けれども、事実は違うのだ。


 この仕事を選んだのは、たまたま今の事務所の社長に声を掛けられたから。

 本格的に就活シーズンが始まる少し前の時期。

 それでも、明確にこの仕事がしたい、と思えるような何かも見つけられず。

 取りあえず安定した仕事ならいい、とか。定年退職まで倒産の心配がなければいい、とか。

 漠然とそんなことだけ考えていた。

 そんな時に「君を見てティンときた」なんてよく分からない誘い文句でスカウトしてきた社長。

 断ろうと思った。アイドル事務所なんて、安定や平穏とは無縁そうだったから。

 自分のどこを見て、彼がそんな風に言ってきたのか分からなかったというのもある。

 それなのに、気が付けば社長の熱意に押されて……。

 こうして今、プロデューサーをやっている。


「そうですか……。もしそうだったら、ちょっと良い話だな、って思ったんですけど」

 泰葉の表情は少し残念そうだった。

「そもそも、エキストラのことも『そういえばそんなことがあったな』って今日ふと思い出したくらいだから」

 ――この話は、そこでおしまい。泰葉と交わしてきた沢山の世間話の一つとして埋もれていく。

 はず、だったのだが。


 仕事を終えて、自宅に帰る。

 シャワーを浴びて、一人で晩御飯を食べて。

 自室でくつろいでいた時、ふと、本棚の隅にある分厚い背表紙に視線が行った。

 普段は全く意識することも無いそれは、何年も前に上京で実家を出た際、母から送り付けられたアルバムだ。

 食料品やら生活用品やらと一緒に実家から届けられたもの。

 送って貰った直後は色々と忙しくて、のんびり見ている暇なんて全く無くて。

 生活が落ち着いたら、今度はわざわざ見ようとも思わなくなっていて。

 結局、見たのかどうかも記憶になかった。

 そんな、普段は完全に背景と化している背表紙が目に入ったのは、泰葉との会話のことがあったからだろう。

 ――なんとなく、手に取った。

 寝るまでにはまだ時間があるし、せっかくだから、と。


 懐かしいな、と思いながら捲っていく。

 最初は件の写真を真っ先に探そうと思ったのが、やはりアルバムと言うものにはそういう魔力があるらしく。

 気が付けば自分の幼少期から順になったそれをぺらぺらと眺めていた。

「あるとすれば、そろそろか」

 ページを捲るごとに、写真の中の自分が大きくなっていく。

 あの撮影の日くらいの年頃の少年へと成長した自分。

 ページを捲る。また捲る。そして、また捲って――――。

「あ、あった。これがあの時の……」

 そこにはあの日の瞬間を切り取った、一枚の写真。

 端から写った人達の顔を眺めていって、思考が止まった。


「これ、は……」

 おかっぱ頭の、小学校にもまだ入っていないだろう年頃の幼い女の子。

 視線が釘付けになる。

 ――いやいやまさか。でもこれは。そんな話が。いや、やはり。

 頭の中でそんな風に思考が愉快に一巡してから、俺はその結論に至った。

「これって……やっぱりそう、だよな……」

 言葉にしてみると、もうそうとしか見えなくなった。

 よく知っている女の子の面影を残す、幼い少女。

 彼女がこれくらいの年頃であれば、きっとまさしくこんな感じだろう。


 壁掛け時計を見る。

 アルバムを見始めてからそれなりに時間が経っていたけれど、まだ遅い時間と言う訳ではない。

 写真をスマホのカメラで撮影して、泰葉宛てのメールを作成しようとして、悩む。

 泰葉にとって子役時代は余り良い思い出ではない。

 それは例えば今日のように。

 彼女の様子からだったり、或いは直接言葉として聞いてのものだったりで知っていた。

 だからこそ、この写真を送っても良いものか考えてしまう。

 けれども――。もう一度、写真を見る。正確には、そこに写った泰葉の表情を。

「…………」

 そして、俺は送信ボタンを押した。


 ***


 驚きに言葉を失う、とは今の私のような状態を指すのだろうか。

 私はそんなことを考えた。

 ――ことの始まりは数分前に遡る。

 プロデューサー用に設定してある特別な着信音が鳴り、メールが届いた。

 ちなみに外出時はマナーモードにしてあるから、このメロディが流れるのは自室のみだ。

 どんな用件だろう、私はそう考える。

 仕事のスケジュールが変わったとかの大切な用事なら、まず電話で掛かってくる。

 そういう意味では、プライベートなメールなのだろうか。だとして、一体どんな内容の。

 私は少しだけ心を躍らせて、メールを開く。


 そして、視界に飛び込んできたのは……何かの集合写真。

 何気なく写った人達を眺めていって、私はある一点で視線が止まる。

 そこに写っていたのは――紛れもなく私だった。

 昔の、ジュニアモデルとして活動していた頃の自分。


 ――何時からだろうか。

 カメラというものが仕事の象徴みたいに思えるようになったのは。

