奈緒「今宵」凛「月が見えずとも」 (40)
初めて会ったときの印象は、そんなに良くなかったんだ。
でも気がついたら、あいつのことをずっと目で追っているあたしがいて。
多分、初恋だった。
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改札を出ると、秋の冷たい風があたしの頬を撫でた。
さむ……と呟きながら、マフラーを巻き直した。
コードが引っ張られて外れたイヤホンから漏れるのは、車内でずっとループ再生していた、君の知らない物語。
歌詞につられて空を見上げたけど、千葉の夜空は厚い雲に覆われて、星を見ることはできなかった。
「……ま、晴れても夏の大三角は見えないだろうけど」
季節によって見える星が違うのだと、何かのアニメで見た記憶がある。
iPodをループ再生からランダムに切り替えて、オリオンをなぞるを選んだ。
湿っぽい曲を聴くと、あいつの顔が脳裏にちらついてしまいそうだ。
無音の帰り道も歩いていてもあいつのことばかり考えてしまいそうで、BPMに急かされるようにあたしは駆け出していた。
……今夜もきっと、あいつはあの人と幸せな時間を過ごすのだろう。
そんなこと思い出さなくてもいいように、今夜はアニメを観たらさっさと寝てしまいたかった。
次の日の朝。
電車の中で居眠りをしながら、今日も音楽の波に身を委ねる。
蒼穹のサビで意識が覚醒するとちょうど乗り換えの駅で、あたしは慌ててホームに飛び出た。
twitterに晒されるかなあ、と一瞬思ったけれど、今は仕事場に向かうのが先だった。
東京駅を経由して事務所の最寄り駅を出ると、シンデレラガールのポスターがあたしを出迎えた。
彼女自身初となる、年明けからのソロツアーを告知する広告。
どうせ本人も見るだろうし、すぐに会うことになるのだけれど、とりあえず写メを撮っておく。
画面越しに、澄まし顔で笑う彼女と目が合った。なるほど、ポスター盗む輩が出るわけだ……と寝ぼけた頭で感心する。
「……ちょっと、奈緒?」
どんな喧騒の中だって聞き分けられる、透き通るような声。
後ろを振り返ると、彼女はポスターとは違い、何か複雑そうな表情をしていた。
「なにしてるの」
「いや、せっかくだしさ。LINEに流しとこうかなって」
「やめてよ、恥ずかしい……ここに貼るなんて、聞いてなかったんだから」
「この分だと、事務所にも貼ってあるんじゃないか? 大変だな、シンデレラは」
「別にポスターはいいんだけど、こうやって身内に冷やかされるのはちょっとね……」
別に冷やかすつもりは無いんだけど……と言いかけて、言葉を選びなおす。
「似合ってると思うけどな、白いドレス。あーあ、あたしも着たかったなあ」
「ありがと。奈緒ならきっと、すぐに着れるでしょ」
目を合わせて、気恥ずかしくなってすぐに逸らした。
あの瞳は好きだけど、見つめられると段々言葉が喉から出てこなくなるから、得意ではない。
「まだ言ってなかったね。おはよう、奈緒」
「おはよ、凛。立ち話もなんだし、さっさと事務所行こうぜ」
ちゃんと、友人らしく会話できていただろうか。
事務所に着くまでずっと、あたしは気付かれないように、凛の横顔を横目で追っていた。
渋谷凛。
プロデューサーが育て上げた最初のアイドルにして、三代目シンデレラガール。
事務所の看板娘。トライアドプリムスのセンター。
プロデューサーが異性として意識してる女の子。
プロデューサーに恋をしている女の子。
あたしの、初恋の人。
最初は、なにかの勘違いだろうと思っていた。
あたしもいつか、少女漫画みたいな恋愛をするのだろうと、漠然と思っていたから。
だけど胸の中の気持ちに気づいたら、後はもう、落ちていくだけだった。
たぶんきっと、許されない恋。
伝えたら壊れてしまうだろう、淡い関係性。
最近は、たまに観ていた百合アニメも見ないようになっていた。
現実はあんな風に、女の子がみんな百合属性ってことが無いってことを、あたしは知ってるから。
あたし自身、はじめから叶う恋だとは思っていなかったんだ。
それは、あたし達の性別のことはもちろんだし、アイドル同士ってこともあるんだけど。
一番のネックになっていたのは、凛があたし以外の人に恋をしている、ということだった。
