男「財布を落としちまった……!」(39)
─ 駅 ─
男「……ん!?」
男「あれ……ない!? ない!」バッバッ
男「財布が……なんで!?」
男(さっき、コンビニに寄った時はあったから……)
男(コンビニから駅に来るまでの間に落としたってことか!?)
男(引き返して財布探しをしたいところだが……今日は絶対遅刻するわけにはいかない!)
男(仕方ない……。定期はあるし、このまま出勤しよう……)
─ 会社 ─
男(くっそぉ~……! せっかく財布より優先して会社に来たってのに……)
男(あんな下らない用件なら、会社に電話して、財布探してりゃよかった……)
男(課長め……なにが『明日は絶対遅刻するな』だ!)
男(ふざけやがって……! すぐに探せば見つけられたかもしれないのに!)
男(あ~あ、財布どうなったかなぁ~……)
男(身分証や重要なカード類を入れてなかったのは、不幸中の幸いだけど)
男(たしか……三万は入ってたよなぁ……。クソッ、こんな時期に大出費だ!)
男(どっかのバカが拾って、ラッキィ~とかいってんのかもな……)
男(で、中身抜かれた財布はゴミ箱に捨てられてたりして……)
男(あ~、イラつく!)
同僚「よぉ、しかめっ面してどうしたんだ?」
男「あ、いや……なんでもないよ」
男(当たり前だろ!? 俺は今朝、財布落としたんだ!)
男(日常で起こる不幸の中では、最上位ランクに位置するといってもいい不幸だ!)
男(それほどまでに不幸な俺に、なんでそんな明るく振る舞ってくるんだ!?)
男(俺が漂わせているであろう話しかけるなオーラが見えねえのか!?)
男(ったく、どいつもこいつも……)ブツブツ…
課長「これを頼まれてくれんかね」
男(なにぃ~!?)
男(こんな不幸な俺に、これほどまでに不幸な俺に、仕事を頼むだとぉ~?)
男(だいたいアンタの『明日は絶対遅刻するな』がなきゃ)
男(俺は財布を探して、もしかしたら見つけられてたかもしれないんだ!)
男(いや、見つけられてたね! 絶対に!)
男(アンタのせいで俺は三万も失ったんだ! 分かってんのか!?)
男「はい……分かりました」
男(あ~……はかどらない!)
男(今日はさっきからイライラして、全然仕事が手につかねえ!)
男(なにやっても、どうやっても、落とした財布のことが頭の中を駆けめぐる!)
男(こんなんじゃいかんよなぁ……)
男(いや、いいじゃねえか! 俺は財布落としてるんだ!)
男(財布を落とした人間には、仕事を適当にやる権利があるんだ!)
男(そういうもんだろ!? だってそうじゃなきゃ釣り合いとれないもん!)
終業時刻──
男「お先に失礼します」スタスタ…
同僚「お、今日は早いな! デートか?」
男「んなわけないだろ」
男(デートだと!? デートだったらもっとウキウキで帰るだろうが!)
男(これがデートだったらどんなによかったか……!)
男(まだ仕事はたっぷり残ってるが……知ったことか!)
男(仕事なんかより、俺の財布の方が大事だ!)
男(とりあえず、帰りにダメ元で交番に寄ってみるか……)
─ 交番 ─
男「あのぉ~……」
警官「ん~?」
男「実は……財布を落としてしまったんですけれども……」
警官「財布ぅ~?」
警官「あぁ~、忘年会シーズンだからねぇ~」ニタニタ…
男(おいおいこの警官、なに勝手に酔っ払ってなくしたことにしてやがんだ)
男「いえ……夜ではなく、朝なくしまして」
警官「ああ……ってことは二日酔いかい」ニタニタ…
男「いや……二日酔いとかでもなかったんですけど……」
警官「あっそ」
警官「じゃ、シラフで財布なくしちまったってわけだ」
警官「とんだドジ踏んじまったねぇ~」ニタニタ…
男(うっせーな、いちいち……そんなに俺の不幸が面白いか?)
警官「──で、なくしたのはいつ?」
男「今朝……です。多分、家から駅に向かう途中で……」
警官「で、今頃ってわけかい。ずいぶん届けるの遅いねぇ~、なにやってたの?」
男「会社に行かなきゃならなくて……後回しにしました」
警官「私だったら、適当な理由つけて交番行ってから会社行くけどねぇ~」
警官「できなかったんだ? 上司とかが厳しくて?」
警官「ま、そういう会社に入っちゃったおたくの責任だけど」ニタニタ…
男(別に俺、愛社精神なんてカケラも持ってないって自負してるけど……)
男(他人にいわれると、なんかムカついてくるな……)
警官「どんな財布?」
男「普通の……どこにでもあるような、紺色の折り畳み財布です」
警官「あ~、もっとも見つかりにくいタイプだ」ニタニタ…
男(いちいちいわれなくても分かってるよ、そんなこと!)
