命蓮寺退場の事(828)


霊夢「あいつら、一体どういうつもり!?」

霊夢「今日という今日は徹底的に問い詰めてやる!」


怒りによりやや興奮気味になっていた霊夢の足は、一つの場所を目指していた
爆発しそうなほど逸る心を何とか収めることが出来ていたのは、まだそれを発散すべき時と場所を得ていないからだ


霊夢「毎日毎日そこら中でフワフワぷかぷか……目障りったらありゃしないわ!」

霊夢「何を企んでるのか、今日こそ突き止めてやるわ!」


何ヶ月か前に夜空のみを選んで飛んでいた聖輦船は、今現在、夜も昼もなく好き放題飛び回っている
異変と見れば解決せずにはいられない霊夢にしてみれば、そこで為すべきことはただ一つしかない


……だが未だに聖輦船は度々空中に現れる
それは聖輦船の存在が既に霊夢の能力を越えていることを意味していた


霊夢「幻じゃないのよね……ちゃんと見えてるし」


実は霊夢以外の何名かもこの聖輦船に接触しようとした
しかし霊夢と同じくして、それを成し遂げられることはなかった

姿は見えていても、誰もその実体に辿り着くことはない
その事実が霊夢に異変の大きさを自覚させていた
故に真相の究明は博麗の巫女として差し迫った急務であった


霊夢「今日はまだ空に現れていない……多分、こっちに戻って来ているはず!」

ガサッ…

霊夢「もうすぐ見えてくるはずなんだけど……あったあった!」


見覚えのある石段を駆け上がって、霊夢はようやくその場所に辿り着く


霊夢「……え?」


石段を登り切った霊夢は呆気に取られた


霊夢「無い! まさか、またどこかに飛び立った?」キョロキョロ


石畳、石灯篭、そして平地に打ち付けられた基礎
多くの設置物が、そこに確かに命蓮寺が存在していたことを証明していた
しかし肝心の寺そのものが消失している

こちらの動向を察知して先手を打たれたのだろうか


霊夢「いや、違うわね……」


寺があったはずの場所を見て、霊夢なりに命蓮寺の意図を推測する


霊夢「もうこんなに雑草が生えてきてる……これは一日や二日じゃない」

霊夢「かなり前からずっと野晒しだったみたいね。おそらく一ヶ月は戻って来ていない」

霊夢「どういうつもり? ここにはもう戻って来る気がないのかしら?」

霊夢「!……あれは……」


すぐ近くに、それまでは無かったはずのものを発見した


霊夢「これは、石碑……?」


元は寺のあった場所の中心に、よく磨かれた岩の断面が現れていた
そして、そこには何やら複雑な文字が記されている


霊夢「…………」


霊夢はその文字を読み解こうとした
しかしその文字は大昔の古語を用いたものらしく、霊夢には読むことができなかった


霊夢「何て書いてあるの? これ」


それがおおよそどれほど昔の時代の文字であるか、霊夢は探ろうとした
大昔といっても文明発祥以前のものではないらしい
見覚えのある形がいくつか認められることから、これが現在の知識でも充分解読可能なものであることは理解した

だがその時には既に、霊夢は石碑に対する興味が失せていた


霊夢「よく分かんないけど、商売敵が一つ消えたってことね」


命蓮寺が何を目論んでいたはさておき、この幻想郷から退場するらしいということだけは分かった
そして幻想郷に対する影響力を手放すならば、それは大した異変ではないということ
それさえ分かってしまえば、もはや命蓮寺のことなど気にかける理由は何一つ残らない


霊夢「何であんなヘンテコな字で書いたのかしら?」

霊夢「……ま、今更どうでもいいけど」


あの石碑の文字だけは不可解であった
あれが命蓮寺の残した最後のメッセージであるならば、なぜわざわざ現代用の文字を避けて読みにくい古語を使ったのか
伝えるつもりがあるならば、分かりやすくするのが当然のはずなのに、あの石碑は敢えてその手順を外した
その意図は霊夢には全く理解できなかったし、元より興味もなかった


その後、命蓮寺の敷地を訪れる参拝客に多少の困惑はあったものの、すぐにその戸惑いは落ち着いていった
石碑に興味を持った者も何人かはいたものの、結局のところ真剣に解読しようとする者は現れなかった

人々は命蓮寺が現れる前の古来よりの信仰に帰って行き、もう誰も敷地を訪ねなくなっていった
やがて命蓮寺という存在すら忘れ去られ、時折空に現れる聖輦船が元は寺であったことも人々の記憶から消えていった



~聖輦船~


ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン…


一輪「聖様」

聖「はい?」

一輪「今この船はどこへ向かっているのでしょうか? 紅魔館ではないようですが……」

聖「……」

一輪「もしや、もう行き先が見つかったのでしょうか??」

聖「いいえ、まだ外の世界への出口が見つかったわけではありません」

聖「そこへ行く前に、済ませておかねばならないことがあるのです」

一輪「?」


聖「……時に一輪」

一輪「はい?」

聖「あなたは酒を呑むことが大変好きでしたね」

聖「私が与えた禁酒の戒を保つことには、あなたも相当に難儀したことでしょう」

一輪「は、はい」

聖「しかしもうそれは必要なくなりました」

一輪「……は?」

聖「一輪、たった今を以ってあなたに科した禁を解きます。もはや罰を恐れなくともよろしい」

一輪「そ、それは……どういうことですか!?」


聖「何も慌てることはありませんよ。これは罠や引っ掛けで言っているのではありません」

聖「もちろん、仏法の師として弟子であるあなたを見捨てることなどあろうはずもない」

一輪「……」

聖「一輪、あなたは今までよくこの戒を保ちましたね。まことに見事でした」

聖「これからは自分の思う通り、好きなだけ呑んでよろしい。この私が保証します」

一輪「はぁ……しかし、あまり大っぴらに酒を煽るのは、仏言に反することになるのでは?」

聖「一輪よ、あなたは星ばかりが自由に呑んでいるのを見て納得できずにいたことは知っています」

聖「また、そのことに深々なる理由があると慮って何も言わずにいたことも知っています」

聖「その上でこのように申しているのです」

一輪「……」


聖「今こそあなたの疑問に答えましょう」

聖「”酒を飲んではいけない””酒を飲んでもよろしい”この二つの言葉は同時に成り立つものであり、仏の意思に逆らうものではないのです」

一輪「えっ??」

聖「そもそも禁酒の戒などというものは、どのような経文にも存在しませんからね」

一輪「!?」

聖「御仏ではなく、私が駄目だと決めたことなのですよ」

一輪「……」

聖「その理由もここでお伝えしましょう」


聖「一輪、あなたは元々、酒によって身の破滅を招く因を持っていました」

聖「あなたは過去において、飲酒が元で事故死してしまったことがあるのです」

一輪「!?!」

聖「出会った頃から、あなたには酒を飲ませてはいけないと何となしに感じてはいましたが、ようやく合点がいきました」

一輪「ちょっとお待ちください!」

聖「はい」

一輪「じ、事故死したとは如何なることにございますか!?」

一輪「私は、この通り生きているではありませんか!」

聖「ええ、過去と言ってもかなり昔の話です。何しろ、あなたが生まれるより前の話になりますからね」

一輪「生まれる前って……」


聖「その辺りは今強いて詳しく聞かせる必要もないでしょう。凡夫は過去世など知らない方が良いのですから」

一輪「…………」

聖「ともあれ、今日はめでたい解禁の日です」

聖「これは私からのささやかなお祝いの印です。どうぞお受け取りなさい」スッ


ズンッ…!!

大吟醸『大宝』


まるで手品のように、聖は大きな酒樽を取り出して見せた
甲板を軋ませるほどの酒樽を前にして、聖は告げる


聖「では私は勤行を済ませて参ります。もしよろしければ明朝にでも『大宝』の味わいについてお聞かせ頂きたいと思います」


聖「くれぐれも申し上げますが、既にあなたの戒めは解かれています」

聖「一晩でその酒樽どころか、全宇宙の酒という酒を飲み干してしまったとしても、私は決してあなたを咎めたりはしませんからね」

一輪「……」


聖が去った後、一輪はしばらく考え込んでから動く


一輪「……取りあえず、呑んでみようかしらね」


一輪が少し探すと、側面に蛇口と器が括り付けられていることに気が付いた
あまりにも用意が行き届いていることに再び罠の可能性を疑うが、聖に逆らうことを恐れてその疑いを捨てる


コポコポコポ…


一輪「……」クイッ






一輪「―――――!!」




それこそまさに天下一品と言うべき一杯であった
前祝の際に頂戴した『明鏡止水』とは比べ物にならない

味わいに底知れぬ深みを持ちながら、第一等の酒とも言えない
なぜならば、その味わいは一輪の舌の要求をも超えているからだ


”このような味が欲しい”

”このような香りを楽しみたい”

”このような酔い心地を味わいたい”

常日頃からそうやって夢想していた理想の酒すら飛び越えている
その一杯から受ける衝撃によって、一輪は今まで自分がどんな酒を呑みたかったのか全く分からなくなってしまった

白玉楼の酒が何千年ものなのかは知らないが、この酒には到底敵うはずがない
命を賭けてもそうであると言い切れるほどに『大宝』は驚愕の一語に値する代物であった


一輪「…………」


~後日~


一輪「……」

聖「いかがでしたか?」

一輪「こ、これは聖様! おはようございます」ササッ

聖「……」スッ

聖「おや、あまり呑まなかったようですね」

一輪「は、はい」

聖「酒はもうよいのですか?」

一輪「はぁ、そのことなのですが……」


一輪「心ここにあらずと言うことでしょうか。他のことを考えておりまして、酒に集中することができないのです」

一輪「どんな時でも、酒を呑み始めると他のことは綺麗さっぱり忘れてしまうものだったのですが……」

聖「……」

一輪「こんなことは今まで無かったことです」

一輪「もちろん!この酒の味が劣るというわけでは絶対にありません!」

一輪「そればかりかこの酒は、間違いなく宇宙一の逸品にございます! しかし……一体どうしたものでしょうか」

聖「何も不思議に思うことではありませんよ、一輪」

聖「如何に甘美な上等酒なれども、もはやあなたを酔わすことはできない」

聖「なぜならば、あなたはそれより遥かに優れる甘露を既に知っているのです」

一輪「……!」


聖「もうあなたが飲酒の快楽に囚われていないことが明らかであったために、私は戒律を解いたのですよ」

聖「一輪、あなたは自分では気が付いていなくとも、着実に成長しているのです」

聖「一見違いなど無いように見えても、師からすれば弟子の変化は全て分かってしまう。それが師と言うものです」

一輪「お、恐れ入ります……ところで」

聖「はい」

一輪「この『大宝』は……まこと、尋常ならざる味わいにございました」

一輪「一口含んだだけで、自分の中の何かが呼び覚まされる衝撃を受けました」

一輪「まるで今の今まで、自分は眠りこけていたのではないか……そのような動揺すらあったのです」

聖「……」


一輪「まさにこれこそ一等酒の中の一等酒。超級と呼ぶにふさわしい代物にございます」

一輪「かような酒は例え天界であろうとも、見つけ出すことは困難を極めましょう」

一輪「どうかお聞かせ願いたい。『大宝』は、一体どのようにして入手されたものなのですか?」

聖「……そうですね。確かにあなたの言う通り、この酒は宇宙の端から端まで探したとしても、決して見つけられるものではありません」

聖「しかしながら、手に入れることはさほど難しくはなかったとも言えます」

一輪「??」

聖「今この船はその酒の元を辿っているのです。おそらく昼までに到着するでしょう」

聖「一輪、あなたにも覚えがあるはずです」

一輪「……えっ??」


聖「この『大宝』は、あなたが戒律を乗り越えた時のために用意したもの」

聖「実に千年もの昔に、あらかじめ私が造っておいたものなのです」

一輪「!?」

聖「またその材料は、その土地に在ったものだけを用いています」

一輪「それは……」

聖「あなたの生まれ故郷ですよ」

一輪「!!」

聖「外へと赴く前に、あなたもお別れの挨拶を済ませておきなさい」

聖「心残りのまま旅立っては、胸のつかえも取れないでしょう」

一輪「はっ!」


聖「……とは言え、その場所も既に山と森で覆われてしまっているでしょう」

聖「仮に結界の覆いを外したとしても、やはりあなたの知っていた故郷とは異なるもの」

聖「何しろ、千年も昔のことですからね」

一輪「……」

聖「しかし心細く思うことはありませんよ」

聖「あなたが大切に思っているものは、何一つ欠けることなくあなたの中に息づいています」

聖「ただ、目に見える形が変わっているだけなのです」

一輪「……はい!」

聖「さあ参りましょう」


それからしばらくして、聖輦船は停止し宙に留まった
そこはやはり山と森ばかりの風景が続くだけの場所であった

一輪は心静かに、そっと手を合わせる


一輪「どうか、どうかご安心ください……」

一輪「散々不孝を続けて参りましたが、何と有り難きお導きでしょうか。私もこのように仕えるべき師を得ました」

一輪「世界中のどこへお連れしても胸を張れる、まこと尊きお方です」

一輪「どうか、ご安心を……」


そして大地を見下ろしながら、一輪はかつての故郷に持てる限りの供物を施す


―――ガコッ


ザァァ…


『大宝』は宙に舞い、大自然の中に散っていった









~天界~


天子「あれは……まさか光音天様!?」

天子「!!  今度は福生天様まで……!」


計り知れない大きさで全身は光り輝いている
天人たちよりもはるかに高い場所から降りてくるその姿は、彼らを魂を震わせた

雲の無い処に居するとされる梵天たちの姿は、たとえ天人たちでも滅多にお目にかかることはない
そのため不意に起きたこの慶事により天界はお祭り騒ぎになっていた


天子「凄い……こんなの見たことない……」


一人現れるだけで大騒ぎになる梵天が、もう立て続けに六人も降りて来ている
その度に天人たちは歓声を上げて梵天をお迎えする
しかしいずれの梵天たちも雲上には留まらずそのまま地上へと降りて行ってしまうので、すぐその喜びは嘆息に変わってしまう

天人たちは何とか梵天たちに雲に留まってもらおうと大急ぎで歓迎の支度をしていた
数百の伎楽を打ち鳴らし、色とりどりの花弁を処狭しと降らせ、選りすぐりの天女たちはあらん限りの敬愛を込めて舞う
もはや予定されていた祭事宴会は当然のごとく取り止めとなり、そのことに頭を煩わせる者は一人もいなかった

しかしそれでも天界人の想いは届かず、梵天たちはこの雲上を素通りして行ってしまう
そうかと思うとすぐ地上から天上へ昇って行き、また元の無雲界にお帰りになられる


天子「一体、地上で何が起きているの……」


地上の様子を探ろうとする者はあったが、梵天の放つ光に目を眩まされてしまい、遠見の技も役に立たない
恐れ多くも梵天たちがお通りになった場所をまさか踏みつけにするわけにも行かず、地上へ降りようとする者もいない
そういうことを一番やりそうで、実際前科もある天子は、既に眷属に捕縛されてしまい身動きが取れない
地上での異変が歪んだ形で天界に伝わったのは、それからかなり時間が経った後のことだった

実はこの時、梵天以外の者たちも地上へ降りて行ったのだが、天人たちはそれを気に留めるどころか気付くことさえなかった


~紅魔館~


レミリア「最近急に減ったわね」

パチュリー「何が?」

レミリア「あいつらよ、あいつら」

パチュリー「それなら最近じゃないわよ。ここ一ヶ月ぐらい前から少しずつ減っていたわ」

レミリア「知ってたなら早く言いなさいよ」

パチュリー「別に言う必要もないでしょ? どうせ分かってることなんだから」

レミリア「……まあね」

パチュリー「それよりあなたの方はいいの? まるで準備しているように見えないけど」


レミリア「あら、私は一番大事な仕事をしていたのよ? もうほとんど終わってるから、することなんか何も残ってないわ」

レミリア「むしろ今頃準備を始めるなんて乗り遅れもいい所だわ」

パチュリー「ふぅん」

レミリア「それより全部いなくなっちゃったらさすがに困るわね……どれぐらい残りそう?」

パチュリー「素質によりけりだけど、十も残っていればいい方ね」

レミリア「そんなにたくさんはいらないわよ」

パチュリー「ま、実際はほとんど残らないでしょうけど」

レミリア「……ふふん。今度ばかりは期待できそうね」ニヤッ

レミリア「こんなチャンス、滅多に得られるものではないわ。この際今までの付けを一遍に返してもらおうじゃない」

パチュリー「……せいぜい油断しないようにね」


十六夜咲夜「お嬢様、客人が参りました」


レミリア「あら、意外と早かったわね。そのまま通しなさい」

咲夜「畏まりました」


出迎えに応じ現れたのは命蓮寺一行
響子よりもやかましい新入りの泣き叫びが、その来訪をレミリアに告げる


オギャア…  オギャア…  オギャア…


レミリア「ご機嫌よう命蓮寺。お加減は如何かしら?」

聖「何とか生き延びております。ご覧の通り、子どもも五体満足で授かることができました」

レミリア「そいつがねぇ……パチュリー」

パチュリー「子どもをこちらへ」

響子「は、はい」


促された響子は赤子を抱えたまま側に寄る
万が一にも落としたりしてはならないという緊張が、逸る気持ちを抑えるその足取りからも察することができる
さらに他の者たちも響子に続く


パチュリー「これが哺乳器具で、これがお乳」

響子「はい、はい……」

パチュリー「雑菌を防ぐために、必ず飲ませる前に高温にして消毒すること」カチャ…

村紗「……」

一輪「ふーむ……」

パチュリー「もちろん器具の方も忘れずに。消毒の最低基準は―――」

小傘「??」


レミリア「鼠と奇術師、それと妖精の姿が見えないわね」

聖「彼女たちは私から離れて行きました」

レミリア「あらそうなの。ま、身軽な方が動きやすいでしょうし、悪いことばっかりじゃないと思うわよ?」

聖「ええ……ところで、本当にお礼はいいのでしょうか?」

レミリア「いらないわよ。ちゃんと別の所から回収するつもりだから」

聖「そうですか? 私の腕一本ぐらいなら、差し上げても構わないのですが……」

レミリア「ただの肉の塊なんてもらったてもしょうがないでしょ」

レミリア「第一、あなたの肉は私にとっては猛毒なのよ」

聖「そうですか……しかし、何らかの形でお礼致しませんと……」チラッ

レミリア「……」



一輪「もうちょっと! もうちょっと寄せて!」

響子「うーん、おっかしいなぁ」

パチュリー「角度が全然違うわよ」

村紗「そうです。実際の授乳というのはもっとこう……」

小傘「これ、いつまで支えてればいいんですかぁ?」ググッ…


聖「このままでは、あの子にも親として範を示すことができません」

聖「どうか、お考え直しを」

レミリア「……やれやれ、お礼をしたくて頭下げるヤツは初めてだわ」


レミリアがもたれかかると、年代物の椅子が軋む


レミリア「咲夜」

咲夜「はい」

レミリア「あなたこの間、猫の手も借りたいほど忙しいって言ってたでしょう?」

咲夜「…………いえ? 覚えがございません」

レミリア「あら?言ってなかったかしら? 三百年ぐらい前に」

咲夜「その頃でしたら、まだ私はお嬢様にお仕えしておりませんので……」

レミリア「じゃあパチュリーだったかしら?……まあいいわ、どっちにしろ人手は多いに越したことはないのでしょう?」

咲夜「ええ、そうですね」

レミリア「じゃあ客人たちに仕事を手伝わせなさい」

咲夜「は?」


レミリア「それなりにやる気はあるみたいだし、妖精よりは役に立つでしょ?」

聖「よろしくお願い致します」ペコッ

咲夜「は、はぁ……」


紅魔館当主の命により、響子以外の命蓮寺の面々は屋敷内の掃除に駆けずり回ることになった
聖は使用人の衣装に嬉々として着替え、弟子たちもそれに従った


キュッキュッキュッ…


聖「ふう、だいぶ綺麗になりましたね」

聖「……しかし、見れば見るほど珍しいものばかり」

聖「まさに異国情緒あふれるとはこのこと。外の世界にはこういうものがたくさんあるのかしら?」

小傘「聖様~」

聖「おや、どうしました?」

小傘「もう掃除が全然終わりません。このお屋敷、大き過ぎて……」

聖「……」

小傘「これじゃ百年経っても終わりませんよー」


聖「ふむ、できる所だけで良いとは言われましたが、ちょっとあれを試してみましょう」

小傘「?」

聖「小傘、ちょっとメイド長にお伺いを立てて欲しいことがあるのですが……」

小傘「はぁ」


~少女交渉中~


小傘「……と、言うことです」

咲夜「お嬢様は信用できると仰っているから許可は出す。しかし……」

小傘「?」


咲夜「そんなこと、本当にできるのかしら?」

小傘「さぁ……」

咲夜「まあいいわ。やれるものであればやってみなさい」

小傘「はーい」


~少女伝令中~


小傘「いいそうでーす」

聖「分かりました。では……」スッ





翌朝、紅魔館は隅々まで掃除され、塵一つ、垢の一欠片も残されていなかった
設備の一つ一つが細部に至るまで磨き上げられ、艶を甦らせた調度品の数々は新品同様の輝きを取り戻していた
律儀に屋敷内のみを掃除してしまったため、返って外装や外庭の汚れが目立ってしまうほどであった


咲夜「これは……」

聖「ひとまず中は綺麗になったと思うのですが、外の方も掃除させた方がよろしかったでしょうか?」

咲夜「……いえ、そんなことより」

聖「?」

咲夜「あれだけの人数、あなた一体どうやって連れて来たの?」

咲夜「あらかじめ許可があったとはいえ、パチュリー様の結界に誰一人引っ掛からなかったなんて……」


聖「あの結界は本来、邪なる者を見つけるためにあるものですからね」

聖「彼らが素通りできたことも、ご当主様におかれては何ら不思議なことではないのでしょう」

咲夜「……」

パチュリー「咲夜、もうあなたは持ち場に戻りなさい」

咲夜「パチュリー様……畏まりました」スッ

聖「おはようございます。パチュリー様」サッ


習ったばかりの様式でパチュリーに挨拶する聖
到底使用人らしからぬその堂々とした立ち居振る舞いに、パチュリーは思わず苦笑する


聖「……申し訳ございません。どこか無礼をしていましたでしょうか?」


パチュリー「いいえ、そうじゃないわ。ちゃんと教わった通りにできてたわ」

パチュリー「ただ、似合わないなぁと思ってね」

聖「はぁ」

パチュリー「もう掃除はいいわ。これ以上続けたら咲夜の仕事が無くなっちゃうもの」

聖「畏まりました」ペコッ

パチュリー「その使用人風の演技も終わりにしていいわ」

パチュリー「そろそろその衣装も変えた方が良くてよ。魔法を使えば一瞬でしょう?」

聖「そうですか……では」

パン!


聖が両手を叩くと一瞬で元の出で立ちに戻り、纏めた髪が下ろされる


パチュリー「うん、やっぱりあなたはその姿の方が似合ってるわね」

聖「結構楽しかったので、私としてはもう少し続けてみたかったんですけどね」

パチュリー「人にはそれぞれ役割というものがある。あなたにはもう不要よ」

聖「そうですか」

パチュリー「……ところで、このおかしな気配はやっぱりあなたによるものなのかしら?」

聖「?」

パチュリー「邪悪な雰囲気ではないけれど、何か、山脈とか大河のような巨大なマナのようなものを感じるのよ」

パチュリー「でもこの計測器は何の反応も示さない。もちろん、地形が変動したわけでもないし……」

聖「あ、そういえば彼らを戻すのを忘れていました」

聖「もういいですよ。無雲界にお帰りなさい」


パチュリー「…………?」


聖「失礼しました。要らぬ誤解を生む所でしたね」

パチュリー「気配が消えた……今のは??」

聖「あれは一応、先日掃除を手伝った者たちの上位に当たる存在だったのですが……やはり役には立ちませんでした」

聖「どうも梵天たちは図体ばかり大きくて、物に触れたりはできないようでして」

パチュリー「梵天……まさか、天上界の存在を呼び出したって言うの?」

聖「はい。ですが使いこなすならば、程々に下位の者たちの方が扱いやすいようです」

聖「上位の者になればなるほど、物質的な世界から離れてしまうようですから。姿もほとんど見えませんし……」

パチュリー「……」

聖「やはり下働きをさせるなら、忉利三十三天ぐらいが丁度良いようですね」

パチュリー「……それって、どうやってるのかしら?」


聖「私もついこの間できるようになったのですが、でもコツを掴めば簡単ですよ?」

聖「まず天界の頃合の良さそうな力を持ってる者を選んで……」

パチュリー「……」

聖「うん、これぐらいが分かりやすくていいですね。後は強めに想念を送るだけです」

聖「現れよ、旋行天」


―――ドォォン!!


パチュリー「!?」

旋行天「お呼びでしょうか」


聖「見栄を張りたい気持ちは分からないでもありませんが、もっと静かに降りて来なさい」

聖「ご覧なさい、パチュリーさんが驚かれてしまったではありませんか」

旋行天「申し訳ございません」

聖「あ、試しに呼んでみただけなので特に用事はありません。もう帰っていいですよ」

旋行天「は!」ササッ


ズワァッ…


命じられるまま旋行天の姿は霧散した
パチュリーはその様子を合点がいったという面持ちで眺めていた


聖「難しいのは、このように簡単なことをさせるにも一々細かく指示しなければならないことでしょうか」

聖「天界にも癖の強いのが揃っていますからね。なかなか星のようには参りません」

パチュリー「……やはり、あなたは”魔法使い”なのね」

聖「えっ?……そうですね、パチュリーさんと同じですね」

パチュリー「いいえ、違うわ」

聖「?」

パチュリー「魔法使いというものは、本来そんな簡単になれるものじゃないのよ」

パチュリー「今でこそ猫も杓子も魔法使いになる時代だけど、でもあいつらが魔法を使いこなしているとは言いがたいわ」

聖「……と言うと?」


パチュリー「魔法使いになる方法は元々一つしかなかったのよ。でも今は私を入れて三つも選択肢がある」

パチュリー「今流行りの連中はその中で一番簡単な方法ね」

聖「どうするのでしょう」

パチュリー「博霊大結界、あなたもこの名前は聞き覚えがあるでしょう?」

聖「はい」

パチュリー「あの結界には隠された機能がいろいろとあってね……実は魔法使いになるための方途も、その奥に用意されているのよ」

聖「何と! では、それを使えば皆等しく魔法を使えるようになるのですね?」

パチュリー「その通りよ。ただし……」

聖「何かあるのでしょうか?」


パチュリー「結界を張った賢者だって、そんな酔狂なことを考えてるわけじゃない」

パチュリー「容易に魔法使いになる代償として、あるものを捧げる必要があるのよ」

聖「代償、ですか?」

パチュリー「そう。もっとも、華美な魔法に憧れる程度の無知が躊躇うものではないのだけどね」

聖「……」

パチュリー「連中はそれを捧げることで、幻想郷の持つ膨大な魔力を、割り当て分だけ引き出して振るうことができる」

パチュリー「博霊大結界はそのための仲介手段なのよ」

聖「なるほど……ではパチュリーさんは?」

パチュリー「私は……私はその仲介手段ってのが、どうも虫が好かなくってね」

パチュリー「私はややイリーガルな手段で魔法使いになったのよ」

聖「イリーガル?」


パチュリー「結界を仲介して魔法を扱えるようになる……」

パチュリー「今の時代はそれが普通なのだけど、でも私はその仲介を通さず、直接この幻想郷から魔力を取り込んでいるのよ」

聖「本当ですか!? それは凄い発明ではありませんか!」

パチュリー「……けれども、仲介役の立場としては、自分を無視して素通りされるのは当然面白くない」

聖「……」

パチュリー「だから私は埃っぽい所は苦手なのよ」

聖「そうだったのですか……」

パチュリー「うん。でも後悔はしてないわ。むしろこの程度の代償で済んでるのは儲けものだもの」

パチュリー「私はどうしても魔法を手に入れる必要があった。才能の無い者が目的を果たすには、こうするしかなかったのよ」

聖「……」


パチュリー「でもあなたは違う。今の多くの魔法使いとは違うし、当然私とも違う」

パチュリー「本当の魔法使いは外から魔力を引き出したりしない。故にあなたこそ正真正銘の魔法使い」

パチュリー「太古の昔に絶えてしまって久しい、この幻想郷という宇宙の真理に到達できる、唯一の存在なのよ」

聖「……私は、自分がそんなご大層な人物だとは思いません」

聖「人としての尊卑を決定付けるのは、魔法の錬度や熟達などでは絶対にないのです」

聖「私の弟子はそれを命がけで証明してくれましたからね」

パチュリー「それでもあなたは、その願いを成就させなけれなばならない」

パチュリー「……いえ、成就して欲しいのよ。これは私の願望ね」

聖「?」


パチュリー「いくらあがいてみても、実際にそこに手が届くのはほんの一握り」

パチュリー「私もその大多数に含まれるけれども、あなたには才能がある」

パチュリー「あなたの願いは途方のないものだけれど、それでもあなたが見事達成することを私も願っている」

聖「……」

パチュリー「どうか覚えていて欲しい。私たちのような者にとっては、あなたこそ希望の星なのよ」

聖「!」

聖「分かりました、約束します」

聖「必ずや、あの子は外の世界へと送り届けます。私の命に代えてでも……」

パチュリー「ええ」コクッ

聖「そのためには、またもあなた方のお力を借りることもありましょう」

聖「その時には、どうかご助力をお願いしたい」

パチュリー「もちろんよ」


聖「ありがとうございます……ふふっ」

パチュリー「……?」

聖「もう千年も昔のことなのですね」

聖「あなたに言われたことを、かつて師匠だった者にも言われたのですよ」

パチュリー「そう……その妖怪は?」

聖「今はもうこの幻想郷にはおりません」

聖「しかしきっと今もどこかで、私を見守ってくれているのでしょう」

パチュリー「そうね」

聖「……最後に一つだけ、よろしいでしょうか?」

パチュリー「?」


聖「一握りではありませんよ」

パチュリー「えっ?」

聖「私たちは仏というものを無上尊極と定めてはいます」

聖「しかし実は仏と凡夫とは共に同一の存在であり、その間に何ら境界はないのです」

聖「機根が整わぬ者はこの真実に耐えられぬため、方便として境界があるとしているのですよ」

パチュリー「……」

聖「しかしながら、パチュリーさんにはそのような方便を使う必要もないでしょう」

聖「自分の未来はいつだって自分が決めるもの。他の誰でもありません」

聖「『魔法使い』とは、本来そういったものなのでしょう?」ニコッ

パチュリー「……ええ! その通りよ」

聖「では私は先に”向こう”へ行っています」スッ

パチュリー「そう、きっと私もすぐに追いつくわ」


命蓮寺一行が右往左往しながら授乳の練習をする最中、パチュリーと聖は外へ通じる道を探す
一方は百年かけて蓄積された神秘の集約たる大図書館、もう一方は幻想郷・地底・冥界・魔界まで飛び回り、情報を収集しようとした
しかし三日ほど経過しても、その抜け穴の手掛かりすら掴めない


レミリア「調子はどう?」

パチュリー「まるっきり駄目だわ。ヒントの欠片すら見当たらない」

レミリア「それはそうよ。向こうだって簡単に教えるほど馬鹿じゃないわ」

パチュリー「でもこれじゃいつまで経っても出発できないわ。せめて探索の方途ぐらい見えてくれば良いのだけど……」

レミリア「……何とも愚かな話よね」

レミリア「私たちは皆、背負ったものから逃れようとして、自ら望んでこの世界に入る」

パチュリー「……」


レミリア「でも結局、いつまでも同じ場所には留まってはいられない……業が深いとは、こういうことを言うのかしら?」

パチュリー「さあね……」

レミリア「抜け道については、きっと心配しなくてもいいわ」

パチュリー「?」チラッ

レミリア「魔法使いは奇跡を起こす。それだけがこの幻想郷のたった一つの真実なのだから」

レミリア「そうでしょう? パチュリー」

パチュリー「……無論よ」






聖輦船が出口を探し求め方々を飛び回る間、抜け殻のようになって洞穴にうずくまる者がいた
かつては命蓮寺の一員であり、聖からは哨戒の任を命ぜられ、賢将の称号を頂いた者

されど今の姿はみじめそのもの
目は虚ろで体は痩せ細っている
体中の水分を出し切っても、なお流れ続ける涙
もう枯れ果てた声で時折うめき声を上げ、かつての主の腰巻を握り締めながら震えていた







ナズ「うう……う……」


ナズ「う……あ……」


しかし全ては自ら蒔いた種
美しき過去も、得るはずであった追憶も、まだ見ぬ未来も
全ては幻のように消え去り失われてしまった
他の誰でもない、自分自身の手によって



ナズ「ああああ…………ッ!」



もはや自分は、かつての主を懐かしく思うことさえ許されない
愚かなる愛欲の罠に欺かれ、自ら進んで悪しき業を為した
その報いをまさに今受けているのだ

決して変わることの無いどうしようもない事実が、ナズーリンの魂を引き裂いた


ナズ「おお……あ……」

ナズ「はぁっ……はぁっ……」

ナズ「う……た…………」

ナズ「たすけて……助けてくれっ……!」

ナズ「助けてくれ! 星……ッ!」

ナズ「村紗っ! 一輪! ひ……聖様ッ!!」

ナズ「私は…………私は……ッ!!」


今まで何百回と突き刺さった戒めの言葉が、またもナズーリンを串刺しにする


聖『地獄に墜ちるというのは、他人が強いてできることではありません』

聖『それは例えて言うならば、自ら作った牢獄に入り、錠に鍵を掛け、そしてその鍵を叩き壊してしまうようなもの』

聖『いくら助けを求め泣き叫んだところで、それでどうして救える者があるでしょう』

聖『決して誰にも救うことなどできないのです』








ナズ「うわあああぁぁあああぁあああああ!!!」




聖の言葉に虚盲などなかった
本当の地獄はこの浮世以外には存在しない
振り払うことのできないその痛みが、ナズーリンにそれを理解させた

この苦痛から逃れるためならば、ナズーリンは他の如何なる苦痛も甘んじて受け入れるだろう
魂を焼き尽くす三昧火も、全てを打ち壊す僧伽多の風も、四肢を引き裂き辱める極卒の責め苦も、この痛みには到底及ばない
ほんのわずかな間、一瞬の億千万分の一の間でも今の苦痛を逃れられるならば、喜び勇んでその責め苦を受けよう

しかしこの苦痛から逃れる術などない
天地に遍くおわす諸天善神の奇跡の力を持ってしても、犯した罪を消し去ることはできないのだ



ナズ「はぁっ、はっ……お、重い物を、持つ時は」

ナズ「必ず……はぁ、はぁ……しゃがんでから……うううっ!」ググッ

ナズ「く……苦難に遭った時……ふぅ、はぁ、ふぅ……」

ナズ「か、活路を見い出す……ぐう……ッ!!」


必死に過去の記憶を掘り起こして、痛みから逃れようとする
何の気紛れににもならないと分かっていながら、それ以外もはやどうしようもなかった


ナズ「私は、い……いつ如何なる時も……」



ナズ「――――!?」ピクッ



その瞬間突如思い出す
自分はまだ、星の問いかけに答えてはいない






『ナズーリン、あなたは何がしたいのですか?』






ナズ「………………」

ナズ「それは…………」


信じてきた主神が偽りのものであったことは、既に承知している
己の核たる部分であったはずの信仰を失っても、しかしなお自分は健在であった
だが今は朽ち果てた残骸のように、ただ暗がりで消滅を待つばかり
自分は何を失ったのか


ナズ「わ……私は……」


次第に思考がかつての冷静さを取り戻し始める

星は全てを知っていた
全てを知っていながら、あえてこの自分を許したのだ


そして……


ナズ「……そうだ」


その時になってようやっと気が付く
この期に及んでなお、惨めな小ネズミはかつての主を裏切っている
寅丸星と交わした約束よりも、ちっぽけで愚かな自分の心を守ろうとしている

今の姿こそ、聖様の仰る愚か者そのものではないか
自分はこんなことがしたかったわけではない




ナズ「……行かないと!」


少女は立ち上がった
自分にはまだ、やり残したことがあるのだ




~聖輦船~


ゴウン… ゴウン… ゴウン…

聖「……よし、これでいいでしょう」

村紗「聖、それは?」

聖「模擬盤です。もうそろそろ必要になるでしょう」

村紗「……?」

一輪「聖様、お命じの通り、彩色道具一式をお持ちしました」

聖「ありがとうございます。そこに置いてください」

一輪「は……」スッ


聖「村紗、あなたは響子の補佐をお願いします。一輪は引き続き出口の探索を」

村紗「承知」

一輪「はい……聖様はここに留まられるのですね?」

聖「はい。私はこれを仕上げねばなりませんからね」


聖はよく磨かれた木の板に白い絵具を塗りたくっていく
そこに魔力の類は一切感じられず、見た目にはただの小綺麗にしただけの板切れとしか思えない
マジックアイテムにしてはやけに単純な作りであり、これが探索の役に立つとは一輪・村紗共に信じがたかった


聖「村紗、進路は妖怪の山になっていますね?」

村紗「はい。このまま直進すれば、到着まで半時とかからないでしょう」

聖「よろしい……あの方なら、何か分かるかも知れません」


~里~


にとり「サツマイモは生育に要する条件・労力に対し、得られる収量、総カロリーの面から見ても抜群の効率を持つもので」

子A「あっ! またあいつだー!」

子B「よーし行くぞー!」タタッ

にとり「これはまさしく救荒作物呼ぶにふさわしい食物であり―――」


ガッ!


にとり「あが!」

子B「おらぁ覚悟しろー!」

子C「やれやれー!」

子A「油断するな!? てっていてきにやるんだ!」


ゴッ!

ガッ!

ドスッ!


にとり「ぐっ! おご!」

子D「結構しぶといぞ! もっとやるんだ!」

にとり「い、胃の内容物が容易く逆流することがないのは胃の入り口に弁が設けられているからであり」

子E「たぁー!」


ゲシッ!

ゴン!

ドカッ!


にとり「体の……ごふっ!……状況に応じてその弁を開閉することで内容物の流出入を防ぎ」ヨロヨロ…

子B「あっ! 逃げるぞ!?」

子A「逃げるなー! 待て待てー!」


里の子どもたちに取り囲まれ、足や拳や棒やらで散々に打ちつけられる
にとりはたまらず走り出し、その痛みから逃れようとする

ようやく里から逃げ延び、痛みと疲労に耐えながらも歩き続ける


にとり「はぁ、はぁ、はぁ」

にとり「痛覚の発生には始めにまず外部からの刺激が脳の痛覚受容細胞に伝わる必要があり……」

にとり「痛覚受容細胞が痛みの度合いに応じて体へ反応を返すという二段階の化学反応が正常に機能した結果が」ヨロヨロ


~妖怪山~


にとり「エンジンが開発されて以来動力源として優位を占めているのはタービンを用いた動力エネルギーから回転エネルギーへの変換であり」

河童A「あっ! またあいつだ!」

河童B「うわ……また来たのかよ。こっち来んじゃねーよ!」

河童C「皆さ~ん! お気を付け下さ~い! 河城にとりが来ましたよー!!」

にとり「強力な動力を発生させる原動機はほぼ全てこの方式を応用したもので風力・地熱・火力・水力いずれの発電にも」

河童D「何だよこいつ、気色悪いなぁ!」

河童A「向こう行け! ぶん殴るわよっ!」

ゴスッ!

にとり「ぐっ!」


河童C「あ~ヤダヤダ! 触りたくもない!」

河童D「じゃあ早く通報してよ!」

河童C「もうしてるわよ! ったく、いつものったらくったらして……」

にとり「か、かはっ……山はまさに巨大な水がめとも言える存在でありこれなくしては居住地の安全な」

河童A「気持ち悪いわね! しゃべるんじゃない!」


ドカ!

ゲシッ!


