ネトウヨ「オランダ人はチョン!ダッチワイフ!」 (1)

戦後長らく反日感情は残り、1971年(昭和46年)に昭和天皇がオランダ訪問した際には
街中に「裕仁は犯罪者」という落書きが見られ、卵や魔法瓶が投げつけられ手植え苗を
引き抜かれるという嫌がらせがあった[13]。1986年(昭和61年)にはベアトリクス女王の
訪日計画がオランダ国内世論の反発を受けて中止された。1989年(平成元年)の昭和
天皇の大喪の礼の際も、多くの君主国が王族を派遣したものの、オランダからは王族が
葬儀に参列することはなかった。

1991年(平成3年)に来日した女王は、宮中晩餐会で「日本のオランダ人捕虜問題は、
お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と、この間の事情の一端について触れた。
同年、海部俊樹首相がオランダ訪問した際には、戦没者慰霊碑に捧げた花輪が池に
投げ捨てられており、いかに反日感情が根強かったかが窺える。しかしその後、終戦後
50年にあたる1995年(平成7年)に出された村山談話をきっかけに「平和友好交流計画」
が決められ、アジア女性基金による償い事業などの実施により、オランダ国民の対日感情も
和らいだ。日蘭交流400周年を記念して、2000年(平成12年)に今上天皇が訪問した際には、
オランダのテレビ番組で献花の様子が放映され、昭和天皇の訪問のときとは打って変わって
熱烈な歓迎を受けた。

ただ、2007年(平成19年)にはオランダ議会下院で、日本政府に対し「慰安婦」問題で
元慰安婦への謝罪と補償などを求める慰安婦問題謝罪要求決議がなされた。2008年
(平成20年)に訪日したマキシム・フェルハーヘン外相は、「法的には解決済みだが、
被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。オランダ議会・政府は
日本当局に追加的な意思表示を求める」と述べた。

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