ほむら「向日葵と傷」 (140)

冒頭

 政令都市見滝原。
 試験的な先進都市計画のモデルケースとなるこの都市で数年前に大規模な交通災害が起こったことは記憶に新しい。

 理由も原理も未だに不明であるその事故は、
先頭車両が突如として真上へと跳ね上がったことを皮切りにした、大規模な玉突き事故であった。

 この事故による死傷者は三百名を超えており、
事故直後に何が起きていたのかを知っていたであろう先頭車両近くの運転手、
相席者は一人の例外を残して亡くなっており、原因解明はほぼ絶望的といってよかった。

 生き残ったのは幼い少女で、警察も、もちろん我々報道関係者も、
茫然自失としたその少女を前にして、踏み込んだ取材などとても強行できなかった。

 これは全くの余談であるが、
その事故の直後から向日葵色の超能力少女の噂がまことしやかに学生の間で語られていたらしい。

 出典不明のその噂話が件の事件と如何様な関わりがあるのかは不明だ。



中略



 超能力少女の噂が落ち着いてきたころ、
見滝原市と隣接した風見野市で新興宗教の教祖が一家四人で無理心中するという事件がゴシップを賑わせた。

 だが、焼け落ちた教会からは遺体は三体しか見つかっておらず、
未だ行方知らずとなっていることは、公にされることはなかった。


 そんな事件の少しあと。女学生たちの間でまたもや一つの噂話が嘯かれ始める。

 噂の内容はこんな具合だ。

 夜道を一人で歩いていると、時々白いウサギが集まってくることがある。
 そして、それを追いかけて森へ入ると振り向いたウサギに頭を抉られる。
 だから、ウサギを見たら逃げなさい。一目散に逃げなさい。

 なんにしてもここ十数年の見滝原には何か悪魔的でにわかには信じがたい不吉さが立ち込めているようである。
 都市伝説とはよく言ったもので、今でも時折街中で背筋に悪寒が走ることがある。
 読者諸兄も、夜街を歩くときは十分注意されたし。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――三流ゴシップ誌切抜きより。
 

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★◇

 弾痕、跳弾。灰の床に煤と銃痕。
 鈍色の礫が無尽蔵の孵化器を狙い撃つ。

 だが、何か様子がおかしかった。
 通常、あの白いセールスマンは逃げる時に此方を窺ったりせず、
一目散に一様に、計算通りの逃走経路をマニュアルの通りになぞる。

 だからこそ、蓄積されたノウハウを使うことで手間をかけずに殲滅することが出来た。
 そう、普段通りの赤目の奴らならば。

「お前たち、何か企んでいるの?」

 暁と焔の少女は飛び出す近接武器をおもむろに降ろして問いかけた。
 砂粒を踏み潰す耳障りな音が閑散と余韻を残す。

 交錯、伝達。
 不相応な奇跡を売り歩いている獣と、願いを噛み締め絶望に足掻く少女は、思惑を隠して視線を交わす。

「君は何者かな。奇跡の少女」

「私は暁美ほむら。叶わぬ願いを叶えられたあなた達の奴隷よ」

 紫陽花色に身を包んだ少女は絶望の回収業者へと腕を掲げ、銃口を再度突き付ける。

「ボク達には君と契約した記録がない。その上で忠告を一つしておくよ」

「くだらないわね。私はもう誰に頼るつもりもないし、あなたの口車に乗せられるつもりもない」

「君の目的は知らないし、ボクからとやかくいう事は今のところ特には見当たらないけれど、
君はこの見滝原でやっていくつもりなんだろう? それならば、一つだけ言っておかないといけないからね」

「何を企んでいるのか知らないけれど、いう事があるのならば、さっさとして。私にはお前を生かしておく理由がないの」

 空間が凍結する。接続された回廊は瞬間という時間を飲み下して、一瞬という永遠を引き延ばした。
 天使に酷似した悪魔の使いは、小さく一言だけ告げる。

 対する夜明けは冷笑し、一度だけ撃鉄を響かせた。
 憎むべき人類の味方は自ら進んで死線へと身を置く。不必要なものは放棄する、その姿は奇妙にも潔い。

 少女は薬莢と弾丸を拾い上げる。
 頭の中では切り捨てるべき主人の放った言葉が反芻していた。
 その言葉は、火よりも強いその少女を動揺させて、また思考の渦へとつき落とすには十二分な威力を誇っていた。


★◎


 浮かばぬ星を仰ぐ白く美しい少女は、その手の中に自らを握りしめて、円環を望む。
 灯った使命と絶望は、久方ぶりの生を、実感として強く、強く突き刺した。

 水晶球に映り込むのは漆黒の鎌鼬。
 暗き夜道と白き幸福。二人が両翼となれば望まぬ結末を手に入れられる。

 強かな笑みが零れ落つ。迷うための情報が扇情的な未来に誘う。
 数多の誘惑が、清福へと鼓舞するだろうことは呼吸することと同義だった。

 福禄寿へと穴を穿ち、辛酸を飲み干すことで勧善懲悪を倒置してみせよう。
 赫々と続く世界に反旗を翻した運命の従者は、果たして破滅を迎えられるのだろうか。




 後に円環と呼ばれる少女がいる。
 果たして本当にこの世界は彼女を中心に廻っているのだろうか。

 悍ましき化け物と輝かしき化け物。これらは同一で、また同義。表裏どころか同心円。曲解すらもまた正答。
 信じ、貫きし者に訪れし栄光は何色か。

なんかのクロスならはっきり書いてくれ


★◇

 繰り返されるその絶望。始まりは変わりなく小さな教卓。
 黒髪の少女は盤上へと名を書き込み、円らな少女へと視えざる言葉を結い上げる。

 思考は激情、表情は聡慧。そして、色調は極黒。
 折り重なる骸の頂上に君臨する届かぬ希望。

 呪いなどと云う生易しい情念では、はるか届かず最早それは畏れであった。
 曇り無き一点。守護者たる少女は桃色の聖子女へと啓示する。

 幼気な少女は幸福を噛み締め宣誓する。心機は擦れ違い、真意は滞る。
 選択肢は零にも等しい蓋然性。膠着は許されず、吹き荒ぶ嵐の中での断続的な採択決定。
 破綻した後悔と先進的な希望の発露。取り残された紫水晶は小さく歌う。

「あなたのことは、私が守るわ」

 信じた希望は言祝ぎに帰り、呪いと熔ける。




 同日、宵闇が迫るころ。呪いの連鎖を断ち切る少女は二人の少女と連れ立って帰路を歩く。
 軽い足取りとは裏腹に、重苦しい運命の歯車は軋みを立てて廻り始めている。
 指し示す道は二つに一つ。危険か、平穏か。

 優しい少女は自らの平穏を選ぶことなど出来はしない。
 見捨てるという残酷な選択肢は、結局のところ存在しえない。
 例えその優しさが大いなる破滅という世界を生み落すことになろうとも。

 打ち捨てられた廃墟を走る。思考は単純、前後不覚で焦燥して憔悴している女性を追いかけ手を掴むためだ。
 追いかける、追いかける。明らかに覚束ない足取りであるのに、スーツを纏った女性の足は、速かった。

 初心も初動も分からずに、少女はただただ女性を追いかける。
 が、突如足を止めて閉口し、当たりを見回す。

 戸惑い。

 灰の森だったはずの辺りは、気づかぬうちに不思議の森へと変貌を遂げていた。
 感情と理解が追い付かず、困惑しながらも、もう一度足を動かして女性に追いすがる。

 あと少しで手を掴めるという段になると、正面を進む女性が、突然倒れ込んだ。
 伸ばした手が無情にも空を掴んだ神にも等しき片鱗を持つ少女は、慌てて駆け寄り、抱き寄せる。

 どういう訳か周りには奇妙で奇怪な綿毛が群がり集う。
 未知の恐怖に怖気づく少女だったが、それらに襲われることはなく、代わりに可憐な少女と遭逢した。

 白を基調とし、黄と橙を纏った少女はゆるく微笑む。

「その人を助けてくれてありがとう。
自己紹介をしたいところだけれど、その前に一仕事、片付けさせてもらっちゃうわね」


 大輪のようなその少女は何処からともなくライフリングマスケット銃を両の手に召喚し、制圧行動を開始する。

 まずは一振り、眼前の標的へと発砲。
 迫りくる三匹を銃身で叩き、足蹴にし、弾丸を開放することによって軽やかに撃破する。

 撃ち終えた華美な長物は投げ捨て、新しいものを即時召喚し切り返す。
 蠢き、襲いくる不気味な軍団を最小動作で撃滅していくその姿は機械的であり、冷笑。
 寸分の迷いもなく廃棄物の山を積み上げていく。

 純真を体現した少女は目の前で繰り広げられる一方的な殺陣に対して飛び越えた感情を抱く。
 比類なき強靭さはいとも容易く掃き溜まる沼へと思考を突き落とした。

 命を救われた、その事実は理解できる。だけれど、確信が持てない。

 凡そ少女とは信じ難き母性を感じさせる人物は本当に人命救助をするような生き物なのか、と。
 呆然と経緯を眺める無垢な少女を余所に、黄昏色の戦乙女は黙して撃鉄を響かせ続ける。
 不意に、少女と少女の視線がかち合う。かち合ってしまう。

 理解する。

 生きる世界が然許りも違うということを。尽未来際理解しあえない極地にいるということを。

 舞い散った蕾が静かに積もる。舞と花弁に飲み込まれた少女に意識が還る。
 隙間と思考と足音だけが倫理を支配し、融解。

 薔薇を慈しむ為の存在が消滅した。
 黒と灰の世界へと出迎えられ、最早今とこれまでとが、空想と区別がつかなくなってしまう。

◇と◎はわかるけど★は誰?
っつうかすごくよみにくい


「その人を助けようとしてくれてありがとう。でも大丈夫よ、気絶しているだけだから」

「よ、よかったぁ。あの、その、それで今のって、夢……、じゃないんですよね?」

「そうね、残念ながら。……、あら、貴方、そういうことなのね。ごめんなさいね」

 銃口が精確に少女の眉間へとあてがわれる。

「えっ?」

 吃驚して、気の抜けた声が漏れ出した。

 向日葵のような少女は憐憫と悲哀、二つが綯い交ぜになった表情で笑う。
 桜を想起させる雰囲気の少女は戸惑い、見下す少女は躊躇をしなかった。

 遅々として進まぬ時を傍観する少女は引き金に力が加えられるのを止める術を持たない。

「あなたは何をしているの?」

 背後からの疑念。
 少女は振り返り、少女は涙を流す。

 絶対的な彼我の差が確かに存在していた。

「何って、何かしら。別に変ったことは何もしていないわよ」

 その表情は非常に自然で明らかに不自然な様相を呈していた。
 何故ならば極々自然な困惑の表情を浮かべていたからに他ならない。

 視線を外したそのままで、蜂色の少女は引き金を引いた。引いてしまった。

 柔らかく暖かな色味を纏った少女は一度だけ瞬き、首を捻る。
 次いで右手に持った長銃を投げ捨て、頬を撫でる。

 居るはずの人物は消え失せ、有るはずの飛沫は何も濡らさない。

 軽く奥歯を噛み締めて頬を膨らませる。
 同じ年頃の少女がすれば愛らしいであろうその動作は、足りない螺子の本数を写していた。


★◇


 深い感情を秘める少女は、清廉潔白な少女の手を引いてビル内部を移動する。
 まずは地上に出ることが先決だった。襲撃者の行動し辛い位置取りへと逃げ込む為に。

 手を繋いだ二人は言葉を交わさず、階段を駆け上がる。
 そして、ばったりと青髪の少女とぶつかった。

「まどか! それと、転校生?」

「いないと思ったらこんなところにいたのね。丁度いいわ、ついてきて」

「はぁ、ちょっといきなり何言ってるわけ?」

「いきなりで悪いけど付き合って頂戴。それともこの子をこのまま放って置いてもいいというのかしら」

 譲れぬ想いを燃やす少女は、恋に焦がれる少女の意識を傍らで怯える少女へと向けさせる。

「まどか? どうしたの、そう言えばさっきから震えてる? 転校生! あんた、まさかまどかに何かしたんじゃ……」

「さやかちゃん! お願い一緒に来て、よ……」

 瞳に涙を溜めて、精一杯をひねり出す。
 親友に拒否権は存在しなかった。

 三者三様、想いは様々、疑念も鬱々。しかし今は離れるという選択肢は那由多の彼方へ。
 地上部、立ち入り禁止の立て看板を迂回して現実へと帰還する。


「ここまでくれば、一応大丈夫のはずよ。それで、その、話を聞かせてもらえる?」

 黒髪を持て余した少女は優しく問いかける。
 桃髪を運命色のリボンでまとめた少女は口を動かす。
 パクパクと、上手く発声が出来ていなかった。状況的には当然の帰結、当たり前の産物だ。

「転校生、あんたは本当にまどかに何もしていないんだろうね?」

「それを判断するのは、まどかの話を聞いてからでも遅くはないでしょう?」

 青と紫、眼差しがぶつかり合い真実を探る。
 何かを判断するためには手掛かりの数が圧倒的に足りていない。

「そこのお店に入りましょうか」


 伏し目がちに長い髪をなびかせる少女は黒のタイツに包まれた足を持ち上げて進む。
 自然と店内の野郎共の視線を集めているとも気づかずに。

 手にしたトレイには三人分の飲料と、二箱のアップルパイ。
 別段味が良いというわけではないが、何も無いよりはいいかと思案した結果の賜物だった。

 紙の入れ物に収められたリンゴのパイを眺めて少女は追想する、
こんなものよりもあの先輩が作ってくれた物の方が格別においしいはずなのに。

 追想の名前は二律背反、ささやかな幸せと大いなる決断。両天秤は常に傾いている。

「お待たせ、オレンジジュースとコーラよね。あとこれ、落ち着くかもしれないから、食べて」

 飲み物と食べ物を二人に差し出す。
 目いっぱいに涙を浮かべた少女は小さな声で呟く。

「ありがとう」

 小さく洟を啜る音が鳴る。

「あぁ、えーっと、暁美さん? その勘違いで突っかかっちゃったみたいで、ごめん」

「気にしないで、もし私が同じ状況に置かれたとしたら似たような態度を取ったでしょうから。
それに、詳しい事情が分からないのは私も似たようなものだし。それから、ほむらでいいわ」

 手元に残ったコーヒーをストロー越しに吸い上げる。
 口の中に広がった苦味は理解不能な現実を現しているという錯覚を覚えさせてくる。

「それで、まどか。なんかよく分かんないんだけど、話してくれる?」

「う、うん。あのね、――――、」


★◎


 白の少女と黒の少女は出会う。惹かれあう運命は均衡、愛と信念は交わり納まる。
 互いが互いの帰る場所と成り、自らの世界を正すための戦いへと乗り出した。

 強き信念はたったそれだけで正義たりえる。支点と始点が交わればそこには新たな視点が生まれる。
 知らないものを知るということ、信じる物を知るということ、即ち、戦うことを生きる理由とすること。

 その総てが彼女にとっての絶対足りえる。

 手始めに見滝原の昏き守護者を狙うとしようか。
 幾重にも重なる可能性の雫は今と未来を繋いで消える。

 もはやそれは魂を繋ぎとめる楔と化していた。
 だとするならば、偏に無限の愛は有限世界に納まりきるわけはない。


★◇


 闇に紛れる少女は月を眺める。見上げた先には疑問と瞬き。
 一つの異常にはどれ程までに積み重ねられたズレが存在するのだろうか。

 点灯しながら長考する。
 点滅を繰り返す可能性という星は、けれど決して真相に迫ることなど出来はしない。

 最も分かりやすい行動は一つだけだった。成立させるための手段は見当がつかない。
 手立てがなくても動かないわけにはいかない、そういう状況もある、それだけは確かなことだった。

 そもそもに駆け引きというものが通用するのか、
それさえ不明瞭な現状で打つ手に意味を得ることが出来るというのだろうか。

 巻き戻り続ける少女はそれでも選ぶことでしか前へと進む術を持ち合わせない。





 正午過ぎ、太陽は空の中央に輝く。
 照らし出されるのは二つの影と、一つの隠者。
 屋上という狭く区切られた世界の中で、二つの影は対峙する。

 紫と黄色、困惑と好奇。互いの立ち位置は未だ不明で、明け色の日差しは手札を欲しがる。

「自己紹介がまだだったわよね、私は暁美ほむら」

「ご丁寧にありがとうね。私は巴マミよ。それで、話って何かしら?」

「昨日のあれは、どういうつもりだったのかしら。説明をしてほしくて。
噂に聞く限りのあなたは冗談でもあんなことを仕出かすような人じゃないでしょう?」

「正義の魔法少女の噂話のこと? それなら、トンだ出鱈目よ」

「つまりあなたは正義の魔法少女なんかじゃない、と?」

「私は、私の正義に従ってはいるつもりよ? 
ただ、それがほかの人にどう映るのか、そんなことまでは知った事ではないけれどね」

「つまり、他人から見たら後ろ暗いことをしている自覚はある。そういうこと?」

「どうなのかしらね。ただ、私は間違ったことはしていないわよ。それだけは自身に誓って自信があるわ」

 対話は致命的に不透明で、決定的にピースが足りない。
 澄まし顔と思案顔。どちらが優勢なのかは明らかだった。


「例えそれが一般人を危険に晒すことになったとしても?」

「可能性を持っている時点で一般人とは言えないと思うわよ?」

「それはつまり、昨日のあれは冗談や酔狂なんかじゃなかった、と?」

「当然じゃない、伊達や酔狂で人を殺してしまえるほど狂ってしまった覚えはないもの」

 感情が揺らめく。暁美ほむらという小さな器から歪みが溢れる。

「つまりあなたは、鹿目まどかを素面で大真面目に『殺そうと』したわけね」

「あぁ、あの子まどかちゃんっていうんだ。教えてくれてありがとう。
あの子がキュゥべえに見つかってしまったらきっと大変だと思うの。
なんで同じ中学に通っていたのに今まで気がつかなかったのかしらね。

不思議に思わない? 
あんなにとんでもない資質を秘めてるのに」

「私からすれば今のあなたの方がよっぽど不思議よ。いつからそんなに歪んでしまったの?」

 対峙した二つの影は互いに向かって何かを掲げる。

「ねぇ、止めましょうよ。こんなところで何かあったら学校に通い辛くなるじゃない」

「あなたが彼女の命を狙わないというのなら、私も手出しはしない」

「分かってないわね。放課後に遊んであげるって言ってるのよ♪」

 意外なことに彼女が初めて見せた表情は笑みだった。
 あまりに獰猛なその笑みは幾多の修羅場を乗り越えてきた遡行者すら圧倒し、捩じ伏せる。
 絶対的な恐怖がその場を支配し、呼応するかのように雲の切れ端が陽を覆い隠して影を作り出す。

 ぼんやりと、不気味なほどに圧倒的な静寂が場を占拠していく。
 一粒の雫がコンクリートを濡らすと、雲が過ぎ行き光が戻る。

「じゃあ、またそのうちに、ね?」

 壮絶な笑みを湛えた少女はすれ違う。
 音を立てて扉が閉まると残された少女は力なくその場にへたり込んだ。

(アレは、私の敵だ……)

 濁濁と流れる脂汗とは裏腹に彼女は覚悟を決める。

 殺戮者と敵対する覚悟を。


★◎


「キリカ。彼女の様子はどうだった?」

「その、なんていうか、うん。正真正銘化け物だよ」

「まぁステキ。つまりこちらに引き込めれば怖いものなしってことよね」

「織莉子は私だけじゃ不満なの?」

「そんなことないわ。貴女だけが私の頼りよ。
彼女は保険、あれが生まれる前に片を付けるには手を組むのが手っ取り早いじゃない?」

「……、君がそれを望むのなら、私はそれに従うよ」

「あら、不満?」

「当っ然! 君の隣は私だけのものだからね」

「そんなの当たり前じゃない。かわいい私のパートナー」

「君のためなら何でも出来るよ。だから、約束」

「えぇ、そうね。約束ね」


★◇


 黒、青、桃。三色の頭が連れ立って進む。

 時刻は夕前、場所は病院。
白く、清潔感の溢れる内装はどこか不自然で不気味な印象を突き付ける。

 夏の色彩のように明るく眩しい内面を持つ少女は親友ともう一人を連れて、幼馴染の見舞いへと足を運ぶ。
 幼馴染は神童という言葉が最も当て嵌まる弦楽器奏者だった。

 そう、『だった』。入院の原因は利き腕への致命的な外傷。怪我の程度は骨折に留まらず、
神経への致命的な損傷も含まれている。つまりは、二度と楽器が弾けなくなるほどの重症患者だった。

 ただ、実際には長くリハビリを続けることで日常生活に戻ることが出来る程度には回復の見込みのある疾患だ。

 だけれど少年にとって楽器とは人生そのものだった。
 彼という人物が生きた軌跡には片時も離れることなくそれが寄り添っていて、最早楽器とは体の一部ですらあった。

 それが使えなくなるということは、
目が見えなくなることや音が聞こえなくなること、
声が出なくなること、匂いや味が分からなくなることと同義だった。

 それほどまでに強く結びついていたものを失うことは、果してどれ程の絶望だろうか。
 その深さは彼の幼馴染の美しい幹のような強さを持った少女にすら分からなかった。

 だとするならば、彼女が知らず知らずのうちに地雷を踏み抜いたとしても然程驚くに値することではない。
 つまるところ、絶望にかまけて当り散らされた。たったそれだけの簡単な出来事だ。

 そんな簡単な八つ当たりを少女は重く受け止めすぎる。
 だけれど、少女には一発逆転の手札なんてものは存在しない。

 なれば、少女に出来ることは逃げることだけだった。
 逃げて、涙を流すことだけが彼女に出来るたった一つの抵抗だった。


 少しだけ、時は遡る。瑠璃の少女が病室の前へと立った時と同じころ。
 病院一階の待合室にて冷笑的な少女が控えめな少女へと語りかける。

「今日のお昼休みに彼女に会ってきたわ」

「えっ! えぇと、大、丈夫、だったんだよね?」

「そうね。取りあえずは話し合いだけで済んだわ」

「それならっ、仲良くなれた、の?」

「いいえ。はっきり言うわね、彼女巴マミはあなたの命を狙ってる。
理由は分からない。それどころか、多分私の命も狙っている」

「そんな……。どうして……?」

「何故なのか、それは分からないわ。だからそれは色々と調べてみるつもり」

「一人で、調べるの?」

「えぇ、でも大丈夫一応当てはあるから。
それよりも、自分の心配をした方がいい。なるべく私があなたを守るけれど、自衛することも大事よ。
彼女、少なくとも騒ぎが大きくなることは望んでいない様子だった。だから、なるべく人通りの多いところにいて」

