千早「キスをすれば目を覚ましてくれるのでしょう?」 (26)


眠れる森の美女

いつだったか、読んだ本はそんな題名だった

もう随分と昔……というほど昔でもないけれど

声の主、如月千早が歌に全てをつぎ込むよりも前

まだ何も失ってはいなかった頃、読んだ記憶のある一冊のストーリー

「……王子様じゃないとダメかしら?」

目の前で眠る少女に問いかける

もちろん答えはない。と、

そう決めていたからこそ

「余計なことしたらダメだよ」

穏やかでありながらも響く声が返った事に

千早は驚きながらも振り返る

「……萩原さん」

いつ来たのか

花を携えているような甘い香りのする萩原雪歩は

困ったように顔を顰めて千早に首を振る

「ダメだよ」

念押し

そんなことしなくてもしないのにと

千早は淡白な声で「ええ」とだけつぶやく

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「千早ちゃん以外には誰も?」

「萩原さんなら来たわ」

「それ……私だよ」

「……そう言えばそうね」

千早なりの冗談のつもりだったのだが

場を和ます力もなく

退屈そうな雪歩の声に撃墜

肩を落とし、千早はもう一度眠り姫を見つめる

「目覚まし時計を最大音量で流してみたらどんな反応するかしら」

「可哀想だよ」

「そうね」

抑揚のない水面下での会話

つまらない。退屈だ

良く不満を漏らす水瀬伊織ならばそう言ったかもしれないし

良く寝る星井美希ならあくびの一つでもして新たな眠り姫としてベッドに潜り込むのだろうか

考えた千早はふと気づく

「眠り姫の隣で眠る姫」

「……怒るよ?」

「……冗談よ」

残念ながら、雪歩には面白くない冗談だったようだ


「ところで萩原さん」

「何?」

「眠れる森の美女という話、読んだことはあるかしら」

「眠れる森の美女?」

唐突な問に

雪歩は千早の前にいる眠り姫……に例えられているであろう天海春香を見下ろす

春香は身動ぎ一つしない

今なら何しても許され……ないが知られることはないんだろうなぁ。と

おかしな考えを穴の中に埋める

でもどうやら悪い考えを埋める穴は満員のようで

それがポロッと溢れていたのか、雪歩の視線が上にずれると千早と目があう

「萩原さんも試してみる?」

「……も?」

「……萩原さん、試してみる?」

「言い換えても遅いよ?」


じぃっと見つめる雪歩の冷めた瞳

対して千早は我関せずと春香の手に触れる

「冗談、私はしてないわ。しようとはしたけれど」

「したんだ。しようと」

「でも、萩原さんが来てしまったわ」

残念そうに言いながらも

どこか嬉しそうに言う千早は

流れるように雪歩へと目を向ける

「どう?」

「茨があまりにも多くて……私には無理かな」

「……臆病ね」

「千早ちゃんが勇者なんだよ」

雪歩のその称えているようで

少しばかり蔑んでいるような言葉に続き

「蛮勇者の間違いでしょ」

「そういう言い方はないっしょー」

と、2人とは別の2人が部屋に入り込んで来た


「なによ。事実でしょ!」

はっきりとした声で声高に言い返すのは水瀬伊織

「いおりん、しーっ。はるるんがいるんだから」

もう一人は伊織の所属するユニット、竜宮小町

そのメンバーである双海亜美

「ふんっ、起きればいいのよ」

「無茶言うなぁ……」

いつもはわいわいと騒ぐ亜美だが

ツンとした態度の伊織に対して大人しめに呟いて春香のことを見下ろす

「千早お姉ちゃん、はるるんに変なことしたっしょ」

「してないわ」

「ほんとにー?」

「ええ。本当よ」

しようとしただけよ。なんて思ったのを見透かした伊織の厳しい目に

千早は「してないわ」と繰り返して席を立つ

「千早ちゃん?」

「収録があるのよ。春香の事、任せるわ」

「いってらー」

「気をつけなさいよ」