警官「……どのぐらい入ってたの?」
男「三万は……入ってたと思います」
警官「三万かぁ~、拾った人にはいい儲けだわな」
警官「おたくには残念だったけどねぇ」ニタニタ…
男(なんでもう中身パクられたって前提になってんだ!)
男(少しは希望持たせてくれよ!)
男「……それで、今日こちらに財布とか届いていませんか?」
警官「届いてないねぇ~」ニタニタ…
警官「ま、今日び財布を届けてくれる人なんて、なかなかおらんからねぇ~」
警官「よくて拾わず放置ってところじゃないかね?」
男「はい……」
男(なんか……財布落としたことより、この警官の方がムカついてきたぜ……!)
警官「あ~……一応、届けておくかね?」
男「はい……お願いします」
警官「ま……出てこないだろうけどね」
警官「仮に見つかっても、中身は抜かれて……って感じだろうねぇ~」ニタニタ…
男「はい……でも、一応……」
警官「一応、ね。そうだね。万が一ってことはあるもんね。まずないけどね」
警官「じゃ、この書類に記入して」スッ
男「これでいいですか?」
警官「おたく、えらく雑な字を書くねぇ~」
男(こんな時に字をキレイに書く気になんてなれるかよ!)
警官「イライラしちゃってる?」
男「へ?」
警官「イライラしちゃってるんだ?」ニタニタ…
男「…………」
警官「じゃ、もし財布が見つかったら連絡がいく手はずになってるから」
男「よろしくお願いします」
警官「まぁ、まず見つからないだろうけどねぇ~」ニタニタ…
男(くっ……!)
男「それじゃ、お手数をおかけしました。どうもありがとうございます」
警官「ホントだよ」
警官「それにしても残念だったねぇ~、さ、ん、ま、ん」ニタニタ…
男「見つかることを祈っています……」
警官「うんうん、祈るのは自由だもんね。結果が伴わなくても、さ」
男(いちいち一言多いんだよ! このクソ警官が!)
すると──
女「あのぉ……」
警官「ん~?」
男(おっと、次の人が来たか。キレイな人だな)
男(これ以上ここにいても、イラつくだけだし、とっとと帰ろう……)
男(せっかく早く帰ったんだし、ビールでも飲んで、さっさと寝ちまおう)
男(あ~、でもしばらくは立ち直れないだろうな……)
女「二つほど……落とし物を届けに来たんですが」
男「!」ピクッ
警官「ほぉ……落とし物ですか」
女「はい」
警官「…………」ジロッ
男「!」
男(なに期待してやがんだ、ジャマだから帰れってツラで見てきてるが、かまうもんか!)
男(もしかしたら、俺の財布かもしれないんだからな!)
女「これです」スッ
警官「!」
男「あっ……!」
男「これ! これです! まちがいなく俺の財布です!」
女「まぁ、そうだったんですか!?」
男「はいっ……! ありがとうございます!」
男(よかったぁ~……!)
男(なんていうか、財布が戻ってきたことより、お金が戻ってきたことより)
男(世の中にはちゃんと財布を拾って届けてくれる人がいたってことが──)
男(なにより嬉しい……!)
男(同時に、拾って届ける奴なんかいないって決めつけてた自分自身が恥ずかしい……)
警官「待ちたまえ」
男「え」
警官「この財布がアンタのものかは分からんよねぇ~」
警官「お金欲しさに、アンタが嘘をついている可能性がある」
警官「確かめてみなくっちゃ」ニタニタ…
男「そ、そうですね……」
男(正論だけど、こいつにいわれると腹立つなぁ……)
警官「どれどれ……」パカッ
警官「たしかに金は三万とちょっと入ってるが……」
男「でしょう? 間違いなく俺の財布ですよ!」
警官「ん~……」
警官「だけど、身分証とかは入ってないねぇ~」
警官「残念だが、これじゃこの財布がアンタのと断定することはできないなぁ~」ニタニタ…
男「な、なんだって……!?」
警官「いやぁ~、残念残念……」ニタニタ…
警官「それじゃ、お引き取り願いましょうか」
男(ふざけんな! 目の前に財布があるのに、諦めきれるか!)
男「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
男「たしかに身分証の類は入れてなかったが」
男「どこかの店のポイントカードとか会員カードは入ってたはず!」
男「その中に、名前が書いてあるやつだってあるはずだ!」
警官「往生際が悪いね、アンタも」チッ
女「あ、このレンタルビデオ店の会員証に、名前が書いてありますね」
男「ほら、な!?」
男「で、これが俺の免許証だ!」サッ
男「ほらほら、名前が一致するじゃないか!」
警官「…………」チッ
警官「あ~、そうだね、一致するね、よかったね」
警官「だけどさぁ、同姓同名の別人のものだって可能性もある」
男「…………」カチン
男「は!? なにいってんだ、ふざけんな!」
男「同姓同名の人間二人が、同日に財布落とすってどんだけの低確率だよ!」
男「ていうか、俺の名字はわりと珍しいから、同姓同名とかそうそういねえよ!」
警官「おい……公務執行妨害になるぞ」
男「知るか! こっちだって、あんまり態度が悪いと考えがあるぞ!」
女「お、落ちつきましょう? ね? 落ちつきましょうよ、二人とも……」オロオロ…
警官「あ~……分かった分かった。たかが財布のために怒鳴らんでくれよ」チッ
警官「ほらよ」ポイッ
男(放り投げる奴があるかよ……)
男(でも……ま、いっか! 財布が戻ってきた嬉しさの方が遥かに大きい!)