「う、うん。そうだね。それで、暁美さんはその……、」

「ほむらでいいわ。何者かって聞きたいの?」

「う、ん。それから昨日のお花畑みたいなところとか、」

「そうね、少しだけ話すわね。私は、私たちは魔法少女」

 少女は掌に自分自身を乗せて見せる。

「魂を宝石へと変えて、たった一つの祈りのために戦う存在。これが私の全てなの。
これが壊れたとき、私は世界を呪う存在へと昇華される」

「なにをいってるの?」

「昨日化け物を見たんでしょう? 
この宝石が黒く染まりきったとき私たちはあれと同質のものに成り果てる。そういう存在」

 宝石を強く握りこむと、指輪へと変化させる。

「それってさ、私にもなれるのかな?」

「それは、……分からないわね。時期が来ればおのずと分かるかも知れないわ。
ただね、私はあなたには普通のままでいてほしい。こんな存在になんてなって欲しくない、そう思うの」

「そっか、そうだよね。昨日の人も凄く、怖かったもん。でも、ほむらちゃんは違うんでしょ?」

「本質的には、同じよ。彼女も私も願いのために戦っている。他ならぬ自分自身のために、ね」


★◎


 鬱屈なため息を吐きだして、壊れた少女は今へと戻る。
 黒く塗り上げられた世界の中核をその手に握り、拾い上げる。

 それを見つめる瞳に映るのは何色なのか。込めた視線の意味合いは本人にすら区別がつかない。
 明るく、闇を撫でる風が吹く。

 煽られて何かが空を舞う。ただ、そこに姿は無かった。

「どちら様かしら。何か私に用でもあるの?」

 薄く笑い、振り向いた先には対極の色調を持つ二人が立っている。
 近代的な街並みに、幾何学的な遊具の揃った公園。

 子供が遊ぶには些か不向きであろうその空間の中で、三人は出会ってしまった。

「初めまして、見滝原の昏き守護者さん」

 純白のドレスに身を包んだ背の高い少女は頭を下げる。
 その所作からは過ぎるほどに馴染んだ匂いが窺える。
 彼女の隣では漆黒の少女が刃を構え、場を見守る。

「あら、また二の名が増えちゃったわ。うん、なんだかしっくりくる感じがそれっぽくていいわね」

「気に入った様なら何よりです」

「それに、私に尋ねてくるなんて初めてだわ。逃げられたことなら何度でもあるんだけれど、ね」

「なんと、そんな麗しい美目をしているというのに、見る目の無い方々ですね」

「本当よねぇ」

 束の間の沈黙が静寂を呼び込む。
 笑い話という牽制は、立ち位置を計算するには不明瞭さが大きかった。


「貴方がシテキタことを考えれば無理もないことです。
しかし、私は考えました。貴方という人物こそ私が手を組むのに相応しい、と」

「へぇ、何か企んでいるのね」

「企んでいるだなんて、そんなこと……。
私の救世を成し遂げるためには貴方の力が必要であると、ただそれだけのことです。
私は私の目的に対して手段を選ぶつもりはありませんから」

「救世? えっ、この世界って破滅するの? それっていつかしら? 私そんなこと全然知らなかったわ」

「そうでしょうとも、でもそれは後三週間足らずで確実に訪れます。
それを止めるために力を借りたい、そう言っているのです」

 世界を救う。
 それはなんと甘美な響きだろう。

 人に到達出来うる最高の名誉、そんな分かりやすい餌を前に少女はわらう。
 薄く唇を開き犬歯を見せるように。

「凄いわね。なんて素敵なことかしら。私の力が認められちゃった。
うん、そうねぇ。もちろん答えは、『ノー』だわ」

 即座にマスケット銃を召喚して弾丸を放つ。
 穢れ無き少女は目を閉じ、望む。

 弾丸は黒の少女によって防がれる。正面から飛来した銃弾を両手の爪でたやすく切り裂く。
 座りきった左目が『お前を[ピーーー]』と、そう宣言していた。

「一応、聞いておきますね。『何故』?」

 何者にも染まらない白は吐き捨てるように問いかける。

「それは貴女達が魔法少女だから!」

 彼女にとってそれは決まりきった答えだった。
 少女が選ぶのはいつだって一つ、いつだって絶対。

「織莉子に銃を向けた罪は死で償ってもらうよ」

 爪が跳び出し、水晶が追従する。
 黄色の少女は後方へと大きくジャンプし、距離を取り弾をばら撒く。

 一人は微笑み、二人は嗤った。
 暗闇には狂人だけが映し出される。


★◇


「そう言えばさ、まどかのこと助けてくれたんだよね」

「そうね、結果的にというところだけれど。それも偶然、ね」

「ありがとう、ね」

「なんだか、そんなことを言われると痒いわ」

「あはは、なにそれ。
でもさ、今、まどかまで大変なことになっちゃったらあたしもきっと潰れちゃったと思うんだよね。
だから、それも含めてありがとう。なんかさ、言っておかないといけない気がしてさ」

 お手洗いへと駆けこんだ少女を待ちながら二人は話す。
 壁に背を預け、互いの表情を確認することなく、傾いた夕焼けと言葉だけに身を委ねる。

「きっと何かの縁、よ。それ以上でもそれ以下でもないわ。だってあなた達はまだ私のことをよく知らないでしょう?」

「そりゃそうだよ。だってほむらが転校してきたのはついこの間じゃん?」

「えぇ、そうだったわね。でもなんとなく、結構しっくりきてるのよ?」

「なんだろう、なんかよく分かるわ。
でも、あたしたちがあんたのことよく知らないのは事実だよね。それなら、うん。
これからいろいろ教えてもらっちゃいますかね?」

「何よそれ、なんか響きがヤラシイわよ。もしかして、私のことも嫁にするとか出だすんじゃないでしょうね」

「えっ、嫌なの?」

「あなたの嫁なんてイヤよ。どうせならまどかの嫁がいいわ。あなたみたいにがさつじゃないし、やさしいもの」

「なにおう、まどかは渡さんぞー。まどかは私の嫁だー」

「えっ、さやかちゃん何言っているの? その、そういう趣味は無いよ……」

「おおう、まさかのマジ反応。これにはさやかちゃんもちょっと傷ついた」

「早かったわね。冗談だから安心していいわよ」

「二人とも何の話をしていたの?」

「まどかはかわいいな、って話よ」

「そうそう、かわいい嫁が欲しいなってはなし」

「もう、なにそれー。二人とも酷いよ、いないところでそんなこと言ってー」

「いやいや、まどか。あたしたちは褒めているのだよ?」

「最高でしょう?」

「なんか、仲良くなってるね」

「そんなことないって」
「そんなことはないわ」

「ほらー」


★◎


 邸宅、そう呼べるほどの大きな屋敷の一室でダイヤモンドのように煌めく少女が眠る。
 傍らには漆黒を纏いし愛の化身たる少女が付き添う。

 白の少女の顔色は優れず、彼女自身ともいえる結晶の輝きも鈍い。
 大粒の汗は顔に留まらず、全身を濡らして寝間着すら滴る勢いだ。

 黒の少女の手には魔女の卵たるグリーフシードと積み上げられたタオルの山。

「織莉子、頼むよ。死んだりしたら嫌だよ」

 彼女は休む暇もなく看病をし続けている。
 其の献身はまさしく愛が成せる業だった。

 焦燥と怒りが彼女の精神を圧迫している中で、それでも彼女は『愛』を見失わない。
 何故ならばそれが彼女にとって総てであり生きる理由であるからだ。

「織莉子、ごめんねまた着替えさせるよ。もう何度も、見ちゃったけどさ。勝手に服を脱がせる私を許して」

 顔の汗を一通り拭い去ると、汗を吸い込んでずぶ濡れになった寝間着へと手をかけ、丁寧に脱がせていく。
 汗ばみ、滑りがよくなっている体をがっしりと支え、上着を脱がせ、下穿きを脱がす。
 腹部と胸部、首筋に右足と右腕、大きな傷跡が残っていた。

 傷自体は塞がっているため、痛みは無いだろうがそれでもその生々しさは驚嘆に達する。

「ごめんよ、織莉子。私なんかを庇ってくれたばっかりに、次はあんな失敗をしたりしないから。だから、目を醒ましてよ」

 ゆっくりと、その肢体から噴き出す汗を拭っていく少女は、目から大粒の涙を流して、懇願する。
 首から、足先までゆっくりと時間をかけて汗を拭い去り、新しい着替えを少女へと着せていく。

 少女の横には濡れたタオルの山と、衣服の山。
 流石に看破できない量が積もったそれらを流し見て、項垂れる。

「少し、洗濯してくるから待ってておくれよ」

 山のような衣類を抱えて黒の少女は部屋を出る。目的地は浴場に設置されている洗濯機だ。
 目を開けず、ベッドで休む少女の瞼から、一筋の涙がこぼれる。

 月明かりが部屋へと差し込み、少女を照らす。その姿は聖者の遺体のようですらあった。
 ゆっくりと、情報とノイズが意識の中へと流れ込んでいく。


「キ、リ、カ」


 小さな一つの呟きと共に此岸へと舞い戻る。


★◇


 近代兵器を操る少女は市境を歩く、傍らに白いペテン師を伴って。

 新設政令都市である見滝原市と、隣接する風見野市。
 その風見野市にある幽霊スポット風見野廃教会が目的地だった。

 ゆっくりと、空気の振動を頬に感じながら少女と宇宙人は会話を交える。

「わざわざボクを呼び出してこんなところまで来るなんて、君は何を考えているのかな?」

「あなた、佐倉杏子の居場所は知っている? この街にいるんでしょう?」

 獣の様子は強かで、まるで鉄面皮でも被っているかのごとく表情が変わらない。

「懐かしいね。佐倉杏子、その名前を君の口から聞くことになるとは思わなかったよ」

「懐かしい? 何を言っているの。そんなまるで、久しく存在を忘れていたような口ぶりをして」

「忘れていたも何も、彼女が魔女に敗れて命を落としてからもう一年以上たつよ」

 赤目の詐欺師のその言葉に、少女は足を止めて息をのむ。
 瞬きを繰り返して、大きく息を吐きだす。音を鳴らして自身の額を三度叩き、もう一度、大きく呼吸する。


「杏子が、一年以上も前に死んでいる?」

「その通りだ。
事情についてはマミが詳しいんじゃないかな。
僕の口からはあまり詳しいことは教えてあげられない。
もういないとしても、彼女もまた魔法少女だったことには変わりがないからね」

「そう、つまりは今の巴マミがああなった理由もそこにあるということね」

「知りたければマミに直接聞くといい。話してくれるかどうかは、微妙な線かもしれないけれどね」

「お世話様、最初からお前には期待していないわ」

 目を伏せ、表情に仮面をかぶせた少女は、さっと踵を返してきた道を引き返す。

「これから巴マミのところに行ってみようと思うのだけれど、おまえも一緒に連れて行ってあげましょうか?」

「いいや、ボクは遠慮させてもらうよ。変わりはいくらでもあると言えども、無意味に潰されるのはもったいないからね」

「そう、賢明な判断ね。実にあなたたちらしいわ」

「ヤレヤレ、取ってつけたような言い回しをするのは止めてくれないかな。当てつけかい?」

「おまえにだけは言われたくないわ。この詐欺師」

 表情を変えず、吐き捨てる。

「まるでボクたちに悪意があるみたいな言い方は止めてくれないかな」

「私たちにとってはどちらでも同じよ」



 すみれ色の少女が風見野市を訪れてから、百六十八時間ほどが経過する。
 件の少女は学校に併設されている市立図書館へと入り浸り時を過ごしていた。

 目的は一年前の新聞のバックナンバーを探すこと。
 理由はもちろん、佐倉杏子の顛末について。

 白饅頭のような獣が口を閉ざしている現状では欲しい情報を手に入れるための手段は二つだ。
 当人に直接訊ねるか、過去の記事を漁り、自分で調べるか。

 前者を選ぶには相手があまりにもリスキー過ぎる。
 話を聞きにいったが最後、問答無用の殺し合いに発展するだろうことは、火を見るよりも明らかだった。

 仕方なしに地方紙のバックナンバーを漁ることを決断した藤色の魔法少女だったが、
めぼしい収穫が得られなかったことに落胆を隠せない。

 少女が見つけられた情報は二つ。
 佐倉杏子が十五か月ほど前に命を落としているのは確からしいということ、彼女の一家が破滅してしまったらしい、ということ。

 佐倉杏子という少女の家族が壊れ、新興宗教の烙印を押されてからの栄転と凋落。

 最終的には父、母、妹の三人での無理心中で、
住んでいた教会は焼け落ちて、佐倉杏子ただ一人が行方不明となる。

 教会が焼け落ちてから三日後。風見野森林公園で、彼女は遺体で発見された。通報者は匿名で、
「人が倒れているの。息をしていないみたい」と語っていたそうだ。

 遺体となった佐倉杏子の体には無数の凍傷が確認されてる。
 警察は心身喪失の後、当てもなく彷徨い続けての衰弱死という線で決着をつけたようだった。

 桔梗の花によく似た少女は考える。

 佐倉杏子という魔法少女の境遇について。
 いつかの世界で語っていた、本来の固有魔法は幻惑だと。
「ちょっと事情があってね、今じゃからっきしさ」と、口元を歪めた彼女を思い起こす。


 思索、想像。

 手掛かりが足りない。が、類推する。
 読んだ記事の信憑性については疑問が残るところだが、
彼女が飢えを経験したことがあるのは間違い用の無い事実として捉えて差し支えは無いはずだ。

 なるほど、と少女は一人納得を示す。
 恐らく願いは、「少しでいい、耳を傾けてほしい」といったものだろう。
 この願いならば、固有の幻惑魔法の性質、意識の制御、誘導とも合致してくれる。

 気になるのは三日というタイムラグの方だった。

 絶望に身を落とすにしては時間がかかり過ぎているし、
何より魔女になったのだとしたら、佐倉杏子の遺体が発見される可能性などゼロだ。

 だとすれば、何か外部からの介入があった見るべきだろう。
 外部からの介入、区切りを入れて少女は思案を継続する。
 どのタイミングで、どのように?

 一番濃い線は通報者の少女、そのはずだ。
 だとすれば、それは『あの少女』なのかもしれない。

 佐倉杏子が魔女に負ける現場に、もしくは敵対している魔法少女に殺される現場に居合わせた。
 そういう風に考えるのが、妥当かも。

 少女はそう結論づける。

「ほーむらっ、あたしら帰るけど、あんたはどうすんの? 一緒する?」

「そうね、私も帰るわ。丁度、こっちの用事も終わったところなの」

「ほんとう!? だったら、明日は帰りにどこかによって行こうよ」

「いいわね、楽しみだわ。ここのところずっと活字漬けだったから、甘いものが食べたいと思っていたのよ」

「そんならさ、仁美も誘ってクレープとかどうよ? 明日なら丁度いいっしょ」

「さんせーい。でもどうしよう、今から悩んじゃうよ」

「ふふ、みんなで一口づつ交換すれば四種類楽しめるわ」

「ほむらも結構乗り気ですな! そうと決まれば今日は早めに帰るべし!」

 最悪の可能性から目を背ける。そう、佐倉杏子が消耗しきり変化を遂げたというどうしようもない可能性から。
 その様子を、『あの少女』が目撃して真実へとたどり着いてしまったという可能性から。


★∴


 病院とお菓子の家。虚構と現実。二つが綯い交ぜになった異形の空間で軽やかな足音が刻まれる。
 梔子色を気取った少女は薄ら笑みを浮かべて歩み進む。

 辺りには鼠にも似た異形の使い魔たちが群居する。
 しかし、お互いにお互いを認識しているのかどうかも怪しいほどに干渉しない。

 そぅっと、扉を開く。
 足を弾ませて桟橋を渡る。

 空気が溶けるような世界の中で、王者よりも高みに君臨し、世界の覇者より強き者。
 それは即ち、世界に破滅をもたらすものなり。

 最後の扉を開いた先には、空間の主が鎮座する。
 姿は小さく愛らしい。どころか、ただのぬいぐるみにしか見えないほどだ。

 だけれど、ヒシヒシと伝わる、大きな魔翌力。

「あら、かわいい。でも、あなたみたいなタイプが一番危険なのよね。私の経験がそう言ってるわよ?」

 長銃を召喚し、トリガーを引く。
 動作には、迷いも油断も見受けられない。
 引き金を引いては、銃を捨てる。そしてまた新しい銃を召喚して、動作を繰り返す。

 カツカツカツ、とその間にも魔女との距離を歩いて縮める。
 魔女からの反撃は一切なく、だというのに有効打があるようにも見受けられなかった。


「誘っているのかしらね、大技を」

 浅く笑う少女には、不相応な不敵さを漂わせ引き金を引き続ける。
 小さな魔女と櫨染色の少女がゼロ距離で対峙する。

 魔女を見下ろし、銃口を突き付ける少女の瞳は、驚くほどにクリアで冷酷だ。
 ただ、目の前のやるべきことを、当たり前のように履行する。それ以上の感情も感慨も存在しない。

 空き缶を拾い上げてゴミ箱へと放り込む、関心としてはその程度なのだろう。

 引き金が引かれる。魔女の体を貫いた銃弾は、これまでと同じように手応えは無い。
 スルスルと、魔女の体が真下からリボンに支えられて迫上がる。

 少女の手元の高さまで持ち上げられた魔女を、柑子色の少女は迷いなく銃身で打ち上げた。
 力強く振りぬかれた銃身からは布束を叩いたような鈍い音だけが響く。

 年端のいかない女の子の膂力とは思えないほどの距離を魔女の体が舞う。
 放射線を描いて魔女の体が結界の端へとぶつかり、跳ね返る。
 そのまま自重に任せて自然落下するかと思いきや、追撃のようにその体にリボンが巻き付いていき、磔にする。

 縛り上げられた魔女に巨大な銃口が向けられる。否、それは大砲であった。
 蔓と木葉があしらわれたその巨大な砲身は健美で過飾。そして何よりも強大だ。




「■■■■」



 小さく、本当に小さく少女は呟く。
 巨大な砲から射出された弾頭は、恙なく魔女へと到達し、その体を完膚なきまでに、破壊し尽す。

 魔女の口から、にゅるりと『本体』が姿を現した。
 それは、蜜柑色の少女へと迷いなく食いつき、頭を食い破らんと牙を剥く。

「ふふ、そんな単純な罠《トラップ》に気づかないわけがないでしょう?」

 微笑みを浮かべたままの少女は襲いくる黒い蛇腹に問いかける。
 そして互いの視線が交錯したその瞬間、魔女の体が賽の目状に切り裂かれ、崩れ落ちる。

 少女が魔女に対して何を施したのか。それは非常に簡素で簡潔だ。
 魔女を視認不能の極細のリボンで囲った。感覚としては鉄鋼線で出来た視えない籠を被せたといったところだろう。

 ただし、用いられたリボンの硬度はあまりにも突出していた。
 目視できないほどの圧倒的な細やかさと、突き破ることの叶わない強靭さ。

 最早それは不可視の刃とさえ表現されうる代物だった。

「ピアノ線に気づかないなんて、トンデモナイお間抜けさんね」

 クスクスと笑いながら少女は穢れと魂の種を掴み上げる。

「あぁ、もう疲れちゃったわ。家に帰ったらゆっくりと紅茶でもいただくことにしましょう。それがステキよね」


★◇


「おぉ結構空いてるね。ついてるわー。これも日ごろの行いってやつですかねー」

「それならきっとまどかと仁美のおかげね。間違いないわ」

「なにおう、あたしの日ごろの行いが悪いと申すか!」

「今日も授業中に寝ていたでしょう? 私、知ってるわよ」

「本当だよ、何度突いても起きてくれないんだもん」

「うぅ、面目ない。そう言われるとあたしには何も言い返せないよ」

「それはそうと、皆さんは何を注文するか、もう決まっておいでですの?」

「私はオレンジバナナチョコレートにしようと思うのだけど」

「わたしはそうだなぁ、メロンパフェクリームかな?」

「あたしはもちろんあれだよ。リンゴとミックスベリーのやつ」

「それでは、私はタコ焼きと今川焼のセットを……」

「良いわね、今川焼。なんだか、凄く久しぶりに食べたくなってきたわ」

「っておい、仁美は分かりづらいボケは止めようか。ほむらも乗らなくていいから」

「アレ? 仁美ちゃん、冗、談。だよね? 本気だった?」

「いえいえ、勿論冗談ですの。流石にそんなアグレッシブチョイスをするほど、おなか空いてませんもの」

読みにくすぎる


「んでさ、仁美はどうすんの?」

「そうですわね、ミックスクリーム辺りにしておきますわ」

「それじゃ、どうしよっか?」

「それなら、私行ってくるわ。えぇ、っと、仁美手伝ってくれる?」

「ふふ、そうですわね。じゃあ、鞄お願いしますね」

「おーし、預かったー! あたしとまどかで席取っとくから!」

「えぇ、お願い」

「あっ、さやかちゃん。あそこの席良さそうだよ」

「ほんとだ、いい感じに木陰になってて気持ち良さそう」

「でしょ! ここに決めちゃう。わたしはもうここの気分だからね!あとから言っても動かないよーだ」

「なにおう。かわいいやつめー、うりうり、こうしてやる!」

「あはは、もう、ちょっと、止め、ちょ、っと、もー!」


「あのさ、転校生は、ほむらはいい子、だよね?」

「うん。少なくともわたしからはそう見える、かな」

「でもさ、時々気になっちゃうんだよ。多分だけど、色々隠し事してる」

「そう、かな。でも、うん。時々寂しそうにしてるよね」

「そうそう、ふとした時にあたしたちに何かを重ねてるっていうの?」

「そこまでは、分かんないよ」

「あぁ、そっか。ごめん、今の言い方悪かったね。
あたしたちと一緒にいるはずなのにアイツの、ほむらの中で別のことが膨れ上がってるみたいっていうか」

「前にね、ほむらちゃん言ってたの。ほむらちゃん自身は怖い人と一つたりとも違いなんてないんだって」

「それなら、ちょっと安心かな?」

「どうして? きっとほむらちゃんは悩んでて傷つき続けてるんだよ?」

「だって、自分のことをそう考えているってことはさ、きっとまだそこに踏みとどまることが出来るってことでしょう? それだったらきっと、全然違うってことだよ。少なくとも、あたしはそう思うし、信じられる、かな」

