男「こんな食育は間違っている」 (52)

男「この前ニュースで見たんだけどさ、日本の食育っておかしくない?」

友「いきなりどうしたの?」

男「いや、小学生に豚を飼育させて、その豚を殺して肉にして食べるって奴な

んだけどさ」

友「ああ、この前やってたね。あれのどこがおかしいの?」

男「え?どう考えてもおかしいだろ!」

友「なんで?命の大切さを知るためにはいい事じゃないの?」

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男「確かに命の大切さを知るのは大事だ」

友「ならいい事じゃない」

男「でも命の大切さを知るのに、なんであんな残酷な事をする必要があるんだ

?」

友「残酷って…私達がお肉を食べる為には、豚や牛を殺さなきゃならないんだ

から仕方ないでしょ」

男「いや[ピーーー]事が残酷って事じゃないんだ」

友「十分残酷な事だと思うけど…」

男「まあとにかく聞いてくれ」

男「友は銀の匙って漫画を読んだことあるか?」

友「ハガレンの作者の奴でしょ?単行本で読んでるわよ」

男「じゃあ話は早いな。あの漫画でも主人公達が豚を育てて、ベーコンやソーセージを作る話があるだろ?」

友「ええ、ちょっぴり泣きながら読んだからよく覚えてるわ」

男「あれは、僕も素晴らしい事だと思う。農業高校に入り、農学や畜産学を修める者としては、避けては通れない道だろう」

男「自分で家畜を育てて、肥育環境を整え、屠畜を依頼し、肉を受け取り加工する」

男「まあ肥育牛・豚・鶏の基本的な生産過程だな」

友「ちょっと待って、さっき日本の食育は間違ってるって言ってなかった?」

男「言ったぞ?小学校で行われているアレは児童への精神的虐待だ」

友「え?言っている事矛盾してない?」


男「ふむ。ここでじゃあ過程を見直そう」

男「まずは小学校で行われている豚を飼育し、屠畜し、肉として食すというものだ」

男「先に言っておくが、僕が体験したものではないから、もちろん第三者の妄想と捉えて貰っても構わない」

男「まずは育てる子豚を畜産農家等から買い付けしてくる」

男「もちろんこれは畜産農家の真似ごとであるから、離乳・去勢などの作業は済んでいるものを購入してくるだろうな」

友「え?去勢って…そのう…取っちゃうの?」

男「睾丸は基本は除去されるな」

友「そ、そうなんだ…」

男「これは、肉質を極力柔らかいものに保つために行われるんだ」

男「基本的に牛でも豚でも行われている。睾丸が残っていると男性ホルモンの影響で、筋肉質になりがちだからな」

友「へー」

男「脱線してしまったな。まあともかく豚を買った訳だ。」

男「次に行われるのが、飼育というステージになる」

男「さて豚は食用にするまで、どのくらいの間飼育すると思う?」

友「うーん、検討もつかないけど…」

男「食用に用いられる豚の平均的な出荷タイミングは6カ月だ」

友「思っていたより全然短いのね…」

男「まあ畜産農家によってはもっと遅らせたり、早かったりするだろうな」

男「ちなみに牛だと大体その6倍の30カ月前後になる」

友「2年半…凄いわね」

男「だから牛の肥育は難しいんだ。はっきり言って博打だな」

男「肥育っていうのは、その名の通り肥えさせて育てる」

男「だから病気になりやすいんだ。人間でも肥満は万病の元と言われるようにね」

男「突如どんな病気で死ぬか分からない、だからこそ2年以上毎日しっかりと付き添い、大事に大事に育ててあげなければいけない」

友「農家さんって大変なのね…」

男「ああ」

男「話に戻るが、子供たちは皆で6ヶ月の間、豚を育てるようになる」

男「もちろん兎や鶏と違い、大きくなるから先生等と一緒にね」

男「名前を皆で考え、学級委員が多数決をとる。」

男「毎日餌をあげないといけないから当番などを決め、皆で分担してやるだろう」

男「動物好きな子は、休みの日まで親と一緒に学校に来て世話をしたりするかもな」

友「随分具体的ね…」

男「毎日妄想して鍛えられているからね」

友「…」

男「オホン、豚は綺麗好きって話、友は聞いた事ないか?」

友「あるわよ、結構聞く話よね。想像はつかないけど…」

男「そのイメージは、日本の畜産が発展途上な事が原因だろうな」

友「そうなの?」

男「農業や畜産と聞くと3Kというイメージがあるだろう」