にとり「おごっ! ぐう!」


にとり「ち、地上に無数に満ちるとされる動物の中でも多種多様さが最も豊富であると言われるのは小さい者即ち微生物であると言うことが」ヨロヨロ

河童D「走れ! もっと早くッ!」

河童B「あーあ、こいつさえいなきゃ全部うまく行くってのになぁ」


ザザッ…


白狼天狗C「またこいつの件か。いい加減にしろ」

河童A「いい加減にして欲しいのはこっちよ!」

河童C「そうよそうよ! 同じ河童にこんなのがいたんじゃ一々気も休まらないわ!」

河童C「さっさとあいつ始末しちゃってよ」

白狼C「自分たちのゴタゴタをこっちに押し付けるんじゃない。河童のことは河童で何とかしろ」


河童E「はあ!? 何で私たちがあんなヤツの面倒見なくちゃならないのよ!」

河童E「もうあいつは仲間じゃないんだから、そっちでチャッチャとアレしちゃえばいいじゃない!」

白狼C「都合のいいことを抜かすな。こっちはそんな事に関わっていられるほど暇ではないんだぞ」

河童D「あんたたちにこれ以外の何の仕事があるってのよ!」


にとりが去った後も、白狼天狗と河童たちは言い争いを続けていた


~森林奥部~


にとり「金は熱伝導、電気伝導ともに優れた性質を持ち空気では浸食されることもなく熱、湿気、酸素、その他ほとんどの化学的腐食に対し」ヨロヨロ

にとり「し、森林の発展には数え切れないほどの段階があり常にその姿は変わるものと言う事ができ今見えるものもやがて……」ドサッ…


山から少し離れた森に辿り着き、その奥で痛みと疲労に耐え切れず倒れる


にとり「土壌には無数の微生物が繁殖していて動植物のあらゆる死骸は最終的にこの微生物たちによって分解され」

にとり「ごほっ! ごほっ……!」

にとり「海老のように体を丸めるのは肉体を保護するために最適な状態でありこの姿勢により内臓を守りつつ体温の散逸を防ぐ機能が」


いつからこのようであったのか
体中アザだらけで、衣服は泥と血に塗れている
薄汚れたその身は畜舎に押し込められた豚よりも汚い

山へ行っても里へ行っても、共に怒号と暴力によって迎えられる
こうして一人でいれば痛い目など見ないで済むのに、気が付くといつも足が勝手にその方向に進んでいる


にとり「人口の増加に寄与するのは漁業農作物の収量増大であることは言うまでもなくそれに勝るとも劣らないのは食物の保存であり」


そうして訳も分からないことを絶え間なくしゃべり続ける
この煩いは日を追うごとに悪化の一途を辿り、もはや意思の表明すら不可能な段階にまで達している
自分でもそれを止めることができず、今はもう考えていることを口に出すことさえもできない

どうして自分がこんな状況に陥っているのか全く理解できない
自分が誰で、何をしていたのかも思い出せない


にとり「文明の発展には風土気候の安定はさほど関連性を見い出すことが出来ずむしろ困難な状況がその伸張を促進したという側面が……」


にとり「うぅ、うぅう……生命が先か宇宙が先かという論議はもはや科学的な分野を超えた難問でありこれを解き明かすには―――」


訳も分からず右往左往し

訳も分からずしゃべりまくり

訳も分からず痛め付けられ

訳も分からず逃げ回り

訳も分からず泣いていた


どうしてこんな目に遭わなければならないのか
自分が一体何をしたと言うのか


『苦しい』

『辛い』

『助かりたい』


頭に思い浮かぶのはそのようなことばかりで、それ以外のことは何も分からない
この状況から抜け出す手立てを探すという考えすら浮かばず、ただひたすらその苦しみを味わうことしかできなかった



ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン…




~博麗神社~


霊夢「命蓮寺?」

ナズ「そうだ! 今聖様たちは、船で幻想郷中をくまなく飛び回っているだろう!」

霊夢「ああ、そういやそうね」

ナズ「教えてくれ! 今聖様はどこにいらっしゃるんだ!」

霊夢「そんなこと知らないわよ」

霊夢「あいつら、捕まえようとしても直前の所でパッと消えていなくなっちゃうんだから」

ナズ「でもお前は必ず私たちの居所を嗅ぎ付けてきたじゃないか!」

ナズ「何か探す方法があるんだろう!?」


霊夢「唾飛ばさないでよ」

ドンッ…

ナズ「う……」ヨロッ

霊夢「あんたたちを嗅ぎ付けた? 冗談言わないでよ」

霊夢「あんたたちの方が、私の行く先行く先で待ち構えてたんじゃない」

霊夢「ああやって目の前でウロチョロされたら、こっちだって退治するしかないじゃない」

ナズ「……」

霊夢「それから、いつまでもそうやって居座られたら、こっちは商売上がったりなのよ!」

霊夢「邪魔だから早く帰った帰った! シッシッ!」

ナズ「……」


相手が根負けするまで食い下がるつもりであったが、手掛かりを持たないと思われる以上引き下がるしかなかった
さりとて、ここで他の者に接触するのは危険が大き過ぎる

当面の課題は聖輦船を探し出し、そして無事に辿り着くこと
今の自分は、命蓮寺・毘沙門天という巨大な後ろ盾を失った、まさに退治するには打って付けの妖怪なのだ
命蓮寺の中でも最弱の部類に属していた自分が強敵と出会うならば、それは即、誓いを破ることを意味する

自分はまだ、倒れるわけにはいかないのだ


ナズ「……いいさ!」

ナズ「こうなったらこの幻想郷を隅から隅まで探してやる!」

ナズ「誰が来ようと絶対に逃げ切ってやる!……ご主人ならそうするはずだ!」


バサッ… バサッ…


ナズ「早速お出ましか!」バッ

ぬえ「ようやっと持ち直したの? 随分遅かったわねー」

ナズ「……ぬえ?」


おそらく現状で最も安全と思われる相手が出てきたことに、ナズーリンは拍子抜けする


ナズ「何だよ……」ヘタッ

ナズ「会いに来たのなら、声ぐらいかけてくれてもいいだろうに……」

ぬえ「そんなこと言ったって、そうする前に身構えたのはそっちじゃない」

ナズ「まあ、相手がお前で良かったよ」

ぬえ「そりゃどうも」


ナズ「……ところで、お前は聖様の行方は知らないか?」

ぬえ「聖? 私が知るわけないじゃない」

ナズ「やっぱりそうか……」

ぬえ「最近いろんな所を飛び回ってるって噂だけど、誰もあの船を捕らえることはできないのよ」

ぬえ「何でも、あともうちょっとって所で、蜃気楼みたいにパッと消えちゃうらしいわね」

ナズ「ふむ……博麗の巫女にも、丁度同じことを言われたよ」

ぬえ「じゃあ話は早いわね。つまり無理よ。捕まらない」

ナズ「それでも私は辿り着かないといけないんだ」

ぬえ「何でそこに拘るのよ。もう関係ないじゃない。私にもあなたにも」


ナズ「いいや、関係はある。これはご主人が最後に残して行ってくれた慈悲なんだ」

ぬえ「?」

ナズ「私は、寅丸星の子を守護することを本人から直々に頼まれた」

ナズ「今の今まで忘れていたけど、私はこの誓いを果たさなくてはならないんだ」

ぬえ「ふ~ん、いいんじゃない? そうしたければそうすれば」

ぬえ「でも分かってるの? 聖が言ってたじゃない。これ以上命蓮寺に関わると命を落とすって」

ナズ「それでも私は行く。誓いが果たせなければ、どの道生きていたって仕方ないさ」

ナズ「もう私には毘沙門天様はいないんだからね」

ぬえ「変なヤツね、あんたって」

ナズ「何とでも言ってくれ。私は聖様を探しに行くよ」クルッ


ぬえ「……大成する妖怪ってのは、妙なことを考えるものなのかしら?」

ナズ「うん?」

ぬえ「聖から聞かされたのよ。星の話をね」

ぬえ「私は未だに信じられないんだけど、あの宝塔ってのを自分で穴掘って取り戻したって話は本当なの?」

ナズ「……本当だよ」

ナズ「私はそれを間近で見ていたんだ。間違いない」

ぬえ「ふーん……私が地上に出て来た時はさ、何かやたら地層が薄い部分があったのよね」

ぬえ「何かが急に爆発してあそこに穴が開いて、それで私も後から出て行ったんだけど……」

ぬえ「もしかしてあそこが穴掘った跡だったの?」

ナズ「そうだよ」


ぬえ「あんな大きい穴、一体何年かけて掘り抜いたのよ」

ナズ「七百年以上……いや、もっと細かく言えば七百六十年以上になるか」

ぬえ「七百年って……その間ずうっとザクザク掘ってたわけ?」

ナズ「そうだよ。ご主人の根性は聖様に並ぶほどだったからね」

ぬえ「……」

ナズ「それにあの窪みだって、宝塔が見つかった時はもっと深かった」

ナズ「後から妖精が埋めていったけど、元々はあの十倍は深かったんだからね」

ナズ「それだって、土砂崩れで全部埋まってしまった所をやり直して、もう三回目に達していたんだ」

ぬえ「はぁ……なるほどねぇ」

ナズ「……」


ぬえ「私、聖に言われたのよ」

ぬえ「最後まで穴を掘ったことはもちろん尊いが、それよりもさらに尊いのは、穴を掘り続けることを決意したことだ……って」

ぬえ「だから私も、とてつもない目標に向かうと決意できれば、星のように大成する見込みがあるとか何とか……」

ぬえ「そんな感じで煽てられて、私は星の代役をやってたってわけ」

ナズ「なるほどね。そうだったのか」

ぬえ「でも流石に命のかかった物種となると、話は変わってくるわよね」

ぬえ「私だってまだまだ地上で遊んでいたいのよ。それなのに命落としちゃったら何にもならないじゃない」

ナズ「ご忠告感謝するよ」

ナズ「でももう行かないと。こんな所でグズグズしてらんないからね」タタッ


ぬえ「……待ちなさい」

ナズ「まだ何かあるのか?」

ぬえ「船を見つけて、それでどうすんのよ」

ナズ「もちろん乗り込むのさ」

ぬえ「乗り込む? どうやって?」

ナズ「どうやってって、それは……見つけてから考えるさ!」

ぬえ「冷静沈着なあんたらしくもないわね」

ぬえ「向こうは空飛んでるのよ? あんたが乗り込めるわけないじゃない」

ぬえ「跳び上がって船底にでも張り付こうっての? それとも地面に降りてくるのを待つつもり?」

ナズ「……」


ぬえ「まず空が飛べないことには話にならないわよ」

ぬえ「どうにかして空を飛ぶ手段を見つけるのが先じゃなくて?」ニヤッ


そう言って、ぬえはしたり顔で腕を組んでみせた


ナズ「そうは言ってもだな……」

ナズ「空を飛ぶ道具でもあれば良いんだけど、今の私じゃ河童たちは相手にしないだろうし……と言って魔法を習得してる暇もない」

ナズ「仮に空を飛べるようになったとしても、もうその頃には全部終わった後だろう」

ぬえ「何だ、ちゃんと分かってるじゃない」

ナズ「?」


ぬえ「つまりあんたが空を飛ぶ方法は一つしかないってこと!」

ナズ「……」

ぬえ「どうしたの? チャンスが目の前にあるってのにグズグズしてていいのかしら?」ニヤリ

ナズ「まさか……お前が?」

ぬえ「……」

ナズ「それは、願ってもないことだけど……でも」

ぬえ「はぁああ~? 聞こえないなぁ~!」サッ


ぬえはわざとらしく聞き耳を立てる


ナズ「た、頼む!」バッ

ナズ「私を船まで連れて行ってくれ! もう他に頼れるあてがないんだ!」

ぬえ「ふふん! そこまで言うなら仕方ないわね!」

ぬえ「この私が隠し持つ膨大なる神秘のほんの一かけら、しかとご覧に入れて進ぜよう!」

ナズ「あ、ありがたい! 恩に着るぞ!」

ぬえ「……まあさすがに私が運んで行くのは無理だから、あんた一人で飛んで行ってもらう形になるけどね」

ぬえ「そこまでの道のりぐらいは作ってやるわよ」

ナズ「感謝する……しかしどうして私に協力してくれるんだ?」

ぬえ「……」


ナズ「おそらく聖様はこの世界の逆鱗に触れた。お前の言う通り、いやそれ以上に危険な状況なのは間違いない」

ナズ「近付けば命に関わると、お前だって今言ったばかりじゃないか」

ぬえ「気まぐれよ、気まぐれ」

ぬえ「最近は根性のある奴がいなくってね。丁度退屈してたところなのよ」

ナズ「……」

ぬえ「それに、近付くぐらいなら別にどうってことないでしょ? もう縁は切ったわけだし」

ナズ「私の口からは何とも―――」


―――ザッ!


早苗「おやおや、これは良い所にいらっしゃいましたね」


ナズ「!!」

ぬえ「!? こいつは……!」

早苗「今日は何と喜ばしい日でしょう。これは神に感謝しなくてはいけません」

早苗「退治し甲斐のある妖怪が、一度に二匹も現れるだなんて!」

ナズ「逃げろぬえ! こいつは一番厄介だぞ!」ババッ

ぬえ「そうみたいね!」ババッ


―――ドガァン!


早苗「そんな簡単に逃がすわけないでしょう? ちょっと考えれば分かることじゃありませんか」

ナズ「ぐ……」

ぬえ「……」


早苗「さあ! 神の名の下に正義の鉄槌を受けるのです!」ニヤリ

ナズ「ご免だね!! 行くぞぬえ!」サッ

ぬえ「後よろしく! さいならぁ!!」バッ

ナズ「なっ!?」


バサッ… バサッ…

ぬえ「さすがに命取られるのは勘弁だわー! そんじゃ、運が良かったらまたお会いしましょー!」


ナズ「く、くそ……」ジリッ

早苗「あらあら、仲間割れですかぁ? 可哀想に」

早苗「でも仕方ないですよね。所詮あなたは、後ろ盾がないと何もできない小物なんですから」


ナズ「そう簡単に……やられると思うなよ!」グッ

ナズ「ビジーロッド!!」

早苗「グレイソーマタージ!」


ズドドドドドッッ!!


ナズ「ぐあっ……!」ドサッ…

早苗「もういっちょ! 開碧通衝!!」


ズォオオオオッ…!!


ナズ「!」ササッ



ドカァァカン!!


ナズ「ぐうっ……!!」

早苗「……おや、随分と頑丈ですね」

早苗「今ので充分仕留められると思ったんですけど」

ナズ「はぁ……はぁ……」

早苗「でも何発も食らわせれば結局は一緒ですよね」

早苗「さ、悪しき妖怪は正義の力の前に消滅してもらいましょう」

ナズ「…………」ニヤッ


早苗「サモン建御名―――」


―――ザザザッ!


ぬえ「ナズーリン! 合わせ技だっ!!」

ナズ「心得たりッ!!」

早苗「!?」

ぬえ・ナズ「「エクステンド・イリュージョン!!」」


ババババババババッ!!


早苗「……!!」


突如早苗の目の前に無数のナズーリンとぬえが現れる
始めから居た本物らしき二匹は、一瞬で増殖した分身に紛れて見えなくなる


ぬえ×??「行くぞォ!!」ダダッ

ナズーリン×??「おおっ!!」ダダッ


早苗「ぐ……」


ヒュン!

ブンッ!

ビシュッ!


早苗「何と面妖な……これは絶対に退治しないと!」


無数の分身妖怪が長物を振り回し、一転して早苗は防御に徹する


ヒュヒュン!

ズワッ!

ブゥン!!


早苗「こんなの……どうせほとんど偽物なんでしょう!?」


―――ドカッ!


早苗「ぐう……ッ!」


しかしその真偽は早苗の目には容易に判別しがたい


ブンッ!

ヒュワッ!

シュッ!


―――ガスッ!


早苗「くっ……ああもう!鬱陶しい!」

早苗「奇跡の御光!!」バッ


―――ピカッ!!


サァァァァ…


たかが雑魚と侮った相手に大技を使うのは口惜しかったが、背に腹は代えられない
早苗の放った奇跡は周囲の幻を一網打尽にする


早苗「観念しなさい! 悪あがきはもう――」

ぬえ「次行くぞ!」

ナズ「承知ッ!!」

ナズ・ぬえ「「パンデミック・レインボー!!」」

早苗「!!」


バババババババババババッッッ!!


折角打ち消した幻が、またも大量に現れた
しかし二回目のものは少し様子が違う


早苗「!?」


ぬえ×??「よし行けぇ!!」ダダッ

ナズーリン×??「おおおお!!」ダダッ


早苗「な―――ッッ!!」


今目の前に現れた分身たちはそれぞれ髪と衣装の彩りが異なっている
赤・青・緑に留まらず、黄・白・黒に加えて茶・橙・桃、そして金に銀
多種多様な色彩の偽物たちが一斉に襲い掛かる


早苗「何と気色悪い……!!」ブルッ


妖怪と見たら退治せずにはいられない早苗は、目の前のおぞましい光景にぞっとした
その嫌悪を全て吐き出す前に、既に口と手が動いていた



早苗「奇跡の御光!!」バッ


―――ピカッ!


またも幻が打ち消される
しかしその後に現れた自分の姿を見て、早苗は罠に嵌められたことを悟った




早苗「―――ッ!!」



キイィィィン…




――――――カッ!!!




早苗「ぎゃあ――――ッッ!!」


幾重に反射し増大された御光が、早苗の両目を直撃した

幻を打ち消した所にあったのはナズーリンの用意した無数の鉱石
体がすっぽり映るほど大きく、なおかつその表面は鏡と見間違う程に磨かれていた
パンデミック・レインボーは攻撃手段ではなく、光を集めるためのものだった


早苗「目がっ! 目がぁぁ……ッッ!!」


視力を奪われた早苗が悶絶する
もうそこにはナズーリンもぬえもいなかった








ザザザザ……


ぬえ「……うまく行ったみたいね!」タタタッ

ナズ「案外、やってみれば何とかなるもんだね」タタタッ

ぬえ「当然! 何たって作戦を考えたのは私なんだから」

ナズ「いやはや、今回ばかりは恐れ入ったよ、本当に」

ぬえ「あら、今回だなんて余計な単語は要らないんじゃなくて?」ニヤッ

ナズ「ううん、どうにも参ったね」

ナズ「こりゃ確かに認めないとな。お前は間違いなく一級の策士……」ピクッ

ぬえ「……?」チラッ


ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン…


ナズ「いた! 聖輦船だ!」

ぬえ「あらっ? こんな所で見かけるなんて珍しいわね」

ナズ「…………よぉし」グッ

ぬえ「何がよし、よ! まさかあんた、今あそこに行こうってんじゃないでしょうね!?」

ナズ「行くさ。そのために洞穴から出てきたんだからね」

ぬえ「冗談言わないでよ! 今は逃げ切るのが先でしょ!?」

ぬえ「向こうは目を潰されただけなんだから、グズグズしてたら二、三十秒もしない内に追い付かれるわよ!」

ナズ「頼む! 今行かなきゃ、きっと永久に行けない気がするんだ!」


ぬえ「何それ、何か根拠でもあんの?」

ナズ「それは……ない、けど」

ぬえ「でしょ? ならまた今度にしなさい! 今は逃げることが先!」

ナズ「……」スッ


突然ナズーリンは立ち止まり、地に跪く


ぬえ「何してんのよ! 早くしないと……!」

ナズ「今聖輦船に向かうことができないなら、きっと私もそこまでなんだ」

ナズ「それならば、そのまま運命を受け入れるさ」


ぬえ「……ああもうっ!!」ササッ


ヴゥン…


ぬえ「死にたいなら一人で勝手にやってよね! くれぐれも私のいない所で!」


ぬえが真上に手をかざすと、空中に無数の円盤が現れた


ぬえ「あんた程度の目方なら、これを踏み台にしてあの船まで行けるでしょ。途中で船が消えない保証はないけどね」

ナズ「……ありがとう! ぬえ!」クルッ

ぬえ「知らないわよ!もう勝手にしなさい! 私は逃げるからね!」タタタッ

ナズ「そのまま……」グッ

ナズ「そこにいてくれよ! 聖輦船!」タンッ!


ナズーリンは空へ向かって行った


~聖輦船~


村紗「まるで話が通じていませんでしたね」

一輪「結局成果はなし、か」

聖「いいえ。成果はありましたよ」

一輪「え?」

聖「懸案であった伊吹萃香のおおよその居所が分かりました。これでようやく彼女を法界に封印できます」

一輪「……聖様、このようなことを申し上げるのは心苦しいのですが……」

一輪「この際、萃香はもう放っておいても宜しいのでは?」

聖「いいえ。一度関わった以上は、最後まできちんと面倒を見るのが仏道の習い」

聖「出口が見つけられない現状では、まず外道に墜ちた彼女を救う必要があります」


村紗「……聖、私はどこまでもあなたに従うつもりでいます」

村紗「しかしながら聖、あなたはあの気の触れた河童の言うことを真に受けるのですか?」

村紗「私には、頭のおかしい妄言としか思えなかったのですが……」

聖「村紗、あの河童は大きな障りを抱えながらも懸命に生きているのです」

聖「それを軽んじることなど、誰にも許されることではありませんよ」

村紗「……」

聖「……時に村紗よ、妖怪の山を陣取る天狗という者たちがいますね?」

村紗「?……はい」

聖「あの幾千もの天狗たちが元は何であったか、あなたは知っていますか?」

村紗「いえ?」


聖「あれは元々は一人残らず、皆、仏道に励む修行僧だったのですよ」

村紗「!?」

聖「されど道半ばにしながら、彼女たちは些少な知恵を得たことで驕慢の心を起こしてしまったのです」

聖「仏の眼から見れば、児戯にも等しい悟りを真の悟りであると思い込み、やがて自らが御仏を超えたなどと信じるようになった」

聖「その結果あのような姿となったのです」

村紗「…………」

聖「仏道に励み徳を積むうちに、やがて『我尊し』との慢心に囚われ、他者を見下し軽んじる」

聖「これこそ、修行途上の仏子の眼前に現れる恐るべき落とし穴なのです」

村紗「!」


聖「今まで無量無数の声聞・縁覚・悟達・阿羅漢たちがこの罠に落ち、あるいは天狗、あるいは魔王の眷属へと変貌させられてしまったのです」

聖「村紗よ、ここまで来てあなた自らが無間地獄に落ちてしまっては、いくら悔やんでも悔やみ切れるものではありません」

村紗「はっ!!」

聖「彼女の探索の能力は確かです」

聖「現に私とて、隠れていた烏天狗たちを彼女の助力によって見つけることができたのですから」

村紗「申し訳ございません! 愚かな発言でした……!」

聖「萃香の詳しい居所は後でパチュリーさんに伺うとして……」クルッ

一輪「?」

聖「少し用事が出来ました。私はしばしの間地上に降りています」


聖「あなたたちはその間、侵入者の相手をしていなさい」

村紗「……はっ」

一輪「!……遂に来たわね」

一輪「小傘! 響子! 付いて来なさい!」

小傘・響子「「はい!」」

聖「よろしくお願いします」スッ


一輪たちと聖は、それぞれ別々の方角へ飛び降りて行った




ナズ「よっ ほっ」タンタンッ

ナズ「わわっ!……とお」

ナズ「油断禁物だな。一つでも踏み外せば地面に真っ逆さまだ」タンッ タンッ


無数に飛び回る円盤を器用に踏んで、少しずつ船へと近付いて行く
ずっと乗っていると重量により落下し始めるため、途中で休憩することもままならない


ナズ「それにしても……」タンッ タンッ

ナズ「もうちょっと大きくしてくれたら、助かったんだけどな……っと」タンッ

ナズ「まあ贅沢は―――!!」ダンッ!


ズドドドドドドッッ!!



ナズ「おわっと! わわわ!」ヨロッ


突然目の前に巨大な拳骨の群れが現れ、ナズーリンは危うく踏み台を失いかけた


ナズ「ふぅ……熱烈な出迎え感謝するよ」

一輪「ほう、今ので落ちないとは器用なものね」

ナズ「しぶといのだけが、私の取り得なんでね」スチャッ


話しながらナズーリンは目の前の状況を冷静に分析していた
足場のおぼつかない自分に対し、この三人はお付きの入道で大空を自由自在に移動できる
こちらが圧倒的に不利であることは疑いようが無い


一輪「裏切り者が今更何をしに来たのかしら? 一度は助かった命を再び捨てに来るとは」

ナズ「こっちにも事情ってものがあるんだ。悪いけどそこは通らせてもらうよ!」タンッ

一輪「行かせん! 小傘!響子!」

響子「はい!」

小傘「りょーかい!」

響子「マウンテンエコー!!」

小傘「パラソルスターメモリーズ!!」


――――ズオォォォォッッ!!


ナズ「うわっ!」サッ


一輪「逃げられると思うな! 天網サンドバック!!」


ドコドコドコドコドコォォッッ!!


ナズ「ナズーリンペンデュラム!!」


ゴガァァァァン!!


一輪「……!」

一輪「いない……どこだ!」


響子「アンプリファエコ―――ッ!!」

小傘「パラソルスターシンフォニー!!」


ギキキィィィン!!

バシュゥゥゥン!!


ナズ「くそっ! バレバレか!」タンッ タンッ


一輪からかなり離れた場所で、ナズーリンは音響と水圧を凌ごうとしていた


一輪「もうあんな所に……」


ナズ「全く、笑っちゃうぐらい情け容赦無しか!」タンッ

小傘「はああああっ……!!」ササッ

ナズ「少しは、昔の付き合いのよしみで手加減してくれてもいいだろうに!」タタンッ

響子「ッッワ――――――ッ!!!」


ドドドドドォォン……


一輪「生憎その『よしみ』とやらはもう使用済みなんでね!」


ナズ「なるほど! 確かにその通りだ!……っとお」タンッ タンッ


一輪「どうやらすばしっこさに磨きがかかってるようだが……」ヒュン!

一輪「お前の足場を全て崩せば、そこで終わりだ!」

一輪「響子! 小傘! そこをどけっ!!」


小傘「!」ササッ

響子「は、はい!」サッ


一輪「天空鉄槌落とし!!」


ズワッ……


ナズ「!……マズい!」グッ



ズドズドズドドドドドッッ!!


ナズ「ブライトネスゴールドダンス!!」


―――ガキィィィン!!


ナズーリンは打ち付ける拳に大量の鉱物で対抗した
そしてまたもその姿は消える


響子「い、いない……」キョロキョロ


タンッ タタンッ



小傘「あ、いた! あんな所に!」クルッ

一輪「全くちょこまかと……天上天下連続フック!!」


ドガドガドガドガドガッッ!!


一輪「響子! 畳み掛けなさい!」

小傘「はいっ! マウンテンエコースクランブル!!」


―――ズワァァァァァッッ!!!


ドドドォォォン………


小傘「……当たった?」


一輪「油断するな小傘! 確実にトドメを刺せっ!」

小傘「はい!」ヒュン!

一輪「響子、ヤツの位置の確認を」

響子「はい……ロングレンジエコ―――――ッッ!!」


ズワァァッッッ……!!


小傘「いっくわよー! からかさ驚き―――」

ゲシッ!

小傘「ふぎゃっ!?」


不意に頭に衝撃を受け、小傘は技を打ち損ねる



一輪「何!?」

響子「えっ?」


探すまでもなく、標的は正面から姿を見せた
足場代わりに踏みつけにされた小傘が体勢を立て直すより早く、ナズーリンは上へ上へと駆け上がって行く


一輪「何というしぶとさ……響子!」

響子「チャージドヤッホ―――――ッッ!!」

一輪「逃がしはしない! 雲界クラーケン殴り!!」


ズドォォォォッッ……!!


一輪「……!?」

響子「あれ?」


一輪と響子の胸中に違和感が生じる
ナズーリンの姿は確かに弾幕に飲み込まれたというのに、まるで手応えがないからだ


タンッ タタンッ タンッ


響子「あ、いました! あそこです!」

一輪「いつの間にあんな所へ……もう面倒だ!!」

一輪「小傘!響子! こうなったら直接叩き落してやるわよ!」ヒュン!

小傘・響子「「承知!」」ヒュン!


雲山の手に乗り、三人がナズーリンの撃墜にかかる


一輪「覚悟ッ!!」ブンッ!

響子「捉えた!!」ヒュッ!

小傘「討ち取ったりッ!!」シュバッ!


――――ガキィィィン!!


一輪「……ぐっ!?」

響子「消えた?」

小傘「な、何で……」


三人の打撃は届くことなく、またも標的は煙のように消えていた


小傘「あー! もうあんな所まで!」


気が付けば、もうナズーリンは三人の手の届かない高さまで登っていた


響子「凄い……」

一輪「ふ……さすがね」

響子「?」チラッ

一輪「それでこそ、星の従者よ!」ニヤリ




~地上~


早苗「はぁ……ふぅ……」

早苗「あんな汚い手を使うだなんて……! 何と不心得な妖怪でしょう!」


早苗はようやく眩まされた目が治ってきた
視力が戻ると、先ほどの二匹の妖怪に対して強烈な怒りがこみ上げてくる


早苗「ああああッッ!! あいつらだけは絶ッ対に許せません!!」

早苗「ただ退治するだけじゃ足りない! 捕まえて生かさず殺さず、今まで退治したどの妖怪よりも凄惨な地獄を見せてやるッ!!」

早苗「どこにいる! どこに行った!」キョロキョロ


早苗「!」バッ


その時、丁度空へと駆け上がって行くナズーリンの姿を発見する
怒りの矛先が定まったことに、早苗は思わず笑みを浮かべる


早苗「……今、そちらへ参りますよ!!」


―――ザッ!


聖「哀れなるかな、東谷風早苗」

早苗「!」


聖「尊いその命を投げ出し、自ら亡霊の僕へと成り下がるか」

早苗「あなたは……」

聖「恨んだ者たちも、恨まれた者たちも、とうの昔にこの地を去ったというのに……」

早苗「あなたは妖怪寺の当主ではありませんか」

早苗「最近、方々を飛び回っているようですけど、あのネズミたちもあなたの差し金だったわけですね?」

聖「……」

早苗「やはりあなたを放っておいたのは間違いでしたね!」

早苗「あなたこそ諸悪の根源! 妖怪に与する者は、妖怪よりもさらに罪が重いものと知りなさい!」

聖「東谷風早苗よ、あなたに問う」

早苗「うん?」


聖「妖怪と人との違いはどこにありますか?」

早苗「……?」

聖「彼らと私たちに何ら違いはない。なぜそのように、罪人を責める地獄の悪鬼羅刹の如く、妖怪を追い立てるのか」

聖「あなたが妖怪を追い立てるのは、あなた自身の心のみに有らぬということを知らぬのですか?」

早苗「何を言ってるのかまるで分かりませんね!! さっきから訳の分からないことをクチャクチャと……!」

早苗「そうやってご大層な口ぶりで信奉者を増やすのが、そちらの方針なのかしら!?」

聖「……」

早苗「しかし神の代理でもあるこの私に、そんなペテンが通じるはずもない!」

早苗「神とは真実の異名! そして私は神そのもの! 私の言葉こそ真実なのです!」

早苗「妖怪は全て邪悪な存在! 倒すことこそが唯一絶対の正義なのですよ!」

聖「……」


早苗「そしてその妖怪に味方する者こそ、この世界最大の邪悪!!」

早苗「詭弁を並べ立てるあなたの方こそ、神の名を貶める悪鬼魔民に他ならない!」

早苗「我が神々の正義の威光によって、その罪の深さを知るがいい!」バッ

早苗「客星忘日衝ッ!!」

聖「愚か者め!!」バッ



聖「紫雲のオーメン!!」



――――カッッ!!


ズドドドドドォッッ!!




早苗「」

ドサッ…


聖「東谷風早苗……何と救い難き女人か」


ゴゴゴゴゴゴゴ……


聖「時が来るまで、あなたはそこで眠っていなさい」


―――ズズズゥゥゥン!


響き渡る轟音と共に、早苗は光の届かない世界へ落とされた


~聖輦船~


ナズ「届けぇぇえええ!!」ブンッ


ドカッ!


ナズ「ぐ! わわわっ……!」フラッ


ギシッ…


ロッドを船の縁に突き立てて、必死にそこへしがみ付く


ナズ「はぁ、はぁ……ふんっ」バッ


ドドッ……


ナズ「はぁ、はぁ……何とか……はぁ、はぁ、ここまで来たぞ!」

ナズ「……」チラッ

ナズ「結構大きい傷付けちゃったな。後で村紗に謝っておか―――!」サッ



―――ドパァァァァン!!



突如現れた水流により、ナズーリンの居た場所は縁ごと押し流された


村紗「謝る必要などありませんよ」


村紗「どうせあなたはここで終わりなのですから」

ナズ「……ははっ、元気そうだね、村紗」

村紗「そのまま大人しくやられてくれたら、もっと元気になれたのですけどね」

ナズ「そう言ってくれるなよ。こっちだってそれなりの用事抱えて来たんだからさ」

村紗「……覚悟するがいい。私はあの三人のように甘くはない」

ナズ「だろうね!」ダンッ

村紗「ディープヴォーテックス!!」


ドドドドドドッッ!!


ナズ「ナズーリンペンデュラム!!」


ゴガァァァァン!!


水流と水晶の渦が激突する
その中心へ両者は駆けて行く


村紗「落ちよ……撃沈アンカー!!」ブンッ

ナズ「……」グッ


――――ドヒュンッッ!!


巨大な錨がナズーリンめがけて飛んで行く
しかし対するナズーリンは技を撃とうとしない


ナズ「はっ!」ダンッ!


村紗「!」

ナズ「……よっと!」スタッ


村紗の放った錨は跳び上がったナズーリンの傍を素通りして行った


ナズ「村紗、そこを通してくれ。喧嘩しに来たわけじゃないんだ」タタタッ

村紗「そうであれば早々に立ち去ることですね」タタタッ

村紗「できれば船からというよりこの世から! 沈没アンカー!!」ブンッ

ナズ「……!」


――――ビシュンッッ!!


今度は錨を避けようともしない
だがその錨も当たることはなかった


スゥ……


村紗「!」


ナズーリンは錨が激突する直前にほんの少しだけ体をずらし、その射撃をやり過ごした
当たるものと見越していた村紗は、咄嗟に次の攻撃へ移ることができない


村紗「速い……! ならば!」スチャ

村紗「ディープヴォーテックス!!」

ナズ「ゴールドラッシュ!!」


村紗「シンカブルヴォーテックス!!」

ナズ「!?」


――――ドドドドドドォォォッッ!!!


ナズ「うわあっ……!!」

村紗「ファントムシップハーバー!!」

ナズ「!!」


ドパァァァァン!!


ナズ「ぐわああッ!!」


連続して打ち出される水流に、ナズーリンは飲み込まれていく


ドドドドドド……


村紗「…………」


溢れ出す水圧が全て船から流れ落ちた時、村紗はその瀬戸際に刺さる黒いものを見つける


村紗「これでもまだ落ちないのですか」

ナズ「ぐ……さ、さすがだ」グイッ

ドサッ…

ナズ「はぁ、はぁ……ロッドが無かったら……はぁ、はぁ……間違いなく、あの世行きだったよ」


村紗「これでは切りがありませんね。まずはそのロッドを叩かなければ」ダンッ

ナズ「そうはいくか!」ダンッ


―――ガキンッッ!!


ナズ「ぐ……う」ギリギリ…

村紗「なかなかに頑丈なロッドですね」

村紗「ですが、持ち主はそうでもないのでしょう?」スッ

ナズ「!」バッ

村紗「この距離ならば外さん! 道連れアンカー!!」

ナズ「メタルガーディアン!!」


ガガガガァァァン!!


ナズ「く……」ザザッ

村紗「これでも駄目ですか……ディープシンカー!!」


ドドドドォォォッ!!


ナズ「!」グッ

―――ドガッ!


またも水流が押し寄せる
咄嗟にナズーリンはロッドを甲板に突き立てる
そしてそのまま水の中に埋もれていく




村紗「…………」



村紗はナズーリンの動きを予測していた
おそらく向こうも、水が全て流れ落ちるのを待つほど愚かではない
そのような隙を自分が与えるわけがないと知っているからだ
ならば次の水流が現れる前に姿を現すだろう


ザパァァァン!


村紗「そこかッ!!」ブンッ


放った錨の先がナズーリンの顔面に届く
今度こそ討ち取った!


村紗「……!!」


ブワァア……


だが錨は衝突することなく、そのまま空を貫いていく
ナズーリンの姿は煙の如く霧散した


タタタタッ!


ほんの一瞬気を取られた隙に、ナズーリンはその真横を駆け抜けて行った


ナズ「悪いな村紗! 私は聖様の所へ行く!」

村紗「……」


村紗が捉えたのはナズーリンではなく、その残像であった


『シンカーゴースト』


村紗が得意とする、相手の目を欺く幻術
ナズーリンはその技を奪って見せたのだ


村紗「……見事!」ニヤリ











……聖白蓮は奥の部屋で侵入者を待ち構えていた
その腕には赤子が抱えられている


アゥ… ア…


聖「ふふ、あなたはまるで無邪気ですね」


聖は指で顔を撫でて赤子の機嫌を取る
その反応によるものか、赤子は少し笑っているように見えた



タタタッ…


―――ザザザッ!


聖「……」


ナズ「はぁ、はぁ、はぁ……」

ナズ「ひ、聖様……」


聖「何用ですか? ナズーリン」

聖「私の記憶が確かなら、あなたは破門にしたはずですよ」

聖「もうここに用などないでしょう。見なかったことにしてあげますから、直ちに目の前から消えなさい」


―――バンッ!


聖「……」

ナズ「用ならば、ある!」


ナズーリンは両手を床に叩きつけて跪く


聖「ほう? ではその用事とは?」



ナズ「主との誓いを、果たしに来た!!」



アッアッ… アウ…


ナズ「……」


ナズーリンの返答から既に三分が経過している
聖は赤子を抱いたまま微動だにせず押し黙っている
ナズーリンもまた同様であった

静寂な空間に赤子の声のみが響く


ナズ「…………」


アァー!


ナズ「!」ビクッ


聖「どうですか? すっきりしたでしょう」ニコッ


アッアッ アァー…


ナズ「……」

聖「……して、その誓いとは如何に?」

ナズ「わ、私は、かつての主寅丸星から、お子の面倒の一切を見るようにと仰せつかったのです」

ナズ「その子を必ずやお守りする! それが私の最後のお役目……いえ、私と星との誓いなのです!」

聖「はぁ……」

ナズ「……」


聖「ふぅん……そうですか」ユサユサ


アッ アッ ウァー…


聖「どうですか?気持ち良いでしょう。こうやって揺らされていると」

ナズ「……ひ、聖さ」

聖「そんな妄言を唐突に突き出して、はいそうですかと渡すものと思ったのですか?」

ナズ「……!!」


聖「星に頼まれた?? そんな証拠がどこにあるというのです」

聖「むしろ赤子に敵意を持っていたあなたならば、この子を仇と思っていたとしても何ら不思議ではない」

ナズ「それは……」

聖「もしや有りもしない出鱈目を言って、奪い取った後でこの子を害するつもりだったではありませんか?」

ナズ「そ、そんなことは!」

聖「もうお帰りなさい。いずれにせよ、命の尊さも分からぬ者に任せる道理はありません」

ナズ「い、嫌だ! 私にはもう、帰る場所なんてない!」

ナズ「ご主人との誓いを果たす!……も、もう、そこにしか希望はないんだ!」


聖「控えよナズーリン!!」


ナズ「!!」


聖「先ほどから聞いていれば何ですか」

聖「誓いだの希望だのと、出て来るのは自分本位な言葉ばかり」

ナズ「……!」

聖「ならばこの子はあなたにとって何なのですか? 自分の心を満足させるための単なる手段ですか?」

ナズ「い、いえ……決してそのような……」

聖「何が違うものですか。現にあなたはその誓いとやらが無ければ、この子を見捨てるつもりでいたのでしょう」

ナズ「!!」

聖「守る? よくもそんな白々しい言葉が言えたもの」

聖「あなたはこの子の顔など見てはいない。その向こう側にいるかつての主にしか、あなたは関心がない」

聖「今のあなたの口から出る言葉の一つ一つが、目の前の命を侮辱しているとなぜ気が付かない!」

ナズ「ぐっ……!」


ナズーリンは顔を伏せるしかなかった
聖の言葉は自分の本質を見抜いた上でのものだったからだ


アアァー!!


聖「おっとすみません。少し声が大き過ぎましたね」

聖「響子」

響子「……はい」スッ

聖「向こうで他の者たちと一緒に、この子をあやしてあげてください」

響子「畏まりました」

ナズ「う……ううっ……!」グッ


ナズーリンは顔を上げることができない
自分は何のために誓いを果たそうとしたのか
星のためと思いつつ、それは自分のためではなかったのか

否、星のためにそうしたとしても、それは子のためではない


聖「ナズーリンよ、あなたはあの子の身上を少しでも思いやったことがあるのですか」

聖「たった一人の母親とは死に別れ、その乳を飲むことができたのは生まれ出でた瞬間のただ一度きり」

聖「最初で最後の母の乳を口に含んだその時、頼るべき母は既にこの世を去っていたのですよ」

聖「矮小でか弱く、自分を愛してくれる母親すらなく、それでも懸命に生きようとして出来ることはたった一つ」

聖「力の限り泣き叫び、自分は確かにここにいると知らしめることだけなのです」

聖「その健気なる命の咆哮に、あなたはほんのわずかでも思いを巡らせたことがあるのですか」

ナズ「…………」


自らの愚かさを突き付けられ、何も言い返すことができない
何もかも聖の言う通りだった


ナズ「それでも……ッ!」ググッ

聖「……」


ナズーリンはもう一度顔を上がる


ナズ「それでも私は、その子を守らなければならない!」

聖「それは自分のためにですか? それとも星との誓いによってですか?」

ナズ「どちらでもない!!」


聖「どちらでもない、とは? ではあなたは、何のためにあの子を連れ出そうと言うのですか?」

ナズ「それは……分かりません!」

聖「分からない?」

ナズ「誓いなんて関係ない! お役目なんてどうだっていい! でも……!」

ナズ「私はあの子を守る! これだけは絶対に他の奴には譲らない!」

ナズ「例えその障害となる者が、あなたであっても!」

聖「…………」


その瞬間、聖の背後で何かが動くのが見えた





―――ドッッ!!




ナズ「―――がっ!?」

聖「……」

ナズ「ぐっ?……あ……ご……」ヨロッ


膝を付きそうになりながら、必死に姿勢を正す
その直後、二度目の衝撃が訪れる





―――ゴッッ!!




ナズ「ぎっ!!?」

聖「……」

ナズ「……あ…………」ヨロッ

ナズ「ふ、うう……ッ!」ググッ


突然腹に穴が開いたのかと思うような痛みが、ナズーリンの体を貫いた
かすかに残る意識を頼りに思考を働かせる
痛みを堪えながら腹に手を当てるが、穴は開いていない





―――ドッッ!!




ナズ「―――ッッ!?」

聖「……」

ナズ「は―――あ―――ッ?」


今度は胸部に衝撃を受けた
心臓が破裂したのかと思ったが、鼓動は続いていた


聖「十四回。あなたにも覚えがあるでしょう」

ナズ「!!」


その数をナズーリンは知っていた
忘れるわけがない




―――バゴッ!




ナズ「―――――!!」


聖「……」

ナズ「お…………」


今度は顔に衝撃が来た
潰れた顔から鼻血が止め処なく溢れ出る




―――グシャッ!




ナズ「ッッ!?」


聖「どれほど辛かったでしょう。どれほど苦しかったでしょう」


今度は右腰の部分
ナズーリンには、まるで自分の体が勝手に自壊しているように感じられた
しかし本当はそうではない




―――メゴッッ!




ナズ「は――――!!」


聖「それでも星はあなたを拒まなかった」

聖「あなたの為した全ての罪を、星はそのか弱い体で受け止めたのです」

ナズ「ご、ご主じ―――」




―――ゴッッ!!




ナズ「がッ!!」ヨロッ…


衝撃が走る度に聖の髪が揺れ動く
それを目で見て確認した時、聖は既に拳を打ち終えているのだ

動作の瞬間すら意識させないその速さには、如何なる対処も無意味である
元より聖は避けさせる気など無かったし、ナズーリンもまたその通りであった


――キンッ


ナズ「ぐッッ!!」


――カッ


ナズ「ごッ!!」


――キンッ


ナズ「あッ!……ご……ッ」


一輪「……」

村紗「……」


物理限界を突破する衝撃音と、ナズーリンのうめき声のみが響く


ナズ「はぁ……はぁ……はぁ……」

聖「……」



…………十四回



その全ての拳を受け切っても、ナズーリンは膝を付かなかった
星がただの一度たりとも弱音を吐いたことがないように、従者たる自分もまた倒れるわけにはいかない
聖が拳を収める頃には、ナズーリンは命を落としてもおかしくないほどに痛め付けられ、至る所から血を流してした


聖「……あなたは、どうあっても星の子を連れて行きたいと言うのですか?」

ナズ「はぁ、はぁ……その通りです!」

聖「ならば勝負と参りましょう」

ナズ「はぁ、はぁ……勝負?」

聖「そうです。その勝負とはこれを使います」バッ

ナズ「!……これは」


ナズーリンの目の前に出されたのは、白い木板
その表面には色取り取りの模様と道のようなものが描かれている
それは命蓮寺に居た者は誰もが覚えのあるものである


聖「これは模擬盤。寺にあった双六を真似て、私が作ったものです」

ナズ「……」

聖「ナズーリン、あなたにはこの双六で私と一対一の勝負をして頂きます。たった一度きりの勝負です」

聖「ここで見事私に勝利することが出来たならば、あなたの願いを叶えましょう」

ナズ「……!」

聖「私と勝負しますか? ナズーリン」

ナズ「無論です!」

ナズ「必ずや、あなたに勝ってみせる!」


模擬盤を挟み、ナズーリンは向かい合わせに端座する
痛みで意識が朦朧としながらも、決戦の舞台であるその盤上から目を離さなかった


ナズ「いざ……参る!」


一輪「……村紗」

村紗「何でしょう」

一輪「あなたなら勝てると思う? 姐さんに」

村紗「……」

一輪「あなたの技術があれば、どんなサイコロだろうと好きな目が出せる」

一輪「ならば双六という土俵では、姐さんにも勝てる可能性があるんじゃなくて?」

村紗「ご冗談を」

一輪「やっぱり駄目かしら?」

村紗「はい。私が双六で、聖に勝てるはずがありません」


コロッ…

聖「二マス進むっと」

コロッ…

ナズ「……四マス進みます」


双六の道のりは既に三割に達していた

ナズーリンは思案していた
結局のところ、この勝負は賽の目をいかに操るかに明暗が分かれる
ならば自身の望む目を出した者こそが勝利を収める


コロッ…

聖「三マスですね」

コロッ…

ナズ「五マス進みます」


賽の大きい数、四・五・六は全て隣り合って配置されている
つまりその中心を上に向くように投げれば、それだけ有利に駒を進めることができるのである

そのために力を加減して賽を振ることはさほど難しくはない
開始から今までの経験も相まって、この賽の癖もほぼ掴みかけている

その目論見はここまでは当たっていた
既に聖から十三マスも先を行っていることにも自信を持ち始めている
なおかつ聖との差はこれからさらに開く見込みが強いのだ




……いける!



その時ナズーリンが勝利を確信したことも無理はない
しかしその確信が単なる慢心でしかないことに、ナズーリンはすぐに気が付く


コロッ…

ナズ「よしっ!……六マス進みます!」スッ

聖「ふむ」

ナズ「……」チラッ


ナズーリンは頭の中で再度戦術を見直す

聖様との差は現時点で四十七マス
もはや偶然や運では覆しようのない距離が開いてしまった
後は上がりのマスに丁度辿り着く目を出すだけで勝利は手に入る
それまでに賽の振り方を完全にマスターしておく必要はあるが、これでもう安全圏にまで到達したのだ


聖「うーん……」

ナズ「……?」


聖様は賽をまじまじと見つめ、何やら思案顔をされている
まさか賽にイカサマをしているなどとイチャモンを付けるおつもりではないだろう
一度始まってしまった勝負は決着が付くまで終了などしない
聖様が臨む勝負ではなおさらだ


ナズ「…………」


ここでナズーリンは自身の甘さを悟る
聖が信じられない行動に出たからだ


聖「……」サッ


聖の手は賽を握ったまま、盤上に近付いて行き……


聖「よいしょ」

トン!