「そっ、か。でも、傷つき続けているほむらちゃんを見るのは辛いよ」

「それはさ、ほむらが話してくれるようになるまで待つしかないんじゃないかな」

「分かってるの、分かってるんだけどね」


「ほらほら、そんな顔しない。そろそろ二人とも戻ってくるから。そんな顔見られたくないでしょ?」

「分かってるよ、うん。だから、もう大丈夫!」

「それでこそあたしの嫁!」

「またそういうこと言うんだからー! さやかちゃんの馬鹿!」

「おバカなさやかさん、お待たせしましたわ」

「馬鹿さやかお待たせ。はいまどか、メロンパフェクリームよ」

「ありがとう、ほむらちゃん! 仁美ちゃん!」

「そんなバカバカ言わないでよ。事実だけどさ! というかあんたら二人からすれば、大概の人にバカって言えるじゃん!」

「いえ、さやかさん。そんな風に他人様のことを言うのは感心しませんわよ」

「そうよ、美樹さん。この世界はバカばっかりなんて言って悦に浸るのは止めた方がいいわ。歪むわよ、色々と」

「えぇ、何この流れ! まるであたしが人のことを馬鹿にしたみたいになってるし! 
っていうか、あたしが馬鹿にされてたよね!?」

「さやかちゃん」

「そんな顔で、肩に手を置かないでよまどか! なにその『諦めたら?』みたいな表情!」

「拝啓、今日も美樹さんのツッコミは冴えています」

「なにそれ、つーかさっきから酷くない? その微妙に距離を取る感じ!」

「追伸、さやかは今日もおバカで元気です」

「むっきー! 腹立つ!」

「ちょっと、失礼するわね。すぐ戻るわ」

「あぁー、向かいの建物の中に行った方がいいよ」

「ありがとう、そうするわ」


 厠。

 手洗い場のもっとも古い別称である。由来は川屋とも、側屋とも言われる。

 恐らく生きる上で重要な五項目のうちの一つに数えられているであろう。
 なければ困るなんて生易しいものではなく、人生においてその必要性を説くまでもなく重要だ。

 当然それは年頃の娘にとっても間違いなく重要で、またそれは物語においても然り重要なのだ。

 古い時代、厠の裏には紫陽花がよく植えられていたそうだ。
 現代でこそ梅雨の花の代名詞ともいえるほど馴染み深く、好まれることも多い花だが、
そういう扱いをされるようになったのは以外にも近代になってからである。

 それまでは便所草などと呼ばれて些か敬遠されていたとも言われる。
 そんな紫陽花の花言葉の一つに変節というものが存在する。

 つまり厠とは、急転直下を示す記号とも言えるかもしれない。
 出会いの場としては少々不吉で、物騒だ。

「あなた、呉キリカ先輩ですよね。最近話題沸騰中の」

「おやおや、お客人はいつから気づいていたのかな。私に教えておくれよ」

 漆黒と鉄紺。出会い頭は穏やかにして混迷。
 目的は同じ。だけれど、選ぶ手段が真逆すぎて相容れない者同士の解遁だった。


「あなたがその姿で現れたということは、いるんでしょう? 美国織莉子が」

「君は何者だい。同じ学校の私はまだしも、織莉子のことも知っているなんて、
もしかして殺しておかないといけない人材なの?」

「それは、こちらの台詞だわ。あなた達には前科があるのよ。もっとも、知らないでしょうけど。
でも、ここで引くなら今回は見逃すわ。だけど覚えておきなさい。次は無い」

「ふむ、なるほどなるほど。聞いていた通りだよ。えぇと、黄昏あかりちゃん?」

「暁美ほむらよ。ふざけてるつもりならその頭弾き飛ばすわよ」

「ゴメンゴメン、私にとってはどうでもいい記憶だったからつい。
っと、違う、違うんだよ。私たちと組む気は無いかな?」

「意図が見えないわね。何のために? それとも当て付けのつもりかしら」

「何のため? 
おかしいな、君は色々と知っているんじゃないのかい? 
まぁ、いいか。そんなことを気にする場面じゃないからね。アレだよアレ。えぇと、ジャックランタンの夜だっけ? 
ド級の魔女がこの街を破壊し尽すんだろう? それを何とかするためにさ、私たちと組んでくれないかい?」


「……、敵対の意図は本当に無いの? それから、ワルプルギスの夜、ね」

「織莉子の目的は救世だよ? この街の魔法少女が全員で力を合わせれば、
そのわる何とかの夜ってのを倒すことは出来る。織莉子はそう信じていたよ。
織莉子が信じているのなら私も信じるし、信じられる」


「つまり、あなた達にはあの巴マミと共同戦線を張れるだけの策がある、そういうことなの?」

「あれは、私なんか目じゃないくらいぶっ壊れているよ。一度けちょんけちょんにされたしね。
織莉子をあんなに傷つけた奴を許してやるのは癪だけど、織莉子が言うには私たちと、客人と、優等生。
四人がそろってないと破滅の未来になる。だから、時を超えるまでは私たちが全員倒れるわけにはいかない」

「確かに、あの巴マミは戦力としてだけならば相当優秀よね。それこそ喉から手が出るほどに。
だけど、同時に危険すぎる。そう、まるでジョーカーのように、ね」

「だけど、君にもこの街を守りたいだけの理由があるんだろう? そしてそれは私たちも同じなんだ。
だったら、話は早いと思うんだけどな」

「そうね、その通りだわ。ただし、裏切ったら、あなたのソウルジェムを砕かせてもらうわ。
その時は絶対に躊躇しない」

「なるほど、君は真実を知っているようだ。それならもう一つ有益な情報を、あげておこうか。
巴マミも『知っている』ようだよ」

「なっ、」

 言葉の刃は欠片となって少女の胸にカチリッ、と嵌る。
 烏羽色の少女はひらひらと手を振りながら建物の外へと歩いていく。

 竜胆色の少女は撃ち込まれた言霊の威力に茫然自失と硬直する。
 数分後、少女たちは元いた場所へと帰り着く、不意の逢瀬をひた隠して。


★∴


 逢魔ヶ刻。
 見滝原市郊外の大型バスターミナル。
 夜の間は施設自体が完全に眠りに落ちるこの場所は、真昼の喧騒とは一転した静謐さを見せる。

 人が集まる場所というものは、常に人の感情が集まる場所と言い換えられる。
 つまりここは、見滝原という街の中でも、特に魔女の集まりやすい場所の一つに数えられている。

 そんな場所に少女が一人。
 余裕と、諦めにも似た笑みを浮かべて辺りを見回す。
 体の正面に開いた右手の上には艶やかな橙の魂が煌めく。

「うーん、もしかして中に一人いるのかしら? だとしたら、いやねぇ」

 ポン、と軽く手を跳ね上げて、自身の魂たる宝石を宙へと開放する。
 宝玉は眩い光を引き起こし、身を包み込む。

 少女の姿は別世界から引き寄せられたように変化して、

「さて、」

 歯車を撒くような、奇妙な音が小さく響く。

 そして、空間にポカリと魔法陣が浮かび上がった。

「魔女さん、魔女さん、死刑の時間です、なんてね」

 魔法陣の中へと、飛び込む。
 すると、世界から少女という『色』が消え去った。


 深雪の魔女。その性質は優しさ。
 いい音も悪い音もその全てを降り積もる雪で覆い尽くして吸音させる。

 慈悲と、慈善。だけれどそれは、あまりにも独りよがり。

「あら、これはまた、随分と似合わずに綺麗な景観だこと」

 雪、雪、雪。
 辺り一面は真白い雪で覆われている。

 右を見ても、左を見ても、白い雪しかないその場所には、他には何一つも存在せず、誰一人もいる様子がなかった。

「それにしても、これだけ広いと、本体を探すのが面倒臭いわね」

 どうしましょうか、とこれ見よがしに考える。
 誰も見ていない筈なのに少女は何かを演じるように一人ごちる。

「でも、そうね。これだけ派手に暴れているのならば、その痕跡を辿っちゃえば簡単よね」

 大きく、鼻から息を吐きだす。薄らと零れるような笑みは果たして何を映し出しているのか。
 悠然と綽々と歩く暖かな色合いに包まれた少女は迷いなく結界を進んでいく。

 一面の白銀世界、有って無いような方位関係。
 もはや遭難したと言っても過言ではない状況で、迷いなく足を動かす。

 時に右に、時に左に。
 足元を確認することはあれど、上を見上げることは一切しない。

 魔女の結界に置いて方角などと云うものは結界の主の気分で簡単にひっくり返る、
極めて信用ならないものというのは確かではある。

「へぇ、そういうことかしら。なるほどなるほど。とすれば、次はあっちね」

 魔翌力の痕跡を探りながら、蜂蜜色の少女は得心する。
 そして、ある地点で雪の中へとその手を盛大に突っ込んだ。

 バサリッ、と少々の雪が辺りに飛び散る。

「うーん、どこかしら。多分あると思うのだけれど……、」

 その手に何かが引っかかる。
 迷わずにそれを掴むと、掴んだ腕を起点に体を大きく捻る。
 そう、傍目には自分から雪に突っ込んだようにしか見えない挙動だ。

 少女の体が雪へと沈み、ぐるりと視界が晴れる。


 雪の世界の真下に、透き通った氷の世界が作られていた。
 黄朽葉色の少女は存在するかどうかも疑わしい重力に任せて落下する。

 幾本かのリボンを召喚し、操る。
 あちらこちら、そこらじゅうところ構わずに氷柱と氷筍が群居する世界。
 この世界の主要構成物のそれらに魔法のリボンを巻き付けて自身の体を支え、落下の速度を徐々に落とす。

 少女が地に足をつけるよりも先に、氷が砕けるような音が響きわたった。
 突然のことに蒲公英色の少女は驚き、慌ててリボンの結び先を確認した。

「びっくりしちゃった。でも、ということは、これで確定ね。本当、残念だわ」

 少女があたりを見回せば、少し遠くに魔女と魔法少女が戦っているのが確認できた。
 丁度、自身の背中側だったためにすぐに気がつかなかったわけだ。

 十数メートルもの距離を落下したはずの少女は、だけれど軽く、小さな音を立てて着地する。
 小さく体を沈ませてから、ゆっくりと立ち上がり、正面を見据える。

 その両手には既に二丁のライフル銃が握られていて、準備は万端とでも言いたげだ。
 ゆっくりと左腕を持ち上げる。

 緩慢なその動作は、だけれど隙のない剣呑さで銃口を突き付ける。
 二度の銃音が氷洞の中に残響した。





 その少女は魔女を追いかけて、隣町から魔境と呼ばれている地、見滝原へと足を踏み入れてしまった。

 それに気がついたのは偶然だった。
 魔女の結界が大型のバスターミナルなんて場所に入り口を開いていなければそんなことに気がついたりはしなかっただろう。

 魔法少女を続けていれば嫌でも縄張り争いに関わってしまうときは来る。
 そんなとき、この少女は決まって知らなかったと言って、戦いになる前にさっさと逃げだしていた。

 無駄な争いは体力と魔翌力をいたずらに消費するだけだと思っていたからだ。

 だが、そんなことを繰り返していれば同業者の中で悪評を受けるのは当然の帰結と言えるだろう。
 そんないきさつで、最終的には徒党を組んだ魔法少女の一団に縄張りにしていた街を追い出される羽目になったわけだが、
当の少女は大して気にした様子もなく、あちらこちらの街を転々と放浪することに決めたようだった。

 一つ所に固執しなければ争いに巻き込まれることも対して気にならず、のらりくらりとその日暮らしで生き抜いていける。

 そんな彼女でさえ、一ヵ所だけ決して近寄らないと心に決めた場所がある。
 それが、見滝原市だ。

 風の噂によれば、この一年以内でその地に足を踏み入れた魔法少女は誰一人帰ってくることはなかったらしい。

 何があるのかは定かではないが、何かがあるのは確かだった。少なくとも少女はそういう風に考えていた。
 だから、何があるのか分からないその場所を危険地帯とみなして近づこうとはしなかったのだ。

 だけれど、今回は結構と切羽詰った状況に陥ってしまい、仕方なしに魔女を探してあちらへこちらへ、と。
 気がつけば見滝原の街に足を踏み入れてしまっていたという次第である。

 そして、魔女旱で困っていたところに強力な魔女がお出ましになり、切羽詰った状況での消耗戦へと突入してしまう。

 大きな魔法を使うことは出来ない。
 かといって小技では魔女への致命傷を与えられない。
 生か死か、極限の二択は、諦めるかギリギリまで濁る覚悟で仕留めるか。

 しかし、少女がどちらかを選ぶことは結局のところ出来はしなかった。

 なぜならば、少女の決死の選択よりも、魔女の挙動の方が数段上だったからに他ならない。

 あぁ、もう死んだかな、と彼女は楽観的に死を受け入れた。
 もともと、有って無いような命。

 キュゥべえと契約して全てを失くした憐れ者、そう思えば何の感慨もない。
 彼女にとってもはや生きることは惰性だったのだろう。

 うつろう末路に目を閉じて、死を望む。
 それは絶望にも似た達観だった。

 さぁ、一思いに殺してくれ。そう願う彼女だったが、一向に体を貫く衝撃や痛みは訪れない。
 その代りに、渇いた砲音が二度、残響した。


 何事かと思い目を見開けば、そこにはオレンジ色の優雅な魔法少女が魔女を圧倒する姿があった。

 目に映る戦力差は圧倒的で、彼女自身があれだけ苦戦を強いられた魔女が、完膚なきまでに叩きのめされていく。

 氷の礫も、氷の刃も、吹き荒れる吹雪も雹も難なくと防ぎ、
地を伝い全身を凍結させる冷気すらも、美しい黄色のリボンが遮断する。

 沢山の同業者を見てきたという自負のある彼女の脳裏に二文字がよぎる。

 即ち、『最強』。

 二段式も、三段式も、四段式も。氷柱の嵐ですら眼前の魔法少女にとっては生温い攻撃でしかないのだろう。

 しかし、魔女の方も必死なのだろうか、攻撃は果敢さを増していく。
 先ほどまで私が戦っていたときには全く億尾にも出さなかったような攻撃方法が次々と繰り出されていく。

 足元真下のピンポイントに氷筍を高速生成して串刺しを狙う。
 氷柱落しに見せかけて死角から大量の氷の礫による飽和攻撃。
 それだけには飽き足らず、氷柱から氷柱を生やす二段構え。

 これは最早、洞穴対あの少女だ。
 本質的な魔法少女と魔女の戦いとはどういうものなのかを少女は初めて知る。
 彼女がそれまで見て、戦い、感じてきた修羅場など比較にならない壮絶さがそこには有った。

「はは、あははっ、あたし達って、魔法少女って、あんなになれるものなの?」

 思わず、少女は言葉を零した。
 感嘆か、恐怖か。今の少女には自分の感情の区別など全くつかなくなっている。

 ただ、ただ、目の前の光景に圧倒される、それだけだ。
 突如、宙を飛び回っていたはずの少女の体がピタリと静止する。

 それはまるで、視えない足場に立っているかのようだ。
 左手を顔の前まで持ち上げて、開いていた手を軽く握る。
 二度ほど繰り返しその動作を行うと、三度目に思い切り『握り締めた』。

 その握られた拳は血管が浮き上がるほどに強く握りこまれていて、
見ているだけのはずの少女までが奥歯に力を入れる。

 向日葵色のその少女が拳を握った直後にこの氷の洞穴全体が突如として高音を発する。
 ピキッ、ピキッ、と鳴る音はまるで、そう『グラスに入れた氷が割れる』ような音だ。
 そして、少女は見渡して気がつく。

 いつの間にか張り巡らせられている糸のような何かに。
 それは魔女の体すら例外ではなく、それどころか、自身の体すら巻き込んでいるという事実にも、だった。

 そう、いつの間にか少女の糸は彼女のソウルジェムを覆い尽くしていて、それが引かれるということは、つまりは。
 彼女のソウルジェムが圧し潰される、と云うことを意味していた。

 薄れゆく意識の中でその少女が最後に見たのは、薄らとした微笑みを湛える向日葵の影だった。


★∴


 魔女の結界という名の闇の領域から立ち戻った少女の影が腰をかがめてその子種を拾い上げる。
 遠くない未来の自分の姿。
 光の裏側、世界の影裏。

 映らない少女の表情に浮かぶのは果たして。





「こんにちわ」

「美国織莉子ッ!」

「私の織莉子を気安く呼ぶんじゃないッ!」

「あらあら、おっかない人ね。でも、分かっているんでしょう? アレを乗り越えるには私たちと手を組むしかないってことくらい」

「ッ! えぇ、そうね。その通りだわ。でも、いいのかしら? 全てが終わった後に私はあなた達を[ピーーー]わよ。間違いなく、何があっても」

「私とキリカの命は始めから掛け金としているわ。たった二つぽっきりの命で私の救世が成せるのならば、それは悪くないと思わない?」

「えぇ、分かっていたわよ。あなた達ってそういう奴らよね。もう、三度目だもの」

「キミは何を言ってる? 私たちはついこの間会ったばかりだろ?」

「そうね、こっちの話よ。忘れて」

「深く、詮索は致しません。だけれど、私だって少しくらいなら『知っています』よ?」

「そうね、それは私もよく知っているわ。だからこそ、一切容赦をするつもりはない」

「織莉子に対してのその不遜、今回は大目に見るけど、次の時は私だって容赦しない」

「ありがとう、キリカ。つまり、ワルプルギスの夜を越えたらその時点で同盟は破棄。お互いに殺し合いの腹積もり、ということでお間違いないですか?」

「あなたにその気があるのならば、といったところかしらね。それに、間違いなく向こうは襲ってくるわよ」

「えぇ、それはもう百も承知です」

「だったらいいわ。それとこれ、手向けにあなた達に分けてあげる」

「これ、は――――、資料ですね。それもワルプルギスの」

「そうよ、有用でしょう? 私の経験の結晶よ」

「なるほど、あなたは何度も戦っている、ということですか。何にしても、あなたの旅も、私の救世も『ここ』が終着点になります」

「期待しているわ」

「こちらも、です」


★☆


 ひらり、ひらひ、りらひ。

 満開の桜は蕾へと還り、葉は徐々に小さくなる。木が色気を失くして、落ちた枯れ葉が舞い戻り、
 紅葉した木は高翌揚するようにゆっくりと青さを取り戻していく。
 取り戻された青さは徐々にその色合いを薄め、
 もう一度満開の花を咲かせる。

 その工程はもう一度だけ繰り返され、木にはやはり満開の花が咲いていた。

 諦めを受け入れた大輪の少女は、今一度正義を信じる魔法少女へと姿を変える。
 そう、これは彼女が壊れる前の物語。
 彼女が壊れるまでの物語。

 絶望に支配されて、それでも過去を否定できなかった少女の物語。


 出会いは、突然だった。

 いつもと同じように夕暮れどきにパトロールをしていた。
 そして、これまたいつもと同じように魔女の結界を発見して中へと侵入する。
 不敵な笑みを湛えることはなく、慎重に辺りを警戒する巴マミの姿がそこにはあった。

 侵入した結界の中は鏡の迷宮という言葉がよく似合う。
 入り組んでいるわけではないが、視界が騙されてややこしく、進むのに難儀する。
 三度、正面から壁にぶつかったマミは、鼻の頭を赤くし若干目尻に涙を溜めている。

「うぅ、もうっ! 良いもん、いいもんッ!」

 むくれながら大きな声で泣き言を言うと、手にマスケット銃を作り出す。
 パっと、彼女は駆け出し、正面へと向けて銃を発砲する。

 発射された弾丸は壁へとぶつかり、跳弾する。
 それを確認したマミは反射鏡のような壁を見事に見破り、行き止まりの方へと顔面を強かに打ち付けた。

 バタンッ、という見事な衝突音が結界の中に反響する。

「うぅ、間違えた。今度はちゃんとやらないと」

 鼻っ柱を手で押さえて涙を流す少女はくるりと向き直り、銃を二丁召喚し直し、また駆け出す。
 そして、正面と右側に同時に弾丸を打ち込む。

 両方の弾が跳弾したことを確認し、左側へと切り返す。
 どんどんと速力を上げて、先へと急ぐ。

「ふふふっ、どんなもんですか! 私にかかればこんな迷路なんでもないのよ!」

 誰がいるわけでもない結界の中で、彼女は一人自信たっぷりに宣言する。
 誰かに見られていたら赤面ものの恥かしさだが、魔女の結界の中にいるような人物は同業者か、
 さもなくば夢心地でマーキングされた被害者だ、そんな心配はあまり必要ないのだろう。

 銃弾が跳ね返る甲高い音と少女特有の重みの薄い足音だけが結界の中に反響する。
 道自体は一本道だったようで、特に迂回することもなく、すんなりと魔女のいるであろう最深部まで辿り着く。


「あれ? 誰か、戦っているのかしら。こっそり入って見学してみようかな」

 半開きになっている鏡の扉をするりとすり抜けて内部へと侵入していく。

 最深部にいたのは牛頭の姿をして巨大な斧(刃の中央部分に美しい玉石を湛えている)のような本体を振り回す魔女と、
赤毛をポニーテールにまとめ、ドレス風の衣装に身を包んだ槍を振るう少女だった。

 赤毛の少女の名は佐倉杏子。
 何時かの未来で暁美ほむらと共闘し、美樹さやかと深くかかわることになりえた存在だ。

「あれは、なかなか強力な魔法ね。でも、使いこなせて、ない?」

 軽やかに飛び回りながら、魔女を追いつめていく佐倉杏子。その様子を眺めながら巴マミは考える。
 赤毛の少女の体が揺らめき、消える。そして、そこから遠くない位置にふっと姿を現し、槍を振るう。

 時には魔女の攻撃をかわすために身を眩ませ、時には距離を調節するために位置を誤認させ、
時には攻撃を確実に当てるためにタイミングをずらして防御の隙をつく。

 マミの目を通して映る杏子の魔法はあまりに杜撰に思えた。
 フワリ、と空間に魔翌力が浸透する。

 直後俄かには信じがたいことに、赤毛の少女の姿が重なり、二つに増える。

「幻惑の魔法よね?」

 遠巻きに眺めていたマミはその正体を看破した。
 そして、同時に酷い初見殺しだ、とも思った。

 そう、杜撰ではあるが初見殺しとしてはなかなかに有用だ、と。
 斧の魔女が大きく揺らめき、杏子の体を両断する。


「残念、そっちはニセモノさ!」

 そして、杏子の槍が魔女の体を両断する。
 彼女はそれで魔女を倒した気になっている様子で、両手で首の後ろに槍を担ぎあげ、後ろを向いてしまう。
 マズイ、と思いマミは薬室が空になったままのマスケット銃を投げ捨て、駆ける。

