自分はあのとき死んだんだ… (13)
初スレ
地の文のみ
ヤマなし、オチなし、推敲なし
至らぬ点ばかりですが、読んで貰えると嬉しいです。
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朝は6時に起床する。
朝のルーチンを済ませ、授業の準備を再確認し、7時20分に家を出る。
晴れた日はバイクで学校に行く。
本日の連絡事項と配布物を確認し、最初の授業の準備をする。
時間になったら教室へ向かい、授業をする。
生徒からの評判は良くも悪くもない平凡な授業だ。
授業後、ある熱心な生徒の質問に答えてから職員室へと戻る。
課題を添削したり幾つかの授業を終えたら部活動を監督し、またバイクで家へ帰る。
翌日の仕事の準備を終わらせたら、ラジオでニュースを聞きながら大して美味しくもない夕飯を発泡酒で流し込む。
ベランダで一服した後シャワーを浴び、床に入って本を読む。
切りの良いところまで読み、24時前には就寝する。
刺激などないし、面白みもないが不満も特にはない。
恩師に憧れて教師になったはいいが、2年目に突入した教師生活も次第に慣れ、変わりない日々を過ごすようになった。
これからもそんな日々を過ごしていくのだと思う。思っていた。
ある朝、対向右折のトラックと衝突するその瞬間までは。
ビクッと階段を踏み外したような感覚で目を覚ます。ジャーキングというやつだ。
あまり自覚はないが、疲れているのだろうか。
会議中でなくて良かったと心から思う。
時刻は5時42分。季節は10月なので少し肌寒いが気合いで布団を畳む。
いつもより少し早いので、余裕を持って支度ができた。
今日はそこそこ良い天気ではあるがバイクに乗る気分にはなれず、車で行くことにした。
今朝見た夢が、自分の死ぬ瞬間が頭から離れない。
明晰夢というやつだったのかもしれないが、あまりにもリアルティのある夢だった。
突っ込んでくるトラックも、ひしゃげていくバイクも、血みどろの自分も鮮明に覚えている。
まるで、本当に自分が死んだのかと錯覚してしまうような、そんな夢だった。
あの悪夢のことは忘れようとハンドルを握りなおすも、ふと思い出す。
ここだ。
夢の中で、自分が事故にあった場所。
あのときと同じく、前のバンに続いて交差点に進入し、直進する。
一瞬、体が粟立つような感覚がした。
対向の右折車線、今にも飛び出さんとしているトラックはまさに自分を轢き殺した物だった。
いや、あれは夢だ。
だが、もし、今日もバイクで来ていたらあれは現実となっていたのだろうか。
本当にあれはただの夢だったのだろうか。
血だらけで横たわる自分の姿がまたも脳裏をよぎる。
あのとき、自分は確かに死んだのだと思えてならなかった。
幸い、生徒たちにも先生方にも自分の姿は見えているようだった。
しかし、自分が生きているという実感が薄いように感じた。
今までも「生きている実感」なんて感じたことはそうそうないのだが、今はそれがたまらなく欲しかった。
一時間目に自分が副担任をしている2-Bの授業が入っていたので教室に向かうと、よく質問に来てくれる熱心な生徒が談笑を持ち掛けてくれた。
そんな些細なことがとても嬉しく思えた。
話題は、今日は晴れているのにバイク通勤ではなかったことについてだ。
よく見ているなと思った。
夢のことについて話したかったが、他人の見た夢ほど荒唐無稽な話はないと思うので、バイクの調子が悪いということにしておいたら、バイク好きな生徒が数人、話に食い付いてきた。
現状自分のバイクは元気なので、過去の故障をまるで今日の出来事のように語ってみた。
セルがどうの、キャブがどうのと言う生徒たちに、本当にバイクが好きなんだなと感じたが、教師らしく、バイクもいいが数学も勉強しろよと言ったところで授業開始の鐘が鳴り、生徒たちは席に戻り始める。
例の熱心な生徒が、今日の先生は機嫌がいい、笑顔だと言ってきたが、今朝の悪夢もあるのでそんなことはないとだけ返しておいた。
今日は授業にも、雑談にも生きている実感が湧き、普段は眺めていることが多い部活も指導を積極的に行えた。話しかけてくる人の数もいつもより多い気がした。
どうせ自分は一度死んだ身だ。
ならば多少楽しんだところで誰も文句はあるまい。
それからというもの、仕事に、生活に生き甲斐を感じ、充実感を得た。
先に述べたとおり、今までの生活が不満だった訳ではない。
だが、それが霞んで見えるほど今が楽しい。
最近思い出したことがある。
夢だ。
あの悪夢ではない。
中学生の頃に抱いた夢、目標。
優しく、厳しく、ユーモアを忘れない。
そんな恩師に憧れてこの道を選んだのだった。
夢を忘れた自分はあの夢で死んだ。
あのとき確かに死んだのだ。
そして、新たに生を受けた。
憧れた恩師のような教師になるべく生まれ変わったのだ。
大丈夫、自分ならなれる。
そんな気がした。
例の熱心な生徒から彼女でもできたのかと聞かれた。
なぜそう思うのか聞くと、生き生きしているからだそうだ。
確かに数日前より人生を謳歌している気はするが、女っ気は皆無だ。
何でもない風を装って否定する。
涙は出ていなかったと信じたい。
彼女が良かったと呟いたので、今度こそ涙が出そうになった。
自分に彼女が出来たらいけないのだろうか。
自分の悩みは料理の腕がないことなので是非料理上手な彼女、もしくはお嫁さんが欲しいところだと言うと、彼女は、なら料理の練習をしておくと言っていた。
文脈がよく理解できなかったが、料理が上手なのは良いことなので、頑張れとだけ言っておいた。
古い友人から連絡が来た。中学時代の同級生だ。
内容は自分が教師を目指した理きっかけである恩師がなくなったとのことだ。
自分達の代が卒業した後すぐに体調を崩し、教壇を降りたことは知っていたが、記憶が正しければまだ還暦にも届かない年齢だったはずだ。
ショックではあるが、次の情報が自分をさらに驚愕させた。
恩師のなくなった日は4日前、自分があの悪夢を見た前日の夜だった。
いや、悪夢ではない。
きっと先生が導いてくれたのだ。
日々を浪費する自分に思い出させてくれたのだ。
サラリーマン教師に成り下がった自分を叱咤激励してくれたのだ。
目的を忘れ、目標を見失った自分を殺してくれたのだ。
10年の時を経て、またも自分に教えてくれた恩師に深く感謝した。
…けど、殺すのはやりすぎじゃないかと思う。
自分はあと40年ほど教壇に立っている予定だが、もう自分は迷わないだろう、忘れないだろう。
生徒たちと恩師に、いい教師だと言ってもらえるように生きていこうと思う。
p.s. この4年5ヶ月後、9歳年下の料理上手な彼女ができた。
寝付けないから3時間掛けて書いたのに18分で投下が終わってしまった
おやすみなさい
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