賽『六』


ナズ「……?」

聖「六マスですねー」スッ

ナズ「!?」

ナズ「ひ、聖様……何を?」

聖「え? 何というのは?」

ナズ「今ですよ今! 今!……その……賽を振っていないではありませんか!」

聖「何を仰るのですか? ちゃんと振って見せたではありませんか」

ナズ「そ、そんな……審判!」

ナズ「今不正が! 審判ッ!!」


一輪「……」

村紗「……」


小傘「べろべろばぁ! べろべろばぁ!」

響子「脅かしちゃ駄目よ、小傘」


ナズ「…………!!」


誰も聖のしたことを咎めようとする者はいなかった
その時になってナズーリンは理解する

ここは聖の領地たる聖輦船
全ての決定権を聖が握り、対する自分には味方など一人もいない
強制力を持った第三者がいない勝負に、公正なルールなど有って無きが如し
全ての事柄は聖の意のままに運ばれるのだ


ナズ「こ、これじゃあ……」

聖「どうかしましたか? あなたの番ですよ、ナズーリン」

ナズ「ぐ……」


ここでナズーリンは反撃に出る


ナズ「で、では……」スッ

トン!


賽『六』


聖「……」

ナズ「……それでは、六マス」

聖「お待ちなさい、ナズーリン」

ナズ「!」

聖「あなたはまだ賽を振っていないではありませんか」

ナズ「は……はい」


しかしその反撃は空しく一蹴される


聖「賽を振るというのはですね、このように空中で手を放して、賽が転がっていくに任せるものなのですよ?」

聖「そのように好きな目を出してしまっては、賽の意味がなくなってしまうではありませんか」

ナズ「……はい」

聖「ではもう一度」

ナズ「……」サッ


―――パシッ


ナズ「!?」


トン!


聖「おっと、あなたにしては珍しい目ですね」


賽『一』


ナズ「…………」


またも聖は強行手段を取った
ナズーリンが投げた賽を空中で奪い取り、そして一番小さい目が出るように再度”振って見せた”のである


ナズ「い、今のは……!」

聖「え?」

ナズ「今のは、何ていうか、その……」

聖「どうしました? もしや負けるのが心配になってきているのですか?」


聖「私とはまだこれだけの差を付けているのですから、慌てる必要などないでしょうに」クスッ

ナズ「…………」


もはやこれは双六ではない
始めから全ては聖の手の内にあったのだ


トン!


賽『六』


聖「おや、私も良い目が出てくるようになりましたね~」


聖「これはもしかすると、勝負は分からないかも知れませんよ?」スッ

ナズ「……」

聖「いち、にい、さん、しい……ごお、ろく」

ナズ「……」

聖「しち、はち、きゅう、じゅう……っと」

ナズ「!?」

聖「さっ、ナズーリンの番ですよ」

ナズ「は…………はい……」サッ


―――パシッ

トン!


賽『一』


ナズ「ううっ……」

聖「おっと、またしても低いところですね」

聖「これはいよいよ私にも運が巡って来たのかも!」ニコッ

聖「ではもう一振り」

トン!

聖「……しい、ごお、ろく、しち」ススッ


―――カンッ


ナズ「!?」


遂に聖の駒がナズーリンの駒を追い抜いたその時、聖の鬼畜調整が火を噴く
聖の暴走運転によりナズーリンの駒は弾かれ、通路を飛び越えて進行を後退させられた
弾かれた先のマスは振り出しからほど近く
一気に百マス近くも下げられてしまったのである


ナズ「」


ナズーリンは絶句した

何というえげつなさか
情け容赦ないとはまさにこの事
聖に比べれば、配下四人の猛攻も優し過ぎるぐらいだ

だがそれでも自分は勝利しなければならない
頭の天辺からつま先まで、全身が自分ルールで出来上がっているようなこの相手に


聖「おやおや、これはお気の毒に」

聖「もう何回連続か分からないほど、一ばかり出ていますね」

ナズ「……」


しかしどのようにして反撃に出れば良いのか
ナズーリンにはまるで検討が付かない

たった一つの明確な解は、この聖輦船において聖すら凌ぐ強制力を持つことだ
しかしそれだけは絶対に不可能である

本気になった毘沙門天すら、聖は力ずくで押さえつけて見せたのだ
配下四人の力を全て合わせて、その数十倍数百倍にしたとしても、今の聖の戦力には及ばない
ましてお役目を解かれ力を失った今の自分に、聖を上回る方途などない


聖「さん、しい、ごお……」ササッ

ナズ「……」


もはや聖はマスを一つ一つ進むという規則すら無視している
一歩進むごとに何マスも飛び越え、そればかりか通路を外れて近道すらするようになっていた
あっという間に勝負は終盤に持ち込まれてしまう
自分のこの手を最後に、聖は勝利を手にしてしまうだろう



ナズ「…………ッ!!」





やるしか――――ない!!




ナズ「い……行けえッ!!」サッ


―――パシッ

トン!


賽『一』


ナズーリンは自分の駒を握り、持ち上げる


聖「……」


駒は高々と上がり、そして一点めがけて振り下ろされる


――タンッ!


駒が降ろされたマスには、『上がり』と書かれている
ナズーリンは対戦者を睨み付けた



ナズ「私の、勝ちです!!」




聖「……ナズーリン、今あなたに出た目は一だったはずですが?」

ナズ「そうです!」

ナズ「だからこのように、一歩進んだのです!」

聖「……」

一輪「……」

村紗「……」

響子「……」

小傘「……」


アウー… アッアッ…



しばしの静寂の後、聖はゆっくりと口を開ける


聖「……より早く上がりに辿り着いた者が勝利する」

聖「双六とはそういうものですね」

ナズ「…………」

聖「しかしなぜ早く着いた者が勝ちと言われるか分かりますか?」ピタッ


聖は賽の真上に人差し指を置く


聖「それは、順序以外に争う要素がないからです」


聖「これはもう必要ありませんね」ググッ


―――パキンッ


ナズ「!?」


そのまま賽は砕け散った
そして、聖は自らの駒に手をかける


聖「ですが、いつの時代、いかなる世界においても……」スッ

ナズ「!!」

聖「勝者とは、最後まで立ち続ける者のことを言うのです」


聖の駒は一直線に上がりへと突き進む

まだ終わってはいない
この瞬間こそが本当の勝負なのだ



ナズ「うわぁぁああああッ!!」ブンッ



――――あの駒を上がらせてはならない!


ナズーリンは即座に理解した
あの駒が自分と同じ場所に辿り着いた時、自分の勝利の芽はそこで潰えてしまうのだ


ロッドを振りかぶり、聖の駒を破壊する
それ以外に勝利の道はない

だが金剛石より硬い聖の手に守らた駒に、ただのロッドが敵うはずがない
ならばありったけの錬度を以ってロッドを鋼とするしかない


ギキィィィン…!


振り下ろすその瞬間に、宇宙一の硬度を持つロッドが完成する


ナズ「お覚悟ッッ!!」


――――ズドォッ!!!


ナズ「――――――がっ!?」



ミシミシミシッ…


ナズ「ぐっ……げぶッッ!!」


ビシャッ…


聖「……」


吐いた血が盤上を赤く染める
駒が握られた聖の手は突如空中に飛び、ナズーリンの腹にめり込んだのだ

今度は先ほどのような手加減された打撃ではない
躊躇なく命を取りに来た一撃であった

もうナズーリンのロッドは駒には届かない
視界が消失し、もはや盤すら見えていない



――バキンッ!


聖は残る手で超合金のロッドを握り潰す
全ての手段を封じられたナズーリンは、そのまま前のめりに倒れていく




ナズ「お……」







ナズ「ぁぁああ!!」


ヒュッ…




―――――ゴシャァァン!!




カランカラン…


一輪「!!」

村紗「……!」


聖「……」


ナズーリンは気を失っていた
しかし倒れる間際にその意地を残した
床に伏せるその瞬間、自らの手で模擬盤を叩き割ったのである

盤上の世界は粉々に砕け散り、もはやかつて上がりと呼ばれた場所は消滅してしまった
もう誰も、上がりには辿り着けない




聖「よろしい!!」



聖が立ち上がり宣言する


聖「見事なり、ナズーリン!!」

聖「絶対的な窮地に陥るとも、なお失わぬ勇気と知恵!」

聖「その不屈にして金剛不壊なる精神こそ、まさしく唯一無二の勇者の証!」

聖「やはり星の目に狂いはなかった……村紗!」

村紗「はっ!」


ザバッ!

バシャッ…!


ナズ「はっ!?」ガバッ


響子「お疲れ様でした、せんぱい!」

一輪「さすがは星の従者、見上げたものだわ」

小傘「遂にやりましたね!」

ナズ「え? しょ、勝負は……?」

聖「認めましょう、ナズーリン」


聖「あなたの勝ちです!」ニコッ




――


――――


――――――――



聖「私は星の所へ向かいます」クルッ

永琳「……」


村紗「何か申し開きすることはありますか?」

永琳「いいえ。何もないわ」

永琳「全て、その通りよ」

一輪「……」

村紗「……」ギリッ

村紗「……私には、あなたを罰することはできない」

村紗「しかし約束は守ってもらう」

永琳「ええ、もちろ―――」



―――バゴッ!!


ガシャァアアン!!


村紗「!」


永琳「ぐ……ッ!」ドサッ…


てゐ「!!」

鈴仙「お、お師匠様!」

一輪「一発ぐらいは殴らせろ!!」

鈴仙「……!」グッ

永琳「…………」


一輪「私は少し出かける。後は頼んだわよ」クルッ

村紗「どちらへ?」

一輪「どこだっていい!」

一輪「今あいつがここに戻って来たら、私は殴り殺さずにはいられない!!」

村紗「……そうですか」


一輪は怒りを押し殺しながら永遠亭を飛び立つ
ちょうどその時、聖は星の部屋に到着した





聖「……星、あなたの言う通りでした」

星「そうですか」スッ

聖「何をしているのですか!? やめなさい!」

星「……」

聖「今言ったばかりではありませんか!」

聖「それは飲んではならない! あのネズミが持って来たのは薬などではないのです!」


星「そうかも知れませんね」

星「聖、あなたはこれを毒として見るのでしょう」

星「しかし私はそのようには思いません」

聖「何を言って……」

星「仏は甘露と見る、地獄に住まう者は業火と見る、そして人はそれを『水』と呼ぶ……」

星「その譬えが教える通り、この薬は私にとっては薬どころではないのです」

聖「今はそんな屁理屈を捏ねていられる場合ではないのです!」

聖「それを飲めば、ただ苦しみを増すだけなのですよ!」


星「いいえ、私はこれを飲まなければなりません」

星「これは断じて毒などではありません。飲めば分かります」スッ

聖「やめなさい! やめなさいったら!」

星「……」

聖「はぁ、はぁ……どうして!」

聖「どうしてそこまでして、あの裏切り者を庇おうとするのですか!」

星「裏切り者とは、ナズーリンのことでしょうか?」

聖「他に誰がいると言うのですか!」

星「彼女は私を裏切ってなどいません」

聖「!?」


星「私のためを思えばこそ、あなたに八つ裂きにされることも覚悟の上で、これを持って来たのです」

星「これを飲めば分かることです。彼女がどれほど私のことを思ってくれているのか……」

聖「な、何を言っているのですか……私には……」

星「もう一度よくよく調べてご覧ください。この薬には、ちゃんと本来の効能があるのです」

聖「……?」

星「この薬は、お腹の子にだけは絶対に影響が及ばぬよう作られているのです」

聖「!?」

星「この千年、ナズーリンはずっと私のことを見守ってくれていました」

星「なればこそ分かるのでしょう。何をすれば私が喜び、また悲しむのか」

聖「……」


星「ナズーリンは私が悲しむことは絶対にしません。この薬が教えてくれる通りです」

星「私が子を失えば、どれほどそのことに悲しむのか……彼女はちゃんと分かっているのです」

星「だから殺すことはできない」

聖「!!」

星「たとえ仇だと分かっていても、それだけはどうしてもできないのです」

星「考えてもみて下さい、聖」

星「ただ私の命を先延ばしにしたいだけならば、こんな回りくどい薬など作る必要はないのです」

星「堕胎の薬を含ませてしまえば、それで事は全て済んでしまうのですよ」

星「でもナズーリンはそうしなかった」

聖「…………」


星「それでも私の命を助けようとしたからこそ、このように知恵を絞ったのです」

星「後であなたたちから責められることも承知の上で、あえてそうしたのですよ」

聖「それは……」

星「ならばこれは私にとって薬どころではなく、もちろん毒などではありません」

星「私にとって、これはまさに命そのもの」

星「私がこれを飲まなければならないというのは、そういったことです」スッ

聖「……」

ゴクッ… ゴクッ…


もう聖には何も言えなかった
計り難きその気高い精神の前には、聖といえどもただひれ伏すしかなかったからだ


星「聖、最後に一つだけ頼みがあります」

聖「……言ってごらんなさい」

星「事が済めば、あなたはナズーリンを放逐するでしょう」

聖「!」

星「あなたたちの心情を思えば、それは仕方のないことです。でも」

聖「……」

星「ナズーリンは必ずあなたたちの下へ帰って来るでしょう」

星「その時は、彼女をしっかり鍛えて頂きたいのです」

聖「少しお待ちを……帰って来るとは?」

星「この子の全ては、ナズーリンに託したい。私はそう思っているのです」

聖「!!」


星「彼女がこの子の一切を引き受けてくれるならば、もう私には何の憂いもありません」

星「さすればあなたたちも、私の子も、そしてナズーリンも、皆共に等しくその果を得るでしょう」

聖「…………分かりました」スッ

聖「何もかも、あなたの仰る通りに致します……!」

星「どうかよろしくお願いします」

聖「はい!」

星「ナズーリンは強くなりますよ。きっと、あなたたちの誰よりも」ニコッ

聖「……少し休みましょう。あまり長話をしていては体に障ります」

星「はい」


聖「…………」


ガクッ…


星が眠りに就いて間もなく、聖はその場で地に伏した


聖「お……」


聖「おおっ……! おおおお!!」

聖「星ッ!! あ……あなたは……!!」


聖は泣いていた
弟に先立たれた時、師匠を失った時ですら流さなかった涙を、今聖は流していた


聖「ああぁぁああああ……ッッ!」


何という輝きか
何という気高さか
もはや出会った頃の臆病な虎はそこにいなかった
光り輝くその姿は、とうに人妖の次元を超えていた

自分は今まで、星を正しき道へと導いてきたつもりだった
しかし真実は違った

自分が星を選んだのではない
寅丸星こそが、この聖白蓮を選んだのだ
星を守護する無数の諸天善神・梵天・帝釈・如来が、自分を星の下へと遣わしたのだ


聖「星…………」


嗚咽混じりにながらも、聖はその言葉を口にした



聖「あなたには……負けましたよ…………」



水を燃やすは易し

山を投げるは易し

銀河を跳ぶは易し




――――されど、菩薩に会うは難し


聖はこの言葉の真意を悟るに至った



――――――――


――――


――




ぬえ「……あいつ、うまくやったかしら」


月を見上げながらぼんやり思った
神出鬼没でありながら幻影のようでもある聖輦船
時たま空中で見かけることはあっても、実際に辿り着ける者はいない

追っ手を撒いた後で気になって引き返してみたものの、もうそこに聖輦船はなかった
その後聖輦船を目にすることはなく、事の顛末も分からない
ナズーリンは聖へのお目通りが叶ったのだろうか


ぬえ「ま、私には関係ないけどね」

ぬえ「……ん??」


ザザッ…


マミゾウ「久方ぶりじゃのう。元気でやっとるかえ?」

ぬえ「何だ、あんたか」

マミゾウ「おやおや、折角こうして会いに来たというのに随分な反応じゃの」

ぬえ「……」

マミゾウ「何じゃ? どうも張り合いがないのう」

マミゾウ「何か気になっとることでもあるのかえ?」

ぬえ「別に……」

マミゾウ「最近お主の活躍を耳にしとらんが、もうお化けは廃業したのかえ?」

ぬえ「やって出来ないことはないけど、どうも身が入らないのよねぇ」

マミゾウ「ふむ」


ぬえ「そりゃ、前より魔法はずっとうまく使えるようになったけど、でも何かね」

マミゾウ「……」

ぬえ「今更そこらへんの奴を化かしても、大して面白くないっていうか……」

マミゾウ「ほぅ」

ぬえ「最近どうも調子が出ないのよ。これがスランプってやつかしら?」

マミゾウ「ふむふむ」

ぬえ「何かアッと驚くような面白いことでもあればいいんだけど……」

ぬえ「マミゾウ、あんた何か知らない?」チラッ

マミゾウ「儂か? ほっほっほ! そうさなぁ……」

ぬえ「……」


マミゾウ「まあ無いことも無いんじゃが、おそらくはお前さんのお気に召すものは無いじゃろうな」

ぬえ「あっそ」

マミゾウ「ふむ……なるほどなるほど」

マミゾウ「それは違いないのう。確かにその通りじゃて」

ぬえ「何一人でブツブツ言ってんの?」

マミゾウ「そんなに気になるなら、追いかけてみれば良いじゃろう」

ぬえ「……は?」

マミゾウ「あいつらじゃよ、あいつら」

ぬえ「?」

マミゾウ「お主もあいつらが達者でやっているのか気になるんじゃろう?」


マミゾウ「なかなかに面白い奴らじゃったから、心残りに思うのも無理はあるまいて」

ぬえ「……」

マミゾウ「ナズーリンならちゃんと到着したようじゃぞ?」

ぬえ「!」ピクッ

マミゾウ「しかしその後どうなったかまでは分からんがのう」

マミゾウ「ま、儂には関係ないことじゃからな?」ニヤニヤ

ぬえ「…………」

マミゾウ「さて、儂はそろそろ行くかの」

ぬえ「……あいつらは」

マミゾウ「うん?」


ぬえ「あいつら、外の世界に行きたがってるみたいなんだけど……」

マミゾウ「……」

ぬえ「外の世界なんて行って、何するつもりなのかしら」

マミゾウ「さあな」

ぬえ「マミゾウ、あんたは外から来たんでしょ?」

マミゾウ「そうじゃの」

ぬえ「外の世界って、今どうなってるの?」

マミゾウ「外の世界か? ここと何も変わりゃせんよ」

マミゾウ「どいつもこいつも、あっちでもこっちでも好き放題遊び暮らしておるわい」

ぬえ「ふーん……」


マミゾウ「ま、一つ違うことがあるとすれば、向こうはいつでも命がけになっとるくらいじゃの」

ぬえ「命がけ?」

マミゾウ「向こうは何かに付けては遠慮がないからのう」

マミゾウ「ちょっとでも気を抜けば、あっと言う間にあの世行きなんじゃよ」

ぬえ「……」

マミゾウ「しかし幻想郷に飽きたなら、外の世界に行ってみるのも良いかも知れんのう」

ぬえ「行ってみるって……それが出来ないから、あいつら未だにフラフラしてんでしょ?」

マミゾウ「さもありなん」

ぬえ「あんた、外からこっちに来たんでしょ?」

マミゾウ「そう言ったのう」

ぬえ「なら、また外に行く方法も知ってるんじゃないの?」


マミゾウ「ほっほっほっほ!」

ぬえ「?」

マミゾウ「そんなにあいつらのことが心配かえ?」

ぬえ「いや、心配ってほどじゃないけど……結末がどうなるかは気になるじゃない」

マミゾウ「そんなの最初から知っておろう?」

ぬえ「え?」

マミゾウ「みんなまとめてあの世行きじゃよ。誰も生き残りゃせんて」

ぬえ「!?」

マミゾウ「お主もそう聞かされたから、ここにいるんじゃろう?」

ぬえ「……うん、まあ」


マミゾウ「しかし物好きな奴らじゃのぉ~」

マミゾウ「いくら外に行きたいからって、命を落としてしまっては何にもならんじゃろうに……のう?」チラッ

ぬえ「……」

マミゾウ「とどの詰まりを言うとな、外へ行くこと自体は簡単じゃ」

マミゾウ「何も無縁塚なぞ越える必要はない……もっとも、あれは出口ではないんじゃがな」

マミゾウ「外へ出たいと念じておれば、いつの間にかそうなっとる。ここはそのように出来ておるんじゃよ」

ぬえ「……」

マミゾウ「ただしあいつらのような条件付きとなると、これは話が違ってくるわい」

ぬえ「どう違うってのよ」

マミゾウ「違うも違う。これはもう難事中の難事なのじゃぞ?」


マミゾウ「何しろ、生きたままこの幻想郷を出た者は、未だ一人もいないんじゃからな」

ぬえ「??」

マミゾウ「不可能ではないのかも知れんが、ロケットやら扉でもって行き来するというわけにはいかなんだ」

マミゾウ「儂も確かに外にはいたんじゃが、そこでカタチを持っておったわけではないんじゃよ」

ぬえ「それって……どういうこと??」

マミゾウ「お主は三途の河というのは知っとるかえ?」

ぬえ「冥界にあるやつでしょ? それがどうしたの?」

マミゾウ「実を言うとあそこは三途の河ではなくての。正式な名称は『渡し』と言うんじゃ」

マミゾウ「本物の三途の河はもっとずっと激しい処なんじゃぞ?」

ぬえ「ホンモノ?? 閻魔たちが仕切ってる方は偽物ってこと?」


マミゾウ「偽物とはちと言い過ぎかも知れんの。ちゃんとそれなりに機能しておるからな」

マミゾウ「しかし本家本元の三途とはやはり比べ物にならんわい」

ぬえ「……それ、どんな処なの?」

マミゾウ「さあのぉ……見る者によっては美しいと感じるし、また別の者には苦しいと感じたりするじゃろう」

マミゾウ「楽しいと感じる者もあるじゃろうし、悲しいと思う者もあろうて」

ぬえ「??」

マミゾウ「とにかくあれは一言では言い表せんよ」

マミゾウ「儂もあそこでは何とも言えん神妙な心持ちになってしまったわい」

ぬえ「……あんたはそこを通ってこの世界に来たってこと??」

マミゾウ「左様」


マミゾウ「あいつらも外へ行こうとするならば、まず間違いなくあの道を通ることになるじゃろうて」

ぬえ「……」

ぬえ「じゃあ、その三途って処に行く方法はあるの?」

マミゾウ「んん? 何を言っとるんじゃ?」

ぬえ「え?」

マミゾウ「三途の河を渡れば命はないんじゃぞ? お主もそれぐらい知っておろう」

マミゾウ「それとも、お主がそれを知って何か得することでもあるのかえ?」ニヤリ

ぬえ「いや、別に……」プイッ

マミゾウ「……あいつらなら、今は紅魔館におる」

ぬえ「!」


マミゾウ「もうそろそろ頃合かも知れん。追い付くなら今のうちじゃて」

ぬえ「……」

マミゾウ「じゃあ儂はもう行くかの。あまり長話しておっては年寄り扱いされてしまうからのう」バッ


ザザザザ…


ぬえ「…………」


ぬえは夜空を見上げた
空も月もこの地上も、いずれもいつも変わらぬ静かな幻想郷そのものである
しかし平静に見えるこの世界にも着実に変化の時が迫っている
何が起こるかは分からないが、この静寂がいつまでも続くことだけは決してあり得ない