友「キツイ、汚い、危険だっけ?小学校で習ったわ」

男「うん、まあ概ねその考えは間違ってない」

男「体の大きさからいって、人間の何倍も糞尿が出るんだ、そりゃ汚いと思うだろう」

男「でもその問題は徐々にだが緩和されつつあるんだ」

男「糞尿の匂いの原因はなんだと思う?」

友「ええと…アンモニアとか?」

男「概ねそうだね、後硫化水素とかも出てくる」

男「飼育する場所を豚舎と言うんだが、風通しの良さそうな掘立小屋に豚がギ

ュウギュウに入ってるのを想像する人が多いと思う」

友「うーん…まあギュウギュウしてそうなイメージはあるわね」

男「これは開放型豚舎といって、現在の日本の主流なんだ」

男「実際は人に反応して豚がひしめき合ってるだけで、豚の管理スペースは結構広かったりする」

男「で、これは開放型とある通りかなり風通しが良くて、実はそんなに臭くないんだ」

友「そうなの?」

男「悪臭の大部分はアンモニアなんだけど、基本的にはガスだからね、風に乗って外に行っちゃうんだよ」

友「へー…臭いイメージしかないけど」

男「それの原因は多分ハエだよ」

男「この形の欠点は、虫が容易に出入り出来てしまうというのが問題なんだ」

男「アンモニアは飛んでいくけども、糞は残ってしまうからやっぱりハエがたかる」

男「見た目の不快感が、悪臭の助長をしているってのが僕の個人的見解だ」

友「そうなの…かな…?」

男「多分ね。まあそしてその点を改良したものがウインドウレス豚舎っていうんだ」

男「文字の通り、窓が無くて機械で温度・湿度・照明・乾期を調整する」

友「何か近代的な感じがするわね」

男「これは虫が入って来ないのもさることながら、部屋の温度を調整出来るのが大きい」

男「実は、豚の脂肪は体内で溶けちゃうんだ」

友「えっ!?体の中で?」

男「そう、大体30℃から溶け始め、50℃で完全に融解するらしい」

男「気温が上がると体温も上昇してしまい、肉質に悪影響だから、室温が保てるこの豚舎は理想的な形とも言えるんだ」

友「なんか専門的過ぎてついていけないわ…」

男「ごめんごめん、つい語りたくなってしまって…」

男「で、小学校に戻るけど、綺麗好きな豚のために掃除をしてあげたり、体を拭いてあげたりと世話をしていく訳だ」

男「子供ながらに愛情をたっぷり注いで、大事に飼育した子豚はいつの間にか

、自分たちより遥かに大きく、重く育っていた」

男「乗って遊ぶ子や、豚の鳴きまねとかしてからかう子も居るだろう」

友「う、うん…」

男「そして、運命の6ヶ月目を迎える」

男「世話をサボる子も居るだろうが、家でペットが飼えない子や、一生懸命育てた子にとっては貴重でかけがえのない経験になっただろう」

男「さて、この豚はなんでしょう?」

友「え?」

男「この豚はこの子達にとって、なんだと思う?」

友「う、うーん…」

男「じゃあこの豚を肉と思える子は居ると思う?」

友「それは…居ないと思うけど…」

男「そう、そこが一番の問題点なんだ」

男「世の中には、伴侶動物と経済動物という概念があるのを知ってるかい?」

友「経済動物っていうのは、漫画にも載ってたはね、よくは分からないけど…」

男「簡単に言うと、伴侶動物は犬や猫、インコやトカゲ、金魚もこれも入るね」

友「ペットって事?」

男「そう。一方で経済動物は、牛・豚・鶏の三大家畜に加え、食肉とするものはこのカテゴリーに入る」

友「最近騒がれているクジ---」

男「そこまでだ。その話は動物保護という宗教と文化の狭間に生じるパンヂラの箱だ。触れたら死人が出るぞ」

友「アッハイ」

パンヂラはパンドラに脳内変換をば

男「両方とも日本人には馴染みのない言葉だが、獣医療・畜産業の最先進国とされるアメリカでは常識的概念だ」

男「先程の例もあり、ここからは道徳心という人の魔の領域の話になるが、犬・猫という伴侶動物と、牛・豚という経済動物に絞って話そう」

友「荒れるわね…」

男「こういう事を言う人が居る。牛・豚は殺すのに犬・猫殺すのが残虐だなんておかしい」

友「たまに聞くわね、明確な否定を返せないけど」

男「それは当たり前なんだよ」

友「そうなの?」

男「明確な否定を出来るのは伴侶動物と経済動物という道徳的区分が出来て、初めて成せるものなんだよ」

男「人を殺しちゃいけないのは何でだと思う?」

