ドアを開けて姿を見せた彼女は、ずいぶんと機嫌が悪そうにそう言った。
吐き捨てる……って言った方がいいのかもしれない。初対面だと言うのに、少しだけ不愛想過ぎる気がする。
(……あ、初対面だからこそ不愛想なのかも)
そんなことを考えていると、彼女は実にめんどくさそうにしながら、かつ、まるで不審者を見るかのようなジト目を僕に向け、口を開いた。
「……で?それがどうかしたの?」
「い、いや……どうかしたってわけじゃないんだけど……」
「だったらもういい?今、ちょっと忙しいのよ」
「あ、うん……」
「……フン」
そう言い残し、彼女は荒々しくドアを閉める。
引っ越したばかりだと言うのに、なんともとんでもなく先行きが不安になってしまった。そう思ったら――
「……はぁ」
――思わず、溜め息をこぼしてしまっていた。
「――ただいま……」
「おかえりなさい、シンジ」
玄関を開けるなり、奥からエプロン姿の母さんが小走りで駆け寄って来た。とても優しい笑顔を向けて。
「挨拶はどうだった?ちゃんとやれた?」
「ああ……うん……やったのはやったんだけど……」
(……うまくいったとは、到底言えないな……)
「……なんだか煮え切らない反応ね。何かあったの?」
「ええと……」
少しだけ、考えてみた。ありのままの出来事を母さんに話すか、それとも黙ってるか……。こう見えて、母さんはかなり行動的だ。文句の一つでも言いに行ったら、後々面倒なことになるかもしれない。
「……何でもないよ」
――よって僕の思考は、8対2で“平和”という選択を可決させた。
「あらそう?……まあいいわ。ほら、ご飯出来てるわよ」
少しだけ疑うような視線を向けた母さんは、すぐに表情を笑顔に戻してパタパタと奥へと引っ込んでいった。
(……悟られたかな?)
母親に隠し事は難しい……そういうことだろうか。
何だか心の奥まで見透かされたような気分のまま、僕もまた母さんの後に続いて家の中に入って行った。
台所では、味噌汁のいい香りが漂っていた。
テーブルには既に食器が並べられ、中央にはおかずが3品ほど置かれていた。今日は、から揚げのようだ。
「……おかえり」
父さんは、顔を隠すように新聞を読んでいた。新聞が重力に負けて下に曲がれば、一瞬だけサングラスが姿を見せる。
……家の中くらい、外せばいいのに。
「ああもう!またサングラスかけてる!家の中は外してくださいって何回言えばいいんですか!」
母さんもまた、僕と同じことを考えたようだ。父さんの隣に立って声を上げていた。
「……問題ない」
父さんはいつものように言葉を返す。
「問題あります!ありまくります!」
「う、うう……」
母さんの圧力に、父さんは新聞で身を隠したまま身を小さくする。
(今日の勝負も、母さんの圧勝、と……)
というより、父さんが勝ったところを見たことがない。でも、これだけ言ってるけど、最終的にはそのままにさせるあたり、母さんのやさしさなのかもしれない。
それから、僕らは夕食を食べ始める。
その光景も、前に住んでいた家と何も変わらなかった。
笑顔で僕に話しかけながら食べる母さん。黙々と食べながら、時折母さんに怒られる父さん。そして、それを眺める僕。
これまでと何も変わらない、とても暖かい光景だった。
「――シンジ、明日の用意は出来てる?」
「あ、うん。終わってるよ」
「そう。失礼がないようにね」
「分かってるって……」
僕は明日から、新しい中学校に編入する。知らない街の知らない学校に転校するのは、これで何度目か分からない。元々父さんが転勤族ということもあり、ころころと家を変えている。
もっとも、今回はかなり長く住むらしい。父さんの仕事の拠点が、ここになるからだ。
……それと、僕のためでもあった。転校ばかり繰り返す僕を哀れに思った母さんは、父さんに詰め寄った。
『いい加減転校ばかりさせたら、シンジが可哀想です!次に引っ越した街の学校に、シンジは卒業まで通わせます。あなたが転勤になったら、単身赴任をしてください』
『……!!!』
あの時の父さんの顔、本当にショックを受けていた。それから、今の仕事場に長くいれるようにと、同じ職場の冬月さんに人知れずお願いしていたのを僕は知っている。よほど単身赴任が嫌なようだ。
正直なところ、僕としてはどっちでもいい。
だけど、そんな二人(?)の気づかいには、本当に感謝している。
「……そういえば、アスカから何か聞いてなかった?」
「え?」
唐突に、母さんが言い出した。
そんなことを言われても……。
「……アスカ?誰?」
「あら?何も聞いてないの?」
僕が本当に何も知らないと分かるや、母さんは視線を逸らして何かを考え込む。
「……キョウコったら……何も言ってないのかしら……」
ぼそりと呟く母さん。
「え?なんか言った?」
「……なんでもないわよ。それよりほら。早く食べて今日は早く寝なさい。明日寝坊するわよ」
「う、うん……」
……なんだか、凄く誤魔化されたような気がした。
夜。布団に寝転がったまま、色々と考えていた。
窓からの月のランプに照らされた室内は、まだ荷物を出していない段ボールが積まれている。
前の家より部屋が狭いからか、やけに荷物が多く感じる。
「……」
愛用のカセットテープを聞きながら、ふと、隣のあの子のことを思い出していた。
凄く不愛想で、感じが悪い。
だけど、長い栗色の髪はサラサラと風に揺れていた。そして何より……。
「――可愛かったな……」
心の声が、口に出てしまった。
確かにそうだ。凄く可愛かった。
……だがしかし、あんだけ気が強いのは勘弁してもらいたい。あんなのと一緒にいたら、きっと疲れてしまうだろう。
(何様だよ、僕は……)
そんな上から目線のようなことを考えていた自分がなんだかおかしくて、思わず笑ってしまった。
……ともあれ、明日は学校だ。
母さんよろしく、今日は早く寝ることにしようか。僕は見慣れない天井の下で、見慣れた布団の中に潜り込んだ。
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