他ならぬ自分自身が、そのことを本能のようなもので察していた


~紅魔館~


村紗「そちらは如何でしたか?」

パチュリー「お察しの通りよ」

パチュリー「成果はなし。使いの者たちにも探させたけど、書庫にもそれらしき資料は無かったわ」

村紗「ふむ……」

パチュリー「もはや本当にあるのかどうかも疑わしいわね。外へ通じる道なんて」

一輪「困ったわね。いつまでもグズグズしてらんないってのに……」

聖「ではひとまず出口の件は置いておきましょう」

聖「焦っても仕方ありません。しっかり腰を据えて気分転換でもしましょう」

パチュリー「……」


聖「……時にパチュリーさん、私はとある鬼を追っているのですけど、少し伺ってもよろしいでしょうか?」

パチュリー「鬼……」

聖「はい。少し前に懲らしめておくつもりで臨んだのですけど、結局最後は取り逃がしてしまったのです」

パチュリー「それは、もしかして伊吹萃香のことかしら?」

聖「あ、そうですね」

聖「その後、天狗たちにも行方を追わせてはいるのですが、なかなか足取りが掴めなかったのです」

パチュリー「そうねえ、あるいはその鬼そのものが消えてしまった可能性があるわ」

聖「と言いますと?」

パチュリー「鬼というものは、たった一度でも敗北してしまうと、もう鬼の形を保つことはできなくなるのよ」

パチュリー「あなたに負けて逃げて行った以上、既に伊吹萃香は鬼ではなくなっている可能性が高いわね」

聖「はぁ」


村紗「……ちょっと失礼、鬼が鬼でなくなる、とは?」

村紗「彼女たちは死なない限り、ずっと鬼なのではありませんか?」

一輪「……」チラッ

パチュリー「過去を調べる限り、敗北を経験した鬼の中には、その後行方を晦ませてしまう者が多い」

パチュリー「負けても去らずにいる者もあるけど、それは皆何らかの制限を自らに課して、限定的な勝負をした者だけ」

パチュリー「というより、ほとんどの鬼たちは制限付きで戦うのが常。本気の真剣勝負は実は数えるほどしかやっていないのよ」

パチュリー「そしてその真剣勝負で負けてから、その後再び姿を現した鬼は過去にただの一つも例がない」

一輪「……」

村紗「……」


パチュリー「おそらく考えられるのは、鬼は全力で戦って負けてしまうと、その瞬間に消滅に近い現象が起こる」

パチュリー「あの連中が力を出し惜しむ理由なんて、それ以外には考え難いわ」

パチュリー「鬼は好戦的なものと考えられているけど、あいつらだって自らを惜しむ心ぐらいは持っているのよ」

聖「なるほど……」

パチュリー「その鬼も敗北を悟って自ら逃げ出したとあれば、もはや『伊吹萃香』として探しても無意味なのかも知れない」

聖「そうだったのですね……しかし、それでも私は探すのを諦めてはならない事情があるのです」

パチュリー「?」

聖「私の知る妖怪にお聞きしたのですが、実は彼女の居場所が掴めそうなのです」

パチュリー「……どういうこと??」

聖「私には詳しい事情は分からないのですが、その方によれば……」スッ


聖「この方角の、おおよそこの辺りにいるのだとか」

パチュリー「ここは……いえ、ここには何も無いはずよ」

パチュリー「その辺りにはもう森しかないし、そもそもこんな遠くまで行ける奴はいないわ」

聖「そこを押してお頼みしたい。どうかこの座標に誰かいないか調べて欲しいのです」

聖「彼女の手がかりを掴めたのであれば、私にはあれを封印する義務があるのです」

パチュリー「ふむ。まあやってはみるけど、成果は期待しない方が良くてよ?……ちょっとそこの!」

小悪魔「あ、はい」

パチュリー「大至急、計測器をここに書く通りに合わせて演算させなさい」

パチュリー「場所は方角45.683のTK7862。距離にして753,785.429フィートよ」サッ

小悪魔「はぁ……」サッ


パチュリー「データが上がり次第、ここへ持って来てちょうだい」

小悪魔「了解しました!」タタッ

聖「お手数おかけします」

パチュリー「別にいいわ。どうせ暇だし」

パチュリー「今は……ね」


件の演算結果がここに持ち込まれるまで、そう時間はかからなかった
小悪魔が息を切らせて結果を持って来たのは、夜が明けてすぐのことだった




小悪魔「パチュリー様! パチュリー様~!」

パチュリー「……」ピクッ

小悪魔「はぁ、はぁ……計算の結果が出ました!」

パチュリー「ご苦労。それをこちらへ」

小悪魔「は、はい……でもちょっと気になることが」サッ

パチュリー「?」

小悪魔「これを見てもお分かりだと思うのですが、ちょっと数値が変なんです」

パチュリー「…………」

小悪魔「私たちも色々調べてはみたんですけど、どうも計測器は故障してないみたいで……」


パチュリー「今すぐ命蓮寺を呼びなさい!」

小悪魔「え?」

パチュリー「グズグズしてたら手遅れになるかも知れない! 早く!」

小悪魔「は、はいっ!」タタッ


~少女伝令中~


聖「萃香が見つかったというのは本当ですか?」

パチュリー「……」チラッ

小悪魔「わ、私はちゃんとご説明したんですよ?」


パチュリー「いいえ、萃香が見つかったわけではないわ」

聖「あ、そうでしたか。これは私の早とちりでしたね」

パチュリー「萃香どころか、誰かがそこを通った形跡もないわ」

パチュリー「こんな遠くまで行くこと自体が不可能なのだから、それは当然と言えば当然ね……でも」

聖「?」

パチュリー「明らかに数値がおかしいのよ」

パチュリー「この辺り一帯には森しか無いはずなのに、このデータによるとそうじゃない」

パチュリー「周りは全て森になっているはずなのに、ここだけが一切草木が生えていないことになってるのよ」

パチュリー「まるでそこにだけ小さな砂漠がポツンとあるような状態ね」

聖「……」


一輪「それって……」

パチュリー「実際に行ってみなければ分からないけど、ここは幻想郷の秘密に関わる何かが隠されているかも知れないわ」

村紗「では、ややもすると……」

パチュリー「ええ……もしかすると、外の世界へ通じる穴がそこに出来ているとも考えられなくはないわ」

聖「なるほど、それは一度行ってみる必要がありそうですね」

聖「運が良ければ、そこで萃香も捕まえられるかも知れませんね……一輪!」

一輪「はっ!」

聖「小傘と響子を呼びなさい。出立の準備を整えるのです」

一輪「承知!」


聖「村紗」

村紗「はい」

聖「大至急、ナズーリンに伝令をお願いします」

村紗「分かりました」


陽が昇り切る頃には、聖たちは聖輦船に乗り込み紅魔館を離れていた
その時には村紗も既に船に戻っていた





~聖輦船~


響子「聖様、ちょっといいでしょうか?」

聖「はい、何でしょう」

響子「私たちって、外の世界に行くんですよね?」

聖「そうです」

響子「その外の世界って、どんな所なんでしょうか?」

聖「……なるほど、あなたたちにも教えておいた方が良いかも知れませんね」

聖「小傘もよくお聞きなさい」

小傘「……」コクッ


聖「外の世界というのは、まず魔法がありません」

響子「魔法がない……??」

聖「今あなたたちは当然のように手から水を飛ばしたり、口から超音波を放ったりしています」

聖「しかしそういったことは向こうではできなくなります」

響子「……」

聖「おそらく私たちも今の形を保てなくなるでしょう」

聖「分りやすく言いますと、里にいる人間たちと全く同じになるでしょう」

響子「はぁ」

小傘「??」

一輪「……」

村紗「……」


聖「従って向こうには、妖怪はもちろん、仙人だとか悪魔だとか、そういったものは一切いないのです」

聖「あなたちもまた、元の人間に戻ることになるでしょう。かつての星と同じように」

小傘「!?」

響子「えっ??」

聖「しかし気に病むことはありません」

聖「人間は人間のままでいることが、幸福への一番の近道なのです」

聖「魔法だとか奇跡の力だとか、そういったものは本来の生命には不要なのですよ」

小傘「……」

響子「……」

聖「その辺りのことは、向こうに着いてから分るようになるでしょう」


一輪「……しかし空もまともに飛べないとは、如何にも不便な所ですね」

聖「?」チラッ

一輪「聖様の仰る通りであれば、私たちにできることはかなり限られてしまいます。」

一輪「向こうで我らがお力添えできることはあるのでしょうか?」

聖「もちろんです!」ニコッ

聖「目で見て、耳で聞き、手足を動かし、口を用いて音声(おんじょう)を響かせる」

聖「実はこれが大変な働きを為しているのです」

聖「私のこの……」スッ

一輪「?」

聖「今私の手に掴んだ空間が、魔法の価値の大きさを表しているとすると……」チラッ


聖は天を見上げた


聖「口から発せられる声、即ち言葉というものの価値は、この天空全ての大きさを越えるのです」

一輪「!?」

小傘「……えっ??」

聖「魔法というものは、それに比べれば何の価値も無いに等しいのです」

響子「そ、そんなはずは……」

聖「考えてもごらんなさい」

聖「あなたたちはどうして私と共に仏道に励んでいるのですか?」

聖「私が強大な魔力を持っているからですか? それとも妖怪として格を上げる機会を得るためですか?」

聖「そうではないでしょう」


聖「あなたたちは私の言葉を信じたからこそ、この仏法を学ぼうと決意したのです。決して振るう魔法の大小ではありません」

聖「もし仮に私がただ魔法を振り回し、その威を示したところで、あなたたちは仏縁を結ぶことはなかった」

聖「私を災害あるいは大妖怪として恐れることはあろうとも、それによって仏道に帰依することはなかった」

聖「私の言葉故にあなたたちは仏法を信じ、その慈悲を求めようとしたのでしょう」

聖「今私が持てる力を数百倍、数万倍したところで、結果は変わりはしません」

聖「言葉というものがなければ、今も私たちはそれぞれが勝手気ままに暮らし、儚い土くれとして空しく生涯を終えたでしょう」

聖「如何ですか? これでもまだ魔法に価値があるなどと言えますか?」

四人「……」


聖「今この世界では、魔技を極めることで自らの未来が拓かれるものと信じられています」

聖「ですが真実はその逆なのです」

聖「仮に魔術の頂点を極め、宇宙の帝王として君臨したとしても、そんなものは何の足しにもなりません」

聖「彼らは使命を忘れ、遊戯に迷い、自らを閉じ込める檻をせっせと作っているに過ぎないのです」

聖「そんなものに執着していては、ただ徒に己の業を深めるだけなのですよ」

村紗「……」

聖「例えて言うならば、それは夜空のようなもの」

聖「暗黒の世界において、無数の星々はその輝きを競う」

聖「ありとあらゆる星たちが、我こそは最上、我こそは一等なりと、こぞってその輝きを示さんとする」

聖「しかし所詮そんなものは程度の低い背比べでしかない」


聖「時が経ち、やがて夜明けが来ると、そこに計り知れない輝きを持つ者が現れるからです」

聖「そこにひとたび大日天、即ち太陽が現れれば、全ての星々はその絶大なる威徳にひれ伏し、頭を垂れるしかないのです」

一輪「……」

聖「魔法を星の輝き一つとすれば、私たちの発する言葉は、あの太陽の輝きにさえ勝るのですよ」

聖「声仏事を為すとはこのことなのです」

聖「いずれはあなたたちも、この言葉が虚妄でないことを知るでしょう」

小傘「……えーっと、じゃあ向こうではいっぱいしゃべった方がいいんでしょうか??」

聖「その通りです小傘! まさにあなたの言う通りなのですよ!」ニコッ

小傘「え? そ、そうですか……? えへへ」

響子「……」ソワソワ


聖「これからは魔法ではなく、音声を大いに響かせることになるでしょう」

聖「響子。きっとあなたも向こうで獅子奮迅の大活躍をすることになります。楽しみにしていなさい」

響子「は、はい!」

聖「私たちもその時に備えて、今から発声練習をした方が良いかも知れませんね」

村紗「ふーむ……」

一輪「発声練習ね……私は異存なんてないけれど、もっとこう、大きいことはできないものかしら?」

村紗「……ならばこういうのはどうでしょう」

一輪「ん?」

村紗「ここで一つ思い切って、世界を救いに行く……というのは?」

一輪「はぁ? あんた何言って」

聖「何と素晴らしい!」


一輪「!?」

聖「我が身の安寧に留まらず、衆生救済の戦いに打って出るとは!」

聖「村紗! 私は何という果報者でしょう! 弟子であるあなたから、そのような大宣言を聞ける日が来るだなんて!」

聖「師としてこれ以上の喜びはありません! 御本仏もさぞやお喜びでしょう!」

村紗「ど、どうも……」ニコ…

一輪「…………」

一輪「よぅし!! 今から私たちは、命蓮寺改め『世界を救い隊』と名乗るわよ!」

一輪「小傘! 響子! 向こうに着いたらガンガン行くわよ!!」

小傘・響子「おー!!」

聖「おやおや」ニコニコ


村紗「しかし、その名前はもうちょっと何とかならないものでしょうか」

聖「……ふむ、そろそろ頃合でしょう」

一輪「?」

聖「今こそあなたたちにも真実を告げなければなりませんね」

小傘「えっ?」

聖「なぜ星が子を身篭ったのか。なぜ私たちが外の世界を目指すのか」

村紗「!」

聖「そして、仏法とは一体何のためにあるのか」

響子「……!」

聖「その全てをお伝えしましょう」


いつにも増して真剣な眼差しをした聖に、四人の弟子たちは気を引き締める
これより先の言葉は、一語一句なりとも聞き逃してはならないことを悟る



聖「皆、よくお聞きなさい」

四人「はっ!」

聖「私は今まで、あなたたちに何度となく仏法を伝授しました」

聖「それぞれの悩みと求めに応じて、私は様々に道を開く方途を示してきましたね」

聖「その智恵は大小高低の差はあれど、皆それぞれに利益を得ました」

四人「はっ!」


聖「しかしながら、あなたたちに教えた智恵は仏法のほんの一部でしかありません」

聖「仏の持つ甚々無量の智恵に比べれば、今まであなたたちの受けてきた利益は限りなく些少なものなのです」

聖「なぜならば、あなたたちは未だ仏のご意思を知らないからです」

聖「仏法の目指すところを知らなければ、如何なる智恵もその真の力が現されることはありません」

聖「それは丁度、山と積まれた無上の宝を目の前にしておきながら、何も取らずに引き返すようなものなのです」

四人「……」

聖「ではここで問いましょう」

聖「あなたたちは仏法が何のためにあるのか知っていますか?」

聖「これを過たず述べることが出来る者があれば申し出なさい」


一輪「……」

村紗「……」

小傘「……」

響子「……」

聖「そうですね。答えられるはずがありません」

聖「なぜならば、この法門に入る者の因は一つではなく、それこそ千差万別の事由があるからです」

聖「私はあなたたちの機根に応じて、様々に方便を用いました」

聖「一輪よ。血の気の多いあなたには”これは宇宙に挑戦状を叩き付けるものである”と説きました」

聖「村紗よ。罪の意識が深いあなたには”これは御霊を極楽浄土に向かわせる法である”と説きました」

聖「そして小傘に響子よ。死を恐れるあなたたちには”これは自らの存在を安泰ならしめる方途である”と説きました」


聖「その全ては嘘などではなく、紛れも無く真実です」

聖「しかしながらそれらは仏が伝えたかった教えではなく、その一心とは異なるものなのです」

聖「仏像も、伽藍も、法衣も、そして戒律でさえも、その一心に至らせるための仮の教えに過ぎないのです」

響子「!?」

小傘「??」

聖「一輪、村紗。あなたたちには既に禁酒の戒めを解きましたね?」

一輪・村紗「「はっ!!」」

聖「私が戒めを解いたのは、既にあなたたちの精神が戒律を超えていたからです」

一輪「……!」

村紗「えっ??」


聖「仏の一心に近付く者には、もはやそのような小法は不要なのです」

聖「そればかりでなく、仏像、伽藍、法衣、あるいは様々な仕来たり、儀式でさえも無用の長物に過ぎない」

聖「そもそも仏は、仏像を守れとも伽藍を建立せよとも仰ってなどおりませんし、諸経を繰り返し書写せよとも仰らないのです」

四人「!?」

聖「過去の仏僧たちと同じくして、私がそれらを守るよう言い付けたのは、あなたたちが未熟であった故なのです」

聖「よくよく考えてごらんなさい」

聖「仮に仏像や伽藍が何千何万と建ったとして、それで一体誰が救われますか?」

聖「理や智を得ぬままに、ただ闇雲に妻帯、飲酒を禁じたとして、それで本当に諸悪の根を断てると思いますか?」

四人「……」


聖「しかし我が弟子たちよ、これまでの作法や言い付けは何ら仏意に背くものではありません」

聖「なぜならば、これらは全て仏の一心を僅かなりとも知る故に生み出された、知恵の結晶に他ならないからです」

聖「仏の一心……即ち一大乗法が現れるには、時が満ちるのを待たねばならなかったのです」

聖「その時が来るより先に一心を示したとしても、私たちはそれに堪えられず、また理解することもできなかったでしょう」

聖「生死の執着のために不朽なる形状を尊び、目に見えるもの、権威を持つものをとりわけ惜しむことを、御仏はご存知でした」

聖「そのような未熟な私たちを哀れに思し召し、仏は多くの仏僧を遣わし『化城』を顕されたのです」

聖「過去の仏僧たちは、後世の者たちに、仏の慈悲から離れさせまい、忘れさせまい、思い出させようとして、知恵を絞りました」

聖「そしてその結果生み出されたのが仏像、伽藍であり、戒律であり、写経の発明なのです」


聖「しかしそれらはやはり方便」

聖「真実の法、即ち仏の一心が示されるならば、それらのものは全て不要となるのです」

聖「仏が本当に私たちに伝えたかったことはただ一つ」

聖「仏法とは、その教えを一粒も残さず、一滴も余さず、全てをただ受け取る……そのためのものなのです」

聖「……今まで私たちには様々な困難、苦難が現れましたね」

聖「それら全てが、私たちに仏の一心を受けさせるために御仏自らが設けられた因であったのです」

聖「星が身篭ったことはもちろん、外の世界を目指すこと……そして伊吹萃香や霍青娥による難も、この例に漏れないのです」

四人「!?」


弟子たちは聖の言葉は理解できていても、それを頭の中で整理することができない


村紗「ちょっ……ちょっとお待ちを!」

聖「はい」

村紗「今のお言葉を聞く限りなのですが……」

村紗「それでは、伊吹萃香や霍青娥の襲撃が、仏様によってご用意された未来であった……このようになるのでしょうか??」

聖「その通りです」

村紗「!!」

一輪「!?」

小傘「う、嘘!」

響子「そんな! そんなのって酷過ぎる!」


一輪「ひ、聖様!」

聖「はい」

一輪「それだけはどうにも納得しかねます! そんなことのために、星はあのような苦しみを受けたというのですか!?」

一輪「これではあんまりではありませんか!」

聖「落ち着いてよくお聞きなさい」

聖「あなたたちは彼の者たちの襲撃を、絶対に避けるべき事柄であったと思っていますね?」

一輪「……はっ!」

聖「しかし仏の境地に照らしてみれば、あれこそが一切智へと到らしめる慈悲であったのですよ」

一輪「そ、そんな事あるはずが……!」


聖「考えてもみなさい。もしあの者たちの襲撃がなかったらどうなっていましたか?」

聖「あなたたちはいつまでも星が無事であることに慢心し、それまでの浅ましい境地を自ら出ようとはしなかった」

聖「星が傷付き倒れた姿を見て、初めて自らを悔い改めようとしたのではありませんか」

一輪「!!」

村紗「……!」

小傘「……」

響子「それは……ッ」

聖「仏はそれが一番良い方途であるとご存知であったからこそ、伊吹萃香、霍青娥を我らの元へと遣わしたのです」

四人「……」


聖「この者たちは自らの我欲、我執に従って我らに襲いかかって来た……これは方便」

聖「彼女たちの襲撃は既に過去において約束されていたこと」

聖「その約束に従い、仏の命を受け、私たちを鍛え、導き、目覚めさせる」

聖「そのために我らの前に姿を現した。これこそが実相なのですよ」

小傘「で、でも!……あいつがそんな事考えていたなんて、とても信じられません!」

聖「それはそうでしょう」

聖「彼女たちは今世において、そのような約束など何一つ覚えてはいないのですから」

聖「諸天善神の誘導と仏の如来神通力によって、彼女たちは決められた時に応じて導かれていたに過ぎないのです」

聖「全ての事柄は、仏の手の平の上にあったのですよ」

小傘「……」


聖「そして伊吹萃香も霍青娥も、共に我らにとって因縁浅からぬ者」

聖「遥かな昔……かつてこの者たちは、私の母あるいは姉として、共に家族として暮らしていたのです」

四人「!?」

聖「その時代において仏との誓いを交わしたが故に、このように再び巡り合うこととなったのですよ」

村紗「……ひ、聖よ!!」

聖「はい」

村紗「恐れながら、謹んでお聞き申し上げたい!」

村紗「その過去とは……一体、どのようなものであったのですか! そしてその仏とは如何なる者だったのですか!」

村紗「私たちには、まるで訳が分かりませぬ! どうかその真実を明らかにして頂きたいのです!」


聖「よろしい。ならば答えましょう」

村紗「はっ!」

一輪「……」ゴクッ…

聖「遥かな過去。この宇宙を離れること十の十乗にも過ぎたる遠くの宇宙に存在した世界」

聖「そこには釈迦如来とはまた別の仏がいました」

聖「彼の仏はその世界における仏法『行浄辺法』を用いて、地上に住まう者たちを広く教化していました」

聖「しかしその仏も遂に命終の時が来ます」

聖「仏は居並ぶ無量無数の声聞・縁覚・菩薩たちに向かって最後の伝授を済ませようとしていました」

聖「そこで仏はこのように仰られました」


聖「”あなたたちよ、今までよく私に付いて来ました。その積み上げた功徳は必ずやあなたたちに福徳をもたらすでしょう”」

聖「”その功徳によって、既にこの地は清浄なる輝きを取り戻し、ようやく仏国土としての相を顕すに至りました”」

聖「”―――しかしながら”」

聖「”あなたたちはこの私に比べれば、未だ低い境地に留まっています”」

聖「”智恵は浅く、慈悲は乏しく、その力は限りなく小さい”」

聖「”今まで積み上げた福徳も、あなたたち自身を救うには全く足りるものではない”」

聖「”あなたたちは次なる世において諸々の悪心を起こし、あるいは妖魔、あるいは化生、またあるいは悪人となることが既に決まっています”」

聖「”そしてその世において欲しいままに悪業を重ね、さらに後の世において無間地獄へ転生することも分かっています”」

聖「”そこで犯した罪を悔いながら五十六億七千万年もの間、無量の苦しみを受け続けることになるでしょう”」

四人「…………」


聖「弟子たちは仏の言葉を聞いて、大いに恐れ慌てふためきました」

聖「そして口々にこう述べます」


聖「”仏様、何とぞお慈悲をお示しください”」

聖「”どうか私たちをお救いください”」

聖「”どうか我らをお哀れみください”」

聖「”どうかお願いです。無限地獄を断絶せしめる法をお説きください”」


聖「仏は弟子たちの言葉を全て聞き終えてから、このように仰られました」


聖「”もちろんです、我が弟子たちよ。そのために私がいるのです”」

聖「”今より命終の後、私はあなたたちの次なる行き先を定めます”」

聖「”あなたたちは次の世において、私と共に巡り合わせて生まれることになりましょう”」

聖「”私は神通力を用いて、あなたたちを再び教化しに参りましょう”」

聖「”しかしながら、その時には既にあなたたちは今の世のことは全て忘れています”」

聖「”そして生来の悪心故に心根が濁ってしまっているため、賢人聖人の言葉にも耳を貸そうとはしないでしょう”」

聖「”そこで私は方便力を用います”」


聖「”あなたたちと同じ穢れた卑しき姿となりましょう。あなたたちと同じ凡夫の衣で我が身を包みましょう”」

聖「”あなたたちと同じ愚か者となって、あなたたちを教化せしめましょう”」

聖「”心根が清らかな者たちは、そこで発心して速やかに仏意を得るでしょう”」

聖「”そうでない者たちも、発心した者たちの道行きを助け、即ち仏縁を結ぶでしょう”」

聖「”さらには我見、邪悪に自らを貶めた者たちには、無限地獄より遥かに軽い罰を与え、後に仏縁を得るでしょう”」

聖「”そして時来たらば、あなたたちの機根に合わせて試練と苦難を与えましょう”」

聖「”その障害があなたたちを無限地獄より離れさせ、無上道へと導くでしょう”」

聖「”その時こそ私は方便の衣を脱ぎ捨てて、まさにあなたたちに極楽浄土を示すでしょう”」


聖「”我が弟子たちよ、何としてもこれだけは思い出しなさい”」

聖「”私は愚かな信徒が欲しかったわけではなく、また忠実なる下僕が欲しかったのでもありません”」

聖「”あなたたちは全て、仏から下って果ては無限地獄を住処とする者に至るまで、一人も残らず皆愛しい我が子なのです”」

聖「”私はあなたたちを何とか救いたいと願う故に、この身を地上に現すのです”」

聖「”この私の心が分かった者には、私は直ちに一切智を授けるでしょう”」

聖「”その時が来るまで、皆仲良く過ごすのですよ……”」


聖「このように仰られた後、仏は涅槃へと旅立たれたのです」

四人「……」


聖「ここに私たちの過去の因縁を明かしましょう」

聖「あなたたちは皆、その時の会座において、仏の最後の言葉を聞き終えた者たちなのですよ」

四人「……!!」

聖「ではここで聞きます」

聖「この仏とは一体何者であったのか、答えられる者があれば申し出なさい」

一輪「それは……」

村紗「もしや聖……あなたが、その仏様の生まれ変わりということなのですか?」

聖「いいえ違います」

一輪「えっ??」

村紗「……は??」


聖「かつての私も、あなたたちと共に説法を受ける弟子であったのです」

小傘「んっ!?」

響子「へっ??」

聖「あなたたちよ、心してお聞きなさい」

聖「光り輝く身でありながら、私たちを導くために穢れた衣でその身を包んだ者」

聖「神通力も、天に到る資格も、仏の一切智ですらも、私たちを導くために投げ捨てた者」

聖「無量の苦難をその身に集め、尊きその命でさえも、私たちを導くために差し出した者」

聖「この者こそ我らが友、寅丸星なのです」



四人「―――――――!!!」


聖「これでお分かりでしょう」

聖「私たちは今まで、星が子を授かったことで、これを荘厳、祝福していたつもりでいましたね」

聖「しかしこれもまた方便」

聖「祝福されていたのは、むしろ私たちの方であったのです」

聖「『子』は無限の可能性を持つ者。前進、変化、成長……即ち『未来』を指し示しています」

聖「星の子は、いつまでも同じ場所で立ち止まる私たちの尻を叩き、叱咤していたのです」

聖「私たちの機根が整いつつあることを知って、星は己が子と共に私たちを祝福していた……これが実相なのです」

聖「この命蓮寺が立て続けに難を受けていたこと自体が、その瑞相であったのですよ」

小傘「そ、それって……」


一輪「な……ならば聖様!」

聖「はい」

一輪「星は……私たちを導く……ただそれだけのために、自ら傷を負い、苦痛に満ちた最期を迎えたと言うのですか!?」

聖「その通りです」

一輪「!!」

響子「そんな……」

村紗「そ、そこまでして……!」

聖「それまでのあなたたちは地獄の裁きを恐れ、これを逃れようとして仏法を求めていました」

聖「けれども星の導きは、見事その境地より解脱せしめたのです」


聖「もはやあなたたちは以前のような矮小な悟りになど執着していません」

聖「今のあなたたちは、法を求めるために地獄へ赴くことすら厭わない」

四人「!!」

聖「仏は無限地獄に飲まれ喘ぐ者を見ると、直ちにその者の元へ向かいこれを引き上げる」

聖「助けられた者は訳も分からず仏の手を握り締め、そしてほんの少しばかり浮かび上がる」

聖「しかし僅かに自由な境地を得ると、またしても以前の悪心に従って、その手を振り払い地獄へと墜ちて行ってしまうのです」

聖「仏はその者を追って再び手を差し伸べる」

聖「同じようにその者は浮かび上がるのですが、なおまた地獄へ下ってしまう」

聖「そんなことを何万回、何億回、何兆回……数え切れないほど繰り返しても、仏は最初の時と全く同じように手を差し伸べる」

聖「その者が解脱に至るまで、何度でも何度でも何度でも何度でも……絶えることなくその機会をお与えになる」


聖「仏はその慈しみの心故に、決してこの者の成仏を諦めることはないのです」

聖「今、絶対とされる太陽の輝きも、あらゆる天体の運行も、果てしなく遠い未来においてはやがて尽きる」

聖「されど仏の慈悲が止むことは無い」

聖「天上を指差せば、これ即ち空に到る。真下を指差せば、これ即ち地に届く」

聖「その指先が空を外す、あるいは地を外すことがあるとしましょう」

聖「しかしそのような事が有り得たとしても、仏の慈悲が消えることは有り得ないのです」

聖「東方より太陽が昇らぬ日が来ようとも、また西方に沈まぬ日が来ようとも、はたまた天地の理すら虚無に帰する時あるも……」

聖「仏が慈悲を施さぬ瞬間だけは、絶対に訪れないのです」


聖「仏の無量の大慈大悲心に比べれば、全宇宙の働きすら遠く及ばない」

聖「仏はその無限にして恒久なる御心故に、生老病死・八風・三障四魔の迷いも、これを惑わすこと敵わず」

聖「如何なる大火がその身を焼こうとも、仏の広大無辺なる慈悲の思いは妨げられることがない」

聖「その知ることも計ることもできない心が願うのは、ただ一つのことばかり」

聖「今こそ知るべきです。仏の教えとはただ一つ」


聖「それは『全ての者を一人残らず仏にしよう』というものなのです」


四人「!!」


聖「寅丸星はそのために私たちの前に姿を現した」

聖「卑しき妖獣としてその身を現したのは、私たちを仏とするためなのです」

聖「何の力も持たぬ脆弱な者として生まれたのは、私たちを仏とするためなのです」

聖「今までのありとあらゆる難を甘んじて受けたのは、私たちを仏とするためなのです」

聖「星はただ一つの事のために、方便力を用いて私たちを自在に導いたのです」

聖「『第一の喜びであり、第一の遊楽であり、第一の利益たる無上尊極の境地を、全ての者に得せしめる』…………」

聖「仏の心はこの一点、ただこの一点に尽きるのです」

四人「…………」


聖「しかし……」

聖「しかし驚くなかれ、我が弟子たちよ」

聖「この教えには、さらにその奥義を秘めているのです」

一輪「!?」

小傘「えっ」

村紗「ま、まだ行き着かぬのですか!?」

聖「その通りです。今のあなたたちの境地ですら、仏とは比べようもない矮小な悟りでしかないのです」

聖「なぜならば、越えるべき地獄の業火の激しさを、未だあなたたちは知らない」


聖「そしてこれを知り、耐える覚悟のある者でなければ、一大乗法の肝心を授けることはできない」

聖「この法は授かる者の魂を未来永劫に渡って焼き尽くすもの。聞くならば直ちに獄舎に至り、悩乱を起こし怒り狂うでしょう」

聖「その苦の激しさは、阿鼻叫喚の地獄ですら天界の甘露に思えてしまうほどなのです」


四人「…………」


聖「ここに問う。あなたたちにその覚悟がありますか?」


聖「……よろしい。ならば授けましょう」

聖「今より私はあなたたちに、最大の苦である法界の炎をその身に入れる」

一輪「は、はいっ!」

村紗「……はっ!」

響子「はい……!」

小傘「……」コクッ



聖「過たず聞き届けよ。私たち凡夫は、成仏などできないのです」




一輪「……えっ!?」

村紗「な――――」

響子「そ、そんなっ!!」

小傘「え? え? えっ??」

聖「仏とは、妙音にて一切を哀れむ者」

聖「仏とは、全ての苦難をその身に集める者」

聖「仏とは、善と悪とを分けることなく一切国土世間に法の雨を降らせる者」

聖「首を切り命を奪うと脅されても、なお我が子らを守らんとする者」

聖「無間地獄の業火の中にあろうとも、なお愛しい者たちを救わんと願う者」


聖「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、一切衆生を幸福へと導くために、永遠の時を生きる者」

聖「それ故に全ての天地、全ての宇宙、全ての次元を極めた者……それが仏」

聖「計ることもできない量の法や知識を、世界一の智者に入れたとしても、仏には何一つ及ばない」

聖「計ることもできない無量劫の間、世界一の聖人が善行を積んだとしても、仏には何一つ及ばない」

聖「計ることもできない無量那由他阿僧祇劫の間、世界一の勇者が知勇を鍛え続けていたとしても、仏には何一つ及ばない」

聖「……このようにいくら仏を賛嘆しようとも、その功徳の膨大なることを語り尽くすことはできないのです」

聖「仏を計ることができるのは同じ仏のみ」

聖「仏を知ることができるのは同じ仏のみ」

聖「仏に並ぶことができるのは同じ仏のみ」

聖「そして仏と為る者もまた、同じ仏でなければできないのです」


聖「凡夫は仏と為ることはできない……しかれども、仏の真言にはただの一つも偽り無し」




聖「なぜならば、凡夫はその身そのままで既に仏であるからです」




四人「――――――!!?」


聖「今こそここに宣言しましょう」

聖「雲居一輪、あなた自身が仏なのです」

一輪「!!」

聖「村紗水蜜、あなた自身が仏なのです」

村紗「!!」

聖「多々良小傘、あなた自身が仏なのです」

小傘「!!」

聖「幽谷響子、あなた自身が仏なのです」

響子「!!」


聖「そしてこの私もまた、あなたたちに並ぶ仏に他ならない」

聖「生きとし生きる全ての命が、その身そのままで既に仏なのです」

聖「方便の姿を以って地上に降り立ったのは星のみにあらず」

聖「私たちもまた、寅丸星に並ぶ仏なのです」

聖「時に応じ、機根に応じ、ある時は仏法の師となり、またある時は弟子となり、さらには外道の者となり、無数の衆生を仏界へ至らしめている」

聖「その果てしない旅路において、未だ留まることを知らない」

聖「自らが仏であることを覚悟し、その思いを成就させるために旅立つことを決意し、そして今、この幻想郷に立っている」

聖「あなたたちは天界など及びも付かない極楽浄土に住まう資格を得ておきながら、敢えてその資格を投げ捨てたのです」


聖「迷いと苦悩の淵に沈む者の魂は、仏界から遥か遠くへと別離するが故に、如何なる慈悲も届かない」

聖「無限地獄に住まう者を救うには、自らもまた同じ無限地獄へと向かう以外に方法がないのです」

聖「それ故に、己が身さえも無限地獄へと落とす危険も顧みず、汚辱にまみれたこの地上を選んで現れた」

聖「あなたたちは、それを思い出さないだけなのです」

四人「……」

聖「今の世において、一切衆生の中にその真実を知る者はいない」

聖「かつて自身が仏であったことを知らず、思い出さず、またその境地を取り戻す方途も分からない」

聖「それ故に声聞・縁覚・菩薩界より出ることがない」

聖「さらには天界に忘我し、人界に足踏みし、修羅界に迷い、やがて畜生・餓鬼・地獄の三悪道に墜ち、果ては無限地獄に到り無量の苦しみを受ける」


聖「穢土の濁悪によって心が満たされる故に、誰も仏の姿が見えない」

聖「邪見に従いその邪なる戒を保つ故に、誰も仏を知ることができない」

聖「悪王がはびこり、善人は追い立てられ、天の神々は魔王の尖兵によって次々に討ち落とされる」

聖「凡夫はもちろん、全ての神々も彼の者たちの侵攻を防ぐこと叶わず」

聖「如何なる強大な善神であろうとも、仏なくば容易く敗れるのみ」

聖「仏に従い、仏を守ろうとも、その神々に命令を下す仏がいないのです」

聖「仏はすぐそこに変わらずあるというのに、その仏を知ることも見ることも触れることも感じることも念じることさえもできない」

聖「これが末法悪世の正体なのです」

四人「……」


聖「しかし弟子たちよ、思い出してみなさい」

聖「星が命終し、この地に私たちを残していったように、かつての仏たちもまた同様に姿を隠したのです」

聖「自らが去って悪世が起こることも、仏の導きのためなのです」

聖「仏がいつまでもご在世であれば、人々はそれに安心してしまい、やがては慢心を起こすもの」

聖「仏様がいらっしゃれば我らは何をしても大丈夫だ……このような懈怠の念を抱き、仏道を求めようとはしなくなる」

聖「そして勝手気ままに振舞うようになり、結果諸々の悪道へと墜ちるのです」

聖「仏はご存知であったのです。仏あるが故に人々は悪業を作るということを」

聖「即ち、この末法悪世ですらも、仏の広大無辺なる慈悲に含まれているのですよ」

聖「私も長い間この迷いと戯れていたため、かなり遅れを取ることとなりましたが、ようやくそのお慈悲を知るに至りました」


聖「そしてそれは、末法における一切の闇を払うことと同義なのです」

聖「長きに渡り待ち望まれながら、如何なる聖賢が求めるとも得られなかった仏種三宝……」

聖「善も救い、悪も救い、さらにはそのどちらでもない土くれのような者でさえも、余さず全てを救う大慈悲心……」

聖「この末法悪世を破る一大乗法が、遂にその姿を現したのです」

四人「!」

聖「しかも、あなたたちはその内の二宝を既にその身に備えている」

四人「!!」

聖「しかしそれでも未だ仏界には届かない」

聖「肝心要の最後の宝の、その所在を知らぬが故です」

聖「ですがその宝の所在は既に明らかとなっています。私はその道標となる者」


聖「……星は臨終の際に、私たちに名と権能を授けましたね」

聖「一輪、あなたが授かった名は『万軍を率いる者』」

一輪「はっ!」

聖「村紗、あなたが授かった名は『魔を破る者』」

村紗「はっ!」

聖「小傘、あなたが授かった名は『守り切る者』」

小傘「はっ!」

聖「響子、あなたが授かった名は『声を聞く者』」

響子「はっ!」


聖「そして私が授かった名は『道を示す者』」

聖「今、私にはその姿がはっきりと見えています。目指すべき宝は、外の世界で我らの到着を待っているのです」

聖「さあ! 今こそ共に参りましょう!」

四人「はっ!!」

聖「遅れてはなりません。今この時を逃せば、次のお目通りは何億年先になるか分かりませんよ?」

四人「承知ッ!!」

聖「私が道案内をします。仏の智恵の在り処まで……」

落丁 >>294>>295

一輪「……舐めてもらっては困ります!」

一輪「あなたの薫陶に比べれば、他の地獄などどうして恐れることがありましょう!」

村紗「右に同じく! 私の腹は既に決まっている!」

村紗「もはや私は地獄など恐れはしない!」

響子「私にもお供させてください!」

響子「だって、こういう時は退いた方がハズレって相場が決まってるもの!」

小傘「私にもそれを言ってください!」

小傘「その先に星が待っているなら、何も怖くなんかない!」


~森~


人里からほど近くの森に、姿を隠し身を潜める者がいた
その妖獣は自分の背丈を越えるほどの大きな荷物を背負い、両腕には産着にくるまれた赤子が抱かれている
今はどこにいるとも知れない追っ手の目を避けるため、移動を繰り返す最中であった


ザザザザッ…


ナズ「……」

ナズ「今日はひとまずこの辺りで休むとしよう」


オギャー! オギャー! オギャー!


ナズ「悪い悪い、今寝かし付けてやるからな」


アァー! アッアー!


聖に教わった通り、ゆっくり揺らしながら背中を軽く叩く
そうしてしばらくすると、赤子の泣き声は落ち着いてきて、いつの間にか眠っていた


ナズ「さてと……今日の通知はこのへんかな、っと」キョロキョロ


ナズーリンが周囲を見渡すと、そこに不自然に転がっている岩を見つけた


ナズ「ふんっ……!」ググッ

ゴロッ…

ナズ「なになに?…………!!」


ナズ「そうか、遂に!」


ブンッ…

―――ゴカンッ!


ナズーリンはロッドを振り下ろし、暗号もろとも岩を打ち砕いた


ナズ「さあ行こう。みんなが待ってる」



スゥ…



ナズ「!!」バッ




――――ドシュゥゥゥン!!



ナズ「くっ!」ザザッ…


後方から感じた気配を察知し、咄嗟にナズーリンは飛び退いた
背後を通り抜けた光射は標的の背負っていた荷物を消し飛ばした


藍「今度こそ仕留めたと思ったのに……全くしぶといわね」

ナズ「また来やがったか……!」


藍「分かっているでしょう? どうせお前程度の妖獣が、私の手を逃れられるはずもない」

ナズ「……」ジリッ…

藍「結局最後はみじめに討ち取られるだけなのだから、ここいらで潔く諦める気はないかしら?」

藍「そうすれば、何ら苦しみを感じる間もなく逝くことができるわよ」

ナズ「ハッ! お断りだね!」ババッ

藍「逃がさん!!」ババッ


ナズーリンは一目散に飛び出した
しかしいくら足が速くとも、妖獣の頂点に立つ八雲藍には及ぶべくもない
両腕には赤子を抱え目いっぱい走ることもままならない
捕捉は時間の問題であった



ザザザッ…


ナズ「はぁ、はぁ、はぁ……」

ナズ「くそっ! 追い付かれる……!」


ガサッ…


ナズ「!」

ぬえ「よっ! また会ったわね!」

ナズ「ぬえ!」

ぬえ「なぁに? 何だかまたピンチな感じじゃない」

ぬえ「またしてもこの私の詐術が必要なのかしら?」ニヤリ


追っ手はすぐそこまで迫っている
今ぬえがこちら側に手を貸せば、もう二度と安全圏には逃げられないだろう
前回のような誤魔化しが通用する相手ではないのだ


ナズ「……本当にいいのか?」

ぬえ「つまんない話は後! とっとと始末付けるわよ!」

ナズ「よし、ならばこいつを頼む!」サッ

ぬえ「え!?」


ぬえは突然の申し出に面食らった
ナズーリンが差し出したのは、その両腕に大事に抱えていた赤子だったからだ


ナズ「このままだと、いずれ私は追い付かれるだろう」

ナズ「ならばせめて、こいつだけはお前が逃がしてくれ!」

ぬえ「あんたはどうすんのよ!」

ナズ「……あいつを足止めする!」

ナズ「時間を稼ぐ間に、お前は十八番の幻術で凌いでくれ!」

ぬえ「足止めって……あいつ、体から出てる妖気がヤバ過ぎじゃない!」

ぬえ「前の時とはまるで違ってる! あんなのあんたが敵う相手じゃないわ!」

ナズ「心配要らないさ。お前ほどじゃないが、私にだって幻術がある!」

ナズ「村紗からもらった、取って置きのやつがな!」


ぬえ「ったく、毎度毎度訳分かんないことばっか言って!」

ぬえ「ならあんたの好きなようにやってみなさい! 私はこいつを連れて逃げるわよ!」バサッ…

ナズ「……頼むぞ!」


ザザザザ…!


ナズ「さあ……来い!」


どこまで通用するかは分からない
それでもやるしかない


藍「…………」ジャリ…

ナズ「……」グッ


藍「遂に観念したようだな、裏切り者の小ネズミよ」

ナズ「いざ……尋常に勝負ッ!!」バッ


ナズーリンは、かつて主神と崇めた相手に立ち向かって行く
しかし……


ズガガガガガッッ!!


ナズ「ぐ!……う」ドサッ…

ナズ「はぁ、はぁ、はぁ」

ザッ…

藍「すばしっこいだけかと思えば、なかなかどうして頑丈なものね」

藍「しかし無意味だわ。ただ徒に苦痛を増しただけ」


その抵抗は、まさに蟻が象に向かって行く様な滑稽さを伴っていた
所詮ナズーリンの力では九尾に敵うはずがない


ナズ「くっ」ダダッ

藍「諦めよ。お前が私に勝てる可能性は万に一つもない」

ナズ「……ここだっ!!」ダンッ

藍「九色断罪ッ!!」バッ



ナズ「!!」


ヴァシッッ!!   ゴゴゥッ!!  

   ザシュッ!    グワッ…!!
    
 ドザァッッ…!   ゴガンッッ!!
  
   ギキィィィン!! 

        ズオオオォォッ…!! 



――――ドガァァァァン!!!




藍「……ふん」


藍が見下ろした先には、やや人の形を残した灰が横たわっていた
わずかに焼け残った腕には金属の棒が握られている


――ズン!


藍「何ともつまらない技だったわね」グリッ グリッ


藍が踏み付けると灰は形を失い、やがて風に乗って散りじりになっていった




ぬえ「!!」ピクッ

ぬえ「あいつの妖気が……」




ぬえは背筋が凍った
相手が本気であることは重々承知しているつもりであった
それでも実際にその結果が現れたと感じた時には、身震いせずにはいられなかった


オギャァ!  オギャァ!  オギャァ!


ぬえ「私も……覚悟を決めないとね」


大口を叩いただけあってか、追跡者と自分との距離にはわずかばかりの余裕がある
しかしそれも最期の瞬間がほんの少しだけ先延ばしにされたに過ぎない
今ここで活路を見出さなければ、自分もこの赤子も、ナズーリンと同じ運命を辿ることになる


ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン…


ぬえ「!」

ぬえ「聖輦船!……よし!」


オギャァ!  オギャァ!  オギャァ!


ぬえ「……ああもう! うっさいなぁ!」


オギャ! オギャ! オギャァ!


ぬえ「静かにしてよ! 折角あともう少しで助かるってのに!」


オギャ! オギャ! オギャー! オギャー! オギャー!


ぬえ「静かにしなさい! 何のためにあいつが命張ったと思ってんのよ!」


ぬえ「あんたのせいよ! あんたのせいでこんな目に遭ってんのよ!」

ぬえ「あんたさえ現れなかったら、私たちはこんな苦労することはなかったのよ!」


オギャー!  オギャー!  オギャー!


いくら叱り付けても赤子は泣き止むどころか、ますます声を張り上げて泣くばかりであった


ぬえ「このぉ……!」グッ


このまま思い切り地面に叩きつけて、何もかも終いにしてしまおう


ぬえ「……」


一瞬そのように思ったぬえだったが、すんでの所で思い留まった


ぬえ「こいつが死んだら……」

ぬえ「あいつ、がっかりするだろうな……」


ザザザザザ…


追跡者が次第に距離を詰めて来るのを感じる
しかしなぜかそのことに恐怖は感じなかった


オギャー!  オギャー!  オギャー!  オギャー!


ぬえ「よぉし……!」

ぬえ「見せてやるわ! この鵺様の一世一代の大博打!!」




~聖輦船~


一輪「!?……ちょっと待って、雲山が何か近づいて来てるって言ってる」

聖「この妖気は……ぬえではありませんか」

小傘「え? ぬえ?」

村紗「聖!」

聖「はい。船を仕舞いなさい」

村紗「はっ!」サッ


命蓮寺は一斉に地上に降り立った
しかしその時には既にぬえの妖気は遠ざかっていた


響子「あれ? どこかな??」キョロキョロ

一輪「すぐ近くにいたはずなのに……」

村紗「何やら嫌な予感がしますね」

聖「どうやらただならぬ事態のようです」

小傘「わ、私ちょっと探して来ます!」タタッ

村紗「待ちなさい小傘! 危険です!」

一輪「聖様!」

聖「分かっています……来い! 影照天! 速行天!」

ザザッ!

影照天・速行天「「お呼びでしょうか」」


聖「小傘とぬえを守護しなさい。くれぐれも見失わぬように」

影照天・速行天「「はっ!」」ババッ

聖「私たちも後を追いましょう」




一方その時、ぬえは藍の追跡から必死に逃れようとしていた


ヒュッ…

ドカドカドカドカドカッッ!!


ぬえ「ぐっ」ジリッ…


遮蔽物のない空中では勝ち目が無い
故に地上で木々に紛れながら逃げるしかなかった
だがその進路も目の前に放たれた無数の柱によって阻まれる
行く先のほとんどを封じられ、もはや逃げ道も残り少ない


藍「援軍など期待しないことね」

ぬえ「さあ……それはどうかしら!?」ニヤッ

藍「鬱陶しい強がりはやめなさい。見苦しいわよ」

ぬえ「……」

藍「愚かなことよ。あんな連中になど肩入れしなければ、遥かに長生きできたものを」

ぬえ「余計なお世話だ! 憤怒のレッドUFO!!」バッ


ババババババッッ!


藍「……」

ぬえ「食らえ……ッ!」サッ


ヒュヒュンッ!

ヒュンヒュンヒュン!


藍「……」


真っ赤なUFOが藍目掛けて飛んで行く
しかしその全ては標的の体を透過して、はるか後方へと消えて行くのみでった


ぬえ「!?」


藍「ふぅ……九尾の名も地に落ちたものだ」

藍「こんな小細工が通用するなどと思われるとはな」

ぬえ「く、くそ!」

藍「さあ、お前を仕留めれば二人目だ……いや」

藍「そこに抱えているのも入れれば三人目かな?」ニヤリ

ぬえ「やらせるか! 今度はこっちを食らえッ!!」ババッ

藍「無駄なことだ!」

ぬえ「怪奇演舞! 開花の段ッ!!」

藍「飛翔役小角ッ!!」






ドッ!!  ―――ゴォォォォォォン!





小傘「あの音は……ぬえ!」タタッ






藍「……またしても逃げたか」

藍「寺の連中というのは、どうも逃げ隠れするのが得意らしいな」

藍「だが所詮は時間の問題だ!」ババッ


藍はぬえの行方を追う
抜け目のない九尾の追跡を掻い潜り、ぬえが小傘の元に辿り着いたことは単なる偶然だったのだろうか




小傘「ぬえ……!」タタッ

ぬえ「はぁ、はぁ、はぁ」


小傘「ひどいケガ!……その子は??」

ぬえ「んっふっふっふ……遂にやった! 完成だ!」

小傘「え?」

ぬえ「小傘、こいつを頼む! こいつを聖たちの所へ!」

小傘「う、うん!」サッ

ぬえ「こいつには、私の出せる全てを以って魔法をかけた!」

ぬえ「いくらあいつでも絶対に見破れはしないわ!」

小傘「どういうこと??」

ぬえ「話は後! 来るわよ!」


―――ザッ!


小傘「!!」

ぬえ「しつこい奴だなっ!」

藍「わざわざ弱い者どうしで固まってくれるとはありがたい」

藍「では、我が主の温情に背いたことをあの世でゆっくり後悔するがいい」

ぬえ「……やっぱりその辺りが気に食わないか!」

藍「無限剣舞!!」サッ


ババババババッッ!!


小傘「に、逃げ―――」サッ



ガキキィィン!!



ぬえ「!?」

小傘「あ……れ?」チラッ

影照天「我が主君の命により!」

速行天「護衛仕る!」


藍「……なるほど、忉利三十三天か」


影照天「お早くお逃げを!」

速行天「ここは我らが食い止める!」

ぬえ「何だか知らないけどチャンスね! 逃げるわよ!」ババッ

小傘「う、うん!」ババッ

影照天「覚悟しろ妖魔め!」

速行天「我らの聖剣、しかと受けてみよ!」


藍「何が聖剣だ。なまくら神が粋がるな」


速行天「食らえッ!!」ブンッ

影照天「たぁあああッ!!」ブンッ


ギキィン!!


藍「……」

影照天「ぬ……!」

速行天「ぐ……おおお……!」ググッ


二柱の剣戟は空中より現れた無数の刃によって阻まれた
そしていくら顔を怒らせて力を込めても、その刃を押し切ることができない


対して藍はその防護にいささかも力を割いていない
二柱が歯を食いしばって踏ん張る姿をつまらなそうに見つめながら、眉一つ動かさなかった


藍「お前たちには切り札を使うまでもない。消えろ」


シュルシュルシュル…

―――ビシュッ!

―――ヒュンッ!

ズズズズッッ!


影照天「むっ!?」

速行天「ぬおっ……!」


周囲の蔦や草、長い木の枝が伸びて行き、そのまま影照天と速行天は捕らえられた
この魔法はもちろん敵の動きを封じるためのものではない


ギシギシッ…!


影照天・速行天「ああああああッッ!!」


―――ブチッッ!!


ズバブシュゥ!!!


体を八つ裂きにされた二柱の残骸は、そのまま空気に溶けて消滅する
所詮忉利三十三天程度の力では、幻想郷随一の式神の相手は荷が重過ぎた


ぬえ「……!」


後方の戦いは瞬時に決着が付いてしまったことを、小傘もぬえもすぐに察知した
このまま逃げ続けたとして、聖たちの下へ辿り着くには間に合わないこともまた明らかであった

ならばどちらかが時間を稼ぐしかない
ぬえは己の役目を悟った


ぬえ「……」スッ

小傘「!? ぬえ!何してんの! 早く逃げないと……」

ぬえ「そうだ。だから早く逃げろ!」

小傘「でも」


ぬえ「グズグズ言うんじゃない! このノロマ!」

ぬえ「今あんたたちがやられたら、全部お終いなのよ!?」

小傘「……!」

ぬえ「早く行け!!」

小傘「はいっ!」ダダッ


ぬえ「……」

ぬえ「達者でいろよ、小傘……」


ザザザザザ…


ぬえ「さあ来な! ズタボロにしてやる!」


―――ザッ!


藍「次は何を出す? 金殿天か? 倶托天か?」

藍「それともお前の下らん奇術でも見せる気か?」

ぬえ「なら食らわせてやるよ! 取って置きの大魔法を……!」ググッ

藍「……」

ぬえ「とぉ見せかけて肉体言語だッ!!」バッ!

藍「……ふん」



ガキィィン!

ギィィン!

ゴギンッッ!

ガァァン!!


激しい鍔迫り合いが小傘の背後に響く


小傘「ぬえ……」タッタッタッ


しかしそれも長くは続かない


ガゴォォン!!

ギキィィン!!





―――ザシュッッ!!



小傘「……!!」


小傘は振り返らなかった
振り返ったところで何の意味も無い
ただ自分たちの危機を増すだけだと分かっていた


小傘「う……ううっ……!」


それでも胸中から湧き上がる感情は抑えがたい
小傘は泣きながらも全力で走り続けていた








聖「!……三十三天たちの気が消えた!」

村紗「何と……」

一輪「いよいよヤバいわね……響子!」

響子「……いました! 真正面です!」


ザザッ…


小傘「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」



聖「小傘!」

響子「小傘っ!」タタッ

村紗「あれは……」

一輪「あれは星の子じゃない!」

一輪「ナズーリンは!ぬえはどうした!?」

聖「並び来たれ! 離険岸天! 摩尼蔵天! 鉢私他天!」バッ


ザザザッ!!


聖「全員、追っ手を迎え撃て!」

離険岸・摩尼蔵・鉢私他「承知ッッ!!」バババッ


小傘「はぁ、はぁ……こ、この子を……お願い」スッ…

響子「わ、分かったわ!」サッ

小傘「はぁ、はぁ……ぬえが、ぬえが……!」

響子「どうしたのよ!」


聖「……!」

聖「二人とも下がれッ!!」


響子「えっ?」



―――ドゴォッッ!!



小傘「――――!!」



村紗「!!」

一輪「う、雲山ッ!!」バッ


――ヒュッッ!!


響子「あっ!?」ドサッ…


即座に入道が手を伸ばし、響子は赤子を抱えたまま引き戻された


小傘「う…………」ヨロッ


しかし小傘は間に合わなかった
鋭い爪が小傘の腹を突き破っている


藍「我が主よ……」ブンッ


ボゴォッ……!


藍がその腕を払うと、小傘の体は崩れ落ち、消え去ってしまった


藍「これで三人目にございます」ポイッ


ゴトッ…


聖「!!」

村紗「そんな……」

響子「あ……あああ……」


藍が放り投げたものは手のように見えた
それは長い棒状の物を握り締めている
その形状は聖以下の誰もが見覚えのある物であった


藍「その経路からして、やはり出口は見つけたようだな。何とも目ざとい奴らよ」

一輪「貴様ッ……! 貴様だけは絶対に許さんぞッ!!」ザッ

聖「決着を付ける時ね」スッ

響子「こ……来いッ」グッ

藍「……」

村紗「覚悟しろ! 一対四でも手加減などしない!」

藍「一対四だと?? 笑わせてくれる」


藍「この私が、手土産も持たずお前たちの前に現れると思ったのか?」スッ…

聖「……まさか!」

藍「さあ出でよ! 四大王衆天!!」



――――ドドドドォォォン!!



村紗「こ、こいつら!」

一輪「何だと……」

響子「ま、また……!」

聖「道理で……」


聖「いくら呼んでも来ないはずだ……!」



増長天「……」

持国天「……」

広目天「……」

毘沙門天「……」


『四大王衆天』

通称四天王と呼ばれる仏法の守護者たちが揃って現れた

しかし様子がおかしい
目に生気がなく、その視点はただ宙を見つめている
視界に聖たちの姿が入っているかも疑わしい
討つべき敵を睨みつけるでもなく、ただ呆然と立ち尽くすのみであった


聖「その様子……式符の力で意識を塗り替えたか」

藍「式神は主の命に従ってこそ、その幸福を享受するもの」

藍「命令に従わぬぐらいなら、いっそ奴隷にしてしまった方が良いのだ」

聖「……外道め!」ババッ

一輪「今度こそ遅れは取らない! 子を守れ響子!」ダンッ

響子「はいっ!」

村紗「地獄を見せてやる!」ダンッ


聖たちは式神たちに一斉に攻撃を仕掛ける
しかし藍の切り札は全て出し切られたわけではなかった


藍「雑魚は黙っていろ……さあ来い! 亜人ども!」


――――ズズズズズズ


村紗「!?」

一輪「!」


?×??「ゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲ……」


至る所に空間の裂け目が現れ、そこから無数の亜人が這い出てくる
それは監視役として呼び寄せたものの、現地の五行士により阻まれたため、使いどころもないまま捨て置かれた化物たちであった


その化物たちは『ホフゴブリン』と呼ばれていた


一輪「何て数……一体どんだけ持ってきたのよ!」


あっと言う間にゴブリンの群れが聖たちを取り囲む
一匹一匹の力は弱いゴブリンも、これだけ数を揃えては馬鹿にならない
藍は群れのはるか遠くから聖を眺めていた


村紗「いくら数がいようとも、奴らさえ倒せば良いのです!」グッ


藍「ここで終わりだと思ったのか?」


一輪「!? 何……」


藍「これぞ我が最高の切り札……!」

藍「さあ来いッ! 貴様の役目を果たすのだ!」バッ


ゴゴゴゴゴゴ……


突如黒雲が空を覆い、日の光は全て閉ざされた
分厚い雲の中でも一際大きい雲が藍の頭上に近付き、そしてその中心が裂ける


バサッ…  バサッ…  バサッ…


聖「遂にお出ましか……!」


そこから現れたのは黒雲よりもさらに黒く染まった十二枚の翼を背負う者

甘美なる誘惑で相手を魅了し、仏敵たる天狗へと変化せしめる妖魔

妖獣、化生、鬼、悪魔、全ての妖を統括する魔の頂点

魔性の存在でありながら、天界の神としても君臨するただ一人の者


?「私を呼ぶからには、つまらぬ用件ではあるまいな?」

藍「その通りだ。久し振りの地上だろう?」

藍「今回ばかりは手加減なしだ。今こそ心おきなく存分にやるがいい!」



聖「天魔……波旬!!」



天魔波旬「オオオォォォオオォォオオオオオッッッ!!!」



ビキビキビキッ…!!

ゴブリン×??「ゴワァアアアアアアアアッッ!!」

増長天「ぬうおおおァァァ!!」

持国天「ごおお……あああああッッ!!」

広目天「はぁああああッ!!」

毘沙門天「ぐううおおああああッッ!!」


村紗「!?」

響子「な、何が……」

一輪「これは……!」


その咆哮に震えたのは大気だけではなかった
天魔が雄叫びを上げると、魔物たちは一斉に力を増した
無数のゴブリンはそれぞれが自身の体を二倍にも三倍にも膨れ上がらせる

それは四天王たちも同様であった
生気の抜けた目が光り輝き、別人と見紛うほどに怒らせた顔は、溢れ出る狂気に破裂寸前であった
否、事実いくつもの顔面の血管が千切れ、奇怪な音を出しながら全員血まみれになっていた
その凶暴の相は、鬼ですら到底及ばないほどであった


聖「何ということ……!」


藍「さあゴブリンども! 雑魚どもを始末しろッ!!」

ゴブリン「グゴゴガァァァァアアアアッッ!!」


ドドドドド…!


村紗「散らばっては危険です!」

一輪「分かってるわよ!」

響子「援護します!」グッ

響子「―――――――ッッッ!!!」


ゴブリン「ゴオオアアアアア―――」


――――ドゴォォオォォォオオオオン!!!


ゴブリン「ガアアアアアアッ!!」

ゴガッ!

ドドッ!

ズガッ!


響子の放った超音波により、取り囲んだゴブリンたちが吹き飛んだ
しかし残る者たちが続いて襲い掛かる
また吹き飛ばされた者も立ち上がり、再度攻撃を仕掛けてくる


一輪「無差別方位弾道拳ッッ!!」


ドガドガドガドガドガドガッッ!!

ドガァァァァァン!!!


ゴブリン「ギイイイイイイ!!」

ゴブリン「ガアアアアアアアア!!」

ゴブリン「ゴアアアアアアアア!!」


天魔はなおも上空から魔力を送り込み、魔物たちの力を暴走させていた
一方聖は、三人とは分断された場所でゴブリンたちを迎え撃っていた


聖「ふんッ! はッ! せいッ!!」


ズドッ!!

ドガッッ!!

ドゴォッッ!!


聖「フライングファンタスティカ!!」


―――ドゴドゴドゴォォォン!!!


ゴブリン「グギィィィィィ!!」

ゴブリン「ゴォォォオオオオ!!」

ゴブリン「ゲァァアアアアアッ!!」



一輪「あ、姐さんが!!」

村紗「一輪! 目の前の敵に集中しなさい!」

響子「チャージドヤッホ――――――――ッッッ!!!!」


聖が再度呪文を詠唱しようにも、ゴブリンたちは絶え間なく襲い掛かりそのような隙を与えない
奇妙だったのは、ここで四天王がすぐに畳みかけて来ないことだった


藍「お前たちに天界の逸品を授ける。今度こそ確かなる勝利を収めるのだ!」


ズワッ…


藍が取り出したのは鞭、扇、剣、そして真っ赤な瓢箪の四種




―――幌金縄―――

持国天「……」ギリリッ!



―――芭蕉扇―――

広目天「……」サッ!



―――七星剣―――

毘沙門天「……」ジャキン!



―――紫金紅瓢―――

増長天「……」ガシッ!



藍「さあかかれッッ!!」


ババババッッ!!


聖「!!」


――――ズダダダダンッッ!!


聖を取り囲むようにして、跳び上がった四天王が地に降り立つ
四柱に踏み潰されたゴブリンの肉片が、所々に飛び散っている

そして四柱全員が聖目掛けてその宝具を振るう


聖「はぁああッッ!!」ブンッ

広目天「ぬんっ!」ブワッ


―――ゴゴゴゴゥッッ!!


ゴブリン「ギィィイィイイイ!!」

ゴブリン「グアアアァアァア!!」

ゴブリン「ギャアァアアッッ!!」


広目天の振るった芭蕉扇はたちまち大火を起こし、周囲のゴブリンもろとも聖を焼き払おうとする
しかし芭蕉扇を振るった先には、既に聖はいなかった


毘沙門天「はぁッ!!」ブンッ

聖「ふん!」


―――ザシュッ!!


聖「!」

持国天「はっ!!」ブンッ

ヒュヒュン!!

聖「くっ!」ババッ


毘沙門天の振るう七星剣が切り傷を付けたことに、聖もわずかに動揺した
しかし次に来る持国天の幌金縄はすんでのところで避けることができた
だがそこへ聖の姿を捉えた広目天がさらに襲い掛かる


広目天「ぬうんッ!!」ブンッ


―――――ゴワァァァアアアアッッ!!!


聖「はあッ!!」ダンッ


ゴブリン「ガァァァァアアア!!」

ゴブリン「ギイィアアアアッッ!!」


藍「その七星剣をただの剣と侮るなよ?」

藍「それは天界守護の力を備えた、金剛をも切り崩す宝剣よ!」

藍「いかに金剛身を超えた貴方とて、受ければ無傷では済まんのだ!」



ヒュヒュン…


―――ビシバシッ!

ギシィッッ…!!


聖「ぬっ……!」


幌金縄が聖を捕らえた
役目に応じ、増長天が進み出る


増長天「急急如律令、奉勅!!」サッ

聖「!!」フワッ…


――――ギュゥゥゥゥン!!