友「犯罪だからだけど…」

男「そう、でもそれで納得しない人は居る」

男「種の存続という言葉があるんだけど、これは動物種がその種を存続させるのが、遺伝子として義務付けられているというものだ」

男「レミングスの大行進って言葉聞いたことない?」

友「知ってる!増えすぎたレミングが、食糧難で絶滅しないように集団自殺するって奴でしょ?」

男「あれは大嘘」

友「えっえっ」

男「詳しくは調べてね、そんなの存在しないんだ」

男「で、何が言いたいかというと、種の存続を支持出来る絶対的な科学的根拠はないって事」

男「今の所だけどね、そりゃ生命の根幹となる部分だから科学的証明は難しいのだろうけど、今はない」

友「つまり…どういうこと?」

確かに食べるなら淡々無感情と育てるべきだよな

男「つまり殺人という種の存続に反する行為は、科学的に否定出来ないって事」

友「ええー…」

男「科学的にはという話だよ。そのための道徳や司法だ。」

男「科学信奉が行き過ぎる人は科学的証明がないものを、是と認めようとしないが、そもそも科学も学問の一形態に過ぎないって事を忘れがちなんだ」

男「学問は全て後付けの理由でしかない、それを補い合わないと全ての事象を説明するのは難しいから色んな学問があると思うんだよね」

友「う、うーん…うん?」

男「まあ…つまりだね、司法や道徳でダメなものはダメでいいんだよ」

友「説明になってないような…」

男「説明の必要がないんだよ。殺人はダメにしないと皆死んじゃうからヤバイ。だから禁止にしようって事でそうなったんだから」

友「ルールはルールって事?」

男「ルールは道徳や司法的論拠をもって、ルールとなるんだから、その論拠を説明すればそれに足ると僕は思うよ」

いやそういう話するなら鯨から捕鯨問題から逃げるなよ

男「長くなったけど、動物の話に戻そう」

男「つまるところ、伴侶動物と経済動物という概念は、道徳的に定められた区分けということだ」

男「なので、伴侶動物として育てれば、牛も豚も伴侶動物だし、経済動物として育てると決めたなら犬は経済動物と成り得る」

友「極論すぎない?」

男「犬を食肉とする文化は世界的に見ても稀だからね、そう思うのも仕方ないと思う」

男「まあ伴侶動物について考えてみてよ」

友「うーん…ミニブタとかはペットで飼ってる人たまに居るわよね」

男「そう!そういうこと!」

男「飼っている人がそう思えばそれはペットなんだよ」

友「当たり前の事じゃないの?」

男「そうだね。ここで原点に帰ろう」

男「小学校で皆で育てた豚は伴侶動物?経済動物?」

友「…小学校の子達は少なくとも後者ではないと思う」

男「つまり?」

友「伴侶動物だと思っているんじゃないかなあ、大半は」

男「僕もそう思う」

友「…少し釈然としないんだけど」

男「まあ誘導的な言い方をして申し訳ないとは思ってるよ」

男「まとめよう」

男「つまり今回のケースは、豚をペットとして育てているにも関わらず、おれを殺し、そして肉として加工してしまった訳だ」

男「僕はこれが小学生の食育に繋がるか?と聞かれたら声高らかにNOと言うね」

男「こんなのはペットの猫を殺してその子に食わすようなものだと思う」

男「最高にグロテスクなショーだと思うよ」

友「…言い過ぎじゃない?」

男「僕は怒ってるんだよ」

男「学校という立場にありながら、こんな挙って児童にトラウマを刷り込むようなカリキュラムを不用意に行動に移したことを」

男「専門家に意見は聞いたのか?肉にするにしても、子供たちの目に映らないようにするべきじ

ゃないのか?」

友「それは…」

男「別に命の尊さを教えるなら、寿命まで待つという手だってある、維持コストはバカにならないけどね」

男「子供だってバカじゃない。屠畜場を見学するだけでも動物に命を貰っている何てことはすぐに分かるんだよ」

男「…失礼。興奮してしまった」

友「言いたい事は伝わったわ。手放しには賛成出来ないけど」

男「でも、僕はこの事について別に完全否定したい訳じゃないんだ」

友「こんなに怒ってるのに?」

男「あくまで僕の妄想だからね。別に自分が完全に正しいとは思わないよ」

友「でも主張はしたいんでしょ?」

男「そりゃ人間だからね」

男「個人的に今回の点でいけなかったと思うのは、時期とターゲットだ」

