アーチャー「セイギノミカタ?」 (33)
美しいから憧れた。
だが、その夢はセイギのミカタを欺き続けた。本当に助けたい人を助けることはできず、あるのは掃除という後片付けのみ。
彼の騎士王との誓い。彼女がそうであったように、気高く、美しく、そして誰よりも優しく。
そうありたいと思っていた。摩耗する日々の中で、それだけが彼の望みであり彼が彼たる所以だった。
親友であり師匠である女性は幸せになれと言った。心優しき後輩は、彼の帰りを彼の姉代わりであった人と待っていた。
彼の妹であり、姉であった少女は涙を堪え、彼の無事を祈った。
それほどの繋がりを断ち切ってまでも彼はセイギのミカタであり続けた。幼き日の養父との誓い、若き日の彼女との誓い。
全ての人を救うことなんてできやしない、ならば目に映る範囲でだけは誰にも泣いてもらいたくない。
みんなに笑っていてもらいたい。
そう願い、走り続けた。度重なる戦闘、幾度となく繰り広げられた死闘、絶体絶命の危機、その全てに彼は不敗を貫いた。
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しかし、救いたい人を救えたかとの問いには否と答えるしかなかった。確かに、練鉄の魔術使いは不敗ではあった。
だが、ただ不敗だったというだけで、どこにも勝利なんてものはなかった。
それでも走り続ける。悲しんでいる暇なんて無い、悲しんでいる暇があれば出来る限りのことをやるべきである。
――体は剣で出来ている
折れることなど皆無。進むべき道は決まっている。鍛えられた体は鋼を纏い、刃を携え。幸せであるために。幸せにするために。
ただそれだけのために。
想い馳せるは別れの刻。愛していると言ってくれた最愛の人のために彼は彼であり続ける。勝利を導くは彼女の聖剣。
誰かを守るためには遠き理想の名を冠する尊き聖剣と対を為す鞘。
彼の剣になることを誓った彼女のために彼は鞘であることを誓い、彼は生涯を懸けてその誓いを守り切った。
――体は剣で出来ている
凡庸な一撃、それは何よりも重い一撃。彼は驚いた。どこにそんな力が残っているのかと。衛宮士郎は既に満身創痍である。
動くことさえままならない状態だというのに、決して引くことはない。
――体は剣で出来ている
その姿はどこまでも美しく、気高かった。まるで、彼の愛した騎士王のように。
そして、彼は思い出した。
エミヤシロウがどういう存在だったのかと。衛宮士郎が正しいことが証明された。
セイギのミカタになるというユメは、みんなが笑って過ごせる世界という理想は、決して間違いなんではなかったのだと。
彼は衛宮士郎に敗れた。それは初めての経験だった。生涯を不敗で生き抜いた彼を打倒したのは、皮肉にも過去の彼。
納得、出来たわけではない。
それでも、彼は原点に――衛宮士郎と戻ることを成し得た。あの騎士王とともに過ごした二週間が走馬灯のように彼の全身を駆け巡り、彼の心は満たされた。
――体は剣で出来ている
自分は折れない剣であったはずなのに、何時しか朽ちて、誰にも救うことが出来ない程に折れ曲がった。
しかし、彼自身が自らを鍛え直し、聖剣を彷彿させる程の美しさを取り戻した。もう折れることは無い。
彼は頑張ると誓ったから。彼に幸せになるように言ってくれた友人であり主人に。
――そして、二度と出会うことが無いと諦めていた騎士王に。
強い力に引き寄せられる。それとともに聖杯戦争におけるルールなどの知識が彼に流れ込む。
もうこれも三度目か。
彼は苦笑を浮かべた。マスターとして一度、そしてサーヴァントして二度目となる聖杯戦争。間違えないと、頑張ると誓った。ならば、その誓いを果たさなければならない。
そうして、今一度、彼の聖杯戦争が始まった。
衛宮士郎は走っていた。
いや、逃げていたという表現のほうが正しい。圧倒的な力を目の当たりにし、
逃げ切れるはずなどないと頭の片隅で思いながら夜の廊下を息を切らして走っている。
吐き気のするような魔翌力同士のぶつかり合い。
紅い槍を得物とする青い槍兵と、不可視の何かを振り回す自分よりも幼き砂金のような美しき金髪の少女。
そして、学園に通うものでその名を知らない者がいないほどに有名で、密かに憧れている少女が金髪の少女と槍兵が殺し合いをしているのを緊張した面持ちで見つめていた。
それに見とれるなんて生易しいものなどではない。衛宮士郎は戦慄し、恐怖のためから動けなかったのだ。
動けば、気付かれれば殺される。止まりそうな思考の中でそう思った。
結果、衛宮士郎は追われている。
「素人の割りには結構頑張ったじゃねぇか」
「――――ッ!」
呼吸が止まる。槍をだらりとたらした男が士郎の目の前にいた。ダルそうな口調で、ついてねぇと今にも言いだしそうであった。
「悪く思うなよ、坊主。俺だって気が乗らねぇんだ。ま、おとなしくしてりゃ楽に逝けるさ」
――じゃあな