増長天がヒョウタンを向けると、聖の体は瞬時にそこへ吸い込まれて行った


一輪「!?」

村紗「ひ、聖!」


藍「全く手こずらせてくれたものだ」

藍「しかしそれもようやく終わったようだな……さて」チラッ


響子「……!」


藍「後はお前たちさえ始末すれば、全ては元通りだ」


全ての妖魔たちが一斉に残りの標的三人に向き直る


未だ大群の体を保つゴブリン
宝具を備えた四天王
そして天魔


ゴブリン「ゲッゲッゲッゲッゲッゲ……」

四天王「……」

天魔「フン」


対する一輪たちは大将たる聖を失っている
その結果は言わずもがなである


村紗「このままでは……!」

響子「ど、どうすれば……」


一輪「簡単な話よ!」ダンッ

村紗「一輪!?」


村紗と響子がしり込みしている間に、一輪は敵陣に突っ込んで行った


ドガッ!! 

ズゴッッ!!

ガスッ!!


一輪「あいつら全員ブッ飛ばして、姐さんを取り返せばいいのよ!!」


村紗「!……確かに、あなたの言う通り!」ダンッ

響子「せんぱい! 私も行きます!!」タタッ


一輪「技を借りるわよ、小傘!」バッ

一輪「非常事態! 親父台風大猛威!!」


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…


―――――ズドドドズドドズドドズドドドドドドォォッッッ!!!


ゴブリン「ゲェエエエエッッ!!」ズゴッ!

ゴブリン「ギャアアアアアアアアッ!!!」ドガッ!

ゴブリン「ギギィィイイイイッッ!!!」ガスッッ!


村紗「続いて参る! 響子!」

響子「はいっ!」

村紗・響子「「マンイーター・セイレーンッッ!!」」バッ


ギィィィィィイイイ………ギギギギギギギギィィィン!!!


ゴブリン「ガァァアアアアアアアッッ!!」ザシュッ!

ゴブリン「オゴオオオアアアア!!!」グチッッ!

ゴブリン「ゴゴォォオオオオオッッ!!」パァン!!


藍「無駄なことを……行け、四天王ども」


四天王「……」ザッ…


カタカタ…

カタカタ…


藍「うん?」



ピシッ…



――――バキィィィン!!


増長天「ごっ――――ッ!!」

藍「!?」




スタッ…



増長天「……ぉお………ッ」ヨロッ

ズシャァ…


藍「な、何だと……!」

聖「これが天界の逸品か」


紫金紅瓢を突き破った勢いのまま、聖は増長天の体の右半分を吹き飛ばした
増長天は倒れたまま消えて行った


一輪「あ、姐さん!!」

響子「聖様!!」


藍「こ、これでも……」

聖「思ったより大したことはなかったな」

藍「これでも駄目なのかッ!!」

聖「命蓮寺当主、聖白蓮……参る!!」

藍「四天王ッッ!!」


ゴウッ…!


毘沙門天「ふんッ!!」ブンッ

聖「はっ!」ヒュッ


ガキンッッ!!

ギィンッッ!!

ゴガンッッ!!


振り下ろされる七星剣はことごとく払われ、その刀身は聖に届かない
広目天も持国天もその様子を伺うばかりで、聖に向かって踏み込んで行くことができずにいた


藍「何をしている! 七星剣を援護しろ!」

持国天「……はあッ!!」ブンッ


シュビッッ!

―――ビシビシッッ!


藍「捕らえた! やれ!七星剣ッ!」

毘沙門天「ガぁあッ!!」ブンッ

聖「ふんッッ!」グッ


ガキンッ!!

ゴギィン!!


藍「……!」

持国天「ぐっ……!」ヨロッ

聖「はあッ!!」

持国天「ぐうっ!」ドサッ…


もはや幌金縄では聖の動きを制限することはできなかった
ただ周囲に撒き付くばかりで、全く拘束の体を為していない


広目天「ぬうんッ!!」ブワァッ


――――ゴゴゴゴゥッッ!!


聖「せいッ!!」

毘沙門天「ハッ!!」


ギギィンッッ!!

ガァァンッッ!!

ゴガンッ!!


そして芭蕉扇に至ってはその大火に見向きもしない
広目天が何度強く扇ごうとも、聖の髪の毛一本すら燃やすことができないのだ
返って対峙する毘沙門天の肉を焼くばかりであった


藍「そ……底知れぬ!」


ほんの一年前まで、聖は四天王の一柱にすら手も足も出なかったはずだ
今四天王は、全員が天魔により限界を飛び越えて力を引き出され、さらにはそれぞれが宇宙に二つとない宝具を備えている
しかしそれでも今の聖を押さえ付けるには至らないのである


藍「明らかに成長している……一瞬ごとに!」ギリッ


強敵と出会う度に、苦難に遭う度に、聖はさらにその力を増す
力ずくで押さえようとすればするほど、反発の勢いはますます加速する


ギキィィン!!

ガガァァン!!


―――バキィンッッ!!!


藍「!!」

毘沙門天「ぬぅっ……!」ヨロッ

藍「そんな……七星剣まで……!」


既に聖の拳は七星剣の硬度をも越えていた
いかに天界最強の宝剣と言えども、所詮鉄くれは自らを守る術を持たない
聖と打ち合っていれば、やがて破壊されてしまうことはあまりにも当然であった


聖「哀れな神よ、せめて我が手によって天に還るがいい」バッ

聖「無量億千万波羅蜜ッ!!」


――カッ!!


毘沙門天「――――――ッッ!!」



―――ドゴォォォォンッッ!!!



毘沙門天の体内から白い光が膨れ上がり、そのまま体を突き破って爆散した
光は毘沙門天の全身を包み、跡形も残らなかった


藍「こっ……」

藍「この役立たずどもめッ!!」


聖「ふんッ!!」ググッ


―――ブチブチブチィッッ!!


そして幌金縄は力任せに引き千切られた
もはや宝具も四天王も全く歯が立たない
藍は最後の手段を打たざるを得なかった


藍「何をしている天魔波旬!! 尼僧を押さえろ!!」

藍「この私の手を煩わせる気かッ!!」


天魔「!」


天魔「ふんッ!」ババッ


聖「ぐっ!?」ヨロッ

――――ズダンッ!


突如聖は膝を付いた
それが天魔の力の作用であることは、聖は既に承知していた


ゴブリン「ゴ……」ピクッ

ゴブリン「ウ……」ピタッ

ゴブリン「オ……」ガクッ


ズガッ!!

ガスッ!!


村紗「……何だ?こいつら、急に大人しくなった??」

響子「??」


ゴブリンたちの体が縮んでいく
理由は分からないが、天魔が力を緩めたらしい


一輪「何だか知らないがチャンスよ!」

一輪「今こそ姐さんの援護に馳せ参じるのよ!」バッ

村紗「了解!!」ダダッ

響子「はいっ!」ダダッ


聖は未だに膝を付いたままで、そこから立ち上がることができない
そればかりかその顔には苦悶の表情が現れ、吐血すらしていた
しかし天魔は依然空中に留まったままで、手はかざしていても聖には指一本触れてはいない


聖「ぐ……うう……ッ!」


天魔「ふんッ!!」グググッ


聖「がっ……!!」ギシッ…

ズダンッ!


今度は両手を地面に叩き付けた
体中が軋み、内外至る所に出血している


村紗「聖ッ!!」

響子「聖様ッ!!」

一輪「あの黒いヤツだ! 黒いのをブッ飛ばすわよ!」

藍「そうはさせん! 四天王ッ!!」

持国天「はッ!!」ヒュッ

村紗「!」


ガキィィン!!


村紗「くッ!」


広目天「ぬうんッ!!」ブワッ


――――ゴゴゴゴゥゥッ!!!


一輪「おわっ!!」

響子「あ、熱っ! 熱っ!! 赤ちゃんがっ!」



聖「ぐっ……おおおお……!」


天魔「はぁぁッ!!」ググッ


ミシミシッ…

ギシッ…

ゴキッ…ガゴッ…

聖「ぬうあああッ……!!」


藍「フ……ハハハ!」

藍「そうだ! これこそが天魔の力!」

藍「如何な勇者とて、敵うはずがないのだ!!」


『天魔波旬』


彼の者の天界での呼び名は別にある
その名は肉体を持つ天界神の中でも、最も強大な存在であることを象徴する


『他化自在天王』


地上に影響を及ぼすことのできる天界神として、最も高位である第六層に居を定める
その力の働きは意識する対象の生命全てに及ぶ
他化自在天王は、他者の精神と肉体を意のままに操ることができるのである
相手が妖魔であろうと、人であろうと、たとえ神であろうとも、そこに例外はない
天界はおろか地獄の閻魔王すら恐れさせる、別名『第六天の魔王』とも呼称される所以である


藍「よし……いいぞ!」


そのあまりにも強大な力に、藍もようやく安堵の色を表す
さすがに精神を屈服させることは不可能であったが、もう一方の肉体さえ押さえれば何の問題もない
天魔さえいれば不安要素など無かったのだ
所詮四天王も宝具も、天魔を援護するためのオマケに過ぎない
それほどまでに天魔は藍にとって最上の切り札であった



―――だが



聖「ふっ……ううッ!!」グッ


藍「!?」


聖「ぐ……あああああッッ!」ググッ

ギシッ…!

バギッ…!


骨肉が裂け内臓が破裂する痛みを押して、聖はなおも立ち上がろうとする
如来さえ遥かに見下ろすその驚異的な精神が、天魔の力をも跳ね返そうとしているのだ


藍「う……」

藍「うわああぁぁああああッッ!!」ババッ


堪らず藍は飛び出した

既に四天王も宝具も打ち破られた
ここでさらに天魔まで討ち取られ、よもや何の成果も無しとあっては、もはや自分は主の下へは帰れない


藍「今なら! 今ならまだ……!!」


このまま放っておけば、おそらく天魔ですら聖を押さえられなくなる
しかし今この瞬間であればまだ機会はある
既に聖の肉体回復は天魔の魔力を上回る速度を得つつあるのだ
今やらねば、もはや永遠に聖に打ち勝つことはできないだろう


聖「ぐっ……! くうう……!」

ギシギシッ…!


未だ聖は立ち上がれない
一輪たちも四天王に阻まれて手助けできない


藍「ここしかない! 食らえぇッッ!!」ババッ!

藍「九色断――――」


?「せぇのぉ……」


?「どかーーーーーーん!!」



――――ズドォォォォンッッ!!!



天魔「がア――――ッッ!!?」


藍「何ッ!?」

聖「!」

聖「はッ!!」ダンッ

藍「!!  しまっ―――」

聖「紫雲のオーメンッッ!!」


――キンッッ!!


ドドドドドォォォン!!!


藍「ぐぅわああぁあああッッ!!」




フランドール・スカーレット「あれえ?? 外しちゃったぁ~」



―――ザザッ



一輪「あ、あいつら……!」


レミリア「今回は逃がさないわよ?」

パチュリー「それなら心配要らないわ。もう結界は五重に張ってるんだから」

咲夜「……お気を付けくださいませ」


村紗「紅魔館!!」


フラン「よーし! 今度こそ!」ニコッ


聖「!?」ババッ

藍「ぐっ……!」ババッ


フランの姿を見た聖と藍は、ほぼ同時にその場から飛び退く


聖「退避! 全員退避ッ!!」

響子「えっ? は、はいっ!」ダダッ

聖「視界に入ってはならない! あれは魔眼だ!!」ダダッ

村紗「魔眼? 魔眼とは一体……」ダダッ

一輪「そんなの後にしなさい! いいから早く逃げる!」ダダッ





天魔「おお……あ……ッ!」

天魔「このッ……下賎の妖魔がぁあああッッ!!」ヒュン!


右腕を吹き飛ばされた天魔は、怒りのあまりフランに飛び掛り反撃の魔法を放つ


天魔「死ねぇええええッッ! 死魔の咆哮ッッ!!」バッ

フラン「ぎゅっとして……どかーーーーん!!」


――――ズドゴォォォン!!


天魔「ぎゃああああァァアアッッ!!?」


今度は左腕が吹き飛んだ
天魔の持つ他化自在の力も、相手に届く前に破壊されてしまっては何の意味も為さない


フラン「あれれ?? また外しちゃった」


パチュリー「……レミリア、あなた何か細工したのかしら?」

レミリア「虫を千切るのだって、いきなり頭取っちゃったら面白くないじゃない?」

レミリア「生きてるのをいたぶるのが楽しいんだから♪」

パチュリー「あまりふざけていては隙を生むわよ?」

レミリア「何言ってんのよ。愉快なことは、いつだって危険と隣り合わせなのよ?」

パチュリー「……ま、成果さえ上がれば何でもいいけどね」

咲夜「……」


フラン「そ~れっ!!」サッ

天魔「―――――ッッ!!?」



―――――ズドゴォォォォン!!!



レミリア「あ」

パチュリー「はい、一つ上がり」


藍「し、四天王! 吸血鬼を止めろッ!!」

藍「盾になれゴブリンども! あの赤いヤツを押さえるんだ!」


持国天「ふんッ!」バッ

広目天「はぁッ!」バッ

ゴブリン「ギギギィィイイイ!!」

ゴブリン「ガゴォォオオオッ!!」


ドドドドドド…


フラン「わぁ~! いっぱい来たぁ!!」


パチュリー「あら助かるわね。向こうの方から集まって来てくれてるわ」

レミリア「当然よ。あの子を放っておいたら全部壊されちゃうんだから」


持国天「ぬぅんッ!!」ブンッ

フラン「えーいっ☆」サッ


持国天「――――ッッ!!!」


――――パァァァァァン!!


パチュリー「はい二つ」


フランの指が動いた瞬間、持国天の体はまるで水風船を叩き付けたように弾け飛んだ


藍「ぐ……畜生めッ!!」

藍「どういうつもりだ! 紅魔館!」


レミリア「あら、何も驚くようなことはしてないわよ?」

レミリア「私たちは当然の権利を行使しているだけ。それぐらいの貸しはあるでしょう?」

レミリア「天魔が出張って来るなんて、そうそうあることじゃないもの……もう死んじゃったみたいだけど」


藍「ぐぅッ……!」


フラン「えいやーっ☆」サッ



広目天「こ―――――ッッ!!」


――――ガシャァァァァン!!!


今度はガラス細工のように砕け散った


ゴブリン「ギギギギギッ!」

ゴブリン「ゴフゴフゴフッ!」

ゴブリン「ゴオオアアアッ!」


パチュリー「随分弱っちくなっちゃったわね」

パチュリー「ま、これだけの数なら大差ないでしょうけど」


フラン「さーん! にー! いーち! たぁーっ!!」バッ


―――ボコォッ!!


フランが片手を突き出すと宙に穴が開いた
当然ながら、ただの穴ではない



ゴゴゴゴゴゴ…


レミリア「あらら」

パチュリー「はぁ、やっぱり今回も作っちゃったみたいね……」

レミリア「寺の連中は?」

パチュリー「あの魔法使いと一緒なのよ? 何の心配も要らないわ」


――――ズゥォォォオオオオオッッッ!!!


バキバキバキッ!

ゴガッ!

ガラッ…!


ゴブリン「ギィィィイイイイッ!!」ギュンッッ!!

ゴブリン「ガァアァアアアアッ!!」ギュンッッ!!

ゴブリン「ゴウオアアアアッッ!!」ギュンッッ!!

ゴブリン「グゴォォオオオッッ!!」ギュンッッ!!


全てのゴブリンたちのみならず、周囲の草木、岩石、地面すら剥がされ、凄まじい勢いで吸い込まれて行く
規模は極めて矮小なれど、その穴の働きは外の世界で呼ばれる「ブラックホール」とほぼ同一であった



フラン「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」




藍「あ、ああ……」


ゴゴゴゴゴゴ…


パチュリーが何やら呟くと、次第に穴は塞がり消滅した


レミリア「よし、そろそろ頃合ね。準備はいい?」

パチュリー「今更聞くのかしら?」

咲夜「もう発動します。フィールド展開ッ!」バッ


―――キィンッ!



その瞬間、三人の周囲は静寂に包まれる
草木も浮き上がった石くれも、その形を留め微動だにしない
狭い結界の外ではほぼ実質、時間の経過が停止していた


レミリア「距離は?」

パチュリー「274.38フィート。全速力で0.63秒ね」

レミリア「結構。不安要素は?」

パチュリー「物理法則さえ破壊する気を起こさなければ、何もないわ」

パチュリー「もちろん、隙を与えればその気を起こす確率は十割よ。つまりいつも通りね」

レミリア「なるほど。じゃあ……」


聖「それで、私は何をすれば良いでしょうか?」


パチュリー・咲夜「!?」

レミリア「邪魔しないでって言ったでしょ? いいから大人しくしてなさい」


聖「失礼しました」スッ…


パチュリー・咲夜「……」

レミリア「咲夜、きっかり0.78秒後に再度停止」

レミリア「回収よろしく頼むわよ?」

咲夜「畏まりました……解除!」サッ


―――キィンッ!



―――ギュンッッ!!


フラン「アッハハハハハハハ――――」


ドッ!!


一秒とかからずフランに到達したレミリアは、その指先をフランの背に突き立てる
そして再び結界が発動する


――――キィンッ!


レミリア「たくさん遊んで疲れたでしょう? 今日はもうお休みなさい」

フラン「……………」カクン…


ドサッ…


咲夜「回収完了。パチュリー様、即時撤退を」

パチュリー「やれやれ、今晩は眠れそうもないわね……」スッ


―――シュインッ!!





全ての妖魔をなぎ払い、紅魔館は去って行った
ただ一人、八雲藍を残しまま


響子「??」

一輪「あいつら、もしかして助けてくれたのかしら?」

聖「……」

村紗「どうでしょう。しかし今重要なのは……」チラッ

藍「ぐっ……こんなハズでは……!」

一輪「やっぱりあいつらには感謝した方が良いみたいね」

藍「倒せッ! 今度こそ、仕留めるのだ……!」

一輪「こいつの始末だけは、私たちで付けないとね!」スチャッ

藍「何としても取り押さえろッ!」

村紗「あなたの言う通りですね」グッ

響子「……」スッ


藍「聖……白蓮ッ!!」

聖「……」


藍は必死の形相で聖を睨みつける
しかし対する聖は悠然そのものであった
もはや九尾単体など、聖の敵ではない


聖「……あなたの冥伏は、彼女たちに任せるとしましょう」スッ


ザッ…

一輪「仲間たちの仇、今こそ取らせてもらうぞ!」


一輪「雲山ッ!!」ダンッ

村紗「はッ!」ダンッ

響子「スゥ―――」


藍「おおおおおおおッッ!!」バッ


藍はもはや主から命じられた任を果たすことは絶対に不可能となった
そればかりか、頂いた貴重な手駒の全てを失ってしまったのだ
ここで目の前の雑魚すら葬ることができなければ、自分は九尾の誇りさえ保てなくなる




響子「WAHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHッッッッ!!!」



―――ギィィィィン!!


藍「超音波如きで、どうにかできると思うなッ!!」

藍「狐弧流閃ッッ!!」


―――ズバンッ!!


藍「……!」


バシャッ…


藍が斬り裂いたのは、妖怪に見せかけただけの水の塊であった
響子の初撃は相手の意識を乱れさせるだけのものだった


藍「こ、こんな……!」


村紗「沈め……深遠の呪縛ッ!!」バッ


―――ズズズズンッ!!


藍「つまらぬわ――――ごっ!?」ガクッ


ズズズズズズ……!!


藍は明らかに自分が焦っていることを感じていた
こんな程度の低い技をわざわざまともに受けるなど、どうかしている
冷静さを欠いていることを自覚していても、どうしても意識を正常に保つことができない


一輪「豪者大激怒……」


藍「ぐっ……おおおあああああッ!!」


藍は地に張り付いたまま、身動き一つできない


一輪「タイタン・ハンマーッッ!!」


ゴゴゴゴゴゴ……




―――――――ドッッッゴォォォォォォンッッ!!!!




藍の体は巨大な拳の勢いのまま、大地を突き抜け分厚い岩盤をも貫いた
砕かれた岩石が天高く舞い上がる


藍「あ……お…………紫さ……」



藍「……お……おゆる」



聖「……八雲藍」スッ



村紗「久遠冥伏墓標ッッ!!」バッ


―――――ゴガァァァァァン!!!



最期の言葉を言い終わる前に、藍の肉体は四散した



ゴゴゴゴゴゴゴゴ……



聖「道案内は、あなたに任せましたよ」



ズズズズゥゥゥン……!!




狐火は消えるより先に、暗黒の岩戸に吸い込まれていった


村紗「……」

響子「……」

一輪「仇は取った。安らかに眠りなさい」

聖「お疲れ様でした」

村紗「……聖、せめてここに彼女たちの墓を立てたい」

聖「いいえ、必要ありません」

響子「えっ??」

一輪「しかし聖様……」


聖「この地にはもう二度と戻ることはないでしょう」

聖「しかし、彼女たちの魂だけは一緒に連れて行きます」

村紗「!」

聖「墓は外の世界に着いてから立てます。ここには必要ありません」

響子「……はいっ!」

一輪「はっ!」

聖「必ずや、向こうで墓を立てましょう」

聖「それまでもうしばらくお待ちください……合掌!」サッ



ササッ…


聖「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道……」

聖「為無量億衆 説仏無上慧 各各坐法座 説是大乗経……」

聖「彼仏滅度後 是諸聞法者 在在諸仏土 常与師倶生……」

一輪「……」

響子「……」

村紗「……」


戦いが去った静かな地に、聖の声が響き渡る
朗々と流れる経文を阻むものはない



聖「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経……」


聖以外には経文の意味など分らなかったが、その響きには弔いの心が包まれていると感じられた
さらに迫り来る危機の予兆を感じながらも、聖は経を急ぐことはしなかった
弟子たちにも焦りの色は見られない


聖「命蓮、師匠、そして二度と得難き我が弟子たちよ」

聖「どうか最後まで、私たちを見守っていてください……」

一輪「……」

響子「……」

村紗「……」

聖「さあ参りましょう。皆が待っています」


今ここに師弟の心は寸分違わぬものとなった
もはや恐れるものなど何も無い


聖「聖輦船起動! 我らは栄光の未来を目指す!」

一輪・村紗・響子「はっ!」


ズゴゴゴゴゴゴゴ……


現れた聖輦船は聖たちを乗せ、座標地点を目指す
あの式神の言葉が偽りでなければ、そこに聖たちの未来が待ち受けている





ゴウン…  ゴウン…  ゴウン…  ゴウン…



一輪「響子、その子は……?」


しばらくして、一輪が赤子の様子に気が付く


響子「はい、そのことなんですけど……」サッ

村紗「!……これは」

聖「おそらくこれはぬえの魔法でしょう」


響子「え? ぬえ??」

村紗「この魔法を、ぬえが施したというのでしょうか? 本当に……」

一輪「あいつ、いつの間にこんな魔法を……」

聖「これはしてやられましたね」ニコッ

一輪「えっ?」

聖「子を守りながら、なおかつ私たちも驚かせるとは……」

聖「やはり彼女もまた寅丸星に縁する者。ただ者ではなかったようです」

聖「向こうで彼女と会える日が楽しみですね」


村紗「……ええ、そうですね」ニコッ

聖「そしてまた、ぬえが託していった思いにより知ることができる」

聖「私たちの勝利は既に約束されている、と」

一輪「ふふ、どうやらそのようですね!」

響子「はい!」



聖輦船の前進は続く
今だ座標までの道のりは遠く、日が傾き始めてもまだ届かない
航路の八割に差し掛かる頃には、既に空は夕焼けに染まっていた


そこに空と同じように赤く照らされた者がいた
船の前進を阻むようにして、空に留まる神位の皇子あり

完全無欠の神通力を備え、勝利を得ることを約束された者
聖人の名を欲しいままにし、生きながらにして登天の許しを得た者


聖「……」


聖は誰よりも早く、豊聡耳神子の姿に気が付いた


村紗「あ、あいつは……!」

一輪「聖様!」

聖「やはり来たか」


神子「久し振りだな。邪教の坊主よ」

神子「私がここにいる理由は……お前なら、言わずとも分かっているだろうな?」


聖は静かに前に進み出る
その後ろを追う者はいない


聖「あらかじめ申した通り、手出しは無用です」

聖「あなたたちは私を置いて先へ向かいなさい」

村紗「……はっ」

聖「もし最後まで私が戻らぬ時には、私は倒れたものと思いなさい」

聖「その時は私に代わって子を外へと送り届けるのです」

聖「いいですね?」


一輪・村紗・響子「承知!」

聖「よろしい!」タンッ


聖は船首から神子に向かって跳んだ


村紗「聖輦船、全速前進!」


ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… 


一輪「聖様! どうかご無事で!」

響子「必ず来てください! 待ってますから!」


聖「心得ています」コクッ

神子「……」



ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… 



神子「相変わらずだな。何とも健気な子分たちよ」

聖「……」


神子「さて、もはや言うまでもないが、一応宣言はしておこう」

神子「我が師霍青娥の仇、討たせてもらうぞ! 聖白蓮!!」スッ

聖「命蓮寺当主……いや」

聖「常在不滅の行者、聖白蓮! 参る!!」スッ


ゴウッ!



――――ドゴォォォオオオオン!!!






~聖輦船~


ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… 


一輪「姐さん……」


もう聖輦船は聖たちからはるかに離れ、その戦いの様子も分らない
せめてもの助力にと残した入道が、図らずもその結果を知らせることになるだろう
しかし悲嘆に暮れていられるほど幻想郷は甘くはない


一輪「……」


村紗に言われるより早く、一輪は目指すべき進路に向き直った
目標地点にはもう間もなく辿り着く


村紗「……」ピクッ

響子「あっ、あれは……」

一輪「どうやら到着したみたいね」


果たしてそこに聞かされていた通りの地形が現れた
ここに到るまでの進路は森だけが延々と続いていたのに、その場所だけは違っていた


村紗「何とも異様な光景ですね」

村紗「まるでここだけすっぽり抜き取られたかのようです」


その場所は見事な正円を描いていた
ここには自分たち以外の者は誰もいないはずである
それなのにまるで人の手が入ったかと思われるほど、木々と砂地の境界は明確であった


一輪「雑草の一本も生えていない……違うわね」

一輪「まるで草木の方がここだけを避けているみたいだわ」

響子「綺麗……」


美しい正円の砂漠が、大森林の中心に構えていた


村紗「それらしき反応は感じられませんが、ひとまず降りても平気か試してみましょう」タンッ

一輪「!」

響子「せ、せんぱい!?」



ザッ…

村紗「……」


響子「せんぱーい!」

一輪「何か変わったことはあるー!?」


村紗「……」

村紗「何もありません! やはりここはただの砂地です!」


響子「ホッ……」

一輪「そうやって先走るのが、あんたの悪いところよね……っと」タンッ


船に残った二人は赤子を伴い砂地に降り立った
しかし問題はここからだ


響子「うーん」グリッ グリッ

一輪「見れば見るほど、ただの砂地だわ」ザッ ザッ

村紗「そのようです」

響子「ここが、出入り口なんでしょうか?」

一輪「そのはずよ。あの狐はそう言ってた」

村紗「しかしながら、ここからどうやって出入り口に入ればよいのでしょうか」

響子「うーん……」


村紗「扉らしきものは見当たりませんが……」

一輪「取りあえず、この真下を掘ってみればいいんじゃない?」

一輪「砂漠の下に何かあるかも知れないわよ?」

村紗「了解……計深アンカー!」

――スチャッ

村紗「はぁっ!」ブンッ


ドザザザザァァッッ……!


響子「……」

一輪「どう?」


村紗「……ふんっ!」バッ


―――ズボッッ!

ガチャン…


村紗「駄目ですね。砂以外何もありません」

響子「……」

村紗「一つ分かったのは、ここはお椀のような形をした窪地であるということ」

村紗「そこにこの砂がお吸い物のように乗っかっていることです」

村紗「ただそれだけですね」

一輪「ふーん」


響子「……あ」

村紗「?」チラッ

一輪「どうしたの?」

響子「一輪せんぱい、あれ持ってます?」

一輪「あれ??」

響子「あれですよ、ほら、あの光るやつ」

響子「星せんぱいが持ってた……」

一輪「……あ、宝塔のこと?」

響子「はい! それですそれです!」


一輪「まあ姐さんに言われたし、一応持ってるけど」ゴソゴソ…

一輪「今更こんなのが役に立つのかしら?」スチャッ






村紗「……」

響子「……」

一輪「……何も起きないわね」

響子「うーん」


村紗「一輪、これを砂漠の中心に持って行ってみては?」

一輪「え? うん……」スタスタ


ザッ…


村紗「……」

響子「何も起こりませんね……」

一輪「やっぱり」






―――キィィィィィン!!






一輪「!?」

村紗「むっ!」

響子「わわっ!?」





ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……





突如宝塔が光を放ち、地響きが立つ
そして宝塔よりもさらに眩しい巨大な球体が、三人の頭上に現れる


村紗「これが……!」

一輪「ほ、本当にあった!」

響子「眩しい……」


その球体は聖輦船を容易く飲み込んでしまうほど大きい
太陽が降りて来たのかと思わんばかりの光を放ちながら、しかし決して熱さは感じない

間違いない
これこそが求めていた出入り口であった


村紗「まさか命蓮……弟様は、ここまで見越して宝塔をご用意されたのでしょうか」

一輪「さあね。そんなことより、これ触って死んだりしないのかしら?」

村紗「試してみましょう」スッ


響子「!」

一輪「ちょっと待った!!」

村紗「不動アンカー!!」ブンッ


―――ドシュンッッ!!


村紗「はぁっ!」バッ



ジャラッ…

ズズン…!!


一輪「……」

響子「……どうでした?」

村紗「アンカーには何ら影響はありませんね」

村紗「おそらく入っても大丈夫でしょう」

一輪「あんたねぇ……先走るのはやめなさいって、今言ったばっかりじゃない」

村紗「これは失礼」

響子「まあまあ……」

一輪「とにかく、ここから入って行けばいいみたいね」


一輪「村紗、操縦よろしく頼むわよ!」

村紗「了解! 聖輦船発進!!」サッ


ズズズズズズ…



――――ドザァァァ!!