 佐倉杏子は何かに驚くように、振り返るが、もう遅い。
 影のような触手に体を絡め取られ、武器も打ち払われてしまう。

 カラン、と彼女の具現化した槍が音を立てて地を転がる。
 それと同時に斧が彼女の腹と腰とを切り離そうと襲いかかる。

「くっ、このッ……!?」

 もう駄目だ、と彼女は半ば諦め気味にギュッと目を閉じる。


「なるほど、幻惑の魔法。面白い力だわ」

 襲うであろう痛みの代わりにそんな言葉と、ビシッ、というベルトを強く引っ張ったような音が彼女の耳を伝う。

「だけど、魔女の方も同じ能力だったのはちょっとツイてなかったわね」

 驚き、杏子は目を開く。
 彼女の目に映った巴マミは、まさに黄色いヒーローだった。
 人の太ももほどの砲身を持った二丁の巨大な銃が、砲音を鳴らす。

「ティロ・フィナーレ!」

 発射された砲弾が佐倉杏子の体を縛っていた触手を吹き飛ばし、彼女を解放する。
 宙へと投げ出された彼女の体はマミのリボンによってゆっくりと床へと降ろされた。

「間に合って良かったわ。大丈夫?」

 マミは座り込む杏子に手を差し伸べる。

「あ、その。助かったよ。それで、あんたは……?」

「挨拶は後よ。まずは魔女を倒さなくっちゃ」


 マミは杏子の体を引っ張り上げ、立たせる。
 どうやら大事は無いようで、すんなりと起き上がることが出来た。
 振り返り、魔女を観察するように睨みつけるマミは疑問を浮かべる杏子の方を向かずに言葉を続ける。

「あの魔女、本体は恐らく斧の方ね。だから体を倒しても復活してしまうみたい」

 だから、と付け足しながら銃を召喚しなおす。

「私が体とその周りをうろちょろしている奴を吹き飛ばすわ。その隙に本体の方を壊してもらえる?」

 ちらり、と互いに目配せをすると頷き合う。

「分かった!」

 杏子のその言葉が反撃の合図となって、二人の体が動き出す。
 まずはマミが自身が被っている小さな帽子を放り投げ、その中から長銃の雨を降らせる。
 数多召喚され、地に差し込まれたマスケット銃を次々引き抜き、魔女と使い魔に向かい、乱射する。

 それは驚くほどの速度と正確さで、使い魔たちを蹴散らし斧を振るう体にも大きなダメージを与えていく。
 反撃を許す隙さえないその連撃は、舞うように洗練されていて、鮮やかの一言に尽きた。

 宙へと逃げる本体に向かい、特大の砲撃を打ち上げる。
 その一撃は斧を振るうための体を一撃で吹き飛ばすのに足る威力をもって魔女を撃滅する。

「今よ!」

 マミの声が響き、杏子が宙へと身を投げ出す。

「はあああぁぁぁぁぁ!!」

 白煙の中へと身を投じた杏子が叫びをあげ、斧の中心部を逆手に持った槍で衝く。
 瞬間の拮抗。

 束の間の静寂の後、槍が斧を穿ち、砕く。

「や、やった!」

 杏子はマミと目を合わせ笑う。
 マミは微笑み返して、それに答える。

「お見事ね!」


 そうして出会った二人は、志を同じくする者として、次第に中を深めていく。

 時には一緒に出掛け、買い物をした。
 帰りにはもちろん一緒に魔女を倒した。

 時にはマミが作った洋菓子を食べながら他愛ない話をした。
 そのあとには必ず魔女を探して街を歩いた。

 時には杏子の家族とも一緒に食事をした。
 マミは杏子の妹のモモに大層気に入られて振り回されることもしばしばあった。
 その横で寂しそうに口を尖らせる杏子の姿を見るのも彼女はまた好きだった。

 出会いから幾ばくかの時を過ごし、季節が変わるごとにお互いの理解は深まる。

 マミはこの子なら、他の魔法少女たちとは違い理想を共有できると思った。
 杏子はこの人とならずっと一緒に戦えるし、どんなに強い魔女にも勝てるとそう信じた。

 二人の想いは概ね一致していたし、違えることもまた無さそうではあった。

 そう、それが起こる瞬間までは。


 悲劇の始まりは、いつなのだろうか。
 佐倉杏子は考える。こんなことになったのは、なってしまったのは何が悪かったのだろうか、と。

 大本の原因は分かっていた。彼女たちが暮らす教会に魔女が結界を張ってしまったことだ。

 そこに口づけを受けて、正気を失った人たちが集まり、教会を燃やして集団自殺しようと本を集めて油をまいたこと。
 その後始末をする前に杏子の父がその場に現れてしまったこと。

 そして、そこに立つ魔法少女の衣装に身を包んだ杏子の姿を見られてしまったこと。
 ただ、タイミングが悪かっただけなのだろう。

 だけれど、その光景は傍目から見たら、気を失った人たちと油まみれの本を冷めた目で見降ろす一人の少女、としか映らない。

 つまりは、少女が加害者で、倒れている人たちが被害者だ。
 例え事実は違っていたとしても、人の印象は変え難い。

 それが実の父で、神を信じる聖職者だとしたら、なおさらだった。

 壊れてしまった人は、どこまでも残酷になれる。何故ならば、自分が残酷だという事実に気がつけないのだから。
 そう、佐倉杏子はどこまでも残酷な扱いを実の父から受けることになってしまう。

 ある時は怒りに任せて殴り倒された。それなのに涙を流すのは父だった。
 ある時は酔いに任せて殴り倒された。それなのに涙を流すのは父だった。

 ある時は存在を認められなかった。

 ある時は死んだ虫を眺めるような目で見つめられた。
 ある時はひどく罵倒された。だというのに涙を流すのは父だった。


 だんだんと追い詰めれられていく彼女は、いつしかマミともあまり会わなくなってしまう。
 その行為がますます自分を追いつめてしまうとも気がつかずに。
 けれども、それは仕方のないことだったのかもしれない。

 追い詰められた彼女にとってマミの生き方は、マミの理想は、眩しすぎる物だったのだから。
 理想を追いかけ、追求するということは確固たる信念と揺るがない意志の力でもって初めて成立する。

 杏子はそう言う事実を知らなかった。
 そして、明るさから逃げることは淵へと身を追いつめることだということもまた知らなかった。

 最後の瞬間は決定的で、何よりもあっけなかった。

 彼女の、佐倉杏子の父はあまりにも追い詰められて、一家心中をはかった。
 皮肉にも、杏子が守ろうとした教会に火を放って。

 佐倉杏子が気がついたときには、既に父も母も、妹さえもなくしていた。
 彼女はそんな事実を突き付けられたときに、考えてしまった。

 『人を救うことっていけない事なのかな?』と。
 普通ならば、そんなことはない、と否定できるはずだ。
 だけれど、彼女にはもうそれを否定するが出来なくなってしまっていた。

 当たり前のことを疑問に思う、即ち絶望するということ。


 全てを失くしてしまった少女は、雪景色の中を一人で彷徨い歩く。
 茫然自失とした彼女はそれでも、何かのために戦っていると信じたくて。
 だけれど、信じられなくて、そしてそのままの精神状態で魔女と刃を交える。

 槍を振るうその手は鈍く、心を縛る呪いという鎖は魔法という力を封じる。
 手が切れる、頬が切れる、腹が切れる、冷気に体が凍る。

 絶望に圧し潰されながら、それでもがむしゃらに振るう槍がゆっくりと魔女を追いつめる。
 だけれど同時に、振るった槍の分だけ佐倉杏子の心もまた、追い詰められる。

 削り合った杏子と魔女はお互いに最後の一撃を入れる直前になって、暫し動きを止めていた。
 まるで互いの祈りを、お互いが叶えようとしている、そんな風にさえ感じられる。

 魔女の手が動き、受け入れるように小さく笑う杏子の体を引き裂こうとしたその瞬間、
魔女の背中に銃弾が撃ち込まれる。

 そうして、魔女は打ち滅ぼされた。巴マミの手によって。

「佐倉、さん」

「マ、ミ、先輩」

 マミが覗き込む瞳には色がなかった。

「アタシさ、もう駄目みたい。この間はあんなこと言ってゴメン。それは謝るよ」

「そんなことどうだって良いわよ。それよりも間に合って良かった。立てる?」

 マミは冷え切った杏子の体を抱きしめる。
 体温が伝い、暖かさを感じた杏子の目からは涙が零れる。

「でも、会えて良かった。アタシの最期、見届けてくれるのがマミ、おねぇちゃんで」

「佐倉さん? 何を言って……?」

 杏子は少しだけ微笑み、マミを突き飛ばすと自ら地面に体を投げる。
 そして、彼女のソウルジェムが投げ出され、弾ける。

「多分、これが魔法少女の、末路……」




 杏子のソウルジェムからグリーフシードが生まれ、魔女の結界が生成された。



★★


 魔女の姿は人馬一体。大きな槍を振るう女性的な流曲線。
 眼前の光景にマミの体は竦み、思考と感情がそれを煽ぎたてる。

 戦え、死にたくなければ魔女を倒せ。
 魔法少女としての本能が目の前の魔女を殺せと叫ぶ。

 しかし同時に近くに転がる佐倉杏子の亡骸をもって逃げるべきだ、と理性が叫ぶ。
 状況を整理してまずは落ち着いて生き延びることを考えべきだ、と。

 人馬の魔女は動かないマミをゆっくりと正面から見下ろしている。
 本当に見下ろしているのかどうかは定かではないが、少なくともそう見える動作を起こしている。

 眺めるように、観察するように、ゆっくりとじっくりと視線を這わす。
 それは相手を見定める行為だ。

 相手の価値を見定める行為、つまり目の前の魔法少女が戦うに足る相手なのか、それを確かめるためのものに他ならない。

 ゆっくりと魔女は得物を取りまわす。
 クルクルと緩く回転させ、上段から空を裂くように振り下ろし中段へと構える。
 その所作はしっとりとしていて隙がなく、酷く女性的なのにあまりにも力強かった。

 そしてそれを茫然と眺めていたマミはその動作に影を見出す。
 そう、佐倉杏子の動作を鏡に映したように面影を残していた。

 立ち振る舞い、構え、槍の扱い。
 どこをとってもそれは彼女のものに他ならない、巴マミの記憶が彼女自身に訴えかける。


 理性が、本能を凌駕する。
 逃げろ。佐倉杏子を抱えて逃げろ。

(せめて遺体だけでも弔ってあげないと……、)

 マミが前に飛び出して杏子の体を捕まえようと動いたのと魔女の槍が彼女を貫かんと動いたのはほぼ同時だった。

 数滴の血飛沫がパッと散る。

 地面に小さく血痕が出来る。
 魔女の真後ろで巴マミは頬を拭い血を拭いた。片手には佐倉杏子の亡骸を抱えて。

(このまま結界の出口まで、逃げなきゃ。リボンでの足止めはあの槍に切られてあまり効果を発揮しない!)

 杏子の体を抱き上げ、駆ける。
 振り返ることなく背後へとリボンの結界を展開しながら、魔女の結界を全力で疾走する。

 展開した魔法はそう強力なものではない。
 そう、一つ一つは強力な魔法でも何でもなく、ただの簡易的な結界魔法だ。
 ただし、簡易的と言えども彼女ほどの実力者であれば一つの結界で一秒、二秒の時間を稼ぐことは容易い。

 つまり数を重ねれば重ねただけ時間稼ぎが出来る。
 大きく強い結界魔法はその分だけ時間もかかれば消費も大きい、しかも砕かれれば全てがご破算になってしまう。

 その点、壊されることを前提とした時間稼ぎならば最小の魔法で十分、というわけだ。

(相手の得物が鋭すぎるッ! そうよね佐倉さんの得物だもの、当然だわ。
だけど、これじゃあ外に出る前に追いつかれちゃうッ!)

 走り、次々と結界を展開しながら巴マミは思案する。
 強力な結界を生成しようか、ダメだ時間がない。
 迎撃するか、この状態で戦うのは無謀が過ぎる。
 勇敢と蛮勇をはき違えてはいけない。

 どうするべきだ、手立ては何か、ないのか。



 走りながら一つ大きく息を吐きだす。
 直後スカートの内側から怒涛の勢いでリボンを結界中にばら撒く。
 そして、前方へと飛ばしたリボンの束が何かを掴むようにピィンと強く引かれる。

 ガクンッとマミの体が思い切り引っ張られた。
 リボンの接続位置を右手と右足へと変更し、そのままの勢いで体を結界の出口へと引き運ぶ。

 グングンと、マミ杏子の体が出口へと進んでいき、ついにはポンと放り投げられた。
 そして、雪景色の世界へとマミの足が躍り出る。


「おや、マミ。逃げ出すなんて君らしくもないじゃないか。どうしたんだい?」

 それを外から見ていたキュゥべえが驚き、声をかける。

「ねぇキュゥべえ。聞きたいことが、沢山あるの。でもそれよりも……、」

 ちらり、とマミはキュゥべえを一瞥するがその瞳は焦点が定まっているとは言い難かった。
 マミは一度変身をとき、制服のポケットから携帯端末を取り出し、ダイヤルする。

「事件です。場所は風見野市の自然公園で、女の子が一人倒れていて、息をしてないみたいなんです。
心臓も止まってるみたいで、えぇ。はい、五分くらいで来てもらえるんですね、分かりました。お願いします」

 端末をしまい、キュゥべえへと向き直ったマミの表情は暗い。

「君はそれでいいのかい?」

「私には、これ以上のことはしてあげられないわ。少なくともこれで同じお墓には入れてもらえると思うから……」

 目を伏せたマミはもう一度魔法少女へと変身する。

「あんまり長居すると警察の人が来ちゃうから、一緒に来てもらうわよキュゥべえ。聞きたいこと沢山あるの」

「どこへだい?」

「そんなの決まってるじゃない、結界の中よ」

 マミの右足には魔法のリボンが一つ結びついてる。

「考えたね、そのリボンを結界の中と繋げているんだね」

 彼女は言葉を返す代わりに寂しげに微笑んだ。


 魔女の結界の中。
 深い霧に包まれたその場所はよくよく見れば映画のセットのようでもあり、舞台の壇上のようでもあった。

 壇上で躍るのは結界の主たる魔女と、侵入者の魔法少女なのだろう。
 それはまるで何かに踊らされる憐れなピエロのようでもあった。
 そんな深い霧の中を巴マミは歩く、傍らにキュゥべえを伴って。

「あなたは、知っていたの?」

「何をだい?」

「ソウルジェムが濁りきったらどうなるのかを、よ」

「それを聞いて何になるんだい?」

「いいから答えて」

 視界の悪い霧の中を一人と一匹は淀みなく歩く。

「それはもちろん知っているさ。何せ、僕たちの目的は君たちが魔女になるときに生まれる希望と絶望の相転移エネルギーなんだ」

「そう、それじゃああなた達は私たちを騙していたってことなのね」

「騙す、という言葉は理解できないけれど、魔法少女がどういう存在なのかということの詳しい説明を省いていたことは認めるよ」

「つまり、悪意はないけれど本当のことを言うと目的が果たせないから、意図的に悪い情報を隠していたってことでしょう?」

「それは違うよ、僕らは必要最低限のことは伝えている。ただ、実際にどういう形になるかということを省略していただけの話だよ」

「ねぇ、それじゃあ、ソウルジェムってなんなの? 何で出来ていて、どういう役割のものなの?」

 押し問答のような会話は続く。あまりも平坦な会話のリズムは機械と機械が会話をしているような錯覚すら与える。


「ソウルジェムとは即ち君たちの魂そのものだ。
君たちは生命が維持できなくなると精神まで消失してしまう。
そうならないように君たちの魂をソウルジェムという形に実体化してあげているんだ。
そうすれば手に持って自分のことを守れるからね。これはより安全に魔女と戦ってもらうための措置でもあるんだ」

「ふぅん。そんな風に言うのね。そもそもに私たちを魔女にするのが目的なんでしょう? だったら、そんな言い訳をする必要もないと思うのだけど」

「だけど僕たちは君たちの願いをなんでも一つ初めに叶えているじゃないか。それが君たちが魔女になることの対価だとは受け取ってくれないのかい?」

「えぇ、確かに、叶えたい望みは確かに叶っているわ。だけれどね、私の場合はどうなのかしら」

「どういう意味だい? 君の命を助けてほしいって願いは確かに叶ったじゃないか。現にこうして生きて成長して僕と会話をしている」

「魔翌力を使って体を治すことが出来る。
それはつまり、体から魂が切り離されているからそういうことに違和感が無くなっているってことじゃないのかしら?」

「その辺りは難しいところだろうね。個人差による、としか言えないと思うよ」

「そうね、じゃあ聞き方を変えましょうか。
あの時点でならば私は魔法少女になりさえすれば私の命を自力で助けることも容易かった、違うかしら?」

 マミの問いにキュゥべえは沈黙を通した。

「つまり、どんな願いをしていようと私は助かることが出来ていた。
つまり、正常な判断が出来ない状態の時に無理やり契約したともいえるわよね」

「それでも、それを君が願ったことには違いないだろう?」

「そ、うね。その通りだわ」

 そこで、言葉は途切れる。

 マミには分からなかった。
 キュゥべえが何を考えてこんなことをしているのか、が。
 何がしたくて、こんな悪夢みたいなシステムを作り出したのか、が。

「でも、私にはもうあなたを許す理由がないみたい。ごめんね、優しい私のパートナー、さん」

 渇いた銃声が小さな肉を貫通し、霧に小さな穴を穿った。
 弾けた肉からは血すら出ず、それが正しい生き物の形であるのかどうかさえ不透明に思えるほどだ。

 頬へと涙が伝う。匂いとひんやりとした感触がマミに対して自分が泣いているということを主張するようだった。
 小さな棘がめくれ上がる。めくれ上がったそれはずきりと小さくない痛みを訴え、心を侵食する。

(私、私って、こんなことが出来るんだ。出来て、しまうんだ。
知らなかった、知らなかったわ。きっと今なら、どこまでも残酷になれる……)


 霧が薄らと開ける。
 ぼんやりと開けた視界の中央には魔女が悠然と佇む。立ち姿には佐倉杏子の姿が重なった。

「倒さなきゃ。ううん、違うわね。『殺して、あげなきゃ』」

 手の甲で頬を伝う涙を拭う。眼差しは重く座り、ただ眼光だけが輝く。
 魔女が動く。手にした槍を振るいマミの体を両断しようと薙ぎ払う。

 対するマミは一歩バックステップを踏むことで槍の太刀筋から紙一重抜け出す。
 踏みしめた地面を強く蹴り飛ばす。回避のための一歩がそのまま溜めとなって攻撃のための一歩という側面を現す。

 迅速かつ完璧な攻守の転換、決してタイミングを逃さない勘の良さ。
 その二つこそがマミの最も突出した才能であり、裏打ちされた実力を支える力。

 一歩、大きく踏み込み、同時にマスケット銃を召喚して引き金を引く。

 狙いは魔女の眉間。
 魔女の大きさを考えれば狙うのは頭部よりもむしろ腹部、胴体部にすべきだ。

 何故ならば、弱点が頭部にある魔女は極めて少ない。
 それどころか頭を囮にしてこちらを食い破りに来るような相手もいる。

 が、相手の魔女は頭部への攻撃を首を振るって回避した。
 射出された弾丸を見てから反射による回避。それは驚くべき運動性能だ。

「頭部へのダメージは避けるのね。それとも、その頭の炎を狙われたくないのかしら?」

 適当に問いかけながらマミは近接格闘を仕掛ける。
 応じるように魔女も短く槍を持ち直す。


 動作を読み、太刀筋を見極めて打ち合う。

 銃対槍。

 間合いは完全に槍の物。だというのにマミと魔女は互角に打ち合う。

 武器対武器の近接戦闘にも関わらず銃を獲物とするマミが打ち負けない理由はなんなのか。
 勿論、彼女が単純な格闘戦にも長けているというのも一つの理由だろう。
 だが、もっとも顕著なのは扱える得物の数だ。

 魔女は巨大な一本の槍を存分に振るいマミを猛攻する。
 対するマミは槍を捌くために用いた銃を持ち直さない。
 手首だけを先に振るい、その手の中に銃を召喚しなおすことで攻防の時間差、短い間合いでの致命的な隙を驚くほど小さくして戦っている。

 特記すべきは武器の再装填の早さだろう。
 単発式のマスケット銃という武器の弱点をカバーするための武器召喚の高速化が結果的に近接戦闘の高速化につながる。

 そう、繋がる、繋げる。それが、それこそが魔法少女巴マミの本領であり、本懐だ。

 魔女が巨体を震わし、二本の前足で大きく地を揺らす。

「ッ!」

 そのあまりの力強さに一瞬マミのバランスが崩れ、攻撃の嵐が停止する。
 ガンッ、と槍の石突が地面を抉る。

 その姿はまるで、杏子が幻惑の魔法を使うときの格好だった。

(まさか……分身ッ!)