それも、向こうは向こうで凛のことを好きな上に、アニメの主人公か、ってくらい優秀ときてる。
……勝ち目はない。
あたしが自分の恋心に気づく頃には、シンデレラも魔法使いも王子様も、配役が決まった後だった。
だからあたしは、この気持ちを抑えこんで、屋根裏のネズミでいることを選んだんだ。
それで、全部丸く収まるはずだったんだ。
ベッドに沈んで、雨が窓を叩くビートの代わりに、仮歌が入った新曲のデモを身体に染み付かせる。
また、恋の歌だ。アイドルは、恋の歌を歌うべきなんて決まりでもあるのだろうか。
デビュー曲を渡された時は、プロデューサーさんからの嫌がらせか何かと勘ぐったものだ。
最近はアニソンも歌わせてもらっているから、恋心に気づかれてるということはないはずだけど……
今度の曲は叶わない恋の歌だから、どうしても凛の存在を意識してしまっていた。
スマホが震えた。LINEを確認すると、凛から「今通話してもいい?」のメッセージ。
深呼吸して、思考を落ち着かせる。
余計なことを言ってしまわないように、あたしは通話ボタンを押した。
「……もしもし、凛?」
「……うん……」
電話越しに、すすり泣く声。
あたしはしばらくの間、黙ってその音を聴き続けていた。
聞かなくても、泣いている理由はなんとなく分かった。
凛がこんな風に、あたしに対して弱いところを見せるのは、あの人関連で何かあった時だけだった。
「……いつもごめん、奈緒」
「気にすんなって。それで? 喧嘩でもしたか?」
「うん……加蓮がね。今日、プロデューサーにすごく近くてさ……私、彼女でもないのになんだかイラッてして……」
加蓮があの人に好意を抱いていることは、あたし達の間では公然の秘密だった。
「私が加蓮に、そういうのやめてよって言ったら、『だって、つき合っているわけでもないんでしょ? 私がアプローチかけて何が悪いの?』って……気がついたら私、加蓮の頬叩いててさ。ケンカしてたら、プロデューサーが騒ぎに気づいて入ってきて……」
理由が理由だ、あの人に詳しく話すことはお互い躊躇われたらしい。
「頭冷やせって、怒られちゃった……電話かけても出てくれないし……私、どうしたらいいんだろ……」
振っちまえよ、そんな男……喉まで出かけた言葉を飲み込んで、足りない脳みそをフル回転させる。
あの人と凛の関係が壊れるなら、つけ込む余地は出てくる。
凛の悩みがあたしのおかげで改善されるなら、それはそれで、凛の好感度は上がってくれる。
あたしがこうして凛の相談に乗っているのは、もちろん、凛の味方として手助けをしたい、という気持ちもあったけれど。
そんな打算や下心で動いているのもまた、事実だった。
「加蓮の気持ちも、あたしはなんとなく分かるかな。自分の気持ち伝えてもはぐらかされて、ちゃんと失恋させてもらえないって言ってたし」
あの人にはあの人の事情があるんだろう。
凛のアイドルとしての活動に支障が出ないように、とか。加蓮がアイドルを辞めないように、とか。
プロデューサーとしてはともかく、男としてはどうかと思うし、加蓮がそういう行動に出るのも分かる。
凛は傷ついているわけだし、加蓮もやりすぎだとは思うけど。
あたし自身、二人の曖昧な態度にイライラしているのは事実なのだ。
「もう、記者会見でも開いたらどうだ? 凛のファンなら、ちゃんと納得してくれるだろ」
「でも……私もやっぱり、まだ高校生だしさ。恋愛関係になるのは、アイドルとしてはよくないと思うし……」
結局、そこに落ち着くことになるのだ。
その考えが凛自身を悩ませている原因だってことに、気づいてないわけでもないだろうに。
あの人と凛の煮え切らない態度が、あたしにとってはたまらなく不愉快だった。
何が「凛は俺のモノってわけじゃないから」だ。
現場で俳優が凛にナンパしてる時、露骨にイライラしてるくせに。
何が「私達は付き合ってるわけじゃないから」だ。
夜はいつもあの人と通話してるから、こっちから連絡とれないし。
たまに電話かけてきたかと思えば、相談という名の惚気を聞かせてくるくせに。
アイドルとプロデューサーの関係だし、まだ凛は高校生だから。
時が来るまでは、お互い自重していよう……そんなことを言われたと、凛は言っていた。
でも……なら、だったら、アタシはなんだ?