男「本当にありがとうございました……!」
女「いえ、よかったですね」クスッ
男「はい……」
男(顔もキレイだし、心もキレイだし、世の中こういう女性もいるんだな)
男(……そうだ。拾ってもらったんだから、少しぐらいお礼を──)
警官「おいおい、ありがとうございますより先にすることがあるんじゃないか?」
男「!」
警官「たとえばさぁ~、お礼を支払うとかさぁ~」
警官「今時なかなかいないよ? ちゃんと財布届けてくれる人なんて」
警官「そんなだから、財布落とすようなことになるんだよ……」チッ
男「くっ……」
男(たしかに財布落としたのは俺のミスだが、うっぜえ……!)
女「いえ、私は礼なんていりませんから……」
警官「だってさ! 感謝しなよ!」
男「は、はい……」
男(お前はなんもしてねえだろうが!)
女「あのう……それよりも、もう一つ落とし物がありまして」
警官「ん?」
男「ああ、そういえば、二つあるっていってましたね」
女「これです」スッ
男(また財布だ……)
男(同じ日に二つ財布を拾って、二つとも届けるなんて……つくづくいい人だなぁ)
警官「おおおおおっ!!!」
男&女「!?」ビクッ
警官「こ、これは……この財布は、私の財布だ!」
警官「ありがとうございます、よく届けて下さいました!」
女「い、いえ……」
男「…………」ニヤッ
男「ちょっと待って下さい」
男「一応、確かめてみないと……」
男「おまわりさんが嘘をついているって可能性もある」
警官「な、なんだと……!?」
男「だったら、財布になにが入ってたか、いってみて下さいよ」
警官「一万円札一枚と……そうだ、免許を入れていたはずだ!」
男「免許?」
男「たしかに、おまわりさんの免許証ですね」
警官「だろう!?」
男「だけど、おまわりさんの免許証が入ってたからといって」
男「これがおまわりさんの財布とは限らないですよね?」ニヤニヤ…
警官「な……!?」
男「冗談ですよ。はい、どうぞ」サッ
警官「…………」ホッ
男(ふん、やり返したら少しスッとしたぜ!)
警官「と、とにかく……お互い見つかってよかったですなぁ!」
男「ええ……」
男(さっきまでのニタニタ顔とは大違いの、いい笑顔してやがる……)
男(町を守るおまわりさん、って感じのツラだ)
男(そうか……。この警官のいちいちトゲトゲしい態度はそういうことだったのか)
男(この警官も、財布をなくしてたんだ……)
男(いや財布をなくしたからって、仕事を適当にやっていい理由には──)
男「!」ハッ
男(いや……俺だってそうだったじゃないか)
男(財布をなくしたことを、自分の中で免罪符みたいにしてた……)
男(不幸に見舞われたんだから、イラついていい、仕事を適当にやってもいい、って……)
男(俺にこの警官を責める権利は……ないな)
男(明日は今日の分を取り戻すため、早めに出勤して、遅めに帰ろう……)
男「では、お互い財布が見つかったということで、解散しましょうか!」
警官「申し訳ありません。先ほどまでは失礼をいたしまして」
男「いえ……かまいませんよ」
男(俺も似たようなことしてたんだから……)
女「お二人とも、よかったですね」ニコッ
男「はいっ! なにもかもあなたのおかげです!」
警官「ありがとうございました!」
女「ふふっ……」スッ…
女「!」ハッ
女「ない! なぁぁぁぁぁい!?」
男&警官「!」ビクッ
女「あたしの財布がぬぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」
女「なんで、なんで、ぬぁんでぇぇぇ!?」
女「あああああっ、カバンが開いてたぁぁぁぁぁ!!!」
警官「え、え、え……!?」
男「あ、あの……」
女「やいっ!」
男&警官「はいっ!?」
女「探すのよォ……あたしの“財布”をようッ!」ビキメキ…
女「いい!? 絶対に見つけ出すのよッ! 絶対にだッ!」
女「二人とも、カードと免許で名前も住所も覚えたんだからね!」
女「財布拾ってやった恩を、仇で返すんじゃないわよォ! 分かったァ!?」
男&警官「わっ、分かりましたぁ~!」ビシッ
女の財布が見つかったのは、それからおよそ一時間後のことであった……。
おわり
なにかと忙しいこの時期
財布の管理には十分注意しましょう
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