 気が付けばプライベートでカメラを向けられることを避けるようになっていった。

 ちょうどお仕事で子供らしさを失い始めて、その影響が親子関係にも出始めていたから。

 家族写真なんかも殆ど撮った記憶がない。


 アイドルになってから、少しずつ毎日が楽しいと思えるようになって。

 それから、またプライベートでも写真を撮り出すようになった。

 友達と、家族と。事務所の皆と。

 だからと言って、ジュニアモデル時代の思い出が変わる訳では無くて。

 例えば私がアルバムを見る時。

 それは生まれてから芸能界に入る前まで、そしてアイドルになってから今まで。

 その二つの期間だけで。その間のことは見ないようにしていた。


 こうしてアイドルになるまでの、芸能界で過ごした長い時間。

 それは私にとって、辛い日々だった。

 心から笑った記憶もなければ、楽しいと感じた思い出もない。

 芸能界に入ってからずっと、誰かの操り人形のようにただ日常を過ごしてきた。

 そんな風に思っていたけれど……。


 写真の中の、昔の私の表情を見る。天真爛漫に笑う顔。

 自然な表情の練習のために、鏡で自分の作り笑顔は嫌になるくらいに見てきた。

 だから、自分には簡単に見分けが付けられる。

 これは、ありのままの笑顔で。

「こんな風に笑えていた頃も、あったんだ……」

 思わず呟いた声は、自分でも心底意外そうな響きを伴っていた。


 自分が忘れているだけで、楽しいと思える瞬間はジュニアモデル時代にもあったのだ。

 今更ながら、そんなことに気付く。

 たとえばこの笑顔は、与えられた役を頑張って練習して、ちゃんと本番でやり遂げられた達成感。

 そんな、心からの笑顔。

 ――プロである以上は出来て当然なのだから、そのことに喜びや楽しみを感じたりはしない。

 それがジュニアモデル時代の、私の一貫した考え方だと思っていた。

 もちろん、最後の方では確かにそうだったかも知れない。

 けれども、少なくともこの頃はそうではなくて。


 お仕事を終えた後に褒められたりしても、社交辞令だ、とか。

 やって当然なのに褒められる謂れはない、だとか。

 そういう冷めた想いを昔から抱き続けていた訳でもなくて……。

 私は改めて写真を見る。

 一緒に写った共演者やスタッフの人達。そして――エキストラとして急遽参加した、少し年上の男の子。

 彼らの前で、私は練習してきた演技を完璧にこなすことが出来て。

 ずっと頑張ってきたから、失敗せずに出来たことが嬉しい。

 その努力の成果を皆に褒められて、素直に喜んで。楽しいからこそ笑顔になる。

 そんな瞬間もあったのだ。

 アイドルとして幸せな時間を送る、今の私と同じように。


 だから――。

 あの頃の全ては嫌な記憶だったのだと、全部に蓋をしてしまうのではなくて。

 少しずつ、本当にゆっくりでいいから受け入れていけたなら。

 楽しい日々を送るアイドルとしての私と、辛い日々を送ったジュニアモデルとしての私。

 そんな風に区別して考えるのではなく。

 どんな過去であっても、その全てが今の私を構成しているのだから。


「あ……」

 まるで写真に刻み込まれた映像が脳内へと流れ込むかのように、鮮やかに記憶が蘇ってくる。

 そう、確かその時、私はプロデューサーと会話をしたのだ。

 彼からすれば、周りは全員年上の大人で、その中に年下の女の子が一人だけ。

 そしてその女の子は、エキストラの自分とは違って、他の大人達のようにちゃんと演技をこなす。

 とにかくそのことに心から驚いていたらしかった。

 すごい、すごい、と言っていたのを思い出す。

 普通の男の子……と言うには少し年上だったけれど。

 そういう相手に演技を褒められたりするのは初めての経験で、素直に嬉しい半面、少し照れ臭かったのが印象に残っている。


 まずは、そう……。

 この日の撮影のことを詳しく覚えているか、プロデューサーに訊いてみよう。

 お昼に話した様子だと、きっと覚えてないだろう。

 もしも私と話したことを覚えていて、さらにそれが将来的に芸能のお仕事に足を踏み入れるきっかけとなったなら。

 ――どんなに運命的だったか。そんなことを考えて思わず赤面する。

 けれどもその考えは既に否定されていて、それが少しだけ悔しくて。私はちょっと意地悪になる。


 もし訊ねた後、申し訳無さそうに「すまない」と謝罪して来たら、私は心底悲しんでいる風に喋るのだ。

 ――ジュニアモデル時代、彼も褒めてくれた子役としての演技力を発揮して。

 きっと、本当に私が悲しんでいると勘違いしてしまうだろう。

 慌てるプロデューサーの様子を浮かべて、私は小さく笑った。


おわりです。
ここまでお読み頂いた方はありがとうございました。

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