世間から見れば、アタシの想いの方がよっぽど、受け入れられないモノだっていうのに。
あの二人はそんな理由で、その気になればアタシが割って入れるんじゃないか、なんて錯覚に陥るほど、表向きは清潔な関係なままでいるんだ。
ひどく、惨めな気分だった。
もしも、プロデューサーがどうしようもなく嫌な奴だったなら。
あたしは何も悩まずに凛を奪ってしまえたかもしれない。
でも、いくらもしもの話をしたって、現実は変わらない。
あたしは魔法少女でも、リーディングシュタイナーでもないから。
砂時計と一緒に、落ちていくことしかできないんだ。
トライアドプリムスのプロデューサーは、それなりに優秀だったのだ。
あたしが好きな彼女を、シンデレラガールにしてしまうほどに。
あたしを、凛の隣で歌えるようにしてくれるほどに。
現実は、アニメのように都合よくはできていない。
あたしが主人公の物語じゃないから……ってのも、原因かもしれない。
百合アニメのように、世界の女の子が皆、同性を好きになるなんてこと、ない。
そんなのは、分かってたことだった。
それから数日。
凛と加蓮は表面上、休戦状態になっているらしかった。
ただ、あの人と凛の間にはまだ若干のわだかまりがあるらしく。
会話や凛の動きがぎこちないモノであることは、誰の目にも明らかだった。
「……大丈夫か? ちゃんと寝れてる?」
「うん……最近は、あんまり」
怖い夢を見るのだ、と凛は言う。
独りになる夢。気が付くと、隣にも後ろにも、誰もいない夢。
気分転換に、どこかに寄って帰ろう。
あたしの提案に、凛は黙って頷いてついてきた。
カラオケって雰囲気でもなかったし、落ち着いた雰囲気の喫茶店に入って、コーヒーとケーキを注文する。
「……なんで私、15歳なんだろうね」
コーヒーカップを握って俯いたまま、凛はそう呟いた。
「同い年なら……せめて大学生とかなら、こんな気持ちにならなくて済んだのかな」
「……凛が今の年齢だから、あの人がスカウトして、惹かれ合うようになったってこともあるだろ」
「それでも、だよ。アイドルとして出会わなければ、障害の一つは無くなるんだし」
大学生になった凛の姿を想像してみる。
……とっても美人で、あの人に出会ってしまえば結局、アイドルになるんじゃないかと思う。
あたしからすれば、きっと高嶺の花のように見えるだろう。
「あんまり悲しいこと、言うなよな。凛とユニット組めてるの、結構嬉しいんだから」
「あ……ごめん。トライアドが嫌ってわけじゃ、ないんだけど……」
非常に癪ではあるけれど。
あの人にスカウトされたおかげで、あたしと凛は出会った。
運命……なんて言わないけど、そのこと自体は、感謝しているのだ。
たとえ、凛と出会わなければ、この苦しみを味わうこともなかったのだとしても。
「凛はホラ、もともと大人っぽい雰囲気だしさ。無理に背伸びしようとしないで、ゆっくり大人になればいいんじゃないか?」
「でも……どう頑張っても、あの人の年齢には追いつけないし」
「アニメの受け売りだけど、男はいつまでも子どもらしいしさ。凛が20歳とかになれば、歳の差もそんな気にならないだろ」
「そう、かな」
「凛は絶対美人になるって。そしたら他の男が放っとかないから、あの人だって焦って覚悟決めるんじゃないか?」
あの人もあの人だ。凛がこんなに悩んでるのに、放置してなにやってんだか。
「ありがとう、奈緒。私、もう少し頑張ってみるよ」
すっかり日も暮れた、木枯らしの吹く夜道。
「どうしても、あの人を待つのが辛かったらさ」
「うん?」
寒さで、脳みそが熱を求めていたのかもしれない。
あたしに背中を向けた凛に、気がつけば話しかけていた。
「あたしと付き合っちまえよ、凛。あの人よりも凛のこと、多分大事にするし」
冗談を装った、軽い牽制のつもりだった。
さっさと別れてしまえって、心の底ではずっと思ってた。
そんな自分が嫌だったから、あたしも曖昧でいたかったんだ。
「……やさしいね、奈緒は」
泣き腫らした目で、そう言って笑う凛の姿を見て。
あたしは衝動的に、彼女の華奢な体を抱きしめていた。
「……奈緒……?」
「ごめん、凛……」
そんな顔を見て想いを隠していられるほど、あたしはまだ、大人じゃなかった。
「迷惑なのは分かってる。凛があの人のことを好きなのも知ってる。でも……あたし、凛のこと……本当に、好きなんだ」
分かってたんだ。あたしの感情は、普通の15歳の女の子が受け入れるには、重すぎるってこと。
でも……少しだけ、期待してしまっていた。
もしかしたら、凛なら。