砂漠の下より聖輦船を呼び出し、三人は輝く球体に飛び込んで行った








~~~次元の門 『三途』~~~




村紗「これは……何と言うべきでしょうか」

一輪「随分変わった所ね」

響子「わぁ……」




球体の先にあった世界は、絶え間なき光の奔流
自分たちの周囲を無量無数の光が駆け抜けて行く

しかもその光はただの光ではない
目を凝らして見てみると、その一つ一つに異なる何かが浮かんでいる


村紗「この光は…………」

一輪「!」

響子「前方に敵影確認! こちらへ向かって来ます!」 

村紗「何奴!」

一輪「やっぱり来やがったわね!」ニヤッ



ゾロゾロ…


  ゾロゾロ…



はるか彼方から、武器を握り締めた角の生えた集団が、船目掛けて飛んで来る


村紗「ふむ、なるほど。確かに響子の言う通り」

村紗「どう考えても、私たちを歓迎しているという雰囲気ではありませんね」

一輪「あっちにその気がなくても、こっちは大歓迎よ!」グッ

一輪「響子! 赤子を守りなさい!」

響子「はいっ!」

村紗「全く、宝塔もないのにどうやって待ち構えていたのやら」

一輪「理屈は後! 全員まとめてブッ飛ばしてやるわよッ!!」ダンッ

村紗「承知ッ!!」ダンッ


極卒「かかれぇえええッ!!」ブンッ!

極卒「おおぉぉおおおッッ!!」ズワッ!

極卒「死にさらせぇええええッ!!」ゴウッ!

村紗「甘い!! 無限アンカー茨舞いッ!!」サッ


―――ズラッ…


バシュバシュバシュバシュッッ!!

  ビシュッ!
  
ドシュッッ!!

     ズシャッッ!!

バシュバシュバシュバシュバシュバシュバシュッッ!!!

  

―――――ズガガガガガガガガガァァァァン!!!!


極卒「ごぉおおおおおお!!」

極卒「ぎゃああああああああッ!!」

極卒「ぐぅああああぁぁあああッッ!!」



一輪「ふふん、中々やるわね!」

一輪「なら私も!」スチャッ



極卒「行け行け行け行け行け行けええええええッッッ!!」ブゥンッ!

極卒「食ゥらえぇぇええええッッ!!」ババッ!

極卒「死ねやァァアアアアアッッ!!」ズワッ!


一輪「鉄拳行者超炸裂!!」グワッ…


ズドドドドドドドドドッッ!!!


ドゴォ!!

バギッッ!!

ゴガンッ!!

ガギィンッッ!!


―――――ドガァァァン!!!


極卒「ぎゃアアアアアアアっっ!!」

極卒「うぅああああああーーーーッッッ!!!」

極卒「ぬォォおおおおおおおッッ!!」


一輪と村紗の攻撃に、極卒たちは次から次へと弾き飛ばされて行く



極卒「がぁぁあああぁあぁあッッ!!」ヒュン…


四季映姫・ヤマザナドゥ「……ふむ」サッ

映姫「あの技は入道がいないと使えなかったはずですが……さて」


極卒たちのはるか後方に閻魔十傑の一人が控えていた
吹き飛ばされ、三途の光に飲み込まれていく極卒たちを尻目に、三人の様子を眺めている


極卒「落ちろォおおおッッ!!」ビュン!

響子「――――――ッ」



極卒「!!?」


―――ゴガァァァァン!!


極卒「あ……がっ―――」グシャァ…



映姫「ほう……」

映姫「これはもう少し数を増やさねばなりませんね……行きなさい」


ババババババッッ


極卒×??「おおォォォオオオオオッッッ!!」


一輪「第二段ね! さあどんどん来るがいい!」

村紗「全く、数だけは盛んにいるようですね」サッ


極卒「ぬおああああああッッ!!」ゴォッ!

極卒「くたばれぇえええッッ!!」ブンッ!

極卒「うおらぁあああああ!!!」ドッ!


一輪「拳骨蓮華狂い咲きッ!!」バッ


バララララララッ…


―――――ドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴッッッ!!!


ドガッ!

ドガドガッ!!

ドガドガドガドガドガッッ!!!

ドガドガドガドガドガドガドガドガドガドガドガドガ!!!!!


ドッッガァアアアアアアアン!!!!



極卒「ゲェえああああああああ――――ッッ!!!」

極卒「オガァァアアアアアアア!!」

極卒「ぎぃやあああぁぁああぁあああッッ!!」


村紗「大災難! モンスターアンカー・ヤマタノオロチ!!」バッ


ズババババババババッッ……


―――ビシュッ!

―――バシュッッ!

―――ヒュンッ!

―――ズシャッ!

―――ドシュンッ!


ゴガガガガガガガガガガァァァァァン!!!!!



極卒「ぎゃあああああああああああ!!」

極卒「ひぃああああぁあぁぁああああッッ!!」

極卒「ぐわぁぁあああああああッッ!!」



~地上~



聖と神子は戦い続け、やがて辺りは曇天が覆い始める
聖が地面に叩きつけられること十度に及ぶ頃には、空は完全に雲に覆われてしまった


ズガガガガガッッ!!

ゴッ…!

ドゴオォッッ!!


神子は地に落ちていく聖をつまらなそうに見下ろしていた


聖「ぐう……ッ!」ドサッ


神子「何度やっても無駄だ」

聖「そ、そこを……」ヨロッ

聖「そこをどきなさい!神子! 私には行かねばならない所がある!」

神子「ならば私を打ち破ってみることだな」

神子「……もっとも、そんなことは出来るはずもないが」

聖「はぁ、はぁ……遊行聖ッ!!」


―――ギィン!


神子「遅いッ!!」


ゴガッッ!!


聖「がは……ッ!!」ドサッ…

神子「もう充分理解しただろう」

神子「お前では私には勝てないのだ。決してな」

聖「はぁ……はぁ……はぁ……」

聖「私は……必ず、辿り着いてみせる……!」

神子「お前がいくらそのつもりでも……」スッ


ズワッ…!!


聖「!」


神子「その願いが叶うことはない! 落星霊剣!!」ババッ



ズガガガガガァァァン!!!



聖「がああああああああッッ!!」


神子を覆う光が無数の矢となり、一斉に聖に打ち込まれる
ほぼ無尽蔵に生み出される輝く刃は反撃の隙を与えない

やがて矢を二千発打ち込んだところで、神子は標的の様子を確かめる


神子「……」

聖「う、うう……」ググッ

神子「なるほど、まだ立てるのか」

聖「はぁ、はぁ……」

神子「確かにお前は強くなったようだな。以前とは比べ物にならない程だ」

神子「だがそれでも私には届かない」

神子「お前に如何なる正義があろうとも、圧倒的な力の前には全くの無意味」

聖「……」

神子「悲しいことだな、邪教の輩よ」

神子「何をするつもりだったのかは知らないが、お前は敗北するのだ。一切の思いを成就することなく!」


聖「そこをどきなさい。私は……外の世界へ行く!」

神子「まだ言うかッ!」

神子「力の無い者にはその思いを叶えることなど出来んのだ! どうしてそれが分からない!」

神子「智恵で病が癒えるものか! 経文で腹が膨れるものか!」

神子「あの卑しき詐欺師の口車に乗り、夢想と呼ぶも愚かしい幻に酔う!」

神子「その結果がこの様だ! 今の己の姿を見るがいい!」

聖「…………」


神子「知力、権力、そして武力!」

神子「この力こそが世を動かし、世を変えてきた! ホトケなどと言うものが世界を救うはずがない!」

神子「人の歴史は、いつだって力によってのみ救われてきたのだ!」

聖「いいえ、それは違います」

聖「人を……命を救うのは、力でも魔法でもない」

聖「どんな宇宙のどんな時代であろうとも、命を救うのは慈悲だけ」

聖「ただ一つ、慈悲だけなのです」

神子「……どこまでも口の減らんヤツだ!」

神子「ならばこれでもその減らず口が叩けるか! 破天の後光ッ!!」



―――カッ!!


ドッ……ゴォォォォォン……!!



聖「ぐ……ううああああッッ……!!」



神子の光が爆発し、周囲の全てを吹き飛ばす
暗雲は瞬時に払われ、透き通った夜空と月が姿を現す


神子「これでお前のつまらん企みも掻き消えたな」

聖「……!」


神子「よもやこの私が気が付かないと本気で思ったわけではあるまいな?」

聖「……」

神子「あの入道に雲を集めさせて何をするつもりだった?」

神子「雲に紛れて逃げる気でいたのか? それとも雷でも起こそうとしていたのか?」

神子「そう考えていたのなら姑息もいいところだな。そもそも私には雷など通じん」

聖「それでも……!」グッ

神子「見苦しいぞ。所詮力のないお前には、何も出来はしない」

聖「……」


神子「もう分かっただろう。世を……人々を救うのは力しかないのだ」

神子「お前の言うことも、決して理がないわけではない。しかし人間というものは愚かで儚い存在でしかない」

神子「私の臣民たちもその例外ではなかった。私の復活を恐れたのがその証拠だ」

聖「……」

神子「彼らは私が没すると、すぐさま私を封じて聖徳王の復権を阻んだ」

神子「しかしそれも無理からぬこと」

神子「人というものは力有る者を恐れるもの。私が再び現れれば、彼らの治世はその瞬間に終わりを告げることになる」

神子「彼らがその思いを遂げるためには、私を封じるしか方法がなかったのだ」

神子「人の幸不幸など、力次第でどうにでもなってしまう……ならばどうして彼らの振る舞いを責められよう」

神子「私が万が一にも悪王として目覚めない保証などない。だからこそ、彼らは私を遠ざけた」

聖「……」


神子「悲しいことだが、それが人の世の習いというもの」

神子「決して逃れることのできない、人の本質的な性……」

神子「それこそが宇宙を統べる第一の理なのだ」

聖「……あるいはそうかも知れません」

聖「しかしながら、それが宇宙の真の姿であるとは私は認めません」

聖「私はそんな浮世はご免被ります」

神子「お前一人がいくらそう思っていても……」

聖「それに、そもそもあなたは思い違いをしています」


神子「……何?」

聖「あなたは誉れも高き聖徳王。その栄誉は全国土くまなく届き、知らぬ者はいない」

聖「国家を二分しかねない争いをたちどころに収め、人々を苦しめる悪法を一掃し、国土を豊かに保つことに努めた」

聖「その威徳は計り知れず、あなたが遺したものを守っていただけでも、実に三百年にも渡って平穏な時代が続いたのです」

聖「どうしてこれを恩義に思わぬ者があるでしょう」

神子「……」

聖「あなたを拒む者などどこにもいない」

聖「皆があなたを敬愛し、その教えの通り国をよく守っていたからこそ、今の浮世があるのですよ」

神子「……一体何の話をしている?」


神子「今さら聖徳王など、どこに慕う者があろうか。彼らは私を封じたのだぞ!」

神子「これは動かしがたい事実なのだ!」

聖「ならば、なぜあなたはここにいる?」

神子「うん……?」

聖「もし彼らが本当に聖徳王を拒むつもりであったのなら、あなたはそもそも幻想郷になど留まってはいられないはずです」

神子「…………」

聖「それに、彼らにあなたを押さえ込むことなどできません。かの聖徳王を封じるほどの力など、とても……」

神子「……何が言いたい」


聖「あなたを封じるとすれば、魂魄滞留の術式になるのでしょう」

聖「しかし聖徳王を拒むだけなら、そんな術式は必要ありません。それよりはるかに容易い彼岸葬送で事は足ります」

聖「それ以前に拠代の宝剣を破壊してしまえば、彼岸葬送すら必要なくなる」

神子「……」

聖「でも彼らはそのいずれの方法も取らなかった……これがなぜだか分かりますか?」

神子「……??」

聖「答えは到って単純です」

聖「あなたの亡骸には、初めから封印など施されてはいなかったのです」


神子「―――――!!?」


聖「私もあなたの墓前に赴いたことがあります」

聖「あそこには如何なる法力も魔法も認められませんでした。ただ厳かで清浄な墓石があるだけでしたよ」

神子「そんな……そんなはずはない!!」

聖「……彼らは全て知っていたのです。あなたがどうして命を落としてしまったかも含め、全て」

聖「あなたは唯一敬愛する人物に裏切られたとの思いから、人間を見限った。見限るしかなかった」

聖「世界を救うには、人を超えた存在となるしかない。あなたは純粋にそう信じた」

聖「だからあなたは、力以外のものを信じない頑なな性格になってしまったのですね」

聖「あなたが不老不死を求めたことも、元を辿ればそこに行き着くのでしょう」


神子「そ、そんな……そんなことがあるものか!!」

聖「……ですが、如何なる困難も、技や策で道が開くなどということは絶対にない」

聖「目の前の困難には、いつだって知恵と勇気で立ち向かうしかない」

聖「彼らはそれを知っていたからこそ、あなたの行く末を案じていたのです」

神子「う、嘘だ……嘘だ……ッ!!」

聖「彼らは純粋に祈った」

聖「あなたが次なる生を受けても、不老不死などという途方もない願いなど持たぬように」

聖「今度こそ仁義礼智信を心得て、健やかなる一生を駆け抜けて欲しい……と」


聖「その彼らの想いが実を結んだのです」

聖「だからこそ、あなたは外の世界で復活することができなかった」

神子「黙れ黙れ黙れええええッ!!」

聖「神子よ、あなたは民を欺いた報いを受けて、この地に転生したのではない」


聖「あなたは自分自身を欺いていたのです」


神子「黙れと言っているだろう!! この糞坊主がッッ!!」

聖「……」

神子「そうやって虚言を用いて相手を騙す! それがお前たち邪教の常套手段なのだ!!」

神子「お前のような者が人々を惑わせ、狂わせてしまうのだ!」

神子「だが他の者は欺けても、この私は騙されんぞッ!!」サッ


ゴゴゴゴゴゴゴ……


聖「……道を開けなさい、神子」

聖「私には、待っている弟子たちがいる!」グッ


神子「それ以上口を―――」





―――――ドガキィィンッッッ!!!!





神子「―――――がっ!?」

聖「!?」


その瞬間、雷撃が神子の体を貫いた
雲一つない空に雷を作り出せる存在は、この宇宙にただ一つしかない


神子「」グラッ…


全ての術を遮断された神子は、そのまま地面に落ちて行った

しかしその傷は極めて軽微なものでしかない
わずかに付いた火傷もほんの半日で治るだろう
聖の負った傷に比べれば、その火傷の深さは百分の一にも及ばない

それでも神子は動けなかった
龍神の正体を知る神子はこの雷撃の意味を悟った
一秒の千分の一にも満たないその瞬間に、神子は自らが辿って来た歴史を突き付けられたのだ



神子「…………」




最初から全部分かっていた
それでもこうするしかなかった
分からない振りをして縋り付く以外、自分にはどうしようもなかったのだ


聖「神子……!」タタッ




人々が自分を信じなかったのではない


自分が彼らを信じなかったのだ




―――ドサッ


聖「ぐ、う……!」ヨロッ


聖は神子の体を受け止めた
傷だらけで疲弊し切った聖には容易でない事だったが、何とか地面衝突だけは免れた


聖「はぁ、はぁ……」スッ

聖「神子よ……あなたにもきっと、運命を変える瞬間が来る」

聖「それを信じることができるかどうか……あなたの未来は、そこにかかっているのです」

聖「早く戻らなければ……雲山!」


―――スゥッ


神子を草むらに残したまま、聖は入道の肩に乗り、飛び立って行った







~三途~


映姫「次、行きなさい」


極卒×??「うおおおォォおおおおオオオッッッ!!!」


極卒が討たれる度に、閻魔は新たな軍勢を向かわせる
そしてその軍勢たちも、一人残らず蹴散らされる
しかしそうすると閻魔はまたも新たな極卒を補充する


―――ドガァァァァァン!!

―――ゴゴォォォォン!!


ズガガガガガガァァァァン!!


極卒「ごわぁあああああああッ!!」

極卒「おごぉおおおおッ!!」

極卒「ひぎゃぁぁああああああああッッ!!」


その繰り返しが延々と続き、未だ誰一人としてあの三妖を押し留めることができない
もう手持ちの軍勢も残り少ない


映姫「…………」


さらに気がかりなことがある
これだけの軍勢をぶつけたにも関わらず、彼女たちの攻撃にはいささかの衰えも見られない


映姫「……いや」


むしろ、極卒を向かわせれば向かわせるほど、彼女たちの攻撃はより重く、より鋭く、より激しくなる
これは一体どういうことなのか


一輪「おいそこの!」


映姫「?」チラッ


一輪「そこでご大層に控えているヤツ! そのままじっとしてろ」

一輪「今からそっちに行ってブッ飛ばしてやる!!」ゴゥッ…!

村紗「右に同じく!」ゴゥッ…!


映姫「もうこれで全部か……行きなさい」サッ

極卒×??「うおおおおおおおおおおッッ!!」


一輪「邪魔だどけぇええええッッ!!」ブンッ


―――ズガァァアアアアアン!!!


極卒×??「がぁあああああああああああッッッ!!!」

映姫「……」

一輪「もう盾はないぞ! 覚悟しろ!」グッ

映姫「不思議なこともあるもの」

一輪「あん?」

映姫「あの凶暴な極卒たちをこうも容易く退けるとは……」

映姫「本来、あなたたちのカタチは、そんな力が出るようにはなっていないのですよ」

映姫「一体どこからそのような力が……?」


一輪「……」

村紗「知れたこと」

映姫「……?」

村紗「たかが猿ごときに制圧されるような連中に、我らが遅れを取るはずもない」

映姫「それは昔の話で」

一輪「響子ッ!!」


響子「ジャリングウェイブ――――――ッッッッ!!」


ギィイィイィィィイイイイィィイィイィイン!!


映姫「!」サッ




―――――ドドドドドドドドッッッ!!!



極卒「げあ!?」グチャッ!

極卒「ごうぉ―――」グチッッ!!

極卒「ぇあ」ズバブシュッッ!!


物理の法則すら突破する超音波により、周囲に控えていた極卒たちはその巻き添えを食らう
極卒たちの肉は強引に引き千切られ、押し潰され、破裂させられ、果実を勢いよく握り潰したように弾け飛んだ


映姫「……」


一輪「ゴチャゴチャうるさいわね! 文句があるならかかってきなさい!」ググッ


極卒「む、むう……」

極卒「……ぅう」ジリッ


もはや極卒たちの戦意は喪失していた

この軍勢は地獄が全力を傾けて集められた、紛れも無い純粋な鬼の集団である
しかしその鬼たちは一矢報いることなく倒され、対して相手の方は傷一つどころか疲労さえ見られない
このまま行けば、自分たちもここまでの獄卒と同じ結末を辿ることになる
故に極卒たちは自覚した


『遂に地獄がやって来た』


罪人に罰を与える極卒たちには、たった一つだけ破ってはならない掟がある

それは罪に見合うより重い責め苦を、罪人に施してはならないということ
ほんのわずかでもその罰に私心や感情を上乗せしてしまった者は、それに数万倍してやがて自分に帰ってくる
地獄の規律はその恐るべき法則によって保たれていた

しかるに、その掟を破らない極卒というものは実は一人もいない
そのため極卒たちの行く末は地獄のさらに下、阿鼻叫喚の無限地獄であると相場が決まっている
地獄でその事実を知らぬ者はいないため、皆がその未来に震え上がっていた

そのためわずかに残った極卒たちも、その力は既に鬼のものではなくなっていた


極卒「ううっ、う……」

村紗「このまま大人しく通すならば良し。通さぬのであれば……」

映姫「……」

一輪「聞く必要はなさそうね……覚悟ッッ!!」ババッ

極卒「ひっ、ひぃぃいいいいいいい!!」

極卒「うわぁあああぁぁあああああッッ!!」

極卒「おた、お助けぇええぇえ!!!」

映姫「出番ですよ」


―――ズォオオ…


一輪「!?」サッ




?「ゴーストバタフライ」



――――ズワッ!!



極卒「あ―――」ボシュッ…

極卒「お―――」ボシュッ…

極卒「か―――」ボシュッ…



一輪「ふぅ! 危ない危ない、っと!」ササッ

村紗「今のは……誰だ!」


西行寺幽々子「あら、意外とすばしっこいのね」


村紗「冥界の死魔……!」

一輪「ふぅん、手間が省けたわね」

一輪「丁度姐さんが、お前をやっつけられなくて困ってたのよ!」


幽々子「あなたたちの旅はここで終わりよ」

幽々子「紫に頼まれちゃったのよね。ここは誰も通してはならないって」


一輪「ならば問答無用! 覚悟ッッ!!」バッ

村紗「我らは力ずくで押し通るまで!!」バッ

一輪・村紗「「永久ハリセンボン・ノックアウト!!」」


ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……


棘がびっしりと張り付いた巨大な拳が無数に現れ、その全てが幽々子に照準を合わせる


一輪・村紗「「発射ッッ!」」


―――ズドズドズドドドドドドッッ!!

―――ドドドドドドドドドッッ!!

―――ズババババババババババババッッ!!!


幽々子「黄泉平坂行路」サッ


―――バシュゥ……



一輪「!?」

村紗「何っ!?」


しかしその無数の拳は幽々子の魔法に触れた瞬間、まるで雪を被った炎のように溶けて消えてしまった


幽々子「ふふふ」


一輪「……ならばもう一度!」

村紗「続いて参る!」

一輪「鉄拳彗星万華鏡!!」バッ

村紗「圧殺水流ヒトバシラ!!」ババッ



――――ズゴォォオオオオオッッ!!

――――ザバァァアアアアン!!


幽々子「死蝶浮月」ササッ


―――バシュゥ……


一輪「またか……ッ!」


幽々子「私が死に誘えるものは命ある者ばかりではないわ」

幽々子「魔法もまた、私の力で消し去ることができるのよ」


村紗「それならば!」ヒュン!

一輪「実力行使だッ!!」ヒュン!


一輪と村紗は幽々子に目掛けて飛んで行く


幽々子「あらあら……何て無意味なことをするのかしら」


しかし二人の姿が間近に迫って来ても、幽々子は全く動じない


村紗「この距離ならば外さん!」ブンッ!

一輪「食らえッ!!」ブンッ!


幽々子「……」


ズワァァ…

バフッ…


村紗「!!」

一輪「えっ!?」

幽々子「これって、撃っていいのかしら?」サッ

一輪「くそッ!」ババッ

村紗「何だと……!」ババッ


幽々子「桜吹雪花小町」


ズワァッ…


ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン!!!


村紗「ぐっ、くうう……!」ササッ

一輪「うわっとぉ!!」ササッ


幽々子「ああ、そうだわ」

幽々子「言うのを忘れてたけど、死んでも私を恨んではいけないわよ?」

幽々子「何しろ今日は手加減しなくていいって言われてるんだから」


遠距離の攻撃が通用しないと見て、魔法を諦め直接攻撃に切り替えた
しかしその打撃も幽々子にはまるで通用しない
一輪と村紗にとって、その感触は煙を殴るに等しかったからだ

詰まるところ、魔法も武器も西行寺幽々子には意味を為さないのである


村紗「こ、これでは……!」ギリッ

一輪「ふんっ!」ババッ

村紗「!……一輪!?」


一輪「当たらないなら、当たるまで打ち続けるだけだッ!!」ググッ…


幽々子「ふぅ……黒死蝶演舞」ササッ


バサバサバサバサッッ……

ヒュヒュン!   ヒュン!

    ヒュヒュン!
  
 ヒュン! ヒュン!


一輪「うわったぁ!」サッ

一輪「当たれッ!!」ブンッ


ズワァッ…


幽々子「……」


一輪「もう一発!!」ブンッ


スカッ…


一輪「食らえぇええ!!」ブンッ


ボフッ…


村紗「い、一輪……」

響子「せんぱい……」ググッ


映姫「……」


幽々子「いくらやっても無駄なのに……歓喜入滅舞踊」スッ


――――ズオオオァアアアアアアッッッ!!


一輪「うわあああああああッッ!!」ササッ


――ズシャッ!!

――ザバッ!!

――ザンッ!!

――ドヒュン!!


一輪「ぐぅああああああッッ!……そこだッッ!!」ブンッ


バフッ…


幽々子「だから無駄だって」

一輪「おらっ!」ブンッ


フワッ…


幽々子「言ってるのに」

一輪「せいッ!!」ブンッ


スカッ…



幽々子「私をただの」

一輪「たあッッ!!」ブンッ


ブワァッ…


幽々子「幽霊だと」

一輪「はぁああッッ!!」ブンッ




メキッ…




映姫「!?」



――――ドガァン!!


幽々子「がっ!?」


村紗「えっ!?」

響子「やった……!」


一輪「はぁ、はぁ、はぁ……」

一輪「何だ! やっぱり当たるんじゃない!」

幽々子「えっ?えっ?? な、何で……」


村紗「……そうか、なるほど!」


一輪「もういっちょお!!」ブンッ


ゴガンッ!!


幽々子「あいたっ!」

一輪「まだまだぁッ!!」ブンッ


ズゴンッ!!


幽々子「うぐっ!!」

映姫「さ、西行寺殿!?」


村紗「種が分ってしまえば、どうということもありませんね」

村紗「しかし……さすがは一輪!!」ババッ


一輪「ただの幽霊が何だってぇ!?」ヒュッ…


ドガン!!

ズゴッ!!

バキィッ!!


幽々子「あたっ! いてっ! いだっ!」

幽々子「ちょっと! 本当に痛いから!」


一輪「ああもう面倒くさい! これでも食らえッ!!」ババッ

一輪「破壊行者の滅多撃ち!!」

村紗「及ばずながら私も!……無限アンカー地獄突き!!」


ズドドドドドドドドッッ!!!


幽々子「!!」

映姫「西行寺殿ッ!!」ササッ



――――ガキィィィン!!!



一輪「むっ!?」

村紗「……!」

一輪「いない……どこだッ!」

響子「あー! いました!」

村紗「!」

響子「あっちです! あの奥の方に逃げてます!」

村紗「了解!」バッ

一輪「お手柄よ響子!!」ババッ



幽々子「はぁ、はぁ、はぁ」

映姫「奴らの力……これはただ事ではありませんね」

幽々子「はぁ、はぁ……」

映姫「仕方ありません。もはやこうなっては、私も戦わざるを得ないようです」

幽々子「……」

映姫「呼吸はあなたに合わせましょう……参ります!」

幽々子「……」コソコソ

映姫「西行寺殿?」

幽々子「!」ビクッ


映姫「どこへ行くつもりですか? 敵はあちらですよ」

幽々子「私は……もう帰りますっ!」

映姫「…………は??」

幽々子「もう充分戦ったし、これでいいでしょ? ねっ?」

映姫「何ですと……」


閻魔には幽々子が何を言ってるのか理解できなかった


映姫「何を、仰っているのですか??」

映姫「奴らの進行を食い止める。これがあなたの仕事のはずですよ」


幽々子「じょ、冗談じゃない! 何であんなおっかない奴らに突っ込んで行かなきゃいけないのよ!」

幽々子「私には関係ないじゃない!!」

映姫「……」


起こり得ない反応を前にして、閻魔は絶句する
今の幽々子がそんな事を言うはずがないからだ


映姫「冥界の超越者、『遊楽する死』とも謳われたあなたが、まさかあんな小妖を恐れると言うのですか?」

幽々子「しょうがないじゃない! だ、だって、あいつらマジなんだもん!」

映姫「……」


もはや疑いようがない
幽々子にかけられていた封印が外れてしまっているのだ
既に幽々子は超越者としての仮面を剥がされ、だらしない本性を露わにしている


しかし封印を解除するには、本来いくつもの複雑な手順を踏み手間と時間をかけなければならない
どんな手品を使おうとも、こんな短時間で外れるわけがないのだ


一輪「何をコソコソしゃべっている!!」ヒュン!


映姫「!」

幽々子「わぁあ!! き、来たぁああッ!!」


一輪「業敵一網打尽乃掌ッッ!!」

村紗「ディザスターファントムシップ!!」


――――ゴゴゴゴゥッッ!!


ゴガガァァアアアアン!!



幽々子「わっ! わぁあああああ!!」バタバタ

幽々子「助けて妖夢~~!!」


映姫「…………」


幽々子は手足をバタつかせながら、驚くべき速さで逃げて行った


一輪「さあ、後はお前一人だ!」


閻魔は覚悟を決めざるを得なかった
もはや極卒たちも西行寺幽々子もいない
残る自分があの三人を食い止めるしかない


映姫「いいでしょう……」スッ


村紗「……」チラッ

一輪「うん??」

響子「……あれ??」


閻魔が勺を構える
遂に自ら裁断を下す時が来たのだ


映姫「今こそ見せましょう。閻魔十傑の――――」チラッ


映姫「!!?」


閻魔は構えた勺を見て愕然とする
その勺は柄の部分から先が割れ落ちてしまっていて、もはや使い物にはならなかった


映姫「そんな……!」


この勺はただの宝具などではない
魂の裁定を下すための象徴であり、いかなる障りにも決して傷付くことのないように作られた逸品中の逸品
地獄・冥界・そして天界の結界が破られるとも、この勺を破壊するにはそれでもまだ足りない
それほどに強固であるからこそ、閻魔王の威厳も守られるのだ

その勺が折れてしまった
ここへ来るまでに補強は万全であったし、先ほどの防御にも勺は用いなかったはずである


映姫「……」


閻魔は力なく肩を落とすしかなかった
今ここで勺を失ったことが、ただの偶然でないことを悟ってしまったからである


映姫「通れ……天意である……」スッ


響子「??」

村紗「……何のつもりか知りませんが、遠慮なく通らせて頂きますよ」

一輪「……」


ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン…


意気消沈した閻魔を通り過ぎ、聖輦船は運航を続ける


一輪「ふんッ!!」ヒュッ


ドゴォッ!!


映姫「ご――――ッ!?」


一輪「なぁにが『天意』だ!! このスカポンタン!!」

一輪「そうやってしおらしくなるぐらいなら、最初っから通せんぼするんじゃない!!」

映姫「お、ご……」


一輪だけは閻魔の腹に強烈な一撃を残していった


映姫「うぅ……う……」ヨロヨロ


閻魔は痛む腹を抱えながら冥界へ帰って行った



村紗「お疲れ様です」

一輪「まだ終わってないわよ……ったく」

一輪「あいつらのせいで、余計な時間食っちゃったじゃない!」

一輪「こっちは急いでるってのに……!」

響子「まあまあ」


閻魔に一撃入れた後も、一輪の怒りはしばらく収まらなかった


村紗「進路は本当にこの先で間違いないのでしょうか」

一輪「それはそうでしょ? 後ろには幻想郷しかないんだから」

一輪「そしたら、こっちが出口に決まってるじゃない」

村紗「なるほど」

響子「……せんぱい」

一輪「うん? どうかした??」

響子「この光、何か変ですよ?」

一輪「変?? 何が?」

村紗「……」チラッ


響子「いや、変っていうか……ほら、よく見て下さい」

一輪「……!」

村紗「あれは……小傘! ぬえ!」

一輪「ナズーリンに星もいるじゃない! どういうこと??」

響子「いるっていうか……あ! ほらほら、あれ見て下さい!」

響子「私たちが双六してます!」

一輪「!」

一輪「それだけじゃないわね。こっちは姐さんが鬼と戦ってる」


一輪「こっちは…………!?」ササッ

響子「せんぱい?」


突然一輪はその場に跪き、手を合わせる


村紗「一り……あれは!!」ササッ

一輪「……」


響子「??」


響子には二人が何かに向かって拝んでいるように感じた
その視線の先にいるのは、ただの平凡な人間のように見えた


村紗「はるか彼方にて遊楽せし我が友たちよ、どうか心安らかにあれ……」

村紗「咎なくして去っていった者たちよ、願わくはこの私の働き、しかとご覧ぜよ……」

響子「……」


それは妖怪にとって縁の無いもの
しかし、人間にとってはとても大切な存在であり、時に命すら惜しいとは思わなくなる相手


響子「家族……」


あるいは友、あるいは仲間と呼ぶべき者たちだろうか
生まれた時から妖怪であったはずの響子にも、一輪と村紗の心情は何故か理解することができた


村紗「そうか、この光は……」


この三途には過去の全てが映し出される
それらは見る者にとって縁するものばかり
膨大な過去の光景の数々が、絶え間なく通り過ぎていくのである


村紗「……あれは聖ですね」

響子「え? どれですか?」

一輪「ああ、本当だわ。あそこの頭の白いお方よ」

響子「えっ?? どれ?どれですか?」

一輪「ほら、あの村紗と一緒に手を合わせてる……」

響子「えっ!? あれ聖様ですか??」


一輪「そうよ。まだ若返っていらっしゃらない頃のお姿だわ」

村紗「あそこの一緒にいる妖怪は?」

一輪「え?……誰こいつ」

響子「?」


聖「おお何と懐かしい……」


村紗「!」

一輪・響子「聖様!」


聖「響子、その子をこちらへ」

響子「あ、はい! どうぞ!」サッ

聖「よしよし、よく眠っていますね」

響子「私がしっかり守りましたから!」

聖「大義でしたね、響子」ニコッ

響子「はい!」

聖「この子もよく頑張っています」

聖「もう少しです。もう一ふん張りの辛抱ですよ」


村紗「……聖、あそこに見える妖怪は、あなたに縁する者なのですか?」

聖「その通りです」

聖「あれこそは私の命の恩人。人である私に魔法を授けて下さった、尊き師匠なのです」

一輪「!!」

村紗「!……あれが」






]


――


――――


――――――――


寺に関する一切は弟に任せ切りだった
力仕事と掃除も弟がやってくれていたので、私には炊事と洗濯ぐらいしかやることがなかった
二人暮らしで、なおかつ質素倹約を宗とした教えであったので、それすら大した仕事ではなかった


聖「はい、今日のお仕事終了っと」


詰まるところ、私は寺で呆けていれば良かったのだ
私自身、仏教というものにあまり興味がなかった
僧衣を身に纏うのも、勤行をするのも、親に命じられていたから従っていただけ
ただそれが今の生活を続けるために必要であると知っているから、弟にも歩調を合わせているに過ぎない

そんな外道の弟子でも稀に変な気を起こすことがある


聖「たまには手伝ってみようかしら……暇だし」


私が表に出てくると弟は大変喜んだ
とはいえ、やることは経文を上げるだとか、神妙に棒立ちになるだとかで、あまり楽しいものではない
かと言って弟のように説法をやらされるというのはご免被りたい


聖「そろそろ洗濯物を取り込まないと……」


そんなわけで私の気まぐれは長続きしない
弟も私を咎めるようなことは全くしなかったので、とても気が楽だった

そんな生活が続くのが私の人生のほとんどであったが、時たま違ったこともあった
数週間、あるいは数ヶ月に一度、弟が私を仏間に呼んで話を聞かせるのだ



聖「マッポウ??」




弟によると、私たちは大変な使命を帯びているらしい

曰く、これから激動の時代が到来するだとか
曰く、ちょうど今が仏の予言に合致する時期だとか
曰く、いつか私が重大な役目を担うことになるのだとか

その妙ちきりんな話には多少興味はあったものの、真剣には聞いていなかった
妄言の一種としか考えられなかったからだ


聖「はぁ、確かに経文ではそうなっておりますけど……」


経文の元となる言葉を発した人物が、実在していたかどうかは分からない
ただ、それなりに頭が良い者によって記されたのだろうということは察しが付く
そうであれば、後世の門徒が退屈しないようにと、時代の節目ごとに転換期を設けることは想像に難くない
弟のような発想は、その気になればいかなる時代でも可能なのだろう


聖「またその話ですか? 私は自分がそんなご大層な人物とは思わないのですが……」


私はいつも弟の話を聞き流していた
弟の顔は真剣そのものであったが、私には到底信じられなかった
日がな一日、飛倉で呆けているだけの自分にそんな重大なお役目が回ってくるはずがない

それでも弟は何遍も語って聞かせた
しかし私自身は一向に変わりなく、ただ飛倉で木の実をかじっているだけ
そんな暮らしを何十年も続けるうちに、次第に私は弟に負い目を感じるようになってきた

弟が妙な品を見せたのは、私が自分の後ろ暗い心を誤魔化し切れなくなった頃だった


聖「宝塔……?」


弟によれば、その光を放つ珍妙な品は財(たから)を集める力を持つという
もちろんそれが金銀財宝を獲得するという意味に留まらないことは知っていた
それは、人生という月光もない夜道を導くための灯りを集めてくれる物なのだと聞かされた

私はあの宝塔というものがどうも苦手だった
あれが強く光っていると、まるで弟の目が自分を責めているような気がしたからだ






命蓮「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……」

命蓮「……」

命蓮「お入りなさい」


八雲紫「失礼するわよ」スッ


命蓮「またいらしたのですか? 本当に熱心なことですね」

紫「今回はそのことではないわ」

命蓮「では此度は何用でいらっしゃったのですか?」

紫「知れたこと。あなたが持ち出した物を返してもらいに来たのよ」


命蓮「おや……やはりご存知でしたか」

紫「まさか気が付かないとでも思ったのかしら? 他でもないこの私が」

命蓮「いいえ」

紫「では今すぐそれを返しなさい」

命蓮「お断りします」

紫「……あなたも学があるなら知らないはずはないでしょう」

紫「あれは四大王衆天が保持すべき物。人間の手元に置いて良い物ではないのよ」

命蓮「その王衆天たちが頼りにならないから、こうして手を打っておく必要があるのですよ」


紫「……一体、何を企んでいる?」

命蓮「企むというほどの秘密でもありませんよ。先々のための準備です」

紫「誤魔化すな。本当のことを言え」

命蓮「今それを打ち明けることはできません。言えばあなたは必死で徒労に走るでしょうからね」

命蓮「いずれ時が来れば、それが正しかったと分かることもあるでしょう」

紫「……」


紫は取り返さねばならない物がすぐ近くにあると知っていながら、それより前に進み出ることができない
命蓮の周囲に集う、目には見えぬ無数の帝釈天が手出しを阻んでいるからだ


命蓮「さて、折角こうしていらしたのです」

命蓮「これは良い機会です。あなたもそろそろ魔衣に拘るのは止めにして、私と共に一切智を目指そうではありませんか」

紫「それはこちらの言うことだ!」

紫「お前はいつまでそうやって無意味な行いを続けている!」

紫「いくら準備など施したところで、それが何になる! 死ねば全て終わりなのだぞ!」

命蓮「……」

紫「どうしても叶えたい願いがあるのなら、それは生きている今しか機会はないのだ!」

命蓮「ええ、だからこのように時を捉え、手を尽くしているのです」


紫「たった一人でじたばたして、それが何になると言うのだ!」

紫「お前がいなくなった後では、何もかも散りぢりに消え失せるだけではないか!」

命蓮「……」

紫「私と共に来い!!」

紫「『魔』と『法』とが合わされば、もはや敵う相手などいない!」

紫「どんな願いであろうとも、必ず為し遂げられるのだぞ!」

命蓮「いいえ。お断りします」

命蓮「私が欲するのは、志を同じくして無上尊に帰命奉る者。穢れた魔術などに用はありません」

紫「……」


命蓮「力など全くの無意味。私の願いは智によってしか叶えられることはないのです」

紫「……今はそうやって涼しい顔をしていられるかも知れないわね」

紫「だがお前の姉はどうなる! 自分の方が先に逝くことは既に分かっているはずだ!」

命蓮「……」

紫「いくら愚鈍で役立たずな穀潰しでも、あれは今のあなたに残されているたった一人の家族」

紫「あなた亡き後に路頭に迷うような姿を、天上より見下ろしたいわけではないでしょう?」

命蓮「あなたは―――」

紫「私の力があれば、もはやそのようなことに心を煩わされることもない!」

紫「信徒だろうと財産だろうと伽藍、仏像だろうと、いくらでも与えたいだけ与えられるのよ!」


命蓮「誰がそんな事を言ったかッ!!」



紫「!!」

命蓮「答えよ八雲紫! 誰がそんな事を言った! 私はそんな事を頼んだ覚えはない!!」

命蓮「私は一切衆生の心に巣食う、無間地獄に至る諸悪の根を断ちたいと言っているのだ!!」

命蓮「信徒や伽藍を欲しがる者に、仏意が果たせると思うのか!!」

紫「…………」

命蓮「……あなたは姉を見くびっている」

命蓮「聖白蓮こそ、まさに私を超える者。私の志を継ぎ、後に一切智へと至る者に他ならないのですよ」

紫「……」

命蓮「もうお帰りなさい。今のあなたには、ここに望みのものは見当たらないでしょう」

紫「後悔することになるわよ!」ザッ…

命蓮「……」






罪悪感と時ばかりが積み重なっていき、気が付けば私たちは他界した両親の歳を越えていた
もう二人ともいつ浮世を離れてもおかしくない時期である


聖「…………」


それでも私は相変わらず飛倉の上で呆けていた
今になって思えば、多少面倒でも弟に従って寺の仕事を引き受けておくべきだった
死の間際に自分の人生を振り返ってみても、そこには何もない
毎日をただ徒に浪費した愚か者がいるだけである

それでもその時の私はまだ幸せだったのかも知れない
一番恐ろしいことに気付かずにいられたのだから


聖「命蓮?…………命蓮!」


あれほど壮健であった弟の命蓮が何の前触れもないままに、ある日の朝、あっさりこの世を離れてしまっていた
そう、人間とはいつか死ぬのだ
ただ一人の例外もなく


聖「…………!」


寺に残されたのは、宙に浮かぶ珍品、光を放つ法具、そして弟子と名乗ることさえ憚られる未熟者
それらは弟の存在があって、初めて少しばかり使えるという程度のものでしかなかった
この寺は命蓮と共に死んだのだ


結局弟の予言はただの虚妄に終わってしまった
しかしそれは弟の咎ではない
弟を支え、守り、その手足となるべくして生を受けたはずの自分の不甲斐なさが、弟の言葉を嘘にしてしまったのだ


聖「わ、私は……」


私は恐れた
いずれは私も弟と同じく、この命を手離す時が来る
そして、それはもう遠い未来ではないのだ

弟のあの世への旅路はもう終わっただろうか
毎日献身的に勤めを果たしてきた弟のこと、きっと今頃は極楽浄土にいるのだろう
では、私は……?


「はぁ、はぁ……」グッ…


思わず胸の辺りを握り締めた
恐怖のあまり立っていられず、私はその場に腰を下ろした

弟の期待を裏切り、人生の大半を怠け暮らしていた自分が、極楽浄土になど行けるはずがない
仏法を破ることは、仏法を持たずにいることよりもはるかに罪が大きい
きっと私には厳しい審判が下されるであろう

私が死ねば、それは即ち…………地獄行きである


聖「はぁ……はぁ……」

聖「…………く」ググッ


それでもまだ自分の魂は獄卒に囚われてはいない
かといって今更弟の言葉に従うのは遅すぎる
もう私には時間がないのだ

死後の罰を回避するためには、方法は一つしかなかった




古妖怪「はぁ? 私に聞きたいことがあるだと??」

聖「ええ、そうです」

古「……」


聖「あなたはかなり長く生きた妖怪なのでしょう。身に纏う迫力ですぐに分かりましたよ」

聖「あなたならばご存知でしょう。あの秘術を……」

古「はっ! ご免だね!」

古「何が悲しくて人間如きの相手をせにゃならんのだ? とっとと消えな!」

聖「いいえ、下がりません。私はどうしてもある術を会得しなければならないのです」

古「聞き分けのないヤツだな。命を助けてやろうって言ってるのが分からないのか?」

聖「何をせずとも、もうすぐ滅びる体なのです。別に惜しくはありません」

古「……なるほど、ちっとばかし痛い目に遭いたいようだな!」バッ

聖「!」サッ

古「!?」


聖「……」

古「ぐ……そ、その光は何だ!?」


自分は妖怪というものを今まで見たことがない
だから交渉がうまく行くとは限らない
もしもの場合、この宝塔が都合よく機能してくれるという保証もない

それでも地獄行きを逃れるためには、この方法しか残されていなかった
元より極卒共の餌食になる未来は確定していたのだ
阿鼻叫喚の世界に落とされることを思えば、今生の死など恐るるに足りない


聖「……」ズイッ

古「ぐ……くそっ! やめろ!」

古「その鬱陶しい光をこっちに向けるな!」


聖「……では、私の願いを聞き届けてもらえますか?」

古「冗談を抜かすな! 人間に従うなど、他の妖怪たちのいい笑いものだ!」

古「その光を引っ込めて帰れ! 今回だけは見逃してやる!」

聖「……」ズイッ

古「やめろやめろやめろぉぉッ!!」

聖「……私はある術を会得したいのです。是非とも教えて頂きたい」

古「はぁ、はぁ……し、仕方ないな……」

聖「……」スッ

古「……!」ババッ

聖「!」サッ


古「ぐわぁッッ!!」

聖「…………」

古「く、くそっ……!」ザザザッ

聖「!……ま、待ちなさい」

聖「…………う」ガクッ


逃げる妖怪を追おうとしたものの、体が付いていかなかった
老いさらばえた今の自分には、もはや走ることすら困難になっていたのだ

しかし諦めるわけにはいかない
強い気を辿って見つけた以上、この辺りであの妖怪以外には秘術を知る者はいないだろう
何しろ妖怪ですら困難であると目された秘術である
並の者に心得があるとは思えなかった


聖「……今日はこの辺りで探そうかしら」


毎晩寺を抜け出しては、あの妖怪の居所を探った
疲労と眠気で倒れそうになりながら妖怪の行方を追った


聖「…………」フラッ

聖「……!」グッ


気を失いそうになると、自分の行く末を思って持ち直した

一月以上かかり、ようやっとその思いは成就する
それは思いがけない場所であった


ガサッ…

古「!」

聖「やっと……見つけましたよ!」

古「ま、またお前か! ずっと追ってやがったのか!?」


なんとその妖怪は初めて出会った場所にいたのだ

一つの場所に留まる妖怪など今まで聞いたことがない
そんなことをすれば、簡単に人間に仕返しを受けてしまうからだ
だから自分の住処を転々とするのが常なのである

自分もそう聞かされて育ったため、その妖怪の行動は予想外のものであった
その理由までは分からないが、しかし今の自分にとっては好都合である


聖「今度こそ、私の願いを聞き届けてもらいます!」

古「はっ!お断りだね! この老いぼれが!」ダダッ

聖「ま、待てっ!」


ようやっと見つけたと思ったのも束の間
今度はこちらに襲いかからず一目散に逃げていった

だがその後の探索には大した時間はかからなかった


古「くっ! 見つかったか!」ザザッ

聖「……」

聖「またしても逃がしてしまいましたか……」


その妖怪はある特定の範囲内で拠点を移していたのだ
それは妖怪の脚では簡単に移動できる程度の広さしかないものだった


古「ええい! 全くしつこいんだよ!」ダダッ

聖「……」


何度も追跡を繰り返すうちに気が付く
その妖怪は、ある場所を基準として、そこからそう遠くない所に拠点を構えるのだ
そのある場所というのは、とある人間の里であった


聖「……!」


私は大急ぎでその里の者に被害がないか聞きに向かった
しかしそこで聞いたのは、私の予想とは反する奇妙なものだった


聖「……??」


ここは一切の妖怪が忍び込まない、大変珍しい里なのだという
かなり昔、長に繋がりのある人物が被害に遭ったらしいが、それ以来は全く妖怪の襲撃がないとのことだった


古「またお前か! いい加減諦めたらどうだ!」

古「お前みたいな老いぼれの脚じゃ、逆立ちしたって私を捕まえられやしないよ!」

聖「どうあっても諦めるわけには参りません。私は絶対に教わらなければならないのです」

聖「あなたならば知っているであろう秘術、『若返りの法』を」

古「私にゃ関係ないね! お前が老いてどうなろうと知ったことか!」

聖「お願いです。私はこのまま死ぬわけにはいかないのです」

古「何度も言わせんじゃない! お前が死のうとどうしようと、私の知ったことではないんだよ!」ダダッ

聖「…………」


その後も何度も居場所を突き止めては逃げられるということを繰り返した
もうあの妖怪がどの辺りに潜んでいるかも、おおよその見当は付くようになっていた


古「……またか。毎度毎度、飽きもせずよく来るもんだな」

聖「あなたにとっては取るに足らないことでも、私には重大なことなのです」

聖「お願いです。どうか私に秘術を伝授してください。これは私の最期の運命を決定付けるものなのです」

古「……」

古「はっ、いざとなりゃ光り物で脅すような輩は信用できないね」

聖「宝塔ですか? あれはもう置いてきましたよ」

古「……何だと?」


聖「あなたと出会ってからというもの、ほんのわずかな期間でも、私はあなたのことを知ることができました」

聖「あなたは人を襲うことはない。絶対に」

聖「だからもうあれは必要ありません」

古「ふん、どうだかな」

古「そう言いながら、その懐に隠し持ってるんじゃないのか?」

聖「あなたがそう思うなら試してみればいい」