「ええ」

伊織のきつい優しさに笑を向けて千早が去った部屋

残った3人は互いに顔を見合わせて首を振る

「どうしようかしら」

「どうもしなくていいと思う……むしろ、千早ちゃんみたいに仕事に」

「といっても兄ちゃんがいないと営業にはいけないし」

「そうだね……じゃぁもうしばらく春香ちゃんのこと見てよっか」


千早の居た椅子に座った伊織が春香の手に触れると

少し戸惑った様子で雪歩を見つめる

「千早ちゃんが握ってたからね」

「なるほど」

先を読んだような流れを気にすることなく伊織は言い捨てる

いつから居て、どれだけ握ってたんだか

まったく……暇人なんだから

なんて心の中で中傷する伊織は

シーツの皺になった部分のシミを摘む

「どったの?」

「別に」

「はるるんがおもらしでもしてた?」

「……そんなわけ無いでしょ。馬鹿なこと言わないで」

「ごめん」


人が増えたり、人が変わったり

そんなことで部屋の空気が新しくなることはなく

むしろ、さらに静まり返っていく

それもこれも春香ちゃんのせいだよ。と

八つ当たりのように目を向けた雪歩は目元を拭う

「伊織ちゃん」

「なによ」

「あずささんと律子さんは?」

「知らないわよそんなの。まぁ……律子はプロデューサーと一緒じゃないの?」

「あずさお姉ちゃんなら迷子になってくるって言ってたよー?」

「……そっか」

任せるよなんて視線を伊織へと送った雪歩だが

そのままにらみ返されて軽く頷く

「それなら仕方ないかな」


「ねぇねぇ、ゆきぴょん」

「なに?」

「亜美の髪ならはるるんになれるよね?」

「……そうだね。見た目だけなら」

「……そだね。外見だけだった」

会話が始まっては終わり、始まっては終わり

定期的に訪れる静寂に耐え兼ねたからか

伊織が半ば苛々とした表情で椅子を蹴るように立ち上がる

「伊織ちゃん?」

「貴音に響、やよいに真美、真……それに美希は何してんのよ」

「ひびきんはやよいっちの家……じゃなくて逆だったよーな……」

「真ちゃんは仕事だったかな。ほかは知らない」

各々知ってることを言い合ったところで意味はない

3人とも分かっていながらも

それ以外にできることを見つけられずに天井を仰ぐ


そんな空気を破るように

ギギギッと金属音を響かせながら扉が開き

銀髪の髪をなびかせる四条貴音が迷子になれなかった三浦あずさと共に訪れる

「おや、先客ですか」

「……そう、みたいね」

「望んだ時にこそ、得難いものですよ。あずさ」

「分かってるけど……どうしても」

納得がいかない

あるいは気乗りしないという感じのあずさとは対照的に

貴音は積極的に眠り姫の頬に手を当てて――微笑む

「眠っていても幸せそうなのですね。春香は」

「……貴音ちゃん」

「……………………」

「もう、良いんじゃないの?」

あずさの呼びかけに沈黙した貴音

それ以前から黙ったままの亜美と雪歩

募り募ったモノをぶつけるように伊織は静かに切り出した

「もう、認めても良いんじゃないの?」


「伊織」

「貴音だって分かってんでしょ?」

「…………………」

「それだけじゃない。雪歩も亜美も千早もやよいも響も小鳥も律子も真美もプロデューサーも美希も」

呼吸をすることなく一気に名前を並べて

そこにはいない人、そこにいる人

全員を指差すように手を動かし、虚空を指して、赤くなるほど強く握りこぶしを作る

伊織自身

認めろと言いながらも認めたくはなく

自分がそうなら美希

そしてプロデューサーはどれほどまでに逃避したいのだろうと思いながら

大きく頭を横に振って手を下ろす

「春香は死んだのよ。キスなんてしたって目を覚まさない。目覚まし時計なんて意味もない。殴ったって、意味ないのよ」

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