 予測。
 経験に裏打ちされた勘は、ときに予知にも似た効果を発揮する。

 瞬間的に霧が、払われる。
 風圧が埃を巻き上げ、魔女の姿が三重になり、そして枝分かれするようにはっきりと実像を現す。


(ロッソ・ファンタズマ。やっぱり佐倉さんなのね……。大丈夫ちゃんと助けてあげる、から)

 魔女の巨体が動くよりも素早くマミの体が大きく後ろへと跳ぶ。
 対複数での近距離戦闘はよほどの力の差がなければ成り立たない。

 そして何よりマミは銃とリボンを中核に据えての中距離戦が最も得意であり最大の力を発揮できる戦闘領域だ。
 ザァッと、スカートの裾をはためかせ、その内側から銃を召喚し、地へと突き立てる。

「魔女さん、魔女さん。私と一緒に踊りましょう?」

 突き立てるように三匹の魔女に銃口を突き立て、引き金を引く。
 闘争者の本能。戦いの才能。彼女の中で噛み合ってはいけない歯車が噛み合いだす。
 ギシギシ、ギチギチと錆びついて眠っていたはずの狂暴な領域がゆっくりと油を得たように回りだしていく。

 足を使い、リボンを回し、空間を広く使って動き回る。
 無数の長銃を広範囲にばら撒き、どこへと動いても次の攻撃へと繋がるようにと配置していく。

 魔女の結界の中に自身の戦闘領域を構築する。
 戦いながら戦うための、勝つための、相手を[ピーーー]ための陣を敷いていく。

 三体の魔女は動きも素早く力も強い。
 その上、槍捌きも見事なもので時折、鎖分胴のような使い魔を投げつけてきさえする。

 だが、マミは。巴マミの動きは徐々にその猛攻の全てを凌駕しはじめる。
 軋みを立てていた歯車にゆっくりと油がなじんでいく。
 戦って、殺して、生き残る。

 不利な状況で如何にして生き残る術を探るか。如何にして自分の有利な勝負の土俵に上げさせるか。

 逃げないためには何をしたらいいのか。
 脅威、危機、窮地。それを前に一歩踏みとどまって、前に出るために必要なもの。

 勇気、死ぬ覚悟。
 勇気、生き残るために必要なもの。

 一つづつ学んで、一歩づつ歩んだ。
 少女の足跡が、軌跡が、少女の本能を、才能を後押ししてしまう。

 それは、恐らく禁忌の領域。類い稀にみる猟奇の空想。

(佐倉さん、やっぱりあなたってとっても強かったのね。でも大丈夫、ちゃんと私が助けてあげられる、から)


★∴


 すべてのピースが整う。
 歯車は滑らかに動き始めた。
 そしてそれは同時に魔女を倒す準備が整ったことをも意味していた。

 即ち、正義の味方は生き途絶えた。
 ピィンと世界に殺意が満ちる。

 魔女の結界の中に巴マミの小さな殺しの結界が出来上がっていた。
 弾丸を解き放てばそれは確実に魔女を削り、動きを絡め取る。

 区切られた結界の中で高硬度のリボンが魔女の巨体の動きを封じる。そう、巨大だからこそ、封じられる。

 限界まで強度を引き上げたマミのリボンの結界は身体強化タイプの魔法少女ですら引きちぎることは叶わない。
 いくら佐倉杏子の魔女が強力だろうと、彼女自身は幻惑と槍術を組み合わせて戦っていたのだ。
 その特性は魔女になっても健在。

 だとするならばマミの最高硬度のリボンを断ち切れる道理は、ない。

(予想通り、ね。でも、慣れないことすると消費が激しいわね。もう少し慣らして効率を上げないと)

 大きく音を立ててマミは一歩踏み込む。
 足元から巨大な大砲を召喚する。数は三、狙いは良好。
 引き金を引く代わりに右手を大きく振り上げて、真下に宙を裂くように振り下ろす。

 鈍い、炸裂音が三重に響き渡る。
 煙と轟音が濛々と木霊し、やがてしぃんと辺りは静まる。

 ゆっくりと煙と霧が晴れていく。


 そしてまた世界は宵闇へと切り替わる。
 森林公園内部の先ほどいた場所から少しだけ遠い場所。
 マミが足を付けた緑色をしたはずの地面はシャリッと音を立てて軋む。

「霜が、立ってるのね。アハッ、アハハハハハッ」

 笑いながら腰を屈めて地に立つグリーフシードを掴み上げる。

「マミ、君らしくもないじゃないか。どうかしたのかい?」

「キュゥべえ。あなた、私が殺したはずじゃ……。そう、そういうこと」

 驚きつつも、マミは何かを得心する。

「補充はいくらでも出来るとはいえああいうことは今後控えてもらいたいね。もったいないじゃないか」

「うふふ、そうね。私は、私なりのやり方で魔法少女を救うことにするわ。もう誰も、こんな悲しい真実を見なくてもいいように、ね」

 薄らと笑うマミには、これまでにはあったはずの何かが足りなくなっていた。

「だから、宣戦布告、よ。これからはこの街に魔法少女は私一人で十分だわ。さようなら」

 撃鉄が、もう一度落ちる。
 銃声はしなかった。ただ、白い肉片が霜が立つ地面に広がる。

 シャリッと音を立ててマミは夜の闇へと消える。
 彼女が最後に撃ち抜いたのは本当にキュゥべえだったのか。それとも果たして――、

小休止

>>5
非クロス、しいて言うならば織莉子×まどか

>>9
>>34
読みにくいのは、仕様です

再開


★◎


 そして、時間は舞い戻る。
 明方の見滝原は未だ暗く、薄らとかかる朝もやも相まってほとほと不気味な様相を呈する。

 明方、つまり暁。決戦は必定。夜が明けるためには朝が来る必要がある。
 運命の歯車は正しき時を刻む瞬間を待ち望む。

 薄くかかるもやの中に徐々に強力な魔女の力が混じり始める。
 それは次第に様々な形をもって現界し大きな魔女の出現を裏付ける。

 身を守るために結界を展開する必要のないほどに強力な魔女。
 十全の力を発揮すれば一つの文明を終わらせることが出来るとさえ言われる魔女。

 その名は『ワルプルギスの夜』。

 その規格外の強大さは人々にとって自然災害と誤認されるほどだ。
 現に今も見滝原全域にはスーパーセルの発生が予測され住人のほとんどが避難所に集まっている。

 そんな状況にも関わらず、屋外に出て空を見上げる人影が三つと一つ。
 暁美ほむら、美国織莉子、呉キリカ。それから巴マミ。

 ほむら、織莉子、キリカは固まって大通りの中央から空を望む。
 地理的には見滝原駅にほど近い交通の要だ。

 巴マミは一人高いビルの屋上から同じように空を望む。
 全員が全員、これから姿を現すであろう魔女の気配を感じ取っている。
 これまでとは文字通り格が違う相手。魔女を百体つなぎ合わせたとしてもお釣り返って来るような相手。

 それが、見滝原の町に現出する。
 暁美ほむらが幾度も挑み、その数だけ敗北を喫した相手。
 鹿目まどかが必勝の一手とともに勝利をもぎ取り、代わりに災厄の魔女と成り果てる原因となる相手。

 戦いになると思うことすら間違いだと思わせられる相手。
 それが、ワルプルギスの夜。

 そして、それほどの相手から勝利をもぎ取るために少女たちは集う。
 動機も目的も何もかもが違う者同士が、ただ勝つためだけに魔女に相対する。




 霧の中から、隠しきれない魔翌力とともにその巨大な姿を押し現せる。



「今度こそ、あいつを倒す」

 小さく呟かれた言葉は誰にも聞こえず、放たれた火柱の轟音にかき消される。

 四人の中で最も早く動いたのはマミだった。
 次いでキリカ、織莉子。そしてたっぷりと余裕をもってほむらが最後に構える。

 象と蟻ほどもスケールの違う者同士の戦い。
 大きさとは即ち絶対的な戦力に他ならない。大きいということはそれだけで強い。

 高層ビルから頭一つ抜けるワルプルギスの巨体に黄色のリボンが幾筋も伸び、絡めとる。
 逆さ宙づりで漂うようにフラフラと移動していた魔女が強靭なリボンの魔法によってその動きを止める。

 同時に町の中空にリボンによって円盤状の足場が紡がれる。
 無数に生成されたリボンの足場にマミが乗る。
 少し離れた場所に織莉子とキリカが並び立つ。

「あら、貴方たち来たのね」

「貴女一人では少々荷が重いかと思いまして、助太刀に来た次第です」

「それはそれは痛み入るわねぇ。それじゃあ精々お互い利用しあいましょうか」

 二の句は続かず、爆炎によって遮られる。
 ワルプルギスの破壊の炎が飛来した。空気さえも焼き焦がすその熱量で少女たちを焼き殺すために。


 マミは前方に、織莉子とキリカは後方にそれぞれ回避行動を起こし、難を逃れる。
 飛び出したマミはリボンの足場を軽やかに踏みつけ、ステップを踏むように銃弾をばらまいていく。

 後方へと跳んだ織莉子はマミの後ろから支援に入る。
 同時に後方へと跳んでいたはずのキリカはいつの間にかマミよりも大きく前に出て、ワルプルギスに急接近を仕掛けている。
 だが、そんなキリカよりも驚くべき速度でワルプルギスの夜が無数の砲弾に見舞われ、赫赫と燃え上がり、その巨体を揺らす。

 薄らと、少女の口元が緩む。

 鉄柱を蹴り、ビルの壁面を蹴り、リボンの足場を蹴り、電柱を蹴り、
呉キリカが猛然と爆発の中へと下方から突っ込む。

 大きく展開された十本の黒い爪が魔女の巨体を切り裂く。
 速力と切れ味をもってして宙づり状態の魔女の上半身を駆け上がり腰のあたりにまでその切り口を伸ばす。
 が、刃は振り切られることなくその動きを止め、巨体からずるり、と抜き出される。

《キリカ、離脱を急いで。その位置に一撃が来ます!》

 美国織莉子の予知がテレパシーを通してキリカへと通じる。
 それを受け取った瞬間、思考する間もなくキリカは爪を巨体から抜き去り、魔女の体を強く踏みつけて跳躍する。

 キリカの体が煙の内側から尾を引いて排出されると同時に、別の角度から使い魔の閃光のような攻撃が煙の中へと煌めいた。
 音を立てて直撃したそれがあたりの砂埃を払いのけ、ワルプルギスの巨体を朝焼けにさらけ出す。

 その姿にはまるで何事もなかったように傷一つついてはいなかった。


「あらまぁ、決死の攻撃だったのにねぇ。随分と骨のあることだわ。それとも、誰かさんたちが不甲斐ないだけかしらね」

 たった一人で魔女の体を同位置に縫い留め続け、
そのうえ牽制程度ではあるが攻撃の手を休めることもないマミは近くに降ってきたキリカに煽りを入れる。

「私の愛はこんなもんじゃない! 見てろよ、化け物。ギッタンギッタンにしてやる」

 キリカは言葉だけでマミへと噛みつき、だけれど視線は決してワルプルギスから離さない。
 分かっているのだ、この敵からは目を逸らすような余裕などないということが。

 リボンの足場に身を預けていたマミの体が大きく揺れる。
 脱兎の速度でキリカが再度ワルプルギスへと突っ込んでいく。

 マミが跳んでいくキリカの背へと銃口を突き付け、発砲する。

 弾丸は示し合わせたかのように飛び出してきた使い魔をぶち抜いた。
 その一動作から流れるように足場を移動して連撃へと体制を整えワルプルギスに向けて銃弾をばら撒く。
 そして、ばら撒かれた銃弾を遮るために街路樹やら路面やらが巻き上げられるが、
そのすべてが道を作るかのように水晶球によって組み伏せられる。

 弾丸による強襲。そして、弾丸に追いついたキリカの黒爪による斬撃。
 次いで、キリカの体と入れ替わりにロケットランチャーの嵐が降り注ぐ。

 巻き起こる爆風の嵐は離脱途中のキリカの体すら大きく煽り、落下地点を大きく後方へとぶらす。
 普通の魔女相手なら圧倒的な過剰戦力。だがしかし、相手は現状最強の魔女だ。

 ギシギシギチギチと、拘束用のリボンが嫌な軋みを立てるが、そこには魔女が墜落するような手ごたえはまるでない。
 つまり、この猛攻を受けてもなお、魔女は、ワルプルギスの夜は、平然としているのだ。
 その証左に下半身に当たる巨大な歯車は相も変わらず不気味に回り続けている。

 それどころか、カチカチ、チチチッと機械的な駆動を鳴らして歯車の動きが加速していく。


《使い魔が来ます! 備えてッ!》

《下がりなさいッ! その辺りを一掃する!》

 織莉子の予知に映るのは圧倒的な物量の使い魔たちだった。
 一体一体が成体の魔女と同質の力量を持っている。まさに規格外の飽和攻撃。

 その悍ましい光景は彼女でさえ嫌な汗を噴出させられる。
 が、震え慄く暇もなく三人から見て前方。
 ワルプルギスの背中の先にある巨大な河川から対地用ランチャーが立ち上がる。

 水をかき分けるその姿を確認した三人はこれからここに何が起こるのかを推察して全員が全員大きく後方へと後退する。
 マミは抜かりなく拘束用のリボンを回収し、ワルプルギスを開放する。

 壊れるとわかっているリソースをむざむざ手放す道理はなく、当然の判断と言える。
 そんな短時間にも湧き続け、増殖していく使い魔たちを掃討するために弾頭が打ち出された。

 数は十二。
 照準から制御まで、その全てを暁美ほむらは外側から魔法で統御し、誘導する。

 おびただしく湧き出てくる使い魔たちを爆発が、爆発が、爆発が蹂躙する。

 その照準の中央には間違いなくワルプルギスの夜がいるというのに、火炎と煙の中からは狂った高笑いが絶えず聞こえる。
 そう、それはまるで『全然聞いていないぞ』とでも宣言するかのようだ。

「ここまでやるとは。彼女もなかなか……」

 明らかに国際法に引っかかるであろう代物を引っ張り出してきた暁美ほむらに対して、
美国織莉子は思わず感嘆する。なんという覚悟だろうか、と。

「でも、まだまだみたいよ?」

「大丈夫、私の織莉子への愛もこんなものじゃない!」

 あたり一面が廃墟と化した見滝原の町の中で煙の中から煤けた魔女が姿を現す。

「さぁ、第二ラウンドといきましょうか」





 物語のカギを握る少女は、未だ何も知らずに学校の体育館に家族そろって非難をしていた。
 そこには、彼女の大事な家族がいて、親友たちがいる。

 何も知らず、外の様子を頻りに気にして、そして一人の少女を気に掛ける。

「ほむらちゃんはちゃんと非難出来たのかな?」

「あたしも気になって見回ってみたけどさ、ここには来てないっぽいんだよね。学区内なら間違いなくここが避難場所だよね?」

「心配、だよね。でも、心臓の病気で入院してたって言ってたし、病院のほうに行ってるって可能性もあるよね」

「あぁ、そっか。あんまり元気なんですっかり忘れてたわ、その設定」

「設定って。それにほら、仁美ちゃんみたいに家の地下にシェルターがあったり、なかったり、ってことも?」

「いやー、流石にそれはないっしょ。だって一人暮らしって言ってたじゃん。
流石にそんなとこに住まわせる親はいないでしょ? いや、いないよね?」

「う、うーん。もしかしたらママはそのほうがいいっていうかも?」

「おいおい、何の話だ?」

「あ、どもっすまどかのママさん」

「おう、朝っぱらからこの子が付き合わせちゃって悪いね」

「いえいえ、そんなことないです。むしろあたしも落ち着かなくて起きちゃったくちで、まどかと話しできて助かってるくらいです!」

「はは、さやかちゃんらしいね。そんじゃ二人とも、そろそろご飯食べられるみたいだよ。まぁ、つってもコッペパンと水道水だけどさ」

「そういえばお腹が空いてた」

「あたしも、あたしも!」

「んじゃ、先行ってるから、ゆっくりきなー」

「ほーら、まどか! あたしも先行ってるよ!」

「待ってよー!」

 鹿目詢子と美樹さやかは足早に階段の踊り場を下り、扉の向こうに姿を隠す。
 そして、二人を追いかけて鹿目まどかが扉に手をかけたその瞬間。きらりと赤目が反射する。
 不思議に思った少女はゆっくりと振り向く。それは、単なる好奇心だったのかもしれない。

 だけれど、それは破滅への第一歩でしかなかった。

「ようやく、ここまで来れたよ。こんにちは、鹿目まどか」


 小さな白いからだと特徴的な赤目。
 体躯はウサギのようで、けれど耳だけがまるきり異質なもののように長く伸びている。

 そう、キュゥべえ。インキュベーター。

 悪魔のように人を誘い、奇跡を対価に絶望を回収するもの。
 その出会いは劇的で、甘い毒薬を飲み干すようだ。

「僕と契約して、魔法少女になってよ」

 ここに来て、この段になって、最後のピースは遂げられた。
 それは飽くまでも運命的で、だけれどとても恣意的だった。


★◇


 戦場は苛烈を極める。

 地下に埋め込まれているはずの水道管はめくれ上がったアスファルトの下から剥き出しにされて、
あまつさえ破損して辺り一面へと水をばら撒いている。

 崩れ落ちた瓦礫と、砕けたアスファルトがゴロゴロと転がり、まるで砂利道のようなありさまだ。
 あたりは水浸しだというのに鎮火しきらない火種が妙に目につく。

 だけれどこの辺りはたった半刻ほど前まで立派なオフィス街だったのだ。
 整然と整理され、立ち並んだビル群と街路樹。太陽が昇ればミラービルの壁面が眩く輝く。

 区画自体も清閑で仕事をするにはなるほど心地よい環境だったはずなのだ。

 しかし、それも半刻前までの話で、現在では上述した通りのひどい状態だ。
 そしてその廃墟の中央には高笑いを続ける巨体が揺らめく。

 幾分か煤けているが、その姿はいまだ健在でいっそ憎たらしい。
 そして、四人の魔法少女がその姿を地上から見上げ、攻撃を仕掛け続ける。

 戦況は極めて熾烈な消耗戦、というような様相を呈している。
 じりじりと互いに決め手を欠きながらの削りあい。

 それを証明するように四人の少女には生傷が幾筋も刻み込まれている。


「くっ、ジリ貧ね」

「えぇ、ですがそれは相手も同じこと。現にここまで私たちは致命傷はすべて避けています」

 瞬間的に途切れた間合いの中での小休止。
 何を仕掛けてくるでもなくただ揺蕩う夜の魔女を前に、少女たちは言葉を交わす。

「だけど、そろそろ魔力が危ないんじゃないかしら?」

「足りない分は織莉子への愛でカバーしてる! 私の愛は無限だから、このくらいなんでもない!」

「根性論で何とかできるほど状況は甘くないわよ。私の魔法も限界が近いの、何か一手で逆転できる策がほしい」

 ほむらは焦りを感じながらも状況を冷静に捉える。

「一発逆転の手なら、ないでもないわよ」

「何か、デメリットがあるようですね」

 不敵に笑うマミに対して、言葉の先を類推した織莉子が先手を打つ。

「あら、ご明察。時間がかかるのよ、それもたっぷり六百秒ほどね」

「その間は、ほかの魔法が一切使えなくなる、とでも?」

「えぇ、使えるリソースを全て注ぐことを前提に考えていたから」

「ド派手な一発ってことか。いいね、そういうの。分かったよ時間稼ぎなら私の魔法の領分だ。それで、十分稼げばあいつを倒せるだね?」

 犬歯をむき出しにしてキリカが笑う。それに応えるかのようにマミは目を瞑り、頷く。

「戦いに終止符を打って、幕を閉じましょう」



 キリカが真っ先に前へと飛び出す。少し遅れてほむらが追従する。

 マミはその場に残り静かに目を閉じる。
 それを守護するかのように水晶球を浮かべた織莉子が前に立ち、構える。

 魔法少女たちの動きを察知したのか、ワルプルギスの夜は歯車の回転速度を上げる。
 その姿はまるで『かかってこい』とでも挑発するかのようだ。

 ワルプルギスと、キリカほむらの距離は目測四十メートル。
 魔法少女の速力を以てすれば四秒以内に到達する。だが、それは障害物がなければの話だ。

 正面から飛来する四体の人型の使い魔。
 影法師のように黒塗りの姿は奇妙な親近感と不気味さを同時に突きつけてくる。

 統一されているようでてんでバラバラに動き回るその影たちは無軌道な挙動ののち一斉にキリカへと襲い掛かる。
 黒い爪を大きく展開してその全てを切り裂こうとキリカは動く。

「跳びなさい!」

 ほむらが叫び、ズシリと響く金属音と銃撃音がかき鳴らされる。

 直後、キリカの体が跳躍によって大きく宙を舞い、弾丸の嵐が使い魔たちをハチの巣にする。

 ほむらはごく短い時間で装填されていたすべての弾丸を打ち尽くしたミニガンをそのまま足もとに捨て置き、泥に埋まった両膝を引き抜く。
 魔力での身体強化と機械操作の魔法を使っているとはいえ無茶苦茶な反動を全て殺しきることは難しく、大きく息を吐き出す。

 加えて今のを使い切ったことで大きな武装は全て使い果たしたことになる。
 もはやワルプルギスの夜相手に有効な武装は何一つない、ただ一つ彼女の固有魔法を除いては。

 そしてそれが使えなくなるのも時間の問題だった。

 右手を時計型の盾の中へと突っ込み、自前のショートバレルショットガンを取り出して、距離の開いたキリカの背中を望む。
 彼女にはこの後にもやることがある。鹿目まどかを守るためになんとしても生き延びる必要がある。

「とりあえず、このラインは死守させてもらうわ」

 銃を持ったままの右手で大胆不敵に髪をかき上げた。


★□


 ほむらの言葉を受けて、瞬間的に跳び上がったキリカは空中に息継ぎ用の小さな魔方陣を設置し、それを蹴りつけることで三角跳びの要領でワルプルギスへの距離を縮める。
 グングン、グンッ、時間にしてわずか二秒足らずのその瞬間は意味不明な爽快感に溢れていた。

(なんだか、これじゃあ現実逃避してるみたいだ)

 すぅっと、息を吸い込んでワルプルギスの巨体に足をかけ、踏みしめる。
 大きく展開した黒い爪と両足を使い、時にジャンプし、時に爪を突き立て、逆さ刷りの魔女の頂上を目指す。

 爪による斬撃は細かなものだが、それでも完全に無視を決め込めるほど小さくはないため、
使い魔や魔女本体の攻撃がどんどんとキリカのほうに集中していく。

 炎が、烈風が、槍が、影が、弓が、氷弾が、閃光が、ナイフが、針が、キリカを射殺さんと飛来する。

(こりゃ、ちょっと過激だなぁ。でもッ)

「遅い、遅い、遅いッ! そんなハエの止まるよーな攻撃私には効かないッ!」

 叫ぶ通りに全ての攻撃を持ち前の機動力と固有魔法でもって躱し、あしらう。
 彼女固有の魔法は速度低下。どんなに強力な攻撃だろうと、当たりさえしなければどうとでもなる。
 それを体現したような魔法だ。

 が、凶悪な効果を発揮する魔法だけに燃費はいいとは言えず、いくつかの弱点も抱えている。
 それでも、彼女の魔法はこの局面で最大の戦果を発揮する。

 攻撃を回避し続けながら、魔女の頂上まで到達した彼女は使えるだけの魔力を全て注ぎ込み、
特大の魔方陣を展開する。直後、迷わず飛び降りる。

 その高さは高層ビルよりも少し高い。
 いくら魔法少女といえどこんな高さから無策で飛び降りれば致命傷を負うことは間違いない。

 だけれど彼女は迷わず飛ぶ。


(織莉子の望んだ結末を手に入れられるのなら、私の命くらいちっぽけなもの、さ)

 彼女の体が落下すれば、作り上げた巨大な魔方陣も追従して、落下する。
 全てを囲うには一番確実で手っ取り早い。

 自由落下の速度の中でキリカのことを狙えるほど精密な動きをする使い魔は存在せず、
またワルプルギス自身さえそこまで高精度な攻撃は行えない。
 それどころか一発の威力が桁外れ過ぎて照準は非常に大雑把なのだ。だからこその、この一手。

 持続時間はたっぷり十分。
 注ぎ込んだ魔力量からすれば文字通りハエの止まるような速度まで落とし込むことが出来る。

(流石に魔力がすっからかんだ。グリーフシードのストックもないし、もうダメかな。
最後は織莉子と一緒が良かったんだけど、仕方ない、か)

 強烈な浮遊感がキリカの全身を包み込む。
 落下。現象としてはひどく単純なこの出来事は、単純だからこそ強烈に人を、人の心を飲み下す。

(あ、ああぁぁぁぁぁぁっ! だけどやっぱり織莉子に会いたい! もっと一緒にいたい! 
まだ何にもしてないんだよ! 一緒に遊んだり、出かけたり、買い物に行ったり、のんびりしたり! 
やり残したこと、いっぱいあるんだ。まだ会えたばかりなんだ、こんなちょっとじゃ私の愛は納まりがつかないよ! 
このまま死んでやるなんてやっぱりできない!

何か、これ以上ソウルジェムを濁らせずに取れる方策はないのか。
何かあるはずだ。考えろ、考えて周りをよく見ろ、私!)