聖「どの道、もうすぐ浮世を離れるのです。あなたが信用しないのであれば、私もそこまでの運命だったということでしょう」

古「…………」

古「お前、ババアの割りにそこそこ胆があるようだな」

聖「……」


古「いいだろう。ほんの気まぐれだが、話ぐらいは聞いてやる」


初めて交渉が成立した
妖怪には人を襲うものとそうでないものがいるという
幸運なことに、私が出会ったのは後者であったのだ


古「ふむ、なるほどな」

聖「……どうでしょう、教えて頂けますか?」

古「結論から言っておこう。無理だ、やめておけ」

聖「?」


古「これは人間には不可能な術式なんだよ。手順の途中で何回も魔法を使う必要があるからな」

古「妖怪ならば不可能とは言い切れないだろうが、それでも難しいことに変わりはない」

古「そもそも私たちにはそんな術式は不要なんだよ。基本的に私たちは不老不死みたいなものだからな」

聖「……」

古「お前が若返って何をする気かは知らないが、それよりずっと簡単な方法がある」

古「人間には難しいだろうが、お前ならきっとできるはずだ」

聖「……して、その方法とは?」

古「……聞いて後悔するなよ?」

聖「後悔などしません。それはもう充分やりましたから」

古「そうか。ではその方法なんだけどな……」


聖「……」

古「…………人間をやめて、妖怪になるんだ」

聖「!」

古「もともと人間には、私たちが使うような強い魔法は会得できない」

古「だが私たちと同じ妖怪となれば話は別だ」

古「お前ほど根性がある者なら、きっと強力な妖怪になれるだろう……ま、それでも鬼相手には到底敵わないだろうけどな」

聖「……」

古「……どうだ? やる気になったか?」

古「妖怪になれば、若返りなどとケチなことを言う必要はない」

古「肉体の老いとは縁がなくなるのはもちろんのこと、死ぬことも、病気になることさえもなくなるのだぞ?」


聖「……いいえ、私は妖怪になるつもりはありません」

聖「私が望むのは若返りのみ。それ以外のものは不要です」

古「お前、私の話をちゃんと聞いてたのか?」

古「今言った不老不死には、お前の言う若返りも入ってるんだよ」

古「私たちは取り込んだ力を即座に体の補修に転換できる。老いた姿のままで不死になるはずがないだろう」

聖「ご厚意を裏切るようで申し訳ありませんが、それでも私はその不可能な方の術式を選ぶことにします」

古「……相当な妖怪嫌いのようだな。しかしこう言うのは何だが、もうお前には方法を選んでいられる余裕などないのだろう?」

聖「妖怪が嫌いと言うわけではありません。これは弟……命蓮の遺言なのです」

古「ミョウレン?? 誰だそりゃ」


聖「かつて弟はこう言いました」

聖「聖白蓮、つまり私が、末法の時代において大変な役目を担う『人間』になると」

聖「仏僧でもなく仏子でもなく、人間と彼は言ったのです」

古「……」

聖「ただでさえ私は長い間、命蓮の言葉を裏切ってきたのです」

聖「これ以上更に人間であることさえやめてしまったら、もはや私の行きつく先は地獄ですらない」

古「……ふん、まあお前の事情など知らないさ」

古「お勧めはしないが、やりたいと思うならやってみればいい。その老い先短い体でな」

聖「……では」

古「ああ分かったよ。お前が強情なのは今に始まったことじゃないしな」

聖「ありがとうございます……」


その日から修練が始まった
妖怪の魔法を使えない私には、手順の大部分を作り変える必要があった

それでも成功は難しいだろう
術式を完成させるまでの一ヶ月近くを、片時も休まず儀式を続けなければならないからだ
その瞬間が来るまで、飲まず食わず、不眠不休で耐えること、それが完成に至る最低条件だった
人間には不可能と判断するのは当然のことである


古「……」

ザッ…

古「……む、今日も来たか」

聖「そういえば……」

古「うん?」


聖「あなたはなぜあの里の近くに居を構えるのですか?」

聖「もしや、あなたが人食い妖怪からあの里を守っているのですか?」

古「……」

聖「でもあなたは決して里に入ろうとはしない……何か事情があるのでしょうか?」

古「私のことなどいいさ。それよりお前は一日も早く術を覚えなければならないんだろう?」

古「早くそこに座れ。今日教えることも中々に難しいんだからな」

聖「……はい」


修練は続いた
術式はかなり覚えることができたものの、やはり成功には程遠い
手順のわずか一割を突破することすら叶わず、達成のはるか手前で気を失ってしまうのが常であった






聖「…………はっ」

古「やっと目を覚ましたか」

聖「またしても、ダメだったのですね」

古「まあな。だが、この前よりはだいぶ進んだぞ?」

聖「……」

聖「少し栄養を摂ってから、もう一度試してみます」スッ

古「……まあ待て」


聖「?」

古「お前も同じ魔法ばかりじゃ気が滅入るだろう。たまには違う魔法も伝授してやろうか?」

聖「違う魔法ですか? しかし私には時間が……」

古「弟子は師匠の言う事を聞くものだぞ? 違うか?」

聖「い、いえ」

古「いいからそこへ座れ。今面白いものを見せてやる」

聖「はぁ」スッ

古「よぉし……それっ」ササッ


サァァッ…


聖「!……こ、これは……?」


古「魔力に念を込めて放出すると、こうやって消えない光ができる」

古「これをいくつも作れば……」ササッ


ササァッ………


聖「おお……」

古「どうだ?綺麗なもんだろう。まるで私の手から夜空の星々が生まれてきたかのようだろう?」

聖「はい、これは見事なものです」

古「さらにこれを……」バッ


ヒュヒュン! ヒュン! 


聖「!?」



ドォォン…! ドドォォン…!


聖「わっ!」ビクッ

古「はっはっは! ビックリしたか?」

聖「は、はい……」

古「とまあこういった具合に、自分の身を守るための武器にもなるわけさ」

古「今の技は、私は『魔法銀河系』と名付けている。お前にもこれを教えてやろう」

聖「はあ……」

古「……浮かない顔だな。嬉しくないのか?」

聖「あ、いえ……」


古「魔法が凄いのは認めるが、それより今は修練中の術を会得したい……ってところか?」

聖「……」

古「そういうことではイカンな! 無駄を楽しむことこそ、明日を生きる糧となるんだぞ?」

聖「……」

古「ふむ、お前は……若返って何かやりたいことでもあるのか?」

聖「やりたいこと??……いえ、特に何も……」

古「だろうと思ったよ」

古「おい、今から急いで考えろ。自分が何をしたいのか」

聖「??」


古「自分の目指すべき未来を考えるんだよ。目指すものがなきゃ、いくら長生きしてたって空しいだけだからな」

聖「はぁ……」

古「……よし、こうしよう」

古「お前にだけは特別に教えてやる。私の生きる楽しみってやつをな」

古「それを聞いたら、お前も何か楽しみを見つけるんだ。いいな?」


後を付いて来るように言われ、黙って従うことにした
その方向は紛れもなくあの里であった
里の近くまで来ると、古妖怪は私に他言無用の前置きをしてから自身の秘密を話し始めた


古「ほら、あいつを見てみろ」

聖「どれですか??」

古「あそこで帳面持ってるヒゲ男だよ」

聖「……あの方がどうかしたのですか?」

古「あれはな、この里の長なんだ」

古「私は、あいつが子どもの時分から目をかけていたんだが、こいつがまたえらい働き者でな」

古「あいつはどんどん偉くなっていって、昔は泣き虫で有名だったのに、今じゃ里で一番偉い人間にまでなったんだぞ?」

聖「……」

古「……私はな、こうやって時々人間どもの様子を眺めるのが楽しみなんだよ」


古「人間というものは中々に面白いぞ? 勝手気ままに暮らす妖怪たちと違って、ヤツらは群れなければ生きていけないからな」

古「特にこの里は私のお気に入りだ。どこまで発展して行くのかが気になってな」

聖「……それで、この里を守っているのですか?」

古「まあな。だが、あの長の親父だけは……助けられなかった」

古「あいつの親父は、突然やってきた妖怪に食い殺されてしまってな」

古「もちろんその妖怪は私がこてんぱんに叩きのめして追い返したんだが、その時にはもう遅かった」

聖「……」

古「本当は里に入ってみたいとも思うんだが、あいつの親父を助けられなかったのがどうしても後ろめたくってな」


古「だから私は、こうやって遠くから眺めてるだけで我慢してるってわけさ」

聖「そうでしたか……」

古「……くれぐれも念を押すが、このことは絶対他のヤツには言うんじゃないぞ!?」

古「人間にも、妖怪にも、誰にもだ! お前は信用できると思ったから、こうやって打ち明けたんだからな!」

聖「は、はい」







私のような人間はやはり珍しい部類に属していたのだろうか
次第に彼女は魔法以外のことも教えてくれるようになっていった


―――パタッ


古「ほい、猪鹿蝶」

聖「!?」

古「悪いな、また私の勝ちのようだ」

聖「そんなはずは……だって私の手札には」チラッ

聖「……!」

古「今日は修練はいいのかい?」


古「早く勝たないと、もう夜が明けちまうよ」ニヤニヤ

聖「無い! 私の猪が!」

古「無い??」

聖「そんな、どうやって……」

古「私の手から出したってことは、元々私のところにあったってことだろ?」

古「それ以外何があるんだい?」ニヤリ

聖「まさか……すり替えたのですか? 私の手元から……」

古「ようやっと気が付いたか。随分遅かったな」


聖「!……あなたは、正々堂々と勝負すると言ったはずではありませんか」

聖「それを、このように当然の如く……その……」

古「イカサマしたのが卑怯だと、そう言いたいのか?」

聖「……」

古「物事に卑怯も平安京もあるものか。最後まで生き残ってるヤツが勝ちなんだよ」

聖「ですが……あなたは決して卑怯な手は使わないと……」

古「あのな、相手を騙そうとするヤツが”今から卑怯な手を使います”なんて言うと思うのか?」

古「娑婆はお前のように真正面から突っ込んでくるヤツらばかりじゃないんだぞ」

古「ずる賢いヤツは抜け目なく奸智を絞って、相手から油断を引き出そうとするもんだ」

聖「……」


古「長生きしているとな、色々なところから馬鹿なヤツらが湧いて来る」

古「私たち妖怪が名を上げるには、それなりに名を知られたのをやっつけるのが一番手っ取り早いからな」

古「私もこの千年、そりゃあ様々に喧嘩を吹っかけられたもんさ」

古「まあ相手の裏をかくことにかけちゃ、どいつもこいつも私の敵じゃあ無かったがね」

聖「……」

古「……お前も長生きするつもりがあるなら、そういうことは覚悟しておけ」

古「妖怪にも仙人にもならず、人間のまま魔法使いになるヤツなんて前代未聞だからね」

古「たとえ今は平気でも、いずれ嫌でもそういうのに出くわすことになるんだよ」


古「そいつらにやられちまって、あの世に行ってから、その時になってお前は恨み言を撒き散らすつもりなのか?」

古「”私は騙された””私は卑怯な手を使われた”……そんな事いくら言ったって、死んじまったらもう手遅れなんだよ」

古「未来が欲しけりゃ、どんな手を使ってでも生き延びるしかないんだ」

聖「はい……」

古「よぉし! それでは試合再会と行こうか」

古「今まで通り、私は一切卑怯な手は使わん。正々堂々としたかけ引きと参ろうか!」ニヤッ

聖「……はい!」


もはやそれは単純な運勝負などではなかった
精神・体力・五感・洞察・気配の読み……
自分の持てる全てを総動員しても、彼女から勝ちを取ることはほとんど不可能に近かった





聖「はっ!」サッ

古「フン」

聖「ま、また取られた……!」

古「だいぶ勘が働くようになったようだが、まだまだだな」

聖「はぁ、はぁ……全然、見えない……」

古「もっと相手をよく見ろ。これでも相当力を落としているんだぞ?」

聖「そんなこと言われても……   !」

古「おやおや、いつの間にか場が私の欲しい札ばかりだねえ」


古「ほいほいほいっと、はい五光・赤短・青短完成」

タンッ…

聖「!!」

古「そうやって手元ばっかり見てるから出し抜かれるんだ。もっと周囲に気を払え」

聖「一体……いつの間に!」

古「お前はな、一々動作が大きいから考えてることを気取られるんだよ」

古「力任せでやるんじゃなくて、もっと無駄なく動け」

古「極限まで、いや極限を超えて動作を省略しろ」

古「それこそ、急流・烈風・電光よりも速くな」


聖「……」

古「何だ? 何か気に入らんことでもあるのか」

聖「わ、私は……」

古「うん?」

聖「私は、あなたとは違って生身の人間でしかないのですよ?」

聖「そればかりか私は、明日をも知れぬ消え入りそうな命。対するあなたは千年生きた大妖怪……」

古「……」

聖「どこをどう考えても、私が勝ちを取れる道理など無いではありませんか」

古「……おい、お前は誰の弟子だ?」

聖「えっ??」


古「答えろ。お前は誰の弟子だ?」

聖「それは……もちろんあなたです」

古「そうだ。お前は弟子。私は師匠だ」

聖「は、はい」

古「その弟子が、師匠に向かって生意気な口を叩くとは何事か!!」

聖「!」

古「一度私の弟子となったからには、浅はかな屁理屈で自分を慰めるのはやめろ」

古「その結果がこの様ではないか。今の己の姿を見るがいい!」

聖「……!」


古「いいか。可能不可能など考えるな。下らん妄想は排除しろ」

古「私の弟子を名乗るならば、全ての道理を突き破り結果に辿り着け!」

聖「は……はい!」

古「もう一度手本を見せる。一回でも勝てたら、また術式の手順を教えてやろう」

聖「はい!」グッ


その後も修練は続き、一年が経過した
まだ私の魂は地上に留まっていた






古「よし、手を出せ」

聖「はい」スッ


サァァァァ…


聖「……」

古「……うん、これぐらいあればいいだろう」


古「じゃあもう一度やってみろ」

聖「はい……」スッ


キィィィン…


古「まずまずだな。完成とは言いがたいが、それなりに形になってきている」

聖「ありがとうございます」

古「慣れてくれば、それで好きなものを作れるようになる」

古「暇な時にそいつで遊んでいれば、良い練習になるぞ?」

聖「承知しました」

古「……おっと、お前にはそんな時間はないんだったか」


聖「いえ、せっかく教えていただいた魔法です。寺にいる時はこれで修練を積んでおきます」

古「そうかい」

聖「失礼、そろそろ食事を取らないと……」ゴソゴソ

古「……」

聖「……」ポリッ ポリッ

古「……しかし人間というものは不便だな」

聖「?」

古「食事ってのを一日に二回もやらないと、満足に動くこともできないんだろう?」

古「聞いた話じゃ、水を飲まずにいるだけでも死ぬそうじゃないか。何ともひ弱な体だよな」

聖「……そうかも知れませんね」


古「私には不思議でしょうがないね。何でお前はそんな不便な体のままでいようとするのか」

古「どうせ術式なんて完成させられっこないんだから、さっさと諦めて妖怪になっちまえばいいだろうに」

聖「……」

古「……ま、その辺は私が言ったって聞かないだろうがね」

聖「一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」

古「何だ?」

聖「妖怪はどうして人を襲い、食らうのでしょうか?」

古「!」


聖「あなたの話通りならば、妖怪には飢えというものは存在しないはずです」

聖「しかし今も人の肉を食らう妖怪は後を絶たない」

古「……」

聖「彼らにはそんなことをする必要はないはずです。殺戮が目当てならば、その肉を平らげる必要もないでしょうし……」

古「……いいか、これは凄く重要な話だ。よぅく聞けよ?」

聖「はい」

古「あのな、人間の肉ってのは…………物すっっごく!マズいんだよ!」

聖「!?」


古「あれはあまりにも匂いがキツ過ぎる! もう臭くって臭くって! どんな獣の肉でも、人間に比べればずっとマシだ!」

古「それに、肉を食いたいなら他に獣はいくらでもいる。牛、熊、猪……人間よりずっと食いでがあるヤツらがそこら中にいるからな」

古「それでも私たちは人間の肉が食いたくってしょうがなくなるんだ」

古「なぜだか分かるか?」

聖「……いいえ」

古「…………妬ましいんだよ」

聖「??」

古「あいつらを見てると、自分がみじめに思えてくるんだ」

聖「みじめ??」


古「私たちは不意に死ぬことなんかないし、病気にもならない、ケガも簡単に治っちまう」

古「だからすぐにおっ死ぬ人間なんかより、ずっと優れている……私はそう思っていた」

聖「……」

古「だのに、あいつらを見てるとそうは思えなくなってくる」

古「あいつらは百年足らずしか生きられない、何かあればあっという間にあの世行き」

古「それなのに、どうしてあんなに必死に生きようとするんだ?」

古「どんなに頑張って生き長らえたところで、結局最後はくたびれて死ぬだけだろう!」

聖「……」


古「……あの里の長はな、武術道場の師範もやってるんだ。その道場だって、まだ長になってない時分に自分で仲間を集めて建てたんだ」

古「どうしてそんなことをしたと思う?」

聖「それは……」

古「そうだ。あいつは父親をやられたのが悔しくて、その腹いせに道場を建てたんだ」

古「信じられるか!? まだ十にも満たないハナタレ小僧の親の仇を討ちたい一心で、道場が建っちまったんだぞ!」

古「妖怪にはそんなことが出来るヤツはいない! せいぜい悔しがって地団駄踏んで、それでお終いだ!」

古「なぜだ!! どうしてあいつらだけに、あんなことが出来るんだ!」

聖「……」

古「私には分からない。あんなちっぽけで弱っちい体のどこに、そんな鮮烈で激しい力があるって言うんだ」

古「私たちはあいつらなんかより、ずっとずっと頑丈で長生きできるっていうのに、あいつらのように生きることは出来ない……!」


聖「……」

古「あいつらを見ていると、この……」ギュッ

古「この……胸のあたりが、見えない何かで、締め上げられるような感じになってくるんだ……!」

古「一度そう思うと後は止まらない!」

古「あいつら……人間というものの血肉が欲しくなってくる!」

古「あいつらの肉を自分の中に入れてしまわないと、どうにも収まらないんだ!」

聖「……」

古「……おい、心して聞けよ?」

聖「はい……」


古「もう分かっているとは思うが……私は……過去に、人間を食ったことがある」

聖「……」コクッ

古「やはり驚かないか」

聖「ええ……何となく、そんな気がしていましたので」

古「心配しなくていい。私はもう人間は食わないよ」

古「そうさ、あんなものは食ってはいけないんだ」

古「あれは……まさに毒だ」

聖「……」

古「あんな、この世のものとは思えない程マズい肉なのに、一口目を飲み込むと、不思議なことに二口目が欲しくなってくる」

古「もっと欲しい、もっと欲しい、そう思ううちに、結局全部平らげちまう」


古「知ってるか? 人間の肉を食うと、まるで自分が人間に近づいたかのような感覚が得られるんだ」

古「もちろん現実は何も変わっちゃいない……要するに錯覚だよ」

古「それでも私たちはその錯覚が欲しくて、次から次へと人間を襲うようになる」

古「……そうして最後は討伐される」

聖「……」

古「私はそれが分かって、途中で怖くなってやめたんだ」

聖「そうですか……」

古「多分私たち妖怪は、人間から何かをもらっていなければ生きられないんだと思う」

古「水も食糧もいらないが、その代わり別のものが必要なんだろう。そして、それは人間からしか手に入らない」


古「だから妖怪が人間よりも優れてるなんてのは、ただの勘違いだ」

古「草木が思い上がって、太陽を貪っていると考えることと大して違いはない」

聖「……」

古「……悪い、長話が過ぎたな」

聖「いえ……」

古「今日はもうお開きにしよう。お前もたまには肩の力を抜いて、気分を入れ替えた方がいいぞ」


寺にいる時も、私は時間をこじ開けて魔法の修練に務めた
きっとそれに夢中で人の目にも気が付かなかったのだろう


聖「討伐隊?? 私がですか?」



深刻な顔をした男たちが突然寺を訪ねてきた
話を聞くと、どうも恐ろしい妖怪が海に現れて困っているのだと言う

どうしてそんな話を寺などに持って来るのかと面食らったが、よくよく聞いてみてさらに驚いた
何と、死にかけの老婆でしかない私に、その妖怪の退治を手伝って欲しいと言うのである

今はもうその海域には出向く漁師はなく、近づくのは物好きな命知らずのみ
幾度となく腕に覚えのある豪者が力試しに行っては、そのまま船ごと沈められてしまうのだそうだ
もはや呪われた場所と見なして不可触の禁を設けるしかないと思ったところ、強い法力を持つ者……私に辿り着いたのだと言う



聖「このま……法力ですか?」

聖「これは……ええと……命蓮から教わりました」


咄嗟にそう言うと男たちはどよめいた
更に真剣な顔つきになって、どうか妖怪退治に力を貸して欲しいと一様に頭を下げ始めた

こんな未熟な魔法を見て、どうして妖怪退治の役に立つと思ったのかは分からない
それでも私は彼らの提案に乗ることにした
退治よりも、妖怪そのものに興味があったからだ


聖「して、その妖怪というのは……?」


人魚、海坊主、はたまた深海に潜んでいた悪魔
男たちは口々に妖怪の正体をまるで見てきたかのように評する
しかしその言葉はどれも恐怖から発せられたもので、冷静な分析とは言い難かった

それでも口を揃えて言うのは、その妖怪は自分の領地を海に設けようとしているのだ、とのこと
しかし私の考えは違った








古「……そうだな。そいつは妖怪じゃないね」

聖「やはり……」

古「拠点を作る気があるなら、まずはそれなりの力を求めるはずだ」

古「私たち妖怪が力を得るには、人間から恐怖を引き出す必要がある」

古「そしてそれができたら、その後でちゃんと生かして帰さないといけないんだよ」

古「……だのにそいつときたら、来る船来る船、みんな沈めちまうんだろう?」

聖「はい」


古「出会い頭に問答無用で殺しちまったら、元も子もないだろうに」

聖「……私もその辺りを不自然に感じておりました」

聖「あるいは、よほど自分の力に自信があるのでしょうか?」

古「いいや、それならば余計におかしい」

古「本当に力のある分別と知恵を持った妖怪ほど、人間と敵対する恐ろしさを知っているはずだ」

古「どんなに強い妖怪だろうと、人間という種を敵に回して長生きできるヤツはいないんだ」

古「そいつはそれがまるで分かってない。鬼だってもう少し考えてから動くぞ?」

聖「……」

古「ま、誰かは知らんが、いずれは討ち取られる運命だろうな」

聖「……そうですか」


討伐の件は彼女に伏せたまま、私は男たちと共にその海に向かった
私には考えがあった






舟幽霊「来たな……今度は誰だ!」

舟幽霊「誰が来ようと、この海で私に敵う者などいない!」

舟幽霊「沈めてやる……何回来ようとも、全て沈めてやる……!」



聖「……」


舟幽霊「この海に入った以上、たとえ誰だろうと容赦はしない……!」

舟幽霊「さあ来い! ホトケに祈りながら海の底へ沈むんだ!」グワッ



―――ゴゴゴゴゴ……



舟幽霊「……フ……フフ、フ」


舟幽霊「はははははははは! ざまあみろ!」

舟幽霊「死にかけの坊主を寄越せば情けをかけるとでも思ったのか!」


舟幽霊「甘いんだよッ! 甘い甘いあ―――」



―――ピカッ!



舟幽霊「!?」

舟幽霊「あ、あれは……まさか!!」



聖「……」


舟幽霊「や、やめろ…………」


舟幽霊「やめろっ!」


舟幽霊「やめろやめろやめろォォォッッ!!」


パァァァァ…



舟幽霊「あ、ああ……あ…………」




それは妖怪ではなく、不慮の事故で命を落とした船乗りであった
始めのうちはわずかながら正気を保っていたものの、悲しみに耐えかねた彼女は、やがて海に巣食う瘴気に身を任せてしまったのだ

咎める者がなければ人は容易く外道に落ちる
それを改めさせるには、こちらも命をかける必要があった



聖「忌まわしき妖怪は今までの行いを悔い、自ら天に召されました」

聖「妖怪退治はこれでお終いです。彼女が最後に残していった船で私たちも帰りましょう」



突如現れた船が沈められないことを見て、男たちも私の言葉を信じたのだろう
船が勝手に陸へ戻って行くことを止めようとする者はいなかった





聖「……もう出てきても大丈夫ですよ」

舟幽霊「……」スッ

聖「……おや、あなたの中に力が残っているのを感じますね」

聖「どうやらあなたは地縛霊から妖怪へと変化したようです」

聖「未だ天に召されないということは、あなたにもまだ地上でやるべきことがあるのでしょう」

舟幽霊「お前……あなたは……」

聖「はい?」

舟幽霊「私を、裁きに来たのではないのですか?」


聖「裁く?? そんなことは誰にもできません。私にも、あなたにも、他の誰にも」

聖「強いてできることと言えば、報復ぐらいのものでしょう」

舟幽霊「……」

聖「では仕上げを致します」スッ

舟幽霊「……」

聖「ほら、あなたも一緒に」

舟幽霊「……?」

聖「あなたも手を合わせなさい。あの海には、沈んで行ったあなたの仲間も眠っているのでしょう?」

舟幽霊「そんなことをしても……死んだ者が還って来るはずがありません」

舟幽霊「私は罪を犯した。それは永遠に消えることはないのです」


聖「では、その罪を償うことができるとしたらどうしますか?」

舟幽霊「!? それは……不可能でしょう」

聖「なぜそんなことが分かるのですか? あなたのことを調べた限り、閻魔王の知り合いではなかったようですが……」

舟幽霊「私は……人の命を奪ったのですよ!? それも、十や二十どころではない数の命を!」

聖「たとえそうだとしても、あなたが心からそのことを悔いて未来を改めるならば、やり直す機会はあるのです」

聖「なぜならば、あなたはまだ生きている」

舟幽霊「…………」

聖「さあ手を合わせて彼らを弔いましょう」

聖「たとえあなたが仏を信じずとも、真剣に彼らの安穏を願えば、その魂がどこにいようとも必ず思いは通じるのですよ」


舟幽霊「……」

舟幽霊「……はい!」スッ

舟幽霊「信じます……あなたの言葉なら!」

聖「では始めましょう」

聖「経文は私が詠みますから、あなたはただ、彼らの安らかな未来を願っていなさい」

舟幽霊「……」コクッ

聖「おっと、そう言えば」

舟幽霊「?」

聖「まだあなたの名を聞いていませんでしたね。村紗……何と言いますか?」

舟幽霊「……村紗、水蜜と申します」

聖「私は聖白蓮と言います。よろしくお願いしますね」ニコッ






古「……お前、私に何か隠し事をしているな?」

聖「……」


その後しばらく経ってから、私は全てを白状した
当然、大目玉を食らう羽目になった


古「一体どういうつもりだ! 私に何の相談もなしに!」

古「思い上がるな! そんなことをさせるために魔法を教えたんじゃない!」

古「術式を完成させる前に死んでどうするんだ!!」


聖「……申し訳ございません。言えば、絶対に反対されると思いましたので……」

古「当たり前だ! 死にぞこないがそんな無茶をするなど、誰が考えるものか!」

聖「……」

古「帰れ! 今日はもう何も教える気はない!」

聖「えっと……」

古「話しかけるんじゃない! 私は今機嫌が悪いんだ!」

聖「……」ペコッ


スタスタ…


古「……おい」


聖「?」クルッ

古「これからは、どこへ行くにも常にあの光り物を持っておけ」

聖「……宝塔のことでしょうか?」

古「お前のような馬鹿は、放っておくと何をしでかすか分からん! あの光を見て、常に私の怒りを思い出せ!」

聖「し、しかし、あれは私がそう何度も持ち出して良いものでは……」

古「つべこべ言うんじゃない! これは命令だ!」

聖「は、はい! 仰る通りに致します」

古「……ふん」

聖「では、また……」ペコッ

古「……」


彼女の剣幕に押され、私は退散するしかなかった
村紗を助けるためとはいえ、軽率な行動に走ってしまったことは言い逃れできない




妖怪1「……おい、あいつだろう?」

妖怪2「ああ、間違いないね」

妖怪3「しかし末恐ろしいババアね。まさか人間がここまで魔法を使いこなすとは」

妖怪1「でもまだ今ならば倒すのは容易い……うまいことにヤツの方も気が立ってる。周りを警戒する余裕もないはずよ」

妖怪3「やるなら今ね……」ニヤッ

妖怪2「ふっふっふ……悪く思わないことね。人間が魔法なんて教わるのが間違いだったんだ!」



古「……なるほど、よぅく分かったよ」


妖怪1・2・3「!?」バッ

妖怪1「き、貴様! どうしてここに!?」

古「お前ら木っ端妖怪どもの企みに、この私が気付かないとちょいとでも思ったのか?」

古「私が隙を作れば必ず狙ってくると思ったよ……まんまとかかりやがって、このアホウどもが!」

妖怪2「く……」

妖怪3「はっ! 丁度良いわ!」

妖怪3「どうせ貴様ももうすぐくたばるんだろう!? みんな噂してるわよ!」

古「……」


妖怪1「そ、そうだ! 人間に魔法なんて教えてるのがいい証拠だ!」

妖怪1「もうお前にはかつての強さはない! これからは私たちの時代が来るんだ!」

妖怪2「そうだそうだ! お前もあの坊主もまとめて片付けてやるッ!」

古「…………遺言はそれで終わりか?」

妖怪1「かかれぇッッ!!」ババッ

妖怪2「はぁっ!!」バッ

妖怪3「たあっ!」ババッ



古「紫辺のデーモンッッ!!」


カッ―――!!


ドッ……ゴォォォォン……




妖怪1・2・3「」

古「さあ頑張って生き延びろよ。あいつらは怖いぞぉ?」ニヤニヤ


ズルズル…



~とある里~


妖怪1「…………はっ!?」パチッ

妖怪1「こ、ここは……??」


ザワ…

  ザワ…


妖怪2「うーん……??」

妖怪1「おい! お前も起きろ!」

妖怪3「ほへっ!?」ビクッ


妖怪2「……あれ? 何で私たちぐるぐる巻きになってんの?」

妖怪1「チッ、どうやらまだヤツに勝つには早かったみたいね」

妖怪3「……これじゃうまく動けないわね。早く引きちぎってよ」

妖怪1「くそっ! ムシャクシャするなぁ!」

妖怪1「ひとまず気分転換に、そこの人間どもを食うとするか」ジャキッ!


シン……


妖怪1「……うん?」

妖怪2「?」チラッ



―――スチャ

―――チャキッ!

―――ギリリッ

―――ガシャ…

―――スラッ


妖怪2「!?」ビクッ

妖怪1「はっ! 人間が私たちに刃向かおうっての!? いい度――」


ブンッ!!


妖怪1「わっ!?」サッ

ドテッ!


妖怪2「痛っ!」

妖怪3「急に動かないでよ! 倒れちゃったじゃない!」

妖怪2「え?え?? 何何!?」


ヒュンヒュン!

  ヒュヒュン!

ヒュン!

 ヒュン!


妖怪2「と、飛んで来る! 矢が!」

妖怪3「矢がどうしたのよ! それぐらいかわせばいいじゃない!」


ダダダダッ!

ガチャガチャガチャ!

ドタドタドタドタ!


妖怪1「く、来るぞっ!」

妖怪3「ちょっと!早く引きちぎってよ! こんな細い縄ぐらいどうってことないでしょう!?」

妖怪2「だ、だって、あいつら急に雰囲気が変わって!」

妖怪3「それがどうしたってのよ!」

妖怪2「力が入らないのよ!!」


妖怪1「な、何だお前ら! 私たちが怖くないのか!」


ドドドドドドド……!


妖怪1「……や、やめろ! 来るなぁぁあああああッッ!!」









寺から宝塔を持ち出すのは気が引けた
しかしよくよく考えてみれば、過去には短い期間とはいえ自分の持ち物の如く携えていたのだ
そのことを思い出しつつ、私は修練に向かった

だが今日に限っては様子がおかしい
目ぼしい場所をいくら探しても、彼女の姿が見えない
それに加えて、里の男たちも武器を持って森の中で何かを探している……


聖「…………」


私は考えたくない事態を必死に頭から振り払い、森中をくまなく探した
そこで彼女の姿を里の者たちより先に見つけ出すことができたのは、全くもって幸運としか言いようがなかった
しかし、その姿は無事と言うにはあまりにも程遠い状態にあった


聖「!……そ、その傷は……!」

古「……チッ、何で来たんだ。お前も巻き添えを食らうぞ?」

聖「とにかく、早く止血しないと……」サッ

ビリッ ビリビリッ…

古「くそ……ドジっちまったな……」

聖「しゃべってはなりません!」


違和感があったものの、口にはしなかった
彼女の切り落とされた左肩から血が止まらないのである
妖怪は受けた傷はすぐに元通りになるはずだし、そもそも肉体の一部が分断されること自体が滅多にない
少なくとも、戦闘訓練を受けた程度の人間には不可能と言っていい


ガサッ…


聖「!!」

古「早いな、もう見つけやがったか」

古「さすがに私の見込んだ男の部下だ。文句なしに優秀だ」ニヤリ

聖「のん気なことを言ってる場合ですか! は、早く逃げないと!」

古「もう遅いよ……囲まれてるからな」

聖「……!」

古「……あんまり力は残っちゃいないが、せめてお前の活路ぐらいは開いてやろう」グッ

聖「ま、待って! 何をする気ですか!」


ガサガサッ…

ガサッ…


男たちがどんどん近づいてくる
その目に込められているのは、疑いようがないほどに強烈な殺気であった
事情は飲み込めないが、彼女の命は今まさに消えようとしているのだ


古「おい貴様ら! それ以上近づくとこの―――」



――――ピカッ!!



古「!?」

聖「えっ!?」


それは全く予期せぬことだった
懐にしまっていたはずの宝塔が突然輝き、息も止まるほどの眩しい光が辺りを包んだ
驚き戸惑う男たちの隙を突いて、私たちは訳も分からないまま逃げて行った


宝塔のことは正直言って私にもよく分からない
しかし足を止めて腰を下ろした頃には、もう他のいかなる解釈もできなかった
仏が地上に遣わしたこの法具は、妖怪である彼女を守ったのだ



古「はぁ、はぁ……何だ、せっかく覚悟が決まったってのに」

聖「そんな冗談は聞きたくありません! ひとまず傷を……」

古「必要ない。手間の無駄だ」

聖「何を言いますか! ま、まだあなたは……!」


古「いいや、遂に私にもこの時が来たんだ」

古「今更じたばたしたって仕方ないさ……」

聖「な、何を言って……」

古「おい、今から私は、お前に真実を語る」

古「はぁ、はぁ……い、一度しか言わないから、よぅく聞くんだぞ?」

聖「!?……はい……」

古「まず……一つ。あいつらが私の命を狙うのは、ちゃんとした理由がある」

聖「えっ?」

古「お前には以前、私が里で妖怪を追い返したことがあると、そう言ったはずだな?」


聖「……」コクッ

古「あれはウソだ。私は、そんなことはしちゃいない」

古「全ての妖怪を、里に入る前に叩いてきたからな……」

聖「!……ま、まさか……」

古「ああ、そうだ」

古「今の長……あいつの親父を食い殺したのは…………私なんだ」


途切れ途切れに、彼女は今までのいきさつを話し始めた

人間の肉を食う恐ろしさには確かに気付いていた
しかしそれでも欲求を止めることができなかったのだ
だから、襲っても恨まれない相手を選ぶようになったのだと言う


長が子どもの頃、その父親は里でも噂されるほど酒癖が悪く、毎晩酔っては妻と一人息子に手を上げていた
その怒鳴り声と悲鳴が幾度となく繰り返されたため、一家まるごとが里中の者たちから煙たがられるようになったのだそうだ

そこに彼女は狙いを付けた
あの男がいなくなっても悲しむ者はいない
むしろいなくなれば、子どももその母親も、それを神のお恵みと見てありがたがるはずだと――――


古「わ、私は……はぁ、はぁ……大馬鹿者だ……!」ギリッ

古「千年以上も生きていながら、人間の……お、親子の情ってものを……はぁ……はぁ……まるで分かっちゃいなかったんだ……!」

聖「……」


人食いがうまく行っていた彼女は慢心していた
標的が一人になる機会を待ち切れず、実行に移ってしまう
そして、自分の姿を標的の子の目に晒すことになってしまった


古「わ、私は……あいつが、一目散に逃げていくものだと踏んでいた」

古「でもあいつはそうしなかった……」

古「あいつはこっちに飛んで来て、死んだ父親にしがみ付いたんだ……!」

聖「……」

古「私には……な、何が起きているのか、まるで分からなかった……」

古「すぐ近くに、人食い妖怪がいるってのに、はぁ、はぁ……あ、あいつは私のことなんて、まるで気にも留めていなかった……!」

古「我を忘れて逃げたのは、私の方だった……!」

古「怖かったんだ……あいつを見てると、何かとんでもないものが、自分の中で目覚めてしまう、気がして……!」

古「はぁ、はぁ……ひ、一晩中、震えが止まらなかった」

古「あいつの、父親を呼んで、泣き叫ぶ声が……! 今も耳に残って離れない!!」


聖「……」

古「……それからだ。私があいつを観察するようになったのは」

古「他の妖怪は人を襲わなくなった私のことを笑っていたよ。私はもうすぐ消えると思ったんだろう……この世からな」

古「私も自分でそう思ったよ」

聖「……?」

古「知っているか? 妖怪にも、老いというものはある。ただ姿形は変わらないだけのこと」

古「妖怪はな、古くなって死ぬ寸前になると、訳の分からないことを考え始めるんだ……丁度、今の私のようにな」

古「でも本当はそうじゃない」


古「私たちは多分、死ぬ寸前になって初めて、周りのことが見えるようになるんだ」

古「……先に逝ったヤツらも、きっと今の私と同じ気持ちだったんだろう」

古「でも、昔は何とも思わなかった」

古「”ああ、こいつはもうすぐくたばるんだな”……そんな風にしか思わなかった……!」

古「うぐっ……ど……どうして……!」

古「どうしてっ! 私は……! あ、あいつらの最期の言葉を、ちゃんと聞いてやらなかったんだ……!」


彼女は溢れ出る涙を止めようともしなかった
もう私は、その姿が妖怪のものだとは思わなくなっていた


ザワ…

ザワ…


私たちの時間も残り少なくなってきていた
遠くから男たちの声が聞こえる
ここまで逃げてきたとはいえ、いずれ見つかるのは時間の問題だ


古「もう……ここまでだな……」

聖「……」

古「お前は早く逃げろ。あらぬ疑いを買うぞ」

聖「……正直に、彼らに申し出ましょう」

古「……」


聖「あなたの今までのことを、包み隠さず彼らに話すのです」

聖「あなたは確かに罪を犯した。しかし、今まで里を守ってきたことも事実なのでしょう」

聖「その全てを知れば、あるいは彼らも命だけは助けてくれるかも知れません」

古「……」

聖「私と共に参りましょう。彼らには、全て私から説明致します」

古「フ……そうだな、たまには弟子の言うことも聞いてやらないとな……」

聖「!……では!」

古「力を貸してくれ……もう、一人では歩けんみたいだ……」

聖「は、はい!」サッ

ググッ…


古「……この前は怒鳴ったりして悪かったな」

聖「え?」

古「あの舟幽霊を救えたのは、魔法が使えたからじゃない。お前が決意したからだ」

古「きっと、本当に大事なことは、命を懸けなければ成し遂げられない」

古「お前は、正しいことをしたんだ……」

聖「もうあまりしゃべらない方が……」

古「思えば私は、何かに命を懸けることなんて、ただの一度もしてこなかった」

古「お前よりもはるかに長い年月を生きているのに、やることといえば、ただ気ままに遊び暮らしているだけだった」

古「千年もの時間を無為に過ごしただけの、愚か者でしかなかったんだ。この私はな……」


聖「……」

古「だが、今ならば確信を持って言える!」ググッ…

聖「……?」

古「私は……お前に会うために生き続けてきたんだ!」

聖「!!」

古「頼む! 術式を完成させてくれ!」

古「お前こそ私の希望、私の誇りなんだ!」

古「生き延びろ! 自分のためじゃなく、私のために……!!」

聖「……分かりました、必ず!」


私の言葉を聞くと、彼女の顔はとても穏やかになった
もうすぐ男たちの拠点に辿り着く


古「……それからもう一つ。これも聞いてもらっていいか……?」

聖「早く言ってください。あなたの頼みならば、どうして聞かないということがありましょう」

古「そうか……なら……」

聖「……」



古「これからも、私のことは誰にもしゃべるんじゃないぞ……誰にもだ!!」



聖「……!?」


ドンッ!


聖「あっ!」ドサッ


古「グオオオオオオオッッ!!」

ダダダダダッ!!


ウワァァァァ…!

ワァァァァ…!


古「ガアアアアアアァァッッ!!」





―――ズバッ!!



ドドォッ…



聖「――――――!!」


それは一瞬のことだった
突然の襲撃に逃げ惑う男たちの中に、静かに彼女を見据える者たちがいた
構えられた刀は、まるでそれが決められていたかのように、彼女の首に吸い込まれていった




聖「……そんな…………」



彼女は自らの楽しみのために里を見つめていたわけではなかった
ずっと待っていたのだ
この時を、この瞬間を

元より哀れみなど求めてはいなかった

父親を無残に殺されてしまった悲しみと決別させる
それだけが彼女に残された唯一の救いだったのだ


ジャリ…


逃げずにいたもう一人は、かつて彼女が長と呼んで見守っていた男であった
長は彼女の亡骸に近づき……そっと手を合わせた


聖「……!」サッ


私は慌てて彼に倣い合掌した

長が彼女に対してどのようなことを想ったのかは分からない
しかし確かに彼は、彼女の魂に向かって弔いの所作を取ったのである



聖「……」


彼女が葬られ、男たちが引き上げて時間が経っても、私はその場から動けなかった
ようやく我に返ったのは、沈んだ太陽がもう一度昇り、その光が目に入った瞬間だった


聖「戻らないと……」スッ


もう私の中には、自身の寿命も、待ち受ける地獄も、弟を裏切った後悔も、死後の恐怖も、ありはしなかった
私の中にあったのは、彼女との最後の誓いを果たすこと……ただそれだけだった


聖「さあ、始めましょう」


私は彼女がまだここにいた頃と同じように、修練を再開した


術式の達成度合いは次第に長くなっていった
四日を越え、五日を越え、六日目で気絶して、目を覚ますとまた最初から始めた
七日を越え、八日を越え、やがて十日を越えても、私は自身の成長に気が付いていなかった



聖「我常に此処に住して姿は見えずしかして時来たらば衆僧と共に霊鷲山より出でてまさに語る我衆生に常在不滅たるを…………」



あれからもう何ヶ月過ぎたのかも分からない
分かるのは、自分に残された時間はほとんどないということ
おそらく次の試行で最後となるだろう

自らの死を間近に感じながらも、しかし私の心は穏やかだった
それは失敗することが分かっていたからではない
また成功することが分かっていたからでもない

今は亡き師匠の一念が、私から全ての不安と迷いを持ち去ってしまったのだろう




聖「地に大火覆う時あるも我その地にありて常に安穏なり宝樹は花果多く天人伎楽打ち鳴らし衆生皆遊楽し白蓮の華雨の如くなり…………」



術式は二十日を越えた
今までは続けるほどに消耗していたのが、今度は逆に力が湧き上がって来るのを感じる

もはや時間の経過さえ感じていなかった
手順の全てを覚えていた私には、目を開ける必要すらなかった


そしてとある日の夜明けと共に、最後の手順を済ませる




聖「我無量劫の時を越え是念じ教化せり衆生如何にして無上道に入り得るか――――」



聖「…………」



鏡が無くとも分かる
目を開けずとも分かる
全身に力が漲っていた


かつて経験したはずのものでありながら、まるで初めてであるかのように、私は自らの声を聞いた






聖「術式…………完成」




――――――――


――――


――


 
 
 
 
 
聖「私は何と愚かな弟子だったのでしょう」

聖「師の心も分からぬまま、ただその言葉を文字通りに守ることしかできなかったのです」

聖「そのせいで、あなたたちにも随分ともどかしい心持ちにさせてしまいましたね」

村紗「いえ、決してそのようなことは……」

響子「……」

聖「私は今でも思うのです」

聖「あの時、私にもっと智恵と勇気があったのならば、あるいは彼女に違う未来をもたらすことが出来たのではないか……と」

一輪「……」

聖「しかしいくら心に想っても、過ぎた時は決して返って来ることはないのです」

村紗「ええ……」

聖「それでも私には希望が残されていた」

聖「私たちには、未来があるのですから!」ニコッ

響子「……はい!」

一輪「……」クルッ

響子「?……一輪せんぱい、どうかしましたか?」

一輪「な、何でもない! 何でもないわよ!」

響子「ちゃんと前向いてないと危ないですよ?」


一輪「これは!……えっと、つまり、後ろから敵が来ないかどうか警戒してるのよ!」

響子「はぁ」

聖「響子、一輪はそっとしておいてあげてください」

響子「はーい」

聖「……それと、敵はもう前からしか来ませんよ」

聖「もうすぐ最後の大砦が現れますからね」

一輪「!」バッ

村紗「……!」

響子「見える!」


聖「積もる話は、向こうに着いてからにしましょう」

聖「……遂に現れましたね」




八雲紫「…………」




村紗「実物を見るのは初めてですが……なるほど、すぐに分かりましたね」

一輪「星の言う通りね。こいつは……今までの雑魚とは桁が違う!!」

響子「……」グッ


聖「どうあっても私たちを外へは出さないつもりのようですね」

聖「ならばせめてその思うところを申しなさい」

聖「あなたにはあなたなりの正義があるのでしょう」


紫「……ふぅ……」


紫「やはりあいつらを差し向けたのは失敗だったわね」

紫「穏便な方法で済ませるつもりだったけど、全くの逆効果だったわ」


聖「……答えなさい、八雲紫」

聖「あなたはなぜそうまでして、私たちの前進を阻もうとする」

紫「……」

聖「なぜこの子を押し留め、幻想郷に縛り付けようとする」

聖「この子にはこの子だけの未来がある。その未来を、あなたに奪われて良いはずがない」

聖「この子が外へ行くことが、それほどまでの禁忌であるというのですか」

紫「やはり勘違いしているようね」

聖「?」


紫「そいつがどこへ行こうと、そんな事は私の知ったことじゃないわ」

紫「三途を越えたところで、別に何が起きるというわけでもない」

紫「……そいつが本当に龍の子だとするならね」

聖「…………」

紫「でもそいつはたった一つ、たった一つだけ、絶対にやってはならないことをしようとしている」

紫「出て行きたいのなら勝手にそうするがいい」

紫「ただし、余計な者を引き連れて行くことはまかりならん!」

聖「……?」


紫「この世界には、どんな魑魅魍魎でも掃いて捨てるほど溢れている」

紫「妖怪・魔族・蓬莱・天人・鬼・神・魔獣・仙人・魔法使い……そして人間」

紫「そんなのが次から次へと現れては消え、まるで尽きることがない……しかし!」

紫「この世界には一番大事な者がいない!」

紫「この世界……いいえ、この幻想郷という脆弱な宇宙を守り、支えていける者……」


紫「『賢者』がいないのだ!!」


聖「!?」


紫「誰も賢者の境地になど辿り着きはしない!」

紫「どいつもこいつも目の前にぶら下がった餌を追うばかりで、この宇宙の神秘に気付かない! 気付こうともしない!」

紫「……しかしあなただけは違う」

紫「ただ一人あなただけは、賢者となる資格を得ている!」

聖「私……?」

紫「そうよ。聖白蓮」

紫「初めから私が求めるのはあなた一人。他の奴なんてどうだっていい」

紫「守矢も地底もそのために動かした。神子はあなたを制御する存在として目覚めさせた」

紫「今までの多くの異変は、あなた一人を手に入れるために私が取り計らった結果なのよ」


聖「……」

紫「その証拠に、あなたには私の印付きで力も分け与えている」

聖「力……?」

紫「そうよ。気が付かなかったかしら?」

紫「私はほんの少しでも見込みのありそうな者には、印を与えている」

紫「私の名を冠した魔法を、あなたも使っているはずよ?」

聖「!」

紫「もう分ったでしょう?」

紫「私の目的は、たかが赤子一人が出て行くのを防ぐことではない」

紫「聖白蓮……あなたを幻想郷に留め置くことなのよ」


聖「……解せませんね。私はその資格とやらを得た覚えはありません」

聖「一体、私の何にそこまで執着するというのですか?」