あたしのことを受け入れてくれて、しかも誰のものでもない凛が、あたしに傾いてくれて。
全部、あたしの都合のいいように回るんじゃないかって。
……そんなわけはない。現実は、あたしが主人公でもヒロインでもないことを突きつける。
凛がシンデレラで、あの人が魔法使い兼、王子様。
あたしは、凛への想いを隠してそばにいる、ネズミでしかない。
いっそ、凛が全てを拒絶してくれたなら、あたしはそれで納得ができたのに。
「ごめん、奈緒」
凛はどこまでも、あたしが好きになった、強い女の子だったんだ。
「奈緒のことは好きだし、そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも、多分私の好きは奈緒のとは違うものだし……プロデューサー以上の好きは、奈緒にはあげられないと思う」
彼女の優しさはきっと、あたしの思い上がりへの報いだった。
……心が手に入らないなら、身体だけでも奪ってしまおうか。
全てを飲み込むような綺麗な髪。
吸い込まれそうになる蒼い瞳、長い睫毛、少し薄い唇、髪に隠れた項。
歌声を響かせる喉、鎖骨、しっかりと主張をする胸、引き締まったお腹。
なだらかなヒップライン、そして芸術品のようなスラっと伸びた脚。
プロデューサーが「自分のモノではない」と言う以上、まだ誰のものでもないのなら。
……いいじゃないか。
どうせ最後にはあたしのモノではなくなるのなら、「初めて」になってしまったって。
「……な、お……?」
……膨れ上がった感情は、凛が小刻みに震えていることに気づいた瞬間、急速に萎んでいった。
あたしが何よりも好きだったのは、凛の心だったのに。
その心に嫌われてまで、その他全部を手に入れて、いったい何になるっていうんだ。
ひどく、情けなくなった。
「……ごめんな、凛。迷惑かけて」
体をそっと離す。冷たい空気が、あたしにまとわりついた。
「迷惑だなんて、そんな……好きって言ってくれるのは、嬉しかったし」
「うん……」
「明日からも、一緒に仕事頑張ろうよ。加蓮と三人で、遊びに行ったりさ」
このまま……凛の優しさに、甘えてしまおうか。
そんな考えを振り払って、あたしは笑った。
「また明日、奈緒」
「……ああ、また明日」
ちゃんと、笑えてたかな、あたし。
凛とあの人の関係が、いつ進展されるかも分からない。
トップアイドルでもあり、多感な時期でもある、彼女。
そんな凛を好きであり続けることで、これ以上の負担を凛にかけるのが、あたしは嫌だった。
でも、この想いを捨て去ることなんて、今はまだできそうになくて。
このままじゃいつかまた、凛に想いをぶつけてしまう。
あたしは、彼女の味方でいたかった。
でも……「凛とあの人」の味方でいることは、どうしてもできそうになかった。
その結果、あたしの感情がいつか、凛を敵に回す結果になるのだとしたら。
あたしにできることは、本格的に凛に嫌われてしまう前に、彼女から離れることぐらいしか、なかった。
どうしようもない、分かりきっていた結末。
幼い頃読んだシンデレラの絵本。
そのハッピーエンドの最後のページに、ネズミの姿はなかった。
あなたと結ばれることが叶わないのなら。
せめて、屋根裏の中、あなたへの恋心の隣で眠らせて。
あなたの幸せを願いながら。
今夜もネズミは、舞踏会であなたと踊る歪んだ夢を見る。
……あれから、三ヶ月になる。
あたしが事務所を辞めたことを除き、世界は今まで通りに回っていた。
加蓮の話では、凛とあの人は相変わらず、曖昧な関係のまま惚気続けているらしい。
無理やりキスぐらいしとけばよかったかな、なんて時々思う。
だってこれじゃあ、何のためにあたしが凛への、加蓮があの人への想いを押し殺してたのか分からない。
ランダム再生にしたiPodから、流れてきたのは桜流し。
今度の桜が散るのを、あたしは誰と一緒に見るんだろうな。
もう、二度と会えないのかもしれない。
どんな顔をして会って、何から伝えればいいのかも分からない。
でも、春になって、もしもあたしの壊れた感情を、落ち着かせることができたなら。
その時は、あの子に会いに行きたい。ありがとうを伝えに。ごめんねって、謝りに。
葉が散った桜並木の下で。
落ち葉と一緒に、この初恋も静かに消え去ってしまうことを、夜空に願った。
君が、ここにいないとしても。
今宵、月が見えずとも。
<おわり>
初めて書いたモバマスSSがこんなのでごめんなさい
百合期待してた人ごめんなさい
長編書ける人すごいなって思いました
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