 両手には大きく展開された爪。手を伸ばせば届く距離にはワルプルギスの巨体。
 今の距離ならば地面スレスレで減速が間に合うはずだ。

 ただし、真上から迫る使い魔の一団がそれを許してくれるだろうか。
 キリカが減速すればそいつらは間違いなくキリカを殺しにかかる。
 魔力が空の現状ではそれを防ぐ手立てはない。

 だが、それでも道路のシミになるという確定した死から、使い魔から誰かが守ってくれるかもしれないという不確定な可能性には変じられる。

 零か、小数点以下か。

「生きて、織莉子と一緒に未来を生きるッ!」

 少女は躊躇いなく魔女の巨体に鉤爪を突き立てる!
 不均一で耳障りな金属音が火花をかき鳴らし、キリカの体を減速させていく。

(あいつら、思ったより速い! このままじゃあの槍で下ろされる! 
だけど、もう身体強化に回す魔力なんてない! ちぃっ、やっぱりダメか!?)

 結局のところ、ダメなものはダメであり、一人の力ではどうにもならないものは、どうにもならないのである。
 奇跡的に攻撃が外れることもなければ、突然覚醒して魔力が回復したりもしない。
 何のことはなく、酷く現実的に物事は突然好転したりはしない。


 が、それは飽く迄も一人であるならば、の話だ。

 パァン、と発砲音が響き、キリカが凝視していた使い魔たちがその身を二つに千切られて霧散する。
 彼女は目を疑った。そして自分の体が何かに抱き留められたことにも気が付いた。

「あなた、無茶苦茶するわね。せめてやるなら一声かけない、サポートさえ出来ないほど無能になった覚えはないわ」

「暁美ほむら……。あぁ、助かったよ。ありがとう、君は恩人だ」

 とんと、床に降ろされたキリカは大きく息を吐いて、頭を下げる。

「今は共闘しているのだし、当然だわ。だけれど、そうね。コレで貸ということにしようかしら」

 ほむらはそういってキリカの腰へと何かを押し当てる。
 キリカのその位置にあるのはソウルジェムで、視覚的に確認することはできないが、それを通して魔力が回復する感覚が全身を駆け巡る。

「恩人は慎み深いね。だけれどいいの? これが終わったら殺しあうかもしれない相手を助けてしまって」

「あなたがいないと十分な時間稼ぎすらままならないのよ、今の私には。これ以上はダメね、離脱するわ、ついて来なさい」

 敵の真下、そんな場所で悠長に話をしている暇など勿論なく、ほむらは駆け足でその場を離脱するように促す。

 ただし、魔女もその使い魔もキリカの魔法の影響を受け、動きは緩慢であり、撃破することもまた容易い。
 至近距離で動かぬ的に対して外すほうが難しいというものだ。


「この魔法、あとどれくらい持つのかしら?」

「たっぷり十分は、大丈夫のはずだよ」

 ほむらは驚嘆する。が、それと同時にある種の納得も覚える。
 恐らくキリカは魔法を展開することに対しては強い適性があるのだろう。

 何時かのときもそうだった。

 見滝原中の校舎を丸ごとひとつ魔女の結界にしまい込んでいた。
 あの時は結界が広いタイプの魔女だと思ったのだが、こうして彼女の魔法の使い方を見み、戦い方を知るとわかる。
 広い結界を持つ魔女というわけではなく、もともとの結界を魔法少女、呉キリカの力が引き伸ばしていたのだと。

「私には攻めに転じられるリソースがもうない。だから、あなたが魔女の注意を引き付けて。
けれど、無理に戦う必要はないわ。まぁ、あなたのかけた魔法のおかげで逃げることも倒すことも、使い魔程度なら苦にならないけど」

「魔女本体には依然、注意がいるわけだ」

「えぇ、速度は落ちているとはいえ当たれば致命傷は必至、
意識の隙間を掻い潜ってきたりはしないでしょうけれど、注意は怠らないで」

「拾った命だ、意地でも織莉子に会いに行くさ」

 象を翻弄するために蟻ができることは存外と多いということを証明するために、超至近距離での鬼ごっこが開始された。




 十秒。


 二十秒。


 四十秒。


 八十秒。


 百五十秒。


 二百秒。


 二百四十秒。


 三百十一秒。


 カッと、マミが閉じていた目を見開き、ワルプルギスの夜を凝視する。
 直後、マミの後方にシンプルなマスケットライフルが生成され、瞬く間にその姿を変化させていく。

 シンプルなマスケット銃が、一回り大きく無骨な姿へと変異する。
 そこにリボンの力を差し込むことによって銃身は太り、砲へと変わる。
 巨大な砲身を持ったそれにまたもリボンを重ね、一度小さく成り変わる。

 アンチマテリアルライフル。難しい機構を持つその銃にもやはりリボンが差し込まれ形を変える。

 携帯型機関銃。

 設置型機関銃。

 固定型機関銃。

 ダンプカー。

 強化装甲車。

 走行砲。

 戦車。

 焼き討ち船。


 そして、レールが敷かれ列車砲が姿を現す。


「さぁ、行くわよ。焼き払ってあげる!」

 十五メートルを優に超える白色の砲身から実物を超える速度で弾頭が続々と打ち出され、その全てが正確に魔女の体を捉え、貫く。

 魔砲の嵐が、嵐の夜を吹き飛ばす。

 魔女を倒すための魔法だとは到底思えぬその大火力はあまりにも圧倒的な殲滅兵器であり、
その殺傷力だけならば過去類を見ないほどの出来栄えだった。

 そもそもにおいて魔力リソースを十割十分、攻撃に回した魔法少女など有史以前に遡ってもそうそうお目にかかれない。

 怒号と轟音が音という音を塗りつぶし、熱と衝撃が空気を踏み倒して当り散らす。
 町の壊れた一画を粉みじんにするかのように圧倒的な攻撃が魔女と街を叩き伏せる。
 魔女の高笑いにノイズが混じり始める。それは間違いなく、ダメージが通っていること指し示すようだった。

 揺蕩う魔女の、腹を突き破り、腕を吹き飛ばし、胸を貫通する。頭部を粉々に砕き、腰を抉り出す。
 硬く回り続ける歯車を数発の弾丸が直撃し、ひび割れを起こさせる。
 それを完全にすり潰すかのごとく、数発の弾頭が追撃し砕く。

 だが、そこまでやってもまだ半分。

 ワルプルギスの夜が蓄えた膨大な魔力は器を失ったからと言って霧散する程度のものでは済まされない。

 集合し器を失った魔力は、思念として、残滓として、あるべき姿を取り戻そうと形を作る。
 それは、ゾッとするような光景だった。意志なき力が、集合意識を模り、器を、表層を再形成していく。
 驚くべき速度で魔力は固まり、魔女ワルプルギスの夜を再度作り上げていく。しかも、正しく力を揮える形で、だ。

 頭が上で、足が下。何の変哲もない、正しい形。


 だが、その力は振るわれなかった。
 何故ならば、飛んでくるのだ。最後の一撃が。

 列車砲そのものが、空中に掛けられたレールを通ってワルプルギスへと突撃する。

 その破壊力は、再生されたばかりの魔女の巨体を易々とぶち抜き、膨大な魔力の塊を粉砕する。
 断末魔のような高笑いが、徐々に小さく消えていく。


 災厄の夜は終わり、暁が立ち昇る。


 ほむらとキリカは泥水を頭からかぶり、体はあちこち傷だらけとはいえ五体満足で生きている。
 ワルプルギスの夜を倒す決め手を作ったマミ、それを守護していた織莉子も言わずもがな、無傷とはいかないが比較的軽症で、一つの戦いは終止符が打たれた。

 街の一区画は完膚なきまでに更地と化したが、それを差し引いても完璧な勝利だと、そう言えた。


 小休止。

 しかし運命は流れ続ける。定められた方向性を覆すことは、例え分かっていたところで困難を極める。


★◎


 織莉子は目の前の光景を愕然と眺める。
 暁美ほむらは巴マミに殺された。呉キリカも巴マミに殺された。

 その巴マミも突然現れたピンク髪の少女によって殺された。
 それではピンク髪の少女はどうなったのか。

 単純明快。強大すぎる資質を持ったその少女は一発の弓矢と引き換えに魂を限界まで濁らせて、魔女になった。
 山岳のようでもあり、巨大な一本の樹木のようでもあるその少女の魔女は、あまりにも、強大すぎた。

 ワルプルギスが最強の魔女と称されていたのならば、この魔女はさしずめ終焉をもたらす魔女、とでも呼ぶのが相応しいのだろうか。
 織莉子は愕然とへたり込み、そこに在るだけで命を吸われるような感覚が全身を支配し、戦いを挑むという気位さえもそぎ落とされていた。

「いやぁもの凄い魔女だね。想定よりもずっと凄い」

「インキュベーター。貴方たちは、いいえ。お前たちは、この星を潰すのが目的だったのかッ!?」

 まるで可愛らしいマスコットのような所作で近くに現れたキュゥべえを織莉子はにらみつけ、水晶球を展開して威嚇する。

「そんなことをして、僕たちにどんな得があるというんだい? 
僕たちはただ、宇宙の寿命を延ばすために君たちの感情を利用させてもらっていただけに過ぎないよ」

「宇宙の寿命を延ばす? そんな、そんなことのために、そんなくだらないことのために、私たちを絶望させていたと、いうのッ!?」

「別に僕たちは悪意があるわけじゃないよ。
ただ、熱力学的エネルギーに縛られない資源が君たち人類の感情エネルギーだったというだけだ。
その中でも取り分けて効率的だったのが君たち二次性徴期の少女の希望と絶望の相転移時に起きるそれさ」

 織莉子に目を合わせるためだろうか、キュゥべえはヒョコヒョコと正面にやってきて長々と講釈を垂れる。
 織莉子は奥歯が砕けるほど強く噛みしめ、血が滲むほど握り込んだ拳をキュゥべえに振り下ろす。

 少女の体では耐え切れない膂力で振りぬかれたそれはインキュベーターの体を叩き潰して、同時に腕自体にも強い衝撃を与え、血を滴らせた。
 恐らく、これを止める手立てはない。


 この世界は遅くとも数ヶ月以内に滅ぶのだろう。

「あああああぁぁぁあっぁああああぁぁぁぁっぁっぁああああああああああ!!!!!!!!!」

 少女は絶叫する。
 全ては決定づけられてしまった。
 自分が気を抜いたばかりに想定よりも最悪の結末を導いてしまった。

 自責と、後悔と、自らへの怒りと。
 だけれど、最早何もかも遅く、ただ咆哮することしかできない。


 未来予知。世界の先を覗き見る力。それが、美国織莉子の固有魔法だ。

 そして、彼女の予知は傾いた天秤の重いほうを映し出す。
 つまり、何もしなければ間違いなくそうなる未来を映し出す。
 確定された可能性のうちの最も比重が大きい未来を知る能力。

 つまり、覆せる未来を予測する能力。
 ドロリッ、と織莉子の全身から汗が噴き出す。

 手を打たなければ、訪れるのは世界の破滅。
 ただし、行動しなければ少なくともあの予知の時刻までは自身の命は保障される。だが全てが終わった世界で一人生きることなど、それはもはや彼女にとっては死んだも同然だ。

(何か、手を打たなければ! だけど、どうすれば? 理由がわからない。

二人の命を助ければ崩壊は避けられる? 確実な手は『あの少女』が契約する前に殺すこと? 
それとも、今ここで巴マミを殺すこと? いや、でも、あの化け物じみた魔法少女を一人で殺せる? 
ダメだ、勝ち筋が見えない。それならば、三人で? ダメだ、原因がわからない。『あの少女』は何者? 
情報が、足りない。だけど、ならばッ、せめて先に動く!)


 織莉子は腰を落とし、地を踏み駆け出した。
 目的は言うまでもなく暁美ほむらと呉キリカの確保。

 マミはその姿を後方から困ったような笑顔を浮かべて、鼻を鳴らす。そして、ゆっくりと追いかける。


★□



「えっと、あー、暁美ご存命かな?」

 瓦礫の山の中から、山を崩しながらキリカがどこにいるともわからないほむらへと声をかける。
 もぞもぞと動く瓦礫の山は二つ。そのうちの一つからどうにかこうにか、キリカは這い出してきた。

「おーい、暁美? もしかして、巻き込まれて死んでる?」

 二度目の声にも返事はない。
 だが、瓦礫の中から這い出してきたキリカには不自然に揺れる瓦礫の山が目に映る。
 ヤレヤレ、とでも言いたげな仕草をしながらその小山へと近づいてゆっくりと瓦礫を崩していく。

 ある程度まで取り除くと、ガバッとほむらの体が飛び跳ねてきた。

「よかった、生きてるじゃないか。返事くらいしなよ。まったく人騒がせだ」

 近くにキリカがいること。その手には瓦礫を崩した形跡があること。そして口ぶり。
 そのことから、自分は助けられたのだ、という結論に達したほむらは目をそむけながら口を開いた。

「その、返事をしなかったのはもしかしたら奇襲されるかもと思ったのよ。
でも杞憂だったみたいね、その、ありがとう」

「なに、こんなタイミングで死なれてたら寝覚めが悪いからね。所謂、自己満足ってやつだよ」

「そう、それならそれでもいいわ、どちらにせよ助けられたのは本当なわけだし。
それで、どうするのこのまま解散してもいいかしら。早く避難所に行きたいのだけれど」

 ほむらたちは服に付いた泥を軽くはたきながら、会話する。

「そうしたいなら、そうすればいいんじゃないかな。私に止める権利はないのだし。
あぁ、でも折角だし祝勝会くらいはしておきたいね。君にも織莉子の手料理を食べる権利くらいはあると思う」

「そうね、考えておくわ」

 ほむらとキリカはのんきな会話を楽しむ。
 ほむらにとってここから先の未来は全く新しいものになる。
 彼女にはそれが何よりもうれしかった。歓喜に震えて、この場で小躍りしたくなるほどの衝動を持て余している。

 けれどそんな風に浮かれた気分を断ち切るように、血相を変えた美国織莉子が走り込んでくる。

「キリカ、それと暁美さん。とりあえずは生きていますね。ここを一度離脱します!」

 その剣幕は仰々しくもあり、また真に迫っている様子もある。
 いうが早いか、二人の回答を待たずに織莉子は二つの手首をむんずと掴んで全力で走る。

 ほむらとキリカは引きずられる格好で、織莉子に追従する。


「ちょっ、ちょっと! 突然何なの!?」

「織莉子、どうしたんだい!? そんなに慌てて、もしかしてまだ続きがある?」

「えぇ、そうよ。そのまさか! 簡潔に言います。貴方達二人は命を落として世界を破滅させる魔女が生まれる」

「う、嘘。うそ、嘘よそんなの!」

「引き金を引くのは恐らく、巴マミ」

「まったく、あの優等生はよくよく、火種を持ち込んでくるね」

「離しなさい、美国織莉子」

「ダメです、体制を整えてから三人で迎撃します。分岐点がわからない以上、恐らくそれが最善」

「それは違うわ、最善は今から引き返してアイツの頭を弾き飛ばすことよ!」

 ほむらは織莉子の手を払いのけ、向き直る。

「あなたの命は、あなた一人のものではない!」

「そんなこと、わかっているわ。だからこそ今、今、叩くのよ!」

 吠えるように、猛るように、ほむらは叫ぶ。

「殺らせるわけにはいかないの。絶対に。そのためなら、私はたとえ誰だって切り捨てる。切り捨てられる」

 ほむらは振り返らずに、駆け出す。

(くっ、こうきますか。でも少なくともキリカだけでも……、)

 織莉子は奥歯を噛みしめ、視線を落として思考する。
 追いかけるべきか、キリカだけでも連れて一旦体制を整えるか。

 極限状態の彼女には選ぶべき手札が、視えず硬直してしまう。

「織莉子! 追いかけよう。何もみすみす死なせることもないだろう? 
それにさっさと追いついて気絶させて持ち帰る。それで終いにしてしまえばいいじゃないか」

 しゃべりながら織莉子の手を引いてキリカが駆け出す。

「えぇ、そうね。その通りだわ。急ぎましょう」


★◇


 カツンッ、とマミの足音が一つ音を立て、止まる。
 その代わりに続くように足音が一音だけ響く。


 ほむらとマミが、対峙する。
 互いに獲物の用意は終わっており、両手に銃が握られている。
 露骨なまでに敵意をむき出しにしているほむらに対して、マミは薄らと冷笑を頬に張り付ける。

「あら、奇遇ね。何か用かしら?」

「白々しいわね。 理由なんて決まっているわ」

 下瞼を歪ませてほむらはマミを睨み付ける。
 どちらともなく、銃口を向けあう。

「お望みなら、早く始めましょうか。私としては、追いかけっこのほうが楽しめるのだけれど、」

 相手を見下したようにマミは挑発する。
 煽りに対する返事はなかった。その代わりに、撃鉄を鳴らす音と打ち出された鉄の弾がマミに飛来する。

 火蓋は落とされた。
 銃口から逃れるように首を横に振るってマミは初撃を回避する。次いで、一歩右足を下げ応戦体制を整える。

 だが、直後のタイミングで反撃を許すほどほむらも手ぬるくはない。続けざまに数度撃鉄をかき鳴らす。
 互いが互いの車線から逃れるように駆け出す。

 走りながらの銃撃は狙いを定めるのが難しく、普通であれば弾丸をばら撒くことによって手数を稼ぐことで相手の動きを封じ、
止まったところを狙い撃ちにする。

 が、こと銃撃戦においてこの二人の技量は群を抜いてた。

 走りながら、正確に狙いをつけて引き金を引く。そして相手の銃口を常に意識して射線から逃れる。
 戦術としては非常に単純で、行動そのものもやはり単純。狙って撃つ、
常に狙い打たれない位置取りをする、その二つの基本動作を高いレベルで両立できればそれは立派な戦術となる。

 そしてそれが基本を突き詰めることの到達点。

 ある種の心地よさすら感じさせるリズムでの発砲音の応酬。
 それは息の合った師弟の立ち合いを想起させる。

 ただし、互いから放たれる本物の殺気を除けばの話である。
 戦況は均衡。となれば、実弾を扱い、再装填に時間のかかるほむらのほうが隙が多くなる。

 そのうえ、マミのほうは未だリボンの魔法を手札として温存している。


(この戦い方じゃ、仕留められない!)

 均衡を崩すために、ほむらは動きを止めずに右手を盾の中へと突っ込み、手にしたものをマミに対して投げつける。
 銃撃戦の中で突如現れた緩やかな投擲物に対して、マミは反射的に狙いをつけて引き金を引く。
 金属と金属のぶつかり合う高音が響き、直後、音を立てて白煙が噴き出す。

 濛々と立ち込める白い煙が互いの視界を奪い、否応なく弾丸の嵐を停止させる。

(くそっ、逃げられたわね。だけど、コレで一応時間は稼げる)

 中距離からの打ち合いでは間違いなくじり貧になる。
 相手の魔力切れを待つというのも現状からしたらリスキーすぎる。
 それどころかほむら自身の魔力が持つとも限らない。

 そう判断した暁美ほむらは手札を入れ替えるために、スモークグレネードを放った。
 しかも起爆を相手に任せるという形で。

 ほむらの思惑は二つ、相手を牽制すること、時限式の爆弾を安定作動させること。

 煙の中に人影がないことを確認してから、ほむらは煙を物体としてとらえ、魔法で一気に霧散させる。


「あら、動いてなかったのね」

 距離的に聞こえないはずの声がほむらに届く。
 瞬発的に足を動かし、その場を離れる。切り返しを多用して射線から逃げることも怠らない。

 横目に映る弾丸の向きと跳弾の反応からマミの位置を特定し、顔を上方へと向ける。

 真上。
 上方の利。

 戦いにおいて上をとることは戦況を有利に進める条件の一つだ。
 打ち下ろすときには自重の方向と一致しているため力の減衰は少ない。
 逆に打ち上げるときは自重に逆らわなければならず、力は大きく減衰する。

(やられた、これじゃあ爆弾が使えないッ!)

 上方を取られた状態でマミと真っ向勝負するのは明らかに分が悪い。
 足を使い、マミの銃撃を紙一重で交わし続けながらほむらは思考を巡らせる。

(どうする、どうすればこの状況を変えられるの。あの足場を、崩す。でも、どうやれば? 
あの女のことだ、どうせ透明化を施したリボンを幾重にも張っているはずよ。
 時間停止が使えない以上、打開するためには手持ちの火器で全部壊すか、
あるいはなんとか隙を作って向こうの足場を利用するか)

 単発式の銃を扱っているとは思えない連射が、ほむらを襲う。
 ただ、それは飽くまでそうとは思えない連射というだけで、単純に速度を比較すれば自動小銃のそれには僅かに及ばない。

 そう、ぎりぎり銃口を見て射線から逃れられる。
 マミのことを視界から外さず、足の動きを止めることもなく、ほむらは大きく息を吐き出す。


(クレーバーになりなさい。焦りは判断を鈍らせる、まずは第一目標の整理よ。
条件一、巴マミの撃破。条件二、恐らく来るであろうまどかに死体を見せない)

 ほむらは無理やりにスイッチを切り替えて思考をコントロールする。
 彼女は知っている、諦めないことと冷静であること。

 生き残るためにはこの二つは絶対に必要不可欠である、と。

(今、私が回避に専念できているということは、マミの連射速度に喰らいつけるということ。
逆を言えば、私から何かしなくても向こうが状況を打開するために大きな手札を切ってくる公算は大きい。
ならば、勝機はその一瞬。大技に移る一瞬の隙を見逃さないようにする。そして間違えずに、仕掛ける!)

 そんなほむらの様子を眼下に収めるマミは、艶っぽく口角を釣り上げる。

「攻める気はないの? そういうことなら止めを、ア・ゲ・ル」

 マミは頭上で揺れる小さなベレー帽を掴み、投げ上げる。
 帽子はパァンという派手な音を立てて炸裂しその欠片をマスケットライフルに変化させていく。

 降り注ぐような煌めきと共に五ダース程度の銃口がほむらに向けて展開された。

(来たッ、ここだ!)