紫「知れたこと!」

紫「今この幻想郷には魔法使いとなる道は四十七通りの方法がある」

紫「だが真正の魔法使いとなる方法は、その中のたった一つだけ」

紫「他の手段は愚か者の目を眩ませ、欺くための偽物でしかない」

紫「私はこの二千年もの長きに渡って幻想郷を見守り続け、ただ一人あなただけがその方法に辿り着いた」

紫「正直あなたには期待などしていなかったけど、そこで起こりえない奇跡が起きた!」

紫「ただの死にかけの天邪鬼が、よくぞあれほどの働きをしたもの!」

聖「…………」


紫「魔法使いとなる方法は至極単純」

紫「それは”人の身のままで人を超える”こと。ただそれだけなのよ」

紫「神になることは容易いが、神は神としての性質に縛られ、それ以下の妖魔もまた同様」

紫「如何に強大な力を持とうとも、所詮奴らは私たちの奴隷でしかない」

紫「しかし私たちにはそのような制約はない」

紫「ありとあらゆる全ての決定権を、自らの手の中に握り続けている……」グッ

聖「……」

紫「あなたはこの幻想郷で、私と共に賢者として並び立つべき存在」

紫「あなたの使命は外の世界で活躍することではない」

紫「私と共に、この世界の主師親として君臨する。これこそがあなたの本当の使命」


聖「……」

紫「さあ、もう分ったでしょう」

紫「今すぐ引き返し、幻想郷に戻りなさい」

紫「他の者はそのまま行かせればいい。どうせ私にとってはどうでも良いこと」

紫「あなたを失うことに比べれば、それ以外の不安要素など取るに足らないわ」

聖「……つまり私一人が従えば、他の者は見逃すと?」

紫「その通りよ」

聖「お断りします」

紫「!?」


聖「私は彼女たちと共に、外の世界へと向かう」

聖「たとえ宇宙がひっくり返っても、この約束を違えるつもりはありません」

紫「あなたは……一体何を聞いていた!?」

紫「あなたが引き受けた役目は、赤子を外へと連れ出すことだったはずよ!」

紫「ならばここで逆らう選択肢など、あるはずがない!」

聖「あなたは思い違いをしていますね」

聖「私が交わした約束は、全員で一人も漏れなく外へ向かうこと」

聖「志を違えることさえなければ、今は別れることになろうとも、次なる世界で必ず巡り合うことができる」

聖「しかるに今ここで私一人が途中で降りるとなったら、彼女たちはどれほど悲しむことでしょう」

聖「あなたはそんな残酷なことを、私にやれと言うのですか?」


紫「分ってないわね……」

紫「今ここで口先だけ『従う』と言えば、そこの弟子たちは難を逃れる!」

紫「私を倒した後で、改めて弟子たちを追えば良いこと! どうしてそれぐらいのことが分らない!」

聖「それならばなおのこと、従うと言うわけには参りません」

聖「子に対して恥ずかしくない振る舞いをするのが、親たる者の務め」

聖「たとえそれが一時の難を逃れるためのものであったとしても、自分の信念を曲げるなどと言ってはならないのですよ」

紫「何と愚かな……」

聖「もう良いでしょう。これまで充分に休憩してきたのです」

聖「今こそ私たちは未来へ向かいます」


紫「……賢者がいなければ、この世界はどうなる!」

紫「この世界が無くなってしまえば、ここに住まう者たちは皆拠り所を失うのよ!」

聖「……」

紫「あなたは、幻想郷にいる無数の者たちを見捨てると言うのか!」

聖「それは違いますよ」

聖「幻想郷に身を置くことは、決して救いとはならない」

聖「なぜならば、それは停滞に過ぎないからです」

聖「傷を負う恐れがない代わりに、傷を乗り越える機会もまた失われてしまう」

聖「月も天界も忘我郷も、ただそれだけの世界でしかない」


紫「……」

聖「だから私たちは外へと向かう。向かわなければならないのです」

紫「あなたは……知っているはずよ?」

紫「外に辿り着いたとしても、待っているのは悪意と苦難渦巻く世界」

紫「そこでは魔王どもの責め苦も幻想郷の比ではない!」

紫「あなたたちは自ら苦難を欲するというのか!」

聖「いいえ。私たちが求めるのは安楽でも苦難でもありません」

聖「私たちが目指すのは、誇り高き再出発なのです」

紫「……」


聖「人は誰しも同じ場所に留まり続けることはできない」

聖「誰もが皆、更なる挑戦を求めて元いた世界を旅立つ」

聖「これは運命と言って差し支えないもの。全ての命が等しく持つ、根源たるべき本能なのです」

聖「誰人もそれを押し留めることなどできない!」

紫「だが私は、その運命さえも変えてみせる!」

紫「脆く儚いこの幻想郷を、守り続けてきたように!」

聖「運命というものは、各々が幸福になるためにあるもの」

聖「自分一人のわがままを通すためではないのです!」

紫「……」


聖「それに……これは星の子が言っていたそうです」

聖「母親の胎の中よりも居心地の良い場所なんてあるはずがない、と」

聖「それでも赤子というものは今いる楽園を捨てて、私たちに会いに来るのです」

紫「……」

聖「その命を守るべき私たちが、赤子より臆病であって何とする!」

紫「やはり……」

紫「やはり私のものとはならないか! 聖白蓮!」

聖「私はただ仏にのみ従う」

聖「どうしても従わせたいと思うなら、あなた自身が仏となることです」


紫「ならば仕方が無い!」

紫「あなたは力ずくで封印させてもらう!」サッ

聖「!」

紫「覚悟なさい。もはやあの男の力は届かない」

紫「今度こそ、私の手によって完全に封印されるがいい!」

聖「……私に、白玉楼の主のようになれと言うつもりですか?」

紫「そういうことよ」

聖「一つ聞きましょう」

聖「私を封印したとして、他の者たちはどうするつもりですか?」

紫「聞かせるまでもない」


紫「あなたを狂わせ、惑わせた者たちを、私が捨て置くはずもない」

紫「……特にそこに抱えている赤子はね」

聖「ふふ……それを聞いて安心しました」

聖「ならば私は、一切の遠慮なくあなたを倒すことができる!」

紫「勝てると思っているのかッ!!」バッ


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……



響子「……!!」バッ

村紗「来る……!」バッ


聖「村紗!一輪!響子! 気を引き締めなさい!」

聖「これが最後の戦いになりますよ!」

村紗・一輪・響子「承知ッ!!」

一輪「一番槍いただきっ! ド派手に行くわよ!」ババッ

一輪「問答無用の妖怪拳ッ!!」

村紗「ファントムシップハーバー!!」

響子「アンプリファイエコー!!」


ドドドドドドォォォッッ……!!


紫「ふん」サッ


ブワァァッッ……


響子「……!」

一輪「そ、そんな……!」


紫が腕を振ると、三人の魔法は一瞬で払われた


村紗「……」ニヤリ



紫「この私にそんな技が通用すると思って?」

紫「残念だけど、あなたたちはここで―――――!?」


そこに残されていたのは魔法を放った三人のみ
聖はどこへ消えたのか?


紫「……! そこかッ!!」

聖「明鏡止水、七譬ッ!!」ゴウッ!


ガキンッッ!!


紫「く……」


紫「まさか、赤子を抱えたまま突っ込んで来るとは思わなかったわ」

聖「ふふ……虎穴に入らずんば虎子を得ず、よ」

紫「あら、冗談を言う余裕なんてあるのかしら?」サッ

聖「!」ババッ

紫「そいつで私の魔法を封じたつもりなら大間違いよ」

紫「たとえその赤子がいようとも、あなたに当てるぐらい造作もない!」

紫「ユーニラタルコンタクト!!」

聖「マジックバタフライ!!」


ズゴゴゴゴッッ!!


―――ドドドドォォォン!!




響子「マッハサウンド―――――ッッ!!!」


――――ギギギギィィィィィン!!


一輪「そこかッ! 惑星滅亡無限隕石ッッ!!」


ゴゴゴゴゴゴゥッッッ!!!


村紗「死霊遊水ッッ!!!」


ズドォォォォッッ――――!!!



―――ドガァァァァン!!




一輪「今度こそ……!」

響子「当たった!!」


村紗「……いや!」



――ガキンッ!!

――ゴカンッ!!

――ギギィン!!


紫「中々やるようだけど、私を倒すにはほど遠いわね!」


聖「明鏡止水、一乗ッ!!」バッ

紫「ジャスティスワールドッッ!!」ババッ



ゴガガガァァァン!!



遠くから囲い込み攻撃を仕掛ける三人に、紫は目もくれない
まるで目の前にたった一人しかいないような戦い方であった


聖「景天柱衝破弾ッッ!!」ブンッ


ガギギィィン!!


響子「ぐ……っ」


三人の技は間違いなく命中しているはずなのに、その姿には傷跡一つ見当たらない
しかし西行寺幽々子のように存在の位相をあやふやにしているわけではない
ただ単純に、ひたすら装甲が厚いのだ


村紗「こ、ここまでとは……!」

一輪「手を緩めるんじゃない! 続いて行くわよ!」

一輪「拳落滅却三千焦土ッッ!!」ブンッ

響子「ディスタンスメーカ―――――ッッ!!!」

村紗「悠久落下の墓標鉤ッ!!」


―――ドドォォン!!


―――ゴガァァァン!!

―――ズダダダァァン!!



紫「チッ……小うるさい奴らめ!」サッ

聖「!?」バッ

聖「顕現ッ!!」


紫「テイキング・ユニバース!!」


グニャァァ…


紫が手をかざし、周囲の全てがその手に向かって縮んでいく


聖「四大王衆天!!」




―――――ズドォォォォオオオオッッッ!!!


そしてその収縮が止んだ直後、突風のようなものが聖たち全員を吹き飛ばす


ビリビリビリ…!

響子「う、うわぁぁあああぁあ!!!」

ギシギシッッ…!

一輪「ぐっ、うう……!」

村紗「く……!!」



紫「……」

聖「はぁ、はぁ、はぁ……」

紫「もう復活したのか。現金なヤツらね」


だがその紫の技に倒れる者はいなかった
放たれた衝撃波よりも先に、聖の魔法が届いたからだ


響子「……?」チラッ

一輪「こ、こいつら……!」


守護者たちは一斉に名乗りを上げる


ババッ!

広目天「広目天参上!!」

増長天「増長天見参!!」

持国天「持国天只今!!」

毘沙門天「毘沙門天これに!!」


聖「並び来たれ……!」

聖「馳参!第六天魔王!!」バッ



――――ガシャァァァン!!



ザッ!

天魔「天魔波旬、ここに推参!!」



紫「…………チッ」


紫は、天界神たちがその力を惜しむことなく振るわんとしていることを見て取った
いずれもかつて式神であった頃とは比べ物にならない

目は潤み、声は弾み、その肌は張り艶を大いに増し、うっすら輝いてすら見える
その構えと立ち姿は栄誉に彩られ、全身から生気が満ち溢れている
彼らは自身にふさわしき主を遂に得たのである


聖「行くぞ!! 我が弟子たちを守護せよ!!」ババッ

四天王・天魔「応ッッ!!」ババッ


紫「雑魚どもめ! もう一度式符をくれてやるッ!!」


―――ガキキィィン!!

―――ガァァン!!

―――ゴガァァァン!!

―――ガゴンッッ!!


聖「天魔ッ!!」

天魔「ウゥォォオオオオオオオオッッ!!!」


ゴゴゴゴゴゴゴ……


響子「……!」

村紗「力が……湧き上がって来る!」

一輪「……いける!!」グッ

響子「エア・スマッシャ―――――ッッ!!!」

村紗「デス・グラビティ!!!」ブゥン!!


毘沙門天「六十四方不可侵掲――――」

一輪「邪魔だどけッ!!」

ドガッ!

毘沙門天「ぬっ」

一輪「拳骨親父永久発射ッ!!」ババッ


―――――ズドドドドォォォォォッッッ!!!


紫「!」サッ


ゴガガガガンッッ!!


増長天「緊那羅封魔ッッ!!」ザザザッッ

毘沙門天「妖魔断絶・払乃型ッ!!」ブワッ


――ズガァァン!!

―――ギギンッッ!!

――ガゴォッッ!!


聖「おおおオオオオッッ!!」

聖「法満処無上光輝ッッ!!!」バッ


――――ドッガァァァァン!!!


紫「ぐうっ!……この!」サッ


紫「ライン・アウトサイド!!」バッ


ゴウッ…!!


―――ドゴォォォン!!

―――ズガァァァン!!


広目天「ぐ!……うっ―――」ボシュゥ…

増長天「ごっ―――」ボシュゥ…



聖「天魔よ我が盾となれ!!」

天魔「はっ!」ザッ

聖「重ねて参る!! 続けッ!!」ゴゥッ…

一輪・村紗・響子「はっ!!」ゴウッ…

天魔・毘沙門・持国「承知ッッ!!」

紫「小癪な!!」バッ



―――ガガガァァァンッッ!!!

――ズガゴンッッ!!

――ガキィィンッ!!!


九対一から七対一へと後退させられながら、なおも戦意を増し向かって行く聖たち
その標的として猛攻を一身に浴びる紫の心中に、ほんのわずかな違和感が生じていた


紫「……」



何かがおかしい……



紫「パンドラス・ミスフォーチュン!!」バッ


――ドゴォォォォン!!


持国天「ぐっ ぅ――――」ボシュゥ…



紫「プレイング・オブ……」スッ

聖「!?」ババッ

毘沙門天「ぬうっ!?」バッ

天魔「!」

紫「ヌークリアッッ!!!」


ドッ……


――――――ッッゴォォォォォォォン!!!!!!





響子「な……うぐっ!!」ギシギシッ

村紗「ぐううぁあッ……!」ギシッ…

一輪「くっ……ううッ!!」ギシギシ…



ゴゴゴゴゴゴゴ……

天魔「……おおッ――――」グシャッ…



紫「……これで」

聖「まだまだぁッッ!!」ゴゥッ

毘沙門天「はぁぁあああッッ!!」ゴゥッ


紫「やはり倒しきれないか!」バッ



何かが噛み合わない……!



一輪「天空疾走彗星弾ッッ!!」バッ

響子「グレイティング・シャウトォォ―――――ッッ!!!」

村紗「厄災天候落下錨ッッ!!」ババッ

毘沙門天「見出! 九死一閃!!」ザッ

聖「帰命無上尊ッッ!!」ゴゥッ


紫「天地開闢の理!!」サッ


ドドドドド…


――――――ズドドドドドドォォォォン!!!



毘沙門天「が……あ――――」グシャッ…




八雲紫は自身の胸中から湧き上がる違和感を拭い去れずにいた
その違和感が自らの魔法を鈍らせていることは否定しようがない

 
 
 
――――ズドゴゴゴゴォォォン!!!


響子「ギャアアアアッッ!!」

一輪「響子ッ!!」

響子「ぐ……まだまだァ!!」バッ


ではその違和感の正体とは何か?

聖は守るべき赤子を最前線のただ中に引き連れている
しかしこの状況に限ってはその判断は正しい
なぜならば、今ここで最も安全が確保されるのは聖の行動範囲のみに限られるからだ


紫「エンド・オブ・エンドレス!!」


――――――グォァァアアアアアアッッッ!!!


一瞬ごとに聖たちはその攻撃の勢いを増す
しかしそれは何ら不思議なことではない
幻想郷で形を持つ者であれば、誰もがその可能性を秘めている
ただ、ほとんどの者はその領域に辿り着けないまでのこと


ゴガガガガァァァァン!!!


一輪「ぐあぁああぁああああああッッ!!」

聖「一輪!!」

一輪「な、何のこれしき! こんなもの……!」グッ

一輪「星の痛みに比べれば……腕の一本が何だッ!!」ババッ


そしてその加速も永遠ではない
三途を出れば、それまでに持っていた全ての形を引き剥がされることになる
出口に近付けば近付くほど、聖たちはその力を失うことになるのだ
既にその兆候は現れ始めている


紫「時空超越定義ッッ!!」

聖「舞天白蓮大歓喜ッ!!!」


――――ゴゴゴゴゴゥッッッ!!!


村紗「!!」



龍神の加護を受ける者は、龍神と進退を共にする

それは今の聖の姿を見ても明らかである
もはや赤子を置き去りにして聖一人が出て行くことは有り得ないし、その逆も然り
しかしそれは紫にとって有利な状況でもある
ここで赤子もろとも聖を討ち取れば、そこで勝利は確定するからだ


聖「そこだッッ!」ブンッ

紫「!?」サッ


――――ヒュン!!


紫「何だ今―――」


聖「村紗!!」

村紗「はい!!」

聖・村紗「「歓喜入滅舞踊ッッ!!」」


―――ズババババババッッ!!!


ズシャァッッ!!

ズバンッッ!!

ザシュッッ!!


紫「く!」


聖「一輪ッ!!」

一輪「はっ!!」

聖・一輪「「驚天動地ッッ!!」」



――――ズドォォォォォォォォォッッッ!!!



紫「ぐうっ……!」ギシギシッ




聖「響子ッ!!」

響子「聖様!!」

聖・響子「「次元千枚通しッッ!!」」



――――ズゥゥゥガァァァァァァァァァンッッ!!!!


紫「がアアアアアッッ!!」



もう三途の出口は近い
紫は三途を出ようとも力を失わない術を心得ている

しかし聖たちは未だそのような術を持たない
その秘密だけは決して漏らさぬよう、藍を含めた全ての式神に重ねて封印を施したのだ
つまり、このまま後ほんの少しの間凌ぎ切れば、紫の勝利は不動のものとなる

 
 
 
そのはずなのだが――――



一輪「豪腕乱舞疾風怒濤ッ!!」


――――ドゴゴゴゴォォォォォン!!!!


紫「ぐっ……!」ギリッ


その展開は絶対に有り得ない
そのような筋書きは、あまりにも出来過ぎている
常に予想を裏切り続けてきた聖が、最後の最後でこちらの絵図通りに動くはずがない


何かを見落としている……

龍だの梵天だのといった細かい箇所ではない
もっと根本的な部分に―――


村紗「セーラー・デスバウンド!!」

響子「アルティメット・ヤッホ――――ッッッ!!!!」


―――ズゴォォォォン!!

―――ギギギガァァァァァン!!!


紫「ぐああッッ!!」


紫「このっ……小うるさい蝿どもめ!!」








紫「!?」




思えば、この違和感は戦いが始まるより前からあったものだ


紫「……!!」


次から次へと降りかかる猛攻に遮断されていた意識が、急速に一つに纏まっていく
この場には、本来有るべきはずのものがないのだ


紫「その赤子……!」

聖「……」ニヤッ


この三途において、それはあまりにも静か過ぎた
今ここに至るまで、泣き叫ぶどころか声一つ出してはいない


紫「偽者かっ!!」バッ



ブワァァッ…


ぬえの最後の魔法が、その役目を終え霧散する
ぬえが用意したのは赤子に被せるための幻影ではない
それは精巧に形作られた『魔断の流脈』の塊であった



村紗「今さら」ゴゥッ!

響子「気付いても!」ゴゥッ!

一輪「遅いんだよッ!!」ゴゥッ!


紫「やってくれたなッ!!」ビュン!


紫は身を翻して聖から離れる
しかしそれより先に聖の弟子が聖輦船に達する


――ザッ

村紗「お前に星の子は渡しはしない!!」

紫「やはりそちらが本命かッ!」

紫「葬送黒死蝶!!」バッ



ズドォォォッッ……!!



村紗「……」

 
 
 
――――ゴガァァァン!!!



紫の魔法が、船の甲板もろとも村紗を飲み込んだ
そのわずかな間に村紗が笑みを浮かべていたことに、紫は気付かずにいた


ズダンッ!

紫「本物は……本物はどこにいる!!」


紫は聖輦船に降り立ち、その内部をくまなく探りを入れる
しかしそこに生命の反応は皆無であった


紫「いないだと……一体、どこへ隠した!!」


ザザッ…

聖「すぐに分る」

響子「覚悟しろ!」

一輪「お前の負けだッ!」


紫「負けだと??」

紫「何が負けなものかッ!!」


既に聖たちは魔力の消失が始まっている
もう空中に留まることできなくなったからこそ、このように船に降りるしかなくなったのだ
そしてそれは、赤子がこの船のどこかに隠されていることを意味している


紫「この船がお前たちの墓となるのだ!」ババッ

キィィィィィン……!!


どこに隠されているかなど、そんなことは一々調べる必要はない
船も邪魔者たちも、まとめて消し飛ばす
これでこの戦いは終わりだ


紫「第一種永久――――」

聖「さあ、行きなさい」



――――ズワァァァッ



紫「!?」


突如、遠くに漂う入道の中から姿を現す
それは聖輦船と瓜二つの船
否、全く同一のもの


紫「あいつは……!」


その船を操るのは、既に幻想郷から退場させられたはずの者
その者の細くか弱き腕には、生まれたばかりであろう赤子が抱えられている


響子「お願いします……!」グッ

一輪「行けぇえッ!!」




ナズーリン「うぉぉおおおおおおッッ!!!」





――――紫は息を呑んだ


聖たちは最初から生きたままこの三途を渡るつもりなどなかった
一番大事な本命を逃すために、自分たちを囮としたのだ
ここまでは紫にも理解できた

だがあのネズミはどうしたことだ
ナズーリンは八雲藍が始末したはずだ

どうして今、あそこで生きている!


紫「……!!」



式神には虚偽の報告だけは許さなかった
ならば間違いなく仕留めたことを確かめるまで、報告はしないはず

考えられるたった一つの可能性は、藍が事実を誤認した場合だけ
しかし、藍に施した式に見間違いは起こり得ないのだ
たった一つの例外を除いて……


聖「さすがにあの九尾も見破れなかったようですね」

紫「まさか!!」

聖「あなたの魔法で作ったものは!!」

紫「貴様、奪ったのか!」



紫「青娥の式符を!!」




八雲藍が九色断罪によって消し飛ばしたのは、ナズーリンではなかった
それは霍青娥からもぎ取られた式符を基に作られた、精巧な偽者であった

本来、青娥の死と同時に事実隠蔽のために自動消滅するところを、寅丸星が授かった力により阻まれた
そして星が残した力も式符そのものも藍の魔法によって消し飛び、証拠は何も残らなかったのだ


藍は本物のナズーリンを仕留めたと判断するしかなかった



聖「……まさかあのような所にまで、あなたの手が及んでいるとは思いませんでした」

聖「だが、そのおかげであなたに先んずることができた!」

紫「ぐっ……!」


その後ナズーリンとぬえは密かに合流し、お互いの赤子を交換して再度二手に分かれた
この二人の秘策を、聖たちは泣かない赤子を見て悟ったのである



紫「まだ……まだだッ!!」



戦場を後にして切り抜けようとする船を、紫は睨みつける

あの赤子は、やはりただの人間の子などではない
他人の助けを借りなければ一瞬たりとも生きてはいけない脆弱な存在でありながら、しかし彼の者は幻想郷の賢者をも欺いたのだ
恐るべき幻想郷の強敵たちの猛攻を掻い潜り、決して破られざる困難の数々を克服し、今、この三途をも越えようとしている


……間違いない
あれこそは龍の子、龍の加護を受けし者なのだ

”龍神の加護を受ける者は、龍神と進退を共にする”

今ここで聖を倒したとしても、あの船が三途を抜けてしまえば結果は同じ
ならば何としてもあの船を止めなければならない



賢者の魂が、連れ去られてしまう前に……!!



紫「行かせるかぁあああッッ!!」ダダッ

ガシッ!

ガシッッ!

紫「!」


ギリギリギリッッ……


響子「それはこっちのぉ……!」

一輪「言うことだッ!!」

紫「おっ、おのれ……ッ!!」ググッ


紫は瞬時に計算した
今この場にいる三人を消し飛ばし、ネズミたちに追い着くまでに要する時間は―――


聖「しかと見るがいい……」

聖「この聖白蓮、最後の魔法を!!」バッ

紫「!?」

聖「経文……」

 
 
 
聖「  八  万  大  法  蔵  ッ  ッ  !  !  !  」



―――ズワッ!

―――ザァッ!

―――ゴウッ!


バラララララララララララララララララッッッ!!!!


ヒュンヒュン!!  ヒュン!

   ヒュヒュン!
   
シュルシュルシュル!!


魔人経巻がその真価を示す
聖の両手から無数の文字が現れ、三途の中心で縦横無尽に乱舞する


――――ビシィィィィィッッッ!!!


紫「ぐうっ!?」ギシッ ギシギシッ


経巻は一瞬のうちに収縮し、紫の全身にくまなく張り付いた
そして無数の文字はまるで蛇の如く紫の体を這い回る


紫「こっ……これはッ!!」

聖「さあ! 抜けられるものなら抜けてみよ!」

聖「この呪縛こそ、法界の炎であると知るがいい!!」

紫「ぐ……ああぁああああ!!!」ギシギシッ ギシッ


聖は紫の体にしがみ付き、弟子二人と同様に紫をその場に押し留めた
そして紫の方は、もう魔力の半分以上を失った三人の縛りを振り解くことができない
元より八万大法蔵が紫の一切の動きを封じている
抜け出せるはずがなかった


紫「う……あ……ぬ……!」ギシギシッ

紫「抜け出す必要は……無い!!」ググッ

キィィィィン!!


――バシュン!



紫「!!」


紫は力ずくで龍の子を撃ち落そうとした
しかし集中させたはずの魔力は、針に突かれた風船のように一瞬で抜け出ていってしまった


一輪「もう降参しろぉ!!」ググッ

響子「行くなーー!!」ググッ


紫「もう一度……ふんッ!」ググッ

キィィィィン!!


紫「生死境界遊―――」


――バシュン!


紫「ぐっ!」


聖「無駄だ!!」

聖「法界の炎に、魔法など通用するものか!!」グググッ


魔法は全て掻き消され、身体の動きすら満足にならない
これだけで既に厄介であるのに、さらに憎たらしい性質を持つ


紫「はぁ、はぁ……縛りが……はぁ、はぁ……消えない……!!」


この全身にまとわりつく呪縛は、その燃料を術者ではなく拘束される側に求める
もう間もなく三途の終着点でありながら、未だ拘束が健在であるのはそのためである
法界と同等の拘束力を紫自身の魔力を拠り代として発現するのである

捕らわれた者が自らの業によって焼かれる
そして魔力が尽きるまでその拘束が終わることはない
それが法界の炎とも呼ぶべき魔法『八万大法蔵』であった


紫「それでも……ッ!」ググッ


しかし紫はこの魔法に対しても、すかさず解決法を見出した
幸い、もはや聖たちには何の力もなく、人並みの力で紫を押し留めるしかできない
多少時間はかかっても、無詠唱の術式で自らを仮死状態へと転ずる
魔人経巻が紫の魔力を見失う一瞬の隙を突いて、縛鎖の責めを破壊するのだ


一輪「行くなー!! 行くんじゃない!!」ググッ

響子「帰れぇーー!!」ググッ

聖「私たちは絶対に! 絶対に辿り着くッ!!」ググッ

紫「…………」


あとほんのわずかでこの拘束が解けるだろう
その直後に全てを終わらせる

仮死状態から復活し、三人を退け、向こうの船まで飛び、ネズミと赤子を仕留める
一秒もかかりはしない

もうその瞬間まで十秒を切った



ナズ「もっと……もっと速く!!」ググッ


『7』



一輪「早く行け! 行くんだナズーリン!!」グググッ


『6』


響子「絶対に! 絶対に私たちが押さえますから!!」グググッ


『5』


聖「うっ……ああぁああぁあああ!!」グググッ


『4』



紫「……」


『3』


聖「必ず! 必ずや……!」


『2』


聖「外の世界へ!!」


『1』


紫「……!」スッ

 
 
 
カッ…



――――――ズドォォォオオオオオオオッッッ!!!



紫「!!?」




ゴォォォオオオオオオオオオオッッッ!!!!



八万大法蔵を破ろうとするその瞬間、巨大な光の柱が現れた
出口まで一息に届くその光の柱に貫かれ、四人全員が光の中に飲み込まれる



紫「う  お   」




紫「おぉあああああアアアアアアア――――――ッッ!!!」




幻想郷で最大級とも言える攻撃を、紫は最も無防備な状態で受けたのである
いかに幻想郷の賢者といえども、このような攻撃に晒されてはただでは済まない

そしてそれは聖たちにとっては尚更のことであった


一輪「後は、頼んだわよ―――――」


響子「せんぱい、頑張って―――――」


聖「ナズーリン 星の子よ」

聖「どうか、お元気で―――――」



紫「アアアアアアアア!!!―――――――」




――――ドドドドォォォォン…




ナズ「!!」


ナズ「み、みんな……」


アッアッ アゥー


ナズ「くっ……行くぞ!」ググッ


ゴゥン… ゴゥン… ゴゥン…


~幻想郷 地上~


神子「ぐっ……」ガクッ

神子「はぁ、はぁ、はぁ……ざ」

神子「ざまあみろ……エセ賢者め……」

ドサッ…


全ての力を出し尽くした豊聡耳神子は、そのまま地面に倒れた


神子「…………」



倒れたままの姿で神子は瞬きすらしない
もはや神子には顔を動かす力も残されていなかった
草むらに一人転がったまま、神子はぼんやりと考えていた

どうして自分はこんなことをしたのだろうか
もうこれで、聖から勝利を得ることは絶対にできなくなってしまった
敗北の辱めを拭い去る未来は、もはや永遠に訪れることはない

神子はその行動の意味を自分でも理解できずにいた
しかしながら、その顔は満ち足りたものであった


神子「さらば、だ……」


神子「聖……白蓮……」


搾り出すようにそう言って、神子は静かに目を閉じた


~三途 出口付近~


ナズ「はぁ、はぁ、はぁ」


アゥー アッアー


ナズ「もうすぐ……もうすぐだぞ……ふっ、うぅ……」ヨロッ


ナズーリンは青ざめた顔をしている
それは出口間近で魔力を失ってきているからではない


ナズ「ぐう!……く……まだだ!」ググッ


雲山に船を隠しながらようやくここまで進んだものの、もう自分が長く持たないことを悟っていた
姿を隠しつつ紫の魔法を避け続けてはいたが、そのうちの何発かはその身に受けてしまっていたのだ


ゴカン…

ガランガラン…


さらに船については言うに及ばず
紫の魔法の跡が至る箇所に残され、いつ空中分解するとも不思議ではない
こうしている間にも船の部品は一つ、また一つと失われていく

ここで無事だったのは、腕にしっかり抱えた赤子だけであった


アッアッ アー…


ナズ「……そうだな」

ナズ「こ、今度は、お乳を分けてくれる人が……たくさん、いると、いいな……」


どうやら脇腹に受けた一発がまずかったらしい
ナズーリンは血が溢れ出る腹を押さえながら、無理して赤子に笑ってみせた


アゥ アッアッ


ナズ「待ってろ、もうすぐ……もうすぐ着くから―――」

ナズ「」フラッ


―――ズダン!!


意識を失い倒れそうになるところを、何とか持ち堪える


ナズ「まだだ!」


ナズ「まだ!……はぁ、はぁ……倒れるわけには、いかない……!」


アゥー アァー


ナズ「約束したんだ! 私は! お前と……!」ググッ


もはやナズーリンはいつ絶命しておかしくない程に消耗していた
それでもなお立ち続けていられたことは、もはや気力によるものとしか説明が付かない


――――カッッ!!


ナズ「!!」



その時、三途の景色が変わった



ゴシャァ…


ガラッ…

ガラガラ…


船が崩れ落ちるその直前に、ナズーリンたちは出口に辿り着いたのである


ナズ「……」

ギュッ…


ナズーリンは再度赤子をしっかり抱き締める
光が二人を包む……





――――――――――――――――――――





 
 
 
 
 
ナズ「!?」ヨロッ


――ドサッ!


ナズ「ぐ……!」

ナズ「こ、ここは……?」


そこは幻想郷とは異質の世界であった
木があり、土があり、空気もある
しかしその息吹は幻想郷のものとは全く異なっている
まるでその全てが意思を持つかのような強烈な存在感が、ナズーリンに迫ってくるのだ

 
 
アー アッアー


ナズ「……着いたのか?」


しばらくして、ナズーリンは腹に痛みを感じなくなっていることに気付く


ナズ「あ、あれ?」

ナズ「……えっ??」


いや、そうではない
そこにあるはずの肉が存在しないのである

 
 
アウー アッアッ…


ナズ「か、体が!?」


ナズーリンは自分の手足を見て驚く
赤子の輪郭が明確であるのに対して、自分のそれは大変ぼやけている
自分の足を見ても、その足は透けてしまっていて、向こうの土くれが見えてしまっているのだ

まるで自分は幽霊にでもなってしまったのだろうか


ナズ「ぐっ……」ガクッ


ナズ「はぁ、はぁ、はぁ……」


ナズ「た、立てない……!」


全身から力が抜けていく
遂に膝を着き、赤子がゆるゆると着地する


アッアッ アァー!


ナズ「う…………」


アー! アァー!


ナズ「…………」


異変を感じ取ったのか、赤子は次第に不安を表し始める
しかしナズーリンはその呼び声に応えることができない


ナズ「ご……」


ナズ「……」


もう声を発することすら難しくなってきている
もはや確かめなくとも分かる
自分の体は、この世界の空気に溶け出して行っているのだ


オギャァ! オギャァ! オギャァ!


まだだ
まだこんな所で終わるわけにはいかない
今自分が消えてしまっては、この子を誰が守れると言うのか

 
 
ナズ「――――」


いくらそのように思ってみても、体は真逆の方向に変化していく
ナズーリンはこの時ほど我が身の拙さを呪ったことはなかった
今は亡き友に痛切な訴えすら念じる


オギャァ! オギャァ! オギャァ!


どうして星は自分を選んでしまったのだろうか

いくら辿り着いたところで、こんな卑小な体では早々に倒れるしかないではないか
聖、一輪、村紗……自分よりも強靭で根性のある者はいくらでもいたはずだ
なのにどうして星は、よりにもよって一番根性の無い弱虫を選んでしまったのか


ナズ「う……あ…………」


オギャァ! オギャァ! オギャァ!


ナズ「ま……」


ナズ「待っ……て……」


オギャァ! オギャァ! オギャァ!


いくら時を押し留めようとも、運命は容赦なくナズーリンの体を溶かしていく

 
 
 
 
 
 
 
 
『胸を張りなさい、ナズーリン』



ナズ「!!」



『私たちは大変なお方にお仕えしているのですよ?』



ナズ「……」

 
 
『同じ時、同じ場所、同じ宇宙に巡り合わせ、そして出会い、師弟の誓いを交わす』


『これを単なる偶然と見ては御仏のお叱りは免れません』


『他の者はいくら望んでも、例え百万年追い求め念じていたとしても、決してそのような機会を得ることはない』


『あなたは偉大なる使命を持っているからこそ、今ここに居合わせているのです』


『ならばあなたはただの小間使いのネズミなどではない』


『聖同様、あるいはそれ以上の力を、その身に秘めているのですよ』



ナズ「ご……ご主人……」

 
 
 
『決してその誇りを汚してはなりませんよ』



ナズ「……そうだ!!」ググッ



消えかけたその体が熱を帯びる



ナズ「終わっていいはずがない! こんな所で!!」


オギャァ! オギャァ! オギャァ!


ナズ「待ってろ……今!」ググッ


聖様から聞かされた
仏法の真髄とは、全宇宙の一切の苦難を自ら引き受けると『覚悟』することにあるのだと
ならば自分のすべきことは決まっている


ナズ「ぐっ……おぉおおおおお!!」グググッ


あらゆる苦難を極めんとする者が、我が身一つを嘆いて何とする!


ナズ「殺せるものなら殺してみろッ!!」


悪鬼、死神、そこをどけ!!


ナズ「この私が! 誰の志を受け継いだと思っている!!」


如来、帝釈、力を貸せッ!!


ナズ「そいつは私が守るんだ!!」


オギャァ! オギャァ! オギャァ!






―――キィィィィィン






オギャァ! オギャァ! オギャァ!


サッ…


オギャァ! オギャァ! オ…


少女「ほうら、持ち上げてやったぞ?」


アゥア…


少女「いつまでもメソメソするんじゃない。男の子だろう?」ニコッ


アッア アー…


消えかけた体が力を取り戻し、赤子と同様の輪郭を現していた
その理由について深く考える必要はなかった
すぐ傍にあったそれを見て全てを知ったからだ


少女「これは……」


いつの間にここまで付いて来たのか
足元には見覚えのある物が砕けていた


少女「これって……宝塔じゃないか」


それは最後に聖たちが持っていたはずの物
かつて命蓮寺の至宝とされた宝塔はバラバラに砕け散り、もはやただのガラクタと化していた


少女「そうか……」

少女「お疲れ様だな、お前も」


確かに鼓動するその胸の内に、宝塔が全ての役目を終えたことを感じ取っていた

 
 
アァー アー!


少女「分かってるよ。まずはお乳だろう?」

少女「お前も疲れただろうから、すぐにでも見つけてやるさ!」


二人は光ある方に向かって歩き出す
その姿には不安も迷いもなかった


少女「この世界がどんな所だろうと……」


その姿を、かつての仲間たちが見守ってくれているような気がした
彼女たちはきっと微笑んでくれているのだろう


少女「生きていってやるさ! お前と一緒にな!」

アッア アァー



子の願いに応えるように、少女は笑って見せた



もう涙は流さなかった





 
 
 
 
 
 
 
 
 
命蓮寺退場から三ケ月が過ぎる頃
幻想郷は様変わりしつつあった


神子「はぁ、はぁ、はぁ……も、もうそろそろか……」

神子「くっ」ヨロッ


ドサッ…


神子「ようやく尽きたようだな。私の、命運も……」


その身は汗と垢にまみれ、手足にも無数の小さな傷が跡を残している
豊聡耳神子は疲労困憊を極め、限界を越えた飢えと渇きが思考を妨げる


神子「はぁ、はぁ……ま、まさか、最期の場所がこんな所になるなんて、な」

神子「かの聖徳王がいい様だ。何とも、茶番じみた結末じゃないか……」ニヤリ


落ち延びた場所はかつての仇敵がいた命蓮寺からほど近く
その跡地に到る石段の下にうずくまっていた


神子「……いいさ」

神子「どうせ終わりは近いんだ。せめて、果てる場所ぐらいは決めてやる……!」


神子は最後の気力を振り絞り、石段を登り始める
しかしもはやその力は人間の子どもよりもか弱く、両手両足を使い這うようにして上がるしかなかった


神子「ぐっ」

神子「か……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

神子「まだ……まだだ!」グッ


ほんの百段にも満たないその石段を、神子は何度も休憩しながら登って行く
登り切った場所に何も無いことを知りながら


神子「はぁ、はぁ、はぁ、もう少し……もう少しだぞぉ!」

 
 
 
 
―――事の起こりはこうであった


命蓮寺の退場後、神子は自身の力の流出に気が付いた
そのことに戸惑いはしたが、しかし予想外というほどのことではなかった
なぜならば、神子は聖白蓮をこの世界に留め置くことこそが本来の役目であったのだ
その聖がいなくなった以上、もはや神子の存在理由は消滅していた


神子「やはり復活など、するものではないな……」

神子「よい、しょ……!……とぉ……」

神子「はぁ……ふぅ……はぁ」


そしてそのような神は、密かに賢者が後始末を付けるのが幻想郷の習わし
だが神子に審判が下されることはなかった
元よりその賢者は、他ならぬ自分が吹き飛ばしてしまったからだ

しかしそれは神子にとって苦難を回避したことを意味しない
むしろより激しく凄惨な未来の幕開けであった


神子「一体、どこから嗅ぎ付けたのか」

神子「はぁ、はぁ、はぁ、この私すら、驚嘆させるなど……全く見事な地獄耳じゃないか」


役目を失った神は直ちにその力を失う
地上をまるごと覆いかねない膨大な魔力が、急速に流れ出し宙に散っていった
これを好機を見て目を付ける者たちがいたのだ

 
 
神子「……忌々しい盗っ人どもめ!」ギリッ


妖魔、天神、化生、その他諸々の人ならざる者たちが、一斉に神子の力を求めて群がって来た
神子の力の源は人間の欲望、即ち『願い』あるいは『祈り』であり、迸る熱情そのものなのだ
その結晶こそ彼らの血肉となり得る唯一のもの

当然彼女たちはこれを求めて争う
誰もが我先とばかりに手を伸ばし、取られじ奪わんと修羅の命を盛んにする
普段は取り巻きの者たちから聖人君子のように崇められていた神々も、必死の形相でそれを獲得しようとしていた
ましてそれ以外の妖魔に至っては言うに及ばず
為す術もなくそれを眺めていた神子にとって、彼女たちの姿はまさに餓鬼界の衆生そのものであった

その者の中には見知らぬ顔も、見知った顔も共にあった


神子「全く……何とも理解に苦しむ輩よ」

神子「ふんっ!」ググッ


その者たちの中にはかつての部下、物部布都もいた

突然の裏切りに恨み言の一つでもぶつけてやりたい神子であったが、何を差し置いてもまずは身の安全を確保しなければならない
神子は残ったわずかな力でその場から逃げ延びる
しかしなおも力を欲する者たちは執拗に神子を追う


……もはや奪うものも無くなった神子に執着する必要は、本来ならば無い
しかしながら、奪った力が元々神子のものであることはやはり疑いようがない
もちろん実現不可能な絵空事ではあるが、もし仮に神子に打ち負かされてしまえば、奪った力は全て取り返されてしまう
その可能性を消すためには、神子が再び聖徳王として立ち上がる前に亡き者としておく必要があるのだ

故に彼女たちは力ばかりか、その命までも奪わんとして神子を付け狙う
神子の逃亡は今なお続いているのだ


神子「はぁ、はぁ、はぁ……」

神子「物部、か」

神子「今頃は、どうしているのやら……本拠地を天界に移した辺りか?」


――――物部が裏切ったことは予想外ではあったが、別に驚くには当たらない
あの者が惚れ込んだのは自分の力であって、聖徳王ではないからだ
今までは力と聖徳王が一致していたから従っていたに過ぎない

分からないのは、彼奴が『真聖徳王』などと名乗り全面戦争を開始したことだ
私は幻想郷を征服しろなどと言った覚えはないし、そもそもその本人に対し盗みを働いておきながら、その名をも騙るとは何事か
あまりにも傲慢かつ恥知らずなその振る舞いには、この私にもまるで理解が及ばない
霍青娥如きを邪悪などと捉えていた自らの不明を悔いる他ない


神子「……だが、今のところ、ヤツが優勢にあるらしいな」

神子「はぁ、ふぅ……もういっちょ!」グッ


力を奪って行った者たちはしばらく自らの住処に留まっていたものの、わずかな衝突を端として闘争と変転する
三悪道にまみれた彼女たちにとって、闘争はどうあっても避けがたい必然であった

その中にあって今最も強い勢力が、かつての門弟たちを率いた物部の一団なのである
既に地上の勢力には物部たちに敵う者はなく、物部は戦いの最前線を天界に置いている

始めはたかが仙人と高をくくっていた天人たちも、物部の侵攻にはまるで歯が立たず、ただ逃げ惑うばかり
天人たちは次々に地上へ追い落とされ、既に天界一の勇者とされる顕聖二郎真君も討ち取られた
長きに渡った平穏は終わりを告げ、今天界は脅威と悲嘆のるつぼと化しているのだ


神子「……七星剣も無い今となっては、退治にはさぞや手間取っているのだろう」


あまりの激しい攻め様に”第二の斉天大聖の登場か”とも噂されているようだが、しかし彼らの認識は甘い
斉天大聖の性質は極めて粗暴ではあったが、残虐ではない
親の無いまま生まれて来た哀しみを抱えながらも、自分の仲間を守ろうとする純真さを保っていた


神子「だが、あいつに道徳だの倫理だの情愛だの、そんなものは通用するはずがないんだ」

神子「この私とて、ヤツと話をするのは苦労したのだからな」


物部の軍勢は同様に私の力を奪った者たちを吸収し、その勢力を率いて天帝をも攻め落とそうとしている
やがては月も冥界も魔界すらも制圧し、その驕り昂った旗を高々と掲げようとでも考えているのだろう

しかし物部は何も知らない
この世界を戦乱で満たすことがどういうことか、まるで分かっていないのだ


神子「……」チラッ

神子「もう少しか……うん、もう少しだ!」

神子「さあ行くぞ!」ググッ


既に石段は半分以上登っていた


神子「はぁ、はぁ、はぁ」

神子「全く、人は精も根も尽き果てると、訳の分からないことに執心し始めるものだな」

神子「どうせ登り切ったところで、後は死ぬだけだというのに……」


このまま物部の進軍が止まらなければ、やがて月や冥界の賢者も放ってはおけなくなる
再びこの幻想郷に大戦が起こるのだ
そうなれば、いずれ龍神も再び姿を現すことになるだろう


神子「…………」


だがもはや私には関係ない
どのみちこの世界はもうお終いだ
私は一早く脱落するだけなのだ

もうすぐ石段を登り切る
そこで私は終末を迎えるのだ


神子「……」


神子「着いた……」


当然、そこに寺はなかった


神子「うん??」


しかしその中心にある物を見つけてしまった
それは石碑のように見えた
おそらくは、命蓮寺が飛び立つ際に新たに設置されたものなのだろう


神子「……」

神子「物はついでだ。どんな馬鹿げたものか、一つ見てやろうじゃないか」ヨロッ…


私は不用意に石碑に近付いて行った
それが本当の運の尽きであるとは知らずに


神子「……何だこれは。随分と単純な言語だな」


そこにはただ文章の羅列があるだけに思えた


神子「暗号のつもりなら、もっと複雑にしないと意味がないだろうに……」チラッ



神子「――――ッ!?」



そこには紛れもない自分の名が刻まれていたのだ
その石碑にはこう書かれていた




『かつて我が妹であった者、豊聡耳神子よ』


『あなたに仏種三宝と地下の唯一経、並びにこの言葉を授けます』


『天上にも天下にも得難き不世出なる四人の友を集め、彼らと共に全ての命を守り給え』

 
 
『苦悩と悲嘆の海に沈む者たちを、一人残らず法の舟にて引き上げ給え』


『あらゆる魔王の軍勢を伏し導いて、彼らを正義の軍勢と為し給え』


『九界に迷う全ての衆生に、無上尊一乗の智を得せしめ給え』


『善の勢力の一切を率いて、世にはびこる衆苦を皆ことごとく打ち滅ぼし給え』


『あなたが真の師より授かった名は『勝利する者』』


『そして真の勝者とは、全ての者を無上尊極の玉座へと導く者』




『故にあなたこそ王の中の王、聖の中の聖、英雄の中の英雄なり』


『あなたのかつての臣下・人民・一族・親友・そしてこの私。全ての縁する者たちが、あなたの帰りを待っています』


『三全世界の主として、あなたがその誇り高き玉座に戻る日を、いつまでもいつまでも待ち続けております』


『この久遠の約束を、どうかお忘れなきように』




『―――――常在不滅の行者、ここに記す』


 
 
 
 
神子「わぁあああああああああああッッ!!」




神子は泣き叫んだ
あまりの衝撃に立ち続けることもできず、石碑に倒れ込み両手を押し付けた


神子「ああっ……あああああああああああああッッ!!」


渇き切ったこの体のどこにこれほどの水分が残されていたのか
次から次へと涙が溢れ、それを止めることができない
訳も分からず力いっぱい石碑にしがみ付き、抑えようのない心が鎮まるまで耐えるしかなかった

 
 
 
神子「ぅぐっ……ぉ……ぁあああああああ――――――!!」



石碑の内容は神子にとって理解し難かった
文言そのものは解読したものの、その意味も意図するところも判然としない
ただ分かるのは『龍神を鎮めよ』という一点のみであった

しかし神子の魂には既にその想いが届いていた
頭より先に、心がそれを受け取ってしまったのだ

この石碑はただ一人、豊聡耳神子のためだけに用意されたものであった


神子「……インチキ、坊主め……!」


神子「お前の言葉に、この私が従うと思ったのか!」ザッ…


神子は顔を上げ大地を踏みしめた
もはや疲労も飢えも渇きも、力を奪われた屈辱も、神子の心を捉えるには至らない


神子「今回だけだぞッ!!」


もう神子は倒れるわけにはいかなくなった
この世界で果たすべき使命を悟ったのだ


神子は龍神を鎮める戦いに打って出る
やがてその道行きに仲間を得て、その者たちと共に魔王の軍勢を打ち破ることになる


『対人恐怖症の不死者』


『言語障害の河童』


『住処を追われたはぐれ天人』


『記憶を失った現人神』


彼女たちが勇者として目覚める時は近い
しかし今はまだ、そのような未来があることを知らない

 
 
神子「物部布都よ、待っているがいい!」


―――バッ!!


薄汚れ、破れたマントを翻し、聖徳王・豊聡耳神子は蘇生した



神子「貴様が誰に牙を向けたのか、思い知らせてくれる!!」


 
 
 
 
如何なる世界であろうとも、そこに命ある限り未来が失われることはない

命は永遠の旅路を行く

果てしない使命を、その身に背負いながら……










                                    「寅丸星ですが………【安価】」     完

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年01月30日 (金) 23:30:02   ID: CORaMb-5

良かった!

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