男「まず、時期について」

男「子供だってバカじゃないが、この問題は当然ながら複雑かつシビアなものだ」

友「そうね」

男「道徳とは経験と共に成熟していくものであって、この年齢の人間に対して投げかける問いとしては難問すぎるという事」

男「レベルが足りないんだなつまり」


男「次にターゲットについて」

男「これは最初の方で述べた通り、畜産業を営む人にとっては切っても切れぬ問題なんだ」

男「実際僕の訪れた畜産農家の人も、何年もやっているが、ツブす時は未だに泣いてしまうと聞く」

男「それ程に精神的負荷が大きいのにそれを続けるのは、志があり今から始めようという人や」

男「生活がかかっているから、代々続いてきたから等の理由がある」

男「つまり、何らかの覚悟なしに挑む問題ではないという事だ」

友「なるほどね…」

男「以上で僕の主張はおしまい」

友「つ、疲れた…」

男「ごめんね、なんかどうしようもなく吐き出したくなったんだよ」

友「まぁ…難しいけど、ためにはなったような気もするし…」

男「それなら嬉しいよ」

男「とまあ畜産農家って大変なんだよね、メンタル的にも」

友「そうね」

男「それでもいい?」

友「今みたいに、長い話は控えめにしてよね」

男「…努力します」

友「これからもよろしく」

クジラを食べる事をタブーにしてる宗教はないし、ペットにしてる人もいない
絶滅が危惧されるというのも数的制限さえ行えばクリアできるのは証明されている
知能のあるなしならまず家畜に知能がないことを証明してからにしてくれ
「そもそもクジラなんて食べない」と文化自体疑うなら大阪の飲み屋に来て自分の無知さを恥じろ

真剣に語りたいみたいだから、改めて聞くけどクジラはなぜダメなんだ?

自分で選んでその仕事をしている大人ですら精神的な負荷があるのに、
小学校の授業という逃げ場のない環境で子供にそれをやらせるという判断を下す人間にこそ教育が必要でしょ

>>27
その論理で行くなら義務教育という制度自体否定してるぞ
多くの人間にとって「勉学は苦痛」なんだから

>>16
そこは個人的な問題ですが、私見としては食べ物に感謝を忘れないという在り方がやはり受け入れやすいと思います。


>>18
鯨問題については、韓国の犬食よりも宗教的要素が混じってくるもので。文内では割愛しました

日本は神道の地盤に仏教が乗っかって構成されている国で、一般的には仏教の国ですが、
その実、神道は生活と同化しすぎており、宗教として認識されていないだけです。
まあ神道も民俗信仰で、なんでもアリな所が多い印象を受けますが。

で、問題になるのが食肉文化と自然信仰の食い違いです。

エコという言葉は欧米の自然信仰由来のニュアンスを持ち、その発祥は日本よりも遥かに歴史が浅いです。
次に日本の食肉文化、牛・豚ですね。
これも海外由来であり、日本にはまだまだ馴染みが薄いものです。

国内では神道由来の自然信仰と、海外由来の自然信仰の狭間で揺れております。
更に食肉文化として日の浅い日本には、文中の伴侶動物と経済動物の区別も出来ない程度の文化レベルと、チグハグな形になってしまっています。
つまり、日本の今の「肉」に対する意識は世界的にみると非常に歪です。
食糧という観点よりも、ブランド牛などの嗜好品としての立場が強い事からもそれが分かります。
別に悪い事ではないですが。

海外の自然信仰は人間本位の人間の意志による自然保護であり、ヒトを自然から除外する風潮が強い印象を受けます。
対して、日本は人間も自然の一部とする考えが根幹に刺さっているんだか、刺さっていないんだかという中途半端な形となっています。

鯨問題は海外の自然保護の一部分を示したもので、はっきり言って現在の日本の道徳心と大きくかけ離れています。
ので、どちらかが変わらない限り永久に解決しません。

まあ多分日本が折れると思いますが







これは悪いとも良いとも言えないなあ
初めから「これは食べるために殺される動物です」って口酸っぱく教えたり保護者にそういう教育をするって説明してるのかとか
親が小学校の授業で養鶏場で屠殺する所まで見せられて未だにフライドチキンとか鶏皮串の鶏肉をアピールしてるのは抵抗感あるって言ってる。ザンギとかは何ともないらしいけど。
あと仕事で養豚場の屋根直しに行ったけど臭いし豚の泣き声煩いしでキツかったよ