 一点集中。ほむらの魔力が速く走るために必要な筋肉を増強し、全身を漲らせる。
 暴力のような発砲音が炸裂し、無数の穴を大地に穿つ。そして、生きるものを血の染みになるまで蹂躙しつくす。

「あら、少しやりすぎちゃったかしら。ちょっと魔力無駄遣いしちゃったわ。まっ、でも今の魔力残量でもあの二人くらいなら十二分よね」

 マミは自らの後方を流し見ながら口元を歪め、そこに右の人差指を当てる。俗にいう『内緒ね』のポーズだ。
 直後、ダンッという力強い打突音と共にマミの真後ろに拳銃を構えたほむらが飛び出す。

「とったッ!」


 同時に乾いた発砲音が響く。
 弾丸はマミの右側頭部に飾られているソウルジェムへと正確に吸い寄せられ、砕ける。
 距離にして少女の手の平一つ分。防御用の結界が展開されていた。

「なんちゃって。気づかれてないとでも思ったかしら? でも残念でした! コレで、本当におしまいよ」

 微笑み、軽くウィンクさえしながら右手に持ったマスケットライフルを掲げ、引き金を引く。
 瞬間、ほむらは死を覚悟した。


 だがマミの弾丸は至近距離から放たれたにも係わらずほむらのソウルジェムを砕くことは叶わない。

 マミとほむら、お互いが突然の出来事にギョッと目を見開いた一瞬をついて呉キリカが現れ、
マミの展開したリボンの足場をズタズタに切り裂く。

 支えを失ったマミの体が重力に負けてぐらりと傾く。
 好機とばかりに一ダースほどの水晶球がマミへと襲い掛かる。
 流線のような軌道を描いた水晶球をマミはリボンの魔法を鞭のように振るい弾く。
 だが弾いた衝撃を逃がすことが出来ずに大きく後方へと吹っ飛び、大地に叩きつけられた。

「巴マミ、貴女の好きにはさせません。私は私の救世を成し遂げる!」

「織莉子のためだよ、死んでくれ優等生」

 バランスを崩し、空から降ってきたほむらを美国織莉子がキャッチして、抱きかかえたのち、ゆっくりと地面へと下ろす。
織莉子とほむらの少し前で展開した爪をマミに突きつけるようにキリカが構える。


「……。助かったわ、だけど、手を貸してくれるならもう少し早いほうが良かったのだけど、」

「今のタイミングが最良です。今より早くても遅くても、私たちは三人まとめて殺される。
きっちり一撃与えられるタイミングがここなのです」

「そう、じゃあ手を貸してくれるのね」

「えぇ。倒します、あの方を」

 マミが地面にめり込んだ体を抜き出して、立ち上がる。

「三体、一。ということかしら?」

「よぉくお判りでしょう? 貴女のことを『殺し』ます」

「うふふ、出来るかしら。殺ってごらんなさい! 私もちゃんと本気で殺るわッ!」

 マミの中の闘争本能が、目覚める。
 立ち上がったマミから獰猛な色が湧き立ち、戦いの才能が表情を塗り潰す。
 貪欲な勝利への執念。絶対的な戦いの中でのみ得られる実感。全てを失い、その最果てで見つけた『生きること』への渇望。

 例え誰に認められなくても構わない。
 誰かの目から見て悪だと罵られても構わない。
 そんなことをしていても死んだ君の両親は喜ばないよ、なんて言われるかもしれない。
 だけれど、そんなもの知ったことか。死人に口なしだ、否定するならその力で止めてみせろ。


 マミの中の雑多な感情が、一つの目的へと収束する。


『魔法少女を殺す』


 百戦錬磨の魔法少女が、見敵必殺の殺戮者へと変貌する。
 魔法少女同士の苛烈な戦場が、蹂躙されるべき殺戮場へと変貌する。
 直接的な武力の行使という一点において比類なき力量が、その全力を殺すことへと注がれる。


★□


 疾風迅雷、紫電一閃、疾風の如き、電光石火。

 放たれた矢よりも鋭く、打ち出された弾丸よりも迅く、マミが地を蹴りほむらを狙う。
 ほむらが、織莉子が、攻勢に気が付いたときには既に遅い。

 ほむらの真後ろにマミが立ち、背後からほむらの首元のへとピアノ線以上の硬度を誇る極細のリボンが当てられる。

 キリカがほむらの正面、鼻先一寸で刃を振る。
 ブチッというリボンが切れたとは思えない断裂音が鳴る。
 マミは即座に二撃目へと移行するため再度、極細のリボンを生成しほむらの首を狙う。

 だが、キリカがかろうじて一手先行した。
 ほむらの行動を阻害するリボンが消えた一瞬を逃さずその体に回し蹴りをたたき込み真横に薙ぎ払うことで最悪の位置から無理やり脱出させる。

「打ち合うなら私とやろうか!」

「お望み通りにしてあげるわ!」

 キリカとマミが極至近距離での格闘戦を繰り広げる。
 間合いは完全にキリカの得意分野だ。それどころか、キリカの戦闘スタイルは完全に近距離戦に特化している。

 相手の行動を阻害する速度低下の魔法。
 武器の使用を阻害するほどの極至近距離で自らは爪による斬撃で致命傷を狙える間合いをきっちりと制御する。

 そして、その二つを最大限に活かすために徹底的に速度に特化した身体強化。
 契約して日が浅いといえども、彼女の徹底的なスピード重視の戦闘スタイルは熟練した魔法少女を易々と葬れる程度には完成されている。

 二撃、三撃、と得意の高速戦闘によってキリカが手数を稼ぎ、マミへと猛攻を仕掛ける。
 振り下ろし、切り払い、突き崩し。右から、左から、真上から、フェイントを織り交ぜての連撃。

 マミはその全てをリボンと体術で交わし、いなす。
 一見すれば攻めているのはキリカであり、優勢なのも然りと映る。

 だが、実際には『攻めさせられて』いる。

(手が止まった瞬間に、間違いなく一気に持っていかれる。
織莉子とほむらが反応速度で一手及ばない以上、私が何が何でも攻め切るほかない!)

 地を巻き込み、砕けたアスファルトを巻き上げ、コンクリートを切り刻む。
 あたりに甚大な余波を与えながら、キリカはマミに打ち込み続ける。

(くそ、一手が遠い)


★◇


 蹴り飛ばされたほむらは咳き込みながら地面を転がる。
 瞬発的でぎりぎりの判断だったとはいえ、思い切り加減を間違えている。

「はぁ、助かったとはいえ。強く蹴りすぎよ」

 呟きながら立ち上がったほむらはため息を交えて美国織莉子に声をかける。

「あなた、感覚共有とかはできるのかしら? 
出来るのであれば私とあの子に未来予知の感覚を共有して。そうすれば意思疎通のラグを削れる」

「やってみます。だけど、そうなると私は身動きが取れない。戦力を無駄に浮かせることになりませんか?」

 織莉子はほむらと魔力の波長を重ね合わせながら問いかける。

「どっちにしろ、あなたじゃあそこに割って入れないでしょう?」

「悔しいですけど、今の私ではリソース不足で身体強化が追いつきませんね」

「なら、そのまま戦力が浮くよりは魔法の共有化で私とあの子の手札を気づかれないように増やしておくべきね」

「あなたはあそこに割って入れる、と?」

「辛うじて、ね」

 盾の中から二挺のハンドガンを抜き出したほむらはつま先で軽く地面を叩き、足首を回す。
 短く息を吐き出し、駆け出す。

「キリカのことを頼みます……」

 ほむらの背中を見送りながら織莉子は小さく呟いた。


 激烈な格闘戦の盤面にハンドガンを携えたほむらが押し入る。
 守勢でありながらも盤上を優位に進めるマミが刻み込まれるような深く、後ろ暗い笑みを以て、歓喜と共に新たな駒の参戦を祝福する。

「あらぁ! あなたも私と遊んでくれるのね! 大丈夫かしら? ちゃんとついてこない一瞬でお陀仏よ?」

「お生憎様! あの子の身を守るためなら私の命ぐらいなら安いものだわ!」

 キリカの爪撃の隙間を縫ってほむらの弾丸がマミに飛来する。
 キリカとの高速戦闘をほぼ互角の速度で捌いていたマミの動きが、ここに来て一段とその速度を増す。

「そ、そんなのありか!?」

 速度の上では小細工抜きでほぼ互角だと感じていたキリカが、攻撃の手を緩めることなく素っ頓狂な声を上げる。

「あなた一人じゃ本気を出すには物足りないもの!」

 高硬度のリボンの魔法を二挺のライフリングマスケットへと切り替えて、マミは踏み込みと共にキリカの爪撃を受け止めた。
 音を立てて地面に放射状の小さな亀裂が入る。

 頭上で交差し、キリカの爪を受け止めたマスケットライフルに力を入れ、まずは片手でキリカの爪を弾き飛ばす。
 その行動とまったく同じタイミングで正面の少女の胴体へと左の銃口を突き付けて引き金を引く。
 銃弾はギリギリ、キリカの横腹を掠め、給仕服のようなその黒い装束に小さな穴を作る。

 間一髪、キリカの後ろに控えていたほむらが蹴飛ばすことでギリギリ回避を成功させたのだ。
 だが、マミの攻撃は流れるように連鎖し跳ね上げた右腕を思い切り振り下ろし、ほむらの頭部を殴打しようと動く。

 盛大にバランスを崩していたはずのキリカが振り下ろされようとしているマスケット銃をハンドスプリングで跳び上がり、下から蹴り上げて、弾き飛ばす。

「そうよ! そうよねぇ! でも、まだ足りないわよ!」

 邪悪な笑みを浮かべてマミは即座に二挺のマスケット銃を召喚しなおす。

「なっっ!」
「ッ!」

 ハンドスプリングで跳び上がっているキリカと、キリカを射線からずらすために放った蹴りで体制が崩れているほむら。
 一瞬の硬直が、ごく僅かな待機時間が、二人の運命を決定づける。

 指の掛けられた引き金が一閃。


 マミへと水晶球の連撃が降り注ぎ、地を抉る。

 事もなげに後ろに飛び退き躱してしまう。

「ちゃあんと、忘れてないのよ?」

 不敵に笑い、体を振り子のように正面へと倒し、
そこから右足を大きく踏み込み一気に速力を得てマミが織莉子への距離を縮めにかかる。

「させるかっ!」

 地面にしゃがみ込む体制で着地したキリカはその体制から足のバネを最大限に発揮して跳び上がり駆け出してマミの正面へと割り込みをかける。
 が、マミの手元にあるのは長柄のマスケット銃ではなく、射程ゼロの鉄鋼線のような超硬度のリボンの糸だった。

「しまっ、」

 勢いが付きすぎて細かな運動性を失っているキリカに対して、第三行動までを織り込んで行動しているマミ。
 彼女にとって今のキリカの首に糸を掛けるのはあまりにも容易いことだった。

 ノーウェイトでマミの腕が動く。

 捕まった、という感想と死への恐怖がキリカの魂を侵食するが、不自然に体がはね返り危うく舌を噛みそうになる。
 一手遅れて追いついたほむらがキリカの首根っこを?まえて引き寄せて、織莉子のほうへとその体を投げ飛ばす。

 だけれど、マミにとってここまでが織り込み済みだった。
 右腕でキリカを後方へと投げ飛ばせば当然のように左腕は前へと投げ出される。

 ほむらの左腕には、彼女の生命線たる時計型の盾と、それからソウルジェム。

「――――――――――ッッ!!!」

 突然の出来事にほむらの声帯は正しく機能することが出来ず、声にならない叫びが上がる。

 反動を回転によってエネルギーへと転化したマミの鋭い後ろ回し蹴りがほむらの正中線へと突き刺さり、
左肘から先を切断されたほむらの体がくの字に折れ曲がり、数十メートル先へと吹き飛ばされる。

 ボトリッ、と地面に切断面をさらした左腕だけが落下した。

「チェックメイト、よね?」

「まさか、諦めるわけない、だろ?」

 キリカとマミの視線が交錯し、両者が再び格闘戦へともつれ込む。
 だが、戦いの流れは明らかにマミの側へと傾いてしまっていた。





 マミに蹴り飛ばされたほむらの体はざっくりと八十メートルほどノーバウンドで滞空し、地に落ちる。
 落下時の衝撃で数回バウンドし、最終的にはゴロゴロと転がって力なくその肢体を大地に投げ出した。

 ぐったりとし、だらしなく半開きになった口からは明らかに内臓に深刻な損傷を負っていると思えるほどに血が溢れる。
 だが、当のほむらはとっくの昔に意識を手放してしまっていて立ち上がるどころかピクリとさえ動かない。

 左腕は肘から先が切断され、傷口からはとめどなく血が溢れる。
 口から零れ落ちる血液も小さな血だまりを作る程の量だ。そのうえ呼吸をしている様子はない。

 辛うじて心臓は動いているが、このままでは間違いなく命を落とす。

 だが、運命は悪趣味な救いを彼女に呼び込んだ。

「まどか! まずいよ、ほむらが倒れてる」

 鹿目まどかとインキュベーター。
 暁美ほむらが最も恐れる組み合わせであり、最愛の少女と最悪の敵対者。

 崩れ落ちた街の中をよろよろと覚束ない足取りでまどかは歩む。
 瓦礫をようやく乗り越えて、少女は意識のないほむらにたどり着いた。

 まどかがほむらを認識した瞬間、小さく震え一歩後ずさる。


「ほむら……、ちゃん?」

 小さな声で問いかけてみるも、もちろん返答はない。
 何かの間違いであってほしい、などと甘い幻想を抱きつつゆっくり、本当にゆっくりと近づいていく。

 近づこうと思えば一分もかからない距離をたっぷり一分使い切っても渡りきることが出来ない。
 近づけば近づくほどに、ほむらから流れ出る出血量がただ事ではないと突き付けてくるのだ。
 何も知らない少女には刺激が強すぎる。

 それでもおずおずとゆっくり時間をかけて歩き続けるまどかの足が、ある地点を境にピタリと、止まる。
 一歩踏み込むのが恐ろしくなる境界線。

 何か世界の温度そのものが変わってしまうような、強い忌避感を感じさせる防衛ライン。
 進まなければ、ほむらに近寄ることはできない。

 少女の鼓動が激しく彼女を責めたてる。

 自然と息が浅く、早いものになっていく。
 友達を見殺しにするの? 心配じゃないの? 友達は助けなきゃ。

 彼女の心が責めたてる。
 十四歳の少女が背負うには重すぎるものを、背負えに行けと急き立てる。

 あるいはここに立っていたのが美樹さやかであれば、何にもとらわれずただ感情のままに駆け寄れたのかもしれない。

 あるいはあそこに倒れているのが美樹さやかであったのならば、まどかもただ感情のままに走り寄ることが出来たのかもしれない。

 だが、彼女にとっての暁美ほむらは、まだ慣れないだけど大事な新しいお友達、
それ以上には踏み込めないちょっと心配な子、という程度なのだ。

 だから躊躇してしまう。戸惑ってしまう。困ってしまう。


 それなのに、だというのに、意を決して一歩踏み込む。
 その瞬間、まどかの皮膚に触れる空気が変わる。

 頬を撫でる風はドロリとした感触と共に得体のしれない恐怖を突き付ける。
 何もいないはずの場所に何かがいるような気さえしてくる。

 一線を越えた先で見える景色は、これまでと違いまどかに現実を突きつける。
 始めの違和感は臭いだった。

 湿り気を帯びた鉄とでも表現するべき微かな臭いが鼻腔に侵入する。
 一歩進めば進むだけ嗅覚に生々しい感覚を突き立てられる。

 ドロリとした肉のような生臭さ、濁った果物のようなきつく酸い臭い。

(血の臭い、……)

 誤魔化しようのないほどハッキリとした質感を突き付けるそれを認識した瞬間、まどかの認識力が正しい機能を再開させた。
 瞬間、視界の中央には血と切断面と肉と骨が拡大されたようにこびりつく。
 理解する。暁美ほむらは左腕を切断されているのだ、と。

 断面はきれいだ。
 血が溢れてる、関節からすっぱり落とされてるみたいだった。
 ピンク色の筋肉の実物なんて初めて見た。骨って本当に白いんだ。黄ばんだりしてるのかと思ってた。


 涙を抑えるために噛みしめていた奥歯の奥から吐瀉物がせり上がるのを感じとり、
何とかこらえようと試みるも堪え方もよくわからずに涙と一緒に胃の中身を窪んだ路面にぶちまける。

 びちゃびちゃびちゃ、と耳障りな水音を立てて対して膨れてもいない胃の中が空っぽになっていく。

「ぐげぇ、ぅぐ。かはっ、ごほっ。うぅ、ぅぅ」

 自分が吐き出した胃液の酸い臭いがまどかの気持ちを一層曇らせ、あっという間に目元にクマを作り上げる。

(ほむら、ちゃん……)

 よろよろと、ふらつきながらも立ち上がり、左手の腹で口元を拭って再度歩き始める。

「まどか、大丈夫かい? あまり無理はしないほうがいいんじゃないかい?」

「あなたがそれを言うの? 私をこんなところに連れてきておいて、ダメそうなら帰ったほうがいい、なんて、酷いよ……」

 足元はふらついているまどかは、だけれどどこか芯を取り戻した様子でほむらに近づいていく。
 受け入れて、迷いのなくなった足取りは先程までよりも幾分か軽い。

 血だまりに靴底をつけてほむらへと近づく。
 しおらしい真っ白のハイソックスには跳ねた血痕が付着して斑な染みを刻み付ける。
 血だまりの真ん中でしゃがみこみ、膝やスカートに血が付くのすら気にした様子を見せずにほむらの体に手のひらをくっつける。

「ダメ、全然わかんないよ。キュゥべえ、ほむらちゃんは助かる?」

「血が流れすぎてるよ、呼吸もしていないみたいだしね」

 頭を横に振って、見込みがないことを即答し、二の句を続ける。

「でも君なら彼女を助けられる。辛うじて息があるとはいえ彼女は死んでいるも同然だ。
だけど君なら、君の力なら最大の禁忌すらも覆せるかもしれない」

 まどかの表情がこれまで以上に、濃く、深く、陰る。

(ほむらちゃんは、知ってたのかな。自分がこんなになるかもしれないって。
きっと、そうだよね。知ってて一人で戦ってたんだよね。
だからきっとこんなになっても、反対するんだろうな)

「ごめんね。キュゥべえ、わたし、私、契約するよ。ほむらちゃんを、助けて」

 鹿目まどかという小さな器から、魂が抽出され、凝縮される。
 魂がその密度を上げて世界へ干渉する力を濃く、強いものへと変えていく。

 桃色の柱が雲を貫き、空の向こうへ穴を穿つ。

 神にも届きうる可能性の一端が小さな命を助けるという近似値に収束していく。
 慈愛の女神が流した涙はたった一粒だけだ。だけれども、たったそれだけで十二分。



 歴代最高の資質を持った魔女見習いが舞い降りる。


 魔法少女、鹿目まどか。


★◎


 キリカの爪がマミの体を切り裂くために振り下ろされる。

「あら、随分とゆっくりになっちゃったわね。そんなんじゃ百年たっても届かないわよ?」

 逆に持ったマスケット銃を合わせるように振り上げて、キリカの爪をマミが粉砕してしまう。

「ぅぁ、は、ぁ」

「あらあら、もう腕がダメになっちゃてたのね。まぁでもよく頑張ったほうよね。ほめてあげるわよ?」

「うれしくない、ねっ。それに、腕が上がらないからと言ってぇ、戦えないわけじゃないってぇのをぉ教えてあげなきゃねぇ」

「そんな強がり、楽しくもなんともないわよ。おとなしく寝てなさい」

 目の前の相手に対して完全に興味の失せた声色を突き付る。あまりにも無機なその音圧は潜在的な恐怖心を急き立て引きずり回す。

 マミはキリカを一瞥すると無防備にも背中を晒して体を回転させる。
 既に気力も体力も魔力も底をついているキリカには目の前で背中を晒しているマミに攻撃することもままならない。

 彼女はそれをわかったうえで敢えてそういう行動に出る。
 つまりは、呉キリカの心を完全に潰しにかかっているわけだ。
 お前は足掻くことさえ許されない無力でちっぽけな虫けらだと、言外に突きつける。

 たっぷりと遠心力を蓄えたマミの回し蹴りがキリカのあばら骨を砕き、なおかつ真横に吹き飛ばす。
 土煙を上げてキリカの体が瓦礫の山へと突っ込み、その姿を見失わせる。


「さて、と。それじゃあ、さくっと砕かせてもらってもいいかしら?」

 織莉子の操る全ての水晶球は、既に叩き伏せられ、砕け散っている。
 最早逆転の一手は残されていない。ただ一欠けらの水晶の破片が手のひらの中に突き刺さっているのみである。

 一歩、マミが織莉子へと近づく。
 ライフリングマスケットを織莉子へと突きつけ穏やかに微笑みながら問いかける。

「今際の言葉か、もしくは命乞いくらいなら聞いてあげてもいいわよ?」

 直後、織莉子の視界に奇妙なものが映り込む。

(ピンクの柱?)