槍が士郎の心臓を貫いた。
あまりにもあっさりと。あまりにもあっけなく。
槍兵――ランサーは床に臥せる士郎に一度だけ視線をやり、小さく舌打ちをしてその場を去った。
「衛宮君!」
遠坂凛と金髪の少女――セイバーが駆け付けた時には、血の匂いが辺りに充満していた。
床一面に血溜まりが出来ているから当然のことであった。
凛が自分の迂濶さを呪い唇を噛む。こんなのってあんまりではないか。
コイツがここで死ぬなんて、そんなことがあっていいはずがない。
「が……ぁ……」
「リン、まだ息があります」
「嘘……」
士郎の口から零れた微かな呻き声を聞き逃さなかったセイバーがマスターである凛を呼ぶ。
一瞬、信じられないとばかりに目を見張った凛ではあるが、直ぐ様士郎の下に駆け寄った。
胸元を覗き込むと確かに心臓を貫かれている。まさに士郎が未だ生存しているのは尭幸と言えるだろう。
「血が……止まりかけている?」
凛は再び驚愕した。夥しい程の血が流れ、身体中の血液がもはや空っぽなのか。
違う、傷口が塞がりかけているのだ。これなら助かるかもしれない。いや、絶対に助けてやる。
一縷の望みと絶対的な意志を以てして心臓を修復する。
胸元のペンダントを外し、刹那父の姿を思い浮かべて士郎の胸元に押し入れた。
「――ふぅ」
額の汗を拭う。術式は完璧だった。士郎の心臓は修復された。
ここ一番で大ポカをする血筋を、セイバーを召喚した時のように気合いで押し退け成功させた。
冬の夜だというのに汗をびっしょりと掻いて気持ち悪い。
複雑な面持ちで凛は士郎を見つめる。
父の形見であった虎の子の宝石を使ってまで助ける必要があったのだろうか。
今更ながらそんな感情が芽生えてきた。
私は最善を尽くした。そう思い、小さく頭を振って気を取り直す。
「助かったのですか?」
「ええ、心臓は修復したわ。後は放っておいても大丈夫よ」
「そうですか。良かった……」
セイバーの顔にも安堵の色が浮かぶ。微かに寝息を立てる士郎に優しげで眼差しそっと見つめる。
まだ短い付き合いではあるが、凛はセイバーのこんな表情を初めて見た。
慈しむようなその表情に思わず見入ってしまう。
「これからどうしますか?ランサーを追いますか?」
それも直ぐに消え、セイバーが表情を引き締める。
「当たり前よ。次は必ず仕留めてちょうだい」
凛もそれに倣って表情を引き締めた。まだまだ予断が許される状況ではない。敵は倒せるうちに倒しておきたい。
幸いなことに凛は最優と言われているセイバーのサーヴァントを引き当てることができた。
さらに、遠坂凛という魔術師個人としてもかなりの力量である。
予断は許されないが、かなりのアドバンテージを有していることは明白であった。
「行くわよ、セイバー」
「御意」
闇の中へと二人の影が溶けた。
士郎の目覚めは最悪なものであった。
吐き気がひどい。何より、自分が生きていることが不思議でならなかった。
槍に貫かれた時に確実に死んだと思った。いくら体を鍛えても無駄であった。
避けられぬ死に侵食されて意識が無くなる寸前誰かの顔を見た。
ズキッと頭が痛み、熱病に冒されたかのようにまとまらない思考で、なんとか後片付けをするべく士郎は立ち上がった。
自分の流した致死量であろう血の片付けをするなんて、笑えない冗談であった。
近くの教室から雑巾を拝借し、血を拭く。血を拭いた雑巾はもう使えないだろう。
それらを処分して、士郎はふらつく足で帰宅するために歩き始めた。
士郎は居間の電気を着けたところで膝から崩れ落ちるように座り込んだ。
心臓を貫かれて確実に一度死んだという事実と生き返ったという事実が士郎を悩ませる。
自分が目覚めた場所に落ちていたペンダント。これの持ち主が自分を助けてくれた。それが誰だかわからない。
若干の吐き気はあるものの、士郎は普段どおりと遜色が無いほどには回復した。
感謝しても仕切れない。死んだ命を助けられたのはこれで二度目だった。
時刻は既に11時を過ぎている。
藤ねぇは夕食はどうしただろうかなどとぼんやりと考えていたところで、警報が鳴る音とともに部屋の灯りが落ちた。
悪意を持った侵入者が衛宮家に踏み込んだ際に警報が鳴るように張られた結界。
士郎の父が残した遺産の一つ。
「――はぁ、はぁ」
先程味わった緊張と恐怖。ランサーが衛宮家に侵入したことがわかる。
また殺されるのか?
士郎の眼に心臓を貫かれる瞬間のことがフラッシュバックする。そんな理不尽なことがあっていいはずがない。
一日のうちに二度も殺されてたまるか。そんなことではせっかく助けてくれた誰かに申し訳がたたない。
そんな想いが士郎の心に浮かんだ。絶対に生き延びてみせる。
「――同調、開始<トレース、オン>」
闇の中、呪文が小さく響いた。その双貌には、光が宿っていた。
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