>>31
文内の豚舎については割と誇張表現が強いですね。
今の畜産界はおじいちゃんとおばあちゃんばかりで、超重肉体労働にため、豚舎をベストの状態で回せないのです。
そういう所では、クモの巣張り放題、糞尿放置からの環境不全→肉質低下→収入減少→環境劣化→・・・
という最悪のスパイラルが全国的に起きています。
華々しいのはホントにごく一部です。

このままいくと30年後には牛・豚は日本から消滅すると言われる程度には酷いですね。

反面ビジネスチャンスでもあり、
企業化や最新鋭の機材を用いた綿密な管理によるブランド化計画や、
農業コンサルタントから見たら宝の宝庫だとか、以前伺いました。

まあ近年はブルーカラーの改善待遇も目覚ましく、肉体労働の職業は上り調子になる可能性も高いので、
将来に期待したいですね。

ご精読ありがとうございましたm(_ _)m

伴侶動物と経済動物を区別できたら文化レベルが高い?
馬鹿言うなよ
あれは欧米人得意の自己弁護
博愛に目覚めた自己中心的な狩猟民族が「これは動物は動物でも食べられるために生まれた動物です」って言い訳するためのな

>>34
その通りです。
しかし、自己弁護は悪くはないと思いますよ。
どこの国でも誰でも、生き物を殺すことは悪しき事という歴史の積み重ねからの認識が出来てしまっていますから。
それを弁護せずに、畜産家を悪しき存在と扱い、認めないならば、人類の3割は餓死します。

それを防ぐためにも自己弁護をする事は文化的と私は感じます。

>>36
多分、>>1は畜産関係者、特に屠殺に関係してる立場なんだろう
皆まで言わないけど、確かに日本は「屠殺」が特別視されてきた歴史がある
でもそれを「文化レベル」とか、「食育の間違い」と断じてるのに反論してる

あくまで「動物を食べる」という事と「命を大事にする」という二律背反への欧米の答えが「伴侶動物と経済動物」
日本はアニミズムの素地があるから「命をいただく事」は矛盾しないし自己弁護する必要がない
ただアニミズム文化の多くは「血」を穢れにすることが多いから「屠殺」に関しては特別視されてきた
それと「食育」は全く別の話だと思う

>>36
そもそも畜産家を「悪しき存在」なんて思ってる人間が日本にいるか?
もちろん動物愛護団体以外に

本当に言いたい事はそんなオブラートに包んだ事じゃないんだろ?
言いたい事言っちゃえよ

道徳や倫理的な面は間違ってないと思うけどね
ただし、その道徳や倫理も国や時代によって変わってくるから話がややこしくなる

古代には国によって人肉を食べるのが道徳的に悪いとされてなかった時代もある。逆に牛や豚を宗教上の理由から食べない国もある。日本でも四つ足は江戸時代の頃、食べるのを良しとされなかった

大多数の人間が「家畜」として認識してるから、現在、日本で牛豚鶏は食べられてる訳で、犬猫は「ペット」として認識されてるから食べられていない。動物愛護団体が実験用のマウスについてもどうこう言ってたが、あれは「実験動物」として認識されてるからそうなってる。日本野鳥の会メンバーだって焼き鳥食うけど、あれは「家畜」を食ってる訳で、「野鳥」を食ってる訳じゃないからな

で、それを踏まえた上で語るなら、それを実施した先生は「家畜」として豚を育てるってのを先に教えなきゃならんって事だ。「ペット」として育てる訳じゃない、ってのを初めから認識させなきゃいかん訳で、まずそこから間違ってるってなってしまう

命の大切さを伝えるのと、「家畜」を食べる事は分けられないといけない。でないと、人肉を食べる文化のあるところでは、人を育てて食べるか食べないかを多数決で決めようなんて話が出来てしまう。これは道徳面で抑制されてないので、人だろうと豚だろうと、同じ「食事」というカテゴリに分類されるから
命の大切さを知った上で人を殺して食べよう。極論、そういう事になる。

まあ、作中で言われてる通り、子供が知るにゃ幼すぎるね。トラウマになりかねん。そこら辺はおおむね賛成する。こんな事をするより、犬を一匹飼った方がよっぽど教育になると思うわ

色々と不快な思いをさせたようで、すみませんでした
次からは内容と場所を間違えないように気を付けます。

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