 織莉子の視線が自分から逸れたことに疑問を感じたマミが、追いかけるように後ろを振り向く。

「あなたは、後回し」

 一言だけ告げて、織莉子の前から一歩で遠ざかっていく。
 喘ぎ、織莉子は上を向いてへたり込む。

(チャンスは、一度。追いかけなきゃ。追いかけて気づかれないようにギリギリまで息をひそめるのよ)

 這うように立ち上がり、千鳥足でマミの後を追いかける。





「御機嫌よう、お久しぶりね。えぇと、まどかちゃん?」

 余裕綽々にマミは笑顔で問いかける。
 まどかは何も答えずに深く淵を覗き込むような視線をマミに傾ける。

「あら怖い。そんな目で睨まないでほしいわ」

 軽く笑い、銃口を突き付ける。
 応じるように、弓を引き絞りピントを合わせる。

「あなたですか?」

 小さく、消え入りそうに呟かれたその言葉は、だというのに圧倒的な質感を湛えてマミへと届く。

「何のことかしら? 主語がないとよくわからないわね」

 どこ吹く風と煽るようにマミが問い返す。
 ひどく攻撃的な苛立ちがまどかの中に募り、抑えきれずに表層へと押し出されていく。

 彼女は自分がこんな感情を抱くことが出来る人間だなんて考えたこともなかった。
 そう、まどかにとってそれは初めての感覚だった。

 恨みつらみとも、不利益を被せられた悲しみとも、何もできない無力感とも違う。
 理不尽や利己的な行動に対して反射的に渦巻く怒りとも違う。

 明確で明瞭なハッキリと分かりやすい他人に対しての攻撃性。
 冷徹な芯が声色に宿る。

「あなたがほむらちゃんをあんなに傷つけたんですか?」

「あぁ、彼女は強かったわよ。でも、私にその牙は届かなかったけれど」

 決定的な一言をマミが告げる。


 弓鳴りが静寂を塗りたくる。
 桃色の閃光がマミを射抜くために噴き出した。

 マミは紙一重で体を翻して直撃を避ける。
 攻勢は一撃で止まるはずもなく、桃色の流星が降り注ぐ。
 ただの一言たりとも言葉を発さずに、直立した状態から弦を引き、矢を放つ。

 まるで何年も、何十年もそうやって生きてきたのだと錯覚させるほど洗練されて自然な動きだ。
 繰り返し、繰り返し。狙いをつけて矢を放つ。
 戦場が静かに揺蕩う。

 まどかの持つ圧倒的な才能が戦いの音を塗りつぶし、静寂だけを作り出す。

(なんて、正確で鋭いのかしら。密度も桁外れ、おまけに魔力追尾による補正までついてるわね。よもやこれほどとは思わなかったわ)

 粛々とマミを睨み、狙いをつけて弓を引く。
 迷いなく、一部の隙も容赦もない。

 その弓は相手を殺すために引き絞られて、その矢は相手を射殺すために射出される。
 少女の本来持っていた才能が、資質が、何よりその強さが、彼女を飲み込んで深淵へと引きずり落とす。

 相手を狙い打ちながら、まどかは相手に自分を重ねる。
 こちらの攻撃を紙一重で躱し続けながら、虎視眈眈と反撃の機会を作ろうとしているマミの姿は、どこからどう見ても自分そのものだ。

 まどかはすとんと納得する。


(ほむらちゃんの言っていた意味って、こういうことだったんだね……)

 極端な話をしてしまえば今のまどかには目に映る気に入らないもの全てを破壊してしまえる力がある。
 それは恐ろしいことだ。

 力そのものには善悪はなく、使い方によって決定される。
 だが、彼女にはとても、そんなことを信じることが出来ない。

(質とか量とか、良いとか悪いとかじゃなくって、ただあるだけで傷つける。
例えそれが傷つけるためものじゃなかっとしても……。
像が蟻さんに鼻を差し出したところで蟻さんにはそれが友好的なものなのか好戦的なものなのか、
区別がつけられらない。それとおんなじ)

 目の前の人にしたって、きっと何か理由があってああなったのだろう。
 と、まどかは考える。考えながらも引き絞った弓を下ろすことはせず、番えては放ち、また番えては放つ。

 どんな理由があったところで、それは彼女が止まる理由にならない。

(でもたぶん、私はほむらちゃんよりも、あの人に近い)

 傷ついたほむらの姿と、笑うほむらの姿が浮かんで溶けて、混ざり合う。
 一筋の弾丸がまどかの頬へと傷をつける。マミの反撃が始まった。

 まどかは切れた頬に一瞬だけ意識を向け、構わずに弓を引き続ける。

(例えそれが間違いだとわかっていても、正しい道と天秤にかけてでも、選んだ以上は止まらない。止まりたくない)

 腕に、横腹に、太ももに、腰に、弓に、銃弾が掠る。
 気にも留めずにまどかは射続ける。

(誰に分かってもらう必要もない。ただ、決めた道を最後まで進む。その先が絶望しかないとしても……)

 だんだんと、銃弾のブレは少なくなる。その分だけまどかの体には傷が増えていく。

(でも、ね。私たちみたいな化け物は、この世界に、必要ない……、)

 まどかの矢が、マミの銃弾が、互いのソウルジェムの芯を捉える。






 パッ、リンッ!





 開けた距離で、二人は同時に地面へと倒れ込む。
 まどかのソウルジェムは完全に砕け、その衣装を見滝原の制服のものへと解きほぐす。

 マミは、魔法少女の衣装のままでピクリとも動かない。
 風が壊れた街並みを撫でる。

 時間はゆっくりと、とけるように流れていく。
 たっぷり五分の時間をかけて、ピクリっ、とマミの腕が動き、よろけながら立ち上がった。

「間一髪って、ところね。まさか五重に重ねたジェム用の結界を御釈迦にされるとは思わなかったわ」


 胸を撫で下ろすマミの側頭部へと、薄いキラメキをまとった流星が落ちる。
 ギョッとしたマミは、反応できず弾かれたようにもう一度地面へと崩れ落ちた。

 ソウルジェムは確かに砕け、マミの衣装も見滝原の制服へと還る。

「終わっ、た?」

 仰向けに倒れ込んだ織莉子は半笑いで雲一つない青空を望む。


 ep.



 決着から、八時間後。
 病院の一室で暁美ほむらは目を覚ました。


「起きましたね?」

 ぼんやりと焦点の定まらないほむらに、美国織莉子は声をかける。

「あなた、そう。戦いは終わったのね。あなたが生きているということは、勝ったのよね?」

 問いかけながら、ほむらは無意識に『左手』を動かす。
 動いた、ということに疑問を感じ、流れるように記憶がフラッシュバックしていく。
 ほむらが左腕をベッドの中から抜き出してみれば、失くしたはずのそれはきれいに繋がっている。

 一体、どういうことだろう、と考えて。
 一つの可能性に顔が蒼くなる。

「教えて」

 体中の外傷も内傷もきれいさっぱりと消えてなくなっている自分の体をベッドから起こして、威圧するような声色を絞り出す。
 穏やかに頷いた織莉子はゆっくりと口を開き、ことの顛末を伝える。

 予知によれば重症のキリカは明日早朝目覚めるということ。
 マミのソウルジェムは自分が間違いなく砕いたということ。

 助けがなければなせなかったということ。
 助けに現れた魔法少女が、桃色の可憐な少女だったということ。
 弓を武器に持ったその少女はマミと相打ちになり、ソウルジェムを砕かれて死亡したということ。

 そして、自分が気づいたときにはほむらの傷が治っていたということ。

「まどか……、」

 ほむらは、また救えなかったという事実を突き付けられる。また命を救われたことを突き付けられる。
 繰り返し、失敗すればその分だけほむらがまどかを想う理由が増えていく。一方的に溜まっていく。
 頬に自然と涙が伝う。

「あなたは、これからどうするのですか?」

 この先のことを織莉子が問いかける。
 ほむらは首を横に振って、短く告げる。

「もう一度、」

 沈黙が、さざ波のように寄せて返す。

「聞かせてくれませんか? 貴女の話を」

「そうね、偶にはいいかしら」

 あまりにも儚く笑い、ほむらの話が始まった。


 それは、あまりにも長い話だった。

 彼女の歩んだ過酷な道のりは、だけれど未だにテープを切らない。

 だれも救えず、だれも救われない。挑んだ分だけ敗れ、その分だけ傷をため込む。そんな話だった。


 日が傾いたころ、少女の話はようやく終わり、彼女はすくりと立ち上がる。

「行くのですか?」

「えぇ、少しすっきりしたわ。ありがとう」

「その前に一つだけ提案があります」

 その言葉に疑問を感じつつも、ほむらは先を促した。
 内容を聞き、一度だけ問い返す。

 友達に見せるような笑顔で一言告げた。

「そうね。お願いするわ」

 そういって頷いた少女の笑顔はとても柔らかく、温かい。


 十分後、ほむらは魔法少女へと変身して盾を回す。
 時間の流れに逆らって彼女の姿がすとんと消えた。


 ほむらの姿が消えると同時に病室の扉が静かに開かれる。
 何も言わず、沈んだ様子で入室するのは、美樹さやかと志筑仁美だった。

 織莉子は座ったままで首だけを動かして二人を見る。
 少女の持っている水晶の中には暁美ほむらの記憶が渦巻く。

「御機嫌よう。暁美さんならもう行ってしまわれましたよ。ただ、言付を頼まれましたので、お茶でもどうですか?」

 柔らかく微笑む少女の姿はまるで昔に戻ったようだった。

The end.

>>22

「貴方がシテキタことを考えれば無理もないことです。
しかし、私は考えました。貴方という人物こそ私が手を組むのに相応しい、と」

「へぇ、何か企んでいるのね」

「企んでいるだなんて、そんなこと……。
私の救世を成し遂げるためには貴方の力が必要であると、ただそれだけのことです。
私は私の目的に対して手段を選ぶつもりはありませんから」

「救世? えっ、この世界って破滅するの? それっていつかしら? 私そんなこと全然知らなかったわ」

「そうでしょうとも、でもそれは後三週間足らずで確実に訪れます。
それを止めるために力を借りたい、そう言っているのです」

 世界を救う。
 それはなんと甘美な響きだろう。

 人に到達出来うる最高の名誉、そんな分かりやすい餌を前に少女はわらう。
 薄く唇を開き犬歯を見せるように。

「凄いわね。なんて素敵なことかしら。私の力が認められちゃった。
うん、そうねぇ。もちろん答えは、『ノー』だわ」

 即座にマスケット銃を召喚して弾丸を放つ。
 穢れ無き少女は目を閉じ、望む。

 弾丸は黒の少女によって防がれる。正面から飛来した銃弾を両手の爪でたやすく切り裂く。
 座りきった左目が『お前を殺す』と、そう宣言していた。

「一応、聞いておきますね。『何故』?」

 何者にも染まらない白は吐き捨てるように問いかける。

「それは貴女達が魔法少女だから!」

 彼女にとってそれは決まりきった答えだった。
 少女が選ぶのはいつだって一つ、いつだって絶対。

「織莉子に銃を向けた罪は死で償ってもらうよ」

 爪が跳び出し、水晶が追従する。
 黄色の少女は後方へと大きくジャンプし、距離を取り弾をばら撒く。

 一人は微笑み、二人は嗤った。
 暗闇には狂人だけが映し出される。


>>44




 その少女は魔女を追いかけて、隣町から魔境と呼ばれている地、見滝原へと足を踏み入れてしまった。

 それに気がついたのは偶然だった。
 魔女の結界が大型のバスターミナルなんて場所に入り口を開いていなければそんなことに気がついたりはしなかっただろう。

 魔法少女を続けていれば嫌でも縄張り争いに関わってしまうときは来る。
 そんなとき、この少女は決まって知らなかったと言って、戦いになる前にさっさと逃げだしていた。

 無駄な争いは体力と魔力をいたずらに消費するだけだと思っていたからだ。

 だが、そんなことを繰り返していれば同業者の中で悪評を受けるのは当然の帰結と言えるだろう。
 そんないきさつで、最終的には徒党を組んだ魔法少女の一団に縄張りにしていた街を追い出される羽目になったわけだが、
当の少女は大して気にした様子もなく、あちらこちらの街を転々と放浪することに決めたようだった。

 一つ所に固執しなければ争いに巻き込まれることも対して気にならず、のらりくらりとその日暮らしで生き抜いていける。

 そんな彼女でさえ、一ヵ所だけ決して近寄らないと心に決めた場所がある。
 それが、見滝原市だ。

 風の噂によれば、この一年以内でその地に足を踏み入れた魔法少女は誰一人帰ってくることはなかったらしい。

 何があるのかは定かではないが、何かがあるのは確かだった。少なくとも少女はそういう風に考えていた。
 だから、何があるのか分からないその場所を危険地帯とみなして近づこうとはしなかったのだ。

 だけれど、今回は結構と切羽詰った状況に陥ってしまい、仕方なしに魔女を探してあちらへこちらへ、と。
 気がつけば見滝原の街に足を踏み入れてしまっていたという次第である。

 そして、魔女旱で困っていたところに強力な魔女がお出ましになり、切羽詰った状況での消耗戦へと突入してしまう。

 大きな魔法を使うことは出来ない。
 かといって小技では魔女への致命傷を与えられない。
 生か死か、極限の二択は、諦めるかギリギリまで濁る覚悟で仕留めるか。

 しかし、少女がどちらかを選ぶことは結局のところ出来はしなかった。

 なぜならば、少女の決死の選択よりも、魔女の挙動の方が数段上だったからに他ならない。

 あぁ、もう死んだかな、と彼女は楽観的に死を受け入れた。
 もともと、有って無いような命。

 キュゥべえと契約して全てを失くした憐れ者、そう思えば何の感慨もない。
 彼女にとってもはや生きることは惰性だったのだろう。

 うつろう末路に目を閉じて、死を望む。
 それは絶望にも似た達観だった。

 さぁ、一思いに殺してくれ。そう願う彼女だったが、一向に体を貫く衝撃や痛みは訪れない。
 その代りに、渇いた砲音が二度、残響した。


>>47




「こんにちわ」

「美国織莉子ッ!」

「私の織莉子を気安く呼ぶんじゃないッ!」

「あらあら、おっかない人ね。でも、分かっているんでしょう? アレを乗り越えるには私たちと手を組むしかないってことくらい」

「ッ! えぇ、そうね。その通りだわ。でも、いいのかしら? 全てが終わった後に私はあなた達を殺すわよ。間違いなく、何があっても」

「私とキリカの命は始めから掛け金としているわ。たった二つぽっきりの命で私の救世が成せるのならば、それは悪くないと思わない?」

「えぇ、分かっていたわよ。あなた達ってそういう奴らよね。もう、三度目だもの」

「キミは何を言ってる? 私たちはついこの間会ったばかりだろ?」

「そうね、こっちの話よ。忘れて」

「深く、詮索は致しません。だけれど、私だって少しくらいなら『知っています』よ?」

「そうね、それは私もよく知っているわ。だからこそ、一切容赦をするつもりはない」

「織莉子に対してのその不遜、今回は大目に見るけど、次の時は私だって容赦しない」

「ありがとう、キリカ。つまり、ワルプルギスの夜を越えたらその時点で同盟は破棄。お互いに殺し合いの腹積もり、ということでお間違いないですか?」

「あなたにその気があるのならば、といったところかしらね。それに、間違いなく向こうは襲ってくるわよ」

「えぇ、それはもう百も承知です」

「だったらいいわ。それとこれ、手向けにあなた達に分けてあげる」

「これ、は――――、資料ですね。それもワルプルギスの」

「そうよ、有用でしょう? 私の経験の結晶よ」

「なるほど、あなたは何度も戦っている、ということですか。何にしても、あなたの旅も、私の救世も『ここ』が終着点になります」

「期待しているわ」

「こちらも、です」


>>50

「あれ? 誰か、戦っているのかしら。こっそり入って見学してみようかな」

 半開きになっている鏡の扉をするりとすり抜けて内部へと侵入していく。

 最深部にいたのは牛頭の姿をして巨大な斧(刃の中央部分に美しい玉石を湛えている)のような本体を振り回す魔女と、
赤毛をポニーテールにまとめ、ドレス風の衣装に身を包んだ槍を振るう少女だった。

 赤毛の少女の名は佐倉杏子。
 何時かの未来で暁美ほむらと共闘し、美樹さやかと深くかかわることになりえた存在だ。

「あれは、なかなか強力な魔法ね。でも、使いこなせて、ない?」

 軽やかに飛び回りながら、魔女を追いつめていく佐倉杏子。その様子を眺めながら巴マミは考える。
 赤毛の少女の体が揺らめき、消える。そして、そこから遠くない位置にふっと姿を現し、槍を振るう。

 時には魔女の攻撃をかわすために身を眩ませ、時には距離を調節するために位置を誤認させ、
時には攻撃を確実に当てるためにタイミングをずらして防御の隙をつく。

 マミの目を通して映る杏子の魔法はあまりに杜撰に思えた。
 フワリ、と空間に魔力が浸透する。

 直後俄かには信じがたいことに、赤毛の少女の姿が重なり、二つに増える。

「幻惑の魔法よね?」

 遠巻きに眺めていたマミはその正体を看破した。
 そして、同時に酷い初見殺しだ、とも思った。

 そう、杜撰ではあるが初見殺しとしてはなかなかに有用だ、と。
 斧の魔女が大きく揺らめき、杏子の体を両断する。


>>64

「ソウルジェムとは即ち君たちの魂そのものだ。
君たちは生命が維持できなくなると精神まで消失してしまう。
そうならないように君たちの魂をソウルジェムという形に実体化してあげているんだ。
そうすれば手に持って自分のことを守れるからね。これはより安全に魔女と戦ってもらうための措置でもあるんだ」

「ふぅん。そんな風に言うのね。そもそもに私たちを魔女にするのが目的なんでしょう? だったら、そんな言い訳をする必要もないと思うのだけど」

「だけど僕たちは君たちの願いをなんでも一つ初めに叶えているじゃないか。それが君たちが魔女になることの対価だとは受け取ってくれないのかい?」

「えぇ、確かに、叶えたい望みは確かに叶っているわ。だけれどね、私の場合はどうなのかしら」

「どういう意味だい? 君の命を助けてほしいって願いは確かに叶ったじゃないか。現にこうして生きて成長して僕と会話をしている」

「魔力を使って体を治すことが出来る。
それはつまり、体から魂が切り離されているからそういうことに違和感が無くなっているってことじゃないのかしら?」

「その辺りは難しいところだろうね。個人差による、としか言えないと思うよ」

「そうね、じゃあ聞き方を変えましょうか。
あの時点でならば私は魔法少女になりさえすれば私の命を自力で助けることも容易かった、違うかしら?」

 マミの問いにキュゥべえは沈黙を通した。

「つまり、どんな願いをしていようと私は助かることが出来ていた。
つまり、正常な判断が出来ない状態の時に無理やり契約したともいえるわよね」

「それでも、それを君が願ったことには違いないだろう?」

「そ、うね。その通りだわ」

 そこで、言葉は途切れる。

 マミには分からなかった。
 キュゥべえが何を考えてこんなことをしているのか、が。
 何がしたくて、こんな悪夢みたいなシステムを作り出したのか、が。

「でも、私にはもうあなたを許す理由がないみたい。ごめんね、優しい私のパートナー、さん」

 渇いた銃声が小さな肉を貫通し、霧に小さな穴を穿った。
 弾けた肉からは血すら出ず、それが正しい生き物の形であるのかどうかさえ不透明に思えるほどだ。

 頬へと涙が伝う。匂いとひんやりとした感触がマミに対して自分が泣いているということを主張するようだった。
 小さな棘がめくれ上がる。めくれ上がったそれはずきりと小さくない痛みを訴え、心を侵食する。

(私、私って、こんなことが出来るんだ。出来て、しまうんだ。
知らなかった、知らなかったわ。きっと今なら、どこまでも残酷になれる……)



>>67

(ロッソ・ファンタズマ。やっぱり佐倉さんなのね……。大丈夫ちゃんと助けてあげる、から)

 魔女の巨体が動くよりも素早くマミの体が大きく後ろへと跳ぶ。
 対複数での近距離戦闘はよほどの力の差がなければ成り立たない。

 そして何よりマミは銃とリボンを中核に据えての中距離戦が最も得意であり最大の力を発揮できる戦闘領域だ。
 ザァッと、スカートの裾をはためかせ、その内側から銃を召喚し、地へと突き立てる。

「魔女さん、魔女さん。私と一緒に踊りましょう?」

 突き立てるように三匹の魔女に銃口を突き立て、引き金を引く。
 闘争者の本能。戦いの才能。彼女の中で噛み合ってはいけない歯車が噛み合いだす。
 ギシギシ、ギチギチと錆びついて眠っていたはずの狂暴な領域がゆっくりと油を得たように回りだしていく。

 足を使い、リボンを回し、空間を広く使って動き回る。
 無数の長銃を広範囲にばら撒き、どこへと動いても次の攻撃へと繋がるようにと配置していく。

 魔女の結界の中に自身の戦闘領域を構築する。
 戦いながら戦うための、勝つための、相手を殺すための陣を敷いていく。

 三体の魔女は動きも素早く力も強い。
 その上、槍捌きも見事なもので時折、鎖分胴のような使い魔を投げつけてきさえする。

 だが、マミは。巴マミの動きは徐々にその猛攻の全てを凌駕しはじめる。
 軋みを立てていた歯車にゆっくりと油がなじんでいく。
 戦って、殺して、生き残る。

 不利な状況で如何にして生き残る術を探るか。如何にして自分の有利な勝負の土俵に上げさせるか。

 逃げないためには何をしたらいいのか。
 脅威、危機、窮地。それを前に一歩踏みとどまって、前に出るために必要なもの。

 勇気、死ぬ覚悟。
 勇気、生き残るために必要なもの。

 一つづつ学んで、一歩づつ歩んだ。
 少女の足跡が、軌跡が、少女の本能を、才能を後押ししてしまう。

 それは、恐らく禁忌の領域。類い稀にみる猟奇の空想。

(佐倉さん、やっぱりあなたってとっても強かったのね。でも大丈夫、ちゃんと私が助けてあげられる、から)


>>79




 物語のカギを握る少女は、未だ何も知らずに学校の体育館に家族そろって避難していた。
 そこには、彼女の大事な家族がいて、親友たちがいる。

 何も知らず、外の様子を頻りに気にして、そして一人の少女を気に掛ける。

「ほむらちゃんはちゃんと非難出来たのかな?」

「あたしも気になって見回ってみたけどさ、ここには来てないっぽいんだよね。学区内なら間違いなくここが避難場所だよね?」

「心配、だよね。でも、心臓の病気で入院してたって言ってたし、病院のほうに行ってるって可能性もあるよね」

「あぁ、そっか。あんまり元気なんですっかり忘れてたわ、その設定」

「設定って。それにほら、仁美ちゃんみたいに家の地下にシェルターがあったり、なかったり、ってことも?」

「いやー、流石にそれはないっしょ。だって一人暮らしって言ってたじゃん。
流石にそんなとこに住まわせる親はいないでしょ? いや、いないよね?」

「う、うーん。もしかしたらママはそのほうがいいっていうかも?」

「おいおい、何の話だ?」

「あ、どもっすまどかのママさん」

「おう、朝っぱらからこの子が付き合わせちゃって悪いね」

「いえいえ、そんなことないです。むしろあたしも落ち着かなくて起きちゃったくちで、まどかと話しできて助かってるくらいです!」

「はは、さやかちゃんらしいね。そんじゃ二人とも、そろそろご飯食べられるみたいだよ。まぁ、つってもコッペパンと水道水だけどさ」

「そういえばお腹が空いてた」

「あたしも、あたしも!」

「んじゃ、先行ってるから、ゆっくりきなー」

「ほーら、まどか! あたしも先行ってるよ!」

「待ってよー!」

 鹿目詢子と美樹さやかは足早に階段の踊り場を下り、扉の向こうに姿を隠す。
 そして、二人を追いかけて鹿目まどかが扉に手をかけたその瞬間。きらりと赤目が反射する。
 不思議に思った少女はゆっくりと振り向く。それは、単なる好奇心だったのかもしれない。

 だけれど、それは破滅への第一歩でしかなかった。

「ようやく、ここまで来れたよ。こんにちは、鹿目まどか」

二、三日したら依頼出してきます


こういう風に壊れるマミさんの話はありうるだろうと思っていたけど
とある台詞が俺の脳内妄想と一致してて吹いたわww

ラスボスマミさんか
これくらい壊れた方が本人にはストレスは溜まらなかったかな?
乙でした。

乙でした
最後の提案はいったい……

○○色の少女みたいな表現が多すぎてなんかムズムズする

>>135
やったぜ!

一致していたセリフはべぇさんへの奴じゃなかろうか

>>136
ストレスが溜まらない≠幸せである
というのが辛いところかもしれない

分かりづれーかもしれないけど、戦いは楽しめても殺しは楽しめない、そんな感じ

>>137
さてはて、一体何だったんでしょうね?
あれやこれやと考えていただければ、


>>138
それも一つの目的ですゆえ
加えてそれ以外にもわけのわからん比喩とかありますですし

さて、それじゃあ依頼出してきますかね

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